https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0121:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0121.pdf]] 亂碁ハ、ランゴト云フ、言繼卿記ニハ之ヲ訓ジテ、チキリト云ヘリ、其術詳ナラズ、
*&aname(E4BA82E7A281E5908DE7A8B1){名稱};
**〔類聚名物考〕
***〈人事七〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0122:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0122.pdf]] らんご 亂碁〈歟〉&br;思ふに、今も童子の戯に、亂碁とて白石のみにて打、四ツ目殺しといふことなす事有り、それをいふ歟、又は石なとりの事にて、石なごともいへば、言便になごをなんごともいへるにや、上總の俗、長柄郡の海に錦砂子有るを、女兒のともがらいしなごと云ふ、又はなんごともいへり、もしその事歟、されどもまづは亂碁なるべし、
**〔槐記續編〕
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0122:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0122.pdf]] 享保十七年十月十八日、滋野井入道殿〈○公澄〉仰ラレシハ、昔シ亂碁ト申コトアリタリ、ソレハイカヤウニ致スコトニヤ、梅輪内燈臺ナドノ類ニテ、源氏物語ナドニ、ミダレゴト云、連歌ナドニ能ツカフコト也、其法アリヤト申上ラル、仰ニ〈○近衞家熙〉後水尾院ノ御前ニテタビ〳〵アリタルコト也トテ、アソバシテ御ミセアソバス、コレヲメヤスランゴト云、先石ノ白黑ヲ一ツニマゼテ、碁盤ノ目ヲ四方ニヒトメノコシテ、ヒシト並べテ、四方ノ角ニ白石二ツ、黑石二ツ、已上四ツヲ置テ、是ヲメヤストス、扨人五人カ七人カ並テ、〈丁ニスルハワロシ、ハンニスルガヨシ、〉ソノ石ヲ目ニ從テ横ニ走リテ、タトヘバ白石ナレバ、白石ノ縱ニ多クナラビタル處マデ、縱ノ白石ノツヾキタル石ダケヲトル也、又黑石ナレバ、ソノ次ニ横ニ走リテ、横ニ黑石ノツヾキタルダケヲトル也、ソレハ一度ハ白石、一度ハ黑石ヲツカフ也、人ガ五人カ七人カナレバ、同ジ人ガ一度ハ白、一度ハ黑ヲツカフニナリテヨシ、サナケレバ同ジ石ニアリテハ兼テアシヽ、ケ樣ニシテトリ〳〵シテユケバ、後ニハ皆ニナル也、中々ニ古風ニテ面白キワサ也、
**〔鹽尻〕
***〈三十四〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0122:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0122.pdf]] 一今俗彈碁(ハジキ)と亂碁と、するやうをしらざる多し、〈○中略〉らんごは、指につけて碁子ををして取り、多く得たるを勝とする也、
**〔嬉遊笑覽〕
***〈四/雜伎〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0122:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0122.pdf]] 鹽尻に、亂碁は指につけて碁子を取、多く得たるを勝とする也、名物考に、今も童子の戯に、亂碁とて白石のみにて打、四ツ目殺しといふことをなす、それをいふかなどありて定か
ならず、今碁盤の筋のうへに石をならべ、その筋を順に石をとる、筋違にはとらぬ事あり、これらも亂碁の遺法か、
*&aname(E4BA82E7A281E4BA82E7A281E4BE8B){亂碁例};
**〔圓融院扇合〕
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0123:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0123.pdf]] 宮の御方に、うへおはしまして、らごとらせ給ひて、かたせ給へるかちわざ、六月十六日に、うへせさせ給ふ、
**〔拾遺和歌集〕
***〈十七/雜秋〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0123:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0123.pdf]] 天祿四年〈○天延元年〉五月廿一日、圓融院のみかど、一品宮にわたらせ給て、らんごとらせ給けるに、まけわざを七月七日に、かの宮より内の大ばん所にたてまつられける、扇にはられて侍けるうすものにをりつけて侍ける、         中務&br;天河かはべすゞしきたなばたに扇の風を猶やかさまし
**〔續世繼〕
***〈七/ありす川〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0123:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0123.pdf]] こ中宮の姫宮、二條の大宮とて、女院の御弟おはしましゝ、令子内親王とて、齋院になり給て、後には烏羽院の御母にて、皇后宮に成給て、大宮にあがらせ給にき、いと心にくき宮のうちと聞侍りしは、侍從大納言、〈成道〉三條の大臣など、まだげらうにおはせし時、月のあかゝりける夜、樣やつして、みやばらを忍びて、立聞給けるに、〈○中略〉うちに源氏よみて、榊こそいみじけれ、葵はしか有など聞えけり、だいばん所の方には、さゞれ石まきて、らんご拾ふおとなどきこえけるをぞ、昔のみや原もかくや有けんと侍りける、
**〔增鏡〕
***〈五/内野の雪〉
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0123:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0123.pdf]] みかど、〈○後深草〉ましておさなくおはしませば、はかなき御あそびわざよりほかいとなみなし、攝政殿〈○藤原實經〉さへわかくものし給へば、よるひるさぶらひたまひて、女房のなかにまじりつゝ、らんご、貝おほひ、てまり、へんつきなどやうの事どもを、おもひ〳〵にしつゝ日をくらし給へば、さぶらふ人々も、うちとけにくゝこゝろづかひすめり、
**〔看聞日記〕
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0123:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0123.pdf]] 應永廿九年三月十九日、退藏庵洪得喝食參、蔭藏主相伴被&size(5){レ};來、〈○中略〉有&size(5){二};酒盛&size(5){一};、廣時廣輔庭上候、歌舞其興不&size(5){レ};少、秉燭事了、洪得召留、面々遊戯、亂碁等拾&size(5){レ};之、
**〔言繼卿記〕
>https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png [[p.0124:https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/pdf/yugi_1/yugi_1_0124.pdf]] 大永十八年九月廿五日辛卯、禁裏御楊弓之間、四時分參内、各直參之間、八時分始、〈○中略〉御楊弓之後、亂碁有&size(5){レ};之、御懸物被&size(5){レ};出、薄樣、〈五枚〉白貝、〈三〉香包〈二〉入&size(5){レ};之、右衞門佐拜領也、同各杉原十枚宛出之、五時分退出了、&br;天文十八年九月一日丁卯、七時分、御楊弓ニ早々可&size(5){レ};參之由有&size(5){レ};之、則參内、御楊弓廿一度有&size(5){レ};之、〈○中略〉其後亂碁有&size(5){レ};之、御見物、〈○中略〉博士亂碁有&size(5){レ};之、新中納言勝也、 二日戊辰、禁裏御楊弓之由候間、巳刻參内、〈○中略〉次亂碁有&size(5){レ};之、各杉原五枚懸&size(5){レ};之、永相朝臣勝也、酉下刻退出了、 三日己巳、禁裏東坡點之事ニ參内、竹内殿、予、新中納言、菅宰相等、於&size(5){二};記錄所&size(5){一};沙汰之、竹予新於&size(5){二};番衆所&size(5){一};亂碁(チキリ)有&size(5){レ};之、出御御覽了、新中納言勝也、杉原不數、新〈ニ〉七枚、竹門ニ三枚、予負了、

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