p.0299 香ノ事ハ、支那ノ書ニハ古クヨリ見エタレドモ、皇國ニテハ推古天皇ノ朝、沈水ノ淡路島ニ漂著セシヲ以テ始トス、其後海外交通ノ路漸ク開ケ、僧徒賈客ノ携へ歸、り齎シ來ルアリテ、其種類甚ダ多シ、初ハ佛事ニノミ用イシガ如クナレド、延喜天曆ノ頃ヨリ、宮中ニテ薰物合(タキモノアハセ)ト云フコト行ハル、薰物トハ香ノ事ニテ、是レ香ヲ聞キ戲トスル始ナリ、
薰物合ハ、歌合繪合ノ如キモノニテ、一ニ香合ト云フ、左右曹ヲ分チ、合劑ノ淺深厚薄ニ由リテ、判者其優劣ヲ決シ、勝敗ヲ定ムルナリ、其合劑ノ香ヲ稱シテ合香ト云フ、合香ハ支那ヨリ起リテ、嵯峨淳和ノ朝ノ頃ニハ、旣ニ藤原冬嗣、賀陽親王等ノ方アリ、梅花荷葉等ノ名アリシナリ、此香合ハ、歲月ヲ經ルニ隨ヒ漸ク盛ニナリシガ、其後名香合、組香ト云フコト出デ來リ、坐作進退ヨリ筵席器具マデ悉ク法式ヲ設ケ、師承ヲ經ザレバ知ルコト能ハザルニ至ル、
名香合ハ、單ニ沈水ノミヲ以テ優劣ヲ爭フコトニテ、香氣尾烟ハ勿論ニテ、香主ノ命ジタル香ノ名ノ雅俗モ勝敗ニ關係スルナリ、蓋シ名香合ハ足利ノ初ニ起ル所ニシテ、世ニ傳ヘテ佐々木道譽ニ始マルトス、
組香ハ數種ノ香ヲ聞キテ、其同異ヲ鑒識スルモノニテ、足利氏ノ末ニ起リ、其最モ古キモノヲ十炷香トス、且ク十炷香ニ就キテ組香ノ狀ヲ言ハンニ、初ニ香本〈香ヲ出ス人ニテ、初ニハ火本ト云ヒシナリ、〉ヨ
リ三種ノ香ヲ出シ、之ヲ聞カシム、是ヲ試ト云フ、卽チ第一ニ聞キシヲ一ノ香トシ、第二ニ聞キシヲ二ノ香トシ、第三ニ聞キシヲ三ノ香トス、更ニ三種ノ香名三封別種ノ香一封、合セテ四種十封ノ香ヲ次序ヲ亂シテ出スナリ、其三種三封ハ初ニ試ミシ一二三ノ香ニシテ、別種一封ハ未ダ試ミザルモノナリ、之ヲ客ト云フ、サテ香ヲ焚キテ之ヲ聞クニ、初ニ聞キタルモノヲ以テ、前ニ試ミシ所ノ一ノ香ト思ヘバ、一ノ札ヲ筒ニ入レ、二ノ香、三ノ香ト思ヘバ、二ノ札、三ノ札ヲ入レ、未ダ試ミザル香ト思ヘバ客ノ札ヲ入ル、此ノ如クシテ、鑒識シ得タルノ多少ヲ以テ勝敗ヲ爲スナリ、又無試十炷香アリ、初ニ其試ナクシテ、直ニ三種ノ香各〻一封、別種ノ香一封ヲ出シテ之ヲ聞カシム、卽チ第一ニ聞クモノヲ一ト爲シテ一ノ札ヲ入レ、第二ニ聞クモノ一ト同香ト思ヘバ一トシ、同ジカラズト思ヘバ二トシ第三ニ聞クモノ亦一ト同香ト思ヘバ一トシ、二ト同香ト思ヘバ二トシ、一二ト異ナリト思ヘバ三トシ、第四ニ聞クモノ一二三ト同香ト思ヘバ一二三トシ、異香ト思ヘバ客トス、而シテ一二三ト爲シタル香ノ中、再ビ出デザルトキハ是ヲ初客、二客、三客トス、卽チ香本ノ客ナリ、十炷香ノ札ハ、十枚ナレド無試十炷香ハ十二枚ニシテ、同種ノ札ノニ枚餘レルハ是ガ爲ニシテ、其餘レルモノヲ以テ客トスルナリ、此餘組香ニハ競馬香、源氏香ナド數十種アレド、多クハ晩出セルモノニテ、世ニ謂ユル香ノ圖ハ、源氏香ヨリ出デタルナリ、要スルニ薰物合、名香合、組香ハ皆香合ニシテ、薰物合ハ合劑ノ巧拙ヲ爭ヒ、名香合ハ香質ノ佳惡ヲ競ヒ、組香ハ鼻識ヲ以テ輸贏ヲ決スルモノナリ、
聞香ニハ流派アリ、三條西實隆文龜ノ頃ニ在リテ、殊ニ此藝ニ通ジ、父子三世相傳へ、其敎ヲ奉ズル者多クシテ、其流ヲ御家流ト稱シ、後來志野流、建部流、米川流ノ類、其源ハ皆三條西ニ出デタリト云フ、此藝ハ香道トモ稱シ、茶湯ト並ビ行ハレテ香茶ト云ヘリシガ、今ハ茶湯ヲ
好ムモノハ多ケレド、香道ハ大ニ衰ヘタリ、聞香ニ用イル具ニハ、香合、火取、香箸等アリ、而シテ容飾ニ用イル香囊匂袋ノ如キハ、器用部容飾具篇ニ收メ、又佛事ノ行香ノ如キハ、宗敎部法會篇ニ收メタリ、
p.0301 享保九年十一月廿四日、御香アリ、香ヲ聞(○○○)ト云コト、唐ニテモ、香、臭トモニ嗅コトヲ聞ト云、和朝ニテキクト云ハ、耳ニカギヲテ云、唐ニテ聞ト云ハ、キクコトニモ、カグコトニモ用タリ、古キ朗詠集ナドニ、聞香(○○)ノ字ハ昔ヨリ古キ點付ノ好本ニハ聞(カク)レ香ヲト付タリ、御前〈○近衞家煕〉ニモヨミ習ハセラレタリ、
p.0301 香をきくといふは俗言なる事
香を聞といふは、もとからことにて、古の詞にあら、ず、すべて物の香(カ)は薰物(タキモノ)などをも、かぐといふぞ雅言にて、古今集の歌などにも、花たちばなの香をかげばと見え、源氏物語の梅枝卷に、たき物共のおとりまさりを、兵部卿宮の論(サダ)め給ふところにも、人々の心々に合せ給へる深さ淺さを、かぎあはせ給へるになどこそ見えたれ、聞(キク)といへる事は、昔の書に見えたることなし、今の世の人は、そをばしらで、香(カウ)などをかぐといはむは、いやしき詞のごと心得ためるは、中々のひがごと也、きくといふぞ俗言には有ける、
p.0301 凡例
一香書にきくと云字を、鼻にきくは耳に聞に異なりとて、古人心々に沙汰して、馥嗅齅の字などかゝれし、さも有べき事なり、然れども此書に聞の字を用る事は、童蒙の便にしたがひ、事のやすきにつくのみ、しかのみならず法華の偈、止觀の文、その外史書杜少陵が詩まで、みな聞香とあるにもとづけり、
p.0301 嗅 今鼻にきくと云は、家語に、入二芝蘭室一、久而不レ聞二其香一、卽與レ之化矣などいへり、故 に眞文伊勢物語には、聞をかぐと訓せたり、又舊本今昔物語、平の實文が事をいふ處、鼻にあてゝ閲けば、艶(エナラ)ず馥しき黑方の香にてあり云々などみゆるも、聞はかげばとよむべし、それよりして口語には、目のきく、手のきく、口きくなど、すべて一身に就ていはざる處なく廣く用ひたり、
p.0302 三年四月、沈水漂二著於淡路島一、其大一圍、島人不レ知二沈水一、以交レ薪燒レ於竈一、其烟氣遠薰、則異以獻レ之、
p.0302 推古天皇三年三月、土佐南海夜有二大光一、亦有レ聲如レ雷、經二卅箇日一矣、四月、著二淡路島南岸一、島人不レ知二沈水一、以交レ薪燒二於竈一、太子遣レ使令レ獻、其大一圍、長八尺、其香異薰、太子觀而大悦、奏曰、是爲二沈水香一者也、此木名二旃檀一、香木生二南天竺國南海岸一、夏月諸蛇相繞、此木冷故也、人以レ矢射、冬月虵蟄、卽斫而採レ之、其實鷄舌、其花丁子、其脂薰陸、沈レ水久者爲二沈水香一、不レ久者爲レ淺香一、而今陛下、興二隆釋敎一、肇造二佛像一、故釋梵感レ德漂二送此木一、〈○下略〉
p.0302 香 樓炭經曰、凡雜香有二四十二種一、
p.0302 樓炭經六卷、晉法立共法炬譯、所レ引文、原書無レ載、按、十二遊經、有二雜香四十三種之文一、恐源君誤引、下總本作二四十三種一、伊呂波字類抄同、與二十二遊經一合、似レ是、
p.0302 沈香一名堅黑、一名黑沈、〈已上二名、出二兼名苑一、〉沈香〈節堅沈レ水者也〉一名蜜香、一名棧香、〈不レ沈不レ浮、與レ水平者、〉一名槧香、〈最虚白者、已上出レ䟽、〉薰陸香一名膠香、一名白乳、〈已上二名、出二兼名苑一、〉一名雲華沈油、〈出二丹藥口訣一〉一名乳頭香、〈出二鑒眞方一〉鷄舌香一名亭尖獨生、〈禺二丹口訣一〉藿香、詹糖香、〈楊玄操、音上之廉反、下音唐、〉楓香、〈陶景注〓、此六種皆合レ香要用也、〉波律香、〈楊玄操、音婆、注云、出二婆律國一故名レ之、〉白檀、〈已上二種出二陶景注一〉沈香、靑桂、鷄骨、馬蹄、牋香、〈同是樹也〉丁香、〈又一種也〉
p.0302 合麝香壹齊又壹筒〈重二兩二分、並佛物、〉
合白檀貳斤捌兩參分〈佛物〉
合沈香伍拾玖斤壹拾伍兩〈佛物五十九斤九兩、法物六兩、〉 合淺香貳拾玖斤陸兩參分〈佛物廿四斤十四兩三分、法物四斤八兩、〉
合薰陸香壹佰〓拾壹斤玖兩貳分〈佛物一百廿一斤、法物十七斤八兩二分、通物卅三斤、〉
合丁子香壹斤捌兩〈佛物〉
合衣香拾兩〈佛物〉
合百和香壹丸〈小佛物〉
合靑木香〓拾伍斤拾伍兩〈佛物七十三斤二兩、法物二斤十三兩、〉
合零陵香壹斤陸兩〈法物〉
合蘇合香貳兩〈法物〉
合甘松香壹斤肆両〈法物〉
合霍香貳斤捌兩〈法物○中略〉
右前岡本宮御宇天皇〈○舒明〉以二庚子年一納賜者
p.0303 合香壹拾陸種
丈六分肆種〈熏陸香一百六十八兩、、寺買、沈水香十兩、淺香三百八十五雨、熏陸香卌六兩、靑木香卌八兩、〉
右天平八年歲次丙子二月廿二日納賜、平城宮皇后宮者、
佛分壹拾種〈白檀香四百七兩、沈水香八十六兩、淺香四百三兩二分、丁子香八十四兩、安息香七十兩二分、熏陸香五百十一兩、甘松香九十六兩、楓香九十六兩、蘇合香十二兩、靑木香二百八十一兩、〉
聖僧分白檀香肆佰玖拾陸兩
塔分白檀香壹佰陸拾兩〈○中略〉
右天平六年歲次甲戌二月納賜、平城宮皇后宮者、
p.0303 天平五年歲次癸酉、沙門榮叡普照等隨二遣唐大使丹〓眞人廣成一、至二唐國一留學、是年 唐開元二十一年也、唐國諸寺三藏大德、皆以二戒律一爲二入道之正門一、若有二不持戒者一、不レ齒二於僧中一、〈○中略〉榮叡普照同議曰、我等本願爲レ傳二戒法一、請二諸高德一、將レ還二本國一、〈○中略〉至二大和上〈○鑒眞〉所一計量、大和上曰、不レ須レ愁、宜レ求二方便一必遂二本願一、仍出二正爐八十貫錢一、買二得嶺南道採訪使劉臣隣之軍舟一隻一、雇二得舟人等十八口一、備二辨海粮苓脂紅綠米一百石、〈○中略〉麝香廿劑沈香、甲香、甘松香、龍腦香、膽唐香、安息香、棧香、零陵香、靑木香、薰陸香一、都有二六百餘斤一、
p.0304 天平寶字七年五月戊申、大和上鑒眞物化、和上者楊州龍興寺之大德也、〈○中略〉以二諸藥物一令レ名二眞僞一、和上一々以レ鼻別レ之、一無二錯失一、
p.0304 沈香 本草云、沈香〈沈俗音女林反〉節堅而沈レ水者也、兼名苑云、一名堅黑、
p.0304 原書木部上品載二沈香一、無二所レ引文一、按、本草和名云、沈香節堅沈レ水者也云々、出レ疏、則知此所レ引本草疏文也、源君單引二本草一非レ是、蘇敬曰、葉似二橘葉一、花白、子似二檳榔一、大如二桑椹一、紫色而味辛、樹皮靑色、木似二擧柳一、嘉祐引二陳藏器一云、枝葉並作レ椿、蘇云、似レ橘、恐未レ是也、圖經引二丁謂天香傳一云、木體如二白楊一、葉如二冬靑一而小、〈○中略〉按、南方草木狀云、交趾有二密香樹一其根幹枝節各有二別色一、木心與レ節堅黑、沈レ水者爲二沈香一、堅黑之名、蓋本二於此一、
p.0304 沈香(チンカウ) 沈水(ズイ)〈香名〉
p.0304 水沈〈香〉
p.0304 きやら 伽羅と書り、沈香の上品をいへり、奇南香是也、南或は楠に作る、ねずみもちに似たる木也、深山幽谷にて自然の枯朽を得たるを好とす、其餘木を伐て土に埋みて心(シン)を用る也、交趾を上品とし、暹羅を中品とし、占城をもて下品とす、太泥は能水に沈めども、最下品也とぞ、
p.0304 一沈 古書に沈とあるは沈香にて、本は沈水香也、其内には沈香もあり、奇南香もあるべけれども、一概に沈と云し也、古は沈香も奇南香も似たる物ゆへ分レざりしか、奇南 香は今世伽羅と云ふ物なり、藥に用るには、沈香は氣を降し、奇南香は氣を升すといふ差別あり、又薰物は種々の香物を調合したるを云、又中古以來香と云あり、香は奇南香の事也、此一種のみ香と云て賞翫する事は、佐々木入道佐渡判官道譽より始ると云、其より後、香聞香合せの勝負など云事あり、沈香奇南香ともに占城國より出る、西域の地方也、
p.0305 伽羅
合薰物といふものは、〈○中略〉源氏物語にも多く見へ、六種の合薰物も聞えて久敷世に翫し事なり、又沈水香とも栴檀香とも日本紀に見え、牛頭栴檀と源氏に書て、今は伽羅といふものゝ一種の木を燒て、其香を翫ぶ事は昔には聞えざりき、本名奇南香といふか、是を出す處六國あり、伽羅とは其六ツの中の一國の名なり、今はなべての名に呼、是も鎌倉北條執權の末より起りしことにや、佐々木入道道譽是を好みて名ある香木ども多く家藏ありし、其名ども書たるものは今も世に殘れり、
p.0305 六國列香辨
伽羅 羅國 眞南賀 眞南蠻 寸門陀羅
佐曾羅右是ヲ六國ノ列トイフ、六品何レモ沈水香也、伽羅ハ六種ノ内上品ノモノ也、シカレドモ伽羅、眞南蠻ニヲトリ、寸門多羅ノ伽羅ニマガフノ聞アリ、外モ又カクノゴトシ、其品々ヲワカチ知ルコト師説ヲ受ベシ、一種聞ヲ修練スベシ、其功ニ隨テ丈夫ニ是ヲ定ムベシ、六種ノ品ヲワカチ知ルコト、大略左ニアラハスヲ以テ知ルベシ、其分如レ左、
伽羅 其サマヤサシク、位有テ苦ミヲ主ル、上品トス、自然トタヲヤカニシテ優美ナリ、其品タトヘバ宮人ノゴトシ、
羅國 自然ニ匂ヒスルドナリ、白檀ノゴトキ匂ヒ有テ、苦ミヲ主ル、タトヘバ武士ノゴトシ、 眞南賀 匂ヒカロク艶ナリ、早ク香ノウスルヲ上品トス、匂ニ曲アリ、タトヘバ女ノウチ恨ミタルガゴトシ、
眞南蠻 味甘ヲ主ルモノ多シ、銀葉ニ油多ク出ルコト、眞南蠻ノ印トス、然レドモ外ノ列ニモ有也、師説受ベシ、眞南蠻ノ品ハ、伽羅ヲ初メ其餘ノ列ヨリモ賤シ、タトヘバ民百姓ノゴトシ、寸門多羅 前後ニ自然ト酸キコトヲ主ル、伽羅ニマガフノ聞アリ、然レドモ位ウスクシテ賤キ也、其品タトヘバ地下ノ衣冠ヲ粧タルガゴトシ、
佐曾羅 匂ヒカヽカニシテ酸シ、上品ハ炷出シ、伽羅ニマガフ也、自然ニカロク餘香ニ替レリ、其品タトヘバ僧ノゴトシ、右是ヲモテ六國ノコトヲシルベシ、難レ有筆紙口傳、
五味之傳
甘 淺間、先鉾、 苦 面白、志、 辛 薰風、孟荀、 酸 京極、赤栴檀、 鹹 白鷺、遠里、
右五味ノ香一味立ニシテ、其手本香トスルノ名香也、以テ五味ノコトヲ知ルベシ、此外五味ノ香アレドモ、此十種ノミ用ルコト深キ子細アリ、五味ヲ知ルコト、初心ノ人ハ物ニタグヘテ知ルベシ、其分チ左ノゴトシ、
甘ハ 蜜ヲ練ル甘キニタグフベシ
苦ハ 黃柏ノニガキニタグフベシ
辛ハ 丁子辛ニタグフベシ
酸ハ 梅ノスキニタグフベシ
鹹 ハ アセ取ノシヲハユキニタグフベシ
右五品ヲモノニタグヘテ、大ヤウヲ知ルベシ、尚師説ヲ受ベシ、〈○中略〉
新古之辨 香ノ新古ヲフカツコ卜、當時ノ人新渡ヲ以テ新シトシ、昔渡リヲ以テ古トス、又匂ノ甚シキヲ新トシ、匂ノ遲キヲ古トス、新古ハ其コトニアラズ、昔渡リニ新アリ、新渡リニ古キアリ、古キハ其元ヲ去ルヲ云、新ハ其元ヲ不レ去シテ殘ルヲ新トス、筆紙ニアラハシガタシ、口傅、
p.0307 六國香幷五味之事
近世六國の香とて、六品の建の香ありとてもてはやす、古來聞ざる事也、古の書にはかつてなし、按に、米川氏の比より此名目おこると見えたり、むかしはたゞ木所とて、加羅(きやら)、羅國(らこく)、具那賀(なか)、眞那斑(まなばん)の四をのせたり、其餘赤栴檀の事見えたり、佐尊羅(さそら)、寸門多羅(すもたら)の説なし、中比より此二つを加て、六國と名目をたてはじめたり、其物を試に、佐尊羅、寸門多羅、ともに一種の香なり、六種品異なり、六種の香と云は異儀なし、六國と云時は、其國より其木出ると云事、たしかに辯がたし、中古の宗匠、其國よりたしかに傳るといふものありて、定置しやしらず、しかれども羅國、滿刺加(まなか)、蘇門答剌(すもたら)、加羅の四國は、もろこしの書に侍る、さそら、まなばんの二國、いまだ考ず、萬國の圖中にある仙勞冷祖をさそらとし、馬拿莫大巴をまなばんと梵語にては通ずるよし云ども、未たしかなる書におひて考ず、追て考しるすべし、此六種の香まじはり出るにより、此建をよく傳授し聞覺ゆる時は、香を聞時迷なくて、百發百中なるべし、
p.0307 公家武家榮枯易レ地事
r都ニハ佐々木佐渡判官入道道譽ヲ始トシテ、在京ノ大名衆ヲ結テ茶ノ會ヲ始メ、日々〈ニ〉寄合活計ヲ盡スニ、〈○中略〉飯後ニ旨酒三獻過テ、茶ノ懸物ニ、〈○中略〉前〈ヘ〉引〈キ〉ノ置物ヲシケルニ、〈○中略〉三番ノ頭人ハ、沈ノホタ百兩充、麝香ノ臍三充副テ置、
p.0307 長祿二年三月一日、比丘尼寺禁法條々、自二當院主一可レ被二相觸一之由被二仰出一也、〈○中略〉沈麝香嗜二艶色一事、〈○中略〉此條々可レ被レ禁之由被二仰出一也、當寺都聞梵寅都寺獨書立伺之、卽有二御爪點一也、
p.0308 天文十一年七月卅日戊寅、嶋居惚右衞門沈一兩持來之、
p.0308 慶長八年七月廿六日、かとうかずへ、しんきやらしん上申、ながはしより文いづる、
p.0308 日本國 源家康 謹啓
柬埔寨國主 閣下
本邦商人赴二其地一、不レ可レ無レ書、故寄二愚翰一、〈○中略〉於二貴邦一所二懇求一者、上々品奇楠香也、委悉付二船主舌頭一、卽今貼金屛風五雙贈進之、雖二是薄物一、域中所レ産也、采覽惟幸、不宣、
慶長拾一年丙午季秋十九日
御印
p.0308 慶長十二年三月十七日、ひでよりよりぢんのほた、どんす百卷、〈○中略〉女ゐんの御所みやの御かた、女御の御かたへも色々參る、
p.0308 木村長門守重成が一陣、鎗の〓を揃へて待かけたれば、川手〈○主水成次〉を突伏たり、〈○中略〉菴原〈○助右衞門〉鎗のしほ首を握り、〈○中略〉木村が首を御前に出すに、髮にたきしめし奇南香の薰せしかば、御感あり、木村が胄は四方白にて鍬形の立物打たり、
p.0308 延寶二年九月十八日、永井伊州〈○伊賀守尚庸〉參内、法皇新院女御御方へ被レ參、禁裏樣〈○靈元〉へ從二大樹一〈○德川家綱〉伽羅〈二木〉繻子十卷、銀百貫目被レ獻、〈○中略〉法皇へ繻子五卷、伽羅一木進上云々、
p.0308 享保九年十一月廿四日、伽羅ハ蠻國ノモノ也、本唐ニテハ攝楠ノミ也、星槎勝覽ニ見エタリト仰〈○近衞家熙〉ラル、
p.0308 淺香 南州異物志云、沈香其次在二心白間一不二甚堅一者、置二之水中一、不レ浮不レ沈、與レ水平者、名曰二淺香一也、
p.0309 香要抄引云、木香出二日南一云々、名曰二沈香一、與レ水平者、名曰二棧香一、香要抄又云、牋香、不二甚堅一者、置二水中一、不レ沈不レ浮、與レ水平等者、名曰二淺香一也、不レ著二出典一、蓋又引二異物志一也、嘉祐引二南越志一云、交州有二密香樹一、欲レ取先斷二其根一、經レ年後外皮朽爛、木心與レ節堅黑、沈レ水者爲二沈香一、浮二水面一平者爲二雞骨一、最麁者爲レ棧、蘇敬曰、沈香靑桂雞骨馬蹄牋香等、同是一樹、陳藏器曰、其枝節不レ朽、最緊實者爲二沈香一、浮者爲二煎香一、以下次形如二雞骨一者上爲二雞骨香一、如二馬蹄一者爲二馬蹄香一、細枝未レ爛、緊實者爲二靑桂香一、其馬蹄雞骨只是煎香、蘇乃重云、深覺二煩長一、並堪二薰レ衣去一レ臭、按、沈香浮レ水者、其香氣不レ深、故名二淺香一、後人從レ木與二棧棚字一混、或作レ牋者同音假借也、
p.0309 裛衣香 文字集略云、裛衣香、〈裛於業反、裛衣俗云二衣比一、〉
p.0309 按、千金方七竅病部載二裛衣香方一、御堂關白記有二裛衣香一、此引作二裛衣香一、似レ非レ誤、昌平本作二文字集略云、〓衣香〓音於業反於及反、俗云衣比一、
p.0309 いま二にはえび、丁子を、かつほつきのけづりものゝやうにていれたり、
p.0309 君は人の御ほどをおぼせば、ざれくつがへる、いまやうのよしばみよりは、こよなうおくゆかしうおぼしわたるに、とかうそゞのかされて、ゐざりより給へるけはひ、忍びやかに、えびのかいとなつかしうかほり出て、おほどか成を、さればよとおぼさる、
p.0309 丁子香 内典云、丁子鬱金婆律膏、〈七言偈也〉
p.0309 金光明最勝王經大弊才天女品云、洗浴之法、當レ取二香藥三十二味一、所レ謂云云、丁子、此云二孛瞿者一、鬱金此云二荼矩麼一、婆律膏此云二掲囉裟一、此蓋引レ之、然非二偈文一、此言二七言偈一恐誤、齊民要術云、雞舌香、世以三其似二了子一、故一名二丁子香一、卽今丁香是也、新修本草只有二雞舌香一、不レ載二丁子香一、海藥云、按、山海經云、生二東海及崑崙國一、二月三月花開紫白色、至二七月一方始成レ實、大者如二巴豆一、爲二之母丁香一、小者實爲二之丁香一、開寶本草云、丁香生二交廣南蕃一、又云、廣州送二丁香圖一、樹高丈餘、葉似二櫟葉一、花圓 細黃色、凌レ冬不レ凋、子如レ釘長三四分、紫色、中有麁大如二山茱萸一者上、俗呼爲二母丁香一、李時珍曰、漢鬱林郡卽今廣西貴州潯柳邕賓諸州之地、一統志、惟載三柳州羅城縣出二鬱金香一、卽此也、金光明經謂二之荼矩麼香一、此乃鬱金花香、與二今時所レ用鬱金根一、名同物異、
p.0310 薰陸香 兼名苑云、薰陸香〈俗音君祿〉出二中天竺一也、
p.0310 按、本草蘇敬注、薰陸香形似二白膠一、出二天竺單于二國一、嘉祐引二南方草木狀一云、出二大秦一、在二海邊一自有二大樹一生二於沙中一、盛夏樹膠流二出沙上一、夷人採二取之一、賣二與賈人一、注、南方異物志同、其異者惟云狀如二桃膠一、
p.0310 大治四年三月廿二日庚子、候レ院間、忠盛以二薰陸一裹一來云、是誠物歟將非歟、仰事云々、予〈○源師時〉申云、近來號二白膠香一者歟、雖レ似二薰陸一、其香淺、稱二膠香薰陸一也、稱二白膠香一、非二薰陸一歟、但未レ分二其眞僞一云々、
p.0310 牛頭香 兼名苑云、牛頭香〈俗音五豆〉出二大秦國一、氣似二麝香一、
p.0310 海藥本草云、沈香當三以レ水試乃知二子細一云々、似二牛頭一者爲二牛頭香一、
p.0310 經などをよみてくどくのすぐれたることあめるにも、かのかうばしきをやむごとなきことに、佛のの給置けるもことわりなりや、やくわうぼんなどにも、とりわきての給まへる、ごづせんだんとかや、おどろ〳〵しきものゝ名なれど、まづかの殿〈○薰〉のちかくふるまひたまへば、佛はまことし給けりとこそおぼゆれ、
p.0310 雞舌香 南州異物志云、雞舌香、是草花之可レ含香、
p.0310 按、鷄舌香卽丁子香、此分爲レ二、似レ非、然嘉祐本草亦二物並擧レ之、夢溪筆談云、予集二靈苑方一、論二鷄舌香一以爲二丁香母一、蓋出二陳氏拾遺一、今細考レ之尚未レ然、齊民要術云、鷄舌香、世以三其似二丁子証一名二丁子香一、卽今丁香是也、日華子云、鷄舌香治二口氣一、所以三省故事、郎官口含二鷄舌香一、欲二其奏事對答其氣芬芳一、此正謂三丁香治二口氣一、至レ今方書爲レ然、又古方五香連翹湯用二鷄舌香一、千金五香 連翹湯無二鷄舌香一、却有二丁香一、此最爲二明驗一、新補本草又出二一條一、蓋不二曾深考一也、今世所レ用鷄舌香、乳香中得レ之、大如二山茱萸一、剉開中如二柿核一、略無二氣味一、以治レ疾殊極乖謬、疑源君之時俗以二所レ謂乳香中所レ得丁香母一爲二鶏舌香一、故分以爲レ二、然含以香レ口之鷄舌、卽丁香、非二丁香母一也、蘇敬曰、鷄舌香、樹葉及皮並似レ栗、花如二梅花一、子似二棗核一、此雌樹也、不二入レ香用一、雄樹著レ花不レ實、探レ花釀レ之以成レ香、出二崑崙及交廣以南一、本草圖經云、其言レ有二採レ花釀成レ香者一、今不二復見一、果有二此香一、海商亦當レ見レ之、不レ應二都絶一、京下老醫或有レ謂下雞舌香與二丁香一同種、花實叢生、其中心最大者爲二鷄舌香一、擊破有三解理如二鷄舌一、此乃母丁香、療二口臭一最良、治レ氣亦效上、蓋出二陳氏拾遺一、亦未レ知二的否一、李時珍曰、雄爲二丁香一、雌爲二鷄舌一、乳香中所レ揀者、乃番棗核也、卽無漏子之核、前人不レ知二丁子卽鷄舌一、誤以二此物一充レ之爾、
p.0311 雀頭香 江表傳云、魏文帝遣下使二於呉一、求中雀頭香上、
龍腦香 蘇敬本草注云、龍腦香者樹根中乾脂也、
p.0311 本草云、龍腦香、出二婆律國一、形似二白松脂一、作二杉木氣一、蘇敬曰、樹形似二杉木一、子似二豆蔲一、皮有二錯甲一、香似二龍腦一、舊云出二婆律國一、藥以レ國爲レ名、卽杉脂也、江南有二杉木一未二經試一、或方土無レ脂、猶二甘蕉無一レ實、嘉祐本草引二酉陽雜爼一云、龍腦香、樹出二婆利國一、呼爲二箇不婆律一、亦出二波斯國一、樹高八丈、大可二六七圍一、葉圓而背白、無二花實一、其樹有レ肥有レ瘦、瘦者出二龍腦香一、肥者出二婆律膏一、香在二木心中一、波斯斷二其樹一、剪取レ之、其膏於二樹端一流出、斫レ樹作レ坎而承レ之、本草衍義云、西方抹羅短吒國在二南印度境一、有二羯布羅香一、幹如二松株一葉異、濕時無レ香、採乾レ之後、折レ之中有レ香、狀類二雲母一、色如二氷雪一、此龍腦香也、蓋西方亦有、李時珍引二葉廷珪香錄一云、乃深山窮谷中、千年老杉樹、其枝幹不二曾損動一者則有レ香、若損動、則氣洩無レ腦矣、土人解作レ板、板縫有レ腦出、乃劈取レ之、大者成レ片如二花瓣一、淸者名二腦油一、李時珍曰、龍腦者因二其狀一加二貴重一之稱也、
p.0311 靑木香 南州異物志云、靑木〈俗云象目〉出二天竺一、是草根狀似二甘草一、
p.0312 本草云、木香一名蜜香、生二永昌山谷一、陶云、此卽靑木香也、永昌不二復貢一、今皆從二外國舶上一來、乃云、大秦國以療二毒腫一消二惡氣一有レ驗、今皆用合レ香、不二入レ藥用一、蘇敬曰、此有二二種一、當下以二崑崙來者一爲上レ佳、出二西胡一來者不レ善、葉似二羊蹄一而長大、花如二菊花一、其實黃黑、所在亦有レ之、別本注云、葉似二薯蕷一而根大、花紫色、嘉祐引二蜀本一云、今苑中種レ之、花黃、苗高三四尺、葉長八九寸、皺軟而有レ毛、南州異物志云、靑木香出二天竺一、是草根狀如二甘草一、蕭炳云、崑崙舶上來、形如二枯骨一者良、時珍曰、木香南番諸國皆有、一統志云、葉類二絲瓜一、
p.0312 零陵香 南州異物志云、零陵香土人謂爲二燕草一、
p.0312 按、太平御覽引二南越志一曰、零陵香、土人謂爲二〓草一、其文與レ此全同、證類本草載二開寶本草一亦云、南越志名二燕草一、則疑此本引二南越志一、傳寫以レ渉二前條一而誤、非二源君之舊一也、嘉祐引二陳藏器一云、薰草一名蕙草、生二下溼地一、按、薰草卽蕙根也、葉如レ麻兩々相對、此卽零陵香也、開寶云、零陵香主二惡氣一、令二體香一、和二諸香一作二湯丸一用レ之、生二零陵山谷一、葉如二羅勒一、南越志名二燕草一、又名二薰草一、卽香草也、山海經云、薰草麻葉方莖、氣如二蘼蕪一可二以止一レ癘、卽零陵香也、圖經云、常以二七月中旬一開レ花至香、今合香家及面膏澡豆諸法皆用レ之、按、舶来零陵香、有二豆葉樣麥藁樣二種一、呼二豆葉樣一爲レ眞、有二漢種移栽者一、又有二本邦自生者一、呼二麥藁樣一者、卽救荒本草所レ謂草零陵香也、今俗呼二波伎久佐一者、此一種耳、
p.0312 都梁香 荆州記云、都梁縣有二小山一、山上有レ水淸淺、其中生二蘭草一、俗號レ蘭、爲二都梁香一、
兜納香 魏略云、兜納香出二大秦國一、
兜末香 漢武故事云、兜末西王母燒レ之、本是兜渠國所レ獻、
流黃香 呉時外國志云、流黃香出二都昆國一、
p.0312 拾遺又云、流黃香去二惡氣一、似二流黃一而香、又云、都昆國在二扶南南三千里一、南州異物志云、流黃香出二南海邊諸國一、今中國用者從二西戎一來、
p.0313 栴檀香
艾納香 廣雅云、艾納出二〓國一、
p.0313 按、證類本草載二開寶本草一云、艾納香、味甘温無毒、去二惡氣一殺レ蟲、主二腹冷泄痢一、似二細艾一、又有二松樹皮綠衣一、亦名二艾納一、可三以和二合諸香一、燒レ之能聚二其煙一、靑白不レ散、而與レ此不レ同也、依レ之艾納有レ二、其和二合諸香一者、卽松樹皮綠衣、非下出二剽國一者上、源君引二廣志一誤、又按、證類本草載二開賓本草一、剽國作二西國一、香要抄引二廣誌一亦同、然御覽所レ引與レ此合、則西蓋剽字之壞、
p.0313 甘松香
迷迭香 魏略云、迷迭香出二大秦國一、
詹糖香 本草云、詹糖香、〈麁糖二音占唐〉
p.0313 原書木部上品同、蘇敬曰、詹糖樹似レ橘、煎二枝葉一爲レ香、似レ糖而黑、出二交廣以南一、李時珍曰、其花亦香、如二茉莉花香氣一、又曰、詹言二其粘一、糖言二其狀一也、
p.0313 鬱金香
白芷香 本草云、白芷香、〈芷音止〉味辛生二河東一、
蘇合香 唐志云、蘇合香出二蘇合國一、〈蘇字姑反〉本草疏云、是諸香草煎汁名也、
p.0313 香要抄引同、太平御覽引作下蘇合出二大秦一、或云、蘇合國人採レ之、筌二其汁一以爲二香膏一、賣レ滓與中賈客上、按、詳二御覺所レ引文一、謂蘇合者出二大秦國一、或云、蘇合者、大秦國人採レ之、筌レ汁爲二香膏一、以二其滓一賣二與賈人一也、梁書海南夷傳載二此事一云、蘇合是合二諸香汁一煎レ之、非二自然一物一也、又云下大秦人採二蘇合一、先笮二其汁一以爲二香膏一、乃賣二其滓一與二諸國賈人一、是以展轉來達二中國一、不二大香一也上者、可レ證、源君誤以二廣志或説蘇合國人採之六字一、爲二一句一讀、遂爲三蘇合香出二蘇合國一、香要抄襲二其誤一、然無下外夷名二蘇合國一者上、廣志原文恐不レ如レ是本草蘇合生二中臺川谷一、陶隱居曰、俗傳云、是師子矢、外國説不レ爾、今皆從二西域一來、蘇 敬曰、此香從二西域及崑崙一來、紫赤色重如レ石、燒レ之灰白者好、云是師子屎者、此是胡人誑言、陶不レ悟レ之、猶以爲レ疑、陳藏器曰、按、師子屎、色赤黑色、蘇合香黃白、二物相似而不レ同、人云師乎屎、是西國草木皮汁所レ爲、胡人將來、欲二人貴レ之、飾二其名一耳、本草和名引レ疏曰、合諸香草一煎、、其汁謂二之蘇合一、此注所レ引卽是、
p.0314 蘇合香〈カハミトリ〉
p.0314 芸香 禮記注云、芸〈音雲、和名久佐乃香、〉香草也、
p.0314 收書 收二藏書籍一之法、當於下未二梅雨一前上、麗取極燥、頓二樹櫃中一、厚以レ紙糊二外門及周隅小縫一、令二不レ通レ風卽不蒸古人藏レ書、多用二芸香一辟レ蠹、卽今之七里香是也、
p.0314 天祿三年八月廿八日、規子内親王〈○村上皇女〉野々宮にて、御前の面に薄、蘭、紫苑、草(クサノ)香、女郎花、萩などをうへさせ給て、松むし鈴むしをはなたせ給けり、
p.0314 くさのかう 伊勢
草のかう色かはりぬる白露は心おきてもおもふべきかな
p.0314 速香(スカウ)〈惡香速消盡、故云二速香一也、〉
p.0314 速香(スカウ)
p.0314 龍涎香(レウエンカウ)
p.0314 麝香 爾雅注云、麝〈食夜反〉脚似レ麞而有レ香、
p.0314 説文、麝、如二小麋一、臍有レ香、李時珍曰、麝之香氣遠射、故謂二之麝一、本草注、陶隱居云、麝香形似レ麞、恒食二栢葉一、又噉レ蛇、五月得レ香、往々有二蛇皮骨一、故麝香療二蛇毒一、今以二虵脱皮一裹レ麝彌香、則是相使也、其香正在二麝香陰莖前皮内一、別有レ膜裹レ之云々、人云是其精溺凝作、殊不レ爾麝香夏月食二虵虫一多、至レ寒香滿、入レ春患二急痛一、自以レ脚剔出、著二矢溺中一覆レ之、皆有二常處一、人有二遇得一、乃至二一斗五升一也、
p.0314 麝香〈香獸也、或小鳥名也、杜子美句、麝香眠二石竹一、〉
p.0314 法印慶信 承曆三年食堂坤角九間亂落、年内修造了勅封藏麝香五兩進レ官、其代銀提一口施入、〈百五十兩〉
p.0315 承德三年〈○康和元年〉六月十三日、〈裏書〉戌刻侍宗兼、從二大盤所一爲二御使一申云、御鏡幷麝香所レ遣云、三箇日可レ見二於麝香一者、過二三箇日一可二返奉一也、
p.0315 燻熏〈タキ物〉 薰〈香氣〉
p.0315 合香者、起レ從二佛在世一而、三國一同用レ之候、殊好色之家是號二熏物(○○)一、深秘二其方一歟、沈香、丁子、貝香、薰陸、白檀、麝香、以上六種者、毎レ方擣〓和合、加二詹唐一而名二梅花一、加二鬱金一而名二花橘一、加二甘松一而名二荷葉一、加二藿香一而名二菊花一、加二零陵一而名二侍從一、加二乳香一而名二黑方一、皆是發二栴檀沈水之氣一、吐二麝臍龍涎之熏一者也、拜領仕度存候、
p.0315 香具 倭俗薰物幷匂袋等所レ用沈香、丁香、白檀、麝香之類、總稱二香具一、凡薰物方有二梅花菊花等之名一、香劑依二其方一而有二輕重之品一、各麁二末之一、其調合法、改二衣服一、禁二不淨一、則於二一室之内一、先鳥子紙四折レ之、如二井字之形一、置二是淨几上一、香劑各以二權衡一量レ之、鳥子紙四折之内、中間限二方六寸一、比二置所レ量之香劑於其處一、各量レ之有二香劑之次第一、是謂レ疊(タヽム)、逐レ次重疊之謂也、量了後合レ之、以レ匙香劑間爲二境界一、如二溝洫之形一、而後點二麝香於白兎毛之眉掃頭一灑二溝間一、是謂レ打二麝香一、其次第前後一失二其次一、則調合後香氣不レ發、而後混合之香劑入二藥臼一、和二白煉蜜一杵レ之、至二二千或三千一、隨二杵數之多一而有二香氣一、爾後納二囊内一、或與レ壺、藏二風雨所レ不レ侵之土中一、隨レ歷二歲月一而馨香芬發、是稱二薰物一、又謂二燒物一、點二香爐幷火爐一、又一種有二香囊一、〈○中略〉本朝流風於二斯二物一也、重二調合之法一、故主上亦御手疊レ之合レ之、近臣一兩輩外不レ預二斯事一、故謂二勅作一、諸家亦有二所レ傳之方一、於レ今市中亦有二調合之家一、凡香具各自二肥前長崎港一來二京師一、藤播磨買レ之而採二擇之一、以充二其用一、其外諸品藥劑亦所レ在二播磨家一爲レ眞也、薰物匂袋、斯家之所二調合一爲レ堪レ用、
p.0315 梅花〈燒物〉 荷葉(カヨウ)〈菊花同黑方同侍從同帳中香〉
p.0315 六和香 沈(チン)香、丁香、薰陸(クンロウ)、貝香、白檀(タン)、麝香也、已上六種也、春加二詹唐(センタウ)一曰二梅花一夏加二鬱金一曰二花橘一、秋加二甘松一、曰二荷葉一、冬加二霍香一曰二菊花一、加二零陵一曰二侍從一、加二乳 香一曰二黑方一也、〈猿家之秘方也〉
p.0316 黑方〈沈四兩 丁子二兩 甲香一兩二分 薰陸一分 白檀一兩 麝香二分〉
侍從〈沈四兩 丁子二兩 鬱金二分一朱 甘松一分一朱〉
梅花〈沈八兩二分 丁子四兩三分 甲香三兩二分 甘松一兩一分 薰陸一分 麝香一兩〉
荷葉〈沈七兩一分 丁子二兩二分 甲香二兩一分 藿香一分四朱 白檀一分一朱 甘松一分 熟鬱金二分 代二麝香一〉
菊花〈沈四兩 丁子二兩 甲香一兩 薰陸一分 甘松一分 麝香二分〉
盧橘〈沈四兩 丁子二兩 甲香一兩二分 甘松一分 白檀一兩三分 栢木一〉
已上五〈○五恐六誤〉方云云
其方其香雖二少入一、香各有二所法一、黑方以二麝香薰陸一爲二其香一、侍從方以二鬱金一爲二其香一、梅花方以二丁子甘松一爲二其香一、荷葉方以二藿香白檀一爲二其香一、菊花方以二甘松薰陸一爲二其香一歟、甲香以二衆香一有二混合之用一也、此本者、大法性寺殿、眞筆本寫レ之、
p.0316 梅花〈擬二梅花之香一也、春尤可レ用レ之、〉 閑院左大臣、〈冬嗣贈太政大臣正一位、右大臣内麿三男、〉 沈八兩二分、占唐一分三朱、甲香三兩二分、甘松一分、白檀二分三朱、丁子二兩二分、麝香二分、薰陸一分、〈○中略〉 荷葉〈凝二荷香一也、夏月殊施二芬芳一、〉 公忠朝臣〈天曆六年二月廿一日甲午進之〉 甘松花一分、沈七兩二分、甲香二兩二分、白檀二朱、〈或本三朱〉熟鬱金二分、〈代二麝香一〉藿香四朱、丁子二兩二分、安息一分、〈或無〉甘松三朱、沈三兩二朱、甲香一兩一分、白檀一朱、〈或本無〉熟鬱金一分、藿香二朱、丁子一兩一分、〈○中略〉 侍從〈亦名二拾遺補闕一〉秋風蕭颯として心にくきをりに、よそへたるべし 閑院大臣 沈四兩、丁子二兩、甲香一兩、〈已上大〉甘松一兩、熟鬱金一兩、〈已上小○中略〉 菊花〈菊花ににたるにほひにやあらむ〉 不レ知二誰人一 沈四兩、丁子二兩、甲香一兩二分、薰陸一分、麝香二分、甘松一分、〈○中略〉
落葉 不レ知二誰人一 沈四兩、丁子二兩、甲香一兩二分、薰陸一分、麝香二分、甘松一分、 黑方(○○)〈(中略)冬凍氷時深有二其白一、不レ被レ封レ寒、〉 閑院大臣〈長良淸經元名等同之〉 沈四兩、丁子二兩、白檀一分、甲香一兩二分、麝香二分、薰陸一 分、〈已上大○中略〉 薰衣香〈一名體身香〉 八條宮〈○本康〉 沈九兩、甲香五兩、靑木香二兩、白芷一兩、丁子一兩、白檀二兩、占唐一兩、蘇合一兩半、麝香半兩、〈○中略〉 〓衣香〈或注二薰衣香一〉 邠王家 零陵七兩、沈二兩、丁子二兩、蘇合二兩、占唐二兩、藿香三兩、鬱金一兩、麝香二兩、〈○中略〉 承和百步香〈此方出レ自二四條大納言家一、大江千古所レ上耳、〉
甲香八兩、蘇合一斤、占唐一斤、白檀八兩、零陵八兩、藿香四兩、甘松花四兩、乳頭香五兩、白膠二兩二分、麝香四兩、鬱金二兩二分、〈已上小○中略〉 百和香 沈四兩、丁子二兩、甲香一兩、〈已上大〉熟鬱金一兩、甘松一兩、〈已上少○中略〉 令人體香、甘草、瓜子、大棗、松皮、已上分等、未レ飡服二方寸匕三一也、百日衣服甚香、 浴湯香 䓢蓿香一兩、零陵一兩、茅香一兩、甘松一兩、右以レ水作レ湯浴レ之、任レ意量二多少一、以レ是爲レ限、或本加二澤蘭一兩一、
p.0317 和合時節
賀陽宮 正月十日作之
山田尼 春、むめのはなざかり二三月、秋、蘭菊のかうばしき八九月、〈○中略〉
和合次第
賀陽宮 黑方〈沈一、甲二、麝三、薰四、白五、丁六、〉
滋宰相 先和二沈丁子一、次合二甲香一、次合二白檀一、最後和二麝香一云云、尚自可レ及レ多爲レ令二快和合一也、
染殿宮 諸香合蜜之後、可レ和レ麝也、〈此説可レ秘云云〉
公忠朝臣 沈ヲ母ニテ、次丁薰白、〈了アハヒニ〉麝香合次甲香、 又説、蜜合了之上麝香振懸云云、蜜合了以レ手ニギル也、加レ手成レ之、普一一振合爲レ能、
八條〈大將承和秘方同之〉 沈甲麝薰白丁
朱雀院 沈丁甲薰麝
東三條院 沈甲白薰丁麝 四條大納言 合香次第、只以二兩數一少物先入也、又以二兩數一均對對合也、但麝香ハ最後合レ之、
小一條皇后 先沈丁子ヲ合、次甲香ヲ合、次白檀ヲ合、終麝香薰陸ヲ一度ニ合スト云リ、少ヨリ多ニ可レ及、快ク爲レ合也、
合和 和以レ泯泯爲レ好 泯〈唐韻云、彌忍反、彌賓反滅也、又動也、〉 知章朝臣口傳レ云、以レ指推二合香一ニ指〈乃〉皴〈乃〉文〈乃〉付〈ク〉程〈ヲ〉泯々〈乃〉程〈ト〉謂也、
國〓 和レ蜜程頗欲二堅埋一、則自有二濕氣一云云、
大僧都寬敎 春之丁子、夏秋之沈、冬薰陸、隨レ季三朱許可レ加歟、
山田尼 先、つめをきりて、手をあらひてつかみあはせよ、これはこどねり常生が説なり、手のあかいるとてもちひぬ人もあり、又云、いまだかたまらぬによくさまして、ものにしたみいれて、かひしてすこしづゝくみて、かつ〳〵まはして、かたきかたなるにつきもていけばよき、煎じたるものながらいるれば、たりくるほどにいれすぐすなり、
或説 すゞりのはこのふたなどに、あつくうるはしき紙をしきて、それに香を次第にいれて、まつひとくさいれては、はまぐりのかいなどして、よくたび〳〵かきかへしつゝ、あまねくあはせて、又いれ〳〵、よくかきあはせて、すこしあらきふるひして、ふたたびふるひあはせて、あまづらにはあはすべし、あはせたるおりは、かうばしともおぼえず、丁子などの、かはやきをかきなれたるほどなるべし、廿日ばかりわすれてとりいでて、かくにぞかうばしきものなる、なつあはするはかたきよし、しるになる也、ふゆはしるなれども、又の日はかたまりぬ、くさ〴〵のものを火にたきたてかくに、くさくかゝるゝをば、いるゝかずにすこしたらさす、かうばしきものをばほうのごとくにいるべし、くさきものゝおほくいるは甲香也、
合舂 姚家 諸香調和了、入二鐵臼一搗五百杵、
公忠朝臣 合和良久硏黏、擣三千許杵、
隨時朝臣 和レ蜜投二鐵臼中一、擣數以レ多爲レ好、
國〓 先以二諸香一入二大革筥一、蓋和レ蜜能黏合了、入二鐵臼一搗千杵、
致忠朝臣〈東三條院同之〉 合香擣〈三千杵〉
知章朝臣 千度之内可レ舂之
山田尼 あはせつきのおりは、かなうす、きね、よくあらふべし、四兩合には三千度、二兩合には千五百度、一兩合には千度、すくなきはとくつかるれば、かずをおとすなり、白きこはりきたるにてはこいりてあし、のりはりきたらん人のつくべきなり、
埋日數〈付埋所〉
長寧公主 埋三日
姚家 埋七日
極要方 盛二白瓷中一、堀レ地三尺以上、用二水邊之地一得二朝陽一埋レ之卅日、
洛陽薰衣香方 入二瓷器一、埋二水邊陽氣地一、深八寸、七箇日之後出二用之一、
承和百步香方 盛二瓷瓶中一、埋經二三七日一取燒、百步外聞レ香、
同御時 被レ埋二右近陣御溝邊地一、後代相傳、不レ變二其處一云云、或記云、右近陣御溝詹下壇上云云、
賀陽宮 用二唐瓷器一、堀二露地一深三尺許埋レ之、
八條式部卿宮 一宿埋二馬矢下一、件方傳得二陽成院書一云々、
公忠朝臣 黑方、侍從、春秋五日、夏三日、冬七日、埋二之梅樹下一、
致忠朝臣 合レ香〈天〉後物〈ニ〉入〈テ〉、花〈乃〉木ノ下土中高〈に〉埋レ之、 知章朝臣 五葉〈ノ〉松下〈ニ〉可レ埋、春秋七日、夏五日、冬十日、
山田尼 茶埦のつぼ、もしはつきなどにいれて、ふたよくおほひて、そくゐしてかみををして、よくみづいるまじく封じて、梅樹のもとにうづむべし、それあめなどいりてながるゝもあしかりぬべし、花の木のしたのつちをものにかきいれて、うづみたるいとよし、又水のほとりみちのつじ、むまの矢のなかにも、ものにしたがひてうづむべし、あるひは十日、もしは廿日などうづめ、くろぼう、梅花などに木のしたにうづみて、春秋は五日、夏は三日、冬は七日ありてとるべし、士をほること二尺ばかりなり、
p.0320 薰物秘方
黑方 沈〈八兩重シ〉 丁子〈三兩頗重シ〉 貝〈一兩二分輕シ〉 白且〈二分輕シ〉 薰陸〈二分頗輕シ、自二白且一ハ重シ〉
雁香〈一兩殊重シ〉 以上上方
沈〈六兩〉 丁子〈二雨一分〉 貝〈一雨二朱〉 白且〈一分二朱〉 薰陸〈一分二朱〉 麝香〈二分二朱〉 以上中
沈〈四兩〉 丁子〈一兩二分〉 貝〈三分〉 白且〈一分〉 薰陸〈一分〉 雁香〈二分〉
射香半分散をもてあはせ、半分あまづらに合て後是をさす、又諸香のかろさ重さの用心、かみになづらへて心えべし、凡黑方四季に通用す、尋常ながらに只此方を用る也、他方は其時にあらざれば、あながちに用ざる也、
合次第、手ばこのふたにうすやうをしきて、其上に沈を置てかきひろげて、雉子のはねを持て格子のごとく是をわかつ、其上に間ごとにあまねく丁子をわかち、置終りて能々かき合す、和合の樣、以下准レ之、中より分て二になして是を置て、そのなからをかきひろげて、雁香半分あへてかき合せて暫置て、射香に合せざるかたほし、暫置て混合せず、又別所に貝香を置て、其上に白且を置 て、かき合せて暫置て、次麝香にあはせ、さるかたの沈をかきひろげて、其上に件の貝香等をわかちをく、かき合せ終りて、又はじめのごとくかきひろげて、射香にあはする方の丁子沈を其上にわかち置て、能々和合する也、次にあはせふるひ二度、其後一宿を經て、その香互にそむをよしとす、しかうしてのちあまづらに和す、是秘傳也、急ぐ時かならずしもしからずといへり、
又云、大一劑といへども、小目上かけわかちて是を合、有便よく和合する也、あまづらに和する時、おほかるといへども、わづらひなきなり、凡香わする時、一番の香にをく香は、燒時その香最末に出くる也、最末にをく香は、たく時其香最前に出來るによて、能香をもて前後に是ををく、貝薰陸のたぐひ、中間に是をまじふ、その香あながちにいださざらんが爲なり、是甚深の秘説なり、
梅花方 沈〈二兩二朱重シ〉 丁子〈一兩重シ〉 貝〈二分輕シ〉 白且〈二朱輕シ〉 薰陸〈二朱重シ〉 甘松〈一分〉 射香〈三分重シ〉 合する次第黑方におなじ、射香に合する方に、甘松をあはする也侍從荷葉させる秘方なし、只諸家の方を持てはからひて合す、
諸香增減用心
沈香に隨ひて、他物聊增減の用心有べし、但其沈にむかはずば、かねて其程を定がたし、よくかきわけまじふべき也、沈のかも一樣にあらざるなり、その香つらなれば、餘香いさゝかさしそふ也、淺香のごとくその香すくなくば、他の香ををの〳〵減ずべきなり、凡貝はくさしといへども、是をくはへずば、其香遠く匂ふべからず、薰陸其用なしといへども、是をくはへずば、其かものにそまざるなり、
p.0321 たきものゝ方さま〴〵なれど、つねにあはするは六種なり、〈梅花、荷葉、菊花、落葉、侍從、黑方、〉梅花は春のむめのなつかしき香にかよへり、荷葉はなつのはちすのすゞしき香にかよへり、菊花は秋のきくの身にしむ香にかよへり、落葉はふゆの木のはのちるころ、はら〳〵とにほひくるにか よへり、時にしたがひて、昔の人はあはせけれど、今の世にはさしもみえずなり行や、ものゝをとろふるなりけり、そのおり〳〵にあはせずとも、おなじことよなどいふは、世のすゑの人のこゝうなめり、侍從は乙侍從といふ女房のあはせそめぬれば、其名をよぶといへり、山田の尼をはじめは侍從といへるゆへ、此尼のあはせそめしともいへり、いづれにてもその袖の香も、おぼゆばかりのにほひなり、黑方はたきものゝにほひにては、玄の玄といふ心にて名づけたるを、くろぼうとかながきに書けるを、後の人あやまりて、黑方とかくといへり、あやまりをあらためず、その字を書もはゞかりある心に例あれば、かみのその字をかく也、侍從黑方このふた種は、霜雪のころさむきにあはせよとつたへたり、是は人のつたへもうけず、ふるふみにかきをきしをもみず、としどしあはせこゝろみてかくなしをきしを、人のみせよといふに、あらためて序代をのぶ、
梅花〈沈香〉〈五兩〉〈丁子〉〈一兩〉貝香〈一兩○貝〉〈香卽甲香〉〈甘松〉〈二分〉〈麝香〉〈二分〉 荷葉〈沈香〉〈七兩二分〉〈丁子〉〈二兩二分〉〈白檀〉〈一分三朱〉〈貝香〉〈二兩二分〉〈甘松〉〈二分〉〈藿香〉〈二分〉〈安息香〉〈一分〉〈鬱金〉〈三分〉 菊花〈沈香〉〈二兩〉〈丁子〉〈一兩〉〈貝香〉〈二分〉〈甘松〉〈三朱〉〈薰陸〉〈三朱〉〈麝香〉〈一分〉
きくの花のいかにもかうばしきを取て、うすやうの下にきくをしきて、その上にてかうぐをかさねて、すぐにつゝみて、五日を經て、そのはなを撤して、烏鷺をあはせ蜜をあはするなり、
落葉〈沈香〉〈四兩二分〉〈丁子〉〈一兩二分〉〈貝香〉〈二兩二分〉〈甘松〉〈一分〉〈薰陸〉〈一分〉〈爵香〉〈二分〉 侍從〈沈香〉〈四兩〉〈丁子〉〈二兩〉〈貝香〉〈一兩〉〈甘松〉〈一分二朱〉〈占唐〉〈一分二朱○占唐詹糖借字〉 黑方〈洗香〉〈五兩〉〈丁子〉〈二兩〉〈貝香〉〈一兩〉〈白檀〉〈三分〉〈薰陸〉〈三分〉〈麝香〉〈二分〉
p.0322 夏衣 〈一〉沈〈四兩〉 〈二〉丁子〈二兩〉 〈三〉甲香〈一兩二分〉 〈四〉薰陸〈一分〉 〈五〉白檀〈一兩〉 〈六〉麝香〈二分〉
仙人 〈一〉沈〈四兩〉 〈二〉丁子〈二兩〉 〈三〉甲香〈一兩二分〉 〈四〉甘松〈一分〉 〈五〉白檀〈一兩三分〉 〈六〉柏木〈一分イニ分〉
いさり舟 〈一〉沈〈八兩二分〉 〈二〉丁子〈四兩二分〉 〈三〉甲香〈三兩二分〉 〈四〉甘松〈一兩一分〉 〈五〉薰陸〈一分〉
松風 〈一〉沈〈四兩〉 〈二〉丁子〈二兩〉 〈三〉鬱金〈二分二朱〉 〈四〉甘松〈一分一朱〉 〈五〉朴根〈二分〉
きくの露 〈一〉沈〈四兩〉 〈二〉丁子〈二兩〉 〈三〉甲香〈一兩〉 〈四〉薰陸〈一分〉 〈五〉甘松〈一分〉 〈六〉麝香〈二分〉 榊葉 〈一〉沈〈七兩一分〉 〈二〉丁子〈二兩二分イ一分〉 〈三〉甲香〈二兩一分イ一兩〉 〈四〉藿香〈一分四朱〉 〈五〉白檀〈一分一朱〉 〈六〉甘松〈一分〉 熟鬱金〈二分〉
p.0323 甲香 南州異物志云、甲香〈俗云合講二音〉螺屬也、可下合二衆香一燒上レ之、皆使レ益レ芳、獨燒則臭、
p.0323 甲香はほら貝のやうなるがちいさくて、口のほどの、ほそながにして出たる貝のふたなり、武藏國金澤といふうらにありしを、所の者は、へなたりと申侍るとぞいひし、
p.0323 文明十九年二月二十七日戊辰、自二龍翔院一〈○藤原公敦〉薰物三具〈早梅、梅花、黑方、〉被レ送之、祝着々々、
p.0323 百和香(○○○) 神仙傳云、淮南王張二錦繡之帳一、燔二百和之香一、燔燒也、音繁、
p.0323 百和香 よみ人しらず
花ごとにあかずちらしゝ風なればいくそばくわがうしとかは思
p.0323 少納言なくなりてあはれなる事などなげきつゝ、をきたりける百和香をちいさきこにいれて、せうと棟政朝臣につかはしける、 選子内親王
のりの爲つみける花をかず〳〵に今はこのよのかたみとぞ思ふ
p.0323 百和香あつめてうたよまするに、とのつちはりのはなをくはへよといふ、
いかでかはゆきておるべきいろ〳〵にむらごににほふつちはりの花
p.0323 蘇合香〈味甘温無毒、主擘二惡氣一、散二鬼精物一忌二蠱毒一、通二神明一、久服輕身延年、是師子矢云々、此香レ從二崑崙一來、又出二太秦國一、合二諸香一煎二其汁一、謂蘇合云々、〉 白膠香〈味甘平温無毒、或辛苦、主二腰痛勞羸瘦神養氣一、久服身輕廷年、一名鹿角膠、羅樹汁云々、又楓木脂也、眞非二作物一歟、〉 甘松香〈如レ前〉 沈香〈同前〉 白檀香〈薰衣香入之〉
麝香〈治二万病一不レ近二鬼神一、五香湯入之、〉 薰陸香〈如レ前〉 熟鬱金〈味辛、苦寒無、毒、主二惡々淋一、其形似二〓黃一也、生二西戎一、又馬藥用、故云二馬木一也、其類多々也、難レ知、眞熟鬱金色紫也云々、〉 詹糖〈其樹似レ橘〉〈天〉〈煎枝葉爲レ香、似レ糖而黑、去二邪鬼病一、出二交廣以南一、眞者難レ得云々〉 藿香〈療二風水毒腫一、治二寉亂心痛一、利二小便一、養二氣力一、其類多々也、出二波津國一、〉 香附子〈生二諸毛髮一者也、凡採得後陰千於二石臼木杵一擣レ之、勿レ令二鑵用一也、〉
已上香、薰衣香用之、〈○中略〉 薰衣香方〈甲香一兩、丁子香一兩、蘇合香一兩、白膠香一兩、甘松香一兩、沈香一兩、白檀香半兩、麝香半兩、薰陸香半兩、〉
〈右九種並須好者、各自別擣用麁羅篩以和使乾香均卽成、〉
p.0324 いまの世にみえきこゆる香にはあらで、げにこれをやいにしへのくのえかうなどいひて、よにめでたきものにいひけんは、このかほりにやと、さてをしかへしめづらしうおばさる、
p.0324 くさ〴〵の御たき物どもくぬえかう、またなきさまに、百ぶのほかをおほくすぎにほふまで、心ことにとゝのへさせたまへり、
p.0324 冬の御方にも、時々によれるにほひのさだまれるに、けたれんもあいなしと覺して、くのえかうのほうすぐれたるは、さきの朱雀院のをうつさせ給て、公忠の朝臣のことにえらびつかうまつれりし、百ぶの方など思ひえて、よににず、なまめかしさをとりあつめたる、心をきてすぐれたりと、〈○下略〉
p.0324 永正三年七月二十一日己亥、陳外郎來、薰衣香一袋惠レ之、
p.0324 天文十一年五月廿日己巳、薰衣香調合、
p.0324 從二女院御所一薰衣香廿御拜領、拙子ニ相心得可二申越一之旨被二仰出一候、巨細之段岡本美作守可レ被レ申候、將又先日者罷越候處ニ、于レ今不レ始御馳走祝著之至存候、御腫物氣之處ニ御登城、別而滿足ニ令レ存候、猶期面之時可二申述一候、恐々謹言、
六月〈○慶長十四年〉十八日
片岡市正殿
p.0324 慶長十五年六月廿日、從二禁裏一板伊州〈江〉薰衣香拜領、予御使、於二彼亭一振舞有レ之、
p.0324 しなのへまかりける人に、たきもの(○○○○)つかはすとて、 するが しなのなるあさまの山ももゆなればふじのけぶりのかひやなからん
p.0325 ひえの山にすみ侍けるころ、人のたき物をこひて侍ければ、侍けるまゝに、すこしを、梅の花のわづかにちりのこりて侍る枝につけてつかはしける、 如覺法師
春すぎてちりはてにける梅のはなたゞかばかりぞ枝にのこれる
p.0325 慶長八年七月十日、しやうぐん、〈○德川家康〉ふしみよりのぼりにて、たき物參る、御つかいひろはしう大辨なり、
p.0325 慶長十年九月十一日癸未、伏見へ罷向、全阿彌ニテ休息了、次御城へ參了、先夕飡被レ下了、廣橋亞相、予、勸修寺黃門、冷泉中將、烏丸頭辨、四條少將、内藏頭、舟橋式部少輔等也、次御對面了、禁中ヨリ燒物方(○○○)宸筆被レ遊、將軍〈○德川家康〉へ被レ參了、廣橋勸修寺等御使也、薄暮歸宅了、
p.0325 燒香、又面白存候、但不レ所二持之一候、名香之品々者、宇治、藥殿、山陰、沼水、無名、名越、林鐘、初秋、神樂、消遙、手枕、中白、端黑、早梅、踈柳、岸桃、江桂、苅萱、菖蒲、艾、忍、富士根、香粉風、蘭麝袋、伽羅木等、縱雖二兜樓婆、畢力迦、及海岸之六銖、淮山之百和一、不レ可レ勝二於此一候、
p.0325 香名 蘭奢待(ランジヤタイ)〈自二東大寺一出故名之、蘭奢待ノ内有二東大寺之字一、〉
p.0325 蘭奢待(ランジヤタイ)
p.0325 太子 木所佐尊羅
きゝいかにもかろくすゞしうして、たぐひなきかほりなり、
蘭奢待 伽羅
きゝふるめきしづかにして、たえ〴〵なるこゝちありて、あむにむのかほり次第に出る也、是すなはちかうのもと也、他は是になぞらふべし
逍遙 伽羅 きゝはやう出て、蘭奢よりうすくして、ゆうなるかほり有、火すゑ同前、
三芳野 伽羅
らんじやよりすこしはやく出、にほひはなやかにすゞしうかうばしき也、火末同前、
法華 伽羅
きゝふるうやはらかに、心たへにして言葉のべがたし、是も火すゑ同前、
紅麈 伽羅
きゝすこしをそく出て、いさゝかからき心あり、火すゑ同前、
古木 羅國
きゝふるめきひやゝかにすゞしきなり、あやめよちは、火ずゑうすし、
中川 眞南蠻
きゝふるうにほやかにして、かろき火すゑなり、一説には木所伽羅といふ、
八橋 羅國
きゝしづかにすゞしうして、古來よりはなやかなり、火すゑ菖蒲ににたり、
花橘 眞南蠻
きゝはやう出、かろくにほやかにして、やがてきゆるなり、是香のしるしなり、
以上十種〈○追加二十二種略〉
p.0326 二種之名香之事
一昔ゟ蘭奢待、太子、此二種を名香六拾一種之内第一として、古今無上妙品最上之香とせり、蘭著待は稀にして、得がたきを以奇寶とするのみならず、其香殊更勝れて妙有、十度も燒かへすべきの説、古來ゟ傳ふる説也、本は東大寺の什物なる故、其名をまた東大寺とも云り、世に眞銘之物古 今稀也、天下草創の將軍家御一代に南都ゟ出る香也、勅使上使抔有て、一寸四分切取る云り、近代は其儀なし、誠古其例有と記し候書有、かゝる大節成名香たれば、世に流布する處のもの僞銘多して、此道にうとき人誤り傳て、貴賞するもの、正銘となしがたし、太子、法隆寺ゟ出る説一向なし、然共いつの世にか不圖洩出て、世に流布す、る物也、匂ひは蘭奢待に及物ならずと云ども、太子御自愛の香にして、此國におゐて焚香の始なれば、甚大節成ヲ以世に貴賞せり、手箱太子と云る物有、是も法隆寺什物の中に、太子の手箱の内に入たる本木のけづりくずなりと云り、此兩種の名香は、甚得がたき事也、若僅に一炷計成を得ば、眞銘疑ひなきものなれば、尤奇寶と可レ成事也、
六拾一種名香之説
一、古來ゟ六拾一種之名香有て、其名香世に知る所なり、然共近世流布するもの、多くは僞名にして、傳來正敷正銘の物稀也、近比香を商ふ者、其俤相似たる香を撰みて、是に擬して人をまどわすもの多し、旣に往古にも正銘の物は得がたし、或は燒失し、または、はづかに殘りて世に甚稀也事古書にも見へたり、建部隆勝天正年間之人、志野省巴門人、信長公之家臣也、此書ニも六拾一種之聞を記されたるにも、貳拾餘種未聞よしの説有、今に至てはいよ〳〵稀成べし、然ば六拾一種悉く正銘の物有べからず、今稀に六拾一種之内なる正銘とおぼしきは、其香味能古人の記し置し連味濃薄立出煙末に至りて、香の位かう〳〵として、能香氣かよひて疑がわしからざるものあらざれば、正しき名香といふべし、然今世に至て多く古來之名香の名を以て、貴賞するもの有べからず、自然疑ひなきもの一種にても得ば、貴賞すべき事なり、〈○中略〉
新六拾種名香之事
一古來御家之六拾種名香有、世に賞ス、又志野宗温六拾一種之名香を定、今世上に傳へ用る香是也、然ども古の名香といへ共、勅銘有て稀也、後世に至て勅銘の香、また貴人公子の名附給ふ香少 なからず、香の善惡を論ぜず勅銘のものは、古水之名香ゟも貴みもて扱べき事なり、よつて近世名有香を集、古來の數に擬して、六拾種の新銘を集む、尤香の善惡を定撰て、六拾種となすにあらず、只勅銘之分、また貴人の銘附られしをほどこし、焚給ひしを集むる而已、見む人是をおもへ、
新六拾種香名寄
一はつ雪 むらさき 少年の春 靑陽 花の色 はるの嵐 蟬の羽衣 五月の空 花すゝき 小夜衣 志 軒漏月 桃源 とがめぬ霞 楚弓 蓮葉 その糸 忘水 蘭(ふじばかま) 夕日 水雲郷 老木の花 簾の障 思 椛(カバ)櫻 東 初瀨山 瀧の白玉 梅の一枝 浦風 後の香久山 更衣(コロモガエ) 秋の最中 右勅銘之分三拾三種也
一横笛 後の古里 生微凉(ビリウ) 後の染衣 後思 後の春の夜 右公方家御銘六種
一郭公 東山 若松 若竹 烏羽玉 後尾上 後八重櫻 後花勝見 暗部山 山櫻 彌生
木葉の雨 飛鳥川 芝船 翡翠 西山 右中院通村卿御銘十六種
白菊 細川藤孝銘 柴船 奧州正宗銘 千代春 奧州綱村銘 初音 小堀政一銘
後淺綠 小堀政一銘 以上六拾種也〈○中略〉
和香木名寄
一瑞香木(ミヅカキ)〈加茂〉 長柄橋〈攝州〉 光遠木〈有馬〉 樓間櫻 異香留賀(イカルガ)〈和州太子御手自柄植させ給ふ、今枯米、〉 右勅銘之分
一夏衣〈攝州有馬〉 吉野寺〈比蘇寺ト云〉 埋木〈箱根〉 埋杉〈丹後〉 三輪苧卷〈二本杉〉 三保崎楠
天橋立松 尾上松〈播州高砂〉 千歲杉〈姥杉トモ 奧州平泉村中尊寺地内、光堂前に有、〉 天香木(ムロノキ)〈鎌倉〉 瀨戸白檀〈相州〉
平岡天香木 末松山梅根〈奧州〉 嚴島鳥居〈平淸盛造立〉 筑紫飛梅 難波梅〈攝州〉 稍之外〈攝州天王寺林氏〉
大江山〈丹州〉 室山杉〈空海手所レ栽〉
p.0329 香道
十種名香 東大寺 法隆寺 逍遙 三芳野 枯木 法華經 紅塵 八橋 中川 盧橘等也此外追加六種の名香、又五十種の名香あり、又七十種の名香、百八十六種の名香をはじめ、數品の香あり、
p.0329 天正二年三月廿三日、信長奏二聞禁裏一、廿七日、赴二奈良一居二多門一、開二東大寺秘府一截二黃熟香一、〈俗曰二蘭奢待一〉日野大納言某、飛鳥井中納言雅敎爲二勅使一、佐久間右衞門尉信盛、菅屋九右衞門、塙九郎左衞門、蜂屋兵庫頭、武井夕庵、松井友閑奉二行之一、截レ之一寸八分也、信長取二其三之一一、以二其二一配二授諸士一、
p.0329 蘭奢待被レ截事
三月〈○天正二年〉十二日、信長公御上洛有テ相國寺苑薗院ニゾ御座マス、同廿三日、南都東大寺ノ蘭奢待御所望有タキ旨奏問セラレケレバ、則日野大納言、飛鳥井大納言勅使トシテ南都ヘゾ參ラレケル、信長公同廿七日、奈良ニ御著アツテ多門ニ御座マス、翌日蘭奢待切セラル、
p.0329 慶長七年六月十一日、神君奏聞ヲ遂ラル、勅使勸修寺右大辨光豐、廣橋右中辨總光、神君ヨリハ本多上野介、大久保石見守長安、南都東大寺ニ至テ、寶庫勅封ヲ兩辨是ヲ截テ戸ヲ開、黃熟香〈闌奢待也〉ヲ截シム、香見柳原右少將業光也、中坊左近秀祐警固シ、幕下ノ步卒十人監使タリ、〈○又見二武德安民記一〉
p.0329 僧惠南
惠南、名忍鎧、號二空華子一、平安の人也、聞香に長じ一時に鳴、連理燒合五味七國をきゝしるのみならず、凡物の臭氣をきくこと常ならず、〈○中略〉何某の宮の御殿に、紅塵といへる名香あまたたくはへ給ふが、或時やゝうせたれば、殿下の御沙汰となり、武邊に仰て搜しもとめ給ふに、惠南其ころ名譽あれば、殿下へめして、聞しらずやととはせ給へども、もとよりしらぬことなれば、其旨申あげ けれどもこゝちよからず、いかにもして其在所をしらまく思ひしが、東寺の御影供にまうでんと、壬生より過る道、一陣の風吹來りけるに、えならぬ香氣有、いぶかしく其かたをさして行に、島原の廓柏やといふものゝ家なり、彼紅塵の香にたがひなければ、入りて尋るにしるものなし、しひてもとめて人毎にいはしむるに、一人の女の童、此頃某の女郎の櫛笄を作たまふ木屑のありしを、よきにほひする木なれば火桶にくべしが、其名殘にやといへば、やがて明の日殿下にまうし上けるに、ぬすみしは其廓に遊ぶ士なること分明にて、罪に行はれしとなん、
p.0330 凡香を焚く事に三ツの名目あり、供香(○○)、空香(○○)、翫香(○○)、卽是なり、是を三香と云ふ、供香は神祇佛菩薩に香を焚きて供する事にして、之焚香の濫觴なり、其の餘裔空焚となれり、是香を敬の本なり、空焚は銀葉を敷かず、香爐を机或は折敷の上などに居ゑ置て、其の隨に聞く例なり、然に又希なる名香を用ゐる時は、特に銀葉を以て、其香の早く立ざる爲に敷、又机上より爐を手に取りて、鼻先にあてゝ是を聞く、則是を一炷聞、または名香聞とも云ひ、是翫香の初なり、
p.0330 みなみおもていときよげにしつらひ給へり、そらだきもの(○○○○○○)心にくゝかほりいで、みやうがうのかなどにほひみちたるに、君の御をひかぜいとことなれば、うちの人々も心づかひすべかめり、
p.0330 空燒するは、それとなくいづくより匂ひくるやらんのやうにする物也、
p.0330 そらにたく ソラトハ、ソコト定メテキカズニアラズシテタク也、凡其實ナキヲソラト云意ナルベシ、タキモノヽ火ノモトノシレヌガヨキト也、
p.0330 そら〈○中略〉 そらだのめ、そらだきもの(○○○○○○)などは、空しく徒らなる意也、
p.0330 にげなきもの そらだき物したるきちやうに、うちかけたるはかまのをもたげにい やしう、きら〳〵しけんもと、をしはからるゝなどよ、
p.0331 院もあなたに出給とて、宮のおはしますにしのひさしに、のぞき給へれば〈○中略〉ひとりどもあまたして、けぶたきまであふぎちらせば、さしより給ひて、そらにたくはいづくの煙ぞと思わかれぬこそよけれ、富士のみねよりもげにくゆりみち出たるは、ほいなきわざなり、からぜちのをりは、大方のなりをしづめて、のどかにものゝ心もきゝわくべきことなれば、はゞかりなききぬの音なひ、人のけはひしづめてなん、よかるべきなど、例の物ふかゝらぬわか人どもの用意をしへ給、
p.0331 薰物燒樣事
薰物たく事は、なべていかなる者も故實をならひつたへねども、する事なれば、安き事にこそとは覺えたれども、よく〳〵心得てすべき事なり、あしくたきつれば、香もあしくなりて、とまらざるのみにあらず、不吉のかたもある也、相生の樣はぬるくしてこがるべからず、火はやくて急にこがるゝを、さうこくのかともいふべし、不吉にも通へり、能心にいれておもひとけば、天然の道理何事にも心得らるゝ事也、先かたきのすみを能々つくりて、よぐおこしとをして、ひとりのはいをもまづあたゝめて、このつくりすみの火をうづむべし、うへにもあつき炭を持て、よきほどにおほひて、うづみおほせてのち、うへをきとさぐるに、いたくあつからぬ程に、ぬる〳〵とうづみて、其上に又火を置て、しばしあたゝめて、たかんとする時、上の火をとり拾て、薰物を置べし、火のぬるくて久敷くゆるがよきなり、扨すこしふすぼりくさくなるまで、やはらかに久しくたきとをして、しばし時刻を經てきるべし、薰物のたいなるをとりはなつ事、風のふくとをりあり、かくさきもの、かやうのふさはぬときにとりきるべからずといへり、只今又いそぎてきるべき事のあらんには、火をいたくぬるからでたく、しばしたくべし、ふすぼる程迄はたくべからず、しば しほどへてきるにこそ、ふすぼりは失て殘るかはひさしき也、大方燒ての後、すなはちきりつれば、かとまらず、たとへばこよひ能くたきて、やはらかへしをとりをきて、明る日などたきたるは、四五日もかうせず、薰物は能くたきおほせたるを、一日などいたくみぐるしからずきて、其次ぎの日などか、ことに匂ひもうつくしく思はしくかぎたくおぼゆる程にてはあるなり、たくほどは、はれにかうじばかりなどつくりてとこそいへども、かならずおほきなるによりて、かうばしからず、すぐろくの石計につくりて、度々に燒重ねたるは、久敷もとゞまり、かうばしさもまさるなり、つくるに又うす〳〵平々と作る事、かへす〴〵わうし、口五分ならばあつさは二分につよく、一寸なるは五分に半減半增に作るべしといへり、是よりも薄きはくゆるほどはなくて、やがてぶすぼりたちぬれば、けぶりのかよりほかにほひはさらになき、かやうの口傳吉事のはれに、ことに物のしれらんやうの人心得てすべき事なり、
p.0332 諸大名讒二道朝一事附道譽大原野花會事
佐々木佐渡判官入道道譽、五條ノ橋ヲ可レ渡奉行ヲ承テ、京中ノ棟別ヲ乍レ取、事大營ナレバ、少シ延引シケルヲ勵ントテ、道朝他ノカヲモ不レ假、民ノ煩ヲモ不レ成、嚴密ニ五條ノ橋ヲ數日ノ間ニゾ渡シケル、是又道譽面目ヲ失フ事ナレバ、是程ノ返禮ヲバ致サンズル也トテ、便宜ヲ目ニ懸テゾ相待ケル、懸ル處ニ柳營庭前ノ花、紅紫ノ色ヲ交テ、其興無レ類ケレバ、道朝種々ノ酒肴ヲ用意シテ、貞治五年三月四日ヲ點ジ、將軍ノ御所ニテ花下(ノモト)ノ遊宴アルベシト被レ催、殊更道譽ニゾ相觸ケル、道譽兼テハ可レ參由領狀シタリケルガ、態ト引違ヘテ、京中ノ道々ノ物ノ上手ドモ、獨モ不レ殘皆引具シテ、大原野ノ花ノ本ニ宴ヲ設ケ席ヲ嚴テ、世ニ無レ類遊ヲゾシタリケル、〈○中略〉紫藤ノ屈曲セル枝毎ニ、高ク平江帶ヲ掛テ、螭頭ノ香爐ニ、鷄舌ノ沈水ヲ薰ジタレバ、春風香暖ニシテ不レ覺栴檀林ニ入カト怪マル、〈○中略〉本堂ノ庭ニ十圍ノ花木四本アリ、此下ニ一丈餘リノ鍮石ノ花瓶ヲ鑄懸テ、一 雙ノ華ニ作リ成シ、其交ニ兩圍ノ香爐ヲ兩机ニ並べテ、一斤ノ名香ヲ一度ニ炷上タレバ、香風四方ニ散ジテ、人皆浮香世界ノ中ニ在ガ如シ、
p.0333 石川六兵衞女房奢之事
小舟町三丁目下角屋敷向ふ、荒和布橋といへる横町を、俗にてりふり町といふ、雪駄屋足駄屋軒を交てありし故にや、角屋敷の地主石川六兵衞といふ町やしき、場所よく繁昌の土地五六個所持大有德者なり、渠が女房はなはだ奢り者にて、平生の立入目立ぬ、常憲院樣〈○德川綱吉〉御代始に、はじめて上野へ御佛參の御成拜見に、下谷廣小路本阿彌〈○刀目利本阿彌三郎兵衞〉向ふ仕立屋の内を借り、赤毛氈を敷、その身衣裳を飭り、腰元三人下女貳人奇麗に出立ぬ、はや人留の頃に成て、己が膝元に香爐をおき名木燒しに、御駕籠の前駈の大小名、此名木下谷大名小路へ入ると匂ふ、歷々不審に思しめし、程なく廣小路本阿彌邊になり、六兵衞女房が前に香爐有り、甚美麗なり、御駕籠より御目に留り、何者成ぞ尋可レ申よし上意なり、則だん〳〵仰送られ、御徒小頭吟味に付、石川六兵衞女房のよし翌日言上す、卽刻町奉行へ御吟味にて、六兵衞夫婦牢舍被二仰付一町人の身として敷物いたし、香爐持參、また本所に屋敷一ケ所廣地にて庭構夥しく、六兵衞召仕つね〴〵本所下屋敷といふ、是を殊に憎み强く、町人として下屋敷と申事甚越度になりて、家やしき家財闕所になりて、六兵衞夫婦江戸十呈四方追放に仰付らる、然れども相州かまくらに六七百石田地有て、かまくらへ引籠りて暮しぬ、今に建長寺の西町屋敷に子孫有レ之、
p.0333 昔大身は不レ及レ申、伽羅たかぬ人なし、人參買人稀成し、近年は伽羅焚人なし、人參下々迄買也、
p.0333 むかしは男も女も香とて、たき物を衣にも、あふぎ、たゝむかみやうの物にもしめ置、そらだきものにもせしなれば、侍從、黑方、〈此二くさは、承和の帝の御いましめにて、男子に不レ傳といふ、〉梅花、荷葉、落葉、拾遺補闕、 薰衣香など、さま〴〵の法あり、さるに足利の頃は女は薰物を用ひぬれど、男は沈をたくべしといへり、今は匂ひ袋を用ゆ、簡便にしたがふ成べし、是室まちの末にはみえたり、
p.0334 四季燒次第
春〈二葉 花雪 三芳野 逍遙月 蠟梅 丹霞〉〈追加〉 夏〈花橘 菖蒲 端午 月中川 八橋 富士〉〈追加〉 秋〈七夕 斜月 黛 八重菊立田 寢覺〉〈追加〉冬〈千島 紅塵 古木 月奈良柴 名殘袖 沈外〉〈追加〉
七節次第
神祇〈月 斜月 龍田 法花 太子二葉 紅塵 逍遙 橘 古木〉 釋敎〈月 斜月 法花 磐若 太子東大寺 花雪 蘭子〉
戀〈月 七夕 黛 名殘袖 面影 寢覺龍田 二葉 富士 小糸 橘 菊〉 〈小案云、中川、八橘、蘭子、似、堅愼、菊モ心ウタガヒ、心ウソリアル子タミウラミナバ、用レ嫁ノ刻ハ可レ愼二五種一、〉
無常〈月 千烏 臘梅 柴 影 似 花雪 富士 蘭子 法花經 般若中川 八橋 丹霞 小案云、追善ニハ追香ヲ二度燒ク、〉〈水也〉
述懷〈月 臘梅 蘭子 古木橘 名殘袖〉 賀〈二葉 菖蒲 端午 月斜月 逍遙 法花 菊〉 祝言〈二葉 月 斜月逍遙〉 〈追加〉〈松根〉
以上七節畢
首途〈月 斜月 法花 般若太子 白鷺〉〈追加〉 出陣〈太子 斜月 橘 法花月〉 〈追加〉〈白鷺〉〈カ〉〈松根〉〈カ〉 陣中〈太子 逍遙 斜月 法花 菖蒲〉 〈追加〉〈蘭子也〉 歸陣〈三芳野 月 菊 黛法花〉 〈追加必黛ナリ〉 花見〈黛 二葉 名殘袖 面影 逍遙似 三芳野 古木 花雲〉 月見〈黛 龍田 面影名殘釉 中川菊 逍遥〉
以上六節畢
右七節六節、義政公依レ命宗信撰レ之、
p.0334 香合といふこと、いにしへよりつたへて、代々のきみもすてたまはず、家々にもこれをこのみ侍る、延喜天曆のかしこき御ときよりぞ、そのしな〴〵さだまれる事侍ると、後普光園殿〈○藤原良基〉はかきおかせたまへりける、それぞ今のおきてなるべし、歌合、根合、菊合、そのほかさうしあはせ、繪合なども、例はおほかるべし、香合のうちにも、薰物合になほ世あがりけるときより ぞ、もてあそび侍るなるべし、
p.0335 廿六日、〈○寬弘五年八月〉御たきものあはせはてゝ、人々にもくばらせ給ふ、まろかしゐたる人々あまたつどひゐたり、
p.0335 正月のつごもりなれば、おほやけわたくしのどやかなる比ほひに、燒物合給ふ、〈○中略〉かうどもは昔今のとりならべさせ給て、御かた〴〵にくばり奉らせ給、ふたくさづゝあはせさせ給へと、きこえさせたまへり、をくり物、上達部のろくなど世になきさまに、内にもとにも、しげくいとなみ給ふにそへて、かた〴〵にえりとゝのへて、かなうすの音みゝかしましきころなり、おとゞはしん殿にはなれおはしまして、ぞうわ〈○承和〉の御いましめのふたつのほうを、いかでか御みゝにはつたへ給ひけん、心にしめて合給ふ、うへはひんがしのなかのはなちいでに、御しつらひことにふかうしなさせ給ふて、八條の式部卿の御ほうをつたへて、かたみにいどみあはせ給ふほど、いみじうひし給へば、にほひのふかさあさゝも、勝負のさだめあるべしと、おとゞのの給ふ、人の御おやけなき御あらそひごゝろなり、〈○中略〉前齋院よりとて、ちりすぎたる梅の枝に付たる御ふみもて參れり、〈○中略〉ちんのはこに、るりのつき、ふたつすへて、おほきにまろかしつついれ給へり、心ばこんるりには五葉の枝、しろきには梅をえりて、おなじくひきむすびたる、いとのさまも、なよびかになまめかしうぞし給へる、〈○中略〉人々の心々に合給つる、ふかさあさゝをかぎあはせ給へるに、いとけうあることおほかり、
p.0335 仁平三年三月廿八日丁巳、今日中納言家成卿、於二五條坊城亭一行二薰物合事一、門客三十人、互挑二勝負一華麗之甚、事絶二常篇一、天下疲弊、然而由レ斯者歟、
p.0335 六種薰物合〈文明十年十一月十六日、判衆儀、詞書山賤、後日書之、〉
一番 左〈勝〉 なつごろも
右
まつ風
左の薰物の香いひしらぬ匂ひに侍る、とをくかほりすがりまでもなつかしく侍なり、右の薰物の香、いにしへの侍從などやうにきこえ侍り、にほひすがりまであしからず、しかちといへども、左のにほひにはをよびがたかるべし、左なつごろもは、夏ごろも春にをくれてさく花のかをだににほへおなじかたみに、よろしくも名付られたりと、一同に申、上手のしはざと申侍る、右まつかぜは、すみよしのさとのあたりに梅さけば松風かほる春の曙といふにて、なづけられたり、梅の歌にて薰物になを付たる、いにしへより類ひもおほく、事に侍る等類もあるべきと各申侍りしを、作者陳じ申されけるは、むめの花と申も、梅がかと申も、むめと申も、ふるき名に侍れば、それをもとにもちひて、梅さけばまつかぜかほると申を、つゞきよろしきかとおもひたまひて、名づけ侍るなりと申さる、其時各尤なり、ことのほかにおもしろし、さては名だにまぐべきにあらず、おなじしななるべし薰物のか左まさりたるにより、一番の左勝なりとさだめられ侍りける、
p.0336 おりからさみだれのころは、なをいほのうちしめやかに、むぐらのたのもしげに門をとぢたるも、かゝるすまゐには心にかなひたるなど、ひとりふたりあるわらはなどに、いひきかすれど、きゝもいれず、〈○中略〉かゝるところに、あさぢふみわけてくる人あり、いかなるにかととはせ侍れば、柳營〈○足利義政〉の御もとよりとて、ふみをさしいだす、ひらきみれば、いつ〳〵香あはせの事あるべし、香二種香たゝみしてもていでよ、名をかくして例のとをり判もあるべし、あまりつれ〴〵とふりくらしたるに、かゝることをもよほし侍るよしをいひて、うちしめり菖蒲ぞか ほるほとゝぎすなくや五月のといふぞ、ちかきころの香の名にて、これにことつきたる、そのおもかげあらむ名を、おもひめぐらし侍れども、こゝろにかなふありがたかるべしなど、こま〴〵とかきたまひし、御返しはことなる事もなかりけり、〈○中略〉
香合の時、先左右の座上に、方人のかうだゝみのこらず香盆にのせてさしをく、さて方人左右にわかち、次第々々に座に著、暫ありて火とりに火をとりて、香盆にすへもてまいり、左の座上の人の前にをく、右の座上の人の前へとあいさつす、右の人なをそれよりといふ、其時左の座上の人かうだゝみをとり、かうばしをぬき、火とりをとり、火かげむを見させたまひて、ぎんををき、かうをつぎたまひて、ひとりすへまいりし香盆のうへにをきて、右の方人へつかはす、右の方人座上の人うけとりて中座にをきて、先左右にこれをきかす、左のかたよりすがらぬさきにとくきかせたまへなど、右のかたへ申さる、右の方人座上より火とりをとりきゝて、次第にすゑざままでこれをきかす、かうすがりてすゑざまより、また右の座上へ火とりをもちてまいる、すがりをまた一へん次第にすゑざままできゝはて侍る、さてまた火とりに火をとりて香盆にのせ、右の座上へもちまいる、此ときはあいさつなくそのまゝかうだゝみをとり、かうばしをぬき火かげむをみさせたまひて、ぎんををき、香をつき、火とりすへまいりしかうぼむのうへにをきて、左の方人へつかはす、左の方人座上の人うけとりて、中座にをきて先左右にこれをきかす、右のかたよりすがらぬうちに、とくきかせたまへなど、左のかたへ申さる、左の方人座上よりひとりをとりきゝて、次第にすゑざままでこれをきかす、香すがりてすゑざまより、又左の座上へ火とりをもちてまいる、すがりをまた一へん次第にすゑざままできゝはて侍る、そのとき香の名を右のかたより左のかたへとふ、なにといふとこたふ、左のかたより右の方のかうのなをとふ、なにといふとこたふ、判衆儀なれば、先香のにほひよしあし左右たがひにさだめ、一番の左は歌合根合菊 合なども、かたするを故實なるよしつたへ侍りしかども、ちかき世よりはさることもなく、たゞすぐよかによしあしを申なるべし、香のよしあし勝負さだまりて、さてかうの名の名つけざま、詩歌物語催馬樂管絃の譜やうのものなりとも、とりどころそのよしあしあり、體なきことばなどにてなづくるは、よはきによりてあしとす、左右たがひにこゝろの底のこらずいひて、勝負を究めかうにほひすがりまでもかちたりといふ共、名まけたらば持なるべし、かうまけたりといふとも、名かちたらば持なるべし、かうのよろしきより、名のよろしきを譽とす、香よくなもあひぐしたらば、いふにたらぬ勝なるべし、香にいにしへよりの名ありて、たとへばらむじやしゝなどいふとも、其香合にのぞむときにあたらしくなをつけていだす、香合の法なり、幾度のかうあはせに、同香を出すといふとも、名をだにあたらしくせば、作者のてがらなるべし、一座に同香いだす事は制なるべし、
p.0338 すがる 物の末になりて、盡なんとするを、すがるといふ、末枯の義成べし、〈○中略〉香のすがりは、本草に尾煙と見えたり、
p.0338 名香合儀、一番より十番迄二炷宛二十炷可レ通、人數も十人たるべし、然ば一人より二種宛香を可レ被レ出、其香に太子東大寺をば被二相除一、其外十種之内、又五十炷之内を可レ被レ出候か、むすびに二種通り候香之内、はじめたくをば左と定、後にたくをば右と定、左の香よきと思ふ時は、左の札を可レ打、右の香左よりもかほりまさりて覺ば、右の札を可レ打、札の調樣ばゞ六分半、長さ一寸九分、又あつさ一分半に、杉の板をけづり、其面に我々の名乗を書、うらには左と一枚、又右と一枚可レ被レ書候、包紙をばうすやう一枚を八ツに切て、其はしをほそく名紙にたちかけて、香の名を上書、其下に香主之名乘を書、四ツにたゝみあげて、ひねりぶみの樣に可レ在レ之、同紙の中に香をつゝみ候、おさあひ人の十種香とてもてあそぶ時のつゝみ候ごとく、何も口傳在レ之、去比於レ宅興行之 時の驗不レ可レ在二失念一候、揔別昔香合と云事不レ及レ聞候、三條殿御家にたき物合と云事御興行候、其緣を取て興行仕度由、得二尊意一候處に、珠敷花に被二思召一候、後々迄名を殘興行と御ほうみ被レ成、前後以二御指南一興行候、判者夢庵、ばつは三條殿に申上候、連座のうへは不レ可レ有二失念一者也、
右之一札寫進入候事、別而無二御閑一宗温時より御懇志之儀と申、今度黑金方目聞を被二仰聞一故、旁以如レ此候、寫本五十餘箇條之儀は、他見候共、此書外見候ては可レ爲二迷惑一候、
永祿元年 月 日 省巴
p.0339 雲月花名香合之式
抑此式は、雪月花の時節に翫ぶ香式也、席の室禮は、其亭の催によるべし、大略奧に記す、見合べし、或は亭主の方より、香を左右に分ケし銘をかくし、左右の勝負をわかつも有レ之、時宜によるべし、初を左とし、後を右として、一番の左右、二番の左右と分つべし、勝たる方も點すべし、或は十番廿種、或は五番十種、又三番六種にもすべし、香聞終りて、執筆の人草案して、方人多き方を書付ていだす、上客宗匠の人、香銘を考、其名に相應したる題を出して、探題にして歌をよむ、詩作を好む人は詩を作り、連歌を好人は發句すべし、方人多き方を勝として、其勝たる香銘計によそへて歌をよむ事也、各短尺に書付出すべし、執筆の人請取、記錄認むべし、
左右勝負衆儀一同之時、左右の銘書付出し、又左右一决難レ成時は、一座の宗匠の詞に任すべし、室禮之事、花の會には花を生ざる事也、緣側の障子をひらき、庭前の花を見すべし、香盆亂箱餝常の式法を持て作意すべし、志野包香袋香筥香筋立炷空入火取等見合にかざる、雪月花共同事なり、月の會にも障子を開きて月のさし入比香を催すべし、月花には香幕香屛風等を可レ置也、雪の會には障子をしめる事、始は寒きに付、先障子をさして、埋火等を置、香終りて障子をひらき、しばし置て雪を詠め、歌を詠ずる也、〈○中略〉 客出香の時は、初に香を亭主へ渡し、香包に出したる人の名香銘隱し銘にて打交、香筥に入置べし、棚物等は座席の室禮によるべし、又御厨子其外置棚物は見合次第の事也、棚のかざり置合は、座餝を以て室禮すべし、主客とも能々申合事肝要なり、
月日
右此雪月花の式は、天文年中、西三條殿右大臣公條公、其比御出家被レ遊、御法名稱名院仍覺入道殿とて、御閑居之砌、御出作被レ爲レ成し御式也、然ども無レ程御大病に而、永祿元年十二月二日薨去ニ付、未其式不レ行、其後元龜二年之比、御嫡子右大臣實世公絶たるを繼、此式御催被レ遊し處、自レ元名香合之式は、其香を記分て考へ、或は衆儀判の詞等に至迄、勝れて功者之人々も容易に難レ催事也、增て此雪月花の式は、月雪花の折柄被二相催一し御遊の一興なれば、一道堪能不レ成人々も多に付、名香合之式抔御催にても、其式難レ調、却而不興にも有レ之に付、右名香合之式を唯常の炷合にて御催可レ有レ之、御作意有レ之、其式は左のごとし、
雪月花御炷合之式
此式は、雪月花遊宴之砌相催す式也、尤兼約不時の催は、時のよろしきを用ゆべし〈○中略〉
天正元年夏五月 蜂谷宗悟在判
p.0340 兼而日限人數を相定、十人或は七八人にすべし、〈但人數丁にする事宜からん歟〉出香十番二十組ならば、人數十人の時は二種宛持參すなり、番數を人數に割合せ、出香二種三種づゝもあるべし、六十一種の名香おもひよりに出すべし、しかれども法隆寺、東大寺は出さゞる事なり、持參の香各香疊に入る、但蘆手書はなし、香箸短尺は例のごとし、銀葉はいれず、〈香疊の圖は、泉殿作銘香合の奧に有、爰に略、〉床掛物前には置物なし、軸本に文臺に料紙硯箱違棚無レ之ば、厨子又は志野棚にても出してよろし、亂箱内餝は奧に圖レ之、〈○圖略〉客へ出す料紙は、短尺は重硯の上に置、文鎭置べし、料紙ならば客とりて、二 條家詠草紙のごとく、ちうにて四折にすべし、厨子用ゆるときは、袋のうちに鳥子十八切にし、小包紙三十枚ばかり折らずして入置、木香箸を上に置なり、下明たる所に四方盆をく、地敷紙はなし、長盆も入合すべし、〈但入用は、右之通なれども、餝方は棚により色々あるべし、〉
當日客連座の後、亭主長盆おろし床前に置、客持參の香疊より出し、右の長盆の下座の方へ載退、次の人上客の香をかみへくり上、盆の下座へ我香を載退、次第に右のごとくくり上、亭主我香も載せ、右の長盆を持、香本の座に著き、扨文臺を筆者を乞、筆者執筆の座につく、亭主棚の四方盆を取、袋の小包紙取出し、長盆の前にをき居る、扨筆者より硯箱の蓋を香本え渡す、香本長盆の香を取、四方盆にある新敷小包に入かへ、たつ四ツ折にして、したしの小包を添、硯蓋に載せ、筆者へわたす、執筆請とりてすみに香銘香主を小く書、如レ例小く折て、常の通四折上下ともおりて、文臺の上にをく、一種づゝ如レ此、皆すみて小包一緖にして硯蓋にのせ、香本えわたす、古き包は文臺の上に置て、跡にて亂座の上古包紙それ〴〵へ返すなり、香本は小包打交〈長盆にても、四方盆にても、〉盆にならべ、香本の座の向に置く、但貴人あらば、貴人えは四方盆可レ用、左なくば盆壹枚は勝手へ持入べし、火取香爐に火を取出て、いつもの所にをき、重硯をとり、上客へ料紙とも持參し渡す、但是はまへにしてもよろし、立歸り座に付、香爐灰調、はじめに奉書四ツ折にして懷中し、此時出し、此上にて灰調と〈但奉書、是はなくても可レ宜、〉扨建出す、〈火箸香箸〉計疊へはかさゝす、灰調て後、亂箱へ建戻してもよし、又其儘置てもよろし、懷中帛取眞に疊み、香爐ふき、跡は腰にさげる、常の通銀葉箱出し、盆にならべある香の小包の上に各銀葉を置き、筥のふた計亂筥へ返し、身は折居の座にをく、若火つよきときは、銀葉二枚も重ぬべきため也、扨香本懷中、香疊にさし込有短尺のごときもの一枚出しひろげ、常出香の座におき、一禮して香元執筆とも安座し、炷出す小包紙右の方〈え〉除置き次をたき、前後違はぬ樣に二枚重ねたゝみ、折居へ入れ筆者へ渡す、折居は亂筥にをき、此時取出し、小包明たるを二 枚違はぬやうに重ね、此折居へ入れわたすことなり、
香爐戻しは、香を右短尺のごときものゝ上におき、次炷出す、次に右の通香二炷にて包紙二枚たたみ、折居へいるゝ事なり、〈但多人數ならば折居不レ用、小包二枚々々重ね執筆へ渡す、執筆直に記錄へ寫す、〉
客は初に聞の下書いだしをき、一度々、々に我おもふ方へ點かくべし、左右同じ樣におもはゞ持と書べし、各濟て筆者より硯ふた出す、銘々聞を此ふたに載せ、重硯とも次々〈え〉廻す事常のごとし、香本はたきから入建香爐を亂筥へおさめ、一禮して仕舞なり、
執筆は記錄に認、連衆へ廻し、まわり返れば文臺にをき、扨判者の前〈え〉持參すべし、文臺の上には奉書延し置、其上に記錄を載せ出す、判者請取文臺は筆者へ返し、亂座になり、其上にて判を認るも有、翌日にも認、判者右の奉書に記錄の順をうつし、夫に判を書也、又亂座の後判者を上座にして、連座左右ヘ二行に居、第一の香主より懷中香疊の短尺一枚出し、判を書給へといふ心にて出す、各如レ斯、判者請取置、あとにて其儘返すなり、短尺出す事古實なり、〈殿記に疊、此短尺等寸法有、〉勝手に大火鉢に埋火置、能時分炭團をおこし、香爐の火を取替べし、
後の香合に百廿種貳百種の香も被レ出たり、六十種におとらぬもあれば面白式なり、本書にて考べし、
p.0342 六番香合〈判衆儀判、詞後日准后(足利義政)書之、〉
一番 左〈勝〉
とこの月
右
山した水
左右香のにほひよろし、すがりもあしからず、おなじ程にきこえ侍るよし、左右の方人申レ之、左 とこの〈新拾遺伏見院御製〉月は、あき風のねやすにましてふくなべにふけて身にしむとこの月かげ、に、ほひといふにも、けぶりといふにもかゝはらず、凡慮のをよぶところにあらざる名なるべし、右やました水は、〈長秋詠草〉にほひくるやました水をとめゆけばまそでにきくの露ぞうつろふ、山した水といへるなめづらしく、歌のとり所もよろしく侍れども、菊のかたをもて香の名にもちひ侍る事、このごろおほく侍れば、左の勝にて侍るべきよし一同に申なり、〈○中略〉
六番 左
ねぬよの夢
右〈勝〉
やまぶき
左の香よろし、すがりもあしからず、しかりといへども、これもかうあたらしくきこゆ、右の香よろし、いにしへのしゝらにといふとも、おとるまじくきこゆ、すがりもよろし、尤右勝なるべし、左ねぬよのゆめは、〈續古今夏寂蓮法師〉のきちかきはなたちばなのかほりきてねぬよの夢はむかしなりけり、とり所も名のとなへもよろし、右のやまぶきは、〈古今春下讀人しらず〉春雨のにほへる色もあかなくにかさへなつかし山ぶきのはな、なんなき名なるべし、左ねぬよの夢もよろしといへども、たち花の謌にて名づけ侍ることめづらしげなし、香も名も右の勝になり侍りける、
文明十一年五月十二日於二東山殿一執行之
p.0343 一番
左 逍遙 〈淸偈信秀直〉 肖柏
右 中河 〈柏憲〉 大偈
ひだりの香さるものときこえて、莊子の逍遙遊の心まで、をのづからおもひいづるやうに侍ぬ るに、右の中河、又はなやかにたちいでゝ、〈小褂〉かのこうちぎの人、香もをしはからゝるやうに、をのをの申侍しか、さるは此左の一種はあやしき苔の袂にもてやつしたるにほひにて、右には及びがたく侍しを、一番の左なればとて、かたうど聊かずまさり侍りしにや、〈○以下九番略〉
文龜のはじめのとし五月下の九日、風流の人々夏の日くらしがたきなぐさめにとて、たき物あはせなどのためしをおもひ出て、宗信の宅にして名香の名をあらはさず、たゝかはしめ侍りけるになむ、蔚宗が傳つくり、洪芻が譜をあらはす、ともにもろこしのふることよりはじめて、薰物合はわが國のひとつのことわざとして、その來れる事ひさし、爰に沈水の一くさをもて、ふかさ淺さをさながらわかち、其甲乙をなづくることは、あがりての世には、いたくきこえずもやあらむ、中比より下つかた騒人すきのあまり、あながちにをとりまさりのけぢめを、わくる事になりたるも、興あることに侍るを、今はからずして此一卷をひらきみるに、我もとより鼻孔の指南にたへざれば、そのむしろにのぞまざるを恨と思はざるうへに、はじめ逍遙よりをはり花の雪の面影まで、さこそはとり〴〵のにほひ成けめと、たちまち聞香悉能知の德は、みか月の前にそなはれりといひつべし、〈○中略〉判者のことばは、誠にしのゝ葉草のかりそめ成たはぶれ事ににたりといへ共、正木のかづらながきもてあそびとも成なむかし、〓胡斑の尾につきて、逍遙遊の筆をのこすになむ、
文龜二林鐘下旬 實隆判
p.0344 山科の宮の親王、〈○公遵法親王〉はやくふたらの宮と聞えさせたまひし時、靑龍權上人のむろをすぎやうざとなん名づけたまひたりける、こはいたづらにこれをつどへたるにあらず、いほちゞの品をつばらにするぬしなればなり、上人はじめより、吹風の塵のほかにありて、淸き道のおくかをとむるに、塵のほかもちりありとして、二たびそがほかへ出たるぬしなり、淸しと も淸きをしるべし、しかあれば淸き心の友は何かあらん、妙なる香をかぐにしく物なしとて、花をつむあした、ぬかをつくよるのいとま、たゞこをたきて、かたもひの底つ心をすまし、烟の末をながめて、世の中をおもひつゝ、あらたまの年月をふるめり、かのいほちゞのさはなる香の木を、たかきひくき人、こゝろざしおくれるまに〳〵、もてあそばへば、しらまくもせでしり、わかまくもおぼえずてわき得にたるは、もとより塵にまじらはぬ淸ら心のわざになんある、こゝに人々香の木らもて、おとりまさりをあげつらふ事あり、むつきのはつかばかりに、高き家の君たち設などしたまひて、上人の事わらん事をこへり、そのおのがじゝのいへる詞、上人のことわれるこころしらびを、眞淵にしるすべしとあり、おのれは香をわかつふぐ〳〵しをももたらねば、すぎにたるや、たらはずや、御世の名は明和、としは四とせ、月はむつき、
p.0345 伽羅
香合をなす式は、左右を分て燒出し、其判をなして勝負を付る事、歌合の例の如し、文龜のはじめ志野宗信が家にて香合をす、其判のことばは、逍遙院のおとゞ書せ給ふ、又其燒出す式は、邦尊親王の五月雨の記にくわしくみえたる事なるに、いつよりか其式はすたれて、今は回茶貢茶の式のごとくなして、伽羅を燒出し勝負をあらそふ、是を十炷香といふ、其上にさま〴〵の作り物をこしらへ調じて、盤上に幷べ立て盤香といふ〈名所香、矢數香、競馬香などいふ類なり、〉ことなど出來て、專ら世に翫ぶことにて、今はおさなきものゝ其式を知事なれば委くは書ず、再びこの式を茶にもうつし學ぶこと有といへども、昔の十服茶などいふ式のごときにはあらず、
p.0345 翫香は凡て爐を手に取りて鼻先にあてゝ聞くをいふ、此の翫香中に一種聞、燒組香聞、名香合、組香等の品々名目ありて、其作法各別なり、然るに組香を翫香中の尤下品なる物として、又此の組香の中にも眞行草の三ツありて、眞の組香を嚴儀の香と云ひて、其の式を嚴にするな り、是組香會の本式なる物にして、これは香道執心の人、組香皆點百度に及びたる上、師より香事一流の奧儀を傳授したる證據に、連理香といふ組香を相傳す、是翫香の奧傳にして輙く爲す所にあらず、故に此の香を焚く事は、其次第尤嚴儀に執行ふ故に然云ふなり、次に行の組香といふは、香元盤を用ゐず、打敷ばかりを用ゐて、其の上に香具を飾るなり、是は何れの組香を催す時の次第にすると定りたる事なし、其の席に臨める人に依りて、行にも眞にも又するなり、卽花月、焚合、連理香等を、三ツの組香と云ひて、諸の翫香中に分て秘事ある香なり、皆傳授ある物なり、連理香は前に云が如く、組香皆點百度に及びたる人、一流の奧儀を傳受たる證據に傳授する所、是香道に於て尤も大切なる事にて、素より其式次第を嚴儀に傳授する事、前に云へるが如し、其餘焚合香〈焚合十炷香と云〉は、則彼の連理香の面影にして甚秘事なり、花月香〈今これを眞花月香と云ふ〉は、香元二人花方月方と相分て焚、依て香具飾樣も二ケ所にす、香元の仕樣、其の他凡て秘事多し、右花月、焚合の二組は、件の故を以て行の式にて傳授するもあり、又貴人臨席の會釋ある時は、眞の式を以て執行ふもあるなり、常には此の二組行の式を以てなすなり、草の組香は平常の十炷香、其他に用ゐる所の組香を焚くに、草の式を以て行ふを云ふ、眞行の二ツに合すれば甚略なり、
眞の組香は盤を居ゑて色の打敷を用ゐて、其儀嚴重にするなり、行の組香は濃き花田の打敷を用ゐ、草の組香は陸奧紙〈檀紙金銀箔、或ハ砂子模樣、彩色畫模樣等ナリ、〉を敷て、其の上に香組の帒、又は凡の具を飾る事、其の用ゐる所の器物、及び執行ふ作法等に、詳略の差別あるを以て、右の如く眞行草の次第を立たるものなり、
p.0346 口傳の香
一燒合十炷香
一二三試、本香十包、打まぜて二炷づゝ一度にきく也、一寸の銀とし、九分より少キはわろし、き きやう口傳、火のとりやう口傳、香本置やう口傅、記錄書やう口傳、點に口傳、
一連理香
一二三四五試あり、札十二枚、五包十種に打合事、香たきやう、五度ともに一二をさだむる事、香本點の事、おの〳〵口傳、
一鷄合香 盤物 一蹴鞠香 同斷 一煙競香 一星合香 極秘 外ニ〈宗阿彌流星合香、志野流星合香〉此二色はかるし 一住吉香
p.0347 古十組香總論
古十組香は、本書の序中に見へし如く、細川幽齋子の集め玉ひしものなり、十炷香はむかしよりありし也、宗温の書中に、おさなひ人の十炷香とて、もてあそぶ時のつゝみ候ごとくと云文章あれば、其まへよりもありと見へたり、誰が組し事をしらず、其外の組も誰が組しや考べからず、本書の如く、十品に編しは、幽齋子に起れり、其むかしは此事あれども、筆紙を以て文章に寫し來りしは細川氏なり、或人云、これを十種香と云、因て十種香の會、十種香道具など、俗に云ならはせしも、むかしは只此十組ばかりなれば、しか云しとかや、さもあるべし、十炷香と書ときは、一ツの組香の名となるよし云り、すべて此十組は組香の濫觴にて、萬の組香も是より出で來るものなり、米川常伯世に出そ後、香事一變す、十組香も古のもの組かへられぬ、源平を以て名所にかへ、郭公を競馬にかへ鳥合を矢數にかへて、家の十組となせり、今世上徘徊せる香道具、多くは此十組を入れたり、
p.0347 十組之習
古へ十組香と名けしは、十炷香、花月香、宇治山香、小とり香、郭公香、小草香、系圖香、十炷燒合、源平香、鳥合香也、近代米川常白十組を改、郭公香、鳥合香をさりて、矢數香、競馬香之二組を入、系圖香を補 ふて源氏香とし、源平香を改め名所香とし、十炷燒合を變じて連理香となし寔を十炷香と名つく、所三謂十炷香、宇治山香、小鳥香、小草香、競馬香、矢數香、名所香、花月香、源氏香、連理香也、右十種香を撰して曰組香限なし、此十組にて足、餘の組香聞べからずと定む、然れども初心の稽古事閑なる故に、常白男玄察、其弟子蜂谷宗榮とはかりて、古組香之内より卅組をえらび、幷盤組十組をより、外組と名づけ、十種香と共に五十組となしぬ、〈以上了古齋傳による〉古組は皆やんごとなきかた〴〵の組給ふ事にして、した〴〵の組けるは稀也、しかも五十組の外、古より傳はれる數、百組だに聞べからずといへるに、近代新組をなし、梓にちりばめ給ふかた〴〵有、其組珍らかにじて、古組にもまさりたるやうなれど、常白十組に定られしを、玄察宗榮補ひて五十組になし候だに、十種に定めしよりはおとれり、况や新組は今しも上々樣ならばしらず、下々の憚もなく組事にてはあらざらん歟、好子十種香の内にも、尚十炷をのみ愛して、幾組も〳〵聞也、然れども折にふれては珍らしき組香も、又一興ならん歟、〈○中略〉
十炷香 夫十炷香は、組香の發端也、無試有、有試有、十種香に定め入しは無試也、或曰無試は志野流、有試は相阿彌流と、此説非なり、有試無試ともに、其濫觴は一〈ツ〉也、秘説たる故あらはしがたし、古しへは十炷香を以て十種香といへり、されば榮松覺書曰、十種香之文字、種とも又炷とも書り、炷の字は後人の了簡と見ゆ、宗信の時代、皆種の字を書れたりと云々、〈榮松尼は宗信の女にて、主水何某之室なり、〉是古しへ種の字を用し證據なり、然れ共此時炷の字間々行はるといへども、榮松尼も其ゆゑんを知り給はざると見えたり、當時之香人皆十炷香に種の字を書るは、古今、世俗の誤と思へるは非なり、十種香を炷の字に改られしは故有て、隆勝西三條實澄公を以て〈號二三光院殿一、實隆公之御孫、〉十種香之濫觴を内奏し給ひし比、勅して炷の字を賜ふ、是より初而十炷香とよぶ、〈但十炷の訓習あり〉其子細知る人すくなし、其後米川常白十組を改られし比、組香の名を十炷香とし、十組の總名を十種香と名づく、其 末流是にしたがふ、
p.0349 凡例
一香をもて遊に、組香と名付もの、其品わかれて多種あれども、いにしへより今に絶ずおこなはるゝは十種なり、所レ謂十炷、宇治山、小鳥、小草、競馬、矢數、名所、花月、源氏、連理也、今此書に用てしるすも又十種なり、
一十種の外に外組といふ香すくなからず、所レ謂無試十炷(ムシキジシユ)、燒會十炷(タキアハセジシユ)、古今(コキン)、六義(ロツキ)、源平(グエンへイ)、呉越(ゴエツ)、花車(ハナグルマ)、鶯(ウグヒス)、
初音(ハツネ)、郭公(ホトヽギス)、鳥合(トリアハセ)、鬪鷄(同)、蹴鞠(シウキク)、星合(ホシアヒ)、新月(シンゲツ)、四節(シセツ)、烟(ケムリ) 競(アラソヒ)、忍香(シノブカウ)、四町(シチヤウ)、御幸(ミユキ)、宇治香(ウヂカウ)、別花月(ベツクワゲツ)、別名所(ベツメイシヨ)、三ダ(サンセキ)、住吉(スミヨシ)、芳野(ヨシノ)、玉(タマ)、川(ガハ)、系圖(ケイヅ)香〈三種ゟ七種迄〉等なり、此外心々にこしらへ家々に傳ふるもの、記すにいとまあらず、然れ共風流餘情にかゝはり、其理つくさゞる事あれば、童蒙にわたらず、且わずらはしき方もあれば、此書にまじへ加へず、格そなはり事すなほにして、此門に入德ある事は、唯此十種の内にこもれりと知べし、
一十種の内に勝れたるは十炷なり、世に香合のたぐひを、すべて十炷香とのみいひて、十種の内又十炷の名ある事を、わきまへざる人おほし、是此道にうとく、又字韻同じ故成べし、十種といふは總名にて、十炷は別名と知べし、
一香本と云事、いにしへより火本といひて、近世までにおよぶを、聞よろしからずとて、或師會毎におしへて、香本といはしむるより、やう〳〵いひなれもて行、今是に習へるはむべなり、〈○中略〉
一香の作法は、はじめの十炷に大概をしるし、十炷以下の香には略せり、前後をはかりて知べし、その香毎につきて故實あれども、所々にあらはさばことにまぎれて、其香の組やう、きゝやう、意味おそらくは心得がたからんか、此道に志す人は常にたづね習べし、
一香會興行、香席賓主の用意、諸具のこしらへやう、同寸法、別ては香本の手前、たとへば諸禮茶の 湯等のごとく、法式古法新規の事多端なるべげれ、ば、香道をふむ人、兼て其辨別なくば有べからず、
〈今世香曾の作法みだりなるよし、執心うすく、不嗜の故と知べし、〉
一香道具品々、盤、人形、馬、花、紅葉、箭、麾、源氏香の圖等は、十種の要具なれば、後附に圖畫して初心のたよりとす、是も又略にしたがふのみ、
一香道に古法の制ある事、あらかじめ知ずば有べからず、其筵に入人、此趣をまほるべし、
一其身衣裳に薰じ、又革の衣類を著し、出座する事、
一香一組相濟うち、自餘のはなしいたす事、
一三息五息の外永聞し、また香爐を取戻しきく、幷入たる符を取かゆる事、
一他人とさゝやき相談して、符入る事、
一香一組おはらざるに、烟草茶幷菓子など食する事、
一香の半に座をたち、用事とゝのふる事、
一戸障子のたて明、言語起居、いづれもしづかならざる事、
右條々、堅相たしなむべきものなり、
此外常に用意の事、數多あれ共、別記に讓りて略し畢ぬ、
p.0350 香ノ式ハ、十炷香ヲ本トシテ、サマ〴〵ノ法ハ皆ノチニイデキタルナリ、〈○中略〉源氏香ノ圖ハ、最初ヨリ其圖アルニアラズ、五炷ノ香ヲ試オボエタル次第ヲカキシルスニ、自然ト其圖イデタルナリ、圖ノツクリヤウ、大概左ノゴトシ、
源氏香ハ、香五炷也、五炷ノ内、一ノ香五包、二ノ香五包、三ノ香五包、四ノ香五包、五ノ香五包、合二十五包ヲ打交テ、何レナリトモ、其内五包トリ出シ、香本ヨリ一包ヅヽタキ出ス、譬バ一二三四 五皆カハリタル香トキケバ、皿如レ此圖ヲ名乘紙ニ書キ、一四カハリ、二三五同香トキケバ、〓如レ此書キ、一二同香ニテ、三四五カハリタル香トキケバ、〓如レ此書キ、一三同香、二四同香、五ハカバリタルトキケバ、〓如レ此書キ、一三同香ニテ、二四五同香トキケバ、〓如レ此書ナリ、餘ハ是ニナラフベシ、如レ此キヽタルオボエ次第ニ圃ヲツクレバ、自然ト五十二ノ圖出來ルナリ、
系圖香ハ、四炷ナリ、一炷ヲ一包ヅヽニシテ、合十六包ヲ打交テ、其内四包ヲ次第ニタキ出ス、キキヤウ圖ノツクリヤウ、源氏香ニ同ジ、是モ自然ト、十五ノ圖出來ルナリ、
p.0351 源氏香
一香五種、一二三四五也、試なし符なし、〈試する法も有〉名乘紙を用ゆ、外に香の圖一册有、〈又香の圖の印五十二、幷印聞等添へて有るは、いよいよかなるべし〉
一香組、右の五種を五切づゝ出し、合貳十五包、外包に入置、
一炷樣、香本外包をひらき、廿五包を一ツによく〳〵まぜて、五包を取て炷出す、殘は外包におさむ、〈小包鶯にさし、次第を亂す事なし、〉
一聞樣、五種きゝ終らばよく思慮すべし、先一番二番の香同じく、三四五番に出たる別々の香ときゝたる時は〓〈〓〉此圖にあたれば空蟬なり、又一番と三番と同香にて、二番と四番別の同香出、五番目一種また別の香なる時は、〓〓此圖なれば花散里なり、又五種ともに別々の香ときく時は、〓此圖にて箒木なり、〈是は次第のごとく出たるなり〉もし又五種ともに同香ときくときは、〓此圖なれば手習なり、〈但此二圖の通に出るは希也と知べし〉如レ此圖源氏物語卷々の名を加へ、五十四帖の卷頭卷軸を除き、五十二有り、准じて心得べし、
一聞定たる時、圖をひらき能見合、名乘紙に聞所香圖を書き、下にその卷の名を書なり、略する時は或は圖ばかり、又は卷の名ばかり、又は一二附にても書、後に執筆よきやうに改め記錄する、 此香一通り終り殘る廿包の内、又五包炷て二度も聞事有べし、一座のはからいによるべし、〈香の圖亂りにし、久敷留てあらそい見るべからず、〉名乘紙出香の付樣口傳も有り、
一記錄、端書、出香の圖、卷の名、名乘下に聞香の圖、卷の名書也、圖をみて知べし、〈圖印あるには、印聞にて押用、〉
一點の事、功者へ尋ねて吟味をとげて後記錄に寫べし、卒爾に極れば相違の事有、源氏は點殊にむつかし、傍正の習いも有となん、圖有ば執筆も擇ぶべし、
一案るに、源氏香は古代の系圖より出て、猶ほ優美なり、圖も卷頭の桐壺と卷軸の夢浮橋を除き、雲隱をぬき、しかも若菜には上下を出し、自然にして五々の圖にあい、闇にして彼物語の趣意にかなふ、實に言語道斷といふべし、
p.0352 源氏香之圖
はゝきゝ うつせみ 夕がほ わか紫 末つむ花 紅葉の賀 花の宴 あふひ さか木
花ちる里 すま あかし みをつくし 蓬生 關屋 繪合 松かぜ うす雲
朝がほ をとめ 玉かつら 初ね 胡蝶 ほたる とこ夏 かゞりび 野分 御幸 藤ばかま 槇桂 梅が枝 藤のうらは わかな わか菜 かしは木 よこ笛
すゞ虫 夕霧 みのり まぼろし にほふ宮 紅梅 竹河 はし姫 椎がもと
あげまき さわらび やどり木 あづまや 浮舟 かげろふ 手ならひ
p.0353 初音香
香四種 春として四包、内一包試、 霞として三包、試なし、 花として右同斷 鶯として一包、同斷、
右春の香試終、春一包、霞一包、此二包交て聞當れば初霞と書、其次春一包、霞一包、花一包、三包交聞、三種とも當れば初花と書、一種當れば其香の一字を書、其次又春一包、霞一包、花二包に鶯一包かく、五包打交、炷皆聞當れば、聞の下に初音と書、其下〈ニ〉點數書なり、一種二種は初音をかゝず、一字を書、此香始二種開き、二番三種開、三番五種開なり、本香を先に書、不レ當ば不レ書、又記紙にて後開きにもするなり、春霞一結ひ、春霞花一結、春霞鶯に花二包、都合五包一結〈ヒ〉、
此春霞花之内一包除、鶯を入聞もあり、
p.0353 古來より有來組香目錄 無試十炷香 花月香 宇治山香 小鳥香 郭公香 小草香 系圖香 燒合十炷香 源平香鳥合香〈以上十組、當流志野流に用る所の十組香也、組香の源なるものなり、香道秘傳に載、〉
名所香 競馬香 矢數香 源氏香 三炷香 住吉香 舞樂香 草木香 四町香 煙爭香〈以上十組、中古よりある組香なり、香道瀧の絲にのする、〉
花軍香 古今香 呉越香 三夕香 蹴鞠香 鶯香 六儀香 星合香 鬭雞香 燒合花月香〈以上十組、中古より有來組香なり、秋の光にのする、〉
十炷香〈試あるもの常に用ゆ〉 宇治香 字治名所香 異住吉香 異花月香 新古今香 續古今香 烟競香 雪月花香 異雪月花香〈以上十組、中古よりある者なり、〉
又雪月花香 松竹梅香 難波名所香 四節香 六歌仙香 新月香 補任香 四季香 禁裏香 異蹴鞠香〈以上十組、中古より有來ものなり、〉
源氏蹴鞠香 忍香 異忍香 戀題香 玉川香 異四季香 又四季香 異名所香 一二三香
異小鳥香〈以上十組、中古より流布の組香なり、〉
右古組中古組以上六十品、先師〈○大口含翠〉より余〈○大枝流芳〉が家に傳ふる所のものなり、其外他家相承せるもの多くあるべしといへども、際限なきにより是をさし置ぬ、先世上通用し來る中古よりの組かくのごとし、余が組し新組今五十品あり、旣に梓に行るもの四十計あり、たづねみるべし、其外同門の組香も梓に行る、
p.0354 目錄
十炷香 花月香 宇治山香 小鳥香 郭公香 小草香 系圖香 十炷香燒合 源平香 鳥合香
p.0354 外十組香目錄 花軍香 鬪鷄香 芳野香 六儀香 源氏舞樂香 蹴鞠香 相撲香 龍田香 呉越香 鷹狩香
p.0355 〈仙洞御所勅作〉賭弓香 曲水香 〈仙洞御所勅作〉續名所香 續子日香 替舞樂香 探蓮香 車爭香
漢楚香 貝覆香 圍碁香
p.0355 系圖香 古今香 烟競香 忍香 住吉香 新月香 三友香 星合香 三夕香 一二三寢香 艸木香 鳥合香 時鳥香
p.0355 鶯香 三體香 宇治香 四季歌合香 四節香 山路香 五色香 雨月香蛙香 雪月花香 四季香 雲月香 三景香 寢覺香 時雨香 春秋香 千鳥香
p.0355 子日香 梅花香 梅烟香 雉子香 櫻香 卯花香 五月香 郭公香 山路香 笧火香 千種香 女郎花香 月見香 名月香 望月香 野分香 龍田香 時雨香 落葉香 宇治名所、香
p.0355 難波名所香 玉川香 菊合香 二見香 陸奧名所香 源氏京極四町香 乙女香 空蟬香 四季戀歌合香 松風香 六歌仙香 替花月香 ウ客香 杜律香 三種加客香 扇爭香 琴曲香 五方香 住吉香 三千年香
p.0355 五十組香目錄
初音香 禁裏香 花鳥香 小蝶香 暮春香 花王香 子規香 四季時鳥香 名所鵜川香五月雨香 初秋香 仲秋香 暮秋香 名月香 空月香 松月香 鈴虫香 重陽香 有明香 徒然香 菊花香 替住吉香 初冬香 冬月香 歲暮香 玄冬香 三島香 三囊香 名橋香 四季戀題合香 四季比翼香 四季三景香 仙洞香 煙爭香 轉任香 賞花香 賈島香 五行香 五音香 五常香 一首十體香 山海香 源氏三習香 三敎香 詩歌合香 四季 音信香 松花香 慶賀香 千年香 萬歲香
p.0356 和光同塵香 野々宮香 御祓香 歌聖香 三戒香 法華香 戀探題香 替乙女香 驪山恩寵香 新慶賀香 三星香 福祿壽香 常盤香 遐齡香
p.0356 管絃香 替琴曲香 扇合香 賞罰香 品分香 正傍香 四季寢覺香 拾玉香 申樂香 三道香 敷島香 探題香
p.0356 末廣香 仙家香 三才香 八卦香 八音香 閏月香 落洛香 閑友香 替古今香 歌集香 三德香 贈答香
p.0356 目錄
中卷 新組香十品 富士香 撰蟲香 鷹狩香 三曙香 螢香 賭弓香 定考香 初雪香 花守香 續舞樂香
下卷之一 新組香十品 紅葉香 小倉香 拾貝香 扇合香 繪合香 怒音香 長壽香鬪草香 新鬪雞香 投壺香
下卷之二 新組香十品 鴛鴦香 八橋香 匂集香 難波名物香 新花月香 詩句香 花名所香 金鯽香 音信香 羽衣香
p.0356 文明十八年二月二日戊寅、禁裏雖レ有レ召、〈十炷香香張行、可レ爲二各懸物一種一云云、〉故障之間、申二所勞之由一不參、
二十日丙申、於二小御所一有二和漢御會一、〈○中略〉入レ夜還二御本殿一之後、於二黑戸一有二十炷香一、種々遊事非レ無二其興一者也、
p.0356 文龜元年四月十日、依レ召參内有二十炷香一、記六、予可レ書由有レ仰、仍書レ之、御人數、式部卿宮、聯輝軒、万松軒、侍從大納言、〈○藤原實隆〉右衞門督、〈○季經〉按察、〈○俊量〉予、源宰相中將〈○重治〉菅宰相、〈○和長〉守光朝臣、賢房朝臣等也、賭物被レ出之、〈一裹文沈十帖〉宗山御拜領、其後有二一獻一、入レ夜自二女中一已下勤二御酌一、其後不二事終一已前 退出、
永正三年正月十四日、及二晩景一參内、依二當番一也、十炷香賭一種持參、一種拜領了、
p.0357 天正十二年正月十五日、於二當院一〈○神龍院〉十種香幷系圖香興行、
p.0357 享保九年十月十七日、夜參候、〈○中略〉御前へ罷出、〈今宵御玄猪御祝儀、(中略)追付十炷香初ル、別記、〉二組、〈初香本於秀御娘、後香本吉岡御娘、〉御前〈○近衞家煕〉 吉岡 於秀 道安
十炷香之記〈一春の山邊 二くれなゐ三竹の葉 ウ山かは〉
三二一三三ウ二二一一
牡丹 一一ウ三三(ヽヽ)二一二(ヽ)三二三
梅 三二(ヽヽ)ウ一一三(ヽ)二二二三三
櫻 ウ二(ヽ)二二三一一一(ヽ)三三
萩 二ウ一三(ヽヽ)三一一二(ヽ)二三
十月十七日夜
十炷香之記〈一雪 二月 三花 ウ冬〉
三ウ一一三二二三一二
牡丹 三(ヽ)一二一三二二三(ヽヽヽヽヽ)ウ一六
梅 三(ヽ)一二二ウ二(ヽ)一三(ヽ)一三四v櫻 一二一一三二(ヽヽ)ウ一(ヽ)三六
萩 三ウ一一三二二三一二(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)拾
十月十七夜
ふゆ 玉づさ 二種拜領ス〈御香包幷銘書公御染筆〉 香ノ半バニ川音ニツレテ千鳥ノ啼テ飛カフ、最興アリ、千鳥ハ香ヲ好ムモノ也、水邊ニテ名香ヲタケバ、千鳥多ク集ルノ由仰ナリ、 十一月二十四日、十炷香ノ法ト云コトハ近代ノコト也、逍遙院時代コノカタナルベシ、薰物ヲキヽクラベタルコトハ、日本ニテハイカウ舊キコト也、 十二年正月二日、昔シ無上方院ノ御時ヨリシテ、今日御香初メナリ、例ニマカセテ遊バスベキ由ニテ、御香二座アリ、仰ニ再則是可也トハ、何ニモ通用スベキコトナリ、別シテ香ナドモ、ツト嗅タル時、コレハ假令バ一ノ香ナリ、三ノ香ナリト思テ、再ビ思惟スレバ極テ違フモノナリ、擬疑スレバ種種ノ香ニウツルモノナリト仰セラル、
p.0358 御家流(○○○)と稱する開祖は、西三條内大臣實隆公、姓藤原、號逍遥院、法名堯空、後柏原院御宇文龜年間之御香所、天文六年十月三日薨去にて、御廟所嵯峨二尊院に有、〈○中略〉百四代後土御門文明年間、西三條右大臣公敦、號龍朔院、公ハ實隆公御父也、百七代正親町院天文文祿年間、西三條右大臣、號稱名院、公ハ實隆公御子也、御三代相續して御香所也、〈○中略〉實隆公よりして、香所御傳授油小路隆定初て地下に傳ふ、白川殿家臣猿島帶刀胤直、號天桂齋、往昔は臼井氏と名乘、此人に傳り始て地下に香の御家之傳來流下る、故に後世御家流と稱る也、〈○中略〉香聞習ふ手段に組香を製し、初學の人の倦怠せぬため勝負に事寄せ、或は盤立物といふ物を製し、種々人形等飾慰る、猶茶方の茶歌舞妓の類也、皆香道に登らしめんの筌蹄也、
p.0358 香道
法に相阿彌流(○○○○)、志野流(○○○)の二派あり、
p.0358 志野流は、文龜年間志野三郎左衞門宗信、一子同彌三郎宗温、名祐憲、號參雨齋、孫同彌次郎、名は省巴、號不寒齋、是を志野家三世といふ、宗信は御家流を慕ひて焚香の高名也、後一流を建立して志野流といふ、省巴の門に建部隆勝といふ人あり、近江の武士信長時代の人なり、號 留守齋、右隆勝門に坂内宗拾といふ人有、本名杉本彦左衞門、異名そろりといふ、此宗拾が門に六哲の高名有、宗拾書籍傳來、本阿彌光悦に渡る、同光甫授る、
p.0359 志野香道傳
〓逍遙院實隆公〈内大臣正二位、法名堯空、永正十三出家、六十三、〉
志野宗信〈俗名三郎左衛門宗信、入道シテ名乘ヲ以テ法名トス、東山義政公ノ近習、京四條ニ住ス、實隆公ニ隨テ香道ヲ極、又歌道ヲ玩ビ、茶道ヲ嗜、大永三年八月朔日死、行年七十九、〉
牡丹花肖柏〈夢庵、文龜元年五月名香合判者、〉
二階堂行二
大碣〈咲山軒〉
宗祇法師
玄淸〈歸牧庵〉
珠光庵〈南都光明院住寺ト云、不レ審、珠光一男ヲ宗珠ト云、〉
右七人志野時代香坃風雅有才人也
志野宗温〈宗信子、俗名又次郎祐憲、號參雨齋〉
志野省巴〈俗名彌次郎、號不寒齋、宗温子、〉
紹鷗〈泉州堺住人中村與四郎、任二因幡守一、弘治元十一月廿九日死、〉
長秀〈松田丹後守〉
兼直〈池田左京亮〉
盛郷〈波々伯部兵庫介〉
珍阿彌〈義稙公同朋〉
建部隆勝〈號留主齋、近江侍、源姓、信長公時代、〉
和泉屋道甫〈和泉住人〉 神田次郎九郎勝重
中川介之丞親良
坂内宗拾〈關白秀吉公仕也、鼠呂利ト云、〉
賴重〈蜂谷伯耆守〉
有樂〈織田源五郎信益入道〉
宗友〈天王寺屋〉
千宗易〈號二利休居士一、茶道達人、天正十九二月廿八日死、〉
蜂谷宗悟〈茶道ヲ紹鷗ニ學ブ、京室町今出川ニ住、號休齋、〉
古田織部重能〈元和元年六月八日死〉
羽柴若狹守勝俊〈號長嘯子〉
日對上人〈立本寺仙同院〉
芳長老〈相國寺草松軒、松田丹後守四世孫道號蘭秀、〉
米川常伯〈俗名三右衞門一任、京下長者町烏丸西入町ニ宅アリ、〉
三宅亡羊〈喜齋ト云〉
本阿彌光悦
秋葉公庵〈文阿彌子〉
裏辻周庵
十四屋左兵衞〈大津代官〉
p.0360 蜂谷家香事傳來統系
〓松隱軒宗信〈慈照院殿近臣、當流元祖志野三郎右衞門尉、後以二實名一換二法名一、大永三年八月十八日卒、八十二歲、一説七十九歲、〉
參雨齋宗温〈宗信末子、名祐憲、永祿五年卒云未レ詳、交名又次郎、〉
不寒齋省巴〈宗温子、交名彌次郎、名信方、〉
留守齋隆勝〈信長公近臣、姓建部、交名卒年未レ詳、〉 蜂谷休齋宗悟〈蜂谷伯耆守賴重孫、居二于江州松本一、始姓稱二松本一、香事傳二授於省巴隆勝兩人一、天正十二年八月十八日卒、茶事紹鷗弟子、〉
宗因〈宗悟子、一任齋、〉
宗富〈宗因養子、號二桂山一、〉
宗淸〈宗富弟、號二然齋一、〉
宗榮〈宗淸子、號二陽山一、名常里、〉
宗先〈宗榮子、交名丈助、號二葆光齋一、名宜豐、元文二年四月十八日卒、〉
藤野專齋〈宗先實子、早沒無レ嗣、〉
p.0361 千代の後まで傳ふべきものは紙上の語なり、金石に鐫ものもかぎりありて磨滅す、道をのせことを傳べきは只書のみ、傳寫七て斷ざる時は、千歲に芳を流むもの歟、爰に香を翫の事旣にふれり、文龜の頃より、上に逍遙院公ありて、下に志野氏世に出、香道是より定りぬ、志野は三世家聲を墮ず、これにつげるものは建部氏(○○○)なり、其後米川氏志野の古流を受繼て、かへつて己が一流を起す、其比の諸士に卓越すといへども、其後繼るものなし、名のみ殘て其書世に多く傳はらず、何を以か繼ておこすものあらむ哉、米川沒て香道衰微せり、爰に先師流芳子〈○大枝〉御家の末流を汲て、其餘の諸流を集て大成し、香道の古法を起むとはかる、先に初心をみちびく書許多編をあらはしぬ、今又此書なりぬ、よつて日月を書して是が序となし、がまふ野に若むらさきの蘭千代の秋まで匂へとぞ思ふのみ、
享保十八癸丑年正陽上〓 洛西三雙巒謹題
p.0361 米川流(○○○)どいふは、米川常伯、俗名紅屋三右衞門といふ者なり、京都市間人一任と號、坂内宗拾が六哲の一人に、相國寺の芳〈巢松軒、元和延寶の人なり、〉長老といふ人の門人なり、後一流を建立して米川流といふ、東福門院へ被二召出一、致二御目見一承二貴命一、右常伯達味傳來書、南都古梅園主姪玄察といふ人に傳る、
p.0361 同志會筆記
予友米川常白、有二范蔚宗之癖一、其入レ神極妙、雖二易牙之於レ味、孫陽之於一レ馬、莫二之能過一、都下嗜二聞香一者、皆以レ聖稱レ之、
p.0362 〈京極〉高氏
母京極宗綱女、〈○中略〉貞治六三廿三會二新玉津島歌合一、香會茶道長人、應安六八廿五卒、六十八歲、佐渡守使從五位下、法名道譽、號二勝樂寺一、
p.0362 香道
應永のころ京極入道道譽一木を好みて、軍旅國務のいとまをたのしめり、文龜のころ香道に深き人は、 相阿彌 宗信〈志野三郎左衞門尉〉 行二〈二階堂〉 長秀〈松田丹後守〉 兼直〈肥山左京〉 元種〈内藤大藏〉 祐憲〈志野彌三郎〉 盛郷〈波々伯部兵庫之助〉 肖柏〈夢庵〉 是等の人、香道者なり、
p.0362 香道宗匠
京極佐渡判官入道道譽 慈照院義政公〈東山殿と云是なり〉 志野三郎右衞門宗信〈尊氏十一世義澄將軍の比の人なり〉
志野彌三郎宗温〈宗信の子、名は祐憲、號二參雨齋一、〉 志野彌次郎省巴〈宗温の子、號二不寒齋一、〉 建部隆勝〈近江の武士、信長公時代の人、省巴門人、號二留守齋一、〉 坂内宗拾〈隆勝弟子、本名杉本彦右鵆門、世にそろりと云人これなり、〉 道甫入道〈宗拾同門隆勝弟子〉 仙同院僧日對〈立本寺住僧、宗拾門人、〉
芳長老〈相國寺僧、號二巢松軒一、宗拾門人、〉 本阿彌光悦〈宗拾門人〉 秋葉公庵〈宗拾門人〉 裏辻周庵〈宗拾門人〉 十四屋佐兵衞〈大津人なり、宗拾門人以上六人、〉 米川常伯〈俗名小紅屋三右衞門、號二一任一、芳長老弟子、世上に名高し、〉
宗信時代連中
肖伯〈夢庵と云、號二牡丹花老人一、〉 玄淸〈歸牧庵と云〉 大碣〈咲山軒と云〉 行二〈二階堂氏なり〉 長秀〈松田丹後守と云〉 兼直〈肥田左京亮と云〉
元種〈内藤大藏丞と云〉 盛郷〈波伯部(さいき)兵庫助と云〉
右は宗信香合の連中にて、宗信にをしならぶ宗匠なり、其外香を好し人ありといへども、宗匠と云べき人、是等なるべし、
p.0362 薰爐 漢劉向、有二薰爐銘一、〈薰爐、比度利、〉
薰籠 方言注云、火籠〈多岐毛乃々古〉今薰籠也、
p.0363 富士籠(フジゴ)〈或作二臥籠一、薰籠也、〉 香匙(カウシ) 火箸(コジ)
p.0363 聞香爐(カギカウロ)
p.0363 臥籠(フセゴ) 薰籠
p.0363 香合(カウバコ) 香筋(カウバシ)
p.0363 香匙(キヤウジ)
p.0363 火取幷罩(フセゴ)、香爐、香合(バコ)、香箸(キヤウジ)、火匙(コジ)、香擡、香餌(ハサミ)、香袋、香裹(フヽミ)、香鋸(ノコギリ)、香刀、銕(カナ)臼、銕杵、梅杵、梅匙(カヒ)等者、用意仕候了、
p.0363 唐香合等ニ、チツコウ、チツキント云字ハ如何、 剔紅、剔金ト書ク、剔ハ刮也ト尺セリ、刮ヲバ又創ニ作リ、摩ニ作レリ、ケヅリミガク心也、加之堆紅、堆朱、堆烏、堆漆、犀皮、玳瑇、圭璋、雲朱、鷄楊、鷄漆、金系華、紅花、綠葉、九連糸ナンド云アリ、是皆其品名也、楊茂、柳成等ハ、作者名也、又靈芝、一花、三花ナンド云モ、手ノ名也、縱靈芝ニ非ザル物ヲ堀共、爾云也、一花三花モ以テ同ジ、各其ニ於テ、名譽スルガ故ニ、以テ名トスト云ヘリ、
p.0363 きん〈九分ニ一分ノめん○圖略〉香二種ノ時ハ二枚、三種ノ時ハ三枚、或五種十種も同事也、同きんにては香うつり匂ひまぎるゝゆへ也、
きむばさみ香だゝみノ下ノ口ヘ入ル、爪かゝるほどに出す也、〈○圖略〉
香箸 長〈サ〉四寸二分、銀ニテ作ル、四角也、さきに香はさむ所少つくる、おとさぬためなり、〈○圖略〉
香箸はさみ、香疊ノ上ノ口へ入ル、爪かゝるほど出す也、〈○圖略〉
後普光園院殿説に、香合の盆はぬり、或はなし地、貝にても、かねの類にても、繪樣はなきもの也、
香盆銀ニテみがき、内へ木を入、かろきやうにするなり、香合のときは香だゝみのあしでの繪にさしあふ事もあるゆへ、毛ぼりなどはせぬ事なり、盆は四角四方へ出たるはみゝなり、竪七寸八分、横七寸二分、高〈サ〉三分、
香盆に火とりすへ樣〈○圖略〉 火とり梨子地に桐の葉高蒔繪、あしでの文字は銀かながひ、籠銀毛ぼり雲烟出る所雲の内に少あり、なまりにてふくりんとる也、
桐のはもふみわけがたくなりにけりかならず人をまつとなけれど、といふ歌をもて、あしでにする也、
後普光園殿説 香づゝみの外題は、肩に押法也、物語は中をし、歌書は口にをすゆへに、まぎれぬためなるべし、
p.0364 志野三道具之事
一志野宗信抔之時代、香具甚簡にし苦事少なき事也、香道世に行るゝゟ、火道具抔も事多なりて、七種の具となれり、今も其古風を用ひば、借に三〈ツ〉にて事足べし、名香一種燒に用、また古來ゟ之香盆の餝にも灰押香筋火筋なり、今も常に懷中抔に携るは、此三〈ツ〉に而足り、又香箸を銀或は赤銅を以て作、先に細きぎざを付て、銀葉置取に仕、能樣に作て、火筋とかね用てもよし、尤古來は寸法有、東山殿好也、左に圖ス、
香筋火筋兼帶之圖〈(圖略)長四寸貳分、かたち四方に作る、先貳分程の間ぎざ〴〵を付る也、〉
敷紙之事
一十炷香之道具を餝るには、敷紙を用べし、大鷹檀紙を貳〈ツ〉折にして、又四〈ツ〉に折用、開て餝べし、金銀の箔を押て用も有、然其白紙を用、折々あらたに取替をよしトス、近來他流には香盤と云る物を用なり、平日の香には紙を用る事古雅也、香盤を用るは眞の時也、
さし札之事
一差札といふ物古來ゟ有、象牙、烏木、或は黑漆にしたるも有、表に札の紋常のごとくに蒔繪抔にし、表に一二三四五と書置て、組香五炷有物に何れも用也、十炷香の時は、四をウとなし用、記錄へ 一炷ヅヽに而しるし置、十炷終て後に本香包紙を開て記し、中に點を懸也、札十枚にて壹人に一枚ヅヽにて事たる故、筒なき也、又札之紋なしに拵置、色々之組香を聞、時々黑或は朱にて書替て、其組に順ひ用る事も有、左に圖ス、〈○圖略〉
香屛風之事
一香屛風、寸法表裏のかた等、古來の式有もの也、風雨の節、または夜分寒氣之節抔は、香席の廻りに立置、風を防ぐべき爲也、廣き書院抔に而は、別て用べきもの也、香氣散じては聞分難き故也、寸法百ケ條に有、
p.0365 うぐひす〈○中略〉 十炷香の小包をさす串を鶯となづくるは、香にとまるといふ意也といへり、されどもと紙の小口をそろへんため、竹串を二本たてゝ刺たる其串を、うぐいすと名づけしによれり、是は紙の四頭を齊ふするといふ義をよめる歌に、
宇佐も神熊野も同じ神なれや伊勢住吉も同じ神々、さればうぐいすと呼し也ともいへり、
p.0365 香筋(きやうじ)之圖〈○圖略〉烏木(こくたん)を以て作るべし、長さ五寸、かたち圖のごとし、
火筋(こじ)之圖〈○圖略〉總長さ五寸、柄二寸七分、穗二寸三分、金銀等を以て作る、柄は紫檀或は烏木にて作るべし、
香鍬(はいをし)之圖〈○圖略〉長さ三寸五分、金銀等を以て作る、面に少し肉ありて、裏は平なり、摸樣の繪好みに隨ふべし、其かたちは笏にひとし、
火味(ひあじ)之圖〈○圖略〉金銀にて作る、寸法定れる法なし、世上通用のごとし、
銀鑷(ぎんばさみ)之圖〈○圖略〉金銀にて作る、長さ三寸五分、
鶯(うぐひす)之圖〈○圖略〉銀と赤銅を以て、半ばよりいもつぎに作るべし、寸法志野流にひとし、
羽帚之圖〈○圖略〉寸法かたち、志野流にひとし、 此外香道具品多しといへども、此七つを要具とす、米川家には香匙を以て火味にかへ、七つの道具といへる名目は、當流にはあらざる事なりとぞ、
p.0366 香道具名目
熏物箱(たきものはこ)〈今世上に沈箱と云もの、元來熏物箱なり、源氏六種の熏物をおさむ、〉 十炷香箱〈諸事の香道具を入おくなり〉 香爐〈對の香爐を賞翫とす、必燒物の香爐を用、ぬりたる木香爐、金などにもちひす、〉 銀葉〈雲母のものを用、金銀ののべがねはたき物にもちゆ、香にはもちひず、〉 同香合〈銀葉香箱に入おくなり〉 火末入〈是もものずき次第用べし、かざりの一つなり、燒物あみ袋に入る、〉 札十人前〈香の品により色々かはろなり、瀧の絲に圖あり、〉 さし札〈形色々あり、軒の玉水に圖あり、〉 札筒〈形色々唐木象牙などにて作る、瀧の絲に圖あり、〉 銀盤〈靑貝にて花の形につくる、瀧の絲に圖あり、〉 敷紙〈大鷹檀紙を用、金銀の箔をおく、當流に用、〉 火筋立(かうじたて)〈火道具を立置瓶なり、瀧の絲に圖あり、〉 香包〈十組の形流義によりてかはる、色々あり、〉 同外包〈摸樣を以て十組をわかつ、其外の組香も此例にしたがふべし、〉 銀はさみ〈秋の光にくはしく注す〉 鶯〈同〉 火筋〈同〉 香筋〈同〉 炭押〈同〉 羽帚〈同〉 火味〈同〉 香匙〈同、此分秋の光に寸注圖あり、〉 炭團入 香疊 香盆 香棚 香割 香鋸 香割盤 組香之盤 立物類 置物類 文庫盤 立物たて 折居 伽羅冷 香單子 香之圖〈折本〉 香屛風 巾 卓 翰盤 丸香臺
右道具類、文字强て改、本字をもちひず、只俗間兒童の用來る所の文字を以てしるし侍る、本字秋の光の附錄香志にあらはす、故に今爰にしるし侍らず、考見るべし、
p.0366 合香坏參拾〓合〈佛物卅六合之中、一合銀、重一斤三兩三分、通物一合、〉
合香爐貳拾肆具〈佛物十八具之中、一具銀、重三斤十兩二分、一具鍮石、一具牙、一具赤銅、十三具白銅、法物一具鍮石、常住僧物一具高麗、通物四具、〉
合單香幷香鎔丼其盤貳拾貳口〈佛物單香十六具、常住僧物香〓四具、其盤二口、○中略〉
右前岡本宮御宇夫皇以二庚子年一納賜者
p.0366 しろがねのひとりに白がねのこつくりおほひて、ぢんをつきふるひて、はいにいれて、したの思ひにすへて、くろほうをまろがしてそれに、
ひとりのみ思ふ心のくるしきにけぶりもしるくみへずやあるらん、くもとなる物ぞかしと かきて、兵衞の君の御もとにとてあれば、れいのあて宮に御覽ぜさすれば、〈○下略〉
p.0367 御火とりめして、いよ〳〵たきしめさせたてまつり給、
p.0367 そのよさり〈○寬弘五年九月九日〉御まへにまいりたれば、月おかしきほどにて、〈○中略〉こ少將の君大納言のきみなどさぶらひ給ふ、御ひとりにひとひのたきものとうでゝこゝろみさせ給ふ、
p.0367 一條院殿のあまうへ、〈○藤原道長妻倫子母〉大宮の宮たちみたてまつりしに、わがいのちはこよなうのびにたり、いまは中宮〈○三條后妍子道長女〉のひめみやをだに見奉らではとなんの給はすればとて、とのゝうへのおまへ〈○倫子〉さるべきひまをおぼしめしければ、かう〳〵このみやなんこの頃こゝに出させ給へる、よきおり也、ゐて奉らんと、一條殿に聞えさせたまへれば、いとうれしき事なりとて、俄に御まうけしいそがせ給、〈○中略〉尼うへいみじうしつらひてわれもいみじく心けそうせさせ給ひて、まちきこえさせ給程にわたらせ給へり、〈○中略〉御をくり物に、このとしごろたれにもしらせ給はでもたせ給へりける、かうごのはこひとよろひに、いにしへのえもいはぬかうどもの、いまは名をだにも聞えぬや、そのおりのたき物などのいみじきとものかずをつくさせ給へり、
p.0367 御ぐしあげの内侍のすけの、こよひのつぼねえもいはず、やがてしつらはせ給へり、物どもたまはせ、〈○中略〉にかひすゞりのはこ、ひとりたゝみまでのこるなう給はる、
p.0367 堀川院ノ中宮御方ニ令レ渡給ヒテ、以二藏人永實一御所ニアル薰物ノ火桶申テ參レト有レ仰ニ、參テ申出ニ、周防内侍繪書タル小〈キ〉火桶ヲサシイヅトテ、
カスミコメタルキリヒヲケカナ
永實無レ程取レ之
ハナヤサキモミヂヤスラムオボツカナ、範永之孫淸家子ニテ、新藏人ナルヲ心ニクヽ思テ、フ ル物ニテ試レ之ニ、尤有レ興事也、後ニ主上聞食テ被レ仰云、不二永實一バ我耻ナラマシト云々、伊勢大輔ガ、コハエモイハヌ花ノ色哉、トイヒシニ不レ劣覺ヘシ事也、
○按ズルニ、タキ物ノ火桶ハ、卽チ薰爐ノコトナルベシ、
p.0368 ひとり 爲家
たきものゝくゆるけぶりの下むせび我ひとりとや身をこがすらん
p.0368 一銀葉を銀盤といふはあしゝ、銀盤は上の具をいふ、下を銀盤臺といふ、きらを銀葉といふ、銀ともいふは薰物を銀を花形にして炷しなり、
火箸古くは銀にて角、宗因時分ゟ匙灰押出來、羽帚も近代より出來、古きものに志野殿はゆひにて香爐なでみれしなど有、銀葉古くはひしきといひし、
p.0368 享保九年十一月廿四日、御香アリ、〈○中略〉伽羅シキヲ銀盤ト云コトヲ知タルヤト仰ラル、〈○近衞家煕〉覺悟ナキ由申上ル、キラヽニテ作リ立タルモノヲ銀盤ト云フコトイブカシキコト也、本伽羅ノ下ニシク今ノ銀盤ハ火敷ト云、薰物ノ下ニシクハ銀也、コレヲ銀盤ト云、ソレヨリ轉ジテ伽羅ノ火敷ヲ銀盤ト云、薰物ニ盤ヲシクコトモ初テ承ル、漢ニテハ隔火ト云、遵生八箋ニ見エタリ、
p.0368 火浣布をもつて香敷に作ることは、遵生八牋曰、隔火、銀錢、雲母片、玉片、砂片、倶可、以下火浣布如二錢大一者上、銀錘周圍作二隔火一猶難レ得、又典籍便覽曰、火浣布甚難レ得、嘗有下如二錢大一者上、銀鑲週圍、留火上燒レ香と見えたり、隔火は我邦にては香敷、又銀葉ともいふ、專雲母又銀などにて作れども、此二品は薄くしてかたき物ゆゑ、火の移り急にして香氣おだやかならず、火浣布は其質軟にして、火氣徐徹るゆゑに、香氣おだやかなり、又雲母は數度もちゐるときは火をはね、銀は火にあへばそりてよろしからず、此二品一度香をたけば、木の脂燒つきて落がたく、再香を燒ば、初の移香ありて、はなはだあしゝ、火浣布は木の脂つきたるときは、火中に入て燒ば、脂少も殘ず燒おち、幾度も ちゐても移香なきゆゑ、唐土にては隔火の絶品とするなり、
予〈○平賀源内〉が創製する火浣布の隔火、辱も台覽を經、その餘やんごとなきおんかた〴〵へも獻じける、又唐土にて至寶として尊ぶことは諸書に見えたれば、試に彼國の人にしめさんことを公へ申上けるに、官より仰ありて長崎へおくり、異國人に見せしむべしと、新に命を受て、隔火五枚を製しぬ、〈○圖略〉
火浣布隔火包紙の圖
火浣之布、自レ古有レ名、彼妄造レ説、臆度意量、木皮斯調二鼠毛一、南荒或果レ誣レ理、謂二傳者妄一、涬溟造物寧可二推窮一、陽中有レ陰、陰中有レ陽、入レ火不レ化、柔能制レ剛、昔彼西戎、今我東方、織二成素縷一、週以二銀鑲一、一片隔火、百炷襯レ香、書堂淸供、繡房風情、
明和甲申〈○元年〉秋八月 大日本讃岐 鳩溪平賀國倫創製
右隔火五枚、公に奉る、十月中旬官より長崎へ贈り給ける、十一月下旬長崎より淸人の呈狀來れるよし、官より寫賜る、
淸人の呈狀の寫
蒙レ賜レ觀二火浣布隔火一一事、〈子〉等倶已公同領觀、但此物從レ古傳レ名、近所レ未レ覩、今貴國有二此名人博綜廣識一、秘製精奇、實爲レ罕レ見、筆難二盡述一、〈子〉等幸在二崎館一、得二叨異遇一見二此奇珍一、公同賞嘆、欲レ通三知在唐之人有二此異寶一、然有二空言一、若無二實據一、諒難レ見レ信、今欲下給二領數枚一、帶回俾中在唐博物之人、一同賞鑒上、爲レ此具單謹覆、
明和元年十一月 日 未十番 南京船主襲子興〈○以下人名省略〉
右之譯文
火浣布之香敷御見せ被レ遊、私共一同拜見仕候、此品古より名而已傳承仕候得共、是迄終に見及不レ申候處、當時右通博綜廣識之御方、秘製有レ之候は、實以希代之珍事難レ盡二筆紙一奉レ存候、折能罷渡、御蔭 により奇品致二拜見一、何〈茂〉打寄賞嘆仕候、倂在唐之者共へ、如レ斯珍寶有レ之段物語仕候共、實跡なく空言而已にては、信用仕間敷奉レ存候ニ付、此度一二枚拜領被二仰付一度奉レ願候、左候ハヾ唐國へ差越數寄者へも賞見爲レ仕度奉レ存候、仍以二書付一申上候、
明和元年十一月 未申諸湊船頭共連判
右書付之通和解差上申候
林 市 兵 衞印
何 幸次右衞門印
p.0370 香道具細工所
香道具の細工は、常々是を手なれざるの細工人は恰合物好宜からず、遠國の人の求めむ爲の便りに、京都の細工人を左に記す、
香道具人形盤類 〈京寺町通姉小路西南角〉梅本薩摩
金物細工人 〈京東洞院四條上ル二町目西側〉野村藤右衞門
木細工類 〈京寺町通竹屋町下ル町東側〉唐木屋勘兵衞
金物細工類 〈京大宮西ヘ入神明町〉飾屋四郎兵衞
人形細工人 〈京押小路通間之町東ヘ入南側〉桔梗屋庄左衞門
同 〈京河原町姉小路西南角〉人形屋半助
p.0370 一雪月花集一卷
右者御家六拾六種之名香、其外石三拾種之名香、京極道譽所持之名香百七拾七種之名目也、御家乞求て志野宗信寫し、家に傳る書也、
一志野宗信筆記一卷 右宗信筆記にして、八拾八ケ條有て、此道の規矩とすべき書也、
一香合式
右宗信筆に而記置しを、宗温省巴代々傳て、又省巴門人〈え〉傳へし時、此書之奧書を添られしと見へたり、後代香合之定式也、此時夢庵子之刳之詞書、西三條内府公之跋等、別に一卷有、傳レ之、
一宗温六拾一種香名一卷
右宗信子宗温之筆に而記置れし香名也、世上に六拾一種之香と云は是也、
一宗入香爐之圖一卷
右笈翁齋宗入香爐幷餝之記にして、後世の規矩なり、宗入は宗信の末流之人なり、
一建部隆勝香之記一卷
右者志野末流建部氏の筆記也、諸事宗信と大同少異あり、又古法を考べきに便り有ものなり、
一十組香之記一卷
右十組香、古來ゟ有來りしを、細川幽齋始て文となして筆記す、細川氏眞名序有、系圖香と後世圖に名目を付れども、是は後人の作にして、據もなき事なれば、今古法のまゝにして是を補はず、源平香の盤立物圖古書略にして辨じがたし、因て今委く繪圖となして補入す、名所香に兼用時は、盤之趣替る、源平香に而巳用ゆるは、此本の圖に順ふべし、
一香之記一卷
右香之記は、誰人の作たる事を不レ知、志野氏建部氏の事、しば〳〵云といへ共、慥に正傳有人の作に有べからず、其内いぶかしき事ども多し、殊に初の一紙甚疑ふべし、其中又意有事も多し、是も亦古書なれば猥にけづりさらんに忍びず、尚附錄に辨ず、
一八部之書毎之終に考正異同考を附す、舊書に誤る物は他本に照し合て改もの也、是には圖を 付る、他本に異にして何れか是なる事を不レ知もの、圖を本文のかた脇に付て、考正に是を辨ず、古書之誤、他本の異同を分やすからしむるもの也、
一附錄奧之栞二卷
右は本書八部之中、解がたき事、又は其餘意を述て、初心の人に便とす、
p.0372 一香道軌範宗悟作と云々、燒失とて春淳門人へは不レ被レ出、尤藤野家には無レ之、宗先翁迄は在レ之、皆傳門人浪華江田世恭寫所持有しを、同住吉村周圭傳寫在、周圭ゟ我等傳寫、其外天文雜書芳薰餘情榮松記六節七節等皆寫持しが、誠古書にて、右等之門より撰改正し、規矩定りし物故、燒失とて不レ被レ出事也、尤先無用の物也、
p.0372 廣幡のみやす所〈○源庶明女計子〉ぞあやしう心ごとに、心ばせあるさまにみかど〈○村上〉おぼしめいたりける、内よりかくなん、
あふさかもはてはゆきゝのせきもゐずたづねてとひこきなばかへさじ、といふ歌をおなじやうにかゝせ給て、御かた〴〵にたてまつらせ給ひけるこの御返事を、かた〴〵さま〴〵に申させ給けるに、廣幡のみやす所はたきものをぞまいらせ給たりける、さればこそなを心ことにみゆれとおぼしめしけり、
○按ズルニ、村上天皇ノ御製ハ、アハセタキモノスコシトイフコトヲ沓冠ニ隱シ題ニセサセ給ヒシナリ、
p.0372 今はむかし、兵衞佐平貞文をばへいちうといふ、〈○中略〉本院侍從といふは、村上の御母后の女房なり、世の色ごのみにてありけるに、文やるににくから争、返ことはしながらあふ事はなかりけり、〈○中略〉この人のわろくうとましからんことを見て、おもひうとまばや、かくのみ心づくしに思はでありなんと思て、ずいじんをよびて、その人のひすましのかはごもていかん、 ばいとりて、われにみせよといひければ、日ごろそひてうかゞひて、からうじてにげたるををひてばいとりて、しうにとらせつ、へいちう悦てかくれにもてゆきてみれば、かうなるうすものゝ三重かさねなるにつゝみたり、かうばしきことたぐひなし、ひきときてあくるかうばしさ、たとへんかたなし、みればぢん丁子をこくせんじていれたり、又たきものをばおほくまろかしつゝあまたいれたり、さるまゝにかうばしさをしはかるべし、見るにいとあさまし、ゆゝしげにしをきたらば、それにみあきて心もやなぐさむとこそおもひつれ、こはいかなる事ぞ、かく心ある人やはある、セゞ人ともおぼえぬ有さまともと、いとゞしぬ計おもへとかひなし、
p.0373 こゝうときめきするもの かしらあらひけさうして、かうにしみたるきぬきたる、ことに見る人なき所にても、心のうちはなほおかし、
p.0373 予〈○藤原淸輔〉先年如レ此事ニ逢、關白殿近衞御所女房ノ車寄ノ前ニ、人五六人女房ト言談而有二事次一テ、薰物ヲ一囊被レ出、人々競取レ之、越中守顯成取見レ之、已非二薰物一、人々笑レ之分散、翌日ニ又同所ニ人々祗候、此日ハ予モ候、然間自二女房中一送二書狀一、開見レ之ニ有レ歌、薰物ニコヽロヲソサノ程ハミエニキト云々、元句不レ覺也、人々興遣各讓二于予芯中ニ案樣、昨日此所ニ御座ケム人々ノ御沙汰也トテ、欲レ逃而可二見讓一無レ人、默止バ予阯之由存レ之間、虚薰(ソラタキ)物ト云事有カシト覺悟、仍須臾廻思之處、如レ形成レ篇詠云、
たまだれのみすのうちよりいでしかばそらだきものとたれもしりにき、北政所聞食テ御感無レ極テ、實薰物一囊ヲ下給、于レ今納二筥中一、和歌爲レ體雖レ異、臨レ時有二面目一、世以爲二美談一、仍暫所二書置一也、後日可二改弃一、抑此度空薰物之句多出來、仍此歌彌惡歌ニ成乎難レ堪、