p.0533 飮食具以下各篇ニ屬セザル器物ヲ以テ雜具篇トス、衣架、鎭子、烟管、烟草入、眼鏡、爪杖、䙝器ノ類卽チ是ナリ、
衣架ハミゾカケト訓ズ、又音ヲ以テイカト稱シ、或ハ又衣桁ノ字ヲ用イテ、イカウトモ稱ス、衣服ヲ懸クル具ナリ、後世衣紋竹ト稱スルモノアリ、亦此類ナリ、
鎭子ハ、チンシト音讀ス、毯代或ハ臺盤上ノ杷等ノ如キ敷物ノ四隅ニ置クモノナリ、金銅、白石等ニテ作リ、又鐵ヲ布帛ニ裹ミテ用イルモノアリ、
烟管ハ、キセルト云フ、喫烟ノ具ナリ、烟草入ハ烟草ヲ納ムルモノニテ、之ニ烟管筒ヲ具セルモノト、具セザルモノトアリ、烟草盆ハ、火入、灰吹ヲ一器ニ納メタルモノニシテ、或ハ此ニ烟
管、烟草ヲ納メタルモアリ、
眼鏡ハ、視力ヲ助クルモノニシテ、老眼鏡、近眼鏡等アリ、又蟲眼鏡、望遠鏡等ノ數種アリ、而シテ天象ヲ見ルニ用イル眼鏡ノ事ハ、方技部天文道篇ニ載セタリ、
䙝器ハ、便器ノ總稱ニシテ、楲(ヒ)、虎子(オホツボ)、淸器(シノハコ)、尿筒等ノ別アリ、後世小兒ノ便器ヲ、マル又オカハトモ云ヘリ、
p.0534 衣架 爾雅注云、箷、〈音移、字亦作レ椸、和名美曾加介(○○○○)、〉懸レ衣架也、
p.0534 按、美曾加介、又見二空物語藏開上卷、源氏物語葵卷一、今俗呼二衣桁一、〈○中略〉玉篇、廣韻、禮記曲禮正義、皆曰、椸衣架也、無二懸字一、此或衍、按説文、無二箷椸字一、只有二杝字一、云落也、玄應音義云、杝〓籬三字引二通俗文一云、柴垣曰レ杝、知杝卽籬落字、可レ訓二萬賀岐一衣架狀似レ之、故轉名二衣架一爲レ柚、又隷增作レ椸、後變從レ竹也、
p.0534 衣架〈イカ(○○)亦ミソカケ〉
p.0534 衣桁(イカフ)〈カケザヲ(○○○○)〉
p.0534 衣桁(いかう) 衣架 衣箷 衣椸 和名美曾加介 帨架〈○中略〉
按、衣椸、和名美曾者衣(ミソトハミソ)也、掛レ衣(カクルミソ)也、
p.0534 いか 衣架はみぞかけといへり、今は衣桁といへり、されど衣桁は衣を〓すの竿揚也、よて杜詩に翡翠鳴二衣桁一と見えたり、俊賴、
さゝがにのいかにかゝれるふぢばかま誰をぬしとて人のかるらん
p.0534 衣架、かけさほ(○○○○)、〈俗稱〉 上野にてみせざほ(○○○○)、下總猨島郡にてみぞゞ(○○○)と云、筑紫にてならし(○○○)と云、 今按に、みぞゞは御衣(ミゾ)なり、そはさほ(ヲ)の反そなれば、みぞゞと稱するは、古き詞なるべし、疑らくは、平將門の時代の遺風にてやあらんか、又世に衣桁(いかう)を、みぞかけといふも同じ心也、杜甫カ 詩、翡翠鳴二衣桁一と有は、是衣を〓す竿なり、
p.0535 衣架一雙
懸裝束料
口〓一寸三分
柱髙五尺一寸之外根二寸
此間九寸
鳥居木長七尺
金銅鉸
〓一寸三分
口〓一寸二分
金銅木尻柱方平地二方甲也
横土居厚三寸、同下彫四寸、同深八分、
同長二尺一寸、弘四寸、長六尺一寸二分、
弘三寸、厚二寸、面四分、材木七六、木一支、
檜榑二寸
木道單功百疋〈各五十疋〉
漆二升
同脛金圓座
ヌ蒔繪時ハ
書料十四疋〈各七疋〉
磨料百四十疋〈各七十疋〉
金物買直六百八十疋〈各三百四十疋〉
p.0535 もやひさしのてうどたつる事
帳のひんがしのまにひんがしにそへて、いか二つを、きたみなみにたてゝ、そのうしろに五尺の屛風を三帖たつべし、まへにたゝみ二枚をしくべし、つねはいかひとつをたてゝ、屛風も一帖たてゝ、たゝみも一枚しく、つねの事なり、御さうぞくをかくることあらば、まづ御はかまを、いかのしものこしに、みなみにむけて、右をうへにたゝみて、こしひきのべてかくべし、かみのこしに、御 ぞにうはぎ、うちぎぬ、こうちぎ一つをかさねて、れいのきぬたゝむやうに、せおりにして、右をうへにてうちかくべし、かくるほど御そで三寸ばかりをみせてかけよ、いたくみえぬればわろし、もし御からぎぬあらば、それをもたゝみて、御ぞのうへにかくべし、御裳あらば、ふたへにをしおりて、御はかまにならべてかくべし、もしこの御いか、ほかにたつことあらば、いかさまにも、きたに御まくらをもむけ、又たゝみやうをもむけてかくる事あるべからず、いかさまにもびんぎによるべし、
p.0536 一鋪(三條)二設裝束一事
朝覲行幸時、被レ儲二御裝束一事、
北面立二廻四尺屛風四帖一、敷二高麗帖三枚一、〈京筵〉其東〈東西可レ隨二御所樣一〉敷二同帳一枚一、〈國筵〉其東立二衣架一基一、懸二御裝束等一、上層北端懸二亘御裝束一、〈先下懸二紅御張袴一、其上懸二白御衣三領一在二御單一、其上取二御直衣一如レ衣疊レ之、當レ腋程懸レ之、〉南端懸二䙝御衣三領一、〈無二御單一〉其下先懸二紅生御袴一、〈御宿衣被二相儲一之時、止二此䙝御衣御宿衣一、其下懸二御小袖一、〉
懸(中)二御衣一事
衣架上階御裝束二具、下階中央御直垂、〈○中略〉
衣架事
寢殿御裝束ニ並二立二脚一事在レ之、主人裝束ヲ懸コト一具アラバ一脚懸レ之、今一脚不レ撤レ之、二具アレバ懸二一具一、晴ノ裝束ヲバ晴ノ方可レ懸レ之、一脚ニ二具ヲ並懸事、又常ノ事也、
p.0536 かんのおとゞ、むまれ給へる君の御ほぞのを、きり給はむとて、たゞ人はさぶらへ、人のするわざとこそはせめ給へば、このものみぐるしのかたつぶりやとのたまへば、ついゐてなにをめすぞ、おとゞしもなるものひとつとの給へば、さしぬきをぬぎて奉り給へば、いなやいまひとくさとのたまへば、しろきあはせのはかま、ひとかさねをぬぎて奉りて、あないのちな がやとて、みそかけのもとによりてみ給へば、ごたちわらふ、
p.0537 御しつらひなどもかはらず、みそかけの御さうぞくなど、れいのやうにしかけられたるに、女〈○葵上〉のが、ならはのこそ、なべてさう〴〵しくはえなけれ、
p.0537 元永二年十月五日、早旦依二招引一向二伊豫守許一、執レ聟間事、依二日次宜一所二示合一也、〈○藤原公實女嫁二源有仁一、中略、〉
廿一日、巳刻著二束帶一行二向二位經營所一、〈上皇御所大炊殿○中略〉實行、通季等卿、顯隆朝臣、所々令レ立二調度一〈○中略〉東廂際障子前立二衣架一雙一、〈未レ懸二装束一、後聞件衣架南懸二束帶一、北懸二直衣一、聟公所レ著装束、懸二加件衣架一、〉
p.0537 建曆三年四月十七日、東洞院大路見物車多立、今夜通光卿娘、被レ參二六條宮一〈雅成親王〉云々、 十八日、前民部大輔仲能〈本名賴房〉示二送昨日吉事一、亞相先參二六條殿一、〈已始〉御所裝束了歸レ亭、其儀、〈○中略〉西間〈母屋〉立二衣架一基一、〈長保例、常二基、依レ狹立二一基一云々、〉懸二御衣二具一、
p.0537 息女〈○小笠原宗長女嫁二武田晴信一〉出給ふ時、〈○中略〉道具の順は、二の門にて定候也、〈○中略〉
道具輿以下次第之事〈○中略〉
廿二、衣桁二、〈手巾掛○下略〉
p.0537 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徒ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一梨地御衣桁 二 水野美作守勝廣
一梨地御衣桁 二 南部山城守重直
p.0537 二番 左 臺のさほ
みさほにも涙のかゝるこひ衣あはぬかぎりはほされやはする
p.0537 衣紋竹賣(○○○○)
夏月賣レ之、短竿也、或ハ木ヲ削リ、黑漆ニシタルモアリ、其衣ノ汗ヲ乾スノ具也、或ハ竹制ノ物ハ、笊 ミソコシ賣リ、携へ來ル也、〈○圖略〉
p.0538 鎭子 西京雜記云、昭陽殿有二緣羅席鎭子毛一、長尺餘、坐則沒レ膝、有二四玉鎭一、〈陟刀反鎭子、俗音陳之(○○)、〉
p.0538 趙飛鷰女弟、居二昭陽殿一、〈○中略〉綠熊席席毛長二尺餘、人眠而擁レ毛自蔽、望レ之不レ能レ見、坐則沒レ膝、〈○中略〉有二四玉鎭一、皆達照無二瑕缺一、
p.0538 ちんし 鎭子の音なり
p.0538 鎭子十二枚料、熟銅大十四斤、白〓十二兩、鐵二廷、炭十二斛、和炭二斛、單功百人、
p.0538 元日宴會〈○中略〉
御帳南差西去立二小臺一〈○中略〉 上敷二兩面端半帖一、其上立二朱漆御臺盤一脚一、〈近例件御臺盤上有二兩面帊一、四角置二麟形鎭子(○○○○)一云云、〉
p.0538 七日節會裝束
御帳南差西去立二小臺一、〈北屬二御帳一立レ之〉上敷二兩面端半帖一、其上立二朱漆御臺盤一脚一、〈近例件御臺盤上、有二兩面帊一、四角置二麟形鎭子一云云、〉
p.0538 東宮御元服
掃部寮官人、南殿御帳中土敷上鋪二唐錦毯代一、四幅毯代四角置二金銅麟形鎭子(○○○○○○)一、
p.0538 納物
白石鎭子(○○○○)十六箇〈師子形(○○○)八○中略 牛形(○○)六 龜形(○○)二〉
天平勝寶八歲六月廿一日
p.0538 天仁二年九月六日丁未、今日上皇御二幸高陽院亭一、御二覽競馬一、馬場御裝束儀、〈○中略〉毯代四角置二金銅犀形鎭子(○○○○○○)一、
p.0538 釋奠紫宸殿内論義裝束御帳東間敷二二色綾〓代一、四角置二帛裹鎭子(○○○○)一、
p.0539 元正預前裝二飾大極殿一、〈○中略〉鎭子鐵(○○○)一百廿廷、〈廷別納レ袋〉
凡正月七日、預前レ節一日、寮官人率二史生藏部一、裝二飾舞臺一、〈○中略〉設二〈○中略〉鎭子鐵廿廷一、〈並納二布袋一〉
p.0539 堂裝束
鎭子料鐵廿挺、〈○中略〉諸堂悉依二此數一、但大極殿者、〈○中略〉又加二鎭子鐵卌挺一、
p.0539 七日會式
前一日、所司辨二備豐樂殿一、構二舞臺於殿前一、〈○中略〉其日平明、左右衞門樹二梅柳於舞臺之四角及三面一、内藏寮以二縹帶一結著、卽置二舞臺鎭子一、
p.0539 一天皇元服〈○中略〉
敷設等事 南方料〈○中略〉 鎭子四枚在二掃部一
p.0539 小朝拜事〈○中略〉
次御裝束〈○註略〉 垂二母屋御簾一、蹔撤二晝御座一、敷二二色綾毯代一、〈四角置二鎭子一〉
p.0539 希施婁(キセル)〈蠻語〉吹煙(同)管、煙筩(同)、〈又作二煙盃一〉
p.0539 きせる 煙管、又烟吹をいふは蠻語也といへり、京にきせろ(○○○)、伊勢にきせり(○○○)とも云、其初は紙を卷て、たばこをもりて吹ける、次で葭、葦、細竹等をそぎて用ふ、羅山文集にも佗波古〈ハ〉草名、採レ之乾暴、剜二其葉一、而貼二于紙一、捲レ之吹レ火、吸二其烟一と見えたり、其端盛二烟酒一者稱二雁頸一、其所レ〓稱二吸口一、種が島には、えんつうといふ、烟筩なるべし、烟筩も漢稱也、蝦夷島にては、せろんぼといふ、おらんだぎせるは全體すきやの物也、今茵の類に名く、土齒也といへり、又草蓯蓉也といふ、南蠻きせるともいふ、
p.0539 物の名
烟管、きせるも、蠻呼(バンコ)ならん、
p.0540 烟管〈烟吹 烟筩 芬吹 吹管 烟吸 起紗里 起世里 唐土にて用る文字なり〉
p.0540 佗波古、希施婁(○○○)、
佗波古、希施婁皆番語也、無二義釋一矣、佗波古草名、採レ之乾暴、剜二其葉一而貼二于紙一捲レ之吹レ火吸二其烟一、療二諸病一人多爲レ之、其後用二希施婁一而不レ貼二于紙一、希施婁之制、或用レ鍮或用レ竹、其盛二佗波古一者以レ鍮爲レ之、狀如二牛翠花樣一、其底尾有レ孔、斜屈而連二續子竹鍮筒上一、節斷長隨國俗皆順而爲レ之、毎レ有レ會必備レ之、如レ用二酒荈一也、盛二之筥一、其筥髹漆或洒金、其剉刀飾レ室、其灰器或用二小匣一、或以二小壺一皆巾以二綾羅一、甚至下以二黃金一作中希施婁上、
p.0540 醒々〈○磐瀨〉の考に、羅山文集に曰、〈○中略〉きせるの製は、或は鍮を用ひ、或は竹を用ひ、花ばこを盛るものは鍮をもて作る、牛翠花の形の如し云々と、見えしによりて考ふれば、らう竹に、鍮の類をきせて作れるゆゑ、きせらう(○○○○)といひしが、きせるとよべることになりしなるべしといへり、
p.0540 附考幷餘考
幾泄爾(キセル)者、相傳其初漢舶所二載來一、而以二銅鐵屬一制レ之、吾方亦傚レ之、其始制在三兀和年間一云、故視二其古制一者、能似二今時舶來物一也、名曰二幾泄爾一者是亦固非二此方之言一、又校二諸書一、非二渡及和蘭、波爾杜瓦爾(ポルトガル)、其它西洋諸國語一、然而其音頗近二番語一、因竊考二此物一、其舶來之初、吾土人誤三聞番商呼二他物一、而認爲二此物一乎、是亦未レ可レ知也、
p.0540 補 烟管諸國異名
吉設兒(キセル)〈本郛筒呼二拉烏(ラウ)又簳(サラ)竹一、烟管頭、俗呼二雁頸(ガンクビ)一、烟管尾、謂二斯乙古低(スイクチ)一、〉
p.0540 煙草
集解 煙草素自二南蠻國一來、〈○中略〉後蠻國傳二吸管一、此號二幾世流(キセル)一、本邦潤二色之一、其狀用二一竹簳一、截作二一二尺許一、令二中洞通一、上著二銅管一、其端作レ鉤、鉤上設二小盞子一、此稱二(/○)火盞(ザラ/○)一、其竹簳之下又二著二銅管一、其末直下、端窄有レ口、 此號二吸(スヒ/○)口(/○)一、毎剉二煙草葉一作絲、揉撚成レ團、而盛二火盞一點レ火、吸二下管口一、則暖煙至、滿レ口入レ喉、今亦稱二幾世流(キセル)一不レ改レ名、此蠻語未レ詳二名義一、
p.0541 烟管
一名烟筒、俗謂幾世留(キセル)也、竹管謂二羅宇(ラウ)一、皆番語也、其製中間用二小竹一如レ箭稍大、長尺餘、兩頭用二金銀銅鐵鍮等一、一頭長三寸許、其頭屈曲向レ上、似二如意形一、俗謂二雁頸(ガンクビ)一、〈漢人此謂二烟管頭一〉頂上有二小盞一、以爲二納レ烟處一、俗謂二火皿(ヒザラ)一、其一頭長三寸許、其末殺鋭有二小竅一、與二管頭一相通、以爲二吸レ烟處一、俗謂二吸口(スヒクチ)一、〈漢人此謂二烟管尾烟管稍一〉又有下首尾全用二金鐵一者上、此謂二金幾世留一、但御管不(○○○○)レ得(○)レ用(○)レ竹皆用(○○○)二木管(○○)一、以二紫黑檀及黑柿橡等堅質之木一造レ焉、其大如二竹管一、其兩頭同二常管一、凡管長大者、烟味柔和、小短者烟味苛烈、其長短大小、各從レ所レ好也、或美二飾之一者、用二彫鏤堆朱蒔繪梨地等之管一、徒可レ娯レ目、何益二烟味一、
p.0541 喇竽(ラウ/○○)〈煙盃(キセルノ)具〉
p.0541 らう 煙管竹をいふは、もと南天の國の名にして、羅烏とかけり、しやむに近し、黑班竹を産す、烟管によろし、よて此名を得たりといへり、豐後竹、箱根竹なども此類也、
p.0541 烟管をらう(○○)といふ事、天竺の境に、羅宇國といふあり、その所の竹、烟管に用ひてよし、故にらうといふよし、
p.0541 羅宇(ラウ)〈南天竺の内、羅浮(ラフ)國といふ國より産する竹を用ゆ、〉 ヲレウ トウ 安南國〈我國は相州箱根竹極品也〉
p.0541 嘉永二年十二月、近年烟管のラウ竹短きを好み、惚たけ五寸以下なり、
p.0541 月に水鷄なきけるを聞て
灰ふきをたゝく水雞の音す也吸煙管のらうの短夜の月
p.0541 對馬
いらぬきせるのらうがながうて、さまとねたよのみじかさよ、
p.0542 横谷宗珉は、彫刻の名手なること、世に知る處なり、烟草をすきしかど、脂のらう(○○)につくをきらひて、日毎に三四度づゝ、らうをすげかへさせしとかや、打聞ては奢侈のやうなれど、そのらうは葭を用ひしとなむ、されどもこは一癖なり、人にすぐれたる處あるものには、かうやうのこと有ものなり、わろきくせと云にはあらず、
p.0542 きせるをきせりともいへり、佐夜中山集、金鍔(○○)は月に猶はたかゞやきてたばこきせりも共に新らし、昔の烟管に鍔あり、〈鍔は取置になる、是は吸口の席に付ざる爲なるべし、古圖に見ゆ、〉
○按ズルニ、烟管ニ鍔アル事ハ、めざまし草、及ビ扁額軌範ニ載スル所ノ烟管圖ニモ見エタリ、
p.0542 多葉粉初りの事
問曰、世上の貴賤上下共にもてはやす多葉粉の義は、上古來は無レ之物にて、近來のはやり物に有レ之候由、其元には如何聞き被レ及候や、答曰、我等若年の比、或老人の物語り仕るは、多葉粉と申者は、古來は無レ之所に、天正年中、切支丹宗門と申事の世に廣り候時節より、多葉粉も初る也、然ば元來は無レ之所、南蠻國の土産の草抔にても有レ之や、以前の義は、きせる抔を張り申す細工人も稀なる故、直段等も六つかしく、下々の者は、求る義も成りかねるに付、竹の筒のあと先きに節をこめ(○○○○○○○○○○○○○)、大きく穴を明け(○○○○○○○)、先の方を火皿に用(○○○○○○○○)て、多葉粉をつぎ吸申由なり、其元は西國筋より時花出し、中國五畿内にても、我人共にもてはやすなれ共、關東筋に於ては、多葉粉を給ると有レ之義をば、誰も不レ存如く有レ之所に、いつの程か段々と時花出し、きせるを仕る細工人抔も多くなり、竹の筒のきせる抔と申物もすたり候由、件の老人の物語仕たる事也、然ば多葉粉の時花初めは、さのみ久敷事の樣には不レ存候なり、
p.0542 煙草
本草彙言曰、煙草晒乾、細切如二絲縷一、成レ穗裝入二筒口一、火燃吸レ之と、これ今の煙管なきゆゑなり、我國に ても、遠國の窮郷にては、煙管なしに、竹筒の口へ煙草を入て吸ふものあり(○○○○○○○○○○○○○○○○)、
p.0543 紀州熊野路の土人は、今にきせるを用ひず、薜(まさき)の葉などを卷て、其中へたばこを盛て吸、
p.0543 煙具諸圖雜載
阪昌周藏、本邦創製烟管圖、慶長元和際所レ用云、
p.0543 羽州山形民間に得る所、二百餘年前の鐵煙管、〈長曲尺壹尺一寸八分、重五十目、○圖略〉
按に慶長私記西鶴本に出る皮袴組等の男達、下部に持せたるといふも、斯の如き煙管なるべし、
○皮袴組ノ事ハ、烟草篇禁制ノ條ニ在リ、
p.0543 寶永元年
念なう早うどれなりとよべ
戀
袖の香も四寸のきせる(○○○○○○)錦かう 晉子
p.0543 敵なしの花軍
一夜阿波座の東南側のまがきに、〈○中略〉松屋町燒の土火入に、反椀(そりわん)の莨入、取集めたる鍍金煙管(○○○○)片手に、客の文を寄合讀に譏る、〈○下略〉
p.0543 一きせるも品々流行たり、されども大抵今もかはらず、京都の櫻ばり(○○○○○○)のみ、萬代不易の形にて、その比もおとなしき人は用ひたりしが、今もかはらず、又流行もせず、其外品々新作、いづれとも大同小異にて、さして目立たるもなし、しかしながら、昔は打のべのきせる(○○○○○○○)を持者、十人 に三四人も有たり、又女は繼らう(○○○)とて、長きらうを二ツに切て、夫を相口をこしらへ、繼て長ききせるにして呑たり、仕舞時は二つにして、懷中するなり、〈其繼目の相口を角にてするもあり、銀にてするもあり、ほり物など迄に物好したり、〉又懷中きせる(○○○○○)とて、打のべのきせるを三繼にて、入子にしてふり出せば、能かげんの長ききせるになる樣にして、納る時は吸口より入子にして仕舞やうにして、みじかくなるなり、一旦はやりて、殿中御役人など專ら用ひたり、畢竟懷中の爲なり、
又瀨戸物きせる(○○○○○○)もありけり、雁首吸口をきれいに燒物にして、もやうなども燒付たり、是は婦人子供の化粧きせるなり、ともにすたりて、今は餘りしる人もまれなり、
懷中きせるたゝみたる所
懷中きせるふり出したる所
p.0544 螢
飛ほたるたばこの火をやつぎ煙筒(○○○○)
p.0544 濡問屋硯
繼煙管(○○○)を無理どりに、合羽の切のたばこ入をしてやり、
p.0544 長歌
たばことは、まなにはなにと、かくやらん、〈○中略〉客あれば、お茶より先に、たばこぼん、愛敬草に、さしいだす、はなしのたへま、つぎぎせる(○○○○○)、口上ひねり、ふくけぶり、〈○下略〉
p.0545 繼ぎせるも、貞享の初比は、常のきせるみな長ければ、懷に入るゝために作りしなるべし、
p.0545 女は思はくの外
けんぼうといふ男達、〈○中略〉五服つぎのきせる筒(○○○○○○○○)、小者に瓢簟毛巾著、ひなびたることにぞ有ける、
p.0545 昔のきせるは皆長く、小者が肩に打かつぎ行さま、古畫に多くみえたり、きせる筒(○○○○)とは、きせるのことにて、今の如くきせるを入る袋にはあらず、きせるらう長き故、多くは烟袋を結付たり、きせるの短くなうしは、懷中することになりてよう也、
p.0545 寶永二年
齅と頭痛の愈る印傳
花
花見るに憎いきせるや五ふく繼(○○○○)
p.0545 風呂犢鼻褌
當時〈○寬永正保〉は常には煙管をたづさへず、たま〳〵遊行の折は、たづさふる事あれども、みづから懷中せず、奴僕にもたせたるゆゑに、丈いと長し、きせるの頭(○○○○○)、雁の首に似たるゆゑに、雁首の名目殘れり、火皿いと大きし、一代男卷之二、寬永此の風體をいへるくだりに、五ふくつぎ(○○○○○)のきせるとあるは是なるべし、〈○圖略〉
p.0545 寬永の頃、異國よう始て渡る、日本にては假鍮鐵銅等を以て是を造、當時のごとき花美にはあらず、至て粗なるものなり、予藏〈○橘薫藏烟管、圖略、〉長サ三尺、竹のらうを用ひず、遊行の時は、奴僕に持す、
p.0545 烟管 紅毛管甚長、有二三四尺者一、
p.0546 烟管
按本邦烟管處々造レ焉、京師大佛門前、三條橋東、江州水口、同州坂本、及四十九院、肥前後兩州、奧州仙臺、此最有レ名、而大佛管遍二寰宇一、其製各少異二其形容一、又有二後藤竹肥後尺書院數奇屋公平鶺鴿小柳槿花野老土佐小雀懷中中續曆卷管小泉倒輪隱居二朱問屋瓢簟等之品一、其形容不レ同也、又盛レ烟有下亘三多裝二一倍一可三多裝二兩倍一者上、〈渓人謂二一服一爲二一筒一〉不レ能二悉記一矣、
p.0546 近頃異ざまなるきせる出きぬ、雁首吸口は常の如く、らうの處、内ははりがねにて卷たるにや、表はちりめんなどのきぬにて包めり、長さ五六尺より一丈に至るもあり、繩の如く卷きも伸もすべし、遊山などに携へて、木の枝に打かけまとひ付ても烟草を吸ふべし、只一時の興にて、脂をとほすこともならねば、やがて廢りぬ、
p.0546 煙具諸圖雜載
東野作(エゾ)島所レ用管材〈未下刳二大頭一且穿中通中心上者、長一尺五寸七分、木名未レ詳、○圖略〉
p.0546 烟管
紅毛管甚長、有二三四尺者一、〈○中略〉又不レ用レ管、將二全葉一去二中筋一、分爲二兩片一、重卷如レ管、一頭點レ火、從二一頭一吸レ之、此謂二卷淡婆姑(マキタバコ)一、
p.0546 煙具諸圖雜載
卷答跋菰(マキタバコ)管
以レ銀造レ之、濶口之處插レ烟、狹口之處吸レ之、是洋船隷夫所レ用云、余〈○大槻茂質〉嘗得二諸和蘭譯官九皐楢林氏一、〈○圖略〉
卷答跋菰(マキタバコ)圖〈享和元年辛酉八月、印度南島低木兒(チモル)船、漂二著我肥前州五島一、其漂客等所レ用、包紙烟圖、〉 〈烟草粗末者、包以二福州紙一、卷轉爲二一小棒狀一、一頭點レ火、就二一頭一吸レ之、茂質嘗聞、此南蠻地方之俗云、〉
p.0547 喜世留 倭俗良賤、好二烟草一吸レ之、筒謂二喜世留一、是朝鮮所レ謂烟筒也、今處々製レ之、然洛下間(アヒノ)町、幷大佛邊所レ造爲レ本、
p.0547 山城 二條キセル 粟田口キセル 攝津 築島キセル 近江 水無口キセル肥後 隈本キセル
p.0547 石山殿、中ごろことやうなるきせるをつくり出されたりけるを、石山きせるとて、人々もて興じけり、
p.0547 江府名産
池の端きせる 東叡山池の端、地ばりきせるといふ、
p.0547 きせるは、池の端の住吉屋淸兵衞が、田沼ばりとも、出世張とも云るがはやり、其後水野某が好にて、今戸張など出來たり、又その隣家瀧口屋宗八と云へるは、專ら吉原のきせるを作れり、
○按ズルニ、吉原のきせるトハ、江戸吉原遊廓ノ娼妓ガ專ラ用イル所ノキセルノ謂ナルベシ、
p.0547 烟管
たばこの渡りたる時節は、紙を卷てたばこをのみたり、そののち葭あるひは細き竹をそぎて、それにたばこ盛りてのみけると也、〈○中略〉跡先に鍮を用るは、頃年の事なり、
p.0547 水口より石部まで三里半、〈○中略〉此宿には、つゞら籠裏(こり)、釜敷、笠などあみてうる、〈○中略〉水口きせるも名物也、
p.0547 古製煙管圖〈或藏○圖略〉
〈此水口權兵衞所レ造、頭尾別鏤二五七桐花徽號一者、世謂二之太閤樣(バリ)一、卽云、豐太閤所レ用也、未レ知二其然否一、〉
p.0548 煙具諸圖雜載
尾州草月菴藏 同〈○本邦創製煙管〉江州水口製 水口權兵衞吉久〈以二假鍮一製レ之、筒用二竹管一、長三四寸、○圖略〉
本邦烟管、今時所レ用、形狀數品、各從二時俗一、而變改者、不レ遑二枚擧一、是皆人之所二見而知一也、唯此品以二其創制一、故摸二出之一、
p.0548 水口權兵衞所レ造烟筒圖、雖レ載二蔫錄一、年號無レ之、余所レ見者、有二天正五年之刻一、所レ藏之人、所下以二眞物一而寫上云、故今摸二出之一、美成、〈○山崎氏、圖略、〉
p.0548 水口は桐の絞を付、吉久といふ文字あり、風流旅日記、〈三〉水口きせる名物なり云々、火皿に水口とほり付るはいかゞといへり、此粡の紋を、豐臣公の頃、御免をうけて彫付といへるはいぶかし、上に引る訓蒙圖彙に、近ごろといへるにかなはず、
p.0548 此ごろ世間にはいかなることやはやるちん、かたり賜へといひければ、〈○中略〉さればしよてらも多けれど、ほつけのおてら御門跡、上手のくすしもろはくと、丹波たばこに肥後きせる、くはんぜがしまひ、こんはるがうたひは、今のはやり物、
p.0548 若黨 左助
おれがきせる袋(○○○○)に、毛たてばしが有、矢の根をぬくべいとおもつて、入て來た、〈○下略〉
p.0548 一きせるも品々流行たち、〈○中略〉きせる袋も其比〈○延享寬延〉は、皆衣類のたちあまりなんどにて、手前縫たしたり、
一翁〈○森山孝盛〉が在番の比〈○安永年中〉は、〈○中略〉たばこ入ぎせる筒(○○○○)を、ゑぞにしきなどにて拵へ、銀のくさりを長く紐にして、銀の火はたきを根付にして用ひたり、近き比に至り、革のきせる筒を仕出して、男向御番御役つとむる者などは、一般に革のきせる筒を用ることに成たり、是等は革の方おとなしく、やにも通らず、一段と人情の趣く所よろしかるべし、
p.0549 大高子葉煙管筒
下に圖をあらはす、〈○圖略〉煙管筒は大高源五、常におぶる厨の物なり、京師にありし時、みづから俳諧の句をかきつけて、小野寺氏の僕、久右衞門と云者にあたふ、久右衞門後に金粉を以て、これを修飾しけるよし、京四條室町河津氏、これを得て秘藏しけるを、予〈○岩瀨京傳〉が好古の癖あるをきゝて、これをゆづらる、別に傳系の書ありといへども、こゝには略しつ、
p.0549 伊勢 キセル通(○○○○)
p.0549 雜
おれすまがらずとほらざりけり
きせるあらふ鯨のひげ(○○○○○○○○○○)のみじかくて
p.0549 きせるとほしといふもの、昔もあり、〈○中略〉今ははりがねにて造れ共、古製の如く、鯨腮にて造らばよからん、
p.0549 光明眞言歌仙 檀特庵述
タ 抱て見るほどの木はなき花千もとラ らう竹とほす蘆の芽の錐(○○○○○○○○○○○)
p.0549 幾世留張(キセルハリ) 今二條通富小路に、櫻やといふ者あり(○○○○○○○○)、其先祖これをはじむとかや、むかしは葭(ヨシ)をそぎて、それにてのみしとなり、京間町通二條の下、三條大橋の東大佛におほく住す、近比水口坂本團子や(○○○○○○○)、これ名物なり、
p.0549 らうのすげかへ(○○○○○○○)
らうのすげかへ、きせるの安うり、鼠や櫻ばり、如心でも、今戸でも、よくとゝのへたれば、えりどりにめせかし、
p.0550 無節竹師(ラウシ) 品々塗色(ヌリイロ)、化彫(ケボリ)、籐卷(トマキ)、靑具等あり、諸商人にこれをうる、中京所々にあり、
p.0550 タバコは、日本にては、關原陣より後の事にて、六十五六年になる事なり、されど南都の東大寺の三倉に、大きなるきせる(○○○)有となり、されば其以前よりすふ事有て中絶したるか、但異朝より渡りて、珍らしき物故に、三倉にこめたかとなり、又烟草より外にも、烟りを吸ふもの有たか、
p.0550 百四五十年以前、圖する所のきせる甚麁末なり、然處近年の烟具を見るに、筩包爐壺、皆錦繡金玉を以てす、巧を盡し精を極、是を飾て其費を厭はざるは、愼むべきの一つなり、
p.0550 烟草
最初は幾世流(キセル)とて、小き竹の節を留め、火皿の大さに作り、筆の軸に似たる物を横につけ、其烟を吸ひしなり、〈○中略〉其後黃銅の幾世流出來たる時も、自身には所持せず、家々にこしらへおき、人の來る時取り出し、請取渡の禮あり、年々流行するに隨ひ、次第に增長し、今は其法の廢るのみか、勿體なき白銀黃銅の國貨を以て烟器を作り、或は錦繡、綾羅、斑毛、皮革の文物を以て草具を製し、其弊年々いふばかりなし、〈○中略〉金、銀、銅、鐵は勿論、錦繡、綾羅、斑毛、皮革の類、國家の貨物を消鑠する事廣大なり、
p.0550 天明九酉年
町奉行〈江〉
總〈而〉奢たる品こしらへ申間敷、〈○中略〉
一きせる其外、もてあそび同前之品ニ、金銀遣ひ申間敷候、〈○中略〉
〈酉〉三月 ○按ズルニ、此ヨリ後寬政元年三月、嘉永六年十月、重テ同令ノ發布アリ、今之ヲ略ス、
p.0551 天保十三年六月廿二日、水野越前守殿〈江〉伺之上申渡、
市中取締掛名主共
百姓町人共、金銀之品相用申間敷、心得違ニ而所持致居候分ハ、其品早々金銀座へ差出、引替可レ申旨、去戌年中相觸候處、今以銀喜世留(○○○○)、其外金銀具之品、所持致候もの有レ之哉ニ相聞、不埓之事ニ候、〈○中略〉若申渡候趣不二相用一、隱置不二差出一族有レ之候はゞ、早々申立候樣可レ致候、
寅六月廿二日
p.0551 此ころ白石先醒の手簡を見るに、これも大きに煙草を好まれしよしにて、且仙臺の煙管を得て、喜び贈られし古詩長篇あり、めづらしくてこゝに寫す、
戯謝三洞巖老惠二金烟管一二十韻
相思千萬里、芳草旣爲レ烟、遙謝琅玕贈、何酬錦段鮮、班々雙涙竹、艶々並頭蓮、鵞管長且細、螺杯小復圓、彎如二象鼻一曲、飜若二馬蹄一翩、聊比繞朝策、何論武子錢、碧笛宜二共飮一、靑簡豈須レ編、王衍曾揮レ塵、蘇卿本囓レ氈、趣同餐レ蔗境、狂似嗜レ茶顚、絶勝梹榔醉、要下將二桃李一憐上、丁香香自結、柳線々猶率、朱焔龍〓レ燭、丹爐虎伏レ鉛、飛レ灰金琯内、擊レ節玉壺邊、流水歌二幽雅薫風和二舜絃一、帷中非レ借レ箸、陌上是遺レ鈿、不レ羨餐霞客、還懷服氣仙、吐成玄圃霧、漱作白雲泉、嘗蓼心良苦、紐蘭佩可レ揖、微陽回二黍谷一、尺寶出二藍田一、因知蓬瀛侶、徒勞二採藥船一、〈以上〉私加レ點て童蒙に便す、
p.0551 瞽婦殺レ賊
近頃〈○文政年間〉の事なり、武州忍領の邊へ、冬時に至れば、越後より來る瞽婦の三絃を彈じて、村々を巡りつゝ、米錢を乞ふ有けり、或冬忍領の長堤を薄暮に通過せるに、忽後より呼び掛くるものあり、瞽婦〈○此間有二闕文一〉卽自ら吹く所の管頭(ガンクビ)を指し向くるに乘じ、瞽婦摸索し、我が烟草に火の通ぜざる まねして、大人口づから吹きたまへといふ、盜何の思慮もなく、力を入れて吹くに及びて、其機を測り、忽ち盜の烟草を握り、躍り掛りて、力に任せて咽喉を突く、盜不意を討れて、大に狼狽して、仰けに倒れぬ、瞽婦直に我が縕袍を摸取し、虎口を遁れて、兼ねて知れる村家に投宿し、右の狀を話す、翌朝村人堤上に來て見るに、盜遂に一烟管の爲に、急所を突れて死せりと云ふ、七尺の大男子、一瞽婦に斃さる、又天ならずや、〈武州忍の在なる、吉次郎といふ者の話なり、〉 遯庵主人記
p.0552 烟管のつよく結たるには、鹽湯か味噌汁にて通す時は、悉流るゝ也、少しつまりたるには、吸口より大指と人さし指にて五寸程はかりて、聢と押て吸つくれば、よく通なり、これは呪なるべし、
p.0552 寬字銀
同書〈○唐書〉に云く、鐵葉皮紙皆以爲レ錢と、今のきせるのがんくびの古きを、錢へ雜ふるも、この類なり、
p.0552 莨菪管銘
竹柄銅管、合爲二一筒一、上曲下直、外長内通、呼吸之息、淡烟之風、攪レ睡伴レ寂、閑味參同、
p.0552 たばこ袋(○○○○)
たばこの世に專らはやりて、中熨よりは、みづから持て人の家にいたりても、又は野邊などにも持行て、くゆらす事にはなりにたり、さればたばこといふものをいるゝものなくてはかなはぬゆへに、初はかみにつゝみてもたり、そは元和寬永の頃かとよ、今こゝに出せる圖をもて、そのさまをしるべし、さてそれより袋にいれたり、ゆへにたばこ袋といへう、そは次にいだせるあやめ鏡の繪をもて、そのおもむきをしるべし、〈○圖略〉
p.0552 四匁七分の玉もいたづらに 出口の小間物店に佇みけるに、村川六郎右衞門が、醉機嫌の聲して、長袋の烟草入(○○○○○○)があらば、取つて置けと、門まで送る女房に言葉殘すも可笑し、
p.0553 淫婦の美形
今の世のよねの好きぬる風俗は、〈○中略〉禿いひやりて、供の者に持せおきし、白き奉書包の烟草(○○○○○○○○)とりよせ呑むなど、〈○下略〉
p.0553 多葉こ入の製もいろ〳〵有て、筆にも盡しがたけれども、とかく奉書の紙に入たるよしと也、奉書の紙も、繪やかすみて書たらんはさもなかりし、白きをよしとすべしと云り、
p.0553 濡問屋硯
繼煙管を無理どりに、合羽の切のたばこ入(○○○○○○○○○)をしてやり、
p.0553 往事雲千里、高名土一丘、
近い御幸の東迄沙汰 潮朝
翌の日も期さのは紙のたばこ入(○○○○○○) 沾山
p.0553 無節竹師〈○中略〉 菪莨入(たばこいれ)、紙をもつてさま〴〵につくる、所々にあり、革は滑革師これをつくる、寺町通の下にあり、
p.0553 寶曆六子五月、京都ヨリ、紙ニ蠟ヲ引、漆ニテ斑ヲ入、ベツカフノ如クシタル烟草入下ル、代三匁位、大ニハヤル、
p.0553 羊羮といふ紙烟草いれ(○○○○○○○○○○)、四五十年以前、江戸橋四日市の竹屋淸藏にて、かます形(○○○○)なるを百文づゝに賣たり、其後松本屋といふ、紙たばこ入の棚を、田所町に出して、くすべ紙のよきを製す、
p.0553 竹屋は、松本が紙に勝んことかたくなん(○○○○○○○○○○○○)、
p.0554 稻木〈○中略〉 産物紙煙草入〈此の地に之を鬻ぐ家多し〉
本舖を池部某と云ふ、稻木神社の東隣に住し、壺屋(○○)と號せり、祖先の代より、菅笠桐油合羽等を製造するを業とし、終に桐油を以て、紙烟草入を作ることを發明したり、其の年代詳ならず、古き狂詠に、夕立や伊勢の稻木の烟草入ふるなる光るつよいかみなり、などいへり、當時の製は、頗質素なりき、〈○中略〉凡南勢の地方にて、紙烟草入を鬻ぐ家は、必壼屋の記號商標を掲ぐ、然せざる時は、往來の旅客、顧みる者なしと云ふ、
p.0554 榮花咄、五しぼり紙の烟草いれ(○○○○○○○○○)百を、十八文のぬひ賃、心細き糸仕ごと云々、これはちりめん紙の類にて、油紙にはあらぬなるべし、質素なることなり、江戸にては、紙烟草入とだにいへば、油紙のことゝなれり、其製は江戸にて、伊勢の壺屋紙にならひて、次第に上品出來たるは、四五十年にも及ぶべし、
p.0554 鼻紙袋のはじめ
煙草入は、余の幼年〈安永中〉の比は、今の鰐袋 の形にて、皆こはぜがけなり、表は似た山木綿、裏は黑繻子、鼈甲のこはぜがけなるを、上なきものとして、人も手に取て見る程なり、價は五匁位なりしに、安永の末の比より、丸角はやり出だし、〈今も室町に店あり〉銀の櫻鋲に織部形の かやうなり、是今いふかな物の起立なり、又此同家にて織部形といふ煙草入をはじむ、 此形今にのこる、天明の比は、かの通人ども、銀の櫻鋲に、織部形烟草入を持たざるはなし、寬政に到りて、淺草田原町に、越川屋といふ袋物見世はやり出だし、懷中ものに一層の奢侈を增長せり、
p.0554 扇鼻紙袋たばこ入の類まで、色々に移りかはりたり、〈○中略〉たばこ入、翁〈○森山孝盛〉が竹馬の頃、〈○延享年中〉たばこ呑習ふ頃は、奇麗なる油紙のひとへなるを櫛形にして、廻りをかんせん縫にして、紺靑にて、女は役者の紋所なんどを隅に少さく書たるを用るもあり、男は無地、又は奇麗に 墨繪など書たるをとゝのへて用ひたり、或は柿澀に砂糖を入て摺交て、厚紙へ何遍も引ば、あつく成て、皮のごとくなるを、能き頃にたちて、廻りをかんせん縫にして、たばこ入に用ひたり、おとなしてて御役人などの持べきものなりけり、又びいどろ紙とて、かんてんをうすく板へながして、能がはきたる時、へがして紙のごとくなるを、かんせん縫にして、たばこ入に用ひたり、たばこの色すき通りて、景氣なるものなり、子どもなどの持べきものなり、〈○中略〉たばこ入も、紙のこしらへ方、次第に高上になりて、今はきれよりも價貴し、是等は全く今の奢にて、貴き價を費す位ならば、きれのたばこ入をとゝのへて用る方ましなり、
紙たばこ入能くなりて、きれは餘りうれざる故に、次第にきれも心易く上る樣に、もふるどんすにまがひなど織出して、きれは下直なる紙の方はよくうれるゆゑ、次第に工夫して高直になる、買人も其通りに押うつりて用ゆる、夫是いかなる人情なるや、愚意分ちがかたし、
紙たばこ入
其作者の形容、伊達下手物好は廢りて、今の氣向は出ず入ず、目に立ず、殊に辨利にて、質素なるを專らとする風俗に成たる人の、いかなればたばこ入なんどの、いか樣にても可レ濟ものなるを、きれゟ高き拵らへ紙を用ひ、郡内にはめもかけずして、さやちりめんを著するは、いかなる心にかいぶかし、所レ謂こゝに賢くして、かしこにうとき類ひ成か、何事も其時代にむかひて、實不實の差 別なく、うつり行人情こそあだなりけれ、
p.0556 濱の御庭へならせられし時、輿丁等御歸り待ほど、御輿をおろしたる側に、煙草のみて、互に戲れごとなど云しに、一人の輿丁坐睡して、手にもちし烟具をみな御轎のうちにおとしけるをしらずありしに、はやかへらせ玉ふとうちおどろかされ、狼狽してそのまゝにして御轎をかき出せしが、途にてこはいかゞとおもひわづらひ、かへらせ玉ひし後、御轎の中を探りもとめしかど、さらになければ、彌いぶかしく、やがて御轎のなかの御茵をあげしかば、其下に管も袋(○)も紙につゝみてあり、これははじめ御茵の上に在しを、人の見付たらんには、重き罪たるべしとて、わざと御みづからかくはせさせ玉ひしなるべしとて、その輿丁ひそかに人にかたりて涙を流しける、
p.0556 女用の烟草入(○○○○○○)、きせる、扇、鏡袋、履物等に至るまで、大方男持の少し小さきを用るなり、烟草入は腰にさし、扇は帶のうしろにさし、履物は草履をはかず、
○按ズルニ、皇都午睡ハ、嘉永年間ノ江戸風俗ヲ記シヽモノナリ、
p.0556 八丈島
風俗、〈○中略〉婦人烟草入ヲ木皮ニテ製シ、紐ヲ甚長クシテ、ネリ玉ヲ貫キ腰ニ下ル、
p.0556 烟盒(○○)
俗謂二烟草入一也、多用二漆器(○○)、或陶窑(○○)、或曲輪(○○)、〈漢人此謂二卷環一〉梨地(○○)、〈漢人此謂二噴金一〉蒔繪(○○)、〈漢人此謂二描金一〉彫紅(○○)、螺鈿(○○)、及銅鍮(○○)、紙器(○○)〈俗所レ謂張子之類也〉等一、其形容不レ一、各從レ所レ好用レ之、納二縷烟一居二盤上一、
p.0556 敵なしの花軍
一夜阿波座の東南側のまがきに、〈○中略〉松屋町燒の土火入に、反椀(そりわん)の莨入、取集めたる鍍金煙管、片手に客の文を寄合讀に譏る、
p.0557 濃紫煙盒(○○○○)
黑柿ニ蒔繪銀具〈○圖略〉
p.0557 ある所にて、烟草の箱(○○○○)に書付たるを見しに、手拈姑〓千年草、口吐蓬萊五色雲、何人の一聯にや、詠物にて前後ありやしらず、一興に付すべし、
p.0557 多波古〈○中略〉 近世本朝之流風、而家々有二來賓一、則寒暄談未レ了中、先出二烟草一、盛二是於筥一、理二火於銅鐡器或磁器一、是稱二火入一、幷棄二所レ吸之渣滓灰燼一器、幷火入等之二二居二方盆或圓盤一、是謂二多波古盆一、
p.0557 烟盤
大小長短不レ同、有二方者一、有二圓者一、有二提者一、有二四輪者一、有二卑者一、形容不レ一、或素質、或曲輪、堆朱、螺鈿、蒔繪、梨地、唐金、朱黑漆等、各從レ所レ好造焉、 出二攝州有馬一者、皆以レ竹製レ之、出二駿州府中一者、多二提盤一、
p.0557 考證雜話
芬盤(たはこぼん)といふものは、〈ある説に、志野家の人、某の侯と謀て、香具をとりあはせたりといへり、〉香具を取あはせて用ひしとなり、盈は卽ち香盆、火入は香爐、唾壺は炷燼壺、煙包は銀葉匣、盆の前に、煙管を二本おくは(○○○○○○○○)、香箸のかはりなりとぞ、後々に至り、今の書院たばこ盆(○○○○○○)といふ樣の物出來ると也、大人〈○大槻盤水〉往年長崎に遊學(ものまなび)給ひし時、土俗たばこ盆の事をかうぼんといひ、老婦女などは、客來れば、かうぼん持てわたいといふ、わたいとは、渡れといふ事にて、持て來のこゝうと聞ゆ、かうぼんは、だばこ盆を促(ちゞめ)呼と覺ゆと冷笑せしに、かうぼんは、卽ち香盆にして、昔の辭の、西鄙には今に殘りし事と思知だり、〈香盆の事、往年間氏に聞しも本説のごとし、但煙包は香盒或は香包也、外に長き竹二本、先をそぎたるを添ふ、こは香箸を轉ぜしにて、そぎたる所へ煙をつぎて用ひしと也、〉
p.0557 一たばこ盆と云物、京都將軍〈○足利氏〉の時代にはなかりし也、寬永年中、南蠻國より渡りしと也、それ故舊記に煙草盆の事なし、今の世のならはしにて、貴人の御前にては、たばこを吸 はぬを禮とする事、尤なる事なり、
p.0558 煙草盆古器
津侯〈藤堂氏〉の家に、古き煙草盆あり、高虎君の比のもの也とぞ、松板にかな釘を打てつくれる也と、淸末侯〈毛利讃州〉の話なり、
p.0558 元祿十三年
出し入やすきはやみちの錢
まぎれずに返す芝居のたばこ盆(○○○○○○○) 晉子
p.0558 船の圖 淸水寺奧院
寬永十一年末吉船本客衆中とあり、北村忠兵衞畫、〈○圖略〉 爰に圖する所は、寬永十一年の圖にて、〈○中略〉多葉粉盆の中に、木の眞中に穴を鑿、きせるを通せる圖あり、今斯の如き事を爲さず、きせるの轉ばざるためか、元祿年間、千宗佐號仙叟が好に、吸口の方に輪をはめたるあり、こは吸口の疊に付ざる爲に造るとぞ、古へは客あれば、必多葉粉盆にたばこ烟管を添出し、茶に次てこれを勸む、客夫を取て呑し也、今の如く、きせる多葉粉入を、自ら持步行し事はあらず、
p.0558 烏丸亞相〈光廣卿〉は、扇箱〈三本入〉を硯箱とし給ひ、徂徠先生は、烟草盆と硯箱と一つなりしなど、きくも有がたし、
p.0558 煙爐(○○)
俗謂二火入一也、以貯レ火、大小高低方圓不レ一、其製有二銀鍮唐金及瓷器等之異一也、宜二稍大一者、以能貯レ火、久之不レ滅也、其小者不レ堪レ養レ火也、
p.0558 敵無しの花軍
一夜阿波座の東南側のまがきに、〈○中略〉松屋町燒の土火入(○○○)に、反椀(そりわん)の莨入、取集めたる鍍金煙管片 手に、客の文を寄合讀に譏る、〈○下略〉
p.0559 物の名
唾壺を灰ふき(○○○)といふは、烟草といふもの渡て後のことならん、灰は烟草の燒殼をいふ歟、
p.0559 烟壺
俗謂二灰吹一也、以棄二烟燼一、俗謂二吸殼一也、〈漢人此謂二烟糞一〉且以吐レ唾、其器用二唐金或瓷器一、長三寸許、大一寸餘、其形容方圓不レ同、或用二靑竹筒一、以三淸潔不レ穢屢易二改換一也、
p.0559 戀
灰吹(○○)の靑かりしより見そめこし心のたけ(○○)もうちはたかばや
○按ズルニ、此歌ハ、袋草紙ノ賤夫ノ歌ニ、しぐれする稻荷の山のもみぢばはあをかりしより思ひそめてき、トアルニ據レルナラン、
p.0559 烟具
所レ謂盒(○)、管(○)、爐(○)、壺(○)、盤(○)也、盒以納二縷烟一、管以吸レ烟、爐以貯レ火、壺以棄二烟糞一、盤總二載四者一之器也、又有下兼二備香箸灰押〈漢人此謂二香抄一〉小羽帚一者上也、
p.0559 當代奇覽と題せるものに、あらゆる雜談有り、十が一爰に拾ふ、一寬文の頃迄有し古老の云く、多波粉の渡りしは近き事也、南蠻人、我朝に來て呑初たり、其時は小蠟蠋を燈して呑たり、去に仍て日本人も小蠟燭にて呑み、夫より間もなく、世界にはやりもて長ずる事になれり、〈○中略〉しかれども今の如く烟草の道具はなし、竹ぎせるとて、細き竹の節を込め、漸火皿程に切、筆の軸程なる物を、夫へ横に付て呑し也、夫さへ持たる人稀也、下々抔は、直に烟草の葉をぐる〳〵と卷、呑口に紙を卷き、火を付て呑たり、大身の大名の烟草飮んと有時、近習小性片手には、つるの付たる火入に火を入れ、脇に小石を置、片手には、唐革の二尺四方程なるを四 つに折持來り、主人の前に置、革の内にはきせる烟草あり、其革の上に火入を置て、たば粉をつぎ指出し、飮給て後、石にて灰を落し、右の革を元の如てに仕廻ふ、大名さへ如レ此、况や下々に於て、今の樣紅多葉粉盆などゝ云事一切無し、
p.0560 烟草は先代よりきこしめさるゝことなりしかど、もとより表立しことならねば、それを司るものも、内の御用と名付よべり、御火壺は眞鍮の器をのみ用ひ玉ひ、御烟筒は銀のほか用ひられず、〈○中略〉烟架をつくられしとき、近習の人に仰られしは、かりそめの調度とても、世の末になり行ほど、華美にはうつりゆくものなり、天下に主たる身としては、いさゝかのことまでも心をこめて、華美にならざる樣になすべき事なりと、仰られしとぞ、
p.0560 昔はなくて當時行れ、是がために口を糊する人、世間に滿るもの、茶と煙草なり、此二品の具を造る人も、夫を交易する人も、此物どもなき代には、何をしけんとあやしまるゝ計なり、
p.0560 附考並餘考
甚矣哉、澆季之俗驕二奢淫三溺于事物一也、而喫烟之興趣、爲二最盛一焉、乃觀二方今煙具之製一、筩包爐壺、皆以二錦繡金玉一彩二飾之一、而盡レ巧極レ精、曾不レ慮二其費一、滔々流弊、浸二漬于海内一、其奪二民時一、賊二國家一、聖人復起未二如レ之何一已、
p.0560 或人曰、烟草一式の其をこしらへる職人、諸職の内、三分一ありといふ、さもあるべき歟、
p.0560 靉靆(メガネ)〈事見二百川畢海一〉 眼鏡(同)
p.0560 めがね 目金の違はぬといふは、度をさしがねともいふをもてなり、眼鏡をめがねといふも義同じ、古歌に、
めがねさす光は穴にくまなきをいかでみ雪に目をきらしけん、方輿勝覽に、滿刺加國出二靉靆鏡一といへば、もと西域よめ始れる物なり、もと硝子を用う、日本には水晶を用ゐ來れり、水晶は日 本の産を天下第一とする事、本草にも見えたり、遠めがねは千里鏡なり、人相めがねは天眼鏡なり、數めがねあり、火とり目がねあり、虫めがねは七奇圖説に顯微鏡といへり、されば蜘蛛の足二三歲の小兒の臂ほどに見え、人髮拇指の如き大さに見え、竹の節のごとく細かに節ありて、少年の髮は節遠く、老年の者は節つまれりとぞ、
p.0561 長崎土産物
眼鏡細工 鼻目鏡 遠目鏡 虫目鏡 數目鏡 磯目鏡 透間目鏡 近視目鏡 長崎住人濱田彌兵衞といふもの、壯年の頃蠻國へ渡り、眼鏡造り樣を習ひ傳へ來りて、生島藤七といふ者に敎へて造らしめたるより、今にその傳なり、
p.0561 本玉の眼鏡と云ものは、眼の爲によろしといへど、實は甚よろしからずとぞ、今日本にて、制せしめがねは眼の爲によろし実眼は靑き色を藥とし能有として、眼を專はらつかふ者は座右に石菖蒲などの物を置て眼を育なり、日本制の目鏡は自然に靑み有てよろし、本玉の目鏡は白きに過ぎ、其上寒冷の氣勝故、眼を虚寒せしむ、眼に損有て益なし、眼は常に外より温め内より凉からしむるによろし、かならず寒冷の氣勝しむべからず、眼の性を養ふ十訓は、一淫、二酒、三湯、四力、五行、六音、七苦、八風、九白、十細といへち、誠に一身の日月にして明らかならざれば萬事休す、先文と云武と云、及二四民一とも、失明して、は身を立る事難し、扨阿蘭陀人のたしなむ眼鏡は、皆靑玉なりとかや、本玉益あらば阿蘭陀に用ふべきに、左なきを見れば和産の物然るべし、
p.0561 靉靆
提學副使潮陽林公、有三二物如二大錢一、形質薄而透明、如二硝子石二如二瑠璃石一、如二雲母一、毎レ看二文章一、目力昏倦、不レ辨二細書一、以レ此掩レ目、精神不レ散、筆畫倍明、中用二綾絹一聯レ之、縛二于腦後一、人皆不レ識、擧似問レ余、余曰、此靉靆也、出二子西域滿刺國一、或聞公得二南海賈胡一、必是無レ疑矣、後見二張公方洲雜錄一、與レ此正同、云見下宣廟賜二胡宗伯一物上 卽此、以二金相輪廓一而衍レ之爲二柄紐一、制其未レ分則爲レ一、岐則爲レ二、如二市肆中等子匣一、又孫參政景章、亦有二一具一、云以二良馬一易二得于西域一、似下聞二其名一爲中僾逮上、則其二字之訛也、蓋靉靆乃輕雲貌、如下輕雲之籠二日月ネ上レ掩二其明一也、若作二暖〓一亦可、
右愼懋官花夷珍玩續考に見へたり、眼目昏倦の人老人など、書を讀に重寶の器なり、若年の人もこれをかくれば、眼力を養助て、老後目力つよしと云、舶來のもの、此土にて製するもの世に多し、おの〳〵硝子にて作る、よきものは水晶にて作る、或人水晶の眼鏡をかけ、書を讀てありしが、天の陰陽を試んとて、窻をひらき天を見る、日光水晶にうつりて、たちまち兩眼盲となりしとや、愼べし、今幷記して世に知らしむ、恐るべし、
硝子より水晶目を助養によしと云、其是非未レ試、くもりを拭には、やはらかなる絹を用ゆべし、燈心などはあしゝ、但し硝子と水晶と見わけがたきは、舌にてねぶり見るべし、其冷〈ナル〉かた水晶也、別て夜學に用ひて、燈煙目にいらずしてよし、
p.0562 眼鏡 靉靆 女加禰
百川學海云、靉靆出二於西域滿利國一、如二大錢一色如二雲母一、老人目力昏倦、不レ辨二細書一、以レ此掩レ目、精神不レ散、筆畫倍明、
按、靉靆眼鏡也、用二水精一切片以二金剛屑一磨琢造レ之、隨二老壯一有レ異、如二老眼一爲二微凸一、如二壯眼一表裏正直、如二中老一表正直裏微窪、但老人以二壯眼鏡一視、則遠物鮮明、而近物不レ明、
近眼鏡(○○○) 表微凹、裏微凸、
遠眼鏡(○○○) 作二三重筒一、伸縮各口嵌レ玉、其本玉如二老眼鏡一、中與レ末如二壯眼鏡一、但本朝所レ作者不レ能レ視二三里以上一也、宜レ用二阿蘭陀靑板一、蓋此彼國硝子矣、與二和硝子一合二鎔之一、則甚堅而不レ解、
蟲眼鏡(○○○) 玉厚、表凸裏平、嵌レ盒、投二蚤蝨視レ之、其形大而蚤似レ獸蝨似レ鯎、其餘細物亦然、 數眼鏡(○○○) 表平裏如二龜甲一爲二稜形一、或五或六隨レ數見、
凡水精出二於加賀一者、色潔白佳、出二於日向一者次レ之、他不レ佳、近世多以二硝子一爲レ之、試法水精粘レ舌稍冷也、斜覘レ之純白也、硝子帶二微靑色一、
凡琢二眼鏡之垢職一、浸二木灰汁一一宿可二磨去一、尋常輕用レ唾可レ拭、但忌下吃二煙草一未レ經レ時者唾上、
p.0563 目鏡
丸目鏡(○○○)〈瞹〓、靉靆、〉これ常に用ゆるの目がね、若年、中年、老年のわかちあり、若年は玉うすく、みな硝子也、中年ゟ段々と老年にいたるほど玉厚く、本水晶を用ゆ、すいしやうは上にいふごとく、近江ゟもいづれども、日向水晶ならでは、目がねには宜しからず、合せ砥にてかたむらなく、至極よくすりあぐべし、びいどろ玉は、中古唐ゟわたる所、厚〈サ〉壹分あまり、大根の輪切のごとくにして來るを、和にて又丸みをなをし、兩面ゟよくすり、あつき薄きは中年若年、その程々に仕たつる、又朝鮮ゟ來〈ル〉白びいどろの菊ちやわんあり、その破たるを一ツにし、火消つぼの蓋に入、その上に又同じ通のふたをあをのけにのせ、それに炭火をつよく熾し、一時計も置に、右のちやわんみなとけて、蓋のうへに一ツに溜、扨上の火をとり、蓋ながらさまし置ば、いかにもむらなくとけて、當に淪たまるを、よき程にまろくし、兩めんゟ摺て、右目がねの玉につかふ、薄き厚きはその好によるべし、緣は象牙、くじらの髭、鵜のほね、眞鍮等、家は箱入、薄皮まがひ、黑ぬり、せいしつ、朱ぬり〈○註略〉なんどみな唐紛也、草なるは、經木板に紙ばり、墨ぬりの上をすり漆して用ゆ、いかにも安物の仕立也、近目鏡(○○○)、近視の人是を用ゆ、もり玉とて、玉の表に少しふくらをつけ、うらをまんろくにする也、尤水晶にて製す、びいどろは用ひず、 瑕目がね、刀わき指のきずをあらため見るに用ゆ、右に同じくもり玉しかけにして、少し相違あり、他事に要なし、尤水晶玉也、 虫目がね(○○○○)、これもこりだま、筒のうちに仕入る、 遠目鏡(○○○)、上百里ゟ下十里五里三里等あり、かな筒あり、なまり筒あり、内にいる る玉の數、本末に二枚、それゟ三枚四枚、大にいたりては八枚迄もいるゝあり、まづ大概手元の玉を内ぶくらにして、外をろくにす、末の玉も同斷、大ニいたりて中にいるゝ隔の玉は、いづれも常の目がねのごとし、されば眼に覆ふ目鏡の玉は、外にふくらあれば物をちかく見する、影にむかふ鏡の面、上にふくらあれば、物をちいさく間遠に見せ、又しやくみて凹なれば、物を廣大に見する事、ちかくは世に有髭鏡にてしんぬべし、畢竟此遠目鏡も、爰の此道理にて、元來を工夫したるべし、尤五里十里までの堺を、眼前に見する仕かた、和の製作にも有とはいへど、唐渡ならでは、本來さいくに上品はなし、月めがね、長崎ニ仕手あり、製作口傳、月を近く見せ、滿月ゟ半月の虧の分量をよく考みる、かけて月にむかひ瞬なし、 日目鏡、製作口傳、かげまばゆからずといふ、 日取目鏡(○○○○)、尤目鏡にかぎらず、炎天に水晶のほくちに火のうつる事、世に人のしれる事也、しかし此白取玉には、日の火をうくるを、專に製作する、殊にはしかけに少し傳もありて、火のうつる事早し、故に名とす、 月とり目鏡、これ滿月にむかひ、水を取やうに仕やう有、是も水晶の吉水にて玉をつくる、水をとる事すこし口傳、 五色目鏡(○○○○)、玉のうへを三角にし、すこし勾倍に見る、物の色五しきにうつる、 七ツ目鏡(○○○○)、六ツ五ツ、右みな同じ事也、一ツのすがた、七ツ六ツに見する事、玉を六角七角に中高にする、角の數に、物のしな形をわかつて見する也、 横三ツ目鏡(○○○○○)、一ツの物、横に三ツに見ゆる、 逆目がね(○○○○)、總じての物さかさまに見ゆる、但筒にても作る、筒なしも作る、 八方目鏡(○○○○)、上下東西南北ゟ來たる人をうつすに、こと〴〵く玉の中に人影うつる、おらんだ人指にはめて指のかざりとす、 日蝕目がね(○○○○○○)、日蝕を見る目がねなり、肉眼にてはまばゆくして拜みがたし、水にうつしてもとくとは分明ならず、この目鏡にて見れば、目まばゆからずして、その細交を拜する事つまびらかなり、これ唐作の珍物也、他の物を見るには、羅をへだてたるがごとしとそ、
p.0564 千里鏡(○○○) 正字通云、今西洋國千里鏡、磨二玻璞一所レ成者、以二長筒一窺レ之、見二數千里一、復制二小者于扇角一、近視者能使二之遠一、山泉遠望の地に遊に携レ之ば甚興有、舶來花夷の制、此土にて制する物品類美惡あり撰べし、長房が縮地の術をからず、誠に巧なる具なり、千里鏡先より瞡(のぞけ)ば近もの遠くみゆる、正字通の説ごとく、別に造らざれども兩用あり、すべて紅毛の制せるもの可なり、
p.0565 奇器
細工の微妙なる事は、世界の内阿蘭陀に勝る國なし、〈○中略〉虫目鏡(○○○)のいたりて細微なるは、わづか一滴の水を針の先に付て見るに、淸淨水の中に種々異形異類の虫ありて、いまだ世界に見ざる處の生類遊行したり、又潮を見れば、六角成物の集りたるなり、油は丸きものゝあつまりたるなり、水は三角なるものゝ集りたるなり、其外酒酢などには、色々夥敷虫あり、〈○中略〉又望遠鏡(○○○)とて、日月星辰迄力の屆く遠目鏡ありて、日月の眞象を見分ち、星も太白星をみれば、月の如く盈虧あり、木星をみれば三ツ引の紋の如く横に帶あり、土星をみれば斜に輪まとひて、星の形長くみゆ、其外銀河の白き所をみれば、小き星夥敷聚りたるにて、其小星よくわかりて數へつべし、近き頃泉州の人岩橋善兵衞、此望遠鏡を作り出して、阿蘭陀渡りの望遠鏡よりもよくみゆ、余が家にも所持す、又隣目鏡(○○○)とて高塀を打越して隣をみる目鏡あり、又暗夜に遠方をみる目鏡(○○○○○○○○○○)あり、猶この外にも種々の奇器、人の耳目をおどろかすもの、年々にわたり來れり、
p.0565 虫めがね(○○○)、洛陽集、虫めがね老の波こす螢かな、〈嘉辰〉むさし野はむさしのなりけり虫めがね、〈行正〉續山井、よりてこそそれ蚊ともみめ虫目がね、〈種寬〉水底の月やもにすむ虫めがね、〈安信〉西洋鏡の顯徵鏡(○○○)は高價なるを、こゝに學び作れるには、小兒の翫具もあり、
p.0565 御承統のはじめ天守に上り玉ひしに、御側のものら遠眼鏡(○○○)を持來り、御覽あるべしと三度まで申上しに、聞せたまはぬ御さまにて、はでに仰られしは、われ幼しといへ ども當職の身なり、もし世人等、今の將軍こそ日毎に天守に登り、遠鏡もて四方を見下すなどいひはやしなば、ゆゝしき大事なり、承統の前はともかくもあれ、今はさる輕々しきわざはなすまじとのたまひしとぞ、そのかみ紀伊大納言賴宣卿、いとけなくおはしける頃、城の天守にのぼり千里鏡をもて四方を遠見し、大によろこび玉ひ、近習等も興ある事にもてはやしければ、卿いよいよおもしろき事と思し玉ひ、日々天守にて千里鏡をもてあそばされける、或時安藤帶刀直次が其所へ推參し、某にも御見せたまはるべしといひながら、その鏡をとりて直に天守より投おとし、散々に打くだきて後、國主日々櫓にのぼり、遠鏡をもて往來の人を見玉ふとありては、下々ことの外艱困するもの多し、よりて某打くだきて候、御秘藏の千里鏡を打くだきし事、思召にかなはざらんには、某を御成敗あるべしと直諫しければ、卿大に恥おもひ玉ひ、この後はかゝる事絶てなし玉はざりしといふことを傳へしが、公には此事聞召し置れたるにはあらざるべけれど、みづから天品の卓越し玉ひしゆゑ、かゝる仰もありしなるべし、
p.0566 向々舊記寫
一寬文十三丑年五月廿五日、ゑげれす船壹艘入船仕候、〈○中略〉
一在船中相調候諸食物調物代として、〈○中略〉鼻目鏡(○○○)數三拾八、 遠目鏡(○○○)壹本〈○中略〉右之通、諸食物調物代として、貨物賣御免被レ爲レ成、
p.0566 惇信院殿〈○德川家重〉いまだ長福君と申けるほど、御輔導の重臣をえらばれ、安藤對馬守信友その任にさゝれて、享保九年十一月十五日に附屬せらる、〈○中略〉若君の御もとにはつけられしにやと、皆人いぶかり思ひしに、そのころ若君の御か、たに、長崎より千里鏡(○○○)を奉れり、いとけなき御心におもしろきものに思召れ、朝夕御庭の山よりこれをもてのぞませ見玉ふに、郭内ゆきゝ衣服の飾まであざやかに見えければ、ことにけうぜさせ玉ひけり、ある日信友に 御庭を見せ玉ひしに、かの千里鏡をもて山よりのぞみ見るべしと仰ありければ、信友則とりてこれをみ、誠にくまなく遠き所まで見え侍り、よにめづらしき物にこそ、さりながらかゝる物はやむごとなき御方の、めで玉ふべきものにあらず、其故は、郭内往來するものども、このごろ若君山より御覽じ玉ふと聞つたへなば、さこそ心ぐるしく覺侍らめ、人の難儀におもふこと、かり初にもこのませ玉ふべきにあらずといひながら、あやまちしさまして、彼千里鏡を山よりおとして、微塵に打くだきけり、若君これをきこしめし、大にむづからせ玉ひけるが、公〈○德川吉宗〉にはさこそあらめ、對馬はさる忠言申べき者としりたればこそ、かのことはなしつれとて、ふかく御感ありしとなむ、
p.0567 相模屋又一相願、聞屆置候米市場エ、堂島米相場之高下を、飛脚ニ而取來候處、拔商と唱、右高下を手品仕方等を遠目鏡へ移取、相圃を待候もの有レ之趣相聞、不埓之事ニ候、右體のもの有レ之バ召捕、急度遂二吟味一候條、心得違無レ之樣可レ致候、〈○中略〉
文化元年子五月
p.0567 諸職商人買物所付
目がね 伏見唐物町 かうらい橋壹丁目
p.0567 眼鏡師
京橋南四丁目 印判屋市郎兵衞
p.0567 眼鏡ノ仕替(○○○○○)
新物ヲ賣リ、或ハ新古ヲ交易シ、又ハ破損ヲ補フ、
p.0567 天竺仁ノ遒物樣々ノ其中ニ、〈○中略〉老眼ノアザヤカニミユル鏡ノカグナレバ、程遠ケレドモクモリナキ鏡モ二面候ヘバ、カヽル不思議ノ重寶ヲ五サマ送ケルトカヤ、
p.0568 靉靆〈俗曰二眼鏡一、靆或作レ〓、恐靆字誤也耶、詳見二廣百川學海欣賞編等書一、〉
靉靆發二眠光一、瞭然樂二老逸一、讀レ書點二離朱一、觀レ物逐二那律一、蝿頭細揮レ毫、蚊睫寬貫蝨、宿憊絶二玄花一、豈匪二還重術一、
p.0568 目器(めがね)
亡目の鏡法師の櫛は、たからながらも寶ならざるは、その用ゆべからざるが爲なり、此もの十年餘以前〈○本書寬文十二年著〉まではいづ方にか有つる、手にふれ誠に目にもかけざりつるに、此ほどはよるのほかげなどに、書を見るにも、またゝくやうにをぼろなるに、思ひ出てかけつれば、文字のあやめも一しほ明なるぞいと嬉敷、また心みにこれを論ぜん、眼力薄からずんば此物寶とならじ、若此ものを珍とせば、いかんぞ眼力のうすき事をなげかむ、又眼力のうすらげるをなげかば、めがねの珍たる事を悦ぶいはれあるべからず、えがたきめがねをたうとみ、よりゆく年をわすれんよりは、しかじ明なる眼にめがねも共に忘れんには、めがねに老若の差別有、老眼によきは若き人にあはず、わかき目に、よきは老眼にあはず、もし目がね必眼力をたすくといはゞ、老眼だに明にせるを、若きにかけばいよ〳〵明なる事をくはふべき道理也、されども老眼によろしきは若きによろしからざるは、物毎に其功能のさだまれる所あればなり、〈○下略〉
p.0568 麻姑手(マゴノテ) 爪杖(同)〈又云搔杖〉
p.0568 爪杖 まごのて
今案に、如意杖、一名は爪杖なれば、今云ふ孫の手と云ふ物にて、背中などのかゆき時に、搔べき爲に作りし、人の小手の如き物なり、
p.0568 爪杖(まこのて) 搔杖 末古乃天
按、爪杖用二桑木一作二手指形一、所二以自搔一レ背者、俗謂二之麻姑手一、〈末古乃天〉麻姑仙女名也、五車韻瑞載二麻姑山記一云、王方平降二蔡經家一、召一麻姑一至、年若二十七八女子一、指爪長數寸、經意二其可一レ爬レ痒、忽有二鐵鞭一、鞭二其背一、以二此故事一 名耳
p.0569 䙝器(○○) 周禮注云䙝器〈䙝音思列反〉謂淸器、虎子之屬也、〈今案、俗語、虎子(○○)、於保都保、淸器(○○)、師乃波古、〉
p.0569 所レ引冢宰之屬玉府注文、原書無二謂字一、按䙝從レ衣、訓二私服一、轉爲二凡狎䙝字一、按虎子卽楲、淸器卽窬、䙝器楲窬之總稱、並上條載レ之、源君爲二二條一分訓、非レ是、又按内匠寮式、兼擧二虎子大壺一、因話錄云、虎子卽溺器也、侯鯖錄云、溲器謂二之虎子一、則知虎子、卽小便器、則大壺蓋大便器也、源君訓二虎子一爲二於保都保一、訓二淸器一爲二師乃波古一、恐互誤、又按於保都保又見二源氏物語常夏卷一、今俗所レ謂於加波是類、師乃波古、類聚雜要作二私筥一、作レ私者假借耳、今俗溲瓶是類也、
p.0569 楲(○)㢏 説文云、楲〈音威、和名比、〉㢏也、國語注云、㢏〈音投〉行二淸廁一也、
p.0569 内匠寮式云、樋一合、高九寸、徑九寸五分、又云樋一合、徑八寸、高七寸、卽是、按比、蓋廁中受レ糞之器、今廁中猶存二比婆古之名一、人放レ糞則提去掃二淸之一、司レ之女胥曰二比須万之一、見二源氏物語玉葛卷一、類聚雜要作二樋洗一、〈○中略〉原書〈○説文〉木部云、楲、楲窬、䙝器也、按、古無二㢏字一、窬字訓二空中一、蓋楲窬空中以泄二出〓尿一、後專爲二穿窬字一、故後俗變從レ广、源君亦從二俗寫一也、段玉裁曰、賈逵解二圄官一、楲虎子、窬行淸也、虎子所二以小便一、行淸所二以大便一、楲窬二物、許愼以レ類擧レ之也、則知許氏以二䙝器一解二楲窬二物一、猶下周禮注以二淸器虎子一解中䙝器上也、源君引脱二一楲字及䙝器字一非也、〈○中略〉所レ引文、〈○國語〉韋昭注無レ載、按、國語中無二㢏字一、則此恐誤引、又按、史記萬石君傳集解、引三賈逵解二周官一云、窬行淸也、疑源君引レ之、而以三賈逵又注二國語一、故誤爲二國語注一也、
p.0569 淸器〈シノハコ(○○○○)〉 虎子 尿筥 䙝器〈已上同〉
p.0569 しのはこ 倭名抄に淸器を訓ぜり、尿(シヽ)の筥也、類聚雜要に私筥と見ゆ、今をかは(○○○)ともいふ、小廁(ヲカハヤ)の義なるべし、説文に楲㢏也、國語註に㢏行レ淸廁也と見ゆ、
p.0569 淸器〈○中略〉 ふるきよの、しん殿のさし圖をみるに、かはやといふはみえず、されど必下屋などにつゞきてあるべし、なくてはいかゞはせん、又主人などは、おほつぼ(○○○○)、しのはこ(○○○○)を用ひて、近習の女房とり傳へて、ひすまし、長女、廁人等にわたすなるべし、常夏の卷にみえしは、女御のおほつぼをとる事なり、、貞觀式には、他行に淸器をからひつに入れてもたしめ、ひすまし等供奉すとみゆ、上代のいまと異なる事おもひの外なり、
p.0570 春日祭儀〈○中略〉
淸器韓櫃一荷在二中路一次レ之、〈今良二人相分在レ後從レ之○中略〉淸器韓櫃在二中路一次レ之、〈今良二人相分在レ後従レ之〉廁人掃守(ミカハヤトカモリ)在二道左右一次レ之、〈○下略〉
p.0570 朱漆器〈○中略〉
雕木一脚、〈長一尺七寸、廣一尺三寸、高一尺一寸、木工寮作レ之、〉樋(○)一合、〈高九寸、徑九寸五分、〉虎子(○○)一合料漆二升四合、〈雕木八合、樋一升二合、虎子四合、〉石見綿一斤、絹一尺五寸、貲布八尺、調布一尺五寸、掃墨一升、油二合、伊豫砥半顆、靑砥半枚、炭八斗、單功十七人、〈彫木六人、樋八人、虎子三人、〉
伊勢初齋院裝束〈○中略〉
大壺(○○)一合料漆四合、絹一尺、綿六兩、細布一尺五寸、掃墨三合、燒土五合、單功四人、雕木(○○)一脚、〈長一尺四寸、廣一尺八分、高八寸、〉樋(○)一合〈徑八寸、高七寸、〉料漆一升八合、絹一尺五寸、細布三尺、掃墨六合、燒土一升、單功十一人、
p.0570 造備雜物〈○中略〉 彫木(○○)一具
p.0570 天治元年四月二十三日、伊勢初齋宮禊日也、〈○中略〉抑行列之中有二樋臺(○○)一、稱(○)二彫木(○○)一、令二行列一云々、此事如何、後日失也、不レ具之由重實示レ之、
p.0570 一被レ加二以前御調度一外御物事〈○中略〉
虎子筥(○○○)〈其體四方、下在二牙緣蓋一也、又有レ臺(○)云々、〉 以上物等、紫檀地、螺鈿、或蒔繪、〈或加二螺鈿一〉以二金銀白鑞等一爲二置口筋等物一無二定樣一、只在二意略一耳、〈○下略〉
p.0571 だいきやうのこと〈○中略〉
そんざのやすみ所とて、外記吏のざのそばなど、びんぎの所一けんにみすかけまはして、かうらいのたゝみ一帖をしきて、大臣のそんざのおりは、おほつぼ(○○○○)ををき、大納言のには、いたにあなをゑる(○○○○○○○○)なり、
p.0571 理髮〈○中略〉 私筥(○○)一口
p.0571 何かそはこと〴〵しく思給へて、まじらひ侍らばこそ、ところせからめ、おほみおほつぼ(○○○○)とりにも、つかうまつりなんと聞えたまへば、えねんじたまはで打わらひ給て、につかはしからぬやくなゝり、〈○下略〉
p.0571 〈河〉尿壺(オホツホ)〈花〉大壺〈延喜齋院式〉 今案、小便筒の事也、〈細〉しと筒(○○○)やうの事也、〈○下略〉
p.0571 尿筒(シトツヽ) 淸器(シノハコ) 虎子(オホツボ)
尿筒(○○)を、シトツゝといへり、虎子をオホツボといへり、色葉字類抄九卷志部雜物門に、淸器シノハコ、〈一本作二シラハコ一〉虎子、尿筥、䙝器〈已上同〉云々とあり、可二考合一、
p.0571 〈おせう〉エヽ埓もないひよんだくれなことしたわい、〈おやぢ〉なんでじやいな、おぜうその吹筒の酒うつかりと呑よつたが、アヽ胸がむかつく〳〵、〈彌次〉なせでござります、〈おせう〉ハテそれは公家衆の小便しよるとものじや、〈みな〳〵〉〈おせうヤア〳〵〳〵〳〵そうた〉い禁裏の御葬送などの節、堂上方がみなもたせらるゝ完筒(くわんづゝ)といふものは、それじやわいな、あなたがたが急に手水にゆきたくならせられた時、それへなさるゝものじや、江戸でも靑竹を火吹竹ほどにきつて、大名衆のもたせらるゝ事がある、やはり江戸でも完筒といふて、小便なさるゝものじやわいな、〈北八〉エヽそんなら此吹筒、もとは公家衆の小便擔(たご)かへ、サア〳〵大變〳〵、〈○下略〉
p.0572 溲瓶(シフビン)〈本名虎子〉
p.0572 慶長八年二月廿三日庚戌、松田勝右衞門、中國酒、白ネリ、鴨〈一番〉等持參被レ來了、〈○中略〉大樹〈○德川家康〉御參内ニ付而、車之事談合、 廿五日壬子、松田勝右衞門ヨリ可レ來由有レ之、然共北向所勞ニ而、ヤガテ可二罷向一由申遣了、後刻罷向、書籍ドモモタセ了、朝飡相伴了、注進了、
檳榔車〈○中略〉
一しびん之事可レ有レ之候〈○下略〉
p.0572 今はむかし兵衞佐平貞文をばへいちうといふ、〈○中略〉本院侍從といふは、村上の御母后の女房なり、世の色このみにてありけるに、文やるににくからず返ごとはしながらあふ事はなかりけり、〈○中略〉いまはさは、この人のわろくうとましからんことを見て、おもひうとまばや、かくのみ心づくしに思はでありなんと思て、ずいじんをよびて、その人のひすましのかはご(○○○)もていかん、ばいとりてわれにみせよといひければ、日ごろそひてうかゞひて、からうじて、にげけるををひて、ばいてとりて、しうにとらせつ、
p.0572 樋殿〈○中略〉 貞丈云〈○中略〉 樋殿シノハコをマル(○○)と云は、日本紀に、尿マル、屎マルとあるによりてなるべしと、物部茂卿が説也、然りマルとは放〈ヒルとよむ〉事也、又オカハ(○○○)と云は御廁〈オンカハヤ〉の略也、
p.0572 一小兒の糞器をまるといふ事は、日本紀に、いばりする事をいばりまる、大便する事を、くそまるといふより出でたるなるべし、
p.0572 まる〈○中略〉 神代紀に遺糞をくそまるとよみ、古事記に屎麻理散と見え、紀に小便にゆばりまる、大便にくそまるといへり、萬葉集にも屎遠麻禮とよみ、竹取物語につばくらめのまりおけるこそといへり、今便器を稱してまるといふも是なるべし、ふるくより見えたり、