https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 舟ハ、フネト云ヒ、舊クウクダカラトモ稱ス、水行ノ具ナリ、神代ニ於テ、旣ニ天磐櫲樟船、天鳥船等ノ名見エタレバ、其用ノ久シキヲ知ルベシ、崇神天皇ノ時、詔シテ諸國ニ船舶ヲ造ラシム、神功皇后、征韓以來、其用漸ク盛ンニシテ、造船ノ事歷朝絶エズ、欽明天皇ノ朝、王辰爾ヲ以テ船長ト爲シ、始テ船賦ヲ錄セシメ、文武天皇大寶ノ制、兵部省ニ、主船司ヲ置キテ、公私ノ舟檝、及ビ舟具等ヲ掌ラシム、奈良朝ヨリ平安遷都以後ニ至ルマデ、造船ノ擧屢〈〻〉アリ、而シテ其用ハ、多クハ遣唐使ノ爲ニシ、又ハ征戰運輸ニ充テタルモノナリ、其後造船ノ業漸ク衰ヘタリシガ、近古ニ至リ、復タ外國ト往來シ、運輸ノ事モ亦從テ盛ニナリシヲ以テ、船舶ノ用モ亦興レリ、德川幕府ノ初世、大船ヲ造ルコトヲ禁ゼシガ、嘉永年間、歐米各國ノ渡來スルニ及ビ、其禁ヲ解キ、造船ノ製モ一變セリ、
船舶ノ種類名稱極メテ多シ、今其一端ヲ擧ゲンニ、原質ヲ以テ名トスル者ニ、杉船、板船等アリ、製作ヲ以テ名トスル者ニ、赤乃曾穗船(アケノソホブネ)、屋形船(ヤカタブネ)、檜垣船(ヒガキブネ)等アリ、形狀ヲ以テ名トスル者ニ、舶(オホブネ)、艇(コブネ)、艜(ヒラタ)、劒鋒(ケンサキ)船等アリ、地名ヲ以テ名トスル者ニ、難波船、伊勢船等アリ、用法ヲ以テ名トスル者ニ、釣船(ツリブネ)、鯨船(クヂラブネ)、兵船等アリ、〈兵船ノ事ハ、兵事部水戰篇ニ收ム、〉積載ノ物ヲ以テ名トスル者ニ、稻船、柴船、土船等アリ、而シテ船具ニハ櫓、櫂、㰏、楫、舵、帆、帆柱、帆綱、牽〓(ヒキヅナ)、纜(トモツナ)、碇等アリ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 舟船〈艘附〉 方言云、關東謂之舟、〈音周〉關西謂之船、〈音旋、和名布禰、〉説文云、艘〈蘇遭反〉船數也、

〔段注説文解字〕

〈八下/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 〓、船也、〈邶風方之舟之傳曰、舟、船也、古人言舟、漢人言船、毛以今語古、故云舟卽今之船也、不於柏舟、而傳於此者、以見方之爲泭而非一レ船也、〉古者共鼓貨狄、刳木爲舟、剣木爲楫、以濟不通、〈郭注山海經曰、世本云、共鼓貨狄作舟、易繫辭曰、刳木爲舟、剡木爲楫、舟楫之利、以濟不通、致遠以利天下、蓋取諸渙、共鼓貨狄、黃帝堯舜間人、貨狄疑卽化益、化益卽伯益也、考工記、故書舟作周、〉象形〈職流切、三部、〉凡舟之屬、皆从舟、 〓、舟也、〈二篆爲轉注古言舟、今言船、如古言屨今言一レ鞋、舟之言、周旋也、船之言、〓沿也、〉从舟㕣聲、〈各本作鉛、省聲非是、口部有㕣字、水部有沿字、㕣聲今正、食川切、十四部、〉

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 舟〈音周、フネ、〉 船〈音旋、フネ、〉 〓〈俗通音舡〉 〓舲〈音零、フネ、〉 艨〓〈俗〉

〔和玉篇〕

〈中/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 舟(シウ)〈フネ小ブネ〉

〔倭訓栞〕

〈前編二十六/不〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 ふね 舟船をいふ、羽と音義通り、續紀に飛舟見え、文選にも、戰船を三翼といへり、漕船、刺船、釣船、泊船、繫ぎ船、渡し船、蜑小船、捨小船、波小船、蘆分小舟、棚無小舟などいへり、渡船は、居家必用に見え、蜑家船は、眉公雜字に見え、小船は、正字通に見えたり、顔子家訓に、昔在江南、不千人氈帳、及河北、不二萬斛舟と見えたり、〈○中略〉舟に幾艘といふは、説文に、船數也といへり、日本紀に、かはらと訓ぜしはいかゞ、俗に棺を船と稱するは、隋書東夷傳に、及葬置屍船上、陸地牽之、といへるが如し、君は舟、臣は水といふ諺は、荀子に、君者舟也、庶人者水也、水則載舟、水則覆舟と見ゆ、すべて物を載する器を舟といふは、御舟、屋船、覆槽(ウケブネ)、馬槽(ブネ)、酒槽、餅槽、抄紙槽(カミスキブネ)、湯槽の類、是也、字彙、尊下臺曰舟、如今之承盤、と見えたり、

〔八雲御抄〕

〈三下/枝葉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 雜物部〈附調度〉
船 いは〈國見するなどいへり 天神駕給歟 萬、ひさかたのあまのさくめがいは舟のとめしたかつはあせにけるかも、と云り、〉 つり あま ほ いさり とも から おきつ はし かたはれ 千 もゝ しば たかせ川〈舟也〉 夜 泊うき かは 海舟 つま向〈七夕〉 たなゝしを〈小舟也〉 あけのそを〈裝束舟歟〉 のぼり まつら いな〈もがみ河〉 さほ〈萬〉 ひ〈萬、ゆたにとよめり、〉 わたし 鹽 ひき〈萬〉 はや さゝ すて は し を われ くだり あさこぐ おほ わたり あしがらを〈あしがらの海舟也〉 あしわきをあしかりを こもかりを〈もかりぶね〉 よつの舟〈唐使舟也〉 おほみ う うかゐ もろこし しふ あや いつて〈萬、伊豆より出舟也、〉 あしはやを〈島傳といへり〉 かもといふふね〈かもに似也、萬、をきつ鳥かもといふふねといへり、〉 見 むかへ〈萬〉 車〈今樣にも〉 やふね つまよぶ つくし さにぬりを船〈七夕〉 さくらかはまきたる舟〈櫻皮をまきたる也〉 くほ〈七夕〉 や とわたる 鳥 船でとはいづる也、萬にも出とかけり、 つばら〳〵〈舟のかぢのをと也〉

〔狂言記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 ふねふな
〈との〉やい、こゝにいかひ川がある、〈○中略〉 〈くわじや〉是は神崎のわたしと申は、これで御ざりまする、〈との〉是はかち渡りにはなるまひが、渡守はないか、〈くわじや〉いや御ざりまする、〈との〉あらばいそいでよべ、〈くわじや〉畏て御ざる、〈○中略〉おういふなやい、〈との〉やい、そこな者、わたしならば、なぜにふねと云てよばぬ、〈○中略〉 〈くわじや〉いや殿樣に申上たい事が御ざる、あなたのつきばと、こなたのつきばを、何と申まするぞ、〈との〉それな、ふねつきといふは、〈くわじや〉さやうで御ざるによつて、おがつてんが參らぬ事で御ざる、ふなつきなどゝは申せ、ふねつきと申事は、ござるまい、それにつきまして、ふななどゝは古歌にも御ざれ、ふねと申古歌は、御ざりますまい、〈との〉いらぬをのれが古歌だてゞはあるまひか、さりながら、あらば申せ、〈くわじや〉畏て御ざる、ふなでしてあとはいつしかとをざかるすまのうへ野に秋風ぞふく、と申時には、ふなでは御ざりますまいか、

〔天工開物〕

〈中/舟車〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575
凡舟古名百千、今名亦百千、或以形名、〈如海鰍、江鯿、山梭之類、〉或以量名、〈載物之數〉或以質名、〈各色木料〉不殫述、遊海濱者、得洋船、居江湄者、得漕舫、若局趣山國之中、老死平原之地、所見者一葉扁舟、截流亂筏而已、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 一書曰、素戔嗚尊曰、韓郷(カラクニ)之島、是有金銀、若使吾兒所御之國不一レ浮寶(ウクタカラ/○○)者、未是佳也、

〔日本書紀通證〕

〈五/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 兼良曰、此浮寶指船也、今按、專指船而言、蓋韓國有金銀、則宜常往來以資國用、故不船材之意也、

〔運步色葉集〕

〈宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 浮船(ウキフネ/○○)〈兵法〉

〔今昔物語〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 龜報山陰中納言恩語第廿九
今昔、延喜ノ天皇ノ御代ニ、中納言藤原ノ山陰ト云フ人有ケリ、數ノ子有ケル中ニ、一人ノ男子有ケリ、〈○中略〉偏ヘニ繼母ニ打チ預テナム養ヒケル、而ル間中納言大宰ノ帥ニ成テ、鎭西ニ下ケル、〈○中略〉鐘ノ御崎ト云フ所ヲ過ル程ニ、繼母此ノ兒ヲ抱テ、尿ヲ遣ル樣ニテ、取リタル樣ニテ、海ニ落シ入レツ、〈○中略〉帥ノ云ク、此レガ死タラム骸也トモ求メテ、取上テ來レト云フ、若干ノ眷屬ニ、浮船(○○)ニ乘セテ追ヒ遣ル、

〔源氏物語〕

〈五十一/浮舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 ちいさき舟に乘り給て、さしわたり給程、はるかならん岸にしも、こぎはなれたらんやうに、心ぼそくおぼえて、つとつきていだかれたるも、いとらうたしとおぼす、〈○中略〉女も、めづらしからむみちのやうにおぼえて、
たちばなのこじまはいうもかはらじをこのうき舟(○○○)ぞゆくへしられぬ、おりから人のさまに、おかしくのみ、なにごともおぼしなす、

名所/舳艫

〔新撰字鏡〕

〈舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 舳〈艫舳止毛(○○)〉

〔段注説文解字〕

〈八下/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 〓、舳艫也〈各本艫上刪舳字、今補、此三字爲句非、以艫釋舳也、韵會所據本不誤、〉从舟由聲、〈直六切、三部、〉漢律名船方長舳艫、〈長當丈、史漢貨殖傳、皆曰、船長千丈、注者、謂總積其丈數、蓋漢時計船以丈、毎方丈爲一舳艫也、此釋舳艫之謂二字分析者也、下文分釋、謂船尾舳、謂船頭艫、此分析者也、〉一曰船尾、〈船舊作舟、今正、此單謂舳字也、方言曰、舟後曰舳、舳所以制一レ水也、郭云、今江東呼柁爲舳、按釋名、船其尾曰柁、仲長統郭璞、皆用柁字、而淮南子作杕、船之有舳、如車之有一レ軸、主乎運轉、〉

〔新撰字鏡〕

〈舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 艫〈舟前鼻也、戸(○)、〉

〔段注説文解字〕

〈八下/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 〓、舳艫也、〈此二字不分析之説也〉从舟盧聲、〈洛乎切、五部、〉一曰船頭、〈此單謂艫字也、方言曰、舟首謂之閤閭、郭云、今江東、呼船頭屋、謂之飛閭、是也、釋名曰、舟其上屋曰廬、象廬舍也、其上重室曰飛廬、在上故曰飛也、按此皆許所謂、船頭曰艫、艫閭古音同耳、李斐注武帝紀亦云、舳、船後持柁處、艫、船頭刺櫂處、説與許同、而小爾雅、艫、船後也、舳、船前也、呉都賦劉注本之、與許異、蓋小爾雅、呼柁處船頭也、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 舳 兼名苑注云、船前頭謂之舳、音逐、楊氏漢語抄云、舟頭制水處也、和語云、閉(○)、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈三/舟具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 按小爾雅云、船頭謂之舳、尾謂之艫、文選呉都賦、弘舸連舳、巨艦接艫、劉逵注云、舳、船前也、艫、船後也、兼名苑注、蓋本於此等書、故萬葉集云、船舳爾、分注反云布奈能閉爾、景行紀素幡樹于船舳、又漢書武帝紀、舳艫于里、注、李斐曰、舳、船後持柁處也、艫、船前頭刺櫂處也、説、文云、舳、舟尾、艫、船頭、方言云、首謂之閤閭、後曰舳、舳制水也、戴震曰、閤閭卽艫、以上諸書、皆以艫爲船前頭、舳爲船尾、新撰字鏡、艫、舟前鼻也、戸、舳訓止毛、靈異記訓釋、舳、不子乃止毛、並依此義、前説恐非、又按依李斐漢書注、刺櫂處、在船前頭、又依方言、制水在船後頭、漢語抄云舟頭制水處、云舟後刺櫂處者、恐互誤、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 艫 兼名苑注云、船後頭謂之艫、〈音盧、楊氏曰、舟後刺櫂處也、和語云、、度毛(○○)、〉

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 舳〈音逐 ヘ トモ〉 艫〈音盧 トモ ヘ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈部/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 舳〈ヘ チグ 制水處、舟舳、〉

〔同〕

〈止/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 艫〈トモ舟艫也〉

〔和玉篇〕

〈中/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 艫(ロ)〈フネノトモ〉

〔倭訓栞〕

〈前編二十六/倍〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 へ 舳をよむは、前の義、船の前頭也と注せり、

〔倭訓栞〕

〈前編十八/登〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 とも 艫をいふは、船の後頭なれば、從の義也、艫をよむは、倭名抄の説にて、舳をへとよめり、小爾雅集韻是也、新撰字鏡には、舳をとも、艫をへとよめり、日本紀の點も同じ、文選の注、説文など是也、

〔萬葉集〕

〈五/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 好去好來歌一首反歌二首 諸能(モロ〳〵ノ)、大御神等(オホミカミダチ)、船舳爾(フナノヘニ)、〈反云、布奈能閉爾、〉道引麻志遠(ミチビカマシヲ)、天地能(アメツチノ)、大御神等(オホミカミダチ)、倭(ヤマト)、大國靈(ナルオホクニミタマ)、久堅能(ヒサカタノ)、阿麻能見虚喩(アマノミソラユ)、阿麻賀氣利(アマガケリ)、見渡多麻比(ミワタシタマヒ)、事了(コトヲハリ)、還日者(カヘラムヒニハ)、又更(マタサラニ)、大御神等(オホミカミダチ)、船舳爾(フナノヘニ)、御手打掛氐(ミテウチカケテ)、墨繩袁(スミナハヲ)、播倍多留期等久(ハヘタルゴトク)、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈七/景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 十二年九月戊辰、到周芳娑磨、時天皇南望之、〈○中略〉爰有女人、曰神夏磯媛、其徒衆甚多、一國之魁帥也、聆天皇之使者至、則拔磯津山賢木、以上枝八握劒、中枝挂八咫鏡、下枝挂八尺瓊、亦素幡樹于船舳(ノヘニ)、參向而啓曰、願無兵我之屬類、必不違者、今將德矣、

〔日本書紀〕

〈二十六/齊明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 六年、是歲、欲百濟上レ新羅、乃勅駿河國、造船已訖、挽至績麻郊之村、其船夜中、無故艫舳相反、衆知終敗

〔續日本紀〕

〈三十五/光仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 寶龜九年十一月乙卯、第二船〈○遣唐使舶〉到泊薩摩國出水郡、又第一船海中斷、〈○斷下恐有脱字〉舳艫各分、主神津守宿禰國麻呂、幷唐判官等五十六人乘其艫、而著甑島郡、判官大伴宿禰繼人、幷前入唐大使藤原朝臣河淸之女喜娘等四十一人乘其舳、而著肥後國天草郡

〔古今著聞集〕

〈十二/偷盗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 正上座といふ弓の上手、わかゝりける時、參河の國より熊野へわたりけるに、伊勢國いらこのわたりにて、海賊にあひにけり、〈○中略〉上座、その時腹卷きて、弓にひきめ一、じんとう一をとりぐして、たてつかせて、船のへにすゝみ出て、〈○下略〉

水押

〔和漢船用集〕

〈十/船處名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 水押 今呼處みよし、みおしと云、古は、によしといへり、子丑と書、又舟法の卷に、女首と書、各利あり、或は辰頭とするは龍頭成べし、又薩州にて龍首と呼、合類節用に、港板と書、舟制所言といへり、字彙に、港は水中行舟道と見へたり、しかれば、みおしと讀べき者か、艫也、〓也、艗也、搤也、〓也、並にへさきと讀、前燈餘話に曰、夏月於船首澡浴、又眉公雜字、船梢とあるを、へさきと讀せるは非也、ともと訓ずべし、
水押小名 前口 繼手 附出〈或築出〉 付留 劃(モキ)〈又劃先と云〉 除〈或はかき入と云〉 潮切〈又浪切〉 頰骸〈荷舟に呼處、俗にほうべらといふ、〉 是海舟の壹本水押也、川舟は、貳枚水押にて、中に有を咽込と云、上に有板を棹走と云、是小舟より大船まで荷舟の制也、
川御座船は箱造り也、伊勢船の箱造りより始ルか、この故に海舟箱造りにする者、吾妻表と稱す、箱造りの小名 置板〈艫先の置板也、沖板と書は非也、〉 戸立〈箱先戸立と云〉 扇板〈左右に有、其形扇子のごとき故の名也、〉 夾蓋〈戸立の上に打板、或は小蓋砂蓋と書は非也、〉 箱緣〈左右に有、板箱の如し、〉

〔和漢船用集〕

〈十/船處名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 〓 〓は胴也、舟方に深を足と云、幅を肩と云による、胴の間、二ノ〓、三ノ〓と呼、櫓床間也、

舟笭

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 舟笭 釋名云、舟中床、所以席一レ物曰笭、〈力丁反、布奈度古、〉言但有簀、如笭床也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈三/舟具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 按釋名、釋車、笭横在車前、織竹作之、孔笭々也、則知笭床、謂竹爲一レ床者、其孔笭々也、舟笭似之、得是名也、

〔類聚名義抄〕

〈八/竹〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 舟笭〈フナトコ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈不/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 舟笭〈フナドコ〉

〔三十二番職人歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 十番 左 渡守
櫻川花にゆるさぬふなどこをおしてはいかゞわたるはる風

加鋪

〔和漢船用集〕

〈十/船處名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 加鋪(カシキ) 航に付の舟側也、航を鋪と云、鋪に加ゆるの心也、又荷鋪と書、根椎とも云、梶木と書は、甚非也、川舟にて洞と云、〓洞 表之洞〈是を表小直と云〉 舳之洞〈是を舳小直と云〉洞と云こと、船側の中のくぼくほりて、はらにするの名也、

船底

〔和漢船用集〕

〈十/船處名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 舟底 駒陰冗記曰、佯落簪舟底、又三體詩、季伸が句に、船底黏沙、鼠璞曰、登萊一帶、惟平底可用、過洋用尖底、と見へたり、會典曰、海運用遮洋船、裏河用淺船、是海舟河船の製異なること和漢同、海舟は尖底、河舟は平底也、 〓航(ドウガワラ) 船底也、〓は胴也、支體に法る、鋪とも云、今別て海舟をかはらと云、川舟を鋪と云は非也、東國にては、海舟をも敷と云、西國にては、川舟をもかわらと云、同事也、鋪と云は、下にしくの心か、かわらと云こと、和語にて呼來ること久し、平家物語に、ふたつかわはら三つ棟つくりたる舟にのりとあるは、胴かはら、舳かはらの二つかはらなるべし、

〔土左日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 九日〈○承平五年正月、中略、〉山も海も皆暮れ、夜ふけて西東も見えずして、てけのこと、梶取の心にまかせつ、男もならはぬは、いとも心細し、まして女は舟ぞこに頭をつきあてゝ、音をのみぞなく、

〔源平盛衰記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 源平水島軍事
西風烈シク吹テ、船共ユラレテ打合ケレバ、東國北國ノ輩、舟軍ハ習ハヌ事ナレバ、船ニ立得ズシテ、船底ヘノミ重ナリ入、

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 先帝船上臨幸事
同ジ追風ニ、帆懸タル船十艘計、出雲伯耆ヲ指テ馳來レリ、〈○中略〉隱岐判官淸高、主上〈○後醍醐〉ヲ追奉ル船ニテゾ有ケル、船頭是ヲ見テ、角テハ叶候マジ、是ニ御隱レ候ヘト申テ、主上ト忠顯朝臣トヲ、船底ニヤドシ進セテ、其上ニアヒ物トテ、乾タル魚ノ入タル俵ヲ取積テ、水、手梶取、其上ニ立雙テ櫓ヲゾ押タリケル、

〔新撰字鏡〕

〈舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 舷〈不奈太奈〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 枻 野王按、枻、〈音曳、字亦作栧、和名不奈太那、〉大船旁板也、

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 舷〈音弦、タナ、フナハタ、〉

〔同〕

〈三/手〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 抴〈音曳、フナハタ、カチ、フナタナ、アミヒク、〉

〔同〕

〈三/木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 枻〈フネノカチ、フナタナ、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈不/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 枻〈フナバタ、フナダナ、亦作栧、大船旁板也、〉 舷〈船舷〉 栧 枹〈已上同〉

〔倭訓栞〕

〈中編二十三/不〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 ふなばた 舷をよめり、舟端の義、漁父辭の枻をも古來かくよめり、日本紀には、船枻をふなのへとよめり、へは邊也、

〔倭訓栞〕

〈前編十三/世〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 せがい(○○○) 背棹の義、又万葉集に、粟島をそがひに見つゝともしき小舟とよめり、そがいに、背と書り、せそ通音也、盛衰記にも見えたり、ふなだな(○○○○)ともいふめり、舟の左右のそばに、えんのやうに板をうちつけたる也といへり、狹衣に、硯をせがいに取出てと見えたるは、舟にせがいの名あると同義なりといへり、

〔類聚名物考〕

〈船車二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 せがい 桅
今舟の内にて、飯物こしらゆる所を、世伊之(セイジ)所とも、又世帶ともいへども、それにはあらず、舟端の事也、俗云小緣の事をいふ、志野宗信が香道秘傳書にも、香爐のせがいといへるは、すなはち香爐の緣をいへる也、

〔和漢船用集〕

〈十/舶處名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 セガイ カの字濁音、船の兩脇の總名也、万葉に、武庫の浦こぎたむ小舟粟島を背(ソガイ)に見つゝともしき小舟、と讀る背の字、そがいと讀り、せそ通音なり、背の字用べし、舟法規矩に、舟の肩に、背の幅を增減して、柁の長さを定むる法有、近比ろかいと稱す、櫓櫂を扱ぶの處、か、今せがいといへば、結句しらざる者多し、古語皆せがいといへり、今も北國西國には、せがいと云所もあり、〈○中略〉舶の臺間、左右の總名をいへり、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 事代主神、謂使者曰、今天神有此借問之勅、我父宜當避、吾亦不違、因於海中八重蒼柴籬〈柴、此云府璽、〉蹈船枻(○○)〈船枻、此云浮那能倍、〉而避、

〔續日本紀〕

〈三十五/光仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 寶龜九年十一月乙卯、繼人〈○大伴〉等上奏言、〈○中略〉十一月五日得信風、第一第二船、同發入海、比海中、八日初更、風急波高、打破左右棚根(○○○○)、潮水滿船、

〔萬葉集〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 大目秦忌寸八千島之館宴歌、一首
奈呉能安麻能(ナゴノアマノ)、都里須流布禰波(ツリスルフネハ)、伊麻許曾婆(イマコソハ)、敷奈太那宇知底(フナダナウチテ)、安倍底許藝泥米(アへテコギデメ)、

〔源平盛衰記〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 知盛遁戰場乘船事 知章ハ、〈○中略〉船ニハ馬立ベキ所ナカリケレバ、船ノセガヒヨリ、馬ノ頭ヲ磯へ引向テ、一鞭アテタレバ、馬ハ遊ギ返ケリ、

〔參考源平盛衰記〕

〈四十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 盛綱渡藤戸兒島合戰附海佐介渡海事
南都異本云、和比ガ從父兄弟ニ、小林三郎重高ト云者ツト寄テ、柏源次ト組テ、二人海ヘゾ入ニケル、小林ガ郎等ニ岩田源太、主ハ海へ入ヌ、續テ入ベキ樣モナカリケレバ、弓ノ筈ヲトラヘテ、泡ノ立所へ指入テ打フレバ、物コソ取附タレ、引上テ見レバ敵ナリ、主ハ敵ガ腰ニ〓ツキタリ、主ヲバ取上テ、敵ヲバ船ノセガイニ押當テ、首ヲカキ切テケリ、

〔源平盛衰記〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 屋島合戰附玉蟲立扇與一射扇事
與一、〈○中略〉扇ノ紙ニハ日ヲ出シタレバ恐アリ、蚊目ノ程ヲト志テ兵ト放、浦響クマデニ鳴渡、蚊目ヨリ上一寸置テ、フツト射切タリケレバ、〈○中略〉平家ハ舷ヲ扣ヒテ、女房モ男房モ、ア射タリ〳〵ト感ジケリ、〈○中略〉平家方ニ備後國住人鞆六郎ト云者アリ、〈○中略〉大臣殿、判官近付タラバ組テ海ニモ入、程隔タラバ遠矢ニモ射殺セトテ、船ミ被乘タリ、〈○中略〉鞆六郎ガ、セガイニ立テ、己ハ軍モセズ、人ノ船ヲ下知シテ、軍ハトコソスレ角コソスレト云ケル處ニ、〈○下略〉

〔和漢船用集〕

〈十/船處名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 步(アユミ) 挾とも云、二名一物也、海舟にて步と云、川舟にて挾と云、〈○中略〉挾步と書て、はさみとも、あゆみとも讀て可也、明律考、陸耳と書、はさみと讀せり、表步あり、舳步あり、按ずるに、上に有を步とし、下に有を挾とすべし、帆棚に有を中挾と云、漢に〓と云者なるべし、字注、船の樓頭の木と見へたり、然ば〓の字、はさみとも、あゆみともすべし、

垣立

〔和漢船用集〕

〈十/船處名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 垣立(カキタツ) 舟の左右に立垣也、高垣半垣あり、荷舟、檜垣、丸垣等あり、〈○中略〉天工開物に曰、倭國海舶、兩傍列櫓子、欄板抵水、人在其中力、欄板かきたつと讀せり、

〔嬉遊笑覽〕

〈二下/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 檜垣は、大坂廻船問屋の大船、垣だてのすぢをひがきにする故、名とす、

吃水

〔名物六帖〕

〈器財二/舟楫桴筏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 吃水(フネノアシ)〈紀效新書、大海滄、稍小福船耳、吃水七八尺、又福船吃水一丈二三尺、惟利大洋、不然多膠於淺、無風不使、又開浪、以其頭尖故名、吃水三四、尺、〉

〔和漢船用集〕

〈十/船處名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 足 舟の深サを云、物を積で入あしと云、漢に吃水と云、小福船吃水七八尺、開浪船吃水三四尺といへり、ふねのあしと讀せり、

〔堀川後度狂歌集〕

〈六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 船 神田庵
近づきの山がむかひにいづて舟ふな足かろくみなと入する

〔德川禁令考〕

〈五十三/諸船廻漕令條〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 寬文十三丑年
御城米廻船之儀に付御書付〈○中略〉
一總〈而〉船足入過候ニ付、難風之時分惡敷候由、其聞〈江〉有之間、能々可吟味、八寸足宜由ニ候間、左候ハヾ、船足八寸より多不入樣可付之、雖然綱碇、船よりおろし、船足究候〈而〉ハ無詮候間、綱碇以下船ニ乘せ、其上ニ〈而〉船足可相究、勿論改ニ遣候手代等ニ誓詞申付、正路ニいたし候樣ニ可申付事、
〈朱書〉船足之儀、當時ハ中國西國筋ハ四寸足、北國東國筋ハ六寸足ニ相極リ申候、〈○中略〉
右之通入念被申付、不屆之儀無之樣尤候、以上、
丑二月

制度

〔律疏〕

〈名例〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 六曰、大不敬、謂〈○中略〉御幸舟船誤不牢固、〈帝王所之、莫慶幸、舟船旣擬供御、故曰御幸舟船、工匠造船、備盡心力、誤不牢固、卽入此條、但御幸舟船以上三事、皆爲誤得一レ罪、設未進御、亦同八虐、如其故爲者、卽従謀反罪、其監當官司、准法減科、不不敬、〉

〔律疏〕

〈職制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 凡御幸舟船、誤不牢固者、工匠徒三年、〈謂皇帝所幸舟船、造作莊嚴不甚牢固、可以敗壞者、〉工匠各以所由首、〈謂造作之人、皆以當時所由人首、〉若不整飾、及闕少者、徒一年、〈謂其舟船、若不整頓修飾、及在船㰏棹之屬有闕少、得徒一年、此亦以所由首、〉

〔令義解〕

〈六/營繕〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 凡有官船之處、〈謂、除攝津及太宰主船司之外、諸國有官船之處也、〉皆逐便安置、並加覆蓋 量遣兵士看守、隨壞修理、〈謂、以雜徭修理也、〉不料理〈謂、舟木朽爛、不更修理也、〉者、附帳申上、其主船司船者、令船戸分番看守、〈謂、太宰府主船亦同、〉 凡官私、船、毎年具顯色目勝受斛斗破除見在任不、〈謂、榲樟之類、是爲色也、舶艇之類、是爲目也、勝堪也、受載也、言、船腹孔所容受之多少也、破除者、減失也、任不者、猶用與不用也、〉附朝集使省、
凡官船行用、若有壞損者、隨事修理、若不修理、須造替者、預料人功調度、申太政官

〔延喜式〕

〈五十/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 凡王臣家、及商人船許入太宰郡内、但不此擾勞百姓、及糴米買上レ馬、若有違者依法科罪、

〔令義解〕

〈七/公式〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 凡行程〈謂、准律、舟(○)亦合(○)有(○)行程(○○)、但其遠近者、依式處分、〉馬日七十里、步五十里、車卅里、

〔御日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 寬永十二年六月廿二日、准當家〈○德川〉之先制、武家之掟被之、〈○中略〉
一五百石以上之舟停止之事〈○中略〉
右之條々、准當家先制之旨、今度潤色而定訖、堅可相守者也、
一 寬永十二年乙亥六月廿一日

〔德川禁令考〕

〈三十一/不虞警衞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 寬永十五寅年
西國中國諸大名重〈而〉被仰出掟〈○中略〉
一船之儀、アタケ作、如先年之、彌御法度ニ被仰付候、荷船ハ五百石より上にても不苦候、〈○中略〉
以上

〔享保集歲絲綸〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 寬永十五寅年五月
一五百石以上之船停止と、此以前被仰出候、今以其通候、然ば商賣船は御ゆるし被成候、其段心得可申事、〈○中略〉
右之趣、今日出仕之諸大名に、大炊頭、讃岐守、豐後守傳之、無登城面々には、大炊頭於宅可申渡旨、其段より〳〵へ相達也、

〔德川禁令考〕

〈五十三/運上石錢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 慶安元子年四月廿四日 船御朱印之事
四百斛船(○○○○)一艘諸國湊出入諸役等事、任天正十年八月廿三日、元和三年九月九日、兩先判之旨、令許勢州大湊角屋七郎次郎畢、永不相違もの也、
慶安元年四月廿四日
御朱印

〔德川禁令考〕

〈四十七/道路家屋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 明曆元未年十一月
川筋河岸端等之儀ニ付觸書〈○中略〉
一くわいせんの舟、むざと掛置申間敷候、船道を明ケ候〈而〉通シ、舟つかへ候ハぬ樣ニ掛置可申事、〈○中略〉
右之條々、御船手之衆自身御廻、〈井〉加子之もの川筋〈江〉廻シ候〈而〉、御改候間、背申候ものハ、急度曲事可仰付候間、油斷仕間敷候、

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 貞享四卯年十一月

面々致所持候川舟之儀、荷物を積候船ニ而、川船奉行方ニ而改之、極印(○○)打之、荷物不積舟は、只今迄不相改、極印も不打ニ付、紛敷候而、商賣船之改にも障候間、向後川舟之分不殘、川船奉行江相達、極印うたせ申さるべき者也、
十一月日

〔類聚名物考〕

〈船車二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 船の刻印燒印
船に刻印うち、ならびに烙印する事、唐にも見えたり、皇朝の古へには聞ざりしが、今の世には必この定め有、享保の頃より事始りしなるべし、運上の高(○○○○)も、此方のは船の長さにて定め(○○○○○○○○)、唐山 のは、板をかぞへて、幾板船と定めて税を收る也、

〔享保集成絲綸錄〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 元祿二巳年三月

今度川船極印打替(○○○○)に付、江戸幷關東筋川船、不何船に、當四月より七月中迄、深川元番所前中洲へ船を出し、川舟奉行中へ相達、差圖次第極印受可申候、前々極印請おくれ候船たりといふ共、此度罷出可極印、但在々有之川舟は、右四〈ケ〉月之内、江戸へ運送之序衣第可罷出、次而無之船は、右月數之内、川船奉行へ可相斷者也、
三月
元祿九子年三月

一江戸幷關東筋川船、極印請ざる舟有之由に候、何船によらず極印請おくれ候船、或はうすく成候舟は、四月中旬より六月晦日まで之内、江戸兩國橋石場船改所迄差出、川舟奉行指圖を得、極印可請、總而江戸幷在々河岸に有之川船、其所之名主大屋共、委細相改、船數不殘帳面に記、川船奉行〈江〉可差出、隱置後日に改出候はゞ、急度可申付候事、
三月

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 正德三巳年三月

一近年二挺だち三挺だちの船、其數多く出來候由相聞え候、向後一切停止可之候事、〈○中略〉
以上
三月

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 正德三巳年三月
一二挺立三挺立之船停止之儀、先達而申渡候、來月九日迄に、不殘解船に可仕候、若殘し置、右之船相見え候ば、人を廻し令吟味、持主は不申、家主五人組名主迄、可越度候間、此旨町中不殘可相觸候、以上、
三月

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 正德三巳年三月
一二挺立三挺立之船御停止ニ成候上ハ、右之船、早速不殘解船ニ可仕候、尤組之者共相廻り、爲改可申候、且又無據子細有之、新規茶船拵候者は、向後月番之番所へ相伺可申事、
一屋形船之數致吟味、持主之名相改、書付差出可申候、此方より〈茂〉燒印可申付候事、〈○中略〉
以上
三月

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 享保六丑年三月
一船大工、新艘造り立候はゞ、其旨川船役所〈江〉相訴筈に、去冬申付候處、心得違候由ニ而、不訴船大工も有之、不屆に候、向後不訴船大工有之候はゞ、過料可申付候間、此旨船大工共に可觸知者也、
三月

〔天保集成絲綸錄〕

〈百五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 文化十酉年十月
大目付〈江〉
諸大名手船、川筋に而相互に除合、不作法之儀無之樣可乘通處、水主共聊之儀を咎、或は他之船〈江〉荷物擔致候儀も有之由相聞、不屆之事に候、船方役人共、申付方不行屆故、水主共我儘之所行にも及候間、向後水主ども作法を守、他家之船〈江〉對し、惡口等申懸候儀、堅致阻敷旨、急度可申付候、若相 背候はゞ、雙方共嚴重之沙汰に及べく、萬一ゆるかせにいたし置、口論狼藉等いだし候もの有之においては、其役筋之もの迄可越度候、
右之通可相觸
十月

〔諸事留〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 天保二〈卯〉年四月
二差上申證文之事
新造日除船壹艘
〈江戸橋藏屋敷 佐太郎店 船主〉傳右衞門
右者此度新規造船御役船御用相勤、常ハ手前稼船ニ仕度旨奉願候ニ付、左之通被仰渡候、一御成御用は不申上、出水其外急御用之節、御差支無之樣、戸障子船道具等迄、常々不見苦候樣致シ、晝夜不限、場所刻限等、間違無之樣、諸事入念、御用船相勤可申候、
一御用船ニ差出候節、水主共癢、不見苦樣いたし、船中がさつ權威ケ間敷儀無之樣致、御大切に船廻り場所先々ニ而ハ、御役船御手先之差圖請、違背無之、諸事前々之通相心得、可相勤候、
一新造幷造替願、其外代替引越、又は他〈江〉讓渡等御願不申上、猥仕間敷候、
一且除船借貸等不相成候、若紛敷日除船有之候ハヾ、急度可仰付候、
一御用無之節は、戸障子取拂、竹簾掛ケ、艪壹挺立手前稼致し、御用之外ハ、戸障子入艪數立候儀、堅致間敷候、
右之趣、其外相背ニおゐてハ、急度可仰付旨、尤右船造立出來次第、御極印被仰付、其節御燒印札渡可下旨被仰渡、是又承知奉畏候、爲後日證文差上申處、仍如件、
天保二〈卯〉年四月 〈江戸橋藏屋敷〉傳右衞門 佐太郎
〈名主新助若年ニ付後見 箔屋町〉〈名主〉 又兵衞
川船御役所

〔御觸書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 天保十三年四月廿八日
川筋往來いたし候日覆船(○○○)〈江〉簾をおろし、河岸橋間等〈江〉繫置、中には猥之儀も有之哉ニ相聞候、向後雨雪亦は波立候節は格別、寒氣之節たり共、平常簾卷揚ゲ置候樣可致候、
右之通、町中不洩樣可觸知もの也、
寅四月

〔牧民金鑑〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 天保十三寅年十一月朔日土井大炊頭殿御渡
近來北國筋其外諸國之廻船等、異國船に似寄候帆之立方相見、旣に先達而、異國船と見違候次第も有之候、全く三本帆之義は、難相成筋に候處、追々大洋を乘候樣子、以前とは相違之趣に相聞、殊に寄、朝鮮之地方近く乘通り候も有之由、其外遠き沖合を乘候節、帆之立方、異國船に似寄候を以て、見違候義にも至り可申歟、依之、以來は異國船に紛らはしき帆之立方致し、幷遠沖合を乘候義可停止候、若觸面之趣相背におゐては、吟味之上、急度咎可申付候、
右之通、御料は御代官、私領は領主地頭より、不洩樣可觸知者也、〈○中略〉
十月

〔觸留〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 丑〈○嘉永六年〉九月十五日
伊勢守殿御渡
三奉行〈江〉
荷船之外、大船停止之御法令ニ候處、方今之時勢、大船必用之儀ニ付、自今諸大名大船製造致し候 儀、御免被成候間、作用方幷船數共、委細相伺、可差圖受旨被仰出候、尤右樣御制度御變通被遊候も、畢竟御祖宗之御遺志、御繼述之思召より被仰出候事に候間、邪宗門御制禁等之儀者、彌以如先規相守、取締向別而嚴重に可相心得候、
九月
右之通、萬石以上之面々〈江〉被仰出候間、可其意候、

〔德川禁令考〕

〈三十八/船艦〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 安政元寅年十月五日
荷船製造方之儀ニ付御書付
備前守殿御渡 大目付〈江〉
今度御法令に、大船製造可言上之旨被仰出候、然ル處荷船は前々より御許し有之事ニ付、有來通製造之儀ハ、是迄之通可相心得候、尤荷船たりとも、製造方其外有來と相違致し候ハヾ、此度被仰出通、相心得可申候、
右之通、萬石以上之面々江相達候間、萬石以下之向〈江〉も可達候、
九月

〔嘉永明治年間錄〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 文久元年六月廿二日百姓町人大船所持免許
百姓町人共、大船所持致し候儀、御差許相成候間、勝手次第製造致し不苦候、且又外國商船等、買受度候者は、最寄港奉行へ可申出候、右船所持致し候上は、御國内手廣に運漕御差免可相成候、尤も航海不事馴差支候者は、願次第、按針の者、並水夫等御貸渡可相成候、尚航海手續等、委細の儀は、追て可沙汰候、扨又右船製造、且買受候者は、其節船形繪圖面を以て、當人又は御代官、領主地頭より、御軍艦操練所へ可申出候事、
右之通、御料は御代官、私領は領主地頭より、可相觸候事、

船税

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 十四年七月甲子、蘇我大臣稻目宿禰奉勅遣王辰爾、數錄船賦、卽以王辰爾船長、因賜姓爲船史、今船連之先也、

〔大内家壁書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 諸商買船、諸公事免許事、雖望申族、自今以後、不次之、若於御免者、爲上意出之也、仍壁書如件、
文明十九年三月廿九日 左衞門尉武明
大炊助弘

〔地方凡例錄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 一帆別運上(○○○○)
是は廻船運上也、帆の反數に掛け運上相納む、大坂堺其外灘目等の〈攝州よリ中國筋、海邊の湊々を都て灘目と云、〉廻船は多分の運上差出、遠國も同然也、又新船造り立る時は、村役人へ相屆け、支配地頭へ願出、船數帳に相記す、尤支配地頭より燒印いたし相渡す、又上方舟は勿論、國々の廻船にても、江戸大坂へ廻す船は、船方役所の燒印を申請ることなり、
一川船役(○○○)
是は高瀨舟、平駄、鵜飼、ぼう丁、にたり等、川筋にて荷物を積む船、都て役錢相納む、御府内にて川船奉行有之、江戸船は勿論、國々の船にても、江戸〈江〉相廻す船は、川船役所へ運上差出燒印請之、又江戸へ不廻舟には、川船奉行の燒印は不請、支配地頭之燒印を請て、何れも役錢を相納む、川船役所へ運上差出船にても、支配地頭〈江〉役錢差出す國々所々にて、多少の違あり、
一小船役(○○○)
是は、漁舶作船等荷船に無之舟の役錢、是も所に依り異同あり、

〔京都御役所向大概覺書〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 同所〈○近江國大津〉百艘船役(○○)初り之事
一百艘舟之儀、右貳千百六拾六艘之内ニ而、舟持共、大津堅田ニ罷在候、是者關ケ原御陣之節、御奉 公仕、御朱印頂戴、於于今諸浦ニ而、荷物心次第ニ積申由、舟かぶ(○○○)ニ而賣買仕候故、舟持人數極リ不申候由、
但百艘舟之者共、御朱印之由、書出候得共、聢といたしたる御證文ニ而者無之と相見へ申候、先年之高札之樣ニ相見候文言、奧ニ記之、
百艘船役初り
一天正拾四年迄者、舟數抬六艘有之候處、太閤秀吉公被仰付、天正拾五年、舟數百艘罷成、永代役義、無相違樣ニ被仰渡由、淺野彈正少弼、高札有之、

一當津荷物諸旅人、いりふねにのせまじき事、
一當所〈江〉、役義つかまつらざる舟に、荷物旅人のせまじき事、
一他浦にて、くしふねにとられ候はゞ、此方〈江〉可申上候、かたく可申付事、
一くしふねにめしつかひ候とき、あげおろしの儀、せんどう共仕まじき事、
一家中の者、下にて舟めしつかひ候儀、曲事候、もし船つかひ候はんと申もの喉はゞ、此方へ可申上候事、
右之旨、相そむくともがらあらば、可成敗者也、
天正十五年二月十六日 彈正少弼判
慶長六年七月二日、從權現樣之御高札、大久保十兵衞被申渡候由、文言右同斷、

〔驛遞志考證〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 是年、〈○天保四年〉江州大津百艘船、其數年々增減アリト雖ドモ、大小合シテ百三十五艘、渡吏八人、水手八十人ト爲シ、若臨時公用ノ爲ニ、多數ノ船、及水手ヲ要スル時ハ、尾花川町ニ令シテ之ヲ出サシム、又湖水〈○琵琶湖〉ノ前岸、矢矧村ヲ以テ、其水驛ト爲シ、此ニ船高札ヲ建テ、船會所 ヲ設ケ、渡吏五人、船三十二艘、水手六十人ヲ置ク、又大津ヨリ松本村ニ通ズル間道アリ、此ニ榜文ヲ建テ、旅人及貨物ノ遞送ヲ爲スヲ禁ズ、是其百艘船漕運ノ衰頽ヲ防グナリ、〈宿村大概帳〉

〔竹橋蠧簡〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 淀舟過書船之儀、木村宗右衞門、角倉與一ニ相尋申候、
一淀上荷舟ニハ、御運上無御座候ニ付、上米取立候義も不仕候、極印も打不申候、一上荷船ハ、淀、一口、咄師、木津、加茂、笠置、瓶原、右七ケ所ニ有之、木津川、桂川、宇治川筋、幷伏見、淀、橋本邊之小迫働仕、大坂、尼崎〈江〉上下之働不仕候、
一二十石船ハ、往古より過書仲間〈江〉所持仕候へ共、渡世ニ合不申候ニ付、寬永三寅年、奉願相止候、今程ハ無御座候、
一過書三十石船、伏見より大坂迄下り船賃(○○○○)、四匁四分、内八分、上米ニ而御座候事ハ、借切之儀ニ而御座候、今以其通り少も相達無御座候、
一御運上銀(○○○)四百枚ハ、上り舟下り舟共ニ、一ケ年中之上米之内より、兩人ニ而差上候、
一右之船ニ、上米錢二百四拾五文取之、又ハ時節ニより、三百文四百文も取候儀ハ無御座候、但乘合船ニハ、時節により大勢乘候ヘバ、上米增申候、然共一人前より、二錢ヅヽ取立候得者、何程多ク乘候而も、上米右之高ハ有御座間敷候、一艘之船賃ハ、右高有之儀も可御座候、多ク御座候ても、銀四百枚限上之候故、多ク御座候程、私共勝手ニ能御座候、多ク乘せ候而も、加子共數を隱シ申候儀も有之哉、其段ハ不分明ニ奉存候、
一役免船と申義ハ、淀上荷船之儀ニ御座候、過書船ニ役免候船ハ(○○○○○○○○○)、一艘も無(○○○○)御座(○○)候(○)、
一權現樣御朱印以後、寬永三寅年、御老中御下知狀ニ而、段々之御定メニ御座候、二十石船、五匁より段々ニ候ヘバ、百石二百石之船ハ、殊之外高直ニ成候故、御下知狀極り申候哉、又如何のわけ有之、極り申候哉、不存候、 右之通、木村宗右衞門、角倉與一申之候、下り船賃之義、古來一人より十錢宛之内より、二錢宛取立候御定メニて御座候處、去々年より、一人十五錢被仰付候へども、上米ハ前之通二錢宛取立之由申候、然共外ニ而承候ヘバ、左樣之儀ニ而ハ無御座候、一人よりハ、三十錢も五六十錢も、其餘も取候樣承候、兩人とも、疑敷申口バ相聞不申候、同じ支配ニ候得共、淀船ハ支配一通リ之船ニ而御座候故ニ哉、過書之方を、贔屓候申口ニ相聞〈江〉申候、勿論右ハ兩人之申口、一通り迄ニ而御座候、承屆ハ不仕候、猶以船頭加子共ニも、相尋可申上候哉、奉伺候、以上、
五月 諏訪肥後守〈○賴篤〉
河野豐前守〈○通重〉
〈(欄外)〉銘書、過書船、淀船之義申上候書付、諏訪肥後守、河野豐前守、寅〈○享保七年〉三月廿日、近江守殿御渡被成、廿二日、此本紙返上ト、朱書有之、按、上荷船〈長五尺間にて〉壹間八寸、梁間壹間壹尺、右大坂諸川船帳ニ見ユ、

〔京都御役所向大概覺書〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 同所〈○大津〉湖水船(○○○)之事
御運上(○○○)銀九貫四百六拾六匁五分 〈正德四〉午年分
但舟大小ニより、御運上銀高下有之、
〈御料私領(○○○○)〉一船數貳千百六拾六艘 但〈百艘舟之儀、此船數之内ニ而大津堅田ニ居住いたし候、〉
外井伊掃部頭領内之舟者、前々より支配之外ニ付、燒印指除候故、舟數不相知候由、

丸船千三拾七艘
此譯
五艘 三百五拾石より三百八拾五石積迄 此銀八拾目 但壹艘付拾六匁
七艘 三百石より三百四拾九石積迄
此銀九拾八匁 但壹艘付拾四匁
貳拾貳艘 貳百五拾石より貳百九拾九石積迄
此銀貳百六拾四匁 但壹艘付拾貳匁
五拾六艘 貳百石より貳百四拾九石積迄
此銀五百六拾目 但壹艘付拾匁
百三拾八艘 百五拾石より百九拾九石積迄
此銀壹貫百七拾三匁 但壹艘付八匁五分
百四拾貳艘 百石より百四拾九石積迄
此銀壹貫六拾五匁 但壹艘付七匁五分
百九拾八艘 五拾石より九拾九石積迄
此銀壹貫貳百八拾七匁 但壹艘付六匁五分
百貳拾九艘 三拾石より四拾九石積迄
此銀七百九匁五分 但壹艘付五匁五分
百六拾貳艘 七石漁船より貳拾九石幷傳馬漁船
此銀七百貳拾九匁 但壹艘付四匁五分
百七拾八艘 六石より九石積迄幷小傳馬漁船
此銀六百貳拾三匁 但壹艘付三匁五分
右丸船積石之儀、長幅深之丈尺ニ而(○○○○○○○○)、定法有之(○○○○)、石數相極、運上取立候、大概百石積之丈尺、左ニ 記之、
長三丈四尺
幅七尺 但百石積之丈尺如
深三尺三寸
艜船千百貳拾九艘
此譯
五拾艘 大艜幅五尺より六尺五寸迄
此銀貳百目 但壹艘付四匁
貳拾七艘 大艜幅四尺五寸より四尺九寸迄
此銀九拾四匁五分 但壹艘付三匁五分
百四拾壹艘 中艜幅四尺より四尺四寸迄
此銀四百貳拾三匁 但壹艘付三匁
六百七拾七艘 小艜幅三尺壹寸より三尺九寸迄
此銀壹貫六百九拾貳匁五分 但壹艘付貳匁五分
貳百三拾四艘 同幅三尺幷手くり船
此銀四百六拾八匁 但壹艘付貳匁
右艜船幅三尺以上、寸尺ニ應、運上相極候、
一艜船貳拾九艘 長命寺坊中持舟
一同 壹艘 奧村權兵衞持舟
一同 三艘 大津御藏番三人持舟 一同 八拾四艘 勢田蜆取舟
一傳馬獵船貳艘 堅田漁船
一同 貳艘 横江濱漁船
一小艦舟四千三拾四艘 田地養舟
右田地養船者、長深ニ無構、幅貳尺九寸以下之分、運上無之、

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 元祿十五午年正月
一川船役銀(○○○○)之儀、去年度々相觸候得共、於于今相濟ものも有之由、不屆に候、依之船持有之町々船數之分、名主相改帳面に認、船持共判形取置之、役船請負人(○○○○○)萬屋市兵衞、深見屋又右衞門、伏見屋五郎兵衞、申來次第、帳面相渡之、向後は右帳面を以、請負人役銀可取立之間、無滯可相渡事、
正月
寶永四亥年三月

一今度海手澪浚被仰付候に付入用諸廻船、穀高を以割付、役銀(○○)廻船壹艘より、壹ケ年に壹度(○○○○○○)宛、可差出旨、被仰出候間、廻船問屋共方〈江〉相觸可申候、以上、
三月
享保四亥年十二月

一今度川船間尺相改(○○○○)、極印打替(○○○○○)候ニ付、江戸幷關東筋川船は、何舟によらず改を請、極印可之、但江戸船は、來子正月より同六月まで、在々に有之船は、來年中を限り、江戸運送之序次第、川船奉行役所〈江〉船乘行、川船奉行〈江〉相達、差圖次第、極印可之、前々極印請おくれ候船たりといふ共、 此度罷出極印可之、且又江戸運送之序無之船は、船數委細書付、御料私領共に、川船奉行〈江〉差出置、重而改を請、極印可之候事、
一武家之乘船、其外わけ有之而、諸々より極印不受船は、船數委細書付、川船奉行〈江〉相達、帳面ニ可附置候事、
以上
十二月
享保六丑年三月
一關八州川船之事、去子之年迄は、川船奉行相改候所、向後棟梁鶴飛驒、相改筈に候、御年貢役銀(○○○○○)取立候儀は勿論、船改を始、新造船、潰船等之義迄、諸事飛驒差圖之趣、違背不仕樣に、川船所持之者共可申付旨、町中可觸知者也、
三月

〔德川禁令考〕

〈二十七/川船役所〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0598 享保六丑年
川船役所勤方船役銀(○○)取立等之定書

一毎年八月より翌年五月迄、川船御年貢(○○○)、幷役銀(○○)納可申事、附御年貢手形、番所におゐて改を請可申事、
一御年貢手形無之船、他之船之御年貢手形を借リ候ニおゐては、貸シ人、借主共ニ、可曲事事、
一往還之船、不晝夜、番所にて相斷可通、若かくれしのび於往還は、曲事たるべき者也、
享保六年丑三月 奉行
右之高札、關宿、猿江、橋場、三ケ所船改番所、古來より相建候、 一毎年八月より來七月迄を壹ケ年ニ相定(○○○○○○○○○○○○○○○)、御年貢役銀取立、御勘定仕上ゲ候事、
川船間尺盛附之定
六尺間を以長計打、御年貢定候船之分、
〈茶船類〉一長錢百五拾文 長貳間貳尺五寸迄
〈同〉一長錢貳百文 同貳間三尺五寸迄
〈同〉一長錢貳百五拾文 同貳間五尺五寸迄
〈同〉一長錢三百文 同三間壹尺五寸迄
〈同〉一長錢三百五拾文 同三間三尺五寸迄
〈同〉一長錢四百文 同三間五尺五寸迄
〈同〉一長錢四百五拾文 同四間壹尺五寸迄
〈同〉一長錢五百文 同四間三尺三寸迄
〈同〉一長錢五百五拾文 同五間五寸迄
但五間五寸以上は、茶船たりといふ共、竪横間可入事、小舟ニ而も、世事あらば竪横可入事、
一湯船
是は艫之火燒所舟梁より、舳の風呂箱外舟梁迄、六尺間を以、竪間計打、
一水船
是は艫船梁より、舳は舟之敷有之所迄、六尺間を以竪間計、五尺間を以、長横共間入、御年貢定
候分、
一高瀨船
一國方茶船 一小船ニ而世事有船
是は艫の梁より、外法舳のせいじ外梁外法迄長間打、よこどうの間巾廣所ニ而小べり外法迄打、
一大艜船
是は長は艫の帆柱かけの梁外法より、世事之外舳の假梁迄、どうの間廣所ニ而、小べり外法迄、
一中艜船
一修羅船
一五大力船
一屋形船
一日除船
右五品之船、長艫之梁外法より、舳の梁外法迄、横は胴の間幅廣所ニ而小べり外法迄打、
五尺間ニ而長計間入候船之分
一部賀船
一小鵜飼船
此二品は、艫梁外法より、舳梁外貳人引出シ、間入横不入、
一部賀〓船
此船、艫梁外法より、舳梁外法迄、間入横不入、
右五尺間管ニ而打出候分、長横平均五尺壹間ニ付、御年貢百文ニ定、壹間ニ詰ざる尺は、六寸より貳尺五寸迄は、五拾文ニ定、貳尺六寸より五尺迄は、百文ニ定候事、 但武家船(○○○)は、何も定之御年貢之上(○○○○○○○)〈江〉(○)五割增(○○○)、商船(○○)は、定之御年貢之外(○○○○○○○)、役銀懸候事(○○○○○)、
間不入御年貢定候船之分
一長錢三百文 小艜舟
一長錢四百文 土船
一長錢五百五拾文 淺草土船
一長錢貳百文 飯沼藻草取舟
此四品は、間不入舟銘ニ而、御年貢定候事、
御年貢ニ應、極印文字之定、
〈守字〉一長錢百五拾文より同四百文迄
〈文字〉一長錢四百五拾文より同七百文迄
〈立字〉一長錢七百五拾文より同壹貫文迄
〈全字〉一長錢壹貫五拾文以上
〈言字〉一總無年貢船
右之通、證文之趣を以相極候事、
川船極印打渡候定日
二日 七日 十一日 十六日 廿一日 廿六日
但川通御成之節は相延、重而之定日打渡候、御成又は雨天ニ而、度々相延、遠國之船差支候節は、定日之外打渡候事、
一武家所持之船は、知行物成運送船、〈幷〉日除船、其外何船ニ而も、屆書出次第承屆、前々より格式相應之船、遂吟味差圖候、新規舟、有來船修復共ニ、書付出次第、船大工よりも證文取之造立申付、 出來之上、證文取之、間尺入、御年貢盛附帳面ニ記、印形取置、船古成、潰舟ニ仕度と申出候分は、打一渡候極印三ケ所相納候上、極印請取、潰舟ニ申渡、帳面相除申候、
一商船新規船、〈幷〉有來船修復共ニ、船主船大工證文取之、出來之上、船主名主證文取、間尺入、極印打渡、御年貢盛附、帳面ニ記、印形取、潰船之儀も、極印三グ所切拔、名主船主證文取、極印請取、潰船ニ申渡、帳面相除申候、
一新規船、潰舟ニ而、年々增減有之ニ付、新船潰舟差引書付差出、毎年八月極高、御勘定所〈江〉相達、御勘定奉行證文を以、御勘定仕上申候、
一八月より十二月迄ニ、造立之新船之御年貢役銀、臨時ニ取立、御勘定仕上申候、
但八月より出來之船、翌年八月ニ至、御年貢取立候得ば、壹ケ年分御年貢ぬけ候ニ付、享保五子年改之節より、八月より十二月迄出來之船は、臨時ニ取立申候、
一總船高之内、八月より十二月迄ニ修復いたし、極印打替に差出、間尺相延、打出有之分、御年貢役銀、臨時ニ取立、御勘定仕上申候、
但右同斷
一船古成用立不申候船、潰舟極印切拔納候儀は、其年々御年貢役銀上納仕、名主加判證文を以、其年々八月より翌年三月晦日迄ニ帳面相除、或は流失破船、燒失船は、途吟味帳面相除申候、
一商船より武家ニ賣船、八月より翌年四月を限書替、武家より商船ニ賣候儀は、時節無構書替申候、
但武家〈江〉商船、無構勝手ニ賣候得ば、商船役銀高減候ニ付、前々より限り相立候事、
一川船御年貢、長錢ニ而取立、鐚錢ニ直、御金藏〈江〉相納、又ハ御拂ニ成候得ば、入札取之代金、御金藏〈江〉相納申候、

〔享保集成絲綸錄〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0603 享保七寅年五月

一船石拾石ニ付錢三文、百石ニ付錢三拾文、千石ニ付錢三百文、廻船之者共より可之事、
但遠國船は、上下之分、拾石に錢六文宛之積り、江戸〈江〉來る度毎に可之、近國之船は、幾度通船候共、遠國船三度之積りを以て錢拾八文、年中最初壹度可之事、
一石錢(○○)請取方ニ付、私曲ケ間敷儀在之者、船方之者共、奉行所〈江〉可之事、
一笧焚やう不宜儀在之におひては、是又可申出事、
右は三崎城ケ島、鳥羽菅島、兩所笧入用として、此度石錢相極候間、自今以後、廻船之者共、堅相守、通船之時、當湊におひて可出之者也、享保七年五月日 奉行

〔寶曆集成絲綸錄〕

〈二十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0603 寶曆六子年二月

一諸船川内に而、荷物積候は勿論、縱沖積仕、又は沖に而荷物瀨取致候共、大坂〈江〉來り候船は、出入共荷物多少によらず、其船之石高に應じ、壹石に三錢宛之積り、石錢可差出事、
一積荷物無(○○○○)之から船(○○○○)にて出入候之節は、其段相斷、石錢を不(○○○○)及(○)差出(○○)候事(○○)、
一大坂幷傳法廻船は、船主よりすぐに石錢可差出事、
一他國之船大坂に藏屋敷有之分、其船之石錢、名代之町人取立可差出事、
附海手渡海船も右同前之事
一定りたる藏屋敷無之、俵物幷諸荷物、大坂〈江〉登り候度々、藏をかり入置候而、名代之者無之分は其船之石錢、荷物支配の町人、取立可差出事、 一藏屋敷無之他國船石錢は、其船之問屋取立可差出候、問屋〈江〉不著、船宿〈江〉著候船之石錢は、船宿取立可差出事、
一御城米積候船も、無差別石錢可差出事、
但是は御城米之船、請負候者にても、又は船主に而も、相對之趣次第石錢出之、其石錢は、右請負之者より相納可申事、
一武家手船に而も、諸荷物積候船は、石錢可差出事、
右之通可相心得候、石錢取集候ため、三郷總年寄壹人宛三人、廻船年寄貳人、年番定置候間、諸船之出入之度々、何方之船、何百石積、何荷物を積、何月幾日、木津川安治川口出船、又は入津仕候、此船石錢何程差出候由、證文相添、年番之年寄共〈江〉石錢可相渡候、若相違之儀有之候はゞ、急度可相咎候、以上、
亥十二月〈○中略〉
右之趣、御料は御代官より相觸候間、私領は領主地頭より相觸候樣、湊附浦附領知有之面々〈江〉可相達候、以上、
二月

〔天保集成絲綸錄〕

〈百五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604 寬政元酉年十二月
町奉行〈江〉
御成之節、御用に付、差出候佃島船持共、自分用所持之小茶船御用之節は、艪貳挺相用候得共、平日自分稼之節は、壹挺艪に候由申立候間、川船御年貢は(○○○○○○)、壹挺艪之積(○○○○○)取立有之事に候、然る上は、平日は、二挺艪は相用申間敷儀に候間、心得違不致樣、兼而其段申付可置候、兩御鳥見組頭、川船改〈江〉も、其段申渡置候間、可談候、

〔牧民金鑑〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0605 寬政三亥年正月
長崎湊通船之ため、川口浚爲入用、諸國之廻船、幷近浦より入込候船之分、湊口番所におゐて、石錢(○○)取立候段、明和二酉年、相觸候處、石錢差出候ニ付而は、出入之船之難義之趣相聞候間、此度石錢取立候義相止候、以來石錢不差出、可通船候、
右之趣、御料は御代官、私領は領主地頭より、可觸知者也、
亥正月

〔川船書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0605 享和三亥年八月改
御年貢船總高幷船銘内譯
一日除船 六百三艘
内二十五艘、但四挺、三挺、二挺立、武家船、 五百七十八艘、商人船、
一日除造二挺立船〈但武家船ニ限ル〉 五十二艘
内假日除造二挺立船一艘
一屋形船〈但商船〉 三十一艘
一茶船〈但武家船商人舟共〉 七千三百五十七艘
内國方茶船 四艘 海獵茶舟
獵船造茶船 〓造茶船
荷足舟 投網舟、又ハ釣舟、
猪牙舟、又ハ山谷舟、 葛西舟、又ハ〓舟、
一傳馬造茶船〈但武家船商人船共〉 六百二十艘
内傳馬造二挺立船一艘 艜造茶舟十三艘 所〓稼舟十七艘
一水船〈但右同斷〉 四十五艘
一湯船〈但商人舟〉 十五艘
一修羅艜船〈但右同斷〉 二十二艘
一石積艜〈船但右同斷〉 十九艘
内茶舟造土船三艘、艜造土船二艘、
一似土舟〈但武家船、商人船共、〉 二百八十四艘
一船艜船〈但前同斷〉 三十三艘
内傳馬造土船五艘
一中艜船〈但前同斷〉 九十一艘
内茶舟造艜舟一艘
一見沼通舶中艜〈但商人舟〉 三十二艘
一艜船〈但武家船、商人搬共、〉 七百九十四艘
内似リ艜舟二百二十八艘
一部賀船〈但右同斷〉 百五十九艘
内部賀〓舟七艘、〓船二十七艘、
一小鵜飼船〈但武家、商人船共、〉 百六十四艘
一高瀨船〈但右同斷〉
内似リ高瀨船四十艘、小高瀨船十六艘、あをり高瀨舟一艘
一房丁高瀨船〈但商人船〉 三十四艘 一房丁茶船〈但右同斷〉 百三十一艘
内耕作舟百六艘
一五大力船〈但右同斷〉 三十六艘
一五下船 六十四艘
一押送船〈但右同斷〉 六十四艘
一獵船〈但右同斷〉 七十六艘
一雜取田舟〈但右同斷〉 六十二艘
一作場田舟〈但右同斷〉 七十九艘
内作場舟三十九艘、漁船三十一艘、
一引舟〈但右同斷〉 十二艘
一川下小舟〈但右同斷〉 千二十四艘
内年季持三十一艘
一所働舟〈但右同斷〉 三百六十一艘
内銚子漁船二十九艘
一旅獵船〈但商人船〉 三十九艘
一小獵船〈但右同斷〉 百六十九艘
是は、行德領三ケ村、無年貢言字御極印、生魚運送船に候得共、生魚之外、少々づゝ之荷物運送稼いたし、御年貢計上納、依之御年貢船之内入候事、
合船數壹萬三千九百八拾四艘

〔德川禁令考〕

〈二十七/川船奉行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0607 慶應三〈卯〉年十二月 美濃守殿、啓阿彌を以御渡、
三奉行〈江〉
一御府内川筋、通行船々之儀、近來船數相增、稼方猥ニ相成、不取締之趣も相聞候ニ付、取締之ため、是迄極印有之分ニ〈而〉も、改〈而〉極印を打新規鑑札(○○)相渡、是迄之手形を引替候筈ニ付、來辰正月より三月中迄ニ、無遲滯江戸大川端川船改所〈江〉可申出候、尤以來船之形狀艪數戸障子、其外勝手次第相用候儀、御差許相成、役船之儀ハ御差止、御用ニ付雇上候節ハ、其時々相當船賃御下〈ケ〉相成候筈ニ候、就〈而〉ハ御年貢役銀(○○○○○)、來辰正月より、是迄御定之貳倍增(○○○○○○)、可相納候、委細之儀ハ、川船役所〈江〉申立、可差圖候、若期限迄ニ不申出、無極印ニ〈而〉稼方致候ものも有之候ハヾ、急度可沙汰候條、心得違無之樣可致候、
右之趣、御府内〈幷〉關東筋、御料私領寺社領共、船持共〈江〉不洩樣、可相觸候、
十二月
右之通、可相觸候、

造船/修復

〔拾芥抄〕

〈下末/諸事吉凶日〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608
造船吉日
〈甲子 己巳 甲戊 庚辰 甲寅 甲辰 庚辰 辛未 戊辰〉

〔和漢船用集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608 舟飾之事
本邦塗船の品、蠟色、本朱、紅粉がら、眞塗、花塗、溜塗、かき合塗、チヤン塗等あり、小船塗、小早或は丹靑を以て彩晝ける者、伊達小早と稱す、萬葉に、赤曾保船、佐丹塗之船、赤羅小舟とよめり、漢に畫船、紅船、彩畫舟といへり、凡船に漆すること、飾のみにあらず、一には水をはぢきて疾ことを要す、二ツには水垢を拂ふて、腐ざらんことを欲す、唐史に曰、杜亞、淮南に節度たりし時、民競渡をなす、亞そ の舟の輕駃からんことを欲して、乃船底に髹と見へたり、

〔日本書紀〕

〈五/崇神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 十七年七月丙午朔、詔曰、船者天下之要用也、今海邊之民、由船以甚苦步運、其令諸國船舶、 十月、始造船舶

〔日本書紀〕

〈十/應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 五年十月、科伊豆國船、長十丈、船旣成之、試浮于海、便輕泛疾行如馳、故名其船枯野、 三十一年八月、詔群卿曰、官船名枯野者、伊豆國所貢之船也、是朽之不用、然久爲官用、功不忘、何其船名、勿絶而得後葉焉、群卿便被詔、以令有司、取其船材、爲薪而燒鹽、於是得五百籠鹽、則施之、周賜諸國、因令船、是以諸國一時、貢上五百船、悉集於武庫水門、當是時、新羅調使、共宿武庫、爰於新羅亭、忽失火、卽延及于聚船、而多船見焚、由是責新羅人、新羅王聞之、讋然大驚、乃貢能匠者、是猪名部等之始祖也、

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 六十二年五月、遠江國司表上言、有大樹、自大井河流之、渟于河曲、其大十圍、本一以末兩、時遣倭直吾子籠船、而自南海運之將來于難波津、以充御船也、

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 二十六年、〈○中略〉是年、遣河邊臣〈闕名〉於安藝國舶、至山覓舶材、便得好材以名、將伐、時有人曰、霹靂木也、不伐、河邊臣曰、其雖雷神、豈逆皇命耶、多奉幣帛、遣人夫伐、則大雨雷電、爰河邊臣按劒曰、雷神無人夫、當我身、而仰待之、雖十餘霹靂、不河邊臣、卽化小魚、以挾樹枝、卽取魚焚之、遂修理其舶

〔日本書紀〕

〈二十四/皇極〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 元年九月乙卯、復課諸國、使船舫

〔常陸風土記〕

〈香島郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 郡南廿里濱里、〈○中略〉輕野以東、大海濱邊、流著大船、長一十五丈、濶一丈餘、朽摧埋砂、今猶遺之、〈謂、淡海之世、擬國、令陸奧國石城船造作大韶、至于此岸卽破之、〉

〔續日本紀〕

〈一/文武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 四年十月庚午、遣使于周防國舶、

〔武備志〕

〈二百三十一/四夷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 日本考 舶船
日本造船、與中國異、必用大木、取方相思合縫、不使鐵釘、惟聯鐵片、不使麻筋桐油、惟以草塞罅漏而已、〈名短水草〉費功甚多、費材甚大、非大力量造也、凡宼中國者、皆其島貧人、向來所傳、倭國造船千百隻、皆虚誑耳、其大者、容三百人、中者、一二百人、小者、四五十人、或七八十人、其形卑隘、遇巨艦於仰攻、苦於棃沈、故廣福船、皆其所畏、而廣船旁陸如垣、尤其所畏者也、其底平不浪、其布帆懸於桅之正中、不中國之偏、桅機常活、不中國之定、惟使順風、若遇無風逆風、皆倒桅盪櫓、不轉〓、故倭船過洋、非月餘可、今若易然者、乃福浙沿海奸民、買舟於外海、貼造重底、渡之而來、其船底尖、能破浪、不横風鬪風、行使便易、數日卽至也、

〔續日本紀〕

〈二/文武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 大寶元年八月甲寅、遣使於河内、攝津、紀伊等國、營造行宮、兼造御船三十八艘、豫備水行也、

〔續日本紀〕

〈四/元明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 和銅二年七月丁卯、令越前、越中、越後、佐渡四國、造船一百艘、送于征狄所

〔續日本紀〕

〈九/元正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 養老六年四月辛卯、唐人王元仲、始作飛舟進之、天皇嘉歎、授從五位下
○按ズルニ、飛舟、日本紀略ニハ飛車トアリ、

〔續日本紀〕

〈十一/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 天平四年八月壬辰、勅〈○中略〉四通〈○東海、東山、山陰、西海、〉兵士者、依令差點、滿四分之一、其兵器者、修舊物、仍造百石已上

〔續日本紀〕

〈十一/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 天平四年九月甲辰、遣使于近江、丹波、播磨備中等國、爲遣唐使、造舶四艘

〔續日本紀〕

〈十六/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 天平十八年十月丁巳、令安藝國造舶二艘

〔續日本紀考證〕

〈六/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 推古紀云、廿六年、遣河邊臣於安藝國船、至山覓舶材、便得好材、孝德紀云、白雉元年、遣倭直縣某々於安藝國、使百濟舶二隻、寶字五年十月紀云、遣上毛野公廣濱、廣田連小床等、造遣唐使船四隻於安藝國、寶龜二年十一月紀云、遣使造入唐使舶四艘於安藝國、六年六 月紀云、造遣唐使船四隻於安藝國、皆此、按、和名抄、安藝國沼田郡、安藝郡、並有船木郷、蓋以其地産舶材、例造諸此歟、

〔續日本紀〕

〈二十三/淳仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 天平寶字五年十月辛酉、遣從五位上上毛野公廣濱、外從五位下廣田連小床、六位已下官六人、造遣唐使船四隻於安藝國

〔續日本紀〕

〈三十一/光仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 賓龜二年十一月癸未朔、遣使造入唐使舶四艘於、安藝國

〔續日本紀〕

〈三十三/光仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 寶龜六年六月辛巳、以正四位下佐伯宿禰今毛人、爲遣唐大使、〈○中略〉造使船四隻於安藝國

〔續日本紀〕

〈三十四/光仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 寶龜七年七月己亥、令安房、上總、下總、常陸四國、造船五十隻、置陸奧國以備不虞

〔續日本紀〕

〈三十五/光仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 寶龜九年十一月庚申、造舶二艘於安藝國、爲唐客也、

〔享祿本類聚三代格〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 太政官符〈○中略〉
一應理船
右撿案内、承前使〈○遣外國使〉等故壞己舶、寄言風波、還却之日、常要完舶、修造之費、非前轍、宜修理損舶、宛如舊樣、莫公費、早速修理、不延怠、〈○中略〉
以前、中納言兼左近衞大將從三位行民部卿淸原眞人夏野宣、如右、
天長五年正月二日

〔續日本後紀〕

〈三/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 承和元年二月癸未、是日任造舶使、以正五位下丹墀眞人貞成長官、主税助外從五位下朝原宿禰島主爲次官、 五月癸亥、以遣唐大使參議從四位上藤原朝臣常嗣兼備中權守、右大辨如故、大工外從五位下三島公島繼爲造舶次官、遣唐使判官、錄事、及知乘船事等、兼外任者九人、 八月壬午、以右中辨正五位下伴宿禰氏上造舶使長官、 戊子、任遣唐錄事、准錄事、知乘船事各一人、以外從五位下三島公島繼、爲造船都匠

〔類聚三代格〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 太政官謹奏〈○中略〉
主舶一員〈正八位下官〉
右創法之時、置主船吏、而依同前論奏、〈○大宰府〉旣從停廢、如今得彼府解偁、〈○中略〉遣唐廻使所乘之新羅船、授於府衙彼樣、是尤主船之所掌也、〈○中略〉
以前、大宰大貳從四位上南淵朝臣永河等、所請如件、〈○中略〉臣等商量、廢置如右、伏聽天裁、謹以申聞、謹奏聞、
承和七年九月廿三日

〔三代實錄〕

〈四十二/陽成〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 元慶六年十月廿九日戊辰晦、勅令能登國禁一レ損羽咋郡福良泊山木、渤海客、著北陸岸之時、必迷歸舶、於此山住民伐採、或煩材、故豫禁大木民業

〔隨心院文書〕

〈乾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 院廳下諸國在廳官人幷東大寺所司等
早停正宋人和卿濫妨去建久九年院宣顯密佛事用途料當寺領庄々事〈○中略〉
右彼寺三綱等、去三月日解狀偁、〈○中略〉凡和卿作法、嗔恚憍慢增盛之上、嫉妬狂氣相加之間、當寺居住之後、所行不當不稱計、〈○中略〉佛殿造營之始、切破數丈之大柱、忽造私之唐船、〈○中略〉凡如此之所行、不毛擧、毎人知之、寺中無隱、〈○中略〉
元久三年〈○建永元年〉四月十五日 主典代中務大屬兼春宮大屬安倍朝臣〈○連署略〉

〔吾妻鏡〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 建保四年十一月廿四日癸卯、將軍家、〈○源實朝〉爲先生御住所醫王山、可唐御之由、依思食立、可造唐船之由、仰宋人和卿、又扈從人、被六十餘輩、朝光奉行之、相州、〈○北條義時〉武州、〈○北條時房〉頻以雖申之、不御許容造船沙汰云云、

〔吾妻鏡〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 建保五年四月十七日甲子、宋人和卿、造畢唐船、今日召數百輩疋夫於諸御家人、擬彼船於由比浦、卽有出右京兆〈○北條義時〉監臨給、信濃守行光、爲今日行事、隨和卿之訓説、諸人盡筋力 而曳之、自午刻申斜、然而此所之爲體、唐船非出入之海浦之間、不浮出、仍還御、彼船徒朽損于砂頭云云、

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 永享四年七月廿三日、番匠〈彌六〉令船一艘作、是入江殿今御所、爲御憑御用之由奉之間造進、

〔慶長見聞集〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 唐船作らしめ給ふ事
見しは昔、慶長年中、家康公唐船を作らしめ給ひ、淺草川の入江につながせ給ふ、かゝる大舟をつくり、海にうかべる事、汀にては人力も及びがたかるべし、いかやうなる手だて有て出るや、さらに分別におよばず、〈○中略〉扨又唐船海中へ出す事、海に綱引まき、車も立がたし、陸にて手子ばうも及ぶべからず、〈○中略〉先年作らしめ給ふ淺草川の唐舟は、伊豆の國伊東といふ濱邊の在所に川あり、是こそ唐舟作るべき地形なりとて、其濱の砂の上に柱をしきだいとして、其上に舟の敷を置、半作の比より砂を堀上、敷臺の柱を少づゝさげ、堀の中に舟をおき、此舟海中へうかべる時に至て、河尻をせきとめ、其河水を舟のある堀へながし入、水のちからをもて海中へをし出す、此たくみを昔鎌倉の人はしらざるにや、

〔地方落穗集〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 海船川船打替(○○)の事
一支配村方にある川船海船等、古くなり打替致し度旨、村方より願出候節は、右の船、何年以前に打立候哉、年幷に船破損の次第を委しく吟味の上、尚又見分吟味として手代差出し、いよ〳〵相違無之に於ては、船方役所へ願書差出させ、尤も船主幷に大工、其村々の名主印形相揃へ、右願書の奧へ、右の通り吟味致し、相違無之候間、船出來致し候はゞ、御極印下されべく旨奧書致し、代官印形にて船方役所へ差出す、若し代官御用にて不在のときは、右の趣を以て、元〆手代印形致し渡し遣すなり、 一右の船出來の上は、川方へ差出し、極印下さるべく旨、奧書印形前の如くにして渡し遣はすなり、
一右の證文を以て、船方役所へ差出す節、古船の極印を切拔き相添ヘ、船方役所へ差出し、新造極印を申請、其段地方役所へ船方より申達する也、

船材

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 一書曰、素戔鳴尊曰、韓郷之島、是有金銀、若使吾兒所御之國不一レ浮寶者、未是佳也、乃拔鬚髯之卽成杉、又拔散胸毛是成檜、尻毛是成披、眉毛是成櫲樟、已而定其當一レ用、乃稱之曰、杉及櫲樟、此兩樹者、可以爲浮寶、檜可以爲之材、披可以爲顯見蒼生奧津棄尸將臥之具

〔和漢船用集〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 舟用木之事
素戔鳴尊曰、杉及櫲樟此雨樹者、可以爲浮寶
櫲樟は楠に類す、和名太布、しかれども往古は其差別なく、今云楠なるべし、〈○中略〉杉は、〈○中略〉本邦にも南方に生ずるを良材とす、肥後日向紀州の材を最上とす、〈○中略〉凡船の材とすべきもの多く有といへども、海河其品を別つ、河舟は眞水ゆへ朽やすし、故に眞槇を上品とす、楠、栢、草槇是に次、檜、杉又是に次げり、其外五葉松、松皮の類を下品とす、海舟は潮故朽ことなし、楠、槻、太布、栂、杉、樅を用、其外雜木を以て造れり、

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 造筑紫觀世音寺別當沙彌滿誓歌一首
鳥總立(トブサタテ)、足柄山爾(アシガラヤマニ)、船木伐(フナギキリ/○○ )、樹爾伐歸都(キニキリユキツ)、安多良船材乎(アタラフナギヲ)、

〔日本新永代藏〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 二年めの蕣の花只工夫だね
密々に商を見立るに、とかく大廻しの船、勿論海上ある事ながら、綱碇を丈夫にして、檜木造(○○○)のうへは、いさゝか難風を乘のがるゝ事、古き沖船頭のいひぶん、尤もに思ひ、〈○下略〉

船大工

〔和漢三才圖會〕

〈七十四/國郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 攝津國土産 船大工〈天滿〉

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 御座船、〈○中略〉海御座、河御座、其法攝州天滿堂島に專盛なりとす、故に寺島良安、天滿の船大工、攝州の土産にのせられたり、是關舟川舟をつくりなせる、其功自然とあらはるゝ者なるべし、則天滿舟大工町、堂島船大工町と言て、七十年以前までは、濱邊にて七十丁八十挺立の大船をつくりし所なりしに、貞享元祿の比、川村瑞賢、天下の鈞命によつて新川をほり、堂島に新地拾町の町家を開けり、是に依て以前大船を造りし所も今町中となり、川幅もせまくなりて橋數多掛れり、其下の洲崎を下し賜て、今船作り場とす、是も町役御赦免有なれば、年經て兩船大工町の如く名のみのこりて、船大工絶へなんことをなげけり、

〔江戸鹿子〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 三途渡 淺草萱町より向へ渡る所なり、〈○中略〉吉原へ通、二丁立の早船おほし、玆にて五郎兵衞といふ船大工、早船を造なり、二丁立の船頭は、此五郎兵衞船ならでは用ひぬとて、褒美する也、

〔江戸鹿子〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 舟作〈幷穴藏大工〉
南八丁堀 小網町 うなぎ堀 銀町土手

〔和漢船用集〕

〈一/叙〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 浪華金澤氏、家世舟匠、傳其規矩亦多矣、至兼光、更博探旁求、作爲是書、〈○中略〉
寶曆辛巳仲冬 岡白駒

種類/以原質爲名

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 伊弉諾尊、伊弉册尊、〈○中略〉生蛭兒、雖已三歲、脚猶不立、故載之於天磐櫲樟船(○○○○○)、而順風放棄、

〔釋日本紀〕

〈五/述義〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 私記曰、問此船者、其實何物哉、答、其以櫲樟木船耳、今殊云磐者、堅磐之義也、但至于饒速日神、只曰磐船、未其同異也、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 一書曰、日月旣生、〈○中略〉次生鳥磐櫲樟船(○○○○○)、輙以此船蛭兒、順流放棄、

〔古事記傳〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 鳥之石楠船神、鳥とは行ことの疾きをかたどりて云と、口決には云、師は水鳥の浮るさまによそへて云と云れき、此は何かよけむ、書紀に天鳩船と云あり、又其の釋に、播磨國風土記を引て云るは、仁德天皇の御世に、いと大なる楠ありしを伐て船に造りしに、其船飛が如迅し、故に速鳥と號つとあり、是らに依ば、口決の意なるべし、又萬葉十六〈二十五丁〉に、奧鳥(オキツトリ)、鴨云船之(カモチフフネノ)、と〈から書にも鳬舟といふあり〉あるを思へば、師説も捨がたし、石楠とは、〈○中略〉此木はいと堅くて、磐にもなる物なれば、石楠とは云るなり、

〔義經記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 義經都落の事
當國の住人に豐島の藏人、上野の判官、小溝の太郎承て、くがにあがり、五百疋の名馬にくらをおきて、磯には三十艘の杉舟(○○)に、かいだてをかき、判官〈○源義經〉を待かけたり、

〔續古今和歌集〕

〈七/神祗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 くまの河の舟にて 太上天皇
熊野河せぎりにわたす杉舟のへなみに袖のぬれにけるかな

〔倭訓栞〕

〈中編二/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 いたぶね(○○○○) 板をもて舟にするをいふ、早苗などの歌に、田子の板船などよめり、

〔夫木和歌抄〕

〈七/早苗〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 堀川院御時百首 前中納言匡房卿
さなへとるふかだにわたすいたぶねのおりたつことのさもかたき哉
寶治二年百首早苗 正三位知家卿
けふもまたたごのいたぶねさしうけてぬまえをふかみとるさなへ哉

〔詞林采葉抄〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 神無月〈○中略〉
抑一天下ノ神無月ヲバ、出雲ニハ神在月トモ神月トモ申也、我朝ノ諸神參集玉故也、其神在ノ浦ニ神々來臨ノ時、少童ノ作レル如ナル篠舟(○○)、波上ニ浮コト不算數モ、諸神ハ彼浦ノ神在ノ社ニ集玉テ、大社ヘハ參玉ハズト申、

〔伯耆之卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 夜に入て、彌風强く吹ければ、御船も危くて、いかなるべしとも不覺、主上、〈○後醍醐〉忠顯を被召、竹の葉やあると御尋ね有ければ、船中に可有樣なかりけれども、可尋由を勅答申て、御前を立給、かゝりける所に、不思議やな、苫の下に竹の葉一枚あり、是を取て參りけり、此竹の葉を被召、御手自、船を三つ造らせ給て、御守より御舍利を三粒取出させ給て、此篠船に一粒づゝ入させ給て、海上に浮べさせ給て、御祈念ありければ、無程海上靜りぬ、

〔夫木和歌抄〕

〈十七/氷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 家集氷礙舟 源仲正
うなひこがながれにうくるさゝ舟のとまりは冬の氷なりけり

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 一書曰、先生蛭兒、便載葦船(○○)而流之、

〔古事記傳〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 葦船、〈○中略〉此船を書紀纂疏には、以葦一葉船也とあり、さも有なむ、又葦を多く集て、からみ作りたるにてもあるべし、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 故大國主神、坐出雲之御大之御前時、自波穗天之羅摩船(○○○○○)、而内剝鵝皮剝爲衣服、有歸來神

〔古事記傳〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 天之羅摩(カヾミ)船、〈○中略〉和名抄に、本草云、蘿摩子、一名芄蘭、和名加々美、白蘞、和名夜末賀賀美、徐長卿、和名比女加々美などあり、今の俗は加賀良比とも、賀々芋とも云て、其殼を割たるは、舟にいとよく似たる物なりとぞ、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 一書曰、〈○中略〉大己貴神之平國也、行到出雲國五十狹狹之小汀、而且當飮食、是時海上忽有人聲、乃驚而求之、都無所見、頃時有一箇小男、以(○)白蘞皮(○○○)爲(○)舟(○)、以鷦鷯羽衣、隨潮水以浮到、

〔日本書紀〕

〈一/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 一書曰、素戔嗚尊、所行無狀、故諸神、科以千座置戸而遂逐之、是時素戔嗚尊、帥其子五十猛神、降到於新羅國、居曾尸茂梨之處、乃興言曰、此地吾不居、遂以埴土(○○)作(○)舟(○)乘之、東渡到出雲國簸川上所在鳥上之峯

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 神日本磐余彦天皇、〈○中略〉及年四十五歲、謂諸兄及子等曰、〈○中略〉抑又聞於鹽土老翁、曰、東有美地、靑山四周、其中亦有天磐舶(○○○)飛降者、〈○中略〉厥飛降者、謂是饒速日歟、何不就而都之乎、 戊午年十二月丙申、長髓彦、乃遣行人於天皇曰、嘗有天神之子、乘天磐船天降止、號曰櫛玉饒速日命

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 角麻呂歌
久方乃(ヒサカタノ)、天之探女之(アマノサグメガ)、石船乃(イハフネノ)、泊師高津者(ハテシタカツハ)、淺爾家留香裳(アセニケルカモ)、

〔萬葉集略解〕

〈三上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 磐船は石楠船とて、楠もて造て、かたきをほめいふならん、

〔萬葉集〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618京路上依興預侍宴應詔歌一首幷短歌
蜻島(アキツシマ)、山跡國乎(ヤマトノクノヲ)、天雲爾(アマグモニ)、磐船浮(イハフネウカベ)、等母爾倍爾(トモニヘニ)、眞可伊繁貫(マカイシヾヌキ)、〈○下略〉

〔堀川院御時百首〕

〈秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 七夕 藤原顯仲朝臣
織女の天の岩舟ふなでしてこよひやいかにいそ枕する

以製作爲名

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 養老三年正月庚寅朔、以舶二艘獨底船(○○○)十艘太宰府

〔續日本紀考證〕

〈四/元正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 獨底船〈未詳、或曰、蓋獨米船(○○○)也、〉

〔倭訓栞〕

〈中編二十四/末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 まるきぶね(○○○○○) 後太平記に、赤間の丸木船と見えたり、長州赤間が關にて、丸木をゑりて船とするなり、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 丸木船 其形、丸木を剡たるがごとし、故に又丸太舟(○○○)と云、是北國のはかせ作りに類す、其舟長く細く深くして、底より兩側、板丸くはぎ上て枻(タナ)なし、上のはぎをおもきと云、水押も立板に丸くはぎ、舳は横舳にて、大立横上あり、右楫の方にそへ立あり、ろくい高く鐵にて作る、棹櫓を用、帆櫓かね用、旅客舟の内に有て外へ見へず、古津、今津、鹽津、海津等に多し、其外所々にあり、大船は五百石積餘にいたる、棹師の説に、此舟は傳敎大師の沓の形なりといへり、 又九州に有、肥前の丸木舟、其長さ三間半餘、底ひらたく、兩かは丸木のごとく、是もろくい高くして、片手に早緖をにぎり、片手漕にする、是を丸木こぎと云といへり、其外國々に有、

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 丸木舟(マルコブネ)

〔閑窻瑣談〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 丸木船
房州安房郡山刀村に、船越大明神と云社あり、〈○中略〉神前にさゝげたる古代の丸木船二艘あり、長サ一丈六尺、〓の間五尺餘にて、木色は薄紫なるが、何といふ木なりや知者なし、唐木にて造りし船なりとのみ云傳ふ、

〔古事記〕

〈中/垂仁〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 故率遊其御子〈○本牟遲和氣命〉之狀者、在於尾張之相津二俣榅作二俣小舟(○○○○)而、持上來以、浮倭之市師池輕池、率遊其御子

〔古事記傳〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 二俣小舟は、二俣榅以作れるなれば、其一木のかぎりを、二俣の隨に、鑿れる舟なるべし、

〔日本書紀〕

〈十二/履仲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 三年十一月辛未、天皇泛兩枝船于磐余市磯池、與皇妃各分乘而遊宴、

〔名物六帖〕

〈器財二/舟楫桴筏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 獨木刳舟(ウツボブネ)〈星槎勝覽、蘇門答刺國民、網魚爲生、朝駕獨木刳舟、張帆出海、暮則回、〉獨木舟(ウツボブネ)〈同上、駕獨木舟、來貿椰實、〉全木船(ウツボブネ)、〈東文選〉

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 䑳〓(ウツボブネ)〈匀略、空中木爲舟也、〉冲舟(同)〈又作虚舟

〔倭訓栞〕

〈中編三/宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 うつぼぶね 獨木刳舟をいふ、星槎勝覽に見えたり、元祿中、朝鮮の舟、東國に漂著せしに、其船大木を二ツに割て、それをくりて、よせて一艘とせし獵船なるべし、

〔平家物語〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 鵼の事
よりまさ、きつと見あげたれば、くもの中に、あやしき物のすがた有、〈○中略〉矢とつてつがひ、南無八幡大ぼさつと、心の中にきねんして、よつひいてひやうとはなつ、手ごたへしてはたとあたる、えたりやおうと矢さけびをこそしてんけれ、〈○中略〉さてかのへんげの物をば、うつぼ舟に入て、なが されけるとぞ聞えし、

〔長門本平家物語〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 丹波少將は、備中の國妹尾の湊、ゆく井といふ所より御船に召して、波ぢはるかにこぎうかぶ、是はいよの國夏地につきてめぐられける、たかくそびえたる遠山のはるかに見えければ、あれはいづくぞと少將とひ給へば、とさのはた、足摺のみさきと申ければ、少將思いだして、さては昔、理一と申そうありき、有漏の身をもて、ふだらくせんををがまんとちかひて、一千日の行をはじめて、御弟子のりけんと申一人ばかり召具して、御船にめしておし浮び給ふに、むかひ風はげしく吹きて、もとのなぎさに吹返す、理一なほ行法の功をはらざりけりとて、又百日の行法をし給て、百日過ければ、聖人元より人を具してはかなふまじとて、御船に唯一人めす、かの船は、うつぼ舟なり、しろきぬの帆をかけて、順風に任す、げにもおいて事をへだて、はるかにとほざかる、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 爾鹽椎神云、我爲汝命〈○火遠理命〉作善議、卽造无間勝間之小船(○○○○○○○○)、載其船以敎曰、我押流其船者、差暫往、將味御路

〔古事記傳〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 无間勝間は、麻那志加都麻(マナシカツマ)と訓べし、无間は、書紀に無目と作る意なり、〈間は借字〉加都麻は、堅津間の約まりたるにて、書紀には、卽堅間とあり、〈○註略〉こは籠の編る竹と竹との間の堅く密りて、目の無きを云り、〈○註略〉萬葉十二〈九丁、卅四丁、卅九丁、〉に、玉勝間とあるも此物なり、〈○中略〉小船とは、此は必しも船の形に造れりとには非じ、何物にまれ乘て水を行物を、船とは云るなるべし、書紀に、以无目堅間浮木、とあるも同じ、

〔運步色葉集〕

〈阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 緋小舟(アケサヲフネ)

〔倭訓栞〕

〈前編二/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 あけのそほぶね 萬葉集に、赤曾保舟と見えたり、そほは赭(ソホニ)の義、丹塗をいふ也、漢土の紅船なるべし、

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 高市連黑人羇旅歌
客爲而(タビニシテ)、物戀敷爾(モノコヒシキニ)、山下(ヤマモトノ)、赤乃曾保船(アケノソホフネ)、奧榜所見(オキニコグミユ)、

〔萬葉考槻落葉〕

〈三之卷別記〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 赤乃曾保船
營繕令云、凡官私船、毎年具顯色目勝受斛斗破除見在任不、附朝集使省、義解云、謂榅樟之類、是爲色也、舶艇之類、是爲目也云々とあるを、集解に、或人古記を引て、公船者、以朱漆之といへり、是は義解の説にもとりて、却て色目の解を誤れるものなるべけれど、官私の船、彩色によりて分別ある事、且官船は朱漆なる事この古記にて知られたり、則卷十六に、奧去哉(オキユクヤ)、亦羅小船爾(アカラヲフネニ)、裹遣者(ツトヤラバ)、若人見而(ワカキヒトミテ)、解披見鴨(トキアケミムカモ)、とある赤羅小船は、公船なるよしは、その左註に見えたり、又同卷に、奧國(オキノクニ)、領君之(シラスルキミガ)、染屋形(ソメヤカタ)、黃染乃屋形(キソメノヤカタ)、神乃門渡(カミノトワタル)、とあるは、配流の人などは、黃染の船に乘るにや、この歌、怕物歌と題せるは、隱岐の國に、はふりやらるゝ人の、黃染の船に乘て、かしこき神の海門を渡り行を、おそろしむ意によめるなるべし、是等の歌にて、船に彩色の品ありて、公私の分別ある事、いよゝ明らか也、

〔萬葉集略解〕

〈三上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 卷十四、まがねふく爾布能麻曾保の色に出てと有て、赭土をそほにといへり、あけのそほ舟は、其赭土もて塗たる船也、卷十三、左丹塗のを舟もがも、又なにはの崎に引登るあけのそほ舟、卷十六、おき行や赤羅小舟など有、あけと上に置て重ねいへる也、さて色どりたるは官船にて、官人の船ならん、

〔萬葉集〕

〈十三/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 忍照(オシテル)、難波乃埼爾(ナニハノサキニ)、引登(ヒキノボル)、赤曾朋船(アケノソホフネ)、曾朋舟爾(ソボブネニ)、綱取繫(ツナトリカケ)、引豆良比(ヒコヅラヒ)、有雙雖爲(アリナミスレド)、〈○下略〉

〔萬葉集〕

〈十/秋雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 天漢(アマノガハ)、安乃川原乃(ヤスノカハラノ)、有通(アリカヨフ)、歲乃渡丹(トシノワタリニ)、曾穗舟乃(ソホブネノ/○○○)、艫丹裳軸丹裳(トモニモヘニモ)、船〓(フナヨソヒ)、眞梶(マカヂ)、繁拔(シヾヌキ)、〈○下略〉

〔萬葉集〕

〈八/秋雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 山上臣憶良七夕歌
如是耳也(カクノミヤ)、戀都追安良牟(コヒツヽアラム)、佐丹塗之(サニヌリノ/○○○○)、小船(ヲブネ/○○)毛賀茂(モガモ)、王纒之(タマヤキノ)、眞可伊毛我母(マカイモガモ)、〈○下略〉

〔萬葉集〕

〈九/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 鹿島郡苅野橋別大伴卿歌一首幷短歌
牝牛乃(コトヒウシノ)、三宅之滷爾(ミヤケノカタニ)、指向(サシムフ)、鹿島之崎爾(カシマノサキニ)、挾丹塗之(サニヌリノ)、小船儲(ヲフネヲマケテ)、玉纒之(タママキノ)、小梶繁貫(ヲカヂシヾヌキ)、〈○下略〉

〔萬葉集〕

〈十六/有由緣幷雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 筑前國志賀白水郎歌
奧去哉(オキユクヤ)、赤羅小船爾(アカラヲブネニ/○○○○)、裹遣者(ツトヤラバ)、若人見而(モシモヒトミテ)、解披見鴨(ヒラキミ厶カモ)、

〔萬葉集〕

〈六/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622辛荷島時山部宿禰赤人作歌
味澤相(アヂサハフ)、妹目不數見而(イモガメシバミズテ)、敷細乃(シキタヘノ)、枕毛不卷(マクラモマカズ)、櫻皮纒(カニバマキ/○○○)、作流舟二(ツクレルフネニ/○○○)、眞梶貫(マカヂヌキ)、吾榜來者(ワガコギクレバ)、〈○下略〉

〔萬葉集略解〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 かにばまきは、今舟の舳を蕨繩して卷如く、櫻の皮もて卷たるならん、

〔倭訓栞〕

〈前編十四/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 たなゝしをぶね(○○○○○○○) 萬葉集に、棚无小舟と見ゆ、舟は舳にも艫にも棚ありといふは非也、こはとも板、へ板といふ、棚とはいはず、童蒙抄に、棚とは、うらうへのふなばたに打たる板をいふ、舷也、至て小き船には棚もなきなりといへり、

〔萬葉集〕

〈一/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 二年〈○大寶〉壬寅太上天皇〈○持統〉幸于參河國時歌
何所爾可(イヅクニカ)、船泊爲良武(フナハテスラム)、安禮乃崎(アレノサキ)、榜多味行之(コギタミユキシ)、棚無小舟(タナナシヲブネ)、右一首高市連黑人

〔萬葉集略解〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 棚無を舟は、和名抄、枻、不奈太那、大船旁板也と有て、小舟には其たななければ、しかいへり、

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 高市連黑人羇旅歌
四極山(シハツヤマ)、打越見者(ウチコエミレバ)、笠縫之(カサヌヒノ)、島榜隱(シマコギカクル)、棚無小舟(タナナシヲブネ)、

〔古今和歌集〕

〈十四/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 題しらず 讀人しらず
堀江こぐ棚なしをぶねこぎかへり同じ人にやこひ渡りなむ

〔藻鹽草〕

〈十七/人事雜物幷調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 船 たなをの船(○○○○○)

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 棚小(タナヲ)の舟 藻鹽草に出たり、歌によめりといへども、いまだ證歌を見ず、上棚の小なる者を云べし、攝州尼崎鳥貝をひさぐ舟などを云べし、

〔嬉遊笑覽〕

〈二下/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 ヘカ舟(○○○) 羽根田〈○武藏國〉の海邊の漁舟に、へか舟と呼ものあり、薄板の小舟なり、按るに難波にヘカと呼小車あり、へカはヘコといふと同く、輕細の義と聞ゆ、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 部賀船
上口凡〈長四丈四五尺、横八九尺、〉
巴波川、思川、渡良瀨川通ニ有之、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 一枚枻(イチマイダナ/○○○) 是歌によめるたなゝし小舟也、平田作にて上棚なき者、通舟又耕作舟に用、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 划船(いちまいだな) 秧塌 俗云一枚棚
三才圖會云、划、撥進也、其船制、短小輕便易於撥進故名之、瀕水及灣泊田土之間行、若際水則以鍬掉撥至、或隔陸地、則引纜掣去、如泥中草上、猶爲順快、水陸互用、便於農事

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 三枚枻(○○○) 同上〈一枚枻同製〉舟也、武備志に、三板船と云者、舟側二枚、底一枚也、是三枚船と云べきを、三枚枻と呼來れり、是も棚なし舟也、其制一枚枻とは各別にて、細く狹くして長き者、其長さ四間餘、幅二尺二三寸、一本水押にて横舳也、河州に用て耕作舟とす、

〔伊呂波字類抄〕

〈利/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 龍頭(○○)船名也

〔同〕

〈計/疊孛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 鷁首(ケキシユ)〈舟名也〉

〔運步色葉集〕

〈景〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 鷁(ゲキ)首〈鷁退飛之鳥也、依之船尾名之、〉

〔易林本節用集〕

〈利/財寶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 龍頭鷁首(リヨウトウゲキシユ)〈在舟〉

〔塵袋〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 一船ニ龍頭鷁首アリ、鷁ハナニトリゾ、其故如何、 文選ノ注ニハ、水神ノヲヅルトリナリ、水中難ヲサランガタメニ、此ノ鳥ノカシラヲツクル由シ見エタリ、今ハヒトヘニ鳳首ヲツケテ、鷁首トナヅクル歟、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 船〈○中略〉
龍頭鷁首 貴人船前、畫龍及靑鷁者、鷁能所以防一レ水鳥、皆欲船不一レ波浪、謂之、龍頭鷁首、又曰舟爲艗亦此意也、〈鷁見于水禽部〉晉王〓、造大艦、方百二十步、受二千餘人、建樓開門、馳馬往來、畫鷁恠獸于船首以厭水神、其壯大自古未曾有一レ此也、乃浮江攻呉、以大勝之、

〔紫式部日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 其日、新しく作られたる舟どもさしよせて御覽ず、龍頭鷁首のいけるかたち、思ひやられてあざやかにうるはし、

〔榮花物語〕

〈十七/音樂〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 御堂供養、治安三年七月十四日と定めさせ給へれば、よろづをしづ心なく、よるを晝におぼし營ませ給ふ、〈○中略〉大門いらせ給ふ程に、左右の舟の樂、龍頭鷁首舞ひ出でたり、

〔榮花物語〕

〈二十/御賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 治安三年十月十三日、殿の上の御賀〈○藤原道長妻倫子〉なり、〈○中略〉さま〴〵の事どもあるべき限りにて、ふねの樂、龍頭鷁首こぎいでたり、

〔續世繼〕

〈一/こがねの御法〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 治曆元年九月廿五日に、高陽院にてこがねの文字の御經、みかど、〈○後冷泉〉御みづからかゝせ給ひて、御八講行はせ給ひき、〈○中略〉五卷の日は、宮々上達部殿上人、皆さゝげもの奉りて、たつ鳥のから舟(○○○○○○○)池にうかびて、水の上に聲々しらべあひて、佛の御國うつし給へり、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 仁平二年正月廿六日壬戌、今日於東三條再行大饗、 廿七日癸亥、撤尊者已下辨已上膳、〈○中略〉樂船雜具借用平等院
鵜船四艘〈龍頭二艘組之、鷁首二艘組之、借桂河鵜飼、鵜飼泝東河、至東二條之、仰檢非違使入池中、〉
板敷〈木工寮敷之〉
筵〈掃部寮敷之〉

〔年中行事繪巻〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625
龍頭

〔駒競行幸繪詞〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625
鷁首 地敷〈龍頭蘇芳絹、鷁首黃絹、筵上敷之、今度無地敷、失也、〉
紫端疊一枚〈地敷上敷之、爲寮頭座、鷁首船不之、〉
龍頭〈在胷背左右䰇頂有白銅玉、口含白玉、〉〈以木作之押銀〓〉〈著船舳、〉
鷁首〈在胷背左右翼頂有白銅玉、觜含花枝、〉〈以銀作之〉〈著船舳、〉
鴈齒〈左右及艫著之、黑漆地、龍頭金銅金物、鷁首白銅金物、以之爲文、兩船其文同、〉
尾〈著船艫左右、黑漆地、龍頭金銅金物、鷁首白銅金物、以之爲文、兩船其文同、如鷹羽文、〉
紅欄〈金銅金物、桙木上、當柱居寶形、〉
水引〈左右及艫、廻之紺唐綾處々畫水文、鰐鮝魚、上際畫千烏、〉
已上、左近飾龍頭船、右近飾鷁首船
綵色棹八筋〈船別四筋○下略〉

〔參議公通卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 仁平二年三月八日、今日御賀後宴也、〈○中略〉船樂六艘參進、其内龍〈右近〉鷁〈左近〉各一艘、舞樂雲客乘之、左右近衞將監艘別四人〈狩装束〉棹之、次龍二艘、〈左近府丁、右衞門丁、〉鷁二艘〈右近府丁、右衞門丁、〉召人樂人等乘之、本府番丁以下、艘別四人〈装束如昨日〉棹、廻島崎著岸下、奏鳥向樂、〈左方乘龍、右方乘鷁、〉

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 仁安(裏書)三年八月四日〈朝覲〉
舟差八人、裝束、
龍頭童四人、蠻繪袍、朽葉半臂、下襲蘇芳、末濃袴、濃張單、布帶、天冠、糸鞋等、
此具半臂下襲已古色也、尤失也、可二藍也、
鷁首童四人、蠻繪袍、柳半臂、下襲靑、末濃袴、他事如右、此具無相違

〔皇帝紀抄〕

〈七/高倉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 安元二年二月六日、後宴也、樂人、舞人、殿上、地下、乘龍頭鷁首、自最勝光院北廊御前、入夜舞曲了、被勸賞宮、

〔百練抄〕

〈十七/後深草〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 正元元年三月五日、今日於西園寺養一切經、〈○中略〉主上行幸、〈○中略〉入御刻限、仰樂屋亂聲、〈卽止〉樂人等參向、左右行事〈左具房朝臣、右通持朝臣、〉相副之、龍頭鷁首、各於池上奏樂、

〔增鏡〕

〈五/内野の雪〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 寶治のころ、神無月廿日あまりなりしにゃ、紅葉御らむじに宇治にみゆきしたまふ、〈○中略〉御前の御あそびはじまる程、そりはしのもとに、龍頭鷁首よせて、いとおもしろく吹あはせたり、

〔太平記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 俊基朝臣再關東下向事
大井河ヲ過給ヘバ、都ニアリシ名ヲ聞テ、龜山殿ノ行幸、嵐山〈ノ〉花盛、龍頭鷁首〈ノ〉舟ニ乘、詩歌管絃〈ノ〉宴ニ侍シ事モ、今ハ二度見ヌ夜〈ノ〉夢ト成ヌト思ツヾケ給、

〔倭訓栞〕

〈中編二十七/也〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 やかたぶね(○○○○○) 樓船なり、東鑑に屋形船とかけり、

〔名物六帖〕

〈器財二/舟楫桴筏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 樓船(ヤカタブネ)〈漢武帝秋風辭、泛樓船兮度汾河、〉

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 廬船(ヤカタブネ)〈釋名、舟上屋曰廬、〉

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 町御座船(○○○○) 本名町屋形(○○○)、船賃を取て借ゆへ、借御座船(○○○○)と云、堯山堂外記に、雇遊山船以行と見へたり、
本邦にも、此舟を雇て遊興に用、其制、漢の遊山船に同じ、總矢倉にて日覆屋ねあり、下裝載すべし、上坐客すべし、風有時は用がたし、酒を携、妓女を載、遊山船とす、大小席の多寡をいわず、水主鹿子の多少による、一人乘、二人、三人、四人、五人、六人乘と云、則呼て舟の名とす、凡遊山船、諸國にあり、武州にても屋形舟と云、御座船と呼、海舟作りにて大船有、因州にて中障子、半障子と云て、大小をわかち名とするの類、所々にて名目はかわり有べし、
勾這(○○) 此舟、町屋形船の中、尤小なる者を去、總て借御座船、下は屋形にて、上總やぐらなり、日覆やねあり、座客すべし、此舟は下は屋形にして、上勾這やねにて、やぐらなし、勾這やねと云べきを略 して、勾這と呼て舟の名とす、鹿子一人乘を云、船かわ臺有て高欄なき者也、

〔嬉遊笑覽〕

〈二下/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 すべて、昔の大やかた(○○○○)は、幅に比ぶれば、竪に長過たるものにて、何丸などゝ船の名をしるすは、金物にて文字を刻み、入口の戸の上の横木に打付たり、今の如く扁額を造りて懸たるはなし、

〔榮花物語〕

〈三十一/殿上の花見〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 長元四年九月廿五日、女院、〈○一條后上東門院〉住吉石淸水へまうでさせ給ふ、〈○中略〉かも河じりといふ所にて、御ふねにたてまつる、ふねはたんばのかみ章任がつかうまつらせたりける唐やかたのふね(○○○○○○○)に、こまがたをたてゝ、かゞみ、ぢん、したんなどを、さま〴〵おかしきさまにつくしたり、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 康治元年二月廿八日壬辰、法皇高陽院御樓船宇縣、於河中雷電、雨注舟中

〔源平盛衰記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 成親卿流罪事
大納言〈○成親〉ノ世ニオハセシ昔、熊野詣ナドニハ、二瓦ノ三棟ニ造タル舟ニ、次ノ船二三十艘、漕列ケテコソ下シニ、今ハケシカル舁居屋形(○○○○)ノ船ノ淺猿カリケルニ、大幕引廻シテ、見モ馴ヌ武士ニ乘具シテ、イヅクヲ指テ行トモ知ズ、下給ケン心ノ中、サコソ悲ク覺シケント、押計ラレテ無慙也、

〔勘仲記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 建治二年七月廿四日丙辰、攝政殿〈○藤原兼平〉氏長者之後、始入御平等院、〈○中略〉至宇治河東岸御船寄下、當離宮馬場未寺家儲御舟寄、人々下馬、〈○中略〉予〈○藤原兼仲〉一人可殿上人船之由、別蒙御定之間、令用松屋形船(○○○○)、懸御簾小文帖、予一人乘之、令渡西岸

〔太平記〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 九州探題下向事附李將軍陣中禁女事
僅ニ二百四五十騎ノ勢ニテ、已ニ纜ヲ解ケルニ、左京大夫ノ屋形船ヲ始トシテ、士卒ノ小舟共ニ至マデ、傾城ヲ十人二十人ノセヌ舟ハ無リケリ、

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 天和二戌年七月 覺
一町中ニ在之借屋形船(○○○○)、近年大キ成舟共相見候ニ付、今度船之寸尺相定リ候、是よりちいさき船は各別、定より少も大キ成屋形船、一切造り申間敷候、只今迄持來候共、定候より大成屋形船、自今以後、堅借シ申間敷候、尤所々之河岸々々にもつなぎ置申間敷候、
屋形船尺之覺
一船長サ、みよし際より戸立迄、四間三尺、
一表之梁間、四尺三寸、
一胴之間梁間、六尺五寸、
但中敷居いたし、仕切可申候、
一鞆之梁間、五尺五寸、
一表之小間、長サ四尺八寸、
一胴之間、長サ壹間三尺、
一筒之間、長サ壹間壹尺貳寸、
一鞆之間、長サ壹間、
一屋根之高サ、板子之上より棟木之下場迄、五尺、
一軒高サ、船ばたより三尺七寸、
一軒之出端、壹尺壹寸、
一間數、胴之間、筒之間、此貳間より外は仕間敷候、
右之通、急度相守可申候、役人出シ相改候間、少も於違背は、可曲事者也、
七月 天和四子年六月
一町中にて屋形船、むざと作り申間鋪候、向後新規に作り度と存候者は、前方町年寄〈江〉相斷、指圖次第可仕候、若無斷作候者於之は、可越度候條、此旨相守、違背仕間鋪者也、
六月
元祿二巳年六月
一屋形船、前々御定之通、寸尺少も大に仕間敷候、尤定之數之外、造り申間敷候、幷船貳艘も三艘も一ツにもやひ、自由致候儀、堅仕間敷事、〈○中略〉
右之趣可相守、若相背におゐては、急度曲事可申付者也、
六月
元祿十四巳年七月
一先年屋形船之寸尺相極候處、定之外大キ成屋形船有之樣ニ相聞候間、向後左樣之船及見候者、相改候上、船取上之、尤船主曲事可申付候、以上、
七月
寶永三戌年八月
一今度町中屋形船之員數(○○)、百艘ニ相定(○○○○○)、船持共〈江〉札壹枚宛渡置候間、右之外壹艘も所持仕間敷候、若此旨相背候者有之候はゞ、其者は不申、家主迄急度可申付候、自然百艘之内、減少致候はゞ、又々相加へ、百艘之都合に致候間、其節屋形船致所持度と存候者は可訴出、吟味之上、可申付候、以上、
八月

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 正德三巳年三月 覺〈○中略〉
一屋形船の數、先年より百艘に限り候、彌其旨を相守り候て、此數之外に、小屋形船にても作り出さゞる樣に、可申付候事、〈○中略〉
以上
三月

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 正德三巳年五月
一町中屋形船員數之儀、寶永三戌年、百艘相定、其節船主共〈江〉燒印札渡置、猶又此度令吟味、右之者共〈江〉燒印札壹枚宛相渡、彌員數百艘相定候間、右之外は、屋形船壹艘も所持仕間鋪事、
一町船作り之、武士方所持之屋形船之儀は、其屋敷より番所〈江〉相達、子細有之分は、是又燒印札壹枚充相渡候、武士方之屋形舟たりといふ共、札於之は、一切預り申間鋪候事、〈○中略〉
右之通相定候間、此旨可相守、不時に人を廻し相改、若相背者於之は、當人は曲事申付、名主家主越度可申付之段、燒印札所持之舟たりといふ共、改候節船に掛置ざるにおゐては、札取上候間、此條々相守候樣に、町中急度可相觸者也、
五月

〔洞房語園異本考異〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 遊女の傳奏御屋敷御評定所へ召れし趣意は、國初御評定所へ、式日に至り、朝夕の御賭の義は、下奉行に被仰付候處、手支候事はなけれ共、御歷々の御給仕の人に事かき候よし、かゝるを國老板倉四郎左衞門、〈伊賀守勝重従四位侍從〉了簡を以て、吉原町の遊女を召使れたり、〈○中略〉傳奏御屋敷へ召れし遊女の往來には、舟の上には苫覆をいたし、幕簾をかけたるを初めとして、外外にも屋形舟といふもの始りけると也、是樓船の權輿と聞えたり、

〔昔昔物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 昔慶安の頃、夏日照暑氣强故、諸人凉みの爲、ひらた舟に、やね作りかけ、是をかりて人を のする、此舟に乘り、淺草川を乘廻し、暑をわすれ慰さむ、此舟遊の初也、翌年の頃より、大身衆も凉とて、人大勢乘故、凉しからず、翌年より船次第に大きく拵へ、四五間も有舟に成、承應之頃、船の盛にて、明曆中、正月江戸中の大火事、翌年に至て、御城御普請、江戸の大名衆普請故、舟は如何樣の小舟にても、材木石竹運送船と成て、中々凉の屋根舟一艘もなし、依之三四年、船遊山、透とやみしに、萬治頃、右の凉舟作り出し、諸人共夏の暑を凌ぎ、過し大火事のくるしみを忘れ、夥敷はやり、大身衆迄、あまた出らるゝにより、舟ちいさく、間數すくなくて成らず、次第に大きく七間八間の屋形に拵へ、後は船の名、川一丸、關東丸、大關丸、山一丸、熊一丸、十滿一丸抔とて、山一丸は九間あり、熊一丸は十間有、十滿一丸は十一間有、大船に御旗本衆乘て、行厨色々美盡し、人數十人なれば、鑓十本兩のすだれに添てかけならべ、十貳人なれば十二筋也、是を御旗本の、乘りたる幅に見ゆる、町人の借て出る舟には、鑓壹筋もなし、御旗本乘たる舟は、鑓計にあらず、家來の侍、袴を著し、用人らしき者には、綟子肩衣著するも有し、近年の船遊山は、舟もちいさく、鑓抔は一筋も見へず、

〔嬉遊笑覽〕

〈七/行遊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 難波にては、屋形舟を御座といふ、明曆二年、懷子〈五〉河逍遙、河御座の凉しくもあり今日の秋、〈藤昌〉やかた船といふ名もなきにあらず、椀久物語、鷲尾に詣るところ、淀のえだ川に屋形舟をかざらせ、〈○下略〉

〔塵塚談〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 屋形船の事、享保の比は、江月中に百艘有けるよし、菊岡沾凉が編述、江戸砂子に見へたり、增補江戸砂子には見へず、最初の板にあり、寶曆七八年比は、吉野丸、〈一番の大屋形也〉兵庫丸、夷丸、大福丸、川一丸など、大屋形船にして、すべて六七十艘も有けり、予〈○小川顯道〉水稽古に日々見たる所也、然るに當時は貳拾艘計も有べし、皆小屋形のみなり、たゞ家根船、〈本名日よけ船〉猪牙船多く有、家根船は、四五十年已前は五六十艘有けるよし、今は五六百艘、猪牙船は七百艘も有べしといふ、十四五ケ年以來夥敷なれり、船宿六百軒餘も有之よし也、それ船舶は、萬民の步運にくるしむを助ける物に して、天下の要具也、家根船、猪牙船は、人力を助るの國用に聊用立ず、遊民のみの乘船にして、無益のもの、日に增月にまし多く成事歎かしゝ、屋形船は遊船の如くなれど、要用の節、屋根を取拂ひ、數百石を積入事なれば、無益の物にあらず、

〔江戸繁昌記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 街輿〈附猪牙船〉
館舫(ヤカタ)者、本富豪之物、且其用概限烟火納凉之節、屋船之用、特居多、于花于雪手虫、浮於墨河、棹於綾瀨、本所羅漢、龜戸天神、載絲竹以行、若佃島、若木場、或換釣舟之任、納凉烟火固其職也、若夫納凉烟花之盛、船料踊貴、不啻三倍、茶船任舟(ニタリ)、於焉乎出、而充遊船之役

〔甲子夜話〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 世ノ有樣ハ、今ト昔トハ變ルモノナリ、予〈○松浦淸〉十歲頃ヨリ十八九バカリ迄ハ、兩國ノ納凉ニ往キ、或ハ彼ノ邊ヲ通行セシニ、川中ニ泛ル舟、イク艘ト云數シラズ、大ハ屋形船、小ハ屋根舟、其餘平タ船、ニタリ舟抔云フモ數シラズ、或ハ侯家ノ夫人女伴、花ノ如ク、懸燈ハ珠ヲ連ネタルガ如キ船數十艘、コノ餘、絃管、鬪拳、侶歌、戲舞ニ非ザルハ無シ、故ニ水色燈光ニ映ジテ繁盛甚シ、〈○中略〉寬政ニ諸般改正セラレテヨリ、風俗一變シ、コノ舟絶テナクナリヌ、今三十餘年ヲ過テ、世風寬政ノ頃トモ大ニ違ヘレド、彼舟ナドハ竟ニ昔ニカヘルコトナク、今知人モ稀ナリ、又兩國川ノサマモ、屋形船ハ稀ニ二三艘、屋根舟モ處々往、來スレドモ、多クハ寂然、僅ニ絃歌スルモ有ルカ無キカナリ、タマ〳〵屋形船ノ懸燈ハ川、水ヲ照セドモ、多クハ無聲ノ船ノミ、年老タルハ悲ムベケレドモ、昔ノ盛ナルヲ回想スルニ、カヽル時ニモ逢シヨト思ヘバ、亦心中ノ樂事ハ、今人ニ優ルベキ歟、如何、

〔道の幸〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 十八日〈○寬政四年十月〉佐屋宿、本陣に入て晝のしたゝめす、〈○中略〉これより船にて木曾川をくだる、邦彦ぬしは、尾張亞相公のまうけさせ給とて、やかたつくれる船賜はりてのらる、

〔紫の一本〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 船 東國丸 淺草橋の船なり、大船のはじめなり、
山一丸 日本橋の船なり、東國丸より後に造る、東國丸より大きなる屋形を八間にしきりし故、
山一丸と云ふ、
熊一丸 江戸橋の船なり、屋形を九間にしきりし故に、熊一丸と云、
神田一丸 神田一丸、是は神田にて一番の大船なり、〈○中略〉
川武丸 大屋形船なり、さりながら、此船程のは、いくらもあるゆへ、餘はこと多さに略之、窮屈丸 此船は、かし船にはあらず、或人の手船なり、或は自藥丸と名付て、小き船なれども、自らは樂しむと云ふ、或は易安丸などゝ名付て、せばき船なれども、膝を入るゝに樂しみありといふ心を以て名付る、此作の同類のみなる中に、窮屈丸と名付けしは、替りたる心なれば、是を記す、

〔東都歲事記〕

〈二/五月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 船遊山〈○中略〉 屋形船は、寶永の頃より時花(ハヤリ)出で、百艘に極りしとぞ、東國丸といへるを大船の始とし、夫より續て、熊市丸、山市丸あり、熊市は座敷九間に、臺所壹間ある故なり、山市は、座敷八間、臺所一間ありし故の名なり、神田一丸といへるは、神田川にて一番の大船なりしとぞ、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 治承四年三月五日丁巳、巳刻攝政〈○藤原基通〉被宇縣、〈長者之後初度也○中略〉入夜被還也、
宇治儀
宇治川渡之間、依尋常船、舁居車於無(○)屋形(○○)之船(○○)之、於平等院北面大門車、

〔東都歲事記〕

〈二/五月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 船遊山 兩國より淺草川を第一とす、花火の夜は、ことに多し、樓船の名は、江戸砂子拾遺に、百艘を擧ぐ、今は次第に減じて、屋根舟(○○○)〈本名日よけ舟(○○○○○○)〉のみ、年々に多くなれり、

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 正德三巳年五月〈○中略〉
一貳挺立三挺立之日除船(○○○)、川船方爲御用、員數三拾艘ニ相定、燒印札壹枚充渡置候、此外一切所持 仕間鋪事、
右之通相定候間、此旨可相守、不時に人を廻し相改、若相背者於之は、當人は曲事申付、名主家主越度可申付之段、燒印札所持之舟たりといふ共、改候節船に掛置ざるにおゐては、札取上候間、此條々相守候樣に、町中急度可相觸者也、
五月

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 箱造日除船(○○○○○)〈武家手船〉
但四挺立、三挺立、
〈舳棧蓋ヨリ艫床マデ〉
上口凡〈長三丈一二尺横七八尺〉
日除船(○○○)〈俗ニ屋根舟(○○○)ト云〉
但四挺立、三挺立、貳挺立、
上口凡〈長二丈五六尺横六尺〉
日除造二挺立船(○○○○○○○)〈俗ニ假日除(○○○)、武家手舟、〉
上口凡〈長二丈四五尺横五六尺〉

〔寬天見聞記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 仲町〈○江戸深川〉を初め、其外の娼婦、客の迎ひとて屋根船にのり、舟宿まで行事あり、〈○中略〉此舟春夏の頃は、兩國川あたりに納凉花火などに遊ぶ事有前に云三味線藝者を伴ひし舟ともに、橋間につなぎて、猥がはしき事も有しより、屋根船のすだれは、雨雪の時、または波立たる時の外は卷上おくべし、橋間につなぎ置べからずと此年〈○天保十三年〉四月に令ありける、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 四ツ足舟(○○○○) 通舟に日覆をする者、其柱四本あるを以呼の名也、小船に日覆屋形あるを云、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 押廻(ヲシマハシ/○○) 大舶也、荷方千石積以上の船舳を、高く曲上る故、押廻しと云、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 檜垣(○○) 攝州大坂廻船問屋の仲間船を云、六七百石以上、皆大船也、垣立の筋を檜垣にするゆへの名なり、今檜垣と呼で荷舟の名とす、すべて大廻し荷物を積といへども、おほく酒樽、油樽類を積ゆへ樽舟(○○)と云、是又荷舟の一法也、

〔德川禁令考〕

〈四十五/商估〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 嘉永四〈亥〉年三月九日
諸問屋仲〈ケ〉間組合再興
去丑年、檜垣廻船積仲〈ケ〉間問屋共より、冥加金上納致來候處、〈○下略〉

〔守貞漫稿〕

〈五/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 廻船問屋 諸國廻船多シト雖ドモ、運賃ヲ以テ漕スルハ、大坂ヨリ江戸ニ下ルヲ第一トス、是亦大坂ヲ本トシ江戸ヲ末トス、其中ニニ種アリ、酒樽ヲ積ムヲ樽船ト云、其他ノ諸賈物ヲ積ミ漕スヲ菱垣廻船ト云、此船ハ船周リノ垣ノ子ニ菱ニ組ム故ニ名トス、他船ハ格子也、
此二船ヲ以テ、大坂二十四組ノ商家ヨリ出ス諸物ヲ、運賃ヲ以テ江戸十組ノ賈店ニ達ス、運賃諸物ノ各定アリ、價物ノ條ニ載ス、 樽菱垣トモニ數十艘アリ、大坂船問屋ノ自船ヨリ、或ハ船主別ニ在テ問屋ニ托シアルモアリ、又時ニヨリ雇ヒ船モスル也、大概千石以上ノ船ノミ也、右ノ大坂ヨリ出ル諸物ノ掌ルヲ積物屋ト云、江戸ヨリ大坂ニ達シタルヲ點檢シテ、其宛名ニ頒配スルヲ荷役問屋ト云、諸國皆然リ、江戸ニハ菱垣樽船共ニ荷役問屋ノミニテ、積問屋小行故ニ兼之、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 半垣作(○○○) 小早也、本垣立寸法、半分にする故の名也、屋形、帆棚、日覆等あり、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 欄干造(○○○) 垣立を欄干にする者也

〔藻鹽草〕

〈十七/人事雜物幷調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636
ころ船(○○○)〈ころ船にあふ人ありときゝつるはもたひにとまるけふにやあるらん〉

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 ころふね 藻鹽草、舟の詞よせにも出たり、小早舟にて小櫓舟(○○○)也、すべて 大船は二人漕と云て、櫓壹挺に、水手二人かゝりて押すなり、櫓も大にして、船の作り樣も別なり、二人漕の四拾挺立小櫓にして八十丁立也、二人漕に對して、常の早舟を小櫓と云、舟方言なり、

〔信長公記〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 元龜四年二月廿九日、辰刻今堅田へ取懸、明智十兵衞、圍舟(○○)を拵、海手の方を東より西に向て被攻候、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 二形(フタナリ/○○) 此舟、何國と定りたることなし、東國南海にあり、其外諸國舶主、のぞみに依て作るもの、二形作りと云、千石以上の大舶也、
マゼ(○○)〈字未考、濁音に呼べし、〉 是又加賀、越前、丹後、但馬等の國に用る舟也、腰より舳に臺垣立あり、帆柱おもてのかたより立るなり、
アダテ(○○○)〈字未考〉 肥前、豐後の方に有、薩摩にてアサツテイとよぶものなるべし、四五百石、六七百石積の舟也、俗呼で枕箱と云、前後戸立作りにて、其かたちの似たるを以云なるべし、
アサツテイ(○○○○○) 薩州の船なり、字未考、サの字濁、國語成べし、エツトウと同じ造りにて、大なるを云、船枻四階造りなり、是を熊野浦にてハツテウ(○○○○)と云といへり、

〔嘉永明治年間錄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 安政二年七月廿九日、阿蘭陀國、蒸氣船(○○○)ヲ獻貢ス、
小十人組、贄善右衞門組、學問所敎授方出役矢田堀景藏へ達、
長崎表へ阿蘭陀國より獻貢の蒸氣船、運用其外傳習として被遣候間、早々可出立候、且又彼地の勤方、御勘定格御徒目付永持亨次郎、幷小普請組奧田主馬支配勝麟太郎も被遣候間、申合一同重立取扱可申、尤も外に職方の者共被遣、外國人より傳授請候事にて、不容易御用筋に候間、銘々一時の功を爭ひ、一己の名聞を相立候樣の儀、聊無之樣厚申合せ、外役々の下々迄、右の心得を以て、如何敷は勿論、不取締の儀無之樣可取計候、尤も永井岩之丞、諸事引受、指揮致候事に候間、萬端得差圖相勤可申旨、遠藤但馬守殿、被仰達候事、 去寅七月、咬〓〓(ジヤガタラ)都督使船、長崎入津の節、長崎在留の甲比丹、建白の内、日本政府御注文帆前船、及蒸氣船、阿蘭陀國王、頻に勉勵仕候へども、未だ手に入不申候、殊に歐羅巴内、强國四箇國、戰爭有之、自國は其患無之とも、右樣の節は、軍船武器等、他國へ出事、禁止有之候故、阿蘭陀王心配仕り居候、倂日本の爲め、國王勞心罷在候間、其内精々仕り、手に入れ衣第、急速咬〓〓の方へ相廻し、夫より早々長崎表へ差越候樣可仕と有之候へば、右御注文の蒸氣船の着なるべし、夫を阿蘭陀獻貢と名付たる歟、

〔嘉永明治年間錄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 安政三年七月十七日、昇平丸、君澤形、兩船乘試、
阿部伊勢守殿、三番頭へ渡し、 大船追々御製造被仰付候に付ては、組々御番衆等、運用幷船中調練も可仰付候得ども、差向習練のため、昇平丸御船、君澤形御船の内、何れも順番を以拜借被仰付候間、其方共組の者共乘組、近海乘試運用、大砲調練、且航海の術迄も、習練致し候樣可致候、尤天文方並手附の者も、其時々乘組、測量其外をも相試み候筈に付、委細は御船製造掛、天文方へ可申談候、君澤形御船乘組人數、番頭組頭、御番衆、世話役、御徒目付、御小人目付、天文方三人、與力、同心、其外侍小者、大船乗試み、月番順、八月加納駿河守、九月九鬼式部少輔、十月本多肥後守、右は大御番組、此外御書院番、御小性組月割、爰に略す、

〔嘉永明治年間錄〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 慶應三年九月、希望ノ者ハ、蒸氣飛脚船ヲ以テ、大坂へ往返スベキノ達、
美濃守殿渡書付 此度廻船御用達等引受にて、蒸氣飛脚船頭役、當月中より大坂表へ致往返候間、御用旅行物は勿論、諸家家來、百姓、町人、婦女等に至迄、右飛脚船にて致往返ものは、勝手次第、廻船會社へ申込、相當の入用差出、乘込候樣可致候、〈○下略〉

〔海軍歷史〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 〈西曆千八百六十三年――――英吉利國より買上、於横濱請取、〉 價拾四萬五千弗
原名ヤンシー 一翔鶴 〈外車木製運送船 長三拾三間餘 蒸氣三百五十馬力 巾四間三尺餘○中略〉
〈西曆千八百六十三年於長崎、亞米利加人より松平越前守買上、價拾貳萬五千弗、其後政府〉〈江〉〈買上、〉
一黑龍 〈内車木製運送船 長貳拾八間三尺 蒸氣百馬力 巾四間○中略〉
〈西曆千八百六十四年於横濱請取亞光利加國より買上〉 價拾壹萬弗
原名ターキヤン
一大江丸 〈内車米製運送船 長貳拾九間三尺餘 蒸氣百五十馬力 巾四間餘○中略〉
〈西曆千八、百六十四年於横濱請取英吉利國より買上〉 價拾五萬弗
原名ジンキー
一順動丸 〈外車鐵製運送船 長四拾間餘 蒸氣三百六十馬力 巾四間餘○中略〉
〈西曆千八百六十三年於横濱請取英吉利國より買上〉 價拾九萬五千弗
原名ライモン
一太平丸 〈外車鐵製運送船 長四拾七間餘 蒸氣三百五十馬力 巾四間貳尺餘○中略〉
〈西曆千八百六十四年於箱館請取亞来利加國より買上〉 價四萬七千五百弗
一神速丸 〈内車木製 長貳拾貳間餘 蒸氣八十馬力 巾貳間半餘○中略〉
深水入 〈舳八尺艫九尺〉
深水上 〈舳九尺艫七尺三寸〉
噸數 貳百五十トン〈○中略〉
原名ターパンニヨー
一奇捷丸 〈内車鐡製運送船 長三拾六間餘 蒸氣百五十馬力 巾四間五尺餘○中略〉
噸數五百拾七トン〈○中略〉 原名ドンバルトン
一長鯨丸 〈外車鐵製運送船 長三拾九間五尺 蒸氣二百五十馬力 巾五間五尺餘○中略〉
噸數九百九拾六噸〈○中略〉
一龍翔 〈内車鐵製 長九十三フート 蒸氣三十五馬力 巾十五フート十五分ノ六○中略〉
噸數六十六トン〈○中略〉

小笠原大膳大夫所持船ヲ買上
一飛龍丸 蒸氣

以形狀爲名

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 舶 唐韻云、舶、〈傍陌反、楊氏漢語抄云、都具能布禰、〉海中大船也、

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 舶〈音白、ツクノフネ、今云オホフネ(○○○○)、〉

〔東雅〕

〈九/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 舶ツクノフネ 倭名鈔に唐韻を引て、舶は海中大船也、楊氏漢語抄に、ツクノフネといふと注せり、神功皇后紀にも、帆舶の字を讀てホツムといひけり、ツムといひ、ツクといふがごときは、其語轉ぜし所也とみゆれど、其義は不詳、〈ツクノフ子とは、海中の大船とみへたり、ツクといひ、ツキといふ、相轉じていひし常の事也、御調物など運漕する所なるをやいひぬらむ、ツムといふも、また積載るをいひしもしらず、〉

〔日本書紀〕

〈二十四/皇極〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 元年八月己丑、百濟使參官等罷歸、仍賜大舶(○○)與同船三艘、〈同船、母慮紀舟、〉

〔日本紀略〕

〈桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 延曆二十二年四月戊申、遣典藥頭藤原貞嗣、造宮大工物部建麻呂等、理遣唐舶幷破損雜物

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 石上大夫歌一首
大船二(オホブネニ)、眞梶繁貫(マカヂシヾヌキ)、大王之(オホキミノ)、御命恐(ミコトカシコミ)、礒廻爲鴨(イサリスルカモ)、

〔新撰字鏡〕

〈舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 〓〓(○○)〈小舟浮水能往來也、波志布禰(○○○○)、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 艇〈游艇附〉 唐韻云、艇〈楊氏漢語抄云、艇、乎夫禰(○○○)、游艇、波之布禰、〉小船也、釋名云、一二人所乘也、

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 艇〈ヲフネ、ツリフネ、音挺〉 游艇〈ハシフネ〉 舫〈音放、フネ、フナハタ、ハシフネ、〉 艘〈音騒、船數、ハシフネ、〉 艑〈ヲフネ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈波/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 游艇〈ハシフネ〉舫〈同〉 舸〈同〉

〔和玉篇〕

〈中/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 艇(テイ)〈ハヤフネ フネ コフネ〉

〔倭訓栞〕

〈中編十九/波〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 はしぶね 日本紀に同船をよめるは、同は〓也、和名抄には、遊艇をよめり、はしは、梯の義也、よて西土の俗稱に、杉板三脚艇などいへりとぞ、新撰字鏡には、〓〓をよめり、

〔日本書紀〕

〈三/神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 其年〈○甲寅〉十月辛酉、天皇親帥諸皇子舟師東征、至速吸之門、時有一漁人艇而至、

〔續日本後紀〕

〈五/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 承和三年七月壬辰、勅符副使小野朝臣篁、得今月八日飛驛奏狀、知著肥前國松浦郡別島也、近聞、第一第四兩隻舶、半路漂廻、疾壞未弭、尋省玆奏、轉以驚嗟、本謂忠貞、必蒙往、不知此行、何負幽明、雖巨災、艱虞足患、今案來奏、舶船有損〓艇(○○)亦失、還太宰府、繕補其不完不一レ足者、然後與持節使等、共果國命

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 寬仁元年十月十二日丁丑、大殿御車尻、道綱卿余乘也、攝政車尻、齊信卿乘之、辰刻許、被桂山庄、到大井、傍河南行、於贄殿邊船、〈屋形船二艘、其外有橋船(○○)、〉

〔枕草子〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 とまりたる所にて、舟ごとに火ともしたる、おかしう見ゆ、はし舟とつけて、いみじうちいさきにのりて、こぎありく、つとめてなどいとあはれなり、

〔宇治拾遺物語〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 これも今は昔、筑紫に大夫さだしげと申者ありけり、〈○中略〉淀にて船にのりけるほどに、〈○中略〉はし舟にてあきなひする者共より來て、〈○下略〉

〔長門本平家物語〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 去る程に熊谷が使の船もちかづきて、五たんばかりにぞゆらへたる、新中納言殿の給ひけるは、いかなるはんくわい張良が乘たりとも、か程の小船に何事のあるべきぞ、 平内左衞門はなきか、行向ひて事の仔細を尋よかし、伊賀平内左衞門家仲は、木蘭地に色々の糸をもて、獅子に牡丹ぬひたるひたゝれ、こしあて、小ぐそくばかりにて、郎等二人にはら卷きせ、はし船にとり乘り、熊谷が使の船におし向て、事のやうをぞ尋ける、

〔源平盛衰記〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 屋島合戰事附玉蟲立扇與一射扇事
越中家郎兵衞盛嗣ガ、熊手ヲ以判官ヲ取ントシケルヲ、大將軍〈○義經〉ヲ懸サセジトテ、續テ游セタリケル程ニ、事由ナク上リ給タリケレバ、盛嗣、判官ヲ懸外テ、不安思ヒ、游艇ニ乘移、指寄テ宗行〈○小林〉ガ甲ノ吹返ニ、熊手ヲカラト打懸テ、曳音ヲ出シテ引、

〔高倉院嚴島行幸記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 廿一日、〈○治承四年三月〉さるのときに、高砂のとまりにつかせたまふ、よもの舟ども、碇おろしつゝ浦々につきたり、御舟のあし深くて湊へかゝりしかば、はしふね三ぞうをあみて、御輿かきすへて、上達部ばかりにて、御舟は奉りし、〈○中略〉廿六日、〈○中略〉むまの時に、宮島につかせ給、鴛しほひくほどにて、御所へ御舟いらねば、はし舟にてぞおりさせ給、

〔萬葉集〕

〈十一/古今相聞往來歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642物陳
湊入之(ミナトイリノ)、葦別小舟(アシワケヲブネ/○○○○)、障多見(サハリオホミ)、吾念公爾(ワガオモフキミニ)、不相頃者鴨(アハヌコロカモ)、

〔新千載和歌集〕

〈十一/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 後宇多院に十首歌講ぜられけるに、寄船戀、 侍從爲親
うきながらよるべをぞまつ難波江の蘆分を舟よそにこがれて

〔今昔物語〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 越後國被打寄小船語第十八
今昔、源ノ行任ノ朝臣ト云フ人ノ、越後ノ守ニテ其ノ國ニ有ケル時ニ、 ノ郡ニ有ケル濱ニ、小船(○○)被打寄タリケリ、廣サニ尺五寸、深サニ寸、長サ一丈許ナリ、人此ヲ見テ此ハ何也ケル物ゾ、戯レニ人ナドノ造テ、海ニ投入タリケルカト思テ、吉ク見レバ、其ノ船ノ鉉一尺許ヲ迫ニテ、梶ノ跡有リ、其ノ跡馴杭タル事无限シ、然レバ見ル人現ニ人ノ乘タリケル船也ケリト見テ、何也ケル少人 ノ乘タリケル船ニカ有ラムト思テ、奇異ガル事无限シ、漕ラム時ニハ、蜈蚣ノ手ノ樣ニコソハ有ラメ、世ニ珍キ物也ト云テ、館ニ持行タリケレバ、守モ此ヲ見テ極ク奇異ガリケリ、長ナル者ノ云ケルハ、前々此ル小船寄ル時有トナム云ケレバ、然レバ其ノ船ニ乘ル許ノ人ノ有ルニコソハ、此ヨリ北ニ有ル世界ナルベシ、此ク越後ノ國ニ度々寄ケルハ、外ノ國ニハ此ル小船寄タリトモ不聞エズ、此事ハ守京ニ上テ眷屬共ノ語リケルヲ聞繼テ、此ナム語リ傳ヘタルトヤ、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 舼(○) 釋名云、艇小而深者曰舼、〈(中略)字亦作〓今案、和名太加世(○○○)、世俗用高瀨舟、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643引文、原書不載、按方言云、艇、小而深者謂之〓、〓卽舼字、見集韻、則此恐誤引方言也、

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 舼〈音卭、小艇、タカセフネ、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈太/雜物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 艁〈タカセフネ〉 舼 〓 高瀨船〈已上同〉

〔運步色葉集〕

〈多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 舼(タカセブネ)

〔倭訓栞〕

〈前編十四/多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 たかせぶね 倭名抄に、舼をよめり、三代實錄に、高瀨舟と見えたり、平群郡龍田川にも高瀨舟あり、たかせは、高背の義、舟の形をいふ也ともいへり、

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 舼(タカセブネ同) 高瀨舟〈和俗所用〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 舼(たかせぶね) 〈○中略〉 俗用高瀨字、今舟形稍異、〈○中略〉
按、京河原流至伏見、呼曰高瀨川、其船長二丈餘、似艜而短、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 舼(タカセ) 高瀨川所々にあり、山城、或は河内、攝津といへり、又安房、上野にあり、城州の高瀨舟、伏見より京師に入、則高瀨川也、艫高く舳横舳にして、ひきく平なる者也、備前に有者此類也、又大井川桂川の舟は、其制各別なり、播州瀧野舟も高瀨舟にて、加古川、高砂にいたる、其造異也、上州の高瀨舟、長十四五尋、幅一丈二三尺、高瀨舟、是より大なる者なし、すべて山川に 用、和州吉野川の舟も異也、萬葉、泊瀨の川に舼(フネ)浮てと讀り、

〔三代實錄〕

〈四十六/光孝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 元慶八年九月十六日癸酉、令近江丹波兩國、各造高瀨舟三艘、其二艘長三丈一尺、廣五尺、二艘、長二丈一尺、廣五尺、二艘長二丈、廣三尺、送神泉苑

〔源平盛衰記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 平家太宰府落幷平氏宇佐宮歌附淸經入海事
主上〈○安德、中略、〉山鹿城ニモイマダ御安堵ナカリケル處ニ、惟義〈○緖方〉十萬餘騎ニテ、押寄ルト聞ヘケレバ、又取物モ取アヘズ、山鹿城ヲ落サセ給テ、タカセ船ニ乗移、豐前國柳ト云所へ渡入セ給ケリ、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 高瀨船
上口凡〈長三丈一二尺ヨリ八丈八九尺マデ、横七八尺ヨリ一丈六七尺マデ、〉
關東川々所々ニ有
房丁高瀨船
上口凡〈長四丈三四尺、横八九尺、〉
下利根川通ニ有

〔京都御役所向大概覺書〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 賀茂川高瀨船但京より伏見迄之事
支配人
角倉與一
一高瀨船數百八拾八艘 有船
但〈總長七間 但船極印無之 胴幅六尺六寸五分〉
登り舟壹艘ニ、荷物拾五石積、〈但川水少キ節者、積足减申候、○中略〉
下り舟壹艘ニ、荷物七石五斗積、〈但川水少キ節者、積足减申候、○中略〉
一高瀨船御運上壹ケ年銀貳百枚宛 但元祿三午年より奉願、毎年大坂御城上納、
一角倉與一、過書高瀨支配之儀、六代以前吉田了以、權現樣上意を以、嵯峨川、加茂川高瀨舟支配仕、其後大坂御陣之節、了以忰與一以方便、兵粮大坂御藏より伏見〈江〉積登せ、其外御陣中御奉公仕候ニ付、爲御知行代家領ニ被下候、元和元卯年、淀川過書船支配、〈幷〉江州ニ而御代官所被仰付、與一入道素庵隱居、總領與一ニ家督被仰付候節、次男平次ニ、嵯峨川高瀨舟之儀、御分ケ被下、于今甚平支配仕候由、〈○中略〉
嵯峨川高瀨船之事
平次嵯峨川高瀨支配之由緖前記之 支配人
角倉甚平〈○中略〉
御運上銀貳拾枚 元祿三午年より依願差上之
但御運上銀、毎年角倉與一〈江〉相渡、賀茂川高瀨舟御運上一所ニ、大坂御金藏〈江〉上納、
一船數七拾九艘 有船
取米拾〈ケ〉年平均、米千百六拾石餘、拂方引之、殘る貳百石餘、甚平取分、
内六拾三艘 高瀨舟、外ハ普請獵船、〈○中略〉
艇〈○高瀨船〉寸尺
長〈サ〉六間六尺
幅五尺七寸 但船極印無
側高〈サ〉壹尺七寸
但丹波世木上河内、此貳ケ所之舟同ジ寸尺、
長〈サ〉七間 幅五尺八寸 右同斷
側高〈サ〉壹尺六寸
但丹州薗部、鳥羽川、關、宇津根、此四ケ所之舟同ジ寸尺、

〔羅山文集〕

〈四十三/碑誌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 吉田了以碑銘
十二年〈○慶長〉春、了以奉鈞命、通舼於富士川、自駿州岩淵、挽舟到甲府、山峽洞民、未嘗見一レ舟、皆驚曰、非魚而走水、恠哉々々、與胡人不一レ舟何以異哉、此川最嶮、甚於嵯峨、然漕舼通行、州民大悦、〈○中略〉十六年了以、請舟鴨河、乃聽之、因自伏見河舼、遡上流于二條、至今有數百艘、遂構家河傍

〔甲斐國志〕

〈三十一/山川〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 一富士川 慶長中、角倉與市ガ台命ヲ奉ジテ、險ヲ平ラゲ、漕道ヲ通ジケレバ、土人皆驚歎シテ神功ト稱シキ、〈○中略〉船ノ制ハ長七間半、横七尺、深三尺許、薄板ヲ以テ造之、船底平ニシテ艫舳共ニ高シ、之ヲ行ルトキハ、一人船頭ニ在テ篙ヲ執リ、一人船尾ニ在テ、舵ヲ持テ舟梁ニ立チ、兩人船旁ニ雙ビテ、櫂ヲ以テ水ヲ撥キ、船ヲシテ疾行セシム、其船頭ニ在ル者、危險回折ノ處ニ遇毎ニ、豫手ヲ擧テ在尾者ヲ警シム、在尾者卽舵ヲ盪シテ、船ヲ左右ニスルコト自由自在ナリ、進テ其處ニ至レバ、船頭ニ在ル者、篙ヲ伏石峭巖ニ支ヘテ回避シ、怒濤ニ簸揚セラレテ下ルコト速ナリ、鰍澤河津ヨリ駿州巖淵河岸ニ至ル、水程十八里、日ヲ終ヘズシテ著スベシ、若急事アル時ハ、三時四時ニシテ達スト云、

〔觀放生會記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 八月〈○寶曆五年〉十四日の未の時ばかりに京を出て、五條より高瀨舟にのりて、下るほどに、申のかしらに伏見につきぬ、

〔金葉和歌集〕

〈三/秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 河霧をよめる 藤原行家
川霧のたちこめつればたかせ舟わけゆくさほの音のみぞする

〔新撰字鏡〕

〈舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 艟衝〈艦狹長也、比良太(○○○)、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 艜(○) 釋名云、艇薄而長者曰艜〈(中略)今按、和名比良太、俗用平田舟(○○○)、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647引文原書不載、亦蓋誤引方言也、方言云、艇長而薄者、謂之艜、按説文、無艜字、是舟薄而長、故得帶名、後人从舟作艜字也、

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 艜〈音帶、ヒラタ、ウフネ、〉

〔和玉篇〕

〈中/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 艜(タイ)ヒラタフネ

〔東雅〕

〈九/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 艜ヒラタ 倭名鈔に、釋名、艇薄而長者曰艜、今按ずるに艜はヒラダ、俗に平田舟の字を用ゆと注したり、義いまだ不詳、〈俗に凡物の薄きをヒヲともヒラタともいふ也、葉手をヒラテといひ、壁錢をヒラクモといひ、一枚一片等の字をヒトヒラなどいふがごとき是也、舟の薄きものなれば、ヒラタフネとはいひしなり、〉

〔倭訓栞〕

〈前編二十五/比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 ひらだ 新撰字鏡に、艟をよみ、倭名抄に、艜をよみ、俗に用平田舟といへり、平板也、

〔類聚名物考〕

〈船車一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 平田舟 ひらだぶね 艜〈和名〉 平駄〈俗〉
今もこの名有、小平田大平田(○○○○○○)といふ、その大平田の猶大なるを、五大力(○○○)といへり、賃積舟にて重きをのすれば、五大力菩薩の名をとれり、平駄もその形ひらたければ、かくいふ也、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 艜(ひらだ)〈音帶〉 和名比良太 俗用平田舟〈○中略〉
按、艜、形似舼而長薄、以宜淺川、其長三丈餘、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 中艜船(○○○)〈見沼通船(○○○○)ト云〉
上口凡〈長三丈四五尺、横七尺位、〉
艜船〈俗ニ川越ヒラダ(○○○○○)〉
上口凡〈長五丈一二尺ヨリ七丈七八尺マデ、横一丈位ヨリ一丈四五尺位、〉
荒川通ニ有之、 艜船〈俗ニ上州ヒラダ(○○○○○)〉上口凡〈長五丈一二尺ヨリ八丈位、横一丈位ヨリ一丈三四尺マデ、〉
上利根川通ニ有

〔日本紀略〕

〈十三/後一條〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 寬仁元年九月廿二日丁巳、前攝政〈○藤原道長〉爲宿願、被石淸水宮、公卿以下多被參又室家同被參給、渡淀川之間、沈平駄船(○○○)一艘、乘人卌餘人、存命之者十餘人、

〔範國朝臣記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 高野山御參詣記
永承三年十月十一日丙子、〈○此間有闕文〉廟令紀伊國金剛峯寺給、〈○藤原賴通、中略、〉遲明於淀渡御御船、〈○中略〉藏人所船一艘〈召用播磨守行任朝臣檜皮葺平太(○○)

〔今昔物語〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 兵衞佐上緌主於西八條得銀語第十三
今昔、兵衞佐 ト云人有ケリ、〈○中略〉船四五艘、艜ナド具シテ難波ノ邊ニ行テ、酒粥ナドヲ多ク儲ケ、〈○中略〉

〔淺井三代記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 磯山の城責落す事
後藤もさすが功有兵なれば、兵船七八艘をし出す、奈良崎心やさぞせきぬらん、平駄といふ小舟三艘に取のり、一文字にをしぬけんとす、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 修羅船 石積艜船(○○○○)〈俗ニヒラダ石舟(○○○○○)ト云フ〉
上口凡〈長四丈二三尺ヨリ四丈七尺マデ、横一丈二尺位、〉
但板子無之ヲ修羅造艜舟(○○○○○)ト云

〔大川出杭御普請書留〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 出杭普請所、相替儀無御座候、〈○中略〉人足出方、左之通に御座候、
しゆら船 貳艘〈○中略〉
右之通ニ御座候、此段爲御屆申上候、以上、 八 〈○安政四年〉十七日 速水久次
佐々木作兵衞

〔倭訓栞〕

〈前編二十四/波〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 はかせ(○○○) 舟の名によぶは越前舟也、又うづら(○○○)と稱す、鶉に似たり、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 ハカセ〈字未考〉 越前舟也、俗ハカヒソ(○○○○)と云は、舳の形鳥の羽がひのごとくなるによつて云か、又ウヅラと稱するも、鶉に似たるを以云なるべし、凡七八百石積の舟也、其制、常の海舟とは各別にて、平底を用、川舟のかわらのごとし、水押も川舟のごとく、臺垣立なし、取置の上はき板有、帆柱表の方より立る、柁はろくろ柁なり、

〔嬉遊笑覽〕

〈二下/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 ハガセソ(○○○○)、越前船なり、舳の形、とりの羽がへの如くなるに依て名く、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 北國舟 加賀、能登、越後、津輕、南部等の舟也、是を北前舟、北國舟といふ、俗呼てドングリ舟(○○○○○)と云は其形の似たるを以いふなるべし、是をヲモキ造りと云、凡千石以上の大舶也、舟の制は、ハカセとすこし異也、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 琵琶虫(○○○) 同琉球舟也、船側の外に、四寸角の木、竪に打、其上を板にて包といへり、薩州にて琵琶に似たる虫有、其虫の形に似たるを以て名付呼といへり、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 鯰魚舟(○○○) 小船、其制、舟の頭まどかにして、如鯰魚之頭、故に名付、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 艜〈○中略〉
釰鋒(ケンサキ/○○)舟(/○) 長四丈餘、似艜而薄、其艫尖如釰鋒、故名之、凡淺川水五六寸而亦能行、自大坂大和川之、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 劒鋒(ケンサキ)舟
又釰先舟と書、凡荷物十六駄を載す、大和、河内、荷物運送の舟なり、古劒先舟、在劒先、新劒先舟の別あり、是所謂字彙に形如刀、故に舸と名付るの類にて、形の似たるを以て名とす、長サ九尋餘、深サ 壹尺四寸、直くして艫先とがり如劒、一枚枻(タナ)にして、よことも也、大船なれども、板薄くしてよく淺川を行、

〔京都御役所向大概覺書〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 大和河内國境龜瀨川劒先舟之事
一大和河内國境、龜瀨川劒先舟之儀、元祿十丑年被仰付、御代官萬年長十郎支配ニ而、御運上立野村總百姓共、毎年銀百五拾枚宛、右御代官取立上納致シ候處、正德二辰年、右村龍田明神枇士願ニ付、總百姓運上御免、社士喜左衞門と申ものニ、舟支配被仰付、正德三巳年より御運上相止申候、

〔堀川後度狂歌集〕

〈六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 船 殿守
神風のいせの下向も乘合につむやはらひの劒先の舟

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 トモフト(○○○○) 丹後の國よさの海にあり、或はトモウチ(○○○○)と云、又カナチ(○○○)とよぶ、かなちとはかながしらのことをいへり、其船おもてのかたち、かながしらの魚に似たるを以云成べし、又舟のとも平たく大也、是によつて舳太と呼、小舟也、

〔甲子夜話〕

〈三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 西歸ニ木曾ヲ經シガ、カケハシノ下ノ流急ニシテ、漲ル水が白ヲ曳ケリ、其流ニ樵夫、アナタノ山ニ渡ル小舟アリ、其形イカダノ如ク、ヤウヤク一二人ヲ容ルベシ、名ヲカラ(○○)トイフ、予〈○松浦淸〉思ヘラク、カラハ甲ナリ、木實ノ甲、龜ノ甲、人ノ甲冑〈○註略〉ナド、皆是ナリ、此舟ヲ甲ト云モ、オノヅカラ古言トゾ聞ヘシ、

〔紫の一本〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650
蛩(きり〴〵す/○) 是は二挺立の舟に、小さき覆ひをしたる船を云ふ、吉原の通ひ船なう、遺佚が云ふ、此の舟を蛩(きり〴〵す)と云ふは、おほひ小さく、乘るにも出るにも、四つばひにして出入す、ぐらり〳〵とふれうごきて、今水に入るか〳〵と思へば、あぶなきばかりにて、面白き事も遊山も、何もかもなくなる故に、 吉原がよひを、ふつゝと思ひきり〴〵すといふ心なるべしといへば、陶々齋が云ふ、吉原通ひをおもひきりは、きこえたが、下のすの字は聞えず、歌に、きり〴〵す夜寒に秋のなるまゝによわるか聲の遠ざかり行く、と云ふ其ごとく、夏の凉しき時は、此舟もはんじやうすれども、秋風もはだ寒くなれば、浪もあらく風まけもする故、舟のかよひも遠ざかり行くと云ふ心成るべしといへば、鎰屋の仁右衞門が云く、左樣の事にてはなし、きり〴〵となり候聲を以て、蛩(きり〴〵す)と申候と云ふ、

〔柳亭記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 きり〴〵すといふ小舟
前段引し鱗形に、今獨はいまだ美若にして、ぬれ色かわかぬ柳裏、鶯袖口とく今ぬぎて、頃日世に俳諧といふ物はやりて、是をせねば人の交りもならぬやうになりゆく、もと和歌の一體と聞けば、やさしき道にこそ、我擧屋の朝げ、土手の夕を忍ぶ心づかいに、袖より外の草葉の露、あはれふかく、いぎりすとかやいふ小舟に、簾たれこめ、はれやかならぬ心地すめれど、三ツ股をめぐる汐先より、なほ凉風は通ひ來にけり、
紫の一本〈天和〉に語はの段きり〴〵す、是は二ちやう立の舟に、ちひさきおほひしたる舟をいふ吉原通ひの舟なりとあるに合せ見れば、鱗形のいぎりすは、名を聞あやまりしか、或は書あやまりしなるべし、きり〴〵すをかふ籠の如く、せばきより名づけし事は論なし、此草紙のほかに、此舟の名を載たるものを未見、

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 カンコ(○○○) 字未考、因州湖山の池にあり、池といへども湖なるゆへに湖山と呼、小船三四人乘べし、毎に漁獵し、又菱を取に用、廻船の傳間込をカンコひきといへり、カンコと云は、古語小舟のことを云者なるべし、今も四國の方にては、小漁船を呼て、カンコ舟と云、

〔倭訓栞〕

〈中編十四/知〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 ちよきぶね(○○○○○) 俚語に、ちよきといふは、小早き意なれば、舟の早きをもて此名を得たり、又猪牙船と書り、形の似たる故に、世事談には、長吉なる者造りそめたるよりの名といへ り、伊勢にてはちよろ(○○○)ともいへり、

〔本朝世事談綺〕

〈二/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 猪牙船
明曆のころ、兩國橋笹屋利兵衞、見付の玉屋勘五兵衞といふもの、これを作る、押送りの長吉といふもの、船を藥硏のかだちに作り、魚荷を積て押に至てはやし、これを考へて作るもの也、長吉船といふべかりけるを、ちよき舟といへり、近年猪牙の二字を用ゆ、猪牙に狀似たるゆへか、

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 猪牙舟 此舟小して細長者也、俚語に、ちよき〳〵と云は、早ことをいへり、舟の早く行姿を云て、直來とも書べし、所名を付て呼、尼崎の――、是を鳥貝船(○○○)と云、浪花の――是を蜆舟(○○)と云、すべて小船早き者、兵庫の――、日切舟(○○○)の類也、勢州にて小船をちよろと云、攝州にても、尼崎ちよろともいへり、ちよろ〳〵と云も、俗語早きことを云、〈○中略〉浪華のちよき是に同じ、いづれか前後なることをしらず、

〔洞房語園異本考異〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 山谷通ひの小舟は、長吉といへるもの作り出せし故に、長吉舟といひたるを、いつの頃よりか、ちよき舟といひ習はし、文字さへ猪牙と書替たりと、沾凉が江戸砂子にも見へ侍る、左もありしか、又一説に、此ちよき舟を作り出せし元祖は、兵庫屋何某とか云て、むかし今戸堀のはたに住居せし由、〈○中略〉此兵庫家の家、殊に榮へて、今戸橋の北の川端に住居して、舟を作る事を業とす、當時兵庫屋吉兵衞といふは、始祖より八代目なりと、今是にたよりて聞に、長吉といふ者は、たしかならず、もし作り出せし頃、其舟の形漣に動くを見て、猪牙と呼初めしにや知らず、此舟すみやかにはしらんことを工みて、さんちやうの櫓をかけたりしが、後に御制禁有てやみぬ、

〔嬉遊笑覽〕

〈二下/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 ちよき舟の名を按るに、今御船手の用る小舟をちようと云ふ、二挺立は、是に類したるものにて、其名もこれを轉じて呼べるにや、チヨロといふも、小き物の疾き義なり、チヨキは 今も小手廻よきを、チヨキ〳〵といふ、チヨロと同じ意なり、小早といふ舟あり、ちよろは卽是なり、〈今小ばんと呼舟は、小(小下恐脱早)の轉じたるなり、〉松落葉、〈両山通踊といふ歌〉をか山通ひの六ちよこばや〈六挺小早なるべし〉によろを八丁立て云々、又しとゝん踊といふ歌に、四丁の五丁の六丁こばや、花のゑじまへおせやれをのこ云々、松の葉、〈船歌〉ちよ、ぎりや〳〵、ちよぎりや、ちり〳〵やなどあるは、換の音といふ也、これ等にてもさとるべし、

〔三朝逸事〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 江戸諸物踊貴ニ付、御沙汰可之候次第、新井氏〈○白石〉御老中迄被書出候書面之寫、風俗によりて諸物之價高く成候條々〈○中略〉
一駕籠舁、〈幷〉二丁立船之事、〈○中略〉
二丁立之船と申ものも、只今七百艘に至り候而、是又貳千餘人之手へわたるべき歟、〈○中略〉
巳〈○正德三年〉二月十七日

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 正德四午年八月
一ちよき船之儀、當夏中令停止、不殘解舟に申付候之處、今以ちよき船有之由相聞、不屆之至候、名主共、支配限ニ入念逐吟味、ちよき船持候者有之候はゞ、番所迄可申出候、解船ニ可申付候、人を廻し相改候間、不訴出隱置候者有之候はゞ、舟持主は急度曲事に申付、家主名主迄可越度候之間、此旨町中可相觸候、以上、
八月

〔江戸繁昌記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 街輿(ヨツデカゴ)〈附猪牙船〉
足而行、非輿則舟、然館舫屋船、幷水遊之具、行則行非飛也、頡頏齊飛、猪牙是也、〈○中略〉猪牙何蓋以形名之、而其步則兎兒走波也似、右兩國深川、踰淺草墨河、泛々其景、中心漾々、肩輿則兩尻四脚、猪船則單櫓雙臂、其用半彼其飛與之上下、如二三之、何必肩隨、因憶嘗聞、一船兩櫓往時無禁、乃都人 舟行非急、而故二三之、數櫓僣下、徒鬪豪華、院本吉原雀曰、二挺建、三挺建、〈都俗數櫓以挺〉前日可證、

以地名爲名

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 柏原船(○○○) 處名を呼、河州柏原の舟也、劒先舟に似て上棚あり、立戸立なり、是又淺川を行、攝州より河州へ往來の舟、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 堺船(○○) 泉州堺の船也、長崎への通船、糸物、絹布、藥種類、總じて唐物を積の船也、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 難波船(○○○) 攝州の名所を呼者、〈○中略〉今廻船、荷舟、檜垣等、大坂舟と稱す、

〔令集解〕

〈三十/營繕〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 凡官私船、〈○註略〉毎年具題色目勝受斛斗破除見在任不、〈(中略)古記云(中略)、目謂舶船、艀艇、及速島、難波、伊豆之類、〉

〔夫木和歌抄〕

〈三十三/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 後法性寺入道關白家百首遇不逢戀
なには舟 皇太后宮大夫俊成卿
あしわけのほどこそあらめ難波舟おきにいでゝもこぎあはじとや

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 琴浦舟(○○○) 同國〈○攝津〉名所を呼者、武庫郡尼崎、西宮との間にあり、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 灘舟(○○) 同國〈○攝津〉名所を呼者、尼崎と兵庫の間にあり、灘浦、於此浦多燒鹽といへり、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 大和田船(○○○○) 同國 〈○攝津〉名所を呼者、小船にて、舟側をすぐに通して水押に作り、上枻を戸立の外へ出し、横舳なり、耕作舟、通舟に用、大和田作りと云、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 伊勢船(○○○) 藻鹽草に、いせ舟を、をのゝ湊江によめりといへり、又伊勢舟の名、舟法要略に見へたり、伊勢の國名を呼者にして、本邦古昔の舟也、故に俗親舟(○○)と呼、又艫の形、つねの水押(ミヨシ)にて、もき先なく箱置なり、この故に表箱造りにするを、吾妻表と云、水押の形、二ツあるゆへ、二形(フタナリ)ともいへり、又別の制二形と云あり、

〔新撰六帖〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 江 しほむかふをのゝみなとのながれ江に猶こぎかねてとまるいせ船

〔倭訓栞〕

〈中編二/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 いつてぶね(○○○○○) 伊豆手舟と萬葉集にみゆ、注釋に、伊豆出舟の義とす、伊豆國の舟の事は應神紀に見え、舟の製にていふにや、熊野諸手船といふ事、神代紀に見えたり、されば嚴手船の義、いちはやき船をいふ成べし、一説に、五手船の義、二人を一手といへば、十人こぐ船にて、今十挺立小早といふ是也とぞ、

〔詞林采葉抄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 五手船
櫓十丁立タル舟ヲ五手舟トハ云、二丁ヲ一手ト云故也、又舟ハ伊豆國ヨリ造始タル故、伊豆出舟ト云トモ申メリ、

〔萬葉集〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 佐吉母利能(サキモリノ)、保里江己藝豆流(ホリエコギヅル)、伊豆手夫禰(イヅテブネ)、可治等流間奈久(カヂトルマナク)、戀波思氣家牟(コヒハシゲケム)、
右九日〈○天平勝寶七歲二月〉大伴宿禰家持作之、
保利江己具(ホリエコグ)、伊豆手乃船乃(イヅテノフネノ)、可治都久(カヂツク)〈○久恐夫誤〉米(メ)、於等之婆多知奴(オトシバタチヌ)、美乎波也美加母(ミヲハヤミカモ)、〈○中略〉
右三首、江邊作之、

〔袖中抄〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 いづてぶね〈○中略〉
顯昭云、いづてぶねとは、萬葉集に伊豆手船とかけり、船は伊豆國よりつくりいだしたれば、しかよめるにや、〈○中略〉
萬葉第廿六〈○六字恐衍〉ほり江こぐ、伊豆手の船の、かぢつくめ、おとしばたちぬ、みおはやみかも、是は家持が越中國にて詠歌也、あながちにいづの船不詠と、伊豆船を本體としつればよめるなるべし、都にても便にしたがひて、松浦船、つくし船などもよめり、又武藏あぶみなどもよめり、〈○中略〉
奧義抄云、船こぐものをば、いくてと云也、かた〳〵に一人づゝあはせて二人をひとてと云 也、いづてぶねは一人してこぐ船也、
和語抄云、いづて舟とは、かぢひとつ、ろよつある船をいふ也、
私云、ひとてとは、二人を云也、かぢひとつ、ろよつと云は、一人をひとてと云にや、いはれず、
又日本紀に、熊野の諸手舟と云ふねあり、もろ手の船と云也、されば五手の船も、あしからず、但舟の大小にしたがひて、ろをばたつるに、二手三手四手六手とはよまずして、五手としもよめることぞ、いかゞときこゆる、萬葉に、八梶かけとよめるは、かぢとはいへど、ろをよめるなりそれはおほかるかずをとりて八と云也、五手は、なにゝもあらざる歟、梶は、とりかぢおもかぢとて、二には過ざる物なり、但八は陰數のおほかるなり、さてやそ、やをなどよめり、五は陽數のおほかる也、さていを、いそとよむ也、さればいづ手はおほかるかず也、

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 あしがらをぶね(○○○○○○○) 足柄小船也、萬葉集に見えたり、又とぶさたて足柄山に船木きり、ともいへる、此所より出るをもて名付くるにや、足柄山は相模にあり、又足輕の義を取て名とせるにや、新千載集に、足はや小舟と見えたり、

〔萬葉集〕

〈十四/東歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 相聞
母毛豆思麻(モヽヅシマ)、安之我良乎夫禰(アシガラヲブネ)、安流吉於保美(アルキオホミ)、目許曾可流良米(メコソカルラメ)、己許呂波毛倍杼(ココロハモヘド)、
右十二首〈○十一首略〉相模國歌

〔袖中抄〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 あしがらをぶね
顯昭云、あしがらをぶねは、相模のあしがらの小舟也、相模防人の歌也、或人云、葦刈小船也、らとりと同音也、
或人云足輕(アシカラ)を舟也、らとりと同音也、萬葉には、あしがらをは、あしかりともよめり、りとらと同音也、

〔萬葉集略解〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 あしがらを舟は、足柄山の杉もて造る船也、相模の足柄郡と伊豆國は、山續きて分ちがたき故に、伊豆手船足柄を船も異ならぬなるべし、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 房州立船(○○○○) 攝州、紀州、泉州に多し、東國房州へ干鰯を積に行く舟なる故かく云、房州よりも積來る、表の垣立取置にするもの也、

〔夫木和歌抄〕

〈三十三/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 あさつまふね〈○中略〉
日吉社にたてまつりける五十首初春歌 家長朝臣
にほのうみやあさづま舟(○○○○○)も出にけりつなぐこほりを風やとくらん

〔近世奇跡考〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 朝妻船讃考
朝妻船賛 隆達がやぶれ菅笠、しめ緖のかつら、ながく
傳りぬ、是から見れば、あふみのや、
あだしあだ波、よせてはかへる浪、朝妻船の淺ましや、鳴呼またの日は、たれに契りをかはして色を、枕はつかし、僞がちなる我とこの山、よし夫とても世の中、
北窻翁一蝶畫讃○
〈の文、世にうつし傳ふる所、あやまりおほし、今柳塘館所藏の正筆を以てうつし出す、〉

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 雜賀(サイカ/○○) 此字を用る時は、紀州の名所を呼者、信長記に、雜賀兵船、其外谷輪浦々の舟と見えたり、又サヤマキ(○○○○)とも云、

〔萬葉集〕

〈六/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657辛荷島時山部宿禰赤人作歌一首幷短歌
島隱(シマガクリ)、吾榜來者(ワガコギクレバ)、乏毳(トモシカモ)、倭邊上(ヤマトヘノボル)、眞熊野之船(マクマヌノフネ/○○○○○)、

〔萬葉集〕

〈十二/古今相聞往來歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 羈旅發
浦回榜(ウラワコグ)、能野舟泊(ヨシノフネハテ)、目頰志久(メヅラシク)、懸不思(カケテオモハヌ)、月毛日毛無(ツキモヒモナシ)、

〔萬葉集略解〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 能は熊の畫の失たるなるべしと契冲いへり、神代紀熊野諸手船、または卷六眞熊野の船とよみたれば、くまのぶねなるべし、紀伊の熊野也、

〔夫木和歌抄〕

〈三十三/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 正治二年百首御歌 喜多院入道二品のみこ
あはぢ舟
あはぢぶね(○○○○○)きりがくれこぐさほ歌の聲ばかりこそせとわたりけれ

〔萬葉集〕

〈四/相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 賀茂女王鱠大伴宿禰三依歌一首
筑紫船(ツクシブネ/○○○)、未毛不來者(マダモコザレバ)、豫(アラカジメ)、荒振公乎(アラブルキミヲ)、見之悲佐(ミルガカナシサ)、

〔室穗物語〕

〈藤原の君〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 こゝは、主のみことも、おとこ女、つとめて物がたりす、つくし舟のつかへ人も來たり、三百石のふねつきにけり、

〔堀川院御時百首〕

〈雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 海路 權少僧都永緣
追風にいたてにはしれつくし舟しきなみのせきせきとゞむとも

〔萬葉集〕

〈七/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 攝津作
作夜深而(サヨフケテ)、穿江水手鳴(ホリエコグナル)、松浦船(マツラブネ/○○○)、梶音高之(カヂノトタカシ)、水尾早見鴨(ミテハヤミカモ)、

〔豫章記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 義弘、通任、〈○中略〉正平廿一年、豐前國小倉ニ押下テ、案内皷申間、卽淺海八郎五郎、小山五郎、兩人給ル、此時豐前今塔御俥ニテ、一族中談合アリ、歸國ノ方便ハ、以船爲肝要也、御所被所望申ケル上使大豆津底將監兩人、葦屋船(○○○)三艘水手十人下賜テ、船ニ可乘人ヲ配當ス、

〔夫木和歌抄〕

〈三十三/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 家集寄舟戀 源仲正
えぞふね
わが戀はあじかをねらふえぞ舟(○○○)のよりみよらずみなみまをぞ待

〔日本書紀〕

〈二十五/孝德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 白雉元年、是歲遣倭漢直縣、白髮部連鐙、難波吉士胡床於安藝國、使百濟舶(○○○)二隻

〔年中行事歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 五十番 右 大唐商客 女房
我國のみつぎそなへて年毎に今もくだらの舟ぞ絶えせぬ

〔續日本後紀〕

〈八/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 承和六年七月丙申、令太宰府造新羅船(○○○)、以能堪風波也、

〔續日本後紀〕

〈九/仁明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 承和七年九月丁亥、〈○十五日〉太宰府言、對馬島司言、遙海之事、風波危險、年中貢調、四度公文、屢逢漂沒、傳聞、新羅船能凌波行、望請新羅船六隻之中、分給一隻、聽之、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 唐船(○○) 中華の舟を云、今長崎にても南京船(○○○)を云、謠の題號にあるも、明州の舟なり、源平盛衰記に、大將は、唐船に乘たまへるよしいへり、是は唐船造りにしたるを云か、今も御公儀の御船、長崎に唐船作りの御舟あり、

〔竹取物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 右大臣安陪のみうしは、財ゆたかに、家ひろき人にぞおはしける、其年渡りけるもろこし船(○○○○○)の、わうけいといふ人のもとに、文をかきて、火鼠のかはごろもといふなるもの、買ておこせよとて、つかうまつる人の中に、心たしかなるものをえらびて、小野のふさもりといふ人を付てつかはす、

〔高倉倪嚴島御幸記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 福原より、けふ〈○治承四年三月二十日〉よき日とて、舟にめしそむべしとて、唐の舟(○○○)まいらせたり、まことにおどろ〳〵しく、畫にかきたるに違はず、たうじんぞつきて參りたる、〈○中略〉廿一日、〈○中略〉福原の入道〈○平淸盛〉は、からの舟にてぞうみよりまいらるゝ、

〔敎言卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 應永十五年三月八日丁巳、行幸北山殿、 廿日己巳、今夕三席御會也、唐船管絃、御座船也、

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 寬文十一亥年七月
唐船作之御船(○○○○○○)、江戸より西國筋迄、浦々にて風波之節は、見當次第船を出し、破損無之樣に精を入べし、

以用法爲名

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 御座船(○○○) 樓船也、明律考駕送黃馬並に同御座船とす、漢にも一號大 座船と云こと見へたり、これ一番御座船と呼者也、又御召舟(○○○)と云、海舟には早舟を用、今關船と稱す、大船を御召御座船(○○○○○)と云、次を御召替舟(○○○○)と云、若川の瀨あつく御召の船とをらざる時、召替の舟にて通すなり、いわゆる船に乘こと、馬に乘がごとくすといへり、海陸舟馬ひとしうす、或は大御座船(○○○○)、中御座船(○○○○)、小御座船(○○○○)と呼、後太平記に、先帝の御座船といへる、帝王、及諸侯、太夫士、貴人の乘りたまへるゆへ、御座と云、御召舟と云也、船を入置覆のやを御船宮と云、攝州川口御船やに有之、
御公儀樣、御卅御座船(○○○○○)、以前紀州より御獻上の舟なるよし、紀伊國丸と號す、眞舳に孔雀を彫物にす、故に孔雀丸と稱す、土佐丸、中土佐丸、難波丸、みな金銀珠玉をちりばめ、美つくせり、其結構言語にのべがたし、其外御大名樣方御召船、數多にして、其美筆紙につくしがたし、或は龍を滅金の金物にして艗にゑがき、雲水奇花をかざりとし、舳に蟠龍飛龍を刻めり、是いわゆる龍舟(○○)也、〈○中略〉凡川御座船、其制新古の違あり、又屋形の制造、數種有、すべて中倉を屋形とす、此を上段と云、其後を次之間と云、其後倉を舳屋ねと云、總矢倉也、其後に有を出しやねと云、上に太鼓樓有、上段の前倉を將几と云、其前に有を表出しやねと云、此下に座有を小將几と云、左右に有やねを旅やねと云、取置也、天子の御舟は、茅萱葺にて千木鰹木を上る、將軍家は、檜皮葺にてしやちほこあり、其外皆とち葺にて箱棟鬼板あり、唐破風、てり破風、むくり破風、或は入母屋作、横棟造、上屋形あり、又左右の高欄胴舟梁まであるを常とす、舳まで通す者反臺袖垣あり、

〔永享九年十月二十一日行幸記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 一入夜三の有御舟、主上〈○後花園〉御引直衣にて、寢殿の南の庇、東向の妻戸より出御、〈○中略〉御座船有屋形、上に鳳凰二有、兩方舳さきに玉あり、〈臺にすはる〉したに水引有、色紅和歌の御舟也、主上がくを被遊、御笙也、〈○中略〉龍頭の船、〈水引色靑〉詩の舟也、〈○中略〉鷁首船〈水引色靑〉管絃舟也、

〔毛利家記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 上樣、〈○豐臣秀吉、中略、〉御諚ニテ、秀元ハ則御宿へ歸ラセ給ヒ、急出船マシ〳〵、小倉ヲ半里程出給ヒ、跡ヲ見給へバ、船一艘見ベシ、定テ御座舟ニテ有べキゾ、何トゾシテ御先ニ關へ著セ給フ ヤウニトテ、急ガセ給ヒケレドモ、御座船ハ櫓數ト云、水手ト云、ハヤ秀元ノ御舟ヨリ十町計先立テケリ、

〔名物六帖〕

〈器財二/舟楫桴筏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 厨船(ダイドコロブネ/○○)〈續見聞近錄、全綱諸船不火、惟厨船造飯以給諸船、〉

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 厨船 船中にても火をみだりにすることを禁ず、是臺所御座と呼者、煮燒する賄舟(○○)也、

〔續武將感狀記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 備前宰相秀家ノ從士、馬場與平次實職、朝鮮陣ノ時、山寺四郎兵衞、德藏市兵衞、祇園久次、中島藤三、斧田九右衞門、湯原治右衞門、七人同船ニ乘テ、長門ノ門司關ニ至テ、渡海ノ順風ヲ待、陸ニ上テ見物スル處ニ、秀家ノ臺所船ト、秀家ノ柄臣延原内藏允ガ船ト、上碇下碇ヲ論ジテ、雙方百人計爭鬪ニ及ベリ、

〔西鶴名殘之友〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 それ〴〵の名付親
何や彼や、世上の咄しするうちに、臺所船より、生醉の九八とい、ふ太鼓持罷出て、〈○下略〉

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 用船(○○) 御座船に付、廁船(○○)也、是を呼で用船と名付、

〔出雲風土記〕

〈意宇郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661以號意宇者、國引坐八束水臣津野命詔、八雲立出雲國者、狹布之稚國在哉、初國小所作、故將作縫詔而、栲衾志羅紀乃三崎矣、國之餘有耶見者、國之餘有詔而、童女胷鉏所取而、大魚之支太衝別而、波多須々支穗振別而、三自之綱打挂而、霜黑葛閉々那々爾、河船(○○)之毛々曾々呂々爾、國々來々、引來縫國者、自去豆乃打絶、而八穗爾支豆支乃御埼也、

〔延喜式〕

〈三十九/内膳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 川船一艘、〈長三丈〉在與等津
右漕奈良奈癸等園供御雜菜

〔枕草子〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 心ゆくもの 川舟のくだりさま

〔後拾遺和歌集〕

〈十七/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 大井にまかりて、舟にのり侍けるによめる、 大江匡衡朝臣 河舟にのりて心の行ときはしづめる身ともおもほえぬかな

〔弘長百首〕

〈雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 河 實空
行とまるいづくをさしてかよふらん下ればのぼる淀の川船

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 〓〈ワタシフネ(○○○○○)〉

〔同〕

〈五/水〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 㶇〈又作〓、ワタシフネ、〉

〔令義解〕

〈十/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 凡要路津濟、〈○註略〉不渉渡之處、皆置船運渡、〈○下略〉
○按ズルニ、渡船ノ事ハ、地部渡篇ニ具ス、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 舸(○) 四聲字苑云、舸、〈(中略)漢語抄云、波夜布禰(○○○○)、〉高尾舟、一云、戰士可乘之輕舟也、

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 舸〈ハヤフネ〉

〔易林本節用集〕

〈波/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 早舟(ハヤフネ)

〔倭訓栞〕

〈前編二十四/波〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 はやふね 和名抄に舸をよめり、古へ鳥船鴿船あり、今いふ關船(○○)也、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 舸(ハヤフネ) 楊子方言、南楚江湘、凡船大者、謂之舸、本邦今呼で關船と云、貳挺立より八拾挺立以上に至て、皆早舟也、

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 十四年八月丁酉、百濟遣上部奈牽科野新羅下部固德汶休帶山等、上表云、〈○中略〉今年忽聞、新羅與狛國通謀曰、百濟與任那、頻詣日本、意謂是乞軍兵我國歟、〈○中略〉臣等聞玆、深懷危懼、卽卽遣疾使輕舟(○○)馳、表以聞、〈○下略〉

〔保元物語〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 爲朝鬼島渡事幷最後事
去程ニ、永萬元年三月ニ、礒ニ出テ遊ケルニ、白鷺靑鷺二連テ、沖方へ飛行ヲ見テ、鷲ダニ一羽ニ千里ヲ飛下云ニ、況鷺ハ一二里ニハヨモ過ジ、此鳥ノ飛樣ハ、定テ島ゾ有ラン、追テ見ント云儘ニ、早舟ニ乘テハセテ行ニ、日モ暮夜ニモ成ケレバ、月ヲカヾリニコギ行バ、明ボノニ旣ニ島影見ヘケレバ、コギ寄タレ共、荒礒ニテ波高ク岩岨クテ、舟ヲ可寄樣モナシ、

〔愚管抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 承安元年十二月十四日、この平大相國入道〈○淸盛〉が女を入内せさせて、やがて同じ二年二月十日、立后、中宮とてあるに、皇子を生せまいらせて、いよ〳〵帝の外祖にて、世を皆思ふさまにとりてんと思ひけるにや、樣々の祈どもしてありけるに、〈○中略〉安藝國嚴島を、ことに信仰したりける、はや船をつくりて、月詣を福原より初て祈りける、

〔信長公記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 天正四年、先年佐和山にて被作置候大船、一年公方樣御謀叛之砌、一度御用に立られ候、此上者大船不入之由にて、猪飼野甚介に被仰付、取ほどき、早舟十艘ニ作をかせられ、〈○下略〉

〔太閤記〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 朝鮮陣人數賦之事
敬白起請文前書之事〈○中略〉
一物見之疾舟(○○)、一大將より二艘宛出し可申事、〈○中略〉
卯月〈○文祿元年〉十日 各連判にて、宛所は奉行衆也、

〔駿府政事錄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 慶長十九年十月廿三日、卯剋永原出御、自矢橋早船、〈櫓四十挺立〉膳所戸田左門、於船中御膳

〔玉露叢〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 寬永十四年十一月九日ニ、天草ヨリ男女トモニ二千七百餘人、船ニテ著岸申シ候、將亦大江ノ濱ニアル處ノ舟ドモヲ、殘ラズ打コハシ候テ、城ノ塀ノ圍ニ仕リ候、三十丁ダチノ早舟ヲ一艘計リ殘シ置申候事、

〔倭訓栞〕

〈中編八/古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 こはや(○○○) 小早の義、萬葉集に、足早の小舟(○○○○○)とよめる是也、楊子方言に、小舸謂之〓とあり、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 小早 小早舟也、今舟の字略して呼、歌に足早の小舟とよめるものなり、楊氏方言に曰、小舸謂之艖、注に云、今江東に艖を呼で小底とする也、又艒䑿と云と見へたり、小底とするは、其船の底小を以て云なるべし、艒䑿は、字彙に釣艇(ツリフネ)とす、又船の名と見へたり、艑艖或は 〓の字、艖に同じとす、是本邦四拾挺立以下を小早と云者なるべし、〈○中略〉
拾貳挺立〈或は二六挺と云、是より以下准之、〉 拾四挺立〈○中略〉 拾六挺立
拾八挺立 貳拾挺立 貳拾貳挺立
二拾四挺立 二拾六挺立 二拾八挺立
三拾挺立 三拾二挺立 三拾四挺立
三拾六挺立 三拾八挺立
四拾挺立 貳挺立よりこゝに至て、以上二十名、矢倉なき者、是を小早といふ、多く半垣作り也、或は欄干造、其外數名、みなこのうちに有、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 渡海(○○) 小早舟(○○○)と呼、關舟の小早とは各別にて、早舟に次の小早なり、このゆへに五六端帆より、大船は十七八端にいたる、いづれも小早と云也、中國九州の堺、長州赤間が關、豐前門司が關、此渡海の舟、小倉渡海(○○○○)と云、總屋形、總矢倉也、左右に蔀ありて、舲あり、臺有て垣立なし、近比艫に垣立を用、此舟、豐前、周防、長門の國に有て、小倉舟(○○○)を名とす、九州の諸士、交代の乘船、又旅客をのせて、常に攝州より小倉に往來す、下荷物を積て、上の艙(ヤカタ)に衆客裝のすべし、是渡海舟の第一とす、渡海造りといふ者一法也、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 二人漕(○○○) 關船の大船也、二人漕何拾挺立と云、四拾挺立以上なる者、櫓一挺に水手二人かゝりて押すゆへ、二人掛り(○○○○)とも云、二人漕の五十挺立は、櫓を押す鹿子の人數、百人におよべり、船の造り樣も違ありて、增減の規矩あるものなり、

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 獵船(○○) 魚船〈郷談〉打魚船〈水滸傅〉捕魚船〈正音〉並に同じ、凡海中の獵船、その大なる者、五六十石程の舟にすぐべからず、舟の中倉に仕切を入、加敷上棚の舟ばらに夾間をあけて、潮を舟の内に出入せしめ、其うちへ魚をとりいるゝなり、生魚舟也、又篽(イケス)ともいへり、〈○中略〉 働處の舟は、沖網には、獵船の中の大船二隻を用、内に絞車(ロクロ)を立、船に碇おろし、うごかざる樣にして、絞車をまいて兩船より是を引小船は網の廻りに有て、舷をたゝき、又竹にて水面を打、魚をしてにげざらしむ、是漢に長狼後に鳴と云者なり、其外皆小船を用、獵船と云は、大船小船によらず、河海江湖ともに、漁獵する船の總名也、

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0665 寶永四亥年三月

白魚漁船、明松笧火を燈し、川筋〈江〉大分集候樣に相聞候、川筋船込候而は、往來之船之障にも可成候、左樣に無之樣に、其上明松笧火も大分燈し候而は火之元のため、旁に而候間、向後大分不出樣可相心得候、尤相止渡世之障に不成樣、可申付候、以上、
三月

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0665 獵船
上口凡〈長二丈一二尺ヨリ三丈一二尺マデ、横五六尺位、〉
但、形小サキヲ小獵船ト云、
深川、佃島、行德邊、其外海附ニ有之、

〔夫木和歌抄〕

〈三十三/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0665 寶治二年百首
いさり舟 衣笠内大臣
うなばらやなぎたるあまのいさり舟(○○○○)おきのすさきにこぎまはりみゆ

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0665 罨罩(エンタク)舟 字彙曰、罨從上掩之網也、或謂之撒網、和名字知阿美、江湖池川に多く是を用、小船にして網をうちて魚を取舟也、今唐網船(○○○)と云、網打舟(○○○)と呼、一人船の首に居て絶を打一人ともに居て棹さす、是を楫子と云、或は四ツ足日覆をして、天幕を張、遊興に用、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 茶船〈俗ニ、投綱舟釣舟ト云、〉
海獵茶船 獵船造茶舟
上口凡〈長二丈二三尺、横五尺、〉

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 狩網船(○○○) 攝州浪花にて、猪牙船を用、其わざ其價までも、漢の網梭船に同じ、其船狹小にして、たゞ二人乘、網一疊と云に舟三隻を用、水七八寸にてよく行、若難風逆浪にあふ時は、其舟二人して舁て陸に引上、風靜て又舟を舁て、水におろして歸る、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 舴艋(○○) 唐韻云、舴艋責猛二音、〈和名豆(○○○○)利布禰〉小漁舟也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 按藝文類聚、引宋元嘉起居注云、餘姚令何竕之造作舴艋一艘、精麗過常、恐非漁舟、王念孫曰、小舟謂之舴艋、小蝗謂之蚱蜢、義相近也、按説文、無舴艋字、蓋以舟似蚱蜢是名也、然蚱蜢亦古無是字

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 舴艋〈二音責猛、ソリフネ、〉

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 保元三年十月十七日癸卯、午刻關白殿、〈○藤原忠通〉令平等院給、〈○中略〉
釣殿前自石橋下小島上、臨河畔新構鈁臺船寄、〈重々疊、階左右造高欄、〉
舴艋五艘、相艤西岸
御船一艘、本二瓦、 船差十六人〈宇治雜色〉
黃櫨狩襖袴黃衣
公卿船一艘、同二瓦、 船差十二人
萌木狩襖袴薄色衣
已上二艘、寺家加修理、船差裝束、殿沙汰、
殿上人船一艘、例河一、船差六人、 著白狩衣袴、〈付摺染芝摺、所々閉之、〉白衣、
山階寺別當僧正被
下北面船一艘、高屋形造之、葺松葉
船差六人、例裝束、
件高屋形、寺家艤之、

〔顯廣王記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 長寬三年〈○永萬元年〉十二月十九日、酉時、前騫宮〈○好子内親王〉立本寮、迎左少辨行隆、王兼隆也、 廿五日、僅著和泉木津、不御所、仍奉宿舴艋云々、凡今度歸京散々歟、後代如何、

〔萬葉集〕

〈三/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 角麻呂歌風乎疾(カゼヲイタミ)、奧津白浪(オキツシラナミ)、高良之(タカヽラシ)、海人釣船(アマノツリブネ)、濱眷奴(ハマニカヘリヌ)、

〔今昔物語〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 小野篁被隱岐國時讀和歌語第四十五今昔、小野篁ト云人有ケリ、事有テ隱岐國ニ被流ケル時、船ニ乘テ出立ツトテ、京ニ知タル人ノ許ニ此ク讀テ遣ケル、
ワダノハラヤソシマカケテ漕出ヌトヒトニハツゲヨアマノツリブネ〈○下略〉

〔千載和歌集〕

〈十六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 おなじ御時〈○堀河〉上のをのこども、題をさぐりて、歌つかうまつりけるに、釣舟を取て讀侍ける、 權中納言俊忠
いかりおろすかたこそなけれいせの海のしほ瀨にかゝるあまのつりぶね

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 釣流(ツリナガシ)船 薩州の獵船なり、其船小舟なれども四階作りなり、帆六端引ゆへ、六端(○○)とも呼、又エツトウ(○○○○)、エツツウ(○○○○)ト云、國語なるべし、

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 なうはへ(○○○○) 攝州兵庫の獵船、小舟なり、是をなうはへと云、案に釣のをを打はへとよめり、あみのうけ繩、千尋たく繩をはへる舟なるゆへ、繩はへ也、なはと云べきを、な うと云は、はう通音なり、
繩舟 紀州なはのうらの海船をも云べきか、泉州にても、なは舟といへり、小船也、是又なうはへと云に同じ、網のうけ繩、千尋たくなわを取扱ひ、網繩を積行舟なる故、かく云也、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 押送船(○○○)〈所ニヨリ、繩船、生魚小舟ト云、〉
上口凡〈長三丈四五尺ヨリ四丈五六尺マデ、横八九尺、〉
武藏、伊豆、相模、安房、上總、邊海附ニ有之、

〔倭訓栞〕

〈申編十五/底〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 てぐりぶね(○○○○○) 手操舟の義、禁裏へ生魚貢する船なり、一名今井船(○○○)、今井道伴なる人始めしといふ、又小漁舟をもいふ、手操網を引の舟なり前太平記にも、てぐりの小艇を鹽津より押出すと見えたり、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 今井船 本名手操舟なり、是又浪花より伏見に往來す、禁裏へたてまつる生魚を積、此故に早働の船なり、今井道伴と云もの、取立はじめし故、今井船といふ、

〔書言字考節用集〕

〈七/器財〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 絶拷船(アグリブネ/○○○)

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 網拷(アクリ)船 合類節用に出たり、則手操舟の類、網のうけ繩を拷漁船也、

〔倭訓栞〕

〈中編六/久〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 くぢらぶね(○○○○○) 鯨をとるの舟也、爾雅翼に、海鰍船とみゆ、

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 鯨船 のありあま、旗をたて船をかざり、漁人さま〴〵出立して、四人乘の船十二艘を一組と云、其中一人くじらつきあり、これを筈指といふ、突を守といふ、或は一番につくを一のもり、二を二の守といふなり、互に手がらをあらそひ勝負をなすなり、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 鯨舟 漁船也、小舟にして尤早き者故に、其制を取て、今用て漕舟使者船

〔有德院殿御實紀附錄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 元祿の頃よう、久しく御舟にめさるゝ事なかりしかば、御舟庫にありしとす、 船ども、皆朽そこなはれたるよし聞召し、享保のはじめ、殊更に命ぜられて、こと〴〵く修理を加、へらる、かくて小納戸頭取松平伊賀守當恒、仰を蒙り、風濤あらき日をえらび、水主二十人餘にてこぐべきほどの船を、品川より乘出し、浦賀まで乘廻りこゝうみられしに、歸り來りて、紀の海をのりしにくらぶれば、日和よく風なぎたるがごとし、然し今の御舟は、其製よからず便あしきよしを申ければ、さちば紀の海たて、鯨とる舟のかたちに擬して作るべしと仰下され、やがて製造成て、海上を乘試しに、いかなる風波の中を往來しても、陸地に坐するがごとく穩にして、しかも便利なりしかば、此舟あまた作られしに、本所のあたり洪水のとき、たゞちにこの舟こぎ出て、溺るゝものを救ひし事、あげてかぞふべからず、かねて武備の用にあてられんとて造られしかど、まのあたり不虞の用に立しとぞ、

〔鯨船打直幷鞘御修覆書留〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 鯨船打直御修覆仕樣
一鯨船 先丸〈上口長七尋貳尺、敷同五尋、〉壹艘
〈上口巾六尺八寸、敷同貳尺貳寸、〉
但艪八挺立〈○中略〉
六月〈○寬政二年〉筆好

〔堀川後度狂歌集〕

〈六/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669
七ふしぎおりくる越の海原に油をとれる鯨舟あり

〔運步色葉集〕

〈宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 鵜舟(○○)〈六月〉

〔倭訓栞〕

〈中編三/宇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 うぶね 鵜舟也、うかひぶねに同じ、西土の書に、鸕鷀船と見えたり、舟の造り、高瀨舟に同じ

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 鵜飼(○○) 獵船の鵜飼舟にあらず、美濃國白石と云所の舟なり、旅客を 乘せ、荷物を運送して、久世川を十餘里、勢州桑名に往來す、高瀨舟なれども、其制異形にて上棚なく、箱作りに似て、舳艫わかちがたし、兩頭船(○○○)とも云べし、近國の者、此舟を云て、ともがおもてかおもてがともか(○○○○○○○○○○○○○○)といへり、長七尋八尋ばかり、深くして細く長き者也、打かいを用、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670 小鵜飼船(○○○○)
上口凡〈長四丈一二尺、横七八尺、〉
鬼怒川通ニ有

〔愚管抄〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670 宇治の左府は、馬に乘るに及ばず、戰場大炊御門御所に御堂のありけるにや、つま戸に立そひて事を行ひて在けるに、矢の來りて耳のしもに中りにければ、門邊にありける車に、藏人大夫經憲と云者乘り具し申て、桂河に行て、鵜船にのせ申て、こづ河へ下して、〈○下略〉

〔範國朝臣記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670 高野山御參詣記
永承三年十月十一日丙子、〈○此間有闕文〉廟令紀伊國金剛峯寺給、〈○藤原賴通、中略、〉遲明於淀渡、遷御御船、〈(中略)桂鵜飼廿艘、宇治鵜飼十四艘、依召候御共、○下略〉

〔覽富士記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670 富士御覽〈○足利義敎〉の御有增すゑとをされ侍て、永享四のとし長月十日の程に、おぼしめし立れ侍り、〈○中略〉すのまた川は、興おほかる處のさまなり、河のおもていとひろくて、海づらなどのこゝちし侍り、〈○中略〉御舟、からめいて、かざりうかべたり、又かたはらに鵜飼舟などもみへ侍り、一とせ北山殿に行幸のとき、御池に鵜ぶねをおろされ、かつら人をめして、氣色ばかりつかふまつらせられ侍し事さへに、夢のやうに思ひ出され侍る、

〔折たく柴の記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670 此年〈○正德三年〉七月二日に、大和川魚梁船(○○○)の御沙汰あり、是は攝津國より大和國に送るもの共をば、川船に積載て、河内國龜ケ瀨と云所に至り、此所よりしては水淺ければ、魚梁船といふものにうつし載て、彼國中に分ち送る、其魚梁船の事は、慶長の頃より、大和國平群郡立野 村の住人に、安村といふ龍田本宮の社人支配し、其運賃の利によりて、龍田の社を修造し、公にも運上の銀三十枚を參らせけり、〈安村は、代々喜右衞門と云也、此事によりて龍田の社御修造の例はなきなり、〉元祿十年丁丑に至りて、立野村の者共、魚梁船の事仰付られんには、運上の銀百五十枚を參らすべしと望こふ、此所は御料にて、しかも運上多く參らすべしと申ければ、其請に任せて安村が支配をば停めちる、寶永五年戊子閏正月、大和の御料私領五百三ケ村の百姓共、南都奉行三好備前守がもとに訴ふる所は、初め立野の者ども、魚梁船支配の事、前例に準ずべしと望み申ながら、賃銀をましくはへ、剰船破れぬれど、其荷物をも償はざるのみにあらず、ほしきまゝに掠め取ぬと申す、同二月大坂の干鰯あきなふ者ども、又訴へしは、前例大和國中の田地肥しの爲に干鰯うり渡して、載送る船破れぬれば、其料をば魚梁船支配のものより償ひ來れり、然るに去年丁亥十月、大地震に船破られし時、其料償ふべき事を申すといへども、其事に不及と申す、立野のものども召て、其料償ふべき由を下知しぬれど、奉行の下知にも從はず、同五月備前守、此由を京都に申す、同六月、紀伊守信庸朝臣下向の時、備前守が申狀をさゝげて、此事評定所にや召決せらるべき、又京都にや召決すべきと申されしを、勘定奉行所に仰下さる、荻原近江守等、南都奉行所、幷御代官所に、事の由を尋ね問ふて後に、かの魚梁船の事かへし付られんには、運上銀三百枚を參らすべき由、もとの支配人安村望請ふによりて、立野の者ども、又三百廿九枚運上銀を參らせん事を申訖ぬ、立野の村と申は、わづかに千石の地にして、戸口の數も多からず、十四年此かた、此船の賃によりて、御年貢を參らせ來りしに、今はた是を安村に返し付られん事不便なり、只今迄のごとくに、立野のものゝ支配たらん事然るべしと申ければ、同き六年己丑十月、勘定奉行の異見のごとくに御沙汰畢りぬ、〈○中略〉かくて御代も改りしに至て、安村が子、父が此事によりて死せしを恨みて、其志つがんとや思ひけん、來り訴ふることやまず、〈○中略〉詮房朝臣〈○間部〉いかにやはからひぬらむ、有し昔のごとくに、魚梁 船の事、安村が子に還し付られて、運上の事免除せられ、龍田の社修造の事、怠慢なかるべきよし、仰下されたりけり、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 磯場(イサハ/○○) 小船にして、磯邊を行の義、磯場舟なり、磯廻舟(○○○)とも書べし、

〔倭訓栞〕

〈前編三十三/毛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 もかりぶね(○○○○○) 藻を刈の舟也、玉もかう船も同じ、

〔萬葉集〕

〈七/雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 羈旅作
藻苅舟(モカリブネ)、奧榜來良之(オキコギクラシ)、妹之島(イモガシマ)、形見之浦爾(カタミノウラニ)、鶴翔所見(タヅカケルミユ)、磯立(イソニタチ)、奧邊乎見者(オキベヲミレバ)、海藻(メ)苅舟(カリブネ)、海人榜出良之(アマコギヅラシ)、鴨翔所見(カモカケルミユ)、

〔拾遺和歌集〕

〈八/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 題しらず よみ人しらず
もかり舟いまぞなぎさにきよすなるみぎはのたづも聲さはぐなり

〔萬代和歌集〕

〈十三/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672船戀を 民部卿典侍
にごり江にうき身こがるゝもかり舟はてはゆきゝのかげだにもみず

〔新千載和歌集〕

〈十五/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 戀の歌の中に 前大納言爲世
おなじ江のあしかりを舟(○○○○○○)をし返しさのみはいかゞうきにこがれん

〔倭訓栞〕

〈中編十二/世〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 せきぶね 關舟の名は、凡百有餘年にして、古へ高尾舟(○○○)といひし、萬葉集に、八十梶かけとよむも是なり、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 關船 舟方言に曰、關は城塞門也、又要會の乘船也、此故に名付、又曰、四十挺立以下、矢倉なき者是を小早と云、四十挺立以上、矢倉ある者、是を關と云、關船(○○)と耨すること、凡百有餘年のことにして、古は高尾船と云し也、其制、頭底尾高きものなり、はや舟と云は、歌にも多く讀て、古今の通名なり、關船の名、船法の卷、又は舟法要略に載たり、其外是を見ず、如泉が誹諧すり火燧といふものに、せき舟の名を出せり、今關と云て通用する者也、 四拾二挺立 四拾四挺立
四拾六挺立 四拾八挺立
五拾挺立 徂徠先生、鈐錄課造に、大船、中船、小船の品をしるせり去、八十挺立、六十挺立、三十挺立、是也、船法規矩に曰、五十挺を中船として定規とす、是よゆ上下、大船、小船は、規矩の外、增減の法有ものなり、
五拾二挺立 五拾四挺立〈○此以下至八十挺立、今省略、〉

〔大内家壁書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673
條々
赤間關 小倉 門司 赤坂のわたりちんの事〈○中略〉
右わたりちんの事、前々より定をかるゝといへども、舟かたども、御法をやぶり、ぶぢよくをかまへ、上下往來の人にわづらひをなすと云々、所詮關舟は、こくらにて、一人別二人あつる事あるべからず、〈○中略〉仍下知如件、
文明十九年四月廿日

〔御撰大坂記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 天和諸旗本向井將監書上 先祖兵庫助正綱將監忠勝事跡
一慶長十九甲寅年、大坂御陣ニ付、右將監儀、關舟六艘ニ而、水主ハ、浦加子被仰付、御預之同心五拾人ハ足輕ニ仕、十一月五日江戸出船、

〔玉露叢〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 正保四年
松平筑前守忠之人數幷舟數ノ事〈○中略〉
舟數三百三十三艘
〈内〉六十一艘ハ〈關舟〉

〔〈御關船御召船〉御建物明細書幷圖〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 御召御關船天地丸 御船 七拾六挺立

〔〈御關船御解船〉御建物明細書幷圖〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 御召御關船安宅丸 御船 百挺立、〈○中略〉御關船大龍丸 御船 六拾挺立
右御船、享保十七〈子〉年、河野勘右衞門、兼役之節、御解船ニ被仰付候〈○中略〉
御關船吉岡丸 御船 四拾六挺立
右御船、享保十七子年、河野勘右衞門、兼役之節、御解船ニ被仰付候、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 似關(ニタリ)舟 關船に似て荷舟也、似舸(○○)とも又如關(○○)とも書べし、下廻り荷舟にて、上廻り關舟に似たり、關舟と荷舟と兩樣に用る者也、故に又半關(○○)と云、

〔議造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 茶船(○○)〈俗ニ荷足舟ト云〉
上口凡〈長二丈五六尺、横六尺位、〉

〔名物六帖〕

〈器財二/舟楫桴筏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 遞運船(ヒキヤクブネ)〈曾典、四夷番使、各處士官來朝、幷回還、水路遞運船、陸路脚力、〉

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 飛脚船 遞運船同、會典に曰、水路遞運船と見へたり、此舟小船にして、表に小き屋形あり、日和にかまはずして行者、飛脚小早(○○○○)と云、又中略して飛船(○○)と呼、兵庫の猪牙舟、或は下の關の小船、日限を以て行ゆへ日切と云、豐前長濱の舟を長濱と云の類、所々に有、其處名を付て呼者多し、

〔本朝町人鑑〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 津の國のかくれ里
伊丹の人、此事を聞耳立て、〈○中略〉早駕籠いそがせ、伏見より飛脚船かりて、其日の四ツ前に、大坂の北濱へつきて、〈○下略〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 上荷舟〈○中略〉
茶舟(○○) 似上荷船而小、可以載十斛、凡茶舟、上荷舟二品、攝州灘波川多有之、諸國亦有之、舟名目異而 已、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0675 茶船 攝州川々、荷物運送の舟、拾石積なり、又屋形茶舟有、其名もと茶を煮て賣し船なるよし、遊山舟の名ともすべし、其制、海舟作りにして、淺川を行、瀨越舟(○○○)とすべし、上荷とは制各別也、或は江戸茶舟(○○○○)と云も、名は同じふして制造異也、

〔嬉遊笑覽〕

〈二下/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0675 茶船といふは、童蒙先習十いそがはしきもの、茶舟こぐ、凡度量のびざる奉行の事をなすは、茶舟こぐに同じ、俳諧染糸千句の内に、湯の山で見たる名所をかたられよ茶舟こぞつてさても寢がたき、〈此句、淀の渡船などを云ふに似たり、〉ちよき船などの出こぬ前には、此船もいそがはしきものにてありしなるべし、茶筅にて茶をたつるは、急なる物ゆゑ、准へて此船の名としたるにや、又は茶屋などの如く、客を載て憩息せしむる意にや、風流徒然草に、二挺大三挺をおさせとみえたる大三挺は、今のにたり舟をいふ歟、大茶船は、後に出來る物と見ゆ、〈昔の茶船は、このにたりにや、〉にたりを荷足と書れ共、もと其義にはあらじ、三挺などに似たるのか、
茶舟は、もと大船の荷物を分ち載て、運送する爲の舟なり、上荷よりも小き舟を云ふ、永代藏一難波橋より西見わたし云々、上荷茶船(○○○○)かぎりもなく、川波に浮びしと云へり、上荷舟は、廿石積なりとも、堀江舟は三十石もあるなり、茶舟は十石の荷物を運送の舟、なりとぞ、當時大坂七村に、荷舟九百廿艘、中舟六百七十二艘、新上荷茶舟五百艘、茶舟千三十一艘、堀江舟五百艘、都合三千六百二十三艘となむ、

〔守貞漫稿〕

〈五/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0675 茶船(○○)、大坂ヨリ漕シ來ル樽及菱垣船トモニ品川浦ニ繫ギ、此茶船ヲ以テ諸賈物ヲ川岸ニ傳へ漕ス、乃チ大扠上荷船ト同用ノ舟也、鐵炮洲及大川端町ニ此屋アリ、號ケテハシケヤドト云、茶船米六十五石積ヲ本トシ、此運賃銀十八匁五分也、蓋船士一人也、三人ヲ用フ時ハ、別ニ二人ヲ雇ヒト云、一人各三百錢也、然モ米百二三十石ハ積得ル也、本運賃ニ准ジ賃銀ヲ增ス、新制 茶船價百金ヨリ百廿兩バカリ帆及碇モアリ、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 茶船〈俗ニ大茶舟(○○○)、瀨取舟(○○○)ト云、〉
上口凡〈長二丈五六尺ヨリ四丈一二尺マデ、横七八尺ヨリ一丈位マデ、〉
但大茶舟ニ、世事所有之ハ、國方茶舟ト云、
傳馬造茶船(○○○○○)
上口凡〈長二丈一二尺ヨリ三丈位、横五六尺ヨリ七八尺マデ、〉
房丁茶船(○○○○)
上口凡〈長三丈一二尺ヨリ三丈五六尺マデ、横六七尺、〉
下利根川通ニ有
但形小クテ如圖〈○圖略〉胴ノ間ニ戸棚有之ヲ耕作舟(○○○)ト云、江戸往來無之、下利根川通、木下河岸ヨリ下川通船、

〔故郷物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 森、〈○中略〉主〈○黑田如水、及長政等妻女、〉と談合仕り、櫃に入れ參らせ、夜に紛れ茶船に受け、本船に移し可申、若見合咎めば、其時の事よと内談仕り、はや如斯仕けり、

〔船組合定帳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 一享保十三年申ノ九月、關東大水之節、兩國御橋、御役船被仰付候ニ付、組合より大茶船壹艘、船頭四人罷出、御奉公相勤申上候、

〔江戸眞砂六十帖〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 深川法善寺僞龍燈之事
深川法善寺うしろは、其頃漫々たる海なり、〈○中略〉夏の頃、夜談義して大勢が參詣す、ある時龍燈が上るといひ出しける、〈○中略〉夫をよく〳〵きけば、茶舟に乘り、長き竹の先へ行燈を結付て、遠く冲へこぎ出して、折々上へ竹をあげるよし聞て、殊勝もさめたり、

〔日本永代藏〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 浪風靜に神通丸 難波橋より、西見渡しの百景、〈○中略〉上荷茶船、かぎりもなく川浪に浮びしは、秋の柳にことならず、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 傳法舟 同國〈○攝津〉名所を呼者、小船にして屋形あり、これ航船なり、傳法茶船(○○○○)と稱す、本名佐平太船と云、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 通舟(カヨヒ/○○) 民家つねに用ふ、通をわたし、往來を通ずる船故に名とす、〈○中略〉平田舟の小なる者、或は表箱造り戸立作り有、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 過書舟(くはしよふね/○○○)
按過書船、從西國京師運送之貨通淀川、似艜而大、凡可三百斛餘也、字彙云、狹而長、可三百斛者名艇者、卽過書舟之類乎、

〔橘庵漫筆〕

〈二編二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 過書船は昭代の御國初に、有功の下民を御取立有て、御仁德を布るゝ事有しに、時過期に後れて訴出し故、過書と云へりといふ人有しが、按ずるに、唐書の令に、諸渡關津、及乘船筏上下經津者、皆當過所云々、又順和名抄にも出たり、又天道船と稱するも、淀渡歟、澱渡なるべし、昔は淀より神崎難波へ乘船せし故、淀船といえりしを、伏見の城、繁昌のときより、伏見輻湊の地となり、澱を越て登る故、唐書にいへる過所に配當して、過書たるべき歟、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 過書船 河舟荷舟の大船也、淀川筋、攝州より城州へ荷物運送の舟、〈○中略〉凡六七十年以前までは、たゞ此舟を用し所、近來川筋淺なりて用がたし、故にすぐれて大なる者、今はなし、たま〳〵大なる者、長サ拾五六間、幅貳間半餘三間に至る、過書、傳道、もと一つにて、大なるを過書と云、小なるを傳道と云、其元は傳道舟也、

〔嬉遊笑覽〕

〈二下/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 過書船、淀河筋運送の舟、三百石をつむべし、今は川筋淺くなりて用がたし、今小舟を用て、テントウブネと云、三十石ぶね也、

〔德川禁令考〕

〈五十三/運上石錢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 慶長八卯年十月二日 過書船公用銀〈幷〉運賃之事
一大坂、轉法、尼崎、山城川、伏見上下仕過書船、御公用として、年中銀子貳百枚可運上事、
一公儀御用公事船之事、如有來、川通船番折々仕可出之事、
一奉公人之船ニハ、運賃不取、但商賣もの於積ハ堅可相改、材木積來るにおゐてハ、奉公人屋敷内〈江〉直ニ可之、材木屋〈江〉ハ仕間敷事、
一貳拾石船之運賃、銀子五貫目宛可之、船之大小雖之、運賃ハ貳拾石船ニ應じ可取之事、
一鹽肴之運賃、右同前之事、
一下り船之上米ハ、貳割取之下可申事、
一新過書船、三拾壹人ニ、船壹艘宛乘せ可申事、
右條々被定置畢、若此外船持對商人、非分於申懸者、可御成敗者也、
慶長八年十月二日
御朱印 河原與三右衞門
木村宗右衞門
過書中〈江〉
慶長十七子年三月廿一日
過書船御朱印
大坂、轉法、尼崎、山城川、伏見上下之過書船之事、
去慶長八年十月日御朱印之旨、彌不相違者也、
慶長十七年三月廿一日
御黑印 河原與三右衞門 木村宗右衞門
過書中〈江〉

〔御當家令條〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679
一過書船上米之事、百石付而銀子六匁宛相定上は、爲兩人請取之、木村總右衞門、角倉與市方〈江〉可之、〈幷〉船數、兩人次第數多可申付事、
一從伏見下船、乘人荷物之上米之事、如先規右兩人方〈江〉可之、船數同前、
附船賃可先々者也
元和二年〈辰〉

〔京都御役所向大概覺書〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 大坂より伏見過書船之事
一過書船數大小七百五拾艘 支配人〈角倉與一 木村宗右衞門〉
但三拾石積より貳百石積迄、只今有船、公用〈幷〉往還之荷物應多少ニ、船數增減有之、
船間尺
三拾石積〈総長五丈六尺、胴敷幅八尺三寸、〉 但極印舟大小ニより、其船石數之文
貳百石積〈總長拾丈壹尺五寸、胴敷幅壹丈四尺六寸、〉 字、幷過之字之極印、船側ニ打申候、
但四拾石積より百九拾石積迄、右之積を以、舟造り申候、同石數之舟ニ而も、木品又者作り樣之なりかつこうニより、長短幅深サ共ニ大小有之、間尺揃不申候、然ども荷物積足は、新造之節、役人共立會相改、積足極メ、舟毎ニ黑印打候由、
一過書船御運上銀、壹斗ニ銀四百枚宛、大坂御城〈江〉上納仕、年中御用役相勤〈ル〉、
但往古者、右御運上銀貳百枚、元和元卯年より、四百枚宛上納仕候、
一角倉與一過書支配之由緖、前ニ記之、 一木村源之助過書船之儀、從往古支配仕來、四代已前總右衞門、慶長八卯年、權現樣御朱印頂戴、同拾七子年、台德院樣御黑印、寬永三寅年、過書御下知帳頂戴仕候由、
一權現樣大坂御歸陣之刻、源之助先祖總右衞門宅〈江〉御腰被掛、此度御陣中御奉公仕候ニ付、御加增可下候得共、先淀川遏書之儀、前々之通、彌無相違支配、其上城州、攝州、河州之内ニ而、御代官被仰付之旨、土井大炊頭を以被仰出候由、祖父宗右衞門迄、過書船奉行、御入木山支配〈幷〉御代官兼役被仰付候由、父如水より過書船奉行、〈幷〉御入木山支配被仰付、于今相勤申候、

〔嘉永二年武鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 淀川過書船支配 角倉與(二百俵)一 木村總左(二百石)衞門 同元締役 高田次郎右衞門 伊東五百平 田中丈助 小田切要人 同年寄〈毎年御目見、獻上拜領有之、〉 〈大坂〉松村伊左衞門 〈尼崎〉岩井武兵衞〈大坂〉西原市右衞門 〈同〉家原淸右衞門 〈京〉渡邊勇之助

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 過書舟〈○中略〉
天舠(テントウ/○○)舟(/○) 似過書舟而小、可二百斛、是亦通淀川也、字彙所謂、狹而長、二百斛名舠者、此舟之類乎、

〔和渡船用集〕

〈五/舟名數江湖川鼎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 傳道舟(○○○) 傳道は往古より呼來る船の名、能利にかなへり、易曰、舟楫之利、濟不通遠、以利天下、不通を濟、傳道也、又傳通とも申べし、此利に寄て名る者也、今たゞ天道と申は、其故をしらず、音によつて誤る者か、或は天舠舟、〈○中略〉是又舠の字によつて書たるなるべし、二百斛にかぎらば、さもあるべきこと也、百三十石、四拾石積をも天舠と云、しからば舠の字、解せざる上、天の字、何に寄て書たるや、又海舟に傳道あり、積所二三十石、五六十石にすぎず、天舠の字音に寄て誤らば、天道と書くも同じ誤りなるべし、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 間三(アイサン/○○) 傳道(テンタウ)船也、間三と云は、小三拾石舟と四十石舟との間、三十石舟(○○○○)也、間三に對して、毎の三十石船を小三(○○)とよぶ、又尼舟(○○)と呼は、尼崎舟也、多く四十石船(○○○○)なり、過書、傳道、古船、新船の品あり、

〔利根川圖志〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 運輸
水涸れて河身高き時は、航船(タカセブネ)通ぜず、故に脚船(ハシフネ)を以て運送す、これを〓下船(ハシケブネ/○○○)といひ、〈〓は俗字なり〉これを業とする家を〓下宿といふ、

〔德川禁令考〕

〈三十四/代官〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 明和四亥年十月
御代官〈江〉可申渡旨御書付
御勘定奉行〈江○中略〉
一御年貢、品川表〈江〉著船いたし候ハヾ、早速手代差遣積替所相改、元船濡米有之哉吟味いたし、艀下之儀、無油斷申付、早々御藏庭〈江〉乘込せ、水揚可致事、
但元船之水主共、艀下船之致上乘候得共、水上之上、きれ石有之由、相聞候、向後品川より御藏迄之内、手代爲相守申事、〈○下略〉

〔倭訓栞〕

〈前編十七/底〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 てんま 傳馬船(○○○)は、杉板小船也、

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 打櫂(ウチカイ/○○)船(/○) 傳間船(○○○)は皆打櫂を用、舷を槳牀(ロトコ)とす、舟の長〈サ〉八尋、九尋、拾尋餘、槳(カイ)六挺、八挺、拾挺、或は拾二挺、拾六挺、其船の大小による、棹夫兩邊に居て、後に向て水を搔て舟を行る者、柁をもちひず、舳に立るを練櫂と云、大にして是にて柁をとる也、叭喇唬十槳八槳に同じ者也、攝州にて、廻船綿荷を積んで、出船の時節、一二をあらそふ、其舟々の傳間にて住吉に參、又問屋に來る、船の邊に一人立て、采を取て踊、此采にて水をすくふて、折々兩邊の棹槳する者に水をそゝぐ、暫時もやむことを得ざるが故也、是を早綿舟(○○○)と云、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 水脉船(○○○) 楊氏漢語抄云、水脉船、〈美乎比岐能布禰〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 按、西鄙及外蕃船舶之至、恐海之淺深或誤膠淺處、不上レ泊涯岸、使水脉者、乗小舟以引導、謂之澪引船也、

〔類聚名義抄〕

〈三/舟〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 水脉船〈ミヲヒキノフネ〉

〔倭訓栞〕

〈前編三十/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 みをびきのふね 和名抄に水脈船をよめり、萬葉集に、堀江よりみをびきしつつみふねさす、と見えたり、今水を打舟といふ、先小船にて、水の淺深をあらたむる也、延喜式に、船到緣海國、澪引令泊處、とも記せり、

〔延喜式〕

〈五十/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 凡太宰貢雜官物船、到緣海國、澪引令泊處

〔萬葉集〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682私拙懷一首幷短歌〈○中略〉
難波宮者(ナニハノミヤハ)、伎己之米須(キコシメス)、四方之久爾欲里(ヨモノクニヨリ)、多氐麻都流(タテマツル)、美都奇能船者(ミツギノフネハ)、保理江欲里(ホリエヨリ)、美乎妣伎之都々(ミヲビキシツヽ)、安佐奈藝爾(アサナギニ)、可治比伎能保里(カヂヒキノボリ)、由布之保爾(ユフシホニ)、佐乎佐之久太理(サヲサシクダリ)、〈○下略〉

〔倭訓栞〕

〈中編二十一/比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 ひきふね(○○○○) 曳舟なり、人して舟を牽よりいふ、

〔土左日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 九日、〈○承平五年二月〉心もとなきに明けぬ、から舟をひきつゝのぼれども、川の水なければ、ゐざりにのみゐざる、此間に和田のとまりのあがれの所といふところあり、米魚などこへば送りつ、かくて舟ひきのぼるに、なぎさの院といふ所を見つゝゆく、

〔萬葉集〕

〈十/秋雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 七夕
風吹而(カゼフキテ)、河波起(カハナミタチヌ)、引船丹(ヒキフネニ)、度裳來(ワタリモキマセ)、夜不降間爾(ヨクダヽヌマニ)、

〔萬葉集〕

〈十一/古今相聞往來歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682物陳
驛路爾(ハユマヂニ)、引舟渡(ヒキフネワタシ)、直來爾(タヾノリニ)、妹情爾(イモガコヽロニ)、乘來鴨(ノリニケルカモ)、

以積載物爲名

〔名物六帖〕

〈器財二/舟楫桴筏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 行李船(ニモツブネ/○○○)〈呉都諸山記、行李船、尚在靈嵓之下、卽往就之、〉

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 行李船 呉都諸山記に曰、行李船、尚在靈巖之下、卽往就之、と見へたり、小荷駄(○○○)、荷物船(○○○)、荷方船(○○○)と云、諸大名樣方、米穀京師に運送する荷舟、皆石鐓を以て名とす、二十石、三十石、四十石、五十石、其大なる者八十石にすぐべからず、御座と稱する者は、屋形舟にて臺高欄 あり、荷舟は臺高欄なし、しかれども商人船とは各別にて、四つ足屋形にて、表箱作りにする者也、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四/船橋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 上荷舟(うはにふね/○○○) 宇渡爾布禰
按、上荷舟者、海舶入津、其貨物可卸、而舶未岸、故先傭小船、分載上貨之、舶稍輕而得著也、又多載物出津時亦然、謂之上荷取、凡可二十斛

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 上荷(ウハニ)舟 攝州川々に多く有て、荷物運送の舟、七村上荷(○○○○)、中船上荷(○○○○)、新舟上荷(○○○○)、堀江上荷(○○○○)と云て品あり、ともに二十石積也、堀江舟には三十石積有、舟深くして海をも川をも乘べし、川口より本船の上荷を取の名也、又問屋より荷物、本船に積にも此舟を用、上荷舟所所にあり、播磨上荷(○○○○)、堺上荷(○○○)、房州上荷(○○○○)、名同じけれども、其制異なり、

〔守貞漫稿〕

〈五/生業〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 新制上荷價銀一貫五百目許
上荷船(○○○)、ウハニフネト云、廿石積ヲ本トシ、其實四五十石ヲ積ム也、河中海船ヲ納ズ、故ニ此船ヲ以テ諸物ヲ傳へ積ムニ用フ、江戸ノ茶船ト同用也、蓋空海船ハ河中ニ入ル也、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 淀上荷(○○○) 名所を呼者、城州淀の上荷舟也、其制柏原船に類す、二十石を載すべし、故に本名二十石舟(○○○○)と云、伏見より浪花に至り、又木津川に通じ、荷物運送して往來す、

〔京都御役所向大概覺書〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 淀上荷船(○○○○)之事
支配人〈木村宗右衞門 角倉與一〉
上荷船ニ御證文御運上〈茂〉無之候
一貳百三拾艘
寬永三年御改之節、相極候舟數如此、今程者段々私として造增、五百艘餘も有之由、〈○中略〉
船間尺〈總長五間五尺五寸、胴敷幅五尺五寸、〉 但舟極印無
一拾艘 二口 一拾六艘 咄師
一貳拾五艘 木津
一拾貳艘 賀茂
一參拾壹艘 笠置
一拾貳艘 瓶原
右上荷舟、御城米者、壹艘ニ八石五斗積、賣人荷物者、川筋水次第ニ而、拾五六石目迄積申候、此舟、木津川、桂川、筋、淀、伏見、宇治近邊之小働いたし候、淺川、枝川、過書船荷物重ク、舟通リ兼候時、上荷をはね候而、積上せ候ニ付、上荷船と申候由、大坂〈江〉者、往行不罷成候、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 四ツ乘(○○○) 勢州桑名の小船也、三四人乘べし、攝州の通舟、平田舟に類して、すこし違あり、

〔倭訓栞〕

〈中編二/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 いなぶね(○○○○) 稻を積たる船也、最上川によみならへり、

〔古今和歌集〕

〈二十/東歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 みちのくうた
もがみ川のぼればくだるいな舟のいなにはあらずこの月ばかり

〔古今和歌集打聽〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 稻舟、むかしは年貢を稻にて納めしかば、是を其國の御倉へ藏むる時、多くの舟につみて、此川をのぼせしをいへり、

〔源順集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684
もがみ河いな舟の身は通はずておりのぼり猶さはぐあしがも

〔倭訓栞〕

〈前編十一/志〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 しばぶね(○○○○) 柴を積たる船なり

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 柴船 諸國にあり、小船中船也、攝州に來る舟、紀州、土佐、阿波、淡路、日向等の舟多し、松の葉、靑柴など、瓦の薪に積來れり、

〔寶治二年記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 十月廿一日甲午、今日太上皇、〈○後嵯峨〉初御幸宇治平等院、〈○中略〉御舟寄釣殿、攝政〈直衣○藤原實經〉兼被候、入御本堂、北庇東面簾中、攝政候御簾、東岸墻根曝麻布、河上浮柴船、皆存例、但離宮諸輩、幷旅人等被之云々、

〔散木弃謌集〕

〈九/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 思ふ事侍うけるころよめる
風をいたみゆらの戸渡る柴船のしばしのがれて世をすごさばや

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 檜物舟(○○○) 源平盛衰記に、長門のひもの舟といへり、檜細工、或は檜材木を積舟也、

〔源平盛衰記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 平氏著屋島
長門ハ新中納言ノ國、目代ハ紀民部大輔光季ナリケリ、當國ノ檜物舟トテ、マサノ木積タル船百三十餘艘、點定シテ奉ル、此ニ乘移リテ、四國ノ地へ著給フ、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 鹽舟(○○) 赤穗灘等の鹽荷を積舟なり

〔新撰六帖〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 ふね
あはぢ島かさまにわたるしほ舟のからろの音ぞ沖に聞ゆる

〔利根川圖志〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 運輸
銚子浦より鮮魚を積み上するを鱻船(なま/○○)といふ、舟子三人にて、日暮に彼處を出て、夜間に二十里餘の水路を泝り、未明に、布佐、布川に至る、特この處を多しとす、

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 鳥貝(○○)船 又鳥蛤と書、攝州尼崎の沖に多くある貝なり、是をひさぐの舟を云、上棚ほそくして、棚小の舟とよめる類なり、此貝、尼崎の外、他邦に有ことをきかず、此貝を取舟は又別也(○○○○○○○○○)、獵船の中船にして、舳に大立横上あり、此舟をよこさまになして、順風に帆をかけ、網を引なり、本帆、彌帆、送帆あり、本邦三梔の者此舟のみ(○○○○○○○○○○)、

〔倭訓栞〕

〈中編二/伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0686 いしぶね(○○○○) 石船の義、新續古今長歌に、おもきいはほをつむ舟の、武備志に、運石者、謂之山船と見えたり、源氏にいふ、いし舟は、魚を網にてとるに、石をもて驚かすがために、舟に石を入たる也、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0686 石船 漢に山船と云、武備志に曰、運石者、謂之山船と見へたり、本邦みな其ところ名を呼て舟の名とす、海河處々に有、其品同じからず、攝州御影村の舟、尤多し、傳道に類す、御影舟(○○○)と云、又播州立曲石を積舟、少し異也、紀州石舟あり、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0686 石舟 海舶の部にも載す、攝州川舟の石舟、是を團兵衞(○○○)と云、尤荷舟、過書の大船をも、呼で團兵衞船といへり、此石舟は、船側の上に板を敷ならべ、釘付にして、其上に石をのせて運送するの舟也、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0686 土船(○○) 諸國にあり、攝州にて呼所は、山土赤土を運送するの舟也、

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0686 寬文六午年正月
一江戸中土取舟砂取舟に、自今已後、小屋掛仕間鋪候、來二月朔日より御改被成候間、若左樣之舟有之ば、舟は御公儀へ御取上ゲ被成、舟主は曲事に被仰付候間、左樣相心得可申事、
正月

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0686 土艜船(○○○)〈俗ニ土舟ト云〉
上口〈凡長二丈八九尺、横八尺位、〉
似土船(○○○)〈俗土舟ト云〉
上口凡〈長二丈八九尺、横八尺位、〉
〓艜船(○○○)〈俗ニ土舟ト云〉
上口〈長二丈四五尺、横七尺餘、〉 中艜船(○○○)〈俗ニ土舟鬼丸(○○○○)ト云〉
上口凡〈長四丈一二尺、横九尺位、〉

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 砂舟(○○) 諸國にあり、攝州にては、川々川浚の泥沙を積舟なり、是を又百艘(○○)と呼、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 材木(○○)船 紀州、土佐、日向、薩摩、其外北國の材木運送の舟、諸國所々にあり、木舟 諸國にあり、炭薪を積て來る者、日向、土佐の舟、尤多し、

〔藻鹽草〕

〈十七/人事雜物幷調度〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687
くれ舟(○○○)

〔倭名類聚抄〕

〈十五/造作具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 榑 説文云、榑〈補各反、和名久禮、功程式有檜榑椙榑、〉壁柱也、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 くれ舟 同〈○近江〉湖中の舟、藻鹽草に出たり、あさづま山によめり、くれと云木を積舟の名なり、

〔山家集〕

〈下/雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 題しらず
くれ舟よあさづま渡り今朝なよせそいぶきのたけに雪しまくなり

〔和漢卵用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 絞車船(ロクロ/○○○) 此舟は、攝州にて、海川諸舟をあげおろしするに、絞車を立てあげおろしする、絞車屋仲間有て、此外自分にろくろを用ことめたはず、舟をあげおろし所々に行に、絞車筋綱等の道具を積行の舟也、

〔農具便利論〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 壹挺立轆轤舟
長サ五尋 ロクロ臺、長サ五尺二寸、
横七尺七寸 人足四人掛

〔倭訓栞〕

〈中編二十五/美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 みづぶね(○○○○) 水取舟の義、水傳馬(○○○)ともいへり、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 水船
上口凡〈長二丈三四尺、横六七尺、〉

〔和漢船用集〕

〈三/舟名數海船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 水船 又水取船(○○○)と云、水傳間と云、或表箱作りにして、異形に造れるあり、海上は潮にてのむことあたはず、此ゆへに船中に水櫃を居置、水をたくはへ積の舟也、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 湯船(○○) 武州江戸にあり、舟に浴室を居、湯錢を取て、浴せしむる風呂屋舟也、

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 湯船
上口凡〈長二丈一二尺、横六七尺、〉

〔類聚名物考〕

〈船車一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 糞艘(○○) こひふね こやしふね
京にては高瀨川に、小便桶を高瀨舟につみてくだし、江戸にては、葛西この名所なり、大坂も、舟に糞尿をつみて往來する事異ならず、

〔和漢船用集〕

〈五/舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 糞船 同上、〈○在郷舟〉農事に用、尿糞をいるゝ者、遠宏道姑蘇遊記に曰、百花州に二三十の糞船ありといへり、和漢その品かはることなし、
部切舟(○○○) 同上、糞をいるゝに、幾間も仕切あるの名なり、此ゆへに間船(○○)とも云、在郷村々に用る者、又攝州に下糞仲買の舟あり、
桶船(○○) 攝州河州、在郷の下糞をとるに、桶をすへて、これに入おくの船なり、土桶船(○○○)と云、又靑物野菜の類を積て市に來る、あるひは所の名を呼、辻堂溝口など、舟のつくりも、すこしの違あり、

〔江戸繁昌記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 街輿〈附猪牙船〉
館屋遊舟之華、茶任漕船之豐、人皆以知都下繁昌、或不知屎舟、糞船、大且多而繁昌、胎乎屎糞、一日百漕、送之郊野、宜哉環江都、數十里之田、土膩穀膏宜矣、

〔類聚三代格〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689舊充浪人二人、令上レ泉橋寺幷渡船假橋等
右得彼寺牒偁、件寺故大僧正行基、建立卌九院之其一也、摠尋本意、爲泉河假橋建立也、而河之爲體、流沙交水、橋梁難留、毎洪水、往還擁滯、仍爲人馬、相唱道俗、買置馬船(○○)二艘、少船一艘、付屬件寺、國須太政官去天長六年十二月八日、承和六年四月四日、兩度符旨、充徭夫二人、而稱永例、不充行、无人監護、屢致流失、寺家之煩无於斯、望請給件浪人永免雜役、一向令寺幷船橋等、謹請官裁者、中納言從三位兼行春宮大夫南淵朝臣年名宣、宜知山城國、依件令上レ充、
貞観十八年三月一日

以勝載量爲名

〔倭訓栞〕

〈前編三十三/毛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 もゝさかぶね(○○○○○○) 百積船と萬葉集に見えたり、さかは斛の義なれば、百石舟(○○○)といへり、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 千石船 荷船は、和漢ともに石數を以て呼、今長崎入津の唐船は、みな斤目を以て呼、すべて唐船は石數をよばずと云は非也、大學衍義補に、造一千石舟と見へたり、又字彙曰、二百斛曰舠、三百斛曰艇、同頭書に曰、三百斛を〓といふ、〓は貂也、貂は短也、江南に名づくるところ、短してひろく、やすふしてかたむき、あやふからざるものなりといへり、本邦荷舟のつくり、これに同じ、又唐船石數を呼、帆桅の數を呼こと武備志に見へたり、本邦石數を呼者おほし、何拾石より何百石何千石にいたる、又帆桅の數はなきゆへ、その船にかくるところの帆の布數を呼で名とす、船法規矩に、帆掛りありて、早船にも荷舟にも大法定有、尤船のつくりやうにて、帆數のちがひあり、

〔名物六帖〕

〈器財二/舟楫桴筏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 一千石舟( センコクブネ/○○○○)〈大學衍義補、造一千石舟、〉

〔萬葉集〕

〈十一/古今相聞往來歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 正述心緖
百積(モヽサカノ)、船潜納(フネカヅキイル)、八占刺(ヤウラサシ)、母雖問(ハヽハトフトモ)、其名不謂(ソノナハノラジ)、

〔和漢船用集〕

〈五舟名數江湖川船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 三十石船(○○○○) 積石數を呼で名とす、早舟三十石と云、古舟新船の品あり、新舟を伏見舟と云、攝州浪花より城州伏見にいだるに此舟を用、其流十里、淀川を往來す、朝に大坂に乗て、夕べに伏見に著、是を晝舟と云、夕べに乘て朝にいたる、是を夜船と云、伏見よりくだるも又しかり、荷物および多く旅客を裝乘て乘合舟とす、漢に云、夜航船也、

以帆爲名

〔伯耆之卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 同〈○元弘三年三月〉十五日の夜、長年〈○名和〉を間近く被召、勅定有けるは、〈○中略〉被御代者、於汝所望者、可請、今度遁凶徒之難事、海上之故也、今亦御在所船上山也、丸〈○後醍醐〉は船、汝者水、有三心相應之謂、旁以舟爲吉事、更自今改汝紋、水に船を可仕とて、御手自忠顯に敎て、帆懸船(○○○)を書せ被下けり、

〔太閤記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 土佐國寄船之事
增田、〈○中略〉元親館に歸て、此黑船の一艘分、八段帆の小船(○○○○○○)、いかほどに積、大坂へ參るべきぞ、勘辨して先船を寄給候へと、元親へ申ければ、〈○下略〉

〔武道傳來記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 大蛇も世にある人が見た例
豫州宇和島といふ所に、手繰の網をおろさせ、女まじりに今や引くらむ五端帆の舟(○○○○○)貳艘を、出島の宿の椽の前まで釣揚させ、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 三枚帆(○○○) 帆を以て名とする者、至て小船なる者也、其大船に及ては、三十端餘に至る、枚は端と同じ、何端幾幅といへり、船法の卷に曰、十端より二十端までは(○○○○○○○○○○)、あたけと云(○○○○○)也、又くはいてうせん(○○○○○○○)となづけていふ事口傳多し、しらざる者は、ふときもほそきも、みな〳〵船といふことひが事也、九端より五端帆迄は、船と云事尤也、其餘は、何船か船といみやうあるべしといへり、案に、是自分の記錄と見へたり、證とするにたらずといへども、つゐであるを以てしるす、〈○中略〉本邦は、大船といへども、本帆、彌帆の二桅にすぎず、小船なれども、攝州尼崎の獵船に三桅を用る者あり、其外一桅のみにして、帆桅の數はなきゆへ、其布數を呼て名とする者也、

雜船

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 事代主神、遊行在於出雲國三穗〈三穗、此云美保、〉之碕、以魚爲樂、〈或曰、遊鳥爲樂、〉故熊野諸手船(○○○○○)、〈亦名天鳩船(○○○)〉載使者稻背脛遣之、

〔釋日本紀〕

〈八/述義〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 伊豫國風土記曰、野間郡熊野峯所熊野由者、昔時熊野(○○)〈止(○)〉云船(○○)設此、至今石成在、因謂熊野本也、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 一書曰、時高皇産靈尊、乃還遣二神、勅大己貴神曰、〈○中略〉爲汝往來遊海之具、高橋浮橋、及天鳥船(○○○)、亦將供造

〔倭訓栞〕

〈前編十二/須〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 すゞふね(○○○○) 仁德紀の歌に見ゆ、私記には、鈴もてかざれる船也といへど、驛路の鈴をかけし船なりといへり、水驛あれば、驛鈴もそひぬべし、

〔日本書紀〕

〈十一/仁德〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 三十年九月乙丑、〈○中略〉爰天皇不皇后忿不著岸、親幸大津皇后之船、而歌曰、那珥波譬苫(ナニハヒト)、須儒赴泥苫羅齊(スズフネトラセ)、許辭那豆瀰(コシナヅミ)、曾能赴尼苫羅齊(ソノフネトラセ)、於明瀰赴泥苫禮(オホミフネトレ)、

〔釋日本紀〕

〈二十五/和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 須儒赴泥(スヾフネ)〈鈴船也、私記曰、師説以鈴飾舟也、〉

〔古今和歌六帖〕

〈三/水〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 ふね
しほせこぐかたかけを舟(○○○○○○)ながるともいたくなわびそかぢ取ゆかん

〔躬恒集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 わかれの歌
かたかけの船にやのれるしら浪もたつはわびしくおもほゆるかな

〔大和物語抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 かたかけぶねとは、かたほにかけてゆく心也、

〔類聚名物考〕

〈船車一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 かたかけ舟
片帆に懸たる船といへるはいかゞ、舟はうちまかせては沖を漕ものなるに、波風の有時は、沖の行がたければ、岸によりて、小島などの片蔭を漕行ものなれば、いふにやあらん、又片帆懸とも見ゆる也、いまだ定かならず、又案、片乘の意成べし、

〔利根川圖志〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 運輸
夫舟楫の利は、以て不通を濟する物なれば、天下の利器これより便なるは無し、これ河海の大に人に益ある故なり、利根川に在ては、專航船(タカセブネ)を用う、〈○註略〉米五百六百俵〈○毎俵四斗二升〉を積む者常なり、舟子四人を以てす、その大なる者は、八九百俵を積む、舟子六人を以てす、百俵積以下をバウテウ〈○註略〉といふ、急事の備なり、舟子一人を以てす、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 ヘサイ(○○○) 字未考、ヘサ濁音也、つねの荷舟(○○○○○)也、これを今ヘサイつくりといふ、

〔和漢船用集〕

〈四/舟名數海舶〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 ドンブリ(○○○○)〈濁音に讀、字未考、〉 小船也、百三十石積、百四五十石積の船也、攝州にて呼所、其故をしらず、中國路に買積をするの商人船也、

〔和漢船用集〕

〈六/河海江湖獵船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 コタイキ(○○○○) 字未考、コタ濁音也、武州にて呼所、磯場の類、漁船也、表高くしてふたて板の上に貫木を入、中に魚を取いるゝなり、舟覆ても魚の出ざる樣のためなり、

〔塵塚談〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 我等武州金澤に、しばらく住居せし事あり、〈○中略〉父榊原理榮、垂死のよし、安永七年戊戌四月二日、江戸出の狀、七日に到來す、不止事急に支度し、九日朝、室の木村船場へ行の處、五大力船(○○○○)出拂ひ、小船一艘、四時過にも出船のよしに付、しばらく待居、〈○下略〉

〔諸造船式圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 五大力船〈所ニヨリ鰯魚舟(○○○)、小糴舟(○○○)トモ云フ、〉
上口凡〈長三丈一二尺ヨリ六丈四五尺位、横八九尺ヨリ一丈六七尺位、〉
武、藏、伊豆、相模、安房、上總、邊海附ニ有之、
五大力船〈櫓附所ニヨリ小廻(○○)トモ云〉

〔〈浪花襍誌〉街迺噂〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 船生洲(○○○)といへること、此地〈○大坂〉の名物にして、圖〈○圖略〉の如き舟を水中につなぎ、船中を二疊三疊位ヅヽ、幾つとなく仕切て客をむかふる也、大なるに至ては、四方へ幕をはる、料理 は船中にて調味して出せり、炎天に納凉をとり、夕暮に汗をぬぐふには、此舟にまさりたるはなし、


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Last-modified: 2024-04-16 (火) 12:45:42