http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 備前國ハ、ビゼンノクニト云ヒ、舊クハ、キビノミチノクチト云フ、山陽道ニ在リ、東ハ播磨、西ハ備中、北ハ美作ニ接シ、南ハ海ニ至ル、東西凡ソ十二里、南北凡ソ十一里、初メ備前、備中、備後美作ノ地ヲ汎ク吉備國ト稱ス、後之ヲ備前、備中、備後ノ三國ニ分チ、元明天皇和銅二年更ニ備前ノ六郡ヲ割テ美作國ヲ置ケリ、此國ハ、古ヘ國府ヲ御野郡ニ置キ、和氣(ワケ)、磐梨(イハナス)、邑久(オホク)、赤坂(アカサカ)、上道(カムツミチ)、御野(ミノ)、津高(ツタカ)、兒島(コジマ)ノ八郡ヲ管シ、延喜ノ制、上國ニ列ス、明治維新ノ後、磐梨、赤坂二郡ヲ合セテ、赤磐郡ト爲シ、御野、津高二郡ヲ合セテ、御津郡ト爲シ、新ニ岡山市ヲ設ケ、岡山縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 備前〈岐比乃美知乃久知〉

〔運歩色葉集〕

〈比〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 備前 備州

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 備前〈避然(ビゼン)〉

吉備國

〔倭訓栞〕

〈前編七幾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 きび 吉備の國も、黍のよき國なるよしふるくいへり、今、前、中、後の三國に分てり、

〔古事記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 吉備兒島、吉備は後に三國に分る、〈◯中略〉吉備中國、書紀仁徳卷に見ゆ、〈此はそのかみ既に三ツに分れてありしにや、但シ此ノ後も多く吉備國とのみあり、天武上卷に、吉備ノ國ノ守なる人見えたるは、三國を統たる守にや、又同卷に吉備太宰と云職も見ゆ、〉又和銅六年に、備前國の六郡を分て、美作國とせられたり、名は黍(キミ)より出たるなるべし、〈和名抄に、黍は木美(キミ)とあれども、美(ミ)と備(ビ)は古へ常に通はしいへり、〉

〔松の落葉〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 吉備國のみつにわかれし時代 おのれ〈◯藤井高尚〉がすめる此吉備國のかくくち中しりとわかれしはいつのころなりけん、國史にしるしもらされたれば、さだかにはしりえがたし、日本書紀の仁徳天皇の卷に、於吉備中國川鳴河派大虬人といふこと見えたれど、こは神武天皇の御船の難波之碕にいたるとしるされたるごとく、縣守が虬をきりしところ、きびの國のみつにわかれたるのちにては、みちの中なるがゆゑに、さやうにかきたまへるにて、仁徳天皇の御代に、みつにわかれてありししるしとはしがたし、又同書の欽明天皇の卷に、遣蘇我大臣稻目宿禰等於備前兒島郡屯倉とあるもかみに同じ、さて同書の天武天皇の卷に、吉備太宰石川王病之薨於吉備、又遣樟使主磐手於吉備國と見え、又吉備國守當摩廣島ともあれば、此ころまではわかれざりしことしりぬべし、續日本紀の元明天皇の卷に、割備前國六郡美作國とありて、和銅のころには、わかれてありし事さだかなれば、持統天皇の御代にわかれしならんと、おほよそにはしられつ、文武天皇の御代にてはあらじとさだめたるゆゑは、もしその御代にわかれたらんには、續日本紀にしるさるべし、此紀はかかる事までも、もらさずかヽれたる例なればなり、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570是伊邪那岐命、〈◯中略〉妹伊邪那美命、〈◯中略〉如此言竟而御合、〈◯中略〉然後還坐之時、生吉備兒島

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 一書曰、〈◯中略〉其素戔嗚尊斷虵之劒、今在吉備神部許也、

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 乙卯三月己未、徙入吉備國行宮以居之、是曰高島宮

〔古事記〕

〈中孝靈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 大吉備津日子命、與若建吉備津日子命、二柱相副而、於針間氷河之前、居忌瓮而針間爲道口以、言向和吉備國也、故此大吉備津日子命者、〈吉備上道(○○○○)臣之祖也〉次若日子建吉備津日子命者、〈吉備下道(○○○○)臣、笠臣祖、〉

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 二十七年十二月、日本武尊〈◯中略〉從海路倭、到吉備以渡穴海

〔古事記〕

〈下仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 爾天皇聞看吉備海部直之女、名黒日賣、其容姿端正、喚上而使也、〈◯中略〉於是天皇戀其黒日賣、欺大后曰、欲淡道島、〈◯中略〉乃自其島傳而、幸行吉備國、爾黒日賣、令坐其國之山方之地而、獻大御飯、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈十四雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 二十三年八月丙子、天皇疾彌甚、與百寮辞訣握手歔欷、崩于大殿、〈◯中略〉是時征新羅將軍吉備臣尾代、行至吉備國家、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 十六年七月壬午、遣蘇我大臣稻目宿禰、穗積磐弓臣等、使于吉備五郡、置白猪屯倉

〔日本書紀〕

〈二十敏達〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 三年十月丙申、遣蘇我馬子大臣於吉備國、増益白猪屯倉與田部、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 十一年七月戊午、是日、信濃國、吉備國並言、霜降、亦大風五穀不登、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 各國經緯度〈附里程〉 備前岡山、〈下之町〉極高三十四度四十分半、經度西一度四十八分、從東都〈東海道西國海道〉一百八十六里三十四丁五十六間半

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 北極出地 備前 牛窗 三四度三七分〇〇秒 岡山 三四度四〇分三〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈◯中略〉 備前 岡山 西一度四八分〇〇秒

疆域

〔備前國誌〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 備前國〈東京師に至る事四十四里餘、江都にいたる事一百六十三里餘、〉 東は播州の境に至り、北は作州にさかひ、西は備中に隣なり、南は海にいたる、

〔日本地誌提要〕

〈五十三備前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 疆域 東ハ播磨、西ハ備中、北ハ美作、南ハ海ニ至ル、東西凡壹拾貳里、南北凡壹拾壹里、

島嶼

〔日本實測録〕

〈九島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 備前國和氣郡 實測 鹿久居(カクヰ)島、周廻七里三町一十六間 鶴島、周廻一十七町

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 五十八間 大多府島、周廻一里二町四十七間、 頭島、周廻三十五町五十二間、 曾島、周廻一里二十七町五十一間、 香島、〈又書鴻島〉周廻一里一十六町三十八間、 梔(クチナシ)島周廻二十八町四間、 遠測 小鶴島 カモメ島 辨天島 荒神島 邑久(ヲク)郡 實測 團島、周廻七町、 長島、周廻四里二十二町五十四間、 沖喜島、周廻一十二町八間、 地喜島、周廻一十二町一十八間、 大島、〈尻海村〉周廻六町四十三間、 前島、周廻二里一十七町二間、 大島、〈牛窻〉周廻二十町五十九間、 木島、周廻三十五町二十間、 黒島、周廻一十三町八間、 中小島、周廻三町五間、 端小島、周廻一町五十九間、 沖ノ鼓島、周廻一十二町四十三間、 犬島、〈又呼地犬島〉周廻一里四町五十一間、 犬島、周廻一十町二十六間、沖竹子島〈從北岬南岬〉 地竹子島〈從北岬南岬〉遠測 唐島 横島 鍋島 辨天島 鼠島 上筏 下筏 イモリ山 臼島 兒島郡 實測 高島、〈宮浦村〉周廻二十一町六間、鉾島、周廻五町四十八間 野小島、周廻二町一十六間、 竪場島、周廻一十三町二十四間、釜島、周廻二十六町二十四間、松島、周廻九町二十七間、六口島、周廻一里一十四町四十九間、上濃地島、周廻六町三十間、太濃地鳥、〈又呼下濃地鳥〉周廻八町一十七間、 細濃地島、周廻七町四十五間、イサコ濃地島、周廻四町四十九間、葛島、周廻七町八間、 上水島、周廻一十九町二十五間、 高島、〈鹽生村〉周廻一十一町四十八間、大島、周廻二十八町一十三間、遠測 辨天島 鳩島 坊主島 石筏 大蛭 小蛭 投石 源太夫瀬 神馬島 杓子〈大〉 杓子〈小〉 長島 ウブメ島 鼻クリ島 實測 〈備前國、兒島郡、讃岐國、直島〉〈石井〉島、〈蓋一島、因地方、稱各名、〉周廻二里一十町三十七間半、〈備前國兒島郡、讃岐國香川郡、〉大槌島、周廻一十五町一十九間半、

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572龜令放生現報縁第七 禪師放濟者、百濟國人也、〈◯中略〉即借人舟、將童子二人共乘度海、日晩夜深、舟人起欲、行到備前骨島(○○)之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573、時取童子等、擲入海中、〈◯下略〉

〔續日本紀〕

〈三十八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 延暦三年十月庚午、勅、備前國兒島郡小豆島(○○○)所放官牛有民産、宜長島(○○)其小豆島者、住民耕作之、

〔源平盛衰記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 成親卿流罪事 備前國阿江ノ浦ヨリ内海ヲ通テ、兒島(○○)ト云所ニ著給フ、

〔鹿苑院殿嚴島詣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 廿四日〈◯康應元年三月〉出給て、かのやしまといふかたなど見わたして、備前國よもぎ島(○○○○)といふ所になりぬ、 いく藥とらましものをよもぎ島をよぶばかりに漕わたる哉

地勢

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 備前、〈備州〉上、管十一郡、四方三日餘、帶南海暖氣、草木五穀先秋致貢早、利刀鋭戟帛多、中上國也、

〔日本地誌提要〕

〈五十三備前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 形勢 東西兩河美作ヨリ來リテ、州内ヲ貫流シ、兒島一郡、海灣ヲ抱テ備中ニ連リ、島嶼碁布、讃岐ニ接シ、運輸ニ便ナリ、北方山多ク平地少ナシ、南方稍衍沃、瀕海ノ民兼テ漁業ヲ營ス、風俗浮薄ニシテ修飾ヲ好ム、

道路

〔日本實測録〕

〈四街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573攝津國西宮中國街道至赤間關〈◯中略〉 備前國和氣郡三石村、三十四度四十八分半、二里三十一町二十一間 西片上村中町 二里一十九町三間半 上道郡吉井村吉備川岸 六町一十五間 一日市(ヒトイチ)村〈沿吉備川西大寺、二里五丁三十一間半〉 一里三十三町二十八間 藤井村、三十四度四十二分、 二里二町二十二間半 岡山小橋町〈至西大寺村、二里二十三丁三十間半〉 六町一間 御野郡岡山西大寺町 三町九間 岡山下之町、三十四度四十分半、 四町一間 同上之町 一里二十三町五十間半 津高郡一ノ宮村〈至吉備津社四丁〉 一十九町四十七間〈至國界一十六丁一十八間〉 備中國加陽郡宮内村〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574美作國津山福渡乃金川北方〈◯中略〉 備前國津高郡中田村建部新町 一里四町三十九間 菅村〈歴紙工村備中國加陽郡足守、四里三十八丁四十九間、北極高三十四度四十四分半、從足守門前村、二十九丁一十二間、〉 二十町四十八間 金川村、三十四度四十八分半、三十町五十一間 小山村〈沿旭川牟佐村、二里三十一丁六間、〉 三里八町一十九間 御野郡北方村 〈從津山北方〉街道、通計一十四里一十町五十八間、〈◯中略〉 從備前國吉井沿吉備川津山 備前國上道郡吉井村〈至石津宮二町三十九間〉 二十五町二十四間 和氣郡坂根村宇治〈至坂根村四町三十九間〉 三里八町五十六間 和氣村、三十四度四十八分、四里七町一十四間半 赤坂郡福田村 二十一町四十三間 周匝(スサイ)村上町 一町四十九間 同追分〈歴倉敷北山村日神、四里二十三丁一十八間、〉 二里二十五町五十一間半〈至國界六丁一十九間〉 美作國久米南條郡大戸下村

〔日本實測録〕

〈一沿海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574大坂沿海至赤間ケ關〈◯中略〉 備前國和氣郡日生(ヒナシ)村鬼石〈至日生村徑測四町二十四間半〉 二十町四十六間半〈至鬼石面岬一十一町一間〉 日生村、三十四度四十四分半、〈至難田村木生卅町一十三間〉 四里一十八町三十八間〈至難田村木生二里九町一十六間〉 西片上村、三十四度四十四分半、二十七町二十五間 浦伊部(ウラインベ)村〈至久々井村徑測一十一町三十五間半〉 三十町四十四間〈至久々井村二十六町五間〉久々井村脇之田〈至鶴海村徑測、一十町一十三間、〉 一里六町五十九間 邑久郡鶴海村〈至虫明村徑測三十五町一十九間、從虫明福谷村間口五町四十間半、又從虫明虫明村濱五町三十六間半、〉 三里一十六町四十一間 虫明(ムシアケ)村濱三十四度四十一分半、一里一十六町一十八間半〈至瀬シブ二十二町三十間、從セシブ至福谷村間口、一十九町五十二間、〉 福谷村、ホトリ〈ホトリ岬廻一十二町一十八間〉 一町一十四間半 同タチバナ〈至橘ケ濱徑測六町五十一間〉 八町四十二間〈至橘ケ濱八町二間〉 同下リ藤〈至藤ノ濱、徑測、三町三十二間、〉 九町四十七間〈至藤ノ濱、三町五十一間〉 同知尾(チヲ)〈至尻海村敷居濱徑測、二十二町一十一間牛、〉 一里一十四町五十一間半〈至猪鼻岬一十四町、從猪鼻敷居濱、三十五町三十七間半、〉 尻海(シリミ)村片見濱 一十六町三十五間半〈至狐濱三町五十八間半〉 尻海村、三十四度三

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 十九分半、一里一十七町三十八間 奧浦村〈至牛窻紺浦一十町三十一間、從紺浦鹽濱二丁、又從紺浦鹿忍村西上手、一十五町四十三間、〉 二里一十町四十八間 牛窻西町、三十三度二十七分半、一十二町四十四間 牛窻綾浦、〈至西濱三町三間半〉 一里六町四十七間〈至綾浦西濱七町五十八間半、從西濱至紺浦鹽濱、四町三十九間、從鹽濱鹿忍村西土手、二十五町二十八間半、〉 鹿忍(カシ)村〈至ヤヨル濱徑測一十三町三十間、〉 三十一町五間〈至ヤヨル濱二十三町一十二間〉 同國師宮〈歴西脇東片岡村徑測二十七町五十六間、〉 一里三十五町三十一間〈至東片岡村二十三町三十間、從東片岡立石岬、一里一十二町五十間、〉 南幸田村、二十四度三十六分半、 二里三十町三十八間〈至西大寺川口二里一十八町三十間半〉 上道郡西大寺村、三十四度三十九分半、三里一十三間 沖新田一番、三十四度三十六分半 二十三町四十四間 平井村〈沿旭川岡山小橋町、一里二町五十八間、〉 一里一十四町五十四間 御野(ミノ)郡米倉村笹瀬川口〈至米倉村宿所六町四間、北極高三十四度三十八分半、〉二里二十一町〈至國界一町五十一間〉 備中國都宇郡帶江沖新田〈◯中略〉 備前國兒島郡天城村〈沿界川至帶江有城村二十三町五十八間、〉 一十一町五間 藤戸村藤戸川口〈至藤戸村宿所一十二町一十六間半、北極高三十四度三十三分半、從宿所帶江有城村、一十二町三十四間半、從有城福井村、一里三十三町四十三間、〉 二十九町五十五間半 彦崎村濱、〈至彦崎村宿所一町三十三間〉 卅四度五十一分半 三里九町四十八間 八濱村、三十四度三十二分半、五里八町五十二間半 小串村米崎 四里一十九町一十七間〈至胸上村、一里廿一町四十六間半〉 沼村岬 二里一十町二十三間 田井村ウラウ岬 五町三十八間半 同木崎〈至田井村一十町二十五間〉 五里九町一十九間半 日比村、三十四度二十八分、 二里一十一町五間 田之口村濱、〈至田之口村宿所汎測六町二十四間〉三十四度二十八分、 三里一十六町二十四間〈至田之浦岬三里一町二十一間〉 下津井村中町、三十四度二十六分、五里一十一町四十七間半〈至福田新田四里十六町五十一間、從福田新田國界、三十町五十五間、〉 備中國窪屋郡福井村松山川口

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 諸國驛傳馬〈◯中略〉 備前國驛馬〈坂長、珂磨、高月各廿疋、津高十四疋、〉

〔備前國誌〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 古大路

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 延喜式曰、備前國驛馬、坂長、珂磨、高月、各二十匹、津高十四匹、 按ずるに、坂長の驛は、今の三石の驛なり、珂磨驛は磐梨郡にあり、既に廢して村里となれり、高月の驛は志坂郡にあり、既に廢す、今和田村河本村立川村是なり、津高驛は既に廢して、今いづれの所といふ事をしらず、疑ふらくは津高郡辛川村の事ならん歟、皆其ところ路にかヽぐ、延喜式の驛路を考がふるに、坂長の驛より可眞驛にいたり、〈此間野谷村今谷村より、吉田村藤堂村、和氣村にいたり、東川を渡り磐梨、郡吉原村直木村を歴る、〉可眞驛より高月驛に至る、〈此間赤坂郡日古木村、二、井村、上市村、下市村を歴る〉高月驛より津高驛にいたる、〈此間吉田村牟佐村西大川を渡り、御野郡杉若郷を通り、三野村より福林寺畷へいたり、津高郡富原村を歴て辛川村に至る、〉

〔太平記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 赤松蜂起事 赤松二郞入道圓心、播磨國苔繩ノ城ヨリ打テ出テ、山陽山陰ノ兩道ヲ差塞ギ、山里梨原ノ間ニ陣ヲトル、爰ニ備前、備中、備後、安藝、周防ノ勢共、六波羅ノ催促ニ依テ、上洛シケルガ、三石ノ宿(○○○○)ニ打集テ山ノ里ノ勢ヲ追拂テ通ントシケルヲ、〈◯下略〉

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈三山陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 備前 古吉備國之地、分爲前中後三國、未何時、〈備後之名、既見安閑紀、然則分爲三國亦尚矣、〉 管八郡、六百七十三村、 御野〈六十三村 古三野國、見國造記、後爲郡建國府于此、〉 津高〈九十三村〉 赤坂〈九十四村〉 磐梨〈六十四村 延暦七年六月、割和氣郡置、依和氣清麻呂之議、〉 和氣〈八十九村 本藤原郡、養老五年四月、分備前國邑久赤坂二郡之郷始置、藤原郡則是、神龜三年十一月、改爲藤野郡、天平神護二年五月、割邑久郡香登郷、赤坂郡珂磨、佐伯二郷、上道郡物理(モトマイ)、肩背(カタセ)、沙石、三郷、隷藤野郡、神護景雲三年六月藤野郡和氣郡、〉 邑久(オク)〈七十八村 古大伯國、見國造記、〉 上道〈百八村 古上道國、見國造記、〉 兒島〈八十四村〉

〔日本地誌提要〕

〈五十三備前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576 沿革 上古吉備ト云、後三州ニ分チ、國府ヲ上道郡ニ置、〈今ノ國府市場村是ナリ〉鎌府ノ初、土肥實平梶原景時ヲシテ守護タラシメ、佐々木盛綱ニ兒島郡ヲ賜フ、北條氏ノ末、加治長綱ヲ以テ守護トナス、建武中興、松田盛朝ヲ守護トシ、兒島高徳ニ兒島郡ヲ賜フ、足利尊氏ノ反

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 スル、州豪田井飽浦等之ニ應ズ、高徳之ヲ討ジ克タズ、盛朝亦賊ニ降ル、尊氏其族石橋和義ヲシテ三石〈和氣郡〉ニ據ラシメ、以テ官軍ニ抗ス、新田義貞其弟義助ヲシテ來リ伐タシム、利アラズシテ歸リ、闔州悉ク尊氏ニ歸ス、後尊氏、赤松則祐ヲ守護トシ、傳ヘテ孫滿祐ニ至リ誅ニ伏シ、山名持豐代テ守護ニ補ス、應仁二年、赤松政則、其臣浦上則宗ヲシテ山名ノ守護代〈小鴨大和守〉ヲ遂ヒ、其地ヲ併セ、則宗ヲ守護代トシ、三石城ニ治シ、松田元隆ヲシテ西方四郡ヲ管セシメ、金川〈津高郡〉ニ治ス、文明ノ初、則宗京都所司代トナリ、元隆守護代ノ事ヲ行フ、五年、元隆卒シ、子元成襲ギ、頗ル專恣、近邑ヲ攻略ス、十五年、赤松政則之ヲ擊テ克タズ、元成遂ニ自立シテ四郡ニ據ル、永正ノ末、則宗ノ子村宗亦叛シ、赤松義村〈政則ノ嗣〉ヲ弑シテ州東四郡ヲ奪フ、其子宗景ニ至リ、天神山ノ城ニ移リ、〈和氣郡〉勢漸ク衰フ、其臣宇喜多直家、沼城ニ據リ、〈上道郡〉永祿中、松田元堅〈元成ノ玄孫〉ヲ殺シテ其地ヲ併セ、終ニ全州及見作ヲ攘有シ、宗景僅ニ一城ヲ保ツ、天正元年、直家岡山ニ移リ、五年、宗景ヲ逐テ自ラ國主ト稱ス、豐臣秀吉ノ西伐スル、直家款ヲ納レ、其封疆ヲ保ツ、九年、直家卒シ、子秀家嗣グ、關原ノ役、秀家西軍ノ元師トナリ、兵敗レテ出亡ス、〈後八丈島ニ謫死ス〉徳川氏、小早川秀秋ヲ本州及美作ニ封ズ、秀秋卒シテ國除シ、慶長八年、池田輝政ノ子忠繼ヲ分封シ、其弟忠雄ニ傳ヘ、寛永九年、子光仲ノ時因幡ニ徙リ光仲ノ從兄光政代リ封ゼラレ、岡山ニ治シ、備中五郡ノ内ヲ併領ス、王政革新、改テ岡山縣ヲ置、

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 和銅六年四月乙未、割備前國六郡、始置美作國

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 大伯國造 輕島豐明朝〈◯應神〉御世、神魂命七世孫佐紀足尼定賜國造、 上道國造 輕島豐明朝御世元封中彦命兒多佐臣始國造、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 三野國造 輕島豐明朝御世元封弟彦命次定賜國造

〔新撰姓氏録〕

〈右京皇別下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 和氣朝臣 垂仁天皇皇子、鐸石別命之後也、神功皇后、征伐新羅凱旋歸明年、車駕還都、于時忍熊別皇子等、竊構逆謀、於明石堺兵待之、皇后監識、遣弟彦王於針間吉備堺、造關防之、所謂和氣關是也、太平之後、録駕勳、酬以封地、仍被吉備磐梨縣(○○○)、始家之焉、光仁天皇、寶龜五年、改賜和氣朝臣姓也、續日本紀合、

〔日本書紀〕

〈十應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 二十二年九月丙戌、天皇狩于淡路島〈◯中略〉天皇便自淡路轉以幸吉備、遊于小豆島、庚寅、亦移居於葉田〈葉田此云簸娜〉葦守宮、時御友別參赴之、則以其兄弟子孫膳夫而奉饗焉、天皇於是看御友別謹惶侍奉之状而有悦情、因以割吉備國其子等也、則分川島縣(○○○)長子稻速別、是下道臣之始祖也、次以上道縣(○○○)中子仲彦、是上道臣、香屋臣之始祖也、次以三野縣(○○○)弟彦、是三野臣之始祖也、復以波區藝縣(○○○○)御友別弟鴨別、是笠田之始祖也、即以苑縣(○○)兄浦凝別、是苑丘之始祖也、即以織部縣(○○○)兄媛、是以其子孫、於今在于吉備國、是其縁也、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 元年六月丙戌、大友皇子〈◯弘文中略〉遣佐伯連男於筑紫、樟使主盤磐手於吉備國、並悉令兵、仍謂男與磐手曰、其筑紫大宰栗隈王與吉備國守(○○○○)當摩公廣島二人、元有大皇弟、〈◯天武〉疑有反歟、若不服色、即殺之、

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 八年三月己丑、吉備大宰(○○○○)石川王、病之薨於吉備

〔續日本紀〕

〈一文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 四年十月己未、直廣參上野朝臣小足爲吉備總領(○○○○)

〔續日本紀〕

〈三文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 大寶三年七月甲午、正五位下猪名眞人石前爲備前守

〔吾妻鏡〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 壽永三年〈◯元暦元年〉二月十八日丁丑、武衞〈◯源頼朝〉被御使於京都、是洛陽警固以下事、所仰也、又〈◯中略〉備前〈◯中略〉已上五箇國、景時、〈◯梶原〉實平〈◯士肥〉等、遣專使、可守護之由云云、

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 備前國〈國府在御野郡、行程上八日、下四日、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈比國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 備前國〈◯中略〉 御野〈府〉

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 備前國〈◯註略〉管八〈◯註略〉和氣 磐梨〈伊波奈須〉邑久〈於保久〉赤坂〈安加佐加〉上道〈加無豆美知〉御野〈美乃〉津高〈豆太加〉兒島〈古之末〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 備前國、上、〈管 和氣(ワケ) 磐梨(イハナス) 邑久(オホク) 赤坂(アカサカ) 上道(カンツミチ) 御野(ミノ) 津高(ツタカ) 兒島(コシマ)〉 右爲近國

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 備前、〈備州〉上、管十一郡、〈◯中略〉小島(コジマ)、和氣(ワケ)、磐梨(イハナシ)、邑久(ヲフク)、赤坂(アカサカ)、上道(カンタチ)、御野(ミノ)、兒島(チゴシマ) 小足(ヲアシ)、津高(ツダカ)、釜島(カマガシマ)、

〔備前國誌〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 備前國〈◯中略〉 郡〈◯中略〉雜書に十一郡と有て小豆、釜島、小島の三郡の名あり、據をしらず、按るに日本紀其外諸書に、備前國小足島といふ事見へたり、足豆字に似たり、小豆島の事ならん、釜島郡といふは、下津井の迫門に釜島といふ小きしまあり、此あたりの事を云ふにや、小島といふ處をしらず、皆考べからず、

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 備前國〈舊八郡 今九郡〉 和氣(ワケ) 〈<畠田町 <伊部<梨町 <鹽田町 <片上 <八木山 <三石 作播界〉 磐梨(イハナシ) 〈<畠田 國中〉 邑久(オホク) 〈<牛窻 <神埼 <正浦 <山田 <笠加新町 南海郡〉 赤坂(アカサカ) 〈<白石 <スサイ町 作界〉 上道(カムミチ) 〈驛町無シ 國中郡〉 上東(カムミチノヒカシ) 〈<西大寺 <藤井 上道並〉 御野(ミノ) 〈岡山 <大鳥井 國中〉 津高(ツタカ) 〈<金川<建部 備中界細長ク通ル郡〉兒島(コシマ) 〈●下津井 ●藤戸 ●常山 此郡備前地ヲ離レテ備中ニ續、岡山入江ニ向島ノ如シ、今増上東郡〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 備前

和氣郡/藤原郡/藤野郡

〔備前國誌〕

〈八上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 和氣郡(○○○) 東は播州赤穗佐用兩郡にさかひ、北は作州英田勝南兩郡に隣り、西は東川に至り、赤坂磐梨兩郡にとなり、南は邑久郡に界ひ海に至る、山多く平野少し、

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 養老五年、四月丙申、分備前國邑久赤坂二郡之郷始置藤野郡(○○○)

〔大日本史〕

〈國郡二十六備前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 養老五年建藤原郡、〈本書原作野、今據聖武紀訂、後改藤野尋改和氣、〉

〔續日本紀〕

〈九聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 神龜三年十一月己亥、改備前國藤原郡(○○○)名藤野郡(○○○)

〔備前國誌〕

〈八上和氣郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 按るに元正天皇養老五年藤野郡を置と有り、藤原郡と云ふ事は外に見えず、疑ふべし、

〔續日本紀〕

〈二十七稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 天平神護二年五月丁丑、太政官奏曰、備前國守從五位上石川朝臣名足等解偁藤野郡(○○○)者、地是薄塉、人尤貧寒、差科公役、觸途忩劇、承山陽之驛路、使命不絶、帶西海之達道、迎送相尋、馬疲人苦、交不存濟、加以頻遭旱疫、戸纔三郷、人少役繁、何能支辨、伏乞割邑久郡香登郷、赤坂郡珂磨、佐伯二郷、上道郡物理(モトロヰ)、肩背(カタセ)、沙石三郷、隷藤野郡、又美作國守從五位上巨勢朝臣淨成等解偁、勝田郡鹽田村百姓、遠闊治郡、側近他界、差科供承、極有艱辛、望請隨所住處、便隷備前國藤野郡者奏可、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 神護景雲三年六月乙丑、改備前國藤野郡和氣郡

磐梨郡

〔備前國誌〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 磐梨郡 南は上道郡にさかひ、東は和氣郡に隣り、東川を境とし、西北は赤坂郡の境に至る、古へは石生の字を用ひ、又古事記に石無の字を用ゆ、山多く平野少なし、

〔續日本紀〕

〈三十九桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 延暦七年六月癸未、美作備前二國國造中宮大夫從四位上兼攝津大夫民部大輔和氣朝臣清麻呂〈◯和以下七字原脱、據一本補、〉言備前國〈◯備前國三字原脱、據一本補、〉和氣郡河西百姓一百七十餘人款曰、己等元是赤坂上道二郡東邊之民也、去天平神護二年、割隷和氣郡、今是郡治在藤野郷、中有大河、毎

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582、公私難通、因玆江西百姓屢闕公務、請河東依舊爲和氣郡、河西建磐梨郡、其藤野驛家遷置河西、以避水難、兼均勞逸、許之、

〔類聚三代格〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 太政官符 應置磐梨郡主政一員事 右得備前國解偁、撿案内、件郡元與和氣郡一郡、而其間有一大川、吏民往還有煩、仍以去延暦七年六月十三日官分置件郡、即管郷六戸二百九十七、課丁二千三百六、備進調庸、出擧官稻、郡司少員濟事乏人、望請因循御野郡件員、令郡務、謹請官裁者、從二位行大納言兼左近衞大將源朝臣多宣、奉勅依請、 元慶四年十一月五日

邑久郡

〔備前國誌〕

〈九上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 邑久郡 西は東川に至り、上道郡に隣り、北は和氣郡の界にして東南は海に至り、平野多く山少く、尤膏腴の地也、大川を帶、海濱多して商舶通路能して、富饒民多し、

〔續日本紀〕

〈十五聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 天平十五年五月丙寅、備前國言、邑久郡新羅邑久浦漂著大魚五十二隻、長二丈三尺已下、一丈二尺已上、皮薄如紙、眼似朱、泣聲如鹿鳴、故老皆云、未嘗聞也、

赤坂郡

〔備前國誌〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 赤坂郡 南は上道郡にさかひ、東は磐梨郡の境に至り、東北は栗川をさかひ、和氣郡作州英田郡に隣り、北は作州久米南條郡にさかひ、西は津高郡にいたり、西大川をさかひとす、山多く平野少し、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 神護景雲三年六月壬戌、備前國藤野郡人別部大原〈◯中略〉賜姓石生別公、〈◯中略〉赤坂郡人外少初位上家部大水〈◯中略〉六人、石野連、

〔類聚三代格〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 太政官符

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583赤坂郡主政一員事 右得備前國解偁、件郡郷六、戸二百九十三、課丁千七百卅六、調庸租税各有其數、與御野、磐梨郡、賦税殆益、望請准彼兩郡任主政者、正三位行中納言兼右近衞大將皇太后宮大夫陸奧出羽按察使藤原朝臣良世宣、奉勅依請、 元慶五年十一月三日

上道郡

〔備前國誌〕

〈十上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 上道郡 東は邑久郡に隣り、東川を境とし、北は磐梨郡赤坂兩郡の界に至り、西は御野郡に隣り、西大川に界ひ、南は海に至る、いつの頃よりか奧口と二ツに分れり、 按るに、天文元和の頃、撿地帳に上東郡(○○○)の名有り、郷庄多くは、今は上道郡の名也、上道郡を分て、上東郡を置か、又上道を上東と書しにや不詳、 山少く平野多し、尤膏腴の地なり、

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 合今請墾田地玖佰玖拾肆町〈◯中略〉 備前國壹佰伍拾町〈開廿三町 未開一百廿七町〉 〈上道郡五十 町大邑良葦原東山守江 西石間江 南海 北山◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

御野郡

〔備前國誌〕

〈五下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 御野郡 東は上道郡にさかひ、西大川に至り、今は川筋替はりて、竹田村、西河原村、東河原村、濱村、此川の東にあり、西北は津高郡に隣り、南は海に至る、平野多く山少し、尤膏腴の地なり、古は三野と書り、

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 合今請墾田地玖佰玖拾肆町〈◯中略〉 備前國壹佰伍拾町〈開廿三町 未開一百廿七町◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 〈御野郡五十町 長江葦原東丹比眞人墾田 西津高界江 南海 北石木山之限◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 神護景雲三年六月壬戌、備前國〈◯中略〉御野郡人物部麻呂等六十四人、賜姓石生別公

津高郡

〔備前國誌〕

〈五上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 津高郡 東は西大川を限り、御野赤坂兩郡、美作國久米南條郡に隣り、北は西大川に至り、同國久米北條郡眞島郡の境にいたり、西は備中國上房、加陽、都宇三郡にさかひ、南は海にいたる、山多く平野少し、

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 合今請墾田地玖佰玖拾肆町〈◯中略〉 備前國壹佰伍拾町〈開廿三町 未開一百廿七町◯中略〉 〈津高郡五十町 比美葦原東堺江 西備中堺 南海 北山并百姓墾田堤之限◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

兒島郡

〔備前國誌〕

〈十一上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 兒島郡 此島凡東西九里、南北二里、城府の南二里に有り、此島の北を内海と云、いにしへは西國往來の舟路なりしが、年歴て後干潟となり、中比墾田して備中の地につらなる、山間所々田野多く、海上運送魚鹽の利多し依て民豐饒なり、

〔古事記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 吉備兒島(キビノコジマ)、〈◯中略〉兒島は高津宮ノ段にも見ゆ、吉備國に兒の如く附る故の名なるべし、〈或説に、昔百濟國の人兄弟三人、いまだ兒なりしとき、吾朝に來り、吉備國にして、一ツの島にとゞまれり、其旗幟にみな兒と云字をしるしたる故に、その島を兒島と名く、其兄弟其後三宅を姓とし、宇喜多ともなのれり、これ此ノ國の宇喜多ノ家の先祖なりと云るは、凡て信られぬことなり、〉万葉六ノ卷に歌あり、後に備前ノ國の郡になれり、書紀欽明卷に備前兒島郡とあり、和名抄に兒島〈古之末(コシマ)〉郡是なり、さて書紀には、此島大八洲の一ツに入れり、

〔古事記〕

〈下仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 大后爲豐樂而、於御綱柏、幸行木國之間、天皇婚八田若郞女、於是大后御綱柏積盈御船、還幸之時、所使於水取司、吉備國兒島(○○)之仕丁、是退己國、於難波之大渡、遇後倉人女之船、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 十七年七月己卯、遣蘇我大臣稻目宿禰等於備前兒島郡屯倉、〈◯下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈八備前國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 和氣郡 坂長〈佐加奈加〉藤野〈布知乃〉益原〈萬須波良〉新田〈爾布多〉香止〈加々止〉 磐梨郡 和氣 石生〈伊波奈須〉那磨 肩背〈加多世〉礒名 物部 物理〈毛土呂井〉 邑久郡 邑久〈於保久〉靱負〈由介比〉土師〈反之〉須惠 長沼〈奈加奴〉尾沼〈乎奴〉尾張〈乎八利〉杯梨〈◯高山寺本杯梨作柘梨、註都奈之、〉石上〈伊曾乃加美〉服部〈波土里〉 赤坂郡 周匝〈◯高山寺本註須佐比〉宅美〈◯高山寺本註多久三〉輕部 高月 鳥取 葛木 御野郡 枚石〈比良之〉廣世〈比呂世〉出石〈伊豆之〉御野〈美乃〉伊福〈伊布久〉津島〈都之萬〉津高郡 驛家 賀茂 津高 健部 兒島郡 三家〈美也希◯希、高山寺本作介、〉都羅〈◯高山寺本註豆良〉賀美〈◯美、高山寺本作茂、〉兒島〈古之萬〉 上道郡 宇治 幡多〈◯高山寺本註發多〉可知〈◯高山寺本註加知〉上道 財田〈◯田、高山寺本作部、〉居都〈◯高山寺本註古豆〉日下 那紀〈◯高山寺本註奈岐〉寄田〈◯寄田、高山寺本作豆田、註末女多、〉

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈四十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 謹啓 申可籍沙彌等事 沙彌慈良〈備前國邑久郡積梨郷(○○○)戸主秦造國足戸口秦部國人◯中略〉 寶龜五年三月十二日

〔唐招提寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 備前國津高郡津高郷陸田賣買券 津高郡津高郷(○○○○○○)人夫解 申進絁根賣買陸田券文事〈◯中略〉 寶龜七年十二月十二日〈◯署名略〉

〔文徳實録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 嘉祥三年八月丙辰、公卿抗表曰、〈◯中略〉備前國守從四位下藤原朝臣諸成等奏偁、所管磐梨郡少領外從八位上石生別公長貞、於郡下石生郷(○○○)雄神河、獲白龜一枚、〈◯下略〉

〔吾妻鏡〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 文治四年六月四日戊辰、所々地頭沙汰之間事、注條々、令帥中納言〈經房〉給之處、御返報、今日到著、於勅答之趣者爲子細、所獻權右中辨定長朝臣奉書也、〈◯中略〉 備前國宇甘郷(○○○)事 委尋捜之條、尤神妙、以此旨、被沙汰畢、〈◯中略〉 五月十二日 權右中辨

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 一備前國(皆私領) 〈備州 四方三日〉 八郡 高貳拾八万貳千貳百貳拾四石七斗壹升 六百四十六ケ村 ●岡山 百七十三里 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯天城 〈岡山三万石〉池田出雲 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯金川 〈同上一万六千石〉日置元八郞 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯佐伯 〈同上一万石〉土倉市正 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯蟲明 〈同上三万石〉伊木長門 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯周迎 〈同上二万五千石〉池田大和 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯建部 〈同上一万石〉池田隼人 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 備前 八郡、六百七十三村、 高四十一万六千五百八十一石八斗五升四合(皆私領) 御野(ミノ)郡六十三村 津高(ツタカ)郡九十三村 赤坂(アカサカ)郡九十四村 磐梨(イハナシ)郡六十四村 和氣(ワケ)郡八十九村 邑久(オク)郡七十八村 上道郡百八村 兒島郡八十四村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 郡邑島嶼奇名 備前 和氣郡、日生(ヒナシ)村、寒河(サウゴ)村、伊部(インベ)村、香々登(カヽトホン)村、河本(カワモト)村、鹿久居(ヰ)村、大多府(オホタフ)島、香(カウ)島、梔(グル)島、津高郡、宇甘上(ウカイカミ)村、紙工(ミトリ)村、赤坂郡、周匝(スサイ)村、邑久郡、鹿忍(カンノ)村、兒島郡、鹽生(シホナス)村、周吉(モチヨシ)村、太濃地(フトノウチ)島、上道郡、百枝月(モヽエツキ)村、乙多見(ヲタミ)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 村、

〔備前國津高郡菟垣村常地畠賣買券〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 菟垣村(○○○)漢部阿古麻呂解 申依正税不成常地賣買畠〈◯中略〉 寶龜五年十一月廿三日〈◯署名略〉

〔古文書類纂〕

〈上和與認可状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 備前國金岡東庄内地頭庶子道性分領田地〈領家地頭〉分文事 合領家方 鹽屋里(○○○) 二坪 壹段 下國重作 竹星里(○○○) 十七坪 拾伍代 下國重作 金岡里(○○○)廿五坪 壹段〈不〉 清二作〈◯中略〉 一地頭方 海面里(○○○) 卅坪 壹段參拾伍代 圓性作 金岡里(○○○)廿五坪 參段〈不〉 藤三郞〈◯中略〉 右領家地頭分文如件 元亨參年五月七日 地頭代紀政綱〈花押〉 預所藤原義幸〈花押〉

〔備前國誌〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 岡山(○○)府 東西凡二十餘町、南北凡一里餘、諸士の第宅商買の肆店有り、西大川をまたがりて、西は御野郡に屬す、東は上道郡に屬す、西國往來の巷にして、通船の運送あり、繁榮の地なり、

〔櫻雲記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 正平八年〈北京文和二年〉正月十日、備前國岡山ニ於テ、南朝ノ兵上神太郞兵衞尉高直戰死ス、

〔戸川記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 一右の後は毛利より備中境目を侵し、備前の内一宮のまへ辛川表迄も責入に付、直家兵を出し戰て是を追退く、〈◯中略〉常山城に籠る組頭中島左馬進廣戸某抔より岡山へ注進して加勢を乞、直家聞之驚、〈◯中略〉先秀安が一左右を待て出勢可然と猶豫する所に、翌旦秀安が注進状到來、急ぎ披き見れば、決して御出勢不有、是は敵の手だてにて岡山より當城への加兵を出させ、其上にて兒島と岡山の舟手を取切、岡山の無勢成虚を見て、本城岡山を攻る術と存候、〈◯下略〉

莊保

〔賀茂注進雜記〕

〈下神領〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 同〈◯壽永〉三年〈◯元暦元年〉四月廿四日壬辰、賀茂社領四十一ケ所、任院廳御下文、可武家狼藉之由、有其沙汰云々、 下諸國 可早任院廳御下文、停止方々狼藉、備進神事用途、賀茂別雷社御領庄園事、〈◯中略〉 備前國 山田庄(○○○) 竹原庄(○○○)〈◯中略〉 壽永三年四月廿四日 正四位下源朝臣御判

〔石清水文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 八幡宮寺領 御判〈右大將家頼朝◯中略〉 備前國 牛窗別宮 雄島別宮 片岡別宮 肥土庄(○○○) 御封會米二百石〈◯中略〉 元暦二年正月九日

〔吾妻鏡〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 元暦二年〈◯文治元年〉五月一日癸未、武衞〈◯源頼朝〉被御書於左兵衞佐局、是崇徳院法華堂領新加事也、去年以備前國福岡庄(○○○)寄進之處、牢籠之間取替之、被妹尾畢、爲供佛施僧之媒、可御菩提之趣被之、

〔西大寺文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 注進 西大寺所領諸庄薗現存日記事〈◯中略〉 備前國 豆田庄(○○○)、田畠五十七町、〈◯中略〉 右依宣旨注進如件 建久二年五月十九日〈◯署名略〉

〔吾妻鏡〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 承久三年七月廿五日戊申、冷泉宮令于備前國豐岡庄(○○○)兒島、佐々木太郞信實法師受武州命、令子息等奉守護之云云、

〔龜山院御凶事記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 嘉元三年九月廿三日丁卯、依進故院御書、早旦著直衣、〈烏帽〉相具御書、御手簡〈存日予預置也〉參御所、〈◯中略〉女院御方自餘御書等、〈兼有御封、以檀紙立文之押折上下、又有銘等、〉悉盛筥蓋、〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 一通〈銘曰禁裏〉 備前國長田庄(○○○)〈二品一期可知行◯中略〉 右庄々所讓進也 嘉元三年七月廿六日 御判

〔古文書類纂〕

〈上和與認可状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 和與 額安寺領備前國金岡東庄(○○○○)内地頭庶子五郞長綱〈號宮鶴丸〉跡尼了明分領事〈◯中略〉 元亨三年二月五日 地頭代紀政綱〈花押〉預所藤原義幸〈花押〉

〔壬生文書〕

〈綸旨院宣御教書等〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 陸奧國安達庄、備前國白笠庄(○○○)、〈◯中略〉 右庄々知行不相違者、院宣如此、仍執達如件、 建武三年十二月廿六日 參議〈花押〉 大夫史殿〈◯壬生匡遠〉

〔吾妻鏡〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 文治四年二月二日戊辰、所々地頭等所領已下事、自京都或屬強縁、或獻消息、愁申人々多之、仍有御沙汰、〈◯中略〉 公朝 備前國吉備津宮領、西野田保(○○○○)地頭職貞光事、任道理、停止論人之妨、如本無相違、欲知行事、 已上所々、尤可御成敗之處、〈◯中略〉以縁々沙汰者、世間人定似偏頗之由、令存歟、仍今度無御沙汰、也、

〔赤松再興記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 一長祿三年六月廿日、赤松衆備前國三箇保(○○○)ヘ入部ス、三箇保トハ三石藤野吉永也、

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 松平備前守茂政(大廣間 從四位上少將元治元子四月任) 三拾一万五千二百石 居城備前御野郡岡山〈江戸ヨリ〉海陸百七十三里〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 〈城主宇喜田和泉守直家、同中納言秀家、慶長五、金吾中納言秀秋、同八、池田三左衞門尉輝政、同十八、二男松平左衞門督忠繼、元和二、同舍弟宮内少輔忠雄、嫡子勝五郞光仲代因州鳥取エ替ル、寛永五ヨリ松平新太郞光政、以後代々領之、〉 池田信濃守政詮(柳間 朝散大夫) 二万五千石 在所備前岡山新田〈江戸ヨリ〉百七十三里 池田丹波守(柳間 朝散大夫) 一万五千石 在所備前御野郡新田〈江戸ヨリ〉百七十三里

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 備前國〈◯註略〉管八、〈田萬三千百八十五町七段三十二歩〉

〔伊呂波字類抄〕

〈比國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 備前國〈管八、(中略)本田一万三千二百六十(十拾芥抄无、恐脱字)丁、〈上十四日下七日〉〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 備前州 郡八、水田一万三千二百十町二段、

〔日本鹿子〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 備前國十一郡中上國、四方三日餘、〈◯中略〉知行高二十八万六千二百石、

〔吉備古今鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 御當家御領郡之村附〈◯中略〉 一備前國八郡、村數合七百三拾五ケ村、 高合貳拾八万六千貳百石 直高合四拾五万三千四百四拾三石七斗五升但シ沖新田共 八郡村數高分リ 六万六千四百六拾四石八斗 御野郡七十九ケ村 五万四千五拾五石五斗五升 津高郡百貳拾四ケ村 五万六千貳拾六石五斗六升 赤坂郡百ケ村 三万六千貳百三拾石 磐梨郡六十五ケ村 三万三千百拾九石貳斗四升 和氣郡九十四ケ村 七万八千拾石九升 邑久郡〈七十六ケ村幸島新田共〉 八万七千九百六拾四石四斗七升 上道郡百壹ケ村〈外ニ沖新田分九ケ村倉田倉益倉富三ケ村〉 四万千五百拾貳石八斗貳升 兒島郡八十五ケ村〈◯下略〉

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 備前國 十一郡〈◯中略〉一石高貳拾八万九千貳百貳拾四石餘

〔備前國誌〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 備前國〈◯中略〉 高二十八万九千二百二拾四石七斗壹升

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 天保度御國高調〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 備前國〈皆私領(○○○)〉 一高四拾壹万六千五百八拾壹石八斗五升四合

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 皆私領 伊賀 志摩 尾張 若狹 加賀 越中 因幡 伯耆 出雲 備前 安藝 周防 長門 紀伊 淡路 阿波 土佐 大隅 薩摩 壹岐 對馬 合貳拾壹ケ國

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 備前國正税公廨各卅八万一千一百五十束、國分寺料四万束、淨福寺料七千束、文殊會料二千束、造院料一万束、大學寮料一万一千束、修理池溝料三万束、救急料八万束、俘囚料四千三百卌束、修理驛家料一万束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 備前國〈◯註略〉管八、〈(中略)正公各三十八萬千百五十束、本穎九十五萬六千六百四十束、雜穎十九萬四千三百四束、〉

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 諸國年料供進〈◯中略〉 櫑子〈(中略)備前(中略)土佐廿六箇國各四合、◯中略〉 黒米二百斛〈(中略)美濃、丹波、備前三國各廿石、〉

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 年料舂米〈◯中略〉 備前國〈内藏廿石、大炊一千一百七十石、◯中略〉 年料租舂米〈◯中略〉 備前國〈二千石◯中略〉 年料別貢雜物〈◯中略〉 備前國〈筆一百管、紙麻五十斤、牧牛皮六張、◯中略、〉 諸國貢蘇番次〈◯中略〉 備前國十壺〈二口各大一升、八口各小一升、◯中略〉 右十四箇國爲第六番〈子午年◯中略〉 交易雜物〈◯中略〉 備前國〈絹三百疋、白絹十二疋、油三石四升、胡麻子三石、櫑子四合、苫十五枚、鹿革廿張、鹿皮十張、鹿角十枚、小豆十九石七斗、醤大豆廿五石、大豆卌四石七斗、秣料八十石、隔三年進醤大豆十石、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 備前〈◯中略〉 右十二國並上絲〈◯中略〉 備前〈◯中略〉 右廿九國輸絹〈◯中略〉 備前國〈行程、上八日、下四日、〉海路九日 調、白絹十疋、橡絲廿絇、瓺一口、甅八口、由加八口、瓫六十六口、水瓫八十四口、燼瓫八口、陶瓫卅三口、御埦二百口、猿膝研十八合、小http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a49f.gif 廿四口、𤭯十二口、臼廿四口、負瓶六口、水瓶、大酒瓶、平瓶、筥瓶、各廿四口、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 大壺廿四合、中壺卅二合、小壺六十合、酢瓶卌口、麻笥盤十六口、洗盤六十口、片盤二百十四口、椀四百六十合、片椀卌合、脚短坏廿六口、様足短坏二百八十口、筥坏四百廿六口、凡片坏一千五百六十口、自餘輸絹、絲、鹽、 庸、白木韓櫃十三合、自餘輸米、鹽、 中男作物、絹、苫、胡麻油、許都魚皮、押年魚、煮鹽年魚、雜魚鮨、

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 諸國貢進菓子〈◯中略〉 備前國〈甘葛煎〉

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 諸國進年料雜藥〈◯中略〉 備前國卌種 䓱胡十斤、白朮卌斤、黄蘗、烏賊骨各十斤、王不留行、瞿麥各八斤、獨活五斤、虵http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/0000000192d8.gif 、芍藥、地楡、升麻、馬刀各三斤、桔梗五十斤、薺苨、龍膽、白頭公各二斤、昌補一斤、黄蓍九斤、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650cf3.gif 草十一兩、商陸四斗、漏蘆七斤、松脂六斤、大戟、牡丹、天門冬、桑螵蛸各一斤、榧子一斗五升、署預、牡荊子各四升、麥門冬、秦椒各二升、桃人、車前子、亭藶子、蜀椒各六升、呉茱萸三斗、乾棗八升、白芷四斤、澤寫十斤、白殭蠶二兩、

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 年料〈◯中略〉 備前國〈氷頭十缶二度〉

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 四郞君受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉宅常擔集諸國土産、貯甚豐也、所謂〈◯中略〉備前海糠(アミ)、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 備前 海月 海糠(アミ)魚 ソコニベ http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e8fb.gif (マナガツヲ) ハイ貝 藤戸苔 川口鱣 鯉 牛窗烏賊 下津井蛸 堅浦白藻 小島酒 伊部燒物〈酒瓶藍壺徳利鉢等〉 岡山素麪 石戸米

〔吉備古今鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 當國〈◯備前〉の名物 一伊部燒物 一長船打太刀刀 一周迎鼻紙〈◯註略〉 一和氣絹 一牛窗虎石 一暮河煙草〈◯註略〉 一稻岡素麺 一藤戸苔 一奧津龍髭(しらも)采〈◯註略〉 一佐伯菎蒻 一兒島諸白 一大川尻の白魚〈◯註略〉 一八濱鰻鱺(うなぎ) 一宇殿木蠣 一河津海月 一北浦女冠者 一兒島〈鯛鱸〉そこにべ 一下津

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 井小石(ジヤリ) 一北浦の濱あみ 一八木山石〈色白き石也、細工に用る也、〉 一虫明碁石 又淬慶石片々

〔類聚三代格〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 太政官符 應止備前國進鍫鐵事 右被大納言正三位紀朝臣古佐美宣偁、奉勅、納貢之本任於土宜、物非出民是爲患、今聞件國元無鍫鐵、毎貢調常買比國、自今以後、宜鐵非絹則絲隨便輸、 延暦十五年十一月十三日〈◯又見日本後紀

人口

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 備前國 十一郡〈◯中略〉 一人數三拾貳万貳千五〈◯五恐九誤〉百八拾貳人 内〈拾七万四百四拾五人 男 拾五万貳千五百三拾七人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數三拾壹万八千貳百七拾三人(皆私領) 備前國(高貳拾八万貳千貳百貳拾四石餘) 内〈拾五万貳千貳百人 男 拾四万六千七拾三人 女〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數三拾壹万五百七拾六人(皆私領) 備前國(高四拾壹万六千五百八拾壹石餘 )内〈拾六万五千七百三拾八人 男 拾四万四千八百三拾八人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 備前國 備前國ノ風俗、上下トモニ利根之故ニ、利根ヲ先ト而、萬事執行フニ仍テ言行之相違スル事、十ニ而五ツ六ツ、如此別而諂フ心強ク而、上ニ翫ブ所之儀ヲバ、善惡邪正ヲ不撰而、スキ好ムガ如クニモテナシ、内心ハ佞ヲ含ミテ誹謗スル事、主ハ被官ヲ滅ヲ以、是ヲヲサエントシ、被官ハ主ニ從フ如クナレドモ、嘗テ内心不快而善ト見ユルトイヘドモ、其善不積而名利ノ爲ニナス所多シ、譬バ藝術ヲ執行フニ、十人ガ九人善惡ニ不構、其事ヲ成就セシメテ、是ヲ朋友ノ於前ニハ、我一人之様

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 ニフケラカシテ、而モソノ奧意之至公成處ハ夢ニモ不知而、如斯ニモテナシ、或ハ武ノ用ル兵器兵書ヲカザリ立テバ、心掛之深キ侍ト、人ニ用ラレン事ヲ好ム風儀、都而皆如此ニ而、寔ニ名利ニツナガレ、實ヲ失ヒ虚ヲフルマイ、不是非、雖然不智不學不志之人ニタクラベテ是ヲ見ル則ハ、事理トモニハル〴〵上也、若シ能キ人有テ、是氣質ヲ離ル、工夫ヲナサシメバ、百人ニ而一二人モ其處ニ可隨カ、多クハ諂ヒ有テ、智有國風ナレバ、五十年ニモ及ビナバ、其風儀直ニ成ベキカ、不好風儀ナリ、

名所

〔國花萬葉記〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 備前國中名所之部 神村山〈◯中略〉 唐琴の浦からことの泊、〈◯中略〉 神島〈◯中略〉 大島の灘〈◯中略〉 虫明のせと〈◯中略〉 小島〈◯中略〉 牛窗〈◯中略〉 藤戸の渡 凡そ當國名所おほからざるにや、所見するものすくなし、猶好士にうかヾふべし、

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 諸國健兒〈◯中略〉 備前國五十人〈◯中略〉 諸國器杖〈◯中略〉 備前國〈甲二領、横刀十口、弓廿張、征箭廿具、胡簶廿具、〉

〔源平盛衰記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 丹波少將召下事 筑紫ヨリhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e880.gif ノ使ノ上ルコソ、行程十五日トハ聞エシカ、是ヨリ奧鎮西ナンドヘ下ランコソ、假令十二三日ニモ行ンズレ、備前備中サシモノ大國トハ聞ザリシモノヲ、父ノ御座所ヲシラセジトテ、角ハ云ヨト被思ケレバ、其後ハ又問事モナカリケリ、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:57 (387d)