p.0365 笠ハ、カサト云フ、頭上ニ戴キ、雨雪ヲ禦ギ、日光ヲ遮ル具ニシテ、其類甚ダ多シ、竹笠、藺笠、菅笠ノ如ク、原質ヲ以テ名ヅクルアリ、編笠、網代笠、塗笠ノ如ク、製作ヲ以テ名ヅクルアリ、平笠、尖笠ノ如キハ、形狀ヲ以テ名ケ、日旱(ヒデリ)笠、陣笠、路地笠ノ如キハ、其用ヲ以テ名ケ、市女笠、菰僧笠、六部笠ノ如キハ、用イル人ヲ以テ名ケ、尾張笠、信樂笠、加賀笠ノ如キハ、産地ヲ以テ名ケタルナリ、〓垂(ムシタレ)ハ、笠ノ周園ニ布ヲ垂レテ、面ヲ掩フニ供ス、婦人ノ用ナリ、
蓋ハ、キヌガサト云フ、其形方ニシテ、綾羅ノ類ヲ以テ之ヲ張リ、四隅ニ流蘇ヲ垂レタルモノニテ、專ラ之ヲ儀飾ニ用イル、
簦ハ、オホガサト云フ、竹菅等ニテ作レル大笠ニ、長キ柄ヲ附シタルモノナリ、
傘ハ、カサ、又ハカラカサト云フ、柄アルモノニシテ、自ラ翳ズルモノト、人ヲシテ翳ゼシムルモノトアリ、武家ニハ長柄傘、爪折傘ノ類アリテ之ヲ袋ニ藏メ、行路儀飾ノ用ト爲セリ、足利幕府ノ時ニハ、特ニ傘袋ヲ賜ヒテ、其勳ニ酬イシコトアリ、常用ノ傘ニモ多種アリテ、並ニ雨ヲ防グニ用イタレドモ、或ハ日傘ト稱シ、專ラ日光ヲ遮ルニ用イルモノアリ、
蓑ハ、神代ヨリアリテ、其名稱ハ今ニ至ルマデ改マリシコトナシ、後ニハ多ク農夫、漁人ノ著スルモノトナリシガ、加賀國ヨリ出ヅルモノハ、上ニ靑絲ヲ張リ、至テ美麗ナルモノニテ、士
人ノ輩ノ著ル所ナリ、
雨衣ハ、アマギヌ、或ハアメギヌ、又ハアマゴロモト云フ、蓋シ油ヲ布帛ニ施シ、之ヲ衣服ノ上ニ襲ヒ、以テ雨ヲ防グモノナリ、
合羽ハ、カツパト云フ、卽チ雨衣ナリ、葡萄牙語ニ外套ヲカツパト云フヨリ出デヽ、其形ノ相似タルニ由リ名ヅクル所ナリト云フ、始メ紙ニテ製シ、油ヲ施シタリシガ、寬文ノ比ヨリ極メテ富豪ナル者、希ニ木綿ヲ以テ製シ、元祿ノ比ニハ之ヲ著用スル者稍、多クナリ、終ニハ羅紗、羅背板、琥珀ノ類ヲ用イ、其裝束ト稱スル裝飾モ、次第ニ華美ト爲レリ、而シテ其短キヲ半合羽ト云ヒテ、大名ノ從士、及ビ商人之ヲ用イタリ、婦人ハ始メ浴衣ヲ以テ雨衣ト爲シヽシガ、寶曆ノ比ヨリハ、皆木綿ノ袷合羽ヲ著スル事ニナリ、油紙ノ合羽ハ中間ノ輩之ヲ用イタリ、
行縢ハ、字又行騰ニ作ル、ムカバキト云フ、獸類ノ毛皮ヲ以テ作リ、脚部ヲ裹ムモノニシテ、遠行ニ便ニス、又犬追物、笠懸等ノ時、騎者ノ用イルモノナリ、
脛巾ハ、ハヾキト云フ、脛ニ纏フモノニシテ、旅行等ニ用イルモノナリ、脚半モ亦此類ナリ、橇バカジキ、又バカンジキト云フ、足ニ穿キテ、雪中ヲ行クニ用イル、
杖ハ、ツエト云フ、竹木等ヲ以テ作リ、步行ニ便ズルモノニシテ、其形歌ニ由ハテ、鳩杖、橦木杖等ノ名アリ、而シテ德川幕府ノ時ニ在ヲテハ、吏員ノ杖ヲ用イルニ一定ノ制アリキ、
朸ハ、アフコト云フ、物ヲ擔フニ用イル具ナリ、
挾箱ハ、ハサミバコト云フ、始メ他行スル時ハ、挾竹(ハサミタケ)ト稱シテ、板二片ヲ以テ衣服ヲ覆ヒ、竹ヲ以テ挾ミテ、僮僕ヲシテ擔ガシメタリシガ、甚ダ不便ナルヲ以テ、箱ヲ造リ、其蓋上ニ棒ヲ施シテ、之ヲ擔グニ便ナラシム、而シテ挾竹ヨリ創意セシヲ以テ挾箱ト稱セリ、挾箱ニハ紋ヲ
描キ、緖ヲ施シ、又覆ヲ爲シタルアリ、德川幕府ノ時、諸侯ノ家格ニ依リテ、金紋ヲ描クヲ免シ、先箱(サキハコ)ヲ持ツヲ許ス等ノ事アリ、先箱トハ武士往來ノ時、肩輿ヨリ前ニ挾箱ヲ擔ガシムルヲ云フ、而シテ挾箱ハ武家ノミナラズ、搢紳、婦女、平人等モ用イタリ、
p.0367 笠 毛詩注云、笠〈力執反、和名加佐、〉所二以禦一レ兩也、
p.0367 〓、簦無レ柄也、〈注氏龍曰、笠本以御レ暑、亦可レ御レ雨、故良耜傳、笠所三以御二暑雨一、無羊傳、蓑所二以御一レ雨、笠所二以備一レ暑、都人士傳、臺所二以御一レ雨、笠所二以御一レ暑、三傳相合、今都人士、暑雨互譌、以二南山有一レ臺疏、文選注正、〉从レ竹立聲、〈力入切、匕部、〉
p.0367 笠〈力及切、音立、簦、笠、以レ竹爲レ之、集成箬笠、無レ柄曰レ笠、有レ柄曰レ簦、〉
p.0367 簦、笠、皆所二以御一レ雨也、〈○中略〉小而無レ把、首戴以行、謂二之笠一、
p.0367 笠〈音立、カサ、フサク、〉
p.0367 笠〈カサ〉帽〈同〉
p.0367 笠(カサ)〈戴レ頭謂二之笠一也〉
p.0367 笠〈カサ〉 重なるといふ略か、瘡も同じ心なるべし、俗に椀の中にかさねて、ちいさきをかさといふにてしるべし、かさにかゝる、水のみかさ、本はみなおなじ、
p.0367 かさ 蓋笠などよめるは、重るの義なるべし、
p.0367 一書曰、〈○中略〉旣而諸神嘖二素戔鳴尊一曰、〈○中略〉宜三急適二於底根之國一、乃共逐降云、于レ時霖也、素戔嗚尊結二束靑草一、以爲二笠蓑(カサミノ)一、而乞二宿於衆神一、衆神曰、汝是躬行濁惡而見二逐謫一者、如何乞二宿於我一、遂同距レ之、是以風雨雖レ甚、不レ得二留休一、而辛苦降矣、自レ爾以來世諱下著二笠蓑一以入中他人屋内上、又諱下負二束草一以入中他人家内上、有レ犯レ此者、必債二解除一、此太古之遺法也、
p.0367 かさ 〈笠〉
かさは今も尋常に有る所の、竹或は草などにてあみたるものにして、ふるくも替りたることな し、始めてものにみえたるは、素盞鳴尊結二束靑草一以爲二笠蓑一〈神代卷〉とみえし、これすなはち笠てふものゝはじめにして、いともふるきもの也、かつ雨雪をしのがんには、かならずなくてならぬものなればこそ、大物主神の出雲國にいははれ給ふ時に、以二紀伊國忌部遠祖手置帆負神一定爲二作レ笠者一〈同上〉とみえしが、かくて今にたゆることなく、貴賤時にあたつて用をなさしむるものなれば、その世々につけ、人々のこゝろ〴〵にまかせて、或は松笠、竹笠、檜笠、桔梗笠、つぼ笠、平笠、菅笠など製し出す事とさへなりぬ、また鎌倉の頃となりては、犬追物、笠懸、流鏑馬などいふ事專ら行はれて、人人裝束出立に心をこめて、おもひ〳〵にさうぞきて出る事なれば、はて〳〵は裏打たる笠などさへ出來て、こがね或は白銀、またはしら打出など、花やぎたるものも種々いできにけり、しかのみならず綾藺笠は、軍陣にさへ用ふるものにて、其製によりては雨雪をしのぐ料のみにもあらず、かへつて傘よりも其用をなすことはまさるべきものなるをや、傘はもと皇國に出來はじめたるものにもあらずして、あだし國よりもて渡りこしものゝ、いつとなく皇國にひろごりて、後には尊卑のけぢめもなく、用ふるものとはなりたるなり、おもふに傘の皇國に渡りしは、欽明天皇十三年冬十月、百濟王云々幡蓋若干卷〈日本書紀〉とみえたる、このごろ渡りはじめしものならむ、さればいにしへは蓋繖の外は、今普通に有る所の如きものはあらずして、またく雨雪をしのぐべき料にはならぬものなるべし、其故はみなきぬをもてはりたれば、今のごとく紙をもてはることはなかりしなり、たま〳〵は菅にて製せし事も有とみえたれど、それもまた延喜式にいはゆる菅繖にして、さらに尋常に用ふべきものにもあらず、笠はもとより、雨雪を凌ぐ料につくりしものにして、殊に皇國におこりて、今の世にも普くもてはやすものなれば、いともめでたきものならずや、西土にても漢祖にはじまりしよし〈古今原始〉みえたれども、篆書に笠字有からは、漢に濫觴せんことは疑はしき事なり、さて今は大かたいやしきものゝみかむりて、堂上公卿の人々は笠 をもちひらるゝ事のなきは、口をしきことなり、
p.0369 寶永七寅年五月
覺
一御成之節雨降つて御供之面々、かさ合羽御免之事、
一雨降候節は、御成先勤番之面々組共に、かさ合羽是又御免之事、
一御道筋勤番同斷之事
右之通雨降候節は、難儀可レ仕と被二思召一候ニ付、御免被レ遊候間、向後著用可レ仕候、已上、
五月
p.0369 寶永七寅年六月
一召連候供之者共、御城廻笠きせ申間敷旨、最前被二仰出一之處、比日猥ニ成候樣ニ相聞候、彌最前相觸之通、笠きせ候儀無用に可レ仕之由、向々〈江〉相達候樣ニと、大目付中へ加賀守、御目付中へ久世大和守申二渡之一、
p.0369 享保三戌年正月
一御鷹野御成之節は、向後天氣能候とも菅笠爲レ持可レ申候、雨天又は暑氣ニ付而被レ免、御免候はゞ、早速御徒押歟、御小人押に申付、取寄用可レ申候、尤面々菅笠に印付置、爲レ持可レ申候旨、可レ被二相觸一候、以上、
正月
p.0369 享保十六亥年十一月
別紙之通可レ被二相觸一候、大手之方は酒井刑部屋敷角辻番邊ゟ大手腰懸脇迄、櫻田之方は外櫻田御門ゟ松平長菊屋敷角之辻番迄之間、笠冠り不レ申候樣ニ、番處へも可レ被二申付置一、候、尤別紙之趣、西丸 御目付へも可レ有二通達一候、
十一月
雨天ニ而無レ之節、供之者笠冠り候儀、可レ爲二無用一旨、前々相達候場所之笠冠り候儀、向後構無レ之候、自今は大手内櫻田西丸大手三ケ所之下馬前は、雨天ニ而無レ之節、供之者笠冠り候儀可レ爲二無用一候、以上、
十一月
p.0370 車坂、上野常照院の前より、下谷〈江〉出る坂を云、門常に大門はひらかず、小門計りあく、出入に笠頭巾の咎めなし、
p.0370 これよりさき郭内を往來するものゝ從者は、いかなる暑日といへども、笠きる事ならざりしかば、みな炎熱にたへかねて、はなはだくるしみあへり、かねて此事しろしめしければ、御位〈○德川吉宗〉につかせ玉ふより、たゞちに從者の笠著る事をゆるさせ玉ひ、下馬所の外は、はゞかりなく用ひしめられしかば、奴僕のたぐひまでも、ひろき御惠をかしこみ、思はざるものなし、
p.0370 松平樂翁顯職ノトキ、公用ニテ上京ノコトアリ、其道中箱根山ヲ越ストキハ、步行ニテ笠ヲ著ナガラ御關所ヲ通ラレケルガ、御關所ノ番士ハ、何レモ白洲ニ平伏セシニ、番頭一人、頭ヲ擧ゲ、聲ヲカケテ、御定法ニ候、御笠トラセラルベシト云、樂翁卽笠ヲヌガレ通行シテ、小休ノ處ヨリ人ヲ返シテ、彼番頭ニ申遣ルヽハ、先刻笠ヲ著シハ我ラ不念ナリ、御定法ヲ守リタルコト感入候トノ挨拶ナリ、此事道中所々ニ言傳ヘテ、其貴權ニ誇ラズ、御定法ニ背カレザリシヲ以テ、增ス增ス感仰セリト云、
p.0370 笠傘 凡笠、細竹輪爲レ骨、以レ絲縫二籜皮一、依レ之造レ笠謂レ縫レ笠
p.0371 予廿餘年以還、歷二觀東西二京一、今夜猿樂見物許之見事者、於二古今一未レ有、〈○中略〉其明朝天陰雨降、結レ藁爲レ䒾、割レ薦爲レ笠、〈○下略〉
p.0371 寄レ物陳レ思
吾妹子之(ワギモコガ)、笠之借手乃(カサノカリテノ/○○○○)、和射見野爾(ワザミヌニ)、吾者入跡(ワレハイリヌト)、妹爾吿乞(イモニツゲコソ)、
p.0371 かりてとは笠をつくるものなり、それをばかさのつゝにあるわにつくる也、さればかさのかりての輪といへる也、
p.0371 初戀 權大納言公實卿
ますげよきかさのかりてのわさみのをうちきてのみや戀わたるべき
p.0371 寶永以來菅笠ノ内フチマデフキタリ、止リ淺黃ノハタ糸、寶永迄ハ笠アテ(○○○)菅、ヒモ(○○)淺ギノ加加ヒモ細ク、笠アテモ尋常ナリ、正德ヨヲモミニスル、享保笠アテ大ブリニナル、或表白裏モミノ笠アテ出ル、元文ヨリスルガ町越後屋ニテ、色々ノ笠アテヲウル、黑チリメン、紅ウラ、緋ヂリメン、兩面黑ビロウド、紅裏等ナリ、〈○中略〉
笠ヒモハ、正德ノ比、男伊達バツカクセシヲリ、イヌキノ編笠ニ、細クワラニテ作リ、紙ヲ上ニ卷ナヒテカムル、万治以來、竹ノ皮ニテコシラヘテカムル、延寶比モロコシガラニテ笠ノ輪ニ緖ヲ作リ付テ、上總ヨリ出ス、是ヨリ前ハ笠輪ワラニテ手前ゴシラヘナリ、天和ノ比、上方ヨリモロコシガラニ重緖ヲ出ス、貞享ヨリ元結一把ノマヽニテ片ヒモヲコシラヘタリ、左右二把ニテ紐ニスル、寬濶男ナラデハ不レ用、元祿迄アゴノヲハ、半ザラシノ縞ニテモ、花色ニテモ有合ノモノヲ半グケニシテカムル、元祿ヨリ玉子子ヂノ笠緖(○○)ハヤル、寶永比ヨリ革ノ細キヲ上方ヨリ下ス、是ヲカムル者多シ、延寶迄ハ或ハジユズ玉ニテ作リ、細竹ヲクダニシテコシラへ、觀世小ヨリ思々也、麻ニテ半グケニシタル緖カムルハ上品ナリ、元祿比ナリ、寶永ヨリ笠輪ヲ籠ニテ、緖ヲ鯨ニテ細ク コシラへ出ス、甚ハヤル、後二重緖ニモコシラヘタリ、享保ヨリ笠輪モ鯨ニテ、緖幅廣クコシラへ、アゴヲモ鯨ナル出ス、シカレドモ世上奢テ上品ハ不レ用、正德ヨリ上品ニテ黑絹ニ綿入ニコシラヘタリ、中ハサラシ、元文ヨリ笠輪籠緖ハ細キ竹ニテクダニシ、二重緖ニシテ上方ヨリ下ス、下品ニテ不レ用、寶永迄大名ハ格別、平人ニ白晒笠緖ヲ付ルコトハ、婚禮或ハ山王ノ祭禮ニカムルヨリ外ハセズ、享保ニ至テハ黑チリメン綿入ニナルコトナリ、
笠アテモ古來ハ紙、元祿ヨリ有合ノ麻切、袷ニシテ作ル、寶永ヨリ白晒、享保ニ至テ黑キヌ綿入ヲカムルモノ多シ、〈○中略〉
古來笠アテ、ワラニテ作リ、紙ニテツヽム、菅笠ニ用ユ、アミ笠ニ不レ用、
上總ヨリ出ル、モロコシカラニ作ルナリ、〈○中略〉
正德ヨリ笠ノ輪ノ後ロヲ切ヌク、若キ男ノ大タブサ、髮ノマゲノヒシゲル故也、
元文比笠ノ輪ヲ高クシ、髮ノハケ先ニサハラヌヤウニスル人アリ、見苦敷モノ也、
同比笠輪ヲ不レ用、ワラニテ中ヲ作リ、紙ニテ卷テ、左右ニワケテカムル、ヤハリハケ先ヲイトフ、享保比ヨリ笠輪ノ下へ、丸グケヒモ一筋ニシテ十文字ニトリテ、輪ノ方ヲ前ニシテ、アゴノ下へカケ、後ロへ下リタルヒモヲ、又前へ廻シ、アゴニテムスブ、女ニアリ、男モ黑チリメンニテシタルモアリ、
寬延ゴロヨリ、ヒモヲ笠ノハシへ付テカムル人モアリ、
p.0372 今世ノ笠當及ビ紐種々アリ、其大略ヲ記ス、
輪紐菰製、笠當木綿白、或ハ藍、又ハサラサ染モアリ、〈○圖略〉
笠當紐トモニ白晒ノ木綿、陣笠ニハ專ラ用二此形一也、〈○圖略〉
二圖ノ如キ笠當ヲ枕ト云、旅客菅笠ニ用フル物專ラ此形也、〈○中略〉 紐ヲ前後二輪ヲ付テ、前輪ヲ腮下ニ掛ケ、背輪ヲ口ノ下ニカクルナリ、〈○圖略〉脱シト欲スル時、背輪ニ指カケ、耳ヲハヅセバ前ニ脱ル、其煩シカラザルガ故ニ、市中ヲ冠ル笠ハ近年專ラ用レ之、蓋菅笠ニハ用ヒズ、枕、來舶ノアンペラ、或ハ黑天鵞絨等也、粗ナルハ木綿モアリ、
弘化以來新製也、〈○圖略〉輪及ビ紐ハ細キ割タル竹ニ割藤ヲ卷タリ、來舶ノ藤也、紐ノ用ヒ樣同レ前、又枕ヲ用ヒズ、代レ之ニ〓如レ此竹ノ表ヲ黑天鵞絨ヲ以テ縫包メリ、頭上ニ風ヲ通スコトヲ要ス、是亦菅笠等ニ用ヒズ、藤笠、島笠、目關笠等ニ專ラ用レ之コト江戸ノミ歟、
弘化前ヨリ全ク鯨髭ノ製物アリ、此製有テ後、鯨製廢ス、
p.0373 かさ〈○中略〉絹がさ、藺がさ、菅がさ、市女がさ、局がさ、つぼみがさ、しがらき笠、つぶれ笠、平がさ、田笠、墨笠あり、後世疊笠、宇都宮笠、小田笠あり、又天和の頃はつゞら笠、元祿のころは、ぬり笠はやれり寬文の頃は、江戸にて女の編笠を用ゐたる事あり、
p.0373 笠 花 から 松 むし そで ひぢ ひら あみ 小 を きぬ すげすか みしますが なにはすか すげのを み こすげの まつ 梅の花〈鶯〉 あやゐ おほ 竹 かくれ しば
p.0373 箬笠(タケノコカサ/○○)
p.0373 箬笠(タケノコカサ)〈瑯邪代醉編、霏雲錄蝦蟆如二箬笠大一、〉 靑蒻笠(アヲキタケノコカサ)〈張志和、靑蒻笠、綠簑衣、斜風細雨不レ須レ歸、〉 敗天公(ヤフレガサ)〈本艸、敗天公、弘景曰、此乃人所レ載竹笠之敗者、李時珍曰、穹天論云、天形如レ笠而冒二地之表一、則天公之名蓋取二于此一、〉 竹笠(タケカサ/○○)〈見レ上〉
p.0373 竹笠
笠てふ物品々有り、なかにいと古きは竹笠なるべし、すなはち今に有所のものにして、古くも替りたる事有るべからず、只竹をもて製したる笠なり、これ笠てふもめゝはじめにして、令義解、延喜式にも、その名見えたり、神代紀に所レ謂靑草を結束て蓑笠とすと有れど、これは其時にはかの 事なれば、有あふ靑草をかりつかねて、みの笠の替りにしたるのみにて、常に用ふる爲に製したるにはあらざるなり、其外諸書に笠とのみ見えたるはかならず、竹笠なるべくおもはる、
p.0374 笠(たけのこかさ) 〈音立〉 和名加佐
本綱云、笠賤者禦レ雨之具、以レ竹爲レ胎、以二箬葉一夾レ之者、天形如レ笠、而冒レ地之表、故笠曰二天公一、
按、笠、俗云、笋笠(タケノコカサ)也、中華以二箬葉一作レ之、箸卽岡蘆(ヲカアシ)也倭多用レ籜、籜卽笋皮也、以二苦竹籜一作者出二於播州明石一、賤民禦レ雨、以二淡竹籜一作者稍美、出二於江州水口及越州福居一、
p.0374 延寶ノ比ヨリ、地ニテ作ル、眞竹皮ノ笠、小ブリナリ、ヲサへ竹モアラシ、日笠雨笠兩用ニス、後大笠モコシラヘタリ、ワタリ二尺四五寸バカリ、ハナハダヲモシ、雨笠、〈○中略〉
上方ヨリハチク竹ノ杉形笠下ル、細竹ミゴヲ押ヘトシ、上ノトマリ黑ビロウド、アサ糸ヌヒ、享保ヨリ地ニテ作リ出ス、上作ナリ、頭ノトメ紫ガハナリ、
上方下リ、始代二匁、〈但壹匁六十四文〉正德比代一匁、元文比四十五文、寬保比二十四文、三十二文也、
竹笠出シコロ、地作百五十錢二百文、好ニヨリテ百疋迄、皆キヌ糸ヌヒ、
元文比ヨリ、内ノ竹ヲクロクヌル、細工シゴクヨシ、延享ヨリ内ノ竹キクニスル、尤上作ナリ、
p.0374 安永二年ノ刊本風俗通ニ曰、笠ハ菅ノ蒲鉾形、水口細工ノ藤蔓笠、駿河細工ノ竹笠、是ニ三色アリ、上ハ萌黃ノ染竹、中ハ白晒竹、下ハ紫竹、右五色ノ内ニテ好ミニ隨テ用ユベシ、笠當、笠紐、白晒又、黑絽モヨシ、然シ黑キ絽ニテハ、ヨゴレヲ厭フ心見エテアシヽ、是望前下リニ冠ル、後ロノ紐打チガヒ云々、〈○中略〉
竹笠〈亘二尺許〉
竹笠ハ、天保初ニ駿州ヨリ始テ造リ出シ、江月ニテ用レ之、今ハ藤竹トモニ江戸ニテ造レ之、竹笠出テ次ニ藤笠ヲ造リ行ル、〈○中略〉京坂モ不レ用レ之、戸主ト雖ドモ、ハチク笠上製等ヲ用フ、江戸モ天保前ハ ハチク笠等ヲ用ヒシ也、網代笠ハ京坂モ用レ之、〈○中略〉
竹笠、藤笠、内ヲ澀染紙ニテ張レ之、京坂ニテ、ハチク笠ニハ、内紺紙ヲ當テ縫モアリ、紙ヲ當ザルモアリ、網代ニハ、或ハ紺袋ヲ糊張ニシ、或ハ紙ヲ張ズ用フ、
ハチク籜、上品ヲ以テ製レ之、極細ニ削リタル竹ヲ以テ押レ之、又極纖ノ萌木絹糸ヲ以テ縫レ之、三都トモニ用レ之、〈○中略〉背裏ハ圖ノ如キ竹骨也、籜ノ裏ヲ出シ、縫糸蜘蛛ノ如ク顯ル、或ハ骨ト籜ノ間ニ紺紙ヲ挾ミタルモアリ、
從來武士上下輩トモニ潛行ハ用レ之、昔ハ編笠ナルベシ、近世ハ專レ之、近來來舶ノ藤笠流布スト雖ドモ、大名等潛行ニハ、野裝束ノ時必ズ用レ之、又從來士民トモニ用レ之レドモ、小民賤者ハ不レ用レ之、〈○中略〉
京坂ニテバツテウ(○○○○)、江戸ニテカゴヤ笠(○○○○)ト云、〈○圖略〉
前ニ云ル亘リ二尺四五寸ノ眞籜笠也、京坂ニテ此大笠ヲバツテウト云、江戸ニテハ駕籠屋笠ト云、辻カゴカキノ夫用レ之、故ニ名トス、乃チ四ツ手駕舁夫也、京坂ノカゴカキハ不レ用レ之、又三都トモニ茶客ノ雨中待合ヨリ茶室ニ至ルニハ、他ノ笠及ビ傘ヲ用ヒズ、必ラズ如レ此大籜笠也、然モカゴヤガサトハ其製異ナリ、
漁夫釣夫、榜人(センドウ)、水主等ハ、今モ專用レ之、眞竹フアル下品籜、極麁製ナルモノ也、笋子笠(○○○)ト云、紐モ籜繩或ハワラ繩ヲツケル、又江戸ノ駕籠舁ハ、籜麁製笠ヲ用フレドモ、コレヨリ形大ニシテ甚ダ淺シ、籜フアル麁笠ノ淺ク大形ナルヲ俗ニバツテウガサト名ク、
p.0375 隼人司
正一人掌下〈○中略〉造二作竹笠一事上
p.0375 諸司年料供進〈○中略〉 竹笠十四枚〈大小各七〉
p.0376 雨儀
一著二外辨一事〈上官床子在二砌上一〉
出二敷政門一經二綾綺殿南壇上一、〈上官在レ座者、揖而過、其儀見レ上、〉於二同殿巽角一擁二筍笠一出二宣陽門一自二壇下一南行、〈擁レ笠〉自二内記局南程一昇二砌上一、〈○下略〉
p.0376 後鳥羽院御時、伊奧國おふてらの島といふ所に、天竺の冠者といふもの有けり、〈○中略〉かの冠者あかとりぞめの水干に、なつ毛のむかばきをはきて、しげどうの弓にのやおひて、竹笠をきたりけり、
p.0376 かはづの三郎うたれし事
いとうがちやくしかはづの三郎ぞきたりける、〈○中略〉せんだんとうのゆみのまん中とり、もえぎうらつけたる竹がさこがらしにふきそらせ、〈○下略〉
p.0376 一竹笠 曾我物語に見へたり、竹のあじろ笠なるべし、
p.0376 すけつねをゐんとせし事
十郎がその日のしやうぞくには、もよぎにほひのうらうちたるたけがさ、むらち、どりのひたゝれに、〈○中略〉五郎がその日のしやうぞくには、うすくれなゐにてうらうつたる、ひやうもんのたけがさまぶかにきて、〈○中略〉せこをやぶりて、しゝこそ三かしらいできたりけれ、これはいかにと見るところに、かのすけつねこそ、おつすがひておとしけれ、その日のしやうぞく花やかなり、〈○中略〉きんしやにてうらうちたる、うきもんのたけがさ、あらしにふきなびかせ、〈○下略〉
p.0376 竹笠の事
曾我物語に、富士の牧狩の所には、うす紅にうらうちたるひやうもんの竹笠、また紗金にてうらうちたる浮紋の竹笠など見へたるは、竹の皮などうすくしてあみたるを中にて、裏表をは りたる物にや、されど綾藺笠のごとく、たはやかにはあらざるべけれどことなる晴なれば、風流にしてけるか、いかさまにも常の狩の例にはあらざるべし、
p.0377 竹笠の敎諭
周防守重宗いまだ御小姓の時、明年御上洛の御供支度を、京都なる父伊賀守家老方へ申越れけるところに、いかゞとゞこほりしにや、秋の末まで一色も下されず候故に、又申越されしは、先達て申遣し候御供支度の品々、只今にいたり一色も出來さし越なく候、不屆千万に候、早々さし下すべきよし催促申されければ、十月にいたり、荷物一箇下りたるゆゑ、家老ども披露申ければ、周防守すなはちこれへ持參候へと、申さるゝによりて、兩人にて持出たるをあけさせ見られければ、大なる竹の子笠一かいこれあり、何れもあきれたるやうすなり、周防守には心得られしと見えて打笑ひ、下げよと申されける故その節、谷三助と云もの側に居合せ、御前には御合點遊され候と相見え候、彼笠は何の御用に立候ものに候やと申しければ、周防守申さるゝは、あの笠を著て上を見るなといふことゝ打笑はれしほどに、親も親子も子なりと、三助感じ語りしとなり、〈古老雜話〉
p.0377 道中には、〈○中略〉馬かたは、菅笠の檐口たゞれ、竹の子笠のほねばなれしたるに、繩のしめ緖をつけてうちかぶり、〈○下略〉
p.0377 四月〈○享保十九年〉十一日、志村にて追鳥狩ありしにも、したがひ玉ひしが、卿〈○德川宗武〉のいで立、竹笠、細袖、四布の袴に脛巾つけて、かひ〴〵しかりしを御覽ありて、けふのよそひいかにも古雅なりと稱せらる、
p.0377 寬政六寅年四月竹之皮細工之儀ニ付、彈左衞門よら差出候書付、 竹の皮笠、竹の皮草履、同裏付、破魔弓箭、此類關東筋百姓町人之方ニ〈而〉、致二細工一賣渡候〈而〉も、差障無レ之哉之旨就二御尋一、乍レ恐左ニ奉二申上一候、〈○中略〉
一竹の皮笠の儀ハ、先年は私手下共一同細工ニ致來候由ニ候處、其村々百姓方に〈而〉買集候竹皮、草履細工ニ相用候程も行足不レ申候事故、笠を拵候程ニハ竹の皮、間ニ合不レ申候間、自ラ近頃ハ笠を拵候儀、相止メ居候村々も有レ之候得共、中にハ草履裏付等多分賣捌不レ申候村々ハ、笠を細工ニ仕候村々も有レ之候間、百姓町人之方ニ〈而〉、細工ニ不レ致候樣仕度奉レ存候、
但右品々ハ、何れも竹の皮にて拵候品ニ〈而〉、百姓町人之方ニ〈而〉、笠を拵候樣相成候〈而〉ハ、其村村百姓町人之方ニ〈而〉、竹の皮買上候事故、貧窮の手下共、竹の皮買取候儀難二相成一、右草履細工にも差支難儀仕候間、〈○中略〉殊ニ關東筋は竹の皮至〈而〉拂底之場所に〈而〉百姓町人之方ニ〈而〉、竹の皮を細工ニ仕候〈而〉は、迚も草履細工に行足不レ申、猶又笠を細工ニ仕候手下共儀は、草履賣捌兼候場所ニ〈而〉、笠を渡世ニ仕候得ば旁難儀仕候、〈○中略〉
右之趣ニ〈而〉、私手下共儀ハ、一體商賣細工等之品少ク、至而手狹ニ御座候得バ、右品々之外職分無二御座一、百姓町人之方ニ〈而〉、右品々細工仕候樣相成候〈而〉ハ、手下共一統差障ニ相成、難儀至極仕候間、百姓町人之方ニ〈而〉、細工ニ不レ致候樣仕度、此段乍レ恐御賢慮御慈悲之程奉二願上一候、以上、
〈寅〉二月廿月 〈淺草〉彈左衞門印
p.0378 米澤ノ筆、長円ノ傘、鍋島ノ竹子笠、秋月ノ印籠、小倉の合羽ノ裝束ノ如キ、ミナ下々細工ニイタシ、〈○下略〉
p.0378 安政三年、此頃淺草御藏前に、大笠と諢名せる賣ト者出る、籜笠(タケノコカサ)の差渡五尺餘もあるべし、岡田某といふ、
p.0378 昔は竹の子笠稀にして、貴賤ともすげ笠をのみ用ひしに、文化の頃より、あじろ笠、竹 の子笠を用ゆ、はじめは價もさまで貴からざりしに、次第に巧を盡してより、駿河細工の如き竹がさ、又は藤笠流行して、價百疋貳百疋にも及とぞ、すげの笠は、價三四匁にて、日をおほふに强く、かぶりて輕し、夫を今の竹笠に、百疋餘を費すは、あまりなること也、
p.0379 諸國年料供進〈○中略〉 藺笠(○○)卌六枚〈和泉國調〉
p.0379 天智天皇御子始二笠置寺一語第三十
今昔、天智天皇ノ御代ニ御子在マシケリ、〈○中略〉皇子馬ヨリ下テ泣々伏シ禮ミ、後ニ來テ尋ムニ注シニ見ムガ爲ニ、著給へル藺笠ヲ脱テ置テ返ヌ、〈○下略〉
p.0379 藺笠〈○圖略〉
燈心草ヲ以テ製レ之、從來未レ見レ之、嘉永四年ヨリ初テ流布シ、步行ノ武士專ラ用レ之、蓋供ニハ不レ用レ之、私ノ他行ノミ用レ之、大流布也、京坂不レ用レ之、
或人曰、從來南部ヨリ産二製之一、南部製ハ雨中用レ之時、濕リテ編目ヲ塞ギ雨ヲ洩サズ、今專用スル物ハ、嘉水六年ヨリ右ノ藺笠種々ノ形ニ造リ、市民モ稀ニ用レ之、右ノ藺笠ハ、琉球表ニ造ル藺ト同ク太キ物也、又編笠ニ用フルハ、備後早島表ニ用フル細キ丸藺ナリ、
p.0379 菅笠(○○)
p.0379 臺笠(スゲカサ)
p.0379 菅笠(すげがさ) 須計加左
按、菅笠、中古制レ之、與二籜笠一形同、而以二菅葉一縫成、但莞笠避レ暑、籜笠賤民以禦レ雨耳、菅笠雨日兩用、而貴賤男女、冬夏咸旅行必用之具也、出二於賀州金澤一者上品、防州柳井次レ之、攝州深江今里多作レ之、
p.0379 臺笠 菅笠を〈ぬり笠をも用ユ、略義也、〉袋に入て持する也、是は旅行の具のみなれども笠計は常にも用べし、〈菅は日をよけるものにて、車に檳椰毛車とて蒲葵といふものにて車をふくもの也、びろうはふつていなるものゆへ、もしびるうなき時は、菅に〉 〈てふく事あり、依てすげを式とす、〉
p.0380 敷草村、〈○中略〉有レ澤二町許、此澤生レ菅、作笠最好、
p.0380 一新宮遷奉御裝束用物事
菅御笠二口
p.0380 菅御笠は須介乃美加佐とよむべし、雨儀には紫蓋に代てこれを用る也、〈○中略〉こゝにいふは、簦なるを字にかゝはらず、同訓によりて笠の字を用し也、〈(中略)長曆官符、寬正官符、此御笠を菅大笠と注せしは、よくかなへり、西宮記考定條雨儀者云々、刺レ簦と見ゆ、〉
p.0380 正通曰、笠、祭禮用二菅笠一也、〈宗因曰、伊勢大神遷座時、山城賀茂御講祭等用二菅小笠一、今按、大嘗祭式有二菅蓋一、萬葉集云、王之御笠爾縫有在間菅、菅淸(スカ)之義故、祓具用レ之、儀式帳有二菅裁物忌一、舊事紀有二笠縫部一、崇神紀有二笠縫邑一、〉
p.0380 大神宮裝束〈○中略〉 菅笠二枚〈○中略〉
度會宮裝束〈○中略〉 菅笠一枚
p.0380 按、菅笠之用、式所レ見如レ此、知二神世之遺風一、
p.0380 治曆二年八月廿五日丁未、大神宮假殿御遷宮也、〈○中略〉以二巳時一〈天〉御出奉レ遷之間〈乃〉雨彌倍〈シ天〉無二間斷一、仍以二菅御笠一〈天〉、御體之上差隱奉〈天〉、假殿〈仁〉渡御坐之間、〈○下略〉
p.0380 仁安三年十一月廿二日己卯、大嘗宮儀、〈○中略〉亥一刻、入二御悠紀神殿一、〈○中略〉車持氏差二菅御笠一、〈○下略〉
p.0380 建久五年三月十八日、賀茂祭也、〈○中略〉取物舍人四人〈○註略〉菅笠、〈赤色御綾引物〉
p.0380 長崎新左衞門尉意見事附阿新殿事
此資朝子息國光中納言、其比ハ阿新殿トテ、歲十三ニテヲハシケルガ、〈○中略〉遙々ト佐渡國ヘゾ下ケル、路遠ケレドモ、乘ベキ馬モナケレバ、ハキ習ヌ草鞋ニ、菅小笠ヲ傾テ、露分ワクル越路旅、思ヤ ルコソ哀ナレ、〈○下略〉
p.0381 一永祿參二月六日壬寅、午刻御參内有レ之、〈○中略〉今日雨降、御輿舁には代レ之者、傘を指懸候由に候、昔はすげ笠を著候と云衆有レ之如何、御物のゆたんは其まゝ雨にぬれ候つる、
p.0381 ねがひの搔餅
京より結構なる伊勢參りがあるわと門立騷ぎ、練物を見る如くぞかし、〈○中略〉何れも十二三なる娘の子、四つがはりの大振袖、菅笠に紅裏打つて、綯交(なひまぜ)の紐を附け、〈○下略〉
p.0381 天和貞享の比、編笠次第に止、菅笠に成、御旗本中あみ笠の時分は、菅笠は、陪臣かぶり、御旗本菅笠の時は、編笠陪臣かぶる、元祿の比より押なべて菅笠に成し、下々は酷暑にもかぶる事なし、〈○中略〉
一兩年以來、瀨川風とやら云て、瀨川菊之丞と云堺町の役者、女方の役者の眞似とて、帶を立むすびにして、菅笠は、いたゞきの笠あてを、甚ダ高くして、笠のふち頂より上へ上るやうにしてかぶる、大身の奧方、幷供女、何も一樣に仕立ありく衆、餘程見ゆる、歷々衆が、河原者の眞似するゆへ、小身末々まで、夫を學ぶなり、菅は水邊に生ずる故、宜然と日を不レ通、夏の笠は菅より能はなし、
p.0381 女の編笠 塗笠
元祿のはじめは、菅笠をもはらかぶりたるならん、
其袋〈嵐雪撰、元祿三年刻、〉
菅笠や男若弱(にやけ)たる花の山 百里
當時は、男の菅笠かぶりたるは、似合しからざりし歟、
p.0381 葛笠菅笠の事 菅笠は、天和の末、貞享年間より以前の書に見へざれば、當時〈天和貞享をさす〉より流行しものなるべし、殊更元祿始の頃は、專らになれるにや、櫻陰秘事〈元祿二年印本〉には所々にかぶれる體あり、〈○中略〉菅笠は元祿六年よウ寶永の中頃まで專ら流行す、
p.0382 享保年中如レ此〈○圖略〉笠ヲ作リ出ス、網ノ上ヲ雨ノモラヌヨウニカブセタリ、所々ヲカバニテシメムスビステニス、ノキノ廻リ結ビタリ、大笠也、雨ニ用ユ、〈○中略〉
寶永ヨリ始テ杉形ノスゲ笠犬ニハヤル、武士町人スベテカムル、正德ゴロ上笠出ル、キヌ糸ヌヒ針金トメ、次ハアサ糸ヌヒ也、
p.0382 すげ笠、〈○中略〉當流女用鑑〈四、貞享四年、〉眞野のすが笠かゝへ帶、追風あたりに芬々たり、是なん都女郎云々、其頃より行はれたり、此笠今の殿中に似て頂尖りたり、其後江戸にても、武家町家ともに女の笠これを用、菱川が畫にみゆ、
p.0382 羃䍦
三四十年前、有下帽子上戴二垂簷白莞笠一者上、近來莞笠皆用二平頂一字者一、無レ有二垂簷一、
p.0382 菅笠、昔ハ上總國ヨリ製シ出ス、元祿以來加賀國ヨリ産ス、加賀笠(○○○)ト云、總製ハ粗、賀製ハ精美也、〈○中略〉
古キ伊勢道中ノ唄ニ、大坂ハナレテハヤ玉造リ、笠ヲ買フナラ深江ガ名所云々、河州深江村ニテ專ラ菅笠ヲ製ス、今モ然リ、蓋加賀製ノ多キニハ及バズ、今世モ加賀産美製ニシテ而モ多ク産ス、菅性日本第一トスル也、〈○中略〉
菅笠、蝙蝠形、杉形、雷盆(スリバチ)形、〈○以上圖略〉
今世三都トモ、士民旅行ニハ菅笠ヲ用フ、形種々アリ、或ハ人品ニ應テ用レ之、或ハ隨意用レ之、〈○中略〉花笠〈○中略〉 江月仙王神田ノ祭祀ニハ、警固ノ衆人、各一文字菅ニ摸造花包ヲ付テカムル也、他人 ト混ゼザル標トス、故ニ家主町役人ト雖ドモ、袴ニ一刀ヲ帶テ冠レ之、テコト云鳶ノ者ハ、笠形菅ノ末餘リ散リタル物、〈○中略〉
大坂ノ市中ヲ巡リ、錢ヲ受ル住吉踊リハ願人坊主ト云僧形ノ物貰ヒ也、其所レ用笠、圖〈○圖略〉ノ如ク菅笠ノ周リニ茜木綿ヲ垂テ、前ヲ少ク除ケリ、是前ニ云ル虫ノ垂絹ノ遺意ニ似タリ、
菅笠〈○圖略〉 三都トモ旅行ノ婦女、及ビ田舍ノ婦女、田植其他農事ヲ營等、皆此菅笠ヲ用フ、笠當、美ナルハ、黑天鵞絨等、粗ナルハ淺黃木綿也、トモニ方三四寸ノ綿入角蒲團也、紐ハ白木綿ヲ專トシ、淺木綿モアリ、トモニクケヒモ也、一條ヲ用ヒ前ヲ輪ニナシテ腮ニカケ、兩端ノ方ヲ背ヨリ口ノ下ニ結ブ、兩端背ニテ左右ヲ打違へ、〓如レ此ニシ、耳ノ後ロヨリ前ニ口下ニ結ブ也、
今世モ江戸ノ女大夫ト名付ル、三線ヲ彈キ唄ヒテ市店ヲ巡リ、錢ヲ乞フ非人ノ妻女ドモ之、〈○中略〉彼徒ノミ市中ニモ、四時右ノ菅笠ヲ用フ、紐同製、必淺黃木綿〓紐也、蓋正月元日ヨリ大概半月ノ間ハ、鳥追ト號シ、三線唱歌ヲ異ニス、其時ハ菅笠ヲ用ヒズ、前圖ノ編菅ヲ用ヒ、正月半過ヨリ再ビ菅笠ニ復ス、
p.0383 すげ笠ぶし
やぶれすげがさやんやあ、しめをかきいれて、いのをゝゑい、さらにきもせず、ゑいいさんゝさあややあさんゝさ、すてもをせず、〈○譜略〉
p.0383 伊勢 齋宮菅笠 近江 菅宮菅笠(スゲノミヤノスゲガサ)
p.0383 老たる若き男女、〈○中略〉あふみすげがさをきたるもあり、
p.0383 寄レ物陳レ思
吾妹子之(ワギモコガ)、袖乎憑而(ソデヲタノミテ)、眞野浦之(マヌノウラノ)、小菅之笠乎(コスゲノカサヲ)、不著而來二來有(キズテキニケリ)、
臨照(オシテルヤ)、難波菅笠(ナニハスガガサ/○○○○)、置古之(オキフルシ)、後者誰將著(ノチハタガキム)、笠有魚國(カサナラナクニ)、 三島菅(ミシマスゲ)、未苗在(イマダナヘナリ)、時待者(トキマタバ)、不著也將成(キズヤナリナム)、三島菅笠(ミシマスガガサ/○○○○)、
p.0384 寶治二年百首早苗 常磐井入道太政大臣
あめすぐるますげのをがさかたよりにをたのさをとめさなへとる也
p.0384 貞享ノ比ヨリ三度笠(○○○)トテ、飛脚馬上ニテ子ブリ、落馬シテモ、鼻ヲウタヌヤウニ、深クシタル菅笠、旅人カムル者多シ、享保ノ末ヨリ道中笠ニ定ル、
p.0384 三度笠〈大深トモ云○圖略〉
菅笠ノ一種也、三度飛脚用レ之、故ニ名トス、深クスルコトハ、誤テ落馬スルコトアル時、面部ヲ疵セザル備歟、又ハ四時風ヲ防ヲ要ス歟、此笠貞享中始テ製レ之、文化以前ハ、旅商專ラ用レ之文化以來ハ雷盆形ノ菅笠ヲ用フ、飛脚宰領ハ今モ三度笠ヲ用フ、
p.0384 男笠ノ事、菅笠ヲ元トス、サレドモ張笠、筍笠、古風ナリ、デン中ト云菅笠(○○○○○○○)ヲ用ユ、〈○中略〉
上總ヨリ出ル、デン中ト云菅笠也、伊勢ヨリモ來ル、貞享ヨリハヤル、女モ是ヲ用ユ、元祿迄、女ハ紙ヲ四角ニ折テ、アゴヒモヘアテ口ヲカクス、正德ヨリナシ、武家ハ寶永比マデ有シ、〈○下略〉
p.0384 一文字菅笠(○○○○○)〈一名殿中〉
菅笠ハ、今世モ加賀産ヲ專トス、一文字笠、士民トモニ用レ之ト雖下モ、武家旅行及ビ行列ノ時ニ、士ハ專二用之一トス、大名旅中、若步行ノ時ハ用レ之、他ヲ用フルコト稀也、一文字ニハ、紐必ラズ白晒木綿〓笠枕モ同品也、三都トモニ然リ、
追考、此圖〈○圖略〉ノ如キハ、殿中ト云、一文字形ハ、勾陪ナキ物也、
p.0384 天和比ヨリ、武士熊谷笠ヲ冠ル、〈○中略〉役者古來ハ一文字笠ヲカムル、是ヨリクマガイニナル、〈○下略〉
p.0384 俗ニザンサラ笠ト云(○○○○○○○)、菅笠(○○)ノ一種、〈○圖略〉 驛舍ノ馬士舁夫等、此菅笠ヲ用フ、菅本ノ赤キ下品也、菅末ヲ切ラズ、上ニ出ス、切レ之テカムルモアリ、專ラ不レ切レ之シテ用フル者多シ、
p.0385 菅笠〈○中略〉
檜笠(○○) 出二於和覡吉野一、山人及修驗行者用レ之、
p.0385 一檜笠 ひの木のあじろ笠なるべし〈あじろ笠、古畫にあり、竹もひの木もあるべし、〉
p.0385 笠
ひがさは檜にてつくりて、柄あるかさなり、日笠とこゝろうるはわろし、菅笠のたぐひの名になん、今もこの國〈○備中〉の山里につくりいだすところあり、人のえさせければ、おのれももてり、扇につくるやうにものしたるなり、榮花物語御著裳卷に、おきないとあやしききぬき、やれたるひがささしてとあるを見るべし、
p.0385 堂あるじといふおきな、いとあやしききぬき、やれたるひがささして、ひもときてあしだはきたり、〈○下略〉
p.0385 檜笠、尤古來ヨリ有、和州大峯へ入山伏是ヲカムルコト、古來ヨリ有、雨笠日笠兩用ニス、
p.0385 猫何第二
有明の月はいかにもひくゝして かうやひじりのきたるかさゝぎ
p.0385 是は檜笠の平たき、あじろ織なるべし、
p.0385 紀伊 檜笠(ヒガサ)〈山伏用レ之〉
p.0385 非乃木笠(ヒノキガサ) 非乃木籃(ヒノキカゴ)
右二種、日高郡山地莊龍神村、牟婁郡本宮邊にて製作す、先年は扁(ヒノキ)柏皮を用ふ、今は此邊に多く産するアラハナ〈一名〉カヘデノ木といへる木皮にて製し、扁柏皮を用ひず、
p.0386 大佛殿普請之事
蒲生源左衞門尉郷成、其日ノ裝束ニハ、太布ノ帷子ノ袖裾ヲハヅシ、背ニハ大キナル朱ノ丸ヲ付ケ、小麥藁ノ笠(○○○○○)ニ、サイハイ取テ、石ノ上ニ登リ、木ヤリヲゾシタリケル、
p.0386 シユロ笠(○○○○)、薩摩ヨリ出ル、元祿ノ比、テウホウシタル笠也、出少クカムルモノマレナリ、三年モ五年モ用ヒテ重寶シタリ、シユロノ葉ヲサラシ、三枚四枚合セテ作ル、シユロノ葉ハ間キレテ笠ニ不レ作、是ビンロウジノ葉ナリト云、〈○圖略〉
p.0386 笠ニサマ〴〵ノ和漢名アルコト 薩摩笠は、びりようの葉にて製せり、是琉球の作れる所に習へり、
p.0386 藤笠(○○)フジヲアミテ作ル、元文比藤細工スル人、花生、カマシキ、手拭カケヲ作リ、此笠モ作リタリ、若キ武士、醫者ナド御坊主多クカムリタリ、上方ヨリモ下ル、細工ヨシ、色々モヤウヲオリテ見事ナリ、〈○圖略〉
p.0386 藤笠〈○圖略〉
今世江戸ノ士民、市中徘徊ニハ菅笠ヲ用フル人稀ニテ、トウガサ(○○○○)、〈來舶ノ藤ナリ〉竹笠、網代笠、島笠等ヲ用フ、又近年葛籠笠モ用フ、藤ハ來舶也、割二削之一テ皮ヲ用ヒ、或ハ身ヲモ削リテ笠ニ造ル、弘、化中ヨリ京坂モ專二用之一シテ、竹ノ網代笠等廢ス、竹笠ハ、天保初ニ、駿州ヨリ始テ造リ出シ、江戸ニテ用レ之、今ハ藤竹トモニ江戸ニテ造レ之、竹笠出テ、次ニ藤笠ヲ造リ行ル、蓋藤竹網代等、中民以上ノ用トス、小民モ戸主等ハ用レ之、賤業、庸夫、奴僕、丁兒等ハ不レ用レ之、〈○中略〉藤ガサ竹笠、編法ハ、京坂ニ云、〓、江戸ニ云笊ト同キ也、〈○中略〉
京坂ハ藤笠ヲ用フレドモ、近年ノコトニテ、江戸ヨリ流布十年許リ後レ遲キ也、
右ノ笠、〈○藤笠竹笠〉賤者ノ用ニ非ズト雖ドモ、唯江戸ノ履物損ヲ補フ非人ノ、俗ニデイ〳〵ト號ル者 ノミ、必ラズ手拭ニテ頰カムリノ上、此笠ノ極テ古ク煤ビタル者ヲ用ヒ、他笠ヲ用ヒズ、京師ハ彼輩編笠、大坂ハ無笠也、
p.0387 一駿河田中御逗留の間に、織田信長より、佐々權左衞門使者にて御音信、からのかしら二十、毛氈三百枚、猩々緋の笠(○○○○○)、是は四年さき、公方靈陽院殿都へ御供仕、征夷將軍に備奉りたる、弓矢に緣起のよき笠にて候と、信長申されて、信玄へ送被レ遣之、信長使者居候處にて、土屋平八郎に其笠を被レ下、信長に武篇あやかれと、信玄公被レ仰也、
p.0387 東照宮仰に、物具の美麗なるは無益の事なり、又重くするも益なし、〈○中略〉下部は薄き鐵の笠(○○○)を著せたるぞよき、急なる時は飯をも炊ぐべしとぞ、
p.0387 三年一請雜物
朝使已下女孺已上座料、〈○中略〉帖笠(○○)九十八枚、〈(中略)帖笠九十八枚、輿長已下料、請二内藏寮一、〉
p.0387 交易雜物
太宰府〈(中略)藺帖笠百卅蓋〉
p.0387 編笠(○○)
p.0387 あみがさ 編笠の義、もとは菅笠、藺笠などの通名なりしにや、全浙兵制には箬帽を譯せり、
p.0387 編笠 藺を以て是をつくるなり、苧田世忍笠、熊谷笠あり、
p.0387 編笠
あみ笠は菅或藺などをもてあみたるをいふのみ、但延喜式にいはゆる帖笠も、編笠も寤なじものならんとおもはる、然れば編笠はいと古き物なり、
p.0387 〓笠(みあがさ) 俗云阿美加左 〓卽臺字 三才圖會云、〓笠、〓夫須也、卽莎草也、古注謂、以二夫須皮一爲レ笠、所二以禦レ暑禦一レ雨、
按〈〓卽臺字、莎草卽香附子之屬、〉今編二莞草一作レ之、不レ用二竹骨一、呼曰二編笠一、以可レ禦レ暑、延喜式云、和泉國調藺笠四十六枚、〈今泉州松村所レ作編笠、其遺風也、〉
p.0388 慶長の頃の風を、古畫ども見て考ふるに、〈○中略〉編笠は扁たきも長きもさま〴〵みゆ、
p.0388 古來ハ男女トモニ編笠ヲカムリタリ、元文迄餘風アリ、延寶天和ヨリ上方下リ笠アツテ、是ヨリ平カサヲカムリタリ、
古來ヨリ是ヲカムル、女ノアミ笠、紅絹或ハ淺ギノヒモ引通シテカムル、一文字ト云、延寶ノ比迄イヌキ笠(○○○○)也、
男ハイヌキノ深キ笠、折方ニシテカムル、男伊達風ナリ、平人ハ折方ナシ、其儘カムル、
小アミ笠、ホウヅキウリ、風車ウリノ子供笠也、鎗持奴ハカムルコトモアリシ、
p.0388 女の編笠 塗笠
天和、貞享、元祿の比の女の編笠の形は、寬文延寶の比とは、いたく變れるを見るべし、當時此あみ笠をかぶりたるは、おほくはふり袖の少女也、菱川の繪にあまた見えたり、ゆゑにこれを小女郎手(○○○○)といひて、男子もかぶれり、又一文字といへるは、形によれる名也、まへさがりにかづきて、面の見えざるやうにするを、すべて伏編笠(○○○)といへり、
p.0388 手網笠
慶安二年十二月廿六日、大御番へ被二召出一、三ケ年無足にて、手網笠にて可二相勤一旨、御老中御列座、阿部豐後守殿被二仰渡一候、右は平賀式部少輔家、幷外にもみゆ、手網笠といふは、手にあみ笠を持て成とも可レ勤との事成べし、
p.0389 寶曆八寅年十月 三奉行〈江〉
總州小金一月寺、武州靑梅鈴法寺門弟共相用候深編笠(○○○)在レ之ニ而、商賣仕候者共、以來兩寺又は國國其向寄ニ而、右末派之寺院ゟ印鑑請取置、合印持參不レ致候はゞ、虚無僧幷商人たり共、堅賣不レ申候樣可レ致旨、御料は御代官、私領は領主地頭ゟ可二申渡一候、
右之通、可レ被二相觸一候、
十月
p.0389 一條院御時、〈○中略〉たゞのひたゝれに、上下にあみがさきたるのぼり人、馬よりおりて、〈○下略〉
p.0389 佐々木取レ馬下向事
世ニナキ身ナレバ、馬モナキ次第、脛巾ニ編笠ヲ著、腰ノ刀ニ太刀カヅキテ、京ヲバ未明ニ出タレ共、〈○下略〉
p.0389 關東よりくわんじゆばうをめさるゝ事
去年十二月廿四日の夜打更て、日頃は千き万きを引ぐしてこそおはしまし候に、侍一人をだにぐせず、腹卷計に太刀はきて、あみ笠といふ物うちき、萬事をたのむとておはしたりしかば、いにしへ見ずしらぬ人成共、いかでか一度の慈悲をたれざらん、
p.0389 五大院右衞門宗繁賺二相摸太郎一事
相摸太郎〈○北條邦時〉ゲニモト身ノ置所ナクテ、五月〈○元弘三年〉廿七日ノ夜半計ニ忍テ鎌倉ヲ落給フ〈○中略〉怪シゲナル中間一人ニ太刀持セテ、傳馬ニダニモ乗ラデ破タル草鞋ニ編笠著テ、ソコ共不レ知、泣々伊豆ノ御山ヲ尋テ、足ニ任テ行給ヒケル、
p.0389 七兵衞〈○伊東〉尾州二本木ノ戰ヒニ事急ニシテ、甲冑ヲ著ル間ナク、有合セノアミ笠 ヲカムリ出テ、一番鎗ヲ合セ、手柄ヲシタリ、信長大ニ賞美サレタリ、是ヨリ人皆異名シテ、編笠七兵衞ト云、後年秀吉公ニ仕へ、度々軍功有テ、旗奉行トナル、
p.0390 まづこの馬場にさしかゝりて、小袖の衣裏裙の亂れをつくろひ、〈○中略〉あみ笠引こみて們に立入る、又は鍛冶やのやしなひにて、摺箔やの年功の弟子など、そめ物屋の生子殿をそゝのかし、〈○中略〉あみがさのしたに、はながみをはさみてふくめんとし、しどろなるはな歌をうたひて、のさばり行く、
p.0390 編笠の下に紙のふくめんしたる古畫あり、是等は手輕きを風流とせしなるべし、〈○中略〉誰身の上三深きあみ笠引かぶり、はな紙折て顏にあて、日々にあげやとやらむへかよふ云々、
p.0390 欲の世中に是は又
室は西國第一の湊、〈○中略〉此所は十三日限に萬世のやかましき事をも互にすまして、盆の有樣を見せて、男は小さき編笠(○○○○○)を被き、女は投頭巾に大小をさすもありて、女郎まじりの大踊、〈○下略〉
p.0390 庵さがせば思ひ草
法師の紋附の羽織、大編笠(○○○)の被振(かつきぶり)、目に立つ風情ありて見るに、〈○下略〉
p.0390 只取るものは澤桔梗、銀で取るものは傾城、
渡世の種もなければ、深編笠に大脇指、日頃拔上げたる額口、今似せ牢人の爲となり、〈○下略〉
p.0390 雪踏直しは、編笠を著て、ぬりたる箱を荷(かつ)ぎ、なをし〳〵とよびありく、形も小ぎれゐなり、乞丐人とは見へず、
p.0390 あみ笠、人めを忍ぶによければ、いつの程よりか、遊所にかよふ者に、其あたりの茶屋にて是を借す、其家々の目印に燒印を押す、これを燒印の編笠(○○○○○)といふ、〈○中略〉後日男〈二〉ほそをの わら草り、燒印のあみ笠ふがくかぶり、〈○中略〉戀の手習〈三〉きねば叶はぬやき印の、かしあみがさのかさなりて、うき世花がさ、かゝがさに、〈○下略〉
p.0391 十二符わけの編笠(○○○○○○○○)
十二符の編笠、〈符はあむことなり、〉編目の十二あるをいふ也、まひのそうし、たかだちに、鈴木の三郎しげ家、山伏となりて奧州へくだる事をいへる條に、奧州の衣川、高館の御所に著にけり、鈴木何とか思ひけん、おひすゞかけをばかたはらにとりかくし、おひのなかよりもうちかけとりいだしてきるまゝに、十二ふかけたる編笠をふか〴〵と引こうで云々とあり、編笠十符を度とするゆゑに、十二符はふかあみなり、ふか〴〵と引こうでとあるにてしるべし、まひのさうしは、室町家の頃つくりしものなれば、ふるくより十符の編笠(○○○○○)の名ありしゆゑに、十二符かけたるとは理るなるべし、さて十符の編笠といふ事、さうしにも俳諧の句にもいまだ見いでず、向の岡〈延寶八年印本不卜撰〉おもじとおれおもはくの橋わたらばや、不卜、勘當忍ぶ菅笠の十符、才丸、菅笠にも十符の名ありしか、又談林俳諧の詞にて編笠にある名を菅笠におほせし句歟鷹つくば〈寬文十五〉雪ふりの編笠なれや富士の山、道節、今樣曾我〈元祿年間印本〉といふさうしに、野夫編笠(○○○○)をかぶりて吉原へかよふ事見えたり、案に野夫は假字にて八符なるべし、編目の八ツあるをいひ、前の洞房語園に、八所緘は淺しとある是なるべし、十符は原よりの度なれば、理〈ル〉におよばず、ふかきものを十二符といひ、あさきものを八符〈前にいふごとく符は編めることにて、緘といふもおなじ、〉といふにやあらん、
因に云、すべて符るものを十符を度とするは、編笠にはかぎるべからず、十符のすがこもの歌は、夫木抄文字ぐさり等にあり、舞のさうし、ふしみときばに、十符のうらなしあり、〈うらなしは草履なり、〉あめわかみ子のさうしに、とふの枕とあるも、菅枕の類にてあめる小枕なるべし、
p.0391 編笠〈○圖略〉 江戸ニテハ、市民送葬ノ時、施主ト稱ス一門類族ノ者ハ、葬家ヨリ菩堤寺ニ至ルノ間、此編笠ヲ用フ、白コキ元結ヲ紐ニ用フ、極テ粗製ノ笠也、歸路ニハ、多ク略シテ笠ヲカムラズ、
京坂ハ送葬ニモ笠ヲ用ヒズ、極テ稀ニ歸路ニ此編笠ヲカムル家アレドモ、甚稀也、江、戸女太夫ハ、正月中旬以前、此編笠ヲ用フ淺黃木綿紐ヲ表ニ通シ用フ、送葬ノ笠ヨリハ精製也、〈○中略〉
八ツ折編笠(○○○○○)〈○圖略〉
此編笠、京坂ニ所レ無也、
江戸行人多キ路傍ニ彳ミ、イロハ歌、或ハ時樣ノ童謠ノ小册ヲ讀ミ唄ヒ賣ルノ徒アリ、號テ讀賣ト云、〈ヨミウリ〉其輩用レ之、京坂ノヨミウリハ、手巾大盡カムリ也、又江戸ノ小兒ノ弄物ニ、細長キ割竹ノ頭ニ蝶蜻蛉等ヲツケ、テウ〳〵モトマレ、トンボモトマレト呼ビ賣ル者モ用レ之、トモニ困民ノ業ナリ、〈○中略〉
編笠ノ一種〈○圖略〉
江戸ノ車力等、身ヲ動スコトノ繁キ徒ハ、此編笠ヲ用フ、藺製無骨ナリ、藺ノ餘リヲキラズ折反ス、麁製ナリ、〈○中略〉
編笠ノ一種〈○圖略〉
天保府命ノ時、芝居(江戸)俳優ノ戸ヲ出ル時ハ、必ズ此編笠ヲカムラセテ以テ正民ニ別ツ、雨中ニハ傘ヲ指テモ此笠ヲ携ヘシム、天保府命以前ハ無二此事一也、又近年制弛ミテ不レ携レ之ナリ、天保以前モ、京坂女形俳優ハ、往來ノ時、前圖浪人ノ用フル編笠ヲ著セリ、又享保ノ古畫エモ有レ之、形常ノ編笠也、
p.0392 寬文の比、板坂と云笠、延寶の比、〈○中略〉八分ぞりはやり、天和貞享の比、編笠次第に止、
p.0392 元祿中 編笠〈○圖略〉
天和ノ編笠ヨリハ淺シ 此編笠ヲ八分反リト云、此笠江戸ニアリテ京坂不レ用レ之、
p.0393 都の富士
西鶴大鑑〈○男色大鑑〉にえい山のちごの事をいふ條に、都の富士といふ時(ハヤリ)花での大あみ笠をかづきとあり、たれ〳〵も知る如く、えい山を都の富士といへり、是等も其形によりての名なるべし、
p.0393 梅の匂ひ吹き渡る大橋
平家の二番ばへ宗盛といへる本の大盡、〈○中略〉朧富士といふ大編笠豐に著て、〈○下略〉
p.0393 朧富士〈考べし〉
役者色仕組〈享保五年印本〉に、十七八の大振袖、紫の絹ちゞみに紅(モミ)の袖べり筋びろうどのはやり結び、朧富士の編笠ふかく大小のさしぶり、たしかに女と知られたり、これは女の男に出だちたる條に見えたり、娘形氣、女の身にて我女の姿をきちひ、筓曲(イケ)の髮を切て二ツ折に髩(ツト)出して、若衆めきたるたてかけにゆはせ、不斷の風俗も裾みじかに裏をふかせ、八反掛の羽織に金ごしらへの中脇指、おぼろ富士といふ大あみ笠きて云々、これはちかきさうしにて、當時の風俗を記しゝにはあらず、貞享元祿の頃もつはら編笠のおこなはれしむかしの事をいへるなり、さて是等の笠の名俳諧の句には見えざれども、其角五元集、富士、笠取よ富士の霧笠時雨笠、といふ吟あり、是は富士の旬にて笠の句にはあらざれど、霧や時雨のふりかゝりて、富士の姿のたしかに見えざれば、笠をかぶりて顏の見えわかぬ人に譬へ、笠をとれよといひかけたるにて、是も朧富士、都富士、富士おろしなどいふ笠の名ありしゆゑに、富士の霧を笠におもひよせしならんと書のせておきつ、
p.0393 富士おろし
富士おろしは、編笠の名なり、其形富士に似たるゆゑの名なるべし、西鶴大鑑〈貞享四年印本〉年の頃廿四五と見えたる人、富士おろしといふ大編笠をぬげば、紫の手細にて頰かぶりして顏は見せざりきとあり、〈○中略〉落花集、〈寬文十一年以仙撰〉雪やつれて江戸風になる富士颪、重賴、
p.0394 玉緣の一文字といへるは、丸き紙を中より二ツに折たるやうに、頂の一文字になりたるなり、
p.0394 玉緣
玉緣といふは、さまで深からぬ編笠なり、笠の緣を見事に組たるよりの名なりとも、又革にて玉ぶちをとりたるよりの名なりとも聞り、いづれが是か、吉原つれ〴〵草矢墜、〈延寶二年印本〉三谷通する者の事をいへる條に、くらゐ高くやんごとなき人、みづからいやしきふりにしなして、人にあはじとこも笠にしのばるゝこそおもしろからめ云々、同書注こも笠こもそうの笠なり、昔はかやうのものまで、今とはかはり、玉ぶち一もんじとて、すぐなるをかぶり、たゝみたるはこもそう笠とてきらへるが、此ごろはこれをもつはらにするなりとあり、〈○中略〉俳諧桃の實〈元祿六年印本〉撰者冗峯が詞に、玉ぶちの笠きたるは、今の世に乞食女ならではなし、元祿に廢れし證、〈○中略〉洞房語園に、玉緣一文字今はまれなりとあれば、此笠は熊谷笠よりは前に廢りしなるべし、
p.0394 萬治の比、江戸中かつぎやむ、酉年〈○明曆三年〉大火事以後、女步行してありく時、ふくめんの土に、玉ぶちと云編笠をかぶりし、御旗本中何もかぶる、
p.0394 勝山、丹後殿前風呂屋に居しときも、すぐれてはやりたる女なり、寬永の頃はやりし女、かぶきの眞似などして、玉ぶちの編笠に、裏付のはかま、木太刀の大小をさし、小唄うたひ、せりふなどいふ、其立振舞見事にて、風體至てゆゝ敷見へしと也、
p.0394
小部屋の別れおしむ妻藏 雪柴
玉緣(ぶち)の笠につらぬく泪しれ 卜尺
p.0394 〓笠(あみがさ)〈○中略〉 按、〈○中略〉今多出二於勢州多氣郡一者、莞草全用編レ之細密、因稱二目狹(メセキ/○○)一、
p.0395 女の編笠 塗笠
編目の細密なるを目狹と稱す、いはゆる伊勢編笠(○○○○)なり、
p.0395 老たる若き男女、伊勢あみがさ、あふみすげがさをきたるもあり、
p.0395 四條河原
見物の男女、老たる若き、あるひははたのそりたる伊勢あみがさをかぶり、かとりのうすもの身にまとふもあり、
p.0395 第九 初冬落葉
二階の月に狂ひやむ袖
破れより露もる著笠目せきがさ
p.0395 全盛歌書羽織
男は本奧島のはやりで、女郎も衣裝つき洒落て、墨繪に源氏紋斷もちひさくならべて、袖口も黑く、裾も山路も取るぞかし、それまでは目關笠、畦(うね)足袋に紅の絎紐、今の素足に見合せ、笑しき事もあつて過ぎ侍る、〈○下略〉
p.0395 目關笠、極上製價金一分二朱バカリ、
p.0395 〓笠(あみがさ)〈○中略〉
按、〈○中略〉出二江州愛智郡一者、莞拔二去燈心一用二空皮一編レ之、其笠深大者名二熊谷笠一、
p.0395 延寶の比、熊谷笠こもそう抔はやり、〈○下略〉
p.0395 天和比ヨリ、武士熊谷笠ヲ冠ル、引通シヒモ白シ、役者古來ハ一文字笠ヲカムル、是ヨリクマガイニナル、享保年中ヨリ丸キ儘ニテカムル、醫師武士計リナリ、町人ハ不レ用、
p.0396 薦僧笠と云は、熊谷笠なり、〈今の薦僧笠に、いと近きより也、〉後日男、こも僧の出立をいひて、熊谷笠とあり、又洞房語園に、熊谷笠八所とぢ、〈八所とぢといふも、こも僧の著たりと見ゆ、〉昔々物語の熊谷笠こも僧笠と幷べ云るは是なるべし、吉原大枕に、深きもの熊谷笠とあり、此笠深しといへども、今のこも僧がきるやうなる物にあらず、其磧が賢女心化粧〈四〉俄に尺八をけいこして云々、摺鉢をみるやうな編笠をとゝのへといへり、其形おもふべし、我衣に、薦僧の笠、享保より小ぶりにて深く作ると云り、此説非なり、寬延ころの江戸繪に、こも僧を風流に書たるに、美服きたれども、笠いま浪人物もらひの著る、前の處に物見の穴あきたる笠にて、形も裾廣なり、今のこも僧笠小ぶりにて、上下廣狹なく、深く莟みたる笠は、寶曆明和の末の頃の晝よりみえたり、
p.0396 熊谷笠
くまがへ笠は深き編笠なり、江戸に多し、三谷へ通ふ武士の奉公人好みて是を著せり、江戸にても町人はさまで著せず、上方筋にもまれ〳〵に是を好む者あり、六法むきにはさもあるべけれど、先姿野卑にして、人の目に立事甚し、よく似あひたるは普化僧のみなり、必是を著すべし、小あうもりの淨瑠璃に、熊谷の木偶が此笠をかぶりしよりの名か、其名義不レ詳、〈此説非也、武州くまがへにて作る名なり、○中略〉四季咄〈貞享年間印本〉に熊谷の中笠といふ事見えたるは、熊谷笠のうちには、形のちひさき方をいふなるべし、人倫訓蒙圖彙〈元祿三年印本〉六の卷に、〈○中略〉當世忍笠熊谷笠ありと記したれば、元祿の頃までは、まれ〳〵には、かぶるものもありしなるべし、
p.0396 天和中 編笠〈○圖略〉
是乃熊谷笠也、延寶、天和、貞享專ラ流布、蓋少女ノミ用レ之、中年以上ノ女不レ用レ之、又江戸ノミ用レ之、京坂ハ少女モ不レ用レ之也、江月ニテ少女ノ用フル專トス、故ニ小女郎手ト云、
p.0396 待乳山、〈○中略〉此山の風景言語に及びがたし、彼土手通ひする二挺立の船は、淺草川よ り新鳥越の橋へ漕入る、鹽のなき時は橋より手前からおりて、山の麓を步行にて行く、山の茶屋から知る人の見ることもやとて、熊谷笠をふせてかぶり、〈○下略〉
p.0397 日本堤謠
明曆丁酉の年、〈○三年〉元の吉原を此所にうつされて新吉原といふ、〈○中略〉熊谷笠は深く、八所緘は淺し、いづれも面を覆ふが中に、額際揉あげの髭自慢に、屹として素顔なるもありけり、
p.0397 網代笠、古來ヨリアリ、竹ヲアミタルナリ、但澀ニテハキ漆ニテ止メタルモアリ、大方白ナリ、僧ノカムルモノナリ、天和ノ比ヨリ上方ヨリ下ルナリ、
網代バリトテ、フチヲ反(ソラ)シタル笠ナリ、杉形ヲリ二三年オソシ、御小身衆馬上ミナ是ナリ、御納戸衆御扈從衆多シ、皆赤ヌリ、延享ヨリ陪臣モコレヲ用ユ、
p.0397 竹網代笠(○○○○)〈○圖略〉
古來僧尼用レ之、澀ヌリ漆止メアリト雖ドモ、素ヲ專用トス、〈或書曰、天和以來、大坂ヨリ漕シ來ル物多シト也、〉三都トモニ僧尼用レ之也、此形僧尼ノミナリシガ、嘉永五六年ヨリ葛笠、藺ガラ笠ニテ此形ヲ造リ、風流ノ徒用レ之、
p.0397 綾藺笠(○○○)
p.0397 あやゐがさ 綾藺笠と書り、文あるをいふ、今の熊谷がさの類、山伏の笠にもいへり、
p.0397 藺笠は、〈○中略〉藺は和名抄にゐと訓り、疊の表に織る草なり、これを編作る故、綾ゐ笠といふ、
p.0397 臺笠〈(中略)いにしへは、綾藺笠とて、檜又藺にて作る事、古畫に見へたり、是龜行列に持せらるゝは、御三家方、西山御參詣と、東本願寺御門跡御登城の時に限るよし也、〉
p.0397 綾藺笠狩場笠の事 もろ〳〵の笠の中に、綾藺笠のごとくたはやかなるはなし、されば弓射るにもさはらず、まして馬など走て射るには、笠の右のふちひるがへりて、弓の弦つゆさはらず、さればこそ流鏑馬にはかならずこれを用ゆ也、昔の武士は常に心用意深くて、〈○中略〉旅はさらなり、かゝる道のほどあるには、此あやゐ笠を著たるべし、此笠もはら雨よくる料にはあらで、日をさくる料なり、久しく日にてらさるれば、目かすみなどして、弓なども射にくければ也、〈石山の緣記の繪には、雪うすくつもりて、今もやゝふるさましたるに、綾藺笠著たるをかきたれば、堪んぼどは是を著てやありけん、されどいたく雨ふらんには著つべうもあらず、○中略〉且前九年、後三年などの繪にも、たゝかひの場に、此笠を用ひたるを所々にかきたる、〈○中略〉さて古き繪に此笠をかきたるをみれば、姿種々なり、是は今の菅笠なども、人のこのみによりて、すがたさま〴〵なるがごとし、
p.0398 一あやゐ笠の事 或は麥わらにて作り、或は藤にて作り、或は檜のうす板にて組て作る、いづれも本式あらざる歟、按るに、古書今昔物語などに綾藺笠とあり、又あやゐがさとあり、藺は疊の衣に織る草也、ゐの字は藺の假名也、後三年合戰の繪に、あやゐ笠をもへぎ色に彩色したり、藺の色靑きゆへなるべし、又文安御卽位調度の圖には、色うす黃に少し赤みある色に色どりたり、是はびりやうの葉にて、笠の上を葺るなれば、びりやうの葉のかれたる色也、あやゐ笠のふるき圖は、右の御卽位の圖をもつて正とすべし、其圖左のごとし、〈○圖略〉又按、笠の大サは、徑一尺二寸計もあるべきか、〈○圖略〉後三年の繪に見えたるは小ク見へたり、〈人形ノ大サをもつて大小をいぶ也〉又笠のうへのつのは、あまりふとくは有べからず、冠の巾子ほどもあるべし、古の人は頂の上に髻を置候故、もとゞりを入んが爲に巾子あり、笠にももとゞりを入べき爲に、つのを立たり、後三年の繪に、つのを紐にてゆひし形見へたり、是つのゝ上より髻をむすびて、笠を留めをくべき爲なるべし、然ればツノはふとくつくるまじき也、田樂法師の笠にはツノなし、今も祭の田樂笠にはツノなし、田樂笠には風袋あり、是は舞をどるにひらめきて、風流あらしめんが爲に、風袋を付たる べし、今田舍などにて、やぶさめ射る笠に風袋あるは、又後三年の繪のツノを結びし紐の、あまりの垂れたるにかたどるなるべし、本とは風袋はあるまじきにや、又云、あやゐ笠は、古へは常に用ひし日でり笠にて、雜具也、古き物語を見て知るべし、今は絶たる物なれば、珍らしき物には成たり、さればさのみ寸尺法式などはなき物也、藺にてあみ其形古の繪に似たらんは、古にかはらぬ綾藺笠なるべし、むつかしく秘傳などいふ事はあるまじき事也、
p.0399 平維茂罰二藤原諸任一語第五
我〈○平維茂〉ハ紺ノ襖ニ欺冬ノ衣ヲ著テ、夏毛ノ行騰ヲ履綾藺笠ヲ著テ、〈○下略〉
p.0399 東人通二花山院御門一語第卅七
今昔、東ノ人否不レ知ズシテ、花山院ノ御門ヲ馬ニ乘乍ラ渡ニケリ、〈○中略〉院ハ寢殿ノ南面ノ御簾ノ内ニテ御覽ジケルニ、年卅餘許ノ男ノ鬚黑ク鬢クキ吉キガ、顔少シ面長ニテ色白クテ、形チ月々シク、綾藺笠ヲモ著セ乍ラ有ルニ、〈○下略〉
p.0399 攝津國來小屋寺盜レ鐘語第十七
今昔、攝津ノ國ノ郡ニ小屋寺ト云フ寺有リ、〈○中略〉年卅許ナル男二人、〈○中略〉大キナル刀現ニ差シテ、綾藺笠頸ニ懸テ、下衆ナレドモ月々シク輕ビヤカナル出來ヌ、
p.0399 すぎしころ、資朝も山伏のまねして、柿の衣にあやは〈○は一本作レゐ〉笠といふ物きて、あづまのかたへ、忍びてくだれりしは、すこしはあやしかりし事也、
p.0399 一やぶさめの繪の事 笠の事、古代は常に日でりに著たるあやの笠を用たり、享保の頃、やぶさめ御再興の時、あやの笠の事詳ならずして、南都興福寺の寶藏正倉院へ御尋の時、ふかき田樂笠を上げたりし、此笠ヲ用させられて、やぶさめ御張行ありし、その笠はくゞなはを骨にして、むぎわらをあみつけたる物也、
p.0400 南都東大寺八幡宮の神庫に納むる所の綾藺笠(あやゐかさ)といへるあり、是はいにしへ天平勝寶二年より天文八年の頃まで轉轄會といへる祭禮行われし時、渡御の節に用ひし物とぞ、其形最古雅にして藺を以て作り、麥藁にて上を裝ひ、紅白の絹、紅紫の革等を以て飾り、裏は藍染の布をはり、紐も同じき布を用ひ、枕を付ず、是は烏帽子などの上にも著たるものなる故とぞ、〈○下略〉
p.0400 菅笠〈○中略〉
葛籠笠(○○○) 出二於江州水口一、以上二品、〈○塗笠、葛籠笠、〉婦女以禦レ暑、
p.0400 萌曆比ヨリツヾラ笠出タリ、若キ女カムル、紐紅淺ギナリ、タメニヌリ内黑ヌリニシタルハ老女カムル、元祿ノ比、幸新九郎妻、御免ノ淺ギシラベ、家、ノモノニシテ笠ヒモニシタルコトアリ、外ニ不レ見、ツヾラ笠ナリ、
p.0400 つゞら笠、〈○中略〉風流旅日記三水口の條、一むかし已前はやりしつゞら笠、今は見苦し云々、此所今もつゞら細工名物なり、貞享四年かくいへれば、延寶四年ごろ流行しなるべし、西鶴榮雅咄に、浮世つゞら笠と、當世風をいへるは天和頃なるべし、此つゞら笠を女のきること、貞享年中より廢れて、後安永天明のころ又はやりて、寬政中廢れたり、
p.0400 葛籠笠〈○圖略〉
葛籠笠モ形島笠ト同キ物多ク、又他ノ形モアリ、皆白ニテ用レ之、今嘉永ニ至テ、初テ江戸男子用レ之、古ハ女用、今ハ男用トナル、京坂ハ不レ用レ之、江月モ特ニ風流ヲ好ム男子用レ之也、價銀二十目許リ、上製也、江州水口驛ヨリ製シテ漕レ之レドモ、精製ナルガ故ニ、彼地ニモ多ク造レ之ノ工稀也、
p.0400 目に三月
言筋の白き事、木地の葛籠笠に、白き紐を上に結ばず、〈○中略〉是は何人ぞと聞く、さる御所方の御女﨟樣達、〈○中略〉毎日の御遊山、かはりたる御物好と語る、
p.0401 近江 葛籠笠(ツヾラガサ)
p.0401 二王門の綱
面白おかしき法師、〈○中略〉名は伴山と呼べど僧にもあらず、俗にも見えず、〈○中略〉草鞋に石高なる京の道を踏出しに、更に張笠(○○)の上に音なして、降り續きたる五月雨、〈○下略〉
p.0401 菅笠〈○中略〉
塗笠(○○) 用二薄片板一紙張レ之、漆黑色、出二於京師及大坂一、
p.0401 眞鍮鋲ヲ打、慶長前ヨリ經木ヲ以テ作ル、上紙ヲ澀張ニシテ、タメニ塗テ、上方ヨリ下ル、僧ノ笠也、道心者ハ不レ許二冠事一、〈○圖略〉
元文元年ヨリ經木笠ヲ杉形ニ作ル、平人ノ冠リモノトス、澀張塗止メ、兩面ニシテキレイナリ、タメヌリ、黑、靑シツ、或黃アリ、上方ヨリ來ル、同時ニ上方ヨリ網代ノ杉ナリ、白地多ク、又赤ク澀ニテハキ、ウルシドメ、平人力厶ル、〈○圖略〉
前ニ云經木ノヌリ笠、寬永時代若キ女カムル、万治以來老母計リカムル、小兒笠ハ小ブリニシテ、内ニ菊、ボタン、梅、椿、水仙、キヽヤウ、カキツバタ等ノ摸樣、彩色ニカキタリ、子供笠ハ、紅淺ギノヒモ引トヲシ上ニテ結ブ、寬永ノ比、若女ノカムリシ時ハ引通シタリ、
p.0401 女の編笠 塗笠
婦女の編笠塗笠をかぶりしは、いと古きことなり、古き繪卷などにあまた見えたり、近古も女は面をあらはすを恥とし、道を行に深き笠を戴き、又は覆面などしたり、賤の女も面をあらはにしてありきしはまれなり、寬文の比までは、女の編笠塗笠いと深くて、少しも面をあらはす事なし、寬文二年の印本、江戸名所記などの繪を見ても考へおもふべし、〈○中略〉貞享の比より塗笠はやゝすたれる歟、〈○中略〉 俳諧日本國〈元祿十六年印本〉 〈附合の句〉丸盆に塗笠きせるきらず買 〈堺〉友重
是等も當時塗笠のおとろへたる一證也、松の葉〈元祿十六年印本〉ぬり笠といへる端歌に、おかた、ぬり笠、七ねんはやい、すげ笠にかへておめしやれさ、あふみの笠は、いよこの、さいたさ、なりはようて、びやくらいきようでさ、〈これ當時のぬり笠は、老女のかぶる物になりて、若き女は菅笠をもはらにかぶりたる一證也、〉
p.0402 塗笠あみがさの事
寬文の末、延寶のはじめ頃までは、塗笠編笠を專ら著たり、延寶中頃より木地の葛笠といへるもの流行し故、此二品はすたりしなり、〈○中略〉尾花〈元祿四年なること前にいへり〉一之卷に、今日は殊さら長閑にて、祇園より知恩院まで、貴賤布引の男も女も思ひ〳〵に出立、去年の花の頃までは、〈○註略〉女のぶんは見るも〳〵皆菅笠にてありしが、物は昔にもどるものかな、廿人の内四五人はさながら昔のなりにはあらねど、かる〴〵としたる塗笠、このぶんは、人の女房にも娘にも、ひと風俗をかまゆるはかくの如し、今日に菅笠にてかへらさるゝは、古當なる親仁持たる人は、小屋小屋町の口のさがなきに、せんかたなくて著てありくとみえたり云々、〈元祿四年かくいへば、菅笠はしばし計流行て、又塗笠にもどりしなるべし、畫どもにもさおぼゆる證あり、〉俳諧塗笠〈元祿十年印本〉序に、櫻かざして春の氣色を花葉にむすべば、玄々妙々たり、徒然の折ふし書集て塗笠となりけるは、今の世のはやり物、風姿のしほらしきに見くらべて云々、〈と識して、淺塗笠をいたゞきたる圖を出せり、いよ〳〵流行せしを見るべし、○中略〉さてむかしの塗笠には、金入紙、またはさま〴〵の繪やうかきたるものを、裏にはりし事ときこゆ、
p.0402 塗がさ、〈○中略〉猿樂には男女ともに塗笠を用、また追分繪の藤花持たる女塗笠をきたり、古き體と見ゆ、〈○中略〉松の落葉、〈源五兵衞踊〉ずんとくぼんだぬり笠云々、又〈傘踊〉聟殿は夏くべいとて、夏は何をみやげに、ずんとくぼんだぬり笠めそなり〳〵、いつそとがり笠、ほそり笠とあり、今のすげ笠のやうにて、中のくぼみたる塗笠に、紅紐を上に通して結びたる女笠、享保二年花見の 繪に見ゆ、然れ共右の小歌は、元祿中うたへるにて、其頃より行はれしなり、
p.0403 塗笠
裏繪又塗笠のうらを、鳥の子、まにあひやうの紙にて張、花鳥の類をゑがきたるものあり、俳諧根無草〈寶永元年印、長角撰、〉何やかの物好キとりまぜたるこそいとまめやかなれ、或塗笠に内繪かきたる摸樣かゞ笠の内を、緋縮緬にて張り、淺黃羽二重のふと緖、大橋〈元祿八年印本、正武撰、〉夕月にさても祇園の旅、詣、調夕、繪さへなつかし塗笠のうら、如泉、水飛羅免〈元祿十一年印本、艷士撰、〉茗荷谷下りて曲〈ツ〉て藤の棚、白絲、花を彩るぬり笠のうら、木巵、春や昔印籠さげた女あり、蓬雨土佐節の淨瑠璃和歌姫道行、對の花籠しほらしき、四季おり〳〵の作り花、内繪のぬり笠ふか〴〵と其とりなりもみよし野の、よし野のお山を雪かと見れば、雪にはあらで、花のふゞきと詠じけん、しがの山越朝あらし、
p.0403 塗笠〈○圖略〉
江戸ニテ士民トモニ大風雨等ノ時傘ヲ用ヒ難キ日ハ、身ニ蓑或ハ桐油紙合羽ヲ著テ、此ヌリ笠ヲ用フ、馬上ニモ著レ之、京坂ハ士民トモニ更ニ不レ用レ之、又塗笠形ハ異ナレドモ、昔ハ婦女ノ用トス、今世ハ江戸モ女子ハ更ニ不レ用レ之、
p.0403 乍二無心之儀一、摺箔小袖、〈○中略〉塗笠、〈○中略〉躍衆之裝束、不レ殘可レ被二恩借一候、
p.0403
禪尼の分ける苔の細道 一朝
ぬり笠に松のあらしやめぐるらん 一鐵
p.0403 道中には駄賃馬、のりかけに雨合羽塗笠きて打過る、
p.0403 羽州山形侯、〈秋元〉駿州田中侯、〈本多〉野州宇都宮侯、〈戸田〉常州土浦侯、〈土屋〉トハ、供ノ士ト徒士ハ、皆塗笠ヲ冒ルト云、〈菅又ハ竹皮ノ笠ヲ用ヒズ〉
p.0404 是ぞ妹背の姿山
四十四五なる奧の、昔を今の兵庫髷可笑げに、〈○中略〉塗笠に鍍金の環をうたせ、頂なしに赤い締緖、萬嫌なる采體(とりなり)、〈○下略〉
p.0404 こゝにいへる〈○俗つれづれ〉風姿を按ずるに、寬文中ごろのさまと見へたり、延寶年間くぼき塗笠は廢りて、葛笠流行出しより、かくは昔氣質をわらへるなり、
p.0404 越前 塗笠(ヌリガサ)
p.0404 彼岸參りの女不思議
それ〳〵御所染被一連皆よし、其跡の木地の笠(○○○○)是一じや、〈○下略〉
p.0404 此道にいろはにほへと
木枝に掛置し木地笠をとり〴〵に、いそぐや暮の面影、〈○下略〉
p.0404 巴關東下向事
巴ハ〈○中略〉七騎ガ先陣ニ進テ打ケルガ、何トカ思ケン、甲ヲ脱、長ニ餘ル黑髮ヲ、後ヘサト打越テ、額ニ天冠ヲ當テ、白打出ノ笠(○○○○○)ヲキテ、眉目モ形モ優ナリケリ、歲廿八トカヤ、
p.0404 判官北國落の事
白き大口けんもんしやのひたゝれをきせ奉り、あやのはゞきにわらんづはかせ奉り、袴のくゝりたかくゆい、しらうちでのかさをきせ奉る、
p.0404 安齋云、白打出の笠は、銀を打のべたる笠なるべし、〈○中略〉白とは銀のことなりといへど、非なるべし、うちでは打出の太刀などの如く、新たに作りたるをいふ、古きは白からず、故に白打出といふ也、
p.0404 濕(○)〈ムシ女笠也〉
p.0405 緼(ムシ) 帔(同)
p.0405 蓋緼ハ枲カラムシ、麻ノ一種ニテ別也、帔ハカヅキ、ウチカケト訓ズレバ、ムシトモ訓ゼシカ、
p.0405 虫のたれ絹(○○○○○)
醒案ずるに、むしのたれぎぬといへるは、かたびらの絹を、笠にぬひつけたるを、頭より身におほひて、山野をゆくに蛭などをさけん料にせし物也、そのゆゑに虫の垂絹とはいへる也、〈○中略〉
宇津保物語流布の印本、樓ノ上ノ上ノ四に、うまにのりたるをとこわらは四人、むしたれたる人きて云々とあり、先哲の〓本を見るに、むしたれたるとあるは、ぐしつれたるのあやまりとせり、むしのたれぎぬにまがふことばなれば、童蒙のためにおどろかしおくなり、
p.0405 その女〈○小大進〉は大臣家の宮づかへ人なりけるが、〈○中略〉けふ政所の京にいで給ふといひて、よそには物ともおもはぬことの、いひしらずみえけるほどに、むしたれたるはざまよりやみえたりけん、ふみをかきて、京より御文とてあるを見れば、〈○下略〉
p.0405 こゝにむしたれたるはざまよりや見えけんとあるは、虫のたれぎぬを著たるあひだより顏のすこし見えたるにて、それと人に見つけられたる也、これは小大進が、くま野まゐりの旅よそひのさまをいへるなりけり、これらによりて考ふれば、虫のたれぎぬは、もと虫をさけん料なれど、おほくは旅の具にもちひ、風塵をさけ、寒氣をふせぎ、又は面をかくす料にもせしなるべし、
p.0405 元久元年十二月十日(裏書云)、辰刻許、鎌倉少將實朝室、〈前大納言信淸卿女子〉下向也、於二中山卿三位亭一有二出立一、〈○中略〉其次第、先狩裝束武士十餘騎、次綾藺笠染付蒸垂(○○)二騎、次平笠裾濃蒸垂二騎〈已上雜仕半物之類歟〉次平笠匂絹蒸垂十騎、〈各著二五重衣、差貫等一、已上女房歟、〉次主人輿、〈○下略〉
p.0406 ものへだてたる 衣笠内大臣
むしたるゝあづまをとめがすきかげに名殘おほくて行別ぬる
p.0406 正三位季能卿
草ふかみむしのたれぎぬ結びあげてとほりわづらふ夏の旅人
p.0406 平笠(ヒラカサ/○○)
p.0406 建久七年六月十四日、於二北大路棧敷一見物、入道殿同御座、今年梶井宮内力者有二別願一渡レ之云云、以二金銀錦繡一施二風流一、皆悉著二指貫平笠一、
p.0406 或時侍の大盤の上に、沓をはきながらのぼりて、小鞠をけられけるに、大盤のうへに沓のあたるおとを人にきかせざりけり、〈○中略〉法師一人有けるをば、かたよりやがて頭をふみてとをられけり、かくする事一兩度、をりてまりをとりて、いかゞ覺ゆるととはれければ、〈○中略〉法師は又平笠を著たる程の心ちにて候つるぞと申ける、
p.0406 情懸けしは春日野の釜
女郎十八人、大鳥居まで忍び駕籠、それより木地の平笠に紙緖を附けて、上著もつぼをり皆竹杖もしやれて、〈○下略〉
p.0406 太閤洛陽出陣名護屋御動座事
中ニモ伊達正宗ハ、勝レテ見ヘニケル、〈○中略〉旗持弓鐵炮長柄ノ者ドモ、裝束ハ〈○中略〉笠ハ金ノトガリ笠(○○○○)、長サ一尺八寸、廻リ三尺ニシテ著セタリケリ、
p.0406 乍二無心之儀一、摺箔小袖、〈○中略〉尖笠、躍衆之裝束可レ被二恩借一候、
p.0406 一萩田主馬咄に、謙信は小男にて、左の足に氣腫有て足を被レ引、大方具足を不レ著、黑き木綿胴服にて、鐵の少キ車笠(○○)を著、一代さいはいも團扇も一兩度ならでは不レ取、〈○下略〉
p.0407 車笠
按、車笠といふは、車ノ輪の形に似たるゆゑの名にや、
p.0407 ハチク竹ガサ、バイジリ(○○○○)ト云、地ニテ作ル、下リハナシ、元文ヨリハヤル、元ト釣人ノ笠ナリ、釣竿ノフチヘサハラヌヨウニシタリ、
p.0407 後世ばい尻といふ笠あり、今は用ゐざれども、もと釣の爲に作りたる笠なり、釣竿の笠の緣に障らぬやう壺めて作れり、〈○中略〉竹の皮笠なり、
p.0407 笠 つぼ笠(○○○)、つぼね(○○○)、〈つぼね笠きたる女房馬にのりくちをひかして西へこそゆけ〉
p.0407 四十四番 右 笠縫
見えじとやうちかたぶくるつぼね笠すげなげなるはうらめしき哉
p.0407 つぼみ笠(○○○○)
つぼみ笠は、つぼ笠と同じく、女の所用にして、文字には壺笠と書くにや、新撲六帖の衣笠内府の歌に、ふりやまぬ雪間の梅のつぼみ笠、とよまれたるにても、其形大方はしられたり、何れにも其笠のつぼやかなるより、しか名付しもの成べし、また藻鹽草に、つぼね笠と有も、おなじものなるべし、
p.0407 つぼみがさ 衣笠内大臣
ふりやまぬゆきまのむめのつぼみがさおもふ心のいつかひらけん
○按ズルニ、つぼみ笠、つぼね笠、共ニ市女笠ノ類ニシテ、其形狀ニヨリテ稱セシモノナラン、
p.0407 肥前國有馬合戰幷島津龍造寺合戰附隆信最後之事
或書曰、〈○中略〉鑑種〈○田尻〉兜鍪ヲバ不レ著、其比西國ニ流行(ハヤル)花笠(○○)ヲ冠ラレシニ、笠ノ上ヨリ矢二筋被レ射テ死ニケリ、
p.0408 延享三年六月、山王祭禮ニ、色々笠ニ物好キ始ル、花笠、モジ笠、ネリグリ、扇笠、品々アリ、
p.0408 花笠〈○圖略〉
今世女兒等、京坂ニテ舞ト云、江戸ニテ踊リト云、種々ニ扮シテ鼓三絃ニ合セテ歌舞ス、其扮ニ據テ花笠ヲ兩手各一ヲ持テ舞踊ル、骨竹ニ銀箔ヲ押シ、所々ニ紙ノ造リ花ヲツク、緋縮緬紐等ヲ付ル、或ハ舞踊リ扮ニヨリテ、眞ノ笠傘ヲ用ヒ、或ハ圖ノ如キ笠ニ花ヲ付ケズ、綟子等ヲ張テカムルコトモアリ、或ハ市女笠ノ形ニテ右ノ製モアリ、各扮ニヨル、戯場ニテモ扮ニ應テ用レ之、
p.0408 釋話〈○中略〉 市女笠、頂立三突聳如二巾子一、今俗曰(○○○)二之桔梗笠(○○○○)一、外宮大御田祭子良物忌僮、衣レ袙戴二此笠一、插秧向レ田三植、蓋祈レ雨儀也、古之遺風可二以見一矣、
p.0408 乍二無心之儀一、摺箔小袖、〈○中略〉桔梗笠、〈○中略〉躍衆之裝束、不レ殘可レ被二恩借一候、
p.0408 福島伊賀守河鱸を捕手柄の事
一年小田原久野の入に神まつりあり、諸侍見物せり、いがの守も是を見物せんと、牛の角にきんはくををし、あかねの大ふさ鞦、あかねのはづなを付、をのれは草刈の體にて、腰にかまをさし、牛に乘、うしろむきて尺八をふき、女にくれなゐのそめかたびら、さきのとがりたるきゝやう笠をきせて、牛をひかせて、力者一人に長刀をかつがせあとにつれ、祭見物せしを、皆人けうがるふるまひとて、時に至て笑しか共、惡難をいふ者なし、
p.0408 桔梗笠
犬子草〈寬永十年刻〉 野遊びや花すり衣桔梗笠 德元〈○中略〉
右の如くふるき俳諧の句集に、桔梗笠といへる句おほかれば、當時おこなはれたる笠ならむとはおもひぬれど、いかなる形のものともしらざりしに、〈○中略〉今も羽州秋田船越天王の船祭に、左の圖〈○圖略〉の如き笠をかぶるよし、桔梗笠のなごりなるべし、
p.0409 桔梗笠〈○中略〉 鷹筑波集〈三〉朝がほに日まけをさすな桔梗笠〈吉數〉毛吹草、さく花のしんをやしめ緖桔梗笠、〈吉政〉佐夜中山集、桔梗ばかりをもてはやすなり、〈付句〉めされたる笠もいとよし踊ぶり、〈笑種〉
p.0409 蓮葉笠(○○○)
蓮葉笠は太平記に見えたる外、かつて所見なければ、いかなるものとも、其形狀はさだかにしられねど、おもふに北條五代記に、所レ謂桔梗笠の類にて、蓮葉のさまに製したるよりいふ名なるべくおもはるゝなり、
p.0409 師直以下被レ誅事附仁義血氣勇者事
同二十六日、〈○觀應二年二月〉ニ將軍〈○足利尊氏〉已ニ御合體ニテ上洛シ給ヘバ、執事兄弟〈○高師直、師泰、〉モ同遁世者ニ打紛テ、無常ノ岐ニ策ヲウツ、折節春雨シメヤカニ降テ、數萬ノ敵、此彼ニ扣タル中ヲ打通レバ、ソレヨト人ニ被二見知一ジト、蓮ノ葉笠ヲ打傾ケ、袖ニテ顔ヲ引隱セ共、中々紛レヌ天ガ下、身ノセバキ程コソ哀ナレ、
p.0409 夜發の付聲
想出して觀念の窻より覗けば、蓮の葉笠を著たるやうなる小見等の面影、〈○下略〉
p.0409 凡善光寺者、三國一之靈場、〈○中略〉道俗男女、貴賤上下、思々心々風流、不レ遑二毛擧一、若殿原者、例目結十德、室町笠引籠(ヒキコミテ)、有下爲二口覆一體上、
p.0409 笠傘〈○中略〉 竹籜笠、大和大路古法性寺邊造レ之、故專謂二法性寺笠一、
p.0409 洛外名物
篛笠(たけのこかさ) 〈東福寺門前町にあり、法性寺笠といふ、〉
p.0409 深草の馬思へば宇治川の先陣 げにけふ深草の神わざ、當所も加茂とひとしく競むまあり、さらば暫待見んと、其程万壽寺のかべのもとによりゐる、此五七町は、古貞信公の山の大とこ尊意闍梨に、建てまいらせ給ひし法性寺の結構、さながら金玉の山なりけるとぞ、中古より民家のわらの軒ひきく、背戸も外面も松あふちの木高く茂り、露雫のおやみせぬに習ひて、竹のかは笠を能作り出しければ、自身の業となり、所の名物となりぬ、東にふかく山に添て、東福寺の禪院そもさんか聞しらぬ鳥のし聲ちんふん閑栖物すごし、誠や紫野老和尚當寺に詣給ひし時、藪陰にされかうべの在しを、
涙ふる法性寺笠きて見ればかはゝはなれてほね計なる、と讀給ひしとかや、和尚も昔語に成給ひ、まして其骨だになくなりし、
きてみれば法性寺笠もり茂みほねさへくちて袖ぞぬれける、とつぶやけば、大路のかた、人聲さはがしく、すは馬の時分よといふこそ遲けれ、皆橋づめにわしり出、
p.0410 笠 桃花仙
笠は名にあふ法性寺なれど 利休の家の數奇もあらしを〈○中略〉
狂云、笠ノ一章ハ、數奇者ノ趣向ヨリ、風雅人ニ敵對セリ、所謂ル法性寺笠ハ、洛外ノ名物ニシテ、竹ノ皮ヲ以テ造レルガ、多クハ茶人ノ爐次笠ニ用ユ、此故ニ利休ノ名ヲ借テ、陰者ノ風流ヲ爭フ中ニモ、風雅ハ旅行ノ錆アルヲ云へリ、
p.0410 文安元年八月一日丁未、八朔御嘘進上、〈○中略〉自二大宮一檀紙十帖、金覆輪一、香臺等送給、仍報檀紙一束、十、尾張笠(○○○)進之畢、
p.0410 韮山笠(○○○)一名藪潛(ヤブクヽリ)〈○圖略〉
豆州韮山代官江川太郎左衞門、西洋炮術ニ長ジ、門人多シ、彼輩作始用レ之、故ニ名トス、京坂ニ所レ無也、 守政初ヨリ炮術調煉ノ士專ラ用レ之、紙捻製テ形チ編笠ノ如ク、扁平ニテ小形也、黑漆ヌリ、稀ニ記號等箔押ニ描クモアリ、被ラザル時ハ腰ニ提ル、多クハ調煉ノ場ニノミ用ヒ、往來ノ間ハ被ル人稀也、此笠ハ西洋炮ヲ扱フニ、スコドールゲールト云時、陣笠、騎射笠ニテハ障トナル故ニ、是ヲ造リ出シタルナリ、
p.0411 島笠〈○圖略〉
南海八丈島ヨリ製シ出ス、故ニ島笠(○○)ト云、江戸ニテ用レ之、京坂不レ用レ之、篠竹二ツ割ヲ以テ造ル、乃チ幅一分許ノ割竹也、〈○中略〉割竹ヲ縱横ニ下圖ノ如クニ編リ、 篠竹二ツ割、幅一分許ナルヲ、又皮ノ方ヲモ削リ平クス、故ニ幅一分許ノ兩邊ニノミ皮ヲ殘セリ、
p.0411 しがらきがさ(○○○○○○) 民部卿爲家
雨すぐるとやまの道のこがくれに〈○こがくれに、一本作二こぐれより一、〉しがらきがさぞ見えがくれする
p.0411 巴
所は爰ぞあふみなる、しがらき笠を木曾のさとに、涙とともへはたゞひとり、落行しうしろめたさの執心を、とひてたび給へ、しうしんを、とひてたび給へ、
p.0411 乍二無心之儀一、摺箔小袖、宇津宮笠(○○○○)、〈○中略〉躍衆之裝束、不レ殘可レ被二恩借一候、
p.0411 下野 宇都宮笠〈出家著レ之〉
p.0411 天和ノ比ヨリ、加賀笠(○○○)、大名衆女ノカムリモノナリ、前ヲ竹ニテ止メタリ、寶永末ヨリフチヲ針金ニテ止ル、上總ヨリモ出ス、天和比ハ内ヲスゲニテ半分フキタリ、正德ヨリ内一ハイニフク、絹糸ヌヒキレイナリ、
p.0411 葛笠菅笠の事
寶永正德年間より、つま折の加賀笠といふ物流行す、〈○中略〉内證鑑〈寶永七年作、同八年印本、〉に、流行染の小袖 ひとつ、〈○中略〉淺黃の帽子、刺櫛、加賀笠は三日喰でも身をはなさず云々、また色縮緬〈享保三年印本〉卷之三に、こうとうなる仕出し、〈○中略〉渡りまうるの中ぐけ帶、胸高に結び、加賀笠に紫縮めんの帽子云々、〈これらにて、流行たるを知るべし、〉さて此笠、延享の頃廢せし欺、茶物語、〈享保十九年著述〉明和の頭書に、加賀笠〈○中略〉延享年中以後、此笠すたりて、今より〈明和中をさす〉見れば、振袖に前帶して、加賀笠著たるは可レ笑事なり云々、とあればなり、
p.0412 調謔歌船
比丘尼はおほかた淺黃の木綿布子に、龍門の中幅帶前結びにして、黑羽二重の頭かくし、深江のお七指の加賀笠、うね足袋はかぬといふことなし、
p.0412 爆竹興行附自二異國一黑坊主來朝事
同十五日〈○天正九年正月、中略、〉御馬場入ノ次第、御先へ小姓衆、其次ニ大臣家〈○織田信長〉御出馬、黑色ノ南蠻笠(○○○)ヲ召サレ、〈○下略〉
p.0412 日でり笠(○○○○)は、あやゐ笠〈藺草にてあみたる笠なり、笠の上に角の如くに筒をあみ作るなり、此筒の中へ本どりを入べき爲なり、〉を用たり、後三年合戰の繪、其外古畫に見えたり、かぶらざる時は、手に持するなり、
p.0412 造備雜物〈○中略〉
笠二枚〈一日笠一雨笠〉
p.0412 元久元年十二月〈裏書〉十日、辰刻許、鎌倉少將實朝室、〈前大納言信淸卿女子〉下向也、於二中山卿三位亭一有二出立一、〈○中略〉其次第、〈○中略〉次主人輿、〈○中略〉次少將忠淸朝臣〈狩装束、相二具旱笠引馬等一也、〉同侍十餘人歟、
p.0412 安貞二年七月廿三日、將軍家〈○藤原賴經〉渡二御駿河前司義村田村山庄一、是爲レ遊二覽田家秋興一也、辰刻出御、〈御水干〉被レ用二御輿一、自二金洗澤邊一御騎馬、奉二御日旱笠(ヒデリガサ)一、
p.0412 もみぢ笠(○○○○)、〈傘にも、この名あり、○中略〉紅葉笠とはひでり笠の義にや、懷子集しぐれてぞかしけ る餘所のもみぢ笠、
p.0413 百重ハリノ陣笠、信長公ノ時作ル所ナリ、身ニ革具足ヲ著シ、頭ニ是ヲ冠ル、雜兵ノ具ナリ、治世ニナリテ後、武家ノ夏火事ニ冠ル、享保中ヨリ町人四季トモニ火事ノ節冠ル、享保年中ヨリいろは組ノ火消町々ニ役ヲツトム、依レ之人足小者等、下地竹ニテ網代ニクマセ、紙ニテ張、スミニテ染、澀ニテ止ム、〈○圖略〉
延享比ヨリ鐵砂ヲ塗コミ、或ハモヨウヲ置テカムル、コノ笠火事ノハレニ用ユルユへ、ハヤルナリ、
p.0413 布衣以上御目見以上、冠笠之儀ニ付御書付、
〈朱書〉八月〈○元治元年〉廿二日、大目付松平因幡守ゟ差越、
井上河内守殿御渡御書付寫壹通幷別紙
御作事奉行衆 外國奉行衆 遠國奉行衆 小普請組支配衆
大目付
布衣以上之御役人、是迄端反笠(○○○)相用候處、不便之品ニ付相廢し、以來布衣以上以下諸役人御番方等、御目印にも相成候之旨、登城幷諸場所〈江〉罷越候之節、陣笠左之通相心得、來月朔日より相用候樣可レ被レ致候、尤大目付御目付御使番之儀は、是迄之通可レ被二心得一候、
布衣以上 表黑裏金 御目見以上 表藍裏金
但正面〈江〉別紙雛形之通、輪拔金箔、又はかなものにても勝手次第付可レ申事、
右之通、萬石以下之面々〈江〉不レ洩樣可レ被二相觸一候事、
八月
p.0413 文久三年九月、布衣以上以下陣笠ノ色ヲ分ツ、 廿九日〈○八月〉に至り、又御達しに、布衣以上御役人の外、都て表藍裏金相用可レ申事、 又九月九日に至り御達しに、布衣以上にても、寄合の廉にては、表藍裏金相用候樣、先達て相達候處、布衣以上の者は、寄合にても以來表黑裏金相用可レ申候事、
p.0414 追書 近來横濱開港以來、武備嚴ナルガ故ニ、從來駕ニテ登城ノ人モ騎馬トナリ、又菅一文字或ハ殿中ヲ用ヒシモ、文久三年官命ジテ百重張(○○○)或ハ網代竹笠(○○○○)トナル、蓋大名及ビ万石以下トモニ、諸大夫以上ハ表白塗、或ハ白タヽキ無地、裏總金箔押、諸大夫以下布衣以上表黑漆ヌリ、前ノ方ニ一圓形ヲ金ニテ描キ、裏同前、布衣以下御目見以上ハ表藍色裏同前、金箔押、表前ノ方一圓ヲ描ク同前、御目見以下及ビ陪臣武士ハ、有來リ陣笠又ハ竹菅隨意無レ定也、
陣笠 網代笠トモ 匂倍圖ノ如キヲ專ラトス、 或ハ網代騎射笠モ用レ之、製同前、
陣笠〈○圖略〉
今世京坂ノ市民、火所ニ皆陣笠ヲ用ヒ、防火夫ノ陣笠モ如レ左竹網代ノ紙張墨澀ヌリ、記號胡粉ヲ以テ描レ之、
籠陣笠(○○○)〈○圖略〉
今世江戸ハ、市民及ビ防火夫トモニ、更ニ陣笠ヲ用ヒズ、武家ノ奴僕ハ、今モ籠陣笠ヲ用フ、〈火所混雜ノ場ニ、陣笠障トナリデ、自由ナラザルガ故ニ不レ用レ之、近世火災屢ナルガ故ニ、衆人能調練シテ如レ此也、〉
p.0414 騎射笠(○○○)〈○圖略〉
騎射ニ用フヲ本トスレドモ、今ハ馬上往々被レ之テ遠乘等スル、稀ニハ步行ニモ用レ之、蓋武士ノミ用レ之、其他ハ不レ用レ之、藺製モ形粗似レ之ト雖ドモ、是ホドハ反ラズ、此笠ハ竹ノ身ヲ薄ク片ギテ、網代ニ編ミタリ、
p.0414 懷中ガサ(○○○○)、タヽミテ袖へ入ル、俄雨ノ時用ユ、享保比出ル、
p.0415 路地笠(○○○) 竹ノ皮笠ナリ〈指渡二尺六寸一分、深サ眞中ニテ三寸、〉
p.0415 男笠(○○)ノ事、菅笠ヲ元トス、サレドモ張笠、筍笠、古風ナリ、デン中ト云菅笠ヲ用ユ、
p.0415 同〈○婦女〉夏笠の事、同時比〈○寬延寶曆〉までは、女笠(○○)とて菅にて大きく飛脚の三度笠樣なるを用ひたり、ひもは後のかたを輪になし、髻の下へかけ、頷の下にて結ぶなり、これも浴衣と同樣に、今は被るものなし、近頃は卑賤の婦女も、靑紙にて張る傘になれり、又體樣をつくる婆々などは、籐にて編みし笠を用ひ、此笠は高價にして卑賤の婦は用ひがたし、
p.0415 笠 市女笠(○○○)〈つぼさうぞくの笠也、つぼ笠(○○○)共云、同物也、〉
p.0415 一婦人の笠に、市女笠(イチメガサ)と云物あり、古畫に見へしは、婦人何れも衣をかづきて、かつぎの上に此笠をかぶりたる體也、笠ふかくて顏をかくすによし、
p.0415 菅簦
行幸時、王卿已下、雨具用二市女笠一、
p.0415 行幸
京内 雨降者、五位以上、著二市女笠、雨衣一、
p.0415 ゑせものゝ所うるおりの事
雨ふる日のいちめ笠
p.0415 治安三年五月十三日乙亥、今日參二兩殿一、關白〈○藤原賴通〉被レ談二雜事一、次源中納言言下出切二市女笠一事上、關白被レ答之詞被レ仰二可レ被レ却由一歟、此兩三日或撿非違使或刀禰、切二市女笠幷襪笠云々、未レ得二其意一、若有二新制一者、先立二日限一、令レ知二遐邇一可レ被レ却歟、而俄儀切破事何如、就レ中女等以二市女笠一隱レ形參二功德所一、是善根也、至レ今無レ賴女等、難レ植二善根一歟、女人著レ笠可レ無二公損一歟、法制之事以レ万可レ數、而忽有二笠制一、未レ知二其是一、往古無制、足レ爲レ奇者、
p.0416 のぶつらかつせんの事
御ぐし〈○以仁王〉をみだり、重たる御衣に、いちめがさをぞ召れける、
p.0416 承元五年三月三日乙卯、今日奉二幣春日御社一、仍沐浴修レ祓、圖書頭在親朝臣、予〈○康原道家〉正二衣冠一、降レ庭遙拜、了歸昇、幣物已下昨日沙汰、遣二於權頭祐忠許一、進二小神寶金笠一〈イチメカサ〉置二茵上一、以レ水書二諸願趣於笠一、又御幣本〈爾〉同書レ之、此事見二入道殿御記一、皇嘉門院仰云々、先蹤必所願成就云々、可レ憑也、
p.0416 慶長の頃の風を、古畫ども見て考ふるに、〈○中略〉又女の笠は市女笠にて、下にかつら布を、二布合せて縫たるを、後の方に尻の下までさげたるも有り、
p.0416 古畫ニ圖セル婦女ノ深キ笠ノ頂ニ、隆キトコロアル物ヲ冒レル多ク見ユ、此ヲイチメ笠ト謂フト聞ケリ、後或人ノ語レルハ、今モ吉野ノ奧ヨリ、木ヲ用テ作レル深キ笠ヲ出ス、其名ヲオチメ笠ト謂フ、其故ハ亂世ニ平氏ノ人落行テ、此山中ニテ製シ出セル物ナレバ、オチメ笠ト云トナリ、然ドモコレハ後人ノ附會ニシテ、オチメ、イチメハ、語音ノ轉訛ナルベシ、吉野ニ有ルハ、古風ノ傳ハリタルマデノコトナルベシ、
p.0416 一市女笠〈○中略〉 大和芳野にあり、八幡の安居堂祭、極月十三日也、此時用ゆる也、
p.0416 市女笠〈○圖略〉
搢紳家武家トモニ供奉ノ人雨中用レ之、蓋堂上モ駕輿丁、仕丁等、白張ニ烏帽子ノ時ノミ用レ之歟、武家モ正月奴僕、白張、烏帽子ノ家ハ用レ之、〓形ハ烏帽子ノ上ニ著スベキ爲也、故ニ奴僕白張ヲ著セザル家ハ不レ用、眞竹籜粗製也、
p.0416 前ニ云經木ノヌリ笠、寬永時代若キ女カムル、万治以來老母計リカムル、小兒笠(○○○)ハ小ブリニシテ、内ニ菊、ボタン、梅、椿、水仙、キヽヤウ、カキツバタ等ノ摸樣、彩色ニカキタリ、子供笠ハ紅淺ギノ ヒモ引トヲシ上ニテ結ブ、寬永ノ比、若女ノカムリシ時ハ引通シタリ、
p.0417 一走衆の故實、仕來る儀なければ、委しくは存候はねども、先申傳侍るは、〈○中略〉敷皮、笠を用意すべし、走笠(○○)とて、笠のこしらへやうあり、
p.0417 この中に法師笠(○○○)きたる物ぞ、ゐなか人なめりとみえたる、
p.0417 寬延ころの江戸繪に、こも僧を風流に書たるに、美服きたれども、笠いま浪人物もらひの著る、前の處に物見の穴あきたる笠にて、形も裾廣なり、今のこも僧笠(○○○○)小ぶりにて、上下廣狹なく、深く莟みたる笠は、寶曆明和の末の頃の畫よりみえたり、
p.0417 コモ僧ノアミ笠、元祿比マデハ、大ブリニテアサシ、享保ヨリ小ブリニテ深シ、菰僧ノ外カムル人ナシ、
p.0417 天蓋〈○圖略〉
虚無僧、三都トモニ用レ之、笠ト云ズ必ズ天蓋ト云、藺製也、元祿以前大ニシテ淺シ、享保以來小ニシテ深シ、是今ノ形歟、用レ之者唯菰僧ノミ也、
製天蓋ト同クシテ、大形ノ淺キ物也、〈○圖略〉今世袖乞ノ浪士用レ之、其妻女トモニ米錢ヲ乞フ者ハ亦同用レ之、昔ハ武士潛行ニ用レ之歟、今世錢ヲ不レ乞ノ浪士ハ不レ用レ之、
p.0417 六部ノ笠(○○○○)
廻國修業者〈俗ニ六十六部ト云〉用レ之、中央ト周リヲ紺木綿ヲ以テ包レ之、不レ損ヲ要ス也、近來乞丐等回國ニ扮シテ門戸ニ米錢ヲ乞フ、〈贗者モ用レ之、藺製ノ笠也、〉
安永ノ圖ニ回國ヲ畫クモノ、此紺布ヲツケタル笠ニ非ズ、然ヲバ此笠ヲ用フルコトハ近製歟、再考、此笠ノ中央ニハ、圓形ノ薄板ニ諸神佛ノ名ヲ回書シ、其表ヲ紺綿モテ包ミ覆フト也、故ニ中心ニ鐶アリテ、脱トキハ掛レ之テ直ニ不レ置レ之ト也、然レバ古晝ニ此ヲ描カザルニヨリ、近製歟ト云 シハ、余ガ誤リ也、
p.0418 鉈屋笠(○○○)は、夷曲集、京のなたやといふ者發心して、大なる鉦たゝき、大笠きて、京田舍ありくを見てよめる、〈近吉〉笠かねも捨て菩提をさとれかし生木に灘や氣の毒な體、〈○註略〉近頃空也寺の法師江戸に來り、勸化しありきしが、竹皮の異なる大笠をきたり、なたや笠も此等の類なるべし、
p.0418 正保ノ頃ニヤ有ケン、〈○中略〉京都ニ鉈屋何某トテ富家有ケル、何事ニヤ科有テ、入牢申付ラレシ、〈○中略〉鉈屋ノ二子ハ、遁世ニ異ナル笠ヲ冠テ、廻國セシト也、
p.0418 松山侯ノ〈松平隱岐守〉駕籠ノ者ノ笠ハ、世ニ唐人笠(○○○)ト謂フ形ナリ、帽頭アリテ隆ク造レリ、
p.0418 姿の關守
其跡に廿七八の女、さりとは花車に仕出し、〈○中略〉吉彌笠(○○○)に四ツがはりのくけ紐を付て、顏自慢にあさくかづき、〈○下略〉
p.0418 鐵の笠は、甲州にても下部は著たりしとかや、畿内の方にはなかりしに、丹州龜山の小野木縫殿助、足輕已下の者に鐵の笠を著せける故に、其頃は小野木笠(○○○○)といひけるとなり、
p.0418 久安四年四月十八日乙巳、參議藤原忠雅卿著二結政座一行二請印事一、齋院司申、三年一請、太宰府蛞螻蓑蛞螻笠(○○○)官符也、
p.0418 田の中には、早乙女どもをりたち、田蓑ひぢがさ(○○○○)きて、思ふことなげに、田歌をうたひて早苗をうゆ、
p.0418 蜻蛉笠(○○○)
是モ眞竹籜ノ粗製也、形圖〈○圖略〉ノ如ク亘リ尺許也、江戸邊ノ船人筏士等用レ之、號テトンボガサト 云、〈○中略〉又京坂モ船人等用レ之、
p.0419 寬和元年九月十九日庚寅、是日也、後太上法皇〈○圓融〉自二堀河院一遷二御圓融院一、公卿以下布衣朝衣相交、前駈僧十人、皆著二織物、笠等一、列二此中一、
p.0419 白川院の御時は、ざうしはみな馬にのりて、すきがさ、たゞのかさなどきて、いくらともなくこそつゞきて侍しか、
p.0419 わかうきたなげなき女ども、五六十人ばかり、もごろもといふものいとしろうきせて、しろきかさ共きせて、はぐろめくろらかに、べにあかうけさうせさせてつゞけたり、
p.0419 久安三年八月十日辛丑、自二戌四刻一降雨、今日天子〈○近衞〉幸二鳥羽南院一、〈○中略〉戌三刻出御、於二途中一降雨無二可レ取レ笠宣旨一、仍直取レ笠、可レ謂二君臣共無一レ禮、
p.0419 德川殿横山龍鼻表參陣附軍評定事
信長其日ハ極暑ノ時節、御具足甲ヲヌギ置カレ、白キ明衣ニ黑キ陣羽織、銀薄ニテ桐蝶ノ紋ヲ押タルヲ被レ召、黑キ笠ヲカブラセ給ヒテ、牀机ニ腰ヲカケ、諸卒ヲ下知シテヲハシマス、
p.0419 若宮外院小社
霜月の御祭といふは、若宮の神事なり、〈○中略〉廿七日の祭禮、大鳥居の東のほとりにして例式あり、〈○中略〉立ゑぼしに白張の步行一人、著笠をもちて行、是は春日明神御影向の時めされし笠とかや、〈○中略〉五番馬頭兒、紅手笠(ひでがさ)に山鳥の尾をさして、うしろに牡丹の花をおふもの五騎、〈○中略〉又龍の笠をかぶり、木履をわきはさむものあり、
p.0419 遷二野宮一裝束
笠二具〈一盛二綠袋一、一盛二油絁袋一、〉
p.0419 一笠の事、公家武家共以無レ替、晴の時白袋、けしやう皮あり、
p.0420 笠袋
幕府以下大名ヨリ陪臣ニ至リ、實用ノ笠ハ、一文字形菅笠ヲ、貴人ハ黑天鵝絨囊ニ納レ、圖〈○圖略〉ノ如ク曲リタル竹ニ釣テ、僕肩レ之ニス、凡士等ハ、淺黃或ハ紺袋入也、袋木綿也、コレモ乘物ニ駕ス位ノ人ノミ也、
p.0420 加茂祭儀
時刻齋王駕レ輿而出、其前駈次第也、〈○中略〉其内執屛繖左右各一人、執翳各一人、執笠各一人〈○中略〉次レ之、〈並著二緋衣白衣帶一○下略〉
p.0420 令下手置帆負彦狹知二神、以二天御量一〈大小斤雜器等之名也〉伐二大峽小峽之材一而造二瑞殿一、〈古語美豆能美阿良可〉兼作中御笠及矛盾上、
p.0420 高皇産靈尊勅曰、若有下葦凉中國之敵拒二神人一而待戰者上、能爲二方便一誘欺防拒而令二治平一、令二三十二人一並爲二防衞一、天降供奉矣、〈○中略〉
副二五部人一爲レ從天降供奉〈○中略〉
笠縫部等祖天曾蘇〈○中略〉
船長同共率二領梶取笠天降供奉〈○中略〉
笠縫等祖天津麻占
曾曾笠縫等祖天都赤麻良
p.0420 六年、先レ是天照大神、和大國魂二神並祭二於天皇大殿之内一、然畏二其神勢一、共住不レ安、故以二天照大神一託二豐鍬入姫命一、祭二於倭笠縫(○○)邑一、〈○下略〉
p.0420 倭笠縫邑〈(中略)笠謂二茅蓋一也〉
p.0420 大藏省 古記及釋云、別記云、〈○中略〉衣染廿一戸、〈○中略〉蓋縫十一戸、大笠縫卅三戸、〈○中略〉右 六色人等、臨時召レ役爲二品部一、取二調庸一免二雜徭一、〈○中略〉一云、凡縫笠、縫蓋、飛鳥縫履、染部、如レ此之類、皆在二藏部之中一、
p.0421 一職掌雜任卌三人、〈○中略〉御笠縫内人無位郡部乙淨麻呂、
右人卜食定補任之日、後家祓淸齋愼供奉職掌、御笠廿二蓋、御蓑廿領忌敬供奉、具顯二月記條一、
p.0421 御笠縫は美加佐奴比とよむべし、笠縫は笠作也、日祈の爲に御笠御蓑を作り奉れば、御笠縫といふ、〈○中略〉笠は菅を絲にて縫とゝのへば縫といへり、神代卷下、以二紀伊忌部遠祖手置帆負神一定爲二作笠者一とある作笠者を、古より加佐奴比とよみ、崇神紀六年、倭笠縫邑あり、〈○下略〉
p.0421 四十四番 右 笠縫
名にしおはゞ我こそはみめ笠縫のうら淋しかる秋夜の月
p.0421 簦笠 栗原郡澤邊驛、以レ此爲レ業焉、其制冠二于他方一、然如今以レ貪レ利而失二古制一、略二其機巧一、
p.0421 陣笠所
御幸町御池下〈ル〉 井筒屋善兵衞 四條東洞院西 豐後屋市兵衞
p.0421 諸色引下ゲ直段書
菅笠類
〈去子(元治元年)六月書上直段、上中下平均拾蓋ニ付銀百三拾壹匁、〉一〈加州菅笠殿中御召〉 〈今般(慶應元年)引下ゲ直段拾蓋ニ付〉銀百貳拾八匁四分三リ
但當時直段百四拾貳匁九分 内拾四匁四分七リ直下ゲ
〈右同斷銀五拾三匁〉一加州菅笠 〈右同斷〉銀五拾五匁七分六リ
但同斷六拾壹匁九分六リ 内六匁貳分直下ゲ 〈右同斷銀拾四匁六分六リ〉一野州藤岡菅笠 〈右同斷〉銀拾四匁八分
但同斷拾五匁八分 内壹匁直下ゲ
〈右同斷銀拾匁八分三リ〉一上總長南菅笠 〈右同斷〉銀九匁九分八リ
但同斷拾登匁壹分 内壹匁壹分貳厘直下ゲ
p.0422 九年〈○仲哀〉三月戊子、皇后欲レ擊二熊鷲一、而自二橿日宮一遷二于松岟宮一時、飄風忽起、御笠隨レ風、故時人號二其處一曰二御笠一也、
p.0422 笠朝臣 孝靈天皇皇子稚武彦命之後也、應神天皇巡二幸吉備國一、登二加佐米山之山一之時、飄風吹二放御笠一、天皇恠レ之、鴨別命言、神祗欲レ奉二天皇一、故其狀爾、天皇欲レ知二其眞僞一、令レ獦二其山一、所レ得甚多、天皇大悦、賜二名賀佐一、
p.0422 永長元、大田樂ノ事、或人記云、七月十二日參内、祈年穀奉幣定也、今日有二殿上人田樂事一、卅餘人云々、〈頭辨依二所勞一不參〉裝束或兼被二仰定一、紅帷有二風流一、以二冠筥蓋一爲レ笠、差貫有二風流一、田主藏人少納言成定、〈勅定〉大笠〈上志目風流多、事外人也、〉已上藏人所調備、〈○下略〉
p.0422 治承二年十一月一日庚申、此日春日祭也、 二日辛酉、依二新制一、共人不レ著二紅紫二色及綿織物等一、但於二雜色打衣及笠風流(○○○)一者不レ憚レ之、今度之制、不レ被レ裁二祭使笠車及從者過差之條一、仍申二合關白一〈○藤原基房〉之處、不レ可レ憚之由有二報狀一、
p.0422 長祿二年閏正月廿日、城中訛言曰、一夕有レ人、就二人家一借二笠子一、然不レ與レ之而頓亡、由レ是昨今城中家々戸外掛二笠子一云々、
p.0422 信長揚二義兵一被二攻上一事附江州所々合戰事
信長公ハ、〈○中略〉直ニ人數ヲ押通シテ箕作ヲ攻ル、〈○中略〉佐久間ヲ始メテ四人ノ諸將、此イキホヒヲヌカスナトテ、押詰々々息ヲモツカセズ、揉ニマフデ攻ツメケレバ、諸勢皆堀際へ著テ、屛ノ中へ ヒタ〳〵ト旗指物ヲ投入々々、ハヤ城内へ乘入ラントス、城兵忽力ツカレ、笠ヲ出シテソレニ居給フ、
p.0423 三右衞門〈○進藤〉中納言殿〈○浮田秀家〉へ申上候は、大坂へ參上可レ申候、御狀被レ遊候へと申、四寸四方程なる紙に、狀被レ遊候を、編笠の緖は縷(ヨリ)付て、二日に大坂へ行著、中納言殿御屋敷御臺所へ這入候へば、〈○中略〉無レ程局出會れ候、編笠の緖へ縷交候御狀を取出しひろげ見せ候へば、一見せられ、奧へ這入、〈○下略〉
p.0423 元日の機嫌直し
室町通り西行櫻の町に、御所染の絹商賣して、菱屋といへる人あり、〈○中略〉身の上次第に面白からぬ年くれて、餘所の寶を數ふる隱蓑かくれ笠に袋を打出の小槌まで、繪書きたる舟を、敷寢の夜の夢に、〈○下略〉
p.0423 あみだ笠は笠の名にはあらず、笠を仰いて後の方へ著たるが、佛の後光めく故にいふなるべけれど、さてはあみだに限りたることにはあらず、思ふに守武千句に、南無あみだ笠きぬ人もなし、といへる秀句ありしより、あみだ笠は出しなるべし、且かく著るは、笠の緣の物に障るによりて也、徘徊世話盡旅部に、餅食笠と云詞あり、是も同じ著やうにや、
p.0423 猫何第二
けん物にみな後の世やねがふらん
なむあみ笠をきぬ人もなし
p.0423 戀俳諧
見返しの笠の内をもちらとみて
南無あみだ佛戀はくせもの
p.0424 伏笠
紫の一本〈天和二年淨書〉に曰、此待乳山の風景言語に及がたし、〈○中略〉山の麓を步行にて行を、山の茶屋から知る人の見ることもやと、熊谷笠をふせてかぶり云々、醒翁此文を引て、前さがりにかつぎて面の見えざるやうにするを、すべて伏編笠といへりといふ説尤よし、俳諧には伏笠と見えたり、〈あみ笠にもあれ、菅笠にもあれ、すべてかくするを、伏笠といふなるべし、〉
ねごと草〈寬文二印本〉西にかたぶく月さへも、たれに人目を忍びてや、伏笠をめす大ぞらを、思ひの餘りにうち詠て、
別れ路の泪の末をいとふてやしら菅笠をめす朧月
伊勢踊〈寬文八年印本、加友撰、〉 ふせ笠や逢うてうるさき人時雨 玄達 此句よく醒翁の説に合す
p.0424 住吉踊 住吉のほとりより出る、下品の者也、菅笠にあかき絹のへりをたれて顏をかくし、白き著物に赤まへだれ、團をもち、中に笠鉾をたてゝおどる、
p.0424 都下諸大名ノ往還スルニ、ソノ行裝尋常ト殊ナルナリ、眼ニ留マル所ヲコヽニ擧グ、〈○中略〉
久留米侯ノ鎗持ハ、雨天ニハ笠ヲ戴ズシテ鉢卷ヲス、手廻リノ者ハスベテ笠ナシト云、〈是ハ官ノ式ヲ准用スルニヤ〉
仙臺侯ノ駕籠ノ者モ、雨天ニハ笠ナク鉢卷ナリ、是ハ古ノ遺法カ、
土佐ノ高知侯ノ鎗持モ、雨天ニ笠ヲ用ヒズ、桐油ノシコロ頭巾ヲ著ス、〈○中略〉
彦根侯〈伊井氏〉ハ〈○中略〉雨天ノトキハ、手廻リノ者、笠ハナク濡タルマヽナリト云、
p.0424 むめのはなをおりてよめる 東三條の左のおほいまうちきみ
鶯のかさにぬふてふ梅花おりてかざゝん老かくるやと
p.0425 みちのくうた
みさぶらひみかさと申せ宮ぎのゝ木の下露は雨にまされり
p.0425 上みれば及ばぬことのおほかりきかさきてくらせおのが心にしたみればわれにまさりしひともなし笠とりてみよ空の高さを