https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 寵ハ、邦語ニメグム、ウツクシムナド云ヘリ、父母ノ其子女ヲ寵愛シ、君主ノ其臣妾ヲ嬖幸スルガ如キヲ謂フナリ、而シテ父母ノ其子女ヲ寵愛スル事ノ如キハ、旣ニ慈篇ニ載セタレバ、宜シク就キテ看ルベシ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈七/宀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 寵寵寵〈双壟反 ウツクシフ アハレフ タノシフ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈知/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 寵辱 寵愛 寵幸

〔下學集〕

〈下/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 寵愛(テウアイ) 寵辱(テウシヨク)

〔書言字考節用集〕

〈九/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641寵(ノルテウニ)〈指南、摘勢用事、曰寵預一レ權、〉 寵遇(テクグウ)〈韵會、寵愛也、恩也、又尊榮也、〉 寵幸(テウカウ) 寵愛(テウアイ)

寵例

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 戊午年十有二月、天皇素聞饒速日命是自天降者、而今果立忠効、則褒而寵之(メグミ玉フ)、 二年二月乙巳、天皇定功行賞、賜道臣命宅地、居于築坂邑、以寵異之、

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 十二年十二月丁酉、議熊襲、〈○中略〉天皇則通市乾鹿文而陽寵(メグミ玉フ)、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈七/成務〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 三年正月己卯、以武内宿禰大臣也、初天皇與武内宿禰同日生之、故有異寵焉、

〔日本書紀〕

〈二十一/用明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 元年五月、穴穗部皇子欲炊屋姫皇后、而自强入於殯宮、寵臣三輪君逆乃喚兵衞、重璅宮門拒而勿入、

〔續日本紀〕

〈二十五/淳仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 天平寶字八年九月壬子、軍士石村村〈○村原脱、據一本補、〉主石楯斬押勝首京師、押勝者、〈○中略〉略勝寶元年、至正三位大納言兼紫微令中衞大將、樞機之政、獨出掌握、由是豪宗右族、皆妬其勢、〈○中略〉二年、〈○天平寶字〉拜大保、優勅加姓中惠美二字、名曰押勝、賜功封三千戸田一百町、特聽鑄錢擧稻及用惠美家印、四年、轉太師、其男正四位上眞光、從四位下訓儒麻呂、朝獦、並爲參議、從五位上小湯麻呂、從五位下薩雄、辛加知、執棹、皆任衞府關國司、其餘顯要之官、莫姻戚、獨擅權威、猜防日甚、時道鏡常侍禁掖、甚被寵愛、押勝患之、懷不自安、乃諷高野天皇、〈○孝謙〉爲都督使、掌兵自衞、〈○下略〉

〔續日本紀〕

〈三十一/光仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 寶龜二年二月己酉、左大臣正一位藤原朝臣永手薨、〈○中略〉寶龜元年、高野天皇不悆時、道鏡因播籍恩私、勢振内外、自廢帝〈○淳仁〉黜、宗室有重望者、多羅非辜、日嗣之位、遂且絶矣、道鏡自以寵愛隆渥、日夜僥倖非望、洎〈○洎原脱、據一本補、〉于宮車晏〈○晏原脱、據一本補、〉駕、定策遂安社稷者、大臣之力居多焉、〈○下略〉

〔類聚國史〕

〈六十六/人〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 天長三年五月丁卯、散位從四位上安倍朝臣男笠卒、〈○中略〉性質素、無才學、歷職内外、不善惡、調鷹之道、冠絶衆倫、桓武天皇寵之、屢侍龍顏

〔文德實錄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 嘉祥三年三月己亥、仁明皇帝崩於淸凉殿、 丙午、左近衞少將從五位上良岑朝臣宗貞出家爲僧、宗貞先皇之寵臣也、先皇崩後哀慕無已、自歸佛理、以求報恩、時人愍焉、

〔大鏡〕

〈三/左大臣師尹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 御むすめ〈○藤原師尹女〉村上の御時の宣耀殿女御、かたちおかしげにうつくしうおはしけり、〈○中略〉御めのしりのすこしさがり給へるが、いとゞろうたくおはするを、御門いとかしこくときめかさせ給ひて、かくおほせられける、
いきてのよしにてののちののちのよもはねをかはせるとりとなりなん、御返し女御、
秋になることのはだにもかはらずばわれもかはせるえだとなりなむ

〔白氏文集〕

〈十二/感傷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 長恨歌
別殷勤重寄詞、詞中有誓兩心知、七月七日長生殿、夜半無人私語時、在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝

〔本朝世記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 康和五年十二月廿日乙丑、正四位下行木工頭兼丹波守高階朝臣爲章卒、爲章者、入道備中守正四位卞爲家第一子、母贈從三位藤原義忠女也、〈○中略〉六年〈○寬治〉十一月八日、於爲加賀守、七年八月廿八日、親父近江守爲家朝臣、坐轢春日神民、除名配流、爲章依長男、可緣坐、然而依臨時之恩坐、四男阿波守爲遠一人、停見任、非常斷人主專之義也、嘉保二年十二月、兼木工頭、爲章者白河法皇寵過〈○過恐遇誤〉之人也、于時因幡守藤原隆時、同爲近臣、世語、寵臣者、稱此二人而已、卒時卅五、

〔源平盛衰記〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 祇園女御事
古人ノ申ケルハ、淸盛ハ忠盛ガ子ニハ非、白川院ノ御子也、其故ハ、彼帝感神院ヲ信ジ御座テ、常ニ御幸ゾ有ケル、或時祇園ノ西大門ノ大路ニ、小家ノ女ノ怪ガ、水汲桶ヲ戴テ、麻ノ狹衣ノツマヲ擧ツヽ、韓(イヅヽ)ニ桶ヲ居置テ、御幸ヲ奉拜、帝御目ニ懸ル御事有ケレバ、還御ノ後、彼女ヲ宮中ニ被召テ、常ニ玉體ニ近ヅキ進セケリ、祇園社ノ選ニ當テ、御所ヲ造テ被居タリ、公卿殿上人、重キ人ニ奉思テ、祇園女御トゾ申ケル、

〔平家物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 妓王事
そのころ、京中に聞えたるしらびやうしのじやうず、ぎ王、ぎ女とて、おとゞひあり、とちといふしらびやうしがむすめなり、しかるにあねのぎわうを、入道相國〈○平淸盛〉てうあいし給ひしうへ、いもとの妓女をも、世の人もてなす事なのめならす、母とちにもよき屋つくつてとらせ、毎月に百石、百くはんを、をくられたりければ、家内ふつきして、たのしひ事なのめならず、〈○中略〉又しらびやうしのじやうず、一人出來たり、加賀の國のものなり、名をばほとけとぞ申ける、年十六とぞきこへ 〈○中略〉あるとき、にし八條殿へぞさんじたる、〈○中略〉入道相國舞にめで給ひて、ほとけにこゝろをうつされけり、ほとけ御前、〈○中略〉はや〳〵いとま給はつて、いださせおはしませと申ければ、入道相國、すべてそのぎかなふまじ、たゞしぎわうがあるによつて、さやうにはゞかるか、そのぎならば、ぎわうをこそ出さめとのたまへば、ほとけ御ぜん、これ又いかでさる御事侍ふべき〈○中略〉とそ申ける、入道そのぎならば、ぎわうとう〳〵まかり出よと、御つかひかさねて、三度までこそ立られけれ、〈○中略〉ぎわういまはかうとて、出けるが、なからんあとのわすれがたみにもとやおもひけん、しやうじになく〳〵、一首のうたをぞかきつけける、
もえいづるもかるゝもおなじ野邊の草いづれか秋にあはではつべき、さて車にのつてしゆくしよへかへり、しやうじの内にたをれふし、たゞなくよりほかの事ぞなき、いもとこれを見て、いかにやいかにととひけれども、ぎわうとかうの返事にもおよばず、ぐしたる女にたづねてこそ、さる事有ともしつてけれ、さるほどにまい月をくられける、百石、百くはんをも、をしとめられて、今はほとけ御ぜんのゆかりのものどもぞ、はじめてたのしみさかへける、

〔承久記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 攝津國長江倉橋ノ兩庄ハ、院中ニ近ク被召仕ケル白拍子、龜菊ニタビタリケルヲ、其領ノ地頭、領家ヲ勿緖シケレバ、龜菊憤リ可改易由被仰下ケレバ、權大夫〈○北條義時〉申ケルハ、地頭職ノ事ハ、上古ハ無リシヲ、故右大將〈○源賴朝〉平家ヲ、追討ノゲンシヤウニ、日本國ノ總地頭ニ被補、平家追討六箇年ガ間、國々ノ地頭人等、或ハ子ヲウタセ、或ハ親ヲ被打、或ハ郎從ヲ損ズ、加樣ノ勳功ニ隨ヒテ、分チタビタラン者ヲ、サセル罪ダニナクシテハ、義時ガ計ヒトシテ、可改易樣ナシトタ、是モ不用、一院〈○後鳥羽〉彌不安思召ケレバ、關東ヲ可亡由定メテ、國々ノ兵共、事ニヨセテ被召ケル、


Last-modified: 2020-06-12 (金) 09:35:15 (104d)