https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 離別ニハ、生別アリ、死別アリ、生別ニシテ死別ヲ兼ヌルアリテ一ナラズ、凡ソ離別ヲ悲ムハ人情ノ常ニシテ、古來別ニ臨ミテ互ニ相往來シ、詩ヲ賦シ歌ヲ詠ジ、或ハ物ヲ贈リテ以テ惜別ノ情ヲ表セシモノモ亦甚ダ多カラズトセズ、而シテ此篇ハ性命篇、行旅篇等ニ關聯スル所アレバ、宜シク參照スベシ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈五/言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 訣〈古穴反ワカル〉

〔伊呂波字類抄〕

〈和/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 別〈ワカレ〉 離〈同上〉

〔倭訓栞〕

〈前編四十二/和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 わかれ 分別をよめり、神代口訣に我彼の義といへり、歌に戀の別あり、旅の別あり、哀の別あり、唯別路といへば旅にきこゆ、新勅撰集にたゞ一首戀によめり、

〔古今和歌集〕

〈八/離別〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 あふさかにて、人をわかれける(○○○○○○○)時によめる、 なにはのよろづを
相坂の關しまさしき物ならばあかずわかるゝ君をとゞめよ

〔松の落葉〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 人をわかる、女のあへる、
ふるき歌集の詞がきに、人をわかるといへるは、みづからは、とゞまりて、人のわかれゆくをりのことなり、さるからに人にといはず、古今集に、あふ坂にて人をわかれける時によめる、あふ坂の關しまさしきものならばあかずわかるゝ君をとゞめよ、又おとは山のほとりにて、人を わかるとてよめる、おとは山木だかく鳴てほとゝぎす君がわかれををしむべらなり、とあるを見るべし、君をとゞめよ、君がわかれをといへる、みな人のわかれゆくさまなり、

生別/死別

〔南總里見八犬傳〕

〈三輯三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 第廿五回〈情を含て濱路憂苦を訟ふ、奸を吿て額藏主家に還る、〉
濱路は瞼泣腫し、闇きかたより見かへれど、涙に霞む狹山形紙張の壁に、身をよせて、おのが臥房に泣にゆく、現悲しきは死別(○○)より生別(○○)にますものなし、

〔殉難前草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 梅田源治郎定明
妻臥病床兒呼飢、一身立欲戎夷、今朝死別(○○)兼生別(○○)、唯有皇天后土知

吿別

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422是素戔鳴尊請曰、吾今奉敎將根國、故欲暫向高天原姉相見而後永退矣、勅許之、乃昇詣之於天也、

〔平家物語〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 忠のりの都おちの事
薩摩のかみたゞのりは、いづくよりか歸られたりけん、さぶらひ五騎、わらは一人、我身ともにひたかぶと七騎取て返し、五條の三位俊成の卿のもとにおはして見給へば、門戸を閉てひちかず、〈○中略〉俊成の卿、其人ならばくるしかるまじ、あけて入申せとて、門をあけてたいめん有けり、事のていなにとなう物あはれ也、〈○中略〉さつまのかみ〈○中略〉さちばいとま申し(○○○○○)てとて、馬に打乘り、かぶとのををしめて、西をさしてぞあゆませ給ふ、三位うしろをはるかに見をくつて立れたれば、ただのりのこゑとおぼしくて、前途程遠、思ひを雁山の夕の雲に馳と、高らかに口ずさみ給へば、俊成の卿も、いとゞあはれにおぼえて、なみだををさへて入給ひぬ、

〔源平盛衰記〕

〈三十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 東國兵馬汰幷佐々木賜生唼附象王太子事
近江國住人、佐々木四郎高綱、佐殿〈○源賴朝〉ノ館ニ早參シテ、所存アル體ト覺ヘタリ、兵衞佐宣ケルハ、如何御邊ハ、此間ハ近江ニ在國ト聞ハ、志アラバ軍兵上洛ニ付テ、京ヘゾ上給ハンズラント相存 ルニ、イツ下向ゾト問給、高綱申ケルハ、其事ニ侍リ、去年〈○嘉永二年〉十月ノ比ヨリ、江州佐々木庄ニ居住ノ處ニ、斯ル騷動ト承レバ、誠ニ近キニ付テ、京ヘコソ打上ルベキニ、軍ノ習命ヲ君ニ奉テ、戰場ニ罷出ル事ナレバ、再歸參スベシト存ベキニ非、今一度見參ニモ入、御暇ヲモ申サン爲、又イヅクノ討手ニ向へ共、慥ノ仰ヲモ蒙ラン料ニ、正月五日ノ卯刻ニ、佐々木ノ館ヲ打出テ、三箇日ノ程ニ、鎌倉ニ下著シ侍シ、且ハ下向セズシテ自由ノ京上モ其恐アリト存、旁ノ所存ニヨリテ罷下レリ、〈○中略〉ト申、〈○下略〉

〔太平記〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 正行參吉野
京勢如雲霞、淀八幡ニ著ヌト聞ヘシカバ、楠帶刀正行、舍弟正時一族打連テ、十二月〈○正平四年〉廿七日、芳野ノ皇居ニ參ジ、四條中納言隆資ヲ以テ申ケルハ、〈○中略〉有待ノ身思フニ任セヌ習ニテ、病ニ犯サレ早世仕事候ナバ、只君ノ御爲ニハ不忠ノ身ト成、父ノ爲ニハ不孝ノ子ト可成ニテ候間、今度師直師泰ニ懸合、身命ヲ盡シ合戰仕テ、彼等ガ頭ヲ正行ガ手ニ懸テ取候歟、正行正時ガ首ヲ彼等ニ被取候カ、其二ノ中ニ戰ノ雌雄ヲ可決ニテ候ヘバ、今生ニテ今一度君ノ龍顏ヲ奉拜爲ニ參内仕テ候ト申シモ敢ズ、涙ヲ鎧ノ袖ニカケテ、義心其氣色ニ顯レケレバ、傳奏未奏セザル先ニ、マヅ直衣ノ袖ヲゾヌラサレケル、〈○中略〉正行頭ヲ地ニ著テ、兎角ノ勅答ニ不及、只是ヲ最期ノ參内也ト思定テ退出ス、正行、正時、和田新發意、含弟新兵衞、同紀六左衞門子息二人、野田四郎子息二人、楠將https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 、西河子息關地良圓以下、今度ノ軍ニ一足モ不引、一處ニテ討死セント約束シタリケル兵、百四十三人、先皇〈○後醍醐〉ノ御廟ニ參テ、今度ノ軍難義ナラバ、討死仕ベキ暇ヲ申テ、〈○下略〉

〔加藤家傳淸正公行狀〕

〈奇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 天正二十年正月五日、秀吉公朝鮮國征伐ノ陣觸アリ、〈○中略〉正月廿六日、吉方ナレバ玉名郡船林ニテ勢汰ヲシ、二月朔日諸軍ヲ率ヒテ、隈本鎭守八幡宮ニ社參シ、〈○中略〉翌二日、瑞龍院ニ詣デヽ祖先ノ靈ヲ祭リ、隈本ヲ發シテ大坂ニ到ル、 ○按ズルニ、吿別ノ爲ニ墓參スル事ハ、禮式部冢墓篇ニ載セタリ、

〔正心誠意〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 文久三年六月十五日、申半刻、公董朝臣入來爲暇乞(○○)、表向名目爲https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 察使、被賞長州也、但西國大名不振興輩、可引立仰、奉勅下向之上ハ、抛身命叡念可張行決心、再會不量由被述之、感涙難止、今日御暇參内、天氣殊御厚情、賜天盃、又賜眞御太刀、〈備前長船政光菊桐造、文化御卽位大樹還納、〉眞御馬、〈阿州所獻之中也、被移鞍、龜井所獻也、〉被叡慮之條、深以忝畏之旨、彌以可盡力由被示、共感泣了、卽罷歸、

惜別

〔日本書紀〕

〈十五/仁賢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 六年九月壬子、遣日鷹吉士使高麗巧手者、是秋、日鷹吉士被遣後、有女人難波御津、哭之曰、於母亦兄、於吾亦兄、弱草吾夫何怜矣、〈○註略〉哭聲甚哀、令人斷腸、菱城邑人鹿父、〈鹿父人名也、俗呼父爲柯曾、〉聞而向前曰、何哭之哀、甚若此乎、女人答曰、秋䓗之轉雙(アキヾノイヤフタ)〈雙重也〉納可(コモリヲ)思(オモフ)帷矣、鹿父曰諾、卽知言矣、有同伴者、不其意、問曰、何以知乎、答曰、難波玉作部鯽魚女、〈言鯽魚女此云浮儺謎、〉嫁於韓白水郎https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00232.gif 、〈○註略〉生哭女、哭女〈言哭女此云儺倶謎〉嫁於住道人山寸、生飽田女、韓白水https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00232.gif其女哭女、曾旣倶死、住道人山寸、上姧玉作部鯽魚女麁寸、麁寸娶飽田女、於是麁寸從日鷹吉士向高麗、由是其妻飽田女、徘徊顧戀、失緖傷心、哭聲尤切、令人腸斷

〔萬葉集〕

〈五/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 大伴佐提比古郎子、特被朝命、奉使藩國棹言歸、稍赴蒼波、妾也松浦、〈佐用https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02094.gif 面〉嗟此別易、歎 彼會難、卽登高山之嶺、遙望離去之船、悵然斷肝、黯然銷魂、遂脱領巾之、傍者莫涕、因號此 山領巾麾之嶺也、乃作歌曰、
得保都必等(トホツヒト)、麻通良佐用比米(マツラサヨヒメ)、都麻胡非爾(ツマゴヒニ)、比例布利之用利(ヒレフリシヨリ)、於返流夜麻能奈(オヘルヤマノナ)、

〔肥前風土記〕

〈松浦郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 褶振峯〈在郡東、峯冢名曰褶振峯、〉
大伴狹手彦連、發船渡任那之時、弟日姫子、登此用褶振招、因名褶振峯、〈○下略〉

〔萬葉集〕

〈二/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 柿本朝臣人麿、從石見國妻上來時歌二首幷短歌
石見乃海(イハミノミ)、角乃浦回乎(ツヌノウラマヲ)、浦無等(ウラナシト)、人社見良目(ヒトコソミラメ)、滷無等(カタナシト)、人社見良目(ヒトコソミラメ)、吉咲八師(ヨシエヤシ)、浦者無友(ウラハナクトモ)、縱畫屋師(ヨシエヤシ)、滷者無(カタハナク) 鞆(トモ)、鯨魚取(イサナトリ)、海邊乎指而(ウナビヲサシテ)、和多豆乃(ニギタヅノ)、荒磯乃上爾(アライソノウヘニ)、香靑生(カアヲナル)、玉藻息津藻(タマモオキツモ)、朝羽振(アサハフル)、風社依米(カゼコソヨセメ)、夕羽振(ユフハフル)、浪社來緣(ナミコソキヨル)、浪之共(ナミノムタ)、彼緣此(カヨリカク)、依玉藻成依(ヨリタマモナスヨリ)、宿之妹乎(ネシイヲモ)、露霜乃(ツユシモノ)、置而之來者(オキテシクレバ)、此道乃(コノミチノ)、八十隈毎(ヤソクマゴト)、萬段(ニヨロヅタ)、顧爲騰(ビカヘリミスレド)、彌遠爾(イホトホニ)、里者放奴(サトハサカリヌ)、益高爾(マシタカニ)、山毛越來奴(ヤマモコエキヌ)、夏草之(ナツクサノ)、念之奈要而(オセヒシナエテ)、志怒布良武(シヌブラム)、妹之門將見(イモガカドミム)、靡此山(ナビケコノヤマ)、
反歌
石見乃也(イハミノヤ)、高角山之(タカツノヤマノ)、木際從(コノマヨリ)、我振袖乎(ワガフルソデヲ)、妹見都良武香(イモミツラムカ)、
小竹之葉者(ササノハハ)、三山毛淸爾(ミヤマモサヤニ)、亂友(ミタレトモ)、吾者妹思(ワレハイモオモフ)、別來禮婆(ワカレキヌレバ)、〈○中略〉
柿本朝臣人麿妻依羅娘子、與人麿相別歌一首、
勿念跡(オモフナト)、君者雖言(キミハイフトモ)、相時(アハントキ)、何時跡知而加(イツトシリテカ)、吾不戀有牟(ワガコヒザラム)、

〔萬葉集〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425防人悲別之情歌一首幷短歌
大王乃(オホキミノ)、麻氣乃麻爾麻爾(マケノマニマニ)、島守爾(サキモリニ)、我我多知久禮婆(ワガタチクレバ)、波々蘇婆能(ハヽソバノ)、波々能美許等波(ハヽノミコトハ)、美母乃須蘇(ミモノスソ)、都美安氣可伎奈泥(ツミアゲカキナデ)、知知能未乃(チヽノミノ)、知々能美許等波(チヽノミコトハ)、多久頭怒能(タクヅヌノ)、之良比氣乃宇倍由(シラヒゲノウヘユ)、奈美太多利(ナミダヽリ)、奈氣伎乃多婆久(ナゲキノタハク)、可胡自母乃(カコジモノ)、多太比等里之氐(タヾヒトリシテ)、安佐刀泥乃(アサトデノ)、可奈之伎吾子(カナシキワガコ)、安良多麻乃(アラタマノ)、等之能乎奈我久(トシノヲナガク)、安比美受波(アヒミズバ)、古非之久安流倍之(コヒシクアツベシ)、今日太仁母(ケフダニモ)、許等騰比勢武等(コトトヒセムト)、乎之美都々(ヲシミツヽ)、可奈之備伊麻世(カナシビイマセ)、若草之(ワカクサノ)、都麻母古騰母毛(ツマモコドモヽ)、乎知己知爾(ヲチコチニ)、左波爾可久美爲(サハニカクミ井)、春鳥乃己惠乃佐麻欲比(ウグヒスノコエノサマヨヒ)、之路多倍乃(シロタヘノ)、蘇泥奈伎奴良之(ゾデナキヌラシ)、多豆佐波里(タヅサハリ)、和可禮加氐爾等(ワカレガテニト)、比伎等騰米(ヒキトヾメ)、之多比之毛能乎(シタヒシモノヲ)、天皇乃(スメロギノ)、美許等可之古美(ミコトカシコミ)、多麻保己乃(タマボコノ)、美知爾出立(ミチニイデタチ)、乎可之佐伎(ヲカシサキ)、伊多牟流其等爾(イタムルゴトニ)、與呂頭多比(ヨロヅタビ)、可弊里見之都追(カヘリミシツヽ)、波呂波呂爾(ハロバロニ)、和可禮之久禮婆(ワカレシクレバ)、於毛布蘇良(オモフソラ)、夜須久母安良受(ヤスクモアラズ)、古布流蘇良(コフルソラ)、久流之伎毛乃乎(クルシキモノヲ)、宇都世美乃(ウツセミノ)、與能比等奈禮婆(ヨノヒトナレバ)、多麻伎波流(タマキハル)、伊能知母之良受(イノチモシラズ)、海原乃(ウナバラノ)、可之古伎美知乎(カシコキミチヲ)、之麻豆多比(シマヅタヒ)、伊己藝和多利氐(イコギワタリテ)、安里米具利(アリメグリ)、和我久流麻泥爾(ワガクルマデニ)、多比良氣久(タヒラケク)、於夜波伊麻佐禰(オヤハイマサネ)、都々美奈久(ツヽミナク)、都麻波麻多世等(ツマハマタセト)、須美乃延能(スミノエノ)、安我須賣可未爾(アガスメカミニ)、奴佐麻都利(ヌサマツリ)、伊能里麻宇之氐(イノリマウシテ)、奈爾波都爾(ナニハヅニ)、船乎宇氣須惠(フネヲウケスエ)、夜蘇加奴伎(ヤソカヌキ)、可古登々能倍氐(カコトヽノヘテ)、安佐婢良伎(アサビラキ)、和波己藝(ワハコギ) 泥奴等(デヌト)、伊弊爾都氣己曾(イヘニツケコソ)、
反歌
伊弊妣等乃(イヘビトノ)、伊波倍爾可安良牟(イハヘニカアラム)、多比良氣久(タヒラケク)、布奈泥波之奴等(フナデハシヌト)、於夜爾麻宇佐禰(オヤニマウサネ)、〈○中略〉
二月〈○天平勝寶七歲〉二十三日、兵部少輔大伴宿禰家持、

〔大鏡〕

〈二/左大臣時平〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 右大臣〈○菅原道眞〉の御ためによからぬ事いできて、昌泰四年正月廿九日、太宰權帥になしたてまつりてながされ給ふ、このおとゞの子どもあまたおはせしに、をんなきんだちはむこどりし、おとこ君だちは、みなほど〳〵につけて、位どもおはせしを、それもみなかた〴〵にながされ給ひてかなしきに、おさなくおはしけるおとこ君、をんな君だち、したひなきておはしければ、ちいさきはあへなんと、おほやけもゆるさしめ給ひしかば、ともにゐてくだり給ひしぞかし、〈○下略〉

〔古今和歌集〕

〈九/羈旅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 あづまへまかりける道にてよめる つらゆき
いとによる物ならなくに別ぢの心ぼそくもおもほゆる哉

〔拾遺和歌集〕

〈六/別〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 源公貞が、大隅へまかりくだりけるに、せきとの院にて、月のあかゝりけるに、わかれおしみ侍て、 平兼盛
はるかなる旅の空にもをくれねばうらやましきは秋の夜の月

〔太平記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 長崎新左衞門尉意見事附阿新殿事
去年〈○元德二年〉ヨリ佐渡國へ、流サレテヲハスル、資朝卿〈○日野〉ヲ斬奉ベシト、其國守護本間山城入道ニ被下知、此事京都ニ聞ヘケレバ、此資朝乎息國光中納言、其比ハ阿新殿トテ、歲十三ニテヲハシケルガ、父卿召人ニ成給シヨリ、仁和寺邊ニ隱テ居ラレケルガ、父誅セラレ給ベキ由ヲ聞テ、今ハ何事ニカ命ヲ惜ベキ、父ト共ニ斬レテ、冥途旅伴ヲモシ、又最後御有樣ヲモ見奉ベシトテ、母ニ御 暇ヲゾ乞レケル、母御頻ニ諫テ、佐渡トヤランハ、人モ通ヌ怖シキ島トコソ聞ユレ、日數ヲ經道ナレバ、イカントシテカ下ベキ、其上汝ニサへ離テハ、一日片時モ命存ベシトモ覺ヘズト、泣悲テ止ケレバ、ヨシヤ伴ヒ行人ナクバ、何ナル淵瀨ニモ身ヲ投テ、死ナント申ケル間、母痛ク止バ、又目ノ前ニ憂別モ、有ヌベシト思侘テ、力ナク今マデ只一人付副タル中間ヲ、相ソヘラレテ、遙々ト佐渡國ヘゾ下ケル、

〔落穗集〕

〈前編九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 右十七日〈○慶長五年六月〉の夜に入、鳥居元忠被申上儀有之、御前〈○德川家康〉へ出られ御用相濟候以後、今度當城〈○伏見〉の御留守居人數少にて、一入苦身可致旨仰有ければ、元忠被申上候は、乍恐私儀は、左樣には存不申候、今度會津御發向の儀は、御大切の儀にも有之候得ば、一騎一人も御人多に被召連然奉存候、然者彌次右衞門主殿儀も御供にめしつれられ、當城の儀は、私御本丸の御留守居を相勤、五左衞門など、外廓の〆りをさへ申付候はゞ、事濟可申樣に奉存候旨、被申上候得ば、重て御意被遊候は、今度四人の面々を以、留守居と有之さへ、人少にて如何と思ふに、其方は人多と申は、何を以左樣には申ぞと、御尋有ければ、彦右衞門被申上けるは、今度會津表江被御發向候御留守に於て、只今の通世上無事にさへ有之候はゞ、私五左衞門兩人にて、御留守の御用は相足り可申候、若又御下向の御跡に於て、世の變も出來、當城を敵方より攻圍み申と有之に至候ては、近國に後詰加勢を請申べき御昧方とても、無御座候得ば、たとへ只今の御人數の上に五倍七倍の御人數を殘し置れ候ても、此御城を堅固に相守申儀の可罷成儀にては無御座候、然れば、御入用の御人數を、當城江被相殘とあるは、御不益の樣に、私式は奉存と被申上ければ、其以後は兎角の仰も無御座、以前駿府宮ケ崎に被御座候節、御前には御十一歲に被成、彦右衞門は十三歲にて、始て岡崎より御奉公に被參候節の儀など被仰出、御雜談の中に、夜も更候に付、彦右衞門被申上候は、明日は定て早く御立可遊候、短夜にも御座候間、最早御寢成被遊可然と申 上、立ざまに先程も申上候通、會津御發向の御留守中、上方筋別儀も無御座候はゞ、又々御目見可申上候、萬一の儀も有之候はゞ、もはや是が今生の御暇乞にてもと申て、御前を立れ候節、長座ゆへ立兼候を被御覽、御兒小姓衆を被召、彦右衞門が手を引と被抑付候とや、其節御納戸役の衆、御前へ被出候得ば、御袖にて御涙を御拭遊され、被御座候故、暫ク指扣、其後被罷出候とや、

雜載

〔三代實錄〕

〈二十一/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 貞觀十四年五月廿五日甲午、勅遣參議右大辨從四位上兼行讃岐守藤原朝臣家宗、從四位上行右近衞中將兼阿波守源朝臣與、從六位下守大内記大江朝臣公幹於鴻臚館、賜勅書、〈○中略〉是日、領歸郷客使多治眞人守善等引客徒館、大使楊成規跪言、成規等覲聘〈○聘原作躬、據類樂國史改、〉禮畢歸本士去、今差天使令其領送、成規等、瞻望丹闕、涕泗盈矜、仰戀之誠、中心無限、臨別掌客使都良香、相遮館門、擧觴而進、

〔吉野樂書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 一仙遊霞ハ齋宮ノ伊勢へ下給トテ、勢多橋ニテスル樂ナレバ、人ノ別レナドノ時ニハスベカラズ、齋宮下リ玉フトキハ、又都へ歸リ給ナト云コト有、此故ニ櫛モワカルヽ人ニハトラセズ、
○按ズルニ、齋宮別ノ櫛ノ事ハ、尚ホ器用部容飾具櫛條ニ在リ、


Last-modified: 2020-06-12 (金) 09:35:15 (104d)