http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0765 淡路國ハ、アハヂノクニト云フ、南海道ニ在リ、四面皆海ニシテ、北ハ播磨、東南ハ紀伊、西南ハ阿波ニ對ス、東西凡ソ五里餘、南北凡ソ十二里餘、周廻凡ソ三十八里餘、此國ハ、古ヘ國府ヲ三原郡ニ置キ、津名(ツナ)、三原(ミハラ)ノ二郡ヲ管シ、延喜ノ制、下國ニ列ス、現今兵庫縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0765 淡路〈阿波知〉

〔新撰類聚往來〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0765 國名〈◯中略〉 淡路〈淡州〉

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 炎路〈挨懷齊(アツワイジイ)〉

〔倭訓栞〕

〈前編二阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 あはぢ 淡路の國は吾恥の義なるよし舊事紀に見えたり、二尊みとのまぐはひして、子を生しめたる初めなれば、かくはいへるにや、人の禽獸に異なる所も、また恥を知て欲を縱まヽにせざるに在のみ、されど阿波國へ渡る海路の義にて、みやこ路、山迹道などいふに同じともいへり、

〔古事記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 淡道は南海道の淡路國なり、和名抄に阿波知(アハヂ)、書記、應神天皇の大御歌に、阿波旎辭摩(アハヂシマ)とあり、〈後に國となりても、なほ淡路島とのみ云ならへり、隱伎、佐度も然り、〉名義は、阿波國へ渡る海道にある島なる由なり、〈京路山跡路(ミヤコヂヤマトヂ)など云は常なる中にも、万葉に筑紫路土左道(ツクシヂトサヂ)ともよみ、又山跡道之島(ヤマトヂノシマ)ともよめれば阿波道之島(アハジノシマ)うたがひなし、又津島(ツシマ)の名の意も似たるをおもへ、〉さて次の國々の例によらば、生子淡道島、亦名謂穗之狹別とあるべきを、此島のみは、古より亦名をも引連て、唱來しなるべし、

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 淡路、〈淡州〉下、管二郡、四方一日、國之母也、號二柱、衣鹽魚不乏、良材又多、小上國也、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766是天神諸命以詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神修理固成是多陀用幣流之國、賜天沼矛而言依賜也、〈◯中略〉久美度邇〈此四字以音〉興而、生子水蛭子、此子者入葦船而流去、次生淡島、是亦不子之例

〔日本書紀〕

〈一神代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 伊弉諾尊伊弉册尊、〈◯中略〉於是陰陽始遘合爲夫婦、及産時、先以淡路洲胞、意所快、故名之曰淡路洲

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 各國經緯度〈附里程〉 淡路洲本、〈五丁目〉極高三十四度二十一分、經度西五十分、從東都〈東海道西國街道自大藏谷渡海、至淡路岩花浦、直經一里一十八丁、自同所沿東海岸〉一百六十七里二丁九間、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0766 北極出地

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0767 淡路 湊浦 三四度二〇分〇〇秒 岩屋浦 三四度三六分〇〇秒 洲本 三四度二二分〇〇秒 由良浦 三四度一八分〇〇秒 沼島 三四度一〇分三〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈◯中略〉 淡路 洲本 西〇度四九分四四秒

疆域

〔名所方角抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0767 淡路國分 南海道の内也、紀伊より西、海越なり、住吉よりも西なり、

〔日本實測録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0767 淡路國〈◯中略〉 沿海周廻三十八里二十五町一十四間

〔日本地誌提要〕

〈六十淡路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0767 疆域 四至皆海、北ハ播磨東南ハ紀伊、西南ハ阿波ニ對ス、幅員三拾六方里、周廻三拾八里貳拾五町壹拾四間、東西五里貳拾壹町、南北壹拾貳里貳拾八町、

島嶼

〔日本實測録〕

〈十島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0767 淡路國三原郡 實測 沼島、周廻二里六町三十八間、沼島浦三十四度一十分半、遠測 道立岩 洲崎島 煙島〈又呼辨天島〉 沖刈藻島〈又呼大園〉 伊毘沖島 丸山沖島 津名郡 實測 成山島、周廻二十五町二十六間、〈從西岬牛濱一十六町一十五間〉 遠測 繪島 大和島

〔釋日本紀〕

〈五述義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0767 磤馭盧島(ヲノコロジマ) 私記曰、問、此島有何意之哉、答、是自凝之島也、猶如自凝也、今見在淡路島西南角小島是也、云俗猶存其名也、或説、今在淡路國東由良驛下、或説云、淡路紀伊國兩國之境、由理驛之西方小島云云、然而彼淡路坤方小島于今得此號也、

〔日本書紀〕

〈十二履中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0767 八十七年〈◯仁徳〉正月、大鷦鷯天皇〈◯仁徳〉崩、〈◯中略〉爰仲皇子畏事將太子、〈◯履中〉興兵圍太子宮、〈◯中略〉故三人扶太子馬而逃之、〈◯中略〉時有數十人執兵追來者、太子遠望之曰、其彼來者誰人也、何歩行急之、若賊人乎、因隱山中而待之、近則遣一人問曰、曷人、且何處住矣、對曰、淡路野島(○○)之海人也、元年四月丁酉、免濱子野島海人等之罪、役於倭蔣代屯倉

〔土佐日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0768 卅日〈◯承平五年一月〉阿波のみとをわたる、〈◯中略〉とらうの時ばかりに奴島(○○)といふ所を過て、田無川といふ所をわたる、

〔淡路常盤草〕

〈八三原郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0768 沼島浦 南洋の海中に土生を距こと一里にあり、島の周廻二里許、西北に漁商の家多し、浦の北を泊りと云、船を泊る所なり、南を流河(カウ)と云、魚蝦多し、或は伊勢の海對馬の海に行て釣漁する者あり、沼島を太平記に武島と書るは、沼武音訓近きを以て訛れる也、紀貫之土佐日記に阿波のみとをわたりて、とらうのときばかりに、ぬしまといふところをすぎてとあるは即此地なり、

〔太平記〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0768 春宮還御事附一宮御息所事 其後波靜リ風止ケレバ、御息所〈◯尊良親王妃〉ノ御舟ニ、被乘ツル水主甲斐々々敷船ヲ漕寄テ、淡路ノ武島(ムシマ)ト云所ヘ著奉リ、此島ノ爲體、回一里ニ足ヌ所ニテ、釣スル海士ノ家ナラデハ、住人モナキ島ナレバ、隙アバラナル葦ノ屋ノ、憂節滋キ栖(スミカ)ニ入進セタルニ、〈◯中略〉一宮ハ唯御息所ノ今ノ世ニ坐サヌ事ヲ歎思食ケル處ニ、淡路ノ武島ニ、未生テ御坐有ト聞ヘケレバ、急御迎ヲ被下、都ヘ歸上ラセ給フ、

〔淡路常盤草〕

〈三津名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0768 繪島(○○) 同じ浦〈◯岩屋〉石屋神社の海畔の磯邊につヾけり、一塊の丹石にて赤珠の凝聚れるごとし、石紋自ら人物花鳥の象ありて、彫がごとく繪くが如し、玲瓏として愛すべし、海より寄くる波に、石面を磨して畫文を成せるにや、島の頂には一石塔を置り、何人の所爲なりや知らず、緑樹數株あり、直峭して攀登りがたし、島の根盤(メグリ)は平にして席を設たるごとく、海潮に臨て潔し、雪月の時、尤賞遊すべし、

〔源平盛衰記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0768 成親卿流罪事 淡路ノ繪島ヲ見給フニモ、昔廢太子ノ遷レテ、波ニ朽セヌ繪島ヲバ、誰筆染テ寫ケント、昔語モイト悲シ、

〔太平記〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 兵庫海陸寄手事 敵御方ノ時聲、南ハ淡路繪島ガ崎、鳴戸ノ澳、西ハ播磨路、須磨ノ浦、東ハ攝津國生田森、四方三百餘里ニ響渡テ、苟ニ天維モ斷テ落、坤軸モ傾ク計ナリ、

〈南遊紀行〉

〔諸州めぐり〕

〈四紀伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 淡島の奧(ヲキ)に苫島(○○)とて島二あり、西にあるを奧の島と云、奧の島の北の出崎の丸山を虎が鼻と云、北にあるを地の島と云、地の島の北の出崎の丸山を牛が首と云、其奧(ヲキ)に小島一有、おしまでと云、淡島より地の島へ一里、奧の島へ二里あり、是皆紀州の内也、苫が島に昔より大蛇ありと云、

〔淡路常盤草〕

〈四津名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 富島(トシマ) 机浦〈◯育波郷〉にあり 按るに播磨魚住泊〈今の魚崎なるべし〉より津國大和田泊〈今の兵庫〉まで、一日行の間には船を泊むべき所少し、東南の風あらき時、岩屋の迫門乘過しがたきには、富島野島などに船を泊めて風を待べき所也、この故にむかしは、富島野島の海濱に、堤防を築きて船を泊る所の入江となせしなるべし、因て築江と名づけたるを、机と訓通ずる故に、後世省文を以て机と書替たるなるべし、其堤防いつの世にか、風波に破れて富島野島の名のみ遺れる事、譬へば大和田の泊破壞して、築江の名存するが如し、再興修覆して、舟人の漂沒を救はヾ大なる仁恩なるべし、

地勢

〔淡路常盤草〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 淡路國 南海道にありて、畿内中洲を左にし、四國山陽を右にす、東は攝津、和泉、南は紀伊、阿波、西は讃岐小豆島、北は播磨、その海中の一洲にして、大八洲の中央に位せり、日月の照すところ、其宜にかなひて、寒暑酷烈ならず、土暖に水清く庶物生を安くす、瑞穗の國の開辟しも、この國よりぞはじめをなせりとぞ、

道路

〔和漢三才圖會〕

〈七十六淡路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0769 須本〈寅卯至江戸百五十八里、艮至大坂二十二里、未至由良三里、申酉至福良五里、亥至千光寺一里、丑至岩屋八里、至志筑三里、〉 由良〈巳午至阿波徳島十八里許、辰巳至紀州弱山海上五里、〉 岩屋〈北至播州明石海上一里〉 凡南北十三里、東西五里餘、

〔日本實測録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 淡路國〈從播麿國明石郡大藏谷淡路國津名郡岩屋浦、渡海直徑一里一十八町、〉 津名郡岩屋浦、三十四度三十六分、 二里二十一町四間 假屋浦、三十四度三十一分半、 三里三町四間 志筑浦〈至志筑濱村宿所三丁九間、北極高三十四度二十六分半、從宿所川井村郡家浦、徑測二里二丁一十五間、〉 二十一町三十間 鹽尾浦〈歴中筋村街道福良浦、六里三十一丁三十間、〉 二里三町一十四間〈至洲本川口二里五十九間〉 洲本〈至五丁目汎測六丁、北極高三十四度二十一分、〉 二里八町二十七間 由良浦中小路町、三十四度二十八分、 二十七町三間半 同生牛濱 一里九町三十間〈至生牛岬一十丁二十一間〉 相川村、三十四度一十五分半、 二里三十三町三十四間半 三原郡土生(ハブ)村 四里二十五町六間〈至潮崎一里二十一丁一十一間〉 福良浦 五町五十間半 同下ノ町、三十四度一十六分、 一里二十三町四十八間 福良浦行者峯〈至鳴門岬一十二丁三十六間〉 一里三十町三十四間 阿奈賀浦丸山 二里二十三町一十八間半 湊浦濱、〈至湊浦宿所汎測六丁一十二間〉三十四度二十分 三里三町五十九間 津名郡都志浦大濱 二里二十町三十八間 郡家浦、三十四度二十九分、 三里五町三十五間 机浦、三十四度三十三分、 三里一十町五十八間 岩屋浦  沿海周廻三十八里二十五町一十四間

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 諸國驛傳馬〈◯中略〉 淡路國驛馬〈由良、大野、福良各五疋、〉

〔南海流浪記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 同日〈◯仁治四年二月四日〉石屋宿(○○○)ニテハ淡路配國人同道、同宿之間、樂世出世之事等、相談シテナグサム事アリ、件人ハ瀧ノ口ニトヾマリヌ、又此八木ノ宿(○○○○)ヨリハ、只同朋一兩輩許也、

〔日本國郡沿革考〕

〈三南海道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 淡路 古作淡道〈國造記、萬葉集、作粟路、〉下國、管二郡、二百五十一村、 津名〈百二十二村〉 三原〈百二十九村 古國府、應神二年紀、作御原、〉

〔日本地誌提要〕

〈六十淡路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0770 沿革 古ヘ國府ヲ三原郡〈今國衙村ト云〉ニ置、天平寶字八年、淳仁天皇廢セラレ、三原郡ニ遷リ明年崩ズ、〈國衙村ノ北、十一箇所村、野邊宮アリ、其舊址ト云、〉鎌倉ノ初、佐々木經高ヲ以テ守護トナス、正治二

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 年長沼宗政之ニ代ル、足利尊氏ノ反スル、細川氏ヲシテ南海ヲ經理セシメ、細川師氏〈頼春ノ弟〉ヲ以テ州守ニ任ジ、守護トナシ、養宜〈三原郡中八木村〉ニ治ス、永正中、其六世孫尚春、三好氏ニ弑セラレ、地終ニ三好氏ニ歸ス、天文ノ末、三好長慶ノ弟安宅冬康、由良城ニ居テ州主ト稱シ、又洲本ニ城ク、天正九年、冬康ノ子貴康、織田信長ニ降ル、十一年、豐臣氏南海ヲ定メ、仙石秀久ヲ封ジ、洲本城ニ居ラシム、十三年、秀久ヲ讃岐ニ徙シ、脇坂安治ヲ封ジ、〈三萬石〉又三原郡志知ヲ加藤嘉明ニ賜フ、慶長中、安治、嘉明、皆封ヲ轉ジ、池田輝政ノ三男忠雄ヲ封ズ、元和元年、全州ヲ以テ蜂須賀至鎭ニ加封シ、世襲、其臣稻田氏ヲ洲本ニ置キ城代トナス、王政革新、廢シテ名東縣ニ屬シ、津名郡ヲ割テ、兵庫縣ヨリ兼治ス、又改テ悉ク名東縣ヨリ兼治ス、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 淡道國造 難波高津朝〈◯仁徳〉御世、神皇産靈尊九世孫矢口足尼定賜國造

〔續日本紀〕

〈二十五淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 天平寶字八年十月壬申、從五位下佐伯宿禰助爲淡路守

〔吾妻鏡〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 正治二年七月廿七日辛巳、六波羅書状等到來、佐々木中務丞經高、乍帝都警衞人數朝威條々也、〈◯中略〉加之令護淡路國之間、蔑如國司命、妨國務之上、去九日催聚淡路、阿波、土佐等軍勢、各著甲冑馳騷、依天聽、被問濫觴之處、爲敵欲襲之由雖之、更無實證所行之企、奇怪非一、早可關東之旨、及勅命云云、上皇〈◯後鳥羽〉頻逆鱗云云、 八月二日乙酉、佐々木中務丞經高蒙御氣色、淡路(○○)、阿波、土佐、以上三箇國守護職以下所帶等、被放之、以其趣京都也、〈◯下略〉

〔淡路常盤草〕

〈一淡路國雜著〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0771 武家守護職等 按ずるに、〈◯中略〉鎌倉の代佐々木氏、小笠原氏、相續て此國の守護となれり、皇威倍振はずして、國守の職廢れぬ、足利氏起りて室町の代、細川氏をして、淡路の守護たらしむ、この時諸國分崩割據して戰國やまず、細川數世の後、三好氏に併はせられて、其族人この國に居れり、安宅氏、織田家の命に從ひ、豐臣氏に歸降せしより、仙石、脇坂、加藤、池田相續

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 て國を領す、

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 淡路國〈國府在三原郡、行程上四日、下二日、〉

〔淡路常盤草〕

〈六三原郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 養宜故邸 中八木にあり、大土居と稱す、邸地東西六十歩、南北百二十歩許〈◯中略〉按るに源右大將鎌倉に幕府を開きてより、諸國に守護職を置り、養宜の邸も一國の守護所なり、〈◯中略〉仁治四年〈今年寛元と攺名す〉僧道範が道の記に、養宜の國府と書たり、是は北條經時〈時頼の兄〉執權の時なり、然ればこれより先に、既に養宜の守護所ありし也、此時朝廷の政令行はれず、古の國府は、倍衰廢して、養宜の地、國府の如く書しなるべし、〈◯中略〉 市村 舊ト國府の市といふ、古の國府の地なり、市場の址有因て名く、榎並十一ケ所三條とともに國府の地也、〈◯中略〉 國司館址 市村の中に、地名國衙といふ所あり、是國司館の故址なるべし、

〔南海流浪記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 同日〈◯仁治四年二月四日〉船ヲ下テ陸地三里行テ、淡路國府ニ至テ中一日ヲ經タリ、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 淡路國〈◯註略〉管二〈◯註略〉津名 三原〈美波良〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 淡路國、下、〈管 津名(ツナ) 三原(ミハラ)〉 右爲近國

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 淡路國〈二郡〉 津名(ツナ) 〈須本 ●由良 ●竹口 ●クス本 ●岩屋 ●トメ田 ●都志 攝播ニ向〉 三原(ミハヲ) 〈●三原 ●松本 ●福良 ●穴川 ×鳴戸 阿波ノ向〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0772 淡路

〔本朝文粹〕

〈六奏状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0773殊蒙天恩准前例和泉國功淡路守闕状 源順 所濟功十二箇條 以前微功等謹甄録如右、抑件淡路國、名雖一國實纔二郡、〈◯中略〉 天延四年正月廿八日 散位從五位上源朝臣順誠惶誠恐謹言

津名郡

〔淡路常盤草〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0773 津名郡〈◯中略〉 按ずるに郡は、國の東北にあり、津名を上郡といふ、京畿に近ければなり、三原を下郡といふに對して稱する也、〈◯中略〉廣田郷と養宜郷との間、南北に亘りて山を隔つ故に、廣田以東を津名とし、養宜以西を三原とする事、古規に合へり、中世已來廣田加茂二郷を三原郡に隷する古制に非る也、〈◯下略〉

〔淡路國大田文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0773 淡路國 二郡 注進 國領并庄薗田畠地預注文事 合 津名郡(○○○) 國領〈◯中略〉  三原郡 國領〈◯中略〉 貞應二年四月日 散位藤原朝臣〈花押◯下略〉

三原郡

〔淡路常盤草〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0773 三原郡 按るに、郡は國の西にありて下郡と稱す、州の東津名を上郡といふに對す、平安京に近きを上とする也、大抵上郡は山谷多く水東流し、下郡は平原多く水西流す、

〔倭名類聚抄〕

〈九淡路國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0773 津名郡〈豆奈〉 津名〈都奈〉志筑〈之都奈〉賀茂〈加毛〉平安〈阿惠加◯高山寺本平安作安平〉物部〈毛乃部〉廣田〈比路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 〈多〉都志〈豆之〉育波〈以久波〉來馬〈久留萬〉郡家〈久宇希〉 三原郡〈美波良〉 倭文〈之止里〉幡多〈波多〉養宜〈夜木〉榎列〈江奈美〉神稻〈久萬之呂〉阿萬〈阿萬〉賀集〈加之乎〉

〔淡路常盤草〕

〈三津名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 志筑郷 津名郡の東の海邊にそひたる郷也 和名類聚抄曰、津名郡志筑郷和名志津奈、 按ずるに、しつなとあるはいぶかし、奈は支の訛なるべし、郷廢して今志筑浦志筑濱村などの名遺る、

〔吾妻鏡〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 文治六年〈◯建久元年〉四月十九日壬寅、造大神宮役夫工米、地頭未濟事、頻有職事奉書、神宮使又參訴之間、可不日沙汰之旨下知給、於子細所々者、今日令進京都給、因州并盛時俊兼等奉行之、其状云、 内宮役夫大工作料未濟成敗所々事〈◯中略〉 淡路國〈◯中略〉 廣田郷(○○○) 下知大和前司重弘、其状相副之、〈◯中略〉 文治六年四月十九日

〔淡路常盤草〕

〈四津名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 伊佐奈岐神社〈◯中略〉 元久の廳宣一通、加集山護國寺にあり、其文に曰、 廳宣 留守所 可早引募一二宮法華樓兩會舞樂料荒野拾町事 右兩會舞樂料田荒野拾町、可募東神代八木(○○○○○)兩郷等無催促之田代云云、早令發榎列並兩神代之荒野、可募彼料田之状、仍執達如件、 留守所宜承知、敢勿違失、以宣、 元久二年四月 守藤原朝臣花押

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0774 一淡路國(皆私領)〈淡州 四方一日〉 貳郡

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 高七万四百貳拾八石壹斗 貳百三拾七ケ村 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ●須本 〈阿州一万四千五百石百五十七里〉 稻田九郞兵衞 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 淡路 二郡、二百五十一村、 高九万七千百六十四石七斗八升四合(皆私領) 津名郡百二十二村 三原郡百二十九村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 郡邑島嶼奇名 淡路 津名郡 來馬(クルマ)村、生穗(ナマリホ)村、下司(クタシ)村、安乎下(アイカシモ)村、炬口(タケノクチ)浦、小路谷(ヲロダニ)村、斗内(トノウチ)浦、上原郡、來川(コリカハ)村、城方(シロウハウ)村、油谷(ユタニ)村、圓實(エンジウ)村、土生(ハブ)村、仕頃(シコロ)村、阿万東(アマヒカシ)村、福良(フクラ)浦、沼島(ヌシマ)、

〔源平盛衰記〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 能登守所々高名事 子息ニ越前三位通盛、能登守教經大將軍ニテ、船十餘艘ニ乘テ、押向テ散々ニ禦戰給ケレバ、在廳等被追散テ、ハカ〴〵シキ矢一ツモ不射、奧懸ニ淡路國福良(○○)ト云所ヘ著、

〔淡路常盤草〕

〈七三原郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 福良浦(○○○) 本郡の南隅にあり、港中廣くして諸船を泊む、前後の山相對ひ、煙島洲崎海口に並びて中間湖水のごとし、阿波國板野郡撫養を距こと海程三里の渡口也、商家漁戸數坊あり、裙帶菜を鳴門の海に采り、海鰛(イハシ)を鱁鮧(ナシモノ)として福良鯷(ヒシコ)と稱す、海參(イリコ)などあり、支邑中山潟上鳰苅藻砥取などあり、又國君の行邸あり、

〔南海流浪記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 建長元年八月九日、子時許至淡路國賀集(○○)、〈一里〉同十四日、立賀集由羅、〈七里〉同十五日立由良渡戸〈海路三里〉至大谷、〈亥時陸地十一里〉

〔淡路常盤草〕

〈二津名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0775 洲本(○○)府 物部卿にあり、南は乙隈高隈曲田山に續き、東は海濱に至り、西北は物部川を環らして其流海に入る、中間壕門臺の東を内町といひ、西を外町といふ、十八町の坊名

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0776 あり、寛永中、由良の故府をこヽに移してより以來、士民富庶なり、

〔南海通紀〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0776 羽柴筑前守調略淡州記 是ヨリ先ニ淡州ノ住人等、播州ヘ因ミ寄テ和平ヲナス故ニ、仙石權兵衞尉ヲ淡州ヘ渡海セシメテ、須本ノ城ニ居住セシム、夫ヨリ淡州ノ諸將ト相議シテ、阿州ノ援兵ヲ出サントス、〈◯中略〉三好存保、阿州勝瑞ノ城ヲ相渡スニ於テハ、仙石氏ハ淡州ノ諸將ヲ召連レ入城セシムベシ、其時ハ官兵衞尉〈◯黒田〉ハ淡州志智(○○)ノ城ニ移リ、阿州ノ兵將ノ人質ヲ取リ、悉ク志智ノ城ヘ送入テ相固メ、丈夫ノ調略ヲナスベシト定ラル、

〔宇野主水記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0776 一七月〈◯天正十三年〉三日、土州之長曾我部御成敗ニ付テ、今日秀吉御自身、淡州洲本表迄御進發云々、〈◯下略〉

〔淡路常盤草〕

〈二津名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0776 由良浦(○○○) 洲本府城を距ること三里、東南海濱にあり、紀伊國海部郡を去こと海程三里なり、長汀海に出て港中廣く、諸州の海舶來り泊ること多し、國君里邸あり、漁家商家軒を雙ぶ、大なる鱣魚ありて港中に來往すれども、港を利して人を害する事なしと云、漁子は多く魚蝦を取て諸廣邑に行き、海婦は大石花を負戴して、國中に貨る、この物石花(トコロテン)のごとく、凍子として酢豉に和して多く食すれども毒なし、畿内の人は食せずと聞り、また板裙帶(イタワカメ)を出す、海菜を方(ケタ)に重ねて乾したる也、又白海苔(ホヤノリ)あり、凍子となして大石花に勝れり、山中には駒鳥三光鶯などあり、兒輩捕て籠にす、洲崎の砂松伴島の緑螺賞すべし、伴島は是より一里沖にあり、紀伊國に隷く、

〔阿州將裔記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0776 足利義冬より之系圖 貴康 冬康二男也、但猶子にて信康より年兄なるよし、號安宅河内守、淡州由良に居城す、

莊保

〔當宮縁事抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0776 左辨官下 石清水八幡宮并宿院極樂寺 應永停止宮寺并極樂寺庄園領家預所下司公文等、或號先祖讓状、或稱傳文書、致異論

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777、兼又有由緒傳領、子孫斷絶處々付本所事、 宮寺領〈◯中略〉 淡路國 【炬口】(タキノクチ)【庄】〈◯中略〉 保元三年十二月三日 大史小槻宿禰〈在判◯下略〉

〔吾妻鏡〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777 壽永三年〈◯元暦元年〉四月六日甲戍、池前大納言並室家之領等者、載平氏沒官領注文、自公家下云云、而爲故池禪尼恩徳、申宥彼亞相勅勘給之上、以件家領三十四箇所、如元可彼家管領之旨、昨日有其沙汰之給、〈◯中略〉 池大納言沙汰〈◯中略〉由良庄(○○○)〈淡路◯中略〉 右庄園拾七箇所載沒官注文、自院所給預也、然而如元爲彼家沙汰、爲知行勤状如件、 壽永三年四月五日

〔若王寺神社文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777 淡路國由良庄總地頭御代官職事、子息幸福丸下領候畢、於所務者不先例其沙汰候、若致無忠者、彼職被取上〈仁〉一切不子細候、仍以此旨御披露候、恐惶謹言、 貞和貳年九月三日 源政義〈◯裏判〉

〔賀茂注進雜記〕

〈下神領〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777 同〈◯壽永〉三年〈◯元暦元年〉四月廿四日壬辰、賀茂社領四十一ケ所、任院廳御下文、可武家狼藉之由、有其沙汰云々、 下諸國 可早任院廳御下文、停止方々狼藉、備進神事用途、賀茂別雷社御領庄園事、〈◯中略〉 淡路國 佐野庄(○○○) 生穗庄(○○○)〈◯中略〉 壽永三年四月廿四日 正四位下源朝臣御判

〔吾妻鏡〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0777 壽永三年〈◯元暦元年〉四月廿八日丙申、平氏在西海之由風聞、仍被軍兵、爲征罰無事御祈禱、以淡路國廣田庄附廣田社、其御下文付前齋院次官親能上洛便宜、可神祇伯仲資王云云、 十月廿七日壬午、淡路國廣田庄(○○○)者、先日被附廣田社之處、梶原平三景時、爲討平氏、當時在

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778之間、郞從等亂入彼庄乃貢歟、仍仲資王被子細、更非改變儀、且可知景時之由、今日被遣御報

〔石清水文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778 八幡宮寺領 御判〈右大將家頼朝〉 淡路國 炬口庄(○○○) 鳥養庄(○○○) 牧石庄(○○○) 會料米卅石〈◯中略〉 元暦二年正月九日

〔吾妻鏡〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778 建久三年十二月十四日壬子、一條前黄門書状參著、以亡室遺跡廿箇所補男女子息、〈◯中略〉是平家沒官領内〈◯中略〉淡路國志筑庄(○○○)、已上廿箇所、先日被黄門室家、〈將軍家御妹也云云〉

〔淡路國大田文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0778 淡路國二郡 注進國領并庄薗田畠地頭注文事 合 津名郡 國領 都志郷田二十一町八反百五十歩〈◯中略〉 浦一所 郡家郷田三十町三反〈◯中略〉 賀茂郷田廿五町六反廿歩〈◯中略〉 山田保(○○○)田三十町六十歩 即保地頭長尾平内〈◯中略〉柳澤草加地頭駿河入道〈◯中略〉 浦一所〈草加分〉 室津保(○○○)田廿一町七反二百歩〈◯中略〉 石屋保(○○○)田六丁七反百四十歩〈◯中略〉 浦一所 三之崎保田廿七町百九十歩〈◯中略〉 庄分 【廣田庄】田六十町(西宮御領)〈◯中略〉 【内膳庄】田卅町(觀喜光院御領)〈◯中略〉 【物部庄】田七十町(御室御領)〈◯中略〉 【由良庄】田廿町(禪林寺新熊野領)〈◯中略〉 浦一所 【筑佐庄】田廿町(同御領)〈◯中略〉 【炬口】庄田四十丁(八幡宮御領)〈◯中略〉 浦一所 安平庄(一院御領)〈菅原庄トモ申〉 田四十町〈◯中略〉 浦一所 【鹽田庄】田四十町(勸修寺御領)〈◯中略〉 【志筑庄】田百町(新熊野領)〈◯中略〉 浦二所 【生穗庄】田四十町(上賀茂御領)〈◯中略〉 浦一所 【來馬庄】田六十町(松殿僧正御房御領)〈◯中略〉 浦一所〈◯中略〉  【蛬浦庄】田廿六町(最勝四天王院御領)〈◯中略〉 浦一所 穗庄田六十町(六條御堂御領)〈◯中略〉 浦一所 【鮎原庄】田卅五町(北野御領)〈◯中略〉 【牧石庄】田十三町(八幡宮御領)〈◯中略〉 三原郡 國領 笶原保(○○○)田六十町一反二百五十歩〈◯中略〉 八木村 鹽濱村 八太村〈◯中略〉 東西

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 神代郷〈◯中略〉 西神代郷田四十八町三百卅歩〈◯中略〉 湊村〈◯中略〉 東神代保(○○○○)田廿六町五反四十歩〈◯中略〉 上田保(○○○)田五十六町二反〈◯中略〉 榎並村〈◯中略〉 長田村田三町一反三百四十歩〈◯中略〉 掃守保(○○○)田四十三町八反百四十歩〈◯中略〉 庄分 【河万庄】田百三町(得長壽院并八幡宮御領)〈本庄百町、沼島三丁、◯中略〉 浦二所〈◯中略〉 【賀集庄】田百廿町(安野寶持院御領)〈◯中略〉 【福良庄】田廿町(同御領)〈◯中略〉 浦一所 【國分寺庄】田卅三町(鳥羽勝金剛院領)〈◯中略〉 【津井伊賀新庄】田十九町(最勝四天王院御領)〈◯中略〉 浦二所 【掃守庄】田十二町(弘誓院御領)〈◯中略〉 【慶野庄】田六十町(修明門女院御領)〈◯中略〉 浦一所 【鳥飼庄】田卅町(八幡宮御領)〈◯中略〉 浦一所 右大略注進如件、但於庄薗者、任建立最前立券文之旨、注進仕之間、有不審歟、於國領者、付當時文書之旨注進之、仍言上如件、 貞應二年四月日 散位藤原朝臣〈花押◯以下三名略〉

〔東寺百合古文書〕

〈百四十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 七條院 在御判 修明門院御處分御所庄々等〈◯中略〉 淡路國 菅原庄(○○○) 〈可本所◯中略〉 安貞二年八月五日

〔龜山院御凶事記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 嘉元三年九月廿三日丁卯、依進故院御書、早旦著直衣、〈烏帽〉相具御書、御手簡〈存日予預置也〉參御所、〈◯中略〉女院御方自餘御書等、〈兼有御封、以檀紙立文之押折上下、又有銘等、〉悉盛筥蓋、〈◯中略〉 一通〈銘曰さいこく〈予妹自元祗候女院也、〉◯中略〉 さいこく〈◯中略〉あはぢの國内ぜんの保(○○○○○)〈◯中略〉 ゆづりまいらせ候、御一期の後は、本家へまいらせられ候べく候、 嘉元三年七月廿六日 御判

〔後宇多院御領目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0779 一安樂壽院領〈◯中略〉 淡路國菅原庄(○○○)〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 一歡喜光院〈◯中略〉 淡路國内膳保(○○○)〈◯中略〉 一弘誓院〈◯中略〉 淡路國掃守庄(○○○)〈◯中略〉 右所々可御管領之由、院宣所候也、以此旨入昭慶門院、仍執達如件、 嘉元四年〈◯徳治元年〉六月十二日 右衞門 高倉前宰相殿

〔古文書類纂〕

〈上將軍家下文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 後伏見天皇正安元年征夷大將軍久明親王下文 將軍家政所下 可早左衞門尉藤原宗秀領知〈◯中略〉淡路國守護職笶原上田兩保(○○○○○○)、同國東神代郷西神代郷〈◯註略〉湊村、賀茂郷、同國内膳庄(○○○)〈◯註略〉等地頭職事、 右任亡父左衞門尉宗泰法師〈法名覺源〉去弘安六年三月廿七日五通讓状〈◯註略〉守先例沙汰之状、所仰如件、以下、 正安元年十二月六日 案主菅野〈◯下略〉

〔勸修寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 勸修寺領〈◯中略〉 淡路國鹽田庄(○○○)〈◯中略〉 以上十八箇所 建武三年九月十七日

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 淡路國〈◯註略〉管二〈田二千六百五十町九段百六十歩〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 淡路〈下近〉二郡〈(中略)田二千八百七十町〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 淡路州 郡二、水田二千七百三十七町三段、

〔前關白秀吉公御檢地帳之目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 六万二千四百四十石 淡路

〔和漢三才圖會〕

〈七十六淡路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 二郡 高六萬三千六百二十一石

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0780 淡路國 二郡〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 一石高七万四百貳拾八石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 天保度御國高調〈◯中略〉 淡路國〈皆私領〉 一高九万七千百六拾四石七斗八升四合

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 淡路國正税三万五千束、公廨四万五千束、國分寺料五千束、大和大國魂神祭料八百束、文殊會料一千束、修理池溝料一万束、救急料三万束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 淡路國〈◯註略〉管二〈(中略〉正三万五千束、公四万五千束、本穎十二万(万下恐脱六字)千八百束、雜穎四万六千八百束、〉

〔續日本紀〕

〈十六聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 天平十七年十一月庚辰、制、諸國公廨、〈◯中略〉下國十万束、就中飛騨、隱岐、淡路三國各三万束、〈◯下略〉

國産/貢獻

〔儀式〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 踐祚大嘗祭儀下 太政官符諸國司〈◯中略〉 淡路國 御原郡瓮十口〈受各一斗五升〉 比良加五十口〈受各一斗〉 壺百口〈受各一斗〉 右三種國所造備〈◯中略〉 以前得神紙官解偁、供奉大嘗會、其所由加物、依例所請如件者、國宜承知、依數造備進上、

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 諸國年料供進〈◯中略〉 蕶䔖香大廿四斤卅把〈淡路國卅把〉

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 年料別納租穀〈◯中略〉 淡路國〈一千六百斛◯中略〉 諸國貢蘇番次〈◯中略〉 淡路國十壺〈四口各大一升、六口各小一升、◯中略〉右十四箇國爲第六番〈子午年〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 淡路國 調、宍一斤、雜魚一千三百斤、自餘輸鹽、 庸、輸米、 中男作物、雜鮨、

〔延喜式〕

〈三十四木工〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0781 諸國所進雜物〈◯中略〉 魚卌七斛二斗〈◯註略〉 淡路國廿三斛六斗

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 旬料〈◯中略〉 淡路國雜魚二擔半〈一旬料〉 節料〈◯中略〉 紀伊淡路兩國〈三節各五擔◯中略〉 凡淡路國進中宮御贄者、貢正月三節料

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 四郞君受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉宅常擔集諸國土産、貯甚豐也、所謂〈◯中略〉淡路墨、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 淡路 苦竹(ニガタケ) 煎餅 餳(アメ) 武島女郞〈魚也〉 辛螺(ニシ) 榮螺 トベタ

〔淡路常盤草〕

〈一淡路國雜著〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 土産 藤原明衡新猿樂記、諸國土産部淡路墨、今按るに、むかしは墨名物なりしにや、今はなし、俗間の書に淡路の土産を載す、武島女郞〈魚名〉辛螺、荊螺、光螺、苦竹、煎餅、飴などあり、これらはいふにたらぬものなり、土地米穀に宜しく、氣味甘美にして醞醸などに殊に佳也、鱗介は四方海邊に多し、鹽はむかし三原郡にて、江尻鹽濱などの近里に多く燒たれども今絶たり、近きころ福良湊などの地に燒所あれども、いまだ國用に足らず、 山林多くは松あり、伐て阿波の撫養、播磨の飾摩などの鹽木に賣なり、この外桑楮漆藍などは多く作らず、四木三草の類を植て、民用の助とせまほし、綿は桓武天皇の御時、淡路等の國々へ綿たねをたまひて植させられしかども、種藝の法疎なりしにや絶にしが、近ごろ當分所々に作り侍れど、いまだ廣く作らず、民間に綿布多くおり出す、是多くは畿内のわたにて織なり、草綿なれども木綿布と呼なり、

人口

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 淡路國 二郡〈◯中略〉 一人數拾万七千百拾三人 内〈五万四千七百九拾貳人 男 五万貳千三百貳拾壹人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0782 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數拾壹万貳千四百四拾九人(皆私領) 淡路國(高七万四百貳拾八石餘) 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0783  内〈五万八千九百貳拾六人 男 五万三千五百貳拾三人 女◯中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數拾貳万貳千七百七拾三人(皆私領) 淡路國(高九万七千百六拾四石餘) 内〈六万三千六百四拾壹人 男 五万九千百三拾貳人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0783 淡路國 淡路國之風俗、遠島之國ニ而、人ノ氣律儀ニ而、何事モ僞ル事スクナク、譬バ我ガ親類縁者トアレバ、其筋目ヲ正シ、タトヘ貧賤道路ノ乞人ニテモ、是ヲ正スノ風俗也、然ドモ都テ怠惰之氣甚キ國風ニテ、物ノシマル事スクナク、退屈ノ體ノミ多ク、武士ノ風俗モ質アリトイヘドモ、達人ノ可出國ニハアラズ、

名所

〔日本鹿子〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0783 同國〈◯淡路〉中名所之部 淡路島 ヲノコロ島 すべて當國をさしてかく云と云り、潟有、淡路がたと云也、せとの流有、岩屋と云所有、 朝野原〈◯中略〉 野島ケ崎〈◯中略〉 繪島(アハジマ)浦 同礒とも云也、 當國北の海邊也〈◯中略〉 水無瀬山 野島

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0783 諸國健兒〈◯中略〉 淡路國卅人〈◯中略〉 諸國器仗〈◯中略〉 淡路國〈横刀四口、弓十張、征箭十具、胡簶十具、〉

〔日本書紀〕

〈十三允恭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0783 十四年九月甲子、天皇獦于淡路島(○○○)時、麋鹿、猿、猪、莫莫紛紛、盈于山谷、焱起蠅散、然終日以不一獸

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0783 養老三年十月戊戌、減定京畿及七道諸國軍團并大小穀兵士等數有差、但志摩若狹淡路三國兵士並停、

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0784 羈旅歌一首并短歌 海若者(ワメツミハ)、靈寸物香(アヤシキモノカ)、淡路島(アハヂシマ)、中爾立置而(ナカニタテオキテ)、白浪乎(シラナミヲ)、伊與爾回之(イヨニメグラシ)、座待月(ヰマチヅキ)、開乃門從者(アカシノトユハ)、暮去者(ユフサレバ)、鹽乎令滿(シホヲミタシメ)、明去者(アササレバ)、鹽乎令干(シホヲホサシメ)、鹽左爲能(シホサヰノ)、浪乎恐美(ナミヲカシコミ)、淡路島(アハヂシマ)、礒隱居而(イソガクレヰテ)、何時鴨(イツシカモ)、此夜乃將明跡(コノヨノアケムト)、待從爾(マツカラニ)、寢乃不勝宿者(イノネガチネバ)、瀧上乃(タキノヘノ)、淺野之雉(アサヌノキヾス)、開去歳(アケヌトシ)、立動良之(タチトヨムラシ)、率兒等(イザコドモ)、安倍而搒出牟(アヘテコギデム)、爾波母之頭氣師(ニハモシヅケシ)、 反歌 島傳(シマツタヒ)、敏馬乃埼乎(ミヌメノサキヲ)、許藝廻者(コギタメバ)、日本戀久(ヤマトコヒシク)、鶴左波爾鳴(タヅサハニナク)、 右歌、若宮年魚麿誦之、但未作者

〔保元物語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0784 新院御遷幸事并重仁親王御事 彼(カシコ)ハ淡路國ト聞召バ、〈◯崇徳〉大炊廢帝〈◯淳仁〉ノ被遷テ、思ニ不絶無幾程失セ給ケン島ニコソト、昔ハ餘所ニ聞召シカ共、今ハ御身ノ上ニ思召コソ哀ナレ、

〔新葉和歌集〕

〈十七雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0784 正平廿年十二月、うへのをのこども題をさぐりて、七百首の歌つかうまつりける時、名所島を、 後村上院御製 心あてにそことはしるし淡路島まだ見ぬ人は雲かとや見む 眺望春といふ事を 朝日影さすか浪間にあらはれてかすめばきゆる淡路島山


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:57 (387d)