https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0001 坐臥具ハ、坐臥ノ用ニ供スル器具ヲ謂フ、筵、薦、氈、毯代、疊、圓座、茵、軾、草墪、胡床、倚子、床子、兀子、枕、衾、夜著、蒲團等ノ類此ニ屬ス、
筵ハ、ムシロト云フ、或ハ席ノ字ヲ以テ之ニ塡ツ、竹、菅、藺、茅ノ類ヲ以テ作ル、稻筵、織筵、繪筵、長筵、短筵、廣筵、小筵京筵、國筵、唐筵等ノ別アリ、
薦ハ、コモト云フ、藁或ハ莞ヲ以テ作ル、蒲薦、藁薦、菅薦、折薦等ノ類アリ、
氈ハ、カモト云フ、獸毛ヲ以テ之ヲ作ル、
毯代ハ、音讀シテタンダイト云フ、布帛ヲ以テ作リ、毯ノ代用トセルモノナリ、毯ハ延喜造酒式ニ、八尺毯四尺毯ト見エタレドモ、古來多ク毯代ヲ使用セリ、冬日ニ倚子ノ下ニ敷ク所ニシテ、四角ニ鎭子ヲ加フ、或ハ床子、兀子、草墪ヲ置クベキ料トス、又蠻繪毯代ヲ公卿ノ臺盤ノ下ニ敷ク事モアリ、
疊ハ、タヽミト訓ズ、タヽミトハ物ヲ重ヌル意ナリ、或ハ之ニ帖字ヲ塡テ、古來、疊、帖、兩字ヲ混用セリ、疊ハ神代ヨリ見エテ、美智皮之疊絁疊、菅疊等ノ稱アレドモ、其製作ハ詳ナラズ、延喜掃部式ニハ、長帖、短帖、狹帖ノ製作ヲ載ス、各〻席ヲ以テ表ト爲シ、薦ヲ以テ裏ト爲ス、而シテ其兩緣ニ布帛ヲ施ス、之ニ繧〓緣、高麗緣等ノ別アリ、又其緣ヲ施サヾルモノモアリ、而シテ其 種類ニハ長短ニ就テ長疊、短疊ノ稱アリ短疊ハ又半疊ト云フ、又其厚薄ニ就テ厚疊、薄疊〈又薄緣ト云フ〉ノ稱アリ、疊ヲ作ル工人ヲ疊刺ト云フ、德川幕府ノ時ハ御疊方ト云フ者アリテ、疊屋ヲ監督シ、以テ營中ノ疊ヲ作ラシメタリ、
圓座ハ、ワラフダト云フ、叉音讀シテエンザト云ヘリ、其形圓ナリ、菅、藺、蔣等ヲ以テ作ル、其緣ナキモノヲ無面圓座ト云ヒ、是ヲ常用ノ物ト爲ス、緣アルモノハ、錦緣、高麗緣、紫錦緣、靑錦緣、紫緣等ノ數品アリテ、大饗等ノ時ニ用イル、此等ノ圓座ハ京筵ノ背ニ紙ヲ糊シ、綿ヲ包ミ、更ニ織物ヲ以テ表ト爲シ、生絹ヲ以テ裏ト爲シ、之ニ緣ヲ施セルモノナリ、凡ソ圓座ハ男子ノ專用トス、
茵ハ、シトネト訓ズ、又褥ノ字ヲ用イル、小町席ニテ作リ、布帛ヲ以テ緣トス、其形方ナリ、茵ハ一人ノ坐料ニテ、其大小ハ倚子、床子等ニ應ジ、少差異アルニ過ギザレドモ、二人以上ノ用ニハ稍〻大ナルモノアリテ、長サ九尺餘ナルアリ、而シテ諸司ニ在リテハ、黃帛緣ヲ以テ五位以上ノ料ト爲シ、紺布緣ヲ六位以下、主典以上ノ料ト爲シ、其緣ヲ加ヘザルモノヲ史生ノ料ト爲ス、是レ延喜掃部寮式ノ定ムル所ナリ、此外御座ニハ東京錦、繧〓等ヲ以テ緣ト爲ス、要スルニ茵ハ疊ノ上ニ筵ヲ敷キ、更ニ之ニ加フルモノナリ、
軾ハ、ヒザツキト云フ、儀式ヲ庭上ニ行フニ際シ、官吏ノ兩膝ヲ此ニ著ケテ坐スルガ故ニ此名アリ、
倚子ハ、イシト音讀ス、後ニハ、イスト云ヒ、又ユスト云ヒテ、倚子ノ字ヲ用イル、人ノ倚憑スルモノニシテ、欄アルアリ、欄ナキアリ、或ハ褥ヲ敷キ、蘆蔽ヲ敷ク、而シテ倚子ハ男子ノ用イル所ナレド、女子モ亦之ヲ用イシコトアリ、
承足ハ、シヨウソクト音讀ス、長サ一尺六寸許、高サ廣サ共ニ五寸許ニシテ、兩面ノ錦ヲ以テ 張ル、童帝ノ御倚子ノ前ニ置キ、以テ御倚子ニ倚リ易カラシムルモノナリ、
床子ハ、シヤウジト云ヒ、サウジトモ云フ、人ノ坐スルモノニテ、大中小ノ異アリ、又檜床子、白木床子、囊床子ノ製アリ、簀子床子ハ或ハ長床子ト云ヒテ、四位參議ノ連坐ノ用ニ供シ、獨床子ハ三位參議ノ專用ナリ、而シテ髹漆ヲ施セルモノニハ、赤漆、塵蒔、紫檀地螺鈿ノ數種アリ、凡ソ床子ハ男女通用ノモノニテ、女子ハ概ネ男子ヨリハ、較、低キモノヲ用イタルガ如シ、
草墪ハ音讀シテサウトント云フ、蔣ニテ圓柱形ニ作リ、表ニ錦或ハ絁ヲ張リ、裏ニ絁或ハ布ヲ張レルモノニテ、其大サハ延喜掃部寮式ニ高サ一尺三寸、徑一尺六寸、及ビ高サ八寸、徑一尺六寸ノ二種アリ、此物ハ陪膳采女ノ座ニ用イルコト普通ナレドモ、亦天皇、皇后、皇太子以下ノ座ニ供スルコトアリ、
胡床ハ、アグラト訓ズ、或ハ揚座(アグクラ)ノ意ナリト云ヒ、或ハ編座(アミクラ)ノ意ナリト云フ、而シテ呉床ト書ケルモノモ、卽チ胡床ニシテ、アグラト訓ズベク、倭名類聚抄ニ牙牀ヲ訓ジテ、久禮度古ト云ヘル物ト同ジカラズト云ヒ、或ハ相同ジトモ云フ、胡床ノ文字ノ史ニ見エタルハ、古事記ニ、天若日子ノ此ニ寢タリトアルヲ以テ始トス、而シテ延喜式等ノ諸書ニ據リテ考フルニ、胡床ハ之ニ踞スル具ニシテ、其製作ハ床机ニ似タルモノナルベク、又多ク衞府官人ノ用イル所タリ、
兀子ハ、ゴツシト音讀ス、親王及ビ公卿ノ用イル所ナリ、
脇息ハ、ケフソクト音讀ス、木及ビ布帛等ヲ以テ之ヲ作ル、人ノ之ニ憑リテ安息スル所以ノ具ナリ、
枕ハ、マクラト云フ、マクラハ纏座(マキクケラ)ノ義ニテ、古へ眞薦或ハ菅等ヲ纏キテ頭ヲ承クル座トセルヨリ名ヅケタリト云フ、枕ニハ製作ニ依リテ括枕、入子枕、箱枕等ノ名アリ、括枕ハ錦綾等 ノ布帛ヲ以テ之ヲ製ス、又原質ヲ以テ名ト爲スモノニハ、木枕、金枕、石枕、茶碗枕等アリ、木枕ハ沈、黃楊等ノ木材ヲ以テ之ヲ製ス、
衾ハ、フスマト云フ、臥裳(フスモ)ノ義ニテ、寢ヌル時、身ヲ被フモノナルニ因リテ名ヅケタリト云フ、後ノ謂ユル蒲團卽チ是ナリ、多クハ絹綾等ニテ作リ、長サ八尺、廣サ八幅或ハ五幅アリ、首ノ方ニハ、紅ノ練絲ヲ太ク縒リテニ筋並べ、横ニ縫ヒテ首ノ標トス、紙衾ハ紙ニテ製シタル衾ナリ、古へ民間ニテハ、多ク之ヲ用イタリ、江戸ニテハ之ヲ天德寺ト云ヒテ、德川幕府ノ中世マデハ行商スルモノアリシガ、後ニハ絶エタリ、
宿直物ハ、トノイモノト云フ、宿直ノ時ニ用イル臥具ナリ、其製大略今ノ夜著ニ同ジクシテ、袖ノ下衽襟ノ兩脇ニ六七寸ノ總ヲ附クルヲ例トス、宿直物ニ對シテ常ノ臥具ヲ夜衣トモ夜物トモ云ヒシガ、後ニハ夜衣ヲモ宿直物ト稱スルニ至レリ、宿直物ノ袋ハ宿直物ヲ入ルヽ袋ニシテ、後ノ番袋(ハンブクロ)ト云フモノ卽チ是ナリ、
夜著ハ、ヨギト云フ、夜寢ヌル時ニ著ルモノナリ、夜著ノ名、古書ニ見エズ、古ヘニ謂ユル宿直物ト云ヘルハ卽チ是ナリト云ヒ、或ハ夜著ヲ專ラ用イルコトヽナリシハ、慶長元和以後ニテ、ソレヨリ以前ハ、小寢卷トテ、常ノ衣ノ少シ大キナルヲ下ニ著テ、其上ニ衾ヲ被ヒテ寢ネタリトモ云フ、太平記ニ夜衣、宿衣ヲヨギト訓ゼリ、後ノ謂ユル夜著ナリヤ否ヤ詳ナラザレドモ、産所之記ニ、ヨギノ名見エタレバ、足利幕府ノ頃ニハ旣ニ世ニ行ハレタルコト明ナリ、蒲團ハ、フトント云フ、元ト圓座ノ類ニシテ、褥ヲ謂フハ誤ナリト云ヒ、或ハ古ヘノ布單ヨリ轉レル名ナリトモ云ヘリ、懸(カケ)蒲團ト敷(シキ)蒲團トノニ種アリ、懸蒲團ハ卽チ古ヘノ衾ニシテ、敷蒲團ハ卽チ褥ナリ、
蚊帳ハ、カヤト云ヒ、或バカチヤウトモ云フ、蚊屋ノ名ハ旣ニ播磨風土記、大神宮儀式帳及ビ 延喜式等ニ見エタレドモ、古ハ富貴ノ人ニアラザルヨリハ、蚊帳ヲ用イルモノ甚ダ少ク、多クハ蚊遣火ヲ燻ジテ僅ニ蚊ヲ驅フニ過ギザリシガ足利幕府ノ頃ヨリ、今ノ如ク上下一般ニ之ヲ用イルコトヽナレリト云フ、其製近世一般ニ用イルモノハ、萌黃ノ布ヲ以テスレド、或ハ花鳥等ノ摸樣ヲ染メ出シ、或ハ刺繡ヲナセルモノアリ、又二重蚊帳トテ、二重ニ之ヲ作り、其間ニ螢ヲ放チテ娯樂ニ供スルモノアリ、又母呂(ホロ)蚊帳ト稱ス戸モノアリ、其形母呂ニ似タルニ因リテ名ヅク、又棉帳、紙帳アリ、棉帳ハ木綿ヲ以テ之ヲ製シ、紙帳ハ紙ヲ以テ之ヲ製ス、共ニ價廉ニシテ貧民ノ用イルモノナリ、德川時代ノ中頃マデハ、夏季ニ向ヘバ蚊帳及ビ紙帳ヲ賣リ步キシガ、後ニハ店頭ニノミ之ヲ鬻クコトヽナレリ、

筵/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十四/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 筵 説文云、筵〈音延、和名無之呂、〉竹席也、遊仙窟云、五綵龍鬢筵、〈今按、俗又有九蝶筵、依文名之、〉唐韻云、席〈音與藉同、訓上同、〉薦席也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈六/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005引竹部文、按筵字從竹、其爲竹席知也、而統言之、則凡席亦可筵、周禮司几筵注、筵亦席也、是也、然引説文竹席之解、似單訓无之呂釋名筵衍也、舒而平之、衍々然也、〈○中略〉九蝶筵未聞、

〔段注説文解字〕

〈五上/竹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 〓、竹席也、〈周禮司凡筵注曰、筵亦席也、鋪陳曰筵、藉之曰席、然其言之、筵席通矣、按、司几筵掌五几五席之名物、筵席不別也、五席不竹、惟後鄭説、次席是桃枝席、又説顧命、蔑席、底席、豐席、筍席、皆爲竹席、許釋筵爲竹席者、其字从竹也、〉从竹延聲、〈以然切、十四部、〉周禮曰、度堂以筵、〈匠人職曰、室中度以几、堂上度以筵、〉筵一丈、〈此釋周禮也、周禮曰、度九尺之筵、此不合、未詳、〉

〔諧聲品字箋〕

〈二/年〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 筵〈(中略)近代以酒饌筵席者、古人席地而坐、飮食列焉、後雖几設案、仍名筵席、又賓甫就席名初筵、帝王講席爲經筵、神主所在鶯几筵、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈无/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 筵〈厶シロ、音延、俗從〓非也、〉 〓〈龍鬟〓、今案筵草名也、〉 〓〈已上同、毛席也、漢書音義曰、蘇武窖中嚙雪與一レ〓、〉

〔運步色葉集〕

〈無〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 筵(ムシロ) 席(同)

〔倭訓栞〕

〈前編三十一/牟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 むしろ 筵席をいふ、裳代の義、裳は敷裳をいふ成べし、

〔古事記〕

〈下/履中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 故其隼人飮時、大鋺覆面、爾取出置席下之劒、斬其隼人之頸

〔古事記傳〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 席は牟斯呂(ムシロ)と訓べし、〈書紀垂仁ノ卷、顯宗ノ卷、齊明ノ卷などに、シキイと訓たり、其も古言とは聞えたれど、〉書紀仁德ノ卷ノ歌に、椰須武志呂(ヤスムシロ)とあり、和名抄に、筵、和名無之呂、席訓上同、

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 四十年三月、〈○中略〉於是天皇聞隼別皇子逃走、卽遣吉備品遲部雄鯽(ヲフナ)、播磨佐伯直阿俄能胡曰、追之所逮卽殺、〈○中略〉雄鯽等追之、至菟田於素珥山、時隱草中僅得免、急走而越山、於是皇子歌曰、破始多氐能(ハシタテノ)、佐餓始枳椰摩茂(サカシキヤマモ)、和藝毛古等(ワキモコト)、赴駄利古喩例麼(フタリコユレハ)、椰須(ヤス)武志呂(ムシロ/○○○)箇茂(カモ)、

〔釋日本紀〕

〈二十五/和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 椰須武志呂固茂(ヤスムシロコモ)〈安ス席也、私記曰、是安席也、〉

筵種類

〔倭訓栞〕

〈前編三十一/牟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 むしろ〈○中略〉 歌に狹むしろ、藁むしろ、綾むしろ、苔むしろ、稻むしろ、菅むしろ、萱むしろなどよめり、細貫筵、五綵筵、弘筵は江次第に見え、小町筵、食筵、龍鬂筵、廣席、狹席、東席、長席、出雲席、葛野席、黑山席は延喜式に見ゆ、黑山は河内丹比郡の郷名也、ゐむしろは藺席也、かまむしろ越席(クロワ)也、くずむしろは葛席也、播磨筵は秘密笹に見ゆ、豐島筵は庭訓往來に見ゆ、小筵は雲圖抄に見ゆ、花筵は藺を染て織たる也、暹羅(シヤムロ)人の傳なりといへり、拾遺集に、ながむしろあり、續後拾遺に、からむしろ有、まさすけに、やまとむしろあり、又さしむしろあり、深緣指筵は四方緣のつきたる也、又伊勢班席あり、神鳳抄に端裏筵あり、類聚雜要に表筵あり、

〔松の落葉〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 むしろ
むしろはくさ〴〵あり、廣筵、長筵、狹筵、小筵は、そのかたちによりていひ、出雲筵、信濃筵、あづま筵は、おり出す國によりていひ、たかむしろ、菅むしろ、綾むしろは、しなによりていへり、又張筵といふあり、これはとにはりて、麈のたち來るをふせぐものなり、西宮記四の卷、相撲のくだりに、三府佐著牀子張筵云々、有飛塵者、主殿灑水掃除撤張筵とあり、又細貫筵といふもあり、江家次第一の卷、相撲召合の條に、敷滿廣筵幷細貫筵とあり、ほそくながき筵なめり、さてたゞ筵といへる中 に、菅なるも、絹なるもあり、こゝろとゞめて見ざれば、あやまりぬべし、西宮記十一の卷に、件廂敷信濃廣筵四枚、中敷毯代とあるは、竹菅やうのむしろにて、あら〳〵しければ、毯代をうへにしけるにぞあらん、同記十九の卷に、夏不菅圓座、敷出雲筵とあるも、同じやうの筵とおもはる、江家次第三の卷に、數膝突小筵參議座とあるは、よき人の座なれば、よきむしろにぞありけん、源氏物語夕顏の卷に、御車よす、此人をえいだきたまふまじければ、うはむしろにおしくゝみて、惟光のせたてまつる、したゝかにしもえせねば、髮はこぼれいでたるも云々とあるは、きぬのむしろにて、萬葉集の歌によめる、綾むしろのたぐひなめり、夕顏のうへのしきてねたまへるものに、そのまゝつゝみたるさまにて、やはらかなるむしろと見ゆ、うはむしろといふは、したにものしきて、うへにしくゆゑにさいへり、西宮記十八の卷に、設冠者親王座〈用土敷二枚幷表席褥〉とあるにてもしられたり、大鏡五の卷に、たゝみのうはむしろにわたいれてぞ、しかせたてまつらせたまふ、ねたまふときには、大なるのしもちたる女房三四人出きて、かのおほとのごもるむしろをば、あたゝかにのしなでゝぞ、ねさせたてまつりたまふとあり、たゝみとは、たゝみかさねたるうはむしろをいへるにぞあらん、のしなでゝといへるやう、きぬのむしろなり、又古歌に、狹むしろに衣かたしきひとりぬるよしによめるはねやにいらず、うたゝねしたるさまにて、今の世に小ぶとんといふものしきて、まろねしたるさまなれば、これもきぬのならんとぞおもはるゝ、さればいにしへむしろといひつる中には、竹なるもあり、菅なるもあり、絹なるもあることをこゝうえて、ふるき書をば見るべきことになん、

〔堤中納言物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 よしなしごと
たびのぐにしつべきものどもやはんべる、かさせ給へ、〈○中略〉むしろはありそうみのうらにうつなる、いづもむしろ(○○○○○○)にまれ、いきの松ばらのほとりにいでくなる、つくしむしろ(○○○○○○)にまれ、みるをが うらにかるなる、みつぶさむしろ(○○○○○○○)にまれ、そこにいる入江にかるなる、たなみむしろ(○○○○○○)にまれ、七でうのなはむしろ(○○○○○)にまれ、侍らんをかさせ給へ、またさなくば、やれむしろにてもかさせ給へ、

以原質爲名

〔倭訓栞〕

〈中編二/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 いなむしろ(○○○○○) 日本紀の歌にみゆ、稻席の義、河の枕詞によめるは、苔席の稻に似たるよりいふといへり、萬葉集にいなうしろとも見えたり、うとむと通へり、一説に寢席皮とつゞけり、皮の疊の事、古事記、萬葉集等に見えたり、よて又萬葉集に敷ともつゞけいへりとそ、後の歌には、稻の筵に似たるをも、稻を筵にしくをも、又稻こくに用うるわら筵をいへり、

〔日本書紀〕

〈十五/顯宗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 天皇次起自整衣帶室壽曰、〈○中略〉壽畢、乃起節歌曰、伊儺(稻)武斯(席)廬、寄簸(河)泝比(副)野儺(柳)擬寐逗愈凱(水行)麼、儺弭(靡)企於巳(押)陀智(立)、曾能(其)泥(根)播宇世儒(不失)、

〔日本書紀通證〕

〈二十/顯宗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 伊儺武斯廬〈稻席也、謂藁織者、萬葉集云、玉戈之道行疲、伊奈武思侶、敷而毛君乎、將見因母鴨、其屬乎次句者以柳枝靡水之狀、譬之稻席也、〉

〔住吉社歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 嘉應二年十月九日
旅宿時雨
二十二番 左 淸輔朝臣
いなむしろしきつの浦の松風はもりくる折ぞ時雨ともしる〈○中略〉
左歌、まつの風に時雨をまがへてもりくちおりぞ時雨ともしる、といへる心よろしくみゆるを、このいなむしろは、しきつの浦といはんためをけるなるべしとはみゆれど、いなむしろのほんたいを思ふに、しきつのうらにことよかるべしとこそおぼえ侍ね、かはぞひやなぎのかげ、もしは田家などのたびねならば、おかしかるべし、住吉の松の下にはいなむしろしくべしともおぼえ侍らのなりまたいなむしろばかりにて、旅のこゝろあるべしそもおぼえぬ、いかが、

〔倭訓栞〕

〈前編三十八/利〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 りようびん(○○○○○) 雅亮抄に、りうびんは色々にまだらなるむしろといへり、延喜 式、江次第に龍鬢と見え、晉東宮舊事に、龍鬢席、〈○説郛所引東宮舊事作龍鬚席〉遊仙屈に、五綵龍鬢筵といへり、定家明月記には龍鬚とあり、龍鬚はほそゐ也、此龍鬚草をもて織成をいふ、龍須席、通鑑に見ゆ、龍鬚をよづるは不祥の故事なれば、龍鬢と改めたるかといへり、一説に、龍鬚の音、兩主に近きをもて避る也ともいへり、今綵席をよびて龍鬢といひ、俗にはなござといふは、遺制なるべしともいへり、抄に俗又有九蝶筵文名之と見ゆ、

〔遊仙窟〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 今朝見好人、卽相隨上堂、珠玉驚心、金銀曜眼、五彩龍鬢席(ヒンノムシロ)、銀繡綠邊氈、〈○下略〉

〔蘇氏演義〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 孫興公問曰、世稱黃帝煉丹於鑿硯山、乃得仙乘龍上天、群臣援龍鬚、鬚墜而生草曰龍鬚、有之乎、答曰無也、有龍鬚草、一名縉雲草、世人爲之妄傳、至今有虎鬚草、江東亦織以爲席、號曰西王母席、可復是西王母乘虎而墮其鬚也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈六/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 筵〈○中略〉原書〈○遊仙窟〉筵作席、龍須作席、見古今注、中山經注等諸書、未龍鬢席之名、按唐宋間俗寫有鬚字作鬢者、詳身體類髭鬚條下、則知龍鬢卽龍鬚俗字、然内藏寮式有龍髭筵、民部省式有龍鬂席、蓋皇國古人誤認爲鬢髮字、遂作鬂也、

〔安齋隨筆〕

〈前編二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 龍鬂筵 右同式〈○延喜内藏式〉に龍鬂筵三十枚、細貫筵二十枚あり、龍髭は彩席なり、白石翁の説也、俗ニ云ハナゴザ也、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 りうびん 龍鬢
思ふに、これは疊の一重しとねなり、今の世に段錦(ダンニシキ)といふ物を、りうびんと覺えたるはいかにぞや、唐に龍鬢席あり、その物をいふか、また今薩摩のくにより出る疊に龍びん有、目のあらさ壹寸ばかり有て、甚あつく、藺の太さ常には四五筋合たるが、長さは幅とほりたる有、是古への物なるべき歟、

〔三養雜記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 龍鬢 疊を龍鬢といふは、龍鬚の誤なり、そは席を造る草を龍鬚草といへり、その草の生茂たるが、龍の鬚に似たるより負せし名なり、晉東宮舊事に、太子有獨坐龍鬚之席、國淸百錄に、龍鬚席一領、唐書地理志に、鳳翔府土貢榛實龍鬚席などくさ〴〵見えたれば、その誤はくはしく辨ずるに及ばざれど、吾邦にそのあやまり來れるも亦ふるし、雅亮裝束抄にりうびんを二枚しきて、寬治二年記に、龍鬢筵靑地錦緣といふことあり、はやく已に遊仙窟に龍鬢席に作れり、注に燈心とゐれば、藺草なることしるべし、〈○下略〉

〔三中口傳〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 〈三條〉一鋪設裝束事
龍鬢事
靑地錦緣〈弘三寸計四方著之〉濃打裏ヲ付也、白生絹ヲ裏ニ付ル事ハ極非例也、或東京錦緣裏同前也、
后宮御所御裝束時、母屋帳臺外邊敷ノ上ニ敷之、
或大文高麗緣裏同前 立后幷大饗時大臣座敷之、
以上寸法ハ、皆疊ノ面ト同寸法ニ可調也、敷時ハ四方ヲ所々疊ノ上緣幷上下ニ左右頭ニ閉目ヲ不見之閉付之、

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 もやひさしのてうどたつる事
はしかくしのまには、うげん二帖をおくのはしらにそへて、にしひんがしにしきて、うへにりうびんを二枚しきて、その上にしとねをしく、それもとづべしりうびんはいろ〳〵にまだらなるむしろに、あをぢのにしきのへりのひろさ三寸ばかりなるを四方にさしまはして、こきうちうらをつけたり、ひろさながさたゝみにおなじ、

〔延喜式〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 諸國年料供進
龍鬂筵卅枚、細貫筵卅枚、 右武藏國交易所

〔延喜式考異〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 龍䰅筵〈右三行〉䰅、諸本作鬢鬂、今改作䰅、考具于民部式

〔延喜式〕

〈二十三/民部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 交易雜物
武藏國〈(中略)龍䰅席卅枚○中略〉 右以正税交易進、其運功食並用正税

〔延喜式考異〕

〈二十三/民部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 龍鬚席〈右三行武藏〉鬚、刻本及和名抄等作鬢爲非、〈和名抄引遊仙窟、遊仙窟亦作鬢、〉京本作鬚、林貞亯二本作䰅案䰅須鬚同、作鬚䰅是儀式、唐六典作䰅、〈踐祚大嘗式云、錦端龍䰅御帖二枚、六典貢龍䰅席者、岐隴涇窶鄜坊丹汾晉凡九州也、〉玉海、中右記作鬚、〈玉海、文治二年七月節供云、敷高麗端、其上敷龍鬚一枚、中右記、嘉保二年四月廿二日、齋内親王御禊、頭之上卿座舗設亦作龍鬚、〉龍須草名、織席者、龍須虎須一物二種、龍䰅緊小而瓤實、虎䰅稍粗而瓤虚白、虎䰅卽燈心草也、刻本及和名抄作鬢非、席、内藏式作筵、〈細貫同〉
○按ズルニ、雲州版延喜式ニ龍鬢ヲ龍鬚ニ作リ、其考異ニ之ガ説ヲ爲セルコト右ノ如シ、然レドモ諸本皆龍鬢ニ作レルヲ以テ今從ハズ、

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 東宮御元服
母屋南東西三面懸御簾、其中敷滿長筵、其上供高麗端帖等御茵、有上敷、龍鬢筵也、

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 寬弘九年〈○長和元年〉四月廿六日、〈○中略〉匠作以興光朝臣送云、土敷料龍鬢筵二枚、不求得者、付興光朝臣送求數了、

〔玉造小町子壯衰書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 洛川廻雪常處袖中、羅韈綾鞋集龍鬢之席(ムシロノ)〈一作筵〉表(ウヘコ)、緗履(ハナダノ)帛跣、〈一作履〉並象牙之床端

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 筵〈音延〉 席〈藉同〉 無之呂 蔣席 閉利止利 佳文席(ハナムシロ) 繪筵
筵總名、而有竹筵(○○)、莞席(井 ムシロ/○○)、蒲席(カマ/○○)之異、〈○中略〉
茅筵(チワ/○○)〈知波無之呂〉出於豐後府内、取茅浸温泉軟織、

〔千載和歌集〕

〈十三/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0011 堀河院の御時百首の歌奉りける時、戀の心をよめる、 源俊賴朝臣
あさでほすあづまをとめのかやむしろ(○○○○○)しきしのびてもすぐすころかな

〔夫木和歌抄〕

〈三十二/筵〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 家集寄筵戀 前中納言定家卿
あづまのゝ露のかりねやかや筵みゆらんきえてしきしのぶとは

〔續後撰和歌集〕

〈十四/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 入道前攝政家戀十集歌合に、寄筵戀、 藻壁門院但馬
一夜ねしかり初ぶしのかや筵今は涙をかさねてぞしく

〔新後拾遺和歌集〕

〈十/羇旅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 旅歌の中に 常磐井入道前太政大臣〈○藤原實氏〉
かりねする岡のかやねのかや筵かたしき明す旅の露けさ

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 筵〈○中略〉
藁筵(ワラムシロ/○○)〈麤筵〉處々皆織之、農家乾穀包綿、又代疊表、其用最多也、凡蓆雙目(コザハモロメ)、筵片目以爲異、

〔碩鼠漫筆〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 いなばき筵(○○○○○)
上京或は近江邊に、いなばきと呼ぶ筵あり、こは古くよりある物にや、今江戸にて云ふ餅むしろ(○○○○)に似たりと、或京師人のふと問し事有しに、うちつけには覺悟なき事ゆゑ、しらのよしを答へたりき、偖その後におもひがけず、是彼より見いでたれば、書とりて遣したり、そはさして益もなき物から、實悟記〈春村按に、實悟は、本願寺第八世蓮如上人の第十子、願得寺兼俊と云し僧なり、〉云、野村殿ニテハ報恩講七日ノ間、廿一日ノ晩景ヨリ、緣廊下御堂ノ緣、御堂へ參、候、道スガラコト〴〵クイナバキ(○○○○)ヲシカレ候事ナリ、御堂ノ大庭ニハ、イナバキヲ繩ニテツナギテ、總ノ庭ニシカレ候、雨フリ候ヘバ、マキテ内ヘトラレタル事ニテ候、聽聞衆庭ニ各イナバキノ上ニ、堪忍アリガタキ事ナリト、毎年各被申事ニテ候、〈中略〉野村殿ニ實如上人御座候時、〈年記忘〉江州山家へ、將軍義種御沒落之時、〈春村按に、永正十年三月十八日に係る、山家は、甲賀山中也、又義種は諸記義稙に作れり、〉都へ御歸洛之時、〈按に五月三日なり〉伊勢貞宗江州へ御迎ニ參候之時、山科葬所通候トテ、御坊へ被申入候事ハ、此葬所ヲ御所御通候ベキ由申テ、葬所如何候間、無常堂ノ跡前ソトヲ、ツヽマセラレバ可然由、貞宗被申入シカバ、安キ事、報恩講大庭ニシカルヽイナバキヲモタセ、打カケ〳〵ツヽマ セラレ、卽時ニ一圓ニ堂モミエヌ樣ニ、ツヽマセラレ候ヘバ、勢州キモヲツブシ、此大ナル堂ツヽマレタル事ハ、何方ニモ不有候トテ、貞宗感ジ候ケルト、其比ノ沙汰ニテ候ツル事ニ候〈中略〉正月十五日ノ間モ、山科殿ニテ御堂緣南殿北殿道スガラ、皆イナバキヲツナギシカレタル事ニテ候、當時モ覺タル人モ御入候ベク候云々、築城記云、弓カクシバ三尺ばかりに在之、いなばき筵まづは可然候云々、甲陽軍鑑卷十九〈信玄居士葬送條〉云、道六間廣く、兩方に虎(モガリ)落をゆひ、いなばきを敷、其上に布をしき、其上に絹をしき云々など見えたり、但此等よりもはるかに古き、應安二年の田畠注文〈正木文書中所收〉に、許多(アマタ)ところあるをも見し事あれば、重ねてこゝにしるしそふべし、又出羽國本莊人云、我郷にては上品の筵を、庭ばきと云ふといへり、恐らくは是も同物にて、はきとは散こぼれたる稻穗を、掃よする義なるべし、

〔甲陽軍鑑〕

〈十九/品第五十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 一天正三年乙亥四月十二日に、信玄公御とぶらひこれあり、〈○中略〉道六間廣く、兩方に虎(もがり)落をゆひ、いなばきを敷、其上に布をしき、其上に絹をしき、勝賴公〈○中略〉御親類衆、各御龕に手を懸、御供なされ候、

〔倭訓栞〕

〈中編十六/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 とむしろ(○○○○) 藤席をいへり

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 藤筵(とうむしろ)
按、藤筵、滑美而勝於簟、浴室及納凉鋪之、柬捕寨(カボチヤ)、太泥(ダニ)、六甲(ロツコン)、咬〓吧(ヂヤガタラ)等南國出之、

以製作爲名

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 織席(○○)一枚、〈長九尺、廣五尺、〉料擇藺一圍、苧十五兩、長功十人、〈五人織手、五人刾藺手、〉中功十二人、短功十四人、
織席一枚、〈長九尺、廣四尺、〉料擇藺二尺八寸、苧十三兩、長功十一人、中功十一人、短功十二人、
織席一枚、〈長九尺、廣三尺六寸、〉料擇藺二尺四寸、苧四兩、長功八人、中功十人、短功十二人、
織席一枚、〈長九尺、廣三尺二寸、〉料擇藺二尺四寸、麻十三兩、長功八人、中功十人、短功十二人、

〔倭訓栞〕

〈中編二十三/保〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 ほそぬきむしろ(○○○○○○○) 延喜式に細貫筵と見えたり、細貫川の名此より出たるにや、

〔新儀式〕

〈五/臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 三等已上親喪服錫紵
其儀立廻御屛風、敷細貫筵二枚、不用尋常御座

〔延喜式〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 諸國年料供進
細貫筵六十枚、〈○中略〉右上野國交易所進、〈○中略〉
細貫筵卅枚、右武藏國交易所進、

〔延喜式〕

〈二十三/民部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 交易雜物
武藏國〈(中略)細貫席卅枚○中略〉 信濃國〈(中略)細貫筵五十枚○中略〉 上野國〈(中略)細貫席六十枚○中略〉
右以正税交易進、其運功食並用正税

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 元日供奉威儀掃部二人、分列左右、〈○中略〉官人率掃部豐樂殿御座、〈○中略〉北廂中央西間敷細貫席二枚、立御屛風二帖、小倚子爲御裝物所

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 内取御裝束
東方御簾西邊立亘五尺漢書御屛風、〈○註略〉同廂第四間以西六箇聞北邊立亘同御屛風、〈○註略〉其内敷滿廣筵幷細貫筵、〈○中略〉近例又第七八間北邊立廻同〈○山水繪〉屛風、〈便用本宮屏風南向〉其内設皇后御座、〈○中略〉皇后御座北屛風北母屋内立廻山水御屛風二帖、其内數細貫筵二枚、御帳乾角傍絹御障子廻五尺大宋御屛風二帖、〈南方開戸〉其内敷細貫筵二枚、立赤漆小倚子、〈爲御裝物所

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 立太子事
東方御簾西立亘五尺漢書御屛風、〈南北行西向〉傍御簾内母屋柱、南面四間東西行立漢書御屛風、〈南向〉從其西端南北行同立御屛風、〈東向〉其内四間敷滿廣筵幷細貫筵、〈○中略〉御帳乾角傍絹御障子廻五尺大宋 御屛風二帖、〈南方開戸〉其内敷細貫筵二枚

〔倭訓栞〕

〈中編八/古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 こまちむしろ(○○○○○○) 延喜式に小町席と見ゆ、小區席なるべし、

〔延喜式〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 諸國年料供進
小町席三百枚、〈○中略〉右上野國交易所進、

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 上野國〈○中略〉 中男作物〈○中略〉細町席(○○○)〈○下略〉

〔延喜式考異〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 席〈同國〉諸本作細町席、案内藏式、上野國交易所進、有細貫筵小町席、民部式、上野國交易雜物中有席及細貫席、政事要略載延曆十八年十月二十一日符、上野例進地子雜物、有細貫筵小町筵、而細町席無所見、是後人旁注各一字、而誤入本文、或脱貫席小三字乎、姑以爲旁注混入、而削去細町二字

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 豐後國〈○註略〉 調〈○中略〉小町席廿張〈○下略〉

〔延喜式〕

〈四十二/左右京〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 戸籍帙料、小町席、黃帛、黃絲、〈○下略〉

〔萬葉集〕

〈十一/寄物陳思〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 獨寢等(ヒトリヌト)、茭朽目八方(コモクチメヤモ)、綾席(アヤムシロ/○○)、緖爾成及(ヲニナルマデニ)、君乎之將待(キミヲシマタム)、

〔萬葉集略解〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 獨ぬるとての意也、茭は蔣にて中重(へ)也、席は筵にて上重(へ)也〈○中略〉綾むしろは綾檜笠、綾檜垣などの綾の言の如くて、藺を綾に織たるなるべし、

〔夫木和歌抄〕

〈三十二/筵〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 戀御歌中あや筵 鎌倉右大臣
あやむしろをになるまでに戀わびぬしたくちぬらしとふのよるこも

〔新千載和歌集〕

〈十二/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 元亨元年九月盡日、人々三首の歌つかうまつりける時、契經年戀と云ふ事をよませ給ひける、 後醍醐院御製
あやむしろをに成までの年月もくちぬは人の契なりけり

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 うはむしろ(○○○○○) 上筵 しとねの事なり

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 もやひさしのてうどたつる事
そのうへ〈○繧〓緣帖〉にからあやのおもて、にしきのへりさしまはして、わたいれたるが、うちうらつけたるをしきてとぢつけたり、これをうはむしろといふなり、

〔類聚雜要抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 表(ウハ)筵三枚〈各一枚〉
長弘中敷疊定
緣靑地小文唐錦
弘三寸
裏濃打物又唐綾用之
永久三年面(ウハ)筵裏平絹緣唐錦○中略
表筵、康平六年七月三日、花山院内大臣殿〈○藤原師實〉移御被用之、
表筵三枚〈各一枚〉
今案、永久三年七月廿一日、東三條關白〈○藤原忠實〉右大臣殿〈○右大臣恐内大臣誤、時忠實于忠通爲内大臣、〉移御被用之、色目同前也
弘幷長、各中敷寸法同前也、緣弘三寸四方廻天差之、靑地小文唐錦裏濃打物、

〔三中口傳〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 〈三條〉一鋪設裝束事
上筵事
白唐綾二幅ヲ面ニシテ、濃打タル裏ヲ付テ綿ヲ不久良加ニ入テ、靑地錦ノ緣ヲ四方ニ著之、
帳臺ノ内、上敷疊ノ上敷之、四方ヲ所々閉付也、
京筵著緣ハ非法、式不晴儀、唯私今案也、

〔嫁入記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 一うはむしろしく事、まづむしろのかみをのべて、そのゝち下をのぶる、たゝむときはか みを下に、中よりふたつにおりて、それ又二ツにおりて、又二ツにおるべし、

〔婚禮法式〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 夜具之部
一うはむしろ二まい、むしろのへりは、おり物などのたぐひニて取べし、表は疊の表、うらはすゞし也、へりの寸、表は二寸四五分、又三寸ニも、うらは見よきやうにあひはかるべき也、上の方はへりをよこニとをす、すその方はすみあはせたるべく候、おつけ有べし、〈○中略〉
一むしろのふさの色、何ニてもする、但赤を用べし、長サハ五寸、六七寸計にもあるべし、

〔空穗物語〕

〈吹上之下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 そのおとゞに、ふぢの花のゑかきたる御びやうぶどもたてわたし、いひしらずきよらなる、おもしろきしとね、うはむしろしきなべて、きんだちつきなみ給へり、

〔西宮記〕

〈臨時九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 延喜十七年、克明親王加冠、慶子内親王初筓時、少納言唱名賜祿、又承和例、〈○中略〉其儀卷西廂簾、其北障子南面設冠者親王座、〈用土敷二枚幷表席褥脇息○下略〉

〔源氏物語〕

〈四/夕顏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 この人〈○夕顔〉をえいだきたまふまじければ、うはむしろにをしくゝみて、惟光のせ奉る、いとさゝやかにて、うとましげもなくらうたげなり、

〔河海抄〕

〈二/夕顔〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 類聚國史云、弘仁八年八月、從三位橘朝臣常子薨、延喜年中、授從四位下、宮車晏駕、〈○桓武〉出家爲尼、太上天皇〈○嵯峨〉敬重之、叙從三位、及于病篤、遺言氣絶、則以席裹屍(○○○○)、莫時日棺歙、薨時年三十、

〔大鏡〕

〈五/太政大臣兼通〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 大將〈○藤原朝光〉ありきてかへり給ふおりは、〈○中略〉たゝみのうはむしろにわたいれてぞしかせたてまつらせ給ふ、ね給ふときには、おほきなるのしもちたる女房三四人ばかりいできて、かのおとのごもるむしろをば、あたゝかにのしなでゝそねさせたてまつり給ふ、

〔中宮御産部類記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 元永二年六月七日壬午〈○中略〉被定御産事、 定文書樣、〈○中略〉表筵一枚〈緣白織物、裏白生絹、〉

〔近衞殿御婚儀次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 文政八年二月六日、近衞内大臣殿〈○忠煕〉薩摩國守息女〈○島津齊興養女〉御婚儀、 當日平旦、家司奉仕寢殿以下御裝束、〈○中略〉母屋中央間、立廻御屛風御帳代、〈今度不如法帳〉其中敷繧〓端疊二帖、〈東西行、以東爲御枕、〉其上敷表筵、〈日唐綾、靑地緣、裏濃打、〉

〔倭訓栞〕

〈中編九/佐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 さしむしろ(○○○○○) 正月の御禮に、柳原家常御殿に於て、差筵の御膿といふ事ありとぞ、

〔安齋隨筆〕

〈前編四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 差筵 差筵の名舊記に見えたり、近くは後水尾院年中行事、正月七日の條に、〈上略〉日野烏丸柳原は外樣なれど、常の御所〈御註、當の御所の御座、淸涼殿、皆一所にて三名也、〉にて御對面あり、誰にても申つぐ、御禮申て後、さしむしろに候ず、〈御註〉御ひさしの未申の角の疊一帖を撤して、さしむしろ一枚をしく、このさしむしろ、正月朔日より敷て、正月中有也云々、樋口秘記云、差筵とは、年頭に禁中へ攝關衆の御禮は、さしむしろと云て、其禮申さるゝ疊を一帖うちかへす、其うへにて御禮也、是をサシムシロと云、疊のウラトヂテとあり、地下の書院疊のウラの念の入たるウラのやうなるもの也、このウラカヘスが規模也、攝關の外は常の疊のうへの事也、しかるに勸修寺と柳原とが舊例にて、差筵の御禮なり、柳原別して規模とす、日野も其通り也と見えたり、 貞丈按、古代は常の疊と差むしろとは別にてありしなるべし、後代禁中の事、大體省略せらるゝ事あるによりて、常の疊をうらがへして、差むしろに用ひらるゝ歟、其製の相似たるゆへなるべし、

〔庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 深緣差筵

〔後水尾院年中行事〕

〈上/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 七日、〈○中略〉日野烏丸柳原は外樣なれど、常の御所〈常御所、日御座、淸凉殿、皆一所にて三ツ名なり、〉にて御對面あり、たれにても申つぎ御禮申て後、さし席〈御ひさしのひつじ申の角のたゝみ一帖を撤して、さし席一枚をしく、此さしむしろ正月朔日より敷て正月中あるなり、〉に候ス、

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 嘉承元年十一月七日、今日春日祭使出立、〈○中略〉寢殿母屋三聞幷西南庇令指筵(○○)、又西放出孫庇幷南簀子敷中門廊三間、同敷指筵
大治四年十一月一日乙巳、今日第五王子御百日也、西對代廊東庇四ケ間指筵、高麗端、南一間紫端 二枚、爲公卿殿上人座

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 保延二年十二月廿五日戊午、今日興福寺參賀也、〈○中略〉裝束、 東對南庇四ケ間敷差筵、副北並東障子四尺屛風

〔台記別記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 久安五年十月廿五日癸酉、充催入内諸國所課、〈○中略〉一差筵 伊豫 讃岐 備中 備後 安藝 周防 美作 已上各六枚

〔園太曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 貞和四年十二月二日甲子、著束帶仙洞、御錫紵事爲沙汰也、〈○中略〉中間廊立廻屛風二帖、〈○註略〉其内數差筵二枚、其上敷綠緣疊

〔康富記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 嘉吉三年六月廿四日戊申、參伏見殿、講尺述而篇、依風吹雨降、於御座敷内、被差筵者也、予候障子内差筵

〔朝野群載〕

〈四/朝儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 伊勢齋王〈○善子〉歸京國々所
山城國〈○中略〉 折席(○○)百枚〈○中略〉
嘉承二年十一月廿八日

〔朝野群載〕

〈四/朝儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 左辨官下 山城國〈○中略〉
折席佰枚〈○中略〉
嘉承二年十二月四日 右大史紀朝臣

以形狀爲名

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 長筵(○○) ながむしろ

〔堤中納言物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 よしなしごと
人のかしづくむすめを、ゆへだつそう、しのびしのびてかたらひける程に、としのはてに、山寺にこもるとて、たびのぐに、むしろたゝみ、たらひ、はんざう、かせといひたりければ、女、ながむしろ、なにやかや一、やりたりける、

〔新儀式〕

〈四/臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020幸神泉苑競馬
母屋及東南廂皆敷長筵、東簾立張筵、度殿左右班幔、敷緣道

〔延喜式〕

〈五/齋宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 年料供物
長席二枚

〔延喜式〕

〈十四/縫殿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 年料雜物
長席二枚

〔延喜式〕

〈二十一/玄蕃〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 凡東西二寺國忌御齋會座料、〈○中略〉席十五枚、長席廿枚、〈○中略〉並以各寺官家功德分物、造備供之、

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 六月奏御卜日、〈○中略〉裝束神嘉殿、敷長席於殿中央三間、〈神座下敷〉西隔二間敷長席、立床一脚御座、〈○中略〉
凡二月八日上丁、釋奠祭廟堂敷滿長席
元日平旦、設天地四方御座、前庭鋪長筵

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 四方拜事
鷄鳴掃部寮奉仕御裝束於淸凉殿東庭、先敷葉薦、其上敷長筵、〈南北妻〉

〔江家次第〕

〈七/六月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 中和院神今食御裝束
東塗籠二間内、敷美濃長筵三枚、〈○中略〉
六月晦日
北廊透垣前鋪美濃長筵葉薦、爲神祇官人幷東西文人座

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 御元服
天皇元服御裝束、〈○中略〉北廂西第二三四間上格子〈第四間卽御帳間也〉幷戸等錦額簾長筵四枚滿三間 内

〔朝野群載〕

〈十五/陰陽道〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021請造曆用途物〈○中略〉
長筵二枚〈○中略〉
右結政半帖、長帖、料物等、依例掃部寮所請如件、
萬壽二年四月廿八日 右少史大友宿禰
左大臣宣旨宛之 右少辨藤原朝臣

〔今昔物語〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 越前守爲盛付六衞府官人語第五
今昔、藤原ノ爲盛ノ朝臣ト云フ人有ケリ、〈○中略〉中門ノ北ノ廊ニ長筵ヲ西東向樣ニ三間許ニ敷セテ、中机二三十許ヲ向座ニ立テ、〈○下略〉

〔尊勝寺供養記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 康和四年七月廿一日甲辰、今日有尊勝寺供養事、〈○註略〉前一日、堂莊嚴、其儀、金堂、〈○中略〉南東西三面裳層、〈幷〉壇上敷滿長筵、〈裳層有差筵、置鎭子、〉

〔伏見院御記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 弘安十一年二月廿七日壬午、今日伊勢幣神祇官行幸也、〈○中略〉
神祗官御裝束儀
正廳内東第一間敷滿薦、其上乾巽行敷長筵一枚、其上頗寄巽立短案、奉安二所御幣

〔拾遺和歌集〕

〈七/物名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 ながむしろ すけみ
鶯のながむしろには我ぞなく花のにほひやしばしとまると

〔西宮記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 一天皇元服〈○中略〉
掃部寮以廣長筵(○○○)四枚滿四間、〈○中略〉
敷設等事〈○中略〉 北廂料〈○中略〉 廣長筵四枚〈○中略〉
已上物等、藏人仰掃部寮調之、料物自行事所之、

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 凡諸國輸調、〈○中略〉短席(○○)二枚、〈長一丈、廣三尺六寸、西海道諸國、廣四尺、○中略〉
周防國〈○註略〉調、短席六百卅枚、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 ひろむしろ(○○○○○) 廣筵

〔大饗雜事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 一弘筵〈幷差筵、或號長筵、〉

〔西宮記〕

〈臨時三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 藤花宴
天曆三年四月十二日、於飛香舍藤花宴、〈○中略〉件廂〈○南廂〉敷信濃廣筵四枚

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 もやひさしのてうどたつる事
もやのだいきやうのみそうぞくおなじことなり、〈○中略〉もやひさしにひろむしろをしきみてゝ、もや四けんもしは五けんにざをしき、びやうぶをたつ、〈○中略〉
まつりのつかひのいでたち
舞人のざにはたゝみをしかず、ひろむしろのうへにいづもむしろをしく、

〔玉蘂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 承久二年十一月五日辛卯、此日皇太子〈懷成三歲○仲恭〉御著袴也、〈○中略〉 祿物領狀國々〈○中略〉
弘筵
美作 備前 備中 備後 已上四箇國之内、十五枚秀康朝臣進之、
讃岐三枚 伊豫二枚 土佐一枚

〔東寺塔供養記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 建武元年九月廿三日戊申、御所内敷滿弘筵、〈但荒薦也〉

〔壬生家記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 貞享四年大嘗會悠紀主基御殿ノ内御道具
一廣筵〈常ノ筵也〉十四枚

〔運步色葉集〕

〈佐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 狹席(サムシロ/○○)

〔倭訓栞〕

〈前編十/佐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 さむしろ 延喜式に狹席と書り、廣席長席にむかへていへり、歌によむは多くは 發語の辭にさといへるなり、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 さむしろ 狹筵 小筵(○○)
長むしろに對へる、せまき筵なり、さは少き事をいふ、さゝやか、さ衣の類ひなり、

〔爲家卿千首〕

〈雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 一夜ねぬあさでかりほすあづまやのかやのこ筵(○○)敷忍びつゝ

〔江家次第〕

〈五/二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 祈年穀奉幣
東第一間南廂立廻大宋御屛風、開巽角、其中敷小筵二枚、〈艮坤爲妻〉其上供高麗半帖一枚、〈巽回〉

〔江家次第〕

〈九/十月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 射場始
殿東欄下敷小筵二枚、其上供半疊、〈高麗〉爲御射席、其東方頗北邊、敷小筵一枚殿下射座、〈東西妻〉

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 東宮御元服
御帳北障子後、西間東西行雙鋪小筵二枚

〔雲圖抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 二月〈或三月〉祈年穀奉幣御拜座〈(中略)不屏風、唯供半帖小筵、○中略〉南殿南庇東第一間、立御屛風三帖、其中供小筵半帖、〈向巽方

〔雲圖抄裏書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 臨時祭次第
仕御裝束 先垂東庇御簾、額間以南反燈樓綱、南第五間(或第四間)〈賀茂第三間北面〉敷小筵二枚於其上、供半帖、爲御座、〈石淸水南面〉

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 寬治六年三月廿三日丙午、依例有石淸水臨時祭、〈○中略〉先下南廂御簾、〈○註略〉掃部寮廂中央間、鋪小筵二枚、其上供半疊

〔尊勝寺供養記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 康和四年七月廿一日甲辰、今日有尊勝寺供養事、〈○中略〉舞臺南去丈許、立金鼓臺一基、懸金鼓、〈有撥〉臺南去五許尺、敷小筵一枚圖書官人座

〔台記別記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 久安五年十月廿五日癸酉、充催入内諸國所課、〈○中略〉 一小筵十枚若狹

〔堀河院御時百首〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 霜 修理大夫顯季
小筵に思ひこそやれ篠の葉のさやぐ霜夜のをしのひとりね

〔玉蘂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 承久二年十一月五日辛卯、此日皇太子〈懷成三歲○仲恭〉御著袴也、〈○中略〉 祿物領狀國々〈○中略〉
小筵卅枚 長門

〔拾玉集〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 山家
さむしろや猶大原にしくはなしつゞく聖の跡も哀に

〔蜻蛉日記〕

〈中ノ中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 つれ〴〵とあるほどに、ひ〈○ひ下恐脱が字〉んにいりぬれば、なをあるよにはしやうじせんとて、〈○て下恐脱う字〉はむしろたゞのむしろのきよきをしきかへさすれば、ちりはらひなどするを見るにも、かやうのことは思ひがけざりしものをなどおもへば、いみじうて、
うちはらふちりのみつもるさむしろをなげくかずにはしかじとぞおもふ

〔金槐和歌集〕

〈戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 まつ戀の心をよめる
さむしろにひとりむなしく年もへぬ夜の衣のすそあはずして
小筵にいくよの秋をしのびきぬ今はたおなじ宇治の橋姫
曉の戀
さむしろに露のはかなくをきていなば曉ごとに消や渡らん

〔吾妻鏡〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 建長四年四月十四日丁卯、將軍家〈○宗尊親王〉始御參鶴岡之八幡宮、〈○中略〉次御弓始、射手六人〈立烏帽子、水干、葛袴、淺沓、〉入南們弓場左右小筵

〔東北院職人歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 七番 右 筵打
うちをける戀のさむしろ(○○○○)いたづらにねぬ夜の月にしく物ぞなき

以産地爲名

〔三中口樽〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 〈三條〉一鋪設裝束事 朝覲行幸時、被御裝束事、
北面立廻四尺屛風四帖、敷高麗帖三枚、〈京筵(○○)〉其東〈東西可御所樣〉敷同帖一枚、〈國筵(○○)〉

〔七十一番歌合〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 八番 右 筵うち
戀しさの心ものべぬ獨寢は九條むしろ(○○○○○)もせばからぬかな

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 掃部所解 申請年料葛野席(○○○)直錢事
合卌一貫八百七十五文〈且充廿四貫五百文〉〈付石萬呂巳勝〉
少屬土師
卅貫、廣席一千五百張直、〈枚別廿文〉
一貫八百七十五文、運駄卅七匹半賃直料、〈匹別五十文〉
十貫、狹席直、
右依例所請如
天平廿一年二月十日

〔朝野群載〕

〈四/朝儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 左辨官下 山城國
葛野筵百枚〈○中略〉
右伊勢齋王、暫住河陽宮、鋪設料依例所宛如件、國宜承知以頓宮儲内使早宛上レ之、官符追下、
嘉承二年十二月四日 右大史紀朝臣

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 もやひさしのてうどたつる事
もやひさしにひろむしろをしきみてゝ、ひさしのなげしのうへにやまとむしろ(○○○○○○)を、はしらにきりまはして、なげしにむしろのみゝをはしらにひとしくあてゝ、釘してうちつく、

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉二丁黑山席(○○○)一枚〈長一〉 〈丈二尺、廣四尺、○中略〉
河内國〈行程一日〉 調、黑山席五十枚、

〔攝陽群談〕

〈十六/名物土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 加島筵(○○○) 同所〈○西成郡加島村〉ニ作リ市店ニ出ス、毎歲臘月ノ式ニ用テ餅筵トス、藁ノ穗先ヲ打違テ中ニ織ルヲ以テ、中繼筵(○○○)トモ云ヘリ、

〔庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 豐島筵(○○○)

〔攝陽群談〕

〈十六/名物土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 豐島筵(テシマムシロ/○○○) 豐島郡ノ一郡ニ屬ス、藺ヲ以テ篇之、世俗豐島席(テシマゴザ/○○○)ト云、或ハ豐島(テシマ)ト云テ席(ゴザ)ト知レリ、放人不時ノ兩具トス、

〔攝陽群談〕

〈十六/名物土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 上杉筵(○○○) 同郡〈○能勢郡〉上杉村ニ造リ、所々ノ市店ニ送ル、月次池田ノ市ニ立(タテ)リ、

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 伊勢 神戸筵(カノベムシロ/○○○)

〔延喜式〕

〈五/齋宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 年料供物
東席(○○)六枚〈二枚水部所料、四枚戸座所料、〉

〔延喜式〕

〈六/齋院〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 三年一請雜物
朝使已下女嬬已上座料疊八十枚〈(中略)卅枚東筵(○○)〉

〔延喜式〕

〈十三/圖書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 凡年料所造紙二萬張、〈○中略〉東筵十枚、調筵四枚、

〔延喜式〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026作雜履料、〈○中略〉插鞋十五兩、〈○中略〉東筵大半、〈○下略〉

〔延喜式考異〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 東筵〈左五行〉案卽小町筵是也、而未其長廣若干、掃部式云、内藏寮年料供御幷雜給料履屜料、小町席、其數臨時定之、

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 凡三月三日御潔齋設錦端半帖一枚、東筵二枚、事畢卽撤、〈九月准此〉

〔江家次第〕

〈九/九月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 十一日小安殿行幸裝束
第二間當南北行御屛風東、立同御屛風一帖、〈巽向〉其前敷東筵(アヅマムシロ)一枚、其上敷錦端半帖一枚、爲奉幣御座

〔延喜式〕

〈五/齋宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 絁五疋、〈○中略〉出雲席(○○○)一枚、
右齋内親王神忌御服料

〔延喜式〕

〈六/齋宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 冬料鋪設〈夏通用四月祭料
出雲筵二枚、〈褥中幡料〉右齋王座料、毎年申官請受、

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 まつりのつかひのいでたち
舞人のざにはたゝみをしかず、ひろむしろのうへにいづもむしろをしく、そのいづもむしろのうへにすがのゑんざをしきて、まひ人のざとするなり、

〔新猿樂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 四郎君、受領郎等刺史執鞭之圖也、於五畿七道屆、〈○中略〉出雲筵、〈○下略〉

〔朝野群載〕

〈十五/陰陽道〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027請造曆用途物〈○中略〉
出雲筵八枚〈下宮内○中略〉
右結政半帖、長帖、料物等、依例掃部寮所請如件、
萬壽二年四月廿八日 右少史大友宿禰
左大臣宣旨宛之 右少辨藤原朝臣

〔園太曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 貞和三年正月廿一日、〈○中略〉御書始次第、
御裝束儀、〈○中略〉其〈○繧〓緣疊〉前敷出雲筵

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 筵〈○中略〉
手島蓆(テシマ/○○○) 出於播州北條、狹短、其用亦多、

〔尤の草紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 せばき物之しな〴〵
手島むしろ

〔七十一番歌合〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 八番 右 筵うち てしまむしろ(○○○○○○)、かしまへも御ざも候ぞ、

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 播磨 北條筵(ホウデウムシロ/○○○)

〔延喜式〕

〈六/齋院〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 三年一請雜物
朝使已下女嬬已上座料、疊八十枚、〈(中略)卅枚周防筵(○○○)、並裏端、〉

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 繪席〈○中略〉 又有御座席、〈○中略〉琉球筵(○○○)

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 筵〈○中略〉
琉球筵 以莎草之、剛韌耐久、又名御倉筵(○○○)、〈御倉者琉球島之名〉出於豐後府内者似琉球筵而薄、其色微靑、故呼曰靑琉球(○○○)、同州木付田深亦出之而不佳、其織線〓麻(イナサ)也、値極暑則脆絶、〈市尾者、樹之皮似苧、〉

〔續後拾遺和歌集〕

〈七/物名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 唐筵(○○) 入道前太政大臣〈○藤原基忠〉
小山田のをしねやからむ白妙の露うちはらひ袖はぬるとも

以文樣爲名

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 繪席 倭俗彩席謂繪席(○○○○○)、依雜品之文彩也、元來長崎港、今四條通幷三條畷大和橋北編之、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 筵〈○中略〉
繪蓆〈佳文蓆〉初來於南京、今肥州長崎、攝州大坂多織之、其赤色〈茜染〉黑色、〈游泥〉以成文、

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 肥前 繪筵(エムシロ)

〔玉露叢〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一御繪筵 十枚 堀三右衞門

以緣地爲名

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 緣刺席(ヘリサシムシロ)〈席與筵義同也〉

〔法隆寺伽藍緣起幷流記資財帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 合通分雜物參拾伍種〈○中略〉 〓(○)壹伯貳拾壹枚〈一枚錦端(○○) 四枚綠端(○○)一枚黃端(○○) 五枚上野(○○)〉

筵貢進

〔延喜式〕

〈二十三/民部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 交易雜物
武藏國〈(中略)席五百枚○中略〉 常陸國〈(中略)席六百枚○中略〉 下野國〈(中略)席八百枚○中略〉 因幡國〈(中略)席三百五十枚○中略〉 出雲國〈(中略)席三百枚○中略〉 周防國〈(中略)席三百五十枚○中略〉
右以正税交易進、其運功食並用正税

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉四丁狹席五枚、〈長一丈、廣三尺六寸、○中略〉三丁廣席二枚〈長一丈、廣四尺、〉二丁黑山席一枚、〈長一丈二尺、廣四尺、〉
凡諸國輸調、〈○中略〉長席二枚、〈長二丈、廣三尺六寸、〉短席二枚、〈長一丈、廣三尺六寸、西海道諸國、廣四尺、〉
凡諸國輸庸、〈○中略〉薩摩國二丁席三枚、
凡中男一人輸作物、〈○中略〉二人席一枚、〈長一丈、廣三尺六寸、〉
畿内 山城國 調廣席二百八十枚、狹席五百九十枚、 美濃國〈○註略〉調、〈○中略〉長席三百七十五枚、上野國〈○中略〉中男作物〈○中略〉席 能登國〈○中略〉中男作物席、 因幡國〈○中略〉中男作物、席、 周防國〈○註略〉調、短席六百卅枚、 筑後國〈○註略〉調、〈○中略〉中男作物、〈○中略〉席、 肥前國〈○註略〉調、〈○中略〉自餘輸〈○中略〉席、 肥後國〈○中略〉中男作物、〈○中略〉席、 豐後國〈○註略〉調、〈○中略〉小町席廿張、

筵用法

〔延喜式〕

〈五/齋宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 年料供物
席二枚〈(中略)已上秋冬料〉春夏料亦如是、〈○中略〉席百八枚、〈(中略)已上官人已下料〉

〔延喜式〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 雜染〈○中略〉
席廿枚〈染手座料○中略〉 席十枚、折薦十五枚、〈官人幷命婦已下座料〉

〔延喜式〕

〈二十一/玄蕃〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 堂裝束
席二枚、〈堂童子料〉諸堂悉依此數

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030延曆寺年分度者座料、〈○中略〉席四枚、六年一充、

〔延喜式〕

〈四十四/勘解由〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 凡〈○中略〉席六枚、〈次官已上土敷料〉並三年一度申官請換、

〔嫁入記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 一むしろしく事はのぶると申なり、しきやうは女房のをばまづしき候て、そののちおとこ方のをのぶる也、はこにはとのがたのを上に入る也、とりいだしてまづそばにうちをきて、女房のをしくなり、たゝむ時はおとこがたよりたゝむなり、

筵打

〔延喜式〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 雜作手卅三人〈○中略〉
席手一人

〔夫木和歌抄〕

〈三十二/筵〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 六帖題 信實朝臣
道のべにそのゐかりほす筵うち(○○○)おのれかつ〴〵しくかとぞみる

〔七十一番歌合〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 八番 右 筵うち
打絶ていとめまばらのあら筵いのねらるべき月の影かは

筵雜載

〔日本書紀〕

〈二十六/齊明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 五年、是歲〈○中略〉高麗使人持羆皮一枚、稱其價曰、綿六十斤、市司咲而避去、高麗畫師麻呂、設同姓賓於私家、甘倩官羆皮七十枚而爲賓席、客羞恠而退、

〔今昔物語〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 六宮姫君夫出家語第五
今昔、六ノ宮ト云フ所ニ住ケル舊キ宮原ノ子ニ、兵部ノ大輔ト云フ人有ケリ、〈○中略〉連子ノ内ニ人ノ氣ハヒ有リ、和ラ寄テ〓ケバ、筵ノ極テ穢ケルヲ曳廻シテ、人二人居タリ、一人ハ年老タル尼也、一人ハ若キ女ノ極テ瘦セ枯テ色靑ミ影ノ樣ナル、賤シキ樣ナル筵ノ破ヲ敷テ、其レニ臥タリ、中ノ衣ノ樣ナル布衣ヲ著テ、破タル筵ヲ腰ニ曳懸テ手枕シテ臥シタリ、

〔吾妻鏡〕

〈二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 寬喜二年六月九日、酉刻雷落于御所御車宿東母屋上、柱破風等破損訖、後藤判官下部一人悶絶、則纒筵出北土門畢、及戌刻死云云、

〔吾妻鏡〕

〈四十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 建長五年十二月卅日甲戌、正朔御行始供奉人事、取集所置于筵上座席之札、注其交名下御點相催云云、

〔三省錄〕

〈四/附言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 明和九年大火のとき、江戸中うりありきたる文に、
大火事の節、相場あらまし、〈○中略〉
一むしろ同〈○百文ニ〉貳枚

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 もみぢむしろ(○○○○○○) 紅葉筵
紅葉の散敷たるを筵の如く見なしたる也、稻筵とその意同じ、霧の色霧の海などもいひしがごとし、

〔後撰和歌集〕

〈十九/羇旅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 だいしらず 亭子院御製
草枕もみぢむしろにかへたらば心をくだくものならましや

〔雅筵醉狂集〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 月花
春の夜のおぼろ月夜にしくものは端ゐして見る花むしろ(○○○○)のみ
自注、新古今集、大江千里、てりもせずくもりもはての春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき、 花むしろとは、花の散て席をしきたるやう也、またうつくしき席をもいふ、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 苔筵(○○) こけむしろ
これはまことの筵にはあらで、苔の靑々となめらかに生たるが、毯か筵しきたるさまに似たれば、かりて筵とはいふなり、また田舍あるは旅行などに、あやしのはにふの小室にとまるうへにてはよし、まことの枕筵にもせよ、つよくわびしきさまをいはんとては、草枕苔筵などもいへり、ことによりいひなしにもよるべきものなり、

〔夫木和歌抄〕

〈四/花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 嘉應元年成範卿家歌合羈中落花 皇太后宮大夫俊成卿 しら河のせきにちりしく花みれば苔のむしろはうづもれにけり

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 御室にいみじき兒の有けるを、いかでさそひ出してあそばんと、たくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子やうのもの念比にいとなみ出て、箱風情の物にしたゝめいれて、ならびの岡の便よき所にうづみをきて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へ參りて兒をそゝのかし出にけり、うれしとおもひてこゝかしこあそびめぐりて、有つる苔のむしろになみゐて、〈○下略〉

薦/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十四/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 薦 唐韻云、薦〈作甸反、和名古毛、〉席也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈六/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 廣韻、薦、薦席也、按薦席也、猶薦席之薦、非薦席薦字、此脱薦字、非是、按釋名、薦、所以自薦藉也、説文、薦、獸之所食艸、卽莊子麋鹿食薦字、釋文引三蒼注云、六畜所食曰薦是也、則非此義、説文又有荐字云、艸席也、然則薦席之薦、作荐爲正、作薦者音近而假耳、毛詩節南山傳、薦重也、説文、且、薦也、亦皆荐之假借字、

〔伊呂波字類抄〕

〈古/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 薦〈コモ薦席也〉

〔運步色葉集〕

〈古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 薦(コモ) 菰(同)

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 薦(こも)〈音箭〉 和名古毛〈○中略〉
按薦編稾秸之、織稾及莞筵、〈片目也〉織莞作席、〈雙目〉

〔倭訓栞〕

〈前編九/古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 こも 和名抄に薦をよめり、小編の義にや、延喜式に長薦、葉薦、折薦、茅簀薦、江次第に羽薦、食薦、簀薦など見えたり、鎭江府志に黍蓬者野莢也、不實惟堪薦藉、故曰薦と見ゆ、菰をよむも薦に用ればなり、蔣も同じ、韓子に蔣席と見ゆ、

〔安齋隨筆〕

〈前編十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 一薦席(コモムロ) マコモと云草を編て席にしたる也、禁中神事に用之事あり、食盤の下に敷くを食薦(スゴモ)と云、今江戸にて七月十三日より十五日まで聖靈會ノ時、聖靈棚に薦を敷は、食 薦を敷く遺風也、土器に食物を盛るも古風の傳りたる也、

〔堤中納言物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 よしなしごと
たびのぐに、しつべきものどもやはんべる、かさせ給へ、〈○中略〉たま江にかるまこも(○○○)にまれ、あふ事かたのゝはらにある、すがごも(○○○○)にまれ、たゞあらんをかし給へ、とふのすがごも(○○○○○○○)なたまひそ、

薦製作

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 薦一枚、〈長二丈四尺、廣四尺、〉長功一人、中功一人少半、短功一人大半、薦一枚、〈長三丈、廣三尺、〉長功一人、中功一人少半、短功一人大半、

薦種類

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢、隨時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉三丁〈○中略〉葉薦(○○)五枚、〈長二丈、廣四尺、○中略〉
凡中男一人輸作物、〈○中略〉葉薦一枚、〈長二丈、廣四尺、○下略〉

〔法隆寺伽藍緣起幷流記資財帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 合通分雜物參拾伍種〈○中略〉
蒲薦(○○)壹拾枚

〔今昔物語〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 義紹院不化人施悔語第四十
今昔、義紹院ト云僧有ケリ、元興寺ノ僧トテ、止事无キ學生也、其レガ京ヨリ元興寺ニ行ケルニ、冬ノ比也、泉川原(イヅミノカハラノ)風極テ氣惡(ケアシ)ク吹テ寒キ事无限シ、夜立ノ杜ノ程ニ行ケルニ、墓ノ隱レニ藁薦(ワラゴモ/○○)ト云フ物ヲ腰ニ卷テ低レ臥セル法師有リ、

〔倭訓栞〕

〈中編十一/須〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 すがごも(○○○○) 續古今集、濁り江に生るすがごもとよめり、菅と菰と二項なるべし、

〔倭訓栞〕

〈前編十八/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 とふのすがごも(○○○○○○○) 目を十に編たる菅薦也といへり、よて海道記に七編のこもむしろと書たり、一説にかや筵なれば、簀茅薦(スカヤコモ)の義也といへり、さればふは封字の義成べし、今も俵などに一のふ二のふなどいへり、又節の略にや、日本紀の歌に、八ふの柴垣とも見え、古事記には、みこの柴垣やふじまりともいへり、彌節じめの意也、今も垣を結には、幾ふしなどいへり、其薦 を出す所十府といふ、陸奧にあり、八雲御抄に、みちのくに限らず、但馬なるとふのすがごもともよめりと宣へり、又ふは經(フル)の義なるべし、

〔袖中抄〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 とふのすがこも
みちのくのとふのすがごもなゝふにはきみをしなしてみふにわれねん
顯昭云、とふのすがこもとは、あみを十してあみたる也、すがごもとは、菅にてあみたるこも也、すががさ、すがみの、すがまくら、すがわらだなど云がごとし、薦は大樣は菰蔣にてあみたれば、本の名にしたがひて、こもとはいへど、藁であみたるをば、わらごもといひ、菅にてあみたるをば、すがごもといふ也、とふあらんことはひろからん料也、されば綺語抄には、とふとは、とふあみたるをいふといへり、又みちのくとつゞくるは、此ひろきこもの奧州にあるなめり、これは人をおもふ心にて、七ふには君をねさせ、みふにはわれねんとよめる也、それを童蒙抄、綺語抄などに、みちのくにゝとふの郡より、とふあみたるこものいでくるよしいへる心えられず、奧州の郡の中に、またくとふの郡なし又とふあみたらばさて侍なん、とふのこほりより、とふあみたるこもいでくといふこと、げにときこえず、又とふのこほりと云所におふるこもの、とふしあるといへるもいはれず、こものふしいかゞとふしあ、るべき、たゞとふあみたるこそいはれたれ、又とふしあるすげとこそいふべけれ、こもといふいはれず、このとふのこほりのとふあめるこもの義、きはめて手づゝなり、又とふあまんことは、外にもありなんといふ難はいはれず、なにごともやすきことなれど、國々にこのむことかはりたれば、みちのくにゝとふのすがごもをこのむにこそ、又あながちにこのまねど、さやうによみいでたる歌あれば、やがてそれをみちのくにのとふのすがごもとよむなり、

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈三/庸工土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 按、國中素無十符郡者也、自古所稱十符池者、今宮城郡今市河北有古館 址、稱之多賀國府、是乃往昔遷多賀城于玆者也、其山下西南民舍屋後有小池、是所謂十符池也、池中生菅草、今猶存焉、相傳、往時貢薦出于此地、又古館東北村落謂之利府、利字倭俗別訓謂之登、若上野利根川之而謂登禰川、是謂利而訓登字之證也、然則十與利元訓相通、譯之登音亦有之、據此説則郷俗誤而訓里字者、亦未知焉、於是却知、今里婦之音乃誤古之十符者乎、固雖郡縣名、其郷黨之地亦曠遠、而他誤稱之郡縣來歟、故舊記數引稱郡縣者亦不審矣、然則古之十符、實今之利符也、後人詳此焉、但惜古貢薦不傳、今已無之、況製作之法亦絶無之者也、自是考之則十符池亦其地近乎利符、又其邊有菅谷村者、然則其名之所據亦皆出于此義乎、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 十府菅薦 とふのすがごも
世に傳へいへる所は、陸奧國より作り出せる筵のあみめ、十ある故にかく名づくといへり、今は津輕より造り出せるも、とふのすがごもとて、世にも名産のやうにいへるものあり、いかにもそのあみめ十あればいへりとのみいへるに、今思ふに是は陸奧の郷名なり、もとそこより作り出せし故にその名はあり、ことに昔は菅にて作りしと見ゆ、此所とみえて道因法師の歌に、陸奧の十府の浦とよめる歌有にて知ぬ、これ必ずしも地名なる事明らけし、又野田の菅ごもともよみ合せたれば、野田また地名なり、それを三府七府と云よせし也、筵の名にはあらず、

〔夫木和歌抄〕

〈二十五/浦〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 中務卿親王家五十首歌合 道因法師
みちのくの野田のすがごもかたしきてかりねさびしきとふのうらかぜ

〔堀河院御時百首〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 霜 河内
霜拂ふ鴨の上毛やいかならん十ふのすがごもさゆるよな〳〵
霰 春宮大夫公實
玉ざゝに霰たばしる冬の夜はいとしぞさゆるとふのすがごも

〔尤の草紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 せばき物之しな〴〵
とふのすがごも

〔延喜式〕

〈十四/縫殿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 年料雜物
折薦(○○)二枚

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 踐祚大嘗會、十月下旬裝束八省院頓宮、其所須薦席者、依辨官宣下用、〈○中略〉御廁殿鋪折薦八重帖一枚、主基殿亦如之、〈○中略〉悠紀御膳所須、〈○中略〉折薦八枚、〈○中略〉付内膳司、〈主基亦同〉

〔延喜式〕

〈四十/造酒〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 踐祚大嘗祭供神料
折薦五枚〈料理供神物人等座料〉

〔朝野群載〕

〈十五/陰陽道〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036請造曆用途物〈○中略〉
折薦卅八枚
右結政半帖、長帖、料物等、依例掃部寮所請如件、
萬壽二年四月廿八日 右少史大友宿禰
左大臣宣旨宛之 右少辨藤原朝臣

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 凡中男一人輸作物、〈○中略〉韓薦(○○)一枚、〈長四丈、廣七尺、〉

薦貢進

〔延喜式〕

〈二十三/民部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 交易雜物
河内國〈(中略)薦二千五百枚○中略〉 攝津國〈(中略)薦一千五百枚○中略〉
右以正税交易進、其運功食並用正税

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉三丁〈○中略〉葉薦五枚、〈長二丈、廣四尺、○中略〉二丁〈○中略〉折薦三枚〈長二丈、廣三尺六寸、〉
凡中男一人輸作物、〈○中略〉葉薦一枚〈長二丈、廣四尺、〉菅薦二枚、〈長一丈二尺、廣四尺、○中略〉韓薦一枚、〈長四丈、廣七尺、〉 山城國 調、〈○中略〉折薦八百五十八枚、葉薦四百六枚、食薦一千五百枚、〈隨時損益、餘國准此、〉目餘輸錢、攝津國〈行程一日〉 調、葉薦五百枚、折薦一千廿枚、
能登國〈○中略〉 中男作物、〈○中略〉韓薦、折薦、菅薦、
筑後國〈○中略〉 中男作物、〈○中略〉苫薦、蒲薦、
肥前國〈○中略〉 中男作物、〈○中略〉葉薦、〈○中略〉韓薦、蒲薦、折薦、
肥後國〈○中略〉 中男作物、〈○中略〉韓薦、蒲薦、〈○中略〉折薦、
豐前國〈○中略〉 中男作物、〈○中略〉韓薦、折薦、

薦用法

〔江家次第〕

〈五/二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 祈年穀奉幣
小安殿馬道以東四間之内、東一間敷滿薦、〈東西妻〉一間薦上又斜敷一枚、〈巽乾妻○中略〉昭慶門東廊嘉喜門以西五間之内、西四間爲公卿座、西第二三四間北櫺子壁邊立亘筵、同四門内數薦、西第二間以東三間内薦上敷滿筵

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 文明十二年正月一日壬午、寅刻行水、著衣冠笏、著庭上(南砌外)座、〈薦二枚之上敷疊一帖、兼令敷也、〉

薦雜載

〔若宮殿臨時御遷宮日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 應永十五年十一月二日、若宮殿〈○春日〉臨時ノ御遷宮雜事等、御寺エ御注進アリ、案文云、
注進 若宮臨時御遷宮社家雜事等事〈○中略〉
一御座薦(○○○)一枚、〈長一丈、廣四尺一寸五分、〉代卅文、〈○中略〉 一筵道薦(○○○)百枚、〈長各一丈〉代八百文、〈○下略〉

〔三省錄〕

〈四/附言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 明和九年大火のとき、江戸中うりありきたる文に、
大火事の節、相場あらまし、〈○中略〉
一こも百文ニ四枚

蘆蔽/名稱

〔名目抄〕

〈雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0037 蘆〓(ロヘイ)

〔江次第抄〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 蘆蔽(ロヘィ) 謂薦歟

〔日本靈異記考證〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 第六
〓〈蔽俗字、出魏文帝弔比干此、疑弊字之譌、然以呂波字類抄、〓訓ヤブル、蔽或並通作〓、〉

〔金石萃編〕

〈二十七/北魏一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 孝文皇帝弔殷比干墓
夜幽幽而致〓
此碑字多別構、〈○中略〉蔽爲〓、〈(中略)金石文字記〉

蘆蔽用法

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 元日供奉威儀掃部二人、分列左右、〈○中略〉官人率掃部豐樂殿御座、〈○中略〉逢春門内南北鋪蘆〓草墪闈司座
十七日觀射豐樂殿、〈○中略〉兩侯射席東南各七許丈立賞物床、前鋪蘆〓
十八日〈○正月〉賭射、〈○中略〉其南積祿所鋪蘆〓

〔西宮記〕

〈臨時八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 官外記廳座
大臣著座、座皆立倚子、〈内大臣不座〉倚子下敷蘆〓

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 元日宴會
宜陽殿西廂北行第四間砌上中央鋪蘆〓兀子、〈内辨大臣座、近例與柱平頭立之、○中略〉 當幄北東西行蘆〓一枚、其上立案、〈○中略〉 承明門東西内掖各鋪蘆〓、上各置草墪、〈闈司座北面○中略〉
元日宴會〈御忌月幷不出御儀〉
中務輔召唱〈近代不見、往年執簡立祿辛櫃下、〉 群臣下殿 到日華門前、待唱跪蘆〓上、搢笏取祿、縫殿頭以下授之、

〔江家次第〕

〈二/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 二宮大饗
王卿次第自座上進跪蘆〓上、搢笏取祿、南面一拜退出、

〔江家次第〕

〈三/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0038 賭射裝束 同〈○大庭〉幔南端西方差北進布蘆〓、〈雨儀籌刺座前壇下〉

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 立太子事
承明門東西内掖、各鋪蘆〓、上各置草墪、〈闈司座北面〉

氈/名稱

〔新撰字鏡〕

〈毛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 〓毹〈上巨具反、下山于反、毛席也、織毛蓐曰氍毹、細者謂之毾㲪、加毛(○○)、〉 毾㲪〈上他盍反、下得恒反、加毛、〉

〔同〕

〈面〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 氈〈之然反、平、可毛、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十四/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 氈 野王曰、氈〈諸延反、和名賀毛、〉毛席撚毛爲席也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈六/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 下總本撚作織、按説文、氈、撚毛也、孫氏依之、作織非是、〈○中略〉釋名、氈旃也、毛相著旃旃然也、今俗毛氈卽是、非織成者

〔段注説文解字〕

〈八上/毛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 〓、撚毛也、〈手部曰、撚者蹂也、撚毛者蹂毛成氈也、周禮掌皮曰、共其毳毛氈、古多假旃字、〉

〔運步色葉集〕

〈勢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039

〔延喜式考異〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 獨彩氈〈左丑行〉和名抄、氈和名賀毛、毛席也、褥氈褥也、此間云邇久(○○)、今案毛席名也、俗以猯皮等之、考聲、杵毛爲之曰氈、以繪綵之曰褥、案蓋古毛皮毛布相通用、當今其存者、零羊、和名加末之々、野人呼曰賀毛鹿、信濃俗呼曰爾久、賀毛者氈也、爾久者褥也、蓋古有零羊皮、故有其名、而尚存于今也、〈○下略〉

〔倭訓栞〕

〈前編六/加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 かも 氈をかもと訓ず、倭名抄に見えたり、日本紀におりかもとも見えたり、毛席と注す、毛裳の義、裳は敷裳をいふ成べし、新撰字鏡に毾㲪と訓ぜり、下野氈令義解に見ゆ、

〔安齋隨筆〕

〈前編二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 一氈十枚 右同式〈○延喜内藏〉ニ氈十枚〈下野國所進〉と見えたり、氈は毛織の席也、昔下野にて作る歟、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0039 氈〈音旃〉 氈 和名賀毛 毯〈音榻〉 〓 俗云花毛氈(○○○)〈○中略〉
按、氈、今云毛氈也、大抵如筵席長幅、或有方丈餘者珍、陜西山西之産爲上、淅江者次之、雲南者爲下、皆純赤色也、靑色者亦有之、而不於赤者、 毯、俗云花毛氈也、今用太木綿絲花文、比眞毯野、

〔令義解〕

〈一/職員〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 内藏寮
頭一人掌〈○中略〉氈褥〈謂撚毛爲褥席者也○中略〉及別勅用物事

〔運步色葉集〕

〈毛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 毛氈(○○)

〔倭訓栞〕

〈中編二十六/毛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 もうせん 毛氈の音なり、花毛氈は大花毛氈なりといへり、羢毯とも見ゆ、坐氈も遵生八牋に見えたり、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 毛氈 もうせん
是は古への毳(カモ)の類也、古へは今の西土より來れる毛氈はなし、毛布を用ゆ、今のもんぱ、とろめんの類也、毛氈はもと西土より來る、今は此方にても織こと也、いづれも獸毛をもて作れる物故、神事には用まじき事也、南嶺遺稿に毛氈の事をいへるに、法曹類林百十七卷にあるよしいへるは、例のあざむき事なれば信じがたし、その書今ほろびたり、

氈種類

〔正倉院御賓物之圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 御寶物目錄〈記寸尺者、以金尺新量之、〉
毛氈 四十枚〈内一枚白(○)、十九枚繪(○)、十五枚赤白紫(○○○)、五枚赤白、〉

〔延喜式〕

〈十二/主鈴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 年料所須、〈○中略〉緋氈(○○)二枚、並隨損請換、

〔國師日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0040 一芳札令拜見候、爲御音信紅氈(○○)二枚芳惠、遠路御懇志之至、過分ニ存候、〈○中略〉
十月〈○慶長十七年〉十三日 金地院
遍照光院
一同〈○慶長十九年十月〉廿三日高野行人中使僧正覺院、五大院來臨、行人中十月廿日之狀來、幷紅氈廿枚來、一八月〈○元和七年〉二日、紹高七月十九日之狀來ル、〈○中略〉眞乘ゟは紅氈八十まい借用申度候、奉賴之由申來ル、

〔空華日工集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 永和二年五月八日、〈○中略〉管領兵部病、〈○中略〉略叙生死到來事、又預辨後事、因割田捨報恩寺、特以靑氈(○○)付令弟房州道合居士

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 花叢氈(○○○) 花氈を俗にはな毛氈といふ、則これ也、

〔法隆寺伽藍緣起幷流記資財帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 合氈參拾肆床
佛分參床〈一長八尺六寸 廣四尺五寸 一長八尺五寸 廣四尺三寸 一長八尺七寸 廣四尺二寸〉
法分壹拾肆床〈一長八尺六寸 廣六尺八寸 ○中略〉
通分壹拾伍床〈一長七尺二寸 廣四尺一寸○中略 一長七尺三寸 廣三尺三寸、織氈(○○)、 二長各八尺二寸 廣四尺一寸、花氈(○○)、〉
塔分貳床〈一長八尺 廣四尺九寸 ○中略〉
右養老六年歲次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇天皇者、

〔玉露叢〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一花毛氈 廿枚 細川肥後守光高

〔大安寺伽藍緣起幷流記資財帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 合織誠幷氈貳拾捌床〈佛物織絨一床 法物高麗織絨一床 通物廿六床之中三床織絨、六吉氈(○○)、十七惡氈(○○)、〉〈○中略〉
以上資財等、天平十八年本記所定、注顯如件、

氈貢進

〔延喜式〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 諸國年料供進
氈十枚〈下野國所進〉

〔延喜式〕

〈二十三/民部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0041 交易雜物
下野國〈(中略)氈十張○中略〉
右以正税交易進、其運功食並用正税

氈用法

〔内裏式〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 元正受群臣朝賀
少納言氈於南榮、當第一第二楹間、毎座相對、〈○中略〉次少納言二人分入昭訓光範兩門、對立氈上、兩氏〈○大伴佐伯〉降壇、北面立門下

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 十年四月辛丑、立禁式九十二條、因以詔之曰、親王以下至于庶民、諸所服用、金銀珠玉、紫錦繡綾、及氈(○)褥冠帶、幷種々雜色之類、服用各有差、

〔太平記〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 天龍寺供養事附大佛供養事
此上ハ武家ノ沙汰トシテ、當日ノ供養ヲバ執行ヒ、翌日ニ御幸可有トテ、同〈○康永四年〉八月二十九日、將軍〈○足利尊氏〉幷左兵衞督〈○足利直義〉路次ノ行粧ヲ調テ、天龍寺へ被參詣ケリ、〈○中略〉佛殿ノ北ノ廊四間ヲ飾テ、大紋ノ疊ヲ重ネ布キ、其上ニ氈ヲ被展タリ、平敷ノ御座其北ニアリ、

〔相國寺供養記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 明德三年歲次壬申八月廿八日丁丑、今日萬年山相國承天禪寺供養也、〈○中略〉次鋪筵道、其上鋪地鋪氈、〈掃部寮役之○中略〉 次請僧十口解經紐、〈法華經一部十卷〉先曲祿十脚、〈各懸氈○下略〉

〔甲陽軍鑑〕

〈二十/品第五十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 勝賴公御頸はじめは見えず候、子細は、小原丹後、御女房衆を介錯仕り、其後毛氈をしき、腹をきりたる頸を取て、勝賴公の御證と申て、小原が頸を公卿にすへ候へ共、尾張牢人關甚五兵衞と申者、〈○中略〉能見しりて、勝賴公の御頸をえり出し、小原丹後が頸をすて候、

〔玉露叢〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 一寬永十二年正月廿八日ニ、二ノ丸ニ於テ、將軍家家光公へ仙臺ノ政宗御膳ヲ上ラル、〈○中略〉
一御慰トシテ御能アリ〈○中略〉
一御舞臺ノ御正面ヨリ御左ノ方ニハ、御白洲ニ毛氈ヲシキ渡シ、大小名ヒシト列座ナリ、

氈雜載

〔甲陽軍鑑〕

〈十一上/品第三十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0042 一駿河田中御逗留の間に、織田信長より、佐々權左衞門使者にて、御音信、からのかしら二十、毛氈三百枚、〈○下略〉

〔豐太閤入御亞相第記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 文祿三年卯月八日、加賀之中納言殿へ御成之事、
〈幷〉家中御禮、〈○五獻〉毛せん十まい 片山内膳

〔國師日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 一正月〈○慶長十八年〉十七日、高野聖方ゟ使僧下、毛氈壹枚、金扇一本來、〈○下略〉
一同五日〈○寬永四年十一月〉多加佐古之理加、兩上樣江御禮申上ル、供之者十餘人庭上理加一人小緣ニ而御禮、進物虎皮五枚、毛氈廿枚、孔雀尾廿尻進上、
一同二月〈○寬永八年〉九日、松平右衞門佐殿より極月廿八日之狀來、音信に毛氈一箱五枚入來、則返書遣す、使へ渡す、

〔玉露叢〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徒ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一毛氈 十枚 宗對馬守義成 一毛氈 廿枚 毛利甲斐守秀元〈○中略〉
一毛氈 廿枚 松平右近大夫輝興〈○中略〉 一毛氈 十枚 西尾丹後守〈○中略〉
一毛氈 十枚 新庄越後守直好 一毛氈 十枚 大村丹後守純信
一毛氈 十枚 内田信濃守 一毛氈 五枚 井上筑後守
一毛氈 五枚 柳生但馬守 一毛氈 五枚 加々爪甲斐守
一毛氈 卅枚 稻葉美濃守正利

〔倭名類聚抄〕

〈四/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 毯 蔣魴切韻云、毯〈他敢反、此間名如字、〉毛席、以五色絲之、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈六/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 又有成帛用之、謂之毯代(○○)、見江家次第、今有淸舶載來織成毛席俗呼陀牟都宇(○○○○)、蓋毯子之譌也、廣韻、毯毛席、毯子見唐濟瀆廟北海壇祭器碑

〔運步色葉集〕

〈無〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 毯(ムクチ)

〔延喜式〕

〈四十/造酒〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0043 諸節雜給酒器 八尺毯二領、〈五月九月不設○中略〉 右五位已上料、〈○中略〉
四尺毯四領、〈○中略〉 右内命婦已上料、並請内藏寮、事畢返上、

毯代/名稱

〔伊呂波字類抄〕

〈太/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 毯〈タン 毯代(○○)坐臥具〉

毯代種類

〔名目抄〕

〈雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 二色〓代(フタイロノセンダイ/○○○○)

〔西宮記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 一天皇元服〈○中略〉
西第三間敷二色綾毯代(○○○○○)、立大床子二脚、其上鋪御茵、〈東面○中略〉敷設等事、 南方料、〈○中略〉毯代一條、〈調之○中略〉北廂料、〈○中略〉二色綾毯代一枚、 已上物等、藏人仰掃部寮調之、料物自行事所之、

〔新儀式〕

〈五/臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 内親王初筓事
内親王初筓之儀、撤晝御座二色綾毯代、立大床子、〈用所〉

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 小朝拜事
衣御裝束、〈○註略〉垂母屋御簾、暫撤晝御座、敷二色綾毯代、〈四角置鎭子

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 嘉保三年〈○永長元年〉三月廿四日、今日御覽臨時殿上賭弓、〈○中略〉早旦藏人源盛家爲行事、御裝束射庭、其儀敷二色綾毯代、其上立殿上御椅子

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 仁安三年十二月十日丁酉、參内、依弓場始也、〈○中略〉御座間後、幷南間立五尺屛風各一帖、〈庇柱中東西行立之〉御座北又立一帖、〈南向〉御座間差筵上舗二色綾毯代、立平文置物机各一脚

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 元日宴會
殿母屋東第三間西柱北面中央北去〈北去、謂倚子北足、〉五尺五寸設皇太子座、東西行鋪紫綾〓代(○○○○)平文小倚子〈西面〉其上鋪唐錦茵

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0044 東宮御元服
身屋東第三間西柱北面中央北去〈北去、謂倚子北足、〉五尺五寸設皇太子座、東西行鋪紫綾毯代、〈四幅、長八尺、〉毯代 四角置鎭子、〈以紙裹之〉

〔新儀式〕

〈五/臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 皇太子加元服
東第三間御帳東邊、〈去東一丈二尺〉設加元服座、〈立金銀平文倚子、敷紫毯代(○○○)也、〉

〔新儀式〕

〈五/臨晤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 皇太子加元服
掃部寮立平文倚子、敷錦毯代(○○○)、〈請藏人所

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 元日宴會
次撤尋常御倚子唐錦毯代(○○○○)平文御倚子、鋪唐錦褥、〈近例依唐錦毯代、敷二色綾、不然歟、亦鋪繧綱端織物褥訛也、〉

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 東宮御元服
掃部寮官人、南殿御帳中土敷上鋪唐錦毯代、〈四幅〉

〔尊勝寺供養記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 康和四年七月廿一、日甲辰今日有尊勝寺供養事、〈○中略〉同〈○母屋〉第二間敷唐錦毯代、〈四角置形鎭子〉其上立螺鈿大床子二脚、〈○下略〉

〔北山抄〕

〈三/拾遺雜捗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 内宴事〈○中略〉
掃部寮立御辰子〈用藏人所螺鈿扆子、有繡毯代(○○○)、○中略〉
裏書 藏人式〈○中略〉 當日早朝、南廂東第二間鋪繡毯代、立螺鈿倚子、〈○中略〉南廂東第一柱南邊簀子、鋪兩面毯代(○○○○)、立平文倚孑、爲皇太子座、〈西面〉座右立机置硯、主膳監立臺盤一基、其座前渡殿鋪紺布毯代(○○○○)、置草墪、爲王卿座、〈○中略〉仁壽殿西廂南第一二三四間立廻御屛風、其内鋪紺布毯代、立壼床子、爲尚侍座、〈南面〉鋪同毯代、立兀子床子、爲典侍掌侍殿上命婦座、〈東西相對、以北爲上、〉

〔延喜式〕

〈四十/造酒〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 釋奠料、〈春秋同〉布畫毯代(○○○○)一領、〈○中略〉
諸節雜給酒器 布畫毯代二領、〈○中略〉 右五位已上料、〈○下略〉

〔名目抄〕

〈雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0045 蠻繪〓代(バムエノセンダイ/○○○○)〈敷公卿臺盤下者〉

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 元日宴會
御帳東第二間中央、東西兩行設親王公卿座、鋪紺布蠻繪毯代(○○○○○○)、〈皇太子不侍之時、第二間西柱西進二許尺鋪之、〉
兀子、獨床子、簀子敷床子等、〈北親王參議座、南大臣大中納言三位參議、散三位參議座、並西上對座、〉近例以件紺布蠻繪毯代、敷臺盤下、不兀子下、訛也、

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 東宮御元服
御帳東第二間中央、東西兩行設親王公卿座、鋪紺布蠻繪毯代、立兀子床子等、〈○中略〉
一上卿座敷物事
裝東司記文、鋪紺布蠻繪毯代兀子床子等、此謂公卿座下敷物也、而今敷以件布毯代公卿臺盤敷物、已以違例、太子御臺盤猶無敷物、臣下臺盤獨何有敷物乎、

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 内取御裝束
近例又第七八間北邊立廻同〈○山水繪〉屛風、〈便用本宮屏風南向〉其内設皇后御座、敷鸚武形毯代(○○○○○)塵蒔大床子一雙高麗褥

〔續百一錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0046 寬保二年二月廿八日
一内侍所江出御ニ付參役〈○註略〉
布毯(○○)かまへ樣 筵道の上にかまへ 内侍所方下前にかまへ、まかりとも同斷、
布毯、故院の御土藏へ納に參る、
淸凉殿ヨリ内侍所之ロウカノ御道筋、筵道ノ上ニ布毯引、〈内侍所ノ方下マへなり〉
布毯〈アヤ地花ンチガヒ、表紅、御紋花ワチガヒ、白ノカタモシ、ウキ絞ニアラズ、〉
三月三日、奉願口狀之覺、
一今度臨時三箇夜御神樂被仰出、如例參役仕候、〈○中略〉其上近頃迄、布毯淸凉殿母屋より庇之間、且 内侍所御緣より階之中央迄、雙方ニ二卷相役候處、唯今にては筵道之上六十間餘、不殘布毯供候樣に被仰付候に付、運送仕候白丁に至迄、多く召連候樣罷成、困窮之輩、甚迷惑仕候間、以御憐愍、自今者兩人分御下行被下置候はゞ、難有可存候、〈○中略〉
〈酉〉十二月 〈内藏寮官人〉山本修理大屬
〈同〉 深尾縫殿大屬
出納殿

毯代用法

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 元日宴會
殿東軒廊安殿上酒臺、西第一間第一柱南砌上鋪毯代一枚、其上立

〔西宮記〕

〈正月上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 小朝拜
裏書、延喜十年正月一日、太子參上、命婦時子授太子祿、〈天德四年正月有此例〉太子不參之時、下母屋御簾等、撤晝御座、其間敷毯代侍御倚子

〔江家次第〕

〈九/十月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 射場始
射場殿欄内幷西門敷滿筵、其上寄西立平文御倚子、東面有二色(或錦毯代)毯代、四角置鎭子(○○○○○)、依祁寒必敷毯代(○○○○○○○○○○)

〔西宮記〕

〈臨時九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 内親王著裳
晝御座毯代大床子〈垂母屋御簾

〔新儀式〕

〈四/臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0047 天皇賀太后御算
南廂東中間北邊敷毯代立天床子三脚〈南面、太后御座也、○中略〉
幸神泉苑競馬
母屋中央間敷御座〈立御倚子毯代、南北立置御机、〉

〔壬生家記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 文政元年悠紀主基御帳繼壇御裝束類之事
一悠紀御帳臺、方一丈、〈今度濱床ヲ不用〉敷設如例節會、〈○中略〉 毯代二帖〈表赤地ノ唐錦、裏紅打、〉

簟/名稱

〔新撰字鏡〕

〈竹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 簟〈田點反、席也、阿牟志呂(○○○○)、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十四/坐臥具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 簟 蔣魴切韻云、簟〈徒砧反、上聲之重、竓間名如字、〉織〓爲席、暑月鋪之、

〔段注説文解字〕

〈五上/竹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 〓、竹席也、〈毛詩箋曰、竹葦曰簟、〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 簟 太加無之呂(○○○○○) 籧篨(アジロ) 籚〓 和名阿無之呂 俗云阿之呂(○○○)簟、竹筵也、〈○中略〉
按籧篨、麁竹席也、

簟用法

〔延喜式〕

〈三十八/掃部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 元日供奉威儀掃部二人、分列左右、〈○中略〉官人季掃部豐樂殿御座、南廂西第二間敷簟四枚、〈爲御酒臺下敷

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 元日宴會
南廂西第二間、差南去東西行、鋪簟四(タカムシロ)枚、〈近例依簟鋪筵訛也、亦唯有二枚、〉

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 東宮御元服
南廂西第二間、差南去東西行鋪簟四枚

〔續日本後紀〕

〈九/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 承和七年五月戊戌、天皇除素服堅絹御冠橡染御衣、以朝也、〈○中略〉但御座者施簟於砥礪之上、不御榻

簟雜載

〔江家次第〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0048 弓場殿試事
無名門外立文臺、〈内藏寮及晩立之〉文人參入、〈○中略〉次給御題、〈○中略〉村上 應和二年六月十七日〈癸卯〉
筆爲夏施〈以純爲韻、官韻張純、〉
藤原公方作官韻、但以張子純長純、先是於淸水寺之、夢中給此題、公方返座、先對淸水寺禮云云、 菅原資忠不官韻玄純、是簟名作秀句、犯鶴膝、仰曰、資忠文體可觀、尤是奉公可學問料、〈○下略〉

〔本朝麗藻〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0049簟待客來〈便用來字〉 江以言
夏天敷簟立徘徊、終日相期待客來、且掃門前月展、預空座右風開、一條露滑憑言約、六尺烟平誡酒盃、珍重相公招引德、不然爭到晩凉廻、

〔本朝無題詩〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0049 晝障子詠三首 菅原在良
一物
一物分題雖簟、微凉暗至豈相親、游鱗縱隔三商用、水魄未六尺珍、依暑氣殘冷露、縦秋風起纎塵、由來靑戞足貯、劉孝儀詞催感頻、


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Last-modified: 2024-04-16 (火) 12:45:42