http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 山城國ハ、ヤマシロノクニト云フ、原ト山背、山代、開木代等ノ字ヲ用ヰタリシガ、桓武天皇ノ延暦十三年、改メテ山城ト爲ス、蓋シ地勢ニ據レルナリ、東ハ近江ニ境シ、西ハ丹波、攝津ニ至リ、南ハ伊賀、大和、河内、北ハ丹波ニ接シ、東西凡ソ六里、南北凡ソ十五里アリ、此國ハ、古ヘ國府ヲ乙訓郡ニ置キ、乙訓(オトクニ)、葛野(カドノ)、愛宕(オタギ)、紀伊(キイ)、宇治(ウヂ)、久世(クゼ)、綴喜(ツヾキ)、相樂(サガラ)ノ八郡ヲ管ス、仁明天皇ノ朝、勅シテ畿内ノ第一班ト爲シ、延喜ノ制、上國ニ列ス、明治維新ノ後、新ニ京都市ヲ設ケ、京都府ヲシテ一市八郡ヲ治セシム、 京都ハ、葛野愛宕ノ二郡ニ跨ル、其奠都ハ、桓武天皇ノ時ニ在リ、事ハ皇都篇ニ詳ナレバ、宜シク就テ看ルベシ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 山城〈夜萬之呂〉

〔運歩色葉集〕

〈屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 山城〈始曰山背、后改曰山城也、〉

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 山城〈雍州山州〉

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 山城〈羊馬(ヤンマ)失羅(シイロウ)〉

〔日本紀略〕

〈桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 延暦十三年十一月丁丑、詔、〈◯中略〉此國山河襟帶、自然作城、因斯形勝新號、宜山背(○○)國山城(○○)國

〔松の落葉〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 山城國はやまきのくにといひたりし事 日本後紀一の卷、延暦十三年十一月のところに、此國山河襟帶、自然作城、因斯形勝新號、宜山背國山城國とあれば、山背國(ヤマシロノクニ)の名を山城國(ヤマキノクニ)とかへたまへるなり、源順朝臣など新號とあるをいかヾ心えられけん、もじのみかはれる事として、和名抄に山城〈夜萬之呂〉としるされしはいみじきひがことなり、此抄の郡郷の名は、其時の人のいふまヽにしるして、住吉〈須美與之〉とかヽれたるたぐひいにしへにたがへる事は、ほかにもおほかれど、これらはさはかくまじき事ぞ、延暦のみかどのみさだめにたがへる事なればなり、このひがことよりおこりて、今の世には城(キ)をしろといへり、城と云もじは、日本書紀には、きと訓によみ、又さしともよめれど、しろとよめることは、すべて古書にみえたる事なし、山城國のもじは、やまきのくにとよまんぞ正しかるべき、されど國の名などはあやまりにても、久しくいひなれては、今さらにわたくしには、あらためがたき事なりかし、

〔古事記〕

〈下仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204是大后大恨怨、〈◯中略〉即不坐宮而引避其御船、泝於堀江、隨河而上幸山代、此時歌曰、都藝泥布夜(ツギネフヤ)、【夜麻志呂(ヤマシロ)】賀波袁(ガハヲ)、迦波能煩理(カハノボリ)、和賀能煩禮婆(ワガノボレバ)、迦波能倍邇(カハノベニ)、淤斐陀氐流(オヒダテル)、佐斯夫袁(サシブヲ)、佐斯夫能紀(サシブノキ)、斯賀斯多邇(シガシタニ)、淤斐陀氐流(オヒダテル)、波毘呂(ハビロ)、由都麻都婆岐(ユツマツバキ)、斯賀波那能(シガハナノ)、氐理伊麻斯(テリイマシ)、芝賀波能(シガハノ)、比呂理伊麻須波(ヒロリイマスハ)、游富岐美呂迦母(オホキミロカモ)、〈◯又見日本書紀

〔古事記傳〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 都藝泥布夜(ツギネフヤ)は〈此言書紀には四首ある並夜字なし、萬葉十三にもあるにも夜字はなし、此記には四首ある二首には夜字あり、二首には無し、あるをば師(賀茂眞淵)は衍なりとせられつれど、此も次なるも、諸本共に有れば、今はさてあるなり、〉繼苗生(ツギ子フ)やなり、〈夜は余と云むが如し、歌ひ出したる辭なり、〉那閉(ナヘ)を初めて泥(ネ)と云り、繼苗とは山の樹を伐取たる跡に、又繼て樹を生し立む料に植る苗を云、生は其苗を豫て蒔生(マキオホ)し設け置く地なり、〈粟田(アハフ)豆田(マメフ)、淺茅生、蓬生などの類、皆其物の生たる地を某生(ナニフ)といへり、〉さて稻の苗を蒔生する田を苗代と云如く、かの山の樹の繼苗を生する地を山代と云なるべし、凡て山の用は材を出

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 すを主とする故に、即材を伐取る事を山と云て、〈杣人の材を伐初るを山口と云、又材を造る斧を山多豆と云、これらみな山とは材につきて云り、〉此は其伐出すべき材の繼苗を生する地なるを以て山代と云り、萬葉に開木代(ヤマシロ)とも書るは此義なり、〈開木は代と離して意を取るときは、材を伐出す意にて山なり、又代に連ねて意を取るときは、材を生立る繼苗の意なり、何れに取ても此にかなへり、されば此繼苗生の考を以て、かの開木代(ヤマシロ)と書る義をも相明すべし、〉されば此枕詞は、繼苗生之山代と云意につヾけたるなり、〈然るを昔より萬葉に次嶺經と書るに依て、續きたる山を經てゆく由に解來たるは當らず、まづ次嶺と云言も、いかゞなるうへに、山城國は、大和よりたゞ程近き山一重をこそ越れ、さいふばかり續きたる山を經て行國には非るを、いかでか然は云む、〉さて山代は、本より一國の大名にてもあるべけれど、又思ふに、始はかの繼苗生を云、山代より負る一郷などの名にてもありけむ、〈本より一國の名にても、此枕詞のつゞけの意は同じことなり、〉

〔萬葉集〕

〈十三問答〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 次嶺經(ツギネフ)、【山背】道乎(ヤマシロヂヲ)、人都末乃(ヒトヅマノ)、馬從行爾(ウマヨリユクニ)、己夫之(オノツマガ)、歩從行者(カチヨリユケバ)、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈七雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 旋頭歌 【開木代】(ヤマシロノ)、來背社(クゼノヤシロノ)、草勿手折(クサナタヲリソ)、己時(オノガトキ)、立雖榮(タチサカユトモ)、草勿手折(クサナタヲリソ)、 右柿本朝臣人麻呂之歌集出

〔萬葉集略解〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 卷十一にも、山しろと云にかく書たり、聖武紀天平十七年正月、云々乍遷新京、伐山開地以造室なども有て、林を開て材をとるべき所は山なれば、開木にてやまとよむべし、

〔倭訓栞〕

〈前編三十四也〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 やましろ 日本紀に山背と書り、大和國の北にあるをもて名とす、延暦中に山城と改めさせられしは、國の形勢による也、山代とも書るは訓を借る也、萬葉集に開木代(ヤマシロ)と書るは、義をもてよめる也、杣をそまとよめるが如く成べし、大和本紀に、總て材木を採所を、杣人の諺に山開(シロ)といへば、山城も材木を取し所歟と見えたり、雍州と稱するは、西土洛陽雍州に在るをもて也、俗に山に在るの城をいふには、しを濁れり、

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 山代國造、名義は書紀に山背と書る字の意〈うしろのうを省く〉なるべし、此國は大和國の北方の山の後なればなり、

〔國名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 山城(ヤマシロ)〈仁徳紀歌夜莽之呂、和名抄訓同、〉按山城字舊作山背、又作山代、延暦十三年十一月丁丑、詔改之、山城之爲言山場也、山彌隈(ヤマ)也、謂隈曲彌重場(クマ〴〵イヤカサナル)猶地、訓曰志呂、曰止古呂、志呂猶繩志呂之志呂、謂疆場平坦、此國在山間平坦地因名焉、神名式有丹後國丹波郡稻代神社、是取地名於稻田、乃稻場(イナシロ)之義、以場呼者與此相同也、和名抄有加賀國江沼郡山背郷、阿波國那賀郡山代郷等名、蓋亦山間一場之地乎、又有出雲國意宇郡山代、郷山代神社等、按風土記、山代彦命處之、故名山代云、或曰山城山背也、謂在於大和之山背、今撿其地、二國之間非山、所在皆丘阜迆邐不甚險、然則山背之背舊假字、而非背後之背也明矣、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 各國經緯度〈附里程〉 山城京師改暦所〈三條千本〉極高三十五度三十秒爲東西經度之中度、從東都日本橋〈下同〉東海道〈佐屋廻リ下同〉一百三十五里一十五町二十五間半、中山道一百三十八里一町二十六間半、 山城伏見〈西濱町〉極高三十四度五十六分經度東一分、從東都〈東海道〉一百三十六里一町五十五間半、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 北極出地 山城 淀 三四度五四分◯◯秒 京 三五度◯◯分三六秒 伏見 三四度五六分◯◯秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 ◯度◯◯分◯◯秒

疆域

〔山城志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 疆域 東至江州界、西至丹攝二州界、南至伊和河三州界、北亦至丹州界、東西六里餘、南北十八里餘、

〔日本地誌提要〕

〈三山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 疆域 東ハ近江、西ハ丹波、攝津、南ハ伊賀、大和、河内、北ハ丹波ニ至ル、東西凡六里、南北凡壹拾五里、

地勢

〔雍州府志〕

〈一建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 凡山城北至若狹、南連大和河内、其間相距十七八里餘、東限近江伊賀界、西隣丹波攝津、其間或四五里或七八里、巽與乾之間地形長而廣、至艮方則地勢窄迫、

〔山城志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 形勝 山河襟帶、自然作城、〈延暦十三年勅云〉博大爽塏天府之國、形勢雄偉易於據守

道路

〔和漢三才圖會〕

〈七十二本山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 二條城〈艮至比叡山三里、北至鞍馬山三里、東至三井寺三里半、戌方至愛宕山三里、南至伏見三里、未方至男山八幡四里半、至宇治五里、〉淀〈艮至江戸百二十五里、北至京都三里半、東至伏見一里、申方至大坂九里、〉 從京師諸國行程大略 武州江戸ヘ 百二十四里 常州鹿島ヘ 百五十三里 相州鎌倉ヘ 百十九里 野州日光山ヘ 百五十八里 甲州身延山ヘ 九十九里 豆州箱根山ヘ 百一里 駿州富士麓ヘ 九十二里 信州善光寺ヘ 百十二里 越前敦賀ヘ 二十九里 賀州金澤ヘ 六十七里 越中立山ヘ 百四十六里 奧州仙臺ヘ 二百十二里 奧索覩(ソトノ)濱ヘ 三百二十五里 和州奈良ヘ 十一里 和州吉野ヘ 二十三里 和州大峯ヘ 二十九里 紀州熊野ヘ 四十七里 紀州弱(ワカ)山ヘ 二十八里 江州大津ヘ 三里 羽州湯殿ヘ 二百五十二里 尾州熱田ヘ 三十七里半 江州多賀ヘ 十六里 伊勢山田ヘ 四十三里半  伊勢鈴鹿ヘ 十八里 若狹小濱ヘ 十八里 丹波龜山ヘ 五里 攝州大坂ヘ 十三里 攝州高槻ヘ 六里

〔山城志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 路程 自京師江都一百二十里、至攝州大坂十二里有半、至高槻五里、至和州南都十里餘、至郡山十一里餘、至丹州龜山五里、至江州大津三里、至膳所四里、至淀三里、至伏見二里十八町 〈官道〉 東國路 三條口至四宮辻〈江州滋賀郡界〉一里十六町〈所歴曰粟田口、曰日岡、曰御陵、曰竹鼻等、又自四宮辻左折一蹊、謂之小關越、〉 大和路 五條口至伏見豐後橋二里、〈所歴曰東福寺門前、曰稻荷、曰深草、曰藤森等、〉豐後橋至廣野新田二里、〈歴巨椋、羽拍子、〉新田至長池驛一里、〈所歴曰平川、曰久世、曰寺田等、〉長池至玉水驛一里八町、歴奈島十六玉水至木津驛二里四町、〈歴綺田綾杉藪〉、木津至一坂〈和州添上郡界〉二十四町、〈五條口至此通計九里、又自五條橋新(イマ)熊野西山村勸修寺三十二町、謂之濘(スベリ)石越、又自五條稿清閑寺御陵村一里十町、謂之汁谷越、〉 西國路 東

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 寺口至向日町一里十二町、〈所歴曰吉祥院、曰石原、曰上久世、曰大藪、曰下久世、曰寺戸等、〉向日至山崎驛關戸〈攝州島上郡界〉一里二十四町、〈所歴曰開田、曰馬場、曰神足(カウタニ)、曰調子、曰圓明寺等、東寺口至此通計三里、又經歴吉祥院、塔森、久我、下植野等、至山崎、謂之久我畦畷(ナハテ)路、一名古道、又自東寺口淀驛二里十八町、所歴曰上鳥羽、曰小枝、曰下鳥羽、曰横大路、曰富森、曰納所、自淀歴美豆而到河州交野郡界橋本金橋一里十町、謂之大坂路、又自淀至和州添下郡界相樂村六里十八町、所歴曰美豆、曰下奈良、曰上奈良、曰岩田、曰薪、曰田邊、曰興(コウ)戸、曰高木、曰菱田、曰下狛、曰祝園、曰菅井、曰吐師(ハジ)、謂之歌姫越、〉 丹波路、〈舊名大枝道〉七條口至樫(カタギ)原驛一里十二町、〈所歴曰川勝寺、曰下桂、曰川島等、〉樫原至沓掛二十九町、〈經塚原〉沓掛至峠〈丹州桑田郡界〉二十一町、〈七條口至此通計二里二十六町〉 長坂越、〈一名山國路〉長坂口至杉坂二里十三町、〈歴鷹峯〉杉坂至西河内一里二十町、〈歴眞弓中村〉西河内至峠〈桑田郡界〉十九町〈長坂口至此通計四里十六町、又自杉坂上村一里一町、上村至峠十町、謂之細河(ホソコ)路、山國細河倶丹州、〉 久多越、〈舊名若狹路、又云小川越、〉鞍馬口至鞍馬一里二十一町、〈所歴曰賀茂、曰幡枝、曰市原、曰野中、曰二瀬等、〉鞍馬至大見三里十四町、〈歴百井〉大見至久多三里、〈山路險峭〉久多至峠〈江州高島郡界〉一里、〈鞍馬口至此通計八里三十五町、又自久多榎木峠一里、謂之榎木越、小川榎木倶江州、又自久多能見峠十八町、乃丹州桑田郡界、又自鞍馬過花瀬嶺別所、及百井、大見二分道、至大布施村三里四町、自村至嶺二十町、乃桑田郡界也、又自大布施村八升村二十町、自村至嶺八町、亦桑田郡界也、又自八升國土峠久多四里九町、羊腸崎嶇不馬行、〉 龍華越、〈舊名大原道、又名橡生(トチフヽ)越、〉大原口至八瀬一里三十四町、〈歴山端(ハナ)高野〉八瀬至小出石(コデシ)峠〈江州滋賀郡界〉二里十町、〈所歴曰戸寺、曰大長瀬、曰來迎院、曰勝林院、自大原口此通計四里八町、橡生、龍華、舊屬本郡、今入江州、已上京師七口路(○○○○○)、〉 〈間道〉 嵯峨路 下立賣朱雀至鳴瀧二十八町、〈歴木辻、仁和寺門前、〉鳴瀧至嵯峨清凉寺門前二十九町、〈歴山越池裏〉嵯峨至水尾一里十四町、水尾至峠〈桑田郡界〉十町、〈朱雀至此通計三里九町、又自水尾越畑峠一里十九町、山路險隘、〉 高雄越 一條朱雀至鳴瀧二十七町、〈歴仁和寺門前、福王寺、〉鳴瀧至中島三十四町、〈歴平岡、善妙寺、〉中島至峠〈桑田郡界〉一里一町、〈朱雀至此通計二里二十六町〉 雲カ畑越 大宮森至雲畑出谷二里六町、〈歴中津川、中畑、〉出谷至峠〈桑田郡界〉一里十五町、〈歴岩屋山下大宮森此通計三里二十一町、已上丹州境界、〉 山中越 今出川口至白川村十五町、〈歴雲母(キラヽ)越分道〉白川至峠〈江州滋賀郡界〉二十四町、〈今出川至此通計一里三町、又自一乘寺村滋賀郡界撞木島三十四町、謂之白鳥越、〉 竹田路 東鹽小路至伏見京橋一里二十五町〈已上蹊路、往自京師、〉 大澤嶺、〈攝州島上郡界〉至柳谷六町、柳谷至神足一里二町、〈歴下海印寺村、又自柳谷一蹊、外通尺代村、〉 外畑(トノハタ)越、〈桑田郡界〉至塚原二里三町〈所歴曰坂本、曰長峯、曰大原野、又自坂本一蹊、外通出灰(イヅルハ)村行程一里、〉 唐櫃越、〈桑田郡界〉至下山田一里、 芹生越、〈桑田郡界〉至貴船村一里十四町〈已上丹州境界〉 二ノ尾峠、〈滋賀郡界〉至六地藏村二里八町、〈歴二尾、炭山、木幡、坂磴甚險、又自二尾村一蹊、外通栗本郡曾束村、〉 禪定

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 寺越、〈栗本郡界〉自界至村十六町、自村至郷口三十町、〈歴岩本、荒木、上町、〉郷口至宇治一里二十七町、〈通計三里一町、又有禪定寺村外通曾束村一蹊、〉 信樂越〈甲賀郡界〉至茶屋十六町、茶屋至大道寺一里三十三町、〈歴川上、奧山田、湯屋谷等、〉大道寺至郷口一里五町、〈歴糠塚、贄田、上町等、〉郷口至市邊一里十五町、〈國界至此通計四里三十三町〉 柞(ハヽソ)嶺、〈甲賀郡界〉至湯船三十二町、湯船至原山三十四町、原山至川原村二里、〈所歴曰岡、曰、白栖、曰石寺、曰井平尾、曰岡崎、自嶺至此通計三里三十町、又自湯船郡曰龍芝二里七町、謂之多羅尾越、〉 野殿越、〈甲賀郡界距野殿村一里十二町、坂磴險難、〉自村至北大河原一里、〈已上江州境界〉 大河原越、〈伊州阿拜郡界、距村二十七町、〉北、大河原驛至北笠置驛一里二十町、〈歴上有市、下有市、〉北笠置至草畑渡〈笠置管内〉十八町、渡至西村二里十八町、〈所歴曰木(コ)屋、曰錢司(デス)、曰井平尾、曰岡崎、曰川原、〉西村至神童寺十二町、神童寺至綾杉二十四町、〈歴平尾國界此通計六里十一町、一名神童寺越、〉 飛鳥路越、〈添上郡曰、去飛鳥路村三十町、坂路嶮岨、〉自村至有市三町、 柳生越、〈添上郡界〉至草畑渡一里二十町、〈歴飛鳥路、南笠置、又自南笠置國界七町、外通廣岡村、〉 梅谷越、〈添上郡界〉至里村驛一里九町、里村至草畑渡一里二十一町、〈所歴、曰船屋町、曰北村、曰山田屋敷等自國界此通計二里三十町、已上和州境界、〉 普賢寺越、〈交野郡界〉至田邊二十三町、 荒坂越、〈交野郡界〉至松井村十六町、 洞嶺〈交野郡界〉至八幡志水町十八町、〈又有一蹊七ツ松越、倶河州境界、大澤嶺已下來自境界〉 粟生路 友岡至粟生二十五町、粟生至沓掛一里五町、〈所歴曰上里、曰石見、曰大原野、曰長野、曰岡新田等、通計一里三十町、〉 愛宕路 上嵯峨至樫原一里十九町、〈所歴曰天龍寺門前、曰上山田、曰松尾、〉樫原至向日町三十二町、〈歴寺戸物集(モズ)女、通計二里十五町、〉 新道 伏見至藤ノ森二十三町、藤森至小野一里六町、〈歴大龜谷、勸修寺、〉小野至追分一里二町、〈通計二里三十一町〉 宇治路 小野至六地藏驛一里、〈歴醍醐、石田等、〉六地藏至宇治橋一里、〈歴木(コ)幡、五箇莊等、〉宇治至廣野新田十六町、〈通計二里十六町〉 賀茂路、〈一名河南路〉木津村至法華寺野二十八町、〈粟生路已下國内行路之號〉

〔日本實測録〕

〈二街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209東京東海道至西京〈◯中略〉 山城國宇治郡髭茶屋町 一里三十町一間 西京三條大橋東頭〈沿鴨川中島村小枝橋、二里三町五十三間、從小枝橋桂川口、一里十七町五十一間、〉 一十六町二十一間 同瓦師町〈至千本通四辻、三町一十四間、從四辻西三條臺攺暦所、六町三十五間、〉 二町八間 同神泉苑町、三十五度三十秒、 〈從東京西京〉東海道通計一百三十四里一十六町三十五間〈◯中略〉 從伊勢國津、歴伊賀國、至木津、〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 山城國相樂郡北大河原村〈至大和國小柳生陣屋、二里三町三十五間、〉 一里八町四十二間 北笠置村〈至笠置寺、一十六町二十五間、〉 二里一十七町九間半〈至加茂宿、二里九間半、〉 里村〈至奈良坂村、一里一十町四十八間、〉 一里一十五町二十八間半 木津宿本町、三十四度四十四分半、 〈從津 至木津〉街道通計二十一里二十六町一十四間 從伊勢國市場庄、歴大和國、至西京、〈◯中略〉 山城國相樂郡木津宿本町 二里四町九間半 綴喜郡井出郷水無村玉水宿 一里九町一十五間 久世郡富野村長池町、三十四度五十分半、 一里四町三十六間 廣野村〈至宇治郷橋本町二十八町四十九間半〉 一里二十四町四十五間 紀伊郡向島村橋詰町 七町三間〈至伏見玄蕃町、二丁四間、〉 堀内村〈至鐵門、八丁三十七間、〉 一十八町三十一間〈至大龜谷村七十軒町、一十六町四十二間、〉 大龜谷村鳥居崎町 二町九間〈至藤森社前、四十五間、〉 深草村玄蕃町 一十八町一十八間 稻荷村御前町〈至稻荷山稻荷社、二町三十間、〉 二十五町一十四間〈至東福寺前、八町一十四間、〉 西京大佛前 一十九町三十間〈至建仁寺前、九町六間、從寺前四條通、四町五十一間、〉 西京三條大橋東頭 〈從市場庄西京〉街道通計四十九里二十五町五十七間〈◯中略〉 從東海道鳥居川、沿勢田川、至伏見、〈◯中略〉 山城國久世郡宇治郷橋本町、三十四度五十三分半、〈歴宇治橋、至宇治郡宇治郷、一丁四十三間、從宇治郷、至宇治神社、四丁一十八間、又從宇治郷、至大鳳寺村、四丁五十七間、從大鳳寺村、至三室戸寺、一十一丁四十二間、又從大鳳寺村、至黄檗山萬福寺前、一十八丁一十五間、從寺前、至大龜谷村七十軒町、一里九丁二十一間、〉 三十二町一十三間 紀伊郡向島村 二十一町一十四間 同橋詰町 四町〈至伏見玄蕃町、二町、〉 伏見豐後橋町〈歴彈正島、至三栖町、一十一町七間、〉 一町一十五間 同彈正町〈歴元材木町、至撞木町四丁八間、〉 七町一十間〈至撞木町、四丁二十八間、〉 同南濱町三十四度五十六分、二十六間 同京橋 〈從鳥居川伏見〉街道通計七里二十八町二十四間

〔日本實測録〕

〈四街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210山城國髭茶屋伏見及大坂、至西宮、 山城國宇治郡髭茶屋町 三里六町一十五間〈至大龜谷村鳥居崎町、二里九丁、從鳥居崎町、至深草玄蕃町、二里九間、〉 紀伊郡伏見京橋 一里一十町二十八間半〈至三栖町、八丁五十一間、從三栖淀小橋、三十五丁五十八間半、〉 久世郡淀池上町、三十四度五十四

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 分半、 一十三町四十九間〈至木津川岸、一十丁二十五間、〉 綴喜郡美豆村木津川岸、〈沿木津川、至淀川岸四町四十一間、〉 三十町五十九間、橋本町 一十一町八間半〈至國界、三町三十八間、〉 河内國交野(コモノ)郡楠葉村〈沿淀川牧方宿、二里二町四十四間、◯下略〉

〔國花萬葉記〕

〈二下山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 拾遺 宇治大路方(ヲチカタ) うぢより木幡を經て京師に上るの道也、うぢ橋の東三室に至る道路をすべて宇治大路と云へり、それをおちかたと云ならはせるは誤り也、〈◯中略〉 諸方道法 大津〈三リ〉 比叡山〈三里〉 伏見〈二里半〉 鞍馬〈三リ〉 淀〈三リ〉 大原〈三里〉 山崎〈三里半〉 八幡〈四里〉 岩屋〈四里〉 勝尾〈八里半〉 有馬〈十六里〉 黄檗〈三里〉 嵯峨〈二里〉 宇治〈四里〉 愛宕〈三リ〉 高雄〈三里〉 唐崎〈四リ〉 膳所〈四里〉 石山〈五里〉 牛尾〈二里半〉 醍醐〈三里〉 粟生〈三里半〉 龜山〈五里〉 奈良〈十一里〉 大坂〈十二里〉

〔雍州府志〕

〈一形勝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 凡自四方京師七道、是謂七口、是自古所之也、於今京師繁華日増月盛、故七口之外、入京師之道有數箇所、人馬之往來不跡、所謂七口者、東三條口、伏見口、鳥羽口、七條丹波口、長坂口、鞍馬口、大原口是也、倭俗出入之道謂口、〈◯中略〉

〔山州名跡志〕

〈四上愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 粟田口 東國ヨリ鳳城ニ入ル路口ノユヘニ口(クチ)ト稱ス、粟田ハ總名ナリ、其方境、東ハ白河ヲ限リ、西ハ鴨川ヲ限リ、北ハ二條ノ東ヲ限リ、是ヲ下粟田ト云フ、其北ハ北白河ニ至ツテ上粟田ト號ス、

〔續日本紀〕

〈二十五淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 天平寶字八年九月乙巳、太師藤原惠美朝臣押勝、逆謀頗泄、 壬子、軍士石村〈◯村原脱、據一本補、〉主石楯斬押勝首京師、押勝者、〈◯中略〉遂起兵反、〈◯反原作及、據一本攺、〉其夜相招黨與、遁宇治奔據近江、山城守日下部子麻呂、衞門少尉佐伯伊多智等、直取田原道(○○○)、先至近江勢多橋

〔下學集〕

〈上天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 【苦集滅道】(クヽメヂ)〈洛陽東山清水寺南、清閑寺之麓也、三井開山教侍和尚欲城南山崎別業、及此地、其木履之響鳴作苦集滅道之音、奇異事也、由是厥後關東左遷人、亦及〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212此道時者、必觀四諦之法、故呼此道苦集滅道也、〉

〔保元物語〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 官軍方々手分事 彼等ヲ南庭ニ被召テ、少納言入道ヲ以テ、去ヌル二日一院〈◯鳥羽〉崩御後、武士共兵具ヲ調テ、東西ヨリ都ヘ入集ル事道モ去アヘズ、以ノ外ノ狼籍也、弓箭ヲ帶セン輩ヲバ、一々ニ召捕テ參上スベキ由被仰下、各庭上ニ跪テ是ヲ承ル、義朝義康ハ内裏ニ候テ、君ヲ守護シ奉レ、其外ノ撿非違使ハ、皆關々ヘ可向トテ、宇治路(○○○)ヘハ安藝判官基盛、淀路(○○)ヘハ周防判官季實、粟田口ヘハ隱岐判官惟重、【久久目(ククメ)路】ヘハ平判官實俊、大江山(○○○)ヘハ新藤判官助經承テ向ヒケリ、 ◯按ズルニ、久々目路ハ苦集滅道ト同ジクシテ、清閑寺ノ麓ヨリ山科ニ通ズル道ナリ、

〔源平盛衰記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 額打論附山僧燒清水寺事并會稽山事 搦手ハ、大關、小關、四宮川原モ打過テ、苦集滅道ヤ、清閑寺、歌ノ中山マデ攻寄タリ、

〔源平盛衰記〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 山門奏状事 座主〈◯明雲〉一切經ノ別所ヲ出テ配所ヘ赴給フ、〈◯中略〉彼粟田口、兩葉(ヲトハ)山、四宮河原ヲ打過テ、〈◯中略〉粟津ノ浦ニゾ出給フ、

〔源平盛衰記〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 山門變改事 南都ノ大衆、芳野十津川ノ惡黨等ヲ相語ヒテ、宇治路、淀路ヨリ挾テ寄ルナラバ、〈◯下略〉

〔源平盛衰記〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 宇治合戰附頼政最期事 宮〈◯高倉〉ハ御淨衣ニテ御馬ニ召、〈◯中略〉宇治ヘゾ入セ給ケル、宇治ト寺トノ間、行程纔ニ三里計ナリ、

〔源平盛衰記〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 平家兵被宇治勢多事 新三位中將資盛大將軍トシテ、〈◯中略〉宇治路ヨリ田原路(○○○)ヲ廻テ、近江國ヘ指下サル、

〔源平盛衰記〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 高綱渡宇治河事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 大勢河ヲ渡ヌレバ、〈◯中略〉或ハ木幡大道、醍醐路(○○○)ニ懸ツテ阿彌陀ガ峯ノ東ノ麓ヨリ攻入モアリ、或ハ小野庄、勸修寺ヲ通リテ七條ヨリ入者モアリ、或ハ櫃川ヲ打渡リ、木幡山、深草里ヨリ入モアリ、或ハ伏見、尾山、月見岡ヲ打越テ、法性寺一二ノ橋ヨリ入モアリ、道ハ互ニ替レドモ、同ジ都ヘ亂レ入ル、

〔源平盛衰記〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 巴關東下向事 木曾〈◯義仲〉ハ、此彼ヲ打破テ東ヲ差テ落行ケリ、龍華越(○○○)ニ北國ヘ傳トモ聞ケリ、長坂(○○)ニカヽリ播磨ヘ共云ケリ、

宿驛

〔續日本紀〕

〈五元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 和銅四年正月丁未、始置都亭驛、山背國相樂郡岡田驛、綴喜郡山本驛、〈◯下略〉

〔日本後紀〕

〈十二桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 延暦二十三年六月己巳、停山城國山科驛

〔日本後紀〕

〈二十一嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 弘仁二年閏十二月甲辰、遊獵于水生野、御於山崎驛

〔類聚國史〕

〈三十二帝王〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 弘仁四年二月己亥、遊獵於交野、以山埼驛行宮、是日津頭失火、延燒廿一家

〔凌雲集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 御製〈◯嵯峨〉廿二首〈◯中略〉 河陽驛(○○○)經宿、有京邑、 河陽亭子經數宿、月夜松風惱旅人、雖山猿助客叫、誰能不帝京春

〔朝野群載〕

〈三文筆〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 遊女記 自山城國與渡津、浮巨川西行一日、謂之河陽、往返於山陽西海南海三道之者、莫此路、〈◯下略〉

〔山城名勝志〕

〈六乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 河陽〈或云、山崎同所歟、〉

〔太平記〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 正成下向兵庫事 正成是ヲ最期ノ合戰ト思ケレバ、嫡子正行ガ今年十一歳ニテ供シタリケルヲ思フ様有トテ、櫻井ノ宿(○○○○)ヨリ河内ヘ返シ遣ストテ、庭訓ヲ殘シケルハ、〈◯下略〉

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈二畿内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 山城 古作山背、或作山代、〈國造記〉延暦十三年十一月詔、改山背國山城國、是時奠都焉、民皆謳歌、異口同辭、號平安京、承和三年十月、承前之例、畿内國次以大和國之第一、勅宜山城國之第一、上國、管八郡四百七十七村、〈諸國郡名、以延喜式、和名抄、拾芥抄所載之異同、注各郡條下、而色葉字類抄、運歩色葉抄、古本節用集、亦載郡名、各有小異同、〉 乙訓〈五十二村 古弟國、後爲郡、延暦十六年八月、遷國治於長岡京南、舊在葛野郡、地隘也、貞觀三年六月、國司奏、以河陽離宮少行幸而稍就破壞、請爲國司爲政之所、當舊號、臨行幸、而先掃之、◯中略〉 紀伊〈三十四村〉 葛野〈八十一村〉 久世〈四十二村〉 愛宕〈八十一村〉 宇治〈五十一村 日本紀作菟道、萬葉集氏川、即是、〉 綴喜〈五十四村 古事記作筒木、仁徳紀筒城岡、萬葉集管木之原、即是、〉 相樂( /サカラカ)〈八十二村〉

〔山城志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 建置沿革 畿内第一之域、天文距極三十五度半強、尚古曰山背國〈以其在大和國北名、一作間木(ヤマ)代、又山開、又山代、〉延暦十三年十一月改爲山城、神武天皇以天目一命國造、舊府在相樂郡甕原、貞觀中、遷于山崎、建久中執國政於六波羅、延元以來、徒于室町、今在二條城北、謂之所司代、其所職掌兼知畿内及西州事

〔日本地誌提要〕

〈三山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 沿革 桓武天皇ノ御宇、皇都ヲ葛野愛宕二郡ノ地ニ定メ、左右京職東西市司ヲ置、又國司アリ、府ヲ乙訓郡〈河陽(カヤ)離宮〉ニ置キ、都外ノ事ヲ領ス、鎌府ノ建ツ、京都守護ヲ設ケ、北條氏執權ノ日、南北六波羅探題ヲ創置シテ、京畿山陰山陽南海諸州ノ政刑ヲ兼掌セシム建武中興大内ヲ營造シ、省司諸制始テ舊式ニ復セリ、既ニシテ足利尊氏反シ、後光明天皇ヲ擁立シ、將軍府ヲ室町ニ開キ、國命ヲ執リ、應仁以後、輦下大ニ亂レ、永祿中、三好松永群黨、將軍義輝ヲ弑シ、淀、勝龍寺諸城ニ據ル、天正ノ初、織田信長盡ク之ヲ平ラゲ、所司代ヲ京都ニ設ク、信長弑セラレ、豐臣秀吉代テ國權ヲ握リ、聚樂及伏水ニ城テ京都ヲ守ル、豐臣氏亡ビ、徳川氏亦所司代ヲ置キ、二條城ヲ築キ、山城、大和、丹波、近江ノ政刑ヲ統シメ、伏水ニ奉行ヲ置キ、松平定綱ヲ淀ニ封ズ、享保中、稻葉正知之ニ代リ世襲、王政革新所司代及伏水奉行ヲ廢ス、明治二年乘輿東遷シ、留守官

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 ヲ置キ二條城ヲ以テ府トナス、尋テ淀藩ヲ廢シ留守官ヲ府ニ併ス、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 山城國造 橿原朝〈◯神武〉御世、阿多根命爲山代國造、 山背國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉御世、以曾能振命賜國造

〔續日本後紀〕

〈五仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 承和三年十月己未、承前之例、畿内國次、以大和國之第一、勅宜新式改之、以山城國之第一

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 山城國〈源唱朝臣爲方之時奏聞、以河陽離宮國府、〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 山城〈上〉八郡 乙訓〈府〉

〔日本紀略〕

〈桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 延暦十六年八月戊寅、遷任山城國治於長岡京南、以葛野郡地勢狹隘也、

〔三代實録〕

〈五清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 貞觀三年六月七日庚戌、山城國奏言、河陽離宮久不行幸稍致破壞、請爲國司行政處〈◯中略〉許之、

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 山城國上〈管 乙訓 葛野 愛宕 紀伊 宇治 久世 綴喜 相樂〉

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 山城國〈◯註略〉管八〈◯註略〉乙訓〈於止久邇〉葛野〈加止乃〉愛宕〈於多岐〉紀伊〈岐〉宇治〈宇知〉久世〈久世〉綴喜〈豆々岐〉相樂〈佐加良加〉

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 山城國〈八郡〉 乙訓(オトクニ) 〈●久我 ●岩倉 ●久世 <向日町 <神足 <山崎 淀川ニ添テ攝丹界郡〉 葛野(カトノ) 〈洛西八九條、東寺、島原、壬生、金閣、嵯峨、清瀧、高雄、愛宕山、梅津、樫原、 國中ノ郡也〉 愛宕(オタキ) 〈洛中ヨリ東ハ粟田口、白川、西ハ二條御城、北野、本願寺、南ハ七條限、北ハ叡山迄、 江丹界郡〉 紀伊(キ)〈<伏見 淀 ●竹田 ●上鳥羽 國中ノ郡也〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 宇治(ウシ) 〈●日ノ岡 ●御陵 上醍醐 ●大塚 ●追分 江界郡〉 久世(クセ) 〈●宇治 ●長沼 國中ノ郡也〉 綴喜(ツヽキ) 〈<玉水 <八幡 ●橋本 河界ノ郡〉 相樂(サカラク) 〈●木津 ●大河原 ●北カサギ 伊賀大和界〉 ◯按ズルニ、本書ノ凡例ニ、郡名ノ下ノ地名城地、<ハ陣屋、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000038092.gif 御關所、●ハ驛地、無印ハ名高キ村名也、△ハ神社佛閣名所舊跡山川等ト見エタリ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 山城 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0216_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0217_001.gif

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 ◯按ズルニ、本書ノ凡例ニ、紀ハ日本紀、續ハ續日本紀、後ハ日本後紀、續後ハ續日本後紀、文ハ文徳實録、三ハ三代實録、古ハ古事記、舊ハ舊事紀、史ハ類聚國史、略ハ日本紀略、万ハ萬葉集、東ハ東鑑、圖ハ古圖、知ハ寛知集、元ハ元祿帳、銘ハ郡銘録トアリ、

〔大館常興日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 天文七年九月朔日、一城州〈下郡五郡(○○○○)〉田畠段錢爲右京兆相懸之間、被御内書、四日、一城州下五郡(○○○)段錢事、六角方より京兆へ被申候返答如此候由にて、京兆并播州書状〈六角方ヘ也〉等六角方より被上進之、

乙訓郡

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 山城國 管八郡 乙訓〈オトクニ府〉

〔古事記〕

〈中垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217上美知能宇斯王之女等、〈◯中略〉其弟王二柱者因甚凶醜送本土、於是圓野比賣(マトヌヒメ)慚言、同兄弟之中以姿醜還之事、聞於隣里、是甚慚而、〈◯中略〉到弟國之時、遂墮峻淵而死、故號其地墮國(オチクニ)、今云弟國(オトクニ)也、〈◯又見日本書紀

〔古事記傳〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 弟國は和名抄に山城國乙訓郡〈於止久邇〉神名帳に、同郡乙訓(オトクニ)ニ坐ス大〈◯大恐火誤〉雷神社、書

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 紀繼體卷に十二年、遷都弟國など見ゆ、〈古弟國と云し地は、今の井内村今里村のあたりなり、井内村に乙訓明神の社あり、又今里村なる法皇寺と云寺は、昔は乙訓寺と云つと或書に云り、宇治拾遺物語に、長岡の邊をすぎて、乙訓川のつらをすぐと思へば、又寺戸の岸をのぼる云々と云り、寺戸村と云も今もあり、〉

〔日本書紀〕

〈十七繼體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 十二年三月甲子、遷都弟國

〔山城志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 乙訓郡〈東至紀伊郡界、西至丹州桑田郡界、南至綴喜及攝州島上郡界、北至葛野郡界、〉

〔山城名勝志〕

〈六乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 凡當郡、東限桂川下流、南限淀河、西南方限水無瀬河、西限出羽村川、北限丹波龜山路

〔山州名跡志〕

〈一八郡封境〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 乙訓郡 當郡又南北ニ亘テ坤ニ至ル、北ハ檞原(カタキハラ)ノ西、大枝坂ノ東、塚原ヲ限ル、其西ヨリ南ニ至テハ山ヲ限ル、其西北ハ丹波ヲ爲隣、但小鹽山ノ後邊、乾ニ外畑(トノハタ)村アリ、是當郡ニ攝ス、坤ハ大山崎ヲ限リ、艮ハ吉祥院ノ西北ニ當テ桂川ノ西面、上久世(カミクゼ)、下久世(シモクゼ)、物集女(モヅメ)、寺戸、其南ハ開田(カイデン)ニ至ル、東ハ桂川ヲ限ル、川ノ西ニ久我(コガ)、古河、鴨川村、赤井、菱河等ノ村アリ、其南西ハ大山崎ノ東ニシテ、調子、久貝(クガヒ)等ノ村アリ、大山崎ノ西ハ津國(ツノクニ)ヲ爲隣也、

〔山州名跡志〕

〈十乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 西岡 此號ハ乙訓郡ノ別稱也、當郡北ハ大江ノ坂、南ハ山崎、東ハ川、西ハ至西山總名也、謂ハ依土地形ナリ、其地沓掛村〈桂西在一里余〉西ノヨリ續テ、南方雞冠井(カイイデ)、向日(ムカフ)山ニ至テ、凡三十餘町ノ間、一壇ノ岡山アツテ、王城ノ西ナルノ謂也、上古ニハ稱長岡、凡此丘ヲ領スル民村ハ、岡村、〈在樫原南〉物集女、寺戸、雞冠井(カイデ)等、此丘ノ在東面南北ニ亘レリ、

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 大寶二年七月癸酉、在山背國乙訓郡火雷神、毎旱祈雨、頻有徴驗、宜大幣及月次幣例

〔續日本紀〕

〈三十八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 延暦三年五月丙戌、勅遣中納言正三位藤原朝臣小黒麻呂〈◯中略〉等於山背國、相乙訓郡長岡村之地、爲都也、

〔東寺百合古文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 久世庄文書案 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 うりわたすなか地事 合壹段者 あり 山城國おと國のこほり(○○○○○○○)上久世庄内すけとも名〈あざな ゐのつぼ◯中略〉永和貳年〈丙辰〉十一月廿日 うりぬし山城國おと國のこほり上久世庄 き七判〈◯下略〉

葛野郡

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 山城國 管八郡〈◯中略〉 葛野〈カトノ〉

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 次大山〈上〉咋神、亦名山末之大主神、此神者坐淡海國之日枝山、亦坐葛野(○○)之松尾用鳴鏑神者也、

〔古事記傳〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 葛野は加豆怒(カヅヌ)と訓べし、中卷明宮〈◯應神〉段の大御歌に見ゆ、書紀垂仁卷に、唯竹野媛者因形姿醜、返於本土、則羞其見返、到葛野自墮輿而死之、故號其地、謂墮國、今謂弟國訛也、とあるを思へば、古は乙訓郡のあたりまでかけて、泛く葛野と云しなり、〈(中略)加豆(カヅ)に葛字を用ひたるは、久豆(クヅ)を加豆とも云しなり、字音を取るにはあらず、後に加杼野(カドノ)と云は、加豆の轉れるなり、下總の葛飾は音を取れり、例異なり、〉

〔古事記〕

〈中開化〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 次袁邪本王者〈(開化皇子彦坐王子)葛野(○○)之別、近淡海蚊野之別祖也、〉

〔古事記〕

〈中應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 一時天皇越幸近淡海之時、御立宇遲野上、望葛野歌曰、知婆能(チバノ)、【加豆怒】袁美禮婆毛毛知陀流(カヅヌヲミレバモヽチダル)、夜邇波母美由(ヤニハモミユ)、久爾能富母美由(クニノホモミユ)、

〔古事記傳〕

〈三十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 葛野は、〈◯中略〉垂仁紀を引て云る如く、古は乙訓のあたりをも、葛野と云しことあれば、なほ葛野、乙訓、紀伊三郡にわたりて、其平原なる地を、廣くすべて云し名なるべし、〈延暦十三年十月の詔に、今京の事をも、葛野乃大宮地とあり、〉されば宇遲より望給ふこと宜なり、〈或説に、此の葛野は、久世郡なる富野村の舊名なり、葛野郡とは別なりと云るは、宇治より葛野郡までは遠ければ、望賜ふべきに非ずと思ふから、御歌のもゝちだるやにはとある詞に依て、富野てふ名に附會(ヒキツケ)たるものなるべし、そは葛野と云は、古には廣き名なりしことを知ざるからのひがことなり、◯中略〉知婆能(チバノ)は、契冲云く、千葉之(チバノ)なり、葛は葉の繁き物なれば、其枕詞なり、下總國に千葉郡あるも、さる意以て名けたるか、加豆怒袁美禮婆(カヅヌヲミレバ)は、葛野を見ればなり、契冲云、加豆(カヅ)は加豆良(カヅラ)の下略なり、

〔山城志〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 葛野郡〈東至京師及愛宕郡界、西北至丹州桑田郡界、南至乙訓郡界、〉

〔山州名跡志〕

〈一八郡封境〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 葛野郡 當郡ハ愛宕(ヲタギ)ノ西ニ雙テ南北ニ長シ東ハ洛陽朱雀通ニシテ、艮ハ紫野ノ北、氷室ニ亘リ、北ハ小野、東河内、西河内、眞弓等ヲ攝シ、北ニ山アリ、丹波ヲ爲隣、乾ハ鷹峯ノ奧長坂、及杉坂ヲ經テ細河ニ至リ、其上ニ丹波堺アツテ、彼國山國ニ至ル、委卷中、其南西ハ北山、絹笠、大内山〈仁和寺山〉ヲ限リ、及栂尾、高尾、愛宕山ヲ限リ、其南ハ松尾、葉室山等ヲ限リ、其南ハ大枝ノ坂ヲ限ル、西後皆丹波ト爲隣、〈坂峠西有國界、見卷中、〉坂ヨリ東ニ至テハ、檞原(カタギハラ)、桂ヲ經テ、川勝寺村、東ハ朱雀通ヲ限ル、川勝寺ノ坤ニ御所ノ内梅ガ小路村アリ、其西南ハ牛ガ瀬、下津林、唐橋等ヲ經テ、南ハ九條通、巽ハ朱雀通ノ辻ヲ限ル、又西九條村、東鹽ノ小路等ノ民居、是ヲ當郡ニ攝ス、此地愛宕郡ノ地ナリ、此所末代ニ至テ田畠トナスヲ以テ、年貢公役ニツイテ、其支配所ニ從フニ、次宜ユヘナリ、東鹽小路トイフハ、東洞院通七條ノ南一町許ニ、大路ノ東ニ民居アル是ナリ、是今葛野郡ニ攝ス、其南ニ洛陽外封ノ土堆アリ、是ヨリ五町許ニ九條通アリ、是ヲ限ル、其南ハ紀伊郡也、

〔續日本紀〕

〈三十四光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 寶龜七年十二月戊申、左京人從六位下秦忌寸長野等二十二人賜姓奈良忌寸、山背國葛野郡人秦忌寸箕造等九十七人朝原忌寸、

〔三代實録〕

〈十一清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 貞觀七年九月己卯朔、詔以山城國葛野郡山地一町八段清源山寺

〔日本紀略〕

〈四村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 應和三年六月廿五日乙巳、大井河塞料掃部寮舊薦三百枚宛給之、依同國〈◯山城〉葛野郡請申也、

愛宕郡

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 山城國 管八郡〈◯中略〉 愛宕〈オタキ〉

〔山城志〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 愛宕郡〈東至宇治及江州滋賀郡界、西至葛野郡界、南至紀伊郡界、北至丹州桑田、江州高島二郡界、〉

〔山州名跡志〕

〈一八郡封境〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 愛宕郡 當郡ハ王城ヲ爲中央、東ハ洛陽ノ東山ヲ限ル、艮ハ叡山ノ後西ニシテ、下ニ八瀬大原アリ、其中ニ大長瀬、勝林院村等アリ、委ハ載卷中、大原ノ北ニ近江堺アリ、其所

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 小弟子村ノ北ニシテ、是ヲ云山城峠、中ニ往還道アリ、近江朽木及若狹小濱ニイタル、大原領西ニ山アリ、南北ニ亘ル、其山下ニ艸生、野村等アリ、其西南ニ號藥王坂坂路アリ、是ヲ越テ長谷ニ出、其西北ハ靜原、鞍馬等ニ至ル、其地又東西ニ山アツテ南北ニ續キ亘ル、鞍馬ノ北ニ大悲山(セン)アリ、麓ニ村アリ、云大布施、蓋是大悲山ノ民語ナリ、其北ハ丹波ト爲隣、是ヲ云北丹波、此所當郡北ノ究竟也、鞍馬ノ乾ニ芹生ノ里アリ、是貴布禰ノ北ナリ、其南西ハ岩屋ヲ限ル、其南ハ畑村ヨリ西賀茂ニ亘リ、鷹峯、紫野、〈次第亘南〉蓮臺野、其南、町ニ至テハ朱雀通〈今云千本通〉ヲ限ル、朱雀通其坤ハ同街九條ヲ限ル、巽ハ東福寺ノ北一ノ橋ヲ限ル、

〔續日本紀〕

〈三十六光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 寶龜十一年四月庚申、山背國愛宕郡人正六位上鴨禰宜眞髮部津守等一十人賜姓賀茂縣主

〔日本紀略〕

〈十三後一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 寛仁元年十一月廿五日己未、天皇行幸賀茂社、皇太后〈◯藤原彰子〉同輿、宣命云、愛宕郡可寄之由、先年祈申、而件郡、或帝王城都、或明神鎭地、皆是萬代相傳之處、非一人自由之地、仍南限皇城北大路、東限郡界、西限大宮東大路末、北限郡界、但此内有陵室藏氷之邑、是百王之職事、難一時之改易、縱在神郡内、可此一邑、抑上下御社平均所進分也、

紀伊郡

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 山城國 管八郡〈◯中略〉 紀伊〈キイ〉

〔山城志〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 紀伊郡〈東至宇治郡界、西至乙訓及綴喜郡界、南至久世郡界、北至京師及愛宕葛野二郡界、〉

〔山州名跡志〕

〈一八郡封境〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 紀伊郡 當郡南北ニ亘ル、東ハ慧日山、〈東福寺山〉稻荷山ヲ限リ、艮ハ東福寺ノ北一ノ橋ヲ限リ、其西ニ至テハ九條ヲ限ル、乾ハ唐橋村ノ西北、西ノ庄ヲ限リ、其南西ハ吉祥院、石原、塔ノ森、其西面ハ桂川ヲ限ル、坤ハ鳥羽、横大路、富ノ森、納所、淀ニ至テ爲限、淀ノ西水垂ハ東ニ桂川ノ末アツテ、此所川ノ西トイヘドモ、古ハ無川、仍テ當郡也、此川古ハ今云フ横大路ノ東ニ流テ、宇治川ノ末ト合シテ淀ニ入シナリ、委ハ載卷中、淀ニ至テハ小橋ヲ限ル、艮ハ伏見豐後橋ノ南ノ爪ヲ限ル其

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 ヨリ北ニ續テ、東ハ伏見古城(フルシロ)ノ山ヲ限ル、其北ハ深草山ヨリ東福寺山ニ續テ爲限、淀ノ東面ハ川ヲ限ル、其東ハ久世郡ナリ、

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 天國排開廣庭天皇〈◯欽明、中略、〉天皇幼時、夢有人云、天皇寵愛秦大津父者、及壯大必有天下、寤驚、遣使普求、得山背國紀伊郡深草里

〔續日本紀〕

〈三十三光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 寶龜六年七月丙辰、山背國紀伊郡人從八位上金城史山守等十四人賜姓眞城史

〔三代實録〕

〈四十四陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 元慶七年九月廿三日丙戍、山城國紀伊郡墾田二段、返給實相寺

〔日本紀略〕

〈四村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 應和三年六月廿五日乙巳、自今日三箇日下神泉苑池水京南紀伊郡、依山城國申請也、

宇治郡

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 山城國 管八郡〈◯中略〉 宇治〈ウチ〉

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 三月〈◯攝政元年〉庚子、命武内宿禰和珥臣祖武振熊、率數萬衆忍熊王、爰武内宿禰等、選精兵山背出之、至【莵道(ウヂ)】以屯河北

〔古事記〕

〈中應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222是大山守命者、違天皇之命、猶欲天下、有其弟皇子之情、竊設兵將攻、〈◯中略〉渡到河中之時、令其船、墮入水中、爾乃浮出、隨水流下、即流、歌曰、知波夜夫流(チハヤブル)、【宇遲】能和多理邇(ウヂノワタリニ)、佐袁斗理邇(サヲトリニ)、波夜祁牟比登斯(ハヤケムヒトシ)、和賀毛古邇許牟(ワガモコニコム)、於是伏隱河邊之兵、彼廂此廂一時共興、矢刺而流、故到訶和羅之前而沈入、故以鈎探其沈處者、繫其衣中甲而訶和羅鳴、故號其地訶和羅前(カワラノサキ)也、

〔山城志〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 宇治郡〈東北至江州滋賀郡界、西至愛宕紀伊二郡界、南至久世郡界、〉

〔山州名跡志〕

〈一八郡封境〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 宇治郡 當郡又南北ニ行テ巽ニ亘ル、北ハ山科郷御廟野ヲ限リ、其東ハ追分ヲ限ル、其所町ノ東ニ堺ノ杭アリ、其地山科小山領ナリ、艮ハ小關ニシテ、江州三井寺ノ南ニ至ル、其艮ニ藤ノ尾村アリ東ハ山ヲ限ル、其山南ニ亘、醍醐山ニ續ク、其巽ニ山ヲ越テ、笠取、炭山アリ、是ヲ限ル、東面ハ山ニシテ近江ト爲隣、其卯辰ニ至テハ大鳳寺村、御室戸、宇治ニ至リ、宇治橋ノ東ノ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 爪ヲ限ル、其西ハ宇治川ノ東ノ岸ヲ限ル、伏見ノ東面ニシテハ、伏見山ヲ限リ、其北ハ深草、稻荷山等ノ東面ヲ限ル、

久世郡

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 山城國 管八郡〈◯中略〉 久世〈クセ〉

〔山城志〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 久世郡〈東至宇治綴喜二郡界、西南至綴喜郡界、北至紀伊郡界、〉

〔山州名跡志〕

〈一八郡封境〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 久世郡 當郡ハ艮ニ入テ南ニ亘リ、東西不寛、艮ハ平等院ノ奧白河ヲ限ル、其所近江ト爲隣、宇治ハ當郡ノ子丑ニ當テ川ヲ限ル、其ヨリ南ニ至テ、中ニ大和大路アリ、此所ニテイハヾ、北ハ豐後橋ノ南ノ爪ヲ限リ、其東ハ宇治川ノ岸ヲ限ル、南境ハ巨椋(オグラ)ノ南、大和大路ノ中ニ、灰拍子、平河、久世、寺田、長池村アリ、其南中村ヲ限ル、〈中村内大和大路中有石橋是堺也〉其西ニ至テハ、川ノ北岸ヲ限ル、川ハ木津川ノ末ニテ淀大橋ノ下ニ流ル川ノ北ニ富野(トノ)、枇杷莊、水主等ノ村アリ、但水主一村ハ川ノ南綴喜郡ニ攝ス、乾ハ御牧、一口(イモアラヒ)ヲ限ル、御牧ノ卯辰ニ亘テ、狹山、佐古、林、大久保、平河アリ、皆平地ナリ、其北西ハ水境ニテ巨椋ノ入江、宇治川ノ末也、水主ヲ西ニ向ヘバ、上津屋(カウツヤ)下津屋、封戸(フゴ)、御牧、一口等ニ至ル、一口ハ淀ノ東面ニテ中間ハ川ナリ、此川ヲ爲限、淀ハ紀伊郡也、坤ハ淀ノ大橋ノ北ノ爪ヲ限ル、橋ノ北ハ同所小橋ヲ限ル、酉戍亥ニ至テハ、伏見ヨリ巽ニシテ宇治川、伏見川ノ入江、曠々タル水面及葦原ヲ爲限、

〔續日本後紀〕

〈十三仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 承和十年九月辛丑、正三位藤原朝臣愛發薨、〈◯中略〉至九年〈◯承和〉秋、連逮伴健岑謀反事、出于京外、在山城國久勢郡別墅而薨焉、時年五十七、

〔萬葉集〕

〈九雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 鷺坂作歌 山代(ヤマシロノ)、【久世】乃鷺坂(クセノサギサカ)、自神代(カミヨヨリ)、春者張乍(ハルハハリツ)、秋者散來(アキハチリケリ)、

綴喜郡

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 山城國 管八郡〈◯中略〉 綴喜〈ツヽキ〉

〔山城志〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 綴喜郡〈東至江州甲賀郡界、西至河州交野郡界、南至相樂郡界、北至久世紀伊二郡界、〉

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 三十年九月乙丑、皇后〈◯磐之媛中略、〉更還山背宮室於【筒城】(ツヽキノ)岡南而居之、 十月甲申朔、遣的臣祖口持臣、喚皇后、〈一云和珥臣祖口子臣〉爰口持臣至筒城宮皇后而默之不答、時口持臣、沾雨雪、以經日夜、伏于皇后殿前而不避、於是口持臣之妹國依媛仕于皇后、適是時皇后之側、見其兄沾一レ雨而流涕之、歌曰、椰莾辭呂能(ヤマシロノ)、【莵莵紀】能瀰椰珥(ツヅキノミヤニ)、茂能莾烏輸(モノマヲス)、和餓齊烏瀰例麼(ワガセヲミレバ)、那瀰多愚摩辭茂(ナミダグマシモ)、〈◯又見古事記下

〔日本書紀〕

〈十七繼體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 五年十月、遷都山背箇城(ツヽキニ)

〔山州名跡志〕

〈一八郡封境〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 綴喜郡〈始作筒城〉 當郡ハ寅卯ヨリ坤ニ亘リ、其中東西ニ大和大路アリ、其所ニテイハヾ、北ハ長池村ヲ限リ、南ハ玉水ノ南、澀河トイフ河ヲ爲堺、其南ハ相樂郡ナリ、寅卯ニ宇治田原(ウチダハラ)アリ、但田原ハ總名ニテ、中ニ多村アリ、載卷中、艮ヨリ卯ニ至テ近江ト爲隣、委卷中、坤ハ八幡ヲ限ル、八幡ノ南ニ洞ガ峠アリ、此所ニ河内ノ堺アリ、男山ヲ西ニ巡テ、南ニ金橋(コガ子バシ)アリ、是河内ノ堺也、其大路ハ津國大坂路ナリ、八幡ノ北ハ淀大橋ノ南ノ爪ヲ限リ、橋ヨリ巽ニ至テ大路アリ、大和歌姫ニ至ル、其中間ニ多郷アリ、橋ノ南ニ美豆アリ、ソレヨリ川口、奈良、南上津屋、岩田、野尻、大住、岡村、山王、薪、天神ノ森是也、其南ハ相樂郡下狛ニ至ル、其ヨリ又歌姫ニ至ル、中間ノ村里載卷中

〔續日本後紀〕

〈十五仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 承和十二年五月乙卯、山城國言、綴喜相樂兩郡境内、始去三月上旬、蝱虫殊多、身赤首黒、大如密蜂、好咬牛馬、咬處即腫、相樂郡牛斃盡無餘、綴喜郡病死相尋、郡司百姓求之龜筮、就于佛神分祓攘、曾無止息、移染之氣、于今比行者、令其由、綴喜郡樺井社及道路鬼更爲祟、即遣使祈之、兼賜牛疫方并祭料物

〔三代實録〕

〈四十二陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 元慶六年十二月廿一日己未、勅山城國〈◯中略〉綴喜郡田原野、天長年中、既禁禽、今重制斷、

相樂郡

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 山城國 管八郡〈◯中略〉 相樂〈サカラカ〉

〔古事記〕

〈中垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 又隨其后之白上美知能宇斯王之女等、比婆須比賣命、次弟比賣命、次歌凝比賣命、次圓野比賣命并四柱、然留比婆須比賣命、弟比賣命二柱、而其弟王二柱者、因甚凶醜、返送本土、於是圓野比賣慚言、同兄弟之中、以姿醜還之、事聞於隣里、是甚慚、而到山代國之相樂(サガラカ)時、取懸樹枝而欲死、故號其地懸木(サカリキ)、今云相樂(サカラカ)

〔古事記傳〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 和名抄に山城國相樂郡〈佐加良加(中略)書紀の訓にサガラとも、サハラともあるは、又訛れるなり、今もさがらと云り、又相樂村と云もあり、其は今もさがらかと云とかや、〉

〔山城志〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 相樂郡〈東至伊州阿拜郡界、西至河州交野郡界、南至和州添上下二郡界、北至綴喜及江州甲賀郡界、〉

〔山州名跡志〕

〈一八郡封境〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 相樂(サガラ)郡〈俗サガナカ、又サウラクトイフ非ナリ、〉 當郡ハ巽ヨリ申酉ニ亘リ、申ニ大和大路アリ其北ハ上ニイフガ如シ、南ハ木津ノ南一ノ坂ヲ限ル、其南ハ南都ノ領ナリ、坤ハ大和西ノ京口ニシテ、歌姫爲隣、巽ハ笠置ニ至ル、其東南ハ伊賀ヲ爲隣、彼國上野ニ至ル、東ハ近江ト爲隣、皆隔山、艮ニ鷲峯山(シユブゼン)アリ、此山ノ東南ニ至テ、湯舟、木屋(コヤ)、野殿等ノ村アリ、其所四面山嶽ニシテ、中ニ河アツテ、海修山(カイジユセン)ノ東南ニシテ木津川ニ出、

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 三十一年四月乙酉、越人江渟臣裙代、詣京奏曰、高麗使人、辛苦風浪、迷失浦津、任水漂流、忽到著岸、〈◯中略〉詔曰、〈◯中略〉有司宜山城國相樂郡、起館淨治、厚相資養

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 大寶元年正月丁酉、山代國相樂郡令追廣肆掃守宿禰阿賀流爲小位

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 天平十二年五月乙未、天皇幸右大臣相樂別業、宴飮酣暢、授大臣男无位奈良麻呂從五位下

〔江家次第〕

〈十二神事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 齋王歸京次第 五日、〈◯中略〉過大安寺邊并奈良坂、至山城相樂頓宮、在木津川南、〈供給〉

〔倭名類聚抄〕

〈六國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 山城國 乙訓郡 山崎〈夜末佐岐〉鞆岡〈度毛乎賀〉長井 大江〈於保江〉物集〈毛豆女〉訓世〈郡勢〉榎本 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226  羽束〈波豆賀之〉石作〈以之都久利〉 葛野郡 橋頭 大岡〈於保乎加〉山田 川邊〈加波乃倍〉葛野〈加度乃〉川島〈加八之末〉上林〈加無都波也之〉櫟原 高田 下林〈之毛都波也之〉緜代 田邑〈多無良〉 愛宕郡 蓼倉〈多天久良〉栗野〈久留須乃〉上粟田〈阿波多〉大野 下粟田 小野〈乎乃〉 錦部〈爾之古利〉八坂〈也佐加〉鳥戸〈止利倍〉 愛宕〈於多木〉出雲〈以都毛在上下〉賀茂 紀伊郡 岡田〈乎加多〉大里 紀伊 鳥羽〈度波〉石原 拜志〈波以之〉深草〈不加久佐〉石井 宇治郡 宇治 大國 賀美 岡屋〈乎加乃也〉餘戸 小野〈乎乃〉山科〈也末之奈〉小栗〈乎久留須〉 久世郡 竹淵〈多加不知〉奈美 那羅 水主 那紀 宇治 殖栗 栗隈〈久里久末〉富野〈止無乃〉 拜志 久世 羽栗 綴喜郡 山本 多河〈◯高山寺本、河字作可、〉田原〈多八良〉中村 志磨 綴喜〈豆々木〉大住 有智 甲作 餘戸 相樂郡 相樂〈佐加良加〉水泉〈以豆美〉賀茂 大狛 蟹幡〈加無波多〉祝園〈波布曾乃〉下狛〈之毛都古末〉

〔山州名跡志〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226郷爲其郡名、所俗是云親里(オヤザト)、列左、 愛宕 在同郡 宇治 在同郡 久世 在同郡 相樂 在同郡 乙訓 在同郡 綴喜 在同郡 葛野 在同郡 紀伊 在同郡

〔山城志〕

〈三乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 郷名 山埼 鞆岡〈方廢村存〉長井〈廢〉大江〈已廢有大江山〉物集 訓世〈日本後紀作國背、倶廢村存、〉榎ノ本〈已廢存坂本村〉羽束〈已廢有神社〉石作〈方廢存灰方村

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 合處々庄拾陸處 山背國三處〈(中略)乙訓郡一處在山前郷(○○○)◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔爲尹卿千首〕

〈冬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 河時雨

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 山さきやむかひの雲の一むらは淀の河瀬に時雨來にけり

〔山州名跡志〕

〈十乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 友岡(○○)〈所名〉古ニハ作鞆、在長丘南四町計、山崎街道開田町二町計、此所和歌詠笹、

〔枕草子〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 をかは ともをかは、さヽのおひたるがおかしき也、

〔神樂歌〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 採物歌 篠 此さヽは、いづこのさヽぞ、とねりらが、こしにさがれる、ともをかのさヽ、ともをかのさヽ、〈◯末歌略〉

〔日本後紀〕

〈二十四嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 弘仁六年六月癸亥、山城國乙訓郡物集(○○)國背兩郷、雷風壞百姓廬舍、人或被震死、

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 治承三年四月廿七日乙卯、向善峯別所、〈◯中略〉於物集繩手邊出車女房各乘輿超中山

〔太平記〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 禁裏仙洞御修法事附山崎合戰事 桂河ヲ渡リ、河島ノ南ヲ經テ、物集女(○○○)大原野ノ前ヨリゾ寄タリケル、

〔山城名勝志〕

〈六乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 訓世郷(○○○)〈和名抄訓世郷在乙訓郡、按、今上訓世、下訓世有二村、〉

〔萬葉集〕

〈十一古今相聞往來歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 旋頭歌 開木代(ヤマシロノ)、來背若子(クゼノワクコガ)、欲云(ホシトイフ)、余相狹丸(ワヲアフサワニ)、吾欲云(ワヲホシトイフ)、開木代來背(ヤマシロノクゼ)、 右柿本朝臣人麻呂之歌集出

〔萬葉集略解〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 くぜは、乙訓郡來背の郷なり、

〔東寺百合古文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 讓與 處分私領采女領畠地事 合畠壹段者 在下久世郷内牛飼里參拾壹坪〈◯中略〉 文治元年十一月十五日 瀧口藤原國成判

〔山城名勝志〕

〈六乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 羽束郷(○○○)〈和名抄云乙訓郡 古河村北有羽束師森 按羽束師郷、今古河村邊歟、自久我村、半里許南也、〉

〔後撰和歌集〕

〈十戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 題しらず よみ人しらず

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 わすられておもふなげきの茂るをや身をはづかしの杜といふらむ

〔方丈記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 若日うらヽかなれば、嶺によぢ上りて遙に故郷の空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師をみる、

〔山城名勝志〕

〈六乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 石作郷(○○○)〈和名抄云石作郷乙訓郡、按石作郷、灰方、灰谷、出灰(イヅルハ)、此邊歟、一休年譜曰、讓羽(ユヅルハ)爲名、朝貢出石灰地、讓羽ユツルハ、出灰イツルハ、和訓相近云々、今灰方村、出灰雖地、氏神同社、同時祭之、出灰有灰方村領山、〉

〔類聚國史〕

〈三十二帝王〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 延暦十一年閏十一月己亥、幸高橋津、便遊獵于石作丘

〔延喜式〕

〈二十一諸陵〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 石作陵〈贈皇后高志内親王、在山城國乙訓郡、〉

〔延喜式〕

〈二十一玄蕃〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 凡近都諸寺、東拜志以北、西石作以北、停講師僧綱檢察、

〔空穗物語〕

〈樓の上下一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 かくていしつくりてらのやくしほとけげむじ給とて、おほくの人まうで給、

〔山城志〕

〈四葛野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 郷名 橋頭、〈廢〉大岡、〈方廢岡村存〉山田、〈方廢村存〉川邊、〈廢〉葛野、〈已廢存郡上野二村〉川島、〈方廢村存〉上林、〈已廢存平野及龍安寺〉櫟原、〈已廢、上山田村北有櫟谷社、〉高田、〈方廢村存〉下林、〈方廢村存〉緜代、〈已廢木辻村東有地名馬代〉田邑、〈已廢有田邑陵

〔續日本後紀〕

〈三仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 承和元年正月庚午、山城國葛野郡上林郷(○○○)地方一町賜伴宿禰等、爲氏神

〔三代實録〕

〈二十二清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 貞觀十四年十二月十五日辛亥、山城國葛野郡上林郷地一町充平野神社、〈◯神社二字原脱、據日本紀略補、〉

〔三代實録〕

〈三十五陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 元慶三年四月七日丙寅、庶人伴善男沒官墾田三町二段五十歩、在山城國葛野郡上林郷、永施入安祥寺

〔三代實録〕

〈四十陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 元慶五年八月廿三日己亥、勅以山城國葛野郡二條大山田地三十六町大覺寺地、其四履、東至朝原山、西至觀空寺并栖霞館東路、北至山嶺、自餘山野入嵯峨院四至者、皆爲公地、若有空閑申請者、一切不勅許、但樵蘇之輩不制限、 九月廿七日壬申、山城國葛野郡櫟原郷(○○○)野地

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 三町賜興福寺傳燈大法師位修審、〈◯下略〉

〔文徳實録〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 天安二年八月庚申、大納言安倍朝臣安仁、率陰陽權助滋岳朝臣川人、助笠朝臣名高等、至山城國葛野郡田邑郷(○○○)眞原岳、點定山陵

〔三代實録〕

〈四十八光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 仁和元年八月十三日乙丑、勅以山城國葛野郡田邑郷神應寺、預於定額、〈◯下略〉

〔日本紀略〕

〈五冷泉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 康保四年六月四日辛酉、今夕奉葬先皇〈◯村上〉於山城國葛野郡田邑郷北中尾

〔山城志〕

〈五愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 郷名 蓼倉、〈已廢、存下賀茂田中二村、〉栗野(クルスノ)、〈已廢、野存、〉上粟田、〈廢〉大野、〈已廢、存大宮村、〉下粟田、〈方廢、粟田口村存、〉小野、〈已廢、存高野村、〉錦部(ニシコリ)、〈已廢、存西賀茂、見類聚三代格、〉八坂、〈方廢町存〉鳥戸、〈已廢、山存、〉愛宕、〈已廢、寺存、〉出雲〈已廢、町存、〉賀茂、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 寛仁二年十一月廿五日癸未、定文如此、 可賀茂上下社郷之事〈◯中略〉 〈上社〉賀茂郷(○○○) 小野郷(○○○) 大野郷(○○○) 錦部郷(○○○) 〈下社〉栗野郷(○○○) 蓼倉郷(○○○) 上栗野郷(○○○○) 出雲郷(○○○)

〔山城名勝志〕

〈十一愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 蓼倉郷〈(中略)下鴨東北地、高野川西也、◯中略〉 古文書云、〈紫竹〉常徳寺分之事、〈在所者たて藏の郷田中の里〉 永享年中寺社文書云、〈御判〉山城國蓼倉庄事、可付景勝季長季久代之由候也、仍執達如件、 永享四年十二月廿四日 爲種 主護代

〔山州名跡志〕

〈五愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 糺〈所名〉下賀茂〈トモ〉 在今出河口東北二町許 糺或作只洲(タヾス)、又作河合(タヾス)、 糺トハ地ニ在河合社(タヾスノヤシロ)故ナリ、下鴨トハ有御祖社故也、〈◯中略〉下トハ對上云フ、本名蓼倉也、源順載和名集、蓼倉里是也、總ジテ彼書ニ所載ノ村里ノ號ハ、其本郷ノ名ナリ、今民間ニ云處ノ親里(オヤザト)ナリ、彼書ノ里ノ名今猶用ルモアリ、文字ヲ改ムルモアリ、多クハ改ム、此

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 所古ノ蓼倉ナリト云コト、其證載風土記、〈◯中略〉蓼倉里三身社、〈◯下略〉

〔三代實録〕

〈三十七陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 元慶四年二月五日己丑、山城國愛宕郡下粟田郷(○○○○)百姓口分田四町二段九十五歩奉中宮職、以彼職新造立之地犬牙相接也、其代給於他郡

〔山州名跡志〕

〈二愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 八坂(○○)〈所名〉蓋郷名也、延喜式ニ出、其方領凡祇園ヨリ三年坂ニ至ル歟、八坂ト稱スルハ、方地ニ八ノ坂アルニヨル、所謂祇園坂、長樂寺坂、下河原坂、法觀寺坂、靈山坂、三年坂、山井坂清水坂是ナリ云々、

〔續日本後紀〕

〈六仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 承和四年二月庚申、從五位下菅野朝臣永岑言、亡父參議從三位眞道朝臣奉爲桓武天皇建立道場院一區在山城國愛宕郡八坂郷、雖其疆界接八坂寺、而其形勢猶爲別院、由是道俗號八坂東院、〈◯下略〉

〔三代實録〕

〈四十六光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 元慶八年十二月廿五日辛亥、勅以山城國愛宕郡鳥戸郷(○○○)地四町贈正一位藤原朝臣總繼墓地、以同郡八坂郷地十町贈正一位藤原朝臣數子墓

〔源平盛衰記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 清水寺縁起并上皇臨幸六波羅事 此清水寺ト申ハ、昔大和國子島寺ニ沙門アリ、其名ヲ賢心ト云、淀河ヲ渡給ケルニ、水ノ中ニ金色一筋ノ流アリ、是直事ニ非ズトテ、流ニ隨テ源ヲ尋ヌ、山城國愛宕郡ニ八坂郷、東山ノ邊リ清水ノ瀧ノ下ニ至レリ、〈◯下略〉

〔三代實録〕

〈五十光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 仁和三年五月十六日己丑、是日、勅以山城國愛宕郡鳥部郷(○○○)榛原村地五町施藥院、其四至、東限徳仙寺、西限谷并公田、南限内藏寮支子園并谷、北限山陵并公田、施藥院使等奏、院所領之山元在彼村、即是藤原氏之葬地也、依元慶八年十二月十六日詔、被入中尾山陵之内、由是氏人送葬之事、既失其便、請賜此地、依舊行事、許之、

〔山城名勝志〕

〈十二愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 出雲郷(○○○)〈和名抄愛宕郡、上下出雲寺下鴨邊總而出雲郷也、〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 山背國愛宕郡雲上里計帳 山背國愛宕郡出雲郷雲上里神龜三年史生從八位下間人宿禰男君(繼目裏書) ◯按ズルニ、此書卷十二ニ、愛宕郡雲下里計帳ヲ載セタリ

〔山城名勝志〕

〈十一愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 賀茂郷〈和名抄云愛宕郡〉 古文書云、賀茂社境内六郷、河上郷、大宮郷、小山郷、中村郷、岡本郷、散在、〈櫟原野、二ノ瀬幡枝在之、〉小野郷南北散在之事、自往古社家當知行之處、今度小山郷有違亂之族者、以外次第也云々、如先々嚴密可沙汰由、所仰出候状如件、 享祿二十月廿一日 堯連 長俊 當所名主沙汰人中

〔山城志〕

〈六紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 郷名 岡田〈已廢、存東福寺門前町、〉大里、〈已廢存西莊村〉紀伊〈廢〉鳥羽 石原、〈方廢村存〉拜志、〈廢、愛宕郡鳥部野有拜志墓、〉深草、 石井〈已廢存伏見

〔山城名勝志〕

〈十六紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 鳥羽郷(○○○)〈東限竹田、南限横大路、西限桂川末、北限四塚、此間有二村、隔小枝橋、北云上鳥羽、南云下鳥羽、〉

〔山州名跡志〕

〈十一紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 鳥羽〈所名〉 鳥羽在上下 上鳥羽ハ在四塚南 上鳥羽民居北端ヲ云出在家、此ノ所自四塚八町ナリ、

〔扶桑略記〕

〈三十白河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 應徳三年十月、公家近來、九條以南鳥羽山庄、新建後院、凡卜百餘町焉、近習卿相侍臣地下雜人等、各賜家地、營造、舍屋、宛如都遷、讃岐守高階泰仲、依作御所、已蒙重任宣旨、備前守藤原季綱、同以重任、獻山庄賞也、〈◯下略〉

〔百練抄〕

〈五堀河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 寛治元年二月五日、上皇〈◯白河〉遷御鳥羽離宮、營作甫就之故也、六府供奉、於陣有召仰、件地本是備前守季綱朝臣領也、去年進上之、讃岐守泰仲造進舍屋

〔續後撰和歌集〕

〈七秋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 名所の歌めしける次でに 後鳥羽院御製

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 雲ゐとぶ鴈のは風に月さえて鳥羽田の里に衣うつ也

〔山城名勝志〕

〈十六紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 石原郷(○○○)〈今吉祥院村、南島村北有石原村、桂川東也、◯中略〉 佐比〈◯中略〉 三鈷寺雜々文書云、〈◯中略〉紀伊郡司解、權大納言殿御領、石原田畠、合田畠六拾伍町七段佰八十歩〈此内在常荒川原〉石原郷十條下石原西佐里 十一條下佐比里 十二條上左比里 長元六年三月十日 刀彌左督長調仕 郡司上勝

〔小馬命婦集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 いしはらにすむをとこ、久しくきこえねばとて いとヾしくもえこそわたれいしはらの中よりわれて出づる思ひは

〔菟藝泥封〕

〈四上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 深草(○○) 東は小栗栖、西は竹田、北は稻荷、南は伏見の邊も皆深草のうちなりとかや、山口野有、里有、

〔山州名跡志〕

〈十二紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 深草〈所名〉 在稻荷南 但今云フ所ハ於深草ハ北界也、其中央ハ此ヨリ六七町南ニ至ル、凡東ハ谷口山ヲ限リ、西ハ竹田大路ヲ限リ、南ハ伏見領墨染ノ南四五町ヲ限ル也、深草ハ郷總名ニシテ、中ニ別名アリ、

〔日本紀略〕

〈桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 延暦十一年八月丙戌、禁埋山城國深草山西面、縁京城也、

〔古今和歌集〕

〈十六哀傷〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 ほりかはのおほさおほいまうちぎみ、〈◯藤原基經〉身まかりにける時に、ふか草の山におさめてけるのちによめる、 かむつけのみねを 深草の野邊の櫻し心あらばことしばかりはすみぞめにさけ

〔三代實録〕

〈六清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 貞觀四年十月七日壬寅、正三位行中納言兼民部卿皇太后宮大夫伴宿禰善男奏言、〈◯中略〉請捨山城國紀伊郡深草郷別墅道場、賜額報恩、然則名之與實自將相副、上答聖主覆載之恩

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 下酬法界領復之徳、詔許之、

〔東寺百合古文書〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 沽却 私領田事 合壹段者 在山城國石井郷(○○○)鳥羽手里貳拾漆坪東繩本參段内壹段也〈◯中略〉 永仁五年三月十三日 沽主初女〈花押◯請人三名略〉

〔山城志〕

〈七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 郷名 大國、〈廢〉賀美、〈方廢上野村存、〉岡屋、餘戸、〈方廢、有余古木邑、今入江州滋賀郡、〉小野、〈方廢村存〉山科、小栗(ヲクルス)、〈方廢村存〉宇治、

〔古事記〕

〈中垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 此天皇〈◯中略〉又娶山代大國(○○)之淵之女、苅羽田刀辨、〈◯下略〉

〔古事記傳〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 山代大國之淵、和名抄に、山城國宇治郡大國郷あり、此地なるべし、淵は人名なり、

〔東大寺正倉院文書〕

〈東南院三櫃四十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 謹解 申家地賣買券文進事 合地捌段屋貳間〈有宇治郡加美郷(○○○)堤田村〉直絁拾匹税布拾端 地主加美郷戸主宇治宿禰大國〈◯中略〉 天平廿年八月廿六日 賣地人宇治宿禰大國〈◯下略〉

〔山城名勝志〕

〈十七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 岡屋郷(○○○)〈和名抄云宇治郡、木幡西、宇治川東有岡屋村、〉

〔方丈記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 岡の屋に行かふ船をながめて、滿沙彌が風情をぬすみ、〈◯下略〉

〔善隣國寶記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 后宇多院建治元年〈乙亥〉至元十二年 日本古記曰、正月十八日、蒙古人二人、高麗人一人、明州人一人、已上四人自鎭西之、皆不洛中、自山崎岡屋醍醐關東

〔承久軍物語〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 承久三年六月十四日、はう〴〵へむけられけるくわんぐん、はいぼくせしかば、木ばた、ふしみ、をかのや、くわんじゆ寺へんにて、東國ぜいにをつヽめられ、くみおとされ、うた

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 るヽもの數をしらず、

〔山城名勝志〕

〈十七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 餘戸郷(○○○)〈和名抄云、宇治郡、按今四宮村東有余古木村、是餘戸郷遺名乎、〉 安祥寺境内古文書云、山城國宇治郡餘戸郷石雲里云々、

〔山城名勝志〕

〈十七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 小野郷(○○○)〈和名抄云、宇治郡、今小野村在醍醐村北、勸修寺東、〉

〔三代實録〕

〈三十四陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 元慶二年十二月廿五日丙戌、山城國愛宕郡小野郷人勘解由次官從五位下小野朝臣當岑改本居隷左京職

〔延喜式〕

〈三十四木工〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 凡自小野、栗栖野兩瓦屋、至宮中、車一兩賃卌文、

〔菟藝泥封〕

〈四下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 山科(○○)〈宇治郡〉木幡より北、藤尾御廟野、花山などすべて十八郷の總名とぞ、然ども山科といふ所四宮河の邊に在、

〔山城名勝志〕

〈十七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 山科郷〈和名抄云宇治郡、東限逢坂、南限醍醐、西限松坂、北限山、〉

〔山州名跡志〕

〈十四宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 山科郷〈或作山階〉 在日岡東、 如今郷内有多村、所謂日岡、陵、四宮、安祥寺、竹鼻、音羽、小山、大宅、野村、花山、西ノ山等ナリ、

〔續日本紀〕

〈十四聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 天平十三年九月丁丑、行幸宇治及山科

〔萬葉集〕

〈九雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 宇合卿歌三首〈◯二首略〉 山品之(ヤマシナノ)、石田乃小野之(イハタノヲヌノ)、母蘇原(ハヽソバラ)、見乍哉公之(ミツヽヤキミガ)、山道越良武(ヤマヂコユラム)、

〔今昔物語〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 在原業平中將女被鬼語第七 今昔、右近ノ中將在原ノ業平ト云フ人有ケリ、〈◯中略〉或ル人ノ娘ノ形チ有様世ニ不知ズ微妙シト聞ケルヲ、心ヲ盡シテ〈◯中略〉密ニ盜ミ出シテケリ、其レニ忽ニ可將隱キ所ノ无カリケレバ思ヒ繚テ北山科(○○○)ノ邊ニ、舊キ山庄ノ荒テ人モ不住ヌガ有ケルニ、〈◯下略〉

〔後拾遺和歌集〕

〈十九雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 石山にまいりけるみちに、山しなといふ所にてやすみ侍けるに、〈◯下略〉

〔今昔物語〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 東山科藤尾寺尼奉八幡新宮語第一 今昔、天暦ノ御代ニ、粟田山ノ東山科ノ郷ノ北ノ方ニ寺有リ、始テ藤尾寺ト云フ、

〔山城名勝志〕

〈十七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 白河寺〈◯中略〉 山科家雜掌言上文書云、山科家雜掌重支謹言上、右子細者、山科郷之内、之事、爲當家名字之地、譜代知行之段勿論也、就中當郷之内、諸散在名田等、號後白河院御影堂領事、彼在所仁院御所被立、御自筆仁御影被遺之條、則爲御修理供料知行之段、觀應三年八月三日、同廿三日、等持院殿様御判兩通、并弘安、文和、其外到應仁歳中仁、數通被下綸旨云々、然於勝定院殿様御代、依三寶院殿御押領、御影堂御修理已下之事者不申、既勅筆之御影及破滅之間、法住寺殿江預置申、先爲當家、毎月供料致下行者也、 文龜二年十月日

〔親長卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 文明十三年十一月七日、先年山科申請院宣、〈名字地之内大宅郷(○○○)事〉

〔山城名勝志〕

〈十七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 小栗郷(○○○)〈和名抄云、宇治郡、今勸修寺南、醍醐西、有南北二村、〉 施凉寺〈◯中略〉 古文書云、〈報恩院僧正雜掌申〉右院家領、小栗栖之内、號施凉寺分、田地之事、既當院爲知行、及七十年相違之地也、〈文明十八年九月日〉

〔山城志〕

〈八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 郷名 竹淵(タカフチ)〈已廢、今綴喜郡有竹淵神祠、〉奈美〈廢〉那羅、 水主(ミヌシ)、〈倶廢、今綴喜郡有奈良村、水主村、〉那紀〈已廢存伊勢田村〉宇治、殖栗(ヱクリ)〈廢〉栗隈、〈方廢、山杜存、〉富野(トンノ)〈方廢、村存、〉拜志〈方廢、林村存、〉久世〈方廢、村存、〉羽栗〈廢〉

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 那羅郷(○○○)〈和名抄云久世郡、男山東、木津川西端、有上下二村、〉

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 園地卅九町五段二百歩〈京北園十八町三段、奈良(○○)園六町八段三百廿歩、山科園九段、奈美(○○)園五町五段二百卌歩、羽束志園四町九段、泉園一町、乎城園二町〉

〔類聚雜要抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 用途料〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 奈良御園〈苽、茄子、蘿蔔、◯中略〉 奈美〈同前〉

〔三代實録〕

〈四十二陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 元慶六年十二月廿一日己未、勅〈◯中略〉久世郡栗前野美豆野、奈良野(○○○)、〈◯中略〉天長年中既禁禽、今重制斷、山川之利、藪澤之生與民共之、莫農業、但至于北野、不此限也、

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 那羅郷〈◯中略〉 古文書云、〈賣渡進作手畠新立券文事〉合壹段者〈在奈良郷〉右件畠、元者中原氏二女之相傳私領也、〈◯中略〉但領家者賀茂御領、地子物芋伍升、追年無懈怠辨進、 文永六年六月十七日 〈賣人中原氏女嫡男紀〉

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 水主郷(○○○)〈和名抄云久世郡、土人呼水主村、今入綴喜郡云々、在下津屋東南川端、〉

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 貞觀八年十一月廿日辛酉、進山城國從一位勳二等松尾神階正一位、授從四位下水主神從四位上

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 那紀郷(○○○)〈和名抄云、久世郡、〉

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 栗隈郷(○○○)〈和名抄云、久世郡〉

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 十二年十月、堀大溝於山背栗隈縣以潤田、是以其百姓毎豐年也、

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 十五年、是歳冬、山背國堀大溝於栗隈

〔大和物語〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 おなじ女のもとにさらにをともせで、きじをなんおこせたまへりける返事に、 くりこまのやまにあさたつきじよりもかりにはあはじとおもひしものを

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 富野郷(○○○)〈和名抄云久世郡、長池町西有富野村、土人云、長池町元自富野村出在家也、〉 古文書云、山城國富野郷内南村、於當村之散在者、舍兄備前守政清、〈于時遁世號宗信〉避状炳焉之上、早彼一村同散在田畠、彌可領知、 文明十八年十一月廿三日 散位加賀守 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 小笠原播磨守殿〈元長〉

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 久世郷(○○○)〈和名抄云久世郡、今久世村在長池町北大和路、〉 御教書案云、山城國采女司領、久世村、〈文明十四年十二月廿九日〉 文書云、華嚴禪院事、〈◯中略〉城州久世村依便宜之地附之、 子曇〈判◯中略〉 寺田郷(○○○)〈今久世村南有寺田村、長池町乾也、〉

〔公卿補任〕

〈後醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 元徳三年〈◯元弘元年〉 大納言正二位藤師賢〈九廿九出家、〈法名素貞〉山城國寺田郷地頭代野邊若熊丸召捕之武家云々、〉

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 安養院〈在于平川郷(○○○)云々、今平川村在久世郡大久保村南久世村北、〉 松井郷成願寺鐘銘云、沙彌佛阿、法阿、弘長二年寄平河郷安養院鐘樓修理料畠事、 四至〈南北繩、西繩、乘際目、〉右山城國久世郡馬耳田里一坪内 件畠者十念相傳知行、無相違者也、件畠所寄進眞實也、 文保三年己未卯月八日 當寺鐘勸進聖 沙彌十念〈敬白〉

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 田井郷(○○○)〈下津屋乾、木津川東端有田井村、〉 古文書云、平野社領大井(タヰ)郷内有見里鯰里事、下津屋越前守親信、去應仁元年雖給奉書、既被御糺明御判、 明應三年六月三日 前筑後守 前信濃守

〔山城名勝志〕

〈十八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 意足軒〈在橋本郷(○○○)〉 默雲稿 前妙光等仲禪師、鷲峯法燈的裔、自南和尚賢孫也、現居城南竹林寺、閑門護竹鬱然成林、南風一拂則玉音琅然、如先人之側、又相攸於八幡橋本郷(○○○)、築軒種竹、扁曰意足、就余需一詞、 天隱 數竿也足歳寒心、況亦森々蒼雪深、知爲子孫境地、南風養筍補疎林、 ◯按ズルニ、葛野郡ノ古郷ニ橋頭(ハシモト)アリト雖モ、玆ニ謂ユル橋本郷ハ、久世郡中ニ在リ、男山ノ西

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 麓ニ位シ、淀川ニ面ス、古山埼橋在リシヲ以テ此名アリ、

〔山城志〕

〈九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 郷名 山本 多河、〈方廢村存〉田原 中村、〈方廢村存、入久世郡、〉志磨、〈已廢存奈島村、〉綴喜、〈今呼普賢寺莊、〉大住 有智〈方廢村存〉甲作 餘戸〈倶廢〉

〔山城名勝志〕

〈十九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 山本郷(○○○)〈和名抄云、綴喜郡、在飯岡村南、〉

〔三大實録〕

〈十八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 貞觀十二年七月廿九日己卯、山城國言、綴喜郡山本郷、山頽裂陷、長二十二丈、廣五丈一尺、深八尺、底廣四丈八尺、相去七丈、小山堆起、草木無變動、時人疑陷地入地中、更堆起成山歟、

〔山城名勝志〕

〈十九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 田原郷(○○○)〈和名抄云綴喜郡、自宇治一ノ坂田原郷口ヘ二里八町坂路也、從郷ノ口長池ヘ一里半、鷲峯山ヘ一里半、田原郷ハ入口狹ク、谷中廣シ、今十五村有、誠ニ隱レ里ト云ツベシ、類少キ奇境也、此郷ノ内湯屋村ニ三ノ谷有、湯屋ノ谷、中ノ各、鹽ノ谷ト云、鹽ノ谷ノ中ニ古キ蛤貝多シ、加様ノ所外國ニモ海邊遠キ所ニ有トカヤ、古ヘトテモ海ニテ可有所ナラズ、開闢以前ヨリ有シ物ニヤ、不審シ、宇治ヨリ田原ヘ越ル道危嶮也、是栗子山越ト云、◯下略〉

〔山城志〕

〈九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 村里 切林、名、符作(フツクリ)、老(ヲイ)中、奧山田、〈屬邑四〉湯屋ノ谷、〈屬邑四〉長(ヲトノ)山、禪定寺、〈舊名桑有(クアリ)〉岩本、荒木、平岡、大道寺、糠塚、贄田、郷口、〈以上十五村田原郷〉

〔西宮記〕

〈臨時一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 諸宣旨 田原御栗栖長〈以國解名簿御所下、上卿下辨、賜官符於山城國、〉

〔朝野群載〕

〈五朝儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 田原御栗栖住人申文 田原御栗栖住人山背友武解、申請藏人所恩裁事、 請殊蒙恩裁且依先判旨、且召問在地、被許爲紀貞則男貞次、押作相傳所領御栗栖大明神御祭料田四段百八十町〈◯町恐歩誤〉状、〈◯中略〉 天永四年癸卯閏三月一日 御栗栖住人山背友武

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 永暦元年十一月十五日己丑、早旦、自田原供御所來甘栗三十籠、〈上十下廿◯中略〉有解文、〈◯中略〉五節之時爲恒例來兩貫首之許云々、

〔宇治拾遺物語〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 今はむかし天智天皇の御子に大友王子といふ人ありけり、太政大臣になりて世のまつりごとをおこなひてなんありける、〈◯中略〉春宮〈◯天武〉これを御らんじてさらでだにおそれおぼしけることなれば、さればこそとて、いそぎ下種の狩衣袴を著給て、藁沓をはきて、宮の人にもしられず、たヾ一人山を越て、きたざまにおはしけるほどに、山城國たはら(○○○)といふところへ、道もしり給はねば、五六日にぞ、たどる〳〵おはし著にける、その里人あやしくけはひのけだけくおぼえければ、高つきに栗をやきまたゆでなどしてまゐらせたり、その二色のくりをおもふことかなふべくは、おひいでヽ木になれとて、かた山のうへにうづみ給ぬ、里人これをみてあやしがりて、しるしをさしておきつ〈◯中略〉田原にうづみ給しやきぐりゆでぐりは、形もかはらず生出けり、いまにたはらの御くりとてたてまつるなり、

〔平治物語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 信西最 事 少納言入道信西〈◯中略〉宇治路へ懸り、田原ガ奧大道寺ト云所領ニゾ行ニケル、

〔山城名勝志〕

〈十九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 綴喜郷(○○○)〈和名抄云綴喜郡、八雲御抄云、綴喜里、山城、〉

〔宗良親王千首〕

〈春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 隣家梅 風かよふつヾきの里の梅がかを空にへだつる中垣ぞなき

〔山城名勝志〕

〈十九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 大住郷(○○○)〈和名抄云綴喜郡松井村南手バラ川ノ北ニアリ、〉

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 嘉吉三年五月五日己未、自隼人司領山城大住庄名主等中、粽十二連上之、三連米進也、 文安五年正月六日癸巳、自山城國大住隼人司領、公事物七種菜、〈十二把上、三把未進、〉小餅、〈赤白大充〉十二前上之、〈三前未進〉

〔山城名勝志〕

〈十九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 甲作郷(○○○)〈和名抄云綴喜郡〉

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 靈龜二年九月癸巳、正七位上山背甲作客小友等二十一人、訴免雜戸、除山背甲作四字、改賜客姓

〔山城名勝志〕

〈十九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 飯岡〈在木津川西端、草内村巽山本村北、〉 古文書云、御判壹萬部御經料所、山背國草内郷(○○○)内飯岡、 永享四年五月廿五日 貞連 爲種 正實坊 飯岡鐘銘云、雍州綴喜郡、飯岡者此嶂(ミネ)、人里不近不遠、而眞俗不背云々、此岡者在國中田園内、東木津河布岩崎磐石、故洪水不漂破、西屏天王山、則大風不崩虧、【北草肉(クサシヽ)郷】、常揚民竈、南山本村、時掉賣買船矣、東西量及十町、高二町餘所、唯松樹茂、南北平地、而有人家、山頭墳冢耳、其中大者二三岡震有天滿天神宮、未移者兊有大墓所、昔行基菩薩封所、 寛永十六年二月日 良定上人入觀袋中

〔山城名勝志〕

〈十九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 成願寺〈松井郷(○○○)〉 鐘銘云、山城國松井郷成願寺鐘、當伽藍沙彌佛阿同宿尼法阿、弘長三年始置不斷念佛云々、今奉此鐘、爲伽藍安穩、興隆佛法、廣作佛事、郷内泰平、諸人快樂乃至法界、平等利益、 文保三年己未卯月八日 沙彌十念〈敬白〉 願主比丘尼法阿闍梨 眞慶 僧西念 大工伊勢田爲依

〔山城名勝志〕

〈十九綴喜郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 奧山田〈田原郷東限也、在湯屋谷艮、自是通江州朝宮、〉 武家雜記云、大炊寮雜掌、與權暦博士宣繼朝臣相論、山城國奧山田郷(○○○○)事、〈◯中略〉止彼姧訟全宣繼代所務之由所仰下也、 應永八年十一月十六日 沙彌〈判〉 結城越後入道殿

〔山城志〕

〈十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 郷名 相樂〈方廢村存◯中略〉水泉(イツミ)〈今云瓶原郷、〉加茂 大狛〈方廢村存〉綺田(カハタ)〈日本紀作綺戸、山槐記作加幡、元亨釋書作蟹幡、〉祝(ハフ)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 園(ソノ)〈◯註略〉下狛〈◯註略〉

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 相樂郷(○○○)〈和名抄云相樂郡、今云相樂村、在木津村西南半里許、和州郡山道西也、〉

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 水泉郷〈和名抄云相樂郡、萬葉仙覺抄云、いづみの里、山城國、〉

〔山城志〕

〈十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 山川〈◯中略〉 木津川〈本名輪韓(ワカラ)川、又名挑(イトミ)川、又泉川、〉

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 十年九月、武埴安彦與妻吾田媛反逆、興師忽至、各分道而夫從山背、婦從大坂、共入欲帝京、〈◯中略〉遣大彦與和珥臣遠祖彦國葺山背埴安彦、〈◯中略〉更避那羅山而進到輪韓河、埴安彦挾河屯之、各相挑焉、故時人改號其河挑河、今謂泉河訛也、

〔續日本紀〕

〈三十一光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 寶龜元年十二月乙未、賜左大臣正一位藤原朝臣永手、山背國相樂郡出水郷山二百町

〔萬葉集〕

〈四雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 石川朝臣廣成歌一首 家人爾(イヘビトニ)、戀過目八方(コヒスギメヤモ)、川津鳴(カハヅナク)、泉之里爾(イヅミノサトニ)、年之歴去者(トシノヘヌレバ)、

〔萬葉集略解〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 泉の里は山城相樂郡泉川のあたりを云べし、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 長承四年二月廿七日辛未、院春日御幸、〈◯中略〉申時著泉木津、〈今度有假橋

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 瓶原(○○)〈在木津渡東一里半許、郷内廣、今有九村、賀茂郷隔泉川北也、〉

〔古今和歌集〕

〈九羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 題しらず よみひとしらず 宮こいでヽけふみかの原いづみ川かは風さむし衣かせやま

〔新古今和歌集〕

〈十一戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 題しらず 中納言兼輔 みかの原わきてながるヽいづみ川いつみきとてか戀しかるらん

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 賀茂郷(○○○)〈和名抄云相樂郡、賀茂郷今有六村、里村北有賀茂渡、自木津渡二里東也、〉

〔山城志〕

〈十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 村里〈◯中略〉 高田 觀音寺 大野〈屬邑一〉 里〈屬邑一〉北 莵並(ウナミ)〈高田已下賀茂郷〉

〔今昔物語〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 天智天皇御子始笠置寺語第三十 今昔、天智天皇ノ御代ニ御子〈◯大友〉在マシケリ、〈◯中略〉山城ノ國相樂ノ郡賀茂ノ郷ノ東ニ有ル、山邊ヲ狩リ行クニ、〈◯下略〉

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 ならの京を立て般若寺ざかをこえ、梅谷などいひて、人はなれこヽろすごき所々をへて、かものわたりをすぎ、三日の原といふ所に輿をとヾめて思ひつヾけ侍り、

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 大狛郷(○○○)〈和名抄云相樂郡、今上狛村歟、在平尾村南木津渡北山際、 下狛郷(○○○)〈和名抄云相樂郡、木津川西、祝園村西、飯ノ岡南有下狛村、上狛隔川、〉

〔日本書紀〕

〈十九舒明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 三十一年四月乙酉、越人江渟臣裙代詣京奏曰、高麗使人辛苦風浪迷失浦津、任水漂流忽到著岸、〈◯中略〉詔曰、〈◯中略〉有司宣於山城國相樂郡起館淨治厚相資養、 七月壬子朔、高麗使到于近江、是月、遂引入山背高楲(コマヒ)館

〔三代實録〕

〈五清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 貞觀三年八月十九日庚申、左京人散位外從五位下伴大田宿禰常雄賜伴宿禰姓、先是正三位行中納言兼民部卿皇太后宮大夫伴宿禰善男等奏言、〈◯中略〉欽明天皇時、百濟以高麗之冦、遣使乞救、狹手彦復爲大將軍高麗、其王踰墻而遁、乘勝入宮、盡得珍寶貨賂以獻之、珠敷天皇〈◯敏達〉世、還來獻高麗之囚、今山城國狛人是也、

〔萬葉集〕

〈六雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242久邇新京歌 狛山爾(コマヤマニ)、鳴霍公鳥(ナクホトヽギス)、泉河(イヅミガハ)、渡乎遠見(ワタリヲトホミ)、此間爾不通(コヽニカヨハズ)、 右田邊福麿之歌集中出也

〔續日本紀〕

〈二十六稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 天平神護元年八月庚申朔、從三位和氣王坐謀反誅、〈◯中略〉流伊豆國、到于山背國相樂郡、絞之埋于狛野、〈◯下略〉

〔催馬樂〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0242 呂 山城〈三段、拍子各十、合拍子三十、空拍子、〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 山しろの、こまのわたりの、うりつくり、なよやらいしなや、さいしなや、うりつくり、うりつくりはれ、〈◯下略〉

〔兼盛集〕

〈夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 大監物なる時、御こき侍しに、内侍所に參りたりしに、いとおかしげなるこうりをつつみていだしたりしかば 山城のこまのわたりをみてしかなうりつくりけん人の垣ねを

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 蟹幡郷(○○○)〈和名抄云相樂郡、玉水町南、平尾村北、有綺田(カハタ)村、〉

〔日本書紀〕

〈六垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 三十四年三月丙寅、天皇幸山背、時左右奏言之、此國有佳人綺戸邊、姿形美麗、山背大國不避之女也、〈◯中略〉仍喚綺戸邊于後宮、生磐衝別命

〔今昔物語〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 山城國女人依觀音助虵難語第十六 今昔、山城ノ國久世ノ郡ニ住ケル人ノ娘、年七歳ヨリ、觀音品ヲ受ケ習テ讀誦シケリ、〈◯中略〉其ノ後虵ノ苦ヲ救ヒ、多ノ蟹ノ罪報ヲ助ケムガ爲ニ、其地ヲ掘テ、此虵ノ屍骸ヲ埋テ、其ノ上ニ寺ヲ立テヽ、佛像ヲ造リ經卷ヲ寫シテ供養シツ、其寺ノ名ヲ蟹滿多寺(○○○○)ト云フ、其ノ寺于今有リ、其レヲ世ノ人和カニ紙幡寺(○○○)ト云フ也ケリ、本儀ヲ不知ザル故也、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 寛治六年二月八日辛酉、辰時許於加波多河原暫留御馬、前駈皆下馬候左右

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 【祝(ハフリ)園郷】〈和名抄云相樂郡、今木津川西端、下狛村東、有上祝園下祝園二村、〉

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 十年九月、彦國葺射埴安彦、中胷而殺焉、其軍衆脅退、則追破於河北、而斬首過半、屍骨多溢、故號其處羽振苑(ハフリソノト)

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 天平十二年十二月戊午、從不破發至坂田郡横川頓宮、是日、右大臣橘宿禰諸兄、在前而發、經略山背國相樂郡恭仁郷(○○○)、以遷都故也、

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0243 岡田(○○)〈郷、驛、山、離宮、〉

〔三代實録〕

〈十一清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 貞觀七年九月廿六日甲辰、勅木工寮、採銅於山城國相樂郡岡田郷

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 一山城國(御料私領)〈城州 南北一日半餘〉 八郡 高貳拾貳萬四千貳百五拾七石七斗八升八合壹勺六才 四百五拾九ケ村 ●二條御城 〈江戸ヨリ百二十三里〉 ●淀 〈同百二十五里半 京四里半 大坂八里〉 ○伏見 〈同百二十四里 京へ三里 大坂九里〉 <京 <宇治 〈江戸百二十六里〉 ◯按ズルニ、本書凡例ニ、●城、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000642704.gif 城主格、○陣屋、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 寄合衆在所、其外在所住居、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif 陪臣在所、公儀御役所、<御代官陣屋トアリ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 山城 八郡四百七十七村 高二十三万百三十一石七斗六升八勺六才五札(御料私領) 葛野郡八十一村 愛宕郡八十一村 宇治郡五十一村 紀伊郡三十四村 乙訓郡五十二村 久世郡四十二村 綴喜郡五十四村 相樂郡八十二村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 郡邑島嶼奇名 山城 愛宕(オタキ)郡、葛野(カト)郡、乙訓(オクニ)郡、神足(カウタリ)村、開田(カイデン)村、雞冠井(カイデ)村、相樂(サガラ)郡、有市(アチ)村、鹿背山(カセヤマ)村、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001ad4e.gif 田(カバタ)村、久世郡、富野(トノ)村、一口(イモアラヒ)村、宇治郡、木幡(コハタ)村、川邊郡、昆陽(コヤ)宿、中食滿(ケス)村、次屋(ツキヤ)村、

〔古事記〕

〈中應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 一時天皇越幸近淡海國之時、〈◯中略〉故到坐木幡村(○○○)之時、麗美孃子遇其道衢、〈◯下略〉

〔山州名跡志〕

〈十五宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 木幡里 今稱木幡村、自金辻南二町計、南至五箇庄

〔延喜式〕

〈二十一諸陵〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 巨幡墓〈贈一品伊豫親王、在山城國宇治郡、◯下略、〉

〔拾遺和歌集〕

〈十九雜戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 題しらず ひとまろ 山しなのこはたの里に馬はあれどかちよりぞくる君を思へば

〔源平盛衰記〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0244 西光卒都婆事 或人ノ云ケルハ、今生ノ災害ハ、過去ノ宿習ニ報ベシ、貴賤不其難、僧俗同ク以テ在之、西光モ先

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 世ノ業ニ依テコソ、角ハ有ツラメドモ、後生ハ去トモ憑シキ方アリ、當初難有願ヲ發セリ、七道ノ辻ゴトニ、六體ノ地藏菩薩ヲ造奉リ、卒都婆ノ上ニ道場ヲ構テ、大悲ノ尊像ヲ居奉リ、廻リ地藏ト名テ、七箇所ニ安置シテ云、〈◯中略〉加様ニ發願シテ造立安置ス、四宮河原、木幡ノ里、造道、西七條、蓮臺野、ミゾロ池、西坂本是ナリ、

〔日本書紀〕

〈十四雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 十七年三月戊寅、詔土師連等、使朝夕御膳清器者、於是、土師連祖吾笥(アケ)仍進〈◯中略〉山背國内ノ村【俯見(フシミ)村】〈◯中略〉私民部、名曰贄土師部

〔山城名勝志〕

〈十六紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 伏見〈(中略)東限木幡六地藏村、南限宇治河末、西限三栖芹川村、北限深草里、〉

〔枕草子〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 里は 伏見の里〈◯中略〉いづれもおかし

〔後拾遺和歌集〕

〈十九雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 伏見といふところに、四條宮女房あまたあそびて、日暮ぬさきにかへらむとしければ、 橘俊綱朝臣 都人くるればかへるいまよりはふし見のさとの名をもたのまじ

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 高市連黒人羈旅歌 速來而母(トクキテモ)、見手益物乎(ミテマシモノヲ)、山背(ヤマシロノ)、【高槻村(タカツキノムラ)】、散去奚留鴨(チリニケルカモ)、

〔東大寺奴婢籍帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0245 山背國司移 大養徳國司 合奴婢貳拾捌人 婢飯虫女〈年卅六〉 婢伊蘇女〈年卅五〉 右二人、綴憙郡甲作里(○○○)戸主粟國加豆良部人麻呂戸口所貫〈天平五年死亡〉 奴人足〈年廿〉 右一人、同郡〈◯綴喜〉山本里(○○○)戸主錦部田禰戸口所貫 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 奴麻呂〈年六十◯中略〉 右十一人、久世郡那紀里(○○○)戸主水尾公眞熊戸口所貫 奴牛甘〈年卅八◯中略〉 右九人、紀伊郡邑薩里(○○○)戸主輕部牛甘戸口所貫〈◯中略〉 奴與止麻呂〈年廿四〉 奴藪原〈年十三〉 右二人、乙訓郡山崎(○○)里戸主間人造東人戸口所貫 奴雲足〈年六 神龜二年帳死亡〉 右遷附彼部添上郡師毛里(○○○)戸主少初位下大宅朝臣加是麻呂戸〈◯中略〉 天平十三年六月廿六日 ◯按ズルニ、邑薩ハオホサトト訓ズ、即チ大里ナリ、

〔東大寺奴婢籍帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 散位寮散位大初位上大宅朝臣可是麻呂謹解 申貢進賤事 合陸拾壹人〈◯中略〉 奴雲足年十四〈一人、山背國羽束里(○○○)戸主長岡坂本國麻呂戸口、◯中略〉 天平勝寶元年十一月三日

〔續日本紀〕

〈二十六稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 天平神護元年八月庚申朔、從三位和氣王坐謀反誅、〈◯中略〉和氣知之其夜逃竄、索獲於率河社中、流伊豆國、到于山城國相樂郡、絞之埋于狛野、又絞益女於綴喜郡松井村(○○○)

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 寶徳三年九月四日已亥、大住庄名主兩人〈東南〉來申云、大住庄與松井村百姓、草刈場堺目論事出來、〈◯下略〉

〔續日本紀〕

〈三十八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0246 延暦三年五月丙戍、勅遣中納言正三位藤原朝臣小黒麻呂〈◯中略〉等於山背國、相乙訓郡長岡村(○○○)之地、爲都也、

〔續日本後紀〕

〈九仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 承和七年五月癸未、後太上天皇崩于淳和院、 戊子、此夕奉後太上天皇於山城國乙訓郡物集村(○○○)、御骨碎粉奉大原野西山嶺上

〔三代實録〕

〈二十一清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 貞觀十四年五月十五日甲申、勅遣從五位上守右近衞少將藤原朝臣山蔭山城國宇治郡山科村(○○○)、郊迎勞渤海客

〔古今和歌集〕

〈十八雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 深草のさと(○○○○○)にすみ侍て、京へまうでくとて、そこなりける人によみておくりける、 なりひらの朝臣 年をへてすみこしさとをいでヽいなばいとヾ深草野とや成なむ

〔三代實録〕

〈四十七光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 仁和元年二月八日甲午、先是神祇官奏請、去貞觀十七年四月十七日有勅、以山城國葛野郡上木島下木島兩里(○○○○○○○○)乘田五段、奉從一位平野神社、而班田使圖帳不神田、收公斑給百姓口分、望被返充

〔山州名跡志〕

〈十一葛野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 桂里(○○) 川ノ西ニアリ、里兩所南北ニ在テ、上桂中桂下桂ト云、

〔古今和歌集〕

〈十八雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 かつらに侍ける時に、七條中宮とはせ給へりける御返事にたてまつれりける、 伊勢 久方の中におひたるさとなればひかりをのみぞたのむべらなる

〔夫木和歌抄〕

〈三十一里〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 こまのヽ里(○○○○○)〈狛野山城〉 前大納言公任卿 山ちかみあさたつ雲とみえつるはこまのヽ里の煙なりけり 此歌、春日よりかへり侍けるに、山づらにけぶりの立けるをとへば、こまのヽ里といひければよめると云々、

〔今昔物語〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0247 鳥羽郷聖人等造大橋供養語第二 今昔、鳥羽ノ村(○○○○)ニ大キナル橋有ケリ、此レハ昔ヨリ桂川ニ渡セル也、

〔山州名跡志〕

〈九葛野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 梅津里(○○○) 在松尾卯辰間三町許、隔中間川、里分東西、云東梅津、西梅津

〔參考源平盛衰記〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 内大臣召兵事 印本、一本、伊藤本、八坂本、鎌倉本、如白本、佐野本、並云、〈◯中略〉淀(○)、羽束瀬(○○○)、宇治(○○)、岡屋(○○)、日野(○○)、勸修寺(○○○)、醍醐(○○)、小栗栖(○○○)、梅津、桂、大原、志津原(○○○)、芹生(○○)ノ里ニ溢居タル兵共、或ハ鎧著テイマダ兜ヲ著ヌモアリ、或ハ矢負テイマダ弓ヲ持ヌモアリ、片鐙蹈ヤ蹈ズニテ周章騷テ馳參ル、

〔夫木和歌抄〕

〈三十一里〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 御集、大原せれふの里と云所にて、 後徳大寺左大臣 よをそむくかどではしたり大原やせれふの里の草の庵に

〔太平記〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 足利殿著御篠村則國人馳參事 官軍ハ五月七日京中ニ寄テ、合戰可有ト被定ケレバ、篠村八幡山崎ノ先陣ノ勢、宵ヨリ陣ヲ取寄テ、西ハ、梅津桂ノ里、南ハ竹田、伏見ニ篝ヲ燒、〈◯下略〉

〔長祿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 去程ニ明レバ十九日〈◯長祿四年九月〉辰ノ一天ニ、都ヲ落サセ給、〈◯畠山義就、中略、〉去程ニ茄子造コウヅノ里(○○○○○)ヲ打過テ、餘リノ事ノウラメシサニ、年ヲ守リノ星田ノ里(○○○○)、打恨ツヽ行程ニ、駒モ靜ニ打上リ、蕭敷秋ノ野崎ノ里(○○○○)、猶裏枯ル草賀ヨリ、一宮ヲ伏拜ミ、若江ノ城ニ入給フ、自昔諸大名度々ニ及テ都ヲ落行シニ、白晝ニシトヤカニ落給ハ、今ノ義就ト皆々沙汰シケリ、去程ニ次郞殿ハ、同廿三日、家督ノ御出仕有テ、次ノ閏九月九日、和州ヘ下リ給フ、義就ハ愁ノ西路ヲ下給フ、政長ハ悦ツヽ、東門ヲ開テ、天ニモ上ル計ナル、高倉ヲ下リニ、法性寺ヲ見渡セバ、晩稻ヲ苅テ稻荷山、斯ル憑ミハ深草ノ、鶉ノ床ニ伏見ノ里、白菊笑ル野ヲ見レバ、荻ノ枯葉ニ紫ノ、サナガラ藤ノ森(○○○)過テ、木幡ノ里ニ馬ハアレド、歩ニテ下ル人々ガ、八十宇治川ノ邊ニテ、神保宗次郞御馬ニ近ク參リ、御物語申様、此宇治ト申ハ久敷名所也、特更源氏ニ縁多キ處也、〈◯下略〉

〔大覺寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0248 山城國御所内七拾石餘、并嵯峨内〈生田村高田村(○○○○○○)〉貳拾七石餘事、爲新地進覽之、全可御直務

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 之状如件、 天正三年十一月六日 信長〈◯花押〉 大覺寺殿

〔續應仁後記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 三好孫次郞範長所々合戰事 同キ天文八年己亥ノ六月、公方家モ若君達モ京都ヲ御退去ナラセ給テ、洛外八瀬ノ里(○○○○)ニ移ラセ給ヒ、朽木民部少輔稙綱等相從奉リ、同十年坂本へ御動坐有リ、或ハ慈照寺ニ入御マシマス時モ有リ、

〔雍州府志〕

〈一山川〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 八瀬里 去洛東北三里許、在叡山麓、斯邊總小野庄内也、一説天武天皇被大友皇子時逃此里、流矢中天皇背後、故號矢背云、土俗男子亦椎髻、傳言山鬼曾栖八瀬河西山中鬼洞、一村男女悉山鬼之裔也、故男子亦束髮於頭上一處、到今毎年自七月七日同月十五日、村中兒女聚斯洞鉦、大唱彌陀佛號、是謂先祖、予〈◯黒川道祐〉思斯處在叡山麓、自傳教大師以後被牛車之僧、使此土人藏車飼牛、其僧乘車入洛日、則使土人爲牛童、倭俗牛童、束長髮於頂上、垂其末於背後、今長髮則其遺風也、何有鬼神之裔乎、一村百戸餘、俗朴身著木棉衣、又著裘革袴、登山如http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650ce9.gif 、耕田以牛馬、農暇各腰斧鎌山伐木尺許束之、入窖蒸之、去濕氣則青色忽變黒、是謂黒木、日々賣京師、大原土俗亦然、

〔夫木和歌抄〕

〈三十一里〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 や瀬の里〈山城〉 戀歌中歌林 印禪法師 日にそへてすがたぞかげに成にけりやせの里なるいもをこふとて

〔夫木和歌抄〕

〈三十一里〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 たけだの里〈竹田、山城、〉 永久四年百首水鷄 俊頼朝臣 心からたけだの里にふしなれていくよくゐなにはかられぬらん

〔類聚名物考〕

〈地理三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0249 竹田里(○○○) たけだのさと 山城國〈紀伊郡〉 原 竹田 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 竹田は大和國十市郡にも有り、萬葉集第四に、坂上郞女從竹田庄女子歌あり、是はまさしく大和なり、また日本紀第三に猛田と書しを、舊事紀には建桁とも書り、又延喜式神名帳に、大和國十市郡に竹田神社あり、是等の類はまさしく大和なれども、又後世の歌によみしは、たヾ山城國紀伊郡の竹田なり、芹川淀等をよみ合せしにて知べし、

〔山州名跡志〕

〈十一紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 竹田 在城南宮(グウ)森艮亘卯辰一町許、此所洛陽東洞院通ノ南順路也、竹田今ハ所ノ名トス、如舊記竹田ハ庄號ニシテ、竹田庄ト云フ、或云眞竹庄、 分村云東竹田、西竹田、中間一町餘、

〔山州名跡志〕

〈十六久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 巨椋〈或作小倉〉 在宇治乾三十町許、有民居村、此所伏見ヨリ到ル順路ハ豐後橋ノ南、大和路ニテ、橋ヨリ五十町ニアリ、其路左ニ宇治川アリ、右ニ伏見澤アリ、右此五十町ノ所、秀吉公ノ時所築ノ堤ナリ、古ノ大和路ハ、巨掠ヨリ寅卯ノ間ニ向ツテ宇治橋ニ出デ、木幡ノ關ニ趣キシ也、〈◯中略〉 久世〈所名清音〉 在大久保巳午間、其間十町許、但大和街道ハ於久世東ノ端ニシテ南北五町許ヲ云フ、其南ハ寺田村ニ雙ブ、但久世村ノ民居ハ大和街道ノ西ニアリ、

〔類聚名物考〕

〈地理三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 綴喜里(○○○) つヾきのさと 山城國〈綴喜郡〉 宮 郡 岡 原 今は連續の訓の如く、下のつを濁りてとなふるを、上古は清てとなへしにや、日本紀には筒城と書れしにて知べし、その類古今の違ひ、まヽその例多し、物によりてその心得有るべし、

〔山州名跡志〕

〈六愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0250 花園〈村名〉 在小野橋北十二三町、 花園ノ名ハ古左大臣夏野公ノ別莊ニヨルナリ、其地初ハ今ノ妙心寺ノ地是也、彼人於其所諸花ヲ愛セルヲ以、花園左大臣ト稱ス、然ヲ人皇九十四代ノ帝、彼地ヲ好取玉ヒテ、其裔孫良枝ニ今此地ヲ賜ル、仍テ彼別莊ヲ此地ニ移、故ニ此號アリ、上皇又彼地ニテ群花ヲ愛シ玉フ故、上皇ノ御稱號ヲ花園院トモ、又萩原院トモ申也、

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 合處々庄拾陸處 山背國三處〈相樂郡二處北大河之限、〉 〈一泉木屋并薗地二町、東大路、西藥師寺木屋、南自井一段許退、於一棚倉(○○)瓦屋東谷上、西路、南川、北南大家野之堺限乙訓郡、◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔萬葉集〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 天平五年十月二十二日、於左大辨紀飯麻呂朝臣家宴歌、 手束弓(タツカユミ)、手爾取持而(テニトリモチテ)、朝獵爾(アサカリニ)、君者立去奴(キミハタヽシヌ)、多奈久良能野爾(タナクラノヌニ)、

〔石清水文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 太政官牒石清水八幡宮護國寺 宮寺所所庄園參拾肆箇處事 一應如舊領掌庄貳拾壹箇處事 山城國肆箇處 壹處 字奈良庄(○○○) 久世郡 水田陸町玖段參佰歩〈◯中略〉 壹處 字稻間庄(○○○) 相樂郡 水田貳拾玖町貳段伍拾歩〈◯中略〉 以前庄園如件、國宜承知、依宣行一レ之者、宮寺承知、牒到准状、故牒、 延久四年九月五日〈◯署名略〉

〔當宮縁事抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 左辨官下 石清水八播宮并宿院極樂寺 應永停止宮寺并極樂寺庄園領家預所下司公文等、或號先祖讓状、或稱相傳文書、致異論掠領、兼又有由緒傳領、子孫斷絶處々付本所事、 宮寺領 山城國 租穀庄(○○○) 稻八間庄(○○○○) 新庄(○○) 河原崎庄(○○○○) 本田庄(○○○)〈◯中略〉 保元三年十二月三日〈◯署名略〉

〔拾玉集〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0251 建久二年、右少辨資實に山本の庄(○○○○)を給べたるよし聞て、おほぢの日野の民部卿入道の許よりよろこぶよし申とて、一絶をつかはしたるを見れば、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252所懷子孫 老沙彌如之 孫枝子葉誇恩日、枯木自然如春、水蕣徒今宜詠謝、後榮不識七旬身、 これをみて和してつかはすとて 木のもとの春にあふなる春なれば老木に花もさかざらめやは

〔西大寺文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 注進 西大寺所領諸庄薗現存日記事 合〈◯中略〉 山城國 下已呂波里狛野庄(○○○)、畠七町百八十歩之内、〈一町一段百六十歩左馬寮收公〉 已上九箇庄大體有名無實、或被國領、或被人領、或半分、或三分之一也、然而就庄號注進之、 一顚倒庄々〈◯中略〉 山城國 羽束志庄(○○○○)、九町二段百二十歩、 久世庄(○○○)、一町、 已上二十七處、依流記公驗明白注進之、 右依宣旨、注進如件、 建久二年五月十九日〈◯署名略〉

〔山城名勝志〕

〈二十相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 野〈◯狛〉 永享年中寺社文書云、山城國狛野庄興福寺十二大會并若宮祭禮料所、 永享二年十二月廿五日 爲種 貞連

〔島田文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0252 注進 御庄々一年中課役事〈付寺役并本支配内不動物等〉 合〈◯中略〉 下桂庄(○○○) 元三雜事 御簾二間、疊二枚、〈小文一枚、紫一枚、〉砂三兩、 三月御八講砂二兩 五月五日菖蒲二駄、〈付艾〉 御更衣小文疊一枚〈宮御方十月料〉 臨時召人夫等〈御八講、歳末掃除、七月御瓮供、舁行幸行啓等料、〉 移花十枚(不勤之)〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 建久二年十月 日注進之

〔東寺百合古文書〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 七條院御領十七ケ所事 山城國上桂庄(○○○)〈以同國桂東庄(○○○)内北方御相傳之〉 同國河島庄(○○○) 同國廣庭庄(○○○)〈◯中略〉 正和三年七月三日 亮判(春宮亮隆長)〈奉〉 粟田口少將殿

〔東寺百合古文書〕

〈五十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 山城國上桂庄〈號上野庄(○○○)〉本主平氏女代良秀謹言上 欲早被御奏聞、任相傳道理、被付于氏女、全知行當主領主職事〈◯中略〉 建武元年十二月日

〔東寺百合古文書〕

〈四十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 東寺領山城國上野庄〈又名上桂庄〉雜掌謹辧〈◯中略〉 貞和五年九月日

〔東寺百合古文書〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 七條院十七箇所事、上桂庄替、桂東庄北方爲安樂壽院領歟、然者被替吉身庄(○○○)候、於植木庄(○○○)者、萬秋門院別相傳之由被申之、〈◯中略〉 元亨三年九月卅日 中宮亮(藤房)〈判〉 謹上 法性寺三位殿

〔吾妻鏡〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 文暦二年〈◯嘉禎元年〉五月廿三日乙卯、石清水八幡宮寺與興福寺確執及喧嘩等之間、可計沙汰之旨、被院宣之由、自六波羅馳申、是薪大住(○○○)兩庄用水相論之故也云云、

〔百練抄〕

〈十四四條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 嘉禎元年六月三日甲子、武士多發向八幡方、是南都領大住庄與石清水領薪庄水相論、遣實檢使裁許之由被仰下之處、南都惡徒等可拂八幡領之由風聞之間、爲防禦勇士也、官軍以前衆徒燒拂八幡領薪園畢、

〔扶桑略記〕

〈三十堀川〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0253 寛治六年三月六日己丑、山階寺大衆數百人引率、燒失山城國木津川東里二百餘烟

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 賀茂庄(○○○)云々、

〔古文書類纂〕

〈上處分状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 後深草天皇建長二年關白藤原道家處分状 總處分 條々事〈◯中略〉 院領 山城國久世庄 曾末庄(○○○)〈◯中略〉 寺領 山城國小鹽庄(○○○)〈◯中略〉 建長二年十一月日 愚老〈在御判〉

〔東寺百合古文書〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 山城國拜志庄(○○○)内日吉十禪師宮神田事 合壹町貳段半内〈◯中略〉 在 眞幡木里廿九坪二反半 跡田里二十九坪二段 穴田里五坪一反〈◯中略〉 須久田里十八坪五反 右注進如件 弘安九年五月

〔山城名勝志〕

〈十六紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 三栖〈伏見西南、有上三栖下三栖二村、土人云、太平記山城國深須入道アリ、此所住人也云々、◯中略〉 安樂壽院記云、〈安樂壽莊園〉山州眞幡木、芹川、上三栖(○○○)、播州石造莊、〈已上見于文明天文綸旨云々〉

〔管見記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 嘉吉二年十月廿四日、下三栖内(○○○○)、下司名代官職事、〈◯中略〉仰付有景了、

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 寶徳三年九月四日己亥、大住庄(○○○)名主兩人、〈東西〉來申云、大住庄與松井村百姓、草刈場堺目論事出來、〈◯下略〉

〔長享年後畿内兵亂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0254 永祿三庚申年臘月七日、自曉雷電、正月二十七日御即位、七月三日、三好豐前入河内、趣高屋合戰、十月八日、香西越後守於宇治五ケ庄(○○○)出張、九日木幡燒、十日三栖鳥羽深草燒、

〔信長記〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 室町殿重御謀反之事 十六日〈◯元龜三年七月〉信長卿、槇木ノ島ヘ向ヒ玉ヒケレバ、彼四人先懸ヲ申請テゾ加リケル、翌日信長卿ハ五箇庄、柳山ニ旗ヲ立ラレ、〈◯下略〉

〔山城志〕

〈七宇治郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 村里〈◯中略〉 大和田、廣芝、畑寺、岡本、新出、岡屋、上(カミ)谷、〈已上八村岡ノ屋ノ郷、今呼五箇莊、〉

〔山州名跡志〕

〈五愛宕郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 【大原】(ヲハラ) 在矢背北隣、於波羅(ヲハラ)ト唱フ、但和歌ニハ大原(オホハラ)トモ詠ズ、是則チ庄號ニシテ、分テ云大原里ハ無キ也、此庄内ニ南北ニ通ツテ往還道アリ、是ヲ隔テ東西ニ八ノ村アリ、南端戸寺村、其次上野村、大長瀬村、來迎院村、勝林院村アリ、西ハ南ニ井出村、其次野村其次草生村是ナリ、

〔續千載和歌集〕

〈十八雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 大原にまかりて草庵の所などしめをきて後寂圓上人に申つかはしける、 常磐井入道前太政大臣 うれしくぞまだみぬ山のおくもみし世のうき時の宿もとむとて

〔山州名跡志〕

〈十三紀伊郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 伏見(○○) 是即庄號也、伏見ノ方境ハ、今墨染寺ノ南二町許ニ、左右ノ辻アリ、是レ北ノ界也、但今所定伏見領ハ、稻荷北一町餘、大路ノ石橋ヲ限ル、南ハ京橋南十町餘、至淀堤ノ上ニ界アリ、西ハ竹田大路ヲ限リ、東ハ古城山巽、豐後橋ヲ限ル、

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 稻葉民部大輔正邦(雁間從四位侍從文久三亥七月任) 拾萬二千石 居城山城紀伊郡淀〈江戸ヨリ百二十五里七町半當城者依台命之、元和九、松平越中守定綱、寛永十、永井信濃守尚政、同右近大夫尚征、寛文十、石川主殿頭憲之、同主殿頭義孝、同石之助總慶、寶永八松平丹波守光煕、同孫四郞光慈、享保二、松平左近將監乘邑下總佐倉エ移、享保八稻葉丹後守正知以後領之、◯節略〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 山城國〈◯註略〉 管八〈田八千九百六十一町七段二百九十歩、正税公廨各十五萬束、本稻五十萬四千七十九束三把、雜稻二十一萬四千七十九束三把、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈也國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0255 山城國〈管八郡(中略)本田八千九百六十二町一反〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 山城州 所屬郡八、水田一萬一千一百二十二町、

〔運歩色葉集〕

〈屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 山城〈田數 萬七千七百五町〉

〔雍州府志〕

〈一郡名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 凡愛宕郡有五十八村、秋米通計二萬六百七十八石九斗七升零、久世郡有二十二村、秋米通計二萬二千三百九十四石零、紀伊郡有二十三村、秋米通計二萬四千七百石九斗零、宇治郡有三十七村、秋米通計一萬五千二百十一石九斗零、綴喜郡有四十三村、秋米通計二萬八千七百三十二石一斗三升零、葛野郡有六十八村、秋米通計三萬四千九百六十八石九斗五升零、乙訓郡有四十五村、秋米通計二萬六千百五十四石八斗零相樂郡有七十村、秋米通計三萬五千五百十石四斗九升零、今考之則山城八郡通計秋米二十一萬八千三百五十二石一斗四升零也、比古則其所收納者有餘、近年依新闢地與縣吏入上レ竿也、倭俗墾田號新開、以一間六尺三寸之竹竿准、量土地之廣狹、是謂上レ竿、村號多異于古之所一レ記、今之所名悉載于茲、此内今公家之所領合十一萬九百三十五石零也、〈八郡之中其村號、倭名類、聚鈔并拾芥鈔之所記載于茲、今考之多違今之所一レ稱、依時世面變易者乎、〉

〔日本鹿子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 山城國、八郡、大上々國、大上々國、南北百餘里、〈◯中略〉知行高二十萬六千七十石、

〔和漢三才圖會〕

〈七十二本山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 八郡 二十一万六千七十石

〔官中秘策〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 山城國〈◯中略〉 一石高貳拾貳萬四千貳百五拾七石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 天保度御國高調 山城國〈御料私領〉 一高貳拾三萬百三拾壹石七斗六升八勺六才五札

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0256 諸國出擧正税公廨雜稻 山城國正税公廨各十五萬束、國分寺料一萬五千束、嘉祥寺料一千七百卅六束四把、海印寺料三千束、元慶寺料一千束、圓覺寺料一千束、東光寺料一千束、文殊會料二千束、修理驛家料一千束、池溝料

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 三萬束、救急料六萬束、交易蒭直八千三百卅三束三分也、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 山城國〈◯註略〉管八〈(中略)正税公廨各十五萬束、本稻五十萬四千七十九束三把雜稻二十一萬四千七十九束三把、〉

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 諸國年料供進〈◯中略〉 畿内國營田舂米六百五十四斛七斗三升二合〈山城國百八十五斛一斗◯中略〉 支子〈數有損益〉山城國二園、五斛八斗六升、

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 交易雜器 山城國酒槽卅一隻、圓槽七隻、臼十腰、杵十五枚、槽八口、置簀十三枚、匏三百卅柄、輦籠五十四脚、〈◯中略〉 交易雜物 山城國〈大麥三石、小麥卅石、大角豆六石、胡麻子四石、荏子四石、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 山城國 調廣席二百八十枚、狹席五百九十枚、折薦八百五十八枚、葉薦四百六枚、食薦一千五百枚、〈隨時損益、餘國准此、〉自餘輸錢、

〔延喜式〕

〈三十一宮内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 諸國例貢御贄 山城國〈平栗子、氷魚、鱸、〉

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 諸國貢進菓子 山城國〈郁子四擔、蔔子一擔、覆瓮子一捧、楊梅子三擔、平栗子十石、〉

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 諸國進年料雜藥 山城國卅二種 王不留行十二斤、獨活十斤、白朮廿五斤、地楡、黄蓍各十斤、牛膝、苦參各廿五斤、桔梗卅斤、香http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006509f0.gif 、夜干各十五斤、昌http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b559.gif 三斤、枳實、漏蘆、槀本各九斤、薺苨、苘草小蘗各六斤、龍膽、通草各五斤、紫菀三斤、商陸八兩、芍藥四兩、厚朴十八斤、白蘝二斤二兩、葛根卅二斤、鼠尾草三斤、桃人九升、杏人一斗八升、赤小豆四斗六升、蜀椒一斗二升、鼈甲一枚、白粟大一斗、

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 山城國〈山蘭二斗、(中略)已上年料所進、◯中略〉 年料 山城國〈氷魚、鱸魚、〉

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0257 四郞君受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉宅常擔集諸國土産貯甚豐也、所謂〈◯中略〉山城茄子、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 〈◯下略〉

〔庭訓往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 大舍人綾、〈◯中略〉六條染物、猪熊紺、宇治布、大宮絹、烏丸烏帽子、室町伯樂、〈◯中略〉嵯峨土器、〈◯中略〉大原薪、小野炭、小柴黛、城殿扇、仁和寺眉作、姉小路針、鞍馬木芽漬、醍醐烏頭布、東山蕪、西山心太、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0258 山 洛陽典樂頭屠蘇白散 半井龍腦丸 延壽院延齡丹 施藥院牛黄清心圓 盛方院鳳髓丹 竹田牛黄圓 上智院蘇香圓 兼康元康齒藥 慶祐太乙膏 慶雲意徳萬應膏 同茄子膏藥 大膳亮産藥〈同大極助、大膳大夫、右三家、〉 道正解毒 外郞透頂(ウイラウノトウチン)香 入江殿被綿 同表刺褚(ツヽ) 曇花院殿千瓜 伊勢因幡守作鞍鐙 後藤雕物 同粉銅 兩座金銀 本阿彌目利 正阿彌金具 埋忠鍔 同剃刀 糸竹具〈琴、琵琶、三尾線、横笛、笙、觱篥、圖竹、十二律四穴等、〉 鼔筒、鳥甲 冠 石帶 雛 張子 水引 扣箔(ウチハク) 色紙 短册 表具 表紙 板摺本 繪草紙 摺繪 縫薄物 帽子 縊物(クヽシモノ) 結鹿子 白粉 炭團 鏡 金銀、銅、眞鍮飾細工、御簾 桑黒柿等洗(スカシ)細工 塗師細工 蒔繪道具 筆 削楊枝 刻多葉紛 切付細工 鹿切革細工 土火鉢 圍爐裏等 紺染 梅染 茶染 藍染 紗羅(シヤムロ)染 揉紅梅 蘇枋染 味淋酎 消酎 南蠻酒等 西陣撰絲 厚板物〈綾練島紋島等〉 金襽 唐織 紋紗 戻(モヂ) 絹縮 木線羽織地 同袴地等 色絲 絹糸 安居院疊縁〈高麗ベリ、雲繝ベリ也、〉 筆柿〈丹波ヨリ來ヲ此所ニテサハスト云〉 非田院藺金剛〈昔此寺ノ門前ニテ、非人共作テ賣タルト云、當時ハ方々ニテ作之、〉同寺内白味噌 舟橋吉岡染 木下紫染 柳原絹 本新在家龜屋島 無車小路指金細工 大峯辻子前鬼豆腐 一條藥玉〈此外造花〉 似紺染(ニゴンゾメ) 土御門風爐小板 長者町圍爐裏縁 疊紙 新在家羽二重 羅板物〈段縬(シヾラ)片色等〉 立賣縊染物〈外ヨリ宜〉 春日通丸田町曝木 鷹鈴 大炊御門通爐火箸 政平庖丁 冷泉通南蠻菓子 ミズカラ、〈昆布ニテ作之〉 二條藥種〈諸國ヨリ集ルヲ、此所ニテ繕出ス、〉 洗鮫 秤 キセル 釜鐶鏁〈奈良鍛冶ト云、當時京ニ住ス、〉 金義鑷 佐伯柄卷 碁雙六盤 茶入袋 紗織物〈高官ノ御衣ニ奉之、二條邊也、〉 押小路針口砥粉 三條袈裟 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0259 衣 蚊帳 繕綿(ムシリワタ) 蠟燭 釜座鐵唐金鑄物 粉川鼻革 六角調緒 頭巾 木綿袴 自在 位牌 銚子 坊門鑄物目貫 四條沼津屏風 藤重中繼 坊門茶筌〈麁相物、空也堂ニテ鉢扣作之、〉 白箸 道場 襪子 綾小路木綿足袋 觀音堂辻子精好 五條半女桃 扇地紙 腰張紙 煮紙子 澀紙 紙帳 坊門御倫旨紙 扣薄寫紙 六條佛具 燈籠細工 梅汁〈諸方染屋用之〉 山川酒 飯鮨 煎餅 醍井分餅(ヘギモチ) 坊門賀留多〈麁相物也〉 錫細工 御影堂扇 引物細工〈狛香合等ナリ〉 七條編笠團子〈小麥ニテアミ笠ノナリニスル也〉 八條淺瓜 九條眞桑 青瓜 芋 扣菽(ウチマメ) 水菜 藍 大宮通葡萄〈當所ニ多作出ス〉 丹後織絹紬〈其品多〉 堀川紺形〈二條邊ニ多雕也〉 水屋具〈井筒走釣瓶等〉 戸障子細工 油小路網代塗團扇 仕立刀 縊染物糊粉 土風爐 池川針 小川組緒 紐 織帶等 箞(ウツボ) 太刀 舞扇 饅頭 毬打(ギチヤウ) 振振玉(ブリブリタマ) 羽子 胡鬼板 菖蒲甲 同刀 踊團扇 同太鼔 西洞院椙細工 茶具 棗塗師 憲法染 織絞 雪踏 新町繪筆 面 乘物 淺黄椀 折敷 塗長持 行器 中島鏡〈和泉守ト云〉 挑燈 鞠 同沓 堅紅粉 室町塗葛籠 香具〈掛香、匂玉、燒物等、〉 目貫〈麁相雕也〉 上金剛〈絹ニテ作之〉 下緒〈鼠屋ト云〉 貝桶 倚懸 縊枕〈色々ノ絹也〉 筒衞護(ツヽマモリ) 烏帽子 松本洲濱http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650ceb.gif (ヲコシ) 烏丸内裏粽 麩灸 鹿茸 金賀留多 歌賀留多 櫻馬場張枕 文匣 插箱 藥罐細工 新物仕立 植毛虎皮 蒔繪手道具〈麁相物ナリ〉 道惠盃 數寄屋家具 疊大工 頭襟 篠懸(スヾカケ) 大經師經 同暦 大佛師 東洞院三本木ムク練 茶柄杓〈大津柄杓ト云、當時京ニ住ス〉、 黒柿抂鍋(マゲナベ)〈酒ノ渡カン鍋ニ用之〉 蒔繪下地印籠 板唐紙(ハンノカラカミ) 堺町明珍鎖 萬里小路鍔〈麁相物ナリ〉 雨紙 合羽 麩 冰蒟蒻 土圭細工 富小路扇骨要 御幸町玉細工〈軸、目金、數珠等、〉 練珊瑚珠 具足 椀木地 魚箸 網代籠履 寺町石塔細工 御靈前人形細工 誓願寺前糸鞦ドシ織 數珠 繪像 木像 紙表具 櫛 硯細工 角象牙細工 口藥入 唐革細工 決拾(ユガケ)細工 鎖子 打替 寸袋(スンブクロ) 雪沓 大皮踏皮(タビ) 屏風〈麁相物也〉 琴絲 金銀針 鑓長刀柄 弓箭細工 角倉町辛螺蚫摺貝 摺碁石 淺黄盆 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0260  猶洛中名物雖之、不記、 八幡蘇民將來 小弓 旗竹 菖蒲革 牛房 山崎油酒 善峯(ヨシミ子ノ)目藥 西岡竹 松尾白粉合土 梅津抹香 桂糖 常盤平野落髮細工 西京青菽 麹〈諸國麴ノ司ト云〉 北野作木〈諸木ノ枝ヲタメ置、舟鉢等ニ入テ商之、〉 辛螺青貝唐繪盆、折敷等、口人(クチウドノ)菜刀 宮司梅干 茶屋粟餅 眞盛衣大豆(シンセイノコロモマメ)〈比丘尼ノ業ナリ〉 淨福寺納豆 大徳寺蒸素麪 龍安寺山松茸 内野蕪菜 蓮臺野大根 嵯峨蒲萄 木練柿 庭石 大井川鮎モドキ 水尾柚樒、〈洛中佛前之花ニ用之〉 龜山蓍木 愛宕粽〈參詣之道者土産ニ用之〉 高雄砥〈高雄ナル砥取ノ山ノホトトギスヲノガカタナヲトギズトゾナク〉 鳴瀧飛石 栂尾土砂〈末期ニ用之〉 同茶〈根本ト云〉 畑枝土器 鞍馬草蔛(トコロ) 山椒皮 燧石 大原菩提子 杉丸太 一原篠葉〈洛中粽ニ用之〉 八瀬黒木 谷川カジカ 車坂鮎 賀茂川http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e8c7.gif (ハヘ) http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650cec.gif (イシブシ) ヲイカハ 打蒔青石 社家虫籠細工〈色々ノ作物ヲシテ大内ヘ上之〉 御手洗團子 田中鮨餅 吉田大根 黒谷茶入合土〈漢ノ土ニ似ト云〉 鐘鑄形工〈諸寺ニ用之〉 白川眞鍮瑠土〈諸國ニ行〉 切石 成道寺浮壺便(フクベ) 粟田口キセル土物 天邊太鼔、〈六サイ念佛鼠戸等ニ用之〉 モロヲロシ〈ウシノ子ノ皮ト云、刀ノ鞘ヌリ下地ニ用之、〉 祇園風車 蕚箒 茶屋豆腐 甘餅(アンモチ) 丸山醤 梅漬 八坂弦 履〈出家用之〉 遊行澀(サビ)土〈壁ニ用之〉 清水坂灸餅 作紙子 清閑寺木石(ボクイシ) 花山多葉粉 山科金屑丸 澀柿 茜染 源氏繪具 荷馬腹當 醍醐蒸竹 楊梅 甘干柿 大佛餅 蔟瓦(シヽカハラ) 椶櫚箒 明珍轡 象眼鎧〈猶洛中ニ多之〉 鷹鈴 著籠(キゴミ) 摺火打 法性寺籜笠 鼻尺八 東福寺門前地黄煎 火繩 額板 稻荷染團子 山黄土(ワウド)〈繪ノ具ニ用之〉 刃土〈諸國ニ行〉 壺々火桶 唐菘(タウガラシ) 深草糸瓜 藺箒 茶屋鶉餅 竹田蕗 鳥羽瓜 伏見雜喉 竹簾 美豆菖蒲〈五月五日洛中用之〉 蘆 眞菰〈同日洛中粽ニ用之〉 淀ノ川サガシ 名吉 宇治川小白魚(キスゴ) http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001dda0.gif  鱸 鯉 鱣鮓〈是ヲ宇治丸ト云〉 茶 同磨 風爐灰 圓柿 瓶原砥(ミカノハラド) 狛越瓜(シロウリ) 茄子〈外ヨリ早シ〉 薯蕷 ヌカゴ 牛房 蜜柑 柑子 金柑 柚柑 代々 久年母 當歸 地黄 山藥 干姜 生姜 紫蘇 薄荷 荊芥 青皮 陣皮 牡丹皮 山城米

〔日本書紀〕

〈二十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 六年六月、葛野郡獻白燕

人口

〔宮中秘策〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 山城國〈◯中略〉 一人數五拾貳萬貳千六百貳拾六人 内〈貳拾七萬六千九百四拾人 男 貳拾四萬五千六百八拾六人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數四拾六萬九千五百拾九人(御料私領) 山城國(高貳拾貳萬四千貳百五拾七石餘) 内〈貳拾四萬貳千九百貳拾人 男 貳拾貳萬六千五百九拾七人 女◯中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年) 一人數四拾五萬貳千百四拾人(御料私領) 山城國(高貳拾三萬百三拾石餘) 内〈貳拾貳萬九千貳百八拾人 男 貳拾貳萬貳千八百六拾人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0261 山城國 山城之國之風俗ハ、男女トモニ其言葉自然ト清濁分リ善クテ、譬バ流水之滯フル事無フシテ、イサギヨキガ如シ、世俗ニ其國風ハ其水ヲ以知ルト云事誠ナル哉、城州ハ其水潔フシテ萬色ヲ染ムルニ、其色餘國ニハルイ違ヘル事、從古至于今斯、人之膚之滑成事、亦如斯、女之姿音聲之尋常ナル事ナラブ國ナシ、然ドモ武士之風俗不好事、中々不子細也、其所以考ルニ、王城之地ニシテ、常ニ管絃之樂ヲ翫ブ事ヲ見馴レ、或ハ商賣之人等ハ、遠國波島マデモ僞ヲ以テ實トスル習ナレバ、殊ニ王城ノ地如斯シ、サレバ常ニ實ヲ忘レテ虚ヲ談ズルヲ以テ、世ヲ渡ルヲ本トス、タマ〳〵實儀ノ人有トイヘドモ、其邪ニ推カクサレ、或ハ其實ヲ隱シテ、其風儀勤ル之類有ト見ヘタリ、如斯之武士千人ニ一人ナレドモ、是人モ後ハ如形之惡キ形儀ニ成ナリ、然レバ總テ此國ノ風俗實ヲ用勤ル人スクナキ故不義理也、不義理ガ故ニ、勇臆之儀ヲ沙汰スレドモ、餘所ノ事ニ心得ル故也、此氣質ヲ不離也、自然ニ好キ人有ハ口傳、

〔山城志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 風俗 水甘土厚、人嗜技藝、性稟寛舒、多文雅士、勁勇間豪傑、沈靜有工思、北山郷民、樸素存古風

〔雍州府志〕

〈一風俗〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 山城國中州而帝都之所有也、故古今之間、材徳技藝之人不勝數、故人物措而不論、依之不人品門、凡國中人情寛舒而無疎豪之氣、是又中土地氣之所使然者乎、

〔徒然草〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 悲田院の堯蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、さうなき武者なり、故郷の人の來りて物語すとて、あづまの人々に、いひつることはたのまるれ、都の人はことうけのみよくて實なしといひしを、聖それはさこそおぼすらめども、をのれは都にひさしくすみて、なれて見侍るに、人の心おとれりとは思ひ侍らず、なべて心やはらかに情あるゆへに、人のいふほどの事、けやけくいなびがたくて、よろづえいひはなたず、心よはくことうけしつ、いつはりせんとは思はねど、ともしくかなはぬ人のみあれば、をのづからほいとをらぬ事おほかるべし、あづま人はわがかたなれど、げには心の色なくなさけをくれ、ひとへにすぐよかなるものなれば、はじめよりいなといひてやみぬ、にぎはひゆたかなれば、人にはたのまるヽぞかしと、ことはられ侍りしこそ、此ひじりこゑ打ゆがみ、あら〳〵しくて、聖教のこまやかなることはり、いとわきまへずもやと思ひしに、此一ことばの後、心にくヽなりて、おほかる中に、寺をも住持せらるヽは、かくやはらぎたるところありて、其益もあるにこそとおぼえ侍し、

名所

〔日本鹿子〕

〈一山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0262 名所の類 白川 南禪寺のおくなり、寺の門前より西へ流たる川也、〈◯中略〉 岩藏山 此名洛の四方にあり、帝都鎭護の爲に、一切經を書て四方の山に埋れし故、此名ありといへり、東の岩くらは、白川の東南禪寺の上なりと云、北は松が崎の後、西はよしみね也、南は大和の國にあり、〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0263 粟田山 粟田口といふ所也、三條通の東あふ坂に近し、十禪寺より花頂院のあたりをいふといへり、 うきめをばよそめとのみぞのがれ行く雲のあはだつ山のふもとに 山階里 郡の名也、粟田口より相坂へ行間、四の宮などヽいふ所有、 音羽山 相坂の關より南に有と云 相坂の筧の水に流るヽは音羽の山の紅葉なりけり 花山 清水寺の東也、遍昭の舊跡なり、また山科の内に鏡山といふあり、花山北也、 栗栖野 伏見の東、醍醐の西也、 見わたせば若なつむべく成にけりくるすの小野の萩の燒原 篠の隈 山階のうちに有、京より二里あまりなり、 清水寺 くはしく佛閣の所にしるせり 日吉の社 神社の所にくはしく有〈◯中略〉 稻荷 神社の所に有〈◯中略〉 深草〈山、野、里、〉 京よりは辰巳のかたなり、いなりの山の續也、 伏見〈里山〉 深草の南里續也、乘功法師のうたに、 冬の夜のさむけき月にかずみえてふしみの澤にわたるみづどり 木幡〈山里〉 伏見の東なり〈◯中略〉 笠取山 醍醐の南木幡の東也、大山なり、〈◯中略〉 宇治の〈山、里、川、〉 京より辰巳の方三里也、水上は近江の水海より流落て、末は淀川へ落る、川は北へ流れて、橋は東西にかけたり、山吹の瀬、槇の島、橘の小島が崎、皆同所の名所なり、〈◯中略〉 竹田河原 淀より東、伏見方也、〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0264 鳥羽 秋の山 同池鳥羽のうちの名所也、竹田に近し、京より一里餘、淀の續也、〈◯中略〉 淀〈河、渡、橋、◯中略〉 京より未申の方三里也 美豆野 淀川の南の方也、みづの御牧と續たるも此所の事也、 八幡山 神社の所にくはしく有〈◯中略〉 駒野 京より奈良へ行道也 木津川 此川は駒野と木津の里との間なり、木津と云は南也、 泉川 都より南、奈良の順道にして、木津に近し、〈◯中略〉 柞の森 京より大和へ行道〈◯中略〉 岩田小野 淀の小橋の浮田の森のあたりなり〈◯中略〉 神南備社 山崎の西也、賀茂春日兩社ならびし故に此名あり、京より未申の方也、〈◯中略〉 水無瀬 山崎に近し、男山より西にあたる也、〈◯中略〉 桂川 西川と云、七條通の西也、 大原野 九條の通より少南なり〈◯中略〉 小鹽山 大原野のうちにあり、京より四里ばかり也、春日の末社たち給ふ、此所に岩倉といふ山寺あり、よしみねと云も此山のみね也、 葉室里 西山青生野より南也〈◯中略〉 松尾 葉室より北也、神社の所にくはしく書記せり、〈◯中略〉 衣手森 松の尾と嵐山の間也 梅津川 洛の西、松尾より東也、舟渡し有、〈◯中略〉 大井川 洛の西、嵯峨天龍寺の前の川也、〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0265 嵐山 洛の西、松尾の北、法輪寺の後の山也、 龜尾山 嵯峨天龍寺上の山也〈◯中略〉 雙岡 仁和寺の東の方の岡也 阿太子山 樒原 月輪の里、兩所もあたごのうちの名也、 高雄山 洛の西北にして、あたご山のならびさがの北也、紅葉の名所也、栂尾、槇尾、皆近隣也、 鳴瀧川 仁和寺のおく、ならびの岡の北より流れ出る小河也、〈◯中略〉 衣笠山 是も仁和寺西也 位山 一條より北の通也、衣笠山より未申也、總而帝王の御座所をさして此名有と云説あり、 北野 京より戌亥にあたりて天神の御社有、神社の所に委ク書り、〈◯中略〉 紙屋川 北野の西也、北より流たる小川也、 平野 北野の西也 卜野 紫野同所か、また歌には紫野のならびのやうに見へたれどもいかヾ、北野のことか、〈◯中略〉 北山 京より戌亥也、衣笠山の近所なり、 船岡野 室町通也、一條より十町計也、〈◯中略〉 小野 若狹の境也、京より四里也、 鞍馬 此山都の北にあたりて、行程三里也、〈◯中略〉 貴船川 くらまの西也〈◯中略〉 大荒木杜 京とくらまとの間、市原野という所に有、鞍馬より一里南也、〈◯中略〉 松が崎 一條より一里計也、賀茂より東也、七月十六日妙法の送り火ともす、 氷室山 洛の北、松が崎より丑寅也、〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0266 大原 都より三里、八瀬より一里北也、〈◯中略〉 瀬ガ井ノ清水 大原の里にあり〈◯中略〉 御影山 賀茂也、ひえいざんのふもとやせの里也、俗にみあれ山と云、〈◯中略〉 神樂岡 吉田山春日の社より南の方茂りたる松の木高き林のうちに小社有、是神樂岡の神、吉田の地主也、〈◯中略〉 雲の林 雲林院の事か、梶井殿とて、一條大宮より北に千本近くに御門跡の御所也、舟岡と北野との間也、〈◯中略〉 中川 北畠より一條東洞院へ流れたり、今出川共いへり、京極川とも云り、源氏かたたがへの夜、うつせみの尼の住ける、中川の宿といへるは、此あたりなりといへり、 滋野井 勘解由小路と、中の御門の間也、 鹽竈 六條高倉にあり、融大臣の舊跡也、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:58 (387d)