https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 婬ハ、舊クタハク、又フケルト云ヒ、後ニイロゴノミ、スキナド云ヘリ、色ニ溺ルヽヲ謂フナリ、

名稱

〔新撰字鏡〕

〈女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 婬〈烏林反、過也、遊逸也、戯也、私逸也、宇加禮女、又不介留(○○○)、又太波留(○○○)、〉 姧姦〈同、公安胡于二反、亂也、犯婬也、誰也、比須加和佐、又太波久(○○○)、〉 妷〈而一以悉二反、樂戯也、婬也、躭也、太波志(○○○)、又宇良也牟、〉 婸〈太朗反、戯也、遊也、南方宿名、不介留、又太波志、〉

〔類聚名義抄〕

〈二/女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 婬〈音https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02248.gif タハル アソフ タハレウカレメ タハフル〉

〔伊呂波字類抄〕

〈太/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 婬〈タハレ〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02249.gif 〈已上タハレ〉

〔同〕

〈伊/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 婬奔 婬佚 婬欲

〔同〕

〈志/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 邪婬

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 婬虐(インギヤク)〈耽女色婬虐〉 婬欲(インヨク) 婬亂(インラン) 婬犯(インホン) 婬佚(インイツ)〈韵會、佚過也、〉 婬(トロケル) 姦(同) 婬(ヲボル)色

〔同〕

〈九/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 邪婬(ジヤイン)〈法界次第、於妻妾而行欲事、故名爲邪婬、〉

〔干祿字書〕

〈平聲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02250.gif 〈上婬蕩字、音淫、下妖媱字、音遙、〉

〔倭訓栞〕

〈前編十二/須〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 すきごと(○○○○) 後撰集、伊勢物語、源氏物語にみゆ、好色をいふ、好事の義也、すきもの(○○○○)といふ意同じ、古説に物を過て好むをすきといふ、新撰字鏡に僜をすけりともかたくなともよめり、一説に數奇事の義なるべし、〈○下略〉

〔後撰和歌集〕

〈十四/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 おとこのまできて、すき事をのみしければ、人やいかゞみるらんとて、
よみ人しらず〈○歌略〉

〔源氏物語〕

〈四/夕顏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 かの夕がほのやどりには、〈○中略〉惟光をかこちけれど、いとかけはなれ氣色なくいひなして、なをおなじごとすき(○○)ありきければ、いとゞゆめの心ちして、もしずりやうの子どもの、すき〴〵しきが、頭の君にをぢ聞えて、やがてゐてくだりけるにやとぞ思ひよりける、

〔倭訓栞〕

〈前編二十八/保〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 ほれる(○○○) 心のほれるは怳字の義、楚辭の注に、悦は失意也と見えたり、恍惚も同じ、耄を老にほるゝといひ、色に溺るゝをもほれるといへり、ほるゝも同じ、

婬例

〔日本書紀〕

〈十二/履中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 八十七年〈○仁德〉正月、大鷦鷯天皇〈○仁德〉崩、皇太子〈○履中〉自諒闇出之、未尊位之間、以羽 田矢代宿禰之女黑媛妃、納采旣訖、遣住吉仲皇子而吿吉日、時仲皇子冒太子名、以姧黑媛、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈十三/允恭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 二十四年六月、御膳羮汁凝以作氷、天皇異之卜其所由、卜者曰、有内亂、蓋親親相姧乎、時有人曰、木梨輕太子姧同母妹輕大娘皇女、因以推問焉、辭旣實也、太子是爲儲君罪、則流輕大娘皇女於伊豫

〔日本書紀〕

〈十三/安康〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 四十二年〈○允恭〉正月、天皇〈○允恭〉崩、 十月、瘞禮畢之、是時太子〈○木梨輕〉行暴虚、淫(タハク)于婦女

〔水鏡〕

〈下/稱德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 同〈○神護景雲〉四年三月十五日に、御門由義宮に行幸ありき、道鏡日にそへて御おぼえさかりにて、世中すでにうせなんとせしを、百川うれへなげきしかどもちからもをよばざりしに、道鏡みかどの御心をいよ〳〵ゆかしたてまつらむとて、おもひかけぬ物をたてまつれたりしに、あさましき事いできて、ならの京へかへらせおはしまして、さま〴〵の御くすりどもありしかども、そのしるしさらにみえざりしに、あるあま一人いできたりて、いみじき事ども申て、やすくおこたり給ひなんと申しを、百川いかりて、をひいだしてき、みかどつゐに此事にて、八月四日うせさせ給ひにき、〈○又見古事談一

〔東大寺要錄〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 日本後紀、天長六年八月丁卯、二品酒人内親王薨、廣仁天皇之皇女也、母贈吉野皇后〈○井上内親王〉也、容貌妖麗、柔質窈窕、幼配齋宮、年長而還、俄叙三品、桓武納之掖庭、寵幸方盛、生皇子朝原内親王、爲性倨傲、情操不修、天皇不禁、任其所一レ欲、婬行彌增、不自制

〔今昔物語〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 時平大臣取國經大納言妻語第八
今昔、〈○中略〉此大臣〈○時平〉ハ色メキ給ヘルナム少シ片輪ニ見エ給ヒケル、其ノ時ニ此ノ大臣ノ御伯父ニテ國經ノ大納言ト云フ人有ケリ、其ノ大納言ノ御妻ニ在原 卜云フ人ノ娘有ケリ、大納言ハ年八十ニ及テ、北ノ方ハ僅ニ廿ニ餘ル程ニテ、形チ端正ニシテ色メキタル人ニテナム有ケレバ、老タル人ニ具シタルヲ頗ル心不行ヌ事ニゾ思タリケル、甥ノ大臣色メキタル人ニテ、伯父 ノ大納言ノ北ノ方美麗ナル由ヲ聞給テ、見マ欲キ心御ケレドモ、力不及テ過給ケルニ、〈○中略〉此テ正月ニ成ヌ、前々ハ不然ヌニ、大臣三日ノ間ニ一日參ラムト、大納言ノ許ニ云ヒ遣リ給フレバ、大納言此レヲ聞テヨリ、家ヲ造リ瑩キ、極キ御儲ヲナム營ケルニ、正月ノ三日ニ成テ、大臣可然キ上達部殿上人少々引具シテ、大納言ノ家ニ御ヌ、〈○中略〉而ル間夜モ漸ク深更テ皆人痛ク醉ニタリ、然レバ皆紐解キ袒テ舞ヒ戯ル事无限シ、此クテ旣ニ返リ給ヒナムト爲ルニ、大納言、大臣ニ申シ給ハク、痛ク醉セ給ヒニタメリ、御車ヲ此ニ差シ寄セテ奉レト、大臣宣ハク、糸便无キ事也、何デカ然ル事ハ候ハム、痛ク醉ヒナバ此殿ニ候ヒテ、醉醒テコソハ罷出メナド有ルニ、他ノ上達部達モ極テ吉キ事也トテ、御車ヲ橋隱ノ本ニ只寄セニ寄ヌル程ニ、曳出物ニ極キ馬二疋ヲ引タリ、御送物ニ箏ナド取出タリ、大臣大納言ニ宣フ樣、此ル醉ノ次ニ申ス便无キ事ナレドモ、家禮ノ爲ニ此ク參タルニ、實ニ喜ト思食ナバ、心殊ナラム曳出物ヲ給ヘト、大納言極テ醉タル内ニモ、我レハ伯父ナレドモ、大納言ノ身ナルニ、一ノ大臣ノ來給ツル事ヲ極ク喜ク思ケルニ、此ク宣ヘバ、我ガ身置所无クテ、大臣ノ尻目ニ懸テ簾ノ内ヲ常ニ見遣リ給フヲ煩ハシト思テ、此ル者持タリケリト見セ奉ラムト思テ、醉狂タル心ニ我ハ、此ノ副タル人ヲコソハ極トハ思へ、極キ大臣ニ御マストモ、此許ノ者ヲバ否ヤ不持給ザラム、翁ノ許ニハ此ル者コソ候へ、此レヲ曳出物ニ奉ルト云テ、屛風ヲ押疊ミテ簾ヨリ手ヲ指入レテ、北ノ方ノ袖ヲ取テ引寄セテ、此ニ候フト云ケレバ、大臣實ニ參タル甲斐有テ、今コソ喜ク候ヘト宣テ、大臣寄テ引ヘテ居給ヒヌレバ、大納言ハ立去リヌ、他ノ上達部、殿上人ハ今ハ出給ヒ子、大臣ハ世モ久ク不出給ジキト手搔ケバ、各目ヲ食セテ或ハ出ヌ、或ハ立隱レテ何ナル事カ有ルトテ、見ムトテ有ル人モ有リ、大臣ハ痛ク醉タリ、今ハ然ハ車寄セヨ、術无シト宣テ、車ハ庭ニ引入レタレバ、人多ク寄テ指寄セツ、大納言寄テ車ノ簾持上ケツ、大臣此ノ北ノ方ヲ搔抱テ車ニ打入レテ、次ギテ乘給ヒヌ、其ノ時ニ大納言術无クテ、耶々嫗共我レヲナ 不忘ソトゾ云ケル、大臣ハ車遣出サセテ返リ給ヌ、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 平定文假借本院、侍從語第一
今昔、兵衞ノ佐平ノ定文ト云フ人有ケリ、字ヲバ平中トナム云ケル、品モ不賤ズ、形チ有樣モ美カリケリ、氣ハヒナニトモ物云ヒモ可咲カリケレバ、其ノ比此ノ平中ニ勝レタル者、世ニ无カリケリ、此ル者ナレバ、人ノ妻娘、何ニ況ヤ、宮仕へ人ハ、此平中ニ物不云ヌハ无クゾ有ケル、而ル間其ノ時ニ、本院ノ大臣〈○藤原時平〉ト申ス人御ケリ、其ノ家ニ侍從ノ君ト云若キ女房有ケリ、形チ有樣微妙クテ、心バヘ可咲キ宮仕へ人ニテナム有ケル、平中彼ノ本院ノ大臣ノ御許ニ、常ニ行通ケレバ、此侍從ガ微妙キ有樣ヲ聞テ、年來艶ズ身ニ替テ假借シケルヲ、侍從消息ノ返事ヲダニ不爲ケレバ、平中歎キ侘テ、消息ヲ書テ遣タリケルニ、只見ツト許ノ二文字ヲダニ見セ給ヘト絡返シ、泣々クト云フ許ニ書テ遣タリケル、使ノ返事ヲ持テ返來タリケレバ、平中物ニ當テ出會テ、其ノ返事ヲ急ギ取テ見ケレバ、我ガ消息ニ、見ツト云フ二文字ヲダニ見セ給へ、ト書テ遣タリツル、其ノ見ツト云フ二文字ヲ破テ、薄樣ニ押付返タル也ケリ、平中此レヲ見ルニ、彌ヨ妬ク侘キ事无限シ、〈○中略〉然テ其ノ後ヨリハ、何カデ此人ノ心疎カラム事ヲ聞テ、思ヒ疎ミナバヤト思ヘドモ、露然樣ノ事モ不聞エネバ、艶ズ思ヒ焦レテ過ヌ程ニ、思フ樣、此ノ人此ク微妙ク可咲クトモ、筥ニ爲入ラム物ハ、我等ト同樣ニコソ有ラメ、其レヲ搔凉ナドシテ見テハ、思ヒ被疎ナムト思ヒ得テ、ノ筥洗ヒニ行カムヲ伺、筥ヲ奪取テ見テシガナト思テ、然ル氣无シニテ、局ノ邊ニ伺フ程ニ、年十七八許ノ姿樣體可咲クテ、髮ハ袙長二三寸許不足ヌ、瞿麥重ノ薄物ノ袙濃キ袴、四度解无氣ニ引キ上テ香染ノ薄物ニ筥ヲ裹テ、赤色紙ニ繪書タル扇ヲ差隱シテ、局ヨリ出デ行クヲ、極ク喜ク思エテ、見繼々々行ツヽ人モ不見ヌ所ニテ、走リ寄テ筥ヲ奪ツ、女ノ童泣々ク惜メドモ、情无ク引奪テ走リ去テ、人モ无キ屋ノ内ニ入テ、内差ツレバ、女ノ童ハ外ニ立テ泣立テリ、平中其ノ筥ヲ見レバ、琴漆 ヲ塗タリ、裹筥ノ體ヲ見ルニ、開ケム事モ絲々惜ク思エテ、内ハ不知ズ、先ヅ裹筥ノ體ノ人ノニモ不似ネバ、開テ見疎マム事モ糸惜クテ暫不開デ、守居タレドモ、然リトテ有ラムヤハト思テ、恐々ツ筥ノ蓋ヲ開タレバ、丁子ノ香極ク早ウ聞エ、心モ不得ズ、恠ク思テ、筥ノ内ヲ臨ケバ、薄香ノ色シタル水半許入タリ、亦大指ノ大サ許ナル物ノ黃黑バミタルガ、長二三寸許ニテ三切許打丸ガレテ入タリ、思フニ然ニコソハ有ラメト思テ見ルニ、香ノ艶ズ馥シケレバ、木ノ端ノ有ルヲ取テ、中ヲ突差シテ鼻ニ宛テ聞ケバ、艶ズ馥シキ黑方ノ香ニテ有リ、總ベテ心モ不及ズ、此レハ世ノ人ニハ非ヌ者也ケリト思テ、此レヲ見ルニ付テモ、何カデ此人ニ馴睦ビムト思フ心狂フ樣ニ付ヌ、筥ヲ引寄セテ少引飮ルニ、丁子ノ香ニ染返タリ、亦此/木ニ差テ取上タル物ヲ、崎ヲ少シ嘗ツレバ、苦クシテ甘シ、馥シキ事無限シ、平中心疾キ者ニテ、此レヲ心得ル樣、尿トテ入レタル物ハ、丁子ヲ煮テ、其ノ汁ヲ入レタル也ケリ、今一ツノ物ハ、野老合セ薫ヲ纂ニヒチクリテ、大ナル筆https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01899.gif ニ入レテ、其ヨリ出サセタル也ケリ、此レヲ思フニ、此ハ誰モ爲ル者ハ有ナム、但シ此レヲ凉シテ見ム物ゾト云フ心ハ付テカ仕ハム、然レバ樣々ニ極タリケル者ノ心バセカナ、世ノ人ニハ非ザリケリ、何デカ此ノ人ニ不會デハ止ナムト、思ヒ迷ケル程ニ、平中病付ニケリ、然テ惱ケル程ニ死ニケリ、極テ益无キ事也、男モ女モ何カニ罪深カリケム、然レバ女ニハ、强ニ心ヲ不染マジキ也トゾ、世ノ人謗ケルトナム語リ傳ヘタルトヤ、

〔大鏡〕

〈五/太政大臣兼家〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 對の御方ときこえし御はらのむすめ〈○藤原綏子、中略、〉三條院も、にくからぬものにおぼしめしたりき、〈○中略〉あやしきことは、源宰相賴定のきみかよひ給ふどよに聞えて、さとにいで給ひにきかし、たゞならずおはすとさへ三條院きかせ給ひて、この入道殿〈○道長〉にさる事のあなるは、まことにやあらんとおほせられければ、まかりて見てまゐらんとておはしけれは、れいならずあやしくおぼして、木丁ひきよせ給ひけるを、をしやらせ給へれば、もとはなやかなるか たちにいみじうけさうし給へれば、つねよりもうつくしう見え給ふ、春宮にまいりたりつるに、しかじかおほせられつれば、見たてまつりにまいりつるなり、そらごとにもおはせんに、しかきこしめされ給はんが、いとふびんなればとて、御むねをひきあけさせ給ひて、ちをひねり給へりければ、御かほにさとゝはしりかゝるものか、ともかくもの給はせで、やがてたゝせ給ひぬ、〈○中略〉この御あやまちより源宰相、三條の御時は、殿上もし給はで、地下のかんたちめにておはせしに、この御時にこそは殿上し、けびゐしの別當などになりてうせ給ひにしか、

〔古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 小野宮右府〈○藤原實資〉於女中不堪ノ人也、北對前存井、下女等多稱淸冷水集汲之、相府擇其中少年女寄於閑所已有迎所、宇治殿〈○藤原賴通〉聞之、侍所雜仕女中擇顏色之者水、相誡云、先汲水之後、若有招引者、其後弃水桶歸參云々、果如案、後日右府被宇治殿之次、公事言談之間、宇治殿仰云、彼先日侍所水桶至今者可返給云々、相府迷惑赭面無申止

〔十訓抄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 賢人の大臣、〈○藤原實資〉他事の賢には似ず、女事に忍び給はざりけり、〈○中略〉あるとき、此殿の亭の前を、ことよろしき女の通りける、門より走力出、かきいだき給ひけるに、或人また通りあひて、車よりおりて、あれは賢人の御ふるまひかといひかけたりければ、女事に賢人なしと答て、にげ入給ひにけり、

〔續世繼〕

〈八/臥柴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 との〈○源有仁〉のいろこのみ給など、おほかたうへはのたまはせず、へだてもなくて、ふみどもとりいれて、歌よむ女房に、かへしせさせなどし、うへのめのとのくるまにて、ぞ、女をくりむかへなどしたまひける、殿もこゝかしこにありき給ける、いゑの女房どもゝ、おとこのもとよりえたるふみをも、そのきたのかたに申あはせて、うたの返しなどし給ける、小大進などいふいろこのみの、おとこのもとより、えたる歌とて申あはせける、あまたきこえしかど、わすれておぼえ侍らず、あぜちの中納言〈○藤原公通〉とかいふ人の、おほやうなるも、歌などつかはしけるかへりごと に、小大進、
なつ山のしげみがしたの思ひぐさ露しらざりつこゝうかくとは、などきゝ侍し、くちとく歌などをかしくよみ、て、いづみ式部などいひしものゝやうにぞ侍し、伊豫のごとて侍しも、中院の大將〈○源雅定〉のわかく、おはせしほどに、ものなどのたまひてのちには、やましろとかいふ人に物いふときゝ給ひて、さきにも申侍りつる、みとせもまたでといふ歌よみ給へりしぞかし、かやうにいろこのみたまへるごだち、おほくこそきこえ侍しか、

〔吾妻鏡〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 建曆二年五月七日辛酉、相模次郎朝時主、依女事御氣色、嚴閤又義絶之間、下向駿河國富士郡、彼傾公、去年自京師下向、佐渡守親康女也、爲御臺所官女、而朝時耽好色、雖艶書、依許容、去夜及深更、濳到彼局、誘出之故也云云、

〔太平記〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 執事兄弟奢侈事
夫富貴ニ驕リ、功ニ侈テ、終ヲ不愼ハ、人ノ尋常皆アル事ナレバ、武藏守師直、今度南方ノ軍ニ打勝テ後、彌心奢リ、擧動思フ樣ニ成テ、仁義ヲモ不顧、世ノ嘲哢ヲモ知ヌ事共多カリケリ、〈○中略〉月卿雲客ノ御女ナドハ、世ヲ浮草ゾ寄方無テ、誘引水アラバト打侘ヌル折節ナレバ、セメテハサモ如何セン、、申モ無止事宮腹ナド、其數ヲ不知、此彼ニ隱置奉テ、毎夜通フ方多カリシカバ、執事ノ宮回ニ、手向ヲ受ヌ神モナシト、京童部ナンドガ咲種ナリ、加樣ノ事多カル中ニモ、殊更冥加ノ、程モ如何カト覺テ、ウタテカリシハ、二條前關白殿ノ御妹、深宮ノ中ニ被冊、三千ノ數ニモト思召タリシヲ、師直盜出シ奉テ、始ハ少シ忍タル樣ナリシガ、後ハ早打顯レタル振舞ニテ、憚ル方モ無リケリ、角テ年月ヲ經シカバ、此御腹ニ男子一人出來テ、武藏五郎トゾ申ケル、

〔細川賴之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 九月〈○貞治六年〉ノ初ヨリ、義詮〈○足利〉御病惱ノ事外ニ聞ヘテ、天下ノ名醫ヲ召シテ、樣々治術ヲ盡サセケレドモ、病日々ニ重リテ其驗ナカリケリ、其病ノヲコリヲ尋ルニ、夜晝ヲイハズ、淫 亂ヲノミ事トシテ、美酒ヲ甘ジ、遊宴ヲ專トシ、天下ノ政道ヲバ露バカリモ聞玉ハズ、〈○下略〉

〔應仁記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 亂前御晴之事
應仁丁亥ノ歲、〈○元年〉天下大ニ動亂シ、ソレヨリ永ク五畿七道悉ク亂ル、其起ヲ尋ルニ、尊氏將軍ノ七代目ノ將軍義政公ノ、天下ノ成敗ヲ有道ノ管領ニ不任、只御臺所、或ハ香樹院、或ハ春日局ナド云、理非ヲモ不辨、公事政道ヲモ不知給靑女房、比丘尼達計ヒトシテ、酒宴婬樂ノ紛レニ申沙汰セラレ、〈○中略〉又武衞兩家〈義敏義廉〉ワヅカニ廿年ノ中ニ、改動セラルヽ事兩度也、是皆伊勢守貞親色ヲ好ミ、婬著シ贔負セシ故也、加之大亂ノ起ルベキ瑞相ニヤ、公家武家共ニ大ニ侈リ、都鄙遠境ノ人民迄、花麗ヲ好ミ、諸家大營、萬民ノ弊、言語道斷也、

〔豐内記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 秀賴公衰微之起
大野修理亮〈○治長〉ト云者ハ、秀賴母北方〈○淀君〉ノ乳母ノ子也、其心飽マデ廣クシテ、約ナル禮ヲ知ラズ、私宅ヲ飾リ、奇物ヲ弄ビ、色ヲ好ミ、遊宴ヲ專ラトシテ、傍若無人ノ振舞也、

〔多武峯破裂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 御破裂、禁中御凶事、兼御吿奇瑞之事、
慶長十三年戊申三月之比之事ニヤ、禁中凶事ノ子細在之、其故如何云、御局達、内裏ヲ忍出、公家衆幷當權武士ト、時々密懷之事在之、度重間、此事天下ニ無隱風聞故、則及叡聞之間、七月二日、御糺明有之處ニ、局衆白上在之、
其人數事
廣橋殿息女、水無瀨殿息女、中之院息女、唐橋殿息女、兼安備後殿息女、
以上局衆五人
公家衆
飛鳥井少將殿、松木殿、大炊中將殿、猪熊殿、兼安備後殿、難波殿、花山院少將殿、其外武士衆少々、 右御局衆、公家達振舞之事、
右或時者北野へ出合、或時者淸水へ出合、或時者飛鳥井殿、猪熊殿宿トシテ、細々密懷、前代未聞曲事也、仍所司代へ勅使立、右重過衆死罪可行由有綸言、禁中洛中、以外騒動、萬民口遊、是只事ニアラズ云々、罪過輕重ヲ糺シ、則將軍家康へ訴被申、東國西國遠島へ被流罪畢、

〔幸庵夜話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 八宮樣〈良純、陽光院第八皇子、知恩院門主後落墮、〉不行跡故、甲州〈江〉流させ給ふ、是は遊女町〈江〉毎々御かよひ、遊女も一人も不殘逢給ひ、御氣に入たるものには御傳授候、大切成古筆の歌書等、不殘御とらせ候故、古筆の歌書于今遊女町に有之由に候、毎に御越候而も、御長坐被成事なく、宵に御越、五ツ過に御歸被成候由、此段凡人とは事替り申よし、

〔一話一言〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 三女中刑罰の書付
三女中御刑罰之事略
一正德甲午年正月、〈實正德四年有章院樣宣下之二年〉常憲院樣、文昭院樣御廟へ、御代參として被遣候人數、江島、〈大年寄〉櫻山、〈年寄〉宮地、〈年寄〉吉川、〈表使〉いよ、〈御仲居〉れん、〈次頭〉よせ、〈次頭〉木曾地、〈御使番〉藤枝、〈御使番〉よの、〈三ノ間〉きす、〈三ノ間〉せん、〈茶ノ間〉以上十二人、芝へは江島、上野へは宮地を頭として、二わけにわかりて行く、江島は御廟の御代參を致し、それより直に木挽町山村長太夫芝居見物に參り、兼て御代參女中の事相勤られて以後は、方丈において饗應有之先例にて候處、同日は方丈へもまいらず退れ候故に、役僧ども例格相違に付、不審申會候、
一然る處山村座に、奧女中大勢見物の沙汰相聞へ、其よし芝山内へも通じ候人有之候、
一宮地も上野御代參相仕廻、すぐに山村座へ落合、雙方あはせ十二人壹座にて、役者どもを召呼、酒盛時刻移り、申刻頃御城へ罷歸、〈○中略〉
一二月二日、右十二人之女中御廣敷へ被召出、御留居列座にて、松前伊豆守申渡有之、江島事、白井 平右衞門へ當分御預け、女中之分五十七人へ申渡、〈此女中とばかりこれある、未だ審ならす、〉
正月十二日、上野增上寺參詣之節、木挽町見物所へ立寄下々迄不屆之事どもに付、追放被仰付者也、
右女中分乘物にのせ、雨戸をはづし、敷物無之、平川口より直に下宿、
江島姪御次頭宮地姪御小性ゆか、吉川姪御服の間れよ、外に三四人、右いづれも御いとま、 御用掛 大目付 仙石丹波守
御目付 稻生次郎左衞門
丸尾五郎兵衞
町奉行 坪内能登守
二月七日〈○中略〉
江島へ姦通いたし候に付 生島新五郎
御目付衆江島方へ被參、御吟味之上揚屋、

〔好色一代男〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 一夜の枕物ぐるひ
二日は越年にて、〈○中略〉友とする人に咡きて、まことに今宵は大原の雜魚寢とて、庄屋の内儀、娘、又下女、下人に限らず、老若のわかちもなく、神前の拜殿に、所ならひとて、猥りがはしく打臥して、一夜は何事をも許すとかや、〈○下略〉

戒淫

〔續日本紀〕

〈三/文武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 慶雲三年三月丁巳、詔曰、夫禮者天地經義、人倫鎔範也、道德仁義、因禮乃弘、敎訓正俗、待禮而成、比者諸司容儀、多違禮義、加以男女無別、晝夜相會、〈○中略〉自今以後兩省五府、並遣官人及衞士、嚴加捉搦、隨事科決、若不合與罪者、錄狀上聞、〈○又見類聚三代格十六

〔類聚三代格〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 太政官符 禁斷會集之時男女混雜
右被大納言從三位神王宣偁、奉勅、男女有別、禮典彜倫、品類無差、名敎已闕、如聞黎庶愚闇、不禮儀、所司寬容、曾無誨導、公私會集、男女混淆、敗俗傷風、莫斯甚、宜嚴禁斷勿更然、知而有違、刑故無宥、牓示路頭、普令知見
延曆十六年七月十一日〈○又見類聚國史七十九


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:23