https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 朋友ハ、トモト云ヒ、又トモガキ、トモドチ、知音、得意等トモ稱ス、友ニハ心友アリ、面友アリ、又善惡親疎等ニヨリテ、各、其稱ヲ異ニセリ、而シテ友ニ交ルニ信義ヲ以テス、之ヲ朋友(トモガキ)ノ道ト云フ、其名ハ旣ニ日本書紀神代卷ニ見エタリ、

名稱

〔天文本倭名類聚抄〕

〈二/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 朋友 論語注云、同門曰朋〈歩崩反〉尚書注云、同志曰友、〈云久反、上聲之重、和名止毛太知、〉文場秀句云、知音得意、〈朋友篇事對也、故附出、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/男女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 止毛太知、又見古今集後撰集離別歌小序、仁賢紀同伴者同訓、雄略紀朋友訓止毛、神代紀訓止毛加幾、按止毛、共事之義、伴字、部字、訓止毛、同意、輩訓止毛賀良亦同、太知訓等字一人之義、〈○中略〉知音(○○)見今昔物語、得意(○○)見源氏物語明石卷、及今昔物語、得意知音、見今昔物語卷三、阿闍世王殺父語條

〔類聚名義抄〕

〈二/肉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 朋〈トモ トモカラ〉

〔同〕

〈九/又〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 犮友〈音右 トモタチ トモ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈止/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 朋友〈トモタチ〉 友〈トモ〉 伴 侶〈已上同〉

〔運歩色葉集〕

〈登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 友達(トモタチ) 友(トモ) 朋(同)

〔書言字考節用集〕

〈四/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 朋友(ホウユウ)〈碩友、良友並同、公羊傳同門曰朋、同志曰友、周禮、註、同師曰友、〉 朋(トモ)〈書言大全、道同爲朋、志孚爲友、朋以義合、友以敬久、〉 友(同)〈同上〉 執(同)〈父之朋也、出禮記、〉 共人(トモダチ) 朋友(同) 朋曹(伊)〈宋高僧傳〉

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 七年、是歲、吉備上道臣田狹侍於殿側、盛稱稚媛於朋友(トモ)曰、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈十五/仁賢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 六年、是秋鹿父曰諾、卽知言矣、有同伴者(トモタチ/トモガラ)、不悟其意、〈○下略〉

〔伊勢物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 むかしをとこ、友だちの人をうしなへるがもとにやりける、

〔八雲御抄〕

〈三下/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 友 ともかきと 思どち(○○○)などいふ也

〔古今和歌集〕

〈二/春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 春の歌とてよめる そせい
思ふどち春の山べにうちむれてそこともいはぬたびねしてしが

〔書言字考節用集〕

〈四/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 知音(チ井ン)〈良友也、文選註、謂我者也、鐘子期死伯牙絶絃之故事、見列子、説苑、呂氏春秋、韵瑞、〉

〔今昔物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 阿闍世王殺父王語第二十六
今昔、天竺ニ阿闍世王、提婆達多ト得意知音(○○○○)ニシテ、互ニ云フ事ヲ、皆金口ノ誠言ト云テ信ズ、

〔古今著聞集〕

〈十六/興言利口〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 後嵯峨院の御時、龜山殿御所の比、高倉宰相茂通卿と榮性法眼とは、むかしよりの知音(○○)にて有けるに、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈十三/明石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 よしきよおどろきて、入道はかのくにのとくい(○○○)にて、年比あひかたらひ侍つれど、わたくしにいさゝかあひうらむること侍て、ことなるせうそこをだにかよはさで、ひさしうなり侍ぬるを、〈○下略〉

〔細流抄〕

〈五/明石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 とくいにて 國にての知音なるなり、良淸が父も播磨國守なりし便なり、

〔枕草子〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 少納言が物ゆかしがりて侍るならんと申させ給へば、あなはづかし、かれはふるきとくい(○○○)を、いとにくげなるむすめども持たりともこそ見侍れなどの給ふ御けしぎ、いともたりがほなり、

〔名物六帖〕

〈人品四/賓客朋儔〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 相知(チカツキ/シルヒト)〈列仙傳、將京投相知、〉 知故(チカツキ)〈同上、一日與知故別入華山、〉

〔古今和歌集〕

〈十七/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 題しらず 藤原おきかぜ
たれをかもしる人(○○○)にせん高砂の松も昔の友ならなくに

〔倭訓栞〕

〈中編十五/都〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 つきあひ(○○○○) 俗語なり、人につきおふなどいふは、交るをいへり、附會の義にや、

友道

〔信玄家法〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 一於朋友隔心之族、仁道可嗜事、語曰、終食隙不仁、

〔千代もと草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 朋友 友とまじはるには、すこしも僞あれば、心はなるゝものなり、

〔五常訓〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0399
朋友に交るには、もとより愛敬を用ゆべし、然れども信なければ、愛敬も僞より出て、誠の愛敬に、あらず、顏色をやはらげ、容貌をうや〳〵しくするも、いつはりかざれるは、愛敬とすべからず、

〔伊勢平藏家訓〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0399 五倫の事
一朋友の法は友だちの交りの法なり、友だちとつきあふには、相互に眞實の心を專らとして、たのもしく交るべし、友達の心得違有てわろきあらば、異見を、いひ、難儀なる事をばすくひたすけ、何事も眞實にして僞りなく、だしぬかずたのもしくするを、朋友の信といふなり、
一友だちは相互に遠慮なく、わろきよしをいひて異見をしで、あしき事を改むべし、是相たがひに友だちの慈悲なり、是友だちにつきあふ法なり、
一友だちの中、眞實の心なく、異見いひても却て腹をたち、だのもしからぬ友ならば、次第々々に遠ざかりて、つきあふべからず、これもまた友に交る法なり、

〔花月草紙〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0399 友に交る道は、いかなる事か心得べきといふに、友はその所長を友とすべし、ふるきこと好むには、そのことに友とし、武技このむには、それに友とし、歌によむものには、その道に友とするそよき、さるに歌とてもこのふりはあしかり、かれにまねび給ふは、ひがことなりなどといふにも及ばじ、たゞ交りてこそあるべけれ、古にいふ管鮑の交といへども、このふたりおなじ德、おなじ心よりしにもあらじかし、よの中に同じこゝろの人といふものは、いとまれなる事なるべし、たゞわが好めるかたに引きいれんとするもうるさし、ごのひと、このところは長じぬれど、こゞはいとみじかし、そのみじかきところを、引きのべんとするはいとくるし、さ思ふわれも、またそのみじかきところあるものを、ことに思ふこと、みないさめものせんとするを、かの信と思ふはたがへりけり、交るがうちにも知己のひとは、いとまれなるものなり、それらよくことば を求めなば、もとよりいふべし、されどしば〳〵すべきにはあらずかし、淺き契りの友なりとても、友といふうちならば、そのひとのうへの存亡に、かゝはる計のことならばいふべし、すべてしひてかくせん、かくすくひてんと、まげてもと思ふは、みな中道には背けりといはん、たゞその所長を友とすれば、まじはりがたき人もなく、われに益なき友もあらず、かの友によてわがかたのみだれんとするは、皆その短を友とする故なりと、こたへしものありきとや、

善友惡友

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 良友(リヤウユウ)

〔伊勢物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 むかし、をとこ、いとうるはしき友(○○○○○○)ありけり、

〔拾芥抄〕

〈下本/諸敎誡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 源信僧都四十一箇條起請
重禁制條々〈○中略〉
一與惡友(○○)交〈○中略〉
已上四十一箇條、可眼精矣、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 友とするにわろき(○○○)者七あり、一にはたかくやんごとなき人、二にはわかき人、三には病なく身つよき人、四には酒をこのむ人、五には武くいさめる人、六には虚言する人、七には欲ふかき人、よき友(○○○)三あり、一には物くるゝ友、二にはくすし、三には智惠ある友、

〔早雲寺殿廿一箇條〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 一よき友(○○○)をもとめべきは、手習、學文の友也、惡友(○○)をのぞくべきは、碁、將棊、笛、尺八の友也、是はしらずとも恥にはならず、習てもあしき事にはならず、但いたづらに光陰を送らむよちはと也、人の善惡みな友によるといふこと也、三人行時かならずわが師あり、其善者を撰て、是にしたがふ、其よからざる者をば、是をあらたむべし、

心友面友

〔翁問答〕

〈上本〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 師〈○貝原益軒〉の曰、〈○中略〉朋友はたがひに信をもて相まじはる道とす、信はいつはりなく義理にかなふ德なり、友達のまじはりに、心友面友の差別、情義の親疎、さま〴〵ありといへども、 畢竟はみな信のみちを本とす、たがひのこゝろざしおなじくまじはりしたしむを心友といふ、こゝろざしはちがひぬれども、筋目あるか、或は同郷隣家、あるひは同官同職などにて、さい〳〵相まじはりてしだしきを面友といふ、一目しる人も面友のうちなり、心友面友ともに情義の親疎おなじからず、そのほど〳〵の義理にしたがひて、威義うや〳〵しく、挨拶和厚にして、いつはりなく、もちろん約束などのすこしも違變なきが、信のみちの大がいなり、

絶交

〔先哲叢談〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 米川一貞字幹叔、小字義兵衞、號操軒
操軒壹奉程朱之説、四子小近書易等外、不泛觀他書、舊與伊藤仁齋善、及仁齋唱古義以非斥宋儒、乃修書曰、朱子得聖人之道、吾子持異言之、語養德之學、則爲薄德、語講學之事、則無於學、是謂之聖敎罪人、速改之則止矣、不則雖契分日久、不絶焉、其言切至、而仁齋不聽焉、遂贈絶交書

〔先哲叢談〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 淺見安正〈○中略〉號絅齋
絅齋少佐藤直方二歲、初友義甚親、然嘗面折直方親喪未除出仕、以是遂絶交、默識錄曰、絅齋先生與直方先生、初其交如兄弟、後不相通、然而義亦無言者、乃是氣質之一癖、學問之大疵、甚可惜、直方先生、後來思舊交通問之意、絅齋先生、終執而不肯、

朋友例

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401是天稚彦在於葦原中國也、與味耜高彦根神友善(ウルハシ/○○)、〈味耜此云婀膩須岐〉故味耜高彦根神昇天弔喪、時此神容貌正類天稚彦平生之儀、故天稚彦親屬妻子皆謂、吾君猶在、則攀牽衣帶、且喜且慟、時味耜高彦根神、忿然作色曰、朋友之道(トモガキ /○○○○)、理宜相弔、故不汙穢、遠自起〈○起恐赴誤〉哀、何爲誤我於亡者

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 爰伐新羅之明年、〈○元年、中略、〉更遷小竹宮、〈小竹此云之努〉適是時也、晝喑如夜、已經多日、〈○中略〉巷里有一人曰、小竹祝與天野祝共爲善友(ウルハシキトモ/○○)、小竹祝逢病而死之、天野祝血泣曰、吾也生爲交友(ウルハシキトモ)、何死之無同穴乎、則伏屍側而自死、仍合葬焉、蓋是之乎、乃開墓視之實也、故更改棺櫬各異處以埋之、則日暉炳爃、日夜有別、

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 二十九年二月癸巳、當是時、高麗僧惠慈、聞上宮皇太子薨、〈○中略〉誓願曰、〈○中略〉今太子旣薨之、我雖異國心在斷金、其獨生之有何益矣、我以來年二月五日必死、因以遇上宮太子於淨土、以共化衆生、於是惠慈當于期日而死之、

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 斷金(タンキン)之、契〈二人同心、其利斷金之契見易、〉

〔藤原家傳〕

〈鎌足〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 中大兄〈○天智〉雄略英徹、可與撥一レ亂、而无參謁、儻遇于蹴鞠之庭、中大兄皮鞋隨毬放落、大臣〈○藤原鎌足〉取捧、中大兄敬受之、自玆相善、倶爲魚水(○○)

〔懷風藻〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 河島皇子一首
皇子者淡海帝之第二子也、志懷温裕、局量弘雅、始與大津皇子莫逆之契(○○○○)、及津謀逆、島則吿變、朝廷嘉其忠正、朋友薄其才情、議者未厚薄、然余以爲忘私好而奉公者、忠臣之雅事、背君親而厚交、者悖德之流耳、但未爭友(○○)之益、而陷其塗炭者、余亦疑之、〈○中略〉
正三位式部卿藤原朝臣字合六首〈年卌四○中略〉
七言、在常陸倭判官留在一レ京一首、〈幷序〉
僕與明公、忘言歲久、義存伐木、道叶採葵、待君千獨不上レ悟、然而歲寒後驗松竹之貞風生廼解芝蘭之馥(○○○○)、非鄭子鳶、幾失然明、非齊桓公、何擧寧戚、〈○下略〉

〔書言字考節用集〕

〈八X 言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 莫逆交(バクゲキノマジハリ/○○○)〈指南、朋友深交曰莫逆、又曰忘形友、出莊子、〉

〔續日本紀〕

〈二十六/稱德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 天平神護元年八月庚申朔、從三位和氣王坐謀反誅、是日又下詔曰、粟田道麻呂、大津大浦石川長年等〈爾〉勅〈久〉、朕師大臣禪師〈乃〉宣〈久〉、愚癡〈仁〉在奴〈方〉、思〈和久〉事〈毛〉無〈之天、〉人〈乃○人乃二字原脱、據一本補、〉不當、無禮〈止〉見咎〈牟流乎毛〉不知〈之天、〉惡友(○○)〈爾〉所引率〈流〉物在、是以、此奴等〈毛〉、如是〈久〉逆穢心〈乎〉發〈天〉存〈訃利止方、〉旣明〈爾〉知〈奴、○中略〉汝等〈我〉罪〈方〉免給、〈○下略〉

〔日本後紀〕

〈十二/桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 延曆廿三年四月辛未、中納言從三位和朝臣家麻呂薨、〈○中略〉雖貴職、逢故人者、不 其賤、握手相語、見者感焉、

〔日本後紀〕

〈二十四/嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 弘仁六年六月丙寅、播磨守贈正四位下賀陽朝臣豐年卒、右京人也、該精經史、射策甲科、秉操守義、無屈撓、自知己、不造接

〔元亨釋書〕

〈二/慧解〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 釋勤操、姓秦氏、和州高市郡人、〈○中略〉初操居大安寺、隣房有榮好者、養老母於寺側、一童爲役、〈○中略〉操與好善、常見之、貴好之篤孝、一日童受飯忍泣、聲漏于壁、操怪呼童問曰、奚爲哭、對曰、我有二嘆、一者我師今朝俄亡、生平甚窶、何以供喪、二者師母不賙、分於師飯、師已殂矣、母何所活、思此二事、我涙不禁、操聞憐焉、吿曰、儞莫愁也、我與儞營好之葬、又好母老羸、恐聞好死、迷悶氣絶、儞早送飯、不時候、愼而莫語也、童喜送飯如常、母不知也、操其夜與童、潛葬好于野、不衆知、蓋訝好之母有一レ聞也、〈○下略〉

〔北野緣記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 菅丞相の筑紫へくだり給ひしとき、貞信公〈○藤原忠平〉は本院のおとゞ〈○藤原時平〉の御弟にて、右大辨にておはしけるが、このかみ謀計にもともなはず、菅丞相とひとつにて、消息をかよはして、隔る御心おはしまさず、かく念比に契をむすびて、殊に御一家をまもりはごくみ給ふゆへに、かの御子孫繁昌し給ふとぞ覺侍る、

〔扶桑略記〕

〈二十五/朱雀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 天慶八年九月五日、左大臣藤原朝臣仲平薨、〈七十一〉左大臣平生時、與律師无空芳蘭契(○○○)、律師念佛爲業、衣食常乏、自謂、我貧亡後定煩遺弟、竊以万錢于房内天井之上、欲葬斂也、律師臥病言不錢、忽以卽世、枇杷左大臣夢、无空律師、衣裳垢穢、形容枯稿、來相謂曰、我以伏藏錢貨、不度受蛇身、願以其錢寫法花經、大臣自至舊房得万錢、錢中有一小蛇、見人逃去、大臣忽令寫供養法華經一部畢、他日夢、律師法服鮮明、顏色悦澤、特香爐來、謂大臣曰、吾以相府之恩、得邪道、今詣極樂、語畢西向飛去焉、〈已上慶氏記〉

〔古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 中院右府禪門〈○源雅定〉與左馬權頭顯定朝臣常會合、多年無隔心、禪閤契約云、雖薨後願 並墓、談話無變云々、依之顯定逝去之刻、禪閤墓所〈久我〉傍、堀埋顯定云、仍于今雨夜深更ナドニハ物語シテ被笑之聲、人多聞之云々、

〔備前老人物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0404 一中西彌五作と、古田彌三は、ならびなき友也しが、しづが嶽の戰の時、わたしあひ、彌五作鑓にて彌三をつきふせて、甲を引あげすでに首をとらんとしけるが、よくみれば彌總なり、あやしやとおもひて、おしくつろげて、汝は古田彌總なといひければ、彌總下より、かくいふは中西彌五作と覺へたり、かゝる時に臨て、いはれざる名乘なり、はやく首とれといふ、何條さる事あるべきとて、とつて引起し、鎧の塵うちはらひ、不思義の仕合かなとて、打笑て立わかれしと也、彌五作は、秀吉公の御方、彌總は柴田殿の方にありし也、そのゝち大和中納言殿につかへ、終には古田兵部少輔殿の家老となり、古田總左衞門といひしは、かの彌總が事也、

〔閑際淸談〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0404 伴氏頗寡欲之名アリ、與尾山氏友シ善、尾山氏吝嗇ニ過、或人伴氏ニ問テ曰、吾子與尾山氏趣向不同、何其相善ヤ、伴氏云、尾山ハ才藝皆我ニ愈、惟吝於財、故ニ我十餘年來不使渠爲我費一錢、所以相善ナリ、孔子將行雨フリテ無蓋、門人ノ曰、商也有之、孔子其蓋ヲ不假曰、商ガ爲人也、甚財ヲhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02100.gif 、吾聞與人交ニ、其長者ヲ推、其短者ニ違、故ニ能久也、伴氏ガ言暗ニ此ト合リ、

〔先哲叢談〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0404 三宅重固、〈○中略〉號尚齋
尚齋固守朱説、深疾己者、而與三宅石菴三輪執齋、玉木葦齋、相友者、唯其舊交不絶云、石菴信陸象山、執齋喜王陽明、葦齋奉神道、石菴執齋爲其所論刺、尚且毎稱尚齋、爲温厚長者

〔先哲叢談〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0404 源君美、〈○中略〉號白石
嘗謂鶴樓曰、南郭先生、名譽甚噪、余欲往一見者有年、然一旦被簡任内班、則不私造處士許、彼亦旣爲名家、不引致、以故至今不果、豈不遺恨乎、鶴樓曰、是何難之有、予請爲紹介、明日見之於先生、乃過南郭、語以此言、南郭喜卽與鶴樓共來、白石倒屣迎入、遂定交、

〔先哲叢談〕

〈後編四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 源洞巖
洞巖與新井白石、情交尤密、輸寫款誠、無至、東南隔絶、相互知己於千里外、雁魚往來、殆無虚日、寬政中、仙臺工藤鞏卿就其孫義路、〈字子學彦四郎〉搜索遺筐、於敗紙中白石與洞巖國字書牘七十六通、編輯先後二卷、題曰新佐手簡、雖其書盡不一レ備、得當時事實者頗多矣、今據其書所一レ言則白石與洞巖嘗有一面識、山河索居、特以書信相交數十年、其虚襟契素、亦一奇事矣、

〔雲萍雜志〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 予〈○柳澤淇園〉が江戸にくだるころ、親しく交はる友ありて、雞黍の約を結ばんことをもとむれば、諾して後にその志しを見ばやと、ある時食客五人を養ふに、賄の事薄ければ、一人に黃金五爾をあてゝ、二十五兩貸し給はれと、その人に乞ひければ、いと安きことなりとて、みづから持ちきて貸しけるに、此歲の末の債逼れば、又二十五兩貸せよといふに、先に貸したることをもいはで、こたびももて來り貸しにけり、そのまゝ三とせを過ぎつれども、こがねのことは少しもいはで、前にかはれる心もなく、いよ〳〵親しみ交はりけるに、その人はからず禍ありて、多くのこがね入ることあれども、少しも色に出ださゞりけるが、その妻夫に云ひけるは、五十兩のこがねをかりて、七とせ過ぐるに返さゞるは、欺き奪ふ心ぞといふに、否とよ、彼人予をあざむく心なし、乏しきがゆゑ返さゞるなり、刎頸の交情は、婦女子の知れるところにあらず、ふたゝび此事をいはゞ、夫婦の緣を絶つべしと、いきどほれば、この後妻もいはずなりぬといへるはなしを、ある人來りて、予に吿げければ、予はその無を無として、返さるゝことの能はざるを悔れば、吿げたる人また彼處にいたりて、予がいふことを、その人にかたるに、その人こたへて云ひけるは、人は不實をなしたりとて、その交りを絶するは、知己親友といふにはあらず、欺くも不實も、その折からの是非なきにして、世に始めより詐僞をかまへて、人に交はる輩はなし、そのいつはるとあざむくとを許さゞれば、知己親友とは云ふべからずとて、予が詞にこたへけるよし、そのことをきゝ てよりも、借りたる黃金の緘も解かねば、封じたるまゝを、その人に返して、予はその許を試しぞとて、ます〳〵厚く交はりぬ、

〔先哲叢談〕

〈後編六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0406 南宮大湫
大湫與同門之士紀平洲、情交尤密、平洲旣離郷里、遊于江戸、下帷敎授、屢投書牘、勸大湫東下而仕諸侯、大湫官遊平安、又之美濃岐阜、之伊勢桑名、之松阪、漫遊數年、東西相隔、不啻參商、不相見殆二十餘年、明和中、始來江戸、寓平洲濱街道士井家、二十五日、移往其僑居焉、其訪平洲初、情話無期、悲歡交臻、談舊之外、又無他事、平洲爲之稱疾、謝來客、息講業十餘日、無暮無朝、語言一室、若緖抽繭縷々不盡、其寓塾生私語曰、二先生二十年相思之情、抑鬱之久、至於今日、發爲狂病


Last-modified: 2020-06-12 (金) 09:35:15 (104d)