p.0345 容飾具ハ專ラ男女ノ身邊ヲ裝飾スルニ用イル器物ヲ謂フ、卽チ容儀ヲ整フルニハ鏡アリ、頭髮ヲ理ムルニハ櫛、筓、鬘、鬠、油等アリ、顏面ヲ裝フニハ白粉、紅粉、面脂、口脂、化粧水等アリ、
鏡ハカヾミト云フ、容貌ヲ照見スル具ニシテ、銅ヲ鑄テ之ヲ造ル、或ハ鐵鏡アレドモ、多クハ照見ノ用ニアラズシテ、祭祀ニ供セシナラン、埴鏡ノ如キハ殊ニ然リトス、又銀鏡アリ、翫弄ノ具タルニ過ギズ、鏡ノ形ハ古來圓キ者多シ、又、八角、六稜、方形等アリテ、背ノ正中ニ蔕アリ、蔕ニ組緖ヲ施シ、以テ之ヲ懸クルノ用ニ供シ、又手ニ把ルニ便ニス、而シテ柄ヲ加ヘタルハ後世ノ製ナリ、其面ハ琢磨シテ物象ヲ映ゼシムルモノナレド、時ニハ神佛ノ像ヲ寫シ、文字ヲ刻ミタルモ有リ、其背ニハ花鳥、草木、其他種々ノ形ヲ刻シ、又螺鈿ヲ施シタルモアリ、而シテ鑄工ノ名ヲ勒シタルモノ多シ、抑〻鏡ハ容儀ヲ整フル外ニ、其觀ノ美ナルヲ以テ、御帳ノ柱ニモ常ニ之ヲ懸ケラレ、后宮大臣以下ノ帳ニモ亦必ズ鏡ヲ具シタリ、又梁ニ懸ケタルアリ、乘船ニ懸ケタルアリ、又之ヲ獻ズルニ樹枝ニ懸ケタル事モアリ、而シテ鏡ヲ以テ直ニ神體ト爲シ、或ハ神前ノ裝飾ト爲シタルハ神祇部ニ散見セリ又古ハ鏡ヲ磨クニ、酢漿草(カタバミ)ノ汁、又ハ柘榴ノ酢ヲ用イシガ、後世ニ至リテハ、梅酢ヲ以テ之ニ代ヘタリ、
櫛ノ名ハ、神代ヨリ見エタリ、男女トモニ髮ヲ理ムル具ニシテ、兼テ專ラ婦女子ノ首飾トナ
セリ、其材ハ木、竹、象牙、鼈甲、水牛等ヲ以テシ、或ハ金屬ヲ以テセルモアリ、其形狀ノ如キモ、大小厚薄一ナラズ、殊ニ其齒ハ所用ニ從ヒテ精麁ヲ異ニシ、其裝飾ノ如キハ世ト共ニ變遷シテ、或ハ螺鈿ヲ施セルモノアリ、或ハ蒔繪ヲ施セルモノアリ、或ハ又覆輪ヲ施シ、彫刻ヲ施セルモノモアリキ、
筓ハカミカキト云ヒ、後ニ轉ジテカウガイト云フ、髮搔ノ義ニシテ、髮ヲ理ムルニ用イル、後世其狀大ニ變ジテ、專ラ婦人ノ首飾トナレリ、又冠ノ筓ハ冠服部冠篇ニ刀劍ノ筓ハ兵事部刀劍篇ニ在リ、
簪ハ又筓ノ字ヲ用イ、並ニカンザシト云フ、髮刺ノ義ナリ、士人ノ簪ハ髻ニ插シテ冠ヲ留ムル具ニシテ、婦人ノ簪ハ、專ラ頭髮ノ飾ニ用イル、其華美ナルモノニ至リテハ金、銀、珠玉等ヲ以テ造レルモノアリ、花簪ハ古ノ插頭花(カザシ)ノ遺風ニテ、剪綵ヲ以テ製シタルモノナリ、釵子ハサイシト云フ、宮女ノ頭髻ヲ飾ルノ用ニ供スルモノナリ、
鑷子ハケヌキ、又ハハナゲヌキトイヒ、或ハケツシキトモイヘリ、額髮、眉、鼻毛等ヲ除クニ用イル、
鬘ハ字或ハ髮ニ作リ、カヅラト云ヒ、又淸ミテカツラトモ云ヘリ、他人ノ髮ヲ以テ己ノ髮ヲ飾ルナリ、後世髢(カモジ)ト唱フル者卽チ是ナリ、
假髻ハスエト云フ、鬘ノ一種ナリ、蔽髮ハヒタヒト云フ、鬘ヲ以テ額ヲ蔽ヒ、人ヲシテ面ヲ見ルコトヲ得ザラシムルナリ、
寶髻ハ金玉ヲ以テ、頭髻ヲ飾ルヲ云フ、内親王、女王、内命婦等、其品位ニ從ヒテ各〻差アリ、寶髻ヲ用イルヲ得ザルモノハ義髻ヲ用イル、共ニ禮服ヲ著スルトキニ限ル、又付髮アリ、兒童ノ總角ヲ結ブニ用イルモノナリ、
髱刺(ツトサシ)、鬢刺(ビンサシ)、髷止(ワゲトメ)ノ類ハ、共ニ婦女ノ理髮ニ用イル具ニシテ、近世ノ創作ニ係ル、
鬠ハモトユヒト云フ、又元結ノ字ヲ用イル、頭髮ヲ結束スルモノナリ、其種類甚ダ多シト雖モ、要スルニ貴人ハ多ク紫絲ヲ用イ、其他ハ專ラ紙捻ヲ用イタリ、
白粉ハ、シロキモノ、或ハオシロイト云フ、古來鉛粉ヲ用イテ顏面ヲ裝飾スル料トス、又、ハフニト稱シ、專ラ米粉ヲ用イルモノアリ、蓋シハフニハ、白粉ノ字音ナリ、
紅粉ハ舊ク䞓粉トモ書シテ之ヲベニト云フ、容飾又ハ染色ノ料ニ用イル、
古へ頭髮ヲシテ濡澤ナラシムルタメニ、綿ヲ油ニ浸シテ用イタリ、之ヲ澤トイヒ、アブラワタト訓ゼリ、後世五味子ヲ水ニ浸シテ其汁ヲ用イタリシガ、寬永ノ頃、蠟ヲ鎔解シテ松脂ヲ加へ、之ヲ鬢付ト名ヅケテ使用ス、其後伽羅ノ油ヲ製スルコトヲ知リシヨリ世間ニ流布シ、以テ一般ニ頭髮ヲ塗飾スルニ至レリ、
p.0347 鏡 孫愐、切韻云、鏡〈居命反、和名加加美、〉照二人面一者也、
p.0347 䤳〈音謝力ヽミ ミル ウツス カヾミル〉 〓〈音鋼 力ヾミ〉 鏡〈音竟 力ヾミ〉
p.0347 鏡カヾミ 其名義のごときは舊釋せし説も多けれど、唯其明かにして明かなるの謂と心得ば、大やうたがふべからず、〈火神を香具土といひ、又惡神香々背男といひしあり、香具、香々、語聲の轉ぜしにて、すべては火の貌と見えたり、凡物の光耀あるを、カヾヤクなどいふは、古言の遺れるなり、鏡をカヾミといふも此義と見べし、〉
p.0347 兼良曰、白銅訓云二眞澄一、蓋眞實澄淸之義也、鏡者正直之器、爲二神明之德一也、〈○註略〉正通曰、白銅(マスミノ)鏡眞心淸明之謂、〈ヌ曰正直則明也○下略〉
p.0347 鏡の名義は、炫見(カヾミ)なり、
p.0347 かゞみ 鏡をいふ、赫見(カヾミ)の義也、又影見也、又神と義通ず、
p.0347 鏡景也、言有二光景一也、
p.0348 鑑、謂二之鏡一、
p.0348 詠レ月
眞十鏡(マソカヾミ/○○○)、可照月乎(テルベキツキヲ)、白妙乃(シロタヘノ)、雲香隱流(クモカカクセル)、天津霧鴨(アマツキリカモ)、
p.0348 寄レ物陳レ思
祝部等之(ハフリラガ)、齋三諸乃(イハフミムロノ)、犬馬鏡(マソカヾミ)、懸而偲(カケテゾシノブ)、相人毎(アフヒトゴトニ)、
p.0348 垂乳根乃(タラチネノ)、母之形見跡(ハヽノカタミト)、吾持有(ワガモタル)、眞十見鏡爾(マソミカヾミニ/○○○○ )、〈○下略〉
p.0348 紀のつらゆき
行年のおしくもあるかなます鏡(○○○)みるかげさへにくれぬとおもへば〈○詞書略〉
p.0348 忌部遠祖太玉命、堀二天香山之五百箇眞坂樹一而上枝懸二八坂瓊之五百箇御統一、中枝懸二八咫鏡(ヤタノカヾミ)一、〈一云、眞經津鏡(マフツカヾミ)、〉
p.0348 鏡〈○中略〉
凡造レ鏡、唐金白目相和〈唐金乃鐵和二亞鉛一成、白目乃鉛和レ錫成也、〉鎔レ型爲レ鏡、而用二厚朴炭一、數磨レ之上以二梅醋少許一點レ之、鉛〈燒末〉汞〈各少許〉以二手指一頻摩レ之、卽鑒レ物鮮明也、如一面中爲レ界摩レ之、則見レ物亦有レ數、如其鏡面凸裏平直、則見レ影爲二異形一、〈○下略〉
p.0348 明鏡始下レ型、朦然未レ見二形容一、及下其粉以二玄錫一、摩以中自旃上、鬢眉微毫可二得而察一、
p.0348 御鏡一面〈方七寸〉料熟銅大四斤、白〓大一斤四兩、銀大十二兩、熬炭五斗、和炭五斗、伊豫砥靑砥鐵精二分、帛二尺五寸、綿四兩、調布二尺、油一合、長功廿二人、〈鑄工二人、磨十八人、夫二人、〉中功廿五人大半、〈工廿三人小半、夫二人小半、〉短功廿九人小半、〈工廿七人、夫二人小半、〉
p.0348 造鏡用度帳
東大寺 應レ鑄 御鏡四面〈各徑一尺 厚五分〉 合應レ用熟銅七十斤〈大〉 卌八斤見所レ用 廿二斤儲料
白〓六斤〈大〉 臈蜜一斤〈大〉 鐵精四兩〈大〉 鐵二廷〈堅〉 帛絁一丈 生施二尺 調綿二屯 調布一丈 砥二䂺 靑砥二村 胡麻油四合 荒炭十二斛 和炭六斛 石灰一斤〈大〉 笶廿根應二奉仕一雜工一十人
單功一百廿四人 鑄工五人〈單六十四人〉 八人鑄功 五十六人錯作功 細工一人〈單十五人〉轆轤工〈一人單二人〉 右二人樣功 鐵工一人〈單三人〉 共作夫二人〈單卌人〉 十二人自二奈良一京運土夫 二人轆轤工共作 三人鐵工共作 廿三人雜使
應レ給食料米二斛四斗八升、雜工幷夫一百廿四人料、〈人別二升〉
鹽四升九合六勺、雜工幷夫一百廿四人料、〈人別四勺〉 海藻十三斤十兩、雜工幷夫一百廿四人料、〈人別二兩〉 滑海藻十斤八兩、雜工八十四人料、〈人別二兩〉 醬八升四合 未醬八升四合 醬滓八升四合〈已上三種雜工八十四人料、人別一合、〉 酢四升二合、雜工八十四人料、〈人別五勺〉
蓆二枚 折薦四枚 箐二枚 圓坐六枚
以前依二去三月廿五日因八麻中村宣一、應二奉仕一御鏡用度如レ件、
天平寶字六年四月二日 主典正八位上安都宿禰雄足
p.0349 はゝ一尺の鏡をいさせて、えゐて參らせぬかはりにとて、僧をいだしたてゝ、初瀨にまうでさすなり、三日さぶらひて、此人のあべからんさま、夢にみせ玉へなどいひて、まうでさするなめり、
p.0349 鳥羽勝光明院供養 敦光朝臣
敬白、建二立瓦葺二階一間四面堂一宇一、奉レ安二置金色一丈六尺阿彌陀如來像一體一、
光中雕二刻大日如來像一體、十二光佛、廿五菩薩像一、鏡面書二寫梵字阿彌陀小呪一遍一、天蓋顯二飛天像 八體一、
p.0350 器物類
畫二寫鏡一法雌黃〈一錢〉粉霜磠砂〈各一分〉右細硏、以二膠水一調、任レ意於二鏡上一描二畫人物花草故事一、候レ乾火燒片時以磨レ鏡藥磨去、其畫自見、
p.0350 公守朝臣母身まかりて後、朝夕てなれける鏡に、梵字を書て供養し侍りける、
導師にまかりてまたのあした、後德大寺左大臣のもとに申つかはしける、
法印澄憲
見し人の影もなければます鏡むなしき事を今やしるらむ
p.0350 元曆元年正月九日己亥、傳聞、義仲與二平氏一和平事已一定、此事自二去年秋比一、連々謳歌有二樣々異説一、忽以一定了、去年月迫之比、義仲鑄二一尺之鏡一、面奉レ顯二八幡〈或説熊野〉御正體一、裏鑄二付起請文一、〈假名云々〉遣レ之、因レ玆和親云々、
p.0350 建長寺
圓鑑 壹面、厨子ニ入〈レ〉西來庵ニアリ、開山〈○大覺禪師〉所持ノ鏡ナリ、高サ三寸五分、横三寸アリ、鏡面ニ、觀音半身ノ像、手ニ團扇〈ヲ〉持、少シ俯シタル樣ニ見ユルナリ、頭ニ天冠ヲイタヾク、首尾、如意ノ如ニ見ユル物ノ端ニ、瓔珞ヲ垂ル、珠ヲ連ル絲ハナシ、下ニ巾ノ如クナル物ヲ著ス、眼裏ニハ睛ヲ不レ入、鏡後ニ、水中ニ三日月ノ影、逆ニ鑄付、其高サ半分バカリアリ、上ニ梅ノ枝ヲ鑄付タリ、是ヲ提ルヤウニ環ヲ付ケタリ、鏡ノ形如レ鼎、是ヲ圓鑑ト號スル事ハ、開山在世ノ時ヨリ、自ラ圓鑑ト額ヲ書、今ニ昭堂ニ掛サセ給ヲ以テナリ、其圖如レ左、〈○圖略〉
元亨釋書ニ、大覺禪師所持ノ鏡アリ、沒後其徒コレヲ收ム、或人夢ミラク、其鏡禪師ノ儀貌ヲ留ムト、徒ニ吿テ乞見レバ、髣髴トシテ、觀自在ノ像ニ似タリ、諸徒傳へ看テ異レ之、平帥〈平時宗〉コレヲ聞テ、 請テ府ニ入ル、其晻曖ヲ疑テ、工ニ命ジテ磨治セシム、初メ幽隱ナリ、一磨ヲ經テ、大悲像、鮮明嚴好ナリ、平帥悔謝シテ作禮ス、後ニ寧一山記作ルトアリ、
p.0351 合白銅鏡陸面 丈六分肆面 貳面〈一徑一尺五寸六分、一徑一尺五寸五分、幷裏海磯形、〉右、天平八年歲次丙子二月廿二、納賜平城宮皇后宮者、 壹面花形〈徑九寸八分、裏禽獸形、〉 右、天平八年歲次丙子二月廿二日、納無漏王者、 壹面〈徑九寸七分、裏禽獸形、〉 右、納圓方王者、 佛分壹面〈徑四寸八分、裏禽獸形、〉 塔分一面〈徑五寸八分、裏禽獸形、〉
p.0351 鏡いさせ侍りけるうらに、鶴のかたをいつけさせ侍て、 伊勢ちとせとも何かいのらむうらにすむたづのうへをぞ見るべかりける
p.0351 ますかゞみうらつたひするかさゝぎに心かろさの程をみるかな〈○詞書略〉
p.0351 鏡二 神異經云、昔有二夫婦一、將レ別破レ鏡、人執レ半以爲レ信、其妻忽與レ人通、其鏡化レ鵲、飛至二夫前一、其夫乃知レ之、後人因鑄レ鏡、爲レ鵲安二背上一也、
p.0351 かゞみかりてかへすとて、しきのしたにかきつく男、
曉のわかれををしのかゞみかもおもかげにのみ人のみゆらむ
p.0351 ひをのかへし
玉くしげかゞみのうらにすむ千鳥おぼつかなみにとぶ〳〵とゆく
p.0351 建長寺
圓鑑〈○中略〉後ニ、水中ニ三日月ノ影、逆ニ鑄付、其高サ半分バカリアリ、上ニ梅ノ枝ヲ鑄付タリ、
p.0351 鏡の裏面に、南天燭を鑄付ることは、其明かならむ理を象り表せり、南は離にして、離は麗なり、明なり、 卦象如レ此し、天は乾なり、明貴なり、 卦象如レ斯、美也明也、燭また火の用にして離なり、いづれも明に貴く、麗く、美しき象なり、よつて鏡の裏に鑄付けたり、
p.0352 鵲の鏡鶴の鏡
百年ばかりこなたの鏡に、南天燭を鑄付けたるもの多し、是を橘庵漫筆に、易の卦象にあてゝ辨じたるは、鑿説に似たり、さやうのむつかしき事にはあらず、南天を難轉と名詮して、難を轉ずる祝事なり、故に、嫁入の轎にも、なんてむの葉をいるゝなり、
p.0352 御鏡貳拾面〈○中略〉
圓鏡一面、重大六斤一兩、〈徑一尺二寸五分、染背金銀平脱緋絁帶染木匣緋綾嚫盛、〉
八角鏡一面、重大五斤一兩、〈徑一尺一寸、平螺鈿背緋絁帶染皮箱緋綾嚫盛、〉
p.0352 嘉保囗年寶臧實錄日記
第二櫃 鏡參拾參面〈○中略〉 九寸一面、裏螺鈿、入二黑漆筥一、
p.0352 妙義社〈○上駒込村〉社寶
鏡一面〈圓鏡、徑三寸六分ニ、和歌ヲ刻ス、 增鏡掛テゾ賴厶神風ノ吹起スベキ名ヲモ家ヲモ、三樂齋ト彫ル、サセル古物トモミエズ、〉
p.0352 鏡屋天下一號之事
鏡屋宗白ト云シ者ヲ村井長門守召連、手鏡ヲ以御禮申サセケルニ、信長公卽取上見給フテ、イト明白也、願ハ心ノ善惡ヲ見ン鏡モガナ、世中ノ癖トシテ、諸侯大夫寵臣等ガ、云爲ヲバ、善モ惡キモ、人皆イミジキヤウニ云ナシケレバ、却テ心ヲ闇ス事ハ、日月ニ彌增ケレドモ、行ノ惡キヲ諫ル事ハナシ、サリヌベカラン、諫臣ヲ求得ズンバ、政道ノ實理ハ聞ズナン成ヌベシト、思召入給フゾ有難キ、角テ鏡ノ裏ヲ御覽ズレバ、天下一ト銘(○○○○○)セシ也、公御氣色變リ、去春何レノ鏡屋ヤラン、捧ゲシニモ、裏ニ天下一ト銘ジツル、天下一ハ唯一人有テコソ、一號ニテ有ベケレ、二人有事ハ猥ナルニ非乎、是偏ニ、長門守ガ不明ヨリ起レリ、汝ガ不明ハ予ガ不明也トテ、事ノ外ニゾ痛ミ思召給ヒケル、 ○按ズルニ、德川幕府ノ時、工人ニ天下一ノ文字ヲ用イルヲ禁ゼシ事アリ、産業部工業總載篇ニ在リ、
p.0353 平務廉は號を竹庵といふ、村田春海の門人にして、めでたき歌人なりけり、手かくわざもこよなうすぐれてぞありける、その家に新の王莽が鏡をもたりけるは、いとめづらかなる物なりや、その記にいへらく、徑五寸五分、重百二十五錢、背作二八乳一、銘二四字一、曰長宜二子孫一、外輪作二八乳一、間列二鳥獸形一、流二雲邊一、素鼻、銘二二十八字一、其五不レ可レ識、按二博古圖一載二漢淸明鑑一、銘云、漢有二善銅一出二丹陽一、和以二銀錫一、淸且明、左レ龍右レ虎尚二三光一、朱爵玄武順二陰陽一、文略同、而此云、新有二善同一出二丹羊一、則爲二新莽之鑄一也明矣、莽之貨泉、儘有二銅器一難レ得、隷續獨載二新莽候鉦一、今此鑑之存二于我一、亦可レ珍也、善同卽善銅、周禮典銅作二典同一、丹羊卽丹陽、漢綏民校尉熊君碑文、歐陽作二歐羊一、古字假用、並可レ證也、と有にて知るべし、〈○下略〉
p.0353 享保十一年六月廿四日、參候、千金方ノ客忤門ニ、銅鏡鼻(○○○)ト云モノアリ、何物タルヲ知ラズ、本草類ヲ考ヘテモ不二分明一、モシ鏡ノ柄ナドノコトニヤト窺フ、〈○中略〉翌日則右ノ出處ノコラズ、御考ノ趣ヲ御見セナサル、
一鏡如二鐘樣一、鼻上有二大環一、〈瑯耶代醉卷廿三鏡〉 臺卽所二以架一レ鏡者、帶穿レ鼻以拱二持挈一倂及レ之、〈合璧事類卷五十三鏡部〉 右之趣ナレバ、究メテ柄ナキ唐ノ鏡ナド云、丸鏡ノ裏ニアルツマミ(○○○)ノコト也、コレ見ヨトテ、御家ニアル唐ノ鏡ヲ御見セナサル、類モナキ、古鏡ノ最見事ナルモノニテ、裏ニツマミナドアリ、帶ヲ穿テコレアリ、四方ニ富貴當寂ノ四字アリ、
p.0353 鏡渡〈在二郡北一〉
昔者檜隈廬入野宮御宇、武少廣國押楯天皇〈○宣化〉之世、遣二大伴狹手彦連一、鎭二任那之國一、兼救二百濟之國一奉レ命到來、至二於此村一、卽嫂二篠原村〈篠謂二志奴一〉弟日姫子(ヲトヒメコ)一成レ婚、〈日下部君等祖也〉容貌美麗、特絶二人間一、分別之日、取レ鏡與 レ婦、婦含レ悲啼渡二栗川一、所レ與之鏡緖絶沈レ川、因名二鏡渡一、
p.0354 踐祚大嘗祭儀
天皇卽位之年、〈○中略〉爲レ令レ繡二御帳帷幷御鏡緖等一、請二内豎幷左右近衞兵衞等一、奏二進於内裏一、
p.0354 合雜物貳拾捌種
鏡懸絲(○○)壹拾參條
p.0354 寄レ物陳レ思
紐鏡(ヒモカヾミ/○○)、能登香山(ノトカノヤマモ)、誰故(タガユエカ)、君來座在(キミキマセルニ)、紐不開寐(ヒモトカズネム)、
p.0354 丹比眞人笠麻呂下二筑紫國一時作歌
臣女乃(タヲヤメノ)、匣爾乗有(クシゲニノレル)、鏡成(カヾミナス)、見津乃濱邊爾(ミツノハマベニ)、狹丹頰相(サニツラフ)、紐解不離(ヒモトキサケズ)、吾妹兒爾(ワギモコニ)、戀乍居者(コヒツヽヲレバ)、〈○下略〉
p.0354 氷面鏡 ひもかゞみ
ひもかゞみは紐鏡にて、丸鏡もその外古鏡は、今の如く柄のなき故に、必ず裏に緖を付て取物故に、やがて紐鏡とは云ふ事にて、玉の緖と云ふが如くなるを、連歌の家にては、つらゝまたは氷の鏡を氷面鏡とするなり、是又轉訛の一説なり、
p.0354 一書曰、伊弉諾尊曰、吾欲レ生御宙之珍子一、乃以二左手一持二白銅鏡(マスミノ/○○○)一、則有二化出之神一、是謂二大日孁尊一、右手持二白銅(マスミノ)鏡一、則有二化出之神一、是謂二月弓尊一、
p.0354 大伴家持攀二橘花一贈二坂上大孃一歌
氣緖爾(イキノヲニ)、吾念妹爾(ワガオモフイモニ)、銅鏡(マソカヾミ)、淸月夜爾(キヨキツキヨニ)、直一眼(タヾヒトメ)、令覩麻而爾波(ミセムマデニハ)、〈○下略〉
p.0354 取二天金山之鐵(○)一而、求二鍛人天津麻羅一、而〈麻羅二字以レ音〉科二伊斯許理度賣命一令レ作レ鏡、〈○下略〉
p.0354 新宮造奉時行事幷用物事 次取二吉日一爲二正殿心柱造奉一、率二宇治大内人一人、諸内人等、戸人等一入レ杣、木本祭用物注レ左、其桂名號稱二忌柱一鐵人形四十口、鐵鏡(○○)四十面、鐵鉾四十柄、〈○下略〉
p.0355 採二正殿心柱一祭
鐵人像、鏡、鉾、各卌枚、
p.0355 かくてりんじのまつりになりぬ、つかひにはとのゝ權中將〈○藤原道長子敎通〉いで給、その日は、内の御ものいみなれば、とのもかんたちべも、まひ人の君たちもみなよひにこもり給て、うちわたりいまめかしげなるところ〴〵あり、とのゝうへ〈○道長妻倫子〉もおはしませば、御めのとの命ぶもおかしき御あそびに、めもつかでつかひのきみをひとへにまぼりたてまつり、かくてこのりんじのまつりの日、藤宰相〈○實成〉の御隨身ありし筥のふたを、このきみの隨身にさしとらせていにけり、ありしはこのふたにしろがねのかゞみ(○○○○○○○○)いれて、沈のくし、白がねのかうがいをいれて、つかひのきみのびんかき給べき具とおぼしくてしたり、このはこのうちに、でいにて蘆手をかきたるはありしかへしなるべし、
日かげぐさかゞやくほどやまがひけんますみのかゞみくもらぬものを
p.0355 しどき 蝦夷の女は頸に銀鏡(○○)をかけて飾りとす、是をしどきと名づく、
p.0355 天平神護二年七月己卯、〈○中略〉散位從七位上昆解宮成、得下似二白鑞一者上、以獻言曰、是丹波國天田郡華浪山所レ出也、和二鑄諸器一、不レ弱二唐錫一、因呈下以二眞白鑞一所レ鑄之鏡(○○○○○○○)上、其後授以二外從五位下一、復興レ役採之、單功數百、得二十餘斤一、或曰、是似レ鉛非レ鉛、未レ知レ所レ名、時召二諸鋳工一、與二宮成一雜而錬之、宮成途窮、無レ所レ施レ姦、然以三其似二白鑞一因爭不二肯伏一、
p.0355 後二條院かくれさせ給ての比、彼水精の御かゞみ(○○○○○○○)をつかはされて侍けるを、七日光明、眞言の法を行て返しわたし奉るとて、 前大僧正禪助 よのつねの光ならねばます鏡そこまですめるさとりをぞしる
p.0356 かゞみ 紅毛の硝子鏡(ビイドロカヾミ/○○○)はさびずとぞ
p.0356 柄鏡
唐物硝子鏡、〈たて二寸七分よこ一寸七分〉全質瑇瑁細工、かゞみ稍子繪やう彫あげ、圖の如く〈○圖略〉轉柱をあぐれば、内にびいどろかゞみあり、按に、今市中にてひさぐびいどうかゞみは、かゝる唐物を摸し作りはじめたるならむ、是も五六十年以來の新製にて、今は下輩萬家の重寶たり、
p.0356 蜷川氏減山城國宇治郡堀レ地所レ得埴鏡(○○)圖、〈○圖略〉
p.0356 御鏡貳拾面〈○中略〉
圓鏡(○○)一面、重大卌三斤八兩、〈徑一尺五寸八分、鳥花背緋絁帶八角榲匣盛、〉
p.0356 奉レ送二多武峯聖靈院御裝束幷靈物等一事〈○中略〉
庇御鏡五面〈圓形〉
p.0356 合鏡壹阡貳百漆拾伍面、〈佛物一千二百七十面之中、花鏡二百五十九面、圓鏡二百八十四面、方鏡(○○)六面、鐵鏡七十一面、雜小鏡六百五十面、菩薩物二面、並圓鏡、通物三面、〉
p.0356 御鏡一面〈方七寸〉
p.0356 高祖初入二咸陽宮一、周二行庫府一、金玉珍寶不レ可二稱言一、〈○中略〉有二方鏡一、廣四尺、高五尺九寸、表裏有レ明、人直來照レ之、影則倒見、以レ手捫レ心而來、則見二腸胃五臟一、歷然無レ硋、人有二疾病在一レ内、則掩レ心而照レ之、則知二病之所在一、又女子有二邪心一、則膽張心動、秦始皇常以照二宮人一、膽張心動者則殺レ之、高祖悉封閉以待二頂羽一、羽倂將以東、後不レ知二所在一、
p.0356 御鏡貳拾面
八角鏡(○○○)一面、重大卌八斤八兩、〈徑二尺一寸七分、鳥獸花背緋絁帶八角榲匣盛、〉
p.0357 奉レ送二多武峯聖靈院御裝束幷靈物等一事
母屋御鏡九面〈八花形〉
p.0357 おほいぬまるおとこ、いできゝ給ふや、うたひとつつくりて侍りといふめれば、よつぎいとかんある事なりとて、うけ給はらんといふ、しげきいとやさしげにいひいづ、
あきらけきかゞみにあへば過にしもいまゆくすゑのことも見えけり、といふめれば、よつぎいたくかむじて、あまたゝび誦して、うめきて返し、
すべらきのあともつぎ〳〵かくれなくあらたに見ゆるふるかゞみかも
今やうのあふひやつはながたのかゞみ(○○○○○○○○○○○○○)、らてんのはこにいれたるに、むかひたる心ちし給ふや、いでやそれはさきらめけど、くもりやすきところあるや、いかにいにしへのこだいのかゞみは、かねしろくて人手ふれねど、かくぞあかきなど、したりがほにわらふかほつき、ゑにかゝまほしく見ゆ、
p.0357 平泉寺御見物の事
此僧は讃岐の阿闍梨と申候が、北陸道にかゝり、越後に下り候、御内の勸進はいかやうに候べきと申ければ、富樫よくこそ御出候へとて、加賀の上品五十疋、女房のかたより、罪障懺悔のためにとて、白袴一こし、八はながたにいたる鏡、さては家の子、郎等、女房たち、下女に至るまで、思ひ〳〵に勸進に入る、
p.0357 飛燕〈○中略〉始加二大號一、婕好奏二書於后一曰、天地交暢貴人姊及二此令吉光、登正位一、爲二先人休一、不レ堪二喜豫一、謹奏二上二十六物一以賀、〈○中略〉七出菱花鏡一匲、〈○下略〉
p.0357 五十二年九月朔丙子、久氐〈○百濟使〉等從二千熊長彦一詣之、則獻二七枝刀(ナヽツサヤノタチ)一口七子鏡(ナヽツコノ /○○○)一面、及種々重寶一、
p.0358 梁簡文帝望レ月詩曰、流輝入二畫堂一、初照上二梅梁一、形同二七子鏡一、影類二九秋霜一、桂花那不レ落、團扇與レ誰裝、空聞二北牖彈一、未レ擧西園腸、
p.0358 齊衡二年二月癸亥、備中國言、吉備津彦名明〈○名明恐一衍〉神庫内、鈴鏡(○○)一夜三鳴、
p.0358 貞觀九年四月二日辛未、遣下神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道、向二近江國伊福伎神社一奉中弓箭鈴鏡上、
p.0358 柄鏡(○○)
柄のつきたる鏡を、唐土にては柄鏡といひて、いと古くよりありし物な軋〈○中略〉中昔〈七八百年前〉の比及にいたりては、佛法盛なりしゆゑ、佛にも鏡を供養する事となりて、それには大かた柄鏡を新に鑄て奉納する事とみえたり、〈○中略〉案に、神佛へたてまつるに柄を作るは、建おくに便利ためなんめり、〈○中略〉此圖〈○御飾記〉にても柄鏡は、衣冠を正す物なるよしぞしらるゝ、且又和漢とも、古き柄鏡にはおほかた柄に孔あるも、座右に掛おくためなるべし、〈○中略〉
今のごとく鏡はかならず柄ある物となりし時代を考るに、おのれが藏する寬永の間の畫に、浴後の美少年、湯女とみゆるに髮をゆはせながら、柄鏡を採りて顏を視るさまの圖あり、又正德二年の和漢三才圖會の鏡の所の圖に、圓鏡と柄あるかゞみと二ツならべて畫けり、又元文三年〈正德二年より二十七年のち〉西川祐信が筆の繪本貞操草に、島田にゆひたる娘、圓鏡と柄鏡にてあはせかがみする圖あり、これを參考するに、今のごとく鏡といへば柄ある物になりしは、僅に百年以來の事なるべし〈○下略〉
p.0358 鏡二 李氏錄曰、舞鏡有レ柄、漢武帝時舞人所レ執鏡也、
p.0358 銅雀臺ト云カヾミ有、胡銅ノカヾミノヲモテニ色々五色ナル、ルリノヤウナル物ニ、エツキテクモリタリ(○○○○○○○○○)、其内ニイサヽカミガキテ、物ノカゲノウツルカヾミアリ、重寶也、マレ ナル物ナリ、
p.0359 享保十一年六月廿四日、參候、千金方ノ客忤門ニ銅鏡鼻卜云モノアリ、何物タルヲ知ラズ、本草類ヲ考ヘテモ不二分明一、モシ鏡ノ柄ナドノコトニヤト窺フ、仰ニ、鏡ノ柄アルハ手鏡(○○)ト云、柄ノコトニハアルベカラズト仰ラル、
p.0359 柄鏡
下野國都賀郡西見野村長光寺の境内に山あり、里人長光山といふ、山の麓に澤あり、菊が澤といふ、明和四年丁亥正月廿八日、長光山の裾霖雨の爲に崩れ、かの菊が澤より堀出したるもの、銅の塔〈高さ七寸〉内に觀世音を安置す、柄鏡一面、〈○中略〉さて、件の柄鏡の陰に、不二行者授翁とあるは、すなはち藤房卿なり、世を遁れ玉ひて、此地に隱れおはせし事は、日蔭草といふ草子に見えたり、〈○圖略〉
p.0359 柄鏡
古き柄つきのかゞみは、みなちひさし、これをば髩鏡(○○)といひ、〈○中略〉佐夜中山集〈寬文四年板俳書〉若き時持ものとてやびんかゞみ、附句伽羅の油もかくし女房、
p.0359 判官よし野山に入給ふ事
判官〈○中略〉しづかを召て仰せけるは、〈○中略〉たゞ都へ上り給へと仰せられけれ共、御ひざの上にかほをあて、聲を立てぞなきふしける、侍共も是を見て、皆袂をぞぬらしける、判官びんのかゞみ(○○○○○○)を 取出して、是こそ朝夕にかほをうつしつれ、見ん度に、義經をみると思ひてみたまへとてたびにけり、是給りて今なき人の樣に、むねにあてゝぞこがれける、泪の隙よりかくぞ詠じける、
見るとても嬉しくもなしますかゞみこひしき人の影をとめねば〈○下略〉
p.0360 由良之助、釣燈籠の灯を照し、讀む長文は御臺より、敵の樣子細々と、女の文の跡や先、〈○中略〉おかるは上より見おろせど、夜眼遠眼(よめとをめ)なり字性もおぼろ、思ひ付たる延べ鏡(○○○)、出して冩して讀取文章、〈○下略〉
p.0360 柄鏡
本朝のむかしは、貴賤とも髮は垂しゆゑ、合せ鏡(○○○)する事はなかりしならん、西土は太古より髮を取あげゆひて、其狀の名さへあまたあれば、合せかゞみもしつらん、
p.0360 懷中鏡(○○○)
今ある古鏡の小なるは、むかしの懷中鏡なるべし、しかおもふよしは、むかしのよしある女は、今のごとく、ものまうでのさきにても、かほつくる事、古書に散見されば、懷にかゞみもちつらん、和泉式部集〈下の卷〉人のおきたりけるかゞみのはこをかへしやるとて、かげだにもとまらざりけります鏡はこのかぎりはいふかひもなし、これは男のおきわすれたるかゞみをかへす歌なり、わすれしとあれば懷中鏡なるべし、男もくわいちゆうかゞみもてば、女はさら也、又枕のさうし〈季吟本卷二〉きよげなる人の、よるは風のさはぎにねさめつれば、ひさしうねおきたるまゝに、かゞみうちみて、これは大内の女房宿直の時のさまなれば、手近く鏡臺などあるべきやうなし、枕のもとにおきし懷中鏡にやありけんかし、後の物にみえたる中に、玉海〈○註略〉建久二年六月の條に、鼻紙の間に鏡をいれて持事みえたり、これらを徵とすれば、古き小鏡は懷中鏡なるべし、
p.0360 こゝろときめきするもの からのかゞみ(○○○○○○)のすこしくらきみたる
p.0361 白河院の御時、あらざる外の事によりて、御きそく心よからず侍ける時、唐鏡を北野の宮へ奉るとて、かゞみの裏に書つけたる、 左京大夫顯輔
身をつみて照しおさめよますかゞみ誰が僞もくもりあらすな
p.0361 たちばなのゆらゐの事
二十一のきみ女しやうながら、さいかく人にすぐれしかば、かやうのことをおもひいだしけるにや、げにもけいかうのみかど、たちばなをねがひ、たんじやうありし事、いくほどなくてわか君いできたり、よりともの御あとをつぎ、四かいをおさめたてまつる、さればこのゆめをいひおどして、かいとらばやとおもひければ、このゆめかへす〴〵おそろしきゆめなり、よきゆめをみては、三とせかたらず、あしきゆめをみては、七日のうちにかたりぬれば、おほきなるつゝしみあり、いかゞし給ふべきとぞおどしける、十九のきみはいつはりとは思ひもよらで、さてはいかゞせん、よきにはからひてたびてんやと大きにおそれけり、〈○中略〉さらばうりかふといへばのがるゝなり、うり給へといふ、かうものゝありてこそうられ候へ、めにもみえず、手にもとられぬゆめのあと、うつゝにたれかかうべしと、思ひわづらふいろみえぬ、〈○中略〉二十一のきみなににてかかひたてまつらん、もとよりしよまうのものなればとて、ほうでうのいへにつたはる、からのかゞみ(○○○○○○)をとりいだし、又からあやのこそで一かさねそへわたされける、十九のきみなのめならずよろこびて、わがかたにかへり、日ごろのしよまうかなひぬ、かゞみのぬしになりぬと、よろこびけるぞおろかなる、この二十一のきみをば、ちゝことにふびむにおもひければ、このかゞみをゆづりけるとかや、
p.0361 遷二却祟神一祭〈○中略〉 見明物(ミアカスモノ)〈止〉鏡、翫物〈止〉玉、射放(イハナツ)物〈止〉弓矢、打斷物〈止〉大刀、馳出物〈止〉御馬、〈○下略〉
p.0362 先起稱二屬星名號一七遍、〈○註略〉次取レ鏡見レ面、次見レ曆知二日吉凶一、次取二楊枝一、向レ西洗レ手、
p.0362 鏡五 漢李尤鏡銘曰、鑄銅爲レ鑑、整二飾容顏一、修二爾法服一、正二爾衣冠一、
p.0362 朱梁時趙凝氣貌甚偉、毎レ整二衣冠一、使三人持二巨鑑一前後照レ之、烏巾上微有レ塵、卽令下侍妓持二紅巾一拂中拭之上、
p.0362 ありがたきもの
いときよげなる硯ひきよせて文かき、もしは鏡こひて、びんなどかきなをしたるも、すべてをかし、
p.0362 藏人俊經ふたあゐのうつくしきとりて、ひろげしくをみれば、むらさきのふせんれうに、あをきざうがんをつけて、伊勢海と云さいばらを、あし手にぬひたり、かゞみの水(○○○○○)かねのすなごしたるすはまを、すへみち、さだあきらとりて、うちしきのうへにふす、〈○中略〉かずさしの物は、うちのおまへとおぼしくて、たけのだいよりぬきいでたるをかずにはしたり、かゞみの水、沈の石たてゝ、さま〴〵のくさをしたくさにて、色々のさいでしてつくりたるも、ことさらとみなせばおかし、〈○中略〉左がたかちわざと覺しくて、沈したんのかひずり、かゞみのみづやりなどしたるわりご共參らせたり、
p.0362 菊のおり物の御几帳ども、おしいでわたして、おはしますほどこそいださね、すこしさしのきて、よきほどにおしいでたる、きぬのすそ、袖口いとめもおどろきてみゆ、菊の折枝、桂のもみぢ、鏡の水などをしたるが、うすものよりすきたるうちめに、かゞやきあひたるほかげいみじうおかし、くれなゐのうちたるをながへにて、桂のかたにゑりて、靑きを下にかさねて、かう染の御ありさま、えもいはず、めでたく見えさせ給、
p.0363 建久二年六月廿五日壬寅、〈○中略〉先レ是著二裝束一、〈(中略)帖紙付レ鏡〉
p.0363 元正預前裝二飾大極殿一、鳳形九隻、順鏡廿五面、〈○中略〉與二内匠、主殿、掃部等寮一、共依レ例裝束、
p.0363 もやひさしのてうどたつる事
御帳のまくらのなかのはしらの左右に、〈○中略〉御あとのなかのはしらの左右に、又ひぢがねをうちて、おほきなるかゞみを左右にかけたり、其ていきやうだいのかゞみなり、物のぐかくるやう又おなじことなり、
p.0363 立二調度一例
永久五年七月二日、關白右大臣殿移二御鴨居殿一、〈○中略〉四面〈ニ〉面額〈ヲ〉引廻、〈斗張定〉東西南面有レ渡二鴨柄懸角幷鏡等一、如レ常被レ用之、
保延六年十一月四日甲辰、土御門内裏移御、〈土御門烏丸南面〉夜御殿幷晝御帳帷、鏡懸角、雜事等如レ常、
但鏡徑八寸許、〈事外ニ小也、不レ可レ例歟、〉本一尺二寸也、
p.0363 四十年十月戊午、爰日本武尊、則從二上總一、轉入二陸奧國一、時大鏡懸二於王船一、從二海路一廻二於葦浦一、横渡二玉浦一、至二蝦夷境一、
p.0363 八年正月壬午、幸二筑紫一、時岡縣主祖、熊鍔、聞二天皇車駕一、豫拔二取百枝賢木一、以立二九尋船之舳一、而上枝掛二白銅鏡一、中枝掛二十握劒一、下枝掛二八尺瓊一、參二迎于周芳沙磨之浦一而、獻二魚鹽地一、
p.0363 かくて長元四年九月廿五日、女院、住吉、石淸水にまうでさせ給、〈○中略〉賀茂河尻といふ所にて、御船にたてまつる、船は丹波守章任が、つかうまつらせたりける、唐やかたの船に、こまがたをたてゝ、鏡沈紫壇などを、さま〴〵おかしきさまにつくしたり、
p.0363 一書曰、於レ是日神方開二磐戸一而出焉、是時、以レ鏡入二其石窟一者、觸レ戸小瑕、其瑕於レ今猶存、此卽伊勢崇秘之大神也、
p.0364 於レ是從二思兼神議一、令三石凝姥神鑄二日像之鏡一、初度所レ鑄少不レ合レ意、〈是紀伊國日前神也〉次度所レ鑄其狀美麗、〈是伊勢太神也〉
p.0364 壽永二年八月廿一日、武士亂二入大原野一、打二開神殿一、取二御體鏡四枚幷神寶等一、稻荷社奉レ取二御正體一辨レ之、
p.0364 稻荷の中社の歌
いなり山三つ杉中にます鏡我ことだてゝ賴むかひあれ
p.0364 慶雲元年十一月庚寅、遣二從五位上忌部宿禰子首一供二幣帛、鳳凰鏡、窠子錦于伊勢太神宮一、
p.0364 太神宮裝束
鏡二面〈各徑九寸〉
p.0364 出座料御裝束
御鏡貳面〈徑各九寸、付二組紐一、〉
p.0364 荒祭宮正殿裝束
鏡一面〈徑三寸、納二緋囊一、〉
p.0364 荒祭宮料
鏡一面〈徑二寸、納二緋袋一、〉
p.0364 月讀宮遷奉裝束
鏡九面〈徑各二寸、西一殿二面、西二殿四面、東一殿三面、〉
p.0364 月夜見宮正殿肆宇
御裝束拾參種 鏡九面〈徑各二寸、各納二緋袋一、〉
p.0365 山口神祭
鐵人像、鏡、鉾各卌枚、
p.0365 東宮八十島祭
鏡卌面〈二面、徑五寸、卅八面、徑一寸、〉
p.0365 御賀茂詣事〈中申日〉
御賀茂詣定事 恒例大事也、被レ始二神寶一、上達部殿上人家司職事、被二參仕一之、
神寶事〈○中略〉 一尺御鏡三面、〈付レ緖入レ帷〉納二平文置口筥三合一、〈同折立〉
p.0365 五日〈○承平五年二月〉ながめつゞくる間に、ゆくりなく風ふきて、こげども〳〵しりへしぞきにしそきて、ほと〳〵しくうちはめつべし、揖取のいはく、この住吉の明神は、れいの神ぞかし、ほしきものぞおはすらむ、今はいまめくものか、さてぬさを奉り給へといふ、いふに隨ひて幣たいまつる、かくたいまつれゝど、もはら風止までいや吹に、いや立に、風浪の危ふければ、揖取またいはく、幣には御心のいかねば、みふねもゆかぬなり、なをうれしと思ひたぶべきもの、たいまつりたべといふ、またいふにしたがひて、いかゞはせむとて、まなこもこそふたつあれ、たゞひとつある鏡をたいまつるとて、海に打はめつれば、いと口おし、さればうちつけに海は鏡のごとなりぬれば、ある人のよめる歌、
千早振神の心のあるゝ海に鏡をいれてかつみつる哉
いたく住の江の忘草、岸の姫松などいふかみにはあらずかし、めもうつら〳〵、鏡に神のこゝろをこそ見つれ、揖取の心はかみの心なりけり、
p.0365 國造奏神壽詞 鏡一面〈徑七寸七分○中略〉右國造、〈○中略〉入朝、卽於二京外便處一、修二飾獻物一、神祇官長自監視、預卜二吉日一申レ官奏聞、〈○下略〉
p.0366 出雲國造神賀詞
御表知坐麻蘇比乃大御鏡〈乃〉面〈乎〉、意志波留志〈天〉見行事〈能〉己登久、〈○下略〉
p.0366 大嘗會事
辰日裝束、〈○註略〉兩國豐樂殿東西第三間構二擅〈○註略〉其上一、立二御帳一卷二三面一、帷〈○註略〉前後懸二犀角鏡等一、
p.0366 嘉應元年九月九日壬戌、中納言被レ行二軒廊御卜一、是去月十七日感神院寶殿御帳懸鏡廿一面落事、官外記勘二申先例一事也、
○按ズルニ、感神院神殿破鏡ノ事ハ、神祇部八阪神社篇ニ在リ、參照スベシ、
p.0366 三年六月戊戌日、〈○中略〉或記云、同比、天皇於二大官大寺内一、起二九重塔一、施二入七寶一、又於二同寺内一度二五百人一、追二感天智天皇御願一、欲レ造二丈六佛像一、招二求良工一、未レ得二其人一、天皇合掌、向レ佛發願、曰冀遇二工匠一、奉レ刻二尊容一、其夜有二一沙彌一、謂二天皇一言、往年造二此像一者是化身也、非レ可二重來一、雖レ得二良匠一、猶有二斷斧之躓一、雖レ云二畫工一、豈无二丹靑之訛一、宜下以二大鏡一懸二於佛前一、拜中其映像上、像則非レ圖非レ造、三身具足見二其形一者、應身之體也、窺二其影一者、化身之相也、觀二其空一者法身之理也、功德勝利無レ過レ斯焉、天皇夢覺而歡喜、知二如來之應一レ願、卽以二大鏡一懸二於佛前一、請二五百僧一大設二供養一、〈已上〉
p.0366 造佛所作物帳斷簡
裏着鏡一面、〈徑四寸半、厚三分、〉料白銅一斤四兩、〈四兩白〓、一斤銅、〉
鏡位花形十六枚、〈各長四寸、廣二寸半、〉料銅五兩二分三銖、 塗練金小一兩 水銀小六兩
右件經藏料用練金小十七兩二分四銖 金薄二百卅三枚 銀薄十四枚 鏡七面
p.0366 首楞嚴院 嘉應元年四月廿七日、佛具堂莊嚴具等被レ調焉、
一鏡〈正面十枚三尊各五枚護法前〉
p.0367 嘉保年寶藏實錄日記
第二韓櫃 鏡參拾參面 九寸圓花形一面 七寸花形一面 件鏡一面、治曆二年八月四日、下二用中尊御天蓋料一、
第三韓櫃 白銅窪鏡拾帖 前帳云、八十一口者、治曆二年八月十九日、講堂不空羂索御閼伽陸口料、下用殘七十五口者、 寬治六年帳云、今撿同レ前、
p.0367 山城 中嶋鏡〈和泉守ト云フ〉 幡摩 小鹽鏡(ヲシホカヾミ)
p.0367 一書曰〈○中略〉及レ至三日神當二新嘗之時一、素盞鳴尊則於二新宮御席之下一、陰自送レ糞、日神不レ知、徑坐二席上一、由レ是日神擧レ體不平、故以恚恨、廼居二于天石窟一、閉二其磐戸一、于レ時諸神憂之、乃使二鏡作部遠祖天糠戸者造一レ鏡、
p.0367 是以隨レ白之、科二詔日子番能邇邇藝命一、此豐葦原水穗國者汝將レ知國言依賜、故隨レ命以可二天降一、〈○中略〉爾天兒屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命、幷五伴緖矣支加而天降也、〈○中略〉伊斯許理度賣命者、〈鏡作連等之祖〉
p.0367 至二于磯城瑞垣朝一、漸畏二神威一、同レ殿不レ安、故更令下齋部氏率二石凝姥神裔、天目一箇神裔二氏一、更鑄レ鏡造上レ劒、以爲二讃身御璽一、是今踐祚之日、所レ獻神璽鏡劒也、
p.0367 明曆元年十二月十五日、鏡師藤原重次、任二石見掾一、右職事昭房、
萬治元年四月廿七日、鏡師秦信勝、任二長門掾一、右職事昭房、
p.0367 鏡師
佛神の御正體、鏡を以て是を崇む、鏡師、一條松下町、靑盛重、畠山辻子、上綱新町御池上〈ル〉丁、中嶋和 泉、室町二條上〈ル〉丁、人見佐渡、五條橋之西、松村因幡、其外所々にあり、〈○下略〉
p.0368 諸職諸商買之部
鏡師 寺町夷川上 靑造酒之助 六角堂前 鍵屋儀兵衞
p.0368 諸職名匠
鏡師 松〈ノ〉下一條下〈ル〉町 〈御用〉靑盛重 五條通麩屋町東〈へ〉入町 加賀田河内 六角堂柳馬場東〈江〉入町 人見和泉掾 蛸藥師烏九西〈江〉入町 河上山城掾 四條通御旅町 稻村文右衞門 油小路丸太町角 富多照輝 二條高倉東〈江〉入町 植村長吉
p.0368 諸職名匠諸商人
鏡師 神田乘物町 中嶋伊勢守 尾張町一丁目 中嶋伊勢守 南鍋町 山本加賀守 尾張町一丁目横 山隆近江守
p.0368 鏡磨には、すゞかねのしやりといふに、水銀を合せて、砥の粉をまじへ、梅酢にてとぐなり、
p.0368 むかしの鏡磨
のちみよ草〈寫本全五卷、正德二年壬辰の霜月筆を石花菴の窻下に拭ふと序文にあり、〉 〈卷二〉母のはなしに、我がをさなかりし寬永の頃は、かゞみはざくろの汁にてとぎしに、そのゝちは梅の酢にて年中みがく、これも世のかしこくなりし一ツなりといはれしとあり、つら〳〵おもふに、昌平の國澤につれて、女も假粧をたしなみ、鏡も世に多くなりしゆゑ、鏡磨も心つきて、ざくろを梅酢になしたるなるべし、
p.0368 鏡草 民部卿爲家
かたばみのそばにおひたるかゞみ草露さへ月に影みがきつゝ
p.0368 かゞみとぎ
p.0369 鏡磨
鏡磨 しろみの御かがみはとぎにくく侍 露ふかきかたばみ草をたもとにてしぼりかくればおもかげもみず
p.0370 卅三番 右 鏡磨
水かねやざくろのすます影なれや鏡とみゆる月のおもては
p.0370 謂被レ謂物之由來
一いづれもおなじ事なるを、つねにたくをば風呂といひ、たてあけの戸なきを、柘榴風呂とはなんぞいふや、かゞみゐる、いるとのこゝろ也、
p.0370 姉何第四
じやくろなりけりいのちなりけり
かゞみとぎさ夜の中山けふこえて
p.0370 秋は柘榴の實を好む人 月ほどな鏡のくもりとぎはらひ 重賴
p.0370 〓、匲、〈同力鹽反、鏡波古、〉
p.0370 ある人の鏡の筥に
朝日さすかゞみの山はくもらねど峯の朝霧たえずもあらなむ
p.0370 光烈陰皇后、諱麗華、〈○中略〉七年〈○永平〉崩、〈○中略〉明帝性孝愛、追慕無レ已、〈○中略〉從レ席前伏二御牀一、視二太后鏡匲中物一〈匲、鏡匣也、音廉、〉感動悲涕、令レ易二脂澤裝具一、左右皆泣、莫二能仰視一焉、
p.0370 もやひさしのてうどたつる事
その二かゐのみなみに、〈○中略〉それにならべて、みなみにかゞみのはこ、やつはながたなるが、おほきなるををく〈かゞみ、まもり、ひれ、あせたなごひいれたり、〉だいあり、そのていからくしげにおなじ、かゞみをとりいだしてかくれば、はこはふたして、もとの所にをくべし、
p.0370 太神宮裝束 鏡二面、〈各徑九寸〉盛二轆轤筥一、以レ錦黏レ表、以二緋帛一黏レ裏、〈○下略〉
p.0371 出坐料御裝束〈○中略〉 御鏡二面、〈徑各九寸、付二組緖一、〉納二轆轤筥一、〈黑漆平文、在二錦折立一、〉
p.0371 鏡筥〈鏡臺鏡納料〉
鏡臺鏡并〓入帷枕緒等納𧚣
径一尺一寸八花前
八花崎 臺弘一尺四寸 在面佐倍
髙七寸
鷺足
几深三寸五分内盖〓九分
料木三寸半板七尺五寸
木道單功八十疋喰料
蒔繪金廿七兩一分
漆一升一合
磨料六百疋
裏塗三疋
口白〓一斤九兩
置料廿五疋
螺鈿料千二百九十疋
同堀入料百疋
堺料七十疋
入玉料百廿疋
但雖レ爲二庇具一、用時ハ北庇之二階南邊立之、長承三年四月十九日戊戊、皇后(泰子)宮立后ニ被レ用之、前太政大臣姫君院女御、長元十年三月一日、高陽院四條宮立后例云々、
p.0371 とをき國にまかりける人に、たびのぐつかはしける、かゞみのはこ(○○○○○○)のうらにかきつけてつかはしける、 おほくぼののりよし 身をわくる事のかたさにます鏡影ばかりをぞ君にそへつる
p.0372 參河守大江定基送來讀二和歌一語第四十八
今昔、大江定基朝臣、參河守ニテ有ケル時、世中辛クシテ、露食物无カリケル比、五月ノ霖雨シケル程、女ノ鏡ヲ賣リニ、定基朝臣ガ家ニ來タリケレバ、取入レテ見ルニ、五寸許ナル押覆ヒナル、張筥ノ沃懸地ニ黃ニ蒔ルヲ、陸奧紙ノ馥キニ裹テ有リ、開テ見レバ、鏡ノ筥ノ内ニ、薄樣ヲ引破テ、可咲氣ナル手ヲ以テ此ク書タリ、
ケフマデ〈○マデ、十訓抄作二ノミ一、〉トミルニ涙ノマスカヾミナレヌル〈○ヌル、十訓抄作二ニシ一、〉カゲヲ人ニカタルナト、定基朝臣此レヲ見テ、道心ヲ發タル比ニテ、極ク泣テ、米十石ヲ車ニ入レテ、鏡ヲバ賣ル人ニ返シ取セテ、車ヲ女ニ副ヘテゾ遣ケル、歌ノ返シヲ鏡ノ筥ニ入レテゾ遣タリケレドモ、其ノ返歌ヲバ不二語ラ一、其ノ車ニ副ヘテ遣タリケル雜色ノ、返テ語ケルハ、五條油ノ小路邊ニ、荒タル檜皮屋ノ内ニナム、下シ置ツルトゾ云ケル、誰ガ家トハ不レ云ヌナルベシトナム語リ博ヘタルトヤ、
p.0372 大江爲基がもとに、うりにまうできたりける鏡のつゝみたりける紙に、書付て侍ける、 よみ人しらず
けふまでとみるになみだのます鏡なれにし影を人にかたるな
p.0372 久安四年四月廿日丁未、亥刻、鏡筥鳴動、泰親占レ之云、病事口舌、
p.0372 嘉應元年十月廿六日戊申、已刻參二法勝寺一、〈○中略〉先太神宮御料各大備一具、〈内宮安二奧筵、外宮安二端筵一、〉 鏡筥、幣筥、錦蓋、麻桶、線柱、玉佩、 已上安二辛櫃蓋一置二筵上一、〈○中略〉一備置了頭中將參進先開二鏡筥蓋一備二天覽一、〈○下略〉
p.0372 かくて臨時の祭になりて、二條前太政大臣中將にはべりて、祭のつかひしはべりけるに、あるじ、はこのふたに、ぢんのくし、白金のかうがひ、かねのはこに鏡などいれて、使は 中宮のはらからなればにや、日陰とおぼしくて、鏡のうへに、あしでにてかきはべりける、
藤原能長〈○歌略〉
p.0373 むかし一豐織田家に出て仕へし初め、東國第一の名馬なりとて、安土に引來りてあきなふもの有り、〈○中略〉其頃一豐は猪右衞門尉と申せしが、此馬ほしくおもへども、求る事いかにもかなふべからず、家にかへりて世の中に身まづしき程口をしき事はなし、一豐つかへのはじめなり、かゝる馬に乘りて見參に入たらむには、屋形の御感にもあづかるべきものをと、ひとりごといひしに、妻はつく〴〵ときいて、其馬の價いかばかりにやととふ、黃金十兩とこそいひつれとこたふ、妻さほどにおもひ給はんには、其馬もとめたまへ、あたひをばみづからまゐらすべしとて、鏡の筥の底より黃金十兩とり出しまゐらす、〈○下略〉
p.0373 鏡臺 魏武疏云、純銀參帶鏡臺、〈辨色立成云、加々美加介、〉
p.0373 鏡臺〈カヾミカケ〉
p.0373 鏡臺キヤウタイ
p.0373 鏡臺(キヤウダイ)
p.0373 合雜物貳拾捌種
鏡臺肆足
p.0373 けうそくををしよせて、うちかけて、御びんぐきのしどけなきをつくろひ給、わりなうふるめきたるきやうだい、からくしげ、かかげのはこなどとりいでたり、さすがにおとこの御具さへ、ほの〳〵あるを、ざれておかしとみたまふ、〈○中略〉繪などかきて、色どり給、よろづにおかしうすさびちらし給けり、我もかきそへたまふ、髮いとながき女をかきたまひて、はなにべにをつけてみたまふに、かたにかきてもみまうきさましたる、わが御かげのきやうだいにうつれ るが、いときよらなるをみ給て、〈○下略〉
p.0374 御鬢かきたまふとて、鏡臺によりたまへるに、おもやせたまへる影の、われながらいとあてにきよらなれば、こよなうこそおとろへにけれ、此影のやうにややせて侍る、哀なるわざかなとのたまへば、女君涙をひとめうけてみをこせたまへる、いと忍がたし、〈○下略〉
p.0374 春宮のはがねの水瓶、たらゐ、やがて、すけなかの辨、女御殿のは、きやうだいの鏡、あついへの少將もたり、
p.0374 御元服
東面厨子中有二三層一、上層置二紫檀地御脇息一、〈○註略〉鏡臺、〈螺鈿又臥二入之一〉
p.0374 もやのひさしてうどたつる事
そのみなみに鏡臺をはりてたつ、そのていとうだいのつちゐなくて、からかさのかみのやうなり、かみにかゞみかくるところあり、しもははりてくさびをさすなり、たてゝのち、まづひれをかく、そのていあをき物にぬひものしたり、かふりのゑんびのやうなるが、ふたつあるを、なかをつがひたる、ほそき所のにしきなる所を、かくよこさまなる、木よりまへにひきこすべし、そのうへにあせたなごひをかく、そのてい、からあやの三尺ばかりにてあるなるが、なかにのひめあり、そのぬひめを、ながさまになかおりにして、なからのほどをとりほそめて、ひれのうへに、まへさまに又ひきかくべし、そのうへにまもりをかく、そのていつねの人のまもりのひとつあるが、にしきをたゝみて、ををつけたり、それをうへにうちかけて、そのうへにかゞみをかく、このまもりのこゝろは、かゞみをのけはらせんれうなり、かゞみもとひらくみの緖をつけたり、このひれたなごひをかけて、まへにさがりたる所を、ひだりをみぎにちがへて、そのうへにまもりをかくることあるべし、このきやうだいのかゞみを、この定にかけて、からくしげ、かゞみのはこを、みなみへ をしやりて、二かひのきはにたつるぎあるべし、うちかうしなどのさはらん心ばせなり、もし又ところせばくて、かゞみをかけてたてずば、かゞみをば、かゞみのはこにいれて、物具どもをいれて、きやうだいをはづして、二かひのしたにおくべし、
p.0375
上手一枚〈長六寸弘七分厚二分〉
差手一枚〈長五寸弘七分厚二分〉
宝形〈水精径六分〉
茄子形中布久良径二寸五分髙二寸
径九分
久佐比
螺イ
蚫形〈中布久良径二寸髙一寸八分〉
径七分
茄子形〈中径二寸二分髙二寸〉
銀塗黄
凡莖髙二尺五寸五分
久佐比
𧚣物赤地錦
虵形〈中布久良二寸五分髙一寸八分〉
小𠯣十枚 長五寸 弘七分 厚二分
鏡枕 長五寸二分 口徑一寸二分 凡緒長一尺七寸六分 弘二分同錦疊之 凡護様也
鷺足五枝 長七寸四分 弘八分 厚
料木檜大搏一寸、木作料百疋、
蒔料金廿六兩二分、漆四合五勺、磨料三百疋、
螺鈿料六百七十五疋、同堀料八十疋、同堺料卌疋、 鏡臺羅納二枚〈大小〉大摠弘三寸三分 摠長三尺四寸 長四寸 長四寸八分 入玉䉼五十疋 凡左右同前也 弘二寸一分 組弘一分 内組同前也 弘一寸六分半 弘一寸四分弘一寸二分繡單功四十疋各廿疋飡一石各五斗糸同小摠二寸七分 摠長三尺 摠弘二寸 長四寸 長四寸八分 面青羅 〓鴦丸縁イ綾 中倍青打物 立雲母赤錦 伏組村濃糸弘一寸七分 弘二分 組弘一分 弘一寸三分 弘一寸一分 弘一寸重次錦
弘二分半
入帷二重 〈白唐綾小文固文用之〉
長四尺六寸 弘一幅〈但於中折耳(斷イ)ヲ合中ニ縫目ヲフ左右端ハ折目也〉
但鏡臺〈ニ〉用時〈ハ〉一帖也、筥〈ニ〉納時〈ハ〉一帖〈ヲ〉方〈ニ〉疊〈テ〉下置、今一帖〈ヲ〉鏡〈ヲ〉押覆〈天〉納之、
料唐綾三丈三尺二寸〈各一丈六尺六寸〉 鏡臺ニ用鏡形
但一鏡ヲ樣々所ヲ注也用事如常鏡裏ニ緖付樣
凡緖長五尺五寸〈總三寸五分料糸一兩〉
弘一寸二分〈紐平緖定〉
徑一尺 裏文鴛鴦唐草
p.0378 立二調度一例〈○中略〉 其上立レ帳、有二繧繝一帖、〈中敷云々〉幷表筵一、〈○中略〉此中柱二本之内〈南面〉上降一尺六寸打二臂金一、鏡二面各一面懸レ之、枕紐入帷等、如二鏡臺一也、
p.0378 常御所御具足注文
御鏡臺〈まきゑ中に色々入〉
p.0378 一常之御所
御鏡臺〈蒔繪〉
p.0378 廿日 今日女人の鏡臺の祝とて、それに供たりし鏡餅を煮食ふことあり、
p.0378 鏡臺に守を掛る、梛の葉、鴛鴦の羽、〈○中略〉
雅亮裝束抄〈卷一〉に、鏡臺に守を掛る事見えたり、〈○中略〉されば今より六百餘年のむかし、鏡に守りをかくるも、かゞみは女の護身物なればなり、鏡匲に、梛の葉、をし鳥のつるぎ羽、〈○註略〉などいるも、守りをかくる心にて、近きむかしの俗習なり、俳諧連山集〈○註略〉梛の枯葉に殘るすがた見〈付句〉虫干に母のうはきをくりかへし、俳諧毛吹草〈寬永〉しだの葉を梛にもちひの鏡かな、〈宗房○註略〉俳諧夏の日〈享保廿年〉翌から人に逢ぬ奉公〈付〉梛の葉は鏡の裏の忘草、〈河東謠曲〉水調子結句に、曇らぬ月の面影は、梛の枯葉の名ばかりに、鏡の裏に殘るらん、なぎはかゞみにのこるらん、〈○註略〉さて梛の葉をかゞみのはこに入るゝよし、いかなるゆゑともおもひえざれば、書によりて搜索しに、古き物にはあたらず、俗談志〈卷四○註略〉に、伊豆權現は、豆州加茂郡に在、神木梛の木、凡三圍、高さ十丈ばかり、葉厚く竪に筋あり、此葉を所持すれば、災難を遁るとて守袋に納む、又女人鏡にしけば、則夫婦中むつまじきとなり、
p.0378 鏡臺
今の鏡たて(○○○)付の櫛箱は、三百年の以前よりありし物なり、又ひらくもたゝむも自在なるかゞみ たては、寶永七年板〈今より百三十八年まへ〉誰が身上に、川崎氏の妻の句とて、住よしの鳥居は月の鏡立とあり、
p.0379 三年三月、新羅王子天日槍來歸焉、將來物〈○中略〉日鏡一面、
p.0379 三年四月、阿閉臣國見、〈更名磯特牛〉譖三栲幡皇女與二湯人〈湯人此云二臾衞一〉廬城部連武彦一曰、武彦姦二皇女一而使二任身一、武彦之父枳莒喩、聞二此流言一、恐二禍及一レ身、誘二率武彦於廬城河一、僞使二鸕鷀沒レ水捕一レ魚、因二其不意一而擊殺之、天皇聞遣二使者一按二問皇女一、皇女對言、妾不レ識也、俄而皇女齎二持神鏡(○○)一、詣二於五十鈴河上一、伺二人不一レ行、埋レ鏡經死、天皇疑二皇女不一レ在、恒使二闇夜東西求覔一、乃於二河上一、虹見如レ蛇四五丈者、堀二虹起處一、而獲二神鏡一、移行未レ遠、得二皇女屍一、割而觀レ之、腹中有レ物如レ水、水中有レ石枳莒喩、由レ斯得レ雪二子罪一、還悔レ殺レ子、報二殺國見一、逃二匿石上神宮一、
p.0379 貞觀十一年七月八日甲子、大和國十市郡椋橋山河岸崩裂、高二丈、深一丈二尺、其中有二鏡一一、廣一尺七寸、採而獻之、
p.0379 豐前國土中所レ得古鏡劒圖
古鏡記
小倉城東、足起山頂有二妙見祠一、配二祀和氣淸麻呂一、俗傳、淸麻呂奉レ詔使二宇佐一、復命忤二道鏡之意一、爲レ其所レ別後過二此山下一、禱而得レ瘉、故祭二於此一、因有二足起之稱一今據二鏡面文一、古名二安立一、安立、足起、邦音偶同、故好事者換レ字爾、祠後地面坦平、延袤二十歩許、斬然如レ削、四望曠廓、下瞰二府城一、登眺者常不レ絶、今玆四月十日公遊豫將二登覽一焉、前一日有司率レ徒除二其蕪穢一、役人擧レ鋤鉏レ之、鏗然有レ聲、穿レ地尺許、得二鏡九枚一、匣匲不レ存、重重相二因於土中一、或圓或六出樣、大小厚薄各異、有二淸榮者一、有二暈蝕者一、其六背皆輪廓、且有レ鼻、鼻傍欄界隆起、其中文字點畫不レ缺、〓勁可レ玩、如二開元錢字體一、字數多寡不レ一、皆有二湖州字一、疑是唐時物、而遣唐使輩所二取來一乎、亦不レ可レ知、其一背爲二花鳥樣一、此池尤厚、其二薄如レ紙、破而不レ全、是似二土所一レ鑄、其一面文有二承安 四年字一、距二今寬政〈乙卯〉一、六百二十年、因意、祠宇舊宏壯、初藏二之壇上一、後經二兵燹一而入レ地乎、抑當時所レ瘞乎、今摸二其形一、錄二其文一、以俟二博物君子一、庶幾其有レ所レ考、嗟乎經二藪百年之星霜一、而陵谷不レ變、逢二千萬人之踐履一、而不レ見二發掘一、一旦遭二邦君一而吐二其光一、神物之顯晦誠有レ時、豈不レ異乎、
寬政七年乙卯初夏下旬 小倉 石川剛識
寬政八年丙辰三月、豐前國京都郡苅田村ノ西野山ノ麓、浮キ殿ノ地ヨリ堀出ス、浮〈キ〉殿ノ地ニ、古塚トオボシクテ、林中ニ長五六尺、横三尺許、深四五尺許ノ内石垣アリ、土人其石ヲ採用シテ堀カエシタルニ、古鏡十六枚重テアリシ也、
二枚クモリナシ、六枚土蝕ル、右無疵 八枚破〈○下略〉
p.0380 哀王冢以レ鐵灌二其上一、穿鑿三日乃開、有二黃氣如一レ霧、觸二人鼻目一、皆辛苦不レ可レ入、以レ兵守レ之、七日乃歇、初至二一戸一無二扃鑰一、石牀方四尺、牀上有レ石、凡左右各三、石人立侍、皆武冠帶劒、〈○中略〉復入二一戸一、亦石扉、開レ鑰得二石牀方七尺、石屛風、銅帳〓一具一、或在二牀上一或在二地下一、似二是帳糜朽、而銅〓墮落一、牀上石枕一枚、塵埃朏々甚高、似二是衣服一、牀左右石婦人各二十、悉皆立侍、或有下執二巾櫛鏡鑷一之象上、或有二執レ盤奉レ食之形一、無二餘異物一、但有二鐵鏡數百枚一、〈○中略〉 表盎冡、以レ瓦爲二棺槨一、器物都無、唯有二銅鏡一枚一、
p.0380 古甲胄
寬政改元の春、日州諸縣郡六日町ト云所ノ、彌右衞門トイフ農夫、埭田ニ流ヲ引カン爲、溝ヲ堀コト數尺、忽チ一ノ古塚ニ逢フ、穴ハ横サマニ堀リタリ、棺材已ニ朽タルヤ、一片ノ板ヲ見ズ、穴ノ四邊ノ赤カリシト云フハ、棺ヲ實タル朱ノ色ノ殘レルナル可シ、穴内骸骨無ク、齒一枚、鑑三枚、刀身五把、鐵甲胄一具、玉數顆〈俗ニ云、勾玉、管石ト稱スル物ノ類、〉其他、遺缺ノ物、若干ヲ獲タリ、鑑ハ博古圖ニ載スル所ノ四乳鑑ニシテ、〈○註略〉純靑翠ノ如シ、鏡背ノ花紋、細キコト髮ノ如ク、纎毫ノ糢糊ナシ、〈○中略〉相傳フ、昔安德帝西海ノ難ヲ避玉ヒ、終ニ此地ニテ崩御給フ、其廟ヲ院社ト稱シ、其陵ヲ院塚トイフ、〈○註略〉物 換リ星移リ、イツシカ陵ノ所在ヲ失シガ、此塚院ノ社ヲ去ル事遠カラザレバ、是ナン疑フ可クモ有ラヌ院〈ノ〉塚ニシテ、何レモ帝ノ御物ナル可シト、土俗ノ云ヒタル由ヲ記セリ、
p.0381 夜麻杼里乃(ヤマドリノ)、乎呂能波都乎爾(ヲロノハツヲニ)、可賀美可家(カガミカケ)、刀奈布倍美許曾(トナフベミコソ)、奈爾與曾利雞米(ナニヨソリケメ)、
p.0381 やまどりのおろのはつをにかゞみかけとなふべみこそなによそりけむ、〈○中略〉昔となりの國より山どりをたてまつりて、なくこゑたえにして、きく物うれへをわするといへり、みかどこれをえてかひ給に、さらに鳴事なし、あまたの女御に、この山鳥をなかせたらん人を、后にたてんとおほせられければ、やう〳〵になかせむとし給ける中に、一人の女御、ともをはなれてなかぬなめりと思えて、あきらかなる鏡をこのうちにたてたりければ、よろこべるけしきにて鳴事をえたり、尾をひろげてかゞみのおもてにあてゝなきけり、それによりて此女御后に爲給にけり、
p.0381 鏡三 范泰鸞鳥詩叙云、罽賓王得二鸞鳥一甚愛レ之、欲二其鳴一而不レ得、夫人曰、聞鳥得レ類而後鳴、何不二懸レ鏡以照一レ之、王從二其言一、鸞鳥覩レ影而鳴、一奮而絶、
p.0381 喩族歌一首幷短歌
比左加多能(ヒサカタノ)、安麻能刀比良伎(アマノトヒラキ)、多可知保乃(タカチホノ)、多氣爾阿毛理之(タケニアモリシ)、須賣呂伎能(スメロギノ)、可未能御代欲利(カミノミヨヨリ)、〈○中略〉須賣呂伎能(スメロギノ)、安麻能日繼等(アマノヒツギト)、都藝氐久流(ヅギテクル)、伎美能御代御代(キミノミヨミヨ)、加久佐波奴(カクサハヌ)、安加吉許己呂乎(アカキココロヲ)、須賣良弊爾(スメラベニ)、伎波米都久之氐(キハメツクシテ)、都加倍久流(ツカヘクル)、於夜能都可佐等(オヤノツカサト)、許等太氐氐(コトタテヽ)、佐豆氣多麻敝流(サヅケタマヘル)、宇美乃古能(ウミノコノ)、伊也都藝都伎爾(イヤツギツギニ)、美流比等乃(ミルヒトノ)、可多里都藝氐氐(カタリツギテヽ)、伎久比等能(キクヒトノ)、可我見爾世武乎(カガミニセムヲ/○○○ )、安多良之伎(アタラシキ)、吉用伎曾乃名曾(キヨソノナゾ)、於煩呂加爾(オホロカニ)、己許呂於母比氐(ココロオモヒテ)、牟奈許等母(ムナゴトモ)、於外乃名多都奈(オヤノナタツナ)、大伴乃(オホトモノ)、宇治等名爾於敝流(ウヂトナニオヘル)、麻須良乎能等母(マスラヲノトモ)、
p.0381 松山鏡
ワキ詞言語道斷の事、我影の鏡にうつるを見て母の影にて有よし申し候ふはいかに、總じて此 松の山家と申は、無佛世界の所にて、女なれ共はこねをつけず、色をかざる事もなければ、ましてかゞみなど申物をもしらず候ひしを、某一年都に上りし時、鏡を一面買とりて、かれが母にとらせて候へば、世になき事に悦び候ひしが、今はのとき、姫を近付、我を戀しく思はん時は、此鏡を見よと申しほどに、我影のうつるを見て、はゝとおもひ歎く事の不便さは候、いや〳〵所詮鏡の謂を語つて、歎をとゞめばやと思ひ候、やあいかに姫、總じて鏡といふ物には、何にてもあれ向ふ物の影の寫るぞとよ、〈○下略〉
p.0382 土産の鏡
〈シテ〉是は越後の國、松の山家の者でござる、某訴訟の事有て、長々在京いたひてござる、此度そせう相叶ひ、滿足仕た、急で國へ罷下り、女子共によろこばせうと存る、〈○中略〉何ぞみやげを調へて、〈○中略〉とらせたふ存たれ共、〈○中略〉なりませなんだ、〈○中略〉急候程に、これははや國本に著た、女共をよび出さふ、女共はうちにいるか、某が上方より、今もどつた、はよふ出さしめ、女是の人のこゑがするが、おもどりやつたかしらぬ、〈シ〉女共今くだつたは、〈女〉やれ〳〵うれしや、〈○中略〉シそれに付て、たまたま都へ上つたことじやほどに、何ぞみやげ物をとゝのへてくだりたふ思ふたれ共、長々の在京なれば、左樣の物をも、調ふることならなんだ、〈○中略〉〈シ〉去ながら、そなたには、めづらしき物を、もとめてくだつておりやる、〈女〉それはうれしい、何といふ物でござるぞ、シ其ことじや、鏡といふ物じやが、是は昔は神々の寶物で、人間の持物ではなかつたけれ共、今は人間のたしなみ道具となつて、都では、いかやうのいやしき者迄も、是をもつ、其子細は、先此鏡といふ物を、我前に立てみれば、我かたちの善惡が、目の前にうつりて見ゆる、去によつて、あるひは、女は顏に白粉をぬり、べに、かねを付て、かたちをかざる、わごりよ達は、みたことも有まいとおもふて、もとめて來た、これ見さしませ、〈女〉それはうれしうござる、其樣な重寶なものは、終に聞たこともござらぬ、先是へ見せ させられい、〈こゝにて女かがみをみる〉是はいかなこと、そなたは都へのぼつて、長々の在京のうち、女ををいてなぐさまれたと見へた、〈シ〉それはなぜに、〈女〉いやそうあればこそ、此鏡とやらんいふ物に、女のかげがある、是はそなたの都で、をかれた女じやと見へたが、其しうしんが、こゝまでついて來て有とみへた、なふはら立や、あいつを何とせふしらぬ、〈シ〉言語道斷のことをいふやつじや、其女のかげは、をのれが影が見ゆる、それをしらぬか、是を見よ、身どもが向へば、某が影がうつる、あふぎをうつせば、扇のかげ、是程まのまへにうつす物のかげが見ゆる、それが、何がはらの立ことじや、〈女〉いや〳〵そうではない、あれ見さしませ、わらはがはらを立れば、あの女めがおそろしいつらをして、わらはに向ひをる、をのれ何としてくれふ、よふわらはが男をねとつて、是まであとをおふてうせたなあ、見ればなか〳〵はらが立、うちわつたがよひ、〈こゝにてかゞみへりの板になげつけてうちわるてい、シおもてを下になげてわれたといふなり、〉をのれはにくいやつじや、はる〴〵都よりもとめてきた物を、其ごとく打わりをつた、おもへばにくいやつじや、目に物を見せふ、〈○下略〉
p.0383 すみぬり女
申々ござれ、〈シテ〉何ごとじや、〈太〉こなたは誠になされぬに仍而、私が水と、すみと取かへて置ました、あの貌を見させられ、〈シテ〉誠にあれは汝がいふ通じや、扨も〳〵だまされた、にくいことじや、何とせふぞ、思ひ出した、此鏡を、かたみじやといふてやつて、はぢをかゝせふ、〈太〉一段とよふござらふ、〈シテ〉なふ〳〵、國本へ下つたらば、追付迎をのぼさふけれど、それ迄のかたみじやと思ふて、此鏡を見てたもれ、わごりよに是をやるぞ、〈女〉扨も〳〵情ないことでござる、〈○中略〉やあ、是は何者が、此樣に、すみをぬらしをつた、あゝ腹立や〳〵、こなたがしやつたか、腹立や〳〵、〈○下略〉
p.0383 增譽曰、前田利家ノ姓ハ菅原ナリ、〈○中略〉利常鼻毛ノ延過テ見苦シケレドモ、是ヲ申出ス者ナシ、本多安房守ガ鏡ヲ土産ニシテ、近習ノ士ニ申付、鼻毛ヲ夜詰メニハ拔セテ見レドモ、知 ラザルヨシニテ居給フ、〈○下略〉
p.0384 水のほとりに、梅の花の咲けりけるを詠める、 伊勢年をへて花の鏡(○○○)となる水はちりかゝるをや曇るといふらん
p.0384 七月七日、二星ノ影ヲウツストテ、手洗ヲ設ガ、普通ノナラヒニテ、夫木集ノ歌ニモ、 聞ばやな二つのほしの物語たらひの水にうつらましかば
トアレド、知信記、天承二年七月七日、夜有二乞功奠事一、下官依レ爲二行事一著二束帶一參宮、供二奉奠物一、〈中略〉東机未申角居二御鏡一面一、〈開蓋〉トアリテ、鏡ヲモテ手洗ニカヘタリ、今モ手洗ヨリ鏡ヲ用ユルガシカラン、
p.0384 家集池邊女郎花と云ふ事を 西行上人池の面に影をさやかにうつしても水鏡(○○)みるをみなべしかな
p.0384 世あがり才かしこかりし人の、大かゞみ(○○○○)などいひて書きおきたるに、おろ〳〵は見てことばいやしく、ひが事多うして見所なく、文字おちゝりて、見む人にそしりあざむかれむ事、うたがひなかるべし、紫式部が、源氏など書きて侍るさまは、たゞ人のしわざとやは見ゆる、されどもその時には、日本紀の御つぼねなどつけて笑ひけりとこそは、やがて式部が日記には書きて侍るめれ、まして此世の人のくち、かねて推し量られて、かたはらいたく覺ゆれども、人のためとも思ひ侍らず、只若くよりかやうの事の心にしみならひて、行のひまにも捨てがたければ、我一人見むとて書きつけぬ、大鏡卷も凡夫のしわざなれば、佛の大圓鏡智の鏡にはよも及び侍らじ、これも若し大かゞみに思ひよそへば、そのかたち正しく見えずとも、などか水かゞみのほどは侍らざらむとてなむ、
p.0384 いざたゞおろ〳〵見及びしものどもは、水鏡といふにや、神武天皇の御代よりいと荒らかにしるせり、その次には大鏡、文德のいにしへより、後一條の御門まで侍りしにや、又 世繼とか、四十條のさうしにて、延喜より堀川の先帝まではすこしこまやかなり、又なにがしの、おとゞの書き給へると聞き侍りし、今鏡(○○)に、後一條より高倉院までありしなめり、〈○下略〉
p.0385 雪の朝老をなげきて 貫之
くろかみと雪との中のうきみればともかゞみ(○○○○○)をもつらしとぞ思
返し 兼輔朝臣
年ごとにしらがの數をます鏡みるにぞ雪の友はしりける
p.0385 ともかゞみ〈ともまつ雪○歌略〉
顯照云、ともかゞみとは、わがかみ、人のかみのしろきを、雪にみあはする也、
p.0385 六帖題鏡 衣笠内大臣いくたびも心をみがけます鏡(○○○)うらにはかげのうつるものかは
p.0385 友鏡 ともかゞみ
合鏡(○○)の事なり、異説は僻事なり、後撰集〈八冬〉貫之、黑髮と雪との中のうき見れば友鏡をもつらしとぞ思ふ、〈○中略〉抄、雪との中とは、髮と我との中なり、友かゞみとは、我と鏡の事なり、互に見えあふにより、とも鏡といふなり、又ともかゞみは友鏡なり、いひかよはす友の二人がかゞみなり、
p.0385 をしからぬ身ひとつは、やすくおもひすつれども、子をおもふ心のやみはなほしのびがたく、みちをかへりみるうらみはやらんかたなく、さてもなほ、あづまのかめのかゞみ(○○○○○○○○○○)にうつさば、くもらぬかげもやあらはるゝと、せめておもひあまりて、よろづのはゞかりをわすれ、身をえうなきものになしはてゝ、ゆくりもなくいざよふ月に、さそはれいでなんとぞおもひなりぬる、
p.0385 紹遠字師、少名仁、寬容有二大度一、雅好二墳籍一、聰慧過レ人、〈○中略〉疾甚、乃上二遺表一曰、謹案、〈○中〉 〈略〉此數事者、照二爛典章一揚搉而言、足レ爲二龜鏡一、
p.0386 沽却 田地新立劵文事〈○中略〉
右件田地、元者馬三郎相傳領掌之地也、而今依レ有二要用一、宛二現米玖石一限二永代一作手令二沽却于本阿彌陁一事實也、〈○中略〉若向後雖レ有二御德政一、全以不レ可レ申二子細一者也、仍爲二後代龜鏡一、放二新立劵文一之狀如レ件、
元弘二年〈壬申〉正月廿一日 馬三郎〈○華押略〉
嫡男彌八〈○華押略〉
p.0386 大龜陸へあがる事
同じき年〈○天文十四年〉三月廿日の日中、大龜一ツ小田原浦眞砂地へはひあがる、町人是をあやしみとらへ持來て、松原大明神の池の邊に置、八人が力にてもちわづらふ程也、氏康聞召、大龜陸地へあがる事目出度瑞相なりとて、卽刻宮寺へ出御有て龜を見給ひ、仰にいはく、天下泰平なるべき前表には、鳥獸甲類出現する往古の吉例多し、是ひとへに當家平安の奇瑞、兼て神明の示す所の幸なりと、御鏡を取よせ、龜の甲の上に是をおかしめ給ひ、それ龜鏡と云事は、さしあらはして隱れなき目出度いはれありと、御感悦なゝめならず、竹葉宴醉をすゝめ、一家一門こと〴〵く參集列候し、盃酒數順に及ぶ、萬歲の祝詞をのべ給ひてのち、件の龝を大海へはなつべしと有しかば、海へぞはなちける、