https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 貧ハ、マヅシト云ヒ、又ハトモシトモ云フ、卽チ財貨ノ乏少ナルヲ謂フナリ、我國ノ俗、古來淸貧ニ安ズルヲ以テ尚シト爲シ、名利ノ爲ニ志ヲ屈セザルヲ以テ屑シト爲ス、而シテ貧ニシテ能ク其父母又ハ夫ニ事へ、或ハ其志ヲ立テヽ業ヲ成スモノニ至リテハ、殆ド枚擧ニ遑アラズ、今其著キモノヲ取テ、此篇ニ收載セリ、
負債ハ、他ノ財貨ヲ借用イルヲ謂フ、古クハ出擧ト稱シテ、政府又ハ一私人ヨリ財物ヲ人ニ貸シテ、其利息ヲ收メシコトアリ、事ハ政治部貸借篇ニ詳ナレバ、宜シク參看スベシ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈三/貝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 貧〈符巾反 マツシ トモシ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈末/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 貧〈マツシ 少也、賤也、古作穿、〉 飲 窶 侕〈已上同〉

〔倭訓栞〕

〈後編十六/末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 まづし 貧をよめり、俗にまづ〳〵にするといふ詞によれば、苟且の意より轉ぜしにや、貧すれば鈍するといふ諺は、朝野僉載に、人貧智短、馬疲毛長と見えたり、貧は病より苦しといふは、古詩に、富貴他人合、貧賤親戚離と見えたり、貧諸道の妨げといへる諺も同じ、

〔倭訓栞〕

〈中編二十四/末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 まどし 貧をよめり、まづしに同じ、

〔倭栞訓〕

〈前編十八/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 ともし 乏字をよめり、とぼしともいへり、字の如く稀少の義也、

〔倭訓栞〕

〈中編二十一/比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 びんばう 貧乏の音なり、乏を俗にほくとよむは誤也、びんぼがみは虚耗鬼なり、

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 八年二月壬子朔、是月降大恩貧乏(○○)、以給其飢寒、三月壬寅、貧乏僧尼施綿布

貧例

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573是探赤海鯽魚之喉者有鉤、卽取出而淸洗、奉火遠理命之時、其綿津見大神誨曰之、以此鉤其兄時、言狀者、此鉤者、游煩鉤須須鉤(オボチスヽヂ)、貧鉤宇流鉤(マヂチウルヂ)云而、於後手賜、〈於煩及須々亦宇流六字以音〉然而其兄作高田者、汝命螢下田、其兄作下田者、汝命營高田、爲然者、吾掌水故、三年之間、必其兄貧窮、〈○中略〉是以備如海神之敎言、與其鉤、故自爾以後、稍兪貧、〈○下略〉 日本書紀二神代一云、〈○中略〉於是進此鉤于彦火火出見尊、因奉敎之曰、以此與汝兄時、乃可稱曰、大鉤(オホチ)、踉(ススノチ)䠙鉤、貧鉤(マチザ)、癡駿鉤(ウルケヂ)、言訖、則可後手授賜、〈○中略〉又敎曰、兄作高田者汝可洿田、兄作洿田者、汝可高田、海神盡誠奉助如此矣、時、彦火火出見尊旣歸來、一遵神敎依而行之、其後火酢芹命日以襤褸而憂之曰、吾已貧矣、乃歸伏於弟

〔續日本紀〕

〈十一/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 天平五年閏三月戊子、諸王飢乏者二百十三人、召入於殿前、各賜米鹽、詔責其懶惰、令生業

〔類聚國史〕

〈七十八/賞宴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 弘仁十三年七月丙申、以新錢一百實、班給諸王貧者

〔古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 淸少納言零落之後、若殿上人アマタ同車、渡彼宅前之間、宅體破壞シタルヲミテ、少納言無下ニコソ成ニケレト、車中ニ聞テ、本自棧敷ニ立タリケルガ、簾ヲ搔上ゲ、如鬼形之女法師、顏ヲ指出云々、駿馬之骨ヲ不買ヤアリシト云々、〈燕王好馬買骨事〉

〔今物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 昔の周防内侍が家の、あさましながら建久の比まで、冷泉堀川の西と北とのすみに朽殘りて有けるを行て見ければ、
我さへ軒のしのぶ草と、柱にむかしの手にて書付たりしが有ける、いとあはれなりけり、是をみてあるうたよみ、かきつけゝる、
是やその昔のあとゝおもふにも忍ぶ哀のたえぬ宿哉

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 久安三年九月十三日甲戌、午一刻參上、依召參御前、召尼於御前米、先廳官於聖靈院召計可賜之、尼則賜短册後、列居御前、賜了取返短册次又召尼、給小袖先、〈賜米者不小袖〉仰曰、無短册、同人數度給物、又不給之人參入、因之給短册、是朕之謀也、此中無短册之尼參入、被返物了、法皇〈○鳥羽〉詔曰、朕在位時、有女房、名尾張、件人宇治入道相國〈○藤原忠實〉所通也、今爲尼在此中、給物希有事也、余〈○藤原賴長〉問曰、依道心乎、仰曰、依淸貧也、件尼使左少辨光賴奏曰、吾是君之所知也、請自料之外賜小袖一領、廼者詣熊野徒尼也、勅許之、良久而下宿所
久壽元年〈○仁平四年〉六月八日庚寅、今日余〈○藤原賴長〉奉爲法皇、供養等身藥師如來像一軀〈座〉、五寸同像〈立〉、素紙摺寫藥師經千卷、〈○中略〉次召佛師法印賢圓、賜馬一疋、〈厩乘主貞俊一人牽之〉家貧無貯、以地田戸主、爲造佛直、欲鴨院南町、而年來住彼地之侍女少納言曰、將他地佛直、余許之、少納言獻地三戸主、以件地三戸主、鴨院南町一戸主賢圖、以鴨院南町三戸主少納言

〔撰集抄〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 觀理大德事
むかし平の京に、男女すみけり、いたく思下べき品の人にはあらざりけるなんめり、蕨山に有て 蓬麓の雲をふみ、竹薗に望て令書のうけ給を事とせし人にていまそかりけるが、身くるしくまどしく侍りて、忠勤かれ〳〵になりて、里かげに侍けるなり、しかあるに、年なかばたけて後、初めて一の男子をまふけてけり、みめことがらのわりなさに、父母のいとをしむ事、今一きは色をまして、明けても暮ても夫婦の中におきて、世のまづしく悲しきわざをも、是にてなぐさみ侍りけるに、はからざるに夫世心ちに煩て身まかりにけり、女もおなじみちにと悲しみ侍りし事、理りにもすぎて見え侍りけれど、日數のつもるまゝに、思ひもいさゝかはるけ侍りめるに、世の中のいとゞたえ〴〵しさに、いける心ちもせで、朝夕はねをのみなきて侍けり、此子十一と云年、母にいふやう、たえ〴〵しき有さまに、我をはごくみいとなみ給ふも悲しく侍り、又かくても行すゑいかなるべしとも覺え侍らねば、はやく我にいとまをゆるしたまへ、水のそこにも入か、また物をも乞ても、遠方にまかりなんと、かきくどきいふに、母いとゞ悲しく覺えて、故殿におくれて、一日片時もいきて有るべしとも覺え侍らざりしかども、そちに心をなぐさめてこそ、すぐす事にてあれ、世の中のあるにもあらずまづしきわざは、實こゝろ苦しく侍れども、さればとて又命をなき物になすべきにあらずなんと、ねんごろに涙もせきあへず聞え侍れば、此子ももろともになみだをながし侍りけり、〈○下略〉

〔伏見宮御記錄〕

〈利四十七上/仙洞御移徙部類記十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 三中記、建久九年四月廿一日戊子、參院、次參二條殿、歷覽華構之壯屬、非筆端之所一レ及、〈○中略〉舖設翠簾雜具等、近日天下緇素莫營之、〈○中略〉夕郎五人之中、不此役之者、予一人也、淸貧與疎遠計會故也、

〔近世名家書畫談〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 雪山の軼事
雪山先生は肥後熊本の人なり、代々北島三立をもて稱す、〈○中略〉雪山江戸にありし時は、潔癖甚しかりしに、長崎に歸りて後、十六年ゆあみせず、つめとらず、赤貧にして、儋石の儲けなけれども、崎 人尊敬して、名をもて呼ぶものなく、先生とのみ云たりとなん、酒なき時は字を寫し、酒店に與へ、文字の數によりて、酒肴を送り、平生醉を盡せりとなり、

〔事實文編〕

〈次編十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 貧士傳 古賀煜
都下有一士人、佚其名姓、享祿二百石小普請組職掌、家素赤貧而酷嗜酒、日夕酣飮、絶不事、家計益窘、不俯育妻子、於是逐妻屛子、慓然獨處、親姻僚友或賑濟之、隨手揮盡、人莫肯復顧䘏、請乞不獲、借貸無所、一錢尺布不己家、有一赤色雨衣、便著以蔽體、會嚴冬風霜砭肌、不耐忍、廼毀窻戸柱楯、而焚之以禦寒、屋宅已盡、遂鑿庭中土而賣之、漸達隣墻、隣人怒詰責之、旁無土、乃益深之、望之黝奧不測如洞然、士人入而寢息于其中、其長聞之愁然曰、此赤麾下士也、坐視其寒餓死、吾所忍、且於義不可也、廼議予之食、顧其人淸狂無知、多與之米、恐或一時蕩盡、因計日給米若干、炊爲飯、盛之以器、使人持而餉一レ之、時士人久已亡赤色雨衣、裸立露醜穢、不以見一レ人、故餉者舍食器于穴口、棄去不復顧、然後士人徐出、取啗之、如是者日三、率以爲常、不今猶存乎否也、昌平學主簿猪飼斗南、爲予説若此、實文化丁丑年間事也、予聞、古之貧士有https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02110.gif 㞔者、有夜如縣鶉、有居徒四壁立者、未衣食絶、屋宅盡、土中藏身、反上古穴居之俗斯人也、洵千古貧士之冠、不以勿之記、作貧士傳

貧而事親

〔文德實錄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 仁壽二年十二月癸未、參議左大辨從三位小野朝臣篁薨、〈○中略〉家素淸貧、事母至孝、公俸所當皆施親友

〔今昔物語〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 七月十五日立盆女讀和歌語第四十九
今昔、七月十五日ノ盆ノ日、極ク貧カリケル女ノ、祖ノ爲ニ食ヲ備フルニ不堪シテ、一ツ著タリケル薄色ノ綾ノ衣ノ表ヲ解テ、瓷ノ盆ニ入レテ、蓮ノ葉ヲ上ニ覆テ、愛寺ニ持參リテ伏禮テ泣テ去ニケリ、其後人恠ムデ、寄テ此レヲ見レバ、蓮ノ葉ニ此ク書タリケリ、
タテマツルハチスノウヘノ露バカリコレヲアハレニミヨノホトケニ ト人々此レヲ見テ、皆哀ガリケリ、其人ト云事ハ不知テ、止ニケリトナン、語リ傳ヘタルトヤ、

貧而仕夫

〔古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 昔惟成ノ許ニ、文書ノ雲客等來集之日、只有四壁、而市ニ餉ヲ交易シテ、相具甘葛煎指出云々、又無侍、件妻ヲ半物(ハシクモノ)體ニ成テ出タリ、

〔古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 惟成辨淸貧之時、妻室廻善巧、不恥云々、而花山院令卽位給之刻離別之、爲滿仲之聟、因玆件舊妻成忿請貴布禰祈申云、不忽卒、只今成乞食給ト云、百ケ日參詣之間、夢示給バク、件惟成無極幸人也、何忽成乞食哉、スコシキ有構之事云々、不幾程、花山院御出家、惟成同出家、行頭陀云々、爰件舊妻辨入道長樂寺邊ニコソ乞食スナレト聞得テ、饗一前、白米少々隨身シテ、隱居テ抱入テ談往事、或哭或怨云々、入道承諾云々、

〔明良洪範〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 淺野ノ家士四十七人ノ外、小島喜兵衞ト云者有、元ヨリ大石ト深ク談ジ、東行ニハ必ズ同道スベシトテ、其期ヲ待居タレド、程久シク成テ、段々貯ヘノ金銀モ盡テ、今日ヲ暮スベキ力モナク、山科ヘモ行レズ、大阪ノ福島ト云所ニ住ケル、差替ノ大小モナクシテ、如何セント思ヒシニ、大小ノ切羽ヲハヅシ、ヨフ〳〵ト其月ノ店賃ナド殘ラズ拂ヒ、女房ヲバ水賣ニ遣シ、其跡ニテ諸事取仕舞、心靜ニ自害シケルニ、笛ヲ搔損ジ、死兼テ居タル所へ、妻女歸リテ、此有樣ヲ見テ、其儘ニ夫ヲ引仰向テ、最早助リ給フマジ、苦シミナク終リ給へ、我モ同道ナリト、夫ヲ介錯シテ、其身心元ヲ指通シ、伏重リテ死シケルト也、此妻ヲ相具シテ、間モナカリケレドモ、夫ヲ勸メ、何卒主君ノ仇ヲ討給ヘト、常ニ力ヲ添テ、仇ヲ報フノ外他事ナカリシト也、今日マデモウレヒヲシノギ、大望ヲ心掛シニ、力盡テ死シテ志シヲ立テシ也、

貧而立志

〔近世畸人傳〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 雪山
雪山は、北村三立といひしかども、世に號をもてしらる、肥後の人にして諸國に遊ぶ、文學ありしかども、獨り書名高し、書法は漢僧雪機に學たり、初赤貧にして、屋破れ雨漏に、沐浴盤(たらひ)を高く釣、其 下に座して書を學べり、〈○下略〉

〔先哲叢談〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 淺見安正、初名順良、小字重次郎、號絅齋
絅齋爲人慷慨、毎以新委質列侯潔、故雖貧甚敢祿仕、門人三宅觀瀾出仕水府、以爲其志非道、卽贈書絶之、其著靖獻遺言、亦有寓意云、

〔事實文編〕

〈六十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 渡邊登傳 蒲生重章
渡邊登者、田原藩士、生長于江戸半藏門外邸、名定靜、字子安、一宇伯登號華山、又寓繪堂、又全樂堂、登其通稱也、登俸微不養父母、賣畫以給焉、恒嘆曰、一日不畫、增一日之究、不唯身究而已、上虧於二親之奉養、下致乎弟妻之飢寒、故余之於畫、猶農之於耕、漁之於一レ網、不已也、初登欲儒、從同藩鷹見爽鳩學、一日友人高橋文平來謂登曰、子欲儒誠善志也、然子今貧甚矣、夜臥無衾、爲儒迂矣、不晝以救急、爽鳩亦慫慂、登從之、摹寫古畫、又從谷文晁而問畫法、家貧不多給好紙、母日以錢十六孔若二十四孔、買美濃紙似與之耳、〈○下略〉

〔五月雨草紙〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 艮齋〈○安積信〉師常に語られたるには、余は極の貧書生にてありしかば、書を抄する爲にする半紙を買ふべき手當さへなければ、常に反故を買取りで、其裏に抄錄を爲せり、去れども勉めて諸書に渉り、諸説を抄して覺へ居たれば、林門に在りて輪講會讀等爲したる節は、大抵いつも議論に打勝ち、外々の諸生に負けし事なかりし、

安貧

〔類聚國史〕

〈六十六/人〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 天長二年六月辛巳、散位從四位上勳七等紀朝臣長田麻呂卒、中判事正六位上末茂之孫、正六位上相模介稻手之子也、不史、傳多兼少伎、自安淸貧、不名利、可謂靑松之下、必有淸風者、時年七十一

〔今昔物語〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 女人依心風流感應仙語第四十二
今昔、大和國宇陁ノ郡ニ住ム女人有ケリリ、本ヨ心、風流ニシテ、永ク凶害ヲ離レタリ、七人ノ子生 ゼリ、家貧クシテ、食无シ、而レバ子共養フニ便无シ、而ルニ此ノ女日々ニ沐浴シ、身ヲ淨メ、綴ヲ著テ、常ニ野ニ行テ菜ヲ採テ業トス、又家ニ居タル時ハ、家ヲ淨ムルヲ以テ役トス、又菜ヲバ調へ盛テ、咲ヲ含テ人ニ此ヲ令食ム、此ヲ以テ常ノ事トゾ有ケル間ニ、其女遂ニ心直ナル故ニ、神仙是ヲ哀テ神仙ニ仕フ、遂ニ自然ラ其ノ感應有テ、春ノ野ニ出テ、菜ヲ採テ食スル程ニ、自ラ仙草ヲ食シテ、天ヲ飛ブ事ヲ得タリ、〈○下略〉

〔發心集〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 貧男差圖をこのむ事
ちかき世の事にや、としはたかくて、まづしくわりなきおとこありけり、つかさなどありける者なりけれど、出つかふるたづきもなし、さすがにふるめかしき心にて、あやしきふるまひなどは思ひよらず、世執なきにもあらねば、又かしらおろさんと思ふ心もなかうけう、つねにはゐどこうもなくて、ふる堂のやぶれたるにぞやどりたりける、つく〴〵ととし月ををくるあひだに、朝夕するわざとては、人にかみほんぐなどこひあつめ、いくらもさしづをかきて、家つくるべきあらましをす寢殿はしか〴〵、門はなにかとなど、これを思ひはからひつゝ、つきせぬあらましにこゝろをなぐさめて過ければ、見きく人はいみじき事のためしになんいひける、まことにあるまじきことをたくみたるは、はかなけれど、よく〳〵思へば、此世のたのしみには、こゝろをなぐさむるにしかず、一二町をつくりみてたる家とても、これをいひ思ひならはせる人めこそあれ、まことにはわが身のおきふすところは、一二間にすぎず、その外はみなしたしきうとき人のゐどころのため、もしは野山にすむべきうし馬のれうをさへつくりをくにはあらずや、かくよしなきことに、身をわづらはし、こゝろをくるしめて、百千年あらんために、材木をえらび、ひはだかはらを、玉、かゝみとみがきたてゝ、何のせんかはある、主のいのちあだなれば、すむ事久しからず、あるひは他人のすみかとなり、あるひは風にやぶれ、雨にくちぬ、いはむや一度火事出きぬる時、 とし月のいとなみ、片時のあひだに、雲けぶりとなりぬるをや、しかあるを、かのおとこがあらましの家は、はしりもとめ、つくりみがくわづらひもなし、雨風にもやぶれず、火災のおそれもなし、なすところは、わづかに一紙なれど、心をやどすにふそくなし、りうじゆぼさつのたまひける事ありといへども、ねがうこゝろやまねば、まづしき人とす、まづしけれども、もとむることなければ、とめりとすと侍り、〈○下略〉

〔發心集〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 三井寺僧夢に貧報を見る事
中比みゐでらに、わりなくまづしき僧ありけり、ねんじわびておもふやう、かく所緣のなきなめう、かくしも思事のたがふべきかは我ほかへゆきて、すぐせをも心みんと思ひて、ひるなどは旅すがたもあやしければ、あかつき出たつほどに、夜ぶかくおき、みちのほども、わづらはしかるべしとて、しばしよりふしたる夢に、いろあをみやせをとろへたる冠者の、わびしげなる、我とおなじやうに、わらぐつはきなど用意し、いみじう出たつあり、さき〳〵もみえぬ者なれば、あやしくて、をのれは何ものぞととふ、とし比さぶらふ者なり、いつもはなれたてまつらぬ身なれば、御とも申候はんとて、出たち侍るといふ、僧のいふやう、さるものやはある、名をば何といふぞととへば、人々しき身ならねば、異名侍り、たゞうちみる人は、貧報の冠者となん申侍るといふと見て、夢さめぬれば、すなはち身のつたなきすぐせをしり、いづくへ行とも、此冠者がそひたらんにはと思ひて、ほかごゝろあらためて、あやしながらもとの寺にぞすみける、

〔翁草〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 關新助算術の事
關新助は元甲府御家來也、文昭院殿、御治世ニ至、御旗本の士と成、若き頃は八算をだに不知しが、家來の持る塵劫記を見て、其法を家來に習ひ、夫ゟ面白き事に思ひ、色々算書を集め見れ共、不解事多し、夫より算學語蒙と云書を熟讀して、天元一の道理を辨え、自ラ發明シテ樣々の術を工夫 し、演段の理、町間之術、〈他流トハ違ヒアリ〉曆法天文、悉其理に通達する事御聞に達し、御重寶に被思召、甲州に於て御勘定奉行格に仰付らる、〈○中略〉其外、鍔、日貫、緣、頭等を拵えるに、其家の者の細工ゟも增たる妙手なれば、所々ゟ聞傅へに賴まれ、其の謝物を取れば、其有る内は酒を飮み遊戲れ、皆に成れば窮す、明日を貯ぬ淸貧に似たりと、世人沙汰しける也、

〔百家畸行傳〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 笹岡市正
市正は生國越後村松の豪家なり、氏は笹岡、名は靜、字は希默、〈○中略〉神道に歸依して、神職となる、性魯鈍に似て無慾なり、生平に人に説に、すべて世人四氣をさらば無事ならんといふ、人其由緣を問ば、こたへていふ、四氣とは、色氣、欲氣、食氣、勝氣なり、人この四氣だに去ば、生涯無事なるべしとをしふ、其躬のおこなひ、最いふ所の若し、一年市正が甥來りて、市正に謂て曰く、儞つねに四氣をさる事を以て、人に敎ふ、汝も今四氣を去て、この家督をわれに讓べしといふ、市正あらそはずして、甥に家督をゆづり、纔の盤纏を懷裏にして、江戸に出て、赤坂東横町に住して、神職を業とし、淸貧をたのしむ、

〔五月雨草紙〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 文化の頃は、米穀の價賤き故、お旗本の士は、貧窮の人のみ多かりき、多氣安元は、醫學館の督事にて、侍醫法印なりしが、然も家道甚窮して、屋宇の修理さへ出來ざりしかば、雨の降る折、家の中悉く漏り、傘をさして食事を喫せし事度々ありし由、ある年の暮に、金子拂底にて、諸拂方出來申さず、駕籠の包替せし職工の來りて、催促したるが、若し金子お渡し無ぐば、駕籠の戸をはづし、持歸るべくと申たる所、法印二念に及ばず、元日の登城に戸なく共苦しからず、金子は何分調ひ申さず迚、其儘に書をよみありしが、元朝果して戸なき駕寵にて、登城されしよし、

憂貧

〔日本靈異記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 窮女王歸敬吉祥天女像現報緣第十四
聖武天皇御世、王宗廿三人結同心、次第爲食、設備宴樂、育一窮女王、入宴衆列、廿二王以次第宴樂 已訖、但此女王獨未食、備食無便、大耻貧報、至于諾樂左京服部堂、對面吉祥天女像、而哭之曰、我先世殖貧窮之因、今受窮報、我身爲食入於宴會、徒噉人物、設食無便願我賜財、于時其女王之兒忩々走來白母、曰、快從故京食而來、母王聞之、走到見之、養王乳母、母談之曰、我聞客、故具食來、其飮食蘭美、味芬馥無比無等、無具足、設器皆鋺、使荷之人卅人也、王衆皆來受饗、以善共食、倍先王衆、讃稱富王、不然何貧敢能、餘溢飽盈佐我先設、儛歌寄異如鈞天樂、或脱衣以與、或脱裳以與、或送錢絹布綿等、不悦望、捧得衣裳、著之乳母、然後參堂、時拜尊像、著之乳母衣裳、被之其天女像、疑之而、往問之、乳母答之不知、定知、菩薩感應所賜因大富財、免貧窮愁、是奇異之事矣、

〔今昔物語〕

〈三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 身貧男去妻成攝津守妻語第五
今昔、京ニ極テ身貧キ生者有ケリ、相知タル人モ无ク、父母親類モ无クテ、行宿ル所モ无カリケレバ人ノ許ニ寄テ被仕ケレドモ、其レモ聊ナル思モ无カリケレバ、若シ宜キ所ニモ有ルト、所々ニ寄ケレドモ、只同樣ニノミ有ケレバ、宮仕ヘヲモ否不爲テ、可爲キ樣モ无クテ有ケルニ、其妻年若クシテ形チ有樣宜クテ心風流也ケレバ、此ノ貧キ夫ニ隨テ有ケル程ニ、夫万ニ思ヒ煩ヒテ妻ニ語ヒケル樣、世ニ有ン限ハ、此テ諸共ニコソバ思ヒツルニ、日ニ副テハ貧サノミ增ルハ、若シ共ニ有カ惡キカト、各試ムト思フヲ何ト云ヒケレバ、妻我ハ更ニ然モ不思ハ、只前ノ世ノ報ナレバ、互ニ餓死ナム事ヲ可期シト思ヒツレドモ、其ニ此ク云フ甲斐无クノミ有バ、實ニ共ニ有ルガ惡キカト、別レテモ試ヨカシト云ケレバ、男現ニト思テ互ニ云契テ泣々ク別レニケリ、其後妻ハ年モ若ク、形チ有樣モ宜シカ、リケレバ、 ノ ト云ケル人ノ許ニ寄テ被仕ケル程ニ、女ノ心極テ風流也ケレバ、哀レニ思ヒテ仕ケル程ニ、其ノ人ノ妻失ニナリケレバ、此ノ女ヲ親ク呼ビ仕ケル程ニ、傍ニ臥セナドシテ思不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00190.gif カラズ思ヒケレバ、然樣ニテ過ケル程ニ、後ハ偏ニ此ノ女ヲ妻トシテアリケレバ、万ヲ任セテノミゾ過ケル、而ル間攝津ノ守ニ成ニケリ、女彌ヨ微妙キ有樣ニテ、 年來過ケルニ、本ノ夫ハ妻ヲ離レヲ試ムト思匕ケルニ、其ノ後ハ彌ヨ身弊クノミ成リ增テ、遂ニ京ニモ否不居テ、攝津ノ國ノ邊ニ迷ヒ行テ、偏ニ田夫ニ成テ人ニ被仕レケレドモ ニ下衆ノ爲ル田作リ畠作リ木ナド伐ナド樣ノ事ヲモ不習ヌ心地ナレバ、否不爲テ有ケルニ、仕ケル者、此ノ男ヲ難波ノ浦ニ、葦ヲ苅ニ遣シタリケレバ、行テ葦ヲ苅ケルニ、彼ノ攝津ノ守其ノ妻、ヲ具シテ、攝津ノ國ニ下ケルニ、難波邊ニ車ヲ留メテ逍遙セサセテ、多ク郎等眷屬ト共ニ物食ヒ酒呑ナドシテ遊ビ戯ケルニ、其ノ守ノ北ノ方ハ車ニシテ、女房ナドト共難波ノ浦ノ可咲クhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00060.gif キ事ナド見興ジケルニ、其ノ浦ニ葦ヲ苅ル下衆ドモ多カリケリ、其ノ中ニ下衆ナレドモ、故有テ哀ニ見ユル男一人アリ、守ノ北ノ方此レヲ見テ、吉ク護レバ恠ク我ガ昔ノ夫ニ似タル者カナト思フニ、僻目カ思テ强ニ見レバ、正シク其レ也ト見ル、奇異キ姿ニテ葦ヲ苅立テルヲ、尚心疎クテモ有ケル者カナ、何ナル前ノ世ノ報ニテ、此ルラント思フニモ、涙泛レドモ、然ル氣无クテ人呼テ、彼ノ葦苅ル下衆ノ中ニ、然々ナル男召セト云ヒケレバ、使走リ行テ、彼ノ男御車ニ召スト云ヒケレバ、男思ヒモ不懸ネバ、奇異クテ仰キ立テルヲ、使疾ク參レト音ヲ高クシテ恐セバ、葦ヲ苅テ弃テ、鎌ヲ腰ニ差シテ、車ノ前ニ參リタ又、北ノ方近ク吉ク見レバ、現ニ其レナリ、土ニ穢テ夕黑ナル袖モ无キ麻布ノ帷ノ膕本ナルヲ著タリ、帽子ノ樣ナル烏帽子ヲ被テ、顏ニモ手足ニモ土付テ、穢氣ナル事无限シ、膕脛ニハ蛭ト云フ物食付テhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02111.gif 也、北ノ方此ヲ見ルニ、心疎ク思エテ、人ヲ以テ物食ハセ、酒ナド、呑スレバ、車ニ指向テ、糸吉ク食居ル顏糸心疎シ、然テ車ニ有ル女房ニ、彼葦ヲ苅ル下衆共ノ中ニ、此レカ故有テ哀レ氣ニ見エツルニ、糸惜ケレバ也トテ、衣ヲ一ツ車ノ内ヨリ、此レ彼ノ、男ニ給トテ取スルニ、紙ノ端ニ此ク書テ、衣ニ具シテ給フ、
アシカラジトオモヒテコヅハワカレシカナドカナニハノ浦ニシモスムト男衣ヲ給ハリテ、思ヒ不懸ヌ事ナレバ、奇異ト思テ見レバ、紙ノ端ニ被書タル物ノ有リ、此ヲ取リテ見ルニ、此ク被 書タレバ、男早ウ此ハ我ガ昔ノ妻也ケリト思ニ、我ガ宿世糸悲ク恥カシト思エテ、御硯ヲ給ハラント云ケレバ、硯ヲ給ヒタレバ、此ク書テナン奉リタリケル、
キミナクテアシカリケリトオモフニハイトヾナニハノウラゾスミウキ、ト北ノ方此レヲ見テ、彌ヨ哀ニ悲シク思ケリ、然テ男ハ葦不苅ズシテ、走リ隱レニケリ、其ノ後北ノ方此ノ事ヲ此彼人ニ語ル事无クテ止ミニケリ、然レバ皆前ノ世ノ報ニテ有ル事ヲ不知シテ、愚ニ身ヲ恨ル也、此レハ其ノ北ノ方、年ナド老テ後ニ語リケルニヤ、其レヲ聞繼テ世ノ末マデ、此ク語リ傳ヘタルトヤ、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 建保元年十一月十一日、參左大臣殿、〈○中略〉少將〈○藤原爲家〉今夜密々參入、不衆云々、〈淸貧之餘爲耻云々、〉

〔源平盛衰記〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 待宵侍從附優藏人事、
抑待宵小侍從ト云ハ、元ハ阿波ノ局トテ、高倉院ノ御位ノ時、御宮仕ヒシテ候ケリ、世ニモ貧キ女房ニテ、夏冬ノ衣更モ便ヲ失貧人ナリ、サスガ内ノ御宮仕ナレバ、諸幽ナル事ノ悲シサニ、廣隆寺ノ藥師ニ參テ、七箇日參籠シテ祈申ケレドモ、指タル驗ナシ、先ノ世ノ報ヲバ知ラズ、今ノ吾身ヲ恨ツヽ、世ヲ捨テ尼ニモナラバヤト思テ、佛ノ御名殘ヲ惜ミ、今一夜通夜シツゝ、一首ノ歌ヲゾ讀タリケル、
南無藥師憐給へ世中ニ有ソヅラフモ病ナラズヤ、ト詠ジツヽ、打マドロミタリケルニ、御帳ノ中ヨリ、白キ衣ヲ賜ト夢ニ見テ、末憑シク思ツヽ、又内へ參テ、世ニホノメキケル程ニ、八幡ノ別當幸淸法印ニ被思テ、引替ハナヤカニアリケレバ、君ノ御氣色モ人ニ勝タリケルニ、〈○下略〉

恤貧

〔今昔物語〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 參河守大江定基送來讀和歌第四十八
今昔、大江定基朝臣參河守ニテ有ケル時、世中辛クシテ、露食物无カリケル比、五月ノ霖雨シケル 程、女ノ鏡ヲ賣リテ定基朝臣ガ家ニ來タリケレバ、取入レテ見ルニ、五寸許ナル押覆ヒナル張筥ノ、沃懸地ニ黃ニ蒔ルヲ、陸奧紙ノ馥キニ裹テ有リ、開テ見レバ、鏡ノ筥ノ内ニ薄樣ヲ引破テ、可咲氣ナル手ヲ以テ此ク書タリ、
ケフマデトミルニ涙ノマスカヾミナレタルカゲヲ人ニカタルナ、ト定基朝臣此レヲ見テ、道心ヲ發タル比ニテ、極ク泣テ、米十石ヲ車ニ入レテ、鏡ヲバ賣ル人ニ返シ取セテ、車ヲ女ニ副ヘテゾ遣ケル、歌ノ返シヲ鏡ノ筥ニ入レテゾ、遣タリケレドモ、其ノ返歌ヲハ不語ラ、其車ニ副ヘテ遣タリケル、雜色ノ返テ語リケルハ、五條油ノ小路邊ニ荒タル檜皮屋ノ内ニナン下シ置ツルトゾ云ヒケル、誰ガ家トハ云ハヌナルベシトナン語リ傳ヘタルトヤ、

〔源平盛衰記〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 西京座主祈禱事
堀川院御宇、キハメテ貧キ所衆アリ、衆ノマジライスベキニテ有ケレ共、イカニモ思立ベキ事ナシ、此事イトナマデハ衆ニマジハラン事叶マジ、縱世ニ立廻ル共人ナラズ、斯ル身ハアルニ甲斐ナキ事ナレバ、出家入道シテ行方知ズ失ナントゾ思フ成ケル、サレバ日來ノ前途後榮モ空クナリ、年比ノ妻子所從モ、遺惜ク朝夕ニ參ツル御垣ノ内ヲ振捨テ、山林ニ流浪セン事モ悲ク、前世ノ戒德ノ薄サモ被思知テ、唯泣ヨリ外ノ事ナシ、主上ハ兼テ近習ノ女房侍臣ナドニ内々仰ノ有ケルハ、卒土ノ濱皆王民、遠民同疎、近民何親、普ク惠ヲ施バヤト思召共、一人ノ耳、四海ノ事ヲ聞ズ、是大ナル歎キ也、帝德全ク偏頗ヲ存ルニ非ズ、サレバ黃帝ハ四聽四目ノ臣ニ任セ、舜帝ハ八元八愷臣ニ委ストモイヘリ、然共遠事ハ奏スル者モナケレバ、本意ナラヌ事モ多クアルラン、聞及事アラバ必奏シ知シメヨト仰置セ給タリケレバ、或女房此所衆ガ泣歎ケル有樣ヲ、コマ〴〵ニ申上タリケレバ、無慙ノ事ニコソト計ニテ、又何ト云仰モナシ、申入タル女房モ思ハズニ覺エテ候ケル程ニ、西京ノ座主良眞僧正ヲ召テ被宣下ケルハ、臨時ノ御祈禱アルベシ、日時幷何ノ法ト云事 ハ思召定テ、逐テ被仰下ベシ、先兵衞尉ノ功ヲ一人召仕テ、今度ノ除目ニ申成ベシト仰含ラル、僧正勅命ニ依テ、成功ノ人ヲ召付テ、貫首ニ申ケレバ、除目ニ曾テ卽成ニケリ、其比ノ兵衞尉ノ功ハ、五万匹ナリケレバ、是ヲ座主ノ坊ニ納置テ、日時ノ宣下ヲ相待進ラセケレドモ、日數ヲ經ケル間ニ、僧正參内シテ、成功五万匹納置テ候、臨時ノ御修法日時ノ宣下思召忘タルニヤト驚シ奏セラレタリ、主上ノ仰ニハ、遠近親疎ヲイハズ、民ノ愁人ノ歎キヲ休メバヤト思召ドモ、下ノ情上ニ不通バ、叡慮ニ及バザル事ノミ多カルラン、御耳ニ觸ル事アラバ、其惠ヲ施サント思召處ニ、某ト云フ本所ノ衆アリ、家貧ニ依テ、衆ノ交リ叶ヒ難クシテ、旣ニ逐電スベシト聞食、サコソ都モ捨ガタク、妻子ノ遺モ悲ク思フラメナレバ、件ノ兵衞尉ノ成功ヲ彼ニ給テ、其身ヲ相助バヤト思召、一人ガ爲ニ某法ヲ枉ルニモヤアルラン、聖王ハ以賢爲寶、不珠玉ト云事アレバ、憚リ思召ドモ、明王ハ有私人以金石珠玉、無私人以官職業ト云フ事モ又アレバ、何カハ苦シカルベキ、世ニ披露ハ御憚アリ、良眞ガ私ニ賜體ニモテナスベシ、御所ハ長日ノ御修法ニ過べカラズト仰セケレバ、僧正衣ノ袖ヲ顏ニアテヽ泣給ヘリ、サスガ御年モイマダ老スゴサセ給ハヌ御心ニ、カバカリ民ヲハグヽム御惠、忝ク思進ラセ給フ、ヤヽ暫クアリテ、御返事被申ケルハ、何ノ大法秘法ト申候トモ、是ニ過タル御祈禱侍マジ、縱良眞微力ヲ勵シテ、勤メ奉ラン御祈、ナヲ百分ガ一ツニ及ブベカラズト申テ、泣々御前ヲ退出シテ、軈テ彼所ノ衆ヲ、西京ノ御坊ニ召テ、勅命ヲ仰含メテ、五万匹ヲ給ヘタリケレバ、只泣ヨリ外ノ事ゾナカリケル、彼ノタメシニ露タガハセ給ハズトゾ申シケル、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 久安七年正月廿七日己亥、頭朝隆朝臣、内覽除目申文、〈○中略〉其最初自取得有成朝臣申文、余使朝隆奏曰、百成朝臣位在四品、年及七旬其家甚貧、其種不凡、今懇望日、向何無哀憐、加之今上〈○近衞〉御宇所任之奮吏、唯師行朝臣也、若行正道恩許、〈先日、有今度任官可道理之仰、因之所奏也、〉朝隆朝臣答曰、數多申文之中、最先取彼朝臣申文、所望成就不疑、卽退出、

〔源平盛衰記〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 行隆被召出
前左少辨行隆ト申人御座ケリ、故中納言顯時卿ノ長男ニテ御座シガ、二條院ノ御代ニ近召仕レ奉テ、辨ニ成給へリシ時モ、右少辨長方ヲ越テ左ニ加リ給ヘリ、五位正上シ給ヘリシ中ニモ、顯要ノ人八人ヲ越ナドシテ、優々シカリシガ、二條院ニ奉後テ時ヲ失ヘリ、仁安元年四月六日ヨリ官ヲ止ラレテ籠居シ給シヨリ、永ク前途ヲ失テ、十五年ノ春秋ヲ送ツヽ、夏冬ノ更衣モ力ナク、朝暮ノ食事モ心ニ叶ハデ、悲ノ涙ヲ流シ、明シ暮サセ給ケリ、十六日ノ狹夜更ル程ニ、太政入道殿ヨリ使トテ急ギ立寄給へ、可申合事アリト、事々敷云ケレバ、行隆何事ヤラント、ウツヽ心ナク騷給ヘリ、此十五年ノ間、何事モ相綺事ナシ、身ニ取テ覺ル事ハナケレ共上下事ニアフ折節ナレバ、若謀反ナドニ與スル由、人ノ讒言ニ依テ、成親卿ノ被引張シ樣ニヤト振ワナナキ、思ハヌ事モナク思ハレケレ共、何樣ニモ行向テコソ、兎ニモ角ニモ機嫌ニ隨ハメト思テ、憖ニ參スベキ由返事ハシ給タリケレ共、裝束牛車モナカリケレバ、弟ノ前左衞門權佐時光ノ許へ、係ル事ト歎遣シタリケレバ、牛車雜色裝束ドモ、急ギ遣シタリ、軈テ取乘テ出給フ、北方ヨリ子息家人ニ至マデ、何事ニカト肝心ヲ迷テ泣悲、左右ナク出給ベカラズ、ヨク〳〵世間ヲモキヽ、太政入道ノ氣色ヲモ伺給テコソト、口々ニ申ケリ、理也、上﨟下﨟罪科セラレテ、東國西國被流遣折節ナレバ、留メ申サルヽモ道理也、行隆ハ不參バ、中々樣ガマシヽトテ、西八條へ御座シツヽ、車ヨリ下、ワナヽクワナヽク中門ノ廊ニ居給ヘリ、入道ヤガテ出合、見參シテ宣ケルハ、故中納言殿モ親ク御座上、殘ニ憑奉ル大小事、申合進候キ、其御名殘トテマシマセバ、踈ニモ不思、御籠居久ク成ヲモ、歎存侍シカドモ、法皇ノ御計ナレバ力及バズ過ヌ、今ハ疾々御出仕有ベシト宣ケレバ、左モ右モ御計ニ隨ヒ奉ベシトテ、ホクソ咲テ出ラレヌ、宿所ニ還テ入道ノカクイハレツルト語給ヘバ、北方ヨリ始テ、出給ツル心苦シサニ、今ハ皆泣笑シテ喜合給ヘリ、後朝ニ源大夫判官季貞ヲ使トシテ、小八葉ノ車ニ入 道殿ノ秘藏ノ牛係テ、牛飼ノ装束相具シ、百石ノ米、百匹ノ絹、被送遣ケル上ニ、今日軈辨ニ奉成返ト有ケレバ、大形嬉ナドハ云計ナシ、手ノ舞足ノ蹈所ヲ忘タリ、被出仕ダニモ有難キニ、サシモ貧シカリツル家中ニ、百石百匹牛車ヲ見廻シ給ヒケン心中、唯推量ベシ、一門ノ人々モ馳集、家中ノ者ドモ寄合テ、酒宴歡樂シテモ、抑是ハ夢カヤ夢カヤトゾ云ケル、

〔神田本太平記〕

〈三十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 山名發向之事幷北野參詣人政道雜談之事
西明寺の時賴禪門ハ、ヒソかニ貌ヲやつして、六十ヨ州ヲ修行シ給フ、或時攝津國難波ノうらニ行至リヌ、日巳ニ暮けれバ、アレたる家ノかきマバラニ軒傾キて、時雨も月もサコソもるらんと覺えたるニ、立よりテ、やどヲかり給フニ、内より年よりたる尼一人出て、やどをかし奉るベキ事ハ安けれ共、藻鹽草ならでハしく物もなく、いそなより外ハ參らスベキ物侍ら子バ、中々やどをかし奉つても、かひなしとわびけるを、さりとてハ日もはやくれはてぬ、又問ベキ里も遠けれバ、まげて一夜ヲあかし侍らんと、とかく云わびてとゞまりツ、タビ子ノ床ニ秋ふけて、うらかぜさむくなりヌレバ、折たくアシノよもすがら、ふしわびてこそあかしけれ、朝に成ぬれバ、主の尼公手づから飯具とる音シテ、椎ノ葉おりしキたるおしきのうヘニ、餉もりてもち出たり、かひ〴〵しくハ見えなガら、かゝるワザなんどニなれたる人とも見え子バ、覺束なく思ヒテ、などや御内ニ召つかハるゝ人ハ候ハヌやらんと問給ヘバ、尼公なく〳〵サ候ラヘバコソ、親ノゆづりヲ得て、此所ノ一分ノ地頭ニて候ヒしヲ、夫ニスてられ、子ニも別レて、便りなき身となりはて候らヒし後、總領何がしと申す者、關東奉公の權威ヲもつて重代相傳ノ地頭職をおさへてとつて候らへども、京かまくらニ參りて訴訟ヲ申ベキ代官も候ハねバ、此廿ヨ年貧窮孤獨ノ身トなりて、アサノ衣ノあさましく、かきほノ柴ノしば〳〵も、世ニスムヘキ心チも侍らねど、袖のミぬるゝ露ノ身の、きえぬほどとて世をわたる、あさげの煙ノ心ぼそさ、只おしはからせ給ひ候らヘト、委ク 是ヲ語りて泪ニのミゾムせビける、〈○下略〉

雜載

〔異本枕草紙〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 まづしげなる物(○○○○○○○) あめうしのやせたる、ひたゝれのわたうすき、あをにびのかりぎぬ、くろかゐのほねに、きなるかみはりたるあふぎ、ねずみはみたるゑぶくろ、かうぞめのきばみたるかみに、あしきてをうすゞみにかきたる、

〔鹽尻〕

〈四十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 夫才識名聲は、世の重んずる處、富裕貴顯は人の欲する所、然るに自分をしらず、專らこれに驕傲して、人を看下せば、世是を訾り、人これを憎み、終に必困苦敗棄せらるゝに至る事古今ひとし、貧乏は世の厭ふ所卑賤は人の恥る所也、何の驕る事や有といふ人あり、つらつら看よ、不幸にして貧究し、世にあらずして卑賤に居者、良もすれば世を憤り、人を恨むが故に、言に發して濁富は淸貧にしかず、不義の出身は浮雲の如し、夷齊顏曾の賢豈富且貴やなど口にいひ、平居亦大言して矯枉正に過ぐ、凡そ貴に登り權盛なる人を見ては、必ず白眼を以てし、富祿豐に厚き者を聞ては、必らず衰困究逍の日を待の心あるが如し、故に人毎に睦じからず、是自貧賤に驕りて人を謾ずるにあらずや、豈是を憎みいとはざるべき、人眼あらば何ぞ禍をとらずしてあるべき、是貧賤に安んじ命に任せざる小人のすがたのみ、

〔萬葉集〕

〈五/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 貧窮問答歌一首幷短歌
風離(カゼマジリ)、雨布流欲乃(アメフルヨノ)、雨雜(アメマジリ)、雪布流欲波(ユキフルヨハ)、爲部母奈久(スベモナク)、寒之安禮婆(サムクシアレバ)、堅鹽乎(カタシホヲ)、取都豆之呂比(トリツヅシロヒ)、糟湯酒(カスユサケ)、宇知須須呂比氐(ウチススヒロテ)、之可夫可比(シハブカヒ)、鼻毗之毗之爾(ハナビシビシニ)、志可登安良農(シカトアラヌ)、比宜可技撫而(ヒゲカキナテヽ)、安禮乎於伎氐(アレヲオキデ)、人者安良自等(ヒトハアラシト)、富己呂倍騰(ホコロヘト)、寒之安禮波(サムクシアレハ)、麻被(アサスブマ)、引可賀布利(ヒキカガブリ)、布可多衣(ヌノカタキヌ)、安里能許等其等(アリノコトコト)、伎曾倍騰毛(キソヘドモ)、寒夜須良乎(サムキヨスラヲ)、和禮欲利母(ワレヨリモ)、貧人乃(マズシキヒトノ)、父母波(チヽハヽハ)、飢寒良牟(ウヘサムカラム)、妻子等波(メコドモハ)、乞乞泣良牟(コヒテナクラム)、此時者(コノトキハ)、伊可爾之都都可(イカニシツツカ)、汝代者和多流(ナガヨハハタル)、天地者(アメツチハ)、比呂之等伊倍杼(ヒロシトイヘド)、安我多米波(アガタメハ)、狹也奈理奴流(セバクヤナリスル)、日月波(ヒツキハ)、安可之等伊倍騰(アカシトイヘド)、安我多米波(アガタメハ)、照哉多麻波奴(テリヤタマハヌ)、人皆可(ヒトミナカ)、吾耳也之可流(ハレノミヤシカル)、和久良婆爾(ワクラバニ)、比等等波安流乎(ヒトトハアルヲ)、比等奈美爾(ヒトナミニ)、安禮母作乎(アレモナレルヲ)、綿毛奈伎(ハタモナキ)、布可多衣乃(ヌノカタキヌノ)、美留(ミル) 乃其等(ノゴト)、和和氣佐我禮流(ワワケサガレル)、可可布能尾(カガフノミ)、肩爾打懸(カタニウチカケ)、布勢伊保能(フセイホノ)、麻宜伊保乃内爾(マキイホノウチニ)、眞土爾(ヒタツチニ)、藁解敷而(ワラトキシキテ)、父母波(チヽハヽハ)、枕乃可多爾(マクラノカタニ)、妻子等母波(メコドモハ)、足乃方爾(アトノヘタニ)、圍居而(カコミイテ)、憂吟(ウレヘサマ)、可麻度柔播(ヨヒカマトニハ)、火氣布伎多氐受(ケブリフキタテズ)、許之伎爾波(コシキニハ)、久毛能須可伎氐(クモノスガキテ)、飯炊(イヒカシク)、事毛和須禮提(コトモワスレテ)、奴延鳥乃(ヌエトリノ)、能杼與比居爾(ノドヨヒヲルニ)、伊等乃伎提(イトノキテ)、短物乎(ミジカキモノヲ)、端伎流等(ハシキルト)、云之如(イヘルガゴトク)、楚取(シモトトル)、五十戸良我許惠波(サトヲサガコエハ)、寢屋度麻低(ネヤドマヂ)、來立呼比奴(キタチヨバヒヌ)、可久婆可里(カクバカリ)、須部奈伎物可(スベナキモノカ)、世間乃道(ヨノナカノミチ)、世間乎(ヨノナカヲ)、字之等夜佐之等(ウシトヤサシト)、於母倍杼母(オモヘドモ)、飛立可禰都(トビタチカネツ)、鳥爾之安良禰婆(トリニジアラネバ)、 山上憶良頓首謹上

〔古今和歌集〕

〈十八/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 家をうりてよめる 伊勢
飛鳥川ふちにもあらぬわが宿もせにかはり行く物にぞ有ける

〔日本往生極樂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 律師無空、平生念佛爲業、衣食常乏、自謂、我已貧、後定煩遺弟、竊以万錢、置于房内天井之上、欲歛葬也、律師臥病、言不錢、忽以卽世、粃杷左大臣〈○藤原仲平〉與律師故舊矣、大臣夢、律師衣裳垢穢、形容枯稿、來相語曰、我有伏藏錢貨、不度受蛇身、願以其錢、可寫法華經、大臣自到舊房、搜得万錢、其錢中有小蛇、見之逃去、大臣忽令冩供養法華經一部了、

〔耆舊得聞〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 鵜飼金平眞昌、字子欽、號鍊齋、京師ノ人、石齋信之ノ子也、〈○註略〉山崎闇齋ニ從へ學ベリ、成童ニシテ、通鑑綱目ニ訓點ス、世是ヲ金平點ト云フ、後義公ニ仕へ、恩遇最厚シ、金平其子ノ爲ニ婦ヲ娶ル、義公雁一雙ヲ賜ハリ、庖厨ノ用ニ給セラル、其足ヲ見ルニ、金十枚ヲ繫ギ賜ハリシトナリ、義公常ニ仰ス、儒生貧窶ナレバ、其中擁塞シテ、文理暢通ナラザルモノナリトテ、屢々金銀ヲ授ケ給ヒシナリ、其頃寵遇ヲ羨ムモノヽ諺ニ、一史館、二役人ト云ヘシトナリ、〈家先人話〉

〔近世畸人傳〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 久隅守景
守景は久隅氏、通名半兵衞、探幽法印の弟子にて畫を能す、家貧なれども其志高く、容易人の需に應ずることなし、加賀侯守景を召て、金澤に留給ふこと三年に及びしかども、扶持給るけしきも なかりしかば、かくては故郷にあるも同じ、歸りなんとて、侯の近侍せる士に別を吿しかば、理也とて、其よしを申けるに、侯笑給ひて、吾よくこれをしれり、然れども、守景は膽太くして、人の需に從ふものにあらず、其畫もとより世に稀なるもの也、されば此男に祿を與へば、畫を描くことをばせじとおもひて、かく貧しからしむ、今は三年に及べば、畫も國中に多く殘りなん、さらば扶持すべしとて、ともしからず賜しとぞ、

負債

〔日本靈異記〕

〈上/序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 債〈母乃々力比〉

〔日本書紀〕

〈三十/持統〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 元年七月甲子、詔曰、凡負債者(モノヽカヒオヘルモノ)、自乙酉年以前物莫利(コノシロ)、若旣役身者、不利、

〔日本靈異記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 凶人不養嬭房母、以得惡死報緣第廿三
大和國添上郡有一凶人也、其名未詳、字曰瞻保、是難破宮御宇天皇〈○孝德〉之代、預學生之人也、徒學書傳、不其母、母貸子稻物可一レ償、瞻保忽怒、逼而徵之、時母居地、子坐胡床、賞明視之、不寧居、賞明語之曰、〈○中略〉汝家饒財、貸稻多者、何違學不親母、瞻保不伏曰、无用也、于時衆人代其母而償債、咸倶起而避、母出其嬭房而應泣之曰、吾之育汝、日夜无憇、觀他子之報恩時、吾兒之如斯、而反見迫辱、願心違謬矣、汝已徵負稻、吾亦徵乳直、〈○下略〉

〔三代實錄〕

〈十/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 貞觀七年三月廿五日丙午、少僧都法眼和上位慧運申牒請、〈○中略〉其年滿二十、若七十已上、幷國家不敬之人、債負之人、黃門奴婢之類、非是戒器、故佛不聽受戒、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 延興寺僧惠昧依惡業牛身語第二十
今昔、延興寺ト云フ寺有リ、其寺ニ惠昧〈○惠昧、日本靈異記作惠勝、〉ト云僧住ケリ、年來此ノ寺ニ住ム間ニ、寺ノ温室分ノ薪一束ヲ取テ、人ニ與ヘタリケルニ、其後償フ事无クテ、惠昧死ニケリ、而ル間、其寺ノ邊ニ本ヨリhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02112.gif 有ケリ、一ノ犢生ニケリ、其犢長大ニシテ後、其犢ニ車ヲ懸テ薪ヲ積テ寺ノ内ニ入ル、 其時ニ不知ヌ僧、寺ノ門ニ出來テ、此ノ犢ヲ見テ云ク、惠昧法師ハ生タリシ時、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02034.gif 槃經ヲ明暮讀奉シカドモ、車引ク事コソ哀ナレト、犢此レヲ聞テ、涙ヲ流シテ忽ニ倒レテ死ヌ、犢ノ主此レヲ見テ、大ニ瞋テ、其不知ヌ僧ヲ詈テ、汝ガ此ノ牛ヲバ咀ヒ殺シツル也ト云テ、卽チ僧ヲ捕テ、公ニ將行テ此由ヲ申ス、公ケ此ヲ聞シ召シテ、其故ヲ令問給ハムトシテ、先僧ヲ召テ見給フニ、僧ノ形有樣端正ニシテ、只人ト不見へ、而レバ驚キ恠ミ給テ、忽ニ咎行ハム事ヲ恐テ、淨キ所ニ僧ヲ居ヘテ、止事无キ繪師共ヲ召シテ此ノ僧ノ形チ有樣世ニ不似端正也、而レバ此形ヲ不謬書テ可奉ト、繪師等宣旨ヲ奉リテ、各筆ヲ振テ書寫シテ持參シタルニ、公此レヲ見給フニ、本ノ僧ノ形ニハ非ズシテ、皆觀音ノ像也、其時ニ僧搔消ツ樣ニ失セヌ、然レバ公ケ驚キ恐給ヒ事无限シ、其現ニ知ヌ、觀音ノ惠昧ガ牛ト成レルコトヲ、人ニ令知ムガ爲、僧ノ形ト成テ示シ給也ケリ、牛ノ主此ヲ不知シテ、僧ニ咎ヲ行ハムト爲ルコトヲ悔ヒ悲ビケリ、人此レヲ以テ可知、一塵ノ物也ト云トモ、借用セシ物ヲバ慥ニ可返ス也、不返シテ死スルハ、必畜生ト成テ、此レヲ償也トナム語リ傳ヘタルトヤ、

〔老人雜話〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 高麗陣の時、太閤、日根備中を高麗へ使に遣す、備中甚貧く支度成がたし、三好新右衞門を介媒にして、銀を黑田如水に借る、如水銀百枚をかす、備中歸朝して、新右衞門と同道し、如水へ往て禮を云、銀百枚外に拾枚持參す、〈利息の心なり〉如水對顏し、暫くありて、人を呼て、さきに人の呉たる鯛を、三枚にをうし、其骨を吸物にして、酒を出せよと云ふ、兩人心に不足す、酒訖て、三好銀を取來て禮を云、如水云、初より借す心無し、合力の心なりとて、再三强ても取らず、二人甚だ感じて歸りけるとぞ、

〔明良洪範〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 稻葉美濃守老職を勤仕せられし時は、浪人者玄關へ來る、取次の者へ申し入けるは、私こそ浪人にて、久々困窮仕に、今は餓死にも及ぶべく候仕儀に相なり候、御家を見かけ推參仕り候、何とぞ御芳志を以て、金子百兩拜借仰せ付られ下され候らへと、誠に餘儀無體に申しけ る、役人どもの取計ひにても相濟がたく、又は一と通りの事にて立かへるべき樣子には見へざる故、待せ置、退出の節、美濃守へ申し聞かせしに、暫らく了簡せられ、先料理を振まひ申すべきよしにて出されける、其間に馬廻りの士に、安原市左衞門とて百石を領し、日々供に召連し者を呼で、件の老人歸り候はゞ、見へ隱れに付添參り、住所を見屆け歸るべしと申し付られ、市左衞門は早々宿所にて旅仕度し、菅笠草鞋にて、玄關の腰かけに出て、彼者の歸るを待居たり、其後美濃守差圖にて、白銀五枚臺にすへて、少分ながら是を給はる由を申しけるに、浪人謹で頂戴し、厚く謝詞を述て立出けり、門を出ると、かねて待居たる市左衞門引つゞき行て、浪人が袖を扣へて、美濃守申し付候は、貴殿の居所を見屆け候樣にとの儀にて、此如用意致し候、何國迄も御供申すべくと云ひ、浪人も甚迷惑せし體にて、樣々辭しけれども、市左衞門承引せず、日も暮候間、一刻も早く歸り給ふべし、加樣に支度致す上は、たとひ長崎迄も參り見屆申すべしと云に、浪人も詮方なくて、淺草寺町の寺號を申し、我等は其寺に罷り在者にて候、其段仰上られ候らへといへども、左候らはゞ、其寺へ參り候上にて、主人へ申し聞べしと追立行程に、間もなく右の寺に到りて入りければ、坊主ども、此間は御出もなく候、如何なされ候やと挨拶す、市左衞門は土間に居て、主客の應答を目もはなさず聞居たれば、浪人すべき樣なくして、そこを立出しに、はや夕方なり、市左衞門申し候は、此寺は御宿所の由申され候らへども、只今出家の挨拶は相違致し候、日も暮候まゝ、片時も早く歸宅あるべし是非見屈け申さず候ては、主人へ申し譯これなしといへば、浪人扨も是非なき次第にて候、我等が宅と申すは、中々御目にかくべき樣もなく、眞の乞食小屋にてもかくは有まじき體に候らへば、辭退申し候なり、此段御聞屆け下さるべくと云、市左衞門きゝて、侍の浮沈は珍らしからず候らへども、少しも恥とは申さず候、急ぎ給ふべしとて行程に、千住のはりつけ場を過て、かすかに灯の光り見へしに、あの火の見ゆる所にて候と云、いよ〳〵いそぎ給へ 迚、行つきて見れば、實にあはれなる筵張の厠とも云べき稈なる、ちいさき藁屋のかけむしろを上て内に入、今歸りしと云に、御歸り候かと答ふ、市左衞門も續ひて内に入りけるに、何條乞食とは見へず、其樣子侍の貧窮極し體に紛れなく、内居たる女も、挨拶の樣子女と云べき體なり、火を焚き居たるが、馬の沓を焚たり、市左衞門よく〳〵見屆け、自分の姓名を望みしに依て名乘りける、夫より歸りて委細申し述しに、美濃守聞て、旅仕度にて連立たる段々の仕かた、心掛殊に感じありけり、段々立身して、三年目には三百石に成、小姓頭を勤めける、或時市左衞門が上屋敷の長屋へ侍來り、御目に掛り度由を申す、其體四五百石の身上と見ゆる由を申す、其姓名は聊か覺なしと云ども、通し候へとて坐しきに入り、出向ひたれども、面をも覺えず、見知りたる樣にもあれど、覺束なき由を云時に、客の曰、御見忘は御尤なりとて、先年の事ども申し出し、御主人樣の御式臺へ參上仕り、理不盡なる御無心申し上候、寬仁なる御恩を以て、身命をつなぎ、只今は三百石にあり付、有がたき仕合にて候、御式臺は憚り多く存じ奉り候間、冥加のために、貴殿まで參上仕候迚ぞ歸りける、美濃守にも、百兩の金子拜借仕度と申したる所、盜賊とは思はれす、全く浪人の難儀にせまりたるものと思はれて、憐愍ありし事なりと、家來の物語りなり、


Last-modified: 2020-06-12 (金) 09:35:15 (104d)