https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 楊弓ハ、小弓ノ類ニシテ、初ハ楊ヲ以テ造レリト云フ、或ハ云フ、唐玄宗ノ楊貴妃ガ、未央宮ノ楊ヲ截リテ之ヲ造リシニ起レリト、此技ハ、我國ニテハ應永以後ノ書ニ見エテ、盛ニ宮掖ノ間ニ翫バレ、七夕七遊ノ一タリ、後世專ラ俗間ノ戲トナル、
吹矢ハ矢ヲ筒ニ入レ、口氣ヲ以テ之ヲ吹キ、小鳥等ニ吹キ中ツルモノナリ、

名稱

〔運歩色葉集〕

〈屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 楊弓〈唐玄宗時、楊貴妃始射之、依之曰楊弓也、〉

〔增補下學集〕

〈下二/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 楊弓(ヤウキウ)〈小弓也〉

〔庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 春始御祝向貴方先祝申候畢、〈○中略〉楊弓、雀小弓勝負、〈○中略〉近日打續經營之

〔庭訓往來抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 楊弓ハ公卿ノ御弓也、アヅチヲ九ノ杖ニコシラヘテ、廣緣ナドニテ射也、ユンホコハ三尺六寸也、

〔易林本節用集〕

〈也/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 楊弓(ヤウキウ)

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

〈序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 夫楊弓之https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02313.gif 觴者、貴妃資始之、明皇兼明妃長生私言、誓曰、在天願爲比翼鳥、在地願爲連理枝、可漆膠交、于造次顚沛、事勝遊而盡善盡美、於是截未央楊柳弓、折太液芙蓉矢、矢羽https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02314.gif 々相似比翼鳥、弓弦切々恰如連理枝、古今風流美談也、爾來傳楊弓於吾本朝、以射者多、〈○下略〉

〔嬉遊笑覽〕

〈四/雜伎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0190 安齋云、楊弓其始をしらず、本は小童の、楊の枝を弓に作て、もてあそびとせしより起りたることなどにやといへり、かくいひては雀弓と異なることなし、按るに、養由基の楊の葉 を射たりと云傳ふる事によりて、さゝやかなる的矢なれば、楊弓とはいふなるべし、〈○中略〉其起原は唐玄宗に始れるよしいへるは取にたらず、

手法

〔本朝世事談綺〕

〈三/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 楊弓
芝撮(しばつかみ) かの五郎未碩〈○兩人並元祿時代人、楊弓名手、〉がなす所也、矢をつまむに、食指を曲て撮むに、芝撮は食指を伸てつまむ也、矢のぬけ心よしと專傚ふ、

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 凡矢數者以二射、從中古四、是表四季、以五十度百手也、
凡雖的、有堋聲之時不之、
凡矯矢卒發、過一間則不射改、不六尺則再令之、以之爲常法

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0191 楊弓射樣の事
抑楊弓の射やういろ〳〵ありといへども、習なくして射るときは、たとひ矢數おほく中るとも、金貝の射手常住金貝ならず、泥書の射手常住泥書ならず、席毎に不同ありて、終には矢數おちて、朱書もならず、是習得ざるがゆへ也、能ならひ得て射こむときは、常住さだまりて矢數おつることなし、他流はしらず、予〈○今井一中〉が流といふは、先弓矢の拵やうに口傳あり、一々道理をせめて造れり、扨楊弓を射るに第一心持あり、假にも散亂の心あるときは、中ることなし、心を鎭め氣を煉して、他へ心氣をうつさず、一念に一矢一矢を大事にすべし、一度のうち一矢はづるゝは、わづかのやうなれども、百手にかさなる時は、大きなる違となる、先左の膝を的のとをりにむかはせ、右の膝を堋の左の足のとをりにむかふと心得べし、弓をとり矢を番るにも、心しづかにして、つまみの所、百手ともにおなじやうにつまむべし、押手のかた、左の大指を弣の右のかどへかけ、左へ押出すやうにすべし、左の人差指を弣にのせて矢臺にすべし、是を指臺といふ、殘り三つの指はうきものにて、すこしもりきむべからず、右の付人々の勝手ありといへども、先は親指を右の鼻 の穴へ入、はなのへだてへ親指の頭をあてゝ、是を定規とすべし、矢をはげ膝の上にて一はいに引つめ、すこし間をあらせて、打上て覘ふべし、的をねらふにいろ〳〵あれども、的の上ぶち下ぶちなどねらふはあしき事也、的と堋の横木との間にてねらひをさだむべし、いづかたをねらふとさだめずして、空なるところをねらふといふ事、是大事のならひ也、總じて早氣は弓の病にして、早氣の分はみな中らず、もしあたるともまぐりあたり也、隨分たもちてよくねらひ、矢つぼさだまりたる時、押手と付と張合せて放す時は、あたらずといふ事なし、一度に矢四本あり、一の矢射るに、殘りいまだ三本あるとのたのみにて、麁末の心あり、一矢一矢を大切にして射るべし、右大概のをしへ也、くはしき事は書面にしるしがたし、口授ならではつたへがたし、よく〳〵工夫あるべし、

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 凡射場者、以七間間半(ナカ)定數、漢家本朝之流例也、
凡切穴者、於中(アタル)人十錢、朝廷之於宸宴者、以於洲賀(ヲスカ)〈○五錢〉爲賭、雖穴令抽(ヌケ)者爲一矢

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 道具の事
一錐穴 あてたる人に括(くゝり)を渡す、もし穴に入といふ共、抽るときは一ツあたりになる也、射抽は各別也、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 楊弓〈○中略〉 凡矢二本稱一手、二百本謂百(モヽ)手、〈○中略〉凡射者座、去堋七間半也、

〔和漢三才圖會〕

〈十七/嬉戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 楊弓〈○中略〉
堋與席相去七間半、毎以五矢勝負、二百矢謂百手(モヽテ)、百手内五十矢以上中的者爲朱書、百矢以上爲泥書、百五十以上爲金書(カナカイ)、百手悉中者爲皆矢(カイヤ)、最希有也、

楊弓例

〔薩戒記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 應永卅三年三月六日庚子、晩未向中御門宰相亭、有楊弓興、入夜歸家、

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0192 文明十二年七月七日、今目有七種事、 一鞠 一楊弓 一樂 一郢曲〈依人々故障之、俄改圍碁了、〉 一和漢〈五十韻〉 一和歌〈○註略〉 一七盃飮〈○中略〉酒畢、又有楊弓碁鞠等、依興也、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 永正十四年十月廿七日、中納言方人々來、楊弓云々、 十五年七月七日、今日内裏和歌、題月前望二星、詩題禁庭巧夕、宣秀卿兩席共詠進之、各不持參、内々付甘露寺大納言、余得度以後不詠進也、御人數者、御月次衆許也又於(及夜有御樂)此亭〈大納言〉七種法樂、左金吾、〈同中將基親朝臣〉四條、山科左少以下來、和歌連歌一折、楊弓鞠花酒(七瓶)橐麵等也、

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 大永六年十一月一日庚辰、午時參内、有御楊弓、入夜御盃儀如恒、

〔大館常興日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 天文九年七月廿日、以晴光内々被尋下、今日近衞殿、大覺寺殿など御參、右京兆も祗候、御楊弓一獻在之、〈○中略〉昨日御楊弓一獻及深更云々、佐退出夜半過也云々、今日御人數、公方樣〈○足利義輝〉近衞殿、大覺寺殿、一乘院殿、久我殿、藤中納言殿、右京大夫殿、其外御供衆少々、已下又進藤筑後も同御人數也云々、 廿一日、昨日御楊弓御矢、公方樣近衞殿御矢をば祐阿給之云々、其外御人數矢をば歲阿松阿給之云々、奏者松平也、 九月廿三日、佐攝州、豆州、及夜陰重而各來臨、子細者、今日於勢州陽弓の會候に、朝倉右衞門大夫入道同參會候、就其本郷常州も其人數候て遊ゑん也、其樣體共御耳に入て、本郷常陸介事生涯させられ候べき段被仰出之、まい〳〵上意之趣、委細乍存知、如此働一段曲事由仰也、次伊勢守事も、朝倉右衞門大夫如此參會、種々儀曲事候間御ぎぜつ也、但伊勢守事はがねて不仰聞候條、さも候べき歟、然共上意分は、其隱あるまじき事にて候處、如此段曲事之由仰也云々、次本郷常州は、今夜ちくてん也、

〔親俊日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0193 天文十一年六月十日己丑、貴殿近衞殿へ御出之、終日御楊弓、 廿八日丁未、藤中納言殿楊弓、貴殿御出之、 七月朔日己酉、貴殿無御出仕也、藤中納言殿御出楊弓在之、 二日庚戌、粟津修理楊弓砌御酒まいらする、貴殿御長太刀被遣之、 廿四日壬申、朽木殿楊引、粥在之、 八月八日乙 酉、大智院興禪軒楊弓在之、 九日丁亥、楊弓貴殿在之、 十三日辛卯、藤中納言殿楊弓在之、 十四日壬辰、於興禪軒三淵殿楊弓興行、在粥、 九月十九日丙寅、貴殿楊弓在之、

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 天文十五年三月九日丙寅、禁裏御楊弓有之間、四時分參内、御人數曼殊院宮、〈十一〉勸修寺大納言、〈廿二〉權大納言、〈十二〉予、〈十三〉四辻中納言、〈十三〉永相〈十六穴一〉等也、百手有之、萬里小路中納言祗候見物也、高倉數取、矢取阿古丸、〈坊城俊藤〉源爲仲等也、 十八年八月四日辛丑、竹内殿御楊弓七十五度有之、御人數如一昨日、一盞有之、〈杉原六十七枚勝〉 八日乙巳、禁裏御楊弓有之、先御雜談暫有之、次御楊弓五十五度有之、六十一枚勝了、七時分御小積有之、御人數御矢(御穴一)、〈廿四〉曼殊院宮、〈廿八〉予(穴一)〈卅四〉四辻中納言(穴一)、〈廿四〉新中納言〈廿一〉等也、御矢取鶴壽丸、基孝朝臣兩人也、御用心之時分候間、其間ニ御添番ニ祗候、當番衆新中納言基孝朝臣也、御添番予、鶴壽丸、重保朝臣等也、 十九年三月廿六日庚寅、正親町一品禪門楊弓之由被申送之間罷向、六十五度有之、人數亭主、〈廿二〉中山、〈五〉予、〈廿七〉四辻、〈廿七〉中御門、〈三〉滋野井、〈廿四穴一〉甘露寺、〈六〉牧雲〈十四穴一〉等也、先一盞有之、後ニ白粥有之、申下刻歸宅、予鵝眼四十二勝了、
十月八日戊辰、禁裏御楊弓有之、四十三度有之、御懸物可持參之由有之間、牛黃圓〈一貝〉持參、御人數、御矢、〈廿〉勸修寺大納言、〈廿〉予、〈十七〉四辻中納言、〈十五穴一〉新中納言、〈九〉重保朝臣、〈十三〉永相朝臣〈八〉等也、御懸物新中納言拜領也、杉原十帖御帶一筋也、勸修寺二人之分茶(庭)垸杉原(右佐)一帖被取之、予杉原二帖取之、右衞門佐香(勸)箸牛(予)黃圓取之了、於淸凉殿有之、小積如常、及黃昏退出了、四十七枚勝了、

〔晴豐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 天正十八年六月九日、禁裏にて御楊弓參候へば、くわんらん相煩不出申也、 十九年三月八日、禁裏御楊弓にしこう申候、 九日、御楊弓十五人にてあそばし候、百手ニ予卅五かさ也、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 慶長八年十一月五日、御やうきうあり、おとこたちもしこう、

〔狗猧集〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0194 近年〈○寬永十年頃〉の聞書 世上に楊弓のはやりはんべりければ
楊弓の下手の座敷や夏ごたつ

〔續史愚抄〕

〈後桃園〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 安永三年八月十日辛卯、於院有楊弓、〈御簾外也〉關白〈内前○近衞〉已下上達部殿上人等四五人參仕、權中納言紀光〈○柳原〉爲人數

賭物

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 凡賭者檀紙、椙原、短尺、孔方兄等也、以一錢餓鬼、以二錢地、以三錢山、呼五錢於洲賀(ヲスカ)、十錢云括(クヽリ)、二十錢爲草冠、以百云牛、是古今之世説也、

〔本朝世事談綺〕

〈三/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 楊弓
賭に一錢を紅白の紙に包し也、是を字と云、近年は素字とて裸錢を用ゆ、美麗の業も世くだりていやしくなれり、

〔幽遠隨筆〕

〈坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 投壺記
楊弓や其始唐帝貴妃の戯におこり、未央の柳を弓とし、太液の芙蓉を矢になづらへ、矢の羽の飛を比翼の鳥にかたどり、弓の弦のつらなれる連理の枝にたぐふ、然れども我國に來りていまだ宴席に翫ぶ事を聞ず、只賭を爭ひ、しかも一錢に餓鬼の名あつて、百錢に牛の異名あり、殆博に近きの譏をのがれず、

結改

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0195 結改之事
一結改は、大前よりまはしはじむる也、百手の間五度づゝにて結改かはる、五人よりうへの乳母は鬮乳母なり、うしろにて結改とり納めのものおなじ紋の鬮二本あらば、落(から)乳母といふ也だとへば松と竹との紋あらば、いづれにても乳母といふべし、結改かはりの時、筒あるかたにて鬮をあつめ、筒に入鳴し、後より二結改目よりまはす也、のちも段々おなじ儀也、
一まはし結改とも、まはり乳母ともいふことあり、三人の時ある事也、結改まはすにおよばず、初度大前の者、乳母誰と名のれば、殘り二人は組誰々と名のる、尤五度づゝにてかはる、但六度目より十度までは中の者、乳母誰と名のる、前後の者又組誰々と名のる、十一度目には、うしろの者、乳 母となのり、前二人組誰となのる、如此五十度が間、段々乳母を廻す也、

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 凡鬮者文字或繪等爲驗、取鬮時以合爲乳母(ヲチ)、乳母之矢中時以二矢之、又乳母不中之時出懸二分也、又號笠者、同鬮之時一人中之時、同鬮雖中免懸、

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 凡乳母之號者、童子之乳母之儀也、乳母者依婬奔寡也、仍似鰥鬮乳母、又指之號呼下品乳母指之故、

〔本朝世事談綺〕

〈三/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 楊弓
詰改一表、矢員二百本也、中所五十本以上は朱書、百本以上は泥書、百五十本以上金貝、百八十以上大金貝と云、

〔東都歲事記〕

〈二/五月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 廿五日楊弓結改(ケツカイ)總會、〈古板結界に作るは非なり、結改とは鬮を結び改るの謂なり、則百手の内五度ヅヽ十度結び改る故なり、五月と九月の廿五日、年に二度興行す、山の手の輩は、山王寶藏院に會し、下まちの輩は、雨國邊の酒樓に集り、勝劣を爭ひ、勝れたるを定て江戸一と稱す、結改一表矢員二百本なり、中る所五十本以上は朱書、百本以上は泥書、百五十本以上は金貝、百八十本以上は大金貝といふ、其作法委しくは貞享五年刊する所の今井一中が作の楊弓射禮書を見て知るべし、この書は天文十八年述作の楊弓射禮蓬矢抄といへるに注解を加へ、ことごとしく書つらねたる物也、〉

〔東都歲事記〕

〈三/九月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 廿五日、楊弓結改(ケツカイ)の惚會五月に同じ、

名人

〔本朝世事談綺〕

〈三/態藝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 楊弓
近年みやこ一中此道を得たり、一表二百本のこらず的中したりと云、此もの楊弓の書を編す、元祿の頃、芝に五郎、未碩と云兩人の者、そのころの上手にて、百八十四五の矢員、江戸中詰改場の看板に記し、無雙の上手といへり、頃年は百八十四五は常の事にして、百九十四五、あるひは七八におよぶ、しばらくのほどに、世人かくは上手になれり、

〔嬉遊笑覽〕

〈六上/音曲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0196 都一中、〈○中略〉一中は上るりの外に楊弓の名手にて、一表二百のこらず的中したりとかや、されば一中といふ名は、もと楊弓のかたに付たる名なるべし、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0197 享保十一年八月廿五日夕參候、世ニ楊弓ホド、カハリタル藝ハナシ、何ノ藝モ同ジコトナレドモ、器用ナル人ハ、朱引カナガヒ、程ナク長ゼルガ、若シオツル段ニナリテハ、甚ダオツルモノ也、御前〈○近衞家熙〉ニハ、若キ御時、此藝ヲ遊バセシガ、今ニテハ、六七年モ御ステナサレテ、弓トラレシコトモナシ、凡御學ビナサレシ、御手跡御畫ヲ初トシテ、御楊弓ホドナレバ、世上ニ推出シテ、耻カシカラヌホドナリ、六七年モ遊バサ子ドモ、イデ今日アソバシタリトモ、古ヘニサマデ劣ルマジト思シ召也、コレニハ殊ニ譯ケアルコト也、世上ニ、射ハジメカラ、器用ニテ中ル人ハ、下ルモ又早シ、〈尤モ器用ニテ稽古シゲキ人、常ニアタリテオチヌモ、頭カラ中ラヌ人モアリ、〉コレ、ハ何トシテ中ル、何トシテ中ラヌ、此道理ニテ中ル、カカル譯ニテオツルト、ソレ〴〵ノ譯ヲ、トクト合點シタル楊弓ニ、各別ニ落ルハ少シ、其譯ヲ合點セズニ、唯稽古ト、拍子ニテ中ルハ、今日ハ見事ノ中リニテ、明日ハ各別ニ落ルハ、コヽ也ト仰ラル、コレハ本ガ獅子吼院殿〈○堯恕法親王〉ノ御傳授ニテ、御覺リナサレシト也、〈御園意齋御前ニ候シテ、榮君ノ御方ヒトコロハ、各別ノ御中リナリシガ、此ゴロハ何トシテカ、各別ニヲチタリト申サレシヨリシテ、御意下ノゴトシ、意齋ノヨキコト申上ラレタリトコソ覺ユレ、〉今ニテモ、進藤一葉、細野久兵衞ナドガ楊弓、イツマデモ落ベカラザル筈也、其譯ヲ呑込タル故也ト仰ラル、〈御前ニ若キ御トキ、奈良ヘ御成アリシニ、細野マイリテ吹矢ヲ射ル、上手也、イデ楊弓ヲト望シニ、終ニ射タルコトナシトテ射シガ、一本モ中ラズ、サテハ吹矢ノ力ニテモイカヌヨトナリトテ、皆々笑シガ、ドレニテモアレ、弓匕トツカシタマヘトテ、取カヘリ、旅宿ニテ、コレハ何トゾ中リソウナルモノナリ、何トシテハヅルヽト、譯ヲ工夫シテ、一夜射徹シケルガ、翌日參リテ、五十三本中リタリ、コレラ分ヲ合點シタル楊弓ナリト仰セラル、〉憚リオホキコトナガラ、毎々御咄ンヲ承ル事ニ、感拜スルコトノミナレドモ、是ハ又就中各別ノ御事也、身ニアテヽ、アリガタクコソ覺ユレ、凡ソ天下ノ藝ニテハ、サテハ醫術ト楊弓トナルベシト申上テ、大笑アソバス、〈余(山科道安)毎ニ人ニモ語リ、自ラモ工夫シテ思フニハ、イカナレバ諸藝ノ如クニ、醫術ハナキコトヤラン、余程ノ人品、人物ノ人モ時ニヨリテハ、カナガイホドノ器モ、明日ハ朱引ニモタラヌノミカ、一本モ中ラヌ程ニハ、イカニ諸藝ハ、アガレバアガルホドノ功アリテ、彼ニハ增リ、コレニハ劣ル際アルニ、此術ニナリテ、際ノナキコトヨト、數十年來ノ不審ノ、今日融ケルコトノ有ガタサヨ、世上ノ醫ニ、余ハ及バズト思フホドノ手柄ハ、ソノ日ノ楊弓ノ出來中リ也、アクル日ノアシニテハナシトサミスルハ、ソノ日ノ、不出來中リ也、所詮ドウシタワケニテキク、ドウシタ譯ニテ中ルト云、底ノ見エヌウチハ、出來不出來トモニ、楊弓ノ如シ、サルホドニ、一病人ニテモ、タマタマ其譯ケノミエタルニ、心覺シテ〉 〈治スルハ、ソノ一人ノワケノ見エタル也、何ヤラシラズニ直リタルハ、拍子ニテ中リタル楊弓也、サルホドニ直ラヌ譯ケモ、合點ユカヌ筈也、サテサテアリガタキ仰ヲ承テ、數十年來ノ惑ヒトケテ、剰ヘ此譯チ知リ徹リタキ一念起レリ、今マデハ生ヲ易タリトモ、知ルマジト思ヒシガ、阿トゾ古今ノ事歷チ經ル中ニ、此一筋ノ譯ダケダニ見出シタラバ、此ハ見エ、コレハ見エヌホドノ位ニ、イタルマジキコトニアラズト工夫ス、〉

楊弓具/弓

〔和漢三才圖會〕

〈十七/嬉戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 楊弓
楊弓未其始、貴賤毎射之賭勝劣、遊戯之具、其弓以楊柳之故名、近年用蘇方、華櫚、紫檀等、多繼弓、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 楊弓〈○中略〉 凡弓本懸弦所謂本筈、長二寸、是表牽牛織女之二星、其弓末插弦所謂裏筈、其長二寸八分表二十八宿之星、其餘亦滑稽爲文、

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 凡弓者象二十八宿、以二尺八寸長、裏弭九分者表九曜星、本弭二分者象牽牛織女、弦則織女之機糸也、弣長三寸七分者表三秋七日之數、弓者以楊作之、蓋夫後世人好美色、以蘇㭶或花櫚紫檀等之、
凡藤者以細爲善、或以樺卷之、
凡弣者以金襴緞子之、或以金鮐魚鮐等之亦佳也、以金銀鹿角等竪横飾
凡弦者可琵琶三四絃間、若捻弦則以生糸四分之、以糊練之、可梔子也、
凡橐者唐綾蜀錦緞子金襴隨好縫之、其長三尺五寸、横之廣可三寸、縫目可臥組、以丸緖緖、近代多以紅線組爲緖、

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 道具の事
一弓 蘇㭶の目のつまりたる節なき木にて削べし、むかふ直に、前丸みを付て創る、是予〈○今井一中〉が流也、弓あまりつよきは手前りきむゆへに、癖出來てあたらず、引五寸五分より六寸二三分の間、人々のこのむところにしたがふべし、曲弓(そりゆみ)あり、張弓あり、望みにまかすべし、弓の長は本末の筈をのけて二尺八寸なり、 一弣 中比までは木地、あるひは金鮐魚鮫にて上を包み、金銀鹿の角をかさね、また唐蒔繪を以て竪横の飾とせり、近代本阿彌何某此道をこのみ、旦暮に工夫をこらし、洛陽天神の厨子正阿彌といへる弓師を招き、角弓(かどゆみ)を削らせ、弣も下細く、下地を金襴緞子にて包み、上を紫のほそき絹にて鴴にまきそめしより、左の手のうちおやゆびの押かけこゝろよく、稽古に年數をかさねず、矢數のあたる事となりぬ、また中比までは弓も圓く尤弱く、矢もかろかりしゆへ、矢數おほく中る人まれなり、當代は一二ケ月射ならひし人も、矢數おほく中る事、是倂本阿彌某の工夫による也、其上弓師矢師も名人出來て、其心持のごとく、弓矢を製するゆへなるべし、予が流は、弣の上の幅八分、下の幅七分半に作る也、弣の幅ひろきは持よく、其上能道理ども有也、弣の上の差込の弓の金物、いろ〳〵物ずきあれども、指臺の爲にあしき也、筒金一筋入か、又は繪樣なしのかなものよき也、下のさしこみのかな物は、いかやうにもかざるべし、
一弦 琵琶の三四の間の緖を用ゆべし、さりながら今はいろ〳〵の弦あり、弦に大小あり、細きつるは矢差、太きつるは矢落るもの也、しかれども太きは矢ちらぬ物也、銀にて露を入る事定りたる事也、予が流は露をいれず、搜(さぐり)もなき也、いろ〳〵の道理ある事也、扨右の攫付(つまみつけ)ひだりの押掛心の拍子覘込、いづれもひやうし揃へ、心もち楊弓の氣になりて、矢を放らたらば、大かた逃るといふ事有まじき也、よく〳〵稽古あるべし、
一橐 むかしはのべつけの弓なりしゆへ、ふくろも長かりき、近代すべて繼弓となりぬ、それゆへに袋のたけも短くなりぬ、さして定れる寸法なし、好む所に隨ふべし、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 楊弓〈○中略〉 今造楊弓幷矢人在所々、京極下御靈前小倉出羽之製造爲良、

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 楊弓師 中にも下御靈の前小倉出羽椽其名聞ゆなり、江戸は神田天神の前、

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 楊弓興隆なれば、弓師矢師の本各所付まで記す、〈○中略〉 洛陽弓師
室町通一條上町 琴屋今井長門 上京天神之厨子 正阿彌長左衞門正長 四條立賣高倉東〈江〉入町 荒井孫左衞門忠良 白山(ふや町)通四條上〈ル〉町 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02315.gif 田左兵衞定廣〈○中略〉
江戸弓矢師
湯嶋天神門前 深谷源太郎 同所 同 久左衞門 湯嶋妻戀町 同 勘左衞門

〔江戸總鹿子新增大全〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 諸細工名物
楊弓矢師 所々に有之中、すぐれたるものをしるす、
湯島 文車喜之 同 東江正貫 同 近藤元利 同 藤原舍具 同 藤原政春
同 藤原行續 同 藤原一知 同 藤原忠董 同 藤原秀之 同藤原董利
同 藤原義廣 芝 藤原勝董 同 藤原正證 同 藤原盛定 同藤原正繼
同 三輪正富 兩國米澤町 銘六一知 已上

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 凡矢長九寸、罰一寸八分、樺長四分、木賊四分、絲作二分、凡矢之木者以草朴上、或雖朴木櫻樛木、是皆下品也、
凡羽者以白鳥君不一レ知爲上、若付靑絞則以糊繪紋、以藍染之、恐是類松間殘櫻、又易色有紅、則以葛繪紋、以茜可其色、紅於霜楓、又成黃則以餅繪紋、以黃蘗其色、如重陽菊花、或鴈尾羽斑鴫等爲下品、已下猶不言也、
凡木賊者可信濃木賊、三七日溺水刮裏欲隣之(ウスロガン)時、作形以䞓(ベニ)染之、或以黃蘗之、又以靑花之、以白粉裏也、紫者以蘇㭶之、欲之時、以其色繪具白粉、合餅糊之、雖家珍秘術、爲後世之者也、
凡矢羽絲者唐紅爲本色、或以靑糸之、凡爲玳瑁羽中者、四五遍引膠羽下、以椋葉之、其後以朱漆薄、
凡丁(ビヤウ)者以鐵打之、重水牛鹿角膠堅之、以鑢琢之、以石砥合砥之、
凡絲羽幷樺作等者、以膠可之、以絲卷樺上、當烙鐵椋葉之、是無雙秘傳也、

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 道具の事、
一矢 是もいにしへとは長きあり、短きあり、中比五分長の矢あり、それより此かた、九寸二分三分の矢をつくらせ射る人あり、尤矢たけ長きは間數ちかき道理あるべし、間數近ければ人生によつて落手あり、差手あり、落手の人是を好むべし、しかれども近世九寸二分を用ゆる也、〈○中略〉
一矢代箭の事、用ゆべき作法あり、〈○中略〉今爰に是をもちゆるは射手の人數席に望むとき、前後のあらそひあり、其時に、矢代箭を面々より出して、盲どりにとつて、後手にてさぐり、一矢づゝ座におきて去、さて我矢のある席に著くなり、矢の仕樣は人の望む處に隨ふべし、
一木賊 竪に付るあり、横に付るあり、右木賊左木賊あり、望にまかすべし、又太き細きあり、つまみは古作よりは長きよし、六分半上卷ともに九分、或は前切(まへきれ)後切あり、落指(おちさし)あり、緩む縮るあり、其人のつまみによるべし、望に隨ふべし、〈口傳〉

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 天文十三年五月廿日戊午、滋野井被來、楊弓矢之木草朴所望之間遣了、

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 楊弓興隆なれば、弓師矢師の本名所付まで記す、〈○中略〉
洛陽矢師
寺町通下御靈之前 小倉出羽掾中親 御幸町通姉小路上〈ル〉町 島村平十郎貞道 四條通長刀鉾之町 田村八郎四郎由治 四條立賣富小路東〈江〉入町 柴田九郎兵衞定景

矢筒

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 凡矢筒者長一尺、其丸事可時俗之意、木者以蘿漆本、蓋者用象牙、此升唐木蒔繪之筒又佳也、

〔言繼卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 大永七年十月八日壬子、源少將ヨリ書狀アリ、楊弓之矢ヅヽノ木所望之由候、又予本樣ニ被借候、又矢筒之文夾此方へ被預候、又木ニテ〈○以下缺〉

的/堋

〔和漢三才圖會〕

〈十七/嬉戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 楊弓(やうきう) 楊弓〈以字音呼〉 堋〈音彭、射埓也、用黑革之、〉 的〈大サ三寸許リ〉

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 楊弓〈○中略〉 繫格臺謂堋、格中央有小穴、是謂喜利穴、中其穴者、稱美之

〔撈海一得〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 楊弓ノ的ヲ施スモノヲぼうがたト云、是乏形(ボウカタ)也、大射禮乏一名容、似今云屛風、以牛革鞔漆之、鄭曰唱獲(アタリヲヨブ)者所蔽以禦一レ矢也ト、今此形ニ似タルヲ以テぼうがたト云ナリ、

〔楊弓射禮蓬矢抄註解〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 堋之圖
總高三尺三寸
横一尺五寸
此間一尺七寸
革ニテ張
的ヲ釣ニ習アリ、的ノ高弦無ノ弓ヲ疊ニ
立テ、鋒先ノ屆クホドニ釣ヲ本式トス、
此釣也 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m0P202.gif 大きに御座候、是は兼入了簡にて、むかしは弱弓に輕き矢にて御座候ゆへ、中りにて堋さのみゆるぎ申さず候、當世は强弓に重き矢にて、中りつよく御座候ゆへ、ことのほかゆるぎ申に付、此圖の寸法に被致候、無落(ぶら)は金森公御物ずきは切籠(きりこ)にて御座候へ共、瓢簞に兼入改申され候、此二色の外は皆々後水尾院樣の御時に改申候格にて御座候也と云云、

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 楊弓興隆なれば、弓師矢師の本名所付まで記す、〈○中略〉
洛陽楊弓的幷筥師
御幸町通五條上〈ル〉町 六兵(玉屋)衞 宗房

〔楊弓射嘘蓬矢捗〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 凡衡者竪横五尺、幕者以金襴緞子紋紗繻子精好等之、以紫皮裝束、尋常人張水色布幕、

楊弓筥

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 楊弓興隆なれば、弓師矢師の本名所付まで記す、〈○中略〉
四條立賣柳馬場西〈江〉入町 右兵(筥師)衞 定淸 室町通(弓モ造ル)今出川上〈ル〉町 淸(同)兵衞

射場

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 一洛陽幷江戸の射場の所付を記す事、若は田舍より楊弓を心がけ席に望む人おほし、且又楊弓興隆なれば、弓師矢師の本名所付まで記す、
洛陽射場所付
上京大峯之厨子 祐淸 粉川通下立賣下〈ル〉町 五郎(伏見屋)右衞門慶有 白山通(ふや町とをり)誓願寺下〈ル〉町 甚兵(蠟燭屋)衞 延長 西洞院通生洲町 利兵(松屋)衞 松利 車屋町通御池下町 源右(丸屋)衞門
上長者町室町西〈江〉入町 遊行
江戸射場所付
橘町二丁目 鈴木三意 一計 湯嶋天神之門前 柏屋甚兵衞
此外所々雖之、打出而之射場ニハアラズ、故ニ不記、

〔楊弓射禮蓬矢抄追考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 道具の事
一的 櫻、藤木よし、大きさ三寸已下也、是も中比より三寸二分、三分、五分までに造り出す也、的を奉書の紙にて張、白粉をうす糊にまぜ、村のなきやうに引、そのうへに大輪を書べし、大輪書やう、まとのふちより三分のけて、輪のふとさ四分たるべし、或はまとのうちに鬼といふ字を書こともあり、〈○中略〉
一堋 高さ三尺五寸といへり、今は是に三寸ながくする也、黑皮に綿を入れ、皮のたけ一尺九寸、下一尺九寸、合て三尺八寸なり、
往年堋の寸法の事、去御方へたづね侍しに、左のとをり御書記し給ひしなり、〈○圖略〉
總高三尺八寸、〈○中略〉右の外布衡六尺四方、〈色ハ紺ニテモ黑ニデモ〉
添書
後陽成院樣の御時の堋は、御時代不知、御藏に納り候古き堋を御用被遊候由、
總高三尺九寸 幅二尺六七寸計
太鞁の内高さ幅と同位にて、四角に相見〈江〉申候、馬皮にて張、眞中に貘(ばく)を彩色に畫之候由、右高さは相違無御座候、其外の寸法はとくと知れ不申候由、馬皮にてはり申候は、堋音と的の音、よくわけの聞へ申すやうにとの御事に、可御座との推量に御座候由、
後水尾院樣御時に、右の堋御改被成、高さは古製のとをり三尺九寸にて、幅一尺七寸五分程にとの勅意を以て、一條惠觀公より、金森宗和公へ仰せ付させられ、右の寸法にて、其外木のふとみ、形の恰好、物ずきに被成被下候樣にとの、御事にて御座候處に、右のとをりにて、幅御取合不申樣におぼしめし候哉、壹尺七寸に五分御ちゞめ被成、其外皆宗和公御物ずきに而、御仕立被成被爲上候由、圖を仕り進じ候、本阿彌兼入〈光叔楊弓の別號也〉堋も、此御極の格にて御座候、しかしながら足は少

〔江戸總鹿子新增大全〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 諸細工名物
楊弓結界場を記す
筋違橋御門外 楊水 瀨戸もの町 次名 本郷春木町 桂風 柳原新橋向 圓志 芝かわらけ町 波翁 湯島天神前 文車 芝切通し 都住 牛込榎町 辨天
淺草行安寺前 完爾 四谷 芝交 小石川すは町 丹治 數寄や橋御門外 松林 赤坂一木町 古文 以上

〔東都歲事記〕

〈二/五月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 廿五日、楊弓結改楤會、〈(中略)貞享の頃、江戸射場橘町三丁目鈴木三意一計、湯島天神門前柏屋甚兵衞とあり、寬延の江戸鹿子には、結改場十三ケ所を擧たり、當時(天保)結改場山の手に二ケ所、下タ町に四ケ所あり、卽左に記す如し、下タ町は湯島辨天、木挽町雪好、芝赤羽根以慶、羽應、山の手は飯田町桂風、牛込義好等なり、〉

雜載

〔織留〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 藝者は人をそしりの種
諸藝を鍛錬する事、それ〴〵の家業の外は、ふかう其道に入る事なかれと、古人の言葉ひとつもたがふ事なし、〈○中略〉殊更楊弓官女の業なり、いかにしても大男の慰み事にはぬるし、なをまた諸職人の鎚鋸を持たる手には似合はず、よし又百筋ながら當り、あるひは大金書の看板に付てから何、此矢自然の時の用に立ち、せめて盜人を射るめるにもあらず、肴引猫にあてゝも更におどろく事なし、

〔好色一代男〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 戀の捨銀
折節楊弓始まりて、各やう〳〵朱書位に爭はれしに、或御方の道具を借りて、取弓取矢にして、四本はづれず、一筋は切穴に通れば、座中目を覺まして、なほ所望するに數あり、

〔好色一代女〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 妖孽寬濶女
都にて大内の官女、楊弓ものし給ふさへ、替り過ぎたる慰のやうに思ひしは、これはそも〳〵楊貴妃の弄び給へると傳へければ今も女中の遊興に似合はしき事にぞ、

〔江月繁昌記〕

〈二篇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 神明
神明亦南郭一繁昌社也、一坐戯場、數棚觀物、楊弓肆、冶郎院、連演史落語所、縱横圍社一夥、士人、一夥僧侶林箭雨發、拙手爭巧、發彼有的、以祈爾爵、蓋以酒賭也、其客右手不娣左手之巧、只見纎手挽起紅袖、觀音一臂、嫦娥代夫、拈弓摘箭、看括于鼻以發、香頰又添著一捻靨痕來、弦盈羽飛、正是秋月行天、流星落地、紛々林々、鏑去羽沓、百發百中、舍矢如破、早已安排一桌酒殽來、勝飮勝、射法古例、〈○下略〉

〔楊弓射禮蓬矢抄〕

〈序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 夫楊弓之濫觴者、貴妃資始之、〈○中略〉爾來傳楊弓於吾本朝、以射者多、而於北闕七夕七遊以之爲第一、恭惟今上皇帝、〈○後奈良〉内正三綱五常義、以遵周公孔子道、外起萬機百司政、而追延喜天曆跡、偏悲諸藝之潦倒、能廻再興之恩澤、是故世以頌其德、以誇其化、謂之請天聖主、奉地明君、亦不宜哉、加之、朝誦暮吟、旬煆月煉、共以妙、句句言言、鱠炙人口、集大成者歟、若有閑暇、則詔諸臣楊弓、春賭花、秋賭月、上持滿末發、則百一無中、鳴呼奇哉奇哉、養由藝、飛衞術、爭及之乎、文武兩道者、治世一端也、雖弓撫四夷、揚弓更非戰士之業、只令蚩尤傷一レ之政也、有誰謂不可哉、天智天皇者、詔大夫士等大射、仁德聖主者、又勅盾人宿禰的給、且復向春節賭弓者、禮記之所誌也、至冬季射場者、儀式之所定也、見今猶古、擧世無長無少、左手提弓、右手提矢、惜寸陰分陰、實依俙隋煬帝好舟、天下競裝舟、唐玄宗愛身、九重人飜袖、呉王翫劒、擧國横劒、景公調馬、境内集一レ馬者也、人皆莫楊弓、則惡魔不侵、富貴耀前、猶春於牡丹、善哉善哉、國寶也、于時龍集天文著雍〈○十八年〉作噩仲呂强圉單閼日、墨戯之次、卒作楊弓賦以招世俗嘲云、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 楊弓 相傳、自古公家之所玩也、楊弓射禮舊本有二卷

吹矢

〔倭訓栞〕

〈中編二十二/不〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 ふきや 水滸傳に、吹筒也といへり、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 楊弓〈○中略〉 又一種有吹矢、長三尺或四尺圓木、突貴其内、入矢於其頭、以息吹之、其矢 中鳥則立斃、其所用之筒長短、應之人氣息强弱

〔愼夏漫筆〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 兒童之戯、有箭獲小鳥、唐山亦有同者、方干詩云、吹箭落翠羽、垂絲牽錦鱗、是也、

〔翁草〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 加藤出羽守吹矢筒之事
讃州丸龜城は、寬永十八年、山崎甲斐守家治拜領にて居之、相續ひて二代目を志摩守と號、志州卒後、采邑五萬石之内、合弟勘解由〈江〉五千石配分、四萬五千石を嫡子虎之助領之、丸龜在城の處に、虎之助無程早世、無嗣して仍其跡斷絶す、就右與州大洲城主加藤出羽守泰興に、城請取在番共に仰付らる、因玆羽州は人數を卒し丸龜に被差向、其行列巍々堂々たり、然るに羽州自分の馬脇に、吹矢筒に吹矢を添て持せられたり、係る嚴重の行列の中に、異樣にぞ見へし、此羽州は隨分武の心懸賢く鑓の達人成し去れば右の吹矢筒には、何卒子細有べし、其家來に是を尋れども、所以を知たる人無し、異風成事故、爰に記し畢、

〔文昭院殿御實紀附錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 前朝〈○德川綱吉〉生禁の嚴なりしをもて、〈○中略〉吹矢といふものにて雀を打し事あらはれ、采地收公せらるゝたぐひ少からざりき、

〔江戸繁昌記〕

〈二篇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 神明
小厮抽矢盛筒持筒審固、覻得親切、一氣吹送、識的有響、鯨鐘墜鬼、怪雲走雷、金時面前、魅童送茶、賴光頭上、蜘蛛撒絲、戯具百色、應響轉機、奇々怪々、現異呈變、甚有古色、蓋前人所悦、此所以外今不復多觀焉、昔者武王克商、散軍郊射而貫革之射息、周末之亂、貫革復尚、孔子嘆之曰、射不皮、於戯方今太平之久、土人https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02316.gif 貫革、餘暇得這戯射場内、豈不昌平之澤乎、

〔嬉遊笑覽〕

〈四/雜伎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 つなをつけて人形などを出す吹矢は、からくり的と云ふ、松の落葉、四條河原凉八景といふ加賀節に、からくり的、おやまか鬼に、うちかへり、鬼か佛になむあみだぶつ云々、其砧、せつかく握る飯にくもる日、〈春旭〉吹矢的つまる所か息まかせ、〈橋佐〉娘容義に、心底はからくり的、段 段にかはるなど云り、江戸名物鑑、富が岡吹矢、みた計り初雷の吹矢かな、胴https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m02317.gif が勢多唐巴詩、吹箭射唐操的、腹减息亦弱、試吹十本前、偶中的不離、更無人形轉

〔桃の首途〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 首途
吹竹筒さげて非番の茶道衆 達支
雪は粟津へそれる夕立 里紅


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Last-modified: 2023-04-14 (金) 14:48:17