http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 泊ハ、トマリト云ヒ、一ニ船瀬(フナセ)トモ云フ、並ニ船舶ノ泊止スル處ヲ謂フナリ、河尻、大輪田、魚住、韓、檉生ノ五泊ハ、西海ニ通ズル舟行ノ要路ニシテ、傳ヘテ釋行基ノ建置スル所ナリト云ヘリ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十道路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 泊 唐韻云、泊〈傍各反、和名度末利、〉止也、坤元録云、雍州有百頃泊、岐州有荷池泊、〈今案、播磨國大輪田泊此類也、〉

〔類聚名義抄〕

〈五水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 泊〈普博反トマリ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈止地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 泊〈トマリ〉

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 泊(トマリ)〈韻會、附舟於岸處、唐韻、泊止也、〉

〔倭訓栞〕

〈前編十八止〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 とまり 倭名鈔に泊字をよめり、宿るを體にいふ也、日本紀に、浦津二字をもよめり、泊は海路に就ていへり、

〔萬葉集〕

〈六雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 三年〈◯神龜〉丙寅秋九月十五日、幸於幡磨國印南野時、笠朝臣金村作歌、一首并短歌、名寸隅乃(ナキズミノ)、【船瀬】從所見(フナセユミユル)、淡路島(アハジシマ)、松帆乃浦爾(マツホノウラニ)、朝名藝爾(アサナギニ)、玉藻苅管(タマモカリツヽ)、暮菜寸二(ユフナキニ)、藻鹽燒乍(モシホヤキツ、)、海未通女(アマヲトメ)、有跡者(アリトハ)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 雖聞(キケド)、見爾將去(ミニユカム)、餘四能無者(ヨシノナケレバ)、大夫之(マスラヲノ)、情者梨荷(コヽロハナシニ)、手弱女乃(タワヤメノ)、念多和美手(オモヒタワミテ)、徘徊(タモトホリ)、吾者衣戀流(ワレハゾコフル)、船梶雄名三(フ子カヂヲナミ)、 反歌二首〈◯一首略〉 往囘(ユキメグリ)、雖見將飽八(ミトモアカメヤ)、名寸隅乃(ナキズミノ)、船瀬之濱爾(フナセノハマニ)、四寸流思良名美(ヨスルシラナミ)、

〔延喜式〕

〈八祝詞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 遣唐使時奉幣 皇御孫尊乃御命以〈底〉、住吉〈爾〉辭竟奉〈留〉皇神等乃前〈爾〉申賜〈久〉、大唐〈爾〉使遣〈佐牟止〉爲〈爾〉、依【船居】(フナスヱ)無〈氐〉、播磨國〈與理〉船乘〈止〉爲〈氐〉、使者遣〈佐牟止〉所念行間〈爾〉、皇神命以〈氐〉、船居〈波〉吾作〈牟止〉教悟給〈比支、◯下略〉

〔延喜式〕

〈三臨時祭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554遣唐舶居(○○)祭〈住吉社〉 幣料絹四丈、五色薄絁各四尺、絲四絇、綿四屯、木綿八兩、麻一斤四兩、 ◯按ズルニ、舶居ハ船居ト同ジクフナスヱト訓ムベシ、即チ船舶ヲ泊止スル處ニシテ、船瀬ニ同ジカラン、因テ思フニ、フナセハ蓋シ、フナズヱノ約言ナルベシ、

造泊

〔本朝文粹〕

〈二意見封事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 意見十二箇條 善相公〈清行◯中略〉 一重請復播磨國魚住泊事 右臣伏見、山陽、西海、南海三道、舟船海行之程、自檉生泊韓泊(○○)海一日行、自韓津魚住泊(○○○)一日行、自魚住泊大輪田泊(○○○○)一日行、自大輪田泊河尻(○○)一日行、此皆行基菩薩計程所建置也、而今公家唯修造輪田泊、長廢魚住泊、由是公私舟船、一日一夜之内兼行、自韓泊輪田泊、至于冬月風急暗夜星稀、不舳艫之前後、無濱岸之遠近、落帆棄檝、居愁漂沒、由是毎年舟之蕩覆者、漸過百艘、人之沒死者、非唯千人、昔者夏禹之仁、罪人獨泣、況此等百姓、皆赴王役乎、伏惟、聖念必應哀矜者也、臣伏勘舊議、此泊(○○)、天平年中所(○○○○○)建立(○○)也、其後至于延暦之末五十餘年、人得其便、弘仁之代、風浪侵齧、石頽沙漂、天長年中、右大臣清原眞人、奏議起諸、遂以修復、承和之末、復已毀壞、至于貞觀初、東大寺僧賢和、修菩薩行、起利他心、負石荷鍤、盡力底功、單獨之誠、雖其業、年紀之間、莫其利、賢和入滅、稍及三十年、人

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 民漂沒不勝計、官物損失亦累巨萬、伏望差諸司判官幹了有巧思、令造件泊、其料物充給播磨、備前兩國正税、冀也早降聖朝援手之仁、令天民爲魚之歎、凡厥便宜、具載去延喜元年所獻意見之中、不更重陳、 延喜十四年四月廿八日 從四位上行式部大輔臣三善朝臣清行上封事

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 太政官符 應作大輪田船瀬事 右得造船瀬使(○○○○)兵部少丞正六位上菅野朝臣牛足等解偁、前件船瀬造作略訖、仍申送者、右大臣宣、宜使者、付屬國司、永預交替、相續令上レ作、若致損壞、拘以解由、其收官私船米、及役水脚等事、隨損多少、勘録支度、先申後行、 弘仁七年十月廿一日 太政官符 應造大輪田船瀬石掠并官舍等小破事 右得攝津國解偁、件石掠、毎風波、頗致破損、其功程廿人以下、須支度申官修造、而申官之後、待報之間、少破之物彌致大損、望請毎年以船瀬庄田稻二百束已下、國司加撿校、永修造、但非常之損、申官修造、謹請官裁者、右大臣宣、依請、 仁壽三年十月十一日

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 太政官符 應攝津國司撿校大輪田船瀬事 右件船瀬修營既畢、如聞彼地、毎風波、動致損害、少破所漸終成大破、加以土人愚暗、不公損、侵盜材木、至頽壞、不撿校何絶煩費、大納言正三位兼行左近衞大將藤原朝臣時平宣、宜知國司

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 專一撿校、若有疎略、非理數損、遷替之時拘其解由、 寛平九年九月十五日 太政官符 應早造魚住船瀬(○○○○)事 右太政官今月十日、下播磨國符偁、大納言正三位兼行左近衞大將民部卿清原眞人夏野奏状偁、魚住地在明石郡海崖、諸國舟船入京要路、而東西无島、南海闊遠、微風動吹、波濤山起、經過之輩、能存者鮮、因茲私以封物、草創舟泊功稍半、頗免艱難、而事非公成功難究、伏望頼公力以樂其成者、被中納言從三位兼行中務卿直世王宜偁、奉勅、益國利民其要當然、宜使國司次官已上一人專當彼事、早勤造作者、但其料物用正税、毎年季功帳、 天長九年五月十一日 太政官符 應播磨國聽一レ魚住船瀬事 右得元興寺僧傳燈法師位賢和牒偁、夫起長途者、次客舍而得息、渡巨海者、入隈泊而免危、則知海路之有船瀬、猶陸道之有逆旅、伏見明石郡魚住船瀬、損廢已久、未作治、往還舟船、動多漂沒、匪唯物損於公私、深悲人隨於非命、繕修之可務尤急於道橋者也、望請、與講師賢譽、共同心戮力、試加營造以遂宿情者、右大臣宣、件泊頽壞之後、年祀稍積、將造之議、公家不忘、而今二僧慷槪、一向輸誠、念彼志慮、何不助嘉、宜知國司上レ成功、 貞觀九年三月廿七日

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 太政官符 應近江國司撿領和邇船瀬(○○○○)事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 右得元興寺僧傳燈法師位賢和牒偁、件伯、故律師靜安法師、去承和年中所造也、而沙石之構、逐年漸頽、風波之難、隨日彌甚、往還舟船、屢遭沒溺、公私運遭、常致漂失、爰賢和自去年春、企心彌濟、輸誠修造、數月之間、適得成功、但恐累年之後、所在少破、无人繕修、徒以頽壞、望請、令國司撿校兼修理破損者、右大臣宣、宜自今以後、永付國司相續令上レ作、若不撿校、有損壞者、遷替之日拘其解由、 貞觀九年四月十七日

〔源平盛衰記〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 入道非直人附慈心坊得閻魔請事 福原ノ經島築レタリシ事、直人ノワザトハ覺ヘズ、彼島ヲバ阿波民部大輔成良ガ承テ、承安二年癸巳年築始タリシヲ、次年南風忽ニ起テ、白浪頻ニ扣カバ、打破ラレタリケルヲ、入道〈◯平清盛〉倩此事ヲ案ジテ、人力及難シ、海龍王ヲ可奉宥トテ、白馬ニ白鞍ヲ置、童ヲ一人乘テ、人柱ヲゾ被入ケル、其上又法施ヲ手向可奉トテ、石面ニ一切經ヲ書寫シテ、其石ヲ以テ築タリケリ、誠ニ龍神納受有ケルニヤ、其後ハ恙ナシ、サテコソ此島ヲバ經島トハ名附タレ、上下往來ノ船ノ恐レナク、國家ノ御寳、末代ノ規模也、唐國ノ帝王マデ聞ヘ給ツヽ、日本輪田ノ平親王(○○○○○○○○)ト呼テ、諸ノ珍寳ヲ被送、帝皇ヘダニモ不參ニ、難有面目ナリキ、

〔平家物語〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 經の島の事 何よりも又ふく原の經の島つゐて、上下往來の船の、今のよにいたるまで、わづらひなきこそめでたけれ、かの島は、去ぬる應保元年二月上旬につき始られたりけるが、同八月二日の日、俄に大風吹、大なみ立て、みなゆりうしなひてき、同三年三月下旬に、あはの民部しげよしを奉行にてつかれけるに、人ばしら立らるべきなんど、公卿せんぎ有しか共、それは中々ざいごうなるべしとて、石のおもてに一切經をかいてつかれたりけるゆゑに、經の島とは名づけヽれ、

〔攝津名所圖會〕

〈八矢田部郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 兵庫津 福原莊、海陸都會の地也、町數四十四名、西海道の驛にして、大

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 坂入船の要津也、官通に岡方、北濱、南濱等の名あり、一名武庫水門(○○○○○○)、武庫の泊(○○○○)、或は輪田泊(○○○)ともいふ、諸國の商船こヽに泊りて、風波の平難を窺ひ、諸品を交易す、町小路の賑ひ晝夜のわいだめなく、繁花の地也、出帆の時は東南の風宜しからず、涯南百歩許にて海底に洲あり、長き事菟原郡深江浦に連る、毎年三月汐干の時は必ず見ゆる也、天長八年三月、大輪田泊を造ツて、使の遷替を定とは即こヽ也、又承和三年、入唐使の舶を此澳に泊るなど、古記に見へたり、平相國の時より築島成就して、今の如く水門となれり、むかしの兵庫津は、これより西北の山手にして、凡て其地までも海濱なり、町小路もなくして、多くは漁村楫取の家のみ也、諸船入津の賣買は天正以後の事なり、

造泊所

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 太政官符 應南海山陽兩道公私船水脚停身役上レ役料事 右得讃岐國解偁、諸郡司解偁、進官雜物綱丁等申云、舟檝之行、本自無期、占雲而發、瞻風而泊、若失一時、違以千里、而造大輪田船瀬使、舊立長例、以來役三日、風潮引船之便、盡於役所、貢進雜物之期、違於式例、望請言上由緒、被此役者、謹請官裁者、右大臣宣、永免件役、船瀬難修、仍須二道諸國公私舟船水脚共停身役、令上レ役料、其輸法、一人日米一升五合、至造作役當土、若取料乖法、并強役水脚者、罪以重科、曾不寛宥、 嘉祥二年九月三日

〔續日本紀〕

〈三十六光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 天應元年正月庚辰、授播磨國人大初位下佐伯直諸成外從五位下、以於造船瀬所也、

造泊使

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 太政官符 應上向京公私船數及勝載

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 右造大輪田船瀬使(○○○○○○○)所收勝載料理雜物、及所役水脚等、毎年四季造帳進官、其來尚矣、今撿彼帳、直録物色人數、無其國船、覆勘公文、事理不慥、被右大臣宣偁、宜符諸國、毎年令申、與彼使帳、相共計會、仍須知所部、勘録向京公私船數、并勝載及挾杪姓名等、毎月附告朔郡司申、至于年終總計造帳、附税帳使言上、不疎略、 承和五年三月廿三日

造泊用度

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 凡勘租帳者、〈◯中略〉船瀬功徳田(○○○○○)、造船瀬料田(○○○○○)、並爲不輸租田

〔續日本紀〕

〈四十桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 延暦八年十二月乙亥、播磨國美囊郡大領正六位下韓鍜首廣富、獻稻六万束於水兒船瀬、授外從五位下、 十年十一月壬戌、授播磨國人大初位下出雲臣人麻呂外從五位下、以稻於水兒船瀬也、

名所

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 泊 からことのとまり〈備 古今 安倍清行、海邊也、〉からとまり〈筑前 万 からとまりのこのうら、〉のこの〈同 万 並上所也〉みつの

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 泊 武庫泊〈攝州 住吉のゑなづに立てみわたせばむこのとまりをいづる舟人〉大伴御津泊〈同上、松風、月、戀、花、衣うつ、舟出て、大船、〉みつ泊〈同、又大とものみつの泊、同事、〉明石泊〈はりま、時雨、〉唐琴泊〈備前 都までひゞきかよへるからことは波の緒すげて風ぞ引ける、松けさからことにと云り、〉甕泊〈備中 御調物はこぶ千船もこぎ出よもたいのとまり鹽もかなひぬ〉口無泊〈備後、いひもやられぬ、〉竹泊〈ゑちぜん、一よをこめて雪ふりにけり、〉石や泊〈紀州 草の庵何露けしと思けんもらぬ岩やも袖はぬれけり〉能古泊〈ちくぜん風吹ばおきつ白波かしこみとのこのとまりにあまた夜ぞぬる〉唐泊〈ちくぜん志摩郡 歸りこしかひこそなけれからとまりいづちながれし人のゆくゑは からとまりのこのうらなみたゝぬ日はあれ共家に戀ぬ日はなし〉

攝津國/美津泊

〔萬葉集〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559來筑紫、海路入京、到播磨國家島之時作歌五首、〈◯四首略〉 大伴乃(オホトモノ)、美津能等麻里爾(ミツノトマリニ)、布禰波氐氐(フ子ハテテ)、多都多能山乎(タツタノヤマヲ)、伊都可故延伊加武(イツカコエイカム)、

六兒泊

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 高市連黒人歌一首

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 墨吉乃(スミノエノ)、得名津爾立而(エナツニタチテ)、見渡者(ミワタセバ)、六兒乃泊從(ムコノトマリエ)、出流船人(イヅルフナビト)、

輪田泊

〔土佐日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 九日〈◯承平五年二月〉こヽろもとなさにあけぬから、船をひきつヽのぼれども、河の水なければ、ゐざりにのみぞゐざる、此間にわだの泊のあかれのところといふ所あり、〈◯下略〉

播磨國/高砂泊

〔高倉院嚴島御幸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 さるのとき〈◯治承四年三月二十一日〉に、高砂のとまりにつかせたまふ、よもの舟ども碇おろしつヽ浦々につきたり、御舟のあし深くて、湊へかヽりしかば、はしふね三そうをあみて、御輿かきすへて、上達部ばかりにて、御舟に奉りし、

室泊

〔播磨風土記〕

〈揖保郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 【室原泊】(ムロフノトマリ)所以號一レ室者、此泊防風如室、故因爲名、 ◯按ズルニ、室原泊ハ、三善清行ノ封事ニ檉生(ムロフ)泊トアリ、即チ室泊ニ同ジ、

〔源平盛衰記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 成親卿流罪事 大納言ハ死罪ヲ宥ラレテ、流罪ニ定リヌト聞エケレバ、相見事ハ堅カリケレ共、是ハ小松内府ノ、ヨク〳〵入道〈◯平清盛〉ニ申給タルニコソ、〈◯中略〉月名ニシオフ明石ノ浦、エイ崎、林崎、小松原、高砂ヤ尾上ノ松モ過ケレバ、室ノ泊ニ著給フ、〈◯下略〉

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 治承三年六月廿二日己酉、今夕前太政大臣殿、〈◯平清盛〉自伊都伎島還向給云々、〈◯中略〉御共侍民部大夫政清曰、〈◯中略〉十一日未明、出御船、〈◯高倉〉巳刻過室(○)、

〔高倉院嚴島御幸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 むまのとき〈◯治承四年三月二十二日〉かたぶきし程に、むろのとまり(○○○○○○)につき給、山まはりて、そのなかに、いけなどのやうにぞみゆる、ふねどもおほくつきたる、そのむかひに、いゑじまといふとまりあり、つくしへときこゆる舟どもは、かぜにしたがひて、あれにつくよし申、むろのとまりに、御所つくりたり、御舟よせておりさせ給、御ゆなどめして、このとまりのあそびものども、ふるきつかのきつねの、ゆふぐれにばけたらんやうに、我も〳〵と御所ちかくさしよす、もてなす人もなければまかり出ぬ、

〔峯相記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 文治年中ノ頃、室ノ泊長者ガ家ニ、アサマシキ賤キ老法師一人出來テ、柴ヲ取リ木ヲ切リモテカヅキシテ召仕ハレケリ、

〔新拾遺和歌集〕

〈九羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 二品法親王覺助の家の五十首の歌に、旅泊、 大江茂重 友誘ふ室の泊りの朝嵐に聲を帆にあげて出づるふなびと

備前國/韓泊

〔源氏物語〕

〈二十二玉蔓〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 川尻といふ所近づきぬといふにぞ、すこしいき出づる心地する、例のふなこども、からどまりより川尻をすほどはと、うたふこゑの、なさけなきもあはれに聞ゆ、

周防國/室積泊

〔本朝無題詩〕

〈七旅館〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561室積泊即事 釋蓮禪 扁艇東行隨汎乎、此津彼泊悉名區、煙郊寺裏轉經侶、〈野寺有僧、誦法華經文云、〉水市社前賣卜巫、〈此泊有古社、稱八幡、別當止住老巫、叩鼓賣卜、往反之舟問安否、仍與糧故云、〉潮潟暮松青滉瀁、嶺銜曉月白崎嶇、可憐漁釣罪根重、千介萬鱗民戸租、 藤原周光 沼遰歸程太遠乎、誠知都鄙尚殊區、低雲來往纔爲友、渡海安危不巫、〈事見本詩〉若校風波多嶮難、豈如世路甚崎嶇、沙村靜處謁漁叟、借問火田輸幾租

筑前國/葦屋泊

〔本朝無題詩〕

〈七旅館〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 宿葦屋泊 釋蓮禪 渺邈水行心苦忩、時留今駐罵春風、渡林鶯咽殘花底、阿岫鷗眠落月中、往事難忘雙袖涙、〈有注〉浮生彌論一舟夢、自憐自咲染毫記、斯泊三爲往反躬、 藤原周光 渉嶮乘危歸思忩、前程早晩達華風、雲帆忽落嵐狂後、水梗遠漂浪激中、江縣緑邊同昔見、家郷案内入宵夢、數回徑過人知否、西海屢爲遊蕩躬、〈度々往反此泊事見于本草

唐泊

〔筑前國續風土記〕

〈二十一志摩郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 唐泊 今津より一里半西にあり、海邊なり、萬葉集十五卷に、志摩郡韓亭とかけり、むかしは今津に異國

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 の舟來りあつまりしが、このところも今津とその浦めぐりつらなりて近きゆへ、韓人の宿する亭を置れしにより、韓亭といへるにや、亦能古島と唐泊は、そのあいだ二里餘の海をへだてたれども、むかひに相對してちかく見ゆ、いにしへ人、から泊のこの浦波とつヾけてよめる歌より、境趣に叶へり、東の山側に大岩多し、このところを牛の谷といふ、この山の上に冑石といふ丸き岩あり、

〔萬葉集〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562筑前國志麻郡之韓亭、舶泊經三日、於時夜月之光、晈皎流照、奄對此華、旅情悽噎、各陳 心緒、聊以裁歌六首、〈◯四首略〉 可良等麻里(カラドマリ)、能許乃宇良奈美(ノコノウラナミ)、多々奴日者(タヽヌヒハ)、安禮杼母伊敝爾(アレドモイヘニ)、古非奴日者奈之(コヒヌヒハナシ)、可是布氣婆(カゼフケバ)、於吉都思良奈美(オキツシラナミ)、可之故美等能許能等麻里爾(カシコミトノコノトマリニ)、安麻多欲曾奴流(アマタヨゾヌル)、


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