http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 博物ハ、博覽强記ニシテ、古今内外ノ事物ニ通曉スルヲ謂フ、我邦古來博識ノ士ニ乏シカラズ、就中人才ノ輩出シタルハ、德川幕府時代ヲ以テ其最トス、
强記トハ、記性絶倫ニシテ、一タビ見聞スレバ、卽チ口ニ誦シ、心ニ勒シテ、永ク忘レザルヲ謂フナリ、今其著名ナルモノ數例ヲ採テ以テ、此ニ收載セリ、

名稱

〔伊呂波字類抄〕

〈波/疊字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 博學 博覽 博物 博識 博聞

〔下學集〕

〈下/態藝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 博聞(ハクブン)〈博廣也〉 博學(ハクガク)〈同上〉 博覽(ハクラン)

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 博學(ハクガク) 博識(ハクシキ) 博洽(ハクカフ) 博雅(ハクガ) 博覽(ハクラン) 博聞(ハクブン)

博物例

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 故大國主神、坐出雲之御大之御前時、自波穗、乘天之羅摩船而、内剝鵝皮剝、爲衣服、有歸來神、爾雖其名、不答、且雖從之諸神、皆白知、爾多邇且〈○且當具〉久白言、〈自多下四字以音〉此者久延毘古必知之、卽召久延毘古問時、答白、此者神産巢日神之御子、少名毘古那神、〈自毘下三字以音○中略〉所謂久延毘古者、於今者山田之曾富騰者也、此神者、足雖行、盡知天下之事神也、〈○中略〉爾鹽椎神、云我爲汝命、作善議、卽造无間勝間之小船、載其船、以敎曰、我押流其船者、差暫往、將味御路、乃乘其道往者、如魚鱗造之宮室、其綿津見神之宮者也、到其神御門者、傍之井上、有湯津香木、故坐其木上者、其海神之女、見相議者也、〈訓香木加都良〉故隨敎小行、備如其言

〔續日本紀〕

〈三/文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 大寶三年十月甲戌、僧隆觀還俗、本姓金名財、沙門幸甚子也、頗渉藝術、兼知算曆

〔扶桑略記〕

〈六/聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 天平七年四月辛亥日、入唐留學生從八位下下道朝臣眞備獻唐禮一百卅卷、大衍曆經一卷、大衍曆立成十二卷、測影鐵尺一枚、樂書要錄十卷、馬上飮水漆角弓一張、幷種々書跡要物等、不具載、留學之間、歷十九年、凡所傳學、三史、五經、名刑、算術、陰陽、曆道、天文、漏刻、漢音、書道、秘術、雜占、一十三道、夫所受業、渉窮衆藝、由是太唐留惜、不歸朝

〔續日本紀〕

〈三十三/光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 寶龜六年十月壬戌、前右大臣正二位勳二等吉備朝臣眞備薨、〈○中略〉先是大學釋奠、其儀未備、大臣依禮典、器物始修、禮容大可觀、〈○下略〉

〔日本後紀〕

〈二十四/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 弘仁六年六月丙寅、播磨守贈正四位下賀陽朝臣豐年卒、右京人也、該精經史、射策甲科、秉操守義、無屈撓、自知己、不造接、大納言石上朝臣宅嗣、禮待周厚、屈芸亭院、數年之間、博究群書、中朝群彦、皆以爲釋道融、御船王之不若也、

〔江談抄〕

〈二/雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 助敎廣人兼學諸道諸舞工巧
助敎廣人者、是能讀左傳、兼學諸道、習諸舞、長工巧、時人無失歟、但一目亡精、一眼誠明、高材ガ文章博士對策判ニ預天、多科病累處落第、而弘仁皇帝〈○嵯峨〉命被及第之時、高材竊云、一目亡人、何識我策哉、廣人聞之云、以一目汝書、尚不見、何况兩眼其存時乎、以此等例恵之、紀傳明經者、共以可廣學也云々、

〔江談抄〕

〈五/詩事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 廣相七日中見一切經、凡書籍皆横見事
又云、廣相獻策之時、七日之中、見一切經、凡書籍皆横見之、雖此拔萃之性、尚有忘却之事、故何者、先年見唐年號寄韻之書、是廣相之所抄也云々、件書注付年鶲難等、所謂大象者渉大人象之義、隆紀者似死之體、或人問云、大象者後周年號、隆紀者北齊年號、件年號北齊、被周歟、又魏時有正始年號或人云、正字者一止也、詳不出書、又唐高宗時有乾道年號、反音不吉也、仍改之、此事見唐書

〔續古事談〕

〈二/臣節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 村上御時、淸凉殿ニテ法華經ノ御續經アリケルニ、法藏覺慶自他宗ノアラソヒアリ、覺慶申テ云、玄弉三藏、柳ノ花蔓ヲツクリテ、チカヒテ云ク、モシ一分不成佛ノモノアラバ、コノ鬘觀音ノ手ニ、カヽルマジトテナゲ給ニ、觀音ノ手ニカヽレリ、サレバ定性無性不成佛ノ義アルベカラズ、コヽニ法相ノ人云事ナシ、御門在衡ヲメシテ、此事ヲ問給ニ、在衡申テ云ク、岐山魯水猶未能、遊心内敎事僧侶シラズ、イカデカ是非ヲ申ベキ、タヾシ慈恩傳幷ニ玄弉行狀ヲミルニ、是以自身疑一分不成佛云々願也、時ノ人感ゼズト云フコトナシ、〈○下略〉

〔元亨釋書〕

〈十/感進〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 釋淨藏、洛城人、〈○中略〉康保元年十一月二十一日、化雲居寺、壽七十四、藏博物、顯密、悉曇、天文、易筮、醫卜、絃歌、文章、伎藝、莫貫攝、而皆拔萃、

〔古事談〕

〈五/神社佛寺〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 宇治殿〈○藤原賴道〉令立平等院給之時、地形ナド爲示合、令伴土御門右府、〈○源顯房〉給、宇治殿被仰云、大門之便宜非北向者、無佗之便宜、北向有大門之寺侍乎云々、右府被覺悟之由、但匡房卿イマダ無職ニテ、江冠者トテアリケルヲ、後車ニ乗テ被具タリケルヲ、彼コソ如然事ハウルセク覺テ候ヘトテ、召出被問ノ處、匡房申云、有北向大門之寺ハ、天竺ニハ奈羅陀寺、唐土ニハ西明寺、此朝ニハ六波羅密寺云々、宇治殿大令感給云々、〈○又見十訓抄

〔江談抄〕

〈一/雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 大外記師遠諸道兼學事
命云、大外記師遠諸道兼學者歟、今世尤物也、能達者不中古之博士歟、

〔續古事談〕

〈五/諸道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 大外記賴隆眞人ハ、近澄ガ子ナリ、廣澄善澄ガヲイ也、諸道ヲ極メタル才人也、明經、紀傳、笇、陰陽、曆道等文マデマナビタリケリ、常ニ云ケル、醫道明法イマダクチイレズトゾ云ケル、一條院御時、齊信民部卿ニッキテ、明經准得業生ヲノゾミ申ケルニ、齊信卿本道ニユルスヤイナヤ知ムタメニ、善澄ヲ召テ、明經道ニ大成ヲアラハスベキ物、タレカアルトトハレケレバ、善澄申ケル、貞淸ト申モノコソ、師説ヲツタヘテ、フカク經典ニ通達セル物ナレ、末代ノヤムゴトナキ物 也ト、齊信本意タガヒテ、カサネテトハル、賴隆ト云物ハイカニ、善澄ケシキカハリテ、ワキヲカキテ申ケル、賴隆ハ非常ノ物ナリ、タヾ明經一道ノミナラズ、百家九流ヲクヾレル者ナリ、コノ時、齊信卿直問シテ云ク、賴隆モシ將來ニ國器ニアラズバ、齊信不實ノ物ヲ吹嘘スルセメヲカウブルベシト申サレケリ、ツイニ宣旨クダリニケリ、ワカクテ明經ヲステヽ、紀傳ニイラムトテ、式部大輔匡衡朝臣ノガリ行タリケレバ、匡衡云ケル、汝ハ一道ノ長者スベキ相アリ、モシ他道ニイラバ、カナラズシモ長者ニイタルベカラズ、タヾ本道ニアルベシトヲシヘケリ、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1296 承德元年閏正月廿七日、入夜近江前司爲家朝臣被來、暫言談次被申云、去六日、帥大納言於府被薨了、〈年八十二、一日初使上洛云々、〉正二位行大納言兼太宰權帥源朝臣經信者、故民部卿道方卿男、後一條院御時以後、爲殿上人、後冷泉院御時、加右中辨、補藏人頭、初任參議大辨、上皇〈○白河〉御宇、昇中大納言、當時寬治八年六月、兼任太宰權帥、去々年赴任、今年閏正月六目、於鎭西府薨、兼倭漢之學、長詩歌之道、加之管絃之藝、法令之事、能極源底、誠是朝家之重臣也、仍浴不次之恩、大納言兼權帥也、希有之例歟、當時一大納言也、

〔續世繼〕

〈三/内宴〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1296 かつはきみの御すぐせもかしこく、おはしますうへに、少納言通憲といひし人、のちは法師になりたりしが、鳥羽院にも、あさゆふつかふまつり、この御時には、ひとへに世中をとりおこなひて、ふるきあとをもおこし、あたらしきまつりごとをも、すみやかにはからひ、おこなひけるとそきゝ侍る、〈○中略〉かの少納言からの文をもひろくまなびやまと心も、かしこかりけるにや、天文などいふ事をさへならひて、さえある人になん侍りける、よはひさまでふるき人にても、はべらざりしに、今のよにも、いかにめでたくはべらまし、御めのとは、だい〳〵もなきにはあらぬを、このゑのすけなど、かりそめにもあらで四位の少將中將なるに、さま〴〵のくにのつかさなどかけて、あまりに侍りけるにや、はねゐるものはまへのあしなぐ、つのあるものは、かみのは なき事にて侍るを、ましてみちの人ならぬ、天文などのおそれある事にや、よろづめでたく侍しに、おしくも侍るかな、

〔平治物語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 信賴信西不快事
少納言入道信西ト云者アリ、山井三位永賴卿八代後胤、越後守季綱孫鳥羽院御宇進士藏人實兼ガ子也、儒胤ヲウケテ儒業雖傳、諸道兼學シテ諸事ニクラカラズ、九流百家ニ至ル、當世無雙ノ宏才博覽也、

〔古事談〕

〈一/王道后宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 鳥羽法皇登山御幸之時、前唐院寶物御覽之時、諸人不知事有三ケ事、古老僧徒猶不分明云々、而少納言入道乍三事之、一ニハ杖之サキニ圓ナル物ノ綿フク〳〵ト入タルヲ付タル物有、人不知云云、通憲申云、是ハ禪法杖ト申也、修禪定之時、僧ノ所痛アレバ、是ニブ腹胸ナドヲツカヘテ居物也、二ニハ、鞠ノ樣ニ圓ナル物ノチヒサキガ、投レバ聲有モノナリ、又人不之、通憲申云、是禪毱ト申物也、同修禪之時、眠ナドスルニ頂ニ置テネフリ傾ク時ハ落バ鳴也、ソレニオドロカン料ノ物也、今一ハ木ノ十文字ニ差タル物、人不之、通憲申云、是ハ助老ト申物也、老僧ナドノヨリカヽル物也、大略脇足體ノ物候云々、諸人莫感歎云々、

〔續古事談〕

〈二/臣節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 故少納言入道〈○信西〉人ニアヒテ、敦親ハユヽシキハカセカナ、物ヲ問ヘバ不知々々ト云ト被云ケリ、其問タル人、不知ト云ムハ、何ノイミジカランゾト云ケレバ、身ニ才智アルモノハ、不知ト云事ヲ不耻也、實才ナキモノヽ、ヨロヅノ事ヲシリガホニスル也、都テ學問ヲシテハ、皆ノ事ヲシリアキラムル事ト、人ノシレルハ僻事也、大少事ヲワキマフルマデスルヲ、學問ノキハメトハ云ナリ、ソレヲ知ヌレバ、難義ヲ被問テ、不知ト云ヲ耻トセヌ也トゾ云レケル、

〔續世繼〕

〈五/飾大刀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 ふけの入道〈○藤原忠實〉おとヾの御子、〈○中略〉左のおとゞ〈○賴長〉は、御みめもよくおはし、御身のざえもひろき人になんきこえ給し、堀河の大納言〈○師賴〉に、前書とかきこゆるふみうけつた へさせ給へりけり、そのふみは、匡房の中納言よりつたはりて、よみつたへたる人、かたく侍なるを、この殿ぞつたへさせたまへりける、いまは師のつたへもたえたるにこそ侍なれ、かやうにしてさま〴〵ふみどもよませたまひ、僧のよむふみも、因明などいふならの僧どもに、たづねさせたまふとかやきこえき、

〔續古事談〕

〈二/臣節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 四條大納言隆季、或人ニ問云、行幸ノ幸ノ字、コレヲモチヒル何ノ故ゾ、其人エ答へザリケリ、ソバニテ梅小路中納言長方、ソレハ本文アリ、天子行處必有幸トイヘリ、故ニ幸ノ字ヲ用ル也、御幸ニハ行ノ字ヲ用ル、小野宮水心抄ナムト云、古キ日記ニハ、皆御行トカキタル也、タヾシ世ノ末ザマニハ、上皇ノ御ユキミナ勸賞アリ、サレバ幸ノ字ヲ用ルモ、議タガハザル事也、仙院ノ渡御ヲバ御行ト云、帝王ノ御出ヲバ行幸ト云也、御行モトヨリミユキナリ、行幸モ又ミユキトヨムナリ、

〔續古事談〕

〈一/王道后宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 宜秋門院〈○後鳥羽后藤原任子〉ノ御名ノサダメアリケル時、兼光中納言任子ト云御名ヲタテマツラレタリケルヲ、靜賢法印申タ云、白氏ノ遺文ニ、任子行トイフ文アリ、シカモカレハコトアル文也、此御名イカヾアルベカラント申タリケレバ、九條殿〈○藤原兼實〉モチヒサセタマヒテ、アマネク御尋アリケレドモ、サル事アリト申ス人モナカリケルニ、敦綱バカリコソオボエテサル事侍リ、モトモサラルべキコトナリト申シタリケレ、大才ノ人モ、オノヅカラミオヨバヌ事アリ、チカラヲヨバザル事也、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 安元三年五月十二日辛亥、未刻賴業眞人來、余〈○藤原兼實〉召簾前雜事、吐和漢才、詎敢比肩誠是國之大器、道之棟梁也、衆徒火災之間事、具以談語、不記、

〔長興宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 文明十三年四月二日丙午、今日申刻一條禪閤〈前關白太政大臣准后兼良公、御法名覺惠、〉薨御、〈御年八十歲〉天下才人、近代無雙名譽御事也、世以奉惜、公私悲歎、不之、長男前關白、去年冬於土佐國薨給、末子右 大將殿〈冬良卿權大納言〉有御相續、本朝五百年以來、此殿程之才人、不御坐之由、有識人々令沙汰、於禁裏江次第御談義不周備、可御無念、朝家被御力者乎室町殿〈准后〉御悲歎、世上彌無御執心之由被仰云々、御稱號奉後成恩寺殿云々、

〔宣胤卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 文明十三年四月二日丙午、右衞門督來云、禪閤〈○一條兼良〉只今御事切云々、〈酉刻始也〉雖存内驚歎無極、和漢御才學無比類、殊朝廷之儀、向後誰人可指南乎、諸人之所歎也、公家之滅亡、時刻到來也、可悲之、

〔本朝一人一首〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299亂出京到江州水口雨、 藤原兼良
憶得三生石上緣、一菴風雨夜無眼、今朝更下山前路、老樹雲深哭杜鵑
林子曰、兼良者、俗所謂一條太閤是也、〈○中略〉其才兼倭漢、當時無雙、公自謂、吾勝菅丞相者三、彼爲右府吾爲相國、彼其家門微賤、吾累世攝家也、彼知漢事者、李唐以前而已、知我朝事者、延喜以前而已、吾旣知倭漢之古、而加之以李唐以後之事、延喜以後之事、然吾百歲之後、世人尊吾不彼、非遺恨焉、故時人招請兼良、則不菅相影像於牀上、若偶見之、則怒曰、彼何在吾頭上哉、其自許如此、漸老遇應仁之亂、藏書焦土、避亂漂泊濃州江州伊州間、紀行詩歌若干、今載其一首、餘可類推焉、其博識則置而不論、至詩文則不是綱左良、豈與菅相倂論哉、公所著有四書童子訓、神代纂疏、源氏花鳥餘情、歌林良材、樵談治要、梁塵抄、公事根源、桃花蘂葉、關藤河紀行、筆口占、文明一統記、伊勢物語遇見抄、職原位階追加、尺素往來等、其餘猶多、固是衰世大才也唯其文章、有新續古今序、詩者關藤河紀行四五首、及後小松院挽詩、僅傳于世、又有俊成像賛、然則博識者、公之所長、而後世依賴之、文筆者其所短也、鳴呼李善註文選、人皆知其博聞、然有書簏之謗、則人各有長、故余於公博識之、

〔野槌〕

〈下六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 させる事なき事ども、自讃するためしに、余〈○林道春〉が弱冠の比、太相國〈○德川家康〉まだ内大臣にてまし〳〵けるが、二條の御所にて拜謁し奉りし時、兌長老、佶長老、淸原極﨟なども、祗候せら れしが光武は、高祖より幾代へだゝりけると尋仰ける、各おぼえ申されざりければ、汝は覺えたるかと仰事あり、光武は高祖九世の孫也と、後漢の本紀に見え侍ると申す、又返魂香の事は、何れの書にあるぞと、の給ひければ、皆人覺束なきよし也しに、返魂香の事、史漢の本文には見え候はず、白氏文集李夫人の樂府と、東坡詩注とには、武帝のたきて、夫人の魂を來すとしるし侍と申す、又屈原が蘭は、何をか云と仰られしに、朱文公が注には、澤蘭なりと候と申す、太相國、左右をかへりみ給ひて、年わかきものゝ、よくおぼえたりなど、感じ仰られき、慶長乙巳〈○十年〉の年也けり、藤歛夫〈○藤原惺窩〉の、和歌浦菅神庿碑を書て見せられしに、宜斥拒絶之上レ暇、却慫慂之と云句あり、却字いかゞ侍らむ、而字はまさるべきにや、古文におほき中に、ことに左傳にあまた所、此字法あるやうに覺ゆと云ければ、げにもさにこそとて、みづから筆をとりて、却の字を、而の字にあらたむ、さて菅相の諱を道眞と云事、別に又見るやと申されければ、近比、近江甲賀金勝寺の官符は、菅相の親筆なるを見侍しに、菅原朝臣道眞と、位署にたゞしくありといへば、歛夫興に入られ侍りき、

〔羅山先生行狀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 先生之博學、不得言、旣通五經四書之舊註、而覃思于程傳朱義也、朱子集傳也、蔡氏樽也、胡氏傳也、陳氏集説也、朱子章句集註也、新加訓點、且讀易而有羅山手記、讀書而有渾天儀考、讀詩而有六義考、讀春秋而有劈頭論、遍讀三禮而初墨點于周儀二經、乃欲特作倭曲禮、而不果也、有論語解、孟子要語解、大學解、中庸解也、精誦左氏、而公穀之點訓始爲之也、玩索孝經數家、惜孔氏傳之絶失于中華、而作諺解也、熟讀爾雅而朱點之、乃欲別修倭雅、而不全就也、旁通漢唐諸儒之説、而濳心于濂溪、明道、伊川、横渠、康節、考亭之手澤、且宋元明儒之裨道學、翼聖經者莫咨證也、象山姚江等陽儒陰佛之學、亦能覻破之、嘗輯一書、以陽明攅眉之、先漢之史存于世者、繙之、繹之串習三史、而陳壽以下之諸史、亦轉覽之、滴露于朱文公之續春秋合部、往々講之、爲之手抄、而續編前編等皆硏朱焉、涑水之通鑒、朱批者前後凡兩本、而劉氏之外紀、金氏之前編、薜氏之宋元等、且古今之別乘小史、史論史評、 悉讀過焉、老莊之衆家、審其得失、攷其異同、以得其要旨、而管、晏、列、文、關尹、鶚冠、鬼谷子、華、楊、墨、苟卿、申商、韓、呂、潅南、揚子等諸子、皆披矚而區別之、蚤讀蘇黃集、知其語脉、乃閲李、杜、韓、柳、迺誦楚辭、文選、而歷代件件之類集、各家之別集、任有以該觀之、風雅之正、騷賦之變、古文古詩、樂府四六、散文律體、長短之製、大膽放心之分、五七雜言之品、世風之不一樣、家法之無同途、凡文也詩也之錄、則筌式辨法評品格、眼話談、大搜尋之、而得之心、應之手、高歩于文壇、雄揚于詩場、〈○中略〉幕下之士、阿部正之、一日邂逅、語杏庵正意曰、聞今時博物者羅山子、而其次之者足下也、吁難得之才也、正意答曰、羅山則誠然矣、以彼文學于方今之日域、而不展布也、甚可惜焉、吾儕十餘輩、雖之、而豈望一羅山乎、匪以可侔稱之、正之曰、予固不學、無辨知、今聞吿、彌知羅山之不一レ跂及也、足下之直説、不夸不、耀最可感讃也、仄聞元和年中、大明福州人、單鳳翔、適來京師、想先生風采、頗稱可之、寬永甲子丙子、朝鮮專使之不先生之問條者、有素聞其洽才、而且無于當務之多事耶、癸未之聘使、欲交誼而不遂矣、進士朴安期、一見筆語曰、不侫在海東、聞羅山之名久矣、而後詞札往復、推之爲老先生、且逢此方之畫手、圖其肖影、請先生之賛、携歸以爲榮、

〔有德院殿御實紀附錄〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1301 世家の元老を重んぜらるゝみこゝろとり〴〵なりし中にも、信篤とし老て、しば〳〵召を蒙り、時めくありさまをにくめるにや、ある時、近習の人々、御前にて物語しける次でに、一人申けるは、このほどある人、信篤に中の字を書て尋ねしに、しらずと申したり、さらばとて細井次郎大夫知愼に問しに、これは衆字の省畫にして、もろこしにて俗用する字なりと答へたり、知愼の博物、信篤が及ぶ所ならずと、世に申しはやすなりといふを聞せ玉ひ、いやとよ、左にあらず、信篤が學は、よき衣服を商ふ人のごとし、常に錦繡のたぐひのみ見なれたれば、木綿紬のごときものには、目もつかざるべし省文の俗字をしらずとて、笑ふべきにあらずと仰あり、これより近臣等、信篤を誹るものなかりしとなむ、

〔先哲叢談〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 仲邨之欽、字敬甫、小字仲二郎、號愓齋、平安人、〈○中略〉
愓齋凡所學靡通曉、天文、地理、尺度、量衡類、皆能究極之、而尤邃于禮、其處家行己、吉凶及日用之間、一軌於古道、言動不苟、踐履足則、又審音律、其時發明者、雖當世達者服之

〔文會雜記〕

〈一上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 一君修〈○松崎〉ノ云、春臺ハ、博識ナレドモ、古書ニキハメテ精密ナリ、東涯ハ、古書ニハ精密ナラネドモ、博識ハ大ニ春臺ニコヘタリト覺ユ、來翁ハ、博識ナレドモ、後世ノ書ハサノミ精シカラズ、ソレユへ、論語徵ニ古書ヲヒカレタレドモ、後世ノ書ノ説ノ、自分ノ見ト合タルモアマタアレドモヒカレズ、コレ後世ノ書ヲバ、サノミ見ラレヌナリ、只ムツカシクスミニクキ書ヲ、ヨミクダクコトスキニテ、戚南塘ガ書、武備志明律ナド、人ノ中々得ヨマヌモノヲトカレタリ、

〔先哲叢談續編〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 平賀鳩溪
鳩溪、超倫之才、拔群之識、博綜衆藝、愚弄一世之人、出處不顧、行藏不省、徒取山師之名、〈○中略〉其所抱負、不世用、託言於小家珍説、諷刺時事、寓意於話本劇曲、譏訾世態、放誕自恣、不端睨、然無用中必存有用、頗爲衆技百工之徒所蟻慕、六七十年于今、世未曾不一レ其オ識、眞可一奇士矣、

〔古今書畫〕

〈鑒定便覽/四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 小山田與淸
江戸ノ人也、初通稱高田正次郎、後小山田將曹ト改ム、字文儒、頻リニ古學ヲ硏究シテ、大イニ世ニ鳴ル、家ニ數萬卷ノ書ヲ藏シテ、博覽多通ナリ、著書多シ、號ヲ擁書倉ト云、弘化四年三月廿五日歿ス、年六十五、

强記

〔書言字考節用集〕

〈九/言辭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 記憶(キヲク) 强記(モノヲボエ) 記憶(同)

〔伊呂波字類抄〕

〈所/人事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 諳〈ソラムス諳誦〉

〔倭訓栞〕

〈中編十二/曾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 そらんず 諳をよめり、空にするの義、諳記の意也、

〔伊呂波字類抄〕

〈安/疊字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 暗誦 諳誦(アンシユウ)

〔古事記〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 臣安万侶言、〈○中略〉於是天皇詔之、朕聞諸家之所賷、帝紀及本辭、旣違正實、多加虚僞、當今之時、不其失、未幾年、其旨欲滅、斯乃邦家之經緯、王化之鴻基焉、故惟撰錄帝紀、討覆舊辭、削僞定實、欲後葉、時有舍人、姓稗田名阿禮、年是廿八、爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心、卽勅阿禮、令習帝皇日繼及先代舊辭、然運移世異、未其事矣、〈○中略〉以和銅四年九月十八日、詔臣安万侶、撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭、以獻上者、謹隨詔旨、子細採撫、〈○中略〉大抵所記者、自天地開闢之始、以訖于小治田御世、〈○中略〉和銅五年正月二十八日、正五位上勳五等太朝臣安万侶〈謹上、〉

〔三代實錄〕

〈六/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 貞觀四年八月十七日癸丑、是日從五位下守大判事兼行明法博士讀岐朝臣永直卒、永直者右京人也、〈○中略〉性甚聰明、一聽暗誦、

〔續古事談〕

〈二/臣節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 在衡、維時、オナジ時ノ藏人ニテ、藤内記、江式部トテゾアリケル、コノ維時ハ聰敏フシギナリケリ、遷都ヨリ後ノ人ノ家、始ヨリ今ニイタルマデ、ソノ主ノ名、ウリカフ年月、皆コレヲ覺エ、又人ノ忌日ミナシリタリケリ、此藏人ノ時、於御前前栽ノ名ヲ書タリケル、一草ヲヨム人ナカリケリ、

〔九曆〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 天曆二年八月十九日、午時隨身高光參内、予〈○藤原師輔〉依例自近衞御門〈高光童殿上事、有殿上酒肴、〉未、小童自上東門入、先參藤壼、此間天皇御此舍、令伊尹兼通參上殿上、聊調酒食、出殿上、依寂然也、高光依召候御前、隨仰暗誦文選三都賦序、帝〈○村上〉感歎云々、

〔枕草子〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 村上の御時、せんようでんの女御〈○村上女御藤原芳子〉ときこえけるは、小一條の左大臣殿〈○藤原師尹〉の御むすめにおはしましければ、たれかはしりきこえざらん、まだひめぎみにおはしける時、一には御手をならひ給へ、つぎにはきんの御ことを、ちゝおとゞのをしへ聞えさせ給ひけるは、いかで人にひきまさんとおぼせ、さて古今のうた二十卷をみなうかべさせ給はんを、御がくも んにはせさせ給へとなん聞えさせ給ひけると、きこしめしをかせ給ひて、御物いみなりける日、古今をかくしてもてわたらせ給ひて、例ならず御きちやうをひきたてさせたまひければ、女御あやしとおぼしけるに、御さうしをひろげさせたまひて、そのと、し其月なにのおり、その人のよみたるうたはいかにととひきこえさせ給ふにかうなりと心得させ給ふもおかしきものゝ、ひがおぼえもしわすれたるなどもあらば、いみじかるべきことゝ、わりなくおぼしみだれぬべし、そのかたおぼめがしからぬ、人二三人ばかりめしいでゝ、ごいしして、かずををかせ給はんとて、きこえさせ給ひけんほど、いかにめでたくおかしかりけん、御前にさぶらひけん人さへこそうらやましけれ、せめて申させ給ひければさかしうやがてすゑまでなどはあらねど、すべてつゆたがふ事なかりけりいかでなをすこしおぼめかしくひがこと見付てをやまんと、ねたきまでおぼしける十卷にもなりぬ、さらにふようなりけりとて、御さうしにけうさんして、みとのごもりぬるもいとめでたしかし、いと久しうありて、おきさせ給へるに、なをこのことさうなくてやまんいとわろかるべしとて、下の十卷を、あすにもならば、ことをもぞ見給ひあはするとて、こよひさだめんと、おほとなぶらちかくまいりて、夜ふくるまでなんよませ給ひける、されどつゐにまけきこえさせ給はずなりにけり、うへわたらせ給ふてのち、かかることなんと、人々殿に申たてまつりければ、いみじうおぼしさはぎて、御ずきやうなどあまたせさせ給ふて、そなたにむかひてなんねんじくらさせ給ひけるも、すき〴〵しくあはれなることなりなど、かたり出させたまふ、〈○一條后藤原安子〉うヘ〈○一條〉もきこしめゑて、めでさせ給ひ、いかでさおほくよませ給ひけん、我は三まき四まきだにも、えよみはてじとおほせらる、〈○又見大鏡、榮花物語、〉

〔續古事談〕

〈二/臣節〉

宇治ノ左府〈○藤原賴長〉内覽臣ニテオハシケル時、入道大納言光賴卿、職事ニテ、院ヨリ御使ニ參テモノヲ申サレケルニ、アマリニ題目オホクカサナリケレバ、左府オホセラレケリ、事 シゲクナリヌ、目六ヤアリヌベキトテ、御簾ノ内ヨリ硯紙ヲトリ出テ給タリケレバ、紙ヲジヲリテ、スコシモウチアンゼズ、カヽレケルガ、アマリニタヤスカリケルヲ御覽ジテ、召テコレヲミ給ケルニ、カキサママコトニメデタカリケレバ、シキリニ御感アリテ返シ給ツ、光賴座ヲ立テ後、仰ラレケルハ、アハレ職事ヤ、又ヨニカヽルモノイデキナムヤ、ユヽシキ君ノ御タカラカナト仰ラレテ、タヾシ一ノ人ナドノ御前ニテ、御硯給テツカウヤウゾ、イマダナラバザリケルト仰ラレケリ、ソレホドノ キコト也、

〔羅山林先生行狀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1305 惺窩〈○藤原〉謂人曰、林忠〈○羅山〉聰達、稟性最敏、朝不晝、夕不夜、夜課不于明旦、當世豈無捷悟强記之輩乎、然不彼之黽勉奮進、今之見韻書者、雖平聲、而仄韻不分別、彼能使上去入聲之不混合、實是細事也、然其記識之精、可類推焉、

〔嚴有院殿御實紀附錄〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1305 明曆二年十二月、御灸をなされし時、老臣等を御前にめし、種々の饗賜はり、いづれもさるべき物語して、御聽に備へよとありしに、たれも頭かたげて有し時に仰らるゝは、神祖の御代このかた、諸家に用ひし所の旗馬印さま〳〵なりと聞しめしぬ、其品いかゞなりや、豐後には常に好で舊記をよむよしなれば、定ておぼ、えつらん、わづかなりとも聞え上よとのたまへば、豐後守かしこまりて、多くも心得侍らねども、思ひ出し分を聞え上むとて、つぎ〳〵に誰はかく、某はいかになど聞え上しに、遂に數十家に及びければ、公〈○德川家綱〉をはじめ奉り、近臣等みなその强記に感じける、傳役安藤備後守資俊、硯もちいでゝ、一々に書記しける、物語はつる頃、御灸事も終らせられしと也、

〔先哲叢談續編〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1305 三宅道乙
一日、仙洞御所有和漢聯句百韻之學、當時稱鴻宗碩匠者、悉陪其筵、後其詞藻、傳於寰闠、道乙嘗一見之、不復展卷、最後連歌名士、里村道作、會飮時流於家、道乙固雖事其技、與之友善、往在其席、坐客 偶有談及聯句百韻、將請見其詞藻、道作先是、旣貸之於他今不一レ於此、道乙乞紙筆、自書其所諳記、使坐客見一レ之、後比對之、百韻不一字、强識之性、大率若此、

〔耆舊得聞〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1306 日置新六、名ハ新、號花木深處、初僧トナリ、破衲ヲ著シ乞丐ノ者ノ如クニテアリシヲ、義公〈○德川光圀〉如何ニシテ知リタマヒシニヤ、召シテ還俗セシメ仕へ奉ル、極メテ强記博識ノ人、春秋左氏傳ヲ諳記セリ、

〔假名世説〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1306 白石先生〈名は、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01776.gif 字は君美、又在中、白石と號し、勘解由と稱す、〉七歲の時、芝居見にゆきて、はじめより終まで、一々に記憶して歸られたりとなり、此兒あしくなる歟、なみ〳〵ならずと、父のいはれたりとぞ、

〔耆舊得聞〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1306 小池七左衞門友賢、母ハ室鳩巢ノ妹ナリ、四書五經ヲ諳記セシ婦人ナリシトゾ、老牛其家ヲ訪ラバレシニ老牛サマ博學ノ聞エオハスレド、經學ノ事ハ老婆ニ及ビタマフマジト云へバ、老牛中々以テ及ブ事ニアラズトテ、笑ハレシトゾ、〈竹苞先生話〉

〔先哲叢談〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1306 物茂卿〈○中略〉
大岡忠相〈越前守〉曰、聞徂徠博識洽聞無知、余將試問以躓其答、乃招問曰、世有鼠婚之説、何謂也、徂徠答曰、事出於某年某人所著一小説也、乃其書所載鼠類之眷屬名姓、矢口縷縷如注、忠相始服其疆記

〔甲子夜話〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1306 徠門ニハ放達不覊ノ人多シ、行檢ヲ以テ取ルベカラズトイヘドモ、其氣象快活近世ノ腐儒ニハ優ルベシ、筑波山人〈石仲綠〉ハ、家常ニ四壁ノミニテ、儋石ノ貯モナキ時、人ヨリ講經ヲ請テ招ケバ、淨瑠璃本ヲ携行テ、見臺ニ載、サキノ好ミノ經書ナド、諳誦ニテ、講義ノ用ヲ成セシト云、

〔先哲叢談續編〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1306 原雲溪
雲溪性尤强記、常諳誦唐詩一千首、嘗在一貴紳坐、話及唐高信事蹟、背誦明人毛晉所校刻唐三高僧 詩集一卷、貴紳把卷聽之、不一詩

〔先哲叢談後編〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1307 石瀨濱
瀨濱、記性過人、毎年至臘月、必買歷子一册、糊塗之厠中壁上、之厠十二次、而暗記來歲十二月自支干運動時令晝夜短長節氣旺相之事、而後去其糊以爲歷子展卷、在厠間別費寸晷

〔先哲叢談續編〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1307 滕水晶
水晶自少記性絶人、嘗遊于尾府、聞松平君山、〈名秀雲、字子龍、尾府圖書府監事、〉講説老杜飮中八仙歌云、知章乘馬似船、眼花落地水底眠、其解水底眼者、辨説多端、而渉疑似、無復明解、水晶學晉書王祥醉馮肩輿頭不擧歸、其親戚戯之曰、子眼花在井底、身在水中、睡亦不睡耶之語、而質問之、亦諳誦新唐書賀知章傳、以言其沈醉之情狀、君山爲之吐舌、時歲十五、

〔温故堂塙先生傳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1307 十八と云ふ年〈寶曆十三年癸未〉に、一座の衆分となり、名を保木野一といふ、〈○註略〉もとより記臆すぐれしかば、やうやく其名を知る者あるにいたる、はじめ大人雨富が室に入し時、其敎に任せ、三弦をならひけるに、今日習ひ得し物は、一夜の程に忘れて、明日は知らずなりけり、すべて三年の間に、一曲も全くは覺へざるのみか、調子さへ合ざりければ、雨富せんすべなくて、針治の術を旨に習はせけるに、醫書よむ方は人にすぐれて、二度よますれば、其次の度には、一文字もたがへずよむ程なりけれど、術にかゝれば、人よりもはるかに劣れり、こは文よむかたにひかるればなるべし、


Last-modified: 2019-05-05 (日) 13:31:31 (508d)