p.0745 噭〈古吊反、咷、也、佐介不、又奈久(○○)、〉
p.0745 唳〈力結力計二反、ナク、〉 哭〈空屋反、ナク、和コク、〉
〈古〉 呱〈音狐、小兒啼聲、ナク、〉 咢〈音愕、ナク、〉
唏〈二古希字、〉ナク、
p.0745 泣〈音急、ナグ、ナク〳〵、〉
p.0745
歔〈音虚、欷也、スフ、ナク、ナケク、〉 欷
〈音希、スヽシ、カナシフ、〉
欷〈ムセフ、ナキ、ナケク、ナク、ハナスヽリシ、カナシムテサクリ、泣餘聲、〉
p.0745 啼〈ナク、亦作二
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一〉 泣〈無レ聲出レ涕也〉 唳 呹〈哀聲也〉 呱
p.0745 哭(ナク)〈韻會、大聲曰レ哭、細聲有レ涕曰レ泣、〉 泣(同) 呱(同)
p.0745 六年、哭女、〈言哭女此云二儺倶(○○)謎一〉
p.0745 涕泣(テイキウ/○○) 涕哭
p.0745 哭慟(コクトウ/○○) 哭泣(コクキフ/○○) 呱々(コヽ/○○)〈字彚、小兒啼聲、白虎通、人生所二以泣一何、木一幹而分、得レ氣異レ息故泣、重二離レ母之義一也、〉 涕泣掩レ面(テイキフヲホフヲモテヲ) 涕(テイ/○)哭(コク/○)
p.0745 いさつる(○○○○) 日本紀に泣字をよめり、古事記に、いさちるとも見えた、りいさは去來の義にゃ、小兒哭泣の切なるありさまを、物にあしずりをして泣などいふがごとし、
p.0745 泣々〈シホタル(○○○○)〉V 書言字考節用集
p.0745 泣涙(シホタルヽ)〈遊仙〉
p.0746 薄媚狂雞、三更唱レ曉、遂則被レ衣對坐、泣涙(/シホタレテ)相看、
p.0746 しほたる 源氏にいたうしほたれたまふと見えたり、遊仙窟に、泣涙をよみ、齋宮式に哭稱二鹽垂一と見えたり、藻鹽をたるゝよりいふ成べし、
p.0746 亦種々〈乃〉事忌定給〈支、○中略〉鳴〈乎〉鹽垂〈止〉云、
p.0746 凡忌詞、〈○中略〉外七言、〈○中略〉哭稱二鹽垂一、
p.0746 みかど御うごきて、別の御くしたてまつり給ふ、いとあはれにて、しほたれさせ給ひぬ、
p.0746 天稚彦之妻下照姫哭泣悲哀、聲達二于天一、是時天國玉聞二其哭聲(ヲラフ)一、則知二夫天稚彦巳死一、
p.0746 六年、是秋、日鷹吉士被レ遣後、有二女人一居二于難波御津一、哭之曰、於レ母亦兄、於レ吾亦兄、弱草吾夫
怜矣、〈○註略〉哭聲甚哀、令二人斷腸一、
p.0746 嬰児鷲所レ擒以後國得レ逢レ父緣第九
家主答言、〈○中略〉鷲擒二嬰兒一從レ西而來、落レ巢養レ雛、慓啼、彼雛望之驚恐不レ喙、余聞二啼音(○○)一、自レ巢取下育女子是也、〈○中略〉
啼〈哭也〉
p.0746 歔欷〈上喜居反、出レ氣也、濕吹也、下虚既反、二合涕泣貎、泣餘聲也、悲也、佐久利(○○○)、〉
p.0746 ざふのおもひ
君によりよゝよゝよゝとよゝよゝと(○○○)ねをのみぞなく(○○)よゝよゝよゝと
p.0746 なをいとしにがたし、いかゞはせん、かたちをかへてよを思ひはなるやと心見んとかたらへば、またふかくもあらぬなれど、いみじうさくりもよゝとなき(○○○○○○○○○)て、さなりたまはゞ、まろもほうしになりてこそあらめ、なにせんにかは、よにもまじろはんとて、いみじくよゝとな けば、〈○下略〉
p.0747 さてかへり給て、うへ〈○藤原定子母〉は、みや〈○定子〉の御有樣のかはらせ給へるに、又いとゞしき涙さくりもよゝ(○○○○○○)なり、
p.0747 これも今はむかし、ゐ中のちこのひえの山へのぼりたりけるが、〈○中略〉我てゝの作たる麥の花ちりて、實のいらざらんおもふが、わびしきといひて、さくりあげてよゝとなき(○○○○○○○○○○○)ければ、うたてしやなひ
p.0747 鯁涕(ムセビナク/○○)〈續字彚、鯁與レ哽通、鯁咽悲塞也、〉
p.0747 紀女郎怨恨歌三首〈○中略〉
白妙乃(シロタへノ)、袖可別(ソデワカルベキ)、日乎近見(ヒヲチカミ)、心爾咽飮(コヽロニムセビ)、哭耳四所流(子ノミシナカユ)、
p.0747 爲二防人情一陳レ思作歌一首〈幷〉短歌〈○中略〉
若草乃(ワカクサノ)、都麻波等里都吉(ツマハトリツキ)、平久(タヒラケク)、和禮波伊波波牟(ワレハイハハム)、好去而(マサキクテ)、早還來等(ハヤカヘリコト)、麻蘇埿毛知(マソデモチ)、奈美多乎能其比(ナミダヲノゴヒ)、牟世比都都(ムセビツツ)、言語須禮婆(コトトヒスレバ)、〈○下略〉
p.0747 泣血(シノビネ/シノビナキ)〈毛詩〉
p.0747 わとなく(○○○○) わは泣聲をいふ也、常にわつと泣(○○○○)といへり、
p.0747 一赤穗義士仇討ノ時、〈○中略〉又一人額ノ疵ヲ見ヨト申音イタシ、暫アリテ、大勢ノ聲ニテワツト泣申聲仕候、是ハ上野介〈○吉良義央〉ドノヽシルシヲ揚候テ、悦ビ泣ト聞へ申候、
p.0747 參河入道殿の入唐のむまのはなむけのかうし、淸昭法橋のせられし日こそまかりたりしか、〈○中略〉そこばくあつまりたりし万人、さとこそなき(○○○○○○)て侍りしか、それは道理の事也、
p.0747 淫々(サメ〴〵/○○)〈指南、涙下貎、〉 雨々(同)〈盛衰記〉
p.0747 さめ〴〵 更級日記に見ゆ、神代直指抄に、さめ〳〵と泣といふは、啼澤女命より 出たりといへり、されど俗に雨やさめと泣ともいへば、さめは小雨の、義なるにや、沙石集に、さめほろとなき〳〵するとも見えたり、
p.0748 なきさはめの命
此みことは、死喪の事をつかさどる神なり、ゆへに、なきさはめの命と申す、今人泣涕する事をサメザメトナクト云、
p.0748 これも今はむかし、ゐ中のちごのひえの山へのぼりたりけるが、櫻のめでたくさきたりけるに、風のはげしくふきけるをみて、このちごさめ〴〵となきけるをみて、〈○下略〉
p.0748 ほろ〳〵(○○○)〈○中略〉 蜻蛉日記に、ほろ〳〵と打なきてといひ、砂石集に、さめほろとなき〳〵と見えたり、梵書に發露涕泣といふ義にや、淸輔、
旅づとにもてるかれいひほろ〳〵と泪ぞ落る都思へば
p.0748 伊成〈○中略〉弘光が手を取て、うしろざまにあしくつきたるに、滯なくなげられて、此度はのけざまにつよくまろびぬ、と計有ておきあがり、烏
子の落たるををし入て、帥の前にひざま付て、ほろ〳〵と涙をこぼして君の見參に入侍らんも、今日計に侍とて走り出にけり、
p.0748 迎講事
丹後國普申寺ト云所ニ、昔上人有ケリ、極樂ノ往生ヲ願テ、萬事ヲ捨テ、臨終正念ノコトヲ思ヒ、聖衆來迎ノ儀ヲ願ヒケルアマリ、セメテモ心ザシノ切ナルマヽ、世間ノ人ハ、正月ノ初ハ思ヒ願フコトヲ祝事ニスル習ナレバ、我モ祝事セントテ、大晦日ノ夜、一人ツカフ小法師ニ狀ヲ書テトラセケリ、此狀ヲ以テ朝夕元日ニ門ヲタヽキテ物申サントイへ、何クヨリト問バ、極樂ヨリ阿彌陁佛ノ御使也、御文アリトテ、此狀ヲ我ニアタヘヨト云テ、御堂ヘヤリヌ、敎ノ如クニ云テ、門ヲタヽ キテ約束ノ如ク問答ス、此狀ヲ急ギアハテサハギ、ハダシニテ出テ取テ頂戴シテヨミケリ、娑婆世界ハ衆苦充滿ノ國也、ハヤク厭離シテ念佛修善勤行シテ、我國ニ來ルベシ、我聖衆ト共ニ來迎スベシトヨミツヽ、ナメホロト(○○○○○)、ナキ(○○)〳〵スルコト毎年ヲコタラズ、
p.0749 絮泣(クド〳〵ナク/○○)〈書影、相與絮泣、〉
p.0749 心のあくがるゝまでなん、なほかくてはえすぐすまじきを、思ひたち給ね、さりともうしろめたきことはよもとかいたまへり、入道例のよろこびなきしてゐたり、いけるかひもつくりいでたることはりなりとみゆ、
p.0749 こき殿の女御の御ふみの、日ごろやりのこして、御身〈○花山〉もはなたず御覽じけるを、おぼしめしいでゝ、しばしとてとりにいらせ給ひけるほどぞかし、あはた殿〈○藤原道兼〉いかにかくはおぼしめしたちぬるぞ、たゞ今すぎなば、をのづからさはりとて、いでまうできなんと、そらなき(○○○○)し給ひける、
p.0749 べそを作る 泣面を云、ベソはべシ也、
p.0749 速須佐之男命不レ知二所レ命之國一而、八拳須至二于心前一、啼伊佐知伎(○○○○○)也、〈自レ伊下四字以レ音、下效レ此、〉其泣狀者、靑山如二枯山一泣枯、河海者悉泣乾、
p.0749 一書曰、〈○中略〉次生二素戔鳴尊一、此神性惡常好二哭恚(ナキンヅク)一、
p.0749 是時素戔鳴尊、自レ天而降二到於出雲國簸之川上一、時聞三川上有二啼哭(ネナク)之聲一、故尋レ聲覓往者、有三一老公與二老婆一、中間置二一少女一撫而哭(ナク)之、
p.0749 十四年四月、天皇欲二自見一、命二臣連一、裝如二饗之時一、引二見殿前一、皇后仰レ天歔欷、啼泣(イサチ)傷哀、天皇問曰、何由〈○何由二字原脱、據二一本一補、〉泣耶、皇后避レ床而對曰、此玉縵者、昔妾兄大草香皇子奉二穴穗天皇〈○安康〉勅一、進二妾於陛下一、時爲レ妾所レ獻之物也、故致二疑於根使主一、不レ覺涕垂哀泣(イサチラル)矣、
p.0750 十一年、〈○仁賢〉是時影媛逐二行戮處一、〈○戮二平群鮪於乃樂山一〉見二是戮已一、驚惶失レ所、悲涙盈レ目、遂作レ歌曰、〈○中略〉柂摩暮比儞(タマモヒニ)、瀰逗佐倍母理(ミヅサヘモリ)、儺岐曾裒遲喩倶(ナキソボチユク/○○○○○)、柯㝵比謎阿婆例(カゲヒメアハレ)、
p.0750 建久二年十二月十五日己丑、故土佐房昌俊老母、自二下野國山田庄一參上之由申レ之、則召二御前一、申二出亡息事一頻涕泣、幕下太令レ歎給、被レ下二綿衣二領一云云、
p.0750 十月ばかり月あかゝりける夜、經信卿を宗として、宗俊卿、政長朝臣、院禪、慶禪、長慶、樂人三四人、宰相中將隆綱、管絃者にはあらねども、すきものにて伴ふ、又少將俊明など各車に乘て五節命婦世をそむきてゐたる、嵯峨の家に行にけり、〈○中略〉秋風樂三反、蘇合みなつくして、萬秋樂の序より五帖まで有けるに、なみだおとさぬ人なし、此うち俊明何事にもすべてなかざりければ、犬目の少將といはれけるぞ、こよひは人にも勝れて袖をしぼるばかりなり、
p.0750 吟〈カナシフ(○○○○)〉 噫〈正譩カナシム〉
p.0750
〈音武カナシフ〉
〈音
カナシフ〉
〈正カナシム〉 懆〈倉到反カナシフ〉 慘〈千感反カナシフ〉
〈カナシフ〉 怜〈音蓮カナシフ〉
隣〈音連カナシフ〉 悵〈丑亮反カナシフ〉
p.0750 哀〈烏來反カナシフ、和アイ、〉
p.0750 悲〈カナシフ痛也〉 哀 閔 哽
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悽 羿 摎 慜 悵 懇 折
惕 旻 矜 憐 凉 懦 噫 鳴 咽 慟 臨 矜 悼〈巳上同〉
p.0750 愴悢(カナシム)〈文選〉 流涙(同)日本紀 悲(同) 慟(同) 閔(同) 哭(同) 嗟(同)
p.0750 かなしむ 悲哀をいふ、神代紀に流涕をよめり、金肅の義なるべし、秋金肅殺の意あり、
p.0750 喟然〈䑡同、口愧、口怪二反、去、大息、也歎聲也、嘳也、奈介久(○○○)、又於毛保氐留、〉
〈詩伊反、出二氣息一、心呻吟也、(中略)奈介久、〉 呻〈舒神反、吟也、歎也、左万與不、又奈介久、〉 嗟〈子取反、憂歎、阿、又奈介久、〉
p.0750 吟〈正、訡
、二或、眞今反、ナゲク、カナシフ、〉 嗟〈作何反、又、子邪反、ナゲク、〉 喟〈口恠口愧二反、ナゲク、〉 咷〈大力反、ナゲク、ナク、〉 噫〈正譩ナケク〉 長吀〈ナケク〉
〈正〉
〈ナケタ〉
〈ナケク〉 喔〈ナケク〉
p.0751 慨〈音鎧ナケク〉
p.0751
歔〈音虚ナケク〉
欷〈ナケク〉 欸〈烏亥反、歎聲、ナケク、〉
p.0751 歎〈ナケク、亦作レ嘆、〉 嘆 嗟〈亦作レ
〉 咨 欸〈ナケク、音哀、〉 噫〈五噫恨聲也〉 喘
次 异慨 悒 咲 歔 欷〈又音希歔欷〉
行 愾 吁 吟〈已上同〉
p.0751 歎(ナゲク)
p.0751 慷慨(ナゲク) 嗟(同) 愾(同) 歎(同) 慨(司)
p.0751 嗟(ナゲキ)二運命之迍邅一、歎(ナゲキ)二郷關之眇
一、
p.0751 孤孃女憑二敬觀音銅像一示二奇表一得二現報一緣第卅四〈○中略〉
嗟〈ナゲキテ〉
p.0751 なげき 嘆をよめり、靈異記に嗟、新撰字鏡に悒をなげくとよめり、長息の義也、長大息といふが如し、よて嘆息ともいへり、歎息はためいきをつく事也、〈○中略〉伊勢物語に、花にあかぬなげきなどいへるは、愁嘆にあらず、稱嘆の意也といへり、さるを歎を俗になげくと心得るは誤也といへるは、哀嘆のことのみに覺えて、和語の本意を辨へざる説也、
p.0751 快〈於高反、去、懟也、强也、心不レ服也、宇良也牟、又阿太牟、又伊太牟(○○○)、〉 悒〈於汲反、欝悒而憂也、伊太彌、又奈介支、〉
」H 惻減〈悲傷之貎、伊太牟、〉惝怳〈相悵也、失意也。伊太牟、〉
p.0751 恫〈正痌イタム〉 恫矜〈イタミ、ヤム、〉 憀〈俗イタム、〉 悃〈音閫イタム〉
〈音圖イタム〉 懆〈倉到反、イタム、〉 慘〈千感反、イタム、〉
〈イタム〉 憞〈俗敦字、イタム、〉
〈女六反、イタム、〉 慟〈大送反、哭、イタム、〉 憅〈イタム〉 怐怐〈イタム〉 愴〈楚莊反、イタム、〉悼慄〈イタミ〉 悸〈其季反、イタム、〉 悽〈千奚反、イタム、〉
p.0751 働〈イタム〉 懊 怏〈愴〉 憺 侗 毒 惕
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悽〈音妻痛也〉 悵 懆㤸 陽 隱 怊 摎 惕
忦 劇 怛
艱
慘〈感也、毒也、雲拍慘示也、〉
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彫
悼〈音導、悼也、〉 愍
悐 惗 惜 疾 讟 耿 唏 慼〈
〉 靑
羚 窹 懷 忡勞 傷〈音商〉 恫〈惆イ音通〉 疚〈イタム、已上同、〉
p.0752 少時坐睡、則夢見二十娘一、驚覺攪レ之、忽然空レ手、心中悵快(イタンナ)、復何可レ論、
p.0752 歎息〈タンソク、ナケク、〉
p.0752 悲歎 悲吟 悲愁 悲哀
p.0752 愁歎(シウタン) 悲歎(ヒタン)
p.0752 一書曰、〈○中略〉伊弉諾尊恨之曰、唯以二一兒一替二我愛之妹者一乎、則匍二匐頭邊一、匍二匐脚邊一而哭泣流涕焉(カナシミ玉フ)、
p.0752 彦火火出見尊因娶二海神女豐玉姫一、仍留二住海宮一、已經二三年一、彼處雖二復安樂一、猶有二憶レ郷之情一、故時復太息(ハナハダ)、豐玉(ゲゲキマス)姫聞之謂二其父一曰、天孫悽然數歎(ナゲキ玉フ)、蓋懷レ土之憂乎、
p.0752 白髮天皇〈○淸寧〉二年十一月、億計王〈○仁賢〉惻然(イタミテ)歎曰、其自導揚見レ害、孰二與全レ身免一レ厄也歟、 元年〈○顯宗〉二月壬寅、詔曰、先王〈○押磐皇子〉遭離多難、殞二命荒郊一、〈○中略〉廣求二御骨莫二能知者一、詔畢、與二皇太子億計一、泣哭憤惋(イタムテ)不レ能二自勝一、
p.0752 十一年〈○仁賢〉八月、億計天皇〈○仁賢〉崩、〈○中略〉太子〈○武烈。中略、〉此夜速向二大伴金村連宅一、會レ兵計策、大伴連將二數千兵儌二之於路一、戮二鮪臣〈○平群〉於乃樂山一、〈○中略〉於レ是影媛收理旣畢、欲レ還レ家悲鯁(ムセビテ)而言、苦哉今日失二我愛夫一、卽便麗涕愴(イタミ)矣、纏レ心歌曰、〈○歌略〉
p.0752 元年五月、大連〈○物部守屋〉良久而至、率レ衆報命曰、斬二逆〈○三輪君〉等一訖、〈○註略〉於レ是馬子宿禰惻然(イタミ)頽歎(イケイ)曰、天下之亂不レ久矣、
p.0752 四年五月、皇孫建王八歲薨、今城谷上起レ殯而收、天皇本以二皇孫有順一而器重之、故不レ忍レ哀、傷慟極甚、〈○中略〉輙作レ歌曰、伊磨紀那屢(イマキナル)、乎武例我禹杯爾(ヲムレガウへニ)、倶謨娜尼母(クモダニモ)、旨屢倶之多多婆(シルクシタゝバ)、那爾柯那皚河武(ナニカナゲカム)、〈其一○中略〉天皇時々唱而悲哭(ミネス)、
p.0753 十六年〈○天平〉甲申春二月、安積皇子薨之時、内舍人大伴宿禰家持作歌六首
掛卷母(カケマクモ)、綾爾恐之(アヤニカシコシ)、言卷毛(イハマクモ)、齋忌志伎可物(ユユシキカモ)、吾王(ワガオホキミ)、御子乃命(ミミコノミコト)、萬代爾(ヨロヅヨニ)、食賜麻思(メシタマハマシ)、大日本(オホヤマト)、久邇乃京者(クニノミヤコハ)、打靡(ウチナビク)、春去奴禮婆(ハルサリヌレバ)、山邊爾波(ヤマベニハ)、花咲乎爲里(ハナサキヲヽリ)、河湍爾波(カハセニハ)、年魚小狹走(アユコサバシリ)、彌日異(イヤヒケニ)、榮時爾(サカユルトキニ)、逆言之(オヨヅレノ)、枉言登加聞(マガゴトトカモ)、白細爾(シロタヘニ)、舍人裝束而(トネリヨソヒテ)、和豆香山(ワヅカヤマ)、御輿立之而(ミコシタヽシテ)、久堅乃(ヒサカタノ)、天所知奴禮(アメシラシヌレ)、展轉(コイマロビ)、泥土打雖泣(ヒヅチナケドモ)、將爲須便毛奈思(セムスベモナシ)、
反歌
吾王(ワガオホギミ)、天所知牟登(アメシラサムト)、不思者(オモハネバ)、於保爾曾見谿流(オホニゾミケル)、和豆香蘇麻山(ワヅカソマヤマ)、
足檜木乃(アシビキノ)、山左倍光(ヤマサヘヒクリ)、咲花乃(サクハナノ)、散去如寸(チリニシゴトキ)、吾王香聞(ワガオホキミカモ)、
右三首、二月三日作歌、〈○下三首略〉
p.0753 到二壹岐島一雪連宅滿忽遇二鬼病一死去之時作歌一首〈幷〉短歌
須賣呂伎能(スメロギノ)等保能朝廷等(トホノミカドト)可良國爾(カラクニニ)、和多流和我世波(ワタルワガセハ)、伊敝妣等能(イへビトノ)、伊波比麻多禰可(イハヒマタネカ)、多太未可母(タタミカモ)、安夜麻知之家牟(アヤマチシケン)、安吉佐良婆(アキサラバ)、可敝里麻左牟等(カヘリマサムト)、多良知禰能(タラチネノ)、波波爾麻于之氐(ハハニマウシテ)、等伎毛須疑(卜キモスギ)、都奇母倍奴禮婆(ツキモヘヌレバ)、今日可許牟(ケフカコム)、明日蒙許武登(アスカモコムト)、伊敝比等波(イヘビトハ)、麻知故布良牟爾(マチコフラムニ)、等保能久爾(トホノクニ)、伊麻太毛都可受(イマダモツカズ)、也麻等乎毛(ヤマトヲモ)、登保久左可里氐(トホクサカリテ)、伊波我禰乃(イハガネノ)、安良伎之麻禰爾(アラキシマネニ)、夜杼里須流君(ヤドリスルキミ)、〈○反歌略〉
p.0753 五嘆吟幷序 源順
余有二五歎一、欲レ罷不レ能、所レ謂心動二於中一形二於言一、言不レ足故嗟歎之者也、延長八年之夏、失二父於長安城之西一、其歎一矣、承平五年之秋、別二母於廣隆寺之北一、其歎二矣、余又有レ兄、或存或亡、亡者先人之長子也、少登二台嶺一、永爲二比丘一、慧進之名滿レ山、白雲不レ埋二其名於身後一、禮誦之聲留レ澗、靑松猶傳二其聲於耳邊一、衆皆痛惜、況於レ余乎、其歎三矣、存者先人之中子也、宅二江州之湖上一、漁戸雙開、所レ望者烟波渺々、鴈書一贈、所レ陳者華洛迢々、何以得三立レ身揚レ名顯二父母於後世一乎、其歎四矣、余先人之少子也、恩愛過二於諸兄一、不レ敎三其和二一曲之陽春一、只戒レ守二三餘於寒夜一、若二學レ師之道遂拙一、恐二聞レ父之志空抛一、其歎五矣、于レ時、秋風向レ我而悲二双墳 樹老一、曉露伴レ我而泣二三逕草衰一、歎而喟然、吟之率爾而已、〈○下略〉
p.0754 俊江相公〈○大江朝綱〉の澄明におくれてのち、後世をとぶらはれける願文に、
悲之亦悲莫レ悲二於老後一レ子、恨而更恨莫恨二於少先一レ親、
とかけるこそ、前後相違の恨、げにさこそはと、さりがたくあはれにおぼゆれ、
p.0754 康賴熊野詣附祝言事
六波羅ノ使近付寄テ、是ハ丹左衞門尉基安ト申者ニ侍、六波羅殿ヨリ赦免ノ御敎書候、丹波少將殿ニ進上セント云、〈○中略〉判官入道披レ之讀ニ、〈○中略〉俊寬僧都ト云、四ノ文字コソ無リケレ、執行ハ御敎書取上テ、ヒロゲツ卷ツ披ツ、千度百度シケレドモ、カヽ子バナジカハ有べキナレバ、頓テ伏倒絶入ケルコソ無慙ナル、良有起アガリテハ、血ノ涙ヲゾ流シケル、〈○中略〉僧都ハ日來ノ歎ハ、思へバ物ノ數ナラズ、古郷ノ戀シキ事モ、此島ノ悲シキ事モ、三人語テ泣ツ笑ツスレバコソ、慰便トモ成ツレ、其猶忍カネテハ、憂音ヲノミコソ泣ツルニ、打捨テ上給ナン跡ノツレヅレ、兼テ思ニイカヾセン、サテ三年ノ契絶ハテヽ、獨留テ歸上リ給ハンズルニヤ、穴名殘惜ヤ〳〵トテ、二人ガ袂ヲヒカへツヽ、聲モ惜ズヲメキケリ、〈○下略〉
p.0754 忡〈耻中反、干、心憂也、心保止波志留、又宇禮不(○○○)、〉
〈莫妙反、伊支度保留、又伊太彌宇禮不(○○○○○○)、〉
p.0754 惆〈音抽ウレフ〉 憀〈俗、ウレフ、和ヒク、〉
〈古憂字〉
〈古〉 患〈干慣反、ウレフ、〉
〈ウレフ〉
〈ウレフ〉
〈音
ウレフ〉
〈音又ウンフ〉 惙〈竹劣反ウソフ〉 懆〈倉到反、ウレフ、〉 慘〈千感反、ウレフ、〉
〈ウレフ〉 怞〈音杣ウレフ〉
〈女六反、ウレフ、〉怐怐〈ウレへ〉 悇〈士胡反、ウレフ、〉 愴〈楚莊反ウレフ、〉 悸〈其季反、ウレフ、〉 悥〈ウレフ〉 怲〈ウレフ〉
p.0754 叔〈子六反、ウレフ、〉
p.0754 愁〈ウレフ、ウレへ、〉 憂 患 悁 悶 忡 悺 悄 慘 戚 愬 懆 恤 惔 瘁
緘 惆 怊 愇 苦 倍 悴 羅 恙 忉音刀 怞 疾 憀 惱 騷 愵 怲 惋 慨 慈 悼 旰 惴 怕 搖 慬 悇 慛
恗 悹 怲 花 惙 優 負
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憻 懍 欝 色 顇 遮 吁、 離 凶
毒 慅 慼 罹〈已上愁也〉
p.0755 憂(ウレへ) 忉(同) 憫(同)
(同) 患(同) 愁(同)
p.0755 うれふ 憂患をいふ、うれはしともいへり、はし反ひ也、三代實錄に憂禮比と見ゆ、古今集にうれはしきことゝよめり、詩經に吁をよみ、新撰字鏡に忡もよめり、うれたき(○○○○) 日本紀に慨字をよめり、憂痛きの訓義成べし、古事記、万葉集、伊勢物語などによめる皆同じ、源氏に、いとつらくもうれたくも覺ゆるといへり、V 新撰字鏡
p.0755 悁〈於緣反、平、憂貎、伊支(○○)止呂志(○○○)、又禰太之(○○○)、〉
p.0755 悌㥜〈意不二舒泄一也、伊支止保留(○○○○○)、〉
p.0755 悒〈音邑、憂、ナケク、イキトホル、〉
慷〈上俗下正、苦黨反、慷慨失志也、又苦浪反、ネタム、〉 慷慨〈ネタム〉 慨〈音鎧、ナケク、ネタ厶イキトホル、〉
惻〈音測ネタム〉
p.0755 伊岐杼本流(イキドホル)とは、後世には、たゞ心の怒をのみいへど、怒を云のみには非ず、此も悒字の意なり、悒は字書に不レ安也とも、憂也とも注せり、V 倭訓栞
p.0755 うらぶれ(○○○○) 楚辭の忳々をかく點せり、憂貌と注せり、万葉集に、於君戀之奈要浦觸と見えたり、古今集にうらびれとも見ゆ、うら反わ也、ぶれを約ればべとなるを、同音のびに轉ずればわびに同じといへり、されどうらは心をいひ、ふれはあふれるの略、溢の義なるべし、公任卿の説に、物思ひくるしげなる意也といへり、
p.0755 於レ是大國主神愁而、吿下吾獨何能得レ作二此國一、孰神與レ吾能相二作此國一耶上、
p.0755 戊午年五月癸酉、軍至二茅渟山城水門一、〈亦名山井水門一、茅淳此云二智怒一、〉時五瀨命矢瘡痛甚、乃撫レ劒而雄誥之曰、〈○註略〉慨哉(○○)大丈夫〈慨哉此云二于黎多
伽夜(○○○○○○)一〉被二傷於虜手一、將不レ報而死耶、
p.0755 五年十月己卯朔、天皇幸二來目一、〈○中略〉皇后〈○狹穗姫、中略、〉奏曰、〈○中略〉吿言則亡二兄王一、不レ言則傾二社稷一、是以一則以懼、一則以悲、俯仰喉咽、進退而血泣、日夜懷悒(イキトホリテ)、無レ所二訴言一、
p.0756 爰伐二新羅一之明年〈○攝政元年〉三月庚子、忍熊王逃無レ所レ入、〈○中略〉則共沈二瀨田濟一、而死之、于レ時武内宿瀰歌之曰、阿布彌能彌(アフミノミ)、齊多能和多利珥(セタノワタリニ)、伽豆區苫利(カヅクトリ)、梅珥志彌曳泥麼(メニシミエネバ)、異枳迺倍呂之茂(イキトホロシモ)、
p.0756 四十年正月戊申、天皇召二大山守命、大鷦鷯尊一、〈○仁德〉問之曰、〈○中略〉時大鷦鷯尊、預察二天皇之色一、以對言、長者多經二寒暑一、旣爲二成人一、更無レ悒矣(イキトホリ)、〈○下略〉
p.0756 八十七年〈○仁德〉正月、大鷦鷯天皇○仁德崩、〈○中略〉爰仲皇子畏レ有レ事、將レ殺二太子一、○履中、中略、瑞齒別皇子○反正啓二太子一曰、〈○中略〉臣雖レ知二其逆一、未レ受二太子命一之、故獨慷二慨之(ネタムツヽアラク)一耳〈○下略〉
p.0756 二十三年三月庚子、立二木梨輕皇子一爲二太子一、〈○中略〉太子恒念レ合二大娘皇女一、〈○中略〉遂竊通、仍悒懷少息(イキトホリオモフコト)、
p.0756 八日〈○天平勝寶二年三月〉詠二白大鷹一歌一首〈幷〉短歌〈○中略〉
白塗之(シラヌリノ)、小鈴毛由良爾(コスヾモユラニ)、安波勢也里、布里左氣見都追(フリサケミツツ)、伊伎騰保流(イキドホル)、許己呂能宇知乎(コヽロノウチヲ)、思延(オモヒノベ)、宇禮之備奈(ベウレシビナ)我良(ガラ)、〈○下略〉
p.0756 慴〈徒頰之渉二反、懼也、卽恐
也、伏也、讋同、乎乃々久(○○○○)、又於曾留(○○○)、〉 悸〈痵同、其委反、去、動也、蜜義亦惶也、和奈々(○○○)久(○)、又豆々之牟、又加志古牟(○○○○)、又於曾留、〉 悎〈胡高反、懺也、和奈々久、又乎乃々久、〉
p.0756 忙怕〈急務也、於比由(○○○)、又於豆(○○)、又己々呂毛止奈加留(○○○○○○○○)、〉
p.0756 懼〈具音 オソル ヲノヽク オツ 悲懼 驚懼 憂懼 和ク〉
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懅〈俗〉
〈オソル〉 惴
〈オソル〉
慄〈オソル ヲノヽク〉 慞〈音章 オソル〉 怕〈普覇反 オソロシオツ 和ハク〉
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〈俗 オソル〉 怯〈區却反、オソル、〉 怵〈音黜 オソル〉 怳〈虚往反、オソル、〉恊〈ヲツオ ソル〉 恐〈オツ オソル 和ケウ〉
〈俗〉 志〈古〉 慴〈音疊、又章陟反、オソル〉 悚〈音聳 オツオソル〉
惵〈音牒 恐懼 オソル〉 怖〈普故反 怕怖 惶怖オツ オソル 和フ〉 惶〈音皇 オソル〉 愳〈オソル〉 愳〈オソル〉 怲〈ヲソル〉
〈オツ〉
p.0756 威〈ヲソロシ ヲトス〉 震〈ヲソロシ 大云、何震也、有注云、威也、〉 恐 怖 畏 懼 愼 愕 惶
嗔
遺 悼 雹
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愳
懲 悼 怞 僾 惴 伈 追 驚 愯 悚 狙 熱 想 休 戰 遽 偲 惕
靚 促 甘 騫
兇 戁 竦 惖 貴〈巳上同、オソル、〉
p.0757 悚懼(ヲソルヽ)〈千字文〉 恐(ヲソルヽ) 葸(同) 怖(同) 畏(同) 惶(同)
p.0757 己作レ寺用二其寺物一作レ牛役緣第九
於レ茲諸眷屬及同僚發二慚愧心一、而慓无レ極、謂作レ罪可レ恐、豈應レ无レ報矣、〈○中略〉
慓〈恐也〉
p.0757 おそれ 畏
の類をよめり、大虚(ソラ)より出たる語成べし、俗にそらおそろしなどもいへり、西域記に嗢咀羅(オソラ)唐言上といへるも近し、新撰字鏡に慴又悸、童蒙頌韻に恟、靈異記に、慓をおそるとよめり、全淅兵制に怕を譯せり、〈○中略〉
おぢ 日本紀に兢戰をよめり、おちる也、靈異記慓もよめり、
p.0757 恐懼 恐惶 恐戰 恐悚 恐畏 恐欝 恐異 恐歎 恐怖 恐恨
p.0757 おそろし〈こはし(○○○)〉畿内近國、或は加賀及四國などにてをとろしい(○○○○○)と云、西國にてゑずい(○○○)と云、〈薩摩にては、人に越て智の有をゑずいと云、〉伊勢にてをかれい(○○○○)と云、遠江にてをそおたい(○○○○○)といふ、駿河邊より武藏近國にてをつかない(○○○○○)といふ、飛驒及尾州近國、又は上總にてをそがい(○○○○)と云、 按に、をそがいと云詞は、恐れ怖(こわ)いの略語也、こはいのこはを反しつゞむれば、かの直音となる、しかればをそがいとは、恐れこはいの略也、
p.0757 戊午年十一月己巳、皇師大擧將レ攻二磯城彦一、〈○中略〉弟磯城
然(オチ/○○)改レ容曰、臣聞天壓神至、旦夕畏懼(オヂカシコマル)、〈○下略〉
p.0757 四十年七月戊戌、天皇詔二群卿一曰、今東國不レ安、暴神多起、亦蝦夷悉叛、屢略二人民一、遣二誰人一以平二其亂一、群臣皆不レ知二誰遣一也、日本武尊奏言、臣則先勞二西征一、是役必大碓皇子之事矣、時大碓皇子愕然(オジテ/○○)之逃、隱二草中一、則遣二使者一召來、爰天皇責曰、汝不レ欲レ往〈○往原脱、據二一本一補、〉矣、豈强遣耶、何未レ對レ賊以豫懼甚焉、
p.0757 爰伐二新羅一之明年、〈○神功攝政元年〉麛坂王、忍熊王、共出二菟餓野一而所狩之、〈○中略〉赤猪忽出之登二 假庪一、咋二麛坂王一而殺焉、軍士悉慄(オヅ/ワナヽク)也、
p.0758 元年四月癸丑朔、内膳卿膳臣大麻呂奉レ勅遣レ使、求二珠伊甚一、伊甚國造等詣レ京、遲晩踰レ時不レ進、膳臣大麻呂大怒收二縛國造等一、推二問所由國造稚子直等一、恐懼逃(カシコマリテ)二匿後宮内寢一、V 今昔物語
p.0758 山城介三善春家恐レ蛇語第三十二今昔、山城ノ介ニテ三善ノ春家ト云フ者有キ、前ノ世ノ蝦蟆ニテヤ有ケム、蛇ナム極ク恐ケル、世ニ有ル人許誰モ皆蛇ヲ見テ不レ恐ヌ人無ケレドモ、此ノ春家ハ虵ヲ見テハ物狂ハシクナム見エケル、近クハ夏比、染殿ノ辰巳ノ角ノ山ノ木隱レニ、殿上人君達二三人許行テ、冷ンテ物語ナドシケル所ニ、此ノ春家モ有ケリ、其レハ人ノ當リシコソ有レ、此ノ春家ガ居タリケル傍ヨリシモ、三尺許ナル烏蛇ノ這出タリケレバ、春家ハ否不レ見ザリケルニ、君達ノ其レ見ヨ、春家ト云ケレバ、春家打見遣タルニ、袖ノ傍ヨリ去タル事一尺許ニ三尺許ノ烏蛇ノ這行クヲ見付テ、春家顏ノ色ハ朽シ藍ノ樣ニ成テ、奇異ク難レ堪氣ナル音ヲ出シテ、一音叫テ否立モ不レ敢ズニ立ムト爲ル程ニ二度倒レヌ、辛クシテ起テ沓ヲモ不レ履ズニテ走リ去テ、染殿ノ東ノ門ヨリ走リ出テ、北樣ニ走テ、一條ヨリ西へ、西ノ洞院マデ走テ、其ヨリ南ヘ西洞院下ニ走リ、家ハ土御門西ノ洞院ニ有ケレバ、家ニ走テ入タリケルヲ、家ノ妻子共、此ハ何ナル事ノ有ツルゾト問へドモ、露物毛不レ云ズ裝束ヲモ不レ解ズ、著乍ラ低ニ臥ニケリ、人寄テ問へドモ答フル事無シ、裝束ヲバ人寄テ丸ハシ解キク、物モ不レ思エヌ樣ニテ臥タレバ、湯ヲ口ニ入ルレドモ齒ヲヒシト咋合セテ不レ人レズ、身ヲ搜レバ火ノ樣ニ温タリ、〈○中略〉然レバ春家ガ虵ニ恐ル事、世ノ人ノ虵ニ恐ル樣ニハ違タリカシ、虵ハ忽ニ人ヲ不レ害ネドモ、急ト見付クレバ氣六借ク疎マシキ事ハ、彼レガナレバ誰モ然ハ思ユルゾカシ、然レドモ春家ハ糸物狂ハシクゾ有ケルトナム語リ傳へタルトヤ、
p.0758 孝行者權三郎 阿蘇郡小國の郷赤馬場村の百姓孫左衞門なるもの、六人の子をもてり、その末の子の權三郎、孝心ふかきものなりしかば、〈○中略〉母の性毛蟲を恐るゝ事甚しく病の中は猶さらなり、ある日家の上に毛蟲あり、取てすてよといふに、權三郎とく家根に上りみて、みえざるよしをいへば、さあらば市原村の吉藏をよびて、みてもらへかしといふ、かしこまりつといひて走り行、吉藏をつれ來りてみせしに、いよ〳〵みえずといふにぞ、はじめて母の心を安んじける、
p.0759
〈昌兩反、怳也、於止呂久(○○○○)〉
p.0759 愕然〈覺各反、驚愕也、於(○)比由(○○)、又於止呂久、〉
p.0759 咢〈音怳 オトロク〉 㖾〈正〉 㗁〈正〉
p.0759 愕㦍〈二正 オトロク〉
胎〈チトオト口イテ〉 懾〈章渉反〉〈オトス(○○○)オトロク〉
p.0759 駭〈胡揩反 オトロク〉 驚〈音京 キヤウオトロク〉
p.0759 驚〈オトロク〉 駭 愕 胎
怛 扇 透
侲 騷 警 䢰 聒聳 騁 遌 憚 剔
驣〈秀〉
楊〈巳上同〉
p.0759 愕胎(ヲドロク)〈文選〉 驚(同) 駭(同) 飍(同)〈音彪〉
p.0759 おどろく 驚をよめり、大蕩ける意にや、ける反く也、〈○中略〉俗におど〳〵といふも、驚く意成べし、
p.0759 おとろ〳〵し(○○○○○○) 驚く意也、源氏にみゆ、又今西國にておそろしをおとろしといへり、其義なるにや、
p.0759 いわけ(○○○) 日本紀に驚駭をよみ、又喘息もよめり、驚く時は必ず息のあへぐものなれは、同義成べし、駭惋をいわけあはてゝとよむ、
p.0759 三年〈○安康〉十月癸未朔、皇子〈○市邊押磐皇子〉帳内佐伯部賣輪、〈更名仲子〉抱レ屍駭惋(イワケアワテ)不レ解二所由一、
p.0759 忪(ビツクリ/○)〈驚之義〉
p.0759 びつくり 展轉をひつくりかへるといひ、驚搐をびつくりといふ、俗語はひ くを緊くいへる詞也、
p.0760 驚怖(キヤウフ/○○) 驚動(キヤウドウ/○○) 驚騷(キヤウソウ/○○)
p.0760 亡魂(タマヲヌカス/○○)〈南史韋叡傳、楊大眼、將二萬餘騎來戰、矢貫二大眼右臂一、亡魂而走、〉 喪膽(キヲトリウシナフ/○○) 破膽(キモツブス/○○)〈言行錄、西賊聞レ之驚破レ膽、〉 落膽(キモツブス)〈韻府、落膽、唐書、謄落二温御史一、〉 膽落(キモツブス)〈見レ上〉 失魂(キモツブス)〈顔氏疏解、子路失レ魂口禁、〉 失二魂魄(キモヲツブス/タマシイヲウシナフ)一〈三國志、孫策傳、引二江表傳一云、百姓聞二孫郎至一、皆失二魂魄一、〉
p.0760 物に驚くことを、東國にてたまげる(○○○○)と云、下總にてちめうした(○○○○○)と云、津輕にて動轉(どうてん/○○)した(/○○)と云、出雲にてをびへる(○○○○)と云、又肝をつぶすと云、びつくりしたなどいふ詞は、諸國の通語也、土佐の西境にては、たまげるといふ、上土佐、中土佐には此稱なし、薩摩にては、たまがる(○○○○)と云、 案に東國にていふたまげるは、源氏に魂消(たまきゆ)ると有、けるは消也、けぬがうへなるふじの初雪とよめるは、消ぬがうへなる也、
p.0760 悸〈其季反心ハシリ(○○○○)〉
〈心ハシリ〉
p.0760 めのと、あやしく心ばしりのするかな、ゆめもさはがしくとの給はせたりつ、殿ゐ人よくさぶらへといはするを、くるしと聞ふし給へり、
p.0760 心ばしり 〈細○細流抄〉むなさはぎのする也
p.0760 天照大神素知二其神〈○素戔鳴尊〉暴惡一、至レ聞二來詣之狀一、乃勃然而驚、〈○下略〉
p.0760 九年五月、韓子宿禰從レ後而射二大磐宿禰鞍瓦後橋一、大磐宿禰愕然(オトロキ)反視、射二墮韓子宿禰於中流一而死、
p.0760 爾赤猪子答白、其年其月、被二天皇之命一、仰二待大命一至二于今日一、經二八十歲一、今容姿旣耆、更無レ所レ恃、然顯二白己志一、以參出耳、於レ是天皇大驚、吾旣忘二先事一、然汝守レ志待レ命、徒過二盛年一、是甚愛悲、
p.0760 法興院入道殿〈○藤原兼家〉かくれさせ給て、御葬送の夜、山作所にて万人騒動の事有けり、町尻殿〈○藤原道兼〉おどろかせ給て、御往反有けり、御堂殿〈○藤原道長〉はすこしもさはがせ給はで、人 人にたづねきかせ給て、馬のはなれたるにぞと、仰られけり、賴光きゝてかくのごとくの主、將軍たるべしとぞ感じ奉りける、
p.0761 よるふとしたることあるに、人の驚かし參らせ候事も、又我とうち驚き候とも、靜に御目をみあげて、心をしづめて、御おきあるべし、ふためき候へば、ありさまおそろしきもの也、
p.0761 驚遽〈アハツ(○○)〉 周章〈アハツ〉
p.0761 周章(アワテフタメク/フタメク)〈文選註、驚視也、又法華經、周章惶怖、〉
(アハテル)〈文選〉 遽(同)
p.0761 陽成院御邪氣大事御坐之時、依レ不レ御二坐儲君一、昭宣公〈○藤原基經〉親王達ノモトへ行廻ツヽ見二事體一給ニ、他ノ親王達ハサワギアヒテ、或裝束シ、或ハ圓座トリテ奔走シアハレタリケルニ、小松帝御許ニマイラセ給タリケレバ、ヤブレタル御簾ノ内ニ、緣破タル疊ニ御坐シテ、本鳥二俣ニ取テ、無二傾動氣一御坐シケレバ、此親王コソ帝位ニハ卽給ハメトテ、御輿ヲ寄タリケレバ、鳳輦ニコソノラメトテ䓗花ニハ不二乘給ハ一ザリケリ、
p.0761 治承四年九月十九日戊辰、上總權介廣常、〈○中略〉忽變二害心一奉二和順一云云、陸奧鎭守府前將軍從五位下平朝臣良將男將門、虜二領東國一、企二叛逆一之昔、藤原秀郷僞稱下可レ列二門客一之由上、入二彼陣一之處、將門喜悦之餘、不レ肆二所レ梳之髮一、卽引二入烏
子一謁之、秀郷見二其輕骨一存レ可二誅罰一也、趣退出、如二本意一獲二其首一云云、
p.0761 ふじ川の事
その夜〈○治承四年十月二十三日〉の夜半ばかり、ふじのぬまに、いくらも有ける水鳥どもが、なにゝかはおどろきたりけん、一どにばつと立ける羽をとの、いかづち大風などのやうに聞えければ、平家の兵共、あはや源氏の大勢のむかふたるは、〈○中略〉こゝをばおちて、おはり川すのまたをふせげやとて、取物もとりあへず、我さきに〳〵とぞおち行ける、あまりにあはてさはひで、弓取ものは矢をし らず、やとるものは弓をしらず、我が馬には人のり、人の馬には我のり、つなひだる馬にのつてはすれば、くいをめぐる事かぎりなし、そのへんちかき宿々より、ゆう君ゆふ女どもめしあつめ、あそびさかもりけるが、あるひはかしらけわられ、あるひはこしふみおられて、おめきさけぶ事おびたゞし、
p.0762 一越前ノ一伯忠直卿ハ隱レモナキ暴君ナリ、〈○中略〉夜ニ入テ壹岐〈○諫臣杉田氏〉ヲ召候故、壹岐覺悟ヲ極メ、今晝ノ義ニツキ、定テ死罪ニ仰付ラルベキト存候間、必ウロタ(○○○○)へ申マジキ旨、妻子ニ申聞セ置、登城仕ル處、〈○下略〉
p.0762 疑〈ウタカフ(○○○○)〉 嫌 㧓
問
惢 歮
恊 猜
惑
p.0762 疑(ウタカウ)
p.0762 疑(ウタガヒ) 惢(同) 訝(ウタガハシ) 嫌疑(同/ウタグリ)
p.0762 うたがふ 疑をよめり、未必の意なれば、うたかたを用らかしたる詞也、日本紀に猜をよみ、眞名伊勢物語に猶〈ノ〉字もよめり、猶豫の義也、〈○中略〉俗語に七度尋て人を疑へといふも、妄に邪疑すべからざる意也、
p.0762 源信僧都四十一箇條起請
應二重禁制一條々〈○中略〉
一雖レ有二少々損一、不レ可レ疑二於人一、〈○下略〉
p.0762 於レ是天津日高日子番能邇邇藝能命、〈○中略〉唯留二其弟木花之佐久夜毘賣一以、一宿爲レ婚、〈○中略〉故後木花之佐久夜毘賣參出白、妾妊身、今臨二産時一、是天神之御子、私不レ可レ産故請、爾詔、佐久夜毘賣、一宿哉妊、是非二我子一、必國神之子、
p.0762 元年三月、是月立二三妃一、〈○中略〉次有二春日和珥臣深目女一曰二童女君一、生二春日大娘皇女一、〈更名高橋 皇女〉童女君者本是采女、天皇與二一夜一而脤、遂生二女子一、天皇疑不レ養、及二女子行歩一、天皇御二大殿一、物部目大連侍焉、女子過レ庭、目大連顧謂二群臣一曰、〈○中略〉言二誰女子一、天皇曰、何故問耶、目大連對曰、臣觀二女子行歩一、容儀似二天皇一、天皇曰、見レ此者咸言如二卿所一レ噵、然朕與二一
一而脤産レ女、殊レ常、由レ是生レ疑、大連曰、然則一
喚二幾迴一乎、天皇曰、七迴喚之、大連曰、此娘子以二淸身意一奉レ與、一
安輙生レ疑、嫌二他有一レ潔、臣聞、易二産腹一者、以褌觸レ體、卽便懷脤、況與二終
一而妄生レ疑也、天皇命二大連一、以二女子一爲二皇女一、以レ母爲レ妃、
p.0763 二年五月戊辰、高麗使人泊二于越海之岸一、破レ船溺死者衆、朝廷猜二頻(ウタガヒ)迷一レ路、不レ饗放還、
p.0763 四年六月甲辰、中臣鎌子連、知二蘇我入鹿臣、爲レ人多疑、晝夜持一レ劒、〈○下略〉
p.0763 昔つれなき人をいかでと思ひ渡りければ、哀とや思ひけん、さらばあす物ごしにてもといへりけるを、かぎりなくうれしく、又うたがはしかりければ、〈○下略〉
p.0763 題しらず よみ人しらず
うらみぬもうたがはしくぞおもほゆるたのむ心のなきかとおもへば
p.0763 迷〈マトフ(○○○)〉 惑〈迷惑〉 悶 亂 逃 營〈亦作レ膋〉
㤮
眩 疑〈已上同〉
p.0763 惑
p.0763 大戸惑子神〈訓レ惑云二麻刀比一〉
p.0763 まどふ 古事記に惑をよめり、日本紀に慟字、迷字、亂字などをよめり、まよふに同じ、梵書に見惑易レ斷如レ破レ石、思惑難レ斷如二藕糸一と見えたり、
p.0763 失意 日本紀私記云、失意、〈古々路(○○○)萬止比(○○○)〉
p.0763 失志(コヽロマドヒ)〈日本紀〉 失意(同)〈順和名〉
p.0763 四十年十月癸丑、日本武尊發路之、〈○中略〉至二膽吹山一、山神化二大蛇一當レ道、〈○中略〉跨レ虵猶行、時山神之興レ雲零レ氷、〈○氷原作レ水、據二一本一改、〉峯霧谷
、無二復可レ行之路一、乃捿遑不レ知三其行二跋渉一然凌レ霧强行、方僅得レ出、 猶失意(オロケ/コヽロマトヒ)如レ醉、
p.0764 九年〈○仲哀〉十月辛丑、從二和珥津一發之、〈○中略〉新羅王遙望以爲、非常之兵、將レ滅二己國一、讋焉失志(コヽロマトヒヌ)、
p.0764 六年壬子、遣二日鷹吉士一、使二高麗一召二巧手者一、〈○中略〉於レ是麁寸從二日鷹吉士一發二向高麗一、由レ是其妻飽田女、徘徊顧戀失緖傷心(/コヽロマヨヒ)、哭聲尤切、令二人斷腸一、
p.0764 十一年、〈○仁賢〉是時影媛逐二行戮處一、〈○戮二平群鮪於乃樂山一〉見二是戮巳一、驚惶失所(コヽロマトヒ)、悲涙盈レ目、〈○下略〉
p.0764 天平十年戊寅、石上乙麿卿配二土左國一之時歌三首〈幷〉短歌、
石上(イソノカミ)、振乃尊者(フルノミコトハ)、弱女乃(タワヤメノ)、惑爾緣而(マドヒニヨリテ)、馬自物(ウマジモノ)、繩取附(ナハトリツケ)、〈○下略〉
p.0764 天平十一年三月庚申、石上朝臣乙麻呂坐レ姧二久米連若賣一、配二流土左國一、〈○下略〉
p.0764 むかし男うゐかうふりして、ならの京かすがの里に、しるよしして、かりにいにけり、その里にいとなまめいたる女、はらからすみけり、此男かいまみてげり、おもほへず、ふる里にいとはしたなく有ければ、心ちまどひにけり、
p.0764 題しらず きのありとも
あひみまくほしはかずなく有ながら人に月なみまどひこそすれ
p.0764 聭〈或愧字、ハツ(○○)、〉 聏〈屋注反、ハツ、〉 恥〈ハチ(○○)、ハヅ、〉 恥〈正〉 耻〈古〉
p.0764 媿〈或愧字、ハチ、〉
p.0764 謉〈或愧字、ハツ、〉
p.0764 怍〈才作反、ハツ〉 惡〈於各反、ハチ、〉 憶〈音億、ハツ、〉
〈女六反、又女手反、ハツ、〉
懷〈音槐、上通下正、ハチ、〉 懵〈莫崩反、悶、ハツ、〉 悚〈音聳、ハチ、〉
〈俗籠字、ハツ、〉 慙〈辞甘反、ハツ、〉 慚〈ハツ〉 㥏〈他典反、ハツ、〉 愧〈踦饋反 ハツ媿並正〉 懺〈ハチ〉 恥〈癡䧉反、ハツ、〉
p.0764 辱〈音蓐 ハツカシム(○○○○○)〉
p.0764 耻〈ハチ、ハツ、〉 辱 諮〈音姿、諮謀也、〉 慙 羞 愧 媿 靦
〈故爰胡郡二反〉 怍
忝 劵 悔
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惡 懜 㥏 聏 聭 圂
謠 詢 謉 僞 醜 㘝 怩 懺 差 垢
負〈已上同、ハチ、〉
p.0765 屈辱(ハヂミセツ)〈舊事紀〉 恥(ハヂ) 辱(ハヅカシメラル) 忝(同) 雪(スヽク)レ恥(ハヂヲ) 忸怩(ハヅル/ハツカシ)〈尚書註、慙也、〉 麼㦬(同/同)〈韵會、慙也、〉 愧(同/同) 慙(同) 羞(同)
p.0765 はぢ 耻辱、又慙をよめり、万葉集にはづともはたらけり、靈異記に媿もよめり、はぢをすゝぐは、雪レ耻と書り、韻會に雪は洗也と見えたり、挨囊抄に含嬌をはぢしらふとよめり、はぢろふ(○○○○)、はぢかはし(○○○○○)などいふも同じ、耻を與ふるを、はぢ見するといふは古語也、
p.0765 耻辱〈チシヨク〉
p.0765 慙愧(ザンギ)〈自不レ作レ罪、内自羞恥爲レ慙、敎レ他不レ作レ罪發露向レ人爲レ愧、詳二𣵀槃經一、〉
p.0765 赭面
p.0765 赭面(シヤメン)〈赤面義也〉
p.0765 人之在レ世也、可レ恥者五、寒餓之士、轉二死于溝壑一者、不二與存一焉、爲二人子一者、不孝而不レ順二父母一、一可レ恥也、爲二人臣一者、居二其位一而素餐、且不レ死レ節、二可レ恥也、爲二民之父母一、而不レ能レ養二其民一、三可レ恥也、學而不レ能レ知レ道、四可レ恥也、知而不レ能レ行、五可レ恥也、
p.0765 俚諺詈二不レ知レ辱者一、曰二顏皮千枚粘一、彼方古人猶有二此言一、開元天寶遺事云、唐進士揚光遠者、惟多矯飾、不レ識二忌諱一、遊二謁王公之門一于二索權豪之族一、常遭二有勢撻辱一略無二改悔一、時人多鄙レ之、皆曰、慙顏厚、如二十重鐵甲一也是也、
p.0765 於レ是伊邪那岐命、見畏而逃還之時、其妹伊邪那美命言、侖レ見レ辱レ吾、
p.0765 一書曰、〈○中略〉皇孫謂姉爲レ醜不レ御而罷、〈○中略〉故磐長姫大慙而詛之曰、〈○下略〉
p.0765 ふり捨させ給へるつらさに、御をくりつかふまつりつるは、 もろともに大うち山はいでつれどいるかたみせぬいざよひの月、とうらむるもねたけれど、〈○下略〉
p.0766 嫌〈胡兼反、疑也、支良不(○○○)、〉
p.0766 惡〈音汚ニクム(○○○)〉 憎〈音曾 ニク厶〉
p.0766 嫌〈正慊或胡兼反キラフ、ニクム、和ケン、〉
p.0766 憎(ニクム) 惡(同)
p.0766 惡(ニクム) 憎(同) 疾(同)
p.0766 にくむ 惡字憎字などをよめり、俗諺に坊主が憎ければ、袈裟まで憎しといふ は、六韜に、愛二其人一及二其屋上烏一、憎二其人一憎二其除胥一と見えたり、惡字去聲、洪武正韻に仇怨也と注す、
p.0766 にくむ〈かろくにくむと、俗のイヤニ思ふ意のにくむと、常のにくむと三樣あり、〉
p.0766 いとふ(○○○) 厭字をよめり、いたむの轉ぜる詞なるべし、
p.0766 厭
いとふ世〈世を厭共〉 うきを厭〈うき身をばわれだにいとふ〉 我を厭 いとはしき いとはじ〈不レ厭也〉 かぜを厭 あやしくも厭にはゆる心 月を厭 雲を厭 人々といとひしもおる なぎたるあさのわれなれやいとはれて〈晴にそへたるなり〉 駒の野がひがてらにはなちすてぬる〈是いとはるゝ心也〉
p.0766 題しらず きのとものり
雲もなくなぎたるあさの我なれやいとはれ(○○○○)てのみよをばへぬらん
p.0766 五年十月丙子、有レ獻二山猪一、天皇指レ猪、詔曰、何時如レ斷二此猪之頸一、斷二朕所レ嫌之(ネタシトヲモフ/ソネム)人一、多設二兵仗一、有レ異二於常一、 壬午、蘇我馬子宿禰、聞二天皇所一レ詔、恐レ嫌二於己一、招二聚儻者一、謀レ弑二天皇一、
p.0766 信賴降參事幷最後事
右衞門督〈○藤原信賴〉ノ年來ノ下人、主ノ死體ヲ收メントスルニヤト見ル處ニ、左ハナクシテ、體ヲハ タトニラミ、己ハトテ、持タルツエニテ、二打三打打ケレバ、〈○中略〉無念ニ思ケン事ハ去事ナレ共、餘成ル學動哉トテ、惡マヌ者ゾナカリケル、
p.0767 男女ノ道ハ人ノ常ナルニ、又タマサカニハ偏氣ヲ受テ生ルヽ人モ世ニアリ、信州ヲ領セル或侯ノ、婦女ヲ殊更ニ嫌テ、ソノニホヒヲモ厭ト云、夫ユエ奧方モ有レド、對面セラル迄ニテ、各所ニ離居シ、スベテ女ハ近ヅキ寄セヌコトトゾ、又領邑ニ鯨漁ヲ業トシテ富ル者アリ、婦女嫌ニテ、下女ナド厨下ニ奔走スルノ外、身近クニハ女ナシ、然ドモ妻ナキト云テハ、吝嗇ノソシリヲ受トテ、京都又ハ近領富家ノ娘ヲ妻ニ迎フニ、モトヨリ別居シテ、タマサカニ呼見ノミノ體ユエ、妻モ倦ハテヽ遂ニ別レ去ルトゾ、此類ノ人ハ天地ノ偏氣ヲ受タルナルベシ、
p.0767 四年二月甲子、天皇幸二美濃一、〈○中略〉弟媛欲レ見二其鯉魚遊一、而密來臨池、天皇則留而通之、爰弟媛以爲夫婦之道、古今達則也、然於レ吾而不レ便、則請二天皇一曰、妾性不レ欲二交接之道一、今不レ勝二皇命之威一、暫納惟幕之中一、然意所レ不レ快、亦形姿穢陋、久之不レ堪レ陪二於掖庭一、唯有二妾姉一、名曰二八坂入媛一、容姿麗美、志亦貞潔、宜レ納二後宮一、大皇聽之、
p.0767 三年七月、飯豐皇女於二角刺宮一與レ夫初交、謂レ人曰、一知二女道一、又安可レ異、終不レ願レ交二於男一、〈此曰レ有レ夫、未レ詳也、〉
p.0767 龜田鵬齋の語りし、備前儒士井上嘉膳は、婦女を惡みて一生不犯なり、姉に逢ふにも、一間を隔てゝ尊敬せり、是れは非常の行なれども、世人好色の戒ともなるべし、婦女を惡みけるは、後梁の先主蕭登に似たり、一生不犯なるは、唐の陽城の兄弟に同じ、
p.0767 男女陰陽之情愛、實是天性、而禽獸亦有レ之、而我尾張人、岡村雲八者、性惡二婦人一、衣服飮食、猶婦女之所レ製、則知二其臭一、而不レ欲レ衣二食之一、此一奇性、世之所レ無、然亦有レ之、南史云、梁王蕭登、尤惡レ見二婦人一、相去數歩遙聞二其臭一、
p.0768 志道軒は女と出家が嫌ひにて、婦人出家の内來りて、聞人に交り居れば、段々と當て口をいひ出して、後は居たゝまれぬやうになる故、彼が辻には婦人坊主は來らず、
p.0768 大橋東堤 永田觀鵞〈○中略〉
觀鵞永田氏、名忠原、字俊平、一號東皐、又黎祁道人といふは、豆腐を嗜むこと甚しければ也、〈黎祁は豆腐の異稱なり〉又一奇僻は、糖漬の菜〈俗に香物といふ〉を惡むこと蟲毒のごとし、吾儕席を同じうする時も、これを喰ふことを憚る、甚香を忌が故なり、或尊貴へ參りし時、御戯に試んとおぼして、此物を幾重もつつみて、御手づから下し賜せしを、とりもあへず、顏眞靑になり、物おぼえずなげすてゝ走れり、其公もあまりにて、よしなきことせしと悔させ給ひしと也、
p.0768 妬〈丁故反 ネタ厶ソネム(○○○) 音蠹〉 妒〈正 ネタム(○○○)〉 姤〈古〉 妉〈ネタム〉 嫌〈正慊或 胡兼反ソネム〉 嫉〈音疾 ネタム ソネムニク厶 ウラム ウラヤム〉
〈音逸 ネタ厶〉
p.0768 猜〈千戈反、ソネム、〉
p.0768
憾〈胡感反 ネタム ソネム〉 慷慨〈ネタム〉 㦌〈音忽ネタ厶〉 慊〈下兼反ソネム〉 憎〈音曾ソネム〉
p.0768 妬〈ウハナリネタミス(○○○○○○○○)、ウラヤム、亦作レ妒、〉
p.0768 嫪〈ネタム音翏〉
〈ネタム夫妬レ婦也〉
〈ネタム、亦作レ妒、〉嫉〈音疾〉 妬
娭
猜 妒
愾〈已上ネタム〉
p.0768 嫉妬〈ネタム〉
p.0768 嫉(ネタム) 妬(同) 嫐(同)
p.0768 妬(ソネム) 猜(同) 嫉(ネタム)〈要覽、見二他有一レ得生レ惱曰レ嫉、〉 妬(同) 娟(同)〈韵會、夫妬レ婦曰レ
〉 不分(ネタイカナ/ネタマシキカナ)〈東坡集、玉露、〉
p.0768 嫉(ソネム) そばよりねたむ也
p.0768 ねたむ 娟嫉をいふ、日本紀に妬又慨憤をもよめり、宿(ね)痛の義、宿憤の意なるべし、古今集にねたくとよめり、靈異記に惻をよみ、又慷慨をもよみ、新撰字鏡に
をねたくとも、いきとろしともよめり、
p.0768 そねむ 娟疾をいふ、傍妬の義成べし、日本紀に嫌をよめり、猜も同じ、万葉集に 嫌をそねとのみもよめり、
p.0769 ねたむ 嫉妬
嫉妬の二字をわかちていへば、その義異なり、嫉はよき人をいみてそこなはんとするをいふ、妬は男女の色によりて、ねたむを云へども、二字連ねては、いづれをもいふなり、散對の異なる意有り、文選、離騷賦、〈屈平〉羌内恕レ己以量レ人兮、各興レ心而嫉妬、注、王逸曰、害レ賢爲レ嫉害レ色爲レ妬、
p.0769 嫉妬(シツト/○○)
p.0769 嫉妬(シツト/ネタミネタム)
p.0769 悋氣(リンキ/○○)
p.0769 嫉妬(シツト)〈楚辭註、害レ賢曰レ嫉、害レ色曰レ妬、〉
p.0769 平秩東作云、自慢も味噌といひ、りん氣も燒餅(○○)と下卑て、〈○下略〉
p.0769 上方で買(かう)て來るを江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉悋氣(りんき)を甚助(ぢんすけ/○○)、妬をそねむ、
p.0769 御ものねたみの事、女房のだい一の大事にて候、さのみおそろしくいひはらだてば、家をうしなひ、身をはたすもの也、またさのみ家のうちに人ありとも、おもはれてあなどらるゝもくちおし、〈○下略〉
p.0769 一嫉妬之咎、堅可二申付一事、云緩レ堅引二賊媒一、面塗レ粉、引二婬媒一、
p.0769 一嫉妬の心、努々發すべからず、男婬亂ならば諫べし、怒怨べからず、妬甚しければ、其氣色言葉も恐敷、冷しくして、却而夫に疎まれ、見限らるゝ物なり、〈○下略〉
p.0769 一嫉妒は婦人の常なれども、賢女は是を下劣の事にして恥るなり、男子として妒心あるは、女〈ニ〉劣りて下劣の至極なるべし、されど才能ある者を何となくそねみ、善事を聞ては疵瑕を付ていひけす類ひ、皆内に妒心ある故なり、女は陰類に、其心狹小なる故、さもあるべし、男子にして妒心あるは、大きに恥べき事なり、
p.0770 妬不二唯婦人一、男子亦有二妬之甚者一、予〈○冢田虎〉之所レ知者、出入猜二忌於其妻一、而寤寐不レ安者、二人有焉、是不二敢愚蒙之故一、亦惑蠱之病耳、唐李益、有名之士也、然防二閑妻妾一、過爲下苛酷而散二灰扃戸一之事上、時謂二妬癡一、
p.0770 一書曰、是後日神之田有二三處一焉、號曰二天安田、天平田、天邑幷田一、此皆良田、雖レ經二霖旱一、無レ所二損二傷一、其素戔嗚尊之田亦有二三處一、號曰二天樴田、天川依田、天口鋭田一、此皆磽地、雨則流之、旱則焦之、故素戔鳴尊妬害(ネタンデ)二姉田一、〈○下略〉
p.0770 又其神〈○八千矛神〉之嫡后須勢理毘賣命、甚爲二嫉妬一、故日子遲神和備氐、〈三字以レ音〉自二出雲一將レ上二坐倭國一而、裝束立時、〈○下略〉
p.0770 其大后石之日賣命、甚多嫉妬、故天皇所レ使之妾者、不レ得レ臨二宮中一、言立者足母阿賀迦邇嫉妬、〈自レ母下五字以レ音〉爾天皇、聞二看吉備海部直之女名黑日賣、其容姿端正一、喚上而使也、然畏二其大后之嫉一、逃二下本國一、天皇坐二高臺一、望二瞻其黑日賣之船出浮一レ海、以歌曰、淤岐幤邇波(オキヘニハ)、袁夫泥都羅羅久(ヲブネツララク)、久漏邪夜能(クロザキノ)摩佐豆古和藝毛(マサヅコワギモ)、玖邇幤玖陀良須(クニヘクダラス)、故大后聞二是之御歌一、大忿遣二人於大浦一、追下而自レ歩追去、
p.0770 十六年七月戊寅朔、天皇以二宮人桑田玖賀媛一、示二近習舍人等一曰、朕欲レ愛二是婦女一、苦二皇后〈○磐之媛〉之妬一不レ能レ合、以經二多年一、何徒棄二其盛年一乎、〈○下略〉
p.0770 十二年四月戊辰、皇太子〈○厩戸〉親肇作二憲法十七條一、〈○中略〉十四曰、群臣百寮無レ有二嫉妬(ウラヤマネタム)一、我旣嫉レ人、人亦嫉レ我、嫉妬之患、不レ知二其極一、所以智勝二於己一則不レ悦、才優二於己一則嫉妬(ネタム)、是以五百歲〈○歲原脱、據二一本補〉之後、〈○後原脱、據二一本一補、〉乃令レ遇レ賢、千載以難レ待二一聖一、其不レ得二賢聖一、何以治レ國、
p.0770 以二三十六年三月一天皇〈○推古〉崩、九月葬禮畢之、嗣位未レ定、〈○中略〉大臣〈○蘇我蝦夷〉將レ殺二境部臣一、而興レ兵遣之、〈○中略〉父子共死、乃埋二同處一、唯兄子毛津逃二匿于尼寺瓦舍一、卽姧二一二尼一、於レ是一尼嫉妬令(ウハナリネタミテ)レ顯、
p.0771 書紀に、嫉妬をウハナリネタミと訓り、〈此は本妻の後妻を嫉むを云なり〉
p.0771 智者誹二妬變化聖人一而現至二閻羅闕一受二地獄苦一緣第七
釋智光者河内國人、其安宿郡鋤田寺之沙門也、〈○中略〉有二沙彌行基一俗姓越史也、〈○中略〉以二天平十六年甲申冬十一月一、任二大僧正一、於レ是智光法師發二嫉妬之心一而非レ之曰、吾是智人、行基是沙彌、何故天皇不レ齒二吾智一、唯譽二沙彌一而用焉、恨レ時罷二鋤田寺一而住、
p.0771 暗作二野人一天與レ性 狂官自レ古世呼レ名〈酬二好古一野相公〉
故老傳云、野相公〈○小野篁〉爲レ人不覊好直、世妬二其賢一呼爲二野狂一、是則篁字音狂字音也云々、仍作二此句一、
p.0771 藤つぼ、弘徽殿との、うへの御つぼねは、ほどもなくちかきに、ふぢつぼの方には、小一條女御、〈○村上女御藤原芳子〉弘徽殿のには、此后〈○村上后藤原安子〉のぼりておはしましあへるを、いとやすからずおぼしめして、もえやしづめがたくおはしましけん、中へだてのかべにあなをあけて、のぞかせ給ひけるに、女御の御かたちの〈八宮の御はゝよ、御かたちはいますこしよろしくとも、よのつねの子をうみ給へる、〉いとうつくしうめでたくおはしければ、むべ時めくにこそありけれと御らんずるに、いとゞこゝろやましくならせ給ひて、あなよりとをる計の、かはらけのわれして、うたせ給へりければ、御門のおはします程にて、〈かの女御の御たもとのうへに、かはらけのわれあたれり、〉こればかりにはえたへさせ給はず、〈○下略〉
p.0771 比叡山僧心懷依二嫉妬一感二現報一語第卅五
今昔、比叡ノ山ノ東塔ニ、心懷ト云フ僧有ケリ、法ヲ學ビテ山ニ有ケルニ、年若シテ指セル事无カリケレバ、山ニモ不二住得一ザリケル程ニ、美濃守ノノト云フ人有ケリ、其ノ人ニ付テ彼國ニ行ヌ、守ノ北ノ方ノ乳母、此ノ僧ヲ養子トス、然レバ國司其ノ緣ニ依テ、方々ニ付テ願ケリ、此レニ依テ、國人此ノ僧ヲ一供奉ト名付テ、畏リ敬フ事无レ限シ、而ル間其ノ國ニ夭疫發テ、病死スル者多カリ、國人等此レヲ歎テ、守ノ京ニ有ル間ニ申上テ、國人皆心ヲ一ニシテ、南宮ト申社ノ前ニシテ、百 座ノ仁王講ヲ可レ行キ事ヲ始ム、〈○中略〉其ノ總講師ニハ、懷國供奉ト云フ人ヲナム請ズル、〈○中略〉而ルニ其ノ日ニ成テ、漸ク事始ムル程ニ、〈○中略〉總講師先ヅ申上ゲンガ爲ニ、佛ヲ見奉ル程ニ、彼ノ一供奉甲ノ袈裟ヲ著テ、袴扶ヲ上テ、怖ク氣ナル法師原ノ、長刀提タル七八人許ヲ具シテ、高座ノ後ニ出來テ、三間許去立テ、脇ヲ搔テ扇ヲ高ク仕テ、瞋テ云ク、彼ノ講師ノ御房、山ニテコソ遙ニ止事无キ學生トハ見進シガ、此ノ國ニテハ守ノ殿、我レヲコソ國ノ一法師ニハ被レ用レ、他ノ國ハ不レ知ズ、此ノ國ノ内ニハ、上下ヲ不レ論ズ、功德ヲ造ル講師ニハ、國ノ一供奉ゾナム、必ズ請ズルニ、御房止事无ク坐ストモ、賤キ己ヲ可レ請キニ、己ヲ置乍ラ、彼ノ御房ヲ請ジ進ルハ、守ノ殿ヲ无下ニ蔑リ奉ルニハ非ズヤ、今日事ハ闕クト云フトモ、其レニ講師ハ不レ令レ爲ナレ、穴糸惜シ、法師原詣來、此ノ總講師ノ御房ノ居タル高座、覆セト云ヘバ、卽チ法師原寄テ覆サムト爲ルニ、講師丸ビ下ル程ニ、長短ナレバ逆樣ニ倒レヌ、從僧共提ニ提テ、高座ノ迫ヨリ將レ逃レバ、其後一供奉ノ代ニ飛登テ嗔レバ、講師ノ作法共シツ、餘ノ講師共ハ我ニモ非ヌ心地シテ、行ヒモ非ズ、事皆亂ヌ、國ノ者共モ一供奉ニ未ダ不レ見者共ハ、事ニモゾ懸ルト思テ、後ノ方ヨリ皆逃テ行ケレバ、人少ニ成ヌ、卽チ事畢ヌレバ、總講師ノ料工儲タリツル布施共ハ、皆一供奉ニ取セツ、殘リ留タル國人共ノ、思タル貌氣色極テ本意无キ氣色也、其ノ後墓无クテ任モ畢レバ、一供奉モ京ニ上ヌ、守モ二三年許ヲ經テ死ヌレバ、一供奉寄リ付ク方无クテ、極テ便无ク成ヌ、而ル間、白癲ト云テ病付テ、祖ト契リシ乳母モ穢ナムトテ不レ令レ寄ズ、然レバ可レ行キ方无クテ、淸水坂本ノ庵ニ行テゾ住ル、其ニテモ然ル片輪者ノ中ニモ被レテ、三月許有テ死ケリ、此レ他ニ非ズ、嚴キ法會ヲ妨ゲ、我ガ身賤クシテ、止事无キ僧ヲ嫉妬セルニ依テ、現報ヲ新タニ感ゼル也、然レバ人此レヲ知テ、永ク嫉妬ノ心ヲ不レ可レ發ズ、嫉妬ハ是レ天道ノ
ミ給フ事也ト、語フ傳ヘタルトヤ、
p.0772 建久三年四月十一日壬子、若公〈七歲、御母、常陸入道姉、〉乳母事、今日被レ仰二野三刑部丞成綱、法橋昌 寬、大和守重弘等一、而面々固辭之間、被レ仰二長門江太景國一畢、仍來月濳奉二相具一、可二上洛一之由被レ定云云、他人辭退者、御臺所〈○源賴朝妻政子〉御嫉妬甚之間、怖二畏彼御氣色一之故也云云、
p.0773 古老ノ物語リニ、嫉妬スル婦人ハ早ク離別スべキ事也、大身小身ニヨラズ、妻ノ嫉妬ヨリ國家ヲ失フ事、古今少カラズ、聖人七去ノ中ニ嫉妬ヲ加へ給フモ宜也、寬文年中ニ、水野信濃守元知、又高力左近將監降長、此兩家ノ改易ニナリシモ、其本ハ内室ノ嫉妬ヨリ起リシ事也、又慶安年中ニ、寺澤兵庫頭忠高妻ヲ相馬家ヨリ娶レリ、其内室嫉妬ノ心ヨリ實家ノ相馬家へ歸テ、再ビ忠高方ヘ來ラズ、此事ヲ苦勞ニシ、忠高ツヒニ自殺シ家亡ビタリ、又加藤式部少輔明成、京極若狹守忠堅、此二將ハ内室ノ嫉妬ヲ厭テ、妾腹ノ男子アルヲ國許へ隱シ置キ、披露セザリシ故ニ血統ヲ絶ス、福島左衞門大夫正則ハ、世ニ聞エシ强勇ノ將ナレドモ、内室嫉妬ノ事ヨリ怒テ長刀オツ取リ切ントスル時、正則色ヲ變ジテ表廣間マデ逃出シテ、近士ニ云ケルハ、我戰場ニ於テ是迄敵ニ後ロヲ見セシ事ナケレド、今日ハ疊ノ上ニテ敵ニ後ロヲ見ラレタリ、サテモ女ノ怒レル程、スサマジキ物ハナシト語リケルト也、又内藤帶刀忠興ノ内室ハ、世上ニ沙汰セシ大嫉妬ノ惡女也、妾ノ懷妊シタル事ヲ聞出シ、何氣ナキ體ニテ其妾ヲ招キ、懇ニ浮世話シナド咄シノツイデニ、御身ハ殿樣ノ御胤ヲヤドシタル由、誠ニ愛度事也、安産ノ爲メ腹ヲサスリヤラントテ、化粧ノ間へ連行キ、仰向ニネカシ置キテ、兼テ用意仕置キタル火ノシニ、火ヲ山ノ如ク入タルヲ持出シ、其妾ノ腹ノ上へ載、燒殺シケル、〈○下略〉
p.0773 妷〈而一以悉二反、(中略)宇良也牟(○○○○)、〉
p.0773 快〈於高反、(中略)宇良也牟、〉
p.0773
〈ウラヤ厶〉
p.0773 羨(ウラヤマシ) うらやむ、うらは裏也、心の中也、うらかなし、うらさびしなど云うらのごとし、やましは病(ヤマ)し也、よその幸をうらやみねがへば、わが心の中うれへやましきもの也、
p.0774 うらやむ 羨をよめり、日本紀に嫉をもよみ、新撰字鏡に快もよめり、裏病の義也、うらは心裏をいふ、靈異記に妬忌をうらやましともいふ、まし反み也、
p.0774 人畜所レ履髑髏救收示二靈表一而現報緣第十二
萬呂恠而問レ之、答、昔吾與レ兄共行交易、吾得二銀卌斤許一、時兄妬忌殺レ我取レ銀、〈○中略〉
妬忌(○○)〈二合、于良ヤマシ、〉
p.0774 恃二己高德一刑二賤形沙彌一以現得二惡死一緣第一
有二嫉妬人一讒二天皇一〈○聖武〉奏、長屋謀レ傾二社稷一、將レ奪二國位一、〈○中略〉
嫉妬(○○)〈二合、ウラヤミ、〉
p.0774 むかし男有けり、京に有わびて、あづまにいきけるに、いせおはりのあはひの海づらをゆくに、なみのいとしろくたつをみて、
いとゞしく過ゆくかたのこひしきにうら山しくもかへるなみかな、となんよめりける、
p.0774 くれぬれば、みすの内に入給を、うらやましく、むかしはうへの御もてなしに、いとけぢかく、人づてならで、物をもきこえ給ひしを、こよなううとみ給へるも、つらくおぼゆるぞわりなきや、
p.0774 怨〈於願反 ウラム(○○○)和ヲン〉
〈古〉
〈古〉
怨〈俗〉 惋〈於遠反 音腕ウラム〉
憾〈胡感反ウラム〉 怊
〈音超ウラム〉
〈俗〉 怊悵〈恨字〉 怒〈諾古反ムラム〉 悵〈丑亮反ウラム〉 恨〈音艮ウラム〉 nan悁〈一全又焉玄反ウラム〉 悄
〈千小反 ウラム〉
ウラム
〈或〉 愁〈音秋ウラウ〉 愇〈古偉字ウラム〉 悽〈十奚反ウラム〉
p.0774 恨〈ウラミウラム〉 憂 怨 悵 慽 憾 nan
汗 懟 嫉 偉 忌
忿 畔
悽 悰 殆 澄 浠 懃 惋 服 愁 猜 悶 望
君 讎 岑 憎〈已上ウラム〉
p.0775 悵望(ウラム)〈文選〉 懊(同)〈韵會、恨也、〉 恨(同) 憾(同) 懟(同)〈史記〉 譈(同) 怨(同) 悕(ウラメシ) 忡(同)
p.0775 うらみ 恨をよめり、怨望をよむは義訓也、裏見の義也、前を見ずして、後を見るは、忿恨の意あり、〈○中略〉うらめしともいふ、めし反み也、靈異記に悕をうらめしみとよめり、
p.0775 源信僧都四十一箇條起請
應二重禁制一條々〈○中略〉
一不レ論二親疎一不レ可レ恨レ人〈○中略〉
已上四十一箇條、可レ如二眼精一矣、
p.0775 楠正成、何となく君を恨み奉る心の出來なば、天照大神の御名を唱べしと、常に士卒に示し玉ふも、日神と上樣とは、御一體なるゆへなり、
p.0775 一書曰、〈○中略〉至二於火神軻遇突智之生一也、其母伊弉册尊、見レ焦而化去、于レ時伊弉諾尊恨之曰、唯以二一兒一替二我愛之妹者一乎、
p.0775 十四年八月己亥、天皇病彌留、崩二于大殿一、是時起二殯宮於廣瀨一、馬子宿禰大臣、佩レ刀而誄、物部弓削守屋大連听然而笑曰、如下中二獵箭一之雀鳥上焉、次弓削守屋大連、手脚搖震而誄〈搖震戰慄也〉馬子宿禰大臣笑曰、可レ懸レ鈴矣、由レ是二臣微生二怨恨一、
p.0775 恃二己高德一刑二賤形沙彌一以現得二惡死一緣第一
親王〈○長屋〉見レ之、以二牙冊一以罰二沙彌之頭一、頭破流レ血、沙彌摩レ頭捫レ血、悕哭而忽不レ覲、所レ去不レ知、〈○中略〉
悕〈ウラメシミ〉
p.0775 橘正通が身のしづめる事を恨て、異國へ思ひたちける境節、具平親王家の作文序者たりけるに、是を限りとやおもひけん、
齡亞二顏駟一過二三代一而猶沈、恨同二泊鸞一歌二五噫一而欲レ去とぞかけりける、源爲憲其座に作けるが、此句 をあやしみて、正通おもふこゝろ有てつかうまつれるにやと申ければ、さすが心ぼそくや思ひけん涙をながしけり、さて罷出るまゝに、高麗へぞ行にける、世をおもひきらむには、かくこそ心きよからめと、いみじくあはれなり、
p.0776 あさなりの中納言と、一條攝政〈○伊尹〉とおなじおりの殿上人にて、しなのほどこそ一條殿とひとしからね、身のざえよおぼえやむごとなき人なりければ、頭になるべき次第いたりたるに、又この一條殿さうなくだうりの人にておはしましけるを、このあさなりの君申給ひけるやう、殿はならせ給はずとも、人わろく思ひ申べきにあらず、後々も御心にまかせさせ給へり、をのれは、此たびまかりはづれなば、いみじうから〈○ら原作レう、今依二一本一改、〉かるべきことにてなん侍るべきを、のかせ給ひなんやと申給ひけれど、こゝにもさおもふ事なり、さらばさり申さんとの給ふを、いとうれしとおもはれけるに、いかにおぼしなりにける事にか、やがてとひこともなくなり給ふにければ、かくはかりたまふべしやはと、いみじう心やましと思ひまされけるほどに、御中よからぬ事にてすぎ給ふ程に、この一條殿の御つかうまつり人とかやのために、なめきことしたまひたりけるを、ほいなしなどばかりは思ふとも、いかにことにふれてわれなどをばかくなめげにもてなすぞと、むつかり給ふときゝて、あやまたぬよしも申さんとて、まいられたりけるに、さやうの人に我よりたかきところにまうでゝは、こなたへとなきかぎりはうへにものぼらで、しもにたてる事にてなんありけるを、これは六七月のいとあつくたえがたきころ、かくと申させて、いまや〳〵と中門にたちてまつほどに、西日もさしかゝりて、あつくたえがたしとはをろかなり、心ちもそこなはれぬべきに、はやうこの殿は我をあぶりころさんと、おぼすにこそありけれ、やくなくもまゐりにけるかなとおもふに、すべてあくしんおこる事はをろかなり、よるになる程さてあるべきならねば、さくをおさへてまちければ、たうとおれける、いかばかり の心をおこされにけるにか、さて家にかへりてこのぞうながくたゝん、もしをのこゞもをんなごもありとも、はか〴〵しくてはあらせじ、あはれといふ人もあらば、それをもうらみんなど、ちかひてうせたまひたれ、〈○下略〉
p.0777 慾〈音欲 貪欲ネカフ(○○○)〉
p.0777 欲〈余蜀反、和ヨク、〉
p.0777 欲心(ヨクシン) 欲情(ヨクジヤウ) 欲念(ヨクネン) 欲得(ヨクトク)
p.0777 物ヲヨクボルト云ハ何ノ字ゾ、欲々(/ヨクホル)ト書也、欲々(ヨク〳〵)シキナド云同事歟、欲ノ字ヲホル共、ホシ丶共ヨム也、ヨクボルトハ訓、音ニ重説スル詞也、欲ノ字ヲ万葉ニハホリトヨム、ホリホルハ同ジカルベシ、万葉集ニ雨ヲ悦ブ歌ニ、
我ガ欲(ホリ)シ雨ハ降來ヌカクシアラバコトアゲズトモ年ハ榮エム、ト云ヒ、ホシカリシ雨ハ降タリト悦也、コトアゲセズトハ、事々シク不二祈ラ一共ト云也ト云リ、欲ヲバ遊仙窟ニハフクツケ(○○○○)共讀ム、
p.0777 世の人の心まどはす事、色欲(○○)にはしかず、人の心はをろかなる物かな、匂ひなどはかりの物なるに、しばらく衣裳にたきものすとしりながら、えならぬ匂ひには、必心ときめきする物なり、久米の仙人の、物あらふ女のはぎのしろきを見て、通をうしなひけんは、誠に手、あし、はだへなどのきよらに、肥あぶらづきたらんは、外の色ならねばさもあらんかし、
p.0777 禮
飮食と男女と財寶とは、人の大欲(○○)の生ずる處也、故に、およそ人の過惡の出來るは、多くは此三よりおこる、心のこのむに打まかせてはあやうし、道理にそむき、わざはひ生ずる本なり、此三をこのむば、人情にして、なくんばあるべからず、されど禮を以て節せざれば、これを用る理を失なひて、必大慾生じ、惡にながる、故に禮なければ、人道不レ立して、禽獸の行に同じ、
p.0778 情慾(○○)之萌、其初甚微、故制レ之也易、後來陷溺之久、雖レ知二其不可一、而不レ能レ克レ之故不レ制二之小一、則難レ奈二其大一、古語曰、兩葉不レ除、將レ用二斧柯一、豈不レ然乎、然則人之所レ好、其始不レ可レ不レ察、
p.0778 去二人欲一無二他法一、譬如二孤軍乍遇レ敵、只得二捐レ軀以向一レ前而已、若欲二靜以制一レ之、則天理人欲不レ容二並立一、彼之勢已爲レ主矣、些少功力豈所二能及一哉、
一念之欲不レ能レ制、其罪至二於欺一レ天、可レ懼哉、
○按ズルニ、寡欲ノ事ハ廉潔篇ニ、貪欲ノ事ハ富篇ニ載ス、
p.0778 婤〈勅周止由二反、女字好貎、(中略)己乃牟(○○○)、〉
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〈三形同、(中略)呼緣似玄二反、己乃牟、〉 嬥〈直角反、直好貎、(中略)己乃牟、〉
p.0778 傪然〈好也、喜也、己乃牟、〉
p.0778 好〈呼到反コノム〉
p.0778 嗜〈音視 コノム和志〉
p.0778 娭〈コノム〉 憙 嬉 婘 欣 絞
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愛〈愛學〉 嬥婬 㜡 忔
嗜 睍〈睍見〉 睆〈已上同、宮好也、〉
p.0778 好(コノム) 樂(同) 喜(同)
p.0778 このむ 好樂をよめり、嗜好の義也、新撰字鏡に嬥、又婤、又嬛又傪然をよめり、
p.0778 すく(○○) 嗜好をすきこのむといふ是也、歌にもよめり、
p.0778 石癖(イシスキ)〈雲林石譜、臨江士人魯子明有二石癖一、〉 異嗜(カハリタルスキ)〈耕餘博覽〉 香癖(カウスキ)〈洞天墨錄、朱萬初本墨妙又兼二香癖一、〉 硏癖(スリズヾキ)〈五雜組、蔡氏可レ謂世有二硏癖一矣、〉 馬癖(ムマスキ)〈東坡集、杜預有二左傳癖一、王濟有二馬癖一、王福時有二譽レ兒癖一、〉 墨癖(スミスキ)〈文字禪、司馬君實無レ所二嗜好一、獨畜二墨數百一、爾達道之畜レ書、其亦司馬之墨癖也、墨莊漫錄、李格非著二破墨癖説一、〉錢癖(セニスキ) 茶癖(チヤスキ)
p.0778 つなむ(○○○) 日本紀に嗜をよめり、津嘗(ナム)の義なるべし、
p.0778 六年三月、阿倍臣乃積二綵帛兵鐵等於海畔一、而令二貪嗜(ホレメツナマ/○)一、
p.0778 嗜〈タシナム(○○○○)〉
p.0779 たしむ(○○○) 嗜をよめり、〈○中略〉俗に好物に祟なしといふ、間情偶奇に、平生愛食之物、卽可レ養レ身と見えたり、
p.0779 嗜欲
p.0779 嗜欲(シヨク)蔽(ヲホフ)レ明(メイヲ)〈淮南子、逐レ獸者目不レ見二太山一、嗜欲在レ外則明所レ蔽矣、〉
p.0779 嗜之一字、人情之所レ不レ免、而嗜而不レ止者、乃傷レ財亡レ身之基也、看二其所レ嗜之淺深一、其禍之細大緩急可レ知也、
p.0779 嗜好
凡そ人の心の好む所各同じからず、猶面の人々同じからざるが如し、されば世の人の耽著のおもむき、敢て諫るにあらざる歟、古人の辭にも、晝短苦二夜長一、何不二秉レ燭遊一といへるは、賞翫に耽るものなり、又は百年三萬六千日、一日須レ傾二三百杯一といへるは、麯蘖に耽る者なり、或は野客吟殘半夜燈とは、詩賦に耽るものなり、長夏惟消一局棋とは、博奕に耽るものならずや、また和歌にも、なかなかに戀に死なずば桑子にぞといへるは、好色の道に耽るものなり、〈○下略〉
p.0779 ものを御すき候と申、事により候、びは、琴、ご、すぐろく、かい、花もみぢなどに、すきたるはよし、またわらはにすきて、愛し給ひし人もあり、されども寬平のみかどの、こうきうは、つねに歌合に御すき候て、今にのこり候、かやうのやさしき御事、さる御事にて候、誰もやさしきすぢに、いはれさせ給へるぞ、その御歌ぐち、いかゞぞなど申傳へ候なり、そうじて物を御すき候はば、いちご御すき候へ、みやうもくに、へたの物ずきといふ事あり、されどもふかくこゝろにいれられ候はゞ、めでたかるべし、なにとやらん、ひとさかり〳〵御すき候て、末もとをらぬは見にくし、一かうぐちむちには、をとり候とこそおもひ候へ、昔人もさこそは申をきさぶらひし也、
p.0779 我國愛二櫻花一、西土愛二牡丹一、我國嗜レ鶴、西土嗜レ牛、兩國習尚不レ同、多類レ此、
p.0780 仁壽三年二月甲戌、治部少輔兼齋院長官從五位下藤原朝臣關雄卒、〈○中略〉關雄少習レ屬レ文、性好二閑退一、常在二東山舊居一、耽二愛林泉一、時人呼二東山進士一、
p.0780 あづまぢの道のはてよりも、なをおくつかたに、おひ出たる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめける事にか、世中にものがたりといふものゝあんなるを、いかでみばやとおもひつゝ、つれ〴〵なるひるまよゐなど、あね、まゝ母などやうの人々の、其物語りかのもの語、ひかる源氏のあるやうなど、ところ〴〵かたるをきくに、いとゞゆかしさまされど、わがおもふまゝに、そらにいかでかおぼえかたらむ、いみじく心もとなきまゝに、とうしんにやくし佛をつくりて、手あらひなどして、人まにみそかにいりつゝ、京にとくあげ玉ひて、ものがたりのおほく候なる、あるかぎり見せたまへと、身をすてゝぬかをつき、祈り申ほどに、十三になるとしのぼらんとて、九月三日かどでして、いまたちといふ所にうつる、〈○中略〉かくのみ思ひくんじたるを、心もなぐさめんと、心ぐるしがりて、はゝ物語などもとめてみせ給ふに、げにをのづからなぐさみゆく、むらさきのゆかりをみて、つゞきのみまほしくおぼゆれど、人かたらひなどもえせず、されどいまだみやこなれぬほどにて、えみつけず、〈○中略〉いと口をしくおもひなげかる丶に、をばなる人の、ゐなかよりのぼりたる所に、わたいたれば、いとうつくしうおひなりにけりなど、あはれがりめづらしがりてかへるに、何をか奉らん、まめ〳〵しきものは、またなかりなむ、ゆかしくし給なるものを奉らんとて、源氏の五十餘卷、ひつにいりながら、ざい中將、とをきみ、せり用、しらゝ、あさうづなどいふものがたりども、一ふくろとり入て、えてかへる心地のうれしさぞいみじきや、はしなくわづかに見つゝ、心もえず心もとなく思ふ源氏を、一の卷よりして、人もまじらず、木丁のうちに打ふして、ひきいでつゝ、みる心地、きさきのくらゐもなにかはせむ、ひるは日暮し、よるはめのさめたるかぎり、火をちかくともして、是を見るよりほかの事なければ、をのづか ら名どはそらにをほえうかぶを、いみじきことに思ふに、夢にいときよげなるそうの、きなる地のけさ著たるが來て、法花經五卷をとくならへといふと見れど、人にもかたらず、ならはんともおもひかけず、物がたりのことをのみ心にしめて、我は此ごろわろきぞかし、さかりにならば、かたちもかぎりなくよく、かみもいみじくながくなりなん、ひかる源氏のゆふがほ、宇治の大將のうき舟の女ぎみのやうにこそあらめと、おもひける心、まづいとはかなくあさまし、
p.0781 無言上人事
人ゴトニ我好ム事ニハ、失ヲ忘レテ愛シ、我ウケヌコトニハ、失ヲ求テソシル、然レバ我好マン事ニハ失有テ、人ノソシラン事ヲカヘリミテ、カタク執スベカラズ、ワガウケヌ事ニハ、得ノ有コトヲカンガヘテ、アナガチニソシルベカラズ、是達人ノ意モチナルベシ、〈○中略〉或入道圍碁ヲコノミテ、冬ノ夜ヨモスガラ打アカス、中風ノ氣有テ、手ヒユル故ニ、カハラケニテ、石ヲイリテ打、油ツクレバ萩ヲタキテ打ニ、灰身ニカヽレバ、笠ウチキテ打アカス由、近程ニテ聞侍キ、坐禪修行ナンド、コレホドニセン人、悟道カタカラジ、又有下手法師、酒ヲアヒスル有キ、直モナキマヽニ、一衣ノカタ袖ヲトキテカヒテ飮ケリ、是ホドニ、三寳ヲモ供養シ、父母ニモ孝養シ、悲田ニモ施シ、惜ム心ナクバ、感應ムナシカラジ、物ノナキト云テ、善事ヲ行セヌハ、物ノナキニハアラズ、タヾ志ノナキナリ、或入道餅ヲ好ム、醫師ナルユへニ、請ジテ主ジ餅ヲセサスルニ、カノ音ヲ聞テ、始ハ小音ニオウオウト云ホドニ、次第ニ高クオウ〳〵ト鞠ナンド乞樣ニヲメキテ、ハテハ疊ノヘリニツカミツキテ、入道ガキカヌ所ニテコソシ候ベケレ、カノツク音ヲ聞候ヘバ、タエガタク候トテ、モダヘコガレケリ、此事ハカノ主ノ物語ナリ、佛法ヲ愛シ、佛ノ音聲ニ歡喜ノ心力ヽラン人、得果疑ナカラン、コレホドノ事ハマレナレドモ、人ゴトニアヒスル事有、セメテ物愛シセヌモノハ、或ハ晝寢ヲ愛シ、或ハ徒ナルヲアヒス、南都ノ或ル寺ノ僧、朝ノ粥ヲクハズシテ、日高マデ眠ル、イカニ粥ハメ サヌト人間ヘバ、カユヨリモ寢タルハ、ハルカニ味ヨキ也卜答ケリ、コレホドニ法喜禪悦ノ食ヲアヒセバ、佛道遠カラジ、カクノゴトク、或ハ詩歌管絃ニスキ、或ハ博弈田獵ヲコノミ、色欲ニフケリ、酒宴ヲアヒスル人、是ニヨリテ財寶ノ費、身命ノホロビ、病ノオコリ、禍ノキタランコトヲワスル、世間ノコトコノム所、コトナルガゴトシ、
p.0782 菖蒲革馬肝
馬肝は麻布白銀に住し、俳諧を業とす、常に菖蒲革の摸樣をこのみ、衣服は上下(うへした)とも皆菖蒲革色にそめ、三角のもやうをちらし、家の壁など綠革のもやうにはり物し、器財もおほくは萌黃いろになし、三角に制したる器をもてり、三度の食事すら握り飯を三角に制させ、常に是を食しけり、最滑稽なり、一時社中の人々、何ぞ宗匠の憘ぶものを贈べしと、互にいひ合せ、一人は菖蒲革の夾帒(かみいれ)をおくる、一人は三角に火鉢を燒せておくりけり、今一人は薑擦をおくりけるが、馬肝これを殊のほか懽喜しとぞ、〈○中略〉
島の勘十郎
元祿の頃、京都室町通三條の南に、櫻木勘十郎と云ひし者在けり、古器古書畫の鑑定をよくしたり、這人つねに縞のものを好み、衣服より、帶、足袋にいたるまで、色々の縞を著し、扇のもやう副刀の鍔、さや、柄糸、印籠、雪踏の緖までも、みな縞ならずといふ事なし、旦暮の食事にも、鱠はさらなり、汁は千蘿蔔、かうのものも新漬と古漬と行儀よくきざみ双べ、煮物は大根、牛房、胡蘿蔔など、ほそく切てならべ、縞のごとく器にもり、魚の類も、鰆、しま鯛、すぢ鰹、すべて筋あるものを用ひ、椀折敷のたぐひは、皆縞にぬらせ、婢女、奴僕にいたるまで、殘ず縞の衣服を著せたり、然ども抂て異を好むにあらず、天性かくありしとぞ、家居も世にめづらしく、樓上の格子さま〴〵の縞にくみ建、店頭もいろ〳〵の唐木もて、おもしろく組建し縞の格子、ひさしの垂木は紫竹と寒竹にて、三本づ つに色を替らせ、中庭の泉水には、當下はやりし島といへる金魚を放ち這ところより樓上まで梯木をかけ、その梯木二木づゝ縞にくみたり、左右唐樹つくりの欄干、擬寶珠にいたるまで、殘らず縞のかたちに造れり、中庭の北おもて、隣家の壁まで這方より縞にぬらせ、店頭の長暖簾はいふもさらなり、疊の緣までみな縞なりき、然ば島の勘十郎とて、當頃名だかき人なりしとぞ、平安鹿角比豆流とかいへる人、東都馬琴翁へ書ておくられたる儘茲にしるす、
p.0783 西山拙齋
拙齋有二愛レ石癖一、自許以二米顚一、所レ藏數十百品、自命二華岳匡廬之稱謂一、貯二置堂廡一描二其戸壁一、以二南宮拜レ石圖一、無レ朝無レ暮、撫玩自娯、又有二紫石英四五寸許一、高八分五釐、濶一寸二分、厚六分、大如二棗栗一、暎レ日瑩徹、中含二富岳眞形一、削成突兀、紫氣罩レ之、岳頂皎自豆許若レ雪、光彩爍レ目、擎而瞰レ之、突如二山峯戴レ雪狀一、珍重特至、不二啻連城一、名曰二玉芙蓉一、探レ勝訪レ人、不二必離一レ身、常在二坐側一、嘗遊二平安一、諸貴人傳二聞其事一、爭請撫覽、因遂經二至尊宸覽一、旣製レ匣藏レ之、自題二蓋上一、以二天覽二字一、斯事籍甚聞二於四方一、至レ有下刻二石顚 印一而贈者上、是亦一奇行矣、
p.0783 夜得雨禪師
筑紫の山中にひとりの禪師あり、名を越宗、字は蘭陵といひて、何れの所の人といふことを知らず、特に夜雨を愛して、いつにても雨ふりける夜半毎に、香を焚き靜坐して、曉までも睡りにつくことなし、かゝれば山村の人、はじめその名をしらざれば、たゞ何となく夜雨和尚とぞ呼ける、 ○按ズルニ、詩歌音樂ヲ嗜ミ、飮食、器財、動物、植物等ヲ好ム者ノ事ハ、文學、樂舞、食物、器用、動物、植物等ノ各部ニ載ス、其他類推スベシ、
p.0783 くせ 癖疾をいへり、毛病も同じ、字書に癖は嗜好之病といへり、晉書に王濟有二馬癖一、和嶠有二錢癖一、杜預有二左傳癖一、又王福時譽レ兒癖、黃魯直香癖、李渉竹癖と見えたり、或はくせ事、くせものなどに、曲をよめり、諺に人に一癖といへり、慈鎭和尚の歌に、 人ごとに一つのくせは有ものを我にはゆるせ敷島のみち、歌よみのくせも、西行法師は緣行道してうそぶきてよみし、和泉式部は引かづきてよみ、はれの時はかほをふところにさし入てよみける、道綱の母は燈を背きて目をとぢて案じけるとぞ、
p.0784 好潔(キレイスキ/○○)〈左傳、邾莊公、卞急而好レ潔、〉 潔癖(キレイスキ)〈澄懷錄、元章有二潔癖一、〉 潔疾(キレイスキ)〈文海披沙、古今潔疾莫レ如二庾炳之、王思徵、米南宮、倪元鎭一、〉
p.0784 潔癖 きれいずき 潔病 淨病 好潔
世に奇麗好といふくせ有り、又不潔癖(○○○)も是に同じ、これ多くは天資によるといへども、積もちの癲狂にちかき人に有るやまひなり、故に潔病とも云ふ、または愚癡にして、物に疑ひ深きよりもおこることなり、または淨病とも云ふ、但故人先達名ある人にも此癖あれば、是病といふもまたむべなり、
p.0784 承和十年三月辛卯、出雲權守正四位下文室朝臣秋津卒、〈○中略〉論二武藝一足レ稱二驍將一、但在二飮酒席一、似レ非二丈夫一、毎至二酒三四杯一、必有二醉泣之癖(○○○○)一故也、
p.0784 太宰帥大伴卿讃レ酒歌十三首〈○中略〉
賢跡(カシコシト)、物言從者(モノイフヨリハ)、酒飮而(サケノミテ)、醉哭爲師(エヒナキスルシ)、益有良之(マサリタルラシ)、
p.0784 東照宮御指の中節たことなり、年老させ給ひては、屈伸しがたくおはす、是はわかき御時より數度の戰ひに、初の程は麾にて下知せさせ給へども、事急なるに及ては、かゝれかゝれとて、御拳にて鞍の前輪をたゝかせ給ふに、血流れて出る、かくのごとき事、幾度ともなき故となり、
p.0784 藤堂樂庵 楢林由仙〈○中略〉
由仙楢林氏は外療の名家なれども、性質朴寡欲にして、其伎を賣んとせざれば甚貧しく、居るに奴婢なく、出るに僕從なく、簾服を著し、藥籠をみづから携ふ、中年妻を喪て一男一女をはぐゝみ、 矮屋に住り、潔癖にて唯物をむさ〳〵しくおぼえけらし、常に門戸を閉て來る人ごとに名乘せざれば開かず、あさくらや木の丸どのゝ心地す、人に物をあたふるは、門人のためといへども、かならず眼よりうへにさし上、是も潔きがだめとそ、
p.0785 峻山和尚
峻山は阿州三好郡、農夫來代禎左衞門といへる者の子なり、幼稚ときより出家して、〈○中略〉德島勢見に住す、〈寺號今忘たり〉后隱居して同國南方日和佐藥王寺に閑居す、博識にして詩をよくし、最能筆なり、別號閑々子、また換水和尚とも云り、常に手水鉢、泉水などの水を換ることを好み、遊人來る毎に手つだはせて水をかふる事なり、今換し水を外人來れば亦換さする、敢て潔癖といふにはあらず、唯汲おきの水をきらふと見たり、されば一紙書を需る者は、一瓶の水を汲べしと書て、門にはり置けり、〈○下略〉
p.0785 蛇隱居
天明寬政の頃、東武靑山或御組屋敷のほとりに、武家の隱居ありけり、氏を武谷、俗稱を又三郎と云けり、這人希有の癖あり、常に虫を飡する事を好み、朝夕前栽のうちを掃除し、蛅蟖(けむし)、芋むし、はさみ虫、蜘蛛、蝶、蜥蜴(とかげ)、ひきがへる、都て何によらず虫とだに看ときは、忽ち捉てこれを飡ふ、小き虫は羽と足と髭をぬきてその儘喰す、蜘なども其ごとく、蛅蟖は毛を燒てくひ、蟾除は腹を割てはらわたを棄、皮をはぎて醬油をつけ燒て飡す、さればにや此家には虫といふもの一向になく、客次には蠅一隻とぶ事なし、皆這老人がくひ盡しけるなり、我家の前栽はさらなり、兩隣のぜんざいまで虫一隻も生ぜず、万望は蚊と蚤をもとり給らんやなど、戯れいふ人も有けり、虫多き中にも、第一の好味として憘び飡するものは蛇なり、皮をはぎ、骨を去り、二三寸程づゝに斬て竹串にさし、炙物にして飡す、予其ころ此老人に蛇のかばやきを貰ひて飡たり、はなはだ美味ものなりし、 外人は釣竿をかたげて川狩にゆくなかに、這老人のみは野山を經めぐりて蛇を數隻とり來り、是を按排して酒のみて樂みける、這人俗やう御家流の美筆にて、壯き頃は弟子そこばく有しが、斯る奇癖ある人なれば、竟に弟子もみな來らず、奈何なれば然やうに虫を好玉ふぞと問ければ、老人答て、世人獸の肉をさへ食する者あり、夫に合しては虫は大いに上品の者なりと云けり、寬政末のころ、六十餘歲にて死去す、同所熊野横町高德寺に葬す、
p.0786 齊人詬食〈配膳ノ者ヲ叱、食味ニ難ヲ言、〉ヲ好者アリ、食スル毎ニ、其僕ヲ詬必器皿ヲ壞ニ至、余〈○藤井臧〉が相識所ノ一人モ亦如レ此、之要スルニ嗜味ノ致所ナリ、可レ不レ戒哉、
夢
夢ハ、イメ、又ハユメト云フ、夢ハ睡眠中ニ發スル精神ノ作用ニシテ、偶〻前徵ヲ爲スコトアルニ由リ、古來夢ヲ以テ吉凶ヲ判セシコト尠カラズ、而シテ夢占ノ事ハ、方技部觀相篇ニ、夢吿ノ事ハ、神祗部神託篇ニ、初夢ノ事ハ、歲時部年始雜載篇ニ各〻其條アレバ、宜シク參看スベシ
p.0786 〈莫公反、又去也、ユメ(○○)、イメ(○○)ミシニ、〉
p.0786
〈正夢字〉
p.0786 夢〈ユメ〉
p.0786 夢
〈上俗下正〉
p.0786 吹黃刀自歌二首
眞野之浦乃(マノノウラノ)、與騰乃繼橋(ヨドノツギハシ)、情由毛(コヽロユモ)、思哉妹之(オモフヤイモガ)、伊目爾之所見(イメニシミユル/○○)、〈○下略〉
p.0786 竹敷浦舶泊之時、各陳二心緖一作歌十八首
安伎佐禮婆(アキサレバ)、故非之美伊母乎(コヒシミイモヲ)、伊米爾太爾(イメニダニ)、比左之久見牟乎(ヒサシクミムヲ)、安氣爾家流香聞(アケニケルカモ)、〈○中略〉
中臣朝臣宅守與二狹野茅上娘子一贈答歌〈○中略〉
於毛波受母(オモハズモ)、麻許等安里衣牟也(マコトアリエムヤ)、左奴流欲能(サヌルヨノ)、伊米爾毛伊母我(イメニモイモガ)、美延射良奈久爾(ミエザラナクニ)、〈○中略〉 右十四首、中臣朝臣宅守、
p.0787 夢(ユメ) ゆは、ゆうべなり、下略也、めは、見る也、みとめと通ず、ゆうべに見る也、一説、いね見也、いとゆと通じ、みとめと通ず、ねを略す、
p.0787 粟田殿〈○藤原道兼〉ゆめ見(○○○○)さはがしうおはしまし、〈○下略〉
p.0787 夢想(○○)
p.0787 治承四年三月十七日己巳、自二今日一三箇日、奉二幣帛於大原野社一、依レ有二夢想事一也、
p.0787 夢をかべ(○○)といふ事〈夢をばぬるにみるによりて、夢をかべとはいヘり、かべもぬる物になるによりて也、〉
p.0787 ゆめをかべ(○○)といふ
眞淵云、むかしは、いめとのみいひたり、いつの比よりゆめとは誤りけん、後撰戀一、まどろまぬかべにも人を見つる哉まさしからなん春のよのゆめ、
p.0787 源おほきがかよひ侍りけるを、後々はまからずなり侍てければ、となりのかべの あなより、おほきをはつかにみて、よみてつかはしける、 するが
まどろまぬかべにも人をみつるかなまさしからなん春の夜の夢
p.0787 夢 ぬるたまとも云〈俊抄〉
ぬばたまのゆめは、たゞ夜の心也、ぬば、むば、いづれも同事也、 夢ぢ ゆめのうきはし 夢のただち
p.0787 夢〈○中略〉
春の夜の夢〈○中略〉 うき夢 夢かるゝ〈さむるなり〉 夢覺 はかなき夢 見はてぬ夢〈世間の事にも云り〉 夢をはかなみまどろめば みる夢 夢かよふ〈○中略〉 冬の夢 まどろむ夢〈○中略〉 初夢〈○中略〉 うき世の夢〈○中略〉 みよのことまでみゆ
p.0788 雨の降日人に送る
衣手のけさはぬれたる思ひねの夢ぢ(○○)にさへや雨のふるらん
p.0788 御をくりの女房は、まして夢路にまどふ心ちして、くるまよりもまろびおちぬべきをぞ、もてあつかひける、
p.0788 寬平御時、きさいの宮の歌合のうた、 藤原としゆきの朝臣
住の江の岸による浪よるさへや夢の通ひぢ(○○○○○)人めよくらん
p.0788 ゆめのたゞち(○○○○○○) 夢の直路也
見しはなほ夢のたゞちにまがひつゝ昔は遠く人はかへらず、菅家万葉集には、夢の只徑と書り、
p.0788 はじめて
あはぬよもあふよもまさしいをねらば夢のたゞちはなれやしぬらん
p.0788 寬平御時、きさいの宮の歌合のうた、 藤原としゆきの朝臣
戀わびて打ぬるなかに行かよふ夢のたゞちはうつゝならなん
p.0788 羈中夢 前大僧正實超 古郷にかよふたゞちはゆるされん旅ねの夜半の夢の關守(○○○○)V 倭訓栞
p.0788 ゆめのうきはし(○○○○○○○) 源氏卷の名より始れり、夢浮橋也、夢よりうつゝ、現より夢と情の相通ふをいふといへり、
p.0788 爰に此卷を夢淨橋と題する事、詞にもみえず、歌にもなし、古來の不審なり、凡夢のうきはしとつゞけたる事、是よりはじまれり、〈○中略〉眞實の義は、夢の一字の外に別の心なし、浮橋は夢にひかれて出來詞なり、凡當流の義は、諸事やすきを以て正説とするゆへ也、されば本歌の 世中は夢のわたりのうきはしかうきわたしつゝ物をこそ思へ、といへるも、浮はしに別の義なし、
p.0789 夢のうき橋
夢の浮橋といふは、古き歌に、世の中は夢のわたりのうきはしかうち渡しつゝ物をこそ思へ、とあるより出たることにて、夢の渡りの淨橋といふは、萬葉三の卷に、吾行(ワガユキ)は久にはあらじ夢乃和(イメノワ)太(ダ)瀬とはならずて淵にてあれも、又七の卷に、芳野作とて、夢乃和太(イメノワダ)ことにし有けりうつゝにも見て、來(コ)し物を思ひし思へば、など見えて、吉野川にある、夢の和太(ワダ)といふ名所にて、そこに渡せる浮橋也、懷風藻に、吉田連宜が、從二駕吉野宮一詩に、夢淵と作れるも此所也〈○中略〉源氏の物がたりに、卷の名とせるは、夢のことにとれる也、同じ物語薄雲卷の詞に、夢のわだりのうきはしかとのみ、うちなげかれてといへるも、たゞ夢かといふこと也、然れば紫式部は、名所なることをしらずして、かの歌なるをも、夢のことゝおもひ誤れるにやあらん、此もの語に、夢のことゝして、卷の名につけたるより後は、ひたすら夢のことゝなわり、狹衣の歌にも、はかなしや夢のわたりの浮はしをたのむ心のたえもはてぬよ、
p.0789 守覺法親王五十首歌よませ侍けるに 藤原定家朝臣
春の夜の夢のうき橋とだえして嶺にわかるゝよこ雲の空
p.0789 舖妙の枕にだにもふさばこそ夢の玉しひ(○○○○○)下にかよはめ
p.0789 五夢(ゴム/○○)〈熱氣多則見レ火、冷氣多則見レ水、風氣多者飛墜、見聞多者熱境、天神與二心靈一所レ感也、〉
p.0789 常ニ五夢ト云ハ何々ゾ
是未カノ説ヲ不二見侍一、若熱氣多キ者ハ見二火ヲ一、冷氣多者ハ見二水ヲ一、風氣多キ者ハ飛墜、多食ノ者ハ、飮食ノ不足ヲ見ル、見聞多キ者ハ、熱(ウン)境ニナント云、是等ニヤ、只是モ五藏ノ掌トル所歟、其ノ神 ト、心靈ト相感ズル時、其夢有ト云ヘリ、但シ金剛經ニハ、一切有爲法、如夢幻泡影ト説キテ、假事アダナル喩ヘニコレ侍レ共、四果ノ聖者、乃至辟支佛マデモ、夢ハアルナレバ、マシテ薄地ノ凡夫、爭デカ夢無ラン、心靈ノ感ズル所ナラバ、ナドカ相事モナカラザラン、文句云ク、夢者、從二須陀洹一至二支佛一、悉ク有レ夢、唯佛ノミ不レ夢、無レ疑無二習氣一故ニ不レ夢、從二五事一故ニ有レ夢、以下疑心分別覺習、因二理事一非人來相語上、因二此五事一夢ミルト云云、
p.0790 或問夢者何由、予〈○冢田虎〉曰、周禮占夢、占二六夢(○○)之吉凶一、然人毎有下不レ關二吉凶一之雜夢下也、又問、如レ是夢者、由レ想與、由レ因與、抑由二何理一與、予曰、吾未レ知二何理一也、然理之可レ知者、不レ可二以爲一レ夢也、以二理之不レ可レ知者一、乃謂二之夢一、夢者瞢也、不明之謂也、
p.0790 占夢、掌下其歲時觀二天地之會一、辨二陰陽之氣一、〈○註疏略〉以二日月星辰一占中六夢之吉凶上、〈○註疏略〉一曰正夢、註、無レ所二感動一、平安自夢、〈○疏略〉二曰噩夢、註、杜子春云、噩當レ爲二驚愕之愕一、謂驚愕而夢、〈噩五各反、涇愕同、○疏略〉三日思夢、註、覺所レ思二念之一而夢、〈覺苦學反下同○疏略〉四曰寤夢、疏、〈○疏恐註誤〉覺時道之而夢、〈寤本又作レ
、五故反、○疏略、〉五曰喜夢、註、喜悦而夢、〈○疏略〉六曰懼夢、註、恐懼而夢、〈○疏略〉
p.0790 春の夢は、よくあふよしにあまたよめり、後撰に、ねられぬをしひてわがぬる春のよの夢をうつゝになすよしもがな、
眞淵云、後世む月の初夢とて、こゝろむるも、春の夢はあふとての事か、又初めてみる夢の事をいふも、少しさいつころよりいへば、春の夢てふ名のみか、詩にも春夢と作れり、それよりうつれるか、〈○中略〉
伊勢集に、春のよの夢にあへりとみえつれば思ひたえにし人ぞまたるゝ、兼盛集に、思ひつゝねいればみえつ春のよのまさしきゆめ(○○○○○○)にむなしからずな、六帖第五、春のよの夢はわれこそたのみしか人の上にて見るがわびしき、西行法師山家集にも、年くれぬ春くべしとは思ひねにまさ しくみえてかなふ初ゆめ、これらにてしるべし、
p.0791 五年十月己卯朔、天皇幸二來目一、居二於高宮一、時天皇枕二皇后膝一而晝寢、於レ是、皇后旣無レ成レ事而空思之、兄王所レ謀適是時也、卽眼涙流之落二帝面一、天皇則寤之語二皇后一曰、朕今日夢矣、錦色小蛇繞二于朕頸一、復大雨、從二狹穗一發而來之濡レ面、是何祥也、皇后則知レ不レ得レ匿レ謀、而悚恐伏レ地、曲上二兄王之反狀一、因以奏曰、妾不レ能レ違二兄王之志一、亦不レ得レ背二天皇之恩一、吿言則亡二兄王一、不レ言則傾二社稷一、是以一則以懼、一則以悲、俯仰喉咽、進退而血泣、日夜懷悒、無レ所二訴言一、唯今日也、天皇枕二妾膝一而寢之、於レ是妾一思矣、若有二狂婦一成二兄志一者適遇是時、不レ勞以成レ功乎、慈意未レ竟、眼涕自流、則學レ袖拭レ涕、從レ袖溢之沾二帝面一、故今日夢也、必是事應焉、錦色小蛇、則授レ妾匕首也、大雨忽發、則妾眼涙也、
p.0791 天國排開廣庭天皇〈○欽明、中略、〉天皇幼時夢有レ人云、天皇寵二愛秦大津父者一、及二壯大一必有二天下一、寐驚遣レ使普求、得レ自二山背國紀伊郡深草里一、姓字果如レ所レ夢、於レ是所喜遍レ身歎二未曾(メヅラシキ)夢一、〈○下略〉
p.0791 淡海朝大友皇子二首
皇太子者淡海帝之長子也、魁岸奇偉、風範弘深、眼中精耀顧盻煒燁、唐使劉德高見而異曰、此皇子風骨不レ似二世間人一、實非二此國之分一、嘗夜夢、天中洞啓、朱衣老翁、捧レ日而至、擎授二皇子一、忽有レ人、從二腋底一出來、便奪將レ去、覺而驚異、具語二藤原内大臣一、歎曰、恐聖朝万歲之後、有二巨猾間釁一、然臣平生曰、豈有二如レ此事一乎、臣聞天道無レ親惟善是輔、願大王勤修レ德、災異不レ足レ憂也、臣有二息女一、願納二後庭一以宛二箕帚之妾一、遂結二姻戚一以親二愛之一、
p.0791 女人濫嫁飢二子乳一故得二現報一緣第十六
横江臣成負女、越前國加賀郡人也、天骨婬泆、濫嫁爲レ宗、未レ盡二丁齡一死、淹歷レ年、紀伊國名草郡能應里之人、寂林法師離二之國家一、經二之他國一修レ法求レ道、而至二加賀郡畝田村一、逕レ年止住、奈良宮御宇大八島國白壁天皇〈○光仁〉世、寶龜元年庚戌冬十二月廿三日之レ夜夢見、〈○中略〉於二草中一有二太胅肥女一、裸衣而踞、〈○中略〉林問、 汝何女、答、我有二越前國加賀郡大野郷畝田村一之横江臣成人之母也、〈○中略〉林自レ夢驚醒獨心恠思、巡二彼里一語、於レ是有レ人、答言當余是也、林述二於夢狀一、成人聞レ之言、我稚時離レ母不レ知、唯有二我姉一、能知二事狀一、問レ姉也、時答、實如レ語、
p.0792 普照假寢、夢有二一寶輿一、自二砂碓一指二西方一而飛去矣、僧侶及伶倫、圍二繞輿之左右一、遙見二輿中一、砂碓僧乘レ之、普照覺後、欲レ知二虚實一、有レ人卽吿二入滅一、普照相二語同法等一曰、我正見下往二生極樂一之人上焉、V 三代實錄
p.0792 貞觀六年正月十四日辛丑、延曆寺座主傳燈大法師位圓仁卒、〈○中略〉年甫九歲、付二託廣智菩薩一、圓仁幼而警俊、風貌温雅、其兄以二外典一敎レ之、然猶心慕二佛道一、嘗登二經藏一、誓探得觀世音經一、心甚歡喜、遂抛二俗書一受二學經論一、俄而通二渉諸部一、領二悟大旨一、夢見二一大德一、顏色淸朗長六七尺、卽就二其邊一瞻仰禮拜、大德含レ咲摩レ頂語話、傍有レ人問云、汝知二大德一否、答云、不レ知、傍人云、此是叡山大師也、大同末年、隨レ緣入レ京、適登二叡山一謁二覲最澄大師一、瞻二視顏貌一一如二昔夢一、最澄大含レ咲語話如二夢所一レ見、竊自知レ之、不二向レ人説一、圓仁于レ時年十五矣、
p.0792 天皇諱貞明、先レ是太上天皇〈○淸和〉之第一子也、母皇太后〈○藤原高子〉贈太政大臣正一位藤原朝臣長良之女也、后兄右大臣藤原朝臣基經初夢、后露二臥庭中一苦二腹脹滿一、頃之腹潰、氣昇屬レ天、卽便成レ日、其後后以レ選入二掖庭一、遂有レ身、去貞觀十年十二月十六日乙亥、生二帝於染殿院一、〈○下略〉
p.0792 釋源信、姓ト氏、和州葛木郡人也、父名正親、母淸氏、父母詣二郡之高尾寺一、求レ子、母夢、一僧以二一顆玉一與レ之、卽有レ姙、信幼時夢、高尾寺有レ藏、藏中有二數鏡一、或大或小或明或暗、一沙門取二暗小鏡一付レ信、信曰、此小暗鏡有二何用一、欲レ得二大明者一、沙門曰、只以二此鏡一至二横川一瑩磨、覺而大恠、又不レ知二横川何處一、後上二睿山一事二慈慧一、始思二夢事一勵精修學、
p.0792 一條院御時、長保比、右中將成信、左少將重家、同心示合出家、〈○中略〉或説、於二三井寺慶祚阿闍梨室一剃之云々、行成卿夢ニ、此重家可二出家一之由談給ト見テ、御堂〈○藤原道長〉之御許ニ詣逢テ、カ カル夢ヲコソ見侍ツレト談給ケレバ、少將打咲テマサシキ御夢(○○○○○○)ニコソ侍ルナレト答給テ、翌日剃頭云々、
p.0793 寬弘八年七月十二日癸未、夏末夢、天大雪時甚寒、其雪自レ天降滿二于板文一、債思之、自レ天降、遭二天皇御晏駕一也、滿二于堂上足踏一者、躬自行二此夜之事一也、俗以二夏雪之夢一爲二穢徵一也或者又夢、撿非違使多降レ自レ天立二床子於鳥戸野一、共坐レ之卜二山陵一云々、于レ時院御(一條)惱之間也、當二于崩御一爲二夢徵一、而依レ擇二吉方一、不レト二此地一、後冷泉院上皇、自二九月朔一不豫、十月廿四日遂崩、來月十六日可レ有二御葬一、其處可レ在二此野一云々、其夢相有二亦説一、又雖レ不レ可レ信松来有レ驗、又謂二凡夫之通信一哉、
p.0793 男君は〈○中略〉今一所は馬頭にて顯信とておはしき、御わらはなこれ君なり、長和元年壬子正月十九日、入道し給ひて、この十餘年佛のごとくしてをこなはせ給ふ、いと思ひかけずあはれなる御事なり、〈○中略〉高松殿〈○藤原道長妻源明子、顯信母、〉の御夢に、左のかたの御ぐしうしろをなからよりそりおとさせ給ふと、御らんじけるを、かくて後にぞ、これが見ゆるなりけりとおもひさだめて、ちがへさせいのりなどをもすべかりけるをと、おほせられける、
p.0793 長久元年九月廿四日丙子、仰云、保家朝臣、今日參上、〈先日下二遣伊勢一、今日參上、〉内裏燒亡夜、齋王夢云、諸卿群集帷下、皇后宮大夫云、御藥事無二殊事一、定平御歟、但内裏可レ有二火事一者、其夢相叶事、太可二希有一也者、父子間、有二其吿一歟可レ悲々々、
p.0793 新院被レ召二爲義一事附鵜丸事
六條判官爲義、〈○中略〉餘ニ白河殿ヨリ度々被レ召ケレバ、可レ參由申ナガラ未レ參、依季長卿、六條堀河家ニ行向テ、院宣ノ趣ヲ宣ケレバ、忽ニ變改シテ申ケルハ、〈○中略〉都テ今度ノ大將軍痛存スル子細多ク侍リ、聊宿願ノ事有テ、八幡ニ參籠仕テ候ニサトシ侍キ、又過ル夜ノ夢ニ重代相傳仕テ候、月數、日數、源太ガ産衣、八龍、澤瀉、薄金、楯無、膝丸ト申テ、八領ノ鎧候ガ、辻風ニ吹レテ、四方へ散ト見テ侍 ル間、旁憚存候、枉テ今度ノ大將ヲバ餘人ニ被二仰付一候ヘトゾ被レ申ケル、
p.0794 人道逝きよの事
入道相國の北の方、八條の二位殿の夢に、見給ひける事こそおそろしけれ、たとへばみやう火のおびたゝしうもえたる車の、主もなきを、門の内へやり入たるをみれば、車の前後に立たるものは、あるはうしのおもてのやうなるもの有、あるひは馬のやうなるものも有、車の前には、無といふ文字ばかりあらはれたる、くろがねのふだをぞ打たりける、二位殿夢の内に、是はいづくよりいづちへととひ給へば、平家太政の入道殿の、惡行てうくはし給へるによつて、ゑんま王宮よりの、御むかひの御車也と申す、さてあのふだはいかにととひ給へば、南ゑんぶだいこんどう十六丈のるしやな佛、やきほろぼし給へるつみによつて、無間のそこにしづめ給ふべきよし、ゑんまのちやうにて御さた有しが、むけんの無をばかゝれたれ其、いまだ聞の字をばかゝれぬ也とそ申ける、二位殿夢さめて後、あせ水になりつゝ、是を人にかたり給へば、聞人皆身のけよだちけり、
p.0794 治承五年〈○養和元年〉閏二月廿六日壬申、今旦覺乘得業來、只今下二向南都一云々、此次語云、故藏俊僧都云、春日御社御正體、眞實者金剛般若經也、慥有二所見一云々、今聞二此語一、余〈○藤原兼實〉所見之夢想、正夢(○○)之條、更無レ疑事歟、仰可レ信者也、
元曆二年八月一日辛亥、此日、佛嚴聖人語曰、去頃有二夢想事一、著二赤衣一之人、來二彼聖人房一、〈奉二修法皇(後白河)御祈一之壇所之傍〉謁二聖人一曰、今度大地震、依二衆生罪業深重一、天神地祇成レ瞋也依二源平之亂一、死亡之人滿レ國、是則依二各々業障一、報二其罪一也、然而所レ歸猶在レ君、何況其外非法濫行、不德無道、不レ可二勝計一、且又流人之間、有二不レ誤之輩等一、如レ此等事、頗不レ被レ施二慈仁一者、天下不レ可レ叶、汝等所レ修之御祈、凡衆僧之御祈等、効驗難レ量可レ悲々々、然間下官〈○藤原兼實〉手取二丈尺之杖一、降立二地上一、糺二定京都之狼藉一、始自二九條一漸入二京中一、欲レ及二一條一、或壞二退人屋一、或洒二掃路頭一、糺二其非違一、忽通二正路一、聖人中心悦二此事一、爰赤衣人語二聖人一云、爲二彼御沙汰一、〈指二下官一也〉被レ行二此法一者、 天下歸レ正、禍亂不レ起、祈禱可レ彰レ驗者也、不然者不レ可レ叶云々、
見二此夢一了、注二進法皇一、但依二非法亂行一、天下不治之事、幷余開二正路一等之事、秘而不レ奏、其故君臣共有二隔 心一、以二正夢(○○)一雖二奏聞一、天下之人不レ可二信用一、恐處二僞夢(○○)詐言一歟、爲レ自爲レ他、有レ恐無レ益之故也云々、
其後又經二兩三日一夢云、稱二帝釋御使一之者一人、出來〈不レ見二其體一〉語云、依二汝幷衆僧所レ修之御祈等之功力一、於二法皇御壽命一者、此般延了、但於二天下之禍亂一者、以二此御祈之力一不レ可レ叶、仍明日々中時、可二結願御祈一也者、 此夢、又禍亂不レ可レ止之由ハ不二奏聞一、是又不レ可レ叶二時議一之故也、卽結願御祈了云々、愚心案之、以前夢以二其事一天下可レ治之由、指レ掌見之、而其事不レ達二天聽一、又無二施行一之間、後夢ニ依二御祈一、天下禍亂不レ可レ止之由見之、尤有二其謂一歟、下官雖二至愚一、思二社稷一之志、已勝レ人、仍自叶二天意一、有二此靈吿一歟、依二微運一其事不レ顯、只可レ悲二宿運一者也、
p.0795 承元四年十一月廿四日戊申、駿河國建福寺鎭守馬鳴大明神、去廿一日卯剋、託二少兒一、酉歲可二合戰一之由云云、別當神主等注二進之一、今日到來、相州披二露之一、仍可レ有二御占一歟之由、廣元朝臣雖レ申二行之一、將軍家〈○源實朝〉彼廿一日曉夢二合戰事一、得二其吿一、非二虚夢(○○)一歟、此上不レ可レ及レ占云云、被レ進二御劒於彼社一云云、
○按ズルニ、酉歲合戰ハ建保元年、和田義盛ノ亂ヲ謂フナリ、
p.0795 同夜、〈○節分〉禁裏貼二畫船於白紙一而賜二宮方及諸臣一、〈○中略〉今夜有二吉夢(○○)一則來歲得レ福云、若見二惡夢(○○)一則翌朝付二是於流水一、是謂レ流二惡夢(○○○)一、
p.0795 富士山
世の人此山を夢見る時は、吉瑞なりとて、一ふじ二鷹、三茄子とて、同く吉兆とす、或人曰、此三事夢の判にはあらず、皆駿州の名産の次第をいふ事也、富士は更に、二鷹は、ふじより出る鷹は、唐種にて良也、こまがへりといふ、三茄子は、我國第一に早く出す處の、名産なればなりといへり、
p.0795 夢二茄子一 一富土、二鷹、三茄子とて、これらを夢に見るを吉徵とす、その子細をしらず、笈埃隨筆に、或人いふ、この三事、夢の判にあらず、皆駿州の名産の次第をいふ事なり、〈○中略〉とみえたり、しかるに唐土にては茄子を夢に見る事を忌なり、宋の樓鑰が攻媿集七十二に、劉允叔夢二茄子一而作二舍萌一題二其後一して云、退之送レ窮而延二上坐一、子厚乞レ巧而甘レ抱レ拙、若二允叔之舍萌一、則眞驅レ之、雖レ未レ能レ絶二紫瓜之生一、畏二君之詞二自レ爾當レ不三復敢入二吾夢一矣、然此種一名二不落一、彼夢滿甑三顆、不レ妨二甲科釋褐一者、殆以レ此、〈○下略〉V 日本書紀
p.0796 戊午年六月、天皇曰、此烏之來、自叶(/○)二祥(ヨキ/○)夢(/○)一、〈○下略〉
p.0796 仁壽三年九月丙申、是日僧正延祥大法師卒、〈○中略〉師二事僧正護命一、〈○中略〉延曆七年、〈○中略〉護命問二延祥一曰、汝有レ夢乎、答日、有レ之、護命曰、爲レ我言レ之、延祥曰、夢臥二七重塔上一、爾時三日並出、光照二身上一、護命曰、吉不レ可レ言(○○○○)、愼勿レ語レ人(○○○○)、
p.0796 業房龜王兵衞之時、夢ニ御前ヲ奉レ被二追却一、門外へ被二追出一ト見テ、後朝康賴ニカヽル夢ヲミツル、年始ニフクタノシキ事也ト云ケレバ、康賴云、極吉夢也、可レ任二靱負尉一之夢也、靱負陣門外之故云々、果十ケ日中、拜二左衞門尉一云々、
p.0796 民部卿三位局御夢想事
民部卿三位殿、〈○中略〉少シ御目睡有ケル、其夜〈○北野沚參籠〉ノ御夢ニ、〈○中略〉此老翁世ニ哀ナル氣色ニテ、云ヒ出セル詞ハ無テ、持タル梅ノ花ヲ、御前ニ指置テ立歸ケリ、不思議ヤト思召テ、御覽ズレバ、一首ノ歌ヲ短册ニカケリ、
廻リキテ遂ニスムベキ月影ノシバシ陰ルヲ何嘆クラン、御夢覺テ歌ノ心ヲ案ジ給ニ、君〈○後醍醐〉遂ニ還幸成テ、雲ノ上ニ住マセ可レ給瑞夢(○○)也ト、憑敷思召ケリ、
p.0796 惡夢(○○)
p.0796 むまの入道の君〈○藤原顯信〉は、はじめ山に無動寺におはせしかど、後は大原にてす ごし、給つるを、月比ものを露まいらざりければ、中堂に參らせ給て、二七日こもりて、たゞいきしにをつげさせ給へと申させ給ければ、なに事ともなく、たゞしにまうけをせよと(○○○○○○○○○)、夢に見給ければ(○○○○○○○)、無動寺におはしまして、權僧正山の座主に、かう〳〵の夢をなんみつる、さればいまはかふなりとのたまはすれば、僧正などてか夢はさみゆれば(○○○○○○○)、いのちながし(○○○○○○)とこそ申せと申給ければ、いのちながからんをうれし、ながらへんをうれしと、思はゞこそあらめ、たゞほとけのつげさせ給つるうれしき也、〈○下略〉
p.0797 康治元年五月十五日丁未、依レ召參二御前一、事々如二昨日一、御語之次申云、行成卿夢、屋崩不レ經二幾程一薨、仰〈○鳥羽〉云、此夢尤可レ恐夢(○○○)也、故白川院御時、朕夢、御所東崩、又故少僧都觀重夢、法勝寺九重塔崩、自二其跡一松樹生者、松樹存二吉事由一之處、不レ經二幾程一崩給者、 三年〈○天養元年〉三月廿二日癸酉、始二如意輪供一、〈覺仁〉依二去夜或人夢惡(○○)一也、
p.0797 淸盛出家事幷瀧詣附惡源太成二雷電一事
同〈○仁安〉二年七月七日、攝津國布引ノ瀧見ントテ、入道ヲ始テ、平氏ノ人々被レ下ケルニ、難波三郎計夢(○)見惡(○○)キ事有トテ供セザリシカバ、傍輩共弓矢取身ノ、何條夢見物忌ナド云、サルオメタル事ヤ有ト笑ケレバ、經房モ實モト思テ走下、夢覺テ參タル由申セバ、中々興ニテ、諸人瀧ヲ詠テ感ヲ催ス折節、天俄ニ曇リ、夥シク、ハタヽガミ鳴テ、人々興ヲサマス處ニ、難波三郎申ケルハ、我恐怖スル事是也、先年惡源太最後ノ詞ニ、終ニハ雷ト成テ、蹴殺サンズルゾトテ、ニラミシ眼常ニ見ヘテ、六箇敷ニ、彼人イカヅチニ成タリト夢ニ見シゾトヨ、只今手鞠計ノ物ノ、巽ノ方ヨリ飛ツルハ、面々ハ見給ハヌカ、其コソ義平ノ靈魂ヨ、一定歸ザマニ經房ニ懸ラント覺ルゾ、左有トモ太刀ハ拔テン物ヲト云モハタネバ、霹靂夥シクシテ、經房ガ上ニ黑雲掩トゾ見ヘシ、微塵ニ成テ死ニケリ、
p.0797 靈夢(レイム)
p.0798 三井寺
〈女詞〉荒有難や候、すこし睡眠の内に、あらたなる靈夢を蒙りて候はいかに、〈○中略〉吿に任せて三井寺とやらんへまいり候べし、
p.0798 夢想ナンドニ日ヲ見タルハ、目出度事ト云ハ實歟、〈○中略〉
日天卽本朝主ニテ御座上、眼前奇特、豈日月ノ行度ニシカンヤ、仰可レ仰、信テモ可レ信、只日月ニテマシマス也、是夢ニ見奉ラン、何ゾ吉事ニ非ズト云事ナカラン、
p.0798 天台宗延曆寺第五座主入唐傳法阿闍梨少僧都法眼和尚位圓珍、〈○中略〉父宅成、〈○中略〉母佐伯氏、故僧正空海阿闍梨之姪也、嘗夢、乘二大舸一浮二巨海一、仰見二朝日初出一、光耀赫奕、將二以レ手捉一レ之、爰日更如二飛箭一、來入二ロ中一、覺後以レ夢語二其夫一、答曰、此吉徵也、當レ生二賢子一、無レ幾懷姙、遂誕二和尚一、V 天台南山無動寺建立和尚傳和尚諱相應、俗姓櫟井氏、近江國淺井郡人也、〈○中略〉淳和帝天長八年、母夢呑レ劒、覺後以レ夢語二其父一、父良久思惟語レ妻日、汝必娠而所レ生子必男子、其父中心感悦以恃レ之、妻未レ幾懷妊遂誕生、産之日瑞雲聳二於屋上一、香氣薫二室内一、
p.0798 元曆二年〈○文治元年〉正月十三日丁酉、入レ夜大外記師尚來、申二靈夢之事一、件事旨趣者、去年三冬之比、依二尋召一借二進秘藏抄物一、〈雜例抄、故師元自抄、〉然間稱レ有二夢吿一、第四以後不二借進一、仍雖レ不レ能二重尋召一、内心深鬱念、只於二師尚之秘申一者、不レ可レ及二左右一、若有二慥之靈夢一者、取二諸身一生涯之遺恨也、所以何者、下官〈○藤原兼〉實於二文書一、成二尊重之思一、又輙不二外漏一、何況下官得二此書一、爲レ朝不レ可レ有レ損、凡人心如レ面、雖レ有二萬端之異一、非二權者一無レ知二人之心底一、至二于靈魂一者、以二通力一必知之、而不レ可レ許二下官之披閲一之由、有レ夢之條、一ハ可レ耻二於身一、一ハ可レ怨二於靈一歟、靈若靈者、悉レ心無レ隱歟、此條深以爲二遣恨一、仍自聞二此事一之後、寤寐不レ忘、而今夜師尚申云、去年夢趣、師元之前ニ師尚相對而居、卽前ニ披二置此抄一、然間、父氣色太不快、卽覺了、仍進借之條、不レ叶二先親之心一歟ト、成レ恐之處、去九日又夢云、如レ初師元之前ニ對居、于レ時自二此御所一〈指レ余也〉有二御敎書一、師元乞被レ見之後、殊 有二和顏之色一、殆及レ悦歟、仍於レ今者、存二不レ可レ奉レ秘之由一所二持參一也云々、〈持二來第四卷一〉靈魂感二愚臣之心操一、忽許二相見一歟、可レ悦々々、可レ憐々々、
p.0799 秀吉公素生
爰に後陽成院之御宇に當て、太政大臣豐臣秀吉公と云人有、〈○中略〉或時母懷中に日輪入給ふと夢み、已にして懷姙し誕生しけるにより、童名を日吉と云しなり、
p.0799 七月〈○萬治二年〉廿三日の曉、夢中に、予〈○度會延佳〉が背の方より、右の耳に吿て云、此事〈○爭訟〉は五日の中に相濟なりと、次に歌一首となへける、
むすびあげて五十鈴の川の用水の久しき代々をなほや仰がん、と云と覺て夢さめたり、傍に寢たりし、岩出氏秦末淸をおこして、かくのごとき靈夢の吿ありといへば、卽時筆とりて書留けり、〈○中略〉先日戲ぬる人も驚き、廿三日より今日〈○二十七日〉は五日也、前知たゞ事にあらず、いか樣にも神明の吿給なるべしと、感歎不レ斜、
p.0799 奇夢
いぬる八月〈○文政二年〉二十五日の夜半に、日向稱名寺〈淨土眞宗にて、廣國山と號す、余が菩提所なり、〉といへるに、盜賊入りたり、このごろはその邊處々に賊の入るよし、人々心を付くる折なりしに、其夜納所の僧義山といふものいかゞしけん、子の刻過くるまでいねられずありしに、丑の時ばかりに、ぬるともしらずまどろみし夢に、賊四人おし入り、各手に白刃を提げて、義山をおし伏せ、刃をつきつけ、住持の居間に案内せよと、責めらるゝと見ておどろきさめぬ、〈○中略〉
乙酉〈○文政八年〉九月朔 海棠庵誌
p.0799 著聞集ニ鬼ニ瘤ヲ取ラレタルト云コト見ユ、是ハ寓言カト思フニ、予〈○松浦淸〉ガ領内ニ正シク斯事アリ、肥前國彼杵郡佐世保ト云フ處ニ、八彌ト云農夫アリ、左ノ腕ニ瘤アリ、大サ橘實 ノ如シ、又名切谷ト云ル山半ニ小堂アリ、觀音ノ像ヲ置ク、坐體ニシテ長一尺許、土人夏夜ニハ必ズ相誘テ、コノ堂ニ納凉ス、一夕八彌彼處ニイタル、餘人來ラズ、八彌獨リ假睡ス、少クシテ其像ヲ視ルニ、其長稍ノビテ遂ニ人ノ立ガ如シ、起テ趺坐ヲ離ル、八彌ガ前ニ來テ曰、我汝ガ病患ヲ消セン迚、八彌ガ手ヲ執テ、カノ瘤ニヒク、八彌ソノ痛ニ堪ズ、忽驚サム、乃夢ナルヲ知テ見ルニ瘤ナシ、人疑フ、八彌常ニ大士ヲ信ズルニアラズ、亦患ヲ除ノ願アリシニ非ズ、然ニコノ靈驗アルコト不可思議ナリ、カヽレバ昔鬼ニ瘤ヲ取ラレシコト、寓言トモ言ガタシ、
p.0800 依二惡夢一至誠心使レ誦レ經示二奇表一得レ全レ命緣第廿
大和國添上郡山村里有二一長母一、姓名未レ詳也、彼母有レ女嫁生二二子一、聟官遣二縣主宰一、因率二妻子一至二所レ任國一經二歲餘一也、但妻之母留レ土守レ家、儵爲レ女夢見二惡瑞相一、卽驚恐念二爲レ女誦一レ經、而依二貧家一不レ得レ敢レ之、不レ勝二心念一、脱二自著衣一洗淨、擎以爲レ奉二誦經一、然凶夢相復猶重現、母增心恐、復脱二著裳一淨洒以爲二如レ先誦一レ經、〈○下略〉
p.0800 延曆寺座主僧正增命、〈○中略〉夢有二梵僧一、來摩レ頂曰、汝莫レ退二菩提心一、如レ此數矣、
p.0800 仁安元年六月、仁和寺の邊なりける女の夢に、天下の政不法なるによりて、賀茂の大明神、日本國を捨て、他所へわたらせ給べきよし見てけり、同七月上旬、祝久繼が夢にも、同體に見てけり、是によりて泰親時晴を召て占はせければ、實夢(○○)のよし各申けり、
p.0800 治承四年六月二日、福原の都かへり有けるに、同十三日、帥の大納言隆季卿、新都にて夢に見侍りけるは、大なる屋のすきたるうちに、我ゐたるひさしのかたに女房あり、ついがきのとに、頻になくこゑ有、あやしみて問に、女房のいふやう、これこそみやこうつりよ、太神宮のうけさせ給はぬ事にて候ぞといひけり、すなはち驚ぬ、又ねたりける夢に同じやうに見てけり、おそれおのゝきて、次日の朝、院に參じて、前大納言邦綱、別當時忠卿などにかたりてけり、
p.0800 常澄安永於二不破關一夢見二在京妻一語第九 今昔、常澄ノ安永ト云フ者有ケリ、此レハ惟孝ノ親王ト申ケル人ノ下家司ニテナム有ケル、其ニ安永其ノ宮ノ封戸ヲ徵ラムガ爲ニ、上野ノ國ニ行ニケリ、然テ年月ヲ經テ返リ上ケルニ、美濃國不破ノ關ニ宿シヌ、而ル間安永京ニ年若キ妻ノ有ケルヲ、月來國ニ下ケル時ヨリ、極テ不審ク思ケルニ合セテ、俄ニ極ジク戀シク思エケル、何ナル事ニ有ナラム、夜明バ疾ク忿ギ行カムト思テ、關屋ニ寄臥タリケル程ニ寢入ニケリ、夢ニ安永見レバ、京ノ方ヨリ火ヲ燃シタル者來ルヲ見レバ、童火ヲ燃シテ女ヲ具シタリ、何ナル者ノ來ナラムト思フ程ニ、此ノ臥タル屋ノ傍ニ來タルヲ見レバ、此ノ具シタル女ハ、早ウ京ニ有ル我ガ不審ト思フ妻也ケリ、此ハ何カニト奇異ク思フ程ニ、此ノ臥タル所ニ壁ヲ隔テ居ヌ、安永其ノ壁ノ穴ヨリ見レバ、此ノ童我ガ妻ト並ビ居テ、忽ニ鍋ヲ取寄テ飯ヲ炊テ童ト共ニ食フ、安永此レヲ見テ思ハク、早ウ我ガ妻ハ、我ガ无カリツル間ニ、此ノ童ト夫妻ト成ニケリト思フニ、肝騷ギ心動テ不レ安ズ思へドモ、然ハレ爲ム樣ヲ見ムト思テ見ルニ、物食ヒ畢テ後、我ガ妻此ノ童ト二人搔抱カラヒテ臥ヌ、然テ程モ无ク娶、安永此レヲ見ルニ、惡心忽ニ發テ、其コニ踊入テ見レバ、火モ无シ人モ不見エズト思フ程ニ夢覺ヌ、早ウ夢也ケリト思フニ、京ニ何ナル事ノ有ルニカト、彌ヨ不審ク思ヒ臥タル程ニ、夜明ヌレバ、急立テ夜ヲ晝ニ成テ、京ニ返テ家ニ行タルニ、妻恙ガ无クテ有ケレバ、安永喜ト思ケルニ、妻安永ヲ見マヽニ咲テ云ク、昨日ノ夜ノ夢ニ、此ニ不レ知ヌ重ノ來テ、我レヲ倡テ相具シテ、何クトモ不レ思ヌ所ニ行シニ、夜ル火ヲ燃シテ、空ナル屋ノ有シ内ニ入テ、飯ヲ炊テ童ト二人食テ後、二人臥タリシ時ニ、其コニ俄カニ出來タリシカバ、童モ我モ騷グト思ヒシ程ニ夢覺ニキ、然テ不審ト思ヒ居タリツル程ニ、此ク御タルト云ケルヲ聞テ、安永我モ然々見テ不審シト思テ、夜ヲ晝ニ成シテ急ギ來タル也ト云ケレバ、妻モ此ク聞テ奇異ク思ケリ、此ヲ思フニ、妻モ夫モ此ク同時ニ同樣ナル事ヲ見ケム、實ニ希有ノ事也、此レハ互ニ同樣ニ不審シト思ヘバ、此ク見ルニヤ有ラム、亦精ノ見エケルニヤ有ラム、 不二心得一ヌ事也、然レバ物ナドへ行ニモ、妻子ニテモ强ニ不審シトハ不レ思マジキ也、此ク見ユレバ極ク心ノ盡ル事ニテ有ル也トナム、語リ傳ヘタルトヤ、
p.0802 前瀧口武者助重者、近江國蒲生郡人也、國司經忠朝臣門人字江策入道〈法名寂因〉與二助重一有二故舊一、兩人奉使、發二遣所部一、此夜入道夢中、路過二熊野一、傍有二死人一、衆僧殯殮、有レ人吿曰、此處有二往生人一、汝可レ得レ見、應レ聲行見、助重身是也、覺後占夢曰、夢見二死人(○○○○)一、是吉祥也(○○○○)、黎旦首途、行可二十餘里一、助重奴僕來向、途中急言曰、去夜君主爲レ賊見レ害、爲レ吿二此事一、到二君所一也、〈○中略〉後五六年入道參二淸水寺一、客僧同宿、相語曰、先年修二行江州一、夢中有レ人、吿示曰、當國有二往生人一、汝可二結緣一、其處其人其月日所二往生一也、我雖レ感二夢吿一、未レ見二在處一、若踏二其地一、必到二彼岸一云々、入道案之、一爲二助重之本事一、兩人前後之夢、果知二其實一焉、推二其年曆一、當二永久年中一、
p.0802 釋高辨、姓平氏、紀州在田郡人、父重國嘗爲二嘉應帝〈○高倉〉衞兵曹一、二親各請二佛祠一、求レ子、母夢有レ人授二柑子一、其妹適並レ枕臥、覺而語之、妹曰我又夢、人與二我大柑二顆一、姉曰我當レ得、便被レ奪、妹之所レ夢不レ徒耳、尋而有レ孕焉、承安三年正月生、
p.0802 小松殿夢同熊野詣事
治承三年三月ノ比、小松内府夢見給ケルハ、伊豆國三島大明神へ詣給タリケルニ、橋ヲ渡テ門ノ内へ入給フニ、門ヨリハ外右ノ脇ニ法師ノ頭ヲ切カケテ、金ノ鏁ヲ以テ大ナル木ヲ堀立テ、三ツ鼻綱ニツナギ付タリ、大臣思給ケルハ、都ニテ聞シニハ、二所三島ト申テ、サシモ物忌シ給テ、死人ニ、近付タル者ヲダニモ、日數ヲ隔テ參ルトコソ聞シニ、不思議也ト覺テ、御寶殿ノ前ニ參テ見給ヘバ、人多居並タリ、其中ニ宿老ト覺シキ人ニ問給ヤウハ、門前ニ係リタルハ、イカナル者ノ首ニテ侍ゾ、又此明神ハ死人ヲバ忌給ハズヤト宣ヘバ、僧答テ云、アレハ當時ノ將軍、平家太政入道ト云者ノ頸也、當國ノ流人、源兵衞佐賴朝、此社ニ參テ、千夜通夜シテ祈申旨アリキ、其御納受ニ依テ、 備前國吉備津宮ニ仰テ、入道ヲ討シテカケタル首也ト見テ、夢サメ給ヌ、恐シ淺猿ト思召、胸騷心迷シテ、身體ニ汗流テ、此一門ノ滅ビンズルニヤト、心細ク思給ケル處ニ妹尾太郎兼康、折節六波羅ニ臥タリケルガ、夜半計ニ小松殿ニ參テ案内ヲ申入、大臣奇ト覺シケリ、夜中ノ參上不審也、若我見ツル夢ナドヲ見テ、驚語ラントテ來タルニヤト御前ニ被レ召、何事ゾト尋給ヘバ、兼康畏テ夢物語申、大臣ノ見給へル夢ニ少シモ不レ違ザレバコソト涙グミ給テ、ヨシ〳〵妄想ニコソ、加樣ノ事披露ニ不レ及誡宣ケリ、懸ケレバ一門ノ後榮憑ナシ、今生ノ諸事思ヒ捨テ、偏ニ後生ノ事ヲ祈申サントゾ思立給ケル、
p.0803 七年八月己酉、倭迹々神淺茅原目妙姫、穗積臣遠祖大水口宿禰、伊勢麻績君三人、共同レ夢而奏言、昨夜夢之、有二一貴人一、誨曰、以二大田田根子命一、爲下祭二大物主大神一之主上、亦以二市磯長尾市一、爲下祭二倭國魂神一主上、必天下太平矣、
p.0803 第七無空律師
律師无空、平生念佛爲レ業、衣食常乏、自謂我貧、亡後定煩二遺弟竊以二萬錢一、置二于房内天井之上一、欲レ支二葬斂一、律師臥レ病、言不レ及レ錢、忽以退レ世、枇杷左大臣、〈○藤原仲平〉與二律師一有二舊契一、大臣夢、律師衣裳垢穢、形容枯槁、來相語曰、我以レ有レ伏二藏錢貨一、不レ度而受二蛇身一、願以二其錢一、可レ書二寫法華經一、大臣自到二舊坊一、捜二得萬錢一、錢之中有二小蛇一、見レ人逃去、大臣忽令レ書二寫供養法華經一部一畢、他日夢、律師衣服鮮明、顏色悦澤、手持二香爐一、來語二大臣一曰、吾以二相府之恩一、得レ免二蛇道一、今詣二極樂一、謂了西向飛去矣、
p.0803 天養二年〈○久安元年〉三月六日辛亥、孝能申云、去夜丑刻夢、殿西北廊、文士集會、其中有二散位藤敦任、散位菅原淸賢、藏人式部丞藤成佐三人儒一、此外雖レ多不レ覺二其人一、孝能問二淸賢一云、何事乎、答云、於二北野一可レ有二御作文一、孝能又問レ題、淸賢答曰、件題淸賢所レ獻也、賢相云々、卽夢覺、不レ覺二賢相下字一、就レ寢之後、又夢如レ先、孝能又問レ題、淸賢答云、賢相奉公節、孝能又問二作文儀一、淸賢申云、公卿及儒者外不レ可レ參也、孝能又問 云、非レ儒公卿不レ可レ參歟、淸賢云、至二公卿一者雖レ非レ儒可レ參也、夢覺、又就レ寢夢如レ先、〈三度〉去年十二月中旬、覺仁闍梨申云、非レ夢非レ覺、如レ有二人言一、於二北野一可レ有二御作文一云々、余〈○藤原賴長〉不レ信之、今又有二此夢一、足レ爲レ奇、參二彼社一之後、得二重吿一、可レ企二作文一者也、
p.0804 建久四年七月三日丁卯、小栗十郎重成郎從馳參、以二梶原景時一申云、重成今年爲二鹿島造營行事一之處、自二去比一所勞太危急、見二其體一非二直也事一、頗可レ謂二物狂一歟、稱二神詫一、常吐二無窮詞一云云、去文治五年、於二奧州一被レ開二泰衡庫倉一之時、見二重寶等中一、申二請玉幡一、飾二氏寺一之處、毎夜夢中、山臥數十人群二集于重成枕上一、乞二件幡一、此夢想十箇夜(○○○○○)、彌相續(○○○)之後、心神違例云云、依レ之彼造營行事事、被レ仰二付馬場小次郎資幹一云云、
p.0804 予〈○冢田虎〉毎夜多夢(○○)、無レ想無レ因、不レ入二六夢一者亦多焉、夢則夢而已、理外之賾也、
p.0804 正述二心緖一
我心等(ワガコヽロト)、望使念(ノゾミオモヘバ)、新夜(アタラヨノ)、一夜不落(ヒトヨモオチズ)、夢見(ユメニミエケリ)、
p.0804 佐婆海中、忽遭二逆風漲浪一、漂流經レ宿而後幸得二順風一、到二著豐前國下毛郡分間浦一、於レ是追二怚
艱難一、悽惆作歌八首、〈○七首略〉
和伎毛故我(ワギモコガ)、伊可爾於毛倍可(イカニオモヘカ)、奴婆多末能(ヌバタマノ)、比登欲毛於知受(ヒトヨモオチズ)、伊米爾之美由流(イメニシミユル)、
p.0804 夢〈○中略〉
おもひねの夢
p.0804 中臣朝臣宅守與二狹野茅上娘子一贈答歌〈○中略〉於毛比都追(オモヒツヽ)、奴禮婆可毛等奈(ヌレバカモトナ)、奴婆多麻能(ヌバタマノ)、比等欲毛意知受(ヒトヨモオチズ)、伊米爾之見由流(イメニシミユル)、〈○中略〉
右十四首〈○十三首略〉中臣朝臣宅守、
p.0804 題しらず みつね 君をのみ思ひねにねし夢なればわが心からみつる成けり
p.0805 筑前守つねみつのきみのくだりて、九月一日の夜、夢にみえたりければ、あひおもふ なかなればいひやる、
夢にても夢としりせばねざめしてあかね別の物はおもはじ
p.0805 おなじ心にかやうにいひかはし、世中のうきも、つらきも、おかしきも、かたみにいひかたらふ人、ちくぜんにくだりて後、月のいみじうあかきに、かやう成し夜、宮にまいりてあひては、つゆまどろまず、ながめあかいしものを、こひしく思ひつゝねいりにけり、宮にまいりあひて、うつゝにありしやうにて有とみて、打おどろきたれば夢成けり、月も山のはちかうなりにけり、さめざらましをと、いとゞながめられて、
夢さめてねざめの床のうくばかりこひきとつげよ西へ行月
p.0805 先坊〈○保明親王〉にみやす所まいり給ふ事、〈○中略〉後はしげあきらの式部卿のきたのかたにて、齋宮の女御の御はらにて、そもうせ給ひにき、いとやさしくおはせし、先坊を戀かなしみ給ふ、大輔なん夢に見奉ると聞て、送り給へる、 ときのまもなぐさめつらむ君はさは夢にだに見ぬわれぞかなしき、御返事大輔、
戀しさはなぐさむべくもあらざりきゆめのうちにも夢と見しかば
p.0805 藏人式部掾貞高於二殿上一俄死語第廿九
頭ノ中將〈○藤原實資〉ノ夢ニ、有シ式部ノ丞ノ藏人内ニテ會ヌ、寄來タルヲ見レバ、極ク泣テ物ヲ云フ、聞ケバ死ノ恥ヲ隱サセ給タル事、世々ニモ難レ忘ク候フ、然許人ノ多ク見ムトテ集テ候ヒシニ、西ヨリ出サセ不レ給ザラマシカバ、多ノ人ニ被二見繚一テ、極タル死ノ恥ニテコソハ候ハマシカト云テ、泣々手ヲ摺テ喜ブトナム見エテ、夢覺ニケル、
p.0806 さて家にかへりて、〈○藤原朝成〉このぞうながくたえん、もしおのこゞも、をんなごもありとも、はかばかしくてはあらせじ、あはれといふ人もあらば、そ〈○そ原作レか據二一本一改、〉れをもうらみんなどちかひて、うせ給ひにければ、だい〳〵の御あくれうとこそはなりたまひたれ、さればましてこの殿〈○藤原行成伊尹養子〉ちかうおはしませば、いとおそろし、殿〈○藤原道長〉の御夢に、南殿の後のとのもと、かならず人のまいるに、たつところよな、そこに人のたちたるをたれぞと見れば、かほは戸のかみにかくれたれば、よくも見えず、あやしうてたそ〳〵とあまたたびとはれて、あさなりに侍りといらふるに、夢のうちにもいとおそろしけれど、ねんじて、などかくてはたち給ふたるととひ給ければ、頭辨〈○藤原行成〉のまいらるゝを、まち侍るなりといふと見給ひて、おどろきてけふは大事ある日なればとくまいるらん、ふびなるわざかなとて、夢に見え給ひつる事あるを、けふは御やまひ申などもして、物いみかたくして、なにかまいりたまふ、こまかにはみづからとかきて、いそぎたてまつり給へとちかひて、いととくまいり給ひにけり、まもりのこはくやおはしけん、れいのやうにはあらで、きたの陣よりふぢつぼ後凉殿のはざまよりとをりて、殿上にまいり給へるに、こはいかに御せうそくたてまつりつるは、御らんぜざりけるか、かゝる夢をなん見侍りつる、とくいでさせ給ひねと、聞えさせ給ひければ、てをはたとうちて、いかにぞと、こまかにもとひまさせ給はず、またふたつものものたまはで出給ひにけり、
p.0806 維時中納言夢二才學一事
維時中納言日記中書云、菅家夢中令レ吿云、汝才學漸勝二朝綱一之由所レ託云々、雖レ然於二文章一非レ敵歟、
夢二爲憲文章一事
橘孝親父〈名可レ尋〉求下可レ爲二師匠一之者上、祈下請其先祖建二學館院一之者上、〈名可レ尋〉夢中吿云、文章者可レ習二爲憲一者、爲憲聞レ之稱レ雄云々、
p.0807 二條院御時、かのおとゞ〈○藤原宗輔〉の作り給たる笛譜の説を、妙音院殿〈○藤原師長〉に勅問有けるに、いかにぞやある處を、少々奏せさせ給へりけるを、おとゞの御夢に、彼大相國の御消息あり、宗輔と書れたりけり、失にし人はいかにとあやしくて、ひらきて御覽ずれば、そのかみ習ひし道を、かたぶけ奏し給事こそ、口おしふ侍れと書れたりけり、おどろきおぼして、御參内有て、彼譜に申候ひし事は、みなもろ〳〵ひが覺へに候けりと、奏しなをさせ給けり、
p.0807 此道〈○和歌〉に心ざし深かりしことは、道因入道ならびなき者なり、〈○中略〉千載集えらばれ侍しことは、かの入道うせてのちのことなり、なきあとにも、さしも道に志深かりし者なればとて、優して十八首まで、入られたりければ、夢のうちに來りて、涙をながしつゝ、よろこびをいふと見給たりければ、〈○藤原俊成〉殊にあはれがりて、いま二首をくはへ、廿言になされたりけるとぞ、しかるべかりける事にこそ、
p.0807 建曆二年十月十一日癸未、爲レ覽二新造堂舍一、將軍家〈○源實朝〉渡二御大倉一、〈○中略〉此間善信於二御前一申云、去建久九年十二月之比、夢想云、善信爲二先君〈○源賴朝〉御共一、赴二大倉山邊一、爰有二一老翁一云、此地淸和御宇文屋康秀、爲二相模掾一所レ住也、可レ建二精舍一、我欲レ爲二鎭守一云云、夢覺之後、啓二此由一、于レ時幕下將軍、御病中也、忽催二御信心一、若及二御平愈一者、可レ有二堂舍造營一之由、被レ仰之處、翌年正月薨御、不レ被レ果之條、愚意濳爲レ恨、而當御代依二自然御願一、有二此草創一、倂靈夢之所二感應一也、境内之繁榮也云云、仰云、上又先年依レ有二夢想之吿一、今所レ企之也、是何非二合體之儀一乎、古今事書者、文屋康秀爲二參河掾一欲二下向一、出二立于縣見一哉之由、誘二引小野小町一云云、彼兩人、共逢二于仁明之朝一、可レ當二淸和御宇一哉云云、善信云、夢中事誠以難レ備二實證一、但見二古陰書一、康秀者元慶三年、任二縫殿助一歟、然者仕二淸和朝一之條、無二異儀一歟、相模掾事、未レ勘之云云、將軍家頻以有二御感一、仰二範高一、被レ記二此問答之趣一也、可レ被レ作二當寺緣起一、以二此夢記一可レ爲二事初一之旨、内々被レ仰云云、
p.0807 都良香竹生島に參りて、三千世界眼前盡と案じ侍て、下句を思ひわづらひ侍り けるに、その夜の夢に、辨才天、十二因緣心の惠空、とつけさせ給ひける、やんごとなき事なり、〈○中略〉邑上帝かくれさせ給ひて後、枇杷大納言延光卿あさゆふ戀しく思ひ奉て、御かたみのいろを一生ぬぎ給はざりけり、ある夜の夢に、御製をたまひける、 月輪日本雖二相別一、温意淸凉昔至誠、兜率最高歸二内院一、如今於レ彼語二卿名一、
p.0808 機緣更盡今歸去 七十三年在二世間一
此詩大江齊光卒去之後、良源僧正夢所レ見也、
昔契二蓬萊宮裏月一 今遊二極樂界中風一
此詩義孝少將卒去之後、賀緣阿闍梨夢見、少將有二歡樂之氣色一、阿闍梨云、君ハ何心地喜之久天波被レ坐、母君被二戀慕一仁波土云者、少將詠曰、
時雨(後拾)天波、千々乃木乃葉曾、散末加宇、爲加那留里乃、袂奴良左牟、
p.0808 まことかの左兵衞督の北の方、〈○藤原公信妻〉正月〈○萬壽三年〉廿よ日の程に、なくなり給にければ、おとこぎみは少將實康の君、まだわらはにて、さては十四ばかりの姫君のいとうつくしきぞ、もたまへりける、よろづあはれ〳〵と思つゝ、兵衞督あつかひ給ひけり、御いみのほど、いと哀にて、すぐし給ふに、このひめ君の御ゆめに、この君をかきなでゝ、よみ給とみえたり、 おもひきや夢のなかなるゆめにてもかくよそ〳〵にならんものとは
p.0808 慶長のはじめの年仲の冬、大坂の亭にうつりおはしましゝころ、〈○豐臣秀吉〉奇瑞の靈夢を感ぜらるゝ事あり、其和歌にいはく、
世をしれとひきぞあはする初春の松のみどりも住よしの神
p.0808 戊辰歲〈○文化五年〉三月十日夜、夢登二麹街候火櫓一、春望、四面花柳綿邈、春色不レ可レ言、乃得二候火樓頭萬里春一句一、而夢乃覺、
p.0809 一又順元云、其加州の家人靑地藏人が先祖靑地四郎左衞門といふは、靑地駿河守の事也、此四郎左衞門、若き時に夢に朝鮮に渡りし事を、歷々と見て、珍敷事也とて、夢さめて後、みづから其山海の景を、夢に見し樣に寫して、枕屛風となしたり、十年許り後に、朝鮮軍の事初りて、靑地かの國に趣くべし、かゝる珍敷事こそなけれ、昔夢に見し所に、似たる事もやある、試の爲也とて、かの屛風の繪を引はなして、持行て見しに、少も違ふ所なし、爰よりいかほど過なば、川有べしといふに川有、又いかほど行なば、山有べしと思ふに山あり、昔夢見し跡によりて、大きに利有事其有し、誠に奇夢也と云、今靑地が家に、其圖やは有と問に、いかにや成けん、其圖とおぼしき物はなしと云也と云々、
p.0809 題しらず けんせい法し
唐も夢にみしかば近かりき思はぬ中ぞはるけかりける
p.0809 粟田左大臣在衡、〈○中略〉此人は若くより鞍馬を信じ奉りて參られけり、文章生のとき、彼寺に參詣して、正面の東の間にして、禮をなす間、十三四歲の童、傍に來て同じく拜を參らす、〈○中略〉心ならず禮を參らするほどに、三千三百三十三度にみつ時、此童うせぬ、在衡奇異の思ひをなしながら、くるしきまゝに、いさゝかうちまどろみたるほどに、有つる童、天童のごとく裝束して、御帳の内より出來て云、官は右大臣、歲七十二と云々、そのゝち昇進こゝろのごとし、左大臣七十三の年、彼寺に詣で申ていはく、往日右大臣七十二と示現を蒙りしに、今旣にかくのごとしと、毘沙門又夢中にのたまはく、官は右大臣までに有しかども、奉公人にすぐるゝによりて、左にいたる、命はあしく見たり、七十七也と、はたして此年失給ひにけり、
p.0809 依二地藏示一從二鎭西一移二愛宕護一僧語第十四
今昔、鎭西肥前ノ國ノ背振ノ山ト云フ所ハ、書寫ノ性空聖人ノ行ヒ給ル所也、山深クシテ貴キ事 此ニ過タル所世ニ无シ、此レニ依テ佛道ヲ修行スル、止ム事无キ行人來リ住ム事不レ絶ズ、而ルニ中比一人ノ持經者有テ彼ノ山ニ住ム、日夜ニ法花經ヲ讀誦シ、寤寐ニ地藏尊ヲ念ジ奉ル、此レヲ以テ生前ノ勤トス、而ル間齡漸ク傾テ六十ニ滿ヌ、然レバ彌ヨ後世ヲ恐レテ、現世ノ事ヲ不レ思ハズ、而ルニ本尊ノ御前ニシテ申サク、我ガ命ヲ可レ終キ所ヲ示シ給へト、懃ニ祈リ請フニ、夢ノ中ニ、一人ノ小僧有リ、形チ端嚴也、來テ此僧ニ敎へテ云ク、汝ヂ若シ臨終ノ所ヲ尋ネムト思ハヾ、速ニ王城ノ方ニ行テ、愛宕護ノ山ノ白雲ノ峯ニ可レ行シ、但シ月ノ廿四日ハ、此レ汝ガ命ヲ可レ終キ日也ト吿給フト見テ夢悟ヌ、其ノ後僧涙ヲ流シテ、夢ノ吿ヲ知ヌ、弟子等師ノ泣ヲ見テ、其ノ心ヲ問フト云へドモ、師答フル事无クシテ、只一紙ニ此ノ夢ノ吿ヲ注シテ、密ニ經箱ノ中ニ納メテ置ツ、其ノ夜ノ夜半ニ、其ノ山ヲ去テ獨リ出デ、、王城ノ方へ數日ヲ經テ、月ノ廿四日ヲ以テ、彼ノ愛宕護ノ山ノ白雲ノ峯ニ行著、自ラ一ノ樹ノ下ニ留テ、一夜ヲ過シツ、朋ル日其山ノ僧共集リ來テ問テ云ク、汝ヂ何レノ所ヨリ來レル人ゾト、僧答テ云ク、我レ鎭西ヨリ來レル人也、此ノ外陳べ語ル事无シ、然レバ住僧等此レヲ哀憐シテ、朝夕ニ飮食ヲ調へ送ル、如レ此シテ日來ヲ經ル間、亦月ノ廿四日ニ成ヌ、早旦ニ山ノ人其所ニ至テ見レバ、彼ノ鎭西ノ僧、西ニ向テ端座合掌シテ入滅シケリ、此レヲ見テ驚テ、山ノ諸ノ僧ニ吿ケリ、僧等此レヲ聞テ多ク集リ來テ見ルニ、誠ニ入滅セル樣、貴キ事无レ限シ、經袋ニ一紙ノ書有リ、諸ノ僧此ノ書ヲ披テ見ルニ、具ニ彼ノ夢ノ事ヲ注セリ、僧共此レヲ見テ、彌ヨ貴ビ哀ムデ、集リテ泣々ク沒後ヲ訪ヒ、報恩ヲ送リケル、宛カモ師君ノ恩ヲ報ズルニ不レ異ズ、此レ偏ニ地藏菩薩ノ大悲ノ利益也、然レバ奇異ノ事也トテ語リ傳フルヲ、聞繼テ語リ傳へタルトヤ
p.0810 算博士三善爲康者、越中射水郡人也、〈○中略〉承德二年八月四日夢、已終二生涯一、將レ入二死路一、彌陀如來率二諸菩薩一欲二來迎一、爾時有レ人吿曰、汝命限未レ盡、後年八月四日、可二來迎一者、覺後思惟、若是妄 想歟、但祈二三寶一、須二是一決一、〈○中略〉保延五年六月三日、身有二病患一、不レ能二起居一、語二左右一云、來八月終焉之期也、〈○中略〉八月四日、〈○距二承德二年一四十二年〉於二後夜分一、捧二誓願文一、〈件文觀念讀經法也〉向レ西氣絶、
p.0811 夢に不思議ある事
見しは今上總國富津と云濱邊の里に、正左衞門と云漁翁有しが、江戸へ魚うりに切々來る、此者言けるは、今年有難き御靈夢を蒙りたり、阿彌陀金色の身相を現じ來迎有て、來々年の十月十五日には、かならず迎に來り、我を西方極樂へつれ立べしとの給ふ、かたく約束申たりとて、夜晝怠らず念佛をとなふ、扨知る人に逢ては、其由を語り、來世にてこそ又逢めと、いとまごひする、〈○中略〉やうやく三年の月日きはまり、當年十月十三日十四日にも成ければ、正左衞門が死日こそはやめぐり來りたれ、是を見んとて、相模國三浦より舟にて渡海し、安房、上總、下總よりも人參りて、正左衞門が死ざまを見んといふ、〈○中略〉十月十四日の夜も明、十五日にも成ぬれば、正左衞門は近所大乘寺と云淨土寺へ行、佛前に高く床をかゝせ、其上にのぼつて西方に向ひ、たなごゝろをあはせ、りんじう正念して、しやうみやう念佛十へん計となへ、聲とともに大往生をとぐ、うごきはたらかず、生たる者の如し、貴賤老若群參し、禮拜せずと云事なし、是をみし人、夢に不思議ありと物語りせり
p.0811 我尾張士山名又六者、父祖世以二火銃一爲レ官、其人毎語二家人一曰、余少時夢登二富士山一、見下一堂扁額書中九十三上、予必當二壽九十三一矣、今茲文政三年夏、果九十三而死、至レ死、耳目猶全、心不二耄亂一、
p.0811 憶二持法花經一得二現報一示二奇異表一緣第十八
昔大和國葛木上郡有二一持經人一、丹治比之氏也、其生知年八歲以前誦二持法花經一、竟唯一字不レ得レ存、至二于廿有餘歲一、猶難二得持一、因二觀音一以悔過、于レ時夢見、有レ人曰、汝昔先身生在二伊豫國別郡早部猴之子一、時汝奉レ讀二法花經一、而燈燒二一文一、故不レ得レ誦、今往見レ之、從レ夢醍驚、而思二恠之一、白二其親一曰、急有二緣事一、欲レ往二伊與一、二親 許、然諮往、當到二猴之家一、叫レ門喚レ人、乃女人出含レ哭、還入白二家女一曰、門在二客人一、恰似二死郡一、〈○郡恐郎誤〉聞レ之出見、猶疑二死子一、家長之亦恠問レ之、仁者何人、答二陳國郡之名一、客人亦問レ之、答具吿知往姓名也、明知是我先父母卽長跪、
p.0812 梵釋寺十禪師兼算、〈○中略〉往年夢、有レ人吿曰、汝是前生歸二彌陀佛一一乞人也、
p.0812 建保四年六月十五日丁酉、召二和卿於御所一、有二御對面一、和卿三反奉レ拜、頗涕泣、將軍家〈○源實朝〉憚二其禮一給之處、和卿申云、貴客者、昔爲二宋朝育王山長老一、于レ時吾列二門弟一云云、此事去建曆元年六月三日丑剋、將軍家御寢之際、高僧一人、入二御夢中奉レ吿二此趣一、而御夢想事、敢以不レ出二御詞一之處、及二六箇年一、忽以符二合于和卿申狀一仍御信仰之外、鉦、二他事一云云、
p.0812 元興寺智光、賴光兩僧、從二少年時一、同室修レ學、賴光及二期年一、與レ人不レ語、似レ有レ所レ失、智光怪而問レ之、都無レ所レ答、數年之後、賴光入滅、智光自歎曰、賴光者是多年親友也、頃年無二言語一、無二行法一、徒以逝去、受レ生之處、善惡難レ知、二三月間、至心祈念、智光夢到二賴光所一、見レ之似二淨土一、問曰、是何處乎、答曰、是極樂也、以二汝懇志一示二我生處一也、早可二歸去一、土非二汝所一レ居、智光曰、我願レ生二淨土一何耶、賴光答曰、汝無二行業一、不レ可二暫留一、重問曰、汝生前無レ所レ行、何得レ生二此土一乎、答曰、汝不レ知二我往生因緣一乎、我昔披二見經論一、欲レ生二極樂一、倩而思レ之、知レ不二容易一、是以捨二人事一絶二言語一、四威儀中、唯觀二彌陀相好淨土莊嚴一、多年積レ功、今纔來也、汝身意散亂、善根微少、未レ足レ爲二淨土業因一、智光自聞二斯言一、悲泣不レ休、重問曰、何爲決定可レ得二往生一、賴光曰、可レ問二於佛一、卽引二智光一、共詣二佛前一、智光頭面禮拜、白レ佛言、得下修二何善一生中此淨土上、佛吿二智光一曰、可レ觀二佛相好淨土莊嚴一、智光曰、此土莊嚴、微妙廣博、心眼不レ及、凡夫短慮、何得レ觀レ之、佛卽學二右手一、而掌中現二小淨土一、智光夢覺、忽命二畫工一、令レ圖二夢所レ見之淨土相一、一生觀レ之、終得二往生一云云、
p.0812 夢に冥土
寬政十一年己未ノ春三月十七日、このゆふべ予〈○瀧澤解〉夢に冥府に遊びつ、覺ての後も記億せり、〈○中 略〉詞がたきもがなと思ふ折、亡友某忽然と來にけり、予あやしみて、子は曩に身まかり給ひぬと聞たるに、今訪るゝこと、こゝろ得がたし、いかなる故やあると問ば、友のいはく、その事に侍り、けふなん冥府放赦の日なれば、吾們たま〳〵遊行を許さる、いざ給へ黃泉の光景を見せまゐらせんといふ、予遽しくこれと共にゆく程に、前程いくそばくそをしらず、又絶て東西をしらず、遂に忽地友に後れて、ます〳〵こゝち惑ひにけり、山を踰水を渉り、ゆき〳〵て見かへれば、道次に官舍あり、門前に筵布わたしたる上坐に、媪ひとりみつわぐみてをり、ちかくなる隨に、これを見れば、荆婦が養母會田氏なり、〈外姑は寬政七年四月廿九日沒したり○下略〉
p.0813 戊午年六月、時彼處有レ人、號曰二熊野高倉下一、忽夜夢、天照大神謂二武甕雷神一曰、〈○中略〉時武甕雷神登謂二高倉下一〈○下原脱、據二一本一補、下同、〉曰、予劒號曰二韴靈一、〈韴靈此云二赴屠能瀰哆磨一〉今當置二汝庫裏一、宜三取而獻二之天孫一、高倉下曰、唯唯而寤、
p.0813 第七十二光空法師
兵部其夜夢見、有二金色普賢一、乘二白象王一、普賢腹間立二多箭一、兵部平公夢中問、以二何因緣一、普賢善薩御腹立二此多箭一哉、答言、汝於二昨日一、依二無實事一、殺二持經者一、代二其沙門一、我受二此箭一、兵部夢覺、彌大驚怖、
p.0813 天喜三年十月十三日の夜の夢に、ゐたる所のやのつまのにはに、阿彌陀佛たち玉へり、さだかには見えたまはず、霧ひとへへだゝれるやうにすきて見え玉ふを、せめてたえまに見奉つれば、蓮花の座のつちをあがりたる、たかさ三四尺、ほとけの御たけ六尺ばかりにて、金色にひかりかゞやき玉ひて、御手かたつかたをばひろげたるやうに、いまかたつかたには、ゐんをつくり玉ひたるを、こと人のめにはみつけ奉つらず、我一人見たてまつりて、さすがにいみじく氣おそろしければ、すだれのもとちかくよりても、え見奉つらねば、佛さはこのたびは歸て後、むかへこんとの給ふ聲、わがみゝひとつにきゝいで、人はえきゝつけずとみるに、うちおどろきたれば 十四日なり、
p.0814 物怪の事
源中納言がらいの卿のもとに、めしつかはれける靑侍が、見たりける夢も、おそろしかりけり、たとへば大内の神祇くはんとおぼしき所に、そくたいたゞしき上らうの、あまたよりあひ給ひて、儀ぢやうのやうなる事の有しに、まつざなる上らうの、平家のかたう人し給ふとおぼしきを、その中よりしておつ立らる、〈○中略〉靑侍夢の中に、あるらうおうに次第に是をとひ奉る、ばつ座なる上らうの、平家のかたうどし給ふとおぼしきは、いつくしまの大明神、節刀をよりともに給ふと、おほせらるゝは、八幡大善薩、その後わがまご〈○藤原賴經〉にも給と、おほせけるは、かすがの大明神、かう申すおきなは、たけ内の明神とこたへ給ふといふ夢をみて、さめてのち人に是をかたる程に、〈○下略〉
p.0814 一條院ノ御時、大地震ノアリケル日、冷泉院オホセラレケルハ、池ノ中島ニ幄ヲタテヨ、オハシマスベキ事アリト仰セラレケレバ、人心エズ思ナガラ、タテヽ御簾カケ筵シキタルニ、午時許リニワタリ給ニケリ、其後未時バカリニ大地震アリテ、ヲソク出ル人ハウチヒシガレケリ、人々此事ヲ問タテマツリケレバ、去夜ノ夢ニ、九條大臣〈○藤原師輔〉來テ、明日ノ未時ニ地震アルベシ、中島ニオハシマセト、ツゲツルナリトゾ仰セラレケル、聞人涙ヲナガシケリ、彼大臣ノ靈ツキソヒテ、マモリタテマツルナルベシ、
p.0814 長德五年〈○長保元年〉九月五日甲申、召使重來云、今日可二參入一者、仰下有二所勞一不レ可二參入一之由上、今曉夢示、今明不レ可二參内一之由、仍稱二障由一、
寬弘二年正月十四日癸亥、今曉夢想吿云、今明不レ可二外行一、者、仍不レ參二八省一、障由令レ觸二外記一、
p.0814 コノオトヾ〈○大宮右大臣俊家〉ノ孫宗忠ノ右大臣、殿上人ノ時、夢ニ六條右大臣〈○顯房〉汝我ガ ゴトク大位ニノボルベキ人也ト、イハレケレバ、不肖ノ身イカデカイタルベキト申サレケレバ、ヒトヘニ天恩ヲ蒙テ必イタルベシトアリケリ、思ハザルニ大臣ニナレル人也、
p.0815 典藥頭雅忠ガ夢ニ、七八歲バカリナル小童、寢殿ニハシリ遊テ云樣、先祖康賴ネンゴロニ祈シ心ザシニコタヘテ、文書ヲマモリテ、二三代アヒハナレヌニ、コノホド火事アランズルニ、ツヽシムベシトミテ、廿日バカリアリテ家ヤケニケリ、サレドモ文書一卷モヤカズトゾ、昔ハ諸道ニカク守宮神タチソヒケレバ、シルシモ冥加モアリケルニコソ、
p.0815 康治元年五月十一日癸卯、法皇〈○鳥羽〉御登山〈○叡山〉依二明日御受戒一也、〈○中略〉今日院御共登山公卿、予、〈○藤原賴長〉新中納言公能、十二日甲辰、今日奉二燈明一、御受戒以後可二歸路一之支度也、今日辰刻一寢夢、僕參二入道殿〈○藤原忠實〉御宿所一、申二今日歸路由一殿下有二怒色一、仰曰、昨日登山之間窮屈、今日又歸路如何、今度七日可二籠候一也、〈已上夢〉以二此事一、語二勝豪法印一、答曰、日吉社幷中堂、令レ留給也、必可レ籠也、又申二入道殿一、仰云、必可レ籠仍俄籠候也、
p.0815 師能辨漢書の文帝紀おきうしなひて、歎き思ひけるに、先親春宮大夫〈師賴〉夢の中に、かの書の有所を吿られたりけり、次日其所より求め出して侍りけり、あはれなる事也、
p.0815 元曆二年〈○文治元年〉十二月十一日庚申、自二今日一三ケ日獻二幣帛春日御社一、〈○中略〉今日又獻二金小笠〈イチメカサ也〉於御社一、一日比依二夢吿一也、
p.0815 建保六年七月九日戊寅、未明、右京兆、〈○北絛義時〉渡二御大倉郷一、於二南山際一、卜二便宜地一、建二立一堂一、可レ被レ安二置藥師像一云云、是昨將軍家、〈○源實朝〉御二出鶴岳一之時被二參會一、及レ晩還二御亭一、令二休息一給、御夢中、藥師十二神將内、戌神、來二于御枕上一曰、今年神拜無事、明年拜賀之日、莫下令二供奉一給上、御夢覺之後、尤爲二奇異一、且不レ得二其意一云云、而自二御壯年之當初一、專持二二六誓願二給之處、今靈夢之所レ吿、不レ可二信仰一之間、不レ及二日次沙汰一、可レ被レ建二立梵宇一之由被レ仰、爰相州李部等、不二可心此事一給、各被二諫申一云、今年依二御神拜事一、雲客以下參 向、其間云二御家人一云二土民等一、多以費二産財一、愁歎未レ休之處、亦被二相續營作一、難レ協二撫民之儀一歟云云、右京兆是一身安全宿願也、更不レ可レ假二百姓之煩一、矧當八日戌剋、有二醫王善逝眷屬戌神之吿一、何默三止所二思立一乎之由被レ仰、仍召二匠等一、被レ下二指圖一也、
p.0816 正元二年〈○文應元年〉四月廿六日癸亥、將軍家〈○宗尊親王〉御惱事、去夜女房尼左衞門督局有二夢想一、一人僧吿申云、依二嚴重御病一不レ可レ入二幕中一云云、仍今朝彼局語二申夢中一之間、被レ尋二右京權大夫茂範朝臣一之處、將軍御居所者稱二幕府一、法驗炳焉之由申レ之、
p.0816 皇太后宮大夫俊成、前中納言定家かきて侍ける草子を、はからざるにつたへたりけるを、夢の吿ありて、爲氏がもとに送りつかはすとて、 道洪法師〈○歌略〉
p.0816 亡父夢子吿借物返事
中比武州ニ、サカイマヂカキ程住テ、互ニイヒムツブル俗有ケリ、一人ハマヅシク、一人ハユタカナリケル、サルマヽニ常ニ借物ナンドシケリ、サテトモニ死去シテ後、二人之子供、親共ノ厶ツビシガ如クイヒカヨハシケリ、マヅシカリケルガ子夢ニ見ケルハ、亡父來テヨニモノナゲカシキ氣色ニテイヒケルハ、ソレガシ、トノヽ物ヲイクイクラカリテ、カヘサヾリシ故ニ、アノ世ニテセメラルヽ、彼子息ノモトへ返スベシトツグ、夢サメテ親ノ時ノ後見ニ、事ノ子細ヲタヅネケレバ、サル事侍リキ、御夢ニタガハズトイフ、〈○下略〉
p.0816 戊午年九月戊辰、天皇陟二彼菟田高倉山之巓一、膽二望城中一、時國見丘上、則有二八十梟帥一、〈○中略〉復有二兄磯城軍一、布二滿於磐余邑一、〈磯此云レ志〉賊虜所レ據、皆是要害之地、故道路絶塞、無レ處レ可レ通、天皇惡之、是夜自祈而寢夢有二天神一訓之曰、〈○下略〉
p.0816 七年二月、天皇乃沐浴齋戒、潔二淨殿内一、而祈之曰、朕禮レ神尚未レ盡耶、何不レ享之甚也、冀亦夢敎之、以畢二神恩一、是夜夢有二一貴人一、對二立殿戸一、〈○下略〉
p.0817 問答
吾妹兒爾(ワギモコニ)、戀而爲便無三(コヒテスヘナミ)、白細布之(シロタヘノ)、袖反之者(ソデカヘシヽハ)、夢所見也(ユメニミエキヤ)、
吾背子之(ワガセコノ)、袖反夜之(ソデカヘスヨノ)、夢有之(ユメナラシ)、眞毛君爾(マコトモキミニ)、如相有(アヘリシガゴト)、
右二首
p.0817 ころもをかへす 夜の衣をかへしてぬれば、思ふ人を夢にみるといひ傳へり、万葉集には、袖をかへしてぬれば、夢に見ゆるよしの歌あまたあり、同義なるべし、又衣をかへせば戀の心なぐさむのよし、六帖によめり、
p.0817 題しらず 小野小町
いとせめて戀しき時はむば玉のよるの衣を返してぞきる
p.0817 夜の衣をかへして寢れば、戀しき人の必夢にみゆると云諺あれば、よめる也、萬葉には袖かへすとあり、
p.0817 だいしらず よみ人しらず
白露のおきてあひみぬ事よりはきぬかへしつゝねなんとぞ思
p.0817 戀しき人を夢にみんとおもへば、雙陸盤を枕にして、衣をかへして、夢の妙董善薩を念ずれば、必夢にみるとなり、ある歌に、
いとせめて戀ひしきときはぬば玉のよるの衣をかへしてぞぬる
p.0817 はゞ一尺の鏡をいさせて、えゐてまいらせぬかはりにとて、そうをいだしはてゝ、はつせにもうでさすめり、三日さぶらひて、此人のあべからんさま、夢にみせ玉へなどいひて、まうでさするなめり、そのほどは精進せさす、このそうかへりて、夢をだにみでまかでなんが、ほいなきこといかゞ歸りても申べきと、いみじうぬかづきおこなひてねたりしかば、御帳のかたより、い みじうけだかうきよげにおはする女の、うるはしくさこそき玉へるが、たてまつりしかゞみをひきさげて、此かゞみにはふみやそへたりしととひ給へば、かしこまりて、ふみもさぶらはざりき、此鏡をなんたてまつれと侍しと、こたへたてまつれば、あやしかりける事かな、ふみそふべきものをとて、此鏡を、こなたにうつれるかげをみよ、これみれば、表にかなしきぞとて、さめ〴〵となき玉ふを見れば、ふしまろびなきなげきたるかげうつれり、此影をみれば、いみじうかなしな、これ見よとて、いまかたつかたにうつれる影をみせたまへば、みすどもあをやかに、木帳をしいでたるしたより、いろ〳〵のきぬこぼれいでゝ、梅さくら咲たるに、鶯こづたひ鳴たるをみせて、これをみるはうれしなどの玉ふとなむ、みてしとかたるなり、
p.0818 元曆二年〈○文治元年〉十二月二日辛亥、覺乘法眼幷弟子僧等、爲レ余〈○藤原兼實〉見二最上之吉夢(○○○○○)一云々、各注進之、在二別紙一、可レ蒙二神德一之條炳焉、仰而可レ信、 六日乙卯、今日終日精進、聊有二乞夢(○○)事一、 七日丙辰、此日書二願書一遣二覺乘法眼之許一、依レ恐二世間怖畏一、爲レ啓二白御社一也、〈○中略〉今曉女房大將、又女房三位等、同時見二吉夢一、昨日乞夢之祈請、靈驗掲焉者歟、
p.0818 たちばなの事
さてもこの二十一のきみ、〈○平政子、中略、〉このゆめをば、わらはかひとりて、御身〈○政子妹〉のなんをのぞきたてまつらんといふ、〈○中略〉さらばとよろこびて、うりわたしける、そのゝちに、くやしくはおぼえける、このことばにつきて、二十一のきみ、なにゝてか、かひたてまつらん、もとよりしよまうのものなればとて、ほうでうのいへにつたはる、からのかゞみをとりいだし、からあやのこそで一かさねそへわたされけり、
p.0818 むかし備中國に郡司ありけり、それが子にひきのまき人といふ有けり、わかき男にてありけるとき、夢をみたりければ、あはせさせんとて、夢ときの女のもとに行て、夢あは せてのち、物語してゐたるほどに、人々あまたこゑしてくなり、國守の御子の太郎君のおはするなりけり、〈○中略〉女きゝてよにいみじき夢なり、かならず大臣までなりあがり給べきなり、返々めでたく御覽じて候、あなかしこ〳〵人にかたり給なと申ければ、この君うれしげにて衣をぬぎて、女にとらせてかへりぬ、まき人、部屋より出て、女〈○夢解〉にいふやう、夢はとるといふ事のあるなり、〈○中略〉我をこそ大事に思はめといへば、女のたまはんまゝに侍べし、さらばおはしつる君のごとくにして入給て、そのかたられつる夢を、つゆもたがはずかたりたまへといへば、まき人よろこびて、かの君のありつるやうにいりきて、夢がたりをしたれば、女おなじやうにいふ、まき人いとうれしく思て、衣をぬぎてとらせてさりぬ、〈○中略〉御門かしこきものにおぼしめして、次第になしあげ給て、大臣までになされにけり、されば夢とることは、げにかしこき事なり、
p.0819 原夢(ユメアハセ) 占(トク)レ夢(ユメヲ)〈風俗通、黃帝作二占夢書一、〉
p.0819 占夢者(ユメトキ)〈詳二風俗通、代醉一、〉
p.0819 うれしき物
いかならんと夢を見て、おそろしとむねつぶるゝに、ことにもあらず、あはせなどしたるいとうれし、
p.0819 三十八年、俗曰、昔有二一人一、往二兎餓一宿二于野中一、時二鹿臥レ傍、將又鷄鳴牡鹿謂二牝鹿一曰、吾今夜夢之、白霜多降之覆二吾身一、是何祥焉、牝鹿答曰、汝之出行、必爲レ人見レ射而死、卽以二白鹽一塗二其身一、如二霜素一之應也、時宿人心裏異之、未レ及二昧爽一、有二獵人一以射二牡鹿一而殺、是以時人諺曰、鳴牡鹿矣隨相夢(イメノアハセノマヽニ)也、
p.0819 大かた此九條殿〈○藤原師輔〉いとたゞ人にはおはしまさぬにや、おぼしめしよるゆくすゑの事なども、かなはぬはなくぞおはしましける、くちおしかりける事は、いまだわかくをはします時、ゆめに朱雀院のまへに、左右のあしを、にしひんがしの大宮にさしやりて、きたむきにて、内裏をいだきてたてりとなん見えけると、おほせられけるを、御前になまさかしき女房の 候けるが、いかに御〈○御原脱、據二一本一補、〉またいたうおはしましつらんと申たりけるに、御夢たがひて、かく御〈○御下原有二子まごは四字一、據二一本一删、〉しそんはさかへさせ給へど、攝政關白えしおはしまさずなりにし、又おすゑに、をもはずなるさまに、御事のうちまじり、そちどの〈○藤原伊周〉の御事などぞ、これがたがひたるゆへに侍る也、いみじき吉左右の夢も、あしさまにあはせつればたがふと、むかしより申つたへて侍ることなり、荒凉して心しらざらん人のまへにてゆめがたりな、このきかせ給ふ人々、しおはしましゝそ、いまゆくすゑも九條殿の御ぞうのみこそ、とにかくに〈○とにかくに原作二とく一、據二一本一改、〉つけて、ひろごりさかへさせ給はめ、
p.0820 そのほどは夢とき(○○○)も、かんなぎも、かしこきものどもの侍りしぞとよ、堀川の攝政〈○藤原兼通〉のはやり給ひし時に、この東三條殿〈○藤原兼家〉は御つかさどもとゞめられさせ給ひて、いとからくおはしましゝ時に、人の夢に、かの堀川院より、やをおほくひんがしざまにいるを、いかなるぞとみれば、東三條にみなおちぬと見けり、よからず思ひきこえさせ給へるかたより、やおはせ給はゞあしき事ならんと思ひて、とのにも申ければをそれ給ひて、夢ときにとはせ給ひければ、いみじうよき御夢なり、よの中のこの殿にうつりて、あのとのゝ人の、さながらまいるべきが、見えたるなりと申けるが、あてざらざりしことかは、
p.0820 嘉承二年二月八日乙丑、今夜有二夢想一、仍陰陽師泰長を召〈天〉令レ占之處、病事口舌也、仍閉門、雖レ然外人來、件夢女房見也、
p.0820 賴朝遠流事附盛安夢合事
夜更人閑テ盛安申ケルハ、都ニテ御出家不レ可レ然由申候シハ、不思儀ノ夢想ヲ蒙リタリシ故也、君〈○源賴朝〉御淨衣ニテ八幡へ御參候テ、大床ニ座ス、盛安御供ニテ數多ノ甃ノ上ニ伺候シタリシニ、十二三計ナル童子ノ、弓箭ヲ抱テ大床ニ立セ給、義朝ガ弓胡箙召テ參テ候ト被レ申シカバ、御寶殿ノ 内ヨリ、ケダカキ御聲ニテ、深ク納置ケ、終ニハ賴朝ニ給ハンズルゾ、是賴朝ニクハセヨト被レ仰レバ、天童物ヲ持テ、御前ニ差置セ給、何哉覽ト見奉レバ打鮑ト云物也、君恐テ無二左右一參ラザリシヲ其タベト被レ仰、數テ御覽ゼシカバ六十六本アリ、彼鮑ヲ兩方ノ御手ニテ押ニギリテ、太キ所ヲ三口進テ、小キ所ヲ盛安ニ投給シヲ、取テ懷中スルト存候シハ、故殿〈○源義朝〉コソ一旦朝敵ト成セ給へ共、御弓胡箙八幡ノ御寶殿ニ被二納置一、終ニハ君ニ給ハンズル也、又打鮑六十六本參シハ、六十六箇國ヲ打被レ召候ハンズルト合セ申テ候ツト申セバ、〈○下略〉
p.0821 主上御夢事附楠事
元弘元年八月廿七日、主上〈○後醍醐〉笠置へ臨幸成テ、本堂ヲ皇居トナサル、〈○中略〉主上思食煩セ給テ、少御マドロミ有ケル御夢ニ、所ハ紫宸殿ノ庭前ト覺ヘタル地ニ、大ナル常磐木アリ、緣ノ陰茂リテ、南へ指タル枝、殊ニ榮へ蔓レリ、其下ニ、三公百官位ニ依テ列坐ス、南へ向タル上座ニ、御坐ノ疊ヲ高ク敷、未坐シタル人ハナシ、主上御夢心地ニ、誰ヲ設ケン爲ノ座席ヤラント、怪シク思食テ立セ給ヒタル處ニ、鬟結タル童子二人、忽然トシテ來テ、主上ノ御前ニ跪キ、泪ヲ袖ニ掛テ、一天下ノ間ニ、暫モ御身ヲ可レ被レ隱所ナシ、但アノ樹ノ陰ニ南へ向ヘル座席アリ、是御爲ニ設タル玉扆ニテ候ヘバ、暫此ニ御座候ヘト申テ、童子ハ遙ノ天ニ上リ去ヌト、御覽ジテ御夢ハ、ヤガテ覺ニケリ、主上是ハ天ノ朕ニ吿ル所ノ夢也ト思食テ、文字ニ付テ御料簡アルニ、木ニ南ト書タルハ、楠ト云字也、其陰ニ南ニ向テ坐セヨト、二人童子敎ヘツルハ、朕再ビ南面ノ德ヲ治テ、天下ノ士ヲ朝セシメンズル處ヲ、日光月光ノ被レ示ケルヨト、自ラ御夢ヲ被レ合(○○○○○)テ、憑敷コソ被二思食一ケレ、
p.0821 義貞夢想事附諸葛孔明事
其七日ニ當リケル夜、義貞ノ朝臣不思議ノ夢ヲゾ見給ケル、所ハ今ノ足羽邊ト覺タル河ノ邊ニテ、義貞ト高經ト相對シテ陣ヲ張ル、未戰ズシテ數日ヲ經ル處ニ、義貞俄ニタカサ三十丈計ナル 大蛇ニ成テ、地上ニ臥給へル、高經是ヲ見テ、兵ヲヒキ楯ヲ捨テ逃ル事、數十里ニシテ止ト見給テ、夢ハ則覺ニケリ、義貞夙ニ起テ、此夢ヲ語リ給ニ、龍ハ是雲雨ノ気ニ乘テ、天地ヲ動ス物也、高經雷霆ノ響ニ驚テ、葉公ガ心ヲ失シガ如クニテ、去ル事候ベシ、目出キ御夢ナリトゾ合セケル、爰ニ齋藤七郎入道道獻垣ヲ阻テ聞ケルガ、眉ヲヒソメテ潛ニ云ケルハ、是全ク目出キ御夢ニアラズ、則天ノ凶ヲ吿ルニテ有ベシ、〈○中略〉此故事ヲ以テ、今ノ御夢ヲ料簡スルニ、事ノ樣、魏呉蜀三國ノ爭ニ似タリ、就レ中龍ハ陽氣ニ向テハ、威ヲ震ヒ、陰ノ時ニ至テハ、蟄居ヲ閉ヅ、時今陰ノ初メ也、而モ龍ノ姿ニテ、水邊ニ臥タリト見給ヘルモ、孔明ヲ臥龍ト云シニ不レ異、サレバ面々ハ皆目出キ御夢ナリト合ラレツル共、道獻ハ强ニ甘心セズト、眉ヲヒソメテ云ケレバ、諸人ゲニモト思ヘル氣色ナレドモ、心ニイミ言ニ憚テ、凶トスル人ナカリケリ、
p.0822 相合就勝謀反附生害之事
或時元就〈○毛利〉夢中ニ重代ノ刀三ニ成タルト見給テ、夙ニ起テ、勝一ヲ召、此夢ハ如何ニト宣ヘバ、勝一是ハ目出度御夢ニテ候、如何ニト申スニ、刀三ツニ成候ヘバ刕ト云字ニテ候、是卽刕ノ主ト成セ給ベキ御瑞夢ニ候、刀刕ノ夢ト申モ、カヽル吉夢ニテコソ候ラメト合セケルガ、果然トシテ、勝一ガ占夢ノ如也、
p.0822 關ケ原御出陣ノ御途中、淸洲御泊ノ夜、御夢ニ是ト云字ヲ御覽有ケル、此時足利ノ學校三要閑室ヲ御供ニ召連レラレシカバ、則召レテ右御夢ノ事御尋有ケルニ、三要申上ケルハ、是ノ字ハ日ノ下ノ人ト書申候字ニテ、則天下ニ一人ト申事ニテ、誠ニ目出度キ御夢ニテ候ト申上ケル、此三要ハ學才ノミナラズ、頓地能人也、洛東一乘寺村ノ圓覺寺ノ開基ニテ、寺領二百石ヲ下サレケル、
p.0822 ゆめちがへ(○○○○○) 袋草紙に、吉備大臣夢違誦文の歌あり、今凶夢をさか夢(○○○)などい ふに同じ、
p.0823 ちがふ〈違〉 〈是は俗と同じくたがふ意なり、されど古くは夢の事のみにいひて、大方のはたがふとのみいへり、後にも大かた、前のちがふ意にかけてよめり、普通にたがふことにいへるは、をさ〳〵見及ばす、〉
p.0823 さてしば〳〵ゆめのさとしありければ、ちがふるわざもがなとて、七月つきのいとあかきによくの給へり、
見しゆめをちがへわびぬるあきのよにねがたきものとおもひしりぬる、御かへり、
さもこそはちがふるゆめはかたからめあはでほどふるみさへうきかな
p.0823 おとこのなかりける夜、こと人をつぼねにいれたりけるに、もとの男まうできあ ひたりければ、さはぎてかたはらのつぼねの、かべのくづれより、くゞりてにがしやりて、又 の日、そのにがしたる、つぼねのぬしのがり、よべのかべこそうれしかりしかなど、いひにつ かはしたりければよめる、 讀人不レ知
ねぬるよのかべさはがしくみえしかど我ちがふれば事なかりけり
p.0823 夢 光俊
ちらすなよあなと見るよの夢がたりうたてちがふる人もこそあれ
p.0823 夢誦
惡夢著二章木一、吉夢成二寶王一、〈今案利二桑樹下一談二所レ見夢一、誦レ之三反、〉
又説云、南無功德須彌嚴王如來、〈廿一反〉已上向レ東灑レ水誦レ之云々、
唐國ノソノヽミタケニ鳴鹿モチガヒヲスレバユルサレニケリ
吉夢誦
福德增長須彌功德神變王如來 又云、南無成就須彌功德王如來
p.0824 一誦文歌
吉備大臣夢違誦文歌
あらちをのかるやのさきにたつしかもちがへをすればちがふとぞきく
p.0824 鹿のちがへ
阿留多伎貞樹が、おのれ〈○伴信友〉がもとに來かよひて、物かたらふちなみに語りけらく、〈○中略〉鹿の獵人に遭たる時、此方に向きて、前足をやりちがへてつき立て見おこせてある事を、ちがへをすといふなり〈○中略〉といへり、〈○中略〉さてかのちがへの歌〈○吉備大臣夢違誦文〉を、夢違の歌といへるは、相夢に凶を吉に轉ふるやうのことを、ちがふるといふに、〈○註略〉其を鹿のちがへをするにそへて、兎餓野の鹿の相夢の古事に、とりあはせて作れる歌と聞えたり、
p.0824 呪厭凶夢丑未札事
いま春日の御やしろ、廻廊みづがきのあたりに、丑ひつじと紙にかきて、多くおせり、これは奈良の人、夢見の心にさはるとき、かきておせば、わざはひをまぬかるゝまじなひと、いひつたへてする事なり、御驗記などにもこのまじなひのふだを、繪にうつしてはべれば、ふるき事なるべし、此事春日社にはかぎるべからず、御門かたにても、凶夢とおもはん時、このふだをちかきあたりの社にも押すべきなりと、人にもをしへ侍りしなり、
p.0824 夢
うきことをいそぎもみせんよとゝもにたゞゆめぬしのかみ(○○○○○○○)ををがまむ
p.0824 天永二年八月六日、丙申主上御料可二御夢祭一、雖二穢内一可レ被レ行由、陰陽師光平申者也、余今日夢祭泰長勤之、
p.0825 正元二年〈○文應元年〉五月十六日癸未、御惱〈○將軍宗尊親王〉御祈禱、被レ行二鬼氣幷御夢祭(○○○)等一、 十八日乙酉、將軍家御惱令二復本一御、
p.0825 魘(ヲソハル)〈字彙、眠内不祥也、韵會驚夢也、氣窒心懼而神亂則魘、〉
p.0825 むねにておく〈○中略〉 胸に掌を置て寢れば、必ず驚恐の夢あり、
p.0825 夢魘
俗に胸に手をおきて寢、又梁の下に寢ぬれば、おそはるといふは、久しきならはし也、源氏物語御幸卷に、夢にとみしたる心ちして侍てなん、むねに手を置たるやうに侍と申給ふ、湖月抄に、おびゆる心なりとあり、又誹諧紅梅千句に、樂寢にはおそはれましや小夜枕といふ句に、胸にある手をのけてのびする、とつけたり、又俗に左右の手の拇指を屈して、四の指にておさへて寢ぬれば、おそはるゝ事なしといふは、病源候論〈二十三〉云、卒魘者屈也、謂四夢裏爲三鬼邪之所二魘屈一也、養生方導引法云、拘二魂門一、制二魄戸一、名曰二握固一、法屈二大拇指一、著二四小指内一、抱レ之積習不レ止、眠時亦不二復開一、令三人不二魘魅一、〈聖濟摠錄百九十六に、禁二夢魘一法と題して、此法を載たり、〉又梁の下に寢る事は、文海披沙云、今人寢忌二壓レ梁及當一レ戸、曰、能令二人魘不一レ寤、淮南子曰、枕二戸撛一而臥者、鬼神蹠二其首一、則知俗忌久矣、千金方〈道林養生〉云、臥勿レ當舍脊下一、また朱子語類〈鬼神門〉云、雨、風、露、雷、日、月、晝、夜、此鬼神迹也、此是白日公平、正直之鬼神、若所レ謂有下嘯二于梁一觸中于胸上、此則不正邪暗、或有或無、或去或來、或聚或散者、とあり、梁と胸とをいへるを見れば、上の事をいふに似たり、
p.0825 白川院御寢ノ後、物ニヲソハレ御坐ケル頃、可レ然武具ヲ御枕上ニ可レ置ト有二沙汰一テ、義家朝臣ニ被レ召ケレバ、マユミノ黑塗ナルヲ一張進タリケルヲ、被レ立二御枕上一ノ後、ヲソハレサセ御坐ザリケレバ、御感アリテ、此弓ハ十二年合戰ノ時ヤ持タリシト有二御尋一所、不二覺悟一之由申ケレバ、上皇頻有二御感一ケリ、
p.0826 六十二年〈(中略一云、沙至比跪知二天皇怒一、不二敢公還一、乃自竄伏、其妹有下幸二於皇宮一者上、比跪密遣二使人一、問二天皇怒解不一、妹乃託レ夢言、今夜夢見二沙至比跪一、天皇大怒云、比跪何敢來、以二皇言一報之、比跪知レ不レ免、入二石穴一而死也、〉V 伊勢物語
p.0826 むかし、世心づける女、いかで心なさけあらん男に、あひみてしがなと思へど、いひ出んもたよりなきに、誠ならぬ夢がたりをす、
p.0826 新院被レ召二爲義一事附鵜丸事
孝長重テ宣ケルハ、如夢幻泡影ハ、金剛般若ノ名文ナレバ、夢ハ無レ墓事也、其上武將ノ身トシテ、夢見、物忌ナド、餘ニヲメタリ、披露ニ付テモ憚有、爭被レ參ザラント被レ申ケレバ、〈○下略〉
p.0826 信玄公聞召、〈○中略〉夢は定なき者也、麁相なるたとへに、人に逢ても早く別たるは、夢ほど逢たと云者ぞ、然ばむつかしき學問〈○八卦〉を、めにも見えぬ文殊の夢に相傳は、皆僞の至也、僞を云盜人に、將たる者は對面せぬ者也、〈○下略〉
p.0826 物の怪の辨
我〈○三浦安貞〉かつて史をよみし時、秦の二世皇帝、關羽、張飛など夢み、詩集をけみせし時、孫光憲などと詩などつくりし夢を見けり、是によりて思へば、僧徒の或は極樂にゆき、閻羅王にあひ、地獄の有りさまなど夢に感ずる事さも有るべし、夢はもと心の影像にして、あやしむにたらず、ある人のかたりし、おもひもよらぬ事を夢にもみるなれど、傘さして鼠の穴にはいる夢はみずといひしを、かたへの人の、此話きゝたらん人は、みる事有るべしといひしは、尤におぼえ侍る、夢は心の靈より發すれば、偶さきの事にあふ夢も有るべけれど、夢ごとに左あるものにあらず、或は五臟の病により、あやしき夢もあるものなり、ある人のいひし、我はよき夢みたりとて、嬉しともおもはず、あしき夢みたり迚、あしくも思はず、あしき夢をば、よき夢のさしつぎとなし、よき夢をばあしき夢のさしつぎとなすと云ひし、一時の戯言ながら、おもしろく聞え侍る、
p.0827 夢現(○○)
亡父成章云、いねてみるは夢なり、さめてみる所はうつゝなり、今いふがひなきものゝ、夢にもあらず、さめてもゐらぬを、うつゝといふは、夢かうつゝかなどいふ詞を、大かたに心得たるなるべしといへり、げに俗言にいふ所をもて、古言をあやまる事すくなからずかし、
p.0827 述二戀緖一歌一首〈幷〉短歌〈○中略〉
之伎多倍能(シキタヘノ)、蘇泥可弊之都追(ソデカへシツヽ)、宿夜於知受(ヌルヨオチズ)、伊米爾波見禮登(イメニハミレド)、宇都追爾之(ウツヽニシ)、多太爾安良瀰婆孤悲之家口(タダニアラネバコヒシケク)、知弊爾都母里奴(チヘニツモリヌ)、〈○中略〉
右三月〈○天平二十年〉二十日、夜裏忽兮起二戀情一作、大伴家持、
p.0827 むかし男有けり、その男いせの國に、かりのつかひにいきけるに、〈○中略〉女のもとより詞はなくて、
君やこしわれや行けんおもほへず夢かうつつか(○○○○○○)ねてか覺てか、男いといたうなきてよめる、 かきくらす心のやみにまどひにき夢うつゝとは今宵さだめよ、とよみてやりて、かりに出ぬ、
p.0827 題しらず 讀人しらず
むば玉のやみのうつゝはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり
p.0827 さらば祈まいらせんに、劒の護法をまいらせん、をのづから御夢(○)にもまぼろし(○○○○)にも御覽ぜば、さとしらせたまへ劒をあみつゝ、きぬにきたる護法なり、
p.0827 一(/○)炊夢(スイノユメ/○○)〈日本俗推量炊爲レ睡、癖案也、〉
p.0827 一炊夢(イツスイノユメ)〈古來本説未レ決、盧生呂洞賓事跡並出二人倫一、〉
p.0827 呂翁(リヨヲウ)〈神仙人、唐開元七年、於二邯鄲邸舍一、借二枕於廬生一、以使下夢二盛衰一窒中其欲上、事見二太甼廣記一、〉 呂洞賓(リヨドウビン)〈神仙人、名岩、唐會昌年中、於二長安酒肆一、雲房先生炊レ食之間、洞賓就レ枕昏睡、夢二五十年榮悴一、事詳二列仙傳、オ子傳、佛祖統記一、〉
p.0828 主上御二沒落笠置一事
萬卒守禦ノ密シキニ、御心ヲ被レ惱、時移事去、樂盡テ悲來、天上ノ五衰、人間一炊(○○)、唯夢(○)カトノミゾ覺タル、
p.0828 夢 〈巫山(○○)神女夢にみえて、朝には雲となり、夕には雨となると云り、○中略〉こてふの(○○○○)〈ゆめのこてふ共云也、是は莊周がゆめに、蝶になりて、花にたはふれて、百年をすぎたるとみたる由侍る也、〉
p.0828 胡蝶夢(コテフノユメ/○○○)〈據二莊子故事一、見二齊物論一、〉
p.0828 たゞあけにあけゆくに、いと心あはたゞしくて、あはれなる夢がたり(○○○○)もきこえさすべきを、〈○下略〉
p.0828 さていましづかに、かの夢は思ひあはせてなん聞ゆべき、夜るかたらず(○○○○○○)とか、女房のつたへに、いふことなりとのたまひて、おさ〳〵御いらへもなければ、〈○下略〉
p.0828 たゞいさゝかまどろむとしもなき夢に、このてならしゝねこの、いとらうたげにうちなきてきたるを、此宮に奉らんとてわがゐてきたると覺えしを、なにしに奉りつらんと思ふ程に、おどろきて、いかにみえつるならんとおもふ、宮〈○女三宮〉はいとあさましくうつゝ共おぼえ給はぬに、むねふたがりて、おぼしおほるゝを、〈○下略〉
p.0828 此手ならしゝねこの 〈細〉懷姙の事也、夢レ獸懷胎之相、〈抄〉
p.0828 夢五臟のわづらひ
今按ずるに、素問〈方盛衰論〉に、肺氣虚、則使三人夢見二白物一、腎氣虚、則使三人夢見二舟船溺人一、肝氣虚、則夢二飮食不足一、此皆五臟氣虚、陽氣有レ餘、陰氣不レ足云々と、これによりたる諺なるべし、