http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 伊豫國ハ、イヨノクニト云フ、南海道ニ在リ、東ハ讃岐、東南ハ阿波、南ハ土佐、西及ビ北ハ海ニ面ス、東西凡ソ三十五里、南北凡ソ十五里、狹キ處五里、其地勢ニ由テ國内ヲ道前、道後ニ分チ、後又東伊豫、中伊豫、西伊豫等ノ稱アリ、此國ハ古ヘ國府ヲ越智郡ニ置キ、宇麻(ウマ)、新居(ニヒヰ)、周敷(スフ)、桑村(クハムラ)、越智(ヲチ)、野間(ノマ)、風早(カゼハヤ)、和氣(ワケ)、温泉(ユ)、久米(クメ)、浮穴(ウキアナ)、伊豫(イヨ)、喜多(キタ)、宇和(ウワ)ノ十四郡ヲ管シ、延喜ノ制、上國ニ列ス、明治維新ノ後、浮穴郡ヲ分チテ上下二郡ト爲シ、宇和郡ヲ東西南北ノ四郡ニ分チ、後又周布、桑村 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 ノ二郡ヲ合シテ周桑郡ト爲シ、野間郡ヲ越智郡ニ、風早、和氣、久米、及ビ下浮穴ノ四郡ヲ温泉郡ニ併合シテ、凡テ十二郡ト爲シ、新ニ松山市ヲ設ケ、愛媛縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 伊豫〈伊與〉

〔新撰類聚往來〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 國名〈◯中略〉 伊豫〈與州〉

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 伊豫〈伊右(イヨ)〉

〔豫章記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 抑當國伊豫云事、三島大明神天神第六代面足惶根尊也、天照大神宮御祖父也、然間當國御支配有時、伊豫(カレニアヅクル)御詔有、即名伊豫ヲカレニアヅカルト讀也、預豫字訓同、與ヲ書モ略義ナガラ心ニ叶ヘリ、アタユル義也、〈◯下略〉

〔倭訓栞〕

〈前編三伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 いよ 伊豫の國は大八洲の内に、第二次に出生の洲なれば、彌の義なりといへり、もと伊豫ノ二名ノ洲と見えて、四國の本名なり、

〔古事記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 伊豫國、中卷下卷には伊余と書り、此は伊豫郡より出たる名なるべし、〈其例多し〉神名帳に彼郡に伊豫神社もあり、同郡に伊豫豆比子(イヨヅヒコ)ノ神社と云もあり、〈こは地名より出たる神名なるべし〉名義思ひ得ず、愛比賣(エヒメ)は、兄弟の女子を兄比賣弟比賣(エヒメオトヒメ)と云例多かれば、此國は女子の始の意にて、兄比賣(エヒメ)か、〈書紀皇極ノ卷に長女(エヒメ)ともあり、伊世國多氣郡には兄國弟國(エクニオクニ)てふ村の名もあり、〉又伊豫を元よりの大名にして見れば、彼大御歌〈◯應神〉の如く彌二並宜島々(イヤフタナラビヨロシキシマ〴〵)の意にて、愛(エ)は宜(ヨロシ)き意か、〈吉(ヨキ)を愛(エ)といふ例多し、上文の愛袁登賣(エヲトメ)のたぐひなり、〉比賣(ヒメ)は比古(ヒコ)に對て、女を美(ホメ)て云稱(ナ)にて、比(ヒ)は産巣日(ムスビ)などの日の意なり、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 伊邪那岐命、〈◯中略〉妹伊邪那美命、〈◯中略〉御合、生子、〈◯中略〉次生伊豫之二名島、此島者身一而有面四、毎面有名、故伊豫國謂愛〈上〉比賣

〔本朝續文粹〕

〈六奏状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 正四位下行伊豫守源朝臣頼義誠惶誠恐謹言〈◯中略〉 右頼義、〈◯中略〉去康平六年被伊豫守矣、〈◯中略〉去年二月適以入華、須虎符早赴豫州(○○)、〈◯下略〉

〔繪師草紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 當寺〈◯法勝寺〉の上卿の第にまいりて、〈◯中略〉まめやかに悲涙をながしつヽ申ければ、上卿いそぎ奏給ける、勅答にはあはれみおぼしめされけるにや、本の伊州(○○)を還給べきよしうけ給るこそ先畏おぼえしか、

〔伊豫古蹟志外傳〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 郷道郡管轄 以國統道、以道統郡、以郡統郷、以郷統邑焉、島嶼或屬于郡、或屬于郷、或屬于邑、今所管國分爲三矣、東伊豫(○○○)者二郡宇麻新居是也、西伊豫(○○○)者二郡、宇和喜多是也、中伊豫(○○○)者十郡、周布、桑村、越智、野間、風早、和氣、温泉、久米、浮穴、伊與是也、分爲郡者十四、屬于二道、矣、以温泉、和氣、久米、浮穴、伊與、宇和、喜多道后(○○)也、以越智、桑村、野間、風早、新居、宇麻、周布道前(○○)也、〈◯下略〉

〔平家物語〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 飛きやくたうらいの事 ひごの國の住人ぬかの入道西じやくは、平家に心ざしふかヽりければ、其勢三千よきで、いよの國へをしわたり、道前道後(○○○○)のさかひなる、たかなうの城にをしよせて、さん〴〵にせめければ、河野の四郞通きよ討死す、

〔諸家文書纂〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 伊豫國道後七郡之事、爲守護職管領、道前之事者、申付佐々木三郞盛綱候、諸事申合可沙汰候、得能冠者事者勿論也、恐々謹言、 元暦二年〈◯文治元年〉七月廿八日 頼朝〈御判〉 河野四郞殿〈◯通信〉

〔鹿苑院殿嚴島詣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 康應元年三月十一日、安藝と周防のさかひの川の末の海づら過て、周防の國岩國ゆふむろ岡などいふ所々きたにみゆ、しろの島伊豫の國道前(○○)の山など南にあたりて霞つつ、浪の上もうちけぶりたり、

〔南海通紀〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 藝州兵船渉豫州記 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 河野〈◯通昌〉ハ北伊豫(○○○)十郡ノ主ナレバ、大郡ニテ押寄セ、殊ニ毛利家ノ援兵來ルト聞ケレバ、菅田大剛ノ者ナレドモ、陸戰スル事不能シテ、大津ノ城ニ引入ル、

〔南海通紀〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 豫州河野兵革記 土州元親、東伊豫(○○○)、新居宇麻二郡六人ノ兵將ヲ歸服セシメ、中伊豫(○○○)河野ノ屋形ハ數代ノ大名ニテ優長ニ生長シケレバ、弓箭ノ術ヲ取失ヒ、諸作法亂テ正義ナシ、〈◯中略〉北伊豫(○○○)十郡ハ宇摩、新居、周布、桑村、越智、野間、風早、和氣、温泉、久米、是河野領分也、〈◯下略〉

〔南海通紀〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 西伊豫郡將住所記 西伊豫(○○○)ト云ハ、宇和喜多二郡ノ事也、其内往古ヨリ相續シ來ル大名ハ宇都宮西園寺也、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 各國經緯度〈附里程〉 伊豫松山、〈府中町〉極高三十三度五十一分半、經度西二度五十七分半、二百七十九里七丁二十二間、〈◯從東都〉 伊豫宇和島〈本町二丁目〉極高三十三度一十四分、經度西三度八分、三百二十八里二丁五十九間半、〈◯從東都

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 北極出地 伊豫 宮山 三二度五七分三〇秒 福浦 三二度五五分三〇秒 宇和島 三三度一四分〇〇秒 吉田 三三度一七分三〇秒 大洲 三三度三一分三〇秒 松山 三三度五一分三〇秒 西條 三三度五六分〇〇秒 垣生村 三四度〇〇分〇〇秒 大島 三四度〇〇分三〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈◯中略〉 伊豫 松山 西二度五七分三九秒

疆域

〔名所方角抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 伊豫國分 さぬきより西なり、豐後よりちかし、

〔日本地誌提要〕

〈六十三伊豫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 疆域 東ハ讃岐、東南ハ阿波、南ハ土佐、西北ハ海ニ至ル、東西凡三拾五里、南北凡壹拾五里、狹處五里、

島嶼

〔日本實測録〕

〈十島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 〈土佐國幡多郡伊豫國宇和郡〉沖島、周廻四里一十八町二十四間、〈◯中略〉 伊豫國宇和郡 實測 日振島、周廻五里三十三町一十一間、明海浦、三十三度一十一分、戸島、周廻四里三町二十六間、戸島浦、三十三度一十三分、〈從西岬長崎、五丁一十二間、〉 沖大島、周廻一里七町二十五間、 大島浦、三十三度二十四分、 印來島、周廻一里一十六町九間、 當木島、〈從東岬西岬〉一十二町、 鹿島、周廻一里一十八町二十一間、 横島、〈外海浦從南岬西岬〉二十町、 汐ゴ島、周廻一十町四十八間、 小猿島、〈從南岬北岬〉三町、 大猿島〈從東岬北岬〉 竹ケ島、周廻一里六町五十八間、〈從東岬中島高島東岬、九丁五十五間半、〉 黒島、周廻一十七町一十六間、 契島、周廻一十八町五十一間、 遠渡島、周廻二十三町三十八間、 嘉島、周廻二十五町四十一間、 御五神島、周廻一里四町十八間、 横島、〈日振島、從西岬東岬、〉二十九町、沖ノ島、〈日振島、從東岬西岬、〉一十一町、竹ケ島、〈日振島、從東岬西岬、〉五町、鳥ケ首島、周廻一十町三十四間、 ビヤケ島、周廻七町二十五間、 高島〈上波浦〉周廻一里三町一十八間、 九島、周廻二里一十一町五十二間、 小島、〈九島〉周廻三町、〈從西浦馬立、二町五十七間半、〉 野島〈從東岬西岬〉一十二町、 大良岬、周廻一里三十三町一十間、 小島、〈奥浦、從東岬西岬、〉二町、 高島、〈加室浦〉周廻九町一十九間、 ヒリ島、〈從北岬南岬〉一十一町、 地大島、周廻一里一十五町四十一間、 山王島、〈從南岬北岬〉一町三十間、 粟小島、〈從南岬北岬〉三町、 左島、周廻二十三町二十六間、 黒島、〈伊方浦〉周廻二十四町二十九間、 遠測 松島〈大〉 松島〈小〉 睢鳩(ミサコ)島 水子島〈村濱浦〉 能地島〈大〉 能地島〈小〉 ナイダノソヲ 沖ノソヲ 小地島 大地島 小横島 長碆〈鹿島村〉 黒碆〈中泊浦〉 黒島〈礫崎〉ホシノコ碆 三ツ畑田島 一ツ畑田島 小島〈長洲村〉 觀音碆 長碆〈魚神山浦〉 寺口碆 一ツ碆 烏帽子碆 耳毛島 前島 裸島 小島〈尻貝浦〉 鵜ノ碆〈狩津浦〉 龍王碆〈島津浦〉 八町碆 沖ウルシ島 ウル

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 シ島 猿島 子トコ島 中戸明神 クハ島 サステ碆 水ノ子碆 大島 トウキリ島 室碆 高碆 赤碆 大小島 沖中碆 中島 長崎大小島 ミヂイ島〈大〉 ミヂイ島〈中〉 ミヂイ島〈小〉 二並 龍王磯 雨ヤトリ 小島〈明越浦〉 島ケ原 龍王島〈蕨浦〉 小島 小龍王島〈小池浦〉 鍋島 坂ケ碆 俵碆 小島〈白濱浦〉 立岩 兒島 水ノ子島〈渡江浦〉 三ツ岩〈大〉 三ツ岩〈小〉 モシ碆 馬碆 地ノ島 沖ノ島 小高島 水作島 福島 小島〈地大島〉 地カフ島 沖カフ島 鼠島 立神岩 烏島〈伊方浦〉 雀碆 童子碆 大碆 大金碆 御駕島 長碆〈神崎浦〉 喜多郡 實測 青島、周廻一里二町一十七間、 和氣郡 實測 興居島、周廻六里二十四町二十一間、門田、三十三度五十五分、 釣島、周廻二十六町一十五間、 遠測 四十島 スクモ島 鴨島 犬島 風早郡 實測 津和地島、周廻三里四町二十三間、津和地浦、三十三度五十九分半、 〈中忽那〉島、〈蓋一島因地方各名〉周廻七里三十二町二十八間 中島吉木村、三十三度五十九分半、 忽那島大浦村、三十三度五十九分半、無須喜島、周廻二里一十四町一十一間、 野忽那島、周廻一里一十六町四十間、鹿島、周廻一十二町三十四間、 高島、周廻一十一町四十五間、 二神(フタガミ)島、周廻二里一十六町二十三間、 油利(ユリ)島、周廻一里一十四町一十二間、 横島、周廻一十二町一十五間、 怒和(ヌワ)島、周廻三里一十二町四十二間、 クタゴ島、周廻八町一十四間、 流小島、周廻一十三町一十四間、 大館場島、周廻一十三町四十五間、 小館場島、周廻九町二十一間、 遠測 小市島 中島 鴨脊島 前小島〈二神島〉 上仁子島 下仁子島 前小島〈怒和島〉 竹小島 兒島 殿島 ノウソ島 小島〈吉木村〉 崩磯 小島〈粟井村〉 妹小島 田ノ島 小鹿島 大チギリ島 小チギリ島 小藍島 大藍島 野間郡 實測 弓杖(ユツヘ)島、〈從南岬北岬〉四町、 來(クル)島、周廻七町四十六間、 小島、周廻一十六町五十二間、遠測 臍島 怪(ケ)島 筏磯 白石 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 越智郡 實測 岡村島、周廻二里一十七町五間、岡村三十四度一十分、 大三島、周廻一十四里三十一町七間、盛村三十四度一十八分、宮浦三十四度一十五分、〈從盛村濱宿所三町三十六間從宮村濱宿所八町〉 伯方(ハカタ)島、周廻一十里五町二十八間、伊方村三十四度一十四分、 大島、周廻一十一里一十五町四十五間、本庄村、三十四度九分半、 弓削島、周廻五里一町二十一間、下弓削浦、三十四度一十五分半、 小大下(コオホケ)島、周廻三十五町二十四間、 大下島、周廻一里二十九町三十五間、 柏島、周廻二十町一十七間、肥島、周廻二十一町五十七間、 三ツ子島、周廻二町四十六間、 福島、周廻五町二十六間、 大横島、周廻一里二町四十間、 小横島、周廻一十町二十八間、 幸殿島周廻六町四十七間、 棚林島、周廻九町二十九間、 松島、周廻九町一十九間、 古城島、周廻七町五十五間、 津島、周廻一里一十六町二十一間、 馬島、周廻三十二町五十四間、 小ツクマ島、周廻一十二町三十九間、 中渡島、周廻八町五十四間、 虫島、周廻一十四町三十二間、 小虫島、周廻五町二十四間、 津雲島、周廻五町二十一間、 見近島、周廻一十四町九間、 野島、〈從東岬西岬〉四町、 宇島、周廻一里九町二間、 龜ケ島、周廻六町四十九間、 ツバ島、周廻一里九町一十一間、 赤穗根島、周廻一里二十町三十四間、 岩城島、周廻三里二十六町三十一間、 生名(イクナ)島、周廻三里二町七間、 部内(ヘナイ)島、周廻一十六町三間、 鶴島、周廻一十五町、 ツボケ島、周廻四町一十三間、 嚴島、周廻八町一十二間、 佐島、周廻二里二十六町四十四間、 百貫島、周廻七町五十三間、 高井神島、周廻一里一十二町三十九間、 沖島、周廻一里二十三町三十九間、 瓢簟小島周廻一十町二十七間、 江ノ島、周廻二十八町五十二間、 梶島、周廻二十町一十六間、 豐島、周廻一里一町八間、 化粧島、周廻八町一十六間、 小屋島、周廻一十六町一十間、 元島、周廻一里四十六間、 美濃島、周廻二十八町一間、 平市島、周廻一十三町四十九間、 比岐島、周廻二十六町二十九間、 小比岐島、周廻一十町四十二間、 遠測 毛無島 小毛無島 棚橋島 名島 伯母島 龍神島 コフリ島 小島〈沖浦〉 四十島 小島〈古城島〉 鷄小島 小島〈宮窪村〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 カマキ島 横島 小島〈伊方村〉 小丸小島 東明小島 御堂小島 大角島 エン子島 ウメ小島 辨天島 躑躅島 京小島 小島〈沖島〉 白壁磯 小平市島 松島 地島 粒島 新居(ニヰ)郡 實測 大島周廻一里二十六町二十五間、大島浦三十四度三十秒、 御代(ミヨ)島、周廻二十二町五十二間、 黒島、周廻二十六町三十五間、 遠測 端島

〔愛媛面影〕

〈三風速郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 忽那島(○○○) 北條の沖中に在り、俗に中島(○○)と云、此島十二浦有り、昔時二階堂信濃守民部入道此島に謫居せり、子孫忽那を氏とす、俚諺集に見たり、此島古昔牛馬牧なりしを、村民の訴によりて、其事を止られたり、

〔三代實録〕

〈二十九清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 貞觀十八年十月十三日丙辰、伊豫國言、管風早郡忽那島馬牛、年中例貢馬四疋牛二頭、其〈◯其下原有道字、據一本删、〉遺馬三百餘疋、牛亦准之、島内水草既乏、蕃息滋夥、青苗初生、風逸踏破、翠麥將秀、群入食損、百姓之愁、莫於斯、望請撿年貢之餘、皆悉沽却、以其價直、混合正税、詔從之、

〔忽那文書〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 伊豫國忽那島地頭名、并給田畠事、以申状披露之處、不新儀、可先例之由、鎌倉殿仰候也、仍執達如件、 建永二年〈◯承元元年〉五月六日 散位〈花押〉

〔鹿苑院殿嚴島詣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 康應元年三月十九日、かまとの關より、周防國やしろの島、よこみいつゐあきふなこしなどいふ浦々島々とをらせ給、此南のかたにあたりて、伊豫國まさきかふろいほたうのうらのせと、ふたかみまさかりのせと、はしかみのせと、ぬわ(○○)、こ(○)〈◯こ一本作く〉つな(○○)、つわな(○○○)といふ所には、島々いくらも四方にならびたり、

〔日本紀略〕

〈二朱雀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 承平六年六月某日、南海賊徒首藤原純友結黨、屯聚伊豫國日振島(○○○)、設千餘艘刧官物私財、〈◯下略〉

〔古今著聞集〕

〈十二博奕〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 後鳥羽院御時、伊與國おふてらの島(○○○○○○)といふ所に、天竺の冠者といふもの有けり、〈◯下略〉

〔古今著聞集〕

〈二十魚虫禽獸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 安貞の比、伊與國矢野保のうちに黒島(○○)といふしま有、人里より一里ばかりはなれたる所也、

〔豫章記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 伊與見島(○○)ハ加茂領也、神書、東駒蹄屆程、西櫓械及程、加茂御領ニアラズト云事ナシト見エタリ、其儀ニヤ、此島本ハ加茂御領也、

〔東寺百合古文書〕

〈百八十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 東寺領伊豫國弓削島(○○○)雜掌教念、與當島三分二地頭小宮兵衞次郞入道西縁〈今者死去〉子息又三郞頼行代廣行、相論所務條々、〈◯中略〉 永仁四年五月十八日 陸奧守平朝臣〈花押◯北條宣時〉

〔太平記〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 大館左馬助討死事附篠塚勇力事 篠塚伊賀守、〈◯中略〉追懸タル敵二百餘騎ニ、六里ノ道ヲ被送テ、其夜ノ夜半計ニ、今張浦ニゾ著タリケル、自此舟ニ乘テ、隱岐島(○○○)へ落バヤト志シ、船ヤアルト見ルニ、敵ノ乘棄テ、水主計殘レル船數タアリ、

〔愛媛面影〕

〈二越智郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 篠塚伊賀守墓 今治の海上沖島に在り、一社の傍に苔むしたる五輪塔是也、〈◯中略〉 按、日本外史曰、賊不敢追躡、至今治浦、見賊空船、獨有舟人、篠塚游而達之、跳入船、自名曰、送吾於隱岐、手拔錨樹桅登船屋鼾睡、舟人畏怖、送至隱岐以終焉といへり、太平記に所謂隱岐島は、即今治の沖島なるを、外史に隱岐國と爲すのは誤れり、

〔愛媛面影〕

〈五宇和郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 沖島(○○)宇和島より廿五里南の海上に在り、是を土佐國の堺とす、此島昔より檳榔樹を産せり、櫛に製り

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 て貢獻せし事みえたり、

〔宇和郡舊記〕

〈亨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 沖之島出入之事 一正保二年に國により繪圖上り申時、鈴木治大夫、萩原仁左衞門、此島〈江〉渡り、境目被改候節、土佐領廣瀬庄屋與惣左衞門、新右衞門云者出逢申故斷申達、宇和領分之繪圖整申候、然所に正保三年秋、廣瀬庄屋助之允と云者、廣瀬之境目郡合川をこし、此方かし地の内大川を境姫島はきれと境と云、其後は姫島山の内に又境をたて、理不盡成儀申かくるより、雙方口論初るなり、〈◯下略〉

〔南海通紀〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 豫州能島來由記 伊豫ノ國ノ海表ニ能島(○○)、來島(○○)、院島(○○)トテ三ツノ大島アリ、其ノ外小島十ニ餘レリ、豫州河野氏ノ部類ニシテ、周防山口ノ府ニ隣スル故、大内家ニ交接ス、〈◯下略〉

〔小早川什書〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 安藝國沼田庄、同國乃美郷、伊與國大島(○○)四分之一〈◯中略〉等、施行遵行奉書等也、 小早川美作守持平知行分、伊豫國越智郡内大島四分壹地頭職事、早任去月廿七日御下文之旨、可汰付下地於小早川又太郞熙平代之由所仰下也、仍執達如件、 永享十二年七月六日 右京大夫〈判〉 河野九郞殿

地勢/地味

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 伊豫、〈預州〉上、管十四郡、四方二日、原野田畑多、桑麻鹽草豐也、大中國也、

〔伊豫古蹟志外傳〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 土壤考 伊豫之爲國也、多原野圃田、自嘉穀桑麻鹽草藥物銅坑釣漁、以主百貨財、皆産於此地、宇和喜多山海諸産亦多矣、因稱謂大中國、或謂上國三十五國之一也、

〔日本地誌提要〕

〈六十三伊豫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 形勢 石鎚ノ山脈、東南ニ連亘シテ土佐ヲ界截シ、支脈西北ニ走リテ、州中ヲ横貫ス、北方島嶼錯列シテ、山陽ニ接シ、西方灣嘴參差、西海道ニ對ス、道後四郡、田野大ニ闢

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 ケ、地味腴沃、米麥豐饒ナリ、風俗淳直ナレドモ、固陋ノ弊ナキ能ハズ、氣候極暑九拾五度極寒四拾度

氣候

〔甲子夜話〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 大洲候ニ邂逅セシトキ、國々ノ寒暑ノ談ニ及ビ、我平戸ノ氣候ヲカタリ、扨豫州モ海近ケレバ、夏モ凉シカルベシト言シニ、候ノ臣堀尾四郞次、其座ニアリテ曰ク、曾テシカラズ、暑至テ甚シ、盛暑ニ至リテハ途行スルニ、炎氣黄白色ヲナシ、空中ニ散流シ、人目ヲ遮リ、前行十歩ナル人ハ殆ド見ヘ分タズ、其蒸熱堪ガタシ、如斯ナレバ途行スルモノ、青傘〈凉傘也、青傘ハ豫州ノ方言、〉ヲ用ザレバ凌ガタシ、然ルニ近頃青傘ヲサスコト停止セラレシカバ、暑行尤難儀ナリト語リヌ、國々ニヨリテ暑氣ノ厚薄モアル中ニ、豫州ハ殊更ニ甚シク異ナルコト也、

道路

〔南海治亂記〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 阿波大西白地豫州路程記 大西白地ヨリ豫州河江ヘ四里半、河江ヨリ八日市ヘ三里、八日市ヨリ西條ヘ六里、西條ヨリ小松ヘ二里、小松ヨリ今治ヘ五里、今治ヨリ松山へ十八里、松山ヨリ大津へ六里、東西凡テ三十八里也、南北ハ豫州御津ノ濱ヨリ土州宿毛ノ邑マデ三十里ニ及ベリ、土州ヨリ豫州ヘ出ル山路多シ、豫州新居濱ヨリ土州長岡ヘ山路十三里有之也、

〔和漢三才圖會〕

〈七十九伊豫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 松山〈寅卯至江戸二百十八里、内至三ツ濱一里半、自此至大坂海上八十三里、自大坂江戸、陸百三十三里半、坤至大洲十四里、艮至備後鞆二十五里、〉 宇和島〈一名板島、至江戸海陸二百七十八里、北至吉田三里、寅卯至土佐高知五十三里、〉吉田〈至江戸海陸二百五十九里、至大坂海上百二十五里、北至大洲七里、〉大洲〈至江戸海陸二百三十一里、〉今治(イマハリ)〈至江戸海陸二百七里、至大坂海上七十三里半、東至河ノ江八里、自河ノ江艮至讃州高松十五里、自河ノ江辰ノ方至阿波池田十四里、〉西條〈至江戸二百五十九里、丑方至河ノ江、〉小松〈至江戸二百九里十二町〉

〔日本實測録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860阿波國岡崎沿海至宇和島〈◯中略〉 伊豫國宇和郡外海浦脇本浦西泊 二里一十四町五十一間半 同深浦宮山、三十二度五十七分半 二里六町三十七間半 同久良(ヒサヨシ)浦〈至提浦小枝田徑測九丁一十四間半〉 二里一十一町一十間半〈至天花岬一里丁三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0861 〈四間半〉 同提浦小枝(コシ)田 一里四町二十一間 外海浦船越浦〈至西濱徑測三丁一十二間〉 二里五十三間半〈至タルミ岬三十三丁二十六間〉 同福浦、三十二度五十二分半、 二里三十町四間半 同加奈山濱 一里三十四町二十三間半 同中泊浦、三十二度五十七分、 一里九間 同船越浦西濱 八町一十一間半 同尻貝濱〈至中浦尻貝徑測七丁一十六間半〉 三里二十七町二十九間〈至礫岬一里一十間半〉 内海浦中浦、三十二度五十八分半、 一十六町三十六間 同尻貝 一里二十九町一十間 同成川坊城村成川 一里二十六町一十四間半 内海浦平山浦、三十二度五十九分、 二里三十町三十七間 柏村 一里二十七町一十間〈至權現岬一十八丁〉 内海浦平碆浦〈至鮪網代徑測七丁二十二間半〉 二十九町五十一間 同家串浦、三十三度三分半、 二里九町七間 同魚神山浦船越 一里二町三十六間 同魚神山浦、三十三度四分、二里一十九町一十二間半 下灘浦須下浦押上リ岬〈又呼由良岬〉 二里一十七町二十九間半 同須下浦、三十三度四分半、 二里二十八町七間半 同柿浦鮪網代 一里二十三町一十四間 下灘浦鼠鳴(子ヅナキ)浦、三十三度六分、 一里一十六町五十四間〈至坪井浦大越六丁五十八間半〉 同泥目木浦大越 二里一十三町四十七間半〈至曾根浦一里一十八丁五間〉 北灘浦小提(コヒサゲ)浦洲之濱 一里八町四間 同小提浦 一里二十八町二十九間 岩松村 二里七町五十四間半 北灘浦鵜濱浦、三十三度九分、 三里一十町三十八間 同福浦小濱 二里五町九間 下波浦結出浦、三十三度一十一分、 一十町五十五間半 同繁浦〈至明越浦徑測四丁二十四間〉 三里〈至大池岬一里二十五丁三十二間半〉 蔣淵浦横浦、三十三度一十二分半、 二里三十一町三十一間 上波浦津野浦赤崎 二里三十町三十間 同矢野浦、三十三度一十二分、 二里四町五十七間〈至明越浦一十六丁一十三間半〉 三浦大内浦、三十三度一十一分、 二里一十三町二十六間 同弓立(ユダテ)浦 二里二十七町五十三間半 九島浦小池浦鳥ケ首岬 一里一町三十二間 同小濱浦、三十三度一十三分、 三里二十四町〈至宇和島佐泊町三里一十丁七間〉 宇和島本町三十三度一十四分、 〈從岡崎宇和島〉 沿海、通計二百六十七里二十七町四十一間、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0862伊豫國宇和島沿海至岡崎 伊豫國宇和郡宇和島本町 三里一十八町五十六間 吉田〈至袋町二丁四十五間半、北極高三十三度一十七分半、〉 二里一十九町九間 奧浦中浦、三十三度一十七分半、 一十三町一十七間 同間口〈大良岬廻一里三十三丁一十間〉 一里三十二町二十一間半 白浦花組浦 三里四町五間半 狩濱浦、三十三度二十分、 三里三町四十九間 高山浦田之濱、三十三度二十分、 二里三十一町五十八間〈至大崎二十三丁四間半〉 皆江浦、三十三度二十一分半、 二里二十一町一十間 埴生(ハブ)浦 一里二十一町四十一間 周木浦三十三度二十三分半、 三里八町四十一間〈至瀧崎二里二十二丁三十間〉 川名津浦、三十三度二十六分半、 三里一十一町二十四間〈至諏訪崎一里二十三丁三十七間半〉 八幡濱浦、三十三度二十八分半、 二里八町一十二間 川之石浦、三十三度二十九分半、 二里一十六町一十七間〈至惠美郷岬一里二丁四十五間半〉 伊方浦中浦〈至伊方越浦徑測十九丁三十七間〉 八町一十九間 同川永田浦、三十三度三十分、 二里二十三町五十四間〈至女子崎一里三十三丁四十一間半〉 九町浦、三十三度二十九分半、 一里二十九町一十一間 三机浦鹽成浦〈至三机浦小フリ濱徑測四丁二十六間〉 二里二十六町二十六間 三崎浦名取浦 三里一十一町九間半 三崎浦佐田浦 二里三十二町五十三間 同内野浦〈至北濱徑測四丁二十六間〉 二里一十八町四十四間 同北濱 三里二十一町〈至松浦一里三十四丁四十間半〉 同二名洲浦、三十三度二十四分半、 三里六町三間半〈至三机浦釜木二十二丁〉 三机浦神崎浦 二里一十二町五十一間 同小島浦立岩 二里九町三十四間半 三机浦、三十三度二十八分、 一十三町一十四間半 同小ブリ濱 四里一町三間半〈至二見浦大成濱一里一十三丁三十間半〉 伊方浦伊方越浦 一里三十四町一十三間 喜木津浦、三十三度三十二分半、 一里五町四十一間 磯崎浦、三十三度三十三分半、 二里三十一町二十二間 喜多郡長濱、三十三度三十七分半、〈沿比地川大洲本町四里二十丁一十二間、北極高三十三度三十一分半、〉 二里八町二十九間半 浮穴(ウケナ)郡串村 二里七町二十七間半 上灘村、三十三度四十二分、 二里二十町一十五間 伊豫郡米湊(コミナト) 一里一十六町五十七間 北河原村

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 重信川口 二里二十町二十間半 和氣郡三津町、三十三度五十二分半、〈至温泉郡松山府中町一里一十九丁四十六間、北極高三十三度五十一分半、從府中町道後村二十九丁一十五間、從道後堀江村二里一十丁、〉 三町二十五間 三津町三津濱〈沿江至柾町、五丁五十二間〉 二里一十九町二十九間 堀江村 二里九町三十間 風早郡辻村辻町、三十三度五十九分、三里八町 野間郡濱村、三十四度二分半、 二里二十町七間半 新町村〈至今治室屋町徑測二里六丁四十間〉 一里一十六間 九王村、三十四度五分半、 二里四町七間〈至明神岬一里二十三丁一十五間〉 宮崎村 三里三町一十三間 波止(ハシ)濱、三十四度七分、 二里一十二町五十九間 越智(ヲヂ)郡今治(イマハル)横町〈至室屋町二丁五十六間、北極高三十四度五分、〉 四里二十三町四十間 桑村郡壬生川村 一里一十二町二十八間 町布郡今在家村濱、〈至今在家村宿所汎測六丁〉 三十三度五十五分半、 二里一十七間 新居(ニヰ)郡喜多濱分本陣川口〈至西條本町汎測一十二丁、北極高三十三度五十六分、〉 二里三十二町五十六間 新居濱村 二里四十間 埴生村川口〈沿川至埴生村宿所九丁四十間〉 三里一十九町六間 宇摩郡津根村萬福川口 三里二十五町四十二間 川之江村濱〈至川之江村宿所四丁一十五間〉 三十四度一分半、 二里二十二町四十七間 讃岐國豐田郡和田濱川口〈◯中略〉 從土佐國高知街道笹ケ峯川之江〈◯中略〉 伊豫國宇摩郡馬立村 一里三十一町九間 同水ケ峯 二里四町四十一間半 川之江村 〈從高知川之江〉街道、通計二十一里一十三町五十三間、

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 諸國驛傳馬〈◯中略〉 伊豫國驛馬〈大岡、山背、近井、新居、周敷、越智各五疋、〉

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈二南海道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0863 伊豫 古作伊余、〈古事記國造記〉或伊與〈清寧紀〉上國、管十四郡、九百五十五村、 宇摩〈五十一村 延喜式等作宇麻〉 新居〈五十二村 本神野郡、大同四年九月、改神野郡新居郡、以上諱也、〉 周布〈三十六村 延喜式等作周敷〉 桑村〈二十七村〉 越智〈九十二村 古小市國、見國造記、後爲郡、建國府于此、〉 野間〈三十村 古怒麻國、見國造記、和名抄云、今作能滿、〉 風早〈八十四村 古風速國、見國造記、持統紀亦作風速、〉 和氣〈二十二村 日本紀伊豫別君、即出于此地之稱、〉 温泉〈三十五村 伊豫風土記作湯郡〉 久米〈三十一村 古久味國、見國造記、清寧紀來目部、即出于此地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 〈之稱、〉 伊豫〈三十四村 拾芥抄作伊余〉 浮穴〈九十九村〉 喜多〈八十三村 貞觀八年十一月、割宇和郡置、〉 宇和〈二百七十九村〉

〔日本地誌提要〕

〈六十三伊豫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0864 沿革 古ヘ國府ヲ越智郡ニ置、〈今ノ古國分村是ナリ〉天慶中、州掾藤原純友反シテ郡邑ヲ鈔掠ス、朝廷小野好古ヲ以テ追捕使トナシ、來リ討ジ、純友誅ニ伏ス、治承ノ初、州ノ豪族河野通清、高繩城〈風早郡河野郷〉ニ據リ、平氏ヲ拒テ殺サル、子通信、源頼朝ニ從ヒ守護ニ補ス、承久ノ役、官軍ニ屬シテ、封邑ヲ失ヒ、其少子通久、僅ニ久米郡石井郷ヲ領ス、蒙古ノ役、通久ノ孫通有戰功アリ、舊邑ヲ復シ、對馬守ニ任ズ、元弘ノ初、通有ノ子通盛、北條氏ニ附シテ收封セラル、其族得能通綱、土居通増、官軍ニ應ジ、長門ノ探題北條時直ヲ擊テ之ヲ破ル、足利尊氏ノ反スル、通盛之ニ屬シテ、湯月城〈温泉郡〉ニ據ル、延元三年、朝廷四條有資ヲ以テ州守ニ任ジ、大館氏明ヲ守護ニ補シ、世田城〈桑村郡楠村〉ニ居テ四國ヲ經略セシム、得能土居二氏皆之ニ屬ス、興國元年、脇屋義助詔ヲ奉ジテ來リテ國府ニ居リ、南海ノ軍務ヲ督ス、俄ニシテ卒シ、尊氏ノ將細川頼春來リ侵シ、世田城ヲ陷イレ、氏明之ニ死シ、得能諸氏皆離散ス、正平六年、尊氏終ニ通盛ヲ以テ守護トナス、十九年、通盛ノ子通朝歸順シテ、細川頼之ト戰ヒ敗死ス、其子通堯(タカ)筑前ニ奔リ、征西將軍懷良親王ニ從ヒ、其援ヲ乞テ故封ヲ復ス、天授中、通堯戰沒シ、其子通能再ビ足利氏ニ降リ、因テ守護ニ補ス、應仁ノ亂、通能ノ孫通直西軍ニ應ズ、其再從弟通春、湊山〈和氣郡三津濱〉ニ據リ東軍ニ屬ス、是ニ於テ河野氏二派トナル、永正中、通直ノ子通宣、通春ノ子通篤ヲ逐ヒ、悉ク其地ヲ併ス、是ヨリ先西園寺氏世々宇和郡ヲ領シ、松葉城ニ居リ、宇都宮氏喜多郡大洲ニ據リ、河野氏ト地ヲ爭ヒ戰鬪止マズ、天正中、土佐ノ長曾我部元親來リ侵シ、宇都宮豐綱ヲ逐ヒ、河野通直〈通宣曾孫〉ヲ降シ悉ク其地ヲ併ス、十三年、豐臣氏南征シ、元親ノ侵地ヲ削リ、河野氏〈通直〉西園寺〈公廣〉ノ地ヲ奪テ、小早川隆景ニ全州ヲ賜フ、〈三拾五萬石〉十五年、之ヲ筑前ニ徙シ、福島正則ヲ湯月ニ、〈拾壹萬石、後國府ニ徙ル〉加藤嘉明ヲ松前(マサキ)ニ、〈六萬石〉戸田勝隆ヲ板島ニ封ズ、十八年、正則ヲ轉封シ、國府ヲ小川祐忠ニ賜フ、〈七萬石〉文祿中、勝隆封ヲ失

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 ヒ、藤堂高虎代テ板島ニ封ゼラレ、〈七萬石〉慶長五年、徳川氏祐忠ノ封ヲ奪ヒ、之ヲ高虎ニ加賜シ、〈共貳拾萬石〉徙テ今治ニ治ス、又加藤嘉明ノ邑ヲ増シ、〈貳拾萬石〉徙テ松山ニ治ス、十三年、高虎ヲ伊勢ニ徙シ、富田知勝ヲ板島ニ封ジ、〈拾貳萬石〉明年、脇坂安治ヲ大洲ニ〈六萬石、元和三年、加藤貞泰之ニ代ル、〉封ズ、十八年、知勝罪アツテ國除シ、伊達秀宗之ニ代リ、〈拾萬石〉板島ヲ改テ宇和島ト稱ス、寛永四年、嘉明會津ニ徙リ、松平忠知〈蒲生氏〉之ニ代リ、十二年、嗣ナクシテ國除シ、松平定行ヲ松山ニ、〈拾五萬石〉松平定房ヲ今治ニ、〈三萬石〉一柳直盛ヲ西條ニ〈六萬八千石、後松平頼純之ニ代ル、〉封ズ、直盛尋テ二子直家ヲ川江ニ、〈貳萬八千石、寛永九年封ヲ收メラル、〉三子直頼ヲ小松ニ〈壹萬石〉分封ス、其餘大洲ノ支封ヲ新谷〈壹萬石、加藤貞泰二男直泰、〉トナシ、宇和島ノ支封ヲ吉田〈三萬石、伊達秀宗五男宗純、〉トナス、凡テ八藩、王政革新、廢シテ松山宇和島二縣ヲ置、又改稱シテ石鐵(イシヅチ)、神山(カミヤマ)ト云、尋テ之ヲ合併シテ愛媛縣ヲ置、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 伊余國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉御世、印幡國造同祖敷桁彦命兒速後上命定賜國造

〔古事記〕

〈中神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 神八井耳命者〈(中略)伊余國造(中略)等之祖也〉

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0865 久味國造 輕島豐明朝(◯應神)神魂尊十三世孫伊與主命定賜國造、 小市國造 輕島豐明朝御世、物部連同祖大新川命孫乎致命定賜國造、 怒麻國造 神功皇后御代、阿岐國造同祖飽速玉命三世孫若彌尾命定賜國造、 風速國造 輕島豐明朝、物部連祖伊香色男命四世孫阿佐利定賜國造

〔日本書紀〕

〈三十持統〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 三年八月辛丑、詔伊豫總領(○○○○)田中朝臣法麿等曰、讃吉國御城郡所獲白鷰宜放養焉、 五年七月壬申、是日伊豫國司(○○○○)田中朝臣法麻呂等、獻宇和郡御馬山白銀三斤八兩䤵一籠

〔吾妻鏡〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 建仁三年四月六日甲辰、伊豫國御家人河野四郞通信、自幕下將軍〈◯源頼朝〉御時以降、殊抽奉公忠節間、不當國守護(○○)人佐々木三郞兵衞尉盛綱法師、奉行別可勤厚、兼又如舊、可從國中近親并郞從之由、給御教書、平民部丞盛時奉行之、〈◯下略〉

〔南海通紀〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 四國并近國錯亂記 伊豫國河野ハ世々越智ノ大領タリ、猶諸郡ノ大領ヲ兼テ賜ルコトモアリ、或ハ伊豫權介ヲ賜フ事モアリ、源頼義伊豫守タリシ時、源家ノ類族ト成テ其寵厚シ、此故ニ頼朝卿興起ノ時、源家ニ忠アリ、庄園數ケ所ヲ賜テ家門繁昌ス、大永享祿ノ間ニ河野四郞通直、我家ヲ厚シテ國中ヲ合ントス、豫州ハ舊邦ニテ故家舊姓猶多シ、皆河野ガ氏族ニ列ス、然ドモ大義不成シテ止ヌ、豫州宇和郡ハ上代藤原純友ノ伊豫ノ掾ニ在テ亂ヲナス時、遠江掾遠保勅定ヲ承テ、伊豫國ニ下リ、當國ノ凶賊ヲ討テ軍忠アリ、宇和郡ヲ賜テ當郡ニ居住シ、子孫相傳テ鎌倉將軍家ニ至マデ相續、北條泰時ノ執事タルニ至テ、常盤井ノ入道太政大臣強テ所望アルニ依テ彼地ヲ召放サレ、禪閤ノ領ニ附進セラル、嘉禎二年丙申二月廿二日也、此後世々公家領タリ、應仁亂ノ後、細川管領家ノ執達ニ依テ、西園寺殿ヲ以テ當國ノ總兵官トス、是ヲ板島ノ屋形ト云也、河野(○○)、宇都宮(○○○)、西園寺(○○○)、三人ノ旗頭(○○○○○)也、

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 伊豫國〈國府在越智郡、行程上十六日、下八日、〉

〔愛媛面影〕

〈二越智郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 國分山城墟 國府城是なり、興國年中、脇屋刑部卿四國の大將にて當城に入給へり、〈◯中略〉四方石垣今猶存して、古瓦夥し、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0866 伊豫國〈◯註略〉管十四〈◯註略〉宇摩 新居〈仁比井〉周敷〈主布〉桑村〈久波牟良〉越智〈乎知〉野間〈乃萬今作能滿〉風早〈加佐波夜〉和氣〈和計〉温泉〈湯〉久米 浮穴〈宇城安奈〉伊豫 喜多〈岐多〉宇和

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 伊豫國、上、〈管 宇麻(ウマ) 新居(ニヒ井) 周敷(スフ) 桑村(クハムラ) 越智(ヲチ) 野間(ノマ) 風早(カザハヤ) 和氣(ワケ) 温泉(ユ) 久米(クメ) 浮穴(ウキアナ) 伊豫(イヨ) 喜多(キタ) 宇和(ウワ)◯中略〉 右爲遠國

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 伊豫國〈十四郡〉 宇摩(ウマ) 〈●長洲 ●ヨキ 土阿讃界ヨリ東海ニ向〉 新居(ニイヽ) 〈西條 ●三島 ●大町 △大山祇社 土界ヨリ東海ニ向〉 周敷(フフ) 〈小松 右ニ同〉 桑村(クハムラ) 〈驛町無シ 小郡〉 越(ヲ)智 〈今治 △新田義助墓 國中ヨリ東海ニ向〉 野間(ノマ) 〈宮崎八十五六ケ村限リ 今治ニ並小郡〉 風早(カサハヤ) 〈●北條 小郡〉 和氣(ワケ) 〈●三津 小郡〉温泉(ユ) 〈松山 △道後ノ湯 小郡〉 久米(クメ) 〈驛町無シ 國中小郡〉 浮穴(ウキアナ) 〈●隈町 土界小郡〉 伊(イ)豫 〈●小川、イヨノ富士山小シマ也 西北ノ海向小郡〉 喜多(キタ) 〈大洲 <新谷 田子 ●長濱 宇和ト浮穴ノ間ニ有郡〉 宇和 〈宇和島 <吉田 ●城下町 土界西南海ニ向〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0867 伊豫

宇摩郡

〔續日本紀〕

〈二十八稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 神護景雲元年十月癸巳、伊豫國宇摩郡人凡直繼人獻錢百万、紵布一百端、竹笠一百蓋稻二万束、授外從六位下、〈◯下略〉

〔河野文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 壬位馬兩郡事、任先規旨全領知由、被牛福丸殿御内書候、尤珍重存候、猶巨細之段、原右近大夫可申候、恐々不備、 十一月廿六日 靈超判 平岡大和守殿

神野郡/新居郡

〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0869 合庄庄倉捌拾肆口 屋壹佰拾壹口〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 伊豫國拾肆處〈神野郡(○○○)一處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 智行並具禪師重得人身國皇之子縁第卅九 伊與國神野郡郷内有山名號石鎚山、是即彼山有石鎚神之名也、

〔續日本紀〕

〈二十孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 天平寶字二年三月壬午、伊豫國神野郡(○○○)人少初位上賀茂直馬主等、賜賀茂伊豫朝臣姓

〔日本紀略〕

〈嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 大同四年九月乙巳、改(○)伊豫國神野郡(○○○○○○)爲(○)新居郡(○○○)、以上諱〈◯神野〉也、

〔類聚三代格〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 太政官符 應新居郡主政事 右得伊豫國解偁、彼郡解偁、此郡郷戸雖少、部内曠遠、出擧收納、往還多劇、而郡司員少、動致闕怠、望請始置主政之職者、國司覆審、所申有實、望請官裁者、右大臣宣、奉勅依請、 仁和二年十月廿三日

〔東大寺要録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 一諸國諸庄田地〈長徳四年注文定◯中略〉 伊豫國 新居郡(○○○)庄田地九十六町六段百歩 水田三町六段百歩 陸地九十三町〈◯下略〉

周敷郡

〔續日本紀〕

〈二十五淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 天平寶字八年七月己酉、伊與國周敷郡人、多治比連眞國等十人、賜姓周敷連

桑村郡

〔類聚三代格〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0870 太政官符 應久米郡大少領事 右得伊豫國解偁、彼郡司解偁、撿案内桑村(○○)久米兩郡管郷各三、人數共同、輸貢之物亦無増減、而桑村郡有大少領、至于此郡只有領職、望請准彼郡、置大少領者、國司覆審所申有實、謹請宮裁者、正三位行

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 中納言兼民部卿藤原朝臣冬緒宣、奉勅依請、 元慶五年十月九日

越智郡

〔釋日本紀〕

〈六述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 伊豫國風土記曰、乎知郡(○○○)御島坐神御名大山積神、一名和多志大神也、

〔續日本紀〕

〈三十六光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 寶龜十一年七月甲申、伊豫國越智郡人越智直靜養女、以私物養窮弊百姓一百五十八人、〈◯下略〉

〔吾妻鏡〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 建久六年十一月廿五日丙午、伊豫國越智郡被止地頭職、是殿下〈◯藤原兼實〉依領掌也、

野間郡

〔釋日本紀〕

〈八述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 伊豫國風土記曰、野間郡熊野峯、所熊野由者、昔時、熊野〈止〉云船設此、至今石成在、因謂熊野本也、

〔朝野群載〕

〈二十二諸國雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 太政官符 伊豫國司 濃滿郡(○○○)大領正六位上中原朝臣弘忠 右去年十二月廿八日補任如件、國宜承知依例任用、符到奉行、 修理左宮城判官正五位下行主計頭兼左大史算博士備後介小槻宿禰 康和二年二月廿六日

風早郡

〔日本書紀〕

〈三十持統〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 十年四月戊戍、以追大貳伊豫國風速郡(○○○)物部藥與肥後國皮石郡壬生諸石、〈◯下略〉

〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 合庄庄倉捌拾肆口 屋壹佰拾壹口〈◯中略〉 伊豫國拾肆處〈(中略)風速郡二處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔文徳實録〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0871 天安二年八月戊戍、内供奉十禪師傳灯大法師位光定卒、光定俗姓贄氏、伊豫國風早郡人也、

和氣郡

〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 合庄庄倉捌拾肆口 屋壹佰拾壹口〈◯中略〉 伊豫國拾肆處〈(中略)和氣郡二處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872持法花經現報奇異表縁第十八 昔大和國葛木上郡有一持經人、〈◯中略〉于時夢見有人曰、汝昔先身生在伊豫國別郡(○○)早部猴之子時、汝奉法花經、而燈燒一文、故不誦、今往見之、

温泉郡

〔釋日本紀〕

〈十四述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 伊豫國風土記曰、湯郡(○○)大穴持命見悔恥、而宿奈毘古那命欲活、而大分速見湯自下樋持度來、以宿奈毘古奈命而浴瀆者、蹔間有活起居、然詠曰、眞蹔寢哉踐健跡處、今在湯中石上也、凡湯之貴奇、不神世時耳、於今世疹痾、萬生爲除病存身要藥也、天皇等於湯幸行降坐五度也、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 神護景雲三年四月壬寅、伊豫國温泉郡人正八位上味酒部稻依等三人賜姓平郡味酒臣

〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 合庄庄倉捌拾肆口 屋壹佰拾壹口〈◯中略〉 伊豫國拾肆處〈(中略)温泉郡三處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

久米郡

〔續日本紀〕

〈二十七稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 天平神護二年四月甲辰、伊豫國神野郡伊曾乃神、越智郡大山積神並授從四位下、充神戸各五烟、久米郡(○○○)伊豫神、野間郡野間神、並授從五位下、神戸各二烟、

浮穴郡

〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 合庄庄倉捌拾肆口 屋壹佰拾壹口〈◯中略〉 伊豫國拾肆處〈(中略)浮穴郡一處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0872 貞觀八年十月廿三日甲午、伊豫國浮穴郡置少領一員

伊豫郡

〔釋日本紀〕

〈七述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 伊豫國風土記曰、伊豫郡自郡家以東北在天山、所天山由者、倭在天加具山、自天天降時、二分而以片端者、天降於倭國、以片端者、天降於此土、因謂天山本也、

〔豫章記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 河野系圖 孝靈天皇―――伊豫皇子 豫州伊豫郡〈仁〉宮作〈志天〉住御〈須〉、有神靈則靈宮大神是也、

〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 合庄庄倉捌拾肆口 屋壹拾壹口〈◯中略〉 伊豫國拾肆處〈(中略)伊余郡四處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

喜多郡/宇和郡

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 凡諸國貢調庸者、〈◯中略〉伊豫國限二月、但宇和喜多(○○○○)兩郡限三月、〈◯中略〉 凡未進調庸物、〈◯中略〉伊豫國宇和喜多兩郡、明年六月卅日〈◯中略〉以前進訖、

〔日本書紀〕

〈三十持統〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 五年七月壬申、天皇幸吉野宮、是日伊豫國司田中朝臣法麻呂等、獻宇和郡(○○○)御馬山白銀三斤八兩、䤵一籠、〈◯下略〉

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 貞觀八年十一月八日己酉、割伊豫國宇和郡、爲宇和喜多(○○○○)兩郡

〔類聚三代格〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0873 太政官符 應宇和郡(○○○)爲下郡大少領事 右得伊豫國解偁、件郡元三郷、今戸口増益、新加一郷、而有領一員、郡務難濟、望請依令爲下郡、置大少領、謹請官裁者、右大臣宣、奉勅依請、 貞觀十六年閏四月十九日〈◯中略〉 太政官符 應喜多郡(○○○)少領事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 右得伊豫國解偁、彼郡解偁、桑村久米兩郡管郷各三、課丁或七百廿五、或七百二、皆有大少領、今此郡郷數既同、課丁三千二百八、輸貢調庸多倍彼郡、而只有領一人主帳一人、辨濟雜務、動致緩怠、望請因循彼例、置大少領者、國司覆審、所申有實、望請官裁、准彼兩郡、新置少領、爲大少員者、右大臣宣、奉勅依請、 元慶八年十月十七日

〔吾妻鏡〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 嘉禎二年二月廿二日己酉、伊豫國宇和郡(○○○)事、止薩摩守公業法師領掌、所于常磐井入道太政大臣〈◯西國寺實氏〉家之領也、是年來彼禪閤雖望申之、公業先祖代々知行、就中遠江丞遠保、承勅定取當國賊、是純友以來居住當郡、令傳子孫年久、無咎而不召放之由、頻以愁歎、御沙汰難是非、無左右仰切之處、去比禪閤御書状重參著、此所望不事行、似老後眉目、於今者態令下向所存之趣被載之、御下向之條、還依事煩、可御管領之旨、今日被遣于彼家、可陸奧入道理之許云云、

〔南海通紀〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 豫州宇和郡記 豫州宇和郡ハ西園寺家ニ領掌シ給フ事年久シ、〈◯下略〉

〔南海通紀〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 土佐幡多西伊豫攻合記 宇和喜多ノ二郡ハ、土佐境ナル故ニ、幡多郡ヨリ取カクベキト聞ヘケレバ、豫州ニモ其備ヲ設テ相保チ、互ニ其隙ヲ窺フ、〈◯中略〉宇和喜多ノ者ドモハ山國ナレバ、狩獵ニ習テ鐵炮上手也、〈◯下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈九伊豫國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0874 宇摩郡 山田 山口〈也萬久知〉津根〈都禰〉御井〈美井〉餘戸 新居郡 新居 丹上〈◯高山寺本丹作井、註爲乃倍、〉島山 花〈◯高山寺本作立花〉賀茂 神戸 周敷郡 田野〈◯高山寺本註多乃〉池田 井出 吉田〈◯高山寺本註與之多〉石井〈◯高山寺本註以之井〉神戸 餘戸 桑村郡 籠田〈◯高山寺本註古多〉御井〈◯高山寺本註三爲〉津宮〈◯高山寺本註津乃美也〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0875 越智郡 朝倉〈安佐久良〉高市〈多希知〉櫻井〈佐久良井〉新屋〈爾比也〉拜志〈波也之〉給理〈◯高山寺本註古保利〉高橋〈多加波之〉鴨部〈◯高山寺本註加毛倍〉日吉〈比與之〉立花〈多知花〉 濃滿郡 宅方〈◯高山寺本方作萬、註多久間、〉英多〈◯高山寺本註阿加多〉大井 賞多〈◯高山寺本註散賀多〉神戸 風早郡 粟井〈安波井〉河野〈加波乃〉高田〈多加多〉難波 那賀 和氣郡 高尾〈多加乎〉吉原〈與之波良〉姫原〈比女乃波良〉大内〈於乎宇知〉 温泉郡 桑原〈久波波良〉埴生 立花 井上〈井乃倍〉味酒〈萬佐介◯高山寺本萬上有无字〉 久米郡 天山〈◯高山寺本註安末也末〉吉井〈◯高山寺本註與之爲〉石井 神戸 餘戸 浮穴郡 井門〈◯高山寺本註爲度〉拜志 荏原〈◯高山寺本註衣波良〉出部〈◯高山寺本註伊豆倍〉 伊豫郡 神前〈加牟左岐〉吾川〈和加波◯高山寺本和作阿〉石田〈伊之多〉崗田〈乎加多〉神戸 餘戸 喜多郡 矢野〈也乃〉久米 新屋〈爾比也〉 宇和郡 石野〈伊波乃〉石城〈伊波岐〉三間〈美萬〉立間〈多知萬〉

〔豫章記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0875 河野系圖 孝靈天皇―――伊豫皇子 豫州伊豫郡仁宮作志天住御須有神靈、則靈宮大神是也、故以此所神崎乃(○○○)郷(○)土名久、

〔東大寺要録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0875 造寺司 牒三綱所 合奉宛封一千戸〈◯中略〉 伊豫國壹百戸 〈風早郡粟井郷(○○○)五十戸、温泉郡橘樹郷(○○○)五十戸、◯中略〉 以前寺家雜用料、永配封、當年所輸之物爲始、奉宛如件、今以状牒、牒到准状、故牒、 天平勝寶四年十月廿五日〈◯署名略〉

〔集古文書〕

〈十五判物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0875 貞和四年判物〈伊豫國越智郡三島社藏〉 可早令一レ募三島宮封戸田一烟事 越智貞實所 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0876 右任先例、以友國名内立花郷(○○○)小引募之状如件、 貞和四年十二月九日 總田所紀朝臣〈書判〉

〔當宮縁事抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0876 左辨官下 石清水八幡宮并宿院極樂寺 應永停止宮寺并極樂寺庄園領家預所下司公文等、或號先祖讓状、或稱傳文書、致異論掠領、兼又有由緒傳領、子孫斷絶處々付本所事、 宮寺領〈◯中略〉 伊豫國 石城島〈◯中略〉 味酒郷(○○○)〈◯中略〉 保元三年十二月三日 大史小槻宿禰〈在判◯下略〉

〔東寺百合古文書〕

〈八十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0876寄附 東寺 伊豫國温泉郡味酒郷内上方地頭職事 右任己父民部大輔通元寄進状之旨、爲天下安全、武運長久、國土靜謐之祈禱、奉附于當寺之状如件、 應仁二年五月十八日 伊豫守通春〈花押〉

〔伊豫國田所注進田文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0876 郷々新田三十壹町二反六十歩 宇萬西條 四町貳反九十歩 北條郷(○○○) 壹町五反半〈◯中略〉 井上郷(○○○) 壹町五反二十歩 田乃郷(○○○) 壹反 池田郷(○○○) 二反〈◯中略〉 右注進如件 建長七年十月日 田所杢允紀

〔集古文書〕

〈六十六書牘〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0876 重見通昭書〈伊豫國越智郡三島社藏〉 此間不申入候、緩怠之至候、仍三島大明神〈江〉屋形より、道前池田郷之内、恒久名新祈進候、此内一町は通昭分にて祈進候、猶御神前、精誠御祈念奉憑候、委細尚長慶寺申候、恐惶謹言、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0877 六月廿三日 通昭〈華押〉 謹上 大祝殿

〔集古文書〕

〈二十七下知状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0877 正安三年下知状〈伊豫國越智郡三島社藏〉 伊豫國御家人三島大祝安俊代子息安胤、與同國恒弘東方地頭代重明、相論貞光名田地貳段事、右番訴陳之處、如今年十月十五日和與状者、埴生郷(○○○)内三宅里卅四坪貳段、恒弘名東方地頭代重明令押領之由就訴申、雖訴陳、於彼坪貳段者、本自不押領之上、向後不http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001ad4e.gif 之由、出状之上者、兩方以和與之儀沙汰事此上者不子細之状如件、 三年十一月七日 左馬助平朝臣〈花押◯北條基時〉 陸奧守平朝臣〈花押◯北條宣時〉

〔大山積神社文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0877 島山郷(○○○)七石六斗五合 新居延吉并正枝十石二斗八升三合 井出郷(○○○)十二石八斗七升一合 周敷北條二十二石八升 吉田郷(○○○)九石四斗五升一合七勺 田乃郷(○○○)九石四斗八升五合〈加別名并新名定〉 池田郷(○○○)十三石七斗一升五合 古田郷(○○○)二十一石九斗六升六合 桑村本郡二十一石六斗六合〈加恒文五十九反三百分〉 櫻井郷(○○○)九石二斗七升一合七勺〈加新名定〉 拜志郷(○○○)十一石五斗一升四合九勺 朝倉郷(○○○)十一石六斗五合 高市郷(○○○)十七石三斗三升五合〈加有恒二丁半并新名定〉 新屋郷(○○○)五石二斗五升八合四勺 越智本郡十九石九斗五升一合七勺 越智立花郷(○○○)十二石六斗五升八合四勺〈加有恒四反大定加赤町島押領五反半定〉 日吉郷(○○○)十三石八斗五升六合七勺 英多郷(○○○)十三石四斗八升六合七勺〈加有恒五反小定〉 宅万郷(○○○)九石九斗六升一合七勺 高橋郷(○○○)四石一斗六合六勺 同別名六石三斗五升六合七勺 大井郷(○○○)八石一斗八升三合四勺 那賀郷(○○○)十七石一斗三升六合四勺〈加奴和島并新名定〉 風早本郡二十八石四斗六升八勺〈加新名定〉 河刀郷(○○○)六石三斗六升一合七勺 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 右件御造營之段米、加院宣、國宣、關東御教書、并六波羅殿御施行者、爲一國平均役、云庄課、云別納、廳分被支配、不各怠緩、慥可備之状如件、 應長二年三月日 三島大祝三位越知〈花押〉 總大判官代散位紀朝臣〈花押〉 目代〈花押〉

〔集古文書〕

〈四十二寄附状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 綿貫幸長寄進状〈伊豫國越智郡三島社藏〉 奉寄進三島大明神御鉾下地事 合壹段者〈高橋郷(○○○)地頭高内石田里卅六坪〉 右意趣者、爲天下泰平、國土豐饒、別者心中所願成就也、仍爲後代龜鏡、寄進候状如件、 建武二年十月廿三日 地頭藤原幸長〈華押〉 三島大祝殿

〔集古文書〕

〈四十三寄附状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 文和二年寄進状〈伊豫國越智郡三島社藏〉 奉寄進伊豫國三島大明神〈御神樂田〉同國友國名内和介本郡内五段、拜志郷(○○○)内五段等田地事、 右爲天長地久、國土安穩、所願成就、所寄附之状如件、 文和二年卯月十五日 源朝臣義尚〈書判〉

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0878 一伊豫國(御料私領) 〈豫州 四方二日〉 拾四郡 高四拾四万貳千百六拾三石五斗五升六合五勺三才 九百五拾九ケ村 ●松山 二百十八里半 ●宇和島 二百七十八里 ●大洲 二百五十一里 ●今治 二百七里 ●西條 二百五里 ◯小松 二百九里十九町 ◯吉田 二百七十三里 ◯新谷二百三十里 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 伊豫 十四郡、九百五十五村 高四十六万九百九十七石六斗三升九合三勺四才(御領私領) 宇摩郡五十一村 新居郡五十二村 周布郡三十六村 桑村郡二十七村 越智郡九十二村 野間郡三十村 風早郡八十四村 和氣郡二十二村 温泉(ウンセン)郡三十五村 久米郡三十一村 伊豫郡三十四村 浮穴郡九十九村 喜多郡八十三村 宇和郡二百七十九村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 郡邑島嶼奇名 伊豫 宇和郡、菰淵(コモブチ)浦、久良(ヒサヨシ)浦、深泥(ミドロ)浦、平城(ヒラジヤウ)村、摺木(スルキ)村、魚神山(トカミヤマ)浦、鹽定(エンジヤウ)村、浦知(ウラジリ)浦、鼠鳴(ネヅナキ)浦、弓立(ユタテ)浦、泥目木(ドロメキ)浦、田下(タヲロシ)浦、明越(アケコヘ)浦、大内(オホチ)浦、夏秋(ナツアキ)浦、結出(ユイデ)浦、石應(イシヲウ)浦、坂下津(サカシヅ)浦、來(クノ)浦、南君(ナキミ)浦、渡江(トノエ)浦、安土(アヅチ)浦、垣生(ハス)浦、二及(ニギワ)浦、馬目網代(マメアジロ)、夢永(ムエイ)浦、磯崎(イサキ)浦、卯來(ウクル)島、當木(アテキ)島、契(チギリ)島、遠渡(トオド)島、御五神(オイツカミ)島、太良岬(オホラミサキ)、水作(ミヅクリ)島、喜多郡、出海(イツミ)村、櫛生村、上老松(シヤウロマツ)村、八多喜(ハタキ)村、春(ハルカ)村、今坊(コンボウ)村、浮名(ウキナ)郡、高川(カウノカハ)村、伊豫郡、米湊(コミナト)、吾川(アカハ)、和氣郡、奧居(ゴコ)島、風早郡、苞木(フボキ)村、鹿峯(カノミネ)村、畑里(ハタリ)村、野忽那(ノコツナ)島、二神(フタカミ)島、油利(ユリ)島、怒(ヌツ)和島、温泉郡、味酒(ミサケ)村、野間郡、波止濱(ハジハマ)、弓杖(ユツヘ)島、來(クル)島、經(ケ)島、越智郡、鳥生(トリフ)村、大三(オホミ)島、伯方(ハカタ)島、大下(オホゲ)島、生名(イクナ)島、部内(ヘナイ)島、新居郡、御代(ミヨ)島、

〔文徳實録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 嘉祥三年五月壬午、故老相傳、伊豫國神野郡、昔有高僧名灼然、稱爲聖人、〈◯中略〉先是郡下橘里(○○)月孤獨姥橘嫗、〈◯下略〉

〔三代實録〕

〈十四清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 貞觀九年十一月十日乙巳、下知攝津、和泉、山陽、南海道等諸國曰、如聞、近來伊豫國宮崎村(○○○)海賊群居、掠奪尤切、公私海行、爲之隔絶、〈◯下略〉

〔豫章記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 新居ノ一黨モ八ケ村有、所謂周敷(○○)、越智(○○)、今井(○○)、松本(○○)、難波江(○○○)、徳永(○○)、高部(○○)、新居(○○)八ケ村也、

〔長門本平家物語〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 丹波少將は備中のくに妹尾の湊ゆく井といふ所なり、御船に召して、波路はるかにこぎうかぶ、是は伊豫の國夏地(○○)につきてめぐられける、

〔愛媛面影〕

〈一新居郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0879 【西條】(さいでう) 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 寛文年中、紀伊大納言宣頼卿の次男、松平左京大夫頼純少將、西條を賜はりて居城とせさせ玉ひしより、聯綿として繁昌の一在所となれり、

〔愛媛面影〕

〈一周敷郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 小松 領主一柳侯の居館、山に依り川を前にして、要害の一城郭なり、 河野家傳記ニ云、神戸城主一柳直盛死期ノ願ニ依テ、三男藏人直頼ニ小松一萬石ヲ賜フと、夫より以來連綿として相續し給へり、越智姓にて千年以來祖先の舊領、伊豫に居住し玉へるは、めでたき限なるべし、

〔愛媛面影〕

〈二越智郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 【今治】城(いまばりのしろ) 慶長年中、藤堂侯國府城を移して、築玉へる所にして我實相院殿美作守侍從定房公、勢州長島より此城に移りたまひしより以來、しかも異姓を交へず、二百有餘年連綿として相續し玉へり、今治昔は入海にて、馬越村の邊まで潮汐來往せしを、あらたに築留たるによりて、今治と名くと云、古は今張と書しを、後に今治と改む、治(はり)は墾(はり)の義なり、山海ともに便利を得、舟車朝夕に輻湊して最繁榮の地なり、〈◯下略〉

〔愛媛面影〕

〈三温泉郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 松山(○○)城 此山平田曠野の中間に特立して、海岸を隔る事二里許、南方に石手川の流あり、〈◯中略〉舊は勝山といひしを、後に松山と更たりと云、〈◯中略〉近世人家ます〳〵繁榮して、此國第一の都會となりぬ、

〔八幡八社略談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0880 松山之城 傳曰、加藤嘉明〈◯中略〉同〈◯慶長〉七年正月十五日ヨリ温泉郡勝山ヲ轉ジ、城ヲ築ク、家中地割定テ後、同六月朔日ヨリ商家ノ地割有、四角四屋ト云事有テ、鶴屋町松屋町ヲ地割ノ始トス、次龜屋町竹屋町ヲ割、夫ヨリ段々地割定テ三十町也、内二十町ハ嘉明自身之繩張也、十町ハ家長佃十成是ヲ割シト云、寛永十二年、前大君勢州桑名ノ城ヨリ當城ニ移リ給フ、〈◯中略〉亦

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0881 曰、正徳ノ比、松山城下町數七十一町、家數千七百三十六軒有、内古町三十町ハ古來ヨリ年貢免許、外輪二十三町、水呑十八町ハ年貢地ナリ、 山之名ヲ改 老武〈◯武恐翁誤〉曰、加藤嘉明勝山ニ城ヲ築、松山ノ城ト改シ事、是全ク八幡ヘノ恐ノ爲ニ非ズ、東照大權現天下ヲ治給フ節也、神君ノ御氏松平ト稱ス、依之松ヲ祝テ其比諸城ノ名ヲ改ム、奧州會津城ヲ若松ト改、信州川中島城ヲ松代ト改ム、松山モ亦此心也、

〔愛媛面影〕

〈四伊豫郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0881 【郡中】(ぐんちう) 米湊(こみなと)村と吾川(あかは)村との間に在る市町是なり、此所は山中より出る所の産物伊豫砥をはじめ、砥部の陶器、其外材木、綿、砂糖等、すべて此郡中に出して、それより船馬等にて諸國に運輸せり、因て旅客の往來常にたえず、商家も又日々繁榮して、人烟ます〳〵盛なりと云、

〔愛媛面影〕

〈四喜多郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0881 【新谷】(にひや) 元和三年、加藤左近大夫貞恭朝臣、大洲六万石を賜はる、其後次男織部正直恭朝臣、新谷一萬石を分知すと俚諺集に見たり、其後代々相續し給へり、南に川あり、北に高山有て、海岸を隔る事二里許、自然要害の地なり、近世蠟紙等の産物多くして頗盛なり、殊に此邊田野開けて、喜多郡中尤豐饒の地なり、〈◯中略〉 【大洲城】(おほずのしろ) 舊名大津(○○)にて、天正の頃迄、宇都宮遠江守居城なりしを、後に大洲と改めたり、元和三年より加藤侯代々是を領し給へり、前には比志川の流を引て、城郭の遠望殊にめでたし、大津大洲みな比志川によれる名なるべし、〈◯中略〉 【長濱】(ながはま) 大洲城四里ばかり海濱なり、比志川の流此處に出て海に入、米穀の出入、魚鹽の運送、すべて此所

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0882 より船にて城下に輸す、尤便利なり、是によりて人家繁榮して頗盛なり、殊に近世蠟、紙等の産物多く諸國に運漕する事、みな此海濱によれり、

〔愛媛面影〕

〈五宇和郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0882 吉田(○○) 萬治元年宇和島城主伊達侍從秀宗朝臣三男宮内少輔伊達宗純朝臣に、吉田三萬石を分知し給へり、同二年正月十一日より普請をはじめ、同三年、家中造營成就せり、それより代々相續し給へり、外廓に河水を湛へて、おのづから城郭の勢を成せり、〈◯中略〉 宇和島(○○○)城 城山海岸に臨て、遠くより望めば風景殊にめでたし、山はさしも高からねども、西面に海上島々をめぐらして、おのづから要害の勢をなせり、慶長十九年、仙臺中納言伊達政宗卿男伊達侍從秀宗朝臣、新に拾萬石を賜はりて、此城に移らせ給ひしより此かた、連綿として相續したまへり、

莊保

〔賀茂注進雜記〕

〈下神領〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0882 同〈◯壽永〉三年〈◯元暦元年〉四月廿四日壬辰、賀茂社領四十一ケ所、任院廳御下文、可武家狼藉之由有其沙汰云々、 下諸國 可早任院廳御下文、停止方々狼藉、備進神事用途、賀茂別雷社御領庄園事、〈◯中略〉 伊豫國 菊萬庄(○○○) 佐方保(○○○)〈◯中略〉 壽永三年四月廿四日 正四位下源朝臣御判

〔古文書類纂〕

〈上處分状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0882 後深草天皇建長二年關白藤原道家處分状 總處分 條々事〈◯中略〉 一寺院〈◯中略〉 院領〈◯中略〉 伊豫國吉原庄(○○○)〈◯中略〉 一家地文書庄園事〈◯中略〉 前攝政〈◯中略〉 新御領〈◯中略〉 伊豫國吉原庄〈右衞門督入道親兼寄進御年貢五十石、◯中略〉 建長二年十一月日 愚老〈在御判〉

〔集古文書〕

〈二十五召符〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 六波羅召符〈伊豫國越智郡三島社藏〉 伊豫國三島大祝安俊代安衡申、鴨部庄(○○○)住人祐賢濫妨日御料田等由事、重申状如此、來月廿日以前、可催上状如件、 正安二年三月十八日 右近將監〈書判〉 前上野介〈書判〉 地頭代

〔寶簡集〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 注進 嘉禎御撿注目録定 一請處在所 一所 伊與國ニイノ庄(○○○○)〈兼堀江云々◯中略〉 右大概注進如斯 正安二年六月廿九日 道空〈花押〉

〔東寺百合古文書〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 東寺領、伊與國弓削島庄(○○○○)田畠山林鹽濱以下所務條々下地等相分事、雜掌與地頭代和與状如此、子細見于状候歟、急速可申御沙汰候哉、恐々謹言、 正月〈◯乾元二年〉廿日 法印祐遍 進上 陸田左馬助殿

〔後宇多院御領目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0883 廳分〈◯中略〉 伊豫國新居大島 高田庄(○○○)〈◯中略〉 一安樂壽院領〈◯中略〉 伊與國吉岡庄(○○○)〈◯中略〉 右所々可御管領之由、院宣所候也、以此旨入昭慶門院、仍執達如件、 嘉元四年〈◯徳治元年〉六月十二日 右衞門 高倉前宰相殿

〔當宮縁事抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 當宮領伊豫國神崎(○○)、出作保(○○○)役夫工米事、先停止神部譴責、入弘安配符否可注申之由、被下造宮所了、可存知之由、權大納言殿御消息候也、恐々謹言、 七月廿五日(嘉元四) 八幡撿挍法印御房

〔攝津親秀讓状〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 讓與〈◯中略〉 一親憲分 伊豫國矢野保(○○○)内南方〈但八幡濱除之〉 右所讓與也、但違總領之命者、可賜當所之状如件、 暦應四年八月七日 掃部頭親秀

藩封

〔南海通紀〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 羽柴内府公四國配分記 伊豫國 小早川左衞門佐隆景ニ賜三十五萬石 内二萬三千石安國寺瑤甫惠瓊ニ賜 三千石 徳居加増ニ賜 一萬四千石 久留島加増ニ賜

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 松平隱岐守勝成(溜間 從四位上少將元治元子四月任)〈◯中略〉 拾五万石 御在城伊豫温泉郡松山〈江戸ヨリ〉海陸二百十八里五丁 〈城主加藤左馬介嘉明奥州會津エ替ル、寛永四、松平中務少輔忠知、同十二ヨリ松平隱岐守定行、以後代々領之、〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 伊達遠江守宗徳(大廣間 從四位侍從安政五午十二月任) 拾万石 居城伊豫宇和郡宇和島〈江戸ヨリ〉海陸二百七十八里〈天正年中、戸田民部少輔居後、藤堂和泉守高虎、慶長十三、富田信濃守、同十九ヨリ伊達遠江守秀宗、同遠江守宗利、明暦三、宮内少輔宗純三万石配分、元祿九、三万石新田改正、都合再拾万石以後代々領之、〉 加藤遠江守(柳間 朝散大夫) 六万石 居城伊豫喜多郡大洲〈江戸ヨリ〉二百三十一里 〈天正年中、宇津宮遠江守、同十三、戸田民部少輔、後藤堂和泉守高虎領、慶長十三、脇坂中務大輔安治、同淡路守安元、元和三、加藤左近大夫貞泰、以後代々領之、◯節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0884 松平壹岐守勝吉(帝鑑間 朝散大夫)〈◯中略〉 三万五千石 居城伊豫越智郡今治〈江戸ヨリ〉海陸二百七

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 里 〈藤堂領後、富田信濃守、寛永十二、勢州長島ヨリ松平美作守定房、以後代々領之、〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 松平左京大夫頼英(大廣間 從四位少將文久二戌十二月任) 三万石 御在城伊豫新居郡西條〈江戸ヨリ二百五リ餘、内大坂マデ百三十三リ餘、海上七十二里、 一柳監物眞盛、同丹波守直重、同監物直興居之、寛文年中、松平左京大夫頼純、以後代々領之、〉 伊達若狹守宗孝(柳間 朝散大夫) 三万石 在所伊豫宇和郡吉田〈海陸二百七十五里 慶長十九ヨリ伊達遠江守秀宗、同宮内少輔宗純、以後代々領之、〉 加藤泰令(柳間 從五位上元治元子五月叙) 一万石 大洲内分在所豫州喜多郡新谷〈江戸ヨリ〉二百三十里 一柳兵部少輔頼紹(柳間 朝散大夫) 一万石 在所伊豫周布郡小松〈江戸ヨリ〉二百九里十三丁〈寛永十年ヨリ如系代々一柳氏代々領之、◯節略〉

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 諸國出擧主税公廨雜稻〈◯中略〉 伊豫國正税公廨各卅万束、大學寮料一万束、國分寺料四万束、文殊會料二千束、鑄錢司俸料二万八千束、修理池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料二万束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 伊豫國〈◯註略〉管十四〈(中略)正公各三十萬束、本穎八十二(二恐一誤)萬束、雜穎二十二(二恐一誤)萬束、〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 伊豫國〈◯註略〉管十四〈田萬三千五百一町四段六歩〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 伊豫州 郡十四、水田一万五千五百七町四段、

〔前關白秀吉公御檢地帳之目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 三十三万六千二百石 伊豫

〔日本鹿子〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 伊豫國十四郡、大中國、四方二日、知行高三十八万六百四十石、

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0885 伊豫國 十四郡〈◯中略〉 一石高四拾貳万九千百六拾三石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 天保度御國高調〈◯中略〉 伊豫國〈御料私領〉 一高四拾六万九百九拾七石六斗三升九合三勺四才

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 諸國年料供進〈◯中略〉樽〈(中略)伊豫十五箇國各二合〉

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 年料舂米〈◯中略〉 伊豫國〈大炊一千四百石、糯廿石、◯中略〉 年料租舂米〈◯中略〉 伊豫國〈二千斛◯中略〉 年料別貢雜物〈◯中略〉 伊豫國〈筆一百管、檳榔櫛二百枚、牛皮三張、斐紙麻一百斤、◯中略〉 諸國貢蘇番次〈◯中略〉 伊豫國十二壺〈四口各大一升、八口各小一升、◯中略〉 右十四箇國爲第六番〈子午年◯中略〉 交易雜物〈◯中略〉 伊豫國〈鹿革五十枚、鹿皮十張、砥一百八十顆、大豆十八石、海藻根十斤、那乃利曾五十斤、苫五十枚、樽二合、胡麻子五石、醤大豆卅二石、隔三年進醤大豆五石、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 伊豫〈◯中略〉 右廿五國中絲〈◯中略〉 伊豫〈◯中略〉 右廿九國輸絹〈◯中略〉 伊豫國〈行程、上十六日、下八日、〉海路十四日 調兩面五疋、九點羅二疋、二窠綾、三窠綾各六疋、小鸚鵡綾二疋、七窠綾八疋、薔薇綾四疋、緋帛卌五疋、縹帛十疋、皂帛五疋、白絹十疋、長鰒卅六斤、短鰒三百卅斤、自餘輸帛、絹、鹽、 庸、白木韓櫃廿八合、自餘輸米、 中男作物、黄蘗百五十斤紙、胡麻油、砥、短鰒、鮨鰒、煮鹽年魚、貽貝鮨、鯖、海藻根、海藻、雜海菜、

〔延喜式〕

〈三十四木工〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 諸國所進雜物 魚卌七斛二斗〈◯中略〉 伊豫國廿三斛六斗

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0886 諸國進年料雜藥〈◯中略〉 伊豫國卅二種 獨活十七斤、牛膝、白朮各六斤、桔梗十斤、伏苓五斤、漏蘆、杜仲各三斤、苦參十斤、人參九斤、木斛二斤、稾本二斤四兩、細辛、栝樓、大戟各二斤、芍藥八斤、石南草四斤、升麻、天門冬各七斤、續斷一斤十四兩、瓜帶二兩、署預八升六合、麥門冬、車前子、蕪青子各三升、附子二斗、牡荊子二升、虵床子五合、麻子三斗、桃人、胡麻子各一斗、支子二斗五合、蜀椒四升、

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 四郞君受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉宅常擔集諸國土産貯甚豐也、所謂〈◯中略〉伊豫手箱、〈又砥、又鰯、又簾、〉

〔庭訓往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 伊豫簾

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 伊豫 半夏 胡麻 豆腐菽 一本瀬米 松山素麪 島後酒 帶 大津紫草 宇和島鰯〈疊鰯、黒漬赤イハシ等、〉 綾布 盆山石同敷石〈五色ニ有〉 塗板 奉書 椙原 島曲鮑(ミサキアハビ) ムロ鰺 來島白藻 白峯鷂

人口

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 伊豫國 十四郡〈◯中略〉 一人數四拾九万九千八百六拾人 内〈貳拾六万五千八百三拾四人 男 貳拾三万四千貳拾六人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數五拾貳万九千八百貳拾九人(御料私領) 伊豫國(高四拾四万貳千百六拾三石餘)内〈貳拾七万九千六百八拾七人 男 貳拾五万百四拾貳人 女◯中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數五拾九万九千九百四拾八人(御料私領) 伊豫國(高四拾六万九百九拾七石餘) 内〈三拾壹万貳千八百四拾四人 男 貳拾八万七千百四人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0887 伊豫國 伊豫國之風俗、大形半分半分ニ分レ、東郡七八郡ハ氣質柔ニ而、實儀強キ形儀也、夫ヨリ、西郡ハ都而氣強ク實ハ少ク見ユル也、古ヨリ是國ニハ海賊滿々而、往來ノ舟ヲナヤマス由聞及ブニ不違、今モ猶徒黨ヲ立テ一身ヲ立ル族多シ、誠ニ關東之強盜、是國之海賊同ジ業ニ而、武士之風俗一段手強シトイヘドモ、武士道吟味無之故、危キコトノミ多キ風俗ナリ、末代モ人之氣質ニ替リハ有間敷モノナリ、

名所

〔日本鹿子〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 同國〈◯伊豫〉中名所 伊與の高根 島山あり、風早などいふ所あり、 岩木島 ウヰの浦 矢の神山 湯桁、當國島後と云所にあり、 温湯あり、湯宮の社あり、三島 越智郡のうち也、明神の御社有、無雙の景島也、

〔和爾雅〕

〈一地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 日本國名所 伊豫國 伊豫高嶺(イヨノタカネ) 射狹庭岡(イサニハノヲカ) 伊豫湯(イヨノユ) 石城島(イハキノシマ)〈濱〉 箱潟(ハコガタ) 熟田津(ニギタツ) 風早(カザハヤ)〈鳴門〉 橘島(タチバナシマ) 津尾崎(ツヲノサキ)〈野間郡〉 宇和郡(ウハコホリ) 矢野神山(ヤノ〵カミヤマ) 飽田津(アクタツ) 由流伎橋(ユルギノハシ) 三島江(ミシマヱ) 島山(シマヤマ) 菅生山(スガフヤマ)

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0888 諸國健兒〈◯中略〉 伊豫國五十人〈◯中略〉 諸國器仗〈◯中略〉 伊豫國〈甲五領、横刀十口、弓卅張、征箭卅具、胡簶卅具、〉


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:59 (387d)