http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 大和國ハ、ヤマトノクニト云フ、五畿内ノ一ニシテ、仁明天皇ノ承和三年以前ニ在リテハ、其首班タリシガ、後第二班ト爲ル、東ハ伊賀、伊勢、西ハ河内、南ハ紀伊、北ハ山城ニ堺シ、東西凡ソ十里、南北凡ソ二十五里アリ、此國ハ、古ヘ國府ヲ高市郡ニ置キ、添上(ソフノカミ)、添下(ソフノシモ)、平群(ヘグリ)、廣瀬(ヒロセ)、葛上(カツラギノカミ)、葛下(カツラギノシモ)、忍海(オシノミ)、宇智(ウチ)、吉野(ヨシノ)、宇陀(ウダ)、城上(シキノカミ)、城下(シキノシモ)、山邊(ヤマノベ)、十市(トホチ)、高市(タケチ)ノ十五郡ヲ管シ、延喜ノ制、大國ニ列ス、明治維新ノ後、郡ノ併合ヲ行ヒ、添下、平群ノ二郡ヲ生駒郡トシ、城上、城下、十市ノ三郡ヲ磯城郡トシ、忍海、葛上ノ二郡ヲ南葛城郡トシ、葛下、廣瀬ノ二郡ヲ北葛城郡トシ、新ニ奈良市ヲ設ケテ一市十郡ト爲シ、奈良縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 大和〈於保夜萬止〉

〔饅頭屋本節用集〕

〈也天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 大和(ヤマト)〈和州〉

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 大和(ヤマト)〈又作大倭、日本一名、今按、大和國、本朝人皇帝都始、故稱之、猶文王起周而名周世、高祖起漢而名漢世之類者乎、〉

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 大和〈野馬多(ヤマト)〉

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 一書曰、〈◯中略〉大己貴神曰、唯然迺知汝是吾之幸魂奇魂、今欲何處住耶、對曰、吾欲於【日本】(ヤマト)國之三諸山、故即營宮彼處、使就而居、此大三輪之神也、

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0267 戊午年九月、弟猾又奏曰、倭國(○○)磯城邑有磯城八十梟師、 三十有一年四月乙酉朔、皇

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 輿巡幸、因登腋上嗛間(ワキノカミノホツマノ)丘、而廻望國状曰、妍哉乎國之獲(アナニエヤクニノエツ)矣、雖内木綿之眞迮國(ウツユフノマサキクニ)、猶如蜻蛉之臋呫(アキツノトナメセルガ)焉、由是始有秋津洲(アキツシマ)之號也、昔伊弉諾尊目此國曰、日本(ヤマト)者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國、復大己貴大神目之曰、玉牆内國、及饒速日命乘天磐船、而翔行太虚也、睨是郷而降之、故因目之曰、虚空見日本(ソラミツヤマトノ)國矣、

〔古事記〕

〈中景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268大冰雨、打惑倭建命、〈◯中略〉自其幸行而、到能煩野之時、思國以歌曰、【夜麻登】波(ヤマトハ)、久爾能麻本呂婆(クニノマホロバ)、〈◯下略〉

〔古事記傳〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 此二句は、倭國は大八島國の中の、麻本羅(マホラ)なる國ぞと、稱給へるなり、

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 四年正月壬戌、大倭國貢瑞鷄、 二月癸未、勅大倭(○○)、河内、攝津、山背、播磨、淡路、丹波、但馬、近江、若狹、伊勢、美濃、尾張等國曰、選所部百姓之能歌男女、及侏儒伎人、而貢上、

〔續日本紀〕

〈十二聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 天平九年十二月丙寅、改大倭國、爲大養徳國(○○○○)

〔續日本紀〕

〈十七聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 天平十九年三月辛卯、改大養徳國、依舊爲大倭國(○○○)

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 大和〈◯中略〉 勝寶元年、改爲大和(○○)、〈◯下略〉

〔國號考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0268 夜麻登(ヤマト)〈秋津島、師木島をも附いふ、〉 夜麻登といふは、もと畿内(ウチツクニ)なる大和一國(オホヤマトヒトクニ)の名なるを、神武天皇此國に大宮しきませりしよりして、後の御代々々の京も、みな此國内なりける故に、おのづから天の下の大(オホ)名にもなれるなり、さて此名は、邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)のあまくだらしヽ時に、虚空見倭國(ソラミツヤマトノクニ)といへる古語(フルコト)ありて、神代よりの名なり、又それよりさきに、八千矛(ヤチホコノ)神の御歌に、やまとの一本すヽきとあれども、そは此國の名をよみたまへるにはあらじとぞおもふ、又書紀の神武御卷の末に、昔伊弉諾尊目(ムカシイザナギノミコトホメテ)此ノ國ヲ、曰日本者浦安國( ノリタマフヤマトハウラヤスグニ)、細戈千足國(クハシボコチタルクニ)、磯輪上秀眞國(シワノボルホツマノクニ)とも見えたり、かくて神武天皇は此國に宮しきましけるによりて、神日本磐余(カムヤマトイハレ)彦尊と大御名を稱奉(タヽヘマツ)れり、然るをかへりて、此大御名より起りて國の名ともなれりと

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 いふは、いみじきひがことなり、〈◯中略〉また生大日本豐秋津洲(オホヤマトトヨアキツシマ)とあるは、天の下の大號(オホナ)にもなりての後の世よりいへる語にして、神代の當昔(ソノカミ)の言にはあらず、〈◯中略〉夜麻登(ヤマト)は一國の名なるが、天の下の大號にもなり、又一國の内にて、わきて京師(ミヤコ)をさしてもいひて、廣(ヒロ)くも狹(セバ)くも用ひらるヽ號なるが故なり、そは筑紫といふも、伊豫(イヨ)といふも、一國の名なるを、九國四國の大名にもして、筑紫洲(ツクシノシマ)、伊豫之二名洲(イヨノフタナノシマ)などいへる例に同じ、〈◯中略〉夜麻登といふは、本よりの大號にはあらず、一國の名より轉れること疑ひもなし、すべてもとは狹き名の、後に廣くなれる例おほし、出羽加賀なども、もとは郡の名なりしを取て、國の名とはせられつること、國史に見え、〈◯中略〉夜麻登(ヤマト)といふ名の意は、萬葉考の一つの考へに、此國は四方みな山門より出入れば、山門(ヤマトノ)國と名を負るなりと有て、そのよし委くしるされたり、此説ぞ宜しかるべき、又己〈◯本居宣長〉が考へあり、そはまづ書紀ノ神武ノ御卷に、天皇の御言に、此國の事を聞(キクニ)於鹽土老翁曰(シホツツノヲヂノイヘル)ヲ、東ノ方ニ有リ美地(ヨヰクニ)、青山四周(アヲヤマヨモニメグレリ)云々と見え、又大己貴命(オホナムヂノ)は、玉墻内國(タマガキノウツクニ)と目(ナヅ)けたまひ、又古事記倭建(ヤマトダケ)命の御歌に、夜麻登波(ヤマトハ)、久爾能麻本呂波(クニノマホロバ)、多々那豆久(タゝナヅク)、阿袁加岐夜麻(アヲガキヤマ)、碁母禮流(ゴモレル)、夜麻登志(ヤマトシ)、宇流波斯(ウルハシ)とよみたまひ、又石比賣(イハノヒメノ)命の御歌に袁陀氐夜麻夜麻登(ヲダテヤマヤマト)云々とよみたまふ、此比賣命の御歌なるは、かの倭郷をのたまへるなれども、袁陀氐夜麻といふは、一國の倭によれる枕詞にて、楯(タテ)を立並(タテナラ)べたる如くに、山のめぐれるをのたまへるなり右の件(クダリ)の古言(フルコト)どもみな、此國は山の周廻(メグ)れる中にあることをいへるなれば、夜麻の山なることは論なし、登には三つの考へあり、一つには、登は處にて、山處(ヤマト)の意なるべし、〈◯中略〉二つには、登は都富の約(ツヽ)まりたるにて、山都富なるべし、〈◯中略〉三つには、登は、宇都(ウツ)の宇を省(ハブ)き、都を通はしいへるにて、山宇都の國なるべし、〈◯中略〉上件師〈◯賀茂眞淵〉の山門(ヤマト)の説と、己が此三つの考へとのうち、見む人心のよらむかたをとりてよ、

〔倭訓栞〕

〈前編三十四也〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0269 やまと 日本大和をよむは義訓也、山跡の義といへる尤舊き説也、とは多く

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 處をいへり、もと山邊郡大和(オホヤマト)と式に出たる名にして、後國號となりし成べし、此郷に國魂の神もましませる也、げにも大和國形、吉野一郡三分の一に居て、山のみ國に充てり、神武天皇東征ましましてより、代々めでたき皇都なりしかば、大八洲の内に豐秋津洲も大日本と標し、後は六十餘州を併ての總號とはなれる成べし、邪山臺、野馬臺など書るは西土の私也、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 各國經緯度〈附里程〉 大和奈良〈樽井町〉極高三十四度四十一分、經度東五分、從東都〈東海道、自關宿伊賀越、〉一百三十三里二十七町四十間半、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 北極出地 大和 法隆寺村 三四度三七分◯◯秒 小泉 三四度三八分◯◯秒 郡山 三四度三九分◯◯秒 南都 三四度四一分◯◯秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 ◯度◯◯分◯◯秒 大和 郡山 東◯度◯二分三五秒

疆域

〔大和志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 疆域 東至勢伊二州界、西至河州界、南至紀州界、北至山州界、東西十四里有半、南北三十里有奇、

〔日本地誌提要〕

〈四大和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 疆域 東ハ伊賀、伊勢、西ハ河内、南ハ紀伊、北ハ山城ニ至ル、東西凡壹拾里餘、南北凡貳拾五里、

地勢

〔易林本節用集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 大和〈和州〉大、管十五郡、大上々國也、南北二百餘里、山繞而生十倍、出國之差圖、故名所舊跡繁、

〔大和志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0270 形勝 壯哉一故都、四禽叶圖、三山作鎭、〈元明紀曰、今平城之地、四禽叶圖、三山作鎭、〉面臨吉水、背倚雍良、左擁國見横嶽、右抵葛城高天、表山帶河、山水秀麗、都鄙平壤、土脈膏膄、殼稼多實、横脩縱窄、所謂猶如蜻蛉臀

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271、〈神武紀曰、三十有一年夏四月、登脇上http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650eea.gif 間(ホヽマ)丘、廻望國状曰、姸哉乎、猶如蜻蛉之臀呫焉、〉吉野一郡、居於本州三分之二、山崇溪邃、居民鮮少、

道路

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 郡山〈寅卯至江戸、過伏見行百三十四里、同過伊賀行百十六里、北至京師十二里半、丑寅至奈良二里、戌方至大坂八里、〉 高取〈至江戸百三十四里、至京師十七里半、亥方至郡山八里、〉 奈良〈至京師十一里、至大坂八里、至高取六里半、至三輪五里、至伊賀上野九里〉 柳生〈西至奈良六里、北至笠置一里半、艮至大河原二里、〉 柳本〈北至奈良四里〉 蓋樹〈北至柳本一里、至奈良四里半、〉

〔大和志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0271 路程 南都至京師十一里、至江一百二十里、至大坂八里、至上野九里、至高取七里十八町、至郡山一里十八町、 〈官道〉 高座嶺(タウゲ)〈舊名栲問坂、山州相樂郡界、謂之奈良坂越、〉至南都驛一里、〈歴般若寺奈良坂〉南都驛至帶解一里、〈歴肘塚永井〉帶解至丹波市二里、〈所歴、曰藏莊、曰楢村、曰櫟本、曰河原城、〉丹波市至三輪二里十町、〈所歴、曰三昧田、曰新泉(ニイヅミ)、曰柳本、曰辻村、曰箸中、曰芝村等、〉三輪至櫻井驛十八町、〈高座嶺至此、通計六里二十八町、謂之上道、又自櫻井吉野郡大野三里、謂之針道越、所歴、曰倉橋、曰針道、曰宮奧、曰牧村等、又自櫻井松山二里有半、所歴、曰外山(トビ)、曰忍坂、曰半坂、曰下竹等、〉 歌姫越〈相樂郡界、越本道路一條之名、如直越不盡越之類是也、近世假用以爲境界之號、此志姑從之、下皆傚之、〉至郡山驛二里、〈歴尼辻、六條等、〉郡山驛至筒井一里許、筒井至田原本一里三十町、〈所歴、曰馬司(マヅカサ)、曰長安寺、曰菅田、曰菴治等、〉田原本至八木一里六町、八木至土佐二里、〈所歴、曰三瀬、曰越村、曰勸學寺等、〉土佐至檜垣本一里十八町、〈歴清水谷蘆原、自歌姫此、通計九里二十二町、謂之中道、又自檜垣本洞川五里許、所歴、曰下市、曰善城、曰四村、曰廣橋、曰粟飯谷、曰寺戸、曰河分等、謂之山上道、〉又自筒井高田三里十二町、〈所歴、曰額田部、曰小柳、曰古寺、曰南郷、〉高田至御所一里十五町、〈所歴、曰中村、曰新町、曰薑(ハジカミ)、曰松本、〉御所至三在二里三十一町、〈經風森、筒井至此、通計七里二十二町、謂之下道、又自御所吉野山村、五里二十町、所歴、曰稻宿、曰戸毛(ゲ)、曰古(コ)瀬、曰今木、曰下淵、曰檜垣本、曰土田、曰越部、曰新野、曰六田、曰佐曾、曰橋屋等、〉 暗嶺(クラガリタウゲ)〈河州河内郡界〉至南都驛四里四町、〈所歴、曰西畑、曰藤尾、曰萩原、曰小瀬、曰砂茶屋、曰寶來、曰尼ガ辻、〉 立野越、〈高安郡界、上古謂龍田越、河州謂之龜瀬越、〉至郡山驛三里十五町、〈所歴、曰勢野、曰龍田、曰法隆寺、曰小泉、〉郡山驛至南都驛一里有半、〈經大安寺、自立野此、通計四里三十三町、〉 竹内嶺、〈河州石川郡界〉至竹内二十町、竹内至高田二里十九町〈經長尾〉高田至八木一里八町、〈所歴、曰曲川、曰曾我、曰小綱、〉八木至櫻井驛三十四町、〈所歴、曰石原田、曰西宮、曰戒重等、〉櫻井至初瀬一里有半、〈所歴、曰外山、曰慈恩寺、曰脇本、曰黒崎、曰出雲、〉初瀬至萩原驛一里、萩原驛至赤埴一里餘、〈所歴、曰檜牧、曰自明、曰高日、〉赤埴至桃俣四里、〈所歴、曰諸木野、曰田口、曰黒岩、曰山糟、〉桃俣至神末二里十三町、〈歴土屋原、菅野、〉神末至岩坂嶺〈勢州壹志郡界〉三十一町、〈自竹内嶺此、通計十四里二十三町、又自萩原長瀬屬邑上野二里許、上野至長瀬二十四町、通于伊州名張郡阿部田村、謂之新路(シンミチ)、〉 杉谷嶺、〈勢州飯高郡界〉至鷲家(ワシカ)二里十一町、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0272 〈經木津〉鷲家至上市四里許、〈所歴、曰小名、曰柳村、曰山口、曰平尾、曰河原屋、曰立野等、〉上市至五條驛五里、〈所歴、曰麻志口、曰北六田、曰越部、曰土田、曰檜垣本、曰下淵、曰阿陀、曰三在、曰宇野、曰須惠等、〉五條驛至畑田〈紀州伊都郡界〉二十七町、〈所歴、曰新町、曰二見、曰待乳嶺等、自杉谷此通計十二里許、〉 〈間道〉 大澤越〈錦部郡界〉至五條驛一里二十七町 北山嶺〈石川郡界外通千早村、因謂千早越、〉至五條驛一里六町 金剛山嶺〈石川郡界〉至名柄一里五町 水越嶺〈石川郡界〉至御所一里二十三町〈所歴、曰豐田、曰森脇、曰鎌田、〉 平石峠〈石川郡界外通平石村、因名、〉至竹内二十一町〈又自今市此一徑、謂之岩橋越、〉 岩屋越〈石川郡界〉至御所三里餘〈所歴、曰長尾、曰今市、曰大畑、曰辨莊、曰南花田、曰忍海、曰薑、曰松本、〉 穴蒸越、〈石川郡界〉至狐井一里九町、狐井至高田一里六町、〈經五位堂大谷〉 關屋峠、〈安宿郡界〉至關屋十九町、關屋至狐井一里許、〈經逢坂、又自關屋外通田邊一徑、謂之田尻越、〉 比留米越〈安宿郡界〉至龍田一里二十四町、〈所歴、曰比留米、曰畑田、曰王子、曰車瀬、〉 信貴越、〈高安郡界〉至南畑十町、南畑至勢野三十町、 十三越〈高安郡界、今曰龍田越、〉至龍田一里十七町〈所歴、曰福貴畑、曰福貴、曰西宮等、又自西宮外通服部川村、曰立石嶺、一名千冢越、〉 生駒越〈讃良郡界外通中垣内、因云中垣内越、〉至砂茶屋二里十四町〈所歴、曰俵口、曰山崎、曰菜畑、曰三碓(ミツカラウス)、曰藤木、又自山崎此一徑、謂之岩屋越、〉清瀧越〈讃良郡界、界在田原、以外通清瀧因名、〉至高山前田邑十八町〈又自田原于交野郡私市一徑、謂之岩舟越、〉 傍示嶺〈交野郡界〉至砂茶屋三里二十一町〈所歴、曰前田、曰高山、曰二名、曰三碓、又自前田于山州相樂郡天王村一徑、謂之天王越、 以上、河州境界、唯除天王越、〉 廣岡越〈相樂郡界〉至奈良坂三里許、〈所歴、曰廣岡、曰下狹川、曰上狹川、曰法用、曰鳴川、曰中川、又身中川外通西小田原一徑、謂之中川越、又自奈良坂外通賀茂一徑、謂之賀茂越、〉 笠置越〈相樂郡界外通笠置、因名、〉至南都驛四里十町〈所歴、曰小柳生、曰坂原、曰大柳生、曰忍辱山、曰大慈山、曰高畑、又自小柳生外通飛鳥路越大河原越二徑、〉 小魂(タマ)石越〈相樂郡界〉至水間二里五町〈所歴、曰邑地、曰下丹生、曰北山、曰切山、曰上丹生、又自邑地外通一徑、謂之法弘越、〉 高屋越〈相樂郡界外通高尾、因名、〉至桃香野八町、桃香野至水間二里二十町〈歴峯寺、松尾、室津、〉 田山越〈相樂郡界外通田山、因名、〉至北野一里十八町〈經尾山、長引、月瀬、又自北野尾山、外通田山一徑、謂之矢川越、 以上、山州境界小魂石越、已下皆小徑、山路嶮岨、〉 長嶺越〈阿拜郡界〉至尾山二十七町〈歴寺代、又自寺代外通伊賀郡治(ハツ)田一徑、謂之大多和越、〉 松瀬濟〈在中峯山村、伊賀郡界亦達治田、〉中峯山至北野二里七町〈歴大西兩河内大鹽、又自大西廣瀬濟一里六町、謂之大門越、〉 青(アヲ)越〈又云北葛尾越、名張郡界、〉至和田三里十一町、〈所歴、曰菅生、曰三箇谷、曰助命、曰伏拜、曰深川、曰別所、曰南田原、〉和田至鹿野園二里二十八町、〈歴鉢伏〉鹿野園至郡山驛一里二十四町、〈歴東西九條、自界至此、通計七里有半、又自北葛尾鵜山、外通東鵜山、謂之鵜山越、〉 笠間峠〈又云木引越、名張郡界、〉至白石二里十一町、〈所歴、曰小原、曰染田、曰多田、〉白石至櫟ノ本三里十町、〈所歴、曰南莊、曰來迎寺、曰福住、曰岩屋谷等、〉櫟本至郡山驛一里三十四町〈所歴、曰櫟枝、曰横田、曰筒井等、自峠至此、〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0273 〈通計七里十九町、〉 長瀬越〈乃長瀬村、名張郡界、〉至白石二里三十三町〈經向淵、靈龜元年六月、開都祁山之道、即此、〉 松峠〈在龍口村、名張郡界、〉至瀧谷二十五町、瀧谷至上田口二里七町、〈經室生角川〉 中山越〈在伊賀見村管内、名張郡界、〉至今井一里二十三町、〈經葛及太郞路〉今井至山糟一里許、〈又自今井名張郡青蓮寺村一徑、謂之鬼坂越、 以上、伊州境界〉 龜山越〈壹志郡界〉至太郞路一里一町、〈山徑、無民家、〉 白髮(シラカミ)嶺〈飯高郡界〉至菅生(スガフ)一里十三町 受取嶺〈飯高郡界〉至土屋原一里二十五町 神合巍(カンコウギ)越〈壹志郡界、牛馬不行、〉至鹽葉四里三十町、鹽葉至和田一里二十六町、〈以上、勢州境界、〉 伯母谷路 上市至西河(ニジカワ)二里五町、〈所歴、曰宮瀧、曰菜摘、曰樫尾等、〉西河至和田四里許、〈所歴、曰大瀧、曰寺尾、曰人知、曰井戸、曰白川渡等、〉和田至中根辻堂四里二十一町、〈經柏木伯母谷〉辻堂至小瀬二里有半、小瀬至白川一里十九町、〈經櫔本、河合、〉白川至池原二里二十六町、池原至桑原屬邑川口二里五町、〈牟婁郡界外通桃崎、謂之川口越、上市至此、通計十九里二十二町、〉 龍辻越〈牟婁郡界〉至櫔(トチ)本二里〈又自小瀬一徑、倶至此、〉 落牛越〈牟婁郡界〉至白川二里十町〈又自屬邑古川一徑、謂之破神越、〉 不動根越〈牟婁郡界〉至大瀬一里二十二町 田戸越〈牟婁郡界〉至寺垣内一里二町〈又自寺垣内外通七色一徑、謂之太視詞越、〉 安曾越、〈牟婁郡界外通小松、故又謂小松越、〉至大杉一里、大杉至中村一里二十五町、〈經下葛川、又自大杉田戸三十町、謂之田戸越、外通玉井口、蓋安曾大杉田戸三邑、屬于神山村、〉 天川越 下市至尼生屬邑十日市二里二十町、〈經櫔原、平原、〉十日市至天川辻三里二町、〈所歴、曰小古田、曰川岸、曰城戸、曰河合、曰坂卷、曰宗川野、曰立川渡、曰永谷等、〉天川辻至辻堂二里十一町、〈經坂本、小代、〉辻堂至上野地三里二十町、〈所歴、曰宇井、曰長殿、曰宇宮原、〉上野地至風(カヂ)屋三里十町、〈經高津〉風屋至高瀧三里二十九町、〈所歴、曰野尻、曰山崎、曰池穴、曰中原、曰小森、曰小原等、〉高瀧至竹筒(トウ)三里〈牟婁郡界外通藤生、謂藤生越、下市至此、通計二十里二十六町、又有二徑、一通藤生、謂竹筒越、一通島津、謂入鹿越、〉 水峯越〈伊都郡界至此、十八町、謂之高野道、〉水峯至今西屬邑大俣二里、〈有平(タイラ)辻茶屋〉大俣至三浦管内寒川渡三里二十町、〈經杉瀬芋瀬、又有榧小屋、檜嶺、上西、水本、待平茶店、〉寒川渡至眞砂瀬管内柳本渡四里十五町、〈所歴、曰中村、曰玉垣内、曰長井、曰田良原、曰樫尾崎、又有矢倉茶店、〉柳本渡至七色二里、〈歴無終(ハテナシ)山、因名無終越牟界郡界、界外經燒尾谷熊野本宮、故又云燒尾越、自水峯界、至此、通計十二里十七町、〉 引牛越、〈在上湯川屬邑川俣、日高郡界、〉至上湯川一里十六町、上湯川至田良原二里十五町、 口太(フト)越〈在迫(サコ)西川、日高郡界、〉至中村二里八町〈經小坪瀬小山手〉 燒笹越〈在瀬原村、日高郡界、〉至杉瀬三里二十三町、〈又自瀬原外通芋原一徑、謂之芋原越、道程一里十三町、〉 美濃嶺〈在弓手原、有田郡界、〉至大俣二里十九町〈經檜木股今西、又自檜木股一徑西折、三十三町、謂之保婦峠、又自弓手原一徑東折、謂之湯川越、〉 池津川越〈伊都郡界〉至中津川三里二十四町〈經紫園〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274 天狗嶺〈伊都郡界〉至坂本三里二十町〈所歴、曰上村、曰中村、曰柞(ホヽソ)原、曰平川、曰今井、蓋本郡吉野川以南、山徑嶮峭、上傍石壁、下臨深谷、馬牛不行、唯此一路三里程、容馬行、又自今井西折十七町、謂之今井峠、伊都郡界、牛馬不行、〉 水呑峠〈在立川渡(ド)屬邑大月、伊都郡界、〉 大日(オビ)川越〈伊都郡界〉至平原二里二十町、〈所暦、曰向加名生(ムカフアナフ)、曰湯鹽曰夜中、曰平沼田、〉 峯大深越〈伊都郡界〉至五條驛二里二十五町、〈經樫辻御山〉 火打野越〈伊都郡界〉至犬飼一里十町〈經大津 以上、紀州境曰、〉

〔日本實測録〕

〈二街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0274伊勢國市場庄大和國西京〈◯中略〉 大和國山邊郡髭無村三本松三十四度三十四分、 二里二町三十九間 宇陀郡萩原村 一里八町一十五間半 式上郡初瀬村〈至長谷寺四丁二十一間〉 一里二十町四十四間 十市郡櫻井村 七町三十五間 同谷村仁王堂〈至安倍山滿願寺九丁四十八間、〉 一里一町二十八間 高市郡南八木村 一十四町三十一間 今井町 二里四十間〈至久米寺二十四町二十八間〉 土佐町 一十一町三間 清水谷村〈至壺坂山南法華寺一十四丁一十五間、又至高取城、汎測一十八丁三十六間、〉 三里一十六町四十四間 吉野郡吉野〈至吉野町七丁八間、北極高三十四度二十二分半、又從吉野町吉野山天王橋、一十一丁五十四間、〉 三十二町四十一間 上市村、三十四度二十四分、 三里四間 高市郡島之庄村〈至岡村宿所三丁三十八間、北極高三十四度二十八分半、從宿所岡寺、四丁三十六間、又從岡村飛鳥社、九丁五十一間〉 一里八町五十一間 十市郡多武峯八井内町、三十四度二十八分、 一里一十七町四十七間 櫻井村 一十七町三十六間半 式上郡三輪村〈至三輪社六丁五十八間〉 八町二十四間 芝村 二十四町三十三間 柳本 一里八町三十三間 山邊郡丹波市村〈至永久寺一十三丁一十八間〉 二里一十八町三十一間〈至在原寺前二十四丁一十八間、從寺前今市村、二十五丁四間、從今市奈良竹花町、二十五丁一十二間〉 添上郡奈良樽井町、三十四度四十一分 四町六間半 同春日華表前〈至春日社一十二丁三十六間、又至東大寺二月堂一十五丁四十八間、〉 二十三町 奈良坂村 一里一町三十九間〈至國界九丁三十四間〉 山城國相樂郡木津宿本町〈◯中略〉 從奈良龍田及十三峠大坂 大和國添上郡奈良樽井町 一里二町五間〈至下三條町限四丁五十一間〉 添下郡寶來村〈至秋篠寺二十丁〉 一里一十

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 町 郡山柳町、三十四度三十九分、〈至矢田山金剛山寺一里一十八丁四十八間、〉 一里一町九間 小泉、三十四度三十八分、 三十五町一十九間 平群郡法隆寺村新町〈歴法隆寺前法隆寺村宿所、六町六間、北極高三十四度三十七分、〉 八町二十間 龍田村龍田町、三十四度三十六分半〈歴王寺村當麻寺、三里九丁四十六間、北極高三十四度三十一分半、〉 六町三十六間 龍田村〈至勢野村一十八丁二十一間、從勢野龍田本宮、一十三丁五十三間、又從勢野信貴山毘沙門堂、二十六丁五十五間、〉 二里八町三間〈至國界十三峠、一里二十七丁五十九間、〉 河内國高安郡神立村

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈二畿内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 大和 古作倭、以帝都爲一レ所在、或稱大倭、天平九年十二月改爲大養徳國、十九年三月、依舊爲大倭國、後又改爲大和國、〈拾芥抄云、天平勝寶年間、攺大和、本居宣長曰、據國史之文之、蓋天平勝寶四年十一月、攺爲大和國、〉大國、管十五郡、千三百五十四村、 添上〈百十四村 神武紀層富縣即是、祈年祭視詞作曾布、分爲上下二郡、未何時、〉 添下〈六十四村〉 平群〈七十六村〉 廣瀬〈三十二村〉 葛下〈七十八村 古葛城國、國造記云、橿原朝置、祈年祭視詞作葛木、葛城下郡見天武紀十三年、蓋分爲上下二郡、在其前、 神武紀云高尾張邑有土蜘蛛、皇軍結葛網而掩殺之、因攺號其邑葛城、〉 忍海〈十九村〉 宇知〈五十九村 萬葉集、所謂内之大野即是地、〉 吉野〈三百三十一村 或作芳野、養老間置芳野監、後廢爲郡、〉 葛上〈六十二村 説詳上文〉 式上〈五十六村 古磯城郡、見欽明紀、皇極紀作志紀、古事記師木縣主、即是、萬葉集敷野、亦此地、分爲上下二郡、未何時、延喜式等作城上、〉 山邊〈百十八村〉 高市〈百十三村古府治〉 宇陀〈百十五村 日本紀作莵田下縣、續紀作宇太、萬葉集宇駝大野、即此地、〉 式下〈四十村 延喜式等、作城下、〉 十市〈七十七村〉 今來〈見欽明七年紀、萬葉集今城岳、即此地、延喜式等不載、廢置未詳、和名抄、今來郷隷吉野、雄略紀、新漢同訓、〉 飽波〈見天武五年紀廢置未詳、和名抄、飽波郷隷平群郡、〉

〔大和志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0275 建置沿革 天祖磐闥排闢高市、饒尊石船遷泊白庭、世遠年http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650eeb.gif悉知、神武東征定鼎橿原珍彦國造、崇神畏威懸鏡笠縫、以入姫祭主、自爾以降繼嗣以逮百王之半、海内無虞、固雖時運、又王氣之所鍾也、天平九年、改名大養徳(ヤマト)、十九年復舊爲大和、延暦年中、遷都山州、平城故京是謂南都、班列四畿之上、直隷山州、延元二年、天皇〈◯後醍醐〉南狩、遂以吉野管爲皇居、傳及後龜山院和議始成、明徳三年遷居峩山、擧朝尊崇、號太上皇、是謂南朝五十六年、將軍義滿公令畠山堂國守護本國、逮政長義就兄弟爭一レ國、國士越智、十市、清澄、福住等、各割據其地、統屬不一、加之多武吉野緇徒、衡行國中、天

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 正年間、筒井松永占其渠魁、國入戰圖、民勞賦役、豐太閤龍驤虎視、悉掃攘之、及秀長受封于郡山、使井上定利布政南都、慶長七年、令中坊秀行掌其府事、始置府史胥徒之屬

〔日本地誌提要〕

〈四大和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 沿革 神武天皇橿原〈葛上郡柏原村〉奠鼎ノ後、列聖地ヲ相テ都ヲ遷ス、凡十數次、和銅中、平城〈今ノ奈良〉ニ都シ、八十餘年ニシテ、延暦中、山城ニ遷都ス、國府ヲ高市郡ニ置、延元ノ初、後醍醐天皇南狩シ、吉野ヲ以テ皇居トナス、元中ノ末、南北講和、將軍足利義滿、畠山義深ヲ以テ守護トス、四傳シテ持國ニ至ル、其子政長、義就、嫡ヲ爭フニ及テ、筒井、越智、十市、福住、諸黨、州内ニ分據シ、畠山氏號令行ハレズ、永祿ノ初、筒井順昭自ラ州ノ守護ト稱シ、三好氏ニ屬ス、〈筒井氏、初筒井城ニ居リ、後布施城ニ移ル、〉既ニシテ松永久秀諸城ヲ徇ヘ、信貴城ニ居リ、〈後ニ多門城ニ居ル〉筒井氏ト地ヲ爭テ連戰ヤマズ、元龜三年、二氏皆織田信長ニ降ル、天正五年、信長、久秀ヲ誅シ、順昭ノ子順慶ヲシテ舊領ニ復セシム、十三年、豐臣秀吉、筒井定次〈順慶ノ嗣〉ヲ伊賀ニ徒シ、其弟秀長ヲ本州及和泉紀伊ニ封ジ、郡山ニ治ス、嗣秀俊夭シテ國除シ、増田長盛ヲ郡山ニ封ズ〈貳拾萬石〉關原役後、其封ヲ失フ、徳川氏ニ至リ、封ヲ受ル者、郡山〈初水野勝成、後松平吉里、〉高取〈植村家政〉小泉〈片桐貞隆〉櫛羅〈永井直圓(ミツ)〉芝村〈織田長益〉柳本〈織田尚長〉柳生〈柳生家矩〉凡テ七藩又奈良奉行ヲ置、王政革新、奈良府ヲ置キ、田原本藩ヲ建、〈平野長裕〉既ニシテ皆廢シテ縣トシ、更ニ奈良縣ニ併ス、

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 二年二月乙巳、天皇定功行賞、〈◯中略〉又以劍根者、爲葛城國造

〔續日本後紀〕

〈五仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 承和三年十月己未、承前之例、畿内國次、以大和國之第一、勅宜新式改之、以山城國之第一

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 大和國〈國府在高市郡、行程一日、〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 大和國〈大〉十五郡〈◯中略〉 高市〈府〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0276 大和國大〈管 添上 添下 平群 廣瀬 葛上 葛下 忍海 宇智 吉野 宇陀 城上 城下 山邊 十市 高市◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 右爲近國

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 大和國〈◯註略〉管十五〈◯註略〉添上〈曾不乃加美〉添下〈曾不乃之毛〉平群〈倍久里〉廣瀬〈比呂世〉葛上〈加豆良岐乃加美〉葛下〈加豆良木乃之毛〉忍海〈於之乃美〉宇智 吉野〈與之乃〉宇陀〈宇太〉城上〈之岐乃加美〉城下〈之岐乃之毛〉高市〈多介知〉十市〈止保知〉山邊〈夜萬乃倍〉

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0277 大和國〈十五郡〉 添(ソフ)ノ上(カミ) 〈<奈良 <高畑 <野田 <川上町 ●櫟本 ●大柳生 ●ヲビトキ 城界郡〉 添ノ下 〈郡山 ●尼ケ辻 <小泉 城界郡〉 平群(ヘグリ) 〈<龍田 <會嶺 △法隆寺 △信貴山 △生駒山 河界郡〉 廣瀬 〈<著尾 藥井 國中小郡〉 葛(カツラギ)ノ上(カミ) 〈<五條 △金剛山 河界郡〉 葛ノ下 〈<タカ口 竹内 △達摩寺 河界郡〉 忍海(オシノミ) 〈葛上下ノ間ニ有テ、至テ小郡ニテ驛町無、河界〉 宇智(ウチ) 〈<五條 ●宇野 △待乳茶屋 紀河界郡〉 吉野(ヨシノ) 〈<吉野 <上市 <下市 ●六田 ●檜桓本 ●涸川 ●天川 壺内 ●湯本 勢紀界大和半國一郡 ○頭書曰、吉野宇陀十市ノ間ニ中宮奧ト云處一村、城上郡ニ屬ス、〉 宇陀(ウタ) 〈●灰原 ●山邊 ●赤垣 ●田口 ●桃股 伊賀伊勢界郡〉 城(シキ)ノ上(カミ) 〈●初瀬 ●チヲン寺 ●三輪 <柳本 國中郡〉 城ノ下 〈●二階堂 國中郡〉 高市(タケチ) 〈高取 ●土佐町 <八木 國中郡〉 山邊(ヤマノベ) 〈●大野 <丹波市 ●三本松 伊賀界〉 十市(トイチ) 〈<櫻井 <田原本 △多武峯 國中郡〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 ◯按ズルニ、本書及ビ次下郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0278 大和 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0278_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0279_001.gif

〔足利季世記〕

〈一畠山記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0279 畠山政長自害之事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 若君ヲ桂ニ作リ、カノ女ドモノ中エ入レ、己ハ桂ガ男ノ風情ニナリ、鞁ノタグヒ、セウゾクナドヲツヽミニ入レテ、畠山重代ノ長刀ヲ、竹ノ筒ニ入テセオヒ、敵陣ノ前ヲ通リケル、敵方ニモ桂ヲ見知タル人ヲヽケレバ、無左右是ヲ通シケル、其ヨリ馬ニノセ申、鞭ヲスヽメテ、大和國奧郡(○○)エ落シ申ケル、

添上郡

〔大和志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 添上郡〈東南至山邊郡界、西至添下郡界、北至山州相樂郡界、〉

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 己未年二月辛亥、命諸將士卒、是時層富縣(○○○)波哆丘岬、有新城戸畔者

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 和銅元年九月乙酉、至春日離宮、大倭國添上下二郡(○○○○○)、勿今年調

〔三代實録〕

〈九清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 貞觀六年十一月七日庚寅、先是、大和國言、平城舊京其東添上郡、西添下郡、和銅三年遷古京、都於平城、於是兩郡自爲都邑、延暦七年、遷都長岡、其後七十七年、都城道路、變爲田畝、内藏寮田百六十町、其外私竊墾開、往往有數、望請收公、令其租、許之、

添下郡

〔大和志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 添下郡〈東至添上郡界、西南至平群郡界、北至山州相樂郡界、〉

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 五年四月辛丑、倭國添下郡鰐積吉事貢瑞鷄、其冠似海石榴華

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 和銅七年十一月戊子、大倭國添下郡人倭忌寸果安、添上郡人奈良許知麻呂、有智郡女曰比信紗、並終身勿事、旌孝義也、

〔令集解〕

〈四十假寧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 古記云、〈◯中略〉添下郡平群郡、四月種七月收、葛上葛下内等郡、五月六月種、八月九月收之類是、

平群郡

〔大和志〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 平群郡〈東至添下山邊二郡界、西至河州河内高安大縣三郡界、南至城下廣瀬葛下三郡界、北至河州讃良郡界、〉

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0280 十七年三月己酉、幸子陽縣、遊于丹裳小野、〈◯中略〉是日陟野中大石、憶京都而歌之曰、波辭枳豫辭(ハシキヨシ)、和藝幣能伽多由(ワギヘノカタユ)、區毛位多知區暮(クモヰタチクモ)、夜摩苫波(ヤマトハ)、區珥能摩保邏摩(クニノマホラマ)、多多儺豆久(タタナヅク)、阿烏伽枳夜摩(アヲガキヤマ)、許莽例屢(コモレル)、夜摩苫之于漏破試(ヤマトシウルハシ)、異能知能(イノチノ)、摩曾祁務比苫破(マソケムヒトハ)、多多瀰許莽(タタミゴモ)、【幣遇利】能夜摩能(ヘグリノヤマノ)、志邏伽之餓(シラカシガ)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 延塢(エヲ)、于受珥左勢(ウズニサセ)、許能固(コノコ)、是謂思邦歌也、

〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 合水田參佰玖拾陸町參段貳佰拾壹歩參尺陸寸〈◯中略〉 大倭國肆拾玖町壹段伍拾漆歩參尺陸寸 〈平群郡卌六町九段二百一歩三尺六寸 添上郡二町一段二百十六歩◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

廣瀬郡

〔大和志〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 廣瀬郡〈東至十市城下二郡界、西南至葛下郡界、北至平群郡界、〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 大倭國正税帳 廣湍郡(○○○) 天平元年定大税穀漆仠玖伯參斛肆斗玖升伍合〈◯中略〉 天平二年十二月廿日〈◯署名略〉

〔類聚國史〕

〈百五十九田地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 延暦十七年二月甲寅、右京人正六位上許曾部朝臣帶麻呂等言、大和國廣瀬郡、田疇多數、灌漑乏水、伏望以公田七町、築堤爲池、同利公私、其功食等、並用私物、許之、

葛上郡

〔大和志〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 葛上郡〈東至高市郡界、西至河州石河郡界、南至宇智郡界、北至忍海郡界、〉

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 三十二年十月癸卯朔、大臣遣阿曇連〈闕名〉阿倍臣摩侶二臣、令于天皇曰、葛城縣者、元臣之本居也、故因其縣姓名、是以冀之、常得其縣、以欲臣封縣、於是天皇詔曰、今朕則目蘇我出之、大臣亦爲朕舅也、故大臣之言、夜言矣則夜不明、日言矣則日不晩、何辭不用、然今當朕之世、頓失是縣、後君曰、愚癡婦人臨天下、以頓亡其縣、豈獨朕不賢耶、大臣亦不忠、是後葉之惡名、則不聽、

〔續日本紀〕

〈一文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281 四年十一月壬寅、大倭國葛上郡鴨君粳賣、一産二男一女、〈◯下略〉

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0281持法花經現報奇異表縁第十八 昔大和國葛木上郡、有一持經人、丹治比之氏也、

葛下郡

〔大和志〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 葛下郡〈東至高市廣瀬二郡界、西至河州石川安宿二郡界、南至忍海郡界、北至平群郡界、〉

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 十三年十一月、倭葛城下郡言、有四足鷄

〔續日本紀〕

〈十一聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 天平六年六月癸卯、大倭國葛下郡人白丁花口宮麻呂、散己私稻養貧乏、仍賜少初位上

〔今昔物語〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 徳道聖人始建長谷寺語第卅一 今昔、世ノ中ニ大水出タリケル時、近江ノ國高島ノ郡ノ前ニ、大ナル木流テ出寄タリケリ、〈◯中略〉大和國葛木ノ下ノ郡ノ當麻ノ郷ニ曳付ツ、〈◯下略〉

忍海郡

〔大和志〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 忍海郡〈東至高市郡界、西至河州石川郡界、南至葛上郡界、北至葛下郡界、〉

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 大寶元年八月丁未、先是、遣大倭國忍海郡人三田首五瀬於對馬島、冶成黄金、〈◯下略〉

宇智郡

〔大和志〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 宇智郡〈東南至吉野郡界、西至紀州伊都河州石川二郡界、北至葛上郡界、〉

〔續日本紀〕

〈一文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 二年二月丙申、車駕幸宇智郡

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 大寶二年六月壬寅、復大倭國吉野宇知(○○)二郡百姓

吉野郡

〔大和志〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 吉野郡〈東至勢州飯高郡及紀州牟婁郡界、西南至紀州牟婁日高有田伊都四郡界、北至宇陀高市十市宇智四郡界、〉

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 戊午年八月、天皇欲吉野之地、〈◯中略〉至吉野時、有人出井中、光而有尾、天皇問之曰、汝何人、對日、臣是國神、名爲井光、此則吉野首部始祖也、

〔續日本紀〕

〈五元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 和銅四年四月甲申、大倭國芳野郡、始置大少領各一人、主政二人、主帳一人

〔續日本紀〕

〈十一聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 天平五年正月丙寅、芳野監、讃岐、淡路等國、去年不登、百姓飢饉、勅賑貸之、

宇陀郡

〔大和志〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 宇陀郡〈東至伊州名張、勢州一志飯高三郡界、西至十市城上二郡界、南至吉野郡界、北至山邊郡界、〉

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0282 戊午年六月、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所一レ向、仰視而追之、遂達于莵田下縣、因號其所至之處、曰莵田穿邑、〈穿邑此云于介知能務羅

〔日本書紀〕

〈二十四皇極〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 三年三月、倭國言、頃者莵田郡(○○○)人押坂直〈闕名〉將一童子遊雪上、登莵田山、便見紫菌挺雪而生、高六寸餘、滿四町許、〈◯下略〉

〔續日本紀〕

〈三文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 慶雲二年九月丙戌置八咫烏社于大倭國宇太郡(○○○)祭之、

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 閻羅王示奇表人令善縁第九 藤原朝臣廣足者、帝姫阿倍天皇〈◯元明〉御代、倐病嬰身爲身病、神護景雲二年二月十七日、至大和國莵田郡於眞木原山寺而住、〈◯下略〉

〔今昔物語〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 女人依心風流感應仙語第四十二 今昔大和國宇陁ノ郡ニ住ム女人有ケリ、〈◯下略〉

〔大和軍記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 大和國侍之事 筒井方、總敗軍に及、筒井へ取籠り申事不成候て、直に宇多郡江落被申候、其頃宇多郡(○○○)には、秋山と申仁居候、

城上郡

〔大和志〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 城上郡〈東至宇陀郡界、西至城下十市二郡界、南至十市郡界、北至山邊郡界、〉

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 二年二月乙巳、天皇定功行賞、〈◯中略〉弟磯城名黒速、爲磯城縣主

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 元年七月己丑、遷都倭國磯城郡(○○○)磯城島、仍號爲磯城島金刺宮

〔續日本紀〕

〈十八孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 天平勝寶三年十月丁巳、大倭國城下郡人大倭連田長、古人等八人、賜宿禰姓

城下郡

〔大和志〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 城下郡〈東至城上山邊二郡界、西至廣瀬郡界、南至十市郡界、北至平群郡界、〉

〔今昔物語〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0283 大和國人得人娘語第六 今昔ノ守ノト云フ人有ケリ、〈◯中略〉少將家ニ止事无キ學生ノ博士ノ來タリケルニ、物語ノ次デニ、少將疊ノ裏ト云フ事ハ何ト云事ゾト問ケレバ、博士、疊ノ裏トハ大和ニ有ル城下ト云フ所ヲコソ、古ヘ舊事ニ申タレト云ケレバ、少將此ヲ聞テ心ノ内ニ喜ビ思テ、然テハ其ニ住

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 ム人ナヽリト心得テ、上ノ空ナレドモ、彼ノ人ニ心移リ畢ニケリ、

高市郡

〔大和志〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 高市郡〈東南至吉野郡界、西至葛上葛下忍海三郡界、北至十市郡界、〉

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 天津日子根命者〈(中略)高市縣主(中略)三枝部造等之祖也、〉

〔坂上系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 阿智王〈◯中略〉 〈大鷦鷯天皇諡仁徳御世、擧落隨來、今高向村主(中略)尾張次角村主等是其後也、爾時阿智王奏、建今來郡(○○○)、後攺號高市郡、而人衆巨多、居地隘狹、更分置諸國、◯下略〉

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 七年七月、倭國今來郡(○○○)言、於五年春、川原民直宮〈宮名〉登樓騁望、乃見良駒、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 十七年十月、遣蘇我大臣稻目宿禰等、於倭國高市郡、置韓人大身狹屯倉、〈◯註略〉高麗人小身狹屯倉

〔令集解〕

〈四十喪葬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 古記云、遊部者在大倭國高市郡

十市郡

〔大和志〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 十市郡〈東至宇陀郡界、西至廣瀬郡界、南至高市郡界、北至城上城下二郡界、〉

〔今昔物語〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284財娘爲鬼被噉悔語第卅七 今昔、大和ノ國十市ノ郡奄知ノ村ノ東ノ方ニ住ム人有ケリ、家大キニ富メル、姓ハ鏡造也、

山邊郡

〔大和志〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 山邊郡〈東至伊州伊賀、名張二郡界、西至城下、平群二郡界、南至宇陀、城上二郡界、北至添上郡界、〉

〔日本書紀〕

〈十五仁賢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 六年、是歳、日鷹吉士還高麗、獻工匠須流枳奴流枳等、今倭國山邊郡額田邑孰〈◯孰恐熟誤〉皮高麗、是其後也、

〔古簡雜纂〕

〈午〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 寄進 所領壹處事 右大和國山野邊山口庄事〈◯中略〉 建暦二年二月廿九日 藤原氏〈在判〉

飽海郡

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 五年四月辛丑、是日、倭國飽海郡言、雌鷄化雄、

〔倭名類聚抄〕

〈六大和國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0284 平群郡 飽波〈阿久奈美〉

〔大和志〕

〈四平群郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 郷名〈◯中略〉 飽波〈已廢、存安堵村、◯中略〉 村里〈◯中略〉 東安堵〈屬邑村二、其一曰飽海、〉

〔倭名類聚抄〕

〈六大和國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 添上郡 山村〈也末無良〉楢中 山邊(ヤマノベ) 楊生〈也木布〉八島〈也之末〉大岡 春日〈加須加〉大宅 添下郡 村國 佐紀 矢田 鳥貝〈止利加比〉 平群郡 那珂 鉋波〈阿久奈美〉平群〈倍久利〉夜麻 坂門 額田〈奴加多〉 廣瀬郡 城戸 上倉 下倉 山守 散吉 下句 葛上郡 日置 高宮〈多加美也〉牟婁 桑原 上鳥 下鳥 太坂 楢原〈奈良波良〉神戸(カムベ) 餘戸 葛下郡 神戸 山直 高額 賀美 蓼田 品治〈保無智〉當麻〈多以末〉 忍海郡 津積 園人 中村 栗栖 宇智郡 阿陀〈陀音可濁讀〉賀美 那珂 資母 吉野郡 賀美 那珂 資母 吉野〈與之乃〉 宇陀郡 漆部〈奴利倍〉伊福 浪坂〈奈無佐加〉多氣 笠間〈加佐末〉 城上郡 辟田 下野 神戸 大市〈於保以智〉大神〈於保無知〉上市 長谷〈波都勢〉恩坂〈於佐加〉 城下郡 賀美 大和〈於保夜末止〉三宅〈美也介〉鏡作〈加加都久利〉黒田〈久留多〉室原〈他本也〉 高市郡 巨勢 波多 遊部 檜前〈比乃久末〉久米 雲梯〈宇奈天〉賀美 十市郡 飯富 川邊〈加八乃倍〉池上 神戸 山邊郡 都介 星川〈保之加波〉服部〈波止利〉長屋〈奈加也〉石成〈以之奈利〉石上〈伊曾乃加美〉

〔大和志〕

〈二添上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 郷名 山村〈方廢、村存、〉楢中(ナラナカ)〈方廢、楢村存、〉山邊〈已廢、存佐保法華寺二村、〉楊生(ヤギフ)〈方廢、大柳生小柳生二村存、〉八島 大岡〈方廢、廣岡村存、〉春日(カスガ)〈方廢、春日社存、〉大宅(オホヤケ)〈已廢、存白亳寺村、今曰宅(ヤケ)春日、〉

〔東大寺奴婢籍帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0285 散位寮散位大初位大宅朝臣可是麿謹解申貢進賤事 合陸拾壹人〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 婢飯虫咩年卌四〈◯中略〉 右卌九人、大倭國添上郡大宅郷戸主大宅朝臣可是麻呂戸賤、〈◯中略〉 天平勝寶元年十一月三日

〔日本書紀〕

〈十六武烈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 十一年〈◯仁賢〉八月、億計天皇〈◯仁賢〉崩、大臣平群眞鳥臣專擅國政、欲日本、〈◯中略〉大伴連〈◯金村〉將數千兵、儌之於路、戮鮪臣〈◯眞鳥子〉於乃樂山、〈◯註略〉是時、影媛逐行戮處、見是戮已、驚惶失所、悲涙盈目、遂作歌曰、伊須能箇瀰(イソノカミ)、賦屢嗚須擬底(フルヲスギテ)、擧慕摩矩羅(コモマクラ)、拖箇幡志須擬(タカハシスギ)、暮能婆幡儞(モノサハニ)、【於褒野該】須擬(オホヤケスギ)、播屢比能(ハルヒノ)、【箇須我】嗚須擬(カスガヲスギ)、逗摩御慕屢(ツマコモル)、嗚佐褒嗚須擬(ヲサホヲスギ)、拕摩該儞播(タマケニハ)、伊比佐倍母理(イヒサヘモリ)、拕摩慕比儞(タマモヒニ)、瀰逗佐倍母理(ミヅサヘモリ)、儺岐曾褒遲喩倶謀(ナキソホチユクモ)、柯礙比謎阿婆例(カゲヒメアハレ)、

〔三代實録〕

〈四十八光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 仁和元年九月廿一日壬寅、大和國添上郡百姓從七位上相模宿禰阿古麻呂、從八位下相模宿禰門主、從八位上相模宿禰魚麻呂等三戸、男女三十一人移隷河内國澀河郡、阿古麻呂等言曰、父正六位上相模宿禰仁麻呂、本是大和國添上郡八島郷(○○○)人也、〈◯下略〉

〔水鏡〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 延暦十七年に、勅使をあはぢのくにへつかはして、早良親王の骨をむかへたてまつりて、やまとの國八島(○○)のみさヽぎにおさめ給き、

〔大和志〕

〈三添下郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 郷名 村國〈廢〉佐紀〈已廢、存超昇寺常福寺二村、〉矢田〈方廢、村存、〉鳥貝〈今日鳥見(ミノ)莊

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 和銅七年十一月戊子、大倭國添下郡人倭忌寸果安、〈◯中略〉終身勿事、旌孝義也、果安孝養父母、友于兄弟、若有人病飢、自齎私粮、巡加看養、登美箭田二郷(○○○○○○)百姓、咸感恩義、敬受如親、

〔續日本紀〕

〈三十光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 寶龜元年八月丙午、葬高野天皇於大和國添下郡佐貴郷(○○○)高野山陵

〔大和志〕

〈四平群郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 郷名 那珂〈廢〉飽波(アクナミ)〈已廢、存安堵村、〉平群(ヘゲリ)〈今曰平群谷〉夜麻〈已廢、存興富、三井二村、〉坂門(サカド)〈已廢、存立野村、〉額田(ヌカタ)〈方廢、村存、〉

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 五年四月辛丑、是日、倭國飽波郡言、雌鷄化

〔法隆寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0286 山林岳嶋等貳拾陸地 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 大倭國參地 〈平群郡屋部郷(○○○)一地、東限鳥方岳板垣嶺、北限澀谷至於保伊知比石庭、西限石庭大谷須疑墓、南限寺領、同郡坂戸郷(○○○)岳一地、東限平群川、南西限久度川、北限志比坂路、添下郡菅原郷深川栗林一地、東限道、南限百姓家習宜池、西北限百姓田、◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔大和志〕

〈五廣瀬郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 郷名 城戸〈已廢、存河合村、〉上倉下倉、山守〈倶廢〉散吉(サキ)〈已廢、存濟恩寺村、〉下句〈廢〉

〔日本書紀〕

〈十六武烈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 三年十一月、詔大伴室屋大連、發信濃國男丁、作城像於水派邑、仍曰【城上】(キノヘ)也、

〔萬葉集〕

〈二挽歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 明日香皇女木http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a498.gif (キノベ)殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌 飛鳥(トブトリノ)、明日香乃河之(アスカノカハノ)、上瀬(カミツセニ)、石橋渡(イハバシワタシ)、〈◯中略〉幸而遊賜之(イデマシテアソビタマヒシ)、御食向(ミケムカフ)、【木http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a498.gif 】之宮乎(キノベノミヤヲ)、常宮跡(トコミヤト)、定賜(サダメタマヒテ)、味澤相(アヂサハフ)、目辭毛絶奴(メゴトモタエヌ)、

〔大和志〕

〈六葛上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 郷名 日置〈已廢存倶尸羅村、〉高宮〈已廢、存宮戸森脇二村、〉牟婁〈方廢村存、〉桑原、上鳥、下鳥〈倶廢〉大坂〈已廢、存増村、〉楢原〈方廢、村存、〉神戸〈今曰佐味莊〉餘戸〈方廢、小殿村存、〉

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 十年九月、武埴安彦與妻吾田媛、謀反逆、興師忽至、各分道、而夫從山背、婦從大坂(○○)、共入欲帝京、時天皇遣五十狹芹彦命、擊吾田媛之師、即遮於大坂、皆大破之、殺吾田媛、悉斬其軍卒

〔日本書紀〕

〈十二履中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 八十七年〈◯仁徳〉正月、大鷯鷦天皇〈◯仁徳〉崩、〈◯中略〉太子〈◯履中、中略、〉自大坂倭、至于飛鳥山、遇少女於山口、問之曰、此山有人乎、對曰、執兵者多滿山中、宜廻自當摩徑之、太子於是以爲、聆少女言、而得難、則歌之曰、【於朋佐箇】珥(オホサカニ)、阿布夜烏等謎烏(アフヤヲトメヲ)、瀰知度沛麼(ミチトハバ)、哆駄珥破能邏孺(タダニハノラズ)、哆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000018f59.gif 摩知烏能流(タキマヂヲノル)、

〔大和軍記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 大和國侍之事 楢原(○○)と申所に楢原と申仁居候、是も國侍の内にては、能身上の仁に候、尤旗下も多く持候、

〔大和志〕

〈七葛下郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0287 郷名 神戸〈已廢、存疋田大畠二村、〉山直〈廢〉高額〈已廢、存染野村、〉賀美〈方廢、上里村存、〉蓼田〈已廢、存高田村、〉品治〈方廢、王寺村存、〉當(タヘ)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 麻〈方廢、村存、〉

〔長谷寺縁起〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 推古天皇即位廿六年丙寅歳、葛下郡當麻郷(○○○)挽移、其願不應、大水命過彼郡、五十餘年郡里又不吉也、

〔大和志〕

〈八忍海郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 郷名 津積(ツツミ)、園人(ソノヒト)、中村、〈倶廢〉栗栖、〈已廢、在柳原村、〉

〔大和志〕

〈九宇智郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 郷名 阿陀、賀美、〈廢〉那珂、〈廢〉資母、〈廢〉

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 貞觀八年十月廿三日甲午、贈太政大臣藤原朝臣墓、在大和國宇智郡阿陀郷、詔置守冢徭丁十二人

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288花 眞葛原(マクズハラ)、名引秋風(ナビクアキカゼ)、吹毎(フクゴトニ)、【阿太】乃大野之(アダノオホノヽ)、芽子花散(ハギガハナチル)、

〔萬葉集〕

〈十一古今相聞往來歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288物陳思 【安太】人乃(アタヒトノ)、八名打渡(ヤナウチワタス)、瀬速(セヲハヤミ)、意者雖念(コヽロハオモヘド)、直不相鴨(タヾニアハヌカモ)、

〔大和志〕

〈十吉野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 郷名 賀美〈今曰川上莊〉那珂〈今曰中莊〉資母(シモ)〈廢〉吉野〈已廢、吉野山村、御吉野村存、〉

〔太平記〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 大塔宮熊野落事 戸野兵衞、申ニヤ及ビ候、身不肖ニ候共、某一人ダニ斯ル事ゾト申サバ、鹿瀬、蕪坂、湯淺、阿瀬川、小原、芋瀬、中津河、吉野十八郷(○○○○○)ノ者迄モ、手刺者候マジキニテ候トゾ申ケル、

〔金峯神社文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0288 金峯山吉水院 申請坊領證文紛失状判事 大和國〈◯中略〉 吉野郡高原郷(○○○)、二十河郷檜垣本郷(○○○○○○○○)内水田五段、阿智我郷(○○○○)内屋敷壹所、并水田五段、新住水田四段、河藝河水田四段、比曾郷(○○○)内水田五段、摩志郷(○○○)内水田五段、波佐郷(○○○)内水田貳段、部原郷(○○○)内水田參段古田(○○)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 郷(○)内水田貳段、〈◯中略〉 建武元年二月日 阿闍梨幸詮〈花押◯下略〉

〔大和志〕

〈十一宇陀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 郷名 漆部、伊福、〈已廢、存井足福西二村、〉浪坂、〈已廢、存平井村〉多氣、〈已廢、存入谷村、〉笠間、〈方廢、笠間村存、今屬城上郡、〉

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 和銅六年七月丁卯、大倭國宇太郡波坂郷(○○○)人、大初位上村君東人、得銅鐸於長岡野地而獻之、

〔大和志〕

〈十二城上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 郷名 辟田(ヒラタ)〈方廢、東田村存、〉下野〈廢〉神戸(カンヘ)〈廢〉大市〈已廢、存箸中村、〉大神(オホムチ)〈方廢、三輪村存、〉上市〈已廢、存金屋村、〉長谷〈方廢、村存、〉恩坂(ヲシサカ)〈方廢、忍坂村存、〉

〔長谷寺縁起〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 天智天皇即位七年戊辰歳、指城上郡長谷郷北神河浦挽捨去、其後留于此里、卅九年、犯彼木者不平、

〔大和志〕

〈十三城下郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 郷名 賀美〈廢〉大和〈已廢、存海知村、〉三宅〈已廢、存宮古村、〉鏡作〈已廢、存八尾小坂二村、〉黒田〈方廢、村存、〉室原〈已廢、存唐古村、〉

〔日本書紀〕

〈四孝靈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 百二年〈◯孝安〉十二月丙寅、皇太子遷都於黒田、是謂廬戸宮

〔大和志〕

〈十四高市郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 郷名 巨勢(コセ)〈方廢、越村存、〉波多〈方廢、畑村存、〉遊(ユフ)部〈已廢、存今井四條二村、〉檜前(ヒノクマ)〈方廢、村存、〉久米(クメ)〈方廢、村存、〉雲梯(ウナテ)〈方廢、村存、〉賀美〈已廢、存飛鳥村、〉

〔日本紀略〕

〈淳和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 天長六年三月己丑、以大和國高市郡賀美郷(○○○)甘南山飛鳥社、遷同郡同郷鳥形山、依神託宣也、

〔大和志〕

〈十五十市郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 郷名 飯富〈已廢、存飯高村、〉川邊〈已廢、存下莊村、〉池上〈已廢、存安陪屬邑長門、〉神戸〈已廢、存橋本村、〉

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0289 合處處庄拾陸處〈◯中略〉 大倭國五處 〈一在十市郡千代郷(○○○) 一在高市郡古寺所 一在山邊郡波多蘇麻 一在式下郡村屋 一在添上郡瓦屋所◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈東南院肆櫃附録六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 大和國十市郡池上郷(○○○)屋地賣買券 十市郡司解 申立賣買地券事 合地貳區〈並在十市郡池上(○○)郷◯中略〉 天平寶字五年十一月廿七日〈◯署名略〉

〔大和志〕

〈十六山邊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 郷名 都介(ツケ)〈已廢、存山口鞆田二村、〉星川〈己廢、存吐山村、〉服部〈己廢、存新莊村、〉長屋〈己廢、長原村存、〉石成〈廢〉石上(イソノカミ)〈方廢、村存、〉

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 六十二年、額田大中彦皇子、獵于鬪雞(○○)、時皇子自山上望之、瞻野中物、其形如廬、仍遣使者視、還來之曰、窟也、因喚鬮雞稻置大山主、問之曰、有其野中何窟矣、啓之曰、氷室也、

〔三代實録〕

〈四十二陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 元慶六年十二月廿一日已未、勅、大和國山邊郡都介野、天長承和、累代立制、今宜禁莫一レ縱獵、制禽鳥、許草木

〔延喜式〕

〈四十主水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 凡運氷駄者、〈◯中略〉氷室〈◯中略〉大和國山邊郡都介一所、

〔續日本後紀〕

〈十六仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 承和十三年三月庚申、大和國言、居住山邊郡長屋郷(○○○)、京戸左京三條一坊戸主犬甘千麻呂牛、産三足犢、下唇長於上唇、行歩不便、動則顚仆、

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 一大和國(御料私領) 〈和州 南北一日半餘〉 拾五郡 高五拾萬四百九拾七石三斗八合六勺八才 千四百五ケ村 ●郡山 〈伏見通百三十四里 伊賀通百十六里〉 ●高取 百三十四里 ○柳本 百二十里 ○芝村 百十九里卅二町 ○柳生 百十三里 ○小泉 百三十三里 ○新庄 百三十六里七町 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 田原本 平野權平(五千石) <五條百四十六里 奈良 〈江戸百二十四里 京十一里 大坂八里〉 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0290 大和 十五郡、千三百五十四村、 高五十万千三百六十一石六斗九升一合五勺六才(御料私領) 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 添上郡百十四村 添下郡六十四村 平群郡七十六村 山邊郡百十八村 宇陀郡百十五村 式上郡五十六村 式下郡四十村 十市郡七十七村 廣瀬郡三十二郡 葛下郡七十八村 高市郡百十三村 忍海郡十九村 葛上郡六十二村 宇智郡五十九村 吉野郡三百三十一村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 郡邑島嶼奇名 大和 宇陀郡、萩原(ハイハラ)村、式上郡、角柄(ツノカラ)村、吉隱(ヨナハリ)村、外山(トヒ)村、高市郡、畝傍(ウラトモ)村、吉野郡、檜垣本(ヒカイモト)村、新野(テノノ)村、六田(ムタ)村、十市郡、百市(モヽイチ)村、下居(オリ井)村、山邊郡、三昧田(サンマイデン)村、勾田(マカタ)村、添上郡、櫟本(イチノモト)村、肘塚(カイナツカ)村、添下郡、外川(トカハ)村、新木(ニイキ)村、平群(ヘクリ)郡、勢野(セヤ)村、福貴畑(フキハタ)村、

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 戊午年九月、時弟猾又奏曰、倭國磯城邑(○○○)有磯城八十梟帥、又高尾張邑(○○○○)〈或本云、葛城邑也、〉有赤銅八十梟帥、此類皆欲天皇距戰、 十月、勅道臣命、汝宜帥大來目部、作大室於忍坂邑(○○○)、盛設宴饗、誘虜而取之、 十二月丙申、皇師遂擊長髓彦、連戰不勝、時忽然天陰而雨氷、乃有金色靈鵄、飛來止于皇弓弭、其鵄光曄煜、状如流電、由是長髓彦軍卒皆迷眩、不復力戰、長髓是邑之本號(○○○○○○○)焉、因亦以爲人名、及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑(○○)、今云鳥見、是訛也、

〔古事記傳〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 登美〈◯中略〉此地名神名帳に、大和國城上郡等彌神社、又添下郡登彌神社と、二所見えたる中に、今は城上郡なる登美にて、今世に外山(トビ)村といふぞ此名の遺れる地なる、〈◯中略〉萬葉四〈四十九丁〉八〈三十七丁三十九丁〉などに、跡見莊といひ、射目立而跡見乃岳邊之(イメタナテトミノヲカベノ)と詠るも同じ登美也、〈◯註略〉さて添下郡なる登彌は、今も鳥見莊と云號にて、〈◯註略〉此の登美にはあらず、

〔日本書紀〕

〈三神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0291 戊午年十有二月丙申、皇師遂擊長髓彦、連戰不勝、時忽然天陰而雨冰、乃有金色靈鵄、飛來止于天皇弓弭、〈◯中略〉時人仍號鵄邑(○○)、今云鳥見是訛也、 己未年二月辛亥、又高尾張邑(○○○○)有土蜘蛛、其爲人也、身短而手足長、與侏儒相類、皇軍結葛網、而掩襲殺之、因改號其邑葛城、夫磐余之地、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 舊名片居〈片居此云伽多韋〉亦曰片立、〈片立、此云伽哆哆知、〉逮我皇師之破一レ虜也、大軍集而満(イハメリ)於其地、因改號爲磐余、或曰、天皇往嘗嚴瓫粮軍西征、是時磯城八十梟帥、於彼處屯聚居(イハミヰタリ)之、〈屯聚居、此云怡波瀰萎、〉果與天皇大戰、遂爲皇師所滅、故名之曰磐余邑(○○○)、又皇師立誥之處、是謂猛田、作城處、號曰城田、又賊衆戰死而僵屍枕臂處、呼爲頰枕田、 二年二月乙巳、天皇定功行賞、賜道臣命宅地、居于築坂邑(○○○)、以寵異之、亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地、今號來目邑(○○○)、此其縁也、〈◯中略〉又給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主

〔日本書紀〕

〈六垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 二十七年、是歳、興屯倉于來目邑

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 六年、先是、天照大神和大國魂二神、並祭於天皇大殿之内、然畏其神勢、共住不安、故以天照大神、託豐鍬入姫命、祭於倭笠縫邑(○○○)、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈六垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 七年七月乙亥、左右奏言、當麻邑(○○○)有勇悍士、曰當麻蹶速、其爲人也強力、以能毀角申鈎、恒語衆中、曰、於四方求之、豈有我力乎、何遇強力者、而不死生、頓得爭力焉、天皇聞之、詔群卿曰、朕聞、當麻蹶速者、天下之力士也、若有此人耶、一臣進言、臣聞、出雲國有勇士、曰野見宿禰、試召是人、欲于蹶速、即日遣倭直祖長尾市、喚野見宿禰、於是野見宿禰自出雲至、則當麻蹶速與野見宿禰力、二人相對立、各擧足相蹶、則http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650eed.gif當麻蹶速之脇骨、亦蹈折其腰而殺之、故奪當麻蹶速之地、悉賜野見宿禰、是以其邑有腰折田之縁也、野見宿禰乃留任焉、

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 五年二月、拔草羅城還之、是時俘人等、今桑原(○○)、佐糜(○○)、高宮(○○)、忍海(○○)、凡四邑漢人等之始祖也、

〔續日本紀〕

〈三十二光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0292 寶龜三年四月庚午、正四位下近衞員外中將兼安藝守勳二等坂上大忌寸苅田麻呂等言、以檜前忌寸、任大和國高市郡司、元由者先祖阿智使王、輕島豐明宮馭宇天皇〈◯應神〉御世、率十七縣人夫歸化、詔賜高市郡檜前村(○○○)而居焉、凡高市郡内者、檜前忌寸及十七縣人夫滿地而居、他姓者十而一二焉、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈十四雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 七年、是歳、天皇聞弟君不一レ在、遣日鷹吉士堅磐固安錢、〈堅磐、此云柯陀之波、〉使共復命、遂即安置於倭國【吾礪廣津(アトノヒロキツ)邑】、而病死者衆、〈廣津、此云比廬岐頭、〉

〔日本書紀〕

〈十五仁賢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 六年、是歳、日鷹吉士還高麗、獻工匠須流枳奴流枳等、今倭國山邊郡額田邑(○○○)孰〈◯孰恐熟誤〉皮高麗、是其後也、

〔新見文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 弘福寺領田畠流記寫 弘福寺〈川原〉 田壹百伯伍拾捌町肆段壹伯貳拾壹歩 陸田肆拾玖町漆段參歩 大倭國〈廣瀬郡大豆村(○○○)田貳拾町玖段貳拾壹歩 山邊郡石上村(○○○)田貳拾捌町肆段壹伯肆拾陸歩 葛木下郡成相村(○○○)田壹町貳段漆拾貳歩 高市郡寺邊田參町參段參拾玖歩 陸田壹拾壹町玖段壹伯貳歩 内郡二見村(○○○)陸田陸段◯中略〉 和銅二年歳次己酉七月廿五日 正七位下守民部大録兼行陰陽暦博士山口伊美吉田主〈◯署名略〉

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 天平十二年十月壬午、是日、到山邊郡竹谿村(○○○)堀越頓宮

〔東大寺奴婢籍帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293 山背國司移 大養徳國司〈◯中略〉 合奴婢貳拾捌人 奴雲足〈年六◯中略〉 右遷附彼部添上郡師毛里(○○○)戸主少初位下大宅朝臣加是麿戸口〈◯中略〉 天平十三年六月廿六日

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0293用子物牛役之示異表縁第十 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 大和國添上郡山村中里(○○○○)、昔有直椋家長公

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294惡夢至誠心使經示奇表命縁第廿 大和國添上郡山村里(○○○)、有一長母、姓名未詳也、

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 元年二月、百濟人己知部投化、置倭國添上郡山村(○○)、今山村已知部之先也、

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 女人好風聲之行仙草以現飛天縁第十三 大和國宇太郡漆部里(○○○)有風流女、是即彼部内漆部造麿之妾也、

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 觀音銅像反化鷺形奇表縁第十七 大倭國平群郡鵤村(○○)岡本尼寺觀音銅像、有十二體、〈◯中略〉 未畢佛像而棄木示異靈表縁第廿六 禪師廣達者、〈◯中略〉聖武天皇代、廣達入於吉野金峯、經行樹下而求佛道、時吉野郡桃花里(○○○)有椅、椅本伐梨引置之而歴歳餘、〈◯中略〉 女人惡鬼見點攸食噉縁第卅三 爾時大和國十市郡菴知村(○○○)東方、有大富家、〈◯下略〉

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 次天津日子根命者〈(中略)倭淹知造、(中略)三枝部造等之祖也、〉

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 倭淹知造淹知の訓は阿牟知(アムチ)なるべし、〈和名抄、伊勢國郡に、奄藝阿武義、隱岐國周吉郡奄可安無加などある例によりて阿牟知と訓べし、〉今山邊郡に庵治(アウヂ)と云村あり、此なるべし、〈今あうぢと唱るは、伊勢の奄藝郡をも、俊頼集に、あふぎの郡とありて、歌に扇によせてよめり、これ同例なり、〉又靈異記に、大倭國十市郡菴知部と云あり、

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294網漁夫値海中難願妙見http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b235.gif 命縁第卅二 呉原忌寸名姓丸者、大和國高市郡波多里(○○○)人也、

〔續日本紀〕

〈三十三光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0294 寶龜五年十月己巳、散位從四位下國中連公麻呂卒、本是百濟國人也、〈◯中略〉寶字二

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 年、以大和國葛下郡國中村(○○○)、因地命氏焉、

〔東寺文書〕

〈禮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 大和國符 國符十市郡司 應施入田肆町〈元故從四位下佐味朝臣官位田〉 路東廿二條三山部里九麻生田一町 八葛野田一町 廿三條二耳梨里(○○○)卅五畫工田一町 三上藤里(○○○)二柏原田一町〈◯中略〉 寶龜八年七月二日

〔日本後紀〕

〈二十嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 弘仁元年九月己酉、太上天皇至大和國添上郡越田村(○○○)、即聞甲兵遮一レ前、不行、〈◯下略〉

〔三代實録〕

〈三十八陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 元慶四年十月廿日庚子、大和國十市郡百濟川邊田一町七段百六十歩、高市郡夜部村(○○○)田十町七段二百五十歩、返人大安寺、〈◯下略〉

〔延喜式〕

〈二十一雅樂〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 凡四月八日、七月十五日齋會、〈◯中略〉官人史生各一人、就樂戸郷充、〈在大和國城下郡杜屋村(○○○)

〔伊呂波字類抄〕

〈奈國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 平城(○○)〈ナラ〉奈良 南京〈已上ナラ〉

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 十年九月、遣大彦與和珥臣遠祖彦國葺、向山背、擊埴安彦、爰以忌瓮、鎭坐於和珥武鐰坂上、則率精兵、進登那羅山而軍之、時官軍屯聚而http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001bde4.gif 跙(フミナラス)草木、因以號其山、曰、那羅(○○)山

〔運歩色葉集〕

〈那〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 奈良(ナラ)

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 諾樂(○○)右京樂師寺沙門景戒録

〔日本靈異記考證〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295 諾樂〈樂字原譌作礫、今依中下卷皆作一レ樂攺日本書紀武烈紀、天智紀、天武紀作乃樂(○○)、萬葉集作寧樂(○○)、亦可以證、本書中卷或作奈羅(○○)、欽明紀同、中卷下卷或作奈良(○○)、今世用之、下卷或件平城(○○)、續日本紀同、古事紀作那良(○○)、崇神紀、仁徳紀作那羅(○○)、國造本紀作諾羅(○○)又諾良(○○)皆同、〉

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0295蠏蝦命放生得現報縁第八 置染臣鯛女者、奈良(○○)京富尼寺上座尼法邇之女也、〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 極窮女於尺迦丈六佛福分奇表以現得大福縁第廿八 聖武天皇世、奈羅(○○)京大安寺之西里、有一女人、極窮命活无由而飢、〈◯下略〉

〔倭訓栞〕

〈前編十九那〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 なら 奈良を日本紀に平と見えたり、よて平城ともいへる也、ならの葉の名におふみやとよめるも、平城の宮をさして申せる也、寧樂をよむは寧呉音にやう、にや反な也、諾樂をよむは韻會に諾ハ囊入聲と見ゆなくともなぎともよむ意也、諾樂は唐書に出たり、靈異記に諾礫とも見ゆ、

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 奈良 當國者本朝之國初而神武天皇自日向宮崎都於當國橿原、以來數回雖遷都、多有於大和、于今呼奈良南都亦其縁也、

〔大和志〕

〈二添上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 村里 南都〈一名奈良、町名一百三十五、〉高畠 紀寺 梅圍 肘塚(カヒナツカ) 京終(キヤウバテ) 木辻 城戸(シヤウト) 杉ガ町 三條 油坂 芝辻 川上 般若寺 奈良坂 野田〈以上十五村圍南都、因統曰南都、〉

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 三十年九月乙丑皇后遊行紀國、〈◯中略〉天皇遣舍人鳥山皇后、〈◯中略〉皇后不還猶行之、〈◯中略〉即越那羅山葛城歌之曰、莵藝泥赴(ツギネフ)、揶莽之呂餓波烏(ヤマシロガハヲ)、瀰揶能朋利(ミヤノボリ)、和餓能朋例麼(ワガノボレバ)、阿烏珥豫辭(アヲニヨシ)、【儺羅】烏輸疑烏陀氐夜莽苫烏輸疑(ナラヲスギヲダテヤマトヲスギ)、和餓瀰餓朋辭區珥波(ワガミカホシクニハ)、箇豆羅紀多伽瀰揶(カヅラキタカミヤ)、和藝弊能阿多利(ワギヘノアタリ)、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 元年六月庚寅、初向乃樂(○○)

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 和銅二年九月戊午、車駕至平城

〔三代實録〕

〈四清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 貞觀二年十月十五日辛卯、大和國平城京中水田五十五町四段二百八十八歩施捨不退超昇兩寺

〔伊勢物語〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 むかし、をとこうひかうぶりして、ならの京かすがの里(○○○○○)にしるよしして、かりにいにけり、

〔日本書紀〕

〈四開化〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0296 元年十月戊申、遷都于春日(○○)之地

〔新撰姓氏録〕

〈左京皇別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 大春日朝臣 出孝昭天皇皇子天帶彦國押人命也、仲臣令家重千金、委糟爲堵、于時大鷦鷯天皇〈諡仁徳〉臨幸其家、詔號糟垣臣、後改爲春日臣、桓武天皇、延暦二十年、賜大春日朝臣姓

〔榊葉の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 ならの京春日の里、さほのわたりにしるよしして、とし經たる翁侍り、〈◯下略〉

〔大和軍記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 主馬手前の人數も少々相加、以上二千計も打出、大坂より夜越に、くらがり越と申險難を越參候、其道筋郡山(○○)迄七里御座候、先手初に郡山を可放火と申、から島と申所にて手分を仕、二手に作り、九條口奈良口と申所より押込、町口にてつるべ鐵炮を打、時の聲を上、火の手を上申候、其段右之主殿殿被聞付、取物も取あへず、郡山東口高田と申所より、東の山中へ落被申候、〈◯下略〉

〔四國御發向并北國御動座事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 秀長〈◯羽柴〉大和國郡山拵城郭、近國無雙之固也、

〔萬葉集〕

〈四相聞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 大伴坂上郞女從竹田庄(○○○)賜女子大孃歌二首

〔萬葉集略解〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 神武紀、皇師立誥之處、是謂猛田、式大和國十市郡竹田神社あり、

〔東大寺要録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 別功徳分庄〈◯中略〉 大和國 添上郡滿登庄(○○○)田地十五町三百十九歩〈五月二日御齋會料◯中略〉 山邊郡長屋庄(○○○)田八町〈七月十九日梵網會料◯中略〉 右諸國庄家田地目録如件〈◯中略〉 以前被太政官去天平勝寶元年七月十四日符偁、奉今月十一日勅偁、去四月一日詔書、寺々墾田地訏奉者、宜依件數施行、今以状下、符到奉行、 天平勝寶二年三月廿九日

〔萬葉集〕

〈八秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0297 典鑄正紀朝臣鹿人至衞門大尉大伴宿禰稻公跡見庄(○○○)作歌一首 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 射目立而(イメタテヽ)、跡見乃岳邊之(トミノヲカベノ)、瞿麥花(ナデシコノハナ)、總手折(フサタヲリ)、吾者將將去(ワレハモテイナン)、寧樂人之爲(ナラヒトノタメ)、

〔東大寺要録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 一諸國諸庄田地〈長徳四年注文定◯中略〉 新發田〈◯中略〉 大和國添上郡春日庄(○○○)田六町二段六十四歩〈◯中略〉 同郡櫟本庄(○○○)田卅町三段八十歩〈◯中略〉 山邊郡長屋庄田地三町〈◯中略〉 城上郡杜屋庄(○○○)田五町九段百歩 高市郡飛騨庄(○○○)地三町九段九十歩 添下郡清隆庄(○○○)田廿七町二段 十市郡十市庄(○○○)田地二町五段十歩〈◯下略〉

〔當宮縁事抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 左辨官下 石清水八幡宮并宿院極樂寺 應永停止宮寺并極樂寺庄園領家預所下司公文等、或號先祖讓状、或稱傳文書、致異論掠領、兼又有由緒傳領子孫斷絶處々付本所事、 宮寺領〈◯中略〉 大和國 宇陀園 秋篠庄(○○○) 田村兎〈◯中略〉 保元三年十二月三日 大史小槻宿禰〈在判◯下略〉

〔西大寺文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0298 注進 西大寺所領諸庄薗現存日記事 合〈◯中略〉 大和國 添下郡清澄庄(○○○)、田畠四十六町、 十市郡坂戸庄(○○○)四町六段三百廿歩、 同郡十市庄、四町九段三百七歩、 高市郡加留庄(○○○)、畠一町二段半、 宇智郡桃島庄(○○○)、田畠一町餘、〈◯中略〉 已上九箇庄大體有名无實、或被國領、或被人領、或半分、或三分之一也、然而就庄號注進之、一顚倒庄々 大和國〈◯中略〉 平群郡飽波庄(○○○)、田畠三町、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0299 已上二十七處、依流記公驗明白注進之、 右依宣旨注進如件 建久二年五月十九日 都維那法師http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650eee.gif 與〈◯下略〉

〔東寺百合文書〕

〈リ五十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0299讓 私領壹處事 在大和國宇陀郡 字檜枚庄(○○○) 四至在本券〈◯中略〉 建久九年八月廿六日 平〈花押◯下略〉

〔龜山院御凶事記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0299 嘉元三年九月廿三日丁卯、依進故院御書、早旦著直衣、〈烏帽〉相具御書、御手簡〈存日予預置也〉參御所、〈◯中略〉女院御方自餘御書等、〈兼有御封、以檀紙立文之、押折上下、又有銘等、〉悉盛筥蓋、〈◯中略〉 一通〈銘曰、昭慶門院、〉 處分 昭慶門院〈◯中略〉 大和國波多小北庄(○○○)〈御判◯中略〉 嘉元三年七月廿六日 御判

〔金峯神社文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0299 金峯山吉水院 申請坊領證文紛失状證判事 大和國 丹生谷莊(○○○○)、戸毛莊(○○○)、南喜殿莊(○○○○)、豐田莊(○○○)、新口莊(○○○)、曾我莊(○○○)、内市庭并名田參町、宇智郡西穴生莊(○○○○)、同郡水田參段、宇多佐久良名田五段、阿陀郷内水田參段、龍門郷水田參段、玉田水田五段、學恩寺水田五段、羽符水田五段、矢田莊(○○○)内水田參段、〈◯中略〉 建武元年二月 日 阿闍梨幸詮〈花押◯下略〉

〔康正二年造内裏段錢并國役引付〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0299 合〈◯中略〉 五貫文〈◯中略〉 安富勘解由左衞門尉殿〈觀修寺御門跡領和州郡家庄(○○○)段錢〉

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0300 松平甲斐守保申(帝鑑間四品) 拾五万千二百八十八石、居城大和添下郡郡山、〈江戸ヨリ伏見通百三十四里、伊賀通百十六里餘、 大和大納言秀長、同中納言秀俊居、慶長五以後御番城、元和元水野日向守勝成、同五松平下總守清國、寛永十六本多大内記政勝、寛文十三同中務大輔政長、延寶七松平日向守信之、同年本多下野守忠泰、同能登守忠常、同信濃守忠直、同唐之助忠村、同喜十郞忠烈、享保九松平甲斐守吉里以後領之、〉 植村駿河守家保(帝鑑間 朝散大夫) 二万五千石、居城和州高市郡高取、〈江戸ヨリ百三十四里 大和大納言秀長家臣本多太郞左衞門居、天正十八脇坂中務大輔安元、本多因幡守、寛永十七ヨリ植村出羽守家政、以後代々領之、〉 片桐主膳正(柳間 朝散大夫) 一万千百石餘、在所和州添下郡小泉、〈江戸ヨリ百三十三里 元和年中ヨリ片桐氏、代々領之、◯節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0300 永井信濃守(菊之間 朝散大夫) 一万石、在所和州葛上郡櫛羅、〈江戸ヨリ百卅六里七丁 大和國葛上葛下忍海三郡、延寶八ヨリ領之、〉 織田攝津守長易(柳間 朝散大夫) 一万石、在所和州式上郡芝村、〈江戸ヨリ百十九里卅二丁、伊賀通關口出、 慶長五ヨリ差出之高織田氏代々領之、〉 織田筑前守信成(柳間 朝散大夫) 一万石、居城和州式上郡柳本格〈江戸ヨリ伊賀通百二十里 慶長五ヨリ差出之高、織田氏代々領之、〉 柳生但馬守(菊之間 朝散大夫) 一万石、在所和州添上郡柳生、〈江戸ヨリ百十三里 寛永年中ヨリ柳生氏、代々領之、◯節略〉

田數/石高

〔日本後紀〕

〈十七平城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0300 大同三年九月乙巳、大和國言、此國水田一萬七千五百餘町、河内和泉兩國田一萬七千餘町、以此比彼、多少無異、而班田使員、已倍兩國、伏請河内等國、省使員數民之弊、許之、〈◯下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0300 大和國〈◯註略〉管十五、〈田萬七千九百五町九段百八十歩〉

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0300 大和〈管十五郡◯中略〉 本田一万七千七百五十町

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 大和州 郡十三、水田一萬七千六百十四町

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 大和〈大、十五郡(中略)田萬(萬原脱據一本補)七千五町七反〉

〔日本鹿子〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 大和國十五郡、大上々國、〈◯中略〉 知行高四十四万四千二十石

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 十五郡 高四十四万四千百三十四石

〔官中秘策〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 大和國 十五郡〈◯中略〉 一石高五拾万四百九拾七石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 天保度御國高調〈◯中略〉 大和國〈御料私領〉 一高五拾万千三百六拾壹石六斗九升壹合五勺六才

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 大和國正税公廨各廿万束、國分寺料一万束、豐山寺料二千四百束、壺坂寺料三千束、松尾寺料二千八百束、靈安寺料四千束、八島寺料一万束、子島寺料四百束、文殊會料二千束、修理官舍料二万束、池溝料四万束、救急料六万束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 大和國〈◯註略〉管十五、〈(中略)正公各二十萬束、本稻五十五萬四千六百束、雜稻十五萬四千六百束、〉

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 諸國年料供進 畿内國營田舂米六百五十四斛七斗三升二合〈(中略)大和國百四斛五升六合◯中略〉支子〈數有損益〉 山城國二園五斛八斗六升 大和國園卅斛

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 交易雜器〈◯中略〉 大和國、酒槽七隻、〈二隻長各八尺、廣二尺三寸、深八寸、手長一尺、五隻長各六尺、廣二尺五寸、深八寸、手長九寸、〉圓槽二隻、〈口徑各二尺五寸、手長一尺、〉槽二口、〈一口高二尺七寸、口徑二尺一寸一口高二尺二寸、口徑二尺、〉臼三腰、〈高各二尺二寸、徑二尺一寸〉、杵六枚、〈長各三尺〉輿籠廿口、匏三百廿五柄、置簀四枚、〈◯中略〉 交易雜物〈◯中略〉 大和國〈大麥三石、小麥十一石七升三合、葟子六斗、大角豆四石、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0301 大和國〈行程一日〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0302 調、箕一百卌枚、鍋二百二口、玉手土師坏五十口、間坏百口、贄土師竈廿八口、竈子卅四口、甑卅四口、瓫三百五十八口、片坏七十二口、自餘輸錢、

〔延喜式〕

〈三十一宮内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0302 諸國例貢御贄 大和〈干鱉、榛子、〉

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0302 諸國貢進菓子 大和國〈蔔子一擔、楊梅子二擔、榛子、〉

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0302 諸國進年料雜藥〈◯中略〉 大和國卅八種 前胡十二斤、王不留行二斤、稾本、升麻各八斤、獨活廿五斤、紫菀六斤、大青廿斤http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650cf3.gif 草、牛膝各七斤、桔梗廿一斤、黄蘗十一斤、香http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006509f0.gif 、澤蘭各十五斤、白朮卅斤、枳實、通草、大戟各十斤、拔葜卌斤、厚朴九斤、龍膽三斤、薺苨、桑根白皮各五斤、澤寫、當歸各四斤、薏苡芢十五兩、白芷十八斤、橘皮十斤、地楡十六斤、茵芋一斤、榧子一斗六升、署預七斗、桃人、蜀椒各二斗、車前子二斗八升、充蔚子六升、鬼箭三升、呉茱萸三斗、白花木瓜實廿三斤、

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0302 四郞君受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉宅常擔集諸國土産、貯甚豐也、所謂〈◯中略〉大和苽

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0302 大和 奈良細美 瀑 平布 縮 島布 畦布 衣地 蚊帳地 具足 鐙 作緑青 暦 扣薄〈根本ト云〉 油煙墨 色墨 中繼〈奈良塗師根本ト云〉 土風爐 塗桶 瓦燈(クハトウ) 灰ボウロク 早鍋(ワサナベ) 付硫磺 膠 鞠 馬皮 滑 金剛 指繩 箒 澀團扇 法論味噌 イロリ 漬香物 溜糖 饅頭 飯鮨 僧坊酒 東大寺蘭奢待 興福寺銀杏 春日山櫟 禰宜屋敷木練柿 西大寺豐心丹 法華寺作土小犬〈比丘尼ノワザナリ〉 藥師寺造花〈年中拵置テ、二月上旬法事之時用之、〉 法隆寺沈水香 吉野漆 葛粉 榧 御所柿 松茸 岩茸 前胡 杓杞子 松脂 松角〈目通ト云、書院木ニ用、〉 椙丸太〈上ニ同〉 煎茶 塗鉢 山折敷 小紙〈鼻紙ニ用之〉 塵雜紙 國栖魚 鮎白干 釣瓶鮨〈鮎也、枉物ニ入、藤ニテ手ヲスル故ニ云フ、〉 龍田紙羽 三輪素麪〈是ハフトキヲ賞翫ス〉 箸中糖粽〈根本ト云〉 郡山繰綿 高山茶筅 山邊米 空菽 梵天瓜

人口

〔官中秘策〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0303 大和國 十五郡〈◯中略〉 一人數三拾七万四千四拾壹人 内〈拾八万九千貳百五拾八人 男 拾八万四千七百八拾三人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0303 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數三拾四万七百六人(御料私領) 大和國(高五拾万四百九拾七石餘) 内〈拾七万四千七百六拾七人 男 拾六万五千九百四拾人 女◯中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數三拾六万千百五拾七人(御料私領) 大和國(高五拾万千三百六拾壹石餘) 内〈拾八万三千三百貳拾五人 男 拾七万七千八百三拾貳人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0303 大和國 大和國之風俗、表郡ハ人ノ氣、大形名利ヲ好ムモノ多シ、奧郡之者ハ隱ル氣有之、蓋シ此國之人ハ、大體山城之國人ニ風俗似タル處多シ、昔日王城之地ト成ガ故ニ、其風俗漸ク似タル處多シトイヘドモ、山城之國ヨリ人之氣、少シ尖成所有、雖然表部者名利ニカヽハル人多ク而、常ニ詞ニ譌ヲ巧ミニシテ、上分ハ巧ミスクナウ而、名ヲ擧ンコトヲ願ヒ、下劣ハ於言句之下而、僞ヲ述テ兩舌ヲ吐ク風俗也、若是國之人ヲ味方ニ從ハシムルニハ、讒者ヲ以テ人ノ氣ヲ可分、名利無キ則ハ速ニ分ツ、亦奧郡之人ハ隱ルヽ氣質、自然ト生レツキタリ、是ハ山深ク而常ニ人倫ニ交、道理ヲ談ズル人モ寡ケレバ、自ラ如斯ニ而、道理ヲ不知風俗也、自然ニ實ヲ振舞フ人ハ、猶以テ隱遁之氣發シ、世ヲ無キ物トナス、形儀ヲノミ見聞ガ故ニ、如斯之風儀多シ、サレバ古ヨリ芳野山奧ハ人之氣、五畿内之人ニ勝レテイサギヨキ也、雖然物之形儀ヲ不知ガ故ニ、智アツテ道理ニ從ヒ、謹トハナケレドモ、邪僻之爲ニ驕ヲ禁ズルモノ也、故ニ自ラ愚成人多シ、若是ヲ取ラバ、其威ヲ仰テ氣ヲ悦バシメテ、我國ヲ全ウ而、國人ヲ不勞而、自ラ愚ヲ行ハセヨサアル時ハ陰却而陽ニ變ジ、驕奢之氣出ル

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0304 モノナリ、都而名利名聞ニツナガレテ、氣質ニ勝チタルト可知也、千萬人ニ一人二人ハ國風ヲ忘レタル人モアリ、〈口傳〉

〔大和志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0304 風俗 性緩才敏、高尚氣力、地廣俗雜、庶物繁衍、習文彬々習武赳々、儉嗇少等、女務紡績、二粥一飯、營室不飭、侫佛媚神、不香火、淑人君子、吉野見休、

名所

〔日本鹿子〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0304 大和國中名所之類 奈良 山城より南也、京都より十里半あり、 猿澤池 南都興福寺の前なり〈◯中略〉 春日〈山野◯中略〉 三笠山〈◯中略〉 柏木森 奈良のうちなり〈◯歌略〉 羽買(ハカイ)山〈◯歌略〉 飛火野(トブヒノ)〈◯歌略〉 佐保山〈◯歌略〉 手向山〈◯中略〉 布留山 石上寺より南なり〈◯中略〉 三輪山 布留より南、山續なり、奈良より五里あり、〈◯歌略〉 初瀬山 三輪より辰巳にあたりて、道法二里なり、〈◯歌略〉 天香久山 初瀬より西也〈◯歌略〉 耳無山 香久山より西の方也〈◯歌略〉 畝火山 右三の山は、東西にならびたる山也、いづれもひくき山也、 袖振(ソデフル)山 奈良より紀伊國への順道也〈◯歌略〉 姿池 耳無山のほとりなり、此所を過て紀伊國へ行ば、三輪初瀬は東にみえたり、立田かつらぎは西に見えたる也、 吉野山 初瀬より南にあたる、歌には三吉野とも讀り、〈◯歌略〉 青葉山 金峯山と象山との間一里也、奧の御前と云は十八丁奧也、御たけ詣といふも此在所也、こもりかつて奧の御前とて有間八町づつ也、 秋津野〈◯歌略〉 御垣原〈◯歌略〉 十津川 葛城山 高天(タカマ)山 右二の山はならび也、はつせより西也、〈◯歌略〉 立田山 奈良より西也、立田越といふは、河内へ行山道也、立田は京より南より東也、〈◯歌略〉 三室山 立田川より水上也、神所也、 辰市〈◯歌略〉 神南備森 立田山近き所也、かつらぎ高天は立田より南也、いづれも河内の國をさかひたる山也、かつらぎもたつたも山つヾき也、小倉のみねといふあり、 菅原伏見 はつせより西にあたる也〈◯歌略〉 八鹽山 初瀬近所也、山城の國にも同名有〈◯歌略〉 飛川(アスカカハ) 吉野宮瀧通の道、櫻井より南の方、飛鳥の里といふ所にある名

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0305 所也、 往來(ユキヽノ)岡 飛鳥川の近所也〈◯歌略〉 眞土(マツチ)山 紀伊の國ざかひなり、京より十二里餘有、〈◯歌略〉

〔應仁前記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0305 同廿六日〈◯寛正六年九月〉尊勝寺法華寺へ御成、御遊覽、御詠歌有之、〈◯中略〉且又南都八景ノ所所御遊覽有之、先人ノ詩歌ニ其體相適之由、甚以御入興云々、抑當所八景ノ詩歌ノ事、昔日後小松院御宇至徳ノ比、相定マルニ依テ、其時ノ公卿詩歌堪能ノ人々、吟詠一篇、謂之南京八景詩歌、如左、 南圓堂藤 前關白左大臣道嗣 華構高挑玉座春 紫藤花照紫金身 我先昔日得誠感 後世子孫爲世臣 太政大臣良基 藤浪は神のことばの花なれば八千代をかけて猶ぞ榮ん 佐保川螢 權中納言公時 一帶惜川華館傍 縁楊陰暗引風凉 晩來千點流螢亂 疑是大官庭燎光 前内大臣公忠 飛螢かげをうつして佐保川の淺瀬に深き心をぞしる 猿澤池月 文章博士淳嗣朝臣 水浸影娥秋滿塘 神啼鬼哭是巫陽 今宵誰灑藻中玉 解爲先王數斷腸 左近衞權少將雅幸朝臣 のどかなる波にぞこほる猿澤の池より遠く月はすめども 春日野鹿 參議右大辨經重 無臭無聲野色姸 只看糜鹿食華眠 舜深山與文靈囿 斯處聖神易地然 權中納言公勝 春日山みねの嵐やさむからん麓の野邊に鹿ぞ鳴なる 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0306 三笠山雪 左大臣實時 白雪無邊藏數峯 和光垂跡此山中 于時大樹看花處 榮色知新利物功 前右大臣實俊 三笠山さしてたのめばしら雪のふかき心を神やしる覽 雲井坂雨 文章博士秀長朝臣 霹靂http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650eef.gif 鞭井庭龍 乘時變化與雲從 躍飜三級禹門浪 金牓尚遺風雨蹤 權中納言爲重 村雨のはれまにこえよ雲井坂みかさの山は程ちかくとも 東大寺鐘 權大納言具通 刻桷丹楹映古城 金僊十六丈崢嶸 洪鐘撞透黄昏月 誰聽當初第一聲 前大納言善成 おく霜のはないつくしき名も高くふりぬる寺の鐘の響に 轟橋行人 權中納言冬宗 月落鐘沈山色澹 暮行失歩白雲程 孤村煙雨笠簑重 一片板橋車馬轟 權中納言實遠 うちわたす人目もたえず行駒のふみこそならせ轟の橋 以上八景詩歌終

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0306 諸國健兒〈◯中略〉 大和國七十人

〔日本書紀〕

〈二十五孝徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0306 大化元年八月庚子、拜東國等國司、仍詔國司等曰、〈◯中略〉其於倭國六縣、被使者、宜戸籍并挍田畝〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0307 天皇〈◯舒明〉登香具山望國之時御製 山常庭(ヤマトニハ)、村山有等(ムラヤマアレド)、取與呂布(トリヨロフ)、天乃香具山(アメノカグヤマ)、騰立(ノボリタチ)、國見乎爲者(クニミヲスレバ)、國原波(クニバラハ)、煙立籠(ケブリタチコメ)、海原波(ウナバラハ)、加萬目立多都(カマメタチタツ)、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019324.gif 怜國曾(ウマシクニゾ)、蜻島(アキツシマ)、八間跡能國者(ヤマトノクニハ)、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:49:00 (387d)