p.0535 澡浴具ハ專ラ沐浴ニ用イルモノニシテ、垢膩ヲ除クニハ澡豆、洗粉、小糠、石鹸等アリ、其器具ニハ泔器、匜、盥、浴斛等アリ、
澡豆ハサクヅト云ヒ、後ニ轉ジテサクヂトモ云ヘリ、小豆ノ細末粉ヲ以テ製シ、手面等ノ垢膩ヲ澡ヒ除クニ用イル、原ト佛家澡浴具ノ一ニシテ、漢土ヲ經テ本邦ニ傳來セシモノナリ、其時代ハ詳ナラザレドモ、延喜式ニ、天皇中宮供御ノ料、及ビ齋會衆僧ノ料等アレバ、當時旣ニ貴賤一般ニ之ヲ用イタリシヲ知ルベシ、
洗粉(アラヒコ)ハ、舊ク漬粉、又ハ手水粉(テウヅノコ)ト云ヒ、又單ニ粉トモ云ヘリ、初ハ專ラ澡豆ヲ用イシガ、後ニハ綠豆ノ粉、及ビ蘭麝粉等ヲ使用セリ、髮洗粉ハ專ラ髮ノ垢ヲ洗ヒ除クユ用イルモノニシテ、藁本(コウホン)ト白芷(ピヤクシ)トノ細末粉アリ、又海蘿(フノリ)ト饂飩粉トヲ湯ニ溶シ、或ハ無(ム)患子(ク)ノ皮ヲ細析シタルアリ、
小糠(コヌカ)ハ一エマチカネト云フ、蓋シ待兼ノ義、卽チ來(コ)ヌカノ緣語ナリ、小糠ヲ入ルヽ袋ヲヌカブクロ、又ハモミヂブクロト云フ、モミヂブクロハ其袋ニ紅木綿ヲ用イルニ由リテ稱セシナラン、
石鹸ハシヤボン、又サボント稱ス、身體ノ垢膩ヲ澡ヒ除クニ用イル所ニシテ、アルカリト膏
油トニテ製シタルモノナリ、原ト外國品ニシテ、衣服ノ洗濯ニ用イルモノハ、夙ニ世ニ行ハレタレドモ、之ヲ身體ノ澡浴ニ用イシバ、最モ近世ノ事ニ屬ス、而シ、テ無患子ノ皮、白小豆等、總テ油ヲ洗ヒ去ルモノヲモ亦汎ク之ヲシヤボント稱セリ、
垢摺(アカスリ)ノ類ニ、絲瓜皮アリ、浮石アリ、絲瓜皮ハヘチマノカハト云フ、絲瓜ヲ晒シテ其纎維ヲ取リテ製ス、浮石バカルイシト云フ、其體虚ニシテ輕キガ故ニ名トス、並ニ垢ヲ脱シ蹠ヲ磨クニ用イル、
河藥バカハグスリト云フ、白米ヲ以テ製スルモノナリ、
泔器ハユスルツキト云フ、淅米ノ汁ヲ盛リテ、以テ髮ヲ梳ルノ用ニ供ス、其形ハ茶碗ノ如クニシテ、蓋及ビ臺アリ、又下臺アリ、其製作頗ル美ナルヲ以テ、室内ニ陳設シテ裝飾ト爲スモノアリ、後世ユスリツキト云フハ、其語ノ轉ジタルナリ、
鬢水入(ビンミヅイレ)ハ泔器ノ類ナリ、漆器ニシテ、鬢水ヲ盛ルニ供ス、鬢水トハ、鬢髮ヲ梳ルニ用イル水ノ謂ナリ、
匜ハハニサフト云フ、半插ノ字音ナリ、之ヲハンザフト云フハ音便ニシテ、ハサフト云フハ略言ナリ、卽チ湯桶ノ類ニテ、湯水等ヲ注グニ用イルモノナリ、抑〻我邦ノ座ハ、支那ニ謂ユル匜トハ、其形狀大ニ異ナレドモ、其用ノ同ジキ故ニ、此字ヲ充テタルナラン、此器ハ銀ヲ以テ作レルアリ、木製ノ漆塗ニ蒔繪シタルアリ、又柄アルモアリ、柄ナキモアリテ一定ナラズ、後世ニ齒黑盥(バグロメタラヒ)ヲハンザフト稱スルハ、同時ニ用イルニ由リテ、其名ノ轉レルナラン、多志良加ハ土製ノ瓶ニシテ、蝦鰭槽(エビノハタフネ)ハ土製ノ手洗ナリ、倶ニ神祭ノ具ニテ、天皇ノミ用イタマフモノナリ、
水瓶ハミヅガメト云フ、スイビント云フハ音讀ナリ、鑄物アハ、木製アリ、硝子製アリ、水ヲ注
グニ用イル、
水注子ハミヅサシト云フ、鑄物ニシテ、湯ノ熱キ時ニ水ヲ注入スル器ナリ、
手湯戸ハテユノヘト云フ、漆器、陶器、金器等アリ、其形甕ノ如シ、
缶ハホトキト云フ、瓦器ニテ、盆ノ如キモノヽ總稱ナリ、
罍ハ水ヲ盛ル具ニシテ、一ニ盥罍トモ云フ、又酒器ニモ用イル、尚ホ飮食具篇櫑子條ヲ參看スベシ、
手水桶ハテウヅヲケト云フ、澡手ノ水ヲ盛ル桶ナリ、
手水鉢ハテウヅバチト云フ、金石陶器等ニテ作リ、常ニ水ヲ貯ヘテ手ヲ洗フノ用ニ供ス、
杓ハ元ト瓢ヲ用イル、因テ之ヲヒサゴト云フ、後世竹木等ニテ作リタルヲモ亦舊稱ニ由リテヒサゴト云ヒ、轉ジテヒサゲ、ヒシヤク、又ハシヤクトモ云ヘリ、澡浴ノ時、湯水等ヲ汲ムニ用イル具ナリ、
搔器ハ搔笥トモ書シ、之ヲカイゲト云フ、其製作及ビ用法等ハ大概杓ト同ジ、
升ハマスト云フ、其形斗量ノ量ニ似タルヲ以テ名ヅク、湯屋ニテ澡浴ノ時ニ用イルモノナリ、
嗽茶碗ハウガヒヂヤフント云フ、茶碗ノ大ナルモノニテ、口ヲ嗽グニ用イル水ヲ盛ルモノナリ、
楊枝ハヤウジト云フ、齒牙ヲ磨キ、口中ヲ滌フニ用イル具ニシテ、形ハ箸ニ類シ、小ナルモノハ一寸有餘ナレドモ、大ナルモノハ一尺二寸ニ至ルモノアリ、原ト佛家ニ齒木ト云ヒシヲ、漢土ニ傳來シテハ、專ラ楊材ヲ以テ作リ、之ヲ楊枝ト譯シテヨリ、本邦ニテモ亦其名稱ヲ用イ、終ニ他ノ材ニテ作レルヲモ、總テ楊枝ト稱スルニ至レリ、
琢砂ハミガキズナト云フ、齒ヲ磨クニ用イル具ニシテ、特種ノ砂ヲ水飛シテ、龍腦、丁子等ヲ加ヘタル砂粉ナリ、後ニハ專ラ齒磨粉(ハミガキコ)ト云ヒテ、琢砂ノ稱ハ廢セリ、
盥ハタラヒト云フ、水或ハ湯等ヲ承クル圓形ノ器ナリ、金器、陶器、木製等アリテ、之ニ附屬シタルモノニ貫簀、臺、打敷等アリ、
洗ハセント云フ、金屬ニテ作レル圓形ノ器ニシテ、其用盥ト同ジ、後世之ヲ飯銅ト云フ、
浴斛ハ字又湯槽、湯船等ニ作リ、ユブネト云フ、卽チ沐浴ニ用イル湯ヲ容ルヽ大ナル函ナリ、フネトハ都テ狹長ニシテ、大ナル函ヲ謂ヘルニテ、馬槽、酒槽ナドノ如シ、浴斛ニハ木製ニ漆ヲ塗リタルアリ、白木ニテ作レルアリ、又沐槽、浴槽、手水槽、洗足槽等ノ別アリ、
風呂ハ風爐ノ假借ニテ、原ト風カニテ火ノ燃ユルヤウニ作レル器ノ總稱ナリ、居風呂(スエフロ)アリ、荷風呂アリ、又板風呂、石風呂、竃風呂、五右衞門風呂等ノ數種アリ、
浴斛及ビ風呂ノ具ニハ、覆帷、下敷帷、波絹、打板、踏板、樋、洗牀、案、桶等アリ、尚ホ浴斛風呂等ノ事ハ、居處部浴室篇ニ詳ナレバ、宜シク參看スベシ、
内衣ハユカタビラト云ヒ、後ニ略シテユカタト云ヘリ、入浴ノ時ニ用イル盟衣ナリ、後ニハ專ラ入浴後ニ身ヲ拭フニ用イタリ、故ニ身拭(ミヌグヒ)ノ稱アリ、天羽衣ト云フハ、大嘗祭ノ時、天皇ノ著タマフ内衣ニシテ、又アカハトモ云ヘリ、
今木ハイマキト云フ、湯纏(ユマキ)ノ轉語ナリ、始ハ專ラ浴室若シクハ理髮等ニ奉仕スル婦人ノ著ル衣ヲ稱セシガ、後ニハ汎ク湯具ヲモ稱セリ、
湯具ハユグト云フ、浴槽ニ入ル時陰部ヲ掩フニ用イル一幅ノ布ナリ、一ニユモジト云フハ湯文字ノ義、湯具ノ歇後ノ言ニシテ鮨ヲスモジト云ヒ、章魚ヲタモジト云フニ同ジ、又下裳(シタモ)ト云フハ婦人ノ用イルヲ云フ、又フロフドシト云フハ、湯風呂ニ入ルトキニ用イル褌ナリ、
膝覆ハヒザオホヒト云フ、産兒ヲ浴セシムル婦人ノ膝ヲ覆フニ用イル生絹ノ三幅二重ナルモノナリ、
風呂敷ハフロシキト云フ、湯殿ニ敷キテ浴斛ヨリ上リタル時、足ヲ拭フ布ナリ、又湯アゲトモ云テ、小兒ノ身ヲ拭フニモ用イタリ、
手拭ハ奮クタノゴヒ、又ハタナゴヒト云ヒ、後ニテノゴビ若シクハテヌグヒトモ云ヘリ、手ヲ拭フニ用イル具ニシテ、一幅ノ布ヲ斷チテ製ス、巾箱(タナゴヒノハコ)、手拭臺、手拭掛等ハ並ニ手拭ノ附屬品ナリ、
p.0539 澡豆 温室經云、澡浴之法、用二七物一、其三曰二澡豆一、
p.0539 澡豆〈和語サクツ〉
p.0539 澡豆〈サクツ〉
p.0539 謂被レ謂物之由來
一なべて上臈がたには、さくぢ(○○○)といふを、禁中にはまちかねとかやもてあつかひ給ふ事、こぬかといふ言葉のえんにや、
p.0539 新嘗會供奉料〈中宮准レ此〉
小豆三升〈澡豆料(○○○)〉
p.0539 供御月料〈中宮亦同〉
御澡豆料(○○○○)、小豆二升五合、〈小月亦同〉
○按ズルニ澡豆ハ、小豆ヲ細末ニシテ粉トナシタルモノナリ、千金方ニ澡豆製造ノ諸方ヲ載セテ、香藥ヲ合和シタレドモ、反テ小豆ヲ用イザルモノアリ、今左ニ其中ノ一方ヲ掲ゲテ參考ニ供ス、
p.0540 洗二手面一令二白淨悦澤一澡豆方
白芷 白木 白鮮皮 白歛 白附子 白茯苓 羗活 萎蕤 括樓子 桃人 杏人 菟絲子 商陸 土瓜根 芎藭〈各壹兩〉 猪〓〈兩具、大者細切、〉 冬瓜人〈四合〉白豆麪〈壹升〉 麪〈參升、洩猪〓爲レ餠、曝乾擣篩、〉
右十九味、合擣篩、入二麪猪〓一拌匀更擣、毎日常用、以二漿水一洗二手面一甚良、
p.0540 正月最勝王經齋會佛聖已下沙彌已上、〈○中略〉澡豆、〈日別二勺〉
p.0540 佛吿二醫王一、善哉妙意、〈○中略〉今復請二佛及諸衆僧一、入二温室一洗浴、願及二十方一、衆藥療病、洗浴除垢、其福無量、一心諦聽、吾當下爲上汝先説中澡二浴衆僧一反報之福上、佛吿二耆域一、澡浴之法當下用二七物一、除中去七病上、得二七福一報、何謂二七物一、一者然火、二者淨水、三者澡豆、四者蘇膏、五者淳灰、六者楊枝、七者内衣、此是澡浴之法、
p.0540 讃淨緣
僧祇律云、比丘晨起、應上淨二洗手一、不上得二麤洗一、五指復不上得二齊至一レ腋、當下齊二手腕一以前令上レ淨、不上得二粗魯洗一、不上得三揩令二血出一、當下以二巨摩草末、若灰土一澡豆皂莢洗上手、揩令上レ作上聲、淨二洗手一、又更相揩者、便名二不淨一、
p.0540 御盥事
主水司供二御手水一、女官取之參入、三人以上也、四位一人、五位一人、六位一人參入、五位取二御巾筥一候上左、六位取二置御澡豆破鹽御箸等之御盤一候上右、四位取二御杓一供奉、六位先供二御澡豆二匙一、〈或一匙云々〉
男房人供二御盥一儀
御手水番依上例裝、候二御手水一、女房仰云、女房不上候、〈謂二命婦不一レ候〉藏人奉上仰示下可二供奉一人上、〈四位、五位、六位、合三人也、但五位四位中一人不上候者不上供、必用二上臈一人一、〉三人到度二御前一、經二御湯殿南簀子一入二御簾中一候之、上臈一人候、多坐二戸坤角一、〈差退向二艮角一候矣、供時進候、〉次人進取二御手巾筥一、〈在二御厨子一、不上具二高坏一、〉退當二大床子西一候、〈東面〉次人進取二操豆幷御鹽盤一、〈干荷葉御箸御七之澡豆料、御鹽坏器御澡豆坏居二御盤一、〉退當二御手水洗西一候之、〈東面〉次上臈膝行、進供二御手水一、〈二酌許〉次持二御澡豆一人進供二澡豆一、〈二七許、此間猶供二御手水一、〉 ○按ズルニ、干荷葉ハ、荷葉ヲ乾カシタルモノナリ、是淨手等ニ用イル所ニツテ、卽チ澡豆ヲ用イル料ナラン、
p.0541 凡天皇卽位、則講二説仁王般若經一、〈一代一講〉一日朝哺二座講畢、宮中諸殿省寮等廳隨レ便莊嚴設二百高座一、〈○註略〉其一堂設二高座一具一請二七僧一、〈講師讀師咒願、三禮、唄、散花、維那、○中略〉講師法服、〈○中略〉澡豆壺(○○○)一合、
p.0541 供御年料〈中宮亦同〉
絹小篩四口〈各一尺五寸、牛乳幷御澡豆料(○○○○)、〉
p.0541 衣服の油を洗ふに、無患子皮と白小豆を粉にして、澡豆(アラヒコ/○○)に用ふる故に、白小豆をシヤボン豆とも呼ぶ、
p.0541 春はあけぼの、やう〳〵白くなりゆくあらひ粉(○○○○)に、ふるとしの顏をあらふ、
p.0541 洗粉の袋はぷん〳〵と匂ひて、下男の鼻をうがち、風呂の壁はとん〳〵と朴(たゝ)きて、湯汲の睡を寤さしむ、
p.0541 蘭麝粉(○○○) つやあらひ粉(○○○○○○)也、もろこしの李夫人つねにこれを用ひ給ふゆゑに、顔のつやうつくしく、三千のちようあい一身にありといひしも、このつやあらひこのとくとかや、當世都にもつはらはやり、男女ともに、いろつやよく、おぼへ侍り、
p.0541 解齋事〈謂六月十二月十一日後曉、十一月中卯日後曉、〉
平旦主殿司、自二御湯殿方一、供二御手水一、〈○中略〉其南立二白木二階机一脚一、其層敷二調布一、其上居二御巾一、〈入二黑葛筥一〉又置二粉(○)一坏一〈入二小土器一〉
○按ズルニ、本文ノ粉ハ、手水ノ時ニ用イルモノナレバ、卽チ澡豆ナラン、
p.0541 久壽三年正月三日乙巳、早旦着二束帶一先參二殿下一、〈○藤原忠通〉御手水番人人七八許輩參會、〈皆衣冠○中略〉次殿下出御、有二御手水事一、其儀、〈○中略〉次高佐持二參御手巾筥一、〈御手巾布二切帖入之、其上居二御漬粉(○○○)土器一、其上安二御楊箸一節一、〉陪膳傳取 之、居二御座右方一、取二御手巾一帖一長展之打二懸御脇息上一、次殿下召二御楊箸一、次奉二御漬粉(○○○)一令レ向二御手洗一給、
○按ズルニ、漬粉ハ手面等ニ傅ケテ洗フヨリノ名ニシテ卽チ澡豆ナラン、C 手水粉
p.0542 もんどのつかさ御手水をまいる、女官案にすへてもちてまいる、はんぞう二、たらひの中のはん、しろかねのうつは物二すへて、〈一には御てうづのこ(○○○○○)をいる〉御やうじ二ぐしてまいらす、
○按ズルニ、御てうづのこト云フハ、御手水ニ用イタマ7粉ニシテ、卽チ澡豆ナルベシ、
p.0542 女けしやうの卷
一てうずの粉(○○○○○)には、もみぢ、まちかねよりは、赤小豆の粉(○○○○○)、綠豆のこ(○○○○)をつかひ給ふべし、はだへこまやかになり、あせぼ、にきびなど出でず、
p.0542 女けゑやうの卷
一髮もさい〳〵あらへば、しなあしくなるなり、あらはずして、あかおとしやうの藥、 こうほん〈○藁本〉 びやくし〈○白芷〉此二味をとうぶんにして粉になし、髮にふりかけ、しばらくしてすけば、あかおちて、しなよくなるなり、
p.0542 髮を洗ふ傳
髮をあらふことは、髮のつやを出し、かみの脂ねばりを去らんがためなれば、度々洗てよし、夏の日は汗と油の腐たるにて、甚だあしき臭ひすれば、嗜てことに度々洗ひ惡臭ひを去るべきことなり、仕樣は、
ふのり 海蘿 うどんのこ 温飩粉
ふのりをさきてあつき湯につけ置、箸にてまはせば能解るなり、其中へうどんの粉を入れ搔交、熱きうちに髮へ能々すり付、又手にすくひためて髮を能々もめば、髮につきたる油こと〴〵く取る也、其後あつき湯にて髮を洗ば、能とけさばけるなり、其次に髮を水にて洗ひて後よく干(ほし)、髮 を結へば、色をよくし光澤を出し、あしきにほひを去る也、
又むくの木の皮
細くきざみ煎じて髮を洗ふべし、髮の色を黑ふし、光澤を出す奇妙の方也、
p.0543 一こぬか(○○○)は まちかね
p.0543 謂被レ謂物之由來
一なべて上臈がたには、さくぢ(○○○)といふを、禁中にはまちかね(○○○○)とかやもてあつかひ給ふ事、こぬか(○○○)といふ言葉のえんにや、
○按ズルニ、本書ハ、元和年間ニ成リシモノナリ、當時小糠ヲサクヂトモ云ヒシヲ見ルベシ、
p.0543 三歲ばかりの小兒を、留桶に入れておき、母親は片手で留桶のふちを押へ、右の手でぬか袋(○○○)をつかひながら、〈○下略〉
p.0543 湯をつかふ事幷にぬか袋の傳
毎朝湯をつかふに至て熱湯にて顏を洗へば、顏にはやく皺を生ず、ぬか袋〈一名もみぢ袋と云〉をつかふに、顏につよくあてゝ洗ふべからず、顏のきめをそんず、〈○中略〉
糠袋に用ゆる切れは、地のよき晒木綿、紅木綿の類、糸の細き木綿よし、藍〈ニ〉染たるか、又島の類のあらき木綿よろしからず、顏をあらすもの也〈○中略〉
糠は絹にてふるひつかふべし、其まゝつかへば、こゞめ交て顏をあらす也、餅米糠別てよし、肌の垢を去るは、紅の絹を手拭かぬか袋の上になりともあてゝ洗へば、垢よく落る也、
p.0543 もみぢ袋(○○○○) 空穗隨筆、空にけふもみぢ袋や月の顔、〈露牙〉といへるも、糠ぶくろをいふ也、汁をもみ出してつかふものなれば、さは名付たるにや、但し赤くなる意にいふか、もみぢ袋といふこと所見なし、さくぢ袋といひけんを訛りしなるべし、さくぢは糠なり、
p.0544 石鹼(○○) シヤボン(○○○○)
紅毛ノ語ニセツブト云、羅甸語ニサボーネト云、此ノサボーネヲ轉ジ誤テシヤボント云、舶來多シ、物ヲ洗ヒテ油アカヲ落スモノ也、集解ノ説ニテハ、アクノヲリニ、ウドンノ粉ヲマジヘタルモノ也、然レドモ蠻産ハ別ニ方アリト云フ、俗ニ油ヲ落スモノヲ皆シヤボント云、無患子ノ皮ヲモシヤボント云、コレモ油ヲ落スニ用フ、又白豆(シロアヅキ)ヲ細末ニシテ澡豆ニ用フルユエ、白豆ヲシヤボンマメトモ云、又サボテント云草ハ、秘傅花鏡ノ仙人掌ナリ、此レモタヽミニ油ノツキタル時、此物ヲ横ニ切テ磨スレバ、油ヲスヒトルニ依テ、シヤボント云フヲ轉ジテ、俗ニサボテント云、皆本條ノシヤボン(○○○○)ヨリ出タル名ナリト云フ、
○按ズルニ、石鹼ト書キテシヤボント云フハ、猶ホ鉛筆ト書キテペント云フガ如シ、或ル説ニ石鹼ハ西班牙語Xabon佛語Savonノ音譯字ナリト云ヘドモ、鹼ニハ、魚占切、七廉切、古斬切等ノ數音アレド、ボンノ音ナシ、此説恐ラクハ非ナラン、
p.0544 サボン(○○○)、〈灰汁ヲ煉カタメタル者、色白ク鹹シ、衣服ヲ洗フニ用フ、能垢ヲ去、〉
○按ズルニ、本書ニ衣服ヲ洗フトノミニテ、身體ヲ洗フト云フコトノ無キハ、當時未ダ本邦人ノ汎ク澡浴ニ用イザリシガ故ナルベシ、
p.0544 無患子
本綱、菩提子、生二高山中一、樹高大、枝葉皆如二椿葉對生一、〈或曰、葉似二欅柳葉一、〉五六月開二白花一、結レ實大如二彈丸一、狀如二銀杏及苦楝子一、生靑熟黃也、老則文皺、黃時肥如二油煠之形一、〈○中略〉子皮、〈卽核外肉也、微苦、有二小毒一、〉治二喉痺一、硏納二喉中一、立開澣レ垢、去二面䵟一、
按無患子〈俗云、無久呂之、今俗云豆布、〉其樹膚似二山茶花一、木葉似二椿及漆葉一、凡一椏十二三葉對生、開二小白花一、其子殼黃皺、蔕下二小子及中黑核之形色、皆如二上所一レ説、其黑核頂有二微白毛一、俗呼名二豆布一、〈○中略〉其子皮煎レ汁、洗 レ衣能去レ垢、又漬レ水以レ管吹則泡脹起以爲レ戯、〈俗云奢盆(○○)〉
p.0545 今しやぼんとて、無患(ムク)子、芋がら、烟草莖などを燒たる粉を水に漬し、竹の細き管に其汁を羆て吹ば、玉飛て日に映じ、五色に光りてみゆ、眞のシヤボン(○○○○)は、本草土部に石鹼といふもの也、こゝにも蠻舶將來る灰色の煉ものなり、蘭人はセツプといひ、羅甸語にサボーネといふ、爰にてしやぽんといふなり、衣服の油を洗ふに無患子皮と白小豆を粉にして、澡豆(アラヒコ)に用ふる故に、白小豆をシヤボン豆とも呼ぶ、覇王樹も、截たる小口にて、疊などの油つきたるを摩ておとす故、サボテンと呼たるは、ます〳〵轉じたり、
p.0545 改税約書〈慶應二年五月十三日、(西曆千八百六十六年六月廿五日)英佛米蘭四公使ト於二江戸一各國文ヲ以、五通ニ認メ、各通ニ連名調印、(各圃皆同ヲ以テ他ハ略シテ之ヲ載ヤズ)〉
第一條 各政府の名代として、此度約書ヲ議定せし全權は、此約書に添たる運上目錄を採用し、
各政府の臣民、皆堅く之を遵奉すべき事とせり、〈○中略〉
運上目錄 輸入品 第四種〈元代ニ從ヒ、五分ノ税ヲ收ムベキ品、〉
香具、石鹼(○○)、
○按ズルエ、本文ノ石鹼ハ卽チ澡浴ニ用イル石鹼ナリ、其所以ハ、本則中洗濯用ノモノハ、別ニ其目ヲ掲ゲテ、本品ト區別シタレバナリ、
p.0545 待やアがれ、うぬがいくら引ツこすらうとぬかしやアがつても、おらア垢摺(あかすり)を落したから、うぬが垢摺(○○)でおれが背中を引ツこすりやアがれ、〈○下略〉
p.0545 湯をつかふ事幷にぬか袋の傳
肌の垢を去るは、紅の絹(○○○)を手拭かぬか袋の上になりともあてゝ洗へば、垢よく落る也、
p.0545 絲瓜は皮をほしてたゝみをふき、踵のあかをとるによし、 ○按ズルニ、皮をほしてトハ、熟セル絲瓜ヲ取タテ、水或ハ泔水ノ中ニ漬ケ置キ、其種子ト外皮ヲ去ヲテ日ニ曝シ、後ニ用イルヲ云フナリ、故ニ皮トハ云ヘドモ、畢竟其中ノ纖維ヲ用イルナリ、
p.0546 浮石 交州記云、體虚而輕、〈觚名加留以之(○○○○)〉
p.0546 浮石(カルイシ)〈一名水花、本草、海中有二浮石一、輕虚可二以磨一レ脚、〉
p.0546 總て錢湯に五常の道あり、〈○中略〉糠、洗粉、輕石(○○)、絲瓜皮にて垢を落し、石子で毛を切るたぐひ則智也、
p.0546 湯語敎
無盡呪輕石(○○)ヲ盜隱 借二着物一更以不レ返
○按ズルニ、錢湯ノ輕石ヲ懷中シテ、賴子講ニ出席スレバ、必ズ當籤シテ金ヲ得ト云フ諺アリシ故ニ、カク云ヘルナリ、
p.0546 大嘗會
卯日、〈○中略〉主殿寮供二御湯一、〈用二東戸一〉
奉二仕御湯殿一之人、〈殿上四位一人、六位一人、並觸二山陰卿子孫之人一、〉於二女官幄一可レ解二改裝束一、而於二釜殿一脱之人有レ之云云、〈○中略〉承保供二御河藥(○○○)一、〈入二土器一、居二折敷一、〉
p.0546 御河藥とは、江家次第考十五卷に、御河藥、白米也、自二御厨子所一進レ之、入二土器一、居二四足一云云などもあり、さて河藥と書くは、借字にて、實は皮藥なり、白米を水に漬して、その水を天皇の御膚にぬり給ふにて、皮膚をしてうつくしからしむる藥なり、薰藥と心得たる説あるは、いみじきひがことなりと、小山田翁〈○與淸〉いはれたり、
p.0546 御浴殿 口傳云、所司參上、〈女官相共〉了後奏二事由一、御浴之間、藏人一人候而鳴二弓弦一、事了、未二御入一之前、藏人問云、誰〈曾、近代説云、誰々侍留、〉名對面時、主殿寮官人隨次稱レ名、次御厨子所參上、供二御河藥一事了、
供二御湯一事
御艚、六月十二月替分、主殿寮供當官人已下女官候二進河藥一、藏人鳴弦、〈若西方〉御浴了、藏人問二主殿官人名謁一、
p.0547 一恒例毎日次第
早旦供二御湯一、主殿官人奉行之、〈近代多經レ允五位也〉釜殿運レ湯、須麻志女官〈二人〉取傳、藏人爲二鳴弦一候二戸外一、内侍申二具之由一、御船一、桶二、内侍候二御垢一、典侍〈或上臈女房〉進二御湯帷一、奉二河藥一、次典侍取二河藥器一抛レ板、于レ時藏人鳴弦、
御湯殿へおりさせ給て、御ゆめしぬれば、典侍もしは上臈の女房、御ゆかたびらをたてまつる、四あしにすへたる御かはくすりをとりてまいらせてなぐる時、かはらけのをとを聞て、とのもりのすけなるくら人、〈とのもりならずばいづれにても〉弓のつるをうつ、
p.0547 河藥の事を考ふるに、邪惡の氣を避る藥なるべし、されば古人の説の香藥ならん、薰藥といへど、かはらけにもるとあれば、燒物とは見えず、浴後身にぬりて邪惡をさくる藥なるべし、宋洪芻が香譜に、英粉、靑木香、麻黃根、附子、甘松、瞿香、○陵香、右除二英粉一外、同擣羅爲二細末一、用二夾絹袋盛、浴了傅レ之、此等の藥などを、御身にぬりたまふにや、
p.0547 泔器〈ユスルツキ〉
p.0547 泔器(ユスリツキ)
p.0547 泔坏(ユスルツキ)〈婦人納二理髮水一之器〉
p.0547 〓、淅米汁也、〈内則曰、其間、面垢燂レ潘請レ靧、鄭云、潘、米瀾也、按瀾者、瀾之省、○中略〉〓、周謂レ潘曰レ泔、〈今各處語言同○下略〉
p.0548 泔杯
今女の用る鬢水入の事なり、小茶碗の如くして蓋有りて、中央の棹子の如き臺有り、
p.0548 一ゆするつきは、泔坏(カンハイ)と書く、びん水入の事也、その形は茶碗の如し、木にて作り、漆にてぬり、蒔繪したるもあり、又銀にて作り、けぼりをしたるもあり、ふたも茶碗のふたの如し、臺もゆするつきと對にする、形は茶碗の臺の如し、但臺の中ゆするつきの絲じりをうくる所のあなは、あけ通さずして、そこあり、又下臺別にあり、是は香臺にも用べき樣の形也、上は窠形(クハナリ)にて、ふち二分計も高し、足五所にあり、金物あり、五所にあげまきを結び垂る也、足の下は輪也、是も窠(クハ)也、
ゆするつきの圖〈ゆするつき、五字共にすみてよむべし、○圖略〉
頭書
本名泔坏ノ臺ト云也、面七寸三分ト元服記ニアリ、
泔坏の臺にあげ卷を付る事、本式いかな物を打て、それにあげまきを付るにはあらず、臺の上を錦にて張りて、其端々を組緖にて臺の板にとぢ付て、その緖の餘りを足の方へ引出して、あげ卷に結ぶ也、織物を板にとぢ付るに、大針と小針とまぜてとぢる也、大針にながくとぢたるをになと云、小針に短くとぢたるを蚫と云、河貝結、あはび結の事、包結記にくわしく記す、
一ゆするつきと云事、ゆするはゆりする也、泔坏と書てゆするつきと云も、泔はしろみづとよむ字也、坏(ツキ)はすべて椀の類を云、さかづきと云も、酒坏と云意也、たかつきと云も、高坏也、扨泔は、米を水に入てぬかをゆり、米と米をすり合てとぐ故、ゆりすると云事を略して、ゆすると云也、米をとぎたる、一番の白水をびん水に用る也、此白水を入る坏なる故ゆするつきと云也、白水は性の寒(ヒユ)る物也、人の血氣はのぼする物也、のぼせ强ければ、眼わろくなり、或は頭痛し、又は髮の内に瘡を生ずる事ある故、頭をばひやすをよしとす、依レ之髮を結ふに、白水を櫛に付て、髮をけづる也、〈けづると〉 〈は、髮をとかす事也、〉白水はひやす物なれば也、
p.0549 まことやとのいもの給はせよ、わひてもころもだにとかたらひにてなめし、〈○中略〉略はなちのはこ、ゆするつきのぐなど奉れ給、
p.0549
泔坏
銀塗外唐草境内海浮〓
二階上瑞居物
上卷唐組五足同付レ之
同臺五葉入レ角
足高七寸五分、内面厚六分、土居厚三分、
牙象腰弘一寸六分、同手前長三寸〈自角定〉
牙象高二分
面敷物小文唐錦、同表臥組唐組二丈三尺、〈加上卷五垂定〉
河貞子五所蚫五所〈入角當之〉
三之物用途銀卅七兩
弘五寸八分、高六分、尻高五分、
料木三寸半板三尺七寸〈弘一尺定厚一寸〉
木道單功卅疋
蒔繪料金七兩一分、漆二合、
磨料二百疋、
打物鍛冶單功百疋
食料百疋
螺鈿料二百五十疋、同堀入料廿疋、
同堺料廿五疋、入レ玉料十八疋、
p.0550 仁安三年十二月十日丁酉、早旦著二行事所一、大嘗會威儀御物幷副御調度内覽、〈○中略〉
大嘗會悠紀所 注進 御物目錄事〈○中略〉 螺鈿蠻繪二階一脚〈在二黃地唐錦面一○中略〉 銀泔坏(○○○)一口〈在二螺鈿蠻繪臺、面赤地唐錦、幷唐組等一、○中略〉 金銅物(○○○)〈○中略〉 泔坏(○○)二具〈○中略〉
大嘗會悠紀所 注進 副御調事〈○中略〉 金銅泔坏一口〈在レ臺、赤地唐錦面、〉
p.0550 みづらをゆふこと
まづしたむすびをして、かうがいのさきをゆするつきの水にぬらして、むすびめをぬらして、まむすびにすべし、いとをのべしれうなり、〈○中略〉ゆするつきの水は、いとのむすびめぬらさんれうなり、
供二御泔坏水一事
先置レ臺取レ坏出、到二御厨子所一、入レ水了供之、其儀左手取レ水右手取レ蓋供之、居時取レ蓋置二臺下一云々、或取レ臺供之、
p.0550 もやひさしのてうどたつる事
もやひさしに、ひろむしろをしきみてゝ、ひさしのなげしのうへに、やまとむしろをはしらにきりまはして、なげしにむしろのみゝをはしらにひとしくあてゝ、釘してうちつく、〈○中略〉そのたゝみのにしのかしらに、二階をたつ、おもてににしきをおしたり、うらにまはして、くみをしたり、上のこしのおくに、火とり、白かねのこ、はし、かゐばちあり、はしにゆするつきををくだいあり、にしきのおもてをしたり、ゆするつきふたあり、みなかねなり、
p.0550 わらは殿上のこと
ゆするつきに水いれて、やないばこにをきてぐすべし、
p.0550 口傳 關白相府〈○藤原賴通〉仰云、〈○中略〉二階上置二火取一、以二唾壼一有下置二下層一之説上、〈打亂筥北〉又以二泔坏(○○)臺一立二唐匣南一、以二唾壼火取等一有下置二二階上一之説上云々、〈○中略〉
小野宮差圖 庇立二二階一脚一〈南北行、東向、〉 上層北火取、南泔器、〈○中略〉
母屋立二二階厨子一雙一〈東西行、南向、○中略〉 南厨子上層南泔坏
p.0551 立二調度一例事
大治元年二月二日戊戌、白河院移二御新三條殿一、〈三條東洞院北面〉庇御調度如レ常、但不レ被レ立二母屋調度一、北庇机足二階厨子一脚、火取、泔坏、手筥、硯筥等許被レ用之、〈○中略〉
大治二年、白河院移二御大炊殿一、〈大炊御門富小路北面、但院一所令二渡御一令レ入二東門一御、〉母屋庇之御調度被レ立之、〈蠻繪螺鈿、沃懸地、〉北庇二階、火取、泔坏、手筥、 筥、凡皆具被レ置之、又女院、一品宮兩方樣々蒔繪御厨子、火取、泔坏、手筥、硯筥、御護筥等被レ置之、〈○中略〉
大治五年院〈○鳥羽〉幷待賢門院〈○璋子〉移二御仁和寺殿一、〈法金剛院東御所〉庇御調度如レ常、〈○中略〉北庇二階、火取、泔坏、手筥、硯筥等被レ置之、〈○下略〉
p.0551 天皇元服御裝束
北面厨子中有二二層一、上層置二御冠筥二合一、〈倒二置冠筥臺一、具内置レ筥、或人云、御冠筥可レ設二一合一、ニ合例不レ見、又倒置頗見苦、設二一合一與レ臺相並可レ置、其東居二泔坏一〉〈加臺〉〈下層立二二階一脚一、〉〈依可立二階異一層歟〉〈其二階下層置二唾壼筥一合〉〈西〉〈打亂筥一合一、二階階下置二平硯筥一合一、〉次取二出二階一立二於東御屛風前一、其上立二御冠筥一、〈有レ臺不レ可レ然歟〉其北立二泔坏一、中層打亂唾壼同置レ之、
p.0551 皇太子加二元服一儀〈加載記文〉
其日平明、所司裝二束紫宸殿一、其儀、〈○中略〉自二母屋東第三間北障子一南去七尺、立二平文倚子一、〈○註略〉其南二尺餘立二平文倚子一、〈○註略〉左右立二平文置物机一、〈在二南北倚子中間一、卽當二御倚子一、〉机上分二置櫛箱泔坏等一、〈螺鈿之具、櫛匣則唐匣、但无レ臺、泔坏有レ臺、延喜記云、東机置二御冠筥一、又出二唐匣小調度一置之、西机置二唐匣泔坏等一云云、而應和泔坏在二東机一、唐匣在二西机一、納二櫛巾小刀一、○下略〉
p.0552 東宮御元服
次春宮坊司、〈亮大進少進、率二藏人所衆廳下部等一行レ事云云、〉自二母屋東第三間北障子一、南去一丈、〈舊記注二七尺一、而延光記注二一丈由一、是又相叶云云、〉南向立二平文小倚子一、〈金銀平文也、有二金銅金物等一、〉鋪二紫綾毯代一〈東西行鋪之、四幅、鎭子准レ上、〉爲二御加冠座一、其南二尺二寸、立二白〓平文倚子一、〈北面、無二金銀飾及毯代一、〉左右立二平文置物机一、〈在二南北倚子中間一、卽當二主上御倚于一、〉机上分二置櫛箱泔坩等一、〈紫檀地螺鈿歟〉泔坏置二左机一、〈北寄有レ臺〉
p.0552 親王元服
親王着座〈○註略〉引入着二孫庇南二間一、〈(中略)本家儲二置加冠具一、親王座頭、唐匣一合、泔坏一口、〉
p.0552 親王元服
凡親王加二元服一之儀、〈○中略〉親王自二侍方一參上着座、次召二引入人一、着座之後、置二加冠調度親王座頭一、〈唐匣一合、泔坏一口、置二座巽角一、○下略〉
p.0552 一世源氏元服
天慶二年八月十四日、吏部記云、章明親王加二元服一、〈○中略〉酉二刻、置二巾櫛具一、〈二階、唐匣、櫛筥、泔坏冠筥及脇息等、〉
p.0552 久壽三年二月廿八日庚子、申刻許向二權辨〈○平範家〉亭一、於二四條東洞院新造家一被二經營一也、右衞門佐光宗令レ嫁二第三女子一也、寢殿中央母屋立二障子張一、〈○中略〉北妻爲二常居所一、〈○中略〉其西〈右方〉立二二階厨子一雙一、置二居冠筥、搔上筥、泔坏臺等一、〈○下略〉
p.0552 承元三年三月廿三日、此日、故攝政前太政大臣〈○藤原長經〉長女有二入宮事一、〈○中略〉
御裝束儀 御出立所〈一條亭○中略〉 中間〈○註略〉立二御帳一、〈○中略〉同間、南庇副二東柱一立二四尺屏風一帖一、〈○註略〉其前立二二階一脚一、〈逼レ北〉上層中央置二泔坏一、〈在レ臺○中略〉 本宮〈以二寢殿西面一爲二御所一、名二高陽院一是也、○中略〉 南第二間立二御帳一、〈○中略〉同間西庇副二南柱苙二泥繪四尺屛風一帖一、〈○註略〉其前立二二階一脚一、〈逼レ東〉其上層中央置二泔坏一、〈在臺〉
p.0552 五せち所のこと
四尺の屛風をたてゝ、ものゝぐをく事つねのごとし、ひさしのてうどのていなり、〈○中略〉二かゐの うへの火とりは、ゆするつきにをきかへて、はしにをきたるもあしからず、
p.0553 一調度〈○中略〉 泔坏一具
p.0553 元曆元年十一月廿二日丁未、大將五節裝束已下饗祿等注文、〈○中略〉
一調度 二階 泔坏〈在臺〉
p.0553 正月廿三日子の日なるに、左大將殿〈○髯黑〉の北方、わかなまいり給、かねてけしきももらし給はで、いといたく忍びておぼしまうけたりければ、にはかにてえいさめかへしきこえ給はず、しのびたれど、さばかりの御いきほひなれば、わたり給ふ儀式などいとひゝきこと也、みなみのおとゞの西のはなちいでに、おましよそふ、〈○中略〉御ぢしき四十まい、御しとね、けうそくなどすべてその御ぐども、いときよらにせさせ給へり、らてんのみづしふたようひに、御衣ばこよつすへて、夏冬の御さうそく、かうご、くすりのはこ、御すゞりゆするつき、かゝげのはこなどやうの物、うち〳〵きよらをつくし給へり、
p.0553 五六日ばかりになりぬるに、おともせず、れいならぬほどになりぬれば、あなものぐるほし、たはぶれごとにこそわれはおもひしか、はかなきなかなれば、かくてやむやうもありなんかしとおもへば、心ぼそうてながむるほどに、いでし日つかひしゆするつきのみづ(○○○○○○○○)は、さながらありけり、うへにちりゐてあり、かくまでとあさましう、
たへぬるかかけだにあらばとふべきをかたみのみづはみくさゐにけり、などおもひしひしも見えたり、れいのことにてやみにけり、
p.0553 粉水 けさうみづ 粃裝水
けさう水、或は鬢水とて、それ入る器を俗には鬢水入ともいふ、これ古への泔盃なり、
p.0553 びなんかづらを水に漬て用る器、鬢水入といふ、塗物も金物もあり、形圓扁なり、難 波などには、びんつけ入れともいへりと見えて、大坂版の前句付に、さても結構な日和さまかな、月代へ鬢付入を頂きて、是は小判金の形に似たるに依て云り、
p.0554 高尾所置鬢水入圖
表臘色紅葉金蒔繪
紋かな具、内朱、ふち金いつかけ、
口長さしわたし、三寸四分、横二寸二分、
裏ニカクノ
如キ紋アリ
此器は今より三十とせばかりさき、吉原の駿河屋魚躍といふ者、方圓庵得器におくりあたへしを、ちかごろ某君にたてまつりしとなん、某君予〈○京傳〉がふるきを好める事をきかせ玉ひ、めして古書畫古器等を見せしめ玉ふついで、此器をも見せ玉ふ、かゝる小器さへ、後の世に傳へて、人のめつるは、まことに高尾がほまれといふべし、
p.0554 貴上ニハ蔓堅、鬢水入トテ有テ、蔓堅ニハ五味子ノ莖ヲ截テ立テ、鬢水入ニハ水ヲイレ、〈○中略〉故ニ貴上ノ品ハ黑漆ニ金銀ノ蒔繪ニシ、卑下ノハ竹筒ニ淺マシキ陶器ノ水入ニテ、婢女モ必コノ物ヲ持リ、今ハ絶テ其品ヲ見ルコトサへ無ク、稀ニハ蒔繪ノモノ抔、骨董肆ニ見ルノミ、
p.0554 理齋云、むかしは家毎に鬢水入といふかつらを入し器あり、
p.0554 匜 説文云、匜〈移爾反、一音移、和名、波邇佐布、〉柄中有レ道、可二以注一レ水之器也、俗用二楾字一、所レ出未レ詳、但和名之義、或説云、有レ柄半插二其内一、故呼爲二半插一也、
p.0555 匜 説文云、匜〈初爾反、一音移、漢語抄幷俗用二楾字一、所レ出未レ詳、或説云、此噐有レ柄半插二其中一、故名二半插一也、〉柄中有レ道、可二以注一レ水之器也、
○按ズルニ、匜ハ倭名類聚抄ニ重出シテ調度部ニハ澡浴具トシ、器皿部ニハ漆器具トシタルハ、其用ト製作トニ由リテ分載セシナラン、
p.0555 廣本俗上、有二漢語抄幷四字一、未詳下、有下或説云此器有レ柄半擂二其中一故名二半插一也十六字上、按盥條注云、以上二物、具見二下澡浴具一、則此十六字、後人依二澡浴具注一增レ之、非二源君之舊一、又按楾字、見二仁壽二年尼證攝狀一、〈○中略〉蓋皇國所レ製會意字、〈○中略〉按博古圖錄載二三代匜一、其狀與三許氏所レ云似二羹魁一合、與二皇國半插一頗異、然所二以盛レ水沃一レ盥則同、故以レ匜當二半插一也、
p.0555 〓〈似二羹魁一、柄中有レ道可二以注一レ水、从レ匚也聲、移爾切、〉
p.0555 〓、似二羮魁一、〈斗部曰、魁、羮料也、科、勺也、匜之狀似レ羹、勺亦所二以挹取一也、〉柄中有レ道、可三㠯注二水酒一、〈道者路也、其器有レ勺、可二以盛レ水盛一レ酒、其柄空中、可レ使下勺中水酒自二柄中一流出、注中於盥槃及飮噐上也、左傳、奉レ匜沃レ盥、杜曰、匜沃盥噐也、此注レ水之匜也、内則敦牟卮匜、非レ餕莫二敢用一、鄭曰、卮匜、酒漿噐、此注レ酒之匜也、今大徐本無二酒字一、小徐有レ之、韵會刪レ酒、而以二盥噐二字一冠二於似羮魁之上一妄甚、若左傳釋文引二説文一無二酒字一、因二經注一但言レ盥耳、〉从レ匚〈此噐、蓋亦正方、〉也聲、
p.0555 〓
〓古匜字、沃盥器也、有レ流目注レ水象形、欺識有二張仲姑〓一作レ〓、卽〓字大篆、李斯秦刻作レ〓、小篆省文、今用レ之、後人又作レ〓、隷作レ也、借爲二助詞一、羊者切、詞助之用旣多、故正義爲レ所レ奪、又加レ匚爲レ匜㠯別レ之、其實一字也、大抵古人因二事物一制レ字、今之語助、皆古人器物之字、如二〓本〓艸、乎本吁气、焉本鳥名之類一、説文目爲二女陰象形一甚繆、
p.0555 〓〈ハンサフ〉
p.0555 匜〈ハンサウ、柄中有レ道、可二以注一レ水之噐也、〉 楾〈俗用二此字一未レ詳〉 木泉 半插〈已上同〉
p.0555 楾(ハンサウ)
p.0556 楾(ハンサウ)
p.0556 楾(ハンサウ) 匜〈同〉 半插〈同〉
p.0556 御食神祭物部、〈○中略〉御波佐布(○○○)卌二口、
p.0556 御波佐布は、御匜也、楾の字をも用ゆ、〈○中略〉和名波爾佐布といへば、波左布は半插(ハサウ)の義をしるべし、此物土師器なるは諸書に見ゆ、又陶器にも見えて、造酒式、陶匜六十口と見ゆ、
p.0556 はざう(○○○)は、湯水をつぐ物にて、俗にいふ湯桶の類なり、これにゆにても水にてもつぎて、たらゐへうけさする物なるに、近年〈○寶曆年間〉はぐろめの具にたらゐをあやまりて、はざうといふはいかゞ、堂上方元服の調度、官僧儀式の器物に、はざうといふはゆつぎなり、いはんやはんぞうとよこなまれるをや、
p.0556 伊勢初齋院裝束
〈半插〉楾一合、〈高一尺、周二尺四寸、〉料漆七合、絹一尺、綿七兩、細布二尺、掃墨四合、燒土五合、單功六人、
p.0556 雜給料〈○中略〉
陶匜(○○)六十口
p.0556 造備雜物
塗漆匜(○○○)一口
p.0556 鎭魂祭料〈○中略〉
小匜(○○)四口
p.0556 かくてきさいの宮賀、正月廿七日にいでくる、おとねになんつかまつり給ける、まうけられたるもの、〈○中略〉御てうづのてうど、〈○中略〉しろかねのはんざう(○○○○○○○○○)、〈○下略〉
p.0557 たゞこの君だち〈○時平公達〉の御中には、大納言源昇の卿御女のはらの顯忠おとゞのみぞ右大臣までなり給へる、その位にて六年おはせしかど、すこしおぼす所やありけん、出てありき給ふにも、家のうちにても大臣の作法をふるまひ給はず、〈○中略〉又はんざうたらひにて御手すまさず、寢殿のひんがしのまに、たなをして、こおけにちいさきひさげぐして、をかれたれば、仕丁つとめてごとにゆもてまいりていれければ、人してもかけさせ給はず、われ出させ給ひて、御手づからぞすましける、
p.0557 御てうづまいらんと、もとめありきて、御かたにはいづくのはさうたらいかあらん、三の御かたのをとりもてきて、御まへにまいらんとて、かしらかいくだしなどしてゐたり、
p.0557 あはれなる物
犬ふせぎのかたより、法師よりきていとよく申侍ぬ、いくかばかりこもらせ給ふべきなどとふ、しか〴〵の人こもらせ給へりなどいひきかせていぬる、すなはち火おけくだ物などもてきつつかす、はんざうに手水などいれて、たらゐの手もなきなどあり、
p.0557 もんどのつかさの御手水をまいる、女官案にすへてもちてまいる、はんざふ二、たらひの中のはんしろかねのうつは物二すへて、〈○註略〉御やうじ二ぐしてまいらす、
p.0557 朔日、四方拜とらの一刻なれば、とうより御ひるなる、常にならします方にて先御手水參る、〈○中略〉是より先に、はいぜんの人楾を御手洗の中よりとり出し、うちかへしたるふだをしあらためて、御手水をかけ參らす、
p.0557 踐祚大嘗祭(○○○)儀
頒二下諸司諸國一官符宣旨例〈○中略〉
太政官符、宮内省、 應レ充二行雜器一事〈○中略〉 波佐布八口〈○中略〉
右得二某國解一偁、供二奉大嘗會一神態料、依レ例所レ請如レ件者、省宜承知、依レ件充之、〈○中略〉
太政官符、民部大藏宮内三省、〈○中略〉
宮内〈○中略〉 波佐布二口〈○中略〉
右得二神祇官解一偁、供二奉大嘗會一、其所調度、依レ例所レ請如レ件者、省宜承知、依レ件充之、
p.0558 永享二年十一月十八日乙卯、是日、大嘗祭也、〈○中略〉次著二御齋服一有二主水司御手水事一、陪膳頭右大辨役送藏人左少辨、〈御楾手洗〉藏人權辨〈御手巾〉等也、
p.0558 供二新嘗(○○)一料
匜八口
p.0558 年料(○○)供物
匜手洗各一口、手水案二脚、
p.0558 初齋院裝束
楾一合〈(中略)已上供物〉
p.0558
一盥具 手洗二口〈大小〉 貫簀〈打敷〉 楾二口〈○中略〉
一舞師房裝束〈○中略〉 楾一口 手洗一口〈○中略〉
一祿法 大師〈○中略〉 楾一口 手洗一口〈○中略〉 小師〈○中略〉 楾一口 手洗一口
p.0558 御元服(○○)儀
當日早朝、所司設二御冠座於紫宸殿御帳内之南面一、〈○中略〉又設二洗器於殿東西壇上一、〈盛二匜盥於案上一○下略〉
p.0558 大治四年正月一日庚辰、皇帝〈○崇德〉加元服也、〈○中略〉攝政〈○藤原忠通〉昇二西壇一、立二洗器北一、〈南面〉主水正資 盛取レ楾立二壇下一、〈北面○中略〉右兵衞督〈○藤原伊通〉昇二西壇一、經二洗器西一立二其南一、〈東向〉受レ楾向二攝政一、攝政洗レ手、〈當二簀子手洗一也〉事了以レ楾返二給資盛一、〈○下略〉
p.0559 久安六年正月四日壬午、是日天子〈○近衞〉加冠、〈○中略〉 御元服式〈○中略〉 當日早朝所司、〈○中略〉又設二洗器於殿東西壇上一、〈盛二匜盥於案上一○下略〉
p.0559 嘉應二年十月五日辛亥、資長卿來談、衆事多是御元服〈○高倉〉之間事也、 三年正月三日戊寅、天皇渡二御南殿北廟一、〈○註略〉其儀、〈○中略〉自二壇上一南行、就二洗器西頭一取レ楾、〈主水正傳取獻之〉大相〈○藤原忠雅〉給二笏於隨身一、〈夂安故殿(藤原忠薀)給二笏於隨身一、〉洗レ手〈不嗽〉了、納言〈○藤原忠親〉返レ楾、
p.0559 永享五年正月三日戊午、今日有二天皇〈○後花園〉御元服事一、〈○中略〉此間左相〈○義敎〉就二西壇上一洗レ手、〈新宰相中將實雅、主水佐厶、内藏檀助職貞勤レ之、相公羽林入二宣仁門一代於二軒廊一立二案坤方一、懷二中笏一取レ楾沃レ水、○下略〉
p.0559 皇太子加二元服一儀〈加二載記文一〉
其日平明、所司裝二束紫宸殿一、其儀、〈○中略〉主水司東軒廊西、第二間北邊、設二洗手具一、〈楾洗手手巾等、置二八足机上一、(中略)應和記云、官先一日、召二仰所司一令レ進二其具一、楾洗手各一具、(中略)内藏寮進、〉
p.0559 東宮御元服
主水司、東軒廊西第二間北邊、設二洗手具一、楾洗手巾等、置二八尺机上一、
p.0559 入道无品親王性信、治安三年三月七日庚午、於二仁和寺觀音院一授二兩部傳法灌頂(○○)一、〈○中略〉
一大阿闍梨御房〈○中略〉 楾手洗各一口
p.0559 立二調度一例事
保延六年十一月四日甲辰、土御門内裏移御(○○)、〈土御門烏丸南面〉夜御殿幷晝御帳帷、鏡、懸角、雜事等如レ常、〈○中略〉
楾一口〈入レ水○中略〉
康治二年七月十一日丙寅、前齋院〈統子、一院御女、〉三條殿移御、〈三條室町北東○中略〉御車西面之四足ニ遣向、暫在〈天〉 反閉、陰陽師〈頭〉參向、黃牛二頭、同門之内、左右之脇〈ニ〉向、奧引立、龓府官人水〈左入レ楾〉火童女從二中門内一步出、各諸大夫一人相具、中門之砌ニ立、廳官二人持二楾燭等一相副、御車遣入時、水燭二人頗步出〈天〉大藏卿通職續松火〈ニ〉寄、童女燭〈ニ〉付レ之〈天〉立直天中門〈ヲ〉還入〈天〉於二御車前一天、橋隱砌〈ニ〉參寄、本付、諸大夫二人各取二燭楾等一〈天〉從二橋隱間一參入〈志天〉、燈爐油付、水童女持レ物、各交帶レ之後、卽侍相具〈天〉從二東中間一出畢反閉、
p.0560 供御年料〈中宮亦同〉
兩面袋(○○○)二口、〈一口御匜料、一口盥料、〉油絁覆二條、〈一條御膳櫃料、一條牙床料、〉油絁袋(○○○)二口、〈一口御匜料、一口御盥料、已上四物並著二絁裏一、○中略〉紺布一丈、〈煖二御盥水一釜覆料○中略〉
右便納二司家一、隨レ時出用、
p.0560 御くしあげのないしのすけのこよひ〈○治安三年四月一日〉のつぼね、えもいはずしつらはせたまへり、〈○中略〉こよひの御まへのものども、やがて給はりたる、つぼねには、びやうぶきちやう、二かい、すゞりのはこ、くしのはこ、ひとり、はんざう、たらひ、たゝみまで、のこりなくたまはる、
p.0560 常の御所には、きやうようの丸、いかけぢに、ほらがひをすりたる御づし、御手ばこ二、御すゞり、御はんざう、たらひ、〈○下略〉
p.0560 内記慶滋保胤出家語第三
今韭旦天皇ノ御代ニ、内記慶滋ノ保胤ト云フ者有ケリ、〈○中略〉石藏ト云フ所ニ住ケル時キニ、冷ミ過シテ腹解ニケリ、厠ニ行キヌル間ダ、隣ノ房ニ有ケル法師ノ聞ケバ、厠ニ居タリケル者ハ、楾ノ水ヲ〓泛ス樣也、
p.0560 昌明太刀をなげ捨て、得たりおうといだきたり、上になり下に成するに、大源次宗安大石をとり、十郎藏人のひたひをちやうと打わりたり、〈○中略〉さて藏人を引をこしてみ れば、額より流るゝ血は、楾の水をこぼすが如し、
p.0561 中納言紀長谷雄家顯狗語第廿九
今昔、中納言紀ノ長谷雄ト云フ博士有ケリ、才賢ク悟廣クシテ、世ニ並ビ無ク、止事无キ者ニテハ有ケレドモ、陰陽ノ方ヲナム何ニモ不レ知ザリケル、而ル間、狗ノ常ニ出來テ、築垣ヲ越ツヽ屎ヲシケレバ、此レヲ怪ト思テ、ノト云フ陰陽師ニ、此ノ事ノ吉凶ヲ問タリケレバ、其ノ月ノ某ノ日、家ノ内ニ鬼現ズル事有ラムトス、但シ人ヲ犯シ崇ヲ可レ成キ者ニハ非ズト占タリケレバ、其ノ日、物忌ヲ可レ爲キナヽハト云テ止ヌ、而ル間、其ノ物忌ノ日ニ成テ、其ノ事忘レテ物忌ヲモ不レ爲ザリケリ、然テ學生共ヲ集メテ作文シテ居タリケルニ、文頌スル盛ニ、傍ニ物共取置タリケル、〈○中略〉塗籠ノ戸ヲ少シ引開タリケルヨリ、動出ル者有ルヲ見レバ、長二尺許リ有ル者ノ、身ハ白クテ頰ハ黑シ、角ノ一ツ生テ黑シ、足四ツ有テ白シ、此レヲ見テ皆人恐迷フ事无レ限ツ、而ルニ其ノ中ニ一人ノ人思量有リ心强カリケル者ニテ、立走ルマヽニ、此ノ鬼ノ頭ノ方ヲハタト蹴タリケレバ、頭ノ方ノ黑キ物ヲ蹴拔キツ、其ノ時ニ見レバ、白キ狗ノ行ト哭テ立テリ、早ウ狗ノ楾ヲ頭ニ指入タリケルヲ、楾ヲ蹴拔タルマヽニ見レバ、狗ノ夜ル塗籠ニ入ニケルガ、楾ニ頭ヲ指入テケルヲ否不二引出一テ鳴ク音ノ怪シキ也ケリ、其レガ走リ出タルヲ、物恐ヲ不レ爲ズ量リ有ケル者ノ、狗ノ然カ有ケル也ケリト見テ、蹴顯シタル也ケリ、
p.0561 多之良加(タシラカ)〈納レ水之器〉
p.0561 たしらか 延喜式に、多志良加一口と見えたり、尼瓶に似たりといへり、水を入る器なり、江次第に見ゆ、日本紀に、手白香皇女ましませり、
p.0561 手白髮(タシラカノ)郎女、〈白髮は借字なり〉御名瓦器の名なり、貞觀儀式〈大嘗會儀〉に水部一人執二多志良加一、〈○中略〉主計式に、多志羅加二口、〈受二一斗一〉また手白髮〓(タシラカベ)四口などある是なり、〈水部執とあるを思へば、水を入るゝ器にや、〉 〈又受二一斗一ともあれば、やゝ大なる器と見ゆ、此物和名抄には見えず、〉ぼて御名に負ヒ坐るは其由あるべし、
p.0562 延喜式〈神今食大嘗祭〉云、多志良加四口、
タシラカ(○○○○)は、御手水を入る器なり、今のハンサウは、此遺製にて、名をかへたる物也、村井古巖所傳多志良加の圖
はんさうの圖
ハンサウは字音なり、和名類聚鈔〈澡浴具〉匜、説文云、匜〈移爾反、一音移、和名波邇佐布、〉柄中有レ道、可二以注一レ水之器也、〈俗用二楾字一、所出未レ詳、但和名之義、或説云、有レ柄半插二其内一、故呼爲二半插一也、〉
弘賢按ずるに、延喜式〈神今食〉に匜をハサウとよみしハ、和名抄以後につけしなるべし、匜と多志良加とならべ載たれば、をのづから別物なりし事あきらけし、匜は丈ひきく長き物にて、タシラカとはおなじからざれども、匜字の注釋、タシラカニ似たる所あるより、ハンサウとよびならはせしなるべし、〈○中略〉
タシラカの義詳なもず〈しゐていはゞ、タとは手の義、シヲはしらけの義にて、淨むる意にてもあるべき歟、カとにミカ、ヒラカなどいひし同じ義にて、瓷器の名なるべし、〉
文化十二年正月 源弘賢
p.0562 天仁元年十一(/○○○)月廿一日、亥一刻供二神膳一、其次第自二柏殿東一、其行列次第、〈○中略〉次主水 司水取連一人執二蝦鰭船(○○○)一、〈是土手洗(○)也〉次水部一人執二多志良加(○○○○)一、〈土瓶(○○)也〉
p.0563 六月十一日祠今食儀〈十二月准レ此〉
亥一刻薦二御膳一、其行立次第、〈○中略〉次水取連一人、〈執二海老鰭槽(○○○○)一〉次水部一人、〈執二多志良加一〉
p.0563 鰕鰭船幷蛤鰭槽
三箇重事、ゑびのはた舟といふは、御手洗の具也、
宗〈○紀宗直〉云、のゝ宮殿御考、ゑびのはた舟、當時出納調二進之一、〈○下略〉
p.0563
蝦鰭槽二
長一尺三寸壹分
鰭長各二寸四分
幅四寸八分
高四寸八分
p.0563 供二神今食一料
多志良加四口、〈○中略〉蚡鰭槽(○○○)二隻、〈○中略〉
右供御雜物、各付二内膳主水等司一、神祇官官人率二神部等一、夕曉兩般、參二入内裏一、供二奉其事一、所レ供雜物、祭訖卽給二中臣忌部宮主等一、一同二大嘗會例一、
p.0564 供二奉神事一諸司行列
次主水司水取連一人、〈執二蝦鰭槽一、〉次水部一人、〈執二多志良加一〉
p.0564 供二新嘗一料
多志良加四口、〈○中略〉蚡鰭槽二隻、〈○中略〉
右依二前件一、其御贖大殿忌火庭火等祭料、並准二神今食一、
p.0564 供二神嘗一料
都婆波、多志良加各四口、〈○中略〉蝦鰭槽二隻、〈○中略〉
供二神嘗一料〈卜二八男十女一〉
蝦鰭槽二口、〈(中略)已上當國充之○中略〉多志良加四口、〈(中略)已上美濃國充之○中略〉
右主神司幷膳部所レ請
p.0564 踐祚大嘗祭儀
亥一刻供二御膳一、四刻撤之、其次第也、〈○中略〉水取一人執二海老鰭盥槽一次之、水部一人執二多志良加一次之、
p.0564 薦二悠紀御膳一、〈亥一刻進、四刻退、〉行立次第、〈○中略〉主水司水取連一人、〈執二蝦鰭盥槽一〉水部一人、〈執二多志良加一〉
p.0564 踐祚大嘗祭儀
頒二下諸司諸國一、官符宣旨例、〈○中略〉
太政官符諸國〈毎レ國有レ符〉
應レ造二新器一〈○中略〉 參河國〈○中略〉 多志良加八口〈○中略〉
以前得二神祇官解一偁、爲レ供二奉大嘗會一、應レ須雜物、〈○中略〉具如二上件一者、國承知一事以上依レ例行之、事有二期會一、不レ得二闕怠一、〈○中略〉 太政官符宮内省
應レ充二行雜器一事〈○中略〉 多志良加、陶碓各四口、〈○中略〉
右得二某國解一偁、供二奉大嘗會一神態料、依レ例所レ請如レ件者、省宜承知、依レ件充之、〈○中略〉太政官符、民部大藏宮内三省、
民部 海老鰭槽一隻〈○中略〉 宮内、〈○中略〉多志良加二口、〈○中略〉
右得二神祇官解一偁、供二奉大嘗會一、其所調度、依レ例所レ請如レ件者、省宜承知、依レ件充之、
p.0565 大嘗會事
主殿寮供二御浴一、〈自二東戸一供之〉卽著二祭服一、〈(中略)淸凉抄云、式云、水部一人執二廻立多之良加一者、而天慶九年於二嘗殿一供二御盥一失也云云、仁和四年記云、内侍奉二御衾一四度、號二腰衾一、次主水司供二御盥一者、檢二式文一雖レ載二弘仁宮内式一、延喜式省レ之、猶依二近例一於二嘗殿一可レ供歟、〉
p.0565 大嘗會
亥一刻供二御膳一〈○中略〉 水取連一人、執二海老鰭槽一次之、 水部一人、執二多之良加一次之、〈○中略〉 次八姫之中二人、相分共舁二海老鰭槽一、置二御前短帖一、〈○中略〉 次取二水部所レ持多之良加一〈謂二入レ水瓶(○○○○)一〉 授レ姫退候二戸外一 御手水供了、三沃爲レ限、候二戸外一之姫、伺二御盥畢一參入、取二多之良加一却二返給水部一、〈○中略〉 姫又歸參、次第取二刷巾等匣一退出、又進與二留姫一共舁レ槽、退出、
p.0565 左右京 調輸錢〈○中略〉
東山道 美濃國〈行程、上四日下二日、〉 調〈○中略〉手白髮〓四口
p.0565 水瓶 因果經云、善惠仙人、被二鹿皮一執二水瓶一、〈和名、美豆加米、〉
p.0565 爾時、善慧仙人、在二於山中一、得二五奇特夢一、〈○中略〉得二此夢一已、卽大驚悟、心自念言、我今此夢、非レ爲二小緣一當以問レ誰、宜下入二城内一問中諸智者上、作二是念一已、被二〈○被、舊作レ披、據二倭名類聚抄一改、〉鹿皮衣一、手執二水瓶(○○)及杖繖蓋一、行入二城邑一、〈○下略〉
p.0566 水瓶〈ミヅカメ ミヅミカ〉
p.0566 水瓶(スイビン)
p.0566 水瓶(スイビン)
p.0566 淸瀧河奧聖人成二慢悔一語第卅九
今昔、淸瀧河ノ奧ニ菴ヲ造テ、年來行僧有ケリ、水瓶ニ水ヲ入レムト思フ時ハ、水瓶ヲ令レ飛テ此ノ河水ヲ汲セテ年ヲ經レバ、此許行(カバカリノ)人ハ不有自(アラジカシト)ラ時々思ケル時モ有ケリ、然ル慢ノ心有ルハ惡キ事トモ智リ无キガ故ニ不レ知、而ル間時々其ノ菴ノ水上ヨリ、水瓶飛ビ來テ水ヲ汲ム、〈○下略〉
○按ズルニ、此ノ水瓶ハ卽チ軍持ナリ、故ニ聊カ此ニ載セタリ、
p.0566 辨道具
濾水囊 增輝記云、爲レ器雖レ小、其功甚大、爲レ護二生命一、故中華僧鮮レ有二受持一、准レ律標示、根本百一羯磨云、水羅有二五種一、〈○中略〉二法瓶(○○)、〈陰陽瓶也〉三軍遲(○○)、〈以レ絹繫レ口、以レ繩懸沉二於水一、待レ滿引出、〉
p.0566 七晨旦觀レ蟲
凡是經宿之水、旦不レ看者、有レ蟲無レ蟲、律云二用皆招一レ罪、然護レ生取レ水、多種不同、井處施行、此羅最要、河池之處、或可下安レ棬用二陰陽瓶(○○○)一權レ時濟上レ事、
p.0566 手洗水ヲ置二中居邊一楾水瓶ヲ入二手洗中一置之、提ヲバ不二入置一之事也、〈○中略〉
水瓶ヲバ入二手洗一、力者持之、〈○下略〉
p.0566 僧死後舌殘在レ山誦二法花一語第卅一
今昔、阿倍ノ天皇〈○孝謙〉ノ御代ニ、紀伊ノ國牟婁ノ郡熊野ノ村ニ、永興禪師ト云僧有ケリ、〈○中略〉其ノ邊ノ人、禪師ヲ貴フガ故ニ此ノ人ヲ菩薩ト云フ、〈○中略〉如レ此クシテ其ノ所ニ有ル間、一ノ僧有テ、此ノ菩薩ノ所ニ來ル、何レノ所ヨリ來レリト云フ事ヲ不レ知ズ、持テル所ノ物法花經一部、小字ニシ テ一卷寫セリ、白銅ノ水瓶(○○○○○)繩床一足也、〈○下略〉
p.0567 水瓶〈(中略)已上鑄物〉
p.0567 水瓶 三、内〈一木(○)、一金(○)、一硝子(ビイドロ/○○)、〉
p.0567 合水〓肆拾五口〈佛物卅六口之中、二口漢軍持、三口胡軍持、十九口藁瓶(○○)、十一口柘榴〓(○○)、一口洗豆〓(○○○)、菩薩物一口、通物四口、木又分物四口、○中略〉
以上資財等、天平十八年本記所レ定、注顯如レ件、
p.0567 六水有二二瓶一
凡水分二淨觸一、瓶有二二枚一、淨者威用二瓦瓷(○○)一、觸者任レ兼二銅鐵(○○)一、淨擬二非時飮用一、觸乃便利所レ須、淨則淨手方持、必須レ安二著淨處一、觸乃觸手隨執、可下於二觸處一置上レ之、准レ斯淨瓶及新淨器所レ盛之水、非時合レ飮、餘器盛者、名爲二時水一、中前受飮、卽是無レ愆、若於二午後一飮便有レ過、其作レ瓶法(○○○)蓋須レ連レ口、頂出二尖臺一、可二高兩指一、上通二小穴一、麤如二銅箸一、飮水可レ在二此中一、傍邊則別開二圓孔一、罐口令レ上、豎高兩指、孔如二錢許一、添水宜レ於二此處一、可レ受二二三升一、小成二無用一、斯之二穴恐二蟲塵入一、或可レ著レ蓋、或以二竹木一、或將二布葉一而裹塞レ之、彼有二梵僧一、取レ製而造、若取レ水時、必須下洗レ内令二塵垢盡一、方始納上レ新、豈容下水則不レ分二淨觸一、但畜二一小銅瓶一、著レ蓋插レ口、傾レ水流散上、不レ堪二受用一、難レ分二淨觸一、中間有レ垢有レ氣、不レ堪レ停レ水、一升兩合、隨レ事皆闕、其瓶袋法式、可下取二布長二尺、寬一尺許一、角襵二兩頭一、對處縫合、於二兩角頭一連二施一襻一、纔長一磔上、内レ瓶在レ中、掛レ髆而去、乞食鉢袋樣亦同レ此、
p.0567 菩薩戒布薩式
維那先問訊、抽身歷後進二淨水前一問訊、長跪合掌、唱二淨水偈一云、〈○中略〉 偈畢、右手取二淨水瓶(○○○)一、左掌受二淨水一、兩手灌洗、〈○中略〉 偈畢、淨水人唱二淨水偈一、維那左手取二香湯瓶(○○○)一、右掌受二香水一、兩手灌洗、而左手取二手巾一拭畢、且待二淨水人洗手一了、
p.0567 辨道具 淨瓶 梵語捃雉迦、此云レ瓶、常貯レ水隨レ身以用二淨手一、寄歸傳云、軍遲有レ二、若甆瓦者、是淨用、若銅鐵者是觸用、
p.0568 五食罷去レ穢
食罷之時或以レ器承、或在二屛處一、或向二渠竇一、或可レ臨レ階、或自持レ瓶、或令二人授一レ水、手必淨洗、〈○中略〉次取二淨瓶之水一、盛以二螺盃一、或用二鮮葉一、或以レ手承、其器及レ手必須二三屑淨揩〈豆屑、土乾、牛糞、〉洗令一レ去レ膩、或於二屛隱一淨瓶注レ口、若居二顯處一、律有二遮文一、〈○中略〉
九受レ齋軌則
其施主家、設レ食之處、地必牛糞淨塗、各別安二小牀座一、復須二淸淨瓨瓮預多貯一レ水、僧徒旣至、解二開衣紐一、安二置淨瓶一、卽宜レ看レ水、若無レ蟲者、用レ之濯レ足、然後各就二小牀一、停息片時、察二其早晩一、甘旣將レ午、施主白言時至、法衆乃反二襵上衣一、兩角前繫、下邊右角壓二在腰絛左邊一、或屑或土、澡レ手令レ淨、或施主授レ水、或自用二軍遲(○○)一、隨レ時濟レ事、重來踞坐、受二其器葉一、以レ水略洗、勿レ使二横流一、
p.0568 十八便利之事
便利之事、略出二其儀一、下著二洗浴之裙一、上披二僧脚崎服一、次取二觸瓶(○○)一、添レ水令レ滿、持將上レ厠、閉レ戸遮レ身、〈○中略〉復將二三丸一入二於厠内一、安二在一邊一、一將拭レ體、一用洗レ身、洗レ身之法、須下將二左手一、先以レ水洗、後兼レ土淨上、〈○中略〉旣洗淨了、方以二右手一牽二下其衣一、瓶安二置一邊一、右手撥二開傍居一、還將二右手一、提レ瓶而出、或以二左臂一抱レ瓶、拳二其左手一、可下用二右手一關レ戸而去上、就二彼土處一、蹲二坐一邊一、若須二坐物一、隨レ時量處、置二瓶左䏶之上一、可下以二左臂一向レ下壓上レ之、先取二近レ身一七塊土一、別別洗二其左手一、後用二餘七一、一一兩手倶淨、其塼木上、必須二淨洗一、餘有二一丸一、將洗二瓶器一、次洗二臂腨及足一、並令二淸潔一、然後隨レ情而去、此瓶之水、不レ入二口脣一、重至二房中一、以二淨瓶(○○)水一漱レ口、若其事至觸二此瓶一者、還須洗レ手漱レ口、方可レ執二餘器具一、斯乃大便之儀、麤説如レ此、〈○中略〉添瓶之罐、著レ柴爲レ佳、如畜二君持(○○)一准レ前爲矣、銅瓶插レ蓋而口寬、元來不レ中二洗淨一、若其腹邊別爲二一孔一、頂上以レ錫錮レ之、高出二尖臺一、中安二小孔一、 此亦權當二時須一也、
p.0569 神事幷年料供御
居二水〓一案(○○○○)、〈長四尺五寸、廣二尺、高二尺、厚八分、〉長功二人、中功二人半、短功三人、
p.0569 水注子(ミヅサシ)
p.0569 注子(○○)は水さし、湯盥、湯釜に、湯のあつきとき、水をうめる具なり、
注子(ちうし/みづさし)
p.0569 注子
事始曰、唐元和初、酌レ酒用二樽勺一、雖二十數人一、一樽一杓、挹レ酒了無二遺滴一、無レ幾改用二注子(○○)一、雖レ起レ自二元和時一、而輒失二其所レ造之人一、
p.0569 注子 水壼也〈金紫銅胡銅之屬、今俗名二其器一云二金水指一、〉
古者用二金紫銅一、元明皆以二胡銅一爲レ之、今亦同、又有二鐵製一、〈或有二水提點一、其説詳二於居家必備一、傍有二兩耳一者、其形大小低昂、任二人之所一レ用、〉
本國有二水瓶一、其形各異、聞有二銅鐵一、或花紋禽獸鑰レ之雕レ之、又有二眞鍮白銅一、白銅者尚二南蠻之製一、胡銅者其次也、朝鮮白銅又其次也、
本邦用二陶器一、出二於伊賀、信樂、備前、唐津一、且京師東乾山亦造レ之、然經緯剛柔之理、不レ能レ得二其趣一、又曰有二染付之製一、摸二草木山澤花鳥雲堂之屬一、間亦加二金銀一以銷二鑠之一、漢土器亦然、其瓷膚靑白者、皆雪脚不レ浮也、 又曰、京師有二樂燒一、其形各異、其色有二赤黑一、〈○下略〉
○按ズルニ、茶湯ニ用イル注子ノ事ハ、遊戲部茶湯具篇ニ詳ナリ、宜シク參看スベシ、
p.0570 初齋院裝束
手湯戸一合〈加レ鏖(中略)已上供物〉
p.0570 供御年料〈中宮亦同〉
手湯戸一具、〈加二臺幷拁一〉手洗槽三口、〈已上二種隨レ損請替〉
p.0570 供二新嘗一料〈卜二入男十女一〉
手湯瓫二口〈已上寮充之○中略〉
右主神司幷膳部所レ請
p.0570 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉一丁〈○中略〉手湯瓫二口一、〈徑六寸、受二一斗一、○中略〉 河内國〈行程一里〉 調〈○中略〉 手湯瓫(○○○)四百十三口
○按ズルニ、手湯瓮ハ、手湯瓫ト別物ニヤ、又ハ文字ノ誤ニヤ、但シ字書ニハ何レモ盆ト同ジトアレバ、猶ホ通用ナランカ、
p.0570 漆供御雜器
手湯戸一口、〈周五尺八寸五分、高二尺五寸五分、〉蓋一枚、〈周三尺五分〉料漆三升、掃墨五合、貲布九尺、綿一斤四兩、絁布各一尺二寸、油二合、功五人大半、
伊勢初齋院裝束
手湯戸一合、〈腹周五尺、高一尺四寸、〉臺一脚、料漆二升五合、絹一尺五寸、綿一屯、細布一尺五寸、貲布八尺、掃墨五合、燒土一升、油二合、炭五斗、單功八人、
p.0570 神事幷年料供御 轆轤手湯戸盆(○○○○○○)、〈口徑一尺八寸、高一尺三寸、〉長功四人、〈工一人、夫三人、〉中功四人半、短功五人、
p.0571 年料
手湯戸一口〈口濶九寸、底濶一尺一寸、腹徑一尺九寸、深一尺三寸、○中略〉
右坊依二主膳監解一、申レ官請受、餘監署所レ請物准レ此、
p.0571 踐祚大嘗祭儀
頒二下諸司諸國一官符宣旨例〈○中略〉
太政官符諸國〈毎レ國有レ符〉
應レ造二新器一 河内國〈○中略〉 御手湯瓫十六口〈○中略〉 已上御料〈○中略〉
以前得二神祇官解一偁、爲レ供二奉大嘗會一應レ須雜物幷潔祓具、如二上件一者、國承知、一事以上、依レ例行レ之、事有二期會一、不レ得二闕怠一、
p.0571 仁安三年十二月十日丁酉早旦着二行事所一、大嘗會威儀御物幷副御調度内覽、〈○中略〉
大嘗會悠紀所 注進御物目錄事〈○中略〉
白銅物〈○中略〉 手湯戸一具
p.0571 供二神今食一料
土手湯盆(○○○○)二口〈○中略〉
右供御雜物、各付二内膳主水等司一、神祇官官人率二神部等一夕曉兩般、參二入内裏一供二奉其事一、所レ供雜物、祭訖卽給二中臣忌部宮主等一、一同二大嘗會例一、
p.0571 供二新嘗一料
土手湯瓫二口〈○中略〉
右依二前件一、其御贖大殿忌火庭火等祭料、並准二神今食一、
p.0572 供二新嘗一料
土手湯盆、陶手洗各二口、
p.0572 年料
缶四口〈二口納レ漿、二口汲水部手水一料、○中略〉
右坊依二主膳監解一、申レ官請受、餘監署所レ請物准レ此、
p.0572 解齋事〈謂二六月十二月十一日後曉、十一月中卯日後曉一、〉
御手水大床子南頭、立二白木机一脚一、〈○中略〉其南立二白木八足机一脚一、其上居二缶一口一、〈盛二御手水一、長經記二口云云、近代如レ此、〉杓一口、
p.0572 御ゆどのは、とりの時とか、〈○中略〉そのおけすへたるだいなど、みなしろきおほひしたり、〈○中略〉みづし二、きよいこの命婦、はりま、とりつぎてうめつゝ、女房二人、大もく、むま、くみわたして、御ほどき(○○○○)十六にあまればいる、
○按ズルニ、水ヲ以テ湯ニ投ジタルヲ瓫ニ入ルヽナリ、卽チ洗兒ノ用ニ供スルナリ、
p.0572 饋享
大祝還二樽所一、謁者引レ頭詣二罍洗一盥レ手洗レ爵、〈○下略〉
p.0572 罍〈廬回切音雷、酒器、又盥器、畫爲二雲雷之象一、○下略〉
p.0572 諸國釋奠式
器數〈○中略〉 盥罍(○○)一〈實レ水○中略〉
職掌〈○中略〉 洗所三人〈(中略)一執レ罍(○)掌二獻官盥具事一〉
p.0572 御西淨之内に棚あり、〈○中略〉桶杓あり、御手水をも桶にて置同杓、〈何も黑塗テマキエアリ〉
p.0573 V 沙石集
p.0573 律學者之學與レ行相違事
故笠置ノ解脱上人、如法ノ律義興隆ノ志深クシテ、六人ノ器量ノ仁ヲエラビテ、持齋シ律學セシムトイへドモ、時イタラザリケルニヤ、皆正體ナキ事ニテアリケレドモ、堂衆ノ中ニ器量ノ仁ヲ以テ常喜院ト云所ニテ、夏中ノ間律學シ侍リ、〈○中略〉サテ彼六人ノ内ニ、名モ承リシカドモ忘レ侍リ、持齋モヤブリテ、僧房ニ同宿兒共アマタヲキテ、昔ノ儀スタレハテヽ兒ニクハセントテ、サヲ河トイフ河ニテ魚ヲトラセテ、我身ハヒタイツキノ内ニイテ下知シ、弟子ノ僧火タキテ、マヘノ爐ニテ生(イキ)タル魚ヲニルニ、鍋ノ湯ノアツクナルマヽニ、魚スビツニヲドリオツ、愛弟ノ兒コレヲトリテ手水桶ノ水ニスヽギテ鍋ニ入ル、〈○下略〉
p.0573 觸桶〈同上(東司)具也〉
○按ズルニ、觸桶ノ用ハ手水桶ノ如シ、
p.0573 觸桶〈同上(東司)具〉
p.0574 辨道法
大宋諸寺後架無下嚼二楊枝一處上、今大佛寺後架構レ之、兩手把二面桶(○○)一臨二竈頭一安レ桶、把レ杓汲レ湯承レ桶還來二架上一、輕手於レ桶洗レ面、低細如レ法、洗二眼裏鼻孔耳邊口頭一而見レ淨、不レ得二湯水多費無レ度而使一、漱レ口吐レ水於二面桶之外一、曲躬低頭而洗面、不レ得三直腰濺二水於隣桶一、兩手掬レ湯而洗レ面、勿レ留二垢膩一、〈○中略〉不レ得三桶杓喧轟、咳嗽作レ聲、驚二動淸衆一、〈○下略〉
p.0574 列職雜務
淨頭 掃地装香、換レ籌洗レ厠、燒レ湯添レ水、須二是及一レ時、稍有二狼籍一、隨卽淨治、手巾淨桶(○○)、點檢添換、
p.0574 日用軌範
輕手掲レ簾出三後架一、〈○中略〉輕手取レ盆洗レ面、湯不レ宜レ多、〈○中略〉嗽レ口吐レ水、須二低レ頭以レ手引下一、直レ腰吐レ水、恐濺二隣桶一、不レ得レ洗レ頭、有二四件自他不利一、〈一汙レ桶○中略〉不レ得下以二唾涕一汚中面桶(○○)上、〈○中略〉右手提レ水、入レ厠換レ鞋、不レ得二參差一、安二淨桶(○○)一在レ前、鳴レ指三下、驚二噉糞鬼一、蹲レ身令レ正、不レ得二努氣作一レ聲、〈○中略〉不レ得三以レ水澆二兩邊一、左手洗淨、護二大指第二第三指一、不レ得三多用二籌子一、〈○中略〉淨桶(○○)安二舊處一、以二乾手一安二内衣一入レ袴、以二乾手一開レ門、左手提レ桶出、〈○下略〉
p.0574 東にみゆる淺草の觀世音にもまゐらんと、〈○中略〉御堂になれば、手水ばち(○○○○)、力及ばぬ大石を、ふねのかたちにつくりなす、〈○下略〉
p.0574 馬ふね、酒ふね何にまれ、横長なる筥のたぐひなぞらへて舟といふは、常のことなり、色音論淺草寺の條に、御堂になれば手水鉢、ちから及ばぬ大石を、船の形に作りなすとあるを、めづらしげにいへるものあり、此船の形とあるをいかに思へるにか、天和頃、師宣がかける淺草寺境内の圖に、本堂の前に大なる石の手水鉢の横長なるをかけり、帥是なり、船形といへばとて、艫舳具りて首尾異なるやうに作りしにはあらず、先つ年、大和國なる長谷寺に詣しに、樓門の前に石の筥めくものあり、其形凡長サ一丈ばかり、横五尺餘、高サ二尺二三寸もある べし、其狀石槨とも云べし、こは古き手水鉢と見ゆ、いにしへ參詣群集せし時、かばかりの物にあらずば、足るまじければ也、是に似たる手水鉢の圖、淸凉寺融通念佛御緣起の畫中にあり、
p.0575
手水所(テウヅトコロ)
p.0576 養素園のことば
階ちかく手洗ふべき水いれたるもの(○○○○○○○○○○○○)は、寬文の五とせといひしとしに、つくれりし、堀川のかはかみなる、かめのはしのはしぐひの石なりとぞ、
p.0576 庭石屋 海山の石、蒔石、石船、井筒、石樋、手水鉢(○○○)等也、京万壽寺通、烏丸の西、大坂は、横堀にあり、
p.0576 柄杓(ヒシヤク)
p.0576 杓(ヒサク/ヒシヤクシ)〈唐韻斟水器〉枓(同) 柄杓(同)〈和俗所レ用、又作二檜杓一、〉
p.0576 竹屋
柄杓(○○)汲レ湯之具也、竹筒存レ節二寸許切レ之、横貫二竹柄一、以レ之扚二湯幷水一、檜杉柄杓(○○)檜物屋造レ之、
p.0576 湯柄杓(○○○)之事、口の纒り五寸計、深サも五寸計にして、えを一尺五寸計にする也、
p.0576 八日灌佛事
次親王以下進レ自二簀子一、入レ自二額間一、跪二机前一、搢レ笏膝行取二黑漆杓(○○○)一酌二東邊鉢水一、〈先酌二南鉢水一、盡時酌二北鉢一、〉膝行灌レ佛一杓、安レ杓退而禮レ佛一度、把レ笏左廻出レ自二初間一、〈○下略〉
p.0576 四月七日、〈○中略〉若臈散行、採レ華來、宿老龕邊打調日内莊二嚴佛龕一、佛前安排、殿主聚二採五木一、曉更煎取、入二淨鉢一、立二誕生佛一、置二兩杓(○○)一、香華供養、
p.0576 應永卅二年八月十一日丁丑、今夜釋奠也、〈○中略〉次主水官人供二手水一、〈酌二水於杓一、插二紙於木一爲二手力一、〉上卿懷二中笏一被レ洗レ手、次予插二笏於左腋前方一洗レ手、〈○下略〉
p.0576 秋の時候
番公の居ねむりはまだいゝが、湯汲の居睡るのがおそれるぜ、今時分はいゝけれど、冬寒くてがたがた震ふをもかまはず、小さな柄杓(○○○○○)でだらりだらりと汲やつさ、あんまり心いきがねへ、
p.0577 主貴人之御手水を掛候事、貴人之御手水をかけ候事、右の手にてひしやく(○○○○)のえの中程を持、左にて柄の末を持、たとへば御酌をとり候ごとくかまへて、少も水をかけきる事なく、さら〳〵とかけ可レ申也、左右順逆は其場の勝手次第なるべし、順とは貴人を我かたに見、左手にてひしやくのさきを取、逆とは主貴人を右の方に見奉りて、左手にてひしやくを深く取、右にてひ、しやくのえの末を取をいふ也、御ひぢの方へ深くかくれば御小袖に水かゝる事あるべし、尤心得べき也、〈○下略〉
p.0577 搔器(カイゲ)
p.0577 搔器(カイゲ)
p.0577 搔器(かいげ)
p.0577 搔器(かいげ)
搔器
p.0578 湯屋風呂ニテ進退ノ事、湯ヲ汲搔笥(○○)懸ル所へ添二左手一、手ニ湯ヲ添テ懸ル也、不レ添レ手バ湯飛汁(トハシリ)散、近處無骨ナル者也、〈○下略〉
○按ズルニ、搔笥ハ卽チ搔器ト同物ナルベシ、
p.0578 秋の時候
先刻風呂へ入たる俳諧師、水舟のわきにかゞみゐて、升(○)から直に水をうちかけて、坊主あたまをくる〳〵と廻しながら、氣味のよささうに、手であらひをる、
p.0578 湯語敎
從二朝暗内一來戸擲 打二晩五ツ一來桝擬(ますをあてがひ/○ )
p.0578 嗽茶碗(うがひちやわん)
p.0578 潄〈ウカフ〉
p.0578 鵜飼(ウガイ)〈嗽也〉
p.0578 鵜飼(ウカイ)
p.0578 笈埃隨筆ニ、五山にて、毎日早天に方丈より祖師前へ供膳あり、先拂曉に銅盤に湯 を入れ、手巾を添て奉る、其後白粥を供ふ、未明に至り齋飯調菜をよく煮、念を入て鹽梅し、輪番の僧に供し奉る、四季に衣服をも奉る也、されば俗間に早朝に起て手水し口漱をウガイといふは卯粥なり、事は佛氏に出、るとて、瑯鄒代醉編卷二十ニ、周朴唐末詩人、寓二於閭中僧寺一、假二丈室一以居、不二飮レ酒茹一レ葷、塊然獨處、諸僧晨粥卯食、朴亦携二巾盂一、厮二諸僧中一、畢レ飯而退、率以爲レ常トアルヲ例證トス、鼎〈○朝川〉謂フ、此説餘リ學問過ギタル考ナリ、烏鬼ヲ使フモノ鵜ヲシテ魚ヲ捕ラシメ、咽喉ヨリ下へ下サズシテ吐出セシム、今手水スルモノ湯水ニ口ヲ漱ギ咽喉ヨリ下ニ下サズシテ吐出スル、恰モ鵜飼ノ如クナレバトテ、鵜飼(○○)トイフ説ノ簡明朴實ナルニ如ズ、
p.0579 同御厨子黑棚かざりの事
同中の棚、〈○中略〉左は、〈○中略〉鵜飼天目(○○○○)二つそえてかざるべし、
p.0579 楊枝 温室經云、七物其六曰、楊枝、
p.0579 楊枝〈ヤウジ〉
p.0579 楊枝(ヤウシ)〈梵網之疏云、齒木也、〉
p.0579 楊枝(ヤウジ)
p.0579 黑モジ 山中ニ生ズ、〈○中略〉皮黑クシテ香氣アリ、故ニ是ヲ用テ牙枝(ヤウジ/○○)トス、皮ヲツケ用ユ、
p.0579 楊枝 所々劉レ之、其内下粟田口猿屋爲レ本、百本或五十本、入二桐筥並紙袋一、贈二遠方一、今自二四條京極一西至二祗園町一特多、其木自二河内國玉串村一出者爲レ良、豐前國立石之楊枝木爲二絶品一、各在二京師一、立石村、堂上萩原家領地也、
p.0579 用二楊枝一功能幷寸法アリト云、如何、〈○中略〉
次寸法事、三寸ヲ最小トシ、一尺二寸ヲ最大トス、其中間ハ可レ任レ意歟、諸經要集云、僧祇律云、極長十 六指、極短四指、以上、若无レ齒者、當レ用レ灰ト云云、今此四指ノ量ヲ三寸トスル事、倶舍ニ寄二一肘一ヲ、一尺八寸ト定テ、廿四指肘ト云リ、然バ四指ハ是三寸ニ當レリ、
p.0580 楊枝〈○中略〉寸法の事、僧祇律云、極長十六指、極短四指とあり、今此四指を三寸とするを、倶舍に一肘を舒て一尺八寸と定めて、廿四指肘といへり、然れば四指は三寸に當れり、最大なるは一尺二寸、最小三寸、其中は意に任すべしと、右は古代に定れる法也、今〈○文政年間〉四寸より六寸の間を用ふといへり、延寶に遊冶郎用る處のやうじ寸法かくの如し、〈(中略)古畫を見るに、寬永前後天和真享ごろ迄もやうじの大さ同じやうなり、〉
p.0580 白楊(○○) 本草喬木部ニアリ、京都四條邊コレヲ牙杖(ヤウジ)ニケヅリウル、又扇筥ニモコレヲ用ユ、故ニハコ柳ト云、葉ハ梨ノゴトシ、又桐ニ似テ小ナリ、實ハ椋ノ實ホドアフ、冬熟シテ紅ナリ、洛外處々ニアリ、筑紫ニテハ犬桐ト云、葉桐ニ似タレバナリ、又木理柳ニ似タリ、故ニ葉ハ柳ニ似ズトイヘドモ、中華ニテハ白楊ト云、京都ニテハハコヤナギト云、
p.0580 柳〈○中略〉
柳枝 去レ風消レ腫止レ痛、作二浴湯膏藥牙齒藥一、又其嫩枝削爲二牙杖一、滌レ齒最妙、
p.0580 贅柳(こぶやなぎ/○○) 正字未レ詳按、贅柳生二山谷一叢生、高五六尺、葉似二白楊葉一而花穗與レ柳無レ異、其木枝皆有二縱脹起一、剝レ皮如二堆文一、亦似二人肬贅一、故呼曰二贅柳一、木理濃美、可三以作二牙杖一、
p.0580 楊枝師 打楊枝、平楊枝、品々あり、木は、〈○中略〉加賀國越前よりいづるは、こぶある木なり、
p.0580 箕山大鑑に、楊枝は、こぶにて直なるよし、房かみたるを用、
p.0580 こぶとは、こぶ柳をいぶ也、
p.0581 黑モジ(○○○) 山中ニ生ズ、葉ハ漆ニ似テ、又榎ニ似タリ、葉ニ大小ノ異アリ、冬ハ葉落ツ、皮黑クシテ香氣アリ、故ニ是ヲ用テ旡杖(ヤウジ)トス、皮ヲツケ用ユ、
○按ズルニ、近世小楊枝ヲ作ルニハ、多ク此木ヲ用イルナリ、
p.0581 今牙杖に削り造る木、黑もじ、かんぼく、白楊等あり、黑もじは、木の高さ一丈許に至り、葉椎に似て鋸齒なし、春若葉の出る時黃花咲、秋丸き實なる榎に似たり、皮は色靑く、黑き斑あり
p.0581 楊枝 剔牙棒 齒木〈○中略〉
按、楊枝卽削二楊柳枝一抒(セヽル)二牙齒間一者也、桃枝(○○)亦佳、但有レ節者不レ可レ用、
p.0581 かんぼく(○○○○)、同書〈○大和本草〉云、肝木、漢名未レ詳云々、この木江戸にも處々にあり、葉は對生にして三尖なり、形楓葉に似て大さ一寸許、木はひよどり上戸に似たり、香氣あり、これには大和本草にも牙杖にするよしを云ず、
p.0581 疣をとる傅
杉楊枝(○○○)にて疣をなで、其やうじを黑やきにして、〈やうじに火をつけ、ちやわんにてふせ置べし、〉粉にして、胡麻の油にてとき、疣に付べし、
p.0581 楊枝〈○中略〉 世に傳へし天滿宮の御詠といふものにも、竹のやうじ(○○○○○)と見えしは、まことゝも、思はれねども、これらも、久しき諺にや、
p.0581 牙杖の原、竹をも用ひたう、然るに菅家神詠とて、みる石の面に物は書ざりき竹のやうじもつかはざりけり、と云る歌を傳へたるは、何ものゝさかしらなりけん、抑意義なき事ながら、そのかみさる俗習ありしにこそ、
○按ズルニ、本文ノ竹ノ楊枝ノ歌ハ、類聚叢林和歌集卷四十二ニ菅家御詠トシテ之ヲ擧ゲタ リ、以テ其古クヨリ世ニ行ハレタルモノナルヲ見ルベシ、
p.0582 古帳よりハ十八人口
今是のおかたの常住の風俗を見るに、〈○中略〉爐燵にむらさきぶとんをかけ、茶繻子の引敷、延の鼻紙に壼打のやうじ(○○○○○○)取添へ、たばこの火に、伽羅を燒かけ、せんじ茶を、臺天目にてはこばせ、手もとに源氏物語、いたづらに氣を移す事を、年中の仕事にして、〈○下略〉
p.0582 西鶴織留に、傾城が人の妻となりたる處に、延の鼻紙に壺打のやうじ取添云々、その繪に、今のふさやうじの形をかけり、食後には必是を用ひたる也、
p.0582 詠めつゞけし老木の花の頃
今年主水〈○玉島〉は六十三、半右衞門〈○豐田〉は六十六まで昔に替らぬ心づかひ、二人共に一生女の顏をも見ず、此年迄世を過しは、是戀道少人を好る鑑ならん、今もまだ主水を若年のごとく思ひつづけて、黑き筋なき薄鬢に、花の露をそゝぎ、卷立に結なすもをかし、氣をとめて見しに、此人は角を入たるよしもなく、生付の丸額、是ぞかし、不斷も以前を忘れずして、壼打の楊枝(○○○○○)手ふれて齒を磨くなど、髭をぬき捨、しらぬ人の見ては、かゝる分とはよもや思ふまじ、
p.0582 楊枝師 打楊枝、卒楊枝、品々あり、粟田口の猿屋ハ、玉串村の者なるによりて、其名高し、
p.0582 打やうじと云ひしは、今のふさやうじなり、平やうじ(○○○○)、今〈○文政年間〉もあり、平めにして、少しそりたるなり、茶菓子などに二本添て箸に用、むかしのは、大かた今の辨當箸よりも長しと見ゆ、
p.0582 一言聞身行邊
道行づくしの淨瑠利本、皮付の大楊枝(○○○○○○)、喜三郎が琢砂をたしなみ、〈○下略〉
p.0583 箕山大鑑に楊枝は、〈○中略〉皮付のやうじ(○○○○○○)凡卑なり、
p.0583 黑モジ 山中ニ生ズ、葉ハ漆ニ似テ又榎ニ似タリ、葉ニ大小ノ異アリ、冬ハ葉落ツ、皮黑クシナ香氣アリ、故ニ是ヲ用テ牙杖トス、皮ヲツケ用ユ、又ホヤウジ(○○○○)ト名ヅク、
p.0583 大和、本草にほやうじ(○○○○)とあるは、黑もじの皮付にて、草の穗に似たるをもていふにや、これ又たけ長きにて、今の爪やうじをいふにあらず、
p.0583 爪楊枝は、八文舍が色三線に、〈浮世男をいふ處〉こぎくの五つ折、爪楊枝を指こみ云々とあれば、此頃は小き楊枝も出來て、壼打などは懷中にもたざりしにや、
p.0583 寸法、人の好みによりて用ゆるにや、〈○中略〉近きころ〈○文政年間〉迄も、今のごとき小きやうじ(○○○○○)はなかりき、
p.0583 袖も通さぬ形見の衣
猿に袴を着て看板出し、夷橋筋に根本浮世楊枝とて、芝居若衆の定紋をうちつけ置しに、それぞれのおもはく其手に枕のかたらひ、及びがたき人、せめてば心睛しに、此絞やうじ(○○○○)を手にふれて、口中琢ける時は、戀の君が美舌をくはふる心ちのして、哀や氣をなやましぬ、
p.0583 西鶴大鑑にえびす橋筋に、根本浮世楊技とし、芝居若衆の定紋をうちつけ置しに云々とあり、其頃の俳諧集に、野郎の紋やうじ付合の句往々見えたるよし、柳亭子〈○種彦〉いへり、思ふに紋の模を作り、楊の木の軟なれば、その模を打たるものと見ゆ、
p.0583 花もしにふるまふ網の鯉一種 重賴
立よりてこそ三輪の杉の木
初瀨女をもてなす茶の子そぎ楊枝(○○○○)
なじまぬ中もふかき心中
p.0584 そぎやうじ、〈○中略〉これは杉の割木なるべし、
p.0584 遺誡幷日中行事〈造次可レ張二座右一〉
先起、稱二屬星名號一七遍、〈微音、其七星、貪狼者、子年、巨門者、丑亥年、祿存者、寅戊年、文曲者、卯酉年、廉貞者、辰申年、武曲者、巳未年、破軍者、午年、〉次取レ鏡見レ面、次見レ曆知二日吉凶一、次取二楊枝一向レ西洗レ手、〈○下略〉
p.0584 楊枝 やうじ
やうじ(○○○)をもて、齒を刺、口そゝぐ事、すでに天曆の比より見えたり、九條殿遺誡ハ、その比の物なるに、そのうちに見えたれば、そのまへつかたより有しことゝ見ゆ、
p.0584 八朝嚼齒木
毎日旦朝、須レ嚼二齒木一、揩レ齒刮レ舌、務令レ如レ法、盥漱淸淨、方行二敬禮一、若其不レ然、受レ禮禮レ他、悉皆得レ罪、其齒木者、梵云二憚移家瑟詫一、憚哆譯レ之爲レ齒、家瑟詫、卽是其木、長十二指、短不レ減二八指一、大如二小指一、一頭緩、須三熟嚼良久淨二刷牙關一、〈○中略〉亦旣用罷、卽可三倶洗棄二之屛處一、〈○中略〉近二山莊一者、則柞條葛蔓爲レ先、處二平疇一者卽楮桃槐柳、隨意預收備擬、無レ令二闕乏一、濕者卽須二他授一、乾者許二自執持一、少壯者任二取嚼一レ之、耆宿者乃椎レ頭使レ碎、其木條以二苦澀辛辣者一爲レ佳、嚼レ頭成レ絮者爲レ最、麤胡葈根極爲レ精也、〈卽蒼耳、幷截レ耳入レ地二寸、〉堅レ齒口香、消レ食去レ癊、用レ之半月、口氣頓除、牙疼齒憊、三旬卽癒、要須下熟嚼淨揩、令二涎癊流出一、多水淨漱上、〈○中略〉豈容下不レ識二齒木一名作中楊枝上、西國柳樹全稀、譯者輒傳二斯號一、佛齒木樹實非二楊柳一、那爛陀寺目自親觀、旣不レ取二信於他一、聞者亦無二勞致一レ惑、〈○下略〉
p.0584 一恒例毎日次第
抑御手水は、近代内侍内々供之、昔女官所レ獻也、今前後不定之間不レ用之、主水司供之、御手水女官舁レ之參立二御手水間前一、女官申二御手水まいらせ候はん一、女房あといふ、女官御楊枝二ヲ雙二指御簾一、まかりいたしまいらせ候はんといふ也、又女房あといふなり、
p.0585 もとんのつかさの御手水をまいる、女官案にすへてもちてまいる、はんざふ二、たらひの中のはんしうかねのうつは物二すへて、〈一には御てうづのこをいる〉御やうじ二ぐしてまいらす、〈○中略〉石ばいの壇に出おはしまして御拜あり、〈○中略〉御拜の程、内侍一人、ひろ日さしに候て、御てうづうるはしくまいらすおりは、女官御手水まいらせ候んと二聲申す、女房あといふ、女官御楊枝二をみすにさして、まかりいだしまいらせ候と二こゑ申す、女房又あといふ、
p.0585 久壽三年正月三日乙巳、早旦着二束帶一、先參二殿下一、〈○藤原忠通〉御手水番人人七八許輩參會、〈皆衣冠○中略〉次殿下出御、有二御手水事一、其儀、〈○中略〉次高佐持二參御手巾筥一、〈御手巾布二切帖入之、其上居二御漬粉土器一、其上安二御楊箸(○○)一筋一、○中略〉次殿下召二御楊箸(○○○)一、
○按ズルニ、楊箸ハ卽チ楊枝ナラン、
p.0585 朔日、早朝ニ公方樣御行水メサレテ以後、御手水ノヤク人、直垂ニテ致二出仕一トキ、足利ヨリマイル御年男御手水ヲ楾盥ニ入テ、御ヤウジ御手カケニ置テ、御中居マデ持テ參ル時、役人請取、御前ノ次ノ御座六間ニヒガシムキニ置申時、上臈樣御持有テ、御手カケアル也、御陣之時ハ、役人緣塗小具足ニテ參リ、直ニ懸ラル、其後大御所樣御方、〈○足利持氏〉御所樣〈○足利政氏〉へモ役人參リ、御手水ヲ調進、上二日、三日、七日、十五日同前也、
p.0585 朝起ては、齒をよく磨、楊枝をもて、齒の間の滓を去るべし、
又楊枝をふかくつかひ、又くせになりて無用の時にやうじをつかふ人あり、甚だ齒を損じてあしゝ、
又楊枝にて舌の上の滓をなでさり、食事の後は湯か茶を口にくゝみて、齒の間に挾たる食物の滓を吐去べし、
○按ズルニ、楊枝ヲ以テ舌上ノ垢ヲ去ルコト、我ガ邦ニテハ、楊枝ヲノミ用イテ、別ニ刮舌刀ヲ バ作ラザルナリ、然ルニ佛家ニテハ古クハ別ニ作リテ、楊枝トハ其用ヲ異ニセリ、但シ時ニ或ハ楊枝ヲ擘キテ刮舌刀ノ代用ニシタルコトモアリ、其詳細ハ、左ニ掲グル文ニ據リテ見ルベシ、
p.0586 雜撻度之三
時諸比丘、舌上多レ垢、佛言聽レ作二刮舌刀一、彼用レ寶作、佛言不レ應レ爾、聽レ用二骨牙角銅鐵白鑞鉛錫舍羅草竹葦木一、彼不レ洗便擧、餘比丘見惡レ之、佛言不レ應レ爾、應レ洗、彼洗已不二曬燥一、便擧生レ壞、佛言不レ應レ爾、
p.0586 晨起嚼二楊枝一竟須レ刮レ舌者、佛聽下用二銅鐵木竹葦一作中刮舌刀上是名二刮舌法一、
p.0586 八朝嚼齒木
毎日旦朝、須レ嚼二齒木一、楷レ齒刮レ舌務令レ如レ法、〈○中略〉用罷擘破、屈而刮レ舌、或可下別用二銅鐵一作中刮舌之箆上、或取三竹木薄片如二小指面許一、一頭繊細、以剔二斷牙一、屈而刮レ舌、勿レ令二傷損一、
p.0586 女中よろづくいやうの事
一餅は、楊枝にさしてくふべし、又手にてつまみてもくふべし、
一眞桑瓜くふ事、たてに四つにわり、楊枝をそへ、さらに入出べし、楊枝をとり、瓜の中こをこきすてゝ、楊枝にさしくひ給ふべし、
p.0586 女鑑〈寬永前後の書慶安三年板〉くわしのこと、御すはりなば、まづやうじをとり給ひて、つかはれ候はゞ、をとこのやうに、やうじを折ちれ候まじく候、又やうじもちやうの事、大りやく、ゆび二つにてもたれ候、又くわしをもまいり給ふべし、
○按ズルニ、慶安ノ頃ニ在リテハ、男子ハ楊枝ヲ一タビ使ヒテハ、直ニ之ヲ折リテ捨テタルモノト見ユ、其原ハ佛家ノ説ニ據リタルモノナルベシ、左ニ其本説ヲ掲ゲテ、參考ニ供ス、
p.0586 護淨緣 五分律云、嚼已、應二洗棄一レ之、以レ恐二蟲食死一故、又三千威儀云、用二楊枝一有二五事一、一斷當レ如レ度、二破當レ如レ法、三嚼レ頭不レ得レ過二三分一、四梳齒當二中三齒一、五當二汁澡一、自用二刮舌一、有二五事一、一不レ得レ過二三反一、二舌上血出當レ止、三不レ得三大振手汚二僧珈梨若足一、四棄二楊枝一莫レ當二人道一、五當レ著二屛處一、
p.0587 八朝嚼齒木
毎日早旦須レ嚼二齒木一、〈○中略〉亦旣用罷、卽可三倶洗棄二之屛處一、凡棄二齒木一、若口中吐レ水、及以洟唾、皆須二彈指經レ三、或時謦欬過一レ兩、如不レ爾者棄、便有レ罪、
p.0587 世につかひたる楊枝は、折て拾べし、若をらで打遣る時は、恠ありともいひ、又楊枝がくれなど、みな女童べのいふこと也、按るに、似せ物語〈寬永の草子〉男けいせいに知音して、卽時もはなれず有わたるに、いたづらものになりぬべければ、終に知音はなるべしとて、この男いかにせん、吾かのさまよせ給へと、佛神にも申けれど、いやまさりてよせざりつゝなほわりなくいとすげなうあひしらひければ、御楊枝かるたなどつゝみかきつけて、もはやかはじといふせいもんとをたてゝなむあひける云々と有、そのことわきまへがたけれど、これをもて誓に立る遊里のならひありしと見ゆ、されば楊枝に靈あるやうにいふこと、久しき俗傳と見ゆ、その原は上に引る寄歸傳の文に、やうじは人氣なき處に棄るに、欬(シハフキ)つまはじきなど種々の法あり、然せざれば、罪ありといへる事を附會していひ出し事と知らる、世話盡〈明曆二年板〉戀部に、〈○中略〉片見楊枝とあれば、件の物語のかるた楊枝は、かたみとして贈り、重ねて逢まじき意にて、楊枝に靈あるのよしにあらじ、
p.0587 食物の作法
一楊枝をつかふ事、さきをみじかく持て、口に手をかざすごとくにして、脇へむきてつかひ、はな紙を取出し、口を拭ひ、楊枝をふところへ入るなり、
p.0588 注進眞言院用途物事
楊枝卅枝〈○中略〉
嘉承三年正月 日
p.0588 眞言院後七日御修法用途物等事
楊枝卅枝〈○中略〉
仁平三年閏十二月
○按ズルニ、本文ノ楊枝ハ、衆僧ノ漱口用ニ供スル料ナルベシ、
p.0588 栂尾上人物語事
或遁世ノ長齋ノ上人、河内國へ請用シテユク、七里ノ道ヲ冬ノ日、時以前ニオハシマセト請ズ、イト道モアユマヌ馬ニノリテユクニ、クモリテ日影モ見エ子共、ハルカニ日タクテ覺ケレバ、今日ハ日サガリヌラントイフニ、檀那イマダ午時ニテゾ候覽トテ、種々ノ珍物ヲ以テ齋イトナミテスヽム、本ヨリ食者ナレバ、カヒ〴〵シクヲコナビ、食後ノ菓子迄至極セメクヒテ、楊枝ツカフニ、鐘ノコエキコユ、〈○下略〉
p.0588 小野木家妻女〈幷〉かちんの事
一細川幽齋侯の和歌の門人に、小野木縫殿助言郷といふ人あり、丹州福智山の城主たり、〈○中略〉或日和歌の會を催す、其連中は小川土佐守、熊谷大膳亮、宇田下野守、木村宗八郎等なり、〈○中略〉程なく歌始りて、食事時分に至りしかば、年の頃四十計の女、さもけなげなるが、翠簾の外に手をつかへ、今日の御客來に饗應奉るべき品なし、如何はからひ申さんと有りしに、妻女とりあへず、短冊に歌を書きて出だされけり、折節春雨の降りければ、
月さへも漏る宿なれば春雨のふるまふ物もなかりける哉 やゝ有りて黑く燒きこがしたる餅を、反故につゝみ、杉楊枝(○○○)を添へて、引かれしとぞ、
p.0589 佐倉少將利勝朝臣大老たりし時、或國君執政たちに請れるは、近日茶をすゝめたく候、御出下さるベく候やと申されしかば、朝臣を始、各一向に、是は興ある事に候、某日皆可レ參と約束有けり、〈○中略〉當日に及て、老臣達うちつれて行れければ、主人門内に迎て、辱よしを述、書院に招じ、やがて數奇屋に八られけるに、小き重箱にかいもちひ五つ入、ふたの上に楊枝をそへて出されけり、
p.0589 大嘗會
卯日〈○中略〉皇上召二御手水一〈女藏人傳供、近例頭藏人奉之、○中略〉 次十姫十男以レ次參入、列二居於中戸南一、 次八姫之中二人相分其舁二海老鰭槽一置二御前短帖一、
已上一姫留候
一姫歸取二楊枝筥(○○○)一、授二留姫一、姫取之置二槽南邊一、
p.0589 こぎくの五ツ折爪楊枝(○○○)を指こみ、〈○中略〉
男女ともに楊枝さし(○○○○)と云もの、昔はなく、はながみの間に入るまでなり、賤の小手卷に、やうじさし、大かた女の拵へたる切封じの手紙にしたるやうじ指なりしに、次第に色々の工夫して、黃土佐紙にて、小く拵へたる有、又折居にして疊むやうにしたるもあり、とかくいやみなく辨理なるかたになりたり、かく云へるは、寬延頃なり、是にて楊枝も小くなりしを知る、
p.0589 賤小手卷、はな紙袋、昔は一ツ口にして脇入を入口のかぶせに銀の大なる平がなものさま〴〵物ずきして打たり、それを紫のふくさに包み、胴じめに眞田の廣きを廻し、銀の平き輪かなものをはめ、緖じめの如くしめ、其先に落し巾著を付て、内懷へ入て持たり、はな紙別に其儘入るか、又ははながみさし、はな紙押へとて、きれにてうすく拵へ、挾みて入たり、右のはなが み袋は、今に女の用ること替ることなし、其後、三德といふものはやり、今なほ是を用、はながみさしも、色々工夫し、中に一ツ淺き口を付、楊枝などを入(○○○○○○)、是を田沼懸(○○○○○)と云り、
p.0590 楊枝師 粟田口の猿屋は、玉串村の者なるによりて、其名高し、猿屋楊枝といふいはれ、からの猿は、齒あかくかほ白し、日本の猿は、齒しろきゆゑに、楊枝の看板(○○○○○)たり、
p.0590 商人世帶形氣二楊枝屋の看板のさる見るやうに守つてゐてなど云り、
p.0590 袖も通さぬ形見の衣
猿に袴を著て看板出し、夷橋筋に根本浮世枝楊とて、芝居若衆の定紋をうちつけ置しに、〈○中略〉世に又世をわたる業程悲しきはなし、道頓堀の眞齋橋に人形屋の新六といへる人、手細工に師子笛或ひは張貫の虎、またはふんどしなしの赤鬼、太鼓もたぬ安神鳴、これみな童子たらしの樣に拵へて、年中丹波通ひして、そのもどりには、竹の皮荒布に肩替て、しづかなる心なく、元日より大晦日まで、夫婦の口過ばかりに、去とはせはしく、橋一つ南へ渡れば、常芝居のあるに、つひに見た事もなし、燈臺本油の耗(へる)をなげき、始末心より是なり、此人ある時道に行暮て、里遉く村雲山も時雨もよほして、風は松を噪がせて次第に淋しくなれば、やう〳〵子安の地藏堂に立寄て、寒き一夜を臥しぬ、旣に夜半と思ふ時、駒の鈴音けはしく耳驚かし、旅人かと立聞せしに、形も見えずして、御聲あらたにお地藏〳〵と呼給ひて、今夜の産所へ見舞給はずや、丹後の切戸の文珠じやとのたまへば、戸帳のうちより、今宵は思ひよらざるとまり客あり、役々の諸神諸佛によきに心し給へといひ別れ給ひ、其夜の曉方に又文珠の聲し給ひて、今宵五畿内ばかりの平産一万二千百十六人、此内八千七十三人娘なり、中にも攝津國三津寺八幡の氏子、道頓堀の楊枝屋に願ひのままなる男子平産せし、〈○中略〉と先を見開きての御物語、あり〳〵と聞しに、程なく常の夜も明白み、新六地藏堂を起別れ、丹波より難波に歸りて見しに、南隣楊枝屋に日も時も違はず男子産出し て、今日六日とて親族集り、はじめて髮垂る祝言より、此子はそなはりて野郎下地なり、仔細は今からさへ鬢付の色濃く、首筋髮際まで、此美しみならびなき太夫になるべしと、なほ嬰兒總角の比よう朝暮大事に掛て育てける程に、〈○下略〉
p.0591 西鶴大鑑〈七〉猿に袴をきせ、楊枝屋の看板とすることをいへり、齒の白きにとるにや、
p.0591 新材木町南通〈北ハ新材木町ゟよし町まで〉 此町筋商家大概
材木 竹や よしすや もとゆい やうじ(○○○)〈○中略〉
御堀はた通〈南ハ數寄や橋より、北へ鎌倉河岸迄、〉 此町筋諸職商家やうじや(○○○○)
p.0591 金龍山淺草寺 楊枝店
境内、楊枝を鬻く店甚多し、柳屋と稱するものをもて本源とす、されど今は其家號を唱ふるもの多く、竟に此地の名産とはなれり、
p.0591 淺草楊枝店始原
寬永の頃は、店をかまへず、ちいさき長櫃やうのものゝうへに、茶筅と楊枝をならべおきて賣けるよし、其頃の者十餘人、今に楊枝をあきなひて、櫃親といふ、〈或云役店〉これ櫃の上にて物を賣たる證の今に殘れる也、今觀音堂におきて、追儺をおこなふ時、鬼に扮するは、彼櫃親等のつとむる古例なりとぞ、〈以上、淺草菴主人(大垣市人)彼ひつおやのうち、古老のものゝ説なりとて、ものがたりき、〉
p.0591 江戸にて、楊枝商人の多きは、淺草寺境内に勝る處なし、此商人古くより有しとなむ、昔は茶筅と楊枝を櫃のうへに幷べ置て賣たりとぞ、是寬永頃よりありしものといへるはおぼつかなし、
p.0591 應安五年二月十二日、赴二長壽寺府君光伴之筵一、官伴管領及弟侍中愛甲三品、僧壁少室 主人古光而已、其壁次三品話、嘗宿二京之今熊野一、山伏者某爲二某女人一祈二邪氣一、女人口吐二出鐵釘一、又吐二出一物一、乃楊枝(○○)幷眉造者、以二其女人手書和歌故紙一而纒レ之、稍見二其物一、逡巡而從去、
p.0592 おかし大けいせいやありけり、〈○中略〉かく片時もはなれず、有わたるに、いたづらものになりぬべければ、終に知音はなるべしとて、このおとこ、いかにせん、吾かのさまよせたまへと、佛神にも申けれど、いやまさりてよせざりつゝ、なをわりなく、いとすげなうあひしらひければ、御楊枝かるたなどつゝみ、かきつけて、もはやかはじといふせいもんをたてゝなむあひける、
p.0592 此道にいろはにほへと
やう〳〵西日になつて、樽は口せず轉(こか)し、水風呂の湯もすて、久三もとりまはし賢く仕舞へば、女は噪しく木綿足袋をぬぎて袂に入、銀の筓を楊枝にさしかへ、櫛も鼻紙袋にをさめ、紅の脚布を内懷にまくりあげ、上着の衣裏をかなしみ、首筋をとりのけ、木枝に掛置し木地笠をとり〴〵に、いそぐや暮の面影、
p.0592 螢も夜は勤の尻
きのふは田含侍のかたむくろなる人に、其氣に入相ごろより夜ふくる迄、無理酒にいたみ、けふはまた七八人の伊勢講中間として買れ、〈○中略〉楊枝つかはの(○○○○○○)口をちかく寄られ、木綿のひとへなる肌着身にさはりておそろしきに、革たびの匂ひ寵りて鼻ふさげば、〈○下略〉
p.0592 楊枝杉(○○○)〈同所(麻布)に有、これも親鸞上人のさし給ふのよし、山中に有て、岩の中より生じたる木也、〉
p.0592 淨齒木
慈恩傳〈卷三、四ノ右、〉從レ此東行五百餘里、至二鞞索迦國一云々、其側又有二如來六年説法處一、有二一樹高七十尺餘一、昔因二佛淨齒木棄一、其餘枝遂植根繁茂、至レ今邪見之徒、數來殘伐、隨伐隨生、榮茂如レ本、 今案に、淨齒木は卽ち楊枝なり、國朝にも古人宿德の楊枝箸などの生付て、今大木となれりといふ 事、所々に多くいふ事なり、和漢同日の談なり、
p.0593 はだへにそはゞいかに若衆 素仙
楊枝共扇共身はつかはれて
p.0593 ひる狐かやまたは狸か 貞德
眞白にけはふ女の高楊枝(○○○)
きれいなりける芋のはの露 慶友
我妻の楊枝をつかふ口の中
p.0593 一句ニ付句百五十句 德元
有馬山湯には楊枝をつけ置て
p.0593 餅屋の看板
花紋日〈京保十四年印本言石撰〉
白糸餅(やせうま)に楊枝のむちや峠茶屋
p.0593 一言聞身行邊
道行づくしの淨瑠利本、〈○中略〉喜三郎が琢砂をたしなみ、〈○下略〉
p.0593 みがき砂〈○中略〉喜三郎が琢砂といふ事、諸艶大鑑に見えたるは、難波にて其頃の聞えたるものと見ゆ、
○按ズルニ、琢砂ハ卽チ齒磨粉ナリ、而シテ正德ノ頃ニハ、難波ニテ喜三郎ト云フモノヽ作レル齒磨粉ヲ珍重シタリト見エタリ、
p.0593 世話盡、白雪や山のはぎはのみがき砂(○○○○)、楊枝につらく似たる谷口、食籠を狩場の末に開かせて、
p.0594 俗呪方
養齒方 黑き蛤(ハマグリ)の肉を去、その一隻の貝へは鹽をつめ、亦一隻へは飯をつめ、合して火中に投じ、燒果て後搔出して搗碎き、毎朝これを以て齒を磨けば、よく口熱を去て、老後に齒の脱ること稀也、もし蛤の黑きを得ざるときは、靑竹の節をとめて、五六寸に截とり、筒の中へ鹽をつめ、筒ともに燒て搗碎きたるもよし、亦翠實(マツノミドリ)をとりて、ごれを鹽に和て、霜(クロヤキ)とするを松葉鹽(マッハシホ)といふ、しかれども蛤の功、竹と松とに勝れり、
p.0594 みがき砂 すべて香具屋にて賣しなるべし、江戸鹿子に、齒藥幷はぬき、〈竹川町〉入齒師安藤安志、〈日本橋通三丁目〉小野玄入、〈源助町兼康祐玄〉とあり、これらの家にても賣たる歟、〈○中略〉漢土には是を白齒藥と云、博聞類纂〈十一〉磁器を洗ふ法に、用二白齒藥一擦則光澤とあり、風來山人が齒みがきの報帖(ヒキフダ)は、おかしく書るひきふだの始なり、〈下手談義にもおかしき引札あれども、これはそらごとを作りたる也、〉
江戸には、常に房州砂を水飛して、龍腦、丁子など加へて、諸州にも白砂又白石等を粉となし、又は米糠を燒て用るもあれど、房州砂には及ばず、故にみがき砂は、江戸にまさるものなし、