簾/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十四/屛障具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 簾 野王曰、簾〈音廉、和名須太禮、〉編竹帳也、

〔段注説文解字〕

〈五上/竹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 〓、堂簾也、〈小徐曰、此書及釋名、簾帷皆作慊、疑〓或與簾別、或者此簾字後人所之乎、所決也、按巾部曰、㡘帷也、又曰在旁曰帷、周禮幕人掌帷幙幄帟綬之事、注曰、王出宮則有是事、在旁曰帷、在上曰幕、帷幕皆以布爲之、四合象宮室幄、帟者王在幕若幄中、坐上承塵、幄帟皆以繪爲之、然則㡘施於次、以蔽旁、簾施於堂之前以隔風日而通明、㡘以布爲之、故从巾、簾析竹縷之、故其字从竹、其用殊、其地殊、其質殊、學者可以無一レ疑矣、〉从竹廉聲、〈力鹽切、七部、按韋昭注、國語曰、簿簾也、薄今字作箔、〉

〔事物紀原〕

〈八/舟車帷幄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841
莊子曰、有張毅者、高門懸箔、無走也、而談藪有戸下懸一レ簾明知是箔、則懸箔卽簾矣、苟子有局室蘆簾之文、由此推、疑三代物、禮曰、天子外屛、諸侯内屛、大夫以簾、士以幃、

〔行厨集〕

〈八/人物稱謂〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 簾〈曰湘簾、曰曲簿、亦曰蝦鬚(○○)、又曰妓衣、夏侯家宴客、諸妓無衣、隔簾作樂、時、號簾爲妓衣、簿與箔同、用幾桂、〉

〔山堂肆考〕

〈三十七/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 蝦鬚
唐陸暢詩、勞將素手蝦鬚、瓊室流光更綴珠、玉漏報來過夜半、可憐潘岳立踟蹰、又宋蘇易簡詩、蝦鬚半捲天香散、

〔新撰字鏡〕

〈竹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 箔〈文薄反、須太禮、〉 〓〈可基反、簏也、須太禮、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈須/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 簾〈スタレ、音廉、編竹帳也、〉 箔〈同音泊〉 簿〈已上同、曲禮云、帷簿、〉

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 箔(スダレ) 簾(スダレ)〈二字義同〉

〔易林本節用集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 簾(スダレ/レン) 箔(同/ハク)

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 簾(スダレ)〈簿箔並同〉

〔藻鹽草〕

〈六/居所〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842
たまだれ〈たまだれのこすのまとをしなどよめり、みすのまよりかよふ心也、またたまだれのあみめのまよりふく風ともよめり、〉伊よす、いよすだれ、みす、こす、こすのと、〈外也、戸にはあらず、〉こすだれ、しのすだれ、あしすだれ、玉すだれ、こすのきけき、〈きけきとはしけきと云詞也と云云、〉こもすだれ、靑葉のすだれ、〈翡翠のすだれとて、四月一日新き御すだれをかくる也と云々、〉白きすだれ、〈かげしろきひとへの衣うちなびきあふ日もすずししろきすだれに〉こすのまとほし、〈透也、こすのまをとなりたる也、玉だれのこすのまとほしともよめり、〉すとばかりもいへり、〈後撰詞にあり、みす也、〉すだれのうごかし、玉すだれのあみめのま、玉すたれていとのたえま、玉すだれすける心、〈拾遺〉すゝけたるいよすだれ、かけさげられて、あしすだれ世にすゝけたるなにはの女、

〔日本釋名〕

〈下/雜器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 簾 すはすく也、竹をあみて其あいだすけり、たれはのきにかけて下へたれさがる也、みすは御簾也、こすは小簾なり、こまかなるすだれなり、

〔東雅〕

〈八/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 簾スダレ 倭名鈔に、野王云、簾は編竹帳也、讀てスダレといふと註したり、古の俗、凡竹をもて作れるものをスといふ、〈簣讀てスノコといひ、簏讀てスクといふがごとし、〉タレとは垂也、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 簾〈音廉〉 箔〈音泊〉 簿〈同〉 和名須太禮 蓵音捷 和名奈波須太禮
釋名云、簾也、自障爲廉耻也、編竹障蔽内外者也、
物原云、周公作簾、

〔萬葉集〕

〈四/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 額田王思近江天皇〈○天智〉作歌一首
君待登(キミマツト)、吾戀居者(ワガコヒヲレバ)、我屋戸之(ワガヤドノ)、簾(スダレ/○)動之(ウゴカシ)、秋風吹(アキノカゼフク)、〈○卷八作簾令動秋風之吹

〔源氏物語〕

〈四/夕顔〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 この家のかたはらに、ひがきといふ物あたらしうして、かみははじとみ四五けん計あげわたして、すだれ(○○○)などもいとしろうすゞしげなるに、おかしきひたいつきの、すきかげあ またみえてのぞく、

簾製作

〔延喜式〕

〈七/踐祚大嘗祭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 凡大嘗殿所須、〈○中略〉簾十六張、預令掃部寮造備

〔大内裏圖考證〕

〈十/附錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 春日權現驗記繪、春日社、錦額簾、
簾ノ竹、〈綠靑染ノウヘヲ、黑ニテ筋引、〉アミ糸、〈二筋アミ、ヘリノ間ニ二ケ所ヅヽ、合テ八ケ所也、〉赤白紫白赤白紫白赤白紫白赤、如此村濃也、イヅレモ同ジ、其テイ 〈赤 白 紫 白 赤 白〉 如此、白キハ少キ也、ヘリ〈ヘリ五ケ所、左右ノ端二ツ、中ニ三ツ也、〉幷緣五色ニテ、窠文アリ、〈菊ニ似タリ〉
〈紫 赤 赤 白 紫〉 如此、地文ノ上ニ金泥ユテ窠文ヲカケリ、窠ノ體普通ノミスノ如シ、モカウ、窠ニ蝶、又普逋ノ如キ也、ミスノモカウ、幷ニミスノ上ノ方ニ鏡ヲカケタリ、佛像ヲ金ニテカケタリ、金銅ノ蝶形アルベキ、
春日若宮神主祐定記曰、嘉禎二年四季云、
御簾肆間、〈高各五尺五寸、弘各五尺八寸、〉緣五、各面紺地錦、緣帽額、裏淺黃、紺平絹、金銅大文二枚、蝶形六枚、帽額付之、金銅小文十六枚、平文四十六枚、肱金四枚、緣付之、在鉤二枚、栗形二口、丸緖二筋、志部總懸緖四筋等、御簾一間、〈高五尺五寸弘五尺八寸、〉緣五、面紺地、緣帽額、裏淺黃、紺平絹、金銅大文二枚、蝶形六枚、帽額付之、金銅小文十六枚、半文四十六枚、肱金四枚、緣付之、在鉤二枚、栗形二口、丸緖三筋、志部總懸緖三筋等、
丸緖、〈上〉赤、〈中〉白、〈下〉紫、 志部、〈中〉白、赤、〈上〉紫、〈下〉

簾種類

〔八雲御抄〕

〈三下/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 簾 たまだれ いよすだれ みす あしすだれ〈なにはのほかははゞかりあり〉 こす しのすだれ いよすだれ〈惠慶歌〉 こすのすだれ たまだれのあみめのまよりふく風〈後撰〉 又たまだれのこすのまとをしと云、万也、小簾回通りけり、見すのひまより通こゝろ也、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 簾〈○中略〉
按、簾有(○○)數品(○○)、大抵籖竹以編成、爲屛障也、又爲暑屛、出於伏見、一種、以細莖蘆編成者、出於豫州、呼曰 伊豫簾(○○○)
年をへて世にすゝけたるいよすだれ懸さげられて身をばすてゝき 光俊
蓵者、草簾(○○)也、編草障戸者、今垂繩、名繩簾(○○)者是也、

〔伊呂波字類抄〕

〈美/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 御簾(○○)〈ミス〉

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 翠簾(ミス/○○)〈日本俗或作御簾云々〉

〔易林本節用集〕

〈美/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 御簾(ミス) 翠簾(同)

〔倭訓栞〕

〈前編三十/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 みす 簾をいふ、御簀の義也、或は翠簾をよめり、おほひみすといふ物、まさすけに見えたり、みすまきあげと源氏〈○槿〉に見えたるは、香爐峰雪撥簾看といふ意也といへり、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 鉤簾(こす/○○) 翠廉(ミス) 俗云古須 今云美須 〈共和訓之下略也〉 簾之鉤 俗云古末利按、鉤簾極細籖竹簾也、其緣以綾純子包之、有眞紅絲總、耑(ハシニ)有鉤、以掲卷簾、其簾靑翠色、故名翠簾、宮殿神前用之、〈京師有簾工家〉神前鉤簾掛於梱外、尋常掛於梱内

〔類聚名物考〕

〈調度五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 鉤簾 こす 小簾
おもふに後世のものに、これをこすと訓り、鉤簾音訓相交へたる事、尤そのことわりなし、思ふに鉤は加末と訓べし、すだれをつり上る時かけ置時のかま也、唐の書に鉤と鎌とは同じくかよへり、加末をかうとのべたるは、古とのみつゞめていへるにまがへるならん、

〔空穗物語〕

〈藏開中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 三條殿のかくて源中納言殿のうぶやの七日のよになりぬれば、きのかみにおほみあるじのことゞもを、おとこかた女方おまし所しつらふことつかうまつる、みす(○○)にはあさぎにして、みどりのきをはしにはさしたり、南のひさしにめぐりてかけたり、

〔枕草子〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 ありがたきもの
みすのいとあをくおかしげなるに、きちやうのかたびらいとあざやかに、すそのつますこしう ちかさなりて見えたるに、〈○下略〉

〔枕草子〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 故殿の御ふくのころ、〈○中略〉れいのやうにかうしなどもなく、只めぐりてみす(○○)ばかりをぞかけたる、中々めづらしうおかし、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 寬喜三年九月三日丙戌、殿下御所之中、以康入道新造厩牛屋、立御馬五疋御牛三頭、剰懸御所翠簾(○○)

〔夫木和歌抄〕

〈三十二/簾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 こすげのすだれ よみ人しらず
玉だれのこすのすだれをゆきがてにいはねられねど君はかよはず

〔鶴岡放生會職人歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 右 御簾編
夕まぐれこすの問とをる月影はくまなきよりもあはれなる哉

〔倭訓栞〕

〈申編二/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 いよすだれ(○○○○○) 伊豫浮穴郡露峯の山中より出る篠簾也、六帖に、
年を經て世にすゝけたるいよ簾かけさげられて身をばすてゝき、物にいよすとも見えたり、其篠至て細く、一間にあまりて延やかに生立ものといふ、

〔安齋隨筆〕

〈後編四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 一伊與簾 源氏所々に見へたり、下さまの家、又ゐなかびたる所にいよすの事をいへり、うきふねの卷にも、宇治の宮の所にも、いよすさら〳〵となるもつゝましといへり、今も伊豫國にて作る也、今昔物語にも伊與簾見へたり、

〔伊豫古蹟志〕

〈二/浮穴郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 露峯邑、〈○中略〉斯邑織簾、其篠誕之節兮、小而長矣、和歌者流所咏、伊與簾(○○○)是也、

〔新猿樂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 四郎君、受領郎等、刺史執鞭之圖也、〈○中略〉常擔集諸國土産、貯甚豐也、所謂、〈○中略〉伊豫(○○)手箱、〈又砥、又鰯、又簾(○)、〉

〔源氏物語〕

〈三十六/柏木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 例のわたり給へる庭も、やう〳〵あをみ出る若草みえわたり、〈○中略〉わけ入たまふいよすかけわたして、にびいろの木丁の衣かへしたる、

〔枕草子〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 いやしげなる物
いよすのすぢふとき

〔夫木和歌抄〕

〈三十二/簾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 六帖題 いよすだれ 光俊朝臣
年をへてよにすゝけたるいよすだれかけさげられて身をば捨てき
百首歌中 惠慶法師
あふ事のまとをにあめるいよすだれいよ〳〵われをわびさする哉

〔殿曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 永久三年九月廿日丙戌、今日御幸沙汰營之、 廿一日丁亥、寢殿西第一二三四間母屋南面卷之、南西面庇垂之、北庇幷自餘所伊豫簾

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 久壽三年正月廿四日丙寅、院導勝陀羅尼供養也、〈○中略〉北庇御前以白革伊豫簾、可黑簾也、伊豫簾頗不審也、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 建曆三年正月廿五日、先是少將諷誦物、〈布結之如恒〉相具文送、寢殿南面庇三間〈本自爲公卿座所也〉懸伊與簾、〈以紙上之、以白革之、〉

〔易林本節用集〕

〈多/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 珠簾(タマスダレ/○○)

〔伊勢物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 むかし男、みそかにかたらふわざもせざりければ、いづくなりけんあやしさによめる、
ふくかぜにわが身をなして玉すだれ(○○○○)ひまもとめつゝいるべきものを
かへし
とりとめぬ風にはありとも玉すだれたがゆるさばかひまもとむべき

〔夫木和歌抄〕

〈七/葵〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 寬喜元年女御入内御屛風、人家有樹陰簾懸葵、 西園寺入道太政大臣
もろかづら日かげやをそきたますだれあけてもすゞしならの下風

〔後撰和歌集〕

〈九/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 題しらず よみ人しらず
君により我身ぞつらき玉だれのみす(○○○○○○)は戀しと思はましやは

〔類聚名物考〕

〈調度五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 玉垂 たまだれ
玉垂は小簾といふべき枕こと葉なるを、後世にはそのまゝ簾の事とせり、古歌には玉垂の小瓶ともつゞけたれば、いかで小簀の事とはすべきを、すべて後世にはこの類多し、見し玉垂のうちぞゆかしきといふ歌を、小野小町が歌といへるは、その出る所つまびらかならず、據とするにたらず、

〔金槐和歌集〕

〈秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 秋のうた
玉だれのこす(○○○○○○)のひまもる秋風はいも戀しらに身にぞしみける

〔宗祇廻國記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 金澤にて、〈○中略〉此在所に稱名寺といへる律院侍り、〈○中略〉三重の塔婆にまうでけるに、老僧に行あひぬ、此塔の由來などたづねければ、これにこそ揚貴妃の玉の簾二かけ安置し侍れ、〈○中略〉一見をゆるし侍るべき由申す、まことにふしぎなる機緣なり、簾のながさ三尺四寸、ひろさは四尺計にて、水精のほそさ、よのつねのみすよりもなほほそく、かたちは見え侍らず、玉妃のそのいにしへに、九花帳に預侍りけんことなどおもひやり侍れば、千古の感緖今更肝に銘じて、皆人袖をぬらし侍りき、
とをき世のかたみをのこす玉すだれおもひもかけぬそでのつゆかな

〔雅筵醉狂集〕

〈附錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 五色 白
高樓の水精の鉤簾(○○○○○)まきみれば銀世界なり雪のあけぼの
薛昭蘊詞、水晶簾未捲とあり、圓機活法無名氏雪詩、恍疑銀世界、明訝水晶宮、

〔類聚名物考〕

〈調度五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 かやすだれ(○○○○○) 萱簾 花鳥餘情、夕顏のすだれなども、いとしろう云々といへる注に、伊與簾また萱すだれの類なり、

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 あしすだれ 蘆簾也、字荀子に見ゆ、天子諒闇の時、倚廬にしつらはるゝ物なるよし村上院御記に見えたれば、常には憚る事也、難波などには常にもよめりといへり、今すだれあしといふものは、蒹なりといへり、俗によしず(○○○)といへり、

〔楊升庵外集〕

〈八/宮室〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 䕠 莊子注、蘧篨竹席、今蘆藤也、按三國呉安東將軍徐盛、植木衣葦、爲疑城假樓、注以蘆蔑其外、蓋今俗名蘆箔(○○)也、䕠方胏切、

〔令義解〕

〈一/職員〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 掃部司
正一人、掌薦席牀簀苫、及鋪設、酒掃、蒲藺、葦簾(○○)等事

〔儀式〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 踐祚大嘗祭儀
天皇卽位之年、〈○中略〉次鎭稻實殿地、〈○中略〉蔀廻以葦、開東戸葦簾、高萱御倉者葺蔀以靑草

〔西宮記〕

〈臨時四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 人々裝束、 喪服〈○中略〉
天曆八年正月四日、大后於昭陽舍藏、〈○中略〉二十四日撤尋常御簾、改蘆簾、〈以鈍色細布端冐額

〔金槐和歌集〕

〈戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 すだれによする戀
津の國のこやのまろやのあし簾まとをに成ぬ行あはずして

〔夫木和歌抄〕

〈三十二/簾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 六帖題あしすだれ 民部卿爲家
すくもたく難波をとめがあしすだれよにすゝけたる我身なりけり
信實朝臣
世中のはてはすゝけのあしすだれあしくかけゝるわかのうみ哉

〔鶴岡放生會職人歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 右 御簾編
よな〳〵は思かくるをあしすだれなどふし〴〵のあはずなりけん

〔類聚名物考〕

〈調度五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 菰簾 こもすだれ
こもにてあみたるすだれ也、今も田合の賤屋にはこの物あり

〔散木弃謌集〕

〈二/夏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 おなじ心をよめる〈○左京大夫經忠の家にて蚊遣火をよめる〉
かやり火の煙になるゝこもすだれ物むつかしき我こゝろかな

〔夫木和歌抄〕

〈三十二/簾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 六帖題しのすだれ 正三位知家卿
へだつれどまばらにあめるしのすだれしのぶ人めの身こそかくれね

〔枕草子〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 五月の御さうじのほど〈○中略〉あきのぶの朝臣いへあり、そこもやがて見んといひて車よせておりぬ、ゐ中だち、事そぎて、馬のかたかきたるさうじ、あじろびやうぶ、みくりのすだれ(○○○○○○○)など、ことさらにむかしの事をうつしいでたり、

〔枕草子春曙抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 實九里簾にや、其製可之、

〔倭訓栞〕

〈前編三十/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 みくり〈○中略〉 倭名抄に、三稜草を訓ぜり、新撰字鏡には芿をよめり、今伏見にて、うきやがらといへり、歌にみくりなはとよめるは、繩なるべし、袖中抄に、遍照寺の母屋の御簾は、みくりのつると申物にて侍るは、此物なるにや、枕草紙に、みくりのすだれと見えたり、あひば草ともいふ、

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 蓵(ナハスダレ)〈䕹同、草簾也、編草障戸、〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 蓵〈音捷〉 和名奈波須太禮
蓵者草簾也、編草障戸者、今垂繩、名繩簾者是也、

〔雅筵醉狂集〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 ある人の下屋敷の茶屋にて、藤を讀侍る、
藤のはな茶屋の軒ばにかゝりけり繩暖簾(ナハノウレン)のごとく土がま

〔本朝世事談綺〕

〈二/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 管簾(くだすだれ) 古來よりありといへども、賣物とする始は、正德のころ、築地小笠原家の道具持、沖忠右衞門と云者作之、兩國橋東岸山本善兵衞見世にてはじめて賣、

〔類聚名物考〕

〈調度五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 覆御簾(○○○) おほひみす、覆鉤簾、〈○中略〉今按に、おほひみすは覆翠簾にて、外みす(○○○)の事也、柱の外へ付てかくる翆簾にて有れば、覆とはいふ歟、尋常の内みす(○○○)は柱の内へつけてかくるなり、此事秘事なり、

〔家屋雜考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 翠簾(スタレ/ミス) 翠簾は、大抵母屋と、廂と二重なり、然れども臨時の補理によりて、そのさま一樣ならず、其掛やうを註せる事どもゝ、またあまたありて一定せず、〈○中略〉總じて簾をかくる事、格子の内へたるゝを内みすといひ、外へ垂るゝをおほひみすといふ、母屋は内みす、廂は覆簾(オホヒミス)常の事なり、

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 もやひさしのてうどたつる事
おほかたみすをかくることは、もやはおほひみすつねの事なり、

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 一淸凉殿〈○中略〉
鬼間
二間格子也、南間常不上、有覆簾(○○)、〈卷之〉

〔倭訓栞〕

〈中編五/幾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 きりすだれ 禁秘抄に、切簾と見えたり、

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 一淸凉殿〈○中略〉
臺盤所
西立布障子、其外號刧簾(ミスト)一間懸、遣戸御簾二間也、

簾用法

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 もやひさしのてうどたつる事
まづしんでんのひさしに、みすをかけまはす、はれのかたをうはかへにす、 次にもやのみすをかく、もやはしんでんによりて四けん、もしは五けんにてもあるなり、七けん四めんのしんでんならば、もや五けんにみすをかけて、うちにかべしろを引まはすべし、もやのみすをあげんことは、れいのき丁をもやにたてゝ、そのてのうへにつかせて、あぐることもあり、それ無下にさがりたらば、そのてのうへに、こぶしをにぎりあてゝ、ふたこぶしばかりすかしてあぐべし、みすのこのつきやうは常のごとし、〈○中略〉
おほかたみすをかくることは、もやはおほひみすつねの事なり、はれならむかた、うはかへにかくべし、ひさしもおほひみすならんところは、はれうはかへにしてかくべし、おほひみすといふは、はしらのうへに、ひとへりをひきちがへて、すんほうをとるなり、ながさはなげしのしたより、しものなげしのはなくぎのかくるゝ程にとるなり、あぐることは、もやは女房のことあらんには、さけてあぐべし、き丁のてのうへ、またすこしすかして、そのうへに、ふたこぶしをすかしてあぐといふ、行幸だいきやうなどのみさうぞくには、たかくあぐべし、もやもひさしもあぐるには、こはしといひて、いたをうすくけづりて、いれてまきたるがよきなり、おほかたみさうぞくのよきといふは、みすよくあげて、もかうよくひきしき、〈○下略〉

〔門室有職抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 御所御裝束事
御疊ヲ引カサ子ムニ、下へ可向、御簾ハ御所タカクバ、母額(モヤビタイ)ヨリモヒモヒトタケヲ可置、御所ヒキクバ、母額ト同程ニ可卷也、母屋ノ御簾ハ、五尺屛風ヲ下ニ立ニ、不障程ヲ可計也、〈○下略〉

〔建武年中行事〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 ひの御座の御簾、南のはし北のがくの間をたれたり、〈此間に承香殿の人むかしはさぶらひけるとかや〉中三間あるひは二間御簾そのまゝにあげたり、をの〳〵木丁をたてわたす、もかごろより内などにて、あたりの間一間中はんにあぐることあり、ひが事なり、いまの代には本儀にまかせて、つねのときのごとくこうまろをにあぐ、

〔三内口決〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 一翠簾
本式主殿之時、母屋之簾各別也、小壁無之候故、自裏板直掛之、仍其長過分候、無鉤丸、其外廂、妻戸、格子等、常之翠簾無差別候、其外、廂、妻戸ハ、可鉤丸、〈此外ハ不鉤丸〉大炊御門一家ニハ、有子細一切不鉤丸候、限此一家候、

〔宗五大草紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 みすかくる事
一かぎ(○○)もこまる(○○○)もうちに有べし、内へ卷てかくべし、又かぎなければ、杉原を四に折てたゝみて、おなじ程さまへ引出して、それにてあげてゆふべし、神社の前のみすは、かぎもこ丸も外にあるべし、

〔進退記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 御簾高く卷上る事
一御簾のかけ樣、神前の御簾は、かぎもこまるも外にあり、人間のみすは鉤もこまるも内にあるものなり、然間卷時は内へ卷て鉤に懸べし、又みす高く卷くには、引合にても杉原にても、三たけ四たけにもつぎて、四ツに折て、みすの内へ、もつかうきぬの下より、兩方へ同程に引出して、兩方同じごとくにして、みす高く卷上てゆふべし、ゆひ樣、一むすびしてねちかふ也、兩方のねぢかふ所、むかひあふ樣に見あはせてする也、其時はかぎもこまるもまきこむる也、自然みす高く卷上られ候事あらば如此すべし、みす卷時は、兩人にてみすの外へ參て卷べし、時により一人にても卷べし、

〔故實拾要〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 翠簾
簾ヲ掛タル間へ入時ハ、簾ノ兩端ノ方ヨリ可入也、中ヨリ不入、簾ノ垂長垂テ丙へ難入事雖之、手シテ搖提ゲ不入也、前廉ヨリ跪テ可入也、

〔西宮記〕

〈正月上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 小朝拜 延喜十年正月一日、太子參上、命婦時子、授太子祿、〈天德四年正月在此例〉太子不參之時、下母屋御簾等、撤晝御座、〈○中略〉
節會
延喜十六年正月一日、御南殿帳中、只下御簾内、〈齊衡貞觀等例也〉近仗不警蹕、〈兼有定云々〉諸衞開門常例、此後有諸奏、勘先例、仁壽四年正月、不南殿、中務奏御曆等、又貞觀十三年、不出御、御曆奏付内侍所、齊衡二年正月七日、御南殿、不御簾、御弓付内侍奏、不御猶奏、甚違事意、又在簾中勅答、仍依貞觀齊衡等例、付内侍所奏之、

〔江家次第〕

〈六/三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 石淸水臨時祭
出御〈麴塵袍、櫻下重、藏人頭應召取御插鞋、自殿上方參入、褰御簾、〉

〔江家次第〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 賀茂詣
前一日御裝束〈家司職事各一人行事〉下母屋御簾、〈以御廐綱結之〉其内懸壁代、上對南廂南御簾四間、幷四面妻戸間御簾、〈但東孫庇御簾不上〉

〔大饗雜事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 一御簾
寢殿〈首書、久安、西庇妻戸簾、内方懸之、自餘懸外方、永久三記云、西廂南第一間妻戸放扉卷上之、帽額下四五寸許卷之、鉤緖如尋常儀、有總幷緋糸懸緖、〉
母屋 南面 西面 庇 南面 東面 西面
公卿座、上西面、 辨少納言座、未南面、
西對代〈首書、久安記云、上官座不懸由、有議放之、永久記、上官座南面不御簾先例也、永承記、西對束廂懸簾卷上、〉
奧方〈北也〉 東 端方〈南也〉 西

〔龜山院御凶事記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 嘉元三年九月廿六日庚午、今日改御所御裝束、〈○中略〉南御聽聞所、〈昭訓門院御座間〉幷素服所等、各一間、押に南堂中三方懸黑御簾、〈緣帽額鼠色、以白糸懸緖、〉但素服所東北二面、懸覆伊與簾、〈以白革懸之、無假粧革、〉 同南面妻戸同懸簾、堂場以北東西、皆懸亘黑御簾、〈○中略〉抑伊與簾、常儀以白革懸之、而院御方稱大治例〈朝隆卿記有見准云々〉以藍革懸之、〈有假粧革、但於假粧革者、猶可撤歟之由、予爲談申了、〉

簾具

〔撮壤集〕

〈中/家屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 簾(スタレ) 箔〈同〉 簾臺(レンタイ/○○)

〔西宮記〕

〈正月中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 一御齋會
南殿儀〈御物忌時儀也〉 母屋東三間東面、〈木工立簾臺〉幷同南懸御簾、〈○下略〉

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 元日宴會
身屋九間内四面壁代帷褰之〈若天皇不出御之時、從身屋東第四間西柱南北行構簾臺、西五間身屋南面亦懸之、御簾内當御帳東亘太宋御屏風、件簾臺木工寮奉仕、〉

〔江家次第〕

〈二/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 七日節會裝束
身屋九間内、四面壁代帷褰之、 若天皇不御之時、從身屋東第四間西柱南北行構簾臺、懸錦額御簾

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 仁安三年十一月廿四日辛巳、早旦弁官分給、〈○中略〉次藏人光雅、六位基光等奉仕神宴御裝束、以前廊四ケ間、准淸暑堂也、其儀小安殿馬道敷滿長筵、步廊四ケ間、敷滿同筵道、南面垂御簾、〈東西長押巡打簾代、懸弘御簾、本ハ懸梁、今寄北也、主基行事所懸之、〉

〔山槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 治承二年十月廿五日乙卯、未刻參宮、自今夜孔雀
弘庇敷上假板敷與母屋平頭也、打簾代(○○)御簾、其内立明障子

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 簾鉤(スダレカヽゲ/○○)

〔揚升庵外集〕

〈八/宮室〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 銀蒜
歐陽六一放玉臺體詩、銀蒜鉤簾宛地垂、東坡哨遍詞、睡起畫堂、銀蒜珠幙雲垂地、蔣㨗白苧詞、早是東風作惡、旋安排一雙銀蒜羅幙、銀蒜蓋鑄銀爲蒜形、以押簾也、元經世大典、親王納妃、公主下降、皆有銀蒜簾押幾百雙

〔枕草子〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 心にくき物 いみじうしつらひたる所のおほとなぶらはまいらで、長すびつにいとおほくおこしたる火のひかりに、御几帳のひものいとつやゝかに見え、みすのもかうのあげたる、こ(○)のきはやかなるもけさやかに見ゆ、

〔類聚雜要抄〕

〈二/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 一御裝束
母屋簾卷上四尺几帳高〈有鉤(○)、各懸壁代、〉

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 一みすのこまる(○○○○○○)と云は、みすのふさ(○○○○○)の事なり、本名こうまるお(○○○○○)と云なり、鉤丸緖と書くなり、〈後醍醐天皇年中行事ニアリ〉禁裏將軍家には、こうまろお紫を用ひらる、平人のこう丸緖のふさ、黃赤黑と三段に染むるなり、

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 もやのだいきやうのみそうぞくおなじことなり、〈○中略〉もやきはのみすのこのを(○○○○○○)とほすやうこそかはれ、つねはかみのこはしにつけて、うちにひきさげてこそはあれども、これはこはしにつけて、やがてこはしのきはより、とへもかうのしたにひきいだして、もかうのしたよりひきさげて、もかうのしものきはより、またみすのなかをうちへひきとほして、あぐることのあるなり、こながらとほすなり、是をみすをぬふとはいふなり、

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 仁安四年二月十三日庚子、皇大后宮日吉行啓也、〈○中略〉此間上皇自北面方、密々渡御七條殿御棧敷、〈○中略〉御簾鉤幷丸緖絲等(總水朱)〈付〉左右手下、是御簾中出几帳帷儀也、

〔大鏡〕

〈一/三條〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 院にならせ給ひて、御目を御らんせざりしこそいといみじかりし、〈○中略〉いかなるおりにか、時々は御らんずる時もありけり、みすのあみを(○○○○○○)の見ゆるなどもおほせられて、〈○下略〉

〔後撰和歌集〕

〈十六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 これかれ女のもとにまかりて、物いひなどしけるに、女のあなさむの風やと申ければ、 讀人しらず
玉垂のあみめ(○○○○○○)のまより吹風のさむくはそへていれんおもひを

〔倭訓栞〕

〈前編三十三/毛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 もかう(○○○) 帽額と書り、延喜式、江次第に見ゆ、本は首服也、通典に、古之人帽而額〈ス〉と見えたり、帽子と抹額とをいふなるべし、それを借て翠簾(ミス)の緣に懸る物の名とせる也といへり、淸少納言が、夏のもかうのあざやかなるといへる是也、類聚雜要に、面額とも書たる、今もつかふの紋といふも是なり、水引の事也、〈○中略〉西宮記に、撤尋常御簾、改簾以鈍色細布端帽額、と見えたり、白樂天が詩に、錦額簾高捲と、錦を用ゐたる帽額なりといへり、

〔白氏文集〕

〈十五/律〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 題周皓大夫新亭子二十二韻
東道常爲主、南亭別待賓、〈○中略〉錦額簾高卷、銀花盞慢巡、〈○下略〉

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 一みすのもこうと云は、簾の上の方に萌黃色の絹に、黑く 如此なる紋をいくらも染たるを、一幅横(ヒトノヨコ)にはりたるを云、俗にもつこうきぬと云也、もかうは帽額と書也、ひたゐをおほふとよむ、出入る人のひたゐの上におほふ故の名也、人の家の紋に、もつこうと云紋も、帽額に染たる紋なれば、もつかうと云也、又みすのもこう、禁裏將軍家には金らんを用らる、常の人の簾には、右に云如くなるもかうを用ゆ、〈もかうは簾の外にあリ、内にはなし、〉

〔江家次第〕

〈二/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 七日節會裝束
身屋九間四面壁代帷褰之 若天皇不御之時、從身屋東第四間西柱、南北行構簾臺、懸錦額御簾、西六間身屋南面又懸之、御簾内當御帳東亘大宋御屛風、件簾臺木工寮供奉、〈錦額○中略〉尋常版位南去三許丈構立舞臺、〈○中略〉其東西北面懸亘帽額、〈不鞆繪

〔江家次第〕

〈三/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 睹射裝束
御簾於校書殿東庇北第二間、及南殿西庇二間西階戸間等、〈南殿錦額〉

〔江次第抄〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 錦額 延喜大藏式云、大極殿懸繡額云々、錦額者簾之帽額也、

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 相撲沼合裝束 從殿東第三間西柱東邊簾臺、〈自北障子下南廂南柱、木工寮供奉之、〉懸錦額御簾、又自第四間以西六箇間、並西戸間懸同御簾、〈但戸間懸内〉

〔西宮記〕

〈臨時四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 天曆八年正月七日、左大臣定奏任御葬司、〈○中略〉廿四日、撤尋常御簾蘆簾、〈以鈍色細布端帽額

〔空穗物語〕

〈樓の上之上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 もかうのす(○○○○○)のなかに、なげしのしもにゐて、わらははかうらんにいたりてたゝけば、大將おはしたり、〈○中略〉しん殿に二所おはしますべくして、みすのもかう(○○○○○○)には、大もんのにしきをせさせ給、たかくまきあげて、御はまゆかにまきゑして、〈○下略〉

〔枕草子〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 にくきもの
いよすなどかけたるをうちかづきて、さら〳〵とならしたるもいとにくし、もかうのす(○○○○○)は、ましてこはき物のうちをかるゝいとしるし、それもやをらひきあげて出入するは、さらにならず、

〔枕草子〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 なまめかしきもの
夏のもかうのあざやかなるすの、とのかうらんのわたりに、〈○下略〉

〔枕草子〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 心にくき物
いみじうしつらひたる所の、おほとなぶらはまいらで、長すびつにいとおほくおこしたる火のひかりに、御几帳のひものいとつやゝかに見え、みすのもかう(○○○○○○)のあげたる、このきはやかなるもけざやかに見ゆ、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 諒闇の年ばかり哀なる事はあらじ、いろの御所のさまなど、板敷をさげ、あしの御簾をかけて、布のもかう(○○○○○)あら〳〵しく、御調度どもおろそかに、〈○中略〉異樣なるぞゆゝしき、

〔安齋隨筆〕

〈後編二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 一布のもかう つれ〴〵草に見えたり、源氏朝貌の卷に、にび色のみすに黑き木丁のすきかげあはれに云々、是は槿齋院の服中の事也、〈細〉只今服したるによりて也、〈花鳥〉 服者の所の御簾のへり、もつかうには、にび色の布を用る也、黑き木丁とは、几帳の手黑ぬりにして、まきゑらてんをし、かたびらは是もにび色也、

〔榮花物語〕

〈十九/御裳著〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 枇杷どの〈○妍子〉一品宮〈○禎子内親王〉の御もぎとて、〈○中略〉治安三年四月一日ぞ奉りける、〈○中略〉西のたいの御しつらひの、玉をみがゝせ給へるを、御覽ぜさせんの御いとなみ、いはんかたなくおかしげなり、からにしきをへりにしたり、御ぐどもの蒔繪らてんのひま〳〵に、たまをいれさせたまへり、おほかたえまねびつくさず、みすのへり(○○○○○)にはあをき大もんのをり物をぞせさせ給へる、

〔十訓抄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 小野右大臣〈○藤原實資〉とて、世には賢人右府と申、〈○中略〉あたらしく家を造て移徙せられける夜、火鉢なる火のみすのへりに走りかゝりけるが、やがても消ざりけるを、しばし見給けるほどに、やう〳〵とゆづり付て、次第にもえあがるを、人あざみてよりけるを、制てけさゞりけり、

簾商

〔吉記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 承安三年七月九日、未明、御簾編(○○○)等令召、遣成長許畢、今日内令編出料也、

〔鶴岡放生會職人歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 右 御簾編〈○歌略〉

〔七十一番歌合〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 廿三番 左 翠簾屋(○○○)雪とみて卷あぐるかな玉すだれいとさやかなる秋夜の月〈○中略〉
人めさへあな耻かしややぶれみす丸ねばかりにあかすよは哉〈○中略〉
新御所の御わたましちかづきて、いそがはしさよ、イこの衞殿より御いそぎのみすにて、

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 翠簾師(○○○) 唐土の楊竹氏といふ者、車の物見にかけんために作れりと、日本にては崇神天皇の御代にあり、禁裏みす師、富小路竹屋町下ル丁和泉、烏丸竹屋町德助、同三右衞門、民間に用る雜品の簾は、伏見にこれを造る、又伊與簾京に上す也、江戸本吉原德方、京橋一丁目市左衞門、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 翠簾 禁裏院中之翠簾、谷口和泉守製之、公方家之所用者、望月某造之、其餘簾箔、大佛邊伏見町造之、茶亭窻間所掲之伊豫國産細竹簾、別有其家

〔守貞漫稿〕

〈五/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 簾賣(○○) 初夏以來、三都トモニ竹簾葭簀等ヲ賣ル、其扮定ナシ、

簾雜載

〔枕草子〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 しきの御さうじの西をもての、〈○中略〉女は、ねおきたるかほなんいとよきといへば、ある人のつぼねにゆきてかいばみして、又もし見えやするとて、きたりつるなり、まだうへのおはしつる折からあるをえしらざりけるよとて、それよりのちは、つぼねのすだれうちかづきなどし給ふめり、

〔枕草子〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 正月に寺にこもりたるは、〈○中略〉小法師ばらの、もたぐべくもあらぬ屛風などのたかき、いとよくしんたいし、たゝみなどほうどたてをくと見れば、たゞつぼねに出て、犬ふせぎにすだれをさら〳〵とかくるさまなどぞいみじく、しつけたるはやすげなり、

〔枕草子〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 雪いとたかく降たるを、れいならず御格子まいらせて、すびつに火おこして、もの語などしてあつまりさぶらふに、少納言よ、かうろほうの雪はいかならんと、仰られければ、みかうしあげさせて、みす高くまきあげ(○○○○○○○○)たれば、わらはせ給ふ、人々も皆さる事はしり、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ、猶此宮の人には、さるべきなめりといふ、

〔十訓抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 同院〈○一條院〉雪いと面白く降たりける朝、端近く出居させ給て、雪御らんじけるに、香爐峯のありさまいかならんと被仰ければ、淸少納言御前に候けるが、申事はなくてみすををしあげたりける、世の末まで優なる例に云傳られける、彼香爐峯の事は、白樂天老の後、此山のふもとに一の草堂をしめて住ける時の詩に云、
遺愛寺鐘欹枕聽 香爐峯雪撥簾看
とあるを帝仰出されけるによりて、御簾をばあげけるなり、彼淸少納言は、天曆の御時、梨壺の五 人の歌仙、淸原元輔女にて、其家の風吹傳へたりける上、心さま優にて、折につけたる振舞いみじき事多かりけり、

〔源氏物語〕

〈二十/槿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 時々につけても、人のこゝろをうつすめる、花もみぢのさかりよりも、冬の夜のすめる月に、雪のひかりあひたる空こそ、あやしう色なき物の身にしみて、此世のほかのことまで思ひながされ、おもしろさも哀さも殘らぬおりなれ、すさまじきためしにいひをきけん、人の心あさゝよとて、みすまきあげさせ給、〈○下略〉

〔好古日錄〕

〈末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 織簾
寶曆間一女子アリ、其母一故家ノ女ニシテ、物語ノ葉子若干卷ヲ藏メ、常ニ此ヲ讀シム、女子强記輙ク讀テ其辭ヲ記億シ、常言往々古詞ヲ用ユ、簾ヲ編ヲ、ミスヲ織ルト云シガ、何ノ書ニ出タルニヤ、所出ヲ問ントスルニ、早世ス、按ニ國吏補ニ、門簾以粗竹織成、不緣飾トアレバ、古昔此間ニテモ織ト云シナラム、

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 遊女體の居る〓に懸る簾、布交ぜの如く墨にて横筋をぬりてあり、もやうに矢の羽などぬりたるあり、

〔遊京漫錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 奈良の藥師につたへたりし、唐簾のいともふるきを得てよめる、 濱臣
もろこしのみぬ花鳥のあやすだれあやしや千世の物をわが得し
淸水大人の都にて得給ひぬとて、花鳥のかたいとおかしく物したる、古きすだれを見せ給ひければ、 茂雄
花鳥ののこるにほひのあやすだれかけてしのびし昔をぞみる

〔俚言集覽〕

〈須〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 すだれあけ 越後國は雪國にて、初冬より暮春迄は、町々宿々の門口簾をたれて降雪をふさぎおり、やう〳〵八十八夜の比より雪もふらずなりて、初めて簾をあけて商ひをひら くを云、

障子/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十四/屛障具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 障子 漢語鈔云、障子、〈屏風之屬也〉

〔白氏文集〕

〈三十四/律〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861謝公東山障子(○○)〈○詩略〉

〔朱氏談綺〕

〈下/居處〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 格子〈シヤウジ〉

〔鹽尻〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 一或人曰、唐にも我國のごとき障子ありやと、曰、牕の字則しやうじの事なり、

〔伊呂波字類抄〕

〈志/地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 障子(シヤウジ)

〔同〕

〈志/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 障子(シヤウジ)

〔八雲御抄〕

〈三下/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 障子 しとろ 覆入鹿吉事

〔撮壤集〕

〈中/家屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 障子

〔藻鹽草〕

〈六/居所〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 障子
しとろ〈覆入鹿吉事と八雲御説、此儀前内府西殿へ尋申處に、佐伯連于麻呂稚犬養連綱田斬入鹿臣、是日雨下潦水溢庭、八席障干覆鞍作屍と、如此注給者也、入鹿の名を鞍作とあらたむる也、〉しやうじのかみ、〈是近代よめる歌也〉とりゐしやうじ、〈通入障子也、紫宸殿御後、七廻中間障子の名也、〉

〔夏山閑話〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 障子と云は、絹にてはり、繪など書たるを云也、賢聖の障子の類なり、今いふからかみふすまのごとし、俗にせうじといふは、あかり障子の事也、

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 一障子と云は、厚く裏表より張りて、或は繪など畫き、或はからかみにてはりたるをば、襖障子と云、又薄き紙、又は生絹などにてはりたるをば、あかり障子といふ也、障子と云は總名也、間々を障へへだつる物なる故、障子と云也、

〔江談抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 古渡南横迷遠水 秋山西繞似屛風〈江佐國〉
又被命云、一昨日江都督被申云、江佐國淳和院眺望詩、上句無其謂、予所案得、寒樹東横應日、此句今案如何云々、但東字下字未思、障子者本障日也(○○○○○○○)、然則其對可叶、〈○下略〉

〔空穗物語〕

〈嵯哦の院三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 御帳のうちそのへんをめぐりてみ給へば、藏人の少將なをしすがたにて、 かべしろとみさうじ(○○○○)とのはざまにたてり、

〔源氏物語〕

〈二/帚木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0862 かうしをあげたりけれど、かみ心なしとむつかりておろしつれば、火ともしたるすきかげ、ざうじ(○○○)のかみよりもりたるに、〈○下略〉

〔家屋雜考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0862 障子 障子は屛障とて、戸、建具、衝立の類をもいふ名なれば、格子をさして、障子としるせる事ども、中古以來の書に多し、明障子といふもの、そのかみは絹布などを用ひし故、うすものの障子などいふ事あり、皆格子の略なり、古代は紙あれども、後世の如く薄紙のかたきはなかりし事故、厚紙にてはりたるを被障(フスマ)などいひ、また紋がらなどあるを唐紙障子とはいひし事なり、

〔松の落葉〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0862 障子からかみ
いにしへ障子といへるは、へだてにものするたぐひをすべていへる名なり、今の世にしやうじといへるものをば、むかしはあかり障子といひたりき、そは古今著聞集に、あかり障子のやぶれよりきとみればといへるにてしられたり、紙ひとひらなるゆゑに、やぶれよりものゝ見ゆるなり、同書に、淸凉殿の弘庇についたち障子をたてゝといへるは、今ついたてといふものゝさまなり、狹衣物語に、かみしやうじに、よべの御ぞをなんかけてさむらひつるとあるも、ついたちやうのものにこそ、かみしやうじとは、紙もてはれるをいふ、きぬにてもはるゆゑに、かゝる名はあるなりけり、又江家次第五の卷に、候於鬼間障子外〈暫閉障子戸〉と見え、宇治大納言物語に、へだてのしやうじのかけがねを、かけてきにけると見えたるなどは、今ひらき戸といふものとおもはる、されば何にまれ、へだてにものするを、みなしやうじといへるになん、 からかみとは、からの紙のめづらしきをもてはやして、いにしへはものゝへだてに、かくることありしをいへり、うつぼの物語樓の上の卷に、三尺のから紙をかけたまへりとあるを見てしるべし、さて後は此からかみを障子にはりて、今のさまにはなれるなるべし、長門本の平家物語には、から紙のしやうじをたて たりけるを、ほそめにあけてといへり、今のに同じ、

障子製作

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 障子(しやうじ/チヤンツウ)
和名抄云、障〈隔也塞也〉屛風之屬也、
唐史言、楊國忠選妓肥大者、行列遮風、謂之肉障
按、以杉木(○○)纎削、縱横組成、單貼紙(○)、以可風、名之明障子、〈檜次之、槇又次之、〉腰(○)以下施板者、名腰障子、以避下吹雨(シフキ)
いぐしさすついなのよはの杉しやうじ一よ明れば春に社なれ

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 障子(シヤウジ) 骨格(ホ子/○○)

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 蔀遣戸幷障子 倭俗良賤家宅、〈○中略〉縱横以細木骨、貼白紙於外面、以二枚六尺三寸一間之際、左右便開闔、遮日又防風、是謂障子、言障風日之義也、又號明障子、隔紙一片而因明也、内外兩面貼紙、是謂太鼓張(○○○)、是亦雖明、不一方張之者、又兩面以厚紙之、謂襖障子、未紙之前號障子骨

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 一淸凉殿〈○中略〉朝餉
後凉殿布障子、如渡殿土居(○○)、〈立少柱打付、有用之時撤之、〉

〔源氏物語〕

〈五十三/手習〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 さるべきおりにやありけん、さうじのかけがね(○○○○)のもとに、あきたるあなををしへて、まぎるべき木丁など引やりたり、

〔十訓抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 土佐判官道淸と云者有けり、〈○中略〉女房あなむつかしやと云て、袴をきておくの方へ入る、中障子引たてゝかけがねうちかけて、また云事なかりけり、

〔類聚雜要抄〕

〈二/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 移徒作法〈○中略〉
永久五年七月二日、關白〈○藤原忠實〉右大臣殿〈○右大臣恐内大臣誤、時忠實子忠通爲内大臣、〉移御鴨居殿障子帳、東西遣戸障 子、有各引物(○○)

〔もゝしき〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 荒海障子幷布障子等引手(○○)製皮如圖〈○圖略〉
藍革一枚 文菱 赤革一枚 無文

〔おほうみのはし〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 中つかさのみこ、御數寄屋をいみじくこのみ給ひて、たてさせ給ふ、御ふすまの門松、萬歲など、年のはじめの景物をゑがゝせたまひて、引手をあはびの貝にし、御ふくろだなのひきて(○○○)を、丸ののもじにせさせたまひけるを、民部卿〈冷泉大納言爲村〉見給ひて、
しめかざり松を引く手ののしあはび間毎にめでたう候はれける、と申されければ、みこかしこく興ぜさせ給ひける、

〔消閑雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 すべて人の心は、ものに著せず、とゞこほりなきやうにもてなすべきことなり、これ無事の上の有事なり、よく工夫すべきことなり、
我戀は障子のひつて(○○○○○○)嶺の松火打袋に鶯のこゑ、此うたの心は戀慕の一念あれども、目前の障子の鐶鉤とうちみて、やがて嶺の松ときゝ過ぎ、火打袋のこち〳〵を、いかにや〳〵とおもふうちに、そのまゝ鶯のこゑなりけりとうつりし念頭、一點もとゞこほらず、當下一念の今日底なり、

障子種類

〔延喜式〕

〈十五/内藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 元正預前裝飾大極殿、〈○中略〉障子十二枚、〈韓紅花綾表(○○○○○)、白綾裏(○○○)、○中略〉與内匠主殿掃部等寮共依例裝束、

〔台記別記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 久安六年正月七日乙酉、今日無上達部殿上人諸大夫饗、所々敷筵、〈○中略〉寢殿簾中調度未立、上達部座障子可絹(○○)、今日猶爲唐紙、不然、〈九日張絹〉

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 案に布障子(○○○)とは、多く白布にて張て、墨繪書たるもの多し、春日權現驗記の畫卷物にも、白き障子に、墨繪にて牡丹に獅子書たるもの有、これ布障子なり、

〔安齋隨筆〕

〈後編二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 一藏人所布障子 源氏桐つぼの卷、弄花抄に云、藏人所は、禁中、仙洞、執柄大臣家 にもあり、殿上の間の次の間に布障子をへだて、藏人所と云、地下の者候する所也、

〔儀式〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 踐祚大嘗祭儀
卯日平明、〈○中略〉次倉代十輿、〈作黑木四角屋形檜葉、其裡張布、塗以白士、其屋形以白細布鴛鴦障子于四面、〉

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 相撲召合裝束
前一日、令主殿寮掃除南庭、〈○中略〉置殿東廂布障子二枚於北廂、〈掃部寮官人率史生以下供奉、但近例本無此障子、〉

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 一淸凉殿〈○中略〉渡殿
北副高欄布障子二間〈立柱打付〉畫打毬

〔枕草子〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 板屋せばき家もたりて、〈○中略〉底いときよげにて、紫がはしていよすかけわたして、ぬのさうじはりて住居たる、

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 天永三年十月十九日癸卯、可御新造大炊殿也、予〈○藤原宗忠〉依上卿、辰時許著束帶參仕、〈○中略〉見廻所々之處、朝干飯壼布障子、皆悉畫馬形、里亭多相具打毬也、仍俄可具打毬圖之由、下知繪師信貞、則令畫圖、了令立替

〔狹衣〕

〈三上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 おはしつきたれば、かどなどもなくて、たゞくぎぬきといふ物をぞしたりける、道すゑをいれて、もしありし山ぶしやあると、たづねさせ給へば、しばしありて、とくたゞいらせ給へとあれば、しるべするまゝに入給へり、すこしはなれたる所の、かみさうじ(○○○○○)などばかりにて、あらあらしきかりそめのゐどころと見えたり、

〔本朝無題詩〕

〈二/屛風付書障〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865懷題紙障 藤原通憲
寸祿斗儲求豈得、生涯本自任浮沈、顧身遂識榮枯分、在世獨慵遊宦心、晉桂當初難入手、呉桐何日遇知音、一篇狂句一壼酒、箇裡時々足醉吟

〔散木弃謌集〕

〈九/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 隆源阿開梨、七條房にまうすべきことありて、たび〳〵まかりけるに、いたはるこ と有とて、あはざりければ、かみさうじにかきつけはべりけり、
こりはてぬにゑの初雁あさにする宿にもあらで人かへしつる

〔散木弃謌集〕

〈十/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 よしの山の君といふ僧の房の、たきのかみ障子にかきつけたりける、
瀧のいとみにくる人もなし
これをきゝて、すゑにかきつけ侍りける、
谷川の心ぼそさにかきたえて

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 文曆二年〈○嘉禎元年〉三月十日、夜月明而映梅花、開紙障子閑庭

〔日本書紀〕

〈二十四/皇極〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 四年六月戊申、佐伯連子麻呂、稚犬養連綱田、斬入鹿臣、是日雨下、潦水溢庭、以席障子(ムシロシトミ/○○○)鞍作屍

〔日本書紀通證〕

〈二十九/皇極〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 席障子(ムシロシトミ)〈所謂紙障子、襖(フスマ)障子之類、漢語鈔障子、屏風之屬、倭名鈔、篰亦作蔀、和名之度美、所謂波之度美、蓋端篰也、周禮註、篰覆暖障光者也、〉

〔儀式〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 踐祚大嘗祭儀
五間正殿一宇、構以黑木、〈○中略〉其堂東南西三面、並表葦(○○)、裡席障子(○○○○)、

〔運步色葉集〕

〈須〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 杉障子(○○○)

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 家々文事、各當家の文ヲ、車輿ノ網代以下ニ付之、或杉障子ノ緣ノ繪、或ハ唐紙障子ノ文等、一切ノ家中家具ノ蒔繪以下ニ、皆家ノ紋ヲ付ル也、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 嘉祿三年〈○安貞元年〉正月廿日庚午、今日杉板障(○○○)子三間畫圖了立訖、女繪文字木書之、

〔秋の夜の長物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 更行かねのつく〳〵と、月のにしにめぐるまで待かねたる所に、からかきの戸を人のあくるをとするに、書院の杉障子よりはるかに見いだしたるに、〈○下略〉

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 襖障子(フスマシヤウシ/○○○)

〔易林本節用集〕

〈不/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 襖障子(フスマシヤウジ)

〔後奈良院御撰何曾〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 もろこしにたのむ社のあればこそまいらぬまでも身をばきよむれ
唐紙せうじ(○○○○○)

〔後奈良院御撰何曾之解〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 もろこしの社は唐神の意なり、身をきよむるは精進の意なり、精進障子、ともにしやうじとも、さうじともいへば、合せてからかみさうじと解たるなり、さて此ものは、今からかみとのみいふは略語なり、ふすまといふは、もと衾の名なるを、臥席の間にたつるよりかくもいふなり、からかみ障子とつゞきて一種の名なり、今世にいふ如く、からかみと障子とふたしなにはあらず、今いふ障子は、むかしはあかり障子といへり、たゞ障子といふ時は、すなはち裏表ともに張かさねたる、今のふすまのことなり、間を障へへだつるによりて障子といふなり、子は金子、扇子、鑊子などいふに同じ、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 障子(しやうじ)
寢間(フスマ)障子〈俗用衾字非也、衾者寢衣之類、〉以障子格兩面張塞、不明、而可以隔寢間及防上レ風、又有鈕鐉而(ヒキテカキカ子)可盜、

〔倭訓栞〕

〈前編二十六/不〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 ふすま ふすま障子は、襖の字を書り、紙被に似たるよりの名なるべし、唐詩纂要に紙門とも見えたり、

〔松屋筆記〕

〈八十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 被障子
今世からかみといふは、被障子の事也、三内口決、殿幷家作等事ノ條に、本主殿ノ間ニ有帳臺、〈南面〉與公卿座之間被障子二間云々、此被障子からかみの事也、

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 一ふすま障子と云は、表裏よりはりたるを云、今はから紙といふ人有り、

〔倭訓栞〕

〈前編六下/加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 からかみ 韓紙の義もあり、千載集にからかみのかたぎ(○○○○○○○○)と物名に見えたり、俗に衾障子をしかいへり、西土に粉箋と云ふ印紙也といへり、

〔玉勝間〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 から紙 同記〈○台記別記〉に、寢殿簾中調度未立、上達部座障子可絹、今日猶爲唐紙、不然とある、この唐紙は、唐國の紙をたうしといふ、それにはあらじ、これは今の世にも、衾障子にはる、紋ある一種の紙あるそれなるべし、これを唐紙といふよしは、ひまなく紋の有て、よのつねの紙とはそのさま異なれば也、すべてよのつねなると、ことなる物をば、唐某といふ、つねのこと也、さていにしへに障子といへるは、多くは衾障子のことにて、今いふ障子はあかり障子也、さて又ふすま障子といふよしは、衾をひろげたらんやうに張たる故也、今世にこれをたゞにふすまとのみいふは、庖丁刀といふべきを、庖丁とのみいふと同じたぐひの省名也、又此衾障子をから紙ともいふは、件のから紙して張たるよしにて、唐紙障子のはぶき也、

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0868 韓紙 倭俗是謂加羅加美、今處々製之、然東洞院二條南岩佐氏所製尤爲宜、張襖障子專用之、

〔千載和歌集〕

〈十八/物名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0868 からかみのかたぎ
よとともに心をかけて賴めども我からかみのかたきしるしか

〔撮壤集〕

〈中/家屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0868 明障子(アカリ/○○○)

〔水蛙眼目〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0868 或人物語云、中院禪門と阿佛房とゐられたる所へ爲氏まかりて、えんにてこはづくりて、あかり障子をあけていらんとせられけるを、阿佛房障子の尻ををさへて、あかり障子をかくし題にて一首あそばし候へ、あけ候はんと被申ければ、とりあへず、
いにしへのいぬきがかひしすゞめの子飛あがりしやうしとみるらん、とよまれければ、あけてわらひて入られけり、たはむれながらにてき心にてやありけん、源承法眼の説とてかたりき、

〔後奈良院御撰何曾〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0868 火をともし候ぞ御入候へ あかりせうじ

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0868 あかりしやうじ 明障子也、唐山の牕なるべし、まさすけに、ぬりこのあかりさう じと見えたり、ぬりこは塗子也、障子紙は、天工開物に櫺紗紙と見ゆ、

〔柳亭記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 疊 障子
昔の障子は、今いふからかみなり、大内のあら海の御障子ととなふるものなど、畫からかみなるは、たれ〳〵も知る事なり、その障子の骨に、たゞ一重紙を張るは、明をとらんが爲なれば、明り障子といひしが、今の障子なり、俗に障子の板を腰といふ、その板のなきを、明障子といふとはたがへり、からかみといふは、唐紙に張たる障子といふ事なるべけれど、ふすまといふ意更に考へえず、十訓抄二卷初丁ウラ、御使を椽にすへ、あかり障子をへだてゝこゝに謁す、古事談三の卷、美作守顯能の許に云々の條に、雜色相具シテ遣タリケレバ、明障子ノ内ニ讀經シテアリ云々、明障子といひし事、是より古くありしが、意をとめず見すごして、何の書なりしか忘れたり、見出して書加ふべし、

〔江談抄〕

〈二/雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 先考〈○大江成衡〉以明障子四面、其中曝凉家文書

〔十訓抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 江帥は又めでたき相人なりけり、淸隆卿因幡守の時、院の御使として來れり、帥持佛堂に入て念誦の間なりければ、御使を緣にすへて、あかり障子を隔て此に謁す、〈○又見古事談

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 その二かゐのみなみに、〈○中略〉おなじきまのもやに、〈○中略〉かもゐををきてのち、ぬりこのあかりそうじをまごとにおほふ、

〔三中口傳〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 中ノ間明障子用紙事
中間明障子、爲紙事常事也、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 天福二年八月廿二日戊子、今日藻壁門院周忌御法事、〈○中略〉後日參拜、見端立明障子御墓上、置石倉犬禦云々、

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 相摸守時賴〈○北條〉の母は、松下禪尼とぞ申ける、守をいれ申さるゝ事有けるに、すゝけた るあかりさうじのやぶればかりを、禪尼手づから小刀して、きりまはしつゝはられければ、せうとの城介義景、其日のけいめいして候けるが、給はりてなにがし男にはらせ候はん、さやうの事に心得たる者に候と申されければ、其男尼が細工によもまさり侍らじとて、猶一間づゝはられけるを、義景みなを張かへ候はんは、はるかにたやすく候べし、まだらに候もみぐるしくやと、かさねて申されければ、尼も後は、さは〳〵とはりかへんとおもへども、けふばかりはわざとかくて有べきなり、物は破たる所ばかりを修理して用る事ぞと、わかき人に見ならはせて、心つけんためなりと申されける、〈○下略〉

〔述齋偶筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 あかり障子のこは尋常にすべし、巧に過たるほどくらし、

〔安齋隨筆〕

〈後編十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 一雨障子(○○○)をはるには、糊に酢を少し加へたるがよし、からかさつくろひにも、酢のりよし、

〔鳩巢小説〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 一堀田筑前守殿、〈○中略〉存生ノ内ハ、常憲院樣〈○德川綱吉○中略〉役者ヲ御近習ニ被召仕候コトナド無之候、一度御能有之筈ノ處、俄ニ雨天ニ相成候テ、油障子(○○○)ヲ可申付由、牧野備後守ドノ申サレ候、筑前殿被申候ハ、タトヒ公家衆ナド御馳走ノ御能ニテ、一度モ二度モ延候以後、雨天ニ候ババ油障子被仰付御能有之可然候、是ハ御慰ノ御能ニテ候、雨天ニ候ハヾ、イク度モ御延引ナサレ、イツニテモ晴天ノ節仰付ラレタルガヨク候由、達テ申上ラレ、御能止、

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 衝立障子(ツイタチシヤウジ/○○○○)

〔節用集〕

〈門〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 衝立障子(ツイタチシヤウジ)

〔易林本篩用集〕

〈津/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 衝立障子(タテシヤウジ)

〔倭訓栞〕

〈中編十五/都〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 ついたて 俗に屛風を云、衝立の義也、七修類稾にいふ硬屛も是なるべし、枕草子に、ついたてさうじと見えたり、肥前につきたて、豐州にさらふといふ、

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 一今世、ついたてと云物、古はついたち障子といひし也、

〔枕草子〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 人のいへにつき〴〵しき物
つゐたてさうじ

〔古今著聞集〕

〈十一/畫圖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 小野宮のおとゞ、つゐたち障子(○○○○○○)に松をかゝせんとて、常則をめしければ、他行したりけり、さらばとて公望をめしてかゝせられにけり、後に常則をめして見せられければ、かしら毛芋に似たり、他所難なしとそ申ける、常則をば大上手、公望をば小上手とぞ世には稱しける、

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 もやひさしのてうどたつる事〈○中略〉
この屛風たつる所に、ついたてさうじをたつる事あり、おもてきぬ、にしきのへりををしたり、

〔江家次第〕

〈九/九月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 十一日小安殿行幸裝束〈○中略〉
小安殿中央戸東西掖、至大極殿北戸東西掖、南北行曳大藏省綱班幔、同殿馬道東三間傍柱内、立信濃布大障子、西四間又立同障子、馬道内東西掖南北立同障子、其間南北行立同大衝立障子(○○○○○)

〔永昌記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 嘉承元年七月廿三日壬子、今日又御物忌、可九社奉幣、〈○中略〉其儀、小安殿南面除東一間幷馬道、立布障子、馬道東西立同突立障子(○○○○)五基、〈二基立東、二基立四、一基立中央、〉

〔名目抄〕

〈雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 通障子(ツシヤウシ/トヲリ)

〔倭訓栞〕

〈中編十五/都〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 つしやうじ(○○○○○) 通障子、と書り、禁中にあり、建武年中行事に、とほり障子といふ人あり、ひがこと也、大なるついたて障子に、みすかけたる也と見えたり、

〔江次第抄〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 通(ヅ)障子 或訓透(トヲリ)障子、訛也、長一丈二尺、高七尺許、上下張錦、内張隼人簀、大衝立障子、懸御簾者也、

〔右大辨忠長朝臣記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 注進、南殿通障子事、御絹一疋代一貫二百文、かうらい六尺代一貫文、五三支代百五十文、三色木三支代百五十文、かみ代二百文、漆師代五百文、かな物代一貫二百文、番匠手間代 五百文、からかみしの手間代五百文、みすあり、以上五貫四百文、右注進如件、應永卅四年十月廿九日遠廣判、

〔新儀式〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 皇太子加元服
皇太子將元服、〈○中略〉又御帳西立通障子二基

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 東宮御元服
一不通障子
舊記、件通障子自例北去一尺七寸、爲威儀御膳也云云、

〔左經記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 寬仁二年正月七日辛丑、早旦攝政殿〈○藤原賴通〉令參下給、御元服賀表、〈○中略〉出通障子西妻、取表筥還出、奉攝政殿

〔運步色葉集〕

〈登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 通入障子(トリイシヤウシ/○○○○)〈紫宸殿后七廻中間障子名〉

〔易林本節用集〕

〈登/乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 通入障子(トリイシヤウジ)〈紫宸殿後七回中間云障孑、又作鳥居障子、〉

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 享保十二年八月十二日、華表ノ字ヲ、トリイト訓ズルハ不當ト、淺見安正ガ申タリ、モト鳥居ト云ハ、 トシタ形ナモノヲトリイト云、トリイ障子ナド云モ、ツイタテニ障子ヲハメタルモノ也、トテモ漢字ノナキモノハ、假名ニテ鳥居ト書ガヨシト仰ラル、〈(中略)鳥居トカキテモカナ也〉

〔安齋隨筆後編〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 一鳥居障子
請問
鳥居障子ハ、衝立障子の事歟、如何、〈通障子別なる事勿論〉
鳥居障子は通障子にては無御座候哉、通リ入ルとかな書にて、鳥居障子と申由、承り傳る計御座候、舊記の考は無御座候、

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 久安五年十月廿五日癸酉、今日任太政大臣云々、〈○中略〉 西第二間鳥居障子上、同垂御簾

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 淸凉殿
母屋東西鳥居障子五間 各絹張、紺靑引、極彩色、本文之通、
土佐土左守光貞
北一ノ間 同ニノ間 同三ノ間 同四ノ間 同五ノ間
東廂南面〈大唐戸東也〉 同
〈鳥居障子一間、極彩色、各畫之上色紙形アリ、鳥居障子之上、小壁張附、各絹紺靑引、極彩色、本文之通、〉

〔躬恒集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 同〈○延喜〉十六年九月廿二日、近江介のせうそくに、法皇明日石山に御幸あるべし、いとまあらばけふ中にくべしと云々、仍まかりたれば、屛風障子(○○○○)あり、これに所々のおもむきを題すべきとあれば、よのうちにかくべし、其題も汝かけとあり、いなふれどあればかき侍りぬ、〈○中略〉
いづみにてしづみはてぬと思ひしをけふぞあふみにうかぶべらなる

〔類聚雜要抄〕

〈二/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 御裝束行事〈○中略〉
永久五年七月二日、關白〈○藤原忠實〉右大臣殿〈○右大臣恐大臣誤、時思實子忠通爲内大臣、〉移御鴨居殿障子帳、東西遣戸障子(○○○○)、有各引物、南面立脇障子、在引物、後押障子、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 嘉祿三年〈○安貞元年〉四月五日、高野老僧以木筆墨繪誂遣障子(○○○)、昨日持來由有命、障子被唐綾、筆勢實以珍重、見了參東殿云々、

〔撮壤集〕

〈中/家屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 腰障子(コシ/○○○)

〔安齋隨筆後編〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 一昔の腰障子は、人のつくばひて影の見へざる程に、こし高かりしなり、今のこしひくき障子は、古田織部の物數寄にて、近代の作也、

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 長享二年三月十一日、申科紙於内裏、張安禪寺殿正面腰障子八間了、可御作善之故也、

〔源氏物語〕

〈二/帚木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 にしおもてのかうしそゝきあけて、人々のぞくべかめり、すのこの中の程にたてたる、こそうじ(○○○○)のかみより、ほのかにみえ給へる御有さまを、身にしむ計おもへる、すき心どもあめり、

〔もゝしき〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 淸凉殿小障子十分一之圖〈絹張表猫、裏竹ニ 雀、緣軟錦如昆明池、金物金銅 緣臺足等黑漆○圖略〉

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 淸凉殿
小障子 〈仕立同上(絹張緣軟錦極彩色)〉 畫〈表裏〉 〈猫 竹ニ雀〉 土佐左近將監

〔西宮記〕

〈臨時八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 藤花宴
天曆三四十二、於飛香舍藤花宴、〈○中略〉當庇中戸南五尺障子(○○○○)、其西在御酒具

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 一淸凉殿〈○中略〉
二間〈○中略〉
御本尊寄障子(○○○)

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 宜陽殿
陣座寄障子 養由基射猿 土佐左近將監

〔運步色葉集〕

〈久〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 畫障(○○)

〔尺素往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 書院置物者、〈○中略〉障子者、彩色四季之倭畫、招繪所圖(ウツサ)之、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 障子の色紙形(○○○○○○) 障子は、今俗にいふふすま也、紙布綾にても張事也、それに畫をかき、或は色紙形を押事なり、

〔帝王編年記〕

〈十二/嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 弘仁九年四月庚辰、是日有制、改殿門號題額、凡大内賢聖(○○)、幷昆明池(○○○)、荒海障子(○○○○)等、弘仁年中各被畫圖

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0875 一淸凉殿
弘廂〈板九枚、北有荒海障子(○○○○)、南方手長足長、北面宇治網代布障子(○○○○○○○)、墨繪也、二間與上御局之際立昆明池障子(○○○○○)、閑院無上御局、仍荒海障子副二尺許、爲路立之、南昆明池、北嵯峨野小鷹狩、南切妻有鳴板、號見參板、不打付也、〉年中行事障子(○○○○○○)〈向上戸立之、春東方也、人一人路程置立之、○中略〉
渡殿
二行各二疊敷責端、公卿在殿上之日、不花族諸家非色又著之、不然之時、可然之人不著之、北副高欄布障子二間、〈立柱打付〉畫打毬、向下戸、横女官戸路通立障子、〈馬形號波禰馬也〉其西南二間有遣戸、其下一間籠下女房住、如手水物燒火水、自中古事歟、高遣戸侍臣已下參所也、〈○中略〉
臺盤所
中間臺盤東漆厨子上置菓子等、其南立馬形障子(○○○○)、鬼間方奧一間出也、〈○中略〉ニ間際程副北立馬形障子、西立布障子、其外號刧簾、一間懸、遣戸御簾二間也、抑臺盤所東北障子、到鬼間マデ和繪也、
朝餉
二間〈南平敷二枚〉〈北上〉〈東北立屏風、絹屏風、〉夜御殿方有副障子、〈○中略〉臺盤所方障子和繪、御手水間方障子畫猫、後凉殿布障子如渡殿土居、〈立少柱打付、有用時撤之、如五節肩脱也、近代引馬繪也、是僻事也、宗忠公記打毬騎馬唐人之由也、○中略〉簀子南立馬形障子、〈○中略〉一南殿〈紫宸殿〉
北障子、號賢聖障子(○○○○)、〈賢聖畫之、上色紙形、近代不本女、彼等藝能也、此障子裏方畫唐花、御帳間戸、畫獅子狛犬、障子上畫書之龜本文心、障子戸三也、〉

〔古今著聞集〕

〈十一/畫圖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0875 南殿の賢聖障子は、寬平の御時始てかゝれける也、其名臣といふは、馬周、房玄齡、如晦、魏徵、〈自東一〉諸葛亮、蘧伯玉、張良、第五倫、〈同二〉管仲、鄧禹、子産、蕭何、〈同三〉伊尹、傅説、太公望、仲山甫、〈同四〉李勣、虞世南、杜預、張華、〈自西四〉羊祜、揚雄、陳寔、班固、〈同三〉桓榮、鄭玄、蘇武、倪寬、〈同二〉董仲舒、文翁、賈誼、叔孫通、〈自西一〉等也、此人々の影をかゝれける、彼麒麟閣の功臣を圖せられたる跡をおはれけ るにや、はじめは色紙形に銘をかゝれたりけり、されば道風朝臣の申文にも、七度けがせるよし載たり、其銘いつ比よりかゝれずなれるにか、當時はみえず、色紙形ばかりぞ侍りける、承元に閑院の皇居燒、卽造内裏ありけるに、本は尋常の式の屋に、松殿作らせ給たりけるを、此度あらためて大内に摸して、紫宸、淸凉、宜陽、校書殿、弓場、陣座など要須の所々たてそへられける、土御門の内裏のかゝりける所とぞ聞えし、地形せばくて紫宸殿の間數をしゞめられける、〈○中略〉くはしく尋て注すべし、大内にては、此障子をみなはなちをかれて、公事の時計ぞ立られける、御秘藏の儀にて侍けるにや、建曆に閑院にうつされて後は、すべてとりはなたるゝ事なし、又鬼間の壁に白澤玉をかゝれたる事は、むかし彼間の鬼のすみけるを、鎭られける故にかゝれたる事とは申つたへたれども、たしかなる説をしらず、又淸凉殿の弘廂についたち障子を立て、昆明池を圖せられたり、そのうらに野を書て、片方に小屋形あり、又近衞司の鷹つかひたるをかけり、是は雜藝に侍る嵯峨野に狩せし少將の心とぞ、彼少將といふは、大井川のほとりにすみける季綱の少將の事にや、かの大井の家を出て、嵯峨野に狩しけるをうつしけるにこそ、又萩の戸のまへなる布障子を、荒海の障子と名付て、手長足長など書たり、その北うらは、宇治の網代を書り、淸少納言が枕草子に、此障子の事も見へたり、一條院このかたにかゝれたるとこそ、大かた淸凉殿の唐繪にも、みな書ならはせる事ども侍り、
渡殿に、はね馬よせ馬の障子を立て、又同じ渡殿の北邊、朝がれゐの前に、馬形の障子侍り、陣座の上に、李將軍が虎を射たる障子をよせかけ、校書殿には、養由基が猿を射たる障子を寄立たり、これみないづれの御時よりといふ事をしらず、由緖かた〴〵おぼつかなし、閑院に大内を移されて後、よせ馬の障子、幷に李將軍養由が障子など沙汰なかりけるを、四條院御時、西園寺相國禪門修理せられける時、頭中將資季朝臣申起てたてられたり、いと興ある事也、此障子の繪本ども、鴨 居殿の御倉にぞ侍なる、建長造内裏の時、繪所の預前加賀守有房、繪本をもたざりければ、取出してかゝせられけり、昔し彼馬形の障子を金岡が書たりける、夜々はなれて萩の戸の萩をくひければ、勅定有て其馬をつなぎたるていを書なされたりける時、はなれず成にけりと申傅へ侍るは、誠なりける事にや、

〔本朝文粹〕

〈六/奏狀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0877殊蒙天恩山城守任近江權介狀 小野道風
右道風、謹撿近代拜除之例、自當寮頭四品之榮爵者、不年曆預一國之烹鮮焉、〈○中略〉道風從爵級、數移星灰、〈○中略〉少藝小能、非神非妙、然而紫宸殿之皇居、七廻書賢聖之障子、大嘗會之寶祚、兩度黷畫圖之屛風、臨時奉勅不勝計、〈○下略〉

〔名目抄〕

〈禁中所々名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0877 賢聖障子(ゲンジヤウノシヤウジ/○○○○)

〔大内裏圖考證〕

〈十上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0877 賢聖障子
諸書作御障子又北障子、西宮記作障、江次第作絹御障子萇秋記作賢聖圓障子
西宮記〈旬〉曰、天皇出御、〈中略〉有天氣稱唯、經東庇母屋障(○)邊西行、過障戸之間、江次第〈元日宴會〉曰、南殿北廂立御障子(○○○○)、〈件障子、尋常可立、而近例除南殿有事日之外放之、置於南殿西御膳宿、件御膳宿鑰、内匠寮官人隨身參入開之、幷藏人催之、〉江次第〈相撲召合装束〉曰、上南殿御格子、〈注略〉酒掃殿上、〈注略〉置殿東廂布障子二枚於北廂、〈中略〉御帳乾角傍絹御障子(○○○○)廻五尺之大宋御屛風二帖云々、

〔河海抄〕

〈一/桐壺〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0877 紫宸殿〈謂之南殿〉御帳同淸凉殿無几帳、立御倚子、北ニ立賢聖障子、御帳間戸書師子狛犬、又御帳外南面母屋、庇南格子ハ、常ハ被下之由、見建曆御記

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0877 賢聖の障子
賢聖の障子の畫は、むかし漢の宣帝の時に、畫功臣十一人於麒麟閣と見えし、是後世に至りても、功臣の像を圖するの始なり、

〔皇年代略記〕

〈陽成〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 〈首書〉物狂帝、元慶元三月、大納言南淵年名設尚齒會宴、二年九月、太上天皇奉太皇太后五十笇、扶桑略記、二月四日乙未、〈○中略〉是日天皇出綾綺殿遷幸二條院、賢聖障子始被立之、

〔日本紀略〕

〈醍醐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 延長六年六月廿一日、仰少内記小野道風、令漢朝以來賢君明臣德行於淸凉殿南廂粉壁

〔日本紀略〕

〈醍醐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 延長七年九月日、令少内記小野道風改書紫宸殿障子賢臣像、先年道風所書也、帝給御衣

〔内安錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 一賢聖御障子の色紙形、本文之書は、書博士の甲斐流にて、恰好釣合奇妙也、唐樣にても不釣合、御家流にても、不釣合也、醫者の手迹のチヤン唐樣も釣合よき物也、

〔鳳闕見聞圖説〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 紫宸殿
南面ノ中央に、紫宸殿と云額有、〈○中略〉岡本治部大輔賀茂保孝の筆也、内に賢聖障子あり、江戸法印榮川院狩野典信の畫也、上に傳あり、保孝の書也、

〔本朝畫史〕

〈二/上古畫錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 巨勢金岡、〈○中略〉畫皇居南庇東西障子、作歷代鴻儒像、所謂紫宸殿賢聖像是也、金岡始畫之、小野道風書其賛詞、其後數百年來、當時繪所預畫之、或一時名畫史應詔者、至今不絶、當其撰者爲畫家之榮焉、賛詞亦如是、雖然賛詞不傳、〈金岡所圖古像之粉本十二人者、余家世所藏也、最右銘存于今、惜哉此外之像不相傳、〉只使當時能書搢紳書名於其上、多世尊寺家書之、近世持明院家獨掌此事矣、〈○中略〉或記、晩年剃髮、閑居仁和寺、醍醐帝有勅令賢聖障子、金岡假著髮又戴冠、粧男子之容貌、登紫宸殿之云々、

〔隨意錄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 宇多帝時、巨勢金岡以畫圖名當時、帝勅令古聖賢像于南庇東西障子、爾後以爲舊例、後堀河帝時、辨内侍者、藤原信實之女也、見賢聖障子有三口日、擇我朝忠臣孝子、如許圓之書之、則此國亦有忠孝人、須勸勵、鳴呼無之之世哉、時帝聽之大感嘆、賜女位、内侍固辭不肯受云、此内侍之言實是矣、其慮賢乎丈夫哉、

〔後二條關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 寬治七年正月十三日辛卯、南殿御障子、賢聖圖目錄、卅二人(○○○)、

〔大内裏圖考證〕

〈十上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 古文書賢聖列
東一間 馬周 房玄齡 杜如晦 魏徵
二間 諸葛亮 蘧伯玉 張良 第五倫
三間 管仲 鄧禹 子産 蕭何
四間 伊尹 傅説 太公望 仲山甫
戸間 〈文龜〉 〈獅子狛犬〉
四間 叔孫通 賈誼 文翁 董仲舒
三間 倪寬 蘇武 鄭玄 桓榮
二間 班固 陳寔 揚雄 羊祜
西一間 張華 杜預 虞世南 李勣
年中行事後附賢聖障子次第
東一 魏徵 杜如晦 房玄齡 馬周
二 第五倫 張良 蘧伯玉 諸葛亮
三 蕭何 鄧禹 公孫僑 管仲
四 仲山甫 太公望 傅説 伊尹

四 叔孫通 賈誼 文翁 董仲舒
三 倪寬 蘇武 鄭玄 桓榮
二 班固 陳寔 揚雄 羊祜 西一 張華 杜預 虞世南 李勣

〔大内裏圖考證〕

〈十上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 賢聖障子
世尊寺補任曰、行俊卿、應永六年正月五日叙從三位、書賢聖障子、幷時簡賞、
按、右粉本、今傳世者、有馬周、房玄齡、杜如晦等圖、圖上記小傳、所謂銘者卽是矣、又有魏徵、諸葛亮、蘧伯玉三圖、亦傳世、稱賢聖障子粉本是也、此三像者、大學寮九哲中之圖也、

〔好古小錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 賢聖障子粉本〈畫者姓名不傳、但正和前粉本也、〉
畫所預家ニ傳ル所、馬周、房玄齡、魏徵、杜如晦、四人ノ粉本也、按土佐家傳云、刑部大輔吉光、正和中南殿障子畫賢聖ト、此等ノ摸本今傳ラズ、惜ムベシ、

〔好古小錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 大學寮九哲粉本〈殘缺、畫者姓名不傳、〉畫所預家ニ傳ル所、世ニ誤テ賢聖障子ノ粉本トス、畫力賢聖障子ノ粉本ニ及バズ、

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 紫宸殿
賢聖御障子〈東四間西四間〉 〈像之上各有色紙形、絹張、緣軟錦、靑地、〉
〈江戸 法印榮川院〉狩野典信
北面 極彩色花鳥
中央門戸 畫極彩色 獅子狛犬 中央戸之上 同 負文龜本文之心
東面之戸裏 同 花鳥

〔賢聖障子名臣冠服考證〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 右臣謹按、寬平中、畫員神泉苑監巨勢金岡所畫賢聖障子名臣圖、歷朝寶愛、離合設之、是以屢免回祿、至建曆中猶存、順德帝朝取士御殿之閑院、以其釘定不一レ動、似建長之火遂失處所矣、旋又造内、又粗竄改、則障子圖旣非舊也、嗣後兵燹相踵、禮文掃地、雖其竄改者亦不見也、幸也傳馬周、房玄齡、杜如晦三圖粉本、描法可觀、章服皆合唐志、假令非寬平之舊、亦可依焉、又年中行事書屛摸本賭射圖内、存羊祜以下至倪寬八圖、但圖大僅寸計、他物又蔽虧、其詳不知焉、然 以意近而察之、其梗槩亦不志説、是亦可據也、今此二本、十有一圖、並依舊圖、不敢加一レ私、又就閻立本十八學士圖、李公麟孔門弟子圖、内取蘧伯玉、虞世南二圖、其餘則本之六經傳注禮家圖説、考之歷代志、及六典、通典、玉海、文獻通考、圖書集成等書、旁搜索諸家雜記、參以蘭亭修禊圖、二王像張易之理瓜圖等諸名蹟、與大學頭〈臣〉林信敬等雜議詳定、授畫員〈臣〉狩野典信、新立圖者凡十有九名、幷舊圖十有一名、旁取圖二名、通計三十有二名(○○○○○○○)、彩繪備焉、年代縣邈、圖記寡徵、〈臣〉等寡陋、非敢謂當時之禮容必審如一レ斯矣、庶幾乎戴籍之文義、無大滅裂也、其引證取捨之説、謹繕寫上呈如此、
寬政二年八月日 儒員〈臣〉柴邦彦記

〔栗山文集〕

〈二下/序記〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0881 賢聖障子名臣像縮本帖子記
紫宸殿母屋北楹九間、隔以裱槅、以寬平中勅令歷代名臣、稱之曰賢聖障子焉、毎障高七尺、濶七尺有五寸、衣以白縑、四邊軟錦、池三寸飾之、四圍又護以二寸髹漆木貼、凡全障之大、高八尺、濶八尺有五寸也、當中一障戸、雙扇高五尺有五寸、濶各三尺有二寸有五分、紙鈕開闔、以通御路、其左扇則畫獅子、右扇畫狛犬、皆向内而蹲、高可二尺有五寸、戸上平額一尺有五寸、當負文龜、龜甲大七寸許、其餘八障、東西分設、毎障四像、像長約三尺有五六寸、東則列馬周、房玄齡、杜如晦、魏徵、諸葛亮、蘧伯玉、張良、第五倫、管仲、鄧禹、子産、蕭何、伊尹、傅説、太公望、仲山甫十有六圖、西則列季勣、虞世南、杜預、張華、羊祜、揚雄、陳寔、班固、桓榮、鄭玄、蘇武、倪寬、董仲舒、文翁、賈誼、叔孫通十有六圖、東第二障西邊與西第二障東邊、皆有戸、偏扉高如中戸高、其濶則四障之一、第五倫與班固皆在戸、上邊池護貼亦附戸開闔焉、各像上方糊列金畫彩箋二幅、以錄其小傳、箋長尺有一寸、其濶八障之一、五色班駁、兩兩相比、以襲衣次也、各障背面、亦皆白縑衣之、畫以花枝翔禽、金彩繪飾、四散爛然、所謂錦花鳥也、是皆寬平舊制、寬政二年勅禮官考進改造、而畫員藤原廣行作圖者、〈○下略〉

〔改訂賢聖障子名臣冠服考證〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0881 覺 賢聖障子人形圖、京都ゟ御好之趣ニ相直候分、左之通ニ御座候、
一張良 鬚を添 一鄧禹 黑衣ニ相改 一子産 西正面ニ相直
一伊尹 冠薄白ニ相改 一傅説 衣深衣ニ相改 一虞世南 紛を綬之色ニ相直
一張華 方心曲領幷木劒を相直 一杜預 方心曲領木劒相除、衣を絳朝服ニ相改、
一揚雄 黑幘黑衣ニ相改
右之外、綬之分ハ、皆房玄齡が圖之通ニ相改申候、以上、
三月

〔改訂賢聖障子名臣冠服考證〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0882
京都ゟ被差越候、魏徵、孔明、蘧伯玉三人之圖、博士衆掛紙之趣、賢聖障子粉本之由ニ有之、幷右圖肩書に、右三人之姓名相見え申候へ共、右圖は元來土佐家傳來、孔門九哲之圖ニ而、始之壹人は伯牛と肩書付候本も有之候、住吉内記所持、慶安年中摸本とも、十哲之圖と有之候、何レにも衣服冠木劒等之樣子、李龍眠が孔門弟子の圖と同樣にて、九哲之圖に紛無御座候、决而賢聖障子之摸本には無之候、依之此度御取用ニ相成不申候間、やはり先達而相伺候通之圖に相極メ申候、但シ肩書ニ、右三人之名前キレ〴〵ニ有之候は、賢聖障子之古圖斷絶之時、押而右三圖を用られ候事も有之、其時之色紙形之切レにても有之候哉、又は後人之杜撰ニ有之候哉、其所は不分明に候へ共、古代賢聖障子之圖に無之候儀は、一覽相分り申儀に御座候、又陶淵明解綬之圖は、趙子昂が繪に御座候、是亦引證ニ仕がたく候間、相用不申候、
右申上候、以上、
四月

〔西宮記〕

〈十月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0882 還宮後儀 延喜十一年十二月十六日、御南殿、〈○中略〉此日障子(賢聖)爲修治撤却、仍施屛風奉裝束也、

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 相撲召合裝束
母屋〈○南殿〉西壁下敷長筵三枚、其北端絹御障子頭立亘漢書御屛風二帖

〔紫淸兩殿圖別勘〕

〈乾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 宗直按、絹御障子、謂賢聖障子也、以之考之、賢聖障子者以絹製之、

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 天永四年〈○永久元年〉正月七日、女官四人、理髮著裳、唐衣、中結、著袴、出賢聖圖障子西戸、經通障子西、副西壁南廂、折東行也、

〔山槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 治承四年四月十九日辛丑、有紫宸殿巡撿事、〈○中略〉皇太后大夫〈朝方〉參會、殿下自高御座東間母屋、〈撤賢聖障子也〉

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 嘉祿二年十一月廿一日、節會衣蒙押倒賢聖障子、〈板障子(○○○)也〉

〔年中行事秘抄〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 殿上年中行事障子(○○○○○○)事
仁和元年三月廿五日、太政大臣〈昭宣公〉獻年中行事障子、今案、彼年始被年中行事障子歟、〈見小野宮記云云、〉

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 淸凉殿
年中行事障子〈畫年中行事、絹張、緣軟錦、〉

〔鳳闕見聞圖説〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 年中行事障子 もゝしきニ云、畫、年中公事被書也、絹繪、緣軟錦と有、然れ共予思ふに、淸涼殿の南殿上に至る所へ立られしは、ついたち障子にして、畫にあらず、年中の公事を書せられたるなり、

〔夜鶴庭訓抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 年中行事障子
十二月の月、文字を十二樣に書べし、書かへてかく事、もじは行ごとにあれば、書かへがたし、されどそれも月をかふるていに、一月づゝもかはりて書べし、すゞしのきぬにて、墨のいかにもつか ぬをば、はじかみをいれてすりて書也、秘説也、

〔榮花物語〕

〈十二/玉の村菊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 この御時の御卽位、〈○後一條〉大嘗會御禊などの程の事ども、すべてめづらしくやむごとなき事かずしらず、年中行事の御障子にも、かきそへられたる事ども、いとおほくなむあなる、

〔江談抄〕

〈二/雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884鹿宍人當日不内裏
又被命云、喫宍當日、不内裏之由、見年中行事障子、〈○中略〉又年中行事障子被始立之時、不何世、可撿見也、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 又明十二年三月廿七日丁未、去夜除目、今日至未刻以外事也、〈○中略〉外記復本列、次予揖〈○註略〉入無名門、〈○註略〉昇右靑璅門、〈○註略〉經年中行事障子南〈自小板敷直東行セズ、年中行事障子方ヘ昇也、不上戸、〉幷御殿南簀子孫庇南妻

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 久安三年七月廿六日戊子、依吉日初立年中行事障子、去十三日造始之、令宮内大輔定信〈遣障子於彼家書〉書之、造幷立日令雅樂頭泰親擇申之、〈不泰親、以親隆消息問之、〉延久元年七月、故京極殿、〈于時右大臣、一上、〉依一條左大臣〈○源雅信〉例立之由見御曆、因之所立也、先日以立之狀禪閤〈○藤原忠實〉及攝政殿〈○忠實子忠通〉矣、
○按ズルニ、此年中行事障子ハ、禁中ノモノニ非ズト雖モ、今類ヲ以テ此ニ載ス、

〔玉蘂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 承元四年九月一日丙戌、仲基入道來談占事、松殿〈○九條基房〉御時、土居障子被年中行事、〈被内裏文殿年中行事、同書之、〉是先例云々、

〔夏山閑話〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 昆明池の障子(○○○○○○)は、名目こめい池(○○○○)なり、こんめい池といふはわろしとなり、

〔漢書〕

〈六/武帝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 元狩三年、減隴西北地上郡戍卒半、發讁吏穿昆明池、〈如淳曰、食貨志以舊吏弄一レ法、故讁使穿池、更發貲者吏也、臣瓉曰、西南夷傳有越雋、昆明國有滇池、方三百里、漢使求身毒國而爲昆明閉、今欲之、故作昆明池之、以習水戰、在長安西南、周回四十里、食貨志又曰、時越欲漢用船戰、遂乃大修昆明池也、〉

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 淸凉殿 昆明池障子〈絹張、綠軟錦、極彩色、〉 土佐土左守
畫〈表昆明池ノ圖裏嵯峨野小鷹狩〉 畫ノ上面有色紙形、絹張、

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 昆明池障子北面
嵯峨野〈題爲泰卿〉 〈秋草のいろ〳〵咲みだれたる袖はへて小鷹狩する所〉 雅威卿
さがの野や花の千種の色鳥に心をうつす秋のかりびと

〔鳳闕見聞圖説〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 混明池障子 淸凉殿の椽側に立らる、〈○中略〉予が見し時、御障子の上に元德四年作昆明池、在長安西南四十里云々とありて、昆の字にてはなく、混の字なりし、

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 内取御裝束
仁壽殿西溝西邊北折、自呉行臺後北行、賞昆明池障子程西折、竟簀子敷下、〈並立幔柱引之〉長橋内敷黃端帖二行、〈東西行〉爲相撲人座

〔大鏡〕

〈五/太政大臣兼通〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 御かふりめしよせて、さうぞくなどせさせ給ひて、うちへまいらせ給ひて、陣のうちはきんだちにかゝりて、たきぐちのぢんのかたより、御前へまいらせ給ひて、こうめいちのさうじのもとにさしいでさせ給へるに、ひの御ざに東三條大將御前にさぶらひたまふほどなりけり、

〔辨内侍日記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 正月〈○寶治三年〉十五日、まことやけふは人うつひぞかし、いかゞしてたばかるべきなどいひて、〈○中略〉こめいちのしやうじのもと、御ゆどののなげしのしもの一間に、勾當内侍どの、みのどの、きりみすのもとに、中納言のすけ、兵衞督どの、年中行事のしやうじのかくれに、少將、辨などうかゞひしかども、あかつきまで出給はず、

〔鳳闕見聞圖説〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 淸凉殿
昆明池御障子〈表昆明池圖畫、裏鷹匠畫、極彩色、〉

〔壒囊抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 神輿ナンドノ水引ニ、手長足長ト云物アルハ、實ニアル物歟、誠ニサル物アルベキ也、唐皇居昌ハ皆奇仙異人畫(エガケリ)、サレバ千字文ニモ、宮殿ノ構ヲ云ニ、仙靈ノアヤシキ人ヲ畫彩トエガキイロドルト侍ベリ、然レバ吾朝ノ内裏ニモ、加樣ノ人形アルナリ、中ニモ手長足長ヲ畫ケルヲバ、荒海(アラウミ/○○)障子(/○○)ト云也、其姿棘輿ノ水引書ケルナルベシ、喩ヘバ長臂國者手長、長脚國者足ナガシ、兩國並タレバ、長脚人長臂人ヲ肩ニ乘テ海ニ入リ、魚ヲ取テ兩人分用ル姿也、

〔蒼梧隨筆〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 荒海障子之事
按に、件の布障子は、凡高サ九尺ほどにて、其畫は墨繪なり、是乃ち金岡が圖せしものといへり、〈滋野井殿御説松陰拾葉にあり〉然して今寫して世に傳る卷軸の圖は、件の布障子を寫したるものには非ず、其初巨勢の金岡が圖せしは卷軸にて、鴨居殿の寶藏にありしを、金岡自ら寫して布障子へ畫しものなり、故に元本といへるは此卷軸の圖なり、よて布障子は燒失して亡びたりといへども、其元本なる卷軸は現在するを、畫所の預り土佐の家に其卷軸のうつし現在せるを、滋野井故亞相入道公麗卿のうつして藏し給へるを乞願て、密にうつしたるものなり、嘉樹素より土佐の家に件のうつし侍りて、夫より懇望して寫せる人も多く侍れば、此圖は世に流布する事尤あるべし、努々又世になき希代のものにも非れども、嘉樹がうつせしものは、金岡が圖せしを、土佐家へうつし、夫をまた故亞相入道のうつして、小傳を書添へ給へるを眞寫せしものなり、故に今由來を筆記する事かくの如し、
明和八年八月 橘嘉樹

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 淸凉殿
弘廂北荒海障子〈布張墨畫〉 〈書名所 西面有色紙形〉 土佐土左守

〔もゝしき〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 荒海障子北面

〔鳳闕見聞圖説〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887
淸凉殿
〈墨畫〉
荒海御障子
金物赤銅〈四隅肱金左右〉〈〓九ツ宛但上下ハナシ〉
荒海之裏 布障子
網代之圖〈墨畫〉 宇治川〈題雅威卿 あじろさしたる所〉 光祖卿
紅葉を波のよせくる宇治河やあじろの床も錦さしけり

〔枕草子〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 淸凉殿のうしとらのすみの、北のへだてなる御さうじには、あらうみのかたいきたる物どものおそろしげなる、手ながあしながをぞかゝれたる、うへのみつぼねの戸をしあけたれば、つねにめに見ゆるを、にくみなどしてわらふほどに、〈○下略〉

〔拾遺和歌集〕

〈四/冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 寬和二年、淸凉殿のみさうじに、あじろかける所、 よみ人しらず
あじろ木にかけつゝあらふからにしき日をへてよする紅葉なりけり

〔鳳闕見聞圖説〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 渡廊 殿上より虎間に出る所也、著聞集に、渡殿に、はねむまよせむまの障子を立て、又同じ渡殿の北邊、朝かれゐの前に、馬形の障子(○○○○○)侍りと云々、案に渡殿とあるは渡廊なるべし、則朝餉間の南に當れり、其處に、はね馬よせ馬のついたち障子有、又春曙抄に、わたどの廊下也と云々、

〔侍中群要〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 御書使事
被物令從者殿上口、自取御返事幷持祿、懸肱昇了、祿落置〓駕障子〈○○駕、前文作巴禰馬、〉北方、自大盤所通見云々、

〔雲圖抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 祭日御禊儀
今曉行事藏人、臺盤所廊、幷御裝物所前引絶懸舞人陪從裝束、分給時主上出御鬼間、〈或垂御簾、近代不垂非也、馬形障子撤之、〉

〔枕草子〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 五月の御さうじのほど、〈○中略〉あきのぶの朝臣いへあり、そこもやがて見んといひて、車よせておりぬ、ゐ中だち事そぎて、馬のかたかきたるさうじ(○○○○○○○○○○○)、あじろびやうぶ、みくりのすだれなど、ことさらにむかしの事をうつしいでたり、

〔枕草子春曙抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 禁中の下侍臺盤所などに、馬形の障子あり、禁秘抄に、馬形號波禰馬也とある是也、かやうの事をなぞらへたる障子なるべし、

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 寬仁三年正月一日己未、四方拜云々、〈○中略〉攝政出大盤所、被殿上、供御御藥、訖撤晝御座、立御倚子、前出馬形障子下

〔扶桑略記〕

〈二十二/宇多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 仁和四年〈○帝王編年記作寬干四年〉九月十五日、午二刻勅侖畫師巨勢金岡畫于御所南庇東西障子(○○○○○○○○)、令直方、興基、惟範、時平朝臣等擇一レ詩、弘仁後鴻儒之堪詩者、卽令金岡圖其牀矣、

〔後二條關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 康和元年二月卅日、右中辨能俊朝臣來、淸凉殿御障子(○○○○○○)繪本文勘文覽之、正家朝臣所奏上也、事希代事也、先覽殿之後可奏歟、

〔源平盛衰記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 淸盛息女事
御娘八人御座ケルモ、皆取々ニ幸シ絡ヘリ、一ハ〈○中略〉花山院左大臣兼雅ノ御臺盤所ニ成給ヘリ、〈○中略〉此御臺所ハ御美(ミメ)モ嚴(ウツクシ)ク、情モ深ク御座ケル上、天下ニ類ナキ繪書ニテゾ御座ケル、紫宸殿ノ御障子(○○○○○○○)〈○長門本作花山院公卿座障子〉ニ、伊勢物語ヲ繪ニ書セ給フ御事アリ、〈○中略〉八ハ大納言有房卿ノ北方也、繪書花結諸道ニ達シ給ヘリ、〈○中略〉手跡サへ嚴(ウツクシク)シテ、畫圖ノ障子(○○○○○)ニ、百詠ノ心ヲ繪ニ書セ給テ、ヤガテ一筆ニ色紙形ノ銘ヲモ書給タリケレバ、院モ希代ノ女房ナリトゾ仰ケル、

〔菅家文草〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 近院山水障子(○○○○○○)詩〈六首〉
水仙詞
託浮査玉都、海神投與一明珠、明珠不是秦中物、玄道圓通暗合符、

〔後二條關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 寬治七年三月十日丁亥、密々參高陽院(○○○)、書記詩歌於障子(○○○○○○○)、雖堪鳥跡、殿下仰書之、

〔本朝畫史〕

〈二/上古畫錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0889 土佐局、善畫、仕待賢門院、曾並岡山下法金剛院有待賢門院離宮(○○○○○○)、使土佐局畫倭國名勝地圖於其障子(○○)、所其上色紙形之歌者、法性寺殿下書之、詳見于三語集

〔九曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 天德三年正月十日、道風令障子(○○○○○○)祿事、

〔江談抄〕

〈五/詩事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 粟田障子(○○○○)坤元錄詩撰者事
又被申者、粟田障子詩、輔正卿撰之、坤元錄詩、維時卿、然則作者與判者、各互有長短、隨其功也、粟田詩以言以帥殿〈○藤原伊周〉方人入之、怨言云、雖坤元錄絶句、一首者何不罷入哉云々、故文章博士實範後傳聞此事此書云々、

〔大鏡〕

〈三/太政大臣實賴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 故中關白殿〈○藤原道隆〉東三條(○○○)つくらせ給ひて、御障子(○○○)にうたゑどもかゝせ給ひし色紙形を、此大貳〈○藤原佐理〉にかけとのたまはするを、いたく人さはがしからぬほどにまいりて、かゝれなばよかりぬべかりけるに、〈○中略〉日たかくまたれたてまつりて、まいり給へりければ、すこしこつなくおぼしめさるれど、さりとてあるべき事ならねば、かきてまかりいで給ふに、女のさうぞくかづけさせ給ふを、〈○下略〉

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 文曆二年五月廿七日己未、予〈○藤原定家〉本自不文字、嵯峨中院障子(○○○○○○)色紙形故予可書由、彼入道〈○宇都宮賴綱〉懇切、雖極見苦事、〓染筆送之、古來人歌各一首、自天智天皇以來及家隆雅經卿

〔扶桑略記〕

〈五/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 九年十一月、因皇后病藥師寺(○○○)、〈○中略〉西院(○○)安置彌勒淨土障子(○○○○○○)

〔吉記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 承安三年七月九日庚子、辰刻參院、奏御堂雜事七ケ條、其中御堂障子繪、可法花經佛像、幷地獄之類、全不憚之由有其仰、 十二日癸卯、天晴有餘勢、午刻參院、卽渡御新御堂、予追御障子繪事等、仰云、御堂之内御所、幷左右廊、可廿八品也、於別御所者、可平野幷高野御幸也、可常盤源二光長者、先紙形可土代之由仰行事盛綱了、 十三日甲辰、辰刻參院、〈○中略〉又被仰云、御堂障子繪法花經事(○○○○○○○○○)勘出要文土代之由、可觀智僧都、 廿日辛亥、早參院趣奏御堂雜事、〈○中略〉一殿上廊障子繪事、申云、被本文宜歟、仰云、仰永範卿長光朝臣等勘申

障子用法

〔類聚三代格〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0890 勅、於圖書寮藏、〈○中略〉障子(○○)、幷雜圖繪等類、一物已上、自今以後、不輒借親王以下 及庶人、若不奏聞私借者、本司科違勅罪
神龜五年九月六日

〔枕草子〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 にくきもの
又やり戸などあらくあくるもいとにくし、すこしもたぐるやうにてあくるはなりやはする、あしうあくれば、さうじなども亢ほめかしごほめくこそしるけれ、

〔進退記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 御障子開閉の事
一戸障子のあけたてあらきは尾籠也、つくばひてかた手をつきてあけたてすべし、すべて御障子をあけたて、蔀又は御簾などあげおろし候時、御前の方を見候事狼藉也、よそ目する事有べからず、

障子雜載

〔類聚國史〕

〈百八十二/佛道〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 弘仁三年二月壬辰、屛風一帖、障子卌六枚、施入東寺、障子卅六枚施人西寺

〔古事談〕

〈一/王道后宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 上東門院被生後一條院御産之時、事外有煩ケレバ、入道殿サワガセ給テ、自御所走出給テ、御産事外令澀給、コハイカヾスベキ、御誦經ナド、カサ子テ可行也ト被仰之間、御言未了ニ、有國申云、御産ハ已成候ヌル也、不重御誦經ト申程ニ、女房走參テ、御産已成候ヌト申ケリ、事落居之後、有國ヲ召テ、イカニシテ御産成ヌトハ知ツルゾト、御尋アリケレバ、御障子ヲ引アケテ出給ツレバ、障子ハ子ヲ障ト書テ候ニ、廣アキ候ヌレバ、御産成ヌト存候ツルナリト申ケリ、

〔源平盛衰記〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0891 大納言音立事
新大納言成親卿ヲバ、速ニ死罪ニ行バヤト、入道ハオボサレケレ共、小松大臣〈○平重盛〉ノ樣々被宥申ケレバ、遉ガ子ナガラモ耻カシキ人ニテオハスレバ、其敎訓モ難背シテ、死罪マデノ事ハナケレ共、西光法師ガ白狀ニ、安カラズ被思ツヽ、大納言ノヲハスル後ノ障子ヲアラヽカニアケテ出給 ヘリ、

屛風/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十四/屛障具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 屛風 西京雜記云、七尺屛風、〈屏音蒲經反〉

〔段注説文解字〕

〈八上/尸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 〓、屛、〈此複擧字之未删者〉蔽也、〈小雅、萬邦之屏、傳曰屏蔽也、引伸爲屏除、按古無平仄之分、〉

〔山堂肆考〕

〈三十七/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 屛風所以障一レ風、亦所以隔一レ形者也、古者辰之遺象、又有牀屛、枕屛

〔行厨集〕

〈八/人物稱謂〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 屛風〈曰罘罳(○○)、又凡漆屏、雕屏畫屏、各從本名、用幾座、〉

〔事物紀原〕

〈八/舟車帷幄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 屛風
周禮掌次設皇邸、鄭司農云、邸後板也、康成謂後板屛風、禮記明堂位曰、天子負斧扆而立、陸法言云、今屛風扆遺象也、三禮圖曰、屛風之名出於漢世、故班固之書多言其物、徐堅爲初學記亦載漢劉安羊勝等賦、然則漢制屛風、蓋起於周皇邸斧扆之事也、

〔恒言錄〕

〈五/俗儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 屛風
史記孟嘗君列傳、屛風後常有侍史、周禮掌次設皇邸、鄭司農云、邸後版也、康成謂、後版屛風與、〈平聲〉司几筵王位設黼依、注依其制如屛風然、〈常生案覲禮依、鄭注如今綈素屏風也、淮南王有屏風賦、鑑案史記正義引、燕丹子八尺屏風可超而越、〉

〔漢書〕

〈六十六/陳萬年傳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 萬年嘗病、召咸敎戒於牀下、語至夜半、咸睡、頭觸屛風

〔南史〕

〈二十一/王微傳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 微兄遠、字景舒、位光祿勳、時人謂、遠如屛風、屈曲從俗、能蔽風露、言能不一レ物理也、

〔古文苑〕

〈三/賦〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 屛風賦 羊勝
屛風鞈匝、蔽我君王、重葩累繡、沓壁連璋、飾以文錦、映以流黃、畫以古烈、顒々昂々、蕃后宜之、壽考無疆、

〔白氏文集〕

〈三十九/謠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0892 素屛謠
素屛素屛、胡爲乎不文不飾、不丹不靑、當世豈無李陽氷之篆字、張旭之筆迹、邊鸞之花鳥、張藻之松石、吾不一點一畫於其上、欲爾保眞而全一レ白、吾於香爐峯下草堂、二屛倚在東西墻、夜如明月 入我室、〈一作懷〉曉如白雲圍我牀、我心久養浩然氣、亦欲爾表裏相輝光、爾不見當今甲第與王宮、織成步障錦屛風、綴珠陷鈿貼雲母、五金七寶相玲瓏、貴豪待此方悦目、然肯寢臥乎其中、素屛素屛、物各有宜、用各有施、爾今木爲骨兮紙爲面、捨吾草堂何之

〔鄴中記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 石虎、作金銀鈕屈膝屛風、衣以白縑、畫義士仙人禽獸之像、讃者皆三十二言、高施則八尺、下施四尺、或施六尺、隨意所欲也、

〔朱氏談綺〕

〈下/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 屛風〈ビヤウプ又圍屏〉

〔釋日本紀〕

〈二十一/秘訓〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 屛風(ヒヤウフ)

〔伊呂波字類抄〕

〈比/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 屛風〈ヒヤウフ〉

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 屛風(ビヤウブ)〈屏退也、卽退風之義也、〉

〔撮壤集〕

〈中/飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 屛風(ヒヤウフ)

〔藻鹽草〕

〈十七/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 屛風
もろこしの屛風のこゑ、〈此子細神樂の所にあり〉屛風一ひら、〈枚、源氏、〉あじろ屛風〈源氏、藩屏風とかく、障于のほねの樣にして、黑漆にして網代をくみて、糸にてとぢ付る也、屏風には心をたてゝおもひけん行者はかヘりちごはとまりぬ、びやうぶの浦にて西行よめり、〉屛風の浦、〈名所也〉

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 屛風(ビヤウブ) 貼金屛風(キンビヤウブ) 畫屛風(エビヤウブ) 圍屛(ヲリビヤウ) 六曲屛風(ロクマイビヤウブ)

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 屛風(ひやうふう)
屛所以蔽也、有畫屛、繡屛、金屛、石屛、格子屛等之制、事物紀源云、禮明堂位、天子負斧扆而立、則屛風名出於漢世
按、屛風大抵高六尺以下而六曲也、矮小者爲枕屛風、濶而二曲者俗稱廉手(カツテ)屛風、其矮者稱茶爐前(フロサキ)、皆兩面貼紙、其法、 骨格縛(ホ子シバリ) 蓑張(ミノハリ) 蓑縛(ミノシバリ) 泛張(ウケハリ) 表張(ウハハリ)

〔倭訓栞〕

〈中編二十一/比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0893 びやうぶ 屛風なり、日本紀より見えたり、から繪やまと繪などふるくいへ り、西土にいふは衝立屛風多し、摺疊のものを連屛といへり、會典日本貢物に塗金裝綵屛風あり、枕屛風も西土の書に見えたり、漢書の御屛風、雲圖抄にみゆ、大宗、戯騎を圖畫すといふ、地獄變の御屛風あり、地獄の變相なるべし、潜確類書に、呉生畫景雲寺地獄變相、時京師屠沽漁器之輩、覽之懼罪改業者往々有之、率皆脩善とみゆ、びいどろ屛風は雲南より出るよし、華夷珍玩考に見えたり、料絲燈屛風といへり、一帖といふ事、江記にみゆ、一隻なり、

〔空穗物語〕

〈國讓下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 おまし所あたらしく、きよげなるびやうぶ(○○○○)几帳など立たる、とりつかひ給べきてうどなきよし、

〔源氏物語〕

〈二十二/玉鬘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 此へだてによりきたり、けどをくへだてつるびやうぶ(○○○○)だつもの、名殘なくをしあけて、〈○下略〉

〔源氏物語〕

〈五十/東屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 あきたるさうじを今すこしをしあけて、屛風のつま(○○○○○)よりのぞき給に、宮とはおもひもかけず、例こなたにきなれたる人にやあらんと思て、おきあがりたるやうだい、いとおかしうみゆるに、例の御こゝろはすぐし給はで、きぬのすそをとらへ給て、こなたのさうじはひきたて給て、屛風のはざま(○○○○○○)にゐ給ひぬ、

屛風初見

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 朱鳥元年四月戊子、新羅進調從筑紫貢上、〈○中略〉亦智祥健勳等別獻物、金銀、錦霞、綾羅、金器、屛風(○○)、鞍皮、絹布、藥物之類、各六十餘種、

〔和事始〕

〈三/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 屛風(ビヤウブ)
天武天皇朱鳥元年、新羅國より種々の物を調貢す、又智祥健勳等が獻るものゝ中に屛風あり、日本紀に見えたり、是より屛風ありけるにや、

屛風製作

〔延喜式〕

〈十七/内匠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0894 年料五尺屛風骨五十帖料、榲榑大七十五材、〈以一材半一帖、五十材近江國所進、廿五材上奏所請、〉檜榑十材、〈七材押木一千二百枚料、三材鑄釘押形料、〉波多板四枚、〈作鑄物押形料〉熟銅百卅二斤十三兩二分、〈卅九斤十三兩二分作肱金一千二百枚料、以十二兩廿四枚、斤別加〉 〈損分一兩、九十三斤鑄五分花釘一萬八千六百隻料、以一斤二百隻、〉滅金百三兩四銖、〈五十兩、塗肱金料、以一兩廿四枚、五十三兩四銖塗花形釘料、以一兩三百五十隻、〉滅銀廿五兩二分、〈鏤肱金料、以二分廿四枚、〉水銀八十三兩二分二銖、〈廿五兩塗肱金料、卅九兩三分二銖塗釘料、十八兩三分合滅銀料、〉鐵四廷、〈三廷鑄釘湯鑵料、一廷鑄釘押形固料、〉漆一斗二升五合、〈以二合五勺押木廿四枚〉絹一丈、布二端二丈、石見綿四斤二兩、麻大十斤、掃墨四升、油一升、酢九升三合、猪髮十把、箆百五十株、〈塗花形釘金料〉筆十五管、〈畫肱金料〉墨二廷、〈同料〉洗革四枚、伊豫砥七顆、靑砥三枚、炭七十一斛七斗、和炭六十七斛九斗、單功二千八十四人、〈作骨功二百五十人、以一帖五人、作肱金工千三百人、火作四百人、錯磨四百人、鏤打堺瑩五百人、作花形釘四百卅四人、鑄六十二人、錯三百十人、塗瑩六十三人、夫百人、○中略〉
屛風一帖、〈高五尺、畫雁幷草木之類、〉骨料榅榑二材半、檜榑一材、〈長五尺二寸、方二寸、〉肱金料熟銅大一斤、花形釘料半熟銅大三斤、滅金小二兩二分、水銀小一兩一分、表料白絹三丈、裏料縹帛三丈番料緋帛五尺二寸、緣料紫綾一丈四尺、朱沙一兩、金靑一兩、白靑一兩二分、綠靑六兩、白綠二兩、丹三兩、同黃三分、靑黛二分、胡粉五兩、中烟子二枚、紫土二兩、金薄卅枚、墨一挺、膠十四兩、筆料鹿毛二兩、切金薄革一條、〈方一尺〉練絲一兩、漆二合、掃墨一合、絞漆料帛一尺、石見綿四兩、調布一尺、洗刷料油五勹、金薄料綿二兩、中〈○中下恐脱烟字〉子料調布二尺五寸、瑩釘料調布三尺、下銅湯料調布一尺、下張料商布二段一丈、黏緣料薄紙十四張、中張料紙六十五張、番中黏料紙五張、石灰二合、紫革一條、〈長一尺、廣八寸、〉糯米二升、小麥三升、炭五斛三斗、和炭一斛五斗、長功五十二人、〈木工三人、銅十五人、畫廿人、漆二人、張十一人、夫一人、〉中功六十人大半、〈工五十九人小半、夫一人小半、〉短功六十九人小半、〈工六十七人大半、夫一人大半、○中略〉
伊勢初齋院裝束
五尺屛風四帖料、榲榑十材、〈骨料〉檜榑一材、〈押(○)料〉炭三斛、〈鑄釘幷塗金料〉和炭六斛、〈作肱金料〉熟銅大三斤十二兩、〈作肱金料〉半熟銅大十二斤、〈鑄釘料〉滅金十兩三分、水銀五兩二分、一窠白綾十二丈四尺、〈表料〉縹絁十二丈四尺、〈裏料〉紫綾五丈六尺、〈緣料〉緋絁二丈、〈番料〉調布二丈、〈番中張料〉商布九段一丈五尺、〈下張料〉練糸一兩、〈中張布縫料〉紙二百五十張、〈中張料〉薄紙五十六張、〈緣料〉紫革一枚、〈長二尺五寸、錢形料、〉膠小四兩、〈塗緣料〉石灰八合、〈合麥粉料〉糯米八升、〈張布料〉小麥一斗二升、 〈張紙料〉單功一百卅九人、〈木工十六人、漆工五人、鍛冶工十七人、細工五十六人、鑄工三人、張工卌八人、夫四人、〉

〔類聚雜要抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0896 五尺屛風十二帖
月次繪、四季ヲ各當三帖畫之、春〈上中下〉母屋四箇間、東西北三方料、
一帖雜事
面弘一尺八寸二(三イ)分、内緣二筋、各弘一(四イ)寸一分、但當時可絹弘事、
骨六枚料、榅大榑四寸、高五尺、弘一尺八寸二(三イ)分、但當時可絹弘
襲木廿四筋、長十二、短十二、黑塗、骨襲等、工作料准絹六(八イ)疋、乃米一斗、
下張國絹十帖、同中紙九帖、同上紙六十枚、内六枚番中子料、
裏料織物三丈、〈赤色建涌雲、又唐綾文等間、〉番絹五尺三寸、〈五破定、茜染、〉同中子白細布五尺三寸、〈五破定〉緣軟錦一(三イ)丈三尺五寸、〈十二破定、糸用途尺別一兩、織料能米一斗、買直ニハ尺別十五疋、〉番中子白革三寸、〈革高定〉錢形卅六枚料、赤革弘三寸許、〈革高〉
金物〈肱金廿四枚、〉〈直枚別五疋〉〈釘三百五十隻、〉〈之中廿六隻者、打間折料加之、〉〈凡一帖料買直二百廿疋、但若泥繪時堀物料四百五十疋、〉
釘〈肱金上手二隻、同間三隻、同長手四隻、喬間九隻、下肱金凡上定、釘直一疋五隻、〉 繪雜事〈紺靑三兩、綠靑廿兩、銅黃二分、綠衫三尺、蘇芳三兩、陶砂二分、雜丹料廿疋、單功料卅疋、饗料乃来五石、〉
張料〈乃利七升、工饗料乃米五斗、又四斗、、同單功卅疋、又十五疋、〉
襲漆〈○中略〉
已上母屋具〈○中略〉
四尺屛風二帖内〈一帖泥唐繪、調度後料、繪十二月之内、枚別當二月之、一帖泥大和繪、鳥居障子、前料、繪如前、〉〈但是不用普通、一説不有泥繪事在、〉
面弘、〈一尺八寸二分、内綠二筋、弘各一寸一分、但可當時絹弘也、〉面小葵文白生綾三丈四尺六寸、 骨六枚、〈料榅榑三寸、弘一尺八寸二分、高四尺、作料六疋、又乃米一斗、〉 襲木廿四筋、〈長十二筋、短十二筋、泥繪料蒔繪螺鈿、〉 下張國絹八丈八尺 同料中紙八帖 同上紙五十五枚〈内五枚番中子料〉 裏二丈四尺〈赤色建涌雲、唐菱間織物、〉 番茜染絹四尺五寸〈五破定〉 同中子細布四尺〈五破〉
同料白革三寸〈若赤〉 緣唐錦一丈一尺五寸〈十二破定、但可幅也、〉 紺精三兩 綠精廿兩 雜丹萪廿疋
泥六兩 臂金廿四枚〈直枚別五疋〉 釘三百卅雙、〈之中卅隻料料加之、直一疋ニ五隻、〉 臂金上手二隻、上間三隻、同長手ニ四隻、喬間ニ八隻、下分金物上定、 錢形卅六枚〈一枚ニ錢形六枚、片方綠ニ三枚、上中下三所ニ押之、上下ハ角也、〉
已上庇具〈○中略〉
五尺屛風六帖〈加又庇定
骨造料卅六疋、〈帖別六疋〉飡乃米六斗、〈各一斗〉
張工料單功百八十疋、〈各卅疋〉乃利乃米四斗二升、〈各七升〉
繪師雜丹料百廿疋、〈各廿疋〉飡三右、〈帖別五斗○中略〉
已上北庇具

〔夏山閑話〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0897 屛風は風をへだつる也、釋名に障風也とあり、裏形の鳥は風鳥と云て、風を喰ふ鳥也と、本式の屛風は、表は絹にてはり、裏は織物なり、大宋の御屛風〈此外色々名目有〉などいふ是也、御儀式に用ひらるゝ屛風絹ばりなり、近代蕃客來聘のとき、關東にて賜る屛風も絹ばり也と聞し、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 屛風裏形 べうぶうらがた
今も屛風の裏形には雀形とて、必しも多く是を用ゆる、是ふるき物にて、春日權現驗記の畫卷物のうちに、屛風のうらの方書るに、やはり今の雀形也、摸樣は墨にて黑く書て、地色は黃赤色にて檜皮色の如し、薄き柿色なり、是等も鳥襷の類なるべし、今堂上方にて用ひらるゝ年賀の屛風も、裏は絹にて張て、朱にて雀形の如きものをおす也、蘇芳の方といへり、或人云、屛風の裏の雀形は雀にはあらで、比翼の鳥なりといへり、相おもふことのふかく、つがひはなれぬといふ緣なるべしといへり、是も口かしこきいひざまなれども、物にも見えず、その本據なし、依て信ずべからず、

〔源氏物語〕

〈十二/須磨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 色々の紙をつぎつゝ手ならひをし給ふ、めづらしきさまなるからの綾などに、さまざまの繪どもをかきすさび給へる、屛風のおもてどもなど、いとめでたく見所あり、〈○下略〉

〔河海抄〕

〈六/須磨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 屛風の表裏、有兩説と云々、然而此ものがたりには、繪のかたを表にもちひたり、紅葉の賀卷にも在之、或説云々、宇多西宮兩説也、宇多蘇芳の方を面に用、西宮説には繪を面とす、仍或屋の母屋廂の屛風のしつらひも兩家各別也、此物語は、むねと西宮の説を本とするによりて、繪を面とする事有其謂云々、〈水原抄〉

〔原中最秘抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 屛風の繪、おもてうら兩説あり、此物語には、繪のあるかたを面に用之、西宮左大臣、繪を面にする義をもちふる間、此物語、彼大臣事をかけり、一説は蘇芳の方を面になす、大臣大饗之時此義也、又車寄の四枚屛風、蘇芳を面に用ひる也、

〔菅家文草〕

〈五/詩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 屛風〈扶十〉
屈曲初知用(○○○○○)、施來不風、質宜羅帳裏、功見玉筵中、人馬無來去、煙霞不始終、丹靑知有巧、開合又西東、

〔有德院殿御實紀附錄〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0898 ある日御閑燕の御なぐさみに、御みづから十曲の聯屛(○○○○○)に、水墨の山水をなされける、其さまいかにも磊落として、神逸の風韻をきはめられしかば、御みづからも御得 意におはしましけるにや、成島信遍をめして、席上にてこれに詩を題せよと仰らる、信遍その時左右に侍座せし小姓の人々に墨を磨しめ、筆濡させ、其身は御庭におりて、假山のあたりこゝかしこ徘徊し、やがて歸り來り、草稿もなさず、御畫の上に、おもふまゝに長篇の詩をすら〳〵と題しければ、御けしきことにうるはしく、あまたたび御賞歎ましましける、

〔大内裏圖考證別錄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 屛風八枚折(○○○) 九條家藏、利瑪竇世界圖屛風、八枚折、
屛風六枚折(○○○) 年中行事畫賭弓圖、大宋屛風六枚折、門室相承有職抄曰、屛風云々、普通ハ六枚折也、〈○中略〉東大寺三倉、鴨毛屛風六枚折、東寺山水屛風六枚折、

〔橘庵漫筆〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 六枚屛風は異邦淸土になし、今は本朝にならひて摺屛と號し、これを用ると、朱舜水茶話に見えたりと、南嶺は書たれど、東大寺の鴨毛の屛風は、正しく唐朝の傳來也、又蕭氷厓が詩に、小窻雲影破瑠理、六曲屛風白紵詞と云たれば、淸土になしとばかりも定めがたし、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 寬喜二年六月廿一日辛巳、十三日行幸、〈○中略〉屛風四帖、〈六枚二四枚(○○)二〉皆以染物之、

〔古今著聞集〕

〈七/能書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 知足院入道殿、〈○藤原忠實〉法性寺殿〈○忠實子忠通〉と、久安の比より御中心よからずおはしましける時、法性寺殿まいらせ給たりけるに、こゝろみ申されんれうにや、四枚屛風(○○○○)を一帖めしよせさせ給ひて、是に物書て給へと申されたりけるに、〈○下略〉

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0899 一四枚折屛風(○○○○○)の事、今世の俗語に、武士の切腹する時のみ用ふると云ふは、あとかたもなき説なり、不吉の物にあらず、古代は禁裏にて、正月にも用ひられ、又賀にも用ひらると見えて、古書にあり、躬恒集、ゑ(延喜)ぎ十四年二月十四日おほせによりて奉る、いづみの大將の四十賀の屛風四帖、〈四枚ノ事〉うちよりてうじてつかはす、又兼盛集に、内の御屛風四帖〈四枚ノ事〉わか、春正月ゑ(會)する所、
あたらしき年のはじめにあひくれど此の春ばかりたのしきはなし、と見えたり、此等を以 て常に用ふる物と知るべし、
○按ズルニ、屛風四帖トアルハ、四枚折ヲ云フニアラズ、四隻ノコトナリ、古今著聞集ニ、四枚屛風を一帖めしよせさせ給ひて云々トアルニテ知ルベシ、

〔門室有職抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 御所御裝束之事
屛風ハ至極ノ長五尺(○○)也、又四尺(○○)也、三尺(○○)也、普通六枚也、車寄屛風ハ四枚也、

〔太平記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 南都北嶺行幸事
大塔ノ二品親王ハ、時ノ貫首ニテ御坐セシカドモ、今ハ行學共ニ捨ハテサセ給テ、朝暮只武勇ノ御嗜ノ外ハ他事ナシ、御好アル故ニヤヨリケン、早業ハ江都ガ勁㨗ニモ超エタレバ、七尺ノ屛風(○○○○○)未必シモ高シトセズ、〈○下略〉

〔江家次第〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 大嘗會御禊
宸儀渡御南殿、〈○中略〉先是皇后御於南殿御帳後六尺御屛風(○○○○○)内御座

〔法成寺攝政記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 寬弘三年三月三日乙巳、御帳東邊、立六尺兩面御屛風、爲中宮御在所

〔類聚雜要抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 五尺屛風(○○○○)、〈○中略〉面弘一尺八寸二分、

〔西宮記〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 相撲召仰
内取〈先於本府内取、仁壽殿壇上立御倚子若大床子、御後立五尺御屏風、○下略〉

〔台記別記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 久安三年三冖月廿八日辛卯、入道前大相國七十御賀御裝束儀、〈高陽院土御門御座○中略〉寢殿南庇東第一二間爲入道殿御所、副北戸幷廂御障子、東西行立亘四尺五寸(○○○○)泥繪御屛風二帖、〈彈正忠宗茂説以詩畫之〉

〔延喜式〕

〈十七/内匠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 賀茂初齋院幷野宮裝束
屛風六帖〈五尺二帖四尺(○○)四帖〉

〔西宮記〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0900 七月十六日相撲式 吏部王記、天慶三年閏七月十三日、依右大將請彼家相撲人歸饗等、寢殿南廂設客座、下母屋簾、施四尺屛風

〔空穗物語〕

〈樓の上之下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 三尺のびやうぶ(○○○○○○○)四でふ、からあやにもろこしの人のゑかきたりけるを、ここにてたいしやうのはら章給て、ひとよろいづゝ、ふたつのろうのはまゆかめうしろにたてたり、

〔延喜式〕

〈十七/内匠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 屛風一帖、〈○中略〉骨料榅榑二材半、檜榑一材、〈長五尺二寸、方二寸、〉
伊摯初齋院裝束
五尺屛風四帖料、〈○中略〉榅榑十材、〈骨料〉檜榑一材、〈押(○)料〉

〔類聚雜要抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 五尺屛風十二帖
一帖雜事〈○中略〉骨六枚料、榅大榑四寸、高五尺、弘一尺八寸二分、但當時可絹弘、襲木(○○)廿四筋、長十二、短十二、黑塗、骨襲等工作料、准絹六疋、乃米一斗、

〔榮花物語〕

〈二十七/衣珠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 御屛風どもには、〈○中略〉へりにはからのにしきの、ぢあをきをせさせ給へり、おそひ(○○○)には皆まきゑしたり、うらにはかう染のかたもんのおりもの也、

〔調度歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 二番 右 びやうぶ
いもにこひうきとし月をふるびやうぶ(○○○○○○)骨もあらはにやせなりに鳬

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 一禁裏の御屛風は、てうつがひ(○○○○○)の所革なり、革を鋲にて打付くるなり、紙のてうつがひの如く、うらへも表へも折る事はならず、定めたる如く一方へ計折る也これらは名ある御屛風の事なり、是れ唐風なるべし、御内所にて常に立つる新調の御屛風は、常の如く成るべし、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0901 錢形屛風 今年安永五年三月、京東福寺にて開帳ありしに、禁裏より御寄附の御物の屛風あり、蝶番を紅革にて丸く切て、銀の鋲にて打下たり、是を銭形(○○)の屛風と書付あり、 いぶかし、この名御所にては似付ぬことなり、すべて名目に心得違多く見ゆ、泔盃なども知らで、こんはいと音語にとなへし、賀の屛風の蝶番の事は別に樣式有、

〔秋齋間語〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 賀の屛風の事、總別屛風の製、昔は丁つがひの所、上下二所に革にてわなを付、其わなへ切れを通し、それをちやうつがひのかわりにせし、屛風の本體是也、賀屛風は其切れを五色にするなり、今の几帳と云物、屛風の本體なり、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 年賀屛風
今按に、賀の屛風の事、前に樣式ありて、てうつがひは、丸き紅革を鋲にて打付て、蝶番とす、いかさまそれより昔は、組のわなにても有しなるべし、五色にするとはいぶかし、物に見えず、暗推の説なり、几帳を本體とする事は僻ごとなり、屛風几帳は、本朝の昔も西土にても異物也、その事一向の妄説なり、

〔大内裏圖考證別錄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 四方押木 絲番(○○)屛風
東大寺鴨毛屛風、押木黑塗、穿穴在金物、金物貫紐爲番、東寺山水屛風、押木黑塗、打金銅鐶、在座金物、以紫組紐之爲番、

〔延喜式〕

〈十七/内匠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 屛風一帖、〈○中略〉番料緋帛五尺二寸、
伊勢初齋院裝束
五尺屛風四帖料、〈○中略〉緋絁二丈、〈番料〉調布二丈、〈番中張料○中略〉紫革一枚、〈長二尺五寸、錢形料(○○○)、〉

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 治承二年十一月十四日癸酉、此日中宮御産第三夜也、〈○中略〉寢殿西北廊、〈○中略〉副北障子、〈不簾、件障子絹障子也、〉立亘白綾四尺屛風、〈緣地白軟錦、番如件茜絹也、〉

〔延喜式〕

〈十七/内匠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0902 屛風(○○)一帖、〈○中略〉緣(○)料紫綾一丈四尺、
伊勢初齋院裝束 五尺屛風四帖料、〈○中略〉紫綾五丈六尺、〈緣料○中略〉薄紙五十六張、〈緣料〉

〔類聚雜要抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 五尺屛風十二帖〈○中略〉
緣軟錦一丈三尺五寸〈十二破定、糸用途尺制一兩、織料能米一斗、買直ニハ尺別十五疋、〉

〔大内裏圖考證剔錄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 屛風緣 福富草子〈夢合僧房〉緣赤同、一圖緣白、小緣(○○)赤、醍醐松橋坊、錢形十二天屛風、〈有小緣大緣等〉山水畫、〈無小緣〉同水元坊、絲番十二天屛風、〈有小緣大緣等〉山水畫、〈無小緣

〔半日閑語〕

〈二編一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 一壹寸八步古法の者七ツ〈○中略〉
屛風緣〈○中略〉 右中院通茂卿の御話之由

屛風種類

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 一淸凉殿〈○中略〉 朝餉
二間南平敷二枚〈北上〉東北立屛風〈絹屏風(○○○)〉

〔空穗物語〕

〈菊の宴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 きさいの宮賀、正月廿七日にいでくる、〈○中略〉御てうどの、てうどしろ、かねてつきつ、〈○中略〉からあやの御びやうぶ(○○○○○○○○○○)、みきちやうのほね、すわうしたんなつ冬ありがたし、

〔紫式部日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 ひんがしのたいのにしのひさしは、上達部の座、北をかみにて、二行に南のひさしに、殿上人の座は、にしを上なり、しろきあやの御びやうぶ(○○○○○○○○○○○)どもを、もやのみすにそへて、とざまにたてわたしたり、

〔榮花物語〕

〈八/初花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 五日の夜は、殿の御うぶやしなひせさせ給、十五夜〈○寬弘五年九月〉の月くもりなく、秋深き露のひかりに、めでたきおりなり、上達部殿上人まいりたり、東のたいに西むきに、北をかみにてつき給へり、南のひさしに北むきに、殿上人の座はにしをかみなり、しろきあやの御屛風を(○○○○○○○○○○)、もやのみすにそへてたてわたしたり、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0903 治承二年十一月十四日癸酉、此日中宮御産第三夜也、〈○中略〉寢殿西北廊東第二間以西、六ケ間敷滿長筵、〈無差筵鎭干等〉副北障子〈不簾、件障子絹障子也、〉立亘白綾四尺屛風(○○○○○○)、〈緣地白軟錦、番如例茜絹也、〉

〔榮花物語〕

〈二十七/衣珠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 かくて御調度共いできぬれば、大宮〈○藤原彰子〉この月〈○萬壽三年正月〉のうちに覺したゝせ給、御屛風どもにはきなるから綾(○○○○○○)をはらせ給へり、したゑしてさるべき心ばへ有事どもを、大納言〈○藤原行成〉さま〴〵にかき給へり、

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 仁安三年十一月廿五日壬午、裝束司令所司仕大極殿御裝束、〈○中略〉御帳乾艮兩角立縫物御屛風(○○○○○)

〔枕草子〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 いやしげなる物
ぬのびやうぶ(○○○○○○)のあたらしき、ふりくろみたるはさるいふがひなき物にて、中々何とも見えず、あたらしくしたてゝ、櫻の花おほくさかせて、ごふんすさなどいろどりたるゑかきたる、

〔東大寺獻物帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 納物〈○中略〉
御屛風壹佰疊〈○中略〉
臈纈屛風十疊〈各六扇、高五尺五寸、廣一尺九寸、碧絁背、漆木畫帖、漆鐵打、揩布袋、〉
一疊〈面背臈(白橡付紙)纈緣紫山納接扇〉 二疊〈並面背紅臈纈緣紫山納接扇〉
一疊〈面紅臈纈緣背靑(褐)臈纈緣紫山納接扇〉 一疊〈面白蠍臈纈〓靑褐臈纈 綠紫山納接扇〉
一疊〈面背緋臈纈緣紅臈纈接扇〉 二疊〈並面背緋臈纈緣紅臈纈接扇〉
一疊〈面紫臈纈緣背(褐)靑臈纈緣紅臈纈接扇〉 一疊〈面背口(白橡)臈纈緣接(紅臈纈)扇○中略〉

〔大内裏圖考證別錄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0904 布張屛風 相國寺光源院什物、布屛風、高五尺、幅毎枚一尺八寸、表布張、〈白粉引〉無緣、畫白菊、〈胡粉、葉莖紺、靑、〉流水、〈紺靑〉上下綠靑引、此繪オキアゲ畫也、高サ一、分餘許、裏同白布張、有唐紙形歟、ハゲテ不見、押木白木赤杉也、毎枚四方トモニ押木アリ、藍革ヲ番ゴトニ上ヨリ下マデ二ヘニテ付テ、〓ヲ打タリ、〓ノ員、左右ノ長キ方九ツ、上下ノ短キ方四ツ打タリ、赤金ノ〓ナリ、位金ナシ、卽此〓二ツ藍革ヲ打付タリ、〈已上以傳説記文〉凡六七百年前ノ古物也、

〔住吉物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 かみびやうぶ(○○○○○○)に、やまとゑかきたる一ようひたてゝ、もやのみすにくちきがたのきやうかたびらかけて、いとあるべかしくしつらひたり、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 元曆元年十一月廿二日丁未、大將五節裝束以下、饗祿等注文、〈○中略〉小師〈○中略〉屛風一帖、〈唐紙(○○)〉

〔康富記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 嘉吉三年五月廿八日壬午、藏人權右中辨、〈俊秀〉爲六月會勅使、自今日向延曆寺者也、〈○中略〉參著勅使坊、以東塔南谷西尊院勅使坊、疊兩三帖、反古張屛風(○○○○○)等雖之、其外具足更以無之、

〔源氏物語〕

〈四十六/椎本〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 二月の廿日の程に、兵部卿の宮はつせにまうで給、古き御願なりけれと、おぼしもたゝで、年ごろになりにけるを、宇治のわたりの御中やどりのゆかしさに、おほくは、もよほされたまへるなるべし、〈○中略〉こゝはまたさまことに、山里びたるあじろ屛風(○○○○○)などの、ことさらにことそぎて、み所ある御しつらひを、さるこゝちしてかきはらひ、いといたうしなし給へり、

〔河海抄〕

〈十七/椎本〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 普通のあじうにて張たる屛風也、昔は山庄などの古めかしき調度には定事なり、漆骨に片面を張て、細組にて閉合たる物也、籧屛風と云也、又ひあじろの屛風といふ物あるか、くるまのひあじろは、竹とひに、白く曝てくみたるもの也、其體物歟、

〔仙源抄〕

〈阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 あじろ屛風 蘧篨、竹ニテクミタル屛風也、

〔誠齋雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 呉隱之爲度支尚書竹蓬屛風、坐無氈席

〔蜻蛉日記〕

〈中之下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 故あぜち大納言の領し給ひし宇治の院に至りたるに、〈○中略〉所のあづかりしけるものゝ、まうけをしたれば、たてたる物主の是なめりと見る物見より、簾、網代屛風(○○○○)、黑かいの骨に朽葉の帷子かけたる几帳どもゝ、いとつき〴〵敷も哀とのみ見ゆ、

〔述齋偶筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0905 樂翁君の雅尚、よのつねならざりしは、人も知る所なれど、其中にも意表に出しは、玻瓈板(○○○)のいと大なるを屛風に嵌せられき、こは君もと多病にして、老後雪月をながくめでらるれば、風寒に傷められしこと屢なりしを、防がんための料なりけり、君は儉素を專らとして、痛く華美 を戒められしが、雪月の爲には、かゝる物をさへ備られし事、いと貴とからずや、

〔大館常興日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 天文十一年四月五日、小屛風(○○○)、〈馬の繪、二まいびやうぶ也、〉長谷川かたより來也、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 享保十三年五月三日、風爐先ノ小屛風ハ、必ズ立ルコトニアラズ、壁モナク兩方トモニフスマナドノ處ニハ、小屛風ナケレバシマラヌモノ也、又風爐ヲ前エ引出シテ飾レバ、尚以テ入ラヌ也、〈○下略〉

〔視聽草〕

〈七集二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 文政五年壬午三月、大君〈○德川家齊〉五十御年滿御祝儀として、仙洞より御小屛風一雙を被進、紺地泥畫の根引松に折枝竹を、土佐光孚が筆にて、五色〈靑、黃、赤、薄紅、薄紫、〉の小色紙に、左之和歌どもを、花山院〈江愛德〉一筆に書しめ給ひしよし、或人其歌を寫し置けるを借てこゝに寫す、〈○歌略〉

〔著作堂一夕話〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 烟花城書畫展覽の目錄
寬政十二年九月廿五日、東山雙林寺において展覽する所の烟花書畫の目錄、京師の友人より借抄す、左の如し、〈○中略〉
屛風〈三品〉
一和州家隆兩筆腰屛風(○○○) 賀樂狂夫所藏

〔古今著聞集〕

〈八/好色〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 御室〈○覺性法親王〉御寢所を御覽じければ、紅のうすやうのかさなりたるをひきやりて、歌かきて、御枕屛風(○○○○)にをしつけて有たりける、

〔山堂肆考〕

〈三十七/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 敬夫枕屛
邵康節過友人家、晝臥、見其枕屛小兒、題詩其上云、遂令高臥人、欹枕看兒戯

〔茶道早合點〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 風爐先屛風(○○○○○)
兩面二枚屛風なり、長さ二尺ばかり、はゞいろ〳〵有、紙張又はゐじろ等有、流義によりて品多し、

〔運步色葉集〕

〈久〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0906 畫屛(○○)

〔本朝畫史〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 畫式
朝廷所繪畫者多、〈○中略〉上世毎慶事、令屛風、當時使歌人書其上、或先倭歌繪畫、其法可時代、所謂大嘗會御屛風、御賀御屛風是也、如今四方拜御屛風、大宋御屛風、皆有粉本、而官家之役人所藏也、毎内裏、乃以舊本調進之、尤不能畫、聊隨舊例耳、然晝之用可大者也、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 屛風障子などの、繪も文字も、かたくななる筆やうしてかきたるが、みにくきよりも、宿のあるじのつたなくおぼゆるなり、

〔才葉抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 一屛書寫(○○○)などは、子細有事也、道風の筆を見しが、綾の屛風に大きらかなる下ゑをしたりしに、頭をさしつどへて、只行草に、筆に任せて書りと見ゆ、大體此體無有也、

〔秋齋間語〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 屛風に色紙を張る事(○○○○○○○○○)、寸法は八寸に六寸七分にする也、一枚を二色に染分る也、靑黃赤白黑の五色を用、是古實なり、小笠原流などにも、色紙短册のはり樣あり、少々相違あり、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0907 屛風に色紙短册押樣の事
今按に、經師の傳に、屛風障子へ色紙張には、長角半といへる習ひ有、たとへば四季の詩歌ならば、二枚ならべて張、是を長といふ也、戀の詩歌ならば一枚はあげ、一枚はさげて、上の色紙の左の下の角と、下の色紙の右の上の角とつぎ合せて、石疊のさまに押を角と云也、又雜の詩歌ならば、前の色紙の左のわきの中比へ、後の色紙の頭を並べて押、是を半といふ也、是故實なりとかや、
長 角 半 屛風に押す色紙染分の事
今案に、屛風に押色紙がたは、二枚づゝ並べて張て、色は二色に染分るなり、御所方の御屛風を拜見せしに、みなその定也、今年安永五年三月、廿一日、御室御座敷拜見せしに、堂上方寄合書の中屛風を立られしも、右の如し、經師家の傳に、長角半と云張樣ありといへども、古へはさのみその定も聞えず、ことに此にいへる五色なりとて、黑く染たらんには、墨にては物かくべからず、わけもなきことなり、

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 一古の屛風の繪に、扇ながし(○○○○)、扇づくし(○○○○)といふ事あり、扇ながしと云ふは、流水に扇をいくらも書きたるなり、扇づくしと云ふは、水はなくて扇計いくらも書きたるなり、其の扇の面に色々の繪樣を書くなり、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 寬喜二年六月廿一日辛巳、十三日行幸、〈○中略〉屛風四帖、〈○中略〉一以護袋色紙形(○○○)、一押扇紙(○○)

〔古今和歌集〕

〈十七/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 たむらの御時に、女房のさぶらひにて、御屛風のゑ御覽じけるに、瀧おちたりける所おもしろし、これを題にて歌よめと、さぶらふ人におほせられければよめる、
三條の町
思ひせく心の中のたきなれやおつとはみれど音のきこえぬ
屛風のゑなる花をよめる つらゆき
咲初し晴よりのちはうちはへて世は春なれや色のつねなる

〔古今著聞集〕

〈十一/畫圖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0908 帥のおとゞに屛風を賣人有けり、公茂弘高などに見せられけり、公茂弘高をまねき、ていひけるは、此野筋、此松、汝及べからず、おそらくは公忠がかく所か、弘高承伏しけり、公茂が云、公忠は屛風をかくとては、必ずその屛風のひらのすみごとに、おのれが名をかけり、こゝろみにはなちて見るに、あんのごとく公忠が字ありけり、いみじかりける事也、

〔乳母のふみ〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 ゑは、わざとたてたる御のうまでこそ候はずとも、人のかたちなどうつくしくかきならひて、物語ゑな、ど、詞めづらしくつくり出て、もたせおはしまし候へ、大かたゑとてもかたくなならぬほどにかきならひて、御屛風の墨がき(○○○)、色紙などをも、かゝせおはしましたらんこそ、よき御事にて候へども、それまでおよび候はずはのことにそ候、

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 仁安三年九月廿九日丁亥、早旦行水解除參行事所、諸國召物多辨濟、大夫史同參著、御調度塗調、螺鈿地少々居具、又蒔繪物、宗茂畫繪樣、四尺御屛風、同墨畫(○○)、凝御插頭臺風流、銅細工劒造召付之

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 もやひさしのそうどたつる事
その二かいのうしゐに、やまとゑ(○○○○)の四尺の屛風を、もやのはしらのきはよりはしさまに、きやうだいなどのうしろまでたつべし、ひさしのませばくてひだふかくは、たゝみておくのはしらのきはに二三枚もたゝめ、はしにみちあるやうにたつべし、から繪(○○○)のもたつることあれども、つねはやまと繪なり、

〔枕章子〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 むかしおぼえてふようなる物
からゑの屛風のおもてそこなはれたる

〔尺素往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 書院置物者、〈○中略〉屛風者、水墨、八景之唐繪、請或僧之、

〔永昌記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 保安五年六月五日、七夜六日、今日以後鳴弦殿上人一人、〈○中略〉公卿座如夜々儀、但撤白屛風、立倭畫屛風

〔殿曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 永久三年九月廿日丙戌、今日御幸沙汰營之、 廿一日丁亥、母屋西第二三四間、東西北三方立廻五尺泥繪〈倭繪〉御屛風五帖

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0909 仁安三年十二月十日丁酉、大嘗會悠紀所注進御物目錄事、〈○中略〉 御屛風十帖、〈○中略〉四尺六帖、〈和繪〉

〔日本紀略〕

〈一/醍醐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 延長六年十二月日、令大内記大江朝綱作御屛風六帖題詩、令少内記小野道風書之、

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 長德五年〈○長保元年〉十月卅日己卯、藤相公同車參左府、〈西京○中略〉石大辨行成書屛風色紙形、華山法皇、主人相府、右大將右衞門督、宰相中將、源宰相、和歌書色紙形皆書名、後代已失面目、但法皇御製不讀人、左府云、書左大臣、件事奇怪事也、主人責余和歌、致獻詞、不承引、右大辨書了、主人志、馬大丞下庭中馬綱小拜出、余黃昏歸、今日主人爲余有和歌

〔權記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 長保六年正月廿六日辛亥、依左府召詣、書明日女一宮御對面料四尺屛風四帖色紙形和歌、申雜事、入夜歸來、

〔古今著聞集〕

〈七/能書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 知足院入道殿、法性寺殿と、久安の比より御中心よからずおはしましける時、法性寺殿まいらせ給たりけるに、こゝろみ申されんれうにや、四枚屛風を一帖めしよせさせ給ひて、是に物書て給へと申されたりけるに、御硯引よせさせ給て、墨をしばしすらせ給て、中にもちいさかりける筆をとらせ給て、紫蓋之峯嵐疎と三句を大文字にて、四枚に書みてさせ給てまいらせられたりければ、禪閤御覽じて、これは重物なりとて、やがて寶藏に收られけるとぞ、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0910 寬喜元年十一月十四日戊寅、早旦詣相國謁、歌事猶被示合、有甘心事等、只今參入可申、先可參此歌由被命、〈件歌書之、二卷也、〉先參殿申其由、屛風已調出在御前、〈但云畫圖之體、總天金物等甚疎荒、末代事、萬事如此歟、〉期日可直由被仰、〈行兼承之所調也、繪兼康也、〉小時相國被參、於二棟南面又評定、被入替、今度書定了、有長讀上、又書付之、殿下五首、〈元日、鹿、田家、千鳥、雪、〉太相國八首〈若菜、柳、櫻、更衣、菖蒲、秋風、月、鶴、〉大將六首、〈梅、早苗、菊、紅葉、氷、重陽、〉下官七首、〈霞、葵、瞿麥、虫、雁、水鳥、臨時祭、〉宰相三首、〈山吹、郭公、綱代、〉前宮内卿七首、〈綱引、納涼、六月祓、野花、鷹狩、炭竈、歲暮、○中略〉三位知家二首、〈山井、藤、○中略〉撰定了、有長朝臣可淸書由被仰、行能朝臣依召參入、於屛風者明日可給、予先給之、可字由申之、予申此由、但普通之假名可 書由被仰、〈如此物多用眞名假名也〉但有所存歟、小々可加由被仰、〈○中略〉候女院之間、殿下又入御、仰云、炭竈歌相國猶有入之志云々、九首如何、家隆又可減乎、〈○中略〉追可行能朝臣云々、竊按、九首頗自由事歟、十九日癸未、予參間、以親房朝臣奉書遣召行能朝臣、未時許參入、〈束帶〉女院還御之後、以親房朝臣仰、今度御屛風、淸書殊以感思食、且依長保吉例、雖尋常馬故可給之也、召中院廊、御隨身二人〈下臈〉引御馬、〈糟毛〉行能朝臣下中門切妻沓脱、渡橋出庭、取御馬綱一拜退出、家面目何事過之乎、書樣存故實、殊有所思書之云々、春始ハ万葉集之歌之體、其次如宣命書之、自余以只假名書之云々、

〔國師日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 一同日〈○元和二年十月十九日〉狩野祖酉より書狀、九月晦日之日附にて來、先年誂候帝鑑之屛風(○○○○○)出來候由申來、久右衞門方〈江〉被相渡暈候得と、久右衞門方〈江〉手形遣す、案左ニ有之、祖酉〈江〉も則返言遣す、

〔貞丈雜記〕

〈十四/家作〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 名ある御屛風(○○○○○○)とは、太宋の御屛風、月次御屛風、漢書の御屛風、地獄變の御屛風の類なり、太宋の御屛風は、唐人打毬の繪なり、月次の御屛風とは、年中行事の繪なり、漢書の屛風は、漢書に載せたる政事どもを書くなり、地獄變の御屛風は、地獄の繪を書きたるなり、是れは十二月晦日、御佛名の時に立つなり、又坤元錄の内屛風といふもあり、坤元錄といふ書に載せたる山河などの形を繪がきたるなり、朗詠の覺明の注に、坤元錄の屛風の詩と所、々にあり、詩をも書けるなるべし、

〔江談抄〕

〈二/雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 諸御屛風等有其員
又云、諸御屛風等有其數、所謂漢書、打毬、坤元錄、變相圖、賢聖、山水等御屛風之類是也、隨時立之、委事見裝束司記文歟、

〔枕草子〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0911 きら〳〵しきもの
こんげんろくの御屛風こそおかしうおぼゆる名なれ、かんじよの御屛風はおゝしくぞ聞えた る、月次の御屛風もおかし、

〔江次第抄〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 大宋或四帖 大宋屛風、畫唐人打毬也、四方拜御屛風、漢書、月令、大宋、先規非一、然而漢書月令、近代不見、

〔殿曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 永久五年四月廿五日癸未、新所障子畫、繪師法師ヲ召、令舊高名屛風(○○○○○)

〔名目抄〕

〈雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 大宋御屛風(タイソウノヲビヤウブ/○○○○○)
○按ズルニ、大宋ヲ或ハ大宗ニ作レルモノアリ、恐ラクハ誤ナラン、大宋屛風ノ名ハ、本ト宋國渡來ノ屛風ヲ摸シタルヨリノ名ナルベシ、東大寺獻物帳ニ、大唐勒政樓前觀樂圖屛風、大唐古樣宮殿畫屛風等ノ名アリ、以テ參照ニ備フベシ、

〔大丙裏圖考證別錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 大宋屛風〈卽打球屏風〉
年中行事畫、賭弓圖、二枚之内初一枚繪唐人步行打球、一枚一人、一帖六人、第二枚畫唐人馬上打球、一枚二人、一帖六騎也、步騎共持打球杖、屛風押木黑緣、紺地文白菱、裏靑、同緣、紺地文白菱、

〔西宮記〕

〈八月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 駒牽次
裝束記文云、當日早旦上御格子、〈但不障子〉南廂西第四間中央鋪廣筵、立大床子御座、其北母屋柱、西立太宋御屛風二帖

〔西宮記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 一天皇元服
敷設等事
南方料、〈○註略〉御帳帷壁代、藏人所調之、御屛風二帖、〈用大宋御屏風○中略〉北廂料、〈御簾五間〉〈用南殿〉五尺屛風五帖、〈不調否之由、寬仁被大嘗會御屏風、〉

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0912 相撲召合裝束
御帳乾角傍絹御障子廻五尺大宋御屛風二帖

〔江家次第〕

〈九/九月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 同〈○十一日〉小安殿行幸次第
其東第一門西邊、立太宋御屛風三帖、〈並南北妻、稱之立切屏風

〔江家次第〕

〈九/十月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 射場始
御後立太宋御屛風二帖〈廂柱内東向立、以二帖中央御後、依便書也、南北行以緋綱幷鐵鎭子固也、〉

〔江家次第〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 東宮御元服
御帳東北去五許尺、屬北障子大宋御屛風一帖、〈四向以綱鎭子等之、他屏風准之、〉

〔後二條關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 寬治五年正月一日辛酉、南殿御裝束次第、西中門内地邊立幄云々、壁代懸之云々、御幄東北邊大宗御屛風一帖立之、件御屛風者、内辨進奏之處也、

〔辨内侍日記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 廿二日〈○寬元四年十一月〉今宵は帳臺の心みなり、〈○中略〉常の御所の御障子の方は臺盤所なり、女房だち袖をつらねていなみたり、なかに大宋の御屛風をたてたれども、ひきくて御所へ參る人々も、あなたの公卿どもにめを見合はすもまばゆくて、むかし女房のやうにゐざりありきしもおかし、

〔辨内侍日記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 十二月〈○建長二年〉十六日、野前の使の立つ日也、南殿の庭に幔引まはして、大宋の御屛風などたてゝ、みくらやづかひなどが、雪はかきたれふるに、あらしをしのぎて、使々いそがしもよほすけしき、いと寒げなり、

〔大内裏圖考證別錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 馬形屛風(○○○○)〈按卽大宋屏風〉

〔西宮記〕

〈四月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 警固
天皇御南殿〈御座在南庇中間、立馬形御屏風二帖、廣筵二枚、毯代上立大床子、〉

〔西宮記〕

〈八月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0913 駒牽事 上野御馬
日元長牽信濃御馬、〈○中略〉御座後立馬形五尺御屛風二帖

〔左經記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 寬仁二年十月十六日、立后節會、
南廂從西第三間六間立之、副母屋南立也、卯酉爲妻、又副第六間御簾、幷殿北障子數帖、子午爲妻、第三間西立一帖、子午爲妻、〈已上五尺馬形御屏風〉御屛風之内、敷滿長筵等、 十二月五日、陸奧交易御馬御覽、御座後立馬形五尺屛風二帖

〔類聚名物考調度〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 山水屛風(○○○○) せんすいのべうぶ

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 相撲召合裝束
若可皇后御座者、第六間西邊立六尺御屛風、〈東向〉其御屛風西相傍立山水御屛風、同二帖〈西向、皆合、〉近例又第七八間北邊立廻同屛風、〈便申本宮扉風、南向、○中略〉 其西間西邊南北行立漢書御屛風一帖、〈東面〉近例無件屛風本宮山水御屛風、〈東向〉

〔江家次第〕

〈十二/神事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 齋王群行
飾御座、鋪兩面端帖二枚、其上敷二色綾端帖、〈半帖〉後立墨容御屛風、〈近例又立大宋御屏風〉其艮方東戸間、母屋内北柱頭設齋王御座、〈○中略〉後東西柱間、鋪薦筵山水御屛風、〈近例又立大宋御屏風

〔玉蘂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 承久二年十一月五日辛卯、御裝束儀、
寢殿母屋、〈○中略〉母屋同四面懸壁代、西北二面立亘五尺山水御屛風、〈○中略〉御著袴所東間北東二方立泥繪四尺御屛風、〈○中略〉立亘五尺山水御屛風

〔安齋隨筆〕

〈前編一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 一坤元錄御屛風(○○○○○○) 淸少納言枕草子に此名見へたり、〈○中略〉坤元錄、易ニ乾ヲ天トシ坤ヲ地トス、唐土ノ土地山海等ノ事ヲ載タル書也、其山海川澤ノ名撰出シ畫カシメ、其畫ニ詩ヲ作ラシメテ書セラレシ御屛風也、

〔日本紀略〕

〈三/村上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0914 天曆三年十二月日、仰左大辨大江朝綱朝臣坤元錄、爲詩題廿首、仰采女正巨勢公忠屛風八帖、仰朝綱朝臣、文章博士橘直幹、大内記菅原文時等詩、式部大輔大江維時撰定 之、右衞門佐小野道風書之、皇后宮使藏、人右衞門權佐兼權大進定經勤仕之、左衞門尉能盛以下衞府以上者二人雖詩臣、俄依例停止了云々、

〔江談抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 五嶺蒼々雲往來 但憐大庾萬株梅〈天曆十年内裹御屏風詩、菅三品、〉
廣州山中嶺有五、其一在大庾、嶺上多梅樹、南枝先花開、此御屛風詩題目者、左大辨大江朝綱奉勅、自坤元錄中進三人作詩、卽朝綱、文章博士橘直幹、大内記菅原文時也、參議大江維時蒙詔評定、采女正巨勢公忠畫、左衞門佐小野道風書、並當時秀才也、總八帖、廿首、三人作六十首、選定江十首、橘二首、菅八首、作者瀝思不此詩、或人云、紀在昌不作、内心竊爲歎云々、

〔古今著聞集〕

〈十一/畫圖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 能通、繪師良親に、屛風二百帖に繪をかゝせたりけり、其中坤元錄屛風をば、良親相傳の本にてなん書侍ける、大女御まいり給ける時、二條殿にまいらせさせてんけり、色紙形は四條大納言ぞかゝれける、更に又爲成をしてうつされけり、正本は一の人の御相傳の物に侍にこそ、

〔紀貫之集〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 延喜六年、月次の御屛風(○○○○○○)八帖料歌四十五首、依内勅奉之、行て見ぬ人もしのべと春の野のかたみにつめる若ななりけり

〔古今著聞集〕

〈五/和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 天曆の御時、月次御屛風の歌に、擣衣の所に兼盛詠て云、
秋ふかき雲井の雁のこゑすなり衣うつべきときや來ぬらん
紀時文、件の色紙形をかく時、筆をおさへていはく、衣うつを見て、うつべき時やきぬらんと詠ずるいかゞ、兼盛にやがてたづねらるゝ所に、申ていはく、貫之が延喜御時、同屛風に、駒迎の所に、
逢坂の關のし水にかげ見えていまやひくらん望月の駒、と詠ず、此難ありやいかゞ、時文口をとづ、しかも時文は貫之が子にてかくなんそしりける、よく〳〵淺かりけり、

〔江家次第〕

〈一/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0915 四方拜事 其上立御屛風八帖〈太宗或四帖云云、不然、往年月令御屏風也、近代無之、〉

〔おもひのまゝの日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 四月十日比、やがて立后あり、御調度、深き寶藏よりめし出され、月次の御屛風の下繪、色紙歌の心ばへなど、ことにえりとゝのへさせ給ふ、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 寬喜元年十一月九日癸酉備後前司來談、宰相來會、愚歌三首詠改、今日淸書了、〈局檀紙七枚續之〉端作、 月次屛風十二帖和歌
名字〈無官者如此歟〉
正月元日如此書之〈不題、子細只若菜霞等字也、〉

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 四季屛風(○○○○) しきのべうぶ
春夏秋冬四季の、花鳥などかきたるをいふ、

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 一淸凉殿
五間〈北第一間母屋爲御路次、(中略)第五間四季御屏風、○中略〉石灰壇〈四季御屏風、三尺、南第一間母屋御簾下、以東爲面、此御屏風之中、在陪膳圓座、〉

〔禁腋秘抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 淸凉殿
一間ノ母屋ノ下ニ、四季ノ御屛風一帖〈繪ヲ端ニ向〉立タリ、ソノ内ニ配膳ノ圓座アリ、

〔禁秘御抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 一恒例毎日次第
内侍兼敷大床子圓座於石灰壇南間中央、立廻四季御屛風、垂御簾、或不垂、

〔侍中群要〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 立替御屛風
石灰壇御屛風一帖四季立替云々 石灰壇屛風四季立替之〈近代一帖書四季○中略〉 御厨子東御屛風一帖四季立替云々

〔日中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0916 石ばいの壇におはしまして御拜あり、たつみにむかひて兩段再拜、その外御心にまかすべし、一間の母屋の下に、南むきにたてたる四季の御屛風とりて、御後の方御傍にたてゝ、大床 子の圓座をその内にしく、〈○下略〉

〔類聚雜要抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 五尺屛風十二帖
月次繪、四季ヲ各當三帖畫之、春〈上中下〉母屋四箇間、東西北三方料、〈○中略〉
四尺屛風二帖内〈一帖泥唐繪、調度後料繪十二月之内、枚別當二月書之、一帖泥大和繪、〉

〔古今著聞集〕

〈十一/畫圖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 一條前攝政殿、左大臣におはしましける時、居すへたてまつらんとて、一條室町の御所を、光明峯寺入道前備中守行範に仰て修理せられにけり、寬仁三年十月廿七日御わたまし有けり、つくりどもゝ少々あらためられけり、寢殿二棟の障子より、つねの唐繪は無念也とて、夲等院寶藏の四季の御屛風を、二條前關白殿長者にておはしましけるに申されて、取出してうつされにけり、人々の姿もみな昔繪にてぞ侍るなる、いと見所あり、武德殿の競馬の所に、みもしらぬ人のすがたどもおほかり、嵯峨野の御幸に、御輿の上に虎の皮をおほひたるなど、ふるき事どもをかゝれたる、いと興有り、承保の野行幸には、虎のをばおほはれざりけるとなん、近衞大殿の御相傳の屛風どもは、皆寶物にて侍うへ、そんじたればとて、四季の大和繪を、一月を一帖に書て、あたらしく調ぜられたるとなん、可然事の時、客の座に立らるゝ也、元日の節會は、豐樂院の儀をぞ書て侍なる、延喜の御時の月の宴、御溝水のながれやうなど、ふるきにたがへずかゝれたる、いと興ある事になん侍なる、

〔古今著聞集〕

〈十一/畫圖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0917 弘高、地獄變の屛風(○○○○○○)を書けるに、樓の上より桙をさしおろして、人をさしたる鬼を書たりけるが、殊に魂入て見えけるを、みづからいひけるは、おそらくは我運命つきぬと、はたしていく程なくてうせにけり、六條宮、〈具平〉御堂に申給ひけるは、布障子の役などには、今は弘高をばめさるべからず、輕々なるべき事也、弘高聞て自愛しけり、此弘高は、金岡が曾孫、公茂が孫、深江が子也、

〔年中行事秘抄〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 十九日御佛名始事
閏月例
長曆三年閏十二月十九日乙巳、物忌、今日始佛名、殿上御裝束如恒、但地獄變御屛風、内裏火災夜燒亡、仍以大宋御屛風立之、故實也、

〔雲圖抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 十二月十九日御佛名事
地獄變御屛風七帖七ケ間也、有綱鎭子等、或書云、若無件御屛風之時、用漢書御屛風

〔枕草子〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 御佛名のあした、ぢごくゑの御屛風取渡して、宮に御らんぜさせ奉給ふ、いみじうゆゝしき事限りなし、是見よかしとおほせらるれど、さらに見侍らじとて、ゆゝしさにうへやにかくれふしぬ、

〔榮花物語〕

〈三/樣々のよろこび〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 しはす〈○永延二年〉の十九日になりのれば、御佛名とて、地獄ゑの御屛風など、とうでゝしつらふも、めとゞまりあはれなるに、〈○下略〉

〔大内裏圖考證別錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 漢書屛風(○○○○) 年中行事畫、内宴圖、草木山形、無人物、是畫傳寫不細密、故如此歟、襲木黑緣、靑地文白菱、裏紫文黑鳥襷、

〔江家次第〕

〈八/七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 相撲召合裝束
東方御簾西邊、立亘五尺漢書御屛風、〈南北行西向、件御屏風不北障子五尺許、近例依漢書御屏風大宋御屏風、以緋綱鐵鎭子等之、下亦同、〉
同廂第四間以西、六箇間北邊、立亘同御屛風、〈南向、又第四第六間北邊御屏風、中央並開往反路、〉

〔雲圖抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 正月正朔寅刻四方拜事
廻御屛風四帖〈往古或八帖、先例用漢書御屏風、〉

〔北山抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0918 大嘗會事
標幷御插頭御屛風等本文(○○)〈作風俗舞詠(○○○○○)事〉

〔袋草紙〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 大嘗會歌次第
先從國々進所々名於行事辨、下作者許、作者撰便宜所々、〈各可禁忌〉諷詠之、進行事辨所、以風俗歌樂所、〈以之人人作樂〉以屛風歌繪所、〈以之書圖之〉若和歌有遲々之時、所々名ニ書詞先進之、和歌ハ追進之、〈○下略〉

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 仁安三年九月一日己未、内藏權頭長光朝臣獻大嘗會悠紀方本文一通、〈○中略〉 一通勘申悠紀方御屛風四帖本文事
一帖
後漢元初三年〻〻〻〻〻〻〻
成王時點兵之國〻〻〻〻〻〻〻
漢宣帝神雀元年〻〻〻〻〻〻〻
二帖 三帖 四帖
已上本文各三如
年月日 位官姓名如

〔寶石類書〕

〈七十三/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 宗直按、本文ノ屛風ト云ハ是也、如此考、本文繪ニ書テ、其本文ヲ上ニ色紙形ニ書事也、和歌屛風トハ別ナリ、

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 仁安三年十一月廿三日庚辰、早旦參大極殿、大夫史幷行事官皆參奉仕節會御裝束、〈○中略〉御帳艮乾兩角壇上立五尺御屛風、〈件屏風新調也、艮二帖、乾二帖立之、各書劇文繪、朝方卿書色紙形主基一同、〉

〔寶石類書〕

〈七十三/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 宗直考、非和歌屛風也、今度和歌屛風立所粗知之由、有御吟味、是屛風立所克准據歟、

〔壬生家記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0919 天明文政大祀、本文和歌御屛風調進手續、從土佐守光孚差出分、
天明七年八月廿二日、今日御用ニ付、非藏人口〈江〉罷出候樣、大嘗會傳奏奉行衆被仰渡候旨申來、尤 土佐守左近將監兩人共也、卽刻參ル、〈○中略〉左之通奉書四ツ折御書付壹通御渡候、
本文御屛風 八帖 和歌御屛風 十二帖
右各新造調進
本文御屛風繪所 土佐守光貞 和歌御屛風繪所 左近將監藤原光時
九月二十日、中山前大納言殿〈江〉被召、卽刻參、表ノ口ニテ、前大納言殿、頭辨殿、御兩所被仰渡者、先御書博士より本文色紙形目書付被差出候、則御渡在之候處、軸之處花田白並ビ同樣ニ相成候ニ付、左之通相定メ調進可仕旨也、
本文御屛風之御色紙
一帖第一紅 二紅梅 三黃 二帖 第一萌黃 二花田 三白
三帖 第一花田 二白 三紅 四帖 第一萌黃 二花田 三紫
右之通今度御治定也〈○下略〉

〔西宮記〕

〈臨時三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 菊宴
承和五年十月七日、菊宴、〈○中略〉倚南面墨容御屛風(○○○○○)二帖

〔江家次第〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 齋王群行
第二間内差進西當階下少向巽裝飾御座、鋪兩面端帖二枚、其上鋪二色綾端帖、〈半帖〉後立墨容御屛風、〈近例又立太宋御屏風

〔榮花物語〕

〈十六/本の雫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0920 このごろ〈○寬仁四年〉中ぐうのだいぶにて、ほうずじのおとゞ〈○藤原爲光〉の御この、大なごん〈○藤原齊信〉におはする、みこあまたおはしぬべかりしを、みなうしなひ給て、たゞひめぎみひとりをぞえもいはずかしつきたてゝもたせ給へる、〈○中略〉このとのゝ三位中じやう〈○藤原長家〉ひとりおはすれば、それにやとおぼしたちて、むことりきこえ給、としごろはなにごとをかは、たゞこの 御かしづきよりほかのことなくおぼしたれば、御てうどともよりはじめ、よろづの御ぐどもかがやくやうに、漢書の御屛風、文集の御屛風(○○○○○○)どもなどしあつめ給なれば、げに内春宮にまゐり給はんもたへてみえたり、

〔江談抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 美材書文集御屛風
又云、小野美材、内裏文集御屛風書了、奧書大原居易古詩聖、小野美材今草神云々、

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 樂府屛風(○○○○) がふのべうぶ
白氏文集に新樂府五十餘首あり、是を古へはことの外にもてはやしたる事、物に多くみえたり、紫式部日記、淸少納言記にもみゆ、是を屛風にもかゝれしなるべし、畫か書か、その事は未考、

〔本朝畫史〕

〈二/上古畫錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 師足以畫鳴于時、畫樂府屛風、具載大鏡

〔增補考古畫譜〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 樂府屛風
春村曰、師足といへる高名の畫師、いにしへあることなし、もろたるは弘高の誤なり、塙忠寶云、所藏大鏡古抄本には、ひろたかとあり、以て證すべしといへり、畫工便覽に諸垂とし、皇后宮大進など、官名をさへに推當に記せるは非也、

〔大鏡〕

〈五/太政大臣爲光〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 男君太郎は、左衞門督さねのぶときこえさせし、〈○中略〉いみじき上ごにてぞおはせし、この關白殿のひとゝせの臨時客に、あまりゑひて御座にゐながら、たちもあへ給はで、ものつき給へるにこそ、かう名のもろたかがかきたる樂府の御屛風(○○○○○○)にかゝりて、そこなはれたんなれ、

〔本朝畫史〕

〈二/上古畫錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 宇多天皇、世奉寬平法皇、至政道則不之、天性嗜畫圖、寄心於丹靑、曾寫長恨歌之意(○○○○○○)、圖亭子院之屛風

〔伊勢集〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0921 長恨歌の御屛風、亭子院のかゝせ給て、所々よませ給ける帝の御手にて、 紅葉ばに色見えわかでふる物はものおもふ秋の泪なりけり〈○中略〉
これはきさきにかはりて
しるべする雲の舟だになかりせば世をうみなかに誰かとはまし

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 治安四年九月十九日甲辰、大床子後御屛風一帖、今日中間爲風被吹、顚倒懸御後、極不便也、左頭中將公成走出自御裝物所、疊執、諸卿云、不更立、仍持去、件御座屛風、關白所調也、〈阿闍梨詠圓所畫(○○○○○○○)云々〉

〔基長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 寶永四年二月十五日(神泉苑重物)、保元平治合戰圖屛風(○○○○○○○○○)一雙、〈故法眼筆、人形如動、甚奇物也、慶長比、元爲官物之處、依不吉之圖寄附、彼地東寺寶菩提院預之經數年、筆勢妙術又無類、〉主上内々其筆勢絶妙候間、被聞召及、暫時可叡覽候由、予爲兄弟之預之間、内々申遣了、今日從非藏人部屋取寄、密々御内義〈江〉遣入叡覽、近日可返却候由仰也、 三月八日、去月十五日令天覽屛風、〈保元平治合戰、畫工元信、筆跡絶妙無比類、東寺寶菩提院在家藏、是元神泉苑江白内裏寄附屏風也、彼院兼帶之間在東寺、予爲兄弟之間、召寄入叡覽、〉今日被返下

〔一話一言〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 一鬨ノ屛風(○○○○)ノコト、神泉苑ニ有、保元平治戰ノ圖也、眞跡ハ古法眼ト云、古右京ト東寺ノ寶庫ニアル由、其圖ヲ雪溪ノ寫也、東福門院御寄附ノ由、畫體能ク人情ヲ盡シタル故ニ、人ノ物言ガ如シト云、鬨ノ屛風ト稱スルナラン、

〔本朝畫史〕

〈二/上古盡錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 弘法大師、〈○中略〉其書冠古今、畫亦造於神妙、〈○中略〉今高雄山有山水屛風(センスイノ/○○○○)

〔菅家文草〕

〈七/銘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 畫圖屛風、松下道士賛六首、〈讃岐旅館屏風畫也〉
獨坐 寄身質樸、陶性孤摽、合眼而坐、不帝堯

〔康富記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 文安四年十一月廿七日乙卯、今日前局務師卿朝臣來語、三條帥大納言有言付、諸家系圖屛風(○○○○○○)可書給之由被命、件本、前局務入道性存之中書本也、此本可予之由被示之、明春可書給之由、帥卿被示之云々、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0922 永正十四年十一月廿七日、太平記四十册、今日一見畢、〈○中略〉又今所持之屛風和歌(○○)、幷御遊(○○) 等繪(○○)、其年號不審之處、太平記第四十卷、貞治六年三月廿九日中殿御會人數等分明也、此屛風其時節物歟、古物也、〈先年於山門感得之〉繪(○)ハ當時繪所光信朝臣先祖光行書之由、光信朝臣先年稱之、詩歌(○○)者爲秀卿手跡歟之由、爲廣卿演説之、爲秀卿ハ貞治之御人數也、此中殿御會此度以後無之、

〔本朝畫史〕

〈二/上古畫錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 皇后藤氏、名明子、忠仁公良房女、而文德帝后、淸和帝母公也、世號染殿后、〈訓曾迷土乃其左其〉尤巧畫艸花、近世豐臣太閤秀吉公得其所畫白菊屛風(○○○○)之、高六尺、撒金銀密飾地、

〔續武家閑談〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 一小倉色紙(○○○○)ハ、元來伊勢國司北畠殿處持ニテ、屛風(○○)一雙ニ百枚ヲシテアリケルヲ、連歌師宗長勢州ニ來リケルトキ、國司コレヲ授ケラル、宗長達テ辭退シテ、屛風片々ヲ請用ス、

〔東照宮御實紀附錄〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 慶長十六年九月、西域より世界の圖の屛風(○○○○○○○)舶來せしかば、駿府へ進らせられしに、御覽ありて、後藤庄三郎光次、長谷川左兵衞藤廣を御前にめして、萬國の事ども御尋問ありて、討論せられしなり、

〔東大寺獻物帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0923 納物〈○中略〉
御屛風壹佰疊〈盡屏風廿一疊、鳥毛屏風三疊、鳥畫屏風一疊、夾纈六十五疊、臈纈十疊、〉
山水畫屛風一具兩疊十二扇〈並高七尺二寸、濶二尺三寸半、赤紫綾緣、以檜木假作、班竹帖、鐵釘、黑漆碧絁背、紫皮接扇、揩布袋、〉
國圖屛風六扇〈高六尺、廣二尺二(付紙一)寸、紫綾緣、前面及兩端碧牙撥鏤帖、金銅隱起釘、上頭緣木帖、金銅浮漚釘、下頭緣米帖、黑漆釘、背後紅牙撥鏤帖、金銅浮漚釘、碧綾背、紫(絁付紙)皮接扇、緣綾〓緣(緑付紙)裏、〉
大唐勤政樓前觀樂圖屛風六扇〈装束及〓並同前國圃屏風
大唐古樣宮殿畫屛風六扇〈高五尺四寸五分、廣一尺七寸五分、緋地錦緣、漆木帖、前後金銅釘、碧綾背、緋皮接扇、揩布袋、〉
大唐古樣宮殿畫屛風六扇〈高五尺、廣一尺九寸、装束與前同、〉
古樣山水畫屛風六扇〈高五尺八分、廣一尺九寸、緋地錦緣、漆木帖、金銅釘、碧綾背、緋皮接扇、黃絁袋、帛絁裏、〉
古樣本草畫屛風一具兩疊十二扇〈一高五尺三寸、一高五尺二寸、緋地錦緣、漆木帖、金銅釘、碧綾背、緋皮接扇、黃絁袋、帛裏、但五尺二寸碧地錦緣碧絁背〉〈付紙〉 子女畫屛風六扇〈高五尺、廣一尺九寸、緋地錦緣、漆木帖、金銅釘、碧綾背、緋皮接扇、揩布袋、〉
古人畫屛風一具兩疊八扇〈並高五尺三寸、廣一尺九寸、緋(碧付紙)地錦緣、漆木帖、金銅釘、碧絁背、紫皮接扇、黃絁袋、帛絁裏、〉
舞馬屛風六扇〈高五尺、廣一尺入寸、紫地錦緣、金銅釘、漆木帖、碧綾背、緋皮接扇、黃絁袋、白(白絁付紙)練裏、〉
子女屛風六扇〈高五尺、廣一尺八寸、紫地錦緣、漆木帖、金銅釘、碧綾背、緋皮接扇、揩布袋、〉
古樣宮殿畫屛風六扇〈高五尺、廣一尺八寸、紫地錦緣、漆木帖、金銅釘、碧綾背、緋皮接扇、揩布袋、〉
素畫夜遊屛風一具兩疊十二扇〈並高五尺、廣一尺八寸二分、紫綾緣、赤染木帖、黑漆釘、碧絁背、紫皮接扇、揩布袋、○中略〉
鳥毛立女屛風六〈高四尺六寸、廣一尺九寸一分、緋紗緣、以木假作班竹帖、黑漆釘、碧絁背、緋(﨟付紙)夾纈接扇、揩布袋、〉
山水畫屛風六扇〈高五尺、廣一尺九寸、紫綾緣、白帖木、金銅釘、紫皮接扇、黃絁袋、帛絁裏、○中略〉
百濟畫屛風六扇〈高四尺七寸、廣一尺七寸、緋地錦緣、漆木帖、金銅釘、碧綾背、緋皮接扇、黃絁袋、帛絁裏、〉
古人宮殿屛風六扇〈高五尺一寸、廣一尺八寸、紫綾緣、白木帖、金銅釘、碧絁背、紫皮接扇、揩布袋、〉
古人畫屛風六扇〈高五尺一寸、廣一尺八寸五分、紫綾椽、白木帖、金銅釘、碧絁背、紫皮接扇、揩布袋、〉
山水夾纈屛風十二疊〈各六扇高五尺、廣一尺八寸、碧絁背、漆木畫帖、烏油釘、揩布袋、〉
一疊〈面紫目交緣背紅爽纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面背夾纈緣紅夾纈接扇〉
一疊〈面紫目交夾纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面背白橡臈纈緣緋絁接扇一疊面紫目交臈纈緣背紅臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面紫目交臈纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面夾纈緣背白橡臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面紅臈纈緣背皂目交臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面紅臈纈緣背滅紫臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面夾纈緣背紅臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面背夾纈緣紅臈纈接扇〉
一疊〈面紫目交臈纈緣背夾纈緣紅臈纈接扇〉
菴室草木鶴夾纈屛風七疊〈各六扇、高五尺、廣一尺八寸、碧絁背漆、木畫帖、烏油釘、揩布袋、〉
一疊〈面白橡目交臈纈緣背皀臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面背夾纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面紫目交臈纈緣背夾纈緣紅臈纈接扇〉 一疊〈面背白橡臈纈紅臈纈接扇〉
一疊〈面背夾纈緣紅臈纈接扇〉 一疊〈面紫目交臈纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面夾纈緣背白橡臈纈緣緋絁接扇〉
驎鹿草木夾纈屛風十七疊〈各六扇、高五尺、廣一尺八寸、碧絁背、漆木畫帖、烏油釘、揩布袋、〉
一疊〈面白橡臈纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面夾纈緣背白橡臈纈緣緋絁接扇〉
鹿(什紙) 一疊〈面白橡臈纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面夾纈緣背皀目交臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面背滅紫臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面滅紫臈纈緣背紅臈纈緣緋絁接扇〉
鹿(什紙) 一疊〈面背紅臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面夾纈緣背紅臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面背夾纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面夾纈緣背紅臈纈緣紅臈纈接扇〉
鹿(什紙) 一疊〈面背夾纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面夾纈緣背白橡臈纈綾緋絁接扇〉 一疊〈面背滅紫目交臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面紅臈纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面雲〓綾緣白(〓付紙)橡目交臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面夾纈緣背紅臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面夾纈緣背紅臈纈綠緋絁接扇〉
鳥木石夾纈屛風九疊〈各六扇、高五尺、廣一尺八寸、碧絁背、漆木畫帖、烏油釘、揩布袋、〉一疊〈面背夾纈緣紅臈纈接扇〉
一疊〈面紫目交臈纈緣背夾纈緣紅(帖付紙)臈纈接扇〉 一疊〈面滅紫目交臈纈緣背白橡目交臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面紫目交臈纈緣背夾纈緣紅臈纈接扇〉 一疊〈面白(赤付紙)橡臈纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面夾纈背皀目交臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面背夾纈緣紅臈纈接扇〉
一疊〈面雲〓綾緣背白橡臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面白橡臈纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉
鷹木夾纈屛風一疊〈六扇、高五尺、廣一尺八寸、碧絁背、漆木畫帖、烏油釘、面背夾纈緣、緋絁接扇、揩布袋、〉
鷹鳥夾纈屛風四疊〈各六扇、高五尺、廣一尺八寸、碧絁背、漆木畫帖、烏油釘、揩布袋、〉 鳥木(付紙) 一疊〈面夾纈緣背紫目交臈纈緣緋絁接扇〉 鳥木(付紙)一疊〈面山納緣背白(赤付紙)橡臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面背夾纈緣紅臈纈接扇〉 一疊〈面夾纈緣背白橡臈纈緣緋絁接扇〉
鷹鶴夾纈屛風一疊〈六扇、高五尺、廣一尺八寸、碧絁背、漆木畫帖、烏油釘、面夾纈緣背皀臈纈、緣緋絁接扇、揩布袋、〉
古人鳥夾纈屛風四疊〈各六扇、高五尺、廣一尺八寸、碧絁背、漆木畫帖、烏油釘、揩布袋、〉一疊〈面紫臈纈緣背夾纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面背山納緣緋絁接扇〉 一疊〈面背夾纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面背滅紫臈纈緣緋絁接扇〉
鳥草夾纈屛風十疊〈各六疊、高五尺、廣一尺八寸、碧絁背、漆木畫帖、烏油釘、揩布袋、〉 一疊〈面紫山納緣背緋臈纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面紫山納背緋臈纈緣緋絁接扇〉 一疊〈面雲納(繝付紙)綾緣背緋夾纈緣緋絁接扇〉
一疊〈面紫臈纈緣背夾纈緣紅臈纈接扇〉 一疊〈面背夾纈緣紅臈纈接扇〉
一疊〈面紫臈纈緣背夾纈緣紅臈纈接扇〉 一疊〈面紫臈纈緣背夾纈緣紅臈纈接扇〉
一疊〈面背夾纈緣紅臈纈接扇〉 二疊〈並面背紫夾纈緣紅臈纈接扇○中略〉
右件、皆是先帝翫弄之珍、内司供擬之物、追感疇昔、觸目崩摧、謹以奉獻盧舍那佛、伏願用此善因、奉㝠助、早遊十聖、普濟三途、然後鳴鑾花藏之宮、住蹕涅槃之岸
天平勝寶八歲六月廿一日〈○署名略〉

〔本朝畫史〕

〈二/上古畫錄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 慧心院僧都、諱源信、姓卜氏、和州人、寬仁元年化、常作彌陀來迎圖、且雕刻之、今和州當麻寺中有十界圖屛風(○○○○○)、又洛東新黑谷有二河白道圖屛風(○○○○○○○)、蓋上古風致也、

〔好古小錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 上宮太子傳畫(○○○○○○)
數種アリテ、法隆寺繪殿ノ圖ヲ巨擘トス、近年本寺朽敗ヲ恐レ、屛風トナシテ寶藏ニ秘ス、

〔好古日錄〕

〈末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0926 書翰屛風(○○○○)
相國寺心華院ニ、六曲屛風二座アリ、外國ノ書翰ヲ粘ス、名テ書翰屛風ト云、萬曆貳拾玖年捌月朝 鮮禮曹參議鄭曄復書一通、〈有封皮〉萬曆參拾貳年漆月朝鮮曹參議成以文復書一通、安南國弘定二年〈國朝慶長六年辛丑〉五月五日書二通、弘定四年五月十九日書一通、弘定六年五月初六日啓一通、〈有禮單及封皮〉又報書一通、〈有封皮〉弘定漆年伍月拾參日書一通、〈有禮單及封皮〉天安國弘定七年肆月拾伍日曉示一通、〈有封皮〉呂宋書一通、柬捕塞癸卯年〈慶長八年癸卯〉四月書一通、乙巳年〈慶長十年〉季春三月書一通、同年四月書三通、無國名禮單二通、〈疑安南柬捕塞〉凡二十八張、戊申ノ火隻字存セズ、惜ベシ、余嘗摸寫スル者纔ニ其影子ヲトヾム、

〔好古小錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 承安五節圖屛風摸本(○○○○○○○○○)〈元畫卷〉
老長所寫ノ畫卷ヲ以、光信屛風一坐ニ寫シテ、畫卷ハ傳ハラズ、今ノ畫卷ハ、御厨子所預宗直朝臣、屛風ノ摸本ヲ以畫卷トナス者也、

〔好古小錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 大著色儛樂圖屛風(○○○○○○○○)粉本〈一坐〉
此畫元光長寫ス所ニシテ、光信此ヲ摸ス、其圖據ルベキコト多シ、一説ニ、光信圖スル所ト云、非ナリ、又一種儛樂圖屛風摸本〈著色ナシ〉アリテ、原本光信ノ所寫ト云、是畫所預光信ニ非ズ、狩野光信所寫ノ摸本也、其圖甚劣レリ、

〔好古小錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 東大寺鴨毛屛風(○○○○)畫
今存スル者十六枚、中一枚ニ天平勝寶三年十月ノ八字アリ、千有餘年ノ畫、實ニ賞スベシ、

〔好古小錄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 鴨毛屛風〈二座〉
國朝古昔ノ篆字存スル者、印篆ノ外、纔ニ此屛風、及藥師寺尾瓦ノミ、

〔好古日錄〕

〈末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0927 鴨毛屛風
俗ニ東大寺ノ鴨毛屛風ノ文字、羲之ノ書ト云、論ズルニ足ラザル事ナレドモ、是古來ノ俗説トミユ、康治元年五月六日記云、開勅封倉覽寶物、〈中略〉聖武天皇玉冠及鞍、〈中略〉王右軍鳬毛屛風、有良田之賛、〈下略〉康治元年記ニ載ル所如此ナレバ、其俗説舊タリ、又傳ヘテ鴨毛屛風ハ西土所造ト云、固ヨリ 非ナリ、屛風ノ畫側ニ、天平勝寶三年十月ノ八字アリ、傅粉ヲチテ其字鮮ニミユ、

〔東大寺獻物帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 納物〈○中略〉
御屛風壹佰疊〈○中略〉
鳥毛篆書屛風六扇〈高五尺、廣一尺八寸、紫綾緣赤染木帖、黑漆釘、碧絁背、夾纈絁接扇、揩布袋、○中略〉
鳥毛帖成文書屛風六扇〈高五尺、廣一尺九寸、紫綾緣、木假作班竹帖、黑漆釘、碧絁背、黃臈纈接扇、揩布袋、〉
鳥書屛風六扇〈高四尺一寸、廣一尺六寸七分、紫絁緣、漆米帖、前面金銅釘、上頭下頭、背後並黑漆釘、碧絁背、緋絁接扇、綠絁袋、帛絁裏、〉

〔東大寺要錄〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 勅封倉鴨毛屛風銘文
種好田良、易以得一レ穀、 君賢臣忠、易以至一レ豐、 謟諛之語、多悦會情、 正直之言、倒心逆耳、
正直爲心、神明所祐、 禍福無門、唯人所召、 父母不愛、不孝之子、 明君不納、不益之臣
淸貧長樂、濁富恒憂、 孝當力、忠則盡命、 君臣不信、國政不安、 父母不信、家道不睦、

〔類聚名物考〕

〈調度十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 東大寺鴨毛屛風幷銘
此屛風は、上古聖武天皇の御物なりとて、今奈良の東大寺の什物とす、屛風二枚、長各四尺九寸三分、幅一尺九寸三分、邊緣一分半、その中には花絨をもて飾りて、鴨頭の綠毛をもて、此銘九十六字を織出せり、文字大さ四五寸許あり、古へ坐右の銘なるべし、禍福无門唯人所招の語は、春秋左氏傳に見えたり、父母不愛不孝之子、明君不納不益之臣は、鹽鐵論に出づ、君臣不信國政不安、父母不信家閨不睦の語は、説苑に原きて書りと見ゆ、

〔本朝世紀〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0928 康治元年五月六日戊戌、早旦開勅封倉、御覽寶物、昨日俄有議、召遣辨一人、藏人左中辨源師能、大監物藤時員等、隨身鎰參向、〈件鎰在鈴印辛櫃也〉鏁相澀、數刻不開得、有議切局畢、寶物之中聖武天皇玉冠、及鞍、御被、枕、碁局、䇞竹簫、八竿、〈其形如笙〉王右軍鳬毛屛風、侍臣等運置之、件屛風有良田讃、召判官代高階通憲讀之、

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 永觀二年十月十日丙戌、高御座後立御屛風四帖、〈織孔雀(○○○○)形各二帖〉

〔經信卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 治曆四年七月廿一日、艮乾兩角立孔雀形御屛風四帖、後聞、改置第一内

屛風用法

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 もやひさしのてうどたつる事
おほかたみさうそくのよきといふは、みすよくあげて、もかうよくひきしき、むしろよくのしてちりひろひ、もやにたつる十二帖の屛風、よくのしてたてなどするをよしとはいふなり、屛風は春夏秋冬をまづひろげてみをきて、はるはいかさまにもひんがしにたつるなり、もやひさしのてうどは、御所のはれにつけども、屛風をたつることは、春をひむがしにたつべきなり、屛風をのすといふは、いたくひだをすへてたつるなり、さてつぎめごとに、いとにてとちあはせたるなり、もやのなんどのうへにも、又うるはしきもやぎはにも、みすをかけておろして、そのうへに屛風をたつるには、はしごとにくりかた(○○○○)をうちて、やりなはなどのやうなるつな(○○)を、みすのうへにひきわたして、それに屛風をとぢつくる、うるはしき事なれども、このごろはところせしとて、たゞみすばかりにとぢつけたるなり、〈○中略〉
そのたゝみ二枚かなたのかしらに、にしひんがしざまに、てうのはしらにあてゝ、五尺の屛風二帖を、なかをひきかさねて、一けんがうちにたつ、

〔源氏物語〕

〈五十/東屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 そなたにこれかれあるほどに、宮〈○匂宮〉はたゝずみありき給て、にしのかたにれいならぬわらはのみえつるを、いま參りの有かなど覺して、さしのぞき給、なかのほどなるさうじのほそめにあきたるよりみ給へば、さうじのあなたに一尺ばかりひきさげて屛風たてたり、

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 久安五年十月十八日丙寅、昨今日奉仕小松殿御装束、其儀、〈○中略〉母屋西幷北、母屋際、及東庇戸上、副御簾亘四尺屛風六帖、〈以春立東〉

〔玉蘂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0929 承元三年三月廿三日、此日故攝政前太政大臣良經長女有入宮事、〈○中略〉御裝束儀、〈○中略〉母屋三 ケ間之内、四面懸壁代、〈纐纈卷上之、四尺几帳興御簾同程也、〉三面〈南東北〉立廻五尺屛風、〈帳後不之、帳南北妻屏風、當帳東妻之、五尺屏風畫四季景物、南立夏一帖、東立春二帖、北立冬、秋無立所、仍庇南北際四尺屏風、繪秋也、〉

〔三好筑前守義長朝臣亭〈江〉御成之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 一御屛風は、必々松竹の金屛立云々、屛風は人の物著用の如くに立ル、上座は人の物著るごとく、其より下座へは、上座の屛風下にかさなるやうにたつる也、

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 だいきやう(○○○○○)のこと
もやぎはのみすをおろして、其うへに屛風をたつることつねのごとし、ひんがしみなみのはしよりたつべし、これはにしはれのぎなり、ひんがしはれならば、ひんがしのひさしを、弁少納言のざにはなるべきなり、屛風そのおりは、この少納言のざのしもより、春はたつべきなり、

〔九曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 天德元年正月十八日、喚木工頭道風朝臣勸酒、被女裝束一襲、依大饗料屛風

〔公任卿集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 寬仁二年正月、入道前太政大臣大饗し侍りけるに、屛風の繪に、山里にもみぢ見る人きたるところ、
山里の紅葉みにとやおもふらむ散はてゝこそとふべかりけれ

〔婚禮推陳記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 嫁輿よりおり給ふ所は、三の間か又は二の間たるべし、〈○中略〉輿の廻りに屛風を立て、姿の下座〈江〉見えざる樣にさすべし、〈○中略〉
師傅に、〈○中略〉屛風は、鶴龜松竹の白繪の屛風也、裏形と胡粉にて龜甲形付たる白繪の屛風也、

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 長德五年〈○長保元年〉十月廿八日丁丑、彼此云、昨於左府〈○藤原道長〉撰定和歌、是入内女御(○○○○)〈○上東門院〉料屛風(○○○)歌、花山院法皇、右衞門督公任、左兵衞督高遠、宰相中將齊信、源宰相俊賢、皆有和歌、上達部依左府命和歌、往古不聞事也、何况於法皇御製哉、又有主人和歌云々、今夕有和歌之御消息、令堪由、定有不快之色歟、此事不甘心事也、

〔榮花物語〕

〈八/初花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0930 東宮は枇杷殿におはします、しはす〈○寬弘六年〉に成ぬれば、かんのとの〈○藤原妍子〉の御ま いりなり、〈○中略〉その御ぐどもの屛風どもは、ためうぢ、つねのりなどがかきて、道風こそはしきしがたはかきたれ、いみじうめでたしかし、そのかみの物なれど、たゞいまのやうにちりばまず、あざやかにもちゐさせ給へりしに、これはひろたかゞかきたる屛風どもに、侍從中納言〈○藤原行成〉の書給へるにこそはあめれ、

〔後水尾院宸記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 御うぶや(○○○○)以下の次第

一御たんじやうの御だうぐ〈○中略〉
御びやうぶ、松竹つるかめ、しろし、ふかべりなし、

〔伊勢家秘書誕生之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 第四屛風
一屛風も白張に、雲母にて松竹鶴龜ヲ書也、裏のかたは龜甲を雲母にて押なり、へりは練龜甲を繪に書なり、

〔大鏡〕

〈五/太政大臣公季〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 このおほきおほとのゝ御はゝうへは、延喜の御門の御女、女四宮ときこえさせき、延喜いみじく時めかしおもひたてまつらせ給へりき、御もぎの屛風(○○○○○)に、公忠辨、ゆきやらでとよむはこのみこの宮なり、つらゆきなどあまたよみて侍りしかども、人にとりてすぐれのゝしり給ひしかとよ、

〔新儀式〕

〈四/臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931天皇御筭
中宮職立御厨子於殿西第三間〈納御衣什物等類也、法皇被賀之時(○○○○)無此御厨子、唯母屋四間副北御障子淳和御手跡御屏風(○○○)三帖、〉

〔古今和歌集〕

〈七/賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0931 さだやすの御子の、きさいの宮の五十の賀奉りける御屛風に、櫻の花のちるしたに、人の花見たるかたかけるをよめる、 藤原のおき風
いたづらに過る月日はおもほえで花見てくらす春ぞすくなき もとやすのみこの七十賀の、うしろの屛風によみてかきける、 紀貫之
春くればやどにまづさく梅の花きみがちとせのかざしとそ見る
内侍のかみの、右大將藤原朝臣の四十賀しける時に、四季の繪かけるうしろの屛風にかきたりけるうた、
かすが野にわかなつみつゝ萬代をいはふ心は神ぞしるらむ〈○以下略〉

〔紀貫之集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 延喜十五年九月廿二日、右大臣殿〈○藤原忠平〉の奉爲淸和七宮御息所奉六十賀時屛風歌、
かぞふれどおぼつかなきに我宿の梅こそ春の數はしるらめ

〔紀貫之集〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 同年〈○承平六年〉の夏、八條右大將の北方、本院の北方七十賀し給ふ時の屛風の歌、大將仰給ふ時に、人の家松、
かはらずもみゆる松かなうべしこそ久しきことのためし成けれ

〔賴基朝臣集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 先代の皇后〈○藤原安子〉の、九條の右大臣殿〈○藤原師輔〉の五十賀奉り給ふ御屛風に、竹ある家、ながきよを思ひしやれば呉竹の暮行冬もをしからなくに

〔紀友則集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 右大將の四十賀の屛風の歌
珍しき聲ならなくに郭公こゝらの年をあかずも有哉

〔殿曆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 天永三年十月十三日丁酉、家司惟信、太宮司朝實、令宇治平等院、御寶藏開之、故宇治殿〈○藤原賴通〉御賀御屛風八帖取出之、來月院御賀御屛風本料也、

〔後京極攝政記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0932 建仁三年十一月廿三日丁亥、今日於上皇〈二條〉御所入道正三位釋阿九十算、〈○中略〉件屛風四帖被新調、〈延喜例四帖被調〉四季各一帖也、上皇以下當世歌仙等詠和歌、撰定之後仰繪師圖之、予〈○藤原良經〉依仰今日書件色紙形、可他人之由雖申請之、永可置御所、猶可書之由有仰、仍 書之、屛風遲之間、入夜書了、和歌在別、

〔類聚三代格〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 勅、於圖書寮藏、〈○中略〉屛風(○○)、障子、幷雜圖繪等類、一物已上、自今以後、不輒借親王以下及庶人、若不奏聞私借者、本司科違勅罪
神龜五年九月六日

〔類聚雜要抄〕

〈二/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 長承二年六月廿九日前太政大臣女參院、女御給屛風室禮(○○○○)、庇調度如常、〈○中略〉屛風室禮之指圖、依尋三枚出來云々、〈○中略〉
但人々指圖、於西中隔几帳、東西北三方、屛風ヲ比多無〈志天〉延立〈天〉、從内外疊津女立タリ、

〔古今著聞集〕

〈三/政道忠臣〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 爲輔中納言口傳にかゝれて侍なるは、人は屛風のやうなるべき也、屛風はうるはしうひきのべつればたふるゝなり、ひだをとりてたつればたふるゝ事なし、人のあまりにうるはしくなりぬればえたもたず、屛風のやうにひだあるやうなれど、實にうるはしきがたもつなりと侍るとかや、

〔善隣國寶記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 應永八年
日本准三后某、上書大明皇帝陛下、〈○中略〉某幸秉國鈞、海内無虞、特遵往古之規法、而使肥富相副祖阿、通好獻方物、金千兩、馬十疋、薄樣千帖、扇百本、屛風三雙、〈○中略〉某誠惶誠恐、頓首頓首謹言、
同九年
日本國王〈臣〉源表、〈臣〉聞太陽升天、無幽不一レ燭、時雨霑地、無物不一レ滋、〈○中略〉是以謹使僧圭密梵雲明空通事徐本元仰觀淸光伏獻方物、〈○中略〉金屛風(○○○)三副、〈○中略〉爲此謹具、表聞〈臣〉源、〈○下略〉

〔大明會典〕

〈九十七/朝貢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0933 日本國
洪武七年、遣僧人來朝貢、以表文之、其臣亦遣僧人馬及茶布刀扇等物、以其私貢仍却之、十四年、國王遣使來、復却其貢、僧人倶發陜西四川各寺居住、二十五年、復來朝貢、後定爲十年一來貢、 貢物、〈○中略〉 塗金粧彩屛風〈○下略〉

〔七修類藁〕

〈四十五/事物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0934 倭國物
古〈○中略〉有硬屛風、而無軟屛風、〈○中略〉皆起本朝、〈○明〉因東夷或貢或傳而有也、〈○中略〉軟屛、〈今圍屏也〉弘治間入貢來使、送淅鎭守、杭人遂能、〈卽古步障〉

〔善隣國寶記〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0934 文明四年壬辰遣朝鮮國書 横川製
日本國義政、奉書朝鮮國王殿下、〈○中略〉不腆土宜具于別幅、切希采納、不宣、〈○中略〉別幅、裝金屛風貳張〈○下略〉

〔南浦文集〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0934呂宋國船主
一別之後、已閲三霜、思慕之心、未曾頃刻有一レ之也、〈○中略〉今吾子幷婦人所投贈者、皆難得之貨也、一々拜受焉、我今呈吾子金屛風一雙、寄婦人酒肴之一器、雖不腆之物、物以遠至珍、伏乞倂以笑納、恐懼不宣、

〔外蕃通書〕

〈二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0934 東照宮復賜伊伽羅諦羅國主御書〈載異國日記〉日本國源家康、復章伊伽羅諦羅國主麾下、遠勞船使、初得札音、貴域之治政、所紙墨、目擊道存、〈○中略〉菲薄之土宜、具別幅贈之、聊表寸忱者也、順序自嗇、
慶長十八年歲舍癸丑秋上旬 御印〈○中略〉
別幅
一押金屛風 五雙

〔羅山文集〕

〈十三/外國書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0934朝鮮國王〈奉台命之〉
日本國源〈御諱〉奉朝鮮國王殿下、聘价遠馳、禮意益敬、〈○中略〉交道有義、不舊約、則彼此之好也、有小信物、附使价還、宜別幅撿領、餘冀亮察、不宣、 寬永十三年十二月二十七日源 御諱〈御朱印〉
別幅
撒金六曲屛風貳拾雙〈○下略〉

〔正德朝鮮國聘使錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0935 復書
日本國王源御諱〈○家宣〉奉復朝鮮國王殿下、〈○中略〉有少謝儀、附諸歸使、願符善禱、永介純釐、不備、
正德元年辛卯十一月 日〈○中略〉
朝鮮國王、有畫圖金屛二十雙、蓋其九雙十五圖、皆有傳賛、高玄岱所撰幷書也、錄于左
孝德天皇白雉圖〈一隻狩野探信所畫○傳賛略、以下同、〉 文武天皇慶雲圖〈一隻與前一雙、畫工同上、〉 源經信兼三船才圖〈一雙、狩野養朴所書〉 大江匡房賦四百句圖〈一雙、與前一對、畫工同上、〉 平重盛諫父圖〈一雙、狩野春湖、〉 楠正成敎子圖〈一隻、興前一對、畫工同前、〉 紫式部編書圖〈一隻、狩野洞松所畫、〉 淸少納言捲簾圖〈一隻、與前一雙、畫工同前、〉 源爲朝大箭圖〈一隻、狩野柳雪所畫、〉 源義仲陷倶利加羅圖〈一隻、狩野探雪所畫、〉 源盛綱渡藤戸海圖〈一隻、狩野永叔所畫、〉 巴女殺敵圖〈一隻、狩野養朴所畫、〉 板額拒敵圖〈一隻、與前一雙、畫工同前、〉 平義秀破門圖〈一隻、狩野探信所畫、〉 泉親衡負船圖〈一隻、與前一雙、畫工同前、〉
此他金屛圖畫十一雙目
朝覲行幸圖〈住吉内藏畫、一雙、〉 釋奠圖〈畫同上、一雙、〉 唐樂和樂圖〈狩野永叔畫、一雙、〉 犬追物圖〈狩野如川畫、一雙、〉 富士三保圖〈狩野養朴畫、一雙、〉 吉野龍田圖〈狩野洞松畫、一雙、〉 住吉玉津島圖〈狩野春碩畫、一雙、〉 松島圖〈狩野探雪畫、一雙、〉 祇園會圖〈狩野春笑畫、一雙、〉 花鳥畫〈狩野休碩畫、一雙、〉 鵜飼圖〈狩野梅雪畫、一雙、〉

〔本朝畫史〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0935 畫考
趙宋宣和畫譜曰、〈宣和徽宗年號、當本朝天仁帝(鳥羽)時、書譜宣和殿所製、○中略〉太平興國中、〈宋太宗年號、當本朝天祿年中、〉日本僧與其徒五六人、附海舶而至、〈○中略〉其后再遣弟子、以金塵硯、鹿毛筆、倭畫屛風表稱賀、今御府所藏海山風景風俗圖是也、

〔宋史〕

〈四百九十一/外國〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0936 日本國
日本國者、本倭奴國也、〈○中略〉雍熙元年、日本國僧奝然、與其徒五六人、浮海而至、〈○中略〉二年、隨台州寧海縣商人鄭仁德船其國、後數年仁德還、奝然遣其弟子喜因表、〈○中略〉稱其本國永延二年歲次戊子二月八日、實端拱元年也、又別啓、貢佛經、納靑木函、〈○中略〉鹿皮籠一、納〈○中略〉倭畫屛風一雙
○按ズルニ、信物ニ屛風ヲ用イシコト、外交文書中多ク見ル所ナリ、今悉ク之ヲ載セズ、

屛風袋

〔源氏物語〕

〈五十/東屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0936 こなたは離れたる方にしなして、高き棚厨子一ようひばかりたて、屛風の袋(○○○○)に入れこめたる、所々によせかけ、何かのあらゝかなるさまにし放ちたり、

〔河海抄〕

〈十九/東屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0936 屛風納袋事、今世いたくなきことにや、上古のこと歟、又ゐ中びたる體歟、

〔類聚雜要抄〕

〈二/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0936 一被以前御調度外御物事、〈○中略〉又屛風具袋、疊納之時用其袋云々、

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0936 仁安三年十二月十日丁酉、早旦著行事所、大嘗會威儀御物幷判御調度、〈○中略〉
大嘗會悠紀所 注進御物目錄事〈○中略〉
御屛風十帖〈在靑色薄物袋(○○○○○)臺二脚○下略〉

屛風商

〔雍州府志〕

〈十/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0936 屛風 所々製造之、特四條通沼津某家、兩曲、六曲、大小屛風、撒金、墨畫、隨好而有之、

〔胸算用〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0936 才覺のぢくすだれ
手廻しの賢き小供あり、我當番の日はいふに及ばず、人の番の日も、箒取々座敷掃きて、數多の小供が毎日使ひ捨てたる、反古の圓ろめたるを、一枚々々皺伸ばして、日毎に屛風屋に賣りて歸るもあり、

屛風雜載

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0936 屛風牒
按に、八枚(○○)屛風、二枚(○○)屛風と云ふを、西土にて幾牒(○○)と云、又は幾疊(○○)とも、後世には何曲(○○)ともいへることあり、

〔大安寺伽藍緣起幷流記資財帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 合屛風壹拾玖牒(○○○○)〈佛物一牒、温室分九牒、通物九牒、〉

〔類聚名物考〕

〈調度四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 屛風一隻(○○)
屛風一隻はかた〳〵にて一雙(○○)にあらず、是をひとひら(○○○○)と云、ひらは枚(○)を訓り、又一枚(○○)々々をも一ひらと云、六枚屛風ならばむひら也、連歌の句にも一ひらにとも、又はひら〳〵にともいへるは、
一枚毎枚のことなり、源氏物語あづまやの卷に、一ひらといふ詞あり、

〔故實雜々聞書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 一びやう風は一雙と常に申候、又立樣の事、上座の次第にかさ(上に)なり候歟、

〔法成寺攝政記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 寬弘三年三月三日乙巳、參内、南殿奉仕御裝束、〈○中略〉北障子邊立五尺二階子、〈○中略〉其東立四尺畫屛風一雙、南北妻、

〔伊勢家集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 故中宮の春宮の女御とまだ聞えし時、題給はせて歌よませ給ひし御屛風の和歌、梅の花のたよりに、物いひたる人とおもはせて、ゑに男の行あひて、物いひはじめたるを、一のひら(○○○○)にかゝせ給へるおとこ、〈○歌略〉

〔源氏物語〕

〈五十/東屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 さうじのあなたに一尺ばかりひきさげて、屛風たてたり、そのつまに木丁すにそへてたてたり、かたびらひとへをうちかけて、しをん色の花やかなるに、をみなへしのをりものとみゆる、かさなりて袖ぐちさしいでたり、屛風のひとひら(○○○○)たゝまれたるより、心にもあらでみゆるなめり、

〔河海抄〕

〈十二/梅枝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 身づからひとようひはかくべし
一雙、草子二帖也、屛風の一よろひ(○○○○)も二枚也、

〔住吉物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 かみびやうぶに、やまとゑかきたる一ようひ(○○○○)たてゝ、もやのみすにくちきがたのきやうかたびらかけて、いとあるべかしくしつらひたり、

〔類聚國史〕

〈百八十二/佛道〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0937 弘仁三年二月壬辰、屛風一、障子四十六枚、施入東寺

〔田氏家集〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0938 元慶五年冬、大相國以拙詩草五百餘篇始屛風十帖、仍題長句謹以謝上、
常嗟雅頌聖時空、收拾博偏報國功、雖骨輕無一レ買、恐抛石質攻、蓬蒿獻草任垂白、〈行年五十餘、垂白可知、〉菅蒯開花欲紅、曾在昌齡成帝號、〈玄宗立王昌齢詩帝〉不言詩上玉屛風

〔本朝無題詩〕

〈二/屛風附畫障〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0938屛風春所獨吟 法性寺入道殿下〈○藤原忠通〉
晩夏自元感正頻、屛風獨見會文賓、庭叢雨打添繁茂、門柳煙飜帶麴塵、嵐渡嶺櫻白、雪遷溪木餘匀、園中成望往來客、林下易留羇旅人、遊子塞垣調笛曉、漁翁河海艤舟辰、松杉綠老枝經歲、桃李紅深花染春、句曲山前霞色聳、雲和樓上月光新、一吟一詠數盃酒、驚眠破夢不才身、

〔枕草子〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0938 正月に寺にこもりたるは、〈○中略〉小法師ばらのもたぐべくもあらぬ屛風などのたかき、いとよくしんたいし、

〔野守鏡〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0938 一心をすなほにして、心をすなほにせざる事、それ歌の心は、屛風をたつるに同じ、みなひきはへて一おりする所なければ、たつ事をえざるごとく、たゞすなほなる計にて、ひとおりの節なきは、彼大すゝき、其難をまねき侍るにや、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:20