https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0320 誓約ハ、チカヒト云フ、身命ヲ神佛ニ賭ケ、若シクハ名譽ニ訴ヘテ以テ其事ノ虚ナラザルヲ誓フヲ謂フナリ、古クハ又之ヲウケヒト云ヒ、種々ノ徵證ニヨリテ、自他約言ノ眞僞ヲ判シ、或ハ豫メ事物ノ吉凶當否ヲ決シタリ、誓約ノ一種ニ探湯アリ、
探湯ハ、之ヲクガタチト云フ、或ハ手ヲ以テ沸湯ヲ探リ、或ハ燒鐵ヲ掌中ニ置テ、其糜爛スル ト否トニ依リテ正邪曲直ヲ定ム、後世ノ湯起請、火起請ト稱スルモノ、蓋シ是ニ原ヅク、又古クハ誓約ノ方法ニ、或ハ磐石ノ上ニ居リ、或ハ手ニ香爐ヲ執リ、或ハ神水ヲ飮ミ、鹽汁ヲ歃リ、或ハ石火ヲ敲キ、金ヲ打ツ等ノ事アリキ、後チ誓約ノ文詞ヲ書スルニ及ビ、此ニ起請文ト稱スルモノ起リ、一般ニ契約ヲ行フトキハ、必ズ之ヲ用イルコトヽナレリ、起請文ハ、一ニ神文ト云ヒ、又吿文、祭文、誓文、誓狀、誓文狀等トモ稱ス、邦語ニ之ヲチカゴトブミ、又堅メトモ云ヘリ、其書式粗〻一定シ、先ヅ誓約ノ條文ヲ列記シタル所ヲ前書ト云ヒ、次ニ神佛ノ名ヲ掲ゲテ、若シ其誓約ニ背クトキハ、當ニ冥罰ヲ蒙ルベシトノ意ヲ記セル文ヲ罰文ト稱ス、而シテ罰文ハ、大抵神社ヨリ配付スル、牛王寶印ト稱スル神符ノ紙背ニ書セリ、起請文ヲ作ルニ、二枚若シクハ七枚以上ニ及ブコトアリ、是レ一ハ神社ニ納メ、一ハ誓約者ノ間ニ分チテ、後日ノ證憑ニ供センガ爲メナリ、起請文ハ單ニ私ノ誓約ニ止ラズ、法律訴訟等ノ公ノ誓約ニモ亦之ヲ用イシコトアリ、殊ニ德川幕府ニ在リテハ、諸役起請前書ノ式ヲ定メテ、役員就職ノ時ハ勿論、駕寵御免、病氣引籠等ノ際ニモ、各〻此式ニ依リテ誓詞ヲ上ラシメ、又南蠻誓詞ト云フモノヲ定メテ、以テ耶蘇敎禁止ノ料ニ資シタリ、又起請文ハ舊ク之ヲ燒キテ灰トナシ、水若シクハ酒ニ混ジテ飮ミシ事アリ、恐ラクハ神水ノ餘習ナルベシ、又起請ヲ破リタル場合ニハ、物ヲ以テ之ヲ贖ハシメシ事アリ、而シテ起請文ノ文詞ニ不備ノ點アル力、又之ヲ書キテ後、一定ノ期間ニ、鼻ヨリ血ヲ出シ、衣服ヲ鼠ニ飡ハレ、若シクハ重輕服ニ遭遇スルガ如キ事アルトキハ、之ヲ起請失ト稱シ、共ニ其篇目ヲ定メテ、堅ク之ヲ戒メシ事アリ、

名稱

〔新撰字鏡〕

〈示〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0321 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02088.gif 〈强依反、誓祈也、禱百靈也、祈也、知加不(○○○)、又己不(○○)、又伊乃留、〉

〔類聚名義抄〕

〈五/言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0321 誓〈音逝、チカフ、命、謹、和セイ、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈知/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 契〈チギル〉 約〈同〉 願〈チカフ〉、 盟〈チカヒトモ〉、 矢〈同チカヒトモ〉、 誓 忠〈己上同チカフ、〉

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 契(チキリ)https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02089.gif 〈二字義同、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02089.gif 者二人歃血以約諾、其不蠻之義明白也、故https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02089.gif 字从朋從血也、〉

〔運歩色葉集〕

〈地〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 契(チキリ) https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02089.gif (同) 〈二人歃血約不變https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02089.gif 字從朋血也、〉 誓(チカイ)

〔易林本節用集〕

〈知/言語〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02090.gif (チギル) 約(同) 盟(同)

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 契(チギル)〈説文、大約也、〉約束(同)〈日本紀〉

〔倭訓栞〕

〈前編十五/知〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 ちかひ 新撰字鏡に誓をよめり、四書類函に、約信曰誓、涖牲曰盟と見ゆ、西土の盟約に、血を歃る事あれば、それによれる詞成るべし、古き言にはあらずかし、陳則梁が語に、牲盟不臂盟、臂盟不心盟と見えたり、

〔古今和歌六帖〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 ちかふ(○○○)
今宵より我も思はん君も思へのちわすれじとまづちかへ君

誓約法/居磐上

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 四十九年三月、以荒田別鹿我別將軍、〈○中略〉是以百濟王父子、及荒田別、木羅斤資等、共會意流村、〈今云州流湏祇(ツルスキ)〉相見欣感、厚禮送遣之、唯千熊長彦與百濟王、于百濟國、辟友山盟之、復登古沙山(ノムレ)、共居磐石上(○○○○)、時百濟王盟之曰、若敷〈○敷原作數、據壺井本改、〉草爲坐、恐見火燒、且取木爲坐恐爲水流、故居磐石而盟者、示長遠之不一レ朽者也、是以自今以後、千秋萬歲、無絶無窮、常稱西蕃、春秋朝貢、

執香爐

〔日本書紀〕

〈二十七/天智〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 十年十月庚辰、天皇疾病彌留、 十一月丙辰、大友皇子在内裏西殿織佛像前、左大臣蘇我赤兄臣、右大臣中臣金連、蘇我果安臣、巨勢人臣、紀大人臣侍焉、大友皇子手執香鑪、先起誓盟(チカヒテ)曰、六人同心、奉天皇詔、若有違者、必被天罰、云云、於是左大臣蘇我赤兄臣等、手執香爐、隨次而起、泣血誓盟、〈○下略〉

歃鹽汁

〔續日本紀〕

〈二十/孝謙〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0322 天平寶字元年七月庚戌、詔、更遣中納言藤原朝臣永手等問東人等、欺云、毎事實也、 〈○中略〉自餘衆者、闇裏不其面、庭中禮拜天地四方、共飮鹽汁誓曰、將以七月二日闇頭兵、〈○下略〉

敵石火

〔帝王編年記〕

〈十六/村上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0323 天曆八年、九條右丞相、台山楞嚴峯法華堂草創事、是歲、九條右丞相師輔公登楞嚴峯發願草創法華堂、敲石火誓曰、我子孫有朝家可繁昌、三ケ度之中可出、而只一ケ度火出訖、〈横川法華堂常灯不斷香火是也、〉

〔慈惠大僧正傳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0323 同〈○天曆〉八年、九條右丞相〈○藤原師輔〉登楞嚴峯、欽仰大師、歷覽地勢、忽登願念草創法華三昧堂、丞相於大衆中、自敲石火誓曰、願依此三昧之力、將我一家之榮、國王國母、太子皇子、槐路棘位、榮華昌熾、繼踵不絶、充衍朝家、若素願潛通、適有鏡谷之應者、所敲石火、不三度、而有効驗、一敲之間、忽焉出火、在在緇素、盡以抃躍、丞相手自挑燈、蘭釭之影、應棘誠而昭晣、自是丞相家門、英雄角存、無本願、便以此堂屬和尚

〔愚管抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0323 おとゝの九條の右丞相〈○藤原師輔〉は、あにの小野宮殿〈○藤原實賴〉にさきだちて一定うせなんとするをしらせ給て、我身こそ短祚にうけたりとも、我子孫に攝籙をばつたえんに、又わが子孫に帝の外せきとはなさんとちかいて、觀音の化身の叡山の慈惠僧正と、しだんの契ふかくて、横川のみねに楞嚴三昧院といふ寺をたてゝ、九條の御存日に、法華堂をまづつくりて、のぼりて大衆の中にて、火うちの火をうちて、我此願成就すべくば、三度がうちにつけとて、うたせ給けるに、一番に火うちつけて、法華堂の常燈にはつけられたり、今にきへずと申つたへたり、

鳴鐘

〔倭訓栞〕

〈前編六下/加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0323 かねうつ 俗に誓て、再びせざる事にいへり、鐘擊の義なるべし、〈○中略〉園槐鈔に、諸社氏人退其地、不再歸心決時、叩鍔鉦誓と見え、〈○下略〉

〔壒囊抄〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0323本朝戒壇建立何比ゾ哉〈○中略〉
同〈○應保三年三月〉廿日、寺門ヨリ捧陳狀者也、其旨趣、去保延年中起請云、
生々世々爲智證大師門人輩、永以山門侶、不傳戒師、若破之輩、永非大師門弟、若之時、可法滅 期臻、寄大師聖靈照見、請護法天等冥罰、滿寺衆徒泣調悲叫聲、鳴起請鐘畢、 任勅定起請、多生間、永背佛法歟、守起請勅宣、一天之下似皇威歟、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈六/末摘花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0324 年比思ひわたるさまなど、いとよくの給ひつゞくれど、ましてちかき御いらへはたえてなし、わりなのわざやとうちなげき給ふ、
いくそたびきみがしじまにまけぬらんものないひそといはぬたのみに、の給ひもすてゝよかし、たまだすきくるしとの給ふ、女君の御めのと、こじゞうとて、いとはやりかなるわか人、いと心もとなうかたはらいたしと思ひて、さしよりて聞ゆ、
かねつきて(○○○○○)とぢめんことはさすがにてこたへまうきぞかつはあやなき、とわかびたるこゑの、ことにをもりかならぬを、人づてにはあらぬやうに聞えなせば、ほどよりはあまえてときゝたまへど、めづらしきに、中々くちふたがるわざかな、
いはぬをもいふにまさるとしりながらをしこめたるはくるしかりけり

〔花鳥餘情〕

〈四/末摘花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0324 童部の諺に、無言を行ぜんと約束して、無言々々とそしまに、かねつくといひて、何にても、うちならしてのち、物いはぬ事をする也、

〔平家物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0324 ぐわんだての事
去程に山門には、御さいだんちゝの間、日吉の神よをこんぼん中堂へふり上げ奉り、その御前にて、しんどくの大般若を七日讀みて、後二條の關白殿〈○藤原師道〉をじゆそし奉る、けちぐはんのたうじには、仲胤法印、その時はいまだ仲胤供奉と申しゝが、高座に上り、かね打ちならし、けいひやくのことばにいはく、我らがなたねの二ばよりおふしたて給ひし神たち、後二條の關白殿に、かぶら矢一つはなちあてゝ給へ、大八王子ごんげんと、たからかにこそきせいしたりけれ、

〔今昔物語〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0324 淸水二千度詣男打入雙六語第卅七 今昔、京ニ有所ニ被靑侍有ケリ、爲事ノ无カリケルニヤ、人ノ詣ケルヲ見テ、淸水へ千度詣二度ン參タリケル、其ノ後幾ク程ヲ不經ズシテ、主ノ許ニシテ同樣也ケル侍ト雙六ヲ打合ケリ、二千度詣ノ侍多ク負テ可渡物ノ无カリケルヲ、强ニ責ケレバ、思ヒ侘テ云ク、我レ露持タル物无シ、只今貯ヘタル物トテハ、淸水ノ二千度詣タル事ナン有ルヲ、其レヲ渡タサムト云ヘバ、傍ニ見證スル者共此レヲ聞テ、此レハ打量ル也ケリ、鳴呼ノ事也ト咦ケルヲ、此ノ勝タル此糸吉事二千度詣ヲ渡サバ、速ニ云ヘバ、勝侍ノ云ク、否ヤ、此クテハ不御前ニシテ事ノ由ノ申テ、慥ニ己レ渡ス由ノ渡文ヲテ、金打テ渡セバ、請取ヌト云ヘバ、負ケ侍糸吉事也ト契テ、其ノ日ヨリ精進ヲ始テ三日ト云日、勝侍負侍ニ然バ去來リ參テント云ヘバ、負侍鳴呼ノ白物ニ合タリト思テ共ニ參ヌ、勝侍ノ云フニ隨テ、渡由ノ文ヲ書テ、觀音ノ御前ニシテ師ノ僧ヲ呼テ、金打テ事ノ由ヲ申サセテ、其ガニ千度參タル事、慥ニ其ニ雙六ニ打入レツ書テ與タリケレバ、勝侍請取テ臥シ禮ムデ、其後幾程ヲ不經ズシテ、此ノ打入タル侍、不思懸ヌ事ニ係テ、被捕テ獄ニ被禁ニケリ、打取タル侍ハ忽ニ便有妻ヲ儲テ不思係人ノ德ヲ蒙テ、富貴ニ成テ官ニ任ジテ樂クテゾ有ケル、三寶ハ目ニ不見給事ナレドモ、誠ノ心ヲ至シテ請タリケレバ、觀音ノ哀レト思シ食ケルナメリトゾ、聞人此ノ請取タル侍ヲ讃テ、渡シタル侍ヲバhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00190.gif ミ謗ケルトナム、語リ傳ヘタルト也、

〔字治拾遺物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0325 これも今はむかし、京極の源大納言雅俊といふ人おはしけり、佛事をせられけるに、佛前にて僧に鐘をうたせて、一生不犯なるをゑらびて、講を行なはれけるに、ある僧の禮盤にのぼりて、すこしかほけしきたがひたるやうに成て、鐘木をとりてふりまはして、うちもやらで、しばしばかりありければ、大納言いかにと思はれけるほどに、やゝひさしく物もいはでありければ、人どもおぼつかなく思けるほどに、この僧わなゝきたるこゑにて、かはつるみはいかゞ 候べきといひたるに、諸人おとがひをはなちてわらひたるに、一人の侍ありて、かはつるみはいくつばかりにてさぶらひしそと問たるに、この僧くびをひねりて、きと夜べもしてさぶらひきといふに、大かたどよみあへり、そのまぎれにはやうにげにけりとぞ、

〔義經記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0326 へいせんじ御見物の事
辨慶申けるは、〈○中略〉ふえにおゐては日本一ぞかし、たゞししさい一候、此少い人は、はぐろにおはしまし候時も、あけくれふえにのみ心をいれて、がくもんの御心もそら〳〵に御わたり候し程に、こぞの八月はぐろを出し時、師の御坊今度の道中、上下かうのあひだ、ふえをふかじといふちかひをなし給へとて、ごんげんの御前にて、かねをうたせ奉りて候へば、少人の笛をば御めん候へかし、

〔明德記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0326 十二月廿九日、八幡ニテ寄合テ、軍ノ内談有ケル中ニ、中務大輔若黨六人別シテ契約ノ事アリ、山口五郎、森下六郎、旗津、志賀野、小鴨新三郎、家喜九郎、是六人成ベシ、中ニモ家喜ガ申シケルハ、此年月久ク在京シテ、天下ニ自然ノ事モアラバ、御所樣ノ御旗ノ下ニテコソ、御大事ニモ逢セ給ベキニ、中務加樣ニ成リ給ニ依テ、我等マデ昨日今日マデ栖押シ都へ責上ル事、不定ノ浮世ト云ナガラ、有ヲ有トモ思フマジキハ、弓矢取身ニテ侍ル也、去バ勝テモ負テモ、夢ノ世ニツレナク殘リ留テ、イツシカ逆徒ノ名ヲ取テ人ニ見エンモ面目無シ、今度ノ軍ニ討死シテ、勇士ノ數ニ入ズトモ、浮名ヲナリ其世ノ人ニ知レバヤト思ハイカニト申ケレバ、殘四五人モ諸共ニ誰モサコソハ覺エタル、一河ノ流レヲ汲ムダニモ多生廣劫ノ緣ト申ゾカシ、況ヤ同傍輩ト云ナガラ、互ニ他事ナク馴ナジミテ、アダシ命モカリノ世ノ草葉ニ置ル末ノ露、本ノシヅクト成行ハ、跡ニ殘リテ誰カソモ、獨リ思ヲ菅筵、敷忍べキ名殘カヤ、此六人ノ其中ニ、一人ナリトモ打死セバ、殘五人皆共ニ枕ヲ並テ、後ノ世マデモ傍輩ノ約ヲ忘レジト、深ク契テ八幡宮ノ鰐口ヲ鳴シテ、神水ヲ飮 ミ誓約ヲコソシタリケレ、去バ二條大宮ノ二度目ノ合戰ニ、五人ハ所々ニテ思々ニ討死ス、九郎一人死ニ殘リ、誓約五人見エザリケレバ、走廻テ尋ヨト、ツレタル下人ニ云ケレバ、家喜ガ中間申ケルハ、只今山口殿ノ御下部ノ申候ツルハ、昨日八幡ニテノ御契約ノ人々、コノ五人一所ニテ討レ給ツレトテ、泣々嵯峨ノ方へ走リ候ツルト申ケレバ、耻カシノ人々ノ心中哉、サバカリ深ク契リタルニ、敵御方ニ押隔テラレ、討ルヽヲ知ラザリケル、我身ノ程コソ不覺サヨト、獨言ヲシテシヅシヅト、猪熊ヲ上リニ歩セ行、心ノ中コソムザンナレ、

〔甲陽軍鑑〕

〈二/品第十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0327 信玄家來年之備前之年談合之事
去年戌極月廿八日に、山縣三郎兵衞尉所へ寄合、當亥年中の御備の義、信玄公御在世の時のごとく、各談合いたす時、長坂長閑、跡部大炊助跡より來る、内藤修理申は、〈○中略〉其方が、それほどによはきむねなる故、くろづらをふりたて、公界をせらる、抑かはゆき子をころされまいらせても、尤三代相恩の主君に、御とがめは申がたし、幸時移、年老ぬ、引籠後生一篇のやうにいたすならば、諸傍輩もあはれみ思ふべし、何ぞ大科をして、ころされまいらせたるむすこの意趣に、主君の御家をほろぼさんことを企て、あれほど强屋形の、しかも御年未三十にもたり給はぬに、色々すゝめ、異見を申、佞人を盡す、越臣范蠡には異なる者也、おのれ佞人を作らぬと、三嶽の鐘をつけ(○○○○○○○)と云、長閑腹をたて、己が分として、某に三嶽の鐘をつけと、百姓あてがひの申樣、口惜き次第也、其方こそ元來工藤源左衞門とて、兄を古信虎公の御手打にきられ申、其後信玄公へ種々輕薄をいたし、御意を取請、今内藤修理に成せられ、二百五十騎の將をするといへども、何方にて何たる手柄をしたると、是非いへと云て、脇指に手をかくる、内藤刀をとつて、さやがらみうたんとす、〈○下略〉

金打

〔倭訓栞〕

〈前編七/幾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0327 きんちやう 金打の音、かねうつを音にていふ成べし、すべて盟約の時、男子は刀をうち合せ、女子は鏡をうち合するをいへり、

〔安齋隨筆〕

〈前編六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0328 キンチヤウして誓 土佐國儒士箕浦右源治問云、武士誓キンチヤウすると云ふ事は如何、貞丈答へて云、大小刀をぬいて打ち合せて誓ふ事なり、又問云、此事古代よりありや、答曰、古書に所見なし、信長秀吉の頃以來、武士の大小を帶する風俗也しより、其の事ある歟、又問云、キンチヤウと云ふ文字は如何、答へていふ、古代此の事なし、漢土にもなき事なれば、可然字もなし、大小の刀を拔き、兩刀を打ち合する事なれば、金打(キンチヤウ)と書くなり、金と金とを打ち合するといふ義なり、亦問、金打する意は如何、答云もし誓約に違はゞ、如此大小刀を打て打折りて、二度大小を帶せざる身と成るべしと誓ふ事なり、

〔甲陽軍鑑〕

〈九上/品第二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0328 信州平澤大門到下等合戰之事
然れば晴信公御母方の伯父、穴山殿三病を御煩にて筋骨をいたみ給ふ故、〈○中略〉晴信公仰らるゝは、留主居なくして不叶事なれば、そなたは心易き人といひ、病中と申、さて我等討死におひては、當年五歲になる太郎をもりたて給ふべしと仰らるれば、穴山伊豆守申され候は、尤それはさる事なれども、留主居には甘利備前、飯富兵部手負申て候へ共、さのみ深手にてもなく候へば、此兩人しかも人數たくさんに罷有、其上郡内の小山田方へも我等只今飛脚をさしこし候、跡に思召おかるゝ事は少もこれ有間敷候、就中某煩なれば、行がけの駄賃とやらん下劣の申は是なり、若屋形樣の身に替申べしとて、金打(きんぢやう/○○)をはり(/○○○)、誓文をなされ(/○○○○○○)、無二に先懸をあそばす、〈○下略〉

指切

〔嬉遊笑覽〕

〈六下/兒戯〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0328 又小兒いさかひなどして、中なほり、互に小指を曲て引かくるを、心とけたる驗とす、これを指きりといふもをかし、戀路に指を截るを、いかに心得てしそめしか、指きりは西武獨吟月の出てと、又は、やくそく指きりをする、ゆひくびが露涙、自注に、約束にゆびきりを付るなり、ゆびくひの女は源氏はゝきゞの卷にあり、後撰夷曲集ゆび切や地獄の釜へほつたりとおちようと云は二世のけいやく、安勝この歌行風が旁注に童口遊詞とあり、又小兒約束をして違へじ といふ印に、油證文(○○○)とて、髮の油を指に付て、柱などに押ことあり、證文の印肉よりおもひよれるにや、

誓詞

〔源氏物語〕

〈三十五/若菜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0329 神佛にも思事申すは、つみあるわざかはと、いみじきちかごと(○○○○)をしつゝの給へば、〈○下略〉

〔後撰和歌集〕

〈十一/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0329 よひに女にあひて、かならずのちにあはんと、ちかごと(○○○○)をたてさせて、あしたに つかはとける、 藤原滋幹
ちはやぶる神ひきかけてちかひてしこともゆゝしくあらがふなゆめ

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0329 新羅王遙望以爲、非常之兵、將己國、讋爲失志、乃今醒之曰、吾聞東有神國、謂日本、亦有聖王、謂天皇、必其國之神兵也、豈可兵以距乎、卽素旆而自服、素組以面縛、封圖籍於王船之前、因以叩頭之曰、從今以後、長與乾坤、伏爲飼部、其不船柁、而春秋獻馬梳及馬鞭、復不海遠、以毎年貢男女之調、則重誓之曰、非東日更出西、且阿利那禮河(アリナレカハ)、返以之逆流、及河石昇爲星辰、而殊闕春秋之朝、怠〈○怠原作忍、據古本改、〉廢梳鞭之貢、天神地祇共討爲、

〔日本紀竟宴和歌〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0329氣長足姫天皇 參議大藏卿正四位下平朝臣惟範
日月乃行久、星躔波可者留止毛、新羅乃國波加知波、可和可之、
ひつきのゆくほしのやどりはかはるともしらぎのくにのかぢはかわかじ
このすめら、新羅にむかひたまふときに、そのくにのきみ、おぢわなゝきて、みふねのまへにく だりていはく、いまよりのち、あめつちとゝもに、みむまかひとならむ、ふねかぢをかはかさず むまのくし、むまのむちをたてまつらむ、またちかひていはく、ひむがしのひの、にしにいで、か はのいしのゝぼりて、あまほしにならずよりは、としごとのみつぎものをば、かゝじといへり、

〔日本書紀〕

〈二十/敏達〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0329 十年閏二月、蝦夷數千、寇於邊境、由是召其魁帥綾糟(アヤカス)等〈魁帥者毛人也〉詔曰、惟儞蝦夷者、大足 彦天皇之世、合殺者斬、應原者赦、今朕遵彼前例、欲元惡、於是綾糟等攫然恐懼、乃下泊瀨中流、面三諸岳、漱水而盟曰、臣等蝦夷自今以後、子子孫孫〈古語云生兒八十綿連連〉用淸明心奉天闕、臣等若違盟者、天地諸神及天皇靈絶滅臣種矣、

〔日本書紀〕

〈二十五/孝德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0330 天豐財重日足姫天皇〈○皇極〉四年六月乙卯、天皇、皇祖母尊、皇太子、於大槻樹之下、召集群臣盟、〈吿天神地曰、天覆地載、帝道唯一、而末代澆薄、君臣失序、皇天假手於我、誅殄暴逆、今共瀝心血、而自今以後君無二政、臣無貳朝、若貳此盟、天災地妖、鬼誅人伐、皎如日月也、〉

〔日本書紀〕

〈二十七/天智〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0330 十年十月庚辰、天皇疾病彌留、 十一月丙辰、於是左大臣蘇我赤兄臣等〈○中略〉泣血誓盟(テカヒテ)曰、臣等五人隨於殿下、奉天皇詔、若有違者、四天王打天神地祇、亦復誅罰、三十三天、證知此事、子孫當絶、家門必亡云々、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0330 八年五月乙酉、天皇詔皇后及草壁皇子尊、大津皇子、高市皇子、河嶋皇子、忍壁皇子、芝基皇子曰、朕今日與汝等、倶盟于庭、而千歲之後、欲事、奈之何、皇子等共對曰、理實灼然、則草壁皇子尊、先進盟曰、天神地祇、及天皇證也、吾兄弟長幼幷十餘王、各出于異腹、然不同異、倶隨天皇勅、而相扶無忤、若自今以後、不此盟者、身命亡之、子孫絶之、非忘非失矣、五皇子以次相盟如先、然後天皇曰、朕男等各異腹而生、然今如一母同産之、則披襟抱其六皇子、因以盟曰若違茲盟、忽亡朕身、皇后之盟、且如天皇

〔大鏡〕

〈七/太政大臣道長〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0330 帥〈○伊周〉とのゝみなみの院にて、人々あつめてゆみあそばしゝに、このとの〈○道長〉わたらせ給へれば、おもひかけずあやしと、中關白殿おぼしおどろきて、いみじう饗ようし申させ給ひて、下﨟におはしませど、さきにたて奉りて、まづいさせたてまつり給ひけるに、帥殿のやかずいまふたつおとり給ひぬ、中關白殿又御前に候人々も、今二度のべさせ給へと申て、のべさせ給へりけるを、やすからずおぼしなりて、さらばのべさせ給へとおほせられて、又いさせ給ふとて、おほせらるゝやう、道長がいへより御門きさきたち給ふべきものならば、このやあたれ とおほせらるゝに、おなじものゝ中心にはあたる物かは、つぎに帥殿いたまふに、いみじうおくし給ひて、御てもわなゝき候にや、まとのあたりちかくだによらず、無邊世界を射給へるに、關白殿色あをくなりぬ、又入道殿いさせ給ふとて、攝政關白すべきものならば、このやあたれとおほせらるゝに、はじめとおなじやうに、まとのやぶるゝばかりいさせ給ひつ、きやうようしもてはやしきこえさせ給へるけふもさめて、ことにがうなりぬ、ちゝおとゞ帥殿になにかいる、ないそいそとせいせさせ給ひてことさめにけり、入道殿やもどして、やがていでさせ給ひぬ、そのおりは左京大夫とぞ申し、ゆみをいみじくいさせ給ひしなり、又いみじくこのませ給ひしなり、けうに見ゆべき事ならねども、人のさまのいひいで給ふことのおもむきより、かたへはおくせられ給ふなめり、

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0331 長和二年八月四日、昨日主上〈○三條〉令語右衞門督給曰、吾相撲日祈念伊勢太神、今年始有相撲、若寶位可動者、左相撲一二三番可勝、以之可知也、而一二三番勝了者、是今日金吾所資平也、事緣希有記也、件一二三番右皆有理者也、就中二番縣高平有手術、而都無取如覺也、後日問高平、申云、不覺無爲術、獻術所致也者、今承此事、且恐且悦、不相撲之負、只歡寶位之久

宇氣比

〔倭訓栞〕

〈前編四/宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0331 うけひ 日本紀に、誓約ノ字、誓ノ字、祈ノ字などをよめり、又盟をうかふとよむも同じ、請言の義いのりちかふ事をいへり、源氏物語に、こき殿などのうけはしげにのたまふといひ、伊勢物語に、罪もなき人をうけへばといへるは、詛(ノロ)ふ方にいへり、よて眞名本に、呪咀と塡たり、古事記にも、宇氣比死(コロス)と見えたり、

〔倭訓栞〕

〈中編三/宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0331 うけひ 請言の義、よて儀式帳に請ノ字をよめり、呪咀又うけふともよめり、〈○中略〉呪はかじり、詛はとこひとよめり、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0331 爾天照大御神聞驚而詔、我那勢命之上來由者、必不善心、欲我國耳、卽解御髮、纒御美豆 羅而、乃於左右御美豆羅亦於御鬘、亦於左右御手、各纒持八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠而、〈自美至流四字以音、下效之、〉曾毘羅邇者負千入之靫、〈訓入云能理、下效此、自曾至邇以音、〉附五百入之靫、亦所取佩伊都〈此二字以音〉之竹鞆而、弓腹振立而、堅庭者、於向股蹈那豆美、〈三字以音〉如沫雪蹶散而、伊都〈二字以音〉之男建〈訓建云多祁夫〉蹈建而、待問、何故上來、爾速須佐之男命答白、僕者無邪心、唯大御神之命以、問賜僕之哭伊佐知流之事故、白都良久、〈三字以音〉僕欲妣國以哭、爾大御神詔、汝者不此國而、神夜良比夜良比賜、故以爲請罷往之狀、參上耳、無異心、爾天照大御神詔、然者汝心之淸明、何以知、於是速須佐之男命答白、各宇氣比(○○○)而生子、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0332 素戔鳴尊對曰、吾元無黑心、但父母已有嚴勅、將永將乎根國、如不姉相見、吾何能敢去、是以跋渉雲霧、遠自來參、不意阿姉、翻起嚴顏、于時天照大神、復問曰、若然者、將何以明爾之赤心也、對曰、請與姉共誓、夫誓約之中、〈誓約之中、此云字氣譬(○○○)能美難箇、〉必當子、如吾所生、是女者、則可以爲濁心、若是男者、則可以爲淸心、於是天照大神、乃索取素戔鳴尊十握劒、打折爲三段、濯於天眞名井https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02091.gif 然咀嚼、〈https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02091.gif 然咀嚼此云佐我彌爾加武、〉而吹棄氣噴之狹霧〈吹棄氣噴之狹霧、此云浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理、〉所生神、號曰田心姫、次湍津姫、次市杵嶋姫、凡三女矣、旣而素戔鳴尊、乞取天照大神髻鬘及腕所纒八坂瓊之五百箇御統、濯於天眞名井https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02091.gif 然咀嚼、而吹棄氣噴之狹霧所生神、號曰正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、次天穗日命、是出雲臣〈士師連等祖也〉次天津彦根尊〈是凡川内直山代直等祖也〉次活津赱根命、次熊野櫲樟日命、凡五男矣、是時天照大神、勅曰、原其物根、則八坂瓊之五百箇御統者、是吾物也、故彼五男神、悉是吾兒、乃取而子養焉、又勅曰、其十握劒者、是素戔鳴尊物也、故此三女神、悉是爾兒、便授之素戔鳴曾、此則筑紫胸肩君等、所祭神是也、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0332 一書曰、素盞鳴尊將天、〈○中略〉是時天照大神、疑弟有惡心、起兵詰問、素盞鳴尊、對曰、吾所以來者、實欲姉相見、亦欲珍寶瑞八坂瓊之曲玉耳、不敢別有一レ意也、時天照大神復問曰、汝言虚實、將何以爲驗、對曰、請吾與姉共立誓約(タヲンウケイ/○○○)、誓約之間、生女爲黑心、生男爲赤心

〔釋日本紀〕

〈五/述義〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0332 先師説曰、世俗之詞誓言立、此本緣歟、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0333 木花之佐久夜毘賣、參出白、妾妊身、今臨産時、是天神、之御子、私不産、故請、爾詔、佐久夜毘賣一宿哉妊、是非我子、必國神之子、爾答白、吾妊之子、若國神之子者、産不幸、若天神之御子者幸、卽作戸八尋殿、入其殿内、以土塗塞而、方産時、以火著其殿而産也、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0333 時彼國有美人、名曰鹿葦津姫、〈亦名神吾田津姫、亦名木花之開耶姫、〉皇孫問此美人曰、汝誰之女子耶、對曰、妾是天神娶大山祇神生兒也、皇孫因而幸之、卽一夜而有娠、皇孫未之信曰、雖復天神、何能一夜之間、令人有娠乎、汝所懷者、必非我子歟、故鹿葦津姫忿恨、乃作無戸室(ウツムロ)、入居其内、而誓之(ウケヒテ/○ )曰、妾所娠若非天孫之胤、必當焦滅、如實天孫之胤、火不害、卽放火燒室、始起烟末生出之兒、號火闌降命、〈(中略)火闌降此云褒能須素里、〉次避熱而居、生出之兒、號彦火火出見尊、次生出之兒、號火明命、〈○註略〉凡三子矣、

〔古事記〕

〈上/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0333 爾大山津見神、因石長比賣而、大恥白送言、我之女並立奉由者、使右長比賣者、天祚御子之命、雖雪零風吹、恒如石而常堅不動坐(トキハニカキハニマシマセ)、亦使木花之佐久夜毘賣者、如木花之榮榮坐宇氣比氐(○○○○)〈自宇下四字以音〉貢進、此今返石長比賣而、獨留木花之佐久夜毘賣、故天神御子之御壽者、木花之阿麻比能微〈此五字以音〉坐、故是以至于今、天皇命等之御命不長也、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0333 一書曰、〈○中略〉故磐長姫大慙而誼(トコヒテ/○)之曰、假使天孫不妾而御者(メサマシカハ)、生兒永毒、有磐石之常存、今旣不然、唯弟獨見御、故其生兒、必如木華之移落、一云、磐長姫恥恨而唾、泣之曰、顯見蒼生者、如木拳之俄遷轉、當衰去矣、此世人短折之緣也、

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0333 戊午年九月戊辰、天皇〈○神武〉陟彼莵田高倉山之巓、瞻望域〈○域、印本作城、今從水戸本、〉中、〈○中略〉復有兄磯城軍、布滿於磐余邑、〈磯此云志〉賊虜所據、皆是要害之地、故道路絶塞、無通、天皇惡之、是夜自祈(ウケヒ)而寢夢、有天神訓之曰、宜取天香山社中土、〈香山此云介遇夜縻〉以造天平瓫八十枚、〈平瓫此云毗邏介〉幷造嚴瓫而敬祭天神地祇、〈嚴瓮此云怡途背〉亦爲嚴呪詛、如此則虜自平伏、〈嚴呪詛此云怡途能伽辞離〉天皇祗承夢訓依以將行、時弟猾又奏曰、〈○中略〉天皇旣以夢辭吉兆、及弟猾之言益喜於懷、乃使椎根津彦弊衣服乃蓑笠、爲老人貌、又 使弟猾、被箕爲老嫗貌、而勅之曰、宜汝二人、到天香山、潛取其巓土、而可來旋矣、基業成否、當以汝爲占、努力愼焉、是時虜兵滿路、難以往還、時椎根津彦、乃祈之(ウケヒテ)曰、我皇當能定此國者、行路自通、如不能者、賊必防禦、言訖徑去、時群虜見二人大咲之曰、大醜乎、〈大醜此云鞅奈瀰儞句〉老父老嫗、則相與闢道使行二人、得其山、取土來歸、〈○中略〉天皇、又因祈之(ウケヒテ)曰、吾今當八十平瓫(ヒラカ)、無水造上レ飴、飴成則吾必不鋒刃之威、坐平天下、乃造飴、飴卽自成、又祈之曰、吾今當嚴瓫(イツへ)于丹生之川、如魚無大小、悉醉而流、譬猶柀(マキノ)葉之浮流者、〈柀此云磨紀〉吾必能定此國、如其不爾、終無成、乃沈瓫於川、其口向下、頃魚皆浮出、隨水噞喁、時椎根津彦見而奏之、天皇大喜、

〔常陸風土記〕

〈行方郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0334 古老曰、斯貴瑞垣宮大八洲所馭天皇〈○崇神〉之世、爲東夷之荒賊、遣建借間命、〈○註略〉引率軍士、行略凶猾、頓宿安婆之島、遙望海東之浦、時烟所見、爰疑人、建借間命仰天誓(○)曰、若有天人之烟者、來覆我上、若有荒賊之烟者、去靡海中、時烟射海而流之、爰自知凶賊卽命徒衆、褥食而渡、

〔日本書紀〕

〈六/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0334 三十四年三月丙寅、天皇幸山背、時左右奏言之、此國有佳人、曰綺戸邊、姿形美麗、山背大國不避之女也、天皇於玆執矛、祈之(ウケヒテ)曰、必遇其佳人、道路見瑞、比行宮、大龜出河中、天皇擧矛刺龜忽化爲白石、謂左右曰、因此物而推之、必有驗乎、仍喚綺戸邊、納于後宮

〔古事記〕

〈中/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0334此覺時、布斗摩邇邇占相而(フトマニヽウラヘテ)、求何神之心、爾祟出雲大神之御心、故其御子令其大神宮遣之時、令誰人者吉、爾曙立王食卜(アケタツノミコウラニアへリ)、故科曙立王宇氣比(○○○)白、〈宇氣比三字以音〉因拜此大神、誠有驗者、住是鷺巢池之樹鷺乎、宇氣比落(○○○○)、如此詔之時、宇氣比其鷺墮地死、又詔之宇氣比活(○○○○)爾者更活、又在甜白檮(アマアシ)之前、葉廣熊白(ハヒロクマカシ)檮、令宇氣比枯(○○○○)、亦令宇氣比生(○○○○)、爾名賜其曙立王、謂倭者、〈○者恐老誤〉師木登美豐朝倉曙立王、〈登美二字以音〉

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0334 十二年十月、到碩田國、〈○中略〉初〈○初原在皇下、據集解説改、〉天皇將賊、次于柏峽大野、其野有石、長六尺、廣ミ尺、厚一尺五寸、天皇祈之(ウケヒテ)曰、朕得土蜘蛛者、將玆石、如柏葉而擧焉、因蹶之則如柏葉〈○葉〉 〈字原脱、據一本補、〉上於大虚、故號其石蹈石也、是時禱神、則志我神、直入物部神、直入中臣神、三神矣、〈○又見豐後風土記

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0335 九年〈○仲哀〉四月甲辰、北到火前國松浦縣、而進食於玉島里小河之側、於是皇后勾針爲鈎、取粒爲餌、抽取裳糸緡、登河中石上、而投鈎祈之曰、朕西欲財國、若有事者、河魚飮鈎、因以擧竿、乃獲細鱗魚、時皇后曰、希見物也、〈希見、此云梅豆邏志、〉故時人號其處梅豆羅國、今謂松浦訛焉、是以其國女人、毎四月上旬、以鈎投河中年魚、於今不絶、唯男夫雖鈎以不魚、〈○中略〉皇后還詣橿日浦、解髮臨海曰、吾被神祇之敎、賴皇祖之靈、浮渉滄海、躬欲西征、是以今頭沐〈○沐原作、濮據一本改、〉海水、若有驗者、髮自分爲兩、卽入海洗之、髮自分也、皇后便結分髮而爲髻、〈○中略〉 九月爰卜吉日、而臨發有日、〈○中略〉于時也、適當皇后之開胎、皇后則取石插腰、而祈之曰、事竟還日、産於玆土、其石在于伊都縣(イトノ)道邊、〈○又見古事記

〔釋日本紀〕

〈十一/述義〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0335 筑前國風土記曰、怡土郡兒饗野、〈在郡西〉此野之西、有白石二顆、〈一顆長一 尺二寸、大一尺、重卌一斤、一顆長一尺一寸、大一尺、重卌九斤、〉曩者氣長足姫尊、欲伐新羅、到於此村、御身有姙、忽當誕生、登時取此二顆石、插於御腰、祈曰、朕欲西堺、來著此野、所姙皇子、若此神者、凱旋之後誕生、其可、遂定西堺還來卽産也、所謂譽田天皇是也、時人號其名皇子産(ウミ)石、今訛謂兒饗石

〔日本書紀〕

〈九/神功〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0335 爰伐新羅之明年、〈○中略〉時麛坂王、忍熊王、共出莵餓野、而祈狩(○○)之曰、〈祈狩、此云于氣(○○)、比餓利(○○○)、〉若有事、必獲良獸也、二王各居https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02092.gif (サスキ)〈○假https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02092.gif 古事記作歷木〉赤猪忽出之、登https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02092.gif 、咋麛坂王而殺焉、軍士悉慄也、忍熊王謂倉見別曰、是事大恠也、於此不敵、則引軍更返、屯於住吉

〔萬葉集〕

〈四/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0335 大伴宿禰家持更贈大孃歌二
都路乎(ミヤコヂヲ)、遠哉妹之(トホミヤイモガ)、比來者(コノゴロハ)、得飼飯(ウケヒ/○○○)而雖宿(テヌレド)、夢爾不所見來(ユメニミエコヌ)、

探湯

〔倭訓栞〕

〈前編八/久〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0335 くがだち 日本紀に、探湯また盟神探湯をよめり、或埿納釜煮沸、攘(カヽケ)手探湯埿或燒斧火色、置于掌と見ゆ、今の御湯花の言ノ本なるべし、眞臘風土記に、以鍋煎油、待沸探之といふに近 し、

〔論語集解義疏〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0336 孔子曰、見善如及、見不善如湯(○○)、〈○中略〉疏、〈云見不善湯者、若見彼不善者、則己急宜畏避、不相染入、譬如人使己以手探於沸湯爲也、〉

〔鹽尻〕

〈四十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0336 沸湯を探り火を握らしめて虚實を驗み侍るは、吾邦上古よりありて、探湯の誓ひ盛んに行はれし事、日本紀等に見え侍り、されば義楚が西域の古法成よしをしるし侍る、南齊書には、扶南國の風俗をくはしくのせ侍る、皆外國の業にぞ、

〔日本書紀〕

〈十/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0336 九年四月、遣武内宿禰於筑紫、以https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 察百姓、時武内宿禰弟甘美内宿禰、廢兄卽讒言于天皇、武内宿禰、常有天下之情、〈○中略〉時武内宿禰獨大悲之、竊避筑紫、浮海以從南海廻之、泊於紀水門、僅得朝、乃辨罪、天皇則推問武内宿禰、與甘美内宿禰、於是二人、各堅執而爭之、是非難決、天皇勅之、令神祇探湯(○○○○)、是以武内宿禰、與甘美内宿禰、共出于磯城川濱探湯、武内宿禰勝之、

〔古事記〕

〈下/允恭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0336是天皇、〈○允恭〉愁天下氏氏名名人等之氏姓忤過而、於味白檮之言八十禍津日前(アマカシノコトヤソマガツヒノサキ)、居玖訶瓮而、〈玖詞二字以音〉定賜天下之八十友緖氏姓也、

〔古事記傳〕

〈三十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0336 玖珂瓮(クカへ)、玖珂(クカ)は、書紀に、盟神探湯此云區詞陀智(クカダチト)とある如く、熱湯中に手を漬探りて、神に盟ふ事(ワザ)をするを云、〈陀智(ダチ)は、役(ダチ)などの陀智(ダチ)にて、凡て其事に趣くを、某(ナニ)に立(ダツ)とも、某立(ナニダチ)とも云こと、昔も今も多し、さて探湯(クカダチ)は、詞(カ)を淸(スミ)、陀(ダ)を濁る言なるを、詞(カ)を濁り、陀を淸〻て讀ムば非なり、(中略)湯を採て誓ふ事、から書にも見えたり、〉垂仁卷に、中臣連祖探湯主(クカヌシ)と云人名も見ゆ、〈日本紀竟宴集に、此天皇を甘樫乃丘乃久可太知支與介禮波爾己禮留多見毛可波禰數末之幾(アマカシノヲカノクカダチキヨケレバニゴレルタミモカバ子スマシキ)、また、萬賀布宇智遠久可倍溫須惠傳和玖能美箇王多濃當摩讃部安羅波禮仁計驪(マガフウヂヲクカヘヲスエテワクノミカワタノタマサヘアラハレニケリ)、かの武内宿禰を川久之弊天久可多智世之爾支與支見波武與乃頌(ツクシヘテクカダチセシニキヨキミハムヨノス)め良爾都(ラニツ)か弊支爾計利(ヘキニケリ)、〉瓮(へ)は其探湯立(クカダチ)の湯を沸す釜(カナヘ)なり、〈閉(へ)と云は、此類の器の惣名にて、加那閉(カナへ)は金瓮(カナへ)なり、鍋は、魚菜(ナ)を煮る瓮(へ)なり、其外某瓮(ナニへ)と云名多し、〉さてかく其瓮(へ)を居(スエ)たることばかりを云て、探湯(クカダチ)せし事をば略きて云ハざるは、古又の(イニシヘブミ)さまなり、〈大祓詞に、天津金木を打切と云て、其を置座(オキクラ)に造ることをば云ずて、直に置座に置定はしと云るなどゝ同じ格なり、〉

〔日本書紀〕

〈十三/允恭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0336 四年九月戊申、詔曰、群卿百寮及諸國造等、皆各言、或帝皇之裔、或異之天降、然三才顯 分以來、多歷萬歲、是以一氏蕃息、更爲萬姓、難其實、故諸氏姓人等、沐浴齋戒、各爲盟神探湯、則於味橿丘之辭禍戸砷(ムマカシノヲカノコトノマカトノサキ)、坐探湯瓮(クカへ)、而引諸人赴曰、得實則蚕、僞、者必害、〈盟神探湯、此云區訶陀智、或埿(埿原作渥、據書紀集解説改、)納釜煮沸攘手探塰壁、或燒斧火色予掌、〉於是諸人各著木綿手繦、而赴釜探湯、則得實者自全、不實者皆傷、是以故詐者愕然之、豫退無進、自是之後、氏姓自定、更無詐人

〔弘仁私記序註〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0337 雄朝妻穉子宿禰天皇〈○允恭〉御宇之時、姓氏紛謬、尊卑難決、因坐臼橿丘熱湯、定眞僞、今大和國高市郡有釜、卽是也、

〔日本書紀〕

〈十七/繼體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0337 二十四年九月、任那使奏云、毛野臣、遂於久斯牟羅、起造舍宅、淹留二歲、〈○註略〉懶政焉、爰以日本人與任那人、頻以兒息諍訟難決、元無能判、毛野臣、樂置誓湯(ウケヒユ)曰、實者不爛、虚者必爛、是以投湯、爛死者衆、

湯起請

〔運歩色葉集〕

〈遊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0337 湯起請〈武内臣舍弟甘美内之宿禰何事應神天皇、甘美内宿禰致讒、依之銅湯入手決之、武内臣手不損、甘美内之手忽損落也、湯起請自此姑也、八幡放生記、〉

〔建武式目追加〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0337 一江州田上杣庄與國牧庄山堺相論湯起請文事、兩方載根本堺牓示之名計、可之歟、
永享十一年五月廿日 右衞門尉貞政〈○以下人名略〉

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0337 應永卅二年八月廿四日、行豐朝臣參得度以後、初見參、明盛も參、彼庭中事、委細申刀自三條、〈八十計之老者也〉其代官之刀自ガ夫ニ、金澤ト云物庭中申、此間有訴訟申事、仍爲勸賞、就今參局、〈主上御寵愛〉庭中申委細載目安、而今參、伏見殿御事ト披露申云々、以外有逆鱗、仙洞、室町殿へ被申之間、則彼輩被召捕畢、廣橋永藤卿、所司代等召問之間、刀自〈金澤妻〉申云、三條(刀自)、年來大覺寺殿爲御師御祈申き、其を金澤有訴訟事、爲勸賞庭中申也、伏見殿御事トハ、初ヨリ申タル事更ニナシ、總而自伏見殿御祈事、不奉之間、不存知申之由、明鏡ニ申披畢、仍三條ハ永被放、刀自不召仕云々、代官刀自ハ可追放云々、刀自夫民部少輔重季〈同院諸大夫〉以下兩三人、侍所ニ召置、庭中申金澤をば、被籠舍斬 歟之由有沙汰、自内裏ハ猶御不審相殘、彼等可糺問哉、又湯起請可書哉之由、有御渉汰云々、〈○下〉

〔離宮八幡宮文書〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0338八幡宮曰使頭役之事、度々示給候、所詮來八月十六日已前、於離宮神前、以湯起請落居旨、堅申付由、村々若過日限候者、可罪科候、此段神方〈江〉可仰遣候、恐々謹言、
七月晦日 勝元〈花押〉
山名彈正殿〈進之〉

火起請

〔徒然草諸抄大成〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0338 比叡山に大師勸請の起請文といふ事は、慈惠僧正書始給ひけるなり、〈(中略)又貞德曰、或時比叡山中堂ノコガ子ノアブラツキノ失シ時、火起請(○○○)行ヒテ、手ノヤケタルモノヲキラレシ、其後京都ニアリシ盜人ヲ千本ニテキラレシニ、其盜人先年中堂ノアブラタキモ我取シナリ、手ノヤケタル者ハトラザリシト語リシヨリ、火起請ハ世ニ行レズト、外記ノ道白カタラレ侍シ、サレドモ秀吉ノ御代ニ、德本トイフモノ弟ニサヽヘラレ、兄弟北野ニテ火起請ヲトラセラル、弟ノミ手ヤケテ、兄ノ德本ガ手ハスコシモヤケザリシ事侍リキ、ツラ〳〵是チ案ズレニ、日本ノ政ニハ誓文起請ナクテカナハヌ義ナリ、佛神罰利生ナキト思ハバ、惡人多ク出テ、末世ノ凡夫イヨ〳〵ウヤマヒタツトブ事ヲシラズ、ソシリアナドル心ハヤクツキテ、運命ノウスグナルヲモシラズ、凶年ノ來リテ病トリツキ、壽命ノヲヾマルヲモワキマヘズ、アサ、マシキ人ノミナリ、目ニミヘヌ佛神ハ目ニ見ヘヌ人ノ運命ヲ又ヨクソフルモノナリ、○下略〉

〔松陰私語〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0338 其後十日以後參陣申處、印東殿聞淸軒急陣へ走入、先度御穩密之御書申請進處、子細條條依上意閉目、又承旨誓詞以下致披露、夜陰及鳥山方へ懸入、上意之趣樣々如此〈與〉謳岡而陣中不憚、訇懸而歸陣、狂氣歟物狂歟、不只事御動也、依其鳥山奉上意、陣所懸火、三百餘騎退陣、倂貴邊所行也、於殿中各被申上、疾々可歸陣也、我々迄可面目也、上意御憤不尋常、以外也、貴所者、生涯歟、遠島歟、不兩條與、殿中之面々同心ニ被申上與、指詰引詰被相責、且元覺悟之前成者、少不相驚、不色、不動天、一向不存知、可https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02093.gif歟、少モ於身有其誤、只今急參上可申候哉、曾以不存知故、參陣申也、御兩所御指南、可御不性望、一切不誤子細以火湯之兩誓(○○○○○)申明也、於其上少モ相誤者、奉御證人、於御陣下且方爲代官自殺仕、可其浮名後代也、不誤次第、三熊野牛王、飜之、先以 誓詞可申上、御上達奉望申、不覺悟〈與〉申拂而、兩人被座敷、不當方之不肖、奉奏者達上聞、不珍敷其時者、一向ニ罷失面目對目也、不子細御披露與、兩人之袖ヲ引而申、不兎角子細條、於此儀不一レ上聞者、此御陣下ヲ金山へ不退、八幡モ照覽與瞋而申、身命之安危不遁與云儘、押祖見與兩人立留不是非、以誓詞先可言上申間、飜寶卽言上、敬白起請文之事、先度御書拜領之上、鳥山陣所懸入、上意如此與爲申子細全無之、若此旨僞者、何々與神名以下振文筆言上、但心中之祈念者、上天下界之神祇、殊者當家守護、八幡大菩薩、於本性一旦之忘言也、

神水

〔奧儀抄〕

〈中ノ下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0339 萬葉集歌
神さびのよるべにたまるあまみづのみくさゐるまでいもを見ぬかも
これは、神社にかめをゝきて、それなる水を、なき事などおひたるものは、神水とてこれをのむ也、たゞすの社〈○賀茂〉などにいまもあり、和泉式部歌にも、
神かけてきみはあらがふたれかさはよるべにたまるみづといひけん
又源氏のあふひのうへの歌云、
さもこそはよるべの水(○○○○○)にかげたえめかけしあふひをわするべしやは
これらも、かのかめのみづをよむなり、

〔倭訓栞〕

〈前編三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0339 よるべのみづ 奧義抄に、神社に神水とてありといへり、一説に、賀茂に限りたる事といへり、されど神に諸願を祈るよるべにいひかけ、又祈戀の歌によめるは子細なしともいへり、河州こんだの八幡には池に名けり、西土には立春日貯水、謂之神水と、四時纂要に見えたり、
神かけて君はあらがふ誰かさはよるべにたまる水といひけん、俊成卿、定家卿は、たゞ緣あ る水の意に用ゐられたり、

〔備陽記〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0340 備前國戰場之事
一舟津原之巳午ノ方ニ誓紙ノ井(○○○○)アリ、甚淺シトイヘドモ、苔ノ滴リ不止シテ、四季トモニ水ツクルコトナク、所ノ用水トス、夏ハ冷水バカリナリ、冬ハ温ニシテ湯ノ如シ、昔盛綱兒島ヲ給リ、入部ノ時、家臣ヲ集テ被申シハ、彌以此後二心有間敷ト、各神水ニテ誓セシ時、此井ノ水ヲ用ユル故、誓紙ノ井ト名付ルト云傳ル由、

〔古今著聞集〕

〈五/和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0340 鳥羽法皇の女房に、小大進といふ歌よみ有けるが、待賢門院の御方に、御衣一重うせたりけるをおひて、北野にこもりて、祭文かきてまもられけるに、三日といふに、神水をうちこぼしたりければ、撿非違使、これに過たる失やあるべき、いで給へと申けるを、小大進泣々申やう、おほやけの中のわたくしと申はこれなり、今三日のいとまをたべ、それにしるしなくば、われをぐしていで給へと、打なきて申ければ、撿非違使も哀に覺て、のべたりける程に、小大進、
思ひいづやなき名たつ身はうかりきとあら人神になりしむかしを〈○下略〉

〔源平盛衰記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0340 鹿谷酒宴靜憲止御幸
近藤左衞門尉師高、キリ者也ケレバ、撿非違使五位丞マデ成テ、安元元年十一月廿九日ニ、追儺ノ除目ニ、加賀守ニナル、〈○中略〉
涌泉寺喧嘩事
目代師經在國ノ間、白山中宮ノ末寺ニ涌泉寺ト云寺アリ、國司ノ廳ヨリ程近キ所也、彼山寺ノ湯屋ニテ、目代ガ舍人馬ノ湯洗シケリ、僧徒制止シテ、當山創草ヨリ以來、イマダ此所ニテ牛馬ノ湯洗無先例ト云ケレドモ、國ハ國司ノ御進止ナリ、誰人カ可御目代トテ、在俗不當ノ輩散々ニ惡口ニ及テ、更ニ承引セザリケレバ、狼藉也トテ、涌泉寺ノ衆徒蜂起シテ、目代ガ馬ノ尾ヲ切、足打折、舍人ガソクビヲ突、寺内ノ外へ追出ス、此由角ト馳吿ケレバ、目代師經大ニ憤ツテ、在廳國人等 ヲ驅催シテ、數百人ノ勢ヲ引率シテ、彼寺ニ押寄テ、不日ニ坊舍ヲ燒拂、〈○中略〉八院三社ノ太衆、三寺四社ノ衆徒、不日ニ衆會シテ僉議シテ云、謹テ白山妙理權現ノ垂跡ヲ尋奉レバ、日本根子高瑞淨足姫御宇〈○元正〉養老年中ニ、鎭護國家ノ大德神、融禪師行出シ給テ、星霜旣ニ五百歲ニ及テ、効驗于今新ナリ、日本無雙ノ靈峯トシテ、朝家唯一ノ神明也、而ヲ目代師經程ノ者ニ、末寺一院ヲ被燒亡テ、非默止、此條モシ無沙汰ナラハ、向後ノ嘲不斷絶
白山神輿登山事
糺斷遲々ノ上ハ、神輿ヲ本山延曆寺ニ奉振上訴申サンニ、大衆定贔負セラレバ、訴訟爭カ不達、若目代師經ニ被枉テ、理訴非ニ被處者、我、寺々ニ跡ヲトヾムベカラズト儀定シテ、各白山權現ノ御前ニシテ、一味ノ起請ヲ書(○○○○○○○)、灰ニ燒テ(○○○○)、神水ニ浮メテ呑之(○○○○○○○○)、身ノ毛竪テゾ覺ケル、

〔八幡愚童訓〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0341 伊豫國住人河野六郎通有〈○有原作宗、操一本改、〉異賊警固爲、本國立シ時、十年中蒙古不寄來者、異國渡テ可合戰起請文十枚マデ書、氏神三島社ヲシテヲ灰ニ燒テ自飮ナドシテ、此八ケ年マデ相待處、得其時、是身幸ニ非ヤト勇テ、兵船二艘ヲ以テ押寄タリシ程、蒙古放矢究竟郎等四五人被射臥、所憑伯叔サへ手負臥テ、我身石弓ニ左肩ヲツヨク被打、可弓及予バ、片手拔太刀モテ、帆柱行〈○行恐仆誤〉テ、蒙古ノ船指カケ、思切テゾ乘移、散々ニ切廻、多敵首共トリ、其中大將軍ト覺テ、玉冠キタリケル者ヲ生捕テ、前ニシメツケテ歸ケル、

〔東寺百合文書〕

〈は之部一至廿四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0341 東寺御領若狹國太良庄百姓等謹言上
早被當地頭御代官正直憲法御使御年貢物御收納由被仰下子細事
右於當庄御所務者、以住御下知分明之上者、爭百姓等違先例、可申虚言之哉、然而當地頭御代官者、爲當庄末武名主職之、往古御公事通乍御存知之、違先規行非法之間、百姓等佗傺之條不便次第也、且當御領御一圓之上者、成百姓等悦喜思、開喜悦眉處、曾以御寬宥之儀無之、凡於當御公事 等者、超過往古御例幷前代之時、被仕百姓等條、無術次第也、凡當時望西秋之期、依愁吟之勤、子細恐々言上、〈○中略〉
以前條々大概如斯、就中當地頭御代官脇袋殿當庄御庄務先例、幷寬元寶治永仁御下知狀等及御和與狀、皆以乍御存知之、令往古之御例、將又背前代關東御領之例、悉以被行非法横法之上者、早被當地頭御代官之、以御憲法之御使、御年貢可御收納之旨、爲仰下之、百姓等一味神水仕、恐々言上如件、
建武元年八月

〔大乘院寺社雜事記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0342 文正二年三月一日、一就德政事、木津土民致緩怠之間、來月ニ可發向之由、寺門一同及神水

〔相州兵亂記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0342 高野臺合戰之事
武州江戸ノ住人ニ太田源六資高ト云人、大力剛兵ノ譽レ八州ニ双ビナシ、〈○中略〉其ノ弟ニ太田源三郎、同源四郎トテ、大力ノ兵ドモアツマリテ云ケルハ、〈○中略〉イザヤ同名美濃守入道三樂齋ト相談シ、房州ノ里見義弘ト引合、江戸ノ城ヲ責落シ、永ク豐島郡ヲ知行シテ、本ヨリ道灌ノ跡ヲツイデ、江戸ノ城ヲトルベシト思フハ如何ニト云ケレバ、二人ノ弟ドモ最可然トゾ進ミケル、此程ノ大事ナレバ、左右ナクハ云ハジトテ、彼源六郎ガ菩提ノ寺、法音寺ト云法華寺ノ番神堂ニ集リ、神水ヲ呑ミ、此事思定メヌレバ二度返スベカラズト敬白シ、扨太田三樂方へ此由ヲ云ツカハス、

〔松陰私語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0342 源慶〈○新田明純〉大驚思召條、〈○中略〉入道老後之無首尾、對他家于末代、本意之外也、然者一味同心可神水之由被恵召立、同〈○明應三年〉七月廿三日金山悉招上、御神水之旨三箇條也(○○○○○○○○○)、其詞云、
一都鄙之大途之外、他家爲合力、不當方之勢衆事、
一背此旨、他家合力者、雖一子之兵庫、號不孝、永可勘當事、 一於當方定置壁書條々有之、國繁爲代官執行、爲廉直旨、公私可諸沙汰事、
右條々、其誓詞曰、上天下界之神祇以下如常、如此先祖斷而被定置、破誓言而他家之合力、更以非當方之家訓、私會釋之車馬乎、太以不然者也、但於都鄙之大途者、可其言者也、明純御父子神水之御座無御出御(○○○○○○○○○)、依之御父子共御儀絶、〈○下略〉

〔松陰私語〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0343 源慶院殿被定置三箇條御神水之先言、都鄙上意之外ニ、爲他家合力、當方之衆不出之旨、以神誓仰定、各乍存知其先證事者、不然歟、各以自專之儀、破先賢之制訓者、天道可之也〈○下略〉

〔藤葉榮衰記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0343 須賀川上下神水之事
爾程ニ、須賀川御旗本衆二心ナク、上下志ヲ一ツニシテ、殘ラズ登城アリテ被申ハ、西方衆草ノ風ニ靡クガ如ク、正宗へ皆ナ思寄ケレバ、當地ノ人ノ心ヲ我レ存ゼズ、又膝ヲ交エ肩ヲ雙ブル傍輩モ、某ガ心ヲ不知、今度無二心命ヲ捨テ、伊達勢ニ向ヒ防ギ戰ヒ、武勇ノ働キヲセラレント被存詰衆ハ、身不肖ナリト云トモ、志ヲ一筋ニ守リ、心底ヲ白地ニ顯ハシ、誓又ヲ以テ互ニ傍輩ノ中、疑心ナク一味同心ニ合戰シテ、我モ人モ討死センニハ、何ノ恨力有ラント云ケレバ、此儀可然トテ、千用寺秀藝法印ト如林寺明良法印ト、兩寺登城有テ、明良法印誓文ヲ遊シ(○○○○○)、熊野ノ牛王ヲ灰ニ燒テ酒ニ呑ケル(○○○○○○○○○○○○○○○)時ニ至テ、誰人モ飮始ル方ナク、小時滯リケル處ニ、濱尾三河守被申ハ、此酒只今ノ内此へ被參タル程ノ人、上下共ニ呑ザルハ一人モ有マジ、早ク呑タル者ハ罰ヲ蒙ムリ、遲ク呑タル人ハ神罰ヲ不當ザルニハアラズ、前後ノ吟味モ不入、盃ノ鱧モ不入ル也、然リト云ドモ天正九年七月廿三日ニ、盛義御遠行ヨリ以來、當年九月ニ至リ、指引御仕置等萬事濃州次第ニ候得バ、貴殿御呑初メ、須賀川衆ハ何レモ次第不同ニ被呑テ可然存ルナリト被申ケレバ、濃州聞給テ、尤ノ儀ナリ、左アラバ某呑テ各へ進上トテ、下戸ナレドモタブ〳〵一ツ請テ呑給ヒケレバ、其後 御旗本衆進出テ、廣言吐テ呑給ケレバ、町人下々迄勇ミ進ンデ不殘呑ニケリ、

起請文/名稱

〔下學集〕

〈下/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0344 起請(キシヨウ) 誓文(セイモン/○○)

〔運歩色葉集〕

〈幾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0344 起請

〔易林本節用集〕

〈幾/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0344 起請文(キシヤウモン)

〔野槌〕

〈下四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0344 起請文と云事、もろこしに盟誓をたてゝ、牛馬の血をすゝり、其詞を記して、土にうづみ、約する處、若そむけば、此牛のごとく、きりほふらるゝ罪にあだらんと、諸神にちかふ也、〈○中略〉日本紀に、誓約の字をうけひとよめり、起請の字、是訓によりて、うけをたつる(○○○○○○)といふにや、なをおぼつかなし、

〔松の落葉〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0344 起請
續日本後紀十二の卷、承和九年のくだりに、大宰大貳上奏四條起請といふことあり、其四條を見ゐに、みなもとしか〳〵せしことをあらためてかう〳〵せんとこへるなり、發起して請ふこゝうにぞありける、今の世にちかふこゝうにいふは、いたくたがへり、

〔貞丈雜記〕

〈九/書札〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0344 一起請文と云ふ事は、事を發起して、主君へ請ひ願ひ奉る狀の事也、三代實錄に見たる小野春風が起請、不慮の用心の爲に、御調物に奉る布を以て、保侶一千領と糒袋とを作り置きたき由請ひ奉りし文也、又誓詞を書きのべたる起請文(○○○○○○○○○○○○)も、神佛へ對し、神罰佛罰を請ひ奉る文也、佛神に對しての起請文は、慈惠僧正より始りし也、

〔世事百談〕

〈H 起請
徒然草に、起請文といふこと、法曹にはその沙汰なし、いにしへの聖代、すべて起請文につきて行はるゝ政はなきを、近代此事流布したるなり、〈○中略〉〉

〔官職制度考〕

〈五/制度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0344 堅メ(○○) 堅と云事有、大小となく官人と成時は、其官夫々取計ひ樣の條目あり、其掟條目の通り堅相守り、奉職無狀有まじきとの誓約して、神文に血判する、是を堅と云、其堅の不濟しては、官の密事簿書簡牘等披閲する事を不免、事を取調する事ならず、此神文は慶長十八年五月、東照神祖、浮屠氏に命じて、文を作らしめ、天下に詢達す、神文式あり、世の人知る所なれば不贅、〈○下略〉

起請文起原

〔平田寺文書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0345
絁伍佰疋 綿壹千屯 布壹仟端
稻壹拾萬斤 墾田地壹佰町
以前、捧上件物、以花嚴經本、一切大乘、小乘、經律、論抄、疏章等、必爲轉讀講説、悉令盡竟、遠限日月、窮未來際、敬納彼寺、永爲學分、依此發願、太上天皇沙彌勝滿〈○聖武天皇〉諸佛擁護、法藥薫質、萬病消除、壽命延長、一切所願、皆使滿足、令法久住、拔濟群生、天下太平、兆民快樂、法界有情、共成佛道
復誓、其後代、有不道之王、邪賊之臣、若犯若破、障而不行者、是人必得辱十方三世諸佛菩薩、一切賢聖之罪、終當大地獄、無數劫中、永無出離、復十方一切諸天、梵王帝釋、四天大王、天龍八部、金剛密跡、護法護塔、大善神王、及普天率土有大威力天神地祇、七廟尊靈、幷佐命立功大臣將軍之靈等、共起大禍、永滅子孫、若不犯觸、敬勤行者、世世累福、紹隆子孫、共出塵域、早登覺岸
天平感寶元年閏五月廿日

奉 勅
正一位行左大臣兼太宰帥橘宿禰諸兄
右大臣從二位藤原朝臣豐成
大 僧 都 法 師 行 信

〔古今著聞集〕

〈十六/興言利口〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0345 賀緣阿闍梨と聞えし人、何事の意趣の有けん、慈惠僧正を濫行肉食の人た るよし、不實利口を申たりけるを、僧正かへりきゝ給て、いきどほりて、起請文を書て、三塔に披露せられけり、其詞に云、
若謂破戒無慙之僧住持天台座主者、恐貽狐疑於先賢、方致狼藉於後輩者歟、因玆今對三寶 陳此事
持律の人に、そら事を申付たるむくいとて、くるひありきけるとぞ、起請のおこりこれなり(○○○○○○○○○○)、

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0346 比叡山に、大師勸請の起請といふ事は慈惠僧正書始給ひけるなり、起請文といふ事、法曹にはそのさたなし、いにしへの聖代、すべて起請文につきて行はるゝ政はなきを、近代此事流布したる也、又法令には、水火に穢をたてず、入物にはけがれあるべし、

起請文制度

〔御成敗式目追加〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0346 一諸人相論事
右證文顯然之時者、不子細、若證文不分明者、可用證人申狀也、又證文顯然之時者、證人申狀不叙用歟、又證文與證人共以不分明者、可起請文歟、證文證人顯然之時者、不起請文也、

〔新御式目〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0346 政務事〈正應六五廿五(五一本作七)評〉
先例評定引付衆、幷奉行人等起請文、且不賄賂之由、可奉行人誓狀(○○)、於無足之輩者、可御恩、至廉直之仁、可賞翫歟、

〔殿中申次記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0346 定申次御法條々
一依歡樂不參之時者、兼日以誓文狀(○○○)、可之、〈○中略〉
正月朔日 長祿二戊寅 御對面記

〔憲敎類典〕

〈三ノ十四/病氣〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0346 慶安五壬辰年
御供番之時、御番衆煩之節、組頭〈江〉斷狀、
一筆致啓上候、私義明日之御供番ニ可罷出候得共、何煩ニ而、日木之神、御供番可相勤體ニ無御座 候間、御斷申入候、恐惶謹言、
右は御書付ニ而者無之候間、取調之上可相除候、
慶安五壬辰年
親類緣者煩ニ付而、御番衆組頭〈江〉斷狀、
一筆致啓上候、私義明日之御番可罷出候得共、何親類以之外相煩、難見放體ニ御座候、日本之神、右之通僞ニ而無御座候間、御斷申入候、恐惶謹言、
右ハ被仰出候御書付ニ而ハ無之候間、取調之上可相除候、
慶安五壬辰年
長病ニ而小普請出候事〈○中略〉
一病者ニ候まゝ、小普請ニ入申度由被申候ハヾ、樣子承、其上以誓小普請出し可申事、〈○中略〉
一病後御番計相勤、御供番斷之衆、五ケ月過候ハヾ、被誓紙候樣に可申渡候事、

〔政談〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0347 當時誓詞ト云コト盛ニテ、御作法ノ樣ニ成、役替ノ度々ニ誓詞ヲシ、駕籠ノ誓詞(○○○○○)、又ハ病氣ノ斷ニ誓文狀ヲ出ス(○○○○○○○○○○○)コト不宜コト也、聖人ノ法ニ、誓詞ハ出陣ノ前ニスルコト也、夫モ軍兵ニサスコトニハ非ズ、大將ヨリ士卒へ向テ、賞罰如約束少モ違ヘマジキト云誓詞也、總ジテ末長キコトニハ、誓詞ハ守ラレヌ者也、永キコトニハ氣弱ミ、失念モ有テ誓詞ヲ破ルコトアル物ナル故、誓詞ハ一旦ノコトニ限ルベシ、其上度々誓詞ヲスレバ、馴コニ成テ、神明ヲ畏ルヽ心薄ク成故、卻テ僞ヲ敎ル媒ト成也、誓詞ト云コトモ世間ニ無テ不叶コト成ニ、セイシヲ破ル樣ニスルハ、宜シカラザルコト也、一旦ノコトニ用ユレバ、人ノ心ヲ堅メ、誓詞ノ德有、駕籠ノ誓詞ハ先第一奉公人ノ年多ハ、實ノ年ニ非ザル故、最初ヨリ誓詞ヲ破也、駕籠ハ其頭其主人ヨリ斷ナレバ、誓詞無テ不苦事也、奉公人ノ虚病ヲ構ルコトモ詮方無コト也、虚病ニ樣々ノ子細有、勝手 ハタト不成故、虚病ヲ構ルコト當時多キコト也、扨ハ殊ノ外ニ不足成人ヲ、親類寄合テ虚病ニ申立ルモ有、扠ハ殊ノ外肥滿シテ勤難成故、病氣ト云モ有、扠ムラ氣成コト有ヲ、騷氣ト云立レバ、身上不立故、病氣ト申立サスルモ有、又ハ述懷ノ筋ニテ虚病ヲ構ルモ有、又ハ强チニ述懷ニテハ無レドモ、時節ヲ考テ引込モ有、又頭ト不和成故、引込ベキ爲エ病氣ト云モ有、又ハ恥辱ヲカキヌルコト有テ、面白無テ引込モ有、不如意ニテ御奉公勤ラヌ人ヲバ、其頭其支配ノ世話ニスル心深クバ、如何樣ニモ可成コト也、不足成生付、或ハムラ氣成者ハ是又其頭其支配ノ世話ニシテ、家ノ潰レヌ仕形尤也、肥タル人抔ハ、肥滿シテモ相應ノ務ル役儀可有、當時ハ家筋極テ、外ノ役ニハナラヌコト故、病氣ト云ヨリ外ノ仕形ナシ、述懷ノ筋ガ頭ト不和ナル抔ハ、甚惡コトノ樣ナレドモ、皆意地アル者ニ有コトニテ、箇樣成人器量アル者多、古ノ明君名將ハ、左樣ナル者ヲバ樣々ニ誘宥メテ、引出ス樣ニ仕玉ヘルコト多、恥辱ヲカキタルコト有テ、病ト稱スルハ、士ノ意地ナレバ、捨ラレヌコト也、古ヨリ志有人、奉公ヲセマジキト思フ時ハ、病ト稱スルコト古禮也、射ハ男子ノ爲サデ不叶業成故、射禮ノ時ハ、不得手ノ人ハ射ハ不得手ニテ候トハ云ズ、皆病ト稱スルコト有、亦堂上方ニテ歌ノ御會ノ時、歌不得手成人ハ、所勞ノ子細アルト云コト、皆上へ對シテ僞ヲ云フトテ、不忠ノ沙汰ニハ成ラヌコト也、殊ニ時節ヲ考、惡人ノ上ニ有時ハ、病ト稱シテ引籠ヨリ外ニ仕形ハ無コト成故、古ヨリ虚病ヲ構ル人ニ、賢者ハ多キ也、只若キ御主人抔ノ虚病ノ疑甚キヲ、時ノ執政其疑ヲ晴サムタメニ、誓文立サセタルニ、今ノ世ニハ例ト成タル可成、サレドモ當分ノ埓ヲ明タル迄ノ仕形ニテ、誓文ニハ虚實ハ知レヌコトナレバ、詮モ無コト成上ニ、跡ニ殘テ見レバ、僞ヲ敎、神明ヲ無物ト思ハスルコトニ成テ、甚不宜コト也、其支配頭組子ノ治ヲ、職分ノ第一トスルナラバ、誓文狀ヲ出サズトモ、自ラ虚病ハ少キ仕形可有也、國方抔ニテハ組頭ト云者ハ、一組ノ士ノ病氣モ、幼少モ、息災ニテ勤ルモ、皆同ク支配シ、扠 戸ノ勤ハ、別ニ番頭ト云者有テ、其下知ヲ承テ勤ルコトニテ、其組頭ノ支配ノ中ヨリ、番代ヲ以番頭ノ下へ遣ス時、病氣幼少ノ者ニ當レバ、一組ノ内ヨリ外ノ人ヲ代ニ出シ、其本人ヨリ割合ヲ遣ス故、身上ノ不成者、病氣幼少ノ代ヲモ願テ、ヒタモノ勤ルコト、御當地ノ取人ノ如シ、扠割合ヲ出スコトユへ、勝手ニ不宜バ、自ラ虚病ハ少キト承ル、箇樣成仕形ヨク詮議セバ、如何樣共可成コト也、兎角當時ノ誓詞ハ御作法ノ樣ニ成ニ、詮ナキコトナレバ、一向ニ停止アリテ、只大名ノ國元ナドへ御目付ニ行コト抔其外ニモ、其時ニ取テ當坐切ノ御用ニバカリ、大切ナルコトニ誓詞ヲ被仰付然也、

〔地方落穗集〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0349 撿地役人の事
一撿地被仰付候節は、掛リ代官幷御勘定役下役竿取之者罷越也、御代官勘定役は不誓詞下役 竿取ハ誓詞被仰付御代官御勘定行候也、

起請文書式

〔書札法式〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0349 一起請文可書樣之事
敬白 起請文之事
一於向後者、如何之儀候共、直談可申明事、
一互申合條々、聊モ別儀有間敷事、
一無二申談上者、少も隔心申間敷事、
右條々於違犯者、日本國中六拾餘州大小神祇、別而伊豆箱根兩所權現三島大明神、殊氏神御罰可罷蒙者也、仍起請文如件、
天正二年五月三日 飯尾大和守長勝〈判〉
松本左衞門佐貞元〈判〉
秋庭備中守殿 凡此趣也、其宗旨により、佛名神名、日蓮宗抔は三十番神など改書べし、各の神おろしの内へ書事勿論之儀也、一篇不心得、此外靈社七枚起請文など云事有、又宛所の事、其人に宛不書事もあり、時によるべし、又門弟になりたる時、師弟ゟ起請取替事有之、門人よりは、致傳授候數箇條、雖一事他見仕間敷候などゝ有べし、師匠よりは令傳授候事、少も不相殘などゝ、文言色々可之、連判之時は、奧次第賞翫之人を書べし、又裏書抔も奧次第上り也、

〔諸役誓詞前書〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0350 罰文
梵天帝釋四大天王、總日本六十餘州大小神祇、殊伊豆箱根兩所權現、三島大明神、八幡大菩薩、天滿大自在天神、部類眷屬神罰冥罰、各可罷蒙者也、価起請如件、
諸向御役儀之起請文前書
但老中之宅、或ハ十一日式日評定所、判元見之、
老中、若年寄、御側衆、〈右衞門督殿、刑部卿殿、〉御守、〈幷〉奧向衆、御同朋頭ハ、奧向ニ而判元有之、
中奧〈御小姓御番〉ハ若年寄之宅、判元有之、
起請文前書
一今度所司代被仰付候上は、聊以御後闇儀不仕、諸事依怙贔引なく、正路に相計可申事、
附、御威光を以、身威勢專に仕覺悟持申間敷事、
一禁裏御所方御用等之儀精を出し、萬端御爲能樣可仕候、先例有之儀たりといふとも、公義御爲 に如何〈與〉存候儀は、遠慮仕間敷事、
附、堂上方と親族緣類たりといふ共、取わけて入魂致まじき事、
一京都諸寺社〈幷〉町人に至迄、公事訴訟に、順路に沙汰可仕事、
一奉御爲何事によらず心付候事は、各ゟ可申達候、縱上意之儀候共、御爲不然儀は可申上事、 一諸役人御用相談之儀、我意を不立樣相愼、心底を不殘可申談事、
一御用之儀被仰出之以前、外江もらし申間敷候、勿論御隱密之儀は年寄共〈江も〉申聞間舗事、一御一門方始諸大名不誰人、奉御爲惡心申合一味仕間敷事、
右之條々、雖一事、於違犯者、
罰文
年號月日
老中不
立合之大目付壹人〈○以下略〉
○德川幕府諸役人ノ起請前書ノ事ハ、官位部德川民職員總載篇誓詞條ニ、乘物御免起請ノ事ハ、器用部駕籠篇乘物駕籠願條ニ在リ、並ニ參看スベシ、

〔書札拔要集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0351 一起請文書樣之事附女中誓紙之事
箇條多き時は、發端之作りに、敬白起請文前書の事と書、一色之時も、敬白起請文前書と計書キ、事の字を書ぬ也、女中も同文言、男は行字に書、神おろしは楷眞也、女中は行草まぜ書、神おろしは行文字也、ケ條多き時は、右條々と書、一ケ條の時は、右於相背者と書、扨白紙の上へ牛王を繼ぎ、其繼目へ掛て梵天帝釋を書也、
一牛王讀やう血判之事
牛王を裏がへして、前の紙の上へ横に張り書也、血判も男は左の藥指の血を付ル、女は右の藥指の血を付る、先牛王をいたゞき、自筆にて名乘判形を書、小刀にて指をやぶり、上血をしぼり取、二番目の血を小刀の先ニ付、名乘の判形の間に付る也、女は名の下に付る、

〔地方落穗集〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0351 誓詞文言幷罪文認方故實之事 一公義御爲を專一ニ仕、少〈茂〉後闇き儀仕間敷事〈○中略〉
右の條々、急度相守可申候、若於相背者、
梵天帝釋、四大天王、總日本國中六十餘州大小神祗、殊伊豆箱根兩所權現、三島大明神、八幡大菩薩、天滿大自在天神部類眷屬、神罰冥罰、各可罷蒙者也、依起請如件、
年號月日 何之某〈血判〉名乘〈書判〉
右字數六十六字、日本國中六十六ケ國の神祇を勸請する意なりと云々、

〔一話一言〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0352 一起證文の字配書樣左のごとし、古法也といふ、
梵天帝釋四大天王、總日本國中
六十餘州大小神祇、殊伊豆箱根
兩所權現、三島大明神、八幡大菩薩、
天滿、天自在天神部類眷屬、神罰
冥罰、各可罷蒙者也、仍起請如件、
年號何年何月何日 苗字名判〈名乘不書〉
何年ノ下ニ支干ハナシ
宛所
宛名は其日出席の老中大目付兩人計也
評定所御用番、御老中御宅、兩所之内にて誓詞被仰付、奧御奉公被仰付候へば、其日御城にて誓詞被仰付候也、誓詞の節、逍付其席へ出んとする前に、左の藥指を爪際の處を少皮をはねて置、血判する時、其所を小刀の先にて少の突ば、其儘血出てよし、幾度も突は見苦し、鼻紙を貳枚ほどもみて、右の袂に入置、其紙にて指の血を拭事のよし、扨又小刀をさす時に、脇ざしを差たるまゝにて小刀も差べし、差よきとて小刀櫃を上にすれば、脇差に反りを打樣にみへてあしき 也、心を付べし、血を右の手の藥指に附て、居判の穴の白き處におす也、墨の處に附れば、見えかね候故也、血判して跡にて誓詞をいたゞく人あり、夫はあしき也、
此邊に血な押す
姓名

〔半日閑話〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 國々にて替りたる儀の事
一蝦夷人は誓詞に判官殿を書入けると也、〈○中略〉
一豐後の府内邊にては、蛸を誓文に書入けるとなん、是をたづぬべし、

〔政談〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 誓詞ノ文言ニ、別シテハ伊豆箱根兩所權現ト書ク事、文盲ノ至也、是ハ貞永式目ニ有コトヲ、書札者ノ手本ニ書出シタルヲ、何ノ詮議モ無用タル也、貞永式目ハ北條家ノ公事ノ裁斷ハ依怙ヲサセ間敷ト云誓文也、北條ノ所在ハ伊豆也、鎌倉ハ箱根ニ近キ故、伊豆箱根ト書タル也、今ハ國隔リ、伊豆箱根ノ權現ヲバ、平生ハ信ゼヌニ、日本國中何方ニテモ如此書コト、埓モ無事也、其所ニテ第一ニ尊敬スル神社ヲ可用事也、

〔安齋隨筆〕

〈後編七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 一誓文狀に、伊豆箱根三島大明神を書入る事、貞永式日ノ起請文に、總日本國中六十餘州大小神祇、殊伊豆箱根兩所權現、三島大明神、八幡大菩薩、天滿大自在天神、部類眷屬神罰冥罰各可罷蒙者也とあるを本にして書也、是は鎌倉にて、貞永年北條泰時が評定所にて、理非決斷の爲に、貞永式目の書を撰て、評定裁斷に私曲すまじきと云誓文也、伊豆、箱根、三島明神、鶴岡八幡、荏柄天神等は皆鎌倉近邊之神社なる故、是等の神名を擧て誓たる也、他國にては其の國中ノ神に誓ふべき事也、然れども今德川の御家にては、武藏國ノ神をば用ひられずして、伊豆箱根三島三社の神名を誓文に用ひ玉へり、子細ある事なるべけれども、其意味は知らず、〈○下略〉

起請文用紙

〔書札袖珍寶〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 牛王を上につぐ事、神を恐れて、白紙より上に是をつぐなり、牛王をひるがへして、裏に可之、中古此かたの例なり、一熊野牛王、二はちまん牛王、三勢田牛王、四山王牛王、五白山、六富 士、七大峯之牛王、御きしやう如常、但紙と牛王の祈は如古也、私曰、七所の牛王無之時は、熊野牛王計七枚にて可之也、

〔吾妻鏡〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 元曆二年〈○文治元年〉五月廿四日戊午、源廷尉〈義經〉如思平朝敵訖、剰相具内府參上、其賞兼不疑之處、日來依不儀之聞、忽蒙御氣色、不鎌倉中、於腰越驛徒渉日之間、愁欝之餘、付因播前司廣元、奉一通欺狀、廣元雖覽之、敢無分明仰、追可左右之由云云、
彼書云
左衞門少尉源義經、乍恐申上候、意趣者、被御代官其一、爲勅宣之御使、傾朝敵、顯累代弓箭之藝、雪會稽耻辱、可抽賞之處、思外依虎口讒言、被止莫太之勳功、義經無犯而蒙咎、有功雖誤、蒙御勘氣之間、空沈紅涙、〈○中略〉因玆以諸神諸社牛王寶印之裏(○○○○○○○○○○○)、不野心之旨、奉驚日本國中大小神祇冥道、雖進數通起請文(○○○○○○○)、猶以無御宥免、我國神國也、神不非禮、所憑非于他、偏仰貴殿廣大之御慈悲、伺便宜、令高聞、被秘計、被誤之旨芳免者、及積善之餘慶於家門、永傳榮花於子孫、仍開年來之愁眉、得一期之安寧、不盡愚詞、倂令省略候畢、欲賢察、義經恐惶謹言、 元曆二年五月日 左衞門少尉源義經
進上 因幡前司殿

〔太閤記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 信長公御父子之義注進之事
壬午六月三日の子の刻、京都より飛脚到來し、信長公、信忠卿、二條本能寺にして、昨日二日之朝、惟任がために御切腹にて候、急御上著有て、日向守を被討平然之旨長谷川宗仁より密に申來しかば、秀吉慟せる事不淺、然共さらぬ體にもてなし、四日の朝御馬じるし計持せ陳廻りし給ふ、つねは百騎計めしつれられ見廻給ふが、此事を聞れしより、一しづめしづめ、堤を打廻り給ひければ、輝元彌降參をぞ請にける、先月下旬より備中、備後、伯耆三ケ國を上可申之條、御和睦之義ひと へに奉賴之旨再三及べり、其の上諸事御入魂に預り候はゞ、向後疎意を存まじき旨、牛王寶印之裹を飜し(○○○○○○○○○)、上卷の起請文(○○○○○○)幷人質を進上可申と、小早川吉川より申來りし也、

起請文種類

〔世事百談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 起請
さて起請文に一枚起請(○○○○)、二枚起請(○○○○)、まだ七枚起請(○○○○)、百枚起請(○○○○)などいふことあり、義經記に、土佐坊が七枚起請かけること見え、後のものながら室町殿日記、豐太閤朝鮮文書にも、七枚起請といふこと見えたり、七枚起請の文をば、かつて友人より得てもてり、文明年間のころ書きたるを寫しつたへたるなり、七枚各文章別なり、そは誓言いく通にもしるしたるものなり、おもふにそのかみは尋常のことは一枚にかき、その誓言の重かるは幾枚にも、かへす〴〵書けることゝ見えたり、源平盛衰記に、百枚の起請といふことあり、驢鞍橋に一枚起請、二枚起請、三枚起請といふことも見ゆ、これにて法然上人の一枚起請といふもこれにて明なり、起請といふ文字は、後漢書劉盆子傳に、其餘不書者起請之といふより出でたり、〈○下略〉

一枚起請

〔古今著聞集〕

〈十二/博奕〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 花山院右のおとゞ〈○藤原兼雅〉のとき、侍共七半といふ事を好て、ありとしある物ども、夜る晝おびたゞしく打けり、おとゞ制し給へ共用ず、其中にいとまづしき格勤者一人有、もちたる物なければ、其人數にもれてうたざりけり、〈○中略〉さる程に、夜明にければ、おのれが一つ著たりける衣をぬぎて、人の錢五百文かりてけり、男のもとへもて來ていふ樣、人の十廿貫にててうたんも、又此少分の物にてうたんも、心をやる事はおなじ事也、我こゝうに、又おもしろし共思はぬ事なれば、あながちにおほくうち入てもせんなしといへば、男ありがたくうれしく覺て、其あした、やがて此錢ふところにひき入て、殿へ持て參ぬ、〈○中略〉此錢わづかに五百なれば、あまたゝびに出さんも見苦、たゞ一度にをし出して、打とられなばさてこそあらめと思て、よき程つゞきてまはる所に、おし出してかきたりければ、はやくかきおほせて、一貫に成ぬ、我もいまだ一度もし り候はねば、どうをば人にゆづり申候はんとて、まはらん所をかきおとさんと思て、又よき程に一貫をおし出してかくに、又かきおほせて、二貫に成ぬ、其時思ふやう、五百をばとりはなちて、本をうしなはで、妻に返しとらせんと思ひて、ふところにおさめてけり、今一貫五百をとて、これは思ひの外の物也、おもふさまにせんと思て、又をし出したるに、かきおほせて、三貫に成てけり、其後は、或は一貫二貫よき程々におし出すに、おほやうは、かきおほせて、卅よ貫に成にけり、此上は今は手あらに振まはじと思ひて、よき程にして、しばしやすみ候はんとて、卅餘貫の錢取てしりぞきにけり、傍輩共、女牛に腹つかれたる心地してありけれど、今かくかひ付て、後をこそなど思ひゐたり、去程に、此ぬし其夜、やがて仁和寺の妻が本へ、此錢をもたせて行にけり、次の旦、家にて妻にいひあはせて、ゆゝしくことして、長櫃のあたらしき兩三合たづねて、誠にきら〳〵しくしたてゝ、第二日の朝とくかゝせて參たり、先起請文一紙を書て、侍の柱にをしてけり、其起請文に書樣、今日以後、ながく博打仕るべからず、過にしかたも仕らぬ事なれど、諸衆の御供して、此度始て此事仕りぬ、自今以後、もし又加樣の事仕らば、現當むなしき身と成べし、と書てをしたりけり、

〔一枚起請文〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 もろこし、我朝のもろ〳〵の智者達の、沙汰し申さるゝ觀念の念にも非ず、又學問をして、念の心をさとりて申念佛にも非ず、唯往生極樂の爲には、南無阿彌陀佛と申せば、疑なく往生するぞと思取て、申す外には別の仔細候はず、但し三心四修なんど申事の候は、みな決定して、南無阿彌陀佛にて、往生するぞと思うちに、こもりて候なり、此外に奧ふかき事を存せば、二尊〈○釋迦、阿彌陀、〉のあはれみにはづれ、本願にもれ候べし、念佛な信ぜん人は、たとひ一代の法をよく〳〵學すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智の輩に同じ、智者のふるまひをせずして、唯一向に念佛すべし、
證以兩手印 淨土宗の安心起行、此一紙に至極せり、源空が所存、此外に全く別義を存ぜず、滅後の邪義をふせがん故に、所存を記し畢ぬ、
建曆二年正月二十三日 源空御判

〔太平記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357 資朝俊基關東下向事附御吿文事
土岐多治見討レテ後、君ノ御謀叛次第ニ隱無ケレバ、東使長崎四郎左衞門泰光、南條次郎左衞門宗直、二人上洛シテ、五月十日資朝俊基兩人ヲ召取奉ル、〈○中略〉夜痛深テ誰カ候ト召レケレバ、吉田中納言冬房候トテ御前ニ候ス、主上席ヲ近ケテ仰有リケルハ、資朝俊基ガ囚レシ後、東風猶未靜、中夏常ニ危ヲ蹈、此上ニ又何ナル沙汰ヲカ致ンズラント、叡憲更ニ不穩、如何シテ先ヅ東夷ヲ定ベキ謀有ント、勅問有ケレバ、冬房謹テ申ケルハ、資朝俊基ガ白狀有リトモ、承候ハ子バ、武臣此上ノ沙汰ニハ及バジト存候ヘドモ、近日東夷ノ行事、楚忽ノ義多候ヘバ、御油斷有マジキニテ候、先吿文一紙(○○○○)ヲ下サレテ、相模入道ガ忿ヲ靜メ候バヤト申サレケレバ、主上ゲニモトヤ思食レケン、サラバ軈テ冬房書ト仰有ケレバ、則御前ニシテ、草案ヲシテ是ヲ奏覽ス、君且ク叡覽有ラ、御泪ノ、吿文ニハラ〳〵トカヽリケルヲ、御袖ニテ押拭ハセ給ヘバ、御前ニ候ケル老臣、皆悲啼ヲ含マヌハ無ケリ、頓テ萬里小路大納言宣房卿ヲ勅使トシテ、此吿文ヲ關東へ下サル、相模入道、秋田城介ヲ以テ吿文ヲ請取テ、則チ披見セントシケルヲ、二階堂出羽入道道蘊、堅ク諫メテ申ケルハ、天子武臣ニ對シテ、直ニ吿文ヲ被下タル事、異國ニモ我朝ニモ未其例ヲ承ズ、然ヲ等閑ニ波見セラレン事、冥見ニ付テ其恐アリ、只文箱ヲ啓ズシテ、勅使ニ返進セラルベキカト、再往申ケルヲ、相模入道、何カ苦シカルベキトテ、齋藤太郎左衞門利行ニ、讀進セサセラレケルニ、叡心不僞處、任天照覽ト被遊タル處ヲ讀ケル時ニ、利行俄ニ眩(メクルメ)キ衂(ハナチ)タリケレバ、讀ハテズシテ退出ス、其日ヨリ喉下ニ惡瘡出テ、七日ノ中ニ血ヲ吐テ死ニケリ、時澆季ニ及テ、道塗炭ニ落ヌト云トモ、君臣上下ノ禮違 則ハ、サスガ佛神ノ罰モ有ケリト、是ヲ聞ケル人毎ニ、懼恐ヌハ無ケリ、

〔太平記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 足利殿御上洛事
足利殿ハ、反逆ノ企已ニ心中ニ被思定テケレバ、中々異議ニ不及、不日ニ上洛可仕トゾ被返答ケル、〈○中略〉長崎入道圓喜惟シミ思ヒテ、急ギ相模入道ノ方ニ參テ申ケルハ、誠ニテ候哉、足利殿コソ御臺君達マデ、皆引具シ進セテ、御上洛候ナレ、事ノ體怪シク存候、加樣ノ時ハ、御一門ノ踈ナラヌ人ニダニ、御心被置候ベシ、況源家ノ貴族トシテ、天下ノ權柄ヲ捨給ヘル事年久シケレバ、思召立事モヤ候覽、異國ヨリ吾朝ニ至マデ、世ノ亂タル時ハ、覇王諸侯ヲ集テ、牲ヲ殺シ血ヲ啜テ、貳ロ無ラン事ヲ盟フ、今ノ世ノ起請文是也、或ハ又其子ヲ質ニ出シテ、野心ノ疑ヲ散ズ、木曾殿ノ御子淸水冠者ヲ大將軍殿ノ方へ被出キ、加樣ノ例ヲ存候ニモ、如何樣足利殿ノ御子息ト御臺トヲバ、鎌倉ニ被留申、一紙ノ起請文ヲ書セ可進トコソ存候ヘト申ケレバ、相模入道實モトヤ被思ケン、頓テ使者ヲ以テ申遣サレケルハ、東國ハ、未世閑ニテ、御心安カルベキニテ候、幼稚ノ御子息ヲバ、皆鎌倉ニ留置進ラセラレ候ベシ、次ニ兩家ノ軆ヲ一ツニシテ、水魚ノ思ヒヲ被成レ候上、赤橋相州御緣ニ成候、彼此何ノ不審カ候ベキナレ共、諸人ノ疑ヲ散ゼン爲ニテ候ヘバ、乍恐一紙ノ誓言(○○○○○)ヲ被留置候ハン事、公私ニ就テ可然コソ存候ヘト被仰タリケレバ、足利殿鬱胸彌深カリケレドモ、憤ヲ抑ヘテ氣色ニモ不出、是ヨリ御返事ヲ可申トテ、使者ヲバ被返テケリ、其後舍弟兵部大輔殿ヲ被呼進テ、此事可如何ト意見ヲ被訪ニ、且思案シテ被申ケルハ、今此一大事ヲ思食立事、全ク御身ノ爲ニ非ズ、只天ニ代リテ無道ヲ誅シ、君ノ御爲ニ不義ヲ退ント也、其上誓言ハ神モ受ズ(○○○○○○○)トコソ申習シテ候へ、設詐テ起請ノ詞ヲ被載候共、佛神ナドカ忠烈ノ志ヲ守ラセ給ハデ候ベキ、就中御子息ト御臺トハ、鎌倉ニ留置進ラセラレン事、大義ノ前ノ小事ニテ候ヘバ、强ニ御心ヲ煩サルベキニ非ズ、公達イマダ御幼稚ニ候ヘバ、自然ノ事モアラン時ハ、其爲ニ少々被殘置郎從共、 何方ヘモ抱抱(ダキカヽヘ)テ隱シ奉リ候ナン、御臺ノ御事ハ、又赤橋殿トテモ御座候ハン程ハ、何ノ御痛敷事カ候ベキ、大行不細瑾トコソ申候へ、此等程ノ小事ニ可猶豫アラズ、兎モ角モ相模入道ノ申ン儘ニ隨テ、其不審ヲ令散、御上洛候テ後、大義ノ御計略ヲ可回トコソ存候ヘト被申ケレバ、足利殿此道理ニ服シテ、御子息千壽王殿ト、御臺赤橋相州ノ御妹トハ、鎌倉ニ留置奉リ、一紙ノ起請文ヲ書テ、相模入道ノ方へ被遣、〈○下略〉

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 應永二十五年七月十七日、及晩廣橋有書狀、三位重有、長資朝臣、香雲菴(山田菴號)飜寶印裏吿文(○○)之由、被仰出狀也、予事是非承旨間、時宜之趣推察、飜寶印(北野)書進、其題目、
一内侍局云日來當時、總而此蓬屋不經回事、
一猿樂酒宴以下對彼局張行事、
一總而受生以來不音信之上者、不向顏事、
此條々僞申者、ゝゝゝゝゝ仍起請如件、
應永廿五年七月十七日 某判
三位重有、長資等朝臣、香雲菴吿文同篇、聊文章替歟、一紙ニ書之、名字判各載之、但山田別紙ニ被書、則付廻遣了、

〔愚耳舊聽記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 大光寺責起之事〈附〉小笠原淺瀨石緣組之事
然ル所ニ、淺瀨石大和方ヨリ、小笠原伊勢方エ申遣シケルハ、其許ノ息女、忰安藝方エ申請度候也、於御同心者、可忝候ト、イトコマヤカニ申遣ケル、然共伊勢心ニ思ヒケルハ、大和心中無覺束、家ヲツガセンノ妻ニ、敵方ノ娘ヲノゾム事、若人質ニセントノ計ニヤ可有、其上一身ノ覺悟ニテ是非ヲ難極ト了簡シ、大和方ヨリ某ガ娘ヲモライ申度旨申遣候、一圓難心得、イカヾ可仕候ヤト申上ケレバ、爲信樣聞シ召、ヨシ夫ハ計策ニ申越候共、我々モ思フ子細有間、娘ヲ遣シ可申、若計事ニ 申越候ト了簡ノ場爰可成、又大和心實味方エ心ヲ通シ付バ、是ニ上コス事アラジ、兎角ノ吉事也、疾ト返事被致ヨトテ仰ケル、伊勢畏候トテ、頓テ返事ヲナシタリケル、大和ナノメニ悦ビ、近日祝言相調べシトテ、雙方祝義ヲ取カハシ、日限迄相究ル也、折々爲信公被仰出ハ、我ニ敵タエスル淺瀨石方エ娘ヲ可遣イハレナシ、一定伊勢ハゲキ心ノ奧意有トテ、伊勢ヲ押籠玉ヒケル、大和此由傳ヒ聞、於某全御敵ニ可罷成覺悟ユメ〳〵無御坐候、御敵不仕心底ヲ可御目爲成トテ、大光寺方ニテ隨一ノ者ニ、藤五郎左衞門ト申者ヲタバカリ寄セ、アエナク首ヲ打落シ、其首ニ一紙ノ起請文ヲ添テ、大浦エコソハ遣リケル、〈○下略〉

二枚起請

〔承久兵亂記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 みつすゑちかひろをめさるゝ事
ちかひろにうだうは、百よきにてはせさんず、殿上ぐちにめされて、いかにちかひろ、よしときすでにてうてきとなりたり、かまくらへつくべきか、みかたへ參べきかと、おほせくだされければ、いかでかせんじをそむきたてまつるべきよし申ければ、せいしやう〈○承久記作起請、〉をもつて申すべきよしおほせらる、二まいかきて、きみに一まい、きたのに一まい參らせけり、

〔吾妻鏡〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 寬喜三年九月廿七日、日中名越邊騷動、敵打入于越後守第之由有其聞、武州自評定座直令向給、〈○中略〉越州聞此事、彌以歸往、帥潛載誓狀(○○)云、至于子孫、對武州流無二忠、敢不凶害云云、其狀一通遣鶴岡別當坊、一通爲來榮之廢忘家文書云云、C 七枚起請

〔義經記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 土佐房よしつねの討手に上る事
土佐申けるは、かやうに人のむじつを申候にをいては、わたくしには、申ひらきがたく候、御めん蒙り候て、起請文をかき候はんと申ければ、判官、神はひれいをうけ給はずといへば、とく〳〵起請をかけ、ゆるすべしとの御諚にて、熊野の牛王七まいにかゝせ、三〈○三、判官物語作一、〉枚は八幡宮におさめ、一枚は熊野に納、今三〈○三、判官物語作六、〉枚は土佐か五たいにおさめよとて、やきてはいになしてのみ にけり、此上はとてゆるされぬ、土佐ゆるされて出ざまに、時刻うつしてこそみやうばつも神罰もかうふらめ、こよひをば過すまじ物をと思ひける、宿へ歸りてこよひよせずば叶ふまじとて、各ひしめきける、〈○中略〉土佐をからめて參りて候と申ければ、大庭に引すへさせ、ゑんに出させ給ひて、いかに正じゆん、起請はかくよりしてしるし有ものを、なにしに書たるぞ、〈○下略〉

〔嘉吉物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 さる程に、赤松の大膳大夫〈○滿祐〉殿、白しやうそくのひたゝれをめされて、三重に居をかきて、金地のにしきのうへに御くびをすへ、御まへにかしこまりて申させ給ふ樣は、あかまつの一門、代々天下の御用にたち、むほんのともがらをしづめて、ふたごゝうなく、奉公にくからぬやから也〈○中略〉とがもなき我々が一族を、御うしなひあり、ゆへもなく若黨をきつてすてられ、あまさへ我らを御對治あるべきとの御たくみにより、現在にそのむくひありて、我々が若黨の手にかゝり給ふ事、しかしながら御先祖の御起請に、赤松絶ば、我もたえんと、七枚あそばして、八幡と御所樣と、我々が家とに御おき有ながら、それを御わすれにて、かやうの事をおぼしめしたち候ゆへかとおぼゑて候、〈○下略〉

〔毛利家記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 慶長二年朝鮮へ、又諸勢ヲ可差渡トテ、元日ニ秀吉公被仰出シハ、安藝宰相コト、今度モ爲大將差渡ナレバ、其用意可仕由御諚ニ付テ、諸卒ニ用意ノ沙汰マシマス、然バ二月二人數備ト御掟ノ條、數ノ御書付ヲ出サセ給フ、〈○中略〉
條々
一右七人ノ者共七枚起請カヽセラレ、諸事有樣ノ體可申上旨、被仰付候條、忠功之者ニハ可御褒美、自然背御法度族有之者、右七人申次第、不誰々、八幡大菩薩可御成敗候條、得其意油斷候、〈○中略〉
慶長二年二月廿一日 羽柴安藝宰相どのへ

八枚起請

〔鹽尻〕

〈六十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0362 或人云、淨土宗に、八枚起請と云ありと聞、側ぞや、云、圓光大師の一枚起請に、聖光上人相傳の一紙を添られし後、記主禪師〈鎌倉光明寺の開山〉文永六年八月貳拾九日の誓詞、良曉師の正和二年二月十五日の誓、定恵師の康永二年八月廿三日の誓、良順師の應永十年五月廿六日の誓、順譽師の永享五年十一月三日の誓、常譽師の康正二年の誓詞を稱して、八師相傳の法文といふ、是佐介〈光明寺一流〉正流の相承として、元祖の敎誡に違はざるしるし也、東常緣入道此相傳を受て後よめる、
誰もしるなもあみだぶの六つの字もつたへてこそは猶とうとけれ

百枚起請

〔源平盛衰記〕

〈四十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0362 土佐房上洛事
土佐房ガ被討ヲ見テ、淸經其曉鎌倉へ逃下テ、二位殿ニ角ト申ケレバ、アヽ九郎ハ賴朝ガ敵ニハヨク成ニケリ、今ハ憚ルベカラズトテ、弟ニ三河守範賴ヲ、大將軍ニテ、六萬騎ノ兵ヲ相副テ可上洛之由被申ケレバ、範賴旣ニ出立テ、小具足計ニテ、熊王丸ニ甲持セテ、二位殿ニ見參シ給フ、和殿トテモ非打解、九郎ガ樣ニニノ舞モヤト存ズレバ、上洛事暫可相計ト宣フ、三河守小具足解置、努々不其義、可起請仕トテ不背之由、梵天帝釋下奉テ、百日ニ百枚二百枚之起請文ヲ書上タレ共、不用シテ、範賴暫被宥ケリ、

連署起請

〔吾妻鏡〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0362 寬喜四年〈○貞永元年〉七月十日、爲政道上レ私、召評定衆署起請文、其衆爲十一人
攝津守中原師員 前駿河守平義村
沙彌行西〈隱岐守〉 前出羽守藤原家長
加賀守三善康俊 沙彌行然〈民部大夫〉
左衞門少尉藤原基綱 大和守三善倫重
玄番允同康連 相模大拯藤原業時 沙彌淨圓〈左兵衞尉〉
相州武州、爲理非決斷職、猶令署判於此起請給云云、

〔吾妻鏡〕

〈二十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0363 天福二年〈○文曆元年〉七月六日、仰家司等、召起請、是奉行事、不親疎、不貴賤、各存正儀、可沙汰之趣也、其衆十七人、
前山城守藤原秀朝 前山城守中原盛長
散位大江以康 散位三善康持
民部大丞三善康連 中務丞大江俊行
彈正忠大江以基 大膳進大江盛行
左衞門尉惟宗 同重通
兵庫允三善倫忠 藤原賴俊、沙彌行忍、
惟宗行通 三善康政〈改康宗

〔寶簡集〕

〈四十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0363 十津川十八郷庄司等起請文案
敬白
立申起請文事
右起請文意趣者、野川中津川山民等、亂入御山、可狼藉之由、全無其跡形事候、〈是一〉自今以後於御山内、不殺打殺猪鹿等羽毛之族候、〈是二〉依此事等、違背御山、結構惡行仕事、至未來際御山御命、〈是三〉若於一家一族緣者、境界間有逆惡輩者、隨承及制止候、猶於制止者、於御山殺害全不其遺恨候、如此等條々事、若構申虚談者、大師明神金剛天等、日本國中大小諸神御治罰可罷蒙、連署仕一結衆等十八郷山民等身上之狀如件、
文永四年〈丁卯〉六月四日 中津川庄司依房〈在判〉 北袴後藤次守包〈在判〉 北袴總追補使宗依〈在判〉
北袴藤大夫末弘〈在判〉 大谷藤平大夫依眞〈在判〉
定 使 勝 蓮〈在判〉 大屋大夫國淸〈在判〉
野川押領次大夫國包〈在判〉 大原權追補使依宗〈在判〉
大羅地貫主宗依〈在判〉

〔花營三代記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0364 應永廿八年六月廿五日、自御所樣〈○足利義持〉以毎阿彌、御方御所樣大御酒甚以不然、御方伺候之面々、於向後御方御酒被聞食、幷私〈ニ〉酒〈ヲ〉自御所樣御免テ不用之由、以起請文申上之由、被仰出也、 六月廿九日、可大酒飮之由起請(○○○○○○○○○)、熊野牛王裏ニ以連判、畠山中務少輔持淸於宿所、三十六人書畢、註文有別紙、在國其外少々人數ヲ加ヘズ、

〔蜷川家記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0364 敬白起請文事
一御成敗之趣、万一不理致、子細在之者、不心底言上仕、縱於當座存寄、有思案仕出之者者、 不違期上之、但至堅固不辨越度者、非沙汰之限事、次就公事無沙汰事、
一雖他人奉行、御裁許之篇目相違之由、承及者可申披之旨、對申沙汰奉行人申之事、
〈付就御沙汰公事篇、不虚言事、〉
右兩條、令違犯者、日本國中大小神祇、八幡大菩薩、山王二十一社、天滿大自在天神御罰、各可罷蒙候、
仍起請文如件、
長祿二年五月十八日 左衞門尉三善爲衡〈○以下人名略〉

〔建武以來追加〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0364 敬白 起請文事
一御成敗之趣、不理致子細在之者、不心底言上、縱於當座存寄、有思安仕出之旨者、不違期申上、但至堅固不辨之越度者、非沙汰之限事、次就公事無沙汰事、 一雖他人奉行、御裁許之篇目相違之由承及者、可申披之旨、對申沙汰奉行人、可申之、〈付就御沙汰公事篇、不虚言事、〉
右兩條令違犯者、日本國中大小神祇、八幡大菩薩、山王廿一社、天滿大自在天神御罰、各可罷蒙也、仍起請文如件、
永享三年十月廿八日 飯尾肥前守弟
左衞門尉三善爲秀〈○以下十一人連署略〉

〔東寺百合文書〕

〈は之五十八至六十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0365 再拜々々 立申起請文事
右子細者、就太良庄代官職事、寶泉院〈與〉可義絶申條々事、
一公事外者、一切不彼御坊出入經廻事、
一於私所用者、雖何事一向可音信不通申事、
一彌五郎事、音信參會之儀、堅可停止事、
此條々内、若雖一事、於違犯輩 者、奉伊勢天照大神、日本國中大小神祇冥道、殊當寺〈○東寺〉鎭 守八幡大菩薩、八大高祖、兩部諸尊、伽藍三寶護法善神等之御罰、深可違犯之身者也、仍起請文 之狀如件、
長祿三年十一月廿四日 彦四郎〈花押○以下八人略〉

〔武田家諸士起請文〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0365 奉(上包ニ)納下郷明神願狀
敬白起請文
一以知行幷賄賂以下之所得、雖賴方候、奉當御屋形樣、不逆心事、一以細事御屋形樣、理不盡不述懷事、一御氣色惡舗人、幷御家中之大身〈江〉不入魂事、
右雖爲〈○爲下恐脱一字〉事、存違犯者、蒙梵天帝釋、四大天王、總而日本國中大小之神祇、殊ニハ八幡大菩 薩、富士淺間大菩薩、熊野三所大權現、諏訪大明神、甲州三三明神、別而ハ御旗楯無之御罰、於今生癩病、至來可在無間地獄者也、仍如件、
永祿九年丙寅閏八月廿三日
文書何レモ同前
金丸平八殿 馬場美濃守信春
吉田左近助殿 山縣三郎兵衞昌景
吉田左近殿 小山田兵衞尉信茂
吉田左近殿 原隼人助昌胤〈○以下署名略之〉

〔聚樂第行幸記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0366 殿下〈○豐臣秀吉〉つら〳〵行末の事など工夫ましますに、たゞいま雲上になしをかるる人々は、みな殿下の恩惠あさからず、かけまくもかたじけなき殿上の交をゆるされ、この行幸にあひ奉るものかなと、感悦する輩也、子々孫々に至ては、若この薫德をわすれ、無道の事もやあらんとおぼしめして、あらたに昇殿有し人々、尾州の内府、駿州の大納言をはじめ、みな禁中へ對し奉り、誓紙をしてあげらるゝにおいては、悦おぼしめさるべき由也、そのかみ皆人の遺言をなす事、その末期にのぞみて領知財寶をゆづる事のみ也、我世盛んなるおりに、りやうちざいほうをそなへまいらするこそ、誠の心ざしにてあらめと宣ふをきゝて、滿座感涙をもよほし侍りぬ、をの〳〵尤とて、則せいしをかゝせ給ふ、その詞に云、
敬白 起請
一就今度聚樂第行幸仰出之趣、誠以難有催感涙事、
一禁裏御料所地子以下、幷公家門跡衆所々知行等、若無道之族於之者、爲各堅加意見、當分之儀不申、子々孫々無異儀之樣可申置事、 一關白殿被仰聽之趣、於何篇聊不違背事、
右條々、若雖一事違背者、
梵天帝尺四大天王、總日本國中六十餘州大小神祇、殊王城鎭守、別氏神春日大明神、八幡大菩薩、天滿大自在天神部類眷屬、神罰冥罰各可罷蒙者也、仍起請如件、
天正十六年四月十五日 右近衞權少將豐臣利家
參讃左近衞中將豐臣秀家
權中納言豐臣秀次
權大納言豐臣秀長
大納言源家
内大臣平信雄
金吾殿

〔慶長三年誓紙前書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 敬白天罰靈社上卷起請文前書事
一奉秀賴樣、御奉公之儀、大閤樣御同前に不疎略事、
付、表裏別心毛頭存間敷事、
一御法度御置目之儀、今迄如仰付、彌不相背候、各相談之儀者、多分ニ可相付事、一公儀御爲存候上者、對諸傍輩私ニ遺恨を企、不存分事、
一傍輩中不其徒黨候、公事篇喧嘩口論之儀、自然雖之、親子兄弟、緣者親類、知音奏者たり共、依怙贔負を不存、如御法度覺悟事、
一御知行方之儀、秀賴樣御成人之上、爲御分別仰付以前に、不誰々御訴訟雖之、一切不申次之候、況手前之儀不申上候、縱被下候共、拜領仕間敷事、 一對御奉公衆誰々讒言子細雖之、同心不申候、何時も直ニ申屆可隨者候、自然不相屆儀承屆候者、無隔心異見候、事ニより同心無之候共、遺恨ニ存間敷事、
一公私共以穩密申聞儀、一切不他言事、
一此方一類幷家來之者共、自然背御法度、不相屆族於之者、無隔心申聞候者、可祝著候事、
石條々、若私曲僞於之者、忝も此靈社起請文御罰深厚ニ可罷蒙者也、仍前書如件、
慶長三年八月五日 江戸内大臣
家康
加賀大納言
利家
但前書誓紙同前一通宛
德善院
淺野彈正少弼殿
增田右衞門尉殿
石田治部少輔殿
長束大藏大輔殿
敬白天罰靈社上卷起證文前書事
一奉秀賴樣、御奉公之儀、大閤樣御同前ニ不疎略事、
付、表裏別心毛頭存間敷候事、
一御法度御置目等諸事、如今迄たるべき儀勿論候、幷公事篇之儀、爲五人相究儀者、家康利家得御意、然上前以急度伺上意、可其事
一傍輩中不徒黨候、公事篇喧嘩口論之儀自然雖之、親子兄弟、緣者知音、奏者たり共、依怙贔負を不存、如御法度覺悟事、 一對諸傍輩私ニ遺恨を企、不存分事、
一五人間之儀、互無隔心別て令入魂、公儀御爲可然樣ニ可申談候、自然中説於之者、以直談相濟事、
一諸事申談儀、多分ニ付テ可相究候、
但五人之中、不和子細在之候而、相違候者、殘爲衆中相究候、至于時參會之衆中少分にて相究儀有之共、不私相究候上者、存分有之間敷事、
一御算用之儀、手前之事者不申、私曲存間敷候、何之御代官前も、依怙贔負不存、有樣ニ承屆、公儀御爲可然樣ニ可申付事、
一公私共以御穩密仰聞儀、一切他言不仕事、
一此方一類幷家來之者共、自然背御法度相屆族於之者、無御隔心仰聞候者、可忝存事、
右條々、若私曲僞於申上者、忝も此靈社起請文御罰、深厚ニ可罷蒙者也、仍前書如件、
慶長三年八月五日 長束大藏大輔
增田右衞門尉
石田治部少輔
淺野彈正少弼
德 善 院
家康公
利家公

〔伊達家文書〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0369 起請文之事
一兩殿樣〈○伊達綱宗伊達龜千代〉〈江〉不何事、直には不申、人賴申候か、或は書付を以成共、此連判之衆、江戸 に而も、仙臺にても、其所ニ有合候衆へ無相談、抽申上間敷候、倂急之御用に而相談不罷成義ニ候者、壹人にても可申上候〈付〉身之爲を存、誰成共賴申候か、尤書付にても、御前からくり申候手立仕間敷候、
一御爲ニ能事〈與〉存候義も、如右之其所ニ有合候連判之衆へ無相談、壹人之思案に而申上間敷候、
一右連判之衆十年之内者、自分如何樣之意趣御座候共、互致堪忍、御用等和談仕可申付候、
前書之通、於相背者、日本六拾餘州之大小之神祇可御罰者也、
大條兵庫
宗賴〈花押血判〉
子ノ萬治三年 片倉小十郎
七月十六日 景長〈花押血判〉
茂庭周防
延元〈花押血判〉
原田甲斐
宗輔〈花押血判〉
富塚内藏丞 重信〈花押血判〉
遠藤文七郎
俊信〈花押血判〉
奧山大學
常辰〈花押血判〉 古田主膳
重安〈花押血判〉

血判起請

〔類聚名物考〕

〈人事八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0371 誓紙血判
起請文の後に無名指(クスリユビ)の血を出して、判形とする事も、戰國の習はしに出たるべし、上古はその事見及ばず、男女の交の間にも起請有り、それは小指の血を絞るは、いかなる人の是等の事定めしにや、

〔光榮卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0371 寶永六年十二月十三日、從雅豐卿明晩迄、一紙可認旨、案文來承段申遣、十四日、雅豐卿へ昨日申來一紙書付遣文案、〈小奉書立卷奉書ニデ全〉
一禁裏、仙洞、新院、御爲不忠之存念、毛頭有之間敷候事、
一不何事、御前之沙汰、他言仕間敷事、
一御膳以下、總而あがり物之類、隨分念入、聊無沙汰之儀、仕間敷候事、
右堅可相守候、若於違背者、可日本大小神祇、別而兩大神、宮、氏神春日大明神御罰者也、仍神文(○○)如件、〈月日血判(○○)者追而可沙汰由也、〉
寶永 光榮
庭田前大納言殿
高野前大納言殿

〔兼胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0371 寬延三年六月廿五日、未剋過著布衣奴袴、厨役同道向豐後守役宅、〈先達而雜掌持誓書參、彼役宅相待、〉於廊下誓書、〈雜掌渡之〉入懷中、坐定之後、御附田中出羽守、山木筑前守候末座、予進出取出誓書豐州、豐州披見了返之、次硯幷筥蓋等を將來、置予前、予摺墨點筆披誓書、表包置傍、開書展付疊上、甘付三字名字等書加、次取針、在硯筥中、左手無名指爪ノ上方、以針差切皮、名字ノ下ニ加血判(○○○○○○○○)、〈加血判之前、所設之蓋ヲ置前、其上〉 〈ニ居誓書血判、〉乍筥蓋取廻進豐後守、次附表包、豐州披見訖持入奧ノ方、此間撤硯幷蓋等、豐後守還出述賀詞、申畏存候由起座、歸畢之後向柳原亭、謝同伴之儀、〈○中略〉
誓書、調檀紙同紙表包、〈折かけ、〉〈豐後守より至來之案文之紙之寸法之通ニ調之、表包も同至來之寸法之通ニ調之、〉
傳奏之役儀勤仕、公家武家御爲、聊以疎略存間鋪候、公武御用之儀付而、相役中惡不仕、諸事申合、依怙贔屓無之、糺善惡、正路可沙汰候、次御用之儀各被相尋子細有之節、不心底申者也、 右於違背者、可梵天帝釋、四大天王、總而日本國中大小神祇御罰者也、
寬延三年六月廿五日 兼平血判 堀田相模守殿 酒井左衞門尉殿 本多伯耆守殿 松平右近將https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 殿 松平豐後守殿

傳授起請

〔古今著聞集〕

〈五/和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0372 彼淸輔朝臣の傳へたる人丸の影は、〈○中略〉白河院此道御好有て、かの影をめして、勝光明院の寶藏におさめられにけり、修理大夫顯季卿近習にて、所望しけれ共、御ゆるしなかりけるを、あながちに申て、つゐに寫しとりつ、顯季卿一男中納言長實卿、二男參議家保卿この道にたへずとて、三男左京大夫顯季卿にゅづりけり、〈○中略〉實子なりとも、此道にたへざらんものには、つたふべからず、寫しもすべからず、起請文あるとかや、

〔古今著聞集〕

〈六/管絃歌舞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0372 中御門内大臣子息大納言宗家卿、外孫同宗能卿に授られたりけり、六波羅の太政入道〈○平淸盛〉嚴島の内侍につたふべきよし、宗家卿に示されければ、歎ながら世にしたがふならひ、力およばで、おとる説を傳へられけり、但他人に敎べからざる由を、まづ起請をぞかゝせ られける、多好方是を聞て、かの内侍に問ければ、しらざるよしをぞこたへける、此曲〈○雙調曲〉は、宗家卿、冷泉内府にもおしえられたりけるとかや、

〔秦山集〕

〈雜著十五/甲乙錄一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0373 伊勢不神文、卜部安倍毎事有神文、垂加靈社所納神文八通、其他晩年皆火之、八通曰公通卿、曰土御門三位泰福卿、曰出雲路民部、曰梨木左京權大夫、曰梨木弟采女、曰稻荷神主大山左兵衞、曰植田玄節、曰某也、〈○中略〉
垂加社門人神文三條、一曰、神道傳授無許可妄口外、雖許可之後、非其人之事、二曰、不異國之道混説事、三曰、師傳之思義不疎略事、右條々任神明之照覽、不違犯者也、年月日、姓名墨判、

〔秦山集〕

〈雜著十五/甲乙錄一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0373 血言阿世、神之所忌故、神文墨判而已、無血判

〔泊洦筆話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0373 一縣居翁東都へ來られて、門人數あまたありけるか、入門のをり、烏計非言といふものをかゝせしめられき、そは今も世にすなる、入門の誓詞なり、其文は
加茂宇志迺敎賜(カモウシノヲシヘタマ)〈倍屢(ヘル)〉
皇御國能上代乃道(スメラミクニノカミツヨノミチ)〈遠(ヲ)〉、己痛願斯奴倍里(オノレイタク子ギシヌベリ)、故名簿(カレナツキ)〈乎(ヲ)〉進(マイ)〈良世底(マセテ)〉、其道(ソノミチ)〈爾(ニ)〉赴(オモムカ)〈比奴(ヒヌ)〉、伊摩由後敎賜(イマユノヲシヘタマ)〈敝留(へル)〉言(コト)、遂(ツヒ)〈爾(ニ)〉 遠(トホ)〈里(リ)、底(テ)〉許(ユルブ)〈流(ル)〉時(トキ)〈爾之毛(ニシモ)〉有受(アラズ)〈波(バ)〉、安駄志人(アダシヒト)〈爾(ニ)〉私言勢自(サヽメゴトセジ)、且宇志(マタウシ)〈爾(ニ)〉對(ムカ)〈比底(ヒテ)〉爲耶無(イヤナ)〈久(ク)〉異(アダ)〈之伎(シキ)〉心(コヽロ)〈遠(ヲ)〉思波自(オモハジ)、都(スベ)〈底(テ)〉 此烏計非(コノウケヒ)〈爾(ニ)〉違(タカ)〈波婆(ハヾ)〉言(イハ)〈麻久毛(マクモ)〉恐(カシコ)〈伎(キ)〉、天津神國津神多知知志食(アマツカミクニツカミタチシロシメサ)〈奈毛(ナモ)、〉穴畏(アナカシコ)、
通稱
年號月日 姓名 花押
加茂縣主大人〈爾〉上
此文を入門のをり、人々に自筆にて、かゝせられしが、岡部の氛にちり殘りつたはれるを、先年翁の孫、〈通稱平三郎〉今の家あるじにこひて、おのが家に襲藏す、元文三年〈翁年四十二歲〉より、明和四年〈翁年七十二歲にて〉 〈歿年前二年なり〉まで二十七人のを得たり、此外にもいとおほかりけんを、散り失せてわづかに殘れるかぎりなり、此なかに小野古道、〈通稱長谷川讃益、家集一卷、予校正して已に刊せり、〉日下部高豐、〈通稱今藏、貞右衞門、家集一卷、予校正して近刊す、〉橘千蔭、〈九歲のをりにて、通稱要人といはれし人なり、〉藤原字萬伎、〈通稱河津五郎太夫、家集靜舍集、先年難波人上田秋成校正して上米せり、〉大伴俊明、〈柳營侍臣、俗稱山岡左次右衞門、後剃髮號明阿、博覽强記、著書數十部、〉源綾足、〈建凉帒、著書數部、今上木して世に傳ふ、〉平宣長、〈通稱本居舜菴〉度會正恭、〈後改久老、通稱学治五十槻、〉などの高名の輩入りたり、

發願起請

〔廣福寺文書〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0374 敬奉三世常住一切三寶、殊者七佛五十餘代佛祖御前、所發願起請文事、
右志願者、靈山少林永平の正宗を護持したてまつりて、法燈を彌勒三會のあかつきにつぎたてまつるべく候、ならびに諸宗においてわたくしなく、身をわすれ、法をおもくして、ながく有爲の樂相に貪ぜず、一すぢに佛果菩提をもとめ候はん、僧侶を分にしたがひて護持したてまつるべく候、伏願
三寶證明
諸天加護
延元四年六月二日 武敏〈花押〉

〔廣福寺文書〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0374 敬奉三世常住一切三寶、殊者鳳儀山七佛五十餘代佛祖御前、誓申發願事、
一外行五常天道之正理、内守解脱生死一大事、可自利利他之益候、
一雖頭目手足、不法惜一レ之候、
一於眞俗二諦、不敢違師命、一心奉持正法、可謝父母深恩候、此條變違申候者、直罷蒙天罰、可二世本願候、仍發願誓文如件、
興國三年〈壬午〉三月十七日 藤原武直〈花押〉

武家代始起請

〔吾妻鏡〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0374 建仁三年十月十九日甲寅、佐々木左衞門尉定綱、中條右衞門尉宗長、爲使節上洛、是將 軍御代始也、京畿御家人等、殊插忠貞、不貳之由相觸之、且可進起請文之趣、所遣武藏守朝政幷掃部頭入道寂忍等之許也、爾人去九日出門云云、

南蠻起請

〔契利斯督記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0375 宗門穿鑿心持の事〈○中略〉
一國主吉利支丹宗門之仕置善惡有之、〈○中略〉農人町人職人等ニ、日本ノ誓詞、南蠻ノ誓詞(○○○○○)ヲイタサセ、寺請ヲトリ、其後ハ一年モ二年モ改ノ沙汰無之、サシヲカルヽ國有、〈○下略〉

〔鹿苑寺文書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0375 吉利支丹ころび申しゆらめんとの事
一我々は何年より何年まできりしたんにて御座候へ共、何年の御法度よりころび申候事、うたがひ無之候、今程なにの宗體にて御座候、
一吉利支丹宗旨に成、此前方ねがひ申候事、今に後悔にて御座候間、後々末代きりしたんに立歸る事仕間敷候、同妻子けんぞく他人へも、其すゝめ仕間敷候、自然何方より伴天連參、こんひさんのすゝめと云共、此書物判をい尨し申上は、其儀かつて以妄念にもおこし、取あつかう事に同心いたすまじく候、もとのきりしたんに立歸るにをいては、しゆらめんとの起請文以テ、是をてつする者也、
一上ニハ天公でうす、さんた、まりやをはじめたてまつり、もろ〳〵のあんしよの蒙御罰、死てはいんへるのと云於獄所、諸天狗の手に渡り、永々五寒三熱のくるしみを請、重而又現世にては、追付らさるになり、人に白癩黑癩とよばるべき者也、仍おそろしき、しゆらめんと、如件、
寬永十貳年 何之村
十月 ころび
誰判
妻子判 右三ケ條は、ころび候きりしたんに書せ取可申候、奧二ケ條は、總樣の百姓共、幷召仕の者迄書せ、庄屋所ニ請取可申者也、
亥十月十日 周防印
北山
庄屋
百姓中

强起請

〔源平盛衰記〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 兼遠起請事
平家大ニ驚キ、中三權頭ヲ召上テ、如何ニ兼遠ハ木曾冠者義仲ヲ扶持シ置、謀叛ヲ起シ、朝家ヲ亂ラントハ企ツナルゾ、速ニ義仲ヲ搦進スベシ、命ヲ背カバ汝ガ首ヲ刎ラルベシト、被下知ケレバ、兼遠陳ジ申テ云、此條且被聞召候ケン、義仲ガ父帶刀先生義賢ハ、去久壽ノ比、相模國大倉ノ口ニテ、甥ノ惡源太義平ニ被討侍キ、義仲其時ハ二歲ニナリケルヲ、恩愛ノ道ノ哀サバ、母惡源太ニ恐テ、懷ニ入テイカヾセント歎キ申シカバ、一旦哀ニ覺エテ請取テ今マデ孚置テ侍レ共、謀叛ノ事努々虚言也、人ノ讒言ナドニ候力、但御諚ノ上ハ、身ノ暇ヲ給テ國ニ下、子息共ニ心ヲ入テ可搦進ト申、右大將家重テ仰ニハ、身ノ暇ヲ給ハント思ハヾ、義仲ヲ可搦進之由、起請文ヲ書進ベシ、不然者子息家人等ニ仰テ、義仲ヲ搦進セン時、本國ニ可返下也ト有ケレバ、兼遠思ヒケルハ、起請ヲカカデハ難遁、書テハ年來ノ本意空カルベシ、イカヾスベキト案ジケルガ、縱命ハ亡ブトモ、義仲ガ世ヲ知ンコト大切ナレ、其上心ヨリ起テ書起請ナラズ、神明ヨモ惡シトオボシメサジ、加樣ノ事ヲコソ乞索壓狀トテ、神モ佛モ免レ候ナレト思成テ、熊野ノ牛王ノ裏ニ起請文ヲ書進ズ、其狀ニ云、
謹請 再拜再拜 早依謀叛企、可進木曾冠者義仲由、起請文事、
右上奉梵天、帝釋、四大天王、日月三光、七耀九星、二十八宿、下内海外海龍神八部、堅牢地祇冥官冥衆、日本國中七道諸國大小諸神、鎭守王城諸大明神、驚申而白、木曾冠者義仲者、爲六孫王之苗裔、繼八幡殿後胤弓馬之家也、武藝之器也、依之被源家之執心、爲宿祖之怨念、相語北陸諸國之凶黨、擬平家一族之忠臣之由有其聞、以濫吹也、早仰養父中三權頭兼遠、而可進彼義仲云々、謹蒙嚴命畢、任仰下之旨、速可進義仲、若僞申者、上件之神祇冥衆之罰於兼遠之八萬四千之毛孔仁蒙天、現世當來永神明佛陀之利益仁可漏之起請狀如件、
治承五年正月日 中原兼遠
トゾ書タリケル、依之平家憑モシク思ハレケレバ、中三權頭ヲ被返下、兼遠國ニ下テ思ヒケルハ、起請文ハ書ツ、冥ノ照覽恐アリ、又起請ニ恐レバ日比ノ本意無代ナルベシ、イカヾセント案ジケルガ、責モ義仲ヲ世ニ立ント思フ心ノ深カリケレバ、本望ヲモ遂、起請ニモ背カヌ樣ニ、當國ノ住人根井滋野行親ト云者ヲ招寄テ云ケルハ、此木曾殿ヲバ幼少二歲ノ時ヨリ懷育ミ奉テ、世ニ立候ハン事ヲノミ深ク存侍ギ、成人ノ今ニ高倉宮ノ令旨ヲ給テ、平家ヲ亡サントスル處ニ、兼遠ヲ召上テ乞索壓狀ノ起請文(○○○○○○○○)ヲ被召畢ヌ、此事默止セン條本意ニ非ズ、サレバ木曾殿ヲ和殿ニ奉ラン、子息共ハ定テ參侍ベシ、心ヲ一ニシテ平家ヲ討亡テ、世ニオハセヨトテトラセケル志コソ恐シケレ、

〔源平盛衰記〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 新院嚴島御幸附入道奉起請
治承四年九月廿一日、新院〈○高倉〉又嚴島ノ御幸アリ、〈○中略〉賴朝追討ノ宣下ノ後、入道又夜ニ入テ參タリケルニ、新院ノ仰ニハ、東國ノ兵亂ノ事、賴朝ハ一人也、討手ノ使ハ三人也、別ノ事アラジ、心安コソ思召、早ク其祈可申、先嚴島へ被參ヨカシ、サラバ是モ思タヽント仰下サル、入道餘ノ嬉サ ニ手ヲ合悦泣シテ、關東ヘハ若者共ヲ差下テ候ヘバ、實ニ何事カハ侍ベキ、鳥風ナラバコソ此等ヲ差越テハ賴朝ニ勢付ベキ、皆々禦留ナン、憑シク候、勅定ノゴトク嚴島へ御伴仕テ、天下安穩ノ事ヲ祈申ベシトテ、俄ニ出シ立進テ御幸アリ、彼島ニ著セ給テ、御參社以前ニ、入道ト宗盛ト父子二人、院ノ御前ニ參ヨリテ、自餘ノ人々ヲバ被除テ、入、道被申ケルハ、東國ノ亂逆ニ依テ賴朝ヲ可追討之由、御宣下ノ上ハ、不審候ハネドモ、源氏ニ一ツ御心アラジト御起請(○○○○○○○○○○○○○○)アソバシテ、入道ニ給御座候へ、心安存ジ、イヨ〳〵御宮仕申候ベシ、此言聞召入ラレズハ、君ヲバ此島ニ捨置逕セテ歸上候ナント申タレバ、新院少シモサハガセ給ハズ、良御計有テ、今メカシ年來何事ヲカ入道ノソレ申事背キタル、今明始テ二心アル身ト思フランコソ本意ナケレバ、彼起請イトヤスシ、イカニモイハンニ隨フベシト仰有ケレバ、前右大將硯紙執進セリ、入道近參テ耳語申ケレバ、其儘ニアソバシテタビヌ、入道披之拜テ、今コソ憑シク候へトテ、ホクソ笑テ大將ニ見セラル、宗盛此上ハ左右ノ事有ベカラズト申、相國取テ懷ニ入テ立給ケルガ、ヨニモ心地ヨゲニテ各御前へ參ラセ給ヘト申ケル時、邦綱卿被參タリ、アヤシト思ハレケレ共、人々口ヲ閉テ申事モナカリケルニ、重衡朝臣イカニゾヤト阿翁ニサヽヤキケレバ、打ウナヅキテ心得タル體也ケレ共、御伴ノ人々ハ其心ヲ得ズ、國庄ヲ給リ給ヘル歟、イカバカリノ悦シ給ヘルゾ、イトhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01560.gif ク思ハレタリ、

破起請

〔宇治拾遺物語〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 今はむかし村上の御時、古き宮の御子にて、左京大夫なる人おはしけり、〈○中略〉色ははなをぬりたるやうにあをじろにて、まかぶらくぼく、はなのあざやかにたかくあかし、くちびるうすくていろもなく、ゑめば齒がちなるものゝ、齒肉あかくて、ひげもあかくてながゝりけり、こゑははなごゑにて、たかくて物いへば、一うちひゞきて聞えける、あゆめば身をふり、かたをふりてぞありきける、色のせめてあをかりければ、あをつねの君とぞ、殿上の君達はつけてわらひける、わかき人たちの、たちゐにつけてやすからずわらひのゝしりければ、みかどきこしめ しあまりて、このをのこどものこれをかくわらふびんなき事なり、ちゝの御子聞て、せいせずとて、我をうらみざらんやなどおほせられて、まめやかにさいなみ給へば、殿上の人々したなきをして、みなわらふまじきよしいひあへりけり、さていひあへるやう、かくさいなめば、今よりながく起請す、もしかくきしうやしてのち、あをつねの君とよびたらんものをば、さけくだ物など取いださせてあがひせんといひかためて、起請して後いくばくもなくて、堀河殿の殿上人にておはしけるが、あふなく立てゆき、うしろ手を見て、わすれてあのあをつねまるは、いづちゆくぞとの給てけり、殿上人ども、かく起請をやぶりつるは、いとびんなきことなりとて、いひさだめたるやうに、すみやかに酒くだ物とりにやりて、この事あかへとあつまりて、せめのゝしりければ、あらがひてせじとすまひけれど、まめやかに〳〵せめければ、あさてばかりあをつねの君あかひせん、殿上人藏人その日あつまり給へといひて出給ひぬ、〈○下略〉

〔源平盛衰記〕

〈四十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0379 土佐房上洛事
同日ニ伊豫守〈○源義經〉土佐房ヲ召ス、隨召畠俊參、イカニ何事ニ上洛ゾ、ナド又音信ハ無ゾト間〈○中略〉土佐房陳申テ云、全其義侍ラズ、爲不審、起請文ヲ書進セソト云、伊豫守ハ起請ヲ書タレバトテ不實、其上事和僧ガ心任ヨトイヘバ、昌俊其邊ヨリ、熊野牛王尋出シテ、其裏ニ上天下界神祇、奉勸請起請文書、灰ニ燒テ呑、宿所ニ歸テ思ヒケルハ、起請ハ書タレ共、今夜不計ハ、惡カリナント思テ、夜討支度シケリ、〈○中略〉伊豫守時聲ヲ聞、サレバコソ起請法師ガ所爲也、但其僧ハ尤(ヲソロシ)カラズ、何事カ有ベキトテ、チトモニ不騷、〈○中略〉昌俊大原ヨリ藥王坂ヲ越、鞍馬山ニ逃籠、伊豫守兒童ノ時、當寺居住ノ好アリテ、大衆法師原、山蹈シテ尋ケル程ニ、鞍馬奧、僧正ガ谷ト云所ニテ搦捕、伊豫守ニ奉大庭ニ引居テ、イカニ和僧ハ、腹黑ナシト、起請書ナガラ、加樣ノ結構ヲバ巧ケルゾ、冥覽在頂、神罰不踵、奇怪々々ト云ケレバ、土佐房今ハ助ルベキ身ニ非ト思テ、及惡口、夜討ハ二位家ノ結構、起 請ハ昌俊ガ私ノ所作也、必シモ非冥罰、只自然ノ運ノ盡ニコソ、互ニ其期アルベキト云、伊豫守腹ヲ立テ、シヤ頰打トテ、ツラヲ打セタリケレバ、昌俊不面、不顏、只飽マデ打給へ〳〵昌俊ガ顏、我ツラニアラズ、是ハ源二位家ノ御頰也、此代ニハ又鎌倉殿、伊豫守殿ノ顏ヲ打給ハンズレバ、思合給ハンズラント申ス、

〔太平記〕

〈三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0380 慧源禪門逝去事
今年ノ春ハ、禪門〈○足利直義〉又怨敵ノ爲ニ、毒ヲ呑テ失給ケルコソ哀ナレ、三過門間老病死、一彈指項去來今トモ、加樣ノ事ヲヤ申ベキ、因果歷然ノ理ハ、今ニ不始事ナレドモ、三年ノ中ニ、日ヲ不替酬ヒケルコソ不思議ナレ、サテモ此禪門ハ隨分政道ヲモ心ニカケ、仁義ヲモ存給シガ、加樣ニ自減シ給フ事、何ナル罪ノ報ゾト案ズレバ、此禪門依申、將軍鎌倉ニテ僞テ、一紙ノ吿文(○○○○○)ヲ殘サレシ故ニ、其御罰ニテ、御兄弟ノ中モ惡ク成給テ、終ニ失給歟、又大塔宮ヲ奉殺、將軍宮ヲ毒害シ給事、此人ノ御態ナレバ、其御憤深シテ、如此亡給フ歟、〈○下略〉

〔太平記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0380 菊地合戰事
兩陣僅ニ隔テ、旗ノ文鮮ニ見ユル程ニナレバ、菊地態小貳ヲ爲耻、金銀ニテ月日ヲ打テ附タル旌ノ蟬本ニ、一紙ニ起請文ヲゾ押タリケル、此ハ去年太宰少貳古浦城ニテ、已ニ一色宮内大輔ニ討レントセシヲ、菊地肥後守大勢ヲ以テ後攻ヲシテ、小貳ヲ助タリシカバ、小貳悦ビニ不堪、今ヨリ後、子孫七代ニ至迄、菊地ノ人々ニ向テ、弓ヲ引、矢ヲ放事不有ト、熊野ノ牛王ノ裏ニ(○○○○○○○○)、血ヲシボリテ書(○○○○○○○)タリシ起請ナレバ、今情ナク心替リシタル處ノウタテシサヲ、且ハ天ニ訴、且ハ爲人也ケリ、八月十六日ノ夜半計ニ、〈○中略〉、夜已ニ明ケレバ、一番ニ菊地次郎、件ノ起請ノ旗ヲ進メテ、千餘騎ニテカケ入、少貳ガ嫡子太宰新小貳忠資、五千餘騎ニテ鬪ケルガ、父ガ起請ヤ子ニ負ケン、忠資忽ニ打負テ、引返々々戰ケルガ、敵ニ組レテ討レニケリ、

起請失

〔吾妻鏡〕

〈十三〉

建久四年八月二日丙申、參河守範賴書起請文、被將軍、〈○賴朝〉是企叛逆之由依聞食及、御尋之故也、其狀云、
敬立申 起請文事
右爲御代官、度々向戰場畢、平朝敵忠以降、全無貳、雖御子孫將來、又以可貞節者也、且又無御疑御意之條、具見先々嚴札、秘而蓄箱底、而今更不誤、而預此御疑、不便次第也、所詮云當時後代不忠、早以此趣置子孫者也、萬之一仁毛令犯此文者、
上梵天帝釋、下界伊勢春日賀茂、別氏神正八幡大菩薩等之神罰於可源範賴身也、仍謹愼以起請文文如件、
建久四年八月 參河守源範賴
此狀付因幡守廣元進覽之處、殊被咎仰曰、載源字、若存一族之儀歟、頗過分也、是先起請失(○○○)也、可仰使者廣元召參州使大夫屬重能、仰含此旨、重能陳云、參州者故左馬頭殿賢息也、被御舍弟儀之條勿論也、隨而去元曆元年秋之比、爲平氏征伐御使上洛之時、以舍弟範賴西海追討使之由、載御文、御奏聞之間、所其趣於官符也、全非自由之儀云云、其後無仰出、重能退下吿事由於參州、參州周章云云、

〔御成敗式目追加〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0381
起請文失條々
一鼻血出事
一書起請文後病事〈但除本病者〉
一鵄烏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00455.gif 〈○https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00455.gif 一木作糞〉懸事
一爲鼠被衣裳事 一自身中下血事〈但除楊枝時、幷月水女、及痔病者、〉
一重輕服事
一父子罪科出來事
一飮食時咽事〈但以背程、可失者、〉
一乘用馬斃事
右書起請文之間、七箇日中無其失者、今延〈○今延二字、一本作猶一字、〉七箇日、可籠社頭、若二七箇日猶無失者就總道理、可御成敗之狀、依仰所定如件、
文曆二年閏六月廿八日〈○廿八日、一本作廿一日、〉 右衞門大志淸原季氏
左衞門少尉藤原行泰
圖書少允藤原淸時〈○又見吾妻鏡

〔吾妻鏡〕

〈二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 寬喜二年五月六日、武州未退出給、去夜盜人事、殊被驚憤之故也、於侍召集自去夜參候之輩糺彈、其中恪勤一人、美女一人、有疑殆分、仍參籠于鶴岡八幡宮、可進起請文之由被仰含畢、 十四日、先日嫌疑恪勤美女、依起請文之失(○○○○○)明子細放御所中、件美女引級彼男盜條、令露顳云云、

起請雜載

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 壽永三年正月九日己亥、義仲與平氏和平事已一定、此事自去年秋比連々謳歌、有樣々異説、急以一定了、去年月迫之比、義仲鑄一尺之鏡面、奉八幡〈或説熊野〉御正體、裏鑄付起請文〈假名云々〉遣之、因玆和親云々、

〔源平盛衰記〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 賴朝義仲中惡事
又淸水冠者事ハ、未東西不覺ノ者候、仰ヲ蒙テ進セネバ所存ヲ寵タルニ似タリ、召ニ隨テ是ヲ進ス、不便ニコソ思召レメ、義仲角テ候ヘバ、一方ノ固メニハ、憑思召ベシトテ、淸水殿ヲバ岡崎四郎 藤内民部ニ渡シケリ、兩使畏テ鎌倉へ相具シ奉ル、宇野太郎行氏トテ、美妙水冠者ト同年ニ成ケルヲゾ、伴ニハ具シテ遣シケル、木曾ハ宗徒ノ郎等三十餘人ガ妻ヲ召テ、美妙水冠者ヲバ、汝等ガ夫ノ身替ニ鎌倉へ遣シヌ、若冠者惜ムナラバ、兵衞佐東國ノ家人催集テ可推寄、兩陣矢サキヲ合セバ、共ニ可討死、世中ヲ鎭メントノ計ヒニテ、冠者ヲバ兵衞佐ニ渡ヌト宣ヘバ、女房共皆涙ヲ流シヅヽ、穴目出ノ御計ヤ、加程ニ思召主君ノ御恩ヲ忘レ奉テ、妻子悲シトテ、何クノ浦ヨリモ落來、夫共ニハ面ヲ合セジ、チヽノ社ノ前渡セシ照日月ノ下ニ、住マジト、各起請ヲ書テ、木曾殿ニゾ進スル、

〔金剛寺文書〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 謹請起請祭文(○○○○)
右件起請祭文之意趣者非他事、天野之故也、但於件地頭幷下司職者、依前右大將〈○源賴朝〉殿御氣色、令上避文候畢、若乍上避文、至後代妨候者、八幡大菩薩幷王子眷屬可御知見之狀、謹所起請祭文右、敬白、
建久六年六月十四日 源義兼在列

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 建保元年九月三日、今日基淸道參、此事上皇殊驚思食、奇怪由有天氣云々、二品〈○卿二位局〉以重房先有理運之勘發、私召取神人殺害者、受前下司之讓、〈非相傳之職〉不領家、不事由、不關東下文、妄押領御領、任意致狼藉由也、陳申旨、於神人殺害者卽禁獄、當時猶在獄中、其父猶依罪科、召誡國守護所歟例也、仍讓但相傳之職、以馬助實淸申寮家了、其後於關東、依此男〈前下司〉深恩存命、微彼下司敵被https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02095.gif 、依此恩、能觸鎌倉裁許、罷入御庄、只苅下司分之田許也、是又基淸先年所作之田、爲今下司苅取報答也、全不他狼藉、但被仰下之旨尤恐申、此事進去文沙汰之條、只可御定、又委旨申頭弁了云々、卽聞此由又參御所、被頭弁頭弁、有執奏之旨等、氣色忽和平、重房又密語云、頭弁所引擧也、尼公爲獻帝曹操相共可庄務、此事御所咎思食、爲基淸又不便、彼憑我ばや、武士事 又偏勘當、非公平且令起請(○○○○)、可穩便由示含、急可和解由敎訓云々、

〔吾妻鏡〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 承久三年六月十七日庚午、於六波羅、勇士等勳功糺明其淺深、而渡河之先登事、信綱與兼義論之、於兩國司前對決、信綱申云〈○以上三十一字、據島津本補、〉詮者、入敵陣之時事、打入馬於河之時、芝田雖聊先立、乘馬中矢、著岸之刻不來、〈○中略〉兼義云、佐々本越河事、偏依兼義引導也、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02093.gif 迹爲不知案内、爭進先登乎者、難決之間、尋春日刑部三郎貞幸云云、以起請事由其狀云、
去十四日宇治被越事
岸落時者、芝田先立トイヘドモ、佐々木勸仍、芝田佐々木ガ馬ノ弓手ノ方ニアリ、貞幸同妻手ノ方ニ罄エタリ、佐々木ガ馬兩人ガ馬ノアルヨリモ、鞭タケバカリ先ツ、中山次郎重繼又馬ヲ貞幸ガ馬ニナラブ但是ハ中島ヨリアナタノ事也、貞幸水底ニ入テ後事不存知候、〈○下略〉

〔承久兵亂記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 はう〴〵へせんじをくださるゝ事
よしときみて、いまゝでことなかりつるこそ、ふしぎなれ、せんじにも、とうごくのものども、一みどうしんに、よし時もうつてまいらせよと候らん、人でにかけずして御へんてにかけて、きみのげんざんにいれさせ給へ、ちかくなより給ひそとて、かいつくろひ給ひければ、よしむら口おしくもへだてられたてまつる物かな、〈○中略〉いくたびも、三代しやうぐんの御かたみにて、わたらせ給候へば、いかでかすてたてまつり候べき、まつたくせんじにもかたより、たねよしがかたらひにもつくまじく候、よしむら二ごゝろをそんぜば、日ほんこく中大せうのじんぎ、べつしてみうら十二天じんの、しんばつをかふむりて、月日のひかりにあたらぬみとまかりなるべしと、せいしやう(○○○○○)をたてられければ、いまこそこゝろやすくおもひたてまつれ、されば三代しやうぐんよみがへりて、わたらせ給ふとこそ見たてまつれとぞの給ひける、

〔神護寺文書〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 阿部氏起請文案〈○端書〉 このふみゝ候ぬ、あまがかきたるものに候はず、まいらせて候はゞこそは候はめ、かへす〴〵あさましく候、もしとしてれぜいのさん(冷泉三位)にどのにても、すけつぐにても、あしもりのゆづりぶみまいらせて候はゞ、にほんごくのかみほとけのにくまれを、けのあなごとにかうぶり候て、げぜ、ごしやう、いたづらにてはて候べし、かつはこのてにごらんじあはすべく候、あなかしこ〳〵、
せうきう三ねん十月廿八日 あべのうぢ在判

〔式目抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 弘長(追加)新制云、可諸國守護地頭等上レ斷海陸盜賊山賊海賊夜討强盜類事、諸國守護地頭等、可其沙汰之子細被式目訖、而無沙汰之由依其聞、如此惡黨等不見隱聞隱之旨、雖起請文御家人等、猶以不斷絶云々、早仰國々守護、所々地頭、殊可懲肅、此上猶惡黨蜂起之由、於其聞所々者、云守護地頭、可補其職矣、

〔增鏡〕

〈十七/月草の花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 卯月〈○元弘二年〉の十日あまり、又あづまより、ものゝふおほくのぼる中に、おとゞし笠置へもむかひたりし、治部大輔源尊氏のぼれり、院〈○後伏見〉にもたのもしくきこしめして、かの伯耆の舟上へ、むかぶべきよし、院宣たまはせけり、あづまをたちしときも、うしろめたく、ふたごゝろあるまじきよし、をうかならず、ちかごとふみ(○○○○○○)をかきてけれども、そこの心やいかゞあらむ、かくきこゆるすぢもありけり、

〔梅松論〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 爰に京都より細川阿波守舍弟源藏人、掃部介兄弟三人、關東追討の爲に差下さるゝ所に、路頭にをいて、關東はや滅亡のよし聞え有けれども、猶々下向せらる、かくて若君を補佐し奉るといへども、鎌倉中連日空騷して、世上穩かならざる間、和氏賴春師氏兄弟三人、義貞の宿所に向て、事の子細を問尋て、勝負を決せんとせられけるに依て、義貞野心を存ぜざるよし、起請文を以陳じ申されし間、せいひつす、

〔明德記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 此土ハ氏淸ヲ御退治有べキトテ、樣々ノ御内談共有リケルヲ、奧州〈○山名氏淸〉傳へ聞キ給 テ思ハレケルハ、事未定ザルサキニ、朝敵ト成テハ叶ベカラズ、暫ク謀リ事共ノ定ラン程、先日ノ科ヲ謝セン爲ニ、緩怠ノ儀ヲ存ゼズ、短慮ノ狀コソ不思儀ナレ、其詞云、所詮諸方ノ讒訴ナリ、一向御免ヲ蒙バ畏リ存ベキ由、再三歎申サレケレバ、御返事ニハ、不儀繁多ナリト云ヘドモ、先日ノ病ト稱シテ、宇治へ成申ナガラ、參セズシテ還御成シ緩怠常ノ篇ニ絶タリ、然トイヘトモ、去難ク歎申上ハ、虚病ヲ構ザル由ヲ吿文(○○)ヲ書、進上申レバ、御免アルベキ由仰下サレケレバ、京都ハ御由斷有リケル、〈○下略〉

〔賴印大僧正行狀繪詞〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 關東ノ前管領上椙刑部大輔入道道珍〈○上杉憲春〉去三月〈○天授五年〉八日自害ノ刻、舍兄道合土岐善忠對治ノ大將トシテ、數万騎ヲ率シテ上洛ス、暫伊豆ノ三島ニ信宿ス、〈○中略〉道珍自害ニヨリテ、關東野心ノヨシ、洛中へ徹スル間、武衞〈○足利氏滿〉驚テ自筆ノ吿文(○○○○○)ヲ認テ、瑞泉寺古天和尚ヲ使トシテ、將軍ニ陳謝申サルヽ處ニ、五月二日、將軍〈○足利義滿〉自筆ノ狀ヲモテ、子細アルベカラザルヨシ返事アリ、

〔三寶院文書〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 總公文注進狀〈傳法院領○端書〉
鎭守講米當年收納分 石手庄分七石三斗一升六合 弘田庄分三石二斗七升七合 山崎庄分九石四斗六升二合 山東庄分三石二斗五升 已上都合二十三石三斗五合
毎年下行分三十一石三斗一升 潤月年ハ三十二石九斗五升〈當年不定分九石四斗四升五合〉
敬白 起請文事
右意趣者、鎭守講米庄々收納注文、〈備右〉
此注文者、無一粒姧謀之儀候、若此條僞申候者、奉日本國中大小神祇、王城鎭守諸大明神、當國鎭守日前國懸、當山勸請三部權現、九社明神御罰於可蒙罷者也、仍起請文之狀如件、
應永十年十一月三日 總公文性意〈花押〉

〔東寺百合文書〕

〈に五十下至五十二上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0387 申起請文事
元者於龍法師妻者、爲不調不落者之間、於向後者、且以不可有屋出入音信許容之儀候、万一猶有通儀者、堅可御罪科、若猶背旨申者、可罷蒙梵天帝釋、下四大天王、五道冥官、太山君、日月星宿、伊勢大神宮、賀茂、春日、尾、梅宮祇薗、北野總六十餘州大小神當寺鎭守八幡三所稻荷、五社伽藍等御罰於助五郎之身者也、仍起請狀如件、
寬正四年八月四日 助五郎〈花押〉

〔太閤記〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0387 天正十一年城主定之事
或曰、宇喜曲家運二代相續有し事は、毛利右馬頭元就と秀吉卿と對陣有けるに、字喜田和泉守直家、備後美作兩國を領し、西輝元秀吉、其間に夾て東西弓矢之行を見もし聞もし勘るに、羽柴の家は興るべき方也とみて、家老長船紀伊守、戸川肥後守、岡越前守、花房助兵衞尉をよび寄、相謀りけるは、秀吉卿合戰之行、國々之仕置、毎物はがの行やうを察るに、行々天下をも可計人なり、此人に與し家運をさかへ、忠功有人々の勞を補ひ、萬民を撫育せんと思ふは如何にと、密かに評しけるに、四老奉り、仰尤にはおはしませども、大切なる子供を人質に輝元へつかはしをきしなり、殊に安心之儀をば、いかゞおぼし給ふぞやと申ければ、予亦此事を悲しみつゝ、其用捨骨髓に徹し謀りみるに、今西に在人質は五人也、兩國に在父母兄弟をかぞふれば百人に及べり、五人を捨、百人を助けんは國守之勤、鬼神も悦給ふべし、寔順當然之理、諸人を撫するは君主之業なり、所詮直家は順理可萬民、もし此義をそむき正理を不知者は人質に付て西へ參候へ、更以恨なし、早いなやの返辭有べし、送屆くべしと有しかば、皆直家に同じけり、さらば誓紙を調へよとて、熊野之牛王寶印を以、始終の固をこしらへ、秀吉卿へ小西如淸をして其旨申奉りければ、事の外悦びたまひつゝ、其身の事は不申、於子孫も全疎意有まじきとの誓紙を、蜂須賀彦右衞門尉につかは されしかば、直家快悦し侍りて、又四老を呼、秀吉卿より使札之趣を委く談合しつゝ、卽輝元に對し敵の色を可立行を相謀りけり、

〔岩淵夜話〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 一權現樣關東御入國の節、夫までは、四ケ國の御領地にて、御代官被仰付置たる面々の儀、何れも一同に御役御免被遊、當分は伊奈熊藏只壹人に、關八州の御代官を可仰付と有之節、本多佐渡守被申上候は、熊藏にても、關八州の御代官を只壹人と有之は如何に候、せめては五三人計も被仰付、御尤と被申上候得ども、一同の御免と有之には、思召有ての事故、御承引不遊、熊藏一人〈江〉被仰付候刻、熊藏に神文を致させ候樣にと有之誓紙の前書を佐渡守書候、へと仰ニ付、硯を取寄、いかゞ認可申と被相窺候へば、初ケ條に、關八州を我物のごとく大切に可仕事と、御好みに付、其ごとく調へ、次のケ條を被伺候へば、支配方下々の者に、依怙仕間敷事と書せ候得と、被仰候に付、其通書付、三ケ條目にはいかゞかゝせ可申と被相伺候へば、最早其分にてよしとある御意に有之候と也、

〔常山紀談〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 東照宮景勝征伐の御時、小山にて石田兵を西國に起せる吿を聞し召、前には景勝が勇將なるあり、西國は皆敵なりと人々驚きたりしに、花房助兵衞職之を召て、汝は近年佐竹が許に有て、義宣が心はよく知たらん、かゝる亂に二心有て、軍を出し、わが歸る道をや塞ぐべき、又義宣謀叛の志あるまじとならば、起請文を書て我に見せよと仰せられしに、花房承り、義宣はきはめて信のあつき人に候へば、別の子細候まじ、只人心の反覆は父子の間も計りがたき事に候、起請文は御ゆるされを蒙るべしと申す、東照宮助兵衞は浮田が家の長臣と聞たりしに、器量の小き男よとて、大息つかせ給ふ、花房かくと後に傳へ聞、われ起請文を書ならば、佐竹二心あらじと、軍兵の疑を散ぜん爲の仰なりしに、察せずして起請文を書ざりけるこそ口惜けれ、たとひ義宣軍を出したりとも、我何の罪の有べきと深く悔みけるとぞ、


Last-modified: 2020-06-12 (金) 09:35:15 (104d)