http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 池ハ、イケト云フ、湖沼ノ小ナルモノナレドモ、我國ニテハ、主トシテ人工ヲ加ヘテ畜水ノ用ニ供スルモノヲ謂ヘリ、 汀ハ、ミギハト云フ、水際ヲ謂ヘリ、溝ハ、ミゾト云フ、地ヲ穿チテ水ヲ通ズルモノナリ、 池溝ノ事ハ、尚ホ政治部水利篇、灌漑篇等ニ關聯スル所アレバ、宜シク參照スベシ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈一河海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 池 玉篇云、池直離反、畜水也、〈和名以介〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一水土〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 今本玉篇除知切、按直離除知、字異音同、契冲曰、伊介、令生也、謂魚於其中也、插花於瓶中、埋菓於土中、皆呼伊介流、並同語、〈◯中略〉原書水部、畜水作渟水、按尚書泰誓孔傳、停水曰池、後漢書班彪傳注同、廣韻亦依此、又禮記月令、毋陂池、注、畜水曰陂、穿池通水曰池、淮南子説林訓注、國語周語注、漢書高帝紀注、皆云、畜水曰、陂、無畜水池者、蓋畜水曰陂者、言其外障、停水曰池者、言水之處、此恐誤、説文、陂、一曰池也者、混言耳、

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 池 いひといふは、水はなつ所なり、なきさといふ、万葉、池のなきさと云り、いそと云、万、池白浪いそによせくといへり、

〔和漢三才圖會〕

〈五十七水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 池沼 〈池、音馳、和名以介、沼、音昭、和名奴萬、〉 穿地鍾水者也、其圓曰池、曲曰沼、黄帝内傳云、帝旣煞蚩尤、昇爲天子、因http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001d7d7.gif 池沼、蓋池沼之起始於此

〔東雅〕

〈二地輿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 池イケ 義不詳、倭名抄に、玉篇を引て、畜水也と註せり、また籞イケスといふ事は、倭名抄に唐韻を引て、池水中編竹籬魚也と註せり、我俗、竹を編むものを簀といふあり、池にある竹籬なれば、イケスとはいふなり、

〔倭訓栞〕

〈前編三伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 いけ 沼池をいふ、魚を生るより名づくる成べし、

穿池

〔年々隨筆〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 日本紀に作云々池とあるは、新治の田の事なり、さるは山のふもとの小高き所に池をつくりて、そのあたりのやう〳〵低くなり行所を田につくりて、水を沃ぎしなり、田どころはやう〳〵にひろごりて、そのかみまづいできたるは、いづこばかりともしりがたくなり行物なれば、此池は某天皇の某年某月作たりと、池にかけて語傳へたるなり、崇神天皇紀に、六十二年秋七月乙卯朔丙辰、詔曰、農天下之大本也、民所以特以生也、今河内狹山、植田水少、是以其國百姓、怠於農事、其多開池溝、以寛民業とあるは、狹山に池を作そへて、もとよりある田に水をまかせたる事なれど、新開も同じ方にて、池より水をそヽぎたる物なれば、此文證據となすべきなり、さて此池をつくるといふは、庭の池水とはやうかはりて、平らかなる地を堀鑿ちて、水を湧しめたるにはあらず、山の尾ざきと〳〵とをつきとめて、雨水雪みづをためたる物にて、萬葉集に水たまる池田などよめるは是なり、かくて冬十月、造依網池、十一月、作刈坂池反折池などあるも、みな屯倉御縣のたぐひにて、公の田なり、日本紀にはかやうの子細多かるを、等閑に看過す事なれば、おどろかさんとてなん、

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 六十二年七月丙辰、詔曰、農天下之大本也、民所特以生也、今河内狹山、埴田水少、是以其國百姓、怠於農事、其多開池溝、以寛民業、十月、造依網池(○○○)、十一月、作苅坂池(○○○)、反折池(○○○)、〈一云、天皇居桑間宮、造是三池也、〉

〔古事記〕

〈中崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 是之御世、作依網池、亦作輕之酒折池也、

〔日本書紀〕

〈六垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 三十五年九月、遣五十瓊敷命于河内國、作高石池(○○○)、茅渟池(○○○)、十月、作倭狹城池(○○○)及迹見池(○○○)、是歳令諸國多開池溝、數八百之、以農爲事、因是百姓富寛、天下大平也、

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 五十七年九月、造坂手池(○○○)、即竹蒔其堤上

〔日本書紀〕

〈十應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 七年九月、高麗人、百濟人、任那人、新羅人、並來朝、時命武内宿禰、領諸韓人等池、因以名池、號韓人池(○○○)、十一年十月、作劒池(○○)、輕池(○○)、鹿垣池(○○○)、厩坂池(○○○)

〔後松日記〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 池はいかにも水あさく、心ひろく堀なすべし、水ふかきはすごくしてわろし、ゆたかにみするがよきなり、

名池

〔枕草子〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 池は かつまたの池(○○○○○○)、いはれのいけ(○○○○○○)、にえのヽ池(○○○○○)、はつせにまいりしに、水鳥の隙なくたちさはぎしが、いとおかしく見えし也、水なしのいけ(○○○○○○)、あやしうなどてつけけるならんといひしかば、五月などすべて雨いたくふらんとする年は、此いけに水といふ物なくなんある、又日のいみじく照としは、春のはじめに水なんおほく出るといひしなり、むげになくかはきてあらばこそさもつけめ、いづるおりもあるなるを、一すぢにつけけるかなといらへまほしかりし、さるさはの(○○○○○)池、うねめの身をなげけるをきこしめして、行幸などありけんこそいみじうめでたけれ、ねくたれかみをと、人丸がよみけんほど、いふもをろかなり、御まへの池(○○○○○)、又何の心につけけるならんとおかし、かヾみのいけ(○○○○○○)、さやまの池(○○○○○)、みくりといふ歌のおかしくおぼゆるにやあらん、こひぬまの池(○○○○○○)、はらのいけ(○○○○○)、たまもはなかりそといひけんもおかし、ますだの池(○○○○○)、

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 池 ならびのいけ〈山 後撰、承香中納言、〉おほさはの〈同 在嵯峨、古今、菊、友則、〉ひろさはの〈同 在嵯峨、已上二は同名也、〉いはれの〈大 万、かもももつての〉うへやすの〈同 万、池のつヽみのかくれぬのといへり、〉まなの〈同 万、しま宮のまなの〉かるの〈同 万、かも、〉みヽなしの、〈同 万〉 ま

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 すたの〈同 拾〉 さるさはの〈同 万、采女入所也、〉にゑのヽ〈同〉 はらの〈攝 後拾〉 たまさかの〈同〉 こやの〈同 仲實歌、金葉、いるのに近し、〉まのヽ〈同 万、こすげのかさ、〉おさきの〈武 万〉 とりこの〈近 万〉 きくの〈豐前 万、ひし〉かつまたの〈下總 はすなしともよめり、又ありとも、万葉に見えたり、清輔抄、在美作歌、〉からちの〈石 万〉 うきぬの〈同 万、ひし、〉はこの〈武 後拾、孝善歌、〉よるかの〈攝 万、いるかの、よるかの池〉あらふの、〈後拾 川上也、好忠、〉 みづなしの かヾみの さやまの こひぬまの いくたの〈攝〉 すがたの〈大千安藝〉にいたの たのむの〈大〉 つるかめの〈河内〉ふたみの〈佐渡〉とほちの〈讃岐〉 魚池、鳥池と云は、神功皇后にみせたてまつりける池也、つくしにあり、

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 池 磐余池〈大和◯中略〉岩根池〈近江◯中略〉生田池〈つの國◯中略〉一志池〈伊勢◯中略〉原池〈つの國◯中略〉はこの池〈武州、八雲御説、〉にゑのヽ池〈大和、八雲御説、〉にひたの池〈安藝、八雲御説、〉十市池〈同右◯中略〉鳥籠池〈あふみ◯中略〉小崎池〈武藏◯中略〉おまへの池〈奥州◯中略〉輕池〈大和◯中略〉狩道池〈加賀◯中略〉かほの池〈同右◯中略〉堅田池〈あふみ◯中略〉唐人池〈同右◯中略〉かヾみの池〈八雲御説〉垣安池〈同右〉勝間田池〈下總◯中略〉因香池〈攝州、或云河内、◯中略〉たヽさかの池、〈同右八雲御説、〉たのむの池、〈大和、八雲御説、〉絶間池〈同右◯中略〉園池〈一條北大宮西是宗祇法師注〉つる龜の池〈八雲御説〉つるぎの池〈◯中略〉双池〈山城◯中略〉長澤池〈あふみ◯中略〉ながらの池〈大和◯中略〉うへやすの池〈同右◯中略〉うきめの池、〈同上◯中略〉大澤池〈山城◯中略〉浮奴池〈石見◯中略、〉八代池〈肥後◯中略〉眞野池〈攝州◯中略〉眞名池〈大和◯中略〉益田池〈大和◯中略〉笛吹池〈同右◯中略〉藤原池〈同上◯中略〉ふたみの池〈佐渡◯中略〉昆陽池〈攝州◯中略〉こひぬまの池〈八雲御説〉こ池〈紀州◯中略〉蘆間池〈攝州◯中略〉秋山池〈山城◯中略〉猿澤池〈大和◯中略〉佐野池〈河内◯中略〉佐太池〈同右◯中略〉狹山池〈◯中略〉清澄池〈同右◯中略〉企救池〈豐前◯中略〉耳無池〈同右◯中略〉みづなしの池〈八雲御説〉三河池〈伊勢◯中略〉宮地池〈三河◯中略〉廣澤池〈山城◯中略〉彦高根池〈◯中略〉すがたの池〈大和◯下略〉

山城國/神泉苑池

〔雍州府志〕

〈八古蹟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 愛宕郡 神泉苑 在二條南大宮西、古所謂乾臨閣之跡、而主上遊覽之地也、弘法大師於玆祈兩、是則世人之所遍識也、爾後爲寺、今池水殘中島、有辨財天宮并寶塔、東寺寶菩提院知寺事

〔三代實録〕

〈二十七清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 貞觀十七年六月廿三日甲戌、不雨數旬、農民失業、轉經走幣、祈請佛神、猶未嘉澍、古老言曰、神泉苑池中有神龍、昔年炎旱、焦草礫石、決水乾池、發鐘鼓聲、應時雷雨、必然之驗也、於是、勅遣右衞門權佐從五位上藤原朝臣遠經、率左右衞門府官人衞士等於神泉苑、決出池水云々、

巨椋池

〔山城志〕

〈八久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 山川 巨椋溝〈源自宇治山中、經宇治町、曰折居川、至小倉于大池、〉大池〈在小倉村、舊名巨椋江、周廻四里許半、爲紀伊郡、〉

〔萬葉集〕

〈九雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 宇治河作歌二首 巨椋乃(オホクラノ)、入江響奈理(イリエトヨムナリ)、射目人乃(イメヒトノ)、伏見何田井爾(フシミガタヰニ)、雁渡良之(カリワタルラシ)、

大和國/磐余池

〔大和志〕

〈十五十市郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 古蹟 市磯(イチシ)池〈在池内村、而石寸掖上山亦隣于此、〉

〔日本書紀〕

〈十二履中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 二年十一月、作磐余池、 三年十一月辛未、天皇泛兩枝船于磐余市磯池、與皇妃各分乘而遊宴、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈三挽歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 大津皇子被死之時、磐余池般流涕御作歌一首、 百傳(モヽヅタフ)、磐余池爾(イハレノイケニ)、鳴鴨乎(ナクカモヲ)、今日耳見哉(ケフノミミテヤ)、雲隱去牟(クモカクリナム)、 右藤原宮朱鳥元年冬十月

埴安池

〔萬葉集〕

〈二挽歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 高市皇子尊城上殯宮之時、柿本人麿作歌、〈◯中略〉 埴安乃(ハニヤスノ)、池之堤之(イケノツツミノ)、隱沼乃(コモリヌノ)、去方乎不知(ユクヘヲシラニ)、舍人者迷惑(トネリハマドフ)、

勝間田池

〔大和志〕

〈三添下郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 山川 勝間田池〈在六條村、廣一千餘畝、〉

〔萬葉集〕

〈十六有由縁并雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221新田部親王歌一首 勝間田之(カツマタノ)、池者我知(イケハワレシル)、蓮無(ハチスナシ)、然言君之(シカイフキミガ)、鬚無如之(ヒゲナキガゴト)、 右或有人、聞之曰、新田部親王出遊于堵裏、御見勝間田之池、感緒御心之中、還彼池、不憐愛、於時語婦人曰、今日遊行、見勝間田池、水影濤濤、蓮花灼灼、可憐斷腸、不復言、爾乃婦人作此戯歌、專輙吟詠也、

猿澤池

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 猿澤池(サルサハノイケ)〈和州添上郡〉

〔南遊行囊抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 猿澤ノ池 興福寺ノ南、大門ノ下、大門ノ南ナリ、隔大道程近シ、池ノ廣サ東西五十間餘、南北四十間餘アリ、池中ニ鯉鮒多シ、人是ヲ取コトナシ、池中ニ穴アリテ龍宮ニ通ズト云々、傳云、昔此池邊ニ猿多集ヲ、池水ニウツレル月影ヲ見テ其影ヲ取ントテ、手ニ手ヲ取組テ池上ニ臨ムニ、一ノ猿其手ヲ放ケレバ、猿多水ニ入テ溺死ス、其ヨリ猿澤ト號ト云々、彼猿ヲ埋ミタルシルシトテ、池ノ側ニ松アリ、一説ニハ松院ト云シ、寺ニ弘法大師住シ給シニ、勤行ノ時猿菓ヲ持來テ大師ニ與フ、或曰、其猿佛壇ノモトニ來テ死ス、大師是ヲ憐テ此池邊ニ埋ミ墓ヲ築ル、夫ヨリ猿澤ト云ト、

〔大和物語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 昔ならのみかどにつかうまつるうねべありけり、かほかたちいみじうきよらにて、人々よばひ、殿上人などもよばひけれど、あはざりけり、そのあはぬ心は、みかどをかぎりなくめでたき物になん思ひ奉りける、御門めしてけり、さて後又もめさヾりければ、かぎりなく心うしと思ひけり、よるひる心にかヽりておぼえ給つヽ、こひしくわびしうおぼえ給けり、御門はめししかど、事どもおぼさず、さすがにつねには見え奉る、なを世にふまじき心ちしければ、よるみそかにいでヽ、さるさはの池に身をなげてけり、かくなげつとも、御門はえしろしめさヾりけるを、事のつゐで有て、人のそうしければ、聞しめしてけり、いといたうあはれがり給て、いけのほとりにおほみゆきし給て、人々に歌よませたまふ、かきのもとの人丸、 わぎも子がねぐたれがみをさるさはのいけのたまもと見るぞかなしき、とよめる時に、御門、 さるさはのいけもつらしなわぎも子がたまもかつかばみづぞひなまし、とよみ給ひけり、さてこのいけの〈◯の以下四字、據一本補、〉ほとりに、はかせさせたまひてなん、かへらせおはしましけるとなん、

〔基熙公記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 元祿十四年五月二日戊子、抑大乘院僧正、〈信覺〉故前關白〈房輔公、去年正月十一日薨、〉末子也、〈◯中略〉去年

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 正月喪親、仍社邊之事自遲々、然而當正月重服中、強而被社、〈◯春日〉去年正月心經會、依父喪公事延引、當年正月以來猿澤池水變色、去月改水澄了、是此恠歟、

益田池

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 【益田池】(マスダノイケ)〈和州高市郡、弘仁十三年屬旱魃、帝勅藤繩主、僧眞圓、新令穿之、釋空海制碑銘、見性靈集、〉

〔性靈集〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 大和州益田池碑銘并序 若夫、感星銀漢下灑之功深、湖水天池上潤之徳普、故能屮芔因之而鬱茂、蟲卵頼之而長生、至八氣播殖、五才陶冶、北方之行、偏居其最、坎之爲徳遠矣、皇矣哉、粤有益田池、兩尊鼻子之州、八烏初導之國、地是漢諳之舊宅、號則村井之故名、去弘仁十三年仲冬之月、前和州監察藤納言紀大守末等、慮亢陽之可一レ支、歎膏腴之未一レ開、占斯勢處、奏請之綸詔即應、爰則令藤紀二公、及圓律師等剏一レ功、未幾皇帝〈◯嵯峨〉逝駕汾襄、藤公從之辭職、紀守亦遷越前、今上〈◯淳和〉膺堯揖讓舜寶圖、照玉燭乎二儀、撫赤子於八島、簡伴平章事國道代撿國事、並拔藤廣判史、兩公撿挍池事、於焉青鳧引塊、數千之馬日聚、赤馬駈人、百計之夫夜集、旣而車馬轟々而電往、男女磤々而雷歸、土雰々而雪積、堤倐忽而唐騰、宛如靈神之埏埴還疑洪鑪之化産、成也不日、畢也不年、造之人也、辨之天也、爾乃池之爲状也、左龍寺鳥陵、大墓南聳、畝傍北峙、米眼精舍鎭其艮、武遮荒壠押其坤、十餘大陵聯綿虎踞、四面長阜邐迆龍臥、雲蕩松嶺之上、水激檜隈之下、春繡映池、觀者忘歸、秋錦開林、遊人不倦、鴛鴦鳧鴨、戯水奏歌、玄鶴黄鵠、遊汀爭舞、龜鼈延頸、鮒鯉掉尾、淵獺祭魚、林烏反哺、洎積水含一レ天、疊山倒景、深也似海、廣也超淮、笑昆明之非一レ儔、晒耨達之猶少、虎嘯鼓濤、則驚汰沃http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520b7.gif 、龍吟决堤、則容與不飽、襄陵之罔象、不其塘、燃山之女魃、不其底、六郡蒙潤、萬澮湯々、一人有慶、兆民頼之、舞之蹈之、詠千箱以擊腹、手之足之、唱万歳而忘力、歎蒼海之數變、索銘詞乎餘筆、貧道不才當仁、固辭不能、課虚吐章、迺爲銘曰、 希夷象帝 帝一未萌 盤古不出 國常無生 元氣倐動 葦芽乍驚 八風扇鼓 五才縱横 日月運轉 山河錯峙 千名森羅 萬物雜起 藤膚旣隱 稷秔爰始 天池人池 灑霑功似 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 前堯後禹 慮厚恤人 智略廣運 慈悲且仁 機事不測 成功若神 潤物如雨 榮人似春 綸綍雷震 有司創功 紀藤薙草 果績圓豐 伴相施計 原守在公 良才奇術 民具靡風、爰有一坎 其名益田 堀之人力 成也自天 車馬霧聚 男女雲連 歸來似子 畢功不年 深而且廣 鏡徹紺色 滉瀁渺瀰 瞻望罔極 百溪之宗 萬派之職 魚鳥涵泳 虬龍斯匿 沃澮汎溢 甾畬播殖 孳々我蓻 稼穟我穡 如坻如京 足兵足食 井田我事 堯帝何力

河内國/茨田池/深野池

〔諸州めぐり〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 ふかうの池(○○○○○)は、深野池とかくと云、本名は茨田池(○○○)と云、池の廣さ、南北二里、東西一里、所により東西半里許有、湖に似たり、其中に島あり、三ケと云村有、故に此池を三ケのおき共云、三ヶの島に漁家七八十戸あり、田畠も有、此島南北廿町、東西五六町有と云、此池に、鯉、鮒、鯰、はすわたかゑび、鰻、鱺、つがに等多し、漁舟多し、日々舟に乘て漁し、魚を大坂にうる、又蓮多し、芡實多く、葦多し、皆取用てたすけとす、殊に菱尤多し、是を採て飯にし、餻にし、粥にして粮とす、或菓子にもする、又賣て資とす、菱を取日は定日あり、里民云合せて群出、一人にて妄に取事を禁ず、菱に賦税はなし、又此島より漁人共舟にのり、陸に渡りて田をも作なり、

〔日本書紀〕

〈二十四皇極〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 二年七月、是月、茨田池(○○○)水大臰、小虫䨱水、其虫口黒而身白、 八月壬戌、茨田池、水變如藍汁、死虫䨱水、溝瀆之流亦復凝結、厚三四寸、大小魚臰如夏爛死、由是不喫焉、 九月、是月、茨田池水漸變成白色、亦無臰氣

攝津國/依網池

〔攝津志〕

〈二住吉郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 山川 依羅池〈在庭井村、俗呼仁右衞門池、其三分二爲新大和川、當今廣六百六十餘畝、〉

〔日本書紀〕

〈四崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 六十二年十月、造依網池

〔日本書紀〕

〈十應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 十三年九月、大鷦鷯尊〈◯仁徳〉蒙御歌、〈◯應神〉便知髮長媛而大悦之、報歌曰、瀰豆多摩蘆(ミヅタマル)、豫佐瀰能伊戒珥(ヨサミノイケニ)、奴那波區利(ヌナハクリ)、破陪鷄區辭羅珥(ハヘケクシラニ)、〈◯下略〉

武藏國/不忍池

〔落穗集追加〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 不忍池の辨財天の事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 一問曰、只今上野忍ばずの池中島の義は、以前より立來りたる事や、答曰、右中島の義を我等承り及候は、東叡山開けし以後、天海僧正と、水谷伊勢守殿義は入魂に有之、或時僧正の方へ、水谷殿振廻に被參候節、伊勢守殿被申るヽは、當山の義は、都の叡山に准じ、東叡山と名付らるヽ所に、忍波須の池(○○○○○)有之候は、幸ひの義に候間、池を湖水になぞらへ中島を築き、竹生島をうつし、辨天堂を建立有つては如何なりと也、僧正聞たまひ、夫をこそ我等願ひ候得共、池水殊の外深く、中々築き立られ申事にては無之由、諸人申に付、其通りに致置となり、伊勢守殿被申るヽは、たとへ何程水底深く候にも致せ、小島の一つ許り築立候と有るは、いと心安き事なり、幸今度淺草川除の御普請被仰付るヽと、夫より人夫をあまた呼寄置候、右の御普請相濟次第、直に池中の島普請可申付候間、十日計りが間、人足共の罷在候所と、土取り場迄の義を、當山の中にて御差圖あれと有之ければ、僧正の御申候は、人足共の居所の義は、何程なり共寺中に於て可申付也、總て寺院方の山門先の場廣なるは不存事に候間、池の端より上手の土をば、いか程なり共、入用次第に御取らせ候様にと有之也、其内に御普請も相濟候に付、淺草川より舟を持入、十日計りが間に島をつき立、辨天堂をも伊勢守殿建立被致候と也、伊勢守殿御申には、諸人參詣の爲め、辨天繁昌の爲に、其上陸續きに可申付哉と有れば、僧正被申るヽは、竹生島に准じ、舟にて往來致したるが能く候と被申ければ、夫よりもはるか後迄も、舟にて往來仕るとなり、

〔玉勝間〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 江戸の地名これかれ 宗祇法師が回國雜記といふ物にいはく、次の日淺草をたちて新羽といへる所におもむき侍るとて、道すがら名所ども尋ねける中に、忍の岡といへるところにて、松原の有ける陰にやすみて、霜のヽちあらはれにけり時雨をばしのびの岡の松もかひなし、こヽを過てこいし川といへるところにまかりて云々、とりごえの里といへる所に行ければ云々、柴の浦といへる所にいたり

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 ければ云々といへり、此道なみを見れば、忍びの岡とあるは、今の東叡山の地と聞えたり、さておもへば不忍の池といふ名も、忍びの岡より出たるにやあらん、

〔ねざめのすさび〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 不忍池 大江戸東叡山の下にあり、この池を不忍の池とこヽろえたるは誤なり、しのばずの池は、すなはちしのぶの池なり、ふをのべて、はすとはいへるなり、〈こはいみじき強説なり、安昌別に考おけり、〉茂睡翁の鳥の跡といへる書にいはく、あるひとのいふ、しのばずの池は、しのぶが岡につきたる池なる故、しのぶが池也、それをしのばずといふは、は文字を父とし、す文字を母として、かへしを見ればふ文字也、不忍の池にはあらず、忍が池なりといへりとしるせり、

〔桃源遺事〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 一武州駒込の御別莊より、不忍池を見渡し、風色面白かりけるに、夫より御覽の爲、其趣を御門主へ御願ひ有之、東叡山の麓に桃多く御植させ、御遠望なされ候、

雜載

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 四年二月甲子、天皇幸美濃、〈◯中略〉天皇欲得爲一レ妃、幸弟媛之家、弟媛聞乘輿車駕、則隱竹林、於是天皇權令弟媛至、而居于泳宮、〈泳宮、此云區玖利能彌揶、〉鯉魚浮池、朝夕臨視而戲遊、時弟媛欲其鯉魚遊、而密來臨池、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈八仲哀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 元年十一月乙酉朔、詔群臣曰、朕未于弱冠、而父王〈◯日本武尊〉旣崩之、乃神靈化白鳥上天、仰望之情、一日勿息、是以冀獲白鳥、養之於陵域之池(○○○○)、因以覩其鳥、欲顧情、則令諸國、俾白鳥

〔日本書紀〕

〈二十四皇極〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 三年十一月、蘇我大臣蝦夷、兒入鹿臣、雙起家於甘檮岡、〈◯中略〉更起家於畝傍山東、穿池爲城(○○○○)、起庫儲箭、恒將五十兵士身出入、〈◯下略〉 ◯

〔新撰字鏡〕

〈水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 濆〈夫文反、平浱也、水涯也、水支波、又伊曾、又波万、〉

〔倭名類聚抄〕

〈一涯岸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 汀 唐韻云、汀水際(○○)平沙也、他丁反、〈和名三左木〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一水土〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 按美岐波(○○○)、水際之義、故以水際平沙之汀之、後多與奈岐佐混言、廣本作三左木誤、按、類聚名義抄、伊呂波字類抄、並訓三幾八、不三左木、〈◯中略〉廣韻同、按、玉篇、汀水際平沙也、孫氏蓋依之、説文、汀平也、

〔倭訓栞〕

〈前編三十美〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 みぎは 汀をよめり、水際の義也、唐韻によれる也、新撰字鏡に濆を水ぎはとよめり、

〔拾遺和歌集〕

〈八雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 延喜御時屏風に つらゆき 雨ふるとふく松かぜはきこゆれど池のみぎはヽまさらざりけり

〔土佐日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 この童さすがに恥ていはず、しゐてといへば、いへる歌、 ゆく人もとまるも袖の涙川汀のみこそぬれまさりけれ、となんよめる、

〔源氏物語〕

〈四十七角總〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 風のいとはげしければ、しとみおろさせ給に、四方の山のかヾみとみゆる汀の氷、月かげいとおもしろし、

〔倭名類聚抄〕

〈一河海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 溝 釋名云、田間之水曰溝、古候反、縱横相交稱也、〈和名三曾〉 渠 同上

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一水土〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 神代紀溝字、齊明紀渠字同訓、欽明紀洫字、新撰字鏡坑字、亦訓三曾、按、説文溝水瀆也、渠水所居也、二字義不全同、然呂氏春秋上農篇注、渠溝也、故云又用渠字也、

〔倭訓栞〕

〈前編三十美〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 みぞ 溝渠をよめり、水裾の義成べし、新撰字鏡に坑もよめり、

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 溝 まけみぞかたといふは、まうけたるみぞのかたなり、池などの水出道也、さくたのうなで〈田溝池〉 うなでとは〈溝名也〉

〔倭訓栞〕

〈前編四宇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 うなて 日本紀に溝をよめり、八雲御抄にも、うなてはみぞといふと宣へり、㽗手の義なるべし、繩手の類也、

〔延喜式〕

〈八祝詞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 六月晦大祓〈十二月准之〉 天津罪〈止〉畔放、溝埋(○○)、樋放、頻蒔、串刺、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 一書曰、日神尊以天垣田御田、時素戔嗚尊、春則塡渠(ミゾ)、毀畔、〈◯中略〉 一書曰、〈◯中略〉故素戔嗚尊、妬害姉田、春則廢渠槽、及埋溝(ミゾ)毀畔〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 九年〈◯仲哀〉四月甲辰、旣而皇后〈◯神功〉則識神教有一レ驗、更祭祝神祇、躬欲西征、爰定神田而佃之時、引儺河水神田、掘溝及于迹驚岡、大磐塞之不穿溝、皇后召武内宿禰、捧劒鏡祈神祇、而求溝、則當時、雷電霹靂、蹴裂其磐水、故時人號其溝、曰裂田溝(サクタノウナテ)也、

〔日本書紀〕

〈十二履中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 四年十月、堀石上溝(ウナテ)


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:56 (387d)