p.0124 彈碁ハ、タギトイフ、又イシハジキトモ云フ、其法詳ナラズ、
指石ハ、ハジキト云フ、小石又ハ小貝等十數箇ヲ撒キテ、手指ヲ以テ之ヲ彈キ合セ、當レルヲ勝トシ、當ラザルモノ、及ビ當レドモ轉ジテ他石ヲ擊ツモノヲ負トス、
p.0124 彈碁 世説云、彈碁、〈今一名指石〉始レ自二魏宮一、文帝於二此技一且好矣、
p.0124 按、老學庵筆記云、呂進伯考古圖云、古彈棋局、狀如二香爐一、蓋謂二其中隆起一也、李義山詩云、玉作二彈棋局一、中心亦不レ平、今人多不レ能レ解、以二進伯之説一觀レ之、則粗可レ見、然恨二其藝之不一レ傳也、
p.0124 彈碁(ダンギ)
p.0124 彈碁(イシハジキ)
p.0124 彈碁 彈碁始レ自レ魏、宮内裝器戯也、文帝於二此技一亦特好、用二手巾一拂レ之無レ不レ中、有レ客自云、能、帝使レ爲レ之、客著二葛一巾拂レ棊、妙踰二於帝一、
p.0125 彈棋、二人對レ局、黑白各六枚、先列レ棋相當、下呼レ上擊レ之、
p.0125 漢成帝好二蹴鞠一、劉向謂勞二人體一竭二人力一、非二至尊所一レ宜レ御、乃因二其體一作二彈棊一、則此戯其來久矣、
p.0125 抑住山之間、余吟然之遊戯爲レ宗、然者改年初月遊宴、〈○中略〉彈棊、
p.0125 たぎ 源氏に、たぎのぐなどいふは彈碁也といへり、後漢書に見ゆ、今いふはじきは遺法なるべし、物に圍碁彈碁盤なども見えたり、五雜爼に彈子之戯といへるもの石彈きなるべし、
p.0125 冀〈○統玄孫〉字伯卓、〈○中略〉性嗜レ酒、能二挽滿、彈碁(○○)、〈挽滿猶レ引レ强也、藝經曰、彈棊兩人對レ局、白黑棊各六枚、先列レ棊相當更先彈也、其局以レ石爲レ之、〉格五、六博、蹴鞠、意錢之戯一、
p.0125 彈碁之戯、世不レ傳矣、卽其局亦無レ有二識レ之者一、呂進伯謂其形似二香爐一、然中央高、四周低、與二香爐一全不レ似也、弘農楊牢六歲、咏二彈棊局一云、魁形下方天頂突、二十四寸窓中月、想其製方二尺有四寸、其中央高者獨圓耳、今閩中婦人女子、尚有二彈子之戯一、其法似二圍棋一、子五隨レ手撒二几上一、敵者用レ意去二其二一而留レ三、所レ留必隔レ遠、或相二黏一處一者、然後彈レ之必越二中子一而擊中レ之、中子不レ動則勝矣、此卽彈棊遺法、魏文帝客以二葛巾一拂、無二不レ中者一也、但無二中央高之局一耳、
p.0125 彈棊之戯、始見二西京雜記一、後漢梁冀傳注稍詳レ之、似レ近二投壺一而其製不レ傳、今人詩多以二奕棊一當レ之、可レ發二一笑一、王建宮詞云、彈碁玉指兩參差、背局臨レ虚鬥著危、先打角頭紅子落、上三金字半邊垂、讀レ之亦不レ能二通曉一也、
p.0125 なかのおとゞに、かうしんし給て、おとこ女かたわきて、石はじきし給、
p.0126 碁盤のすみに、石をたてゝはじくに、むかひなる石を守りて彈はあたらず、我手もとをよく見て、こゝなるひじりめをすぐにはじけば、たてたる石必あたる、
p.0126 今も兒戯に碁石を彈く事あり、和名抄に、指石などいへるをみれば、指にて彈くものとはしらる、
p.0126 殿上
圍碁彈棊等盤、有二臺盤所一、〈近代冬不レ置レ之、上古尋常置レ之、〉
p.0126 彈棊 按盤圖、出二北野緣記繪圖一、
p.0126 彈碁八勢
宋書ニ云ク、王敬弘、形狀短小、而坐起端方、桓玄謂二之彈碁八勢一、八勢ハ何ノ謂ナルコトヲ知ラズ、後ニ皇朝類苑ヲ檢スルニ、彈碁用二紅綠牙一作、碁上下字號二之手指一、碁局取レ勢相擊、墮多者爲レ負排レ之、上狹下寬、各八勢也、八ノ字ノ上セマク、下ヒロキガ如キ故ニ、八勢ト云フナリ、
p.0126 ごすぐろくのばんてうどたぎのぐなど、ゐ中わざにしなして、ねんずのぐおこなひつとめ給けりとみえたり、
p.0126 彈棊、〈○中略〉今日本に彈棊はなし、
p.0126 所につけたる御しつらひなど、おかしうしなして、ごすぐろく、たぎのばんどもなどとり出て、こゝろ〴〵にすさびくらし給つ、
p.0126 たぎのばん 彈碁枰、碁枰也、
p.0126 たびにたつ人のもとより、たぎのばむといひし物のありし、たまへといひたれど、 うせにければ、
いたづらにあればわが身もあるものをはなれむまとて人やとりけん
p.0127 東大寺所藏
彈棊盤〈唐木〉
長一尺三寸
横八寸
目象牙
p.0128 天承元年四月八日甲戌、御灌佛也、〈○中略〉藏人女房布施三蓋、置二碁局、單騎〈○彈碁〉盤、日記、韓櫃上等一、公卿以下布施、在二小板敷一、
p.0128 寬元四年四月一日庚申、院御所御更衣事、右少辨分配也、〈○中略〉此外殿上、彈碁局以下、任レ例有二沙汰一、
p.0128 南都東大寺正倉院寶物圖の中に、雙六盤のやうにて中高に作り異なる物あり、おもふに是彈碁の盤にて唐物なるべし、彈碁經に、下呼レ上擊レ之などいへるも、盤の中高き故にや、
○
p.0128 彈碁 指石、俗云波之木、
世説云、彈碁始レ自二魏宮一、文帝於二此技一且好矣、
按、今云彈碁乃擲石之類、而有二少異一、兒女常弄レ之、用二碁子十有餘一撒レ之、要レ不二攅重一、而以二手指一彈合、取二擊當者一、復次如レ之、無レ遺爲レ勝、如誤擊二隣石一者爲レ負、
p.0128 はじきといふは、小ききさごを玩ぶ、もといしはじきは軍器の名なり、〈○中略〉小兒のはじきも石もてしたるにや、正章獨吟千句、あてなるがせよと仰ある放會(イシハシキ)〈旝字、誤て二字になれり、〉といへり、西鶴が二代男に、藻屑の下のさゝれ貝の、浦めづらかに手づから玉拾ふ業して、まゝごとのむかしを、今にはじきといふなどして遊びぬ、〈こは貞享元年の板なり〉貝をも其處により有に任せて用ひしなるべし、今江戸にては、きさごはじきといふも、昔よりの名にてあるべし、海近き處は貝類多くあればなり、
怡顏齋介品に、きさご肥前にて猫貝と云、長崎歲時記に、猫貝を小兒玩ぶことを云て、其法のせはじきと云は、貝を握り手の甲にうけ、又手心にうけ握り取、疊の上にちりたる餘り貝は、一々はじき取て勝負を决す、十五握と云は、各々貝十二十を出し合せ、順々目を塞ぎ面をそむけて、數十五 をつかみ取るを勝とす、とんのみと云は、各々目印ある貝一ヅヽ出し合せ、それを掌にてふり出し、餘り貝は俯せ、一貝仰くものを勝とす、
きさごはじきにツマと云ハ、ツマヅクの略、ヤツといふは、やつあたりなり、きさごをかぞふるに、ちうじ〴〵たこのくはへが十てうと云ふ、ちうじは重二なり、それを重ぬれば八ツとなる、章魚の足の數なり、是に又二ツ加へて十となるをいふ、