p.0781 煎茶ハ其起原詳ナラズ、高遊外ヲ以テ中興ノ祖トス、遊外ハ德川幕府ノ中世ノ人ニシテ、世ニ賣茶翁ト稱ス、其事ニハ水品擇芽煎法等アリテ、一ニ支那ノ風ニ摸倣シ、其器モ多ク支那ノ製ヲ用イ、簡素幽雅ヲ以テ主トスルガ故ニ、文人墨客ノ斐多ク之ヲ玩べリ、
p.0781 煎茶(センジチヤ)〈事見二活法一〉
p.0781 弘仁六年四月癸亥、幸二近江國滋賀韓崎一、便過二崇福寺一、〈○中略〉大僧都永忠、手自煎レ茶奉御、施二御被一、
p.0781 季御讀經事
上卿一人著二南殿一例〈天喜四年、三ケ日毎二夕座一侍臣施二煎茶一、〉
p.0781 今日の茶は、泡(はう)茶、淹(ゑん)茶、沖(ちう)茶の三ツにて、煎茶ならぬに、なべて煎茶と唱ふる、當らぬやうなれど、矢張煎茶と稱して苦しからぬ也、かゝるためし少からねば、殊に手近き例をばいはんに、たとへば論語卷の一卷の二といふ如き、こは古竹簡に文字を彫り付、韋にて是を綴りまき置たるよりかくはいひし也、又中古になりては、絹に文字をかきて是を卷置たるが、紙の出來し後は、今の如く本に綴たれど、猶古稱を唱へて、卷の一卷の二といひ、竹簡が紙にかはりても、脱簡などゝもいふの類、煎茶の適例ともいふべし、さればだし茶にても、一煎二煎と稱するを笑ふ べきには非ず、素より初注再注など唱ふるは、尤當れりとすべし、前に述る如く泡淹沖の三ツも、わざにかけていふ時は、矢張古稱を用ひて烹點と唱ふる、是又前の例によりて拙きにはあらぬ也、
p.0782 茶品彙
蘭茶〈珠蘭茶と云、其香如レ蘭、渡來茶第一珍品、錫の器に入來る、掛目五匁程ヅヽあり、〉
松蘿〈舶來のもの也、蘇州閶門といふ處より出ると云書付あり、甚希に來る、桃巖釋石舟所レ撰松蘿と云書あり、序曰、唐有二名僧一、號曰二松蘿一、爲レ喜二烟霞一隱二居山野一云々、此人の始て製せし茶なる故、其名を呼とみへたり、始終此書にそなはる可レ考、〉
武夷〈此茶武夷の白茶とて、色は黑く、白きかびのやうなるものふきてあり、あまりよろしき茶にはあらず、是も舶來の品なり、此茶のこと諸書に出たれば、委不レ擧、〉
唐茶〈常に多く舶來のもの也、於二肥州一製レ之、〉
一ツ山 雁音 山吹 初綠 湖溪 越後 初山吹 春風 喜撰 政所 龍田 一ツ森 冬梅 折鷹 朝日山 政所初葉
右拾六種、江州信樂より産す、日東煎茶此産第一とす、末茶は以二宇治一第一とす、
花橘〈江州彦根より八里ばかり北、たて原村源四郎といふもの近年製出す、上品なり、〉 莖茶〈城州字治産、薄茶の莖也、〉 室生(ムロフ)〈大和産〉 淸見〈駿河産〉 服部〈伊賀産〉 河越〈武州産〉 仙靈〈播州粟賀生蓮寺産靈玄院法皇ノ御勅名〉 本葉 薄葉〈此兩種城州高雄山ノ産、日本茶ノ殆テ産ル所ト云、〉 草山高泉寺 明石 〈此三品丹後ノ産〉 足久保〈駿州産〉 吉野茶〈和州産〉 北山茶〈和州産〉 川俣茶〈勢州産〉 高野茶〈紀州産、以二浪華水一烹甚惡シ、山水ニ宜シ、〉 日向茶〈疏茶也、無二精製者一、〉 完粟(シソウ)茶〈數品、播州産、〉 カナコシキ〈豫州字麻郡産〉 相樂茶〈肥前産〉 筑後茶〈上品〉 輪違〈濃州茶〉 葉室〈城州醍醐産〉
p.0782 品解
煎品は、折鷹(レ)、白折(シラヲレ)、鴈がね等、上製の餘材也と見ゆ、葉茶有、莖(クキ)茶有、葉くき相半する有、其葉は尖のみなれば、氣味共に薄し、喜撰は〈山岳の名、其山下なる池の尾村に出すなり、〉朝日山の上に座せり、〈朝日は七園の一名なり〉なし蒸は下 品なり、〈里人の言に、上製の種をアヲと稱し、煎種をなしと呼とぞ、ナシ厶シの略言歟、蒸製精しからざるの名義なるべし、〉其餘品題猶多かり、
品目
近江の信樂、茶品殊に多し、山中の村民園畝を開きて蒸焙を事とす、煎種の絶品、此地天下第一なり、山吹一ツ森の名のみあまねく聞ゆ、〈山吹は本宇治の品題なり、今も猶かの地に出す、〉萬代、霜ノ花、湖水、花橘〈政所と云郷に出す、信樂の山脈也とぞ、〉等の種皆絶品也、其餘の品題多く聞ゆるは、園民漫に題するものに似たり、又京師の鬻戸等、私に品第を設けて、名と物と戸々にたがふも有べし、又彼とこれと合製して一品となるも有べし、沽酒家の醇薄辛甘を鹽梅して、戸々に品題を稱ふるに同じ、又昔の一ツ森は今の山吹にて、品第一階を進ましむとも云り、大觀茶話に、相鬻相爭、互爲二剝竊一、參錯無レ據、不レ知三茶之美惡在二于製造之巧拙一而已、豈園地之虚名所二能增減一哉、焙人之茶、固有下前優而後劣者、昔負而今勝者上、是亦園地不レ常也と云を見れば、はやくより此厄有しをしらる、唯々市に求る人、茶は眞の面目にあふ事難し、
洛北妙心寺の花園、近江の永源寺の越溪、土山の曙、〈永雲寺製〉美濃の虎溪、〈永保寺製〉播磨の仙靈、〈粟賀生蓮寺製〉山僧の手製、利の爲ならざるは佳品也、それを名として郷民の出せるは品降れり、
栂尾高雄の産、昔は上製の種ありし也、深瀨茶など聞えしも有しを、今は佳品なしと云り、
諸國の名産甚多七、伊勢の河上、伊賀の服部、大和の室生、紀の高野、尾張の内津、美濃の養老、駿河の蘆久保、西にては肥前のうれし野上首なるべし、肥後の鹿子尾、筑前の鶯、其餘柳川相樂等きこゆ、多くは鐺炒製にて、味醇く淸韻乏し、又唐茶とて、商舶の將來れる者は近年佳品なし、武彜、松蘿、龍井、蘭茶等の名あれども、眞物にあらざるべし、其它は丹波の草山香泉寺、播磨の鹿谷、日向茶の類は、常食の品にて文雅の友にあらず、
p.0783 他國はおのづから他國に上茶を出す所おふけれど、我國〈○尾張〉にては内津の村民久しく茶を製し出す、其外賣物にあらぬ上品の茶、予〈○嵐翠〉がしりたる分左の如し、 知多郡大高の長壽寺毎年製せらる、これ江州越溪茶の法にて尤佳品なり、
水野定光寺の茶は、京師花園の製に同じくして、又これ佳品なり、此兩所にて上製の茶を飮ば、氣味他に異なる事甚遠し、兩山ともに水も精絶なるゆへとぞおぼゆれ、
府下白林寺、毎年唐樣茶を製せらる、其精品に至ては兩山におとらず、水もすこぶる靈なり、
右四條は、我國同好の諸君子にしらしむのみなり、他國の人は、他國の人境によりて製法を問ひ玉へ、
本朝にて茶を産する所おふけれども、第一とするは山城の國宇治の里なり、しかれども煎茶においては、むかしより近江の信樂を天下第一と沙汰しあえり、無膓翁も宇治信樂はもろこしの上茶を出す、建溪北苑にもおとらずと、瑣言にしるされたり、
信樂の上品にて、高翁の比にもてはやされたる茶の銘は、萬代、霜の花、湖水、花橘等なるよし、今は銘も堂上方より申くだして新銘を稱するもあり、又高名の君子によりて求たる銘もありて、其品目はかはれども、製法におゐてはむかしにことなる事なし
故人すべて信樂を賞せられしが、宇治なんぞ信樂の下におらんや、兩所の高下は、歌仙の人丸赤人のごとく、宇治は信樂の上たらんことかたく、信樂は宇治の下たらんことかたし、
つねに煎ずる茶、宇治にては喜撰、信樂にては信樂とゆふ銘の茶よろし、飮事は一等も上の茶よけれども、まづこれらこそ中品めよきものなり、
p.0784 一煎茶駿州府中の曲里の右の方に作るよし、され共人々呑料にする故に賣買にせず、安倍に水窪と云所あり、此所に作る茶至て極なり、然共木株少なし、是に差續て水見邑と云所の茶よし、是大方に水窪に對する也、其餘は茶料と云て、幅三里、長さ四十餘里、此所餘の物を不レ植、都て茶株也、是世にいふ阿倍茶也、運上も大分也、
p.0785 性味
茶ノ性微寒、味ヒ甘苦トイヘルハ、世ノツネノ説ナリ、精良ノ品ヲエラミ、湯候ヲ得テ喫スルニ、芳鮮甘冷ノ風趣アルニ似テ、マタナキガゴトシ、餘韻ヲ呈シ、微冷ヲ賸(アマ)ス、甘ハ其花ナリ、冷ハソノ實ナリ、苦濇ハソノ根柢ナリ、然ハアレド頂選ニシテ苦濇ノ味ハ病ト云ベシ、袁仲郎其ノ澹冷ヲサシテ、ヤヽ金石ノ氣ニ類ストイヘリ、ヒトリ能茶ノ眞味ヲ識セリ、蘇東坡ハ淸風ニタトヘリ、苦濇ノ病ハ、原采收ノ早遲、蒸焙ノ過不及ニヨルナリ、其ノ製造ノ概略ハ、淸明穀雨ノ間ニ、茶ノ新芽四五葉ヲ發シ、津液萌芽ニ升ルヲ察シ、熙々煦々ノ朝タヲマチテ、頂ノ三葉ヲ摘采、淸水ニアラヒ、湯蒸焙乾ス、其時ヲ得レバ自ラ淸茶ヲ出ス、マタ焙養ノ粗ナルト、地道ノ旺セザルトニヨリテ、苦濇ノ味ヒヲ致モノ多シ、マタ一沸ノ湯候頃刻ノ火勢ニモヨルベシ、湯候ミタザル時ハ草氣ヲ剰ス、過時ハ眞味ヲ耗ス、火氣武時ハ焦氣ヲ發ス、文時ハ湯氣ヲ生ズ、マタ湯引鐺熬ノ製アリ、〈筑州ノ嬉野茶、日向ノヨシマツ茶、遠江ノ相良茶ノ如、皆イリ茶ナリ、〉其中マヽ良品アレド、多クハ草氣アリテ苦濇ナルモノナリ、喫茶ヲ賞シ、品題ヲ决識人、此造法ヲ詳ニセバ、又一助ニナルベキヤ、茶估ヨリ價得テ良器ニ收藏スルモノハ、烹時焙乾ヲ用ユベカラズ、焙乾ハヤムコトナキノ所爲ナリ、良器トイエドモ、誤テ冷濕ニ侵サルル時ハ、宜敷烘焙スベシ、サレド隔紙ニ火色ヲ蘸時ハ眞味ヲ損ズ、ツトメテ火候ヲ調シルベシ、彼ノ松蘿僧ノ如キハ、火候ノ調ガタキヲイブカリテ、芽ノ尖葶ヲ剪去テ、但其中段ヲ留トイヘリ、吁ウトカリキ、茶ニ花香ヲ裛モノハ、少シク醫藥ニ似タリ、ヨテコヽニノコス、
p.0785 藏茶
宋蔡襄茶錄曰、茶宜二蒻葉一、而畏二香藥一、喜二温燥一、而忍二溼冷一、故收藏之家、以二蒻葉一封裏入二焙中一、兩三日一次用レ火、常如二人體温温一、則禦二濕潤一、若火多則茶焦不レ可レ食、
もろこし茶をおさめたくはふことかくのごとし、此土の法は古今これに異なり、たゞよろしき 磁甕、或は錫の壺を用て、口をよく覆て濕なき所にをくによろし、蔡氏が法に必かゝはらざれ、
臭許次忬茶疏曰、収藏宜レ用三磁甕大容二一二十斤一、四圍厚箬中則貯レ茶、須二極レ燥極一レ新、專供二此事一、久乃愈佳、不二必歲易一レ茶、須二築實一、仍用二厚箬一、塡二緊甕口一、再加以レ箬、以二眞皮紙一包レ之、以二苧麻一緊札、壓以二大新磚一、勿レ令二微風得一レ入、可二以接一レ新、
許氏が説大ていよし、人に近き處に置は、時々かへりみるによし、又人に近ければ温にして濕少しといへり、陸氏よりこのかた、吾朝にも厚紙のふくろに茶を入るなり、茶疏には畏レ紙と云、紙は水中におゐてなるにより、水氣ありて濕をふくむといへり、尤なる事なり、
古郵羅廩茶解曰、凡貯レ茶之器、始終貯レ茶、不レ得三移爲二佗用一、 岩栖幽事曰、茶見レ日而味奪、墨見レ日而色灰、此二説もしらずんばあるべからず、因て合せ記す、
p.0786 收貯
茶を貯ふるは錫壺に勝る者なし、瓦壺は次也、いづれも古製にあらざれば効用少し、一度它の物を收し器は不レ可レ用、香葯の器殊に忌べし、茶略に云、予嘗登二石鼓一、遊二白雲洞一、其住僧爲レ予言曰、瓦罐所レ貯之茶、經レ年則漸有レ濕、若下用二錫鑵一貯上レ之雖二十年一而氣味不レ改と云り、然るに頃日或高貴の家に、庫内より年記百餘年、封緘固密の茶壺を探出たり、開封して試るに、茶葉靑色乾燥、唯一二年の者に異ならず、但香味におきては舊廢の物也とぞ、是を以て見れば、瓦壺の錫に勝ると云べし、按ずるに、錫瓦の優劣にはあらで、器の新古、製造の工拙に係るなるべし、茶盒子も共に同じかるべし、唯々古製の貴むべきは、此談に明らか也、所レ居陰濕を忌み、煙薰を可レ避、雨雪雲霧の日、封を開くべからず、盒子に分取て後も、克々封固すべし、壺中茶減ずれば、其虚洞に濕氣隨て侵入、茶韻を害す、棚架上に、茶壺の口を將て、下に朝(ムカヒ)て放べし、濕烟入がたし、又茶壺を稻灰に埋め置法有、大桶に先茶壺を收め、上下四面より灰を以て瘞む、茶を分取日能せずば、灰入て茶を害すべし、西土には箬葉を以 て茶壺の口を包む、箬よく濕烟を透さず、又建城と呼て、竹籃を二重に造り、其間に箬葉を夾入たる者あり、〈圖茶經の附錄に出す〉予〈○上田秋成〉是を獲て藏む、思ふに是恐くは久藏の用に堪べからず、唯盒子の屬と云べき者也、
久藏
茶を貯ふるに、久藏の品は、今年の新茶を相半にして再び封密すべし、茶霖雨梅天には、壺中に在ても濕を感ず、快晴を待て急に焙爐に乾すべし、焙爐の火は温かるべし、是を文火と云、火勢猛なれば、葉焦れて茶韻を脱す、烹るに臨みて炙るも同法也、茶と火の間、凡一尺を去べし、茶史に、焙茶法見ゆ、夏至後三日、焙一次、秋分後三日、焙一次、一陽後三日又焙レ之、連二山中一共五焙、直至レ交レ新、色香味如レ一と云り、茶賈總て焙の候法ありとぞ、然れども古人の説に、茶濕らざれば不レ可二焙炙一、其度に香味を失ふと云り、又建紙包(カミノフクロ)に貯ふべからず、紙は水中に作しもの故に、濕を吸く害有と云り、此戒め茗溪詩話に見えたり、茶史に云、近人以二燒紅炭一蔽二殺紙裹一入二瓶内一、然後入レ茶極妙、以レ紙裹二礦灰一塊一亦妙と見えたり、
p.0787 藏茶
茶ノ性、燥ヲ喜、潮ヲ嫌フ、故ニ壺ノ乾枯ナルヲヨシトス、サレド高麗、三島、熊川、龍門字、或ハ薩摩ノ古帖佐、尾張ノ古瀨戸等ノ類ヒハ、尋常ニ得難シ、頓ニ求ルニハ淸雅ナルヲ擇トリテ、數日武火ノ焙爐ニ安ジ、後爐ヲ出シ、密室中ニ懸、徐ニ冷ヲトリ、冷定テ茶ヲ藏シテ後マタ他器ニ移ベカラズ、マタ百錬ノ錫瓶モ佳ナリ、タトヒ良器トイヘド、其口ヲ守コト空疎(ウト)ケレバ、茶ノ性味自ラ散ズ、マタ經年久藏スルモノハ、故瓢、或ハ故竹筒ノ内ニ築實堅ク封ジテ、再ビ松香ニテ固縫ベシ、常ニ密室中ノ火氣絶ザル所ヲ相テ架ヲカケ儲フベシ、空堂虗屋ノ如キハ、風ノ氣ツネニ融通テ、名器トイヘド冷濕ニ侵サレテ、イツシカニ茶ノ性氣亡佚、
p.0788 辯レ水和漢茶を好む人、水を撰を第一とす、水よからざれば、何程よき茶にても惡くなる也、陸氏より以來、水を論ずる事委し、鹽氣、金氣、濁水等は云に不レ及、水の善惡甚多しといへども、先大ていの水にても、くみたてを、活水とてよしとす、何程名水にても、時刻を經たる水は用るに惡し、
p.0788 名水品彙
賀茂御手濯川〈城州洛外下賀茂社流水、斯泉華洛第一ノ水といふ、別て烹茶によろし、其水甘く冷なり、〉 菊水〈京祇薗下河原にあり、水甚淡く茶の可否大にしろゝなりと、賀茂の水にはなとれり、〉 明星水〈吉田にある井水なり、菊水に同じ、以上三ツ洛外にありて、名水と云ものなり、〉 飛鳥井〈京二條にあり〉 少將井〈大炊御門南〉手水井〈四條烏丸〉 柳之水〈西洞院三條通東側人家内〉 醒井〈佐女牛通六條北〉 常盤井〈武者小路新町西北方〉 淸和水〈一條堀川東〉 晴明水〈上同〉 杜鵑井〈油小路通中立賣下ル東側人家内〉
右洛陽洛外大概之分擧レ之
合坂水〈天王寺西門之西湧泉也、浪華第一之水、又云、今用二逢坂字一誤也、其處有二合坂辻一、用二此字一可也、〉 在栖淸水〈新淸水寺下湧泉〉 柳之水〈難波村の井水也〉 難波水〈南瓦屋町井水〉 愛宕水〈内久寶寺町井水〉 黃金水〈御城内井水〉 淀川〈長流水〉
右大坂近邊之名水也
論レ水
本邦論二名水一書〈余○大枝流芳〉未レ見、世上茶家者流の口談ニ云、千阿彌利休、山城宇治川の橋三の間の水、日本第一の水と定む、豐臣太閤常に汲レ之、茶の水に用ひ給ふと云、至レ今彼橋汲レ水所、別に附出ししるしとす、利休が末流片桐石見守貞昌この水を汲、秤量二十錢目を以て分盈を作り、爾今點茶家者流に傳て合杓(カフノシヤク)と云、余これを傳て、諸方の水を量る分量大概左にしるす、按るに、水輕重を以て好惡を論じがたし、山水乳泉石池の類に重きあり、雜穢混合して流るゝ川に輕きあり、これを按るに、長流水は水こなれ、濁氣少きものは輕し、乳泉の類にて、只今石間地中よりわき出たるものは、 水は淸ふして甚重し、此類重きとて惡きにあらず、長流水輕しとて好にもあらず、水は只輕重にて定むべからず、只ロに含てよき味あるものよし、醎あり、金氣あり、土氣あり、澁き味ある等のもの惡し、只かるく甘き水好水也、又按に、點茶家者流の定むる所は、只水の分量のみ、輕重の間にはあるまじ、點茶は末茶の多少にて、水も多少の分量を汲はこれのみの用か、猶考べし、
遵生八牋曰、源泉必重、而泉之佳者尤重、餘杭徐隱翁嘗爲レ余言、以二鳳凰山泉一、較二阿姥墩百花泉一、便不レ及二五泉一、可レ見仙源之勝矣、この説にて按るに、地中石間より出る活水は重く、長流のものは水こなれかるし、しかれば重きが惡しきにもあらず、輕きが極てよしとも定がたし、初めに論るがごとし、
水輕重考
金城中黃金水〈二十目八分〉 淀川水〈十九匁四分〉 冽寒泉〈二十目五分、余宅茶井也、〉 有馬湯山〈一ノ湯用水廿一匁三分、二ノ湯用水廿一匁三分五厘、〉 有馬鷹塚淸水〈廿一匁六分、石泉極上々甘、〉 龜尾瀑〈廿一匁五分、水至極惡し、〉 舟坂淸水〈有馬道、極上々甘、〉 宗悟川水〈名水と云、生瀨川、東小川、舟坂ニハ不レ及、〉 瑞寶寺水〈有馬京口也、用水廿一匁四分、〉 同所瀑泉〈廿一匁貳分五里〉 大坂愛宕水〈廿匁九分〉 合坂水〈大坂天王寺西〉在栖淸水〈同所淸水寺下〉 難波柳水 京下河原菊水 京杜鵑井 丸茂手濯水 明星水
此外本朝國志郡志に擧る所の名水多し、其方角に在す人は、自ら試み用んも、博物の一つならんのみ、
p.0789 辨レ水
熊明遇の茶記に、茶を烹るは、水の功十の六に有と云り、〈○中略〉江水は中流の人氣遠きを汲べし、井者汲事多きを宜しと云り、是大統の論也、山水にも石池乳泉にして涌あふれざるは、陰氣を蓄ひて色鮮明ならず、或は淺縹に、或な微黑に、或者崖間樹蔭なるは、常た毒蠱なども住て潔からず、水味輕甘なりとも佳品とせず、江河長流は、汚穢流るれども、蕩々として其氣の停る所なく、味は甘重にて且無毒也、但烹て茶に靑色を出さず、山泉に劣る所也、井水は汲事多くとも、泥土或は海潮 の信ある地者、水味斥鹵腥臭、飮食の品にあらず、予〈○上田秋成〉頃(コノゴロ)京師の客舍に茶を烹て試るに、故(モト)是丘山の地なりと、いへども、千歲以來紅塵の陌、旦暮烟爨の稠密に汚穢滲漏して土臭となる乎、飮食佳品の水は稀なるやうにおぼゆ、只物に觸て其本色を出し、腐爛の氣を驅る者、山嵐寒冽の功のみ、一條通より上者尤淸冽にて、茶を烹れば靑黃鮮明なれども、甘香は冽氣に壓るゝに似たり、又洛東の井は、山下の濁溜にて土臭なき事能はず、茶韻興がたし、又市中所々に名水と聞えたる柳の水、さめが井、淸和井、あがた井、杜鵑井等は、たま〳〵地中の水脈にあひて活動あるもの、土臭なし、冽氣寒からず、旱天にも涸る事なく、茶を煎て尤佳品なるを、是亦猥に汲事を宥さゞれば、自ら渟潦の厄あり、只々淸流こそ食品の上首なれ、高野川、加茂の下上の泉川、西河も嵐山をかぎりて上は、急湍激流烹るべからず、宇治の橋本、尤絶品也、下流も人氣遠く塵垢をとゞめざるは、いづれも食品の水也、浪華は大江の中流三大橋の以東を上首とす、枝派の水は、塵穢泥臭、いづれも汲て煎るに不レ堪、あふ、坂、有栖等の乳泉、涌あふれて潔し、是も亦山下滴溜の弊にや、茶に靑色なし、市中郊外の井、悉く斥鹵泥腥、絶て食品なし、こゝに予が寓居の地、市陌を去事北に一里可、長柄川を南にし、大江東に流れて、柴島、山口、淡路莊等の地、井水淸潔にして、しかも寒冽ならず、甘味有て土臭なく、大凡江河中流の品に似たり、茶を烹て甘香、たゞ〳〵靑色なきを恨とす、予又私説あり、山川石池乳泉といへども、天の陽光を承ざるかぎりは、陰氣を蓄ふて寒冽なる故に、茶を烹て色は美なれども、香味は劣るべし、水は腸光を承て調和せられ、甘味もこゝに生ずる乎、江河塵穢なき事能はずとも、無毒にして廿味有者、活動陽光の和を得たるなり、水の性ひたすら澄を力む、塵穢汚泥も是を操る事能はず、市陌に横たはれる流水も、夜の丑寅の間に汲めば、淸泉に異ならずと云も此謂也、〈○中略〉茶を烹る者、水擇ばずば不レ可レ有、水えらばざれば、茶に色香味の三絶なし、是を美ならしむるは、水源遠からず、流も緩きを佳品とす、輕甘、甘重の水、再び三沸の法を以て熟味なる、 惟色香味の三絶を全くする水は天下にまれなるべし甘泉淸流、茶の三絶に和するとも、是を死活ならしむるは、烹る人の巧拙に有、能々意を用ふべき者也、予京攝の間に老て、它方の水味を試みず、虚しく井蛙の談をなすのみ、讀人擇びて取べし、又諸書に雨水を上品とす、熊明遇云、無レ泉則用二天水一と、此説淸泉に劣るとす、又云、秋雨爲レ上、梅雨次レ之と、毛文錫は、梅雨其味甘和、乃長二養萬物一之水と云り、五雜組に、閩人苦二山泉難一レ得、多用二雨水一、其味不レ及二山泉一、而淸過レ之、然自レ淮而北、雨水苦黑、不レ堪レ烹レ茶と云り、古人の説に、暴雨は塵土を誘ひて淸潔ならずと云り、試るに暴雨ならずとも、市中の雨水は、必塵垢浮沫の厄あり、漉て烹れば香味あれども、色は美ならず、東坡は、時雨降れば、器を多く庭中に置て是を貯へりとぞ、只簷溜の水は不レ可レ食、又雪水は五穀之精、尤宜二茶飮一と云説あり、丁謂の煎茶の詩に、痛惜藏書籄、堅留待二雪天一と云は、文雅の言のみ、雪水不レ能レ白とあれば、雨水には劣るべし、况雪水性感二重陰一とあるを見れば多飮べからず、文子の説に、水之道、上レ天爲二雨露一、下レ地爲二江河一、均一水也と云へば、雨水と江水の品、相似たるも宜也けり、又甘泉香泉の名有は、若草木の傍に生ずる物に觸てゑかりや、〈○中略〉古人の言に、眞源は無レ味、眞水は無レ香と云説もあれば、甘香共に、物に觸て生ずと云んも又理ありとせん乎、又茶經に、茶の産地の水に烹れば佳ならぬ者なしと、是自然の理也、たま〳〵折鷹の品、京攝の水に美ならず、武都に烹て宜しと聞、又人のかたれるに、筑紫の人折鷹を煎て、東方を拜し甘香の恩を謝すとぞ、茶の水に合ふは、音律の物に和して韻聲を興さしむと同じく、天然の善緣常理を以て不レ可レ論、又水を貯ふは、瓦罌に勝る者なし、是を陰庭に居て蓋を去、紗帛を以て覆ひ、星露の氣を承べし、水の英靈不レ散と云り、又煮泉小品に、移レ水取二石子一置二瓶中一、旣可三以養二其味一、又可二以澄一レ水と見え、鍾伯敬の水品論にも、小石冷泉留二早味一と云、又大瓮收二藏梅雨一、下二放鵞子石數十塊一、經レ年不レ壞と云り、又黃山谷の詩に、錫谷寒泉橢石倶と云も是也、〈橢ハ形長狹ナルヲ云〉又擇二水中潔淨白石一、帶レ泉煮レ之尤妙也と云り、此石の類、靑灣茶話に、河内の枚方の驛の上坂川と 云河原に有と云り、此頃山僧雲水の路次、近江の石部の宿より、佳茗少許に、加へて、小石一枚を倶に封裹して餉來る、是茶の産地の石と倶に煎るべき風流、甚興有事におぼえし、又水を製する法有、常品の水を瓦罐に沸せて、屋上或は庭砌に架を造り、瓦罐を其上に置、蓋を去、一夜星露を承しむれば上品の水となれる事、試みし所也、此事知新錄に見えたり、又一法、羅牟毗伎(ランビキ)を用て、水の英靈を取、是に星露を承しむれば、上品となる也、喫茶家淸泉に遉きは一大厄なり、東坡は常に玉女河の水を愛し、符を齎せて汲しめ、且此流を枕に爲ざる事を歎息せしとぞ、又山居の人は筧を造りて水を引、承二之奇石一、貯レ之以二淨缸一と見えたり、刳レ木取レ泉遠と云は是也、又水は輕きを上首とのみ云も、大統の論也、山水は渟潦の品も輕し、江水は茶に宜しきも、鹹苦腥臭の井より重きが有、茶譜に、山頂泉淸而輕、山下泉淸而重と見え、鍾伯敬も源泉必重、而泉之佳者重と云へば、一槩なるべからず、只々水は石に出るもの佳也と云へば、山泉湧流の品にこゆる者なし、文子の水之性淸、沙石穢レ之と云説のいぶかしきなり、水品の論猶多かり、試みざる者不レ言、水擇ばざれば湯の功なし、湯者寔に茶の司命也、克々擇びて煮べき者也、
p.0792 驗レ水
毛文錫云、茶ハ水ノ神、水ハ茶ノ體、ソノ水ニアラザレバ其神ヲ顯スコトナシ、精茶ニアラザレバ曷ソノ體ヲ伺ハム、嘗云、新水活水大江流水皆好、然レドモ道遠ケレバ厚味ヲ失フ、飛泉湍流陰翳ノ澗水ハ、性ハゲシウシテ宜シカラズトゾ、又云、井泉流水ハ體輕ク、味ヒ廿キヲ嘉シトストイヘド、水ノ甘キハイカデカ知ベケン、皆オホカタノ説ニシテ、未ダ試ミザル水ハ茶ヲ烹ニ及デ其品ヲ定ムベキ、夫レ水ハ地脈ニヨリテ〓湧ストイヘド、五味ナク、只鹹鐵士ノ三氣ヲ狹ム、サレド其微ナルハ、單飮シテ之ヲ口裏ニ識ルベカラズ、只茶ヨク其體ヲ知テ其神ヲ顯ハス、今コレヲ審ニスルニ、井泉江水及輕重ニ抱ハラズ、平旦ニ新汲水ヲ取、白瓷鍾三箇ニ盛テ、一ニハ鮮明ノ鐵線ヲ 投ジ、一ニハ硏末セシ五倍子ヲ投ジ、一ニハ瑩徹ノ明礬ヲ投ジ、淸室中二置、一夜ヲ過テ是ヲミルニ、鐵線クモルモノハ鹹氣ナリ、五倍子皂色ヲイタスモノハ鐵氣ナリ、明礬毛茸ヲ生ズルモノハ土氣ナリ、其三件全ク元ノ如ナルハ、極テ潔水、茶神ヲミルニ疑ヒナシ、僻地潔水ナキ所ハ、新水ヲ取、土瓶ニ盛リ煮熟シ、一宿露天シテ、明朝ニ上淸ヲ用ナバ稍佳ナリ、又流水ノ如キ、性ハゲシキモノモ此法ヲ取ベシ、寒中ノ水ヲ蓄置カ、蒸露鑵(ランビキ)ニテ水ヲ製スルモ可ナリ、サレド眞味ハ得ガタシ、陸放翁ガ入蜀記ニ、溺水ニ杏仁ノ末ヲ入テ、夕ヲ過テ飮ベシト云ヘリ、田藝衡ガ小品ニ、白石ヲ擇トリテ、泉ニ帶テ煮トイヘリ、是法タトへ宜シトモ煩シ、マタ綠天ノ雨、琅玕ノ雪ヲ烹ハ、幽境ヤムコトナキノ所爲ナメリ、
p.0793 湯候
茶を嗜む人、湯候をしらずんばあるべからず、點茶家者流には、みだりに湯を老爛するをよしとす、是何の益ぞや、余〈○大枝流芳〉したしく試に、湯久しく煎ばおもくなりて、生氣を失ふて毒となる、養生家に、久しぐ煮たる湯にて面を洗時は光澤をうしなふといへり、是にても其一つならざる事しるべし、况や何程ふるき釜にても、久しく煮ば鐵氣出て惡し、老湯は害ありて益なき事察すべし、
p.0793 湯候
湯は甘泉淸流を擇び、法を以て煮るべし、茶經に老湯三沸の法を立、其候、始は茶瓶茶壺いづれにても先微々の音を出す、蟹眼魚眼散布等の序次有、中間には、四邊泉の涌が如く、珠を連ぬるに似、終は騰レ波鼓レ浪、こゝにいたりて水の性消、是茶を煮べき節也、是を過れば湯の性却りて鈍く、茶韻不レ興、茶譜には、其音を聽て候ふべし、初振驟の三音過て、無レ聲にいたり茶を烹ると見えたり、蘇廙の十六湯品に、湯者茶之司命也、湯濫りなれば、上品の茶も凡種となれると云り、
p.0794 湯候
湯沸ニ新汲潔水ヲ盛、襄爐ニ活火ヲ起シ、初沸〈魚眼〉二沸〈連珠〉三沸〈波騰〉ヲ候シ、瓶中ニ茶ヲ投ジ湯ヲ沃ギ、湯面ノ氣眼ヲサマリ、茶脚沈ムヲ節トシテ、芳鮮ヲ喫スベシ、古人是ヲ初巡トス、初巡ハ則半韵色嫩、次ニ沸湯ヲサシ喫セシム、是ヲ再巡トス、則醇美廿冽ナリ、三巡則意况盡、 ムベカラズト、凡ソ煎茶ハ烹ニ逡速ヲ要トス、湯熟スレバ性弱ニシテ芳韻乏シ、マタ昔日ヨリ山林ノ人茶ヲ盌中ニオキ、沸湯ヲ衝、茶筅ヲモテ泡ヲタテヽ喫ス、是ヲ泡茶マタ沖茶ト云フ、實ニヒナビタル太古ノ風ナリ、
p.0794 庵茶
茶經曰、有二觕茶、散茶、末茶、餅茶者一、乃硏、乃熬、乃煬、乃舂、貯二於瓶缶之中一、以レ湯沃レ焉、謂二之庵茶一、
五雜俎曰、古、時之茶、曰レ煮、曰レ烹、曰レ煎、須湯如二蟹眼一、茶味方中、今之茶、惟用二沸湯一投レ之、稍着レ火卽色黃而味澁、不レ中レ飮矣、廼知古今之法、亦自不レ同也、
此二條とも、こゝに云だし茶也、茶經すでにだし茶を云ば、謝氏が論のごとく、古になしとは云がたし、是茶を沸湯の中に入て、火を以て煮ず、香氣の發するを待て飮、世俗に云、隱元禪師始て日本に此法を傳ふと云り、本邦の茶は、だし茶によろしからず、舶來のものをよしとす、武夷山の茶まれに渡來す、得がたし、其香蘭に似り、茶少し焙して後、洗て瓶に入れ沸湯を入る、また洗はずしてもよし、渡來の茶、風味和品と異にして、又賞すべし、
p.0794 煎法
蘇子瞻の詩、佳茗似二佳人一と云句有、予〈○上田秋成〉云、茶者高貴の人に應接するが如し、烹點共に法を濫れば、其悔かへるべからず、煎法蒸焙の茶は烹るに宜しく、炒茶は淹煎に宜し、法則先湯の茶を烹べきを候ひて、茶を急に瓶に投れ、卽手に火爐を去て盆上に置、一霎時熟するを待て飮べし、熟味 の候は、瓶中の茶葉の沈めるを節とす、淹茶は別鑵に湯を沸せて、茶瓶を沃盆の上に居て、茶を先瓶に投、瓶の外面より熱湯を沃ぎ、温氣を内に通ぜしめて後、瓶中に湯を汲入る也、杓を高く擧れば湯躍りて茶韻を勵す、熟味を待事、法上に同じ、又烹るに臨みて茶葉を洗ふ法あり、是茶に塵垢有を去爲也、別に瓦盆を儲て、〈是を漉塵と名づく〉新汲の水に一洗し、竹匙を以て瓶に移し、而後湯を汲入る也、沃盥の圖茶經に出たり、但上製の品は不レ可レ洗、洗へば淸韻を脱す、鐺炒の茶は氣味共に濃く、洗ふて宜し、又淹茶の㨗法有、先瓶中に茶を投、一杓の温湯を汲入て茶葉を洗ひ、卽瓶の嘴より去て、更に熱湯を汲み熟候を待也、一二巡にして湯を次も可也、唯瓶を盡して、復烹るには及ず、茶譜の投茶法に、茶を先にし湯を後にするを下投と云、湯を半汲て茶を投、復び汲を中投と云、湯を先に茶を後にするを上投と云、春秋は中投、夏は上投、冬は下投宜しと云り、是精細の法也、然ども淹煎は〈卽下投なり〉茶葉の沈む事遲し、烹る〈上投〉に劣れる證也、茶疏に云、一壺の茶、〈壺は卽瓶の屬也〉只堪二再巡一、初巡鮮美、再巡甘醇、三巡意欲レ盡矣とぞ、多く不レ可レ飮、暗中の害あるべし、廬同の茶歌に、一椀喉吻潤、二椀破二孤悶一、三椀披二枯膓一、唯有二文字五千卷一と云は、茶飮の節に適ひたる也、四椀に及て發二輕汗一、平生不平の事、盡向二毛孔一發と云ぞ、漸醉夢の境に入し者よ、五椀肌骨淸、六椀通二仙靈一といひ、七椀にいたら喫不レ得也、唯覺二兩腋習々淸風生一、蓬萊山在二何處一等の語者、大醉の妄言にして、五千卷隻字も胸臆に記すべからぬをしられて、酒仙の道路に倒るゝと異なる事なし、予前年浪華の喫茶家にて、點茶三椀を貪り、卽時に立て一里の行程を歸る、此日中冬下旬、郊外の晩景風尤烈しく、往來の人皆苦吟して走る、予一人北風を面に浴すれども、更に飢寒を思はず、却て輕汗を發し、薄暮蝸盧に歸りぬ、是暫く茶仙の醉境に入し者也、平生渴を患ひて、漏危の癖あれど、いまだ其害を覺らず、蓋暗中の損有べし、又茶錄に、茶を品する者、一人得レ神、二人得レ趣、三人得レ味、七八人是名二施茶一、と見ゆるをもおもへ、客主の淸雅、多飮にあらず、衆多にあらぬ事を、 分量
茶の分量、烹るは水一合に茶五分を適とす、濃きを好む者は是に增べし、炒茶は量を不レ可レ過、又淹茶は大方に湯を次故に、量を增も宜し、但茶品によりて活用有べき也、色味共に濃に渦る者淸韻なし、
p.0796 選器
茶瓶は小器を要むべし、湯候ひやすく、且客を迎へて再三煎るの興あり、只前煎の宿氣を去ざれば茶の色香なし、新汲の水に克々滌ひて再烹るべし、常に一煎して宿氣なからしむれば、客來たりて急卒の効有、怠るべからず、黃金銀錫の製造有、高貴の玩器、不レ試ば不レ言、分限に應じて玩弄すべし、磁器の功用尤佳なり、西土より渡せるは、形狀の文藻のみならず、用を專らと造りたれば宜し、古渡の物得がたし、淹煎の器、今も多く來たる、古代の物に比ぶれば麁品にて愛玩する者なし、古器を得んと欲する者効用の爲にて、點茶家の舜盌禹笻を撿索する談にあらず、古渡の茶瓶たまたま得たらば、京師の名工に摸さしめ、破壞の厄に備ふべし、
湯鑵、黃金白銀の製は措て論ぜず、錫鐵銅鍮瓦數品の中に、瓦罐の効勝れたり、銅鐵鍮の性臭、茶に敵す、錫は淡しく害なし、新古を論ぜず、鐵鑵を用ふる事、點茶家の弊也鐵鑵の湯熟爛すれば、古製といへども、鉎氣爛れ出て茶味を害す、茶譜に、湯用レ嫩、而不レ用レ老と見え、茶疏に、過レ時老湯不レ堪レ用といへり、烹點共に害は同じ、試みよ終日煮過せし湯を以て面を洗ふに、其皮膚を刺す者は鐵氣也、且甘味とおぼゆるも卽鉎氣のみ、瓦罐も泥氣有は湯宜しからず、只新古美醜を論ぜず、湯の宜しきをえらぶべし、又茶解に湯銚と云有、釜め小而有レ柄有レ流者と云り、和名抄に、辨色立成云、銚子、和名佐之奈閉と云るは、都良香の銚子の銘に、多煮二茶茗一、飮來如何、和二調體肉一、散レ悶除レ痾と有を以て、當時は湯銚に茶を烹たる事を芝らる、又和名鈔の同條に、鐎、温器也、三足有レ柄と云も、銚の屬なるべ し、是等も茶具に用ひし乎しらず、
茶盞、或者茶杯とも云、是も小器を宜しとす、西土明世の製造白磁なる者宜し、茶史に、盞以二雪白一爲レ上と見ゆ、或は椀と云、鍾と云、甌と云、其形少(ワヅ)かの異有のみ、白磁を貴むは、茶の靑黃候ひやすきを以てなり、點茶家黑椀を貴むは、漚花の白色を試ん爲也、茶盞用ふる時、潔滌を專らと力むべし、茶略に、山僧迎レ客餉レ茶時、猶將二濕絹一向二茶碗内一、再三掍拭、此誠得二茶中三昧一者と見ゆ、茶箋には、茶具滌爭覆二竹架一、俟二其自乾一爲レ佳、其拭巾只宜レ拭二外面一、切忌レ拭レ内、蓋布帨雖レ潔、一經二人手一、極易レ作レ氣、縱器不レ乾亦無レ害と云り、共に深切の説也、諸書に盞と云、杯と云、椀と云、御國には上古より椀と云しと思ゆ、大和物語に、良峯宗貞五條わたりに雨やどりしたる家にて、あした菘を蒸ものと云物にして、ちやうわんに盛て出せしを、興有事に後まで忘れかねつると云事見ゆ、〈茶椀をちやうわんとなだらかにとなふる類、そのかみの詞づかひなり、これをある人長椀と解しは、いぶかしき事也、〉
火爐風爐、共に西土の製造佳也、効用を專らに造りたり、こゝに造れるも、かしこに象れる者宜し、茶具の圖、茶經に十二具を出し、附錄に七具を見はす、遵生八牋に十六具の目見ゆ、烹點共に今は長物と思しきもあれば、擇びて取べし、必備ふべき具、
火爐 風爐 苦節君〈茶經に圖あり、風爐を覆ふ具、〉 湯鑵 茶瓶 茶壺〈茶瓶と同用の者〉 水注 水杓 分茶盒 茶罌 茶匙〈竹或ハ瓢或ハ銅器〉 茶盞 飛閣 沃盆 水曹〈茶葉を洗ふ盤〉 受汚 納汚 烏府 降紅 團風 焙爐
小物は悉く器局に收むべし、竹籃を以て製するを都籃と稱す、總て器物は分限に應じ有に任すべし豪富の家には、珍奇を搜索めて著靡の情を恣にす、山林の士は、新麁を嫌はず、効用淸潔を專らと擇ぶべし、
p.0797 〈和名〉こんろ 經〈○茶經〉に風爐とありて、其製銅鐵泥の三通りあり、眞〈○眞齋淸事錄〉には 凉爐とよべり、今用ふる所はこゝに圖〈○圖略〉するごときの類にして、形狀一ならず、いづれも明以後の製なり、按ずるに、コンロとよぶは風爐、凉爐等の唐音なるべし、しかるを俗間に崑崙の文字などを配當せしは、謂れなき傳會の説といふべし、
〈和名〉こんろぶた 錄〈○茶錄〉に爐蓋とあるは、疏〈○茶疏〉にいふ所の雪洞にして、今末茶家に用ふる雪洞是也、こゝに圖〈○圖略〉するはコンロブタにして、近ごろ新渡にたま〳〵これを見る、コンロに火を、用ひし後、これをもて覆ふに、灰燼騰散の憂ひなく、頗る便利を覺ゆ、舶來に蓮葉などをかたどれるもの多し、
〈和名〉ゆわかし きびしやう 杜〈○杜氏全集〉に急須、疏〈○茶疏〉に茶注甌、注湯銚、資〈○資暇錄〉に茗瓶、會〈○曾典〉に茶瓶、間〈○間情偶奇〉に茗壺、類〈○類書纂要〉に砂罐、眞〈○眞齋淸事錄〉に茶壺など、さま〴〵の名、種々の形もあれど、いづれも明以後のものにして、ユワカシも、キビシヤウも、素より一物なるを、三四十年來淹茶になりてより、ユワカシとキビシヤウと、二物のごとくもてはやす俗習とはなりぬ、〈○中略〉石〈○石山齋茶具圖譜〉に急尾燒の稱あり、キビシヤウの和名は、全くこゝにもとづくなるべし、
〈和名〉ひしやく 經〈○茶經〉に又犧杓ともよびて、圖〈○圖略〉の如くふくべにて造り、或は梨の木にても作るとあり、譜〈○茶譜〉に分盈、花〈○花史左編〉に水杓などいふも、みなヒシヤクにして、或は竹の節ある所を底にして造れるなどの類多し、
〈和名〉みづさし 經〈○茶經〉に熟孟とあるは、漉したる水を貯ふるゆゑの名なり、譜〈○茶譜〉に圖する雲屯は、則こゝに圖〈○圖略〉するものにして、運びに便なるを旨とするものなるべし、備〈○居家必備〉に兩耳あるものを、水提點といへるも、又此雲屯の類ならんか、經に水方とあるは、四角なる水さしをいへり、まうきはすべて方といひがたし、
〈和名〉みづつぎ 疏〈○茶疏〉に〓水、石〈○石山齋茶具圖譜〉に水罐などいひて、圖〈○圖略〉のごとく後手、或は上手、或 は銅、或は磁、みなミヅツギなり、銅磁ともに古きをよしとす、
〈和名〉かましき 經〈○茶經〉に交床、譜〈○茶譜〉に靜沸などいへり、竹根或は蓮房の類にて製する、尤天然の淸致を存せり、
〈和名〉はぢやつぼ 譜〈○茶譜〉に注春、備〈○居家必備〉に茶盒、疏〈○茶疏〉に深口磁合、石〈○石山齋茶具圖譜〉に茶心壺、茶葉罐など、さま〴〵にいふ、いづれもハヂヤツボなり、近來阿蘭陀産の水藥壺に、ギヤマンのハヂヤツボの用に適するものあり、茶を貯ふるに久しうして、色味ともに變せず、
〈和名〉ちやわん 録〈○茶録〉に茶鍾、酉〈○酉陽雜爼〉に茶甌、正〈○正字通〉に茶杯、其餘諸書に、茶盞茶盌啜香など種種の名ありて、大小形狀一樣ならず、いづれの形も、いづれの稱も、通じてチヤワンといふなり、
〈和名〉ちやだい 録〈○茶録〉に茶槖譜〈○茶譜〉に納敬、圖〈○茶具圖贊〉に漆雕秘閣などいへり、〈○中略〉
〈和名〉ちやわんいれ 經〈○茶經〉には畚とあり、此畚とは蒲に、て編み、チヤワン十枚を巻きて、しまひおくものとなり、今こゝに圖〈○圖略〉せる如き竹にて製せるを畚とはいひがたし、按ずるに、是全く賣茶翁高遊外などの始て製せるものならんか、こはチヤワン五枚をいるゝを度とす、漢製も漢名もなければ、予〈○深田一〉はこれを茶盞室と稱し、保壽と銘す、
〈和名〉ちやきん 經〈○茶經〉に巾、譜〈○茶譜〉に受汗、箋〈○茶箋〉に拭巾、石〈○石山齋茶具圖譜〉に盞布などいひて、麻或は布をも用ひ、寸法も論じあれど、大凡三四寸巾の麻を用ふるがよし、かならず二ツを設けおき、互に用ふるを茶經の本意とす、
〈和名〉ちやかすいれ 經〈○茶經〉に滓方といふは、四角に製したるゆゑの名なり、丸きはすべて方といひがたし、滓盂は形の方圓にかゝはらぬ稱なりこれにも予自ら可餐の二字を題命す、
〈和名〉こぼし 經〈○茶經〉に滌方とあるは、これも四角なればかくいふなり、漢〈○漢書〉に建水とあるは、いづれの形にても、又銅磁、或は曲物等にもかゝはらぬ稱にして、虚受は予が自銘なり、 〈和名〉ちやがふ 漢製漢名ともになし、按ずるに、是も高遊外の始て製し自銘する所なるべし、茶合の二字を音讀して、別に和名なし、竹の節を一ツかけて、ニツ割にせしもの多し、近來は節なきをも用ふ、すべて六七寸あるを度とす、茶經に則といひ、茶譜に執權とある、みな茶を入るゝ時、多少をはかる器なれば、此茶合を則或は執權と呼ぶも可ならんか、
〈和名〉たけばし 經〈○茶經〉に竹夾とあるは、凌湯をかきまはす器にして、或は種々の木にてもこれを製す、木なるは兩頭を銀にて裹とあり、今の竹筋は、キビシヤウより茶滓をはさみ出すの用に供するものなり、
〈和名〉ちやぼん 遵〈○遵生入牋〉に長盆、三〈○三オ圖會〉に茶盤、疏〈○茶疏〉に茶盂等いへる、皆チヤボンの稱にして、其形一ならず、近來紅毛産にブリキといふかねにて製せる、チヤボン樣のもの數品あり、形雅なるは用ふるに足れり、〈○中略〉
點茶板、和名なし、經〈○茶經〉に具列は一片版耳とありて、諸器物を並べ置物にして脚もあれど、此方にては、疊の上に坐して烹點する事なれば、脚のなきも却て便利に似たり、脚あるも短きはよし、寸法は茶寮の廣きと狹きにょるといへども、大凡そ長三尺、巾一尺二三寸を度とするよし、石〈○石山齋茶具圖譜〉に茶器板とあるものにあつべし點茶板とは予が假りに呼ぶところの稱也、〈○中略〉
〈和名〉せんちやぶろ 寮〈○茶寮記〉に茶竃丸、疏〈○茶疏〉に茶竈などいへり、今のフロと稱するものに當べきか、按ずるに、珠光紹鷗利休輩、風爐はコンロなるを、誤りて灰をいる ものをフワと呼びそめしより、俗習年久しければ止む事を得ず、こゝに圖〈○圖略〉せる如きのものを、センチヤブロと稱するなり、〈○中略〉
凉布 換濯布 並びに漢名漢製、和名和製もなし、是予が發明にて用ふる所にして、いづれも黃色布を用ふ、こはチセキンに紛はしからぬを旨とするなり、 凉布は、ユワカシの手の熱き時、是にて握るなれば、豫め懷中すべく、換濯布は、万一コンロの熱きを動さんとする時、是にてコン口を抱き除る故に、是も常に座邊に備へ置べきなり、
〈和名〉こんろだい 漢製にさま〴〵あれど、古くはなく、近來の製にして、其名の出所をしらす、石〈○石山齋茶具圖譜〉に燒座といへるもの、則コンロダイなるべし、素より風爐臺、涼爐臺など、文字を配當する尤當れり、
〈和名〉みづがめ 解〈○茶解〉に貯水甕、〈○願體集〉に水缸などいへり、こは水厨におきで、客前に用ふるものならねば、大小形狀も、人々の心にまかすべきなり、
按ずるに彼方の茶家に、ミヅヤといふべきものを別に構へたるはなし、たヾ此甕を茶齋の別室に置とのみおもはる、こは彼方齋中もみな瓦敷にて、此方の疊敷とは大に事かはり、水などのこぼれたるも、さのみいとはねば、分て設くるにも及ばぬと見えたり、予はいさゝかながし竹架等を構へ、これを水厨と命ず、水厨中諸器の置頓は、人々の心々にまかすべきなり、
〈和名〉みづこし 釋〈○釋氏要覽〉に水羅、法〈○法苑琺林〉に漉袋などいへり、
〈和名〉だいす 會〈○會典〉に卓櫃とあるは、こゝに圖〈○圖略〉する如きのものをいふ、觀音開きのなき素棚は、品〈○品茶訣〉にいふ所の閣板、或は禁架などにあつべし、
p.0801 風爐
風爐とは風を透すによりての名なり、形さま〴〵あれども、すべて風の便よろしき所へ持まいりて、茶を烹るべき爐の撼名なるべし、
凉爐
涼爐は荻をも入ず、鐵三脚をも用ぬ爐なり、〈俗これなコンロといふ〉唐製をよしとす、形雅にして火のよく熾るを用ゆべし、當時京郡の陶工淸水六兵衞〈五條建仁寺町に住す〉唐製を摸すにも妙を得たり、此六兵衞造 る所の小凉爐、揚名合利の印あるは唐涼爐のうつしなり、形ちいさけれども火よく熾、他所へ持行にもよし、二重凉爐も藁物をうつして作れり、持扱ふに手熱からず、火をあふぐに灰ちらずしてよし、其外さまぐあり、作は此人に限らず、湯の沸ことの速なるを用ゆべし、
小砂罐
急燒も唐製をよしどす、然れども其中に好惡あり、中にも最上の品は、高翁所持の急蔑南瓜形、〈唐物なり〉淸水六兵衞摸形して、世上に賣茶翁形といふはこれなり、此外廣東急燒、〈俗に紅毛形といふ〉賓珠形、〈新渡急燒のうつし也〉其外朝鮮形、南蠻形、廣口などいふは、それぐよりどころあり、假になつくるなるべし、此六兵衞茶を好て、みづから試て作り出すゆへ、此人の作は、土の製も他に勝れてすべてよろし、高翁在世の時の陶工三七〈三文字屋七兵衞といふ、建仁寺町に住す、〉金三、〈梅林といふ、淸水邊、〉ともに寶曆の頃の良工なり、今も所所に上手あり、擇て用ゆべし、〈○中略〉
提籃
提籃すべての茶具を納て行籠なり、萪藤にて製す、又藤蔓の製あり、内に凉爐急燒、茶鍾、茶注、藤床、茶托子、火箸、吹篇、炭等までも取組て遊山などに持行、その到る所にて茶を烹るに便なウ、都籃、爐龕などを約めたる高翁の茶具都て一式あり、同時の諸名家の銘などありで、いつれも雅品なり、別に一本あれば、こ、に贅せず、
p.0802 選器
人情ノヨル所、多クハ新シキヲ鄙ミ古キヲ貴トム、凡ソ物ノ新シキヲ覓ルハ易シ、故キヲ求ルハ難シ、世ノ中ハ都コトノ易キコソ心解テ樂シケレ、難キハ心凝テイトハシ、茶宴ノ興ハ、舊釋氏及ビ山林ノ人ノ所爲ナリ、今ニシテモ專ラ淸趣淡雅ノ士ノ佳玩ニシテ、同志ノ友ヲ集メテ、咫尺ノ庭ニ千峯ノ雲ヲ尋、鐶堵ノ室ニ萬古ノ春ヲ占、半窓ノ蕉雨ニ靜ヲ習、一榻ノ松風ニ閑ヲ催ス、カヽ ル人トシテ、イカデ難キヲ覓コトノアルベケム、喫茶ノ僻ハ原ヨリ淸趣ヲ雅トナシ、游絲ノ塵、浮遊ノ濁ヲモ厭フベシ、サレバ其器ヲ開列モ皆コヽニ違フコトナク、新故ヲ嫌ハズ、只淸潔ナルコソ笑止ケレ、少シク雅古ナレバイトヲカシ、是故ニマチくニ器物ヲトカズ、ナベテ物ノ古々シキハ茶ノ本性ト相乖キス、夫茶ノ性ハ淸シ、水ノ性ハ淡シ、茶ヲ好ム人ハ、實ニ淡泊ノ懷春雪ノ如クナルベシ、
p.0803 湯候
鳴泉ニ銅鐵錫眞鍮ノ類ヒヲ忌、瓷器ヲ佳トス、近頃來舶ノウチ宜敷品アリ、和製ノモノナレバ、銘アル器ヲ用ベシ、世ニ薩摩ノ國朝鮮歸順ノ士造所ノ小瓷瓶ヲ賞ス、按ズルニ、文祿元年、隼人ノ精兵朝鮮ヲ征シ、其民二十一姓ヲ俘テ薩州ニ歸ヲ、後寬文九年己酉ニ、薩州ノ苗代川へ聚落セラレシ朝鮮人ノ苗裔今獪アリテ、土瓶ヲ造リテ生活ヲイトナムト云ヘリ、京師ニテハ高翁時代、淸水ノ住三文字屋七兵衞、建仁寺町ニ梅林金三、初メテ煎茶器ヲ燒出セリ、相績ヒテ淸水ニ海老屋六兵衛、伊勢屋與三兵衞、三文字屋嘉助、其頃木屋町ニ木屋八十八ト云フ者ア、、長崎へ下ダリ、唐藥ヲ學ビ、陶器ニ於テハ古今ノ名人ナヲ、古器觀、九々鱗、聾木米、遞稱木屋佐兵衞、岡久泰、櫻隠ト號ス、尾形周平名人ナり、是等ノ作宜敷品ヲ撰ビ用ベシ、凡ソ瓶ハ一烹黠ゴトニ、茶鑢ヲ洗ヒ去テ收藏スベシ、宿鏽アル時ハ精茶トイヘド甲斐ナシ、煎茶淹茶トモニ鼓浪ヲ肝要トスベシ、
p.0803 高翁の時分、急燒こんろ茶わん等をやき出すに、其名を得たるものは、建仁寺町三文字屋七兵衞と、淸水の邊に住す梅林金三なり、今其形をうつして燒出すもの、淸水の六兵衞、同嘉助、左兵衞等尤上作なり、六兵衞、嘉助、近比故人になりて、今の嘉助又妙作也、左兵衞は唐物をうつすに妙を得たるものなり、煎茶置用の陶器を專らにひさぐものは旭峯松風店なり、
本府〈○尾張名古屋〉富士見原の素燒豐八が弟子豐助、右にゆふ所の人々の陶器類を、何によらずうつせ しが、近年次第に手練して、今は風爐こん爐等、別に京師にもとむるに及ばず、只急燒のみは形も品もおとらずといへども、土に是非ある故、およばぬ所もあり、
本府煎茶の諸具をあきのふものおふけれども、就中本町十丁目つの喜、同七丁目駒庄、今專らこれを賣る、
p.0804 煎茶に用ゆるキビシヤウといへる器を、高芙蓉の撿出して大雅堂に語られしが、殊に歡びて、是を同志の徒に知しめんとて、其事を上木し弘められしそ、風流の深切といふべし、急燒 又名宜興鑵
右見淸人呉成充船中饗和客金右衞門天僊卓式記 高芙蓉撿出
右衣て丙子冬十月大雅堂印施と有此丙子は寶曆六年にして、大雅山人三十四歲、高芙蓉は三十五歲の時なり、
p.0804 急須
今人呼小茶瓶云急備燒、卽急須也、須音蘇、國音呼急蘇、猶云急備燒、蓋唐音之轉訛耳、按、三餘賛筆日、呉人呼暖酒器爲急須、呼暖飮食真爲僕惜、急須者以其應急而用茣人謂須爲蘇、故其音同、僕惜以銅爲之、言僕者不得竊食故惜之也、〈僕憎俗云逾幾非喇〉松江府志引菽園雜記曰、急須飮器、以其應急而用也、今以呼酒壺、而急音轉爲的、須更爲蘇云、
p.0804 〈和名〉すみ 疏〈○茶疏〉に堅木炭をよしとす、かならずよーおこして後、火斗にて、ンロへ運ぶべし、かくすればいぶりの憂なしと、許氏もこれを細かに論せり、羅〈○羅點聞見鏃〉に麩炭、老〈○老學庵筆記〉に浮炭などいふは、みな消炭の類にして、これを用ふるも亦よし、たゞし水消にして灰をよく去るべし、かくせざれば微臭のおそれあり、
p.0804 附炎 炭はもろこしにも金烏銀鳥の類ありて、此土にも品々あれども、攝州池田の市にうる一庫炭にしく物かし、丹州より出るもの次之、同じ處より出るものにも好惡あり、ゑらび用ゆべし、
p.0805 取火
火は炭を良材とす、懈炭尤焔氣熾にて宜し、焔氣猛烈なるを活火と云、又武火と云、薮炭は湯の氣鈍く、茶に色香不興、茶略に、松竹楸の柴薪を炭の上に座しむ、松竹の性、炎氣烈しといへども、烟薰湯に入則は茶に害あり、炭に乏しき地、止事を得べからねども、克々意を用ふべし、火を候ふ事疎なれば湯の効なし、侍童了鬟の任にあらず、躬親つとむべし、
p.0805 〈和名〉すみとり 經〈○茶經〉に筥といひ、譜〈○茶譜〉に烏府、備〈○居家必備〉に炭斗などいふ、みな形は異にして用は同じ、〈○中略〉
〈和名〉ひばし 譜〈○茶譜〉に降紅、王〈○王百谷雜字〉に火筆、用、〈○居家必用〉に火又などいひて、形狀もさまノ丶なれど、たゞ其用に便なるをとるべし、〈○中略〉
〈和名〉ひふきだけ 珠〈○法苑珠林〉に吹筒、或は火管などありて、いづれもヒフキダケの稱なり、
〈和名〉ははゝき 漢製漢名ともになし、圖〈○茶具圖贊〉に宗從事といへるものゝ用をなせり、圖〈○圖略〉のごとく、四ツ羽束ねたる尤よし、譜〈○茶譜〉にいふ所の團風の用を攝て、コンロを扇ぐにも頗る便なり、予〈○深田精一〉今其姓を改めて羽從事とす、
〈和名〉玄うのう 用〈○居家必用〉に遞火、音〈○正音〉に火斗などいひて、火を運ぶ器なるが、煎茶家には、極めて小さきをよしとす
p.0805 火筋
火ばしは、炭を割にゆがまざるほどのつよきものよし、茶經には、長さ壹尺三寸、銅鐵を以て作るとあれども、凉爐に用ゆるには、七八寸にてもよかるべし、〈○中略〉 吹笛
吹管は俗ならぬを用ひたきもの也、高翁所持の火ふき竹よきころなり、長さ八寸ばかり、羽箒
羽箒は、火をあふぐにも風のよーふーむやうに造りてよし、〈○中略〉
萪藤扇
萪藤にて編たるうあはな帆華物にありて雅なるものゆへ、〈本邦の古き畫卷にも似たる圖あり、かの枝扇の類か、〉今は所々にて摸形して作る、尤凉爐に用ひて雅なり、座右に罐座のあウあはぬ時は、假に瓶をのせるにも便なり、又炎暑の節は、水に浸して身をあふぐに、しづく身にしぶきて冷なり、よつて俗に水團勗ともいふ、〈○中略〉
烏府〈炭〉 〈炭襷〉
炭とりは、何にても好にしたがひ用ゆべし、茶經の、炭斗は、竹にて編たる菜籠といふ類にて、高さ壹尺二寸、徑り七寸とあり、
p.0806 六々山尢凹凸篥壁書一客殿に來て、木魚を打案内をすべし、
一沓草履は初座旦座とも、客殿の沓草履を三店ともに用ゆ、尤自身可取墾事、
引出ものゝ用意なき客は、客殿より直に歸事、
一初座旦座ともに、店に入時手洗を可遣事、
一主より酒の獻數を尋ぬる時、相客一同に申合答べし、區々の獻數望べからざる事、
右之條々承知之族は店に入て遊、べし、不得心之客はこれより可退去事、
元和三春上巳 三亭主人在判
p.0807 煎茶會法式之書小川信庵撰
抑元租丈山居士ヨリ相樽ノ煎茶會ノ三亭ハ、酒店、飯店、茶店、是レヲ三亭ト云ナリ、酒店は四疊半、酒ヲ燗ムル園爐アルナ、、膳立ノ間アリ、床板ナシノ床アリ、板棚蓮棚等ヲ釣ラザル法ナリ、餝ハ初座旦座ト掛物ヲニ度懸ル事ナリ、書畫ノ掛物ヲ、初座言ナレバ、後座ノ旦座ユハ繪ヲ懸ル法ナリ、又初座ニ畫ヲ懸ケ、旦座ニハ書ノ掛物ヲ懸ルモヨシ、時ノ宜敷ニ任スベシ、旦座ト云フハ茶ノ湯ノ後座ト云フニ同ジク、相客ソロヒナバ客殿ニ來リタ、相俘揃タルヲ客殿ニ餝リオク木魚ヲ打テ案内ヲスベシ、木魚ノ打ヤウ柏子ハ心ムキ次第、別ノ傳ナシ、主出向テ酒何獻可參ヤト問、或ハ二獻玉ハルベシト答、次ニ酒代ノ引出物ヲ主ニ渡ス、主ジ勝手ニ入、酒肴ノ支度能時節、鉦ヲ打案内ヲシテ、客ヲ酒店ニ向フ、木魚ノ音替り、儡ヨク鉦ヲ可打事ナタ、客欒内ノ鉦ヲ聞テ、手洗ヲ遣ヒ酒店ニ入、主酒肴ノ相件ヲスルナリ、酒店旦座ノ節ハ主相伴セヌコトナリ、
貳獻之時ハ 小廣蓋物〈七色バカリ盛リテ出ス〉
旦座之節吸物ヲ出ス、前後合テ二獻也、〈吸物肴出ス、度々酒ヲ出ス事ナリ、〉
三獻ト好有時ハ 吸物〈一〉鉢盛鱠〈一〉
旦座之節 硯蓋物、〈五色バカリ盛形シテ出ス〉前後合テ三獻ナ、、〈○中略〉
但シ九獻以上ノ酒ハ出サズ、一獻四獻六獻八獻ノ酒モ出サズ、酒盛モ保養ニアラズ、不好事ナリ、煎茶會之事、京都大坂奈良堺ニモ、元和寬永ノ頃ハ時花タリ、江戸ニテモ昔ヨリアリ、近頃平岡與右衞門ト云歷々モ好マレタル由、駿河御城下ナドニモ適々高有タル由、皆石川、〈○丈山〉ノ傳來ニテハナシ、世ノ中ノ習ニテ、酒茶食ヲ振舞時ハ、追而返報ノ振廻ヲ催スコトナヲ、是レ主客ノ嘘ナリ、此傳來ハ返禮ニ逢ンコトヲ嫌ヒ、三亭ニ引出物ヲ客銘々ヨ、モラフ、此ヲ作法トシテ人ノ方へ振廻レムコトヲニクミ、當座ノ輕物ヲ取テ酒茶食ヲ振舞、風雅ノ至ニアラズヤ、 酒店飯店茶店三亭ノ入口ニ額アリ、中文字ニテ、 酒 飯 茶 一字宛書ナリ
主初座ノ酒肴出シ終テ、初座ノ膳分ヲ置、酒ヲ出シ置、其儘ニテ勝手ニ入、飯店ノ支度調ル、
主座ヲ入テ後酒ヲ好マズ、是レ法ナリ、
飯店ト云ハ長四疊、主疊壹疊、貳岼バカリ折廻シ通ヒノ土間ア、、食ノ湯釜用意ノ圍爐アリ、勝手賄所アリ、飯店ハ床ナシ、客疊四疊ノ壁附ニ壹尺五寸ノ板棚、袋戸違棚アリ、
飾物
琴 琵琶 三味線 笛類 樂器 香爐 香具 懸香〈薰物等ナ可、其外ハ何二テモカザラヌ法ナリ、〉
飯店へ旦座ハナシ、鳴物好人酒店ノ旦座ヘモ、茶店ノ初座ヘモ旦座ベモ、自身持參シテ心ノ儘ニ樂事法也、
香具ハ此席バカリニテ、他ノ店へ持參ハセヌコトナリ、故有コトナリ、
飯店ノ支度能時節、拍子木ヲ品ヨク打シラセ、客ヲ飯店へ招クナリ、
客案内ノ拍子木ヲ聞、酒店ヲ出、手洗ヲ遣ヒ、飯店へ入、
酒店ヲ客出タル跡ニテ、初座ノ酒肴ヲ引、掃除ヲシ、席ヲ改メ、掛物ノ畫ヲ書二掛替ルカ、又書ヲ畫ニ替ルカ、時ノ宜敷ニ隨ガフ、
主出迎曦客ヨリ飯代ノ引出物ヲ主二渡ス、
酒ノ獻數ニ應ジ、飯ノ菜數ヲ定ルコト煎茶會ノ定法ナリ、此故二飯店ニテ主ヨリモ菜數ノ程ヲ不伺コトナリ、
酒二獻之會ハ 一汁二菜 酒三獻之會ハ 一汁三菜 酒五獻之會ハ 一汁五菜 酒七獻之會ハ 一汁七菜〈二ノ汁、樂ノ數二入、七菜ノ内二ニチ出ス、〉 酒九獻之會ハ 一汁九菜〈但ニノ汁ノ事前ニ同ジ〉
膳ナシ、飯臺ナリ、香ノ物モ菜數ニ入ルヽ法ナリ、 主飯ノ相俘スル一人格膳ナリ、客モ主モ食鉢手盛リナリ、使令ハ汁ヲ替ルバカリナリ、飯後ニ飯店ノ酒ハ不出法也、若シ客上月ニテ敢テ望有時ハ、燗酒一德利出シ、盃ハ不出事ナリ、膳分不殘引仕舞テ、主ハ茶店へ移ル、
茶店ハ長五疊、外ニ主疊三尺四方ノ入側ニ、茶ヲ煮凉爐ヲ出シ、灰爐水流シ茶具ノ入袋戸棚アリ、床ハ九尺壹間ハ疊、三尺ハ板床ノ張附、皆靑土佐紙ナリ、懸花入ノ折釘、高低三本打附ル、
次ノ間長四疊壹間、土間ノ上り口アリ、二本障子ナ、、床餝リニ初座立花、或ハ投入レ、如何ニモ美シキ風情ヲ好ムナリ、
旦座ノ節ハ花ヲ其儘置、客花生トテ花ヲバ不入ニ花筒置、花入ヲ客人數程餝主ヨリ好ハセズ、客ノ心向ニテ、花盆ヲ望トキハ、主ヨリモ品々ノ花取合セ、花盆ニ、花鋏、花水指、花切小刀ヲ添テ出ス、客ニ花サヽス而已、又床ノ脇ニ碁將基ノ盤駒ヲ並置事、コレ煎茶會旦座ノ法ナリ、其外餝物ハ、セヌナリ、茶店ノ支度能節、シラセノ板ヲ品能打、客ヲ座店ニ招也、
客案内ノ板ヲ聞テ飯店ヲ出、手洗ヲ遣、茶店ニ入、板木ノ打樣、拍子木木魚鉦ノ音ト同樣ニナラヌ工夫可考、主出迎時、茶店ノ引出物ヲ主へ渡ス、夫ヨワ主ハ勝手へ入ル、
袖引ト云フ菓子アリ、是ハ煎茶會ノ初ニ皿ニ盛り、箸打テ席ノ眞中へ出シ、旦座ノ節、客ノ歸迄モ置附テ、祝儀ノ菓子ト知ベシ、菓子一ツノ數ニ入、仕方ハ常ノ昆布ト山椒ヨリ焙シメラヌヲ上品トス、山椒ハ鹽イリニシテ、其上ヲ焙タル物ナリ、昆布ハミズカラナドト云フ宜敷、尤昆布計ハ三亭トモニ品ヲ替出スコトナリ、
茶菓子ノ數、茶ノ服數ヲ酒ノ獻數ヲ以テ出スコト、是又此會ノ碇ナリ、
茶店ノ菓子、茶初座ノ分、定メノ如ク出シ終ヲ、主ハ酒店ヘウツリ、旦座ノ支度ヲ調、鉦ヲ打テ客ヲ酒店へ旦座ニ招ナリ、客モ酒店旦座ノ案内鉦ノ音ヲ聞、茶店ヲ出、手洗ヲ遣テ、卽酒店へ旦座ニ入、 懸物掛直タルヲ見、旦座ノ酒ヲ祝フテ遊ブナリ、
主酒店旦座ノ相俘セズ、茶店へ戻り、茶店ノ旦座支度取調、板木ヲ打テ客ヲ旦座ニ茶店へ招クナリ、客モ茶店宜敷案内ノ板木ヲ聞、酒店ヲ出、手洗ヲ遘ヒ、茶店へ旦座ニ入、
茶店ニテハ、主初座旦座共ニ相伴ヲスルナリ、
時ニヨリテ麥茶、黑大豆茶、陳皮茶、枸杷茶、荵冬茶ノ類、取交出ス事アリ、コレハ別儀ノ茶ト名ヅケテ、老人抔ノ暮懸タル會ニ、必ズ出ス作前ナリ、尤七服九服茶ノ節ノ事ナリ、
主客共隱人ノ衣服ヲ禮トシテ、襠上下ノ體ヲ不望、唯此ノ道ノ風流ハ、氣樂ヲ專ニ好ムコトナリ、夜會ト云フハ、茶煎ノ式ニハナキコトナリ、夜分飮食スルハ保養ニアラザル故ナリ、
煎茶會ハ、飯店ノ馳走ハ斷リ、酒茶バカリノ馳走ヲ受ル事、京都邊ノ會ユハ多分有ナリ、
p.0810 此年間〈○享和〉の記事 茶煎の會行る
p.0810 皇國茶煎の行はるゝ、煎茶者流みな賣茶翁高遊外をもて陸羽盧全に比し、煎茶の鼻祖とす、宜なり其精行儉德、高致風韻の餘かありて、よく茶中の眞味を得し事、予〈○深田精一〉常に翁を推して小茶神とす、〈○中略〉
末茶家と茶煎家の辨別をいはゞ、凡そ末茶家には宗匠と稱して、歷代此一伎のみを專門の家業とするもの數家ありて、終に皇國の一禮に備はれり、煎茶は彼土の淸戯をうつして、淸戯に供するまでなれば、末茶家と煎茶家とは、素より日を同うして論ずるものならねば、まして甲乙も優劣もあるにはあらず、たゞおのれ〳〵の好むところにまかせて樂みとするこそ本意なれ、されど末茶家は、質素を旨として奢侈に流れ、煎茶家は風雅を主として鄙俗に陷る、共に其弊茶中本然の眞趣を失へば、よく〳〵わきまふべきの第一也、
彼末茶家も、宗匠の外はみないづれも畢竟淸戯なれば、茶末二家の差別はなきに、末茶家動すれ ば煎茶家を兒戯の如ぐあざけりわらふもあり、予が見をもて見る時は、同じく兒戯にして、末茶家にもまたわらふべき事のなきにしもあらず、〈○中略〉
煎茶家に二あり、一は文人茶、一は俗人茶なり、こは孔門の科目に、君子儒と小人儒とのふたつあるに等しく、多くは俗人茶に陷る也、如何にといふに、文人茶は、茶飮淸事の眞趣を主にして澹泊を甘んず、俗人茶は、此淸事淡泊の意味を解せず、主とする的のなければ、邃に俗人茶に墮落沈淪して、永刧浮む瀨なきこそかなしりれ、
文人茶は、烹點法も其氣量に隨ひて自ら規則を設け、淸戯簡潔の古意を失はぬを主とす、俗人茶は、近來末茶家法によりて、拙き規則をたで、甚しきは印可を施すとて謝儀をもとめ、或は烹點何十通りあるの、又は眞行草の作前あるのと唱へて、門戸を張るものあり、愚なる人は其門に入りて、わざをも習練し、かの印可を受けたきまでにまどへるなど、捧腹にも堪えぬおろかさなり、斯まで是を學ばんとならば、末茶家の規則は、かの俗人茶に比すれば、万倍の全備、年久しく和光同塵の妙趣をも極たれば、是を習ふてこそ達見とはいふべけれ、
文人茶、與に權るに足るべきは、大館淸廬京に寓して今は死にたり、村瀨栲亭、上田豫齋などは世を異にし、豐後の竹田、〈○田能村〉京の春琴、〈○浦上〉疆を殊にして、しかも今は黃泉に歸す、山本梅逸も今は京に寓して袂を接するに堪えす、たゞ我尾〈○尾張〉今日與に權るべきは、わつかに戸忸櫟齋、小島老鐵、和田月居、彫工玉楮、其餘の社盟十數輩には過ぬ也、山下梅菴頗る語るべきものなりしが、是も去秋地下に歸りぬ、嗚呼澹泊の味は淸く輕ふして、支體を健にし、精棘をも爽にす、膏腴の味は貲く重ふして、果には痼疾をも生じ、性命をも誤るものあるを、うべなり陶弘景が天子の貴をもいやしと思ふ心の、茶をば換骨湯とまで嗜しことの、俗情に通せぬこそことわりなれ、
煎茶はもと雅談幽興を助くるものにして、一人これをこゝろみる時は、孤悶を破り、困眼を明ら かにし、精神をも爽にする功あり、山水に携へては、かの茶經の九之略にいへるごとく、七廢の別趣を存して、茶の風韻常に十倍すべし、茶疏にも飮時といふ條ありて、飮べぎ場所と時とを論じ、又宜輕といふ條もありて、茶事のならぬ場合をのべたり煎茶七類の七ケ條には、一に人品を論せち、されば不學なりとも、脱凡の風韻ある人は茶趣にかなひ、多識なりとも、俗腸の者は、ともに語るにたらずとしるべし、
p.0812 點茶の中興は利休居士なれども、此煎茶にては賣茶翁高遊外居士なり、尤禮式のあきらかなる事は千氏なれども、淸風雅趣は高翁又格別の人なち、實に本朝の茶棘と穩すべきは、高遊外居士なるべし、
p.0812 賣茶翁傳
賣茶翁者、肥前蓮池人也、姓芝山氏、年十二出家、名元昭號月糞師龍津化鏤霖師黃檗獨湛蓊少岐嶷、不與稠人些嘗從師在黃檗、一日湛石至方丈、而賜以偈、蓋識其穎異也、翁宜孜孜自勉、及二十二歲、會患痢、困懷不能自處、於是奮然有遊方參詢之志、病未愈也、腰包頂笠、萬里而至于奧、見萬壽児耕、挂搭經歲、晨夜精勵、旣而遍遊濟洞耆碩之門、又依湛堂律師、習毘尼之學、或單孤居止、不恒東酉身無所畜、壹以斯道爲任、筑之雷山高二十里、翁嘗棲止其頂、飯渺屑飮水、下浴于溪、以過一夏、其精苦類如此、蓋有所造詣、而翁不以自足也、居恒言日、古者世奇首座辭罷門分座也、曰、是猶金針刺眼耶、毫髮如差、睛則破矣、不如生生居學地而自煉也、吾毎以此自譬、以爲苟能有一拳頭足以應物、而出爲人可矣、其或未然、脩飾兩娑學解、抗顏稱宗匠、我弗爲也、乃後還于肥、侍霖于龍津、因監寺事者十有四歲、及霖沒擧法弟大潮主之、邃去之京、始得肆其樂託之性、又自謂、釋氏處世、命之正邪心也、非迹也、夫張夸僧伽之德、勞人信施、非予自善者之志也、乃始責茶爲生、名亭以通仙、占居洛之表、夫大佛燕子之池、東福紅葉之澗、及嵯峨斜林佳勝、皆所時出舖之也、則籃其茗具、泥燼冤餠、注以淸洌、而姻冉冉擊矣、廼鮮芳焙煮 之勤、飮者稱美、而筒中赤仄足以樂飢、居無幾、賣茶翁之名喧海内焉、肥國之法、出疆必以劵、而雖釋氏之雲遊四方、十年必還、以更命之、翁且七十、復歸于國、則乞自罷借、因欲隷名於肥人之官在京者以免于十年之限也、國固信翁之爲人也、許之、於是姓高號遊外、笑語人日、吾老無以妻爲賓無以肉爲、葛巾野服、賣茶之生有適焉、又飄飄然去而之京、則海内又莫不稱説遊外居士焉、前後贈以詩如倭歌者、亡慮數百、皆謂翁之風流、振古所未有也、然而翁之志不在乎茶也、其平居綿密之行、人不省也、晩居岡崎養老、乃取茶具盡燒之、其語見集中、於是杜門謝客、將終身焉、今茲寶曆癸未〈○十三年〉翁年八十九、尚得無恙云、
余〈○僧大典〉作斯傳、異翁之偈語並行于世、在癸未之夏、時翁日衰憊、自岡崎徒大佛之南、七月十六日順世、
p.0813 煎茶家系譜
元祖六々山人丈山居士
參河國碧海郡泉郷ノ産ニシテ、石川嘉右衞門尉重之ト稱シ、後左兵衞ト改ム、浪華合戰ノ時、將帥ノ命ヲ待タズ、夜ヲコメチ只一騎敵城ニ攻力ヽり、佐々十左衞門ト渡合、首ヲ取、其武勇ハ深ク感ジ思召有ケレドモ、軍令ニ背タル罪見許シガタシトテ勘當シ玉フ、其レヨリ隱者トナリ、日枝山ノ麓一乘寺村ニ煎茶ノ三亭ヲ設ケ、煎茶ノ友七八人ヲ集メ樂レケリ、舊跡丈山ヤマト稱シ、尼寺トナリ今ニ有リ、三十六人ノ詩人、探幽齋ノ畫像、丈山自讃、銘銘ノ詩作アリ、存生ノ凹凸寞今ノ隱宅ナリ、煎茶ノ三亭ヲ建シ所ハ、今座敷ニ直シ住居ノ變ジタル由、煎茶式ノ遊而已ニアラズ、名高キ學者ナルニヨリ、禁中ヘモ度々召サレ參内アリケルガ、八十一歲ノトキ、詠歌ヲアゲ、夫ヨヲ京都へ出デズ、渡ラジナ蟬ノ小川ノ淺クトモ老ノ波ソフ影モ恥カシ、後水尾院モ御感有り、風雅ノ人ナリ、寬文十二年壬子五月廿 三日卒行年九十歲、
平岩仙桓
三州平岩家ノ一門ニテ、丈山ニ隨身ノ者ナリ、主人ノ茶式ヲ受ケ樂シミタリ煎茶式ノ門人數多アリシガ、三店ヲ建、此ノ道ヲ樂シ厶人稀ナリ、此三店ト云ハ、酒店、飯店、茶店コノ三亭ヲ三店ト云ナリ、元祿五年壬申卒ス、行年八十歲、
舫屋 夢
伊賀ノ國ノ産ニシテ、京侍ナタシガ、奈良ノ市中へ下リ一生ヲ逡ルナリ、此人在京ノ間仙桂ト出會シ、煎茶ノ門人トナリ、煎茶式ヲ守ハ、三店ヲ建ル、樂交ノ友八九人、煎茶ノ門人兩三輩、享保十六年辛亥卒、行年百三歲、
此頃諸國煎茶式流行
小川信庵
大和ノ國郡山之出生ニテ、通稱三彌、一信ト云、十五歲ノ節、出京シテ醫業ニ志シ、中年ニ至り甲斐ノ國ニ下ヲ、其後江府へ出タリ、在京ノ間舫屋ト出會、茶式ノ門人トナリ、一夢奈良ノ三店ヘモ參會シタリ、晩年ニ及、下谷御徒町ニ借宅シ、煎茶ノ三店ヲ建、遊交ノ友七八人出會シ樂ム、柳澤家ノ家人トナリ一生ヲ終レ、、寬保三年癸亥卒ス、行年九十五歲、
中興賣茶高遊外居士
翁始メ黃蘗ノ僧タリシガ、六十一歲ヨリ隱遁シテ、一夢信庵ト遊交シ、洛中洛外ニ漫遊シ、遊客ノ于ム所ニ茶舖ヲ設ケ一家ヲナス、世ニ煎茶家ノ中興ト稱ス、樂交ノ友ニ三齋人アヲ、煎茶ノ門人兩三輩、晩ニ岡崎ニ居シテ、携フル所ノ茶具ヲ火ニ投ジテ、是レヨリ門ヲ杜シ客ヲ謝シテ、天然ヲ養フ、終ニ蓮華王院ノ南、幻々庵ニシテ化ス、寶曆十三年癸未七月十 六日、世壽八十九歲、
八橋賣茶麗翁方巖
生國肥前平戸ノ産ナタ、幼少ニシテ出家シ、曇希ト號ス、長崎ニ赴キ、程赤城ニ隨テ書ヲ學ビ、マタ明樂ニ妙手ヲ得タリ、洛陽ニ登りテハ、遊外居士ヲ追慕シテ煎茶ヲ學ビ、上田餘齋ノ交遊トナヲ、東都ニ下リテ、梅谷ニ茶店ヲ設ケ、遊交ノ友七八人ニ及ブ後三州八橋山無量寺ニ住ス、文政十一年戊子二月五日寂、世壽七十歲、
〈煎茶家七世之葆貰茶三代目〉梅樹軒賣茶東牛〈○此卞列舉門人名、今省略、〉
p.0815 茗戦
茗戰鬪茶の遊戯、宋の代の文人盛に玩べり、勝敗の氣、必俗情を惹べし、點茶家に茶歌舞妓と呼も、淸雅ならぬ名目なるにておもふべし、烹點共に氣味の威精妙に至らざれば、客に不慧の敗をとらしむ、君孑の遊びにあらざるべし、
p.0815 鬪茶新式〈小引〉
闘茶の起りし事久し、もろこしにも宋朝に其説有、唐庚が鬪茶の記、范希文が鬪茶の歌あり、又鬪茶を建人茶戰と云よし見えたり、范氏歌に曰、其間品第胡能欺、十目覗而十手指と云りこれにより此土香合の式に擬して、今新式を著す、もろこしにての鬪茶と云は、人集り、いろ〳〵の茶を持來ちて烹出し、すぐれたるを賞するばかりの事にて、さして式あるとも見へず、其書いまだ不見、雜説の中にも散在せず、しかれば定りたる式あらざるか、余〈○大枝流芳〉が麁學、本より博く書を渉獵せざれば、其書を得ざるものか、點茶家者流にも、むかしき、茶と云事ありて、勝劣の札を入て勝負を定めし事ありとそ、宗旦老人これは茶の歌舞技にてこそあれとて、兒戯に似ておとなしからざる事を笑禁めたり、然るに近來其餘流の徒、茶歌舞技とてもてはやす、捧腹すべき事、也、ゆへ に此鬪茶も遊戯の部に收て兒戯に類す、寒雅の士、朱門の君子の翫べきことにあらず、圖茶通例
凡水一合に、茶の目一錢目之定、
茶盞は黑色のものを用ゆべし、此事茶録載たり、此レ茶色を見わかたせまじきが爲なり、
試に出す茶を明試と名付、後に名をかくし飮しむるを暗指と云なり、
凡茶一蓋は二勹たるべし、一合の水五盞に分つべし、連中十人ならば、水二合、茶二錢目にて十盞に分つべし、始よりの云合にて、一合を六盞七盞なりともわかつべし、茶は少く飮しむるがよし、茶を出せし人を茶主と云、茶を烹出す人を明府と云、茶飮連中を班列と云、札を牌と云也、勝負を第品と云、記録を書く人を録事と云、勝は勝、負は劣と云べし、
鬪茶飯後に催すとも、必菓子をすゝむ、水くはし葛の類、香氣つよき類、木の實類はいつれも惡し、蒸菓子乾菓子の類を用ゆべし、香あるは茶の香をうばひて惡し、木實、葛水菓子は潟を止むゆへ茶を飮に惡し、菓子を喫して後必盥漱べし、しからざれば茶味惡し、
茶のかけ目、水の分料を定むといへとも、烹時遲速緩急あれば甚味ちがふ、殊に明試と暗指と烹かげんたがへば惡し、隨分心を用ゆべし、因て明府の役を重しとす、香の火かげんよりもいたしがたし、
茶盞は人數ほどもふけ置、一度に茶をつぎ出すべし、次第遲引すれば、濃淡相違ありて惡し、茶盞茶盤にそろへのせ出し、上座より次第に取てまはすべし、
茶瓶は、水二合を受べきものを十箇こしらへおくべし、或は寒士は三四箇にて、たがひに洗ひ用も苦しからじ其形像同じからざれどもくるしからず、〈余中夏素燒茶瓶の底に、品セの詩、又は銘などを一コ句書て、うへよりは見へざるやうに製せし物を見る、多く渡來せり、是もしや鬪茶の器ならんか、茶あひぶるしに詩句な書て、見へざるやうにいたせしものか、明士にたゞすべし、十ケ年餘多くわたせしものなり、今は希な〉 〈リ、〉
鬪茶式
鬪茶の小集を催と思はゞ、先出客の方へ此よし報じ吿て、各自同志の者茶を携て集り、明府の人に授け、其時列座何人にても茶一品ヅヽたるべし、人數十人にかぎる、或は二人、四人、六人、八人、偶數たるべし、茶一品を人數により通例のごとくかけ目を定め、紙に包て、中に茶の名と茶主の號とを書付、疊摺いれておく、香合の式の如し、包紙の圖左にしるす、さて人數ほど茶包終てうち混、いづれにても、一包取、煎じ出すべし、是を左一とさだむ、次に出すを右一と定む、二瓶班列喫し終て、左よしと思はゞ左の牌、右よしと思は寸右の牌を出すべし、いつれも牌左右の文字不見やうに、下へ伏して出す、班列みなすみて、録事の人ひらき見て記録すべし、左袒多き方を勝と定て抹を引べし、記録の式左のごとし、次第に左右一より五に至る、茶の品十品也、
圖茶第品記
左一 勝 朝日山 茶主淸泉子
某 某 某 某 某 某
右一負 隷棠 茶主文山子
某 某 某 某〈○中略〉
支干月日 於某亭小集
明府 某〈○中略〉
通仙式〈暗指泡いふに、名奉かくして彰、しむるをいふ、〉此鬪茶は、組香の式に擬してもぶく、はじめ明試三盞後、暗指三盞、數上六盤なれば、六盤通仙靈云、終に因て名づく、 茶三品 一 二 三 各二囊ヅ、、以上六囊、
右三品の茶量目、人數、により定て二囊づ、こしらへ、はじめ一二三と斷り烹出し、班列に飮しめ、終てのち一二三の玄るし書をかくし書たる囊三つうち混、いづれよりなりとも煎じ出す、其時諸客各飮て牌をうつべし、當たるを勝とす、牌は折居三つ出して一二三の書付をして牌を納べし、後とり出し、録事に筆記せしむべし、〈○圖略〉
牌表記
龍焙 鳳團 露芽 雲花 淸神 通仙 素濤 白雪 雲脚 仙掌〈以上十品、牌數三十枚、十客用之、〉
右のごとく表に書付、背に一二三と書付べし、玉川式の時は、一二三客と四枚づゝ、十客の用四十枚なり、〈○中略〉
玉川式
此式は玉川と號する事、盧全が名によれり七盤不得喫と云によれり、明試三空、暗指四盤、うち一盤は明試になきもの也、因て未喫もの一盤あれば、是を玉川式と名付侍る、
茶四品 一〈二囊〉二〈同〉三〈同〉、客〈一囊〉
右明試三品煎じ出し、斑列飮終て後、暗指四囊うち混て、いづれからなりとも煎じ出す、前のごとし、たゞ明試なき茶一品入れば、是をよく味あてし者を勝とすべし、萬事組香の例に同じ、第品記には抹二畫なり、一人當りは三抹たるべし、記録の、書式も通仙式に同じ、
p.0818 品茶圖解〈七煎法〉
品茶楊、或は品茶標とも稱すべし、こ丶に圖〈○圖略〉するは予〈○深田精一〉が用ふる所にして、こは宋の代に、雪月花竹を四嬋娟と呼べる目をこ、に假用するなり、畢竟梅竹蘭菊の類、何なりとも心のままに命ずるをよしとすれば、素よりこれか胞となづむべき標目にあらざるなり、〈○中略〉 知方筒は三ツにして、圖〈○圖略〉のごとく雪月花の三字を蓋の上に記し、内に三種の茶を詰置き、是をはじめに三煎して、風味を飮分け覺えおくなり、此試み茶を旣濟茶といふべし、
未分筒は四ツにして、雪月花竹の四字を一字ヅ、蓋の裏に記し置、四種の茶を次第紛亂に煎じて飮分る也、故に此四種を未濟茶といふべし、總じていふときは、雪月花の三種を複茶、竹の一種を罩茶と唱ふべし、
陰狐牌は圖〈○圖略〉の如く、雪月花竹の四枚の裏に一の字のみ記せし四枚、是を一人前として上客に渡すなり、又同じく雪月花竹の四枚の裏に二の字を記しだる四枚、第二客に渡すなり、第三第四第五に至りても皆此例なり、
陰狐盝、四ツの裏に一二三四を記し置き、品茶一煎を飮みたる時、一の盝を上客へ出す、上客我思ふ牌一枚をさしこみて次客へおくるなり、第二煎より四煎までかくして飮畢り、後に盝を開きて優劣を定む、これを品茶淸戯の一場とするなり、但し圖のごとき盝ならず、筒など用ふるは陰狐筒といふべし、
品茗輸贏録は、圖〈○圖略〉のごとくかくべし、淹次は煎次とかきてもよし、竹月花雪のごとき煎次を其まゝ飮中たる、これを得全と云也、竹月花雪此點朱を用ふるをよしとす、
扇面にかく時も圖のごとくかくべし 予が社盟は、此勗面を主人より得全の人に贈るを例とす、
p.0819 品茶訣
品茶は近來の淸戯にして、末茶家の茶かぶき、聞香者流の規則などによりて定めたる遊びなれば、素より屹としたる法則はなくて、これも思ひ〳〵に烹點置頓、風流と便利とを旨とすべき事にて、彼土宋代の鬪茶戯になぞちへ玩ぶ、といへども、是又鬪茶とは意味違へり、鬪茶は自身々々 に茶を製し、夫を銘々持寄りて、互に茶の品格を論じ、誰の製茶が第一、誰の茶が第ニと云やうに衆評して、茶の上下を飮分る也、今は製茶に銘々骨折るにも及ばず、宇治其外にも茶師と云ふて、茶を鬻ぐ家々より數品の茶を買とり、五煎法、或は七煎法など、とりみ丶に客へもてなし飮分させ、其茶を飮あてたるを優とし、飮違へたるを劣として遊ぶ也、事替りたれど、趣きは鬪茶の遊びに似たり、不學の人の玩びには、殊に餘情ありて一座の興にもなれば、予〈○深田精一〉も又此戯を客にもてなして、和光同塵の一助とす、
前にも通るごとく、品茶は近來の事にて、しかも彼土に行はぬ事なれば、これに用ふる器物、いづれも稱呼の名さへなくて、いと拙き事に思ふま、、予一々に名をつけ、圖ごとにこれを附し、社盟にも唱へさせて、いさゝか其俗病を醫せんとす、
品茶會に客揃ひたる時、先づ上品の茶を一煎して一巡再巡に及ぶ、是を座定茶といふべし、此一二飮すみて、又新に炭を補ひ、諸器物を淸潔にして、かの五煎法、七煎法の淸戯をなす、たゞ簡潔を旨として、鄙俗に陷らぬこそ肝要なれ、此戯をはりて、後又別に一煎の茶をもてなす、是を投轄茶といふべし、
p.0820 和漢古今の茶書多しといへども、大典禪師の茶經詳説ほど、今日の煎茶家に宜あるはなし、禪師の力量、且此淸戯に深切なる事、詳説を玩味して知るべし、つゞきて三谷宗鎭が和漢茶誌ほどに詳悉なるはなし、其書文章に力を竭すのみならず、器物の考證至れり盡せり、こは末茶家のために編たれば、煎茶家に益なきこそ口惜しけれ、宗鋲が如きは、茶伎を除きて儒員におくとも、又誰にか恥んや、實に珠光巳來一人獨步と穣すべきを、彼末茶者流、さまでに尊信せざるぞうたてき、
上田豫齋が淸風瑣言、論の高きは甚よしといへども、考據に心を用ひざれば、其書國字もてかき つらねたれど、初學の人に益なきに似たり、その餘數多ありといへども、瑣言に比すれば皆下れり、其最下の書に至りては、煎茶仕用集など、題號さへ陋劣に堪ねば、素より利害を論ずるまでもなきものとは玄られたり、
p.0821 庵茶煎茶とも、水井湯候焙方等により、殊の外次第あれば、心得のため古今の茶書大概を左に記す、其書によりて手煉あるべし、
煎茶仕用集 淸風瑣言 茶經國字解 煎茶式
此外、茶經、茶史、茶録、茶論、茶譜、茶疏、茶牋、茶解、茶記、煮茶小品、本朝茶法、煎茶七類など、其外茶の書夥敷ありといへども、悉一覽せざれば銘目を略す、
p.0821 附餘
客に對する饗式、茶寮の結構、點茶家法則備れり、古老の人に聽べし、但守株刻舟の弊有て、進退活用ならぬ者聞ゆ、是に繫るは拙なり、是を惡むは野也、克々意を用ふべし、陸樹聲の茶寮の記に、屠赤水園居、敞小寮于繍軒埠垣之西、中設茶窩、凡瓢汲罌注、濯拂之具成尾擇一人稍通茗事者主之、一人佐炊汲蓉到則茶烟隱々起と云如きは、點茶家今も專らとする所也、盧同が七碗歌に、柴門反關無俗客、紗帽籠頭自煎吃ど云が如きは、文雅なき人の候ひがたき境なり、宋の趙行恕、俔雲林が淸致を慕ひて訪に、主客坐定りて童子茶を供す、行恕連りに畷る、雲林悒然曰、子は王孫たる故に、此好品をす、む、風味を不知は俗子なりと云しとそ、茶略の得趣篇に、飮茶貴茶中之趣、若不得其趣而信口哺啜、與嚼蝦何異、雖然趣固不易知、知趣亦不易、遠行口乾、大鍾劇飮者不知也、酒酣肺焦、疾呼解渴者不知也、飯後漱口、横呑直飮者不知也、井水濃煎、鐵器慢煎者不知也、必也山臆凉雨、對客淸談時知之、躡履登山、扣舷泛棹時知之、竹樓待月、草榻迎風時知之、梅花樹下讀離騒時知之、楊柳池邊聽黃鵬時知之、知其趣者淺斟細嚼、覺淸風透五中、自下而上、能使兩頰微紅、冬月温氣不散、周身和暖、如 飲醇醪、亦令人醉、然第語大略、至于箇中微妙、是在得趣者自知之、若渉語言、便落第二義と云にいたりては、茶の眞面目と云べし、蔡君謨、蘇子瞻等、老ては飮事なく、只日々に煎て玩ぶのみと聞ゆるは、陶淵明の無絃の琴のためしに、其趣を知る人々也陸樹聲の云る茶候は、〈茶のよきほどをいふなるべし、〉凉臺、淨室、曲几、明窓、僧寮、道院、松風、竹月、晏坐、行吟、淸談、把卷、又茶侶は、〈茶に良友なるを云〉翰卿、墨客、緇衣、羽士、逸老、散人、或軒冕中超軼世味者と云屬者、俗士の候ひがたき境也、又甌陽永叔の詩に、京師三月嘗新茶、人情好先務取勝と云句は、俗人の情、茶にあらずして名を先とするを刺れる也、况や今世の人、玩器の眞贋優劣の間に在を何とか云ん、然ば饗式者、點茶家古老の法則を意底に蓄へて、且自己の分限に應じつゝ遊樂すべし、只禮節闕べからず、雖然武門には喫茶往來の茶會の壯觀なる、僧家には百丈淸規の大饗の威儀なる例は、山林の士の與るべきにあらず、唯々茶は文雅養性の技事而巳、
p.0822 和漢の居宅、その結構大に事かはりたれば、賓主の應接をはじめ、茶法の規則、器物の置頓に至るまで、權道の處置第一にして、しかも末茶家のやうに定まれる法度もなければ、なるだけ事を省き、たゞ〳〵淸潔と簡古とを主にするこそ、茶中の、秘訣をも得たりといふべけれ、
p.0822 享和の頃、淺草三谷ばしの向に、八百善といふ料理茶屋流行す、〈○中略〉或人の噺に、酒も飮あき、たり、いざや八百善へ行て、極上の茶を煎じさせて、香の物にて茶漬こそよからんとて、一兩輩打連て八百善へ行て、茶漬飯を出すべしと望しに、暫く御待有べしと半日ばかりもまたせて、やう〳〵にかくやの香のものと、煎茶の土瓶を持出たり、かの香の物は、春の頃よりいと珍らしき瓜茄子の粕漬を切交せにしたる也、扨食おはりて價をきくに、金一兩貳分なりと云、客人興さめて、いかに珍らしき香の物なればとて、あまり高直也といへば、亭主答て、香の物の代はとも かくも、茶の代こそ高直なり、茶は極上の茶にても、一ト土瓶へ半斤は入らず、茶に合たる水の近邊になき故、玉川迄水を汲に人を走らしたり、御客を待せ奉りて、早飛脚にて水を取寄せ、此運賃莫大也と被申ける、其頃煎茶の事流行して、客を招て煎茶を數瓶出す、客其茶の銘と、水の出所を呑わくる、是は玉川、是は隅田川、是は何處の井の水と云を定るを賞美せり、
p.0823 庵茶にても、煎茶にても、藥鑵急火生の類へ、先少し計水を入、湯の沸立間に、片脇にて茶を焙ずべし、尤喜撰歟一斤代銀拾匁位より上の茶は焙ずるに及ず、若格別濕あらば雜と焙じ、黴臭くば少し焦る程に焙じ、掩茶は激し湯にて、先外の茶碗へ一扁漉し、二へ、ん目を客人の茶碗へ程能漉、前の通蓋をして納敬へ載べし、煎茶は湯の激し所へ入、早く蓋をして置、程よく茶漉の上より茶碗へ洒べし、
但煎じ茶客人へ出す間緩かならば、能茶の蕎著、色の出たる時洒で出すべし、一杯茶を洒ば、一はい湯を差べし、
p.0823 煎茶點鹽
瑜〈○日尾〉が秩父にひと、なりし頃、老慍等かたみに訪かはせし時、必淡茶を淪てかたらふが、多くは鹽を點じて飮みしを見て、茶は必斯せねば飮ぬものぞと覺えしほど也、後稍年長せしほどは、邊鄙の賤しき習俗ぞと、をかしく而巳おもひしが、唐山にもさるためしは有し也、宋南陽陳鵠耆舊讀聞〈卷八〉云、東坡一寄唐人煎案用喜、故薛能詩云鹽損添常戒、薑宜著更誇、據此則又有用鹽者矣、近世有用此二物者、必大笑之、然茶之中等者、用薑煎信佳也、鹽則不可、東坡之説如此、不知今呉門昆陵京口、煎點茶用鹽、其來巳久、郤不曾有用薑者颪上嗜好各有不同、といへるを見て知るべし、