滑稽ハ、一ニ利口、又ハ興言ト云ヒ、後ニオドケトモ云フ、巧ニ諧謔ノ言ヲ弄シ、或ハ之ヲ動作ニ現ハシテ、以テ能ク人ノ頤ヲ解クヲ謂フ、而シテ利口ノ事ハ、尚ホ言語篇ニ載セタレバ、宜シク參看スベシ、

名稱

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 滑稽(コツケイ)〈利口之義也〉

〔書言字考節用集〕

〈四/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 放茆者(ヲドケモノ) 滑稽者(コツケイモノ/コツヘイ)〈辯捷之人、言非若是、説是若非、能亂同異也、史記則有滑稽傳、〉

〔倭訓栞〕

〈中編八/古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 こつけい〈○中略〉 今俗訛てこつへい(○○○○)といへり

〔倭訓栞〕

〈前編四十五/於〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 おどけ(○○○) 戯をいへり、驚氣の義成べし、源氏におどけたる人こそ、たゞ世のもてなしにしたがひと見えたり、或は放https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02287.gif 者をおどけものとよめり、演義文に耎笑など見えたり、

〔物類稱呼〕

〈五/言語〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 ざれたはふるゝ事を、上方にてほたえる(○○○○)と云、關東にてをどけると云、又でうける(○○○○)といふ、又そばへる(○○○○)といふ、陸奧にてあだける(○○○○)といふ、

滑稽例

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 故以是天照大御神見畏、閉天石屋戸而刺許母理〈此三字以音〉坐也、〈○中略〉天宇受賣命、手次繫天香山之天之日影而、爲天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而、〈訓小竹佐佐〉於天之石屋戸汗氣〈此二字以音〉而、蹈登杼呂許志、〈此五字以音〉爲神懸而、掛出胷乳、裳緖忍垂於番登也、爾高天原動而八百万神共咲、〈○下略〉

〔古語拾遣〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 旣而且降〈○瓊々杵尊降臨〉之間、先驅還白、有一神天八達之衢、其鼻長七咫、背長七尺、口尻明曜、眼如八咫鏡、卽遣從神、往問其名、八十万神皆不相見、於是天鈿女命奉勅而往、乃露其胸乳、押下裳 帶於臍下、而向立咲噱、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 禪林寺上座助泥缺破子語第九
今昔、禪林寺ノ僧正ト申ス人御ケリ、名ヲバ深禪トゾ申ケル、此レハ九條殿ノ御子也、極テ止事无カリケル行人也、其弟子ニ德大寺ノ賢尋僧都ト云フ人有ケリ、其ノ人未ダ若クシテ東寺ノ入寺ニ成テ、拜堂シケルニ、大破子ノ多ク入ケレバ、師ノ僧正破子卅荷許調ヘテ遣ラムト、思給ケルニ、禪林寺ノ上座ニテ助泥ト云フ僧有ケリ、僧正其ノ助泥ヲ召シテ、然々ノ料ニ破子卅荷ナム可入キヲ、人々ニ云テ催ト宣ヒケレバ、助泥十五人ヲ書立テ、各一荷ヲ宛テ令催ム、僧正今十五荷ノ破子ハ誰ニ宛テムト爲ルゾト宣ヒケレバ、助泥カ、申サク、助泥ノ候コソハ破子候ヨ、皆モ可仕ケレドモ、催セト候ヘバ半ヲバ催シテ、今半ヲバ助泥ガ仕ラムズル也ト、僧正此ヲ聞テ糸喜キ事也、然ラバ疾ク調ヘテ奉レト宣ヒツ、助泥然ラバ然許ノ事不爲ヌ貧究ヤハ有ル、穴糸惜ト云テ立テ去ヌ、其ノ日ニ成テ人々ニ催タル十五荷ノ破子皆持來ヌ、助泥ガ破子未ダ不見エズ、僧正怪シク助泥ガ破子ノ遲カナト思ヒ給ケル程ニ、助泥袴ノ抉ヲ上テ扇ヲ開キ仕ヒテ、シタリ顔ニテ出來タリ、僧正此ヲ見給テ、破子ノ主此ニ來ニタリ、極クシタリ顏ニテモ來ルカナト宣ヒケルニ、助泥御所ニ參テ、頸ヲ持立テ候フ、僧正何ゾト問ヒ給ヘバ、助泥其ノ事ニ候フ、破子五ツ否借リ不得候ヌ也トシタリ顏ニ申ス、僧正然テト宣ヘバ、音ヲ少シ短ク成シテ、今五ハ入物ノ不候ヌナリト申ス、僧正然テ今五ツハト問給ヘバ、助泥音ヲ極ク竊ニワナナカシテ、其レハ搔斷テ忘レ候ニケリト申セバ、僧正物ニ狂フ奴カナ、催サマシカバ四五十荷モ出來ナマシ、此奴ハ何ニ思テ此ル事ヲバ闕ツルゾト問ハムトテ、召セト喤シリタマヒケレドモ、跡ヲ暗クシテ逃テ去ニケリ、此ノ助泥ハ物ヲカシク云フモノニテ有ケル、此ニ依テ助泥ガ破子ト云フ事ハ云フ也ケリ、此レ鳴呼ノ事ナリトナン語リ傳ヘタルトヤ、

〔續世繼〕

〈四/字治川瀨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 爲忠は、〈○中略〉あまりふとれりしかばにや、口かわくやまひして、十年ばかりこもりゐながら、四位の正下までのぼりしも、三條烏丸殿つくりたりしたびは、おとここそこもりたれども、をんな〈○爲忠妻待賢門院女房橘氏〉のみやつかへをすれば、加階はゆるしたぶとおほせらるとて、顯賴の中納言は、大原うとくおぼゆとぞ、よろこびいふとて、たはぶれられけり、

〔宇治拾遺物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 これも今はむかし、法輪院大僧正覺猷といふ人おはしけり、その甥に陸奧前司國俊、僧正のもとへ行て、まいりてこそ候へといはせければ、たゞいま見參すべし、そなたにしばしおはせとありければ、まちゐたるに、二ときばかりまで、出あはねば、なまはらだゝしうおぼえて、出なんと思て、ともにぐしたるざうしきをよびければ、出きたるにくつもてこといひければ、もてきたるをはきて、出なんといふに、このざうしきがいふやう、僧正の御房の陸奧殿に申たれば、とうのれとあるぞ、其くるまいてことて、小御門よりいでんとおほせ候つれば、やうぞ候らんとて、うしかひのせたてまつりて候へば、またせ給へと申せ、ときのほどぞあらんずる、やがてかへりこんずとぞとて、はやうたてまつりて出、させ給候つるにては、かうてひと時にはすぎ候ぬらんといへば、わ雜色はふがくのやつかな、御くるまをかくめしのさぶらふはと、我にいひてこそかし申さめ、ふかくなりといへば、うちさしのきたる人にもおはしまさず、やがて御尻切たてまつりて、きと〳〵よく申たるぞとおほせごと候へば、ちからおよばず候はざりつるといひければ、陸奧のぜんじ歸のぼりて、いかにせんと思まはすに、僧正はさだまりたることにて、湯ぶねに藁をこま〴〵ときりて一はた入て、それがうへに筵をしきて、ありきまはりては、さうなくゆどのへ行て、はだかになりて、えさいかさいとりふすまといひて、ゆぶねにさくとのけざまにふすことをぞし給ける、陸奧前司よりてむしろをひきあげて見れば、まことにわらをこま〴〵ときり入たり、それをゆどのゝたれぬのをときおろして、このわらをみなとり入て、よくつゝみて、 のそゆぶねに、ゆ桶をしたにとり入て、それがうへに圍碁盤をうら返してをきて、むしろをひきおほひて、さりげなくて、たれ布につゝみたるわらをば、大門のわきにかくしをきて、まちゐたるほどに、二時あまりありて、僧正小門より歸をとしければ、ちがひて大門へいでゝ、かへりたるくるまよびよせて、車の尻にこのつゝみたるわらをいれて、いゑへはやらかにやりておりて、このわらをうしのあちこちありきこうじたるにくはせよとて、うしかひ童にとらせつ、僧正はれいのことなれば、衣ぬぐほどもなく、れいのゆどのへいりて、えさいかさいとりふすまといひて、ゆぶねへおどりいりて、のけざまにゆくりもなくふしたるに、ごばんのあしのいかりさしあがりたるに、尻ほねをあらふつきて、としたかうなりたる人のしに入て、さしそりてふしたりけるが、そののちをとなかりければ、ちかうつかふ僧よりて見れば、目をかみに見つけて、しにいりてねたり、こはいかにといへど、いらへもせず、よりてかほに水ふきなどして、とばかりありてぞ、いきのしたにおろ〳〵いはれける、このたはふれいとはしたなかりけるにや、

〔會津陣物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 上杉取立香指原新城
前田慶次郎ハ加賀大納言利家ノ從弟ナリ、無隱兵ナレドモ不斷ノ行迹ヲドケ者故、加州ヲ立除浪人タリ、此者ノ事語ルニ言ナク、記スニ筆ニ及バザル事ドモナリ、景勝〈○上杉〉へ奉公ニ出ル時ハ、法體ニテ穀藏院ヒヨツト齋ト名付、著物二幅袖ニシテ長袖ナリト稱ス、白四半ニ大フヘン者ト書タリ、〈○中略〉白四半ニ大フヘン者ト書タルヲ、上杉家中平井出雲守、金子次郎右衞門咎テ、謙信以來武士ノ花ノ本ト、天下ニテ唱フル當家中ニ、押出タル大武邊者トハ、中々指物ニ指マジ、踏折テ捨ント訇リケルヲ、慶次ハ目モアヤニ打笑ヒ、サスガ田舍衆ナリ、文字ノ假名遣ヒ淸濁辨ヘラレズ、我永浪人ニテ貧故ニ、大フベンモノト申事ナリ、ヘンヲバ淸テ讀ミ、フヲ濁リテ讀マル故ニ、皆皆腹ヲ立ラル、我指物ハ大フベン者ト申テ、大ニ笑ケレバ、上杉家中ノ士ドモ、興ヲサマシケルト カヤ、

〔明良洪範〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 大和入道タンハンコト、或時年始ノ御禮ニ、搨子ヲ差上テ御禮申シ上、直ニ拜領ト申シテ持歸リシ事アリ、オドケ者ニテゾ有ツル、サレドモ神君ニハタンハン儀ヲ常々御褒メ遊バサレ、鎗一本ヲ持セバ、矢倉一ツハ氣遣ヒナク持モノナリト仰セラレ候、神君タンハンニ金子ホシキヤト、御座ニテ御意候ラヘバ、イヤ望ミハ御座ナク候ヘドモ、下サレ候ハヾ申シ請ベキ由申シ上候、手前薄ク候故下サレベクト思召、金子百兩綿ニ包ミ、其上ヲ紙ニテ包ミ、老人ノ事ナレバ此金顏ニアタリ候テハ、如何ト思召テノ御コトナリ、サテ是ヲウクルヤ否、請候ハヾ下サレベク候トテ、御小姓衆ニ仰セラレ、ナゲツケラレ候ラヘバ、三度迄取ハヅシ申シ候故、惜キ事ヨトテゾ、彼金子ヲ御トリナサレ、奧へ入ラセ給ヒケル、タンハン追欠御ヒキヤウ〳〵ト申シナガラ、奧ノ口マデ參リ袖ヲヒカへ、雞ノ鳴マネヲ致シ、カチドキヲ上タリケルト申シ傳ヘケル、

〔甲子夜話〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 徠們ニハ放達不覊ノ人多シ、行檢ヲ以テ取ルベカラズトイ丶ドモ、其氣象快活、近世ノ腐儒ニハ優ルベシ、筑波仙人〈石中綠○中略〉又夏納凉シテ市街ヲ歩ス、西瓜ヲ切リテ賣ル者アリ、掛灯ヲ赤紙ニテ張レバ、ソノ光賣人ノ顏ニ移リテ赤シ、頻リニ西瓜ヲ買ベシト勸ム、山人笑テ曰、何ゾ被酒酩酊ナルヤ、賣人怒テ酒ヲ飮シコトナシト云、山人大ニ笑テ、其顏ノ赤サニテ、尚酒ヲ飮ズト陳ズルハ如何ト云、賣人此灯光顏ニ移リテ赤キナリト云、ソノトキ山人益々笑テ、然ラバ其西瓜ノ赤キモ、灯光ノ映ズルナラン、サアルトキハ、其西瓜買ニ足ラズトテ去ル、路人傍聽一哄ス、賣人怒レドモセン方ナシ、其滑稽亦如此、

〔甲子夜話〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 筧越前守ハ〈西丸新番頭〉滑稽人ナリ、一旧友人ト洞座セシトキ、一人畜馬ヲ失ヒテ馬ヲ求ルガ、トカク猫ノヤウナル馬〈ソノ平穩ナルヲ形容セル時俗ノ語也〉アリカネ候ト云フ、越前云フ、幸ニ我方ニ猫ノ如キ馬アリト、一人頻ニ其馬讓リクレラレト懇望ス、越前約スルニ、明朝牽セテ參スベシト云、翌 日馬來ル、其人馬場ニ出テ、猫ノ如キト云シヲ恃ミ、何心モナク乘ルト驅出シ、縱横ニ馳廻リ、小土手ヲ踰へ立木ニ突當リ、殆ド落ントセシヲ、口付ノ者取押ヘテ漸ニ免レヌ、思ノ外ノコトナリシカバ、ソノ馬早々返シケリ、後日ニ越前對話ノ折カラ、其人慍ヲ含テ云ニハ、曩日猫ノ如キ馬ト申サルヽニヨリ、其心得ナリシニ、扨々思モ依ラヌコトナリシト、其次第ヲ述ケレバ、越前云ニハ、則夫故ニ猫ノ樣ナリトハ申ツレ、猫ハ常ニヨクカケ廻リ、柱ヲ攀ヂ塀ヲ踰へ屋根ヘモ登ル者ナリ、其馬ヨク似候ト存候ヒシガ、屋根へ登ラヌガヨカリシトノ答ナレバ、其人大ニアキレテ、笑タルマデナリシトナリ、

〔狂歌現在奇人譚〕

〈三編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 十返舍一九の傳
一九は東都通油町に住して、氏を重田、名を貞一、別號を十返舍とぞよびける、手跡などきよらにして、畫かくこと妙なり、世に聞え高き膝栗毛の作者なり、此人のあらはしつる書、いにしへよりかぞふれば、二百三十餘部におよぶ、されどことごとにをかしく、たはれたる書にて、見る人はらうちかゝへて、ふしまろびわらひてやまず、實に滑稽の長たる人なり、〈○中略〉さて大つごもりになりけれど、さらにものなければ、かけこひなどのきたりて、せたむるをうるさくおもひて、夕よりそこ爰と、あそびさまよひてありきけるが、〈○中略〉このとなりの酒屋のあるじきゝて、さらば先生をまねき給はれといひける、一九は何にかあらんとて行けるに、〈○中略〉一九この夜はよすがら酒のみて、いたくうちゑひて、いざ〳〵かへりなんとて、いとまをつげて立いでしが、かたへのぬりごめのまへに、すゑふろの桶ありけるを見て、この桶かし給へといひければ、あるじきゝていとやすきことなりといらふ、一九これをもていでんとするを、あるじとゞめて、こものにになはせてまゐらすべしといふを、いな〳〵、かばかりのものもてゆかんに、なでうくるしきことやあるとて、かの桶さかしまにして、打かぶりて出行ける、はやあかつきにちかゝりけれど、大つごもり の夜なれば、ゆきゝの人もたえず、一九を見て打わらひ行もあり、心おくしたる人は、桶のばけものならんとて、にげのくもおほかり、ある人これにゆきあたりて、このしれもの、などてわれにあたりしそとしかりければ、一九桶の中より、罪はなんぢにあり、われは桶かぶりてものみえずとつぶやきぬ、一九いたくゑひつる上に、桶打かぶりければ、足はひたすらよろめきつゝ、からうじて家にかへりける、とばかりありて夜はあけけり、元日の朝まだき、風いと寒くてしのぐべからず、一九かの桶にわか水くみいれて、みづから火をたきて、湯わかして、これにいりて身をあたゝめければ、其こゝちよきこといはんかになし、かゝりし所に、日頃むつましく打まじらふ、あふみやといひける質店のあるじ、かみしも衣服などきら〳〵しくいでたちて、初春の禮のべんとていりきぬ、一九よろこび、まづ酒とうでゝこれにのませ、われものみてさていふ、けふは風いと寒し、ゆあみしてゆき給へといふ、こはよかんめりとて、やがてかみしも衣服など、そこにぬぎおぎて、あかはだかになりて、すゑふろにいりけ、り、一九はやれ屛風もてきて、風ろのめぐりをおほひて、その人のぬぎおきつるかみしもきぬうちきて、あふぎこしのものまでたばさみ、そとぬけいでて、そこらわたりの友だちのかたを、年始の禮なりとてありきける、かの人はゆあみしをはりて、見れば、おのれが衣服かみしもともになし、一九も居ざりければ、大いにおどろき、一九がぬぎおきつる、うすき衣ひとえきて、外にいでゝ、爰かしこたづねければ、先生はさきに、年禮にきたられしとこたふる家あり、この人はもとより、一九と心くまなくうちまじらふ人なりければ、たゞをかしがりてわらふばかりなり、一九はそこかしこ年始の禮のべありきて、ゆふべにいたりて、かの質店にいきて、年頭の禮なればとて奧にいりぬ、あるじ一九を見て、たゞあきれにあきれてうちわらひてをり、一九はやがて衣服うちぬぎてかたへにおき、けふは君の御惠によりて、年禮をもつとめたり、猶この上の惠には、酒をたまはりなんといふ、ます〳〵をかしがりて、やがて酒 とうでゝのませければ、いたく打ゑひて、その夜子のときばかりにかへりけり、其とし夏のはじめ、一九又この質店にきたりて、今要用のことあれば、しかじかの錢かし給へ、かはりとすべきもの、時うつさずもてくべしといふにぞ、さらばとてかしあたへぬ、一九うけとりかへりしが、やがて又いりきて、ふくさにつゝみたるものいだして、これは二十兩のこがねにも、猶あまるべきものなれど、外にものなければ、これをあづけまゐらすなりといふ、何やらんとひらき見れば、酒や、まきや、きぬやなどに、ものかりたれば、そをさいそくのかきだしといへるもの、かいいだくばかりにおほかるを、あつめてもてきつるなり、あるじおどろき、こは三十兩にもなほあまるべきものなれど、かしたるにあらず、かりたるにては何かならん、たはぶれもことによるべし、かしまゐらせつる錢とくかへし給へとてせたむる、一九かしらをなでゝ、其錢はかつをと酒とになりて、今はのこりなしといふ、あるじあきれて、しばしものいはでをり、一九もことばなくてありしが、やがて家にかへりて、かつをのつくりみどうでゝ、酒うちのみて居ける、とばかりありて、質屋のあるじいりきて、さても御身がおこなひ、實におもくろし、書をよみ、書をあらはし、酒をたしみて、まづしきをうれへざるは、よく他の人のなしえがたきわざなりかし、もろこしの阮籍、阮咸、劉伯倫などの、たぐひにや、いとうらやむべきことなりとて、しきりに賞して、ともにさけうちのみて、しかして後ち、こしなる扇とりいでゝ、これに歌かくべしといふにぞ、一九とりあへず、借金を質においてもはつがつをもとめてくはん利もくはゞくへ、としたゝめければ、此人をかしがりて、かつそく妙なるをかんじ、いとまをつげてぞかへりける、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:22