獅子

〔倭名類聚抄十八〕

〈毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 師子 兼名苑云、師子、一名狻猊、〈酸蜺二音〉穆天子傳云、狻猊日行五百里、以虎豹粮者也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 按爾雅云、狻麑如虦貓、食虎豹、説文同、郭注云、卽獅孑也、廣韻云、猊、狻猊、麑上同、西京賦https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00904.gif 注、狻、狻猊也、一曰師子、一曰猶一名、兼名苑蓋本之、又按説文無獅字、虓字注云、虎鳴也、一曰師子、釋潮音曰、師子梵言枲伽、見梵語雜名、狻麑卽枲伽之一轉、師亦枲伽之下略、然則狻猊也、師也、皆梵語之譌略、非漢名、其謂之師子者、漢人所加呼、〈○中略〉穆天子傳六卷、晉郭璞注原書卷一云、狻猊野馬走五百里、注云、狻猊、獅子、亦食虎豹、此蓋倂引注文也、按爾雅郭注引、作狻猊日走五百里、初學記、太平御覽同、皆有日字、與此合後漢書順帝紀陽嘉二年、疏勒國獻獅子、注、引東觀紀云、疏勒王盤遣使文時闕、獻獅子虎正黃、有https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01013.gif、尾端茸毛大如斗、漢書西域傳、烏弋國有師子、似虎正黃、尾端毛大如斗、太平御覽引束晳發蒙記曰、師子、五色而食虎、唯畏鉤戟

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 獅 カラシヽ 獅子トモ
和漢トモナシ、未本朝ヘハ不來、集解、西域諸國ニ出トアリ、吾學編ノ内四夷考橵馬兒罕蠻國、里迷、〈同〉吟烈、〈同〉于闐〈同〉是等ノ諸國ニ產ストアリ、

〔鹽尻〕

〈五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 一獅子の胡語は、僧伽彼と云、頭極めて大に、尾長き事身と等しといふ、我國獅子の繪 は似ざる形なるべし、〈賢按、近年紅毛本草に獅子ノ圖あり、是正眞なるべし、〉

〔三代實錄〕

〈八/淸和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 貞觀六年正月十四日辛丑、延曆寺座主傳燈大法師位圓仁卒、圓仁、俗姓壬生氏、〈○中略〉圓仁住大華嚴寺涅槃院、經過一夏、垂北臺、雲霧滿山、徑路難尋、霧氣開霽、乃看路前一師子、形甚可怖畏、圓仁却走、二三里許、經於小時更復進路、見彼師子猶在前路、蹲居不動、更復却走二三里許、彌增驚恐、數刻之後、亦漸進行、師子猶在不去、遙見人來、卽便起立入重霧中、無復所一レ見、〈○下略〉

〔牛馬問〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 近年或僧、長崎にて大淸の人と度々出會し、或時獅の事を話するに、華人の曰、獅は天竺のみにかぎらず、中夏へも折節は出る事有其かたち和漢繪に見るとおなじからず、毛彩不潔、大槪尨に似て、大サも又大なる犬ほど有、此もの若出る時は、虎の猛といへども、總身をちゞめ地に仆れて、四足を空にし、口をあき、目をふさぎ、死せる者のごとくにして、動く事なし、獅是を見來て、開たる口の中へ小便をして、徐に歩み他に行、虎すこしも不動、凡そ道の五六町ばかりも行つらんとおもふ比、眼を開て、獅の後かげを見て、いよ〳〵他に行を見て、則起て逃去事、尤見苦しき有樣也、虎さへも如此、況や其餘をや、故に今淸の代にて、溲瓶(シビン)の事を虎口といふとなん、

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 虎 説文云、虎〈乎古反、和名止良、〉山獸之君也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 按、宣四年左傳云、楚人謂虎於菟、方言、虎江淮南楚之間、或謂之於䖘、王念孫曰、今江南山邊、呼虎爲䖘、則知於䖘之於發語、猶越爲於越也、然則和名止良之止卽䖘、良助語也、〈○中略〉原書同、説文又云、虎从虍、虎足象人足、象形、按虎虎文也、亦見説文、李時珍曰、格物論云、虎狀如猫、而大如牛、黃質黑章、鋸牙鉤爪、鬚健而尖、舌大如掌、生倒刺、頂短鼻齆、

〔類聚名義抄〕

〈七/虍〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 虎〈呼古反、トラ、和コ、〉

〔干祿字書〕

〈上聲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01240.gif 虎〈上通下正〉

〔日本釋名〕

〈中/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 虎 とらはとらゆる也、人をとらゆる獸也、

〔東雅〕

〈十八/畜獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 虎トラ 義不詳、虎もとこれ此國の獸にあらず、貂をテンといひ、黑貂をフルキといひ、又水豹をアザラシといひ、羊をヒツジといふが如き、並に海外の方言に依りしも知るべからず、

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 虎 トラ 和ナシ
朝鮮ニ多シ、中華ニモ多、朝鮮ヨリ皮ヲ剝テ貢ス也、全身其儘ニ剝タルモ來、又中華ヨリモ來ル、一通ノ虎、黃質黑色、黃ニシテ黑斑長シ、中華二品類多シ、本草彙言ニ黃モ白モ交リタルアリト云、本朝ニ來ルモノハ、皆黃質黑章バカリ也、又運虎ト云フ虎アリ、猛ト云コト也、黑者最猛、白者最鈍、或云、黃是虎幼弱者、黑適壯、白則老矣、未詳、

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 獸產 淮南子云、〈○中略〉虎七月而生、

〔延喜式〕

〈四十一/彈正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 凡五位以上聽虎皮(○○)、但豹皮者、參議以上及非參議三位聽之、自飴不聽限

〔萬葉集〕

〈十六/有由緣幷雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 乞食者詠
伊刀古名(イトコナ)、兄乃君(セノキミ)、居居而(ヲリ〳〵テ)、物爾伊行跡波(モノニイユクトハ)、韓國乃(カラクニノ)、虎云神乎(トラトフカミヲ)、生取爾(イケドリニ)、八頭取持來(ヤツトリモチキ)、其皮乎(ソノカハヲ)、多々彌爾刺(タヽミニサシ)、八重疊(ヤヘダヽミ)、平群乃山爾(ヘグリノヤマニ)、〈○下略〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 虎〈○中略〉
虎膽(○○) 治小兒驚癇疳痢等〈虎晴、虎魄、虎爪、虎牙、皆効同、能辟鬼魅、虎皮繫衣服亦佳、〉

〔異制庭訓往來〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 三者書色紙者可夏毛、若唐筆羊毛、虎毛(○○)也、但依料紙之歟、

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 六年三丹、遣膳臣巴提便(カンハデノハスヒ)使于百濟、 十一月、膳臣巴提便還百濟言、臣被使、妻子相逐去、行至百濟濱、〈濱海濱也〉日晩停宿、小兒忽亡不之、其夜大雪、天曉始求、有虎連跡、臣乃帶刀擐甲、尋至巖岫、拔刀曰、敬受絲綸、劬勞陸海、櫛風沐雨、藉草斑https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif 者、爲其子上レ父業也、惟汝威神、愛子一也、今夜兒亡、追蹤覓至、不命、欲報故來、旣而其虎進前、開口欲噬、巴提便忽申左手、執其虎舌、右手刺殺、剝取皮還、

〔日本書紀N 二十四/皇極〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 四年四月、高麗學問僧等言、同學鞍作得志、以虎爲友、學取其術、或使枯山變爲靑山、或使黃地變爲白水、種々奇術不殫究、又虎授其針曰、愼矣、愼矣勿人知、以此治之病愈、果如言、治無差、得志恒以其針置柱中、於後虎折其柱針走去、高麗國知得志欲歸之意毒殺之、

〔今昔物語〕

〈二十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 鎭西人渡新羅虎語第卅一今昔、鎭西 ノ國 ノ郡ニ住ケル人、商セムガ爲ニ、船一ツニ數ノ人乘テ新羅ニ渡リケリ、商シ畢テ返ケルニ、新羅ノ山ノ根ニ副テ漕行ケル程ニ、船ニ水ナド汲入レムトテ、水ノ流レ出タル所ニテ船ヲ留メテ、人ヲ下シテ水ヲ汲スル程ニ、船ニ乘タル者一人、船ニ居テ海ニ臨ケルニ、山ノ影移タリ、其レニ高キ岸ノ三四丈上タル上ニ、虎ノ縮リ居テ物ヲ伺フ樣ニテ有ケレバ、其ノ影ノ海ニ移タリケルヲ傍ノ者共ニ此レヲ吿テ、水汲ニ行タル者其ナド急ギ呼ビ乘セテ、手毎ニ艫ヲ取テ、忿ギテ船ヲ出ケル時ニ、其ノ虎岸ヨリ踊下リテ、般ニ飛入ラムト爲ルニ、船ハ疾ク出ヅ、虎ハ落來ル程ノ遲ケレバ、今一丈許不踊著ズシテ虎海ニ落入ヌ、船ニ乘タル者共、此レヲ見テ恐レ迷フ、船ヲ漕テ急ギ逃ルマヽニ集テ、此ノ虎ヲ目ヲ懸タハケルニ、虎海ニ落入テ暫許有テ浮テ陸ニ上タルヲ見レバ、汀ニ平ナル石ノ有ル上ニ登ヌ、何態爲ルニカ有ラムト見レバ、虎ノ左ノ前足、膝ヨリ下切レテ无シ、血出ヌ、海ニ落テ入リツルニ、鰐ノ咋切タルナメリト見ル程ニ、其ノ切タル足ヲ海ニ浸シテ平ガリ居リ、而ル間、奧ノ方ヨリ鰐此ノ虎ノ居ル方ヲ差シテ來ル、鰐來テ虎ニ懸ルト見ル程ニ、虎右ノ方ノ前足ヲ以テ、鰐ノ頭ニ爪ヲ打立テ、陸樣ニ投上レバ、一丈許濱ニ被投上テ、鰐仰樣ニテ砂ノ上ニノタメクヲ、虎走リ寄テ、鰐ノ項ノ下ヲ踊リ懸テ咋テ、二三度許打篩ヲ鰐ル際ニ、虎肩ニ打懸テ、手ヲ立タル樣ナル巖ノ高サ五六丈許有ルヲ、今三ツ足ヲ以テ、下坂ナド走リ下ル樣ニ、走リ登テ行ケレバ、船ノ内ニ有ル者共此レヲ見ルニ、半バ皆死ヌル心地ス、然レバ此ノ虎ノ爲態ヲ見ルニ、船ニ飛入ナマシカバ、我等ハ一人殘ル者无ク皆咋ヒ被殺テ、家ニ返テ妻 子ノ顏モ否不見テ死ナマシ、極キ弓箭兵仗ヲ持テ、千人ノ軍防グトモ更ニ益不有ジ、何況ヤ狹キ船ノ内ニテハ、太刀刀ヲ拔テ向會フトモ、然許彼レガ力ノ强ク足ノ早カラムニハ、何態ヲ可爲キゾト各云合テ、肝心モウセテ、船漕グ空モ无クテナム、鎭西ニハ返リ來タリケル、各妻子ニ此ノ事ヲ語テ、奇異キ命ヲ生テ返タルコトヲナム喜ビケル、外ノ人モ此レヲ聞テ、極クナム恐ヂ怖レケル、此レヲ思フニ鰐モ海ノ中ニテハ猛ク賢キ者ナレバ、虎ノ海ニ落入タリケルヲ、足ヲバ咋切テケル也、其レニ由无ク尚虎ヲ咋ハムトテ、陸近ク來テ命ヲ失ナフ也、然レバ万ノコト皆此レガ如ク也、此レヲ聞テ餘リノ事可止シ、只吉キ程ニテ可有キ也ト、人語リ傳ヘタルトヤ、

〔宇治拾遺物語〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 いまはむかし、壹岐守家行が、郎等等を、はかなきことによりて、主のころさんとしければ、小舟にのりてにげて新羅國へわたりて、かくれてゐたりけるほどに、新羅のきんかいといふところの、いみじうのゝしりさはぐ、なにごとぞとゝへば、とらのこうに入て、人をくらふ也といふ、この男とふ、虎はいくつばかりあるぞと、たゞ一あるが、にはかにいできて、人をくらひて、逃ていき〳〵するなりといふをきゝて、この男のいふやう、あの虎に合て一矢を射てしなばや、とらかしこくばともにこそしなめ、だゞむなしうはいかでかくらはれむ、此國の人は兵の道わろきにこそはあれといひけるを、人きゝて國の守にかう〳〵の事をこそ、此日本人申せといひければ、かしこき事かな、よべといへば、人きてめしありといへばまいりぬ〈○中略〉おのこ申やう、さてもいづくに候ぞ、人をばいかやうにてくひ侍るぞと申せば、守のいはく、いかなるおりにかあるらん、こうの中に入きて、人ひとりを頭をくらひて、かたにうちかけて去なりと、この男申やう、さてもいかにしてかくひ候とゝへば、人のいふやう、とらはまづ人をくはんとては、ねこのねずみをうかゞふやうにひれふして、しばしばかりありて、大口をあきてとびかゝり、頭をくひてかたにうちかけてはしりさるといふ、とてもかくてもさばれ一矢射てこそはくらはれ侍ら め、そのとらのありどころををしへよといへば、これより西に卅四町のきてをの畠あり、それになんふすなり、人おぢてあへてそのわたりにゆかずといふ、をのれたゞしり侍らずとも、そなたをさしてまからんといひて、調度をひていぬ、新羅の人々日本の人ははかなし、とらにくはれなんとあつまりて云けり、かくてこの男は、とらのありどころきゝて行てみれば、まことに畠はるばるとおひわたりたり、をのたけ四尺ばかりなり、その中をわけ行てみれば、まことにとらふしたり、とがり矢をはげてがたひざをたてゝゐたり、とら人の香をかぎて、ついひらがりてねこのねずみうかゞふやうにてあるを、をのこ矢をはげてをともせでゐたれば、とら大口をあきて、おどりて、をのこのうへにかゝるを、おのこ弓をつよくひきて、うへにかゝるおりに、やがて矢をはなちたれば、をとがひのしたよりうなじに七八寸ばかり、とがり矢を射出しつ、とらさかさまにふしてたをれてあがくを、かりまたをつがひ二たび腹をいる、二度ながら土に射付て、つゐにころして矢をものかで、國府にかへりて、守にかう〳〵射ころしつるよしいふに、守かんじのゝしりて、おほくの人をぐして、とらのもとへ行てみれば、まことに箭三ながら射とをされたり、見るにいといみじ、まことに百千のとらおこりてかゝるとも、日本の人十人ばかり馬にておしむかひて射ば、とらなにわざをかせん、ごの國の人は一尺ばかりの矢に、きりのやうなる矢じりをすげて、それに毒をぬりていれば、つゐにはそのどくのゆへにしぬれども、たちまちにその庭に射ふすことはえせず、日本人は我命死なんをも露おしまず、大なる矢にていれば、その庭にいこうしつ、なを兵の道は日本の人にはあたるべくもあらず、さればいよ〳〵いみじうおそろしくおぼゆる國なりとておぢけり、さてこのをのこをばなをおしみとゞめて、いたはりけれど、妻子をこひてつくしにかへりて、宗行がもーしに行て、そのよしをかたりければ、日本のおもておこしたるものなりとて、勘當もゆるしてけり、おほくのものども祿にえたりける、宗行にもとらす、おほ くの商人ども、新羅の人のいふをきゝてかたりければ、つくしにもこの國の人の兵は、いみじきものにぞしけるとか、

〔吾妻鏡〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 元曆二年〈○文治元年〉六月十四局乙丑、參河守範賴、幷河内五郎義長等、受二品〈○賴朝〉命、渡使者於高麗國之間、對馬守親光歸著彼島云云、〈○中略〉去三月四日、令渡高麗國之時、相伴姙婦、仍構假屋於曠野之邊產生、于時猛虎窺來、親光、郎從射取之訖、高麗國主感此事三箇國於親光、已爲彼國臣之處、有此迎歸朝、件國主殊惜其餘波、與重寶等、納三艘貢船送之云云、

〔羅山文集〕

〈四十五/銘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 南山刀銘〈幷序〉
日者豐臣相國之討高麗包茅不共之罪也、黑田筑州刺史從命而刊朝鮮之壘、一日會虎食一レ人、見者聽者無恐懼而犇殪踐踏、當是之時、刺史之從事菅忠利與其卒二人自當之、一人乃虎嚙肩而擲之、一人又噉其腕而倒之、於是乎菅忠利乃前奏刀擊斬虎、虎嘷而斃遂爲兩、是行也、若非其人之壯勇、其刀之利銛、幾不虎口哉、由此寶其斬虎之刀而藏之、往歲使人需余其名、因號之南山、蓋取諸晉周處殺白額矣、今亦价人索其銘、余敢不諾、价者固請愈謹、至再三止、余雖忠利价者之懇到、以作銘且序聞於右、銘曰、
節彼南山、山惟劒鋩、苛政除去、酷吏逃藏、截邪斬佞、惟刀在箱、惟其言虎失色、有眞傷、傳之萬世、爲子孫常

〔常山紀談〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 朝鮮にて何れの所にてか有けん、淸正の陣大山の麓なりけるに、虎夜來りて馬を中に引さげ、虎落の上を飛出けり、淸正口惜き事なりと怒られけるに、小性上月左膳をも虎來て咥殺せり、淸正夜明ると山を取卷て、虎を狩たるに、一疋の虎生茂りたる萱原をかきわけ、淸正を目がけて來る、淸正大なる岩の上に在て、鐵砲を持ねらはるゝに、其問三十間計、虎淸正を睨みて立止る、人々鐵炮を揃て搏んとするを、淸正下知して打せられず、自打殺さんとの志なり、斯て虎間 近く猛り來り、口を開きて飛かゝる處をうたれしに、咽に打込當ればそこに倒れ、起上らんとせしかども、痛手なれば終に死しぬ、

〔窻の須佐美追加〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 薩摩の士の語しは、義弘朝臣、朝鮮在陣の時、足輕馬草を刈んとて、山涯へ出しに、虎一つ來て、頸もとを輕く喰へ、山深く入、手玉に取て慰こと、猫の鼠を玩がごとく、久しく成て、眼くらく心きへ入しに、虎は其上へ横たはりて眠ぬ、時移りぬるにや、此男正氣付て見れば、己が上に眠居る程に、靜に彼が腹を撫ければ、鼾出けり、其時己が腰に附置ける細引を臥ながらひき出し、虎の淫囊をまとひつゝ、さて靜にになを眠て居ければ、その繩を大木に固く結付置、早く歸て同列引つれ往て、それを驚しければ、虎怒て前なる岨へ飛けるに、淫囊切れはなれければ、卽死ける、其皮を剝て國君に奉りし、今に重器の蓋になりてあるよし語ぬ、

〔寬永諸家系圖傳〕

〈宇多源氏/龜井〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 永綱
玆矩
はじめの名は新十郎、武藏守、後龜井とあらたむ、〈○中略〉翌年〈○文祿二年〉二月廿一日、玆矩獵遊す、大虎ありて進來る、玆矩みづから鐵炮を放、虎これにあたり痛まずして懸きたる、玆矩又鐵炮をもつてこれをうちたをす、そのはなはだ大なるをもつて、牧彥十郎をつかはし、これを名箇屋に獻ず、秀吉かくのごときの大虎、日本におひてはじめてみるとのたまひて、すなはち牧彥十郎をめして御羽織を給はる、その後叡覽にそなへられ、車にのせて洛中をわたす、

〔駿府政事錄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 慶長十九年九月朔日、阿蘭陀人御目見、耶揚子出御前、虎子二疋引之來、内一疋尾之根上毛生、有生風字、世以爲奇、江戸幕下若公達可進之由申上、

〔續近世畸人傳〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 熊斐〈安永元年十二月廿八日死、六十、〉
熊代彥之進〈初は神代と云、後改む、〉名は斐、字淇瞻、號は繡江、世間俗名をいはず熊斐をもてしらる、肥前長崎 の小譯官にて、爲人膽氣ありて俠者也、淸人沈南蘋に畫を學び世に名高し、一時台命を蒙り、虎を畫くに、折しも蠻人虎を持來りしかば、紙筆を携へ、虎の檻ちかく居たりしに、虎踞りて頭を擧げず、はたらくけしきを見ばやと思ふによしなければ、みづから竹にて虎をたゝくに、やがて頭を擡ぐ、見る人皆大きに懼れて走り去る、あたりに人なくなりたるに、斐獨白若として其さまをうつせり、其逃さりたる人かたらく、虎頭を擡る時、其眼のうへより丸き光りもの出て、人を追かくるやうにおぼえて堪ざりしに、斐が大膽不敵いふべからずと、舌をふるひしとなん、

〔柳葊隨筆〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449
文政十年丁亥、今度朝鮮國より差渡商人共買請申候虎の子、自然御内上覽被遊候御儀も可有者、商人共より取上げ、御當地え差廻し申段、奉御内慮候處、上覽被遊間敷候間、御當地え差越候に不及との御事被仰達候、就夫商人共折角買入候儀と申、追々諸雜費等も有之、甚難澀仕罷在候間、元來異獸には御座候へ共、人家へ相育、人害を成候程の獸子にも無之、旁九州上方筋、可相成は御當地迄も差出し、一通り諸人見物致度旨願出申候、依之最早御不用の獸故、買請候商人共願望の通差免、一通り見物爲致候上は、早々對州へ取歸候段申付度奉存候處、日本に無之獸子を差免申候儀、如何に付、各樣迄無急度申上候、不苦候儀に御座候はゞ、願の通り申付候樣仕度、御序の刻御内慮御伺被下候樣致度候、乍然右樣の儀、御内慮を得、却て御差圖も難歲下、一通り無急度御耳候迄にて、可然思召候はゞ、書面御下被下樣致度、何れ共宜敷御勘考奉希候、以上、
閏六月 仁部(宗對馬守内)郡右衞門
御書取

書面、虎の子商人共買請候共、九州限り、尤其場所々々に差支も難計候間、領主地頭へ懸合の 上取計、其餘の國々へは無用に可致候事、
傳聞する處は、當歲の虎子、對州人、釜山浦の倭館にて獲たりしを、商人金十兩に買請しを、又々陪蓰して、大坂の商人は、七十金に買入しとぞ、一人前二十四錢の積りにて、一萬八千四百八十人に見せざれば、まづ七十金を聚むるに足ず、其餘の雜費を加へては、十餘萬人に見せずば、購ひがたからん、後いかにせしや、更に聞ことなし、

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 嘷 玉篇云、嘷〈胡刀反、與豪同、〉虎狼聲也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 今本云、左氏傳云、犲狼所嘷、嘷、咆也、與此所一レ引不同、所引左傳襄十四年文、説文云、嘷、咆也、咆嘷也、互相訓、按戰國策、兕虎嘷之、聲若雷霆、説苑、逢蒙撫弓、虎豹嘷嘷、招隱士、猨狖群嘯兮、虎豹嘷、故云虎豹聲

〔萬葉集〕

〈二/挽歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 高市皇子尊城上殯宮之時、柿本朝臣人麻呂作歌一首幷短歌、挂文(カケマクモ)、忌之伎鴨(ユヽシキカモ)、〈○中略〉吹響流(フキナセル)、小角乃音母(クダノオトモ)、敵見有(アタミタル)、虎可叫吼登(トラカホユルト)、諸人之(モロビトノ)、恊流麻低爾(オビユルマデニ)、〈○下略〉

〔嬉遊笑覽〕

〈八/方術〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 醒睡笑鈍なるものゝ條に、人くらひ犬も虎といふ字を手の内に書てみすれば、くらはぬと敎られ、後に犬を見て、虎といふ字を書すまし、手をひろげてみせけるが、何の詮もなくほかとくふたり、悲しく思ひ、ある僧にかたりければ推したり、其犬は一圓文盲にあつたものよといへり、この呪もと漢土の法なり、博物類纂〈十〉、遇惡以左手、起寅吹一口氣輪至戌稻之、犬卽退伏、〈搯宜掐、字書に、爪掐也とありて、つかむことなり、〉

〔萬葉集〕

〈十六/有由緣幷雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 境部王詠數種物歌虎爾乘(トラニノリ)、古屋乎越而(フルヤヲコエテ)、靑淵爾(アヲフチニ)、蛟龍取將來(ミヅチトリコム)、劒刀毛我(ツルギタチモカ)、

〔古今和歌六帖〕

〈四/戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 人の心をいかゞたのまん 凡河内のみつね
ひとつけにとらのまだらはわきつとも

〔本草和名〕

〈十五/獸禽〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 豹肉、和名奈加都加三、

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 豹 説文云、豹、〈補敎反、日本紀私記云、奈賀豆可美、〉似虎而圖文者也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 原書豸部無而字及者也字、埤雅、豹花如錢、黑而小於虎文、本草衍義、豹毛赤黃、其紋黑如錢而中空、比々相次、

〔類聚名義抄〕

〈四/豸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 豹〈百孝反、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01014.gif 正、ナカツカミ、或犳字、〉

〔東雅〕

〈十八/畜獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 豹ナカツカミ 義不詳、陰陽家に豹尾神あり、其位中宮にあるなり、されば豹を呼びて、中津神と云ひしに似たり、豹は尾を貴しとすといふ事は、陶弘景が説にも見えけるなり、

〔南留別志〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 一豹をなかつかみといふは、歌書にもいはず、むつかしき詞なり、何ものゝ作りいでたる事ならん、

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 豹 ナカヅカミ〈古訓〉
朝鮮ニ多ク、中華ニ少シ、舶來ノ皮朝鮮產也、形ハ虎ノ如シ、紋異也、虎ハ黃質黑章也、異文長シ、豹ハ白質黑章ト云也、黃質黑章モアリ、

〔延喜式〕

〈四十一/彈正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 凡五位以上聽虎皮、但豹皮(○○)者、參議以上及非參議三位聽之、自餘不聽限

〔延喜式〕

〈二十一/治部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 祥瑞
赤豹〈○中略〉 右中瑞

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 十四年十月己酉、百濟王子餘昌〈明王子盛德王也〉悉發國中兵、向高麗國、築百合野塞食軍士、〈○中略〉、會明有頸鎧者一騎、插鐃者〈鐃字未詳〉二騎、珥豹尾者(ナカツカミノヲ)二騎幷五騎、連轡到來、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 十九年五月五日、藥獵兎田野、〈○中略〉是日諸臣服色、皆隨冠色、各著髻華、〈○中略〉大仁小仁用豹尾

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 朱鳥元年四月戊子、新羅進調從筑紫貢上、〈○中略〉虎豹(ナカツカミ)皮及藥物之類、幷百餘種、

〔吉川家譜〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0452 文祿四年四月二十二日乙丑
秀吉公へ豹ヲ獻ゼラレケレバ、廣家公へ御朱印ヲ賜フ、
虎之儀被仰遣候處、豹狩取之到來、初而上覽條悦思召候、誠入精之通被聞召屆候、辛勞之至候、猶 淺野彈正少弼木下大膳大夫可申候也、
卯月廿二日 御朱印
羽柴吉川侍從どのへ
木下大膳大夫、淺野彈正少弼ヨリ、廣家公へ奉書ヲ進ズ、
御狀拜見申候、仍最前虎之儀被仰遣之處、豹被狩取御進上、一段被御悦喜候、虎ハ數疋到來候、 豹ハ初にて候則被御朱印候、尚能々可申入由候、隨而其表長々御在番御苦勞共候、然者於此 方御用之儀候ハヾ可仰越候、恐惶謹言、
卯月廿二日 隆(木下大膳大夫) 判
長(淺野彈正少弼)吉判
羽柴吉川侍從殿 吉川家什書全
〈御報〉

〔本草和名〕

〈十五/獸禽〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0452 犀角、通天犀、〈夜露不濡〉一名水犀角、〈出水中〉駭鷄犀、〈陶景注、邊鷄驚https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01015.gif敢喙、〉https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01016.gif 犀、〈楊玄操音似〉雌犀也、一名班犀、駭鷄、一名駭禽、〈通天犀也、出兼名苑、〉鼻上角、一名奴角、一名食角、〈已上出拾遺〉唐、

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0452 犀〈雌犀附〉 爾雅集注云、犀、〈音西、此間音在、〉形似水牛猪頭、大腹有三角、一在頂上、一在額上、一在鼻上、脚有三蹄黑色、本草云、雌犀一名兕犀、〈楊玄操曰、兕音似、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0452 釋獸、犀似豕、郭注云、形似水牛、豬頭大腹庳脚、脚有三蹄、黑色三角、一在頂上、一在額上、一在鼻上、鼻上者卽食角也、小而不橢、好食棘、赤有一角者、與此所一レ引少異、或是舊注、説文云、犀、南徼外牛、一角在鼻、一角在頂、似豕、劉逵吳都賦注、犀狀如水牛、頭似豬、四足類象、倉黑色、一角 當額上、鼻上角亦墮也、又有小角、長五寸、不墮、性好食棘口中灑、春秋正義引交州記云、犀出九德、毛如豕、蹄有三甲、頭似馬、有三角、鼻上角短、額上頭上角長、〈○中略〉新修本草獸禽部中品犀角條、陶隱居注云、又有先犀、蘇敬等注云、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01017.gif 是雌犀、本草和名云、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01017.gif 犀、雌犀也、按、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01017.gif 俗兕字、見爾雅釋文、及干祿字書、然則兕犀出陶注、雌犀出蘇注也、證類本草引、兕皆作㹀、蓋假借也、説文https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01018.gif 、如野牛靑色、其皮堅厚、可鎧、象形、與禽离頭同、又載兕字云、古文从几、爾雅、兕似牛、郭曰、一角靑色、重千斤、海内南經、兕其狀如牛蒼黑、一角、南山經、禱過之山多犀兕、注、兕亦似水牛靑色、一角、重三千斤、毛詩正義引某氏曰、兕牛千斤、與郭注爾雅合、則南山經注三字恐衍、春秋正義引劉欣期交州記云、似出九德、有一角、角長三尺餘、形如長鞭柄、楊玄操音、見本草和名

〔類聚名義抄〕

〈四/牛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 犀音西、此間音サイ、 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01019.gif 〈正〉犀〈俗〉

〔同〕

〈七/尸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01020.gif 〈音西、此間音サイ、〉 屖犀https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01021.gif https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01022.gif 〈俗〉https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01023.gif 〈俗歟〉

〔干祿字書〕

〈平聲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01024.gif 犀〈上俗下正〉

〔東雅〕

〈十八/畜獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 犀サイ 倭名鈔に犀音西、此間音在と註せり、此餘獅子、麒麟、猩々の如きも、亦皆其字音をもて呼びしなり、

〔延喜式〕

〈四十一/彈正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 凡白玉腰帶、聽三位以上及四位參議著用、玳瑁、馬腦、斑犀(○○)、象牙、沙魚皮、紫檀、五位已上通用、〈○中略〉
凡鳥犀(○○)帶、聽六位以下著用、但有通天文者、不聽限
○按ズルニ、角帶ノ斑犀、烏犀ト稱スルモノニハ、牛角若シクハ水牛角ヲ用イシモノアリ、事ハ 服飾部帶篇ニ在リ、參看スベシ、

〔延喜式〕

〈二十一/治部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 祥瑞
駭雞犀及載通〈有一白理如一レ線、又其角有光通天、雞見之驚駭、故一名通天犀、○中略〉 右上瑞

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 奴角(○○) 本草云、奴角一名食角、〈和名犀乃波奈豆乃〉犀鼻上角之名也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 原書獸部中品有犀角、不引文、按本草和名犀角條云、鼻上角、一名奴角、一名食角、已上出拾遺、證類本草亦引陳藏器本草云、其鼻角、一名奴角、一名食角、則知奴角食角之名、蹕本草拾遺、源君單云本草是、伊勢廣本、之名也、作者也

〔類聚名義抄〕

〈三/角〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 奴〈角犀ノハナツノ〉 食角〈同〉

〔塵袋〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 犀角水遠去云フハ實事歟、ナベテノ角去事ナシ、通天犀角云ニ去德有ニヤ、角本ヨリサキマデ白、ホソ筋通リテネリ糸ヲ引ケルガ如ナルヲ通天角云フ、是水ヲ去ル事三尺ト云ル也、鳥是ヲ見必驚、犀角生ヤウニ三不同アリ、一鼻上アリ、馬鼻ノサキニ爪ノ生タル樣ナル事也、二ハ額上アリ、三ハ頭上ニアリ、藥頂角用、物登タガル物也、ノケニ倒ヌレバ起キアガル事ナシ、サレバ朽ヨハキ木土立置ケバ、犀是登朽木折落テ起モエアガラズ、足手ヲアガク時、大杖ニテ打殺也、ムハラヲ好食故、常口切血タル、山犀トテニ種類アリ、善犀角水去ノミニ非水底テラス、唐太平州云、國牛渚トマリト云所アリ、水深ハカリ難、晉溫嶠ト云人アリテ、犀角其水入タルニ水底曇ナク見、異類水族ガ無隱レ皆見ケルニ、其夜温嶠夢此淵底ノ生モノドモ來恨ケリ、幽明途異何故我等栖顯トゾ云ケル、晉書見タリ、群書治要ノセタリ、人秘事聞顯見顯スルヲバ禍招中タチ也ト誡タル次此事云ヘリ、エセ〳〵シキ人爲身知無用事ヲモ顯サントスル也、隱ルベキ物顯ハナル物各別ナレバ、顯ハナル物モ必シモ不隱、隱ス物ヲモ押不顯、ヲノガ好隨幽明途異也云是也、幽カクレタル物、明アラハナル物ト云心也、

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 犀 和產ナシ
越後ニ犀川ト云所アリ、此所ニ昔犀アリ、故ニ名ト雖、疑ク外物ナラン、舶來ニ犀角犀皮アリ、犀ノ形狀大槪如牛ノ角三アリ、鼻上一尺餘ノ角アリ、額ニモアリ、此ハ短シ、其上ニ又アリ、此ハ小也、次第ニ上ホド小ナリ、真中ノ筋ニ並ビ、牛ノ如ク横ニ並テハナシ、此角ニ三角二角ノ説アリ、三角ノ 説良シ、

〔夫木和歌抄〕

〈二十七/犀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 十題百首 寂蓮法師
うき身にはさいのいき角えてしがな袖のなみだもとをざかるやと

〔明良洪範〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 遠州濱松ノ城ハ、駿州今川家ノ臣鈴木兵庫助ガ築キシ城也ト云、此ノ西ノ方ニ犀ガ堀ト云堀有リ、土俗ノ説ニ、昔此堀へ犀ガ落テ溺死セシ故、犀ガ堀ト云ト云リ、此説取リ難シ、犀ハ異國ノ獸ニテ、日本ニハ居ズ、

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 象 四聲字苑云、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01025.gif 〈祥兩反、上聲之重字、亦作象、和名岐佐、〉獸名似水牛、大耳長鼻、眼細牙長者也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 玉篇、象、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01025.gif 古文、按象https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01025.gif 筆跡小異耳、玉篇以https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01025.gif古文非、〈○中略〉按説文云、象、長鼻牙、南越大獸、三年一乳、象耳牙四足之形、南山經、禱過之山多象、注、象獸之最大者、長鼻、大者牙長一丈、左傳正義、引南州異物志云、象、身倍數牛、而目則如豕、與此云長鼻眼細牙長合、李時珍曰、象有灰白二色、形體擁腫、面目醜陋、大者身長丈餘、高稱之、大六尺許、肉倍數牛、目纔若豕、四足如柱、無指而有爪甲、行則先移左足、臥則以臂著地、其頭不俯、其頸不回、其耳下軃、其鼻大如臂、下垂至地、鼻端甚深、可以開合、中有小肉爪、能拾針芥物飮水、皆以鼻卷入口、一身之力皆在於鼻、故傷之則死、耳後有穴、薄如鼓皮、刺之亦死、口内有食齒、兩吻出兩牙、夾鼻、雄者長六七尺、雌者纔尺餘耳、

〔干祿字書〕

〈上聲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01025.gif 〈上通下正〉

〔類聚名義抄〕

〈四/八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 象〈キサ〉

〔日本釋名〕

〈中/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 象(キザ) きばさし出る也、牙の長くして、さし出たるけもの也、

〔東雅〕

〈十八/畜獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 象キサ 象は西南夷の獸也、古の時此國に來れりとも聞えず、然るを呼びて、キサと云よひしは、其牙にりて、竟に獸の名の如くなりしと見えたり、倭名鈔に、木部に唐韻を引て、橒は木文也、漢語抄にキサといふ、或説にキサは蚶之和名也、此木文、與蚶具文相似、故取名、と註せり、さら ば古には、凡そ物の文あるものを呼びて、キサと云ひけるなり、象の如きも亦其牙の文あるに因りて此名あるなり、

〔南留別志〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 象をきざといふは、舟に刻みめをつけて、おもさをしりたるよりいふといへるは、異國の古事なり、いぶかしき事なり、

〔倭訓栞〕

〈前編七/幾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 きさ〈○中略〉 象をよむも、牙の橒に似たる文あれば、稱する成べし、梵語に伽耶といふも近し、

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 象 キサ キザトモ云〈古訓也、今ハ通名、〉
此ハ蕃國又天竺ノ物、中華ハ嶺南ニヲル、牙ハ口ノ左右ノキバ也、坫城、カボチヤ、ジヤガタラ、コレイスノ國ヨリ來ル、享保十三年戊申六月七日、南京人長崎へ連來、雌ノ方ハ崎陽ニテ死ス、京師へ雄來、享保十四年己酉四月二十六日京著ス、寺町通淨華院ニ滯留ス、御所へ上ル、其後江月へ行テ後大ニナル也、又已前ハ畫カキナドスル甚アヤシキモノ也、其後ハヨク彫物、又畫ニモ書、象志ト云テ、其トキノ事ヲカキタル書アリ、

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 牙(○) 山海經云、象牙大者長一丈、

〔拾遺和歌集〕

〈七/物名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 きさのき(○○○○) すけみ
いかりゐの石をくゝみてかみこしはきさのきにこそおとらざりけれ〈○中略〉
きさのきのはこ すけみ
よとゝもにしほやくあまのたえせねばなきさのきのはこがれてぞちる
○按ズルニ、きさのきハ、象之牙、又きさのきのはこハ、象之牙之箱ナり、

〔延喜式〕

〈四十一/彈正〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 凡内命婦三位以上、聽象牙櫛、〈○中略〉
凡白玉腰帶、聽三位以上及四位參議著用、玳瑁、馬腦、斑犀、象牙(○○)、沙魚皮、紫檀、五位已上通用、

〔延喜式〕

〈二十一/治部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 祥瑞
白象〈其形皎身六牙○中略〉 右大瑞

〔日本書紀〕

〈二十七/天智〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 十年十月、是月天皇遣使、奉袈裟、金鉢象牙、沈水香、栴檀香、及諸珍財於法興寺佛

〔日本紀略〕

〈桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 延曆十九年四月庚寅、勅象牙陰陽、〈○二字恐有誤脱〉之外、親王以下不服用

〔日本後紀〕

〈二十四/嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 弘仁六年十月壬戌、勅、親王内親王女御及三位已上嫡妻子、並聽蘇芳色象牙刀子

〔若狹國守護職次第〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 一色修理大夫滿範〈應永八年冬月に出家有之、號法名道範、○中略〉
同〈○應永〉十五年六月廿二日に、南蕃船著岸、帝王御名亞烈進卿番使々臣〈問丸本阿〉彼帝より日本の國王への遣物等、生象一疋〈黑〉、山馬一隻、孔雀二對、鸚鵡二對、其外色々、彼船同十一月十八日、大風に中湊濱へ打上られて破損之間、同十六年に船新造、同十月一日出濱ありて渡唐了、

〔象志〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 本朝享保十三年戊申六月七日、象牝牡(ヒンボ)二頭南京人持來ル、同十九日、長崎十善寺唐人旅館ニ入ルヽ、是南京人蠻國廣南ニ渡リ、此象ヲ求來レリ、
牡象(ボザウ/ヲ)〈七歲〉頭長二尺七寸 鼻長三尺三寸 背高五尺七寸 胴圍一丈 長七尺四寸 尾長三尺三寸 壽命最長 背筋有毛餘無之、人ヲ乘ニハ前足折乘之、五十歲ニシテ筋骨備(ソナハル) 逮百歲白象トナル 鐵ノ鈎ヲ以テ驅使 芭蕉ノ葉、竹ノ葉ヲ食フ、飮水一タビ二斗計、鼻ヲ以テ捲飮之、其行水陸共馬ヨリモ速疾、水ヲ渉ニ水ノ底ヲ踏テ行ク、
牝象〈五歲〉頭長二尺五寸 鼻二尺八寸 長五尺計 高四尺七寸 胴圍八尺六寸 此親象ハ七間餘リ有リト、廣南人語之、
此牡象去年長崎ニ於テ斃ナリ、菓子ノ甘物ヲ多ク食フ、舌ノ上ニ物ヲ生ズ、象奴療治スルニ適ズ、長崎ニ豪氣ナル者有テ、舌ノ上ノ病ヲ濯取ニ、象快然トシテ振尾、喜ブガ如シ、然レドモ此ニヨツ テ遂ニ斃ルヽナリ、

〔閑窻自語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 廣南國貢象事
享保十四年、廣南國より象をわたしゝ術をきゝしに、このけものきはめて鼠をいむゆゑに、舟のうちにほどをはかり、はこのごときものをこしらへ、ねずみを入れ、うへにあみをはりおくに、象これを見て、ねずみを外へいださじと、四のあしにて、かのはこのうへをふたく、これに心をいるるゆゑに、數日船中にたつとぞ、しからざればこのけもの、水をもえたるゆゑに、たちまちうみをわたりて、かへるとなむ、さて象本朝にきたる事、應永十五年、南蠻よりくろき象をわたす、この外例見えず、黑象別種なり、このたびの象は灰色なり、白象にはあらず、
覽象於内院
同年四月、象を宮中にめし入れて、中御門院御覽あり、臺盤所のまへに引くとき、象まへあしを折りける、ちく類といへども、帝位のいとたつときをしりけむ、やむごとなき事なり、御製和歌に、時しあれば人の國なるけだものもけふ九重にみるがかなしさ、のちにこの御詠草、故殿〈光臣の卿〉にたまはりて、もちつたふるなり、又この日靈元院法皇の御所にひかせて、御覽ありけるに、このたびは象かしらをたれて、恐れけるかたち見えけるとなん、御製やまとうた二首、
めづらしくみやこにきざのからやまと過ぎしの山はいくちさとなる
なさけあるきざのすがたよから人にあらぬやつこの手にもなれきて

〔江戸名所圖會〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 中野寶仙寺〈當寺に、享保十四年、交趾國より貢獻する所の馴象の枯骨あり、〉
馴象之枯骨
享保十三年戊申、交趾國より、鄭大威なる者、廣南に產るゝ所の大象、牝牡二頭を率ゐ來て、本邦に貢獻す、〈林信言の事物權輿には、大泥國より來るとあり、牝象は同申年九月十一日長崎に於て斃せり、〉同年六月十三日、長崎に著す、〈同十九日上陸す、象奴二〉 〈人日潭藪潭綿、譯官二人日李錫明廣南陳阿卯等各從びきたる、〉翌十四年己酉三月十三日、崎陽を出て、四月十六日、大坂に至り、同二十六日、伏見より京花に入、同二十八日、禁掖に朝して天覽を蒙むる、〈爵位なくして禁闕に參入の例なければとて、獸類といへ共、從四位に叙せられ、廣南從四位白象と稱へられたりといへり、〉同五月二十五日、江戸に迎へ給ひ、同二十七日、營中に於て上覽あり、其後中野に象厩を建て、是を飼せられたりしが、二十餘年を歷て、寬延の頃斃せりといふ、〈當寺に存するものは、其牡象の枯骨なり、〉
牡象〈七歲〉總身灰色にして、頭の長さ二尺七寸、〈頭は俯さす、又顧廻する事あたはず、〉鼻の長さは四尺程、〈或は三尺三寸とも云〉同圍一尺五寸、〈末の方にては六寸許ありといふ、鼻孔二ツ、端ふかく凹にしてよく開闔す、中に小き肉爪ありて、よく針を拾ひ芥子をつまむ、水を飲、酒を啜るにも又鼻を以てし、食する時も鼻を以て捲入る、一身の力は皆悉く鼻にあり、起て行んとするときも先鼻を以て地を柱へて後、あしを延す、口は頤にかくれて地を去事遠く、常にはみゆる事なし、〉牙の長一尺二寸程〈或は一尺四寸、圍は元の方にて一尺六寸計ありといへり、〉眼の長さ三寸、〈或は一寸五分、形篠の葉の如と云、〉耳の幅八寸餘、〈或は一尺三寸とも、形は蝙蝠の翅、又銀杏葉の形に似大りともいふ、〉胴の長さ七尺四寸、同圍一丈、背の高さ五尺、〈或は五尺七寸ともいヘり〉足の長さ二尺二寸、同圍一尺五寸、〈或は三尺五寸、圍二尺五寸ともいヘり、足の形は圓柱の如にして、指なく爪は五枚ありて、栗の形に似たりといふ、總身ふくよかに、擁腫すれども、峻嶺にのぼり羊膓を下るに、電の如く、深き水を渉る事捷く、其性能人に馴て其意を解す、故に象奴たる者、其頭すぢに跨り、鐵釣を以て釣、進退曲折左右すといふ、〉尾の長さ三尺三寸、〈或は二尺七八寸とも、形牛尾に似たりとなり、〉
牝象〈五歲〉總身灰色にして、頭の長さ二尺五寸、鼻の長さ二尺八寸、胴の長さ五尺計、同圍八尺六寸、背の高さ四尺七寸、〈或は四尺なりと〉牙の長さ五寸程ありて、其餘は牡象に等しといへり、〈此牝象は長崎にありし頃斃したり、江戸へ來りしは牡象のみなり、〉飼料、〈一日の間に新菜二百斤、篠の葉百五十斤、靑草百斤、芭蕉二株、根を省く、大唐米八升、其内四升程は粥に焚て冷し置て是存飼、湯水〉〈一度に二斗計〉〈あんなし饅頭五十、橙五十、九年母三十、又折節大豆を煮冷して飼ふ事あり、靑草の中、殊に俗間角カ取草と稱するものを好みて食ふ、靑草なき折には、籾を莖穗ともに飼、或は藁大根のたぐひも食ふとなり、又好んで酒を飮といへり、〉

〔武江年表〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 文久三年癸亥四月、兩國橋西詰にて、異國渡來の牝象を見せものとす、灰毛九尺計あり、〈三歲と云〉

麒麟

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 麒麟 瑞應圖云、麒麟、〈其鄰二音、亦作騏驎、〉仁獸也、牡曰麒、牝曰麟、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 論衡講瑞篇用騏驎字、孝德紀同、按麟或作驎、見左傳及穀梁傳釋文、故麒亦連驎字馬、遂與騏馬字混無別、演繁露云、唐以騏驎馬厩、驥者馬之有德者也、騏則馬之毛色也、名厩之意、蓋兼取祥麟德驥、以重其事也、字旣改而從馬、則失其本意矣、不獨唐厩之誤如一レ此、世凡援麒麟以比者、皆書爲騏驎、人亦不察也、〈○中略〉隋書云、瑞應圖二卷、瑞圖讃二卷、梁有孫柔之瑞應圖記、孫氏瑞應圖賛各三卷亡、唐書云、孫柔之瑞應圖記三卷、熊理瑞應圖讃三卷、崇文總目、有顧野王瑞應圖三卷、今並無傳本、不此所引何氏書、按宋書符瑞志云、麒麟者仁獸也、牡曰麒、牝曰麟、其文與此全同、則彼蓋依瑞應圖也、説文、麒仁獸也、麋身牛尾、一角、哀公十四年公羊傳、麟者仁獸也、上林賦張注、雄曰麒、雌曰レ麟、皆卽此義、又按、説文又云、麐、牝麒也、麟、大牝鹿也、麐麟二字不同、爾雅亦云、麐麕身牛尾一角、而經典多借麟爲麐、故玉篇廣韵皆以爲一字

〔延喜式〕

〈二十一/治部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 祥瑞
麟〈仁獸也、麕身、羊頭牛尾一角、端有肉、○中略〉 右大瑞

〔日本書紀〕

〈二十九/天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 九年二月辛未、有人云、得麟角於葛城山、角本二枝、而末合有宍、宍上有毛、毛長一寸、則異以獻之、蓋麟角歟、

駱駝

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 駱駞 本草駱駞〈洛陁二音、良久太乃宇萬、〉周書云、驝駝、〈駝卽駞字也、驝音卓、字亦作馲、卽駱也、〉有肉鞍、能負重致遠者也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 原書獸禽部下品載六畜毛蹄甲云、駱駞毛尤良、此蓋引之、〈○中略〉駞俗駝字、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01026.gif馲、並見廣韻、按駱駞、古作橐佗、後從馬作橐駝、上林賦注、韋昭曰、背上有肉似橐、故曰橐駝、或作https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01026.gif、慧琳音義引古今正字https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01026.gif 駝二字並從馬、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01026.gif 音託、故或從託省聲、作馲駞、爾雅釋文引字林云、馲駝似鹿而大、肉鞍、其音轉訛爲洛廣韻、馲他各切、又盧各切、故又從洛省聲、作駱駞、遂與白馬黑鬣之駱 字、混無別、〈○中略〉逸周書十卷、撰人缺、原書王會解云、正北空同、大夏、莎車、姑他、且略、豹胡、代翟、匃奴、樓煩、月氏、孅犁、其龍、東胡、請橐駞白玉野馬騊駼駃騠良弓上レ獻、只有橐駞字、無有肉鞍以下文、按慧琳音義云、周書王會、正北以https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01026.gif獻、顧野王云、背有肉鞍、能負重、善行致遠也、蓋慧琳源君、倶就玉篇周書、源君又誤倂顧氏之言、爲周書之文也、

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 駝〈○中略〉
集解、源順曰、有肉鞍、能負重致遠者也、必大○平野按、近世阿蘭陀獻之、其形色與李時珍説同、然未重行一レ遠也、

〔百品考〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 獨峯駝
本草綱目、李時珍曰、土番有獨峯駝、西域傳云、大月氏出一封駝、脊上有一峯、隆起若封土、故俗呼爲封牛、亦曰https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01027.gif
文政四年蠻舶雌雄ヲ載來ル、形チ牛ニ似テ大ニ、高サ八尺許、頸至テ長シ、羊首ニ似テ恰好ヨリ 小ナリ、目上ニハ毛長ク聚テ睂ノ如シ、口ハ下唇微シク長シ、前齒ハ下ノミニシテ、上齦ハ齒ナ シ、奧齒ハ上下共ニアリ、草食シテ牛ノ如ク齡(ニシシカ)モノナリ、全身蒼褐色ニシテ、各別長毛ナシ、尾ハ 豬ニ似テ本ハ短毛ニシテ、末ニ長キ毛アリ、脚ハ三節ニシテ他獸ニ異ナリ、背ニ肉峯一ツアリ、 大ナル瘤ノ如シ、峯上ニ長毛アリテ四方ニ垂ル、蹄ハ肉ニシテ指頭ニ小爪アリ、牛馬ノ足ニ異 ナリ、性至テ柔順ニシテ、能人ニ馴ル、糞ハ至テ小ニシテ圓ク、枇杷ノ大サナリ、卽獨峯駝ナリ、眞 ノ駝ハ背上ニ肉峯二ツ隆起ス、自然鞍ノ形アリト云、

〔橐駝考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 橐駝(たくだ) 駱駝(らくた) 馲駞(たくだ) 又https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01028.gif 牛(ほくぎう) 牥牛(ほうぎう) 封牛(ほうぎう)〈封は音峯、また犎に作る、〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01027.gif 牛(やうぎう)
橐駝は正名なり、駱駝の駱は橐(たく)と聲ちかきが故に訛(あやま)れるなり、馲は橐と同じけれども俗字なり、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01028.gif 牛以下は同物異名なり、其名の出るところは、下文の引證を得て知るべし、橐はもと橐囊の橐 にて、鄭玄が詩箋に小なるを橐といひ、大なるを囊といふの橐なり、橐裝と連言すれば、直に旅の行裝荷擔の事になる、公劉(こうりう)の于橐于囊とある則旅行の事なり、駝は汎く六畜に物を負はするの稱なり、漢書には駝を佗に作り、一馬を以て自ら佗負す〈趙充國が傳に〉とあり、されば橐駝の名は、此獸〈牛に非ず、馬にあらず、別に一種也、〉もと健勁の性質ゆへ、遠方へ物を負はせて搬運せしむるの義としるべし、
駝とはかりにて橐駝のことなり、すへに掲るを見て知るべし、いま荷物を幾駄〈則駝の字〉といふも、 橐駝よりきたるなり、駱は絶て駝と關からず、〈唐の懿宗咸通十二年、同昌公主を葬る時に、其柩を舁きたる人夫に、酒餅餤四十槖駝を賜りし事あり、是後世稱謂の起なるべし、〉

〔武江年表〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 文政四年辛巳六月、長崎より百(は)兒齊亞(や)國の產、駱駝二頭を渡す、閏八月九日より、西兩國廣小路に出して看せ物とす、〈蠻名カメエル、又トロメテリスと云とぞ、(中略)肉峯は一ツにして、しかも高し、足は三ツの節ありて、三ツに折る、高九尺長二間、牡八オ牝七オといへり、○下略〉

〔視聽草おN 初集二〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 駱駝 〈一名カメエル〉
凡長サ三間、高サ九尺、總身黃色、亞面利迦船積渡、〈船主姓名ステワルト○圖略〉
右ノ獸ハ紅毛國ニテ、百姓家ニ飼置、田畑ノ用ニツカウ、或ハ官人遠見ノ車ヲヒイテ、足ハ三ツニヲレリ、道ヲ行事一日ニ百里ヲ走ル、荷ヲ積時、初膝ヲ折、重サ千斤ニ及ビ足ヲ立ツ、食スル時一度ニ大食シ、四五日ハ物ヲ食セズ、ヤサシキケモノナリ、享和三年癸亥七月來リケレドモ、コンハヤア手印無キニ依テ、彼國へ積返シ、文政四巳ノ年江戸ニ來ル、〈○中略〉
狂歌 加茂季鷹
首はつるからだは龜にさも似たり千秋らくだ萬ざいらくだ〈○中略〉
眞顏
からうたを出てらくだもたんざくの三つにおれたるあしはらの國

〔雲錦隨筆〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 文政四年辛巳六月下旬、阿蘭陀國より駱駝牝牡を持渡る、同五年浪花難波新地に於て觀物とす、實に往昔より未だ渡らざる珍獸なり、一説に、亞辣比亞國の内黑加の產なりといふ、牝四歲牡五歲、高さ九尺長さ二間、其頭羊に似て頂長く耳垂れ、脚に三の節ありて三に折れ、背に肉峯ありて瘤のごとし、其聲https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01029.gif (かつ)と曰ふ、其物喰ふこと一度に飽まで喰ひ、四五日食せず、其性寒を喜び熱を惡む、其糞烟直くに上つて狼烟の如し、其力よく重きを負ふこと千五百斤に至る、一日に百里行事最安し、又よく土中の水脈を知るといふ、本草綱目に云、駱駝は西北番の界にあり、野駝、家駝あり、其色、蒼、褐、黃、紫、數品あり、其性寒に耐へ熱を惡む、故に夏至に毛を退く、盡るに至つて毛を毼に作るべし、能く泉源水脈風候を知る、凡伏流して人の知らざる所を、駝泉脈を知て足を以て地に跑す、これを掘れば必ず水ありと云々、

〔橐駝考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463
書云、珍离奇獸不于國、是槪指無用異物、苟有用、則夫夏翟大龜熊羆狐狸儼然列禹貢之典、聖人固不賤焉、國家盛德、遠夷時貢厥方物、客歲窩蘭舶、載駱駝牝牡各一隻于長崎、今玆來之江戸、觀者爲群矣、蓋其性馴善負重行遠、又能知水脈風候、乳汁可以充藥物、而其矢焚之煙氣直上、可以爲烽火、有用如此、其孰賤之、故余抄出古人言及此者若干、則欲以示一レ世、書賈某聞之、乃持橐駝考者一卷來請余訂正、余乃校閲、又書所得於上標、更辨以關子圖及吉雄子所余番篆字、促之上木、是豈特爲一異獸哉、亦竊所以欲一レ國家之德之致于天下後世也、
文政七年歲次甲申秋九月之日 譔于好問堂中北窻下北峯山崎美成

〔本草和名〕

〈十五/獸禽〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 獺肝、〈仁諝音、他末反、〉獱獺〈仁諝音頻、出陶景、〉猵〈貌如狐、出崔禹、〉和名乎曾(○○)、

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 獺 兼名苑注云、獺〈音脱、和名乎曾、〉水獸、恒居水中魚爲粮者也、唐韻云、獱〈音頻〉獺之別名也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 今俗呼加波宇曾(○○○○)、〈○中略〉按説文云、獺如小狗也、水居食魚、文選羽獵賦注、引三蒼解詁云、獺、似狐靑色、居水中魚、兼名苑注蓋本之、埤雅、獺似狐而小、靑黑色、膚如伏翼、本草衍義、獺四足倶短、頭與身尾皆褊、毛色若故紫帛、大者身與尾長三尺餘、居水中、出水亦不死、亦能休於大木上、〈○中略〉廣韻同、孟子注、呂氏春秋孟春紀注、淮南主術訓注、並云、獺獱也、廣雅、獱獺也、皆與此義同、按説文、猵獺屬、又載獱字云、或从賓、云屬則類獺而異者也、太平御覽引博物志云、獱頭如馬頭、腰以下似蝙蝠、毛似獺、大可五六十斤、上林賦、踏獱獺、李善注、引郭璞三蒼解詁曰、獱似狐靑色、居水中魚、陶隱居曰、獺有兩種、有獱獺、形大頭如馬、身似蝙蝠、然則廣雅以下諸書統言之、説文本草注析言之也、漢書楊雄傳注云、獱小獺也、又與陶説異、

〔類聚名義抄〕

〈三矣犬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 獺〈音脱、ヲソ、〉 獺〈俗〉

〔下學集〕

〈上/氣形〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 獺(カワウソ)〈老而成河童者〉

〔日本釋名〕

〈中/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 獺(カハヲソ) 河にありておそろしき物なりと云意

〔東雅〕

〈十八/畜獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 獺ヲソ 義不詳、倭名鈔に兼名苑を引て、獺ヲソ水獸、恒居水中、食魚者也と注せしは、卽今俗にカハヲソといふ是也、カハヲソとは卽水獺也、海獺に對しいふ也、〈古語にヲスシといひしは、可畏之謂也と見えたり、畏懼をヲソルといひし則是也、ヲスシといひ、ウスシといひ、ヲソといふ、並に語の轉じたりける也、水獸の畏るべき 者なるをいひしと見えたり、〉

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464
釋名〈源順曰、和名乎曾、唐韵曰、獱獺之別名也、今稱加釉宇曾、〉
集解、獺狀似小狐及狗、而短頭與身尾皆平褊、毛色靑黑膚如伏翼、長尾四足、水居食魚、川岸塘邊或巖石間爲穴、毎遊水上、時獵人以砲而斃、若放犬而逐之、獺性捷勁、牙齒堅鋭、而反囓穀犬者亦多、又設一匱于水際、匱之一口綴銅線網而塞之、一口作機、獺入則鎖之、機之前後置魚爲餌、謀以捕之、此法民間輕易有便捕之、春時生子、相引遊岸、凡魚冬春不岸、不波而入深淵、入潭底者怕寒也、夏秋不穴、不池而躍流浪、泳潮波者喜暖也、故獺亦冬春江海無食、湖池求餌而易棲、夏秋江海求餌、湖池無食而不便、於是捕獺之人可詳察一レ之、水邊之人常有能察獺之來居、而捕之者、先預緩歩獺之棲處、細窺獺之通路曰、此地有獺三頭或四五頭、而入夜濳行捕獺、必應先言之數、一無漏脱、其精巧可妙爾、或曰、鯔魚老化爲一レ獺、其狀亦相似、鯔魚腹中有臼子、獺胸下亦有臼子、是其證也、然雖之、物之變化無窮、則非此理焉、

〔和漢三オ圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 水獺(かはうそ) 水狗〈○中略〉
獺肉〈甘鹹寒〉 治疫氣温病及牛馬時行病、女子經脈不通、大小便秘、〈但熱症宜、冷症不佳、〉
獺肝〈甘温有毒、但肉寒肝温、〉諸畜肝葉皆有定數、惟獺肝一月一葉、十二月十二葉、其間又有退葉用之者須騐、治虚勞咳嗽傳尸病、〈以肝一具陰乾爲末、水服方寸七、日三以瘥爲度、〉
獺膽苦寒 治眼翳黑花飛蠅上下、視物不一レ明、入點藥中也、又以獺膽盃唇、使酒稍高子盞面
按、獺溪澗池河之淵灣、或巖石間爲穴、出食魚、遊水上時以砲擊取之、性捷剄牙堅、故鬪一レ犬却喫殺犬、 或云、老鰡變成獺、故獺胸下亦有肉臼、又鮎變成獺但鰡變者口圓、鮎變者口扁也〈人有其半分變〉鰡則海 魚、若謂江海獺乃鰡之變、溪湖獺乃鮎之變則可矣乎、恐俗説也、獺皮 作褥及履屧、產母帶之易產、〈毛甚柔軟微似獵虎而毛短、形小不用、〉

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 水獺 カワヲソ カワウソ〈誤〉 ヲソ〈和名抄〉 カハブソ〈周防〉
是ハ水邊エイル魚ヲ食フ、泉水ニツキ害ヲナス、側ニ木芙蓉ヲ植レバ害ヲサクト云、諸魚ヲ食フ也、別タボラヲ好テ食フ、シクチボラヲミルトキハ、處ヲサケズ、之ヲトルト云、ヨク形ボラニ似タリ、シクチボラガ水獺ニ化スルト云ハ俗説アリ、毛和ラカニシテ密也、裘ニシテ、上品、アカツカズト云テ唐ニ貴ム、藥用ニハ肝ヲ用ユ、癆療藥ナドニ用ユ、 一名 採菱女〈法言〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01030.gif 䍧〈通雅〉

〔延喜式〕

〈三十七/典藥〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 諸國進年料雜藥 下總國卅六種〈○中略〉獺肝二具〈○中略〉 美濃國六十二種〈○中略〉獺肝三具〈○中略〉 越中國十六種〈○中略〉獺肝二具〈○中略〉 播磨國五十三種〈○中略〉獺肝二具〈○中略〉 備中國冊二種〈○中略〉獺肝三具〈○中略〉 備後國廿八種〈○中略〉獺肝三具

〔紀伊國續風土記〕

〈物產十下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 水獺(ヲソ)〈本草 本草和名乎曾、康賴本草加和於曾、和名二字疑ふべし、〉 各郡川澤池溏に多し

〔嬉遊笑覽〕

〈十二/禽蟲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 嘉多言に、獺をかはうそと云は、苦しかるまじき歟、をそのたはれ尾とよめり、此けだ物、尾をふりて人をばかすといへり、世俗に僞をうそといふこと葉も是より起れりと云り、今うそつき彌二郎藪の中で屁をひつたと、童のいふことも是よりなるべし、嘉多言に、をそのたはれ尾とよめりとは、萬葉をいへるなんめれと、それは於曾の風流士とよみて、おそは癡鈍の義にて、オヲとかなもたがひたり、たはれをは風流士にて、獺の尾にはあらず、ざれども今の諺は件の間違ひたる説を取べし、

山獺

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈三十四/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 山獺 ヤマヲソ 陰莖、一名山獺莖、〈本經逢原〉 插翹春〈廣東新語〉
和產詳ナラザレドモ、字ニヨツテ、從來ヤマヲソト訓ズ、今能州ニヤマヲソト呼ブモノアレドモ、水獺ノ一種虎斑アルモノニシテ、別ナリ、山獺ノ陰莖ヲ藥用トス、一枚直金一兩ト云、華夷鳥獣考ニ、一枚直黃金數兩、人得其一、則立可富ト云フ、廣東新語ニ、其以猿爲雌者、插翹山獺也、語曰、猿鳴而獺候、莊子曰、猿猵狙以爲雌、言非類爲牝牡也、鄺民云、山獺性淫而無偶、猺女采樵歌歟爲猿聲以誘之、山獺聞之、卽躍抱猺女、因扼殺之ト云フ、

海鹿

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 葦鹿 本朝式云、葦鹿皮、〈和名阿之加(○○○)、見于陸奧出羽交易雜物中矣、本文未詳、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/獸名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 延喜民部式下、載交易雜物、陸奧出羽二國並有葦鹿皮、今本式誤衍、作鹿革鹿皮、日本後紀弘仁元年公卿奏言、引大同二年下彈正臺例、有獨射犴葦鹿https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01002.gif 羆皮等一切禁斷之文、〈○中略〉按本草拾遺云、海獺、大如犬、脚下有皮、如人胼拇、毛著水不濡、是可以充葦鹿也、

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 海驢(アシカ/ミチ)〈海獸、見博物志、〉海鹿(同)〈俗字、順和名作葦鹿、〉海獱(同)〈俗又用此字謬乎、宜博物志、〉

〔東雅〕

〈十八/畜獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 鹿シカ 倭名鈔に、〈○中略〉また本朝式を引て、葦鹿はアシカ、陸奧出羽交易雜物中に見ゆ、本文未詳といひしは、左思吳都賦に見えし濳鹿、異物志に見えし鹿魚の類、其形鹿の如くなる海岸蘆葦之間にあるをいひし也、卽これは海獱といひしものと見えたり、〈葦鹿といふもの、東北海中にあるのみにも限らず、西南海中にもある也、出雲國風土記に、葦鹿社葦鹿坂等ありと見えたり、海獱は博物志に、頭如馬、自腰以下似蝙蝠、其長似獺、大者五六十斤と見えたり、舜水朱氏も、ア シカは海獺也といひしといふ也、海獱は卽海獺の大なる也、是等の外東海海中にある水獸尚多かり、〉

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 あしか 本朝式に葦鹿と書り、ざれど海(アマ)鹿の義なるべ、し、正德の韓使に一醫此物を尋けるに、彼國にいふ海鹿也とことふとぞ、吳都賦にいふ濳鹿、博物志にいふ海獱也といへり、騂驪騮駁(アカクロカゲブヂ)の數品ありといへり、島嶼に出てよく眠るもの也、群中に一は眠らずして護ること、雁奴の如しといへり、紀の日高郡西南の海中に葦荒島あり、年ごとに秋より冬に至り、多く波島に來りて岩上に眠るといへり、

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 葦鹿〈訓如字〉
集解、葦鹿亦水獸也、出奧之南部津輕松前及蝦夷、狀類狗狐屬、頭面亦似狗、其色黃赤帶靑黑、遍身有短毛、眼淺靑鼻尖黑、有硬鬚數莖、長六七寸、上下臉黑、身小如猫、前足在臆後、而似大鰭、後足在尾前、色黑赤如木筆花片、其走輕疾、入水食魚、性好眠、毎居巖頭而鼾睡、故以人之好睡者葦鹿、狀大者爲雄、小者爲雌、土人以鋒刺之而煮食、其味亦稍佳、豆相房上總之海濱亦希有之、
肉、氣味、〈古謂〉甘熱無毒、主治未詳、

〔和漢三才圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 海獺(うみうそ) 川獺海獺山獺之三種方之 卽是此云海鹿也、重出于後、〈○中略〉
按、蹴瀨處處有海中、狀獸與魚相半者、其大者六七尺、頭面至肩類牝鹿、而耳小眼大、有利齒、背身毛細密而短、微赤土器色美、兩䰇末黑似手、是以下腹大肥、尻窄有尾長二寸許、似龜尾而黑、夾尾有䰇、黑色 縱有五時、近耑前一寸許處、有黑刺瓜、欲立行則開擴之以爲足、出肩以上於水面則似獸也、欲濳遊則窄伸之魚尾然、〈○中略〉
海鹿 〈阿之加〉
按、海鹿卽海獺也、但本草謂頭如一レ馬者差耳、紀州有海鹿島多群居、毎好眠上島上鼾睡、唯一頭撿四方、若漁舟來則誘起悉轉入水中、濳游甚速而難捕、其肉亦不甘美、唯熬油爲燈油耳、西國處處亦有之、其聲略似犬如於宇、蓋海獺海鹿一物重出備考合

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 海獺 ウミヲソ ウミウソ〈誤〉 ウミカブロ アシカイヨ〈筑前〉 トヽノ トミチ〈紀州、古訓日本紀、〉
是海中ノ獸也、水獺ニ似タリ、細長クシテ丸クコヘテアリ、大テイ長サ四五尺、又一丈ニナルモアリ、多ハ四五尺、頭モ水獺ノ如ク口尖リ出、全身短キ毛アリ、和ラカ也、靑黑シ、シキ皮ニスル、耳小也、口ワキニ長毛アリ、大也、アタマノ次、左右ノヒゲアル處ニ長キヒレアリ、長サ一尺巾四五寸厚キモノ、尾ハ獸ノ尾ノ如ク至テ小也、夫故カクレテ見ヘズ、其下ニヒレ左右三ツアリ、前ノヒレト同シテ、巾廣シテ末ニ爪五ツナラビ、其末指ノ如ク五ツニ分ル、此獸爪ヨリ先ニ指ノ形ノモノアリ、此獸ハ海中ヨリ群リ上ル、石上ニネムル也、其内ニ一疋寢ズノ番ヲスル、舟近ヨレバ鳴テワキヲヲコシテトビ込也、海中ニテヲヨグハ、カラダ半身以上水上ニ出テオヨグ、夫故浪立也、冬ハ鹽ニヒタシ持來リテ、松前ノヲツトセイト僞ル、奧州ニテハヲツトセイハ希也、

〔日本後紀〕

〈二十/嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 弘仁元年九月乙丑、公卿奏言、〈○中略〉去大同二年八月十九日、下彈正臺例云雜石腰帶、畫飾大刀、及素木鞍橋、獨射犴葦鹿https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01002.gif 羆皮等、一切禁斷者、〈○下略〉

〔延喜式〕

〈二十三/民部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 交易雜物
陸奧國〈葦鹿皮、獨肝皮數隨得、○中略〉 出羽國〈熊皮廿張、葦鹿皮、獨肝皮數隨得、〉

〔紀伊國續風土記〕

〈物產十下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 海獺(アジカ)〈本草、和名抄に阿之加、又引本朝式葦鹿、形膃肭獸に似て、小なるは長サ五六尺、大なるは 一丈二三尺に至る、頭小く口尖り、齒牙犬の齒牙に似たり、目は大にして、耳至りて小く、吻鬚巨く長し、全身短毛アリ、常品は其毛茶褐色なり、又白色黑白雜色蒼黑色等もあり、左右の扁鬐に爪ありて、末、に岐あり、尾は獸尾の如く至りて小く、尾を挾みて又兩鬐あり、これにも爪五ツありて、末は分れて指の如し、皮は褥とし、或は馬具に用ひ、或は荷包の類に製す、肉は剛くして味佳ならず、本草綱目に主治を缺く、時珍食物本草に、味鹹甘平無毒、食之消腫及癭瘤邪氣結核といヘり、又皮肉の間に脂膏多し、よく金瘡を治す、〉
海部郡衣奈庄大引浦の海中に、周百四十間餘の小島あり、往年より葦鹿島といふ、此島へ海獺 毎年秋の土用前後に來り、春の土用前後には何所にか歸る、毎に人なきを窺ひて、此島上に出 て、十四五尾より多きときは二三十尾も群遊す、若人を見れば忽鳴て群擧りて海中に飛入る、 海中を行く時は半身を水上に顯はし、疾く潮を飛し行く、甚畏るべき狀あり、官より命じて鳥 銃をもて打捉しむ、世人慢りに獲る事許さず、

〔夫木和歌抄〕

〈三十三/船〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 家集寄舟戀 えぞふね 源仲正わが戀はあしかをねらふえぞ舟のよりみよらずみ浪間をぞまつ

胡獱

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 魚(トヽ)〈毛詩註、獸名、似猪、東海有之、其皮背上有斑文、〉胡獱(同)

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 膃肭儕〈○中略〉
附錄、登止(トヾ)、〈土人所謂葦鹿之大者也〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 胡獱 海驢〈夫木集〉 〈別有海驢此不同〉 胡者夷之名、獱者大獺之名也、 俗云登土按、胡獱松前海中有之、形色氣味、共似膃肭獸而大也、但以齒辨之、〈膃肭下齒二行、胡獱齒如尋常、〉好眠、常寢於水上、亦奇也、本草所謂海獺〈出於前〉一種乎、蓋海獺、膃肭、阿茂悉平、胡獱之四種、同類異物也特以膃肭人賞之、故以胡獱僞充膃肭獸

〔蝦夷島記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 蝦夷島より出るもの品々
一トヽノ皮

海驢

〔釋日本紀〕

〈八/述義〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 海驢皮
大問云、此何物哉、先師申云、驢者海馬也、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 豐玉毘賣命〈○中略〉白其父曰、吾門有麗人、〈○彥火々出見命〉爾海神自出見云、此人者天津日高之御子虚空津日高矣、卽於内率入、而美智(○○)皮之疊敷八重、亦絁疊八重敷其上、坐其上、而具百取机代物御饗

〔古事記傳〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 美智(ミチ)ノ皮(カハ)、書紀に海驢と作て、此云美知とあり、釋に海馬也と注し、〈海馬は漢名なり、本草に、陳藏器曰、海驢海馬等皮毛在陸地、皆候風潮、則毛起、〉口決には、海驢之皮在陸、而潮滿則自起毛とのみ云て、其物のさまは云ず、建長八年百首に、衣笠内大臣、我戀は海驢の寐流(ネナガ)れ寤(サメ)やらぬ夢なりながら絶やはてなむ、〈夫木集に出ヅ〉紀ノ國人の云く、今紀の海に阿志加と云物あり、其處にて昔より字には海馬と書來れるよし、日高郡の海中に阿志加島と云島のあるに、年毎の秋冬のころ多く來て岩上に睡り、又波上に浮びながらも熟睡て、凡て寤(サム)ることの遲き物なり、大きなるは長さ一丈許なるもあり、足は無くて水搔(ミヅカキ)の如くなる物あり、此物西國の海にもあるなり、和名抄に葦鹿と云物を載て、本文未詳としるせり、思ふに是海驢なるべしと云り、〈或人は、阿志加は本草綱目に海獺とある物なりと云り、〉或書には、山東志曰、海驢出文登海中、狀如驢、常於秋月島產乳、其皮製爲雨具、水不潤、今按に海中に登騰(トヾ)と云物あり、岩屋の内に上り、よく睡る物なり、皮は馬具に用ふ、其首馬に似て、大さは小馬ばかりなり、これ海驢なるべし、陸奧松前蝦夷、又國々の海邊にも稀にあるなりと云り、〈本草綱目に、東海島中出海驢、能入水不濡、〉又或人の云く、今も北海に海驢あり、其皮潮滿れば柔に、潮干れば枯る、今も敷皮にするなりと云り、右の説どもの内、何れか正しく美智に當るべき、〈かの細ノ國人の云る阿志加と、或書に云る登騰(トヾ)とは、一ツ物の地によりて名の異なるか、はた別物か、なほよく尋ぬべし、相遠からぬ物とは聞えたり、又近き年西國の海にて捕れりとて、水豹と云物を觀せ物にしたる、長さ三尺許ありて、阿志加のたぐひなる物と見えたり、こは己正しく見たる物なる故に云なり、水豹と云名は新にみだりに著たるなるべければ、依るに足らざることなり、〉今世にも美智と云名の遺れる地 は無きにや、尋ねて定むべし、

〔日本書紀〕

〈二/神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 一書曰、〈○中略〉是時海神自迎延入、乃鋪設海驢皮(ミチノカハ)八重使其上、〈○中略〉
一云、〈○中略〉海驢此云美知

〔夫木和歌抄〕

〈三十六/夢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 建長五年百首 衣笠内大臣
わが戀は海驢のねながれさめやらぬゆめなりながらたえやはてなん

海馬

〔南島志〕

〈下/物產〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 亦多鱗介、則海出白魚、亦名海馬、馬首魚身、皮厚而靑、其肉如鹿、人常啖之、

水豹

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群名〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 水豹 文選西京賦云、搤水豹、〈和名阿佐良之〉

〔類聚名義抄〕

〈四/豸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 水豹〈アサラシ〉

〔運歩色葉集〕

〈阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 水豹(アサラシ)

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 膃肭臍〈○中略〉
附錄、〈○中略〉水豹(アサラシ)〈源順訓阿佐羅志、此亦葦鹿膃肭之類歟、小笠原家以皮爲射禮之具、松前蝦夷海上有之歟、〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 水豹 和名阿左良之
本綱、豹有水陸二種、而海中豹名水豹、文選西京賦謂水豹者是也、
按蝦夷海中有水豹、大四五尺、灰白色有豹文、剝皮販于松前、其皮薄、毛短而不用、

〔奧州後三年記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 永保三年の秋、源義家朝臣陸奧守になりてにはかに下れり、眞衡まづ戰の事を忘れて、新司を饗應せん事をいとなむ、三日厨といふ事あり、日毎に上馬五十疋なん引ける、其外金羽、あざらし、絹布のだぐひ、數しらずもてまいれり、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 仁平三年九月十四日庚子、去々年厩舍人長勝近貞、爲使下向奧州、先年可奧州高鞍庄年貢之由、禪閤〈○藤原忠實〉被基衡、〈○中略〉水豹皮五枚、
C ねつふ

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 膃肭臍〈○中略〉 附錄、登止(トド)、〈(中略)別有禰津不(ネツフ)者、此亦大抵類于登止、葦鹿、自古剝皮去毛、作革而販之、造弓馬之飾、本朝式奧羽貢葦鹿皮亦此類乎、〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 禰豆布(ねつふ)按此亦蝦夷海中有之、大四五尺、黑色毛短疎、其皮薄不褥、止爲毛履、或爲鞍飾、亞熊障泥、然不上品

〔大和本草〕

〈十六/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 海豹〈○中略〉 ネツフト云モノアリ、是海豹ノ類ナルベシ、

〔蝦夷島記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 蝦夷島より出るもの品々
一ネツフノ皮

膃肭臍

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 腽肭臍(ヲツトセイ)〈海狗外腎也、連臍而取之、故云爾、詳本草、〉 腽肭(ウニウ)〈一統志、海獸似狐脚高如犬、走如飛、其腎名膃肭臍、〉骨https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01031.gif (同)〈本草〉海狗(同)〈同上〉

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 腽肭臍
釋名〈俗訓乙土世伊、然本邦未臍事詳于下、〉
集解、奧之松前海上取之、南部津輕海上亦有、狀似葦鹿而色灰黑、有大小雌雄、雌多雄少、其牙齒有内外二重、常棲海底最深處、或遊淺海時獵乘小舟、謀而捕之、在水底者、以鋒刺而獲之、若居巖上者、弓砲而斃之、或謂毎棲海底金多處、濳匿難得、此惡暖好冷之故乎、夏月最然、若欲之、用長繩鐵鉤、捜覔而懸得之、腽肭性甚過淫、雌最多慾、故世俗專爲助陽之物、而貪嗜之、凡雌雄同形色難辨、捕之以其陰莖之有無、知雌雄之別、五六月產子、此時必乗北風而泛于海上、毎食潮泡及小鰯爾、本邦惟知陰莖、未臍、是據興陽壯氣也、其臍之功亦不劣乎、予〈○平野必大〉常欲臍、而覔松前南部之人、未之、頃聞土人謂、腽肭獸臍兼陰莖甚邇故取陰莖時必損臍全無、予謂是雄也、其雌必有臍矣、今食肉者、生食味尤美多脂、腌食則腥臊不佳、但病家與未醬、伺煮啜其汁也、
肉、氣味、〈古謂〉甘大温無毒、〈腌者甘鹹有微辛〉主治、陰痿精冷、腰痛脚弱、小便頻數、

〔和漢三才圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 腽肭臍(をつとつせい) 骨豽 海狗 肭豽貀三字同、胡人呼之曰阿慈勃他儞、 本綱、腽肭臍、諸説區多、女直國、撒馬、兒罕、朝鮮、突厥國等北海有之、又如三佛齋(サフサイ)國、南海亦有之、毛色似狐、尾形似魚、足形似狗而無前兩足、呼其外腎臍者、連臍取之也、
腽肭臍〈甘大温〉補中、益腎氣、暖腰膝、又治驚狂癇疾
按腽肭奧州松前海中有之、大者二三尺、全體魚類而有毛、乃此魚與獸半者矣、頭似猫而口尖、有眼 鼻而無耳垂、止有小孔、其齒上一行、下二行、相雙長短齟齬、其尾有岐如金魚尾、而黑色耑各有五岐、 其表中間有三針而堅似爪、其毛色似鼬毛而根稍黑、無手足而近尾兩脇有鰭蹼、而黑色宛如足然、 此鰭而非足、本草諸註爲足而無前足者未生者、憶見之誤也、有牡牝辨、以外腎有無之、其 外腎長四五寸、大如小指、陰乾黑色、性好睡眠、土人以小者最美賞之、五六月生子、此時泛海上小 鰯、蓋外腎連臍取之、説亦不然矣、凡狗食之則毛脱、皮爛至死、以可性大温也、其小者名阿毛悉平(アモシツヘイ)、 虚寒人食其肉腰足、松前人以爲美饌、猶是肥前人嗜一レ鼈也、

〔蝦夷志〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 臨海志云、海狗頭似狗長尾、毎日出卽浮在水面、卽是腽肭獣、夷方所謂ヲツトサイ、

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 腽肭獸
日本デアヤマリ、ヲツトセイト云、奧州松前津輕ノ方ヨリ出、蝦夷ノ生也ト云、丸口鹽ヅケニ出スガ、松前ノ問屋ニアリ、形海獺ニ似テ四足ヒレ也、集解ノ説トハチガフ也、犬ノ如キ足ニアラズ、其向齒二重ニナルヲ腽肭獸トシ、一重ヲ海獺トス、冬ノ中ニヲツトセイヲウル、多ク齒一重ニシテ皆海獺也、眞物奧州ニモ稀也唐ニハ猶少シト云、集解、東海水中ニ出ト云ハ、先朝鮮日本ヲサス也、藥ニ腽肭獸外腎ヲ以テスルト云、故ニ一名海狗腎ト云、睾丸ノコトカ、必讀ヤ集解ノ説ニ云テアリ、然レドモ外腎ナリ、然ルニ日本ニハタケリト云テ、陽莖ヲ乾テ遣フコトニシテアリ、唐デハ外腎ヲトルニ臍ヲツケテトル也、故腽肭臍ト云フ、卽外腎也、腽肭ガ獸名也、ヲツトセイト云テ、日本デハケモノヽ名ニスルアヤマリ也、本草ニハ外腎ノコトバカリアリ、肉ノコトナシ、日本デハ、藥 喰ニ、冬ノ内肉ヲ食フ、五福全書ニ、海狗、肉味鹹、性熱、無毒、主虚勞云々、此主治アレバ、食用ニシテモヨシトミユ、唐デハ腽肭獸ニアザラシヲ以テ僞ルコト必讀ニアリ、形ヨク似タリ、毛ノ斑點ニヨリ見分ルト云、アザラシハ毒アリ、海豹ガ和名アザラシノコト也、奧州カラ出ル、腽肭獸ノタケリト云ニ眞僞アリ、〈タケリト云ハ陰莖ノコト也〉眞物ハ一方ニ毛附テアリ、全タイ小也、七八寸、小ナルハ五寸バカリアルモアリ、

〔採藥使記〕

〈上/奧州〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 照任曰、東海松前津輕南部ノ海中ニ腽肭臍ヲ產ス、其形面ハ猫ニ似タリ、口ノ兩方ニ鬚アリ、長サ三四寸バカリ、是亦猫ノ鬚ニ似タリ、齒ハニ行ニ生ジ、前足蹼アリ、後足ハ魚ノ尾鰭ノ如ク一所ニ節アリ、是髦ヲ鐵毗ト名ヅケ、土人常ニ食フ、他國ノ鰲鰹節ヲ用ユルガ如シ、背ノ毛ハ微黑色ニシテ虎斑アリ、頭上ニ穴アリ、毛ニテ陰シテ見ヘズ、陰莖ノ長サニ寸餘、是ヲ專ラ藥ニ用ユ、總長大抵二尺以來アリ、此外オツトセイニ似タル物數多アリ、一ニ曰大面ハ狗ニ似タリ、ニニ曰ドンダリ、三ニ曰レツフ、四ニ曰アザラシ、前足後足トモニ肉ヒレ如ク、其色黑シ、五ニ曰アジカ、卽是レ海獺ナリ、六ニ曰獵虎、ソノ形腽肭臍ニ似テ色黑赤シ、
光生按ズルニ、オツトセイノ類アマタアリ、源君美ノ蝦夷志ニモ略アラハセリ、海狗トイフ物卽チ是レ腽肭臍ナリ、臨海志ニ曰、頭ハ狗ニ似テ毎日水面ニ浮ブトイフ、

〔蝦夷國風俗記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 產物
腽肭獸〈○中略〉腽肭ハエゾ地、ヲシマ、マツマへノ海中ニ在、夷人舟ニ乘テ射取ル最乏シ、諸國エ出ル物眞僞不辨、

獵虎

〔和漢三才圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 獵虎(らつこ) 正字未
按獵虎、蝦夷島東北海中有島、名獵虎島、此物多有之、常入水食魚、或出島奔走、疾如飛、大如野猪、而頸短亦似猪頸脚矮、島人剝皮待蝦夷人交易、其毛純黑、甚柔軟、左右摩之無順逆、有黑中白毛少交者、爲 官家之褥、其美無之者、價最貴重也、其全體無生者、以皮形之耳、其皮送長崎而中華人爭求、疑此本草綱目所謂木狗之屬也、〈木狗見于前

〔蝦夷國風俗記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 產物
蠟虎皮 松前ノ俗海驢ヲ魚ト云、然ルニ字彙ニ魚、牛居切、音愚、鱗物、其類多、又獸名似豬在東海、其皮可弓鞬r矢箙、詩象弭魚服、貴キ物ト聞レバ、若ハ唱違ニテ魚ハ蠟虎ノコトナルカ、蠟虎ハ火ヲ恐ル、人家アル所ニ不居、エゾ人年々ウルツプ島エ行捕來、肉ハ食ヒ、皮ハ賣出ス、尤乏シ、

一角

〔和漢三才圖會〕

〈三十八/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 一角(はあた/うんかふる) 巴阿多、宇無加布留、共蠻語也、疑此稱犀之通天者乎、
按宇無加布留、俗用一角二字、阿蘭陀市舶偶來而爲官物、尋常難得、其長六七尺、周三四寸、色似象牙而微黃、外面有筋、畾畾如竿https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01032.gif 、至末一二尺、細尖而筋亦無之、微曲斜也、内有空穴、其穴徑四分許、價最貴、故以白犀角之、其白犀角從交趾來、〈近年是亦希也〉其色白不潤、長者尺餘、破之如竹、有禾理、外面無筋、見其全體則大異矣、

〔秇苑日渉〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 獨角獸
紅毛蠻互市貨物、有烏儞鼓縷、此譯云一角、能解百毒、卽獨角獸也、金鰲退食筆記、有獨角獸補子、南懷仁坤輿外記曰、印度國產獨角獸、形大如馬、極輕快、毛色黃、頭有角、長四五尺、其色明、作飮器、能解百毒、其鋭能觸大獅、若悞觸樹、角不出、反爲獅斃、又曰、印第亞、其地多毒蛇、泉水染其毒、人畜飮卽死、有獸名獨角、毎日以角攪其水、人畜方敢飮、熙按犀之類有一角者、有二角者、一角者謂之兕犀、或謂之獨角犀、正似今一角矣、〈本草綱目曰、爾雅云、兕似牛、郭璞云、兕一角、嶺表錄異云、犀有二角、一在額上兕犀、一在鼻上胡帽犀、牯犀亦有二角、皆謂之毛犀、而今人多傳一角之説、時珍云、兕犀卽犀之牸者、亦曰沙犀、止有一角頂、洪武初、九眞曾貢之、謂之獨角犀、通雅曰、西域謂犀爲竭伽、角僞毗沙挐、言一角也、〉或以爲https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01033.gif、〈唐書地理志、河北道營州土貢、麝香、豹尾皮、骨https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01033.gif 志雅堂雜鈔曰、伯幾云、今所謂骨https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01033.gif 犀乃蛇角也、以至毒能解毒、故云蟲毒犀、兩鈔摘膄作骨堀犀、輟畊錄、作骨咄犀、曰蛇角也、其性至毒、而能解毒、蓋以毒攻毒也、故曰蟲毒犀、唐書有古都國、必其地所產、今人訛爲骨咄耳、松漠紀聞曰、骨咄犀、不甚大、紋如象牙、帶黃色、作刀靶者、已爲無價之寶也、格古要論、作骨篤犀、曰色如淡碧玉、稍有黃色、文似角、扣之聲淸越如玉、嗅之有香、燒之不臭、最貴重、能消腫毒、歷代小〉 〈史、元劉郁西使錄曰、骨篤犀大蛇之角也、解諸毒、遼史、國語解、作榾柮犀、曰千歲蛇角、又爲篤納犀、〉未然否、曩日見紅毛蠻所畫一角圖、乃海魚而有角、前俯額上、狀頗奇異、姑記以備攻覽

雷獸/木狗

〔玄同放言〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0476 雷魚雷鷄雷鳥〈並異形雷獸圖〉
雷獸は今も目擊するものあらん、その狀、小狗に類して灰色なり、頭は長く、啄半黑し、尾は狐の如く、利爪鷲の如しといへり、雷震記に圖するもの、信濃地名考に説くところ、大抵相同じ、又一説に、首尾は獺に似て、狀鼯鼠の如く尾と共に長サ三尺に過ぎず、全體雛狐の如しといへり、種類一同ならぬものにや、越後名寄〈卷一天象〉參補亦云、安永中、雷隕干村松城之士家、而獲獸大如猫、其形亦略相似矣、其毛灰色而有光、日中之後、帶黃赤色金、腹毛逆生、毛末有岐、天晴則終日垂首如眠、陰暗風雨之日、則有恐之勢矣、此獸打傷足、而不升騰、是以被獲焉、瘥之後、土人放之矣、按蓋雷隕之處、往往見此獸、此獸在於三國巓、河内山中、飯豐山之中、雲下掩山中、則乘之升騰、而奔走雲中、從雷霆地、土俗名之謂雷獸といへり、これらは見聞のひとしからざると、おの〳〵譬を取るのおなじからざるにもやあらん、此に墜つるもの小狗の如く、彼に獲らるゝもの獺の如く、猫に似たらんは、いよいよいぶかし、深山の怪獸、臆度をもて辨じがたし、姑く異同を擧げて、後勘の爲にす、唐山にもhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00955.gif といふ獸あり、正字通〈巳集上〉https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00955.gif 字下云俗鼺字、舊説引説文鼠形云々、一名鼯鼠、一名飛生といへり、〈鼺音鸓、玉篇音羸非、〉これに由るときは、鸓は和名むさゝびといふものなり、しかれども續字彙補〈巳集〉補音義云、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00955.gif 力追切、音雷、獸名、其形似狸といへり、かゝれば、是國俗の所云雷獸の類なるものか、亦その雷に從ひて昇降するや否をしらざるのみ、又一種、雷獸の首、彘に似たるものあり、そはある人の藏弆せる臨本にて見き、寫眞なりといへり、又近ごろ越の後なる一友人より、異形なる雷獸の畫圖一頁を獲たり、その圖説に云、元祿年間、夏六月中旬、越後國魚沼郡、妻有(つまり)の近村、伊勢平治村なる觀音堂の邊、深田の中に陷りつヽ、竟に斃れし雷獸ありけり、當初袖の澤の里人、豐與といふもの、年十 五のとき、觀音詣のかへるさ、雨を長德寺〈この寺觀音堂の邊にあり〉に避けて、住持と共に、目擊せしといひ傳ふ、こはよに異なる雷獸なり、その形六足〈前二足後四足〉三尾なり、首は野猪に似て長き牙あり、啄の長サ七八寸、尾の長サ啄とおなじ、足の長サ六寸餘許、爪は水晶の如く、鮮にして水搔あり、狼の如し、毛鬣三寸、その色蕉茶といふものに似たり、すべては身長狐とおなじ、眼するどく、形體にくむべし、今の畫圖は、小千谷(をちや)なる法橋玉湖といふ畫工が總角のとき、〈寶曆年間〉祖父の話説に就きて圖したるを、復摸寫せしなりといふ〈提要易文○圖略〉越後鹽澤なる鈴木牧之〈通稱義三二〉は、素より好事の人なれば、余が爲に、件の圖説をうつしとりて、附郵して見せらる、牧之云、目今の事といふともそら言は多かるに、況て百とせあまりの事なれば、證とすべき人もなし、只彼玉湖は、豐與が孫なり、畫をもて僕と、友垣結ぶこと久しくなりぬ渠が總角のとき、祖父の云々といひしまに〳〵、圖したりとかいふめれど、虚實は定かならずといへり、牧之は老實人なれば、しか思ふこそことわりなれ、げに信けがたき事なれども、因にこゝに謄冩して、兒曹の觀に充つるのみよしやこの物よにありとも、その形みなこれならんや、六足三尾は、復あるべくもあらずかし、余これらの畫圖を見て、更に思ふよしあり、これ唐の李肇が所云、雷州の雷公と同類なるべし、

〔隨意錄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 或問雷何如物也、予〈○冢田虎〉曰、不知也、古人以陰陽之理之、皆未以爲一レ疑也、謝肇淛云雷之形、人嘗有之者、大約似雌鷄、肉翅、其響乃兩翅奮撲作聲也、此肇淛説、尤怪誕耳、我方雷擊之時、有獸隨而墜、其所擊之處、壁牆樹木、多爬壞之、人毎見之、嘗有之以畜者、予亦觀之、其獸大如犬、其狀似鼴昂鼻短尾、四足蹙而三爪、晴日則柔懦雲雨則剛猛、又聞伯耆出雲二州、及日光之民、有雷獸、多獵之歲、則雷鳴少云、又寬政二年夏、江都西郊高井戸村、有雷擊、獸隨而墜、村中丁壯數輩、直持梃棒、以驅逐焉、終擊殺之、剝其皮之、其村民來語焉、

〔甲子夜話〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 コノ二月十五日ノ朝俄ニ雷雨シタルガ鳥越袋町〈○江戸淺草〉ニ雷落タリ、處ハ丹羽小左 衞門ト云人〈千石〉ノ屋敷ノ門ト云フ、其時門番ノ者見居タルニ、一火團地へ墜ルトヒトシク、雲降リ來テ火團ハ其中ニ入リテ空ニ昇レリ、其後ニ獸殘リ居タルヲ、門番六尺棒ニテ打タルニ獸走ニゲ門續ノ長屋ニユキ、又ソノ次ノ長屋ニ走込シヲ、ソレニ住メル者、有合フ者ニテ抛打ニ爲タレバ、獸其男ノ頰ヲカキサキ逃失タリ、因テ毒氣ニ中リタルガ、此男ハ其マヽ打臥タリト、又始メ雷落タルトキ、カノ獸六七モ有タルト覺ヘシト、門番人云ケルガ、猫ヨリ大キク、拂林狗ノ如クニシテ、鼠色ニテ、腹白シト、震墮ノ門柱三本ニ爪痕アリ、此事ヲ聞キ、行人群集シテ常々靜ナル袋町モ、忽一時ノ喧噪ヲ爲シトナリ、其屋敷ハ同姓勢州ガ隣ニテ、僅ニ隔リタル故、雷落シ頃ハ別テ雨强ク、門内敷石ノ上ニ水タヾヘタルニ、火光映ジテ門内一面ニ火團飛走カト見エシニ、激聲モ烈シカリシカバ、番士三人不覺ウツ伏ニナリ、外向ニ居シ者ハ顏ニ物ノ中ル如ク覺へ、半時計ハ心地惡クアリタリト、勢州ノ家人物語セリ、

〔駿國雜志〕

〈五十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 雷獸
傳云、益頭郡花澤村高草山に雷獣と云獸あり、生温柔にして、よく晝寢し、覺るといへども眼見えざるが如し、雷鳴暴雨の日、雲に乘り、空中を飛行し、誤て落る時は、木を擘き人を害ふ、其猛勢當るべからず、其形猫の如く、鼬に類せり、總身の毛は亂生して、薄赤く黑みを帶び、腹より股の邊りうす黃色の毛あり、髭はうす黑に栗色の毛交り、眞黑の斑ありて長く、眼は圓にして尖く、耳は少く立て鼠に似たり、爪は尖りて其先裏に曲り、尾は殊に長く、四足の指前四、後に水かきの指一あり、頭より尾に到る長さ二尺餘、尾其半を過ぐ、是を撫れば甚臭氣あり、此獸聲なきにや、終に鳴を聞者なし、文化年中、狩人某火炮を以てうち獲る事あり云々、又云、雷獸は不二山及七郡の高山秀嶺にあり、悉く大ならず、

〔秇苑日渉〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 驅雷 下野相馬地方、有獸如狸、秋日伏地中、郷民入山發掘斃之、謂之驅雷(カミナリカリ)、獲獸多則明年雷少、按唐國史補曰、雷州春夏多雷、無日無一レ之、雷公秋冬則伏地中、人取而食之、又云、與黃魚同食者、人皆震死、嶺南雜記曰、雷出英靈岡、秋日伏地中、狀如彘、或取而食之、五雜組曰、今嶺南有物、雞形肉翅、秋冬藏山土中、掘者遇之、轟然一聲而走、土人逐得殺而食之、謂之雷公、余〈○村瀨栲亭〉謂此獸也、以其似一レ雷故名之耳、彼天上雷公人得而食之耶、論衡曰、圖畫之工圖雷之狀、纍纍如連鼓之形、又圖一人若力士之容、謂之雷公、使之左手引連鼓、右手、推椎、若之狀、其意以爲、雷聲隆隆者、連鼓相扣擊之音也、其魄然若敝裂者、椎所擊之聲也、其殺人也、引連鼓相推並擊之矣、世人信之、莫然、如復原之、虚妄之象也、因樹屋書影曰、雷澤有雷神、龍首人身、鼓其腹則雷、見山海經、軒轅游于陰浦、有物焉、龍身而人頭、鼓腹而遨遊、問于常伯、常伯曰、此雷神也、有道則見、見奚囊橘柚、此祖山海説耳、捜神記曰、扶風楊道龢、田中値雷雨霹靂擊之、因以鋤格、折其左股、遂落地不去、色如丹目如鏡、毛角長二尺餘、狀如六畜、頭似獮猴、世謂雷神、卽雷公也、又代州雷公取乖龍樹、樹裂急合被夾、狄仁傑命匠破得出、國史補云、雷州春夏日無日無一レ雷、至秋伏地中、其狀如彘、人皆取食、靑溪暇筆云、霹靂中有物、如猴而小、尖嘴肉翅、雷收聲後亦入蟄、山行之人、往々多于土穴中之、謂之雷公、不畏者恒㗖之、本草則謂之震肉、無毒、止小兒夜驚、大人因驚失心、亦作脯與食之、此畜爲天雷霹靂者是、番偶雜記云、村民鑿山爲穴、多品供雷、冀雷享一レ之、名曰雷藏、民家女或爲神所依、卽呼雷郎、得子曰雷子、則雷公信有之矣、楚詞云、施入雷淵而不止些、注、雷公之室、亦必有據、若雷郎雷子、必邪神假雷號耳、未信也、

〔甲子夜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0479 出羽國秋田ハ、冬ハ雪殊ニ降積リ、高サ數丈ニ及テ、家ヲ埋ミ山ヲ沒ス、然ニ雷ノ鳴コト甚シク夏ニ異ラズ、却テ夏ハ雷鳴アルコト希ニテ、其聲モ强カラズ、各ハ數々鳴テ聲雪吹ニ交リテ尤迅シ、又挺發スルコト度々アリテ、其墮ル毎ニ必獸アリテ共ニ墮ツ、形猫ノゴトシト、コレ先年秋田ノ支封壹岐守ノ叔父中務ノ語シナリ、又語シハ秋田侯ノ近習某、性强壯、一日霆激シテ 屋頭ニ墮雷獸アリ、渠卽コレヲ捕獲、煮テ食スト、然バ雷獸ハ無毒ノモノト見エタリ、

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 木狗(○○) クロンボウ
備中土佐ニアリ、犬ノ形ノ大サニ似タリ、足ツヨシ、木ヲノボリ壁ヲノボル、紅毛人ノツレテクルクロンボウトハチガウ也、黑キ故名ク、集ニ元世祖有足疾、取以爲袴、人遂貴重之、此所前未聞云々、然レドモ、便覽ニ始皇取皮爲補愈足疾云々、之ヲミレバ、元ヨリ以前ニアリトミユ、

〔紀伊國續風土記〕

〈物產十下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 木狗(クロンボウ)〈本草 俗に雷獸といふ、大抵形小狗の如し、體細く尾長く、全身黑色にして、咽の下より胸に至りて、一通の赤黃色あり、齒爪甚堅利にして飛走甚疾し、天氣陰晦し、又風雨の時に其勢益烈し、其糞香ありて麝香の如し、〉
先年より高野山奧、及在田郡山保田庄山中にて捕へ獲る事間(マヽ)あり、日高牟婁兩郡の山中にも 亦あるべし、土佐には他色のものを產すといふ、いまだ見當らず、

河童

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 水虎(カハワツハ)〈時珍云、如三四歲小兒、甲如鯪鯉、常沒水出膝示人、〉川童(同)〈又云川郎(カハラウ)、土俗常云、老獺所變者、〉

〔物類稱呼〕

〈二/動物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 川童がはたらう 畿内及九州にて、がはたらう(○○○○○)、又川のとの(○○○○)又川童(かはつは/○○)とよぶ、〈九州に多し、わきて筑後の柳川尤多し、〉周防及石見又四國にて、えんこう(○○○○)といふ、
土佐の土民はぐはたらう(○○○○○)、又かだらう(○○○○)、又えんこうともいふ、其手の肱よく左右に通りぬけて 滑なり、猨猴に似たるが故に、河太郎もえんこうといふ、
東國にかつぱ(○○○)と云、〈川わつぱのちゞみたる語也、小兒をしかるにもかつぱともいふ、〉越中にて、がはら(○○○)と云、伊勢の白子にて、かはら小僧(○○○○○)といふ、
其かたち四五歲ばかりのわらはのごとく、かしらの毛赤うして、頂に凹なるさら有水をたく はふる時は、力はなはだつよし性相撲を好み、人をして水中に引入んとす、或は恠をなして婦 女を姦媱す、其わざはひを避るには、猿を飼にしかずとなん、

〔和漢三才圖會〕

〈四十/寓類恠類〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 水虎(すいこ)〈本草蟲部附錄出水虎、蓋此非蟲類、今改出于恠類、〉 本綱、水虎、襄https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01034.gif 記注云、中廬縣有涑水https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01034.gif、有物如三四歲小兒、甲如鯪鯉射不入、秋https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00262.gif 沙上、膝頭似虎掌爪、常沒水、出膝示人、小兒弄之便咬人、人生得者摘其鼻便之
按水虎形狀、本朝川太郎之類、而有異同、而未此物有乎否
川太郎(かはたらう) 一名川童(カハラウ)〈深山有山童、同類異物也、性好食人舌、忌鐵物也、〉
按川太郎、西國九州溪澗池川多有之、狀如十歲許小兒、裸形能立行爲人言、髮毛短少、頭巓凹可 一匊水、毎棲水中、夕陽多出於河邊、竊瓜茄圃穀、性好相撲、見人則招請之、有健夫之先俯仰搖 頭、乃川太郎亦覆仰數回、不頭水流盡、力竭仆矣、如其頭有水則力倍於勇士、且其手肱能通脱左 右滑利、故不之何也、動則牛馬引入水灣、自尻吮盡血也、渉河人最可愼、

〔本草綱目譯義〕

〈四十二/蟲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0481 溪鬼蟲
附錄、水虎 ガワタロ(○○○○) ガワタロウ〈九州〉 ワワツハ(○○○○)〈九州越後、佐渡、〉 カワラ〈越前、播州、讀州、〉 カッハ〈古歌、江戸、仙臺、〉 カワノトノ〈九州〉 カワコ(○○○)〈雲州〉 カワコボシ(○○○○○)〈勢州山田〉 カワラコゾ ウ〈勢州白子〉 カタロ土佐 グワタロウ〈同〉 カウコ(○○○)〈備前〉 カウラワロウ(○○○○○○)〈筑前〉 テガワラ〈越 中〉 エンカウ〈周防、土佐、伊豫、〉 エンコ(○○○)〈豫州松山〉
是ハ大川筋ニ居ル、京ニハ至テ少シ、能ク人ヲタブラカシ、川ニ引込テ取ル也、兎角相撲ヲトリテ深キ處ニ引込ントス、大和本草ニ委ク出タリ、黃瓜、西條柹ヲ好ム、アサノ灰、トウキビヲ惡ム也、美濃越後ニ至テ多シ、形ハ人ノ如ク顏異ニシテ、目丸ク黃色、鼻ハ尖テ先エ出テ、狗ノ鼻ノ如シ、下ニ口アリ、是モ狗ノ口ノ如シ、齒ハ龜ノ如ク多クナラビ付ク、奧齒尖テ上下ニ四ツアリ、頭ニ短キ髮アリ、色赤シ額ニ小穴アリ、大サ蛤ホドアリ、深サ一寸グライ、是ニ水アレバ力强シ、水減ト力ヨワシ、頭ノ色靑黑、背ニ甲アリ、龜甲ノ如シ、色モ同ジ、腹ニモ板アリ、堅キモノ也、然レドモ龜ノ如ク筋ナシ、黃色ニシテ少シ黑ミアリ、脇腹ニ白キヤワラカナ筋アリ、窮處ニテ握ルト動カズ、手足モ人 ト同ジ、至テ長シ、手ハ膝ヨリ下ル、形ハ丸クシテ小ク、靑黑シテ黃ヲ帶ル、指モ人ノ如ニシテ短シ、爪ハ至テ長シテ、指四ツ宛アリ、手足ニモ水カキアリ、手足ヲ縮ルト甲ノ内ニ入ル龜ノ如シ、伸ルト肱膝トモニ曲ル、全體甚ダ鯉臭アリテ、ネバルモノ也、故ニトラマへ惡シ、是ハヘクソカヅラヲ手ニ卷トラヘル、又相撲ヲ取ルモ勝ト云傳フ、

〔善庵隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0482 水中にて人を捕り殺すもの三つあり、一は河童、或は河太郎と云ふ、貝原翁の大和本草に、本草綱目、溪鬼蟲附錄の水虎に充つ、通雅に、水虎卽水唐也、鼻厭其陰也、水經注曰、汚水逕黎邱故城、又南與疎水合、疎水出中蘆縣西南、東流至卽縣北界、東入https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01034.gif、謂疎口也、水中有物、如三四歲小兒、鱗甲如鯪魚、射之不入、七八月中、好在磧中、自https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00262.gif 膝頭、似虎掌爪、常沒水中膝頭、小兒不知、欲取弄戯、便殺人、有生得者、摘其皋厭、可以小便、名爲水唐者也、後漢郡國志注、引盛氏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif 州記云、生得者、摘其鼻厭、可少小便、名爲水蘆、十道志引https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01034.gif云、或有生得者、摘其鼻、可便之、名曰水虎、孫汝澄云、皋厭者、水虎之勢也、可媚藥、善使内也、皋厭與鼻相訛、物類相感志訛爲水唐、而疎水作涑水とあれば、河童の水虎たる知るべし、然し水唐のこと、僅に此に出づるのみにて、他書に所見なし、西土には水虎の害、至りて罕なる樣に思はる、〈○中略〉今この三屍〈○河童、鼈、水蛇、〉を撿視するに、河童に捕られたるは、口を開きて笑ふが如く、水蛇は齒を喰ひしばり、向ふ齒二枚かけ墜ち、鼈は脇腹章門邊に、爪を入れし痕ありて死す、これを以て分別すべし、何れも肛門は開く、世人肛門より入りて、臟腑を食ふと云ふは非也、すべて溺死は、肛門開くものなり、何となれば、死する時口より押し入る水、肛門より出づる故に、肛門爛開せざることを得ず、

〔駿國雜志〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0482 河童
傳云、庵原郡巴河にあり、里人號て河童(カツハ)と稱す、其形五六歲の小兒の如く、總身生臭く滑りて鯰の 如し、眼圓く、瞳子尖く光り、手足の指水かきありて鰭に似たり、常は水底に潜て形を顯さず、偶陸に出て人に敵する時は、力つよく、走るを追へば、早ふして捉がたし、或は組て勝事を得るあれば、其身發熱して煩ふ、もし是が爲に害せらるゝ者は、必肛門より臟腑を引出されて、死を免るゝなし云々、河童の説何方も同じかるべし、

〔閑意自語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0483 近江水虎語
近江なりけるものゝかたりしは、湖水にかはら〈水虎俗にかはたらう、あるひはかつはなどいふなり、〉おほくあり、人をとり、あるはかどはかし、又はよふけて、人の門戸にきたりて、人をよびなどするなり、これをさくるには、麻がらをおけばきたらず、又さゝげ〈大角豆〉をいむ、これを帶ぶる人にちかよらず、又舟に鎌をかくるも、これをさくるまじなひといへり、
肥前水虎語
肥前のしまばらの社司某かたりていふ、かの國にもかはたらう多くあり、年に一兩度ばかりは、かならず人を海中に引き入れて、精血をすひてのち、かたちをかならずかへすなり、いかなるものゝさとりしめけるやらん、かの亡屍を棺に入れず、葬らず、たゞ板のうへにのせ、草庵をむすびて取り入れ、かならずしも香花をそなへずおけば、この屍のくつるあいだに、かの人をとりしかはたらう身體らん壞して、おのづから斃る、しらざればかはたらう人間の手にとらふべきものにあらず、いはんや、いづれのとりしといふ事をもしりがたし、いと奇術なりとぞ、かはたらう身のらんゑするあいだ、かの死がいをおくやのほとりを、かなしみなきめぐる、人そのかたちを見ず、たゞこゑをきくとなん、もしあやまちて香花をそなへしむれば、かはたらうかの香花をとりかへり、食すれば、その身らんゑせずといへり、棺に入れ葬れば、これも斃るゝにおよばずとぞ、およそかはたらう身をかくす術をえて、死せざれば見る事あたはず、多力にして姦惡の水獸なり といへり、

〔日本山海名物圖繪〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0484 豐後河太郎
形五六歲の小兒のごとく、遍身に毛ありて猿に似て眼するどし、常に濱邊へ出て相撲を取也、人を恐るゝことなし、され共間ぢかくよれば水中に飛入也、時としては人にとりつきて、水中へ引入レて其人を殺す事あり、河太郎と相撲を取たる人は、たとへ勝ても正氣を失ひ、大病をうくると云、しきみの抹香(まつかう)水にてのましむれば、正氣に成と也、河太郎、豐後國に多し、其外九州の中所々に有、關東に多し、關東にては河童(かはわらは)と云也、

〔水虎考略〕

〈後編〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0484 釜淵川猿
毛利大江の元就の士荒源三郎元重は、藝州高田郡吉田に住す、天文三年八月、吉田の釜が淵より化生のものいで候、近邊の男女わらんべを捕て淵へかけいり、民家商家門を閉て、吉田郡は城下往來絶たり、元就是を聞たまひ、荒源三郎に下知し給ふ、源三郎は本名井上にて、信濃源氏の末裔也、其形容七尺に餘り、力量凡七拾人力あり、神力魔法を行はゞ、大蛇にても鬼神にてもたまるまじと、萬民雲霧のごとく集り、見物の貴賤市をなす、時に源三郎元重はだかになり、下帶に大太刀十文字にさし、淵の淺みにたち、大音に訇りけるは、いかに此淵の化生慥に聞け、汝人民を取喰、其科によつて只今殺害の爲、荒源三郎來りたり、出て勝負をせよと呼りければ、淵の底とゞろき、逆波立て、水岸にあふれて流れ出て、元重の兩足を水中よりひしと捉て引込んとす、源三郎きつと見て、やさしやと、足をとりたる兩手を握りて、ゑいと引、化生も下へひく、互に引合、おどり出しが、化生の力は百人力もあるべし、山のごとくにしてうごかずおもてを水中より差出したるをみれば、鬼にはあらず、淵猿なり、〈俗に云ふ川太郎といふ者ならん〉さればこそ頭くぼき處ありて、水あれば力つよく、水なければ力なしと兼々聞およびければ、頭を捉へんとすれば忽すべりてとられずして揉合 しが、終に頭を捉てさかしまになし、ふり廻しければ、頭の水こぼれて、淵猿忽ち力おとろへければ、提てきしにあがり、化生取たりとよばゝりければ、見物の貴賤、取たり〳〵と、一同におめき、暫く鳴もしづまらず、かくて元重件のものをなわにてしばりて、提て城中へ歸り、釜が淵の化生生どり候と訴けり、元就感悦し給ひて、誠に源三郎は天地鬼神にも增りたりとて、加恩五十貫、來國行の太刀を玉はりければ、源三郎うけずして、かゝる畜類をとり候へばとて、御恩賞に預り候事、却て迷惑仕候なりとて、打笑ひつゝ太刀かたな御前に差置、我屋にさして歸りける、〈老媼茶話〉

〔信濃奇談〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0485 河童
羽場村に天正の比、柴河内といふ人住ぬ、ある時馬を野飼にして、天龍川の邊にはなち置けるを、河童といふもの、此馬取んと手綱とらへて牽けるに、さながら自由にもならず、かなたこなたへ行を、かの河童繩をとらへかねてや、おのが腰に卷て川へ引入んとするに、馬はひかれじとあらそひいどみけるが、河童かくてはかなはじとや思ひけん、かの手繩をだん〳〵におのが身にまとひつけて、力のあらんかぎりあらそひ引て、今少し此水の中へ引入たらんには、いかに大きなる馬なりとも、とらでやは置べきといどむうち、時うつり日くれたり、寔や小は大にかなひがたく、終に馬は走り出しておのが家へはしり來る、河童は繩をいく重も身にまとひたれば、とくにいとまなくひかれ來るさま、人々はしり出て、あなめづらし希有の事哉と、集ひよりてきびしくしばりつなぎて、厩の柱にくゝりつけ置ぬ、あるじ仁心ある人にて、無益に殺すもさすがにあはれみて繩解てはなちけり、その後その恩を報ぜんにや、川魚など取て、戸口におきし事度々ありしと、小平物語に見へたり、今も猶里老は語り傳ふ、近き比にも、河童の小兒など取ける事多くあり、河童とかきてかつはとよぶは、かはわつはの略なり、本草溪鬼蟲の附錄に水虎といへるは、此たぐひにやと貝原翁いへり、私にいふ、是水獺の老たるものにや、貝原翁又いふ、淮南子に、魍魎狀 如三歲小兒、赤黑色赤目長耳長髯、左傳注疏に、魍魎は川澤の神なりと見えたる、この河童に似たり云々、

〔水虎考略〕

〈後編〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0486 筑後國竹野郡德堂村 勝平
當丑六十六才
右之もの、天明五巳之夏、おこけ島幷淸宗渡瀨と申所、貳箇所にて、三拾六歲にて、かつはと相撲を取候始末、勝平より直に承り候樣子、左之通りに御座候、尤何月何日と申義承落し申候、
但おこけ島と申は、吉井川より凡拾丁程西九十九瀨川之南竹重村と申所にて御座候、右村 の小名にて御座候、淸宗渡と申もの、長崎御奉行道吉井町より拾丁程下り道の南に流れ候 處、則九十九瀨川筋にて御座候、一右勝平義、同村百姓三郎右衞門と申もの方へ奉公仕居、奉公のかたてに、竹重村之内に、自分之 受作を仕置候由、然る處、半左衞門より、吉井町齒細工人次右衞門と申ものゝかたえ、右細工賴 之儀に付、使に遣し候に付、勝平申候者歸りがけ、自分の受作所も序に廻り見歸り度、暫隙取可 申間、御許被下候樣申達參候而、次右衞門方用向相仕舞、直樣竹重之方ニ罷越候而、自分之受作 所〈江〉參り候道、おこけ島の西に北南に流れ候井手溝御座候、井手上水面三四間四方も水を湛 候處御座候、その所百姓往來之小道二すじ御座候、右井手へ勝平參掛り候得ば、七ツ八ツ位の子ど もの樣なるもの貳人、溝ぎわに出居、角力を取べしと申かけ候に付、十番計も取候歟と覺申候、 勝平申候者、右子どもの樣成もの相手に仕、相撲を取候義、其節者氣分バツと成り候歟と見申 候、右にて勝平申候者、もはや不取、至て遲く歸り而は、旦那どのより叱られ候、其の上自分の受 作も序に見廻り不歸候ては難相成、旁可參と申候得ば、先作所見廻り參候樣、此下に相待居可 申旨、かつは申候に付、勝平申は、おこけ島に市三郎と申もの居申候、此もの知人にて、此もの方 へ立寄、一通之咄もそこ〳〵にて自分と作所へ參り、見廻り候義も、そこ〳〵に取いそぎ、九十 九瀨川すじ淸宗渡獺と申所へ渡掛り候處、此渡瀨の渡り上りに、濱御座候、その所へ、かつは十 人あまり集て相待居申候とて、また〳〵數番取候由、かつは勝候得者大に皆々悦び、負候得ば すきまなく取掛り取候處、晝八ツ時分より日入相迄取候故、最早可歸、左のみ延引候ては、旦那に 申わけなしと申候得者、實に尤のことなり、さらば送るべしとて貳人者德堂村迄送り參り、三 郎右衞門へ晝之使之用向申達、夫より又々相撲取場所へ參る積りにて出浮候得共、勝平が樣 子常の體と替り候摸樣に付、三郎右衞門より勝平やど元へ申遣し候に付、同人親類共被支遣 不申、漸爲休候よしの處、二日半ほど前後不覺寢申候由申候、
一言語は人之申通に御座候哉之旨相尋候得者、隨分人之樣に申位之義者御座候、私より申候も 聞分、右之通送り參り申候、夫共ニ脇より承り候ては、何分にも可御座哉、脇のものゝ耳へも 相分り候ものと、其品者存不申候段申候、
一いか樣の姿のものに候哉之旨尋候得者、頭之方太く、裾小き人之樣覺申候段申候、
一面者猿に似候ものにて御座候
一眼ざしはとくと覺へ不申、常の人の目よりも短き樣覺へ申候、兎角相撲取候時分者、此方の氣 分もバンバト仕候哉、又よく形ち見屆置べき氣付一向無御座候、ひたすら心安く相なり、友達 之樣成心持に相成候段申候、
一頭は毛打かぶり居申候段申候
一色合は栗色にて、總身毛生居候樣には覺へ不申段申候、
一ぬめり候義、何分にもとりとめがたき樣ぬめり申候、其身より油など出候樣子とも見へ不申 候、又濡れ候ても居不申、とかくするり〳〵仕候由申候、
一頭に皿の樣なるものは見へ不申、只々四方に赤毛垂れ、うち被り居申候、 一足の樣子は、大體人之通に御座候段申候、
一勝平正氣に相成候後、腰さしは櫨之木之枝にかけ置候樣をぼへ居申候段、宿元のもの共へ咄 候得者、相撲取候晩より、此方に亦り居候段、宿元之者え申候旨申候、
一別紙かつはの圖、入御上覽申候、
右始末、小市勝平兩人とも、私方へ呼出、直に承り候通之趣書付差上申候、以上、
長崎御廻米海川船請負人筑後國吉井町
〈丑〉二月 佐々木源吾〈○中略〉
豐後國日田豆田町二丁目
〈丑〉二月 嘉吉
河童之緣御尋ニ付申上候事
一寬政七年卯七月廿日、私儀、中城村又吉と申者、一同深更に出立仕、玖珠郡森之町〈江〉綿打に罷越 候砌、宿元より二里ばかり隔、馬原村大淸水と申地名水有之、大道之外に、家一二軒有之、泉水涌 出候所迄參り候得者、旣に夜も明懸り候頃に相成候私儀は淸水を呑候半と思ひ立、泉に差懸 り候處、薄之袖垣有之、水の中に物の音相聞候に付、窺見候處、猿之如きもの二ツ、何か拾ひ取喰ひ 候體、無餘念相見え候間、心付、河太郎にて可之と、氣を留て見候處に、果して猿に甚よく似候 得共、頭の形ち中窪き樣に有之、目より上短く、直にうなじにつゞき、面の色赤黑く、眼丸く光り、 總身澀紙のいろのごとく、肉もなき體にて、腕などの細き事、杖などに相見候、身の丈は三四才 の小兒ほどにも可之歟、水中に立居申候、其間やう〳〵二間たらずに見受候、依て密に立退 き、同伴又吉へ見置候樣申聞候處、同人礫を打かけ候半と立騷ぎ候内に、いづかたへ參るとも 不知相成申候則其形畫かせ差上申候、以上、
一髮毛はかたのあたり迄さがり居申候事 一かたの中に棒など通し候樣に骨御座候事一總身まばらに毛はへ居申候事 一足のうら形、圖の通り、〈○圖略〉 一頭は今は少しほそきかた 一總身はやせ候かた 以上

〔水虎考略〕

〈後編〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0489 分類故事要略云、封ハ小兒ノ形ノ如クナルモノトアレバ、カワラフノ類ニヤ、關東ノ人ハカハツハト云也、豐後國多アリ、人ヲモ牛馬ヲモトルナリ、形三歲ノ小兒ノ如ク、面ハ猿ニ似テ、身ニ異毛アリ、頂クボクシテ、水アレバ且强シ、水無レバ力ヲ失フ、或人トラヘテコレヲ殺ス、キレドモツケドモ通ラズ、麻穰ヲケヅリテサセバ能通ルト云傳フトアリ、〈安〉按、封ハ是ニ非ズ、或ハ水虎ニ當ツ、亦是未、吾本州ニテ川小僧或ハカハランベト云フ、コレニ捕レタル者適有リト傳フレドモ、正ク其形狀ヲ見タル人無シ、大和本草ニ河童ヲ載、カハタラウト旁命ス、而云、此物好テ人ヲ相抱キテ角力、其身涎滑ニシテ、捕捉シ難シ、腥臭滿鼻、短刀ニテ欲刺不中、角力人ヲ水中ニ引入テ殺スコトアリ、人ニ勝コト能ハザレバ沒水而見エズ、其人忽恍惚トシテ如夢而歸家、病コト一月許、其証寒熱頭痛、遍身疼痛、爪ニテ抓タルアト有之云々、今此説ノ詳ナルヲ觀レバ、西土ニハ適コレニ逢フ者有リト見フ、コレニ逢ラ病ムニ、シキミヲ煎ジテ飮メバ愈フト、一書ニ見ル、中華ノ何ニ中タルヲ知ラズ、
右尾人山本格安ガ、續和言默驢編時令部ニ載ス、

〔善庵隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0489 當六月朔日、水戸浦より上り候河童丈三尺五寸餘、重十二貫目有之候、殊の外形より重く御座候、海中にて赤子の鳴聲夥敷いたし候間、獵師共船にて乘り廻り候へば、海の底にて御座候故、網を下し申し候處、色々の聲仕候、夫よりさしあみを引き廻し候へば、鰯網の内へ、十四五疋入候ひておどり出だし逃げ申候、船頭共棒かひなどにて、打ち候へども、ねばり付、一向にきゝ不申候、其内一疋船の内へ飛び込み候故、とまなど押しかけ、其上よりたゝき打ち殺し申し候、其節迄やはり赤子の鳴聲致し申し候、河童の鳴聲は、赤子の鳴聲同樣に御座候、打ち殺し候節、屁をこき申し候、誠に難堪にほひにて、船頭など、後にわずらひ申し候、打ち候棒かひなど、靑くさきにほ ひ、未だ去り不申候、尻の穴三つ有之候、總體骨なき樣に相見え申し候、屁の音はスツ〳〵と計り申し候、打ち候へば、首は胴の内へ八分程入り申し候、胸肩張出し、脊むしの如くに御座候、死候ては、首引き込み不申候、當地にて度々捕へ候へ共、此度上り候程大きなる重きは、只今迄見不申候、珍敷候間申進候、已上、
六月五日 〈東濱〉權平治
浦山金平樣
これ享和元年辛酉歲のことなり

〔諸國里人談〕

〈二/妖異〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0490 河童歌
肥前國諫早の邊に、河童おほくありて人をとる、
ひやうすへに川たちせしを忘れなよ川たち男我も菅原、此歌を書て海河に流せば、害をなさずとなり、ひやうすへは兵揃にて所の名なり、此村に天滿宮のやしろあり、よつてすがはらといふなるべし、又長崎の近きに澀江文大夫といふ者、河童を避る符を出す、此符を懷中すれば、あへて害をなさずと云、或時長崎の番士海上に石を投て、其遠近をあらそひ、賭して遊ぶ事はやる、一夜澀江が軒に來りて曰、此ほど我栖に日毎石を投ておどろかす、是事とゞまらずんば、災をなすべしとなり、澀江驚き、これを示す、人皆奇なりとす、

怪獸

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0490 山𤢖(ヤマヲトコ/○○)〈神異經、深山有人長丈餘、曰山𤢖、〉 山丈(同)〈又云巨靈〉

〔和漢三才圖會〕

〈四十/寓類恠類〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0490 山𤢖 俗云、也末和呂、
神異經云、西方深山有人長丈餘、袒身捕蝦蟹、就人火炙食之、名曰山𤢖、其名自呼、人犯之則發寒熱、蓋鬼魅耳、惟畏爆竹煏https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01035.gif
按九州深山中有山童(ワロ)者、貌如十歲許童子、遍身細毛柹褐色、長髮蔽面、肚短脚長、立行爲人言而䛤 也、杣人互不怖與飯雜物、喜食助斫木之用、力甚强、若敵之則大爲災、所謂山𤢖之類小者乎、〈川太郎曰川童、是曰山童、山川異同類別物也、〉

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0491 狒々
附錄、山𤢖、 ヤマヲヂ〈筑前〉 ヤマヂヾ〈阿州〉 ヤマヂイ〈讃州〉九州又四國ニ多シ、山深クツヾク處ニヲル、木曾ニモアリ、常ノ人ヨリモ小ニシテ、男ノ形裸也、人ノ心中ニ思フコトヲサトル故、鐵炮ヲ知ドモ打コトナラズ、杣人山中ニ入トキ火ヲ燒バ、傍ニ來テ、蟹ナドヲヤキヲ食、何事モ害ヲセヌモノ也、竹ヲ燒バ其節ノ音ニテヲソルヽナリ、人ノ思コトハサトレドモ、不意ニ音スル故逃ル也、正月十四日鷺朝トテ竹ヲ燒モ、此ノ鬼ヲ除ク意ナリト俗傳也、

〔西遊記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0491 山童(わろ)
九州極西南の深山に、俗に山わろといふものあり、薩州にても聞しに、彼國の山の寺といふ所にも、山わろ多しとそ、其形大なる猿のごとくにして、常に人のごとく立て歩行く、毛の色甚黑し、此寺などには毎度來りて食物を盜みくらふ、然れども鹽氣あるものを甚嫌へり、杣人などは山深く入りて、木の大なるを切り出す時に、峯を越へ谷をわたらざれば出しがたくて、出しなやめる時には、此山わろに握り飯をあだへて賴めば、いかなる大木といへ共、輕々と引かたげて、よく谷峯をこし、杣人のたすけとなる、人と同じく大木を運ぶ時に、必うしろの方に立て、人より先に立行事を嫌ふ、めしをあたへて是をつかへば、日々來り手傳ふ、先使終りて後に飯をあたふ、はじめに少々にても飯をあたふれば、飯を食し終りて逃去る、常には人の害をなす事なし、もし此方より是を打ち、或は殺んとおもへば、不思儀に祟をなし發狂し、或は大病に染み、或は其家俄に火もへ出など、種々の災害起りて、祈禱醫藥も及事なし、此ゆへに人皆大におそれうやまいて、手さす事なし、此もの只九州の邊境にのみ有りて、他國に有ることを聞かず、冬より春多く出るといふ、 冬は山にありて山操(わろ)といひ、夏は川に住みて川太郎といふと、或人の語りき、然れば川太郎と同物にして、所により時によりて、名の替れるものか、

〔北越雪譜〕

〈二編四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0492 異獸
魚沼郡堀内より十日町へ越る所七里あまり、村々はあれども山中の間道なり、さてある年の夏のはじめ、十日町のちゞみ問屋、ほりの内の問屋へ、白縮なにほどいそぎおくるべしといひこしけるゆゑ、その日の晝すぐる頃、竹助といふ剛夫をえらみ、荷物をおはせていだしたてけり、かくて途も稍々半にいたるころ、日ざしは七ツにちかし、竹助しばしとて、みちのかたはらの石に腰かけ、燒飯をくひゐたるに、谷間の根笹をおしわけて來る者あり、ちかくよりたるを見れば、猿に似て猿にもあらず(○○○○○○○○○○)、頭の毛長く脊にたれたるが半ばしろし(○○○○○○○○○○○○○○○○○)、丈は常並の人よりたかく(○○○○○○○○○○○)、顏は猿に似て赤からず(○○○○○○○○○○)、眼大にして光りあり(○○○○○○○○○)、竹助は心剛なる者ゆゑ、用心にさしたる山刀を提、よらば斬んと身がまへけるに、此ものはさる氣色もなく、竹助が石の上におきたる燒飯に指し、くれよと乞ふさまなり、竹助こゝろえて投與へければ、うれしげにくひけり、是にて竹助心をゆるし、又もあたへければ、ちかくよりてくひけり、竹助いふやう、我はほりの内より十日町へゆくものなり、あすはこゝをかへるべし、又やきめしをとらすべし、いそぎのつかひなればゆくぞとて、おろしおきたる荷物をせおはんとせしに、かのもの荷物をとりて、かる〴〵とかたにかけ、さきに立てゆく、竹助さてはやきめしの禮にわれをたすくるならんと、あとにつきてゆくに、かのものはかたにものなきがごとし、竹助は嶮岨の道もこれがためにやすく、およそ一里半あまりの山みちをこえて、池谷村ちかくにいたりし時、荷物をばおろし、山へかけのぼる、そのはやき事風の如くなりしと、竹助が十日町の問屋にてくはしく語りしとて、今にいひつたふ、是今より四五十年以前の事なり、その頃は山かせぎするもの、をり〳〵は此異獸を見たるものもありしとぞ、 前にいふ池谷村の者の話に、我れ十四五の時、村うちの娘に機の上手ありて、問屋より名をさして、ちゞみをあつらへられ、いまだ雪のきえのこりたる窻のもとに、機を織てゐたるに、窻の外に立たるをみれば、猿のやうにて顏赤からず(○○○○○○○○○○○)、かしらの毛長くたれて(○○○○○○○○○○)、人よりは大(○○○○○)なるが、さしのぞきけり、此時家内の者はみな山かせぎにいでゝ、むすめ獨りなれば、ことさらに惧れおどろき逃んとすれど、機にかゝりたれば、腰にまきつけたる物ありて、心にまかせず、とかくするうちかのもの立さりけり、やがてかまどのもとに立、しきりに飯櫃に指して欲きさまなり、娘此異獸の事をかねて聞たるゆゑ、飯を握りて二ツ三ツあたへければ、うれしげに持さりけり、そのゝち家に人なき時は、をり〳〵來りて飯を乞ふゆゑ、後には馴ておそろしともおもはずくはせけり、

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0493 山女(ヤマヲンナ/○○) 野婆(ヤマウバ)〈事見事言要玄〉山姑(同)〈本草綱目、嶺南有物、一足反踵、手足皆三指、雄曰山丈、雌曰山姑、〉

〔和漢三才圖會〕

〈四十/寓類恠類〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0493 野女(やうば) 俗云山媪乎、蓋猩猩之類、
本綱、野女、日南國有之、狀白色、偏體無衣襦、黃髮推髻、裸形跣足、儼然若一媪也、皆牝無牡、上下山谷飛猱、自腰已下有皮、蓋膝群行覔夫、毎男子則必負去求合、嘗爲健夫殺死、以手護腰間、剖之得印、寸方瑩若蒼玉、有文類符篆也、〈雄鼠印有文、如符篆、治鳥腋下有鏡印、則野婆之印篆亦非異、〉

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0493 狌々
附錄、野女、 山ムバ 深山ニ居テ婦人形、稀ニハ本邦ニモアルカ、謠ニモ山姥アリ、一種ヲトコモアリト云、山ヲトコト云、狒々ノ條下ニ出タリ、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈三十五/寓類怪類〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0493 猩猩〈○中略〉
附錄、野女、 ヤマウバ、深山ニ有リテ、婦女ノ形ナルモノナリ、廣西通志ニ、力敵數壯夫、喜盜人子女、然性多疑畏、人家知竊則移鄰里、大驚不口、往往不罵者之衆則挾以還之ト云フ、

〔醍醐隨筆〕

〈上末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0493 一土佐の國の人奧山に入て、鹿をとらんとて鹿笛(しかぶえ)を吹ぬれば、俄に山なりさはぎ て風の吹ごとく、一筋のほど茅葦左右へ分れ、何者やらん來ると見えし、樹間にかくれ居て鐵炮さしあげ待ぬるに、むかふのふし木の上へ頭ばかりをさしあげたる、色白く鬢髮うるはしく(○○○○○○○○○○)、眉目はれやかにてかほよき女(○○○○○○○○○○○○○)也けり、されどつねの女の頭三つ四つ合たるほど大き(○○○○○○○○○○○○○○○○○)なるが、頭より下は出さゞれば見へず、かぎりなくすさまじかりける、あはや鐵炮はなたんと思ひけれど、もしうちはづしたらんは大事なるべしと、やはらうごかざれば、かのくびしばし見まはして引こみぬるに、又風吹ごとく茅(ちかや)左右へわかれて、本の路筋にかへりぬと見ゆ、我もあとをさへ見ずにげたりけると語りぬ、山海經にいひけん鴞(がう)、馬腸、奢尸(しやし)、燭陰(しよくいん)のたぐひのものにやあらん、ふかき山にはつねならぬ禽獸も多かめれ、

〔百練抄〕

〈七/近衝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0494 久安六年七月、近日京土訛言、近江美濃兩國、山内有奇獸、夜陰群入村間、食損兒童、俗號之猫狗(○○)云々、此事見小野右府記、俗言不違也、

〔駿國雜志〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0494 怪獸
有渡郡小鹿村の山中にあり、里人云、當村小鹿山に一怪獸を生ず、其面猫の如く(○○○○○)、手足は猿に似たり(○○○○○○○○)、其たけ犬に等く(○○○○○○○)、兩の翼三尺餘(○○○○○○)也、文政九年二月七日、深山の積雪に堪ず、村中に出て、農夫某に捕らる云々、是何と云獸にゃ、未其名を知る者なし、

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0494 獏(○) 和ナシ
中華ニモ稀ニアルト云、此骨至テ硬シ、故ニ佛舍利ニ僞スルト云、集解ニモ出、本邦ニハ惡夢ヲ食ト云、節分ノ寶船ニ獏ト云字ヲ書テ惡夢ヲ食ムト和俗ノ説也、大和本草ニモ見ヘタリ、中華ノ書ニハ未見也、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈三十四/獸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0494 貘 一名貘象〈典籍便覽〉 靑豹〈通雅〉 黃熊〈唐類函〉
和產ナシ、唐山ニモ稀ナリ、爾雅ニ貘白豹ト云ハ豹ノ白質ナルモノニシテ此條ト別ナリ、骨至テ 堅キ者故、此骨ヲ以佛舍利ニ僞ルト云、本邦ニテハ惡夢ヲ食フト云傳ヘテ、節分ノ寶舟ノ畫ノ帆ニ貘ノ字ヲ書タルヲ枕下ニ襯ス、此事唐山ニハ無キ事ナリ、然ドモ交趾燒ニ貘枕アリ、虎頭ヲ用テ枕トスルハ和漢共ニアリ、
○按ズルニ、獏ノ事ハ、尚ホ歲時部年始雜載篇初夢條ヲ參看スベシ、

〔源平盛衰記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0495 三位入道藝等事
後白河院第一御子ヲバ、二條院トゾ申ケル、〈○中略〉平治二年ノ夏ノ始ヨリ御不豫ノ御事マシ〳〵ケリ、〈○中略〉東三條ノ森ヨリ黑雲一聚立來、南殿ノ上ニ引覆、鵼ト云鳥ノ音ヲ鳴時ニ、必振ヒタマギラセ給ヒケリ、〈○中略〉德大寺左大臣公能ノ被申ケルハ、目ニ不見物ナラバ可祈祭、是ハ目ノ當リ也弓ノ上手ヲ以テ射サスベキ歟、〈○中略〉關白殿ノ仰ニ、賴光ガ末葉、賴政器量ノ仁ニ當レリトテ、源兵庫頭ヲ召レケリ、〈○中略〉賴政水破ト云矢ヲ取テ番テ、雲ノ眞中ヲ志テ、能引テ兵ト放ツ、〈○中略〉其時ニ兵庫頭源賴政、變化ノ者仕ツタリヤ〳〵ト叫ケレバ、唱〈○渡邊〉ツト寄テ得タリヤ〳〵トテ懷タリ、〈○中略〉早太寄テ繩ヲ付テ庭上ニ引スヘタリ、叡覽アルニクセ物也、頭ハ猿(○○○)、背ハ虎(○○○)、尾ハ狐(○○○)、足ハ狸(○○○)、音ハ鵼也(○○○○)、實ニ希代ノクセ物也、苟ニ禽獸モ加樣ノ德ヲ以テ、奉君事ノ有ケル事ヨ、不思議也トゾ仰ケル、〈○中略〉彼ノ變化ノ物ヲバ、淸水寺ノ岡ニ被埋ニケリ、

〔閑窻自語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0495 和泉海獸語
和泉にすみし人のかたりけるは、かいづかの邊りの海邊には、とき〴〵海坊主(○○○)とかやいへるものいそちかくよる事ありて、家ごとに子どもをいださず、もしあやまちていづれば、とりいひておそる事とそ、兩三日ばかりして沖のかたにかへる、そのかたち人に似て、大きに總身くろくうるしの如し、半身海上にあらはれたちてゆく、かたりしものうしろより見けるゆゑ、かほをばしらずとぞ、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:32