http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 對馬國ハ、ツシマノクニト云フ、西海道ニ屬シ、壹岐島ノ西北約十二里半ニ在リテ、殆ド我國ト朝鮮トノ中間ニ介セリ、其地形ハ、中央劈開シ、二部トナル、其南部ヲ上ノ島〈下縣郡〉ト稱シ、周廻凡ソ五十里餘、其北部ヲ下ノ島〈上縣郡〉ト稱シ、周廻凡ソ百三十五里餘アリ、此國ハ古ヘ國府ヲ下縣郡ニ置キ上縣下縣(カムツアガタシモツアガカ)ノ二郡ヲ管シ、延喜ノ制、下國ニ列ス、現今長崎縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 對馬島〈都之萬〉

〔饅頭屋本節用集〕

〈門天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 對馬(ツシマ)〈對州〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 雜(クサ〴〵)の轉用 つしま 對馬〈國〉都之万(ツシマ) 古事記ニ津島トアリ、此意ノ名也、然ルヲ對馬ト書ルハ、漢籍魏志ニ見エタリ、サレバ此ハモト、彼國ニテ譯シタル字ナルヲ、ソノマヽニ用ヒラレタルモノナルベ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 シ、其故ハツシニ對ノ字ヲ書ル假字ノサマ、當昔(ソノカミ)皇國ノ假字ノ用ヒザマニハ似ザレバ也、

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 對馬、〈對州〉下、管二郡、四方一日、離日本地、故號島、有異珍之類、勸請神、動隨唐、是故被探題職也、小下國也、

〔津島紀事〕

〈一統體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 對島州 津島 〈舊事本記〉 津島〈古事記〉 對馬島 對馬洲 對馬國〈日本書紀〉 集島 〈大和本記〉 西海國對馬島〈都之萬、和名類聚抄、〉

〔古事記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 津島、名義は萬葉十五〈廿六丁〉に、毛母布禰乃波都流對馬とよめる如く、韓國の往還の舟の泊々津なる島なり、〈魏志と云から書に、此島のことを對馬國とあり、こは此方にて古より如此書るを見て取れるかとも思へど、さには非ず、彼書のいできつるは晉の世なり、そのかみ御國にかゝる假字のつかひざまあるべくもあらず、たゞ津島と云を、彼國にて聞傳へ誤りてかくは書る物なり、さて書紀にやがて此文字を假字に取用て對馬島とかゝれたり、津島の假字に對馬とかゝむは、さる例あれば、さも有なむを、島字を添られたるこそ、いと心得ね、島々と重ねて云名はあるべきことかは、淡海の海など云例とは異るをや、敏達御卷には、津島とかゝれたるところあり、是れ古の書ざまなり、〉

〔倭訓栞〕

〈前編十六都〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 つしま 對馬は馬韓に對する稱、中山傳信録に、黄帽對馬三十人と見えたり、されど古事記日本紀に、もと津島と書り、三韓往來の津也、よて萬葉集にも、百船のはつる對馬とよめり、

〔津島紀事〕

〈一統體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 神代の卷の纂疏に云く、對馬の和訓は、津といふ心もちにて、海島の中にある津といふ事なり、神代の卷鹽土傳に、對馬は古津島と書く、是西北の津なり、又云、津とはつどふなり、釋日本紀に、對馬島、私記に云く、問ふ、古事記を考れば、唯津島といふ、今爰に對馬の島といふはいかにや、答へていはく、其義まさに同じ、今の俗對馬の二字を讀てつとするなり、島の字は文字の如し、しかるに今の人、都志麻の志麻と讀ものは誤なり、但此島と壹岐の島との名義は未詳ならず、沙門義堂が撰びし日用工夫略集に、對馬は馬韓に對するの義なりと、本州の儒士に、山撲〈俗名朝三〉著せし州府院石亭の記にも、小島の中に津あればなり、對馬の字を用ふる事は、地馬韓に對すれば

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 なりと、字書にも濟渡の州を津といふと、鹽土傳に島は住むと讀、人のすむ處なりと見へたり、日本紀にいはく、素盞嗚尊御子五十猛命を伴ひて、新羅の國に到り、曾戸茂利の處に居給ふと、新羅に降給ひし時は、この國より行たまひしとなん、傳ていちじるし、津島の號は此時に始ける、傳いふ則和漢大海の間にある島にして、兩國往來の津湊なればなり、藤仲郷〈俗名兵内〉の云く、對馬の字を用ふる事は、もろこしの人、この國の名を問ければ、州人答て津志麻といひしを、彼人おのが音聲によりて、ついまあかといひて當て、對馬の二字をしるしぬ、これ是れによるならん、〈平戸を飛鸞土博多を覇可臺、松浦を末盧と書し類ならん、對馬の字ついまなれば音ちかし、〉本邦上代の風俗は、音によりて文字にかヽはらざりしゆへ、假りて是を用ひしなり〈愚按ずるに、對馬の字を用て、つしまと讀もの、たとへば近淡海を近江とし、母木を伯耆と改られし類にて、字義は當らざれども、古きとなへを捨られざるがごとくならん、〉陶山存〈俗名庄右衞門〉云く、對馬の字を用る事、地馬韓に對するによれりと、しかれども舊事本紀、古事記、日本書紀等に馬韓の號を載られず、三韓と稱せるものは有り、新羅百濟高麗をいふ、〈高麗は東國通鑑にいへる高句麗の事なり〉これによりて見れば、本朝新羅と相通ずるの始は、馬韓亡びしの後なれば、なにしに馬韓辰韓辨韓の號あらん、そのかみ書を作れる人のしらざりしならん、されば本州の號をしるす、何すれぞ馬韓に對するの義をとれるや、本州馬韓に對するの説は、後漢書に馬韓の南倭と接するの語に本づくならん、陳壽が三國志の倭人傳に對馬國の號あり、陳壽は晉の武帝惠帝の時の人にして、日本應神天皇の御宇に當る、本邦の人經書を讀み、文字をしる事も、應神の朝に始りければ、本州の名をしるすに對馬、又は津島の字を用ひ初たるは、此時より始りけん、〈◯中略〉むかし、島と號へしを、天智天皇の御時更めて國とせられ、文武天皇の御宇に、又島と稱せらる、後花園院の朝嘉吉年以來、太宰府及び本州の書物には、定て國としるし、他國にては國又は島としるして一定せず、これ兵亂治らず、朝命通ぜざりしゆへならん、天正年以來、公私一定して國と稱せり、三國志に對馬國を記せり、三國志を撰びしは應神天皇の御時なれば、本州の事を、中國に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 て國と稱せしは久き事に侍りぬ、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248是伊邪那岐命、〈◯中略〉妹伊邪那美命、〈◯中略〉如此言竟而御合、〈◯中略〉次生筑紫島、〈◯中略〉次生津島(○○)、亦名謂天之狹手依比賣

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 伊弉諾尊、伊弉册尊、〈◯中略〉陰陽始遘合爲夫婦、〈◯中略〉迺生大日本〈日本此云耶麻騰、下皆效此、〉豐秋津洲、〈◯中略〉由是始起大八洲國之號焉、即對馬島、壹岐島及處々小島、皆是潮沫凝成者矣、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 各國經緯度〈附里程〉 對馬府中、〈中須賀町〉極高三十四度一十二分、經度西六度二十五分、從壹岐〈勝本浦渡海直徑〉一十二里廿町半、三百四十里八町四十四間半〈◯從東都〉 對馬鰐浦村、極高三十四度四十一分半、經度西六度一十七分、從府中〈街道歴仁諸〉二十四里三十五町、三百六十八里七町四十七間、〈◯從東都

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 北極出地 對馬 府中 三四度一二分〇〇秒 鰐浦村 三四度四一分三〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈◯中略〉 對馬 府中 西六度二五分〇〇秒

〔朝野群載〕

〈三記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 對馬貢銀記 作者江納言 對馬島者、在本朝之西極、屬大宰府、孤立海中、四面絶壁、其名兼見於隋唐史籍、自筑前國博多津、西向飛帆一日、到壹岐島、自斯又到對馬島、一日、自大風渡矣、與高麗海北金海府牧野之馬、掛帆之布、分明亘見、其近可推、

〔西遊雜記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 世にいふ、肥前の地より對馬へ海上四十四里、對馬より朝鮮へ海上四十八里といふ、然ども肥前より朝觧への海上九十六里也、すべて海上の里數は風による物故に、唯吟味するも

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 のなく、大概をいふのみにして定かならず、對馬は南北に長き島國にて、府中は北にあり、肥前より、四十八里といふは、府中への事なるや、是とても定かならず、府中より朝鮮への渡海口、鰐の浦までは海上を廻りて三十餘里、鰐の浦より朝鮮の釜山浦の海上わづかにして、漁舟一汐に渡海すといふ也、かくのごとく朝鮮へは近き對馬なれども、いにしへより手指もせぬ事、日本の勇強なるを知らぬ人多し、己が眉毛己が目に見へぬといふたとへは是歟、

〔津島紀事〕

〈一統體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 本州は、本邦と朝鮮との間にありて、東西何れも大海を隔て固に遠き離島なるに、本邦の内なる證據には、朝鮮に産して本邦に産せざる物は、この島にも産せず、本邦に産して朝鮮に産せざるもの此國にも産せず、そのうへ國民の言語にも本邦と同うして、朝鮮とは違へり、州中の人傳へいひけるは、州の南方豆酘崎の長瀬は、肥前の國の五島に連なり、州の北方鰐浦の舞髮瀬(ハヘノセ)は、石見の國の高島に續きて日本の地を斷ぜず、是にても本州は本邦の内なりし事を知ぬべし、

疆域

〔日本實測録〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 對馬國上之島、〈◯中略〉沿海、周廻五十里一十四町二十一間半、 對馬國下之島、〈◯中略〉沿海、周廻一百三十五里三十一町一十九間半、

〔日本地誌提要〕

〈七十四對馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 疆域 壹岐ノ西北ニアリ、二島ニ分ル、南ヲ上ノ島ト云、周回五拾里壹拾四町貳拾壹間東西貳里貳拾八町、南北五里貳拾町、北ヲ下ノ島ト云、周回壹百三拾五里三拾壹町壹拾九間、東西四里六町、或貳里貳拾八町南北九里貳拾六町、壹岐壹岐郡勝本ヨリ下縣郡嚴原ニ至ル、海上直徑壹拾貳里貳拾町、

島嶼

〔日本實測録〕

〈十一島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 對馬國下縣郡 實測 島山島、周廻一十一里三十五間、島山村三十四度一十八分半、 相島〈從西岬東岬〉一町一十八間、 輪島、周廻四町三十九間、 内院(ナヰン)島、周廻一十四町一十九間半、馬耙(マンクハ)島、周廻二町五十七間、 志賀島、周廻一町三十九間、 大島、〈加志村〉周廻一十二町二間、 經島、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1250 〈加志村〉周廻二町一十三間、 九郞太郞島、周廻二町一十六間半、 ヘタノ島周廻四町三十九間半、沖島〈大 吹崎村〉周廻五町一間半、 沖島〈小 吹崎村〉周廻一町二十七間、 盜人島、周廻二町二十七間、 鼠島、〈竹敷村〉周廻一十一町、 ヲタイガ島、周廻四町九間、 車島、周廻六町四十五間、 アジサキ島、周廻八町四間半、 鹿島、周廻一十八町一十八間、 鹿小島、周廻三町四間半、 ズンギリ島、周廻二町四十二間、 茶木島、周廻四町八間、 六郞島、周廻三町五十四間、黒ミサキ島、周廻一里一十八間、千切島、〈島山村〉周廻三町一十二間半、 ハントウ島、周廻二町三十三間、 琵琶島、周廻六町二間、 三ツノ島、周廻八町四間半、 麥島、周廻四町三間、 沖ノ島、〈大山村〉周廻一十二町五十三間、 中ノ島〈同前〉周廻一十一町一十六間半、 丸島、〈同前〉周廻六町三十六間半、 〈從沖島、至丸島總稱三室島、〉 夷島、〈大山村〉周廻二町二十八間、 京島、周廻一十五町一十七間、 沖京島、〈又呼、干切島、〉周廻三町五十三間、 草島、周廻一十四町一間半、 彌五郞島、周廻二町四間、 多田島、周廻三町四十八間、 塔ケ崎島、周廻一十一町一十間半、 黒島、〈唐洲村〉周廻六町一十三間、 ヲデンカ島、周廻三町九間、 横島、〈唐洲村〉周廻六町五十六間、 牛島、〈從東岬北岬〉五十七間、 寺崎島、周廻五町五十七間半、 カウ島、周廻一十二町四十三間、中ノ島、〈小綱村〉周廻七町五十七間、 榎島、周廻一十六町二間半、 カノ島、周廻二町四十二間、 〈從カウノ島カノ島、總稱綱島〉 丸島、〈田村〉周廻三町三十二間、 立場島、周廻二町四十五間、 八兵衞島、周廻三町四間半、 御崎島、周廻二町一十五間、 的島、〈又呼松島〉周廻二町八間、 干切島、〈横浦村〉周廻四町三十三間、鷺島、〈大〉周廻三町一十六間、 鷺島、〈小〉周廻一町五十六間、 鼠島〈賀谷村〉周廻七町五十九間、 東風泊(コチトマリ)島、周廻一十三町四十一間、 赤島、周廻一里一十一町三十九間、 本ノ島、〈又呼ミサゴ瀬〉 〈從西岬東岬〉二町三十九間、 中島、〈赤島〉周廻五町九間、 八天島、周廻二町四十八間、 沖島、〈鴨居瀬村〉周廻四里廿七町一十九間半、 鏡島、周廻二町一十九間、 北隱島、周廻六町五十二間半、 唐船島、周廻二町三十五間、黒島、〈鴨居瀬村〉周廻一里三十町三間、 仁兵衞島、周廻二町五十六間、 鮑島、周廻三町、 經島、〈鴨居瀬村〉周廻

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1251 三町一十一間、 海賊島、周廻六町八間、 イヤ島、周廻二町四十四間、 カツマ島、周廻一町三十二間、 大佛島、周廻一町四十七間、 上根緒島、周廻六町四十八間、 下根緒島、周廻五町五十三間、小浦島、周廻四町一十一間、 南室(ナムロ)島、周廻四町一十一間、 遠測 霧坊瀬 星小島、 千鳥瀬〈西内院村〉 コウノ瀬 小島瀬〈上槻村〉 鵜瀬〈椎根村〉 鵜瀬〈阿速村〉 立瀬 ヲコ島 六郞瀬 鋤島 カヤリ島 辨天島〈尾崎村〉 サキノ島 烏帽子瀬 ユルキ瀬 千鳥島〈大舟越村〉 千鳥島〈島山村〉 廻島〈地〉 廻島〈沖〉 五合島 三郞島 一クワン島 千鳥島〈仁位村〉 白銀島 浮瀬〈貝口村〉 小島〈貝口村〉 泉島 二子島〈大 貝口村〉 二子島〈小 貝口村〉 新島瀬 唐洲岩 鳥ケ瀬 ホケ島 メウ瀬〈地〉 メウ瀬〈沖〉 沖カノ島 甑瀬 千鳥瀬〈榎島〉 金吾瀬 ウニ島〈小〉ウニ島〈大〉 千鳥島〈鑓川村〉 元島 小島〈横浦村〉 裸島〈大 横浦村〉 裸島〈小 同上〉 コトヲ瀬 ヒシケ島〈大〉 ヒシケ島 猪島 馬子島 駒島 小佛島 保島〈黒島〉 浮瀬〈久須保村〉 郷瀬 鵜瀬〈根甲村〉 釜蓋瀬 二ツ瀬 琴瀬 口瀬 折瀬 上縣郡 實測 海泉島、周廻二十一町一十四間、地海老島、周廻四十三間半、 沖海老島、周廻二町一十七間、 大島、周廻四町二十二間半、 高島〈從西岬東岬〉三十間、 中島、〈從西岬東岬〉三十六間、 志古島、周廻一十三町五十五間、 小島、周廻三町三十一間、 妙見島、周廻二町一十五間、 品木島、周廻九町五十六間、 鷺首島、周廻三町三十六間、 荻(タテク)島、周廻八町三十九間、 島浦島、周廻二町二十四間、 錢島、周廻五町五十九間半、 黒島、周廻四町三十九間、 コシヤウ島、周廻三町七間半、 遠測 呼瀬 平瀬〈吉田村〉 立瀬 沖瀬 大千鳥瀬 錢島〈鹿見村〉 赤子(シヤクシ)瀬 舟瀬 トロク瀬 本瀬 鵜瀬〈大谷村〉 立岩 ハイノハ瀬〈大〉 ハイノハ瀬〈小〉 小太郞島 横瀬 島瀬 北瀬 鯨瀬 釜蓋瀬〈豐村〉 錢島〈豐村〉 ミサコ瀬〈豐村〉 小島〈豐村〉 地椎根島 沖椎根島 小島帽子 睢鳩瀬〈西泊村〉 梶カキ瀬 轟島 轟島〈小〉 ツハツイ瀬 鵜瀬〈大増村〉 千鳥島〈舟志村〉 京島 鳥帽子瀬〈五根緒村〉 臼石 淺黄瀬 平瀬〈葦見村〉 赤瀬 松島 中瀬〈小鹿村〉 下瀬〈小鹿村〉 裸島〈志多賀村〉 離島 釜蓋瀬

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1252 〈佐賀村〉

地勢

〔津島紀事〕

〈一統體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1252 本州北を上縣郡とし、南を下縣郡とす、南北廿六里、〈豐村より豆酘村まで南北道法廿五里卅四町半、廿六里は成潮なり、南北豆酘崎より鰐浦垂髮瀬韓崎までの直經ハ十六里十八町有之、東西の廣狹は村の處に記し置くなり、〉東西或は四五里或は二三里、〈陶山存云く、本州を平地として積るときは縱十七里計、横二里半計、凡一坪にしてこれを積れば、四十二坪半ばかり、その内田畠也(地の平なる處を坪と云ふ)愚按るに、州内の土地多くは白色なり、是西方の正色をあらはすものか、山地はすべて赤地勝火剋金にて、國土の性に剋するの色なりしゆへ、穀物宜からざるならん、武用辨略に對馬四方一日半、小下國なりと記せり、〉周り百八十三里三町五十七間三尺九寸、〈海汀の出入を細に引廻し里數なり、浦々等を除き、大方を引廻せば四十里と十九町五十六間一尺八寸二分、是大外の周なり、〉山多くして田少なく、土地惡くして民貧き故下國とす、

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1252 對馬島 郡八、人戸皆沿海浦而居、凡八十浦、南北三日程、東西或一日、或半日程、四面皆石山、土http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001d638.gif 民貧、以鹽捕魚販賣生、宗氏世爲島主、其先宗慶死、子靈鑑嗣、靈鑑死、子貞茂嗣、貞茂死、子貞盛嗣、貞盛死、子成職嗣、成職死而無嗣、丁亥年島人立貞盛母弟盛國之子貞國島主、郡守而下士官皆島主差任、亦世襲以土田鹽戸屬之、爲三番、七日相遞、會守島主之家、郡守各於其境、毎年蹈驗損實、收税取三分之一、又三分其一二于島主、自用其一、島主牧馬場四所、可二千餘匹、馬多曲背、所産柑橘木楮耳、南北有高山、皆名天神、南稱子神、北稱母神、俗尚神、家々以素饌之、山之草木禽獸、人無敢犯者、罪人走入神堂、則亦不敢追捕、島在海東、諸島要衝、諸酋之往來於我者、必經之地、皆受島主文引、而後乃來、島主而下各遣使船、歳有定額、以島最近於我而貧甚、歳賜米有差、

〔日本地誌提要〕

〈七十四對馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1252 形勢 日本海ノ西北隅ニ位シ、島形東西ニ狹ク、南北ニ長シ、中央劈開シテ一大灣ヲ成シ、大艦巨舶ヲ容ルベシ、島内峯巒相接シ、地多ク薄瘠、播殖ニ宜シカラズ、居民穀ヲ内地ニ仰ギ、利ヲ海ニ採リ、朝鮮ノ互市ヲ以テ、營生ノ主ト爲ス、風俗固陋、氣候極暑九拾度、極寒三拾度、

道路

〔日本實測録〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1253 對馬國上之島〈從壹岐國壹岐郡勝本浦對馬國下縣郡嚴原渡海、直徑一十二里二十丁二十四間、〉 下縣郡嚴原〈本府中〉濱町 一十六町二十八間 久田村〈歴板置峠北瀬村三里七丁三十六間半、從北瀬南瀬村、五丁四十二間、〉 二里一十七町〈至輪島岬一里十丁五十一間〉 安神村龍野崎 二里八町五十二間半 東内院(ヒカシナヰン)村 一里二十町一十九間半 西内院村松ナシ 二里三十五町一十八間半〈至神崎三十丁三十三間、從神崎卒土濱、二十二丁二十七間半、〉 豆酘(ヅヾ)村前濱〈至觀音前四丁六間、從觀音前、歴豆酘峠南瀬村、三十一丁五十四間半、又從觀音前觀音堂六丁〉 二里一十一町五十二間〈至豆酘崎二十三丁四十八間〉 北瀬村内山川口〈至街道四丁七間半〉 二十七町八間半 久根濱村久根川口〈至久根濱村三丁二十四間、從久根濱北瀬村、二十二丁六間、又從久根濱久根田舍村銀山上神社、一十七丁三十間、〉 二里六町一十八間半 小茂田村〈歴下原村佐須峠、二里四丁三十七間〉 一里九町五十八間半 阿連村〈至雷舍神社五丁三十五間〉 四十五間 阿連村阿連濱〈至今里村中川口徑測三十三丁一十五間〉 二里八町九間 今里村郷崎 二里一十五町四十一間半〈至尾崎村一里五丁卅三間半〉 同中川口 一町三十九間 今里村〈至加志村六丁四十八間半、從加志加志川岸、一十四町三十三間、從川岸太祝詞神社、三丁五十一間、又從川岸箕形村千之木濱、二十二丁七間、〉 二十町一十二間 加志村加志川口〈至街道二丁五十五間半〉 二里二十五町三間〈至大首岬一里一十七丁四十五間〉 吹崎(フクサキ)村 二十五町一十九間 箕形村千之木濱 八町三十三間 同針浦 三里四町四十八間〈至城八幡社前一里七丁三十九間〉 黒瀬村坂無浦〈至洲藻村汐越浦徑測六丁三十二間〉 二里九町四十七間 黒瀬村中崎 二里二十一町一十六間 竹敷村子ツトク崎 二里二十四町五十一間半 洲藻村汐越浦 一十九町五十七間 鷄知村久須浦〈至街道肥川六丁四十二間〉 一里一十三町三十三間 同樽濱〈至街道三町五十一間半〉 一里三町四十四間半 竹敷村寸斷(スンキリ)島岬 一里一十九町五十三間 大船越村鹿燒浦〈至狹間浦徑測二丁一十八間〉 二十六町四十間半 同狹間浦 二十八町三十五間 同角兵衞濱〈至街道新右衞門開二丁五十七間半〉 八町四十五間 大船越村小田山 一里二十七町三十九間半 鷄知村高濱 二十九町四十八間 根緒(ネヲ)村 一里三十四町二十四間 小浦村 八町三十六間 嚴原〈本府中〉犬阿須 二十八町五十一間 同遠見崎 一十七町四十三間半 同本川口〈至横町二丁三十四間〉 二町五十一間 同濱町  沿海、周廻五十里一

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 十四町二十一間半、 對馬國下之島〈至大船越村上之島小田山、至下之島瀬戸口渡、直徑二十四間、〉 下縣郡大船越村瀬戸口〈蓋大船越村跨兩島〉 一町五十七間 大船越村、三十四度一十六分半、 一里二町五十一間半 久須保村〈至街道二丁四十九間〉 一里六町四十五間半〈至新之浦五丁四間半〉 同玉調浦〈沿江至大山村玉調浦三丁三間〉 二十四町四十二間 大船越村六郞岬〈沿江至小野瀬、三丁一十八間、〉 五町四十八間 同中小野瀬〈至江奥三丁四十八間〉 三十四町五十七間 同狹瀬戸炭燒浦 一十五町五十六間半 小船越村新之浦 九町五十一間 同炭燒岬 一十一町一十六間半 小船越村内之浦 三十一町一十五間〈至燒白岬二十七丁四十八間〉 大山村滿切岬〈干切岬廻四丁三十一間半〉 三十四町三十六間 同岡崎〈岡崎岬廻九丁五間〉 一里二十町二十三間半 小船越村關本 五町四十八間 大山村關本 一里二十九町一十七間半 濃部村三十四度二十九分 一十九町一十二間 同柳ケ浦 一里二十一町二十八間半〈至聖王崎二十丁四十八間〉 仁位村和坂惠美須川口〈至街道四丁二十一間〉 二里二十二町五十八間半 嵯峨村カシコウ浦〈至嵯峨村徑測一十丁二十八間〉 三十五町四十間〈至多田島岬二十丁六間〉 嵯峨村佛浦〈至街道三丁四十四間〉 一里三十四町二十五間 貝鮒(カヒフナ)村 八町四十六間 同ミコドウ浦 一里六町一十四間 嵯峨村 一里二十町四十四間 同塔崎 一里三十三町四十五間半 仁位村仁位川口〈至橋口一十二丁三十九間〉 三里八町一十間〈至卯麥村一里六丁五十七間半〉 佐志賀村笹華浦〈至佐保村生石濱徑測三丁五十二間〉 二里一町四十六間 貝口村小路浦 一里二十八町三十九間半 貝鮒村小島崎 一里一十五町六間〈至深浦一里八丁五十七間〉 貝鮒村ユリ越浦 二十一町九間 同西浦 一里七町一十二間 唐洲村唯越岬 一十七町一十一間半 廻(マハリ)村瀬戸間 二十三町二十七間 廻村 二里二十町一十五間〈至曲崎三丁二十一間〉 佐保村イキシ濱 一里二十六町三十間半 志多浦村トウノ崎 三十二町五十七間 小綱村〈歴田村下村平口川口、二十丁三十九間、〉 三里二十三町二十間半〈至丸高瀬戸三里一十二丁三間〉 田村平口川口 一里三十三町一間 上縣(カミアガタ)郡吉田村 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1255 三十町二十五間半 三根村田口 一町四十二間 同鹽坪 二里四町七間半 木坂村 三里二町四十三間半〈至女連村ミツツル濱一里二十五丁一十五間〉 久原村 九町 鹿見村 三町五十三間 同鹿見川口 二里一十六町五十一間半 樫瀧村弓原 一町 樫瀧村仁田川口 一里三十三町四十間半 越高村 三町 同伊奈越元濱 二十六町六間 伊奈村伊奈川口 二町一十五間 伊奈村 一十八町四十八間〈至志多留村一十三丁一十二間〉 志多留村志多留川口 一里三十三町五十四間〈至伊奈岬一十九丁四十八間〉 同苅生 二里二十四町三十五間 湊村佐護川口〈至惠古村一里二丁三十九間〉 二里二十一町一十三間 佐須奈村佐河内川口 三町二十七間 佐須奈村船附 二町二十間 同番所下〈至遠見番所七丁二十一間〉 一里八町五十七間半〈至向番瀬岬一十五丁二十間〉 同佛崎 二里九町二十六間 河内村佐河内 一町一間 同河内濱 七町三十六間半 大浦村濱町 三町七間 同大浦川口 一十五町二十五間 同綱濱浦〈至鰐浦一十五丁二十七間〉 二里一十七町一十四間〈至女瀬岬二十五丁二十四間〉 鰐浦村 二里七町五十九間 豐村本川口 一十六町六間 同長崎〈長崎廻四丁六間〉 三町三間 同椿ケ浦 二十町二十一間 同深浦 一里二十三町四十九間半 泉村 二里二十三町五十間 西泊村初崎 一里五町五間〈至鯨浦二十四丁一十四間〉 西泊村 一十八町一十八間 比田勝村小平次浦 一町三十三間 同比田勝磯 二里三十町一十一間〈至妙見崎一十六丁六間〉 富浦村尉殿崎 一里三十四町九間〈至波戸崎二十七丁三十六間〉 唐舟(タウシウ)志村〈東風坊崎廻二丁四十六間半〉 一里六間〈至ノコノ濱一十九町三間半〉 濱久須村牟理屋 二町五十四間 同藥師堂濱 一町三十間 同氏神之本 八町二十三間 同立目浦 五町四十間半 大増村立目浦 一里二十八町五十七間〈至井口下一十九丁五十四間半〉 同田之藏 二十町五十七間〈至入道浦七丁三十三間〉 舟志村前濱川口 一里一十四町四十八間 五根緒(ゴネヲ)村 二里二十六町九間 同鼻フリ崎 一里二十町八間半〈至琴崎二十八丁一十一間半〉 琴村琴之浦 三十三間 同葦見(アシミ)坂 一里四町八間 葦見村江川口 一十二町三十間半 一重村 二町一十二間 同坂口原 三十四町四十八間 小

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 鹿村 二里五町一十八間 志多賀村 一里二十四町二十四間 佐賀村志内浦 二十二町四十五間 同田ノ浦 二里五十四間〈至錢龜崎一里六丁二十一間〉 櫛村内田浦 一十六町三十九間〈至本颪岬一十四丁一十五間〉 同於呂浦 二十五町三十三間〈至徳意浦一十一丁一十八間〉 下縣郡曾村大地石浦 二十三町一十四間半〈至缶浦一十一丁一十一間半〉 同濱中 一里二十八町〈至觀音崎、一十六丁五十一間半〉 千尋藻村 一里一町一十九間半〈至殿ノ浦七丁四十五間〉 鍵川村、三十四度二十四分、 二十六町 同浦底 二十七町一十五間 横浦村〈至見世越濱徑測九丁一十八間〉 一里二十四町二十八間〈至立場岬一十八丁一十九間〉 同大羽ノカケ浦〈至長岬一十八丁〉 二里三十一町一十間半 同見世越濱 二里一十六間 賀谷村大瀧 一里三十二町八間 蘆浦村寺越濱〈至小船越村徑測七丁一十間〉 二里一十四町二十五間 鴨居瀬村モロ首〈モロ首岬廻二丁一十二間〉 二十三町七間半 鴨居瀬村、三十四度二十分、 一里六町三十七間 小船越村 二十七間 同追分 二十二町三十四間半 小船越村志上路浦 二町五十三間 同追分 二十九町三十五間半〈至呼岬一十一丁五十三間半〉 同畑崎 二里一十四町二十間半〈至カセノ浦二十一丁十八間〉 犬吠浦カセ浦西濱 三十五町五十五間半 大山村下積 一里一十七町五十二間半〈至袋濱三十丁四間半〉 久須保村木下濱 一十町五十間半 同万積浦 二里一十六町九間〈至久須保村五丁四十五間〉 緒方村鷲巣崎 二里七町三十六間半〈至折瀬岬一里一丁一十七間半〉 大船越村綱掛崎 一十二町九間 大船越村瀬戸口 沿海、周廻一百三十五里三十一町一十九間半 從對馬國嚴原(イヅハラ)〈本府中〉街道仁位鰐浦 對馬國下縣郡嚴原濱町 二町三十九間 同大名小路〈至横町一丁一間、從横町中須賀町二十一間、北極高三十四度一十二分、又從大名小路金石館、四丁二十一間、〉 二町三十三間 同八幡前〈至朝鮮館一丁三十九間〉 一十三町四十四間 同番所前〈至大阿須六丁五十四間、從大阿須根緒峠、鷄知村高濱、一里二十五丁三間、從高濱鷄知川岸、七丁三十三間、〉 八町二十五間 同笠谷〈至佐須峠一十九丁一十二間半、從峠至有明峯、二十二丁五十四間、〉 二里二町二十四間〈至七曲坂七丁〉 鷄知村〈至肥川岸四丁四十八間、從川岸万積峠及洲藻村箕形村針浦、一里一十四丁二十一間、〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1257 七町二十間 鷄知村追分 九町一十八間 同樽之濱 二十六町三十間 大船越村新右衞門開 一十町三十九間 同小田山〈從上之島下之島渡直徑〉 同瀬戸口 二十一町五十七間 久須保村 七町三十九間 同木下濱 一里一町一十八間 小船越村志土路浦 二町二十四間 小船越村追分 一十四町六間 小船越村〈沿江至關之本、四丁二十七間〉 二十七間 同追分 一里一十五町二十一間 仁位村柳ケ浦 二十四町三十四間半〈至大道珠一十二丁一間半、從大道珠和坂惠比須川岸、二十一丁三十四間半、〉 同和坂二十八町六間 同橋口 三十三町三十三間 田村上村〈至田村下村七丁二十二間半〉 一里一町四十二間 上縣郡吉田村吉田川岸 二十町五十四間 三根村田口 一町四十二間 三根村鹽坪 一理三十四町二十九間半 久原村 五町三十三間〈至鹿見村一丁三十九間〉 鹿見(シヽミ)村鹿見川口 一里一十一町一十三間 樫瀧村弓原 一町 同仁田川口 一里一十二町五十九間 越高村 一十八町四十間〈至伊奈越濱三丁〉 伊奈村伊奈川口 六町一十四間 志多留村 五町四十二間 同志多留川口 二里九町五十五間半 深山村佐護川岸〈至天諸羽命神社四丁一十八間〉 五十一間 惠古村 一里二十一町三十三間 佐須奈村〈至島大國魂御子神社五丁二十間〉 四町 同佐河内川口〈歴舟志坂峠舟志村原、徑測一里一十七丁三十三間半、〉 三町二十七間 同船附 一里一十七町八間 河内村佐河内 五町五十八間〈至河内濱一丁一間〉 大浦村 三町七間 同大浦川口 三十三町三十間〈至豐坂峠一十五丁三十六間半〉 豐村元越 一十四町三間〈至元越五丁四十八間、從元越本宮下、五丁九間半、〉 鰐浦村、三十四度四十一分半、 〈從嚴原鰐浦〉街道、通計二十四里三十五町二間半、 從對馬國仁位街道歴志多賀豐村 對馬國下縣郡仁位村和坂 一里二十三町一十六間 曾村、三十四度二十五分、〈至千尋藻村殿浦徑測一十三丁二間〉 一十二町二十四間 同缶(ホトギ)浦 一十一町二十四間 上縣郡櫛村大地石川口 九町一十八間半 同徳意浦 二十町五十七間 同志内浦 八町七間半 佐賀村 一里四町三十六間〈至佛〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 〈坂峠二十五丁六間〉 志多賀村、三十四度二十八分半、 二里一十町九間 小鹿村 二十七町三十一間〈至枇把峠一十八丁四十六間〉 一重村坂口原 三町一間〈至海岸追分二町一十五間〉 一重村、三十四度三十一分、 一十町二十四間 葦見村 二十二町一十一間 琴村葦見坂 二里六町二十間〈至針尾川口三十六間半、從川口赤坂峠一里九丁三十間、〉 舟志村、三十四度三十六分半、 一十九町一十六間〈至小増浦一十三丁〉 大増村入道浦 一十四町一十八間半〈至立目浦一十丁三十四間、從立目中崎二丁二十四間、〉 濱久須村立目浦 一十四町三十一間〈至氏神本一丁三十三間、從氏神本藥帥堂濱一丁二十九間半、〉 同牟理屋 三十五町二十八間半 比田勝村、三十四度三十九分半、 二町一十八間 同比田勝磯 一町三十九間 同小平次浦 二十九町四十七間半 泉村 二十一町四十三間半 豐村本川岸 一十三町二十八間半 同元越  〈從仁位豐村〉街道、通計一十四里三十四町九間半、

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈三西海道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 對馬 古作津島〈古事記 對馬之字既見魏志、是漢人以邦人之言字者、當時非我邦作對馬、至于後世之爲國名、北史作都斯麻、〉下國、管二郡、百四十村、 上縣〈六十五村〉 下縣〈七十五村古國府〉

〔日本地誌提要〕

〈七十四對馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 沿革 古へ國府ヲ下縣郡ニ置、〈嚴原國分町〉鎌府ノ時、少貳氏ヲシテ二島ノ事ヲ管セシム、島ノ豪族阿比留(アヒル)國信、其命ニ從ハズ、寛元四年、宗重尚〈平知盛ノ孤知宗難ヲ避テ來奔リ、母氏ヲ冒シ宗氏ト稱ス、其子重尚是ナリ、〉國信ヲ滅シテ終ニ地頭トナリ、少貳氏ニ屬ス、文永中、元虜來寇ス、重尚ノ弟助國力戰シテ死ス、正平中、助國ノ曾孫經茂始テ守護ニ補ス、應永中、經茂ノ曾孫貞茂、三根郷佐賀ニ居ル、〈上縣郡〉嘉吉三年、其子貞盛始テ朝鮮ト貿易ス、文明中、其孫貞國徙テ國府ノ中村ニ居ル、享祿元年、貞國ノ後四世將盛與良(ヨラ)郷金石(カネイシ)ニ治ス、後五傳シテ其少子義智(ヨシトシ)嗣テ立チ、豐臣氏ニ屬シ、州守ニ任ジ、肥前ノ田萬石ヲ加賜ス、關原ノ役西軍ニ應ズ、朝鮮聘事ニ任ズルヲ以テ譴ヲ免レ、封邑故ノ如シ、寛文六年、義智ノ孫義眞、徙テ、棧原(サジキバラ)ニ治シ、府中ト改稱ス、王政革新、府中ヲ改テ嚴原(イヅノハラ)ト稱

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 ス、旣ニシテ縣トナシ、又之ヲ廢シ、長崎縣ヨリ、兼治ス、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 津島縣直 橿原朝、〈◯神武〉高魂尊五世孫、建彌己己命改爲直、

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 三年三月丙辰、對馬國司守(○○○○○)忍海造大國言、銀始出于當國

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 對馬島、〈◯中略〉下縣、〈國府〉

〔津島紀事〕

〈一統體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 國府〈和名類聚抄〉 府中〈日本分形圖〉 府の有所は、下縣郡與良郷の東南なり、此故に和名抄に、下縣の國府と見へたり、海東記に古于に作り、〈國府一に古于と讀めばなり〉圖書編登壇必究に歌に作る、俗に府中といひ、又府内と云、舊き文書に、國府を與良と記せると有、是與良は府の本號なればなり、往古天日神命、又の名は天照魂命と云、津島縣の主と成り給ひし時は、小船越を府とせられ、建彌己々命は豆酘を府とせられ、雷大臣命は始は豆酘に居給ひて、後加志に移給ひ、住居の地一所ならず、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 對馬島 管二〈◯中略〉上縣〈加無津阿加多〉下縣〈國府〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 對馬島、下、〈管 上縣(カムツアカタ) 下縣(シモツアカタ)〉 右爲遠國

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 對馬國〈二郡〉 上縣(カミツアタカ) 〈●豐浦 ●鳶浦 ●鰐浦 ●佐須奈 ●大津 ●鳥 北ノ方〉 下縣 〈府中 ●佐須 ●大浦 ●シタリ ●九鬼崎 南ノ方〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 對馬

上縣郡/下縣郡

〔津島紀事〕

〈一統體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 上縣の下文にかんがたと訓を書せるは誤れるなり、かむつしもつの音によりて、字もまた上ン津下モ津に作り、上縣郡を上ン津郡といひ、下縣郡を下モ津郡といふ、古き文に上縣下縣などヽしるせる時は、上縣郡下縣郡としるさずして、上縣何郡下縣何郡としるす、上ン津下モ津としるす時は、上ン津郡下モ津郡としるし、縣の字を省きて郡の字をかヽげたり、ある人のいへるは、縣と郡と通用す、大小の違ひはあれど譯は同様なりしゆへならん、又本州の郡の名に縣といふ名を用ひしは、上代對馬縣といひしその縣の號を傳へしものならん、〈◯註略〉中比以來津を略して加美阿家多、志毛阿我多といふ、法書に記せる所も皆同じ、民俗その誤をついで、下縣をしも我多といふ、阿我多の阿を略して我多と號ふるは、河内國の大縣、美濃國の山縣、信濃國の小縣、安藝國の山縣の類ひの如くなれど、されども本州の下縣は、ひとり此類ひにあらず、しかるに民俗がたととなふるものは稍略しぬるなり、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 神護景雲二年二月庚辰、對馬島上縣郡(○○○)人高橋連波自米女、夫亡之後、誓不志、其父尋亦死、結廬墓側、毎日齋食、孝義之至、有行路、表其門閭、復租終身、

〔日本後紀〕

〈十二桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 延暦二十四年六月乙巳、遣唐使第一船、到泊對馬島下縣郡(○○○)

〔日本書紀〕

〈十五顯宗〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 三年四月庚申、日神著人謂阿閉臣事代曰、以磐余田我祖高皇産靈、事代便奏、依神乞田十四町、對馬下縣直(○○○)侍祠、

〔日本後紀〕

〈二十二嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 弘仁三年正月甲子、太宰府去十二月廿八日奏云對馬島言、今月六日、新羅船三艘浮西海、俄而一艘之船著於下縣郡(○○○)佐須浦、船中有十人、言語不通、消息難知、〈◯中略〉遂知賊船

〔三代實録〕

〈十清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 貞觀七年三月廿二日癸卯、以筑前國水田三十町、充對馬島上縣(○○)、下縣(○○)兩郡司、統領職田

〔三代實録〕

〈十一清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 貞觀七年八月十五日癸亥、太宰府言、對馬島銀穴在下縣(シモツアガタノ)郡、自高山底穿鑿巖、堀入四十許丈、白晝執炬而得入、

〔三代實録〕

〈十七清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 貞觀十二年二月十二日甲午、先是太宰府言、對馬島下縣郡(○○○)人卜部乙屎麻呂、爲鸕鶿鳥新羅境、乙屎麻呂爲新羅國執、縛囚禁于獄、乙屎麻呂見彼國、挽運材木作大船、擊鼔吹角、簡士習兵、乙屎麻呂竊問防援人、答曰、爲取對馬島也、乙屎麻呂脱禁出獄、纔得逃歸

〔倭名類聚抄〕

〈九對馬島〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 上縣郡 賀志 鷄知 玉調 豆酘 下縣郡 伊奈 向日 久須 三根 佐護

〔津島紀事〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 郡郷 古國を分ツて郡とし、郡を分て郷とし、郷を分ちて村とす、〈◯註略〉和名抄に載せられしは、郡名二所、郷名九所なり、今郷名八ケ所とす、左の如し、〈◯註略〉 上縣郡四郷 豐崎〈度與左幾〉 十七ケ村〈枝村壹〉 佐須〈讀の字の如し〉 八ケ村〈枝里四〉 伊奈〈上ニ同〉 十六ケ村〈枝村枝里壹〉 三根〈美禰〉 十ケ村〈枝村一枝里三〉 下縣郡四郷 仁位〈讀の字ごとし〉 十八ケ村〈枝村四枝里一〉 與良〈上ニ同じ〉 三十ケ村〈枝村四〉 佐須〈上ニ同〉 九ケ村〈枝村一枝里五〉 豆酘 三ケ村 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 當今郷村、上縣郡四郷、五十一ケ村、下縣郡四郷、六十ケ村、都合百十一ケ村とす、是に附する所十五ケ村、分ツ所の里十四ケ所有り、村里は時代によりて置、或はやめしもあり、郷村今三千貳百五拾餘軒、一萬八千一百人あり、

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 一對馬國(皆私領) 〈對州〉 貳郡 高ナシ ●府中〈海陸三百七十一里半餘内八十三里海上〉 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 對馬 二郡、百四十村、 無高(皆私領) 上縣郡六十五村 下縣郡七十五村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 郡邑島嶼奇名 對馬 下縣(シモアカツ)郡、安神(アガミ)村、豆酘(ツヽ)村、鷄知(チチ)村、千尋藻(チヒロモ)村、唐洲(カラス)村、阿連(アレ)村、上槻(カフツキ)村、内院(ナイシ)島、馬把(マングハ)島、南室(ナムロ)島、上縣郡、越高(シタカ)村、御園(ミソ)村、女連(ヲメツラ)村、唐舟志(トウシウシ)村、海栗(ウニ)島、荻島(タテク)、赤子(シヤクシ)瀬、本瀬(モトセ)、雎鳩(ヒサゴ)瀬、

〔日本後紀〕

〈十二桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 延暦二十四年六月乙巳、遣唐使第一船到泊對馬島下縣郡、大使從四位上藤原朝臣葛野麻呂上奏言、〈◯中略〉五月十八日、於州下賛縣兩船解纜、六月五日、臣船到對馬島下縣郡阿禮村(○○○)

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 宗對馬守義達 拾万石以上之格(大廣間 從四位侍從文久三亥二月任) 居城對州下縣郡府中〈江戸ヨリ〉三百七十一里半十四丁 領知之外、毎歳拾万石之年租、以現米領之、 〈府中ヨリ大坂迄海上二百四十里、對州府中ヨリ壹岐勝本迄四十八里、此間泊ナシ、勝本ヨリ肥前國相島マデ三十五里、相島ヨリ大坂迄百五十七里、大坂ヨリ江戸迄百三十三里、〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 對馬島 管二〈田四百二十八町〉

〔伊呂波字類抄〕

〈都國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 對馬島 本田六百二十町

〔運歩色葉集〕

〈諸國之郡名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 對馬〈二郡(中略)田數五百五十九町〉

〔津島紀事〕

〈一統體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 豐臣秀吉公、諸國の石高を定め給ふに、壹岐までは石高を定られて、本州〈◯對馬〉の高は定められず、是に依て公義御代替の我が君に下されける御判物に、對馬國一圓とありて穀高をのせ給はず、今吾州の出來穗稻三千石、舂て千五百石、麥二万三千七百石餘、精麥一万六千六百石、都合一万八千一百石なり、武用辨略に、對馬の高五千石とし、廣益節用集に、對馬の高二万五千石とし、城主記に一万千八百石餘と記せるは、ともに聞傳の誤なり、本州の農業は、他國の如く精く詳ならずして、田作の仕かた疏末なりし故に、たヾ原野の地びくなる所、うるほひある所に稻を種へ、水を引て地をひたす所は、僅かに數所あり、古筑紫の稻二千石を以て、國司防禦の人々の粮米に宛行れき、〈◯中略〉筑前の水田三十町を以て上縣下縣の兩郡司にあてらる、〈◯中略〉又稻を種るの少きゆへなり、三代實録に、對馬島例格の大豆百石、租地子の穀百石を以て、銀山を堀るの宛行とせらるの事を載せらる〈◯中略〉租地子の穀は稻なり、續日本紀に、神護景雲元年丁未九月朔日、空に五色の雲あり右大臣從二位吉備の朝臣眞備對馬島の田三町一段、畠五町二段、雜穀二万束を獻りて島の儲へとなすとあり、雜穀は粟蕎麥をいふなり、元祿八年定る所畠木庭の秋、穀粟三千三百石、蕎麥八千三百石、大豆四千三百石、小豆八百石、都合一万七千七百石なり、續日本紀に云、天平十七年乙酉冬十月、諸國出擧の正税を論じ定め、國毎に數あり、たヾ多褹對馬の兩島は并に其數に入らず、

〔和漢三才圖會〕

〈八十對馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 二郡 高二万五千石

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 天保度御國高調〈◯中略〉 對馬國〈皆私領〉 一無高

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 對馬島、正税三千九百廿束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 對馬島 管二〈(中略)本稻三千九百二十束〉

〔續日本紀〕

〈十六聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 天平十七年十月戊子、論定諸國出擧正税、毎國有數、但多褹對馬兩島者並不限、

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 對馬島〈海路行程四日〉 調、銀、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 對馬 椎(シ井) 同茸 コブ苔(ノリ) 青砥〈塗師利屋用之〉 鰤熨斗 此外高麗之珍物 ◯按ズルニ、和漢三才圖會ニハ、以上ノ外ニ、石、鉛等ヲ擧ゲタリ、

〔朝野群載〕

〈三記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 對馬貢銀記 作者江納言 全無田畝、唯耕白田、或置諸租税、至此島、以大豆正税、島中珍貨充溢白銀、鉛、錫、眞珠、金漆之類、長爲朝貢

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 三年三月丙辰、對馬國司守忍海造大國言、銀始出于當國、即貢上、由是大國授小錦下位、凡銀有倭國、初出于此時、故悉奉諸神祇、亦同賜小錦以上大夫等

〔續日本紀〕

〈一文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 二年十二月辛卯、令對馬島冶金鑛

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 大寶元年三月甲午、對馬島貢金、建元爲大寶元年、 八月丁未、先是遣大倭國忍海郡人三田首五瀬於對馬島、冶成黄金

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 天平十一年三月癸丑、詔曰、〈◯中略〉得太宰少貳從五位下多治比眞人伯等解偁、對馬島目正八位上養徳馬飼連乙麻呂、所獲神馬、青身白髮尾、謹撿符瑞圖曰、青馬白髮尾者、神馬也、〈◯下略〉

〔勘仲記 〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 弘安十年七月十三日、内大臣殿令著陣給、〈奥〉其後人々著陣、〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1265 官續文〈◯中略〉 從五位下行對馬守源朝臣光經解申請官裁事 請特蒙官裁因准去仁安治承建仁三箇年例上レ下官符雜事參箇條子細状一請色數管漆箇國催渡當島年粮米并正税交易貢銀直防人功米等事筑前國伍佰陸拾壹斛 准米二百廿一斛 見米三百四拾斛 二百四十斛防人拾陸人功料 百斛正税交易貢銀直料 筑後國伍佰肆拾伍斛 准米二百廿斛 見米三百廿五斛 二百廿五斛防人拾陸人功料 百斛正税交易貢銀直料 肥前國伍佰肆拾伍斛玖斗 准米二百廿斛九斗 見米三百廿五斛 二百廿五斛防人拾伍人功料 百斛正税交易貢銀直料 肥後國捌佰肆拾漆斛玖斗 准米二百八十二斛九斗 見米五百六十五斛 四百六十斛防人參拾壹人功料 百斛正税交易貢銀直料 豐前國肆佰漆壹斛漆斗 准米二百四十六斛七斗 見米二百廿五斛 百廿五斛防人捌人功料 百斛正税交易貢銀直料 豐後國肆佰漆拾壹斛漆斗 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1266 准米二百四十六斛七斗 見米二百廿五斛 百廿五斛防人捌人功料 百斛正税交易貢銀直料 壹岐島陸拾斛玖斗 右光經、謹撿故實、當島年貢銀者、是被渡彼七ケ國年粮米、下行採丁等、或致採銀之勤、或所交易進上也、此外又島内恒例佛神事有其數、皆以年粮米内配件用途、且奉天長地久國家泰平之由、且所祈請内安穩貢銀採得之旨也、而近代管國吏、各背先例、猥忌進濟、仍代々島司申下官符宣旨、令催促之間、雖渡一旦之廳宣、更無始終之所濟、因茲在廳不貢銀之營、雜掌共所濟之計、然而親光任被渡管七ケ國正税交易米六百斛九斗、可易貢銀三百兩之旨、經奏聞之時、被下依請官符之間、致沙汰公用云云、從往古定置七ケ國年粮米、本數三千五百餘斛也、當島司資盛俊成能盛親光等、時經上奏之日、被下七ケ國廳宣、以官使渡當島、可返抄之由、悉宣下了、望請官裁、早任彼等例下官符之後、各召給廳宣、正税已下任色數、可寛濟之由、欲宣下者、 一請止他國住人等押渡當島恣犯用魚貝海藻事、 右光經謹撿案内、當島者本自無一歩一枝之田桑、只以海底之貝藻、僅備京庫之調庸、而他國住人等渡來、恣犯用之條、理可然哉、望請官裁、早可止他國住人等犯用之由、欲宣下者、〈◯中略〉 以前之條事、任代々之例下依請官符、勒在状、謹解、 弘安十年七月二日 從五位下行對馬守源朝臣光經

人口

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1266 對馬國 二郡〈◯中略〉 一人數壹万四千八百人 内〈七千六百四拾人 男 七千百六拾人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1266 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數壹万三千八百六拾貳人(皆私領) 對馬國(高無之) 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 内〈八千百三拾四人 男 五千七百貳拾八人 女◯中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數壹万六千九百四人(皆私領) 對馬國(高無之) 内〈八千六百四拾八人 男 八千貳百五拾六人 女〉

〔津島紀事〕

〈一統體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 むかしの戸數は聞し事なし、本州今の家數五千六百餘軒、人數二万六千六百餘人あり、 ◯按ズルニ、對馬國ノ風俗ハ、壹岐國篇風俗ヲ參照スベシ、

名所

〔日本鹿子〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 同國〈◯對馬〉名所之部 淺茅山 淺茅の里といふ有、淺茅の浦といふも此所也、西より東へ入海有、 竹敷の浦 竹の浦と云も此所也、入海有、 黄葉山(キハヤマ) 府中の近所、海にある山也、

〔萬葉集〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 竹敷浦船泊之時、各陳心緒、作歌十八首、〈◯中略〉 多加之技能(タカシキノ)、母美知乎見禮婆(モミヂヲミレバ)、和藝毛故我(ワギモコガ)、麻多牟等伊比之(マタムトイヒシ)、等伎曾伎爾家流(トキゾキニケル)、

雜載

〔朝野群載〕

〈三記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 對馬貢銀記 作者江納言 欽明天皇之代、佛法始渡吾土、此島有一比丘尼、以呉音之、因茲日域經論、皆用此音、故謂之對馬音

〔日本書紀〕

〈二十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 三年、是歳於對馬島壹岐島筑紫國等防與一レ烽、 六年十一月、是月築〈◯中略〉對馬國金田城

〔續日本紀〕

〈十一聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 天平四年五月乙丑、對馬島司、例給年粮、秩滿之日、頓停常粮、比本貫食粮交絶、〈◯中略〉依請給之、

〔續日本紀〕

〈二十二淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 天平寶字三年三月庚寅、太宰府言、府官所見、方有安者四、據警固式、於博多大津、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1268 及壹岐、對馬(○○)等要害之處、可船一百隻以上以備不虞、而今無船可一レ用、交闕機要、不安一也、

〔續日本紀〕

〈二十八稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1268 神護景雲元年九月戊申朔、右大臣從二位吉備朝臣眞備、獻對馬島墾田三町一段、陸田五町二段、雜穀二万束、以爲島儲


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:57 (387d)