p.0163 枕 陸詞切韻云、枕〈之稔反、和名萬久良、枕レ物之處、去聲、〉承レ頭木也、
p.0163 枕〈マクラ承レ頭木也〉
p.0163 枕
p.0163 枕〈音斟〉 枕 和名萬久良 俗作レ〓者非也、〓音冘、樟之屬、
按、枕臥薦レ首者也、蓋所居座稱二久良一、高座(タカミクラ)、鞍(ケラ)、胡床(アクラ)之類是也、枕乃顖座(アタマノクラ)也、和名上略乎、
p.0163 枕 まはあたま也、上を略す、くらは座也、物をおく所、座する所をくらと云、あたまをおくくら也、
p.0163 まくら 枕は目座の義也、又纒の義ともいへり、萬葉集に、まかんをまくらかんともよみ、枕の字をまかんとよみ、又薦枕相卷之兒毛と見え、日本紀の歌に、あひまくらまくともよみて、神武紀に、枕をまきともよめり、古へは專ら括枕なるべければ、是も亦一義なるべし、南海寄歸傳にも、南海十島、西國五天、皆不レ用二木枕一、用二囊枕一とも見えたり、西土に紙枕、皮枕、石枕、方枕等見えたり、又香枕あり、歌に、新枕、手枕、袖枕、小夜枕、草枕、篠枕、薦枕、杉枕、岩枕、磯枕、小菅の枕、柘の小枕、敷妙の枕などよめり、萬葉集にすがまくらとも見ゆ、
p.0163 天皇不レ知二其之謀一而、枕二其后〈○沙本毘賣〉之御膝一爲御寢坐也、
p.0164 枕は麻久良伎氐(マクラギテ)と訓べし、〈○中略〉麻久良久(マクラク)とは〈麻久良加牟(マクラカム)、麻久良伎氐(マクラキテ)など活用(ハタラク)、〉枕にするを云て、鬘(カヅラ)にするを加豆良久(カヅラク)と云る〈○註略〉と同じ言格(イヒザマ)なり、又麻伎氐(マキテ)とも訓べし、其も同意なり、〈(中略)枕と云名も、もと麻久(マク)より出て、〓座(マキクラ)の伎久(キク)な切(ツヾ)めて、麻久良(マクラ)と云なり、凡て何にまれ物を居(スウ)る具を座(クラ)と云、枕は物を〓(マキ)て頭を居る座(クラ)とせるよしの名なり、さて枕にすることを、やがて〓(マク)とも云なり、手をまく、袖をまくなど云是なり、又記中の歌に麻久良麻久(マクラマク)ともあり、其は言重なれども、物ノ名となりては、又其に其ノ用ノ言を添云も常なり、歌をうたふなど云が如し、〉
p.0164 故爾伊邪那岐命詔之、愛我那邇妹命乎〈那邇二字以レ音、下效レ此、〉謂下易二子之一木一乎上、乃匍二匐御枕(○)方一、匍二匐御足方一而哭、
p.0164 殿中さま〴〵の事
一公方樣御寢所には御座をしかれ候、〈○中略〉御枕つねのごとし、くろくぬり候也(○○○○○○○)、かまち同前、一方にはばくといふ獸を書申候、
p.0164 一御枕の繪之事、禁中にも御用候事也、かた〳〵は獏なり、かた〳〵は菊又は鶴などの類をかき申候、公方樣にも同前、
p.0164 大村鶴汀老人の談に、枕を製するに、高サに定りたる宜き寸法あり、壽命三寸、樂四寸と覺ゆべしといへり、此寸法に遵ひ枕を製し試るに、至極せる事なり、
p.0164 枕の高さは壽命三寸、樂四寸と覺えてよし、
p.0164 枕は、夏は風とほるやうにすべし、わが肩のひろさをもとにして、少しづゝ高下すべし、
p.0164 古へに草枕、薦枕、篠枕、杉枕、菅枕、柘の小枕などいふ、草木の葉を束ねて枕としたるにや、然らばこゝには括り枕本義なるべし、
p.0164 こもまくら(○○○○○) 高はし 高瀨のよど たかみむすびの神
武烈紀に、〈影媛〉擧暮摩矩羅(コモマクラ)、柁箇幡志須擬(タカハシスギ)、神樂歌に、こも枕高瀨の淀や云々、三代實錄に、〈淸和紀〉薦枕、高御産栖日神社ともいへり、古へ蔣を以て枕とせしことは、萬葉卷七に、薦枕、相卷之兒毛(アヒマクシコモ)、在者社(アラバコソ)、卷 十四に、麻乎其母能(マヲゴモノ)、於夜自麻久良波(オヤジマクラハ)、和波麻可自夜毛(ワハマカジヤモ)、などよめるにてしらるべし、高とつゞくることは、日本紀私記に、師説、古以レ蔣爲レ枕云、高二之眼目一須流故、欲レ言レ高之始有二此言一乎といへり、さらば床の上に枕はことに高くする物なれば、事もなく高しといふにやあらん、又掃部寮式に、〈大嘗宮の神坐の料〉坂枕一枚、長二尺五寸、廣三尺、料編薦一枚、生絲一兩と有、或傳に、この神床の八重疊の下に、其薦枕をかひ敷て、高くすといへり、然れば枕の方高くて、床の上斜なれば、坂枕てふ名も有歟、是ぞ上つ代の臥床のさまなるべければ、こも枕高してふも此意ならんかとも覺ゆ、
p.0165 大伴連將二數千兵一徼二之於路一、戮二鮪臣於乃樂山一、〈○註略〉是時影媛逐二行戮處一見二是戮已一、驚惶失レ所、悲涙盈レ目、遂作レ歌曰、伊須能箇瀰、賦屢鳴須擬底、擧慕摩矩羅(○○○○○)、拖箇播志須擬、〈○下略〉
p.0165 擧慕摩矩羅〈私記曰、古以レ蔣爲レ枕、云レ高二之眼目一、故爲二高之發語一、〉
p.0165 小山田社部
元正天皇五年養老三年、〈癸未〉大隅日向兩國隼人等襲來、擬レ打二傾日本國一之間、同四年〈甲申〉公家被レ祈二申當宮一之時神託、〈○中略〉我〈禮〉昔此薦爲レ枕、發二百王守護之誓一〈幾〉、百王守護者可レ降二伏凶賊一也者、依レ之諸男奉レ苅二此薦一令レ造二別屋一、七日參籠、一心收レ氣、奉レ裹御枕御長一尺、御徑三寸、皆以二神慮一也、
p.0165 雜挽
薦枕(コモマクラ)、相卷之兒毛(アヒマキシコモ)、在者社(アラバコソ)、夜乃深良久毛(ヨノフクラクモ)、吾惜責(ワレヲシミセメ)、
p.0165 相聞
比登其等乃(ヒトゴトノ)、之氣吉爾余里氐(シゲキニヨリテ)、麻乎其母能(マヲゴモノ)、於夜自麻久良波(オヤジマクラハ)、和波麻可自夜毛(ワハマカシヤモ)、
p.0165 まをごもは蔣にて、こゝはこも枕をいへり、冠辭考にもまくらの條にくはし、
p.0165 嘉禎四年百首いな枕(○○○) 民部卿爲家 夢とのみふしみの里のいな枕むすびしのちのなさけだになし
p.0166 久安百首こすげの枕(○○○○○) 淸輔朝臣
はつかりのこすげの枕つくりおけるかひこそなけれいもしまさねば
p.0166 家集旅歌 源仲正
秋風に心みだるゝ旅ね哉ゆひとめられぬかやまくらし(○○○○○)て
石淸水三首歌合旅宿風 淸印道淸
かや枕かりそめぶしのさびしきによはのあらしぞともと成ける
p.0166 竹具 建仁寺町大佛前、亦以レ竹造二諸品物一、〈○中略〉竹枕(○○)〈○中略〉等物無レ不レ有、
p.0166 柿本朝臣人麿妻死之後泣血哀慟作歌二首幷短歌〈○中略〉
家來而(イヘニキテ)、吾家乎見者(ワガヤヲミレバ)、玉床之(タマドコノ)、外向來(ホカニムキケリ)、妹木枕(イモガコマクラ/○○)、
p.0166 寄レ物陳レ思
妹戀(イモニコヒ)、吾哭涕(ワガナクナミダ)、敷妙(シキタへノ)、木枕通而(マクラトホリテ)、袖副所沾(ソデサヘヌレヌ)、
結紐(ユヘルヒモ)、解日遠(トキシヒトホミ)、敷細(シキタヘノ)、吾木枕(ワガコマクラニ)、蘿生來(コケムシニケリ)、
p.0166 喜撰が歌はせんもなく歌もなし、秋の月の曉の雲にあへるがごとし、
木まくら
p.0166 一信綱公〈○松平〉比レ及二十二三歲一、與二大河内休心翁一、常同二寢七之間之室一、翁示レ之以二諸般之心操一、公欲二目覺一、臥以二三角木枕(○○○○)一、故應二其動靜一速矣、
p.0166 寄レ物陳レ思
夕去(ユフサレバ)、床重不去(トコノヘサラヌ)、黃楊枕(ツグマクラ/○○○)、射然汝(イツシカナレガ)、主待固(ヌシマチカタキ)、
p.0166 まくら 家良 おそろしやつげの枕のあらつくりかどある人はともと賴まじ
p.0167 千五百番歌合 皇太后宮大夫俊成卿
いくとせになれにしとこのなりぬらんつげの枕もこけ生にけり
寶治二年百首 正三位知家卿
見しまゝにとこもはなれぬつげ枕されども人は行へやはしる
p.0167 もやひさしのてうどたつる事
そのまくらの左右に、八もじにしたんぢのてのごき丁をたつ、〈○中略〉それにそへてぢんのまくら(○○○○○○)ふたつををくべし、
p.0167 元永二年十月五日、早旦依二招引一向二伊豫守許一、執レ聟間事、依二日次宜一所二示合一也、〈○藤原公實女嫁二源有仁一、中略、〉
廿一日、巳刻著二束帶一行二向二位經營所一、〈上皇御所大炊殿○中略〉實行、通季等卿、顯隆朝臣、所々令レ立二調度一、〈○中略〉後聞帳中敷二繧〓疊三枚一、南方置二沈枕一雙一、跡方置二大壺一、
p.0167 保元三年二月九日庚子、今夜執レ聟事、密々營レ之、〈○中略〉寢殿東北兩面鋪二設裝束一、障子帳懸二引物一、其内置二沈枕、織物直垂、白劒等一、〈入二錦袋一〉
p.0167 治承四年六月廿三日甲辰、此日密々有二嫁娶事一、右大將良通〈○藤原兼實子〉通二花山院中納言兼雅卿娘一、〈○中略〉母屋中央間立二障子帳一、〈○中略〉其内南北妻敷二繧〓疊三枚一、其上敷二例筵一、〈著二錦繰一、禮須レ用レ茵、依二略儀一敷二例筵一也、〉其上置二沈香枕二一、
p.0167 忠君宰相まさのぶがむすめにまかり通ひて、ほどなくてうどどもをはこび返しければ、ぢんの枕をそへて侍ちけるを、返しおこせたりければ、 よみ人しらず
涙川みづまさればやしきたへの枕のうきてとまらざるらむ
p.0168 新將軍京落事
爰ニ佐渡判官入道道譽、都ヲ落ケル時、我宿所ヘハ定テサモトアル大將ヲ入替ンズラントテ、尋常ニ取シタヽメテ、〈○中略〉眠藏ニハ沈ノ枕ニ鈍子ノ宿直物ヲ取副テ置ク、
p.0168 ほうの木まくら(○○○○○○○) よみ人不レ知
みちのくのくりこまやまのほうのきの枕はあれど君が手まくら
p.0168 三輪のやまもりくる月はかげもなし すぎまくら(○○○○○)
p.0168 四十三番 右 枕賣
秋寒き閨の戸口の杉まくらさしいるからに月ぞ身にしむ
p.0168 藤枕(○○) 以二細小片木五寸許一、縱横四角造二枕形一、是謂レ指レ枕、而後縱纒二藤蔓一、兩端貼レ板塗二黑漆一、是謂二藤枕一、良賤嫁娶夜必用レ之、故新婦携二一雙一而行、是又婚禮之一端也、或謂二殿枕(○○)一、倭俗崇二男子一稱レ殿故爾、造レ之者唯一家、在二室町南一、革枕(○○)、疊枕(○○)、獏形枕(○○○)、黑漆塗枕(○○○○)等、在二烏丸下立賣通北一、
p.0168 日向 藤籠履枕(トウノコリマクラ/○○○○)〈トウニテスル枕也〉
p.0168 高枕表號説〈代二桃源師一〉
世傳、吾中臣氏大織冠嘗有二野獸一、以レ鎌置二枕上一、藤蔓纒レ之、因改稱二藤原一、可レ謂レ異矣、公族姓藤原、而號二齊藤一、余今以レ枕命レ焉、豈偶然乎、昔有二藤枕一、其製佳也、交友之間、以二充二瓊瑤之贈一、一時名曰二睡藤一、其枕レ之者、鈞天之想不レ斷、遊仙之夢可レ尋、吁孰不レ念哉、夫本邦四家雖レ競二豪華一、爲レ士二於朝野一者、問二其姓一不レ曰レ藤也鮮矣、有レ以哉、世之所二用爲一レ枕者、不レ藤二其製一也亦鮮矣、亦復有レ以哉、藤云藤云、睡藤云乎哉、
p.0168 踐祚大嘗祭儀中
御服二具、衾三條、〓枕(藁藁)二枚、〈○中略〉預令二縫殿寮縫備一、
p.0168 納物 白練綾大枕(○○○○○)一枚〈著二夾纈羅帶三條一〉
p.0169 一新宮遷奉御裝束用物事
出座御床裝束物七十二種、〈○中略〉錦御枕(○○○)二基、〈納二白筥一合一〉
p.0169 太政官符
伊勢大神宮司〈○中略〉
出坐料御裝束 錦御枕貳基〈長各五寸五分、廣三寸八分、厚二寸四分、中子作檜、〉
p.0169 太神宮裝束、〈○中略〉
錦枕二枚、〈長各五寸五分、廣三寸八分、厚二寸四分、○中略〉
度會宮裝束〈○中略〉
枕二基
p.0169 我枕讃 佐菊伍
されば枕の寐心をえらぶに、天鵞絨の枕(○○○○○)は油しまず、くゝり枕の最上なればとありし、大名の隱者の仰せられしよし、〈○下略〉
p.0169 延喜聖主〈○醍醐〉召二基勢法師一、金御枕(○○○)ヲ御懸物ニテ、令レ決二圍碁一給ニ、數無二御勝負一、或日基勢奉レ勝、賜二御枕一退出之間、以二藏人一被二召返一之處、申云、年來一堂建立宿願候、思而渉レ日之間、早賜二此御懸物一、歸參シテ若被二打返一マイラセモゾスルトテ、ヤガテ退出、自二翌日一建二立一宇堂一、仁和寺北〈ニ〉彌勒寺ト云堂ハ、此基勢之堂也、
p.0169 いしの枕(○○○○) よみ人しらず
ひとりねのとこにたまれるなみだにはいしの枕もうきぬべらなり、
p.0169 あかき物の品々 とうきのまくら(○○○○○○○)
p.0170 近ば德大寺の右のおとゞ〈○公繼〉打まかせては云出がたき女房のもとへ、師子のかたを作りける茶椀の枕を奉るとて、うすやうをおりて、此歌をかきて、思かけぬはざまにかくし入たりける、
わびつゝはなれだに君にとこなれよかはさぬよはの枕なりとも、女房此枕は只にはあらじとて、とかくして此歌をもとめ出されたりける、いみじくいろ〳〵しく色深し、これを歌を人してつかはして、心のうちをあらはせるたぐひ也、
p.0170 踐祚大嘗祭儀中
前レ祭一日、〈○中略〉奘二飾豐樂院御座一、〈○中略〉白羅草木鳥獸繡緣御坂枕(○○○)二枚、〈○下略〉
○坂枕ノ事ハ、神祇部大嘗祭篇調度條ニ詳ナリ、就テ見ルベシ、
p.0170 あかしの浦には月すまず はりまくら(○○○○○)
p.0170 久壽三年二月廿八日庚子、申刻許向二權弁亭一、於二四條東洞院新造家一被二經營一也、右衞門佐光宗、令レ嫁二第三女子一也、寝殿中央母屋立二障子帳一、其中敷二繧〓緣疊三枚一、安二張枕(○○)二一、置二白堅文織物直垂衣一、不レ敷二表筵一、不レ置レ劒、頗無レ謂歟、又不レ安二沈枕一、不審也、
p.0170 婚儀次第〈○中略〉
次相共臥給〈男君南、女君北、〉 兼幷二置張枕一雙於帖東頭一
p.0170 山城 櫻馬場張枕(サクラノバヾニハリマクラ)
p.0170 摺枕(タヽミマクラ/○○)
p.0170 夜具之部
一まくら二ツ、箱まくら(○○○○)也、黑ぬりまき繪にて、一方には獏、一方には家の紋をかく、是本式也、寸法 等定法なし、
一まくらの繪に、獏といふけだものを書く事、獏はあしきゆめをくらふといふ事あれば、獏をかく也、
p.0171 後世入子枕(○○○)といふ物あり、箱枕の細長きを、五つも七つも數多て入子にしたるなり、夢想枕(○○○)といふも是なり、もと琉球製にや、中山傳信錄に是を套枕(○○)といへり、
p.0171 枕
大小套枕、中藏二數具一、客至則人授二一枕一、
p.0171 夢想枕 夢想流の髮
夢想枕、又入子枕ともいふ、是は五ツ或は七ツ入子にしたる箱枕なり、今もあるべけれど、江戸にてはおこなはれず、總(スベテ)物に夢想と名つくるは、神佛の吿なんどいふより移りて、不思議といふ程の事にて、物の形の變ずるをいふ、一ツかと思へば二ツにも三ツにもなる不思議な枕といふ義なり、裏かと思へば表にも變を夢想羽織、板にて張つめたりと見ゆるが窻になるを夢想窻、引出しのこなたへも抜、あなたへもぬくるが夢想引出し、此類多くあるべし、或書に夢さう簞笥は夢窻國師の持玉ひし調度をうつしたるなりと記したるは信じ難し、夢想枕は相摸の國なんどにて、昔は專つくりたるが、東海道名所記〈萬治〉に小田原足踏、けやきの丸木履なり、夢想枕、又宿の右の方に外良(うゐらう)ありといふ事見えたり、〈本朝文鑑〉
坂東太郎、〈寬文七年刻丸撰〉近年又同名の俳書あり、
夢想枕神ならば神郭公 黃吻
伊勢宮笥〈延寶八年刻〉
星祭り七ツ入子に落にけり 〈撰者〉心友 小町が庵の客枕の露 曲言
餘花千句〈寶永二年〉
浮田殿よりかいひねり狀
交りの枕をぬくも七ツ組
p.0172 小田原より箱根へ四里
右の方、宿〈○小田原〉の入口に小田原陣の時の戰場あり、〈○中略〉名物には小田原石、水道のために江戸に出しあきなふ、小田原足駄、けやきのまる木履なり、夢想枕、又宿の右の方に外郎あり、
p.0172 緺枕(クヽリマクラ/○○)
p.0172 今の〓枕なき已前は、中人以下皆箱枕を用ひたりと見ゆ、〈○中略〉〓枕とは今のよのつねの枕なり、
p.0172 一荒木氏何某といふ人、御使に奧州に下りしに、其少し前に、光堂の佛の目にいれたる金を、人の盜みし事あるを僉議するとて、秀衡が棺をあばきたり、〈○中略〉秀衡が棺の内より、まくら一ツ、大刀一ふり出だしおきて、國主の者ども、荒木何某に見せたるなり、〈○中略〉若藤杢右衞門といふ人、奧州までしたがひ行きて見たりとて、茂卿〈○荻生徂徠〉が幼き時かたりき、枕はつねのくゝり枕なり、ふさまでも深紅なるが、手にてさはれば、でうのごとく手につくとなん、
p.0172 山城 縊枕(クリヽマクラ)
p.0172 因に云、或寺に獏枕(○○)あり、傳へていふ、加藤淸正朝鮮より將來し物なりといへり、その枕を見しに、すべて木彫にて漆をぬり彩りたり、齒と爪とは獸の眞物を鏤む、其形は頭の左右より前足出て蹲踞(ウヅクマリ)たるやうに作り、下に筥の如き臺あり、頭のうへに船底の形したる板ありて、是を枕とするなり、喉の内に括機ありて頭上板の横側だてば口を開く、眼の玉すこし高く出て 摩れば、くる〳〵めぐり、耳も前後に動く、おもふに是は虎枕なり、〈○下略〉
p.0173 夜御殿
四方有二妻戸一、南大妻戸一間也、御帳同二淸凉殿一、東枕
p.0173 夜のおとゞは東御枕なり、おほかた東を枕として陽氣をうくべき故に、孔子も東首し給へり、寢殿のしつらひ、或は南枕常の事也、白河院は北首に御寢なりけり、北はいむ事也、又伊勢は南なり、太神宮の御方を御跡にせさせ給ふ事、いかゞと人申けり、但太神宮の遙拜はたつみに向はせ給ふ、南にはあらず、
p.0173 一まくらをく事、殿がたのをばそばに上になしてよこにをく、にようばうのをばふせて、ひらみを上になしてをくなり、およらぬまへに、むしろばかりのべてはをかぬ事なり、まくらきるものなど、いかやうにもをくべし、
p.0173 いとおかしげなる人の、いたうよはりそこなはれて、有かなきかの氣色にてふし給へるさま、いとらうたげにくるしげなり、御ぐしのみだれたるすぢもなく、はら〳〵とかゝれる枕のほど、ありがたきまでみゆれば、とし比何事をあかぬことありて、おもひつらんとあやしきまでうちまもられ給、
p.0173 〈三條〉一鋪二設裝束一事
御枕事
其體尋常定也、以二薄樣一可レ裹レ之、其色必不定、上敷ノ南端ニ可レ置、〈南北行定〉
雖レ獻二御衣一、不レ進二御枕一事、
此定可レ然
p.0173 嘉禎三年正月十四日、此日左府〈○藤原兼經〉被レ迎二第二娘一、〈○中略〉 嘉禎三年正月、右少辨高嗣朝臣注送文、〈○中略〉
御所御装束無二殊事一、然而大概記レ之、〈○中略〉母屋三箇間東第一間、〈棟分、次北間也、〉北爲二障子一、東面爲レ壁立二亘屛風一、其中敷二高麗端一、〈大文○中略〉其疊二枚、上頭置二御枕一雙一、〈以二白打紙一裹也〉
p.0174 御産所之御具足色々給二注文一
一御枕 二綾つゝみ
p.0174 文化五年二月十一日、近衞内大臣、〈基前公〉尾張宰相殿姉姫維(ツナ)君御方御婚禮也、〈○中略〉
一寢殿有二敷設一、〈○中略〉其〈○北廂東面〉西方又有二平敷御座一、其上繧〓御茵二枚並二敷之一、其東並二置御枕二一、〈檀紙包也〉
p.0174 一同〈○慶長二十年正月〉廿三日ニ、秀賴公〈○豐臣〉ヨリ御使者トシテ、吉田玄蕃ヲ以テ、〈○中略〉蒔繪ノ御枕、紅梅ノ御枕掛(○○○)、以上右ノ通リ、桐ノ長持ニ入進ゼラル、
p.0174 一枕臺造日、能々以二吉日一可レ造也、
p.0174 三郎主者、細工幷木道者也、〈○中略〉枕筥〈(中略)已上所レ造〉
p.0174 一被レ加二以前御調度外一御物事
御裝束儀、如二以前差圖一無二相違一、又帳内枕上小几帳一雙、〈○中略〉以二枕筥一置二帳内枕上一、虎子筥置二御帳跡方隱所云々、〈○中略〉長元八年九月二日、隨二尋聞一注畢、〈○中略〉
一御裝束〈○中略〉
帳東棟分戸簾前、立二亘五尺屛風一、立二衣架一雙一、〈○中略〉以二枕筥一置二帳内枕上一也、
p.0174 寬仁二年六月廿日辛亥、土御門殿、〈○藤原道長第〉寢殿以二一間一〈○註略〉配二諸受領一〈不レ論二新舊一、撰二勘レ事者一、〉令レ營云々、〈○中略〉又伊豫守賴光、家中雜具皆悉獻レ之、〈○中略〉又有二枕筥等屛風二十帖几帳二十基一云々、希有之希有事也、
p.0174 ものへいく人に、まくらばことらすとて、 わすらるなうらしまのこが玉くしげあけてうらみんかひはなくとも
p.0175 成房朝臣法師にならむとて、いひむうにまかりて、京の家にまくらばこをとりにつかはしたりければ、かきつけて侍ける、 則忠朝臣女
いきたるかしぬるかいかにおもほえず身よりほかなる玉くしげかな
p.0175 枕筥〈深二寸五分〉
弘五寸五分
長七寸二分
深盖
押覆
銀蠻〓
長五寸一分、弘二寸五分、
枕上形
身ニ入枕形
枕筥居筥
長九寸五分
弘七寸五分
高一寸
料米五三寸、槫一尺六寸三寸半、板九寸、
木道單功八疋食蒔料金一兩一分 銀二
兩二分 漆六合
書料卅疋 磨料百疋
口白鑞八兩加
居筥定
置料十五疋
關白相府仰云、以二枕筥一置二帳内枕
上一、承平四年中宮御賀度如レ此云
云、
p.0175 一同五日〈○元和三年九月、中略、〉久右衞門方へも文來、是も釜事也、文共は枕箱へ入置也、
p.0175 枕簞笥
何の器物にもあれ、其形のみ專らおこなはれ、朝夕目に馴れば、古くよりありし物のやうに思は るゝは世の常なり、〓枕(あづちまくら)はいと近き製作なるべけれど、若き人は名だにも知らず、唯枕といふ物と思ふもあるめり、西川祐信の晝、正德雛形の枕盡しの摸樣に、形の似たるはあれども、今の如く縊(クヽリ)といふ物をつけたるは無し、偖此枕なき前は、中人以下は皆箱枕なりしなるべし、客のまうけなんどにや、枕五ツ宛を重ね箱にいれたるあり、是を枕簞笥といへり、古き調度を商ふ舖には、をりにふれてあり、小口を黑漆にて塗、紋所を金粉にて蒔繪したるなどあれば、下賤の者のみ箱枕を用ひしにはあらず、今も旅籠屋茶屋やうのところは、此枕簞笥のある歟不レ知、
此茶屋雀のほかには、十の枕をゑがきたる草紙を見ず、今藝州宮島の遊女、枕二ツを箱にいれ、鐶にてひきさぐるやうにしたるをもて來、此形に似たりとぞ、〈○圖略〉
塵取〈延寶七年刻 常矩撰〉大形の恨みの數も十計り
來譫夜重ねてうき枕箱 風宿
常陸帶〈元祿四年刻 兒水撰〉
春雨に九ツあまる枕かな 林鴻
陸奧千鳥〈元祿十一年 桃隣撰〉
木枕や十人までは冬籠 琴風
四五百森〈元祿七年刻〉
櫻にこぬや隨分の用 〈撰者〉示因
朧月十の枕は十所に 同
而形集〈平砂句集〉
木枕を八卦に配れ夏座敷 かゝる句どもの見ゆれば、昔は此枕簞笥いづれの家にも有し物なるべし、又、
江戸筏〈享保元年刻〉
〈前句略〉十人前ぞ枕いやしき 靑峩
といふ吟あるにて思ふに、享保の頃ははや〓枕おこなはれ、箱枕は廢たるにやあらん、又曰、河念佛〈元祿十四年刻〉に、枕だんす次きせる、伊勢骨柳(イセコリ)に何かうちいれとあるは、旅の用意にて、枕近くおく簞笥の事なり、手近くおくを手簞笥といふに同、
p.0177 高枕表號説〈代二桃源師一〉
枕之爲レ用也、具二于安寢一爾、而其用不レ一矣、用二之文一者、司馬警レ枕焉、用二之武一者、錢王警レ枕焉、眞而用レ之、列二衣鉢辨道之器一、俗而用レ之、寄二閨房相思之情一、是皆用レ之小者也、黥布出二下計一、則漢高高レ枕而臥、商皓輔二東宮一、則留侯高枕而臥、是枕之適二天下國家之用一、用レ之大者也、東濃持是主盟、就レ余求レ號、號之設也、在レ表二其德一、余乃以二高枕兩字一命レ焉、有レ規有レ祝、有二規祝之外者一、曰所二以規一者何、曰古之人養レ生者、不レ高二其枕一、率始高レ之、而漸低レ之、故以レ紙爲レ枕、而日減二一番一、頤神妙術也、蓋服藥百裹不レ如二一宵低枕一、而今命以二高枕一、所二以規一者不レ在レ斯哉、曰所二以祝一者何、曰公眞俗之諦、永泯二其相一、紅幢翠節、出擁二萬騎一、則高二呉越王枕一、以警二其眠一、碧紗靑燈、入讀二群書一、則高二獨樂公枕一、以警二其眠一、然後一家一國如二漢高晉侯高レ枕之日一、而延及二天下一、所二以祝一者不レ在レ斯哉、〈○中略〉枕也者誠公家舊物也、抑公鈞天之想、遊仙之夢、所レ寓果安在乎、杜詩曰、高枕遠江聲、遠江聲是其所レ寓云、則向所レ謂規祝之外者、余所レ不レ知也、一笑、
p.0177 枕記 貞室
敷妙の枕は床臺の臥具にして、老少男女のゐをやすからしめ、勞をたすけ閑をそふる寶器なれど、人つねに目なれて此德の本ゐをしらず、もろこしの人も是をいみじと思へるにゃ、香木をもてけだものゝ形をきざみ、玉をみがき玳瑁をのべて、あしき夢をもさき侍る、此國の歌人のよみ 置侍しも猶こちたし、〈中略〉されば我枕はこれらの品にはあらで、みづから老のすゑに二つの枕を求て、座の左右にして愛する事あり、一つは桑の木の圓枕なれば、その形によせてお玉志名づけ、今ひとつは滑なる方石なれば、やがてお岩といふ、むかし近くめしまつはせし少女のそれが名をかれるもの也、玉といひしは、むつ〳〵と肥て膚のすべらかなりしかば、おさなき比より傍にふさせ侍し新手枕も忘がたし、岩はよな〳〵あとさゝせつるに、踵のあらましくて、あかゞりのむつかしかりければ、思ひなぞらへていふなるべし、宋司馬文公が圓枕は、學意にまろばし、長き眠のさめやすくして、讀書にたゆみなからしめむが爲に、孫楚が流を枕せしは、耳を洗はむが爲とかや、下官が愛するは、さる心にあらで、桑は中風をふせぎ、石は頭熱をさまさむとなり、唯よく生をやしなふ便なれば、あにいたづらふしといはむや、或日ひとりの友來りて、此二枕をあやしみて、猿のつぶりやもたりけむと笑ふに、此記をかきてその人に答ふるのみ、
狂云、此記ハ世々ニ傳寫シテ焉馬ノ誤モ有ルベキカ、〈○下略〉
p.0178 四十三番 左 枕賣
むろ出しまだひもやらぬ新枕かぶれかゝりてそひもはてばや〈○中略〉
左漆にかぶれかゝる巧なれども、右隱し針、人にしられぬ當道の秘事とかや、〈○下略〉
p.0178 播磨 同〈○室滑〉枕
p.0178 滑革師 革は所々の穢多これを造る、革師これを求て、馬具、銀袋、蒲團、枕等是をつくる、〈○中略〉春日通東洞院の西にあり、
p.0178 題しらず 讀人しらず
枕より跡より戀のせめくればせむかたなみぞとこなかにをる
p.0178 つねになきな立ち侍りければ 伊勢 ちりにたつわがなきよめむ百敷の人の心をまくらともがな
p.0179 修理大夫惟正が家に、方たがへにまかりたりけるに、いだして侍ける枕にかきつけ侍ける、 藤原義孝
つらからば人にかたらんしきたへの枕かはしてひと夜ねにきと
p.0179 雜の御歌の中に 光嚴院御製
山里は明け行く鳥の聲もなし枕のみねにくもぞわかるゝ
p.0179 題號を枕草紙といへる心は、〈○中略〉此草紙の奧に云、宮のおまへに、内のおとゞの奉り給へりしを、是に何をかゝまし、うへの御前には、史記といふ文をなんかゝせ給へるとのたまはせしを、枕にこそはし侍らめと申しかば、さはえよとて給はせたりしを、あやしきを、こよや何やとつきせずおほかるかみのかずを書つくさんとせしに、いと、物おぼえぬことぞおほかるやと云々、枕にこそし侍らめとて申うけたる物に、かゝれたる草紙なれば、まくらさうしと申侍るなるべし、
p.0179 くさまくら(○○○○○) 〈たび〉
萬葉卷一に、草枕(クサマクラ)、客爾之有者(タビニシアレバ)云々、こは卷五に、道乃久麻尾爾(ミチノクマビニ)、久佐太袁利(クサタヲリ)、志婆刀利志伎提(シバトリシキテ)てふごとく、草引結びて枕とする意にて、旅には冠らするなり、〈此うた舒明天皇の御代を擧たるに、いひなれしつゞけ樣なれば、いと上つ代よりいへる詞なりけり、〉
p.0179 枕詞
天又月日などいはむとて、まづひさかたのといひ、山といはむとて、まづあしびきのといふたぐひの詞を、よに枕詞といふ、此名ふるくは聞も及ばず、中昔の末よりいふことなめり、是を枕としもいふは、かしらにおく故と、たれも思ふめれど、さにはあらず、枕はかしらにおく物にはあらず、 かしらをさゝゆるものにこそあれ、さるはかしらのみにもあらず、すべて物のうきて、間のあきたる所を、さゝゆる物を、何にもまくらといへば名所を歌枕といふも、一句言葉のたらで、明(アキ)たるところにおくよしの名と聞ゆれば、枕詞といふも、そのでうにてぞ、いひそめけんかし、
p.0180 謎語之事
一股藏のたぬき何ぞ 枕
一天狗の大藏何ぞ まくら
p.0180 衾 説文云、衾〈音金、和名布須萬(○○○)、〉大被也、四聲字苑云、被衾別名也、
p.0180 被(フスマ)、衾、〈二字同〉
p.0180 衾〈大被也〉 寢衣(フスマ/ヨギ)〈被同〉 裯(ヒトヘフスマ)〈單被曰レ調〉
p.0180 被(ふすま/よぎ)〈音陛〉 衾〈音金〉 寢衣 和名不須萬 裯〈音儔〉 比止閉乃不須萬
大被曰レ衾、單被曰レ裯、詩召南、抱二衾與一レ裯者是也、 三才圖會云、論語曰二寢衣長一身有半一、此商周事也、蓋被之名、始二于漢一也、
按所レ圖〈○圖略〉被似二蒲團一、旣謂二寢衣一、可レ有二襟袖一也、倭夜著如二常衣一而濶大、長一身有半、
p.0180 衾(フスマ) ふしまとふ也、ふして身にまとふ也、
p.0180 ふすま 紀に衾をよめり、また被衾をよめり、大被を衾とす、臥裳の義なるべし、臥裳は萬葉集に敷裳といへるがごとし、西土に單被、綿被など見えたり、〈○中略〉萬葉集に、麻被、まだらふすま、むしぶすま見ゆ、むしは蒸の義、あたゝかなるをいふ、
p.0180 七年四月辛未朔、天皇居二臺上一而遠望之、烟氣多起、是日語二皇后一日、朕旣富矣、豈有レ愁乎、皇后對諮、何謂レ富焉、天皇曰、烟氣滿レ國、百姓自富歟、皇后且言、宮垣壞而不レ得レ修、殿屋破之、衣被露(フスマツユニウルホフ)、何謂レ富乎、
p.0181 ふすま 家良
神無月ならのみやこにをくるてふふすま(○○○)も年をかさねつる哉
p.0181 年料供物
褥料絹三疋一丈六尺七寸、綿廿四屯、被料長絹十二疋、調絹八十四屯、〈(中略)已上寮供レ之〉
右女部司縫備
p.0181 人給料、絹一百七十八疋三尺、〈卌疋祿料衾卅條料○中略〉調綿四百八十屯十五兩一分二銖、〈百八十屯祿料衾廿條別六屯〉
p.0181 もやひさしのてうどたつる事〈○中略〉
さてのち御ふすま(○○○)ををく、たてまつるべきやうにうらをしたにをきて、くびのかたをうへざまに、あとのかたへひきかへしてをくべし、御ふすまは、くれなゐのうちたるにてくびなし、ながさ八尺、又八のか、五のゝ物なり、くびのかたには、くれなゐのねりいとを、ふとらかによりて、二筋ならべて、よこさまに三はりさしをぬふなり、それをくびとしるべし、おもてこあをひのあや、うらひとへもんなり、
p.0181 〈抄〉衾は色紅なり、紅衾(○○)とも云ふ、四角四方也、中重あり、うはざしの組あり、女御入内の夜、女御の御母儀奉り給例也、
p.0181 爾其后取二大御酒坏一、立依指擧而歌曰、〈○中略〉牟斯夫須麻(ムシブスマ/○○)、爾古夜賀斯多爾(ニゴヤガシタニ)、多久夫須麻(タクブスマ/○○○○○)、佐夜具賀斯中多爾(サヤグガシタニ)、〈○下略〉
p.0181 たくぶすま 〈しらきの國しら山風〉
仲哀紀に、栲衾新羅國云云、万葉卷十五にもおなじつゞけあり、卷十四に、〈國しらぬ歌の中〉多久夫須麻(タクブスマ)、之良夜麻可是能(シラヤマカゼノ)云云、これらは栲布(タクヌノ)の衾(フスマ)の白きとつゞけたり、栲(タク)は木綿(ユフ)なるが故に、集中にし ろたへといふ所に、白栲と書るもあり、旣にも衣にもいへり、且古事記に、〈○歌略〉このむし衾柔(ニゴ)やが下てふは、和らかにてあつきふすまと聞ゆるに對れば、栲布のふすまは、さわやかなれば、さやぐが下とはよみ給へるなるべし、
p.0182 京職大夫藤原大夫賜二大伴郎女一歌三首〈○中略〉
烝(ムシ)〈○烝恐蒸誤〉被(ブスマ)丶奈胡也我下丹(ナゴヤガシタニ)、雖臥(フシタレド)、與妹不宿者(イモトシネヽバ)、肌之寒霜(ハダシサムシモ)、
p.0182 貪窮問答歌一首幷短歌〈○中略〉
安禮乎於伎氐(アレヲオキテ)、人者安良自等(ヒトハアラジト)、富己呂位騰(ホコロヘド)、寒之安禮波(サムクシアレバ)、麻被(アサブスマ)、引可賀布利(ヒキカヾフリ)、布可多衣(ヌノカタギヌ)、安里能許等其等(アリノコトゴト)、伎曾倍騰毛(キソヘドモ)、〈○下略〉
p.0182 雜歌
爾波爾多都(ニハニタツ)、安佐提古夫須麻(アサデコブスマ/○○○○○○○)、許余比太爾(コヨヒダニ)、都麻余之許西禰(ツマヨシコセネ)、安佐提古夫須麻(アサデコブスマ)、
p.0182 麻布(タへ)の小衾也、提は多倍の約言也、
p.0182 相聞
伎倍比等乃(キベビトノ)、萬太良夫須麻爾(マダラブスマニ/○○○○○○)、和多佐波太(ワタナハニ)、〈○太熟爾誤〉伊利奈麻之母乃(イリナマシモノ)、伊毛我乎杼許爾(イモガヲドコニ)、
右二首〈○一首略〉遠江國歌
p.0182 ふすまは、卽妹が夜の衾を云、斑衾は斑摺か、又倭文にて筋有布をもいふべし、わたさはには、綿多に也、
p.0182 ふすま 光俊
きん人のまだらふすまのひと色にならでやつゐに心みだれん
p.0182 ふすま〈○中略〉 かみぶすま(○○○○○)は、宇治拾遺に見ゆ、紙被也、詩集に多く見えたり、四六ふすまは、よるのものといふ諺あり、古へのふすまは民間皆紙ふすまを用ゐたり、四六は縱横 の枚數なり、
p.0183 昔は夜著なんど別に有は希なるにや、常の衣をかさねて著しことゝ見ゆ、砂石集八ある入道法師の物語に、小所領知行せし時の、事かけず病者にて身冷云々、女童部が衣かさねて候が、猶肩ひゆる儘に、小袖を肩にかけて、足冷てわびしければ、小童部あとにねさせ侍りしが、所領得替の後は、ひたすら暮露々々の如くにて、帷に紙袋きてねるに、足も身も冷ず云々あり、ふすまは萬葉に敷裳とあぢをもて、臥裳なりといへり、其狀はふすま障子といふにておもへば、今のかゞみ蒲團(○○○○○)の如く、緣をとりたるにて、形は方なるなり、民間には多く紙ふすまを用ひたり、著聞集に、安養の尼のもとに盜人入たる處、尼うへは、紙ふすまといふものばかりを、引著て居られたりけるなど見えたり、紙被を今江戸の俗にはてんとくじ(○○○○○)と云、古に日向ぼこりを天たうぼこりといひし如く、日の暖なるをよそへて、天德といふなるべし、〈天德寺といふ寺ある故に、戯れて天德じといひしなるべし、且ツいやしき物なれば、あらはにいはざりしことゝ聞ゆ、〉松月堂不角住吉奉納、〈三吟百韵〉無一もつ後生願の猫かふて、〈千翁〉かぶる衾も天德寺なり、〈泰角〉西翁獨吟百韻、めらはれにけり、悋氣いさかゐ我戀は、やぶれ紙帳の中々に、塵塚咄、〈元文二年に生れし老人筆記、一名飛烏川と云歟、〉昔は夏近くなれば紙帳賣、冬になればてんとくじといふ物を商ひたるが、今はすくなしと云るは、賣ありきしならむ、向が岡、〈延寶八年刻板〉夕立やあるが中にも紙帳賣、といへるにて知べし、明和二年千柳點、紙帳うり塗師やに賣るがしまひなり、とあれば、此頃までも有しなるべし、
p.0183 天德寺 江戸困民、及武家奴僕、夏紙張ヲ用フ者、秋ニ至リテ賣レ之、是ニワラシベ等ヲ納レテ周リヲ縫ヒ、衾トシテ再ビ賣レ之、困民奴僕等買レ之テ、布團ニ代テ寒風ヲ禦グ也、今ハ奴僕ハ用レ之歟、困民ハ不レ用レ之、又享保前ハ是ヲ賣步行ク、享保以來廢シテ今ハ見世店ニ賣ルノミ、蓋天德寺ノ名據ヲ知ラズ、江戸愛宕山下ニ天德寺ト云禪寺アリ、コヽニ因アル名歟、此物京坂 從來所レ無也、 又古紙張ノミニ非ズ、新紙製モアリ、又綿ニ代ルニボロト號ケテ、更ニ不用ノ古々裁レヲ集メ納ルモアリ、
p.0184 惠心僧都ノ姉安養尼終焉ノ時ハ、必可二來會一由、僧都契約云々、〈○中略〉此安養尼ノ許へ、强盜亂入シ、家中ニ有程ノ物皆搜取出去、尼紙衾計著テ被レ居ケリ、〈○又見二古今著聞集一〉
p.0184 さすがに一度道に入て世をいとはん人、たとひ望ありとも、いきほひある人の貪欲おほきににるべからず、紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、あかざのあつ物、いくばくか人のつひへをなさん、
p.0184 おちぶれて紙衾をかぶり敷てぬるとて
〈本歌〉おそろしや思ふ中をもさけつべし夜の衾のかみなりの音 讀人不レ知
p.0184 中納言ひさしういもね侍らねば、みだりこゝちいとあしう侍るつみゆるし給へとて、宮の御かたはらにうちふし給ぬ、うへのおとゞうたてものおぼえぬさまし給めり、さて忍びてさぶらひ給へとて出給ぬれば、中納言御ふすまひきゝてきこゆるやう、かゝるものまたもがな、いととくこたみは、なかたゞがやうにてをときこゆれば、うたていふものかな、いとおそろしきわざにこそありけれとおぼして、いでもし給はず、
p.0184 きさいの宮の賀、正月廿七日にいでくるおとねになむ、つかまつり給ける、まうけられたるもの、〈○中略〉御ぞは女御ふすま御よそひ、なつ冬春秋よるの御ぞ、
p.0184 ひるつかたわたり給て、なやましげにし給らんは、いかなる御こゝちぞ、けふはごもうたで、さう〴〵しやとて、のぞき給へば、いよ〳〵御ぞひきがづきてふし給へり、人々しりぞきつゝさぶらへば、より給て、などかくいぶせき御もてなしぞ、思のほかにこゝろうくこそおはしけれな、人もいかにあやしとおもふらんとて、御ふすまを引やり給へれば、あせにをしひたして、 ひたいがみも、いたうぬれ給へり、
p.0185 ゑぼうしばかりをしいれて、すこしおきあがらんとし給へど、いとくるしげなり、そろききぬどもの、なつかしうなよゝかなるをあまたかさねて、ふすまひきかけて、ふし給へり、
p.0185 宿直物(トノイモノ)
p.0185 宿直衣(トノエモノ)
p.0185 宿衣(トノイモノ)〈俗云二夜著一、又出レ與、〉 宿衣(ヨルノモノ/ヨギ)〈支那謂二之被子一、出レ土、〉 睡襖(同) 夜衣(同)
p.0185 とのいもの 宿直する臥具をいへり
p.0185 とのゐもの とのゐ物、和訓栞には、宿直する臥具をいへりといへり、されどすべて夜の御番に著るべき衣服をも、又俗のネマキ、カイマキのたぐひ、臥具迄もおしなめていへる也、御番ならぬ常のをば、よるのもの、よるのころもといへり、
p.0185 一とのゐものと云ふは、今の夜著(ヨキ)の事也、又おんぞとも云ふ也、とのゐ物には、袖の下、おくび、ゑり、兩の脇に六七寸のふさを付くる也、婚入記にあり、見合すべし、繪圖は武雜記の貞丈抄に記し置く也、
p.0185 一とのいもの二、御小をぞ二、御まくら二、御むしろ二あるべし、四月より九月九日までは、とのいものゝ御うら、御むしろのうら、すゞしたるべく候、
p.0185 夜具之部
一とのい物二ツの事、位ある人は、表は唐織物、その外はから物、其下は何にても用候、四月朔日より九月九日までは、うらすゞしなり、うらの色は、將軍家むらさき、其外は何色にてもするなり、九月九日より四月朔日迄は、うら赤緞子なり、ふさの色、何にても但赤を用べし、ふさ長サ五寸計な り、
p.0186 新將軍京落事
爰ニ佐渡判官入道道譽、都ヲ落ケル時、我宿所ヘハ定テサモトアル大將ヲ入替ンズラントテ、尋常ニ、取シタヽメテ、〈○中略〉眠藏ニハ、沈ノ枕ニ、鈍子ノ宿直(トノイ)物ヲ取副ラ置ク、
p.0186 普廣院殿樣御時之事
若君〈○足利義敎子義勝〉御誕生、永享六年〈甲寅〉二月九日寅刻、〈○中略〉
御産所之御具足色々給二注文一〈○中略〉
一御宿物 一御綾
p.0186 御返事は中務の君かくなどきこえさせつれば、御とのゐもの奉らせ給、よさむはなにとも、またおぼししらすとなん、
p.0186 こなたはすみ給はぬたいなれば、御帳などもなかりけり、これみつめして、みちやう御びやうぶなど、あたり〳〵したてさせ給ふ、御木丁のかたびらひきおろし、おましなどたゞひきつくろふばかりにてあれば、ひんがしのたいに御とのゐものめしにつかはして、おほとのごもりぬ、
p.0186 にげなきもの
三月つごもり比冬のなほしのきにくきにやあらん、うへの衣がちにて、殿上のとのゐすがたもあり、つとめて日さし出るまで、式部のおもとゝひさしにねたるに、おくのやり月をあけさせ給ひて、うへのおまへ、宮の御前出させ給へれば、おきもあへずまどふを、いみじくわらはせ給ふ、かちぎぬをかみのうへにうちきて、とのゐものもなにもうづもれながらあるうへに、おはしまして、ぢんよりいでいるものなど御らんず、
p.0187 風は
十七八ばかりにやあらん、ちひさふはあらねど、わざとおとなゝどは見えぬが、すゞしのひとへのいみじうほころびたる、花もかどりぬれなどしたるうすいろのとのゐ物をきて、かみはおばなのやうなるそぎすゑも、たけばかりはきぬのすそにはづれて、はかまのみあざやかにて、そばより見ゆる、
p.0187 宮は、内へいらせ給ひぬるもしらず、女房のずさどもは、二條の宮にぞおはしまさんとて、そこにみないきゐて、まてど〳〵見えぬほどに、夜いたふ更ぬ、内にはとのゐものもてきたらんとまつに、きよく見えず、あざやかなるきぬの身にもつかぬをきて、さむきまゝににくみはらだてどかひなし、
p.0187 四月のつごもり比に、兩おどろ〳〵しくふりて、物おそろしげなるに、かゝるおりにゆきたらばこそ、あはれとも思はめと思ひていでぬ、〈○中略〉つぼねにゆきたれば、人いできて、うへになればあんない申さんとて、はしのかたにいれていぬ、みれば物のうしろに火ほのかにともして、とのゐ物とおぼしき衣、ふせごにかけて、たき物しめたる匂ひなべてならず、
p.0187 とのゐものは、とのゐする人の夜の物なり、その袋といへるは、俗に番袋(○○)といへる物なるべし、
p.0187 とのいもの〈○中略〉 とのい物の袋、源氏に見ゆ、宿直人の名字を裏に書つくるといへり、俗にいふ番袋也、
p.0187 とのゐものゝふくう とのゐ物の袋、〈○註略〉河海抄に、殿上宿直人の名字書たる簡號、日給簡を納る袋歟としるしたまひしは、大なる誤りなるよしは、すでに先達もいへり、前のとのゐものを入るゝ袋なり、
p.0188 一とのゐ物の袋と云ふは、夜具を入る袋なり、今番袋と云ふ物なり、とのゐ物とは夜著の事なり、〈小袖之部に記す〉拵樣の法式もなく、上ざしをする迄の事なり、此の事を世に知る人少し、源氏物語の内に、とのゐ物の袋といふ事あるを、歌學者などは、殊外の秘事とするは、をかしき事なり、上ざし袋を夜具入る程に、大にぬひたる也、
p.0188 とのゐものゝ袋
河海抄に、殿上番直人の名字書たる簡號、日給簡を納る袋歟としるし給ひしは、大なる誤なるよしは、旣に先達もいへり、さてこの袋は、俗にいふ番袋なりと契冲のいへり、されどたしかなる證文をひかず、今考るに、うつぼ物がたり藏開卷に云、かくて一二日ありて、大將殿うちのおほせられし書どももたせて參給て、そのよし奏せさせ給ふ云々、〈○中略〉夕暮に殿上に出給て、宮に御ふみ奉れ給、まかで侍りなんとすれど、御書きこしめしさして、夜つかうまつれと仰らるればなん、夜さむをいかにとなん、南の御方おはしま、させ給て、もろともにいぬめして、御前にさぶらはせ給へ、まかで侍るまでは御帳のうち出させ給な、おいらかにといふ事侍るなり、まことやとのゐもの給はせよ、わいても衣だにとかたらひにてなめし、中務の君よみさこえ給へとて奉り給へば、あかいろのおりものゝたゞのあやのもにわた入て、しろきあやのうちきかさねて、六尺ばかりのふるきのかはぎぬ、あやのうらつけてわたいれたる、御つゝみにつゝませ給をきくちばかり、御衣筥一ようひに、いとあからかなるあやかいねりのうちき一かさね、おなじあやのうちきかさねて、みえがさねのよるの御袴、おりものゝなほしさしぬき、かいねりがさねの下がさねをいれてつゝみたり、いうか、うちめ、よになくめでたし、はなちの筥、ゆするつきのぐなど奉れ給、御返事は中務の君かくなど聞えさせつれば、御とのゐもの奉らせ給、よさむはなにともまたおぼししらずとなん、いぬ宮はさおぼし聞えさせよとなんとて奉れ給へば、大將見給てあぢきなのせ んじがきやとひとりごちて、とのゐさうぞくしかへてめしあれば參給ひぬ、とあり、此文にてよくしらるゝにこそ、
p.0189 としかへりぬれど、世中いまめかしきことなくしづかなり、大將殿はものうくてこもりゐたまへり、ぢもくのころなど、院の御時をばさらにもいはず、としごろおとるけぢめなくて、みかどのわたり、ところなくたちこみたりし馬車うすらぎて、とのゐものゝふくろ(○○○○○○○○○)おさ〳〵みえず、したしきけいしばかり、ことにいそぐことなげにてあるをみ給にも、いまよりはかくこそはと思ひやられて、ものすさまじくなん、
p.0189 しきたへ 敷栲、敷妙、敷細布、布栲など万葉集にかけり、或は色妙とも書るをもて、六帖にいうたへのこと誤る歌あり、又敷白とも書り、たへは絹布の名也、しきたへの衣はよるの衣(○○○○○○○○○○○)をいふ、よて袖とも、床とも、宅とも、黑髮とも枕ともつゞけり、令にいふ敷和衣も是成べし、
p.0189 しきたへの 〈まくら 衣の袖 たもととこ いへ〉
萬葉卷二に、〈人麻呂〉敷妙乃(シキタヘノ)、衣袖者(コロモノソデハ)、通而沾奴(トホリテヌレヌ)、〈上に夜床ことあり、〉また〈同人〉靡吾宿(ナビキワガネシ)之、敷妙之妹之手本乎(イモガタモトヲ)、〈こは語を隔て袂につゞく〉卷十一に、敷栲、衣手離而(タヘノコロモデカレテ)、玉藻成(タマモナス)、靡可宿濫(ナビキカヌラン)、和乎待難(ワヲマチガテニ)、また敷細之(タヘノ)、衣手可禮天(コロモデカレテ)、卷十七に、之伎多倍能(シキタヘノ)、蘇泥可幣之都追(ソデカヘシツヽ)、宿夜於知受(ヌルヨオチズ)云々、こは夜の衣袖に冠らせたり、〈○中略〉さて敷細布とて、專ら寢衣の類に冠らしむる事は、古事記に、牟斯夫須麻(ムシブスマ)、爾古夜賀斯多爾(ニコヤガシタニ)、多久夫須麻(タクブスマ)、佐夜具賀斯多爾(サヤグガシタニ)、阿和田伎能(アワユキノ)、和加夜流牟泥乎(ワカヤルムネヲ)云々、万葉にも烝被(ムシブスマ)〈古事記によるに、是をあつぶすまと訓しはわろし、〉なごやが下にねたれどもといへり、然れば夜の物は、なごやかに身にしたしきを用る故に、和らかなる服てふ意にて、敷栲の夜の衣といふより、袖枕床ともつゞくる也、旣に朱良引(アカラヒク)敷たへの子の下に引る如く、神祇令の集解に、敷和者宇都波多(ウツハタ)也とへいる敷は、絹布の織めのしげき意、和はなごやかなるいひなれば、美織(ウツハタ)也といへるをもおもへ、〈敷とは下に敷ことゝのみおもふはかたくなし、〉
p.0190 柿本朝臣人麻呂從二石見國一別レ妻上來時歌二首幷短歌〈○中略〉
丈夫跡(マスラヲト)、念有吾毛(オモヘルワレモ)、敷妙乃(シキタヘノ)、衣袖者(コロモノソデハ)、通而沾奴(トホリテヌレヌ)、
p.0190 敷たへの枕詞、是は夜のものをいふ詞也、ますらをと思ひほこりて在し吾も、下にかさねし衣の袖まで涙にぬれとほりしと也、
p.0190 寄レ物陳レ思
敷栲之(シキタヘノ)、衣手離而(コロモデカレテ)、玉藻成(タマモナス)、靡可宿濫(ナビキカヌラン)、和乎待難爾(ワヲマチガテニ)、
p.0190 まさたゞがとのゐ物をとりたがへて、大輔が許にもてきたりければ、
大輔
ふる里のならの都のはじめよりなれにけりとも見ゆる衣か
p.0190 つねふさの少將のもとに、とのゐものある、取にやるとて、
かへさんとおもふもくるしから衣わがためかぶるおりしなければ
p.0190 みぞひつには、御ほうぶく一、かぎりなくきよらにて、よるのさうぞく、あやのさしぬきに、おりものゝあを、あやのうちともなどして、そのあをにかきてむすびつけたる、
露けくて山邊にひとりふす人のよるの衣(○○○○)にぬぎかへよとぞ、ことものさうぞく、女ごのもいときよらにしていれてまいり給ふ、
p.0190 御返事はおぼしもかけねば、かへしやりてんとあめるに、これよりをしかへしたまはざらんは、ひが〳〵しからんとそゝのかし聞え給ふ、なさけすてぬ御心にてかき給ふ、いと心やすげなり、
かへさんといふにつけてもかたしきのよるの衣を思ひこそやれ、ことはりやとぞあめる、
p.0190 題しらず 小野小町 いとせめてこひしき時はむば玉のよるのころもをかへしてぞきる
p.0191 かたたがへに人の家にまかれりける時に、あるじのきぬをきせたりけるを、あしたにかへすとてよみける、 きのとものり
せみのはのよるの衣はうすけれどうつりがこくも匂ひぬる哉
p.0191 むかし紀の有つねといふ人有けり、〈○中略〉としごろあひなれたるめ、やう〳〵とこばなれて、つゐにあまになりて、あねのさきだちて成たる所へゆくを、男〈○中略〉まづしければ、するわざもなかりけり、〈○中略〉かの友だちこれを見て、いとあはれとおもひて、よるのもの(○○○○○)までおくりてよめる、
年だにもとをとて四はへにけるをいくたび君を賴みきぬらむ
p.0191 夜著(ヨギ)、蒲團、
p.0191 夜著(ヨギ)、布團(フトン)隨レ好盡レ美、
p.0191 よぎ 夜著の義なり、古書に直宿物と記せる是なり、地は多く緞子なりといへり、卽被なり、全浙兵制同じ、奧州によかぶりと云、
p.0191 寢衣よぎ 奧州にてよかぶりといふ
p.0191 夜著
慶長元和のころより專にすと云、むかしは小寢卷とて、常の衣服のすこし大きなるを下に卷て、そのうへに蒲團をかけて、上つかたもこれをめしたり、連歌四季よせ冬の部に、ふとんはありて夜著なし、誹諧御傘のころは、もはやありつれども、古法をまもりて、貞德老人も夜著を、冬季にせざる也、
p.0191 夜衣(ヨギ)といへる名目 今俗、夜衣、蒲團といへる名目、ふるくは物に見えず、フトンは古の衾也、夜衣(ヨギ)、搔纒(カイマキ)は、いつばかりの製ならん未レ考、太平記卅五〈六丁才〉京勢重南方發向事條に、將軍ゲニモト思給ケレバ、風氣ノ事有トテ帳臺ノ内へ入り、夜衣(ヨギ)引纒頭(カヅキ)臥給ヘバ云々とあり、これはよるのころもとよまるべけれど、しばらくあぐ、さよ衣など歌によめるも衾の事にや、また太平記卅五〈六ウ〉京勢重南方發向事條に、女房達一二人御寢所ニ參テ、此由ヲ申サントスルニ、宿衣ヲ小袖ノ上ニ引係テ被レ置タル計ニテ、下ニ臥タル人ハナシ云々、此宿衣もヨギとよめり、いかにも衾を衣と書んもおぼつかなければ、今の世の夜著の類にや、小袖といへるはかいまきの小袖なるべし、
p.0192 昔綿を多く入て、夜の物とて夜著にする、是をおひえ(○○○)とも、北のもの(○○○○)とも名づけたり、また異名を布子(○○)とも綿入(○○)ともいふなり、此詞みな公家より出たり、今やんごとなき御方は、布子おひえの沙汰はしろしめさずといへり、〈○中略〉布子をおひえといふも義違ふにあらず、北の物よりうつりたる名なり、
p.0192 北物(○○)ト云ニ一説アリ、織物板ノ物舊ビタルヲ張拵ヘテ、國裏ヲ屬(ツク)ル也、綿ヲ多ク入テ、夜ルノ物(○○○○)トテ夜著ニスルナリ、又ヲヒエ(○○○)ナド云也、然ルニ彼ノヨギ(○○)ヲ北ノ物ト云事ハ、裏ニ越後ヲスルニ依テ、北ノ物ト云也、又ヲヒエト云事モ、冬ハ北ヨリ來ル物也、越後ノ國則チ北ナリ、此緣ヲ取テ云ナリ、總ジテ國裏ト云ハ、越後ヨリ外ニツクベカラズ、絹裏ノ外ヲバ、只裏布ノウラナンドヽ云也、又何クノ國ニモ布ハ有ニ依テ、クニ裏ト云カ、悉ク公家ヨリ出ル詞ナリ、布子(○○)ヲバ綿入ト云ナリ、是ハヲヒヘト云義チガフナリ、
p.0192 夜著蒲團〈○中略〉
今世夜著ラ用フ、大略遠州以東ノミ、三河以西京坂ハ襟袖アル夜著ト云物ヲ用ヒズ、然ドモ昔ハ京坂モ用レ之歟、元文等ノ古畫ニ有レ之、〈○中略〉 遠州以東、江月ハ大布團ヲ用フハ稀ニテ、夜著ヲ用フ也、敷布團ハ京坂ト同製也、京坂ノ大蒲團、江戸ノ蒲團、夜著トモニ、純子以下用色染色等、前ニ云ルト同製也、夜著ハ襟、袖アリ、形衣服ニ似テ濶大ナリ、蓋袖ハ長ケ尺五六寸ニス、衣服ヨリ大ナルコト二三寸、其他表ハ衣服ノ如ク、總長ケモ四尺未滿ナレドモ、裏ノ表ヨリ長ク裁コト二尺許、裾ヲ表ニ折返テ一尺トナリ、表トモニ五尺ニナル也、又袖裏モ一幅半ヲ用ヒ、裏袖ノ表ヨリ濶キコト三四寸、襟モ表ハ四尺餘ナレドモ、襟六尺餘ニス、又襟モ衣ヨリ廣シ或曰、夜著ハ昔無レ之、慶長元和頃ヲ始トスト云リ、
因云、江戸吉原遊女ノ夜著布トンニハ、表天鵝絨ヲ專トシ、或ハ羅紗、純子モアリ、裏ハ必ラズ緋縮緬也、又上妓ハ敷布團三枚、格子女郎ハニ枚、下妓ハ一枚也、トモニ周リヲ天鵝絨等ニシ、表裏トモ中ハ緋縮緬ノ所レ謂額仕立也、京坂ハ太夫ト雖ドモ縮緬、絹ノ類也、江月ヨリ劣レリ、
又三都トモ坊間及ビ妓院トモニ、夏ハ麻布哂ヲ以テ夜著フトンヲ製スト雖ドモ、猶木綿ヲ用フ者多キ、〈○中略〉
元文中、京師畫工京師刊本ニ載夜著ノ圖也、今江戸ニ所レ用ト異ナルコト無レ之、然ラバ昔ハ京坂ニモ用レ之、其後廢ス歟、又ハ中以下不レ用レ之、上輩用レ之シコトアル歟、今世夜著、平日用ニハ、圖〈○圖略〉ノ如ク他裁ヲ以テ、掛エリ、カケギレス、汚ルヽ時、先是ノミヲ洗フ也、掛襟カケ裁ハ木綿ノ夜著ニモ、絹、海氣等ヲモ用ヒ、又木綿ヲモ用フ、厚本掛襟裁無レ之、今樣ヲ示サントテ、今加レ之、三布敷布團ノ圖〈○圖略〉ハ今圖スル所也、夜具ニハ此菊唐草等ノ形甚多シ、形染ハ此類、島ハ前圖ノ類ヲ專トス、又大布團、敷布團トモニ、圖ノ如ク表小、裏大ニ裁テ額仕立ヲトス、美物愈此製也、大布團モ亦多クハ此製、唯粗製ノ敷布團ニハ表同ク、或ハ表全クシテ裏ト周ノ端ニテ縫モアリ、又夜著、布團トモニ必ラズ綴糸アリ、小圖故ニ略レ之、
p.0193 片袖夜著(○○○○) 酒井家の藩士草野文左衞門といふ人、若州へ來りて三四年の間は、夜具(○○)と云ものもなくて、夜分寢る時には、あり合せし綿入布子、を引かけて臥しけり、五年ばかりも過ぎて、やう〳〵夜著(○○)をこしらへけるに、世間に用るものとは異樣にして、その製四幅にて、半分は袖なくして敷物とし、片身は袖をつけて夜著とす、是はむかし戰國使用の制にて、片袖夜著と名づくるよしなり、
東照宮にも、この片袖の夜著を御用ひありしといふ、
p.0194 京勢重南方發向事附仁木沒落事
將軍ゲニモト思給ケレバ、風氣ノ事有トテ、帳臺ノ内へ入リ、夜衣(ヨギ/○○)弘纒頭(ヒキカヅキ)臥給ヘバ、仁木中務少輔モ、遠侍へ出ニケリ、
p.0194 一御うへさま、産所のあいだ、めし候御うはぎ白小袖、ねもじにてもくるしからず候、御よぎ、色の物にても不レ苦、一七夜過て召候、
p.0194 元祿十年九月八日、おしん今夕暮而、舟ヨリ直ニ吉田光格所へ祝言、〈○中略〉
おしん道具〈○中略〉
夜物(○○) 二 ふとん 二
p.0194 右大將樣〈○德川家定〉御婚禮之次第、天保十二辛丑年五月廿八日、〈○中略〉
姫君樣〈○鷹司有子〉御入輿御道具出來之内〈○中略〉
一御式正御夜物 七對
紅厚板一對 唐織一對 純子一對 綸子御地黑、縫箔寶盡し一對、 縮緬御地赤、寶盡し一對、 綸子紅白横段一對 紅白面御小寢卷(○○○)一對
p.0194 一こおんぞ(○○○○)と云ふは、こねまきの事也、常の小袖の形にて、ゆきたけをば長くする也、とのゐ物の一名をおんぞと云ふ、とのゐ物よりはちいさき故、小おんぞと云ふ也、
p.0195 夜著
慶長元和のころより專にすと云、むかしは小寢卷とて、常の衣服のすこし大きなるを下に卷て、そのうへに蒲團をかけて、上つかたもこれをめしたり、
p.0195 夜具之部
一小おんぞ二ツ、表綾、うらとのい物と同じ事なり、常の小袖より少大也、ふさなどはなし、
p.0195 寶德元年卯月九日戊寅、花園殿ヨリ、〈○中略〉小ヨギ(○○○)一ツ御本所エ參、
p.0195 また沙石集に、〈眠正信房の條〉ぬれたる小袖をふせごにかけて、焦れたる處あさましと思ひて、かひまきて持て參りぬとあり、搔卷にでかいのかなゝるべし、かいもちひなどのかいなり、今江戸にて夜著の小きをかいまき(○○○○)と云ふも詞同じ、
p.0195 褥(シトネ/フトン)〈蓐、茵、並同、有二臥席一、有二坐得一、今俗呼二蒲團一非也、蒲團者圓座之類也、〉
p.0195 褥〈音肉〉 茵〈音茵〉 蓐〈音肉〉 和名之止禰 俗云蒲團
三才圖會云、黃帝内傳曰、玉母爲レ帝、列二七寶登眞之床一、敷二茸淨光之褥一、疑二物、此其起耳、
按有二寢褥(○○)一、有二坐蓐(○○)一、其寢褥、表裏用二〓帛木綿一、 坐蓐、用二錦綺一、方三尺許、而中有二唐華絞一、尋常帛木綿氈及皮、其皮獵虎爲上、虎、豹、羊、熊、羚羊、狗等皆用レ之、夏月以二蒲藺等草一作レ之、俗呼レ褥曰一蒲團一、出二於蒲圓座一之名乎、凡皮蒲團(○○○)、夏掛レ架宜レ當レ風、如納二櫃中一不レ見二風日一則毛脱、
p.0195 ふとん 蒲團の音なり、されど蒲團は叢林語、圓座の類、國花集に溪の蒲をもて密に編ものと見ゆ、今臥褥の事とするは非也といへり、
p.0195 一今の世、夜具の内に蒲團と云ふ物あり、古はしとね(○○○)と云也、蒲團と云は圓座の事也、しとねの事をふとんといふはあやまり也、夜のしとねをば、公家にてはよるのおまし(○○○○○○)とも御すべり(○○○○)とも被レ申由也、古はしとねの上にむしろを敷きて寢ぬる事也、
p.0196 一蒲團と云は、圓座の事なり、蒲と云草の葉にて、圓く組みたる物ゆゑ、蒲團と云ふなり、今の世、褥の事を、蒲團といふはあやまりなり、
p.0196 ふとん
今世に寢る所に敷物を布團(フトン)といふは、いにしへ布單(○○)といひし物あり、布毯(フタン)とも書たり、此物より轉れるなるべし、
p.0196 蒲團 布子
或人云、ふとんは蒲にて作りたる圓座也、今云ふとんにあらず、今のふとんは衾といふもの也と云り、左にあらず、やはり蒲團也、木綿(きわた)わたらざる以、前は、庶人の冬の衣服には、布に蒲蘆の穗わたを入てきたり、よつて布子(○○)の名あり、蒲團また同じ、蒲の穗を團て入る、よつて蒲團の名あり、古へも貴人は蠶綿を以つくれり、これ其衾なるべし、古きふすまなどよみしは是也、
p.0196 蒲團P 3 蒲團は圓座の事也、蒲の葉を圓く組て造れる故、蒲團といふ、今世褥(シトネ)を蒲團といふは誤也、褥はシタノべにて、下に敷延るものなればいふ、シタのタをトに通はし、ノベを約て、ネといへる也、
p.0196 夜具之部
一夜の御しとね(○○○○○○)の事、御寢なり候時、數候御しとねなり、夜のおまし(○○○○○)とも云、數不レ定、色なども不レ定也、大サは中鏡三幅、長サ六尺なり、地は綾、へりは唐織物なり、へりのはゞは五寸なり、へりのさし樣、上は一文字にして、下はすみちがへに、すみを合せぬふべし、四すみにふさを付る也、
p.0196 夜著蒲團〈○中略〉
今世夜著ヲ用フ、大略遠州以東ノミ、三河以西京坂ハ襟袖アル夜著ト云物ヲ用ヒズ、然ド、モ昔ハ京坂モ用レ之歟、元文等ノ古晝ニ有レ之、今ハ下ニ三幅ノ布團ヲシキ、上ニ五幅ノ布團ヲ著ス、寒風ニ ハ五幅布團ヲ重ネ著ス、布團、蒲團トモニフトント訓ゼリ、元來蒲團ト云ハ臥具ノ名ニ非ズ今ノ圓坐ノ類也、然ラバ今京坂ニ用ノ坐蒲團ト云者、古風ニ近キ也、又貴人坐スルニハ褥ヲ用フ也、シトネト訓ズ也、貞丈雜記云、今ノ世、夜具之内ニ蒲團ト云物アリ、古ハシトネト云、蒲團ト云ハ圓坐ノコト也、東叡山ノ同朋相阿彌ガ記シタル御飾書ニ、西指庵ノ納戸ノ内ニ曲彖ノ上ニ蒲團置ルトアリ、是圓坐ノコトヲ云也云々、又雅亮裝束抄曰、御衾ハ紅ノ打タル也、袖襟ナシ、長八尺ニテ八幅、或五幅也、是今云布團也、御衾ニハ頭ノ方ニ紅ノ練糸ヲ太クヨリテ二筋ナラベ、横ザマニ三針刺縫也、夫ヲ頭ノ標トストアリ、表小葵綾、裏單紋云々、是天子ノ料也、今民間ニ用フル布團ニハ、美ナル物ニハ茶萌木等、地文同色大紋ノ純子、其次縮緬、海氣、縞、紬、木綿ニ至リ、皆用レ之、摸樣染モアルベク、又紺屋形染縞物トモニ、衣服用トハ甚ダ大形ノ物ヲ良トス、裏ハ表ニ准テ紅絹、藍絹、紬、木綿等也、絹ノ外ハ紅ヲ用ヒズ、縹ヲ專トシ、或ハ萌木モ用フ、裏ハ必ラズ無地也、下ニ敷ヲ敷布團(○○○)ト云、大略三幅ナレドモ、二幅モ、四幅、五幅モアリ、長サハ鯨尺大略五尺也、是亦頭ノ方ノ標ニ、緋縮緬裁ヲ以テ、小サキ三角ノ浮世袋ト古人ノ云ル物ノ如キヲ製シ、又ハ幅五七分ノ長四五寸ノ物ヲ〓縫テ、一ツ結ビタルヲ縫付ルモ、御衾ノ標ニ似タリ、上ニ著ル布團ハ五幅ヲ通例トス、長同前、蓋長幅トモニ定リ無レ之、上ニ著ルヲ大布團(○○○)ト云也、又敷布團ニハ表裏同物モアリ、
p.0197 右大將樣御婚禮之次第、天保十二辛丑年五月廿八日、〈○中略〉
姫君樣御入輿御道具出來之内〈○中略〉
一御蒲團 六
緋綸子御緣附一對 純子御緣なし一對 紅兩面一對
〈御祝くゝり枕之外〉
一御祝御枕 一對
一御輿蒲團(○○○○) 一 一御火燵蒲團(○○○○○) 二
p.0198 ふとん
〈謠詞〉大和にもおる唐綿のいとなみは今敷島のもめんふとんよ 忠直
p.0198 蚊帳(カチヤウ/○○)
p.0198 蚊帳(カチヤウ)
p.0198 蚊㡡(カヤ/○○)〈蚊帳也〉
p.0198 蚊㡡(カヤ)〈又云二蚊帳一、見二根本雜事一、〉
p.0198 かや 蚊子幬をいふは蚊屋也、日本紀に見へたり、儀式帳に蚊屋帷とも見ゆ、
p.0198 四十一年二月、是月阿知使主等自レ呉至二筑紫一、〈○中略〉旣而率二其三婦女一、以至二津國一及二于武庫一而天皇崩之不レ及、卽獻二于大鷦鷯尊一、是女人等之後今呉衣縫、蚊屋(○○)衣縫是也、
p.0198 賀野里(カヤノ)、〈幣丘〉土中上、右稱二加野一者、品太天皇巡行之時、此處造レ殿、仍張二蚊屋(カヤ/○○)一、故號二加野一、山川之名亦與レ里同、
p.0198 蚊帳
蚊帳といふもの今は家毎になくてかなはぬ物なれど、古書には蚊やり火をこそ和歌にもよめ、蚊屋の名は、わづかに太神宮儀式帳、延喜式に見えたり、また春日驗記畫詞に、白き蚊帳をかけたるかたをゑがけり、近くは吉田鈴鹿家記、寶德元年四貝九日、花園殿より蚊帳參るとあるよし、おもふに室町家の頃よりは、今の如く夏月はかならず蚊帳をさぐることゝ見えたり、おほかた紐にてつることはなくて、棹にてかくること、そのかみの禮家の記錄に見えたり、それも日毎にはづしたるにはあらで、吉日えらびてつりそめ、又吉日にをさむることなり、今も邊鄙には棹にてつるならはしの存れる地もありとかや、棹にてつるには、布(の)ごとに乳つきてあり、予〈○山崎美成〉が家 なるふるき蚊帳には、みな布ごとに乳つきたり、されば江戸にても棹にてのみつりしを、いつしか絶たれど、蚊帳には猶むかしのまゝに造れりと見ゆ、又云、蚊帳の染色は、萌黃にかぎれることなり、金樓子に、齊桓公臥二於柏寢一云云、開二翠紗之幬一進二蚊子一焉とあり、萌黃の蚊屋の證とすべし、また入蜀記に、是夜蚊多始復設レ幮といふことも見えたり、又云、蚊帳に雁を畫けるは、蝙蝠なるべしといふ説、桂林漫錄にあれど、雁をゑがくこと、故あることゝ見えたり、備後の舊家に、蘆に雁を染たるもやうの蚊帳ありと、大塚宗甫いへり、
p.0198 蚊帳の製作つり樣、足利家のころ武家の手ぶりは、其比の舊記所見御座候て、委敷相分りをり候、堂上方の記類には、延喜式の分さらに所見御座なく候いかゞ、
〈(朱書)〉蚊帳製作さだまりたること無レ之、しかし春日權現驗記に、蚊帳をつりたる體みえ候へば、ふるきものとぞんじ候、
蚊帳のふるきよに聞えしことを、わづかに春日驗記をもて證としたまふ、いと淺うものし給へり、〈○中略〉
考ふるに、蚊屋の名上代に聞えたれども中世みえず、こは御帳の内へ寢給へば、蚊のいるべくもあらぬなるべし、下人は蚊遣火し、或は扇もて打はらひ、又蚊帳つくりてねたるもあるべし、そは御驗記にもみえたり、ひとの國にも高士傳に、黃昌夏多レ蚊、貧無二幬〓一作二蚊幬一、されば後漢の末には有ぬなるべし、釣樣御驗記には、上のみえねばしりがたし、足利の世には、うるはしく棹をもてつりたるなり、されば蚊屋の幅ごとに耳を付たり、今も本には如レ此すべし、〈九月になれば棹なくてつる例なり、委しくは我蚊帳つり考にあり、〉
p.0198 一新宮遷奉御裝束用物事〈○中略〉
太神宮正殿裝束六物〈○中略〉 内蚊屋生絁御帳二條〈高各一丈三寸、弘各十二幅、○中略〉 一荒祭宮正殿裝束 合廿種〈○中略〉 蚊屋一條〈長七尺六寸、弘十二幅、〉 内蚊屋二條〈長七尺、弘二幅、○中略〉
一瀧原宮遷奉時裝束 合十七種〈○中略〉 蚊屋一條〈長七尺、弘二幅、○中略〉 荒衣天井蚊屋一條〈長七尺六寸、弘十二幅、○中略〉
一瀧原並宮神遷奉御裝束 合十一種〈○中略〉 正殿生絹蚊屋一條〈長五尺、弘十二幅、〉天井蚊屋一條〈長五尺、弘十幅、○中略〉
一伊雜宮遷奉時裝束 合十四種 正殿蚊屋一條〈長七尺六寸、弘十二幅、〉又一條〈長七尺、弘二幅、〉
p.0200 内蚊屋は、宇知乃加耶とよむべし、玉奈井の四面に引めぐらす帳也、〈○中略〉此蚊屋は、大神宮式、内蚊屋絹帳二條、高一丈三寸、廣十二幅、長曆官符、生絁單内蚊屋二條、高各一丈三尺、廣各十二幅、寬正官符、元祿調進式目も同じ、今もたがはず、右蚊屋を裝奉る狀は、建久假殿遷宮記、同九年七月十五日、奉レ飾二御裝束一次第、先蚊屋南北〈爾〉懸奉〈留〉、嘉元假殿遷宮記、同二年十月廿三日、奉レ飾二御裝束一次第云々、奉レ結二付蚊屋天井緣一、〈先南面次北面〉寬正造内宮記、同三年十二月廿七日云々、十二幅ノ蚊屋一條、六幅中縫目ヲ隔子天井ノ南緣ノ中程ニ以二紙捻一結付進、東西ニ引廻懇結付進、今一條、北方如レ南繁ク結付進とみへたり、
p.0200 一新造宮御裝束用物事
止由氣太神御裝束物〈○中略〉 蚊屋帷貳張〈一張十四幅、一張七幅、高一丈四寸、天井料、○中略〉
高宮坐神御装束〈○中略〉 蚊屋帳二張〈高八尺、廣十六幅、〉
p.0200 太神宮裝束〈○中略〉
内蚊屋絹帳二條〈高一丈三寸、廣十二幅、〉
荒祭宮裝束〈○中略〉 蚊屋一條〈長七尺六寸、廣十二幅、〉内蚊屋一條〈長七尺、廣二幅、〉
瀧原宮裝束 絹蚊屋二條〈一條長七尺六寸、廣十二幅、一條長七尺、廣二幅、〉 度會宮裝束〈○中略〉 蚊屋帷二條〈一條高一丈四寸、廣十九幅、一條高如レ上、廣五幅、〉
多賀宮裝束 絹蚊屋帷二條〈一條長五尺四寸、廣二幅、一條長五尺、廣十幅、〉
p.0201 御裝束 伍拾肆種
大神宮御料〈○中略〉
生絁單内蚊屋貳條〈高各一丈三尺、廣各十二幅、○中略〉
荒祭宮料
御裝束拾捌種
生絁蚊屋二條
一條〈長七尺五寸廣十二幅〉 一條〈長七尺廣二幅〉
瀧原神宮
御裝束拾六種
蚊屋二條
一條長七尺六寸、廣十二幅、 一條長七尺、廣二幅、
p.0201 御裝束之事〈○中略〉
一かやすゞしかたびら 壹條〈長八尺弘九幅〉 一かやすゞしかたびら 壹條〈長八尺弘六幅〉
p.0201 一殿内御裝束次第〈○中略〉
次蚊屋生絹帳二條
先以二長一丈四尺、弘十九幅帳〈於〉一奉二仕之一、十九幅之中半之處〈於〉、組入〈乃〉北方〈乃〉中間〈仁〉宛〈天〉閉二付之一〈天〉、東西〈江〉引廻也、巽坤〈乃〉角〈江〉及也、内爲レ面、縫目外也、如二九幅御帳一、以二太糸一〈天〉奉レ閉二付之一、
p.0201 普廣院殿樣〈○足利義敎〉御時之事 若君〈○義勝〉御誕生、永享六年〈甲寅〉二月九日寅刻、〈○中略〉御産所之御具足色々給二注文一、〈○中略〉
一御蚊帳 御紋鶴龜、同御竿金物〈白〉在レ之、
御蚊帳は御出生之御所樣御蚊屋也、御あつらへの御蚊屋、御還御之時分遲參間、私給、此御蚊屋借めさるゝと云々、頓て私へ被二返下一處也、
p.0202 蚊帳 中華所レ謂蚊幬也、以二靑布一裁二縫之一、或以レ紗造レ之、凡其大小廣狹隨レ所レ欲而無レ不レ有矣、三條東洞院至二京極邊一多有レ之、凡蚊帳限二幾布幅一、或稱二幾布幅一、又限二疊幾帖一、故謂二何疊釣(ツリ)蚊屋一、屋之四隅角掛二環鈎一、著レ緖而釣二蚊帳四隅角一、是謂二釣手一、
p.0202 蚊帳製作幷用樣
條々聞書云、御かてふは水色、角、水引は段子、さほ黑うるし、かぎ赤銅、〈略〉女中の御かてふは、二ツつられ候、一ツは水ひき、角ともにあかき段子水色、さほ黑うるし、かぎめつき、一ツは梅ぞめ、水引角共に黑きしゆす、さほ黑うるし、かぎ赤銅、年中恒例記云、〈○中略〉貞助雜記云、殿中御蚊帳つり申候事は、蚊いでき申時分、陰陽頭に申、御蚊帳つり申候日時勘文進レ之候、伊勢兩人下總守貞仍、肥前守盛惟參勤、ちかき頃は貞遠參勤申也、毎日のあげおろしは、女中上らふの御役也、また八月中に撤却の日時、陰陽頭勘文進上の日、兩人祗候いたし、おろし申てひつゝりと申て、何にてもかり初につられ候而、九月中まで引つりにて御座候、貞孝朝臣相傳聞書云、蚊帳の事、四月卅日よりつりはじめ、八月卅日までにて候、九月朔日より取置候也、武雜記云、蚊帳のおもしは、くろがねを細く打ておかれ候、〈○中略〉これにて人を打擲する事の古事あるよし申ならひしなり、
考ふるに、蚊屋の名は、延喜太神宮式云、〈○中略〉太神宮延曆儀式帳云、〈○中略〉云々、かくふるきよにみえぬれど、またこと書にはさらにみえねば、多くは用ひぬなめり、さて蚊をばいかゞはしてかさけつらん、淸少納言がいひしごと、細ごえに名のり來る、いと〳〵うるさきものなり、もとよ り帳のうちにねれば、蚊帳なくてもさくるによしあるか、又やんごとなきあたりには、香をくゆらしなどすれば、おのづから蚊はすくなきなるべし、さてこそ殘が伏屋にては、蚊遣火のみぞ賴みなるべけれ、蚊屋を專ら用ゆる事は、足利の世よりと見ゆ、そは前に書しをみてしるべし、う月に吉日をゑらびまゐらせて、ひるはおくなるかたにをしよせて、下をばうへさまにさほにうちかけおきて、夕べに御ふすまむしろなどまゐらせて、うちかけたるをおろしてのべて、ねさせ奉るべし、さて八月によき日して撤したるとみえたり、そのつり樣いまはたえてしる人なければ、畫圖にものするなり、〈このつり樣はわが考へ出したるにてはなし、さるいなかにてかくつるとて、いなか人に聞たるなり、〉
p.0203 今制ノ蚊帳、高貴等ニハ紗等ヲ以テ製レ之、民間普通ハ麁布ヲ用フ、〈近江國ヲ專用トス、〉染色同前、萌木ノミ、稀ニ素ヲ用フ物ハ、粗製ニ多シ、大サ大略竪六布、横五布ヲ小トス、〈江戸ニテ是ヲ五六ノ蚊屋ト云、竪八布、横六布ヲ京坂ニテハ八六ト云、ヤロクト訓ズ、江戸ニテハ六八ト云、ロクハチト訓ズ、〉
釣手ノ緖ハ、專ラ萌木煉操糸ヲ以テ組ム、長サ三四尺、柱上ニ曲釘ヲ打テ、ソレニ緖ヲカケル、蓋釣 手ハ日夜トモニ柱ニカケ釣ント欲ス時、鐶ヲツクリテ之ヲ結ブ、
麁ナルハ麻細引ヲ釣手ニ用フモアリ、又釣手端ニ二寸バカリノ竹ヲ横ニ結ビ、鐶ヲコレニ掛ルモアリ、是ハ略儀トス、
三都トモニ、九月朔後未ダ蚊去ザル時ハ、紙ニ雁ヲ描テ四隅ニ付レ之、〈諺曰、蟵内ニ雁聲ヲ聞者ハ災至ルト、故ニ雁ヲ畫テ呪二除之一、或曰、今世雁ヲ畫デ蚊帳ニツクルハ非也、蜻蛉ヲ畫クヲ本トス、蜻蛉ハ蚊ヲ食也、故ニ呪トスト、何レカ是非ヲ知ラズ、〉
〈如レ此雁ヲ畫テ四隅ノ鐶ノ緖ニ結ブ〉
p.0204 一御かちやう二はりあるべし、みづいろ、すみあかきどんす、かぎかづきくり梅じゆす、かぎしやくどう、
p.0204 夜具之部
一御かちやう二はりあるべし、みづいろのすゞし、すみあかきしゆす、かぎしやくどう也、かちやうのまはり幷すそ、すみに同じ、是は東山殿の御かちやう也、かちやうの色、すみ、へり、すそなど、定法もなし、
p.0204 蚊幮畫レ雁
蚊幮ニ雁金ヲ染、或ハ紙ニテ切テ付ル事、其由來ヲ知人無シ、按ニ物理小識ニ、夏月線染二蝠蝠血一、横縫二帳額一蚊不レ入、ト載タルヲ見レバ、蝙蝠ハ蚊ヲ喰フ物故、厭勝(マジナヒ)ニ斯ハスルナル可シ、恐ラクハ崎嶴(ナカサキ)ニ客寓ノ淸人、夏ノ頃此意ニテ、帳額へ蝙蝠ノ形ヲ草畫ニ書テ、蚊ヲ避ル呪トセシ事ナド有シヲ、好事ノ人、此邦ノ蚊幮へモ畫ケルガ轉傳シテ、イツシカ雁金トハ成ケルニヤ、畫箋ナドノ泥畫ニ、蝙蝠ヲ寫意ニテ〓如レ此書タルモノアレバナリ、
p.0204 按るに、御産所日記に、若君〈普廣院義敎の若君義勝〉御誕生、永享六年甲寅二月九日、御産所波多野因幡入道元尚宿所鷹司西洞院、これは御袋の御方の里第なるべし云々、御産所の御具足色々 給はる注文の末に、御蚊帳御紋鶴龜、同御竿金物〈白〉在レ之、御蚊帳は御出生之御所樣御蚊屋也、御あつらへの御蚊屋御還御之時分遲參の間、私に給はる、御蚊屋借りめさるゝと云々、頓而私へ被レ下處也と有、〈この文の心は、御産所の具足はみなその宿所に賜ふなり、若君還御の時、御あつらへの蚊屋間にあはず、其故御産所の蚊屋をかり用ひられ、やがて返さるゝとなり、〉二三月の頃、いまだ蚊の出ぬ時なれど自然何虫によらず有まじきならねば、常に小兒には是を設るなり、さらば鶴龜を染たるがもとにて、略しては〈この絞小兒の具に限れるにはあらじ〉染ざる蚊屋に、聊其形を紙に書て付たるが、畫やうのかりそめなるより、雁がねとまがひしならむ、世人九月になれば必ず雁がねを付ると心得るは非なるべし、其形を染たる蚊幮は、九月より用るにはあらじ、但し紋そめざる蚊やに、其月に至りてこれを付ることは、九月は齋月にて物忌する時なれば、さはいひ習へるなめり、
p.0205 九月蚊帳
俗事に九月蚊帳へは雁金を畫き付るものなりとて、紙に書て蚊帳の隅に結び置事あり、何の故なるか知れず、物理小識に曰、夏月線染て蝙蝠をこしらへ蚊帳に付るは、淸朝人が長崎に來りてなせしより始り、それを誤り傳へて雁金を付る樣になりしと語る人ありしが、然もありなんか、蝙蝠は蚊を好みて餌食とせり、又蝙蝠の糞を夜明叉といひて、眼病内瘴(そこひ)の藥に用ゆ、夜明又は則蚊の眼玉なり、這等の事を思へば、蚊帳に雁がねを付は誤にて、蝠蝠こそ蚊の爲には禁物にて、蚊を除るの呪法にも成ぬべし、
p.0205 蚊帳に匂袋を掛る事幷蚊屋釣初〈○中略〉
蚊帳に鈴をつくる事 五人女、〈貝享三年印本〉二の卷に、ゆたかなる蚊帳に入たまへば、四つの角の玉の鈴音なして、寢入たまふまで、番手に團扇の風しづかなり、
p.0205 蚊帳〈○中略〉 下賤人不レ能レ設二布帳(○○)一者、以二白紙一作レ之、是謂二紙帳(○○)一、又竪レ竹以レ布掩二其上一、纔覆二小 兒頭面一者、是謂二枕蚊屋(○○○)一、是亦下賤之所レ用、而雖二大人一有二用レ之者一、又有下以二木棉或絹帛一造レ之者上、是謂二棉帳(○○)一、冬日釣レ之禦二寒氣一、
p.0206 棉帳(メンチヤウ)〈以二棉布一爲レ之、又有二紙帳一、〉
p.0206 紙張〈○中略〉 又困民ハ、綿張トテ木棉製ノ幮モ用フ者稀ニ有レ之、
p.0206 紙帳(シ/○○)
p.0206 紙帳(シチヤウ)〈卑賤用拒レ蚊者〉
p.0206 しちやう 紙帳の字、事文續集に見えたり、
p.0206 紙帳
明人屠隆が考槃餘事四の卷、帳の條に、冬月紙帳、或白厚布、或厚絹爲レ之、夏月呉中撬紗爲レ妙、以二粗布一爲レ帳、底如レ綴、頂式細二其三面一、前餘半幅下垂、上寫二梅花一、副以二布衾蔔枕蒲褥一、左設二几鼎一、燃二紫藤香一、迺相秝、道人還了鴛鴦債、紙帳梅花醉夢間之意、また紙帳の條に、用二藤皮繭紙一纒二於木上一、以レ索纒緊、勤作二皺紋一、不レ用レ糊、以レ線折縫縫レ之、頂不レ用レ紙、以二稀布一爲レ頂、取二其透氣一、或畫以二梅花一、或畫以二蝴蝶一、自是分外淸致云々、按に、本朝の紙帳これに比れば、いと疎也、〈○中略〉儀式帳にさま〴〵の帳の名あり、蚊屋は日本紀に蚊屋媛あり、考槃餘事は龍威秘書戊集中に收む、
p.0206 何人の戯れになしたるや、紙帳の章あり曰、
それ紙帳に十德あり、まづ求るに甚だ下直也、是一つ、疾を受けず風引かず、是二つ、燈外にありて内にて書を見る事明也、是三つ、眼を空にして塵を請けず、是四つ、寐すがた見へず、是五つ、用心の爲に甚よし、是六つ、手足外より蚊喰ず、是七つ、諸虫の來るをしる、是八つ、冬用ひて寒をふせぐ、是九つ、衾とならぬ所は、紙屑買の籠内、是十也、其行末はわれもしらず、何になるやら、
誰勞白猪公、自作二下帷工一、眠怪臥二雲上一、醍疑坐二雪中一、移來滿窻月遮障四圍風、紅錦綿張客、未レ知二此興 濃一、
p.0207 六德牒記云、綾羅錦繡もて夜の物を造り、薄ものすゞしに蚊のわづらはしきを避るは、定紋に片意地はりて、紙子に淺瀨を渉ることをしらざるなるべし、土燒の火鉢ひとつは道具買も遺念なく、紙もてつくれる蚊牒一張、紙屑かふ者の眸をうながすはともあれ、盜人をして心を動さしむることなかるべし、薄紙一重に世塵をさけ、濕をのぞきて寐冷せず、風を入るゝ時は水濱にあるよりも凉しく、書を見る時は螢雪の窻よりも明し、ゐぎたなき姿を人に見せぬばかリ、夏侯が妓衣の巧にもまされり、晝はまろめて屛風のうしろへ投込み、折目を正すせわもなし、秋去冬來れば、被りて霜雪のはげしきをも凌げば、一物にして六用あり、彼太宗が歌舞のからうたにはよらねど、われ是に名を與へて、六德の牒とよび、みちこそなけれど、驚きたる山の奧にもおもひ入らず、只このうちに延臥して、やがて出じとはおもひそみけり、
p.0207 〓紙帳
〓枕といふ名は、今も人しりて、〓紙帳といふ事はいはざる歟、是天道〈延寶九年刻〉追加高政兩吟、なぶらるゝ月は昔の人ぼくろ、〓を紙帳の寐所へ秋〈前に兩吟とありて、句のぬしを記さず、〉河念佛、〈元祿十四年刻〉明暮かよふ色里の、たよりまもなきみ紙帳一間(ケン)にさげて、又に載せたる伊勢音頭の唱歌に、四方から目ざます伽や〓紙帳、といふ事あり、是何人歟の句を書いれたるなるべけれど出所考へず、
p.0207 紙帳 紙幮也、昔ハ三都トモニ賣步行キシコト、寬文、延寶、元祿等ノ俳偕ニ出タリ、是亦今京坂ニハ更ニ不レ賣レ之、江戸ニテハ見世賣アルノミ、又富民ノ好テ製レ之者アリ、白紙三墨畫等ヲ描カシ、所々ヲ地紙形團扇形等ニ窻ノ如ク切除キ、コレヲ紗ヲ以テハリフサゲリ、〈○中略〉 江戸賣物ノ紙張ハ、圖〈○圖略〉ノ如ク上挾ク下濶シ、自製及別製ハ、上下同尺ニモスベシ、
p.0207 四季の賣物 四月の初、蚊屋や萌黃の蚊帳とて、大小母衣蚊屋(○○○○)の竹ども賣步行、此賣聲は別に聲よき者を雇ふて賣ると云、
p.0208 母衣幮 ホロガヤ、京坂ニテハ芋虫ト云シ歟ト覺ユ、竹骨ノ上ニ麻織ノ蚊張ヲ覆フシ、色萌黃鎭紅染木綿ヲ專トス、蓋サラサノ如ク紅ノスリコミ也、本染ニ非ズ、
母衣蚊帳圖
廣げたる座にて橢圖也
此ホロガヤ、大ナルハ大人晝寐ニ用ヒ、小形ナルハ幼稚ニ用フ、
同骨
竹要ニテ止レ之
竹骨如レ此ク寄テ蓄へ、
用フ時ニ披レ之、
p.0209 蚊帳に匂袋を掛る事〈幷〉蚊屋釣初〈○中略〉
二重蚊屋(○○○○) 冠附江月雀〈正德年間印本〉 〈冠〉心よく螢をはなす二重蚊屋
p.0209 蚊帳の釣樣、右へ今のごとく紐をもてつる事、且而見及ばず、加賀守貞助雜記、條々聞書等、棹を以つる事みえたり、又今のごとく日毎に撤することにてもなし、吉日をゑらびてつり初〈め〉、吉日を撰びて撤する也、そのつり樣、今江都に絶て見えざれども、田舍には古のごとく、棹を以つるとぞ、つくしの人にあひて聞つたへたり、又如レ此つるかやは〓ごとに耳あり、〈○圖略〉
〈頭書〉美成云蚊帳をつる事、本書のごとく古るく見えず、ゑがけるものかつてなし、狩野永德かさとりの蚊帳紐にてつりたり、されど乳ごとに紐を通せり、その比のさま見るべし、
p.0209 四月
今月中吉日に御蛟帳つり始らるゝ(○○○○○○○○○○○○)也、伊勢同名兩人參候てつり始候、同おろし申時も、兩人參ておろし候也、毎日之あげおろしは、女中上らふ又は同朋の御役にて候、七打候へば、必御蚊帳をおうし申され候也、つり始申候時、三御盃參候て、かげにて伊勢同苗頂二戴之一也、
p.0209 應永十三年四児十九日己卯、蚊帳釣レ之、目出々々、 同十四年四月九日癸巳、自二今日一蚊帳、重能資能ツル也、珍重々々、
p.0209 寶德元年卯月九且戊寅、花園殿ヨリ葛籠壹荷、蚊ヤ(○○)一張、へリトリ一枚、〈○中略〉御本所ニ參、倶時、定好、蚊ヤ一張宛拜領、
p.0209 長祿二年四月四日辛酉、烏丸殿へ注進、姫君樣御かちやうつりはじめの日、
今月四日〈かのとのとり、時午、〉 五日〈みづのといぬ、時むまとり、〉
四月四日 刑部卿あき盛
〈春ハ都ハ次〉
可レ被レ釣二始御蚊帳一日 今月十日丁卯、時午、 十三日、時午、 十六日、時巳、
四月四日 刑部卿
p.0210 天文四年三月十四日乙亥、蚊帳新調、初而ツルナリ、盃獻上、
p.0210 蚊帳に匂袋を掛る事〈幷〉蚊屋釣初〈○中略〉
都曲、〈元祿三年言水撰〉ねたましや伽羅たかぬわが蚊帳始、水狐、五元集、中日にて蚊屋まゐりたり、夜はや寐ん紙帳に風をいるゝ音、其角、十三歌仙、〈芭蕉翁十三回忌、寶永三年、〉南天に强飯のふたのはね返り、孟遠、蚊屋の祝ひに村のほめ言、越闌、草梅集、〈元祿八年刻、一晶撰、〉雁がねや三隅釣たる蚊屋の緣、賞花、
p.0210 蚊帳に香袋を掛
誰袖の條にいひし如く、昔は香囊の類おこなはれて、匂袋を蚊帳に掛し事あり、鹿驚集〈明曆三年印本〉
つく花は匂袋歟蚊帳草 〈撰者〉春淸
信親千句〈明曆元年刻〉
〈前句〉人知れぬ匂袋歟夏の風
〈後句〉釣し蚊帳の内外くらき夜
懷子〈萬治三年刻〉
床近み目に掛物を心にて 〈是等の句おほくあり、三句にして止、〉
匂袋は蚊屋のすみ〴〵 〈撰者〉重賴
是は高貴人の臥給ふまうけなるべげれば、今もさる事あるを、〈予〉が知らざるにやあらん、又おもふに、赤鳥の卷に、大島求馬の説なりとて、昔は遊女にたはるゝを浮世狂ひといひしなり、傾城の宅前には柳を二本植て、横手をゆひ、布簾をかけ、それに遊女の名を書て、下に三角なる袋を自分 rP 211 の細工にして付しなり、是を浮世袋といひならはしたるなりといふ事を載られたり、是匂袋なるべし、風にあふちて、自然香を散さん料なれば、蚊帳へ掛るも同事のやうにおもはる、昔は太夫ととなへし遊女は更なり、格子などいひて、それに次者も、伽羅を衣に留ざるはなきさまなれば、かゝる餘情もなしたるにやあらん、それが彼誰袖の如く、後には香類をいれず、布簾の縫留となりしなるべし、
p.0210 蚊帳に匂袋を掛る事〈幷〉蚊屋釣初〈用捨箱下にあり、それに省きたるを記す、〉
昔は蚊帳の四角に匂袋を掛たり、ゆゑに毛吹草〈寬永十五年〉初元結〈萬治元年〉便船集〈寬文〉等、附やうの指南の部に、匂袋の下に蚊帳を出せり、今も高貴人にはある事歟不レ知、玉海集、〈明曆二年〉かをとむる蚊帳はにほひ袋哉、正重、〈此句はたしかに聞えず〉鹿驚集、〈明曆三年印本春淸撰〉つく花は匂袋か蚊帳草、春淸、落花集、〈寬丈十一年印本以仙撰〉おく露も匂ひの玉か蚊帳草、但行、信親千句、〈明曆元年印本、信親は江戸の人、判者京の立甫、〉人知れぬ匂袋か夏の風、釣し蚊帳の内外くらき夜、懷子、〈萬治三年印本、重賴撰、〉床近み目に掛物を心にて、匂袋は蚊屋のすみ〴〵、重賴、二代男〈貞享元年印本〉二の卷に、八疊釣の紋紗の蚊屋、乳緣ひどんす、四角の唐房に匂ひの玉靡かせ、和國美人揃の枕屛風云々、俗つれ〴〵草〈元祿八年〓本〉二の卷に、匂ひの玉を大房にかざりつけたる蚊帳をつり、近き娘かたぎと云册子に、蚊帳へ繡をなす事見えたり、二代男には紋紗とあり、蚊帳に摸樣をかざりとする事、百年前よりの風俗歟、予が家に正德中の蚊帳の殘りてありしが、地は萌黃にて白く千なり瓢を染たり、吐綬鷄、〈元祿三年印本〉忙然と覺蚊屋あさがほの繡せり、〈撰者〉秋風、當時はぬひものをせし蚊屋の流行し故に、さもなき蚊帳も、ふと目覺てうちより朝顔を見れば、彼ぬひものをせしやにおもはるゝといふ吟歟、續誰が家、〈寶永七年百里撰〉面ざしの繪を釣る蚊屋は誰が家、序令、
p.0210 蚊帳や 品々の蚊帳釣緖等一宿是をあきなふ、三條通にあり、
p.0210 禁裏御用達諸工 御蚊帳方 綾小路柳馬場東へ入 蚊帳屋又左衞門
p.0212 綟賣 さらし賣〈附紙帳賣○中略〉
上景染、〈享保乙巳露月〉貝並題浪人、一擊のひゞく築生平ならざりし、夫山、三都の句に見えたれば、いづくにもありしなるべけれど、他國は知らず、今江戸には絶たり、蚊屋賣のみはあれども、たま〳〵ならでは聲をきかず、因に云、昔は何事も質素にて、下人は多く紙帳を釣たり、故に紙帳を賣きたりし事あり、富士石、〈延寶七年印本、調和撰、〉雨晴て聲いや高し紙帳賣、宗也、向の岡、〈延寶八年印本、不卜撰、〉夕立やあるが中にも紙帳賣、立澤子、文化十二年九十三歲なる老人の筆記、飛鳥川といふ寫本に、昔夏近くなればてんとくじ〈紙衾なり〉といふ物を商ひたるが、今は少しとあり、こゝに記されしごとく、今も棚にては商へども、その家おほからず、ましてやふり賣に來りしことは、ふるき冊子にも晃えざれども、二句まで證あれば、延寶の頃はもはら賣きたりし事必せり、〈飛鳥川といふ同名の書多くあり、故にかく初めにことわりしなり、〉誘心集〈寬文十三年卽本、種寬撰、〉冬雜、引しぶやもみぢの錦紙子賣、千之、隱蓑、〈延寶五年刻、以仙撰、〉時なるを紙子うる聲初時雨重政、夕紅、〈元祿十年印本、調和撰、〉仙臺の淨瑠璃聞ん紙子賣、花畝、彼地は今も紙巾の名産也、むかしより紙子の類は他國に勝れしなるべし、此三句をてらし合せて見るに、是も賣來りしものなるべし、
p.0212 古老云、寶永の末、大坂に天滿喜美太夫といへる者、説經淨るりの名人にてありしが、幾玉の茶屋にて口論し、これに付て江戸に下り、名をつゝみて居れり、一とせ呉服屋蚊屋を賣荷持にやとはれて、萌黃の蚊屋と呼に節を付て、美聲を高くはり上たれば、聞人これをめでゝ、此年蚊屋太に售たり、これ蚊屋うり呼聲の始なりといへり、されど前に晒うり有り、
川柳點前句付、らかんじは萌黃のかやのやうに呼、げに羅漢寺勸化のよび聲も、今のごときは蚊屋賣以後の事なるもしるべからず、〈○下略〉
p.0212 蚊帳賣 近江ノ富賈ノ江戸日本橋通一丁目等、其他諸坊ニ出店ヲ構フ者アリ、專 ラ近江産ノ疊表蚊帳ノ類ヲ賣ル店也、此店ヨリ手代ヲ賣人ニ市街ヲ巡ラシム、幮ハ雇夫ヲ以テ擔レ之也、其扮圖〈○圖略〉ノ如ク、二人ノ菅笠雇夫ノ半天、及蚊帳ヲ納ル紙張ノ籠トモニ、必ズ新製ヲ用フ、又此雇ニハ、專ラ美聲ノ者ヲ擇ブ、雇夫數日習レ之テ後ニ爲レ之、賣詞、萌黃ノカヤア、僅ノ短語ヲ一唱スルノ間ニ、大略半町ヲ緩步ス、聲長ク呼ブコト如レ此也、
小蚊屋賣 前ニ云蚊屋賣ハ大賈ヨリ出レ之、大約路上呼巡ル、賈人皆小民ノミ、唯カヤウリノミ大中賈ヲリ出レ之、亦此小蚊ヤウリハ、小民ノ業トス、賣詞ニ枕ガヤ母衣蚊ヤ、二幮トモ小兒ヲ臥シムノ具、竹骨ヲ覆フ物也、
p.0213 慶長十年四月廿八日天晴、暑、又時々風凉、綾蚊帳ノ祝(○○○○)、白酒餅到來、此方ニツリ初、
p.0213 蚊を白鳥といふ、もえぎのかや、
珍珠船四卷〈十七丁左〉云、白鳥蚊也、齋桓公臥二栢寢一、謂二仲父一曰、一物失レ所、寡人悒々、今白烏營々、是必飢耳、因開二翠紗厨一進レ之云々、按白鳥ハ蚊の異名也、翠沙厨ハ今のモエギノ蚊屋の類といふべし、
p.0213 一蚊張のおもしには、くろがねをほそく打ても被レ置候、是にて人を打擲する事の古事有レ之由申ならひ候也、
p.0213 宗祇の蚊帳
今俗に見えをいふといふたぐひ、虚言して自誇事を、百七八十年前の諺に、宗祇の蚊帳といひたるよし、宗祇法師とおなじ蚊帳に寐たりと、虚言して誇し者ありしより、世の諺になりしとなん、
p.0213 宗祇の蚊屋〈(中略)此段骨董集に見えたるを補ふ〉
昔連歌師の自誇りて、我は宗祇の蚊屋に三年寐たりといひしが、一種の諺となり、今俗に見えをいふといふ程の事を、宗祇の蚊屋といひつる事は、骨董集に見えたり、又西鶴が名ごりの友に、宗祇法師と岡部の宿にて相宿して、同じ蚊屋に寢たりといひし商人の話を載たるは、三年といふ を、相宿にとりなしたる西鶴が骨稽なり、〈崑山集は醒翁(山東京傳が引たればこゝに不レ載)〉前車〈貞德獨吟〉同じ蚊屋に寐たるばかりの契にて、常はそうぎもあらぬ我中、貞德自注、是は世上に宗祇の蚊屋に寐たるといふ諺なり、新續犬筑波集〈万治三年印本〉跋に、松永貞德出自レ少逍二遊歌林一者尚矣、兼巧詠二俳諧一、寢二乎宗祇蚊屋一、傾二乎山崎油樽一、其技已熟、俳枕〈寬文年間、幽山撰、延寶八年印本、〉桃園定輪寺にて、花に下戸宗祇の蚊屋のとなへ有、露沾、此句、又言水撰、蛇の鮓〈延寶七年印本〉には、たとへありとあり、十德や夢を殘して蚊屋のきれ、蝶々子、桃園や三年寐ても昔の夢、東風、近く正德四年印本、祇空落髮の記、來山が詞書に、宗祇の蚊屋に三年とはふるくもいひ傳へて、是さへをかしきにといふ事あり、前に引し東風が、三年寐ても云々の句に合せ見るべし、東華集〈元祿十三年印本、支考撰、〉寐ても見ん宗祇の蚊屋にけふの月、野徑、桃種集〈延寶六年、西鶴撰、〉玉霰宗祇心を碎くとき、友吉、幾夜紙帳の假枕して、千春、雜巾〈延寶九、常矩撰、〉忍び逢よるは宗祇の蚊屋釣て、古今の大事傳へられけん、玖也、それはそれ宗因の紙帳難波風、友靜、宗祇の蚊屋に宗因の紙帳を對したる吟なるべし、總て昔の諺に、あひ蚊屋、あひ膳などは、へだてなくむつまじき中をいふなり、舞正語磨〈萬治元年印本〉下の卷に、紹巴と一つ蚊屋の内に寐たりといふとも、連歌の下手は下手なるべし、ちかくは紹巴連歌に名だかかりし故、かく記しゝなるべし、意は宗祇の蚊屋に同じ、七百韻〈延寶中印本〉宗祇餞別、相蚊屋の乳をはなれ鳴別哉、似春、素堂とく〳〵句合、庵崎有無庵を問れしとき、瓢枕宗祇の蚊屋はありやなしや、素堂がかく吟じたりと、祇空が序に見えたり、有無庵則祇空が庵也、
p.0214 やぶれ蚊帳 かいる
p.0214 狂歌といふもの、時に臨みて讀なり、たゞおかしきふしによみて、すこしいやしきかたによむを、かへつてよきなりと、幽齋公も仰られし、去年の夏待郭公の題にて、
夏の夜はほとゝぎすにぞくらはるゝ蚊屋へも入らず待とせしまに、とよみ侍し、
p.0215 ある淸家の人より、蚊帳つりたる所の繪賛を望まれて、
淸原のふかやぶよりも聲たてゝまだ宵ながら蚊帳つらする
此歌も深養父歌をとる、深き藪に取なせり、
p.0215 加賀千代女〈○中略〉
千代女は加賀の松任の人にて、幼より風流の志ありて俳諧をたしむ、〈○中略〉廿五歲にて夫にわかれし時、
起て見つ寐てみつ蚊屋〓ひろさ哉