p.0255 淨請物之覺 一ふや、こんにやく、とうふ、何も萬の精進物、油にてあげても吉也、但淨請物は口によりてする也、
p.0255 昆布 汁 に物 にあへ くはし むし漬 たし〈ニ〉 油あげ(○○○) 其外いろ〳〵 〈略〉
p.0255 あぶら揚賣童の事、我等〈○小川顯道〉二十歳頃迄は、貧民の子ども十歳十二三歳なるが、提籠へ油揚のみを入賣歩行しが、近年絶てなし、其頃見苦しき童を見ては、皆人あぶらげ賣のやうだといひけり、
p.0255 塵塚談ニ云油揚〈ゲ〉賣、〈○中略〉廿歳比ハ寶暦中ヲ云、〈○中略〉油揚トノミ云ハ、今人ハ三都トモニ豆腐油アゲ(○○○○○)ノコトトスル也、恐ラクハ昆布ノ油揚(○○○○○)ナル歟、昆布ナラバ京坂ニハ今モ有レ之、左ニ出セリ、〈○中略〉 揚昆布賣 春ノ花觀等ノ群集ノ所ニ賣ル、昆布ノ油揚也、一ケ價一文、専ラ十餘歳ノ童子賣レ之、詞ニコブヤアゲコブ、〈○中略〉 揚ゲ(再出)昆布賣リ 春二三月ノ比、花見遊參人ノ群集ノ所ヘ賣リ巡ル、高二尺許亘一尺餘ノ目籠ニ、掛子アリテ、裏ヨリ紺紙ヲハリ、比籠ニ昆布ノ油揚ゲ入レ賣ル也、貧家男子ノ十二三歳ナル者也、 前ニ出セル塵塚談ニ云ルモ是歟、
p.0256 菊の葉を油の漬あげ(○○○○○○○○○)にして食ふ事、五雜組に、今人有下采二菊葉一煎二麵米一食レ之者上、其味香尤勝二枸杞餅(クコベイ)一也とあり、
p.0256 揚物を、天麩羅また金麩羅(○○○)とも、〈○下略〉
p.0256 半平 ハンヘイハ蒲鉾ト同ジク磨肉也、〈○中略〉京坂ニテハ半平ヲ胡麻油揚ゲトナシ、號ケテテンプラト云、油ヲ用イザルヲ半平ト云也、江戸ニハ此天麩羅ナシ、他ノ魚肉海老等ニハ小麥粉ヲネリ、コロモトシ、油揚ゲニシタルヲ天プラト云、此天麩羅京坂ニナシ、有レ之ハツケアゲト云、〈○中略〉 天麩羅 京坂ノ天プラハ前ニ云ル如ク、半平ノ油揚ヲ云、江戸ノ天麩羅ハ、アナゴ、芝エビ、コハダ、貝柱、スルメ、右ノ類總テ魚類ニ、温飩粉ヲユルクトキテコロモトナシ、而後ニ油揚ニシタルヲ云、菜蔬ノ油揚ハ、江戸ニテモテンプラト云ズ、アゲモノト云也、〈○下略〉
p.0256 天ぷらのはじまり 天明の初年、大坂にて家僕二三人も仕ふ商人の次男、至情の歌妓をつれて江戸へ逃げ來り、余〈○岩瀨京山〉が住みし同街の裏にすみ、名を利介とて、朝夕出入しけるに、或時亡兄〈○京傳〉にいふやう、大坂にてつけあげ(○○○○)といふ物、江戸にては胡麻揚(○○○)とて辻うりあれど、いまだ魚肉あげ物は見えず、うまきものなれば、是を夜見世の辻賣にせばやとおもふ、先生いかん、兄曰、そはよき思ひつきなり、まづ試むべしとて、俄にてうじさせけるに、いかにも美味なれば、はやく賣るべしとすゝめけるに、利介曰、是を夜見世にうらんに、そのあんどんに、魚の胡麻揚としるすは、なにとやらん物遠し、語聲もあしく、先生名をつけてたまはれと云ひけるに、亡兄すこし考へ、天麩羅と書きて見せければ、利介ふしんの顔にて、てんぷらとはいかなるいはれにやといふ、亡兄うちゑみつゝ、足下は今 天竺浪人なり、ふらりと江戸へ來りて賣り始める物ゆゑ、てんぷらなり、てんは天竺のてん、即ち揚ぐるなり、ぷらに麩羅の二字を用ひたるは、小麥の粉のうす物をかくるといふ義なり、と戯れいひければ、利介も洒落たる男ゆゑ、天竺浪人のぶらつきゆゑ、てんぷらは面白しとて、よろこび見世を出だす時、あんどんを持ち來りて、字をこひける故、亡兄余に書かしめ給へり、こは己れ十二三の頃にて、今より六十年の昔なり、今は天麩羅の名も文字も海内に流傳すれども、亡兄京傳翁が名付親にて、予が天麩羅の行燈を書きはじめ、利介が賣り弘めしとは知る人あるべからず、〈○中略〉おもふに、物の始源おほかたは、かやうなる事にぞあらんかし、
p.0257 文化のはじめ頃、深川六軒ぼりに松がすし出きて、世上すしの風一變し、それより少し前に、日本橋きはのやたいみせにて、吉兵衞と云もの、よきてんぷらし出してより、他所にもよきあげものあまたになり、是また一變なり、
p.0257 金麩羅仕出〈深川櫓下〉 金麩羅名響二海邊一、會席料理品最鮮、揚出或五藻屑(モク)卷、初知意氣在二深川一、
p.0257 ひりうす 料理の目にいへり、蠻名也とぞ、
p.0257 飛龍頭 此邦にて云、油揚の飛龍頭は、「ポルトガル」〈國の名〉の食物なり、其製左の如し、ひりうづは彼國の語のよしなり、粳米粉 糯米粉〈各七合〉 右水にて煉合せゆで上て、油揚にしたる物なり、
p.0257 けんちえん しつぽくに用ふる料理の名也、油あげの品なり、卷煎なりといへり、
p.0257 煮菜類 卷煎(ケンチエン) 大根 牛蒡 栗子(クリ) 椎茸 麵筋 靑菜 豆腐 大根、牛蒡、栗子をはりにきり、椎茸麵筋も細切、靑菜はみぢんにきり、豆腐は一挺を十二にきりて 油にあげ、又一切を二枚にへぎ、又ほそくきりて、右の七種合せて一升程には、油七八勺計よくたたせ、先大根、牛蒡、靑菜を入れてよくいり付、後に椎茸麵筋豆腐栗子を入れて、推返々々て、扨醬油にて味付、よく熟せばとりいだしさまし置て、豆腐の皮を水に入て、そのまゝ引あげ打ひろげて、廣方に右の子高さ四五分計に長く置き、さてまきつけて、留(トメ)口に水にて葛粉をといてぬり、又油にあげ、厚さ六七分ばかりにきり、生菜の中に有卷煎酢(ケンチエンツヽ)〈謂しやうゆと酢と合し、しやがをおろして入、水囊にてこすなり、〉にさして喰ふべし、但大根、牛蒡、靑菜の中一色ありてもよし、
p.0258
唐韻云、
〈蘇弔反、與レ
同、今案鹿
、俗云、阿閉豆久利(○○○○○)是也、〉切レ肉合糅也、
p.0258 廣韻、
作レ
按集韻
或作レ
、則知
![]()
同字、廣韻
蘇弔切、切レ肉食糅、又云
所鳩切、乾魚蓋一字有二二訓一、只其音不レ同也、源君分爲二二字一、
訓二乾魚一、
爲二切肉合糅一誤、今本廣韻合糅作二食糅一、然集韻作二合糅一與レ此合、則作レ食誤、
p.0258
(アヘツクリ) のたあへ 和名抄十六〈十七丁ウ〉魚鳥類に、唐韻云、
切レ肉合糅也、今按鹿
、俗云阿閉豆久利云々、此アヘツクリは、料理の書にのたあへといふ物にあたれり、
p.0258 あへづくり 倭名抄に
をよめり、合せ作の義成べし、切レ肉合揉也と見えたり、
p.0258 詠二酢醬蒜鯛水葱一歌 醬酢爾(ヒシホズニ)、蒜都伎合而(ヒルツキカテヽ)、鯛願(タヒモガモ)、吾爾勿所見(ワレニナミセソ)、水葱乃煮物(ナギノアツモノ)、
p.0258 刺身、鱠、ぬた和(アヘ)、 醬酢(ヒシホズ)は今の酢味噌の事にて、鯛の刺身蒜など和(アヘ)まぜたるぬたあへの事也、後世のぬたあへは、酒糟大豆粉(キナコ)花鰹を酢にてすり、それに刺身の魚を和たるをのたあへ鱠といふよし、大草家料理書〈群書類從三百六十六卷廿二丁右〉に見ゆ、〈○中略〉萬葉集の比は、刺身を酢味噌に和たるを、後世ヌタと云名を いひ出し也、
p.0259 一のたあへ鱠は、酒のかすを能摺て、大豆の粉を入て、花鰹を摺てまぜて、魚に酢を掛てあへる也、何も萬の魚も如レ此候也、又は大豆の粉なくば、けしか胡麻かを入て、糟と酢と酒にてあゆる、又ひとしほ靑くするは靑辛だて摺交り吉也、大魚は中うちを燒ても入吉事もあり、
p.0259 ぬたなます からしをよくすり、さて酒のかすをよくすり、あゆにてもいわしにても鰡にても、まづすにていため、その酢をすて、後にぬたをすにてのべ、鹽かげんしてあへ候也、後のすおほきはあしく候、但あゆにはあをまめのぬたに、柚の葉きざみ入、あへ申事も存レ之、
p.0259 和(アヘモノ)
p.0259 和物(アヘモノ)
p.0259 あへもの あへはあはせ也、はせ反へ也、あかきをものゝあへものとよめるは、饗物の義也、新撰字鏡、和名抄に韲をよめり、是も又同義成べし、擣二姜蒜一以レ醋和レ之、と見ゆ、萬葉集に、醬酢に蒜搗雜て鯛ねがふなどよめる是也、今いふあへものと同じからずといへり、今いふものは壒囊抄に酤字をよみ、酤以二春梅一といへり、和字を用る事もありと見えたり、
p.0259 女房ことば 一あへもの みそ〳〵
p.0259 大書院御成精進御料理式正獻立 御茹(あへ)物 〈竹の子輪切、たでごまみそ、〉
p.0259 猪口の部 春〈梨子靑あへ〉 夏〈ふぢまめ木のめあへ〉 秋〈よまきいんげんせうがみそあへ、てんもんどうからしあへ、〉 〈まきあらめ白あへ〉 冬 〈生ぐりもみて梅びしほあへ〉
p.0260 一三月卅日、〈未刻○永祿四年〉 御成〈○中略〉 一總衆へ參獻立、小西仕分、〈○中略〉 二獻〈さしみけづり物〉 あへ物
p.0260 一あるひとり坊主、烏賊をくろあへ(○○○○)にしてたまはる處へ、ふと人來れり、口をぬぐはん料簡もなかりつるに、そなたの口は、何とてくろひぞや、かねをつけられたかととふ、いやあまりさむさに、たゞいまもえさしを、一口くふたと、
p.0260 一會下僧に齋をすゆる、菜に蕨あり、終に服せず、施主如何なれば、蕨をば食せられぬぞ、人のくちやかふとて、大事候まひ、けしあへ(○○○○)にしてさうほどに、
p.0260 蒸 禮記注云、
〈私列反、師説無之毛乃、〉蒸也、野王按、蒸〈之繩反〉火氣上行也、
p.0260 按廣韻、
蒸也、餘制切、禮記釋文渫字音義同、廣韻又云、渫治レ井、又除去、私列切、是
渫雖二同字一、然私列可三以音二除去字一、源君以二私列一音二蒸
非レ是、按无之毛乃烝物也、烝訓二牟之牟須一、謂二鬱熱
々一、今俗謂二縟署一爲二牟之阿都之一是也、
p.0260 蒸〈ムシモノムス〉 茹
![]()
〈已上同、亦作レ
、〉
p.0260 御齋之汁者、〈○中略〉菜者、〈○中略〉蒸者茹物、
p.0260 蒸ムシモノ 倭名鈔に禮經を引て、
は蒸也、師説にムシモノといふ也、蒸は玉篇に、火氣上行するなりと見えたりと註せり、凡火氣上行するを云ひて、ムシともムスとも云ひし、義詳ならず、
p.0260 むしもの 和名抄に
をよめり、蒸也と注せり、大和物語に、菜をむしものといふ物にしてとみゆ、
p.0260 日もたかうなれば、此女のおや、少將〈○良岑宗貞〉にあるじすべきかたのなかりければ、こどねりわらはばかりとゞめたりけるに、かたいしほざかなにして、酒をのませて、少將にはひろ き庭に生えたるなをつみて、むし物(○○○)といふものにして、ちやうわんにもりて、はしには梅のはなのさかりなるをおりて、その花びらに、いとおしげなる女のてにてかくかけり、 君が爲衣のすそをぬらしつゝ春の野に出てつめるわかなぞ
p.0261 煠、濈、
〈同土洽、徒牒二反、以レ菜入二涌湯一曰レ煠、煮也、奈由豆、〉
p.0261 茹 文選傳玄詩云、厨人進二藿茹一、有レ酒不レ盈レ杯、〈茹音人恕反、由天毛乃、藿音霍、葵藿也、〉
p.0261 文選所レ載傳玄詩、只有二雜詩一首一、所レ引旬無レ有按太平御覽載二傳玄是句一、疑源君從二修文殿御覽一引レ之、誤爲レ出二文選一也、又按、江次第二孟旬條有二菁茹一蓋從二此所一レ訓、然茹訓レ菜見二後漢書馬融傳注一、茹本訓レ飤レ馬、轉爲二凡食一、又爲二食菜一、逐謂レ菜爲レ茹也、然則傳玄詩、藿茹猶レ言二藿菜一、不レ得レ訓二由天毛乃一、又説文、
内二肉及菜湯中一薄出レ之、
又作レ瀹、玄應音義引二通俗文一云、以レ湯煮レ物曰レ瀹、又廣雅、煠爚也、龍龕手鑑、煠湯瀹レ菜也、新撰字鏡、以レ菜入二涌湯一曰レ煠、煮也、奈由豆、釋名、生瀹二葱韮一曰レ兌、言二其柔滑兌々然一也、此可三以充二由天毛乃一、
p.0261 茹物(ユデモノ)
p.0261 茹物(ユデモノ) 茹(ユギル) 燖(ユビク) 臑(同)〈煮熟也〉
p.0261 茹ユデモノ 倭名鈔に、文選註に見えし霍茹を引て、茹讀でユデモノといふなり、内則註に據るに、瀹は肉菜湯中薄熟出レ之と見えたり、さらばユデモノとは、湯より出ぬるものを云ひし也、
p.0261 ゆでもの 倭名抄に茹をよめり、湯より出す意也、内則注にも、瀹は肉菜湯中薄熟出レ之と見えたり、新撰字鏡に煠をなゆづと訓ぜり、以レ菜入二涌湯一曰レ煠と注せり、今俗うでものといふも、うとゆは横通せり、今のしたし物是也、
p.0261 したしもの 西土にいふ茹也といへり
p.0262 七御許者、食飮愛酒女也、所レ好何物、〈○中略〉油濃茹物(ユデモノ/○○)、面穢松茸、
p.0262 湯煎
p.0262 ゆびく 禮記に濡をよみ、又燖をよめり、湯を引なり、
も煠も同じ、童蒙頌韻に胹をよめり、ゆびきものは茹をよめり、菜を湯引たるをいふ、くらぶともよめる意なり、
p.0262 臑 ゆびく いびく〈俗云〉ゆでる 湯引は、俗に云ゆがくともいふに同じ、湯煮をするなり、 文選 七發〈枚叔〉熊蹯之
〈五臣作レ臑、音而、〉勺藥之醬、注、左氏傳曰、宰夫臑、熊蹯不レ熟、方言曰、臑熟也、音而、
p.0262 仁王經齋會供養料 僧一口別、〈○中略〉醬三合〈生菜料三勺、薄餅料三勺、好物料四勺、茹菜料(○○○)二勺、海菜料一勺、漬菜料一合二勺、汁物二勺、羮料一勺、索餅料二勺、〉麁醬九合二勺五撮、〈好物料四合、熬菁料五勺、茹菜料(○○○)三勺、海菜料三合五勺、漬菜料三勺五撮、薄餅料二勺、汁物料四勺、〉味醬四合五撮、〈好物料一合、茹菜料(○○○)四勺、漬菜料二合五撮、汁物料二勺、羮料一勺、菓餅料三勺、〉鹽九合八勺八撮、〈好物料五勺、茹菜料(○○○)二合、生菜料二勺、薄餅料三勺、海菜料二勺、汁物料二勺、漬菜料五合二勺八撮、菓餅料一勺、索餅料六勺、羮料五勺、○中略〉鳥坂菜二分、〈生菜并海菜茹菜(○○)等料各四銖、○中略〉角俣菜一兩二分、〈好物料一兩、茹菜料(○○○)二分、○中略〉芥子一合二勺、〈好物料五勺、茹菜料(○○○)三勺、汁物料四勺、○中略〉生薑一合九勺五撮、〈好物料一勺、茹菜料(○○○)二勺、汁物料五撮、索餅料一勺、漬菜料五勺、韲料一合、○中略〉右一日供料依二前件一、
p.0262 聖信房弟子共、くゝたちを前にてゆで(○○)けるに、なべのはたより、くゝたちの葉のさがりたりけるを見て、其座に有ける人のいひける、 くゝたちのやいばはたりて見ゆる哉 房主うち聞てつゞけゝる なまいてたれかつくりそめけん めでたくこそつけられ侍れ
p.0262 一鴈のいで鳥と云は、足手を落し、水出しと醤油にて不レ切ににて、食樣ニ薄切に作 也、 一鴨のいで鳥は、湯を以て洗て、丸に鍋ニ入て、花鰹を入て、酒とぬかみそ少し入てたく也、食樣に薄く作て、醤油か酢か、又は辛酢も食也、
p.0263 ゆで鳥は 骨共にだしたまりにて、久しくに申也、
p.0263 一大猷院樣、元和九亥年七月十三日御上洛ニテ、寛永三寅年九月六日、行二幸二城御城一、同十日還御、〈○中略〉九月六日晩、御引替之御膳、御本〈○中略〉 ユデ鳥〈鴨〉
p.0263 蘸(ヒタシモノ) 浸物(同)〈俗字〉
p.0263 大書院御成精進御料理式正獻立 一蘸物(ひたしもの) にんじん〈どんぶり〉鉢八寸
p.0263 永正十四年六月朔日、當月ノ神事、隼人カ左京カ若狹可レ致候、禰宜方ニモ神大工方ニモ神人方ニモ、左樣ニ可レ被二心得一、 一十日御神事 鈴鹿勝正〈○中略〉 右ハ御立計手酒、肴サヽゲヒタシ物(○○○○)、卷ズルメ、飛魚ムシリ物、〈○下略〉
p.0263 寛政七年卯二月十六日 御幸 御膳方 夕御膳 御ひたし つくし
p.0263 二月中の十日、年のはじめのかうしん出來るに、春宮の君だち御つぼねことにあて宮さらぬさきより、殿上たちはきのぢんにくだもの出さむとおぼす、よきおりなりとて、殿に聞え奉れ給、宮の御たいには、かねのごきにこがねのけうち、しろがねのおしき三十、こがねのごき御たいのうちしきは、花ふれうにうすものかさねたり、ひわりご五十、たゞのわりご五十、かひわりごは御かた〴〵にし給、たゞのは殿につかうまつる、すりやうどもにおほせ給へれば、つ かうまつれる、すへものはまどころより、いゐ四石ばかり、いたまさのきのひつ十、ほをのきにくろがきのあしつきたるながもちとをにすへ、一尺三寸ばかりのわたきのものに、なまもの(○○○○)、からもの(○○○○)、すしもの、かいつもの(○○○○○)、たけたかくうるはしくもりて、ほとはまひとはきのあしつけたり、しきさらどもにすへて、一石いるそん十にさけいれ、ごてにぜに三十貫、かみふでつくゑにつみて、色々のしきしつみて十、たかつきすはうのつくゑに、まゆみのかみ、あをがみ、まつかみ、ふでなどつみて、ごてにしたり、
p.0264 頭の中將、御ぜんどもの物などまいらせ給はぬ、宮の御まへには、白がねのおしき、おなじきたかつきにすへて十二、ごきどもひわたりご三十か、むくにのくぼのつきども、もちゐ四をしき、からもの(○○○○)四をしき、くだもの四をしき、しきものこゝろばいときよらなり、
p.0264 旬 供二御飯一、〈此先供二蚫御羮一、次進物所物、〉居二臣下飯汁生物(○○)窪坏物一、〈應二御箸音一嘗レ之〉一獻供二御酒一、〈○中略〉供二干物(○○)菓子一、
p.0264 元日 御節供事〈○中略〉 干物(○○)八坏 干鳥 楚割 蒸蚫
燒 干鮭 干鯛 押鮎 白干
p.0264 大饗 尊者 唐菓〈餲餬、桂心、黏臍、饆饠、〉 木菓〈梨、棗、柑、獼猴桃、〉 干物(○○)〈蒸蚫、燒鮹、干鳥、楚割、〉 生物(○○)〈雉、鯉、鱒、鯛、〉 貝物(○○)〈蚫、螺、白貝、甲羸、〈ツヒ〉〉 窪坏物八坏〈肫裹、海月、保夜、
蟻、細螺、蠏蜷、石花、肝掻、〉 四種箸匕 納言以下 唐菓〈餲餬、桂心、饠饆、〉 木菓〈梨、棗、柑、〉 干物(○○)〈蒸蚫、干鳥、楚割、〉 生物(○○)〈雉、鯉、鯛、〉 貝物(○○)〈蚫、螺、甲羸、〉 已上各三坏 窪坏物六坏〈肫裹海月、保夜、
![]()
、細螺、蠏蜷、〉 四種〈鹽、酢、醬、〉 辨少納言 唐菓〈餲餬、桂心、〉 木菓〈梨、棗、〉 干物(○○)〈蒸蚫、干鳥、楚割、〉 生物(○○)〈雉、鯉、鯛、〉 貝物(○○)〈蚫、螺、甲羸、〉 已上各三坏 窪坏物六坏〈如レ前〉四種〈鹽、酢、〉 外記史 唐菓〈餲餬、桂心、〉 木菓〈梨、柑、〉 干物(○○)〈干鳥、押鮎、〉 生物(○○)〈雉、鯉、〉以上各二坏、 貝物(○○)一坏〈蚫〉 四種〈鹽、酢、〉 史生 中純物六坏〈餅、伏莵、
、大柑、小柑、串柿、〉 干物(○○)〈押鮎、干鯛、鮭、〉 生物(○○)〈雉、鯉、鹽鮎、〉 貝物(○○)〈蚫、〉 窪坏二坏〈肫裹、海月、〉 四種〈鹽、酢、〉 飯二斗汁 餛飩 汁物〈汁、鱒、鱠、雉羹、〉 追物〈莖立、裹燒、〉 立作物二折敷〈一枚、蘇甘栗、零陵子燒、一枚、鯉鱠、指鹽、辛虀、〉
p.0265 干物(○○)或稱二乾物一(○○) 干鳥 楚割 蒸蚫 燒鮹 或干物四坏、内用二鯛平切一、
p.0265 一保延二年十二月日、内大臣殿〈○藤原頼長〉廂大饗差圖、〈○中略〉 穩座肴物〈樣器土高坏、繪折敷、○中略〉 干物(○○)八種 蒸蚫〈放レ耳刊上、廻盛不レ切、〉 干鳥〈不レ切、引渡盛レ之、〉 楚割、并鯛、鮭、〈各切、長八寸、引渡盛レ之、〉燒鮹〈刊裹長切八寸引渡盛レ之、〉 大海老〈乍レ丸引渡盛レ之、〉 生物(○○)八種 鯉〈九寸許ノヲ、本ノ尻ヲ短尾ニ切〈天〉、乍レ丸引渡盛レ之、〉 鮨鮎、并煮鹽鮎、〈以上引渡盛レ之、〉 雉〈別足引垂、引渡盛レ之、〉 鱒、鱸、鯛、〈鯉定也〉 蛸〈切長八寸、引渡盛レ之、〉
p.0265 五種削物〈蛸、鰻、蚫、鰹、干鯛也、〉
p.0265 五種削物 蚫、鰹、鯛、雉、鮹、〈蛸一云烏賊〉
p.0265 削物者、干鰹、圓蚫、干鮹、魚躬、煎海鼠、
p.0265 調備故實 干物〈削物〉 干鳥 雉ヲ鹽ツケズシテ、ホシテ削〈天〉供レ之、 楚割 鮭ヲ鹽ツケズシテ、ホシテ削〈天〉供レ之、 蒸蚫 蚫ヲ蒸テ、ホシテケヅリテ供レ之、 燒蛸 蛸ヲ石ヲヤキテ、ホシテ削〈天〉供レ之、 干鯛 平切〈天〉供 レ之、 〈裹書〉干鳥ソハヤリナキ時、カツヲヽモル、ソハヤリヲナジ アハビタコナキ時、イヲノミヲモル、 ヤキダコヲナジ
p.0266 一このみてまいるべき物〈○中略〉 五しゆのけづり物〈ほしとり、ひだい、あわび、かつほ、いりこ、〉
p.0266 一夏肴くみ之事 五種削物如レ此もるなり 白 靑 四季同 赤 黄
p.0266 一向の菜は、五種の削物(○○○○○)、燒鳥、からすみ、數の子などを、龜甲又は土器に高立して盛也、又具足餅の時は、大根の香の物、田作、甲の大豆を用ゆ、
p.0266 中納言奉り給へる物どもをとりよせて見給へば、〈○中略〉ひとおりびつ白きものをいれたり、いま二にはえび丁子を、かつをつきのけづりもの(○○○○○)ゝやうにていれたり、
p.0266 三日京極殿北政所御忌日事〈○中略〉僧前一前〈下家司〉 四種物〈深草六寸盤〉 居二切机一〈有二覆布二丈一〉 干物〈海松、靑苔、煎餅、河骨、〉 生物〈荒布、牛房、瓜、蕗、〉 窪坏物四種
p.0266 四種器 酢 酒 鹽 醬 或止レ醬用二色利一 〈裹書〉色利煎汁、イロリトハ、大豆ヲ煎タル汁也云々、或鰹ヲ煎タル汁也云々、
p.0266 一保延二年十二月日、内大臣殿○藤原賴長廂大饗差圖、〈○中略〉穩座肴物、〈○中略〉 四種〈酢 鹽 酒 醬〉 在二箸臺一〈箸匙○中略〉 四種坏〈口徑各二寸〉 箸臺〈口徑五寸、二方折立端、〉 已上、深草土器用レ之、
p.0267 四種ハミソ、シヲ、ス、サケ也、近代ハ酒ヲ略シテ蓼ヲ用、タデナキ時ハ、ワサビ、ハジカミ、ミソ蓼必説レ酢也、
p.0267 一女房ノ中ニ酢ヲ御シスト云フ心如何 御膳ニ四種ト云フ事アリ、味曾鹽酢酒ノ四ナリ、此レヲバヲノ〳〵一器ニ入テマイラスベキナリ、今ノ世ニハ四種カナラズシモ器ニイレズ、或ハタヾ四ノスミニ一ヅヽ器バカリヲヲキテモアルベキニヤ、或ハ酒ヲ略シテ、蓼モシハ山癸ヲイルベシト云フ人モアリ、又味曾モ蓼モカナラズ酢ヲ入ト云々、四種ニ酢ノム子トアレバ、スト云ハンモヒタハタシノユヘニカクシ題ニテ、スヲ御四種ト云フナルベシ、
p.0267 もりもの 盛物と書リ、侍中群要に小盛物見ゆ、大盛物も見えたり、御厨子所下物四種、近年稱二小盛物一とも見ゆ、
p.0267 一もり形の名 輪かくもりかはらけ まはしもり杉なり也 ひめもり ほやもり >いてふもり
p.0268 調膳樣事 飯ヲバ、カタウツケズシテ丸ラカニ可レ盛、四種器不レ可レ入物 高盛 平盛可レ有二高下一 菓子 高盛程也 餅 四破ニシテ盛レ之、定時也、又調二小餅一〈圓形〉盛レ之自二上古一常事也云々、又樣々切盛交菓子之外不レ可レ然、近代他菓子各雖レ盛二一種一、限レ餅盛二二合一、甚無二其謂一事歟、
p.0268 一女中方の食は、常も七ツ定器、五ツ定器には、食を大飯にかさだかに盛也、汁も再めされぬゆへかさ高に盛也、菜もつまみ盛とてかさ高に腰高に盛也、御膳すへる時、何方を参候哉しれぬ樣に介添箸にて直し申也、添食籠とて、食の入たる食籠を臺にのせ出す、是に有食をかさへ分てまいらする也、大飯にははしをつけ給はぬなり、
p.0268 一魚ノヒレ可レ參事、鯉ノヒレニハ杉サシノヒレヲ第一賞翫ニ申傳、此ヒレニ名餘多有事、ナレドモ尊者ノヒレ杉サシノヒレト名付タルヲ、當流ノ秘事トセリ、是忝モ神秘也、可レ秘可レ秘、彼ヒレ盛物ノ上ニ置事大事可レ成、天子或京鎌倉ノ將軍、セメテハ攝政關白ナド迄ハ、同前ニ可レ盛也、ヒレ一ナレドモ、置樣ニヨリテ過分ナラバ罰ヲ可レ蒙ト見エタリ、口傳、何ニモ此ヒレヲバ手ヲ付テ聞召サバ悉參ベシ、不レ參ハ一向ニ押除テ不レ可レ參、殊ニ盛樣ナドヲ賞翫シテ盛テ參ラセバ、其心得一廉有ベシ、何ニテモ毎物ニ盛樣ヲ賞翫シテ參スル時コソ、過分ノ至トハ、亭主ニモ御禮有コトナレドモ、右ノ樣ニ仕立ヲ能拵テ參ラスル人モナシ、喰知人モナクシテ、此道徒ニ成行事トモ可レ成、今ノ世ニハ參物ヲ多拵テ參ラスレバ、ソレヲ過分トノミ心得候、然間彌道ハ衰果テ可レ行哉、
p.0268 内宴 先御四種〈女藏人、各坏居二御盤一供レ之、陪膳傳取居二東御臺盤巽角一、〉次餛飩索餅、〈居二前端索餅一、昆屯西、〉次蚫御羹、〈居二四種御器北一、以二御盤一撤二索餅一、〉次盛物(○○)汁物等、〈盛物居二馬頭盤右一、汁物居二右方最端一、〉
p.0269 たかもり 高盛也、ひらもりは平盛なり、進物所御厨子所ともに、江次第に御菜とみゆ、
p.0269 内御方 晝御膳 高盛七坏 平盛一坏 御汁物二坏〈土器〉 燒物二坏 已上魚味、盛二土器一以二内膳司所一レ進、〈近年日別蚫二連添レ之〉當旬番衆於二御厨子所一請二取之一盛進也、但六齋御齋會最勝講佛名等日、高盛精進各四種、〈内膳司所進、近年添二和布一、〉居二交之一、
p.0269 朔日ノ椀飯ハ管領ヨリ參、遠侍ニハ高盛物(○○○)二アリ、一ニハ波葉、一ニハ螧也置鳥置鯉アリ、椀飯奉行直垂ニテ出仕、
p.0269 皇太子加二元服一事 皇太子將レ加二元服一、〈○中略〉供二奉威儀御肴一、〈夜中坊官率二僚下一立二厨子一、供二威儀菓子干物一、平盛(○○)也、〉
p.0269 移徒作法 康治二年七月十一日丙寅、前齋院〈統子、一院御女、〉三條殿移御、〈○中略〉紫端八帖二行相向敷〈天、〉爲二殿上人座一、黑柹机平盛饗也、
p.0269 供二御藥一事 正月元日早朝供二奉屠蘇御膳一事、猪宍二盤、〈一群、一燒、〉押鮎一盤、〈切盛置二頭二串一〉煮鹽鮎一盤〈同切置二頭二串一〉但御器者度二於内膳瓷盤四口一、
p.0269 供二御藥一 押鮎一坏〈切盛置レ頭〉
p.0269 一海老ノ船盛ノ事、料理ノ物ナルベシ、然間貴人一御前ナド計ニテ、殘ハ只ノワリエビニテ可レ然哉、
p.0270 一海老に、舟盛、ひけ盛、廻り盛と云口傳有
p.0270 一海老のふなづみ(○○○○○○○)の事、本膳にもあれ、二三の間にもあれ、集養はおなじ事也、先ゑびを臺共に右の手にてとり、我が前にて左の手をそへて、いかにも〳〵かんずる心もちをして左の手に取、右の手にてほづなをはづし、海老の頭のかたへかけ、我が右の方のたゝみにをきて、しばらく座中をみあはせ、よきころにほばしらをぬきて、ほばしらさきにてゑびのみをさして、左の手にてぬき、右に又とり、ほばしら持たる手にて集養あり、其後ほばしらをはさみかけて、海老の上にをき、いかにもたべたき程手にてたべべく候、扨よの手の物にはちとかはり、しばらく我前にをきて、膳のくだり候時、膳の中をく也、
p.0270 一甲盛と云は、大蟹の甲を仰けて、燒蟹を中に盛也、
p.0270 一カザメ(擁劔)ノ事、可レ盛カタチ流ニ餘多有哉、雖レ然當流ノコトハ各別也、是ニ龜足ナクシテハ、假初ニモ御前ヘ不レ可レ參、甲ニ盛ベシ、若カザメノ甲ナクバ、土器ニ可レ盛也、當世折敷ニ取雙テ參スル不レ可レ然事也、
p.0270 一姫盛(○○)といふは、荒和布を盛たるを云也、
p.0270 一花盛(○○)と云は、色々に染て合せて盛を云、
p.0270 一沈盛(○○)と云は、鮫魚の干物を削て、土器に盛て出す也、沈香に似たる故名とす、
p.0270 一うす盛(○○○)といふは、巻鯣を盛たるをいふ也、
p.0270 一鮎のほうらいづみの集養の事、のぼり鮎の時は、かしらを取おろし候、そのまゝいたの下にそへをく也、くだり鮎のはうらいづみの時は、うをの頭をはしにはさみ、魚のをのかたへむけてをき、魚のをゝ右の手にて取を集養有て、殘りたるは本膳の前にをき、魚のみをばはしにてくふ也、のぼり鮎もくだり鮎も、鮎は本膳にむき候、
p.0271 うづらの羽ぶしもり(○○○○○○○○○)の拵樣の事、本膳の中にくむ事あり、集養はおなじ事也、食をたべ候時は、鶉をばたべぬものにて候、食くいはて候へば御銚子參り、おの〳〵ひざを立られ候、時宜にて候に御酒三べん參りてより座中を見合、右の手にて鶉のだいを取あげ、左の手にそへて、鶉の左の羽がひの下をみる心もちして、又もとのごとく鳥のはしを我が前になし、鶉のくゞみたる花を右の手にて手折、左にもちたる鶉をばすこし持さぐるやうにして、花を先かんずる也、其後本膳と二膳のあいだ、まへのたゝみのかたへ花をおき、扨鶉のだいを、右の手にて、取て、これも我右の二膳の前のたゝみにをき、左の手をばつきて、右の手かた手にてをくなり、軈而左の手を鶉の臺に添て、右にて鶉の左の羽ぶしをぬきやりて、臺のあたりへをく、さて又羽の内にいか程も集養ありたきほど、鶉もりたる身の右の手にて取おろし、羽の上に置て、其後又鶉の臺右の手にて取、左の手にすへ、能々かんじ、右の手にとり渡し、本の前にすゆる也、扨羽ぶしに置たるさかなを、右にて取左の手にすへ、右の手にて集養有也、又以前の所へをきて、御酒のあいだは幾度も集養あるなり、扨又御湯あがりはしをおき候て、しぜんうづらのみ殘り候はゞなにとなく本膳に羽よりこぼし、扨又鶉の羽を右の手にて鶉にかぶせをく也、其後右の手にて花を取、少ほうびしてかくやうにして懐中する也、
p.0271 記云 晝御膳〈長日次第歟〉 御厨子所レ備 高盛四坏 平盛二坏〈已上銀器平盤〉 窪器物(○○○)二坏〈銀器坏〉
p.0271 窪器物 海月 老海鼠〈或稱二保夜一〉 牟々跂裹 鯛醬
p.0271 調備故實 窪器物〈醬類也〉 海月ハ、或説云、酒ト鹽トニテメデタクアラヒテ、方ニキリテ、鰹ヲ酒ニヒタシテ、其汁ニテアフベ シ、酢イルベシ、キザミモノ〈ハジカミ〉イルベシ、キカハトテ橘皮ヲモサス也、故實晴時ハ、タヾ細ク切テソクヒニテ打違〈天〉盛レ之、 老海鼠ハ、或保夜ヅクリカサネテモルベシト云々、或説、方ニツクリテモル、或老海鼠醬云々、無二老海鼠一之時ハ、蚫醬鮨蚫ヲモチイル、 牟々跂裹、雉ノモヽキヲ醬ニシテ、ツクリテモルベシ、 鯛醬ハ、ツネノゴトシ、 モヽ(裏書)キコミナキ時、生イヲノアカミヲタヽキテモル、鳥ノクビノ皮ヲ、カヒシキノ樣ニキリテ、三方モリ、物ニヲシツク、黄皮ホソクキリ、ウチヽガヘテ、三方又上ニヲシツクベシ、 鯛ビシホナキ時、生魚ノミヲタヽキテモル、タヒノカハヲ三方ニ、カヒシキノ樣ニ切テ盛、物ニヲシツク、キカハヲナジ、
p.0272 一保延二年十二月日、内大臣殿〈○藤原賴長〉廂大饗差圖、〈○中略〉隱座肴物、〈○中略〉 窪坏物四坏〈老海鼠 海月 蟹蜷 細螺○中略〉 窪坏物坏〈口徑各五寸〉
p.0272 一今時逢萊の島臺とて、洲濱の臺に三の山を作り、松竹鶴龜などを作り、其の下に肴をもり置事、昔より有し事なり、これは風流の事にて、規式の事にはあらず、たゞ酒宴の興に出す也、又花鳥など作り物して盃をおく盃臺も有、今の世のごとく、祝儀には必蓬萊を用ると云法はなし、東鑑卷四十九〈正元二年〉四月三日庚子、晴、入二御〈○宗尊〉于入道陸奧守亭一、御息所御同車、〈○中略〉御息女御方に進二風流一〈造二逢萊一〉云々、又鎌田草子〈ニ〉云、君の是迄の御下向を一期のめんぼく、うどんげとぞんじ、當世はやるほうらいをからくみ、君をいはひ申さんため、ほうらいのしたぐみにうをとしかとの入事にて候へば、五人の子どもをば、みかはの國あすけの山へしかがりにこし候ぬ、又うつみのおきにおほあみをおろして候、 一今世島臺と云ふ物、昔も有レ之、古は島形と云ふ、蓬萊も島形の内なり、洲濱形〈○圖略〉如レ此に臺の板を作る、海中の島のすその海へさし出たる形、右の圖の如くなるを洲濱と云ふなり、されば島形とも洲濱がたとも云ふ、其上に肴を盛る也、かざりには岩木花鳥などを置く也、〈○下略〉
p.0273 蓬萊島臺洲濱 島臺は蓬萊の島のつくりものゝ臺なればさいふ也、洲濱など同物也、紫式部日記傍注本下卷〈五丁方〉に、御前に扇どもあまたさぶらふ、中に蓬萊つりたるをしもえりたる心ばへあるべし云々、洲濱は同上卷〈三丁方〉に見ゆ、
p.0273 内野行幸 初獻の御かはらけ御氣色あり、三獻には天盃天酌、五獻には盆香合御進上、七獻には御劔御進上、とり〴〵御肴、くだ物、あつもの、金銀の作花、折臺の物(○○○)には、蓬萊の島に鶴龜のよはひ松竹のみさほなど、行末の千年をいはひそなへたる物也、
p.0273 行幸 御會〈○天正十六年四十六日和歌會〉のけしきいとゆゝしく、披講畢て主上入御ならせ侍りけり、かくて各御膳のゝち、とり〴〵の御酒宴さま〴〵の臺之物折などかず〳〵にして、夜半の鐘聲殿中に入しかば、咸退出之御暇給りけり、
p.0273 慶長八年四月六日、御くわいあり、御人じゆ、せうかうゐん殿、めうほうゐん殿、しやうごゐん殿、このゑ殿、う大辨、にしのとうゐん、あすか井、六でうなり、しゆひつゐのくま也、御ほつく、めうほうゐん殿にて、おり、だいのもの(○○○○○)、御たる參る、夕く御參る、はてゝくもじ參る、
p.0273 春 〈高砂あいきやう〉 おさへ〈かきつばた、からすみ、〉 夏 浦島太郎 おさゑ〈かうほね、こんぎり、〉秋 〈慈童きくすい〉 おさえ〈雲かさね〉 冬 孟宗 おさへ〈水仙うは〉
p.0273 相撲召合 三四番間供二御膳一、〈○中略〉次小腋物、〈居二一御臺一〉
p.0274 一折の物(○○○)と云ふは、折に酒の肴をもりて出す也、〈折の事は前に記す〉
p.0274 一折と云ふは、木を折わげて箱にするゆへ折と云、足を折に直に打付る事はなし、折に合せて臺をして、臺に足を付る也、ふたも釘にて打付る事なし、臺よりふたの上へ水引をかけて結ぶ也、蜷川記に云く、御折は三獻め五獻めより參候而可レ然候、乍レ去獻數少き時は二獻めよりも參候、きそくの物には箸はすはらず候、〈折の内にもりたる物、きそくさしたる物ならば、箸をすへざる也、きそくの物はきそくを以て人に遣す故也、〉又樣體によりすはり候事も候、しばりをばかげにてとき候て持出候也云々、しばりとは水引にて折を結びたるを云ふ也、今時折と云は、折に直に足を打付けふたをも釘にてしめ、削り花をふたの上にさす也、是は古は折といはず櫃物と云ふ也、〈折に金らん段子くつわなど入る事、進物の部に記す、〉今時折一合といふを、折二ツの事と心得たる人あり、あやまり也、折にかぎらず唐櫃なども一合と云ふは一ツの事也、すべて箱類をば一合二合と云ふ也、
p.0274 一とり居といふは、土器に檜葉南天の葉など改敷にして、肴を盛土居に据るなり、精進のときは梅漬のりの類抔也、是をかはらけのものともいふ、
p.0274 一かはらけ物と云ふは、大なるかはらけに酒の肴をもりて出すを云ふ、今時鉢に肴をもりて出すに同じ心也、〈土器にもりたる肴を二ツも三つも一ツの臺に居て出す也、陪膳記に見えたり、〉
p.0274 大酒の時の事〈同殿中一獻の事○中略〉 一貴人へ折土器の物(○○○○)に有肴取てまいらする事、敬人には人によりて酙酌有べし、又若き人などは何とやらん似合候はず候、ちと年もふけ故實がましき人可レ然候、人のくひよさそう成物をまいらすべし、何れも大なる物よろしからず、又貴人へまいらせやう、肴をはさみたる右の手に、左の手をそとそへて、我揔の身をちとしづむるやうの心にてまいらすべし、又折土器の物などを あなたこなたへ持てありくはわろし、又末座へ出たる物を、貴人の御前へ又まいらするはしかるべからず、
p.0275 公方樣諸家へ御成の事 一一獻の時、折土器物出候事、五六獻めよく候、乍レ去三四獻めに出候而も能候べし、時宜によるべし、又土器の物きとしたる時は、古は出候はず、近年御前などへも參候、
p.0275 一かはらけの物、二ツだての時は、左はやき鳥、右はきりかまぼこ、しぜんしやうじんと魚とをもる事もあり、 一しやうじんと魚類の時は、しやうじんは左、魚は右、しやうじんと鳥とをつがふ事あるまじく候、 一かはらけの物、盛物には小串の物、かまぼこ、たゝみずるめ、まきいもよし、くろに、ふとに、小ゑび、此内一いろもる也、是にはしやうじんつかひてもくるしからず、 一かはらけ物三ツだての時は、臺のはゞながさはかくのごとし、をきやうりやうしてこしらへべく候、〈○以下二行缺損〉 かはらけの物はしのをきやう、三ツだてにも、二ツだてにも、繪圖の如く置也、 一かはらけの物、高六寸たるべし、 一かはらけ三ツだての時は、あひの物たるべし、あひの物とは、三ど入よりすこしほそく、平かうよりはふとし、 一かはらけの物二ツだてのときは、五斗入たるべく候、 一かはらけの物盛樣、中をあけ候て、まはり計候事わろく候、中にはひばをつかみて、外にいで候はぬやうに盛る也、扨盛たて候て、上一寸ばかりをば、その物一いろにて、ひばをもしかず盛なり、 一かはらけの物かざり樣は、二ツだての時は、一ツには、しべあるべし、勿論金銀たるべし、とんぼうしべたるべし、是もみがくべし、しべは魚のかたにあるべし、しやうじんにはつげ、又はびむろひば、ひの木、又菊などもさし候、其時は菊の葉をもさし候、しべには露有間鋪候、草木の葉をさしたる時は、露をはくにてをき候、花には露を置べからず、 一かはらけの物、三ツだてのかざりやうは、中のかはらけの物はしべたるべし、もろこき也ともかたこきなりとも、此内一ツ用る也、左右のかはらけには草木をさし候、これも一ツ草木はさゝず候、かへてさし候、又とんぼうにむけてさし候、はさみ樣は二てふのごとくはさむべし、
p.0276 從二永正十三丙子一、至二同十七庚辰歳一記録事、 七月九日 一御土器物一膳、柳三荷、〈同前○例年進二上之一〉 寶鏡寺殿
p.0276 一一獻の時は、先折を出、其後かはらけもの(○○○○○○)を可レ出候、此後くぎやうの物たるべく候、
p.0276 慶長八年四月六日壬辰、殿中ニテ御能有レ之、冷父子、四、同道參了、辰下刻相始了、御出座、予、六條相公、鳥丸辨、冷千壽、堀川入道、水無瀨羽林、藤侍從、堀川侍從、極﨟等也、其外武士大名僧俗群集也、四番已後別座飡有レ之、後刻盃出了、折四合、土器物(○○○)出了、
p.0276 當世引物ト云物ヲ、腋ノ膳五ノ膳ト心得給コソ不思儀ナレ、飯參リテ扨土器一ニ、皮イリニテモ何ニテモ盛テ參ラスルヲバ、一物ト可レ申也、土器一ニ何ニテモ盛テ、御回リニ計組テ參スルヲバ、引物ト申也、若腋ノ膳五ノ膳ナドヽテ參セバ、御汁計ニテ御回リモ數有ベシ、今ハ如レ此ノサカイムサ〳〵ニテ其記ナシ、
p.0276 引物にも三樣在、折は右に置て盛也、公卿の物は左に置て可レ盛也、土器の物は中 ほどに置て盛べし、條々口傳、
p.0277 一引物五ツ目迄有は、是も給樣湯漬と同前、汁有物ならば吸候て箸を取直し、みを給ものにて候なり、
p.0277 人の相伴する事 一人前にて飯くひ候やう、〈○中略〉年寄たる人は、鴈のかはいり、くゞゐ、くじらなどの珍物の引物などに候をば、取て大汁の上に置てもくひたる能候、若人は不レ可レ然候、
p.0277 光嚴院延元丙子二月十四日迄 一九日戊申、左大臣樣〈○藤原經忠〉御成、〈○中略〉午ノ下刻御膳出ス、御汁、〈ツマミ大根ニトウヘイヲウチ〉御食、仁物、〈アカヾヒウヅラ、〉ナマス、〈ウド、フナ、クリ、〉ヤキ物、〈生ノサハラ、〉御引物、〈ヤキシホ、イセエ、ウリツケ、〉
p.0277 院御所〈○靈元〉九條殿〈○輔實〉亭へ御幸御内々之御獻立、 御引物 御やき物〈生小鯛かけ汁せうが〉 御皿 〈うづらひたし〉 御吸物 〈にしのり〉 御重肴 〈花いかしゐたけ〉 御鉢肴 〈赤貝切重〉 同 〈ひたしくこ九年母〉
p.0277 元日宴會〈御忌月并不二出御一儀〉 居二臣下飯一〈大炊頭率二内豎一役二送之一〉 居二汁物一〈大膳大夫率二内豎一役二送之一、〉 居二追物一〈謂菜也〉
p.0277 七日節會 次給二臣下飯汁追物一
p.0277 日貢御膳 御菜十種〈○中略〉 御汁一坏 追物二種 以上小預勤レ之、各居二平御盤一、日別三ケ度也、
p.0277 諸女院御方 日貢〈○中略〉 御汁物〈土器〉 追物〈不レ供レ之云々〉
p.0278 追物〈燒物〉 雉足〈以二薄樣一裹レ之〉 零餘子燒〈同差物〉 鯛面向
p.0278 温汁 汁實ベチノサラニモリテ、追物ニ居クハヘテ供レ之云々、
p.0278 人々羞二酒飯一儀 汁二、折敷、各追物、或四種或二種居加テ、一番折敷ヲ第五高坏ニ取居ベシ、次折敷ヲバ第六ノ高坏ニ可二取居一也、追物二折敷ノ内、精進二種必可レ有レ之、追物ハ時々珍物也、春ハ鳥ノ引垂ヅヽミ、鴫ツボ、〈間夏モ有レ之〉鯉ノナマス、ナマヒヲ、夏ハエユノ敦作、ムシアハビ、〈マロアハビニテモ切盛レ之〉秋ハ此上スズキノナマスヲ可レ加也、其時鯉ノナマス不レ居也、
p.0278 一宇治平等院御幸御膳〈元永元年九月廿四日、大殿被レ下御日記定、○中略〉 三寸五分樣器〈○中略〉 追物八種〈樣器春日〉
p.0278 一聟娶御前 臺三本〈普通定○中略〉 九進、酒銚子、第二三日ニハ不レ進二五菓子一、例菓子進レ之、又進二追物一、〈時美物八種計也〉
p.0278 一母屋大饗 永久四年正月廿三日、内大臣殿〈○藤原忠通〉母屋大饗饗應差圖、〈○中略〉 追物、鮒裹燒、莖立、鳥足、汁膾、此四種也、
p.0278 仁安二年四月廿六日癸巳、故殿〈○藤原基定〉御月忌也、〈○中略〉先中門廊二行對座、敷二紫縁疊六枚一、居二懸盤饗五前一、〈○中略〉次二獻季經朝臣、賴輔朝臣、次立レ箸居レ汁、〈折敷有二追物一、侍僧等役レ之、〉
p.0278 おさへもの 酒宴の後押物とて出る、又食籠を座敷に置て押物の代とする事ありとぞ、
p.0279 一押物とは、花鳥山水の形などの作り物の臺に、酒の肴もりて出すを云ふ、
p.0279 一をさへの物といふ事、いろ〳〵のさかな出つくしてのち、まへのさかなどもををさへて、今一こん申たきといふ心なり、同又じぎにより、にはかなどのとき、さかな調法なきのとき、をさへのものを出して參る事もあるべし、一通にはあるまじく候、何もじぎによるべし、大かた先はじめに出事は、まれなる事にて候、しぜんの儀なり、よく〳〵あひ心得べし、 一をさへの物と云事、すわまがたなど、又はぢかみなどにして、いはくみなどのていをして、さてしゆ〴〵のさかなをもるを云也、らつちや、とうちんかうなどをももるべし、盃のていの心得に大にしてさてさかなをもり、はしををき候て出すををさへの物と云也、大小は又座敷によるべし、何も盃のだいよりは大きなるべし、
p.0279 おさへの物と云ふ事、臺に盃は置ずして、色々肴を盛、箸を置出し申なり、肴の引樣供饗のもの同前、常に肴を引候時、賞翫にて候へは、折供饗食籠いづれも肴の臺共に持て參り、挾候て參候なり、同輩より以下へは臺をよするに不レ及、肴ばかりはさみて出し申ものなり、何れも時宜ニよるべし、
p.0279 おさへ物と云事、色々の盃出し盡して後、前の肴どもをおさへて、今一獻申度と、樣々の肴の色を盛交出し參らする事も有べし、一篇には有間敷事なり、
p.0279 おさへの物と云ふ事、或はすわまがた、又いろ〳〵に岩くみなどの體をこしらへて、種々肴をもりて、はしを置て出し候を云ふなり、大小は又座敷にもよるべし、
p.0279 一一獻の時は、先折を出、其後かはらけものを可レ出候、此後くぎやうの物たるべく候、又おさへものは末つかたに出候、
p.0279 一ひやし物の事、なつはうりなど、又は何にてもすゞのはち、あるひはちやわんの物など に水を入て、ひやし候て出すをいふ也、 一大しゆになりて貴人御つまりありて、御さかなをといふとき、ひやし物などを出すときは、やがてもちて參りたる人はさみ候てまいらせ候てもよき也、同又座中の人たれにてもまいらせられ候事ももちろん也、よく〳〵心得べし、
p.0280 一夏など冷し物御肴に出し候事、是は獻々の肴の外にて候、茶碗鉢などに冷し候て出し候なり、けづり栗などの類也、かやうの物は持出たるもの挾候て參せ候なり、又座中の人參らする事も可レ爲二勿論一なり、 一冷し物の事、夏は瓜など又は何にても、すゞの鉢或は茶碗鉢などに水を入、冷し候て出す物なり、
p.0280 一ひやし物などのたぐひは、本式の肴にはあらず候なり、亂酒などの時あるべし、 一ひやし物とは、夏冬ともに有レ之、或はかたふるなどをちやわんはちにひやし候て持て參候なり、かやうの時は持て出たるものはさみてまいらせる事も勿論なり、
p.0280 冷し物 大こん、うり、なすび、はす、黑ぐわい、りんご、もゝ、すもゝ、あんず、くり、なし、此外いろ〳〵時の景物よし、
p.0280 だし 垂汁の義、又煮出の義、
p.0280 鰹ぶしを味に用る事、いつよりありつるともしらず、古へには沙汰もなきことなりけり、然而延喜式大膳式に、鰹の汁幾
と出文、宇治拾遺物語に、みせんといふもの見えたるは、文字をいかに書とも知れざれども、事のさま、今いふ水出しの樣におもはれたり、
p.0280 煎汁 薩摩より出る鰹煎汁を、外の國にてはニトリ(○○○)といふ、薩摩にてはセン(○○)といふ、和名抄に煎汁とあ れば古語なりと、忍池子の話、〈九月初三〉
p.0281 だしは かつほのよきところをかきて、一升あらば水一升五合入、せんじあぢをすひ見候て、あまみよきほどにあげてよし、過候てもあしく候、二番もせんじつかひ候、精進のだしは かんへう 昆布、〈やきても入〉ほしたで、もちごめ、〈ふくろに入に候〉ほしかぶら、干大根、右之内取合よし、
p.0281 寒汁實〈○中略〉 或説云、寒汁ニ鯉味曾ヲ供ス、コヒノミヲヲロシテ、サラニモリテマイラス、ダシ汁(○○○)〈或説イロリニテアルベシ、或説ワタイリノシル云々、〉ニテアフベシ、
p.0281 生垂(なまだれ)は 味噌一升に水三升入、もみたてふくろにてたれ申候也、 垂味噌(たれみそ) みそ一升に水三升五合入、せんじ三升ほどになりたる時、ふくろに入たれ申候也、
p.0281 煮貫(にぬき) なまだれにかつほを入、せんじこしたるもの也、
p.0281 煮貫は 味噌五合、水一升五合、かつほ二ふし入せんじ、ふくろに入たれ候、汲返し汲返三返こしてよし、
p.0281 いりざけ 熬酒の義、好酒堅魚節もて鹽梅を加へ作るものなり、もろこし人は甚賞して、彼土此味なしといふとぞ、酸酒と稱するものこれに似たり、
p.0281 煎酒の仕樣 一古酒三升 一醤油五合 一かつを一升、成程細く削、水にてざつと洗はかり申候、水にて洗不レ申は二升入也、右の三色能まぜ、すみ火のうへにてわかし、酒のにほひのき候までいり、大方にえ申時、いり鹽を入かげん仕候、又酢をも心次第加へ申候、何れもにえ申内にくはへ候、又梅ぼしを廿程も入候、かつを其まゝこして取申候、久敷置候へば、かつをくさく成申候、此煎酒ははやく出 來申候、 精進煎酒 古酒壹升あま口なる酒よし 一昆布二本、上々を細かに割む、一かんへう 右かんへう細に刻み、昆布のかさ〈半分、〉但かちぐりも入候、是は打くだきこんぶのかさ〈半分、〉一梅ぼし〈少は廿五、大は廿、〉右の内へ水壹升いれ、よくかきまぜ、炭火のうへにてそろ〳〵とわかし、本の酒一升のかさ程にせんじつまりし時、よき程鹽すくなくはあつき内にいれ申候、 同早煎酒 古酒四盃 一醤油一盃 一酢半盃 右三色合、炭火の上にて一淡にやし、其儘おろし、箸にてかきまはし、人はだにさめし時、又火にかけにやし右のごとくさます、かくのごとく三べんにやし候へば、いり酒に成申候、
p.0282 煎酒(いりざけ)は かつほ一升に梅干十五廿入、古酒二升、水ちと、たまり少入一升にせんじ、こしさましてよし、又酒二升、水一升入、二升にせんじつかふ人もあり、 だし酒(○○○)は かつほに鹽ちと入、新酒にて一あわ二あわせんじこしさましてよし、 しやうじんの煎酒は たうふをでんがくほどに切、あぶりて、梅干ほしかぶらなど刻入、古酒にてせんじ候也、又さけばかりにかけをおとしてもよし、口傳在レ之、
p.0282 煎酒急候時は、酒壹升ニかつほ二ふしだし五合入、あぢをすひ見候て、たまりくはへ出し候、梅干は酒壹升に六七入候て吉、鹽もたまりもよき比せんじ候て入候事に候、
p.0282 一海月之事、差ミ海月ノ時モ、醋ハクルミ醋(○○○○)ニテ參ラスベシ、アヘ海月ノ時モクルミ醋ニテアエテ可レ參候、花鰹能入ベシ、カラミニハ生姜ヲ可レ用也、
p.0282 一サシ味之事、鯉ハワサビズ(○○○○)、鯛ハ生姜ズ(○○○)、鱸ナラバ蓼ズ(○○)、フカハミガラシノス(○○○○○○)、エイモミガラシノス、王餘魚ハヌタズ(○○○)、 一イト鱠ト云ハ、鮒鱠ノ事也、〈○中略〉マナガツホハ蓼ズ(○○)ニテ可二參ラス一、總ジテ蓼出來ヌレバ、ナニ魚 ニテモ蓼ズ良也、
p.0283 山葵みそず(○○○○○)とは わさびをおろし、みそをくはへよくすりて、酢にてのべ申事也、 生姜味噌酢(○○○○○)とは 右同前 白酢(○○)は けしにたうふを入、しほかげんしてすにてのべ候、しらあへには酢をいれずよくすり候、
p.0283 鱠掛酢 一御膳酢 一三盃酢 一密柑酢 一柚ねり酢 一ぶだう酢 一九年母酢 一だい〳〵酢一いりざけ酢 一たまご酢 一かき酢 一たで酢 一芳野酢 一けし酢 一胡麻酢 一ねり酒酢 一靑梅酢
p.0283 加藥 加味(ミ)
p.0283 藥味(ヤクミ)
p.0283 四種ハミソ、シヲ、ス、サケ也、近代ハ酒ヲ略シテ蓼ヲ用、タテナキ時ハ、ワサビ、ハジカミ、ミソ蓼必説レ(トク)酢〈ニ〉也、
p.0283 食物之式法の事 一しきの御肴にはじかみ(○○○○)、梅干、鹽などをすへ、きに入まいらする事は、〈○中略〉はじかみは物のあぢはいをよくする物也、きこしめす時あぢはいわろき時は、入てきこしめせばよきとの心也、
p.0283 鶴頭〈カウトウ、橘名也、〉
p.0283 鴨頭(アウトウ)
p.0283 吸口(スヒクチ/○○)
p.0284 靑き柚(ユヅ)を小くけづりて香に入るを、古はかうとうと云、鴨頭と書なり、靑柚(アヲユ)の皮の汁の中に浮たる體、鴨の水に入て靑き頭を出して浮たるに似たる故なり、今はすい口といふ、 〈頭書〉鴨、玉篇ニ鳥甲ノ切音アフナレドモ、俗ニカフトヨミ來レリ、 太平記卅五ノ卷、湯川の庄司が宿の前に、作者いもせの庄司と書きて、宮方の鴨頭(カウト)になりしゆの川は都に入りて何の香もせず、右落首は湯の川を柚の皮に取なしてよめり、
p.0284 口頭、湯河莊司が宿の前にある落書、太平記南方蜂起條に、宮方の鴨頭になりしゆのかはゝ都に入て何の香もせずとあり、湯河を柚皮にとりなしたり、猿樂の狂言、すゞき庖丁にも、ゆのかうとうと云ことあり、これ今いふ吸口なり、
p.0284 一參ラセ物ノ上ニ置カウトウノ事、香頭トモ申、
頭トモ申也、文字ニ書時兩説有、口傳、白鳥菱喰鴈ナドノ皮入ノ時ハ、ヘギ生姜ヲカウトウニ可レ置、萬美物ソシメ匂有、夏ノ時分ハ柚ヲヘギテ可レ置、是物ノ匂ヲ爲レ可レ粉也、當世吹口ト名付テ、万ノ毎物ニ香頭ヲ入ルコト、如何ナル仕立ゾヤ、非二當流一不レ可二承引一、
p.0284 吸口の事、鱈は山椒、雁鴨は胡椒、雉子はわさび、うしほ煎は柚也、しやうが本也、
p.0284 一生鶴料理の事、〈○中略〉すひくちは柚を入て吉也、 一眞雁料理之事、〈○中略〉吸口胡椒なり、
p.0284 一引渡に組付る橘皮は柚の皮の事也、又陳皮をも割て土器に盛出す也、四時の邪氣を除との事也、 一同生姜を組付る事は、穢の氣を去との事也、此ゆへに用ゆ、
p.0284 かきだい 鯛を三枚におろしこそげて、かさねもり候、いりざけよし、からしをく、けんはよりがつほ くねんぼ みかん きかん
p.0285 獻立(コンダテ)
p.0285 こんだて 獻立、こんだててふ、菜帖、
p.0285 こんだて 獻立と書り、酒に一獻二獻といへば、下酒の物を主としたる詞也、韋居聽輿に、食牌といふ是也といへり、朱子の語也、
p.0285 食檄 膳夫録曰、弘君擧食檄有二麞
、牛
、炙鴨、脯魚、熊白、麞脯、糖蟹、車螯一と、食檄は今の獻立のことなり、
p.0285 庖丁家の獻立といふことは、膳夫録曰、弘君擧二食檄一といふことあり、是獻立のことなり、
p.0285 王侯家ニ日用三度ノ厨饌ノ食品翌朝ノ饌ニ充ベキヲ、前夜ニ豫メ黄漆板ニ書シテ、贄御(ヲソバ)ノ臣ニ判ヲ乞ヲ、君ニ白シテ其食ント欲スル食品ヲ板上ニ點竄シテ、宰夫ニ命ズルヲ獻立ト云、是ヲバ食牌ト云ベシ、陣直ガ韋居聽輿ニ曰、温州蕭震、少夢神人告以三壽止二十八一、至二十七一從二父帥一レ蜀、蜀俗主帥大宴、例進二玉筋羹一、毎取二乳牸一、鐡筋鑽二其乳一而出レ之、乳凝二筋上一以爲レ饌、蕭偶至レ庖見二縶牛一、叩知二其故一、丞白レ父索二食牌一、判免二此味一、又乞增二永字於其上一、已而シ復夢、有二陰德一不二獨免一レ夭、可レ望二其頤一(ナガイキ)、果至二九十餘一ト、此食牌ノ事ヲミレバ、今獻立ヲ豫メ書シテ判ヲ乞ニ同キナリ、
p.0285 獻立書樣(○○○○)之事 祝言の時は、獻立と口に書、二三引而吸物肴菓子後段までそろへて書なり、皿付は右のわきに少さげて書也、獻立より終の書留まで重行に書べし、 愁の時は、月何日之齋非時膳部と書也、二三引物等まで上に書、其下に品々を書なり、
p.0285 新任饗〈主人暫著二親王座一〉 雖レ非二太政大臣一、猶有二樣器一 一獻〈主人執レ之經二座後一〉 敷二主人圓座一、立二主人机一、〈地下四位下、勸二盃於外記史座一、〉 二獻〈非參議三位、若殿上四位執レ之、〉 撿非違使著二庭中一 三獻〈殿上四位執レ之〉 居レ飯居二汁物一〈汁鱠〉 鳥足箸下〈檢非違使退去〉 四獻〈以下、公卿取レ之、雉別足、〉 莖立 生蚫 五獻 獼猴桃 枝柿 仰録事 先弁座料、殿上四位五位各一人〈敷二圓座一〉次政官料、諸大夫二人、無二史生座一録事、歡盃非參議大弁 敷二穩座圓座一、公卿以下移、〈以後事如二常大饗一〉 或曰、非二攝關之家一設レ饗時、大納言以下猶設レ茵云々、〈此説可レ尋レ之〉 暑日羞膳次第 三獻〈汁膾 燒物〈小鳥〉 或水飯等交居〉 四獻〈宇留賀煎〉 五獻〈ra_ins032894"/>(タニ)以下或六獻後、鱗煎物鷄頭草、〉 隱座〈勸二削氷一云々〉
p.0286 一五節殿上饗目録〈保延元年、右衞門督家成、進二五節一時、玄蕃頭久長調二進之一、○中略〉 居物次第 初干物〈蚫 蛸 大海老 干鯛〉 次生物〈鯉鳥〉 窪器物〈海月モムキコ〉 次飯 次酒坏 次居器 次酒坏 次酒 次寒汁〈鯉ヨリ鱠〉 追物〈蒲鉾 鳥足 蠣 生蚫 細蜷 ヨリ鱠〉 次酒器 次〈熱汁 追物 小鳥 綿 零餘子燒 生海鼠〉 次酒盞 次菓子〈小餅 唐菓子 枝柿 小柑子 掻栗 野老 椿餅 甘栗〉 次署預粥
p.0286 執聟供膳 先箸匙〈乍レ居レ臺居レ之〉 次飯〈居二中盤一、在レ蓋、對二箸臺一居レ之〉 次四種〈酢、醤、酒、鹽、居二箸臺一、右汁燒物供此之、〉 次干物五坏〈對二四種一〉 次窪垸物四盃〈四種右居レ之、酒器居レ之、〉 次生物五坏〈對二窪垸物一〉 次餅〈居二箸臺左一〉 次木菓〈對レ餅〉 小垸〈分燒小土器居二中盤一、皆逆取出供レ之、〉
p.0287 一飯ノ獻立ノ事、本膳ノ中ニハ必不レ紛定事ニハナマス用處ニ、近代無二其儀一不レ可レ然、燒物ノ事ハ、本膳ニハ魚ノヤキモノ、二ノ膳ニハ鳥ノヤキモノ有ベシ、是ヲ本膳ニ雙テ、鷠ノ燒物ヲ置事、四條六條ノ日記ノ外成ベシ、不レ可レ有レ之子細也、メシノ大汁ニビブツヲスル事不レ可レ難、當流ニハ有レ之、次ニサハサラニ香物以下ノ物ドモヲ盛事ハ、廿餘年此方ノ事也、古ハ自然ヤキシホ山椒ナド少置タル歟、勿論ヤキシホナド不レ入トモ、只サハ皿ヲバ可レ置也ト云々、冷汁ノ事、美物ニ組添タラバ、精進ノ冷汁ナレバ上リ也、精進ノ汁ニ組付タラバ冷汁下ルベシ、但冷汁ヲアケテクメバ、バンノヲモテ見惡間口傳、
p.0287 膳部の三新の事 重き慶賀などの振舞に、膳部の本、二、三の膳中に三新といふ秘事あり、本膳に杉の木地の小角に香物を盛、二の膳に杉の木地の丸ものに敷味噌を盛、三の膳に杉の木地の地紙にさしみを盛る、是を膳中の三新といふ也、
p.0287 康平三年七月十七日癸卯、大饗〈○藤原師實任大臣大饗〉 納言以下 菓子二種〈梨栗〉 干物二種〈干鳥蒸蚫〉生物二種〈鯉雉代鱸〉窪坏物〈海月保夜代鮎兒膾〉 一獻〈立二主人机一〉二獻 三獻〈飯次〉 小鳥燒物 四獻〈鳥羹鴒〉 次鷄頭草〈莖立代〉 次鮎燒物〈裹燒代〉 五獻〈瓜菱 若栗 淡柿已上、粥甘栗代、〉次水飯〈湯漬代、立后大饗召レ之、〉 隱座〈削氷、薯蕷粥代、〉
p.0287 大永二年祇園會爲二御見物一御成之時、從二上平一御一獻ニ付而次第、〈○中略〉 獻立 一式三獻參 初獻 鳥 ざうに 五しゆ 二獻 ひや麥 御そへ物〈なまとり〉 三獻こざし(きそく金) たい くらげ 御ゆづけ〈たこ かうの物〉あへまぜ〈やき物 かまぼこ〉御ゆづけ〈このわた(おけ金だい繪あり) ふくめ鯛〉 二〈鹽引 からすみ〉にし〈あゆ くる〳〵〉御汁〈たい わらび〉 三〈すし さかな〈ます〉〉かい〈あはび〉御しる〈がん あつめに〉 よ 〈おちん いか〉くらげ 御しる ゑい 五 〈はむ ゑび〉さ しみ 御しる こい 御くわしあり よこむ(御さかな) 〈のし たこ うけいり〉 五獻 まんぢう 御そへ物〈ひばり〉 六こん〈しほびき まきするめ〉 かん 七こん やうかん 御そへ物〈さしみ〉 八こん〈はむ くる〳〵〉 ゑい 九獻 〈いりこ かいあはび〉 ひしほいり 以上 信直(下津屋三郞左衞門尉)〈在判〉 大永貳年六月廿八日 岩山民部少輔殿 右御一獻御足付五千疋、下津屋方え被レ相二渡之一、
p.0288 天文三年八月廿日、御屋形樣〈○足利義晴〉淺井備前守宿所〈江〉申入時之御座敷之次第、并獻立進物能組以下注文、〈○中略〉 一御獻立 式三獻 御ゆづけ 〈しほびき かうの物〉あへまぜ 〈ふくめだい たこ〉飯 〈やきふ〈さけ〉 かまぼこ(きそく金銀)〉 二 〈ひばり あはびしほ〉にし 〈すし こんきり〉 〈松だけしる あつめしる〉 三 〈このわた(金繪あり)からすみ〉さしみ〈くらげ〉 〈ひしくい たい〉 よ 〈くる〳〵はむ(さんしよ)〉 ゑい 五 〈うぢまるこぐし(金)〉 こち 御くわし九種〈きそくつくり花已下種々有レ之〉 一御茶まいりて以後、進上之御馬ヲ被二御覽一也、 一御肴之次第 初獻 〈五種鳥〉 ざうに 二獻 〈ゑびすし〉 こひ(にしの宮) 三獻 〈さゞい あをなます〉 くゞい よ獻 まんぢう 御そへ物〈たち花やき〉 五獻 〈さしみふか はらゝご〉 すゞき 六獻 やうかん 御そへ物〈うづら〉 七獻 〈くまひき かどのこ〉 はすいり 八獻 すいせん 御そへ物〈すきやき〉 九獻 〈けづりもの しぎ〉 あめ 十獻 御てんしん 御そへ物〈まながつほ〉 十一獻 〈のしはい(きそく金)〉 つる 十二獻 〈さしみ みかき〉 うけいり 十三獻 〈せんはんやき いもこみ〉 かん 十よ獻 いるか 十五獻 はまぐり 十六獻 ひしほいり 十七獻 くぢら 已上
p.0290 天正十六年卯月十四日、行幸之引付於二聚樂城一太閤樣御申、 初日御獻 小出播磨守御賄 初獻 〈すし〈金銀きそく〉けづり物〈かはらけしきしかみ〉〉 桶〈繪有金〉ぼうざう〈五と入輪金〉箸臺 二獻 〈かいあわび〈金〉からすみ〈しきし紙金〉〉くらげ〈いけばく〉鯛 三獻 〈とつさか〈しきしかみ金〉酢大根〉 まんぢう(御そへ肴くもたか) 同 余獻 〈かまぼこ〈きそく金かく〉卷するめ〈しきしかみ金〉〉ゑび〈船盛いけはく〉鴈〈かはらけわ金〉同 五獻 〈かたのり〈しきしかみ金〉すり物 同 きざみ物〉 蒸麥(御そへざかなさしみこい) 六獻 〈いか〈しきしかみ金かく〉はむ〈わ金〉〉 すし〈同前〉 鶴 七獻 一川物 鯉 以上 二日目 初獻 〈こさし〈何も金きそくかく〉はむ〈しきしかみ金〉〉 龜のかう〈金銀ノかう立〉 ぼうざう(五と入輪金) 同 二獻 〈桶〈金ゑ有かはらけしきしかみ金〉にし〈金きそくわ金〉〉 鳥〈きそく金〉 鯉 同(あいの物わ金) 三獻 〈きざみ物〈しきし金〉のり〈同〉〉 すいせん(御そへざかなありあいの物わ金) 余獻 〈からすみ〈かく〉かいあわび〈かいのわ金〉〉 さしみ〈眞がつほ〉 白鳥(あいの物わ金) 五獻 〈すり物〈しきしかみ金〉きさみ物〉 かたのわ むし麥(御そへ肴ほやなり敷十六枚) 六獻 〈くま引〈かく〉しほ引すし〉 酒ひて 鯉 同(あいの物わ金) 七獻 〈のり〈しきし金とつかさいけはく〉酢大根〈同〉〉 饅頭(御そへざかなさゞいあいの物金/五と入わきん) 同 八獻 〈まき鯣 桶かはらけ〈敷紙金〉〉 山椒鯉(金) 鶴〈あいの物輪金〉 九獻 一川物 鮒〈五と入輪金〉 同 以上 初獻(三日目) 〈こさし〈きそく金かく〉けづり物〈しきし金〉〉 ぼうざう(五と入輪金) 同 二獻 〈くらげ〈かく〉まきずるめ〈しきし金〉〉 とり 同(あいの物輪金) 三獻 〈のり〈金〉酢大根〈敷紙金〉〉 やうかん(御そへ肴櫻入五と入輪金) 同 余獻 〈海老〈敷紙金舟盛〉こんきり〈金〉〉 鯛〈同〉 五獻 〈あへみ〈敷紙金如本〉まめのこ〈同〉こめのこ〈同〉〉 つばきもり(御そへ肴ほやあいの物五と入金) 六獻 〈かざめ〈かくきそく金〉かまぼこ〈敷紙金切かまぼこ〉〉 くぢら(あいの物輪金) 同 七獻 一川物 鮒(五と入輪きん)〈同〉 以上 初日十四日御膳御湯漬民部卿法印御賄 一 〈鹽引食の物(敷紙金)〉 〈ふくめ〉あへまぜ〈すし〉 〈炙物〈ます〉〉御飯〈桶〈かうのまめゑ有〉〉 箸臺 二 からすみ(敷紙金)<ruby><rb>たこ同</rt></ruby> 鱠〈炙物 鯛くらげ(かくいけはく) あつめ〉 三 〈かまぼこ〉かい鮑〈さしみ鯉〉 〈山椒はむ〈何も金〉いか〉 白鳥 余 〈酒びてにし金(きそく)〉 いりこ 鯉 五 〈さゞい くし鮑〉 かざめ(いけはく) 〈すあまの臺〈たもくか〉うど〉 雁〈山ノいも入〉 以上 二日目御膳 山口玄蕃頭御賄 一 〈鹽引(かはらけ何も金)〉鱠鮒〈かうの物〉 〈すし いもこみ〉 御飯〈炙物〈かく〉〉箸臺〈桶〈金かく〉〉 二 〈からすみ はす〉 〈桶(何も敷紙金)〉さしみ鰡〈くらげ〉 〈鯛 鶴〉 三 〈ひだら 山椒はむ〉かんさう 〈鳥 かいあわび〈金銚〉〉こち 余〈酒びて にし〈金きそく〉〉かまぼこ 鱸 五 〈鴫羽盛かため(いけはく)〉 いか〈島の臺すあま〉 白鳥(あふぎ地がみ相金) 六 〈さゞいふ〉 鳥 鯉(いけはくきそく) 七 〈鱠 おけ〉くしあわび 鮒 以上 三日目 一 〈すし かうの物〉 鱠〈ひだら くらげ〉 御飯〈炙物たい いか〉 箸臺 二 〈
かまぼこ(かくきそく)〉 いりこ〈桶 かいあはび〈輪何も金〉〉白鳥 三 〈からすみ さかびて〉 さしみ鯉〈くしあわび まきずるめ〉鯛 余 〈桶〈金ゑあり〉桶〉さしみ鱸 雁〈くりふいれて〉 五 〈おしんゑび(舟盛いけはく)〉 のし〈あへて〉 鯉 以上 十八日御膳御すき 〈すし かうの物〉 鱠 〈からすみ ひだら〉 御飯 〈炙物 あへまぜ〉同 二 〈
かまぼこ〉かいあわび〈さしみ鱸 くらげ〉鶴うど入 三 〈まきずるめ さかびて〉 さしみ〈くしあわび おじん〉 鯛 余 〈桶〈からすみ〉桶〈かうのまめ〉〉 桶〈金銀はらゝ子〉 鴈 五 〈鹽引 ゑび舟盛〈いけはく〉〉 はい 鯉 以上 御菓子次第 石川伊賀守御賄 十四日金銀 うすかわ かや からすみ あまのり やうかん かき やうひ むすびこんぶみつかんつゆをきて 十五日 同 ふ ところ はす こぶまき くるみ まつばこんぶ〈但ごぼうかくあい〉 きんかん しひたけ 十六日 同 からはな ひし まめあめ 雲かん むきぐり うすかわ 十七日 同 〈山ノいも からすみ〉中にかき〈わりぐるみ うちぐり〉 〈くもだこやうひ〉 十八日 同 つりがき ふ くもだこ あんにん(おけ) うんかん くすのり うすかは からはな ところ 以上
p.0294 享保七壬寅年三月廿七日壬子、九條前關白〈輔實公〉亭〈識仁○靈元〉御幸御膳〈懸盤六脚〉儲居次第、 御打敷〈表青地小紋錦、裏平絹ニ藍打物也、在二上差青玉一、長八尺三幅也、但以二金尺一定レ之〉 懸盤六圖 御膳色目 御打敷〈紺地小紋錦打裏二藍有二玉上差一〉 一〈第一ノ御膳第二ノ御膳ト稱ス、皆傚レ此、〉 御飯〈御器皆銀器也〉 二 四種〈四種共ニ鹽梅ヲ加ヘズシテ、銀ノ窪カナル御器ニモル、〉 〈酢酒〉 〈鹽醤〉馬頭盤〈銀御箸一雙、銀匕一支、木御箸一雙、木匕一支、〉 三 窪器 海月〈割テ少シ鹽梅ヲ加ル也〉 モヽキコミ〈雉鴨等ニテツクル鳥醢ナリ、民間ニ云、タヽキト云樣ノモノナリ、其鳥ノ品ハ時ノ庖丁宜ニ從フ、〉鯛醤〈鯛ノ肉ヲキリアヘテ、タヽキノ如クナシタルモノ也、醤ノ字醢トナシテミルベシ、〉 鮨鮑〈鮑ノ切積ノ類ナリ、昔ハ出雲ノ名ニシテ、彼國ヨリ供セシトナリ、〉 四 菓子四坏 松子 柏子 干柿〈民間ニ云枝柿也〉干棗 五 干物四坏 燒海蛸子 蒸蚫 千鳥〈鹽鳥也〉 筋破〈鮭ノ肉ヲ干タル也、此四種少ヅヽ鹽梅ヲ加テ之ヲモル、〉 第六 第三 〈高盛器物圖之〉 第五 第二 第四 第一 六 生物四坏 鳥 鯉 鱸 鯛〈此四種モ庖丁ヲ加ヘ、少宛鹽梅ヲ加、〉 七 居二折敷一 御汁物 鯉 追物(追テ出ス義也)〈於毛牟幾別足〉 〈此二名共ニ燒物ト云ガ如シ、肴ノ品ハ庖丁ノ時ノ宜ニ從フ、〉 八 御酒盞〈居二折敷一在二臺并蓋一〉 九 御銚子〈銀片口入御酒〉
p.0296 天明元年辛丑、小石川布施氏〈狂歌の名山手白人〉の宅〈江〉、洲崎望陀欄の主祝阿彌を招請、獻立、〈客萬年氏〉 〈祝阿彌文竿〉 予〈○太田南畝、中略、〉 あくるとし壬寅正月十六日、望陀欄へ布施氏夫婦子息予招請料理付、 孟春十六日、望陀欄、 御吸物〈鯛切め 尾 はだな めうど〉 〈文臺〉御硯蓋〈かやせん也 かちぐりせん也 ほだはら のり卷鮓ところ さけすし いせゑび せうが〉 御小皿〈おろし大こん このわた 鮓びてうを 田作りほうづき〉 御吸物〈しほ 安こう こんぶしん 黑ぐわゐ ぜんまい コンブノシンノ所ヲタンザク切タリ色白クカンピヤウニノ如シ〉 御膳部 御向〈たら子付 さるぼ こんぶ わさび〉 御汁〈米つみ入 かぶ からとり〉 小猪口〈いりざけ〉 御飯 御煮物〈いりとり鴨 こんにやく な〉 御燒物〈ほうろく あまだい ふきのとう〉 御湯(御手箱) 御菓子〈さらさようかん さわらび〉 御吸物〈うすみそ 馬刀 岩たけ からし〉 御肴〈漬あゆ うにとん 鹽うつほせん なすび とうがらし〉 同〈こせうみそ ふか す貝 さより わけぎ〉 御鉢〈大ぶな 若大こん 山せう〉 御茶碗〈ちよ麩 りうきういも〉 御肴〈うど黑あへ 色白あへ〉 一 〈みそづけ ちよろぎ〉 一 〈鹽だひ かいわり 河たけ 花がつほ〉 一 〈青す みるがひ ぼう風 ひじき くり〉 一 〈ばか いも〈イモハサトイモ也〉ちんぴ〉 山川酒 御吸物〈たひほね 同目 めうがたけ〉 御肴〈竹の子 白うを にしん 千疋〉 御吸物〈あかみそ もろこ たゝき大こん ねぎ〉 御夜永 御坪〈今出川 みそかけ〉 御茶わん〈いけな めし〉 椀もり〈ほう〴〵 若め〉 御香の物 御湯 御くわし 御乾肴〈あしのはがれい 長いもせん 青のり くわゐ こんぶ ゆば のり〉 〈〈ハリ〳〵トスル〉味也〉 此時あるじ思ひつきにて、先に布施氏にて南京の器を用ひしゆへ、器物に唐物を一ツも用ひず、和物のみ也、酒闌にしてあるじ出挨拶あり、布施氏去年の調理はいかゞと問侍りければ、あるじ答て、器物といひ調味といひ、のこる所も侍らず、唯うらむらくは、一色申上たき事ありと申せしに、布施氏うなづきて、とはずやみにき、今はなき人なれば去年の暦をみ、昔時の獻立紙にむかふがごとし、 予問二祝阿彌一以二此事一、祝云、白人料理、佳則佳牟、但恨美味累々、腹中鮑滿、故料理以下不レ飽二腹中一不レ厭中口中上爲レ要、
p.0297 水黄門臨時客次第 文政六癸未年三月廿七日、水戸殿の〈齊脩卿〉招にて、彼方の庶流松平中務大輔〈侍從〉林大學頭述齋一同の饗應にて舞樂あり、〈○中略〉其日の饗一々古式に據りて、珍らしく面白きことなりけりとぞ、〈○中略〉 廂饗 御あるじの状 吸物(第一) 〈包花ざゝ〉伊勢〈すまし 波立鰒 莫鳴菜〉 右臺高坏〈はし土器〉 花包〈色目〉 公前〈脂燭色〉 高須侯前〈黄木賊〉 林祭酒前〈苦色〉 さか月〈こがね 在蓋擎子〉 林祭酒前〈無蓋〉 右臺皆敷〈色目〉 公前〈銀楊器 皆敷ゆるし色〉 高須侯前 〈繪器 皆敷黄匂〉 林祭酒前〈繪足打 皆敷淺縹〉 衝重(一のさかな) 〈上〉二色蒲鉾〈紅 たまご〉 〈下〉さしみ〈鯛薄作 赤貝 紫蘇 はますがな 花生姜窪坏〉合酢 右臺高坏〈銀はし題土器〉 皆敷〈色目〉 公前〈白がさね〉 高須侯前〈藤重〉 林祭酒前〈若苗〉 取おろしの臺 公前〈高坏〉 高須侯前〈淺香折敷〉 林祭酒前〈同前〉 皿物(二のさかな) 蒲燒(るりの皿)〈さはら〉 筍(窪平坏) 味噌煮 右臺高坏 皆敷〈色目〉一同 〈瑠璃皿 しろかね 窪平坏 早蕨〉はし包〈色目〉 公前〈辛螺色〉 高須侯前〈比金襖〉 林祭酒前〈唐紙〉 鮮味(三のさかな) 〈松枝かたま〉尾付海老 右臺中盤 打敷はし包〈色目〉 公前〈樣器表錦押 裏繪 はし包白躑躅〉 打敷〈表赤地錦 唐縹唐綾〉 高須侯前〈同上打敷〈表青綾 裏紫平絹〉はし包若蝦子〉 林祭酒前〈繪器打敷縹平絹 はし包百合〉 籠皆敷一同〈色目〉靑丹 總獻鳥瓶子〈口紙或有〉 菓子(第二) 〈松露羹 ひめくるみ 雲上比呂米〉 右臺皆敷〈色目〉 高須侯前〈縁高小臺 皆裏同うたん〉林祭酒前〈土器十六夜 臺皆敷同前〉 添物 胡蘿蔔〈味噌漬〉 右臺櫑子盛付〈皆敷色目靑柳〉 帖紙〈竹はし添〉 高須侯前〈蒲萄染〉 林祭酒前〈松重〉 薄茶〈尋常〉 後饗(第三) 粉熟 右臺高坏〈はし土器〉 高須侯前〈銀器盛〉 林祭酒前〈椀盛〉 肴物 〈百合 鹽煮 岩たけにしめ〉 右臺高坏 地紙合盛〈皆敷地紙〉 湯〈尋常 湯の粉 舊製 右臺繪折敷〉 以上 末間 破子 〈屯食黄白 櫻煮 蕨甘煮〉 右皆敷帖紙〈色目花山吹〉 以上
p.0299 水府公飯膳式目 御五十日過より左之通ニ而、御膳等被二差上一候思召候事、 五節句式日者 老公之御時之通、其外常々は、 朝晝は 一汁一菜之事〈但一汁一菜之時、向皿に而も壺に而も有レ之候はゞ、平は無用の事、〉 夕は 汁計〈汁は大根菜ふき冬瓜うどゆば豆腐、右三度ヅヽ同前ニ而も好物よろしく候、〉 肴は 〈鯉鮒赤ゑび鮟鱇よし、外は迷惑存候、右品も好候時計ニ而、常は無用に候、〉 右之外好みて申付候事は、臨時に候得ば不レ記、魚は水府より參り候計可レ用候、尤客來之節向等は飾の事故、何方之品を用ひ候而も宜敷候、 御守殿にて御膳被レ進候節も、右之心得ニ而宜敷候、前文之通ニ致候ても、是迄之食には勝候得ば、是迄之事を忘れ不レ申樣存度候、儉約ニ而致候儀には無レ之、是迄一汁一菜にて仕來候處、養生に宜敷樣に相覺候得ば、右の通拵候樣可二申付一候、乍レ然右之通致候而は、臺所下働人益に成兼可レ申候得ば、一汁一菜は如何體ニ而も多拵候樣是亦可二申付一候、 前文に申候通り、式日等には臺所預之了簡次第にて獻立仕候樣、連枝方客來之節は、一汁三菜燒物吸物差身位之事ニ而可レ然存候、
p.0299 鹽梅 尚書説命篇云、若作二和羹一、爾惟鹽梅、〈孔安國云、鹽鹹也、梅酢也、〉
p.0299 按排(アンバイ)〈味〉
p.0299 鹽梅(エンバイ)
p.0299 鹽梅(アンバイ)〈尚書註、作レ羹者鹽過則鹹、梅過則酸、鹽梅得レ中然後成レ羹、〉 按排(同)〈鹽梅按排通用〉
p.0299 あんばいと云は、鹽梅の二字也、上古は味噌醤油も醋もなし、鹽と梅を以て味を調へたる故、鹽梅といふ也、
p.0299 あんばい 羹を和するをいふは、書の鹽梅の轉ぜる也といへり、李時珍も梅者媒二 合衆味一といへり、
p.0300 能米、馬大豆、秣、糖、藁、味噌、醬、酢、鹽梅(○○)、并初獻料、〈○中略〉等、或買
(ヲギノリ)或乞索令レ進候、
p.0300 五節雜事 一所々垸飯 瀧口本所 大外居交菓子二合 盛飯廿坏 垸飯廿坏 透蓋飯一盛 瓶子一口 鯉一隻 雉一枝 鹽梅(○○)并木炭等 武者所 大外居交菓子一合 盛飯卅坏 埦飯卅坏 透蓋飯一坏 瓶子一口 鯉一隻 雉一枝 鹽梅(○○)并木炭等
p.0300 調味(○○)
p.0300 調味(テウビ)
p.0300 調味(テウミ)
p.0300 料理の事 一主人貴人の前にて、魚鳥等燒事あらば、先炭の火にてもあれ、又たゞのおきにても、半分前へ搔出して、おきぎをよくならべて、其上にて燒べし、やきはてゝそのおきのぶんを物にすくひて取べし、蛤をやくには、はまぐりのとぢめを小刀にてきりて、其きりめをうへになして、口の方をあつばいの中へふか〳〵と入て、その蛤におきをかけてやく也、今の切口よりあはを四五度ふき出したらば、やけたると思ひ、かんなかけに取上、小刀にて口をあけて參すべし、
p.0300 一御前にて煮方する時は、金輪の足二ッ上座へ向べし、 一御前の火にてうちくべ燒の魚をせば、火を前へ舁出し燒て、其火を取て立べし、口傳、
p.0301 一鹽鳥肴(○○○)の時、同は古酒にて洗あげて煎也、 一鹽鳥汁の時、荒作をして能鹽を出して、洗候て後、小作をして水につけて、かげん吉時分湯がき候て、酒をかけてすましをかへらかして、鳥の酒をしぼり出して入候也、但吸口は胡椒吉也、
p.0301 一このわたの鹽をとるには、箸を紙にてまき、このわたをかけ、脇の水へ入れば鹽とれる也、〈○中略〉 一ぼんぼりとは、干鯛、干鱈をふくめ高立の中へつまみ盛事也、〈○中略〉 一鮭の式の鰭(○○○○○)とは、背鰭一二三の内を云也、賞翫也、間の肴抔に出す也、 ○按ズルニ、羹汁、吸物等ニ關スル料理法ノ事ハ、各々其條下ニ散見シタレバ、宜シク就キテ見ルベシ、
p.0301 食物之式の事 一れうりする人心得べき事、魚鳥はあぢはいよき所を、主人にも又上座の人にも參らすべし、〈○下略〉
p.0301 一魚鳥組合の次第 左ニ山のもの 右に川海の物 此心にて、山の鳥、田の鳥、海川の魚鳥分別すべし、鷹の時は何も左に引也、
p.0301 一板に鳥据る事、鷹の鳥は志餌(クチエ)たる方を上になし居る也、射鳥は矢目を上にして居べし、順逆の沙汰に有べからず、
p.0301 一魚鳥の面向外向の事 鳥をば左を面向とす、魚をば右を面向とす、但鰭を賞する時は、左を用ゆる也、〈口傳にあり〉 猶又左右の面向外向の事、如レ此さだめて定めがたし、口傳あり、
p.0302 一出門に用る魚、鳥、鯛、鯉、鮒、鮑、かつほ、數の子、雉子、鶴、雁の類を第一とす、海老、蟹、鰯、鴛、茸の類不レ宜也、
p.0302 一手の物あつかいの事、其座に功者一兩人あつかはれ候時、若輩として巧者の樣にあつかい候事、いかゞに候あひだ、あつかいをば仕候てくふ事は、それほど仕候はぬもよく候、
p.0302 一料理に手の物と云事有、鶉の羽ぶしもり、鴫のつぼいり、かざみのこうもり、 海老の舟づみ、鮎のいかだなますなどの類、名ある料理を手の物と云也、大草相傳聞書にあり、
p.0302 一手鹽を組付る事は、膳部の不淨を拂の心と云へり、其外心入有べし、
p.0302 一いにしへは殿中を始め諸家にても、酒宴の時庖丁人出て、魚鳥を切て御目に懸る事有、其切樣(○○)、庖丁方の作法(○○○○○○)あり、まな板持參し樣の法(○○○○○○○○○)も舊記に有、其比は庖丁を習う人も多かりしなり、今は庖丁の法知りたる人少し、庖丁の故實世にすたれたる故、食物も古法を知りたる人少き故、調味のしかたも新らしき事のみ多く、あらぬ事ども多し、
p.0302 一俎紙(イタガミ)上ニ土器可レ置樣ノ事、鯉ヲ俎ニ置テ出時、内ヨリ庖丁人ヲ召出スベキニハ、筯(ハシ)刀ヲ俎上ニ不レ置シテ、俎紙ノ上ニ土器ヲ置テ出也、此時ハ坐中ノ心得ニ、内ヨリ人ヲ召出スト覺悟スベシ、又俎ノ上ニ筯刀土器ヲ所レ置時ハ、如レ此杉差ノヒレノ下ニ庖丁刀ヲ敷テ、筯ヲバ俎紙ニ置テ、同土器ヲ可レ置也、此法ヲ不レ知者ハ、俎紙ノ上ニ筯刀土器ナドヲ一ニ取集テ置間、俎紙ノ上セバクシテ見惡キ可レ成、杉差ノヒレノ下ニ置庖丁ノ刃向ニヨリテ、庖丁人ノ心遣有ベシ、魚ノ尾方へ刃ヲ向ルコトモ有ベシ、又頭ノ方ヘ向テモ置也、庖丁人ノ心遣ヲ以ケイコノ程顯也、但俎紙ノ上ニ刀ヲ置ドモ、此用心ハ有ベシ、然間當流ニハ俎紙ノ上ニモ置樣ハ、刃方ヲ俎ノ上ヘ成テ置 也、繪圖アリ、刀ノカイベラノコトアリ、同袖返シ袖流ノコトアリ、〈○中略〉 一當流片身下ニ、諸人ヨリハ不レ切シテ齋太(サイタ)ヲ先ワカツコトハ、陽ノ庖丁ナレバ前ヨリ切ト也、
p.0303 一庖丁士之俎ニ寄時體配事、先向二魚板本一寄時兩膝突、箸刀一度とりて、刀先鹽紙を抑て抜レ箸、軈而板のかどを刀のむねにて三度撫下て、軈而右の膝を立て左をしき、右膝は板より六七寸程可レ退、左の膝三寸程退、次式に箸を取、左手内外に向て中二つふせて、人指指片方の箸にはさむべし、次魚をすくひて向の板の下に置、引刀にて鹽紙を一刀切て、半分刀の方を板より下に刀許にてかき落す、さて魚を刀と箸にて取てまへにひき寄て、板に有紙を腹の内に入て、いたより在レ下紙を箸にてはさみ上て、指の
際にしきて、魚の腹なる紙をとり出て、下なる紙にて裹、刀と箸にてかみのはし〴〵を返して裹なり、軈而の文字形に板を拭て、本の鹽紙の所に直、軈而魚の背方よりまな箸にてはさみて、水はたけを三度宛撫下す、又前の方を三度可レ撫、中をば一度可レ撫、而口より箸を入て可レ返、又如レ前水はたけをすべし、次に水返骨に箸を立て、鱗三目ニ一の刀を切、次魚喉を刀にてすくひ上て、箸を以てはさみ上肉をおろす、軈而向に置、引箸刀にて魚頭を向の板の角方ニはり頭に置、引刀にて魚を返て一方の肉をすくべし、軈而返て向に先の肉の前ニ置、引刀にて中骨を中程より切て、刀手の方の骨を一寸程切て、又軈而二切て魚頭置たる下方ニ、今骨を一可レ直、是をうなもとゝ云、此後は記に無レ計、一々有二相傳一、 一式鯉〈ニ〉切刀曲四十四在レ之、式草鯉三十八、行鯉〈ニ〉三十四刀也、又俎ニ切放て並たる數十二、置所六あり、 一まなばしニ七の病有、刀ニ五の病、此内禁忌箸刀あり、秘事ナリ、
p.0303 料理人諸鳥庖丁指南 まないたの前大方一尺二寸計のつもりに、間をあけて畏り、足をくみて腰をどつくとすへ、身づ くろひして、扨箸庖丁を取いだし、箸庖丁一ツに右の手に持そへ、俎まへ左の足の上のとをりになみをよく直す、尤箸は左、庖丁は右、大方一寸二分計のつもりにあけて、銘を上になして置べし、扨鳥魚にかゝり候時、箸庖丁に手を一度にかけ候と、はやく庖丁をさつと引分、箸は則左の足の通りにきつとたてゝ持かため、庖丁は右の足のとをりにはをうへになして、先をきつとたてゝ持かため、しづかに大手前にかゝりたるがよし、總じて俎前にて湯水を好み、物をみだりにいひ口をたゝき、頭をまげ腰をかゞめなどする事惡しゝ、たしなみ也、 鶴白鳥鴈鴨は、先鴈かしらを前になし、俎のまん中になをし、まのはぶしをひろげ、首を左の羽がいに持せ、左のむねより庖丁にて水をなでおろし、右をなでゝ左のわきに箸をたて、左のむねより切めを付、右のむねよりをろし、頭を右の羽がいにもたせ、左のむねをおろし、扨もゝのまのつがいをはなし、左より切はなして、俎右のむかふのすみの足を右になしてをき、頭を左へまげて右を切はなし、右のところへなをすべき也、扨胴がらは左の向のすみへなをすべし、扨俎をよくなでて、左の身より引なをし、足を右へなして、頭の次へなをし、羽ぶしのつがいをはなし、身を俎むかふの中のはづれにをき、羽ぶしは胴がらの通りの下に置、はしは中の向ふのはづれに直す、右身をもかくのごとし、 雉子山鳥鳩等は、先きじ頭を左にして、はしを前へむけ、腹を前へむけて、よこに羽がひをしかせてなをし、頭をねより切て、左の向ふのすみへ直し、扨おろしやう、何れも右に同前なり、
p.0304 一女ニ參ラスル物ヲバ大ニ切(○○○)ベシ、男ニ參ラスルヲバ小ニキル(○○○○)ベシ、口傳、〈○中略〉 一タコキリモルベキ事、タコヲバ前ヘ置テ可レ出、扨飯ノ御回(メゲル)ナラバ、如何テモ薄ク丸ク可レ切、御肴ニハ少厚ク長ク切ベシ、何ニモイボヲスキ皮ヲムキテ可レ切也、
p.0304 一鯰のさゝら切と申は、おのかたよりはじめて、一刀ヅヽ切のぼせ、取なをして頭 を立ざまにをしわりてにたるを云、切つゞくる也、
p.0305 一三鳥と云は、鶴、雉子、鴈を云也、此作法にて餘鳥をも切る也、 一五魚と云は、鯛、鯉、鱸、
、王餘魚をいふ、此作法にて餘の魚をも切也、〈○中略〉 一そぼろ切とは、細く削る事也、 一そぎ物とは、干鯛、こんきり、たらなどふとくそぐ事也、 一爪重とは、廻しもりのこぐちを云、 一鷹の羽とは、大かまぼこの内へ、たてに荒和布を入、燒て切を云也、 一筋引といふは、筋子の事也、
p.0305 海川魚類庖丁指南 鯛鱸茂魚等は、先たい頭を左にして、腹を前へしてなをし、包丁にて尾の方へ背中腹のとをりを三べん水をなでおろし、又上へなであげべし、是はこけの有なきをしるべきため也、扨箸を口へよくさし込、包丁ながしをよく切こみて、箸を内のゑらへよくたてゝ、包丁ながしのきはより頭を切おとし、水はきを右になして、頭をむかふへむけて、俎左のむかふのすみへなをしおき、扨身の切口へ箸をさし込、尾の方へおろすべし、身向ふへかへし、俎右のむかふの角へ、尾の方を右になして直し、扨下身上下へかへし、尾を左へなして、頭の方より尾のかたへおろして、頭の方よりかへし、右の所にうすみとうすみとあふやうになをし、中打を眞中より一打に打て、尾の方をうへにのせて、尾さきを左へして、頭の下に置べし、扨俎をよくなでゝ、うは身より引よせ、頭の方をまへになして、ひれをそとへかへして、うす身をば取、中打を下に置べし、身は中のとをりに尾をむかふへなしてなをし、身をもかくのごとくにすべし、 鯉鮒うぐひさは等は、先こい頭を左へなして、腹を向へむけてなをし、右のごとく三べんづゝ水 なでをして上下へかへし、右のごとく水なでをして、箸を口へよくさし込、包丁水はきの内へ、はを上にしてさしこみて、前の方へあをのくやうにをせば、腹うへになる也、扨箸を向ふのえらぎはへよくたてゝ、包丁にて向の一のひれをおとし、はしにて歸らぬやうにおさへ、扨前の一のひれを包丁にてはねおとし、其儘頭を切おとし、箸をぬき頭を向ふの左のすみに、水はきをむかふへむけて、切口をたてゝ、ひれを兩へひろげて置べし、川魚は頭にひれの付やうにおろすべし、扨身の切口へはしをさし込てたて、頭の方より尾の方へよくをろすべし、扨むかふへかへし置、右のごとく右の角へ直し、又下身をも上下へかへして、頭のかたを右になしておろし、右のごとくなをすべし、扨俎をよくなでゝ、右のごとく身を引よせ、うす身を取、身も中打もなをすべし、 鮭、鱒、あめ、なまず、鰹、めじか、鰤はおろす計の事也、〈直し樣右同前〉海魚は腹を前にしておろすゆへ、初は向ふになすなり、川魚は腹をむかふになしておろすゆへに、初めは腹を前になすなり、是は手まはしはやきときの事なり、 萬海川魚小切形は、 背切(○○)とは、頭をおとし兩のうすみ計腹のなりにきはより切て、ごみはきのふくらをもまつすぐに成樣に切てさり、頭の方を右になして、およぐごとくにしてひれを付て、厚サ四五ぶにも木口切にする事也、是は鯛鱸等に用ゆる事也、 平背切(○○○)とは、右のごとくにして、尾を右へなして、腹を向ふにても前にても平にして、尾の方より包丁ねさせ、厚サ四五分計、木口切にする也、 片背切(○○○)とは、右のごとくにし、右にても左にても片身をろして、平せぎりのごとく、片方に骨を付て、尾の方よりきる事也、 すい切(○○○)とは、三枚におろして、うす身をさりて、左の方より庖丁を成程ねさせて、すくひ切にきる事也、 ぶり切(○○○)とは、おろしてうす身をさり、先よこにいか程にも切て、それをたつに切事也、ぶりをかやうに切はじめたるによつて名付候也、 一もんじ(○○○○)とは、おろして尾の方よりよこに包丁をたてゝ、一文字に切事也、さいとは、大さ一寸四方計 に四かくに切事也、 鯛鯉などの木口作(○○○)りとは、おろしてうすみをさりて、中のあかみを二つに立ぬきて切、尾の方より包丁を立て、厚サ一分計に皮を付て、身のくづれぬやうに作る事也、同指身などのたゝみ作(○○○○)りとは、おろして右のごとくに木どりて、皮をさりゆがきて、水にてよくひやし、木口にうすく作りて、かさねをく事也、但大だゝみ小だゝみといふ事有、 なげ作(○○○)りとは、右のごとくにして、包丁をすぢかへねせて、平めをうすく作る也、 鯉筒切(○○○)とは、こけ計よく取て、腹わたもあけずして、其儘尾の方より庖丁を立て、厚サ四五分計に丸切にきる事也、但シゐを切つぶさぬやうに心へべし、ゐと云物はかみに有物なり、つぶれぬればにがくてあしゝ、鯛の平背切に同じ、 けぎり(○○○)とは、こけもとらずして、右のごとくこけ共に切事也、右筒切に同じ、鮒などの一つ切(○○○)とは、こけ計取て、腹もあけずして包丁を立て、厚サ一寸計にもまる切にする事なり、〈○中略〉 背ごし(○○○)とは、腹わた計よく取、肉をよくあらひて、其まゝ尾の方より、木口切に少し包丁をねせて作る事也、是はあじ、あゆなどの鱠に用る、〈○中略〉 片背ごし(○○○○)とは、片々おろし、かた方の骨のつきたるを、右せごしのごとく作る也、 切かけ(○○○)とは、三枚におろして、いか程にも切て、身の方を四五分計にも、四方に包丁めを付て切かける事也、これは杉やきなどに用る、 切やき物大ぎりとは、皮を付てうすみをすきてとり、一もんじにきる事也、 あんかうつるし切(○○○○○○○○)とはいへ共、つるしあらひの事也、よつてあらひ方の役也、則つるして口より水を入てひれをさり、皮をはぎて骨のつがひをはなして、みを三枚におろす事也、扨切方は包丁の役也、
p.0307 食物之式法の事 一まな板を持て出る(○○○○○○○○)には、二人して持て出る也、座敷に入る時は、同樣にあゆみて置也、跡があがる也、同取てしざるには、一方をば切て持て、前のごとく取てしざるべし、
p.0307 一御前へ魚板を持參候時、包丁仕候人の左の方あがり候哉、板に置候切物鳥にて候得 ば、鳥の羽がいの左の方にて候、何も其心得にてあるべく候、然ども就二此儀一口傳有レ之、
p.0308 一まな板を持て出るには、魚の頭の方はうは手、是賞翫なり、うはてはさきへ行、具足の前後には替也、是もさきへ行人は、後ざまにもそばざまにも出る也、可レ切人は誰にてもあれ、其座鋪に賞翫の人可レ切樣に、先板を向て可レ置、但きはへ持ては寄べからず、其通りにのけて置也、扨きるべき人定めて板を直す時、以前持て出たる人出て直すべし、逆にはなをさず順になをす、順と云は東より南へめぐる也、南より東めぐるは逆也、四方准レ之、
p.0308 一魚鳥鯉切樣、一條院御宇於二神泉苑一自レ池鵙取レ鯉上所、折節於二南陣一、藤藏人自負レ矢抜出シテ射處、遄内裏南殿落レ庭、鳥魚ニ取組テ不レ放、是則奏聞、公卿殿上祗候有シガ、惟隆卿見レ之、切出毛包丁叶二叡覽一、寫レ形事ナケレドモ、次ニ依レ望出レ之、自レ今以後人敎時、此手ヲ不レ可レ有レ傳、自二家本一外へ出ル事是始也、能々可レ秘、不レ可二聊爾一、若聊爾ナラバ大明神可レ蒙二御罰一、可レ有二口傳一、
p.0308 一本所の侍と云は、たきぐちのも、口れうり包丁のこ實といふは、時の口ある物ニ取かゝるは、人の目にもかゝる也、ありがたき子細、夏鯉などは、必人の前などにては取かゝるべからず、其興なき物なり、是はなつ鯉の口傳大事なる故か、
p.0308 一活きたる鯉のはねる時は、目を紙にて張り、尾を包む也、板の上にてはねる時は、尾を切りたるがよし、かやうの事を知るを庖丁人の秘事古實といふなりと、四條流獻方口傳書に見へたり、 一藻分鹽分と云板の上にてする所作なり、先藻分と云は、庖丁にて魚をなでる事也、鹽分とは庖丁にて鳥を撫でる詞也、鷹鳥は飼方をおろし、飼方を上へして、式より上の方へ直し、右の方に置也、首は左也、餘の躬は下の方へ置也、射鳥は矢目を賞翫して、鷹の鳥の飼方の所へ直す也、
p.0308 行二幸神泉苑一覽二競馬一事 王卿移二就簀子敷一、仰二召大臣一、令レ返二侍御厨子所供膳一、〈或此間仰二左衞門府一、捕二池魚一於二料理所一備二供御膳一給二侍臣一、〉
p.0309 だいきやうのこと ないらんのいゑにもやのだいきやうを、〈○中略〉たちつくりのあくといふことあり、えんちかく三げんのあくをうちて、さうじのしりかくるほどなるをたてり、それはしりをかけてこいをきりて、御さかなにまいらするなり、そのあくは、ざのかみのかたにうちて、まんをあげて、はう丁をそんざ御覽ずるなり、はう丁しは、五ゐ六ゐをきらはず、いゑのものをめさる、
p.0309 鳥羽院御前ニテ有二酒宴一之日、刑部卿家長朝臣奉二仕庖丁一之間、可レ破二魚頭一之由有二仰事一、其時或人云、魚頭ハ折櫃尻ニテ破候也ト云々、可レ然之由有二勅定一、爰其人、〈失二其人一〉立レ座、御棚ナル菓子中、餅入タル折櫃ヲ、乍レ入餅ヲバ隱レ之、ウツブセニヲキタリケレバ、其上ニテ安ク破タリケリ、有二叡感一ト云々、ヤガテ餅ヲバ遂ニ人ニミセズシテ、乍二折櫃一件ノ人トリノケテケリ、家長ハ此恩イカニシテ報ゼムト思ケレド、便宜モナカリケルニ、件ノ人御前ノ常燈搔上トテ、カキケチテ、シソクサシニユキタリケルマニ、家長ヤヲラヨリテ、油ヲトリテ皆飮テ返シ置了、シソクサシテ歸參之時、家長寄テ見テ、油ノツヤ〳〵候ハデ消テ候ケリト被レ申ケリ、
p.0309 保延六年十月十二日、白河仙洞に行幸の時、御前にて盃酌有けり、家成卿右兵衞の督にて侍けるに、包丁すべきよしさた有けれども辭し申けるを、ある殿上人、鯉を彼卿のまへにをきてけり、德大寺左大臣右大將にて侍りけるが、天氣をまつにこそと奏せられたりければ、主上わたらせ給ひて、すゝめさせおはしましければ、家成つかうまつりけり、群臣興に入て目をすましけるとぞ、
p.0309 康治二年十月廿七日庚戌、拂曉視二魚干網代一、刻歸洛、於二網代一所レ獲鯉便出二舊厨一、源行方庖丁、割甚易、見者無レ不レ羨、賓客兩三輩羞レ酒、 仁平二年正月廿六日壬戌、今日於二東三條一再行二大饗一、〈○中略〉參議左大辨資信朝臣端レ笏伺二尊者氣色一、尊者把レ笏目レ余、余已〈○已下恐脱二下字一〉以レ次立レ箸、了一同餛レ之、〈主人尊者以レ箸挾二餛飩一、入二汁盃一食レ之、〉訖返二置臺盤、〈主人置二机上一、此間須二レ包丁人解一レ(○)鯉(○)而左兵衛尉行賢未レ參、仍不レ能レ解レ之、再三遣レ使催促、○中略〉于レ時佐兵衞尉源行賢參入、著二南床子東頭一、余催二包丁一、行賢申曰、鷹飼渡後解レ之既爲二故實一、余仰曰、餛飩箸下之後解レ鯉、鷹、飼渡後解レ雉禮也、及二三獻一猶爲二遅緩一、口待二鷹飼一乎、行賢即解レ鯉、〈于レ時史生參進之間也、先役送衞府撤二兩組蓋一、〉
p.0310 左京屬紀茂經鯛荒卷進二大夫一語第三十 今昔、左京ノ大夫ノト云フ舊君達有ケリ、〈○中略〉茂經馬引カヘタル童ヲ呼ビテ、取テ其ノ馬ヲバ御門ニ繫テ、只今走テ殿ノ贄殿ニ行テ、贄殿ノ預ノ主ニ其ノ置ツル荒卷三卷、只今遣セ給ヘト云テ、取テ來ト私語キテ、走レ走レト手搔テ遣ツ、然テ返リ參テ、俎洗テ持詣來ト音高ニ云テ、ヤガテ今日庖丁茂經仕ラムト云テ、魚箸削リ、鞘ナル庖丁ヲ取出シテ、打鋭テ遅シ〳〵シト云居タル程ドニ、遣ツル童ハ糸疾ク、木ノ枝ニ荒卷三卷ヲ結付テ、捧テ走テ持來タリ、茂經此レヲ見テ、哀飛ガ如クニ詣來タル童カナト云テ、俎ノ上ニ荒卷ヲ置テ、事シモ大鯉ナドヲ作ラム樣ニ(○○○○○○○○○○)、左右ノ袖ヲ引䟽テ、片膝ヲ立テ、今片膝ヲバ臥テ、極テ月々シク居シテ、少高ミテ、刀ヲ以テ荒卷ノ繩ヲフツ〳〵ト押切テ、刀シテ藁ヲ押披タルニ、物共泛レ落ツ、〈○下略〉
p.0310 一只今御料理ノ間ト申間有レ之候、此間台德院樣毎度出御被レ遊、御咄ノ相手ニ成候者、大方極リ有レ之候、其時分俄ニ鯉ヲ獻ジ申者有レ之、幸何某ニ庖丁仰付ラレ御覽ナサレ候、鯉ノ庖丁ハ、鯉ノ脊ヲ庖丁ノ裏ニテ三度撫候テ切候ト申候、撫申時鯉ハネ候テマナ板ヨリ落申ス處ヲ、マナ箸取直シ鯉ノ兩眼ヲヒシト指候テ、其マヽ庖丁イタシ候、滿座興ニ入候テ、其手ノキヽ申ヲ感申候、上樣ニモ御覽ナサレ候へカシト存ジ候ヘドモ、折節膳ノ脇ヲ御覽ナサレ、右ノ首尾御覽不レ被レ成ヤト各存候テ殘念ガリ申候、偖御前ニテ一統ニ其儀ヲ申候ヲ、何卒御賞美モ有レ之樣ニト色 色執成候ヘドモ、トカク御返答無レ之候、其後右ノ鯉御料ニ相成、風味各別ニ御座候ト、皆々感ジ、其上ニテ又先刻ノ庖丁ハサテモ見事ナルコトヽ申候、其時上樣仰ラレ候ハ、何レモ先刻ヨリ庖丁ノコトヲヒタト申出候ハ、予ニ賞美モイタシ候ヤウニト存候テノコトヽ被レ思候、ケ樣ノ小キコトニ賞ハ不レ行モノニ候、總テ賞罰ハツリ合申サネバ、賞罰トモニ立不レ申候、此庖丁ヲ賞シ候ハ害モ無レ之コトニ候ヘドモ、左候ハヾ重テ又鯉ヲ取ヲトシ不調法ナル時、罰イタサネバナラズ候、イヅレモ平生心得アシキト被レ仰候由、乍レ恐御尤ニ奉レ存候、
p.0311 萬治三年十月十六日、臺所頭天野五郎大夫正國、御前〈○德川家綱〉にて、鯉庖丁仰付られ、時服をたまふ、
p.0311 後代鶴の庖丁といふ事あり、古は鶴を賞翫とせず、故に古は鶴の庖丁といふ事なし、古も鶴にても白丁にても、貴人の御前にて庖丁する事はあれども、雉鯉などの如く、式正の事はなき也、
p.0311 十九日 鶴庖丁 或記云、中頃豐臣太閤、年始に鶴を獻ぜられしより始ると云々、 今朝六位二人、末那板に末那箸檀紙をのせて舞臺へ舁すへ、扨鹽鶴一羽末那板の上に置く、御厨所高橋大隅兩家の人參入して、隔年にこれをつとむ、其體衣冠を著し、先座して後庖丁魚箸を取て、鳥の兩羽をしごく、俗に是を水しごき(○○○○)といふ、次に兩翼を切て肉案(まないた)のうへに直違に置、十字の形を作る、次に兩足を切て、肉几の下へ庖丁箸にてかき落す、次に頭を切てさきの兩翼十字の上に置て、千の字をつくる、是を千年切(○○○)と云、又万年切(○○○)とも云、扨肉を二段に調じて退く、さて淸凉殿の階下にのぞみて、太刀折紙を賜ふ、左手に取て座上に退き、拜して退出す、鳥末那板等は、又六位の人撤する也、次に舞御覽ありて後、鶴高盛等の獻あり、群臣又これを賜ふ、
p.0312 十七日舞御覽あり、淸凉殿東庭左右の樂屋をかまふ、ひさしに翠簾かけわたして御見物所とす、先鶴庖丁(○○○)あり、小預是を奉仕す、事終りて御太刀をたぶ、藏人東かいにのぞみて是を下す、
p.0312 天正十五年正月十七日、せいりやうでんの御庭にて、たかはしつるのはうちやう(○○○○○○○○)する、御たちくださるゝ、きよくらういださるゝまい御らんあり、色々めでたきまいどもまいしなり、ふしみ殿、かぢ井殿、御まいり、とざまない〳〵御參り、せいりやうでんにて、みな〳〵つるのこん參る、二のみやの御かた、五の宮の御かた、ふしみどのかぢ井殿、御しやうばん、もんぜきへは御しやうじん也、だい出てくもじあり、ぐ御はつねの御所にて參る、じゆごう女御、御しやうばん、女中ひし〳〵と參る、だいにてくもじ參る、めでたし、〳〵 〳〵、
p.0312 庖丁上覽 寛文五己巳年二月十二日、御黑書院鶴庖丁上覽、天野五郎太夫勤レ之、老中高家諸役人見物御目見、入御已後御振廻、御代官も布衣之分罷出、五郎太夫〈江〉時服拜領、〈如官日簿〉
p.0312 享保十年十一月廿一日、黑木書院にて鶴の庖丁御覽あり、鶴に庖丁魚莇を爼にのせて、中奥の小姓二人にて持出て、東縁の下段の閾の外にすゆ、ときに臺所頭小林貞右衛門祐良熨斗目長の袴つけて出、鶴を調理す、事はてゝはじめのごとく中奥小姓出て爼を撤す、祐良はこの事つかふまつりしをもて、時ふく一襲をたまふ、
p.0312 庖丁上覽 安永四丁未年十二月廿五日、於レ奥鶴庖丁上覽、 〈御臺所頭〉松尾彌平兵衛勤レ之〈安永日録〉
p.0312 一雁切事、一の刀に二の羽ぶしをて切てさしかさねて後、一の羽ぶしを重て可レ切事、大事成べきなり、かさね羽ぶし是也、身をおろす事、ふつうのごとし、但うしろを前にかきま はしておろす事もあり、是は前をおろしかけての事也、但雁のくぼねをさらぬ樣にて、あふのけに押しもぢらかして、くぼねをきればよく切也、〈○中略〉 一雁のくぼねつく事、たとへば雁のくぼねをつく事は、左右の羽ぶしを切て、くぼねをば鳥に付ながら身をおろす事有、くびをぬきぬれば、見にくき事あるゆへに、かやうに切事もあり、
p.0313 一初雁の料理の事、がんのかはをはぎ、かはせんろつぶのやうにきりて、鹽を先いりいれたる時、酒鹽にすたでをすこしくはへ、雁のかはを入、よきかげんにいる也、此ごとくする時は、うはをきすい口有まじく候、先かはいり計をいだして、二度めに雁のみをいれ、うはをきにはねぜりたるべく候、せりのきりやうは、せりのくき五分ばかり、ねのながさはいか程もあれ、有次第、ねのすゑにはいさゝか手をかくべからず、それをさかいりにして、うはをきにはいれべく候、すい口にはみかんの輪ぎりにして、はじかみをよくすり、むくろうじの程に、みかんのわの上にをく、其置樣にくでんあり、 一雁の汁仕樣は、朝の客にて候はゞ、宵よりがんをきり、ひしほをしておき、その朝いかきの中に入、さて客の越られ候以前に、いかき共にすこしにてやがて取あげ、又客御入ありて、本膳すはり候て、今の雁をいれ候へば、能程にしるあるべく候、自然茶湯がたり時は、大汁にまいる事もあり、其時は能比にはろふべく候、 一初雁の時、御めしの時は、右のりうりたるべく候、自然又さかなてんしんのとき、初雁いづる事あり、其時は味噌をばかつて入ず、白水と鹽計にて煮候、もちろんにだしあるべく候、すい口うはをきあるまじく候、上をきにもすい口にも、ふつけ一ツ入られべく候、汁のいれ物はかはらけ本にて候へども、時によりては、茶わんも大ざらなども、くるしかるまじく候、
p.0313 庖丁上覽〈○中略〉 同年〈○萬治三年〉十一月十六日、御臺所天野五郎太夫、鈴木喜左衞門兩人被二召出一、於二御所一五郎太夫鯛庖丁、喜左衞門雁庖丁被二仰付一、上覽以後喜左衞門小袖二被レ下候、
p.0314 色々の事 一貴人の前へまな板持參之事、庖丁仁の左の方をかきて出る人はうは手也、公方樣正月二日細川殿へ御成はじめに、進士白鳥をきり申候、其時のまな板を伊勢名字兩人參り候て持參申候、應仁の亂前迄は、親にて候者下總守貞牧、備後守貞熙、〈其時七郎左衞門〉兩人御供衆の外役につきて參り候、大口ひたゝれ著候、進士同前、亂以後さやうの儀なし、
p.0314 殿中從二正月一十二月迄御對面御祝已下之事 一一亂已前までは、今日〈○正月二日〉細川殿へ御成始あり、御供衆の外、御役に付て、伊勢備後守貞熙、又下總守おや貞牧、〈うら打〉御供衆の御跡にまいる、進士御前にて白鳥切り申、此まないたを貞熙と貞牧かきて參候、一亂前まで此分也、進士〈うら打を著、〉
p.0314 一白鳥切事、一の羽ぶしより次第につゐてくぼね、三に可レ切、さておろす事如レ雁也、
p.0314 庖丁上覽 今度珍敷庖丁被二仰付一候處、御慰にも被レ成、御機嫌被二思召一候、依レ之拜領物被二仰付一、於レ奥被二仰渡一候、 時服二 〈御臺所頭〉小林定右衞門 一右品は去月三日、川崎筋御鷹狩之節、白鳥御弓ニ而御射留被レ遊候、右白鳥御矢開可レ被レ遊との思召、御臺所頭定右衞門へ庖丁被二仰付一候、 公方樣、大納言樣、御一同御休息所御勝手之方長圍爐裏の上御著坐、鵲庖丁古實に白鳥鵲と唱申候、於二長圍爐裏之間一被二仰付一、鵲載せ候御眞那板、御納戸衆兩人之者持出、長圍爐裏之下に置て、定右衞門熨斗目長袴著罷出、庖丁勤レ之、畢而御眞那板引レ之、
p.0315 かしはで 日本紀に、饗膳、膳夫、拍手等を訓ぜり、大古は凡そ飮饌皆木葉をもて器とす、よて葉盤(ヒラテ)、葉椀(クホテ)、折敷などの名あり、
p.0315 夫膳部をかしはで又は庖丁人、公方樣ニ而は御臺所衆と云、今云世上の料理人也、
p.0315 於二出雲國之多藝志之小濱一、造二天之御舎一〈多藝志三字以レ音〉而、水戸神之孫櫛八玉神爲二膳夫(○○)一、獻二天御饗一之時、〈○下略〉
p.0315 膳夫は、加志波傳と訓む、中卷にも見ゆ、書紀にも多し、〈○中略〉名義は先いと上代には、凡て饌を木葉に盛ける其葉をば、何木にまれ總て加志波と云り、〈○註略〉故饌の事を執行ふ人を加志波傳とは云なり、傳は手なり、凡て物を造る人を手人といひ、今世にも事を行ふ人を某手と云類多し、 ○按ズルニ、膳夫ノ事ハ、官位部伴造篇膳部條ニ在リ、參看スベシ、
p.0315 ほうちやう 莊子に見えし庖厨のことをよくせし丁子が故事によりて、宰烹する人庖丁人といひ、其用る處の臠刀をもかく名けたる也、類聚雜要に庖丁刀と見ゆ、和名抄には料二理魚鳥一者謂二之庖丁一とかけり、庖丁者の初は、山蔭中納言なりと、徒然草に見えたり、鶴の庖丁は庖人の秘するところなり、
p.0315 れうり〈○中略〉 料理人を厨子と見えたり、
p.0315 十一君氣裝人者、一宮先生柿本恒之、管絃并和歌之上手也、〈○中略〉庖丁(○○)、料理、和歌、古歌、天下無雙者也、
p.0315 相二語名譽之庖丁人一所レ構二種々料理一也、即可レ有二色々膾、樣々羹、品々炙物、體々燒物一也、
p.0315 五十七番 左 はうちやうし 大鯉のかしらを三にきりかねて片われしたる在明の月
p.0317 一庖丁可二如木烏帽子一、調度懸可二裏打一、大口可レ重レ袖、衣文者鯉、紫革可二閉結一、有二口傳一、專祝儀時者可レ用レ之、凡庖丁之道、雖レ爲二相傳一、不レ存二深道一者、或鷹如レ翅二山雲一、或如レ守二犬只星一、是以釋二此譜一、雖二爲レ持向一レ師、深道不二相傳一、教人有春日大明神の可レ漏二御誓一、永可レ生二智惠一者、此於以一心生記置也、仍包丁髓腦口傳雖レ如二雲霞一、徒返二財用一無二特故一、爲二末代一記置、深洩出レ是、能々可二必得一事也、一々可レ秘可レ秘、
p.0317 左馬頭基氏宥二庖廚人一事 鎌倉左馬頭もとうぢは、武勇たくましくして慈悲のこゝろも人にこえ、いと正直なる生れつきなりけりと云傳へ侍る、〈○中略〉しかふしてつねに美食をこのみて賞翫し侍るに、或時庖丁人をよびよせ、ふなを取寄ていはく、此うを能くやきてのち羹にすべし、相かまへて無さたに仕るなと、きびしくいひ付て、内へ入られけるとなん、庖人かしこまりて、右ふなをよくあぶりて、みそ汁をもて熟くこしらへ、煮て膳部にそなへけり、扨陪膳のもの是を持て、基氏にすへたり、基氏椀のふたを取てふなをみれば、よきほどに火とをりて愛すべしとみえてければ、かた〴〵を食して又うちかへして食はんとし給へば、則一方は生にてぞ有ける、庖人の不運にや、此魚ぶ沙汰にはせざれども、片身きら〳〵しく生にて有あひだ、基うぢ大きにいかりたまひて、やがて執事をよびよせて、彼庖人を召つれて可二罷出一よし責られけり、執事も此ものをふびんに思ひながら、主命もだしがたくして、つゐに庖人を引つれ、客殿の二間を過ておくへ入れば、庖人もすは覺悟してけり、あつはれ爰にて御手うちにあひぬるものをと、色をうしなふてひざまづき居けり、時にもとうぢわきざしを腰に横へ、かたなをはひたり、手にひさげてちか〴〵とあゆみより、をのれすでに日來の不忠心にあるゆへに、今かやうの失あり、すみやかにいのちをうしなふべきなれども、先此たびはゆるし置物なり、自今以後よく心得て、料理いたすべし、さりながら此たびも唯にはあらじ、はだかにして此縁のはしへまいり、ひざまづきて居るべし、ゆるしなきうちははたらく べからずといひて、又鷹がりに出られける、〈○下略〉
p.0318 江戸自慢、世にいひ習はしたるもの、紫染、色摺錦繪、釣鐘の出來合、針金賣、らうのすげかへ、縫針賣、印判墨賣、火打鎌石賣、ほうづき賣、〈○中略〉此餘予〈○小川顯道〉が江戸自負あり、今こゝろみに左に記す、 火事、馬鹿者、癩病、蝮蛇、齒磨賣、織紋熨斗目、無筆手習師、無算勝手役、無庖丁料理人(○○○○○○)、文盲醫師、占卜者、風呂屋、〈○中略〉 料理人に鯛、鯉、鮟鱇、雁、鴨の類を、切刻むすべもしらず、無庖丁にして主人の臺盤所に居て、食物の調理をなし祿をはむ者あり、
p.0318 調采(テウサイ)〈調レ味者也〉
p.0318 五十七番 右 てうさい よもすがらあすのてんしんいそぐとて心もいらぬ月をみる哉 ○按ズルニ、調菜ノ圖ハ、菓子篇蒸菓子條饅頭ノ下ニ引ク七十一番歌合ニ在リ、宜シク參看スベシ、
p.0318 料理 料理の家、四條流(○○○)、大草流(○○○)、進士流(○○○)、
p.0318 池邊春日、江上秋風、羹膾蒸炙別二其氣一、鮨醢脯腥同二其美一、筋割濕香之品、庖丁易牙之業、刀俎解盛之樣、鹽醬醯(ミソス)酒之分、縦雖レ不レ及二四條家(○○○)并大草(○○)等一、座席之興味有二何不足一乎、
p.0318 膳部、庖丁家、料理人 按、景行天皇の膳夫に磐鹿六雁あり、倭建命の膳夫に七拳脛あり、後に大膳職、内膳司、主膳監などを置れ、近世は高橋氏、濱島氏、膳部の家業を繼げり、武家には足利家の代、四條流(○○○)、大草流(○○○)あり、多治見氏四條流を相傳す、其書も厨事類記、世俗立要集、四條流庖丁書、武家調味故實、大草預料理書、庖 丁聞書、大草相傳聞書、料理物語、料理獻立集などいとおほかり、
料理通大全
p.0319 日本の料理庖丁の發りの事 一山蔭中納言、四條藤原の政朝卿は、日本料理并庖丁の祖也、何れの慶賀にも鯉魚を職掌する事を第一と祝ひ給ふ、凡魚として飛龍と成によりて、高貴の祭とする事、鯉にかぎる也、もとより鯉は中通りの鱗、大小にかぎらず三十六枚を具足せり、是を工夫し給ひ、鯉に三十六枚の庖丁を作り給ふ、彼卿の淸光を尊て、世に四條流(○○○)と號すと也、
p.0319 四條家園部流(○○○○○○)禮式序 武家禮節之所レ起、出二於小笠原一、足利氏之時、信濃前司貞宗深達二弓馬之法一、是時嚴禁二犬追物一、貞宗捧レ状請レ弛二其禁一、將軍家從レ之、遂命考二定武家諸禮法式一、其後伊勢氏傳二饗應式一、今川氏傳二書禮式一、雖三各立二門戸一、而其一本也、故輯二録三家言一、著成二一書一、名曰二三議一統一、慶長以降、幕府饗禮、專用二園部流一者、横下輿於泰親公在二參州一之日上也、先レ是林藤助光政、元旦進二兎羹於親氏公一、初爲二嘉例一、其後洞院大納言實熙卿、有レ故配二干參州一、泰親公奉レ之甚謹、而饗應之式、有二不レ中レ禮者一、實熙卿曰、飮食者禮之本也、正二其本一者、有レ邦者之事也、今見レ君有二治レ世長レ民之器一、宜下定二其法式一以立中禮之本上也、泰親公大悦、招二膳職官人園部和泉守之族于京師一、講二求其式一、實熙卿亦參互斟酌、采二擇武門可レ用者一、隨レ時制レ宜、其後出征之日、始用二三獻之禮一、武威日盛、四方服從、寛永中御臺所頭天野圖書、撰二定韓使來聘公卿參向之饗式一、而歳首五節、一仍二參州之舊一、於レ是幕府燕饗之儀大備矣、是謂二當流一、既而圖書有レ罪處レ流、世少下知二其法一者上、或混二合他流一、儀制頗紊〈予〉先人得二當流傳法一、深究二秘奥一、貞享中、秋元但馬守喬朝、傳レ命使三先人
二正之一、雜者刊レ之、舛者糾レ之、盡得レ復レ舊矣、予恐三久而失二其傳一、是以繙二閲家記一、抽二其精要一、勒成二一書一、以貽二万代一、因書二當流之縁由一、以爲二之序一、 享保九辰暦初冬 小川藤原良恭謹識
p.0319 一式三獻の事 二梅干の事 三引渡熨斗の事 四三つ盃の事 五内外の事 六腸煎の事 七御手かけの事 八こぶ、搗栗の事 九熨斗の事 饗膳の事 十一杉盛の事 十二立松の事 十三〈本饗
盛〉 十四五節供の事〈○中略〉 右庖丁卷第一魂見眞言曰、 伊舍那天 焔魔天 帝釋天 羅刹天 金剛界 火天 水天 風天 地天 貽藏界毘沙門天 日天 梵天 月天〈守護所〉 四條家(○○○)傳授 薗部新兵衞尉 吉田五左衞門尉 薗部和泉守 羽田神右衞門尉 高橋權兵衞尉 高橋五左衞門尉 寛永十九年 〈午ノ〉五月廿一日 中村十右衞門殿
p.0320 色々の事 一庖丁仁覺悟兩樣に申候、板ゆるぎ候へば、よくをし直す共云、又包丁仁いろふはまじき事なり、見物衆板の足などにものをかふべしとも云、包丁仁は必えぼしかけをすべし、公方樣には進士大草兩流を御用候、流々あまたある事にて候間、一へんに不レ可レ有、舟中にては魚を常のごとくにはをくべからず、魚をかへす事をせず、其儘きる樣にをくべし、又大草流には、まなばしのさきをばかけすくきのやう成かねを、箸の先に入られ候なり、又刀をとりかへて切べからずと申候、又白鳥などの鹽鳥は、能つかへを引くつろぐべし、
p.0321 鳥を板にすゆる事、揔別包丁の事は進士大草兩流あり、鳥のくびを鳥の左の方へ折てすゆべし、出候同じ事成べし、
p.0321 生間流(○○○)料理 兩替町姉小路 生間
p.0321 料理人、鱔の不手際、生間流、
p.0321 五十間庖丁(○○○○○) 京都に五十間某とて、代々包丁の家あり、元来豊臣秀賴公に仕へし者也、大坂城亂の時、故有て京極宮に入て今に庖丁司たり、料理をする人多く此門下に客たり、其百日の鯉を截事、山蔭中納言殿に始り、今に庖丁の名譽とす、正月五十間氏に庖丁始といふ事あり、門人會して諸の魚鳥を料理すに、花美なる見物也、予〈○百井塘雨〉が見候時は、東山長樂寺の佐阿彌が亭にて有し、先其日の番組有て、奉書紙に書て出すに、料理人の國所姓名又料理の題名あり、第一の祝儀として熨斗包鯉とあり、一人は麻半上下を著し、眞那板長五尺計、幅貮尺計り、眞那箸庖丁を置、膝行して眞那板により、庖丁箸を取て種々の式ありて、先眞那箸を以て奉書紙を行の熨斗包に折形し、扨鯉の大なるを截立て、彼紙につゝみ水引を以て結ぶ、始終庖丁眞那箸にて、更に手を以てせず、斬て次第に出て料理す、都合十五番なりし中に、鰭通し鯛と銘せし物は、貳尺に餘る大鯛を、堅にして其口より鰭尾に至る迄三枚に卸す、又幣帛鯉といふは、鯉を横に堅に毛切にして、眞那箸に貫きたるは、則幣の形とす、左右の刺身離るゝ如くにて連れり、其餘は宗氏五十間氏倶利加羅鯛といふを勤らる、魚多鯛鯉、又鰈ありし、其手練無造作なるや目覺る見物也、其庖丁眞那箸と同じ長さ貮尺計也、兼て思ふ、庖丁は目釘にて固めし物やと、曾て左にあらず、時として拔る事あり、是を以て見れば、皆手の内の練磨にて、誠に業に熟せしなめり、人いふ西國の諸候、船にて上坂の時、料理人の者、眞 那箸にて大切の皿を挾み、海にて濯ひしといふも、又妄言ならじ、或人の説に、料理の始りは、魚名公の男四條中納言政具卿より庖丁起れり、爰を以て四條流などいへる、別て傳授とするは、五魚三鳥也、五魚とは、鯉、鯛、鰈、眞那鰹、鱸也、三鳥とは鶴、雁、雉子にして、各作法有て、又料理の調味少なからず、
p.0322 滋井入道〈○藤原實教〉宰相中將にて侍ける時、梶井宮にまいりけるに盃酌有けり、終座に成て宰相中將、今は柚まいらばやと侍ければ、すなはち參らせたりけり、或上達部〈經家卿と云々〉柚八柑七とこと葉をつがひて、八にきりたりけるを、宰相中將見て、あしく切つる物かなと思ひて、ともかくもいふことなかりけり、宮も御覽じて、何とも仰られざりけり、とばかり有て行算(○○)まいれやと仰られければ、等身衣にかりばかま著たるさぶらい法師の、みめよくつき〴〵しげなるまいりたり、その柚きりてまいらせよと仰られければ、こしより包丁刀をぬきたりけり、まづ興有てぞ見へける、ぞんずる所きりてまいらせたりければ、宮以下入興有けり、くだんの行算さゑもんばうは、行孝が弟也けり、其げい舎兄にもはぢざりけるとぞ、柚をば三切にぞ切たる、をよそ柚をきることは、盃酌至極の時の肴物也、盃を取人必ず三度呑事にて侍とや、
p.0322 園の別當入道(○○○○○○)〈○藤原基氏〉はさうなき庖丁者也、或人のもとにていみじき鯉をいだしたりければ、皆人別當入道の庖丁をみばやとおもへども、たやすくうち出んもいかゞとためらひけるを、別當入道さる人にて、此程百日の鯉をきり侍るを、今日かき侍るべきにあらず、まげて申請んとてきられける、いみじくつき〴〵しく興有て、人ども思へりけると、ある人北山太政入道殿〈○藤原公經〉にかたり申されたりければ、かやうの事おのれはよにうるさく覺ゆるなり、きりぬべき人なくばたべ、きらんといひたらんはなほよかりなん、何條百日の鯉をきらんぞとの給ひたりし、をかしくおぼえしと、人のかたり給ひけるいとをかし、
p.0323 三好家滅し時、料理庖丁の上手と聞えし坪内何がしといへる者、生どりとなりしが、放し囚にして有しに、年經て後、菅谷九右衞門に賄申ける市原五右衞門、坪内は鶴鯉の庖丁は云にも及ばず、七五三の饗膳の儀式よくしれる者なり、其上子ども兩人は既に奉公申候へば、ゆるされ候て、厨の事を司らせ申さんといひけるを、信長聞きて、明朝の料理させよ、其の鹽梅によらんとなりしかば、則坪内をして膳を出させけるを、信長食して、水くさくしてくはれざるよ、それ誅せよと怒られしかば、坪内、畏承候、今一度仕らん、それにても御心に應ぜずば腹切んといへば、信長許容せられけり、さてその翌日膳を出しけるに、味のうまき事殊の外によかりければ、信長悦て、祿あたへられけり、坪内、辱き由申して、さて昨日の鹽梅は三好家の風なり、けさの鹽梅は第三番の鹽梅なり、三好家は、長輝より五代公方家の事をとり、日本國の政をとりはからひぬれば、何事もいやしからず、其好む所第一等の鹽梅を昨日奉りければ、いやしみ給ふ事ことわりなり、けさの風味は、野鄙なるゐなか風にて候へば、御心に入たるなりといひければ、聞人信長に恥辱をあたへたる坪内が詞也といひあへり、
p.0323 庖丁上覽 家康公或とき御船にて被レ爲レ成、御船中御目通りにて御臺所方天野五郎太夫(○○○○○○)活鯉を料理庖丁仕候とき、鯉はね上り船外へ飛出候を、五郎太夫さわがず左の手に持候魚箸にて挾とり候、本多佐渡守扨も仕たりと譽て、御前にも御感被レ遊候半と存じけるに、御不興にていかひわたけものと上意なり、佐渡守一圓了得不レ仕打過たり、其後或時佐渡守御前に罷出候節、吾は秀忠へ恩を成すと上意なり、時に佐渡守承り仰までもなく、天下を御讓り被レ遊候上は、是に過たる事何か可レ有二御座一と申上る、いや〳〵天下は元より秀忠のものに定りたれば、恩といふにはあらず、總て古より大底に親增ても、外からは左に不レ思、まして少し劣りたるをば、大に劣りたる樣に思ひなすもの なり、萬事我だけ一はひに働ひて、子の事を思はぬはたはけ者也と上意有、そこで佐渡守先年の天野が事不審晴たりとなり、
p.0324 堅田祐庵(○○○○) 祐庵は北村氏、淡海堅田の浦の豪農にて、茶事に熟し物の味をしることは、いにしへの符朗易牙にも恥ず、傳る所の話多し、〈○中略〉かゝれば人に物を饗すること必つゝしめり、所がら湖中の鯉鮒の類を調ずるに、魚板數枚用ゆ、はじめ鱗をはなつより肉を切にいたるまで、次を追て板を轉ず、かくせざればうつり香ありてなまぐさしといへり、
p.0324 高橋圖南(○○○○) 高橋若狭守紀宗直老人、號は圖南、御厨子所預にして、庖丁は其家なれどもことに勝たりとかや、或時諸友六人會して庖丁を望むに、鯉一つを何の品もなく六ツに切られしに、能みれば六つの割、一分もたがはざりしに、皆其妙を感じぬ、
p.0324 樽三ぶ(○○○) 樽三ぶ〈樽屋三郎兵衞事なり〉は庖丁に名高きものなり、初呉服橋外油會所のわきに居れり、其のち中洲にいでゝより、やゝ評判おとろへたりといふ、深川升屋宗助(○○○○)〈升億とも號す、隠居して祝阿彌と云ふ、〉と肩をも並ぶる程の調理なりしが、天明二年壬寅四月十七日身まかりぬ、
p.0324 序〈○中略〉 割烹氏八百善(○○○)、所レ謂先得三我之所二同嗜一者也、其技殊精、其法尤密、是以其名喧二于都下一、雖二巨璫大畹之家一、其庖厨食單、皆期二於八百善一云、〈○中略〉鵬齋老人撰、
p.0324 江戸にて料理茶屋といふものむかしはなし、〈寛文の頃迄もすくなかりし、寛文八年申の十月中、町中諸職人諸商人共、茶屋拜借し座敷をかり、より合相談仕候こと相聞候、自今已後左樣の者、ざしき借候者共、借し申間敷候、凡ふれごと江戸中を南北中を分ち、月番にかはる〴〵三げんより觸出す、此時此方中通〉 〈を觸るに、茶屋一軒もなし、〉西鶴が置土産、〈元祿六年板〉近き頃金龍山の茶屋に、一人五分づゝの奈良茶をしだしけるに、器物きれいに色々とゝのへ、さりとは末々のものゝ勝手のよき事となり、中々上方にもかかる自由なかりきとあり、これは寛文のころ、けんどん蕎麥切出來て、それに倣ひて慳貧飯といふも出たり、江戸鹿子、食見頓金龍山、品川おもだかや、同所かりがねや、目黑と并び載、又奈良茶堺町ぎおんや、目黑かしはや、淺草駒形ひものや是なり、〈○中略〉江戸鹿子に、奈良茶は別に出して、金龍山には食けんどんとあり、おもふに他の奈良茶は、今の如く一ぜんめしにて、一椀づゝの定なるべし、金龍山は其後よき料理したりと見ゆ、こはさきの奈良茶やとは異なる歟、衣食住の記に、享保半頃迄、途中にて價を出し食事せむ事、思ひもよらず、煎茶もなく、殊に行掛りに茶屋へ料理いひ付ても中々出來せず、其頃金龍山の茶屋にて、五匁料理仕出し、行がゝりに二汁五菜を出す、人人好みに隨ひ、ことの外はやる、其後兩國橋の詰の茶屋、深川洲崎、芝神明前などに、料理茶屋出來、堺町にて一人前百膳といふもの出きてより、是又所々に出たり、湯島祇園豆腐、女川菜飯、居酒やの大田樂、湯豆腐始る、寶暦の始より、吸もの、小付飯、大平、しつぽくのうまみ、金龍山の料理は跡なく、夫より宮地端々おびたゞしく、わけて明和のころより、辻々に軒を并ぶる、〈安永の頃より辻賣の油あげ、燒肴、餅菓子、唐菓子、一夜ずし、くさぐさ筆に及ばずと云り、〉明和八年ごろ、深川すさきに、鹽やき場を開き、兩國橋づめと云、今もある中村屋、洲先は升屋宗助なり、是はするがの淺間の坊叔阿彌と云ものになれりとか、
p.0325 料理茶屋 百五六十年以前は、江戸に飯を賣る店はなかりしを、天和の比、始めて淺草並木に、奈良茶飯の店ありしを、諸人珍らしとて、淺草の奈良茶飯喰はんとて、わざ〳〵行きし由、近古のさうしに見えたり、〈本書より抄出し置きたれ共、坐右におきてむづかしければ引據せず、〉しかるに都下繁昌につれて、追々食店多くなりし中に、明和の比、深川洲崎に、升屋祝阿彌と云ひし料理茶屋、亭主は剃髪にて阿彌といふ名をつけしは、 京都丸山に倣ひたるなるべし、此者夫婦、人の機をみる才ありて、しかも好事なりしゆゑ、其住居二間の床、高麗縁なげし入り、側付を廣座敷とし、二の間三の間に座しきをかこひ、中の小亭、又は數奇屋鞠場まであり、庭中は推してしるべし、雲州御隱居南海殿、おなじく御當主の御次男雪川殿、しば〳〵爰に遊び給へり、此兩殿は其比の大名の通人なり、雪川殿のかくし紋、
此の如く川といふ字の羽織、名あるたいこ持は著ざるはなし、升屋祝阿彌、件のごとき大家ゆゑ、諸家の留守居者の振舞といふ事、みな升屋を定席とせり、其繁昌今比すべきなし、廣座敷に望陀覽の三字を鑄物になし、地は呂色、縁は蒔繪、四角に象眼のかな物、額長さ六尺ばかり、裏書漢文にて南海君の祝阿彌へ賜ふゆゑよし、二百字ばかり記しあり、嗚呼盛唐の宮閣も亡ぶる時あり、此額近ごろ質の流れを買ひしとて、或人の家にて見しが、後に聞けば、今の白猿に與へけるとぞいひし、天明に磯せゝりの通人が遊ぶ料理茶屋、葛西太郎〈隅田川より秋葉へ往く堤の下り口、今は平岩、〉大黑屋孫四郎、〈同所秋葉〉甲子屋、〈眞崎〉四季庵〈中洲〉二軒茶屋、〈深川八幡境内〉百川、〈室町横町〉
p.0326 四谷堀の内祖師、我等〈○小川顯道〉三十歳比迄は、地名をしれる人もなかりしに、近頃に至り、祖師堂はもちろん、堂宇の設も伽藍の如くに造建し、新宿より寺の門前迄、水茶屋料理茶屋(○○○○)、其外酒食の店、數百間簷をならぶ、
p.0326 貨食屋(れうりや)などは、年々歳々の流行あれば、然と定規には言難けれど、當時名高きは深川八幡前平淸、八幡社地に二軒茶屋、向ふ島に大七、武藏屋、平岩、〈昔葛西太郎と云し也〉小倉庵、今戸に金波樓、大七出店川口、〈お直とて通り名也〉橋場に柳屋、尾花屋、〈深川仲丁の女や爰に移、〉甲子屋、千束に田川屋、〈駐春亭とも、〉兩國柳橋に梅川、万八、是は書畫會舞ざらへ等の席玄冶店に杉板、爰らを上の分として、中分に繁榮なる料理屋頗る多し、靑物丁讃岐屋、下谷の濱田屋、同鴈鍋、王子の海老屋、扇屋、雜司谷に茗荷屋、淺草に万年屋、鰻屋にて極々上々筋違見付外深川屋、駒形の中村屋、鳥越の重箱鰻、淺草奴鰻、水道橋鰻屋、南で狐鰻、尾張 丁の鈴木、茅場丁の岡本、靈岸島の大黑屋、新地の荒井、親仁橋大和田、人形町の和田、茶漬屋は通り山吹宇治里、笹岡、兩國にて五色、淡雪、淺草に蓬萊、菊屋など、書出しては際限なし、此餘そばや、居酒屋始め、名代の鮓屋、てんぷら屋など數へる時は、一丁内に半分餘は食物屋なり、余が三都の見立に食の第一に見立しが、中々食物是程自在なる所は、見ぬ唐土にも有まじと思はるゝなり、 扨立延(たちのび)たる貨食屋(れうりや)には、京攝の如く女給仕に出、是を仲居とは呼ず、女子衆なり、御趣意後なくなりたれど、女郎屋の欠引する女を輕子と云し也、町々の仲衆を江戸にては車方を車力といひ、荷を運ぶ者を輕子とも云なり、扨も中より下の料理屋、煮賣屋、居酒屋、蕎麥や、芝居茶や、總一統に女はつかはず、皆荒男の若い者が運ぶことなり、見たる處、女氣なけねば我雜(がさつ)の樣なれ共、其男皆物いひは優(やさ)しく叮嚀なり、中にも芝居茶やの棧敷土間へ案内、或ひは食物を持運ぶも皆若い者の役にて、大坂のお茶の子などゝ違ひて、氣轉よくきゝて辨利甚よろし、
p.0327 昔は夜の煮賣御法度なり、寛文元年辛丑十二月廿三日、先日も如二相觸候一、町中茶屋煮賣仕候者、并振賣の煮賣、夜に入堅商賣仕間敷候云々、寛文十年庚戌七月、日暮六已後より煮賣可レ爲レ停二止一、前方相觸候、今程方々有レ之沙汰ども、彌可レ爲二無用一事、
p.0327 新茶屋町開發之覺 一表御門前新茶屋町煮賣茶屋(○○○○)取立の義は、元祿十五年午年、御地頭所樣御住職佛頂院樣新規門前町家御願被レ成候砌り、表門前は茶屋町ニ御願被レ遊候、翌十六未年、下谷廣小路御木具屋勝井吉左衞門と申者、日蓮宗より感應寺旦那ニ而御座候ニ付、吉左衞門被二召出一、佛頂院樣被レ仰候は、感應寺の義、其方存之通、天台宗に被二仰付一候以後は、旦方不レ殘離檀、殊の外貧寺ニ有レ之候處、我等に住職被二仰付一候得共、相續難レ成ニ付、此度門内三拾間切込、表門前ハ茶屋町ニ願請候、其方相働キ京都ニも有レ候間、いろは茶屋と名付、茶屋町取立可レ申旨、御願被レ遊候ニ付、右吉左衞門半兵衞兩人御請負 申上候得ば、則名主役義は吉左衞門ニ被二仰付一候、依レ之助左衞門、新十郎、半兵衞、左兵衞、何右衞門、吉左衞門、以上六人の名代ニ而御請負仕、未ノ三月より表門前中門前ニ有來り候寺家拾貮間同境内〈江〉引直シ、金貮百貮拾兩ニ而、大工作兵衞と申者ニ相渡シ、段々引地致し、御門前町家に取立申候、未五月頃、佛頂院樣半兵衞ヲ被二召寄一被レ仰候は、門前の義、吉左衞門ニ申付候處に、不働キ故引地不二埒明一、氣の毒ニ候、其方壹人成とも早々門前〈江〉引越、取立候樣に達而御賴被レ遊候、半兵衞申上候は、奉レ畏候、乍レ去私共只今迄罷在候所引越住居仕候上、若重而御住職御替り被レ遊候哉、如何樣の義も出來迷惑仕候義も可レ有レ之候、爲二末々一御證文壹通拜領仕、御門前取立申度段奉レ願候得ば、尤ニ被二思召一、御院代安立院樣、寺家御役僧現受院、圓曉院、了音院御連判、佛頂院樣裏書御判ニ而、永々無二相違一新茶屋町の地主共、役義可二相勤一候、若相勤兼候者は、子孫諸親類縁者の者成共、地屋敷讓り渡シ、役義相勤候樣にと、六人之地主共方〈江〉、名主吉左衞門宛名ニ而被二下置一候、依レ之早速地形普請仕、同十一月六日御門前〈江〉引越候處、同月廿九日類燒仕、家財諸道具書物等燒失仕候段、其節御訴申上置〈キ〉、其後半兵衞壹人又候小屋掛ケ普請仕、又々町内いろは茶屋取立候所、其後上野御用地ニ付、只今の所〈江〉引地被二仰付一候ニ付、又候茶屋取立新茶屋町と號、數年繁昌仕來り候、 一寶永四年亥六月、勝井吉左衞門名主代いの字屋庄兵衞と申者、不埒之義有レ之候ニ付、東叡山御執當樣より、表門前の義、御公儀樣〈江〉御願申上、潰し申樣にと、其節御住職先五佛院樣〈江〉被二仰渡一候ニ付、無二是非一御願被レ成、鳥居伊賀守樣御内寄合ニ而、御門前茶屋町御停止ニ被二仰付一候、依レ之庄兵衞義退役仕候、同七月十七日名主吉左衞門病身の由ニ而、名主役義差上申候、同十九日半兵衞に名主役義被二仰付一候間、翌廿日五佛院樣、半兵衞義御供ニ被二召連一、本多彈正少弼樣〈江〉御出被レ成、御取次高田半平殿迄、名主役替り候上は、以前之通いろは茶屋町取立申度旨、地主共願の段被二仰上一候處、御口上ニ而は埒明不レ申候間、口上書御持參被レ成候樣ニ被二仰渡一、十七日の日付ニ而、地主共三人、 感應寺へ願書差上置候由被レ仰、同廿三日御持參被レ成候、御取次明石新藏殿被レ仰候ニは、此願書の義は、上野御執當楞伽院〈江〉御届被レ成候樣ニと被レ仰候ニ付、則楞伽院樣〈江〉半兵衞御供ニ被二召連一御出被レ成、段々被レ仰候處、御合點の上、又候彈正少弼樣〈江〉御出被レ成、右願書被二差上一候得ば、御留置被レ成、明廿四日窮ニ罷出候樣被二仰候一候、依レ之翌廿四日五佛院樣、則半兵衞御供ニ而、明日被レ仰候通御伺ニ罷出候由御申上候得バ、私共右願之通被二仰付一候間、御月番堀丹後守樣〈江〉參リ、御帳面ニ付置候樣ニと、内山貞右衞門殿被二仰渡一候、依レ之直ニ丹後守樣〈江〉御出被レ成、御帳面ニ御附被レ成候、翌廿五日右の為二御禮一、地主共三人御供ニ被二召連一、五佛院樣彈正少弼樣へ御出被レ成、御取次山本杢右衞門殿〈江〉右の御禮被二仰上一、地主共三人御帳ニ付罷歸り申候而、以前の通表御門前茶屋町ニ取立、唯今迄數拾ケ年以來繁昌仕來候、右半兵衞より當名主迄六代名主役義無レ滯相勤來り候、
p.0329 天保十三壬寅年三月十九日御書付、端々料理茶屋渡世替被二仰出一候、以前迄、谷中茶屋町ニ料理茶屋(○○○○)渡世致居候もの左之通、 谷中天王寺表門前新茶屋町 〈松五郎店〉東屋吉五郎 〈同店〉金子屋長右衞門 〈甚吉店〉大津屋文藏 〈同店〉岡村屋久五郎 〈甚右衞門店〉越前屋六右衞門 〈左兵衞店〉福島屋佐吉 〈傳左衞門店〉木村屋總吉 〈和平店〉越中屋常吉 〈佐兵衞店〉成田屋孫三郎 同所總持院門前 〈善右衞門店〉萬屋たき〈後見〉久兵衞 〈同店〉島村屋淺五郎 右同斷煮賣臺屋(○○○○)と唱候者左の通 谷中天王寺表門前新茶屋町 〈長次郎店〉田川屋作次郎 〈同店〉武藏屋熊次郎 〈茂吉店〉駿河屋 七郎兵衞 谷中町 〈喜八店〉越後屋金次郎
p.0329 享和の頃、淺草三谷ばしの向に、八百善といふ料理茶屋流行す、深川土橋に平淸、大音寺前に田川屋、是等は文化の頃より流行せし料理屋也、或人の噺に、酒も飮あきたり、いざや八百 善へ行て、極上の茶を煎じさせて、香の物にて茶漬こそよからんとて、一兩輩打連て八百善へ行て、茶漬飯を出すべしと望しに、暫く御待有べしと、半日ばかりもまたせて、やう〳〵にかくやの香のものと、煎茶の土瓶を持出たり、かの香の物は春の頃よりいと珍らしき瓜茄子の粕漬を切交ぜにしたる也、扨食おはりて價をきくに、金一兩貮分なりと云、客人興さめて、いかに珍らしき香の物なればとて、あまりに高直也といへば、亭主答て、香の物の代はともかくも、茶の代こそ高直なり、茶は極上の茶にても、一ト土瓶へ半斤は入らず、茶に合たる水の近邊になき故、玉川迄水を汲に人を走らしたり、御客を待せ奉りて、早飛脚にて水を取寄せ、此運賃莫大也と被レ申ける、
p.0330 東都之大、閭閻闐噎、古稱二八百一、今餘二二千一、凡飮食之鬻二於市一者、五歩一樓、十歩一閣、魚標酒旆、絡繹相望、日本堤北、有二八百善者一、稱二都下第一一、公侯大人、命二割烹一競二奇饌一、美景良辰、期二賞心一約二樂事一、〈○中略〉 壬午〈○文政五年〉春日 蜀山人
p.0330 百川樓參會〈日本橋浮世小路〉 諸家振舞名弘宴、貸切更無二一日休一、浮世小路浮世客、百千來會百川樓、 萬八書畫會〈淺草平右衞門町柳橋北角〉 萬八樓上書畫會、不レ拘二晴雨一御來臨、先生席上皆揮毫、帳面頗付収納金、 田川屋料理〈金杉大恩寺前〉 風爐場淨在二于庭一、酔後浴來酒乍醒、會席薄茶料理好、駐春亭是駐人亭、 平淸會席〈深川〉 會席風流辰巳誇、坐鋪近對二水之涯一、尾花梅本山本客、馴染連來此地奢、 大七洗鯉〈向島〉 客込奥庭中二階、温泉石滑暖如レ蒸、酒肴色々喰來處、洗出鯉魚數片冰、 武藏屋濃漿〈向島〉 向島高名武藏屋、春花秋月客來頻、葛西太郎今何在、一碗濃漿風味新、 海老屋料理〈王子〉 欄干四面水潺湲、王子一番普請殷、初午稲荷權現祭、晩來賣切客空還、
p.0331 浮瀨 此遊宴の樓は、新淸水の坂の下にありて風流の席なり、遙に西南を見わたせば、海原往來ふ百船の白帆、淡路島山に落かゝる三日の月、雪のけしきは言もさらなり、庭中には花紅葉の木々春秋の草々を植て、四時ともに眺めに飽ざる遊觀の勝地なり、名にしおふ浮瀨幾瀨の貝觴をはじめ種々の珍觴、又七人猩々の大さかづき等を秘藏す、浪花に於て貨食家(りやうりや)の魁たるものなり、 一方樓 此家は難波村中の東にあり、江南隨一の大貨食家にして、宴席廣く美を盡し、庭前の林泉風流なり、さる程に諸祝儀の振舞、構内の參會、數百人の集客をも引うけて、饗應ごと他の小料理屋の及ぶ處にあらず、さればとて一兩輩の遊客たりとも、其饗應程よくして歡樂せしむるは、流石練磨の功といふべし、原より座敷料理むき萬寛濶にして苛つかず、僅の杯を傾るにも、花街に譬れば揚屋大靑樓等に遊ぶ心ぞせらる、
p.0331 貨食に名高き鳥越の八百善は、以前は客の誂らへにて自由なること出來たれど、當時は精進料理の仕出(○○)しのみをして、町家にて三十人五十人の法事佛事あれば、誂らへに任せ、朱黑靑漆とか、膳碗家具迄殘らず取揃へ、引菓子に至る迄揃へ、送り膳の提箱迄持來りて、勝手混雜なく殊に辨利よろし、諸道具は火早き所ゆゑ、内に有ども遣はず、皆誂らへること也、
p.0332 瓢箪茶漬〈日本橋浮世小路〉 俳偕之開小集筵、浮世茶漬忙二出前一(○○)、坐間並掛多少句、客人笑指是翁連、 八百善仕出〈新鳥越〉 八百善名響二海東一、年中仕出(○○)太平風、此家欲レ識二鹽梅妙一、請見數編料理通、
p.0332 金龍山奈良茶飯 事跡合考に云、明暦大火の後、淺草金龍山〈待乳山〉門前の茶店に、始て茶飯、豆腐汁、煮染、煮豆等を整へて奈良茶と名づけて出せしを、江戸中はし〴〵よりも、金龍山の奈良茶くひにゆかんとて事の外めづらしき事に興じけり、それよりおひ〳〵さま〴〵の美膳店出來しより、いつしか彼聖天の山下の奈良茶衰微におよびたり、〈案るに、これ江戸にならちやめしを賣るはじめなるべし、〉
p.0332 茶漬屋 茶漬飯ノ略也、京坂其始ヲ詳カニセズト雖ドモ、元祿六年印本西鶴置ミヤゲニ曰、近キ比、金龍山ノ茶屋ニ一人五分ヅヽノ奈良茶ヲ仕出シケルニ、器ノキレイサ色々調ヘ、サリトハ末々ノ者ノ勝手能コト也、中々上方ニモカヽル自由ナシ云々、金龍山ハ今ノ待乳山ヲ云也、一人五分ハ價銀五分也、是ニヨレバ、京坂ハ元祿以後ニ始ルコト明カ也、〈○中略〉右ノ奈良茶、皇國食店ノ鼻祖トモ云ベシ、 今世江戸諸所ニ種々ノ名ヲ付ケ、一人分三十六文、或ハ四十八文、或ハ七十二文ノ茶漬飯ノ店、擧テ數ベカラズ、〈○中略〉大坂道頓堀奈良茶飯、是江戸ヲ學ビタルベク、古クヨリ有レ之、其他新町ノ春日野一人三十六文、天王寺前ノ福壽、是ハ享和比ヨリ始ル、野中ノ轡屋ハ文政中ニ始ル、難波新地ノ朝日野、天保ニ始メ行レ、近來天滿ノ社前、博勞稻荷ノ前、三津寺前ニ店ヲ出ス、
p.0332 諸職名匠諸商人 奈良茶 堺町 ぎおんや 目黑 かしわや 淺草駒形 ひ物や
p.0333 濱田屋奈良茶〈山下佛店〉 茶碗大平鯉濃漿、煮附吸物鯛潮煮、坐鋪客夥濱田屋、混雜唯聞打レ手聲、
p.0333 文化十酉年三月廿八日 食類商賣人と申ハ 一雜菓子 一煮賣肴 一同居酒 一汁子團子 一水菓子 一菜飯 一飴 一料理茶屋 一奈良茶 一鮓 一茶漬 一蕎麥 一麥飯 一醴 一餅菓子 一煎餅 一揚物〈○揚物以下朱書〉 一蒲鉾 一漬物 一煮豆 一燒玉子 右五品ハ、文化十一戌年八月九日、樽與左衞門殿〈○江戸町年寄〉江伺之上、除ニ相成、
p.0333 文化元子年十二月十四日 食物商ひ之儀ニ付年寄〈江〉申渡〈根岸肥前守殿(江戸町奉行)御渡書〉 何品ニ寄らず、食物商ひ致し候者、前々より多分相增候儀、畢竟貴賤共、奢之心より無益之費を不レ顧故之事ニ候、此度江戸内食物商ひ致し候者、相調候處、六千百六十軒餘有レ之候間、此度右軒數委細帳面にいたし置、此上右商ひ相止メ、外商賣ニ相成候分、都〈而〉五ケ年之内減候分ハ減切之積相心得、來ル午年ニ至リ、軒數相改メ申聞候樣可レ致候、 十二月 右御書取御渡被レ成候ニ付、同廿一日、樽與左衞門役所ニ〈而〉、組々肝煎名主小口年番名主〈江〉申渡、 申渡 一勝手ニ〈而〉食物商賣相仕舞候分ハ、減切之人數ニ入候事、 一親子兄弟、或ハ養子致し、商賣相續之儀ハ承屆可レ申候、 一養子等ニ〈而〉家業相續致し候ニハ無レ之、右商賣體計、親類〈江〉相讓候儀ハ難レ成候、 一堺町、葺屋町、木挽町、并新吉原町之儀ハ、是又此度調之外ニ相心得可レ申事、 一日々出稼之食物振賣之ものハ、其日稼之儀ニ付、際限無レ之候間、此度調之外ニ可レ存事、 〈子〉十二月廿一日 文化八未年正月廿七日 食物商ひ之儀ニ付申渡〈小田切土佐守殿(江戸町奉行)御内寄合おゐて、根岸肥前守殿御渡書、〉 町年寄〈江〉 御府内町々食類商ひ之儀、去ル子年〈○文化元年〉改之上、有軒数六千百六拾五軒之内、六千軒を目當ニ致し、五ケ年之内ハ減切ニ致し、五ケ年過改之積被二仰出一、候間、減候分ハ勝手次第ニ致し、商賣相始候分ハ、右人數之外〈江〉不レ出樣、去ル子年申渡、年番名主肝煎名主〈江〉申含、總名主〈江〉も名前大帳を仕立、無二間斷一取調候積、樽與左衞門於二役所一申付候處、右五ケ年も相濟候故、去午年改取被レ掛候處、寅年春、芝車町より出火致し、稀成大火ニ〈而〉、諸商人共家財并商道具を失ひ、渡世可レ致樣も無レ之、當座之凌ニ食物商ひ致し取續、勿論其砌ハ上よりも格別之御救御手當も有レ之時節故、名主共も制方不二行屆一、勘辨も加罷在、子年極方より增候も有レ之由、尤當分之凌ニ相始候食物之商ひハ、調之上爲二相止一、商賣替可レ爲レ致候處、無二其儀一段ハ、支配之名主共不束ニ候得共、年限中、無二間も一大造之火災も有レ之候事ニ付、輕き者共急ニ商賣替致し候〈而〉ハ、難儀之筋も可レ有レ之と、是迄ハ吟味之不レ及二沙汰ニも一、此度格別之勘辨評議之上、猶又當未年より來〈ル〉亥年迄五ケ年、改方年延之儀伺之上申渡候、然ル上ハ 以來支配限名主共、其支配町々ニ食類商ひ候軒數を相調、可レ成丈ケ早速相減候樣取計、減候分ハ、當七月nan毎年七月十二月大帳ニ認メ、町年寄〈江〉申立、町年寄より兩番所〈○南北町奉行所〉江可二申聞一候、右ハ御慈悲之趣意を以、食物商賣減方をも被二仰付一候儀ニ付、右之趣嚴重に相守可二取計一候樣、得と名主共〈江〉も申渡候樣可レ致、 未正月 天保七申年四月 食物商人之儀ニ付町年寄より申渡 御府内町々食物商人共、文化元子年相改候軒數六千百六十五軒之内、六千軒を目當ニ致し、五ケ年之内減候分、減切申渡候處、年限中、同三〈寅〉年、芝車町よりの大火ニ〈而〉人數相增、一時ニ商賣爲二差止一候〈而〉ハ難澀之趣を以、同八未年中、伺之上、題帳差出、家業讓渡之儀、親子兄弟養子之外不レ爲レ致、右寅年相始候分ハ、寄々商賣替之積、減方取計候樣、五ケ年宛、追々年延申渡、去未年、年限ニ付取調候處、當時全ク五千七百五十七軒有レ之候間、今般右軒數を元高ニ相定、以來、取扱方、左之通可二相心得一候、 一不レ限二何品一、食物商之外、新規者勿論、縱令似寄之品取扱候ものにても、食物商〈江〉商賣替等も、一切不二相成一候事、 一相續之儀、以來親子兄弟養子之外にても、差障無レ之分ハ承屆候條、老衰又ハ病死等引受相續申出候節、都〈而〉是迄之通、當人町役人連印、其組合肝煎世話掛年番名主共之内加印可二申出一候事、 一所替、是迄之通差支無レ之分、當人雙方町役人連印之上、前條同樣加印ニ〈而〉可二申出一、名前替、家主替、印形改等も同樣之事、 一病死跡差當り相續人無レ之、後家娘姉妹等之名前等ニ致し候分、後見を付可二申出一、當人養子にて 及二離縁一、相續申出候ハヾ、家持ハ親類、地借店借ハ地受人店受人印形致し、是迄之通、前同斷連印可二申出一候事、 一御仕置等被二仰付一、減切相成候者ハ、其時々可二申出一候事、 一欠落致し、欠所ニ相成候分ハ減切、家財妻子〈江〉被レ下候分、相續是迄之通、前同斷連印を以可二申出一候事、 但是迄之通、堺町、葺屋町、木挽町、并新吉原町、且出稼之食物商人共ハ、右申渡之外ニ候事、 右之通相心得、以後共猶不二相弛一樣嚴重ニ可二取計一候、食物渡世之者、株式差定候筋ニは無レ之、右渡世柄之もの、人數不二相增一樣ニとの御趣意ニ候間、家業賣買ニ紛敷儀、并其最寄之組合之名目、或者行事等相立候樣之心得違無レ之樣、名主支配限、月行事持場所共、不レ洩樣壹人別ニ得と可二申聞一候、 右之趣者、町御奉行〈江〉伺之上申渡候儀ニ候條、可レ得二其意一候、 〈申〉四月
p.0336 鯉ばかりこそ御前にてもきらるゝ物なれば、やんごとなき魚なれ、鳥には雉さうなきものなり、雉松茸などは、御湯殿の上にかゝりたるも苦しからず、其外は心うき事なり、
p.0336 細川勝元淀鯉料理之事 管領右京大夫勝元は、一家無雙の榮耀人にて、さま〴〵のもてあそびに財寶をついやし、奢侈のきこえもありといへり、平生の珍膳妙衣は申に及ばず、客殿屋形の美々しき事言語同斷なりと云々、此人つねに鯉をこのみて食せられけるに、御家來の大名、彼勝元におもねりて、鯉をおくる事かぞへがたし、一日ある人のもとへ勝元を招請して、さま〴〵の料理をつくしてもてなしけり、此奔走にも鯉をつくりて出しけり、相伴の人三四人うや〳〵しく陪膳せり、扨鯉を人々おほ く賞翫せられて侍るに、勝元もおなじく一禮をのべられけるが、此鯉はよろしき料理と計ほめて、外のこと葉はなかりけるを、勝元すゝんで、是は名物と覺え候、さだめて客もてなしのために使をはせてもとめられ候とみえたり、人々のほめやう無骨なり、それはおほやう膳部を賞翫するまでの禮也、切角のもてなしに品をいはざる事あるべうもなし、此鯉は淀より遠來の物とみえたり、そのしるしあり、外國の鯉はつくりて酒にひたす時、一兩箸に及べば其汁にごれり、淀鯉はしからず、いかほどひたせども汁はうすくしてにごりなし、是名物のしるし也、かさねてもてなしの人あらば、勝元がをしへつること葉をわすれずしてほめ給ふべしと申されけるとなり、まことに淀鯉のみにかぎらず、名物は大小となく其德あるべきもの也、かやうの心をもちてよろづに心をくばりて味ふべき事と、その時の陪膳の人の子あるひとのもとにてかたり侍るとぞ、
p.0337 伊呂三絃に、其頃のひねりたる料理をいふに、何も入れずに鷄頭の葉のはしらかし汁、割ずるめにあらめ置合たる酒びて、是よりは古代靑鷺鹽鴨增ぞかし、とかく手づまのきいたかるい料理より、へたくろしう、うまきがよしといへる、今から見ればいとをかし、
p.0337 鮧(ナマヅ)魚は寛永の料理集にも載たれど、是は近在にあるを廣く擧たる物なり、大和本草に、箱根より東に是なしと有、これも又誤りなり、日東魚譜に、昔は江戸になまづなかりしが、享保十四年九月、井頭より水溢出たることありし、其より鮧魚出來けるよしみゆ、增補總鹿子に、往昔は此魚關東には曾てなかりき、享保年中より甚多くなれり、西國のなまづとは其形やゝ異なり、關東にては下品の人のみ食す、〈西國の産と異なりといへるは非なり、いづくにも色のかはれるあり、〉團魚を載せざるはこれもいと下品のものにて、賣ことも稀なりしにや、寛永料理集に、眞龜は吸もの、さしみ、石がめも同といへる、眞龜はすつぽんをいへり、浪花にてはもとより好て食たるものなり、諸艶大鑑、〈二〉世渡り とて丸魚(スポン)突になつて、天滿におはしける、其繪をみるに、ヤスをもて突て取なり、元祿曾我、伏見船の乘合にて、京の人と大坂の者と物爭ひする處、大坂の人、料理したすつぽんがあるが、京人、くゝし鹿子や紅染は、都でなければならぬ云々、京は其頃迄すつぽん食ふもの稀なりしを知べし、諸藝太平記〈四〉元祿十五年板、遊女がことをいふに、たとへ納戸ではすつぽんの料理をまいらうとも、それはしりてがない云々、又元祿十七年草子誰袖海に、京人江戸に下り居たる處、寒さは雞卵ざけにわすれ、すつぽんもくひならひ、雞のなき内はこれもましと云々あるをみるに、下賤の食物なり、それより寛延四年の江戸鹿子新增迄は五十年に近きに、猶産物の内にかずまへいれぬは、鮧よりも劣りたるものにてありしなり、寛延七年草子伽羅女に、新地堀江の料理茶屋にて、鰻のかばやき丸龜(スツポン)まいる云々、難波にては、其頃うなぎと並び行はれたり、江戸は下手談義に、賣卜者のことをいふ處、柳原の長堤に泥龜(スツポン)の煮賣と軒をならべと有、寛延寶暦の頃は、此體にて葭簀の小屋にて、今の山鯨の風情よりあさましき賣物と見えたり、〈是故にや、今は價うなぎよりも貴けれど、よきうなぎやには是を賣らず、〉
p.0338 千長、万松さんまだ分らぬものがある、此じの字の下へ○をかいたはこりやア何だらふ、万松、さればさ馬鹿〳〵しく聞れもしめい、あんまり知惠がねいやうだ、千松、旅の恥はかきずてだ、きいて見や正、オイ姉さん、此じの字の下へ○をかいたのはこりやア何だね、已前の女また奥よりいでゝ、女房、ハイ〳〵それはまるで厶り升、万松、わからぬかほにて、まるは知つて居るが、まさか四角とは見ねいが、其まるが分らぬのだ、千長、へゝ知れやした、姉さん團子のことだらふ、女大わらひにわらひふき出しながら奥へゆく、女房、イヘ〳〵めッさうな、コリヤお江戸でいふすつぽんで厶り升、万松、又やりそくなつた、なるほど土鱉(すつぽん)のことを上方で丸といふことはきいてゐたが、畫で○がかいてあるから分らねい、そして上にあるじの字は何の印だね、女房、ハイ ハイアレハじ○といふことで厶り升、千長、また分らねい、じ○とはどふいふ譯だね、女房、ハイすつぽんは宇治から出ますのが上品で厶り升から、宇治○とかきますので厶り升が、それを略して只じ丸とばかりかき升、また家によりましては、今ひとつ略しまして○と計もかき升處も厶り升、オホヽヽ万松、イヤじ○の講釋おそれいりやした、それをも肴に出してくんなせい、
p.0339 鱒の魚舟 同國〈○越中〉於矢部川は水流激して勢ひはやし、此川に鱒魚多し、毎年卯月のころ盛にいづるを、引あげましまゝにて脊腹ともに斷て、内に鹽をしたゝかふくませ、そのうへを靑竹幅一歩に削たる簾にまきしめ、靑苧にて、三ところむすびて、川中に積置、三十日ばかりをへて引あげもてなすに、味きこと龍のひしほに越るとて、國主へも貢し、諸士にも配りて後、鄕民等この川邊にいでゝ酒琴の遊宴を催す、これを鱒のなぶねとぞ申侍る、
p.0339 一鳥類上置(○○○○)之事 白鳥〈水舁又首骨〉鶴〈黄筋〉菱喰〈黑足〉雁〈水かき〉鴨〈赤足〉五位鷺〈夕顔〉雲雀〈掛爪〉鶉〈黄足〉水札〈尾花筋〉
p.0339 一から花(○○○)とは、薄板にて作りたる花なり、又結花の内にても、此國になきはなを云也、一小刺(○○)といふは、小串の物をいふ也、
p.0339 一改敷(○○)品々之事 鮑〈海草、〉鱸〈榎葉、〉海松〈榎葉、〉桃葉鯉〈桃花、〉生鰹〈庭床、〉鮎〈藤葉、〉鴈〈水草、〉霍〈蘆葉、〉鴨蘆鴫〈をもだか、〉鶉〈振笹、〉雲雀〈地草、又蔦芝草、〉 右之外鳥魚によからず檜葉を敷べし、又年葉の改敷といふ事有、口傳、
p.0339 一仁和寺殿競馬行幸御膳并御遊酒肴事〈保延三年九月廿三日、伊與守忠隆奉行、○中略〉 上達部酒肴 殿下前 酒肴五種〈酢鹽〉 盛菓子六種〈已上色々以二薄樣一爲二皆敷一(○○)〉 已上折敷二枚 大臣前 酒肴四種〈酢鹽〉 交菓子一坏 已上折敷二枚 上達部 酒肴四種〈中居二交菓子一〉 已上樣器〈小春日〉酒器例器也、〈已上以二薄樣一爲二皆敷一(○○)〉
p.0340 かひしき、くだものいそぎ、源氏物語あづまや、尼君のかたよりくだものまいれり、筥のふたに紅葉つたなどをりしきて、ゆゑなからずとりまぜてしきたる紙に、ふつゝかに書たるもの、くまなき月にふとみゆれば、めとゞめ給ふほどに、くだものいそぎにぞ見えける、此は薰が辨の方よりの歌に目をとむれば、菓に心の移るやと見ゆると、草子の地のたはぶれながら、此俗諺ありしなるべし、又あげ卷に、あじろのひをも心よせ奉りて、色々の木の葉にかきまぜもてあそぶ云々、是もかひしきなり、調味故實しぎの別足を包むことの處、下はをしきなり、つゝみたるはこうばいだんし、かいしきの葉はなんてんちく(○○○○○○)也云々、ふるくより南天は難轉の名詮にて、鏡の背のもやうに付、又手水鉢の旁に植る、〈甲陽軍艦〈九〉勝時を行ふ處に、なんてんの御水入と有などによる歟、〉一代女〈四〉泉州堺の處に、湊の藤見に、大重箱に南天を敷て、赤飯山の樣にして行ます、〈○中略〉庖丁聞書、改敷品々の事、〈○中略〉あり、何によりて箇樣に定めたる歟覺束なし、口傳と云る年葉は鳥柴成べし、調味故實に見ゆ、木は何にても鳥を付たる木を云にや、饅頭のかひしきは前にいへり、改鋪といふも假字書なるべし、古くかいのかなを用ふれど誤なるべし、かひにて飼と同意、物のあはひに插むをかひ物といふ是なり、くわへさすることなり、
p.0340 木は ゆづりはのいみじうふさやかにつやめきたるは、いとあをうきよげなるに、おもひかけずにるべくもあらずくきのあかうきら〳〵しう見えたるこそいやしけれどもおかしけれ、なべての月ごろは、露も見えぬ物の、しはすのつごもりにしもときめきて、なき人のくひ物にもしく(○○○○○○○)にや とあはれなるに、又よはひのぶるはがための具にもしてつかひためるは、いかなるにか、紅葉せん世やといひたるもたのもし、