https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 燈火具ハ、燈燭ニ必要ナル器具ヲ謂フ、其類ニ燈臺アリ、燈籠アリ、燭臺アリ、行燈アリ、提燈アリ、紙燭アリ、蠟燭アリ、松明アリ、篝アリ、火鑽アリ、燧アリ、而シテ燈火ノ原料タル膏、油、薪、炭等ノ如キモ亦類ヲ以テ此ニ附載セリ、
燈臺ハ、音讀シテトウダイト云フ、燈盞アリテ油ヲ盛リ、燈心ヲ、加ヘテ點火ス、燈心ヲ鎭スルニ燈〓アリ、燈盞ヲ承クルニ燈械アリ、燈械ヲ承クルニ臺アリ、臺ノ高キヲ高燈臺ト云ヒ、低キヲ切燈臺ト云ヒ、削リタル木ヲ以テ、立鼓ノ如クシタルヲ結燈臺卜云フ、
燈籠ハ、トウロウト云フ、竹木ヲ珱テ籰ヲ作リ、或ハ金屬ヲ以テ骨ヲ作リ、紙又ハ布帛ヲ張リテ、柱或ハ軒端ニ懸クルナリ、別ニ金又ハ石ヲ以テ作リ、專ラ屋外ニノミ用イルモノアリ、
行燈ハ、アンドウト云ヒ、提燈ハテウチント云フ、其用各〻古今ノ差異アリトノ説アレド、今ハ行燈ハ、油火ヲ點ジテ屋内ニ置キ、提燈ハ、蠟燭ヲ點ジテ夜行エ用イル、
紙燭ハ、布ヲ用イ、又ハ松杉等ノ木ヲ削リ、油ヲ施シタルモノアリ、
蠟燭ハ、紙捻ニ燈心ヲ纏ヒテ燭心トシ、油ニテ蠟ヲ煉リテ、數次其心ニ塗リ附クルナリ、其麁惡ナルハ蒹葭ノ條ヲ以テ心トシ、蠟ニ他物ヲ混ジテ作ルナリ、
松明ハ、ツイマツ、又ハタイマツト云フ、松枝ヲ割リテ條トシ、數條ヲ束子タルモノニテ、篝ハ 木ヲ燃シテ夜ヲ照スモノナリ、
火鑽ハ、木ヲ鑽リテ火ヲ出スヲ云フ、之ヲ切火ト云フ、燧ハ金石ヲ打チ合ハセテ、火ヲ出スヲ云フ、之ヲ打火ト云フ、
膏、油ハ、並ニアブラト云フ、動物ヨリ取ルヲ膏ト云ヒ、植物ヨリ取ルヲ油ト云フ、又天然ニ産スルモノアリ、石腦油ト云フ、膏油ハ燈火ノ用ニ供シ、食料ニ用イル等、其用甚ダ廣シ、而シテ頭髮ニ用イルハ、容飾具篇髮油條ニ載セ、藥物ニ用イルハ、方技部藥方篇ニ載セタリ、參看スベシ、
薪ハ、タキギト云フ、焚木ノ義ニテ、之ヲ竈、爐等ニ用イテ、燃料ニ充ツ、故ニ又力マギト云フ、炭ハ、多ク櫪、楢等ノ木ヲ炭竃ニテ燒キテ作リ、火ヲ點ジテ暖ヲ取リ、又物ヲ煑ルニ用イル、

名稱

〔新撰字鏡〕

〈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 炬苣〈同巨音丞也、太比、又止毛志火(○○○○)、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 燈燭 四聲字苑云、器照曰燈、〈音登〉竪燒曰燭、〈音屬、和名並度毛師比、〉野王按、燈燭、蘭膏所燃之火也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 祭統注、鐙、豆下跗也、急就篇、鍛鑄鉛錫鐙錠鐎、顔師古注、鐙、所以盛膏夜然燎者也、其形如杆、而中施釭、有柎者曰錠、無柎者曰鐙、柎謂下施一レ足也、王念孫曰、鐙之形狀、略如禮器之登、故爾雅瓦豆謂之登、郭注云、卽膏登也、段玉裁曰、豆之遺制、爲今俗用燈盞、説文、燭、庭燎火燭也、〈○中略〉所引文、今本玉篇無載、楚辭招魂、蘭膏明燭、華磴錯些、

〔東雅〕

〈八/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 燈燭トモシビ 令義解に、油火爲燈、蠟火爲燭也と見えたり、〈○中略〉トモシビとは、万葉集に留火としるせり、卽是也、其光を留て消ゆる事なからしむるの義也、〈トモとはト厶の轉語、卽留也、シとは詞助也、ヒは火也、俗に火をトモスなどいふ、卽是義なり、〉

〔倭訓栞〕

〈前編十八/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 ともしび 燈火をいふ、靈異記に燭もよみ、万葉集に留火と見えたり、竹のとも しびは佛名によめり、燈きえんとて光をますといふは、列子に燈將滅者必大明と見えたり、

〔令義解〕

〈一/職員〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 主殿寮
頭一人掌〈○中略〉燈燭〈謂油火爲燈(○○○○)、蠟火(○○○○)爲燭也、○中略〉事

〔倭名類聚抄〕

〈十三/伽藍具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 燈明 大般若經云、上妙花鬘乃至燈明、〈和名於保美阿加之〉

〔倭訓栞〕

〈前編三十/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 みあかし 日本紀に燃燈をよめり、佛家にいへり、倭名抄に燈明をおみあかしと訓ぜり、

燈臺/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 燈臺 本朝式云、主殿寮燈臺、

〔饅頭屋本節用集〕

〈土/財寶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 灯臺(トウダイ)

〔倭訓栞〕

〈中編十六/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 とうだい 延曆儀式帳に燈提と書り、本朝式の燈臺と同にや、結燈臺(○○○)、菊燈臺(○○○)、高燈臺(○○○)、切燈臺(○○○)などいへり、

燈臺製作

〔延喜式〕

〈十七/内匠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 燈臺四基、料漆一升二合、絹一尺、綿六兩、細布一尺、掃墨四合、燒土五合、單功十二人、

〔類聚雜要抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 燈臺
高三尺二寸
太所長八寸
徑一寸一分
太所長五寸徑八分
土居弘八寸八分厚八分
油坏金銅
口徑三寸五分
長三寸四分(一イ)
金銅鉸
搔上料
三寸半板二尺四寸
檜三尺五寸
木造料
塗料
金物

〔寸法雜々〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 とうだい
高さ壹尺九寸六分、くもでのしたかどゝ板つきの座の間は八寸、中くもでの座三寸なり、

〔宗五大草紙〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 殿中さま〴〵の事
一女中方にとぼされ候御燈臺、是も繪にあるごとく、燈臺あぶらつぎ、すゑ物、うちをば白くぬり、外はこくしつにぬりてまきゑ候、ふくりんはめつきさし候、立候柱もつかうのごとくゑり入て、黑ぬりまきゑあり、かはらけのすはる所、あかゞねにてまろくわをして、めつきをさす、三がなわにあしのやう成をもつかうなり、成臺にたてゝ、其上にかはらけをすへ候、柱の下の臺ももつかうにて、まんぢうなりに候、

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 一燈臺は木にて作り、うるしにてぬる、白木にもする也、形は燭臺の如く也、但油盞を、置く所と下の臺はもつかう形にして、こうもり高にする也、條々聞書にみえたり、燈臺には油火をとぼす也、燈臺は本式也、燭臺は略儀也、〈○下略〉

燈臺種類

〔源平盛衰記〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 八牧夜討事
景廉ハ、〈○中略〉緣ノ上ヘツト上〈リ〉侍〈ル〉ヲ見入タレバ、高燈臺(○○○)ニ火白〈ク〉搔立タリ、

〔眞俗交談記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 〈建久二年九月十日自十至甲同日夜今記之〉
資實云、孔雀經御修法記錄云、伴僧經机前、各三木丁一脚、置燈器、高二尺許云々、蓮臺寺僧正記也、餘師多分用小燈臺(○○○)、又云、人記錄皆小燈臺也、或陳座三木丁、又後七日、香水机三木丁、〈眞言院建立之〉此外无之如何、覺成僧正云、古樣用三木丁事勿論也、雖然近來皆用小燈臺尤宜云々、

〔類聚名物考〕

〈調度十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 切燈臺(○○○) きりとうだい
思ふに燈臺は高く、切燈臺はひきゝなり、執筆の前に置は、もの書事の便りによければなり、

〔枕草子〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 きよげなるおのこのすぐろくを、日ひとひうちて、猶あかぬにや、みじかきとうだい(○○○○○○○○)に 火あかくかゝげて、かたきのさいをこひせめて、とみにもいれねば、どうをばんのうへにたてゝまつ、

〔枕草子〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 みじかくてありぬべき物
とうだい

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 文治三年二丹九日辛巳、此日内府〈○藤原良通、〉始有作交事、〈○中略〉諸大夫持參切燈臺、立内府座上

〔鹿苑院殿御元服記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 御祝儀式次第〈○應安元年四月朔日、足利義滿元服、中略、〉
掌燈二執燭役無之、切灯臺、〈高一尺五寸、白文松鶴、〉

〔普廣院殿御元服記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 一正長二年三月九日、〈乙卯、亥刻、〉御元服、〈○足利義敎、中略、〉切燈臺、〈高一尺五寸白紋松鶴、〉高燈臺八本、〈白文同、金物譽白、〉

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 一むすび燈臺(○○○○○)の事、是は禁中にて公事、〈○註略〉を行るゝ時、其司の座の前にとぼす燈臺也、細く丸く削りたる木を、立鼓の如く立て、其上にかはらけを置て油を入れ、火をともす也、繪圖左の如し、
結燈臺寸法、柱の長サ二尺五寸五分、小口丸ノ經上ニテ四分、下ニテ六分、又ハ上ニテ四分半、下ニテ六分半ニモスル也、足ノ開一尺八寸程ヅヽ也、
麻繩太サ三ツグリ是程也 柱三本柳ノ枝白木
此間四寸三分
此繩二重廻シ結也、三本ノ柱ヲユルク結置テ、立ル時右メグリニ順ニ子ジルナリ、
穴ノ下六分
男結ナリ、結止ハ柱ノキハニテ切也、

〔延喜式〕

〈三十六/主殿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 新嘗會供奉料〈○中略〉
燈樓九具、盤形燈臺(○○○○)三基、並隨損請替、

〔蒹葭堂雜錄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 和州郡山の鴻儒谷口元淡老の製せられし圓燈(○○)あり、其製式に云、
上下圓捲小板建三柱接之、別如前式少大、而牝牡之半面各貼紙、下製圓臺牡者、其牝回旋如輪藏樣闔、則柱々相對、開則重複、上鉤鐵鉉之、架細鐵梃於牡之兩柱、擎出鐵環、載缸起植鐵牙燭臺、設抽匣而施小環、内納燈心發燭之屬、臺柱鐵器皆漆焉、上下板相去壹尺八九寸、下板去臺二寸許、臺高二寸餘、圓徑九寸左右、 沙門英辨書

〔阿彌陀院寶物目錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 白銅燈臺(○○○○)一基〈高三寸六分、足三、〉

〔大館常興日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 天文十年二月廿六日、爲御使祐阿來入、〈○中略〉御番所の燈臺の樣體もと〳〵趣同被下之、仍御返事言上、〈○中略〉御番所燈臺は、むかし花御所御時分は、こくしつ金物(○○○○○○)〈幷〉臺有之と存候、たしかにおぼへ不申候、小川御所〈○足利義尚〉已來は、白木の御とうだい(○○○○○○○○)と存候、將又小川御所御番所は、四間の御座敷にて、そのおくのかたに、又御座所候に、御茶のゆさせられ候て、御番衆御茶被給候つる、その御ちやのゆの所には、たんけい(○○○○)と存候、花御所御番所はひろく御ざ候て、やがて其御座敷に、御茶のゆさせられ候、然間べちに又火をとぼさせ候に不及候也、此趣共しるし申上也、

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 短檠(タンケイ/○○)

〔饅頭屋本節用集〕

〈太/財寶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 短檠(タンケイ)

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 燭臺〈(中略)短檠○中略〉
燈檠(○○)、其短者名短檠、今制加鐶於上、爲油盞蠟燭兩用

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 一短檠と云は、燈臺の短きを云也、長きをば長檠(○○)と云、總名をば燈檠と云、燈臺の事也、

〔宗五大草紙〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 殿中さま〴〵の事
公方樣御寢所には、御たんけいにともされ候、あぶらつきあかゞね、必下かはらけに水いるべし、御たんけいの臺に油入候、手がめとうしゆみ以下入申候、

〔翁草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 當代奇覽と題せるものに、あらゆる雜談有り、十が一爰に拾ふ、
一古老の物語に、今の世に有る諸器之類、いにしへより皆有る事の樣におもへども、左には非ず、〈○中略〉短檠は利休時代ゟ有、古は皆蠋臺に土器を乗せたり、古代の繪に有る通也、靈山長嘯子竹檠の歌とて、
をしむともやゝくれ竹の燈は世々の玉づさ猶てらせとや

燈臺用法

〔延喜式〕

〈三十六/主殿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 新嘗會供奉料〈○中略〉 燈臺二基〈○中略〉
十二月晦夜供奉内裏幷大極殿豐樂殿武德殿儺料等雜物、〈○中略〉燈臺八十基、〈紫宸殿幷御在所料○中略〉
十二月晦夜官人、當日晩頭率吏生殿部今良等、大内前庭、東西相分立燈臺、〈各相去八尺〉隨卽燃燈、〈○下略〉

〔大饗雜事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 一燈臺十四本〈首書、寬治記云、尊者前一本、宰相座末一本、辨座末一本、打敷諸大夫行之、〉
〈延久記云、公卿座上下、上東第五聞立之、依主人御座也、下逼机立之、弁少納言座上下、上逼庇巽角柱立之、爲奧座雜役之路也、下逼机立之、上官座上下、上逼、長押之、爲祿事座也、下逼机立之、〉
打敷十四枚料絹十四丈〈一疋六丈也、枚別一丈、〉 金銅盞 六口 同盤 六枚 同箸 六〈金輪鋏〉 此外差油料六具許可意之

〔日中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 ひるの事どもはてぬれば、所々の掌燈す、〈○中略〉朝餉はまづ燈ろにともして、藏人内へまいりて、格子おろして後、内の切燈臺にうつす也、御手水の間に一、臺盤所一、〈みな高とうだい〉その外所々つねのごとし、

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 大將あるじの事
火をともす事は三人のやくなり、とうだいにあぶらつきすへて、もつことさらにすべからず、まづうちしき、次にとうだい、あぶらとよるべし、さしあぶらによらんには、ともしてもちて、もととうだいにあるにすへかへて、もとのをとりてかへれ、ひれくはへなどすることなかれ、うるはしくはかねのあぶらつぎなり、かねのはさみとて、さいしのやうなるものを、かきあげきにはぐしたるなり、

〔古今著聞集〕

〈十九/草木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 嘉保二年八月廿八日、上皇鳥羽殿にて前栽合ありけり、〈○中略〉右方の人々參りて灯臺をたつ、かねての仰によりて、風流幷にかずさしの具はとゞめられけり、然而灯臺など美麗にて銀のさちをすへたりけり、

燈臺具/燈盞

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 燈盞 唐式云、毎城燈盞七枚、〈燈盞、和名阿布良都岐(○○○○○)、〉

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 燈釭(アブラザラ/○○) 燈盞(同)

〔東雅〕

〈八/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 燈燭トモシビ〈○中略〉 倭名鈔に、〈○中略〉燈盞讀みてアブラツキといひ、燈械讀む事、字音の如くにして、所以居燈盞也と注したり、〈アブラツキといふ、アブラとは沺也、ツキとは古俗凡袴器を呼ぶの名也、今俗にアブラツキといふものは、油瓶讀みてアブラガメ(○○○○○)といふものなり、又俗に燈盞をトウガイといふは、燈械によりて、言ふ事の訛れるなり、〉

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 あぶらつき 倭名抄に燈盞をよめり、今あぶらざらとも油碟とも見えたり、又鐙をよめり、つきは坏の義に同じ、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈二十六/服器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 燈盞
アブラツキ アブラガハラケ(○○○○○○○) アブラザラ〈江州〉
一名缸、〈典籍便覽〉 朱火 金缸 銀缸 蘭缸〈共同上〉

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 一古書にあぶらつきとあるは、油抔とも油盞とも書て、燈の油を入る油皿也、あぶらつきのきの字すみてよむべし、にごるは非なり、油次にてはなき也、〈油を入る瓶をば、油滴とも、あぶらがめとも云也、〉

〔儀式〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 踐祚大嘗祭儀下
太政官符諸國〈毎國有符〉
新器〈○中略〉
和泉國〈○中略〉油瓶二合〈○中略〉油坏六口 已上御料

〔延喜式〕

〈二十四/主計〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉陶器〈○中略〉一丁〈○中略〉韲坏燈盞各五十口、〈○中略〉
凡諸國輸調、〈○中略〉陶器〈○中略〉一了〈○中略〉燈盞二百口、

〔延喜式〕

〈三十六/主殿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 釋奠料〈春秋並同○中略〉 燈盞八口〈加盤、下皆准之、○中略〉
十二月晦夜供奉内裏幷大極殿豐樂殿武德殿儺料等雜物、〈○中略〉中宮油八斗、油坏八百口、

〔執政所抄〕

〈上/二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 八日、法性寺修二月事、
油坏三百 年預下家司成旬所、下文下知深草作手等、家司職事所司下家司參向仰之、

〔日本新永代藏〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 佛の箔を削る頓慾の鉋
材木河岸の桔梗屋とて、今冬木三文字屋にも、肩を並ぶる商人、以前に身代の時の話を聞くに、油土器の鑄物を拵へ、内を朱にぬらせ、永代土器と名付て賣出しけるに、去とは常と違ひ、先奇麗にて見よげに、掃除の度毎に油すたらず、光り一段强し、是朱に燈火の照合ゆへなり、然も油の減格 別少なし、世の調法天下の寶なりとて、買はやらかして、僅の事より五百兩の身上となり、〈○下略〉

〔雍州府志〕

〈九/葛野郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 八軒屋 在廣澤西南上嵯峨東、土人專以赭土燈盞、倭俗謂土器(カハラケ)

〔攝陽群談〕

〈十六/名物土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 箕輪燈盞 同郡〈○豐島〉箕輪村ニ造リ、當所ノ埴土ヲ以テ照燈土器トスル事宜シ、

〔後奈良院御撰何曾〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 ともし火きえなんとす あぶらつき(油坏)

燈械

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 燈械 楊氏漢語抄云、燈械〈音戒〉所以居燈盞也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 按、説文、械一曰器之總名、一曰持也、一曰有盛爲械、無盛爲器、

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 燈械(クモデ)〈所以居燈盞也〉

〔西宮記〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 御佛名
行事藏人催事、〈○中略〉作物所〈作燈蓋(○○)〉儲物、〈(中略)油坏十一具〉

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 文化七年八月廿四日丙午、内侍所假殿臨時御神樂也、〈○中略〉
一燈械之油坏、依便宜置指油等、整置度旨御藏申之、仍可勝手之如近例也、只及暮催女官脂燭點火而已、頗便宜歟、於御殿者藏人奉仕如例、
一假廊下燈械之事、先例者柱一間隔設之、毎柱不之、今度者可如何哉、相伺旨出納申之、尤相糺處、燈械員數今度相增、新調調進有之、卽壺モ先日自南座修理職、假廊下毎柱打立有之、故不殘雖之可子細、只掌燈員數相增而已雖然是亦非格別之儀、尤比安永三年之先例、則其數甚多、以當時之髓之、則增於尋常神樂纔爲十基計、然則後日御下行物非申立程之事、隨分御沙汰次第如何樣共可相成由、只先例假廊下不間設一レ之、故可其通歟、一應相伺旨申之、仍其通申入奉行處有議、後被示曰、先例雖此、今度假廊下之體甚異、〈先例者自南殿巽角簣子斜有假廊下、〉今度者自十八間廊下引續右假廊下、十八間廊下之間如尋常柱供之、移假廊下而柱一間隔供之、則甚可目立、其體如何也、於强無下行之煩者、悉令 之可然云々、卽申渡出納、假廊下之間如十八間廊下、毎間令之了、

燈心

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 燈心 考聲切韻云、炷〈音主、又去聲、和名度宇之美、燈心音訛也、〉燈心也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 慧琳音義引同、按、説文云、主、鐙中火主也、从〓象形、从ゝ、ゝ亦聲、徐鉉曰、今俗別作炷、然則考聲切韻所謂燈心、卽説文鐙中火主、謂燈盞盛膏所燃之火也、源君所擧燈心、謂布可炷者、貞觀儀式大嘗儀云、燈炷布八尺、大嘗祭式作燈心布是也、主殿寮式燈炷料布一尺五寸、亦是、然則以單炷字之非是、又按、今俗所謂登宇志美者、開寶本草所載燈心草、䒱析取中心白穰燈者、又非源君所擧者也、

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 燈心(トウシン)

〔東雅〕

〈八/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 燈燭トモシビ〈○中略〉 倭名鈔に、燈心讀みてトウシミといふは、其字音の轉也、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十/草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 燈心草〈○中略〉
穰ノ名ハ トウシミ〈和名鈔〉トウシン トウスミ〈勢州〉ジミ〈肥前〉トウジミ〈同上〉トウシメ〈南部〉トウスン〈雲州〉イノミ〈佐州○中略〉
此草中ノ白穰ヲ出シテ、燈火ニ供スルヲ燈心ト云、

〔延喜式〕

〈三十六/主殿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 釋奠料〈春秋並同〉 名香二兩、〈受藏人所〉胡麻油二升、〈○中略〉燈炷布二寸、〈○中略〉
供奉年料〈中宮准此○中略〉 燈炷調布十二端三尺六寸〈長夜一尺六寸、短夜減三寸、○中略〉
右起十一月一日、迄來年十月卅日料、

〔西宮記〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 御佛名
行事藏人催事、〈○中略〉内藏、〈(中略)火櫃、油、〉〈六升〉〈脂燭布、〉〈三段〉〈酒肴御膳御厨子所申供養請奏上卿、〉

〔執政所抄〕

〈上/二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 八日、法性寺修二月事、
油坏三百〈○中略〉 燈心行事出納持參之 廿四日、西北院修二月、
燈心直料米三斗 已上年預沙汰

〔榮花物語〕

〈二十三/駒くらべ〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 殿のおまへ〈○藤原賴通〉長谷寺に參らせ給て、七日こもらせ給、〈○中略〉なぬかゞうちに、やがて万燈會せさせ給ふべければ、あぶら、とうしみまでもてのぼらせ給、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 享保十二年十月廿九日夜、參候、〈○中略〉玉井〈女中局名〉御前ニテ短檠ノ燈心ハ、幾筋ニ致スガ好ク候ヤト申上ラル、是ハ一大事ノ秘藏ノコト也、凡ソ燈心ヲ入ルヽコト、三條ハ四スジヨリ明ナリ、五筋ハ六筋ヨリ明ナリ、七筋ハ八筋ヨリ明ナリ、兎角ニ半ニスルガヨシ、是ハ獅子吼院殿〈○堯恕法親王〉ノ發明ナリ、凡ソ燈ヲ半ニ立ルハ、眞ヲ立ルナリ、丁ニスレバ光二ツニ分ル、故ニ眞ガ二ツニ立ツ故ニ暗シ、兩傍ヲソヘニ立テヽ、中ニ一ツノ眞ヲ立ル故ニ、明ナリト仰ラル、尤ナルコトナリ、ソレヨリ御前ノ御書寫ノ燈、七スヂヅヽナリト、玉井申サル、

〔窻の須佐美〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 三河にて安藤庄兵衞正次、五六人打寄りて、世にいひ觸し百物語して見んと、野中なる辻堂に行て、闇夜に燈心百筋を燭し、物がたり一ツ絶れば、一筋づゝ減じ、〈○下略〉

〔柳亭筆記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 子の日の燈心
甲子日に燈心を買へば、かならず其家富榮ゆるといふ事、正しき證は知らざれど、是大黑へ福を祈るより出し事なるべし、その故に此日燈心の市をたてゝ、棚をかざる所あり、又賣りにも來れり、俳諧の句には、子燈心なんどいひて、中むかしより多く見えたり、季吟廿會集、〈寬文四年印本〉とう(前句)しんとうしんとまちやあかさん、友光、甲子(附句)ををりに幸ねまつりに、季吟、落花集、〈寬文十一年似仙撰〉用ゆるや虎のゐをかる子灯心、如貞、〈○下略〉

〔萬寶鄙事記〕

〈三/火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 燈心、灯油にともすには、かならず新しきを用べし、久しく成、又は新しくても、風ひき氣ぬけたるは、灯くらし、箱におさめ置、氣のぬけざるやうにすべし、 白礬を水に加へ燈心を煮て、ともし火に點ずれば、あぶらの減る事すくなし、

燈〓

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 燈〓(カキタテギ)〈代醉、桃剔灯火之杖曰〓、〉燈〓(同)

〔類聚名物考〕

〈調度十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 剔燈捧兒 ともしびのかきあげぎ 撥揚木
笑府、一人晩向寺中宿云、我有箇世々用不盡的物件、送與寶寺、寺僧喜而留之、且加恭敬、至次早請問、世々用不盡的、是何麼物件、其人指佛前一樹破簾子云、將此物剔燈捧兒、生々世々、那裏用得盡、

〔物類稱呼〕

〈四/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 灯〓かきたてぎ〈とうしんをさえ〉 備後福山にて、へげ〳〵と云、筑後國久留目にて、さんとくといふ、越前にて、かきたてぐゐ、越後にて、かんだしといふ、

〔宗五大草紙〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 殿中さま〴〵の事
一女中方にとぼされ候御燈臺、〈○中略〉かき立木は、うすおしきを廣さ二分計にわりて、かはらけの上にをき申候、

〔十訓抄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 成範卿事ありてめしかへされて、内裏に參られたりけるに、むかしは女房の入立なりし人の、今はさもあらざりければ、女房の中より昔を思出て、
雲の上はありし昔にかはらねど見し玉だれの内やゆかしき、とよみ出したりけるを、返事せんとて、灯爐のきはによりけるほどに、小松のおとゞの參給ひければ、急たちのくとて、とうろの火のかきあげの木のはしにて、やもじをけちて、そばにぞ文字をかきて、みすの内へさし入て出られにけり、

燈臺打敷

〔大饗雜事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 一燈臺十四本〈○中略〉
打敷十四枚料絹十四丈〈一疋六丈也、枚別一丈、〉

〔三中口傳〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 一鋪設裝束事 燈臺打敷(○○○○)事
淺黃色、面生、裏練、

〔門室有職抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 御所御裝束事〈○中略〉
燈臺ニハ上﨟打鋪、次臺最末油器也、シタガハラケカサ子テ可進也、打鋪ハ非莊嚴之儀、タヾアブラコボサジ料也、然者雖晴シカザランハ敢非難、其座セバクバ、四方ニチイサクヲリテ可鋪也、箱ニ居ハ内々事也、打敷ハ貴賤ノ家ヲ不嫌可敷也、

〔枕草子〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 まさひろはいみじく人にわらはるゝ物哉、おやなどいかにきくらん、〈○中略〉ぢもくの中の夜さしあぶらするに、とうだいのうちしきをふみてたてるに、あたらしきゆたんなれば、つようとらへられにけり、さしあゆみてかへれば、やがてとうだいはたふれぬ、したふづはうちしきにつきてゆくに、まことに道こそしんどうしたりしか、

燈臺雜載

〔寶藏〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 燈臺
かたちの眼ある事は、天に日月有がごとしとかや、世の中のあさはかなるわざより、おくぶかきまことの道にいたるまで、見る事これがのりたり、かくてぞ先聖の亞聖にしめし給へるにも、禮にあらずんば見る事なかれといへるを第一とし給へり、かゝる眼もうばたまの夜に入ては、あかりをうしなへり、此時に此灯によらでは、たれか物のあやめも見分たん、世こぞりて目の藥をたうとめども、此灯の毎夜の目の藥たる事をしらず、古人燭をとりて夜遊ぶ、良に故ある哉、茶の會なども灯のほかげにこそ、いたりふかき事はありとこそいへれ、況や文をひろげてみぬ世の人を友とする、こよなきなぐさみをや、猶木ずゑにとうろなどかゝげたるもいとおかし、
燭をとりてあそべ火ともす花の陰
常々負(タノム)孔氏之孫 以一餘氣根 明德未嘗成我物 灯臺本暗學窻怨

〔枕草子〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 みなみの院の北おもてにさしのぞきたれば、高つきどもに火をともし(○○○○○○○○○○○)て、ふたりみたりよたり、さるべきどち屛風ひきへだてつるもあり、几帳なかにへだてたるもあり、

〔調度歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 一番 左 とうだい
しらせばやくる宵ごとに灯火のあかしの浦にもえわたるとも

〔羅山詩集〕

〈五十九/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 三品羽林源君賜書燈臺(○○○)于函三、乃作詩以謝奉之、余亦次韻、
一隻高檠入陋廬、照顏古道聖賢書、細看字字行行際、挑盡油油滴滴餘、人以昏明用捨、誰於晝夜親疎、手中旣有靑藜杖、更採香芸白魚

〔駿臺雜話〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 燈臺もと暗し
宵の間過る程こゝにありて、御物語承らんとて、各坐につきけり、しばらくゐりて燭もて至りぬるに、翁ふとおもひよりしまゝ、燭臺をさして、世俗の諺に、燈臺もと暗しといふは、いかやうの事にたとへていふにやあらん、をの〳〵いふて見給へとあれば、座客の中ひとりいひけるは、世に何事にてもあれ、外にはかくれなき事を、其もとにてきけば、却て分明ならぬやうの事にかく申ならし候、〈○下略〉

燈籠/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 燈籠 内典云、燈爐〈見涅槃經〉唐式云、燈籠、〈見開元式〉本朝式云、燈樓、〈見主殿寮式、今按三字皆通稱也、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 按、原書云、善男子譬如男女然燈之時、燈爐大小、悉滿中油、隨油在、其明猶存、若油盡已、明倶盡、其明滅者、喩煩惱滅、明雖滅盡、燈鑪猶存、玄應曰、鑪又作爐同、然則燈爐謂燈之承油者、非燈籠燈樓之類、〈○中略〉按、毗奈耶雜事云、苾蒭夏月然燈損虫、佛言應燈籠、以竹片籠、薄氈遮障、此若難求、用雲母片、此更難得應百目、令瓦師作、如燈籠形、傍邊多穿小孔、〈○中略〉按、燈樓以木作之、其形方而上如、兩下屋、燈籠以竹作之、如毗奈耶雜事所一レ説、燈爐燈之承油者、三物各異、源君爲通稱是、

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 燈籠(トウロ)

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 燈爐(トウロウ)〈燭籠、灯毬、灯篝並同、〉 石燈(イシドウロ)

〔倭訓栞〕

〈前編十八/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 とうろう 唐式に燈籠と書り、〈○中略〉明月記に、近時民家今夜立長竿、其末稍斥如燈樓物、張紙擧燈遠近有之、と見えたれば、寬喜の比までは、官家に用ゐざりしなるべし、〈○中略〉本朝式に燈樓に作るは掛る物と見ゆ、反燈樓綱といふ事、雲圖抄諸節會に見ゆ、侍中群要同じ、涅槃經に燈爐あり、三才圖會に燈架あり、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 燈籠(とうろう)
按、三才圖會所圖者形似南瓜、俗呼曰阿古太、近世以大提燈常用、甚捷器也、

燈籠製作

〔續修東大寺正倉院文書後集〕

〈四十三/裏書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 造石山院所解
燈爐二基〈各長四尺徑一尺五寸〉 工二人〈○中略〉
以前、起天平寶字五年十二月十四日、盡六年八月五日、請用雜物幷作物及散役等如件、以解、
天平寶字六年閏十二月廿九日案主下 別當主典安都宿禰

〔延喜式〕

〈三十六/主殿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 新嘗會供奉料〈中宮准之○中略〉
燈樓六具、〈各加案〉紗四丈八尺、〈○中略〉
右新嘗會料依前件〈○中略〉
供奉年料〈中宮准此○中略〉
燈樓料紗二疋二丈四尺〈春秋各一疋一丈二尺○中略〉
右起十一月一日、迄來年十月卅日料、〈○中略〉
燈樓九具、盤形燈臺三基、並隨損請替、

〔續修東大寺正倉院文書後集〕

〈四十三/裏書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 造石山院所解 作上鐵物二百六物 工五十七人〈○中略〉
懸燈料肱金(○○○○○)一具〈石坐〉 工一人〈○中略〉
以前、起天平寶字五年十二月十四日、盡六年八月五日、請用雜物幷作物、及散役等如件、以解、
天平寶字六年閏十二月廿九日案主下 別當主典安都宿禰

〔守貞漫稿〕

〈六/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 〈薄板製ノ〉燈籠賣
夏月黃昏賣之、薄ク紙ノ如ク削リ成ル杉板ヲ薄板ト云、以之小燈籠ヲ造リ、裏ニ赤紙ヲ張リ、コレヲ火袋ニシ、又屋根板ニ竹ヲ曲テ手トシ、小蛤殼ニ油ヲイレ、木綿ヲヨリテコレヲ油中ニ置キ、コレニ燈ヲ點ズ、其形種々アリト雖ドモ、下圖〈○圖略〉ノ物ヲ專トス、

燈籠種類

〔倭訓栞〕

〈前編十八/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 とうろう〈○中略〉 まはりどうろ(○○○○○○)は燈球也、走馬燈ともいへり、あげどうろ(○○○○○)は天燈と見えたり、石燈籠(○○○)あり、金燈籠(○○○)あり、

〔東大寺要錄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 一大佛殿納物
金銅燈爐(○○○○)一基〈在花臺上〉 大燈爐(○○○)一基〈在庭中、有鏁三具、○中略〉
永觀二年五月二日

〔吾妻鏡〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 文治五年八月廿二日己酉、申刻著御于泰衡平泉館、〈○中略〉沈紫檀以下唐木厨子數脚在之、其内所納者、〈○中略〉銀造瑠璃灯爐(○○○○○○)、南廷百〈各盛金器〉等也、

〔延喜式〕

〈六/齋院〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 三年一請雜物〈○中略〉
白木燈爐(○○○○)三具

〔蒹葭堂雜錄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 南都春日神社の境内には、古物の燈爐あまた有て、擧て枚(かぞ)ふるに暇あらず、就中石燈籠(○○○)にしては祓戸、金燈爐(○○○)には蟬の燈籠、淺野侯の燈籠など、世人擧て見る處なり、こゝに若宮御供所の傍に、狩野探幽の寄附せし燈籠一基、又狩野尚信の寄附一基、同所にならびて建たり、

〔續近世畸人傳〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 英一蝶
或時兩大國の主、石燈臺(○○○)を爭ひもとの給ふきこえありしかば、やがて走行て、數多の金を出して、おのがものとし、狹き庭の内にうつしける、折しも初茄子を賣者あり、價の貴きをいはず、需て生漬といふものにして喰ひ、彼燈臺に火をともし、天下第一の歡樂なりといへり、其磊落豪放およそ此たぐひとぞ、

〔擁書漫筆〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 石燈爐の名物は、橘寺の佛像と十二支をゑりたるが、年號をしるさゞれども、天下第一の古物といふべし、次に春日の祓殿社なるは、火ぶところに鹿の形あり、春日社に火見形(ひのみがた)といふがあり、西屋、柚木、東大寺の八幡宮、三月堂、般若寺の文珠堂、秋篠寺、春日の奧院、當麻の穴虫石などいとおほかり、元興寺に延元元年の燈籠あり、太秦(うづまさ)に賴政の寄附といひ傳しがあり、大德寺の高桐院に幽齋法印のめでたまひしがあり、ちかき比には泉涌寺の雪見形などきこゆ、江戸淺草竹町の渡の近所に、六地藏の石燈爐とて、鎌田政淸がたてけりといふがあり、相摸國筑井縣下河尻村なる寶泉寺の觀音堂には、建久二年の年號をしるせしがあり、これらは余〈○小山田與淸〉が耳にききたもちたるを、後わすれじのためにかいつく、

〔山陽遺稿〕

〈四/詩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 或獲(○)方廣寺瓦(○○○○)用爲(○○)燈籠(○○)
髣髴桐花記阿藤、參差翠縫想觚稜、憐無功德庇孫子、一片殘鱗籠夜燈

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/火燭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 廻り燈籠(○○○○)は、顰草にをどりの事をいふ所、揚燈籠(○○○)廻り灯籠の軒にふらめき、また鷹筑波集、ことを巧みに色をよくする、かゞやくやまはり灯呂のすはう紙、〈日能〉よを厭ふ姿か月のかげ法師、かしこきちゑの廻り灯籠〈宗明〉みな寬永中の作なり、懷子、めぐりあひて見しやそれそれ影灯籠(○○○)、身にそふや秋の月よりかげ灯呂、續山幷こだくみのいそげば廻るとうろ哉、平仄をしあはせぬるやもじ灯呂(○○○○)、〈文字を 子の絹にとり、字の平仄をあかしの瓶燭にとりたるなり、〉猶あまたあれど、益なければ錄せず、廻 り灯呂は漢土に走馬燈といへり、槐西雜志に、壁上の畫ありくやうにみゆるを、畫中人緣壁而行、如燈戯之狀、まはり灯呂に似たるをいへり、
戴灯呂(○○○)、貞德文集、六月十三日條、戴燈籠笠鉾鐘鑄之時、躍衆之裝束不殘可恩借候、戴燈籠を板本にあげ灯籠と點を付たるはわるし、字のごとくいたゞきと讀べし、是をどり灯呂(○○○○○)なり、京師花園は北山邊の在名なり、七月十五日の夜をどるなり、在所の新婦は、必置灯呂(○○○)の尾のあるを頭に戴き踊るものなり、鐘鑄の風流に是を用ゆるなるべし、佐夜中山集、作りものや實にさま〴〵の舞灯籠(○○○)、とあるは是にや、廻り灯呂にはあるべからず、又茶人の用る櫻どう籠(○○○○)は、〈赤がね煮ぐるめにして張り、圓く作り、總體櫻花を彫透したり、〉思に風雨をさくる爲とみゆ、軍中忍びの挑灯に倣へる歟、又釣瓶の如く動くかんてら(○○○○)も、件の挑灯俗に强盜挑灯と云ふより出たる也、

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 永享四年八月七日、自内裏アヤツリ燈爐(○○○○○○)一被下、一谷合戰鵯越馬追下風情也、殊勝アヤツリ言語道斷驚目畢、自室町殿進云々、自南都進、奈良細工所爲奇得不可思儀也、熊替、平山、先懸等在之、 九月十三日、自岡殿宮御方へ廻燈爐(○○○)一被進、結構殊勝也、室町殿上樣入江殿へ被進燈爐云々、

〔倭訓栞〕

〈中編五/幾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 きりこ(○○○) 棒或は燈籠にいふ、截角の義、かと反こ也、四角なる物の角々をきりたる形をいふと、壺氏の説也といへり、〈○中略〉きりこの燈籠は、曆家全書に方燈と見えたり、

〔還魂紙料〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 キリコ燈籠
きりこ燈籠のきりこといふに種々の説あり、切籠、又は切紙と書は、紙を切てさげたるより當(あて)たるなるべし、紙捻をこよりといへば、紙にこといふ訓もありて、此説あたれるやうなれど、予〈○柳亭種彦〉考ふるに、切子と書がおだやかならん歟、〈○中略〉さてはしの子、こたつの子といふも、左右に親にたとふべき柱あるに對しての名也、今障子の窻のことを、しやうじの子といふも同意、是よりう つりて總て四角につくる格子やうの物を、組子といふ、その角々を切たるが切子なり、切は隅切角の切、子は組子の子なりと解さば論なかるべし、昔よりきりこの字論あるを、其角うるさくや思ひけん、貞享元年自筆耕せる、蠹集には片假名にて書り、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 燈籠(とうろう)〈○中略〉
一種岐里古燈籠(○○○○○)、聖靈祭等用之、所飾紙繒甚華美、

〔武江年表〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 此年間〈○寬政〉記事
兒輩の翫ぶ切り組燈籠(○○○○○)繪は、上方下りの物也、夫故始は京の生洲、大坂の天滿祭の圖抔を重板せり、寬政享和の頃、蕙齋政美多く畫き、又北齋も續ひて畫けり、文化にいたり、歌川國長豐久此伎に工風をこらし、數多く畫き出せり、其梓今にありて年々摺出せり、

〔嬉遊笑覽〕

〈六下/兒戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 菓物の燈籠(○○○○○)、廣東新語、廣州時序の條、八月十五之夕、兒童燃番塔燈、持柚火、踏歌於道曰、灑樂仔(ザイラシ)灑樂兒無咋糜、塔累碎瓦之、象花塔者其燈多、象光塔者其燈少、柚火者以紅柚皮鏤人物花草、中置一琉璃盞、朱光四射與素馨茉莉燈交映、蓋素馨茉莉燈以香勝、柚燈以色勝、この方にて西瓜の肉を削り取て、中に火をともして靑くみゆるも、おなじ類なり、

燈籠用法

〔雅亮裝束抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 もやひさしのてうどたつる事
ひさしののきのとうろのつな、ひるはかへすべし、すそのわなをかみへひきかへして、むすびめよりかみにはさむべきなり、
五せち所のこと
とうろは帳の左右のまののきにつるべし、そばにもつるべきところあらば、いくつもつるべきなり、

〔日中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 ひるの事どもはてぬれば、所々の掌燈す、まづ仁壽殿の露だいのとうろ二、淸凉殿のと うろ五、がくの間をのぞきて、それより南方へ四間ごとにあり、二間のまへ、をの〳〵すはうのつなにかけたり、火たき屋の火をめしてこれをともす、殿上だいばんの上下〈とうだい〉小板じきのまへの小庭〈とうろ〉渡殿〈とうろ○中略〉夜のおとゞのかいともし、御手水のまより、内侍もちてまいりて、四のすみのとうろにともす、

〔本朝文粹〕

〈九/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237雨夜紗燈製〈于時九月十日〉 菅膾大相國〈○菅原道眞〉
宮人入夜殿上攀燈例也、于時重陽後朝、宿雨秋夜、微光隔竹、疑殘螢之在一レ叢、孤點籠紗、迷細月之插一レ霧、臣等五六人奉勅見之、不足、應制賦之云爾、謹序、

〔源氏物語〕

〈二/箒木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 ひと〴〵わた殿より出たる、いづみにのぞみゐてさけのむ、〈○中略〉かみいできて、とうろかげそへ火あかくかゝげなどして、御くだ物ばかりまいれり、

〔平家物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 とうろうの事
すべて此大臣〈○重盛〉はめつざいしやうぜんの心ざしふかうおはしければ、當來のふちんをなげき、六八弘誓の願になぞらへて、東山のふもと四十八けんの精舍をたて、一間に一づゝ四十八のとうろうをかけられたりければ、九品の臺めのまへにかゞやき、光ようらんけいをみがひて、淨土のみぎりにのぞみぬるがごとし、〈○中略〉それよりしてこそ此大臣を、とうろうの大臣とは申けれ、

〔明良洪範〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 板倉重宗諸司代ノ節、播州明石ノ城主へ申サレシハ、貴殿城内ニ古來ヨリ人丸ノ社コレ有由、承リ及ビ候ガ、人丸ハ和歌三人ノ内ニテ候程ニ、歌道ヲ執心致シ候者ハ、僧俗トモ參詣申度ト願フニテ、御城内ノ事故ニ遠慮有テ、空シク打過候事ニテ候、諸人ノ爲ナレバ御社ヲ御城外へ移シ出サレ、海邊ノ高ミニ建ラレ、往來ノ者モ參詣仕候樣ニ成サレ候ラハヾ、我等モ燈籠ヲ寄進申スベクト有シカバ、城主モ重宗ノ申サルヽ事ナレバ、餘儀ナク海邊ノ高キ所へ移サ レシカバ、約束ノ如ク周防守ヨリ大キナル燈籠ヲ寄附有テ、常燈ヲ建ラレケル、以前播磨灘ヲ乘ケル般、夜中風替リ抔シテ、明石前ハ破船セシ事ナド有シ、向後ハ彼燈籠ヲ目當ニシテ入ケル故、破船ノ愁ヒナシ、周防守ノ心ハ、畢竟此目當ニ至ルベキ爲ナリ、サレドモ城主ヨリ此所ニ移サセ、後ニ燈籠ヲ寄進セラレ、初ヨリ自分ノ功ヲ顯サズ、後ニ人ノ心付樣ニ諸事ヲ致サレケル、誠ニ思慮ノ厚キ人也ケリ、

燈籠雜載

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 山城 燈籠細工

燭臺/手燭

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 燭臺(シヨクダイ)

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 燭臺(シヨクダイ) 燭奴(シヨクド)〈燭架爲人形者〉 手燭(テシヨク)〈手照同〉

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 燭臺(シヨクダイ)〈又云燭奴、天寶遺事、〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 燭臺(しよくたい)〈燈臺 短檠燭奴〉
按、燭臺、燭架、制不一、或作人獸之形、其用唯掲蠟燭耳、

〔中山傳信錄〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 燈〈燭〉
燭燈木底四方格、上寬下窄、白紙糊之、而空其上、施木柄柱上、雖大風滅燭也、王宮内所用皆然、

〔倭訓栞〕

〈中編十五/底〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 てしよく 中山傳信錄に爉簽を譯せり、手燭の字は周禮の疏に見えたれど、少異なり、

〔庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 蠟燭之臺、雖注文進也、

〔調度口傳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 一燭臺の事
らうそくを立るもの也、大小品々有、眞銅やカネ等なるべし、三ツ足有を式とす、しよくせん掛有、略義なるべし、鐵は略義なり、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 十五日修理職の者〈○註略〉階にすゝみて、御吉書を給はりて、三毬打のもとにあゆみより、御吉書を入て歸り參る、藏人階の南にある燭だいのろうそくをとりて、修理職の者にあたふ、

〔公方樣正月御事始之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 一しよのめい披露の事、樣體は大なる盆に香爐、同ちいさきそく臺(○○○○○○○)にらうそくをとぼして、しよのめいをも盆にすへて、蔭凉軒被渡候を請取申、御前へ持參申候、

〔三好筑前守義長朝臣亭〈江〉御成之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 一三月〈○永祿四年〉卅日、未刻御成、〈○足利義輝、中略、〉
一舞臺燭臺二、狼烟も二所に在之、

〔玉露叢〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 寬永三年九月六日ニ將軍家〈○德川家光〉之二條ノ亭へ行幸アリ、〈○中略〉
御進物之品々〈○中略〉
一鶴蠟燭立 一〈金也〉

〔玉露叢〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一御燭臺 十 牧野右馬允忠成〈○中略〉
一御手燭 十
一御燭臺 十本 京極刑部少輔高和
一御手燭 十

〔諸國はなし〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 大晦日は合はぬ算用
誰方にても此金子の主取らせられて、御歸りたまはれと、御客一人宛立たしまして、其後内助は手燭ともして見るに、誰とも知れず取つて歸りぬ、

〔守貞漫稿〕

〈十八/雜服附雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 嘉永二年印行、古風ト流布トヲ、相撲番附ニ擬スル、其流布ノ方大關以下左 ノ如シ、〈○中略〉八百善形ノ燭臺〈八百善ハ新鳥越ノ料理店也、近年ハ自家ニ客セズ、出前ノミトス、江戸一ノ高名トス、〉

〔臨時客應接〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 勝手へ燭臺手燭の用意をも談置、日暮方見計ひ、蠟燭の心を指にて爪交挫(つまみひしぎ)、火を擧(とも)し、燭臺へ差(さし)、燭剪掛(ししきりかけ)を手前にして持出、跪て上座と客人の方へ寄て置べし、〈なをくでんあり〉

燭剪

〔饅頭屋本節用集〕

〈之/財寶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 燭剪(シヨクセン)

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 燭剪(シンキリ)

〔類聚名物考〕

〈調度十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 燭切 しよくきり 〈今云〉心切
禪林小歌注、〈聖冏作〉燭臺燭切、〈以可蠟燭○圖略〉
今思ふに、この燭切は今の心切の事なり、この形したる物今も有り、この書は建武の末の比に出來しものといへり、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 燭剪〈俗云志牟木里〉
燭剪可以切去燭燼、毎置於燭臺

〔異制庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 白鑞燭臺、赤銅之燭剪等各五對、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上/正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 一正月朔日、〈○中略〉勾當内侍左手に盃〈男の御とほしの料なり〉をもち、右の手にさきとり(○○○○)をとりて、母屋の南の間をへて、御前にすゝみ盃を置、燭のさきをとり、れん臺の中央の間の東の障子を明てしりぞく、

〔臨時客應接〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 心〈○蠟燭〉を剪ば、右の手にて燭剪壺(たんきりつほ)の蓋を取、左の手に壺を持、右の手に鋏を持、跪て心を切、壺へ入、早く蓋をすべし、燭臺二挺ならば、燭剪壺は其儘下に置、蓋を取、右の手に鋏を持、左の手にて蠟燭を下へおろし、心を剪、早く蓋をして、蠟燭を燭臺へ差べし、若燭剪しん剪壺なくば、心を剪時、勝手より唾壺(はいふき)へ水を少し入、火箸歟杉箸にても持添出、唾壺へしんを剪て入、次の間壁歟襖際に置べし、〈なをくでんあり〉

〔玉露叢〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徒ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一蠟燭之心切 十 杉原伯耆守〈○中略〉
一同心入 十
一シンキリ 十 板倉周防守重宗

行燈/名稱

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 行燈(アンドウ)

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 行燈(アンドウ)〈方燈也〉

〔饅頭屋本節用集〕

〈安/財寶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 行燈(アンドン)

〔壒囊抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 灯呂(トウロ)ヲアンドン、チヤウチンナンド云文字如何、 挑灯ト書テ、チヤウチントヨミ、行灯ヲアンドントヨム、皆唐音歟、行(キヤウ)ノ字ヲアントヨム事、行在行者(アンザイアンジヤ)等也、

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 あんどう 行燈の音也、あんは古音也、行宮、行在、行者、行厨、行尸、行脚などかくいひならへり、有明行燈は暗燈と見えたり、兵家に疊行燈、釣行燈あり、

〔中山傳信錄〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 燈〈燭○中略〉
民間燈多不燭以木作燭、四方糊紙、高木座油碟其中、置地席上

行燈沿革

〔翁草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 當代奇覽と題せるものに、あらゆる雜談有り、十が一爰に拾ふ、一古老の物語に、今の世に有る諸器之類、いにしへより皆有る事の樣におもへども、左には非ず、行燈などゝ云ものあれども、今のごとく蜘手を中に釣るは近き事也、昔は路次の行燈のごとく、底板に燈臺を置たる也、中に釣は小堀遠州の丸行燈を仕出し給ふより始り、角なるにも、中に釣事になれり、

〔骨董集〕

〈上編中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 行燈 行燈の始詳ならず、下學集、〈文安〉燈籠行燈挑燈かくならべ出し、鎌倉年中行事〈享德〉に、行列に續松行燈を持せられたること見えたり、按るに行燈は元家内にすゑ置物にあらず、續松は便あしきゆゑに、灯火におほひして風をふせぎ、持ありく爲に造出したるものなるべし、然則字義にもあへち、民家は端近く風はやきゆゑに、灯火におほひあるが便よければ、後に燈臺にかへて用ひたるにやあらん、さて永正御撰何曾のうちに、御僧の寮に物わすれしたりといふを、あんどん(行灯)と解何曾あり、御僧の寮は庵也、物わすれは鈍也、さればあんどんといふが古言なるべし、下學集に行燈(アンドウ)とかなをつけたるは、後に上木したる時のしわざなるべし、貞德の御傘にも、行燈(アンドン)とかなをつけたり、
玄峯集〈伏見鐘木町炬松ふつて野邊を行も、げに爰もとの古風なるべし、〉
行燈で來る夜おくる夜五月雨 嵐雪
かくいへれば、鐘木町ふるくは續松を用ひ、元祿の比は、行燈にておくりむかひせしなるべし、〈○中略〉行燈の古製は、今茶人の用る廬地行燈といふ物を見て知るべし、其製作持步くに便よし、されば、元家内にすゑ置ために造出したるものにはあらざるべし、遵生八牋に有柄曰行燈、用以秉燭、とあり、唐土の行燈は此方の挑燈のたぐひなり、
元祿二年印本、本朝櫻陰比事所載圖、〈○圖略〉 今茶人の用る露地行燈といふもの、これに似たり、當地近きあたりをありくには、かくの如き行燈を用ひたり、今も諸國に行燈を夜行に用ゆる所おほくありとぞ、二十四五年前、おのれ上野に旅行せしとき、一の宮の邊にて、夜行に行燈を用ゆるを見たり、京都にては、ときによりこれをともして、軒につることありと聞きぬ、

〔骨董集〕

〈上編下後〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 行燈再考
行灯はもと提ありく爲に制れる物にて、家内にすゑおくは後の事也といふ證を、又見いでゝし るす、山伏道葬送行列次第〈杏花園藏本〉といふ古き書に、〈上略〉次導師先達、〈持檜杖〉次馬、次捧物、次左右行燈、次棺云々、無緣雙氏〈卷四〉尊宿荼毘之次第といへる條に、一番幡四流〈左右〉僧持、二番行灯四箇〈左右〉行者持云云、〈これら室町家のころの葬式なるべし、鎌倉年中行事の行列に、續松一丁行灯ひとつもたせべしとあるを、これらに合せ考ふれは、行灯は今のちやうちんのごとく、提ありきしにうたがひなし、〉累解脱物語〈下卷〉に、いつのほどより集りけん、てん手に行灯ともしつれ、村中の者ども、稻麻竹葦と並居たるが云々、〈とあり、此物がたりは、元祿三年の印本也、そのころまでも田舍にては、もはら行灯をさげありきしなるべし、先板の卷に引る嵐雪がしゆもく町の發句と同時也、合せ考ふべし、〉

〔寶藏〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 あむど
灯は夜を日につぐそなへにして、諸人このかげによらずといふ事なし、しかあれど間毎に風なきにしもあらざれば、そのまたゝくがうるさゝに、まはりをかこひて紙をもてこれをよそひて、もて行く便ともせり、彼佐野の何がし常世が、世に出しゆふべにも、合せて三ケの庄相違あらざる自筆の狀、行灯にとりそへ給はりしなどきけるは、長牢人の心の闇をもてらせとにや、此ものむかしは四角なるばかり有けらし、ふるき女のわらはの、なぞ〳〵にも四方しらかべ中ちよろちようなどこそ云つれ、三四五十年以前、天が下の數寄人の御作意に、丸あんどゝいふものこのみ給てより、今はまろきも世にひろまりつ、
物ずきも新月や丸あむど
炎天除幄尚如蒸 眠氣難堪忽枕肱 連夜可期見黃卷 凉風當腠(ハダヘ)不

行燈種類

〔物類稱呼〕

〈四/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 行灯あんどん 加賀にて、しほんばり(○○○○○)といふ、江戸にていふ丸あんどん(○○○○○)を、加賀にて、まはしあんどん(○○○○○○○)と云、津國にてゑんちやんどん(○○○○○○○)と云、是はゑんしうあんどんの誤也、小堀遠州侯の物數寄にて、製りはじめ給ひしと也、江戸にて、はちけん(○○○○)と云もの有、竹をもて丸く輪を作り、菅笠の如くたてに骨を組て紙にて張、灯を點じてうつばりなどにかくる物也、加賀にてかさあ(○○○) んどん(○○○)、越前にてつりあんどん(○○○○○○)、〈又〉はつほう(○○○○)又につほん(○○○○)といふ、津國にてもはつほう(○○○○)、武藏にてさんとく(○○○○)共云、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 行燈(あんとう) 阿牟止宇 遠州行燈、或圓周ノ二字トス、
三才圖會云、影燈(○○)、燭臺、書燈(○○)、不其制之所一レ始、殆後人以意創爲之者、三物雖皆借光於燭、然或以風其用則同歸耳、
按影燈、書燈、共今稱行燈、其一脚者仆易、故今不用、近世制圓而有内外三柱、上下設輪、内者不搖、外者能旋、開闔任意、或云、小堀遠江守正一始制之、故俗曰遠州行燈(○○○○)

〔北禪遺草〕

〈五/記〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 書燈記
世有遠州燈者(○○○○)、遠江守小堀政一所創、海内莫用也、其製圓欄張紙以籠燈、分半爲扉開之、匝轉而襲後、爲柱凡六、左右則相重爲界、上二輪亦相重、下則圓匣以植三柱、含一柚以貯燈心、圓外爲閾、輪篐承扉可轉也、中間鐵條繫左右與一レ後、架小圈用安燈盞焉、上輪橋著鐵鉤提也、昔者吾宇先生用爲書燈、乃去中間鐵條一巨柱、闕如二柱、銜短衡、上下自在、衡端以架燈盞、偏重則澀止、其低昂以隨看書寫字之便也、先生爲文記之、因嘆、匡衡之璧、車胤之螢、孫康之雪、江泌之月、畢誠之薪、皆不我之有一レ燈、而我之有燈乃終燈、而不彼輩之終立身著一レ名哉、是其爲慷慨奚若也、太田見良嘗謂先生曰、比歲儉米貴吾與君等尤病也、先生曰、吁一掬之米可以幷日而不一レ餓、抑何所病、但米貴物從之、乃使油貴、是吾所獨病也、先生之志、於是乎可知已、

〔莵裘小錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 書燈(○○)は、かろくしてまどかなるべし、玻璃をはりたるはくらし、夏蟲の飛入て、油のうちにてさわぐをみるもくるし、なつはちひさきもぢもてはりし、三つ折のべうぶのうへに、承塵のやうにもぢつけたるをたてまはせば、はひもかもちかづかず、ひるつかたうたゝねするにもよし、

〔雅遊漫錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 書燈
臞仙神隱曰、書燈以薄木板之、如木櫃狀、黑漆文之、寬六七寸、只可一小燈盞、高八寸、項有圓竅徑三寸、前有吊窓、挂起則燈光直射於書上、其明倍於常燈、香油一斤入桐油三兩點、又辟鼠耗、以鹽置盞中亦可油、以生薑盞邊暈、
此製旣に此土古よりあり、板を以て上狹下廣く造り、三方圓竅あり、前にひらき戸有、上に煙ぬきの竅あり世にしるごとし、有明行燈(○○○○)と云もの是なり、余〈○大枝流芳〉新に良法を出す、行燈大小方圓をえらばず、燈火の前遮燈板をまふく、其制横六寸計、竪四寸計の薄板を造、上の左右に一尺二三寸の絲を付て、絲の終りに一錢半計の鎭を付、絲をあんどうの上の横木に打かけ、提昂意に任てよきかげんに燈火をさへぎり、じきに火を不見、下より光をとりて書面を照す、一には目を養、じきに火を見ざれば也、二には風にあたらず、火不動して油も耗ず、三には油煙眼に至らず、四には光外に泄ず、直に書を照〈セ〉ば、光明外の法よりも勝る、此四德有、爰に圖してさとらしむ、〈○圖略〉また一名繼晷(ケイキ)板と云、これ韓退之燒膏油晷といふ句によれり、

〔芙蓉文集〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 掛燈蓋(○○○) 耳得
日月のともし火、江海は油、是を天地の燈蓋といふ、このもの人家にくだりて、かけ燈蓋とは誰名付けん、なかんづく都三條大路に用られて、螢とびかふ夕暮や、蟬の小川に聲ありて、水無月の凉風、軒をめぐれば、消なんとしてはかゝげ、其榮枯風にまかす、あるはむら雨の晴間待間、かれにふたするの自在あり、あるは蒲やき田樂に光をそへ、爐にあたる横顏に、鈎髭のますら男をつなぎ、又華街靑樓のかけ行燈は、夜の錦に輝て、羅綾の袂とこそ見ゆれ、將浮圖の莊嚴第一には、高座に如幻のをしへあり、あなかなし人の世中燈のごとし、かならず消る事忘るべからずと、ある僧の垂戒も尊し、詩にかたみをのがれ、歌にぬめりをはづれたらば、我俳諧の道に似たるものは、此掛 燈蓋にして、高きは高うし、低きは低うす、されど燈臺下くらしといふ諺もあれば、執行地に油斷はなるまじと、みづから是を思ひて、夜座更行まゝに、油煙に鼻の穴をくもらし、筆を置ば後夜の鐘寢よと吿ぬ、〈○俳句十一句略〉

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/火燭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 ひじり行燈(○○○○○)は、諸艶大鑑、非寺里行燈の光をうけて、大かた隙日を暮しかねたる女郎云々、局みせのかけ行燈(○○○○)を云り、ひじりとは高野聖の笈めく故の名にや、又赤き紙にて貼たるは、もとたばこやの目印なり、艶道通鑑、通天の紅葉をいふ所、此里のたばこ賣が赤あんどん(○○○○○)は、是よりぞ本づきぬらんとは、紅葉のてるをいふなり、こは近くまでさありしにや、六玉川二編、俤の夜の障子やたばこ〓、などもみゆ、今も烟草やはかき色の暖簾かくるもおなじ目印なり、〈西瓜の赤あんどん(○○○○○○○○)も、これよりや出つらん、○下略〉

〔守貞漫稿〕

〈十八/雜服附雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 嘉永二年印行、古風ト流布トヲ、相撲番附ニ攝スル、〈○中略〉古風方ニ曰、〈○中略〉丸行燈(○○○)、〈京坂ハ今モ必ズ丸形ヲ用フ、江戸ハ專ラ角ヲ用フ、〉

〔花街漫錄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 たそや行燈(○○○○○)〈元祿以前よりともす事は、其角が畫賛を見てしるべし、〉
このあんどうは、吉原町にかぎりてともす事なり、元よし原の頃より仕出しけるにや、たそや行燈とそ呼ける、〈○中略〉
晉其角自畫賛〈○圖略〉 それよりして夜明がらすや郭公

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/火燭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 今小き行灯をぼんぼり(○○○○)といふ、續五元集に、餅の紅粉も犬子となる龍燈のかさぼんぼりは月と花、是は月花には龍燈も明らかならねば、これ龍燈のぼんぼりなるべし、燈火の覆ひをぼんぼりといひ、又茶爐の雪洞をもしかいへり、火を覆ふ事おなじければなるべし、かさぼんぼりとは、もとはさもいひしにや、

〔東都歲事記〕

〈一/三月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 當月中、吉原仲の町往還へ櫻を植、〈靑竹にて垣を結ひ、黃昏よりボンボリ(○○○○)に燈燭を點ずる故、花に映じて一入うるはし、〉

〔蜘蛛の糸卷追加〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 祭禮萬度(○○)
天明前後の祭禮には、萬度と唱へて、七八寸の角柱の、たけ九尺なるを眞とし、上には横板ありて、是にさま〴〵の飾り物をなす、正面には、扇の形の額をうち、山王と大書し、町名を出だし、或は氏子中など書くもあり、是を手だめしに持ちありく、其力量にほこるを侠とす、此小なるを小萬度(○○○)とて、子供らに持たしむ、祭禮近なる夜中、角物に土俵を結附け、かりに萬度としたるを、かの俠客ども、萬度の稽古とて持ちありく、各町の手提灯、おほかたは裸體にて、鉢卷緋ぢりめんのふんどし、見る者群集をなして隨ひありく、子供等も又是に傚ふ、天明中の風俗なり、扨天明五六年の比と覺ゆ、京橋弓町より藤棚の大萬度(○○○)出でゝ、町の木戸口に障りて、横になして通る程の物なり、

行燈用法

〔今川大雙紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 躾式法の事
一あんどんを押板にても、又は床にても置事、ともし火を面に置也、後へなして置事有べからず、無祝言也、亡靈手向時は後へする也、是を能く心得べし、

〔成氏年中行事〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 一同五日ノ夜御行始、管領へ御出恒例也、〈○中略〉續松二丁、行燈一モタセベシ、公方樣出御也、

〔玉露叢〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一御行燈 二十 三浦龜之助〈○中略〉
一御行燈 二十 井上河内守正利〈○中略〉
一大行燈 五 太田備中守資宗

〔明良洪範〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 利勝ノ家士ニ寺田與左衞門ト云者アリ、此者モ深智遠謀ノ者ニテ、家光公ニモ事ニヨリテハ、此事與左衞門ニ問テ來レト仰セ有シ事アリ、此與左衞門卽答デキザル時ハ、宅へ歸 リ、一間へ籠リ、戸ヲ立、夜分ノ如ク行燈ヲトモシ、其モトニ坐シテ事ヲ考へ、決定スルニ、一度モ誤リシ事ナシト也、

行燈雜載

〔守貞漫稿〕

〈六/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 京坂ニ在テ江戸所無ノ市街ヲ巡ル生業ニハ、〈○中略〉行燈仕替(○○○○)、
京坂ハ專ラ丸行燈ノミ用之、新製ノ物ヲ擔ヒ巡リテ、古ク破損ノ物等ト交易シ、古物ノ方ヨヲ錢ヲ添ル、

〔松屋叢話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 今の俗薺の薹のみのりたるを、ぺん〳〵草と呼て、紙燈にかけ繫ぎ、夏虫を避るの呪とす、こは西蕃にも似たることありて、物理小識六の卷に、高濂が籟品正二月有窩螺薺、卽地英菜取薺菜花莖、作桃燈杖、可蟲蛾之護生草とみゆ、

提燈/名稱

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 挑燈(チヤウチン)

〔饅頭屋本節用集〕

〈知/財寶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 挑灯(チヨウチン)

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 提燈(テウチン)〈言挑灯也、懸火同、〉

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 提燈(テウチン)〈一名懸火〉張燈(同)〈太平御覽〉挑燈(同)〈俗用此字謬乎〉

〔物類稱呼〕

〈四/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 提燈てうちん 仙臺にてひぶくろ(○○○○)、常陸にてをつべしあんどん(○○○○○○○○)ともいふ、日向にてへこ(○○)といふ、

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 提燈(てうちん)
三才圖會云、提燈今農家襲用、以憑暮夜、提擕往來昭視、

提燈沿革

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 一挑灯は上古にはなき物也、上古は夜行には松明を用、又客來の時よめ迎などの樣なる時は、篝火をたきし也、又夜行の時は行燈をも持せし也、挑灯は京都將軍の代、末つかたに用始しなるべし、〈○下略〉

〔骨董集〕

〈上編中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 挑燈 挑燈のはじめ詳ならず、古今夷曲集客人の歸るさ送る挑燈はまうしつけねどいでし月影、定家卿とあれども、此歌古書に所見なければ、證としがたし、秋の夜長物語、後堀河院の御宇に、西山のけいかい律師といへる人、三井寺の梅若といへる兒を戀、同寺の或坊にかくれ居たるに、此兒其坊へしのび行ことをかける條に云、ふけ行かねつく〴〵と、月の西にめぐるまでまちかねたる所に、からかきのとを人のあくるおとするに、書院の杉障子より遙に見いだしたるに、れいの童〈梅若に仕ふるわらはなり〉さきに立て、ぎよなふのちやうちんに、螢を入てともしたり、その光かすかなるに、此ちご〈梅若なり〉きんしやのすいかんなよやかに、うちしほれたるていにて、見る人もやと、かゝりのもとにやすらひたれば、亂てかゝる靑柳の、いとゞいふばかりなきさまに見えたるに、りつしいつしか心たよ〳〵しくて、ある身ともおぼえず、童ちやうちんをさそうの軒に懸て、書院の戸をほと〳〵とたゝきて云々、醒々云、こゝにちやうちんの名目見えたり、此物語は玄惠法印の作といへば、其來ること久しといふべし、按るにぎよなふは魚綾の誤にや、綾の字音りようなるを、れふと作、又〓ふに誤りしならん、れと〓とまぎれやすき字なればなり、魚綾は綾の名なり、唐制の挑灯にならひて制たるに、綾をはりたるならん、しかるときは螢の光もすきとほるべし、當時は唐制にならへるものどもおほかり、蓋もとは佛具にやありけん、なほ考べし、當時挑灯の名目はあれども、常に用る物にはあるべからず、おなじ玄惠の作の庭訓往來に、挑灯の名見えざれば、しかおもへり、なほ諸書を參考するに、文安〈五〉下學集に、燈籠、行燈、挑燈とならべ出せり、これ籠挑灯なるべし、〈さきにもいふごとく、下學集は文安元年の書なり、〉寶德〈三〉七十一番職人歌合に、たち君を見る男續松を持たれば、當時も挑灯を用る事まれなりし歟、享德〈三〉鎌倉年中行事管領のもとへ、御參の行列の事をいへる條に、續松二丁行燈一もたせべしとありて、挑燈のことなければ、當時ももはらにはもちひざりし歟、康正、〈二〉長祿、〈三〉寬正、〈六〉文正、〈一〉應仁二文明、〈十八〉尺素往來に、挑燈の名目見えざれば、文明 以前は用る事まれなりし歟、長享、〈二〉延德、〈三〉明應、〈九〉文龜、〈三〉饅頭屋節用に挑燈の名目見えたり、此時代すべて籠挑灯なるべし、〈此節用集はさきにもいふごとく、文龜中の書なれば證とすべし、〉永正、〈十七〉大永、〈七〉或古記大永三年の條に、門にちやうちん二ツかくるといふこと見えたり、享祿、〈四〉天文、〈廿三〉穴太記天文十九年の條に、中間に挑灯をともさせたるばかりにて、忍びやかに出し奉る云々とあり、これは葬送に用ひたるなり、北條五代記、〈片かな本、寬文二年刻、〉卷之八に、天文年中、挑灯の指物を用ひたる事見えたり、弘治、〈三〉永祿、〈十二〉當時は旣に桃燈をもちゆる事おほくなりしにや、甲陽軍鑑卷之一、永祿元年の令に、不斷不挑灯とあり、又卷之十下、永祿六年の條、軍用のことをいへる所に、小荷駄馬一疋に挑灯二ツばかりヅゝ結付、馬負にも一人に一ツづゝ續松もたせ云々とあり、かゝれば當時の挑灯は、もはら軍用にもちひたる歟、元龜、〈三〉天正、〈十九〉或古説に、永祿天正の比は、籠挑灯も今世のごとくたゝむ挑灯もありし也といへり、文祿、〈四〉慶長、〈十九〉好古日錄に、俗に云箱挑灯は豐臣公の時始て制す、上下を藤葛を以編たり、板を用るは慶長以後の事と云、天正已前の挑灯は籠に紙を粘して用ゆ、醒々云、〈左にあらはす古制を見るべし〉此説に右の古説を合せ考れば、たゝむ挑灯は天正以後の物なるべし、元和、九寬永、廿正保、四慶安、四吾吟我集〈慶安二年未得著〉君がふくほうづきなりの挑灯に身をつりがねの片思ひかな、といへる狂歌あれば、旣に當時ほうづき挑灯といふものあり、承應、〈三〉明曆、〈三〉むさしあぶみといふ草紙の繪を見るに、長き竹のさきに丸き挑灯をつけて持たり、今の高挑灯のたぐひなり、手挑灯は見えず、万治、〈三〉寬文、〈十二〉訓蒙圖彙〈寬文六年印本〉に、丸き挑灯に柄をつけたるあり、今ぶら挑灯といふものゝ如し、水鳥記〈寬文七年印本〉の繪に、棒のなき箱挑灯あり、俳諧夜錦集、〈寬文五年〉乾坤の箱挑灯かそらの月、〈保友〉かゝる句もあれば、當時は箱挑灯をもはら用ひたるべし、延寶、〈八〉延寶六年板菱川繪本に、箱挑灯に柄をつけたるものあり、當時よりもはらこれを用ひたりと見ゆ、隱蓑〈延寶五年印本〉附合の句に、おもひの煙ふところ挑灯と見えたれば、當時は懷中挑灯もありしなる べし、さて當時高挑灯には丸きを用ひたること、あまた見ゆれど、提ありく提灯には見あたらず、但神事葬送などには、丸きを用る事あまた見えたり、天和、〈三〉貞享〈四〉元祿、〈十六〉當時の印本の草紙の繪を參考するに、延寶より元祿の末まで、もはら柄のつきたる箱挑灯を用ひたり、棒をさしこみたる箱挑灯もまれにあり、雍州府志、〈貞享元年〉文匣幷挑灯之類悉張脱之とあり、一代男〈貞享三年印本〉卷之四、民家の婚禮の圖に、柄のつきたる箱挑灯を持て行體をかければ、式正にも用ひたるべし、寶永、七柄のつきたる箱提灯は、たゝまざればすゑ置ことならず、不便なるものなれば、やゝすたれたるにや、當時より棒をさしこみたる、箱挑灯のみを用ひたり、正德、〈五〉和漢三才圖會に、棒をさしこみたる箱挑灯を出せり、享保、〈廿〉西川祐信の繪本、其外當時の繪を見るに、もはら棒をさしこみたる箱挑灯を用ひたりさて享保十七年の印本、万金産業袋卷之一、挑灯の類をいへる條に、馬ぢやうちん〈細書二〉鯨の弓をかくる、かくの如く見えたり、これをもて按に、今弓張挑灯といふものは、馬上挑灯といふが本名にて、元は武家方に始まりしものなるべし、享保以前の繪に、此挑灯所見なし、享保以後にもはらおこなはるゝものなるべし、挑灯といふものいできてより、今の弓張挑灯ほど便利よきはなし、これにかぎらずもろ〳〵の器物、昔にくらべて、今のまされる物おほかり、唐土には今もたゝむ挑灯なしと聞、唐紙は性よわきゆゑに、挑灯傘の類、紙をもて製(つくる)ことあたはず、實に御國の紙は、万國にたぐひなき至寶なり、〈○中略〉
羽州籠挑灯圖〈○圖略〉 總高曲尺二尺一寸餘、籠高一尺二寸餘、すべて表に紙を粘て用ゆ、籠を上へあげて火をともすやうにつくる、臺の板に竹の筒を立て、右の松やにらうそく〈○松脂蠟燭載蠟燭條〉を立る料とす、
羽州にて今にこれを用ゆ、これ天正以前の挑灯の古製を見るべき物なり、形の異同大小もあるべし、〈○中略〉 雪のふる道、羽州の民家のさまをいへる條に、雪の降そふにつけて、こもりをれば、つれ〴〵もせむかたなきまゝ、見なるゝものをゑにかきてなぐさむ云々、大路をたづさふるともし火は、まろくひらなる板に、ほそき木をふたつたてざまにつくり、それにまたひとつ横につくりそへてさげありくたよりよし、おほひをば籠にて造り、紙をはりてもてありくなり、

〔骨董集〕

〈上編下後〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 ぎよなうのちやうちんの再考
先板の卷に、秋の夜長物語を引て、ぎよなうのちやうちんとあるは魚綾の誤にて、綾をはりたる挑灯ならんといひしは、おしあてのひがごとなりき、古印本はぎよなうのちやうちんと假名にかけれど、後に古寫本を見れば、魚腦の燈爐とあり、これたしかなる證なり、灯爐とありては挑灯の證にはしがたしといふべけれど、上にいへるごとく、もと挑灯と灯爐はひとつ物なれば、古印本にちやうちんとあるも、後のさかしらにはあらざるべし、さて魚腦の挑灯といへるは、唐國の魚魫灯の事也、

提燈製作

〔萬金産業袋〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 挑灯類〈此條には箱と丸とのてうちんの一通幷にはりの仕やう以圖注之〉
箱でうちん、圖なし、壹尺貳寸、壹ばん壹尺壹寸五分、あいの物、壹尺壹寸、貳ばん壹尺五分、三番九寸五分、八寸飛脚でうちん、小でうちん、七寸、六寸、五寸、四寸、どうらん、かなでうちん、此類にいたりては、大キサ定まらず、あるひは角形なるもあり、紙は美濃紙にてはる也、
丸でうちん、大きサ極なし、どう、ほうづき、丸、たま子、あこだ、つぼなり、馬でうちん、〈鯨の弓をかくる〉からかさでうちん、四角、ほたる、
右の類このみにしたがふ、大キサ古代ゟの寸法に定法もなし、箱でうちんには、釣(つる)、金物、棒、同かな物いる、丸でうちんは鍱にて割底にもする有、扨張おろしと、油ひき二品あり、但てうちんには、胡粉にて紋所を書て、そのうへに油をひく事あり、火うつりてよき物也但油不引にもよし、 此竹の数六本
てうちんの大小
かたも又大小を
もちゆ
如此きざ
あり
箱でうちんの張がた也、丸き板に六ツ穴をぬきて、圖のごとく天地にし、此穴へ竹の弓をこしらへはめて、外へ少シそらし、其上へほねをむらなくならべて、麻のより糸を、大は四所、小は三所ほどづゝ、上下まつすぐにかけてつなぎとめ、扨紙をはる事也、よく干て後、右の竹の、反(そり)をはづし、内のかたをぬく也、
丸でうちんの張がた也、圖の如く中の板せつかいの如く成を六枚こしらへ、上下の鍔へはめて、かたの丸(マルミ)の外ニほねのきざを付置、是へほねをならべ、右の麻糸をかけてはる也、是もとくと糊かはきて、内のかたをはづす、
右張あげて、箱でうちんは上下の箱の内に糸のかゞりあり、是へゆひつくる、雨天の時のけふり出しのためなどゝて、上下あるひはうへ計を麻のより糸にて、幅壹寸か壹寸あまりの網をすきて、その糸の末をすぐに箱かゞりへゆひ付るも有、又内に鎖を入ル事、これ全く用心のためとぞ、又紙を四角にたゝみて、箱でうちんのごとくし、骨なしに上下に薄板を用ひてこしらゆる術、万世秘事枕といふ書にあり、是らは作意の秘曲なれ、扨京祇園のみこし洗、江戸淺草の寶前でうちんは、三尺四尺あるひは五尺七尺あるも有、加樣の類は、骨も常の丸ぢやうちんの骨にあらず、糸も麻のより糸、紙も大直し、國栖を用ゆ、朱紋墨紋あぶら引にして、二丁ならべのらうそく立、おびたゞしく大忿なる仕かけあり、然どもみな畢竟丸でうちんなれば、製作に別義なし、長サ壹丈のてうちんに、もじ奉懸御寶前等の書付をせば、是には少シ口傳あり、譬ば五文字の内、上の一字壹尺あらば、その次の字ゟ段々とちいさく、下の前の字に至りては、漸七寸位に書べし、左のごとく書ては、高き所へ引あげて、下ゟのかつこうよく見ゆる物也、此心得てうちんのみに限るべからず、一切高き所へ上る物の書付は、此心得專要なり、よく工夫有べきか、

〔甲子夜話〕

〈四十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 都下諸大名ノ往還スルニ、ソノ行裝尋常ト殊ナルアリ、眼ニ留マル所ヲコヽニ擧グ、〈○中略〉
秋田侯夜行ノ灯燈ハ、白張ニシテ紋ナシ、凶具ノ如シ、祖先ニソノ由アリテ用ヒ來ルト云、
吉田侯〈松平伊豆守〉ノ灯燈ハ、骨殊ニ太ク間アラシ、尋常ノモノト異ナリ、是モ祖先武用穿鑿ノ人アリテ、要法ヲ以テカクセリトゾ、刀ヲ以テ拂切ルトキ、骨ニ當リテ切レヌヤウニトテ、鐵ヲ以テ骨ニセリトゾ、

提燈種類

〔和漢三才圖會〕

〈三十二/家飾具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 提燈(てうちん)〈○中略〉
按、和之制褶(タヽミ)提燈、其小者曰酸漿提燈(○○○○)、後人以其無一レ雨夜、以板爲蓋、俗呼曰箱提燈(○○○)、今多用之、

〔臨時客應接〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 給仕密に客人の供へ聞て、挑灯用意なくば、箱挑燈(○○○)にても、弓張(○○)にても、小田原(○○○)にても、不落(ぶら/○○)にても、蠟燭二挺入、供の者へ渡置べし、
但風少し有とも、壹里程の處は、拾貳文蠟燭一挺にても宜けれども、步行の遲速もあれば、かけ替一挺添べし、先方より新しき蠟燭を入、挑灯を返すべき事なれば、必擧掛(ともしかけ)を入べからず、

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 一挑灯は上古にはなき物也、〈○中略〉蜷川記に云、ちやうちんはかごぢやうちん(○○○○○○○)本也、平生持候挑灯はこじつにて候哉と云々、此かごぢやうちんと云は、丸く籠を作りて紙にてはりたる物なるべし、平生持候ちやうちんとは、今の世にも用る通りの、たゝむ樣にしたるを云なるべし、〈○中略〉籠挑灯の圖左の如し、
此所を提る也
竹にて籠を組て紙をはり油を引かず 燈をともす時如此籠を上へあぐる也
今も出羽國の驛にて是を用る由、奧州信州などの驛にても用之由、見たる人、繪圖に寫して予に見せたり、

〔永享九年十月二十一日行幸記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 一入夜〈○二十五日〉三の有御舟、〈○中略〉御會所の西の馬道の軒にぎよなうの挑灯(○○○○○○○)あまたかけらる、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 享保十二年七月十八日、夜ニ入、御庭ノ木ノ枝ニ、小キホウヅキ灯燈(○○○○○○)ヲ、百カケラレタリ、御池水ニウツリテ御坐マデ耀ク、兎角ニ風景イハン方ナシ

〔雲萍雜志〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 予〈○柳澤淇園〉がいとけなき時までは、忍び提灯(○○○○)といふものありて、貴人の私用にしのびて、夜行などせらるゝ折などは、提灯に替りたる絞をしるしてともせしが、そのこと流布して、誰も誰もかはり紋をつけざる者なし、これはもと人にその人としらるまじき爲の用意なりとぞ、されば公卿武家に限るべし、

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 文化五年二月廿三日己丑、藤井入來被示曰醍醐參役供廻之事、段々聞合等被致處、一向晴ケ間敷儀も無之、尤往來共、夜分之事故申合、甚減省被致、先供相止、輿之邊ニ侍三人、其内壹人馬提燈(○○○)爲持、尤道之間、輿者足元暗ク候ハヾ、先ノ提燈壹張跡へ廻シ、箱提燈(○○○)は二張計、沓傘共人體相止、笠籠持計、勿論押へも相止候由、治定之旨被示、衣紋者も被相止候由也、

〔武江年表〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 此年間〈○文政〉記事 白き盆挑灯(○○○)切子燈籠廢れ、彩色の草花を畫る挑灯行はる、

提燈産地

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 山城 燈挑

〔新編相模國風土記稿〕

〈二十四/足柄下郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 小田原宿〈○中略〉 新宿町〈○中略〉
土産提燈 俗ニ小田原挑灯(○○○○○)ト稱スルモノ是ナリ、古へ當町ニ住ル甚左衞門ナルモノ、關本最乘寺山中ノ木材ヲモテ始テ製ス、靈山ノ木ナル故ニヤ、深夜狐媚夭怪ノ厄ヲ免ルヽ由、傳説シテ世ニ弘リ、享保ノ頃ヨリ、專ラ諸國ニ通用セリ、甚左衞門ガ家ハ斷タレド、其親屬當町ニ一戸、萬町ニ一戸アリテ、今ニ是ヲ製造スルヲ家業トナセリ、町々毎廛ニテ鬻グトイヘド、製造ハ彼二戸ニ限レリト云、

提燈用法

〔三好筑前守義長朝臣亭〈江〉御成之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 一三月〈○永祿四年〉卅日、末刻御成、〈○足利義輝、中略、〉
一御門ニちやうちん二かけて置之、御門役ニ渡之、

〔太閤記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 因幡國取鳥落城之事
大將陣の太鼓、櫓々の小太鼓、一度に打出いとかまびすし、夜々の廻番、數々の挑灯松明、行かふ光のかげ明かなれば、城中〈○鳥取〉もしやの便も賴みなく、藝州の傳も中々思ひ切てぞ有にける、

〔太閤記〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 小田原籠城之事
晝夜の廻番かず〳〵にして、夜は挑灯の光鐵炮の火に、五月やみも名のみにて、城中の上下これかれのすさまじさに、身はうつ蟬のやうになりはて、人ごゝちかすかなり、

〔當世武野俗談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 新吉原松葉屋瀨川
正德の頃とかや、江戸町茗荷やの奧州が提灯の文字、貞淸美婦胎と云五文字の裏に、假名にててれんいつはりなしと書て、中の町へ持せ道中せしとなり、

〔憲敎類典〕

〈五之十五下/江戸町觸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 元文二巳年閏十一月 頃日夜に入、御用ト書付有之挑灯、多く町中持步行候由、向後御用之外、一切持あるき申間鋪候、若自分用事等に、御用挑灯爲持步行候者有之候はゞ、召捕吟味可之候間、此旨相心得、町中不殘樣可申渡候、

〔八水隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 南郭先生小豆飯好物にて、膳に向はれし所へ、金華來られ、何を食し給ふ、あづきめし也、足下の食の俗なる事と笑われしよし、予思ふに金華先生鬼の首を、てうちんの紋に付られしを徂徠先生の見給ひて、金華が物ずきの俗なると笑はれしと也、尋常の人小豆めしを食し、鬼の首を畫してうちんとぼしたればとて、俗中には目にも立まじけれども、雅人の俗を弄ばるゝは、却て雅のさたになるもあぢなものなり、

提燈工

〔〈明和新增〉京羽二重大全〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 諸職名匠
傘〈幷〉挑燈師 今出川升形町 〈御用〉一本仁兵衞 猪熊三條上ル町 桔梗や市郎兵衞

〔守貞漫稿〕

〈六/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 挑灯張替
火袋ヲ携へ來テ、應求テ卽時記號等ヲ描キ、桐油ヲヒキテ更之、又大坂ニテハ、詞ニ傘日ガサノツヅクリ、雨障子天窻ノハリカエト呼來ルモアリ、如詞應求補之ナリ、ツヾクリハ補フノ俗語、傘日傘等全紙ヲ修補スルニ非ズ、大小ノ破損ノミヲ修スルヲ專トス、挑灯ハ三都トモニ、全ク古火囊ヲ去テ、新灯囊ニカエルナリ、

〔天保十一年武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 御挑燈師 〈佐内丁〉境屋平兵衞

提燈價

〔三省錄後編〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 予或日小石川傳通院地内なる澤藏司、稻荷の開帳古記錄を見しことあり、此開帳は享保十九甲寅年の四月朔日より初りて、同じく六月十一日までありしなり、尤其ころの錢の價も今とは相違にて、金一兩に付五貫二百文なり、是も右記錄中に見ゆ、其記に曰く、〈○中略〉
一灯燈五柱 〈屋根板釘次五寸〉共 七匁七分五厘 一くわん八ツ 貳匁四分

〔天保十三年物價書上〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 白張挑灯屋共直段取調書
白張挑灯直段
一弓張挑灯竹弓付壹張 〈當五月取調引下ゲ直段錢百七拾貳文此度猶又引下ゲ同百六拾文〉
一同鯨弓付壹張 〈同斷錢貳百七拾六文同斷同貳百五拾六文〉
一ぶら挑灯壹張 〈同斷錢百貳拾八文同斷同百貳拾文〉
一高張挑灯一式壹張 〈同斷錢四百五拾六文同斷同四百三拾貳文〉
一小田原挑灯五寸拾挺ニ付 〈同斷錢五匁壹分同斷同五匁〉
〈俗ニ岐阜挑灯と唱候〉
一薄紙繪挑灯九寸壹張 〈同斷錢百四拾文同斷同百貳拾八文〉
〈同〉
一同壹尺壹張 〈同斷錢百六拾四文同斷同百五拾貳文〉
〈同〉
一同壹尺壹寸壹張 〈同斷錢百八拾八文同斷同百七拾貳文〉
挑灯直段
一高張しげ骨新規壹張〈當五月取調引下直段銀六匁五分 但此分銀匁ニ付別段引下ゲ高は不相認、相場釣合ヲ以錢受取高引下ゲ申候、〉
一同張替壹張 〈同斷錢四百七拾貳文此度猶又引下ゲ同四百四拾文〉
一同並骨新規壹張 〈同斷錢五百七拾貳文同斷同五百三拾貳文〉
一同張替壹張 〈同斷錢貮百四拾八文同斷同貳百貳拾四文〉
一同骨替壹張 〈同斷錢貳百八拾八文同噺同貳百六拾文〉
一弓張鯨弓鎖付新規壹張 〈同斷錢四百四拾八文同斷同四百貳拾八文〉
一同竹弓鎖付新規壹張 〈同斷錢三百三拾貳文同斷同三百八文〉
一同張替壹張 〈同斷錢百三拾貳文同斷同百貳拾四文〉
一馬上腰差挑灯しげ骨新規壹張 〈同斷銀九匁貳分 但此分銀匁ニ付、別段引下ゲ高は不相認、相場釣合ヲ以錢受取高引下ゲ申候、〉 一同張替壹張 〈同斷銀貳匁五分但同斷〉
一八寸上箱挑灯新規壹張 〈同斷銀七匁但同斷〉
一九寸上箱挑灯しげ骨新規壹張 〈同斷銀八匁但同斷〉
一同張替壹張 〈同斷錢百八拾文此度猶又引下ゲ同百六拾八文〉
一尺上箱挑灯しげ骨新規壹張 〈同斷銀拾壹匁 但此分銀匁ニ付別段引下ゲ高は不相認、相場釣合ヲ以銭受取高引下ゲ申候、〉
一尺壹寸上箱挑灯しげ骨新規壹張 〈同斷銀拾三匁但同斷〉
一尺三寸上箱挑灯新規壹張 〈同斷銀貳拾匁五分但同斷〉
一ぶら挑灯新規壹張 〈同斷錢貳百三拾貮文此度尚又引下ゲ同貳百拾六文〉
一同張替壹張 〈同斷錢百貳拾四文同斷百拾六文〉
但右之外誂向等、前直段ニ准じ引下ゲ申候、
右は當五月中直段引下ゲ方取調申上置候處、此度錢相場六貫五百文ニ御定被仰渡候ニ付、右釣合ヲ以、猶又引下ゲ方、前書之通取調、此段申上候、以上、
但前書引下ゲ直段、組々〈江〉申通、挑灯屋共見世先〈江〉張札爲致置候樣可仕奉存候、此段奉伺候、
寅八月 〈三番組諸色掛リ淺草平右衞門町〉
名主 平右衞門

提燈雜載

〔北條五代記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 小田原北條家旗馬じるしの事
北條左衞門大夫家中に、相州甘繩の住人三好孫太郎といふ勇士あり、さし物に挑燈を七ツ付たり、孫太郎が七挑燈といひてかくれなし、然る所に松田肥後守よりきに、山下民部左衞門尉がさし物は、六ちやうちんなり、〈○下略〉

〔瓦礫雜考〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 俗諺 ちやうちんにつりがねといふ諺、〈○中略〉此諺はちやうちん出來てより後のことなれば、宗鑑法師が新撰犬筑波集に、片荷かるくて持やかねけん、釣がねをちやうちん賣(○○○○○○)にことづけてとあるなどや、はじめて物に見えたるならむ、

紙燭

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 紙燭 雜題云、有紙燭詩、〈紙燭、俗音之曾久、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 雜題詩無

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 紙燭(シソク)

〔倭訓栞〕

〈中編十/志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 しそく 紙燭の音也、倭名鈔に見ゆ、類聚雜要に布紙燭見ゆ、唐書に以燭涙紙繼之と見えたり、脂燭(○○)と書り、出御の時殿上人の役し、御藏の調進するは、杉のほそ木を靑紙にてまきたる也、

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260 一脂燭の事、是は座敷の上にてとぼすたいまつ也、これをしやうめいとも云也、松明と書也、婚禮にこしよせの時、女房衆しそくをさして迎に出るも、此脂燭を用る也、禁裏にて天子夜の出御に、主殿寮といふつかさの役人兩人、脂燭を持て御先に立つ也、御左に立つ人は、左にしそくを持て、左の方へしそくをなし、御右に立つ人は、右にしそくを持て、右の方へなして立也、扨脂燭は松ノ木にて作り、長〈サ〉壹尺五寸程に切りて、ふとさは徑り三分計に丸く削て、先の方を炭火にてあぶりて黑く焦す也、燒て炭にするは惡、其上に油を引てあぶりかわかすべし、扨紙屋紙を廣〈サ〉五分計に裁て、脂燭の本を左卷にまく也、脂の字あぶらとよむ字なり、松の木はあぶら有て、能火とぼる也、古書には皆脂燭の字を用たり、又本を紙にて卷たるたいまつ故、紙燭とも書也、脂の字を用事本也、元文天子櫻町院の大嘗會を行ひ給ひし時、用られし脂燭を、或人武者小路殿へ所望して、申受たりしを見しに、是は赤杉の木を用られたり、總體の拵樣右の如し、しそくの圖如左、 長サ壹尺五寸ホド丸シ
徑三分程也
先ヲ平ニ切ル本ノ方ヨリ少ホソキ心也
先を二寸程あぶりてこがす、油花ぬりて又あぶりかはかす、松のヒデを用る時は此儀に不及、
紙屋紙竪一たけにてまけば、卷數十計卷るゝなり、
此間三寸程
小口徑三分計平ニ切

〔江家次第〕

〈十/十一月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 節會〈○豐明〉次第
舞妓進舞、〈出殿南廂西方〉女官四人秉脂燭南柱立、

〔紫式部日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 御いか〈○後一條〉は、霜月のついたちの日、〈○寬弘五年、中略、〉たちあかしの光の心もとなければ、四位少將などをよびよせて、しそくさゝせて人々はみる、

〔源氏物語〕

〈四/夕顔〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 これみつにしそくめして、ありつる扇御らんずれば、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 觀硯聖人在俗時値盜人語第十八
今昔、兒共摩行シ觀硯聖人ト云者有キ、〈○中略〉觀硯吉ク見レバ、皮子共置タル迫ニ、裾濃ノ袴著タル男打臥タリ、若シ僻目ニヤト思テ、脂燭ヲ指テ寄テ見レバ實ニ有リ、

〔貫首秘抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 保元三年八月、十二日、有觸申、參内府亭、〈三條○藤原公敎〉語及頭事、被命旨註左、〈○中略〉
藏人送頭事、〈○中略〉被命云、〈○中略〉指脂燭事、近日或兩人指之在頭前之由傳聞之、不然事也、一人在前也、自餘縱雖指在後、是有事之日各指脂燭之時之事也、不然之時不一人也、

〔古今著聞集〕

〈十七/變化〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 二でうの御時、五せつ卯日の夜、とのもづかさしそくをさして、南でんの東北のすみのはしをとをりけるに、うしろよりくびのほどをおすもの有けり、則とのもづかさたえ入にけり、あはてゝ紙燭をふところに入たりける程に、衣しやうに火もえ付て、すでに死ぬべかりけるが、からくして命計はいきたりけり、

〔貞丈雜記〕

〈八/調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 一掌燈と云事は、禁中にて節會の時、主殿寮の官人、片手に脂燭を持、片手に小きほうろくの如くなる土器を持て、下より脂燭を受けて持來り、御殿の階を昇りて、主殿司と云女官 にわたす、主殿司受取て脂燭と土器を持て、坐に居るを掌燈と云、〈掌ハタナゴヽロトヨム、手の事也、〉右の土器の中に、代りの紙燭をも入置也、火の下へ落べき用心に、土器を持て下よりうくる也、

蠟燭/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 蠟燭 唐式云、少府監毎年供蠟燭七十挺

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 蠟燭(ラウソク)

〔饅頭屋本節用集〕

〈良/財寶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 蠟燭(ラツソク)

〔倭訓栞〕

〈中編二十八/良〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 らつそく 大雙紙にみゆ、蠟燭也、今らうそくといへり、四聲字苑に、竪燒曰燭とみゆ、幾挺といふ事も、西土の書に見えたり、

〔庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 蠟觸鐵輪以下進注文、悉以借預者、可使者也、

〔大上臈御名之事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 女房ことば
一らつそく むしろ〈○中略〉此たぐひ御もじをそへていふよし、

蠟燭製作

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 蠟觸 凡中華山中人、養蜂取蜜、其色白者爲白蜜、黃者爲黃蜜、藥店求之、再煉充藥劑之用、又取起黃白蜜之凝滯壺底、再煉爲蠟燭、〈○中略〉於本朝肥後豐後及石見紀伊山中、土民取蜂蜜、其良者非中華之所一レ及也、唯充藥劑之用、偶造香合而已、如蠟燭之蠟也、自漆樹之、凡製蠟燭法、其良者以髮捻心、纒燈心數莖、然後灌懸所煉之蠟、是稱木掛(○○)、又謂生掛(○○)、倭俗不他物總謂木、又稱生、木訥質樸之謂也、凡造蠟燭之、倭俗灌水幷油懸、凡蠟觸之大小數量、謂幾拾錢目釋幾挺、其輕重自二拾錢目掛五百錢目、又其麁惡者以蒹葭條心、卷燈心蠟亦加牛油、其心大而其光不赫奕、是謂牛蠟(○○)、少有臭氣、而逢雨濕之時則易爛、故點火則蠟涙如流、速爲燼而易跋、凡蠟燭自越後來者爲上、蠟色潔白而燭光明、陸奧會津、越前福居次之、

〔中山傳信錄〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 燈〈燭○中略〉
燭如黃蠟而色黑、國中有油樹、取其子油爲之、

〔本朝食鑑〕

〈一/火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 燈火 附燈花燭火保久知(ホクチ)火
集解、〈○中略〉燭者蠟燭也、本邦蠟燭用漆樹皮而造之、又有蟲蠟樹皮之造、此伊保多(イボタ)蠟也、倶無毒、但雖燈草無一レ害、然蠟心有油者不好用焉、

〔本朝世事談綺〕

〈二/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 蠟燭
文祿年中までは、日本に蠟燭なし、助左衞門が獻ずるらうそくに傚てこれを製す、蠟を採もの凡五種あり、漆樹(うるしのき)、荏桐(ゑぎり)、榛(はち)、ダマノ木、烏臼木(うきうもく)、また女貞木(いぼたのき)よりも取ると本草にあり、雍州府志に云、黃白の蜜壼の底に凝滯ものを取て蠟とす、
唐らうそくは、眞に葭を用る、よつて折として立消のあるもの也、本朝の人これを考へ、燈心を卷て眞とす、はなはだ上品なり、

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/火燭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 蠟燭、鄭玄儀禮注云、古燭未用蠟、直以薪蒸、卽是燒柴取明耳、亦或剝樺皮之、亦已精矣、然曲禮曰、燭不跋、則是必有質可篸乃始有跋耳、曲禮或是有蠟燭、後從其所見而言之耶、〈跋とは禮記上客担、燭不跋註跋、燭本聚殘本客見之知夜深淺、而慮主人倦也、〉こゝにはもと舶來しだるを用ひしなるべし、義堂日工集〈一〉蠟燭十條など出たるも、異國より渡りしならむ、〈○中略〉
續五元集に、上蠟かけは蜀黍の眞といふ句あり、今もろこし殻の心を用ゆるは、わろき蠟燭なり、奧州にてせつかんらうそくと云は、蜀黍を心にしたる、松脂の蠟燭なり、燃て眞たつ時、頭を敲く故の名なり、

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 蠟燭掛 らうそくをつくるをかくるといふ、蠟は會津を第一とす、其外所々より出る、かけてをやとひてこれを造る、下に牛らうをかけ、うへに本らうをかけてするなり、

蠟燭種類

〔武江年表〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 天保八年丁酉 八月、薩摩蠟燭(○○○○)售(あきな)ひ始む、魚蠟と號す、

〔經濟要錄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 脂膏第十一 松脂ノ用モ亦少カラズ、此ヲ圓ク長ク一尺計ノ棒ノ如ク調製ヘテ、笹ノ葉ニ包ミ、燈火ノ代リニ用ヒ、或ハ魚油ヲ和シ、俗ニ云フ薩摩蠟燭ナル者ニ造リ、〈○下略〉

〔骨董集〕

〈上編中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 挑燈
羽州松脂蠟燭(○○○○)圖〈○圖略〉 長曲尺八寸五分餘、かたち粽に似たり、
笹の葉に松脂をつゝみて、蠟燭のかはりとし、次に圖〈○圖略〉を出せる籠挑灯の竹の筒に立て、火をともすなり、

〔八水隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 小なる蠟燭を、世にかふかんじ(○○○○○)といふ、延寶のころ、京橋一丁目に越前屋九右衞門とて、紙蠟燭を商し店あり、淺草仰願寺の院主、心やすく常に參られしが、ある時咄に、佛前つとめの節とぼし候蠟燭、大きくて不自由なり、小さくは出來間敷やと申されし故、それこそやすき事なりとて、小さき蠟燭を製しつゝ送られければ、院主殊の外よろこび、常にたのまれけるまゝ、此蠟燭を拵置しに、所々よりきゝおよびて取にきたり、かうぐはんじの誂故、その名をいつとなく、かうぐはんじとよび傳へ、今世上にひろまり、外々にても此蠟燭を製し、願をあやまり、かんと覺え、つゐにかうかんじと披露す、此越前屋九右衞門、則淺井九右衞門先祖にて、土方七郎右衞門にも祖なりと、土方氏の物語なり、

〔守貞漫稿〕

〈十八/雜服附雜事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 嘉永二年印行、古風ト流布トヲ、相撲番附ニ擬スル、其流布ノ方大關以下左ノ如シ、〈○中略〉
一文字ノ蠟燭(○○○○○○)〈江戸地製ノ物也〉

〔山陽遺稿〕

〈十/雜著〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 蠟燭説
會津産蠟、蠟燭最著、有華蠟燭(○○○)者、繪其膚、華紋繡錯、燦可目、余數得於其人、試之、非明也、則置之筐、以供觀玩、而用以燒、乃無華者、夫蠟燭何用哉、玩之邪、抑照物也、苟照物而明矣、雖観可一レ玩、而名 爲燭、不愧矣、名爲燭、而其實無明、安在其爲蠟燭乎、且求物之可觀玩煮何必用蠟燭、今儒士、亦國之蠟燭也、爲物雖微、無此莫以燭治亂而救昏暗、凝其膏潤、含其光明、舍之可藏、以待擧用、唯不擧也、擧則可以辨群物四疆、類如橡之燭者、則古之賢才豪傑也、次之而下、隨質之小大、皆可用燭一レ物、是之謂儒已、而今或以爲席上之珍、以玩物之、而儒亦以玩物自規、其名曰儒、儒邪俳優邪、徒藻繪其外、而驗其中之通且明、不悃幅之俗士、是華蠟燭耳、然彼燭也、特曰其華之無一レ明云爾、非燭也、則是不以比焉邪、添川仲穎會津産也、質厚好學善文、而不人、吾知其爲燭不一レ華蠟燭也、於其歸此以勉之、

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/火燭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 寶永の册子に、懷紙ろうそく(○○○○○○)といへるは、今の懷中らうそく(○○○○○○)なるべし、嶺南雜記、西洋燭有大至十餘斤一對者云々、又有一種細如箸、綿絮爲心、盤折如膏環鏾子、欲點則引長、其燭息則盤之可巾箱、明而耐久、かゝれば、懷中蠟燭は、もと西洋の製に倣ひしもの歟、

蠟燭産地

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 山城 蠟燭 陸奧 蠟燭 越後 蠟燭

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 蠟燭 會津所出其絶品冠于他邦

進獻賜與

〔親俊日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 天文八年七月四日〈己亥〉一奧州大崎山伏先達蠟燭十挺持來之

〔甲陽軍鑑〕

〈十一/品第三十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 一永祿十一辰年六月上旬に、甲州信玄公より、信州伊奈飯田城代秋山伯耆守を御使に被成、美濃國岐阜の織田信長公へ、御緣者御祝儀の御音信、樽肴作法のごとく、
一越後有明の蠟燭三千張〈○下略〉

〔太閤記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 呂尊より渡る壺之事
泉州堺津菜屋助右衞門といひし町人、小琉球呂尊へ去年の夏相渡、〈文祿甲午〉七月七日歸朝せしが、其比堺の代官は、石田木工助にて有しゆへ、奏者として唐の傘、蠟觸千挺、生たる麝香二疋上奉り御禮申上、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 慶長十四年十月廿日、はりまのまつだいらじゞう、らうそく千丁しん上申、日ろはしくわんじゆ寺日ろうあり、長はしより兩人まで文いづる、

〔玉露叢〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徒ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一御蠟燭 三百挺 眞田伊豆守信之〈○中略〉
一御蠟燭 二百挺 眞田内記信政

〔寬政四年武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 松平肥後守容頌〈○陸奧會津〉 獻上〈銀二十枚蠟燭三百挺〉 時獻上〈在著御禮〉蠟燭二種一荷〈○中略〉
〈十二月〉三百目懸蠟燭
前田大和守利以〈○上野七日市〉 獻上〈蠟燭一箱金馬代〉
佐竹右京大夫義和〈○出羽久保田〉 時獻上〈歸國御禮〉白鳥蠟燭
上杉彈正大弼治廣〈○出羽米澤〉 時獻上〈歸國御禮〉蠟燭
酒井大學頭忠崇〈○出羽松山〉 獻上〈御太刀銀馬代蠟燭百挺〉
丹羽加賀守長貴〈○陸奧二本松〉 時獻上〈在著御禮〉蠟燭、二種一荷、
南部慶次郎信敬〈○陸奧盛岡〉 時獻上〈在著御禮〉蠟燭、二種一荷、

〔寬政四年武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 松平山城守信古〈○出羽上ノ山〉 獻上〈蠟燭二筥銀馬代〉
溝口龜次郎直侯〈○越後新發田〉 獻上〈蠟燭二筥金馬代〉
津輕出羽守寧親〈○陸奧弘前〉 獻上〈蠟燭二百挺金馬代〉
堀内藏頭直晧〈○信濃須坂〉 獻上〈蠟燭一筥銀馬代〉
六郷佐渡守政正〈○出羽本庄〉 獻上〈蠟燭一箱銀馬代〉
大關伊豫守增輔〈○下野黑羽〉 獻上〈蠟燭一箱銀馬代〉

蠟燭用法

〔宗五大草紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 色々の事
一蠟燭のさき取事、ぬきて取はわろし、其儘可取、乍去やうによるべし、公方樣にて猿樂の時、舞臺にとぼされ候有明の先をば、御供衆の内に若衆御とり候、それも立ながら先を御とり候、先ながれたるらうを御取候て、さきを入候物に入られ候て、扨さきを御取候、兩の御手にてはさみ御切侯、常の先とるやうにはなし、しるしがたし、又御前にとぼされ候水の臺のしむをも、さしながら御取候、さきとりはだいに候へども、こなたより先とり、さき入候物をも御持參候て御取候、又さき取故實には、あさ〳〵と取たるがよく候、ふかく取候へば、ふときゆる事も候、〈○中略〉又わたましの時は、公私共に蠟燭は朱をかけず候、又衣裝も男女共にしろし、

〔大内問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 一御能の時、舞臺の燈臺は、いかやうの人體可持參候哉の事、於殿中は御供衆の役にて候、參候衣第は、一二三四と次第候、まだしんを取候事は、御前の方より取申候、しんとり候事は、臺ながら取事本義にて候、らふそくを取おろしてとる事は不然候、但さやうにも成候はで、不叶樣にも候はゞ不力候、總別大事の物にて候、火など散候はぬやうに取べし、はさみに而取候事可然候、こゝろを添候はねば、仕合あしく候、

〔家中竹馬記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 一御前のらうそくのさきを取事、公方樣御覽ぜらるゝ御通りをば、御供衆の中にも、御一家の被取なり、其やうは膝まづきて蠟燭をぬきて、さきをとらるゝなり、

〔萬寶鄙事記〕

〈五/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 蠟燭を水にひたせばながれず、今夜用るには、その朝より浸しをくべし、臘冰(らうすい/しはすのみづ)に久く浸せば尤よし、

〔太平記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 笠置軍事附陶山小見山夜討事
陶山小見山〈○中略〉閑々ト本堂へ上テ見レバ、是ゾ皇居ト覺テ、蠟燭數多所々被燃テ、振鈴ノ聲幽也

〔劍璽渡御記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 元弘元年十月六日、今日劒璽自六波羅亭御禁中、〈○中略〉大藏省所進之新造辛櫃、 〈○註略〉舁居簾前、〈緣端〉蠟燭、〈武士持參之、立弘廂、〉小時上卿參議參仕云々、此間撿知劒璽、是文治例也、職事許可撿知之處、日來强委不見知之間、實繼朝臣召加之、定親差蠟燭、隆蔭實繼朝臣等撿知之

〔太平記〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 大森彦七事
盛長〈○大森〉化物ヲバ取テ押ヘタルゾ、火ヲ持テヨレト申ケレバ、警固ノ者共兎角シテ起アガリ、蠟燭ヲ炷テ見ニ、盛長ガ押ヘタル膝ヲ持擧ント蠢勸ケル、

〔明良洪範〕

〈續篇十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 老人ノ話ニ、昔慶長ノ中頃、駿府ニテ權現樣〈○德川家康〉御鷹野ニ御出遊バサレシニ、急御用之有、成瀨隼人殿其外御役人出座シテ、御狀認メラレ候時、隼人殿坊主衆ヲ呼テ、燈シサシノ蠟燭之アリ候ハヾ立候ヘト御申故、二三寸計リ有燈シ殘ノラウ燭ヲ立申候、扨御狀御仕舞早々御前へ出ラレ、其跡ニ矢張ラウソク立是有候處へ、御目付衆參ラレ、之ヲ見ラレ大ニ驚キ、坊主衆ヲ呼テ、何迚ラウソクヲ立置候ヤ、此事相知候ハヾ、急度曲事ニ仰付ラルベシト、大キニ叱申サレ候、坊主衆答テ、隼人殿御用ニ付立候ヘト御申故、燈シ殘リノ蠟燭ヲ立申候由申候ヘバ、隼人殿御申ニテ立候ハヾ相濟次第早々消申ベキ事ナルニ、其儘打捨置候段不埓千万也ト立腹セラレ候由承候、

〔槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 享保十二年十月廿九日夜、參候、〈○山科道安〉津輕殿ヨリ獻上ノ蠟燭ヲトボサレテ、御ウツシ物ヲ遊バス、〈○近衞家煕〉其光リ明ニシテ油煙ナク、色白キコト白雪ノ如クニシテ細シ、他ノ蠟燭ノ數丁ガケニタツコトナシ、奇麗ナルコト云バカリナシ、是コソ夜會ノ御茶ニ、然ルベシト申上シニ、サレバトヨ、其種瓣ニ云ツカハセシ也ト仰ラル、

〔享保集成絲綸錄〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 寶永二酉年五月
一振舞之節、蠟燭立候儀不叶所は各別、其外は隨分減少候樣ニ可仕事、〈○中略〉
五月

〔天保集成絲綸錄〕

〈八十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 天明八申年十一月
御目付〈江〉
蠟燭受取候斷之儀、非常其外無據差懸假受取ニいたし候儀も有之候はゞ、右之分は其翌日御賄所〈江〉之斷書差出可申候、斷延引ニ無之樣、蠟燭受取候向々江可達候事、
天明八申年十二月
御目付〈江〉
先達而相達候、諸向役所入用受取物位下ゲ員數減方等之儀、諸色不殘取調候迄者、餘程手間取可申ニ付、右之内先蠟燭之分相糺、早々可申聞候、向々受取高以來小形相用候はゞ、懸ケ目減候丈御益ニ相成候間、右樣之所をも厚く勘弁可致候、
十二月

蠟燭商

〔〈明和新增〉京羽二重〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 諸職名匠
蠟燭屋 七本松通笹屋町 〈御用〉越後屋德兵衞 室町上立賣上ル町 〈同〉十一屋淸兵衞
中立賣烏丸西〈江〉入町 〈同〉三河屋理兵衞 烏丸上長者町下ル町 〈同〉三文字屋三右衞門 麩屋町姉小路上ル町 〈同〉本前九右衞門

〔國花萬葉記〕

〈六/攝津〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 大坂名匠諸職商人並諸問屋
掛蠟燭屋 兩替町 對馬守 谷町 河内屋庄兵衞 尼崎町 さくらや長兵衞
梶木町 難波や與左衞門 舟町 塚本や庄右衞門 今橋筋 堺筋 御堂之前南北ニ有

〔天保十一年武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 御蠟燭屋
〈大門通あぶら丁〉 佐藤四郎兵衞 〈本所みどり丁五丁メ〉 落合傳左衞門

〔江戸總鹿子〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 蠟燭屋 鎌倉河岸 石墨伊右衞門 同所 同 久左衞門 大傳馬町貳丁目 三河や作兵衞〈○此外九軒略〉

〔諸問屋再興調〕

〈別帳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 享保度ヨリ寬政度迄、諸商人之内、問屋ト定候名目取調申上候書付、〈○中略〉
〈内店組〉一絹布太物繰綿小間物雛人形蠟燭問屋 〈安永度人數十五人寬政度同六十七人○中略〉
〈紙店組〉一紙蠟燭問屋 〈安永度人數十人寬政度同六人〉〈二番紙店組〉一紙蠟燭問屋 〈安永度人數二十一人寬政度同十九人〉
〈三番紙店組〉一紙蠟燭荒物問屋 〈安永度人數九人寬政度同二十一人○中略〉
〈住吉組〉一下リ蠟燭荒物問屋 〈安永度人數三十人寬政度同六十人○中略〉
寬政之頃合七百貳拾九株〈○中略〉
一地懸蠟燭屋 二百八十人
一燈心屋 一人
是者寬政五丑年六月言上、御帳付人數ニ御座候、
申二月廿六日 〈堀江町名主〉熊井理左衞門

〔諸問屋再興調〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 蠟燭燈心問屋之儀、天保度兩問屋被仰付候處、去ル丑年中、諸株御停止後者、御領主樣より右燈心御當地荷置場ニ而御賣捌相成候處、今般諸問屋再興ニ付、如元兩問屋ニ相成候而者、諸雜費口錢等相嵩、村方難澀筋ニ付、是迄之通、荷置場ニ而御賣捌御仕法、御居置可相成哉、右ニ付、下々事實之趣、密々御尋ニ付、承探候趣左ニ奉申上候、
一常州山根之内、大形村、田上村、高岡村、藤澤村、上坂田村、大畑村、下坂田村、眞鍋村、此八ケ村藺草作付之場所ニ而、先年者、右村之燈心も彈左衞門引請場所ニ候處、市中地掛蠟燭屋共御用方蠟燭賣品共、眞燈心ニ差支候ニ付、彈左衞門引請場之内、右八ケ村産蠟燭眞燈心ニ限、地掛蠟燭屋買場ニ 願立、享保九辰年三月、諏訪美濃守樣御勤役中、於御評定所仰付候處、問屋無之候而者、不取締ニ付、同年より寬政二戌年迄、燈心問屋相建置候處、問屋相續成兼、同三亥年五月中ヨリ、蠟燭屋行事持ニ而問屋被仰付、天保九戌年迄相續仕候處、同年御領主樣ヨリ國産御仕法替之御沙汰有之、大草能登守樣御勤役中、御尋御座候處、下々ヨリ差支申立差縺候上、同十一子年中、八ケ村ヨリ燈心問屋壹人、蠟燭屋ヨリ燈心問屋壹人相立、隔月ニ荷物差配可致旨被仰渡、其後去ル丑年、問屋御停止後者、御領主樣ヨリ荷置場之唱ニ而、桶町壹町目源兵衞地借堺屋六郎兵衞、常州住宅ニ付、店預リ人常七ト申もの、八ケ村荷物一手ニ差配致し、眞燈心賣捌罷在候處、一手賣ニ相成候ニ付、荷物送方ニ欠引有之候間、地懸蠟燭屋共者、差支勝ニ相成候儀も、間々有之候由、
一天保十一子年、兩問屋被仰付候節、爲取替證文ケ條之内ニ、壹ケ年凡千箇程も作出し可申積、又年々六月、兩問屋蠟燭屋行事貳人宛、村方江罷越、村役人仲買立合、藺草豐凶を見合苅取、凡三尺程ト見積、極上、大上、並上、中上ト四段ニ定、長短尺取極、極上ニ而直段相定、次々ハ貳百目閲又飛切者百目開ニ相場相立、壹ケ年千箇程之内、壹ケ月五拾箇程ヅヽ月々差送、豐凶之節者、右格合ニ准じ送來候而、兩問屋月番之方〈江〉相送、其筋一同立合、目方相改候積、口錢之儀者、七步五厘ヅヽ、兩問屋〈江〉蠟燭屋ヨリ差出候、此口錢を以、問屋雜費ニ可致積、代金者目方改候上、兩問屋ヨリ荷主〈江〉相渡、尤荷主ヨリ山口錢ト唱、荷物代金壹兩ニ付銀壹匁ヅヽ、荷主ヨリ請取候而、荷主問屋ニ逗留中、飯料其外取賄候積、御用燈心之儀者、月始ニ五箇ヅヽ御用方〈江〉相納、口錢二步五厘ヅヽ、問屋〈江〉相渡候積、秤之儀ハ六貫目木棹相用、燈心壹筏極上凡銀百匁前後之目當、其外ニも廉々規定取極置候間、今般諸問屋再興ニ付、山根八ケ村産蠟燭燈心問屋之儀者、天保十一子年十二月、被抑渡之仕法を以、再興被仰付候而も、荷主共方ニ而、諸雜費口錢等追々相嵩、村方之もの難儀之筋申立候者、不相當之儀ニ而、全事實トハ相聞不申、子年爲取替證文ニ、口錢其外廉々之取極は古復致し候得者、 雜費口錢可相增謂無之候間、意味合承樣候處、問屋御停止以來、御領主樣御買上ニ相成、堺屋六郎兵衞出店支配人常八、一手賣方差配致し候間、御國産之御手捌之御仕樣振ニ相聞候處、今般兩問屋相建、荷物賣捌方、子年中取極之通古復致し候得者、御領主樣御益筋昌可相拘哉之風評ニ而、荷主其之手元江響合候儀ニ者相聞不申候由、尤兩問屋捌中、
〈天保九戊年同十亥年〉
一飛切燈心 金壹兩ニ付 壹貫九百目
一極上同 同斷 貳貫目
一大上同 同斷 貳貫貳百目
丑年以來山根問屋一方賣之直段
〈天保十三寅年〉
一極上燈心 金壹兩ニ付 壹貫百五拾目
〈同十四卯年〉
一同 同斷 壹貫貳百目
〈弘化元辰年〉
一同 同斷 壹貫貳百七拾目
〈同二巳年〉
一同 同斷 壹貫三百五拾目
〈同三午年〉
一同 同斷 壹貫四百五拾目
〈同四未年〉
一同 同斷 壹貫五百五拾目
〈嘉永元申年〉
一同 同斷 壹貫六百五拾目
但酉年ヨリ亥年迄三ケ年者、品拂底ニ御座候、
右直段者豐凶ニ寄、高下有之候得共、荷置場一手賣相成候以來者、兩問屋之節ヨリ直段高直ニ相成申候間、兩問屋ニ相成、賣方不仕候而者、相庭引下方行屆兼、市中蠟燭直段ニ相響申候由、御尋ニ付密々奉申上候、以上、
子〈○嘉永五年〉二月 〈諸色掛〉名主共

蠟燭價

〔三省錄〕

〈四/附言〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 水藩の檜山氏が、慶安五〈辰〉年四月十五日ゟ同廿二日まで、〈○註略〉水府の御宮別當なる東叡山中吉祥院が、江戸ゟ水戸〈江〉下りたりし時分の賄料請取品、直段書付、幷入用をしるしたるものを見せたるが、其直段の下直なる事おどろく計也、〈○中略〉一らうそく 拾挺 〈壹挺ニ付〉代貳拾四文ヅヽ

〔諸問屋再興調〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 今般諸色直段引下ゲ御主意に而、問屋再興被仰億、荷物仕入引請高、商法相立候ニ付、生蠟問屋共直段引下ゲ候ニ付、地掛蠟燭之儀も、左之通引下ゲ賣買仕候、
一代錢百文ニ付上蠟燭 是迄掛目三拾貳匁之處 引下ゲ三拾四匁
一同百文ニ付中蠟燭 是迄掛目三拾四匁之處 同 三拾六匁
一同百文ニ付下蠟燭 是迄掛目三拾六匁之處 同 三拾八匁
右之通引下ゲ賣捌申候、猶此上生蠟直段引下候得バ、右ニ准じ、私共儀も引下ゲ方仕、其時々可申上候、以上、
嘉永四年九月
〈地掛蠟燭屋 神田佐久間町四丁目宇八店〉〈會津屋〉甚助印〈○外二人略〉

蠟燭雜載

〔大安寺伽藍緣起幷流記資財帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 合蠟燭肆拾斤捌兩〈通物〉

〔日本新永代藏〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 千貫目持の印判おして深き心
下男燭臺挑燈の掃除して、流れつき亢る蠟を、塵塚にすつるを、市助是を私に下されませといふ、大所につかはるゝ下男、いらばとつていきなと、頤にてゆるしけるを、市助ながれを集め、奉書の反古を四五枚もらひ、是にやう〳〵と包みあまるをとかくして、一禮いひて大津へもどりがけに、京極の蠟燭屋に立よつて、是を賣らんといふに、元來上々生蠟のながれなれば、三百七十文につけるを、色々としゐて四百三十五文に賣、蠟をわたし、反古は入なりととつて歸り、〈○下略〉

〔守貞漫稿〕

〈六/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 蠟燭之流買
挑灯燭臺等、都テ燭ノ流レ餘ル蠟ヲ買集ム、風呂敷ヲ負ヒ秤ヲ携フ、

〔皇都午睡〕

〈三編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 江戸市中〈○中略〉蠟燭の櫃賣は格別、いか程買ふ共、一挺々々紙にて卷あり、〈○中略〉都て跡の埓よき事のみをしたるなり、〈○中略〉
吉原芝居町などへは、蠟燭の流れ買ふ〳〵とも云ひ步行けり、

〔橘庵漫筆〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 世俗蠟燭の尻を吹く事つねなりしを、年頃不審かりしに、予〈○田宮仲宣〉游歷中、田家に居を卜する頃、野狐甚多く、夜行唯提灯のらうそくを取らるゝ事、數度有て困れり、或人敎て曰、らうそくの尻を吹くべしと、扨其後は試にらうそくの尻を吹くに、再び野狐に取らるゝうれひなし、夫野狐は人の息のかゝりたる物を喰はず、人の食ひ餘りの物を食する事なし、故に斯のごとし、夜行蠟燭の尻を吹がよろし、

松明/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 松明 唐式云、毎城油一斗、松明十斤、〈今按、松明者今之續松乎、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 通鑑唐肅宗紀注、松明者、松枯而油存、可之以爲一レ明、燕間錄云、深山老松、心有油者如蠟、山西人多以代燭、謂之松明、松明見貞觀儀式大嘗儀、續松見三代實錄仁和元年紀、及大嘗祭主殿寮等式、都以末都(○○○○)、見伊勢物語、空物語吹上上卷、卽續松也、或謂之太以末都(○○○○)、見空物語吹上下卷、蓋燃松之義、按、軍防令義解云、松明、是松之有脂者、是松明謂松樹赤心、今俗呼松秀是也、續松疑用松明造炬火、今俗呼多以末都者、則卽續松也、不松明、然齋宮寮式云、松明三百把、大嘗祭式云、松明四荷、似續松松明、故源君注云松明者今之續松乎也、

〔倭訓栞〕

〈前編十六/都〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 ついまつ 和名抄に松明をよめり、三代實錄に續松と書り、伊勢物語にも見えたり、手火松とは別也、松のひでを物してまとひつぎて燒故に、續松といふ也、よてついまつの墨してと書り、淸少納言もさるさましたり、こゝにや本づきけん、

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 炬(タイマツ)〈或作松明、或作續松、〉

〔日本釋名〕

〈下/雜器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 松明(タイマツ) たきまつ也、いときと通ず、又ついまつ共云、つぎまつなり、ついはつくなり、故に續松ともかく、又手火(タビ)なり、手にもちてともす火なり、日本紀神代上卷に、秉炬をたびとよめり、手火なり、今も邊鄙の人はたひと云、

〔東雅〕

〈八/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 燈燭トモシビ〈○中略〉 倭名鈔に、〈○中略〉唐式の松明は、今按今之續松乎と見えしは、俗に夕ヒマツといふ是也、タヒは手火也、伊弉諾神湯津爪櫛の雄柱を牽折て、秉炬となされしと見えし、卽此物の始也、

〔倭訓栞〕

〈中編十三/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 たひまつ 手火松の義、千金翼に、松明是肥松木節也と見えたり、燋は俗にいふ手たひまつなり、〈○中略〉兵家に雨だいまつあり、風前燭也、筍(タケノコ)だひまつあり、

〔類聚名物考〕

〈調度十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 たいまつ 燒松 焚松
たきまつなり、イをキにかよはすつねのならひなり、焚松の意なり、またついまつはつぎまつにて續松なり、松の心を俗にひでと云ふものは、脂有りて甚だあぶらあるもの故、よくもゆる故、是をともすを本にして、松とのみいへり、その外竹蘆にてするをも、本によりて松とはいふなり、

〔令義解〕

〈五/軍防〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 凡火炬、乾葦作心、葦上用乾草節縛、縛處周廻、插肥松明(○○)、〈謂松明是松之有脂者也〉

松明製作

〔宗長息女婚禮記錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 息女出給ふ時、〈○中略〉其時の次第如此に候間、記置候也、ケ樣之次第を能々見分て分別古實之事也、〈○中略〉
續松之寸法之事、長サ貳十八束、口傳有、大サ一尺八寸迴り、卷目貳拾七有、
評曰、一尺八寸ハ一天八方也、卷目廿七ハ牛宿ヲ除也、
甲斐守殿にては、續松之長サ三十六束也、大サ同前也、卷目三十六也、卷やうは銚子と同じ事也、是天地陰陽の表義也、白絹にて包也、公家方に而者淺黃の絹に而包也、條々口傳、

松明種類

〔義經記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 かゞみの宿にて吉次宿にがうとう入事
ゆりの太郎、ふぢさはに申けるは、みやこに聞え亢る吉次といふ金あき人、奧州へ下るとて、おほくのうり物をもち、こよひ長者のもとにやどりたり、いかゞすべきといひければ、〈○中略〉くつきやうのあしがるども五六人、はらまききて、あぶらさしたるくるまだいまつ(○○○○○○○)五六たひに火をつけて、天にさしあげゝれば、ほかはくらけれども、内は日中のやうにこしらへ、〈○下略〉

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/火燭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 義經記二油さしたる車だいまつ、是は圓光大師傳一夜討の圖に見えたり、束ねたる松明を三ツ四ツほどをひとつにし、中を結て車のごとくにして、めぐりに火をつけたるを、家内に投入て明りとするなり、是に油をそゝぎたるべし、こは常に用べきものならず、

〔太平記〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 三角入道謀叛事
城中ノ兵共、始ハ夜討ノ入ヨト心得テ、櫓々ニ兵共弦音シテ、抛續松(○○○)屛ヨリ外へ投出、靜返テ見ケルガ、〈○下略〉

〔謠曲〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 烏帽子折
〈シテ〉不思議やな、うちには吉次兄弟ならでは有まじきが、扨何者か有、〈ツレ〉投束苣(ナゲタイマツ)の陰より見れば、年の程十二三計成稚き者、小太刀にて切て廻り候は、さながら蝶鳥の如く成よし申候、

松明用法

〔延喜武〕

〈五/齋宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 月料〈小月物別減廿分之一○中略〉 松明三百把

〔延喜式〕

〈六/齋院〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 凡齋王參下上兩社祭日、入夜山城國儲松明、掾若目一人祗承、其名簿前一日進官、

〔延喜式〕

〈三十六/主殿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 釋奠料〈春秋並同○中略〉 松明七十把〈五十把燎五所料、廿把燒幣物料、○中略〉
加茂神祭料〈○中略〉 續松五十把
松尾祭料 續松卅把、炭一石、

〔世俗淺深秘抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 一不大將大臣騎馬之時、夜取松明者、先例樣々也、或經大將人、雜色長取松明、或 大將以前猶小隨身取之、或雜色取松明、然而皆多其難、如王子王孫者、若大將以前小隨身可宜歟、不然輩束帶時馬副、不然者雜色有何難哉、

〔門室有職抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 續松
續松ハ僧綱二燃、凡僧一燃也、二燃ハ左右共ニ門内ニテ燃之、門外ハ有禁儀也云々、

〔今川大雙紙〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 躾式法の事
一娶取のせうめいの役の事、庭上に役人左右にかしこまる、左の役人は右の手と右の膝をつきて、左の手にたい松を持つ、右の役人は、左の手と左の膝をつきて、右の手にたい松を持、扨事すぎ候て後、兩方のせうめいを其庭にて一ツに取合て、しもべにとらする也、

〔成氏年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 一御所造幷御新造之御移徙ノ樣體之事、〈○中略〉御移徙ハ夜陰也、公方樣御直垂ニテ、松明役ハ御所奉行、御車之左ハ梶原名字、右ハ佐々木名字ナド面々參、松明紙燭本也、然者長春院殿樣御移徙之時ハ蠟燭也、松明ト云字、依御祝言此書也、先達宿老被申上也、

〔播磨風土記〕

〈揖保郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 松尾阜、品太天皇〈○應神〉巡行之時、於此處日暮、卽取此阜松之燎、故名松尾

〔三代實錄〕

〈四十七/光孝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 仁和元年四月乙卯朔、是夜巡撿朝堂院、近衞等捕得一人、〓持油炭續松等、忽入火於瓫、以紙縛其口、〈○下略〉

〔空穗物語〕

〈吹上ノ下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 三月中の十日ばかりに、ふぢいの宮にふぢの花の宴し給ふ、〈○中略〉よにいりてついまつ(○○○○)まいる、ゐだけ三尺ばかりのしろがねのこまいぬ、くちあふげていすへて、ぢむのからのほそぐみして、ついまつにながくたひて、よ一夜ともしたり、

〔空穗物語〕

〈初秋二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 たいまつ(○○○○)のひかりに中將みるに、ましてさらなり、御ぐしのほどたけ五尺ばかりあまりて、すこしこまうかれするかみを、かきあらひたるすなはちひとせなかこぼるゝまであり、

〔伊勢物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 むかし男有けり、その男いせの國にかりのつかひにいきけるに、〈○中略〉女がたより出す盃のうらに、歌を書て出したり、取てみれば、
かち人のわたれどぬれぬえにしあれば、とかきてすへはなし、その盃のうらに、つゐ松のすみして歌のすゑを書つぐ、
又あふさかの關はこへなん、とて明ればをはりの國へこえにけり、

〔古今著聞集〕

〈三/政道忠臣〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 村上御時、南殿出御ありけるに、諸司の下部の年たけたるが、南階の邊に候けるをめして、當時の政道をば、世にはいかゞ申すと御尋有げれば、目出度候とこそ申候へ、但主殿寮に松明多く入候、率分堂に草候と奏たりければ、御門大きにはぢおぼしめしてけり、

〔枕草子〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 ありがたきもの
りんじのまつりのでうがくなどはいみじうおかし、とのもりの官人などの、ながき松をたかくともして、くびはひき入てゆけば、さきはさしつけつばかりなるに、〈○下略〉

〔枕草子〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 いとくらやみなるに、さきにともしたる松の煙のかの、車にかゝれるもいとおかし、

〔日本紀略〕

〈十四/後一條〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 長元九年正月二日辛巳、今夜藏人頭左近衞中將俊家朝臣隨身、敺損藏人頭左中辨經輔朝臣隨身、先以弓打肩、次雜色以續松之、

〔續古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 宇治殿臨時客ニ、堀川右大臣尊者ニテ、コトハテヽイデラレケルトキ、兼賴、俊家、能長、基平ミナ子孫ナリ、上達部ニテイデラレケレバ、マツヲトリテ前行セラレケリ、

〔吾妻鏡〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 嘉禎二年八月四日戊子、戌刻將軍家〈○藤原賴經〉若宮大路新造御所御移徙也、自武州御亭渡御、〈御束帶〉御乘車、〈○中略〉備中左近大夫、美作前司等取松明

〔吾妻鏡〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 寬元三年六月七日庚午、鎌倉中民居、毎人用意續松、若夜討殺害人等出來之時者、就聲面々取松明、可奔出之由、被仰于保々、淸左衞門尉、萬年九郎兵衞尉等奉行之、

〔吾妻鏡〕

〈四十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 建長五年八月十六日甲辰、鶴岡馬場流鏑馬以下如例、將軍家〈○宗尊親王〉御出、〈○中略〉秉燭之程還御取松明云云、

〔太平記〕

〈三十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 北野通夜物語事附靑砥左衞門事
或時此靑砥左衞門、夜ニ入テ出仕シケルニ、イツモ燧袋ニ入テ持タル錢ヲ、十文取ハヅシテ、滑河ヘゾ落シ入タリケルヲ、少事ノ物ナレバ、ヨシサテモアレカシトテコソ、行過ベカリシガ、以外ニ周章テ、其邊ノ町屋へ、人ヲ走ラカシ、錢五十文ヲ以テ、續松ヲ十把買テ、則是ヲ燃シテ遂ニ十文ノ錢ヲゾ求得タリケル、

〔謠曲〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 烏帽子折
〈シテ〉扨束苣(タイマツ)の占手は如何に、〈ツレ〉一の束苣は切て落し、二の束苣はふみけし、三は取て投歸して候が、三がみつながら消て候、〈シテ〉夫こそ大事よ、夫束苣の占手といつは、一のたいまつは軍神、二の束苣は時の運、三は我等が命なるに、みつがみつながら消るならば、今夜の夜討は扨よな、

〔寶藏〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 續松
君子は安而不危、存而不亡、治而不亂、是以身安而國家可保也とも侍れば、靜なる御代ながら、辻切酒狂人町送の溢(あふれ)者のそなへに、竹をわり松をつゝみて結ひをかせしも、ほこりにまぶれ烟にふすぼりて、夢にだも用ゆる事なきぞ、九重にすめる甲斐ありていとうれし、又いやなるは新物故身(あらたにものふれるみ)を龕前堂にかき居て、威儀たゞしき僧の何をのたまふやらんしらず、聲に甲乙をなして、目をほそめつ、又は見開きつ、丸くふりあげ道場になげうちて、たうとき方へ導るに、つき出せる鉢の音こそ餘所ながら聞も、哀なるよりはまづ、うそ氣味わうけれ、きらふもあやなたとひ五百八十年七まがりの命をたもつとも、其八まがりめは寂滅の貝より外にふくものもあるまじきを、猶在五中將の尾張へ出立給ふに、齋宮の御方よりのさかづきに、渡れどぬれぬえにしあれ ばと、上の句をかきて出し紿へるに、中將たいまつのすみして、又めふさかの關はこえなんと下の句をかきつぎ給ふぞおもしろきより羨けれ、うらやむもうすじほなり、人がらといひ情といひ、及ばぬといふもおろかなれば、まつのおもはん事もはづかし、
月あかき尾花や風の手たいまつ
續松縛置歷何年 盜竊無興封境全 醫術純(モツハラ)論未病 用心正在然前

炬火

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 炬火 唐韻云、爝〈卽略反、與雀同〉炬火也、字書云、炬〈其呂反、上聲之重、訓與燈同、俗云太天阿加之(○○○○○)、〉束薪灼之、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 按、其屬群母、牙音單行無輕重、此云重未詳、新撰字鏡、炬、止毛志火、雄略記火炬、顯宗紀爝火、皆同訓、故此云訓與燈同也、〈○中略〉按、説文、苣束葦燒、徐鉉曰、今俗別作炬、卽此義、

〔令義解〕

〈五/軍防〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 凡火炬(○○)乾葦作心、葦上用乾草節縛、縛處周廻插肥松明、〈謂松明是松之有脂者也〉並所貯十具以上、於舍下架積著、〈謂兼有烟貯、故云並也、架猶棚也、〉不雨濕

〔儀式〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 正月七日儀
乘輿還宮日若逮昏、主殿寮秉燭左右各廿炬(○)、列立殿庭、左右衞門門部各秉燭、自萬秋延明雨門、分列顯陽承歡兩堂前、其客徒賜祿畢退出、左右衞士各二人秉燭、迎儀鸞門朱雀門外

〔延喜式〕

〈五/齋宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 初齋院別當以下員
別當五位二人、〈一人命婦、○中略〉火炬(○○)小子二人、〈○中略〉
新造炊殿忌火庭火祭〈○中略〉
火炬二人〈取同國(山城)葛野郡秦氏童女
右始初齋院于參入太神宮奉仕、其齋王入伊勢齋宮卽各替却、
凡騫内親王月料及節料等、皆准在京、其官人〈○中略〉火炬小女二人、〈別米一升四合、鹽二勺四撮、〉

〔延喜式〕

〈四十六/左右衞門〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 凡黃昏之後、〈○中略〉其宮門皆令衞士炬一レ火、〈閤門亦同〉

〔新儀式〕

〈四/臨時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 童相撲事
昏黑時、主殿寮入左靑鎖和德兩門、各供炬火事畢還御、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 十三年八月、播磨國御井隈人文石小麻呂有力强心肆暴虐、〈○中略〉於是天皇遣春日小野臣大樹、領敢死士一百並持火炬宅而燒時、自火炎中白狗暴出、逐大樹臣

〔東大寺要錄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 年中節會支度〈寬平年中日記〉
一十四日〈○十二月〉万燈會
二石五斗御明坏万口直 一石五斗〈燈柱直○中略〉 一石四面點家拼木直 二石柱松(○○)四十抱直

〔今昔物語〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 平維茂郎等被殺語第四
太郎介モ主ノ送リシテ私ノ宿ニ行ヌ、其ニモ私ノ儲爲ル者共有ケレバ、樣々ニ食物菓子酒秣蒭ナド持運テ喤ル、九月晦比ノ事ナレバ、庭暗ケレバ所々ニ柱松(○○)ヲ立タリ、太郎介物食ヒ畢テ高枕シテ寢ヌ、〈○中略〉介ガ臥タル所ニハ、布大幕ヲ二重計引キ廻シタレバ、箭ナド可通クモ无シ庭ニ立タル柱松共ノ光リ晝ノ樣ニ明シ、郎等共不緩シテ廻レバ、露ノ怖レ可有クモ无シ、

〔狹衣〕

〈三中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 たちあかし(○○○○○)のひるよりもあかきに、わか宮の御なをしなど、あざやかにしたてられ給へる、おとなしき御さまのゆゝしさを、誰も〳〵涙をながして見奉るに、〈○下略〉

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 何事もふるき世のみぞしたはしき、今やうは無下にいやしくこそなりゆくめれ、〈○中略〉いにしへは車もたげよ、火かゝげよとこそいひしを、今やうの人はもてあげよ、かきあげよといふ、主殿寮の人數だてといふべきを、たちあかししろくせよといひ、最勝講の御聽聞所なるをば、御かうのろとこそいふを、かうろといふくちおしとぞ、ふるき人は仰られし、

庭燎

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 庭燎 四聲字苑云、燎〈力照反、和名邇波比、毛詩有庭燎篇、〉庭火也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 周禮司炬氏注、樹於門外大燭、於門内庭燎、玉篇、火在門外燭、於内曰 庭燎、卽是義按、周禮閽人注、燎、地燭也、疏、百根葦皆以布纒之、以蜜塗其上、若今蠟燭矣、然則燎與皇國爾波比頗不同、又按、説文、燎、放火也、轉爲庭燎

〔令義解〕

〈一/職員〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 主殿寮
頭一人掌〈○中略〉松柴、炭燎〈謂柴、薪柴、燎(○)、庭燎(○○)、〉等事

〔令義解〕

〈五/宮衞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 凡理門致夜燃(○)火(○)、〈謂内及中外三門、皆衛士燃火也、〉幷大器貯水、監察諸出入者

〔儀式〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 正月十六日踏歌儀
日旣逮昏、執燎(○)者列殿庭常、

〔西宮記〕

〈臨時三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 藤花宴
天曆三年四月十二日、於飛香舍藤花宴、〈○中略〉次有歌事、〈○中略〉于時月光雖朗、猶召庭燎、次々獻歌、次伊尹取文臺、右兵衞佐淸正講師、藏人頭雅信、左少將朝成秉燭、

〔大江俊矩記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 文化七年八月十九日辛丑、内侍所假殿渡御也、〈○中略〉庭燎(○○)之松木命主殿寮置弓場空柱邊、臨期炬之事者出納小舍人等申含置了、

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 篝火 漢書陳勝傳云、夜篝火、〈師説云、比乎加々利邇須、今案漁者以鐵作篝盛照水者名之、此類乎、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 原書篝作構、顔師古注云、構謂結起也、史記作篝、集解徐廣曰、篝、籠也、索隱、郭璞云、篝、籠也、按、徐廣司馬貞以籠解篝、然則其意蓋謂鐵造籠以覆燃火也、漢書注、其義與此不同、疑源君引史記、誤爲漢書也、龜策傳、以〓燭此地、音義云、然火而籠罩其上、構與篝同、王念孫曰、篝者籠絡之名、楚辭招魂、秦篝齊縷、王逸注云、篝絡也、〈○中略〉新撰字鏡、爐、鉪、〓皆訓加加利、按、加加利與爀訓加加也久同語、

〔萬葉集〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282濳鸕人作歌一首
賣比河波能(メヒガハノ)、波夜伎瀨其等爾(ハヤキセゴトニ)、可我里佐之(カガリサシ)、夜蘇登毛乃乎波(ヤソトモノヲハ)、宇加波多知家里(ウガハタチケリ)、

〔紫式部日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 五日夜〈○後一條帝寬弘五年九月十一日生〉は、殿の御うぶやしなひ、十五日の月くもりなくおもしろきに、池のみぎはちかう、かゞり火どもを木のしたにともしつゝ、年木どもたてわたす、

〔源氏物語〕

〈二十七/笧火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 おまへのかゞり火すこしきえがたなるを、御ともなる右近のたいふをめして、ともしつけさせ給、いと凉しげなるやり水のほとりに氣色ことにひろごりたる、まゆみの木のしたに、打まつおどろ〳〵しからぬほどにをきて、さししぞきてともしたれば、御前のかたはいとすゞしくおかしきほどなるひかりに、女の御さまみるかひありて、〈○中略〉かへりうく覺しやすらふ、たえず人さぶらひてともしつけよ、夏の月なきほどは、にはのひかりなきいと物むつかしく、おぼつかなしやとのたまふ、

〔永享九年十月二十一日行幸記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 一入夜〈○二十五日〉三の有御舟、〈○中略〉桂の男かちかうぶりにて、御池の鰭中島などに篝を燒、

〔三好筑前守義長朝臣亭〈江〉御成之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 一三月〈○永祿四年〉卅日、未刻御成、〈○足利義輝、中略、〉
一舞臺燭臺二、狼烟も二所ニ在之、かゞりの事、百疋下行ニ候、殿中にて百疋下行之由、綠阿物語之

〔甲子夜話〕

〈三十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 日野一位資枝卿、アル闇夜ニ端居セラレテ酒宴アリシトキ、一僕ニ命ゼラレテ、鐵籠ノ柄付タル篝火(○○○○○○○○○)ヲ持テ、遣水池水ノアタリ、其所得タル邊ニ在ベシトノ旨ナリシヲ、僕ヨク心得テ、築山ノ茂ミヨリ篝火ヲサシ出シケレバ、持ル人ノ形ハ見ヘデ、篝火ノミ水ニ映ジテ、頗ル興ヲ添ケリ、

〔築城記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 一力ヾヲ燒は、干タル木を長クツミ、風面ヨリ火ヲツクル也、又生木ヲバ多ツミテ消ざるやうに燒也、何も木多ツミ、火フトクツヨク見え候樣に燒候也、
○按ズルニ、四十八ケ所ノ篝ノ事ハ、官位部遠國職篇ニ在リ、

火鑽/熟艾

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 火鑽 内典云、譬如因燧因鑽〈音賛、和名比岐利(○○○)、〉而得生火、〈涅槃經文也〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 按、鑽卽鑽錐、訓岐利、鑽錐穿物訓岐留、求火者、堅木作鑽錐、以鑽柏木版、如鑽錐穿一レ木、則得火、故名比岐利、柏木名比乃岐、以是也〈○中略〉原書聖行品、北本因鑽下有因手因乾牛糞六字、南本作因手因乾草五字、此節文、注五字、疑後人所加、非源君舊文、按、説文、鑽所以穿也、卽鑽錐字、以爲火鑽者轉注也、

〔令義解〕

〈五/軍防〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 凡兵士、〈○中略〉毎五十人、火鑽一具、熟艾(○○)一斤、

〔儀式〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 踐祚大嘗祭儀上
神祇官差卜部三人、申官差遣紀伊淡路阿波等國、監作由加物、〈○中略〉阿波國〈○中略〉鉋二枚、火鑽三枚、並令忌部及潜女等量程造備

〔儀式〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 踐祚大嘗祭儀中
祭七日鎭大嘗宮齋殿地、〈○中略〉燒灰率造酒童女參進、童女始鑽木燧(○○)、次稻實公鑽出火、次燒灰吹火、次子弟以松明之、〈○中略〉卯日〈○中略〉時刻悠紀主基共發齋場大嘗宮、〈悠紀自宮城東路、主基自西路、共南行、〉其行列也、〈○中略〉次木燧一荷、〈納白筥二合、呉竹爲臺、覆以綠纐纈、結以木綿、以布綱之、其上插賢木、擔丁一人、部領左右一人相夾、〉

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 水戸神之孫櫛八玉神爲膳夫、獻天御饗之時、禱白而櫛八玉神化鵜入海底、咋出底之波邇、〈此二字以音〉作天八十毘良迦〈此三字以音〉而、鎌海布之柄燧臼(○○)、以海蓴之柄燧杵(○○)而、鑽出火云、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 和名抄に、火鑽和名比岐利、燧和名比宇知とあり、凡て火を出すに、打と切との異あり、中卷倭建命段に、以其火打而打出火とある、是打火にて尋常の如し、又上代より忌て淸くする火は皆鑽出すことにて、〈火打をば用ひず、火切を用ふ、是いかなる故にか其意は知がたし、然るを木より出るは陽火、金より出るは陰火なる故なりなど云は、例の取るに足らぬ漢意なり、〉今に至るまでも大神宮の御饌炊く火などは然なり、〈故に伊勢國にては、必しも切り出されども、別に忌淸め亡る火をば切火といふなり、〉玉葉〈月輪兼實公の記錄〉に、神宮之習不火打火切と見えたり、さて伎留(キル)と云は、輾磨(キシ)ると本同言なるべし、今俗には毛美火(モミビ)とも云り、靈異記に、鑽岐里(キリ)又母美(モミ)とあれば、古より毛(モ) 牟(ム)とも云しなり、〈錐にて穴を穿(エル)を、俗に伎理毛美(キリモミ)と云、錐といふ名は伎留具(キルモノ)なる故なるに、其伎留(キル)ち毛牟(モム)とも云る、是も同言なり、〉さて右の和名抄、又書紀倭建命ノ段に、以燧出火とあるなどに依れば、燧は火打(ヒウチ)なるに、此の燧臼燧杵の燧を、肥伎理(ヒキリ)と訓は、如何と思ふ人あるべけれど、燧は火打にも火切にも通はし用ふべき字なり、〈燧字注に、取火具など云、禮記内則篇に、左佩金燧、右佩木燧、註に金燧取火於日、木燧鑽火也と云り、木燧にては火を打出すべき由なければ、これ火切りなること明らけし、〉和名抄に鑽を比岐利(ヒキリ)、燧を比宇知(ヒウチ)と分たるは、やゝ後の事にぞ有ける、さて火を切出す法は、まづ鑽ノ字を所以穿也とも、穿器也とも注せると、錐字の注に、穿器之鏡者似鑽而小と云るとを、合せて思ふに、漢國にては鑽は錐の如くに、鋭らねども、穴を穿る器の名なり、然るに又鑽燧と云ことも、古き漢籍に見えたるを思へば、火を取にも、かの鑽と云器に似たる物〈いはゆる燧是なり、必しも金に限らず、木なるものあり、かの木燧これなり、〉を以て、穴を穿るが如くに碾(キシ)り揉(モミ)て出せしと見えたり、さて今此に燧臼燧杵とあるを、其に思合すれば、御國にても、火を切るは、然爲しこと知られたり、〈火切を以碾(キシ)り揉狀(モムサマ)、物を春に似たる故に、臼杵とは云るなるべし、今も大神宮忌火屋殿にて、神供を炊く火は、皆切火なり、其法は、よく枯たる檜の木口を切り、その木口の中央にすこしくぼみを付て、又錐の柄の如くなる木を以て、力を入れてかの木口をつよくもみて、火を出すなり、右の杵は檜にても、又は山枇杷といふ木にても作るとなり、〉大嘗祭式に、次火燧一荷〈納筥二合、呉竹爲足、覆以綠纈、夫一人、〉と見え、〈此は悠紀主基兩國供物等を、齋場より大嘗宮へ運ぶ行列の中に見ゆ、〉また火鑽三枚、〈是は阿波國より、造備て獻る種々ノ物の中に見ゆ、〉また云々火鑽三枚、已上料鐵二廷〈此は神服を織る處の作具の中に見ゆ、此は御饌などを次く料の火を切具には非る故に、鐵を以造るにや、委くは知がたし、〉など見ゆ、〈○中略〉
おひつぎの考
出火
國造世々、神火相續とて、第一の大事とす、今世に至るまでも、國造新に世を嗣むとする時は、まづ意宇郡なる大庭社にゆきて、神火神水を受續ぐ式あり、そは神代の火切臼、火切杵と云て天照大神より天穗日命に授け賜ひしより、國造家に代々第一の神寶としイ、、傳來たる寶物あるを、はじめ大庭社にゆく時、これを袋ながら、みづから頸に懸て持行き、此火切臼、火切杵を以て 神火をつぐ、これを火繼と云り、さる故に、國造の世がはりを火繼と云なり、さて火繼竟りて、國造となりぬれば、食膳をとゝのふるにも、常に此神火を用ひて、其をつゝしむこといと〳〵嚴重にして、かりにも他火を用ることなし、さて又毎年正月元日に、火祭と云て、かの禪代の火切臼、火切杵と云を祭るわざあり、又毎年十一月中の卯日に、國造かの大庭社にゆきて、新嘗會と云ことありて、國造はじめて新穀を食はる、此時は熊野社より火切板、火切杵を彼社人持來て、火を切出て、饌をとゝのへて國造に獻る式あり、其熊野の社人の持來る火切板は、長さ三尺許、廣さ五六寸、厚さ一寸ばかりなる檜の板なり、火切杵は、長さ二尺五六寸ばかりなる、細き空木のまろ木にて、是は板杵ともに、年毎に新に造れる物にて、是を以て火をもみ出すなり、さて又神水と云は、意宇郡山代村に、天眞名井と云あり、式なる眞名井神社これなり、かの大庭社より十四五町東北の方にあり、國造新嘗の時、此井の水を用ふることゝぞ、

〔類聚名物考調度〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 燧杵 ひきりきね
火をするには檜木の臼を作り、同木の杵にて錐をもむ樣にすれば、火出るなり、臼とは板の片端をくぼめて横に筋を入て、節はそこより火の出れば、火くそをそこに置時は、火うつるものなり、これ口傳の秘事なり、きるは褶と同じ、この詞つねにかよはしいへり、

〔年中行事秘抄〕

〈六月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 内膳司供忌火御飯事〈未明供之〉
舊記云、垂仁天皇之代、倭姫皇女爲伊勢太神御杖代、〈○中略〉有一隻鶴、守八根稻穗長八握、可瑞穗、倭姫皇女使人苅採、欲太神之御食、卽折木枝刺合出火、炊彼稻米太神給、從此時神嘗祭發、故毎神態火炊爨、謂之忌火、良有以也者、〈○中略〉高橋氏文云、天皇〈○景行〉五十三年八月、行幸伊世轉入東國、冬十月、到上總國安房浮島宮、〈○中略〉是時上總國安房大神〈乎〉御食〈都〉神〈止〉坐奉、爲湯坐連等始祖、意富賣布連之子豐日連〈乎〉、令火鑽〈氐〉、此〈乎〉忌火〈止〉爲〈天〉伊波比由麻閉〈天〉供御食

〔新撰字鏡〕

〈石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 礊〈苦革反、出火之石、火宇知石(○○○○)、〉

〔同〕

〈金〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 鈥〈加奈比、又火打(○○)〉

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 燧 古史考云、燧人氏造鑽燧〈音遂、和名比宇知、〉始出火、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 初學記引、燧人初作燧火、人始燔炙、禮記正義、太平御覽並引云、有聖人火德王、造作鑽燧、出火云云、號曰燧人、皆與此少異、藝文類聚、初學記、並引禮含文嘉曰、燧人始鑽木取火、亦其事、按、鑒鑽木得火、燧以金取火於日者、詳見珍寶部火精條、是鑽燧二物不同、以鑽木火謂之燧人者、統言之耳、又按、比宇知、金石相擊得火者、燧以金取火於日者、則不燧爲比宇知、明堂灸經用火法云、諸蕃部落用鐶鐵䃈石火出者、可以當皇國比宇知、依之西土古來、似金石火者、然新唐書車服志、武官五品已上、佩䪓韘七事、佩刀刀子礪石、契苾眞噦厥針筒火石是、所謂火石、亦當火之石、然則唐時已有金石得火者

〔下學集〕

〈下/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 火燧(ヒウチ)

〔倭訓栞〕

〈前編二十五/比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 ひうち 日本紀、倭名鈔に燧をよめり、火を擊出すの具なり、靈異記に燧をひきりびと訓ず、新撰字鏡に磬をひうち石とよめり、今諸國に産す、本草にいふ玉火石なるべし、伊勢度會郡の村名に火打石あり、旅立人に火打を贈る事、歌集に多く見えたり、日本武尊の故事に起れり、古事景行記にくはし、〈○中略〉火打金は火鎌又火刀と見えたり、

〔古事記〕

〈中/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 爾天皇亦頻詔倭建命、言向和平東方十二道之荒夫琉神及摩都樓波奴人等、〈○中略〉故受命罷行之時、參入伊勢大御神宮、拜神朝廷、卽白其姨倭比賣命者、〈○中略〉倭比賣命賜草那藝劒、〈那藝二字以音〉亦賜御囊而、詔若有急事玆囊口、〈○中略〉故爾到相武國之時、其國造詐白、於此野中大沼、住是沼中之神、甚道速振神也、於是看行其神、入坐其野、爾其國造火著其野、故知欺而解開其姨倭比賣之所給囊口而見者、火打有其裏、於是先以其御刀撥草、以其火打而打出火、著向火而燒退、還出皆切滅其國造等

〔源平盛衰記〕

〈四十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 神鏡神璽都入幷三種寶劒事
景行天皇四十年夏六月ニ、東夷背朝家、關ヨリ東不靜、〈○中略〉十月朔癸丑、日本武尊道ニ出給フ、戊午先伊勢太神宮ヲ拜シ給フ、嚴宮倭姫命ヲ以、今蒙天皇之命、赴東征諸叛者、コヽニ倭姫命、天叢雲劔ヲ取テ、日本武尊ニ奉授云、愼テ無懈事、汝東征センニ危カラン時、以此劒防テ、可助事、又錦袋ヲ披テ異賊ヲ平ケヨトテ、叢雲劒ニ錦袋ヲ被付タリ、日本武尊是ヲ給テ、東向、駿河國浮島原ニ著給、其所凶徒等、尊欺ンガ爲ニ、此野ニハ麋多シ、狩シテ遊給ヘト申ス、尊野ニ出テ、枯野荻搔分々々狩シ給ヘバ凶徒枯野ニ火ヲ放テ尊ヲ燒殺サントス、野火四方ヨリ燃來テ、尊難遁カリケレバ、佩給ヘル叢雲劒ヲ拔テ打振給ヘバ、卯ニ向草一里マデコソ切タリケレ、爰ニテ野火ハ止ヌ、又其後劔ニ付タル錦袋ヲ披見ルニ燧アリ、尊自石ノカドヲ取テ火ヲ打出、是ヨリ野ニ付タレバ、風忽ニ起テ、猛火夷賊ニ吹覆、凶徒悉ニ燒亡ヌ、偖コソ其所ヲバ燒詰ノ里トハ申ナレバ、此ヨリシテ天叢雲劒ヲバ草薙劒ト名タリ、彼燧ト申ハ、天照太神、百王ノ末ノ帝マデ、我御貌ヲ見奉ラントテ、自御鏡ニ移サセ給ケルニ、初ノ鑄損ノ鏡ハ、紀伊國日前宮御座、第二度御鏡ヲ取上御覽ジケルニ、取弛メ打落シ、三ニ破タルヲ、燧ニナシ給ヘリ、彼燧ヲ錦袋ニ入、劒ニ被付タリケル也、今ノ世マデニ、人腰刀ニ錦ノ赤皮ヲ下テ、燧袋ト云事ハ此故也、

〔常陸國風土記〕

〈久慈郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 郡西里靜織里、〈○中略〉北有小水、丹石交雜、色似㻞碧、火鑽尤好、故以號玉川

〔紀貫之集〕

〈八/別〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 おなじ少將〈○藤原師氏〉のもとへ行人に、火うちの調度をてうじて、それにたきものを、くはへてやるによめる、
をり〳〵に打てたく火の煙あらば心ざす香を忍べとぞ思ふ

〔後撰和歌集〕

〈十九/離別羇旅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 とをきくにへまかりけるともだちに、火うちにそへてつかはしける、よみ人しらず このたびも我を忘れぬものならばうちみんたびに思ひ出なん

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 治承四年六月廿三日甲辰、此日密々有嫁娶事、〈○中略〉召贄殿打火付塗籠中燈爐、〈禮用脂燭火、今度無此儀、仍以略儀打火、〉

〔雍州府志〕

〈六/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 燧石 處々出、然鞍馬山之産爲火、鞍馬松尾東山腹造小堂、一人居其内長繩於蒭蕢、有往來之人則卸是蕢於往來之路頭、有燧石則多少隨其心錢於蕢内、於玆提擧芻蕢、應其錢之多少而盛燧石於蕢内再卸之、買者取得之而歸、是謂鞍馬蕢下、凡鞍馬山下土豪多剃髮、故謂鞍馬坊主、倭俗謂僧稱坊主、其餘亦剃髮者總謂坊主、卸斯蕢者、土豪坊主中二三家主斯事、或又賣市中

〔雍州府志〕

〈七/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 〓 倶都和、所々製之、然大佛門前明珍所作爲良、又攝津國譽田一口所作亦好、倭俗造〓謂磨、製(○)〓家又作(○○○○)燧(○)能鑽火、

〔雲根志〕

〈前編二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 火打石
火打石は名産多し、國々諸山或は大河等にあり、色形一ならず、山城國鞍馬にあるは色靑し、美濃國養老瀧の産同じ、此二品甚だよし、伊賀國種生の庄に膏藥石あり色甚だ黑し、兼好法師が住居せし時に、靜弁が筑紫へまかりしに、火うちを贈ると書る是也、阿波國より出るはこれに次、筑後火川、近江狼川は下品也、水晶石英の類も、よく火を出せども、石性やはらかにして、永く用ひがたし、加賀或は常陸の水戸、奧州津輕等の馬腦大によし、駿河の火打坂にも上品あり、共に本草の玉火石の類なるべし、

〔雲根志〕

〈三編二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 燧石
火打石、伊賀國名張郡上三谷奧田といふ所にあり、俗奧田石といふ、色黑く堅し、同村に小谷石といふあり、同品なり、又長坂村にあり、道久保(みちくぼ)石といふ、色薄白く筋あり、又阿波郡内保村にあり、色 黃なり、土中より堀出す、又山田郡畑村より東へ三十餘町山中にあり、色白し、赤白黑の斑文あり、

〔蒹葭堂雜錄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 今世火燧の木の面に、 本家明珍 と記せることは、一説に、享保九年辰三月廿一日、大坂堀江橘通二丁目金屋喜兵衞借屋妙智といへる老尼の宅より火出て、大火に及しより、妙智の火は能出るといへる譬よりして、文字を書更、明珍とせしよし言傳ふれども、是は正しく無稽の者の妄説にして、左にはあらず、明珍は鍛冶職の名字なり、〈○中略〉按ずるに、明珍は胄の鉢の鍛冶職なり、後世火燧をも錬て販しより其名殘れり、尤餘の鍛冶に勝れて、明珍の火燧は錬よきを以て、世に名高かりし故、終に火燧の銘とはなれるなり、然るに後世其火燧と共に、火口(ほくち)をも商ひて、是にも明珍の名を袋にしるせしより、今は火口の製法家の名と心得し人も有て、其濫觴を知人少し、

〔〈浪花襍誌〉街迺噂〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 鶴人、なるほどさやう〳〵モシ其火口箱(ほくちばこ)も御覽じやし、江戸より四角で厶リヤ正、そして鎌もちいさく、石も鼠色で厶リヤス、万松、なるほど大同小異でありやすねい、然し江戸でも近頃は此鼠色の石が、流行いたしやすよ、文政の中頃迄專ありやした、眞白な火打石よりは、此方が火が出るといふことで厶リヤス、鶴人なるほどさうかも知やせん、火口(ほくち)も大坂では旅火口で厶リヤス、江戸のやうな麻殼や、もろこし殻は用ひやせん、千長、へゝ引それでは鎌も微(ちい)さくて間に合ヤス、どふりで火口箱も小ぶりで厶リヤス、

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 乞食集りて、摺火打にてたばこのむ、呵る體なし、

〔守貞漫稿〕

〈後集四/雜器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 燧囊
燧鐵、京坂ニテハヒウチガ子、江戸ニテハヒウチガマト云、上州吉井氏ノ製ヲ良トス、
火口ホクチト訓ズ、蒲穗ヲ以テ製之、黑赤二種アリ、三都トモ燧囊ニハ用之、京坂日用ニモ用之、江戸常ニハ火口木ト云、草幹ヲ燒キ炭トシテ用之、故ニ蒲製ヲ特ニ熊野火口ト云、日用ニモ稀ニ用 之家アリ、
燧石、京坂ハ淡靑ノ石ヲ用ヒ、江戸ニテハ白石ヲ用フ、

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 山城 燧石 摺火打 紀伊 燧 阿波 火打崎燧石 豐後久多見燧肥後 火打石

〔國花萬葉記〕

〈一/山城〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 諸職名匠
鍛冶所 〈火打〉明珍〈伏見かいだう〉 〈火打〉久吉〈上同所〉 〈同〉吉守〈三條白川橋〉
金銀竹本土石
燧石 鞍馬山ふごおろし石 稻荷山ノ飴石

〔續江戸砂子〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 江府名産〈幷近在近國〉
刃金燧〈所々にてひさぐ、しかれどもこれを根元と稱ス、〉 〈芝神明まへ〉升屋三郎兵衞

〔西遊雜記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 新地城〈○豐前小倉〉ゆへにさしての舊跡なし、産物〈○中略〉火打あり、是も産物とし價金壹分までの火打有り、火の出る事尤妙なり、

燧袋

〔尺素往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 蘇合圓、〈○中略〉阿伽陀藥幷臘藥等者、當世人々、火燧袋之底、面々小藥器之中、必齎持之

〔古今要覽稿〕

〈器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 火打袋
火打袋は火うちを入るゝ料なり、古事記に日本武尊東夷を征し給ふ時、倭比賣命より贈り給ひしぞはじめなる、
河内國交野郡渚村郷士某氏所傳燧袋圖〈弘賢藏○圖略〉
菖蒲革を以て造る、同革を以て底を入れ、前後縫めあり、深さ四寸八分、口廣五寸五分、腹のめぐり一尺一寸、底の徑二寸、うらは朽損じてなし、縫ひたる絲わづかに殘りて見ゆ、
越後國農家所佩燧袋圖〈○圖略〉 木綿糸を以て網を製す、底は革を用ゆ、色は好にまかす、或は縹一段、白一段、或は紺白二筋を用ひ、袋に燧と石とを納れ、竹筒にホクチを入る、中に節をこめて兩口なり、蓋は木を用ひて造る、大小長短好にまかせて定なし、農人耕作に出る時は、かならずこれを佩ぶといふ、
有明袋 表さよみ、裏紅絹、七寸四方に縫て、四の角を中央にて合、緣にたゝみつけて、三角にしたるものなり、緖一筋にて紳縮自在なる樣にせしものなり、按に是も又火打袋なり、後世うきよ袋といふものは、此形をうつせしなり、
製作
倭姫命の日本武尊にさづけ給ひしものは、錦の袋なるよし、盛衰記にしるせしかど、古事記には囊とのみ記されたれば、いかゞあるべき、古畫に見え花る所は、錦の類とおぼしきものあり、古物の今に存したるには、革もて造りしもあれば、〈弘賢所藏〉人々の好にまかすべきにや、又公家方にては、錦の類、武家にては革を用ひけるにや、

〔宗五大草紙〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 色々の事
一火打袋は四十以後さぐる、但それも晴の時は斟酌あるべし、殊に大なるはわろし、さりながら宿老入道はくるしからず、

〔武雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 一御前又は晴の時、火打袋を付け候事、若き人はあるまじく候、四十以後は御案内申上に不及さげ可申候、但病者などは藥を入候間、わかき人も御案内申上候てさげ候はん歟、

〔武雜記補註〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 火打袋は、火うちがま、火打石、ほくちなどを入る袋也、此袋は太刀かたなに付る物也、これは軍陣又は旅行夜道等の用心の爲なり、然る間御前又ははれなる時には、入用になき物なる故、付候事は有まじき也、火打袋は織物などを丸く切て、さしわたし幅七寸計にして、うらを付縫て、へりに糸にてかゞりを付け、緖を通して引しめる也、今のきんちやくといふ物 は、此火打袋にくすりをも入て持也、

〔公方樣正月御事始之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 一刀を人に遣候時、自然火打袋をさげ申候時は、取候て懷中仕候て、さて可出候、袋共に遘事不之、

〔源平盛衰記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 圓滿院大輔登山事
圓滿院ノ大輔ハ、宇治ノ軍ヲ脱レ出テ、〈○中略〉ツク〳〵物ヲ案ズレバ、山僧ノ心替ヨリ角成ヌト、不安思ヘリ、〈○中略〉速ニ登山シテ堂舍佛閣悉魔滅ノ煙トナサバヤト、大惡心ヲ發シ、燧附茸硫黃ナド用意シテ、燧袋ニシツラヒ入、形ヲ修行者法師ニ造成シテ、山門ヘコソ忍登レ、

〔太平記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 公家武家榮枯易地事
都ニハ佐々木佐渡判官入道道譽ヲ始トシテ、在京ノ大名、衆ヲ結デ茶ノ會ヲ始メ、日々寄合活計ヲ盡ス、〈○中略〉五番ノ頭人ハ、只今爲立タル鎧一縮ニ、鮫懸タル白太刀、柄鞘皆金ニテ打クヽミタル刀ニ、虎ノ皮ノ火打袋ヲサゲ、一樣ニ是ヲ引ク、

〔太平記〕

〈三十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 北野通夜物語事附靑砥左衞門事
或時此靑砥左衞門夜ニ入テ出仕シケルニ、イツモ燧袋ニ入テ持タル錢ヲ、十文取ハヅシテ、滑河ゾ落シ入タリケルヲ、〈○下略〉

〔總見記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 信長公元服初陣風俗事
信長ノ御形儀、甚以テ異相ナリ、不斷著シ給フ明衣(カタビラ)ノ兩袖ヲホツシニナサレ、半袴、燧袋、色々數多著サセラル、

〔細川家記〕

〈十三/忠興〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 慶長八年四月廿一日、忠利君へ之御書、〈○中略〉
一ひうち袋二ツ〈○中略〉 一ひうち袋之とめ廿七遣候事〈○中略〉
四月廿一日 御判 内記殿〈進候〉

〔茶道筌蹄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 著用類
火打袋 利休形、アヅキ皮、紐利休茶、小刀は堤鞘同樣節なし、杉入底、

〔利休茶道具圖繪〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 指柯燧衭(さすかひうちぶくろ)の寸法
一燧衭縱五寸八分縫立なり 横五寸四分縫立なり 一地おらんだもめん
一裏このみ次第 一緖色こんびらうど四つ打長さ 五尺〈貳つに折、圖のごとく付る、○圖略〉
一緖通しあな口より 壹寸三分の所に付る〈○下略〉

〔守貞漫稿〕

〈後集四/雜器〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 燧囊〈○圖略〉
今製ノ燧囊、馬皮朱漆ニテ圖ノ如ク製シ、底ノ外ニ燧鐵ヲ造リ付タル物多シ、根付ハ壳アケト名ケ、牙角或ハ金屬ニテ造之、烟草半灰ノ時是ニアケ、再吸ニ備フ也、此具旅中用ナレバ、步行ノ間ニ用之コト多キ故也、
此具、烟草入ヨリハ小形ニ製ス、此圖大ニテ誤レリ、〈○圖略〉
燧石ト火口バ囊中ニ納ル、蓋此形ハ民間旅行用ニテ、武士用之ハ稀トス、又燧鐵モ尻ニ付ズ、囊中ニ納ムモアリ、又幅二寸計ノ燕口ヲ、縮緬等ノ裁ニテ自製シ、石鐵火口ヲ納レ、懷中スル人モアリ、此形ハ士民トモニ用フ也、

燧箱

〔大和物語〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 をのゝこまちと云人、正月にきよみづにまうでにけり、〈○中略〉をのゝこまちあやしがりて、つれなきやうにて、人をやりてみせければ、みのひとつきたるほうしの、こしにひうちげ(○○○○)などゆいつけたるなん、すみにゐたるといひけり、

〔古今要覽稿〕

〈器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 ひうちげ
ひうちげは燧笥なるべし、今も越後國の農家にてホクチをいれて、腰に佩る物あり、木にて壺 のかたちちいさくつくりて、口をかたくせしものなり、ふか田にいりて、水にひたりても、ホクチのしめらぬためなりといふ、これ火うち笥といふべきものなり、又當國〈○武藏〉兒玉郡にて、ホクチをいるゝものを、ヒゲンといふ、これは火打笥の轉ぜしなるべし、

〔寶藏〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 火打箱
夏官燧を鑽て火を改るに、春は東方の靑に隨て、楡柳の火を用ひ、夏は南方の赤に隨て、棗杏の火を用ゆるは、異朝の政令、周禮の古法と聞けれど、民間の火打箱といふは、其沙汰にも及ばず、七八寸四方なる箱をまち〳〵に隔て、鞍馬の石、大佛の燧など取あつめ、鍋炭したゝかに入をき、毎日火はけち〳〵と打ならして、朝もよひ飢渴のたすけをぞうながしぬる、おもふに此火ひとり石よりも出ず、かねよりも出ず、石とかねとたゝかふ間に、ひとつ氣を生じて、しかもいまだ質あらざるに、ほくちにうつりて、始て質をなせるこそおかしけれ、いでや此火の始は夢ばかりなるが、その熾なるに至ては、宮室屋宇堂塔伽藍をもやきつくすこそおそろしけれ、又闇夜の大空をもてらせるをおもへば、一句の下に發明して、格物致知のひかりより、治國平天下の道德にもいたるべきこそたのもしけれ、たのむもあやな電の世に、石の火の身を持て、
石の火やめほしの花の一さかり
思奇金石觸生光 炊飯鬟茶育萬方 湯殿行人休別火 古今天地一陰陽

ホクチ

〔倭名類聚抄〕

〈十二/燈火具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 㸅 四聲字苑云、㸅〈子結反、和名保曾久豆(○○○○)、〉燭飴炭也、

〔倭訓栞〕

〈前編二十八/保〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 ほくそ 新撰字鏡に櫛をよめり、火糞の義、新千載集に、沈のほくそと見えたり、今ほくちといふ、火口なり、火朽にはあらじ、火引をいふ、ぱんやいちびよしといへり、

〔類聚名物考〕

〈調度十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 ほくそ 火屑 今はほくちといふなり 火糞〈○中略〉
今案にほくそは火糞にて、又火屑とも書べし、クソとクズとは相通へり、萬葉集に、木糞木屑を共 にこずみと訓めり、又今俗に鍛冶の金くそといふあり、是も屑なり、また今俗にほくらといふは、火口の意にて、火の付べきくち故にいふ歟、門戸の意に同じく山口などいふも、端初の意より名付たり、又朽木は火のよくうつる物にて、田舍にては今も朽木を火くちに用ゆれば、火朽の意にていふにや、

〔本朝食鑑〕

〈一/火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 燈火 附燈花燭火、保久知(ホクチ)火、
集解、〈○中略〉保久知(ホクチ)者用厚紙之如綿、細截毎二三層裹小炭火一個、輕掩乾灰而燒之令黑、候其四面純黑取出、待冷金石相擊、點火著木片而移火、〈○中略〉此火常所用之火、而世俗呼稱打火也、祭祀事神時忌火穢者用斯火、又金石相敲點火于稿木片、或用鹽硝木木綿而晒乾、亦金石相擊而點火、倶易火、吸煙草人必忌硝煙傷一レ人而已、

〔權中納言敦忠卿集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 ちかもりがからものゝ使にくだるに、いはにかねのひうちをほくそにぢむをして、しのぶをすりたるぬのゝ袋に、
うちつけに思ひいつとや故郷のしのぶ草にてすれる也けり

附木

〔和爾雅〕

〈五/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 發燭(ユワウギ/ツケギ)〈焠燈、焠兒、火寸、引光奴、並同、〉

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 就竹(ツケダケ)〈則發燭也〉 發燭(ツケギ)〈一名引光奴〉 焠兒(同)〈同上〉 火寸(同) 發燭(ユワウギ)〈淮南王劉安始制焉、詳輟耕錄、〉 焠兒(同) 硫(同)黃木

〔隨意錄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 古取火於日、又取於木、皆名之燧、所謂鑽燧也、然何如取之與、我未其方、今世所用之屬火木片、未於何時、彼方明世、猶未流行耶、明田汝成、委巷叢談云、杭人削松木小片、其薄如紙、錬硫黃其鋭、名曰發燭、亦曰焠兒、蓋以發火代燈燭用也、史載周建德六年、齊后妃貧者、以發燭業、豈卽杭人所製歟、陶學士淸異錄云、夜有急、苦於作燈之緩、批杉染硫黃、遇火卽燄、呼爲引光奴云云、今謂建德後周年號、然則當時旣有發燭、而至明乃不行何也且顧之雖旣有發燭、金石相打、以取火之方、則明 人未之知也歟、

〔物類稱呼〕

〈四/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 發燭つけぎ〈ゆわうぎ〉 東國にて、つけぎといふ、關西にて、ゆわうと云、越後にて、つけだけと云、土佐にて、つけぎと云、又つけだきと云、
今按に、關西にてゆわうといふは、ゆわうぎの下略成べし、又外より重の物にもあれ、何にもあれ贈り來る器の内へ、うつりに紙或はつけ木を入て返す事有、硫黃又いわう共いひ侍れば、祝ふといえる心にて、つけぎを入る事ならん、又東國にて、うつりといへる物を、土佐の國などにては、其器に入て返ス物の名をば、とめといふ、又越後にてつけ竹といふは、むかし竹を薄くへぎて、今のつけぎの如く用ひたるとそ、土佐のつけだき、つけだけ成べし、

〔嬉遊笑覽〕

〈十下/火燭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 發燭、職人盡に硫黃箒賣めり、燭奴(ツケギ)とはゝきとを賣ものなり、古へはいわうとのみいへりと見ゆ、これは木も竹もあるべし、宗因が俳諧に、たばこのむかと火打つけ竹さびしさは同じ借屋のとなりどの、と云句あり、寬文六年の作なり、その頃は竹を用ひしかば、ごれをつけ竹といへり、

〔たはれ草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 いつの時にかありけん、材木のつひえをいとひ、のりものゝ槓ほそまりしとき、むかしはさゝら竹に、硫黃をつけ、これをつけたけといひしに、今の世ひの木を用ふるいかゞなりと、こざかしき人のいへるにより、さらばとて、つけ竹にあらたまりけれど、ほどなくやみてけり、小事にこゝろをもちふるもをかし、またはなしのみきゝて、いまだこゝろみざる事を、みだりにいひもちふるもうらめし、

〔雍州府志〕

〈六/土産〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 硫黃 凡檜木長五寸許、割之爲小片、塗硫黃少許於其端末、點火於其末、著薪柴、是謂硫黃木、稻荷社前幷伏見墨染人家所造爲宜、則中華所謂引光奴也、上賀茂神惡硫黃、故以燧石火點之藁

〔本朝食鑑〕

〈一/火〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 燈火 附燈花燭火、保久知(ホクチ)火、
集解、〈○中略〉著木者用栢木片令極薄、片端塗抹水煉硫黃、而晒乾移火、

〔守貞漫稿〕

〈六/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 江戸ニ在テ京坂ニ無キ陌上ノ賈人、〈○中略〉附木賣、
金石ヨリ火ヲ出シ、火口ニ傳へ、再亦コレヲ附木ニ傳フ、則チ薄キ板頭ニ、硫黃ヲ粘シタル物ナリ、詞ニ大坂附木ト云、而モ大坂ト同製ニ非ズ、彼地ノ製ヨリハ柿幅廣ク、長サハ五六寸也、因云、江戸ニテ是ヲツケギト云、京坂ニテイヲント云、硫黃木ノ略歟訛歟、蓋七十一番歌合ニモ、ユワウウリアリ、帚ヲ兼賣ル、詞曰、ユヲウホウキ〳〵、然ラバ京坂ハ昔ヨリツケギト云ズ、ユワウト云シ也、

〔享保集成絲綸錄〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 元祿三午年正月
一木之附木、當午春ゟ商賣不仕、麻がらの類ニ而拵、商賣可仕旨、去年被仰付候通、彌木之附木一切商賣仕間敷候、若相背商賣仕候はゞ御捕被成、急度可仰付候間、此旨堅相守、少も違背仕間敷候、以上、
正月

〔見た京物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 付木をたち賣にする

〔〈浪花襍誌〉街迺噂〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 万松、大坂でも引越のときは、近處へ蕎麥を配リヤスかね、鶴人、イへ〳〵江戸は蕎麥をくばりやすが、大坂では附木を一把ヅヽ賦りヤス、大坂の附木は七八分位の巾に皆な切て束て厶リヤス、それを一把くばる人もあり、二把くばる者もありヤス、

〔毛吹草〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 大和 付硫黃(ツケイワウ) 和泉 付硫黃(ツケイワウ)

〔國花萬葉記〕

〈一/山城〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 金銀竹木土石
硫黃木 稻荷社の前 伏見墨染ノ邊

〔續江戸砂子〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 江府名産〈幷近在近國〉 馬喰町付木 〈上方にていわうと云〉 此邊に此職多し


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Last-modified: 2024-04-16 (火) 12:45:42