馬/名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 馬(○)〈駒等附〉 四聲字苑云、馬〈麻之上聲、和名無萬、〉南方火畜也、爾雅注云、牝馬(○○)、一名騲馬、〈上音草、和名米萬、〉牡馬(○○)、一名http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00854.gif 馬、〈上音父、和名乎萬、〉王仁煦曰、駒(○)〈音倶、和名古萬、〉馬子也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 晉書索紞傳云、馬火也、説文、馬怒也、武也、象馬頭髦尾四足之形、〈○中略〉按釋畜馬屬云、牡曰隲、郭注、今江東呼http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00854.gifhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01252.gif 、釋畜又云、牝曰騇、郭注、草馬名、此所引蓋舊注也、玉篇、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00854.gif 、牡馬也、騲、牝馬也、〈○中略〉王仁煦增加切韻字、見廣韻卷首、現在書目錄云、切韻五卷、王仁煦撰、今無傳本、説文、馬二歲曰駒、卽此義、

〔段注説文解字〕

〈十上/馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0077 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00855.gif 怒也、武也、〈以疊韵訓、亦門聞也、戸護也、之例也、釋名曰、大司馬馬武也、大http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00773.gif 武事也、〉象馬頭髦尾四足之形、〈古籀文皆以彡象髦石建奏事事下建讀之曰誤書、馬字與尾當五、今乃四不足、一上譴死矣、莫下切、古音在五部、○中略〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00855.gif 馬一歲也、从馬一絆其足、〈絆其足三字蓋衍文、祇當馬一而已、一説馵下云馬二其足、此當一、其足絆字賸、韵書字書皆作䭴、疑非是、不十也、〉讀若弦〈小徐作紘〉一曰若環、〈戸關切、十四部、按今玉篇有萌一切、集韵類篇收入耕韵、皆讀若紘之本也、集韵類篇又收入咍韵詳、又按、紘蓋譌字弦是也、釋嘼元駒音義曰、元字林作䮄、音同、廣韵䮄胡涓切、馬一歲、語必本諸字林、蓋字林始變馬爲䮄也、〉http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00856.gif 馬二歲曰駒、三歲曰駣、〈周禮、庾人敎駣攻一レ駒、鄭司農云、馬三歲曰駣、二歲曰駒、月令曰、犧牲駒犢擧書其數、犢爲牛子、則駒馬子也、小雅老馬反爲駒、言已老矣、而孩童慢之也、按詩駒四見、而漢廣株林皇皇者華、於義皆當驕、乃與毛傳説文合、不駒、依韵讀之、則又當駒、乃入韵不驕、深思其故、蓋角弓用字之本義、南有喬木株林、皇皇者華、則皆讀者求其韵驕爲一レ駒也、駒未車、故三詩斷非駒本義、駣字旣見周禮、何以連類言之、不錄此篆也、曰疑周禮故書本作兆、或借羊部䍮之、許解中駣字蓋非許君原文、後人依周禮之耳、不玉篇擅增也、〉从馬句聲、〈擧朱切、古音在四部、〉

〔下學集〕

〈上/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 胡馬(ウマ)〈二字共也、然日本人呼馬之一字、曰胡馬也、似其理歟、馬多出於北胡、故曰胡馬也、句云、胡馬嘶北風、越鳥巢南枝、〉

〔圓珠庵雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 駒は小馬なれど、唯うまと同じくよめり、〈○中略〉
馬、〈ウマ〉美、うまの義に名付くるか日本紀に、よも人をうま人といへるにて思ふべし、涅槃經には、馬は世の財なる故に、其肉をくはずと見えたり、
眞淵云、牛も馬につぎて人の用をなせるを、から人は好みてくへば、財とてくはぬにはあらで、 味のわろければ成るべし、馬はけものゝ中によき物にて、うまけものといふか、いにしへは何 にてもよき事をうましといへり、うま人といふもよき人てふ意なり、 涅槃經云、或言、如來不比丘食十種肉、何等爲十、人、蛇、象、馬、驢、狗、獅子、猪、狐、獮猴、其餘悉聽、 史記秦本紀云、初繆公亡善馬、岐下野人共得而食之者三百人、吏遂得欲之、繆公曰、君子不畜 產上レ人、吾聞、食善馬肉酒傷人、乃皆賜酒而赦之云々、この事韓詩外傳、呂氏春秋、説苑等にも みえたり、

〔日本釋名〕

〈中/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 馬 まといはんとて、むの字を付たり、むはまの發語也、まは馬の字の音也、音を以て訓とせし例おほし、

〔東雅〕

〈十八/畜獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0078 馬〈ムマ〉 保食神殺されし後に、馬牛と化れる事、舊事紀に見えたり、其後大己貴神の倭國に上り給ひし時、御馬の鞍に手をかけられしなど、古事記に見えしは、此時旣に馬に駕する事ありけるなり、又舊事紀に、素戔烏神、天斑駒を逆剝にし給ひしと見えしかば、駒を呼びてコマといふことも、其代に聞えしなり、古事記には天斑馬としるしたれば、かよはしては馬とも駒とも云ひしなるべし、ムマといふ義詳ならず、コマは卽小馬也、〈爾雅註にも、駒は小馬也と見ゆ、〉
萬葉集抄に、昔百濟國より馬を此國へ奉りたりけるに、いくばくもなかりければ、めづらしき 獸にして、ウマをば其時にはイバフミヽノモノとそ云ひける、それを秦氏の先祖よく乘れり けり、さて帝これをいみじき者にせさせ給ひて、ウマと云はんといふ事定り、始ていこま山といふ山に放ちて、飼はしめ給ひけりといふ事見えたり、もし此説の如くならんには、我國の馬といふ者は、人代に及びて百濟より奉りしに始りたるなり、疑しき事なれど、然るべき人のしるせしところなれば、必うけ傳へし所ありぬべし、或は我國の初よりありつるものは、たとへば今の土佐駒などいふ者の如くに、其形も小しきなりしに、今の如くなる物の出來し事は、百濟より其國の馬を奉りしに始れりしにや、さらばウマとは大馬の謂にして、コマは小馬の謂にやあるならむ、太古の時には、獸をば毛麁物(ケノアラモノ)、毛柔物(ケノニゴモノ)など云ひしと、舊事古事等の書にも見えたり、馬の如きをも、ムマといふ事はなくて、外に呼びにし名もありしを、後の代にムマといふ事になりて、もとより此國にあるものをば、コマなど云ひしほどに、馬とも駒とも相通はしていふ俗、ありしも知るべからず、國史には、應神天皇の御代に、百濟王遣阿直岐、貢良馬二疋、卽養輕坂上厩、因以阿直岐、令掌飼、故號其養馬之處、日厩坂也、と見えけり、いみじきものにせさせ給ひて、ウマといはんといふ事、定まれりといふ事に依らば、古語に凡そ譽めて云ひぬる事には、ウマと云ふ事ありけり、可美葦牙彥舅(ウマシアシカビヒコヂ)神、可美少男(ウマシヲトコ)、可美少女(ウマシヲトメ)などいふが如き是也、馬の如きも其良材をほめ給ひて、ウマとは名づけられしなるべし、或はまた百濟王貢上したるは、世のつねの物にもあらず、胡地に出でし所の者なりしかば、ウマと名づけられしもまた知るべからず、胡馬の字、漢音をもて呼びぬれば、ウマといふべし、
むかし西洋の人の、其國の馬を畫がきしものども見るに、そのたけは高けれど、其形にも似ず、うで爪のふとくして、心得ぬ事に思ひしほどに、喎蘭陀人に其事を問ひしに、あはれ此國の馬ほどめでたきものはあらず、本國の人ゆきかふ所、西洋の地方、凡百二十餘國のうちに、巴爾斯亞(ハルシア)の國の產のみ、此國の物には似たる所もあるなり、其の餘は悉く皆畫がきし者の如しと云 ひけり、其後慶長中に、暹國(シヤム)の王、毎年使して我國の馬賜らむ事を、請ひし書數通を得しに及び て、矚蘭陀人の言、誣ひざりし事は知りたりき、凡は世のつねに見もし聞きもしつる事は、その 常に習ひて、さのみには覺えず、又近きをいとひて、遠きを貴ぶ事も人の心なり、こゝろすべき 事也と思へば、こゝに附し註しぬ、

〔物類稱呼〕

〈二/動物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 馬むま 下總國にてはまあとよぶ、同國猨嶋郡及び下野國にてはまあめといふ、其外此國にて蚊め、とんぼめなどゝ、下にめの字を付てよぶ、〈○中略〉牡馬を伊勢國にてまる馬といふ、牝馬を奧州南部にてかけだといふ、西國及四國又は上總にてだまとも、だ馬ともいふ、駄は和名におひむま、今いふ小荷駄なり、又諸國にてざふやくと云、其意は、軍馬に用ひず、もろ〳〵の雜役につかふ故也、

〔本草綱目譯義〕

〈五十/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 馬 ムマ ミヽノケモノ〈古名〉 イナヲヽセドリ〈古歌〉 マア〈下總〉 マアメ〈下野〉 雄(○)ヲマルムマ〈イセ〉 雌(○)ヲカケタ〈南部〉 ダマ〈西國四國〉 ダンマゾウヤク〈雲州、京ニ、メムマツヲカハズ、○中略〉本條一名君耳〈法言〉 三公〈甘朱〉 四足仙人〈同〉 赭啞兒〈同〉 爺屈良〈同〉 木http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00857.gif 〈同〉 聾虫〈同〉 雌馬〈同〉 驒馬〈卑雅〉 小馬〈同〉 騍〈訓蒙〉

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 片御手者、繫御馬之鞍、片御足踏入其御鐙而歌曰、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 馬は、和名抄には無萬(ムマ)とあれど、書紀雄略卷歌にも、宇麼(ウマ)とありて、古言は皆然り、但和名抄などにも、牡馬を手萬(ヲマ)、牝馬を米萬(メマ)、駒を古萬(コマ)とある例の如く、御馬は美馬(ミマ)と訓べし、萬葉五〈二十五丁〉に、美麻知可豆加婆(ミマチカヅカバ)〈御馬近者(チカヅカバ)なり〉とあり、

〔塵袋〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0080 一牝(ヒ)馬ヲ駄ト申スハ、駄ヲヤガテメムマトヨム歟、 メムマトハ騲、〈日本紀ニハ、草馬ノ二字ヲ、メムマトヨメリ、〉トモ騇トモカク、サレドモ駄ノ字ヲバオホストヨム、雜物ヲセナカニオホスルナリ、サレバ牡馬ナリトモ物ヲオホスルホドノ馬ヲバ、駄トモナドカ云ハザラム、ナレドモ、カヤウノ事ハ、イヒナ ラハシタルニヨリテ、人ノ心エヤスキヤウニ、多分ニツキテ云フ歟、

〔下學集〕

〈上/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 龍蹄(テイ)〈逸馬異名也〉 追風(ヲイカゼ)〈逸馬異名〉齧膝(ケツシツ) 驊http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif (クワリウ) 騏驥(キキ)〈以上皆逸馬也〉駕駘(トタイ/アシキムマ) 欵段(クワンタン/ヤセムマ)〈二共凡馬也〉

〔塵袋〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 一駿足トハ牛馬ノハヤキヲバ共ニ云フコト歟 牛馬トモニ、ハヤキヲバ駿足トハ云フメリ、但シ駿足トハ馬ノ異名云云、ムネトハ馬ヲ云ベキ事歟、

〔壒囊抄〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 凡テ馬ノ異名多侍リ 龍蹄(リウテイ)、龍駒(リウク)、駿足(ジユンソク)ナンド常事也、淨雲、飛兎(ヒト)、蒼龍(セウリウ)、紫鷰(シエン)、絶塵(セツチン)ナンド云、皆是駿馬ノ名也、駑駘(トタイ)、跛驢(ハロ)ナンド云ハ駑馬也、

〔伊呂波字類抄〕

〈波/疊字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 沛艾〈ハイカイ馬イサム也〉

〔康熙字典〕

〈申集上/艸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 艾〈(中略)張衡東京賦齊騰驤而肺艾、注、肺艾、作姿容之㒵也、〉

〔源平盛衰記〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 宗盛補大臣幷拜賀事
頭右大辨親宗朝臣吉書ヲ下シテ次第ノ事ヲ被宣下ケリ、内大臣被供奉タリケルニ、馬肺艾(○○)シテ春日ノ大宮ニテ、高クアガリテ走リ廻リケレバ、路上ニ下リ立レケリ、見物ノ貴賤、異口同音ニ稱美シケリ、

〔尺素往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 祇園御靈會、〈○中略〉晩頭白河鉾、可入洛之由風聞候、〈○中略〉仍爲其警固、侍所之勢、就出河原邊、同御進發之旨傳承候之間、蟷蜋(○○)二十疋牽進之候、

〔安齋隨筆〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 蟷蜋廿疋 一條兼良公の尺素往來に、蟷蜋廿疋進之候とあり、是は馬を卑下してカマキリの如くやせたる馬と云事也、此外の書にも瘦馬の事を蟷螂と書たるあり、俗に瘦たる人を見てタウロギの如くやせたりと云は、蟷螂の云ひ誤也、カウロギと云虫もあるゆへ、紛れて云誤れる也、〈ヤセ馬ヲ蟷蜋と云事、故事あるか追て尋ぬべし、〉

馬性質

〔新撰字鏡〕

〈馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 驁(○)䮯〈同、五高反、平、駿馬也、止支馬、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0081 駿馬(○○) 穆天子云、駿〈音俊、漢語抄云、土岐宇萬、日本紀私記云、須久禮太留宇萬、〉馬之美稱也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 原書卷一云、天子之駿、郭注云、駿者馬之美稱、此所引卽是、説文、駿、馬之良材者、毛詩長發箋云、駿之言俊也、

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 九年七月壬辰朔、河内國言、〈○中略〉伯孫得駿(トキムマ)甚歡、驟而入厩〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈十九/欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 七年七月、倭國今來郡言、於五年春、川原民直宮〈宮名〉登樓聘望、乃見良駒(○○)、〈紀伊國漁者負贄草馬之子也〉睨影高鳴、輕超母脊、就而買取、襲養兼年、及壯鴻驚龍翥、別輩越群、服御隨心、馳驟合度、超渡大内丘之壑十八丈焉、川原民直宮檜隈邑人也、

〔倭訓栞〕

〈前編八/久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 くはし〈○中略〉 美女をくはしめ、よき馬をくはしま(○○○○)といふは細字をよめり、

〔令義解〕

〈八/厩牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 凡厩細馬(○○)一疋、中馬(○○)二疋駑馬(○○)三疋、〈謂細馬者上馬也、駕馬者下馬也、○下略〉

〔儀式〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 五月五日節儀
六日儀
其日早旦御武德殿、警蹕如常、〈○中略〉先是左右馬寮各擇細馬十疋

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 駑馬(○○)〈駄附〉 唐韻云、駘〈音臺〉駑馬也、野王曰、駑、〈音奴、漢語抄云、於曾岐宇萬、〉馬之最下也、郭知玄曰、駄〈唐佐反〉負物馬也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 廣韻同、按廣雅、駑、駘也、玉篇、駘、駑也、孫氏蓋依之、今本玉篇馬部、作駑最下馬也、慧琳音義引作六種馬中最下者也、〈○中略〉那波本駄作䭾、與廣韻合、然玉篇作馱、説文新附字亦作馱、云从馬大聲、則作馱、亦後俗增畫、非犬也、廣本者作馬、玉篇、馱、馬負貌、廣韻、䭾負䭾、按説文無馱字、古以佗字之、漢書趙充國傳、以一馬自佗負、顏師古曰、凡以畜產負物者、皆爲佗、方言、凡以驢馬馲駝物者、謂之負他

〔乘騎要法〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0082 䮭馬(○○)之事
䮭ノ音ハ覓、馬ノ惡多キ也、所謂癖馬(○○)是也、夫馬ハ性最モ直也、故ニ其癖アルガ如キ、大卒馬ノ性ニ アラズ、或ハ乘騎度ニ合ハズ、牽行節ニ中ラザルガ故ニ、終ニ邪ヲ生ズルニ至ル、愼ズンバアルべカラズ、抑癖アル馬ニ騎ニ、其敎化寬和シテ、善剛ニ、柔順ニシテ善實アルニアラザレバ、衆癖終ニ治スコト能ハズ、蓋馬皆必ズ性ニ邪曲ナキニシモアラズ、適得テ邪アルガ如キモ、馭人心正ク氣一ニシテ妄ニ之ニ悖逆セズ、善其中ヲ得テ以テ御育スルトキハ、則其邪發スルコト無シテ、終ニ馬蹄ノ能ヲ失セズ、且夫衆馬ニ騎ニ、先癖ノ萌生スルヲ察スルニアラザレバ、馭ノ道ニ入コト能ハズ、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 駻馬(○○) 孫愐曰、駻〈音旱、今按、此間云、波禰無萬、〉突惡馬也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 廣韻引説文曰、馬突也、玉篇亦云、馬突也、蓋謂馬之突也、按韓非子五蠧篇、無轡策駻馬、淮南子汜論訓、御馯馬、注馯馬、突馬也、駻馯同字、然則駻馬二字訓突馬、單駻字不突馬也、此所引恐有誤、

〔今昔物語〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 内麻呂大臣乘惡馬語第四
今昔、内麻呂ノ右大臣ト申ケル人ハ、〈○中略〉而ルニ此ノ大臣年未ダ若ク御ケル時ニ、他戸ノ宮ト申ス太子御ケリ、白壁ノ天皇ノ御子也、其ノ人心猛クシテ人ニ被恐テナム御ケル、其ノ時ニ一ノ惡馬(○○)有ケリ、人ノ乘ラムト爲ル時ニ必ズ踏咋ケリ、

〔古事談〕

〈六/亭宅諸道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 宇治殿〈○藤原賴通〉ワカク座ケル時、花形ト云揚馬(○○)ヲタテマツリケルヲ、兼時ト云ケル御隨身奉見テ、此馬腹立候ニタリ、トクオリサセオハシマセト申ケレバ、下サセ給テ他人ヲ乘テ御覽ジケレバ、御馬臥マロビ、乘人ヲクヒナドシケレバ、御堂召兼時テ纏頭云々、

〔倭訓栞〕

〈中編一/阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 あげむま 東鑑に馬長をよめり、又揚馬とも馬上とも見ゆ、神社に奉る馬なるべし、

〔續古事談〕

〈五/諸道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0083 右大將通房、春日使セラレケルニ、カタノ大將ニテ、大二條殿、〈○藤原敎通〉イデタチノ所 へ、オハシタリケルニ、宇治殿〈○藤原賴通〉ヒキイデ物ノ馬二匹タテマツラレケル、出羽ノ一栗毛、後ノ糟毛也、コノ糟毛ハ、高名ノアガリ馬(○○○○)ナリ、ノリタマル人ナシ、〈○下略〉

〔乘騎要法〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 於路志之馬(○○○○○)之事
凡於路志ノ馬ニ騎ニ、轡ト鞍鐙ト善一合シテ、而テ鞍中寬順ニ鐙中實アルヲ以テ主トス、餘ハ已ニ上ニ見ユ、
或問、於路志ト云ニ故アリヤ、曰按ズルニ、於路志一ニ下嵐ニ作リ、一ニ下風ニ作ル、〈○中略〉本朝馬 ノ行歩ヲ相シテ於路志ト謂者ハ、其疾ニ因テ名ヅクル者ニシテ、則山下風ニ比スル者也、

〔源平盛衰記〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 源氏落燧城
加賀國ノ住人、林六郎光明ガ嫡子ニ、今城寺太郎光平ト云者アリ、〈○中略〉八寸ニ餘リタル大栗毛ト云馬ニ、白覆輪ノ鞍置テゾ乘タリケル、此馬キハメテ口强クシテ(○○○○○)、國中ニハ乘隨ヘル者ナシ、林六郎光明ガ郎等ニ、六動太郎光景ト云者計ゾ乘從ヘケル、今度モ光景ヲノスベカリケルヲ、打出ントテノ時、光平父ニ逢フテ、今度ハ大栗毛ニ乘テ軍ニ出ント云フ、父光明此言ヲ聞テ、弓取ハ口ノ强キ馬(○○○○○)ニ乘テハ、必犬死スル事アリ、不有事也、光景ヲ乘セヨト云ケレ共、光平ハ弓矢取ル身ハ軍場コソ晴ニテ候へ、此日比勞リ飼置キテ、此大事ニノラデハイツカ乘ルベキトテ、父ガ諫ニモ隨ハズ、〈○下略〉

馬形體

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 廻毛(○○) 爾雅注云、廻毛、一云旋毛、〈和名都無之〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084 釋畜、回毛在膺宜乘、郭注、伯樂相馬法、旋毛在腹下乳者、千里馬、此所引蓋舊注也、

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0084
集解〈○中略〉旋毛者古稱都無之、今俗稱都之、志茂久都之、頰車(ツラカマチ)乃都之、波世宇毛乃都之、鐙乃端乃都之、 初地入乃都之、又稱搔分乃都之、此皆靑毛之吉旋毛也、見上乃都之、冠乃緖留都之、前垂繫乃都之、波斬(ナミキリ)乃都之、或稱波分乃都之、知布佐乃都之或稱章門乃都之、此皆黑毛之吉旋毛也、涙乃都之、布倍加羅美乃都之、前膊外都之、項下都之、俗稱小松原之都之、尾引乃都之、肘後腹下乃都之、此皆鹿毛之凶旋毛也、腮上旋毛、俗稱眥下都之、無那加幾豆久之乃都之、或曰喪門、加美那加都之一涙乃都之、或稱笠端都之、腋下都之、志利都之、俗稱七喪乃都之、此皆赤毛雲雀之凶旋毛也、耳根都之、轡加羅美都之、屍於仁那布都之、或稱閉門乃都之、切腹乃都之、矢負乃都之、猿登乃都之、此皆宿(サビ)月毛之旋毛也、以上駁馬、旋毛之吉凶者、華和倶今古忌之、不犯侮也、近代阿蘭陀獻有遍體黑白虎斑之馬、命馬職而牧養之、馬職乘之載之、倶不尋常之馬、惟稱美色爾、或曰騾之族也、然騾者、牡驢交馬而生、大于驢、健于馬、其力在腰、其後有鎖骨、不開、故不孳乳也、源順曰、驢父馬母所生也、又有駃騠http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00859.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00860.gifhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00861.gif 距驢、通呼爲騾矣、中華儘有之、本邦未之、

〔安齋隨筆〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 一馬旋毛吉凶、碧雲瑕、聞見後錄並曰、碧雲瑕厩馬也、莊憲太后臨朝以賜http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif、王惡其旋毛、太后知之曰、旋毛能害人耶、吾不信留備上聞、爲御馬第一、〈獸經曰、旋毛在胸者名宜乘、〉とあり、婦人だに志あるは用ず、况丈夫として彼にしかざらんや、〈俗説辨附編三十六、井澤長秀説、〉

〔常山紀談〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 黑田孝隆入道如水、關ケ原の亂の時、九州を打平げられしに、乘られし馬は、二寸計の黑き馬なるが、百會に手負といふ旋毛あり、如水此馬を指さして、われ此凶相をしらざるに非ざれども、人は万物の靈なりと聞きたり、人に勝べき万物なし、吾不道ならば凶相これより大なるはなし、此馬の毛きずにかゝはらずといはれしとぞ、

〔新撰字鏡〕

〈髟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 鬣(○)http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00862.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00863.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00864.gif 〈四形同、力葉反、項也、帚也、馬頸上毛也、立加美、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0085 鬣〈髦附〉 唐韻云、鬐、〈音耆、今按、鬐鬣、俗云宇奈加美、又魚之鬐鬣見魚體、〉馬頂上長毛也、文選云、軍馬弭髦而仰秣、〈髦音毛、師説、多知賀美、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 説文、鬣、髮鬣鬣也、又有http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00865.gif、云毛http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00865.gif 也、象髮在囟上、及髦髮鬣鬣之形、按http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00865.gif 鬣古今字、皆謂人髮也、以爲馬鬣者轉注也、廣韻、長毛二字作鬐、按説文、無鬐字、疑古只用耆字、所引〈○文選〉吳都賦文、説文、髦髮也、玄應音義、髮中豪者也、按髦亦謂人髮、以爲馬鬣字者轉注也、醫心方、鬐同訓、新撰字鏡、鬣、立加美、今俗呼多天賀美

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 耳筒(○○) 李緖相馬經云、耳筒、又云耳管、〈○中略〉
鼻梁(○○) 辨色立成云、鼻梁、〈俗云波奈美禰〉
食糟(○○) 李緖相馬經云、食槽、欲寬、〈食槽、和名宇末乃岐保禰、○中略〉
排鞍肉(○○○) 李緖相馬經云、排鞍肉成、成猶平也、〈排鞍肉、俗云久良於岐度古路、〉
脊梁(○○) 辨色立成云、脊梁、〈世都賀、俗云世美禰、〉
承鐙肉(○○○) 李緖相馬經云、承鐙肉欲垂、〈承鐙肉、俗云阿布美須利、〉
三封(○○) 李緖曰、三封欲齊如一レ一、
汗溝(○○) 李緖曰、汗溝欲深、〈汗溝、俗云阿世美蘇、〉
歷草(○○) 辨色立成云、歷草、〈曾保岐、俗云曾布岐、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 歷草未詳、按平家物語瀨尾最後條、藤戸條、及太平記、多云馬草和岐、指胷前可野草之處、所謂歷草或是、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 尾株(○○) 李緖曰、尾株欲麁、麁猶大也、辨色立成云、尾柱一云尾根、〈俗云乎保禰〉
烏頭(○○) 李緖曰、烏頭欲擧、〈辨色立成云、曲肘、俗云久波由岐、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 齊民要術云、烏頭欲高、注云、烏頭、後足外節、平家物語逆櫓條、有馬乃加良須加之良之名、今依之、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0086 夜眼(○○) 辨色立成云、夜眼、〈與米、漢語抄説同、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 齊民要術云、前後目、注云、夜眼、金匱要略馬脚無夜眼者不之、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 蹄(○)〈護杵附〉 玉篇云、蹄〈徒奚反、訓比豆米、辨色立成云、護杵和名上同、〉牛馬蹄也、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 糞門(○○)〈糞附〉 伯樂曰、糞門、〈今按、謂http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00866.gif 也、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00866.gif 音禿、見形體部、〉李緖曰、糞欲八方
陰脉(○○) 伯樂相馬經云、陰脉、〈俗云麻良佐夜〉

〔圓流騎馬法〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0087 馬體之次第
一耳たち天をさすが吉 一耳間ちかく付くが吉 一耳先とがりたるが吉 一耳の根ふときが吉 一耳ちいさきが吉 一額の辻あがりたるが吉 一額ひしげたるがよし 一面に肉なきがよし 一下口びる三分長きがよし 一眼見ひらきたるがよし
一眼の下こけたるがよし 一眼の内、其馬の毛色なるが吉 一眼の下骨たかく、竹をわりて當たるやう成、 一大笹の事 一小笹の事 一鼠眼の事 一眼張、上は弓のごとく曲、下はすぐなり、 一眼三角なるがよし 一鼻の穴ひろきがよし 一息のいかしの事 一ふきあかしあかくみゆるがよし 一かうぎわの髮うすきがよし 一首長きがよし 一ほくと折たるがよし 一平首、弓を張たるやう成がよし、 一ゑり合廣きがよし 一かうぎは一重なるがよし 一首立て强きがよし 一三ケ月骨さがりたるがよし 一かうぎはうすくなへざるがよし 一肩骨はゞ廣成がよし 一肩二ツの骨、物をあてたるやう成がよし、 一夜目のふし、ふとく肉なきがよし、

〔都會節用百家通〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0088 馬形之名所(はぎやうのなどころ)
尾本(びわん)汗溝(あせみぞ)三頭(さんづ)百会(ひゃくゑ)折骨(おりほね)腰(こし)脊梁(せきりょう)鬛(たてがみ)公松原(こうまつばら)馬膚の方ハ(うまかた)障泥摺(あおりずり)伏兔(ふくと)山間(さんかん)耳箇(みこ)琵琶股(びわまた)鏡臺骨(きょうだいぼね)肩(かた)臆胸(おくむら)平頸(ひらくび)肮(ふへ)羊鬚龍(やうしゅりゅう)の毛(け)陰脉(いんみゃく)蹄(ひづめ)四足ともに下腹(したわら)承鐙肉(あぶみずり)助骨(たすけぼね)實脉(じつみゃく)夜眼(やがん)胸先(むなさき)頬骨(きょうこつ)肝骨(かんこつ)裂目(れつもく)吹嵐(ふきあらし)鼻梁(びらゆう)三髙(さんこう)顔骨(がんこつ) ○按ズルニ、此圖ニ、耳箇トアルハ、耳筒ノ誤ニシテ、而シテ伊勢家所傳馬書ニハ山間ヲ兩耳ノ 間ト爲セリ、

〔今川大雙紙〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 馬に付て式法之事
一馬上の人に鞭渡次第、鞭を右に持かたぬるやうにして、左の方の七寸を左の手に而取り、天松原(○○○)のとをりをさしこし渡す也、

〔一騎前意得〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 長乘樣第二
艫足ツク内ハタチカヽル故、鞍ニタマリ難シ、小松原(○○○)ヲ持テ水ヘオシコメバ、馬ソクキリオヨギ出ス、

〔平家物語〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 橋合戰の事
あしかゞ大音じやうをあげて、よはき馬をばしたてに立よ、つよき馬をば上手になせ、〈○中略〉水しとまば、三頭(○○)の上にのりかゝれ、〈○下略〉

〔太平記〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 住吉合戰事
山名伊豆守ハ我身深手ヲ負ノミナラズ、馬ノ三頭(ヅ)ヲ二太刀切ラレテ、馬ハ弱リヌ、

〔太平記〕

〈二十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 小淸水合戰事附瑞夢事
河津左衞門〈○中略〉敵ノ群リタル中へ、會尺モナク懸入ント、一段高キ岸ノ上ヘ懸ケル處ニ、十方ヨリ鏃ヲ汰テ射ケル矢ニ、馬ノ平頸草ワキ(○○○○○)、弓手ノ小ガイナ(○○○○○○○)、右ノ膝口(○○○○)、四所マデ、箆深ニ射ラレテ、馬ハ小ヒザヲ折テドウト臥ス、

馬毛色

〔尺素往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 凡葦毛(○○)、靑雲雀毛(○○○○)者木性之馬、鹿毛(○○)、栗毛(○○)者火性之馬、糟毛(○○)、駮(○)者土性之馬、佐目(○○)、鴾毛(○○)、皆色(○○)者金性之馬、黑毛(○○)、瓦毛(○○)者水性之馬、倶自奧州閉伊郡到來、

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0089 馬 集解〈○中略〉凡本邦之士據生年五行之性、而卜馬之吉凶相刻、故馬分五行之毛色、或以駁毛旋毛亦論吉凶焉、今俗稱靑毛(○○)、水靑毛(○○○)、鼠毛(○○)、靑黑毛(○○○)、葦毛(○○)、白葦毛(○○○)、黑葦毛(○○○)、尾花毛(○○○)、連錢葦毛(○○○○)、以上九品者、木色也、靑雲雀毛(○○○○)、靑糟毛(○○○)、葦毛雲雀(○○○○)、山鳥葦毛(○○○○)、以上四品者、木中之土色也、赤毛(○○)今稱栗毛(○○)、柑子赤毛(○○○○)、今稱柑子栗毛(○○○○)、山鳥赤毛(○○○○)、今稱山鳥栗毛(○○○○)、白赤毛(○○○)今稱白栗毛(○○○)、鹿毛(○○)、黑鹿毛(○○○)、赤鹿毛(○○○)、白鹿毛(○○○)、古那久知鹿毛(○○○○○○)、栗毛(○○)古之紫馬(○○)、黑栗毛(○○○)、以上十一品者火色也、雲雀毛(○○○)、白雲雀毛(○○○○)、赤雲雀毛(○○○○)、赤糟毛(○○○)、虎鹿毛(○○○)、鹿毛雲雀(○○○○)、口黑鹿毛雲雀(○○○○○○)、鹿毛糟毛(○○○○)、栗毛雲雀(○○○○)、栗毛糟毛(○○○○)、以上十品者、火中之土色也、月毛(○○)或作鴾(ツキ)毛、紅梅月毛(○○○○)、佐比月毛(○○○○)、虎月毛(○○○)、唇黑(クチビロクロ/○○)月毛(/○○)、河原毛(○○○)、鴨河原毛(○○○○)、白河原毛(○○○○)、以上八品者金色也、虎河原毛(○○○○)、月毛雲雀(○○○○)、月毛糟毛(○○○○)、黃河原毛(○○○○)、河原糟毛(○○○○)、以上五品者、金中之土色也、墨之黑毛(○○○○)、黑雲雀糟毛(○○○○○)、水靑(○○)、駮馬(○○)、葦毛駮(○○○)、白赤駮(○○○)、片目駮(○○○)、以上七品者、水色也、雲雀駮(○○○)、河原毛駮(○○○○)、月毛駮(○○○)、以上三品者、水中之土色也、假使木性之人不土金之馬、火性之人不水金色之馬乎、然雖近世本邦之定法、而古法未之、紛擾急促戰場暗夜之際、或貧窮之士民不泥之、則復不信哉、若曰死生有一レ命、何據馬之吉凶、而好乘凶馬、則招災求害耳、駁者馬色不純而有白處之稱也、月題(ヒタヒ)流星、或稱尺馬、黑毛面顙白、鼻尖白、黑毛白鬣、腹白鹿毛、股白黑毛、利宇乃毛(リウノケ)、白(シロ)額、四足(ヨツ)白、三足(アシ)白、四蹄白、前右足白、前左脚白、後右足白、後左脚白、尾白、尾本白、肛門白、俗稱穴(ケツ)白、牛蒡馬或稱牛尾馬、以上皆駁也、耳白黑毛、口耳入佐久、仁志幾流佐久、白鬣耳腰白、頭白黑毛、啄白雲雀、黑鬣白河原毛、面白蹄黑月毛、左比腹白流佐久乃一白、膝下黑月毛、前足二白、後足二白、佐也駁背多於(サヤブチセダオ)、是悉駁馬之凶者也、

〔御法寶鑑〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0090 五性十毛之事
五性ハ木火土金水、十毛ハ駽驄驊駵騜驃騢駱驪http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00867.gif 也、其毛色ニ因テ五行ニ配ス、偶ニ從フ、詳ニ左ニ記ス、
駽 音ハ鋗、馬ノ淺驪ノ色、則今云靑毛是也、

音ハ聰、馬ノ靑白雜毛、則今云葦毛是也、
木ハ東方ニ位ス、其色靑シ、故ニ右二毛五行ニ於テ木ニ配ス、
或問、聰ヲ葦毛ト呼者ハ、則葦ノ色ニ因者乎、曰、驄ハ元義ヲ蔥ニ取ル、定幸ガ驪黃物色ノ圖説ニ 曰、驄今按ルニ、阿志計、爾雅翼ヲ引テ曰、蔥ハ本白シテ末靑色最美ナリ、馬ノ靑驪ヲ驄ト稱ルモ 亦義ヲ蔥ニ取ル、

音ハ華、馬ノ赤色、則今云栗毛是也、
或問、今世皆赤毛ノ馬ヲ栗毛ト云、蓋栗實ノ色ニ因者乎、曰、其來コト故(フルシ)ト雖、元是本朝ノ俗語、未 何ノ故ト云コトヲ知ズ、栗實ノ色彼馬ノ色ト大抵相類ス、恐ハ吾子ガ言ノ如ケン、義ニ於テ害 ナシ、官厩ニ於テモ赤毛ノ馬ヲ斥テ、皆之ヲ栗毛ト云、〈○中略〉

音ハ劉、赤身黑鬣尾ノ馬、則今云鹿毛是也、
火ハ南方ニ位ス、其色赤シ、故ニ右二毛五行ニ於テ火ニ配ス、
或問、鹿毛トハ鹿ノ毛色ニ因テ名ヅクル者乎、曰、吾子ガ言ノ如ケン、先師ノ説又此ノ如シ、直蕃 按ルニ、古來往々誤テ駵ヲ以テ土ニ配ス、舊本又然リ、蓋考ルニ、駵ニ未土色アルノ説ヲ見ズ、先 賢黑澤定幸ガ驪黃物色ノ圖説、及相驥鑑ノ補註ヲ閲ニ、皆駵ヲ以テ火ニ配ス、故ニ今之ヲ改ム、

音ハ黃、黃ニシテ、微キ白色雜ルヲ騜ト云、則今云雲雀毛是也、蓋今世、黃ニシテ諸色ヲ雜ル者ヲ斥 テ、通ジテ雲雀毛トス、其稱可也、
或問、雲雀毛トハ、本鶬鶊ノ色ニ因者乎、曰、恐クハ吾子ガ言ノ如ケン、余未詳ナラズ、曰、今世黃ニ シテ諸色ヲ雜ル者ヲ斥テ、通ジテ雲雀毛トス、其稱可也トハ何ゾヤ、曰、先賢定幸ガ曰、按ルニ、雲 雀毛ハ、萬葉倭名ノ集ニ於テ未之ヲ視ズ、今ノ雲雀毛ト云者ハ、黃ニシテ諸色ヲ交ユ、故ニ先人 之ヲ土ニ配ス、土色黃ニシテ氣ヲ五行ニ賦スルガ故也、雲雀ハ鶬鶊也、彼馬ノ色ト親ク相似ズ、 何ノ故ニカ之ヲ雲雀毛ト謂ヤ、我未詳ナラズ、蓋經典諸書多ク騜ノ字アリ、騜馬ヲ以雲雀毛ト 名ヅクルモ、强テ義ニ害ナカラン乎、猶建久中ヨリ此名アリ、故ニ今衆ニ從フ、

音ハ票、黃馬白色ヲ帶ル者ヲ驃ト云、則今云白鹿毛是也、
土ハ中央ニシテ其色黃也、故ニ右二毛五行ニ於テ土ニ配ス、
直蕃按ルニ、古來往々騜ヲ以テ火ニ配シ、驃ヲ除キ油馬ヲ以テ土ニ配ス、舊本又然リ、蓋考ルニ、 未韻書ニ其據ヲ見ズ、先賢黑澤定幸ガ驪黃物色ノ圖説ニ於テモ、騜ト驃トヲ以テ土ニ配ス、其 最然リ、故ニ今之ヲ改ム、且夫油馬ハ、今世ニ云糟毛也、定幸以テ水ニ配ス、其圖ヲ見ニ、五色皆糟 毛アリテ、或ハ驊油馬ト稱シ、或ハ駽油馬ト稱シテ、其色ニ因テ五行ニ配ス、其彩色各今世稱ス ル所ノ糟毛ト同ジ、卷中惟リ驪馬ノ糟毛ノミヲ以テ、唯油馬ト記テ驪油馬トセズ、圖説ニ於テ モ五色皆油馬ノ名アリテ、何ノ故ニ之ヲ油馬ト稱スルノ説ナシ、今世又黑色ノ油馬ヲ斥テ黑 糟毛ト呼テ、唯之ヲ糟毛ト呼ズ、官厩ニ於テモ又然リ、然バ則惟リ驪馬ノ糟毛ノミヲ以テ、唯油 馬ト稱スルモ敢テ是トナシ難シ、又且先師言ルコトアリ、馬ノ毛色頒白相雜ル者ヲ糟毛トス、 靑色ニシテ半白雜毛ナルヲ靑毛糟毛ト稱シ、白黃色ニシテ赤毛相雜ルヲ月毛糟毛ト稱シ、赤 毛ニシテ半白相雜ルヲ赤毛糟毛ト稱シ、又是ヲ栗毛糟毛ト稱ス、糟ハ滓也、蓋其色純ナラザル ノ義ニ因乎、未黑色ノ油馬ヲ以テ唯之ヲ糟毛ト稱セズト、然バ則唯油馬ト稱シテ、五行ニ於テ 一色ニ定ガタシ、故ニ之ヲ除ク、

音ハ遐、彤白雜毛ノ馬、彤ハ赤也、白馬ニシテ微ク赤色ヲ帶ルノ稱、則今云月毛是也、蓋今世純白色ノ馬ヲ斥テ、通ジテ月毛ト呼、其稱可也、

音ハ洛、白馬ニシテ鬣尾黑ク、脊ニ一道ノ黑色ヲ通ル者ヲ駱ト云、則今云川原毛是也、金ハ西方ニ位ス、其色白シ、故ニ右二毛五行ニ於テ金ニ配ス、 或問、純白色ノ馬ヲ斥テ、通ジテ月毛ト呼、其稱可也トハ何ゾヤ、曰、先師曰、月毛ハ元其色白ニシ テ、月光ノ如ニ因ヲ名ヅクル者也、純白色ノ馬其最明白也、故ニ通テ月毛ト呼者也、曰、駱ヲ川原 毛トス、名ヅクル所故アリヤ、曰、余未詳ナラズ、然レドモ倭名抄ニ於テモ、已ニ川原毛ノ文字ア リ、定幸モ又之ヲ引用ス、今之ニ從フ、

音ハ離、純黑ノ馬、則今云黑毛是也、
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00867.gif
音ハ魚、馬ノ目中白色ヲ帶テ魚目ニ似タルノ稱、則今云鮫馬是也、
水ハ北方ニ位ス、其色黑クシテ且陰也、故ニ右兩馬五行ニ於テ水ニ配ス、是則五色ヲ以テ五行ニ賦スル所以ン也、蓋斑駁雜毛ノ馬ハ、其本色ニ因テ性ヲ分ツ、本色トハ、喩バ黑白雜レル者、其黑色勝レルトキハ、則之ヲ本色トシテ水ニ配シ、其白色勝レルトキハ、則之ヲ本色トシタ金ニ配ス、五色皆然リ、 或問、今世鮫馬ト稱スル者皆白毛也、今唯目中白色ヲ帶テ魚目ニ似タルヲ鮫馬ト云テ、其毛色 ヲ云ザル者ハ何ゾヤ、曰、鮫馬舊毛色ヲ云ズ、唯目中ノ色ヲ以テ之ヲ稱ス、本朝往々、惟リ白毛ニ シテ目中色異ナル者ノミヲ斥テ鮫馬トス、蓋之ヲ誣べカラズ、其來ルコト故シ、然レドモ其實 ハ白毛一色ノミニハアラズ、或ハ靑毛、或ハ赤毛、大抵色不同ニシテ唯目ヲ以テ名トス、然ルニ 今世白毛ニシテ目中色異ナル者ヲ視テ、多ク之ヲ鮫馬ト稱シ、其餘目中色異ナル者ヲ視テ、多 ク之ヲ鮫馬ト稱セズ、或ハ之ヲ毛目ト呼、或ハ之ヲ目變ト呼、毛目トハ則其毛色照テ目中ニ在 ノ稱、目變トハ則目色常馬ト異ルノ稱也ト、俚俗ノ謬誤最是笑べシ、世人秘傳ト稱スル者多ク 此類也、寧目變リ毛目等ト呼ンヨリハ、其目色ヲ捨テ唯毛色ヲ以テ稱センニハシカジ、元來五 色皆鮫馬アリテ、或ハ驄http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00867.gif ト呼、或ハ駱http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00867.gif ト呼、或ハ騢http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00867.gif ト呼、惟リ白毛ノミニハアラズ、曰、然バ 則五行ニ於テ惟リ水ノミニ配スベカラズ、然ルヲ水色ニ賦スル者ハ何ゾヤ、曰、鮫馬性ニ陰気 アリ、又且黑白變化ノ理アリ、故ニ水ニ配ス、曰、敢テ問、請詳ニ之ヲ吿ヨ、曰、善哉吾子ガ問コトノ 切ナル、余ガ見ル所ノ先賢ノ遺論アリ、其説最高シ、今爲ニ之ヲ吿ン、子愼テ藏ヨ、黑澤定幸ガ曰、 按ズルニ、鮫馬多白毛也、然ニ今水ニ配ス、之ヲ如何ン、則本朝ノ先輩皆以水ニ配ス、載テ往牒ニ アリ、愚敢テ妄意ヲ以テ之ヲ言ニハ非ズ、古老傳テ云、水色舊黑、然ト雖モ白雪也、白霜也、白露也、 白浪也、其變皆白、一隅ノ見ヲ以テ事物變化ノ理豈窮ベケソヤ、凡鮫馬惟リ白毛一色ノミニハ アラズ、淺黑アリ、淺赤アリ、一目ノ鮫馬アリ、二目ノ鮫馬アリ、大抵色不純ニシテ、而テ目ヲ以テ 名トス、故ニ本朝ノ人彼馬ノ眼、鮫魚ノ目ニ似タルヲ以ノ故ニ、名テ鮫馬ト云、異邦ノ俗之ヲ環 眼馬ト云、爾雅ニ焉ヲ道リ、

〔日本書紀〕

〈二十八/天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0094 元年七月壬子、是日、三輪君高市麻呂、置始連菟、當上道于箸陵、大破近江軍、而乘勝兼斷鯨軍之後、鯨軍悉解走、多殺士卒、鯨乘白馬(○○)以逃之、馬墮埿田進行、則將軍吹負謂甲斐勇 者曰、其乘白馬者廬井鯨也、急追以射、於是甲斐勇者馳追之、比鯨、鯨急鞭馬、馬能拔以出埿、卽馳之得脱、將軍亦更還本處而軍之、

〔續日本紀〕

〈二十九/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 神護景雲二年九月辛巳、勅、今年七月八日、得參河國碧海郡人長谷部文選所獻白烏、又同月十一日、得肥後國葦北郡人刑部廣瀨女、日向國宮崎郡人大伴人益所獻白龜赤眼、靑馬(○○)白髮尾、並付所司、令勘圖諜、奏偁、〈○中略〉顧野王符瑞圖曰、靑馬白髮尾者神馬也、孝經援神契曰、德協道行、政至山陵、則澤出神馬、仍勘瑞式、白烏是爲中瑞、靈龜神馬並合大瑞、朕以菲薄、頻荷鴻貺、思先典、式覃惠澤、宜肥後日向兩國今年之庸、但瑞出郡者、特免調庸、大伴人益、刑部廣瀨女並授從八位下、賜絁各十匹、綿二十屯、貲布三十端、正税一千束、〈○下略〉

〔古事記傳〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 又或説に、白馬(ハクバ)を靑馬(アヲウマ)と云例あれば、雲に限らず白き物を靑某(アヲナニ)と云、其は甚く白き物は、靑く見ゆる故なりと云るも心得ず、甚く白き物のいさゝか靑みて見ゆればとて、推て靑とはいかでか云む、さては白と靑との名混ひて分りがたし、かの白馬節會を靑馬とも云は、白馬をやがて靑馬と云には非ず、是は舊は實に靑馬にて、白馬には非ず、故萬葉又文德實錄延喜式などに、皆靑馬とのみありて、凡て古書には白馬と作ることなきを、後に更て白馬を用ひらるゝことになりて、白馬節會と云ひ、又舊の名をも呼て、靑馬節會とも云なり、平兼盛集に、降〈ル〉雪に色もかはらで牽ものを誰〈カ〉靑馬と名づけ初けむ、是〈レ〉白馬を用ひられて、なほ靑馬と云名のある故の歌なり、

〔新撰字鏡〕

〈馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00868.gif (○)騘〈同、倉江反、馬白色、又靑色、阿乎支馬(○○○○)、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 騘馬 説文云、騘、〈音聰、漢語抄云、騘靑馬也、黃騘馬、葦花毛馬也、日本紀私記云、美太良乎乃宇萬(○○○○○○○)、〉靑白雜毛馬也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 驄馬見雄略九年紀、新撰字鏡、驄訓阿乎支馬、按、葦花毛見拾遺集歌、所引馬部文、原書無馬也二字、玉篇、驄、靑白雜毛色、亦無馬字

〔南留別志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0095 一さめ馬のさめは、驄馬なるべし、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 桃花馬(○○○) 辨色立成云、桃花馬、〈葦花毛之紅色者也〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 爾雅云、黃白雜毛駓、郭注云、今之桃華馬、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 靑驪馬(○○○) 唐韻云、駽、〈火玄反、漢語抄云、鉄騘馬、久路美度利能宇麻、〉靑驪馬、今之銕騘馬也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 廣韻引爾雅曰、靑驪、駽、郭璞云、今之鐵驄、按今本釋畜注同、説文駽、靑驪馬、玉篇、駽、靑驪馬、今之鐵驄、孫氏本之、

〔新撰字鏡〕

〈馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 駼(○)〈庶都反、良馬也、駒駼獸、止良介、又須毛馬、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 連錢騘(○○○) 爾雅注云、色有深淺斑駁、謂之連錢騘、〈漢語抄云、連錢騘、虎毛馬也、一云、駼馬、駼音余、又云、薄漢馬、今案、俗云、連錢葦毛(○○○○)是、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 釋畜、靑驪驎驒郭注、與此所一レ引同、但駁下有隱粼二字、謂作今、〈○中略〉按連錢驄、其斑圓文相連、大如錢、故源君謂俗云連錢葦毛是也、漢語抄以連錢驄虎毛馬、非也、連錢葦毛、見東鑑文治二年十月條、新撰字鏡、駼、止良介、以駼爲虎毛馬、與漢語抄合、然駼騊駼馬見爾雅、海外北經云、北海内有獸、其狀如馬、名曰騊駼、色靑、逸周書王會篇、禺氏騊駼、説文、騊駼、北野之良馬也、爾雅釋文引瑞應圖云、幽隱之獸也、有明王在一レ位卽至、爾雅又有騉駼枝蹄趼善陞一レ甗、皆非虎毛馬、蓋駼卽http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00869.gif 字之異體、説文、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00869.gif 、黃牛虎文、故謂虎毛馬http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00869.gif、後變从馬作駼、與騊駼騉駼混也、然則駼馬可虎毛馬、馬名合云、安佐千不之虎毛、卽是、與連錢驄自異、薄漢馬未聞、

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 連錢驄(レンゼンアシゲ)〈薄漢馬、圈子靑、並同、本名驒、爾雅註、色有浅深斑駁者、〉

〔保元物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 白河殿攻落事
六條判官爲義、〈○中略〉連錢葦毛ナル馬ニ、白覆輪ノ鞍置テゾ被乘タル、

〔新撰字鏡〕

〈馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 驃(○)〈裨妙反、黃馬發㒵、輕疾也、迅也、赤久利介(○○○○)、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0096 驃馬〈赤驃(○○)附〉 説文云、驃〈毘召反、漢語抄云、驃馬、白鹿毛也、赤驃馬、赤鹿毛(○○○)也、黃馬同上、〉黃白色馬也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 續日本紀靈龜二年六月、伊史伊麻呂等、獻新羅國紫驃馬二匹、紫驃馬、卽赤驃馬也、原書馬部云、黃馬發白色、按廣韻、驃馬黃白色、則疑源君引唐韻、誤爲説文也、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 馬(○○)〈紫馬附〉 毛詩注云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 、〈音留、漢語抄云、騮馬、鹿毛也、烏騮、黑鹿毛也、黃騮、赤栗毛也、紫騮、黑栗毛也、〉赤身黃鬣馬也、唐韻云、騟〈羊朱反、辨色立成云、紫馬栗毛也、〉紫馬也

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 按上條引漢語抄云、騧馬、鹿毛馬也、此引云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 馬、鹿毛也、其説不同、可疑、又按、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 是赤身黃鬣、當栗毛、然則紫http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif赤栗毛、烏http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif黑栗毛、黃http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif白栗毛、黑鹿毛見空物語吹上下卷、新撰字鏡、驃、赤久利介、又黑栗毛、見東鑑文治二年十月及五年五月條、魯頌駉毛傳、秦風小戎鄭箋、並作赤身黑鬣曰一レ駵按玉篇云、駵、赤馬黑鬣、又云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 紫騮馬、廣韻云、駵赤馬黑髦尾、又云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 、驊http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 、周穆王馬、二字不同、然説文云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 赤馬黑髦尾也、無駵字、段玉裁曰、説文http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 字、當駵、五經文字有駵無http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 、又漢書地理志華http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif華駵、顏師古急就章注云、赤馬黑髦曰駵、駵字或作http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 、音義同、慧琳音義引毛傳http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 云、亦作駵、則知http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 卽駵字之俗、故源君引詩注http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 、玉篇廣韻分爲二字、非是、栗毛見法隆寺資財帳、及東鑑壽永元年條、馬名合、白糸之栗毛、卽是、廣韻同、按玉篇騟、紫色馬、孫氏依之、

〔源平盛衰記〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 義經落http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00870.gif幷畠山荷馬附馬因緣事
畠山ハ赤威ノ鎧ニ護田鳥毛ノ矢負ヒ、三日月ト云フ栗毛馬(○○○)ノ太逞シキニ乘タリケリ、此馬鞭打ニ三日ノ月程ナル月影ノ有ケレバ名ヲ得タリ、

〔太平記〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 六波羅攻事
爰ニ六波羅ノ勢ノ中ヨリ、年ノ程五十計ナル老武者ノ、黑絲ノ鎧ニ五枚甲ノ緖ヲ縮メテ、白栗毛(○○○)ノ馬ニ、靑總懸テ乘タルガ、馬ヲシヅ〳〵ト歩マセテ、高聲ニ名乘ケルハ、〈○下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0097 驪馬(○○) 毛詩注云、驪、〈音離、漢語抄云、驪馬、黑毛(○○)馬也、〉純黑馬也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 馬名合、烏玉黑、萬葉集大伴郎女和藤原麻呂歌、夜干玉之黑馬、雄略紀歌、農播拕磨能柯彼能矩盧古磨是也、魯頌駉毛傳作純黑曰一レ驪、説文、驪馬深黑色、

〔新撰字鏡〕

〈馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 騧(○)〈古華反、黃馬黑喙也、淺黃也、馬黃白色也、騧奈夫佐乃馬、又馬者、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 騧馬 爾雅注云、騧、〈音花、漢語抄云、騧馬、鹿毛馬也、〉淺黃色馬也

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 鹿毛馬見法隆寺資財帳、馬名合、木下鹿毛、卽是、新撰字鏡、騧、奈夫佐乃馬、釋畜郭注、作今之淺黃色者爲一レ騧、説文、騧、黃馬黑喙、

〔續日本紀〕

〈三十/稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 寶龜元年八月庚寅朔、遣若狹國目從七位下伊勢朝臣諸人、内舍人大初位下佐伯宿禰老、奉鹿毛馬(○○○)於若狹彥神、八幡神宮、各一匹

〔保元物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 白川殿義朝夜討被寄事
爰ニ安藝守ノ郎等ニ、伊勢國ノ住人山田小三郎伊行、〈○中略〉鹿毛ナル馬ニ黑鞍置テ乗タリケリ、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 騅(○)〈菼附〉 毛詩注云、騅、〈音錐、漢語抄云、騅馬、鼠毛(○○)也、〉蒼白、雜毛馬也、爾雅注云、菼錐、〈今按、菼者、廬初生也、吐敢反、俗云葦毛(○○)是、〉靑白如菼色也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098 馬名合云、久留志木鼠毛、卽是、駉毛傳作蒼白雜毛曰一レ騅、釋畜同、説文、騅、馬蒼黑雜色、郝懿行日、以六書故云徐本作一レ黑推之、知唐本必作白也、〈○中略〉按、詩大車毛傳、菼http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00871.gif 也、蘆之初生者也、此注蓋本之、馬名合云、何葉葦毛卽是也、葦毛又見日本紀略天延二年閏十月條、釋言、菼、騅也、郭注、詩曰、毳衣如菼、菼草色如騅、在靑白之間、此所引蓋舊注也、説文、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00872.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00871.gif 之初生、一曰薍、一曰騅、按http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00872.gif 一名騅者、菼之初生如騅之蒼白雜色故名、轉注菼初生亦謂之騅、再轉注謂凡蒼白雜色菼、釋言、菼、騅、卽釋毛詩毳衣如一レ菼、是也、則所言菼騅、非馬毛色、此所引爾雅注皆宜删、唯可葦毛馬騅馬者、猶靑白色名菼又名一レ騅也、

〔平治物語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0098六波羅紀州被早馬事 和泉ト紀伊國トノ境ナル鬼ノ中山ニテ、蘆毛(○○)ナル馬ニ乘タル者、早馬ト覺シクテ、揉ニ揉テ出來タリ、スハ惡源太ガ使カト、皆人色ヲ失フニ、源氏ノ使ニハアラズシテ、六波羅ヨリノ早馬也、

〔源平盛衰記〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 信濃横田川原軍事
上野國ノ住人、西七郎廣助ハ、火威ノ鎧ニ、白星ノ甲著テ、白葦毛(○○○)ノ馬ノ太ク逞シキニ、白伏輪ノ鞍置テ乘タリケリ、

〔源平盛衰記〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 小坪合戰事
重忠クマントテ打出ケリ、〈○中略〉泥葦毛(アヲアシケ/○○○)ノ馬ニ、中ハ金覆輪ニ、耳ハ白覆輪ノ鞍ヲ置キ、〈○下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 赭白馬(○○○) 毛詩注云、騢、〈音遐、漢語抄云、赭白馬、鵇毛也、赭黃馬、赤鵇毛(○○○)也、今按、鵇字未詳、〉彤白雜毛馬也、爾雅注云、騢、今之赭白馬也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 鵇毛見東鑑壽永元年及文治五年條、按鵇字見鳥名鳭條注、駉毛傳、作彤白雜毛曰一レ騢、按、釋畜、彤白雜毛、騢、毛傳依之也、説文騢、馬赤白雜毛、謂色似鰕魚

〔伊呂波字類抄〕

〈都/動物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 鴾〈ツキ〉

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 駓(ツキゲムマ) 〈爾雅、黃白雜毛馬也、〉騢(同) 桃花(同)馬 赭白(同)馬〈順和名〉月毛(同)馬〈俗字、又用鴇字謬矣、〉

〔平治物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 待賢門軍附信賴落事
左衞門佐重盛ハ、〈○中略〉黃鵇毛(○○○)ナル馬ニ、柳櫻摺タル貝鞍オカセテ乘給ヘリ、

〔文正記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 甲斐總領千菊丸、其齡十有二、〈○中略〉馬白駩(シラツキケ/○○)太逞、厥長六寸餘、

〔幽齋尊翁御葬禮記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 大なる香爐をわくに入て、ゆく〳〵沈香をわりくべたれば、異香四方にみてり、其次に靈公平生秘藏ありし月毛(○○)の駒に、ひたいに銀のすみとり紙を當、〈○下略〉

〔源平盛衰記〕

〈四十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0099 屋島合戰附玉蟲立扇與一射扇事
サラバ與一召レタリ、其日ノ裝束ハ、〈○中略〉宿赫白馬(サビカマケノウマ/○○○)ノ太逞ニ、洲崎ニ千鳥ノ飛散タル貝鞍置テ乘 タリケルガ、〈○下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 駱馬(○○) 毛詩注云、駱、〈音落、漢語抄云、駱馬、川原毛(○○○)也、沙駱馬、黑川原毛(○○○○)也、白馬黑髦之馬也、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 馬名合云、海河原毛、又河原毛、黑瓦毛見東鑑壽永元年正月條、及建久二年奉太神宮神馬毛付、小雅四牡、及魯頌駉毛傳、並作白馬黑鬣曰一レ駱、按爾雅釋畜、禮記月令注、明堂位注、呂氏春秋孟冬紀注、及説文皆同、此作髦誤、

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 騜(カハラゲ)〈黃白間色〉駱(同)〈順和名〉川原(同)毛〈俗字、又作瓦毛、〉

〔保元物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 白川殿義朝夜討被寄事
中務少輔重盛〈○平、中略、〉黃河原毛(○○○○)ナル馬ニ乘進出テ、〈○下略〉

〔明德記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 御所〈○足利義滿〉其日ノ御裝束ニハ、〈○中略〉御秘藏ノ大河原毛(○○○○)五尺ノ馬ト聞エシニ、〈○下略〉

〔總見記〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 播州被御人數附從關東名馬
同月〈○天正七年四月〉十七日、關東常陸國、多賀谷修理亮朝宗、星河原毛(○○○○)ノ御馬、長四寸八分、年七歲、太逞シキ駿馬、遙々牽上セ進上ス、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 油馬(○○) 辨色立成云、油馬、〈糟毛(○○)馬也〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 按、馬名合、有梅花粧毛、訓牟女乃八奈乃加須介、粧當是糠之譌、糟毛又見東鑑文治五年五月條、是條舊〈○天文本〉及伊勢本無、下總本、廣本有之、今錄存、伊呂波字類抄亦載之、

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 鴇(カスゲ)〈韵端、驪白雜毛馬也、〉油馬(同)〈順和名〉霞毛(同)〈俗字〉糟毛(同)〈同上〉

〔殿曆〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 天仁二年九月六日丁未、今日上皇〈○白河〉御幸高陽院亭覽競馬、〈○中略〉
三番〈○中略〉右、右府生秦兼久、〈候院人也〉黑糟毛(○○○)〈去手冬、中將自院給之、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 騂馬(○○)〈赤(○)驊附〉 唐韻云、騂、〈音征、漢語抄云、驊馬、赤毛(○○)馬也、赤驊山鳥、赤毛馬也、驊音華、〉馬赤色也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0100 按漢語抄驊及赤驊、皆恐http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00873.gif 字之譌http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00873.gif 卽騂字、源君所見本誤从華作驊、故 以爲http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif、遂音華雖http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 亦赤馬名、然須言驊http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif 、不單言一レ驊、則漢語抄本作http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00873.gif證也、音華者誤、馬名合云、山葉緋、卽是、雄略紀赤駿訓阿加牟万、萬葉集卷四、天皇賜海上女王御歌有赤駒、又山上憶良哀世間難一レ住、歌有阿迦胡麻、廣韻同、毛詩魯頌、有騂有騏、注、赤黃曰騂、尚書洛誥、蒸祭歲、文王騂牛一、武王騂牛一、明堂位周騂剛、周禮草人凡糞種、騂剛用牛、注、故書騂爲挈、杜子春挈讀爲騂、謂地色赤而土剛强也、説文新附、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00873.gif 、馬赤色也、按説文、無騂字、有㙚字、云赤剛土也、則知轉注赤剛土之㙚字赤馬、後从馬作http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00873.gif 、俗書譌作騂、又轉以騂爲牲赤色、又爲赤剛土字也、

〔萬葉集〕

〈五/雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 山上臣憶良哀世間難一レ住歌
世間能(ヨノナカノ)、同弊奈伎物波(スベナキモノハ)、〈○中略〉阿迦胡麻爾(アカコマニ/○○○○ )、志都久良宇(シツクラウ)知意伎(チオキ)、〈○下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 戴星馬(○○○) 爾雅注云、白顚、一名的顙、俗呼爲戴星馬、〈和名(○○)、宇比太非能無麻(○○○○○○○)、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 釋畜云、駒顙白顚、郭注云、戴星馬也、毛詩正義引舍人云、的、白也、顙、額也、額有白毛、今之戴星馬也、此所引蓋舊注、秦風有馬白顚、毛傳、白顚、的顙、易説卦傳爲的顙、説文的作駒、云、馬白額也、東鑑建久二年條、有久利計己比太比、恐宇比太比之訛、己字宇字草書甚似、

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 白顚馬(ツキビタイノムマ)〈毛詩註、額有白毛、今謂之的顙、〉戴星(同)馬 月額(同)馬 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00874.gif (ヒタイジロ)〈唐韻、馬額白也、〉䮕(同) 䮤(同) 戴星(同)馬〈又云、白顚馬、〉

〔嬉遊笑覽〕

〈四/武事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 的顱といふ馬は、額に白點あるを云と〈通俗三國志によりて也〉心得て、繪などにかけり、〈○中略〉又的顱は、晉書廋亮傳、初亮所乘馬有的顱、殷浩以爲不於主、勸亮賣之、亮曰、有己之不安而移之於人、浩慙而退、さて字彙をみるに、的顱、馬首飾、又呼的顱紅點也、又黑也など見えたり、盧は黑きをいへば、黑點といへる然るべき歟、いづれにも白點にはあらず、

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00875.gif (ヒバリゲ)〈黃色之馬〉鶬毛(同)〈俗用此字謬〉

〔吾妻鏡〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0101 建久二年八月十八日甲午、此間人々所進馬被于新造御厩、〈○中略〉 一疋〈鶬毛(○○)〉 小山左衞門尉進

〔大坪本流馬道秘書〕

〈禮術〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 乘初〈○正月〉ニ駕馬ハ、靑毛、栗毛、雲雀毛(○○○)、右ノ馬ヲ乘ベシ、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 落星馬(○○○) 楊氏漢語抄云、落星馬、〈保之豆岐乃宇萬(○○○○○○○)〉

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00874.gif (ホシツキノムマ) 落星馬(同)〈順和名〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 駺馬(○○) 唐韻云、駺、〈音狼、漢語抄云、乎之路能宇麻(○○○○○○)、〉馬尾白也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 廣韻同、玉篇、駺馬尾白、按爾雅釋畜、尾白、駺、郭注、但尾毛白、顧氏孫氏並依之、按説文、驃、一曰、白髦尾也、是驃卽駺、而説文无駺字、蓋古作狼、爾雅釋文云、駺本多作狼、藝文類聚引爾雅、正作狼、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 駁馬(○○) 説文云、駁、〈補卓反、駁馬、俗云、布知無萬(○○○○)、〉不純色馬也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 下總本俗人云作和名、按古事記有天斑馬、神代紀作天斑駒、則布知无万非俗語、然廣本亦作俗云、則作和名者、恐係後人所一レ改、又按、馬名合云、無底井淵、借淵爲駁、則布知不濁呼證、今俗呼夫知、非是、〈○中略〉按原書馬部云、駁、馬色不純、玉篇、廣韻並同、此作不純色馬、恐非許氏之舊、那波本駮作駁、與原書合、按、説文又有駮字云、獸如馬、鋸牙食虎豹、是駁駮二字不同、此作駁爲是、漢楊孟文石門頌碑、駁作駮、苟子大玄經史漢諸書多以駮爲駁、玉篇亦云、駁今作駮、則混用已久、源君引説文多、字體或從俗寫、故此亦作駮也、其作駁者、那波氏所校改

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 天照大御神坐忌服屋而、令神御衣之時、穿其服屋之頂、逆剝天斑馬剝而所墮入時、天衣織女見驚而、於梭衝陰上而死、〈訓陰上富登

〔古事記傳〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0102 天斑馬、和名抄に駁馬俗云、布知無萬(フチムマ)、説文云、駁不純色馬也、〈布知を俗云とあれども、俗稱にはあらじ、〉またhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00876.gif 馬、爾雅注云、四骹皆白曰骹、俗云阿之布知と云り、後世には夫知(ブチ)と濁て云ども、凡て首を濁言は古は無ければ、布を淸べし、今世にも淸て云處も有となむ、〈○中略〉書紀には卽斑駒と書れた り、さて御國には本牛馬はなかりしを、百濟國より渡し奉たる物ぞと云説あれども、〈後漢書にも、御國には牛馬なしと云り、〉此にかくある上に、八千矛神の所にも、御馬のこと見え、保食(ウケモチノ)神の項に、化爲牛馬ことも書紀に見えたるをや、〈此斑馬は鹿を云など云るは、云に足ず、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00876.gif 馬(○○)〈踏雪馬(○○○)附〉 爾雅注云、四骹皆白曰http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00876.gif 、〈音僧、俗云、阿之布知(○○○○)、〉骹謂膝以下也、四蹢皆白曰騟、〈音前〉蹢、蹄也、俗呼爲踏雪馬

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬毛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 按四骹皆白http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00876.gif 、四蹢皆白騚、是釋畜正文、郭璞注、骹膝下也、又注騚云、俗呼爲踏雪馬、無蹢蹄也之文、此所引蓋舊注也、又郭本爾雅唐石經宋板本以下諸本、騚皆作首、藝文類聚、初學記引亦同、蓋郭所據本作前、因字形相渉、誤爲首也、此引舊注騚、其字雖俗亦可以證今本爾雅之誤、按玉篇云、騚、馬四蹄白、廣韻云、騚、馬四蹄皆白也、顧孫二家蓋依舊注也、又按、元雪牕書院所刊、郭注爾雅作騚、然郭注爾雅各本誤作首、則郭本作前、不馬、與舊注所依本作一レ騚不同、雪牕本作騚者、蓋後人依玉篇廣韻改、非郭氏之奮也、

〔書言字考節用集〕

〈五/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 驔(ニケノムマ) 〈毛詩〉鼠毛(同)馬 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00876.gif (ヨツジロ)〈順和名、四蹄皆白馬也、〉 騚(同) 蹈雪(同)〈爾雅註〉騚(ツマシロ) http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00876.gif (同)

〔安齋隨筆〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0103 一二毛(○○)の事〈○註略〉
大坪流傳書
好玄曰、雲雀毛火性と候はふしんに存候、そのゆへは、かすけとひばり毛とは、此二毛何ノ馬に もさす毛にて候得ば、性有間敷と存候、
高忠秘傳書ノ相傳 二毛とはにたり毛と書候、此秘傳はさる毛に似たりよりての事と云々、 見しりやうは毛色のやうはをなじやうなりへのこあかきはさる毛と云と云々、毛かはるな りと云々、
刃毛(○○)と云は、又飛々ふぢあひのにきあひたるやうなるを刃毛と云、是をば文字には二毛とか やうに書候と云々、此にげなどゝ申事を、陣にきらふやうなる事を、みやうせんと是をも云成、

〔源順馬名合〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 一番左 山葉緋〈ヤマノハノアケ〉 右 木下鹿毛〈コノシタカケ〉 二番左 海河原毛〈アマノカハラケ〉 右 比佐加多の月鹿毛〈ヒサカタノツキケ〉 三番左 葦原鶴駮〈アシハラツルフチ〉 右 何葉葦毛〈ナニハ乃アシケ〉 四番左 安佐千不之虎毛〈アサチフ乃トラケ〉 右 白糸之栗毛〈シライトノクリケ〉 五番左 烏玉黑〈ムハタマノクロ〉 右 綠乃靑〈見トリ乃アヲ〉 六番左 神人之懸木綿鹿毛〈カミヒトノカケツルユフカケ〉 右 相坂木綿付鳥毛〈アフサカノユフツケトリノケ〉 七番左 梅花粧毛〈ムメ乃ハナノカスケ〉 右 久留志木http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00865.gif 毛〈クルシキニヽケ〉 八番左 海乃積磯菜草〈アマノツムイソナクサ〉 右 天奈留http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00877.gif 鹿毛〈アメナルヒハリケ〉 九番左 無底井淵〈ソコヒナキフチ〉 右 海乃多久奈者返留淵〈アマ乃タクナハノクリケ〉 十番左 和多都美乃腹白〈和タツ見ノハラシロ〉 右 千者也不留神黑〈チハヤフルノカミクロ〉
○按ズルニ、右引ク所ノ源順馬名合ノ歌ハ之ヲ省略セリ、

〔吾妻鏡〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0104 建久二年十一月廿二日丁卯、多好方等、欲歸洛之間、自政所餞物、行政、仲業、家光等、奉行之、其上有別祿、馬十二疋云云、
幕下引給御馬
一疋おほくりげ 一疋つきげ 一疋くりげこびたい
一疋さゝつきのひばりげ 一疋あくりくろ 一疋こかげ
一疋くろぶち 一疋くろ 一疋しらくりげ
一疋をほあしげ 一疋くりげきめびたい 一疋かげ
參河守被引馬 一疋くろかわらげ 一疋かげ 一疋あをさぎかすげ
一疋くろ 一疋あしげ 一疋をばなあしげ〈○下略〉

〔儀式〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 五月五日節儀
大輔進就位、丞一人騎馬、率走馬而進、大輔取牘奏親王以下及五位諸王四位諸臣以上姓名馬毛等、其詞云、其司〈乃〉其朝臣〈我〉其毛馬、〈親王稱其官親王〉訖還本位

馬尺

〔壒囊抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 馬ヲ一寸(ヒトキ)、二寸(キ)ト云ハ、何ト定ル事ゾ、凡ソ馬尺ト云ハ、四尺ヲ定テ、其上ヲ一寸(ヒトキ)、二寸三寸、四寸(ヨキ)、五寸(イツキ)、六寸、七寸、八寸ト云、八寸ニ餘ルヲバ、長ニ餘ルト云、長ニ餘ル大馬モ多キニヤ、生食(イケズキ)ハ五尺二寸アリケル也、四尺ニ足ヌヲバ駒(コマ)ト云、是曲尺ノ尺也、四尺ヲ一尺トスルニハ非ズ、四ノ音ヲ忌ム故ニ、都テ尺ト云也、毛詩ノ注ニハ、六尺以上ヲ曰馬、又五尺以上曰駒云々、是ハ周ノ尺ナルベシ、周ノ一尺ハ曲尺ノ八寸二分トヤラン云ハ、毛詩ノ六尺ハ日本ノ八寸ノ馬ニ當ル歟、五尺以上ヲ駒ト云ハ、此方ノ尺ニ足ルマデヲ駒ト云也、ウルハシクハ、曲尺ヲバマガリカネト云ベキヲ、略語ニカネト云也、
○按ズルニ、馬尺ノ事ハ、稱量部度篇丈尺寸條ニアリ、參看スベシ、

〔古今要覽稿〕

〈禽獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0105 骨度〈○馬〉
凡馬のたけは四尺を定とす、されば四尺あるをば尺といひ、それより一寸高きをば壹寸(キ)といふ、二寸あるをば二寸といふ、三寸、四寸、五寸、六寸、七寸、八寸、九寸とかぞへ、その上をば五尺といふ、〈伊勢家馬方馬具其外記〉四尺の馬をばよのつねの馬とするがゆへに、是を小馬といひ、四尺五寸あるを中馬といひ、五尺を大馬といふ、〈醫馬穴腧度功〉そのたけをはかるには、鬐甲骨より前蹄の側地につく處までの寸をとり、四尺とも四尺五寸とも、その實寸にしたがひて稱するなり、たゞし四尺を定寸とするがゆへに、身内の度はみな四尺の馬にて定むることなり、たとへば鬐甲骨より百會まで二尺、百 會より督强まで一尺二寸といふ類は、四尺の馬ならば別に論なし、五尺の馬にては、その高さを四にわりて一尺として、二尺あるひは一尺二寸とはかるなり、されば五尺の馬の鬐甲骨より百會までは、實二尺五寸あるを猶二尺といひ、百會より督强まで一尺五寸あるを一尺二寸といふ也、餘は推して知べし、〈○下略〉

〔安齋隨筆〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 一二毛の事
同書、〈○大坪流傳書〉大坪にて馬ノ尺ヲサス物ヲ見ツエト云ワロシ、見サシト云ベシ、又ココニアテ見 ヲ斗物ヲバぶんきと云也、分木也、

馬齡

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106
釋名、〈(中略)必大(平野)按、近世馬一歲稱當歲駒、二歲三歲四歲同稱駒、以齒之落而識之、至六歲而齒盡落、此俗稱搔拂、至十二三歲、雖稍老、然尚壯、至六七十歲亦希有之、〉

〔和漢三才圖會〕

〈三十七/畜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 馬〈○中略〉
馬三十二歲以齒知
一歲駒齒二 二歲齒四 三歲齒六 四歲成齒二 五歲成齒四六歲肉牙生 七歲角區缺 八歲盡區如一 九歲咬下中區二齒臼 十歲同四齒臼 十一歲 六齒臼 十二歲同二齒平 十三歲四齒平 十四歲同六齒平 十五歲咬上中區二齒臼 十六歲同四齒臼 十七歲同六 齒臼 十八歲二齒平 十九歲同四齒平 二十歲咬上下盡平 自二十一歲次第齒黃至二十 六歲上下盡黃 自二十七歲次第齒白、至三十二歲上下盡白、

〔馬病治療書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0106 齒ノ事
馬ノ齒ハ、年齡五歲ニシテ全生ス、總數四拾枚アリ、其中齨齒二十四枚、前齒十二枚、及ビ齨齒ト前齒ノ間ニ生ズル犬齒〈犬齒ノ如ク鋭ク尖ルヲ以テ此名ヲ命ズ〉四枚、但シ壯馬ニハ犬齒ナキヲ常トス、
乳馬初生ノトキ、已ニ内齒〈前齒ノ眞中ニ在ル二枚ヲ云フ〉萌生セリ、 第一歲ニシテ、前齒全ク萌生セント欲スル痕跡ヲ見ハス
第三歲ニ至ル、前内齒代〈リ〉生ズ、
第四歲ニシテ、中齒〈内齒ノ兩側ニアル二枚ヲ云フ〉代〈リ〉生ズ、
第五歲ニシテ、代齒全ク備ル、
第六歲ニシテ、前齒表面ノ窪ミ、心ノ中齒ヨリ次第ニ消磨ス、其窪ミヲ徵候ト名ヅク、
第七歲ニシテ、其徵候漸ク消磨シ、隅齒假令ソノ徵候ヲ存スト雖モ、稍ヤ平匾ナリ、
第八歲ニシテ、隅齒ノ徵候モ亦全ク消磨ス、此時老馬ト稱ス、五歲以上ハ假令老練ノ者ト雖モ、ソノ年齡ヲ確定スルコト難シト云フ、然レドモ齒ノ形狀次第ニ變化シ、前齒漸ク圓ク、次ハ橢圓、終ニ三角ニ變ズルモノナレバ、全クソノ徵候ナキニシモアラズ、馬商人、時トシテハ、老馬ヲ以テ壯馬ニ欺カンコトヲ欲シ、齒ヲ製作スルコトアリ、卽チ前ニ云ヘル齒ノ徵候ヲ擬似センガ爲メニ、齒表ヲ窪メルナリ、然レドモ眞ノ窪ミニハ、ソノ周圍ニ白色圏アレドモ、人造ニテハ之ヲ擬似スルコト能ハズ、齒モ亦自然ソノ形狀ヲ異ニス、ソノ他年齡等ノ徵候ニ因テ、容易クソノ人造タルヲ知ルベシ、

〔鹽尻〕

〈五十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 一馬の一歲なるを䭴(クワン)〈音還〉といひ、二歲なるを駒ともいふ、我俗三歲四歲なるを駒と呼は非かと云ふ人あり、予〈○天野信景〉おもふに、凡五尺以上の馬をすべて駒といふよし字書にあれば、二歲のみに限らざるにや、

〔鹽尻〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 一馬の一歲なるを䭴〈音還〉と云、二歲なるを駒と云、三歲なるを騑と云、四歲なるを駣と云、

馬生益

〔倭名類聚抄〕

〈十八/毛群〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 獸產〈○中略〉 春秋題辭曰、馬十二月而生、

異形馬

〔吾妻鏡〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0107 建久四年七月廿四日戊子、横山權守時廣引一疋異馬、參營中、將軍覽之、有其足九、〈前足五、後〉 〈四〉是出來于所領淡路國國分寺邊之由、去五月之比依吿、乍恠召寄之旨言上、仰左近將http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 家景、可遣陸奧國外濱云云、周室三十二蹄者、八疋之所企也、本朝一疋之九足、誠可珍歟、然而房星之精不愛、令之於千里瀧桃、尤可榮者哉、

〔羅山文集〕

〈十八/記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108進東照大權現之馬角記
武州江戸有駿馬、班駮連錢兩耳下有角、至春角解、不日又生、二十年來毎歲如此、角長二寸餘、其端如璽栗、稍屈曲、可奇物乎、〈○中略〉今捧此馬角一雙、謹以奉呈日光山東照大權現之齋庫、鳴呼比其諸寶遼東之豕、表此寸丹、似澗邊之毛者乎、
寬永十三年孟夏十七日、代阿部對馬守重次作、

〔蒹葭堂雜錄〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 甲斐國保坂の牧の馬、野飼の牛と交て出生せし者とて、頭は馬にして余身(みうち)は牛なり、四足も左の爪は馬にて、右の爪は牛の如し、明和二年酉の正月甲斐國より率來り、浪華に於て觀物とす、實に古今の奇畜といふべし、

馬種類/野馬

〔本草綱目譯義〕

〈五十一/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 野馬 シレズ
馬ニ似テ馬ト違フ、故ニ野馬ト云、爾雅ニアリ、品類多シ、本邦ニテハツネノ馬ヲ野ニ牧飼ニスルヲ野馬ト云、ソレニ非ズ、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈三十四/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 野馬
和產ナシ、形ノ似タルヲ以テ名ク、本邦ニテ野馬(ムマ)ト云ハ、尋常ノ馬ノ山野ニ在ルモノナリ、三穗ノ松原、小金ゲ原等ニアリ、此トハ別ナリ、又山馬ト云モノ、華夷考廣東新語ニ出、又別物ナリ、

果下

〔下學集〕

〈上/氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 果下(クワカ)〈小馬異名也、其馬長三尺、乘之可果下之低枝之下也、故曰果下、宋人荊公句云、呼童覊我果下騮云云、〉

〔魏書〕

〈百/高句麗〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 凡出三尺馬本朱蒙所乘馬種、卽果下也、

〔雲州消息〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0108 請案内 右明日行幸何時乎、馬俄相違、只有蹇驢、奧州之所送雖其名、未其實、頗以沛艾云々、但果下之類歟、花厩之中定有細馬歟、被事由、早朝可給、爲控御也、謹言、

〔壒囊抄〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 明衡往來ニ、馬ヲ指テ果下(クハカ)ノ類ト云ハ何事ゾ、 果下トハ小馬(マ)ノ異名也、其長ケ三尺也、仍テ是ニ乘テハ果子低枝(クワシテイシ)ノ下ヲモ過ツベシ、故ニ果下ト云ト云云、爰ヲ以テ宋人http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00080.gif 公ガ句云、呼童覊我果下http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00858.gif ト作レリ、

〔日本紀略〕

〈四/村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 康保二年六月七日丙午、於弘徽殿馳菓下馬之戯

瑞馬

〔延喜式〕

〈二十一/治部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 祥瑞
神馬〈龍馬、長頸骼上有翼、踏水不沒、 騰黃、其色黃、狀如狐、背上有兩角、 飛兎、日行三萬里、騕http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01246.gif 赤喙黑身、日行三萬里、澤馬、 白馬赤http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00878.gif 白馬赤髦 靑馬白髦騊駼、狀如馬、出於北海、駃http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00879.gif 自能言語、○中略〉 右大瑞

馬渡來

〔古事記〕

〈中/應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 亦百濟國(○○○)主照古王、以壯馬壹疋、牝馬壹疋、付阿知吉師、以貢上、

〔政事要略〕

〈五十五/交替雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 馬牛事〈婦女乘馬如男夫事 牧監秩限在此中、但通可見、八月七日、國飼馬事、在公務給復部、〉
古事記云、百濟國主肖古王、以牡馬一疋、牝馬一疋、附阿知吉師以貢上、〈此阿知吉師者、阿直史等之祖、〉百濟王本系云、牡始此馬種息於天下也、日本紀云、保食神已知〈○知下、日本書紀有矣字、〉唯〈○唯下、日本書紀有有字、〉其神之頂化爲牛馬、日本決釋記曰、今案、保食神已死、神之頂化爲牛馬、爰難者云、倭國无馬牛事見書傳、故應神天皇之世、百濟進牛馬、自此而後倭國有牛馬、若本无牛馬者、古先君臣寧杖策徒歩乎、雄計天皇二年十月、天下安平、民無徭役、歲比登稔牛馬被野、〈私案、神代有馬、又見交替雜田部、〉

〔古事記傳〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 さて馬は、御國に神代よりある物にて、書紀欽明卷に、百濟の使人の國に還る時、良馬七十疋を、彼國に賜ひし事さへ見えたるに、今返て彼より貢りしは、殊なる良馬にてぞありけむ、

〔秋齋間語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0109 馬は其むかし唐土より渡りし時は、名をば耳のけだ物といふて、殊に希なりければ、 帝王の御けしきよき公卿大臣の外は拜領して乘る事もなし、されば良家と書てむまへとよむ事も此ゆへなり、日本紀万葉の所見分明なり、

〔日本書紀〕

〈十/應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 十五年八月丁卯、百濟王遣阿直岐良馬二匹、卽養於輕坂上厩、因以阿直岐掌飼、故號其養馬之處、曰厩坂也、

〔續日本紀〕

〈七/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 靈龜二年六月辛亥、正七位上馬史伊麻呂等、獻新羅國紫驃馬(○○○○○○)二疋、高五尺、

〔續日本紀〕

〈八/元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 養老三年閏七月癸亥、新羅使人等、獻調物幷驛馬牡牝各一疋

〔扶桑略記〕

〈二十五裏書/朱雀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 承平四年七月十七日薩摩國唐馬(○○)一疋、〈葦毛牝馬〉牽進左大臣家

〔太閤記〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 遊擊將軍日本再渡の事
大明正使參將謝用梓龍岩、副使遊擊將軍宇愚兩人、小西攝津守同船にて、八月〈○文祿三年〉晦日、大坂に至て著岸せしかば、正使は羽柴備前中納言秀家所にて馳走申べし、副使は蜂須賀阿波守所にしてもてなし候へとなり、九月朔日御禮申上、大明の皇帝より、御裝束紅葉衣〈色赤〉袖紫緋の大口、翰書を獻ず、
生物〈○中略〉馬

〔板坂卜齋記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 慶長四年の冬、〈○中略〉龍伯〈○島津〉も御禮被參、進物ムリヤウ十卷、朝鮮馬(○○○)一疋〈ブチ〉家康公路次の外へ迎に出、御同道數寄屋へ御連立、〈○中略〉馬は島津駮とて御秘藏にて、關ケ原へも召、駿府迄も十年餘被召候、

〔内安錄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0110 一享保より天明の間は、バルシヤ馬(○○○○○)度々御取よせに相成、數多御用に相成に付、阿蘭陀甲比丹へ別段銅被下候、此馬は齋藤三右衞門御預、乘込棒飛の上覽もあり、房州峯岡牧へ父馬に御放し、今もバルシヤ筋といふ野子あり、方今騎戰調練も有之或は神奈川本牧へ早乘等には、專要のものなり、阿蘭陀へ軍艦蒸氣船の御誂はあれども、バルシヤ、馬の御誂をきかず、德廟騎戰の思 召にて、此馬を御取寄になりしなるべし、

〔閑窻自語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 月鐘摩貢琉球驢馬於關東事〈付先年貢大寬馬事〉
安永十年〈○天明元年〉大國の汗血馬(○○○○○○)二疋を、關東へ異國より引かしめ、これもふしみをとほりしを聞きしに、たけ五尺あまりすぐれたる馬にて、まことに目をおどろかす、見物せし人のたてるうへに、馬の脊ありとなん、杜子美が詩に、胡馬大寬名ありといへるこれなり、

馬產地

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 馬〈○中略〉
集解、馬以關東之產上、故奧常爲第一、信州、甲州、上下野州、上下總州次之、關西之產、劣弱不及也、近代九州有稍良者、就中薩州之產、高大强捷、不關西之產、或曰古來若斯焉、古者八月、信濃守奉勅、貢獻于駒六十匹、〈○中略〉十七日貢獻於甲斐穗坂牧馬、二十日貢獻於武州秩父立野牧馬十六匹、常州小野牧馬四十匹、二十八日貢獻於信州望月牧馬二十匹、上野州馬五十匹、〈○中略〉近世江都使御馬職官遣于武州府中、常之秋田、奧之仙臺、南部等地、擇良逸而市之、以奉京師、賜公侯以下、或入官厩也、

〔產駒地名錄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0111 安房國峯岡御牧之名(ミマキノナ)
一〈ノ〉牧 二〈ノ〉牧 上〈ノ〉牧 下〈ノ〉牧 東〈ノ〉牧 西〈ノ〉牧 久保山 墨山 高根(タカネ) 宮山(ミヤヤマ) 丸井 飯森(イヒモリ)〈○中略〉
小金牧者、寬政五年丑二月十九日、御納戸頭取岩本石見守殿掛りに而御改、佐倉牧者、同年六月十六日、同掛りに而御改、
下總國小金原御牧之名
上野 中野 下野 高田臺 中澤 印西(井ンサイ) 白子 鎌〈ケ〉井 流水 日暮 金〈ケ〉澤 所澤 千飼(チガイ)藤ケ谷 小山 柴崎 馬柳 柏井 岩井 長澤 栗山 中根〈○中略〉
佐倉御牧之名
内野 取香(トツカウ) 柳澤 岩山 小間子(コマゴ) 矢作(ヤハギ) 油田(ユダ) 大竹 飯中 小泉 吉岡 駒井野 櫻田 〈○中略〉
陸奧國仙臺馬出所 領主松平陸奧守殿
三廻 若柳 花山 一廻 宮崎 川口 大瀧 西郡 市川 松倉 佐沼 登米 村岡 岩〈ケ〉崎〈○中略〉
同國南部馬出所 領主南部大膳大夫殿
奧戸 三戸 五戸 七戸 八戸 有戸 福岡 梅内 花卷 野田 千引 田名部 館崎
桐田 沖山 岩沼 岩泉 關口 梅村 二森 住谷 戸澤 相坂 岸山 新山 宮城野
〈○中略〉
同國津輕馬出所 領主津輕越中守殿
瀧野 村市 瀧野澤 坂牧 入内 長濱 田代 野米 白澤 筒井
同國三春馬出所 領主秋田信濃守殿
葛尾 早稻川 、春山 江口 船引 西村 長谷(ナガタニ) 前澤 新田 津島 築館 大越 大原
同國二本松馬出所 領主丹羽左京大夫殿
福崎 梅澤 太田
同國棚倉馬出所 領主小笠原能登守殿 井上河内(文化十五年ヨリ)守殿
石住 富岡
同國會津馬出所 領主松平肥後守殿
關根 常盤 今泉 會津 山瀉
同國白川馬出所 領主松平越中守殿
小沼 白川 石川 樋口 上郡 同國米澤馬出所 領主上杉彈正大弼殿
立石 赤湯 見谷内 高畠 玉川 米澤 高山 小雲 中山 小關 岩倉
出羽國秋田馬出所 領主佐竹右京大夫殿
横手 山根 能代 笹岡 久保田 角館 根木屋 長野 浦田 花館 扇田 湯澤 六郷
大館 十二所 芝野 下杉 升島 鷹巢 笹森 最上 高關 戸島
同國最上郡新庄馬出所 領主戸澤主計頭殿
最上 小國 笹森
同國庄内馬出所 領主酒井左衞門尉殿
庄内 黑川 草津 升田(マスタ) 石田
常陸馬出所 領主水戸宰相中將殿 〈外ニ領主八大名在所 府中、矢田部、土浦、笠間、宍戸、牛久、麻生、下館、〉
黑川 井關 香取 松井 森戸 川中子(カハナカコ) 横川 富岡 生瀨(イクセ) 中丸 大川
甲斐馬出所
鹿谷 小尾 下條 駒井 中條 藤田 小倉 黑澤 谷戸(セキト)
信濃松本馬出所 領主松平丹波守殿
石坂 佐野 飯森 更科 武石
尾張馬出所 領主尾張大納言殿
須原 畑中 金山 川村 野村 立花 瀨部 岩渡
越後長岡馬出所 領主牧野備前守殿
長岡 杉澤 黑木 小貫 川崎 大野 移島 棚野 藤島 高田 川井 麻生田 谷村
雄谷 山口 荷頃 矢島 大貫 輕井澤 一階 越中富山馬出所 領主松平出雲守殿
館本 牲川(ニエカハ) 松瀨
越前丸岡馬出所 領主有馬左衞門佐殿
丸岡 相谷 梯原 甲川
加賀金澤馬出所 領主加賀中將殿
下立 西中 内山 繩又 横水 三階 下山 深見
紀伊馬出所 領主紀伊中納言殿
涌谷 葛岡 黑木 津島 淸水 樋口 友〈ケ〉島 沖〈ガ〉島 中村
出雲馬出所 領主松平出羽守殿
秋山(アキヤマ) 福村 高岡 眞山
薩摩馬出所 領主松平薩摩守殿
末吉 頑山 長島 吉野 寄野
右之外、駒の出る國々は、松前の箱立、伊豆の大島、三河、飛驒、美濃、〈濃州ニテハ郡上ノ產を良とす〉能登、伯耆、隱岐、四國にては伊豫、土佐、九州にては薩摩駒を第一とす、肥後これに次ぐ、平戸五島等之駒は遙に劣れり、其外九州之内、處々より出るといへども、いづれも薩摩肥後之駒にはをよばず、薩摩には牧の數四十八ありといふ、

〔常陸風土記〕

〈行方郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 麻生里(アサフノサト)、古昔麻生于渚沐之涯、圍如大竹、長餘一丈、周里有山、椎栗槻櫟生(シヒクリツキイチヒオヒ)、猪猴栖住(シヽサルスメリ)、其野出http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01247.gif、飛鳥淨御原大宮臨軒天皇〈○天武〉之世、同郡大生里(オホフノサト)、建部袁許呂命得(タケベノヲコロノミコト)此野馬、獻於朝廷、所謂行方(ナメガタ)之馬、或云茨城之里馬(ウバラキノサトノウマ)非也、

〔新編常陸國誌〕

〈六十/土產〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0114 馬 延喜兵部式云、諸國馬牛牧、常陸國信太馬牧云々、右諸牧馬五六才、牛四五才、毎年進左右馬寮各備梳刷剉、信名按ニ、信太郡ノ馬牧トハ、所謂小野御牧ニテ小野郷ニアリ、今ハ河内馬ニ入ル、馬ヲ牧フコト廢セリ、弘安ノ太田文ニハ南野牧アリ、今土人ノ稱セル南野庄ニアリ、コレハ公家ノ御牧ニハアラズ、領家ノ庄牧ト見エタリ、コノ牧モ今ハ廢セリ、水戸義公命ジテ、多珂郡大能ノ廣原ニ馬牧ヲ置ル、

〔近江國輿地志略〕

〈九十七/土產〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 大津馬
大津驛の駄馬なり、百五匹の定なり、天智天皇大津の宮を造らせたまふと、き大津馬飛驒の材木を運しこと、近江風土記の脱簡に見へたり、爾來大津馬と號し、和歌にも詠ぜり、理なる哉、彼鎌倉の生食といへる馬も近江より出たり、新六帖爲家の歌に、關越て暮ればかへる大津馬おのがひとつれ道いそぐなり、今土俗、老さらぼへたるを、大津の馬のおひからしといへるも、舊き俚言なるべし、

〔下野國誌〕

〈十二/國產名物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115 牧馬
兵部省式に、下野國朱門牧馬とあり、さて朱門と云所は、今はなし、山口安良が云、朱門は朱間の誤字にて、都賀郡赤間ならんといへり、さてまた右大將賴朝卿の召されし、生食(イケズキ)、磨墨(スルスミ)と云名馬は、當國彥間(ヒコマ)の牧より出しといへど、彥間は安蘇郡なり、或人は朱門は彥間の誤ならんと云、然らば彥間はもと疋馬(ヒクマ)の義か、または天皇に奉る馬と云義にて、彥馬にてもあらんか、牧村も都賀郡にあり、考合すべし、

〔本草綱目譯義〕

〈五十/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0115
一種土佐ゴマト云アリ、小ニシテ達者也、土州ニ出、ヨクソダツ、穀ヲクハセズ草バカリクハス、又薩州ニ琉球ゴマアリ、土佐ゴマヨリ少シ大也、甚ツヨシ、鼻ノ下ニ長毛アリ、㹨ノヒゲノ如シ、トサ ゴマノ類也、トサゴマノ漢名果下馬、〈馬ニノリナガラ、小木ノ下ニユキテ果ヲトル也、一統志、〉 雙脊馬〈同〉 果餾〈廣東〉 石馬〈同凡馬ノ小謂石也〉

〔土州淵岳志〕

〈中/產物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 土佐駒
一名物ナリ、稻若水ノ木艸別集ニ、土佐駒ハ果下馬ト云トアリ、

〔本朝奇跡談〕

〈享〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 又同(土佐)國より小馬(こむま)出る、是を世に土佐駒と云、是は彼國の馬なれども、片輪(かたわ)者といふ類也、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00773.gif 而此國の馬、肝强く丈高く足强し、百數十里の道、沓を打ずして江都に至り、足痛むの憂なし、彼國に限り小馬のみ有と心得る事甚誤りなり、彼小馬は所にては用ゆる事なし、馬口勞(はくらう)體の者に價にかゝはらずして遣すよし、

〔西遊雜記〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 日向大隅の二州にて、一家に女馬三疋も五疋も飼て、駒を數多出す國にて、九州すべて兩國の駒を用ゆる事也、兩國にては年毎に三千疋も產せると土人物語き、

〔國花萬葉記〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 薩摩國名物出所〈○中略〉
牧駒(マキノコマ)

〔東遊雜記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 松前には馬の數多ある所にて、少しき荷物にても馬に付る也、其馬を見るに日本の馬よりは小なりといへども、力至て强く、日本の馬の二駄も一疋にて付て、嶮しき山坂を越るに屈せる體更になし、汗抔の出る事見へず、しかも鞽をうつと云ふ事をしらず、石原を通行せるに爪を損ふ事なし、御三所とも評判せらるゝには、此馬小なれども、軍馬に用ひて然るべし、江戸にても人々の知らざるも不審也、海内を放レし遠國にて行程遙成ると、乘馬にならざる事の有にやと評せし也、

馬飼養法

〔令義解〕

〈八/厩牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0116 凡厩、細馬一疋、中馬二疋、駑馬三疋、〈謂細馬者、上馬也、駑馬者、下馬也、〉各給丁一人、穫丁毎馬一人、〈謂以馬戸丁充、其飼乾之日、不http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00880.gif、但於木葉者、不馬充一人、此須口而量充、卽依下條、番役之外、亦輸調草、是也、〉日給細馬、粟一升、稻三升、〈謂稻者、半糠米、故稱升也、〉豆二升、 鹽二勺、中馬、稻若豆二升、鹽一勺、駑馬、稻一升、乾草各五圍、木葉二圍、周三尺爲圍靑草倍之、〈謂倍於乾草也〉皆起十一月上旬乾、四月上旬給靑、〈○中略〉
凡馬戸、分番上下、〈謂次丁次上也〉其調草、正丁二百圍〈謂若有水早年實不登者、一准飛驒國例、唯免其輸、不番役也、〉次丁一百圍、中男五十圍、

〔兵法一家言〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0117 馬ハ元來野生ノ獸ニテ、草ヲ食ヒ水ヲ飮ミ、風兩ヲ承テ生長スルハ天性ナリ、然ルニ今時武家ニテ乗馬ヲ飼フヲ見ルニ、甚上品ニ過テ宜シカラザルコト多シ、故ニ馬モ亦習性ト成リ、奢慢リ、懦弱ニ爲リ、艱難ニ堪ルコト能ハズ、此等ノ天理ヲ説示スト雖モ、馬役等ハ己ガ窕賃ノ減少コトナルヲ以テ、種々虚托タル便計ノ論ヲ發シテ、予〈○佐藤信淵〉ガ敎ヲ毀コト甚シ、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00881.gif 々タルモノハ天下皆是ニテ奈ントモスべカラザル俗習ナリ、其敎フべカラザルモノハ暫ク偖置キ、眞實ノ武備ヲ修ンコトヲ欲スル者ハ、天性ノ自然ヲ心得テ、草ヲ以テ飼ヒ立ツべシ、試ニ見ヨ、田舍ノ小荷駄馬ハ、其形容瘦枯シテ見苦シケレドモ、人ヲ駕セテ疾ク遠行スルニ至テハ、其力ノ極メテ强キ者ナルコトヲ、又今世ノ厚養ノ乘馬ナル者ハ、御庭ヤ馬場ヲ平行スルニハ、蹄正鞍穩カニシテ甚立振ニ見ユレドモ、此ニ乘リテ篠竹莿棘等ノ、滋蔓タル藪中ヲ通行センコトヲ欲シ、或ハ泥深ク草繁リタル沼澤等ニ乘掛リテ渡サンコトヲ欲シ、如何ニ叱テ鞭ツト雖モ、進ムコトヲ得ル者ニ非ズ、然ルニ野飼ノ藪ニ馴レ深田ヲ耕タル馬ナレバ、平然トシテ通行ス、此ヲ以テ察スべシ、今時ノ如ク飼ヒタル乘馬ハ、戰場ニ出テ必死ノ勝敗ヲ爭フトキニ臨テハ、何ノ役ニモ立ザルコトヲ、〈○中略〉中古ノ時代ニハ、奧羽兩州ニハ、六貫一匹ノ軍役アリキ、六貫トハ、予ガ農政本論ニ説キタル如ク、唐渡錢六貫文ノ小役錢ト、籾六十石ノ租税ノ出ヅル領地ニテ、今ノ世ナレバ金六兩ト糙米三十石ニ當ルべシ、此六貫文ノ知行高ヨリ、馬乘一騎ヅヽ出ス軍役ナリ、然ルニ今時ノ如ク、上品ナル飼料ニテハ容易ニ馬ヲ飼フコト能ハズ、千石以上ノ大身ト雖モ、馬ヲ持タザル家ノ アル所以ナリ、故ニ我家ノ法ハ、野草或粃ヤ粺藁糠ノ類ヲ用ヒテ、馬ヲ養ヒ、大豆等ヲ飼フコト無シ、然レドモ其馬ノ重キヲ乘セテ遠ヲ致シ、其力ノ强キコト、世上ノ大豆ヲ食テ奢侈ニ馴レタル馬ノ及バザルコト有リ、故ニ我家法ハ、乘馬ト雖ドモ、艱難ニ馴レシメンガ爲ニ、小荷駄ニ用ヒ、駄賃ヲ取テ以テ馬ヲ多ク飼フニ從ヒ、内證愈富饒ニ成テ、馬モ亦丈夫ナルコト甚シク、如何ナル艱處ヲモ、自在ニ奔走スルコトテ得ル者ナリ、故ニ大身モ小身モ馬ヲ飼フニハ、質朴ナル馬役ヲ抱ヘテ、日々駄賃ヲ取シムルヲ常例トスベシ、此ノ如クスルトキハ、毎日ノ小使錢ヲバ、乘馬ノ駄賃ニテ賄フコトヽ心得居ルトキハ、馬ヲ多ク飼フト雖ドモ、枉費アルコト無シ、馬ハ子立ヨリ踏ヲ掛ルコト無ク、素足ニテ使フベシ、松前ハ寒國ニテ、悉石地ナレドモ、藁ノ無キ處ナルガ故ニ、馬踏ヲ掛ルコト無シ、然レドモ未曾テ足裏ノ痛タル馬ノ有ルコトヲ聞ズ、總テ活物ハ全ク馴習ニ因者ニテ、平生踏ヲ用ザレバ、足ノ裏自然ニ硬ク成ルモノナリ、是翅ニ馬ノミナランヤ、人モ亦然リ、常ニ履ナク走行スル人ハ、足ノ裏ノ皮厚ク硬固ヲ見テ、其理ヲ會得スベシ、若又踏ヲ掛ザレバ、足ノ痛ム馬ナラバ、宜ク藥ヲ用フベシ、我家ニ金履傳ト名ケテ、足ノ下ノ皮ヲ硬クスル妙藥數方アリ、其中ノ一方ヲ斯ニ記ス、五倍子十匁、鐵粉十五匁、山藥十匁、密陀僧八匁、以上四品ヲ細末ニシ、鐵醬ヲ道宜ニ加へ、膏藥ノ如ク微火上ニテ煉リ、木綿布ヲ馬ノ迹ノ大サニ切リ、厚ク攤テ爪裏ニ貼シ、明日乘ルニハ、今日ヨリ貼テ、踏ヲ掛置クベシ、如斯スルコト七八度モ貼トキハ、足ノ裏皆堅固ニ硬マル者ナリ、馬ハ平生三匹モ五匹モ同居同食セシメ、且其傍ニ牝馬ヲモ置キテ、能ク見馴レサスベシ、如斯セザレバ、馬ノ多集ルトキニ、或ハ咬合蹶合テ騷動シ、或ハ牡馬ヲ稀見ルトキハ、淫狂ヲ發スルコト有リ、馬ハ總テ乘馬ニモ小荷駄ニモ用フベキナレドモ、軍馬ニハ牡馬ノ强健ナルヲ用ルコト別シテ利益多シト知ベシ、又田舍ノ古諺ニ、馬ハ飼殺セ、使殺セト云フハ、信ニ至言ナリ、故ニ一日ニテモ休メ置クコト宜シカラズ、但餘リ骨折タル翌日ニハ、輕キ荷ヲ負セテ歩マ スベシ、又其食物ヲバ澤山ニ飼フヲ良トス、野草ヲ第一トシテ、竹ノ葉、菽売、雜木ノ若葉、藁等モ宜シ、時ニ麥稗黍等ヲ壳トモ煮テ喰シムベシ、豆ハ多ク與フルハ宜シカラズ、米糖亦然リ、又海河ノ藻モ甚好ム者ナリ、馬ハ自身ニ此ヲ世話シ、食物ヲ飼フモ、洗足スルモ、皆自ラ懇ニシ遣スべシ、或ハ乘リ或ハ牽モ、厚ク愛育シテ、使御ヲ常トス、斯ノ如クセザルトキハ、己ガ自由ニ成ラザル者ナリ、今時ノ武士ノ馬ヲ取扱フヲ觀ルニ、一向ニ其心得ノ無キヲ以テ、馬ヲ扱フコト馬夫ニモ劣レルモノ多シ、假令バ乘ルコトハ上手ニテモ、扱フコトノ下手ナルハ恥ベキノ事ニ非ズ乎、皆是平生武道ニ心ヲ用ルコト無ク、唯馬夫ニノミ任セ置クガ故ナリ、又洗足ヲスルモ、平生ハ水洗足ニ仕付置テ、爪ノ根ト爪ノ裏トヲ念ヲ入レテ洗フベシ、但四五日ニ一度ヅヽ、上湯ヲ以テ大肩ヨリ總身ヲ能ク洗ヒ遣スベシ、又流レ川ニ四足ヲ浸スコトハ甚能ク、馬足ノ邪氣ヲ除クノ療法ニテ、馬ヲ壯健ニスルコト、湯洗足ニ勝レリ、若夫レ足ニ血ノ溜滯コト有リト雖ドモ休メテ置トキハ愈血溜滯テ、是不自由ニ成ル者ナリ、故ニ血ノ來ルコト有ラバ、針ヲ用ヒ、速カニ泄血シテ、愈油斷ナク乘ルベシ、然レドモ保養ノ爲ニ乘廻スコトナルヲ以テ、其心得ニテ道宜ニ乘ルベキコト論ズルニ及バス、

〔御法寶鑑〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0119 畜養之事
畜ハ許六切養也 凡馬ヲ養ニ、多ハ厩ヲ暖ニシテ南ニ面、夏ハ棚ヲ凉シテ北ニ面フ、頭ヲ平ニ繫ゲ、厩器ヲ潔淨ニセヨ新草ヲ揀擇シ、豆殼ヲ篩簸ス、熟料ハ新水ヲ以テ浸淘シ、放冷シテ方ニ之ヲ食シム、其馬ニ飮セシムルニ、惟新水ニ宜シ、時ヲ以テセヨ、切ニ宿水凍料陳草沙石灰土蛛絲諸雜毛髮ヲ忌、若之ヲ食バ卽瘦瘁シテ病ヲ生ズ、且夫日ハ則其形狀ヲ觀、夜ハ則其喘息ヲ聽、草料ノ多寡ヲ勘考シテ、疾病ノ有無ヲ詳察ス、溺淸翼潤ハ則病ナシ、斯所謂ル畜養ノ道也、
又曰、凡馬ヲ御育スルニ、春夏ハ未明ヨリ騎テ馳驟ヲ慣熟シ、秋冬ハ日出ヨリ騎テ行驅ヲ調習ス、 且夫飮食時アルニアラザレバ、馬羸繁息ナシ難シ、晝ハ午申ノ時ニ槽ヲ進メ、夜ハ戌子寅ノ時ニ槽ヲ進ム、一日一夜ニ五次、四時其別ナシ、春夏ハ穀料ヲ減ジテ芻水ヲ增、秋冬ハ芻水ヲ減ジテ穀料ヲ益、御人日夜馬ノ側ヲ去ズ、其形狀ヲ察テ食料ノ多寡ヲ度レ、御人若志切ナラザレバ瘖瘂言コト能ズ、或ハ飽或ハ飢ヲ忽肥滿シ羸瘦ス、抑馬ハ飮食度ニ合ヒ、乘騎節ニ中リ、洗浴法ニ應テ而テ後ニ馳驟則アリ、三ノ者若其一モ缺ルトキハ、百馬ニ一モ繁息スルコト能ズ、學者意ヲ留テ子細ニセヨ、
又曰、凡牧養スルニ、未明ニ馬ヲ轡ラニ移シテ頭ヲ高ク繫ギ、馬刷ヲ以テ身體ヲ掃除セヨ、日々ニ洗浴ヲ失スルコト勿レ、若四蹄及ビ鬣毛ノ上リニ瘀血生ゼントスルガ如キハ、洗浴ノ後速ニ食鹽ヲ傅ヨ、總テ洗浴足ザルトキハ、則氣血流通セズ、脈絡閉塞シテ身體詰屈ス、抑乘騎洗浴芻穀ノ三ノ者全ク調フニ非レバ、駿馬ト雖ドモ疾歩スルコト能ズ、馭人心ヲ切ニセヨ、

〔牛馬定目留書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0120 寬政十一己未歲十一月、上杉樣衆より牧馬取扱方(○○○○○)問合、箇條書〈江〉依御沙汰御答書附札書上帳、 松尾紋左衞門
一十一月八日、卯ノ刻付、御用人方ゟ之御用狀到來左之通、
一筆申達候、上杉彈正大弼樣衆ゟ、別紙之通問合之趣、江戸表ゟ申來候處、一體指圖いたし差越 候儀者難相成事と被存候得其、先心付之義其、附札仕、自分被相越候砌、持參可申候、尤右書面 之内、牝牡之處難相分存候、尚問合申越候間、被相越候節可申達候、是又爲心得申入候、以上、 十一月八日 御用人中
松尾紋左衞門殿
其御許樣御領内ニ而、牧馬之事者、御地も雪國之由ニ候得者、冬分は放牧之馬共、皆以民家之厩 〈江〉牽入候事之由、何月頃牧〈江〉相放、何月頃厩〈江〉牽入候事ニ御座候哉、 當(附礼)地牧馬之事、海邊之内、雪吹拂枯草多も相見得候程之場所は、四季押通置附ニいたし候、 放牧も有之候、雪多降積、冬置附難相成場所は、三四月草萌候頃見合、牧〈江〉馬共相放、九十月 頃厩ニ牽入候、
一牧之廣狹ニ依而、放馬多少可之、又草生之多寡ニも依可申、大凡積四月ゟ九月迄、日數百八十 日、馬壹疋一日一坪ニシテ百八十坪、十二丁位之地〈江〉貳百疋位も相放可申哉、草ハ一箇年四度 ハ萌可申候得其、雪國三度と見、馬壹疋一日三坪位之積ニ可之哉、
馬(附礼)壹疋一日之喰草苅取與へと違、牧に而者、場廣ニ差積不申候ては不宜候、大凡三四丁四 方壹疋之積ニシテ、竪貳里積、横壹里程之牧〈江〉馬貳百疋程放候積ニ御座候、右牧之内、風雨 之節驅入凌候爲、木立又は谷合ニ而も、無之候而者不宜候、且水無之地者放牧ニ難成候、 一一日切ニ野牧等いたし候と違、四月ゟ九月迄牧ニ放置候而者、馬荒く、容易繫留がたき事ニは 有之間敷哉、箇樣之手當者如何いたし事に候哉、
放(附礼)牧之馬は、如仰荒く相成候故、馬留土手柵之内見合、追廻し宜場所〈江〉、土手か柵を以、十間 或者貳三十間四方之牧袋、一方口ニ補理、其口ゟ左右、追ヒ手向、箕ノ手形に土手柵を構、野 取之節ニ至、土手陰ニ伏勢子備置、牧中散亂いたし居馬共、人數を以狩出し、右牧袋〈江〉段々 追入、總追込ミ之上、袋之内ニ小牧袋を假柵に而仕切、一間程之口を明け、壯夫數人を撰み、 袋之内ゟ小牧袋〈江〉五三疋ヅヽ引分追出し、捕押繫留〈ル〉、
一牝牡之數は、牝馬何程ニ、牡馬何程之割合ニ放シ生育宜敷御座候哉、 貳(附礼)歲已上牝馬五七拾疋ゟ、百疋程之牧〈江〉、牡馬壹疋之割合を以放來候、
一冬分厩〈江〉入候節、厩ヲ大キにして、牡馬は合同ニ入置候事之由、何間位之厩〈江〉何疋程入置、飼料 船等も大キにして、合同ニ喰候樣いたし候哉、是又何疋位何程之船ニ致候哉、 冬(附札)中村里〈江〉預候ニは良一軒〈江〉壹貳疋宛預ケ置候、厩ニ別段ニ大ニ致候ニも及不申候、舟 は壹疋ニ付壹斗程入候、堀舟或者釣桶相用候、民間ニ而一日限之野放馬は、十疋廿疋も合 同ニ厩〈江〉入置候も有之候、大概壹疋ニ付一坪半程之積ニも可之候、船合同ニ致候而は、 母子之外は爭ひの氣味有之、不宜物之樣相聞得候、勿論牝牡合同ニは入置不申候、一http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00882.gif 胎之牝馬は放不ン申、厩ニ繫置候事ニ候哉、若亦其儘放置、野ニ而出產いたし候事ニ御座候哉、 出產之砌、母馬子馬共ニ飼料各別之手當之者ニ候哉、
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00882.gif (附札)胎之牝馬も、其儘放置、野ニ而出產致候、難產ニも無之候得ば、母子共別段手當ニも及不 申候、村里〈江〉預置候馬者、冬飼中出產候得ば、母馬〈江〉は干菜汁〈幷〉煮候大豆糖取交、七日中一 日六七度宛爲相用、七八尺四方杭垣仕切いたし、母子七日程入置申候、尤產前、辛ミ之もの 忌ミ申候、且水飼不宜候得ば、子を荒し候事有之候、
一野ニ而致出產子馬共、秋厩〈江〉入候上、合同之内母馬相添入置候事ニ候哉、又子付之母馬は別厩 〈江〉入置候哉、
野(附札)取之上、母子相揃、厩〈江〉入置候、冬者別馬共ニ合同も不苦候、
一貳歲之夏、是も牧〈江〉放置候哉、母馬〈江〉は生出ゟ何月位附置候事ニ候哉、
貳(附札)歲之夏共ニ牧〈江〉放置候、母馬〈江〉者貳歲之土用後迄付置、秋ニ至、野取之上貳歲牽放候、
一乘馬仕候事は、心懸各別之事ニも有之哉、二才末秋ゟ厩ニ繫置候、三歲ゟ乘立可申と存候、
乘(附札)馬ニ仕候は、貳歲之節、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00773.gif 馬之内撰候而用候迄、當才二才迄、別段之仕込と申も無之、合同 ニ致置候、貳歲末秋ゟ、厩〈江〉繫置、三才ゟ乘り立候、
一御地ニ而右牧馬所持之民、一軒何疋位立置、右牧馬前後常之通遣ひ候事ニ候哉、
牧(附札)馬所持之民、壹軒何疋と難定候、田畑所持之多少ニ依、馬數持立不同ニ御座候、粟薭大豆 等多く作り出し候民は、其から糖等を飼料に用ひ候故、馬も多く持立候、大凡田畑打交三 四反も耕候民は、壹軒ニ付馬壹貳疋も持立候、倂野近之場所は、馬數に應じ、原野ニ而末秋 ニ至、草苅干ニ而圍置、飼料足シニ用候故、右差積之外、馬數所持之者も間々有之候、稻過ニ 耕候場所は、至而馬不足ニ御座候、
主用之牧馬は專ラ公用ニ付申付置候間、厩へ牽入置候節も、堅く遣不申候樣申付置候、尤 民間自分之野放馬前後輕荷ニ致勞遣候趣ニ御座候、
一牧之前後馬留之柵者、何れニ而も補理置候事ニ候哉、
馬(附札)留之柵は、一間柱貳本送、り高サ五六尺、根入貳三尺、或者三本送り貫三通、尤野取之節追 込、袋柵は如何ニも丈夫ニ致、高サ七八尺貫四通ニも致候、土手ニ而便利之場所は、高サ七 尺、根幅八尺程築立候、袋土手は右ゟ壹貳尺も高ク不致候而は、馬共荒立難防御座候、且生 來之垣ニ而、根通四五尺ヅヽ堀廻候而、馬留致候場所も間々有之候、
一牧之場者、見渡之處〈江〉、馬番之者附置候迄に候哉、又者牧士樣之者、時々牧〈江〉入、馬共取扱候事等 も有之者ニ候哉、
牧(附札)場近邊見渡之處へ、馬番之者壹兩人宛申付、日々之樣、牧中爲見廻見守候、右之外牧馬 別當、〈幷〉馬喰、馬醫等申付置、野放野取之節、万端吟味下知爲致候、牧馬生死等も見守之者ゟ 其向々〈江〉爲訴出、時々馬數吟昧爲致候、
一牧江狼入、牧馬を痛候事有之者之由、箇樣之防方如何仕候事ニ御座候哉、
牧(附札)江狼入候而、馬を痛候事、間々有之候、其節は、鐵炮ニ而威し、或者討留、牛馬之死骸〈江〉毒藥 を仕込ミ、餌を以壓、落穴等ニ而防候、
右之通、其御役筋江御達、委細御附札被成御敎示被下度と存候尤此外ニも心得ニ相成候箇條も 御座候はゞ、被仰知下度存候、
九月 高橋(上杉彈正大弼内)平左衞門
右御答書、此度出府ニ付持參、御馬懸御用人中村左中方〈江〉差出候處、書取方思召相叶、其儘一箇條限御附札被成、末ニ至リ、別段御附札ニは放牧之場所其所、山野地理之樣子ニ寄、書面之通ニ難至義も有之趣、一箇條御書加へ、早速江戸表〈江〉御立罷遣候旨承之、
寬政十一年十一月 松尾紋左衞門

〔蝦夷國風俗記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0124 牛馬之事
松前所在島一國は、牛馬を飼て野放しにかひ置なり、夏より秋は靑草枯草も有て食用に飢せず、仍而曠野曠陸に遊ぶ、冬に至りて雪ふりつもれば、雪中より秀る薄のhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00883.gif などを喰居るといへども、極寒の頃になれば、雪も大につもりて、薄のhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00883.gif も積る雪に埋りて、食物も絶ければ、濱邊に出て遠冲より波浪に打よせられたる海藻を拾ひ食ふ、土人其時を待て馬を取集て、雪のうへにやらひを結ひ、其内に飼置干草とて、毎秋刈干て貯へ置たる蓬交りの芽を與へるなり、如斯の存在の手當なれども、馬の剛强なる事、日本の馬に比類なし、轡ももちひず、沓をかけず、山坂の岩石、磯邊河原等をいとわずつかへども、少もひるむ事なく、予天明丙午の七月下旬、喜古内といふ村に一宿せし時、宵より明日の乘馬を賴置けるに、翌朝になりて馬を牽來らず、よつて其ゆへを尋るに、野にはなれゆきたりといへり、趣意をきくに、野放に飼置たる馬昨日捕へ置しに、彼馬手綱を切て山へにげ歸りたりといへり、夜中にげたればゆきがたしれがたきといふ、時に杣人來りて云、其馬二里程山奧の澤邊に居たると知らせたるによつて、いそぎまた捕へに遣したるよしいひける、暫過て彼馬を牽來りたり、予取あへず打乘て行先急ぎけり、道すがら土人の風儀を見るに、太古の風はかくもあるべきかとおもわるゝ也馬子壹人にて馬五疋繫ぎ連て牽、往來するを見 るに、屈曲の山路にて人足も安からざる險岨の山坂を住來するに難しとも見へず、また夫よりはるかに過て、濱邊に出て通りけるに、渚に飼馬と見へて、六七疋遊び見へたり、馬子予にいひけるは、暫く馬を駐て待居給はれと云て渚端に行く、予手綱を取て馬をとゞめて待居しに、彼馬子渚端の馬を撫廻し、よく見て戻る、予不審におもひ、其故をとふ、ときに馬子云、某の馬二十日計以前に、野放しに仕置たるが未見へず、よつて渚端の馬某が馬に能似たるゆへ篤と捕へ見れば、某が馬にあらずといふ、予失ひたるかと問へば、馬子云、もし熊にとられたるか、生てだに居ば終にはいつか尋ねあたる也といへり、

〔明良洪範〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 神君、藤ノ森ノ御屋敷ノ厩破損シケル、加々爪隼人新造セント申上ル、上意ニ兩漏ラバ其所計り防ギ置、壁崩レナバ其所計土付ヨ、破レヌ所ハ其儘置ベシト也、隼人又申上ルハ、今上方ノ諸侯夏ハ蚊帳ヲ釣リ、筈ハ布團ヲ著セテ馬ヲ愛セラル、御家ノ厩ハ戸口ニ藁筵ヲ下ゲ候、餘リ麁末也ト云ケレバ、武士ノ馬ヲ畜ハ用立所專一也、外見ヲ飾ルニ及ズ、予ガ藁筵ヲ掛テ畜フ馬ト、他家ノ蚊帳ヲ釣テ畜フ馬ト、何レカ勝ルト思フヤ、瞼阻ヲ乘リ、川ヲ渡リ、堀ヲ越エ極寒極暑ニモ疲レザルヲ能シトス、夫ハ常々畜樣ニ有事也、馬ヲ畜フ事、上方風ニ習フ事ナカレト宣ヒシト也、

〔明良洪範〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 信州ノ人曰、常ニ米ノ藁ヲ喰フ馬ハ、冬野ニ放チ置キテ、脊ニ霜カヽレバ忽チ消ル、常ニ粟ノ藁ヲ喰フ馬ハ、脊ニカヽル霜暫時消ズト也、信州ハ至テ寒國ナレバ、カヤウナル事有ヌベシ、米ノ德アル事、今更イフベクモアラズ、

馬病

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬病〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0125 脊瘡 陶隱居曰、鹽有九種、柔鹽、療馬脊瘡、〈俗云多胡〉
腹瘇 伯樂曰、馬腹瘇〈今案、瘇卽腫字也、俗云多知波禮、〉無病直立腹下腫是也、遣人騎行、則汗出卽差、
脚病 伯樂曰、脚病、〈俗云知阿奈岐〉馬有此病、則欬嗽、衣毛焦前足、重不行、 腹轉病 伯樂曰、腹轉病、〈俗云波良夜無〉馬有此病、則廻顧聞腹、又有腹結病、馬有此病、則臥起腹脹汗出、
騺 唐韻云、騺〈陟利反、與致同、俗云太利、〉馬脚屈重也、

〔塵袋〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 一馬ノ足ノ病ヲタリト云フハ足ノ字歟、
足ヲハタレリトモ、タリヌトモヨメバ、サモアリヌベケレドモ、騺(チ)ノ字ヲ用フ、馬脚ノ屈重也ト釋セリ、

〔御法寶鑑〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0126 五勞之事
五勞ハ筋勞、骨勞、皮勞、氣勞、血勞ヲ謂也、筋勞ハ久歩スルニ因テ之ヲ得、其狀終日驅馳シ放テhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00884.gif バザル者是也、其病タルヤ、則血蹄間ニ凝滯シテ痛テ氣ヲ凌グ、骨勞ハ久立スルニ因テ之ヲ得、其狀http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00884.gif ト雖モ、而モ時ニ起ザル者是也、其病タルヤ、則癰腫ヲ發ス、皮勞ハ久汗シテ乾ザルニ因テ之ヲ得、其狀驤テ起ト雖モ、而モ毛ヲ振ザル者是也、其病タルヤ、脥脊之ヲ摩バ熱スル也、氣勞ハ汗未息ザルニ乘燥テ飮ヲ飼ニ因テ之ヲ得、其狀毛ヲ振ト雖モ、而モ卽噴氣セザル者是也、其病タルヤ、苦氣シテ宣通セズ、緩ク之ヲ繫ジ櫪上ニ餽草ヲ遠クベシ、乃噴也、血勞ハ驅馳節ナキニ因テ之ヲ得、其狀噴氣スト雖モ、而モ卽溺セザル者是也、其病タルヤ、則發テ强テ行、高ク之ヲ繫テ飮食セシメズ、少時クスレバ乃大ニ溺スル也、
七傷之事
七傷ハ寒傷、熱傷、水傷、飢傷、飽傷、肥傷、走傷ヲ謂也、寒傷ハ冬月宿水ヲ飮シ、寒處ニ繫ニ因テ之ヲ得、其病馬ヲシテ毛樵テ塵ヲ受シムル者是也、熱傷ハ暑月ニ乘騎遏多シ、時ナラズシテ飮食スルニ因テ之ヲ得、其病馬ヲシテ煩躁悶亂セシムル者是也、水傷ハ騎コト廻ガ故ニ、便停滯ヲナシテ散ゼザルニ因テ之ヲ得、其病馬ヲシテ腸胃ニ積聚ヲ結シテ、病ヲ成シムル者是也、飢傷ハ馬飢コト盛ナルニ、更ニ大走セシメテ、喘息未定ザルニ、爭然トシテ飮食スルニ因テ之ヲ得、其病馬ヲシテ 心脾ノ氣結シ、草料消セザラシムル者是也、飽傷ハ飽トキニ乘騎シテ再便飮食セシメ、馬草ヲ喫コト太猛ナルニ因テ之ヲ得、其病馬ヲシテ腸胃ニ積聚シ、糞行遲澀ナラシムル者是也、肥傷ハ馬臕大ニシテ力行スルニ因テ之ヲ得、走傷ハ馬極テ走コト大過スルニ因テ之ヲ得、二ノ者ハ皆馬ヲシテ肉斷脂消氣續ザラシム、

〔圓流騎馬法〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 療治之卷
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00773.gif 而馬の病は二しやを以ておこる物也、此は此はじめは一つには物飼所、一つには乘つからす所を以て、二し、やと云ふなり、又云、二しやと云ふは呂律の二つ、是を以ておこる、乘人息合をもしらず曲する時に、くどく、甚わきまへもなく、心にまかせ乘ば、彌曲さかんに成、息はつまるゆへ、其曲なをらず、息の病と成、それより四百四病のやまひ出る也、依之息合を大事に乗ば曲もなをり、息もつまらぬゆへに、病出ぬ物なり、口傳有、

馬治療法

〔令義解〕

〈八/厩牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 凡官畜應脂藥上レ病者、所司預料須數、毎季一給、〈謂官畜者、馬寮之畜也、所司者、左右馬寮也、言應脂及藥治厩馬病者、馬寮預料數申官、官卽毎季一給、其牧畜者、不此例、〉

〔壒囊抄〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0127 馬藥師ヲハクラクト云何ゾ、文字如何ニ、
伯樂ト書ク、是古人ノ名也、〈○中略〉近比ハ小河ノ乗澄コソ、無雙ノ伯樂ニテ、安驥ト云名書ヲ作ラレケル也、彼文頗ブル名物ナレバ、甲乙飼(エトカイ)ノ秘藥許リ注シ侍リ、
春三箇月分
肝〈木、王、スル、スシ、〉 心(シン)〈火、本苦子味甘、母味スシ、〉 脾(ヒ)〈ニガシ、仲人藥、〉 肺(ハイ)〈金、シハヽユシ、仲人藥、〉 腎(ジン)〈水、本味シハヽユシ、母味スシ、子味カラシ、〉
夏三箇月分
心〈火、王、ニガシ〉 脾〈土、本味アマシ、母味ニガシ、〉 肺〈金、アマシ、仲人藥、〉 腎〈水、スシ、仲人藥、〉 肝〈木、本味スシ、子シハヽユシ、母味ニガシ、〉
四季土用分 脾〈土、王、アマシ〉 肺〈金、本味辛、母甘、子味シハヽユシ、〉 腎〈水、カラシ、仲人藥、〉 肝〈木、ニガシ、仲人藥、〉 心〈火、本味ニガシ、母味アマシ、子味スシ、〉
秋三箇月分
肺〈金、王、カラシ〉 腎〈水、本味シハヽユシ、母辛、子スシ、〉 肝〈木、シハヽユシ、仲人藥、〉 心〈火、アマシ、仲人藥、〉 脾〈土、本アマシ、子ニガシ、母カラシ、〉
冬三箇月分
腎〈水、王、シハヽユシ〉 肝〈木、スシ、母シハヽユシ、子ニガシ、〉 心〈火、スシ、仲人藥、〉 脾〈土、カラジ、仲人藥、〉 肺〈金、カラシ、母シホハユシ、子アマシ、〉
五臟藥分
酢天目七分水一皿入べシ、苦辛一皿、甘草一分、煎ズべシ、甘草ノ代、串柹五キザミスル也、胡椒卅五粒磨テ用べシ、胡椒ノ代、土薑(ツチハヂカミ)五節キザミスル、鹽一皿煎テスルベシ、是ハ相加相剋ノ馬ニ可飼藥ノ分是也、 是ハ長六寸七寸ノ分也
一藏三味ニ可飼藥方
酢天目半分、水一皿入べシ、三分二母味三分一、子味苦辛八杓、母味ハ三分二、子味三分一、串柹三ツ母味二、子味一、土薑五節、母味三節、子味二節、鹽錢十錢、母味七錢、子味三錢、是モ六寸七寸ノ馬之分也、此〈ノ〉加減ヲ以テ、馬ノ大小ニ依テ、可飼者也、
内火藥
苦辛ヲカフ也、次ニ女ノ付ル潼(カネ)、天目半分、赤子ノ糞、小土器一、夏子(カイコ)ノヒヽイルノコ二錢、是三色ヲ合テ、冷水ニテ飼也、キヨウタウヨリ、血ヲ出スべシ、能々頭ヲ冷スべシ、其後一身ヲ冷ス也、猶ヲ能モ不成、熊ノ井、榎子三程ヲ、水ニ能々ヲロシテ、夏子ノヒヽルノコ三錢、是二ツヲ合入テ、水天目七八分ニカキ立テヽ飼也、此等ハ尤最上ノ秘藥也、灌頂煎ジユハリノ樣、鯉ヲ少〈ニ〉切〈リ〉テ鰹一節、人參一分粉ニスベシ、鹽二合、古酒二升、水一升入テ、一時ニ煎テ、其汁ヲ茶碗ノ鉢ニ入テ、檀紙ヲ十二ニ切テ、靑竹ニ懸テ、十二染干スべシ、次一竹ヅヽ竹ノ子ノ皮ニテツヽムべシ、是ヲ飼ハンニハ、大馬ナ ラバ一竹、小馬ナラバ半分、冷水天目八分二、此紙ヲヲロシテ、藥ニ合テ可飼、灌頂ノ眞言有也、 亦灌頂ノ返藥ノ事、馬能成テ半時有テ、甘草一寸ヲキザミテ、藥袋ニ入テ、葱〈ノ〉白根七筋、水天目一餘リ入テ、一盃ニ煎ジテ可飼也、於此書者、最上ノ秘藥也、敢テ不聊爾ト云云、

〔圓流騎馬法〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0129 療治之卷
一尿結と云ふは、後肢をかゞめ臥て、おきる時はいぬふしにして、しばらく有て起、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00885.gif のねをかき、又目たゝきをする事も有、
飼汁は昆布をあらいて、其汁にて可用、又葱苳を煎じて飼もよし、
一虫腹と云ふは右の二病より急にして、そりかゞみ尾をふり煩なり、虫の付たる所をかきせぐりをしてもだへおきふししげかるべし、此時はおはこを煎じて飼べし、
三段之藥
一牽牛子 一白朮 一莪朮 一大黃 一木香〈各壹兩宛〉 一苦辛〈貳分〉
右結馬强くば黃芩黃蓮を加へ、尿結には澤瀉木通を加へ、虫腹には胡黃連、苦辛、〈大〉良香、葛根、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00886.gif 白皮、〈各中〉周麻〈少〉加へ、
右細末して伺汁時によるべし、是もつよく熱したらば、大黃黃芩黃連を加べし、虫强くば右の藥に三稜を可加、尿結强くば猪苓を可加、
一内羅と云ふは、寒熱有寒にみゆる時は、毛たちふしよくし、なにともしれず煩なり、熱の時は耳たれ毛ふし煩ふ也、
藥之事
一良香 一細辛 一茯苓 一防風 一桂枝 一干姜 一縮砂 一川芎〈各等分〉一五味子 一當歸〈各三分〉 右調合してにごり酒にて可飼、又葱苳を煎じても可飼也、又内亂の時は、
一 一桂枝〈中〉 一防風〈大〉 一細辛〈中〉 一茯苓〈大〉 一滑石〈大〉
右細末して右の飼汁にて可用也、又引内羅には右の藥を川ゑびをすりて、にごり酒にてのべて飼べし、

〔安齋隨筆〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 一暑氣ニ乘ル馬ニ飼藥 戰場ニテハ未明ニ此藥ヲ飼ベシ
白朮〈五匁、皮ヲ去、炒ル、〉 藿香〈三匁、其儘、但砂ヲ洗落ス、〉 陳皮〈五匁、白ミヲ去、〉
右水三升と、鹽半合ヲ加へ、一升ニ煎ジツメ、一合ヲ可飼、〈但〉ヌカ前ニ飼也、
一寒氣ニ乘ル馬ニ飼藥 同前
麻黃〈十匁、其儘、キザミイル、〉 防風〈五匁、拵樣前ニ同、〉 白朮〈二十匁〉 馬兜鈴(バトレイ)〈二十匁、其儘、〉 木通〈十匁、其儘、〉
右二ツニ分ケ、水カゲン前ノ如シ、是ニモ鹽半合入、呑セ樣同前、

〔甲陽軍鑑〕

〈十六/品第四十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 馬の一藥の事、牡蠣散、馬のつぢのさがりたるは上戸、あがりたるは下戸、蠣のからを七ケ、七度燒、度々蘩の汁に付ては燒付てはやき、七日十日に十九度燒、能く粉にして栗毛、鹿毛何も上戸の馬には酒にて飼べし、馬の舌よく〳〵洗ひてすりて飼べし、舌にぬる也、下月の馬には水にて飼、又云、雉子の雌の足を取集めて、黑燒にして、せゝなぎの水にてのますべし、いかなる大事の頓病にもよし、
○按ズルニ、馬藥ノ事ハ、武技部騎術篇ニ在リ、

伯樂

〔屠龍工隨筆〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 伯樂は、馬を守る星の名なるが故に、夫(ソレ)あづかる職の者を號くるなり、

〔康煕字典〕

〈辰集中/木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 樂(カク/ラク)〈唐韻、五角切、集韻、韻會、正韻、逆角切竝音岳、(中略)又唐韻、魯刀切音勞、廣韻、伯樂相馬、一作博勞(○○)、〉

〔南留別志の辨〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0130 ばくらうといふも、伯樂の誤りなるべし、
伯樂をはくらうとよみたるはよし、誤るにあらず、くとうと通ふは始に去り、

〔壒囊抄〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 馬藥師(クスシ)ヲ伯樂ト云何ゾ、文字如何ニ、伯樂ト書ク是古人ノ名也昔漢朝七雄戰國ノ時ノ馬相人也、故ニ日本ニモ馬醫師ヲ伯樂ト云也、又伯樂ハ元ヨリ星名也、此星典天馬、仍相馬者伯樂ト云、旁故ヘアル也、俗ニハクラクト云、和ゲテ云心ニヤ、又云誤ル歟、文選ニハ張里ヲムマクスシトヨメリ、然レバムマクスシト云ン時ハ、張里ト可書也、近頃ハ小河ノ乘澄コソ無雙ノ伯樂ニテ、安驥ト云名書ヲ作ラレケル也、

〔吾妻鏡〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 承久三年六月十八日辛未、武藏太郎秘藏馬一兩匹、於宇治矢、其鏃込身中、于今不之、憗雖斃太辛苦、雖諸人、稱其治術之由、生虜西面中有友野右馬允遠久者、飼馬之藝、可古伯樂、聞此事治之由云云、武州頻入興、則引送彼馬之處、拔鏃療養、忽得愈也、珍事由世以謳謌云云、

〔一話一言〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 武具要説の中に
一今川義元ノ家中ニ米マキト申ス伯樂、肢フリアシキ馬ノ筋ヲ切申候、

馬子

〔玉勝間〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 馬子(マゴ)
西宮記に、馬子六人馬子四人など見えたり、馬につきたる者なり、今、の世にまごといふはこれなり、

〔安東郡專當沙汰文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 一濱下者籠搦(コカラゲ)日卽下之、彼時馬子酒專(マゴノトテ)當方五(ヨリ)升出之、前々彼酒直料百文出之云云、近代酒五升出之也、丁部等面々馬一疋口付一人宛出之、御籾俵餅俵等津湊、度々員下之間、湊漕丁部請取之、御船奉之、

〔享保集成絲綸錄〕

〈四十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0131 承應四未年三月
一馬士馬ニ乘候事、此以前ヨリ御法度ニ被仰付候處、猥ニ罷成候由被聞召候ニ付、芝口者札之辻 ヨリ内、淺草口は駒形堂ヨリ内、其外下谷本郷小石用牛込之御門、市ケ谷之御門、糀町之御門、赤 坂之御門ヨリ内、侍町者勿論、町中にて、馬かた(○○○)、馬ニ乘候事、御法度候旨被仰出候間、少も違背不 仕樣ニ、町中馬かた共に急度可申付候、若相背もの於之は、其町之辻番之者相改、堅のらせ申 間敷候、此上違背仕候はゞ、曲事ニ可仰付候事、
一往行幷橋之上ニ牛馬立置申間敷候、荷物付候時は、かたわきにてつけ可申事、
三月

名馬

〔聖德太子傳曆〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 六年戊午夏四月、太子〈○厩戸〉命左右、求善馬、符諸國貢、甲斐國貢一驪駒(クロコマ)四脚白者、數百疋中、太子指此馬曰、是神馬也、餘皆被還、令舍人調子麿加之飼養、秋九月、試馭庇馬、浮雲東去、侍從仰觀、麿獨在御馬之右、直入雲中、衆人相驚、三日之後、廻轡歸來、謂左右曰、吾騎此馬、躡雲凌霧、直至富士嶽上、轉至信濃、飛如雷電、經三越竟今得歸來、麿汝忘疲隨吾、寔忠士也、

〔江談抄〕

〈三/雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 高名馬名等
赤六、穗坂、十七栗毛、戀地、鳥子、尾白、榛原、翡翠、若菜、別栗毛、御坂、近江栗毛、三日月、本白、和琴、宇都濱、穗檀、糟毛、鳥形、花形見、野口、宮橋、前黑糟毛、後黑糟毛、望月、宮城野里、尾花、日差、蝶額、大甘子、小甘子、白絃、夏引、

〔源平盛衰記〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0132 木下馬事
抑三位入道賴政ノ係ル惡事ヲ宮〈○高倉宮以仁王〉ニ申勸メ奉ル事ハ、馬故ナリ、嫡子伊豆守仲綱ガ家人、東國ニ有ケルガ、八箇國第一ノ馬トテ、伊豆守ニ進ラセタリ、鹿毛ナル馬ノ太逞ガ、曲進退ニシテ逸物也、所々ニ星有ケレバ、星鹿毛ト云ケリ、仲綱是ヲ秘藏シテ、立飼ケリ、實ニ難有馬ナリケレバ、武士ノ寶ニハ能馬ニ過タル物ナニカハ有ベキトテ、アダニモ引出ス事ナケレバ、木下(○○)ト云名ヲ付テ、自愛シテ飼ケル程ニ、或人、右大將〈○平盛宗〉ニ申ケルハ、伊豆守ノ許ニコソ、東國ヨリ究竟ノ逸物ノ馬出來テ侍ナレ、召レテ御覽候ヘカシト申、大將軈テ人ヲ遣シテ、誠ヤ面白キ馬ノ出來テ侍ル ナル、少シ見度候ト云レタリ、仲綱コレヲ聞テ、暫ハ物モイハズ、良久有テ、御目ニ懸ルべキ馬ニハ侍ザリシカドモ、ケシカル馬ノ遠國ヨツ上テ、爪ヲカキテ見苦シゲニ候シ間、相勞ハラントテ、田舍へ下シテ候ト返事シケリ、人申ケルハ、一昨日ハ湯洗、昨日ハ庭乘、今朝モ坪ノ内ニ引出テ有ツルナリト申、右大將サテハ惜ムニコソトテ、重テ使ヲ遣ス、彼馬ハ、一定是ニ侍ル由承ル、サル名馬ニテ侍ルナレバ、一見ノ志計也ト謂レケリ、伊豆守ハ、我ダニモ猶見飽ズ、不得心ナリト思テ、猶モナシト答ケレバ、大將ハ負ジト、一日ニ二度三度使ヲ遣シ、六七度遣日モ有ケレ共、惡〈ク〉惜テ終ニヤラズ、一首カクコソ讀タリケレ、
戀敷バキテモミヨカシ身ニ副ルカゲヲバイカヾ放遣べキ、木下ハ鹿毛ノ馬也、我身ノ影ニ添ケルニヤ、最ヤサシク聞エケレ共、一門亡テ後ニコソ放ツマジキ影ヲ放テ角亡ニケリ、歌ニ讀負タリトゾ申ケル、三位入道、仲綱ヲ呼テ、イカニ其馬ヲバ遣サヌゾ、アノ人ノ乞カケタランニハ、金銀ノ馬ナリトテモ進ラスべシ、縱乞給ハズトテモ、世ニ隨フ習ナレバ、追從ニモ進ラスべキニコツ、增テ左程ニ乞給ハンヲバ、惜ムべキニ非ズ、況馬ト云ハ乘ン爲也、家内ニ隱シ置テハ何ノ詮カ有べキ、疾々其馬進ラスべシト宣ヒケレバ、仲綱力及バズ、父ノ命ニ隨テ、木下ヲ右大將ノ許へ遣シケリ、聞ニ合テ實ニ能馬也ケレバ、舍人餘多附テ、内厩ニ秘藏シテ立飼ケリ、日數經テ後、伊豆守以使者召置レ候シ木下丸返給べキ由申タリ、右大將、此馬ヲバ惜テ其代リト覺シクテ、南鐐(○○)ト云馬ヲ賜タリケリ、極テ白馬也ケレバ、南鐐トハ呼ケリ、是モ誠ニ太逞クシテ好馬ナリケレドモ、木下ニハ及付べキ馬ニ非ズ、係リシ程ニ、當家他家ノ公卿殿上人、右大將ノ亭ニ會合ノ事アリ、或人實ヤ仲綱ガ秘藏ノ木下ト申馬ノ此御所ニ參テ侍ケルハ、逸物ト聞エケリ、見侍バヤト申タリ、大將サル馬侍リトテ、伊豆守ガサシモ惜ツル心ヲ惡テ、木下ト云名ヲバ呼バズシテ、馬主ノ實名ヲ呼デ、其伊豆ニ轡ハゲテ引出シ、庭乘シテ見參ニ入ヨト宣フ、仰ニ依テ引出シ、庭乘樣々シケリ、〈○下 略〉

〔源平盛衰記〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 石橋合戰事
與一〈○佐奈田義貞〉ガ乘タル馬ハ、白葦毛太逞ガ七寸ニ餘テ、鼻ノサキ瓠ノ花ノ如ク白カリケレバ、名ヲバ夕貌(○○)ト云、東國一ノ强馬也、モト三浦介ガ許ニ有ケルガ、餘ニ强テ輙乘者モナカリケルヲ、岡崎所望シテ乘ケルガ、ソレモ進退シ煩タリケルニ、與一計ゾ乘隨タリケル、去共岡崎持和テ三浦へ返タレバ、本ノ栖へ歸タリトテ都返リ(○○○)ト名付タリ、佐奈田折節馬ナクテ、又乞返タレバ、古巢へ歸タリトテ鶯(○)共呼ケリ、元來ツヨキ馬也ケレ共、己ガ力ヲ憑ツヽ、出雲轡ノ大ナルニ、手綱二筋ヨリ合テゾ乘タリケル、

〔源平盛衰記〕

〈三十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0134 東國兵馬汰幷佐々木賜生唼附象王太子事
鎌倉殿ノ侍所ニテ評定アリ、合戰ノ習、敵ニ向城ヲ落スハ、案ノ内ナリ、大河ヲ前ニアテ、兵ヲ落サン事、ユヽシキ大事也、都ニ近キ近江國ニハ勢多ノ橋、其流ノ末ニ、山城國ニハ宇治橋二ノ難所アリ、定テ橋ハ引ヌラン、河ハ底深クシテ流荒シ、ナベテノ馬ノ渡スベキ用ニ非ズ、其上河中ニ亂杭逆茂木打、水ノ底ニ大綱張、流カケヌラシ、ヨキ馬其ヲ渡テ、宇治勢多ヲ渡シテ、高名アルベシトゾ被議ケル、斯リケレバ、大名小名黨モ高家モ、面々ニ其用意アリ、上總國住人介八郎廣經ハ、礒(○)ト云馬ヲ引セテ參タリ、下總國住人千葉介經胤ハ、薄櫻(○○)ト云馬ヲ引ク、武藏國住人平山武者所季重ハ、目糟馬(○○○)トテ引ク、同國澀谷庄司重國ハ、子師丸(○○○)トテ引タリ、畠山庄司次郎重忠ハ秩父鹿毛(○○○○)、大黑(○○)、人妻(○○)、高山葦毛(○○○○)トテ引タリ、相摸國住人三浦和田小太郎義盛ハ、鴨ノ上毛(○○○○)、白浪(○○)トテ引タリ、伊豆國住人北條四郎時政ハ、荒礒(○○)トテ引タリ、熊谷次郎直實ハ、權太栗毛(○○○○)トテ引タリ、大將軍九郎御曹子ハ、薄墨(○○)、靑海波(○○○)トテ被引タリ、同蒲御曹子ハ、一霞(○○)、月輪(○○)トテ被引タリ、是等ハ皆曲進退ノ逸物、六鈴沛艾ノ駿馬、强事ハ獅子象ノ如ク、早キ事ハ吹風ノ如シ、サレバ越後越中ノ境ナル姫早川ト、利根川 ト、駿河國ニハ富士川ト、天中大井川ナンド云大河ヲ渡セシ馬共也、マシテ宇治勢多ヲ思フニ、物ノ數ニヤトゾ各勇申ケル、此中ニ佐々木、梶原馬ニ事ヲゾ闕キタリケル、折節秘藏ノ御馬三匹也、生唼(○○)、磨墨(○○)、若白毛(○○○)トゾ申ケル、陸奧國三戸立ノ馬、秀衡ガ子ニ元能冠者ガ進タル也、太逞ガ、尾髮アクマデ足タハ、此馬鼻强シテ、人ヲ釣ケレバ、異名エハ町君(○○)ト被付タリ、生唼トハ黑栗毛ノ馬、高サ八寸、太ク逞ガ、尾ノ前チト白カリケリ、當時五歲猶イデクベキ馬也、是モ陸奧國七戸立ノ馬、鹿笛ヲ金燒ニアテタレバ少モ紛ベクモナシ、馬ヲモ人ヲモ食ケレバ生唼ト名タリ、〈○中略〉梶原源太ハ磨墨ニ增ル馬モヤ有ルラント思ヒテ、大名ノ中ヲ廻リテ馬共ヲ見ルニ、九郎御曹子ノ靑海波七寸、蒲御曹子ノ月輪七寸二分、和田小太郎ノ白波七寸五分、畠山ノ秩父鹿毛七寸八分、此等ヲ始トシテ、大名小名五十匹、三十匹、五匹、十匹、引セタリ、サレ共磨墨ニ倍ル馬ナシ、源太大キニ悦ビ、一重アガリタル所ニ居テ、引廻シ引廻シ愛シ居タリ、餘ノ嬉サニ、人ガ嘆ヨカシ、引出物セント思フ處ニ、村山黨ノ大將ニ、金子十郎家忠、折節爰ヲ通リケリ、招寄セテ、如何ニ金子殿、此馬何程ノ馬ニテ候ゾ御覽ゼヨト云、金子ハ元ヨリ勇ミ狂シタル男ナリ、打見テ誑レ笑ヒ、コレハ佐殿〈○源賴朝〉ノ磨墨ニヤ、御邊ノ親父梶原殿、御内ニハ一人ニテ御座ス、サレバ御邊此御馬賜リ給ヒニケリ、此程ノ馬ヲバ能キトモ惡キトモ、中々詞ヲ加フル事沙汰ノ外ニ侍リ、只時ノ鈶徐(コヘヨソ)ノ人目コソ羨敷候ヘト嘆タリケレバ、源太大ニ ビテ、小櫻ヲ黃ニ返シタル鎧ニ、太刀一振取副テ引ク、源太ハ舍人三人付テ摩ヨ、ハタケヨ、飼勞レトテ、他事ナク是ヲ愛シケリ、佐々木四郎高綱ハ、生唼ニ黃覆輪ノ鞍置、白キ轡、二引兩ノ手綱結ビテ、舍人六人付テ、浮島原ヲ西へ向テゾ引カセタル、原中宿ヲ過、平々タル春ノ野ナレバ、生唼不斜勇ミ、身振ヒシテ、三聲四聲嘶タリ、鐘ヲツクガ如クナリケレバ、遙ニ二里ヲ隔テタル田子ノ浦ヘゾ響キタル、畠山是ヲ聞テ、コハイカニ生唼ガ鳴音ノスルハ、誰人ノ給テ將來タルヤラント云フ、半澤六郎申ケルハ、是程ノ大勢ノ中ニ、數千匹、逸物共多ク侍リ、何ノ馬 ニテカ侍ラン、大樣ノ御事ト覺ヘ候、其上生唼ハ蒲殿梶原ナドノ被申ケレ共、御免シナシト承ハル、サテハ誰人カ給フべキトイへバ、人々ゲニモト思ヒテ、アザ咲フテゾ有ケル、畠山重忠ハ一度モ聞損スマジ、人ニタビタバズハ不知、一定生唼ガ音ナリ、只今思合セヨト云モハテネバ、生唼ハ東ノ方ヨリ舍人六人ヒキモタメズ、白泡カマセラ出來タリ、サテコソ畠山ヲバ神ニ通ジタルヤラントモ申ケレバ、源太ハ磨墨ホメ愛シテ居タル處ヲ、舍人共生暖引テゾ通ケル、ユヽシク見エツル、磨墨モ勝ル生唼ニ逢ヒタレバ、無下ニウテヽゾ見エタリケル、源太是ヲ見、蒲御曹子ノ賜ハル歟、九郎御曹子ノ給歟、ヨキ次トテ院ヘ進セラルヽカト思テ、郎等ヲ以テ、其御馬ハ何方へ參リ、如何ナル人ノ馬ゾト問フ、舍人、是ハ佐々木殿ノ御馬ト申ス、佐々木殿トハ誰ゾ、三郎殿カ、四郎殿カト問、四郎殿ノ御馬ト答、源太此事ヲキヽ、口惜事ニコソ、景季再三所望申ツルニ、御免ナキ馬ヲ、高綱ニタビケル事ノ遺恨サヨ、佐々木ニタブ程ナラバ、先ノ所望ニ付テ景季ニ給フべシ、景季ニ給ハヌ程ナラバ、後ノ所望ナリ、高綱ニ給フベカラズ、大將軍タル人ノ、源平ノ大事ヲ前ニ拘へテ、惡クモ偏頗シ給へリ、是程ノ御氣色ニテハ、イカデモ有ナン、千世ヲ榮べキ世中ニ非ズ、思ヘバ電光朝露ノ如クナリ、イツ死ナンモ同事、日比佐々木ニ宿意ナシ、時ニ取テ日ノ敵ナリ、高綱サル剛ノ者ナレバ、無左右ヨモセラレジ、互ニ引組テ落重リ、腰ノ刀ニテ指違、耻アル侍二人失ヒ、鎌倉殿ニ大損トラセ奉ラン、高綱景季二人ハ、一人當千ノ兵ヲヤト思テ相待處ニ、佐々木爭カ角トハ知ベキナレバ、十七騎ニテサシクツロゲテ歩セ來タル、源太ハ最後ト思ヒツヽ磨墨ニ乘、太刀モ持ズ、刀バカリゾ指タリケル、遙ニ佐々木ニ目ヲ懸テ、眞横ニ歩セ塞グ、高綱是ヲ見テ、郎等共ニ申ケルハ、爰ニ引ヘタルハ梶原源太ト覺ヘタリ、アノ景氣ヲ見ルニ、馬ノ立樣人ヲ待樣、直事トハ覺ヘズ、生唼ユへニ、一定高綱ニ組マント思フ意趣アルラン、鎌倉殿〈○源賴朝〉ノ意セヨトハ此事ニコソ、組テ落ルモノナラバ、指違テゾ死ナソズラン、但梶原佐々木、公ノ馬ヲ論ジテ命ヲステン事、人目實 事面目ナシ、陳ジテミンニ不叶シテ、梶原我ニ組ムナラバ、心アレトサヽヤキテ、打通ラントスル處ニ、源太打並ビテ云ケルハ、如何ニ佐々木殿、遙ニ不見參、アノ御馬ハ上ヨリ給テカト云懸テ押並ブ、高綱ニコト打咲テ申樣、實ニ久不見參、去年十月ノ比ヨリ近江ニ侍リツルガ、近キニ付テ京ヘ打ベカリツレ共、暇申サデハ其恐有リ、又何方へ向へトノ仰ヲ蒙ラント存ジテ、三日ニ鎌倉へ馳下ラント打程ニ、只一匹持タリツル馬ハ疲損ジヌ、サテハ乘替ナシ、如何スベキト思煩ヒ、御厩ノ馬一匹申預ラバヤト存ジテ、内内伺キケバ、磨墨ハ御邊ノ賜ハラセ給ケリ、生唼ハ御邊モ蒲殿モ再三御所望有ケレ共、御許シナシト承ル、サテ高綱ナドガ給ハラン事難叶、中々申サンモ尾籠ナリト存ジテ、心勞セシ程ニ、由井濱ノ勢汰ニモハヅレヌ、サテ又馬ナシトテ留マルベキ事ニモ非ズ、如何セント案ズル程ニ、抑是ハ君ノ御大事ナリ、後ノ御勘當ハ左右モアレ、盜テ乘ント思テ、御厩小平ニ心ヲ入、盜出シテ夜ニマギレ、酒勾ノ宿マデ遣シテ、此曉引セタリ、只今ニヤ御使走テ、不思議ナリト云御氣色ニヤ預ラント閑心ナシ、若御勘當モアラン時ハ、可然樣ニ見參ニ入給へトゾ陳ジタル、源太誠ト心得テ、ゲニ〳〵佐々木殿、輙クモ盜出シ給へリ、此定ナラバ景季モ盜ムべカリケリ、正直ニテハ能馬ハマフクマジカリケリト狂言シヲ、打連テコソ上リケレ、

〔源平盛衰記〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 巴關東下向事
畠山巴强チニ近ク廻合、是ハ得タル便宜ト思、馬ヲ早メテ馳寄テ、巴女ガ弓手ノ鎧ノ袖ニ取付タリ、巴叶ハジトヤ思ケン、乘タル馬ハ春風(○○)トテ、信濃第一ノ强馬也、一鞭アテヽアヲリタレバ、鎧ノ袖フツト引切テ、二段計ゾ延ニケル、

〔源平盛衰記〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0137 熊谷向大手
熊谷ハ〈○中略〉紅ノ母衣懸テ權太栗毛(○○○○)ニ乘タリケリ、此馬ハ熊谷ガ中ニ權太ト云舍人アリ、李緖ガ流ヲモ不習、伯樂ガ傳ヲモ不聞ケレ共、能馬ニ心得タル者成ケレバ、召向テ當時ニ源平ノ合戰ア ルべシ、折節然べキ馬ナシ、海ヲモ渡シ山ヲモ越べキ馬、尋得サセヨト云テ、上品ノ絹二百匹持セテ奧ヘ下ス、權太陸奧國一戸ニ下テ、牧ノ内走廻テ、撰勝ツテ四歲ノ小馬ヲ買タリケリ、長コソチト卑(ヒキ)カリケレ共、太逞コタヘ馬ノ、ハタハリタル逸物也、サテコソ此馬ヲバ權太栗毛トハ呼ケレ、〈○中略〉子息小次郎ハ、〈○中略〉是モ紅ノ母衣懸テ、白浪(○○)ト云馬ニ乘タリケリ、此馬ハ奧州姉葉ト云所ニ、白波ト云牧ヨリ出來タル上ニ、尾髮飽マデ白ケレバ、白浪ト名リ、權太栗毛ニ上下論ジタル逸物也、又西樓(○○)ト云秘藏ノ馬アリ、後戸風(ココフウ)ト云舍人男ニ引セタリ、權太栗毛イカナル事モアラン時ハトテ、乘替ノ料ニ引セタリ、白キ馬ノ太逞ガ、尾髮飽マデ足レリ、三戸立ノ馬也、餘ニ秘藏シテ假居ノ西ニ厩ヲ立テ、晝ハ人目ヲ憚テ、夜ハ引出シ愛シケレバ、馬ノ白キヲ月ニ喩、西ノ厩ヲ樓ニ喩テ、西樓トゾ號ケタル、

〔源平盛衰記〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0138 一谷落城幷重衡卿虜事
重衡卿今ハ叶ハジトテ、濱路ニ懸リ、渚ニ打副テ、西ヲ差テ落給フ、其日ノ裝束ハ、褐衣ニ、白絲ヲ以テ群千鳥ヲ縫タル直垂ニ、紫スソゴノ鎧ヲゾ著給へル、馬ハ童子鹿毛(○○○○)トテ究竟ノ逸物、早走ナリ、大臣殿ノ御馬ヲ預リ給テゾ乘リ給へル、庄三郎家長ガヨキ大將軍ト見テ、父子乘替ノ童三騎ニテ追テ懸ル、三位中將ハ、蓮ノ池ヲモ打過ギ、小馬林ヲ南ニ見ナシ、板宿須磨ニゾ懸リ給フ、庄三郎目ニ懸テ、鞭ニ鐙ヲ合セテ追ヒケレ共、逸物ニハ乘給ヘリ、只延ニノビ給ヒケル間、今ハ叶ハジト思ヒ、十四束取テ番ヒテ追樣ニ馬ヲ志テ遠矢ニ射、其矢馬ノ草頭ニ射籠メタリ、其後ハ障泥レドモ打テ共、疵ヲ痛ミテ働カズ、三位中將ノ侍ニ、後藤兵衞尉守長トテ、少クヨリ召仕ヒ給テ、如何ナル事有リトモ、一所ニテ死ナント深ク契給テ被召具タリ、三位中將ノ秘藏セラレタリケル夜目ナシ鴾毛(○○○○○○)ト云フ馬ニゾノセラレタル、是ハ童子鹿毛(○○○○)、若ノ事アラバ、乘カへントノ約束ナリ、馬モ秘藏ノ馬ナリ、主ハ深ク憑給ヘル侍ナリケレ共、童子鹿毛ニ矢立ヌト見テ、守長ハ我馬召レナバ、 我如何セント思フテ、主ヲ打捨奉リ、射向ノ袖ノ赤符カナグリ棄テ、西ヲ差テ落行キケリ、

〔源平盛衰記〕

〈三十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 知盛遁戰場船事
其紛ニ、新中納言〈○平知盛〉ハ、井上(○○)ト云フ究竟ノ馬ニ乘給ヒタリケレバ、海上三町計游ガセテ、船ニ乘移リテ助カリ給ヒニケリ、知章ハ忽獲勇兵之言、專顯壯士之名、遂救父之死、永亡己之命、船ニハ馬立べキ所ナカリケレバ、舟ノセカヒヨリ馬ノ頭ヲ磯へ引向ケテ、一鞭アテタレバ、馬ハ游ギ返リケリ、阿波民部大夫成良ガ、アノ御馬射殺給ヘ、敵ノ物ニ成リナント申シケレ共、中納言ハ、敵ノ馬ニ成ルトテモ、如何デ我命ヲ助ケタラン馬ヲバ殺スべキトテ、遺惜ゲニオハシケル、馬ハ渚ニ游ギ上リ、鹽々トヌレテ、年來ノ好ミヲ慕ヒツヽ、舟ノ方ヲ見返リテ、三度嘶タリケルコソ、畜類ナレ共哀ナレ、此馬ハ中納言ノ武藏ノ國司ニテ座シケル時、當國ノ河越ヨリ進リタリケレバ、名ヲバ河越黑(○○○)トゾ申ケル、餘リニ秘藏シ給ヒテ、馬ノ爲ニ月ニ一度太山府君ノ祭ヲゾセラレケル、其驗ニヤ、馬ノ命モ四十ニ成リケリ、我御身モ今度被助給ヌ、九郎御曹司、此馬ヲ院ノ御所へ被進タリケレバ、聞ユル名馬ナリトテ、御厩ニゾ立ラレケル、

〔源平盛衰記〕

〈四十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0139 源平侍共軍附繼信盛政孝養事
日モ西山ニ傾キケル上、判官ニハ多クノ郎等ノ中ニ、四天王トテ殊ニ身近ク憑ミ給ヘル者ハ四人アリ、鎌田兵衞政淸ガ子ニ鎌田藤太盛政、同藤次光政ト、佐藤三郎兵衞繼信、弟ニ四郎兵衞忠信ナリ、藤太盛政ハ一谷ニテ討タレヌ、一人闕タル事ヲコソ日比歎キシニ、今日二人ヲ失ヒテ、今ハ軍モ詮ナシトテ、繼信光政ガ死骸ヲ舁キテ、當國ノ武例(ムレ)高松ト云フ柴山ニ歸リ給ヒテ、其邊ヲ相尋ネテ僧ヲ請ジ、薄墨(○○)ト云フ馬ニ、金覆輪ノ鞍置テ申シケルハ、心靜ナラバ、懇ニコソ申スべケレ共、斯ル折節ナレバ力ナシ、此馬鞍ヲ以テ、御房庵室ニテ卒都婆經書キ、佐藤三郎兵衞尉繼信、鎌田藤次光政ト廻向シテ、後世ヲ弔ヒ給へトテ、舍人ニ引カセテ僧ノ庵室ニ被送ケリ、此馬ト云ハ、貞 任ガヲキ黑ノ末(○○○○○)トテ黑キ馬ノ少チイサカリケルガ、早走ノ逸物ナリ、多ノ馬ノ中ニ、秀衡殊ニ秘藏ナリケレ共、軍ニハ能馬コソ武士ノ寶ナレバ、山ヲモ河ヲモコレニ乘リテ敵ヲ攻メ給ヘトテ、判官奧州ヲ立ケル時進セタル馬ナリ、宇治川ヲモ渡シ、一谷ヲモ落セシ事此馬ナリ、一度モ不覺ナカリケレバ、吉例ト申シケルヲ、判官五位尉ニ成ケルニ、此馬ニ乘リタリケレバ、私ニハ大夫トモ呼ビケリ、片時モ身ヲ放タジト思ヒ給ヒケレドモ、責テモ繼信、光政ガ悲サニ、中有(ウ)ノ路ニモ乘レカシトテ被引タリ、兵共是ヲ見テ、此君ノ爲ニ命ヲ失ハン事、惜カラズトゾ勇ミケル、

〔吾妻鏡〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 治承五年〈○養和元年〉六月廿一日乙丑、令鎌倉、○源賴朝義澄獻甲以下、又進馬一疋、號髮不一レ捺(○○○)、度度合戰駕之、無雌伏之例云云、

〔吾妻鏡〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 建久六年六月廿八日辛巳、令御于美濃國靑波賀驛、〈○中略〉爰稻毛三郎重成妻、〈北絛殿息女〉於武藏國、病惱太危急之由、飛脚到著、仍欲馳下、將軍賜駿馬一疋、〈黑〉重成則駕之揚鞭云云、七月一日癸未、今日稻毛三郎重成、馳府武藏國、恩賜馬已如龍、仍號三日黑(○○○)云云、

〔太平記〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 關東大勢上洛事
長崎惡四郎左衞門尉ハ、〈○中略〉一部黑(○○○)トテ、五尺三寸有ケル、坂東一ノ名馬ニ、〈○下略〉

〔太平記〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0140 稻村崎成干瀉
懸ル處ニ、濱ノ手破テ、源氏已ニ若宮小路マデ攻入タリト騷ギケレバ、相摸入道嶋津ヲ呼寄テ、自ラ酌ヲ取テ酒ヲ進メ三度傾〈ケ〉ケル時、三間ノ馬屋ニ被立タリケル關東無雙ノ名馬、白波(○○)ト云ケルニ、白鞍置テゾ被引ケル、見ル人是ヲ不浦山ト云事ナシ、〈○中略〉
長崎次郎高重最後合戰事
長崎次郎、甲ヲバ脱捨、〈○中略〉兎雞(トケイ/○○)ト云ケル坂東一ノ名馬ニ、金貝ノ鞍ニ、小總ノ鞦懸テゾ乗タリケル、

〔太平記〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 龍馬進奏事
鳳闕ノ西二條高倉ニ、馬場殿トテ、俄エ離宮ヲ被立タリ、天子常ニ幸成テ、歌舞蹴鞠ノ隙ニハ、弓馬ノ達者ヲ被召、競馬ヲ番ハセ、笠懸ヲ射サセ、御遊ノ興ヲゾ被添ケル、其比佐々木鹽冶判官高貞ガ許ヨリ、龍馬也トテ、月毛ナル馬ノ三寸計ナルヲ引進ス、其相形ゲニモ尋常ノ馬ニ異也、骨擧リ、筋太クシテ、脂肉短シ、頸ハ雞ノ如ニシテ、須彌ノ髮膝ヲ過ギ、背ハ龍ノ如ニシテ、四十二ノ辻毛ヲ卷テ、背筋ニ連レリ、兩ノ耳ハ竹ヲ剝テ直ニ天ヲ指シ、雙ノ眼ハ鈴ヲ懸テ地ニ向フ如シ、今朝ノ卯刻ニ出雲ノ富田ヲ立テ、酉刻ノ始ニ京著ス、其道已ニ七十六里、鞍ノ上閑ニシテ徒ニ坐セルガ如シ、然共旋風面ヲ撲ニ不堪トゾ奏シケル、則左馬寮ニ被預、朝ニハ禁池ニ水飼、夕べニハ花厩ニ秣飼、其比天下一ノ馬乘ト聞エシ、本間孫四郎ヲ被召テ被乘、半漢雕梁甚不尋常、四蹄ヲ縮ムレバ雙六盤ノ上ニモ立チ、一鞭ヲ當ツレバ十丈ノ堀ヲモ越ツベシ、誠ニ天馬ニ非ズハ、斯ル駿足ハ難有トテ、叡慮更ニ類無リケリ、〈○中略〉
藤房卿遁世事
三月〈○建武二年〉十一日ハ、八幡ノ行幸ニテ、諸卿皆路次ノ行粧ヲ事トシ給ケリ、藤房モ時ノ大理ニテ坐スル上、今ハ是ヲ限ノ供奉ト被思ケレバ、御供ノ官人、悉〈ク〉目ヲ驚ス程ニ出立レタリ、大理ハ〈○中略〉甲斐ノ大黑(○○○○○)トテ、五尺三寸有ケル名馬ノ太ク逞ニ、イカケ地ノ鞍置テ、〈○下略〉

〔太平記〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 畑六郎左衞門事
畑六郎左衞門、敵外ニ引へタル程ハ、態アリ共被知ザリケルガ、敵已ニ一二町ニ責寄セタリケル時、〈○中略〉鹽津黑(○○○)トテ五尺三寸有ケル馬ニ、鏁ノ胄懸サセテ、〈○下略〉

〔難太平記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0141 式部大輔入道殿事、〈號三郎賴國〉中先代〈○北條時行〉合戰の時、海道の大將として自京都下向、〈○中略〉相摸國湯本にて、海道のてき、要害を構て支ける間、北の山に打上りて、式部入道殿の手勢計にて 落されて、敵の大勢の中に馳入られしかば追破られき、今此難所をみるに、更に人馬の通ふべき道ならず、一谷よりさかしき岩崎を五町計り落されき、二條殿より給られける、松風(○○)と云名馬の荒馬に乘給ひけり、馬の尻足のはひすねの皮、みな破れけるとかや、

〔北條五代記〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 淸水太郎左衞門大力の事
太郎左衞門、〈○中略〉扨又奧州より出たる岩手鴾毛(○○○○)と號す駿馬を持たり、尾かみあくまでちゞみ、九寸あまりにて强馬なり、長久保より、鷲巢の嶺へは、上道五里程あり、此馬を心見んため、甲冑を帶し、旗をさし、卯の刻に長久保を乘出し、鷲巢を目がけ、むち打て、野原を眞直に馳行有樣、たゞ逸物の鷹八重羽の雉を見て、升かきの羽を飛がごとし、鷲巢の嶺へのり上、いきもつかせず引返し、艮刻長久保へ歸馬するに、あせをくださゞる名馬也、

〔常山紀談〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0142 山内土佐守一豐、其はじめ織田家に仕へたりけり、東國第一の駿馬なりとて、安土に牽來てあきなふ者あり、織田家の士、是を見るに、誠に無雙の駿足なれど、價あまりに貴しとて、求むべき人なく、いたづらに牽きて歸らんとす、一豐其比は猪右衞門といひしが、此馬望に堪かねたれども、いかにも叶ふべからざれば、家に歸り、身貧きほど口惜き事はなし、一豐、奉公の初に、あつはれかゝる馬に乘りて、屋形の前に打出べき物をと、ひとり言しければ、妻つく〴〵と聞て、其價はいかばかりにてか候と問ふ、黃金十兩とこそいひつれと答ふ、妻聞きて、さほどに思ひ給はんには、其馬求め給へ、其の料をばまゐらすべしとて、鏡の奩の底よりとり出して、一豐が前にさし置きたり、一豐大におどろき、此年ごろ身貧しくて、苦しき事のみ多かりしに、此金ありともしらせ給はず、心强くも包み給ひけん、今此馬得べしとは思ひもよらざりきと、且は悦び、且は恨む、妻仰の旨ことはりにてこそ候へ、さりながら、これはわらは此御家に參りし時、父此のかゞみの下に入れ給ひて、あなかしこ、世の常の事にゆめ〳〵用ふべからず、汝が夫の一大事とあらん時 にまゐらせよと戒めたまひ候ひき、されば家の貧しきも、世の常なれば堪忍ても過ぬべし、誠に今度京にて馬揃あるべしと承れば、此事天下の見物なり、君も又つかへの始なり、よい馬召て見參せさせまうさんと存じ候ふてこそ奉れといふ、一豐悦ぶ事限りなく、頓て其馬求めてけり、程なく京にて馬揃ありし時、打乘て出しかば、信長大におどろき、あつはれ馬やとて、事の由聞き給ひ、東國第一の馬遙にわが方にひきて來りしを、空しく歸さんは口をしき事ぞとよ、それに年比山内は久しく浪人して有りしと聞、家も貧しからんに、求得たるは、信長が家の恥をすゝぎたるうへ、弓箭とる身のたしなみ、是に過たる事やあると感じて、是より次第に用ひられしとぞ、r ○按ズルニ、覽馬ノ事ハ、兵事部練兵篇馬揃條ニアリ、參看スベシ、

馬事蹟

〔日本書紀〕

〈十四/雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 九年七月壬辰朔、河内國言、飛鳥戸郡人、田邊史伯孫女者、古市郡人書首加龍之妻也、伯孫聞女產一レ兒、往賀聟家而月夜還於蓬蔂丘譽田陵下、〈蓬蔂此言伊致寐姑〉逢赤駿、其馬時濩略而龍翥、歘聳擢而鴻驚、異體蓬生殊相逸發、伯孫就視而心欲之、乃鞭http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00887.gif、齊頭並轡、爾乃赤駿超攄絶於埃塵驅、驅驚迅於滅沒於http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00887.gif 馬後而怠、足不復追、其乘駿者知伯孫所一レ欲、仍停換馬相辭取別、伯孫得駿甚歡、驟而入厩、解鞍秣馬眠之、其明旦赤駿變爲土馬、伯孫心異之、還覔譽田陵、乃見http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00887.gif 馬在土馬之間、取而代而置換土馬

〔三代實錄〕

〈二十四/淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 貞觀十五年十月九日庚子、狂馬追手入太政官、於辨官廳事前相戰、

〔古今著聞集〕

〈二十/魚虫禽獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 永延元年五月九日、右近の馬場にて競馬五番ありけるに、三番左府生下野公里、穗坂七葦毛に乘たりけり、右近衞三宅忠正、同九鴾毛に乘たりけるに、左五尺勝にけり、鴾毛次日の朝やまひもなきに、目に涙をうかべてやがて死にけり、獸なれども負たる事を思ひいれたりけるにや、不思議なる事也、

〔窻の須佐美〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0143 薩摩の士のかたりしは、光久朝臣〈松平大隅守從四位上中將〉の時、秘藏の乘馬二十年に及んだ りしかば、今年は國許へは引れまじ、邸中に殘し置れべしとありしほどに、今日明日は立れなんと云頃に、附のもの馬を飼とて、今年は殘るげなと人に云如くいひける、馬は頭をうなだれて、ぬかを食はず、餘りにあはれげに見へければ、人々驚きあへる折ふし、朝臣側近く來り、これを見て、馬の煩ふにや、いかにかくはあると問はれしに、右のよしを申ければ、かねて秘藏の事なれば、大に感じつゝ、いたはりてこそのこさんといひし、此上はなにとか引ざらんとて、馬の頭を撫て、自身も感涙をながして、かならず連行んと有ければ、人の聞入如くにて、元の如く勢ひ出ける程に、頓て引具して、國に趣て後、名馬なれば、種を殘す爲なりとて、牧へはなちおかれしかば、頓て駒を生しぬ、彼國狼多く出て、駒を取故、常に駒をば中に寐させて、親ども多く集り、外を圍ひ丸く居るなるが、やゝもすれば駒をとらるゝなるに、彼馬は、狼の出ると見ると、その廻りを走りつゞけて、折ふしは狼を蹴殺しぬる事多かりけり、一年を經て、勝れたる逸物なれば、今も乘られなんやとて、馬場にて掛に、少も前にかはらず有たりけるゆへ、いよ〳〵大切にして飼置れしとぞ、あやしきやうなれど、質直の士の語りしゆへ記し置ぬ、かつ犬馬人近きものなれば、稀にさもありなんか、陸士衡が故郷へ書を傳へし犬などもあるなればなり、

〔閑田耕筆〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0144 過し癸丑歲〈○寬政五年〉七月二十二日、攝津高槻の近邑農家の男兒、纔六歲にて、馬を追て城下に出て歸るさ、道なる川に水出て渡るべからず、いかにせんと見をりける間、暮にせまりて雨いよ〳〵はげしければ、人かげもなし、童大に叫び歎きしかば、馬やがて此子を喰へてやすやす川を渡り、むかひにして地にはなつといへども、闇夜に雨篠をつくがごとくなれば、行べき方をしらざりしに、馬また先にたちて歩みければ、童も泣々綱を取て、つひに故なく我やどにかへりたり、むかへに人を出したれども、馬は間道を歸りたれば逢ざりし、さるにことなく歸りて、しかじかのよしを語りしかば、家こぞりて限なくよろこび、先馬をもてなし、明る日餅を搗て其邊 の家々へ配りしが、其隣へ行たる士、その日聞て語られし趣也とぞ、凡牛馬は人の勞をたすけて、世の爲有益の物なること、他の獸にまされり、疎かにあつかふべきかは、牛も舊主を見しりて涙を流せし話、旣に續畸人傳の評に錄せり、智も亦人にちかし、老て用る所なしとて、餌取の手に委て屠などは、其情牛馬におとれり、

〔兎園小説〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145 五馬、三馬、二馬、 著作堂稿
陸奧の伊達郡箱崎の農民傳兵衞が子に、松五郎と呼ばれしものは、その性馬を好むにより、栗毛の馬を一疋もてり、さればをり〳〵乘り走らするに、その秣飼ふことも、又撫で洗ひする事も、よろづ人には任せずして、手づからするをたのしと思へり、その馬旣に五歲になりける文政二年己の卯の冬のころ、松五郎は病みわづらひて、その年の十二月十二日に身まかりぬ、〈○中略〉されば松五郎が遺愛の馬は、ぬしの不幸の事に紛れて、誰とて見かへるものもなく、纔に秣を與ふるのみ、厩に繫ぎ置きたりしに、その次の夜の子の時ばかりに、馬はにはかに狂ひたけりて、絆をちぎり、戸を蹴はなちて、いづことはなく、馳せ出でたり、あるじはさらなり、僕共もこの物音に驚き覺めて、こはいかにまさしく、馬こそはなれたれ、とく追ひとめよと罵り騷ぐに、眞夜中の月鮮やかなれば、松明を把るまでもなく、索を腰にし、棒を引き提げて、おのも〳〵追ふ程に、馬ははやくも松五郎が墓所のほとりに馳せゆきて、其處につどひし癖者等を駈けたふし踶にじる勢ひ特に猛くして、當るべくもあらざりけん、矢庭に四五人蹴仆されて、しばしは起も得ざりし折、傳兵衞が奴僕等は推しつゞきて、追ひかけ來て、此ありさまに又おどろきて、あたりを見るに、松五郎があら墓を發(アバカ)れたり、扨はしやつらが所爲にこそ、みな逃すなと罵りて、ひとりも漏さず生捕りけり、〈○下略〉

馬雜載

〔日本書紀〕

〈十六/武烈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0145是太子欲期處、遣近侍舍人、就平群大臣宅、奉太子命求索官馬(ツカサムマ)、大臣戯言陽進曰、 官馬爲誰飼養、隨命而已、久之不進、

〔新撰字鏡〕

〈口〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 嘽〈壬于反、阿波久、又馬平馬勞也、伊奈久、〉

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 嘶〈䮸附〉 玉篇云、嘶〈音西、訓以波由、俗云以奈々久、〉馬鳴也、唐韻云、䮸、〈音渥、俗云布久利都岐、〉馬腹下聲也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 以波衣見源氏物語須磨卷、以波由流、見源氏物語總角卷、後拾遺集春部上權僧正靜圓歌、伊奈々久、見拾遺集戀部四歌、按萬葉集以音假借馬聲二字、廣韻、聲也、作鳴、玉篇作䮸馬腹下聲也、孫氏蓋依之、廣韻作鳴、未必是孫氏之舊、説文、䮸、馬行徐而疾也、段玉裁曰、説文、本有http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01242.gif 䮸二字http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01242.gif馬行徐而疾也、䮸訓馬腹下聲也、今本䮸下脱馬腹下聲之訓、以http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01242.gif 下馬行徐而疾之、遂脱http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m01242.gif

〔倭訓栞〕

〈前編三/伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 いなゝく 倭名鈔に嘶をよめり、玉篇に馬鳴也と見ゆ、いの鳴(ナク)なり、萬葉集に、馬聲をいとよめり、新撰字鏡に、嘽をいなくとよめり、〈○中略〉
いばゆ 倭名鈔に嘶をよめり、いばえともいへば、いぼえの義なり、馬聲をいとよめるも萬葉集に見えたり、

〔源氏物語〕

〈四十七/總角〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 御ともの人々おきて、こはづくり馬どものいばゆるをも、たびのやどりのあるやうなど、〈○下略〉

〔拾遺和歌集〕

〈十四/戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 題しらず よみ人しらず
わがかへるみちのくろこま心あらば君はこずともをのれいなゝけ

〔明良洪範〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0146 相馬彈正少弼昌胤ハ、其先將門ニ出タリ、千葉之介常胤ガ二男總州相馬ニ住セシヨリ在名也、奧州中村ノ城主ナリ、千葉家ノ氏神妙見ハ七星ノ其一ヲ祀リ、千葉七家ニテ妙見ヲ以ヲ宗廟トス、千葉嫡子相續シテ、神醴ハ飯高ニ在ト云、奧州相馬領分ニシテ、六月妙見祭リニ神事ノ野馬追ト云事アリ、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00773.gif 家中甲胃弓箭ヲ帶シ、兵具ヲ揃へ、行伍ヲ建テ、勢子ヲ以テ野馬ヲ追 出シ、馬ドメ有テ夫へ追込メ、其中三匹ヲ取テ洗ヒ、轡ヲ掛躶脊ニテ馬場ヲ三篇欠サセ、其後追放ス迄ナリ、其アラ馬ヲ捕内ニ、怪我モ多ク種々ノ事有トイヘドモ、妙見ノ御手洗ノ池水ニ入テ、一時過レバ疵忽チ愈ルト也、毎年ノ神事ナレバ、上下其方ヲ自然ト熟シ、貝太鼓ニ叶ヒ、將ノ下知ニ從フ、左右ノ手ヲ使ガ如シ、然ルニ一年大江本立軒ト云毛利大江家ノ奧儀ヲ究メタル軍學ノ者アリ、實ハ武田家高坂彈正菩提所富士ノ裾野ナル寺ニ、高坂ガ覺書數通收メ置シヲ盜ミ出シ、富士書ト號シ、夫ヨリ一流ヲ立、諸流ヲ附會シ、軍法者土屋民部少輔利直ノ師タルニ付、本立軒利直ヲ賴ミ、相馬家ノ野馬追ノ備立、武者押ノ次第コソ、當時治世ニテ珍ラシク、軍陣ノ試ミニ勝ル事又有べカラズ、何卒一度采配ヲ取テ、人數ヲ指揮シ申度旨ヲ望ミシカバ、總家士ヲ三組ニ分ケテ、其一組ヲ本立軒ニ預ケラレシガ、前日ヨリ内ナラシ有ケリ、元ヨリ書面計リノ備立ナル故ニヤ、當日野馬追ノ人數組ー番ニ崩レ合期セズシテ神事違亂ニ及ビシカバ、家臣相馬將http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 采配取テ前々ノ通リ仕ルべシト、一言ノ下知ニ依テ、ヒシ〳〵ト立直シ、神事例ノ如ク執行有ケリ、本立軒面目ナク、今一度ト願ヒケレドモ、一旦ハ親敷土屋家ヨリノ賴ミ故ニ許容シケレドモ、最早神事モ相濟ケレバ無用ナリ迚事濟ケリ、

〔兵法一家言〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 先年予〈○佐藤信淵〉上總國大豆谷ニ在シ時、小金牧ノ牧士等、過半我家門人ナリキ、其内ニ於テ瀧澤村淸兵衞頗ル乘馬ノ達者ニテ、小金七牧ノ第一ト呼レタル牧士ナリ、小金ノ柳澤牧ニ直徑二町餘ノ泥沼アリ、此ヲ馬ニテ乘リ渡ル者ハ、時ニ予ト淸兵衞ト二人ヨリ外ニハ絶テ無カリシナリ、文化年中、野馬懸リ中山信濃守殿、野馬捉御用ニ付キ、小金牧ニ出役ノ砌、予ト淸兵衞ガ彼泥沼ヲ乘渡ルコトヲ内々切ニ懇望ニ因テ、已コトヲ得ズ行テ乘渡セリ、

〔西遊記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0147 權馬(ごんば)
薩州、日州の邊は、都遠ければ却て古代の風殘れる事多し、諸所の神社に權馬といふ事あり、權馬 といふ名目、東鑑にも見へたりとぞ、其權馬といふ事いかなる事と所の人に問ふに、何にても心願ある人、其思ひ崇ふ所の神社に權馬を奉るといふ、其式小荷駄馬、野飼馬を不撰、數十百疋取集め、鞍あぶみ皆具して、其上に幤を切かけ、口取の者馬壹疋に三人程ヅヽ付て、皆白衣に襷(たすき)かけ、神樂の太鼓を相圖に其馬を壼度に追立、鳥井前より拜殿を廻る事三逼、數十百の馬、數百人の口取、いやが上に折重り、我先にと一同に押廻る、其間神樂を頻りに奉る、太鞁の響、人馬の聲夥敷して、一村に震るふ事なり、此事濟て流鏑馬を始む、いといさましくて、古風なる事なり、

〔異國日記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148柬埔寨書、慶長十三申七月廿五日、於前將軍尊公駿府御城御前、與圓光寺共讀之、其書云、柬浦寨浮哪王嘉致書、敬奉大日本國主〈足下、○中略〉本處馬疋頗多、因小不用、聞貴國出有好馬、乞買二隻、要高五尺外、付握坤窻宇帶來、感恩不淺、顓此奉聞、謹具、〈○中略〉
龍飛戊申年 吉日書

〔羅山文集〕

〈四十九/序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0148 驪黃物色圖序〈○中略〉
本朝有奧產者、甲信產者、諸州獻貢者、市易者、皆輸來爲隊爲群、望之如雪如練、雖屈產宛名、蓋不乎方今、黑澤氏定幸、世掌官馬世俗難其名、難其色上レ其字、故暇日與舍弟弘忠相共諳按驥、校群書、聞郷談、認俗稱而參之于其家説、乃倩畫工之以色、而貌馬師皇于軸初、欲馬酺也、一旦開之則神駿踊躍、宛然生活、或其勢騑騑騤騤、或四蹄深穩不驚、或揚駿(タテガミ)掀尾、或馴擾調良、或與龍爲友、或志氣千里、或國馬也、或超軼絶塵、天下馬也、至其骨相之多品、則不盡言也、恰如汧渭之水、似冀北之野、焉不非子爲之欲牧、孫陽爲之屢顧乎、傳曰、宗廟齊毫、田獵齊足、軍旅齊力、若今使之者能知一レ其毫、則齊足齊力亦在其中乎、余壯歲遊事駿府、定幸纔弱冠、奉命齎療馬集來就余問字、至今殆三十餘年、其永好之交如此、故依其請以書諸軸端、鳴呼今我馬齒加長矣、此畫新麗而壯矣、如蘇子作一レ詩、吾豈敢哉、若夫馬爲軍用、余嘗彼書序言之矣、肆唯言毛色氣勢而已、 正保四年丁亥十一月中浣

〔本朝無題詩〕

〈二/動物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 狗馬詩 法性寺入道殿下
何因狗馬爲題目、共叶人功自然、霞裏尋聲桃浦地、雪間知跡柳營天、春嘶郊野浮煙底、曉吠都城殘月前、文學由來遊興苦感、成篇只被客心牽

驢馬

〔本草和名〕

〈十五/禽獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 驢屎、草驢、和名宇佐岐宇末、

〔倭名類聚抄〕

〈十一/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 驢驎 説文云、驢、〈力居反、與閭同、和名、宇佐岐無麻、〉似馬長耳、騾、〈音螺〉驢父馬母所生也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈七/牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 下總本有和名二字、本草和名、驢屎、宇佐岐宇末、參天台五臺山記作兎馬、夫木集仲正歌、省云宇左幾末、〈○中略〉所引亦馬部文、原書騾作驘、按初學記、太平御覽引並作騾、與此同、干祿字書云、騾羸上通下正、

〔段注説文解字〕

〈十上/馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00888.gif (○)駃騠〈逗〉馬父驘子也、〈謂、馬父之騾也、言馬父者以別於驢父之騾也、今人謂馬父驢母者爲馬騾、謂驢父馬母者、爲驢騾驢母者、疑奪蓋當馬父 驢母、驘也、六字孟康曰、駃騠生七日而超其母、〉从馬夬聲〈古穴切十玉部〉

〔本朝食鑑〕

〈十一/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 驢〈和名訓宇佐岐無麻、今如字〉
集解、源順曰、似馬長耳、必大○平野按、本邦未中華之產、者、近世來韓國、而大抵褐色、或黑白斑、似馬長耳、其頭頰長似牛、蹄無岐、土人呼號牛頭驢、或曰騾之類也、未詳、

〔本草綱目譯義〕

〈五十/獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 驢 〈ウサギムマ〉
和產ナシ、繪ニハ書テアリ、馬ノ形ニシテ耳長大ナリ、此内ニ色黑キハ烏驢ト云、此皮ヲ阿井水ニテ製スルヲ阿膠ノ上品トス、

〔日本書紀〕

〈二十二/推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 七年九月癸亥朔、百濟(○○)貢駱駝一疋、驢(○)一疋羊二頭、白雉一侯

〔閑窻自語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0149 月鐘摩貢琉球驢馬(○○○○)於關東事〈付先年貢大寬馬事〉
寬政五年四月十九日、さつまの國より琉球のうさぎ馬を二疋關東に引かしむ、その時伏見をと ほりけるを見し人のかたりしは、耳ながくしてかたちちいさく、やせたるものなりとぞ、〈○下略〉

〔桃源遺事〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0150 一西山公〈○德用光圀〉むかしより、禽獸草木の類ひまでも、日本になき物をば唐土より御取寄被成、又日本の國にても、其國に有て此國〈○常陸〉になきものをば、其國よりこの國へ御うつしなされ候、〈○中略〉
獸の類〈○中略〉 驢馬


Last-modified: 2019-11-13 (水) 10:46:44 (147d)