http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 謹愼ハッヽシムト云フ、常ニ性行ヲ愼ミ、人ニ對シテ粗野ノ行爲ヲ爲サズ、又事ニ臨ミテ持重シ、過失無キヲ期スル等是ナリ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈五/言〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 謹〈居隱反 ツヽシムイマシ厶〉

〔同〕

〈六/心〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 愼〈ツヽシ厶和シン〉

〔伊呂波字類抄〕

〈幾/疊字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 謹厚 〈謹愼〉

〔續日本紀〕

〈三十/孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 神護景雲三年十月乙未朔、詔曰、〈○中略〉諸東國〈乃〉人等謹(○)〈之末利(○○○)〉奉侍〈禮、○下略〉

〔歷朝詔詞解〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 謹〈末利○中略〉恐(カシコ)みをかしこまりともいふごとく、これも麻利ともいひしなるべし、

〔源氏物語〕

〈五十三/手習〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 さやうのこともつゝみ(○○○)なきこゝちして、むら雨のふり出るにとゞめられて、

〔倭訓栞〕

〈前編十六/都〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 つゝしむ 謹、愼等をよめり、包縮の義也、童蒙頌韵に襲を訓ず、朝野僉載に、禍不愼之門と見えたり、愼むをつゝむといへる事、ふるくより見えたり、されば令包の義にや、

〔神道玄妙論〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 敬は都々斯美と訓べし、舊ぐ謹、愼、祗、欽、肅などの字を訓來れり、言の本は、万葉集に恙字を、多く都々美と訓み、都々美那久といひ、郡々麻波受など、活用けるを思ふに、都々斯美てふ言は、都々美なくと大切にするより出たる言と通ゆ、〈都々斯美、都々しむ、都々しまむと活く、〉また此字を、韋夜麻比とも訓來れり韋夜は禮にて麻比は辭なり、さて敬字の下に屬べき名どもを、多く列たる中に、欽、祗、肅、愼、謹は、共に都々斯美と訓て、字義いさゝか異なり、忌(イミ) 戒(イマシメ) 畏(オソレ) 齋(ツトメ) 勤(ツトメ) 儉(ツヾメ)などは、都々志美と いふ訓の方に屬き、恭(ウヤ〳〵シ) 謙(ヘリクダリ) 讓(ユヅリシ) 順(ツガヒ)などは、韋夜麻比といふ訓の方に屬り、

〔伊勢平藏家訓〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 愼獨の事
一愼獨と書てひとりをつゝしむとよむなb、獨をつゝしむといふは、人がみるによりてつゝしむ、人が聞によりて愼といふわけへだてなく、人の見ぬ所にても愼み、人のきかぬ所にてもつゝしむをいふなり、人の見聞にかまはず、我一分のつゝしみなり、あしき事は必ずあらはれやすきものなり、惡事千里をはしるとて、遠方までも忽に知るゝなり、天知る地知るとて、知れずといふ事なし、惡事をかくすとて、色々の僞をかまへて、いひかすめるとすれども僞りをいへばいふ程つまりつ、まりのあはぬ事をいひ出すゆゑ、いよ〳〵惡事のあらはるゝ種となり、其身よりも立越てかしこき人は、いくらもありて、かくしおほへども、明きらかに見てとり聞てさとるなり、人はしるまひ、聞まひ、あらはれまひ、あらはれたら、如斯いひぬけをして濟すべしとおもふは、其身、の智惠のたらぬゆゑ、人をも我がやうなるものと見くびり、人をたわけにするといふものなりされどもかしこき人は、幾人もあるゆゑ、見咎め聞とがめて、忽あらはるゝなり、去間かりにも人に聞せたくなき事、見せたくなき事、かくし度事をばすべからず、愼むべし、いましむべし、恐るべし、又獨と云字は、人が惡事をするとも、其まねをせずして、我一人愼といふ心もあり、

〔辨名〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 恭敬莊愼獨〈六則〉
獨者、謂德於一レ己也、大氏先王之道在外、其禮與義、皆多以施人者之、學者視以爲道藝、而不德於一レ己者衆矣、故又有愼獨之言、其見傳者、唯大學中庸禮器有之、獨者對人之名、愼者留心之謂也、言道雖外、然當心於我者、而務一レ我之德、是愼獨之義也、本非敬之謂矣、又非未發已發之説矣、宋儒之不聖人之道、而直欲聖人也、見夫至誠無息、而急欲之、遂立未發已發之目其無間斷、故有戒懼愼獨之説、又其專求諸心也、故以獨爲人不知而我獨知者、而急欲一念之微以 施其力、是皆杜撰妄説、先王孔子之道所無也、其意蓋以動容周旋中禮者聖人、是豈足以爲聖人哉、假使其果爲聖人、然其動容周旋所以中一レ禮者、亦習以成德、則有然而然者已、豈容直就心施其工哉、夫先王之敎、如化工生一レ物、習慣如天性、豈容力哉、宋儒之敎、如工人作一レ器、夫玉石土木、可攻以爲一レ器、心豈玉石土木之倫哉、故先王之敎、唯有禮以制一レ心耳、外此而妄作、豈不杜撰乎、是其未發已發戒懼愼獨之説、自以爲動靜不遺精密之至而終莫其敎以造聖人之域、可以知已、

謹愼例

〔日本書紀〕

〈五/崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 御間城入彦五十瓊殖天皇、〈○崇神、中略、〉識性聰敏、㓜好雄略、旣壯寬博謹愼、崇重神祇、〈○下略〉

〔類聚國史〕

〈六十六/薨卒〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 天長七年四月癸酉、春宮亮從四位下藤原朝臣三成卒、〈○中略〉天資愼密、言語無瑕、

〔文德實錄〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 仁壽二年二月丙辰、散位從四位上和氣朝臣仲世卒、仲世〈○中略〉奉公忠謹、毎寢臥バ首向宮闕

〔三代實錄〕

〈十六/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 貞觀十一年八月廿七日壬子、從四位上行越前守源朝臣啓卒、〈○中略〉爲人謹厚、諸昆弟皆推敬之

〔大鏡〕

〈三/太政大臣實賴〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 をのゝみやの南おもてには、御もとゞりはなちて、いでさせ給事なかりき、そのゆゑは、いなりの杉のあらはにみゆれば、明神御らんずらんに、いかでかなめげにてはいでんとの給はせて、いみじくつゝしませ給に、おのづからおぼしわすれぬるをりは、御袖をかづかせ給てぞおどろきさわがせ給へる、

〔平家物語〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 先帝御入水の事
新中納言知盛卿、小船に乘て、いそぎ御所の御舟へ參らせ給ひて、世の中は、今はかうと覺候、みぐるしき物共をば、みな海へ入て、舟のさうぢめされ候へとて、はいたり、のごうたり、ちりひろひ、ともへにはしり廻で、手づからさうぢし給ひけり、

〔塵塚物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 本間孫四郎資氏馬藝事 天下の人こぞりて、本間〈○資氏〉をたつとび、習つとむるといへども、終に資氏が心に叶はず、如何んとなれば、彼所謂一より五六に飛、其次を除て、十に至らん事をねがふによつてなり、門弟の中なるもの、〈○中略〉いまだ十の内一二もいたらずして、早千萬の奧藏を遂まくおもひて、ぜひとも〳〵御師傳にあづかり候半、たとへ一朝に命をまいらすといふとも、かならんと、手をあはせて、混望しける間、本間もぜひなくして、さらば師傳申べし、此所にてはつたへがたし、すなはち山谷に行てつたふべし、まいられよと、師弟相ともに誘引して、道のほど三里ばかりも行つれ、或谷川の上に梯あり、本間は先に乘り、弟乎は迹につゞきてのりけるが、彼かけはしのもとにて、本間ゆらりと馬より飛おり、此所大事に候、よく〳〵御らんあれと云て、馬の口を引、しづ〳〵とかけはしをわたし、扨又其馬にのりてけり、弟子是を見て、希有のおもひをなし、扨いかなるふるまひにて候ぞやととへば、其事なり、おこの高名は、せぬにしかずと云本文有、此かけはしなくとも、一鞭あてたらんに、五間三間の谷合は、たやすく飛こえさすべし、いはんやかけはしのうへをのらんをや、若我乘りてみせんに、貴方はやそれに心をかたぶけ、毎々か樣のわざをこのまば、是則あやうきを、おしゆる張本也、道は不得心にして、大事は遮て混望あり、是無用の第一なり、梯に不限、あやうき所の高名はせぬもの也、ひつきやう大事といふは、身をまたうする所をいふ、〈○下略〉

〔寒川入道筆記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 多賀豐後に、所司代仰付られ候時に、女じやものに談合仕り、御返事申上うと云た、尤じや、この女じやものに談合申すといふに、説々おほしといへども、たゞ女公事取次など究めてと思ひ、右のごとく申上た事じや、

〔本朝通鑑〕

〈六十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 寬正六年六月〈高忠(多賀)聞所司代之、義政强命之、高忠曰、臣歸家與妻議之、義政笑而許之、高忠歸謂其妻曰、我忝重職、然汝多言、則我不命、縱何等事不口、則受命耳、妻曰、良人任職、於妾爲幸、何妄言哉、良人其安心、高忠曰善、明日高忠試倒肩衣而出、妻起引袖曰、肩衣倒也、可著之、高忠曰、我知汝不一レ默、故豫諭之、今隔一夜而忘之、況於累日之久哉、婦人多言則妨於聽訟、然汝不棄也、我唯固辭此職耳、妻恥悔謝曰、他後不一言也、高忠乃任所司代、得内緣之賂也、高忠能斷訟不妄殺一レ人、皆以爲其職、〉

〔藩翰譜〕

〈十二下/石川〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 三方が原の合戰の時、數正〈○石川〉織田殿〈○信長〉の加勢として、遠江の國に向上、武田入道〈○信玄〉遠江の國に向ふと聞て、取て返す、昔美濃の守護土岐が國に在りといふ淺岡の何某は、弓矢取てさる古兵と聞えしかば、數正彼が許に行き向て、此度本國に歸り候はゞ、定て討死仕るべし、數正小兵には候へども、弓引矢放さんやうは、かたの如く習て候ひき、然るに田舍に生れ、育ちたる身の悲しさは、軍陣に臨まん時、鞢さし緖むすぶやうは、いまだ學びさむらはず、されば最期に、何某は弓矢の骨法知らざりきと、かたきに笑はれ候はん事、骸の上の耻辱、何事か是に過ぐべき、あはれ御指南を受けばやとて、傳へてけり、夜を日に繼で馳せ下る程に、遂に其日の戰にぞ逢ひたりける、武田大膳大夫入道、この事を傳へ聞て、武士の家に生れて、其道を嗜む事、誰も斯くこそ有べけれ、あつはれ德川が弓矢侮りにくしとて、感じ給ふ事斜ならず、

〔大三川志〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 天正三年御年三十四
夜竊ニ二俣ヲ襲ント、軍ヲ出シ給フ、其夜風烈ク雨急ナレバ、輕ク兵ヲ引揚ゲ、濱松ニ歸城シ玉フ、本多忠勝、人ヲ馳セ、濱松ノ城門ニユキ、公〈○德川家康〉今歸城ナリ、門ヲ開クベシト吿グシム、是時内藤正成、足ヲ痛ミ、二俣ノ軍ニ從ハズ、城ノ留守タリ、是ヲ聞テ命ヲ下シ、堅ク門ヲ閉テ敢テ開カズ、忠勝怒リ、門ヲ叩キ開ケト呼ドモ、曾テ聽ズ、正成櫓ニ登リ、火炮ヲ持シ、夜中何者ニシテ此ノ如キ、退カズンバ殺ント云、忠勝是ヲ神祖ニ吿グ、神祖自ラ門ニ至リ、正成ハ居ズヤ、我今歸レリト宣フ、正成御聲ヲ聞キ、提燈ヲ揚ゲ見屆奉テ、門ヲ開キ出迎へ奉ル、神祖大ニ正成ヲ賞シ、汝ニ城ヲ守ラセバ、敵虚ヲ謀リ攻ルコトアリトモ、侵スコト能ハズト宣フ、

〔備前老人物語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 松永〈○久秀〉信長公に戰まけて、自害におよばんとせしに、百會に灸していひしは、これを見る人、いつのための養生ぞやと、さこそおかしくおもふべけれど、我常に中風をうれへぬ、死にのぞみ、もし卒爾に中風發して、五體心にまかせずば、臆したりとやわらわれなん、さあらん には、我今迄の武勇、こと〴〵くいたずらごとになりぬべし、百會は中風の神灸なれば、當分其病をふせぎて、こゝろよく自害すべきとのため也とて、灸をしすまして、腹切りしと也、

〔常山紀談〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 勝賴〈○武田〉長篠敗北の後、蘆田常陸介信蕃(ノブシゲ)、二股の城を守る、三河の軍、五月〈○天正三年〉下旬より此を攻むる、〈○中略〉信蕃固く守りて、十一月に至りて、城をわたし、甲州に引入べしと、勝賴再三下知せらるれども聞入ず、勝賴自筆の書をもて、下知せられしかば、十二月下旬に、人質を出し、廿三日に城を渡さんと約せしが、雨ふりければ、蓑笠にて見苦く候とて、翌廿六日、天晴て後、城をわだし、二股の川の邊にて、人質をとりかへ引とれり、

〔備前老人物語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 一信長公、手の爪を取給ひしを、小姓とりあつめけるが、とかくたづねもとむる體なれば、何をたづぬるぞと問給ひしに、御爪ひとつたらざるよしを申す、御袖をはらはせ給ひければ、爪ひとつ落たり、信長公御感ありて、物毎にかくこそ念を入べき事なれとて、御褒美ありけり、

〔鹽尻〕

〈四十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 森蘭丸は、信長の寵童也、或日、との居給ふ處の蔀を卸すべきよしの給ひしに、蘭丸竹の枝を以て、先蔀の上を試るに、茶碗に水を入たるがありしを、物をふまへて、靜にとりて、蔀を卸せし、其心つきなくば、耻がましき目をこそ見るべきに、かく物せし事、神妙也と宣ひしと云々、是は信長、彼が毎に心を鎭めて、思慮あるを樣し給はんとて、かく兼て水碗を置れしとなり、

〔常山紀談〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 朝鮮にて淸正〈○加藤〉全州に在る時、淸正を太閤呼れしかば、日本に歸るとて、打立れけり、戸田民部少輔高政、密隅に有て、淸正と舊友なれば、もてなすべき用意して待れしが、〈○中略〉程なく淸正著陣せられ、屛重門より入、椽にて民部近習の士二人寄て、淸正のさゝれし馬藺を取て旗籬に立る、淸正椽に上らるれば、よりて、草鞋の紐を解、脚當の緖を解く時、淸正腰に付たる緋曇子の袋を、座敷へ投入たるに、どうと落る、米三升計に、味噌銀錢三百文入れられたり、馬印をさすに 腰のつり合是にて能となり、民部驚きて、十里近きに敵もなくて、いかなる事ぞといへば、淸正、ものは大事と心得たるぞよき、由斷大敵といふ事有、我物具せず、身を安じたくはおもへども、左あらんには皆懈るべし、夫故に身は苦しけれども、懈なき爲にかくはせし也、萬一の事あらん時、懈て事を仕誤るならば、今までの武功、虚名にならむ事を慮ればなり、

〔明良洪範續篇〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 神君ニモ常ニ淸正ヲ御賞シ有シ也、殊ニ淸正ノ内室ハ、德川家ニ舊緣ノ女ナレバ、一入御念頃ナリシ也、此女ノ腹ニ男女二人出生有り、然レドモ淸正奧方へ入リテモ刀ヲ放サズ、膝元へ引付ケ置ル、或時五條ノ局ト云老女申ケルハ、表方ニ居ラセラルヽ時ハサモ有リナン、奧方へ御入リノ節ハ、女子バカリ中ナレバ、サノミ御用心ニハ及ブ間敷キニト云ケル、淸正莞爾トシテ、女子ノ知ル事ニハアラザレド、不審ニ思ハヾ申聞ン、表方ニテハ余ガ一命ニ代ル家士共、晝夜怠リナク詰居レバ、タトへ無刀ニテ居ルトモ氣ツカヒナシ、奧方ニテハ皆女子バカリノ中故、嚴重ニ用心スル也ト云ケル也、

〔藩翰譜〕

〈五/板倉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 初め勝重〈○板倉〉を召されて、此職〈○駿府町奉行〉の事仰下されし處、其任に堪ざる由を、固く辭し申けれども、更に御許しなし、勝重、さらば宿所に罷り歸り、妻にて候ものと計りてこそ御返事をば申べけれと申す、德川殿笑はせ玉ひて、さもありなん、罷り歸りて相謀れと仰せ下さる、妻は勝重が歸るをむかへて、悦ぶべき事ありと、吿知らす人あり、如何なる幸や候と云ひけるに、勝重物をも云はず、ほくそゑみて、衣裳ぬぎすて座になをり妻に打向ひ、されば今日召されし事、餘の義にあらず、此度御座所を移さるゝに依て、彼の町の奉行たるべきよしを仰せ下さる、いかにも叶ふべからざる旨を辭し申せども、御許なし、さらば我家にかへり、妻に謀り候はんと申して、罷歸りぬ、さて御事は如何にや思ふといふ、妻は大に驚きて、あな淺まし、わたくしごとなどならば、夫婦はかるといふ事もこそあれ、公にてかゝる事やのたまふべき、まして是は仰せ下さるゝ所 なり、殊に其職に堪へ堪へじは、御心にこそあるべけれ、みづから如何で知り候べきといへば、勝重いや〳〵、我この職に堪へ堪へじは、我心一つのみにあらず、御身の心による事にて侍るぞ、先づ心を沈めてよく聞き玉へ、古より今に至り、異國にも本朝にも、奉行頭人などゝ云るゝ者の、其身を失ひ、其家を亡さぬは稀なり、或は内緣に就て訴を斷る事おほやけならず、或は賄賂に因て理を判つ事わたくし多し、これらの災は婦人より起る所あり、我れ若し此職奉らん後は親しき人の云ひよらん事なりとも、訴訟の事執り玉ふまじきか、僅の贈もの參らせて候事ありとも、苞苴のもの受たまふまじきか、これらの事を初として、おことは勝重が身の上、如何なる不思議の事ありとも、さし出て、ものみたまふまじきよし、固く誓ひ給はざらんには、勝重此職に任ずる事は、如何にも叶ふべからず、さればこそ、御身と謀るべしとは申たれと云ふ、妻つく〴〵とうち聞て、誠にのたまふ所ことわりにこそ侍れ、みづからは如何なる、誓ひをもたてなん、とく參りて畏まらせ玉へといふ、勝重大に悦びて、神にかけ、佛にかけて、かたき誓ひたてさせて、此上は思ひ置く事なし、さらば參らんとて、衣裳ひきつくろうて出づ、袴の後腰をもぢりて著たり、妻うしろざまに見て、はかまのうしろあしく候というて、立寄てなほさんとす、勝重聞きもあへず、さればこそ、我が妻に謀らんと申せしは、誤たざりけれ、勝重が身の上の事、如何なる不思議ありとも、さし出て物いはじと誓ひしは、今の程ぞかし、早くも忘れ給へりな、この定ならんには、勝重職うけ給る事叶ふべからずとて、また衣裳ぬぎ捨てんとす、妻大に驚き悔て、さま〴〵の怠狀まゐらす、さらばその言葉いつまでも忘れたまふなといひて、御前に參る、德川殿、如何に汝が妻は、何とか云ひしと仰せければ、妻にて候ものが、愼しみて承れと申侍ると申す、さこそはあらめとて、大に笑はせ玉ひしとなり、
○按ズルニ、此事上文載スル所ノ多賀高忠ノ事ト相似タリ、盖シ其一或ハ誤傳ニ出ヅルカ、或 ハ先輩ノ行爲ヲ學ビシカ、附シテ後考ニ備フ、

〔常山紀談〕

〈附錄/雨夜燈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 權現樣駿府に御隱居遊され、大御所樣と申奉る、台德院樣〈○德川秀忠〉江戸より駿府へ御出なされ、二の九に二ケ月餘御滯留なされ候節、權現樣、阿茶の局を召て、將軍には年若き人なり、旅住居二ケ月になりぬ、夜中徒然なるべし、花を使にして菓子をもたせ、裏道より忍びやかにやれ、もし慰にも成ぬべきなり、我去たると聞れなば隔心あるべし、汝が心得に能はからへと仰せられければ、阿茶の局、御心の付たる上意なりと御請して、花其比十八歲、女中第一の美人なりしを、殊に取繕はせ、下女に菓子をもたせ、初夜の比、裏道より密に參らせけり、内々阿茶の局よりかくと申ければ、台德院樣、御上下をめし待せ給ふ處に、花參りて御庭の戸をおとづれければ、台德院樣御自身戸を明られ、花を上座に直し、菓子を御取、是は大御所樣より下されたるなるべしとて、御いたゞきなされ、花早々歸られ候へと仰られ、先に御立なされ、戸口まで御送りなされければ、花兼てたくみしと違ひて、いらへの詞もなく歸りて、かやう〳〵なりと申ければ、權現樣聞し召、將軍は律義第一の人なり、我はしごをかけても及がたしとぞ上意ありける、

〔常山紀談〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 周防守重宗〈○板倉〉京都の職に有こと、凡三十餘年、人敬ふ事神明の如く、愛する事父母に似たり、〈○中略〉重宗職に任じて後、毎日決斷所に出る時、西面の廊下にして、遙に伏拜む事有て、決斷所に出、此所に茶磨一ツすゑ置、あかり障子引たてゝ、其内に坐し、手づから茶ひきて訟を聞、人皆不審しあへりけるに、遙に年經て後、問人有しに、重宗答へ、先決斷所に出る時、西面の廊下にて、遙に拜する事は、愛宕山の神を拜する也、多くの神の中、殊に愛宕は靈驗新なると聞し程に、所願ありてかくは拜しぬ、其所願は今日重宗が訴をことわらんに、心の及ぶほど、私の事あらじ、若あやまりて私の事あらば、忽ち命をめされ候へ、年頃深く賴み奉るうへは、少も私心有んには、世にながらへさせ給ふなと、毎日祈誓するにて候、又訴をわかつ事の明かならぬは、我心の事にふ れて、動くが故なりと思ひなしぬ、よき人は自ら動かざらんやうにこそあらめど、重宗それまでの事は及び難く、唯心の動と靜なるとを試るには、茶を挽てしる、心定りて靜なる時は、手もそれに應じて、磨のめぐる事平かにして、きしられておつる所の茶、いかにも細やかなり、茶のこまやかに落る時にいたりて、我心も動かぬと知り、其後やうやく訴をわかつ、又明障子をへだてゝ訴を聞事は、凡人の顏かたちに、打見るよりにくさげなると、あはれましきとあり、誠しき有、かだましきあり、其品多くして、いくらと云數をしらず、見る所の誠しきと思ふ人の、いふ事は眞實ときかれ、かだましきと見ゆる人の、なす事は何事もみな僞と見ゆ、あはれましき人の訟は、抂られたる所有かと思はれ、にくさげなる人の爭ひは、ひが事ならんと覺ゆ、是等の類は目に見る所に、心のうつされて、彼詞を出さぬうちに、はやわが心の中に、邪ならん、正しからん、よからん、直ならんと、おもひ定むる程に、訴の詞に及びては、我おもう方に聞なす事多し、訴のなるに至ては、あはれましきに憎むべきあり、にくさげなるに憐なるあり、誠しきに詐有、此たぐひ殊に多し、人の心の測りがたき、かたちを以て定ん事叶ふべからず、古の訴訟を聞には、色を以てすといへども、それは重宗が及ぶべきにあらず、又さらぬだに、訴の庭に出んは、おそろしかるべきに、まして生殺を司れる人を見ては、いぶせくて自いふべき事をも得いはで、罪にも科にもあふ人あらんと思へば、所詮互に面を見も見られもせぬに、しかじとおもひて、かくは座をへだつるにてこそあれと、答へられしとぞ、

〔台德院殿御實紀附錄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 御平素、小鼓うつことを好ませ給ひしが、〈○德川秀忠〉神祖かくれさせ玉ひて後は、絶てうたせ玉ふことなし、土井大炊頭利勝、御咄の折から、徒然におはしますをりは、例の小鼓あそばしなば、少しは御心も慰ませ玉はんかと申せしに、いやとよ、我も打度は思へども、今我天下の主として鼓うたば、下々の者ら、其風をまなび、皆鼓打になるべしと仰ければ、利勝あまり のかしこさに、涙おとして御前をまかでしとぞ、

〔台德院殿御實紀附錄〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1235 寶算五十〈○德川秀忠〉に滿せ玉ひし頃、藤堂佐渡守高虎ものゝ序に、尊齡已に知命に及ばせ玉へば、今よりは何事もすこし御ゆるみあつて、御心のまゝに御遊などおはしましなば、いかにと申上しを聞しめし、汝等が如きは年老て後、何事をなすとも妨あるまじけれど、われはかしこくも、卽闕の官に在て、天下の具瞻する所なれば、死ぬまでつゝしみても尚たらずと仰ければ、高虎かしこみて、御謹愼の老てもおこたらせ玉はぬを、感じ奉うけるとなり、

〔甲子夜話〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1235 酒井讃岐守忠勝ハ、猷庿〈○德川秀忠〉群臣ヲ捐玉ヒシ後、毎月御忌ニ當ル日、一室ヲ淨掃シ沐浴齋戒シ、麻上下ヲ著シテ自ラ樣々ノ物ヲ備ヘテ、其入口ヲ閉ヂ、人ノ來ルヲ許サズ、或時誤リテ一人其間へ走リ入リシニ、讀州奠供ノ前ニ平伏シテアリシガ、振返ヲテシイ〳〵ト言テ、手ニテ制シタル形狀、眞ニ御前ニアル樣子ナリシトナリ、家來中密々語リ合テ、皆其至誠ヲ感ジケルトナン、

〔鹽尻〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1235 尾敬公〈○德川義直〉御在世の時、可仰事ありて、目付の者共を、朝より召されしに、日たけて後、猿樂を召して、御噺久しく侍りて、暮に及びて、目付の者に、御前へ出べきよし、仰有りて、其御用被仰付候後、仰に云、汝等今朝より久しく待て、さぞ困み侍らん、今朝召仰すべきを、年老の者共出て、御國政の御沙汰ありしに、事御心に不叶事ありて、しば〳〵御怒氣ありしも、國の律を以て、非を糺し、内外をhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 察せしむる役人に對し、其御怒氣の儘、仰事あらば、國風俗を肅淸するに、過て稽失大過あらんか、然れば下民恨を含んで、政をそこなふに至らん、故に暫く猿藥をめして、御怒氣を休ませまし〳〵ける也、汝等も必々事に當りて、血氣を以て、事を處する事なく、我を恤刑の主となすべしと仰ありしと也、

〔寬永小説〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1235 おどり御すき被遊、毎日上覽〈○德川家光〉有之候處、家綱公御誕生の後は、其事無之候間、御咄 しの衆より、久しくおどり上覽無之候間、御覽有之候樣に、御挨拶申上候得ば、其節上意に、只今まではかやうの儀、上覽遊され候ても、不苦候へども、最早若君樣御誕生遊され候上は、若輩なる儀は、上覽被成まじく由上意なり、當座の御挨拶の樣に、皆々存られ候處、御他界ましまし候迄、終におどり上覽無之候、〈于時御年三十八〉

〔先哲叢談後編〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236 三宅寄齋
寄齋自少壯性行不苟、遊伏見時、隣有富翁一女、容色甚都、嘗將寄齋宿于家、辭而不行、他日或問之曰、瓜田不履、

〔桃源遺事〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236 西山公〈○德川光圀〉若き御時より御老後まで、御精進の節は、御別間に御入、朝夕の御膳、一汁一菜の麁食をめし上られ、役人に命じて、酒局を封緘せしめ、料理鹽梅にも、酒を禁じ給ひ、一切の御遊興、御詩歌さへ不遊候、その御したしみの近き遠きにより、御年忌、又は毎年の御祥忌月には、或は一七日、或は三甘、或は宵より、精進禊齋なされ候、其節御つゝしみの堅事、右のごとし、勿論御親類の御中に、御卒去の御方在て、御忌懸り申候節は、日月の光りに、御當り被成間敷ため、御一室の外は、晝夜御庭へも御出不成候、且御喪中、あるひは御精進の時分は、御近臣三四人、幷儒臣等相詰候、曾て世上の雜談不成候、

〔神代講述抄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236 神主〈○度會延佳〉のいはく、三子の我を見る事、何んぞ其しかるや、もし我に取て身のいましめとすべきならば、我弱冠の比より、女子の交はりたる興宴の席に臨まず、人とともに博奕の具を手にとらずして、今年五十八歲に至る、其はじめは勉めたりといへども、後は自然の如し、この二事のほか、我にとるべきなしといへり、

〔赤穗義人錄〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236 淡路守安照〈○脇坂〉肥後守利康〈○木下〉等二道至赤穗、〈一道出城東鷹捕山、一道出城西猪池山、〉先期良雄封府庫、籍田里、令吏循行境上、修橋除道、及閭巷市鄽、並禁喧擾、至是迎拜官使於城上、〈○中略〉是日兩http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 察、歸 城下舍、使人召良雄、至謂曰、官使入邑、觀吏治一レ道所過淨淸、入城群下奉禮益恭、且所進圖籍甚詳悉、皆可以爲上之法、今已遣人具狀以聞、朝廷聞卿等急臣順上レ一言、必有恩裁下、亦大學君之福也、衆欲他邑者、某等可書先於其所一レ往、欲留不一レ去、亦聽居、

〔重勝聞書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 堀部彌兵衞被申候は、磯貝十郎左衞門事、其朝立退候節、將http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 橋を渡り候、近所に母罷在候故、暇乞を仕候へとて、内藏助〈○大石〉始、何れも申候へども、立寄不申候、たしなみ故と存候、十郎左衞門被申候は、先は裝束の目立第一、老母居候御屋敷へ對し、失禮之義、又暫時の間も、如何樣之儀可之も難計、旁にて立寄不申候、唯今存候得ば、後悔に存候、

〔有德院殿御實紀附錄〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 後閤にある老尼、夏の夕つかた御前に出しかば、はや湯あみせしと見えたり、さぞ心地よかるべしと、仰ありしに、その尼、もと滑稽者なりしかば、まことに天下をとりし心持になり候と申す、大に笑はせ玉ひ、汝何のざれ言ぞ、天下を有つ身は、何の快き事かあるべき、これを快しとおもひ、心のまゝにふるまはゞ、その身も亡び、天下をも失ふべきなり、されば常に、天下はあづかり物と思ひ、京都を始め、下民の事までも、日夜心に忘れず、天道を奪び、神祇をうやまひ、瑣々たる末事までも、心をめぐらし、しばしの間も、安き心なし、何ぞ湯あみて、暑を忘れしがごとく、快き物ならんやと宣ひしとぞ、

〔孝義錄〕

〈二十一/陸奧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 孝行者太右衞門
太右衞門は若松の城下七日町にすめり、〈○中略〉父の忌日には、墓まうでして家にかへり、人々をいましめて、けふは父の忌日なれば、家の内のものも、いかりはらだつ事なかれとて、己も愼てぞ居ける、

〔先哲叢談後編〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 木蓬莱
蓬莱資性直諒、類多密行、雖齋居獨處、皎然不自欺、爲書生時、嘗飮酒樓、知娼妓善絃歌者二人、其後二 人爲主人逐、無依賴、來請于蓬萊家矣、蓬萊憐之、置二人於家、遇之若賓客、未嘗媟狎、自謂爾嚮在樓爲妓、今則處婦、非卑賤之者、安撫之逾厚、整其資裝之、人皆賢焉、

〔銀臺遺事〕

〈龍〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 一奧にて、何事かありけん、いそがはしく立ありき給ける時、そこに候ひける、女の膝に、そと御足〈○細川重賢〉のさわりければ、御手を出して、いたゞき給はせられければ、女こは勿體なきとて、畏申ければ、いやとよ、同じ人なるものをと宣ひしとぞ、


Last-modified: 2019-05-05 (日) 13:31:31 (508d)