p.0657 家什具ニハ室内ノ裝飾、及ビ衣類器物等ヲ收藏スルエ用イルアリ、或ハ炭火ヲ置キテ暖ヲ取リ、若シクハ家屋ノ内外ヲ栖掃スルニ用イルアリ、厨子、黑棚、櫃、長持、簞笥、箱、籠ノ類ハ、其前者ニ屬シ、火桶、火鉢、箒、塵拈ノ類ハ其後者ニ屬ス、
厨子ハヅシト云ヒ、又竪櫃(タテビツ)トモ云フ、其構造ニハ二階、三階ナルモアリテ、蒔繪、螺鈿、黑漆等ヲ以テ之ヲ髤リ、調度若シクハ食物ノ類ヲ載スルモノナリ、
櫃ハヒツト云フ、唐櫃〈一ニ韓櫃ニ作ル〉明櫃、長櫃、小櫃、細櫃、杉櫃、小袖櫃等ノ別アリ、
長持ハナガモチト云フ、長櫃ノ類ニシテ、木地ナルアリ、髤漆ヲ施セルアリ、之ヲ荷フニ朸ヲ以テス、而シテ別ニ車輪ヲ施シテ以テ牽出ノ便ニ供スルモノアリ、之ヲ車長持ト云ヘリ、
簞笥ハタンスト云フ、又竪櫃ノ字ヲモ充ツ、
箱ハハコト云フ、篋、筥、筐、篚、函、笈、匣等ノ字ヲ用イル、木製アリ、革製アリ、其種類ニハ手箱アリ、隅赤アリ、柳筥アリ、亂筥ハ廣蓋ノ類ニシテ、文匣ノ事ハ文學部文匣篇ニ詳ナリ、
廣蓋ハヒロブタト云フ、原ト衣筥ノ蓋ナリト云フ、
籠ハカゴト云フ、多ク竹ニテ作ル、又一種革ニテ作レルアリ、之ヲ皮籠ト云ヘリ、
葛籠ハツヾラト云フ、葛ニテ作レルニ由リテ此名アリ、
行李ハカウリト云フ、籐竹等ニテ作ル、又柳條ニテ作ル、之ヲ柳行李ト云ヘリ、
囊ハフクロト云フ、口ヲ括リテ器物ヲ藏スルノ具ナリ、燧ニ燧袋アリ、弓ニ弓袋アリ、琵琶ニ琵琶袋アルガ如ク、收ムル所ノ器物ニ從ヒテ、其名ヲ異ニス、各篇ニ就テ見ルベシ、
火桶ハヒヲケト云フ、木ニテ作リ、外面ニ繪畫ヲ施スモノアリ、後世瓦ニテ作レルヲ瓦火桶ト云フ、又土火桶ノ名アリ、
火鉢ハ又飯銅、火爐ノ字ヲ充テ、共ニヒバチト云フ、木ニテ作レルアリ、土ニテ作レルアリ、金屬ニテ作レルアリ、其形狀モ亦一ナラズ、
火闥ハコタツト云ヒ、又アンクワト云フ、近世ノ創作ニ係ル、裀褥ヲ覆ヒテ以テ暖ヲ取ルノ用ニ供ス、
箒ハハヽキト云ヒ、後ニハウキト云フ、羽箒、棕櫚箒、竹箒、草箒等ハ、其用ノ最モ多キモノナリ、
p.0658 厨子 辨色立成云、竪櫃〈竪立也、臣庚反、上聲之重、〉厨子別名也、
p.0658 按説文、厨庖屋也、本書屋宅類載レ之、又有下以レ厨爲二匱櫝稱一者上、晉書顧愷之傳、愷之嘗以二一厨一畫寄二桓玄一、又南史齊陸澄傳、王儉戲レ之曰、陸公書厨也、是謂下收二藏書畫一之器上爲レ厨、皇國厨子之名、蓋是義也、
p.0658 厨子〈ツシ〉 竪櫃〈同レ櫃〉
p.0658 厨子ヅシ 倭名鈔に讀むこと字音の如くにして、辨色立成を引て、竪櫃は厨子別名也と注したり、さらば古の時には、此物をタテビツとも云ひしなり、我國の厨子の事は、異邦の書にも見えし事あり、
p.0658 づし 厨子と書り、二階三階四階等あり、ちう反つ也、類聚雜要に、壼厨子見ゆ、我邦の厨子の事、異國の書にも見えたりといへり、辨色立成に竪櫃ともいへり、
p.0659 一くろだなとは、ちがへだなの事なり、〈○中略〉みづしとは此たなのしたを、四方ふさぎて、まひ戸をして、からじやうおろすやうにしたるをいふなり、すこしひする物など入べき也、
p.0659 一御厨子棚と云は、本は御厨子所にて食物を納め置く棚也、〈御厨子所は食物を調る所也、臺所の事、〉黑棚は厨棚也、〈クリヤダナヲ略シテクロダナト云也、クリヤト云ハ、竃ノ煙ニテフスボリ黑クナル屋ナルユヘクリヤト云也、クリハ黑也、ロトリト通音也、クリヤト云モ卽御厨子所ノ事ナリ、〉右二の棚、本は右の如くなる物なれ共、物を載ておくに便利なる物故、其形を移して花麗に作て貴人の傍に置也、御厨子棚も黑棚も、古は常に座敷に置て、手なるゝ道具どもを置たる棚也、今は武家にては婚禮の時ならでは、用ざる物と思ふはあやまり也、此棚のかざり樣とて定る法もなき事也、婚禮の時は、その節祝儀に附て、しげく用る物どもを、つかふ便よき樣に置く也、其置物ども心つかざれば、よろしからぬ故、舊記に記置たるが法式の如く成し也、
p.0659 威儀御膳
御厨子二脚〈三階高四尺、長五尺、弘一尺五寸、或高三尺九寸、或四尺九寸云々、〉
或蒔繪、或黑漆、或紫檀地螺鈿、后宮御産之時用二榎木螺鈿一、可レ依二時儀一、但近代塗二葫粉雲母一畫二松鶴一、
p.0659 一御厨子棚之事
此名目は大内の御厨所の棚を表し作りたる故の名なり、大〈サ〉長〈サ〉三尺三寸ニ總高〈サ〉二尺八寸、廣〈サ〉一尺三寸、梨子地蒔繪紋ぢらし、螺鈿を最上とし、其頃梨子地紋ぢらし、黑塗蒔繪紋ぢらし、黑塗紋ぢらし、くろ塗鑄掛地等、其主の分限、又好に依べし、又沈の御厨子は沈木にて作る、又沈木を略して唐桑にて作り、又唐桑を略し、雜木に色を付るも有べし、又面押とて、上を錦にて張上、さし糸とて糸にてとぢ、其餘りを總角に結びたるも有、此事別にくはしく記す、是は公家の事也、武家方にて先はなき事なるべし、棚は二ツあり、厨子二ツ扉の内、上に大黑左ゑびす、右の蒔繪下には左獅子右狛犬、筆返し有、蝶あし也、
p.0660 二階厨子一雙〈甲乙相同也〉
凢髙二尺内従榻上一尺五寸 榻頭厚九分 同弘一寸八分 足髙四寸一分 敷物青地 小文唐錦櫛筥 香壷筥 〓立弘三寸五分 頂久々見物 長二尺八寸五分 蚫河蚫 貝子 櫛筥 香壷筥 弘一尺三寸七分 上巻四角同小土居厚三分
同弘四分
塵居三分
榻長二尺八寸八分
同高五寸
同弘一尺四寸二分
同小土居塵居四分
角厚九分
同弘一寸一分
調(彫イ)木弘五分半
牙象高九分
階間五寸七分
上卷八料唐組一丈八尺、
蓋伏組唐組長六丈四尺、
脚別三丈二尺、 料木檜五寸〈三寸半板三丈三尺、弘一尺四寸定、〉 木道單功三百〈各百五十〉 蒔金百廿八兩三分〈各六十四兩一分三朱〉 漆五升六合 磨料二千疋 裏塗十疋 金物料千八百卅二疋
p.0661 大治五年、院幷待賢(鳥羽 璋子)門院移二御仁和寺殿一、〈法金剛院東御所〉庇御調度如レ常、母屋壺厨子(○○○)一雙被レ立之、〈端蓋櫛筥一雙、奧蓋造紙筥一雙、帳西間被レ立之、○中略〉
小野宮差圖
庇立二二階一脚一、〈南北行、東向、〉 上層北火取、南泔器、〈但火取有下置二茵西〓一説上云々〉下層南唾壺、手筥、北打亂筥、櫛巾、四方疊置二筥上一、
母屋立二二階厨子一雙一〈東西行、南向、〉 東厨子上層香壺筥一雙、次層櫛筥一雙、 西厨子上層葉子筥一雙、一次層藥筥一雙、
p.0661 二階厨子一雙〈○中略〉
甲厨子、納二櫛手巾一帖、枕筥一合、〈有二枕二一、居二筥一一、〉薄樣〈紅、紫、蘇芳、縹、白、〉唐紙五帖、檀紙五帖一、
乙厨子、納二熨斗筥一合、〈有二熨斗一〉薄樣五合、〈柳、卯花重、瞿麥、紅葉重、〉上紙五帖一、
二階一脚
p.0661 一鋪設裝束事
〈妙音院〉置物厨子物具置樣事
笛箱 琴和琴 琵琶 笛箱 琵琶 琴 和琴 置物厨子第一層 笛箱 琵琶 第二層 箏 第三層 和琴
〈基親〉臺盤所置物御厨子事
立二御厨子二脚一、其上層〈除蓋層〉居二菓子六十合一、〈脚別卅合〉下層居二暑預粥柿浸二鉢一、〈有レ匕〉
御酒二瓶子 銀提銚子等〈已上二脚相計居之○中略〉 厨子置物事
厨子ハ立テ所ノ依二便宜一上下ヲ可レ定也、左方上ナル所ナラバ、菓子ハ餅ヲ左ニ可レ居也、暑預粥鉢ヲバ左方ニ居テ、空納ノ提ヲ右ニ可レ置也、鉢大ニシテ匙ヲ置、別折敷時鉢〈與〉提之間置レ之、右方上ナル所ナラバ、暑預粥鉢ヲ右可レ居、〈是尚折敷右方置レ之〉空納提ヲ左ニ可レ置也、匙ヲ別折敷ニ置時、又同前也、瓶子與手洗上下可レ隨二菓子居樣一、〈○圖略〉上林御酒暑預粥〈在二提匙等一〉楾手洗大盤所立二置物厨子一、可レ置二其所一、中央可レ居二火桶一、
非壺厨子〈第一層有レ甲也〉者、第一層菓子常事也、 暑預粥入レ提テ置カバ、別提ヲ不レ可二加居一、〈○中略〉
御厨子置物
御硯箱檀紙箱等置レ之、アラハニ檀紙三帖許可レ置、
臺盤所置物厨子置二紙檀紙一事
南院女院入御之時、下層楾手洗、傍置二檀紙一帖一云々、今儀不二覺悟一、頗無二其謂一不レ可レ然事歟、
p.0662 一淸凉殿
南、蠻繪御厨子二脚式筥、 〈黒漆〉日記御厨子二脚〈近代不レ納二二代御記一、只雜文書等及女嬬坏指油、不可説次第也、〉 〈同〉置物御厨子二脚〈上玄上、中鈴鹿、下笛筥、蒔二海部一、小水龍、又笛二、〉〈狛犬〉〈拍子四、○中略〉
鬼間
二間格子也、南間常不レ上、有二覆簾一、〈卷之〉其内南北行立二御厨子一、置二御膳具一、〈○中略〉
臺盤所
中間臺盤東、黑漆厨子上置二菓子等一、〈○中略〉
朝餉
二間、〈○註略〉夜御殿方有二副障子一、御屛風内外案二御調度一、〈○中略〉螺鈿厨子二脚、〈非二螺鈿一、只近代蒔二蠻繪一、或以レ薄押、〉
p.0663 御厨子道具
一手箱 一大短冊箱 一小短冊箱 一色紙箱 一大文箱 一水引箱
一沈箱 一硯箱 一料紙〈文鎭〉 一香盆 一香爐 一火とり
一燒から入 一香爐火莇 一炭團箱
V 乳母の草子p.0663 おはしまさん所のさま、いかほどもじんじやうに、御づしのたな、三ぢうのちがひ棚、御をきもの、かゞやくやうに御沙汰候べし、
p.0663 嘉祥二年十月癸卯、嵯峨太皇太后、〈○藤原嘉智子〉遣レ使奉レ賀二天皇卌寶算一也、其獻物黑漆平文厨子(○○○○○○)十基、〈盛二彩帛一○中略〉黑漆厨子(○○○○)六前、〈盛二御菜一○中略〉黑漆棚厨子(○○○○○)卌基、〈廿基盛二菓子唐餅一、廿基盛二鮮物乾物一、〉
p.0663 合厨子玖合〈佛物二合小、法物一合、通物六合、〉
p.0663 博雅三位の家に盜人入たりけり、三品板敷の下ににげかくれにけり、盜人歸り、さて後はひ出て、家中を見るに、殘たる物なく、みな取てけり、篳篥一を置物厨子(○○○○)に殘したりけるを、〈○下略〉
p.0663 天曆七年十月十八日、殿上の侍臣左右をわかちて、をの〳〵殘菊を奉りけり、〈○中略〉侍臣に仰て御箏を奉る、これよりさきに、御座の南の邊に、置物御厨子一脚をたてゝ、くだんの御箏ををきまうけたり、
p.0663 御とのゐ所も、れいよりはのどやかなる心ちするに、おほとなぶらちかくて、ふみどもなどみ給ついでに、ちかきみづしなる、色々のかみなるふみどもをひきいでゝ、中將わりなくゆかしがれば、〈○下略〉
p.0663 いやしげなる物
やり戸、づし、何もゐなかものはいやしきなり、
p.0664 長治二年正月十四日癸未、臨レ晩藏人文章生廣房奉二仕御裝束一、依レ有二内論義一也、其儀上二御殿南格子等一、撤二日記御厨子(○○○○○)一、〈○下略〉
p.0664 文治五年八月廿二日己酉、申剋著二御于泰衡平泉館一、主者已逐電、家者又化レ烟、〈○中略〉但當二于坤角一有二一宇倉廩一、遁二餘焔之難一、遣二葛西三郎淸重、小栗十郎重成等一令レ見レ之給、沈紫檀以下唐木厨子(○○○○○○○○○)數脚在レ之、其内所レ納者、牛玉犀角、象牙笛、水牛角、紺瑠璃等笏、金沓、玉幡、金華鬘、〈以レ玉飾之〉蜀紅錦直、不レ縫帷、金造鶴、銀造瑠璃灯爐、南廷百〈各盛二金器一〉等也、
p.0664 寬喜二年正月十五日戊寅、後聞、行幸被二儲置一物、以レ錦造二厨子一、〈○下略〉
p.0664 寶治二年四月七日甲申、今夜盜人推二參幕府一、盜二取御厨子以下重寶一、〈○下略〉
p.0664 右大將樣〈○德川家定〉御婚禮之次第、天保十二辛丑年五月廿八日、〈○中略〉
姫君樣御入輿御道具出來之内〈○中略〉
濃梨子地、若松唐草兩御紋ちらし、
一御厨子棚 一飾
御覆花色純子、兩御紋付、 御飾御道具
p.0664 黑棚(クロダナ)〈正曰二齒黑棚一〉
p.0664 黑棚(くろだな)〈一流〉
p.0664 くろだな 黑棚
今の世に、女の調度のしつらひに、このもの有り、なにのゆゑをもしらず、是はむかしの二階厨子を唐樣に作りたるものなり、
p.0664 くろだな 黑棚と書り、厨子の類なれば、くりやだなの轉ぜし成べし、侯家の婚禮に用ゐるもの也、徒然草に、くろみだなといふは、膳棚の事なりといへり、されば黑棚もくろみだなにて、臺所にてすゝける義成べし、
p.0665 一くろだなとは、ちがへだな(○○○○○)の事なり、以上三ぢうなり、上下はいたをひたわたしにあるべし、中はたかくひきて違てこしらへ候、何にても、てぐさの物をおくなり、みづしとは此たなのしたを、四方ふさぎて、まひ戸をして、からじやうおろすやうにしたるをいふなり、すこしひする物など入べき也、
p.0665 一御厨子棚と云は、本は御厨子所にて食物を納め置く棚也、〈○註略〉黑棚は厨棚也、〈クリヤダナヲ略シテクロダナト云也、クリヤト云ハ、竃ノ煙ニテフスボリ黑クナル屋ナルユヘ、クリヤト云也、クリハ黑也、ロトリト通音也、クリヤト云モ卽御厨子所ノ事ナリ、〉
p.0665 一黑棚の事
すべて御厨子に同じ、厨子一ツ有、扉の内左布袋、右から子也、寸法も同樣御厨子に同じ、尤大小有もの也、此は筆返しなし、ヲヒ足なり、又流義によりて、厨子二ツ付たるも有、大内の黑殿の棚を表すと云説有ども、齒黑棚の略なるべし、
p.0665 黑棚道具
一拂箱 一小角赤 一元結箱 一櫛箱 一眉作箱一黑齒箱 一亂箱 一渡金 一爪切箱 一昆布箱一薄やう 一やは〳〵〈文鎭〉
p.0665 右大將樣〈○德川家定〉御婚禮之次第、天保十二辛丑年五月廿八日、〈○中略〉
姫君樣御入輿御道具出來之内〈○中略〉
濃梨子地、若松唐草兩御紋ちらし、
一御黑棚 一飾
御覆花色純子、兩御紋付、 御飾御道具
p.0665 櫃 蔣魴切韻云、櫃〈音貴同、和名比都、俗有二長櫃、韓櫃、明櫃、折櫃、小櫃等名一、〉似レ厨向レ上開闔器也、
p.0665 匱 國語曰、夏之衰也、褒人之神化爲二二龍一、夏后布レ幣而策吿レ之、卜藏二其漦一、及二龍亡一而漦在レ櫝、韋昭曰、櫝匱也、書武王有レ疾、周公作レ册納二之金滕之匱中一、蓋櫝匱一器也、夏后謂二之櫝一、周始謂二之匱一、然則三代之制也、
p.0666 櫃 いつなり、入置たる物いづる也、いとひと通ず、
p.0666 櫃 ひつ
櫃には大小有りて、その形ちも同じからず、長櫃あり、横ひつあり、足付たるもあり、韓の製なるもありて、きはめたる形はなし、今の曲物の如くにして、樺にてとぢたるも有りと見ゆ、めんつ長鉢といふの類ひ是なり、新六帖に櫃河をよめる歌に、ひつ河の岸に匂へるかば櫻ちるこそ花のとぢめなりけれ、と有るにてしられたり、大なるは今の小袖櫃の如くにて、ながひつは今の長持なり、
p.0666 櫃〈音貴〉 匱〈本字〉 匣〈音洽、和名比都、〉 抽匣〈俗云引出〉 蓋〈盍同覆也、俗云不太、〉
切韻云、櫃似レ厨向レ上開闔器、
按、櫃匣總名、而有二韓櫃、半櫃、長樻〈俗云長持〉之異一、今呼二小者一名レ箱、
p.0666 輿〈○中略〉 長櫃、小袖櫃、擔子、臺子、燭臺、水風爐之類、多於二二條南北新町一造レ之、
p.0666 伎須美野、右號二伎須美野一者、品太天皇〈○應神〉之世、大伴連等請二此處一之時、喚二國造黑田別一而問二地狀一、爾時對曰、縫レ衣如レ藏二樻底一、故曰二伎須美野一、
p.0666 極窮女憑二敬千手觀音像一願二福分一以得二大富一緣第卌二
海使装女者、諾樂左京九條二坊之人也、産二出九子一、極窮无レ比、不レ能二生活一、向穗寺於二千手像一而願二福分一、一年不レ滿、大炊天皇〈○淳仁〉之世、天平寶字七年癸卯冬十月十日、不レ慮之外、敢其妹來、以二皮樻(○○)一寄レ姉而往之、脚染二馬屎一曰、我今來、故是物置也、待レ之不レ來、故往問レ弟、弟答、不レ知、爰内心思恠、開レ樻而見、有二錢百貫一、〈○下略〉
p.0667 唐櫃(カラヒツ/○○)
p.0667 からふと 韓櫃(○○)
からひつを音便にてからふとといふ、比叡山よう近江へ越る山路をもからふとごえともいふなり、折櫃を音便にてをりうづといふが如し、フとウとはつねにかようことばなり、入る物は何といふ定めもなし、あらゆるもの皆入しこと見ゆ、
p.0667 一唐櫃〈からふととも云〉に二品あり、長からひつ(○○○○○)と荷ひからひつ(○○○○○○)也、長からひつは長持の如く長し、是は一ツを貳人してかづく也、荷からひつは長唐びつの半分にて短し、是は二ツを棒の兩方にかけて、壹人して荷ふ也、何れも唐櫃には足六本あり、笈の足の如し、〈小袖、鎧、其外何にても入る物定なし、〉一土佐國安喜郡東寺は、弘法大師開基也、其寺に大般若經を荷唐櫃に納めたり、其唐櫃寸尺如レ左、ふた横壹尺八寸、〈但めんともに〉 同深サ貳寸六分半〈但内ノリ〉身總脇壹尺壹寸壹分 高サ壹尺五寸八分足高サ壹尺六寸八分
總體赤漆也、春慶塗の如し、きちやうめん黑し、いかにも古物也と云、
一唐櫃には何れも棒通しの金物なき也、緖を以て棒にかゝげ付る也、然れどもあやうき故、中比より金物を打也、常に座敷などに置には、金物の棒通しあるはあしゝ、
p.0667 凡諸國輸庸、〈壹岐對馬等島並不レ輸○中略〉二丁白木韓櫃一合、〈長五尺以下四尺五寸以上、廣二尺三寸以上、深二尺以下、一尺八寸以上、固作以二小平釘一、署二專當郡司名一、〉三丁塗漆韓櫃一合、〈長三尺四寸、廣三尺二寸六分、著脚從レ端入三寸、深、一尺四寸、板厚六分、手取長一尺三寸四分、廣二寸三分、厚一寸六分、底下横木廣一寸五分、厚一寸二分、從二櫃底一至レ地二寸、從二櫃上一一尺一寸四分、蓋深二寸、上板緣端出二分、廉取六分、櫃表裏皆赤漆、四角及緣手取黑漆、〉四丁塗レ漆著レ鏁韓櫃一合、
伊賀國〈○中略〉 庸、白木韓櫃九合、 伊勢國〈○中略〉 庸、韓櫃廿三合、〈塗レ漆著レ鏁八合、白木十五合、〉
p.0667 殿上
簡、〈有レ袋〉朱辛櫃横敷前在レ硯、
p.0668 一名簿唐櫃一合〈内黑、外朱、隅黑、〉
長二尺 弘一尺六寸五分 深九寸五分 足六〈足下高三寸〉 蓋深一寸一分 足鐵菱釘十八〈毎レ足三、黑漆、〉 鏁鎰〈鐵黑漆〉
p.0668 一御物行やうのしだい〈○中略〉 三ばん になひからびつ〈○中略〉
一になひからびつ(○○○○○○○)おほひの事、きぬたるべし、になひの事ながれに二はたばりに、あしのもとまでまはして、あしとおなじほどながさをするなり、ひらのかたは、きぬをよこにするなり、つまにをのとをる所を、すこしほころばすなり、ぬいはじめのもとに、とぢかは有べし、かはの程はつねの上下のとぢかはのほどなり、そめやう、そうはみづ色、すそをこくそむべし、くろ色なり、又一色にもくるしからず、多分はすそご也、もんをつくるには、何にてもいは木のかたちを用ゆべし、むもんにもする也、家のもんをも付、縫やうふせ縫也、すそをかやして縫べからず、たゞたちめのままをくなり、ちどりがけにしたるもよし、
一長からびつ(○○○○○)のおほひの事、これもになひに同事なり、ながきまでの違ひなり、
p.0668 婚禮道具
一唐櫃の事
長〈サ〉ニ尺壹寸、はゞ壹尺六寸、ふた甲貳寸五分、高〈サ〉壹尺、足六本、箱より三寸程あまるべし、ヲヒ足なし、金具ひし鋲等あるべし、釻紐等有べし、又釻なく足を廻して紐を返す兩樣なり、又串形板とて、ふたのふちくし形の板を打、其板にくぼめたる所あり、其くぼ目に棒を當、足より布を通し、結の兩樣なり、
一匂唐櫃(○○○)の事
大概唐櫃のごとくして足なし、引出しを付て、引出に香爐を入る、上のそこ板にすかしあり、
p.0669 合韓櫃捌拾肆合〈佛物十八合、法物七合、功德分一合、温室分物四合、悲田分七分、通物册七合、〉
p.0669 合韓櫃參拾漆合
佛分壹合〈長三尺四寸廣二尺二寸〉
法分壹拾陸合
伍合〈二合長各三尺四寸 廣二尺二寸 一合長三尺七寸 廣二尺三寸 二合各長三尺 廣各二尺一寸〉
右養老六年歲次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇天皇者、
貳合〈一長三尺八寸七分 廣二尺二寸七分 一長三尺八寸 廣二尺四寸〉
右天平六年歲次甲戌三月、納賜平城宮皇后宮者、
陸合人々奉納〈二長各二尺七寸八分 廣二尺三寸三分 一長六尺二寸 廣二尺五寸〉
〈一長三尺三寸 廣二尺三寸 一長三尺二寸 廣一尺九寸 一長五尺九寸 廣二尺三寸〉
通分貳拾合〈一長四尺三寸 廣二尺三寸 ○下略〉
p.0669 漆韓櫃一合〈長三尺一寸、廣二尺五分、深一尺三寸五分、著二金銅花形釘一在レ鐵、〉
p.0669 一大佛殿納物
赤漆辛櫃四口〈○中略〉
永觀二年五月二日
p.0669 文治六年〈○建久元年〉十一月十六日丙寅、大納言家〈○源賴朝〉送二遣唐櫃二合〈蒔鶴〉於御所女房三位局一、被レ納二桑絲二百疋紺絹百疋一云云、大和前司重弘爲二御使一云云、
p.0669 義經ひでひらに御對面の事
ひでひらを、秀平とおもはん者は、吉次に引出物せよと申ければ、嫡子やすひら、白かわ百枚、わしの羽百しり、よき馬三十疋、白くらおきてぞ引にけり、〈○中略〉秀平これを見て、しゝのかわも、わしの 尾も、今はよもふそくあらじ、御へんのこのむ物なればとて、かいすりたるからひつ(○○○○○○○○○○)のふたに砂金一ふた入てぞとらせける、
鬼一法眼の事
御さうし、人にしのぶ程げに心ぐるしき物はなし、いつまでかくて有べきならねば、法眼にかくとしらせばやとぞの給ひける、姫君は御たもとにすがり、かなしみ給へども、我は六たうに望み有、さらばそれを見せ給ひ候はんにやとの給ひければ、あす聞て父にうしなはれん事、力なしとおもひけれども、かうじゆをぐして、父の秘藏しける寶藏に入て、ぢう〳〵の卷物の中に、かねまきしたるからひつに入たる、六たう兵法一卷の書を取出して奉る、
p.0670 堀河相國〈○源基具〉は、美男のたのしき人にて、そのことゝなく過差をこのみ給けり、一子基俊卿を大理になして、廳務をおこなはれけるに、廳屋の唐櫃みぐるしとて、めでたく作りあらためらるべきよし仰られけるに、此唐櫃は上古より傳りて其始をしらず、數百年をへたり、累代の公物、古弊をもちて規摸とす、たやすくあらためられがたきよし、故實の諸官等申ければ、其事やみにけり、
p.0670 元弘元年十月六日、今日劒璽、自二六波羅亭一可レ有レ渡二御禁中一、〈○中略〉大藏省所レ進之新造辛櫃、〈杉白木也、其體如レ常、辛櫃緋綱、白木枴、〉舁二居簾前一、
p.0670 一同六日、從二管領一御引出物、以二兩使一進上、御劒御具足御小袖以下、唐櫃ニ入、
p.0670 明櫃(○○)
あかびつと訓むべき歟、素木櫃なり、
p.0670 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉五丁明櫃四合、〈長三尺六寸四分、廣二尺二寸、深九寸、○中略〉一丁〈○中略〉明櫃二合、〈長二尺二寸四分、廣一尺七寸、深一尺一寸、〉明櫃六合、〈長二尺、廣一尺六寸、深一尺一寸、○中略〉 攝津國〈行程一日〉 調〈○中略〉明櫃十合、大明櫃(○○○)二百卅五合、小明櫃(○○○)一百八十四合、
p.0671 錢用帳
同日〈○天平寶字六年閏十二月六日〉下錢壹伯肆拾陸貫壹伯拾玖文〈○中略〉
八十文明樻二合直合別卌文
p.0671 御賀茂詣事〈中申日○中略〉
長櫃(○○)二合
横板四枚〈長一丈二尺、弘一尺五寸、〉 尻板二枚〈長八尺五寸、弘五尺六寸、〉 蓋板二枚〈長八尺九寸、弘二尺五寸、〉 鬘木榑二寸〈各一丈一尺、弘五寸、厚二寸、〉 小豆木八支〈長二尺、厚二寸、弘三寸、〉 大豆木二支〈長五尺、弘五寸、厚〉 算木二支〈大二支、長八尺五寸、弘三寸、厚三寸、小四支、長二尺五寸、弘三寸、〉 朸二支〈長一丈二尺、口徑二寸、○中略〉
已上檜物御庄採進之、兼日下知下文了、於レ京作調之、
p.0671 七日〈○承平五年正月〉になりぬ、〈○中略〉人の家のいけと名ある所より、鯉はなくてふなよりはじめて、川のも海のもことものも、長びつにになひつゞけておこせたり、
p.0671 おもしろき萩すゝきなどを、うゑて見るほどに、ながびつもたる物、すきなどひきさげて、たゞほりにほりていぬるこそ、わびしうねたかりけれ、
p.0671 宇治殿平等院ツクリテ、庄園寄ラレケルトキ、所々ノ米ヲスコシヅヽ、長櫃ノ蓋ニ、スナゴノヤウニマキナラベテ、〈○下略〉
p.0671 嘉保二年八月廿八日、上皇鳥羽殿にて、前栽合ありけり、〈○中略〉右方の人々參りて灯臺をたつ、〈○中略〉せんざい五なり、長櫃武者所各二人かきて、階の西にこれをおく、透長櫃(○○○)に丹靑をほどこして、つくりばなをもてかざりたり、
p.0671 永享四年九月九日、抑入レ夜自二室町殿一小長櫃一合〈有二金物結構一〉入二松茸木練折一合一賜レ之、三條執 進、上樣御又長櫃之姿いたいけなる程に被レ進云々、
p.0672 行幸の時は見ざりし長櫃三十えだ、唐櫃二十荷、黑漆のうへに蒔繪して、いたずりのかな物に至るまで菊の御紋あり、おほひは唐織なり、前駈のさきに奉行をつけて遣はさる、
p.0672 合赤檀小櫃(○○)壹合〈著二金泥鏁子一、佛物、〉
p.0672 十六日、〈○承平五年二月〉けふのようさりつか花京へのぼるついでに見れば、山崎のたななる小櫃の繪も、まがりのほらのかたもかはらざりけり、
p.0672 まつりちかくなりて、あをくちばふたあゐなどのものどもおしまきつゝ、ほそびつ(○○○○)のふたにいれ、かみなどにけしきばかりつゝみて、ゆきちがひもて、ありくこそをかしけれ、
p.0672 きよしと見ゆる物 あたらしきほそびつ
p.0672 八番 左 すぎびつ(○○○○)
三輪山にすみあるかひはなけれ共杉のしるしを猶や賴まむ
p.0672 小袖櫃(こそでひつ/○○○)
p.0672 長持(ナガモチ)
p.0672 長持(ナガモチ)
p.0672 長持(ながもち)〈一棹〉
p.0672 一長もちこしらゆるやう、はくふにて一はたばりに、だいのわたしの下よりまはして、おほひの下から、ひとへにふたの中にまむすびにするなり、をのあまりは、みよきほどなり、これをはらおびと申なり、手綱と申は、ほつけんなどをあかねにそめて、一寸ばかりにひらぐけにして、四のはしを一からみづゝからみて、ひらの方にてとりあはせて、ひぼのごとくむすびて、手綱のさきはすこしたるゝやうにしてをくなり、からみやうは、一まきづゝまくに、むき合てまくなり、 さすは臺の雲形の下より入て、くもがたにかはをつけてむすぶべし、ながもちのかずは二人もち一荷なれば、一人もち一荷たるべし、そう〴〵かずは半に有べし、おほひの事、をり物にてする也、きぬをうらに付候、これも臺のあしほど長さをすべし、すこしは足よりみじかきがよきなり、四すみを、ふたの上からほころばしてするなり、手綱はおほひの上よりするなり、手綱の上になるやうに、四のすみの中程に、ちをつくるなり、とりあはせゆふなり、
p.0673 一軍用の長持は、底の廻り其外合せめにコクウルシを付て、水の入ざる樣にして置べし、川などにて舟に用る事あるべし、中の道具を出し、から長持にして水に入る也、二人計は乘るべし、竿にてこぐ也、深くカケゴをして置けば、板子になりて猶よろしき也、或書に見、
p.0673 享保九辰年六月
覺〈○中略〉
一長持眞の黑塗無用、溜塗木地を可レ被レ用事、〈○中略〉
一長持、屛風箱等之覆は、可レ爲二布木錦一事、
六月
p.0673 山城 塗長持
p.0673 尤始末の異見
もし又娘あれば、三十貫目の敷銀に、二十貫目の諸道具拵へて、我相應より輕き緣組よし、昔は四十貫目が仕入して、十貫目の敷銀せしが、當代は銀を呼ぶ人心なれば、塗長持(○○○)に丁銀、雜長持(○○○)に錢を入れて送るべし、
p.0673 大坂新町ノ太夫ト云上妓、昔は夜具ヲ揚屋ニ運ブニ、朱塗長持(○○○○)ヲ用フ、近世ハ麻布風呂敷ヲ用フ、長持ハ長櫃也、今俗ハ長持ト云、
p.0674 長持
ふる長持は、なべて母君の器にして、家毎に侍り、われよそながら其始めを見るに、ふかき窻に養るゝ處女侍れば、したしき友はらからの中より云よりて、納采の禮とゝのへる程こそあめれ、程につけつゝ一さほ二さほ十棹もゝさほ、きらをみがきて、其事をはからふ、〈○下略〉
p.0674 六番 右 ながもち
徒らにあふこ(○○○)なければみしなかもち(○○○○)ゞの恨の種とこそなれ
p.0674 蔀遣戸幷障子〈○中略〉 近世小袖櫃、肴棚、半長持(○○○)、及眞那板等物亦造レ之、
p.0674 其中に此日ごろ重き病を請て、今をかぎりとみえし人を、火事に驚き、すべきかたなくて、半長持におし入、かき出し、辻中におろし置たりしに、何者とはしらず盜取、行方なくなりにけり、
p.0674 蔀遣戸幷障子〈○中略〉 長櫃、唐櫃、戸棚等物悉西堀河三條邊造レ之、長櫃大者、其底兩所施二小車輪一、著レ繩而牽レ之、出入有レ便、是謂二車長持(○○○)一、長持元謬二長櫃一者乎、
p.0674 車月棚
天正より以來、明曆のころまで都鄙ともに車長持と云へるものを家々に備へて、非常の具になしたり、其かたちは下にのするを見てしるべし、余〈○山崎美成〉ことし文政二年四月、ふたらの御山へまうでしをり、古河といへるうまつぎにて、ある家に車長持あり、〈○下略〉
p.0674 そのかみ明曆三年ひのとのとり正月の火災の事はきゝ及び給ふらん〈○中略〉はじめ通り町の火は傳馬町に燒きたる數万の貴賤此よしを見て、退あしよしとて、車長持を引つれて、淺草をさしてゆくもの、いく千百とも數しらず、人のなく聲、車の軸音、燒崩るゝ音に打そへて、さながら百千のいかづちの鳴おつるも、かくやと覺へておひたゞしともいふばかりなし、〈○中〉 〈略〉かゝる火急の中にも盜人は有けり、引すてたる車長持を取て方々へにげゆくこと、更におかしかりけるは、ゐはいやの某が、我一跡は是なりとて、つくりたてたる大位牌小位はい、漆ぬり箔綵いろ〳〵なりけるを、車長もちにうち入引出し、あまりに間近くもえきたる火をのがれんとて、うちすてたるを、いつの間にかとりて行、淺草野邊にて鎖をねぢきり、蓋を開たりければ、用にもなきゐはいどもなりけり、〈○下略〉
p.0675 樂齋房申やう、いかに狛物うりどのきゝ給へ、それがし、十八日の火事には、親類家中無事なりしかば、めでたきことなりとて、酒さかな買求め、十九日のあしたに祝事して數獻のみける酒に醉ふし、前後さらにしらざりしに、又火事よといふに、妻子ども我をいかにとかすべきとて、車長もちに押入、鎖をおろして引出し、芝口にうちすてたり、ぬす人どもあつまり、鎖をぬぢきり、長持をうちわる音のね耳に入て目をさまし、あたりをさぐりまはせば、四方は板なり、そばにはかたな一腰、小袖なども手にさはれり、〈○下略〉
p.0675 天和三亥年正月
覺〈○中略〉
一車長持、向後彌停止之事、〈○中略〉
正月
p.0675 大坂名匠諸職商人幷諸問屋
長持屋 あはぢ町二丁メ 本町四丁メ 本天ま町 新町ノにし
p.0675 なかもち 東鑑に、貢馬三匹、中持三棹など見えたり、中取をいふにや、後世長持あり、そが中に車長持と云あり、
p.0675 一御裝束 帳丑寅方迫二障子一、立二壺厨子一雙一、或立二中持一雙一、
p.0676 紅葉の事
あんげんの比ほひ、御かたたがひの行幸の有しに、〈○中略〉やゝしんかうにおよんで、程とをく人のさけぶこゑしけり、ぐぶの人々はきゝも付られず、主上〈○高倉〉はきこしめして、たゞ今さけぶは何ものぞ、あれ見てまいれとおほせければ、うへぶししたる殿上人、上日の者におほせてたづぬれば、あるつじにあやしの女のわらはの、なかもち(○○○○)のふたさげたるが、なくにてぞ有ける、
○按ズルニ、なかもちハ中持ナルカ、長持ナルカ詳ナラズ、暫ラク此ニ載ス、
文治六年〈○建久元年〉九月十五日丙寅、來月依レ可レ有二御上洛一、御出立間事等被レ經二沙汰一、〈○中略〉御京上間奉行事〈○中略〉一御中持事 堀藤次親家
p.0676 建久二年十一月廿二日丁卯、多好方等欲二歸洛一之間、自二政所一賜二餞物一、〈○中略〉
公文所送文云 好方給〈○中略〉なかもち一合、内おゝい、だいゆたんあり、
p.0676 弘長三年八月九日丙辰、將軍家〈○宗尊親王〉御上洛事、有二其沙汰一、來十月三日御進發必然之間、路次供奉人已下事被レ定之、〈○中略〉
一御中持 木工權頭親家 進三郎左衞門尉宗長 長次郎左衞門尉義連
p.0676 簞笥(タンス)〈本朝俗、謂二書橱一爲二簞笥一、〉
p.0676 厨子 廚〈除儔二音〉俗作二厨字一非也、 一名竪櫃(○○)〈俗云二太牟須一〉 今用二簞笥字一誤
按、書廚、茶廚、衣廚之數品不二枚擧一焉、晉顧愷之以二一廚畫一、寄二桓玄家一者是也、〈○中略〉
衣廚 今云小袖簞子(○○○○)、近世多用二抽匣一、其出納最捷便也、而名二簞子一〈或用二簞笥二字一〉者甚非、
p.0676 婚禮道具 一小袖簞笥之事
長サ貳尺八寸、横貳尺八寸、高サ三尺六寸、引出し五ツ、外ひらきなるべし、
一匂簞笥(○○○)之事
小袖たんすをこと〴〵くすかしにして、下に香爐を入、香をたけば、上迄通る樣にしたる也、
p.0677 座敷廻り道具をいはゞ、京都第一にして、諸品器用にて立派なる事なり、簞笥、佛壇、戸棚の類ひ、戸障子、襖に至る迄、善美を盡せり、江戸は價も安けれど、都て手薄く、不斷澤山につかふには爲あしかるべし、〈○中略〉大坂は見だめ不束にして、手丈夫なるを愛す、江都は又火早き土地ゆゑ、諸道具共、其日々々の用を辨じる計りにて、飾の道具は見たくてもなき位なり、〈○中略〉相應の暮しの商人に、小袖簞笥一ツあらば極上なり、跡は皆背負ひ葛籠が、人數程あればよきと見えたり、故に佛壇、金屛風、重簞笥(○○○)なんどに、美を盡す事を好まず、京都は大に異なり、
p.0677 元祿十三年六月十五日、亥刻計ニ、中西長左衞門ヨリ嫁女ノ道具來、〈○中略〉小袖簞笥一對、
p.0677 嘉永二年印行、古風ト流布トヲ、相撲番附ニ擬スル、其流布ノ方、大關以下左ノ如シ、〈○中略〉薄煤ノ簞笥(○○○○○)、〈衣服ダンス(○○○○○)、近年ハ白キヲ好ミ、僅ニスヽヲ以テ染ルノミ、〉
p.0677 諸工商人所付〈いろは分〉
た 大坂之分 たんすや〈小袖〉 しんさいばし筋 同仕立 同金や市左衞門
p.0677 諸細工名物
簞笥、長持、小袖櫃類、 小傳馬町壹丁目
此所家々にあり、中にも横丁成田や甚兵衞、尤細工勝てよし、此家の元祖久、五郎、後に甚兵衞と云しは、根元の細工人也、今其子孫相續して繁昌せり、
p.0678 䒰篋葙〈三字波古〉
p.0678 箱篋 楊氏漢語抄云、箱〈音相〉篋〈苦協反〉筥〈居許反〉筐〈音匡〉篚〈音匪、已上皆波古、今案筐篚依二方圓一異レ名也、方曰レ筐、圓曰レ篚、見二唐韻一、〉
p.0678 廣韻箱、箱籠、篋、箱篋、筥、筐筥、筐、筐籠、匪、竹器、方曰レ筐、圓曰レ匪、故五字皆訓二波古一、按説文、箱大車牝服也、匧藏也、篋匧或从レ竹、筥〓也、〓飯筥也、受二五斗一、匡飯器筥也、筐或从レ竹、匪器似二竹篋一、是篋匪正可レ訓二波古一、箱車服、筥筐並飯器、以爲二篋匪之稱一者轉注也、又説文、篚車笭也、不二與レ匪同一、後人以二匪竹造一、增レ竹作レ篚、與二車笭之篚一混無レ別、
p.0678 篋篋〈俗正 若夾反 笥ハコ ツムハコ、木ケフ、コロモハコ、アマハコ、〉 篚〈匪音ハコ ハコモノ、ハコノ物、〉 箱〈音相、ハコ、〉䈄〈ハコ〉
p.0678 筥〈ハコ〉 箱〈巾箱〉 篚〈竹器、方四寸、〉 筐〈音匡、管字作レ筥、 音盈、籠也、〉 匳〈音廉、亦作レ籢、 俗作レ匳、盛香也、又鏡也、〉〓〈音䡄、遷也、〉 〓 凾 〓 笈 〓 匣〈已上ハコ〉
p.0678 箱 ふた籠なり、ふたの反ははなり、箱には必ふたあり、こは籠(コムル)なり、
p.0678 箱ハコ 倭名鈔に楊氏漢語鈔を引て、篋筥筐篚皆讀てハコといふ、ハコといふ義不レ詳、柳筥などいふ者ありて、木をもて作りて、ハコといふものもあれど、倭名鈔にも、箱を竹器の類に載せしかば、ハコといふ者は、もとこれ竹をもて作れるものに始りて、これもまた籠るの義によれるとは見えたり、蓋讀でフタといふは、舊説に二つの義にて、箱の蓋を開きぬれば、二つとなるなどいふ事見えたれど、〈直指抄に〉これは唯フタグの義にて、其開きし所を塞(フタグ)を云ひしと見えたり、
p.0678 はこ 筥箱の類をいふ、蓋籠(フクコ)の義也、ふた反は也、
p.0678 筥 はこ
これはもと竹をあみて作れる物なり、今は木にて作れるをも、ひとしく筥といへるは轉語なり、
p.0678 年料革筥(○○)廿合、就中衾筥(○○)四合、〈二合各長二尺、廣一尺八寸五分、深五寸、二合各長二尺、廣一尺七寸、深四寸、〉衣筥(○○)六合、〈鷹鼻各長一尺五寸〉 〈五分、廣一尺三寸、深二寸五分、〉劒緖筥(○○○)一合、〈長一尺二寸二分、廣一尺一寸二分、深二寸、〉巾筥(○○)二合、〈各方一尺二分、深八分、〉唾巾筥(○○○)二合、〈各長一尺五分、廣八寸、深八分、〉櫛筥(○○)四合、〈各長一尺一寸五分、廣一尺三寸、深一寸五分、〉刀子筥(○○○)一合、〈鷹鼻長一尺二寸、廣一尺、深一寸二分、〉料牛皮十張、〈各長八尺已下、七尺已上、〉鹿皮十張、〈各長五尺已上、〉漆六斗六升四合、熟麻廿斤七兩、〈張繩料〉帛一丈五尺、石見庸綿廿二斤十兩、掃墨二斗四合、黏料信濃調布四端二丈五尺、小麥二斗四合、伊豫砥五顆、靑砥四枚、橡絁一疋三丈、〈革筥工三人衣袴料〉苧四斤九兩、〈緣料〉絹六尺四寸、油三升三合、鐵二廷、〈皮燒幷皮刀料〉調布八尺八寸、炭九斛二斗五升、和炭二斛二斗三升、步板六枚、〈筥形(○○)料〉單功七百六十一人、〈工七百十人、夫五十一人、〉
p.0679 箱のくりかたに緖をつくる事、いづかたにつけ侍るべきぞと、ある有職の人に尋申侍りしかば、軸につけ表紙につくる事兩説なれば、いづれも難なし、文の箱はおほくは右につく、手箱には軸につくるも常の事なりとおほせられき、
p.0679 交易雜物
越中國〈(中略)編筥(○○)三百十九合、織筥(○○)廿八合、○中略〉 因幡國〈(中略)荒筥(○○)廿五合○中略〉
右以二正税一交易進、其運功食並用二正税一、〈○下略〉
p.0679 合革箱漆合
丈六分肆合 壹合〈長一尺二寸廣八寸五分〉
右天平八年歲次丙子二月廿二日、納賜平城宮皇后者、
參合人々奉納〈一合長一尺七寸五分 廣一尺四寸一合長一尺二寸 廣一尺 一合長一尺七寸五分 廣一尺三寸〉
佛分壹合〈長七寸七分廣六寸五分〉 法分壹合〈長一尺二寸廣三寸〉 木叉分壹合〈長一尺二寸廣九寸〉
p.0679 合皮筥貳拾合〈佛物〉
合革筥貳百貳合〈佛物七十六合、法物卅六合、通物九十合、〉
p.0679 如法奉レ寫二法華經一火不レ燒緣第十 牟婁沙彌者、榎本氏也、〈○中略〉發二願如法淸淨奉一レ寫二法花經一部一、專自書寫、〈○中略〉供養之後、入二於塗レ漆皮筥(○○○○)一不レ安二外處一、置二於住室之翼階一時々讀レ之、
p.0680 合檉筥(○○)捌拾貳合
丈六分白筥(○○)貳合 右天平八年歲次丙子二月廿二日、納賜平城宮皇后宮者、
佛分漆埿筥(○○○)參合
法分漆埿筥漆拾漆合〈廿合寺造者〉
伍合 右養老六年歲次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇天皇者、
貳合 右天平元年歲次己巳仁王會、納賜平城宮御宇天皇者、
伍拾合 右天平六年歲次甲戌三月、納賜平城宮皇后宮者、
p.0680 建久六年三月廿九日癸丑、將軍家〈○源賴朝〉招二請尼丹後二品〈宣陽門院御母儀、舊院執權女房也、〉於六波羅御亭一給、御臺所姫君等對面給、有二御贈物一、〈以レ銀作蒔筥(○○○○○)、納二砂金三百兩一、以二白綾三十端一飾二地盤一云云、〉
p.0680 柳筥(ヤナキハコ/○○)〈編二柳枝一作レ之、一尺四方也、〉
p.0680 柳筥(ヤナイバコ)
p.0680 柳筥(ヤナイバ)〈俗謬作二柳葉一、官家載二冠鞠及經卷短册等一者、見二江次第一、〉
p.0680 一やない箱は柳箱と書也、柳の木を廣サ五分程に三角に削り、いくらもよせてならべてすのこの如く、紙よりにて二所あみたる物也、長さもはゞも、上に居る物の大小によりて、長短不定也、足は折敷の足の如くにて、くりかたなし、それを紙よりてゆひ付る也、柳箱といへども箱にはあらず、臺の樣なる物也、是には何をのする物と云定めもなく、えぼし冠經文書籍硯筆墨の類、何にても相應の物をのする也、進物なども臨時にのする事有べし、ある人の云、近代用る柳箱は、柳箱のふた也、足は則柳箱のふたのさん也、野宮宰相殿〈定基卿〉のもとにて、古の柳箱を見た りしに、ふたも有、身もあり、三角の木を紙よりにてあみて作りたる物也、其蓋は世に用るやない箱といふ物也云々、〈○中略〉
一延喜式に柳箱トヂ糸生糸とあり、後世は元結也、生糸とはねらぬ糸の事也、
一やないばこをやないばといふ人あり、かたこと也、笑ふべし、然れども明月記に柳葉とあり、略語なり、雅亮裝束抄、源氏物語等にはやないばことあり、
p.0681 柳筥 載二諸品物一之臺也、或謂二柳笥一、凡柳樹削二麁皮一、則其木色潔白、故始用レ柳、今間雖レ用二檜木一、總稱二柳筥一、造レ之法、割レ柳爲二小片木一、以二紙捻一編二連之一爲レ座、座之下左右著二編木脚一、凡編木之數、吉事用二陽數一、故五七九十一爲レ式、凶事用二陰數一、故六八十十二爲レ式、凡雖レ有二大小長短一、不レ過二陰陽之定數一、檜物屋造レ之、或造二木笏淺沓一家亦製レ之、一説上古未レ知レ割レ板時、伐二樹枝一編二連之一、大小隨二其用一而爲二載レ物之臺一、故編レ木無二定數一云、此義可レ取者乎、
p.0681 年料柳筥一百六十八合、〈一尺六寸已下、一尺以上、〉料柳一百三連、〈山城國進之〉織レ筥料生絲一十二斤、巾料調布一丈、浸レ柳料商布一段、長功三百卅六人、中功三百九十二人、短功四百卌八人、
p.0681 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉三丁柳筥一合、〈長二尺二寸、廣二尺、深四寸、○中略〉
凡諸國輸調、〈○中略〉絲一丁成レ絇、〈○中略〉柳筥一合、〈長二尺二寸、廣二尺、深四寸、〉
p.0681 伊勢太神宮 内宮〈○中略〉
出座御裝束〈○中略〉 錦御枕貳枚〈○中略〉 納二白柳筥(○○○)壹合一〈方一尺五分、深二寸、赤地唐錦折立、〉
帛袷御袜八條〈○中略〉 納二白柳筥壹合一〈方一尺五寸、深二寸、打敷色紙二枚、○下略〉
p.0681 養老六年十一月丙戌、詔曰、〈○中略〉奉二爲太上天皇一〈○元明、中略、〉造二〈○中略〉銅鋺器一百六十八、柳箱八十二一、
p.0682 だいりは五節のほどこそすゞろに只ならで見る人もをかしうおぼゆれ、〈○中略〉山あゐ日かげなど、やないばこ(○○○○○)にいれて、かうぶりしたるをのこ、もてありくいとをかしう見ゆ、
p.0682 柳筥にすゆるものは、たてざまよこざま物によるべきにや、卷物などはたてざまにをきて、木のあはひより紙ひねりを通してゆひつく、硯もたてざまに置たる、筆ころばずよしと、三條右大臣殿仰られき、勘解由小路の家の能書の人々は、かりにもたてざまにおかるゝ事なし、必よこざまにすへられ侍りき、
p.0682 隅赤(スミアカ/○○)〈婦人具、有二大小之制一、〉
p.0682 一大すみあか(○○○○○)、小すみあか(○○○○○)と云箱あり、かど〳〵を、雲がたの如く少高くして、それを朱うるしにてぬり、其外の所は黑くぬり、蒔繪をもする也、赤き所は羅をきせて、上〈江〉布目のみゆる樣に、朱うるしにてぬる也、冠なども上へ布目を見せてぬる、其如くにぬる也、寸法は婚入道具之記にあり、形は手箱のごとくにて、せい高からず、小すみあかには名香など入る、大すみあかにも相應の物入る、何を入る物といふ定もなし、何にても心次第に入る也、手箱などに同じ、入物定なし、大小ともに同前也、大すみあかには、入レ子六ツ又は八ツ有、けはひ道具をも入る也、大すみ赤小すみ赤同じ體也、此箱古は常に色々の物入たる箱也、今は婚禮の時のかざり物にのみする也、
p.0682 手筥(テハコ/○○)
p.0682 手箱(てばこ)
p.0682 てばこ 手箱 手筥〈明月記〉
これは手具足を入る故いふなり、今は俗には手道具といふに同じ、手筥ともいふなり、
p.0682 皮子手筥 かはこてばこ 是は手筥を革にて作りしなるべし、今革文庫、或は革文箱などの類ひならん、されども中に檀紙を入たるなどを思へば、料紙筥にやあらん、
p.0683 一手箱はすみあかの形のごとくせい高し、かけごあり、角々を丸みを付て、ふたの上もかうもり高也、梨子地蒔繪などする也、寸法等は婚入逍具記にあり、古常に手まわりの物を、何にても入て置く箱也、入物定なし、此物も今はすたれて、常に用る人なく、婚禮の時のかざり物にのみする也、手箱を革にて作りし事もあり、
p.0683 一手ばこの内に、小ばこ四つあり、その内に入物、一にはおしろい、一にはたうのつち、一にはまゆずみ、一にはわけめのいとなどのやうのおけはひぐそくのたぐひなり、たゞしにつきなどに何の入とさだまりていふ事にはあらず、手ばこ大小に入物さだまらず、
一手箱のかけごの事、これも四つのものかずのうち、ほんのてばこのごとく、けはひのぐそくを入、ふくろにこめて、おこしなどの内にも御もたせられべし、かりそめの所にもようゐ有べし、〈○中略〉
一手箱のをは、くみなり、
p.0683 一條院崩御之後、御手習ノ反古ドモノ、御手筥ニ入テアリケルヲ、入道殿御覽ジケル中ニ、藂蘭欲レ茂、秋風吹破、王事欲レ章、讒臣亂レ國トアソバシタリケルヲ、吾事ヲ思食テ令レ書給タリケリトテ、令レ破給ケリ、
p.0683 懸子なき手箱もたる人の、懸子のかぎりみにあるを見てこへば、とらせたるをあはずとて、かへしゝにいひやる、
くやしくもみせてけるかなうらしまのこめて置たる箱の懸子を
p.0683 寬喜二年正月十五日戊寅、後聞、行幸被二儲置一物、以レ錦造二厨子一、以二紫染物一造二手箱二合一〈各笠六納二其中一〉置 レ之、
p.0684 玉匣(タマクシゲ/タマテハコ)〈俗又作二玉櫛笥一〉
p.0684 たまてばこ 玉手箱也、浦島子によめり、風土記の歌に、玉くしげともよみたり、是は法苑珠林に龍宮寶篋亦未レ能レ算といへる意なるべし、
p.0684 浦島子〈丹後風土記曰、與謝郡日量里、此里有二筒川村一、此人夫日下部首等先祖名云二筒川嶼干一、(中略)所レ謂水江浦與子者也、(中略)女娘問曰、君欲レ歸乎、嶼子答曰、僕近離二親故之俗一、遠入二神仙之堺一、不レ忍二戀眷一、輒申二輕慮一、所レ望蹔還二本俗一、奉レ拜二二親一、(中略)女娘取二玉匣一授二嶼子一謂曰、君終不レ遺二賤妾一有二眷尋一者、堅握レ匣愼莫二開見一、卽相分乘レ船、仍敎令レ眠レ目、忽到二本土筒川郷一、(中略)雖レ廻二郷里一、不レ會二一親一、旣送二旬日一、乃撫二玉匣一而感思二神女一、於嶼子忘二前日期一、忽開二玉匣一、卽未レ瞻之間、芳蘭之體卛二于風雲一、翩二飛蒼天一、嶼子卽乖二違期一要レ還、知復難レ會、廻レ首踟蹰、咽レ涙俳個、(中略)後時人追加歌曰、美頭能睿能(ミヅノエノ)、宇良志麻能古我(ウラシマノコガ)、多麻久志義(タマクシゲ)、阿氣受阿理世波(アケズアリセバ)、麻多母阿波麻志(マタモアハマシ)、等許與弊爾(トコヨヘニ)、父母多知和多留(カソイロタチワタル)、多由女久女波都賀(タユメクハハツカ)未等、和禮曾加奈志企(ワレゾカナシキ)〉
p.0684 織姫のぼつとり者は取て置の玉手箱
夏の夜は浦島が子の箱なれやはかなく明てくやしからまし、〈○中略〉みめかたちはもとより、心の若々しさ、一ツとして古びのこぬは、我ながらもめんような玉手箱の奇特と、神酒を供へ燈明をてらして、彌勒の代までもかたち替らで、よい男百人も持(もた)しかへさせ給へと、朝夕いのるかひ有りて、〈○下略〉
p.0684 文匣(ブンカウ)
p.0684 文匣 以レ紙貼二筥之内外一、塗二漆於其上一、或盛二書册一、或藏二雜品紙一、是稱二文匣一、此外一切器物無レ不レ爲レ之、
張子 凡以レ紙造レ之物比二木板製造者一則甚輕易、故旅裝之具、文匣幷挑燈之類悉張二脱之一、又以レ板造二小筐筥一、諸色絹裁レ之貼二外面一、又以レ絹造二貼鳥獸花草之形一、是謂二御所文匣一、凡本朝高貴所レ住稱二御所一、萬事盡風流也、故毎レ物美麗稱二御所樣一、或謂二内裏風一、中華所レ謂都樣幷宮樣也、故斯細工亦謂二御所文匣一也、
p.0684 御文庫所〈幷挾箱張箱〉 烏丸通二條上ル町 諸口河内大掾 同通下立賣上ル町 大文字や喜兵衞〈○外三軒略〉
張貫文庫師 建仁寺町五條上ル 龜屋善兵衞
p.0685 商買品御書上 〈通町組内店組〉小間物問屋
品書
一文庫類 革、絹張、藤、張貫鳥丸無地、同箔繪、〈○中略〉
右之通私共仲間古來ゟ取扱ひ候品ニ御座候、以上、
嘉永五年子三月 茂兵衞〈○外一人略〉
p.0685 江戸ニ在テ京坂ニ無キ陌上ノ賈人〈○中略〉文庫賣
籠製筥ヲ紙張ニシ、黑漆ヲヌリタルヲ云、女子小裁等ヲ納ムノ器トス、此文庫及ビ黑漆帖フ紙枕針筥鏡立竹尺等ノ類ヲ擔ヒ賣ル、
○按ズルニ、文匣ノ事ハ、文學部文匣篇ニ詳ナレバ、參照スベシ、
p.0685 枚野里〈○中略〉所三以稱二筥丘一者、大汝少日子根命與二日女道丘神一期會之時、日女道神猶レ丘、備二食物及筥器等具一、故號二筥丘一、
p.0685 上筥岡、下筥岡、黑月津、朸田、宇治天皇之世、字治連等遠祖兄太加奈志弟太加奈志、二人請三大田村與二富等地一墾レ田、將レ蒔來時、廝人以レ朸荷二食具等物一、於レ是朸折荷落、所以奈閉落處、卽號二黑戸津一、前筥落處、卽名二上筥岡一、後筥落處卽曰二下筥岡一、荷朸落處曰二朸田一、
p.0685 元長のみこのすみ侍りける時、てまさぐりに何いれて侍りける箱にか有りけむ、した帶してゆひて、又こむ時にあけむとて、物のかみにさし置きていで侍りにける後、常明のみこにとりかくされて、月日久しく侍りて、ありし家にかへりて、此箱を元長のみこに送るとて、 中務 あけてだに何にかはせむ水の江の浦島の子を思ひ遣りつゝ
p.0686 巾箱 雜題猪髮㕞子、詩云、委二質巾箱裏一、巾箱者盛二手巾一之器也、〈俗云打亂匣(○○○)〉
p.0686 廣本无二名字一、巾箱見二渡武内傳、幽明錄、世語、述異記、異苑、齊書一、北堂書鈔引レ之、按集異志、晉孝武太元中、帝毎聞三手巾箱中有二鼓吹鞞角響一、〈○中略〉打亂匣〈○中略〉後世省呼二亂匣一、
p.0686 亂箱(ミダレバコ)
p.0686 亂笥(みだればこ)
p.0686 巾箱 打亂匣〈和名抄〉美太禮波古〈○中略〉
按、巾箱者無レ蓋匣也、或云梳レ髮盛二其亂髮一、故曰二亂箱一、
p.0686 一打亂箱の事、貞衡云、打亂箱は手箱のかけご也、それを別に作りて打亂箱と云也云々、うちみだれといふはわうし、うちみだりと云べし、源氏物語繪合の卷に、うちみだりのはことあり、花鳥餘情に云、〈一條兼良公作也〉うちみだりの箱のふたの上にては、髮をけづる時、打みだし侍れば、筥の名とせる也云々、倭名抄云、巾箱者盛二手巾一之器、俗曰二打亂匣一云々、上古は手のごひをも入たる物也、唐木蒔繪等樣々あり、
p.0686 打亂筥(○○○)〈長一尺一寸五分蓋定、弘九寸五分蓋定、深一寸、○中略〉
料木三尺三寸、弘一尺一寸、 木道單功廿疋 髮上時料 裏蒔錦文金十兩二分 漆三合 磨料二百五十疋 裏塗一疋 口白錫十一兩二分 螺鈿料五百五十疋 同堀入料十疋 堺料七十疋尻木 口置料十六疋 打亂筥納衣文綾一丈 承平四年、中宮御賀被レ用之、
p.0686 天皇奉レ賀二上皇御筭一事
當日早旦、行二寢殿御裝束一、其儀母屋東第三間立二太上皇大床子三脚一、〈○註略〉其上立二御脇息一、又置二唾壺打亂御匣等一、
p.0687 御元服
北面厨子中有二二層一、〈(中略)其二階下層置二唾壺筥一合〉〈西〉〈打亂筥一合一、○中略〉次取二出二階一立二於東御屛風前一、其上立二御冠筥一、〈○中略〉中層打亂唾壺同置之、
p.0687 童五位元服
次置二櫛巾一〈入二打亂筥一〉
p.0687 院はいと口おしくおぼしめせど、人わろければ、御せうそこなどたえにたるを、その日に成て、えならぬ御よそひども、御くしのはこ、うちみだりの箱、〈○中略〉心ことにとゝのへさせたまへり、
p.0687 ひろぶた 廣蓋
是は今も有る物なり、衣服を多くはのする物なり、この器もとはころも筥の蓋なるを、今は衣筥はいつしかうせて、蓋のみ殘れり、肴物を今硯蓋にもるが如し、
p.0687 一廣ぶたの事、ある有識の人云、廣ぶたは元は衣筥とて古代の器也、上古衣を納め置く箱にて、ふたも身もあり、古代は物事簡易にて、人に衣を給はる時は、直に衣筥のふたにすへて出しける也、後にはふたばかり別に作りて、ひろぶたと名付たる物也云々、
p.0687 一廣蓋の事、其家々の紋を入候也、然間雖レ爲二新調一私の紋を入候間、御服をば入不レ申候、諸家へ御成候時は、御紋の廣蓋用意有レ之、
p.0687 廣蓋
長さ貳尺四寸、又壹尺二寸にも、横壹尺八寸、又壹尺七寸、ふかさ大よこ手なり、
p.0687 一うちゑだともうちおきとも云物は、金銀にて花がたなど色々に作りたる物也、廣ぶたに小袖入たる時の、おさへにする物也、婚入記に見へたり、花の枝を金銀を打て作るゆへ、 うち枝と云、おさへにおく物故打おきとも云也、橘の折枝などもあり、
p.0688 一小袖はこうばいを上になして、二ツにをりて、そでをばよりはへてひろぶたにをく、人にひく時はほそものをさきになしてひくなり、小袖をあまたかさねて、ひろぶたにうくる時は、はきもとをいとにて、一重にしてゆふなり、
一ひろぶたひく時は、たゝみにつけて、なをすなり、中にてはあつかはぬものなり、
p.0688 一同年〈○寬永十六年〉に江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、
一梨子廣蓋 十 尾張大納言義直卿
p.0688 籠 唐韻云、籠〈盧紅反、一音龍、又力董反、古俗用二旅籠二字一云二波太古一、今按所レ出未レ詳、〉
p.0688 按、廣韻上聲一董云、籠竹器、力董切、此所レ引卽是、又平聲一束云、籠、西京雜記曰、漢制天子以二象牙一爲二火籠一、盧紅切、其義相近、平聲三鍾云、籠〓籠、竹車軬、亦〓籠竹、音龍、非二此義一、源君倂二引一音龍一非レ是、〈○中略〉按、今俗呼二加呉一、蓋堅間荒籠之總稱也、
p.0688 籠 かごはかこみこむる也、又ことも云、こはかごの上を略せり、
p.0688 籠コ 舊事紀に、鹽土老翁竹を取りて、太目籠麁籠を作る、または堅間を作るとも云ふ、堅間とは今之竹籠也といふこと見えたり、上古の時には、竹籠をカタマと云ひしなり、古事記には、無間堅間としるし、日本紀には、無目堅間としるされしによらば、麁籠といひ、堅間といふもの、其目あると、目なきとに因りて、其名も同じからのなり、これをコといひしは、物をコムルの義なり、されば籠の字亦讀てコムルとは云ひし也、又讀てカゴと云ひしは竹籠也、カと云ひタケといふは轉語也、〈カといふ音を開て呼ぶ時は、タケといふ語となり、タケといふ語を、合せ呼ぶ時は、カといふ音になるなり、〉
p.0688 凡應レ供二大嘗會一竹器、熬笥(○○)七十二口、煠籠(○○)七十二口、〈料箆竹口別六株〉乾二索餅一籠(○○○○)廿四口、〈口別十三株〉 籮(○)六口、〈口別十五株〉預前造備送二宮内省一、
年料竹器
薰籠(○○)大一口、〈口徑二尺二寸、高二尺七寸、〉料箆竹五十株、中一口、〈口徑一尺八寸、高二尺、〉料箆竹卌株、〈○中略〉茶籠(○○)廿枚、〈方二尺〉料箆竹各六株、
凡年料雜籠(○○)料、竹四百八十株、用二司國園竹一、
p.0689 鬚籠(ヒゲコ/○○)
p.0689 北のおとゞより、わざとがましくしあつめたるひげこども、ひわりごなど奉れ給へり、えならぬ五えうの枝に、うつれる鶯も、思ふこゝろあらんかし、
p.0689 正月の一日すぎたる比わたり給て、わか君のとしまさり給へるを、もてあそびうつくしみ給ふひるつかた、ちいさきわらは、みどりのうすやうなるつゝみ文の、おほきやかなるに、ちいさきひげこを小松につけたる、又すぐ〳〵しきたてぶみとりそへて、あふなくはしり參る、
p.0689 亭子院京極のみやす所にわたらせたまうて、ゆみ御覽じて、かけ物いださせ給けるに、ひげこに花をこき入て、さくらをとぐらにして、山すげをうぐひすにむすびそへて、かくかきてくばらせたりける、 一條のきみ
木のまよりちりくる花はあづさ弓えやはとゞめぬ春のかたみに
p.0689 故源大納言〈○淸蔭〉宰相におはしける時、京極のみやすところ、〈○藤原褒子〉享子院の御賀つかうまつり給とて、かゝる事をなんせむと思ふ、さゝげ物一えだ二えだせさせて給へと、聞え給ひければ、ひげこをあまたせさせ給ふて、としこに色々にそめさせ給ひにけり、しきものゝおりものども色々にそめ、よりくみなにかとみなあづけてせさせ給ひけり、
p.0690 なまめかしきもの
ひげこのをかしうそめたる、五えふの枝につけたる、
p.0690 都の顏見世芝居
京都にて加賀の金春勸進能を仕りけるに、〈○中略〉江戸の者我一人見るために、銀十枚の棧敷を二間取りて、〈○中略〉其後に料理間、さま〴〵の魚鳥、髭籠に折節の水菓子、
p.0690 笊籠引下ゲ直段取調申上候書付
一用心籠(○○○)〈壹番貳番〉一ト組ニ付
上 〈當三月直段金壹分ト六百文之處、五月書上金壹分ト四百文、〉 〈今般猶引下ゲ金壹分ト三百文〉
下 〈同斷金壹分ト四百文之處同 金壹分ト貳百文〉 〈同斷金壹分下百四十八文○中略〉
右者今般錢相場御定有レ之候ニ付、引下ゲ方取調候處、〈○中略〉此段奉レ伺候、以上、
寅八月 〈拾三番組下谷金杉上町 諸色掛〉
名主 三左衞門
p.0690 宿野土器 能勢郡宿野村ニアリ、商レ之者足附ノ籠(○○○○)ニ入テ荷出ス、
武庫山籠(○○○○) 武庫郡武庫莊ノ土人作レ之、秣苅落葉ヲ拾フ筐ナリ、山家ノ俗能求レ之、〈○中略〉
同〈○湯山〉籠細工(○○○) 同所〈○有馬郡有馬〉ニアリ、花生、果盆、畑草入、盒、水漉等、凡テ籠ヲ用ルノ器物好テ令レ造レ之、
p.0690 諸細工名物
龜井町籠 小傳馬町の北の通、龜井町にて作る、萬籠細工(○○○○)あり、
p.0690 皮籠(カハコ)
p.0690 皮子 かはご
今思ふに、皮子は加者婆古の婆を略ていふなり、もとは革にて作れるを、竹にて作りしをも、その まゝ革子といひしも有るあり、
澀革子(○○○) しぶかはご
今世に有る竹のあじろの上を、紙張にして澀引たる物なり、
p.0691 女人仕二淸水觀音一蒙二利益一語第九
今昔、京ニ父母モ无ク類親モ无クテ、極テ貧シキ一ノ女人有ケリ、〈○中略〉男ノ云ク、速ニ行キテ可レ吿シ、但シ著給ヘル衣コソ、極テ見苦シケレト云テ、忽ニ皮子ヲ開テ、淸氣ナル衣一重生袴取出テ女ニ著セテ、具シテ將行ク、
p.0691 むかし大太郎とて、いみじきぬす人の大將軍ありけり、〈○中略〉風の南のすだれをふきあげたるに、すだれのうちに、なにの入たりとはみえねども、皮子のいとかたくうちつまれたるまへに、ふたあきて、きぬなめりとみゆる物、とりちらしてあり、
p.0691 すみかは折々にせばし、其家の有樣、よのつねならず、廣さ纔に方丈、高さは七尺計りなり、〈○中略〉北の障子の上に、小さき棚を構へて、黑き皮籠三四合を置、卽和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入たり、
p.0691 五十三番 右 皮籠造
月見つゝいたづらふしのなきまゝによの程造る竹かはご(○○○○)哉
逢事のじゆくせぬ柿のさねかはごしぶ〴〵にだに人のこぬかな
p.0691 肥後 皮籠
p.0691 葛籠(ツヾラ)
p.0691 衣籠(ツヾラ)〈又云葛籠〉
p.0691 一つゞらと云はつゞら櫃也、つゞらと云草のつるにて作る也、つゞら藤の事也、つ づらひつは、たてを丸藤にして、ぬきをわり藤にして組たる也、四方の角々とふちは、なめし革にて包む也、今はつゞら藤にて作りたるは少し、竹籠を紙にてはり、又は檜の木の薄板にて作り、紙にて張たるも多し、
p.0692 太政官符
定二内匠寮雜工數一事〈○中略〉 黑葛筥(○○○)二人〈○中略〉
大同四年八月廿八日
p.0692 八番 右 つゞら
人めのみしげき深山を分わびてゆきゝ休まぬつゞらをり哉
p.0692 一おつゞら(○○○○)、これはいろ〳〵の御てぐさの物入也、〈○中略〉
一つゞらのをは、くみなり、
p.0692 天文八年閏六月十三日、御公事方記錄已下御箱二、幷つゞら三、當時御倉万松軒被レ仰二付之一、正實居住之間正實に申合、御倉へ可二入置申一哉段、御内談衆申二談之一、〈○下略〉
p.0692 葛籠 俗云豆豆良
按、葛籠織二藤蔓一作レ之、以二藤心一爲レ經、以レ皮爲レ緯、自二藝州廣島一多出レ之、其四隅著レ皮漆二髹之一、凡宿直泊番人、毎納二寢衣一名二番葛籠(○○○)一、小者名二伏見三寸(○○○○)一、民家嫁婦必用レ之、衣籠也、其賤者贋レ革也、出二於江州高宮一少出レ之、經緯用二純藤一組レ之、故剛韌而佳、
p.0692 こけらは胸の燒付さら世帶
緣の約束を極め、〈○中略〉二番の木地長持ひとつ、伏見三寸の葛籠一荷、糊地の挾箱一ツ、〈○中略〉取あつめ物數廿三、銀二百目付ておくられける、
p.0692 萬年葛籠(○○○○) 元祿のはじめ、神田鍋町つゞら屋甚兵衞といふもの、はじめてこれを作る、此者元人形屋なり、張子細工よりもとづきて、經木を中へ入れ張立たる也、
p.0693 婚禮道具
一黑葛籠(○○○)の事
長サ貳尺三寸、はゞ一尺四寸三分、深サ一尺二寸、ふた一はいにして、たんぬり金紋、又ふちを黑くぬりてまき繪などあり、世に万年つゞらと云、
p.0693 五十三番 左 葛籠造
四十九ゐてんやにみゆるうりつゞらさし出はめる軒の月影
我戀はまださらされぬ靑つゞら(○○○○)くるとはすれどさねしよぞなき
p.0693 葛籠師 下地は近江若狹薩摩より造出す、室町通一條の上にて是を造る、
p.0693 山城 室町塗葛籠 安藝 葛籠
p.0693 京ニテつゞらや
寺町蛸藥師下ル町 〈仕立中買〉 同四條下ル町〈かはごぬり〉 ぬり仕立や 烏丸中立賣ゟ下三丁目 同 室町一條上ル町 同つゞらくみ〈下地〉 高くら高辻下ル町
大坂ニテつゞらや
平の町堺すち西入 住吉や長兵衞 難波はしすぢ
p.0693 葛羅屋
日本橋南三丁目 仁兵衞 同南四丁目 庄右衞門 南傳馬町一丁目 仁左衞門
p.0693 土産門
葛藤箱 佐東郡夜須之人、以レ藤製二筐筥一、俗曰二津々羅一、或納二衣服一、又入二雜具一矣、
p.0694 行李(カウリ)〈和俗謂二藤籃一爲二行李一、以二一任一爲二一行李一、蓋以二行器一也、〉
p.0694 骨柳(コリ)〈本字箸䇭、字彙屈レ竹爲レ器、北方多以二柳條一爲レ之、〉
p.0694 行李 もろこしの書に、たびに持行物を行李と云、和俗つゞらにてあみたる器を行李と云も、此意なり、こりと云はあやまり也、たびにゆく裝物を一行李二行李などもいへり、
p.0694 行李〈季與レ理通、加宇里、〉 〓䇭〈今云柳行李〉
左傳云、不レ使三一介行李吿二于寡君一、注云一介一人也、行李遠行必有二行囊一也、又云人將レ行先治レ裝者曰二行李一、
按凡以二貨齎一箇一稱二一行李一者據二于此一矣、今織二藤蔓一作レ笥、呼名二行李一、出二於江州水口一者、小而精巧、有レ圓有レ方、以堪レ爲二櫛笥一、出二於江州高宮一者、以二眞藤一作レ之甚佳、
〓䇭 字彙云、〓䇭屈レ竹爲レ器、北方多以二柳條一爲レ之、出二於但州豐岡同出石一、織二〓柳條一名二柳行李(○○○)一、形長而方也、可レ容二衣一二領一、因州用瀨之産次レ之、形隋、〈圓長也〉其小者用行人堪レ貯レ飯、
p.0694 今世民間ニテ衣類等携へ行クコトアレバ、柳合利(○○○)或ハ南部籠ノ類ニ納レ之、風呂數ニ包ミ負レ之、或ハ行李及籠ニ納レズ、直ニ風呂敷ニテ包ミ携フコトモ專ラ也、
p.0694 山城 網代籠履(○○○○) 近江 籠履 越前 戸口網代籠履 但馬 柳籠履 備中 柳籠履 備後 柳籠履 日向藤籠履(○○○)
p.0694 母から呑込む酒屋の聟殿
實に世は、人聞に驚く物なり、〈○中略〉水口(/○○)〈○近江〉の骨柳(こり/○○○)、但馬より京へ出し、京にて緣を仕立て水口へ出すに、京の人十三里に近き道を買ふて歸れば、〈○下略〉
p.0694 雇人要助
花顚因にいふ、〈○中略〉柳骨折(○○○)の比よきに、れんじやくをかけて、笈のごとく仕立るものを用意し置 べし、大家には數あるべし、小家にても一ッはあるべし、急火といふ時、物をいれて背に負べきため也、
p.0695 檉輓(シヤウベン)〈或編〉
p.0695 金絲、銀絲、九蓮絲、堆朱、堆紅、堆漆、沈金、犀皮、桂〓、香合、是納二〓箯(○○)二對一、
p.0695 檉編
桂川地藏記に、魚腦檉挽(シヤウベン)、象牙引壺、頗黎巵、瑠璃壺とあり、先年岩瀨京傳、この檉挽はいかなる物ならんと問しに、知らざるよし答へたりき、後按ずるに、尺素往來に、六納(イレ)檉挽、三入葛箱、又下學集に、食籠、檉輓〈或編〉撮壞集に、葛籠、皮籠、檉鞭、異制庭訓往來に、〓箯、〈按に慶長板節用集二本倶に亦此二字あり〉松會板遊學往來に、犀皮、堆紅、堆朱、堆漆、鷗楊、桂漆、雲朱、世良田等之香箱、納二檉椀一荷一借進之、寬文二年板、遊學往來に、朱漆木椀、厨子、楪子、馬上盞、唐折敷、同黑漆赤漆折敷各三束、納二楊編一荷一借進候、類集文字抄に、傷編、印籠、食樓など有を合せ考ふるに、〓楊傷は、倶に檉の假字なり、挽鞭後は〈松會板遊學往來の、檉椀の椀は梚の誤り也、〉皆編の假字にて、正字は檉編なるべし〈檉字の音はテイにて、呉音チヤゥなれども、聖字の呉音シヤウとひがよみしたるなり、釋日本紀の秘訓に、檉岸山明を、セイカンサンノミナミとよめると同じ誤なり、〉これ檉條(カハヤナギノエダ)をもて編たる器なり、天文十一年池坊惠應記に、シヤウヘンの圖あり、〈○圖略〉此シヤウヘンすなはち檉編なるべし、さてかの地藏記なるは、魚腦を以て、檉編の形に作りし物にや、
p.0695 囊 蔣魴切韻云、袋〈音代、字亦作レ帒、和名布久路、〉囊名、又魚帒、
p.0695 玉篇、袋囊屬、囊説文作レ〓、云橐也、〈○中略〉按魚袋非二此用一、又魚袋三字當レ删、
p.0695 囊囊〈上俗下正〉
p.0695 袋帒〈上通下正〉
p.0695 布袋
召康公美三公劉之厚二於民一也、其詩曰、乃裹二餱糧一、於レ橐於レ囊、毛傳曰、大曰レ槖、小曰レ囊、御覽云、古行者之食、 以二布囊一貯レ糧則是、布囊爲二裹レ糧之用一、自二公劉之世一已然矣、蓋在二夏后之世一者也、
p.0696 囊 ふくろはふくるゝ也、物を入ればふくるゝなり、るとろと通ず、
p.0696 ふくろ 囊をいふ、日本紀に、囊中玄櫛あり、和名鈔に、袋亦作レ帒と見ゆ、囊は底なきもの也、袋は底あるをいふ、物を入ればふくるゝより名とすといへり、新撰字鏡に、帒をこしふくろとよめり、こしは腰なるべし、顯宗紀、人の名韓帒倭帒と見えたれば、古へ其製のことなる稱と見えたり、元正紀に、朝服之袋といひ、文武紀に、賜二諸王卿等帒樣一といへるは、とのい帒にや、土佐の俗小袋を上指といへるは、矢ぼろより出たる名也といへり、雅亮抄に、ひらづゝみのうはざしといひ、盛衰記に、うはざししたるふくろもたせてと見えたり、
p.0696 一袋と云ハ、布帛などにて縫ひたるばかりを云にあらず、弦卷の本名ハ弦袋と云、ものさし入る箱を尺袋と云、やり戸を入置所を戸袋と云、鷹の餌袋は竹籠也、公家の近衞の官人の腰に付る魚袋といふ物ハ、箱を〓の皮にてはり、金銀にて魚を作りて付たる物也、何れも縫たる物にはあらざれども袋と云也、
p.0696 目次
一餌帒 一琵琶帒 一笏帒 一劒袋 一殿上簡帒 一弓袋 一和琴帒 一侍所簡袋 一弦袋 一上差帒 一屠蘇袋 一柱帒 一箏帒 一笙袋 一宿物帒 一笠帒 一笛帒 一打カへ袋 一茱萸帒 一歌帒 一鉢帒 一帶帒 一七寶袋 一花帒 一藤綱帒
p.0696 目次
一宣明帒 一書帒 一文書帒 一燧袋 一臂帒 一隨身符帒 一屛風帒 一針袋 一寶順帒 一雙六調度袋 一蒐褐袋 一藥袋 一麻袋 一柄立袋 一杖袋 一鞆袋 一紗袋 一鑰袋 一旗袋 一尺袋 一驛鈴袋 一坐袋 一筮蓍袋 一手箱袋 一載袋 一母衣袋 一 水帒 一狹囊 一鞘帒 一灑水袋 一三衣帒 一保呂帒 一胡籙袋 一角袋 一尾袋 一魚帒
p.0697 一上ざし袋(ウハ/○○○○)は衣服を入る袋也、絹布などにて縫也、大〈サ〉は定法もなし、衣服の入る程にして入る也、大にたゝみたると、小くたゝみたると、數多く入ると、少く入るとによりて、袋の大小あるべく、袋の口には組糸にてつがりをする也、〈つがりとはかゞりの事〉其つがりに少ふとき組緖を通して、くゝり緖にする也、女房方故實に云、うはざし袋の事、男のうはざしは、つがりの數三十三有べし、女房衆のは、二十二か、三十あるべく候云々、これは大法を云なるべし、袋の大小によるべし、男のは數半にすべし、女のは數重にすべし、扨袋の總地には上ざしをする也、上ざしとは、はりがねのふとさのより糸にて、竪横十文字に碁盤の目の如く、針目、貳分許程づゝに、うら表共にさす也、如レ此上ざしする事は、物を多く入るに、袋のさけぬ爲也、袋は絹布にても織物にても縫也、色も不レ定裏を附る、これも色不レ定、但表の色と同色なるが宜しき也、書札雜々聞書に云、うはざし袋へ圓坐を入て御持候事、是は御小袖をもませまじと云故實也、女房衆は無レ之事也云々、袋の中に圓坐を入、其上に小袖を入れば、持ありくに小袖もめぬ也、三議一統に云、上(ウハ)ざしのつゝみ持事、〈うはざし袋の事〉三ケ條、小袖入たる包みの事也、その外扇、疊紙、上下(カミシモ)、小袖、あはせは申に不レ及候、侍ほどの者の持は、緖の結びぎはのくゝりを右に提て持也、小法師中間は、つゝみのくびをひつさげて左に持べし、雜色力者は緖を右にて取り、左にて裏をかゝへ持べし、或は遠き所は打かづく也云々、總じて上ざし袋は、小袖のみに限らず、何にても入る也、女房衆は小袖は勿論也、顏のけはひ道具、其外手箱に入て、うはざし袋に入て供に持する也、又袋の緖の結樣、長くばもろわな、緖短くばかたわなに結べし、定りなし、又古は公方樣御成の時も、上ざし袋を持せられし也、永祿十一年戊辰五月十七日、將軍義榮公、朝倉左衞門督義景が宅へ御成之記に、御うはざしの御袋被レ持也と見えたり、 いにしへは今時はさみ箱持するやうに、他行には必供の者に上ざし袋を持せし也、又夜具を入るゝうはざし袋をばとのゐ袋と云、〈とのゐとは、とまり番をする事也、とまり番の夜具を入るゆへ、とのゐの袋と云也、〉
p.0698 表插囊 凡裁二唐織一而縫二大小囊一、以レ緖括二諸物出入之口一、又別赤色組緖自二囊口四隅一垂二四方一、是爲レ飾、故謂二上插囊一、是亦婦人嫁娶時、其大者盛二衣服二三領一、其小者盛二簪、櫛、剃刀、剪刀、股等雜細之物一、又赴二他方一時輿中携レ之、甚爲レ有レ便、其内小者或稱二調度囊(○○○)一、倭俗男女常用雜細之器物謂二調度一、今誤二調度一謂二數珠囊(○○○)一、製二此囊一者室町三條南有二一兩家一、
p.0698 熊野新宮軍事
信連ハ、〈○中略〉宮〈○以仁王〉ヲ女房ノ形ニ仕立進セテ、佐大夫宗信ニケシカル直衣小袴キセ奉リ、黑丸ト云御中間ニ表差シタル袋(○○○○○○)持セテ、御所ヲ出シ進スル、
p.0698 今世京坂小民ノ婦女等、野外ナドニ遊ブ時ダンブクロ(○○○○○)ト云ヲ携フ者アリ、番袋(○○)ノ訛ナルベシ、其製絹縮緬ノ類ヲ表トシ、麻木綿等ヲ裏トシタル袷囊ノ口周リニハ、カヾリ糸ヲ用ヒズ、異裁ヲ縫付ケ、是ニ組緖ヲ貫通シ、括レ之コト、上刺袋ト同ジ、表一色ヲ以テ製スアリ、或ハ小裁ヲ集メ、數色ヲ繼合テ製スモアリ、大サ方四五寸、或ハ七八寸、大小無レ定、
形上刺囊ト同意ニテ、上狹キニ非ズ、底モ方形ニテ周リニ縫目アリ、
食類及ビ紙タバコ手巾珠數等ヲ納ム、衣類ヲ納ルコトハ稀也、
京坂小民ハ男モ往々持レ之、江戸ハ男子ハ勿論婦女モ、如レ此袋ヲ携フ者甚ダ稀也、
p.0698 故此大國主神之兄弟、八十神坐、然皆國者避二於大國主神一、所二以避一者、其八十神各有下欲レ婚二稻羽之八上比賣一之心上、共行二稻羽一時、於二大穴牟遲神一負レ帒爲二從者一率往、
p.0698 一書曰、〈○中略〉彦火火出見尊具言二其事一、老翁卽取二囊中玄櫛一投レ地、則化二成五百箇竹林一、
p.0698 十四年、根使主逃匿至二於日根一、造二稻城一而待戰、遂爲二官軍一見レ殺、天皇命二有司一二二分子孫一、一 分爲二大草香部民一以封二皇后一、一分賜二茅淳縣主一爲二負囊者(○○○)一、卽求二難波吉士日香香子孫一、賜レ姓爲二大草香部吉士一、
p.0699 合囊壹拾玖口〈法物十一口、四天王物八口、〉
p.0699 一女房
得選 三人也、又髮上采女兼レ之、〈○中略〉行幸時持二大袋一與二内侍一同車、是不レ可レ然事第一也、
p.0699 躾式法の事
一主人の御袋を持事、中間小者、りきしやにかはるべし、小者は袋の頭を取べし、力者は緖を執て、下をかゝへて可レ持也、
p.0699 袋賛
器は入る物をして己が方圓に從へむとし、袋は入るゝ物に隨て、己が方圓を必とせず、實なる時は肩に餘り、虚なる時はたゝみて懷に隱る、虚實の自在をしる布の一袋、壺中の天地を笑ふべし、
月花の袋や形は定まらず
p.0699 火櫃 ひびつ
俗に云ふ火鉢なり、韓櫃のさまにしたればいふ歟、
p.0699 殿上
火櫃二〈自二十月一至二三月一、至二四月一撤之、〉
朝餉
二間、〈○中略〉御屛風内外案二御調度一、〈○中略〉火櫃春冬計也、〈圓火櫃也、廻畫二和繪一、〉
p.0699 一鋪設裝束事
火櫃 尋常之時用レ之
p.0700 すびつ 炭櫃の義、炭取ともいふ、火函をいへり、
p.0700 下侍
三間〈有二炭櫃一、四面敷レ疊、號二侍臣亂遊所一也、〉
p.0700 冬は、〈○中略〉ひるになりてぬるくゆるびもてゆけば、すびつ火をけの火も、しうきはひがちになりぬるはわろし、
p.0700 すさまじきもの 火おこさぬ火をけすびつ
p.0700 雪いとたかく降たるを、れいならず御格子まゐらせて、すびつに火おこしてもの語などして、あつまりさぶらふ、
p.0700 一番 右 すびつ
埋火のしたにこがるゝかひもなくちりはひとのみ立浮名哉
p.0700 火桶(ヒヲケ)
p.0700 火桶の畫樣
古き火桶の繪に常夏を書たる有り、俊明が家にも傳へもたる桐火桶は、後水尾院〈或は東福門院〉の命婦とも云ひ傳へたるにも、この〓麥の繪を書たり、桐火桶の香爐もまた同じ繪樣なり、或人云、定家卿の歌に、霜さゆるあしたの原の冬がれにひと花咲るやまとなでしこ、といへる意にて、一花を火によせたるならんといへり、芭蕉翁の發句に、霜の後撫子さける火桶かな、とせしはまたく此意によれり、
p.0700 一鋪設裝束事
火桶 帖上置レ之〈○中略〉
火桶幷燈臺事 不レ敷二龍鬢一程御所、被レ儲二火桶一事、何事在レ之哉、〈○中略〉
杉火桶散薄〈○中略〉
置二火於御火桶一〈若宮入御之時、兵部卿三位基親被二計申一之、〉
兩樣也、朝勤行幸、北面御所御炭櫃ニハ、入御了未下令レ渡二此御所一給上以前置レ之、〈近習殿上人役之〉或又御對面之時置レ之、同近習殿上人不レ論二四位五位一置也、土器ニ入レ火テ居二折敷一持參之、然者已渡御了、未下令レ渡二御所中一給上以前可レ被レ置歟、又後ニモ可レ置歟、可レ然有職可レ宜之、
p.0701 炭火 古我邦ニ桐火桶アリ、今モ其製アリ、眞鍮ニテマルク小爐ヲ作、其外ニ桐ノ木ヲクリタルヲ室トシテ入、其フタニモ桐ヲ用ヒ穴ヲヒラキ、フタノウラヲ眞鍮ニテハル、其小爐ニ炭火ヲ入レ、寒キ時客ニ與ヘテ手ヲ令レ温、主人モ別ニ用テ客ニ對シテ手ヲアブル、中華ノ經鉏堂雜志ニ、倭人所レ製ノ爐ノ事アリ、此火桶ナルベシ、又桐火桶ノ形ニ瓦ニテ大ニ器ヲ作ル、高八寸バカリ、ワタリ六寸バカリニ作り、上ヲマルク火氣ノ出ル穴ヲ處々ニアク、口ヲ小ニシテ其フタヲ四五寸、横四寸バカリ、厚四五分ニヤキ取手ヲ付、小穴ヲ三アケ、瓦火桶(○○○)ト云、其内ニ宵ヨリカ子テ火ヲ入ヲキ、身ヲアタヽメントスル時、灰ノ内ニ炭火ヲ二三入、衾ノ内ニ入、上トメグリヲ小ブトンヲ以オホヒ、終夜身足ヲアタヽム、明日ニ至テ火久シク消ズ、炭火ヲ多クツイヤサズ、火ニテ衣ヲヤカズ其益多シ、又腹痛食滯ナドアル時、右ノフタヲヲホヒヲケバ熱クナルヲ、布袋或モミタルシブカミ袋ニ包ミテ、腹背腰ヲアタヽム、フタヲ二作リヲキテ、冷タル時取カヘテヤキ用ユ、腹痛食滯泄瀉感寒等ニ、是ヲ以腰腹ヲアタヽムベシ、腰ヲアタヽムルハ腹ヲ温ムルヨリ最ヨシ、如レ此腰腹ヲ温ムレバ、煖氣内ニトヲリ、氣メグリテ病イユ、温石ヲ用ルヨリハ容易ニ早クヤケテ、カハルガハルトリカエ、カロクシテ自由ナレバ便レ用、世人未レ知二此法之容易有一レ效、故著レ之爾、
p.0701 土火桶(○○○)といふ物有、近年京都にはやる、桐火桶の形に似て大也、廻りに小窻多し、上 に蓋あり、ふたにも兩にまど有、中は取手有て、緖通しのあな有、下に灰を入て、おきをふたつばかり入れをけば、一日一夜きえず、ひるは上に衣衾をおほひて手をあぶり、膝をあたゝめ、よるは夜服の内に入て、終夜身をあたゝむ、甚だ老人に可なり、外をば紙にてはるべし、常の糊又しぶなどは離れやすし、大豆の煮汁のあめの如くなるを用、紙をもみ豆汁を糊として張るべし、この器湯婆(たんほ)温石を用るにまされり、物を書に、寒月手こゞゆる時もちひてもよし、
p.0702 ひをけの銘
夢にだにねばこそみえめ埋火のおきゐてのみぞ明しはてぬる
p.0702 火をけすびつなどに、手のうらうちかへし、しはのべなどして、あぶりをるもの、いつかはわかやかなる人などのさはしたりし、おいばみうたてあるものこそ、火をけのはたにあしをさへもたげて、ものいふまゝにおしすりなどもするらめ、
p.0702 おほきにてよき物 火桶
人のいへにつき〴〵しき物 ちくわうゑがきたる火をけ
p.0702 ちくわうゑがきたる 竹鶯畫也、桐火桶などに、竹に鶯などゑにかきし也、
p.0702 天元二年十月初の亥の日、右大臣殿〈○藤原兼家〉の女御、ひをけどもにもちひくだものもりて、うちの女房どもにつかはす次でに、大臣殿にもひをけ一つ奉らせ給ふ、銀にてゐのこかめのかたを作りて、すゑさせ給へるに、くははれる歌、
綿津海のうきたる島をおふよりは動きなき世をいただけや龜
p.0702 後冷泉院御時、主殿寮燒ケル時、〈○中略〉大嘗會御火桶、元三ノ御クスリ暖ムルタタラナンド、世ノハジマリノ物、皆燒ニケリ、
p.0702 宇治の左のおとゞ〈○藤原賴長〉の御前に、銀をきり火桶(○○○○)につませられて、賴政卿のいまだわか かりける時、召ありてきり火をけと、我名をかくし題にて、歌つかふまつりて、是を給はれと仰事有ければ、とりもあへず、
宇治川の瀨々の白浪落たぎりひをけさいかによりまさるらん、とよみたりけり、めでさせ給ひけるとなん、
p.0703 仁安三年十月廿日戊申、早旦參院、申二明日雜事一、〈○中略〉輕幄北間敷二繧〓帖二枚一、其上敷二東京錦茵一爲二平敷御座一、〈東面〉其前居二繪火桶一、積レ炭副二火箸一、
p.0703 一俊成はいつもすゝけたる淨衣の上ばかりうちかけて、桐火桶にうちかゝりて案じ給ひしなり、かりそめにも、自由にふしたりなど案じたりしことはなし、
p.0703 寬元元年十月廿四日、今日五節儉約事、爲二頭左中辨時高朝臣奉行一被レ仰二下五節所一云云、〈○中略〉
一出二火桶一可レ停二止金銀銅飾等風流一事
p.0703 火桶
こゝにひとつの掘出しもの有、其名を火桶といへり、其價おばゞのへそくり錢を以て求るにもやすく、焇炭いさゝかふきたてゝ、ひるはいだきて龜(かゞまり)し手をのばし、よるはそひぶして凍る膚をあたゝめて、天下の老をやしなふにたれり、なを俊成卿は常になえたる裝束をきて、桐火桶を手まさぐりて、和歌をながめ給へりしと、傳へきくこそなつかしけれ、其形をうつしとめて、今も人人のもてはやせるは、よのつねのよりはいとちいさく侍るぞ、猶愛らしき姿なりけらし、
火桶には月花もなし老の友
火桶火丹學問靑 詠吟可レ耻不亡靈 五條三位六條叟〈自稱〉 歌道主人連誹丁
p.0703 火桶 園女 露は秋、しぐれは冬と見さだめてや、こそ〳〵と反古とり出て、火桶ひとつをはりまはす、是は何の翁ぞ、俊成賴政をならふにもあらず、只このひとりにて、我冬を過さんとなり、春より後はといはゞ、あらはるまじ、われなばもとの土にこそと、もしとはゞかくこたふべき、
膝もとの折敷の糊に一葉かな
p.0704 山城 壺々火桶(ツボ〳〵ヒオケ/○○○○)
p.0704 火鉢(ヒバチ)
p.0704 飯銅(ハントウ)
p.0704 飯銅(ハンドウ/○○)〈又作二盤銅一、火鉢也、〉 火鉢(ヒバチ)
p.0704 火鉢〈○中略〉雖レ不レ載二注文一所レ進也、
p.0704 火爐 今云火波知
三才圖會云、周禮天官冢宰之屬、宮人凡寢中共二爐炭一、則爐亦三代之制、今火爐是也、
按、火爐俗云二火鉢一也、其製不レ一、可二以禦一レ寒、可二以焙一レ物、
p.0704 著用類
桐火鉢(○○○) 千家所持桐蕪形、銅のヲトシ、金泥にて鳳凰の蒔繪あり、通樣の桐火鉢より至て古し、好み知れず、
手焙(○○) 利休形、アンカウ善五郎作、樂の瓢簞は宗入寫しなり、
p.0704 朔日、毎事如レ例、けふよりおきずみの火鉢〈此名目いつの比よりのことにか〉を撤す、〈○中略〉
十月朔日、毎事常の如し、けふより常の御所御座の左の方におき炭の火鉢をおく、炭の立やうあり、
p.0705 殿中さま〴〵の事
一御對面所にはちうしやくの火鉢ををかれ候、十月朔日より火鉢ををかれ候、たて炭なるべし、私ざまにても急度したる時は立炭なるべし、又女中に置れ候御火鉢は、源氏の繪などに書たるやうに、臺にすはりたる御火ばち也、其臺はこくしつにぬりて、まきゑかな物あるべし、又炭さしそゆる事は手にて置べし、男女おなじ、
p.0705 秋は九月節句頃より、春は三月末の頃迄、寒暖に隨ひ、見計ひ火鉢を出すべし、
火鉢は灰をよく搔平し、眞中へ火を置、其廻へ櫻炭を裝(つぎ)、若櫻炭なくば、雜炭にても體よく裝(つぎ)、
但炭から炭へ橋を掛たる樣に載たり、井桁毬打鐘木の形に、裝ぬ事と心得べし、
手早く團扇にて扇付、灰ならしにて炭の根へ、少し計灰を搔よせ、火鉢の緣臺等を拭持出、火鉢の大小に隨ひ、左の膝の六七寸前へ出すべし、〈なをくでんあり〉
但耳歟取手抔の付たる火鉢は、耳にても取手にても、左右にして出し、三足の類は貳本の足を客人の方へ向、壹本を手前にして出すべし、三本足の付たる物は、外の品も是に准ず、
p.0705 一諸司御所の西の御六間、御屛風を立廻して、一獻の被レ構二御座敷一、〈○中略〉御火鉢、〈蒔繪〉島御盃之臺有、
p.0705 大永六年十月、矢島へとて、木の濱舟に火鉢入て、あらしも雪もしらずぞわたりし、
p.0705 天文十年二月廿五日、爲二御使一祐阿來入、御火ばちもたせ被レ下候て、もと〳〵の御火ばちの趣いかゞ候ける哉、此御火ばち〈足不レ付候也〉何と哉覽、見にくきやうに被二思食一候、くわしくしるし可二申上一候由仰也云々、仍もと〳〵のは例式ごとく三足〈鬼のかたち也〉にて御ざ候よし申上之、いつも御前にをかれ候は、只今拜見のよりは、今少ちいさめに御ざ候と存候、大がいはこれほどにて御ざ候、足三御ざ候、臺はから筵へりしゆすどんすのたぐいと存候、又御對面所にをかれ候は、これ よりは今少大きめに御ざ候と存候、だいは御ざ候はず候つる、又大名所におかれ候も同前、臺は御ざ候つる、何も〳〵御火ばしそへをかれ候也、此趣申入也、 廿六日、爲二御使一祐阿來入、御火ばちの繪圖二拜見させられ候へば、禁中に御ざ候一ツは臺の御火ばち也、もと〳〵御前にをかれ候哉、いかゞ御ざ候ける哉、〈○中略〉被二尋下一之、仍御返事言上、禁裏樣に御ざ候は、不レ及二見申一之間、不レ及二言上一候、臺の御火ばちは、もつばら常御所御女中むきに御ざ候つる、
p.0706 或贈二手爐(○○)一、大盈二兩掌一、形如二袖爐(○○)一、圓而有レ蓋、用見二於詩一、
玄冬苦寒時、此物宜二書室一、炭墼有二火含一、博山無二雲出一、掌中握二義鞭一、案上吹二鄒律一、呵レ硯手不レ龜、字字自沘レ筆、
p.0706 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一盤銅 二十 佐竹修理大夫義隆〈○中略〉 一御火鉢 五 奧平美作守忠昌〈○中略〉
一カラ金盤銅 五 小笠原壹岐守貞政〈○中略〉 一カラ金御火鉢 五 秋元越中守富期〈○中略〉
一大中御火鉢 二 酒井讃岐守忠勝
p.0706 天明六年三月七日、五十御賀〈○德川家治〉御祝儀御規式、
御内證獻上之品〈○中略〉
御手火鉢 貳ツ 鳥居丹波守
但黑さはりに而、上に銀之菊有り、ひねり候へば八重菊に成る、
p.0706 長樂寺の環了といふ僧、宣德の火鉢を得たり、日々に寵愛して、絹にふき袖に撫て、晝夜かたはらをはなたず、〈○下略〉
p.0706 諸江仁右衞門〈後仁齋と云〉性理家の儒生也、本間半五郎殿の御方へ講釋にゆきしが、冬の事なれば、若き侍から金の火鉢を持出、仁右衞門が前に置、少しざりて手をつき、此火鉢を世上にし(○) かみ火鉢(○○○○)と申候、しかみとは、いかゞしたゝめ候やと問ければ、仁右衞門答ふべき詞なくて、いまだ考不レ申、追て可レ得二御意一と云しよし、
p.0707 獅囓(シカミ)〈首鎧立物〉
p.0707 嘉永二年印行、古風ト流布トヲ、相撲番附ニ擬スル、其流布ノ方、大關以下左ノ如シ、〈○中略〉籐デ組ダ火鉢(○○○○○○)、〈藤ハ來舶ノ物○中略〉
古風方ニ曰、〈○中略〉見世先キノキン火鉢(○○○○)、キンハ佛氏ニ打鳴ス器ノ名
p.0707 三位の中將は、何ゆゑうたれ給ふぞ、 なら火鉢(○○○○)
p.0707 山城 土火鉢(○○○)
p.0707 諸職人商人買物所付
箱火鉢(○○○) 平ノ町御靈ノ前 土火鉢 〈松や町筋仕出シ、御靈ノ前請店、〉
p.0707 予〈○原得齋〉三四年已前に、土をもつて燒製したる火鉢を買たりしが、これを箱を指て、この火鉢をいれおきければ、今に毀れずして用ゆ、そのころまた隣家なるものも、予と共にかの火鉢を買たりしが、たゞありのまゝにて用ければ、二三ケ月を經て所々かけ、其上ものにふれて毀れたり、そのゝちに三ツ四ツ買しが、前のごとく久しからずして碎てけり、予がはじめ箱をこしらへたる物入りは、すこしく多けれども、そのたもつこと久しく、かの三ツ四ツの價に比すれば、はるかにすくなし、其上今に存す、これ儉ならん、
p.0707 二十九番 右 ひばちうり(○○○○○)
風呂火鉢瓦灯ぬり桶みづこぼしよきあきなひとならの土哉
p.0707 箱火鉢賣(○○○○)
桐或ハケヤキノ筥火鉢ニ、瓦筥銅筥ヲ納レ、大小長短精粗其製種々アリ、二簣ニ積テ擔ヒ賣ル、
p.0708 火爐 聲類云、爐〈音盧、揚氏漢語抄云、火爐比多岐、〉火爐火所レ居也、
p.0708 鑪
周禮天官冢宰之屬、宮人凡寢中共二爐炭一、則爐三代之制也、
p.0708 爐鑪〈上俗下正〉
p.0708 煁(ひたき)〈音忱〉 煁〈比太岐〉 地爐 地㶩〈須比豆〉 又名二圍爐裏一
字彙云、無レ釜之竈、其上燃レ火、若二今火爐一、詩小雅云、印烘二于煁一者是也、
按、爐本盧字、後加レ火作レ爐、〈俗作レ炉〉火所レ居也、山家多不レ用レ竈、而構二大煁于席中一、毎縋二卞一鍑一、以爲二炊爨一、其繩設レ機升降自在、故謂二之自在一、
地爐〈和名炭櫃之略〉茶湯用レ之只稱レ爐、方一尺四寸、〈内方九寸六分〉
別居二榬於爐上一、覆レ衣以煖二手足一、其榬在二四柱一如二重臺一、俗呼名レ樓、〈夜久良、一名阿介、〉總名二古太豆一、〈正字未レ詳〉
p.0708 加茂初齋院幷野宮裝束
白銅風爐(○○○○)一具、料白銅大三斤、炭四斛、油一合五勺、信濃布七尺五寸、長功十人、中功十二人、短功十四人、
白銅火爐(○○○○)一具、料白銅三斤、炭四斛、油一合五勺、信濃布七尺五寸、長功十人、中功十二人、短功十四人、
p.0708 白銅(金塗)火爐二口〈一口口徑一尺四寸五分、足五、一口口徑七寸、足四、〉
p.0708 一酒部所〈○中略〉
火爐具 鉢一口〈金銅(○○)、雖レ夏可レ置レ火也、〉 鑵子一口〈在二金輪一〉 白木臺一脚〈修理職造進之〉 長四尺 弘二尺六寸 深七寸 足高三尺四寸〈自レ尻以下也〉
p.0708 神事幷年料供御
土火爐(○○○)〈長三尺五寸、廣二尺五寸、高七寸、〉長功二人、中功二人半、短功三人、
p.0709 御所御裝束事〈○中略〉
爐ハ火桶ノ代也、然故ニ四方ニ指也、〈○中略〉但又以レ爐、皆用二晴儀一也、
p.0709 年中節會支度〈寬平年中日記〉
一歲末讀經〈○中略〉 火爐廿口〈直二斗〉
p.0709 藤花宴
天曆三年四月十二日、於二飛香舍一有二藤花宴一、〈○中略〉當二庇中戸南一立二五尺障子一、其西有二御酒具一、赤漆火爐(○○○○)一口、在二黑漆臺一、
p.0709 一大佛殿納物
大火爐一口〈臺八足、火舍足跡有レ四、而見在四足、上狛犬蓋所司等陳云、別當平崇任中爲二少盜一被レ取云々、〉
鐵火鑪(○○○)一口〈○中略〉
永觀二年五月二日
p.0709 一條院御時、臺盤所ニテ地火爐(○○○)ツイテト云事アリケリ、
p.0709 左京屬紀茂經鯛荒卷進二大夫一語第三十
今昔、左京ノ大夫 ノ ト云フ舊君達有ケリ、〈○中略〉茂經ハ殿ヲ出テ、左京ノ大夫ノ許ニ行テ見レバ、大夫ハ出居テ客人二三人許來タリ、大夫其ノ主セムトテ、九月ノ下旬許ノ程ノ事ナレバ、地火爐ニ火オコシナドシテ、物食ハムト爲ルニ、墓々シキ魚モナシ、鯉鳥ナドモ用有氣也、
p.0709 從二鎭西一上人依二觀音助一遁二賊難一持レ命語第廿今昔、太宰ノ大貳 ノ ト云フ人有ケリ、子共數有ケル中ニ、弟子ナル男有ケリ、〈○中略〉男喜テ衣一ツ許著セテ、太刀ヲ持テ北面ノ居タル方ニ和ラ行テ臨ケバ、長地火爐(○○○○)ニ爼共七八ツ立テヽ、萬ノ食物置キ散シテ男共有リ、
p.0710 靑山大膳亮幸利、廣間のかたへをしつらひ、火爐を設しめられ置れけり、立入る幕下の士、或時物がたりの序に、御家には作法嚴正なると承りしに、廣間のかたへに火爐ありと承り、定て深き御心にてあらめ、外の家にても、茶たば粉などは、きはまりたる事に候へども、火爐をかまふと云事聞も及ばざるゆへ珍敷覺候、おしへ承度といひしに答て、されば人はかげとひなたとなければ、過しがたき者なり、事なき時もおさへからむれば、一大事の時に曲事かゝるものにてあり、そのうへ番所々々に人を置は、不時の變ある時の警固にて有なり、されば支體すこやかに心屈せざる事大切なり、寒氣の時にしひてこらへ居る時は、手足こゞへて、事あるとても、持たる刀をも取落すやうになるなり、こゝを以てかまへしなり、〈○下略〉
p.0710 火筯 辨色立成云、火筯、〈比波之、下治據反、〉
p.0710 火筯(ヒハシ)
p.0710 火筯(ヒバシ)
p.0710 火筯 火箸 火挾 撥火杖〈比波之〉 火权 鐵权〈末太不里、加奈末太、〉
按火筯可レ挾二火燼一也、火权用二大竃一、可二薪進退一、
p.0710 ひばし 火筯の義、王百谷が雜字に見え、金ひばしは鐵筯と見えたり、銅もて造る者を降紅といへり、蝦夷にて火箸をあへばしといふ、あへは火の夷言なり、
p.0710 一鋪設裝束事
火桶幷燈臺事、〈○中略〉火桶不レ變二其體一者、火箸可レ用二尋常金銅箸一、
p.0710 火鉢置レ炭、角折敷ニ入レ炭令二持參一、取レ手置レ之、火ヲ入二土器一以二火箸一、又火箸ヲ指レ灰、努々不レ可レ致事也、炭ヲ入二炭取一、全ク分略ノ義也、
p.0710 御所御裝束事〈○中略〉 爐ニ火ヲ置ニハ、土器二ヲ重テ火ヲ入テ打鋪ニスエテ可二取出一、箸ヲ不レ可レ具也、炭ヲサストキ、古ハ以レ箸不レ指シテ、テヅカミテ取レ之云々、然共近來無二此儀一、皆以レ箸指レ之、仍全自レ近爐ニ箸二ツ置也、本ハ一可レ置也、非二主人一者不レ取之故也、
p.0711 火ばしの銘
冬すぎばなげおかれなん物故に君が手にはたたなるべらなり
p.0711 くらうなりぬればこなたには火もともさぬに、大かた雪の光いとしろう見えたるに、火ばししてはひなどかきすさびて、あはれなるもをかしきも、いひあはするこそをかしけれ、
p.0711 御前の火爐に、火ををく時は、火ばししてはさむ事なし、かはらけよりたゞちにうつすべし、さればころびおちぬ樣に心得て、炭をつむべきなり、八幡の御幸に、供奉の人淨衣をきて、手にて炭をさゝれければ、ある有職の人、しろき物をきたる日は、火ばしを用るくるしからずと申されけり、
p.0711 正月七日
〈永正十六〉一御火箸 壹膳 銀師後藤
p.0711 火筴は銘々火鉢の類ならば、火鉢の緣片脇中程へ、立枠火鉢の類ならば、客人の前の緣へ、火筴の頭を揃、客人の右にして掛て出すべし、嚬火鉢の類ならば、下の臺へ置て出すもよし、
p.0711 水藩の檜山氏が、慶安五辰年四月十五日ゟ同廿二日まで、〈○註略〉水府の御宮別當なる東叡山中吉祥院が、江戸ゟ水戸〈江〉下りたりし時分の賄料、請取品直段書付幷入用をしるしたるものを見せたるが、其直段の下直なる事おどろく計也、〈○中略〉
一火ばし 壹膳 代三拾文
p.0711 炭〈炭籠附○中略〉 野王按、〓〈乍下反、字亦作レ〓、〉炭籠也、
p.0712 今本玉篇火部云、〓俎下切、竹部云、〓莊雅切、俎莊幷屬二照母一、乍屬二牀母一、淸濁不レ同、此作レ乍恐誤、按廣韻有レ〓無レ〓、玉篇有二〓〓二字一、不レ云二〓〓同一、然説文有レ〓無レ〓、則知〓俗〓字、故云二字亦作一レ〓也、蓋〓本訓二束炭一、轉爲二炭籠一、故從レ竹作レ〓、〈○中略〉今本玉篇火部云、〓、束炭也、竹部云、〓、炭籠束炭也、此所レ引蓋竹部文、按説文、〓束炭也、顧氏蓋依レ之、其作レ〓者、隷體不レ省也、
p.0712 炭斗(スミトリ)
p.0712 炭斗 須美止利〈○中略〉
按炭斗多用レ瓢、或蒲笥竹籠任レ所レ好、
p.0712 一鋪設裝束事
火桶幷燈臺事〈○中略〉居二火桶一者、置物厨子邊可レ置二炭取一、
p.0712 みすとりの炭なきをみて 經仲
すみとりのすみもとられてゐたるかな
つく
ひもおこされぬ火をけのつらに
p.0712 炭取瓢單
許由に棄られて後、岸根の波にうきにうけども、たゞ名にながれたる計にて、顏淵はえて其樂をあらためず、それよりこのかた、こまの出しめづらしさも打たえて、花の名のみ人めきて、あやしきかきねにおひしげり、なりさがりてぞ侍める、〈○中略〉中比利休居士の取たてにより、數奇屋のうちにもめし出され、貴人の御めにもかゝりなど、器の時をえて、鯰をさえししれものゝ、手にはよりもつかずと聞及べり、
えだ炭はむべも火花のつぼみ哉 棹レ柳楫レ榮(ハナブサ)期二客寓一 置成立炭香烟霧 釣舟雖レ不レ失二中流一 媚一瓠千貫道具
p.0713 柚は皮ばかり すみとり
まろきもの すみとり
C 自在
p.0713 自在(ジザイ)〈農家竈具、今按高低自在之謂、〉
p.0713 煁〈○中略〉
按、〈○中略〉山家多不レ用レ竈、而構二大煁于席中一、毎縋二下一鍑一、以爲二炊爨一、其繩設レ機升降自在、故謂二之自在一、
p.0713 器用類〈幷〉名品
自在鉤 民間ノ圍爐裏ニ下テ、鍋釜ヲカケル鉤也、其上ノ鉤ハ榎ノ曲リヲ用イ、中ノ竿ハ朴ヲ用イ、下ノ鉤ハ桑ノ曲リヲ以テ作ルヲ、古法トスト云ヘリ、來由未レ詳、
p.0713 自在鍵頌
世ニ自在鍵と呼ぶ物あり、夫は爐上に下げて、茶釜藥鑵をつるすに、延縮を心に任する物とぞ、〈○下略〉
p.0713 土肥二三
二三(にさん)は俗稱土肥孫兵衞といふ、〈○中略〉後都の岡崎に住て自在軒といふ、纔に膝を容る計なり、
火宅ともしらで火宅にふらめくは直に自在の鑵子也けり、是より軒の名によびける、
p.0713 火闥(コタツ)
p.0713 あんくわ(○○○○) 行火の義にや、あんこ(○○○)ともいふ、袞毬をいふ、被香爐とも稱す、侯鯖錄に臥褥香爐とも見えたり、
p.0713 火燵
火燵といふものは、近古いできたるものなり、火燵のなき以前は、物に尻かけて、火鉢にて足を煖 たるよし、古き繪卷に其體をゑがけるあり、〈○中略〉下學集〈文安〉火燵の名目見えず、尺素住來に、竹爐生レ炭木床置レ衾、可レ備二風雪之迫一候とありて、火燵のこと見えざれば、文安文明の頃までは、火燵といふものなかりしなるべし、饅頭屋節用〈文龜中初刻詞花堂藏本〉火燵火踏かくのごとく見えたり、これをもて按に、いよ〳〵火燵は、文明以後にいできしものなるべし、〈○中略〉或は按に、火燵は地火爐のなごりならん歟、〈○中略〉此地火爐の制うつりて火爐となり、火爐におほひの榬をつくり出て、そをやぐらといひしなるべし、櫓と名づけしをもておもへば、戰國の時の制にやあらん、芝居の櫓の形に似たるゆゑの名にはあらざるべし、〈○中略〉
寬永二十年印本、ねずみ物語〈杏花園藏本〉に、富る者の事をいへる條に、冬は置火に高ごたつ、段子の蒲團を打かけて云々と見えたり、又寬永より明曆の頃の俳諧の句に、高火燵といへることおほかり、おほひの榬を高くつくれるから、櫓の號はいできしならん、
火燵幷地火爐再考追加
嫁迎記、よめいりのよ、いしやうの事といへる條に、こそでのだいには、こたつのやうなる物にて候、くろくぬり候て、かな物などあるものにて候〈とあり、これは東山殿のころの事をかける古記なれば、當時はやくこたつといふ物のありし證とすべし、これによりておもへば、文明以後にいできし物とも決がたし、○中略〉宗長手記〈下卷〉大永六年十月の條に、ある夜爐火しどろなる火榻(こたつ)し、ねぶりかゝりて、紙子に火のつくをもしらず、おどろきて云々、又同七年十二月の條に、このあかつき、火榻(こたつ)にあしさしならべて云々とあり、元本火榻の字にかなはつけざれども、火榻の二字をこたつとよむべき例は、明應の撰也といふ林逸節用集ニ、火燵脚榻(こたつきやたつ)〈此きやたつと云物は、今ふみつぎ又ふみ臺と云物のたぐひなり、〉とかなをつけたれば、音便にて火をことよみ、榻をたつとよむ、當時の讀くせなるべければ、火榻の字をもこたつと讀べき也、
さて右の書に爐火しどうなる火榻し、とあるを考るに、當時こたつといへるは、今云こたつや ぐらの事ときこゆ、今爐火をこたつと云はいにしへにたがへり、嫁迎記に、こたつのやうなるものとあるも、今の言にていはゞ、こたつやぐらのやうなる物といふ義ならん、いにしへの通例のこたつは、今のよりは、ひくゝありしなるべし、寬永のころ、別に高ごたつといへる物ぞ、今のこたつやぐらなるべき、さるからやぐらと云名をおひしこと、前にいへるがごとくならん、今も信州のこたつは、うへを板にてはりつめ、すこしあひだをすかして火氣をもらす、高サは通例よりひくきよし、それぞ古制のなごりなるべき、格子をつくるは後ならん、
p.0715 一風呂こたつなどは宮中にはなし、させるゆゑもなけれど、只ありつけざる事は、何事もはじめがたく此類多し、
p.0715 一渡邊水庵翁は、火燵きらひなれども、とし寄の火燵にあたらぬはすげなきもの也とて、いかにも火をよはくして、常によりそひて居られけり、寒き比客來れば、まづ火燵へより給へと請じられけれども、老人といひ、武功有る人といひ、たやすく近づく人すくなかりけり、かくては物語もしまずとて、置火燵(○○○)を出しければ、客も心やすく火にあたり、ゆるやかに四方山の物語せられしと也、客多き時は、なを置火燵を出されしと也、今時かく客あしらひする人まれなるべV 覆醬續集
p.0715 足爐〈釋名辟邪、俗曰二非於計一、〉
和氣盈二裀褥一、夢回心體胖、團爐埋二焰炭一、永夜忘二玄寒一、湯媼〈明呉寬有二湯媼傳一〉爾休妬、丙童吾所レ安、辟邪勝二燕玉一、煖レ老有二餘歡一、
p.0715 火燵に火を入る事、灰は藁をたきたる灰を用ひ、爐のうちをふかく掘り、灰を四方にあげて、其くぼき所に熾火を入、おきのめぐりを灰にて埋み、中を埋まず、性よき炭火を朝うづめば、其夜まで減ず、夜うづめば、翌朝迄もきえず、但し風にあふ時は、はやくきえやすし、
p.0716 諸職商人買物所付
火燵櫓(○○○) 道修町
p.0716 京坂ニ在テ江戸所レ無ノ、市街ヲ巡ル生業ニハ、〈○中略〉櫓直シ、
炬燵矢倉ノ古キ損ジタルヲ補ヒ、或ハ新製、或ハ古物ノ補ヒタルヲ擔ギ巡リテ、損破ノ櫓ト交易スルコト行燈ト同意、是亦定扮ナシ、蓋冬ノミ巡ルナリ、
p.0716 湯婆(タンホ/○○)〈所レ呼唐音、韵府、暖レ足瓶也、一名脚婆、又曾夊淸呼爲二錫奴一、見二詩林廣記一、〉 懷爐(クハイロ/○○)
p.0716 湯婆 太牟保、唐音乎、
按、湯婆以レ銅作レ之、大如レ枕而有二小口一、盛レ湯置二褥傍一、以煖二腰脚一、因得二婆之名一、竹夫人與レ此以爲二寒暑懸隔之重器一、
p.0716 竹湯媼
辟レ寒重レ被臥二茅齋一、當下與二此君一敎中老偕上、惟匪二〓筒能貯一レ酒、一團和氣滿二吾懷一、
p.0716 和二石丈山竹湯婆一
筩樣軍持備二小齋一、燂レ湯酌注與レ吾偕、纒綿竟夜三冬暖、被底婆兒不レ免レ懷、
p.0716 品玉とる種の松茸
或時宵に燒たる鍋の下に、其朝まで火の殘りし事、是は不思議と燒草に氣を付けて見しに、茄子の木犬蓼の灰ゆゑに、火の消ん事をためして、是は人のしらぬ重寶と思ひ付き、手振で江戸へくだり、銅細工する人をかたらひ、はじめて懷爐といふ物を仕出し、雪月の比より賣ける程に、是は老人樂人の養生、夜づめの侍衆の爲と成り、次第々々にはやれば、後には御火鉢御火入の長持灰とて看板出し、大分うりて程なく分限になり、〈○中略〉林勘兵衞といふ名は、ひそかにしてのたのしやなり、
p.0717 此年間〈○安永〉記事
箱入温石(○○)始める
○按ズルニ、温石ノ事ハ、金石部玉石篇ニ詳ナリ、
p.0717 〓〓〈二字波々支〉 蔧〈波々支〉
p.0717 箒 兼名苑云、箒、〈音酒〉一名篲、〈祥歲反、和名波々木、〉
p.0717 玉篇箒俗帚字、説文、帚、糞也、从三又持レ巾埽二冂内一、古者少康初作二箕帚〓酒一、説文又云、彗、埽竹也、篲彗或从レ竹〈○中略〉按、波波岐羽掃之義、謂下以二鳥羽一除上レ糞也、新撰字鏡又有二〓字一、訓二波波支一、蓋皇國會意字、可三以證二羽掃之義一、今俗譌呼二保宇岐一、南部謂二之波岐一、蓋古用二鳥翅一掃レ糞、謂二之波岐波久一、當下是活二用羽一訓レ波者上、然則所二以掃一之物、宜レ云二波岐一、猶下謂乙所二以扇一之物甲爲中阿布岐上也、南部謂二之波岐一者、蓋古言之遺也、後用二草若竹一造、亦名二波岐一、故用二鳥羽一造者、別謂二之波波岐一、然後波波岐又爲下所二以掃一之物總稱上、再呼二鳥羽造者一、爲二登利波波岐一、見二千載集物名歌一、今俗呼爲二波保宇岐一、
p.0717 箕箒 世本曰、少康作二箕箒一、
飯帚 許愼云、陳留以二飯帚一爲レ〓、今人亦呼二飯箕一爲二梢箕一、愼旣漢人所レ記、疑皆秦漢時事耳、
p.0717 箒(ハウキ)篲〈二字義同、箒與レ帚同字也、〉
p.0717 箒(ハウキ)
p.0717 箒(ハヽキ)〈文選註、掃二除地一者、〉彗(同) 箒(同)〈字彙、俗帚之字、〉 條帚(ワラハヽキ) 獨帚(クサハヽキ/○○) 椶箒(シユロハヽキ/○○)
p.0717 はゝき 箒をよめり、靈異記に篲も同じ、羽掃の義成べし、千載集物名に、鳥はゝき見えたり、豐後詞に、はゝきをはきといひ、はくことをはゝくといふなり、〈○中略〉竹はゝきを、くははゝきともいへり、かまはゝきは炊帚也、
p.0717 女房のかみそぎたるはふきにはうへもなし ほうき(○○○)
p.0718 帚(ハヽキ)〈箒同〉 條帚(ワラハヽキ/○○) 〓帚(タケハヽキ/○○)〈篲同〉 幣帚(ニハハヽキ/○○)〈書序指南云、除レ地之帚曰二幣帚一、〉 獨帚(ハキヽ) 棕帚(シユロハヽキ/○○) 筅帚(サヽラ/○○)〈箲同〉 炊帚(カマハヽキ/○○) 芒箒(スヽキノハヽキ/○○)
p.0718 帚〈音周〉 箒〈俗字〉 篲〈俗字〉 彗〈音遂〉 鬣〈音獵〉 和名波波木
按帚有二數品一、羽帚(○○)可三以掃二茶具漆器一、棕櫚皮帚(○○○○)可三以掃二筵席一、棕櫚葉、莎草、及稈心帚(○○○)、其下品者也、 竹枝黍地膚草可三以掃二庭砌一、
p.0718 箒
掃帚と云草より起る、此草、莖のしなやかなるものなり、乾し葉をさりて塵を除るに用ひそめたり、よつて塵芥を除るものを、すべて箒と云也、本草云、子落則老、莖似レ藜可レ爲レ帚、椶櫚帚、竹帚、藁帚、羽帚(○○)など數品あり、又玉帚(○○)あり、玉は賛たることば也、無名抄に物をほむる詞と見て、くるしかるべきにやとあり、
p.0718 箒傳 井童平
天地いまだひらけざる時は、霧のごとく霞に似たるを、天津朝起の神ありて、それを掃よせ給ひぬれば、ひとつの島となりけるを、伯耆の國と名づけ給ひ、唐詞には伯州ともいへる、世界に秀句のはじめなりとそ、さて白幣靑幣など、社をきよめ神を凉しむるより、天にかゝれば彗星とかゞやき、地におふれば箒木とさかふ、まして人間の用にたつ時は、金殿をひらきて、玉箒の歌によまれ、民間に光をやはらげては、藁箒(○○)の塵にまじはる、いとゞ飾羽の公義むきには、卓の香爐に名をならべて、三ツ羽一ツ羽は爐手前より、風爐の炭の時節をあたゝめ、大羽箒(○○○)は尻いざりして、茶人の風情をもつくるなるべし、しかるに椶櫚箒(○○○)といふ物は、山寺の兒そだちにて、髮も櫛の齒のはけ先をそろへ、わらび繩のまきめもかたげなれど、暖簾の奧の娵が手にふれて、あだなる心のつきそめしより、廓下に狂ひ、廣敷にうかれ、馬に乘られつ、鑓にふられつ、所さだめぬ轉寐に、性惡の名のたちそめて、箒々とはいはれけむ、源氏もはゝ木々の名のみ殘りて、今は紙袋の頭巾もなく、さか さまになりて、蛛の巢をはらひ、あるは忍草のつり繩になはれ、あるは石菖の根をかくまれ、果は何やらの藥とて、食物醫者にむしられて、藥鑵の中のうき目を見る、彼は一類もおほかる中に、竹箒と聞えたるは、心とければ命みじかく、おほくは市中にありながら、木の葉吹ちる秋のゆふべは、隱逸の心も忘れずとや、扨こそおほうちの朝ぎよめにも、諸司百官にさき立しが、いつしか御讓位の變にあひては、花もちりしく院の御所に、伴のみやづこもよそ〳〵しく、かくては宮づかへもおかしからずと、塵の此世をいとふ心より、もろこしの芳野も遠からで、國淸寺の會下に寒山和尚をたのみて、明暮の酒掃におこたらねば、心のちりも拂ふばかり、竹のうきふしも聞ぬ身となりて、むまにくるまのあとをだに見ず、しかるを豐干の四睡ノ圖は、我もかたはらに寐ころびて、其時の名をとゞむべかりしに、繪師のあやまりて、五睡ならねばと、さしもなき事をいひつのり、浮世の煤はきに立かへりて、芥川の名に流れけむ、さるは箒傳のみにあらず、人も榮落のかぎりあれば、一季二季の奉公人とても、かゝる身のほどをしれとなむ、
p.0719 玉箒(タマハウキ/○○)〈正月子日、自二天于一百官〉〈二ーー〉〈衣下融山ノ緖八廼命、千秋万歲義也、〉
p.0719 たまはゝき 万葉集に、春正月三日召二侍從竪子王臣等一令レ侍二於内裏之東屋垣下一、則賜二玉箒一肆宴と書し、また玉箒かりこ鎌麻呂とも見えたれば、地膚をいふなるべし、本草にも玉篲玉帚の名あり、今いふものは筥根草の莖にてこしらへたる也、〈○中略〉南都東大寺正倉院に、子日鋤及玉箒ありて、其圖をみれば、別にかはれる體也、是古へ帝王躬耕、后妃親蚕の遺意なるべし、
p.0719 玉箒〈俗稱ネンド草、亦コウヤ箒、或云、茶セン柴、野生宿根高二三尺、靡狀長キハ四尺ニ及ベリ、八九月小白花開ク、一蕚十二花、其狀白朮花ニ似テ小樣ナルモノ也、〉東大寺ノ寶藏ナル玉箒ハ、長二尺許、箒鬚ノ杪毎ニ紺色ノ細珠ヲ帽ラシメ把ハ紫革ニテ包タル上ヲ、金ノ糸ガネニ五色ノ細珠ヲ貫タルモテマキシメタルガ、年ヲヘテ糸カネノ絶(キ)レ損ネタリト見ユルモノ二柄アリ、紺珠搖々トシテ塵ヲ驅ルノ具ニ非ズ、一時ノ儀箒ノミ、彼ノ萬葉集ナル 天平寶字二年正月三日ノ初子ノ玉箒卽是ナルベキコトハ、同寶藏ニ鐵〓金嵌ノ儀鋤アリテ、其柄ニ子日辛鋤、天平寶字二年正月ト銘セル、同時ノ用相證スベキ也、但二柄ハ帝〈○孝謙〉ト光明皇后トノ御ナラン歟、諸王卿ニ賜シハ其製ノ精麁今知ベカラズ、
p.0720 二年〈○天平寶字〉春正月三日、召二侍從竪子王臣等一、令レ侍二於内裏之東屋垣下一、卽賜二玉箒一肆宴、于レ時内相藤原朝臣奉レ勅、宣二諸王卿等一、隨レ堪任レ意、作レ歌幷賦レ詩、仍應二詔旨一、各陳二心緖一作レ歌賦レ詩、〈未レ得二諸人之賦詩幷作歌一也〉
始春乃(ハツハルノ)、波都禰乃家布能(ハツ子ノケフノ)、多麻波婆伎(タマハハキ)、手爾等流可良爾(テニトルカラニ)、由良久多麻能乎(ユラグタマノヲ)、
p.0720 長忌寸意吉麻呂歌八首
詠二玉掃鎌天木香棗一歌
玉掃(タマハヽキ)、苅來鎌麻呂(カリコカママロ)、室乃樹與(ムロノキト)、棗本(ナツメガモトト)、可吉將掃爲(カキハカムタメ)、
p.0720 とりはゝき(○○○○○) 刑部卿賴輔母
秋の野に誰を誘はむゆき歸りひとりははきを見るかひもなし
p.0720 棕櫚箒(○○○) 五條大佛邊人製レ之、又八幡山南樟葉村之内、中芝土人是爲二巧手一、來二賣京師一、造レ之法、至レ秋剝二取棕櫚毛皮一束レ之、以二圓竹一爲レ柄、是謂二棕櫚箒一、近世棕櫚葉細割束レ之作レ箒、然不レ及二毛皮一、
p.0720 慶長拾一年丙午江戸御屋形作日記〈○中略〉
永樂貳貫九百九十三文買にて 遣方〈○中略〉
〈六月廿三日〉一永樂三十五文 しゆろはゝき二本
p.0720 金銀竹木土石
棕櫚箒 五條大佛の邊ニ造レ之
p.0720 文化三年十二月廿七日庚子、淸凉殿御煤拂也、〈○中略〉 一棕箒(○○)例年七本相廻處、當年六本仕丁持廻ニ付、例年七本之旨、自二諸司一申之處、表より受取候所、右之通故、尚表へ御通達被レ下度旨仕丁申レ之故、宜御汰汰可レ被レ下旨出納申レ之、仍番頭代へ其段申通、令二吟味一處、則乞物帳ニ棕箒七本と有レ之故、間違と被レ存也、何分早速相廻候樣、下知可レ給レ申レ之、早々相廻也、尤此序、羽箒長箒(○○○○)之員數も、出納へ相尋處、最初三四年は悉七本宛相廻候得共、次第ニ員數相減、近來は大方年々、兩品共五本宛ニ相成有レ之趣申レ之ニ付、左樣之儀於二此方一一向不レ存儀也、最初之定七本宛故、例年其通之事と存居儀也、尤年々催之節、例年之通〳〵と計相催事故、分而員數之儀不レ申候、於二此方一者、年々悉七本ヅヽ相廻儀と存居候事也、左候はゞ其儀も任レ序可レ及二沙汰一、倂當年之所は其儘ニ而も可レ然、何卒來年より如レ元七本宛ニ相成候はゞ、宜敷と申置、扨番頭代へ懸合置、猶最初之處吟味可レ給、明年ゟ之覺悟ニ相成事と申入置、鴨指出候由承知、猶致二吟味一可レ置、則昨年之帳面被レ見候へば、羽箒五本と有レ之也、
p.0721 上方にて買(かう)て來るを、江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉竹箒(○○)をたか箒(○○○)、
p.0721 前垂島蟹胥 同郡〈○西成〉大坂道頓堀ノ西ニアリ、前垂島ハ今ノ地名也、此島邊ノ蟹蟄穴ヲ出テ水ニ遊ブ、漁者蘆ノ葉ニ陰テ伺レ時、竹箒ヲ以テ、數百ノ穴ヲ掃塞デ捕レ之、
p.0721 井戸は卽ち末期の水
子も持たざれば行末もの悲しく、今も知らぬ年齡になつて、毎日伏見に通ひ、竹箒を買求めて洛中賣廻りて、今日を暮しけるが、
p.0721 鼠の文使ひ
毎年煤拂は極月十三日に定めて、旦那寺の笹竹を祝物とて、月の數十二本もらひて煤を拂ひての跡を取り、葺屋根の押へ竹に使ひ、枝は箒に結ばせて、塵も埃も捨てぬ、隨分細なる人ありける、
p.0721 箒木〈訓二波宇岐米一〉 集解、庭園野徑處處多有、或田圃之界多種レ之、生二苗葉一如二竹葉一而細小、深靑柔厚似レ有二微毛一、可二作レ蔬茄一、一科數十枚、攅簇團團、直上可レ比二蒿之茂一、莖赤或靑亦有、性最柔弱、故將レ老時、乾枯可レ爲レ帚、野人呼稱二草帚(○○)一、作レ帚則勝二於藜一、作レ杖則劣二於藜一、夏秋開二黃白花一、結レ實最繁矣、
p.0722 山城蕚箒(○○) 藺箒(○○) 大和 箒
p.0722 二十七番 右 庭掃(○○)
捨やらの世をばいかにかすへはゝき拂ふも庭の塵の身ながら
p.0722 諸細工名物
神田ぼうき(○○○○○) いにしへは神田にて作りしゆへ此名ある由、今〈○寬延〉は今戸端芝邊にて作るといえども、猶神田ぼうきと云、
p.0722 供奉年料〈中宮准レ此〉
箒二百卌把、〈月別廿把、寮所レ備、○中略〉 右起二十一月一日一、迄二來年十月卅日一料、
p.0722 六日幸二武德殿一
三府射、〈如レ前〉、左右門部衞士撤二却西埓一、〈○註略〉掃部寮以レ箒令レ合レ穴、木工寮官人以二丈尺一正二立球門一、
p.0722 上二格子一事寬平小式云、主殿頭以下擁レ箒拂二淸庭墀一、
p.0722 故天若日子之妻、下照比賣之哭聲、與レ風響到レ天、〈○中略〉乃於二其處一作二喪屋一而、〈○中略〉鷺爲二掃持一、
p.0722 掃字を帚に用たる例は、字書には見えねども、波波伎は羽掃の意にて、體用の差のみなれば、御國には、古通用ひけむ、萬葉十六にも玉掃(タマハヾキ)とかけり、
p.0722 なを世にめでたき物
りんじのまつりのおまへばかりの事は、何ごとにかあらん、しがくもいとをかし、〈○中略〉かんもり づかさのものども、たゝみとるやをそきと、とのもりづかさの官人ども、手ごとにはゝきとりすなごならす、
p.0723 朔日、けふは御たのむとて、各おもひ〳〵の進物をさゝぐ、返しをたぶ、〈○中略〉みなせよりは御ようじの木一ゆひ、帚貳本參る、
p.0723 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シラ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一御箒 五十本 建部内匠頭〈○中略〉
一御箒木 二十本 織田修理亮
p.0723 松平丹後守在江戸ノ時、五葉ノ松ノ鉢植ヲモトメ秘藏セリ、歸國ノ節モ吾乘物ノ内へ入レテ持參シ、居間ノ椽へ置キ、朝夕ナガメテ樂メリ、然ルニ或朝坊主掃除ヲセシニ、此坊主未ダ十二三歲ナル子供ナレバ、箒ヲ持鎗ヲ遣フマ子ヲスル時、其松ノ枝ヲ折タリ、
p.0723 才覺のぢくすだれ
手廻しの賢き小供あり、我當番の日はいふに及ばず、人の番の日も、箒取々座敷掃きて、數多の小供が毎日使ひ捨てたる、反古の圓ろめたるを、一枚々々皺伸ばして、日毎に屛風屋に賣りて歸るもあり、
p.0723 廿一番 右 硫黃箒賣(○○○○)
晝なれやよはの月ともいかゞゆわうはゝきの塵も曇なき哉
我戀とゆわうはゝきのいつとなく離れぬ中とおもはましかば
p.0723 箒賣
棕櫚箒賣ナリ、三都トモニ古箒ト新箒ト易ル、古キ方ヨリ錢ヲソユル、古帚ハ解テ棕櫚繩及ビタ ワシ等ニ制シ賣ル、又江戸ニハ竹帚草帶ヲモ擔ヒ賣ル、京坂ニハ棕櫚帚ノ他ハ擔ヒ賣ルコト稀ナリ、竹帚ハ店ニ賣リ、草帚ハ酒造ノ他ハ用フルモ稀ナリ、
草箒賣
ハヽキト云草ヲ以テ造ル、江戸ニテ賣レ之コト、竹箒ト同ク荒物店以下並賣レ之、
京坂ハ荒物ニモ不レ賣レ之、况ヤ擔賣專ニ無レ之、彼地用レ之ハ釀酒戸、釀醬戸等ノミ、蓋酒醬トモニ製レ之家、各互戸故ニ、多クハ壘地ニハヽキヲ植テ用レ之、故ニ賈物無レ之、
竹帚賣
京坂ハ荒物店デ賣レ之ノミ、江戸ハ荒物店及ビ番太郎ニモ賣レ之、又簣ニ積テ荷ヒ賣巡ル、三都トモニ價大略三十六文許、
p.0724 諸工商人所付〈いろは分〉
は 京之分 はゝき(とりの) 四條河原町東へ入
は 大坂之分 はうきや 久太郎町一丁目 同竹ばうき 天神ばし北詰
ほ 京之分 はうきや〈わら〉 ゐのくま松ばら上ル丁
し 江戸之分 しゆろはゝき 本町通 同 〈通鹽町〉島田七兵衞 同 〈よこ山町二丁目〉いせや理兵衞 同 同五兵衞 同 しばゐ町 加兵衞
p.0724 棕櫚箒屋
通鹽町 島田七兵衛 横山二丁目倉前 いせや理兵衞 芝井町 加兵衞 横山町五兵衞
p.0724 御箒屋
〈すぢかい御門の外〉 山城屋權兵衞 〈よこ山丁三丁メ〉 島田七郎兵衞
p.0725 錢用帳
同日〈○天平寶字六年閏十二月六日〉下錢壹伯肆拾陸貫壹伯拾玖文〈○中略〉
四文箒竹(○○)二隻直
p.0725 人のいへにつぎ〴〵しき物 はゝきのあたらしき
p.0725 いみじくきたなき物 えせ板敷の箒
p.0725 箒
はゝきのしなはさま〴〵なれど、星の名にこそあやしけれ、酒掃は小學の始にして、王公よりしもつかた、庶人のこらに至るまで、入學ぶべき道とかや、ふせやにおふる名のうさになどよめるも、其名かよひて聞ゆるをや、猶初雪の朝、落花の夕こそ心づかひは有べけれ、君しらずばはねの名に、香箱などゝかざり合て、友まつやみぎりぞ興あなる、
はきちぎりちぎる友まつや月の宿
陋室雖レ磨有二那馨(ナンノカウバシコト)一 任他塵(サモアラバアレ)芥積二前庭一 椶欄一本天然帚 風伯煤除日月櫺
p.0725 さいはらひ
今俗さいはらひといひて、絹紙などをさきて、小竹にゆひつけ、塵をはらふ具とす、この名、神樂歌にみゆ、奈可止美乃古須水乎(ナカトミノコスケヲ)、佐紀波良比(サキハラヒ)、伊能利志古登波(イノリシコトハ)云々、これよりいふ名なり、中臣のまをす大祓の祝詞の中に、天津菅曾〈乎〉、本苅斷末苅切〈氐〉、八針〈爾〉取辟〈氐〉云々とありて、菅をさきて、祓の具とせられしものなるをまねびて、塵をはらふ具とはなしけるなるべし、
p.0725 塵拈(チリトリ)
p.0725 箕(チリトリ)〈出二于曲禮一〉
p.0725 七番 右 ちりとり とはれねばうちも拂はぬ床ゆゑになど塵とりの名のみ立らむ
p.0726 〓〈音般〉 箕〈音雞〉 俗云知里止里 〓 箕之舌
〓、箕屬、所二以推棄一之器也、〓字非レ从レ艸俗作レ搬非也、曲禮云、加二帚於箕上一、其箕舌曰レ〓、
p.0726 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徒ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一塵拈 十 松平主殿頭忠房
p.0726 唾壺 俗云塵壺
物原云、田恒始作二唾壺一、事物紀原云、西京雜記所レ謂廣川王發二魏〓王冢一、得二玉唾壺一者是也、蓋此物戰國時已有二其制一也、
三才圖會云、今大明制皆以二黃金一爲レ之、壺小口巨腹、蓋大如二腹盂一、圓形如レ缶、蓋僅掩レ口、下有レ盤、倶爲二龍紋一、按唾壺、此云塵壺也、今所レ用形狀不レ一、或隨レ有用レ之、拾二入果蓏之皮及座席之塵一、
p.0726 加茂初齋院幷野宮裝束
銀唾壺(○○○)一口、〈口徑八寸五分〉料銀小七十八兩、炭二斗、和炭一石五斗、油一合五勹、鐵半廷、長功五人、中功六人、短功七人、
p.0726 一御裝束
母屋簾卷上、〈○中略〉屛風前立二二階一脚一、上層置二唾壺、泔坏等一、
p.0726 朝餉
二間〈○中略〉御屛風内外案二御調度一、〈○中略〉唾壺、手拭筥、熨筥、
p.0726 一唾壺之事
銅器(○○)なり、古は唾をはく料也、尤直にはくべきにはあらず、客への馳走〈江〉もふけ置もの也、今は多 葉粉盆といふ物有、此飾おかず、
p.0727 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一塵壺 十 松平若狹守康信〈○中略〉
一塵壺 十 嶋津万壽丸
p.0727 塵壺(ぢんこ)
おほくて見ぐるしからぬは、文車のふみ、塵塚のちりとは侍れども、文車にはおほからで、塵づかにのみつもれるはいかゞせん、此器も一座のちりづかなればとて、山もりならんは本意ならじ、塵や芥は拂ふこそいみじけれ、とても拂はゞ、此つぼよりはらはまほしきもの社あめれ、
塵にまぶしあくたにふれるむねの月
平生座右可二隨身一 一箇器財適二主人一 可レ會可レ看老君道 漆和レ光矣匣同レ塵
p.0727 笊籠引下ゲ直段取調申上候書付
一紙屑籠 丸 〈三月直段廿四文之處五月書上二十文〉
寅八月 〈拾三番組下谷金杉上町 諸色掛〉
名主 三左衞門