p.0168 八道行成ハ、ヤサスカリト云フ、其法詳ナラズ、今ノ十六ムサシノ類ナルベシ、十六ムサシバ、又十六サスカリトモ云フ、其法十六ノ士卒、一力士ヲ中央ニ圍ミテ之ヲ攻ム、力士ハ八道ニ行キ、二子ノ間ヲ覘ヒ、直行シテ左右ヲ屠リ、遂ニ行道ニ障礙ナキニ至ルヲ以テ勝トシ、士卒ハ力士ヲ窮逐シテ、逃グルコト能ハザラシムルヲ以テ勝トス、ムサシノ一種、地上ニ大路小路ノ形ヲ畫キ、此ニ錢ヲ投ジテ輸贏ヲ爭フモノアリ、又六ムサシアリ、碁子白黑各三ヲ以テシ、九舍ヲ走リ、同士相連ナルヲ以テ勝トセリ、
牽道ハ、ミチクラベト訓ズ、或ハ八道行成ノ類ナリト云ヒ、或ハ競走ノ義ナリトモ云ヒテ詳ナラズ、今姑ク此ニ倂載ス、
p.0168 八道行成 内典云、拍毬、擲石、投壺、牽道、八道行成、一切戯笑悉不二觀作一、〈八道行成、讀二夜佐須賀利一、〉
p.0168 按、宋雷空山易圖通變所レ謂八格戯、其局不レ過下中加二十乂之文一者上蓋是、按、印本下學集、八道訓二牟佐之(ムサシ)一、今俗所レ云十六牟佐之也、上總俗呼二牟佐之一爲二佐須加利一、武藏入間郡俗、呼二 十六佐須加利、或六本佐須加利一、蓋夜佐須賀利之上略也、又聞、俄羅斯人爲二局戯一、枰上畫二口乂一、行馬夾食、略似二皇國所レ爲牟佐之一、呼曰二射須加一、然則佐須加利、蓋卽射須加、其戯傳二于西域一也、
p.0169 八道行成〈ヤサスカリ〉
p.0169 やさすかり 倭名抄に八道行成をよめり、やさすは八指の義、かりはかりうちの義、今のむさしの類にて、むさしもさすといへる也、八道行成は梵書に見えたり、
p.0169 一八道行成 和名抄雜藝具に、八道行成ノ讀、夜佐須賀利(ヤサスカリ)とあり、今も田舍にては、スカリと云、ヤサを略して云也、〈○中略〉ヤナスカリと云は、ヤススガリなるべし、ヤスは、ヤスジの略語にて、八ノ道スジを盤に畫なり、スガリは、子馬を以て親馬にスガリ迫る也、スガルと云は縋ノ字にて、繩を付て離れざるをスガルと云、是親馬を追て離れざる意にて、スガリと云也、
p.0169 和訓栞云、〈○中略〉八道行成は梵經に出たり、其名義いまだ考得ざれ共、今も十六むさしを、十六サスカリといふを思へば、八を倍したるものとは知らる、伊勢氏ヤスジの説は踈忽なり、假字の違へるに心づかざる歟、さて八道行成(ヤサスカリ)のつくりざまは、今しるべからず、游學往來に、七雙六一二五雙六云々、十六目石(ムサシ)など載するを見れば、雙六の類なる事明らかなり、
p.0169 六指(ムサシ)、十六六指(ジフロクムサシ)、指我利(サスガリ)、擲石(イシナゴ)、
さすがりは〈○中略〉八指驅(ヤサスガリ)の義なるべし、
p.0169 八道(ムサシ)
p.0169 六指(ムサシ)
p.0169 八道(ムサシ/ヤサスカリ)〈遊戯、正曰二八道行成一、出二梵綱經一、〉
p.0169 むさしといふわざ
童べのしわざに、むさしといふ物あり、五雜組といふから書に、委巷兒戯有二馬城一、不レ論二縱横一三子聯 則爲レ城、城成則飛食二人一子一、其他或夾或挑、就レ近則食レ之、不レ能二飛食一也といへるによく似たり、日本紀に城をさしと訓るところあり、韓語也、然ればむさしといふはすなはち馬城(ムマサシ)か、
p.0170 六指(ムサシ)、十六六指(ジフロクムサシ)、指我利(サスガリ)、擲石(イシナゴ)、
今世六指、また十六六指などいふは、運歩色葉集牟部に、六指ムサシと見ゆ、六方(ムミヂ)かけて指ゆゑの名なるべし、〈○中略〉六指も六指驅にて、其方(ミチ)を驅駒(カルコマ)の心にや、
p.0170 十六むさし(○○○○○)、京江戸共に、十六むさしと云、中國にてむさし(○○○)と云、上野下野邊にて十六さすがり(○○○○○○)と云、陸奧にて辨慶むさしと云、信濃にてさすがりと云、
p.0170 一八道行成 武州崎玉郡邊にてサスカリといふ、十六むさしといふ物を十六サスカリといふ、是ヤスカリ歟、〈○中略〉十六むさしをば牛追につさといふ、
p.0170 今その盤〈○十六ムサシ〉の三角なる處を牛部屋といふ、牛追ニツサの名ある故なり、
p.0170 八道行成 和名夜佐須加利、今云無佐之、
按、八道行成、不レ知二其始一、十六士卒圍二一力士於中一攻レ之、力士行二八道一覘二二子有レ間者一、直行掖二左右一屠レ之、故要二相聯一、不レ能二坐喰一、故頻逐レ之、被レ逐失二行道一、則力士斃、
p.0170 一八道行成 和名抄雜藝具に、八道讀二夜佐須賀利一とあり、今も田舍にてはすかりと云、ヤサを略して云なり、江戸にては十六ムサシと云、十六は子馬(コマ)の數十六有、親馬を除て云也、ムサシは馬指也、マとムと音相通ナリ、十六の馬を指スと云事也、將棊をサスと云に同じ、
p.0170 寶曆十三年の畫雙六、〈大坂版〉六道をジヤウロクムサシとありて、畫は辨慶が七道具をかけり、是十六むさしなり、〈○中略〉思ふに昔むさしといひしものは、十六むさしの馬の類すくなきものなるべし、
p.0170 むさし〈○中略〉 嬉戯の具にいふは、八道行成の類也、六指の義なるべし、石六ツ を用うる物也、八格戯ともいへり、
p.0171 八格戯(ムサシ)〈宋䨓空山易圖通變、兒時於二牧竪間一見二所レ謂八格戯者一、其局不レ過三口中加二十乂之文一而巳、特極厭二薄之一、以爲二至鄙至賤一、未三嘗加二之意一也、不レ謂年踰二七十一、乃知二其然一、〉
p.0171 八道行成〈○中略〉
一種有二六行成(ムサシ)一、碁子白黑各三、走二九舍一、同士三以二相連一爲レ勝、皆兒童之戯也、
p.0171 一八道行成〈○中略〉 相州鎌倉の邊にては、二ツサ(○○○)と云、二人にて三ヅヽ石を六ツ持なれば、二三といふ心歟、
p.0171 守武千句、きれ〴〵になりぬることのあはれにてむさしをさすとみゆるなりけり、鷹筑波集、善惡に二道かけてつよき人させるむさしを手詰にぞする、又二道かくる人のさいかくちはながらさせるむさしは上手にて、西鶴一代女に、子ども相手に六ツむさし(○○○○○)氣をつくすことにもなりぬとあり、馬子(コマ)六ツにてさすなるべし、二ツサと云も、二三が六なればなり、
p.0171 八道(むさし)〈わらべの地上に大路小路の形を書て、錢を投てあらそひをなすたはぶれ也、〉京の小兒、むさしと云、大坂にて、ろくと云、泉州及尾張、上野、陸奧にて、六道(ろくだう)と云、相摸又は上總にて、江戸と云、江戸の町々にたとへて云、信濃にて、八小路(やこうぢ)といふ、越後にて、六道路といふ、奧の津輕にをえどゝ云、江戸にて、きずと云、江戸田舍にて、十六といふ、
p.0171 寶曆十三年の畫雙六、〈大坂版○中略〉又陸孥(ロクド)と有て、畫は錢をかきたり、是地土に筋引てする戯なり、ロクドは六道なるを、前と同き故、あらぬ文字を書たる歟、物類稱呼に、大坂にてロクと云とある是なり、
○
p.0171 牽道 内典云、投壺、牽道、〈牽道、和名美知久良閉、〉
p.0172 按、美知久良閉、蓋謂二競走一、西宮記引二吏部王記一云、次散樂、侍臣五位六位、童部、相校走者卽是、又按、章安 槃經疏云、牽道是夾食、八道行成是塞戯、又梵網經云、樗蒲、圍碁、波羅、塞戯、彈棊、六博、拍毱、擲石、投壺、牽道、八道行城、惠因讀、牽道八道四字句、行城二字句、謂下牽道八道、八劃爲レ道、以二棊子等一隨レ道而行、故名中牽道上、卽八道也、行城以二行城之法式一、卽小兒之戯、雖二二説不一レ同、然並非二競走一、訓二牽道一爲二美知久良閉一恐誤、或曰、美知久良閉卽夾食、以二棊子一隨レ道而行、故曰二道競一、若二是説一、則牽道應レ在二彈棊八道行成之類一、而今在二相扠之下、擲倒之上一、源君以爲二競走一無レ疑也、
p.0172 牽道〈ミチクラベ〉
p.0172 牽道〈ミチクラベ〉
p.0172 八道行成(ミチクラベ)〈梵綱經〉