https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 正直ハ、心直ク行正シキヲ謂フ、毀譽ノ爲ニ正理ヲ枉ゲズ、利害ノ爲ニ邪曲ヲ行ハザルノ類卽チ是ナリ、面シテ正直ニ關スル事例ニシテ、信、諫等ノ諸篇ニ載セタルモノアリ、宜シク參看スベシ、

名稱

〔伊呂波字類抄〕

〈志/疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 正直

〔書言字考節用集〕

〈九/言辭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 正直(シヤウジキ)〈韵會、不曲也、〉

〔類聚名義抄〕

〈一/一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01743.gif 〈タヽシ和者ウ〉直〈除力反 ナヲシ タヽシ 和地キ〉

〔續日本紀〕

〈九/聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 神龜元年二月甲午、受禪卽位於大極殿、大赦天下、詔曰、〈○中略〉親王等始而王臣汝等、淸〈支〉明〈支〉正(○)〈支(○)〉直(○)〈支(○)〉心(○)以、皇朝〈乎〉穴〈比〉扶奉而、天下蚕民〈乎〉奏賜〈止〉、詔命衆聞食宣、

〔山鹿語類〕

〈二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 正直
師曰、大丈夫の世に立、正直ならずんば不有也、其義有處は守て、更に不變の謂也、其親疎貴賤に不因、其可改所を改め、可糾事をたゞして、不人、不世の謂也、世間に身を立つるとは、世にまかせ人に不從しては、理のまゝに立こと有がたしと云へる輩、俸祿を得ながら、君の非を不糾、父兄の惡を不諫して、時とともに追從し、大祿大官に預て、當世にへつらひ、時節を以て君を諫むべきと云の内に、光陰ついに空しくして、一生一事をなすことなし、尤可恥、尤可笑、豈大丈夫の心存せ るならんや、唯祿により官にさへられて、本心こゝに放失し、世の弄臣となれるなるべし、〈○下略〉

正直例

〔倭姫命世記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 御間城入彦五十瓊殖天皇〈○崇神〉卽位、〈○中略〉六十年癸未二月十五日、遷于大和國宇多秋志野宮、積四箇年之間奉齋、〈○中略〉件童女〈於〉大物忌〈止〉定給〈比氐、〉天磐戸〈乃〉鑰領賜〈利氐、〉無黑心〈志氐、〉以丹心〈天〉、淸潔〈久〉齋愼〈美〉、左物〈於〉不右〈須〉、右物〈於〉不左〈志氐、〉左左右右、左返右廻事〈毛〉、萬事違事〈奈久志氐、〉大神爾〈奉〉仕、元元本本故也、

〔今昔物語〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 高市中納言依正直天神語第四十一
今昔、持統天皇ト申ス女帝ノ御代ニ、中納言大神ノ高市麿ト云フ人有ケリ、本ヨリ性心直シテ心ニ智リ有リケリ、〈○中略〉或ル時ニハ、天下早魃セルニ、此ノ高市麿、我ガ田ノ口ヲ塞テ、水不入シテ、百姓ノ田ニ水ヲ令入ム、水ヲ人ニ施ニ依テ、旣ニ我田燒ヌ、此樣ニ我身ヲ弃テ民ヲ哀レム心有リ、此ニ依テ天神感ヲ垂レ、龍神雨ヲ降ス、但シ高市麿田ノミニ雨降キ、餘ノ人田ニハ不降ズ、此レ偏ニ實ノ心ヲ至ンニハ、天此ヲ感テ、守リヲ加ル故也、而レバ人ハ心直カルベシ、永ク横樣ノ心不仕ズ、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈二十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 内麿大臣乘惡馬語第四
今昔、内麿ノ右大臣ト申ケル人ハ、房前ノ大臣ノ御孫、大納言眞楯ト申ケル人ノ御子也、身ノ才止事无クテ、殿上人ノ程ヨリ、公ニ仕り給テ、其ノ思工㣲妙クナム御ケル、世人皆重ク敬テ不隨ヌ者无カリケリ、形チ有樣愚ナル事无カハケリ、亦心直クテ、人ニ被用テナム御ケル、〈○下略〉

〔日本後紀〕

〈八/桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 延曆十八年二月乙未、贈正三位行民部卿兼造宮大夫美作備前國造和氣朝臣淸麻呂薨〈○中略〉淸麻呂爲人高直(○○)、匪躬之節、與姉廣虫、共事高野天皇、〈○稱德〉共蒙信愛、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 豐前大君知世中作法語第廿五
今昔天皇ノ御代ニ、豐前ノ大君ト、云フ人有ケリ、〈○中略〉此人世ノ中ノ事ヲ吉ク知、心バへ直ニ テ、公ノ御政ヲ吉モ惡モヨク知テ、除目有ラムズル時ニハ、先ヅ國ノ數多開タルヲ、各ノ次第ヲ待テ、望ム人々ノアルヲモ、國ノ守ニ宛テ押量テ、其ノ人ヲバ其ノ國ノ守ニコソ被成ラメ、其ノ人ハ道理立テ望メドモ、否不成ジカシナド、國毎ニ云タリケル事ヲ、人皆聞テ所望叶タリケル人ハ、除目ノ後朝ニハ、此ノ大君ノ許ニ行テナム讃ケル、〈○下略〉

〔文德實錄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 仁壽三年五月戊午、參議正四位下左兵衞督兼近江守藤原朝臣助卒、〈○中略〉助心性淸直(○○)不毀譽、朝廷之士、爲之跼蹐、

〔三代實錄〕

〈五/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 貞觀三年二月廿九日癸酉、參議從四位上行太宰大貳淸原眞人岑成卒、〈○中略〉岑成立性淸直不小節、初爲大和守、盛改造官舍、有能名、至于爲大貳、西府倉屋、破壞特甚、有脩造、不寧居、伐神社之木、充結構之用、或人諫云、此神見稱靈、祟咎所致不於人、岑成拒而不肯、强令伐取、因此受病不幾而卒、時年六十三、

〔續古事談〕

〈二/臣節〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 八條大將保忠ト申人オハシケリ、本院ノオトヾ〈○時平〉ノ子ナリ、大ニハヂラレタル人也、内へ參リ給ケル道ニ、時ノ靱負ノ佐アヒテ、車ヨリオリテ立タリケリ、大將トガメテ云ク、騎馬ノ時、此禮アルベシ、車ニテハアルベカラズ、靱負佐陳ジテ云ク、車ニテオリザル事ハ、タガヒニ其人トシラヌ時ノ事也、君隨身グシ給ヘリ、我又火長相シタガフ、スデニ其人ト知ヌ、何ゾ禮節ヲイタサヾラント云ケリ、大將理ニヲレテホメ給ケリ、

〔撰集抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 正直房往生事
美濃國と聞えしやらん、中比其國にあやしの僧、里を廻て、人にみやづかふ侍けり、いみじく心ばへわりなくて、何事にも心得たりげれば、人々我も〳〵とあらそひやとひ侍りけり、二三日づゝなんつかへけり、わざとひとつ所には、久しくはいずと侍ける、心だての云べきかたなく、すなをに侍ければ、正直坊と名付てよぶ人もあり、又直心坊となん云族も侍けるとかや、〈○下略〉

〔吾妻鏡〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 寬元五年〈○寶治元年〉十二月廿九日丁未、有恩澤沙汰、去六月合戰之賞、相交之、結城上野入道日阿、拜領鎭西小鳥庄、是就泰村追討事、頗及過言之聞、可咎仰歟之由、雖沙汰、其性素廉直也、稱過言者、只無私之所致也、且適爲關東遺、老、咎語之誤、令處恩條、可政道恥之由、左親衞殊令執申給云云、

〔武功雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 有馬修理大夫へ、薩摩ヨリ加勢ヲツカハシ候トキ、兄ノ兵庫カ、弟ノ中書力、兩人ノ中ヲツカハスベシト、立伯タヅネラレシニ、新納武藏進テ申ハ、兵庫殿ハ、耳臆病、目甲斐々々敷大將也、中書殿ハ、耳甲斐々々敷、目臆病ナル太將ナリ、目ニ見、タル時、大事ニ存ル大將ハ、軍ノ仕損ジナキモノナリ、必中書殿ヲ被遣可然ト云テ、終ニ中書ヲ遣ス卜云々、兵庫後ニ少々新納ヲ恨ム、新納ガ云、何程御ウラミ候共、私存ヨリハ、其刻申シタル如クニテ候、

〔常山紀談〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 台德院殿〈○德川秀忠〉は、〈○中略〉信を失ひては、天下は保ちがたしと常に仰られ、御鷹狩に出給ふ時も、時を定められ、御膳の半にも、辰の鼓をうてば、箸を捨て出給ふ、近習の人、奉膳終らざれば、辰の太鼓をうたず、井伊直孝是を聞、近習の人々に向ひ、是君を愛すると、思へるは大なるひが事にてこそあれ、君正しき道を好みたまはゞ、漬たちも正しき道にて仕へられよかやうに事を料ら、れなば、必阿諛をなして、寵愛を好するにも及ぶべし、とく膳を奉りて、鼓の前に終りなんに、何の苦しきことやある、是等は誠に小事なれども、君を欺くともいふべし、君子は禍を未然に防ぐものなりと、戒められけり、

〔老人雜話〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 島田彈正法名由也〈越前守兄〉直士也、〈○中略〉或時老中會して、米高直にして、萬民困窮すとの評毳あり、その時、由也云、老中の歷々、米の買置などめさる間、米何としても、下直には成まじと云、誰買置れたるぞと云れければ、先づ酒井讃岐殿からが、買置めさると云、其時讃州云、我聊此事なし、さらば深津九郎右衞門を呼とあり、深津來りて、曾て此事なしと云、由也居長高に成て、某月某 日、大豆何程買しを知たり、馬の口も限りあり、是は買置にあらずや、其外證據多しと云つめたり、如此の人今は不聞、

〔常山紀談〕

〈二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 土屋但馬守數直、執政たりし時、金座の者ども相はかりて、金に銀を入て、ふきかへられなば、日本國の金甚多くなるべし、金の色の損ずるのみにて、莫大の利なれども、但馬守用いられじ、但馬守だに此事を聞入られなば、事行はるべしといひたるを、數直に申す人あり、兎角の答なくて、打過られしかば、又人をして問せしに、但馬守是は邪なるわざなり、金を以て天下の寶とするは純物なるが故なり、其寶を惡くせんとや、思ひもよらぬ事なりと、いはれけるとぞ、

〔吉備烈公遺事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 津田永忠、〈左源太〉十六七ノ頃ニヤ、寢ズ番シテ居タリシニ、公〈○池田光政〉今ノ自鳴鐘ハ、何時ヲ打タルヤト、問セ給フ、永忠承リ、只今寐入候テ、知ラズト申ス、公默シテオハシマス、夜明ケテ、永忠ガ座ヲ立ケルヲ見給ヒ、事ヲナスベキ男ナリト、獨リ言シ給シガ、永忠十八ノ時、目附職ヲ被命ケリ、其日執政ノ人々、公務終リテ後物語有シニ、永忠末席ヨリ、此所ハ長噺スル處ニアラズト譏ケリ、大臣タチ、公ノ御前ニ參、爾々ノコトノ候ヒキ、二十ニモ不足モノヽ、アマリナルコトナリト申セシニ、公偖ハ予ガ視ル處タガハザリキ、思フコト憚ル處ナク云ン者ナリト思ヒタリシニ、果シテ然ナリト、仰ケルトゾ、亦永忠御前ニ參テ、申コトノ有ケル後ニ彼ノ者ハ馭者アシクバ、國ノ禍ヲナスベキ也、才ハ國中ニ獨步セリト宣ケリ、

〔吉備烈公遺事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 酒井空印入道ナリシヤ、道中ニテ伊勢參宮ノ小兒、十二三歲バカリノ者ニ逢ヘリ、錢ヲトラセテ、汝ガ國ハ何方ゾト問フ、小兒(○○)曰、備前岡山ノ城下ニ侍ル、入道其聲ヲ聞テ、否々汝ガ言聲ハ、大和トキコユルゾ、前言ハ虚ナルベシト云、小兒腹ヲ立テ、吾國岡山ノ百姓ニ、嘘ヲ云フ者ハ候ラハズト、貰シ錢ヲ投捨テ去ル、入、道大ニ、感歎シテ云、新太郎今世ノ君子ト聞ケリ、今ニシテ信ゼリ、吾過テリ〳〵、

〔孝義錄〕

〈十八/陸奧〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 孝行者治郎左衞門
治郎左衞門は若松の城下竪三日町にすみて、鞘ぬる事を業とせり、むまれつき質直にして、家業にをこたらず、もてきたりてあつらふる人の、貴賤をへだてず、前後のついでを亂さず、しかもはじめに約せし日をたがへねば、をのづから業も多くなり行き、事たらいたる人などは、其意を感じ、よき物などいひつくる折は、前かたに祝儀などいひて、米金の類をとらするに、かたく辭してうけず、たゞ其業の料より外をとる事なし、

〔塵塚談〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 本郷御弓町に忠直なる人在せしなり、憲廟〈○德川綱吉〉の御代より惇廟〈○德川家重〉御代迄、重き御役勤仕し給ふ、致仕の後嫡君勤仕の所、寶曆三四年之頃病死なり、その嫡子五歲ゆへ、親族衆家來までも、年增の事を老君へ窺ければ、以の外立腹にて、我等事是迄僞を申上候事一言もなし、若短命にて家断絶する共、是非もなき事なりとて、正直に五歲の書上なり、家士薄氷を踏が如くなりしが、誠に正直の頭へ狆やどり在といふ、恙なく成長いたされけり、

〔續近世畸人傳〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 日雇八兵衞
加賀杉原といふ所に、八兵衞といへる日雇あり、妻にもおくれて、子二人もてり、貧窮なれども、性得律義なるもの故、人も憐しが、或時病に臥て日比へしかば、あたりの富豪の家より米錢をおくれど、かつてうけず、醫師などとふらひて藥を與んといへど、是も辭して、百日の餘におよべど、治せざれば、飢渴に堪ず、さて二人の子をよびて、幼少なりとも、我いふことをよくきけ、無事なる時だに、まどしき身の、まして今病にかゝりて、人の金錢を貸ては、かへすべき日なし、かへすあてなきものを貸ては、身命をつなぐも、人をあざむくににて快ず、是よりは汝等乞食してくらすべし、われも命あらば活べし、命つきば此儘に死せんと、こま〴〵といひ含めしかば、姉は十二、弟は九歲なりしも聞わけて、椀など持て乞丐となりける、

雜載

〔倭姫命世記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 泊瀨朝倉宮大泊瀨稚武天皇〈○雄略〉卽位〈○中略〉二十三年己未二月十五日〈爾〉、倭姫命召集於宮人及物部八十氏等吿宣〈久、○中略〉大神託宣〈摩志摩志木、○中略〉日月廻四洲六合、須正直頂〈止〉詔命明矣、

〔東大寺要錄〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 勅封倉鴨毛屛風銘文〈○中略〉
諂諛之語、多悦會情、 正直之言、倒心逆耳、 正直爲心、神明所祐、 禍福無門、唯人所召、〈○下略〉


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:23