https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 驕慢ハ、ホコル、又ハヲゴルト云フ、縱恣ニシテ自ラ賢トスルヲ謂フナリ、而シタ帝戚ノ驕傲ナリシ事ハ、帝王部外戚篇ニ載セタリ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈一/人〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 傲〈五到反 ホコル 慠或 ヲコル〉 倨〈居音、居去反、 ヲコル ホコル〉

〔同〕

〈九/馬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02114.gif 驕〈俗今正 音橋オコル〉

〔伊呂波字類抄〕

〈於/人事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 倨〈倨慠〉 蹻〈同○ヲコル〉 夸〈同〉 傲〈同〉 慢 驕〈已上同〉

〔同〕

〈加/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 傲憍(カウケウ/ヲコリヲコル)

〔同〕

〈計/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 憍 慢 憍恣

〔書言字考節用集〕

〈八/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 夸(ヲゴル) 驕(同) 高慢(カウマン)〈輔行記、自矜曰高、凌他曰慢、〉

〔同〕

〈九/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 慢心(マンジン)〈法界次第、自特輕他之心曰慢、〉 憍慢(ケウマン) 自慢(ジマン) 自滿(同)〈尚書〉

〔倭訓栞〕

〈前編五/乎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 をごる〈○中略〉 老子經に、自敖者不長、注に不長不久也と見ゆ、俗にをごるもの久しからずといふ、是なり、

驕慢例

〔日本書紀〕

〈十七/繼體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 二十一年六月甲午、近江毛野臣、率衆六萬、欲任那、爲復興建新羅所破南加羅(アリヒシノカラ)、㖨己呑(トクコトン)任那、於是筑紫國造磐井、陰謨叛逆、猶豫經年、恐事難一レ成、恒伺間隙、新羅知是、密行貨賂子磐井所、而勸遏毛野臣軍、於是磐井、掩據火豐二國、勿使修職、外邀海路、誘致高麗、百濟、新羅、任那等國年貢職船、内遮任那毛野臣軍、亂語揚言曰、今爲使者、昔爲吾伴、摩肩觸肘、共器同食、守得卒爾爲一レ使、俾余自伏儞前、遂戰而不受、驕而自矜、是以毛野臣、乃見遏中途淹滯、〈○下略〉

〔釋日本紀〕

〈十三/述義〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 筑紫國造磐井
筑後國風土記曰、上妻縣、縣南二里、有筑紫君磐井之墓墳、高七丈、周六丈、墓田南北各六十丈、東西各四十丈、石人石盾各六十枚、交陳成行、周匝四面、當東北角一別區、號曰衞頭、〈衞頭致政炊所也〉其中有一石人、假容立地、號曰解部、前有一人、裸形伏地、號曰偷人、〈生爲猪仍樹決羅〉側有石猪四頭、號贓物、〈贓物盜物也〉彼處亦有石馬三疋、石殿三間、石藏二間、古老傳云、賞雄大迹天皇〈○繼體〉之世、筑紫鴦磐井、豪强暴虐、不優皇風、生平之時、預造此墓、俄而官軍動發、欲襲之間、知勢不一レ勝、獨自遁于豐前國上膳縣、終于南山峻嶺之曲、於是官軍追尋失蹤、士怒未泄、擊折石人之手、打墮石馬之頭、古老傳云、上妻縣多有篤疾、蓋由玆歟、

〔日本後紀〕

〈二十/嵯哦〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 弘仁元年九月戊申、是夜令左近衞將https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 紀朝臣淸成、右近衞將曹住吉朝臣豐繼等、射 殺仲成於禁所、仲成者、〈○中略〉性狼抗使酒、或昭穆无次、忤於心掣蹶、及乎女弟藥子專一レ朝、假威益驕、王公宿德、多見凌辱、〈○下略〉

〔將門記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 將門名曰新皇、〈○中略〉于時新皇舍弟將平等、竊擧新皇云、夫帝王之業、非智競、復非力爭、自昔至今經天緯地之君、纂業承基之王、此尤蒼天之所與也、何慥不權議、恐有物譏於後代、努力努力、于時新皇勅云、武弓之術、旣助兩朝、遂箭之功、且救短命、將門苟揚兵名於坂東、振合戰於花夷、今世之人必以擊勝君、縱非我朝、僉在人國、如去延長年中大赦契王、以正月一日、討取渤海國、改東丹國領掌也、盍以力虜領哉、加以衆力之上、戰討經功也、欲山之心不憚、欲巖之力不弱、勝鬪之念、可高祖之軍、凡領八國之程、一朝之軍攻來者、足柄碓水固二關、當坂東、然則汝曹所申、甚迂誕也者、各蒙叱罷去也、且縱容之次、内竪伊和員經謹言、有爭臣則君不不義、若不此事者、有國家之危、所謂違天則有殃、背王則蒙嘖、願新天信耆婆之諫、全賜維悉之天裁者、新皇勅曰、能才依人爲https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02115.gif 、就人爲喜、口出此言、不駟馬、所以出言無遂哉、略敗議、汝曹无心甚也者、員經卷舌鉗口、默而閑居、昔如秦皇燒書埋一レ儒、敢不諫矣、

〔春記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 長久元年六月廿九日壬子、未時許參關白殿〈○藤原賴通〉破物忌也、爲申戒壇之綸旨也、或人云、只沐浴幷洗頭給之、東宮大夫參入、不相謁退出、予〈○藤原資房〉以右兵衞督隆國卿、但此卿煩日者不食之病、平愈之後、今日初參者、令申參入之由、〈不也〉返報云、頭洗之間、不相遇、今明可來者、太奇恠事也、巳奉勅之使何稱故障哉、謂天道何可目之代也、

〔古事談〕

〈一/王道后宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 宇治殿〈○藤原賴通〉建立平等院、宇縣邊多寺領ニ被打入云々、後三條院聞此事爭恣ナル事有哉トテ、遣官使撿注之由、被仰下ケリ、宇治殿聞召其由、平等院大門前ニ錦平張ナド打テ、種々儲ドモ用意シテ雖官使、官使成恐不參向止畢ト云々、

〔平治物語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 信賴信西不快事 爰ニ近來權中納言兼中宮權大夫右衞門督藤原朝臣信賴卿ト云人アリキ、〈○中略〉父祖ハ諸國ノ受領ヲノミ經テ、年闌ケ齡傾テ後、僅ニ從三位迄コソ到リシカ、是ハ近衞司、藏人頭、后宮宮司、宰相中將、衞府督、撿非違使別當、此等ヲ僅二三箇年ノ間ニ經昇リテ、年二十七ニシテ、中納言右衞門督ニイタレリ、一ノ人ノ家嫡ナドコソ、加樣ノ昇進ハシ給ニ、凡人ニ於テハ未ダ如此ノ例ヲ不聞、又、官途ノ身ニアラズ、奉祿モ猶心ノ儘也、角ノミ過分也シカ共、猶不足シテ家ニ絶テ久キ大臣大將ニ望ヲカケテ、凡ヲホケナキ擧動ヲノミシケリ、去バ見ル人目ヲフサギ、聞者耳ヲ驚ス、微子瑕ニモスギ、安祿山ニモ超タリ、餘桃ノ罪ヲモ不恐、只榮花ノ恩ニゾ誇ケル、

〔今昔物語〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 源賴信朝臣責平忠恒語第九
今昔、河内守源賴信朝臣ト云者有リ、〈○中略〉賴信常陸守ニ成テ、其國ニ下リ有ケル間、下總國ニ平忠恒ト云フ兵有ケリ、私ノ勢力極テ大キニシテ、上總下總ヲ皆我マヽニ進退シテ、公事ヲモ事ニモ不爲リケリ、亦常陸守ノ仰スル事ヲモ、事ニ觸レテ忽諸ニシケリ、〈○下略〉

〔源平盛衰記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 淸盛捕化鳥幷一族官位昇進事附禿童幷王莽事
淸盛我身ノ榮花ヲキハムルノミニ非、子孫ノ繁昌ハ龍ノ雲ニ昇ルヨリモ速也、男ハ各誇官職、女子ハ取々ニ幸シケリ、長男重盛内大臣ノ左大將、二男宗盛中納言ノ右大將、三男知盛三位中將、嫡孫維盛四位少將、家門ノ繁昌子孫ノ榮花、類モナク例モナク、凡一門ノ卿相雲客、諸國ノ受領、衞府諸司、總ジテ六十餘人ナリ、百官旣ニ半ニ過ギタリ、世ニハ又人ナシト見エタリ、〈○中略〉世ニハ不敵ノモノモアリケリ、入道ノ宿所六波羅ノ門前ニ札ヲ書テ立タリケルハ、
伊豫讃岐左右ノ大將カキコメテ欲ノ方ニハ一ノ人カナ

〔百練抄〕

〈八/高倉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 治承三年十一月十五日、世間嗷々、武士滿洛中、入道大相國、〈○平淸盛〉奉公家、率一族向鎭西之由風聞、上皇〈○後白河〉以法印靜賢、自今以後、万機不御口入之由、被遣之、 廿日、太上法 皇渡御鳥羽殿、非尋常議、入道大相國、押申行之、成範脩範等卿、法印靜賢、女房兩三之外不參入、閉門戸人、武士奉護之、 廿一日、前大夫判官大江遠業自害、縱火於宅、備後前司爲行、上總前司爲保、被首、皆是上皇殊召仕之輩也、廳年預宗家、入道相國被取之、爲御領目六云々、

〔源平盛衰記〕

〈三十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 法皇御歎幷木曾縱逸附四十九人止官職
木曾ハ法住寺殿ノ軍ニ打勝テ、万事思サマナレバ、今井、樋口、已下ノ兵共召集テ、ヤヽ殿原、今ハ義仲何ニ成トモ我心也、國王ニナラソトモ、院ニナラン共、心ナルベシ、公卿殿上人ニナラント、思ハン人々ハ、所望スベシ、乞ニヨリテスベシナド、云ヒケルコソ淺猿ケレ、先我身ノナラン樣ヲ思煩フタリ、國王ニナラントスレバ、少キ童也、若ク成事ハ叶マジ、院ニナラントスレバ、老法師也、今更入道スベキニモ非ズ、攝政コソ年ノ程モ事ノ樣モ成ヌベキ者ヨ、今ハ攝政殿トイへ、殿原ト云、今井四郎ヨニ惡ク思ヒテ、攝政殿ト申進スルハ、大織冠ノ御末、藤原氏ノ人コソスル事ニテ候へ、二條殿、九條殿、近衞殿ナド申ハ、彼藤原氏ノ御子孫也、殿ハ源氏ノ最中ニ御座、タヤスクモ左樣ノ事宣テ、春日大明神ノ罰蒙リ給フナト云、サテハ何ニカ成ベキト、暫ク案ジテ、ヨキ事アリ、院ノ御厩ノ別當ニ成テ、思フサマニ馬取ノランモ所得也、トテ、押テ別當ニ成テケリ、廿一肆ニ攝政ヲ奉止基通ノ御事也、近衞殿ト申、其代ニ松殿基房御子ニ、權大納言師家ノ十三ニ成給ケルヲ、内大臣ニ奉成、軈攝政ノ詔書ヲ被下ケリ、折節大臣ノ闕ナカリケレバ、後德大寺左大將實定ノ、内大臣ニテ座シケルヲ、暫借テ成給フ、時人昔コソカルノ大臣ハ有シニ、今モカルノ大臣オハシケリトゾ笑ケル、加樣ノ事ハ、大宮大相國伊通コソ宣ヒシニ、其人オハセネ共、又申ス人モ有ケリ、木曾近衞殿ヲ奉止テ、師家ヲナシ奉ケル事ハ、松殿最愛ノ御女ニシテ、形イト嚴ク御座ケルヲ、女御后ニモト御勞リ有ケルニ、美人ノ由傳聞テ、木曾推テ御聟ニ成タリケル故ニ、御兄公トテ角計ヒナシ進セケルトゾ聞エシ、淺增キ事共也、廿八日、三條中納言朝方卿以下、文官武官、諸國ノ受領、都合四十九 人、官職ヲ止ム、其内ニ公卿五人トゾ聞エシ、僧ニハ權少僧都範玄、法勝寺執行安能モ、所帶ヲ被沒官キ、平家ハ四十二人ヲ解官シタリシニ、木曾ハ四十九人ノ官職ヲ止ム、平家ノ惡行ニハ超過セリトゾツブヤキケル、

〔太平記〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 執事兄弟奢侈事
越後守師泰〈○高〉ガ惡行ヲ傳聞コソ不思議ナレ、東山ノ枝橋ト云所ニ、山庄ヲ造ラントテ、此地ノ主ヲ誰ゾト問ニ、北野ノ長者菅宰相在登卿ノ領知也ト申ケレバ、軈テ使者ヲ立、此所ヲ可給由ヲ所望シケルニ、菅三位使ニ對面シテ、枝橋ノ事、御山庄ノ爲ニ承候上ハ、子細アルマジキニテ候、但當家ノ父祖代々此地ニ墳墓ヲトテ五輪ヲ立、御經ヲ奉納シタル地ニテ候ヘバ、彼墓ジルシヲ他所へ移シ候ハン程ハ、御待候ベシトゾ、返事ヲシタリケル、師泰是ヲ聞テ、何條其人惜マンズル爲ニゾ、左樣ノ返事ヲバ申ラン、只其墓共皆堀崩シテ捨ヨトテ、軈テ人夫ヲ五六百人遣テ、山ヲ崩シ木ヲ伐捨テ地ヲ曳ニ、壘々タル五輪ノ下ニ、苔ニ朽タル尸アリ、或ハ芋々タル斷碑ノ上、雨ニ消タル名モアリ、靑塚忽ニ破テ、白楊已ニ枯ヌレバ、旅魂幽靈何クニカ吟フラント哀也、是ヲ見テ如何ナルシレ者カ仕タリケン、一首ノ歌ヲ書テ、引土ノ上ニゾ立タリケル、
無人ノシルシノ率都婆堀棄テ墓ナカリケル家作哉、越後守此落書ヲ見テ、是ハ何樣菅三位ガ所行ト覺ルゾ、當座ノ口論ニ事ヲ寄テ差殺セトテ、大覺寺殿ノ御寵愛ノ童ニ、吾護殿ト云ケル大力ノ兒ヲ語テ、無是非菅三位ヲ殺サセケルコソ不便ナレ、

〔先哲叢談〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 野中止、字良繼、小字傳右衞門、號兼山、土佐人、世仕國侯
兼山性嚴毅、其行政也、峻法無貸、其友小倉三省毎諫曰、古之功臣、善終而福祿及子孫者、皆德量寬大垂仁布惠、若夫嚴刑重罰、雖一時爲一レ効、其積怨畜禍、亦未自全者、吾子熟慮之、兼山以爲善言、然終不改、三省沒之後、彈劾益多、驕奢日長、由是怨議紛起、遂與諸大夫隙、無何貶黜、尋病沒、或云、賜死、盡 沒入其家、方將祠堂、威靈忽見、無敢近者云、

戒驕慢

〔本朝文粹〕

〈十二/銘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 座左銘〈幷序〉 前中書王〈○兼明、中略、〉
貧而莫志、富而莫人、

〔十訓抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635憍慢
或人いはく、世にある皆憍慢を先として、よく穩便なるは少し、あるひは自由の方にてをだやかならず、是我涯分をはからず、さしもなき身をたかくおもひあげて、主をかろんじ、傍輩をもさくる、或は偏執の方にてかたくな也、是は我思ひたる事をいみじくして、人のいふ事を用ざるなり、あるひは世にかはれるふるまひあり、是はむかしをのみいみじとおもひて、今の世にしたがはぬなり、或は折節に又鳴呼あり、是は内によくなれにしかばとおもひて、晴に出て人をならし、もしはうちとけ遊所にさし入て、我いまだみだれぬまゝに、ことうるはしくひもさしかためて、人をしらかし、其座をさますなり、あるひは才能に付てそしり有、これは物を知、才のあつきによりて、ようづの人をあなづるなり、あるひは愛著についてをろかなり、是は我主より外、めでたき人なし、我妻子ばかりこゝろばせたらひたるものは、あらじとおもふなり、或はすきに付て咲らるる事もあり、是はむかしの人はことに心もすきて、花月いたづらに過さゞりけり、今は時代あらたまりて、おもしろき事もさるほどにて、それにしみかへりては、など心一やりて、人めにあまる也、あるひはふるまひに付てくせあり、これは立居の有さまの名たゞしく、おこがましきなり、大かたかやうの事は、憍慢をもとゝして、心の少きよりおこれる、これによりて、つゐに生涯をうしなひ、後悔をふかくす、かゝれば假の身を吉と安じ、昔をいみじとしのび、物をおもしろしとおもふとも、人目をばはかりて、よく習をつゝしみて、心に心をまかすまじき也、さればある經には、心の師とは成とも心を師とせざれと、かゝれたるとかや、およそ貧きものゝ諂はざるはあれども、 富者の驕らざるはかたければ、皆人の習なれども、身の至て德のおもからんにつけても、よくしづまりて、をだやかなるおもひを、さきとすべし、

〔貝原篤信家訓〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 幼見須
一およそ小兒を敎育るに、〈○中略〉僞れる事、驕り肆なる事を、はやくいましめて、必ゆるすべからず、〈○下略〉

〔播磨風土記〕

〈讃容郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 彌加都岐原、難波高津宮天皇〈○仁德〉之世、伯耆加具漏、因幡邑由胡、二人大驕無節、以淸酒 洗手足、於是朝庭、以爲過度、遣狹井連佐夜 召此二人ハ爾時佐夜仍悉禁二人之族、赴參之時、屢漬水中、〈○下略〉


Last-modified: 2020-06-12 (金) 09:35:15 (104d)