http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1322 技巧ハ、技術ニ精巧ナルヲ謂フ、古來巧思ニ富ミ、國家有用ノ事物ヲ發明セシモノ尠カラズ、而シテ技巧ノ事タル、其範圍極メテ廣ク、悉ク載スルニ堪ヘズ、今ハ只其一端ヲ示スノミ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈一/一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1322 工〈音功タクミ〉

〔同〕

〈十/雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1322 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01741.gif 巧〈通、正、〉タクミニス

〔倭訓栞〕

〈中編十三/多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1322 たくむ 巧をよめり、手組の義なるべし、靈異記には指攅もよめり、

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1322雷之喜子强力子緣第三〈○中略〉
指攅〈タクミテ〉

技巧例

〔本朝文粹〕

〈二/意見封事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1322 意見十二箇條 善相公〈淸行〉
一請贖勞人任諸國檢非違使及弩師事〈○中略〉臣伏見本朝戎器强弩神、其爲用也、短於逐擊、長於守禦、古語相傳云、此器神功皇后奇巧妙思、別所製作也、故大唐雖弩名、曾不此器之勁利也、〈○中略〉
延喜十四年四月廿八日從四位上行式部大輔臣三善朝臣淸行上封事

〔日本書紀〕

〈二十七/天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1322 十年四月辛卯、置漏刻於新臺、始打候時動鐘鼓、始用漏刻、此漏刻者、天皇爲皇太子時始親所製造也云云、

〔續日本紀〕

〈十五/聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1323 天平十六年十月辛卯、律師道慈法師卒、〈天平元年爲律師〉法師俗姓額田氏、添下郡人也、性聰悟爲衆所推、〈○中略〉遷造大安寺於平城、勅法師當其事、法師尤妙工巧、構作形製皆稟其規模、所在匠手莫歎服焉、卒時年七十有餘、

〔日本後紀〕

〈二十一/嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1323 弘仁二年三月廿五日己未、阿牟公人足授外從五位下、人足者大安寺僧泰仙也、以工術聞、令漏刻、積年乃成、帝嘉其巧思、還俗叙位、雖機巧、可一レ奇而隻辰易差不用、

〔續日本後紀〕

〈四/仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1323 承和二年九月乙卯、外從五位下島木史眞機功之思、頗超群匠、欲邊近兵、自製新弩、縱令四面可射、廻轉易發、是日大臣以下執政、於朱雀門集諸衞府、以新弩試射之、向南發、聞抗發之聲、不矢去之影迹、其矢所止不的知

〔今昔物語〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1323 百濟川成飛驒工挑語第五
今昔、百濟ノ川成ト云フ繪師有ケリ、世ニ並无キ者ニテ有ケル、瀧殿ノ石モ此川成ガ立タル也ケリ、同キ御堂ノ壁ノ繪モ、此ノ川成ガ書タル也、而ル間川成從者ノ童ヲ逃シケリ、東西ヲ求ケルニ不求得リケレバ、或高家ノ下部ヲ雇テ語ヒテ云ク、己レガ年來仕ツル從者ノ童旣ニ逃ニケリ、此尋テ捕ヘテ得サセヨト、下部ノ云ク、安事ニハ有レドモ、童ノ顏ヲ知タラバコソ搦メヽド、顏ヲ不知シテハ、何デカ搦メムト、用成現ニ然ル事也ト云テ、疊紙ヲ取出テ、童ノ顔ノ限ヲ書テ、下部ニ渡シテ、此ニ似タラム童ヲ可捕キ也、東西ノ市ハ人集ル所也、其邊ニ行テ可伺キ也ト云ヘバ、下部其顏ノ形ヲ取テ、卽チ市ニ行ヌ、人極テ多カリト云ヘドモ、此ニ似タル童无シ、暫ク居テ若ヤト思フ程ニ、此似タル童出來ヌ、其形ヲ取出テ競ブルニ露違タル所无シ、此也ケリト搦テ、川成ガ許ニ將行ヌ、川成此ヲ得テ見ルニ、其童極ク喜ビケリ、其比此ヲ聞ク人、極キ事ニナム云ケル、而ルニ其比飛驒ノ工ト云フ工有ケリ、都遷ノ時ノ工也、世ニ並無キ者也、武樂院ハ其工ノ起タレバ微妙ナルベシ、而ル間此工、彼ノ川成トナム、各其態ヲ挑ニケル、飛驒ノ工、川成ニ云ク、我ガ家ニ一間四面ノ 堂ヲナム起タル、御シテ見給へ、亦壁ニ繪ナド書テ得サセ給ヘトナム思フト、互ニ挑乍ラ、中吉クテナム戯レケレバ、此ク云事也トテ、川成飛驒ノ工ガ家ニ行ヌ、行テ見レバ、實ニ可咲氣ナル小サキ堂有リ、四面ニ戸皆開タリ、飛驒ノ工彼ノ堂ニ入テ、其内見給ヘト云ヘバ、川成延ニ上テ南ノ戸ヨリ入ラムト爲ルニ、其戸ハタト閉ヅ、驚テ廻テ西ノ戸ヨリ入ル、亦其ノ戸ハタト閉ヌ、亦南ノ戸ハ開ヌ、然レバ北ノ戸ヨリ入ルエハ、其戸ハ閉テ西ノ戸ハ開ヌ、亦東ノ戸ヨリ入ルニ、其戸ハ閉テ北ノ戸ハ開ヌ、如此廻々ル數度入ラムト爲ルニ閉開ツ入ル事ヲ不得、侘テ延ヨリ下ヌ、其時ニ飛驒ノ工咲フ事无限リ、川成妬ト思テ返ヌ、其後日來ヲ經テ、川成飛驒ノ工ガ許ニ云遣ル樣、我ガ家ニ御坐セ、見セ可奉物ナム有ルト、飛驒ノ工定メテ我ヲ謀ラムズルナメリト思テ、不行カヲ、度々懃ニ呼べバ、工川成ガ家ニ行キ、此來レル由ヲ云入レタルニ、此方ニ入給ヘト令云ム、云ニ隨テ廊ノ有ル遣戸ヲ引開タレバ、内ニ大キナル人ノ黑ミ脹臰タル臥セリ、臰キ事鼻ニ入樣也、不思懸ニ此ル物ヲ見タレバ、音ヲ放テ愕テ去返ル、川成内ニ居テ、此音ヲ聞テ咲フ事无限リ、飛驒ノ工怖シト思テ土ニ立テルニ、川成其遣戸ヨリ顏ヲ差出テ、耶己レ此ク有ケルハ只來レト云ケレバ、恐々ツ寄テ見レバ、障紙ノ有ルニ、早ウ其死人ノ形ヲ書タル也ケリ、堂ニ被謀タルガ妬キニ依テ、此クシタル也ケリ、二人ノ者ノ態此ナム有ケル、其比ノ物語ニハ、萬ノ所ニ此ヲ語テナム、皆人譽ケルトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔三代實錄〕

〈五/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1324 貞觀三年三月十二日丙戌、授從八位下齋部宿禰文山從五位下、文山修理東大寺大佛、巧思不恒、功夫早成、仍以賞焉、

〔今昔物語〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1324 高陽親王造人形田中語第二
今昔、高陽親王ト申ス人御ケリ、此ハ天皇ノ御子也、極タル物ノ上手ノ細工ニナム有ケル、京極寺ト云フ寺有リ、其寺ハ此親王ノ起給ヘル寺也、其寺ノ前ノ河原ニ有ル田ハ此寺ノ領也、而ル ニ天下早魃シケル年、萬ノ所ノ田皆燒失ヌト喤シルニ、增テ此ノ田ハ賀茂川ノ水ヲ人レテ作ル田ナレバ、其河ノ水絶ニケレバ、庭ノ樣ニ成テ苗モ皆赤ミヌベシ、而ルニ高陽親王此ヲ構給ケル樣、長ケ四尺許ナル童ノ、左右ノ手ニ器ヲ捧テ立テル形ヲ造テ、此田ノ中ニ立テ、人其童ノ持タル器ニ水ヲ入ルレバ、盛受テハ卽チ顏ニ流懸々々スレバ、此ヲ興ジテ聞繼ツヽ、京中ノ人市ヲ成シテ集テ、水ヲ器ニ入レテ見興ジ、哩ル事无限シ、如此爲ル聞ニ、其水自然ラ干田ニ水多ク滿ヌ、其時ニ童ヲ取隱シツ、亦水乾キヌレバ重ヲ取出シテ、田ノ中ニ立テツ、然レバ亦前ノ如ク人集テ、水ヲ入ル、程ニ田ニ水滿ヌ、如此シテ其田露不燒シテナム止ニケル、此極キ構へ也、此モ御子ノ極タル物ノ上手、風流ノ至ル所也トゾ、人讀ケルトナム、語リ傳ヘタルトヤ、

〔三代實錄〕

〈四十九/光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1325 仁和二年七月四日辛巳、僧由蓮卒、〈○中略〉性聰明多渉丙典、兼好老莊、尤有巧思、所作究妙焉、

〔太平記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1325 千劒破城軍事
宗徒ノ大將達評定有テ、御方ノ向ヒ陣ト、敵ノ城〈○千劒破城〉トノ際ニ、高ク切立タル堀ニ橋ヲ渡シテ、城へ打入ラントゾ巧マレケル、爲之京都ヨリ番匠ヲ五百餘人召下シ、五六八九寸ノ材木ヲ集テ、廣サ一丈五尺、長サニ十丈餘ニ、梯ヲゾ作ラセケル、梯旣ニ作リ出シケレバ、大繩ヲ二三千筋付テ、車ヲ以テ卷立テ、城ノ切岸ノ上ヘゾ、倒シ懸タリケル、魯般ガ雲梯モ、角ヤト覺テ巧也、

〔續武將感狀記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1325 大坂ノ多陣ニ、〈○中略〉源君〈○德川家康〉守隆〈○九鬼〉ニ命ジテ、新橋ノ隅矢倉ヨリ所發ノ佛狼機ヲ捍シム、守隆、盲船ヲ造リテ水底ヲ濳行シ、終ニ佛狼機ヲ以テ隅矢倉ヲ打破リ、此ヨリ盲船ノ法世ニ傳ルハ、九鬼家ノ始テ所製也、

〔北越雪譜〕

〈二編四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1325 火浣布
寶曆年中、平賀鳩溪〈源内〉火浣布を創製し、火浣布考を著し、和漢の古書を引、本朝未曾有の奇工に誇 れり、沒してのち、其術つたはらず、好事家の憾事とす、〈○中略〉我驛中に、稻荷屋喜右衞門といふもの、石綿を紡績する事に、千思万慮を費し、竟に自その術を得て、火浣布を織いだせり、又其頃我が近村大澤村の醫師黑田玄鶴も、同じく火浣布を織る術を得たり、各々秘してその術を人に僅へざるに、おなじ時、おなじ村づゞきにて、おなじ火浣布の奇工を得たるも一奇事なり、是文政四五年の間の事なりき、〈○中略〉源内死して奇術絶たりしに、件の兩人いでゝ、火浣布の機術再世にいでしに、鳴呼可惜、此兩人も術をつたへずして沒したれば、火浣布ふたゝび世に絶たり、かの源内は、江戸の饒地に火浣布を織しゆゑ、其聞え高く、この兩人は、越後の僻境に火浣布をおりしゆゑ、其名低し、ゆゑにこゝにしるして、好事家の一話に供す、

〔筆のすさび〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1326 一機巧 備前岡山の表具師幸吉といふもの、一鳩をとらへて其の身の輕重羽翼の長短を計り、我が身のおもさをかけくらべて、自羽翼を製し、機を設けて、胸前にて操り、搏ちて飛行す、地より直にhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01697.gif ることあたはず、屋上よりはうちていつ、ある夜郊外をかけり廻りて、一所野宴するを下し視て、もししれる人にやと近よりて見んとするに、地に近づけば風力よわくなりて、思はず落ちたりければ、その男女驚きさけびて、遁れはしりけるあとに、酒肴さはに殘りたるを、幸吉あくまで飮みくひして、また飛びさらんとするに、地よりはたちhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01697.gif りがたきゆゑ、羽翼ををさめて歩して歸りける、後に此の事あらはれ、市尹の廳によび出だされ、人のせぬ事をするは、なぐさみといへども、一罪なりとて、兩翼をとりあげ、その住める巷を追放せられて、他の巷につうしかへられける、一時の笑柄のみなりしかど、珍らしき事なればしるす、寬政の前のことなり、

〔兵法一家言〕

〈三/操練〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1326 予〈○佐藤信淵〉が阿州ニテ工夫シタル自走火船ハ、諳厄利亞舶ヲ燒打スルニハ、極テ酷烈ナル者ナリ、所謂予ガ自走火船ハ、火藥ヲ以テ船ヲ走ラシムルヲ以テ、風波ノ逆順ニ拘ハラ ズ、直行スルコト矢ノ如ク、須臾ニ五十町ノ外ニ至ル、且數船ヲ連進スルノ法有リテ、衆ノ火船自ラ賊船ヲ圍繞シテ燒打シ、其火ヲ發スルニ及ラハ、数十ノ火矢ト烽烙ヲ震發シ、紅焰天ヲ焦シテ、黑烟地ヲ覆フ、絶テ人カヲ勞スルコト無クシテ、意外ナル大功ヲ成ス、此業ヲモ年々一兩度ヅヽ操練シテ置クベシ、防海第一ノ火術ナリ、海國ハ鯨船、地引舟等ノ、用ニ任ザル古舟ト雖ドモ、此ヲ乾燥テ貯置ベシ、自走火船ヲ製スルニ必用ノ物タリ、五艘一連、七艘一連ハ費多キヲ以テ、二艘力三艘ヲ一連トシテ操練スベシ、此物少シモ人力ヲ用ルコト無クシテ勁敵ヲ破ル、信ニ前人未知ラザル所ノ火攻方ナリ、


Last-modified: 2019-05-05 (日) 13:31:31 (336d)