http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 備後國ハ、ビンゴノクニト云ヒ、舊クハ、キビノミチノシリト云フ、山陽道ニ在リ、東ハ備中、西 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 ハ安藝、北ハ伯耆、出雲、西北ハ石見ニ接シ、南ハ海ニ至ル、東西凡ソ十三里、南北凡ソ十九里、此國ハ、古ヘ國府ヲ葦田郡ニ置キ、安那(ヤスナ)、深津(フカツ)、神石(カメツ)、奴可(スカ)、沼隈(ヌノクマ)、品治(ホムチ)、葦田(アシダ)、甲奴(カフノ)、三上(ミカミ)、惠蘇(ヱソ)、御調(ミツギ)、世羅(セラ)、三谿(ミタニ)、三次(ミヨシ)ノ十四郡ヲ管シ、延喜ノ制、上國ニ列ス、明治維新ノ後、安那、深津ノ二郡ヲ合セテ深安郡ト爲シ、品治、葦田ノ二備ヲ合セテ葦品郡ト爲シ、三谿、三次ノ二郡ヲ合セテ雙三郡ト爲シ、三上、奴可、惠蘇ノ三郡ヲ合セテ此婆郡ト爲シ、新ニ尾道市ヲ設ケテ、廣島縣ヲシ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 備後〈吉備乃美知乃之利〉

〔饅頭屋本節用集〕

〈此天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 備後(ビンゴ)〈備州〉

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 備後〈避臥(ビンゴ)〉

〔藝藩通志〕

〈三備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 國名考 吉備の國名は舊事紀に始て見えたり、曰生吉備兒島、その吉備と名ける義考ふべからず、或曰、其土黍稷を種るによし、黍の訓吉備なる故なりと、又此國を備前備中備後と分けられしことを按るに、安閑天皇本紀に、既に備後國後城屯倉と出、又和銅元年、佐伯宿禰麻呂を備後守とすとあり、前中後三に分けられしこと、いづれの代なりや知るべからず、或人國名考を著し、總國風土記を引て、曰寶龜辛亥、勅して兩國に分ち、靈龜乙卯に分て三國とすと、此説據をしらず、且實龜靈龜の次第さへ既に差へり、備後を萬葉集には路後(みちのしり)に作り、和名抄には吉備乃美知之利と訓ぜり、吉備の字或は寸簸(きび)、岐備(きび)、黄薇(きび)、黄備(きび)など作る、備後を武備志日本考には、避臥(ヒクハ)に作る、西人の誤聞なるべし、

〔萬葉集〕

〈十一古今相聞往來歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615物陳思 【路後】(ミチノシリ)深津島山(フカツシマヤマ)、暫(シバラクモ)、君目不見(キミガメミネバ)、苦有(クルシカリケリ)、

〔萬葉集略解〕

〈十一上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 續紀、養老五年、分備後國安那郡深津郡、〈◯中略〉此みちのしりは備後也、下に其地名をいふ時は、路の後、道の口とのみいへり、

〔毛利元就記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 石見國と備後半國内郡(○○)の分は、雲州の尼子晴久に從ふ、〈◯中略〉元就の妾に御子四人あり、〈◯中略〉一人は女子也、〈◯中略〉備後の國外郡(○○)に上原元祐と云人あり、甲山の城主也、右の御むすめを元祐へ約して聟にし給へば、それより備後外郡の諸士、悉く元就へ相從、備後一國御手に入ける、

〔陰徳太平記〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 備後國志川瀧山落城之事 備後國外郡ノ志川瀧山ノ城可攻トテ、同〈◯天文〉二十年七月、毛利右馬頭元就、〈◯中略〉三千八百餘騎ニテ彼表ヘ打出給、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 各國經緯度〈附里程〉 備後福山〈深津町〉極高三十四度三十分半、經度西二度二十一分半、從東都〈同上(東海道西國海道)自川南村福山街道〉二百◯四里一町三間半、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 北極出地 備後 福山 三四度三〇分三〇秒 三原 三四度二四分三〇秒 忠海湊 三四度二〇分三〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 ◯度◯◯分◯◯秒〈◯中略〉 備後 福山 西二度二一分三一秒

疆域

〔藝藩通志〕

〈三備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 疆域形勢 備後國は山陽道に屬して、八ケ國の一たり、四隣東は備中、西は安藝、北は出雲、伯耆、南は海を隔て伊豫讃岐國なり、東西廣十五里餘、東は奴可郡三坂村より、西は三次郡福田村に至、南北袤十七里南は御調郡木原村より、北は三次櫃郡田村に至、形勢氣候生産等は、粗安藝國に同じ、

〔日本地誌提要〕

〈五十五備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 疆域 東ハ備中西ハ安藝、北ハ伯耆、出雲、西北ハ石見、南ハ海ニ至リ、群島相連ナリテ伊豫ニ接ス、東西凡壹拾三里、南北凡壹拾九里、

島嶼

〔日本實測録〕

〈九島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 備後國沼隈郡 實測 田島、周廻四里一十町四十四間、田島浦、三十四度二十二分、蓑島、周廻二里一十一町二間、仙酔島、周廻一里一十八町、 小島、〈從北岬、至南岬、〉三町、 百貫島、周廻二町四十五間、 皇后島、周廻六町一十間、 躑躅島、周廻三町二十二間、 鍛冶島、周廻五町五間、走島、周廻一里三十三町四十二間、 袴島、周廻一十町五間、 宇治島、周廻一里一町二十七間、 玉島、周廻三町五十七間、 壽賀留島、周廻三町四十二間、 矢篦島、周廻六町四十一間、横島周廻二里一十五町五十六間、 アテキ島、周廻六町五十三間、 百島、周廻二里三十二町一十七間、 遠測 モミノ小島 小島 浦崎島 御調(ミツキ)郡 向島、周廻六里二十九町四十三間、富濱鳥崎、三十四度二十四分、 院島、周廻一十里一町四十三間、重井浦、三十四度二十一分、三庄村、三十四度一十八分半、 加島、周廻二十四町五十七間、 上惠府島、周廻七町四十七間、 下惠府島、周廻四町二十一間、 岡島、周廻六町五十四間、 鰯島、周廻一里三十三町四間、 大鯨島、周廻三町三間、 大細島、周廻一里一十一町四十五間、 小細島、周廻二十町四十三間、 遠測 笹島 大八重子島 小八重子島 四十島

〔藝備國郡志〕

〈下備後土地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 向島(○○) 與尾道相對、中間有海隔故號向島、 因島(○○) 在御調郡、島中加宇禰浦、小民汲潮燒鹽、以足國中之用

〔源平盛衰記〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 能登守所々高名事 河野四郞此事ヲキヽ、安藝國奴田太郡ハ源氏ニ志アリ、一ニ成テ軍セント思テ、奴田尻ヘ渡リケルガ、今日ハ備後蓑島(○○)ニ懸テ、翌日ハ蓑島ヲ漕出シテ、奴田尻ニ著、

地勢

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 備後、〈備州〉上、管十四郡、東西二日餘、田畔長阡陌繁、五穀早熟而酒醯久、中上國也、

〔藝備國郡志〕

〈下備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 形勢 西北山峙、東南海通西州往來之衢也、西隣安藝、北接出雲、東通美作伯耆、南出備中也、〈◯中略〉

〔日本地誌提要〕

〈五十五備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 形勢 群嶺北方ニ聳峙シ、東南稍平曠、土壤膏腴、瀕海魚鹽利漕運ノ便アリ、西北諸郡民産薄瘠、多ク採礦ヲ業トス、風俗質直、亦頑陋ヲ免レズ、

道路

〔日本實測録〕

〈四街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618攝津國西宮中國街道至赤間關〈◯中略〉 備後國安那郡下御領村 二十七町二十二間 川北村、三十四度三十三分、 一十八町三十九間 神邊(カンナヘ)驛〈至福山深津町一里一十六丁二十二間〉 一里二十八町四十四間 沼隈郡山手村、三十四度三十分、二里八町五十八間 今津村川岸 一里三十一町三十一間 御調(ミツキ)郡尾道久保町〈至尾道浦藥師堂町一丁五十四間〉 三里一十二町五間半 三原東町、三十四度二十四分半、 三里三町二十四間〈至中町一十一丁二十間半、從中町國界二十五丁一十六間、〉 安藝國豐田郡本郷村〈◯中略〉 從備後國下御領吉舍及三次大森 備後國安那郡下御領村 一里九町二十一間 下加茂村 一里三十二町二十八間 品治(ホンヂ)郡新市村〈至宮内村吉備津社一十五町三十六間〉 一里八町二十五間 蘆田郡府中市村、三十四度三十五分、 二里二十八町五十二間 行縢(ムカバキ)村 二里一十三町一十九間〈至井永村一里三十四丁五十六間〉 甲奴郡上下町 二里一十三町四十四間半 世羅郡鵜賀村、三十四度四十二分半、 一里一十一町四十八間 三谿郡本村吉舍(キサ)宿 九町六間 三玉村〈至甲奴郡稻草村田房市三里一十丁五十一間、北極高三十四度五十一分、從田房市至正原町三里二丁三十二間、〉 一里一十五町三間 見羅坂村、三十四度四十六分、 二里一十七町一十六間 三次(ミヨシ)郡南畠敷(ハタシキ)村〈歴木戸村正原町三里三十二丁五十四間、〉 二十八町四間半〈至十日市上町二十二丁四十間半〉 原村三次十日市本町 四町二十間 同五日市本町 三里一十二間半〈至五日市鷹匠町限八丁二十五間〉 上布野村布野宿 二里一十二町四十六間〈至佛ケ峠一里二十六丁五十八間〉 横谷村室市、三十四度五十六分半、 一里二十七町一十七間〈至國界一十六丁三十九間〉 出雲國

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 飯石郡赤名驛〈◯中略〉 從備後國下加茂東城及正原石塚 備後國安那郡下加茂村 一里三十五町五十二間 品治郡服部水谷村 三里一十五町 神石郡井關村、三十四度四十二分半、 二里一十四町四十間 東油木村宇多 二町五十九間 東油木村、三十四度四十七分、 二里八町五十九間 新免村 一里二十五町四十四間 奴可郡川西村東城町 三里二十一間 見登村帝釋 二里二十九町一十八間 三上郡本村 一里三十二町七間 正原町 三町 同本町 一里一十七町六間 惠蘇郡川北村伊勢町、三十四度五十三分半、 三里二町四十二間 比和村比和町 二里七町二十七間 湯川村 一里一十六町九間 高山村新市驛〈至功徳寺四丁〉 三里三十二町四十五間〈至國界牧峠一里二十五丁五十一間〉 出雲國仁多郡上阿井郡〈◯中略〉 從備後國吉舍志和堀岩鼻 備後國三谿郡本村吉舍宿 三里一十町 世羅郡津田下村 二里二十七町五十四間 吉原本郷、三十四度三十五分半、 一里一十二町九間〈至國界六丁四十二間〉 安藝國豐田郡乃美村乃美市〈◯中略〉 從備後國三次吉田下町屋 備後國三次郡原村三次十日市本町 一里六町三間 志和地村渡川岸 二里一十九町五十四間〈至國界二十五丁五十七間〉 安藝國高田郡上甲立村

〔日本實測録〕

〈一沿海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619大坂沿海至赤間ケ關〈◯中略〉 備後國深草郡引野村〈至福山深津町一十七町四十四間、北極高三十四度三十分半、〉 四里二十一町四十間〈至芦田川口一里四十二間半、從芦田川田尻村風呂岬、二里三町四十六間半、〉 沼隈郡鞆 四里一十三町四十九間半〈至阿武兎觀音前一里八町一間半〉 浦崎村 三里六町四十六間 今津村〈沿川至今津宿、八町四十二間、〉 三里一十六町四十七間半 御調郡尾道浦藥師堂町、三十

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 四度二十五分、 三里一十一町三十八間〈至木原村一里一十七町一十一間、從木原糸崎八幡社、一里四十二間半、〉 三原獵師町 二十三町三十三間半 同中河原〈至中町三町三間〉 四里一十四町三十四間半〈至國界沼田川口八町七間半、從沼田川角波村扇岬、一里二十二町三十一間 半〉 安藝國豐田郡忠海濱町、三十四度二十分半、

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 諸國驛傳馬〈◯中略〉 備後國驛馬〈安那、品治、者度各廿疋、〉

〔藝藩通志〕

〈三備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 路程驛郵考 延喜式に、備後國驛馬、安那、品治、者度、各二十匹と見ゆ、今官道の所經既に古に異にして、驛を神邊、今津、尾道、三原に置く、

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈三山陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 備後 上國、管十四郡、四百九十四村、 御調〈五十九村 萬葉集作水調郡〉 世羅〈四十九村〉 三谿〈三十八村〉 三上〈十八村〉 奴可〈三十九村〉 甲奴〈三十二村 續紀云、和同二年十月、備後國葦田郡甲奴村、相去郡家、山谷阻遠、百姓往還、煩費太多、仍割品遲郡三里、隷葦田郡甲努村、據斯文、蓋是時建甲努郡、〉 沼隈〈四十三村〉 深津〈三十二村 養老五年四月、割安那郡置、〉 安那〈二十九村 古阿那國、見古事記、安閑紀、作妸娜、國造記作穴、和名抄訓安那、爲夜須奈、蓋後世因嫌忌訓者、〉 品治〈二十一村 古品治國、見國造記、古事記、續紀等作品遲、〉 蘆田〈二十一村 古國府、延喜式等作葦田、〉 神石〈三十八村 天武紀作龜石〉 三次〈四十三村〉 惠蘇〈二十五村〉

〔藝備國郡志〕

〈下備後州建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 日本紀曰、神武天皇乙卯春三月、徙入吉備國、起行宮以居之、是曰島宮、積三年間備舟檝兵食、將一擧而平天下也、其後吉備國三分之、曰備前、曰備中、曰備後、即今備後也、古置十五郡、曰安那、曰深津、曰神石、曰奴可、曰沼隈、曰品治、曰葦田、曰甲奴、曰三上、曰惠蘇、曰御調、曰世羅、曰三谿、曰三茨、曰吉刀也、田計九千二百九十八町、其内御調郡、世良郡、奴可郡、三上郡、甲奴郡、爲藝州之附領、安藝八郡與備後六郡、田通計三十七萬石也、

〔日本地誌提要〕

〈五十五備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 沿革 古ヘ國府ヲ葦田郡ニ置、〈舊府中村ト稱ス、今ノ府川村是ナリ、〉鎌府ノ初、土肥實平、梶

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 原景時ヲ守護トス、建武中、足利尊氏反シテ西ニ奔ル、朝廷淺山條就ヲ以テ守護トナシ、神邊ニ治ス、既ニシテ尊氏東上シ、州ノ豪族、宮、三吉諸氏、悉ク之ニ應ズ正平四年、尊氏其庶子直冬ヲシテ鞆ニ居ラシメ、中國探題ト稱シ、州事ヲ知ル、後吉野ニ歸順シ、京師ニ入リ、兵敗レテ石見ニ奔ル、十七年、山名時氏本州ヲ略定シ、終ニ足利義詮ニ降ル、明徳ノ初、子氏清謀反シテ誅セラレ、備中守護細川滿之、其子基之、相繼テ守護ヲ兼攝ス、嘉吉中、時氏ノ曾孫持豐、赤松滿祐ヲ誅スル功ヲ以テ守護ニ補シ、次子是豐ヲ遣テ神邊ニ治ス、文明中、宗家政豐〈是豐ノ從子〉ノ次子俊豐、入テ守護ヲ襲グ、傳ヘテ山名氏政ニ至リ、天文七年、大内義隆ニ滅セラル、時ニ尼子經久、亦北疆ヲ蠶食ス、安藝ノ毛利元就、大内氏ニ附シ、宮、三吉、杉原諸氏ヲ降ス、天文ノ末、大内氏亡ビ、全州皆毛利氏ニ歸ス、關原役畢リ、徳川氏、毛利氏ノ地ヲ削リ、本州ヲ以テ福島正則ニ賜フ、元和ノ初、罪有テ其封ヲ收メ、八郡ヲ割テ淺野長晟(アキラ)ニ賜ヒ、又水野勝成ヲ福山ニ封ズ、寛永九年、長晟其次子長治ヲ三次ニ分封ス、〈後三世長經卒シテ嗣ナク、宗家ニ併ス、〉元祿中、水野勝岑〈勝成ノ玄孫〉早夭シテ封除シ、松平忠雅代リ封ゼラル、寶永中、之ヲ桑名ニ徙シテ、阿部正邦ヲ封ズ、王政革新、福山縣トナス、尋テ深津縣ト改稱シ、又之ヲ廢シ、小田、廣島二縣ヨリ分治ス、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 吉備穴國造 纏向日代朝〈◯景行〉御世、和邇臣同祖彦訓服命孫八千足尼定賜國造、 吉備品治國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉多遲麻君同祖若角城命三世孫大船足尼定賜國造

〔國造本紀考〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 吉備穴は景行紀に、日本武尊云云到吉備、以渡穴海、安閑紀に婀娜國などある地にして、和名抄に備後國安那〈夜須奈〉郡これ也、

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 和銅元年三月丙午、正五位上佐伯宿禰麻呂爲備後守

〔吾妻鏡〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 壽永三年〈◯元暦元年〉二月十八日丁丑、武衞〈◯源頼朝〉被御使於京都、是洛陽警固以下事所仰也、又〈◯中略〉備後、已上五箇國、景時〈◯梶原〉實平〈◯土肥〉等、遣專使、可守護之由云云、

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 備後國〈國府在葦田郡、行程上十一、日下六日、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈比國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 備後國〈(中略)葦田〈府アシタ〉〉

〔藝藩通志〕

〈三備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 國府 備後國府、古は葦田郡に在、今府中村是なり、今東には福山城、西には三原城を置く、〈◯下略〉

〔安西軍策〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 備後三吉合戰事 天文十三年七月、晴久〈◯尼子〉七千餘騎ヲ率、備後ノ國府ニ出張、〈◯下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 備後國〈◯註略〉管十四〈◯註略〉安那〈夜須奈〉深津〈布加津〉神石〈加女志〉奴可〈奴加〉沼隈〈奴乃久萬〉品治〈保牟知〉葦田〈安之太〉甲奴〈加不乃〉三上〈美加三〉惠蘇 御調〈三豆木〉世羅 三谿〈美多爾〉三谿〈美與之〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 備後國上〈管 安那(ヤスナ) 深津(フカツ) 神石(カメシ) 奴可(ヌカ) 沼隈(ヌマクマ)品治(ホンチ) 葦田(アシタ) 甲奴(カフヌ) 三上(ミカミ) 惠蘇(ヱソ) 御調(ミツキ) 世羅(セラ) 三谿(ミタニ) 三次(ミヨシ)〉 右爲中國

〔藝藩通志〕

〈三備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 郡邑建置沿革考 備後國上古郡を分つの制いまだ詳ならず、按に續日本紀、和銅二年冬十月庚寅、備後國葦田郡甲努村相去郡家、山谷阻遠、百姓往還煩費太多、仍割品遲郡三里葦田郡甲努村、この時いまだ甲努郡を置かれざるに似たり、然るに日本後紀延暦廿四年奏書に、既に甲努郡の名あれば、史に明文はなしといへども、和銅延暦の間と見ゆ、又は和銅二年品遲郡を割き、葦田郡甲努村に隷すると云は即別郡として、甲努郡と呼けるやも知べからず、又續日本紀養老五年夏四月丙申、分備後國安那郡深津郡、とあり、和名抄所載十四郡、〈◯中略〉今に至かくのごとし、拾芥抄には別に吉刀郡を加へて十五郡とす、いまだ何の據を知らず、今時御調、甲奴、世羅、三谿、奴可、三上、三次、惠蘇の八郡、本藩に屬し、その餘六郡は、福山及び中津領も交れり、又甲奴郡も八村當領にて、其餘は公邑と中津

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 領也、

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 備後國〈十四郡〉 安那(ヤスナ) 〈驛町無シ 備中界〉 深津〈福山 ●神ナヘ 備中界東南海ニ向〉 神石(カメシ) 〈驛町無シ 國中郡〉 奴可(ヌカ) 〈●東條 伯界〉 沼隈(ヌノクマ) 〈●今津 <鞆町 南海郡〉 品治(ホンチ) 〈驛町無シ 國中〉 葦田(アシタ) 〈驛町無シ 國中〉 甲奴(カウヌ) 〈驛町無シ 國中〉 三上(ミカミ) 〈<庄原 國中〉 惠蘇(エソ) 〈驛町無シ 雲界〉 御調(ミツキ) 〈<尾ノ道 藝界南海ニ向〉 世羅(セラ) 〈<甲山 藝界〉 三谿(ミタニ) 〈<古金 國中〉 三次(ミツギ) 〈<三次 藝石雲三國界〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 備後

安那郡

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 養老三年十二月戊戍、停備後國安那郡茨城葦田郡常城

〔古事記〕

〈中孝昭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 兄天押帶日子命者〈(中略)阿那臣(中略)之祖也〉

〔古事記傳〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 阿那(アナノ)臣、阿那は書紀景行ノ卷〈十三丁〉に穴(アナノ)海、安閑ノ卷に〈六丁〉婀娜(アナ)ノ國などある地にして、和名抄、備後國安那(ヤスナノ)郡〈夜須奈〉これなり、〈夜須奈(ヤスナ)とは安那(アナ)と云事を嫌ひて、後に唱かへたるものなり、此例他國にもあり、◯下略〉

深津郡

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 養老五年四月丙申、分備後國安那郡深津郡(○○○)

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 髑髏目穴笋掲脱以祈之示靈表縁第廿七 白壁天皇世寶龜九年戊午冬十二月下旬、備後國葦田郡大山里人品知牧人、爲正月物、向同國深津郡(○○○)於深津市而往、〈◯下略〉

神石郡

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 日本書紀

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 二年三月壬寅、備後國司、獲白雉於龜石郡(○○○)而貢、乃當郡課役悉免、

〔日本後紀〕

〈十三桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 延暦二十四年十二月壬寅、備後國神石(○○)、奴可、三上、惠蘇、甲努、世羅、三谿、三次等八郡調糸、相換鍬鐵

〔三代實録〕

〈十一清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 貞觀七年八月十七日乙丑、備後國神石(○○)、奴可、甲努、惠蘇、世良、三谿、三次、三上八郡、居山間土宜採鐵、連年旱疾、黎庶弊亡、四年之間、毎年四郡更復課役

奴可郡

〔藝藩通志〕

〈百十七備後國奴可郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 疆域形勢〈風氣附〉 奴可郡は國の北にありて、藩府廣島を去ること二十四里、郡名文字、倭名抄、拾芥抄等、皆奴可なり、中古或は怒哥、奴哥に作る、皆假字にて、原は額なるべし、郡内に奴可村額部といふ地あり、廣五里、東は小串村より、西は栗村大戸に至る、袤四里、南は末渡村より、北は小烏原村に至る四隣、東は備中國哲多郡、南は同川上郡、備後神石甲奴二郡、西は三上惠蘇二郡、北は出雲國仁多郡、伯耆國日野

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 郡なり、西城町を以郡本とす、〈◯下略〉

沼隈郡

〔日本國郡沿革考〕

〈三山陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 備後〈◯中略〉 沼隈〈四十三村〉

品治郡

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 和銅二年十月庚寅、備後國葦田郡甲努村、相去郡家、山谷阻遠、百姓往還煩費太多、仍割品遲郡(○○○)三里、隷葦田郡甲努村

〔三代實録〕

〈九清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 貞觀六年十一月十日癸巳、備後國品治郡人左史生從八位上品治公宮雄、改本居山城國葛野郡

葦田郡

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 和銅二年十月庚寅、備後國葦田郡(○○○)甲努村、相去郡家、山谷阻遠、百姓往還、煩費太多、仍割品遲郡三里、隷葦田郡甲努村

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 養老三年十二月戊戍、停備後國安那郡茨城、葦田郡常城

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 髑髏目穴笋掲脱以祈之示靈表縁第廿七 白壁天皇世、寶龜九年戊午冬十二月下旬、備後國葦田郡大山里人品知牧人、爲正月物、向同國深津郡於深津市而往、中路日晩、次葦田郡於葦田竹原、〈◯中略〉從市還來、次同國竹原、時彼髑髏及現生形而語之言、吾者葦田郡屋穴國郷穴君弟公也、〈◯中略〉我父母家有于屋穴國里、〈◯下略〉

甲奴郡

〔藝藩通志〕

〈百二備後國甲奴郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 疆域形勢〈風氣附〉 甲奴郡は元明天皇の御宇より置かれしと見ゆ、按に續日本紀に、和銅二年冬十月庚寅、備後國蘆田郡甲努村、相去郡家、山谷阻遠、百姓往還、煩費大多、仍割品遲郡三里、隷蘆田郡甲努村とあり、異本に末の甲努村の上に建郡於の三字あり、類聚三代格、三代實録、並に甲努に作り、〈今或は努の字を用ふ〉倭名抄甲努に作り、加不乃と訓ぜり、されば今もかふのといふべし、奴は古は野の訓にも用ゆ、三次郡布努を布野とよむ類なり、甲努の名考ふべからず、神野、河野などの義にてもあらんか、今の藩府廣島の東廿一里にありて、全郡は他領入交りて、藩の所管は廣一里餘、東は稻草村割岩より、西は

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 木屋村枯木に至る、袤五里、南は矢野村伊尾村越より、北は稻木村一の渡に至る、五里の内にも、又他領二里許も入交れり、管内四隣、東は郡内にて公邑、また中津領の村なり、南より、西は世羅郡、西は三谿郡、北は三上郡なり、稻草村を郡本とす、〈◯下略〉

〔日本後紀〕

〈十三桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 延暦二十四年十二月壬寅、公卿奏議曰、〈◯中略〉備後國神名、奴可、三上、惠蘇、甲努(○○)、世羅、三谿、三次等八郡、調糸相換鍬鐵

三上郡

〔藝藩通志〕

〈百二十二備後國三上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 疆域形勢〈風氣附〉 三上郡、郡の名義詳ならず、古歌に千早振みかみ山などヽつヾけたるを見れば、御神(みかみ)の義にてもあるべきか、郡の名神に、蘇羅津彦もおはし、郷名にも神代宮内などいふもあり、考ふべし、地は國の西北邊に近くして、今の藩府廣島を去る二十里の東にあり、廣三里、東は本村より、西は庄原村に至る、袤三里半、南は春田村の飛郷山津田より、北は川西村に至る、四隣、東北は奴可郡、正南は三谿郡、西は惠蘇郡なり、庄原村を以て郡本とす、〈◯下略〉

〔日本後紀〕

〈十三桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 延暦二十四年十二月壬寅、備後國〈◯中略〉三上(○○)、〈◯中略〉三次等八郡、調糸相換鍬鐵

惠蘇郡

〔藝藩通志〕

〈百三十四備後國惠蘇郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 疆域形勢〈風氣附〉 惠蘇郡は、出雲風土記には、惠宗の字に作る、並に名義詳ならず、國の西北にありて、藩府廣島を距る東北二十五里なり、廣凡五里、東は小和田組より西は竹地谷村に至る、袤凡五里、南は尾引村より北は和南原村に至る、四隣、東は奴可郡、東南は三上郡、南は三谿郡、西は三次郡、北は出雲國飯石郡仁多郡に接す、比和村を以郡本とす、〈◯下略〉

〔日本後紀〕

〈十三桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 延暦二十四年十二月壬寅、備後國〈◯中略〉惠蘇(○○)〈◯中略〉三次等八郡、調糸相換鍬鐵

御調郡

〔藝藩通志〕

〈九十六備後國御調郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 疆域形勢〈風氣附〉 御調郡は萬葉集に水調郡と書けり、御水、文字異なれども讀同じ、神功皇后當郡長井浦に到り給

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 ひし時、木梨眞人といへるもの、御船へ水を獻しより水貢といふ義にて、水調の郡名を得たりともいひ傳れど、其事國史に見へず、延喜式、倭名抄等の諸書、皆御調に作れり、當郡は今の藩府廣島の東十五里にありて、東北は福山領に接く、廣六里餘、東は後地村より西は泉村に至る、海上に、因島、向島などありて、皆當郡に屬す、四隣、東は沼隈郡東北は蘆田郡、〈二郡共に福山領〉西は豐田郡、〈安藝國〉北は世羅郡、南は海上にて伊豫國に接く、三原尾道も皆當郡の内なれども、所管異なれば地志もまた別にす、今後地村を以て郡本とす、榜示嶺に、福山領分界の石表を立、番所を置る、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 備後國水調郡(○○○)長井浦舶泊之夜作歌三首〈◯歌略〉

世羅郡

〔藝藩通志〕

〈百五備後國世羅郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 疆域形勢〈風氣附〉 世羅郡は國の中央にありて、今の藩府廣島を去ること十六里許、廣八里、東は小谷村枝郷、八田原谷より、西は上野山村に至る、袤三里半、南は上徳良村より、北は徳市村に至る、四隣、東南は御調郡、東北は甲奴蘆田二郡に接し、北は三谿郡、西は三次郡、西南安藝國豐田郡なり、甲山町を以郡本とす、〈◯下略〉

〔日本後紀〕

〈十三桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 延暦二十四年十二月壬寅、備後國〈◯中略〉世羅(○○)三谿、三次等八郡、調糸相換鍬鐵

三谿郡

〔藝藩通志〕

〈百十一備後國三谿郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 疆域形勢〈風氣附〉 三谿郡は、名義未詳、或は水谷深谷などの義ならむか、或はいふ當郡郷名に古三谷といへるあり、其地三箇の谷あるを以、郷の名とす、因て遂に一郡の總稱ともなりしにやと、地は備後の中央少し西にありて、今の藩府廣島を去ること、東北十六里許、廣四里三十三町餘、東は灰塚村より、西は有原村に至る、袤四里三町餘、南は辻村より北は和知村にいたる、四隣、東は甲奴郡、南は世羅郡、西は三次郡、此は三次、惠蘇、三上三郡の界なり、吉舍を郡本とす、〈◯下略〉

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628龜令放生現報縁第七 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 禪師放濟者、百濟國人也、當百濟亂時、備後國三谷郡(○○○)大領之先祖爲百濟軍旅、時發誓願言、〈◯下略〉

三次郡

〔藝藩通志〕

〈百二十八備後國三次郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 疆域形勢〈風氣附〉 三次郡は、備後國の極西にて、今の藩府廣島の東北十七里にあり、三次美與之と訓ず、倭名抄に見ゆ、同じ抄當郡の郷名、上次、播澤、下次とあり、此三次を以て郡名とせられしなるべし、但次をよしと訓ずる義、いまだ詳ならず、按に次は日本紀に須岐とよめり、阿波國に三次郷あり、倭名抄美須木と訓ぜり、次はやどるの義にて、古やどるをすきといへり、薩摩國に揖宿郡あり、倭名抄以夫須木と訓ぜり、されば三次は三宿の義にて、三夜須木といふべきを、須木の反、しなれば三よしと呼ばれしにや、今當郡に畠敷といふ村あり、中古、八次、幡次などヽ書たることもありたりといふ、倭名抄にいへる、播次の轉訛にて、今も古名の遺れる考ふべし、されば上次はかみすき、下次はしもすきといひたるなるべければ、三次を合せて阿波のごとく三すきといふべきを、此國にみつき郡といふもあれば、まざらはしき故、となへを變られたるにや、拾芥抄には三茨とあり、こは字の誤なるべし、中古三吉に作りしは、訓にて通用せしと見ゆ、廣凡四里半、東は東入君村より、西は伊賀和志村に至る、袤凡六里、南は大力谷村より、北は櫃田村に至る、四隣、東は惠蘇郡、南は世羅、三谿二郡及び安藝國、豐田高田二郡、西は石見國邑智郡、北は出雲國、飯石郡なり、當郡古は王邑たること、諸郡に同じ、中古以來、三吉氏の所領となる、世々畠敷村に城居す、後上里村、寺戸、又比熊山に移る、慶長の頃は、福島氏の封疆となりて、其重臣を置て守らしめたり、我藩第三世君藝備に封ぜられ給ふの後、庶子長治君を三次惠蘇二郡、五萬石に分封なされ、上里村比熊山の下に府第を置き、家臣の館舍市街寺社など、それ〳〵かたのごとく設られぬ、大むね三吉、福島の舊規によりて、増益の事多し、後三世を歴て、嗣なくして絶へ、封邑臣庶みな宗藩に還り、今は諸郡と同じけれど、舊府の地には別に市令を置て治せしめらる、郡村は、上里村を郡本とす、〈◯下略〉

〔日本後紀〕

〈十三桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 延暦二十四年十二月壬寅、備後國〈◯中略〉三次(○○)等八郡、調糸相換鍬鐵

〔倭名類聚抄〕

〈八備後國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 安那郡 天家〈◯天高山寺本作大、〉高迫 三谿 拔屋〈◯屋、高山寺本作原、〉大坂 驛家 深津郡 中海 大野 大宅 神石郡 神石 志〈◯下所引東大寺寶龜五年文書有備後國神石郡志麻郷云々之文、〉高市 三坂 奴可郡 刑部 道部 斗意 三上 沼隈郡 津宇 赤坂 春部 諫山 品治郡 驛家 品治 狩道 佐我 石茂〈◯茂、高山寺本作淺、〉神田 服織 葦田郡 佐味 廣谿 葦蒲 都禰〈◯禰、高山寺本作彌、〉葦田 驛家 甲奴部 矢野 甲奴 田總 三上郡 多可 信敷 土木 神代 三上 惠蘇郡 惠蘇 春部 刑部 御調郡 伯多 柞原〈美波良〉者度〈伊都土〉佳質〈加之土〉小國〈乎久爾〉周島〈與乃之萬◯高山寺本周作因、與作印、萬作末、〉歌島〈宇多乃之萬〉 世羅郡 桑原 大田 津口 鞆張 三谿郡 三谷 松部 江田 額田 刑部 三次郡 上次 播次 下次 布努

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈四十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 謹啓 申可籍沙彌等事 沙彌慈數〈備後國神石郡志麻郷(○○○)戸主物部水海戸口物部多能◯中略〉 寶龜五年三月十二日

〔康正二年造内裏段錢并國役引付〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 合〈◯中略〉 一貫文〈◯中略〉 宮五郞左衞門殿〈備後國神石郡高光郷(○○○)段錢〉

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 一備後國(御料私領) 〈備州 東西二日半〉 拾四郡 高貳拾九万五千六百七拾八石八斗八升八合 四百九拾四ケ村 ●福山 百九十四里半 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ●三原〈廣シマ三万七千石〉淺野甲斐 <上下 二百五里 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 備後 十四郡、四百九十四村、 高三十一万二千五十四石九斗三升二合 (御料私領) 御調郡五十九村 世羅郡四十九村 三谿郡三十八村 三上郡十八村 奴可郡三十九村 甲奴郡三十二村 沼隈郡四十三村 深津郡三十二村 安那郡二十九村 品治郡二十一村 蘆田郡二十八村 神石郡三十八村 三次郡四十三村 惠蘇郡二十五村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 郡邑島嶼奇名 備後 沼隈郡、水呑(ミヅクミ)村、鞆(トモ)、御調(ミツキ)郡、蘆田郡、行縢(ムカバキ)村、品治(ホンヂ)郡、万能倉(マナクウ)村、三谿郡、木乘村、志幸(シカウ)村、神石郡、花濟(ハナスミ)村、三次(ミヨシ)郡、

〔康正二年造内裏段錢并國役引付〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 合 壹貫文 大和兵庫助殿〈備後國柞戸村(○○○)段錢〉 三貫貳百廿文 大和彌九郞殿〈備後國十田村(○○○)段錢〉 參貫文 杉原新藏人殿〈備後國草原村(○○○)段錢◯節略〉

〔藝備國郡志〕

〈下備後土地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 尾道(○○) 屬御調郡、四民並居雜品之具無有、西洋海陸之通衢、而海客商夫必投宿於此、而資用於此、〈登壇必究謂尾道和奴密知

〔藝藩通志〕

〈三十三備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 尾道 疆域形勢 尾道町は御調郡の東南にありて、一大市聚たり、藩府廣島を去る十九里半、廣十町餘、袤五町餘、尾道の名義詳ならず、おもふに此地もとは海涯の地甚狹く、山足にそひて往來すれば、山の尾の道

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 と云を以、名づけしにや、土人おもへらく、地もと玉を出す古歌に詠玉浦これなりと、海東諸國記に、尾路關とあり、圖書編、三才圖會、登壇必究、並に和奴密智と書す、皆此地を云なり、別に市令を置て是を治む、市後及び左右は皆郡村の所管なり、東西北は背後地村の地繞りて、村の諸山列り、南は海にて向島と對す、その間纔に六町を隔つ、この地山を負ひ海に臨みて、人家櫛の如く立ちならび、中に官道あり、縱横に街巷を分つ、源貞世、道ゆきぶりに、北にならびてあさぢ深く、岩ほこりしける山あり、ふもとにそひて家々ところせくならびて、網ほすほどの庭だにすくなしといへり、貞世の時旣にかくのごとし、今は實に尺寸の地をあまさず、諸國往來の舟船こヽに輻湊し、百貨交易便を得て富商多く、西國の一都會なり、

〔太平記〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 本間孫四郞遠矢事 本間孫四郞重氏、〈◯中略〉澳ナル船ニ向テ、大音聲ヲ擧テ申ケルハ、將軍〈◯足利尊氏〉筑紫ヨリ御上洛候ヘバ、定テ鞆、尾道(○○)ノ傾城共、多ク被召具候覽、其爲ニ珍シキ御肴一ツ推テ進セ候ハン、〈◯下略〉

〔道ゆきぶり〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 備後になりては、中々名高きかたよりも、面白きところこそおほかりけれ、入海うちつゞきて磯ぎははるかに行めぐるに、あまのすみかどもの、山もとちかきも、げにかたヽよりありと見ゆ、足引のやまわけくだりて、おのみちのうらにいたりつきぬ、この所のかたちは、北にならびてあさぢふかく、岩ほこりしける山あり、ふもとにそひて家々所せくならびつヽ、あみほすほどの庭だにすくなし、西よりひんがしに入うみとをく見へて、朝夕しほのみちひもいとはやりかなり、〈〇下略〉

〔藝備國郡志〕

〈下備後土地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 三原(○○) 在御調郡、西洋往還之街衢、而船舶之所輻湊也、城外仟陌四通也、土地坦平、天候和暖、民人庶富、

〔藝藩通志〕

〈十一備後〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 三原府 疆域形勢

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 三原府は、御調郡西のかたにありて、別に一域市をなせり、もと木梨庄に屬す、今の藩府廣島を去る十六里、和名抄に柞原(みはら)〈美波良〉と出これなり、柞をみと讀む、其義詳ならず、按に字書に除木日柞とあれば、或いは神祠のために、草木を芟除て、神の御原とせしよりいふならんか、國史に載る清御原の類考合すべし、木梨庄といふも、無木庄なるべし、又此地に八幡原の名もあれば芟除の義おもひあはさる、姓氏に御原三原あり、此地の名後世專ら三の字を用ふれど、古は御の字を用ひしも知るべからず、地の疆界古今のかはり考へがたし、今西野村の内に三原さめとよぶ地あり、西の界なりしにや、〈◯中略〉今は只城市の地のみを三原と呼ぶ、其地廣廿一町餘、袤は東にて五町餘、西にて五十町餘あり、郡内、東野、西野、木原、山中の四村、豐田郡須波村、此五ケ村を合せて三原城屬とす、通じて計れば廣二里餘、東は木原村より、西は西野村に至る、袤三里餘、南は須波村より、北は山中村に至る、〈◯中略〉地の形勢、海を前にし山を後にし、東に米田山、鉢峯あり、〈◯中略〉南は海にて、潮水城をめぐり、西にいり海あり、〈◯中略〉此地海に面ひ山を負ひたれば、風氣和暄なり、海水常に穩にして、朝に風あれど、夕は必なぐ、俗にこれを三原夕和(ゆふなぎ)といへり、〈◯下略〉

〔風雅和歌集〕

〈九旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 九月十三夜、いつく島へ參りけるに、備後のともといふ所にて、海邊月といふことをよめる、 藤原公重朝臣あたら夜の月をひとりぞながめつる思はぬ磯に波枕して

〔太平記〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 將軍自筑紫御上洛事附瑞夢事 新田左中將〈◯義貞〉ノ勢已ニ備中備前播磨美作ニ充滿シテ、國々ノ城ヲ責ル由聞ヘケレバ、鞆ノ浦ヨリ左馬頭直義ヲ大將ニテ、二十萬騎ヲ差分テ、徒路ヲ上セラレ、將軍〈◯足利尊氏〉ハ一族四十餘人、高家一黨五十餘人、上杉ノ一類三十餘人、外様ノ大名百六十、兵船七千五百餘艘ヲ漕雙て、海上ヲゾ上ラレケル、同〈◯延元元年五月〉五日備後ノ鞆ヲ立給ヒケル時、一ツノ不思議アリ、〈◯下略〉

〔備中兵亂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 元親謀叛之事附藝陣寄來事 親成〈◯三村〉父子驚キ、天正二年十一月七日ノ夜、急ギ鞆ノ津ニ馳參ル、

〔安西軍策〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 尼子發向吉田之事 扨藝州へ推入ントスル道ハ、幸ニ三吉式部少輔味方ニ屬ケレバ、三吉口ヨリ入ベシ、事ノ様體ヲ伺見ヨトテ、尼子紀伊守、同下野守、同式部大輔ヲ大將トシテ三千餘騎、天文九年六月下旬ニ、備後國三吉(○○)ヘ差向ラル、

莊保

〔賀茂注進雜記〕

〈下神領〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 同〈◯壽永〉三年〈◯元暦元年〉四月廿四日壬辰、賀茂社領四十二ケ所、任院廳御下文、可武家狼藉之由、有其沙汰云々、 下諸國 可早任院廳御下文、停止方々狼藉進神事用途、賀茂別雷社御領庄園事、〈◯中略〉備後國 有福庄〈◯中略〉 壽永三年四月廿四日 正四位下源朝臣御判

〔又續寶簡集〕

〈百四十二大塔領之書雜集〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 備後國大田庄(○○○)、寄付高野、被不斷兩界供養法用途料、了、是依鄭重御願也、而實平押領之由、依聞食及、被尋仰之處、申状〈副遠平折紙〉如此、件庄本自不沒官注文、令濫望之條、非唯忽緒綸旨、已是罪業之因縁也、早可止彼妨之由、可下知者、依院宜執達如件、 七月〈◯文治二年〉七日 太宰權帥〈在判〉 謹上 源二位殿〈◯頼朝〉

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 文治二年七月廿四日己亥、爲仙洞御願、爲平家怨靈、於高野山立大塔、自去五月一日、被嚴密御佛事、而供料所、以備後國大田庄(○○○)、加御手印、今日所寄也、〈◯下略〉

〔古文書類纂〕

〈上處分状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 後深草天皇建長二年關白藤原道家處分状 總處分 條々事〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 一家地文書庄園事〈◯中略〉 新御領〈◯中略〉 備後國奴可東庄(○○○○) 別當三位讓進庄々〈◯中略〉 備後國小豆庄(○○○)〈◯中略〉 前攝政〈◯中略〉 家領 女院方〈◯中略〉 備後國坪生庄(○○○)〈最勝金剛院領◯中略〉 建長二年十一月 日 愚老〈在御判

〔桃華蘂葉〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 一家領并敷地等之事 備後國坪生庄(○○○) 山名被管人大田垣爲代官其後平賀預申之、毎年年貢三千五百疋筵等也、〈◯下略〉

〔康正二年造内裏段錢并國役引付〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 合 九貫八百七十文 等持寺領〈備後國信敷庄(○○○)段錢〉 五貫文 伊勢備後入道殿〈備後國志庭利庄(○○○○)段錢〉 五貫文 杉原左京亮殿〈備後國杉原本庄(○○○○)段錢◯節略〉

〔當宮縁事抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 左辨官下 石清水八幡宮并宿院極樂寺 應永停止宮寺并極樂寺庄園領家預所下司公文等、或號先祖讓状、或稱傳文書、致異論掠領、兼又有由緒傳領、子孫斷絶處々付本所事、 宮寺領〈◯中略〉 備後國 椙原保(○○○)〈◯中略〉 保元三年十二月三日 大史小槻宿禰〈在判◯下略〉

〔師守記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 貞和三年二月十七日庚寅、今日新左衞門尉國兼爲御使、下向備後國栗原保(○○○)

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 阿部主計頭正方(帝鑑間四品元治元子五月叙) 拾一万石 居城備後深津郡福山〈江戸ヨリ〉百五十四里半〈輝元領、慶長五、福島左衞門大夫正則、元和五、水野日向守勝成、同美作守勝重、同日向守勝定、同美作守勝慶、元祿十三、松平下總守忠雅、寶永七、阿部備中守正邦、以後領之、〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 備後國〈◯註略〉管十四〈田九千三百一町二段四十六歩〉

〔伊呂波字類抄〕

〈比國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 備後〈管十四(中略)本田九千六百五十八丁〈上九日下五日〉〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 備後〈上中〉十五郡〈(中略)田九千二百九十八町〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 備後州 産銅、郡十四、水田九千二百六十九町二段、

〔藝備國郡志〕

〈下備後郡名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 御調郡〈凡邑數計五十九、田通算二萬九千二百六十九石零、〉 世良郡〈凡邑數計四十九、田通算二萬九千五百七十一石零、〉 三谿郡〈凡邑數計三十八、田通算一萬八千百五十六石零、〉 奴可郡〈凡邑數計三十八、田通算一萬七千四百六十一石零、〉 三上郡〈凡邑數計十七、田通算一萬二千七百八十石零、〉 甲奴郡〈凡邑數計八、田通算四千五百十三石零、〉 六郡合十二萬石零、戸三萬五千七百七、口十萬四千六百七、牛馬合二萬四千百五十六

〔日本鹿子〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 備後國、十四郡、中上國、東西二日餘、知行高二十三万八千八百九十石、

〔官中祕策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 備後國 十四郡〈◯中略〉 一石高貳拾九万五千六百七拾八石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 天保度御國高調〈◯中略〉 備後國〈御料私領〉 一高三拾壹万貳千五拾四石九斗三升貳合

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 備後國正税公廨各廿四万束、國分寺料二万束、文殊會料二千束鑄錢司俸料二万八千束、修理池溝料一万五千束、救急料八万束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 備後國〈◯註略〉管十四〈(中略)正公各二十四萬束、本穎六十二萬五千束、雜穎十四萬五千束、〉

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 諸國年料供進〈◯中略〉 櫑子〈(中略)備後(中略)土佐廿六箇國各四合◯中略〉 蜜蘇〈諸國所進〉 蜜〈(中略)備後二升〉

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 年料舂米〈◯中略〉 備後國〈大炊一千一百九十五石四斗三升五合◯中略〉 年料租舂米〈◯中略〉 備後國〈一千石◯中略〉 年料別貢雜物〈◯中略〉 備後國〈斐紙麻二百斤◯中略〉 諸國貢蘇番次〈◯中略〉 備後國七壷〈二口各大一升、五口各小一升、◯中略〉 右十四箇國爲第六番〈子午年◯中略〉 交易雜物〈◯中略〉 備後國〈白絹十二疋、油二石、櫑子四合、鹿角十枚、大豆十六石七斗、小豆一石七斗、胡麻子二石、醤大豆六十石、隔三年進醤大豆十石、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 備後〈◯中略〉 右十二國並上絲〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 備後〈◯中略〉 右廿九國輸絹〈◯中略〉 備後國〈行程、上十一日、下六日、〉海路十五日 調、白絹十疋、帛一百絇、絲九十絇、縹絲廿絇、自餘輸絹、鍬、鐵、鹽、 庸、白木韓櫃三合、自餘輸米、鹽、鐵、鍬、中男作物、紙、木綿、紅花、黄蘗皮、黒葛、漆、胡麻油、押年魚、煮鹽年魚、許都魚皮、大鰯雜腊、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 諸國進年料雜藥〈◯中略〉 備後國廿八種 白頭公五斤、石斛卌九斤、桔梗卅五斤、白朮卅四斤六兩、細辛卅斤、昌http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b559.gif 四斤、黄蘗十斤、當歸六斤、薺苨廿三斤、芍藥二斤、木斛十五斤、伏苓五斤、升麻一斤、紫菀十三斤、夜干廿一斤、赤石脂三斤八兩、桑螵蛸十兩、署預一斗四升、麥門冬三斗六升、桃人一斗一升、車前子二斗三升、蒺藜三升、麻子一斗四合、亭藶子一斗六合、蜀椒一斗三升、獺肝三具、猪蹄五具、朴消大三斗、

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 四郞君、受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉宅常擔集諸國土産、貯甚豐也所謂〈◯中略〉備後鐵、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 備後 疊表 同表振土 柳籠履 矢篦島篦竹 鞆尻切 編笠 尾道酒 三原酒 田島鯛〈三月大網ニテ多取也〉

〔類聚三代格〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 太政官謹奏 備後國神石、奴可、三上、惠蘇、甲努、世羅、三谿、三次等八郡、調絲相換鍬鐵事、 右件國百姓彫弊、積有歳年、雖存濟、猶未舊、而前件八郡僻居山間、土宜採鐵、不便蠶、所輸絹絲營求多苦困茲承前國司、屢請絹絲上レ鐵、伏望永停絹絲、令鍬鐵、謹以申聞、謹奏者、奉勅依奏、 延暦廿四年十二月七日〈◯又見日本後紀

人口

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637 備後國 十四郡〈◯中略〉 一人數三拾万六千八百拾八人 内〈拾五万八千百貳人 男 拾四万八千七百拾六人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數三拾壹万八千五百七拾七人(御料私料) 備後國(高貳拾九万五千六百七拾八石餘) 内〈拾六万五千九拾六人 男 拾五万三千四百八拾壹人 女〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數三拾六万八百三拾貳人(御料私領) 備後國(高三拾壹万貳千五拾四石餘)内〈拾八万五千貳百八拾五人 男 拾七万五千五百四拾七人 女〉

〔藝藩通志〕

〈三備後國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 戸口 家四万六百五戸 人十七万九千四百七十八口 三原府、九百二戸、 六千三百七十八人 尾道町、二千九百二十六戸、 九千四百八十八人 御調郡、一万三千三百五十四戸、 六万三百四十五人 甲奴郡、九百四十一戸、 四千百十四人 世羅郡五千三百四十二戸、 二万五千五百四十九人 三谿郡、三千六百十八戸、 一万六千二百九十四人 奴可郡、三千四百二十戸、 一万三千四百四十六人 三上郡、二千百二十一戸、 八千九百十一人 三次郡、四千七百九十一戸、 二万二千七十八人 惠蘇郡三千百九十戸、 一万二千八百七十五人

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 備後國 備後國ノ風俗ハ人之氣實儀ニ而、一度約ヲシタル事ハ變カヘヲスル事鮮シ、然レドモ愚癡成事多キ故、不實成事ヲモ不辨而ウケ合、終ニ惡名ヲ取ル事多カルベキナリ、大體ハ西備中之風俗也、武士之風儀モカクノゴトク也、

〔藝備國郡志〕

〈下備後風俗〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 人性柔慧、民專漁鹽之利、俗喜商賈之業

名所

〔日本鹿子〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 同國〈◯備後〉中名所之部 鞆の浦 室野 尾の道にちかし、尾の道は、東西に遠き宿也、北方は山、南は海也、室野といふも是

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 よりちかし、〈◯中略〉 密語(サヽヤキ)の橋 府中にあり、同名奧州にもあり、 蔀山 風早浦 在所未詳也

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 諸國健兒〈◯中略〉 備後國五十人〈◯中略〉 諸國器仗〈◯中略〉 備後國〈甲五領、横刀廿口、弓卅張、征箭卌具、胡籙卅具、〉


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:49:00 (387d)