http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 勇ハ、イサムト云ヒ、又タケシト云フ、勇敢ニシテ物ニ憶セザルヲ謂ラナリ、我國古來事ニ當テ勇ヲ奮ヒシモノ甚ダ尠カラズ、今ハ只其顯著ナル者數例ヲ錄スルノミ、
膂力ハ、又力持(チカラモチ)ト云フ、力ノ强キモノヽ謂ナリ、我國亦此種ノ人ニ乏シカラズ、或ハ數十人ノ力ヲ兼ヌルアリ、或ハ又女子ニシテ、其力能ク馬ヲ凌グモノモアリキ、
怯懦ハ、オヂナシト云ヒ、オソルト云ヒ、後ニ、臆ス、又ハ臆病トモ云フ、資姓懦弱ニシテ、濫リニ恐怖スルヲ謂フナリ、

名稱

〔新撰字鏡〕

〈言〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01762.gif 訩〈三形同、虚容反、勇也、訴也、詔也、伊佐牟、〉

〔類聚名義抄〕

〈四/八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01763.gif 〈俗勇字歟、力部、イサム、タケシ、〉

〔段注説文解字〕

〈十三下/力〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01764.gif 气也、〈气雲气也、引申爲人充體之气之偁、力者筋也、勇者气也、气之所至、力亦至焉、心之所至、气乃至焉、故古女勇从心、左傳曰、共用之勇、〉从力甬聲、〈余隴切、九部〉

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 いさむ 勇をよみ、新撰字鏡に詾もよめり、率なふと義通へり、

〔神道玄妙論〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 勇は、伊佐美と訓來れり、いさみ、いさむ、いさまむと活用き、敢て事を行ふにいへり、また諫諍などの字を、いさめと訓も、いさみを活かしたる也、懈怠はこのうら也、

勇例

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087素戔鳴尊、〈一書云、神素戔鳴尊、速素戔鳴尊、〉此神有勇悍以安忍、且常以哭泣行、故令國内人民、多 以夭折、復使靑山變枯、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 爾速須佐之男命、詔其老夫、〈○中略〉故隨吿而、如此設備待之時、其八俣遠呂智信如言來、乃毎船垂入己頭其酒、於是飮醉、留伏寢、爾速須佐之男命、拔其所御佩之十拳劒、切散其蛇者、肥河變血而流、

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 二十七年八月、熊襲亦反之、侵邊境止、十月己酉、遣日本武尊熊襲、時年十六、十二月到於熊襲國、因以伺其消息、及地形之嶮易、時熊襲有魁帥者、名取石鹿文、亦曰川上梟帥、悉集親族而欲宴、於是日本武尊解髮作重女姿、以密伺川上梟帥之宴時、仍劒佩裀裏、入於川上梟帥之宴室、居女人之中、川上梟帥感其童女容姿、則携手同席、擧坏令飮而戯弄、于時也更深人闌、川上梟帥且被酒、於是日本武尊抽裀中之劒、刺川上梟帥之胸、未之死、川上梟帥叩頭曰、且待之、吾有言、時日本武尊留劒待之、川止梟帥啓之曰、汝尊誰人也、對曰、吾是大足彦天皇〈○景行〉之子也、名日本童男也、川上梟帥亦啓之曰、吾是國中之强力者也、是以當時諸人不我之威力、而無從者、吾多遇武力矣、未皇子、是以賤賊陋口、以奉尊號、若聽乎、曰聽之、師啓曰、自今以後號皇子日本武皇子、言訖、乃通胸而殺之、故至于今曰日本武尊、是其緣也、

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 九年〈○仲哀〉四月、皇后〈○神功、中略、〉以謂群臣曰、夫興師動衆、國之大事、安危成敗、必在於斯、〈○中略〉吾婦女之、加以不肯、然蹔假男貌强起雄略、上蒙神祇之靈、下籍群臣之助、振兵甲而度嶮浪、整艫船以求財土、 九月、爰卜吉日而臨發有日、時皇后親執斧鉞、令三軍曰、金鼓無節、旌旗錯亂、則士卒不整、貪財多欲懷私内顧、必爲敵所虜、其敵少而勿輕、敵强而無屈、則鼾暴勿聽、自服勿殺、遂戰勝者必有賞、背走者自有罪、

〔日本書紀〕

〈十四/雜略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 五年二月、天皇〈○雄略〉狡獵于葛城山、〈○中略〉嗔豬直來、欲天皇、天皇用弓刺止、擧脚踏殺、

〔大鏡〕

〈一/宇多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 つぎのみかど亭子のみかど〈○宇多〉と申き、〈○中略〉王じゞうなどきこえて、殿上人にておは しましける時、殿上のごいしのまへにて、なりひらの中將とすまひとらせけるほどに、ごいしに打かけられて、かうらんおれにけり、そのおれめ、いまに侍るなり、

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 後鳥羽院御時、交野八郎と云强盜の張本ありけり、今津に宿したるよしきこしめして、西面の輩をつかはして、からめ召れける、やがて御幸成て御船にめして、御覽ぜられけり、彼奴は究竟のものにて、からめて四方をまきせむるに、とかくちがひて、いかにもからめられず、御船より上皇みづからかいをとらせ給ひて、御をきてありけり、そのとき則からめられにけり、水無瀨殿へ參たりけるにめしすえて、いかに汝程のやつが、これほどやすくは搦られたるぞと、御たづね有ければ、八郎申けるは、年來からめ手向ひ候事、其數をしらず候、山にこもり水に入て、すべて人をちかづけず候、此度も西面の人々向ひて候つる程は、物の數共覺へず候つるが、御幸ならせおはしまし候て、御みづから御をきての候つる事、忝も可申上には候はね共、船のかいは、はしたなく重き物にて候を、扇抔をもたせ候樣に、御片手にとらせおはしまして、やす〳〵とかく御をきて候つるを、少みまいらせ候つるより、運つきはて候て、力よは〳〵と覺へ候て、いかにものがるべくも覺へ候はで、からめられ候へぬると申たりければ、御けしきあしくもなくて、をのれめしつかふべき事也とて、ゆるされて御中間になされにけり、

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 六十七年、是歲、於吉備中國川鳴河派、有大虬人、時路人觸其處而行、必被其毒以多死亡、於是笠臣祖縣守、爲人勇悍而强力、臨派淵三全匏、投水曰、汝屢吐毒令路人、余殺汝虬、汝沈是匏則余避之、不沈者、仍斬汝身、時水虬化鹿以引入匏匏不沈、卽擧劒入水斬虬更求虬之黨類、乃諸軋族滿淵底之岫穴、悉斬之、河水變血、故號其水、曰縣守淵也、

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 六年十一月、膳臣巴提使還百濟言、臣被使、妻子相逐去、行至百濟濱、〈濱、海濱也、〉日晩停宿、小兒忽亡、不知之、其夜大雪、天曉始求、有虎連跡、臣乃帶刀擐甲、尋至巖岫、拔刀曰、敬受絲綸、劬勞 陸海、櫛風沐雨、藉草班http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif 者、爲其子上レ父業也、惟汝威神愛子一也、今夜兒亡追蹤覓至、不畏亡命、欲報故來、旣而其虎進前、開口欲噬、巴提使忽申左手、執虎舌右手刺殺、剝取皮還、

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 二十三年七月、同時所虜調吉士伊企儺、爲人勇烈、終不降服、新羅鬪將拔刀欲斬、逼而脱褌、追令尻臀日本、大號叫〈叫、咷也、〉曰日本將齧我臗脽、卽號叫曰、新羅王啗我臗脽、雖苦逼、尚如前叫、由是見殺、其子舅子亦抱其父而死、伊企儺辭旨難奪皆如此、由此特爲諸將帥痛惜

〔日本書紀〕

〈二十一/崇峻〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 二年〈○用明〉七月、物部守屋大連資人捕鳥部萬〈萬、名也、〉將一百人難波宅、而聞大連滅、騎馬夜逃向茅渟縣、有眞香邑、仍過婦宅、而遂匿山、朝廷議曰、萬懷逆心、故隱此山中、早須族、可怠歟、萬衣裳弊垢、形色憔悴、持弓帶劒、獨自出來、有司遣數百衞士萬、萬卽驚匿篁http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01723.gif 、以繩繫竹、引動令他惑己所一レ入、衞士等被詐指搖竹、馳言萬在此、萬卽發箭一無中、衞士等恐不敢近、萬便弛弓挾腋向山走去、衞士等帥夾河追射、皆不中、於是有一衞士、疾馳先萬而伏河側、擬射中膝、萬卽拔箭、張弓發箭、伏地而號曰、萬爲天皇楯、將其勇、而不推問飜致迫於此窮矣、可共語者來、願聞虜之際、衞士等競馳射萬、萬便拂捍飛矢、殺三十餘人、仍以持劒三截其弓、還屈其劒、投河水裏、別以刀子頸死焉、

〔日本書紀〕

〈二十三/舒明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 九年、是歲蝦夷叛以不朝、卽拜大仁上毛野君形名將軍討、還爲蝦夷敗、而走入壘、遂爲賊所圍、軍衆悉漏、城空之、將軍迷不知、時日暮踰垣欲逃、爰方名君妻歎曰、慷哉、爲蝦夷殺、謂夫曰、汝祖等渡蒼海萬里、平水表政、以威武於後葉、今汝頓屈先祖之名、必爲後世嗤、乃酌酒强之飮夫、而親佩夫之劍、張十弓、令女人數十人弦、旣而夫更起之、取伏仗而進之、蝦夷以爲軍衆猶多、而稍引退之、於是散卒更聚亦振旅焉、擊蝦夷大敗以悉虜、

〔日本書紀〕

〈二十四/皇極〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 二年十一月丙子朔、蘇我臣入鹿遣小德巨勢德太臣、大仁土師娑婆連、掩山背大兄王等於斑鳩、〈○註略〉於是奴三成與數十舍人出而拒戰、土師娑婆連中箭而死、軍衆恐退、軍中之人、相謂之曰、一人當千謂三成歟、 四年六月甲辰、中大兄〈○天智〉密謂倉山田麻呂臣曰、三韓進調之日、必將使 卿讀唱其表、遂陳人鹿之謀、麻呂臣奉許焉、戊申、天皇御大極殿、古人大兄侍焉、中臣鎌子連、知蘇我入鹿臣、爲人多疑、晝夜持一レ劒、而敎俳優、方便令解、入鹿臣笑而解劒、入待于座、倉山田麻呂臣、進而讀唱三韓表文、於是中大兄戒衞門府、一時倶鏁十二通門、勿便往來、召聚衞門府於一所、將祿、時中大兄卽自執長槍、隱於殿側、中臣鎌子連等、持弓矢、而爲助衞、使海犬養連勝麻呂箱中兩劒於佐伯連子麻呂、與葛城稚犬養連綱田曰努力々々急應須斬〈○中略〉中大兄見子麻呂等、畏入鹿威便旋不上レ進、曰咄嗟、卽其子麻呂等其不意、以劒傷割入鹿頭背、入鹿驚起、子麻呂運手揮劒、傷其一脚、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈二十八/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 元年七月辛亥、男依等到瀨田、時大友皇子及群臣等共營於橋西而大成陣、〈○中略〉其將智尊、率精兵先鋒之、仍切斷橋中、須三丈、置一長板、設有板度者、乃引板將隨、是以不進襲、於是有勇敢士、曰大分君稚臣、則棄長矛以重援甲、拔刀急踏板度之、便斷板綱、以被矢入陣、衆悉亂而散走之不禁、將軍智尊、拔刀斬退者而不止、因以斬智尊於橋邊

〔續日本紀〕

〈三十三/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 寶龜六年四月壬申、授川部酒麻呂外從五位下、酒麻呂肥前松浦郡人也、勝寶四年爲入唐使第四柁師、歸日海中順風盛扇、忽於船尾失火、其災覆艫而飛、人皆惶遽不爲計、時酒麻呂廻柁火乃傍出、手雖燒爛、把柁不動、因遂撲滅、以存人物、以功授十階、補當郡員外主帳、至是授五位

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 弘仁二年五月丙辰、大納言正三位兼右近衞大將兵部卿坂上大宿禰田村麻呂薨、正四位上養之孫、從三位苅田麻呂之子也、其先阿智使主、後漢靈帝之曾孫也、〈○中略〉譽田天皇之代、率部落内附、家世尚武、調鷹相馬、子孫傳業、相次不絶、田村麻呂、赤面黃鬚、勇力過人、有將帥之量、帝壯之、延曆廿三年、拜征夷大將軍、以功叙從三位、但往還之間、從者無限、人馬難給、累路多費、大同五年、轉大納言、兼右近衞大將、頻將邊兵、毎出有功、

〔田邑麻呂僅記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0091 大將軍〈○坂上田村麻呂〉身長五尺八寸、胸厚一尺二寸、向以視之如偃、背以視之如俯、自寫蒼鷹之眸、鬢繫黃金之縷、重則二百一斤、輕則六十四斤、動靜合機、輕重任意、怒而廻眼、猛獸忽斃、咲而舒 眉、稚子早懷、丹款顯面、桃花不春而常紅、勁節持性、松色送冬而獨翠、運策於帷帳之中、決勝於千里之外、武藝稱代、勇身踰人、邊塞閃武、華夏學文、張將軍之武略、當轡於前駈、蕭相國之奇謀、宜鞭於後乘

〔續日本後紀〕

〈十/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 承和八年四月庚申、從四位下百濟王慶仲卒、慶仲者百濟氏中適用之人也、〈○中略〉諸大夫中以壯健稱、嘗自東國都、路到渡頭爭般處、有http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00194.gif、率黨而來、驅逐諸人、不倶渡、諸人畏之、不敢抗論、慶仲一揚鞭打之、額皮剝垂而覆面、惑而仆伏、其黨亦退、諸人大悦、棹舟競渡、

〔三代實錄〕

〈五十/光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 仁和三年八月七日戊申、散位從四位上文室朝臣卷雄卒、〈○中略〉卷雄幼有勇力、不書、便習弓馬、尤善馳射、〈○中略〉卷雄身體輕㨗、甚有意氣、嘗戯騰躍、脚踏車牛額、超越立於車後、及少將、白晝有狐、走東宮屋上、卷雄奔登、拔劒斬之、凡其驍勇過人、皆此之類也、

〔今昔物語〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0092 仁壽殿臺代御燈油取物來語第十
今昔、延喜ノ御代ニ、仁壽殿ノ臺代ノ御燈油ヲ夜半許ニ物來テ取テ、南殿樣ニ去ル事、毎夜ニ有ル比有ケリ、天皇此レヲ目ザマシキ事ニ思食シテ、何デ此レラ見顯サムト被仰ケルニ、其時ニ辨源ノ公忠ト云ケル人、殿上人ニテ有ケルガ、奏シテ云ク、此ノ御燈油取ル物ヲバ捕フル事ハ否不仕ラジ、少ノ事ハ仕顯シテムト、天皇此レヲ聞食シテ喜バセ給ヒテ、必ズ見顯ハセト被仰ケレバ、夜ニ入テ三月ノ霖雨ノ比、明キ所ソラ尚シ暗シ、況ヤ南殿ノ迫ハ極ク暗キニ、公忠ノ辨中橋ヨリ密ニ拔足ニ登テ、南殿ノ北ノ脇ニ開タル脇戸ノ許ニ副立テ、音毛不爲ズシテ伺ケルニ、丑ノ時ニ成ヤヌラムト思フ程ニ、物ノ足音シテ來ル、此レナメリト思フニ御燈油ヲ取ル、重キ物ノ足音ニテハ有レドモ體ハ不見エズ、只御燈油ノ限リ南殿ノ戸樣ニ浮テ登ケルヲ、辨走リ懸テ南殿ノ戸ノ許ニシテ、足ヲ持上テ强ク蹴ケレバ、足ニ物痛ク當ル、御燈油ハ打泛シツ、物ハ南樣ニ走リ去ヌ、辨ハ返テ殿上ニテ火ヲ燈テ足ヲ見レバ、大指ノ爪缺テ血付タリ、夜嗟テ蹴ツル所ヲ行テ見ケ レバ、蘇枋色ナル血多ク泛テ、南殿ノ塗籠ノ方樣ニ其血流レタリ、塗籠ヲ開テ見ケレバ、血ノミ多ク泛テ、他ノ物ハ无カリケリ、然レバ天皇極ク公忠ノ辨ヲ感ぜサセ給ケリ、此ノ辨ハ兵ノ家ナムトニハ非子ドモ、心賢ク思量有テ、物恐不爲ヌ人ニテナム有ケル、然レバ此ル物ヲモ不恐シテ伺テ蹴ルゾカシ、異人ハ極キ仰セ有ト云フトモ、然許暗キニ、其ノ南殿ノ迫ニ、只獨リ立タリナムヤ、其ノ後此ノ御燈油取ル事、絶テ无カリケリトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔大鏡〕

〈三/太政大臣忠平〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 太政大臣忠平〈○中略〉彼殿いづれの御時とはおぼえ侍らず、思ふに延喜朱雀院の御ほどにこそは侍りけめ、宣旨うけ給はらせ給ひて、をこなひに陣の座さまにおはしますみちに、南殿の御帳のうしろの程とをらせ給ふほどに、ものゝけはひして、御たちのいしづきをとらへたりければ、いとあやしくてさぐらせ給ふに、けはむく〳〵とおひたる手の、つめはながくかたなのはのやうなるに、おになりけりと、いとおそろしくおぼしめしけれど、おくしたるさまみえじとねんぜさせ給ひて、おほやけの勅定うけ給りて、かためにまいる人とらふるはなにものぞ、ゆるさずばあしかりなんとて、御たちをひきぬきて、かれが手をとらへさせ給へりければ、まどひもちはなちてこそ、うしとらのすみざまへまかりにけれ、思ふに夜の事なりけんかし、

〔古今著聞集〕

〈九/武勇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0093 賴光朝臣寒夜に物へありきて歸けるに、賴信の家ちかくよりたれば、公時を使にて、只今こそ罷過侍れ、此寒こそはしたなけれ、美酒侍るやといひたりければ、賴信朝臣折ふし、酒のみてゐたりける時なりければ、興に入て、只今見樣に申給べし、此仰ことによろこび思ひ給候、御渡有べしといひければ、賴光則入にけり、盃酌之間、賴光厩の方を見やりたりければ、童を一人いましめてをきたりけり、あやしと見て、賴信にあれにいましめてをきたるものは、たぞと問ければ、鬼同丸なりとこたふ、賴光驚て、いかに鬼同丸などをあれていにはいましめ置給たるぞ、をかしあるものならば、かくほどあだには有聞敷物をと、いはれければ、賴信實さる事候とて、郎 等をよびて、猶したゝかにいましめさせければ、金鏁をとり出て、よくにげぬやうにしたゝめけり、鬼同丸、賴光のの給事を聞より、口惜物かな、何とぞあれと夜のうちに、此恨をばむくはんずるものをと、思ひゐたりけり、盃酌數獻に成て、賴光も醉て臥ぬ、賴信も入にけり、夜ふけしづまる程に、鬼同丸究竟のものにて、いましめたる繩金鏁ふみ切てのがれ出ぬ、狐戸より入て、賴光のねたる上の天井にあり、此天井引はなちて、落かゝりなば勝負すべき事、異儀あらじと思ためらふ程に、賴光も直人にあらねば、はやくさとりにけり、落かゝりなば、大事と思ひて、天井にいたちよりも大きに、てんよりもちいさきものゝ音こそすれといひて、誰か候とよびければ、綱名乘て參りけり、明日は鞍馬へ可參、いまだ夜をこめて、是よりやがて參らんずるぞ、それがし〳〵供すべしといはれければ、綱承りて、みな是に候と申てゐたり、鬼同丸此事を聞て、こゝにては今は叶まじ、醉臥たらばとこそ思ひつれ、なまさかしき事し出ては、あしかりなんと思ひて、明日の鞍馬の道にてこそと思ひかへして、天井をのがれ出て、くらまのかたへむかひて、市原野の邊にて、びんぎの所をもとむるに、立かくるべき所なし、野飼の牛のあまた有ける中に、ことに大成を殺して、路実に引ふせて、うしの腹をかきやぶりて、其中に入て、目計見出して侍けり、賴光あんのごとく來りけり、淨衣に太刀をぞはきたりける、綱、公時、定通、季武等みな共にありけり、賴光馬をひかへて、野のげしき興あり、牛その數有、をの〳〵牛追物あらばやといはれければ、四天王のともがら、我も我もとかけて射けり、誠に興ありてぞ見えける、其中に綱いかゞ思ひけん、とがり箭をぬきて、死したる牛にむかつて弓を引けり、人あやしと見る所に、牛の腹のほどをさして、箭をはなちたるに、死たる牛ゆす〳〵はたらきて、腹の内より大の童打刀をぬきて、走出て賴光にかゝりけり、見れば鬼同丸也けり、箭を射たてられながら、猶事共せず、敵に向ひけり、賴光は少もさはがず、太刀をぬきて鬼同丸が頭を打おとしてけり、やがてもたふれず、打刀をぬきて鞍のまへつぼをつ きたり、さて頭はむながいにくいつきたりけるとなん、死ぬる迄たけくいかめしう侍りける由語りつたへたり、まことなりける事にや、扨賴光はそれより歸りにける、

〔今昔物語〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 賴光郎等平季武値産女語第卅三
今昔、源ノ賴光ノ朝臣ノ美濃ノ守ニテ有ケル時ニ、ノ郡ニ入テ有ケルニ、夜ル侍ニ數ノ兵共集リ居テ、万ノ物語ナドシケルニ、其國ニ渡ト云フ所ニ産女有ナリ、夜ニ成テ其ノ渡爲ル人有レバ、産女兒ヲ哭セテ、此レ抱々ケト云フナルナド云フ事ヲ云出タリケルニ、一人有テ只今其ノ渡ニ行テ渡リナムヤト云ケレバ、平ノ季武ト云者ノ有テ云ク、己ハシモ只今也トモ行テ渡リナムカシト云ヒケレバ、異者共有テ千人ノ軍ニ一人懸合テ、射給フ事ハ有ドモ、只今其ノ渡ヲバ否ヤ不渡給ザラント云ケレバ、季武糸安ク行テ渡リナムト云ケレバ、此ク云フ者共極キ事侍トモ否不渡給ハジト云立ニケリ、季武モ然許云立ニケレバ、固ク諍ケル程ニ、此ノ諍フ者共ハ十人許有ケレバ、只ニテハ否不諍ハジト云テ、鎧、甲、弓、胡錄、吉キ馬ニ鞍置テ、打出ノ大刀ナドヲ各取出サムト懸テケリ、亦季武モ若シ否不渡ズバ、然許ノ物ヲ取出サムト契テ後、季武然バ一定カト云ケレバ、此ク云フ者共然ラ也、遲シト勵マシケレバ、季武鎧甲ヲ著、弓胡籤ヲ負テ、從者モ何ニカ可知キト、季武ガ云ク、此ノ負ヒタル胡錄ノ上、差ノ箭ヲ一筋、河ヨリ彼方ニ渡テ土ニ立テ返ラム、朝行テ可見シト云テ行ヌ、其ノ後此ノ諍フ者共ノ中ニ若ク勇タル三人許、季武ガ河ヲ渡ラム一定ヲ見ムト思テ、竊ニ走リ出テ、季武ガ馬ノ尻ニ不送レジト走リ行ケルニ、旣ニ季武其ノ渡ニ行著ヌ、九月ノ下ツ暗ノ比ナレバ、ツヽ暗ナルニ、季武河ヲザブリ〳〵ト渡ルナリ、旣ニ彼方ニ渡リ著ヌ、此レ等ハ河ヨリ此方ノ薄ノ中ニ隱レ居テ聞ケバ、季武彼方ニ渡リ著テ、行騰走リ打テ箭、拔テ差ニヤ有ラム、暫許有テ亦取テ返シテ渡リ來ナリ、其ノ度聞ケバ、河中ノ程ニテ、女ノ音ニテ、季武ニ現ニ此レ抱々ケト云ナリ、亦兒ノ音ニテイカ〳〵ト哭ナリ、其ノ間生臭キ香、河ヨリ此方マデ薫ジ タリ、三人有ルニダニモ頭毛太リテ怖シキ事无限シ、何況ヤ渡ラム人ヲ思フニ、我ガ身乍モ半バ死ヌル心地ス、然テ季武ガ云ケル樣、イデ抱カム己ト、然レバ女此レハクハトテ取ラスナリ、季武袖ノ上ニ子ヲ受取テケレバ、亦女追々ツイテ其ノ子返シ令得ヨト云ナリ、季武今ハ不返マジ己ト云テ、河ヨリ此方ノ陸ニ打上ヌ、然テ館ニ返ヌレバ、此レ等モ尻ニツイテ走返リヌ、季武馬ヨリ下テ内ニ入テ、此ノ諍ツル者共ニ向テ、其達極ク云ツレドモ、此クノ渡ニ行テ河ヲ渡テ行テ、子ヲサへ取テ來ルト云テ、右ノ袖ヲ披タレバ、木ノ葉ナム少シ有ケル、其ノ後此ク竊ニ行タリツル三人ノ者共、渡ノ有樣ヲ語ケルニ、不行ヌ者共半ハ死ヌル心地ナンシケル、然テ約束ノマヽニ、懸タリケル物共皆取出シタリケレドモ、季武不取ズシテ然云フ許也、然許ノ事不爲ヌ者ヤハ有ルト云テナム、懸物ハ皆返シ取セケル、然レバ此レヲ聞ク人皆季武ヲゾ讃ケル、此ノ産女ト云フハ、狐ノ人謀ラムトテ爲ルト云フ人モアリ、亦女ノ子産ムトテ死タルガ、靈ニ戍タルト云フ人モアリトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔今昔物語〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 藤原昌保朝臣億盜人袴垂語第七
今昔、世ニ袴垂ト云極キ盜人ノ大將軍有ケリ、心太ク力强ク足早手聞キ、思量賢ク世ニ並ビ无キ者ニナム有ケル、万人ノ物ヲバ隟ヲ伺テ奪ヒ取ルヲ以テ役トセリ、其レガ十月許ニ衣ノ要有ケレバ、衣少シ儲ト思テ、可然キ所々ヲ伺ヒ行ケルニ、夜半許ニ人皆寢靜マリ畢テ、月ノオボロ也ケルニ、大路ニスヾロニ衣ノ數著タリケル主ノ、指貫ナメリト見ユル袴ノ喬挾テ、衣ノ狩衣メキテナヨヨカナルヲ著テ、只獨リ笛ヲ吹テ、行キモ不遣ラ練リ行ク人有ケリ、袴垂是ヲ見テ、哀レ此コソ、我レニ衣得サセニ出來ル人ナメリト思ケレバ、喜テ走フ懸テ打臥セテ衣ヲ剝ムト思フニ、怪シク此ノ人ノ物恐シク思ケレバ、副テニ三町許ヲ行クニ、此ノ人我ニ人コソ付ニタレト思タル氣色モ无クテ、彌ヨ靜ニ笛ヲ吹テ行ケバ、袴垂試ムト思テ、足音ヲ高クシテ走リ寄タルニ、少モ騷 タル氣色モ无クテ、笛ヲ吹乍ラ見返タル氣色、可取懸クモ不思リケレバ走リ去ヌ、此樣ニ數度此樣彼樣ニ爲ルニ、塵許騷タル氣色モ无ケレバ、此ハ希有ノ人カナト思テ、十餘町許具シテ行ヌ、然リトテ有ラムヤハト思テ、袴垂刀ヲ拔テ走リ懸タル時ニ、其ノ度笛ヲ吹止テ立返テ、此ハ何者ゾト問フニ、譬ヒ何ナラム鬼也トモ神也トモ、此樣ニテ只獨リ有ラム人ニ走リ懸タラム、然マデ怖シカルベキ事ニモ非ヌニ、此ハ何ナルニカ、心モ肝モ失セテ、只死ヌ許怖シク思エケレバ、我ニモ非デ被突居ヌ、何ナル者ゾト重ネテ問ヘバ、今ハ逃グトモ不逃マジカメリト思テ、引剝候フト、名ヲバ袴垂トナム申シ候フト答フレバ、此ノ人然カ云者世ニ有リトハ聞クゾ、差フシ氣ニ希有ノ奴カナ、共ニ詣來ト許云ヒ懸テ、亦同樣ニ笛ヲ吹テ行ク、此ノ人ノ氣色ヲ見ルニ、只人ニモ非ヌ者也ケリト恐ヂ怖レテ、鬼神ニ被取ルト云ラム樣ニテ、何ニモ不思デ共ニ行ケルニ、此ノ人大キナル家ノ有ル門ニ入ヌ、沓ヲ履乍ラ延ノ上ニ上ヌレバ、此ハ家主也ケリト思フニ、内ニ入テ卽チ返リ出デ、袴垂ヲ召テ、綿厚キ衣一ツヲ給ヒテ、今ヨリモ此樣ノ要有ラム時ハ參テ申セ、心モ不知ラム人ニ取リ懸テハ、汝不誤ナトゾ云テ内ニ入ニケル、其後此ノ家ヲ思ヘバ、號攝津前司保昌ト云フ人ノ家也ケリ、此人モ然也ケリト思フニ、死ヌル心地シテ生タルニモ非デナム出ニケル、其後袴垂被捕テ語ケルニ、奇異クムクツケク怖シカリシ人ノ有樣カナト云ケル也、此ノ保昌朝臣ハ、家ヲ繼タル兵ニモ非ラズ、囗ト云人ノ子也、而ルニ露家ノ兵ニモ不劣トシテ、心太ク手聞キ强力ニシテ、思量ノ有ル事モ微妙ケレバ、公モ此ノ人ヲ兵ノ道ニ被仕ルニ、聊心モト无キ事无シ、然レバ世ニ靡テ此ノ人ヲ恐ヂ迷フ事无限リ、但シ子孫ノ无キヲ、家ニ非ヌ故ニヤト、人云ヒケルトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔奧州後三年記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 將軍〈○源義家〉つはものどもの、心をはげまさんとて、日ごとに剛臆の座をなんさだめける、日にとりて剛に見ゆる者どもを一座にすへ、臆病にみゆるものを一座にすへけり、をの をの臆病の座につかじとはげみたゞかふといへども、日ごとに剛の座につく者はかたかりけり、腰瀧口季方なん、一度も臆の座につかざりけり、かたへもこれをほめかんせずといふ事なし、季方は義光が郎等なり、將軍の郎等どもの中に、名をえたる兵どもの中に、〈○中略〉鏑の音きかじと耳をふさぐ剛のもの、紀七、高七、宮藤王、腰瀧口、末四郎といふは、末割四郎惟弘の事なり、

〔古事談〕

〈四/勇士〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 義家陸奧前司之比、常參左府〈堀川○源俊房〉打圍碁處、相具小雜色只一人也、持太刀中門内唐井敷、或日於寢殿圍碁之間、忽有追入事、犯人拔刀走通南殿之間、前司云、義家ガ候ゾ罷留云々、不入此言猶不留之時、ワレ候之由申セヤレト云々、其時小雜色云、八幡殿ノオハシマスゾ罷留云云、聞此言忽留居投刀畢、仍件小雜色捕得了、此間近邊小屋ニ隱居タリケル郎等等四五十人許出來、相具件犯人將去了、日來一切武士等人々所見也、白川院御寢之後物ニオソバレ御座ケル比、可然武具ヲ御枕上ニ可置ト有御沙汰テ、義家朝臣ニ被召ケレバ、マユミノ黑塗ナルヲ一張進タリケルヲ被御枕上之後、オソハレ御座ザリケレバ御感アリテ、此弓ハ十二年合戰之時ヤ持タリシト有御尋之處、不悟覺之由申ケレバ、上皇頻御感アリケリ、

〔奧州後三年記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 相模の國の住人鎌倉の權五郎景正といふ者あり、先祖より聞えたかきつはものなり、年わづかに十六歲にして、大軍の前にありて、命をすてゝたゞかふ間に、征矢にて目を射させつ、首を射つらぬきて、かぶとの鉢付の板に射付られぬ、矢をおりかけて、當の矢を射て敵を射とちつ、さてのちしりぞき歸りてかぶとをぬぎて、景正手負たりとてのけざまにふしの、同國のつはもの三浦の平太郎爲次といふものあり、これも聞えたかき者なり、つらぬきをはきながら、景正が顏をふまへて矢をぬかんとす、景正ふしながら刀をぬきて、爲次がくさずりをとらへて、あげさまにつかんとす、爲次おどろきてこはいかに、などかくはするぞといふ、景正がいふやう、弓箭にあたりて死するは、つはものゝのぞむところなり、いかでか生ながら足にてつらをふ まるゝ事あらん、しかじ汝をかたきとして、われ爰にて死なんといふ、爲次舌をまきていふ事なし、膝をかゞめ顏ををさへて矢をぬきつ、おほくの人是を見聞、景正がかうみやういよ〳〵ならびなし、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 久安六年五月十七日壬辰平旦禪閤〈○藤原忠實〉還御宇治、〈御船〉余〈○賴長〉從之、禪閤召資盛〈○平〉賜馬及兵具、去十三日夜、保賴從者六人、於宇治發亂、資盛獨進奪賊劒其亂、可一以當一レ千、令彼勇之、

〔源平盛衰記〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 祇園女御事
小夜深人定テ、御ツレ〳〵ニ思召出サセ給テ、祇園ノ女御へ御幸アリ、〈○白川〉忍ノ御幸ノ習ニテ、供奉ノ人々モ數少シ、忠盛〈○平〉北面ニテ御供アリ、比ハ五月廿日餘ノ事ナレバ、大方ノ空モイブセキニ、五月雨時々カキクラシ、曉懸タル月影モ、未雲井ニ不出ケリ、最御心細キ折節ニ、祇園林ノ南門鳥居ノ芝草ノ西ニ當ツテ、光物コソ見エタリケレ、或時ハサトヒカリ、光テハ消、消テハ又ザト光、光ニ付テ其姿ヲ叡覽アレバ、頭ハ銀ノ針ノ如クニ、キラメキタ戸髮生下、生上レリ、右ノ手ニハ、鎚ノ樣ナル物ヲ持、左ノ手ニハ光物ヲ持テ、トバカリ有テハ、ザト光、暫ク有テハ、バト光、院モ御心ヲ迷シ、供奉ノ人々モ、魂ヲ消テ、是ハ疑モナキ鬼ニコソ、手ニ持タル物ハ、聞ユル打出ノ小槌ナメリ、髮ノ生樣穴恐シ〳〵トテ、御車ヲ大路ニ止テ、忠盛ヲ召ル、忠盛御前ニ參タリ、アノ光物ヲ取テ進セヨト勅定アリ、忠盛ハ弓矢取身ノ運ノ盡トハ、加樣ノ事ニヤ、ヨソニ見ルダニ肝魂ヲ消、鬼ヲ手取ニセン事難叶、身近ク寄テ取ハヅシナバ、只今鬼ニ嚼食ン事疑ナシ、遠矢ニマレ射殺サント思テ、矢ヲハゲ、弓ヲ引ケルガ、指ハヅシテ案ジケルハ、縱鬼神ニモアレ、勅定限アリ、王事無脆、宣旨ノ下ニ助クベキニ非ズ、況ヨモ實ノ鬼ニハアラジ、祇園林ノ古狐ナドガ夜更テ、人ヲ誑ニコソ在ラメ、無念ニイカヾ射殺ベキ、近ヅキ寄テ伺ハント思ヒ返シテ、靑狩衣ニ上クヾリ、下ニ萌黃ノ腹卷ニ、細身造ノ太刀帶テ、葦毛ノ馬ニゾ乘タリケル、駒ヲハヤメテ歩ヨリ、太刀ヲ脱テ額ニ當テ、次第 次第ニ伺寄ル處ニ、足本近ク馬ノ前ニゾザト光恵盛馬ヨリ飛下、太刀ヲバ捨テ、得タリヤオフトゾ懷タル、手捕ニトラレテ、御悞候ナト云音ヲ聞バ人也、己ハ何者ゾト岡エバ、是ハ當社ノ承仕法師ニテ侍ガ、御幸ナラセ給ノ由承候間、社頭ニ御燈進セントテ參也ト答、又續松ヲ出シテ見レバ、實ニ七十計ノ法師也、雨降ケレバ、頭ニハ小麥ノ藁ヲ戴、右ノ手ニ小瓶ヲ持テ、左ノ手ニ土器ニ煨ヲ入テ持テ、隈ヲケサジト吹時ハ、ザト光、光時ハ小麥ノ藁ガ耀合テ、銀ノ針ノ如クニ見エケル也、事ノ樣一々ニ顯テ、サシモ懼恐レツル心ニ、イツノ間ニカ替ケン、今ハ皆咲ツボノ會也ケヲ、是ヲ若切モ殺、射モ殺タラバ、不便ノ事ナラマシ、弓矢取身ハ流石思慮アリトテ、忠盛御感ニ預リ、今蓮華院ト申ハ、彼ノ祇園女御ノ御所ノ跡也ケリ、

〔平治物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 待賢門軍附信賴落事
重盛〈○平〉彌勇ミテ、大庭ノ椋木許迄責付タリ、義朝是ヲ見テ惡源太ハナキカ、信賴ト云大臆病人ガ待賢門ヲ早被破ツルゾヤ、アノ敵追出セト宣ケレバ、承候トテ被懸ケリ、續兵ニハ鎌田兵衞、後藤兵衞、佐々木源三、波多野次郎、三浦荒次郎、須藤刑部、長井齋藤別當、岡邊六彌太、猪俣小平六、熊谷次郎、平山武者所、金子十郎、足立右馬允、上總介八郎、關次郎、片桐小八郎大夫、已上十七騎、轡ヲ雙ベテ馳向、大音聲ヲ揚テ、此手ノ大將ハ誰人ゾ名乘レ、聞カン、角申ハ淸和天皇九代後胤、左馬頭義朝嫡子、鎌倉惡源太義平ト申者也、生年十五歲、武藏大藏ノ軍ノ大將トシテ、伯父帶刀先生義賢ヲ討シヨリ以來、度々ノ合戰ニ一度モ不覺ノ名ヲトラズ、年積テ十九歲見參セントテ、五百騎ノ眞中へ割テ入、西ヨリ東へ追マクリ、北ヨリ南へ追廻シ、竪樣横樣十文字ニ、敵ヲ颯ト蹴散シテ、半武者共ニ目ナカケソ、大將軍ヲ組テウテ、櫨匂ノ鎧ニ蝶ノ下金物打テ、黃鴾毛ノ馬ニ乘タルコソ重盛ヨ、押雙べテ組テ落、手捕ニセヨト下知スレバ、大將ヲクマセジト、防グ平家ノ侍共、與三左衞門、新藤左衞門ヲ始トシテ、百騎計ガ中ニゾ隔リケル、惡源太ヲ始トシテ、十七騎ノ兵共、大將軍ニ目ヲ懸 テ、大庭ノ椋木ヲ中ニ立テ、左近ノ櫻、右近ノ橘ヲ七八度迄追廻シテ、組マンクマントゾ揉ダリケル、十七騎ニ被懸立テ、五百餘騎叶ハジトヤ思ヒケン、大宮面へ颯ト引、大將左衞門佐ハ、弓杖ツイテ馬ノ息ヲジカセ給處ニ、筑後守ツト參テ、曩祖平將軍ノ二度生替リ給ヘル君哉ト、向樣ニ譽奉レバ、今一度懸テ家貞ニ見セントヤ思ハレケン、前ノ五百餘騎ヲバ留置、荒手五百餘騎ヲ相具シテ、又大庭ノ椋木マデ責寄タリ、又惡源太カケ向見マハシテ云ケルハ、只今向タルハ皆荒手ノ兵也、但大將ハ元ノ大將重盛ゾ、以前コソ洩ストモ、今度ニ於テハアマスマジ、押雙テ組テ捕レ兵共ト下知スレバ、勇ニ勇ミタル十七騎、我先ニト進ケレバ、今度ハ難波次郎、同三郎、瀨尾太郎、伊藤武者ヲ始トシテ、百餘騎ガ中ニ隔タルニ事トモセズ、惡源太弓ヲバ小脇ニ貝挾、鐙蹈張ツタチ揚リ、左右ノ手ヲ擧、幸ニ義平源氏ノ嫡々也、御邊モ平家ノ嫡々也、敵ニハ誰カ嫌ハン、ヨレヤクマント云儘ニ、先ノ如ク大庭ノ椋木ノ下ヲ追マハシテ、五六度マデコソ揉ダリケレ、重盛組ヌベウモナクヤ思ハレケン、又大宮面へ引テ出、惡源太二度マデ敵ヲ追マクリ、弓杖ツイテ馬ニ息ヲツカセケルニ、義朝是ヲ見テ、須藤瀧口ヲ以テ汝ガ不覺ニ防ケバコソ、敵度々懸入ラメ、アレ速ニ追出セト被云使ケレバ、俊綱馳テ此由ヲ云ニ、承リ候進メヤ者共トテ、色モ替ラヌ十七騎、大宮表ニ懸出テ、敵五百餘騎ガ中へ、面モ不振割テ入、引立タル勢ナレバ、馬ノ足ヲ立兼テ、大宮ヲ下リニ二條ヲ東へ引ケレバ、我子ナガラモ義平ハ、能懸タル物哉、アカケタリトゾ被譽ケル、大將重盛、與三左衞門景安、新藤左衞門家泰、主從三騎カケ放レ、二條ヲ東ヘヒカレケレバ、惡源太鎌田ニ屹ト目合セテ、爰ニ落ルハ大將トコソ見レ、返セヤトテ追懸タリ、旣堀河ニテ追詰ケルガ、弓手ノ方ニ材木多充滿タルニ、惡源太ノ乘給へル馬、カタナツケノ駒ニテ、材木ニヤ驚キケソ、妻手ノ方へ蹴シトンテ、小膝ヲ折テドウト伏、鎌田兵衞不延ト、十三束取テ番ヒ、能引テ兵ト射ル、重盛ノ射向ノ袖ニハタト中テ飛返ル、軈テ二ノ矢ヲ射タリケレバ、押付ニ丁ト中テ箆カツキ碎ケテ跳返レリ、惡源太 是ハ聞ユル唐皮ト云鎧、ゴザンナレ、馬ヲ射テ落チン所ヲウテト被下知ケレバ、又能引テ追樣ニ、ハズノカクルヽ程射込タリ、馬ハ屛風ヲ返ス如ク倒レバ、材木ノ上ニハネ被落、甲モオチテ大童ニ成給、鎌田堀河ヲ馳越テ、重盛ニ組ント落逢、重盛近付テハ叶ハジトヤ思ハレケン、弓ノハズニテ鎌田ガ甲ノ鉢ヲ丁ト突、被突テユラユル間ニ、甲ヲ取テ打著ツヽ、緖ヲ强クコソ被縮ケレ、與三左衞門馳寄テ中ニ隔申ケルハ、漢紀信ハ高祖ノ命ニ代テ、榮陽ノ圍ヲ出シ、終ニ天下ヲ保タセキ、主ハヅカシメラルヽ時、臣死スト云ニアラズヤ、景安爰ニアリ、ヨレヤ組ント云儘ニ、鎌田兵衞ト引組デ押へケル處ニ、惡源太馬引起シ、是モ堀河ヲ、馳越テ、重盛ニ組マント飛テ懸リケルガ、鎌田ヲヤ助ル、大將ヲヤウタント思案シケレ共、大將ニハ又モ寄逢ベシ、政家ヲウタセテハ叶ハジト思、與三左衞門ニ落合テ、三刀サシテ頸ヲ取ル、重盛ハ憑切タル景安討セテ、命生テ何カセントテ、旣惡源太ト組マントセラレケルヲ、新藤左衞門馳來リ、家泰ガ候ハザラン所ニテコソ、大將ノ御命ヲバ捨給ベケレトテ、我馬ヲ引向中ニ隔テ、惡源太トムズト組、政家ハ重盛ニクマントシケルガ、主ヲ討セテハ叶ハジト思ケレバ、新藤左衞門ニ落重テ頸ヲ搔、此間ニ重盛ハ虎口ヲ遁レテ、六波羅迄ゾ被落ケル、二人ノ侍ナカラマシカバ、助カリ難キ命也、

〔保元物語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 爲朝鬼島渡事幷最後事
爲朝〈○源〉ハ十三ニテ筑紫へ下リ、九國ヲ三年ニ打順ヘ、六年治テ、十八歲ニテ都へ上リ、保元ノ合戰ニ名ヲ顯シ、二十九歲ニテ鬼ガ島へ渡リ、鬼神ヲヤツコトシ、一國ノ者恐怖ルト雖ドモ、勅勘ノ身ナレバ、終ニ不本意、三十三ニシテ名ヲ一天下ニヒロメケリ、古ヘヨリ今ニ至ル迄、此爲朝程ノ血氣ノ勇者ナシトゾ人申ケル、

〔源平盛衰記〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 高倉宮信連戰事
五月〈○治承四年〉十四日ノ夜ノ曙ニ、官人三人向タリ、源大夫判官兼綱ハ、存ズル旨アリト覺テ、遙カノ 門外ニヒカヘタリ、光長、兼成兩人ハ、馬ニ乘ナガラ門内ニ打入テ申ケルハ、君代ヲ亂サセ給フベキ、謀叛ノ聞アルニ依テ、可迎取由、蒙別當ノ宣、罷向ヘリ、光長、兼成、兼綱是ニ侍リ、速ニ御出有ベキト、高聲ニ申ケレバ、信連立出テ、當時ハ忍ノ御所ニ入セ給テ、此御所ハ御留守也、此子細ヲ傳奏仕ベキト申シケレバ、博士、判官コハイカニ、此御所ナラデハ、何所ニ渡ラセ給ベキゾ虚言ゾ、足ガルド、モ亂入テ、サガシ奉レト下知ス、下知ニ隨ヒテ、下郎等亂入テ、狼藉不斜、信連腹ヲ立テ、奇怪ナル田舍撿非違使共ガ申樣哉、我君今コソ勅勘ナランカラニ、一院第二王子ニテ御座、馬ニ乘ナガラ門内ニ打入ヲダニ、不思議ト見處ニ、サカセト下知スル事コソ狼藉ナレ、ニクキ官人共ガ振舞哉トテ、薄靑ノ單へ狩衣ノ紐引切抛チテ、昔ニモ聞、目ニモ見ヨ、宮ノ侍ニ長兵衞尉長谷部信連トハ我事也トテ、太刀ヲヌキ刎テ蒐、兼成ガ下部ニ、金武ト云放免アリ、究竟ノ大力、大腹卷ニ、左右ノ小手指、打刀ヲ拔テ向會ケリ、其ヲバ打捨テ、御所中ヘミダレノボル兵、五十餘人ガ中ニ打入テ、竪横ニ禦ケレバ、木ノ葉ヲ風ノ吹ガ如シ、庭ヘサトゾ追散ス、信連御所ノ案内ハ能知タリ、彼ニ追ツメテ丁ト切、是ニ追ツメテハタト切、唯電ナドノ如クナレバ、面ヲ向ル者ナシ、程ナク十餘人ハ被討ニケリ、信連ガ太刀ハ心得テウタセタリケレバ、石金ヲ破トモ、左右ナク折返ルベシトハ思ハザリケレ共、餘ニ强ク打程ニ、度々曲ケルヲ、押ナヲシ〳〵戰程ニ、結句ツバ本ヨリ折ニケリ、今ハ自害セント思テ、腰ヲサガセドモ、刀モ落テナカリケリ、力不及大床ニ立テ、宮ノ侍ニ長兵衞尉信連コヽニ有、太刀モ刀モ折失テ、勝負ノ道ニ力ナシ、我ト思ハンモノ寄合テ、信連討捕、勳功ノ賞ニ預ヤト、高聲ニ云ケレ共、手ナミハ先ニ見ツ、太刀刀ノナシト云フハ、敵ヲタバカルニコソ、虚言ゾ、左右ナク寄テ過スナトテ、タヾ遠矢ニ射、主ハ誰トモシラズ、信連左ノ股ヲ射サセタリ、其矢ヲ拔テ捨テタレバ、尻ヲ止テ猶モヽニアリ、打力ヾメテ柱ニ當テ、子ヂヌキテ思ケルハ、、角テ犬死ヲセンヨリ、敵ニ組食付テモ死ナント思テ、ナヘグ〳〵小門ノ脇へ走出テ、信連是ニ有ト云ケレバ、寄 手ノ者ドモ聲ニ恐テサツト引、金式ハ加樣ノ剛ノ者、打刀ニテハ叶ハズトテ、鞘ニサシ、小長刀ヲ莖短ニ取ナシテ、寄合サヽントシケルヲ、信連持タル物ハナシ、手ヲハタケテ飛テ係、長刀ニノリハヅシテ、又右ノ股ヲサヽレツヽ、是ニテ被虜、

〔源平盛衰記〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 石橋合戰事
兵衞佐殿〈○源賴朝〉仰ニ、武藏、相模ノ聞ユル者共ハ、皆在ト覺ユ、中ニモ大場俣野兄弟先陣ト見エタリ、此等ニ誰ヲカ與スベキト宣ヘバ、岡崎四郎義眞申ケルハ、弓箭ヲ取テ、戰場ニ出ル程ノ者、敵一人ニクマヌ者ヤハ侍ルベキ、親ノ身ニテ申事、人ノ嘲ヲ顧ザルニ似タレ共、存ル處ヲ申サザランモ、還テ又私アルニ似タルベシ、義貞ハ此間大事ノ所勞仕テ、未力ツカズヤ侍ラメ共、心シブトキ奴ニテ、弓箭取テハ等倫ニ劣ルベカラズ、其器ニ侍リ、被仰含べキカト申ケレバ、兵衞佐宣ケルハ、趙武擧以私讐、祈奚薦以己子セリ、忠有テ私無ニハ、或ハ敵ヲ擧シ、或ハ子ヲ薦事、皆合義合法、義貞ヲ召テケリ、與一其日ノ裝束ニハ、靑地錦ノ直垂ニ、赤威肩白冑ノスソ金物打タルヲ著テ、妻黑ノ箭負、長覆輪ノ劒ヲ帶ケリ、折烏帽子ヲ引立テ、弓ヲ平メ跪キテ、將軍ノ前ニ平伏セリ、白葦毛ナル馬ヲゾ引セタル、其體アタリヲ拂テゾ見エケル、今日ノ撰ニアヘル、誠ニユヽシク見エシ、兵衞佐、佐奈田ニ宣ヒケルハ、大場俣野ハ名アル奴原也、今日ノ軍ノ先陣仕テ、彼等二人ガ間ニクメ、源氏ノ軍ノ手合也、高名セヨトゾ宣ヒケル、〈○中略〉與一旣ニ打出ケレバ、佐殿ハ義貞ガ裝束毛早ニ見ユ、著替ヨカシト宣ヘバ、與一ハ弓矢取身ノ晴振舞、軍場ニ過タル事候マジ、尤欣處ニ侍トテ、十五騎ノ勢ヲ相具シテ、進出テ申ケルハ、源氏世ヲ取給フベキ、軍ノ先陣給テ、蒐出タルヲ誰トカ思フ、音ニモ聞ラン、目ニモ見ヨ、三浦介義明ノ弟ニ、本ハ三浦惡四郎、今ハ岡崎四郎義眞、其嫡子ニ佐奈田與一義貞、生年廿五、我ト思ハン人々ハ、組ヤ〳〵トテ叫デカク、

〔源平盛衰記〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 衣笠合戰事 河越又太郎、江戸太郎、畠山庄司次郎等、大將軍トシテ、金子、村山、山口黨、横山丹黨ヲシ、綴黨ヲ始トシテ、三千餘騎、衣笠ノ城へ發向ス、追手ハ河越、搦手ハ畠山、二手ニ分テ推寄ツヽ、時ノ音三箇度合テタメラフ處ニ、綴ノ一黨、當家ノ軍將三人マデ、小坪ノ軍ニ討レテ、不安思ケレバ、二百餘騎先陣ニ進テ、木戸口近ク攻寄タリ、〈○中略〉綴黨モ不叶シテ引退ク、金子十郎家忠ト名乘テ、一門引具シ、三百餘騎、入替々々戰ケル中ニ、人ハ退ドモ、家忠ハ不退、敵ハ替ドモ、十郎ハ替ラズ、一ノ木戸口打破リ、二ノ木戸口打破テ、死生不知ニシテ攻タリケル、城中ヨリモ散々ニ是ヲ射ル、甲胄ニ矢ノ立事廿一、折懸々々責入ツヽ、更ニ退事ナカリケリ、城ノ中ヨリ、提子ニ酒ヲ入テ、杯モタセテ出シケリ、城ノ中ヨリ大介、家忠ガ許へ申送ケルハ、今日ノ合戰ニ、武藏相模ノ人々、多ク見エ給へ共、貴邊ノ振舞コトニ目ヲ驚シ侍リ、老後ノ見物今日ニアリ、今ハ定テツカレ給ヌラン、此酒飮給テ、今ヒトキワ興アル樣ニ、軍シ給ヘト云遣シタリケレバ、家忠甲振仰、弓杖ツキ、杯取三度飮テ、此酒ノミ侍テ力付ヌ、城ヲバ只今責落奉ベシ、其意ヲ得給ヘトテ、使ヲバ返シテケリ、軍陣ニ酒ヲ送ハ法也、戰場ニ酒ヲ請ハ禮也、義明之所爲ト云家忠ノ作法ト云興アリ、感アリトゾ、皆人申ケル、家忠唯非勇心之甚、專存兵法之禮ケリ、金子之十郎ワザト人ヲバ具セザリケリ、命ヲステントノ心也、フシ繩目鎧ニ、三枚甲ノ緖ヲシメ、甲ノ上ニ、萌黃ノ腹卷打カヅキ、櫓ノ本マデ責付タリ、大介云ケルハ、哀金子ハ大剛者カナ、一人當千ノ兵トハ是ナルベシ、軍ハ角コソ有べケレ、アレ射ツベキ者ハナキカ、惜キ者ナレ共日比ノ敵也、アレヲ射留ヨトゾ下知シケレバ、〈○中略〉十郎二段バカリ隔テ、水車ヲ廻シ、次第々々ニ責寄テ、櫓ノ内ヘハ子入ラントスル處ヲ、和田小太郎義盛、十三束三伏、シバシ固テ落矢ニ兵ト放ツ、金子ガ甲ニ懸タタケル、〈○中略〉痛手ナレバ、少シタマラス、ドウド倒ル、三浦ノ藤平落合テ、頸ヲトラントスル處ニ、金子與一ツトヨリ、肩ニ引懸、木戸口ノ外へ出デケルヲ、三浦與一追テ懸ル、〈○中略〉三浦與一受太刀ニ戍ケレバ、不叶ト思テ、カイフツテ逃ケルヲ、金子與一追付テ、 三浦與一ヲ懷キ留、虜ニシテ首ヲ切、敵ノ頸ヲ手ニ提ゲ、十郎ヲ肩ニ係テ、陣ノ内ニゾ入ニケル、家忠ガ疵ハ痛手ナレ共、フエ切ザレバ不死ケリ、今日ノ高名、金子黨ニゾ極リタル、

〔古事談〕

〈四/勇士〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 木曾冠者義仲推參法住寺殿之時、軍兵已破之由聞食テ、遣泰經卿之、出北面小門見之處、官軍等皆逃東方、爰大府卿云、イカニカクハイツシ力引候乎、早可返合云々、雖然一人无返答之者、于時赤ヲドシノ胃キテ乘葦毛馬之者只一騎聞此詞云、安藤八馬允忠宗、命ヲバ君ニ奉候ヌト云テ、馬鼻ヲ返テ馳向敵方了云々、

〔源平盛衰記〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 巴關東下向事
畠山、半澤六郎ヲ招テ、如何ニ成淸、重忠十七ノ年、小坪ノ軍ニ會初テ、度々ノ戰ニ合タレドモ、是程軍立ノケハシキ事ニ不合、木曾ノ内ニハ今井、樋口、楯、根井、此等コソ四天王ト聞シニ、是ハ今井、樋口ニモナシ、サテ何ナル者ヤラント問ケレバ、成淸アレハ木曾ノ御乳母ニ、中三權頭ガ娘巴ト云女也、ツヨ弓ノ手タリ、荒馬乘ノ上手、乳母子ナガラ妾ニシテ、内ニハ童ヲ仕フ樣ニモテナシ、軍ニハ一方ノ大將軍シテ、更ニ不覺ノ名ヲ不取、今井、樋口ト兄弟ニテ、怖シキ者ニテ候ト申、〈○中略〉爰ニ遠江國住人、内田三郎家吉ト名乘テ、三十五騎ノ勢ニテ、巴ニ行逢タリ、内田敵ヲ見テ、天晴武者ノ形氣哉、但女力童カ窘(ヲボツカ)ナシトゾ問ケル、郎等能々見テ、女也ト答、又内田聞敢ズ、去ル事アルラン、木曾殿ニハ、葵、巴トテ二人ノ女將軍アリ、葵(○)ハ去年ノ春、礪並山ノ合戰ニ討レヌ、巴ハ未在トキク、是ハ强弓精兵、アキマヲ數ル上手、岩ヲ疊金ヲ延タル城成共、巴ガ向ニハ不落ト云事ナシ、去癖者ト聞召テ、鎌倉殿、彼女相構テ、虜ニシテ違セベキ由、仰ヲ蒙リタリ、巴ハ荒馬乘ノ大力、尋常ノ者ニ非ズト聞、如何ガスベキト思煩ケルガ、〈○中略〉家吉一人打向テ、巴女ガ頸トラント云ケレバ、三十餘騎ノ郎等ハ、日本第一ニ聞エタル怖シキ者ニ組ムマジキ事ヲ悦、尤々ト云ケレバ、内田只一人駒ヲ早メテ進ム處ニ、巴是ヲ見、先敵ヲ讃タリケリ、天晴武者ノ貌哉、東國ニハ小山、宇都宮歟千葉、足利 カ、三浦、鎌倉カ、窘ナシ、誰人ゾ、角問ハ木曾殿ノ乳母子ニ、中三權頭兼遠ガ娘ニ、巴ト云女也、主ノ遺ノ惜ケレバ、向後ヲ見ントテ、御伴ニ侍ルト云、鎌倉殿ノ仰ヲ蒙、勢多手ノ先陣ニ進ルハ、遠江國住人内田三郎家吉ト名乘進ケリ、巴ハ一陣進ムニハ、剛者大將軍ニ非ズトモ、物具毛ノ面白キニ、押並テ組、シヤ首子ヂ切テ、軍神ニ祭ラント思ケルコン遲カリケレ、手綱カイクリ歩セ出ヌ、去共内田ガ弓ヲ引ザレバ、女モ矢ヲバ不射ケフ、互ニ情ヲ立タレバ、内田太刀ヲ拔、サレバ女モ太刀ニ手ヲ懸ズ、主ハ急タリ、馬ハ早リタリ、巴内田馬ノ頭ヲ押並、鐙ト〳〵蹴合スルカトスル程ニ、寄合互ニ音ヲ揚、鎧ノ袖ヲ引違タリ、ヤヲウトゾ組タリケル、聞ル沛艾ノ名馬ナレ共、大力組合タレバ、二匹ノ馬ハ、中ニ留テ働カズ、内田勝負ヲ人ニ見セント思ケルニヤ、弓矢ヲ後へ指廻シ、女ガ黑髮三匝ニカラマヘテ、腰刀ヲ拔出シ、中ニテ首ヲカヽントス、女是ヲ見テ、汝ハ内田三郎左衞門トコソ名乘ツレ、正ナキ今ノ振舞哉、内田ニハアラズ、其手ノ郎等カト問ケレバ、内田我身コン大將ヨ、郎等ニハ非、行跡何ニト申セバ、女答テ云、女ニ組程ノ男ガ、中ニテ刀ヲ拔、目ニ見スル樣ヤハ有ベキ、軍ハ敵ニ依振舞ベシ、故實モ知ス内田哉トテ、拳ヲ握リ、刀持タル臂ノカヽリヲ、シタヽカニ打、餘强ク被打テ、把レル刀ヲ被打落、ヤヲレ家吉ヨ、日本一ト聞タル、木曾ノ山里ニ住タル者也、我ヲ軍ノ師ト憑メトテ、弓手ノ肘ヲ指出シ、甲ノ眞顏取詰テ、鞍ノ前輪ニ攻付ツヽ、内甲ニ手ヲ入テ、七寸五分ノ腰刀ヲ拔出シ、引アヲノケテ首テ搔、刀モ究竟ノ刀也、水ヲ搔ヨリモ尚安シ、馬ニ乘直リ、一障泥アヲリタレバ、身質ハ下へ落ニケル、

〔源平盛衰記〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 熊谷父子寄城戸口幷平山同所來附戍田來事
熊谷父子、城戸口ニ攻寄テ、大音揚テ云ケルハ、武藏國住人熊谷次郎直實、同小次郎直家、生年十六歲、傳テモ聞ラン、今ハ目ニモ見ヨヤ、日本第一ノ剛者ゾ、我ト思ハン人々ハ、楯面へ蒐出ヨト云テ、轡ヲ並テ馳廻ケレ共、只遠矢ニノミ射テ、出合者ハナシ、熊谷城ノ中ヲ睨テ申ケルハ、去年ノ冬、相 模國鎌倉ヲ出シヨリ、命ヲバ兵衞佐殿〈○源賴朝〉ニ奉リ、骸ヲバ平家ノ陣ニ曝シ、名ヲバ後代ニ留ント思キ、其事一ノ谷ニ相當レリ、軍將モ侍モ我ト思ハン人々ハ、城戸ヲ開打テ出テ、直實直家ニ落合、組ヤ〳〵ト云へ共、出者モナク、名乘者モナカリケレバ、此城戸口ニハ恥アル者モナキ歟、父子二人ハヨキ敵ゾ、室山水島二箇度軍ニ、高名シタリト云ナル、越中次郎兵衞、惡七兵衞等ハナキ歟、所所ノ戰ニ打勝タリト宣フナル、能登殿ハオハセヌカ、高名モ敵ニヨリテスル者ゾ、流石直實父子ニハ叶ハジ者ヲ、穴無慙ノ人共ヤ、イツマデ命ヲ惜ラン、出ヨ組ン、出ヨクマントイへ共、高櫓ノ上ヨリ、城戸ヲ阻テ、雨ノ降ガ如クニゾ射ケル、

〔源平盛衰記〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 景高景時入城幷景時秀句事
梶原平三景時ガニ男ニ、平次景高、一陣ニ進ンデ責入ル、大將軍〈○源義經〉宣ケルハ、是ハ大事ノ城戸ノ口、上ニハ、高櫓ニ四國九國ノ精兵共ヲ集置タルナルゾ、誤スナ、楯ヲ重馬ニ胄ヲ可著、無勢ニシテハ惡カリナン、後陣ノ大勢ヲ待ソロヘテ寄ベシト、下知シ給ヘバ、人々承繼テ、大將軍ノ仰也、勢ヲ待儲テ寄給ヘトイヘバ、梶原ハキト見カヘリテ、
武士ノトリツタヘタル梓弓引テハ人ノ歸ル物カハ、ト詠ジテ、城戸口近ク押寄テ、散々ニ戰、〈○中略〉梶原〈○景時〉下手ニ廻テ、颯ト引テゾ出タリケル、源太ハ如何ニト問バ、御方ヲ離テ敵ノ中ニ、取籠ラレ給ヌト云、穴心憂ヤ、サテハ討レヌルニヤ、景時生テ何カセン、景季ガ敵ニ組テ死ナントテ、二百餘騎ヲ相具シテ、平家ノ大勢蒐散シテ、内ニ入、聲ヲ揚テ、相模國住人鎌倉權五郎平景政ガ末葉梶原平三景時ゾ、彼景政ハ八幡殿ノ一ノ郎等、奧州ノ合戰ノ時、右ノ目射ラレナガラ、其矢ヲ拔ズシテ、當ノ矢ヲ射返シテ敵ヲ討、名ヲ後代ニ留シ末葉ナレバ、一人當千ノ兵ゾ、子息景季ガ向後窄クテ返入リ、我ト思ハン大將モ侍モ、組ヤ〳〵ト名乘懸テ、轡ヲ並べテ責入ケレバ、名ニヤ實ニ恐ケン、左右ヘサトゾ引退、源太尋ヨトテ責入見レバ、景季未討、初ハ菊池ノ者共ト射合ケルガ、後ニ ハ太刀ヲ拔合セテ名乘ケリ、和君ハ誰、菊池三郎高望ゾ、和君ハ誰ゾ、梶原源太景季ト名對面シテ切合タリ、源太ハ甲ヲ被打落、大童ニテ三十餘騎ニ被取籠テ切合ケルガ、菊池三郎ニ押並テ引組テ、馬ノ際ニ落重テ、菊池ガ頸ヲ取、太刀ノ切鋒ニ指貫テ、馬ニ乘出ケルガ、父ノ梶原ニ行合タリ、平三景時源太ヲ後ニ成テ、矢面ニスヽミ禦戰ツヽ、其間ニ源太ニ鎧キセ、暫休メテ寄ツ返ツ戰ケリ、城戸口ニ眞鍋四郎五郎ト名乘テ出合タリケルガ、四郎ハ梶原ニ討レヌ、五郎ハ手負テ引退ク、平家ノ兵共モ、入替入替戰ケレ共、景時ハ源太ガ死ナヌ嬉サ、ニ、猛ク勇テ竪サマ横サマ戰ケリ、暫シ息ヲモ繼ケレバ、父子相具シテ引テ、城戸ヘゾ出ニケル、サテコソ梶原ガ生田森ノニ度ノ蒐トハイハレケレ、

〔平家物語〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 弓ながしの事
平家是をほいなしとや思ひけん、弓もつて一人、たてついて一人、長刀持て一人、武者三人、渚に上り、源氏こゝをよせよやとそまねきける、判官〈○源義經〉安からぬ事也、馬づよならん若たう共、はせよつて、けちらせと宣へば、むさしの國の住人みをのやの十郎、同き四郎、同き藤七、上野國の住人丹生の四郎、信濃國の住人きその中次、五きつれて、おめいてかく、〈○中略〉たてのかげより、大長刀打ふつてかゝりければ、みをのやの十郎、小太刀大長刀にかなはじとや思ひけん、かいふいてにげければ、やがてつゞいて追かけたり、長刀にてながんずるかとみる所に、さはなくして、長刀をば、弓手のわきにかいはさみ、めての手をさしのべて、みをのやの十郎が、甲のしころをつかまうとす、つかまれじとにぐる、三度つかみはづいて、四度のたびにむずとつかむ、しばしそたまつてみえし、はち付の板よりふつと引きつてぞにげたりける、〈○中略〉其後甲のしころをば、長刀の先につらぬき、高くさし上、大音聲をあげて、遠からん者は音にも聞、ちかくはめにも見給へ、是社京童べのよぶなる、かづさの惡七兵衞かげ淸よと、なのりすてゝ、みかたのたてのかげへぞのきにける、〈○中〉 〈略〉
能登殿さいごの事
のと殿〈○平敎經〉の矢さきに、まはる者こそなかりけれ、敎經は、けふをさいごとや思はれけん、〈○中略〉矢だね皆つきければ、こくしつの大だち、しらえの大長刀、左右に持て、さん〴〵にないでまはり給ふ、新中納言知盛の卿、のと殿のもとへ、使者を立て、いたうつみな作り給ひそ、さりとてはよきかたきかはと宣へば、のと殿扨は大將にくみごさんなれとて、打物くきみじかにとり、ともへにさんざんにないでまはり給ふ、され共判官を見しり給はねば、ものゝぐの能武しやをば、はうぐはんかとめをかけて、とんでかゝる、判官も内々おもてにたつやうにはし給へ共、とかうちがへて、のと殿にはくまれず、され共いかゞはし給ひたりけ、ん、判官の舟に乘、あはやとめをかけて、とんでかゝる、判官叶はじとや思はれけん、長刀をば、弓手の脇にかいはさみ、みかたの舟の、二丈ばかりのきたりけるに、ゆらりととび乘給ひぬ、のと殿はやわざやおとられたりけん、つゞいても、とび給はず、のと殿今はかうとや思はれけん、〈○中略〉大音聲をあげて、源氏のかたに我と思はん者あらば、よつて敎經くんで生どりにせよ、かまくらへ下り、兵衞のすけに、物一ことばいはんと思ふ也、よれやよれと宣へ共、よる者一人もなかりけり、こゝにとさの國の住人、あきのがうを知行しける、あきの大りやうさねやすが子に、あきの太郎實光、凡、二三十人が力あらはしたる、大力のがうの者、我にちつ共おとらぬ郎等一人ぐしたりけり、弟の次郎も、ふつうにはすぐれたる兵也、かれら三人、〈○中略〉たちのさきをとゝのへて、一めんに打てかゝる、能登殿是をみ給ひて、まづ眞さきにすゝんだる、あきの太郎が郎等に、すそを合て、うみへどうとけ入給ふ、つゞいてかゝるあきの太郎をば、弓手の脇にかひはさみ、弟の次郎をば、馬手の脇に取てはさみ、一しめしめて、いざうれおのれら、四手の山の供せよとて、生年廿六にて、海へつゝとそ入給ふ、

〔吾妻鏡〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 正治三年〈○建仁元年〉五月十四日癸亥、佐々木三郎兵衞尉盛綱入道使者參著、捧一報狀、義盛持參御所、善信、行光、於御前申之、其狀云、〈○中略〉有資盛之姨母、今號之坂額御前、雖女姓之身、百發百中之藝、殆越父兄也、人擧謂奇特、此合戰之日、殊施兵略、如童形髮、著腹卷矢倉上、射襲致之輩、中者莫死、西念郎從、又多以爲之被誅、

〔吾妻鏡〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 建曆三年〈○建保元年〉五月二日壬寅、朝夷名三郎義秀、敗總門入南庭、所籠之御家人等、剰縱火於御所、郭内室屋、不一宇燒亡、〈○中略〉義秀振猛威壯力、旣以如神、敵于彼之軍士等無死、〈○中略〉爰義秀等騎馬之際、相模次郎朝時、取太刀于義秀、比其勢更雖對揚、朝時立逢蒙疵也、然全其命、是兵略與筋力之所致、殆越傍輩之故也、又足利三郎義氏、於政所前橋之傍、相逢義秀、義秀追取義氏之鎧袖縡太急兮、義氏策駿馬隍西、其間鎧衲絶中、然而馬不倒主不落、義秀雖志、合戰數刻、乘馬疲極之間、泥而留于隍東、論兩士之勇力、互無强弱揚焉也、見者抵掌鳴舌、義秀猶廻橋上、擬義氏之刻、鷹司官者隔其中相支、爲義秀害、此間義氏得遁奔走云云、又武田五郎信光、於若宮大路米町口、行逢于義秀、互懸目已欲相戰之處、信光男惡三郎信忠馳入其中、于時義秀感信忠欲父之形勢馳過畢、

〔豫章記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 弘安四年蒙古襲來ス、〈○中略〉通有〈○河野、中略、〉伯父伯耆守通時ト、二艘ニテ漕出テ、敵ノ船中へ分入ケル〈○中略〉蒙古見之、〈○中略〉恠シミケル處ニ押寄セ、大將ノ船ニ鑰ヲ掛、卽乘移リ、切テ廻リケレバ、俄ニ驚テ、先乘セヨ、毒面ヲカケヨ、責鼓ヲウテト云間ニ乘入テ、伯耆守長刀、通有ハ大太刀、百人ニ及者共、此ヲ專度ト切テマハル、遠船ハ是ヲ不知、近船ハ我船構ヘシテ犇キケルニ、通有伯父甥、大力大剛ノ人ナレバ、身命ヲ捨テ戰フ程ニ、大將ト思シキ玉冠ヲ著タルヲ虜ニシテ我船ニ乘、敵船ニ火ヲ懸テアレ共、夷敵ハ大船ナレバ難合期、日暮日本ノ船共漕出ケレバ、相共ニ押歸レ共、追懸船モナク、我陣ヘゾ入タリ、二三人虜タルヲ問ケレバ、三人ノ大將ノ一人也トゾ申ケル、

〔太平記〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 大塔宮熊野落事
村上彦四郎義光、遙ノ路ニサガリ、宮〈○大塔宮護良親王〉ニ追著進セント急ケルニ、芋瀨庄司無端道ニテ行合ヌ、芋瀨ガ下人ニ持セタル旗ヲ見レバ、宮ノ御旗也、村上怪テ、事ノ樣ヲ問ニ、爾々ノ由ヲ語ル、村上コハソモ何事ゾヤ、忝モ四海ノ主ニテ御坐ス、天子ノ御子ノ朝敵御追罰ノ爲ニ、御門出アル路衣ニ參リ合テ、汝等程ノ大凡下ノ奴原ガ、左樣ノ事可仕樣ヤアルト云テ、則御旗ヲ引奪テ取、剰旗持タル芋瀨ガ下人ノ大ノ男ヲhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00330.gif デ、四五丈計ゾ抛タリケル、其怪力無比類ニヤ怖タリケン、芋瀨庄司一言入返事モセザリケレバ、村上自御旗ヲ肩ニ懸テ、無程宮ニ奉追著、義光御前ニ跪テ、此樣ヲ申ケレバ、宮誠ニ嬉シゲニ打笑ハセ給テ、則祐〈○赤松〉ガ忠ハ、孟施舍ガ義ヲ守リ、平賀〈○三郎〉ガ智ハ、陳丞相ガ謀ヲ得、義光ガ勇ハ、北宮黝ガ勢ヲ凌ゲリ、此三桀ヲ以テ、我盍天下哉ト、被仰ケルゾ忝キ、

〔太平記〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0112 鎌倉兵火事附長崎父子武勇事
中ニモ長崎三郎左衞門入道思元子息勘解由左衞門爲基二人ハ、極樂寺ノ切通へ向テ、責入敵ヲ支テ防ケルガ、敵ノ時ノ聲已ニ小町口ニ聞ヘテ、鎌倉殿ノ御屋形ニ火懸リヌト見ヘシカバ、相隨フ兵七千餘騎ヲバ、猶本ノ責口ニ殘置キ、父子二人ガ手勢六百餘騎ヲ勝テ、小町口へゾ向ケル、〈○中略〉釋ル處ニ天狗堂ト扇ガ谷ニ軍有ト覺テ、馬煙恀敷ミヘケレバ、長崎父子左右へ別テ馳向ハントシケルガ、子息勘解由左衞門是ヲ限ト思ケレバ、名殘惜ゲニ立止テ、遙ニ父ノ方ヲ見遣テ、兩眼ヨリ泪ヲ浮ベテ、行キモ過ザリケルヲ、父屹ト是ヲ見テ、高ラカニ耻シメテ、馬ヲ扣テ云ケルハ、何カ名殘ノ可惜ル、獨死テ獨生殘ランニコソ、再會其期モ久シカランズレ、我モ人モ今日ノ日ノ中ニ討死シテ、明日ハ又冥途ニテ寄合ンズル者ガ、一夜ノ程ノ別レ、何カサマデハ悲カルベキトテ、高聲ニ申ケレバ、爲基泪ヲ推拭ヒ、サ候バヾ疾シテ冥途ノ旅ヲ御急候へ、死出ノ山路ニテハ待進 セ候ハント云捨テ、大勢ノ中へ懸入ケル、心ノ中コソ哀ナレ、相從兵僅ニニ十餘騎ニ成シカバ、敵三千餘騎ノ眞中ニ取籠テ、短兵急ニ拉ガントス、爲基ガ佩タル太刀ハ面影ト名付テ、來太郎國行ガ、百日精進シテ、百貫ニテ三尺三寸ニ打タル太刀ナレバ、此鋒ニ廻ル者或ハ甲ノ鉢ヲ立破ニ被破、或笥板ヲ袈裟懸ニ切テ被落ケル程ニ、敵皆是レニ被追立テ、敢テ近付者モ無リケリ、只陣ヲ隔テ矢衾ヲ作テ、遠矢ニ射殺サントシケル間、爲基乘タル馬ニ矢ノ立ツ事七筋也、角テハ可然敵ニ近テ、組ントスル事叶ハジト思ケレバ、由幷濱ノ大鳥居ノ前ニテ、馬ヨリユラヲト飛デ下、只一人太刀ヲ倒ニ杖テ、二王立ニゾ立タリケル、義貞ノ兵是ヲ見テ、猶モ只十方ヨリ遠矢ニ射計ニテ、寄合ントスル者ゾ無リケル、敵ヲ爲謀手負タル眞似ヲシテ、小膝ヲ折テゾ臥タリケル、爰ニ誰トハ不知、粒子引兩ノ笠符付タル武者、五十餘騎ヒシ〳〵ト打寄テ、勘解由左衞門ガ頸ヲ取ント、爭ヒ近付ケル處ニ、爲基カバト起テ、太刀ヲ取直シ、何者ゾ人ノ軍ニ、シクタビレテ、晝寢シタルヲ驚スハ、イデ己等ガホシカル頸取セント云儘ニ、鐔本マデ血ニ成タル太刀ヲ打振テ、鳴雷ノ落懸ル樣ニ、大手ヲハタケテ追ケル間、五十餘騎ノ者共、逸足ヲ出シ逃ケル間、勘解由左衞門大音揚テ、何クマデ逃ルゾ、蓬シ返セト訇ル聲ノ、只耳本ニ聞ヘテ、日來サシモ早シト思シ馬共、皆一所ニ躍ル心地シテ、恐ジナンド云計ナシ、

〔太平記〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0113 官軍引退箱根
義貞、〈○新田、中略、〉舟田入道ヲ打ツレテ、箱根山ヲ引テ下給フ、其勢僅ニ百騎ニハ過ザリケリ、且ク馬ヲ扣ヘテ、後ラ見給ヘバ、例ノ十六騎ノ黨馳參タリ、又北ナル山ニ添テ、三ツ葉柏ノ旗ノ見ヘタルハ、敵カ御方歟ト問給ヘバ、熱田ノ大宮司、百騎計ニテ待奉ル、其勢ヲ幷テ、野七里(ノクレ)ニ打出給ヒタレバ、鷹ノ羽ノ旗一流指シ揚テ、菊池肥後守武重、三百餘騎ニテ馳參ル、爰ニ散所法師一人、西ノ方ヨリ來リケルガ、舟田ガ馬ノ前ニ畏テ、是ハイヅクへトテ御通リ候ヤラン、昨日ノ暮程ニ、脇屋殿、竹ノ下 ノ合戰ニ討負テ、落サセ給候シ後、將軍ノ御勢八十萬騎、伊豆ノ府ニ居餘テ、木ノ下岩ノ陰、人ナラズト云所候ハズ、今此御勢計ニテ御通リ候ハン事、努々叶マジキ事ニテ候トゾ申ケル、是ヲ聞テ、栗生ト篠塚ト打雙ベテ候ケルガ、鐙踏張夕、ツトノビアガリ、御方ノ勢ヲ打見テ、哀レ兵共ヤ、一騎當千ノ武者トハ此人々ヲゾ申ベキ、敵八十萬騎ニ、御方五百餘騎、吉程(ヨソホド)ノ合ヒ手也、イデ〳〵懸破テ、道開テ參ゼン、繼ケヤ人々ト勇メテ、數萬騎打集タル敵ノ中へ懸テ入、府中〈○伊豆〉ニテ一條次郎三千餘騎ニテ戰ヒケルガ、新田左兵衞督〈○義貞〉ヲ見テ、ヨキ敵ト思ヒケルニヤ、馳雙テ組ントシケケルヲ、篠塚中ニ隔テ打ケル太刀ヲ弓手ノ袖ニ受留、大ノ武者ヲカイhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00330.gif テ、弓杖二丈許ゾ投タリケル、一條モ大カノ早業成ケレバ、抛ラレタレ共倒レズ、漂フ足ヲ践直シテ、猶義貞ニ走懸ラントシケルヲ、篠塚馬ヨリ飛テヲリ、兩膝合テ倒ニ蹴倒ス、倒ルヽト均ク、一條ヲ起シモ立ズ、押ヘテ首カキ切ゾ指揚ケル、一條ガ郎等共、目ノ前ニ主ヲ討セテ、心ウキ事ニ思ケレバ、篠塚 ヲ討ント、馬ヨリ飛下々々、打ブ懸レバ、篠塚カイ違テハ蹴倒シ、蹴倒シテハ首ヲ取、足ヲモタメズ一所ニテ、九人迄コソ討タリケレ、是ヲ見テ敵數十萬騎有ト云ドモ、敢懸合セン共セザリケレバ、義貞閑々ト伊豆ノ府ヲ打テ通リ給フ、〈○中略〉諸卒ヲ皆渡シバテヽ後、舟田入道ト大將義貞朝臣ト、二人橋〈○天龍川浮橋〉ヲ渡リ給ヒケルニ、如何ナル野心ノ者カシタヲケン、浮橋ヲ一間、ハリヅナヲ切テゾ捨タリケル、舍人馬ヲ引テ渡リケルガ、馬ト共ニ倒ニ落入テ、浮ヌ沈ヌ流ケルヲ、舟田入道誰カアル、アノ御馬引上グヨト申ケレバ、後ニ渡ケル栗生左衞門、鎧著ナガラ川中へ飛ツカリ、二町計游付テ、馬ト舍人トヲ左右ノ手ニ差揚テ、肩ヲ超ケル水ノ底ヲ閑ニ歩テ、向ノ岸ヘゾ著タリケル、此ノ馬ノ落入ケル時、橋二間計落テ、渡ルベキ樣モナカリケルヲ、舟田入道ト、大將ト、二人手ニ手ヲ取組テ、ユラリト飛渡リ給フ、其ノ跡ニ候ケル兵二十餘人飛力子テ、且(シバ)シ徘徊シケルヲ、伊賀國住人ニ、名張八郎トテ、名譽ノ大力ノ有ケルガ、イデ渡シテ取ヤントテ、鎧武者ノ上卷ヲ取テ、中ニ提ゲ、二十人マ デコソ投越ケレ、今二人殘テ有ケルヲ、左右ノ脇ニ輕々ト挾テ、一丈餘リ落タル橋ヲ、ユラリト飛テ、向ノ橋桁ヲ踏ケルニ、踏所少モ動カズ、誠ニ輕ゲニ見ヘケレバ、諸軍勢遙ニ是ヲ見テ、アナイカメシ、何レモ凡夫ノ態ニ非ズ、大將ト云、手ノ者共ト云、何レヲ捨ベシ共覺子共、時ノ運ニ引レテ、此軍ニ打負給ヒヌルウタテサヨト、云ハヌ人コソナカリケレ、

〔太平記〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 三井寺合戰幷當寺撞鐘事附俵藤太事
義助是ヲ見テ、無云甲斐者共ノ作法哉、僅ノ木戸一ニ被支テ、是程ノ小城ヲ責落サズト云事ヤアル、栗生、篠塚ハナキカ、アノ木戸取テ引破レ、畑、亘理ハナキカ、切テ入レトゾ被下知ケル、栗生(○○)、篠塚(○○)是ヲ聞テ、馬ヨリ飛デ下リ、木戸ヲ引破ラント走寄テ見レバ、屛ノ前ニ深サ二丈餘リノ堀ヲホリテ、兩方ノ岸屛風ヲ立タルガ如クナルニ、橋ノ板ヲバ皆刎迦シテ、橋桁計ゾ立タリケル、二人ノ者共如何シテ可渡ト、左右ヲキツト見處ニ、傍ナル塚ノ上ニ、面三尺計有テ、長サ五六丈モアルラシト、覺ヘタリケル大卒郡婆二本アリ、爰ニコソ究竟ノ橋板ハ有ケレ、卒都婆ヲ立ルモ、橋ヲ渡スモ功德ハ同ジ事ナルベシ、イザヤ是ヲ取テ渡サント云儘ニ、二人ノ者共、走寄テ、小脇ニ挾テエイヤツト拔ク、土ノ底五六尺掘入タル大木ナレバ、傍リノ土一二尺ガ程クワツト崩テ、卒都婆ハ無念拔ニケリ、彼等二人、二本ノ卒都婆ヲ輕々ト打カタゲ、堀ノハタニ突立テ、先自讀ヲコソシタリケレ、異國ニハ烏獲、樊噌、吾朝ニハ和泉小弐郎、淺井那二十郎、是皆世ニ雙ビナキ大力ト聞ユレドモ、我等ガカニ幾程カマサルベキ、云所傍若無人也ト思ン人ハ、寄合テ力根ノ程ヲ御覽ゼヨト云儘ニ、二本ノ卒都婆ヲ同ジ樣ニ向ノ岸ヘゾ倒シ懸タリケル、率都婆ノ面平ニシテ、二本相幷タレバ、宛四條五條ノ橋ノ如シ、爰ニ畑六郎左衞門、亘理新左衞門二人、〈○中略〉各木戸ノ脇ニゾ著タリケル、是ヲ防ギケル兵共、三方ノ土矢間(ツチサマ)ヨリ、鑓長刀ヲ差出シテ、散々ニ突ケルヲ、亘理新左衞門十六迄奪テゾ捨タリケル、畑六郎左衞門是ヲ見テ、ノケヤ亘理殿、其屛引破テ心安ク人々ニ合戰セサセ ント云儘ニ走懸リ、右ノ足ヲ揚テ、木戸ノ關ノ木ノ邊ヲ二蹈三蹈ゾ蹈ダリケル、餘ニ强ク被蹈テ、二筋渡セル八九寸ノ關ノ木、中ヨリ折テ木戸ノ扉モ屛柱モ同クドウト倒レケレバ、防ガントスル兵五百餘人、四方ニ散テ颯トヒク、一ノ木戸已ニ破ケレバ、新田ノ三萬餘騎ノ勢、城ノ中へ懸入テ、先合圖ノ火ヲゾ揚タリケル、〈○下略〉

〔太平記〕

〈二十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 將軍上洛事附阿保秋山河原軍事
桃井ガ扇一揆ノ中ヨリ、長七尺計ナル男、〈○中略〉樫木ノ棒ノ一丈餘リニ見ヘタルヲ、八角ニ削テ、兩方ニ石突入レ、右ノ小脇ニ引側メテ、白瓦毛ナル馬ノ太ク逞シキニ、白泡カマセテ、只一騎河原面ニ進出テ、高聲ニ申ケルハ、〈○中略〉是ハ淸和源氏ノ後胤ニ、秋山新藏人光政ト申者ニ候、〈○中略〉仁木、細川、高家ノ御中ニ、吾ト思ハン人々名乘テ、是へ御出候へ、花ヤカナル打物シテ、見物ノ衆ノ睡醒サント呼ハテ、勢ヒ當リヲ撥テ、西頭ニ馬ヲゾ扣ヘタル、〈○中略〉丹ノ黨ニ阿保肥前守忠實ト云ケル兵、〈○中略〉只一騎大勢ノ中ヨリ懸出テ、〈○中略〉相近ニナレバ、阿保ト秋山ト、ニツコト打笑テ、弓手ニ懸違へ、馬手ニ開合テ、秋山ハタト打テバ、阿保ウケ太刀ニ成テ請流ス、阿保持テ開テ、シトヽ切レバ、秋山棒ニテ打側ク、三度逢三度別ルト見ヘシカバ、秋山ハ棒ヲ五尺計切折ラレテ、手本僅ニ殘リ、阿保ハ太刀ヲ鐔本ヨリ打折ラレテ、帶添ノ小太刀計憑タリ、武藏守是ヲ見テ、忠實ハ打物取テ手ハキヽタレドモ、力量ナキ者ナレバ、力增リニ逢テ、始終ハ叶ハジト覺ルゾ、アレ討スナ秋山ヲ射テ落セトゾ被下知、〈○中略〉角テ兩方打除テ、諸人ノ目ヲゾサマシケル、其比靈佛靈社ノ御手向、扇、團扇ノバサラ繪ニモ、阿保秋山ガ河原軍トテ、書セヌ人ハナシ、

〔應仁記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 三寶院責落事
武田大膳大夫ガ舍弟安藝守基綱、三寶院ヲ固テ、内裏ノ御警固シテ居タリシヲ、右衞門佐義就、能登ノ修理大夫、大内介、土岐、六角、一色、五万餘騎、東陣ノ一ノ木戸ナレバトテ、三寶院へ押寄、武田基 綱大力ノ勇者ニテ、手勢二、千人ニテ、三賓院ノ門ノ片扉ヲ開キ、切テ入勢ヲ防留ヨト、卯刻ヨリ申ノ終迄、十餘度迄追出ケリ、然共大勢ハ皆ウタレ、基綱一人踏止テ防ギケル、爰ニ紀州熊野ノ侍ニ、野老源三ト云者有、奧三山ニ隱ナキ、大力ノ剛ノ者有ケルガ、爰ナル敵一人ニ、アマタノ味方ウタレ無念也、某シ組留テミセント進ヨリテ、太刀下ヘツトヨリ、打物加瀝ト捨テ、手ヲハダケテ飛付ケリ、基綱是ヲ見テ、コレハ鎧物具ノ實ヲタメシテ、二兩モ著タレバコソ、カクハ振舞ラン、甲ヲ打破テステント、、少飛ノキテ、惡キ敵ノ振舞哉、捨太刀一ツ受テ見ヨト云マヽ、振アゲテ丁ト打ツ、三枚重ノ鐵甲ノ、磐石ノ如クナルヲ打破リ、手對シテ、七尺三寸ノ御所燒ト云太刀ノ、ハヾキ本ヨリ打折テ、基綱手ヲ失ヒ、牛ノタケルガ如ク訇テ、飛ノキケレドモ、敢テ追カクル者ナシ、野老源三ハ打居ラレテ、目口一ツニ血ニ成テ死ニケリ、

〔北條五代記〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 三浦介道寸父子滅亡の事
荒次郎〈○三浦〉は廿一歲、器量こつがら人にすぐれ、長七尺五寸、黑髮有て血眼なり、手足の筋骨あらあらしく、八十五人が力(○○○○○○)をもてり、さいごの合戰のため、おどし立たる甲胄は、鐵をきたひ、あつさ二分にのべ、是を帶し、しらかしの丸木を、一丈二尺につゝきり、八角にけづり、筋がねをわたし、此棒を引さげ、一人門外へゆるぎ出たる有樣、やしやらせつのごとし、おめきさけぶこゑ、太山もくづれて海に入、こんぢくもおれて忽に沈がごとし、四方八方へ逃る者をゝつ詰、甲の頭上をうてば、みぢんにくだけて胴へにえ入、よこ手にうてば一拂に五人十人打ひしぐ、棒にあたりて死する者五百餘人、其尸は地にみちて、足めふみ所もなし、たゞ是らせつこくの鬼王がいかりもかくやらん、此威に皆敗北して敵もなければ、みづから首をかき落し死たりけり、

〔志士淸談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 豐後臼杵ニ吉田一祐ト云者アリ、力片手ヲ以テ百斤ヲ擧ニ重シトセズ、鎧ハ銃玉モ穿ツコト不能ヲ著、二尺七寸ノ腰刀、一尺八寸ノ短刀、厚サ三寸半ニ作テ、男ハ蛤貝ノ耳ノ如ニシテ、 挾ミ拔テコレヲ振ルニ、竹ヲ振ルヨリモ輕ゲナリ、一年、薩師豐後ヲ攻ル時、身方敗走ス、一祐怒聲ヲ揚ゲテ、恥シメ勵セドモ、猶披靡ヒテ不已、一祐疾退テ、土橋ノ前ニ當テ、三間秘ノ鎗ヲ横タへ、土橋ヲ渉ンズル身方ヲ推留ントス、鎗ノ柲ニ逃ガルヽ者三四十人、一祐鎗ノ柲ヲ握リ、鎧ノ胸ニ當テ、曳ト云聲トトモニ推還セバ、三四十人ノ者後足ニナリテ、推還サルヽコトニ十歩計、一祐大ニ呼テ曰、我此ニアラバ、此橋ヲ渉スベカラズ、此橋ヲ渉サズバ、折節秋水漲テ底ヲ不知、此ニ墮テ溺死セントスルカ、敵モ人ナリ、我モ人ナリ、怯者負テ勇者勝ノミ、何ゾ父祀ノ姓ヲ汗シ、子孫ニ辱ヲ遺ス事ヲ不思ヤト、跳リ上リ地ヲ踏ナラシテイナメ立レバ、皆引還シ擊テ薩師ヲ却ケタリ、

〔備前老人物語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 岐阜の戰、城のかた、かけまけて、城中へ取こむときに、津田藤三郎といふもの殿したり、門をうちたればこゝあけといふ、番のものども、門をあけなば、寄手付入にやすべき、壁を乘て、入給へといふ、藤三郎聞て、かく取こむだに、口惜きに、壁をのりにげこむこと見ぐるしき事也、是にて尋常に打死すべし、皆々見物せよといひて、馬より下りて、鑓とりなをし、足拍子を踏てたちたり、さても見事なるふるまい哉、かゝる兵を目前に、うたすべきにあらず、いざゝせ給へとて、門をひらきていれけり、後に津田將http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif といひしはこれなり、

〔常山紀談〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0118 東照宮小牧に陣しておはしませしが、秀吉兵を分ち中入すと聞し召、敵の迹に從うて向はせ給ふ、小牧には石川伯耆守數正、酒井左衞門尉忠次、本多平八郎忠勝を殘させ給へり、然るに秀吉大軍を出して、長久手に向はれけるを見て、忠次は秀吉の本陣樂田へ押寄、火をかけて攻擊べしと云けれども、石川、秀吉後に變有と聞て、彌怒られなんと、强て押へて止りけり、忠勝は秀吉の馬じるしを見るより、僅に五百計引具し、小牧をかけ出、小川一筋隔て、秀吉に相ならび、長久手さして馳向ふ、路にて足輕を進め、鐵炮を打かけ、一軍せんとすれとも、秀吉見ざる體にて取合ず、龍泉寺の前にて、忠勝馬を川に打入口を洗ふ秀吉あの鹿の角の立物の冑を著たるは大將 よ、誰か見知たると問るゝに、稻葉伊豫守道朝、過し年姉川の軍に、武者出立見知て候、本多平八郎にて候と申もあへぬに、秀吉涙をはら〳〵と流し、五百に足らぬ士卒をもて、吾八萬の軍にかけ合さんとする、千死に一生もなきぞかし、然るに道を隙どらせ、己が主君の軍に勝利あらせんとの志、勇と云、忠と云、誠に類なき本多かな、秀吉運强くば軍にかたん、あたら者を討べからずとて、弓鐵炮を制せられけり、

〔明良洪範〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 筒井順慶ノ家士ニ、板倉權内ト云者有リ、イカナル故ニヤ、臆病者也ト誰ガイヒ初メケン、家中ハ勿論、終ヒニハ隣國迄モ評判スルヤウニ成リ臆病ノ話シガ出ルト、筒井家ノ權内カト、世間デ云樣ニナリシ故、權内甚ダ殘念ニ思ヒケレド、誰彼ト云差別モナク、世間一般ノ事故致方無ク、日ヲ送リケルガ、何分心ヨカラザレバ、筒井家ヲ立退キ、浪人中諸大將ノ器量ヲ撰ミ、ヤガテ蒲生家へ出テ、拙者義ハ定メテ御聞及ビモ候ハン、臆病者ノ板倉權内ニテ候、臆病者ニテモ御ツカヒ下サラバ、御奉公仕ラント申立タリ、居合セタル者、コレガ臆病者ノ權内カト云ナガラ、イト輕侮ナル樣子ニテ立テ、奧クへ行キ、其由言上セシカバ、氏郷立出テ、其方權内力、何故我ニ仕ヘントテ來ルヤト問フ、權内答テ、臆病者ヲ抱へ給フ君ハ、外ニハ有ラジト存ジ、罷出候ト云、氏郷ウナヅキテ則抱ヘラル、其後氏郷出陣ノ時、此權内ヲ連ラレシニ戰場ニテ拔群ノ働キヲナシ、大將分ノ首ヲニツ取リケル、氏郷快然トシテ、吾目鏡ニ違ハズトテ、郎座ニ二千石與ヘテ、物頭ニセラレケル、是ヨリ臆病者ノ名消工失セテ、諸方へ勇名ヲ轟ロカシケル、サレバ臣ノ剛臆ハ(○○○○○)、其君ノ用捨ニアルコト也(○○○○○○○○○○○)ト、或人申サレシ也、

〔近代正説碎玉話〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 一平松金次郎ハ、生資驍勇ニシテ外貌温順ナリ、或時一友平松ヲ惡ロスル事アリ、平松コタヘズ、皆框弱也ト思ヘリ、長久手合戰ノ前ニ、平松朱柄ノ鎗ヲ、コシラヘタリト云、人相見テコレヲ笑フ、白柄ノ鎗ヲ以テ、敵下鋒ヲマジへ、鎗ニ血付ルコト度々ニ及デ後ナラデハ、朱 柄ノ鑓ヲ持セザルハ、日域ノ武夫ノ法ナリ、平松長久手ニ於テ、旗本ノ前ニテ衆ヲ離レ、獨リ進デ一番鎗ヲ合セタルニ、其後ニ繼者ナシ、コレニ由テ源君新知二百石ヲ賜フ、平松衆人ノ中ニ出テ、男子ノ勇トスルトコロバ、只戰場ハタラキニアリ、喧嘩ヲ好ムハ下僕ノ業ナリ、我今度長久手ニ於テ、年來出サヾル勇ヲ出セリ、我ガ後ニダニ繼タル人ナシ、人各能アリ、不能アリ、我喧嘩ニハ誠ニツタナシ、敵ト相合トキハ、人ヨリ勝レヌト云、コレニ獨ル者ナシ、

〔菅氏世譜〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 文祿三年朝鮮在陣〈○中略〉二月十三日、長政公〈○黑田〉又山に入て虎を狩給ふ、長政公鐵炮を以て、かけ來る虎を、間近く寄て、打殺し給ふに、其後猛き虎一つかけ來りしを、長政公又鐵炮を構へ待給ふ所に、虎脇に人有るを見付け、長政公の方へは來らずして、正利が與力の足輕列居たる所にかけ來り、一人をば、肩をくはへて後へなげ、一人をば、其腕をくらつて倒す、是を見る者、恐怖せずと云者なし、此時正利は、朱塗の鎧を著たりしかば、人多き中にも、いちじるくや見えけん、正利をめがけ懸來りけるを、正利〈二十八歲〉是を見て、少もさはがず、刀を拔てすゝみ寄かけ來る虎を一刀切る、刀能くきれて、虎一聲哩て、卽時に倒れんとする所を又一刀切て、終に首を打落しぬ、あゝ此時正利の奇代の勇と、其刀の利成るとにあらずんば、虎口の害をまぬがれがたかるべし、此刀備前吉次が作にて、長さ二尺三寸一分有り、今に相傳て、菅の家にあり、

〔老人雜話〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 加藤淸正の先手の大將は、森本義大夫、〈五千石〉庄林隼人、〈五千石〉飯田角兵衞、〈五千石〉三宅角左衞門、〈三千石〉飯田三宅は普請奉行也、此兩人隱なき武勇の者也、江戸に於て評議ありて、又者にたしかなる武勇誰かと云し時、淸正の内飯田角兵衞也、高麗にて天下の人數を引廻したるは、古今に是なりと云、又吉村吉右衞門と云者も、淸正の内武勇の者也、

〔常山紀談〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 關ケ原の軍に功有ける諸將の家臣を召て、東照宮御盃を下されし時、福島正則の士大將福島丹波は跛、尾關石見は瞎なり、長尾隼人は聾なりしかば、近習の人々、能もかたはの集 り候と、さゝやきけるを聞し召、汝等年若くとも能聞け、女は容儀を尊ぶ事よ、よし形はいかにもせよがゝる軍に功名したるを、男とはするぞかし、彼三人は世に勝れたる大剛の者なり、汝等志十に二三を、彼者に似せたらんは、よかりなんとそ仰られける、

〔窻の須佐美〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 松平甲斐守輝綱のもとに、武功の譽ある士を客として置れける、常に慇懃を盡されける、一夜話の席に、事の急變ある時に、うろたへるもの多し、兼て心を有樣(モチヤウ)にあるやと問れしかば、士答へて云、何もなくて夜中など急なる事のありて起出るには、陰囊を引たるがよく候、囊のちゞみて居るものなり、身ふるひ出して、埓の明たるものにて候と答へけり、

〔事實文編〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121釋隱元事 津坂東陽
隱元禪師蹈海而來也、初寓長崎一民家、有丈夫子年八九歲、首觸柱而傷、輙瞋目睨之、直執鐵椎來、聲罪奮擊、隱元見之、慨然嘆息曰、嗚呼便我明士人有是氣槧、宗社其忽諸、

膂力

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 カ〈チカラ○中略〉 拳〈已上同、チカラ、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈利/疊字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 膂力

〔運歩色葉集〕

〈地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 力持(モチ)

〔松屋筆記〕

〈九十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 力瘤(○○)、力筋(○○)、力毛、
和田酒盛草子〈卅六丁ウ〉に、朝比奈の三郎が、力の出來るしるしに、左右のうでとかひなに、力筋といふ物が、十四五二三十ふつ〳〵と出にけり、胸におふる力毛、碁盤の面に銅の針をすりならべたるごとく也、筒の筋がひたひへあがり、額の筋が、どうへさがり云々、按今世ちからこぶといふは、この力筋におなじ、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0121 是時、天照大神驚動、以梭傷身、由此發慍、乃入于天石窟、閉磐戸而幽居焉、〈○中略〉以手力 雄神磐戸之側、〈○中略〉以御手〈○天照大神〉細開磐戸窺之、時手力雄神乃奉承天照大神之御手、引而奉出、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 七年七月乙亥、左右奏言、當麻邑有勇悍士、曰當麻蹶速、其爲人也、强力(チカラコハク/○○)以能毀角申鈎、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122 七年七月丙子、天皇詔少子部連蜾臝曰、朕欲三諸岳神之形、〈○註略〉汝膂力(チカラ/○○)過人、自行捉來、蜾臝答曰、試往捉之、乃、登三諸岳、捉取大虵、奉示天皇

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0122雷之喜子强力子緣第三
昔敏達天皇〈是磐余譯語田宮食國渟名倉太玉敷命也〉御世、尾張國阿育知郡片蕝里有一農夫、作田引水之時、小細雨降、故隱木本http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01556.gif 金杖而立、時雷鳴郎恐、擎金杖而立、卽雷墮於彼人前、雷成小子而隨伏、汝何報、雷答言也寄於汝子而報、爲我作楠船、入水泛竹葉而賜、卽如雷言作備而與、時雷言近依避、卽靉霧登天、然後所産兒之頭、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01550.gif 虵二遍首尾垂後、而生長大、年十有餘頃、聞之朝庭有力人、念試之來於大宮邊居爾時王有力秀當時、住大宮東北角之於別院、彼東北角有方八尺石、力王自住處出、取其石而投、卽入住處門、他人不出入、小子視念、名聞力人者是也、夜不人、取其石而投益一尺、力王見之手揖攅取石而投、從常不投益、小子亦二尺投益、王見之希亦投猶不益、小子立投石處、小子之跡深三寸踐入、其石亦三尺投益、王見跡念是居小子之投一レ石也將捉而依、卽小子逃、王追小子、通墻而逃、王踰墻上而追、小子亦返通而逃走、力王終不捉、念我益力小子更不追、然後小子作於元興僧之童子、時其寺鐘堂童子、夜別死、彼童子見白衆僧言、我捉此鬼殺謹止此死災、衆僧聽許、童子鐘堂之四角燈儲、四人言敎、我捉鬼時、倶開燈蓋覆、然於鐘堂戸童之鬼居、大鬼半夜所來、佇童子而見之退、鬼亦後夜時來入、卽捉鬼頭髮引、鬼者外引、童子者内引、彼儲四人慌來燈蓋不開、童子四角鬼引而依、開燈蓋于晨朝時、鬼之頭髮所引剝而逃、明日尋彼鬼之血而求往、至於其寺惡奴埋立衢、卽知彼惡奴之靈鬼也、彼鬼頭髮者、今收元興寺財也、然後其童子作優婆塞、猶住元興寺、其寺作田引水、諸王等妨 不水、田燒亡時優婆塞言、吾引田水、衆僧聽之、故十餘人可荷作鋤柄使持也優婆塞彼持鋤柄撞杖、而往立水門口而居、諸王等鋤柄引棄、塞水門口而不寺田優婆塞亦取百餘人引石、塞於水門於寺田、王等恐乎優婆塞之カ而終不犯、故寺田不渴而能得之、故寺衆信聽令得度出家、名號道場法師、後世人傳謂、元興寺道場法師、强力多有是也、當知誠先世强修能緣感之力也、是日本國奇事也、无慈心而馬負重駄以現得惡報緣第廿一
昔河内國有瓜販之人、名曰石別也、過馬之力市負重荷、馬不往時、瞋恚捶駈、負荷勞之、兩目出涙、賣http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01765.gif 竟者、卽殺其馬、如是殺之爲多遍、後石別自纔臨涌釜、兩目拔入於釜煮、現報甚近、應因果、雖之畜生、而我過去父母、道四生我所生處、故不慈悲也、

〔今昔物語〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0123 比叡山實因僧都强力語第十九
今昔、比叡山ノ西塔ニ、實因僧都ト云人有ケリ、小松ノ僧都トゾ云ケル、顯密ノ道ニ付テ止事无カヲケル人也、其レニ極ク力ノ有ル人ニテ有ケル、僧都晝寢シタリケルニ、若キ弟子共、師ノ力有由ヲ聞テ、試ンガ爲ニ胡桃ヲ取テ持來テ、僧都ノ足ノ指十中ニ、胡桃八ヲ夾ミタリケレバ、僧都ハ虚寢ヲシタリケレバ、打任セテ被夾テ後、寢延ヲ爲ル樣ニ打ウムキテ足ヲ夾ミケレバ、八ツノ胡桃一度ニハラハラト碎ニケリ、而ル間天皇ノ僧都内ノ御修法行ヒケル時、御加持ニ參リタリケルニ、伴僧共ハ皆通ニケリ、僧都ハ暫ク候テ夜打深更ル程ニ罷出ケルニ、從僧童子ナドハ有ラムト思ケルニ、履物計ヲ置テ從僧童子モ不見ザリケレバ、只獨リ衞門ノ陣ヨリ歩ミ出ケルニ、月ノ極テ明カナレバ、武德殿ノ方樣ニ歩行ケルニ、輕カニ裝ゾキタル男一人寄來テ、僧都ニ指向テ云ク、何ゾ獨ハ御マスゾ、被負サセ給へ、己レ負テ將奉ラムト云ケレバ、僧都糸吉カリナムト云テ、心安ク被負ニケレバ、男搔負テ西ノ大宮二條ノ辻ニ走リ出テ、此ニ下給ハレト云ヘバ、僧都我ハ此へヤ來ムト思ヒツル、壇所ニ行ムト思ツルト云ケレバ、男然計力有ル人トモ不知ズ、只有ル僧ノ衣 厚ク著タルナメリト思テ、衣ヲ剝ムト思ケレバ、麁カニ打振テ音ヲ嗔ラカシテ、何デカ不下シテハ云ゾ、和御房ハ命惜クハ无キカ、其著タル衣得サセヨト云テ立返ラムト爲ルニ、僧都否ヤ此クハ不思ザリツ、我ガ獨行クヲ見テ糸惜ガリテ、負テ行カント爲ルナメリトコソ思ヒツレ、寒キニ衣ヲコソ否不脱マジケレド云テ、男ノ腰ヲヒシト夾ミタリケレバ、太刀ナド以テ腰ヲ夾ミ切ラン如ク、男難堪ク思エケレバ、極テ惡ク思ヒ候ヒケリ、錯申サムト思給ヘルガ愚ニ候ケル也、然ラバ御マスベカラム所ニ將來ラム、腰ヲ少シ綏ベサセ給へ、目拔ケ腰切候ヌベシト、術无氣ナル音ヲ出シテ云ケレバ、僧都此コソ云ハメトテ、腰ヲ緩ベテ輕ク成テ被負タリケレバ、男負上テ何チ御マサムズルト問ヘバ、僧都宴ノ松原ニ行テ月見ント思ツルヲ、汝ガサカシクテ此へ負テ將來レバ、先ヅ其ニ將行テ月見ヨト云ケレバ、男本ノ如クニ宴ノ松原ニ將行ニケリ、其ニテ然ラバ下サセ給ヒ子、罷リ候ヒナムト云ヘドモ尚不免シテ、被負乍ラ月ヲ詠メ、ウソ吹テ時替ルマデ立テワ、男侘ル事无限リケレドモ、僧都右近ノ馬場コン戀シケレ、其コへ將行ケト云ヘバ、男何デカ然マデハ罷候ハムト云フ〈○フ恐テ誤〉只ニ居ルヲ、僧都然ラバトテ亦腰ヲ少シ夾ミケレバ、穴難堪キ、罷リ候ハムト侘ビ音ニ云ケレバ、亦腰ヲ緩ベテ輕ク成ニケレバ、負上テ右近ノ馬場ニ將行ニケリ、其ニテ亦被負乍ラ无期ニ歌詠メナドシテ、其ヨリ亦喜辻ノ馬場ヲ下リ樣ニ永ク遣テム、其將行ケト云、ヘバ、可辭クモ无ケレバ侘テ亦將行ヌ、其ヨリ亦云フニ隨テ西宮へ將行ヌ、如此クシツヽ終夜被負ツヽ行テ、曉方ニゾ場所ニ返テ逃テ去リニケリ、男衣ヲ得タレドモ、辛キ目ヲ見タル奴也カシ、此僧都ハ此ク力ノ極テ强カリケルトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔太平記〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 畑六郎左衞門ガ事
彼ノ畑六郎左衞門ト申ハ、武藏國ノ住人ニテ有ケルガ、歲十六ノ時ヨリ好相撲取ケルガ、坂東八箇國ニ更ニ勝者無リケリ、腕ノ力筋太シテ、股ノ村肉厚ケレバ、彼薩摩ノ氏長モ角ヤト覺テ恀(オビタヾ)シ、〈○下〉 〈略〉

〔相州兵亂記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 高野臺合戰之事
武州江戸ノ住人太田源六資高ト云人、大力剛兵ノ譽レ八州ニ雙ビナシ、凡三十人シテ動シガタキ大石ヲ、輕ク動シタルシタヽカ者ナリケリ、物ハ類ヲ以テ集ルコトナレバ、其弟ニ太田源三郎、同源四郎トテ、大力ノ兵ドモアツマリテ云ケルハ、〈○下略〉

〔陰德太平記〕

〈六十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 肥前國有馬合戰幷島津龍造寺合戰附隆信最後之事
三男江上家種大力量ノ人也、所著ノ鎧、鐵ノ厚サ五分ニ鍛セ、刀ハ四尺八寸、脇刺二尺六寸也、鎗ノ柄三間半、鐵ヲ延テ付タレバ、恰モ羊侃ガ折樹矟共云ツベシ、此鎗ヲ以テ敵ヲ突貫テハ抛、突貫テハ被投ゲルニ、或軍場ニテ鋒折タレバ、柄計振テ薙廻ラレ、數十人打倒サレケルトカヤ、常ニ樫ノ棒ヲ一尺周リ八角ニ作リ、筋金ヲ伏テ拵へ、之ヲ以薙倒サルヽニ、側ニ近付者ハナシ、或時秀吉公力量ノ程ヲ御覽ゼントテ召レタリ、家種六尺許有ケル鐵ノ棒ヲ杖ニ策テ赴キ、玄關ノ前ナル庭ニ押込、頭ヲ手一束程餘シテ置レシヲ、跡ニテ小姓衆ナド寄合拔ントスルニ、動クベウモ無リケリ、秀吉公力量ヲ著ハサレヨト宣ケレバ、御前ニ在ケル棊石ヲ取テ柱ニ幾等モ推込レクリ、又碁盤ノ隅ヲ片手ニ執テ百目掛ノ蠟燭ノ火ヲ扇ギテ消サレケルニゾ、秀吉公ヲ始滿座膽ヲ寒シケル、サテ御邊ハ國ニ歸テ心隨ニ可休息、遠路ナレバ重テ上洛ニ不及トテ下サレケリ、其後秀吉公安國寺ニ向テ、彼ガ如キ大力ヲバ、大將ノ近邊ニ不置物也ト宣ケルトカヤ、家種於朝鮮彼國一番ノ相撲ノ上手ト勝負ヲ可試約ヲ作ケルニ、朝鮮人ハ藤ヲ以テ腹ヲ卷テ出ケルガ、家種大竹ヲ挫テ腹ヲ卷、足踏被爲シニ、大地震動セシヲ見テ、恐懼シテ角力セズトカヤ、

〔志士淸談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 越後村上ノ城主堀丹後守直寄ハ、堀http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 物直政ガ二男、幼名三十郎、秀吉公ノ兒小姓、後丹後守ト更ム、〈○中略〉家中ニ梅田佐五右衞門ト云武士、大坂ノ城攻ニ武功アリ、其前モ名アル者ニシ テ、壯力口ノ厚サ三四寸計ノ大丈夫筒ヲ上シトゾ、或時丹後法令ヲ出サル、小歌、尺八、男色等禁制トアル處ニ墨ヲ引タリ、丹州怒テ仕手兩人ヲ以殺サシム、梅田城ノ緣端ニ何心ナク立タルヲ、一人ヨリテ短刀ニテサス、梅田不騷捕テ引ヨスルヲ、又一人コレヲ刺ス、兩人ヲ左右ノ脇ニハサミ、二十間餘ノ緣ヲ走リ出ル、其内ニクリ付テ殺シタリ丹州其膂力ヲ惜ミシトナリ、

〔奧州波奈志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 砂三十郎
鐵山公と申せし國主の御代には、ちから持といはれし人も、かれ是有し中に、砂三十郎と云し士、男ぶりよく、大力にて、ちえうすく、みづから力にほこりて大酒なりしが、酒に醉て歸る時には、夜中通りかゝり次第に辻番所を引かへすが得手物にて、度々のことなりし、寺にいたりては、つきがねをはづしてこまらせなど大の徒人也、〈○中略〉其ころ淸水左覺と云し人も、大男に大力成しが、おとなしき人にて、更にいたづらはせざりしが、三十郎と常に力をあらそひてたのしみしとぞ、左覺三十郎にむかひ、その方力自まんせらるれど、尻の力は我にまさらじ、先こゝうみよとて、尻のわれめに石をはさみて、三十郎にぬかせしに、拔かねて有しとぞ、左覺は我おもふ所に、一身のちからを集ることを得手たりし、

〔新著聞集〕

〈七/勇烈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 强力重く擔ひ、耳力得金、
勢州松坂の鎌田又八、江戸本町より、國許へ上るとて、のり掛ものして、小田原に至るに、町人の荷物は增駄賃なくては馬出さじと云、又八〈○中略〉同道の者の荷物とり合せ、其外品々をゆひつけ、蒲團張二筋もて輕々と負たり、馬子どもおどろき、よしや力まさりてかくはする共、嶮難の所にかかりなば、かなふまじきぞ、その時おもふ程駄賃とらんとて、馬の轡をひき、跡につき行ほどに、いつしか峠に至りしかば、人々あきれはて、人間の所爲にはあらじと恐れしとなり、又江戸にありし時幅一間に奧へ三尺の戸棚をこしらへ、太き緖綱と一握ある栢の棒をそへをきし、明曆三年 正月の回祿の時、件の戸棚に、絹類をかぎりにつめ、著物いれし葛籠二ツうへにゆひつけ、連著にて背負、柏の棒をつき、道の妨なる者あれば、左右へなげやり、群集を押わけ、淺草に出しとなり〈○下略〉

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 力女挽力試緣第四
聖武天皇御世、三野國片縣郡少川市有一力女(○○)、爲人大也、名爲三野狐、〈是昔三野國狐爲母生人之四繼孫也〉力强當百人力、住少川市内、恃己力弊於往還商人、而取其物業、時尾張國愛智郡片輪里有一力女、爲人少也、〈是昔有元興寺道場法師之孫也〉其聞三野狐凌弊於人物而取、念之、蛤捕五十斛般泊彼市也、亦儲備副納熊葛練韃廿段、時狐來彼蛤皆取令賣、然問之言、自何來女、蛤主不答、亦問不答、重四遍問、乃答之言、來方不知、狐念禮打起、依卽二手待捉、熊葛韃以一遍打々韃著肉、亦取一韃一遍打々韃著肉、十段韃隨打皆著肉、狐白之言、服也犯也惶也、於是知益於狐之カ也、蛤主女言、自今已後在此市得、若强住者終打殺也、狐所打哉其市、不人物、彼市人總皆悦安穩、夫力人㕛〈○㕛恐支字之譌〉繼世不絶、誠知先世、殖大力因、今得此力矣、

〔北條五代記〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 淸水太郎左衞門大力の事
見しは昔、伊豆の國の住人淸水上野守は、小田原北條家譜代の侍、關八州にその名をえたる武士なり、されば、上野守が妻女、山上の秕氏神へ宿願あつて參詣する途中の坂に、牛穀物を二俵つけながら、ふして有、見ればあと足二ツを、がけへふみおとし、岩角に俵かゝつて留る、荷繩をきるならば、牛谷へ落ちて死すべし、引上べき樣なく、ふびんなる有樣なり、女房是を見て、あたりの者をのけ、一人そばへより、牛とたはらをいだいて中へ持ち上、道中に牛を立たり、此女の力、人間のわざに非ずと、人をたをせり、其腹に男子一人有り、淸水太郎左衞門尉是なり、母の力を請次、大力の名をえたり、

〔當世武野俗談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 音羽町石見屋おしげ
音羽町の茶や石見屋と云有、其女房おしげと云は、元こゝにて勤めせし女なり、器量もよく、平生物靜かにして多く物云ず、やさしくおとなしき生れなり、此故石見やの室とす、然るに見かけと違て大力持なり、夫を知るものなし、尤力を終に人にみせたることなし、此頃その大力を知ることあり、音羽町のうちに、角力取年寄音羽山峯右衞門といふ者あり、渠が方に若手の相撲取大勢來て居たりしが、或時角力取ども三四人連立、近所を白晝にぞめき廻りける折節、七町目蓮光寺といふ日蓮宗の寺にて、萬卷陀羅尼修行有、參詣の男女夥し、其所へ件の角力取ども參て、若き女などへつきかゝり、人の邪魔して我が樂とするたはけもの、世上にまた多し、然るに彼おしげも參詣しけるに、小女ひとり供につれて、蓮光寺の客殿緣側通に居ければ、角力取一人來て、彼女房の尻をなでけるに、知ぬふりして居たる故、猶じやうだんをいたしける所を、頓ておしげ其手をとち、膝の下におしかい、力を出しておさへければ、大ばんじやくの如く、巖石を以ておしにかけらるゝとも、是にはいかで增るべき、大の角力取其腕をひしげる計、骨はくだけてみぢんに成かと思はれ、見る内に彼男色眞靑になり額に冷汗を流し、泪ぐみ物をもいはず、顏をしがめて苦しがる、おしげは顏も替らず、ふところより水晶の長房の珠數を取出し、三寶祖師を拜み、自我偈題目を唱へて、少もさわがず居たりけるを、側より題目講中の麻上下著たる人々來て、達て侘けるゆへ、おしげはゆるしてけり、角力取は危き命を助り逃行ける、是より音羽町のおしげとて、遊客の知らざるはなかりけり、

怯懦

〔類聚名義抄〕

〈六/心〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 怯〈區劫反 オソル ツタナシ オチナシ 和カフ〉

〔古事記〕

〈下/淸寧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0128 爾袁祁命〈○顯宗〉亦立歌垣、於是志毘臣歌曰、〈○歌略〉如此歌而、乞其歌末之時、袁祁命歌曰、意富多久美(オホタクミ)袁遲那美(ヲヂナミ/○○○○)許曾(コソ)、須美加多夫祁禮(スミカタブケレ)、

〔古事記傳〕

〈四十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 袁遲那美許曾は、拙劣(ヲヂナ)みこそなり、續紀卅詔に、先乃人波(サキノヒトハ)、謀乎遲奈之(ハカリコトヲジナシ/ ○○○○)、我方能久都與久謀天(ワレハヨクツヨクハカリテ)、必得天牟止念天(カナラズエテムトオモヒテ)、〈○中略〉拙愚なる意、易き意などを兼たる言なり、

〔古京遺文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 佛足石歌碑
乎遲奈伎(○○○○)夜、和禮爾於止禮留、比止乎於保美、和多佐牟多米止、宇都志麻都禮利、〈都加閉麻都禮利〉

〔倭訓栞〕

〈前編五/乎〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 をちなし 日本紀に懦弱をよみ、又怯をよめり、古事記の歌、佛足石の歌などにも見えたり、無男道の義なるべし、竹取物語にもみゆ、

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 おくす(○○○) 物語に見ゆ、憶字の義也、念也、思也と注せり、俗に畏疾を憶病といべり、新猿樂記には臆病と書り、むねのやまひの義、俗におく病神などもいへり、源氏におくたかきともいへり、疑らくは奧より轉ぜし詞なるべし、億も亦意に通ずれば、臆病もよし、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 臆病(ヲクビヤウ/○○)

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 臆病(ヲクビヤウ)

〔日本書紀〕

〈四/綏靖〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 神淳名川耳天皇、〈○綏靖、中略、〉至四十八歲、神日本磐余彦天皇〈○神武〉崩、〈○中略〉其庶兄手硏耳命〈○綏靖兄、中略、〉苞藏禍心、圖二弟、〈○中略〉神渟名川耳尊、欲以射殺手硏耳命、會有手硏耳命於片丘大窨中獨臥于大牀、時神〈○神原脱、據一本補、〉渟名川耳尊謂神八井耳命曰、〈○中略〉吾當先開窨戸、爾其射之、因相隨進入、神渟名川耳尊、突開其戸、神八井耳命則手脚戰慄、不矢、時神淳名川耳尊、掣取其兄所持弓矢、而射手硏耳命、一發中胸、再發中背遂殺之、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 五年二月、天皇狡獵于葛城山、〈○中略〉俄嗔猪從草中暴出、〈○中略〉舍人性懦弱(ヲヂナク)、緣樹失色、五情無主、 十八年八月戊申、遣物部莵代宿禰、物部目連、以伐伊勢朝日郎、〈○中略〉爰有讃岐田虫別、進而奏曰、莵代宿禰怯(ツタナ/ヲヲナシ)テ也、二日一夜之間、不執朝日郎、而物部目連率筑紫聞物部大斧、手獲斬朝日郎矣、天皇聞之怒、輙奪菟代宿禰所有猪名部物部目連

〔日本書紀〕

〈二十四/皇極〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 四年六月戊申、天皇御大極殿、古人大兄侍焉、〈○中略〉入鹿臣咲而解劔入侍于座、〈○中略〉使海犬養連勝、麻呂、授〈○授原作投、糠一本改、〉箱中兩劔於佐伯連子麻呂與葛城稚犬養蓮網田曰、努力努力、急須斬、子麻呂等以水送飯、恐而反吐、〈○中略〉中大兄〈○天智〉見子麻呂等畏入鹿威便旋不上レ進曰、吐嗟、卽共子麻呂等、出其不意、以劒傷割入鹿頭肩、〈○下略〉

〔大鏡〕

〈二/左大臣時平〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 この大將〈○藤原保忠、中略、〉やまひづき給ひて、さま〴〵のいのりし給ひしに、やくしぎやうのどつきやう、まくらがみにてせさせ給ふに、所謂宮毗羅大將とうちあげたるを、われをくびるとよむ也けりど、おぼしけるをくびやうに、やがてたえいり給へり、〈○り原作ば、據一本改〉

〔今昔物語〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130兵者見我影怖語第四十二
今昔、受領ノ郎等シテ人ニ猛ク見エムト思テ、艶ズ兵立ケル者有ケフ、曉ニ家ヲ出テ物へ行カムトシケル、夫ハ未ダ臥タリケルニ、妻起テ食物ノ事ナドセムト爲ルニ、有明ノ月ノ板間ヨリ屋ノ内ニ差入タリケルニ、月ノ光ニ、妻ノ己ガ影ノ移タリケルヲ見テ、髮オホドレタル大キナル童盜人ノ、物取ラムトテ入ニケルゾト思ケレバ、周章迷テ夫ノ臥タル許ニ逃行テ、夫ノ耳ニ指宛テ、竊ニ彼ニ大キナル童盜人ノ髮ヲオホドレタルガ、物取ラムトテ入立ルゾト云ケレバ、夫其レヲバ何カセムト爲ル、極キ事カナト云テ、枕上ニ長刀ヲ置タルヲ搜リ取リテ、其奴ノシヤ頸打落サムト云テ、起テ裸ナル者ノ髻放タルガ、大刀ヲ持テ出テ見ルニ、亦其ノ己ガ影ノ移タリケルヲ見テ、早ウ童ニハ非デ、大刀拔タル者ニコソ有ケレト思テ、頭被打破ヌト思エケレバ、糸高クハ无クテヲウト叫テ、妻ノ有ル所ニ返リ入テ、妻ニ和御許ハウルサキ兵ノ妻トコソ思ツルニ、目ヲゾ極ク弊ク見ケル、何ヅレカ董盜人也ケル、髻放タル男ノ大刀ヲ拔テ、持タルニコソ有ケレ、者極キ臆病ノ者ヨ、我ガ出タリツルヲ見テ、持タリツル大刀ヲモ、落シツ許コソ篩ヒツレト云ハ、我ガ篩ヒケル影ノ移リタルヲ見テ云ナルベシ、然テ妻ニ彼レ行テ追出セ、我ヲ見テ篩ツルハ、怖シト思ツ ルニコソ有メレ、我レハ物へ行カムズル門出ナレバ、墓无キ疵モ被打付ナバ由无シ、女ヲバヨモ不切ジト云テ、衣ヲ引被テ臥ニケレバ、妻云甲斐无、シ、此テヤ弓箭ヲ捧テ月見行クト云テ、起テ亦見ムトテ立出タルニ、夫ノ傍ニ有ケル紙障子ノ不意ニ倒レテ、夫ニ倒レ懸リタリケレバ、夫此ハ有ツル盜人ノ、厭ヒ懸リタル也ケリト心得テ、音ヲ擧テ叫ケレバ、妻http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00190.gif 可咲ク思テ、耶彼ノ主盜人ハ早ウ出テ去ニケリ、其ノ上ニハ障紙ノ倒レ懸タルゾト云フ時ニ、夫起上リテ見ルニ、實ニ盜人モ无ケレバ、障子ノソヽロニ倒レ懸タリケル也ケリト思ヒ得テ、其ノ時ニ起上リテ、裸ナル脇ヲ搔テ、手ヲ舐テ其奴ハ實ニハ我ガ許ニ入リ來テ、安ラカニ物取デハ去ナムヤ、盜人ノ奴ノ障紙ヲ踏懸ケテ去ニケリ、今暫シ有ラマシカバ、必ズ搦テマシ、和御許ノ弊クテ、此ノ盜人サバ逃シツルゾト云ケレバ、妻可咲ト思テ咲テ止ニケリ、世ニハ此ル嗚呼ノ者モ有ル也ケリ、實ニ妻ノ云ケム樣ニ、然許臆病ニテハ、何ゾノ故ニ刀弓箭ヲモ取テ、人ノ邊、ニモ立寄ル、此レヲ聞ク人皆男ヲhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00190.gif ミ咲ケリ、此レハ妻ノ人ニ語ケルヲ聞繼テ、此ク語リ傳ヘタルト也、

〔奧州後三年記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 將軍〈○源義家〉つはものどもの心をはげまさんとて、日ごとに剛臆の座をなんさだめける、日にとりて剛に見ゆる者どもを一座にすへ、臆病にみゆる者を一座にすへけり、〈○中略〉將軍の郎等どもの中に、名をえたる兵どもの中に、今度殊に臆病なりときこゆるもの、すべて五人ありけり、これを略頌につくりけり、鏑の音きかじと耳をふさぐ剛のもの、紀七、高七、宮藤王、腰瀧口、末四郎といふは、末割四郎惟弘が事なり、

〔奧州後三年記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 末割四郎これ弘、臆病の略頌に入たる事をふかくはちとして、今日我剛臆はさだまるべしといひて、飯さけおほくくひて出、こと葉のまゝにさきをかくる聞に、かぶら矢頸の骨にあたりて死す、射きられたる頸のきりめより、喰たる飯すがたもかはらずして、こぼれ出たり、みるもの慙愧せずといふ事なし、將軍これを聞て、かなしみて曰く、もとよりきりとをしにあ らざる人、一旦はげみてさきをかくる、かならず死ぬる事かくのごとし、くらふところのもの、はらの中に入ずして、喉にとゞまる、臆病の者なりとぞいひける、

〔平治物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 待賢門軍附信賴落事
大宮表ニハ平家ノ赤旗三十餘流差擧テ、勇進メル三千餘騎、一度ニ、鬨ヲ咄ト作リケレバ、大内モ響渡テ夥シ、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01766.gif 波ニ驚テ、只今マデ由々敷見ヘラレツル信賴卿、顔色變テ草葉ノ如クニテ、南階ヲ被下ケルガ、膝振、テ下兼タリ、人ナミ〳〵ニ馬ニ乘ラント引寄セサセタレ共、フトリ責タル大ノ男ノ大鎧ハ著タリ、馬ハ大キ也、乘ハヅラフ上、主ノ心ニモ似モ似ズ、ハヤリ切タル逸物ナレバ、ツト出ンツト出ムトシケルヲ、舍人七八人寄テ馬ヲ抱ヘタリ、放タバ天ヘモ飛ヌベシ、穆王八疋ノ天馬ノ駒モ角ヤト覺ユル計ニテ、乘カ子給所ヲ、侍二人ツト寄テ、疾召候ヘトテ押揚タリ、餘リニヤ押タリケン、弓手方へ乘コシテ、伏樣ニドウト落ツ、急引起シテ見レバ、顔ニ沙ヒシト付、鼻血流テ見苦カリケリ、

〔古今著聞集〕

〈十六/興言利口〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 中比六のあしげといふあがり馬有けり、いづれの御室にか、大法をおこなはせ給ひけるに、引せられにけるを、ある房官に給はせてけり、あがり馬ともしらで乘ありきける程に、有時京へ出けるに、知たる人道にあひて、此馬を見て、いかにさしものあがり馬の名物、六のあしけには、かく乘給へるぞといひたりけるに、おくしてたづなをつよくひかへたりけるに、やがてあがりて、なげゝるに、てんさかさまに落て、かしらをさん〴〵につきわりにけり、おかしかりける事也、

〔明德記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 上原入道ト申老武者アリ、引ケル御方ニ半町バカリ先立テ、猪熊ヲ上ニ一條マデ逃タリケルガ、馬ノ足音時ノ聲耳ニ付テ、乘タル馬ノ三ヅノ上ニ聞エケレバ、敵ガ近付タルゾト心得テ、相國寺ヲサシテ馳行ケリ、惡黨亂入ノ爲ニ、相國寺ニハ總門ヲ差堅メテ、行者仁供大勢ニテ門 ヲ固メタル所へ、内野ノ時聲未ダ聞エケル最中ニ、上原入道ハセ來テ、門ヲアケラレ候ヘト、ヲンバク計ニ呼リケレバ、若敵デモヤ有ラントテ、人々行堂バウチキリキヲ持テ、打出シケレバ、是ニモ敵ノ有ケルゾヤトテ鞭ニ鎧〈○鎧恐鐙誤〉ヲ揉合、八講堂ヲ東ヘ、万里小路ヲ北へ向テ鞍馬ノ奧ヲ志シテ、馬ノ足モヲル、計ニテ逃タリケル、ミゾロ池ノ邊リニテ、馬更ニハタラカザリケレバ、暫ク引エテ都ノ方ヲ顧タレバ、我逃ツル跡ニハ人一人モ見エズ、猶内野二ハ、軍ノ有ト覺エテ、時ノ聲幽カニ聞ケレバ、是ハソモ何事ニ是マデ逃タリケルゾヤ、我ナガラカ程臆病マデ、弓矢ノ道ニ携リケル不當サヨ、白晝ノワザナレバ、惡事千里ヲ走ル、此事世ニハ隱有ベカラズ、然ラバ何ノ面テカ有テカ、憑タル人ニモ對面スベキ、能キ善知識ナリト、獨リ言ヲシテ、都ノ内ヲ忍出テ、西國ノ方へ下シハ、タメシ少キ事共也、

〔雨窻閑話〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0133 堀家の士泣面〈幷〉武田家士大藏左衞門が事
天文晩年の比、甲州の武田信玄、家來に何某の大藏左衞門といふ者ありけり、生得臆病至極の者にて、いつも合戰ごとには、癪を寤こし、眼をまはして、つひに劒戟の中へ交り、血臭き事に逢ひたる事なし、信玄家臣等の申すは、當時戰國の中にて、一、人たりとも武功の者を望む中に、彼大藏左衞門が臆病の至、武家扶持すべきものにあらず、早々暇を給ふべしと有りしに、信玄宣ふは、彼者いたし方ありとて、信州戸石の合戰の時、勝れたる逸物の馬に大藏左衞門を鞍鐙にぐゝり付け、血氣の若者大勢よりて、馬の尻をたゝき立てゝ、敵の中へ追ひ込みしが、馬はよく乘人の心をしるものなれば、大藏左衞門が元來臆病心に引かれて、中戻して味方の陣へ引き返す、かくの通りにし給へども直らぬ故、信玄思案のうへ、彼者家中の隱目付を申し付けて、都て惡事内密の事共、遠慮なく直に申し上ぐべし、若隱し置き露顯に及ばゞ、死罪に申し付くべき由命ぜられけり、大藏左衞門元來臆病者なれば、罪にあはん事をおそれて、明白に何事も聞き出だして、信玄の耳に 入れしかば、大に用立ちけるとなり、

〔相州兵亂記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 松山合戰之事
此憲勝〈○上杉〉ハ管領憲政ノ末子ニテ、小田原トハ大敵ナレバ、縱ヒ命ヲ失フトモ、降參ハアルマジキニ、相隨フ者ドモ、臆病神ヤ付タリケン、色々イサメ、其上竹タバニテ鐵炮ヲ防ギシ程ニ、スベキテダテナクシテ、終ニ後詰ヲ不待、降人ニナリ玉フ、云ヒ甲斐ナキアリサマナリ、

〔二川隨筆〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 稻富伊賀は、元來細川殿三齋の家來にて、奧方の執權として付置れける處に、慶長五年、石田治部少輔三成が騷動の時、諸大名の人質を大坂城中へ取入んと評定に付、細川殿の奧方を一番に取入んとせし時、奧方は自害し給ひ、付添居たる三人の家老の内、河北石見、小笠原勝齋は腹かき切て死たりしに、此稻富一人は大臆病の人にて、敵もよせざる以前に、主君を捨て落失、大臆病の惡名をとられし也、此稻富伊賀は鐵炮に名を得、天下無雙の達人にて、さげ針に虱をつらぬきても打程の名人なり、家の上に鳥の聲するを聞、家の内より其姿をも見ず是を打に、忽にあたる、又手拭にて眼をつゝみ的を打に、百度打て百度あたる、尤希代の手だれ成しかば、大神君聞召及ばせられ、其後越中守殿へ種々御詫言遊され、召出されて御家人に仰付られにけり、其時上意有けるは、あの者は隱なき大臆病者なれ共、その臆病は藝につり合なるべし、渠が術を天下の人に習せんに其臆病は弟子にうつるべからずとて、尾張大納言義直卿に御付遊されしと也、されば此稻富、細川殿に隨ひ、朝鮮に渡海せしが、此人の打鐵炮一ツも敵にあたらざりし、稟性の臆病は是非に及ばざるもの也、後年入道して一夢齋と云しは此人也、


Last-modified: 2019-05-05 (日) 13:36:37 (508d)