https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777 盜賊ハ邦語ニヌスビトヽ云フ、盜人ノ義ナリ、其類甚ダ多ク、强盜、竊盜、山賊、海賊等枚擧スベカラズ、今ハ其中ニ就キテ最モ著明ナルモノヲ擧グ、而シテ此篇ハ法律部盜犯、追捕等ノ各篇ニ關聯スル所多シ、宜シク參看スベシ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈二/乞盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777 偷兒 世説云、園中夜呵云、有偷兒、〈他侯反〉偷兒〈和名奴須比止(○○○○)〉 竊盜〈和名美曾加奴須比止(○○○○○○○)〉 一云、不良人也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/男女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777引假譎篇文、原書園上有潛入主人四字、叫下有呼字、兒下有賊字、世説以下十一字、舊及山田本、尾張本、昌平本、曲直瀨本、下總本皆無、獨廣本有之、今附存、那波本叫作呵、今從伊勢廣本、與原書合、〈○中略〉山田本下總本音在上、和名在下、山田本上作偷字二字、曲直瀨本無上他侯反四字、按依例、若引世説、則楊氏以下八字、當夾行小字、又按説文、窬、穿木戸也、偷、苟且也、義自異、〈○中略〉竊盜見唐賊盜律第三十五條、按類書纂要、竊盜暗偷、説文、竊、盜自中出曰竊、从穴从米、卨廿皆聲、盜私利物也、从㳄、㳄欲皿者、和名二字恐衍、美曾加奴須比止、見枕册子、竊盜以下十一字、舊及山田本、尾張本、昌平本、曲直瀨本、下總本皆無、獨廣本有之、今附存、按伊呂波字類抄載竊盜、訓同、〈○中略〉下總本夾注美曾加奴須比度七字

〔伊呂波字類抄〕

〈奴/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777 偷兒〈ヌスヒト〉 盜人 賊〈已上同〉

〔和漢三才圖會〕

〈十/人倫之用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778 盜人(ぬすひと) 偷兒、和名奴須比止、俗云須里、 竊盜、和名美曾加奴須比止、 强盜(ガンドウ)俗云賀牟止宇、

〔源氏物語〕

〈十五/蓬生〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778 ぬす人(○○○)などいふひたぶる心あるものも、おもひやりのさびしければにや、此宮をば、ふようのものにふみすぎて、よりこざりければ、かくいみじき野らやぶなれども、さすがにしんでんの内ばかりは、ありし御しつらひかはらず、〈○下略〉

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778 大殿小殿とて、きこへたる强盜の棟梁ありけり、大殿は後鳥羽院の御時からめられけり、小殿は高倉判官章久が本へ行ていひけるは、日來年來からめかねて、あなぐりもとめられ候小殿と申强盜こそ、思ふやう有て參て候へ、はやくうけとらせ給へといふ、章久、まことしからず覺ながら、おろ〳〵子細をとへば、〈○中略〉小殿が云やう、年ごろ西國の方にて海賊(○○)をし、東國にては山たち(○○○)をし、京都にては强盜(○○)をし、邊土にてはひきはぎ(○○○○)をして過候つる也、かゝる重罪の身を受候ぬれば、此世にても安き心候はず、夜も安くねず、晝も心打くつろぐ事なし、世のおそろしく、人のつゝましき事、かなしき苦患にて候也、扨も一期事なくて有べき身にても候はず、つゐには定てからめ出されて、はぢをさらし、かなしき目をこそ見候はんずれ、〈○下略〉

〔北條五代記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778 關東の亂波智略の事
此風摩が同類の中四頭あり、山海の兩賊竊(○○○○○○)、强の二盜(○○○○)是なり、山海の兩賊は山川に達し、强盜は、かたき所を押破て入、竊盜はほそる盜人と名付、忍びが上手、此四盜ら、夜討をもて第一とす、〈○下略〉

〔安齋隨筆〕

〈前編六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778 一强盜二盜(○○○○) 此名目古書にあり、强盜は人の目を凌がず、形をあらはして、太刀刀等をもちて、人をおどろかし、あるひは殺害して、財寶をうばひ取しもの也、又道路にて行人の衣裳を剝とるも强盜なり、是を今昔物語等、其外古き物にはヒキハギといふ、山に在るを山賊と云ふ、つれ〴〵草等にヤマタチといふも是也、海に在りて船中にて物を奪ふを海賊といふ、以上 みな强盜也、竊盜はひそかにぬすむと訓じて、人めを凌ぎ、形をかくし、垣壁を切りぬき、ひそかに財寶を奪ひ取るを云ふなり、〈○下略〉

〔倭訓栞〕

〈前編二十一/奴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 ぬすびと 倭名抄に偷兒を訓ぜり、盜人の義、金葉集によめり、せこ盜人牛祭文に見ゆ、今小ぬす人といふが如し、鈔もよめり、東坡詩に、開戸夜無鈔と見えたり、鈔略の義也、周禮注に、鳥鳶喜鈔盜便汗人、 枕草紙に、いみじきぬす人かなと書るは、只人ならずとほめんとて、されていふ辭也、禪語に老賊といへるが如しといへり、今もしかり、人を罵ていふ詞に、大盜人といふは、竹取物語に見えたり、袖にくらぶといふ俗語は、衆妙集に、
一枝の花ぬす人となりにけり袖にくらぶの山の歸るさ、盜人に鑰といふ俗語は、史記に、藉寇兵而齎盜糧者也と見えたり、盜人の脚といふ草は天麻也、仙臺の稱也、

〔物類稱呼〕

〈一/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 盜賊、ぬすひと、 美作邊及東海道にて、じら(○○)といふ〈中國、四國、ともにまれにじらといふ、但ししらなみの略語にや、白波ノ故事ハ後漢書ニ出、〉武藏及上總下總邊にて、せれう(○○○)ともいふ、近衞龍山公、薩摩の方言にて詠給ふ歌に、
ぬすと(○○○)でゝおらぶにはたとたまがりてくわくさつからにせゝくりぞする

〔壒囊抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 盜人(○○)〈ヲ〉白波ト云(○○○○)〈ハ〉何事ゾ、後漢孝靈皇帝、中平元年、張角ト云者、黃天ト名ヲ揚テ、黃ナル巾〈ヲ〉蒙〈ル〉者卅六万人ヲ相隨、謀叛ヲ巧ムニ、皇甫崇ト云者是ヲ破リヌ、其餘黨共西河白波谷ト云所〈ニ〉隱居テ、諸國ヨリ上ル財寶ヲ掠取ケリ、時人是ヲ白波賊ト云、此ヨリ始テ盜人〈ヲ〉白波トハ云也、仍和語〈ニ〉シラナミト云也、凡白波ヲバ海賊ニ用ヒ、綠林ヲバ山賊ニ仕ト云共、山立ヲシラナミト云侍ベリ〈○下略〉

〔燕石雜志〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 白波(○○)、綠林(○○)の故事によりて、盜賊をしらなみと唱へ、みどりのはやしといふは、しかるべし、これを眞名に、白浪と書ときは、その義に稱はず、眞名には白波と書べし、又盜賊を、今俗は、どろぼう(○○○○)といふ、とろはとる也、るとろと通ず、暴は暴戻暴惡の暴なるべし、しかるに世俗は、只其角が五元集に、泥坊や花の蔭にてふまれたり、といふ句を見て、泥坊と書ものあれど、泥坊は、原來假 字なるをしらず、暴も坊もその假名ばう也、ぼうと書はたがへり、亦世俗、小賊(コヌスビト)を晝鳶(ヒルトビ/○○)といふ、唐山に夜鷰といふ怪鳥あり、このものに對すべし、五雜俎云、茘支果將熟、專有飛盜、緣枝接樹、趫㨗如風、園丁防之、若巨寇、然瞬息不覺、千万樹皆被漁獵、名曰夜鷰云々、

〔松屋筆記〕

〈三十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 白波綠林
後漢書劉玄傳に、新市人王匡王鳳爲平理諍訟、遂推爲渠帥、衆數百人、於是諸亡命馬武、王常、成丹等、往從之、共攻離郷藏於綠林中、數月間至七八千人云々、注に、綠林山在今荊州當陽縣東北也云々、同書王常傳に、與王鳳王匡等兵雲杜綠林中、聚衆數萬人云々、强盜を綠林といふは、この故事によれる也、同書靈帝紀に、中平元年、張角反、皇甫崇討之、角餘賊在西河白波谷盜、時俗號白波賊云云、また中平四年云々、黃巾餘賊敦大等、起於西河白波谷、寇太原河東云々、同書獻帝紀に、冬十月云云、白波賊寇河東、注に、薛瑩書曰、黃巾郭泰等、起於西河白波谷、時謂之白波賊云々、同書趙典傳に、典兄子謙云々、轉爲前將軍、遣白波賊、有功封郫侯云々、同書董卓傳に、初靈帝末、黃巾餘黨郭太等、復起西河白波谷、轉寇太原、遂破河東、百姓流轉三輔、號爲白波賊、衆十餘萬云々、同書南匈奴傳に、單于將數千騎白波賊兵寇河内諸郡云々、賊をしら浪といふは、この故事也といふ、古今、伊物の、おきつしら浪たつた山とよめるも、必盜の事をよせつと見ゆ、海道記にも、白波綠林の事あり、さてしら浪といふは、もと逆浪などゝ、叛逆の者をいふより出たる詞にや、たつといへる緣語も、山だちなどによしあり、尚可考、

〔壒囊抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 賊ヲ梁上公ト云(○○○○○○○)何事ゾ、陳仲弓〈ガ〉家ニ入シ盜人ヲ云初ケル也、〈○下略〉

〔松屋筆記〕

〈八十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 屋上盜(ヤネトロバウ/○○○)、飛賊(ヒゾク/○○)、三(サン)バウ、
今より、十年ばかりのむかしにやありけん、日本橋に家根盜とて、人家の屋上を飛行て盜をなすものありき、五雜俎五の卷〈廿一丁オ〉に、萬曆間、金陵有飛賊、出入王侯家、如平地と見ゆ、又をとゝし天 保四年鼠小僧といへる賊小畑侯の第にて捕へらる、諸侯の第に入て盜せる事數十軒也、これら飛賊といふべし、因に云、日本ばしの屋根盜の捕られし年、世に三バウといへる諺あり、そは小田原の觀正聖人大に流行して今弘法と稱す、又關岡安浦が男安躬、隅田川にて杯流しの興を催さんとせし事あり、これを大ベラバウとよぶ、屋上ドロバウを加へて、三バウ也、一笑、

夜盜/晝盜

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 此僧都〈○澄惠〉の坊のとなり也ける家の畠に、そばをうへて侍けるを、夜るぬす人(○○○○○)みな引て取たりけるを、聞てよめる、
ぬす人はながばかまをやきたるらんそばをとりてぞはしりさりぬる、

〔宮島文書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 覺〈○中略〉
一郷中に、ぬす人、夜盜(○○)、どくかい、火付など仕候もの有バ、聞出可申上候、ほうび出べき候事、右如此御指南候上者、此前走候百姓をも召寄、荒所可開者也、
慶長八年十一月七日 大石見守印

〔窻の須佐美〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 關東に住る野武子の子、若氣にて放埓ゆへ追出され、張門名なる鍋屋の奴僕となりて有しが、鴻巢に賣がけありしかば、十二月晦日取に行つゝ、夜に入歸とて、錢二貫文、棒の前後に結つけかつぎて、熊谷の此方久下堤を通りしが、夜半ばかりになりぬ、夜盜出て、酒手をあたへよといひしかば、我はかけ乞にて、主の賣がけ錢二貫文、金五兩持れども、主の物なれば遣しがたし、我ものとては、一錢も持合せず、ゆるし給はれといふ、是非取べし、左なくば殺さんといひければ、然らば先錢を渡し申とて、棒を擲出し、金子は懷中裸に懸たり、手すくみて出し難し、御取候へと答ければ、山伏と見ゆる剛勢の男立寄て懷へ手を入る所を、それが差たる刀を拔とりて、袈裟がけに切倒しければ、殘り三人は遁退けり、則其刀を腰に指て歸り、後忍の家中へ金三兩に賣ける刀は、孫六にてよき刀なりしとぞ、

〔新著聞集〕

〈七/勇烈〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 女、夜盜を擒(いけどる)、
江戸堀江町の米やへ夜盜入り、亭主を切り殺しけるに、妻起出て聲を立しかば、盜人逃出、中戸をくゞる處を、追かけ、足を捕へて引けるに、戸はづれて盜人の上に倒れしかば、頓て壓へながら、大音して生捕たりと呼はりしに、人々あつまりて抳(カラメ)ける、此ものは、王子の與樂寺の住持を殺せし古著(ふるぎ)長左衞門といふ强盜なり、與樂寺は此女の伯父なり、夫と伯父との敵を、女の身として生捕しは、因果のがれがたき道理にて、さも勇なる振まひやと、譽感ぜざるはなかりし、

〔黑田故郷物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 扨程へて、餘人無奉公の次第に、たわけめが、晝盜み(○○○)の仕樣をしらぬぞ、自今以後は心懸、晝盜をせよと、異見仕候へど、おとなしき者に被申聞に付、律義に御奉公仕候へとこそ可申聞候へ、盜を仕候へとは異見難成、不思義成事を被仰出候と、いかにも不審をたて、さからひて申ければ、合點せぬか、晝盜みの仕樣にわけの有事ぞ、先壹人にて分別して見よ、伊藤次郎兵衞めは五七年も召仕、八十三石とらせても、不足に思はぬ者也、〈○下略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02294.gif

〔伊呂波字類抄〕

〈見/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 竊盜〈ミソカヌスビト〉

〔倭訓栞〕

〈中編二十五/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 みそかぬすびと 枕草紙に見ゆ、和名抄に竊盜をよめり、今やじりきり(○○○○○)といふ類なり、

〔和漢三才圖會〕

〈十/人倫之用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 盜人〈○中略〉
竊盜〈和名美曾加奴須比止○中略〉家尻切(ヤジリキリ) 夜穿墻壁、盜資財、者、謂之家尻切

〔續日本紀〕

〈十六/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 天平十七年五月戊辰、是時甲賀宮空而無人、盜賊充片、火亦未滅、仍遣諸司及衞門衞士等官物

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 元興寺といふ琵琶、左右なき名物也、紫檀のこう、ふと絃、ほそ絃あひかなひて、音勢も有て目出度比巴にてぞ侍ける、件の比巴はむかし、彼寺修理の時、用途のために其寺の別當 うりけるを、後朱雀院春宮の御時、買めされにけり、修理をくはへらるべき事ありて、保仲がもとへつかはしける時、何と有けることにか、其使念珠引が妻なりけり、其間に彼使の男これを見て、甲のしりのかた三寸計をぬすみてきりてけり、あさましなどもいふばかりなし、さてあらぬ木にてつがれにけり、いく程の所得せんとて、かくばかりの重寶をかたはになしけん、盜人の心いづれとはいひながら、うたてく口をしかりけるものかな、
或所に偷盜入たりけり、あるじおきあひて、歸らん所を打とゞめんとて、其道を待まうけて、障子の破よりのぞきをりけるに、盗人物共少々取て袋に入て、こと〴〵くも取ず、少々を取て歸らんとするが、さけ棚の上に鉢に灰を入て置たりけるを、この盜人何とか思ひたりけん、つかみ食て後袋に取入たる物をば、本のごとくに置て歸りけり、待まうけたる事なれば、ふせてからめてけり、此盜人のふるまひ心得がたくて、其子細を尋ければ、ぬす人いふやう、我本より盜の心なし、此一兩日食物絶て、術なくひだるく候まゝに、はじめてかゝるこゝろ付て參侍りつる也、然るに御棚に麥の粉やらんとおぼしき物の手にさはり候つるを、物のほしく候まゝに、つかみくいて候つるが、はじめはあまりうへたる口にて、何の物共思ひわかれず、あまたゝびになりて、はじめて灰にて候けるとしられて、其後はたべずなりぬ、食物ならぬものをたべては候へども、是を腹にくい入て候へば、物のほしさがやみて候也、是を思ふに、このうへにたべずしてこそ、かゝるあらぬさまの心も付て候へば、灰をたべてもやすくなをり候けりと思ひ候へば、取所の物をも本のごとくに置て候也といふ、哀れにもふしぎにも覺へて、かたのごとくのざうせちなどとらせて、返しやりにけり、後々にもさほどにせん、つきん時は不憚來ていへとて、つねにとぶらひけり、ぬす人も此心あはれ也、家のあるじのあはれみまた優なり、
澄惠僧都いまだ童にて侍ける時、かいしやくしける僧、かみけづらんとて、手箱をこひけるに、其 手箱うせにけり、いかに求むれども見へずはや盜人のとりてけるなり、其時この兒とりもあへずよみ侍ける、
しらなみのたちくるまゝに玉くしげふたみの浦のみえずなりぬる
花山院の粟田口殿の山のわらびを、あまりに人のぬすみければ、山もり緣淨法師よみ侍ける、
山守のひましなければかきわらびぬす人にこそいまはまかすれ

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0784 應永廿三年十二月十六日、偸盜忍入、軒格子切破、番衆見付之間、盜人逃了、是亞相爲取出云々、依之彌嚴密被守護、向後有此之儀者、可殺害申之由被下知云々、
永享七年正月廿六日、抑春日小袖紅梅咋日夜紛失、今朝見付、雖尋求更無之、盜人取之條勿論也、不思議之處、今夜一獻之まぐれニ件小袖出來、姫宮御方之面道ニ棄置、南御方見付、御所中騷動、不思議言語道斷事也、宮中之人盜犯勿論也、女之所行歟、局之前ニ棄置之條、殊不可説、説閑可糺明事也、

〔北條五代記〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0784 嫠(やもめ)男とやもめ女うつたへの事
聞しはむかし、北條氏直時代、小田原にをいて、毎月二度づゝ奉行衆關八州の掟を沙汰せらるゝ寄合人々、伊勢備中守、大和兵部少輔、小笠原播磨守、松田尾張守、同肥後守、山角上野守、同紀伊守、塀賀(はか)伯耆守、安藤豐前守、板部岡江雪入道等也、されば或日奉行衆寄合あり、かやうのさたをば聞をく事なりと、われ其場へ行かたはらに有て聞しに、樣々のさたども有て後、上州吉村といふ里の百姓一人、かうべを棒にて打わられ、血ながれたる體たらくにて出る、あてひは女なり、男申けるは、それがしもやもめ、此女もやもめ、おなじ里近所に罷有候が、此比女の家へよる〳〵通ひ候所に、女又別の男と近付、われをばきらひ、盜人よと高くよばわり候ゆへ、あたりの者にはぢにげ候所に、村の者共出合追かけ、ぼうにてかうべを打わり候、われまつたく盜人にあらず、彼無實申かけたるいたづら女を、罪科におほせ付られ下さるべしといふ、女いはく、男と出あひ候事一度も 候はず、夜中にわが家の戸をやぶり入候故、盜人よとよばわりたると返答す、いづれ理非わきまへがたし、盜人の男もふてきにして、少もおどろかず、色ことならず、耳目たゞしく有て、言葉のとどこほりなし、雙方まことしく申ければ、奉行衆も理非を付がたくおぼしめす體にて、しばし是非の御さたなし、予が近所に老人有しがいはく、さいぜんをはりたる沙汰共は、出入樣々の子細有て、我々淺知にはさらに分明に及ばざりしが、凡慮にをよばぬ當意則妙の金言、めづらしき御沙汰共耳目をおどろかし感じたり、日本國はさてをきぬ、異國にをいてさばきあまれる沙汰なり共、此奉行衆の成敗にもるゝ事有べからずとおもひつるに、此男女の沙汰はさせる子細もなし、あまし給へる體たらく、ふしんなりとつぶやきけり、然に奉行の中に、江雪入道〈氏直の右筆、宏オ利口の者也、〉申けるは、やもめ男やもめ女の出あひめづらしき沙汰なり、それ貞永元年に記し置れたる御成敗式目に、他人妻を密懷する罪科の事、所領を半分めされ、出仕をやめらるべし、所帶なくんば遠流に處せらるべし、女も同罪と云々、次に道路の辻にをいて女を捕事、御家人にをいては、百ケ日出仕をやむべし、郎從以下に至ては、右大將家の御時の例にまかせ、片かたのびんはつを剃除すべしと云々、扨又正應三年め比、鎌倉にをいて法度をしるしたる文に、名主百姓等、他人の妻に密懷する事、訴人出來らば兩方を召決し、證據を尋ねあきらむべし、名主の過科三十貫文、百姓の過科五貫文、女の過科同前と云々ていれば、御當代には、他人の妻に密懷する者死罪にをこなはる、されば孀男やもめ女出あひの沙汰は、右大將家以後、代々公方の、法式にも記さず、昔もろこしに展季と云者は、りうかけいがあざ名なり、此人やもめ男にて貪なり、となりにやもめ女有けるが、家を風雨に破られて、やもめ男に宿をかるに、すでにかしたり、時しも冬なりければ、女さむけなりとて、家を破りて燒火にしあたゝめ、夜るは衣をおほひてふところにいねさすれ共、懷嫁すべき心なし、扨又がんしゆくしと云男やもめあり、又孀女宿をかれども、戸を閉ていれざりければ、 女が云、柳下惠がごとくに、宿をかさゞるやとなげく、顏叔子が云、其人は誠にかたくして、宿をかしけれ共をかす事なし、われはかんにん成べからずとて、つゐにかさず、むかしはかゝる律義者正直人も有けり、今の世は男女共に婬亂ふかふして、此道にまよへり、孀おとこ嫠女近所に有事なれば、男の申分さもやあらん、され共證據なし、それを訟を聞者、其人を見るに、五聽と云て、五ツの品を周禮にのせられたり、一に云詞聽、二に云色聽、三に云氣聽、四に云耳聽、五に云目聽と云々、かれらが諍論にをいては、詞色氣耳目にても察しがたし、扨又女申分にも證跡なし、雙方いづれ證據を出すべしといへり、女云、我三年以前男とはなれ、其年より何共しらざる腫物出來たり、ひそかに醬師に尋ねければ、是は開茸と名付、女の身に有病也と聞、是はいかなる因果にやとあさましく思ひて、養生をいたすといへ共、今に平愈せず、是ゆへ男の道はおもひもよらずといふ、男の云、尤女の身に生物有といへ共、寢臥をば心やすくいたすといふ、女のいはく、身に出來物の事わざと虚言申たりと、大きに笑ふ、其時男色を變じ無言す、故に男は繩にかゝり、女は私宅に返されたり、盜人もよくはちんじけれ共、女の智惠には及びがたし、開茸のはかりごと案の外なりとかたれば、かたへなる人聞て、男女の問答まつたくわたくしの言葉にあらず、是天のいはする所なり、かくのごときの災難に、天のめぐみもなく、その理むなしくは、神明め本懷もいたづらに佛法の正理も有べからず、天の罪のがれがたしといへり、

〔上杉編年文書〕

〈三十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0786 掟〈○中略〉
一作毛盜取者於之者、五本三本ならば課役二百文、三百文、五把六把ならば五百文、右之課役は作主に無之候共、盜取を見付候者可取候、一荷共かづき取においては、御成敗可成置事、〈○中略〉
以上右條々觸下、肝煎百姓等に堅爲申聞、一在所へ 一ツ宛書寫し可相渡者也、 慶長九年閏八月二日 山城守〈○直江兼續〉

〔春日記錄〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0787 慶長十年六月廿四日、兩堂住注進云、昨夜御廊ノ軒釣灯呂二基盜取云々、鏁ヲスリ切タルト云々、大久保石州寄進ノ灯呂也、祈禱師神人ハ南郷喜右衞門也、則下臈へ可注進由申付了、 廿六日、從折紙到來、灯呂之儀、付火ヲ參ス番ノ神人成敗了、
〈北郷〉内藏 〈同〉四郎左衞門 〈南郷〉修理
右兩三人、依曲事之子細成敗候、如先規其意、可御下知之旨、下臈分集會評定候也、恐々謹言、
六月廿六日 下臈分衆等
兩總官御中
晦日、成敗神人免除之折紙付了、
〈北郷〉四郎左衞門 〈同〉内藏 〈南郷〉修理
曲事子細成敗、達而懇望之間、令免除候、被御意、可御下知旨、下﨟分集會評定候也、恐々謹言、
六月晦日 下臈分衆等
兩總官御中

〔奧州波奈志〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0787 猫にとられし盜人
奧の正ほう寺燒失のこと有しのち、諸國の末寺へ納物の事沙汰有しに、江戸なる德安寺は、末寺につきて、半鐘とそうばんをわりつけられしに、其品出來せしかば、和尚持參しで奧へ旅立とて、曉天に立て、千手に小休して有し時、希代の珍事出來せしとて、寺より飛きやく追付たりその故は和尚立後人少なるをみ込て、盜人の内をうかゞふとて、せうじの紙を舌にてぬらし、穴を明ん とせしを、かね〴〵和尚のひぞうせし猫の其所にふしゐたりしが、舌の先へとび付て、かたくくはへてはなさず、盜人は思ひよらぬこと故もだへくるしみ、せうじこしに猫をつよくひきしかば、いよ〳〵猫も强く食たりしほどに、人々音を聞つけてみしに、猫もころされしが、盜人も死たりきと吿たりける、和尚つぶさにことのよしを聞て、猫を哀とかんじ、又々もとの寺に歸りて、猫とぬす人のあとをとぶらひ、しるしの石をたてゝ、のち奧には下りしとぞ、

馬盜人/牛盜人

〔古事記〕

〈中/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0788 又昔有新羅國主之子、名謂天之日矛、是人參渡來也、所以參渡來者、新羅國有一沼、名謂阿具奴摩、〈自阿下四字以音〉此沼之邊一賤女晝寢、於是日耀如虹指其陰上、亦有一賤夫其狀、恒伺其女人之行、故是女人、自其晝寢時姙身生赤玉、爾其所伺賤夫乞取其玉、恒裹著腰、此人營田於山谷之間、故耕人等之飮食負一牛、而入山谷之中、遇逢其國主之子天之日矛、爾問其人曰、何汝飮食負牛入山谷、汝必殺食是牛、卽捕其人、將獄囚、其人答曰、吾非牛、唯送田人之食耳、然猶不赦、爾解其腰之玉、幣其國主之子、故赦其賤夫、將來其玉於床邊、卽化美麗孃子、仍婚爲嫡妻、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈三十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0788 抑今此賎夫を咎めて、獄に入れむとせしは、他人の牛を盜來て殺さむとするものと思へるなるべし、盜と云ことは見えざれども、入山谷をあやしみたるは、盜來つるものと思へりと聞ゆるなり、然るに盜めることをば云ざるは、盜むよりも、殺す方の罪の重き故なるべし、賊盜律に、凡盜官私馬牛而殺者徒二年半〈馬牛軍國所用、故與餘畜同、〉と見えて、漢國の律も同じ、是も盗と殺とを合せたれども、殺〈ス〉方の罪を重しとせるなり、何〈レ〉の國にても、故なく牛を殺すをば、上代より罪とぞしたりけむ、〈故律にも然定められたるなり〉

〔今昔物語〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0788 石山好尊聖人誦法花經難語第二十
今昔、石山ニ好尊聖人ト云フ僧有ケリ、若ヨリ法花經ヲ受ケ習テ日夜ニ讀誦ス、亦眞言モ吉ク習テ行法ヲ不斷ズ、而ル間事ノ緣有ルニ依テ、丹波ノ國ニ下向シテ、其ノ國ニ有ル間ニ、身ニ病付テ 行歩スル事不能ズ、然レバ其ノ國ノ人ノ馬ヲ借テ其レニ乘テ、石山ニ返ルニ、祇園ノ邊ニ宿ル、其ノ時ニ其ノ邊ニ男出來テ、此ノ乘馬ヲ見テ云ク、此ノ馬ハ先年ニ我ガ被盜タリシ馬也、其ノ後東西南北ニ尋ヌト云ヘドモ于今不尋得ズ、而ニ今日此ニシテ此ヲ見付タリト云テ、馬ヲバ取ツ、好尊ヲバ此レ馬盜人(○○○)ノ法師也ト云テ、捕ヘテ縛テ、打責テ柱ニ縛リ付テ其ノ夜置タリ、好尊事ノ有樣ヲ具ニ陳ブト云ヘドモ、男更ニ不聞入ズ、爰ニ持經者横樣ノ難ニ更ニ會テ、我ガ果報ヲ觀ジテ、涙ヲ流シテ泣キ悲テ歎ク事无限シ、〈○中略〉其ノ後明ル日ノ朝ニ、京ノ方ヨリ多ノ人馬盜人ヲ追ヒ求メテ來ル、其ノ時ニ此ノ男盜人ヲ捕ヘムガ爲ニ家ヨリ出タルニ、盜人ヲ射ムト爲ル間ニ、錯テ此ノ男コヲ射ツレバ卽チ死ヌ、其ノ時ニ諸ノ人、此ノ男被射殺タルヲ見テ云ク、此ノ男无道ニテ、法花ノ持者ヲ捕ヘテ縛リ、打責タルニ依テ、忽ニ現報ヲ感ゼル也、日ヲ不隔ズシテ馬盜人(○○○)ノ事ニ依テ、死ヌル事可疑キニ非ズト貴ミ合タリ、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 源賴信朝臣男賴義射殺馬盜人語第十二
今昔、河内前司源賴信朝臣ト云兵有キ、東ニ吉キ馬持タリト聞ケル者ノ許ニ、此賴信朝臣乞ニ遣タリケレバ、馬ノ主難辭クテ、其馬ヲ上ケルニ、道ニシテ馬盜人有テ、此ノ馬ヲ見テ、極メテ欲ク思ケレバ構テ盜マムト思テ、密ニ付テ上ケルニ、此ノ馬ニ付テ上ル兵共ノ、緩ム事ノ无カリケレバ、盜人道ノ間ニテハ否不取シテ、京マデ付テ盜人上ニケリ、馬ハ將上ニケレバ、賴信朝臣ノ厩ニ立、テツ、而ル間賴信朝臣ノ子賴義ニ、我ガ祖ノ許ニ、東ヨリ今日吉キ馬將上ニケリト人吿ケレバ、賴義ガ思ハク、其ノ馬由无カラム、人ニ被乞取ナムトス、不然前ニ我レ行テ見テ、實ニ吉馬ナラバ、我レ乞ヒ取テムト思テ、祖ノ家ニ行ク、雨極ク降ケレドモ、此ノ馬ノ戀カリケレバ、雨ニモ不障ラ夕方(ユフサ)リ行タリケルニ、祖子ニ云バク、何ド久クハ不見リツルゾナド云ケレバ、次デニ此レハ此ノ馬將來ヌト聞テ、此レ乞ハムト思テ來タルナメリト思ケレバ、賴義ガ未ダ不云出前ニ、祖ノ云ク、東 ヨリ馬將來タリト聞ツルヲ、我ハ未ダ不見、遣タル者ハ吉キ馬トゾ云タル、今夜ハ暗クテ何トモ不見ジ、朝見テ心ニ付カバ、速ニ取レト云ケレバ、賴義不乞前ニ此ク云ヘバ喜シト思テ、然ラバ今夜ハ御宿直仕リテ、朝見給ヘムト云テ留ニケリ、宵ノ程ハ物語ナドシテ、夜深更ヌレバ、祖モ寢所ニ入テ寢ニケリ、賴義モ傍ニ寄テ寄臥シケリ、然ル間雨ソ音不止マ降ル、夜半許ニ雨ノ交レニ馬盜人來リテ、此ノ馬ヲ取テ引出テ去ヌ、其ノ時ニ厩ノ方ニ人音ヲ學テ叫デ云ク、夜前將參タル御馬ヲ盜人取テ罷リヌト、賴信此ノ音ヲ髴ニ聞テ、賴義ガ寢タルニ此ル事云ハ聞クヤト、不吿シテ起ケルマヽニ、衣ヲ引キ壺折テ、胡箙ヲ搔負テ、厩ニ走行テ、自ラ馬ヲ引出シテ、賤ノ鞍ノ有ケルヲ置テ、其レニ乘テ只獨リ關山樣ニ追テ行ク心ハ、此ノ盜人ハ、東ノ者ノ此ノ吉キ馬ヲ見テ取ラムトテ付テ來ケルガ、道ノ間ニテ否不取シテ京ニ來テ、此ル雨ノ交レニ取テ去ヌルナメリト思テ行ナルナベシ、亦賴義モ其ノ音ヲ聞テ、祖ノ思ケル樣ニ思テ、祖ニ此クトモ不吿シテ、未ダ裝束モ不デ丸寢ニテ有ケレバ、起ケルマヽニ、祖ノ如クニ胡箙ヲ搔負テ、厩ナル 關山樣ニ只獨リ追テ行ナリ、祖ハ我ガ子必ズ追テ來ラムト思ケリ、子ハ我ガ祖ハ必ズ追テ前御ヌラムト思テ、其レニ不後ト走ラセツヽ行ケル程ニ、河原過ニケレバ、雨モ止ミ空モ晴ニケレバ、彌ヨ走ラセテ追ヒ行程ニ、關山ニ行キ懸リヌ、此ノ盜人ハ其ノ盜タル、馬ニ乘テ、今ハ逃得ヌト思ケレバ、關山ノ喬ニ水ニテ有ル所、痛クモ不走シテ、水ヲヅブ〳〵ト歩バシテ行ケルニ、賴信此ヲ聞テ、事シモ其々ニ本ヨリ契タラム樣ニ暗ケバ、賴義ガ有无モ不知ヌニ、賴信射ヨ彼レヤト云ケル言モ未グ不畢ニ弓音スナリ、尻答ヌト聞クニ合セテ、馬ノ走テ行ク鐙ノ、人モ不乘音ニテカラ〳〵ト聞エケレバ、亦賴信ガ云ク、盜人ハ旣ニ射落テケリ、速ニ末ニ走ラセ會テ馬ヲ取テ來ヨト許云懸テ、取テ來ラムヲモ不待、其ヨリ返リケレバ、賴義ハ末ニ走セ會テ、馬ヲ取テ返ケルニ、郎等共ハ此ノ事ヲ聞付ケテ、一二人ヅヽゾ道ニ來リ會ニケル、京ノ家ニ返リ著ケレバ、二三十人ニ成ニケリ、賴信家ニ 返リ著テ、此ヤ有ツル彼コソアレト云事モ更ニ不知シテ、未ダ不明程ナレバ、本ノ樣ニ亦這入テ寢ニケリ、賴義モ取返シタル馬ヲバ、郎等ニ打預テ寢ニケリ、其後夜明テ賴信出デヽ賴義ヲ呼デ、希有ニ馬ヲ不取ル、吉ク射タリツル物カナト云フ事、懸テモ云ヒ不出シテ、其馬引出ヨト云ケレバ引出タリ、賴義見ルニ、實ニ吉キ馬ニテ有ケレバ、然バ給ハリナムトテ取テケリ、但シ宵ニハ然モ不云リケルニ、吉キ鞍置テゾ取セタリケル、夜ル盜人ヲ射タリケル祿ト思ケルニヤ、怪キ者共ノ心バへ也カシ、兵ノ心バへハ此ク有ケルトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔蓮如上人御文〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 サレバ聖人〈○親鸞〉ノイハク、タトヒ、牛ヌス人(○○○○)トハイハルトモ、モシハ後世者、モシハ善人、モシハ佛法者トミユルヤウニ、フルマフベカラズトコソオホセラレタリ、

〔窻の須佐美〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 元和のころほひにや、武州埼玉郡萱間村名主の妹、領主市橋下總守〈長勝〉殿の奧方に、年寄役勤居しが、故郷の跡繼し子死て、外に親族の續べきものなきゆへ、此女を申卞し、家を立たき由願しかば、許容ありて、君より送りのもの三四人付て、駕籠にて故郷へ歸りしが、定日より翌日まで著ず、覺束なきとて、江戸まで尋に出しに、君の方にても送りのもの歸らざるは、いかなる事とて、問に遣はされしかど、兎角行衞知らず、方々と搜求めて、小林と云所の池の底より、主從の骸を求め出せり、盜賊の大勢にて如此なせしと見えしほどに、さま〴〵穿議しければ、武藏大宮領指扇村源次郎とて、上州の馬盜の手下なる盜賊どもに極りて、公聽へ達し、これを點撿し、捕へて入牢しけり、源次郎は、此度の事には拘はらざりしかども、惡黨の棟梁なれば、召囚れんとて、嚴敷求められけれども、行衞知れず、かくて源次郎は、忍の家中竹内揔兵衞と云士の方へ出入しけるが、來り申けるは、此度某搜され候ゆへ、一旦影を隱し候へども、某故數多のものどもに難義させんも心外に候へば、自奏して訴出べく存候、されば某數年持來り候刀、空しく捨候半も惜く候間、何にても隨分麁末なる刀を給り候へ、奉行所まで差て出候道の中ばかりに候、夫より捕ら れ候へば、何にてもくるしからず、此刀は多年御馴染候へば、進上申べく迚、取替て自訟けるに、自奏故斬罪にて事濟けり、その刀は、和泉守兼定、二尺七寸五分、丈夫にてすぐれたる刀なり、揔兵衞友人無的が外祖父なりければ、後これを讓られて秘藏せしを、予が細に見しなり、

〔新著聞集〕

〈十五/才智〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 盜賊別才
伏見木幡のあたりちかき村々、夜ごとに馬盜人有しを、程へて捕へしに、その盜人白木綿黑木綿一匹づゝ持たりしかば、いかなる故ぞと問に、されば黑赤栗毛には、白きもめん、白馬には黑もめんを胴中まり足までも卷也、たとひ馬主追かけ來りても、夜自には斑と見ゆるまゝ、我馬とはしらざるなりと云しとかや、

强盜

〔倭名類聚抄〕

〈二/乞盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 群盜 漢書云、群盜滿山、群盜一云、强盜、見唐律

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/男女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792引漢書賈山傳文、説文群、輩也、强盜音讀、見枕冊子、後世或譌呼賀无登宇、〈○中略〉唐武德律、貞觀律、永徽律、各十二卷、見新唐書、今所傳長孫無忌唐律疏議三十卷、强盜、見賊盜律第三十四條

〔下學集〕

〈上/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 强盜(ガウダウ)

〔和漢三才圖會〕

〈十/人倫之用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 盜人〈○中略〉强盜(ガンドウ)〈俗云賀半止宇(○○○○)○中略〉
説文云、盜人自中出曰竊、 又暗曳般行刦曰柚榜、 方言云、殺人而取其財惏(ラン)、〈音嵐〉俗謂之切取强盜(○○○○)、〈○中略〉
强盜(ガンドウ) 衆入、推盜金銀衣服、或縛家人恣取、故名强盜、又謂之推入(○○)、其罪最重、〈○中略〉
凡盜賊有數品、如放火窺騷動上レ物者、其科重於惏賊、今至太平一統時、如熊坂石川之輩者嘗無隱家

〔常陸風土記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 茨城郡〈東香島郡、南佐禮流海、西筑波山、北那珂郡、〉
古老曰、昔在國巢、〈俗語曰、都知久母、又曰、夜都賀波岐、〉山之佐伯、野之佐伯、普置掘土窟、常居穴、有人來、則入窟、而竄之、其 人去、更出郊以遊之、狼性梟情、鼠窺掠盜、無招慰、彌阻風俗也、此時大臣族黑坂命、伺候出遊之時、以茨蕀施穴内、卽縱騎兵急令逐迫、佐伯等如常欲走而歸土窟、盡繫茨蕀衝害刺傷、終疾死散、故取茨蕀、以著縣名、〈所謂茨城郡、今存那珂郡之西、古者郡家所置、卽茨城郡内、風俗諺曰、水依茨城之國、〉或曰、山之佐伯、野之佐伯、自爲賊長率徒衆行國中、大爲却殺、時黑坂命、規滅此賊、以茨城造、所以地名、便謂茨城焉、〈○下略〉

〔類聚三代格〕

〈十二下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 太政官符
捕盜賊
右撿案内、延曆三年十月卅日勅書偁、如聞比來京中盜賊稍多、掠物街路火人家、良由職司不一レ肅淸、令彼凶徒生玆賊害、自今以後、宜隣保察非違一如令條、其放火刼略之類、不必抅一レ法、懲以殺罰者、又太政官去寶龜四年八月廿九日符偁、奉勅、如有獲行火盜賊勘當得上レ實者、宜衆格殺以懲後惡者、被右大臣宣偁、奉勅、如聞姧宄之賊、寔繁有徒、或闇夜放火、或白晝奪物、所由不糺捕百姓苦彼凶毒、靜言流弊、情切納隍、宜有司嚴加督察、搜認閭里、隨獲且進莫上レ作連、縱令村邑之中、有遊食、及贓狀不露、景迹可疑者、捕身問訊、詳盡情理、得實之日、具狀申送、事緣切害、不疎略
承和七年二月廿五日

〔續日本後紀〕

〈二十/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 嘉祥三年三月乙巳、勅、如聞頃來盜賊爲群、黎甿被害、或暗中放火、或白晝掠人、宜左右京職及五畿内國司申明舊章速搜捕、若致稽懦、准法科責、

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 元永二年三月廿四日、今夕有兵部手結、別當被著行云々、下人云、此曉强盜入有經宅、殺害下人等盜取綿衣五十餘領了、强盜卅人許云々、有經朝臣在源大納言家之者也、近日大略毎夜京中强盜亂入、誠以不便也、

〔今昔物語〕

〈二十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 明法博士善澄被强盗語第二十
今昔、明法博士ニテ助敎淸原ノ善澄ト云フ者有ケリ、道ノ才ハ並无クシテ、古ノ博士ニモ不劣ヌ 者ニテゾ有ケル、年七十ニ餘テ、世ノ中ニ被用デナム有ケル、家極ク貧カリケレバ、万ヅ不叶デゾ過ケル、而ル間居タル家ニ强盜入ケリ、賢ク構テ善澄逃テ、板敷ノ下ニ這入ニケレバ、盜人モ否不見付ズ成ス、盜人入リ立テ心ニ任セテ物ヲ取リテ、物ヲ破リ打カハメカシテ、踏ミ壞テ喤リテ出ニケリ、其ノ時ニ善澄板敷ノ下ヨリ忩ギ出デ、盜人ノ出ヌル後ニ門ニ走リ出デ丶、音ヲ擧テ耶己等シヤ顏共皆見ツ、夜明ケムマヽニ撿非違使別當ニ申シテ、片端ヨリ捕ヘサセテムトスト、極ク妬ク思エケルマヽニ、叫テ門ヲ叩テ云懸ケレバ、盜人此ヲ聞テ、此レ聞ケ己等去來返テ此レ打殺シテムト云テ、ハラ〳〵ト走リ返ケレバ、善澄手ヲ迷シテ家ニ逃テ、板敷ノ下ニ忩ギ入ラムトスルニ、迷テ入ル程ニ額ヲ延ニ突テ、急トモ否入リ不敢ザリケレバ、盜人走リ來テ取テ引出デ、太刀ヲ以テ頭ヲ散々ニ打破テ殺シテケリ、然テ盜人ハ逃ニケレバ、云フ甲斐无クテ止ニケリ、善澄才ハ微妙カリケレドモ、露和魂无カリケル者ニテ、此ル心幼キ事ヲ云テ死ヌル也トゾ、聞キト聞ク人々ニ云被謗ケルトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔宇治拾遺物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 むかし、大太部とて、いみじきぬす人の大將軍ありけり、それが京へのぼりて、物とりぬべき所あらば、入てものとらんと思て、うかゞひありきけるほどにめぐりもあばれ、門などもかた〳〵はたうれたるを、よこ樣によせかけたる所のあだけなるに、おとこといふものは一人もみえずして、女のかぎりにて、はり物おほくとりちらしてあるにあはせて、八丈うる物などあまたよび入て、きぬおほくとり出て、えりかへさせつゝ物どもをかへば、ものおほかりける所かなと思て、たちとまりてみいるれば、おりしも風の南のすだれをふきあげたるに、すだれのうちになにの入たりとはみえねども、皮子のいとたがくうちつまれたるまへにふたあきて、きぬなめりとみゆる物とりちらしてあり、これをみてうれしきわざかな、天たうの我に物をたぶなりけりと思て、走かへりて、八丈一疋人にかりてはきてうるとて、ちかくよりてみれば、内にも ほかにも、おとこといふものは一人もなし、たゞ女共のかぎりしてみれば、皮子もおほかり、物はみえねど、うづだかくふたおほはれ、きぬなども殊外にあり、布うち散しなどして、いみじく物おほく有げなる所かなとみゆ、たかくいひて八丈をばうらで、もちてかへりてぬしにとらせて、同類どもに、かゝる所こそあれといひまはして、そのよ、きて、門にいらんとするに、たぎりゆをおもてにかくるやうにおぼえて、ふつとえいらず、こはいかなる事ぞとて、あつまりていちんとすれど、せめてものゝおそろしかりければ、あるやうあらん、こよひはいらじとてかへりにけり、つとやてさてもいかなりつることぞとて、同るいなどぐして、うり物などもたせてきてみるに、いかにもわづらはしきことなし、物おほくあるを、女共のかぎりして、とり出取をさめすれば、ことにもあらずと返々思、みふせて、又くるれば、よく〳〵したゝめていらんとするに、なをおそろしくおぼえてえいらず、わぬしまづいれ〳〵といひたちて、こよひもなをいらず成ぬ、またつとめてもおなじやうにみゆるに、なをけしきけなる物もみえず、たゞ我がおく病にておぼゆるなめりとて、またその夜よくしたゝめて行向てたてるに、日ごろよりも猶ものおそろしかりければ、こはいかなる事ぞといひて、かへりていふやうは、ことをおこしたらん人こそ先いらめ、まづ大太郎が入べきといひければ、さもいはれたうとて、身をなきにしていりぬ、それにとりつきてかたへもいりぬ、入たれどもなをものゝおそろしければ、やはちあゆみよりてみれば、あばらなるやのうちに火ともしたり、母屋のきはにかけたる簾をばおろして、すだれのほかに火をばともしたり、まことに皮子おほかり、かのすだれの中のおそろしくおぼゆるにあはせて、すだれの内に矢を爪よるをとのするが、その矢のきて身にたつこゝちして、いふばかりなくおそろしくおぼえて、かへりいづるもせをそらしたるやうにおぼえて、かまへていでえて、あせをのごひて、こはいかなることぞ、あさましくおそろしかりつる、つまよりのをとかなといひあはせてかへりぬ、 そのつとめてそのいゑのかたはらに、大太郎がしりたりけることのありける家に行たれば、みつけていみじくきやうようして、いつのぼり給へるぞ、おぼつかなく侍りつるなどいへば、たゞいままうできつるまゝに、まうできたるなりといへば、かはらけまいらせんとてさけわかして、くろきかはらけのおほきなるをさかづきにして、かはらけとりて大太郎にさして、家あるじのみてかはらけわたしつ、大太郎とりてさけをひとかはらけうけてもちながら、この北にはたがゐたまへるぞといへば、おどろきだるけしきにて、まだしらぬか、おほ矢のすけたけのぶの、このごろのぼりてゐられたるなりといふに、さはいりたらましかば、みなかずをつくして、射ころされなましとおもひけるに、ものもおぼえずおくして、そのうけたるさけをいゑあるじに、頭よりうちかけてたちはしりける、ものはうつぶしにたをれにけり、いゑあるじあさましとおもひて、こはいかに〳〵といひけれど、かへりみだにもせずしてにげていにけり、大太郎がとられて、むさのしろのおそろしきよしをかたりけるなり、

〔字治拾遺物〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 これも今はむかし、天曆のころほひ、淨藏が八坂の坊に、强盜その數入みだれたり、ゑかるに火をともし、太刀をぬきめをみはりて、をの〳〵たちすくみてさらにすることなし、かくて數刻をふ、夜やう〳〵あけんとする時、爰に淨藏本尊に啓白して、はやくゆるしつかはすべしと申けり、そのときに盜人ども、いたづらにてにげかへりけるとか、

〔古今著聞集〕

〈九/武勇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 强盜入たりけるに、貞綱は酒に醉て、白拍子玉壽と合宿したりけり、思ひもよらぬに、ね浙に打入たりければ、貞綱太刀をぬきて打はらひて、玉壽を引立て後苑へしりぞきて、檜垣より隣へこして、我身も共に逃にけり、其事世に聞えて、强盜に逃たるわろしなどさたしけるを、貞綱かへり聞て、今より後成共、强盜にあひて命うしなふまじ、幾度も君の御大事にこそ命をばおしむまじけれと、いひけるにあはせて、和田左衞門尉義盛が合戰の時、晝は紅のほろをかけ て黑き馬に乘、夜るは白きほろをかけて、葦毛の馬に乘て、軍のさきをかけける、誠に一人當千とそ見へける、日來の詞に合てゆゝしくそ侍りける、つゐに組合者なかりければ、自害してけり、

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 後鳥羽院御時、交野八郎と云强盜の張本ありけり、今津に宿したるよしきこしめして、西面の輩をつかはしてからめ召れける、やがて御幸成て、御船にめして御覽ぜられけり、彼奴は究竟のものにて、からめて、四方をまきせむるに、とかくちがひて、いかにもからめられず、御船より上皇みづからかいをとらせ給ひて、御をきてありけり、そのとき則からめられにけり、水無瀨殿へ參たりけるに、めしすえて、いかに汝程のやつが、これほどやすくは搦られたるぞと御たづね有ければ、八郎申けるは、年來からめ手向ひ候事、其數をしらず候、山にこもり水に入て、すべて人をちかづけず候、此度も西面の人々向ひて候つる程は、物の數共覺へず候つるが、御幸ならせおはしまし候て、御みづから御をきての候つる事、忝も可申上には候はねども、船のかいははしたなく重き物にて候を、扇抔をもたせ候樣に御片手にとらせおはしまして、やす〳〵とかく御をきて候つるを、少みまいらせ候つるより運つきはて候て、力よは〳〵と覺へ候て、いかにものがるべくも覺へ候はで、からめられ候へぬると申たりければ、御けしきあしくもなくて、をのれめしつかふべき事也とて、ゆるされて御中間になされにけり、御幸の時は烏帽子がけして、くゝりたかくあげてはしりければ、興ある事になんおぼしめされたりけり、
或所に强盜入たりけるに、弓とりに法師をたてたりけるが、秋の末つかたの事にて侍けるに、門のもとに柿木の有ける下に、此師かたて矢はげて立たる上より、うみ柿の落けるが、この弓とりの法師がいたゞきにおちて、つぶれてさん〴〵にちりぬ、此柿のひや〳〵として、あたるをかいさぐるに、何となくぬれ〳〵と有けるを、はや射られにたりと思ひて、おくしてけり、かたへの輩と云やう、はやくいた手を負て、いかにものぶべぐも覺ぬに、此頭うてといふ、いづくぞと問へば、 頭を射られたるぞといふ、さぐれば何とはしらずぬれわたりたり、手にあかく物付たれば、げに血なりけりと思て、さらんからにけしうはあらじ、ひきたてゝゆかんとて、肩にかけて行に、いやはやいかにものぶべくも覺ぬぞ、たゞはやくびを切としきりにいひければ、云にしたがひて打おとしつ、扨其首をつゝみて、大和國へ持て行て、此法師が家になげ入て、しかじかいひつることとて、とらせたりければ、妻子なきかなしみて見るに、更に矢の跡なし、むくろに手ばし負たりけるかと問に、しかにはあらず、此かしらの事計をぞいひつるといへば、いよ〳〵かなしみ悔れ共かひなし、おくびやうはうたてきもの也、左樣のこゝろぎはにて、かく程のふるまひしけんおろか也とぞ、

〔義經記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0798 かゞみの宿にて吉次宿にがうとう入事
そも〳〵都ちかき所なれば、人目もつゝましくて、けいせいのはるかの末座に、しやなわう殿〈○源義經〉をなほしける、〈○中略〉その夜かゞみの宿にぶだうの事こそ有ける、その年は世中きゝんなりければ、出羽の國に聞ゆる、せんどうの大將に、ゆりの太郎と申ものと、越後の國に名をえたる、くびきのこほりの住人、ふぢさはの入道と申もの、二人かたらひ、しなのゝ國にこへて、さんのごんのかみの子息太郎、遠江國にかまの與一、するがの國におきつの十郎、上野にとよをかの源八、いげのものども、いづれも聞ゆるぬす人、むねとの者二十五人、そのせい七十人つれて、とうかいどうはすいびす、少よからん山家々々にいたりける、德人あらばをひおとして、わかたう共に、けうあるさけのませてみやこに上り、夏もすぎ秋風たゝば、北國にかゝり、國へ下らんとて、やど〳〵山家山家にをし入、をしとりてぞのぼりけり、その夜かゞみのしゆく長者の軒をならべてやどしける、ゆりの太郎、ふぢさはに申けるは、みやこに聞へたる吉次といふ金あき人、奧州へ下るとて、おほくのうり物をもち、こよひ長者のもとにやどりたり、いかゞ、すべきといひければ、ふぢさは 入道じゆんふうにほをあげ、さほさしをしよせて、しやつがあきなひ物とりて、わかたう共にさけのませてとをれとて出たちける、くつきやうのあしがるども五六人、はらまききて、あぶらさしたるくるまだいまつ五六たひに火をつけて、天にさしあげければ、ほかはくらけれども、内は日中のやうにこしらへ、ゆりの太郎と、ふぢさは入道とは大將として、そのせい八人つれて出だち、〈○中略〉夜半ばかりに、長者のもとにうちいりたり、〈○下略〉

〔牛馬問〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0799 或人の曰、熊坂が事、義經記大全には、義經奧州下りの時、鏡が宿にて夜盜に入、義經に討れし盜の棟梁は、藤澤入道と由利太郎といへるもの也、今世に圖畫に傳ふるは、此兩人を一人にしたる姿なりと見へたり、又義經勳功記には、熊坂長樊と有、異國の長良樊噌が勇猛をかたどり、自長樊と名乘と有、今は樊を範と書たるも有、いづれや是とすべし、曰、熊坂といふもの有、其傳記を詳にせず、扨義經記は、拙ふして且虚誕多し、是を實錄に列しがたし、〈○下略〉

〔吾妻鏡〕

〈四十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0799 建長八年〈○康元元年〉六月二日辛酉、奧州大道、夜討强盜蜂起、成往反旅人之煩、仍此間度度有其沙汰、可警固之旨、今日被付于彼路次地頭等、所謂、
小山田出羽前司 宇都宮下野前司〈○中略〉已上廿四人
御敎書云
奧州大道、夜討强盜事、近年爲蜂起之由有其聞、是偏地頭渉汰人等、無沙汰之所致也、早所領内宿宿、居置直人警固、只有然之輩者、不自他領、不見隱之由、被住人等起請文、可其沙汰、若尚背御下知之旨、令緩怠者、殊可御沙汰之狀、依仰執達如件、
建長八年六月二日
某殿

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0799 應永廿四年閏五月廿六日、今夜北大路邊有騷動强盜云々、 廿七日、夜前强盜數十人卽 成院ニ入、坊主善基寮等亂入衣裳具足等悉取云々、然而一人も不討留云々、有手引歟、預置記錄櫃一合も不取、存知案内者之條勿論也、驚入之由、以重有朝臣之、 六月二日、抑先日卽成院盜人事令糺明、地下一座殿原寺庵人供行者、土民等、悉於御香宮寶前起請文、當座其失露顯者可召捕用意也、然而無指失、先無爲云々、七ケ日之内、有其失者可罪科也、 十三日、早旦三位參、卽成院盜人事令露顕云々、有白狀者、〈名次郎〉彼男申樣、三木三郎〈助太郎善理舍弟也〉所行也、是明(卽成院)房有不義事之間可討也、其次坊主(卽成院)善基等具足可取也、可憑之由申、又有二三日、三郎來云、有慶〈下野頁有舍弟也、名號卿、〉使節也、可憑之由申云々、若不與力者誰にも可逢體也、仍先領狀畢、然而帥成院亂入之時者不相伴、其後御糺明嚴密之間、爲露顯、次郎男可討云々、此條不遁之間生涯也、仍白狀中、最初雖領狀、其時不相交之由以誓言申云々、有慶召則參、相尋之處、三木三郎有慶をも相語畢、所詮兩人與力同心之條勿論也、雖然當日兩人者、不相交之條堅申、又去年十二月十日、楊柳寺へ盜人入、三木三郎所行云々、條々白狀申之間、三木三郎事者、舍兄助太郎〈善理〉被仰盜人露顯畢、於三郎者、被預置之由下知之處、返答不分明、三郎ハ他行之由申云々、其上者可召捕之由、沙汰人令評定云々、何樣にも白狀申兩人者、先可吿文之由、申於御香宮兩人書吿文畢、不思儀出來言語道斷事也、 十四口、祇薗會結構云々、船水納凉順事女中〈對御方近衞今參〉申沙汰内祭相兼、抑盜人事、夜前助太郎善理禪啓宿所ニ來申樣、三郎事不審之間、種々相尋之處、卽成院推參事者、次郎男有慶等爲張本、三郎を相語畢、更三郎非張行之由金打陳申、設吿文千枚書、不痛存、所詮三郎を召具して侍所へ可罷出、其時訴人有慶次郎男をも被出て可對決之由申、此儀可然之間、於侍所對決令治定云々、又善基申、其夜强盜人數有三郎男、雖見知恐怖之間、只今不披露云々、已證人分明也、善基も召具して三品侍所へ可罷出之由申、 十五日、彼白狀人、今日侍所へ可召出之由、治定之處、善理明白ニ申延了、三位先出京、 十六日、早旦沙汰人等、〈禪啓有善廣時〉有慶次郎男相具侍所〈一色〉罷出、三木三郎同罷出之由、善理申云、々、沙汰 人等於侍所相待之處、三郎不來、雖晩不見來、三位所司代ニ此子細令申之間、三郎所行無不審、然者不來之條勿論也、何樣御移徙、御幸以後罷下、彼與黨可召捕之由申、訴人有慶次郎雖預置、承之趣無不審之間、不召置、先返進之由申、仍召具歸參之處、於深草邊人々吿來、善理以下惡黨等、無垢庵ニ集會、率人勢於松原待申之由吿來之間、自途中地下人相觸、致其用意罷下之處、於松原善理以下兩三人走來云、餘無面目次第候之間參御迎云々、不是非問答、馳馬歸參之由申、禪啓以下沙汰人等參、此次第申、言語同斷事也、先無垢庵ニ人を遣して、楯籠惡黨等令見之處、悉落失不見云々、就其三郎以下召捕歟否、種々有評定、明曉可召捕之由治定畢、 廿八年霜月十二日、今朝四條富小路土藏〈寶泉類藏〉盗人入道一人土藏内ニ走人、内より戸を立閉寵申云、疲牢之餘參也、坊主ニ對面申て有申事云々、坊主恐怖不對面、以人問答、所詮可財寶云々、何樣にも罷出よ、雖一二百貫賜之由數問答、盜人又云、罷出とも無爲によもおかれじ、付火可燒死之由申、則火打等収出、土藏内小袖帷等ニ付火、去程ニ騒動、侍所馳來、所司代三方山城入道手者共、土藏戸打破三人内へ入、盜人太刀刀ヲ菱ニ植テ容易可入樣もなし、三方若黨しふきと云物、先一人菱を飛越テ内ニ入之處、穀髮を被切畢、雖然盜人ニ引組之處、自餘つゞきて入、又被切、三人手負、然而遂盜人討取云々、付火小袖等三百計燒焦、騷動中々無是非云々、此土藏一對管領云々、
嘉吉三年七月廿四日、今夜五條坊門室町邊燒亡、數町燒云々、此間連夜燒亡皆强盜所爲云々、天下飢饉惡黨充滿、世上土藏悉所取質物、又德政之怖畏云々、仍飢饉忽餓死勿論也、疲勞之身可如何候哉、失術計時節也、天下之式不可説、

〔豐臣秀吉譜〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0801 文祿之比、有右川五右衞門者、或穿窬、或强盜不止矣、秀吉命所司代〈○前田玄以〉等遍搜之、遂捕石川、且縛其母幷同頚二十人許、烹殺之三條河原

〔望海毎談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0801 一石川五右衞門と云者、生國遠州濱松の侍なり、始は眞田八郎と云ふ、河内の石川郡の 山内古庵と云ふ醫者と所緣あるを以て、其家を賴み居り、石川五右衞門と改號し、終に强盜と成る、文祿の末年捕られ、釜炒の刑に行れたり、時に三十七歲なり、一郎と云ふ幼き子も相共に煮らる、
石川や云々と、辭世したり、

〔松屋筆記〕

〈九十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0802 石川五右衞門生國石川五右衞門生國ハ、奧州白河のよし、委く武家盛衰記廿六卷に見えたり、

〔笈埃隨筆〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0802 水無瀨宮
文祿の頃、石川五右衞門とて、世に聞へし盜賊有けるが、手下の者共を具し、此御館に押入らんとするに、神靈のおはすればにや、得忍び課せざりしかば、無念に思ひ、勇氣を振ひ押入らんとするに、忽ち身體縮んで、此中門の内へ入事能はず、流石の强盜なれ共、天位の高きに驚き、後代のしるしにとて、自ら手の形を墨にぬり、此御門の柱に殘し置ぬ、恐れても恐るべき事を、其跡今に右の方の御門柱の上に現然たり〈○下略〉
○按ズルニ、寶永三年、石川五右衞門ノ百年忌ヲ修セシ事ハ、禮式部佛祭篇百年忌條引ク所ノ百一錄ニ在リ、參照スベシ、

〔上杉編年文書〕

〈三十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0802 掟〈○中略〉
一闇討盜人など入候ハヾ、其村の儀ハ不申、近郷の者共出合、村中之人調をもいたし、急度可糺明候、若油斷於之者、其近邊の者共、曲事可仰付候事、〈○中略〉
以上
右條々觸下、肝煎百姓等に堅爲申聞、一在所へ一ツ宛書寫し可相渡者也、
慶長九年閏八月二日 山城守〈○直江兼續〉

〔當代記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0803 慶長十二年五月十四日乙巳、駿河宮ガ崎町〈○府中ニアリ〉火事出來、四五町失火、夜ルノ四時ナレバ、無﨟衣入亂、財寶ヲウバイ取、總テ此比人ヲ猥討取、依之金ヲ札ニ被掛ケレ共、誰ガ仕事共未申出

〔窻の須佐美〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0803 同じころ〈○延享三年ノ頃〉遠州見付袋井の邊に、濱川庄藏と云者、仇名には日本左衞門と云、三十餘り、長五尺七八寸、强力にて、從ふもの五六百人といへり、所々押入て、强盜す迚、盜賊役德山五郎兵衞より、組の者を遣して、黨類數十人を捕けるに、庄藏は遁出て逐轉せしかば、人相書を以て撿せられしが、冬の末にいたつて、京町奉行永井丹波守〈尚方〉殿へ出て、自訟けるは、御尋の庄藏にて候、人相書にて御尋候得ば、隱れ申べき方もなし、あるひは自殺又溺死にても仕べく候へども、某を御尋に付て、歷々の御辛勞のだん承るゆへ罷出候、又士の禮にて、若黨などつれ、御門まで參候は、一人にて參りては、見咎られて捕れては、くち惜候故、如此禮に仕立罷出候、此上は重刑に處せられ候事、覺悟の上にて候と申ければ、繩を懸んとしけるに、强く搦は御無用にて候、いかやうに御搦にても、遁れんと存れば、心にまかせ候、又二十間退候へば人手には懸り申さずと云けり、延享四年丁卯の春、江戸へ下し囚獄し、其手下の者共の捕置るを引出し見せけるに、平伏して尊貴人に仕るが如く、おそれ敬するとぞ、種々推問の上、汝遁れざる身なりとて、京町奉行所へ出たるはさも有べし、見付宿にて捕し時、立退て程經て出ぬるは、心底に巧む所ありと見ゆ、又人人の物を盜みたるにてはなく、貧なるゆへ富有の方に往て金を借りて、困窮のものに貸し與へつるゆへ、諸人歸伏しぬるといふ、さあらば、某の村の民共へ、大金を借置、返すべきといへども受ざる事、徒黨の志と見ゆ、此二ケ條申披べしとありければ、此儀誤りて候、今さら申開きこれなく候と申せしと、巷談にありし、夏の頃、江戸中引廻し斬罪、見付の宿に梟首せられぬ、同類の中六人同罪、奴僕一人遠島せしとかや、 巷説に、此濱川は、尾州宗春公に仕へ、間者の役なりしに、後には側近く召されしともいへり、岡崎へ盜みに入し咄し、其外種々の物がたりありし、金千兩並衣類上池村駒右衞門、千百兩並質物に置候衣類向坂村甚七郎六十兩餘向坂村西村大德寺、千兩並衣類山崎村平之助、四兩程山瀨村彌次兵衞、質物の衣類三木賀村治兵衞、五十兩並衣類赤池村源左衞門、衣類半鑓深見村金左衞門、一兩貳分並衣類北島村平十郎、
右庄藏當春より所々押込取り申候、此外村々にて取候もの數々に候、手下のものども去月十九日より廿二日まで段々召捕候、日本左衞門は遁申候、右之趣德山五郎兵衞殿より申上られ候由、風説書に見えたり、
此時掛川の城主小笠原土丸殿〈後能登守長恭〉幼年なり、家老共注進申さず、越度ありしとて、逼塞の公命有しとぞ、

〔窻の須佐美〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 伊豫國松山〈松平隱岐守定直從四位侍從〉の城下の在町にや、夫婦の中に男子ありて、十三歲になりけるが、母の妹なるもの來りて、歸るさに、かの子もつれて在郷へ歸り、こゝに止宿すべきにてありけるが、暮方に及びて、かの連れ子歸るべきよしいひければ、伯母聞て、日も暮方になりぬ、一里餘の道なれば、夜に入なん、下男は皆田へ出て今に歸らず、送遣すべきやうもなし、明朝とく歸やといへり子の云やう、とまるべき心にてありしが、何とやらん俄に歸り度なりぬるあいだ、一人歸るべきとて、急ぎ歸りしが、よひ過に歸りつきて、家に向ひたれば、家内燈の火みち〳〵見えし程に窻より見れば、あらくましき男七八人、面を黑く塗りて、つどひ居たり、ふしぎにおもひ、露次より忍び入、うらの方のまどより見るに、母には竈(カマト)をおびだゞしくもやして、食を炊ぐ體なり、小聲に呼ければ、母窻より、いかにぞやと云に、唯今かへりけるに、いかなる事に候や、かわりたる體、ふしぎに候と問ふ、母ひそかに、暮過より盜人十人餘り入こみて、父をば切殺し、下男は殘らず 搦置ければ、われに食炊きて出せとせむるまゝ、是非なくとゝのへ居るなり、盜人五六人は藏へ往て有と語りければ、鐵砲に玉藥火繩そへて、ひそかに給れ、食を出す時、かれらが並よく一列にならぶやうに膳をすへたまへといふ、その如く膳をならべし程に、盜人等一列にならび、食なかば頃、窻より鐵砲をさし入、よくねらひてはなしけるに、五人を搏倒しぬ、殘りのものおどろきさわぎ、遁げちりけれども、五人の死骸をもつて吟味ありければ、こと〴〵くさがし出され、國君より刑罰せられ、その子は士となして遘はれけるとぞ、松山より出たる九十餘の男が、むかし物語りにしける、おもふに延寶年中の事やらん、

〔窻の須佐美〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 芝の大佛の住持如來寺は、寢間近く、士と見へて、五七人山をつたひ下りて押込(○○)なん氣色なり、差掛りの事にて、住持の甥やらん、十五六ばかりなる角前髮の少年、寢て居りしが、聞付て、身繕ひして、向ひ、やゝしばらく戰ふ所に、住持は次の間にありて、隨分働くべし、爰に鎗を提て居るなれば、手づよくはわれ出て突ふせんと、高聲に呼ぶ中に、少年よく働きて、一人に手を負せければ、山へかけのぼりて、引取けるとぞ聞へし、元祿のはじめのころにやありけん、

山賊

〔下學集〕

〈上/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 山賊(サンダウ)〈日本世話、山盜人云也、〉

〔和渡三才圖會〕

〈十/人倫之用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 盜人〈○中略〉
山賊(ダチ) 毎竄居山野、夜出奪往來之貨、或剝取衣服、名之山賊、〈夜末太知〉又謂逐剝(ヲイハギ)

〔兼盛集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 旅人いくあひだに、ぬす人あひたり、
旅人はすりもはたごもむなしきをはやくいましね山のとね(○○○○)たち

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 かゝる程に、大明神の御詫宣に、我國第一の能説をきかん事を悦思ふに、いかにかくさまたげをばなすぞと、しめしたまひければ、恐をなして、本議にまかせて請じ下してけり、誠に富樓那の辨説をはきて、衆人感涙を垂ぬはなかりけり、隨喜のあまり南都こぞりて、われも われもと臨時の佛事をはじめて請じける程に、布施はしたなく多く取てのぼるとて、日たけて出たりけるに、奈良坂にて山だち(○○○)待まうけて、布施物みなうばひ取けり、〈○中略〉山だち共忽に惡心をあらためて歸伏せるけしきに成て、うばひ取所の物共、こと〴〵く返しあたへてけり、

〔源平盛衰記〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 屋島合戰附玉蟲立勗與一射扇事
伊勢國鈴鹿關ニテ朝夕山立(○○)シテ、〈○伊勢三郎〉年貢正税追落、在々所々ニ打入、殺賊强盜シテ、妻子ヲ養トコソ聞、其ハ有シ事ナレバ、諍所ナシト云、〈○下略〉

〔新編追加〕

〈雜務〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 一鈴鹿山幷大江山惡賊事(○○○○○○○○○○)、爲近邊地頭之沙汰相鎭也、若難停止者、改補其仁、可有靜謐計也、以此趣觸便宜地頭等、可散狀者、依仰執達如件、
延應元年七月廿六日 前武藏守〈泰時〉判
修理權大夫〈時房〉判
相模守殿
越後守殿〈○又見侍所沙汰篇

〔事實文編拾遺〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 高山彦九郎傳 杉山仙太郎
高山正之、字仲繩、稱彦九郎、上野新田郡細谷村人也、〈○中略〉天明季年、京師災、正之聞之、晝夜兼行、馳而赴京、夜過木曾山中、有賊數人、拔刀欲正之、正之瞋目叱曰、汝不上野高山彦九郎乎、今聞天闕有災、馳而赴之、汝輩豈汚我刃乎、賊皆慴伏、後巨賊繫大坂獄、自語、平昔未嘗有恐怖、嘗在木曾山中、要人爲刼、遇一丈夫、瞋目叱我、憶之今猶股栗也、彼自呼高山某、豈所謂天狗者乎、〈○下略〉

海賊

〔倭名類聚抄〕

〈二/乞盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 海賊 後漢書云、海賊張伯路、寇略綠海九郡

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一/男女〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 後漢書九十卷、宋范曄撰、所引安帝紀文、按説文賊、毀也、是殘賊字、以爲賊盜字者、轉注也、伊勢廣本正文海賊下、有海書如骸四字、疑似上レ海音如一レ骸、爲夾行分注也、

〔伊呂波字類抄〕

〈加/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 海賊〈カイソク〉

〔和漢三才圖曾〕

〈十/人倫之用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 盜人〈○中略〉
海賊(カイソク) 卽抽榜也、〈俗云婆波牟〉相傳、往昔有倭船竊入唐强盜者、其船幟銘八幡神號、以爲海上鎭護、華人不之、總以海賊八幡(バハン)、亦一笑也、

〔類聚三代格〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 太政官符
勤施方略早斷盜賊
右被大納言正三位兼行左近衞大將藤原朝臣氏宗宣偁、頃年搜捕海賊(○○)察姧盜之狀、數度下符、警吿稠疊、而今如聞、凶徒不絶竊盜尚繁、水浮陸行、皆憂賊害、實是國司遮莫府旨、不肅淸之所致也、夫五家、相保一人爲長、以相撿察、載在法條、又容止盜賊、科罪非輕、然則事須隣伍之内必置保長、察以行來詳以去就、亦其市津及要路、人衆猥雜之處、多施方略、勤設債暹、募以捕獲之賞、示以容含之辜、使姧濫徒無一レ跡若不愼行、重致解體者、必處重責、不曾寬宥
貞觀九年三月廿七日

〔土佐日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 廿一日、〈○承平五年正月〉かていひつゝゆくに、ふなぎみなる人、なみを見て、國よりはじめてかいぞく(○○○○)むくひせんといふなる事をおもふうへに、海のまたおそろしければ、かしらもみなしらけぬ、なゝそぢやそぢは、うみにあるものなりけり、〈○下略〉

〔本朝世紀〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 承平五年六月廿一日甲申、大納言藤原恒佐卿參入、著左仗座、被行以來廿八日、可臨時幣帛使之由、是海賊未平伏、仍爲祈禱也、〈伊勢、石淸水、賀茂上下、松尾、平野、大原野、稻荷、春日、大神、住吉、〉

〔今昔物語〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 藤原純友依海賊誅語第二
今昔、朱雀院ノ御時ニ、伊豫掾藤原純友ト云者有ケリ、筑前守良範ト云ケル人ノ子也、純友伊與國ニ有テ、多ノ猛キ兵ヲ集テ眷屬トシテ、弓箭ヲ帶シテ船ニ乘テ常ニ海ニ出テ、西ノ國々ヨリ上ル 船ノ物ヲ移シ取テ、人ヲ殺ス事ヲ業トシケリ、然レバ往反ノ者輙ク船ノ道ヲ不行シテ、船ニ乘コト无カリケリ、此ニ依テ西ノ國々ヨリ國解ヲ奉テ申サク、伊與掾純友惡行ヲ宗トシ、盜犯ヲ好テ船ニ乘テ常ニ海ニ有テ、國々ノ往反ノ船ノ物ヲ奪ヒ取リ人ヲ殺ス、此レ公私ノ爲ニ煩ヒ无キニ非ズト、公此ヲ聞召シ驚カセ給テ、散位橘遠保ト云者ニ仰ヲ給テ、彼ノ純友ガ身ヲ速ニ可罰奉シト、遠保宣旨ヲ奉テ伊豫國ニ下テ、四國幷ニ山陽道ノ國々力兵ヲ催シ集メテ、純友ガ栖ニ寄ル、純友力ヲ發シテ待合戰フ、然ドモ公ニ勝チ不奉シテ、天ノ罰ヲ蒙ニケレバ、遂ニ被罰ニケリ、亦純友ガ子ニ年十三ナル童有リ、形端正也、名ヲ重太丸ト云、幼稚也ト云ヘドモ、父ト共ニ海ニ出テ、海賊ヲ好テ長ニ劣ル事无カリケリ、重太丸ヲモ殺シテ、首ヲ斬テ、父ガ首ト二ノ頭ヲ持テ、天慶四年ノ七月七日、京ニ持上リ著テ、先ヅ右近ノ馬場ニシテ、其ノ由ヲ奏スル間、京中ノ上中下ノ人、見喤ル事无限リ、車モ不立堪へ歩人ハウラ所无シ、公、此レヲ聞食シテ遠保ヲ感ゼサセ給ケリ、其ノ次ノ日、左衞門ノ府生掃守ノ在上ト云高名ノ繪師有リ、物ノ形ヲ寫ス少モ違フ事无カリケリ、其レヲ内裏ニ召テ、彼ノ純友幷ニ重太丸ガ二ノ頭、右近ノ馬場ニ有リ、速ニ其ノ所ニ罷テ、彼ノ二ノ頭ノ形ヲ見テ、寫テ可持參シト、此レハ彼ノ頭ヲ公ケ御覽ゼムト思食ケルニ、内裏ニ可持入キニ非バ、此ク繪師ヲ遣ハシテ、其形ヲ寫シテ御覽ゼムガ爲也ケリ、然テ繪師右近ノ馬場ニ行テ、其ノ形ヲ見テ寫テ内裏ニ持參タリケレバ、公殿上ニシテ此ヲ御覽ジケリ、頭ノ形ヲ寫タルニ少モ違フ事无カリケリ、此ヲ寫テ御覽ズル事ヲバ、世人ナム承ケ不申ケル、然テ頭ヲバ撿非違使左衞門府生若江ノ善邦ト云者ヲ召テ、左ノ獄ニ被下ニケリ、遠保ニハ賞ヲ給テケリ、

〔日本紀略〕

〈二/朱雀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0808 承平六年六月某日、南海賊徒首藤原純友結黨、屯聚伊豫國日振島、設千餘艘刧官物私財、爰以紀淑人伊豫守、令兼行追捕事、賊徒聞其寬仁、二千五百餘人悔過就刑、魁帥小野氏彦、紀秋茂、津時成等、合卅餘人、束手進交名歸降、卽給衣食田畠種子、令農業、號之前海賊(○○○)

〔源氏物語〕

〈二十二/玉鬘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0809 海賊の舟にやあらん、ちひさき舟のとぶやうにてくるなどいふ物あり、海賊のひたぶるならんよりも、彼おそろしき人のをひくるにやと思に、せんかたなし、

〔今昔物語〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0809 豐後講師謀從鎭西上語第十五
今昔、豐後ノ講師 ト云フ僧有ケリ、講師ニ成テ國ニ下テ有ケルニ、任畢ニケレバ亦任ヲモ延べムト思、可然財共船ニ取積テ京へ上ケルニ、相知レル者共ノ云ケル樣、近來海ニハ海賊多カナリ、共ニ可然兵士モ不具テ、物ヲバ多船ニ取リ積テ上リ給フハ糸心幼キ事也、尚可然カラム者共ヲ語ヒテ具シテ將御セト、講師ガ云ク、事爲ルニ錯テ海賊ノ物ヲ我レハ取トモ、我ガ物ヲバ海賊取テムヤトテ、船ニ胡錄三腰許取リ入テ、墓々シキ兵立タル者一人モ不具デ上ケリ、國々ヲ通リ持行クニ、 程ニテ怪キ船二三艘許後前キニ出來ヌ、前ヲ横樣ニ渡リ、亦後ニ有テ講師ガ船ヲ衞ツ、此ノ船ノ内ナル者共、海賊來ニケリトテ恐ヂ迷フ事糸極ジ、然レドモ講師露不動ズ、然ル間海賊ノ船一艘押寄ス、漸ク近ク寄スル程ニ、講師靑色ノ織物ノ直垂ヲ著テ、柑子色ナル紬ノ帽子ヲシテノ方ニ少シ居ザリ出、簾ヲ少シ卷上テ海賊ニ向テ云ク、何人ノ此ハ寄リ坐ルゾト、海賊ノ云ク、侘人ノ粮少シ申サムガ爲ニ參タル也ト、講師ノ云ク、此ノ船ニハ粮モ少シ有リ、輕物モ人要ス許ノ物ハ少々有リ、何ニマレ其達ノ御心ニ任ス、侘人ナド名乘レバ糸惜サニ、少シヲモ進マ欲シケレドモ筑紫ノ人ノ聞テ云ハム樣ハ、伊佐ノ入道ハ其々ニテ、海賊ニ値テ被縛テ、船ノ物皆被取ニケリトコソバ云ハムズラメト、然レバ心トハ否不進マジキ也、能觀旣ニ年八十ニ成ナムトス、此マデ生タル事不思懸ヌ事也、東ノ度々ノ戰ニ生遁テ、八十ニ及テ其達ニ可殺キ報コソハ有ラメ、此レ兼テ思ツル事也、今始メテ可驚キ事ニ非ズ、然レバ其達疾ク此ノ船ニ乘リ移テ、此ノ老法師ノ頸ヲ搔切レ、此ノ船ニ侍ル男共、穴賢彼ノ主達ニ手向ナ不爲ソ、今出家シテ後シモ今更ニ戰ヲ可爲ニ非ズ、此ノ船ヲ疾ク漕ヨセテ、彼ノ主達ヲ乘セ進レト、海賊此レヲ聞テ伊佐ノ平 新發意ノ座スルニコソ有レ、疾ク逃ゲヨ己等ト云テ、船ヲ漕次テ逃ニケリ、海賊ノ船ハ疾ク構タル船ナレバ、鳥ノ飛ガ如クシテ去ヌ、其ノ時ニ講師從者共ニ此ヲ見ヨ、己等現ニ我レヤ海賊ニ物被取タルト云テ、平カニ物共京ニ持上テ、亦其國ノ講師ニ更ニ成テ下ケル度ニハ、可然キ人ノ下ケルニ付テ、筑紫ニ下テ道ノ事共ヲ人ニ語ケレバ、極キ盜人ノ老法師也ヤトゾ聞ク人讃メケル、伊佐ノ新發意ト名乘ラムト思ヒ寄ケル心ハ、現ニ伊佐ノ新發意ニモ增リタリケル奴也カシト云テゾ人咲ヒケル、此ノ講師ハ物云ヒ可咲キ奴ニテゾ有ケレバ、然モ云ケル也トナム語リ傳ヘタルトヤ、

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0810 又篳篥師用光南海道に發向の時、海賊にあひけり、用光を旣にころさんとする時、海賊に向ていはく、我久敷篳篥をもて朝につかへ世にゆるされたり、今いふがひなく賊徒のために害されんとす、是宿業のしからしむる也、しばらくの命得させよ、一曲の雅聲をふかんといへば、海賊ぬける太刀をおさへてふかせけり、用光最後のつとめと思て、泣々臨調子吹にけり、其時なさけなき群賊も、感涙をたれて、用光をゆるしてけり、剰淡路の南流と迄をくりておろしおきけり、諸道に長ぬるは、かくのごとくの德を必あらはする事也、當代なをしかある事共多かり、
正上座といふ弓の上手わかゝりける時、參河の國より熊野へわたりけるに、伊勢國いらごのわたりにて、海賊にあひにけり、惡徒等が舟すでに近付て、御米まいらせよといひけるを、正上座人を出していはせけるは、是は熊野へ參る御米也、賊徒等のぞみ有べからず、惡徒等かく云を聞て、熊野の御米と見ればこそ、左右なくはとゞめね、しからずばかくまで詞にていひてんやといふ、上座その時腹卷きてひきめ一、じんどう一をとりぐして、たてつかせて船のへにすゝみ出て、惡徒等が望み申事いかにも叶ふべからず、止ぬべくは御米成共とゞめよかしといふを、海賊一人 ものゝぐして、出向てこと葉たゞかひをしけり、海賊が船に幕引まはして、たてをつきて、其中に惡徒等其數多く有、しばし詞たゞかひして、上座まづひきめもて海賊を射たるに、海賊くゞまりて箭を上へとをしけり、ひきめ耳をひゞかして通ぬれば、則立あがる所を、いつのまにか矢つぎしつらん、じんどうをもてたちあがる目のあひを射て、うつぶしにいふせてけり、此矢つぎのはやさに海賊らおどろきて、是は誰にておはしまし候ぞと問たりければ、汝らしらずや、正上座行快ぞかしと名乘て、此邊の海ぞくは定て熊野だちの奴原にてこそ有らめと思へば、優如してこれをもて手なみをば見するぞといひたりけるに、海ぞく等さらば始よりさは仰られで、希有にあやまちすらんにとて、こぎかへりにけり、

〔北條五代記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 戰船を海賊といひならはす事
見しは昔、北條氏直と、里見義賴、弓矢の時節、相模安房兩國の間に入海有て、舟の渡海近し、故に敵も味方も兵船おほく有て、たゝかひやん事なし、夜るになれば、或時は小船一艘二艘にてぬすみに來て、濱邊の里をさはがし、或時は五十艘三十艘渡海し、浦里を放火し、女わらはべを生捕、卽刻夜中に歸海す、島崎などの在所のものは、わたくしに、くわぼくし、敵方へ貢米を運送して、半手と號し、夜を心やすく居住す、故に生捕の男女をば、是等のもの、敵方へ内通して買返す、去程に、夜に至れば、敵も味方も海賊や渡海せんと、浦里の者ふれまはつて用心をなし、海賊のさた、日夜いひやむ事なし、今は諸國をさまり、天下泰平四海遠浪の上までもをだやかにして、靜なる御時代なり、然共兵船おほく江戸川につなぎをき給ふ、ある人いくさ舟の侍衆を海賊の者と云ければ、其中に一人此言葉をとがめていはく、むかしより山賊海賊と云ふ事、山にあつて盜をなし、舟にて盜をするものを名付けたり、文字よみもしかなり、侍たるものゝ盜をする者や有、海賊とは言語道斷曲事かな、物をもしらぬ木石なりといかる、此者聞て、我文盲ゆへ、文字よみもしらず、扨て舟 乘の侍の名をば何とか申べき、をしへ給へと云時、此侍は返答につまり無言す、〈○下略〉

引剝

〔安齋隨筆〕

〈後編六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0812 一ヒハギ(○○○) 引ハギの略語也、今世オヒハギ(○○○○)と云ふ盜人也、人ノ衣服を引ハグを云也、宇治拾遺卷二駿河前司橘季通が事を書きたる條に、大路に女聲にてヒハギありて人コロスやトヲメク、

〔建武式目〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0812 一可狼藉
晝打入夜强盜所々之屠殺、辻々之引剝、叫喚更無斷絶、尤可警固之御沙汰乎、

〔今昔物語〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0812 藤原保昌朝臣値盜人袴垂語第七
今昔、世ニ袴垂ト云極キ盜人ノ大將軍有ケリ、心太クカ强ク足早手聞キ、思量賢ク世ニ並ビ无キ者ニナム有ケル、万人ノ物ヲバ隙ヲ伺テ奪ヒ取ルヲ以テ役トセリ、其レガ十月許ニ衣ノ要有ケレバ、衣少シ儲ト思テ可然キ所々ヲ伺ヒ行ケルニ、夜半許ニ人皆寢靜マリ畢テ、月ノオボロ也ケルニ、大路ニスヾロニ衣ノ數著タリケル主ノ、指貫ナメリト見ユル袴ノ喬挾テ、衣ノ狩衣メキテナヨヽカナルヲ著テ、只獨リ笛ヲ吹テ行キモ不遺ラ練リ行人有ケリ、袴垂是ヲ見テ、哀レ此コソ我レニ衣得サセニ出來ル人ナメリト思ケレバ、喜テ走リ懸テ打臥セテ衣ヲ剝ムト思フニ、怪シク此ノ人ノ物恐シク思ケレバ、副テ二三町許ヲ行クニ、此ノ人我ニ人コソ付ニタレト思タル氣色モ无クテ、彌ヨ靜ニ笛ヲ吹テ行ケバ、袴垂試ムト思テ足音ヲ高クシテ走リ寄タルニ、少モ騷タル氣色モ无クテ、笛ヲ吹乍ラ見返タル氣色、可取懸クモ不思リケレバ走リ去ヌ、此樣ニ數度此樣彼樣ニ爲ルニ、塵許騷タル氣色モ无ケレバ、此ハ希有ノ人カナト思テ、十餘町許具シテ行ヌ、然リトテ有ラムヤハト思テ、袴垂刀ヲ拔テ走リ懸タル時ニ、其ノ度笛ヲ吹止テ立返テ、此ハ何者ゾト問フニ、譬ヒ何ナラム鬼也トモ、神也トモ、此樣ニテ只獨リ有ラム人ニ走リ懸タラム、然マデ怖シカルベキ事ニモ非ヌニ、此ハ何ナルニカ心モ肝モ失セテ、只死ヌ許怖シク思エケレバ、我ニモ非 デ、被突居ヌ、何ナル者ゾト重子テ問ヘバ、今ハ逃グトモ不逃マジカメリト思テ、引剝候フト、名ヲバ袴垂トナム申シ候フト答フレバ、此ノ人然カ云者、世ニ有トハ聞クゾ、差フシ氣ニ希有ノ奴カナ、共ニ詣來ト許云ヒ懸テ、亦同樣ニ笛ヲ吹テ、行ク、此ノ人ノ氣色ヲ見ルニ、只人ニモ非ヌ者也ケリト恐ヂ怖レテ、鬼神ニ被取ルト云ラム樣ニテ、何ニモ不思デ共ニ行ケルニ、此ノ人大キナル家ノ有ル門ニ入ヌ、沓ヲ履乍ラ延ノ上ニ上ヌレバ、此ハ家主也ケリト思フニ、内ニ入テ卽チ返リ出デ、袴垂ヲ召テ綿厚キ衣一ツヲ給ヒテ、今ヨリモ此樣ノ要有ラム時ハ參テ申セ、心モ不知ラム人ニ取リ懸テハ、汝不誤ナドゾ云テ内ニ入ニケル、其後此ノ家ヲ思ヘバ、號(アサナ)攝津前司保昌ト云人ノ家也ケリ、此ノ人モ然也ケリト思フニ、死ヌル心地シテ生タルニモ非デナム出ニケル、其後袴垂被捕テ語ケルニ、奇異クムクツケク怖シカリシ人ノ有樣カナト云ケル也、此ノ保昌朝臣ハ家ヲ繼タル兵ニモ非ズ、囗ト云人ノ子也、而ルニ露家ノ兵ニモ不劣トシテ、心太ク手聞キ强力ニシテ、思量ノ有ル事モ微妙ケレバ、公モ此ノ人ヲ兵ノ道ニ被仕ルニ、聊心モト无キ事无シ、然レバ世ニ靡テ此ノ人ヲ恐ヂ迷フ事无限リ、但シ子孫ノ无キヲ、家ニ非ヌ故ニヤト人云ケルトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0813 くらままうでの者の、夕暮に市原野を過けるに、盜人に行あひて、著たる物はぎとられて、剩きずを負て侍と、人のかたるをきゝて、慶算がよみ侍りける、
夕暮に市原野にておふきずはくらまぎれとやいふべかるらん

追落

〔尺素往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0813 夜討、强盜、〈○中略〉追落等、此間聊蜂起事、於京都者侍所、於國郡者守護、可嚴密撿斷歟、

胡麻之蠅

〔燕石雜志〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0813 又念秧杜騙を、胡麻(ゴマ)の蠅(ハへ)と名づけたるは、その賊なるや不や見わきがたきを、胡麻の上なる蠅に譬たる也、亦少女を豪奪して、これを略賣するものを、世俗かどはかし(○○○○○)と唱て、勾引の二字を當たり、乃唐山にいふ、拐契の賊也、和訓かどはかしとは、その門を迷して、他處へ誘引の義 ならん、人の人に誑るゝを、ばかさるゝといひ、狐狸の人を魅するを、又ばかすといふ、ばかすは馬鹿にする也、馬鹿は秦の趙高が、鹿を指て馬也といはせし故事なるよしは、世俗もをさ〳〵しれるなるべし、これら無益の辨なれど、筆の走るまゝに注しつ、

掏摸

〔和漢三才圖會〕

〈十/人倫之用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 盜人(ぬすびと)〈偷兒〉和名奴須比止俗云須里
按俗以盜曰須利(スリ)、〈申來未詳〉蓋簏(スリ)〈和名須利〉竹篋以爲行旅之具、若盛水物、則竊洩去而簏乾譬之竊盜、絡爲盜謎乎、
幐切(キンチヤクキリ/○○) 交群集中、竊奪懷中物、剪取印籠巾著之幐切

〔燕石雜志〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 又棍徒をスリといふ、郷談雜字に、〈郷談〉剪杻〈正音〉掏摸と出せしは是也、契冲河社に、兼盛集なる、旅人はすりも、はたごもむなしきをはやくいましね山のとねたち、といふ歌を引て、簏(スリ)字を當たり、亦學語篇には、須利と書て梵語なりと注したれど、出處詳ならず、彼がすりちがひつゝゆくさまにて、物とらんとするなれば、やがてすりといふなり、

〔種樹園法〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 然レドモ人ヲ讒シテ己ガ身ノ出世ヲ圖リ或拐見(カタリ)、騙兒(ユスリ)、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02295.gif 摸(スリ/○○)、夜盜(ヨトウ)等ヲ働ク惡徒ト雖ドモ、己ガ私曲ヲ人ニ隱スヲ觀ルトキハ、卽是其内心ニハ、天命ノ四性具存シテ、其德ノ自明ナルノ明徵ナリ、
○按ズルニ、右ハ佐藤信淵ノ著ナリ、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02295.gif 摸ノhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02295.gif ハ掏ノ誤ナリ、

〔大淸律例集要新編〕

〈二十四/刑律賊盜下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 凡盜公取竊取皆爲盜〈公取謂行盜之人、公然而取其財、如强盜槍奪、竊取謂形隱面、私竊取其財、如竊盜掏摸(○○)皆名爲盜、○下略〉

〔老人雜話〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 信長城を武衞陣ニ築き、公方をすへて慶賀の能あり、老人も四歲ばかりにて、乳母に抱れて見物す、其日信長は小鼓を擊れしなり、長岡山齋は老人より歲長し、六歲ばかりにて猩々を一番舞れし、其時歸りに、門外にて盜人に後ろの紐を切られしことを覺たりと語れり、其比は ぬすびとの刀かうがい小刀抔を拔取ことをしたり、是故に盜人をぬきし(○○○)と云し、今のすり(○○)と云が如し、

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 慶長十二年四月十九日辛亥、申樂能、觀世大夫、寶生大夫兩人之立會也、巳刻ニ始、〈○中略〉豐國西總門之於内、スリ盜人(○○○○)在之、板伊州奉行二人爲沙汰、成敗申付也、 九月十八日戊申、神事如常、〈○中略〉神供所之邊、スリノ盜人(○○○○○)アリ、各追出、大鳥居於邊殺了、

女盜

〔續日本後紀〕

〈六/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 承和四年十二月甲午、夜分女盜(○○)二人昇入淸凉殿、天皇愕然、令藏人等、吿宿衞人、遂捕之、纔獲一人、其一人脱亡、

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 隆房大納言撿非違使別當のとき、白川に强盜入にけり、其家にすぐやか成者有て、强盜とたゝかひけるが、なにごとなくて强盜の中にまぎれまじはり來ける、うちあはんにはしおほせん事かたく覺えければ、かくまじはりて物わけん所に行て、强盜の顏をも見、又ちりぢりにならん時に、家をも見入んと思ひて、かくはかまへけり、扨ともなひて、朱雀門の邊に渡ぬ、をのをの物わけて、此男にもあたへてけり、强盜の中にいとなまやかにて、こゑけはひよりはじめてよに尋常成男のとし廿四五にもやあるらんと覺ゆる有、どう腹卷に左右ごてさして、長刀を持たりけり、ひをぐゝりの直垂、はかまにくゝりたかくあげたり、諸の强盜の主とおぼしくて、ことをきてければ、みな其下知にしたがひて、主のごとくになん侍りけり、扨ちり〴〵に成ける時、このむねとの者のゆかん方を見んと思て、尻にさしさがりて、見がくれ〳〵行に、朱雀を南へ四條迄行けり、四條を東へくしげ迄は、まさしく目にかけたりけるを、四條大宮の大理の亭の西の門の程にて、いづちかうせにけん、かきけすがごとく見へず成にけり、さきにもそばにもすべて見へず、此築地を越て内へ入にけりと思ひて、そこより歸りぬ、朝にとく行て跡を見れば、件の盜人手を負て侍けるにや、道に血こぼれけり、門のもとにてとゞまりければ、うたがひもなく此内 の人也けりと思ひて、立歸りて此やうを主に語りければ、大理の邊に參り通ふ者なりければ、則參てひそかに此樣を語り申ければ、大理聞おどろかれて、家の中をせんぎせられけれ共、更にあやしき事なかりけり、件の血北の對の車宿迄こぼれたりければ、つぼね女房の中に盜人をこめ置たるしわざにこそとて、みな局共をさがされんずる儀に成て、女房共をよばれけり、其中に大納言殿とかやとて、上﨟女房の有けるが、此程風のおこりてえなん參らぬよしをいひけり、重而ただいかにもして、人に成共かゝりて參り給へとせめられければ、のがるゝ方なくて、なまじゐに參りぬ、其跡をさがしければ、血付たる小袖有、あやしくていよ〳〵あなぐりて、坂板を上て見るに、さま〴〵の物共をかくし置たりけり、彼男が云つるにたがはず、ひをぐゞりの直垂袴なども有けり、面形一有けるは其ふるき面をして、顏をかくして夜な〳〵强盜をしけるなりけり、大理大にあざみて、則官人に仰て、白晝に禁獄せられける、見物の輩市をなして、所もさりあへざりけるとぞ、きぬかづきをぬがせて、おもてをあらはにして出されけり、諸人見てあさましと思へり、廿七八計成女のほそやかにて、たけだち髮のかゝり、すべてわろき所もなく、ゆう成女房にてぞ侍ける、むかしこそ鈴香山の女盜人とていひつたへたるに、ちかき世にもかゝるふしぎ侍けることにこそ、

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 いづれの比の事にか、西の京成者、夜ふかく朱雀門の前を過けるに、門のうへに火をともして侍りけり、此門にはむかし鬼すみけると聞に、今もすみ侍るにやと、おそろしさ限なくて過ぬ、其後又ある夜とをるに、さきのごとく火をともしたり、此事あやしくて、在地に披露しければ、死生不知の村人共、評定して、いざ行て見んとて、そこばく來りて、門にのぼりて見ければ、いとなまやか成女房一人臥たりけり、思ひよらぬ事なれば、ばけ物なめりとおそろしながら、事の子細をとふにはや〳〵盜人なりけり、とし比此門にすみて、夜るはがうだうをしてすぎけ るが、此程手を負てやみふして侍りける也、

〔事實文編附錄〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817盜婢 五弓久文
大坂玉造有騎吏田湖權之助、天保十一年庚子九月朔日、當直城内、母姉及弟丑之助、與婢僕各一人家、夜三更有盜入姉室、姉覺、盜匕首刺之、母弟聞亦起、三人與盜相搏伏之時、燈火旣滅、且赤手不盜也、大聲喚僕、僕婢皆不應、蓋熟睡也、姉謂母曰、阿母與弟持之、我且往喚僕、乃至僕臥室、鼾聲如雷、姉大喚曰、有大恠事、僕驚起欲戸、戸悉閉矣、姉與僕欲屋後、亦閉矣、乃掊戸而入、則婢單著一褌厠出、恐慄曰、今有盜至、妾不恐怖、逃厠、僕點燈視之、母弟傷喉而死、天明親戚並至、撿室内唯遺一剃刀、他無根究、適近隣有一士、刳腹而死、衆皆歸罪於此、已而吏來撿、見壁上血、手痕淋漓、呼家人及近隣其掌、悉不合、獨婢掌不絲毫、吏乃執而鞠之、婢乃吐實曰、妾私通衆人孕胎中之子、未誰子、子若生、則恐無依、故窺主人他適、欲金以爲活兒之資、反爲主母及小姐所一レ覺、會小姐往僕奴臥房、乃以剃刀主母小郎君而殺之、自脱血衣藏篋中、陽爲厠出恐怖狀耳、吏乃囚諸獄舍、月餘寘極刑

故爲盜

〔今昔物語〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 春朝持經者顯經驗語第十
今昔、春朝ト云フ持經者有ケリ、日夜ニ法花經ヲ讀誦シテ、棲ヲ不定ズシテ所々ニ流浪シテ、只法花經ヲ讀誦ス、心ニ人ヲ哀ムデ、人ノ苦ブ事ヲ見テハ我ガ苦ト思ヒ、人ノ喜ブ事ヲ見テハ我ガ樂ビト思フ、而ル間、春朝東西ノ獄ヲ見テ、心ニ悲ビ歎テ思ハク、此ノ獄人等犯シヲ成シテ罪ヲ蒙ルト云ヘドモ、我レ何ニシテカ此等ガ爲ニ、佛ノ種ヲ令殖テ苦ヲ拔カム、獄ニシテ死ナバ、後生亦三惡道ニ墮セム事疑ヒ不有ジ、然レバ我レ故ニ犯ヲ成シテ被捕テ獄ニ居ナム、然テ懃ニ我レ法花經ヲ誦シテ獄人ニ令聞メムト思テ、或ル貴所ニ入テ金銀ノ器一具ヲ盜テ、忽ニ博堂ニ行テ雙六ヲ打テ、此ノ金銀ノ器ヲ令見ム、集レル人此レヲ見テ怪ムデ、此レハ某ノ殿ニ近來失タル物也ト 云ヒ騷グ間ニ、其ノ聞エ自然ラ風聞シテ、春朝ヲ捕ヘテ勘へ問フニ、事顯レテ獄ニ居エツ、春朝聖人獄ニ入テ喜テ本意ヲ遂ムガ爲ニ、心ヲ至シテ法花經ヲ誦シテ罪人ニ令聞ム、其ノ音ヲ聞ク多ノ獄人、皆涙ヲ流ジテ首ヲ低テ貴ブ事无限シ、春朝心ニ喜テ日夜ニ誦ス、而ル間院々宮々ヨリ、非違ノ別當ノ許ニ、消息ヲ遣シテ云ク、春朝ハ此レ年來ノ法花ノ持者也、專ニ不陵礫ズト、亦非違ノ別當ノ夢ニ普賢白象ニ乘テ光ヲ放テ、飯ヲ鉢ニ入テ捧ゲ持テ、獄門ニ向テ立給ヘリ、人何ノ故ニ立給ヘルゾト問ヘバ、普賢ノ宣ハク、法花ノ持者春朝ガ獄ニ有ルニ與ヘムガ爲ニ、我レ毎日ニ如此ク持來ル也ト宣フト見テ夢覺ヌ、其ノ後別當大キニ驚キ恐レテ、春朝ヲ獄ヨリ出シツ、如此クシテ春朝獄ニ居ル事、旣ニ五六度ニ成ルト云フトモ、毎度ニ必ズ勘問スル事无シ、而ル間犯ス事有テ亦春朝ヲ捕ヘツ、其ノ時ニ撿非違使等廳ニ集テ定ムル樣、春朝ハ此レ極タル罪重キ者也ト云へドモ、毎度ニ不勘問ズシテ被免ル、此ニ依テ心ニ任テ人ノ物ヲ盜ミ取ル、此ノ度ハ尤モ重ク可誡キ也、然レバ其ノ二足ヲ切テ徒人ト可成シト議シテ、官人等春朝ヲ右近ノ馬場ノ邊ニ將行テ、二ノ足ヲ切ラムト爲ルニ、春朝音ヲ擧テ法花經ヲ誦ス、官人等此レヲ聞テ涙ヲ流シテ貴ブ事无限シ、然レバ春朝ヲ免シ放ツ、亦非違ノ別當ノ夢ニ、氣高クシテ端正美麗ナル童、鬘ヲ結テ束帶ノ姿也、來テ別當ニ吿テ云ク、春朝聖人獄ノ罪人ヲ救ハムガ爲ニ、故ニ犯シヲ成シ、七度獄ニ居ル、此レ佛ノ方便ノ如也ト云フト見テ夢覺ヌ、其ノ後別當彌ヨ恐レケリ、而ル間春朝遂ニ行キ宿ル棲无クシテ、一條ノ馬出ノ舍ノ下ニシテ死ニケリ、〈○下略〉

〔沙石集〕

〈九上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818 强盜法師之道心有事
中比南都ニ惡僧有ケリ、武勇ノ道ヲノミ好テ一文不通也ケルガ、可然宿善ヤ催シケン、年タケテ後ツク〴〵ト思ケルハ、人ノ身ニ死トイフ事有リ、ノガレガタキ道也、惡業アレバ惡道ニ入リ、善業有レバ善所ニ生ル、其苦樂ノ報サダマリアル事ナリ、我ガ一期ノ行業ヲ思ニ、惡事ヲノミ好テ、 殖タル善根ナシ、齡スデニタケテ、冥途ノ旅チカヅキヌ、何事ヲタノミテカ黃泉ノ道ノ糧トセン、始、テ習ヒマナブトモ、佛法ノ理モサトリガタシ、イカナルバカリ事ヲメグラシテカ、人身ノ思出デ、淨土ノ業因トセント、人シレズ思ツゞケテ、我强盜ニ交テ、人ヲ助クルハカリ事ヲシ、ヒソカニ念佛ヲ申テ、往生ノ素懷ヲトゲント思シタヽメテ、京都へ上テ强盜ニマジハラント云ニ、サル名人ナレバ左右ナシトテトモナヒヌ、サテ人ノモトへ入時ハサキニ打入テ、シバシ〳〵トテ、或ハ人ヲニガシ物ヲカクサセ、ウへハヽシタナク見エテ、ヒソカニ人ヲ助ケリ、カクシテ物ワクルトキハ入事アラバ申ベシ、當時ハ用ナシトテ物モトラズ、友モハヂ思ケリ、サテヒソカニ念佛ノ功他念ナカリケリ、カクテ年月フルホドニ、有時カラメトラレテ、撿非違使ノモトニアヅケイマシメラル、彼撿非違使ガ夢ニ、金色ノ阿彌陁ノ像ヲシバリテ柱ニユイ付タリト見ル、驚テアヤシク思テ、先ヅ此法師、ヲトキユルシテ、御房ノ强盜スル心ハイカニト云ニ、御不審ニヤ及ビ候、ツタナク不當ニシテ、物ノホシサニコソ仕候ヘトイヘバ、タヾスグニイハレヨ、思ヤウ有テ問也トイヘドモ、タヾ同體ニゾタビ〳〵コタへケリ、撿非違使申ケルハ、タヾ有ノマヽニイハレヨ、マコ卞ニハカヽルユメヲ見テ侍也、御房ヲシバリタルガ、佛トノミ夢ニ見ユルゾトイフ時、コノ法師ハラハラトウチナキテ、本ハ南都ノ惡僧ニテ侍シガ、近比後世ノ事オソロシク覺エ候テ、武勇ノ道ニナレタル故ニ、伺クハ此道ヲ以テ善根ノ因ニセバヤト思侍ル、其故ハ京都ノ强盜イタヅラニ人ヲ殺シ、ソコバクノ物ヲカスメトリ候コト不便ニ覺テ、人ノ命ヲモタスケ、物ヲモスコシカクサセテ、コノホカハ一向念佛ヲ申サント思立テ、カヽルワザヲナンツカマツルナリ、コノ事心バカリニ思ヒヨリテ、人ニトフコトナク候ツルガ、サテハ佛ノ御意ニカナヒテバシ候ニヤト申、檢非違使涙ヲナガシテ隨喜シ、上ニ申テユルシテケリ、〈○下略〉

盜賊悔悟

〔今昔物語〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819雲林院菩提講聖人往生語第廿二 今昔、雲林院ト云フ所ニ、菩提講ヲ始メ行ヒケル聖人有ケリ、本ハ鎭西ノ人也、極タル盜人也ケレバ、被捕テ獄ニ七度被禁タリケレバ、七度ト云フ度捕テ、撿非違使共集テ各議シテ云ク、此盜人一度獄ニ被禁タラムニ、人トシテ吉事ニ非ズ、況ヤ七度マデ獄ニ被禁ム事、世ニ難有ク極タル公ノ御敵也、然レバ此度ハ其足ヲ切ラムト定メテ、足ヲ切ラムト爲ニ、川原ニ將行テ旣ニ足ヲ切ラムト爲ル時ニ、世 ト云フ相人有リ、人ノ形ヲ見テ善惡ヲ相スルニ、一事トシテ違フ事无カリケリ、而ルニ其相人其盜人ノ足切ラムト爲ル所ヲ過ルニ、人多集レルヲ見テ寄テ見ルニ、人ノ足ヲ切ラムトス、相人此ノ盜人ヲ見テ切ル者ニ向テ云ク、此ノ人我レニ免ジテ足ヲ切ルコト无レト、切ル者ノ云ク、此ハ極タル盜人トシテ、七度マデ獄ニ被禁タル者也、然レバ此度ハ撿非違使集テ、足ラ切可シト被定レテ被切也ト、相人ノ云ク、此ハ必ズ可往生キ相ヲ具シタル者也、然レバ更ニ不切ズト、切ル者共ノ云ク、由无キ相爲ル御房カナ、此ク許ノ惡人ハ何ゾノ往生可爲キゾ、物モ不思エヌ相カナト云テ、只切ニ切ラムト爲ル、相人其ノ切ラムトスル足ノ上ニ居テ、此ノ足ノ代ニ我ガ足ヲ可切ル、必ズ可往生スベキ相有ラム者ノ足ヲ切ラセテ我見バ、罪難遁カリナムト云テ、音ヲ擧テ叫ビケレバ、切ラムトスル者共結(アツカイ)テ、撿非違使ノ許ニ行テ、然々ノ事ナム侍ルト云ケレバ、撿非違使共亦相議シテ、然ル止事无キ相人ノ云フ事ナレバ、此ヲ不用ザラムモ不便也トテ、非違ノ別當 ト云フ人ニ此ノ事ヲ申スニ、然バ免追ヒ棄テヨト有ケレバ、足ヲ不切ズシテ追ヒ棄テケリ、其後此ノ盜人深ク遘心ヲ發シテ、忽ニ髻ヲ切テ法師ト成ヌ、日夜ニ彌陁ノ念佛ヲ唱テ、懃ニ極樂ニ生レムト願ヒケル程ニ、雲林院ニ住シテ、此ノ菩提講ヲ始メ置ケル也、遂ニ命終ル時ニ臨テ、實ニ相叶ヒテ貴クテゾ失ニケル、〈○下略〉

〔沙石集〕

〈六上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820 説經師之强盜令發心事、
洛陽ニ説經師有ケリ、一説ニハ聖學法印、一説ニハ淸水法師、某請用シテ布施物多クトリテ夜陰 ニ入テ歸ケルヲ、河原ニテ賊共アマタ待カケテ、有ホドノ物ミナトリテケリ、張本ノ男矢ウチハゲテ、輿ノ前ニ立テ物取共ノバシケルホドニ、此僧思ヒケルハ、信心ノ施主三寶ニ供養スル志ヲ以テ施物ヲサヽグ、此ヲ以テ佛事ニモモチイ、利益アラン事ニ用フベキヨシ思ニ、此賊共ヨコサマニカスメ取ル事、同ジヌスミトイヒナガラ、コトニ罪業ヲモクシテ、惡道ニ入ナントスル事カナシク、哀ニ覺テ、我ガ難ニアヘル事ハワスレテ、心ヲスマシコエウチアゲテイハク、何ゾ電光朝露ノ小時ノ此ノ身ノタメニ、阿僧祇耶長時ノ苦因ヲ造ラント、スメル音ヲ以テ兩三返詠ジケルヲ、心ハシラ子ドモ、ナニトナク貴ク覺ヘテ、コノヌス人身ノ毛モヨダチテ、矢サシハヅシテ、コレホドノ難ニアヒ給テ、何事ヲ御心スマシテ、カクノドカニ仰候ゾ、抑此ハナニトイフ心ニテ候ゾ、ヨニ心肝ニソミテタトク覺へ候トイヒケレバ、コノ僧本ヨリイミジキ辨説ノ人也ケレバ、生死無常ノ道理ヨリ申立テヽ、一、期ハ夢マボロシノ如シ、電光朝露ニコトナラズ、因果ノ道理遁ガタク、苦樂ノ報ヲウク、三寶ノ物ヲカスメ取テ妻子ヲヤシナヒ、身命ヲツガントスル、凡夫ノ習トイヒナガラヲロカナリ、罪ナクシテ世ヲワタルワザオホカルニ、カヽル大罪ヲ作テ大地獄ニオチテ、無量劫ノ苦ヲ受ケン事ノカナシサニ、我身ノ事ハワスレテカク云ナリト、泣々申サレケレバ、此賊モ袖ヲシボリテサリヌ、サテソノ次日ノタ方、月代有ル入道、コノ房ニ來テヒソカニ申入ケルハ、夜部ノ强盜入道ニナリテ參テ候、夜部ノ御説法ニ發心シテ、同ジ惡黨共アマタ入道ニ成テ候トテ、髻共少々持テ來レリ、事々シク候ヘバ、サノミハマイマズ候トテ、夜部取ル所ノ布施物ミナモチテ返シ奉テケリ、〈○下略〉

〔先哲叢談〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 中江原、字惟命、小字與右衞門、號藤樹、又號頤軒、又號嘿軒、近江人、
藤樹篤信王文成致知之學、先躬行、後文詞、毎引四民諭之、人無賢愚皆服其德、莫起于善、今世諸儒絶無近似者、嘗夜自郊外歸、有賊數人、突從林中出、遮路曰、客解槖以供我飮酒、藤樹乃熟視、擧錢 二百之、賊拔刀叱曰、所以求一レ客者豈止是而已哉、速卸衣裳及佩刀、否則不多言、藤樹神色不變曰、姑緩之、吾慮其授與不孰是、乃瞑目又手、少頃曰、吾慮之、暇戰而不利、無輕卸以與汝之理、卽撫刀起、且曰、戰者必先以姓名吿、我近江人中江與右衞門也、於是賊大驚、投刀羅拜曰、敝郷雖五尺童子、莫藤樹先生爲聖人、吾黨雖攘攫爲一レ活、豈得之聖人哉、願先生矜其不知而宥之、藤樹曰、人誰無過、過而能改、善孰大焉、乃説之以知行合一之理、則賊成感泣、遂率其黨良民

〔先哲叢談〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 伊藤仁齋〈○中略〉
嘗夜行郊外、刼賊四五人、當路立各按劒曰、吾徒不醉不樂、今無酒資、客若欠腰纒、則脱衣裳之、仁齋神色不少動曰、今日道無櫜錢、敝緼https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02296.gif 脱以遺之耳、且問汝輩常以何爲業邪、曰昏夜横行、掠奪以自給、是其業也、仁齋曰、以若所一レ爲爲業、吾何拒焉、輙脱服以授之將去、於是賊止仁齋曰、吾儕草竊爲衣食、比年未嘗見擧止如客者、抑客何爲者、曰儒者也、曰儒者爲何事、曰以人道人者也、所謂人道者孝於親、弟於兄、不一日無而是也、人者無道禽獸焉耳、言未畢、賊皆頓首涕泣曰、噫吾與君鈞是人也、而事業之逈異如是、吾甚耻、願君宥吾儕罪、今而後飮灰洗胃、謹奉敎于門下、遂皆改心自勵云、

〔兎園小説〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 騙兒悔非自新
加賀の金澤の枯木橋の西なる出村屋太左衞門といふ商人の兩替舗ハ、淺野川の東の橋詰にあり、文化九年癸酉の大つごもりに、卯辰山觀音院の下部使なりと僞りて、出村屋が舖に來つ、百匁包のしうがねを騙りとりたる癖者ありしを、當時隈なくあさりしかども、便宜を得ざりしとぞ、かくて十あまり三とせを經て、文政七甲申の年の大つごもりに、出村屋が兩替舗に、人の出入の繁き折、花田色のいとふりたる風呂敷包をなげ入れて、こちねんとしてうせしものあり、たそがれ時の事なれば、その人としも見とめずして、追人ども甲斐はなかりけり、ざてあるべきにあらざれば、太左衞門は、いぶかりながら、件の包を釋きて見るに、うちにはしろかね百匁ばかりと、錢 十六文ありて、一通の手簡を添へたり、封皮を析きてその書を見るに、十とせあまりさきつころ、やつがれ困窮至極して、せんすべのなきまゝに、膽太く惡心起りて、觀音院の使と僞り、當御店(ソノミタナ)にて、銀百匁を騙りとり候ひき、こゝをもて火急なる艱苦をみづから救ふものから、かへり見れば、罪いとおもくて、身を容るゝ處なし、よりてとし來力を竭して、やゝ本銀をとゝのへたれば、その封貨を相添へて、けふなん返し奉る、〈國法にて、彼人百匁毎に銀を包みて一封、とし、印を押して行ハしむるに、封賃十六文を取ることとぞ是則紙の費に充るととといふ、よりてその十六文を添へたるなり、〉ふりにし罪をゆるされなばかの洪恩を忘るゝときなく、死にかへるまで幸ひならん、利銀はなほのち〳〵に償ひまゐらすべきになん、あなかしことばかりに、さすがに名氏をしるさねども、あるじはさらなり、小もの等まで、この文に就き、その意を得て、感嘆せぬはなかりけり、同郷の人中澤氏、〈名ハ儉〉今玆〈文政乙酉〉正月十一日、卽願寺といふ梵刹にて、太左衞門にあひし折、彼の顚末をうち聞きて、件の手簡を見てけるに、手迹もその書ざまも、いといたう拙なければ、さゝやかなる民などのわざなるべしと思ふといへり、折から尾張の人の篆刻をもて遊歷したるが、故郷へ歸ると聞えしかば、そがうまのはなむけにとて、件の事の趣を綴り、たる漢文あり、この夏聖堂の諸生、石田氏〈名ハ煥〉江戸よりかへりて、舊故を訪ひし日、松任の驛なる友人木村子鵠の宿所にて、中澤氏の紀事を閲して、感嘆大かたならざれども、惜むらくはその文侏偶なり、よりて綴りかへにきといふ漢文亦一編あり、
且編末の評に云、鳴呼是一人之身、爲非義則愚夫猶惡之、及其悔非改一レ過、則君子亦稱之、書所謂惟聖不念作狂、狂克念作聖、一念之發、其可愼哉、孔子曰、過勿改、孟子曰、人能知恥則無恥、信哉、夫人不恥、則非義暴戻、無爲、苟能知恥、立身行道、豈難爲哉、於是知、國家仁政之效、有以使民遷善而不自知、孔子所謂有恥且格者、可徵哉、予はその文の巧拙に抱れるにあらねども、只勸懲を旨として、蒼隷農夫もこゝうえ易き假名ぶみにしつるのみ、さばれその事のはじめ終りを審に傳へざ りしは、記者の漢文に做ふたる筆のまはらはぬ故なるべし、〈銀を騙略せられし時の形勢、後に銀を返しくれし時、國主に訴へたるか否の事、原文にもれたり、〉

盜賊報恩

〔今昔物語〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0824 觀硯聖人在俗時値盜人語第十八
今昔、兒共摩行シ觀硯聖人ト云者有キ、其ガ若クシテ在俗也ケル時、祖ノ家ニ有ケルニ、夜壺屋ニ盜人入ヌト人吿ケレバ、人皆起テ火ヲ燃シテ、壺屋ヲバ觀硯モ入テ見ケルニ、盜人モ不見エ、然レバ盜人モ无リケリト云テ、人皆出ナント爲ルニ、觀硯吉ク見レバ、皮子共置タル迫ニ、裾濃ノ袴著タル男打臥タリ、若シ僻目ニヤト思テ、指燭ヲ指テ寄テ見レバ實ニ有リ、篩フ事无限リ、何ニ侘シク思ユラント思ニ、忽ニ道心發テ、此盜ノ上ニ尻ヲ打懸テ、吉ク求メヨ、此方ニハ无リケリト、高ヤカニ盜人ニ知セント思テ云ニ、盜人彌ヨ篩フ、面ル間求キタル者共モ、此方ニモ无リケリト云テ、皆出ヌ、指燭モ消ヌレバ暗ク成ヌ、其時ニ觀硯密ニ盜人ニ起上テ、我ガ脇ニ交テ出ヨ、糸惜ケレバ逃サムト思フゾト云ケレバ、盗人和ラ起上リテ、觀硯ガ脇ニ付テ出ヅ、築垣ノ崩ノ方ニ將行テ、今ヨリ此ル事ナセソ、糸惜ケレバ逃スゾト云テ押出ヅ、然レバ逃テ走リ去ヌ、誰ト云事モ何デカハ知ムト爲ル、其後觀硯年來ヲ經テ、東國ノ受領ニ付テ行ヌ、而ル間要事有テ京ニ上ルニ、關山ノ邊ニシテ盜人ニ合ヌ、盜人多クシテ箭ヲ射懸ケレバ、觀硯ガ具シタリケル者共皆迯散ヌ、觀硯ハ不射ト繁キ藪ニ馬ヲ押寄ケル、藪ノ中ヨリ盜人三四人許出テ、觀硯ガ馬ノ口ヲ取ツ、或ハ鎧ヲ抑へ、或ハ轡ヲ取テ、谷迫ニ只追ニ追將行ク、盜人ナラバ衣ヲ剝、馬ヲ取ランコソ例ノ事ナルニ、此ク自ラヲ追持行ハ、敵ノ殺ンズル也ト思フニ、觀硯肝心失テ、更ニ物不覺シテ、我ニモ非ヌ心地シテ行ニ、五六十町ハ山ニ入ヌラント思フ、今ハ可殺ニ此ク遙ニ將行ハ、何ト心モ不得思ユル、見返テ恐々見レバ、極キ怖シ氣ナル者、箭ヲ差番ツヽ後ニ立テ來ル、而ル間旣ニ酉時許ニ成ヌ、見レバ山中ノ谷迫菴造タル所有リ、糸稔(ニギ)ハヽシキ事无限、吉馬二三疋許繫タリ、大ナル釜共居幷テ、谷ノ水 ヲ懸テ湯涌シテ共ニ將行タレバ、年五十許ナル男ノ怖シ氣ナルガ、水干裝束シテ打出ノ大刀帶タリ、郎等卅人許有、此主人ト思シキ男、觀硯ヲ此へ將奉レト高ク云ニ、何ニセンズルニカト怖クシテ被篩ル、我ニモ非デ被引テ行、菴ノ前ニ引持行テ抱下シ奉レト云ヘバ、若キ男ノ强力氣ナル來テ、觀硯ヲ兒共ナド抱ク樣ニ指テ下ツ、被篩テ否不歩バ、此ノ主人ノ男來テ手ヲ取テ、菴ノ内ニ引入テ裝束モ解セツ、十月許ノ事ナレバ、寒ク御マスラント云テ、綿厚キ宿直物ノ衣持來テ打著セタリ、其時ニ觀硯殺ンズルニハ非ザリケリ、此ハ何ニ爲事ゾト思廻スニ、更ニ不心得、見バ菴ノ前ニ郎等共居幷テ、俎五六許幷テ樣々ノ魚鳥ヲ造リ極ク經營ス、此主人ノ男早ク食物奉ラセヨト行ヘバ、郎等共手毎ニ取テ目ノ上ニ捧ツヽ持來ヲ、主人寄テ取居ウ、黑柿ノ机ノ淸氣ナルニツヲ立タリ、盛立タル物共皆微妙クシテ其味艶ス吉ク極シニタレバ物吉ク食フ、食畢テ後、他ノ菴ニ桶共居エテ、湯取セテ後、主人ノ男來テ、旅道ニテ久ク湯浴サセ不給ツラン、湯浴サセ給ヘト云ヘバ下テ浴ム、浴畢テ上レバ、新キ帷持來テ、著ヌ、其後本菴ニ將行タレバ臥シヌ、夜曉ヌレバ粥奉ラセ、食物ドモ早クト急ガシテ令食、午未ノ時許ニ成程ニ、物ナド食畢テ後ニ、主人ノ男ノ云ク、今二三日モ可御座レドモ、京ニ疾グ御マサマ欲カラム、然レバ今日返ラセ給ヒ子、心モ得サセ不給バ、靜心モ御サジト、觀硯何ニモ宣ハンニコソハ隨ハメト答フ、然テ彼被追散タル從者共ハ、去テ、行合テ主ヲ尋ルニ、觀硯ガ馬ノ尻ニ立タリケル男ノ云、盜人七八人シテ我君ヲバ鎧ヲ抑へ、弓ニ箭ヲ番ツヽ、谷樣へ將奉ヌ、敵ノ殺シ奉ツルニコソ有メレ卍云テ泣ケレバ、從者共京ニ返テ家ニ行テ、我君ハ關山ニテ盜人ニ被取テ御マシヌ、今ハ死シ給ヌラント吿ケレバ、何(イツ)シカト思テ待ケル妻子共、此ク聞テ泣喤ル事无限、此テ觀硯ヲバ本ノ馬ニ乘セテ、人五六人許付テゾ返シ遣ケル、行ン道ヨリハ不將行シテ、南山科ニナン將出タリケル、其ヨリ慈德寺ノ南ノ大門ノ前ヨリ、行道ヨリナン、粟田山へハ將越テ川原ニハ出タリケル、家ハ五條邊ニ有ケレバ、夜ニ入テ人ノ居靜 マル程ニゾ家ニ來テ、門ヲ叩ク程ニ、馬ニ皮子二ツヲ負セテ、共ニ具シタリケルヲ、門脇ニ二ツ乍ラ取下シテ、此奉レト候ツル也ト云テ、取置テ負セタリツル馬モ、具シタリツル者共モヤガテ返去ニケリ、此スレドモ更ニ心不得、而ル間家ヨリ人出デ、誰ゾ此ク御門叩クハト問ヘバ、我來タル也、此開ヨト云ヘバ、殿御マシニタリトテ、一家喤リ合テ、門ヲ開テ入タレバ、妻子觀硯ヲ見テ喜ブ事无限、門ノ脇ニ置タリツル皮子ヲ、二乍ラ取入テ開テ見レバ、一ツニハ文ノ綾十疋、美八丈十疋疊綿百兩入タリ、今一ツニハ白キ六丈ノ紬布十段、紺ノ布十段入タリ、底ニ立文有リ、披テ見レバ、糸惡キ手ヲ以テ假名ニ此ク書タリ、一トセノ壺屋ノ事ヲ思シ出ヨ、其事ノ于今難忘ケレバ、其畏ヲ可申方ノ不候ツル、此上ラセ給フ由ヲ承テ迎ヘ奉ル也、其喜サハ何レノ世ニカ忘レ申サム、其夜徒ニ成ナマシカバ、今マデ此テ侍ラマシヤハト、思給ウレバ无限ナント書タリ、其時ニゾ觀硯被心得テ肝落居ケル、東ヨリモ極ク不合ニテ上タリケレバ、待受ケン妻子ノ爲ニモ恥カシク思ケルニ、此物共ヲ得タレバ喜クテ、田含ノ物ヲ具シテ上タル樣ニ思ハセテ有ケル、此ル事コソ有シカト觀硯ガ語リシ也、不思懸物共得タル觀硯也カシ、然レバ世ノ人尚人ノ爲ニハ吉ク當リ可置事也トナン、語リ傳ヘタルトヤ、

盜賊返盜品

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 博雅三位の家に盜人入たりけり、三品板敷の下ににげかくれにけり、盜人歸り、さて後はひ出て家中を見るに、殘たる物なくみな取てけり、篳篥一を置物厨子に殘したりけるを、三位とりてふかれたりけるを、出でさりぬる盜人はるかに、是を聞きて感情をさへがたくして、歸來て云やう、只今の篳篥のねを承に、あはれにたうとく候て、惡心みなあらたまりぬ、取所の物どもこと〴〵くに返し奉るべしといひて、皆置て出にけり、昔の盜人は又かくゆう成心も有けり、

〔古事談〕

〈三/僧行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 此安養尼上之許、强盜亂入、房中ニ有ケル物皆搜取出了、尼上紙衾計ヲ被著ケリ、小尼 公〈安養尼婦尼也〉走廻テ見ケレバ、カレ色ノ小袖ヲ一落タリケルヲ取テ、是ヲ落テ候ケル、タテマツルトテ持來タリケレバ、尼上云、其モ奪取之後ハ我物トコソ思覽ニ、主ノ心不行覽物ヲバ、爭可著哉、遠不行以前ニ早可返給云々、仍小尼公走出門、ヤヽトヨビカへシテ、是ヲ令落給タレバ、タテマツラント云ケレバ、强盜等立歸テ暫案ジテ、惡ク參候ニケリトテ、所取之物等倂返置テ退散云々、〈○又見古今著聞集十二

〔沙石集〕

〈六/上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0827 强盜之問法門
鎌倉ノ若宮ニ、三井寺法師實相院ノ民部阿闍梨圓智ト云眞言師有ケリ、説法ナレドモ尋常ナリケルガ、或時請用シテ、布施物巨多ニ取テケルヲ、强盜五六人彼房ニ打入テ房主ヲトラヘテ布施物ヲハコビトル、其間强盜法師一人、此房主ニ眞言ノ法門ヲ問答シケリ、次第ニ事相ノ大事共ヲ問時、是ハ宗ノ大、事ナレバ、タヤスク云ベカラズト云時、此法師サラバ御房ヲアヤマチ奉ルベシトテ、長刀ヲ胷ニサシアテヽ、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00263.gif ニノ玉へト云ケレドモ少シモサハガズ、云ベキホドノ事ハ答ツ、コノ重ハ我宗ノ大事也、命オシトモ爭カ云ベキト云ケル時、此法師御房ハイミジキ佛法者ニテ御坐ケリトテ、大ニ隨喜シテ、ハコビケル用途十結ヲバ、御布施ニ奉ツル也トテステヽ歸ニケリ、彼不當ノ心ノ中ニ、加樣ニシケル事ワリナクコソ、是ハ近キ事也、タシカニ聞ツタヘテ、或人カタリ侍リキ、

諭盜賊免害

〔今昔物語〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0827 藤原親孝爲盜人質依賴信言免語第十一
今昔、河内守源賴信朝臣、上野守ニテ其國ニ有ケル時、其ノ乳母子ニテ、兵衞尉藤原親孝ト云者有ケリ、其レモ極タル兵ニテ、賴信ト共ニ其ノ國ニ有ケル間、其ノ親孝ガ居タリケル家ニ、盜人ヲ捕ヘテ打付テ置タリケルガ、何ガシケム枷鏁ヲ拔テ逃、ナムトシケルニ、可逃得キ樣ヤ无カリケム、此ノ親孝ガ子ノ五ツ六ツ計ナル有ケル、男子ノ形チ嚴カリケルガ走り行ケルヲ、此ノ盜人質ニ 取テ、壺屋ノ有ケル内ニ入テ、膝ノ下ニ此兒ヲ搔臥セテ、刀ヲ拔テ兒ノ腹ニ差宛テヽ居ヌ、其時ニ親孝ハ館ニ有ケレバ、人走リ行テ若君ヲバ盜人質ニ取リ奉リツト吿ケレバ、親孝驚キ騷テ走リ來テ見レバ、實ニ盜人壺屋ノ内ニ兒ノ腹ニ刀ヲ差宛テ居タリ、見ルニ目モ暗レテ爲ム方无ク思ユ、只寄テヤ奪テマシト思ヘドモ、大キナル刀ノ鑭メキタルヲ、現ニ兒ノ腹ニ差宛テ、近クナ寄リ不御座ソ、近クダニ寄御座バ、突キ殺シ奉ラムトスト云ヘバ、現ニ云マヽニ突殺テハ、百千ニ此奴ヲ切リ刻タリトモ、何ノ益カハ可有キト思テ、郎等共ニモ、穴賢近クナ不寄ソ、只遠寄ニテ守リテ有レト云テ、御館ニ參テ申サムトテ走リテ行ヌ、近キ程ナレバ守ノ居タル所ニ、周章迷タル氣色ニテ走リ出タレバ、守驚テ此ハ何事ノ有ゾト問ヘバ、親孝ガ云ク、只獨リ持テ候フ子ノ童ヲ、盜人ニ質ニ被取テ候フ也トテ泣ケバ、守咲テ理ニハ有レドモ、此ニテ可泣キ事カハ、鬼ニモ神ニモ取合ナドコソ可思レ、童泣ニ泣事ハ糸鳴呼ナル事ニハ非ズヤ、然許ノ小童一人ハ突殺サセヨカシ、然樣ノ心有テコソ兵ハ立ツレ、身ヲ思ヒ妻子ヲ思テハ俸弊カリナム、物恐ヂ不爲ト云バ、身ヲ不思ハ妻子ヲ不思ヲ以テ云也、然ニテモ我レ行テ見ムト云テ、太刀許ヲ提テ、守、親孝ガ栖へ行ヌ、盜人ノ有ル壺屋ノ口ニ立テ見レバ、盜人、守ノ御座也ケリト見テ、親孝ヲ云ツル樣ニハ否息卷ズシテ、臥目ニ成テ刀ヲ彌ヨ差宛テ、少シモ寄來バ突キ貫ツベキ氣色也、其ノ間兒泣事極ジ、守、盜人ニ仰テ云ク、汝ハ其ノ童ヲ質ニ取タルハ、我ガ命ヲ生カムト思フ故カ亦只童ヲ殺サムト思フカ、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00263.gif ニ其ノ思フラム所ヲ申セ彼奴ト、盜人侘シ氣ナル音ヲ以テ云ク、何デカ兒ヲ殺シ奉ラムトハ思給ヘム、只命ノ惜ク候ヘバ生カムトコソ思ヒ候ヘバ、若ヤトテ取奉タル也ト、守、ヲイ、然ルニトハ其ノ刀ヲ投ゲヨ、賴信ガ此許仰セ懸ケムニハ、否不投デハ不有ジ、汝ニ童ヲ突セテナム、我レ否不見マジキ、我心バヘハ自然ラ音ニモ聞クラム、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00263.gif ニ投グヨ彼奴ト云ヘバ、盜人暫ク思ヒ見テ、忝ク何デカ仰セ事ヲバ不承ラ候ハン、刀投ゲ候フト云テ、遠ク投ゲ遣ツ、兒ヲバ押起シテ免シタレバ、 起キ走テ逃テ去ヌ、其ノ時ニ守少シ立去テ、郎等ヲ召テ彼ノ男此方ニ召シ出セト云ヘバ、郎等寄テ男ノ衣ノ頸ヲ取テ、前ノ庭ニ引キ將出テ居エツ、親孝ハ盜人ヲ斫テモ棄テムト思ヒタレドモ、守ノ云ク、此奴糸哀レニ此ノ質ヲ免シタリ、身ノ侘シケレバ、盜ヲモシ命ヤ生トテ質ヲモ取ニコソ有レ、惡カルベキ事ニモ非ズ、其レニ我ガ免セト云ニ隨テ免シタル、物ニ心得タル奴也、速ニ此奴免シテヨ、何カ要ナル申セト云ドモ、盜人泣キニ泣テ云事无シ、守此奴ニ粮少シ給へ、亦惡事ヲ爲タル奴ナレバ、末ニテ人モゾ殺ス、廐ニ有ル草苅馬ノ中ニ强カラム馬ニ、賤ノ鞍置テ將來ト云テ取リニ遣ツ、亦賤ノ樣ナル弓胡錄取リニ遣ツ、各皆持來タレバ、盜人ニ胡錄ヲ負セテ、前ニテ馬ニ乘セテ、十日許ノ食許ニ干飯ヲ袋ニ入レテ、布袋ニ裹テ腰ニ結ビ付テ、此ヨリヤガテ馳散ジテ去子ト云ケレバ、守ノ云ニ隨テ馳散ジテ逃テ去ニケリ、盜人モ賴信ガ一言ニ憚テ質ヲ免シテケム、此レヲ思フニ、此ノ賴信ガ兵ノ威糸止事无シ、彼ノ質ニ被取タリケル童ハ、其後長ニ成テ金峯山ニ有テ出家シテ、遂ニ阿闍梨ニ或ニケリ、名ヲバ明秀トゾ云ケルトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

欺盜賊免害

〔今昔物語〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 阿蘇史値盜人謀遁語第十六
今昔、阿蘇ノ ト云フ史有ケリ、長ケ短也ケレドモ、魂ハ極キ盜人ニテゾ有ケル、家ハ西ノ京ニ有ケレバ、公事有テ内ニ參テ、夜深更テ家ニ返ケルニ、東ノ中ノ御門ヨリ出テ車ニ乘テ、大宮ノ下ニ遣セテ行ケルニ、著タル裝束ヲ皆解テ片端ヨリ皆帖テ、車ノ疊ノ下ニ直グ置テ、其ノ上ニ疊ヲ敷テ、史ハ冠ヲシ襪ヲ履テ、裸ニ成テ車ノ内ニ居タリ、然テニ條ヨリ西樣ニ遣セテ行クニ、美福門ノ程ヲ過ル間ニ、盜人傍ヨリハラ〳〵ト出來ヌ、車ノ轅ニ付テ牛飼童ヲ打テバ、童ハ牛ヲ棄テ逃ヌ、車ノ後ニ雜色二三人有ケルモ、皆逃テ去ニケリ、盜人寄來テ車ノ簾ヲ引開テ見ルニ、裸ニテ史居タレバ、盜人奇異ト思テ、此ハ何カニト問ヘバ、史東ノ大宮ニテ如此也ツル、君達寄來テ己ガ裝束ヲバ皆召シツト、笏ヲ取テ吉キ人ニ物申ス樣ニ畏マリテ答ケレバ、盗人咲テ棄テ去ニケリ、其 ノ後史音擧テ牛飼童ヲモ呼ケレバ、皆出來ニケリ、其ヨリナム家三返ニケル、然テ妻ニ此ノ由ヲ語ケレバ、妻ノ云ク、其ノ盜人ニモ增リタリケル心ニテ御ケルト云テゾ咲ケル、實ニ糸怖キ心也、裝束ヲ皆解テ隱シ置テ、然カ云ハムト思ケル心バセ、更ニ人ノ可思寄キ事ニ非ズ、此ノ史ハ極タル物云ニテナム有ケレバ、此モ云フ也ケリトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

私人捕殺盜賊

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 永享三年六月四日、抑此間境内所々盜人入、仍嫌疑之輩有沙汰、地下人兵庫年來有盜人之疑、兄弟有三人、二人ハ御所侍、〈善祐、助六、〉一人ハ光臺寺僧也、然間兵庫一人可召捕之條、雖子細、兄弟等定可鬱憤歟、如何之由沙汰人等申、仍善祐兄弟僧相尋之處、善祐近年絶行了不存知之由申、自余同不存知之由申、但若虚名歟、然者不便也、先兵庫ニ此由可相尋之由、助六僧〈俊意〉各申、爲實犯者可切腹之由可申云々、相尋之處、此間盜人事努々不存知、所詮書湯起請、有其失者可切腹之由申、仍今日於御香宮、陰陽師令湯起請、而敢無其失無爲也、但三ケ日可其失之由、陰陽師申之間、御香宮ニ召籠守、失神慮尤不審、 五日、地下盜人猶嫌疑者三四人、今日又令湯起請、一人ハ逐電云々、三人於御香宮之、一番ニ書物〈地下人結桶師也〉則手燒損、則搦捕縛之、次二人書無其失、無爲也、舟津山村者也、其村ニ預置云々、三品歸參、松永渡狀守護代無爲ニ出之、請和(素行)泉ニ千疋太刀一振賜之、畏申、入江殿へ參、 西雲庵遣狀、公方へ悦申趣、可披露之由令申、抑上﨟(室町殿)局御臺之儀と上樣と可申云々、仍去一日公家武家諸大名群參面々折紙〈料足〉進云々、其御禮松永御禮旁、可一獻之由、西雲被計申、計會也、 七月十四日、抑地下人兵庫、去湯起請之後地下沒落、大和邊流浪人之太刀を盜取被打殺云々、遂以盜果身存内事也、
○按ズルニ、私人ノ强盜ヲ捕殺セシ事ハ、强盜條ニ在リ、

盜賊隱語

〔臥雲日件錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 享德三年三月十五日、聖壽寺坊主來、因話京中盗賊、古今无比類、數日前一夜、打店屋者兩處、凡店屋逢盜賊、自古來之有也、今盜賊公然无憚畏、由是不此黨者殆希矣、上出七貫、中出五 貫、下三貫、初入賊黨之謁贄也云々、予又擧昨日鹿苑院主説而吿之曰、盜賊中有隱語、曰止陽、曰合沫、曰錢湯、錢湯者不貴賤、各領盜、曰合沫者、諸賊等分其財、曰止湯者不多少、所盜歸賊中首也、

〔兎園小説〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 隱語
盜賊の隱語とて、ある人のかたれるは、土藏を娘といひ、犬を姑といへり、たとへば、其の所によき娘あり、見ずやといへば、一人の賊いへらく、しかなり、おのれさいつ頃、ゆきてあたり見んとおもふに、しうとめの、いとやかましういひければ、折わろしとおもひてやみぬなどいへるとぞ、これらは作りまうけしものにもやあらんかし、されどこれらの事あへてなき事ともいひがたし、〈○下略〉

雜載

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 柳原の邊に、强盜法印(○○○○)と號する僧ありけり、たび〳〵强盜にあひたる故に、此名をつけにけるとぞ、

〔黑田故郷物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 中間の内、盜をしたる者有、頭共申上けるは、是々の盜みを仕候間、搦置申候、御成敗なされ可然存候由申けり、如水聞て、首取事はいらぬ事ぞ、早々追出せと被申ければ、いや〳〵度度の事にて候間、此者は是非共首を被刎候へかしと申せば、上々の事也、度々盜みをせば能々盜人に生付たる者可成、急て追出せ、先々にて定て盜し、重ての主に斬せよ、第一己めが仕業は、度々盜をするを知たらば、何にしに今まで置たるぞ、一度にても合點の可有事ぞと、したゝか叱られたり、又有時、作事の奉行に、こけら又用に立ぬ木の切などを、念を入取集め、風呂屋へ渡せと被申付候へば、こけらは大工が取申候、其外は長屋の者共盜候に付、少も無之と申せば、したゝか腹を立、こけら盜人を捕へからめよ、首を可切と稠敷被申付ければ、此奉行心に思ひけるは、慈悲深く物毎和成により、ケ樣の法度もしまらず候、幸の事と思ひ、心を付見候へば、其晩にはや、こけら盜人を見逢、からめ候へば、草り取也、主人迷惑に思ひ、人を賴み、色々樣々侘言を仕候へ共、堅被仰付 候間、宥申間數由申切、則其夜こけら盜人をしばり候由、手柄だてに申ければ、内心にはたわけたる仕樣哉と被思けれども、能仕たり、頓て首を可切と被申付、けふか〳〵と思へども、四五日延候、如水は定て侘言可仕、其時いかにも稠敷恐し候樣に云なして可宥と思ひ、侘言遲しと被待ける時、留守居の者、作業奉行同前に罷出、こけら盜人は今晩首を切可申哉、永々しばり置候へば、日夜番を付、人も入申候由申上候へば、大たわけめ、物を能聞、其こけら盜たる者の首を切、盗みたる木の切れに、かれが著物をきせつかひて見よ、人間の役をばせまじきぞ、人を殺と云は、何程大儀成事と思ふぞ、己らは何共おもはぬと見えたり、急でゆるし遣せと申付、却て叱られ、面目なく繩をとける、如水心には稠敷被仰付候間、見逢次第に縛り、致言上首を可切ぞ、かまへて盜な大事の義ぞとゑたゝかおどし、不盜樣に仕候こそ、奉行を仕候者の仕樣成に、何ぞや、だまりて盜ませ、とらへ置て首を切と申は、全く以、主の爲に不成覺悟也、己が役をさへ勤、能樣にしなしたらば、人の迷惑にも、主の爲惡敷にもかまわぬと、思ひ入たると被見付候や、其作事終候ては、重て役を不申付、自然に遠く被仕候、此旨後日に語られけると、物毎下々云合、我をだまし、人のしかられぬ樣に作う合候事は見知候へ共、互にすくひ合、落なき樣にと思ふは、ふか〴〵敷主の爲になる事なれば、だますとは乍知、却て心根不便に思ふぞと被語けると、如此諸事無法度成樣に候へども、法度稠敷家よりは能しまり、科をおかしたる者、少く候ひしと承り候、

〔筆のすさび〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 一盜入たる時可心得
いつの頃にか、備中さいちこといふ所に、細見勘介といふものありける、ある夜、盜の入らんとするを知りて、其腕をとらへて、格子へ引きこみ、其うちにて物に縛りつけて、扨刀をとり出す、盜たまりえず、自身其かいなを斬りて逃げぬ、〈或ハ同類の盜きりたりといふ〉其のち數月にして、盜また來り、勘介が寐入沱るを刺殺して去る、又甚五郎といふ者、〈其所は忘たり〉盜を追懸いで、あやまちてつまづき倒れし かば、盜たち歸り、一刀刺して去る、是も死したり、其後大坂などの町中にて、巾著きりの盜の、人の懷中をさがすを、傍より見たる人、其人に知らせなどすれば、後に盜必らず其知らせし人に害をなす、或は人多き處にて、密に小刀にて股脇腹などを刺されて死ぬる人もあり、また人家に盜いりたるを、隣家より助けなどすれば、これも後日に其家へ仇をなすとなり、されば夫と知りてもしらぬ顏にて、たすけ救ふことなし、よりて盜は公然として横行す、其地の人はかゝることをしれども、田舍よりたまさかに行し人は、其心得あるべきにこそ、

〔筆のすさび〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 一盜を防ぐべき説
備後の鞆の祇園會に、某屋といふ小間物屋の前街に、人の群聚する中にて、盜の物をとらんとせしを、人に見付けられて、海濱へ引出して、海へ投ぜんとするを見て、店主人走り出て、其罪を詫びてすくひけれ、ば、曾終りて後、一人つと入り來り、私は先日御たすけにあづかりし盜にて候、一命の御恩を謝し申さんとて、參り候といひしかば、主人も其本心のいまだ亡はざるを憐みて、酒のませて物がたりし、其意屆て、盜人を止めさせんとなり、盜も感泣して別れける、其ものがたりのうちに、凡ぬす人のいるは、表の戸、裏門のあきたるを見て、心を生ずる事多し、人みな寐んとするとき、必らず門戸はとざせども、或はわかき男女のあそびありきなどに出、頓て歸るべしとおもへど、とくにも歸らず、或は戸ざしすれども眠ながらにして、かたくさしえずなどする事あり、戸ざしはかならず主人おのれ自身すべきこと肝要なり、壁をうがちているぬす人、おどりこみなどは此例にあらず、此用心はまた格別なりといひて返りしとなり、

〔窻の須佐美〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 御先手組與力士依田佐介といへる、少し學門の志もありけるが、賊盜改役の道も功者にて、能勤めたりけり、同士の友に語りしは、往來の道に出れば、盜賊は明らかに見ゆるもの也、悉く捕へば限りなし、困窮して盜賊をなすものを、こと〴〵く捕へば、下賤の程は盡ぬべし、下 の從ふ樣にありなば、刑人有べからず、故に勝れて甚しきものを捕へて、その餘は事なければ見のがしにする事なりとかたりしとそ、戸塚の邊に、盜賊六十人餘りありと聞へて、捕へ來るべしと、役頭向井氏命じてやられける、同心十人つれて行べしとありしかば、多き盜賊を捕るに、十人つれたるとて、事たるべきや、御威光を以て、これを制するなれば、自身一人にても事足り申候とて、例のごとく、六人つれて行、十二人捕て歸りしかば、向井氏、小勢にて多く捕へたりと賞して、褒美ものなどあたへられしに、佐介これを受けず、御威光を以て所のものに申付、捕へさせ候故、無人にてもなる事に候、大勢捕へたるとの御賞美其意を得ず候、盜賊六十人訐り有り候へ共、わざと捕へ申さず候、近年取立きびしく、剰へ賦金多く困窮におよび、やむ事を得ずして盜に及び候、村中皆捕へても止まじく候、向後盜を止べきとならば、賦金等をゆるされ、民の生業調樣に仰付られば、盜は有まじく候と、細かに申ける、そのよしを若年寄本多伊豫守〈忠奝〉殿へ擧せられたれば、尤の由にて、吟味の上、賦金を免許あり、て盜人をも許し歸されけり、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:22