http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0351 渡ハ、ワタリト云ヒ、又ワタシト云フ、蓋シ自他ヲ以テ其稱ヲ異ニスルモノニシテ、池澤河海等、凡テ水ヲ渡ルベキ處ヲ云フナリ、而シテ徒歩シテ渉ルモノヲ歩渡(カチワタリ)ト云ヒ、舟行スルモノヲ船渡(フナワタシ)ト云ヒ、兩岸ニ亘セル綱ヲ繰リ、櫓櫂ヲ用ヰズシテ船ヲ行ルモノヲ綱渡(ツナワタシ)ト云フ、又斷岸絶壁ニ在リテハ、綱ヲ亘シ籠ヲ釣リ、身ヲ其中ニ投ジ、掣キテ渡ルモノアリ、之ヲ籠渡(カゴノワタシ)ト云ヒ、又綱橋トモ云フ、〈綱橋ノ事ハ、橋篇ニ詳ナリ、〉 上古津濟ノ事、得テ詳ニスベカラズ、神武天皇東征ノ時、御船攝津國浪速渡ヲ經テ、河内ノ白肩津ニ泊リ給ヒシコト古事記ニ見エ、景行天皇ノ朝、同國高瀬ニ行幸シテ、渡子ニ渡賃ヲ賜ヒシコト播磨風土記ニ見ユ、是レ蓋シ渡ノ史籍ニ見エタル始ニシテ、渡子渡賃等ヲ記セルモ、是ヨリ前ニハ未ダ所見ナシ、孝徳天皇大化改新ニ至リ、詔シテ要路津濟渡子ノ調賦ヲ罷メ、田地ヲ給與シ給フ、蓋シ從前ハ、津濟ヲ設ケ、渡子ヲ置クガ爲ニ調賦ヲ收メシガ、是ニ至リ官ヨリ田地ヲ給シテ費用ニ充テ、別ニ調賦ヲ課セザリシナラン文武天皇大寶ノ制、凡ソ諸國ノ道橋津濟ハ、民部省ノ管スル所ニシテ、國郡官司等ヲシテ各々之ヲ分轄セシメ、其要路ニシテ徒渉ニ堪ヘザル處アレバ、船ヲ備ヘ渡子ヲ置キテ之ガ雜徭ヲ免ズ、而シテ其人ヲ濟シ物ヲ運ブノ次序ハ、其津ニ至レル先後ニ從フ、嵯峨淳和二天皇ノ頃、勅シテ度子ノ用度ハ正 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0352 税ヲ割キテ之ニ充テシメ、往還ノ人ノ渡錢ヲ要セザルコトヽ爲シヽハ、大化ノ制ヲ摸セシモノカ、次デ仁明天皇ノ朝、東海東山兩道ノ諸川、崖岸廣遠ニシテ、浮橋ヲ架スルコト能ハザルモノハ、渡船ヲ増置シ、又布施屋ヲ河畔ニ作リテ休憩停留ニ供セシム、爾來文徳天皇以後數朝ノ間、常ニ叡慮ヲ此ニ用ヰテ、或ハ度子ヲ配置シ、或ハ渡船ヲ増設セシメ給ヒシコト、累見錯出シテ載スルニ勝ヘザルナリ、 將門威ヲ肆ニシ權ヲ弄スルニ至リテハ、諸國ノ守護地頭等、私ニ津料、河手ト稱シテ船賃ヲ強取シ、旅人ノ障害ヲ爲スモノ多シ、順徳天皇建保三年以降、幕府屢々令ヲ發シテ之ヲ嚴禁シ、其用途ハ別ニ料田ヲ置キテ之ニ充テシム、然レドモ隨テ令スレバ隨テ弛ミ、足利幕府ノ世ヲ終フルマデ、遂ニ其功ヲ奏スルコト能ハズ、織田豐臣二氏相繼ギテ興ルニ及ビテハ、諸國津濟ノ制、較々見ルベキモノ無キニアラズ、之ヲ前ニシテハ大内家壁書ニ載スル所ノ鯖川渡、赤間關渡等ノ船場定ノ如キ、之ヲ後ニシテハ朝野舊聞裒稿、及ヒ舟橋方古書寫ニ記スル所ノ遠江天龍川、越中神通川等ノ渡場定ノ如キ、亦以テ其一端ヲ窺フニ足ルベシ、徳川氏府ヲ江戸ニ開キ、天下ノ諸侯ヲシテ參勤交代セシムル頃ニ至リテハ、諸道ノ交通最モ頻繁ニシテ、復タ舊貫ニ因ルベキニ非ズ、是ニ於テカ特ニ意ヲ道路舟梁ニ用ヰ、凡ソ管内ノ渡場ニハ、高札ヲ建テヽ其制ヲ掲示シ、諸國ヲシテ之ニ遵行セシメ、且ツ要路津濟ニハ、各々關ヲ設ケ吏ヲ置キテ行旅ヲ檢察セシム、而シテ其渡錢ハ一定ノ額アリテ、渡子ノ増收ヲ禁ジ、優スルニ扶持米ヲ以テシタリ、若シ渡子ニシテ誤リテ渡船ヲ沈沒セシメ、溺死セシムルトキハ、多クハ之ヲ遠島ニ處シ、時ニ或ハ死罪ニ行ハシムルコトアリキ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈十道路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0352 濟 爾雅注云、濟、〈子禮反、和名和太利、〉渡處也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈三道路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0352 濟此言和多利、仲哀紀有向津野大濟、籠野大濟、神功紀有瀬田濟、仁徳紀有

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 考羅濟、難波濟、萬葉集有狹野乃渡、古今集有淀渡、今俗呼渡場(○○)、〈◯中略〉按説文、濟水出常山房子賛皇山、以爲濟渡字、蓋假借、

〔爾雅註疏〕

〈七釋水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 濟有深渉、註、〈謂濟渡之處、〉〈濟、子細切、〉深則厲、淺則掲、掲者掲衣也、註、〈謂裳也、〉〈掲上二字音憩、下丘竭切〉以衣渉水爲、〈註、衣謂褌、〉繇膝以下爲掲、繇膝以上爲渉、繇帶以上爲厲、註、〈繇自也、〉〈繇音由、上時掌反、〉

〔類聚名義抄〕

〈五水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f75d.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520bd.gif 〈三俗、音霽、ワタル、〉 濟〈正、ワタル、〉 渡〈音度 ワタリ ワタル〉

〔伊呂波字類抄〕

〈和地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 濟〈ワタス ワタリ〉 渡 泊〈已上同〉

〔字鏡集〕

〈三水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 濟(サイ)〈http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f75d.gif 同、濟同、泲同、ワタリフ子セム、ワタル〉 渡(ト)〈ワタル〉

〔易林本節用集〕

〈和乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 渡(ワタリ)〈舟 橋〉

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 渡(ワタリ/ワタシ)〈説文、小津也、〉路津(同)〈日本紀〉

〔段注説文解字〕

〈十一上水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 渡濟也〈上文濟篆下無此義、此補見邶風、傳曰、濟、渡也、方言曰、過度謂之渉濟、凡過其處皆曰渡、假借多作度、天體三百六十五度、謂所過者三百六十五也、〉从水度聲、〈徒故切、五部、〉

〔令集解〕

〈四職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 民部省 津濟〈古記云、上子鄰反、論語使子路問一レ津焉、鄭玄曰、津濟渡處也、下子梯反、尚書、予往泉女奭其濟、孔安國曰、濟、渡也、凡泊處謂津、渡處謂之濟、此記可求、〉

〔東雅〕

〈三地輿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 津 河にもあれ海にもあれ、水を渡るべき、皆わたりといふ、即渡なり、其義のごときは不詳、

〔倭訓栞〕

〈前編四十二和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 わたり 濟をよめり、渡す所なり、〈◯中略〉そのわたり、難波わたりなどいふは、あたりに同じ、

〔倭訓栞〕

〈中編二十九和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 わたる 渡をよめり、回到の義なるべし、亘も彌も同じ、わたすは彼よりいふ詞なり、

〔古事記傳〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0353 渡(ワタリ)とは、海にまれ川にまれ、渡行處(ワタリユクトコロ)を云、〈後世の歌などに、難波わたりといふとは異なり、〉万葉一〈二十六丁〉に、對馬(ツシマ)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 乃渡々中爾(ノワタリワタナカニ)云々、六〈四十五丁〉に泉川渡乎遠見(イヅミガハワタリヲトホミ)云々、此外も多し、凡て某(ソコ)渡と云は、皆此意なり、景行紀に、柏濟、吉備穴濟、向津野大濟、名籠屋大濟見え、又川には、仁徳紀に考羅濟などあり、又難波之大濟とも此記に見ゆ、〈高津宮段〉何れも海路に就ていふ名なり、

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 二十七年十二月、日本武尊、〈◯中略〉比難波、殺柏濟之惡神、〈濟、此云和多利、〉

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 四十六年三月乙亥朔、〈◯中略〉卓淳王〈◯中略〉謂久氐等曰、本聞東有貴國、〈◯日本、中略、〉若雖【路津】(ワタリ)、何以得達耶、

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354是大山守皇子、墮河而沒、〈◯中略〉時太子〈◯莬道稚郞子〉視其屍、歌之曰、智破揶臂等(チハヤビト)、于泥能和多利珥(ウヂノワタリニ)、【和多利涅】珥(ワタリデニ)、多氐屢(タテル)、阿豆瑳由瀰(アヅサユミ)、摩由彌(マユミ)、〈◯下略〉

〔釋日本紀〕

〈二十五和歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 和多利涅珥(ワタリデニ)〈渡得也〉

〔古事記〕

〈中應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 弟王〈◯莬道稚郞子〉歌曰、知波夜比登(チハヤビト)、宇遲能和多理邇(ウヂノワタリニ)、【和多理是】邇(ワタリゼニ)、

〔古事記傳〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 和多理是邇(ワタリゼニ)は渡瀬(ワタリゼ)になり、河にて彼方へ渡る處を云、万葉十二〈三十二丁〉に、倭路(ヤマトヂノ)、度瀬別(ワタリゼゴトニ)、十七〈四十九丁〉に、波比都奇能(ハヒツキノ)、可波能和多理瀬(カハノワタリゼ)などあり、渡る瀬ともよめり、〈わたると云は用言なるを、わたり瀬と云ば體言なり、〉是(ゼ)、書紀には涅(デ)とあり、〈涅は、万葉に、走出(ワシリデ)の堤、出立(イデタチ)の清きなぎさ、などある、出の意なるべし、契冲、渡出(ワタリデ)とは岸際を云べしと云り、〉

〔萬葉集〕

〈七譬喩歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354川 從此川(コノカハユ)、船可行(フネハユクベク)、雖在(アリトイヘド)、【渡瀬】別(ワタリセゴトニ)、守人有(モルヒトアルヲ)、

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 七夕 天漢(アマノガハ)、渡瀬深彌(ワタリセフカミ)、泛船而(フネウケテ)、棹來君之(コギクルキミガ)、檝之音所聞(カヂノトキコユ)、

〔萬葉集〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0354 新河郡〈◯越中〉渡延槻河時作歌一首 多知夜麻乃(タチヤマノ)、由吉之久良之毛(ユキシクラシモ)、波比都奇能(ハヒツキノ)、可波能【和多理瀬】(カハノワタリセ)、安夫美都加須毛(アブミツカスモ)、 右大伴宿禰家持作

〔新撰字鏡〕

〈水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 灘〈佗單反、平、和太世(○○○)、〉

〔倭訓栞〕

〈前編四十二和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 わたせ 渡り瀬の義也、歌にもよめり、新撰字鏡に灘をよめり、又かはらぐせともよめり、

〔延喜式〕

〈五十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 凡山城國泉河樺井渡瀬者、官長率東大寺工等、毎年九月上旬造假橋

〔堀河院御時百首和歌〕

〈秋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 霧 阿闍梨傳燈大法帥隆源 川ぎりにわたせもみえず遠近の岸に舟よぶ聲ばかりして

〔夫木和歌抄〕

〈二十四河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 弘安百首 常磐井入道太政大臣 かち人のわたせの波も道たえてにふのかはらの五月雨の比

〔秋の寢覺〕

〈下渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 夫木わたせ〈わたりぜなり〉

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 渡 わたるせ(○○○○)

〔萬葉集〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 婦負郡〈◯越中〉渡鸕坂河邊時作歌一首 宇佐可河泊(ウサカガハ)、和多流瀬於保美(ワタルセオホミ)、許乃安我馬乃(コノアガマノ)、安我枳乃美豆爾(アガキノミヅニ)、伎奴奴禮爾家里(キヌヌレニケリ)、

〔後撰和歌集〕

〈十九羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 ある人いやしき名とりて、遠江國へまかるとて、はつせ川を渡るとてよみ侍りける、 讀人しらず はつせ川渡る瀬さへや濁るらんよにすみ難き我身と思へば

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 七夕天漢(アマノガハ)、去歳【渡伐】(コゾノワタリバ)、遷閉者(ウツロヘバ)、河瀬於踏(カハセヲフムニ)、夜深去來(ヨゾフケニケル)、

〔萬葉集略解〕

〈十上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 わたりばのばは、場の意也、

〔利根川圖志〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0355 利根川の全流、凡七十餘里、〈◯中略〉武藏國葛飾郡栗橋御關所の前に至て、官渡(○○/ゴヨウワタシ)あり、房

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 川渡といふ、〈川幅凡三百間許、半里に准ず、〉

初見

〔古事記〕

〈中神武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 神倭伊波禮毘古命、〈◯中略〉從其國〈◯吉備〉上行之時、經浪速之渡(○○○○)而、泊青雲之白肩津

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 二十七年十二月、日本武尊、〈◯中略〉比難波、殺柏濟之惡神

種類/歩渡

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 渡 かち渡(○○○) かち人のわたれどぬれぬ あさきわたりせ

〔倭訓栞〕

〈中編四加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 かちわたり 渉字をよめり、歩渡の字も、西土の書に見えたり、

〔段注説文解字〕

〈十一下沝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520be.gif 徒行濿水也、〈濿各本作厲誤、濿或砯字也、砯本履石渡水之偁、引申爲凡渡水之偁、釋水曰、繇膝以上爲渉、毛傳同、許云、徒行者、以別於以車及方之舟一レ之也、許意詩所言掲厲皆徒行也、皆渉也、故字从歩、〉从沝歩〈會意、時攝切、八部、〉渉篆文从水、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520be.gif 徒行濿水也、〈濿各本作厲誤、濿或砯字也、砯本履石渡水之偁、引申爲凡渡水之偁、釋水曰、繇膝以上爲渉、毛傳同、許云、徒行者、以別於以車及方之舟一レ之也、許意詩所言掲厲皆徒行也、皆渉也、故字从歩、〉从沝歩〈會意、時攝切、八部、〉渉篆文从水、

〔論語〕

〈四述而〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也、〈(中略)馮、皮氷反、(中略)暴虎徒搏馮河徒渉(○○)、〉

〔爾雅註疏〕

〈七釋水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 濟有深渉(○)〈◯註略〉深則厲、淺則掲、掲者掲衣也、〈◯註略〉以衣渉水爲厲、〈◯註略〉繇膝以下爲掲、繇(○)膝以上爲(○○○○)渉(○)、繇帶以上爲厲、

〔段注説文解字〕

〈十一上水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 淜無舟渡河也、〈小雅傳曰、徒渉曰馮河、徒搏曰暴虎、爾雅釋訓、論語孔注同、淜正字、馮假借字、〉从水朋聲、〈皮http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001cf86.gif 切、六部、〉

〔伊勢物語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0356 昔男ありけり、その男伊勢の國に、かりのつかひにいきけるに、かの伊勢の齋宮なりける人のおや、つねの使よりは、此人よくいたはれといひやれりければ、親の事なりければ、いと念比にいたはりけり、〈◯中略〉國のかみいつきの宮のかみかけたる、かりのつかひ有ときヽて、夜ひとよ酒のみしければ、もはらあひごともえせで、あけばおはりの國へ立なんとすれば、男も人しれずちの泪をながせどもえあはず、夜やう〳〵あけなんとするほどに、女かたよりいだす盃のさらに、歌を書て出したり、取て見れば、 かち人のわたれどぬれぬえにしあれば、とかきて、すへはなし、その盃のさらに、つゐ松のすみして歌のすゑを書つく、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357 又あふさかの關はこへなん、とてあくれば、おはりの國へこえにけり、

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357 廿六日〈◯文明五年五月〉北川といふ川ばた水落す、法印、伊賀の住人におほせつけたるによりて、藤長などいふ者どもきたりて、こしをかたにかけてわたす(○○○○○○○○○○○○)、 いかヾせん此五月雨に北川のあさ瀬ふみ渡る人なかりせば、〈◯中略〉廿八日、菩提寺をたちて、上野小田寺など云所をとをる、たやまごえは、川の水いまだわたりがたかるべしとて、かさぎどをりにおもむく、島の原川といふ河をわたりて、 しまの原川せの浪のかちわたり(○○○○○)たやまごえをばよそになしつヽ

〔加越能山川記〕

〈能登〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357 近江川 尻川 近江川尻川は、能州羽咋郡にあり、常に歩渡なり(○○○○○○)、出水には必ず例の入川にて過あり、海際の砂川は、何方にても例の入物なり、〈◯中略〉此川少にても水出る時は、往來人の渉るを見て渉るべし、不案内成者度々過有、

〔播州名所巡覽圖繪〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357 明石川〈總門(明石城)の外にあり、川中二町餘、かち渡り(○○○○)有、源は三木郡に出て、上に衣川二越の名あり、〉

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357 七夕 天河(アマノガハ)、【足沾渡】(アヌラシワタリ)、君之手毛(キミガテモ)、未枕者(イマダマカネバ)、夜之深去良久(ヨノフケヌラク)、

〔萬葉集略解〕

〈十上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357 彦星の歩渡せし意也

〔後撰和歌集〕

〈十七雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357 人のもとに文遣はしける男、人に見せけりときヽてつかはしける、 讀人しらず 皆人にふみみせけりなみなせ川其わたりこそまづは淺けれ

〔散木弃謌集〕

〈九雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0357躬恥運雜歌百首 沙彌能貪上 しみこほる諏訪のとなかのかちわたりうちとけられぬ世にもふるかな

〔夫木和歌抄〕

〈二十四河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 馬 信實朝臣 かちわたりやすの河よど行こまになみもせごしの五月雨の比

〔松葉名所和歌集〕

〈八於〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 大井河 山城〈藻鹽ニ葛野郡、遠江ニ有同名、〉 隆祐 大ゐ川おりゐる鷺の立跡をあさせと見つヽ渡るかち人(○○○○○)

船渡

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 船歩(フナワタリ)〈活法、嶺南謂水津歩、船歩則渡船之處、又出代酔、〉

〔柳文〕

〈二十八記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 永州錢爐歩志 江之滸、凡舟可縻而上下者曰歩、永州北郭有歩、曰鐵爐歩、余乘舟來居九年、往來求其所以爲鐵爐有、問之人曰、蓋嘗有鍛鐵者居、其人去而爐毀者、不年矣、獨有其號冒而存、余曰、嘻世固有事去名存、而冒焉若是耶、

〔源氏物語〕

〈四十六椎本〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 宰相〈◯薫〉は、かヽるたよりをすぐさず、かの宮にまうでばやとおぼせど、あまたの人めをよぎて、ひとり漕出給はん舟わたりの程も、かろらかにやと思ひやすらひ給ふ程に、かれ〈◯八宮〉より御ふみあり、

〔源氏物語〕

〈四十七角總〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 廿六日、ひがむのはてにてよき日なりければ、人しれず心づかひして、いみじくしのびてゐて奉る、きさいの宮〈◯明石中宮〉などきこしめしいでヽは、かヽる御ありきいみじくせいし聞え給へば、いとわづらはしきを、せちにおぼしたることなれば、さりげなくともてあつかふもわりなくなん、舟渡りなども所せければ、こと〴〵しき御やどりなどもかり給はず、そのわたりいとちかきみさうの人の家に、いと忍びて宮〈◯匂〉をばおろしたてまつり給ておはしぬ、

〔源氏物語〕

〈四十九寄生〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 いづみ河の舟わたりも、まことにけふは、いとおそろしうこそありつれ、

〔河海抄〕

〈十八宿木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 造舟〈フナワタシ〉 文選第二

〔爾雅註疏〕

〈七釋水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0358 天子造舟、註、〈比船爲橋〉〈造、七到切、〉諸侯維舟、註〈維連四船、〉大夫方舟註、〈併兩船、〉士特舟、註、〈單〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 〈船庶人乘泭、註、併木以渡、〉〈泭、音桴、〉疏〈此釋尊卑橋船之異制也、(中略)維舟以下、則水上浮而行、但船有多少、爲等差耳、〉

〔段注説文解字〕

〈十一上水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 泭編木以渡也、〈周南、江之永矣、不方思、傳曰、方、泭也、即釋言之舫泭也、爾雅字多從俗耳、釋水曰、大夫方舟、士特舟、庶人乘泭、方言曰、泭、謂http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001ab96.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f4c8.gif之筏、筏秦晉之通語也、廣韵曰、大曰http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f4c8.gif 、曰筏、小曰泭按論語、乘桴于海、假桴爲泭也、凡竹木蘆葦、皆可編爲一レ之、今江蘇四川之語曰http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001ab96.gif 、〉从水付聲、〈芳無切、古音在四部、〉

〔玉篇〕

〈十八舟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 舫〈甫望反、爾雅、舫、舟也、郭璞曰、併兩舟也、又曰、舫柎也、郭璞曰、水中箄筏也、説文、舫船師也、明堂月令曰、舫人習水者也、野王案、説文以方舟之舫方字、在方部、〉

〔同〕

〈十八方〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 方〈甫芒反、(中略)毛詩、江之永、不方思、傳曰、方柎也、野王案、柎編木以渡水也、(中略)説文、方併船也、象兩舟、〉汸〈説文亦方字也、野王案、此汸謂http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520bf.gif 也、併船也、〉http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520c0.gif 〈何唐反、説文方舟也、天子造舟、諸侯維舟、大夫方舟、士特舟、字書或爲航、字佐舟部也、〉

〔續日本後紀〕

〈十仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 承和八年四月庚申、從四位下百濟王慶仲卒、〈◯中略〉嘗自東國都、路到渡頭爭(○○○)船處(○○)、有桀黠人、率黨而來、驅遂諸人、不倶渡、諸人畏之、不敢抗論、慶仲一揚鞭打之、額皮剥垂而覆面、惑而仆伏、其黨亦退、諸人大悦、棹舟競渡、

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 笠置川をば舟にてわたる、ならよりむかへのもの、きたるによりて、いがのをくりをば、これより返しぬ、

〔覽富士記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 くゐせ川わたるとて 夕されば霧たど〳〵し河の名くゐせもとめて舟やつながん

〔正廣日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 十五日〈◯文明五年八月〉大江といふ所より舟にのり、いらごのわたりとて、すさまじき所をこし侍るに、こよひは十五夜なりけり、

〔北國紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 初秋の比、〈◯文明十九年〉よぶかき道をくるに、入間の舟渡りまで見送る人、あまた侍りしに、角田川の朝ぎり、いづこをほとりともしらず、

〔信長公記〕

〈首〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 五月〈◯永祿四年〉十三日、木曾川飛騨川之大河、舟渡し三つこさせられ、西美濃へ御働、其日はかち村に御陣取、

〔名所方角抄〕

〈山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0359 京邊土名所 西分

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 梅津川 里 渡〈◯中略〉松の尾よりは東なり、此川舟渡し、

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 七夕 天漢(アマノガハ)、水左閉而照(ミヅサヘニテル)、【舟竟】(フナワタリ)、舟人(フネコグヒトニ)、妹等所見寸哉(イモトミエキヤ)、

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 西行上人 霧ふかきこがのわたりのわたしもりきしのふなつき(○○○○○○○)思ひさだめよ

〔新撰六帖〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 河 行家 はや河のせぎりあやうき舟わたりそがひにむかへ道とほくとも

綱渡

〔倭訓栞〕

〈中編十五都〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 つなわたし 兩岸に綱を亘し船を通はすを云駿州富士川、播州西の川などの如し、楊升菴も立兩戕兩岸中、以繩組之、循繩而渡といへり、

〔松葉名所和歌集〕

〈十不〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 船岡渡 二條院 舟岡のとほき渡に子日してつなでに野べの松や引らん

〔梅花無盡藏〕

〈三上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 戊申〈◯中略〉十一日、出柿崎、大半濱路、黒井中濱之間有河、兩岸插柱張大綱、渡者皆轉手而遣舟、號曰【轉】(クリ)【舟】、兩岸立株張大綱、大綱轉手遣舟忙、便楫誰資始、時有歸鴉笑俶裝

〔伊勢參宮名所圖會〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 三津浦〈又三津の入江、三津の濱とも云、〉舟わたし有、爰を引舟のわたし(○○○○○○)といふ、〈俗にくり舟といふ、二見郷三津村の南の方にあり、〉

〔尾張名所圖會後編〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 入鹿拷船(イルカノタグリブネ) つる〳〵と秋のいそぎやたぐり船(○○○○) 五條坊

〔播州名所巡覽圖會〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0360 龍野川〈鎭城の東にあり〉 川上は宍粟郡に流を合せて、龍野を經て海に達す、綱渡あり、

〔遊囊賸記〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 錦帶橋、〈◯中略〉御座川ノ末、錦川ニカヽル、〈◯中略〉下流ニ船渡アリ、綱ヲ兩岸ニ曳渡シテ、是ヲ栲リテ渡ル、

〔倭訓栞〕

〈中編二十九和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 わたしぶね 野航をよめり、〈◯中略〉人をわたす船なり、

〔和漢三才圖會〕

〈三十四船橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 野航 三才圖會云、野航、田家小渡船也、如村野之間無橋處、此以便往來、可人畜一二、但於(○○)渡水兩傍(○○○○)、以(○)竹草之索(○○○○)、掣(○)索(○)、即抵(○○)彼岸(○○)

〔杜律七言集解〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 南鄰〈◯中略〉 秋水纔深四五尺、野航恰受兩三人、

籠渡

〔鹽尻〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 一縣度出前漢書〈九十六〉西域傳上、師古註曰、縣綱而度也、我邦山中亦有之、綱ノ渡リ也、〈賢按、飛騨國籠渡(○○)有り、〉

〔漢書〕

〈九十六西域〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 烏秅國王、治烏秅城、去長安九千九百五十里、〈◯中略〉有縣度、〈師古曰、縣繩而度也、〉去陽關五千八百八十八里、去都護治所五千二十里、縣度者、石山也、谿谷不通、以繩索相引而度云、

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 久安百首〈かごのわたり伊勢尾張と中也〉 前大納言隆季卿 うちはへてかごのわたりにひくつなの行ゑはきみにまかせたらなん ◯按ズルニ、上野圖書館ニ藏スル所ノ、故榊原芳野納本夫木和歌抄ノ注ニ、師説、〈◯清水濱臣〉是は越と飛騨との境の蟹寺川の籠の渡り成べし、次の歌の左注にも、こしの方に修行しありきてとありトアリ、

〔未木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0361 大僧正快修 身をすてヽかごの渡をせしときも君ばかりこそわすれざりしか 此歌はこしのかたに修行しありきて、歸てのち、もとあそびけるわらはのもとへ遣けると云

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0362 云、

〔視聽草〕

〈五集六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0362 飛騨國白河籠之渡 此河廣さ六七十間も有べし、其傍の岩の鼻より、獮猴藤(シデフヂ)を一筋、向の岸まで引渡し、一ツの輪を造りて其中に人を乘せ、能とりつかせ置、細き繩にて川の向へ引渡すなり、此河淵高く、渦卷く水青く、詞に盡しがたき危難の所なり、此渡籠を引寄するに二ツの名あり、上人引(○○○)といふは、そろ〳〵と引、代官引(○○○)と云は強く引なり、引やうにより、殊の外ゆれて危く覺ふ、偖引渡しを藤の中程にて、たはみたる所より水際まで、十間ほどもあるべし、輪の中にて、ふと手を放す時は、底も知らぬ淵へ落て死す、越中へ行に此所を渡れば甚近し、廻り道をすれば七日路のちがひなりといふ、籠のわたしの詠はあまた有ながら、句々の始末をわすれしに、今その耳に殘りたるをしるす、 汗こほる籠のわたしや夢ごヽろ 〈いせ〉八菊 蜘蛛の振舞するや籠わたし 〈金澤や〉素心 籠のわたし汗は我乳のあたりにも 〈富山〉麻父 若葉にも千尋のかげや籠渉 〈東武〉主芳 かごのわたし右左から笑ふ山 〈高山〉滄淵

〔閑田耕筆〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0362 飛騨の人田中記文といふが訪來て、其國の藤ばし、かごのわたりのことをかたり、且記せるものを示さる、〈◯中略〉籃(カゴ)のわたりは、古城郡中山村に在て神通川に架す、〈◯中略〉籃渡とは橋にあらず、西域傳にいへる度索といふもの歟、其地兩崕絶壁にして、河の流れいちはやく、水に航すべからず、岸に橋すべからず、故に大索三筋を張て岸に架し、懸るに小籃をもてし、人其中にうづくまるを、籃に兩索ありて、前岸曳之、後岸送之、南北より相助、からうじて渡る、土人は男女をいはず、手をもてみづから索をたぐりて、たやすく行かひすること神のごとし、籃は木を揉めて幹と

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0363 し、底は藤をもてめぐらし、編こと蜘のあみを結ぶがごとし、三の大索、月毎に一筋を更るといふ、其往來のしげきこと知るべし、飛騨より越中に行道あまたあれど、此道便なればとかや、此餘椿原荻町、共に此國大野郡にして、此籃もて度ること同じ、荻町は其地ことに險隘、其河渡駛、しかも東岸高く、西卑ければ、階梯をたてヽ、登りて籃に就、椿原は是よりも猶危しとぞ、記者中山を賦せる古詩の歌體長篇あれど、事繁ければ洩しぬ、いにしへ衣笠内府の御詠とて、其所につたふるは、徒にやすく過來ぬ山藤のかごのわたりもあれば有物を、おのれにも歌をこはれて、とみに口ずさむ、 波分しまなし堅間のふることも斐太にありてふ渡りにぞ思ふ

〔稻葉集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0363 同じ國同じ郡同じ郷〈◯飛騨國吉城郡高原郷〉中山村より越中國蟹寺村にこゆる所の神通川といふに綱引はへて、籠にて引わたすを、かごのわたりといふとぞ 神の代の目なしかたまの小船すら水なき空をわたりやはせし 見るだにもあやふきものをのるかごのめもくるめかず渡る里人

〔加越能山川記〕

〈越中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0363 庄川 莊川は礪波郡に在、〈◯中略〉凡この莊川は、飛越兩國にて二十瀬計谷々落る、又五ケ山東西の間、大川筋籠の渡し七ケ所あり、曾山村、奧津島村、猪谷村、田向村、細島村、中田村、渡るもの、籠の外渡る事ならず鳥ならで翔がたし、

〔二十四輩順拜圖會〕

〈三越中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0363 此所〈◯人形山〉美濃、飛騨、越中三ケ國の境にして、嶮山並び聳、いふばかりなき難所也、其中にいとも高く秀たる峻嶺を五箇山といふ、此嶮山の中に大河あり、雄神川(○○○)といへり、〈◯中略〉不通の大河にして、しかも兩方の岸高く聳、屏風を立たるがごとし、渡りの橋を設くる便なし、藤蔓を以て其太さ二尺廻りの大綱を作り、川の兩岸に引渡し、ひとつの籠を彼大綱にかけて、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_3_0364_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_3_0365_001.gif

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0366 纔に往來の便とす、しかれども絶壁高くして、藤綱は數十丈の上に有故に、此大綱より梯子を河端に釣さげ、河を渡らんとする人は、先此梯子を逆上るに、大綱たはみ梯子ゆらめき、川風山颪などに吹漂され、西に東に打なびきたるは、誠に蜘の糸をのぼるがごとく、危き事限りなし、辛ふじて上なる大綱に取付て、彼籠の中へ身を納め、扨登りし梯子を離るヽや否や、身の重みに大綱たはみ、矢を射ごとく三四十間落下りて、大綱の眞中に鎭(しづ)と成り、動搖震ふ事尤甚し、此時眼くるめき魂消へ、殆ど人事を忘却す、實に天下第一の行路難、蜀の棧道、木曾の掛橋はいふにも足らず、人傳の物語りに聞さへ冷敷に、此所に生立し土人は、常の事に習ひて、さは恐しからぬにや、米などを脊に負ながら、此藤梯子をのぼり、難なく向ふの岸へ通ふよし、都の人の夢にだに爲すべき業にはあらず、扨それより手藤(てふぢ)といふ細き藤綱を大綱へ打かけ、ひたすらたぐり登るに、やヽもすれば氣勞れ腕弱りて、此手藤を大綱へ掛損じ、忽ち後さまに舊の眞中へ戻る事多しとかや、此川筋に籠の渉り十一ケ所有といへども、此五箇山のわたりなん、河幅八十間に餘り、大綱も高く半空にかヽり、渡り難所なり、〈◯下略〉

〔和爾雅〕

〈一下地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0366 加賀國 籠渡(カゴノワタリ)

〔松葉名所和歌集〕

〈四加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0366 籠渡 加賀

〔名所方角抄〕

〈加賀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0366 白山 嶺 籠の渡(○○○) 白山の中宮に有と云々、此山越前にかヽりたる大山也、

〔國花萬葉記〕

〈十二加賀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0366 籠の渡 是白山の中宮に有といへり、徒にやすくも過ぬ山伏のかごの渡もあればあるよに、

〔加越能山川記〕

〈加賀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0366 手取川 手取川は、能美郡石川郡の間にあり、〈◯中略〉此川〈◯中略〉白山の頂より西海までは凡廿五里程あり、大河故所々渡舟あり、漛、粟生、燈臺、笹、和佐吉、廣瀬、上野、六ケ所なり、植橋、山内、吉野、佐良、渇澄、中宮、尾添

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 籠の渡シ六ケ所在、凡此川、中島村邊より中宮村まで、道程七八里の間、西岸不殘巖石屏風を立たるごとくにて、川幅僅に依て四五十間に過ざれども、四時不案内の者、歩渡成ざる川なり、

〔増補地名便覽〕

〈加賀名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 籠(カゴノ)渡 白山の中宮にあり

〔撰集抄〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 敵有男山伏笈中入助事 おなじころ〈◯治承〉こしの方へ修行し侍りしに、〈◯中略〉かごの渡りに、今すこしゆきつかで、山のきはに僧一人、おとこ一人侍り、〈◯中略〉此山伏の笈の中に、此人〈◯男一人〉をかくし入て、ふたりうちともなひて道を過侍るに、太刀はき弓持たるおのこども、十餘人あつまりて、過つるかたに、しか〴〵の男や侍りつるとたづね侍りしに、此山伏いさヽかもさはがず、さる人はんべりき、此わたりをせんとありつるが、敵の侍とかや、つぐる人侍りとて、又越後へとてこそ、おもむき侍りしかといふ事を聞て、こは打にがしけるぞや、又いざおはんとて、馬にのり、ぶちをうつて、はせ過にけり、扨かれはからくして命をたすかりて、越中國につき侍りぬ、

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 かごのわたり 衣笠内大臣 いたづらにやすく過きぬ山ぶしのかごのわたりもあればあるよに

〔金槐和歌集〕

〈戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 戀のうた 我戀はかごのわたりの綱手なはたゆたふ心やむ時もなし

〔國花萬葉記〕

〈十一陸奥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 とづなの橋(○○○○○) 名景は、つなばしのよしよめり、

〔千載和歌集〕

〈十二戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 百首歌奉りける時、戀の歌とてよめる、 前參議親隆 みちのくのとづなのはしにくるつなのたえずも人にいひ渡るかな

〔夫木和歌集〕

〈二十一橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0367 家集〈とづなのはし陸奥〉 從二位家隆卿 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0368 あづまぢやとづなの橋もうちはへていくへの雪の下にくつらし

〔新拾遺和歌集〕

〈十九雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0368橋述懷を 藤原宗遠 東路のとづなのはしのくるしとも思ひしらでや世を渡るらん ◯按ズルニ、綱橋ハ即チ籠渡ナリ、猶ホ綱橋ノ事ハ橋梁篇ニ詳ナレバ參看スベシ、

制度

〔令義解〕

〈一職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0368 民部省 卿一人、〈掌諸國戸口名籍、〈◯中略〉家人奴婢、〈謂既非平民、故別顯、其道橋以下、藪澤以上、唯據地圖、知其形界於撿勘、不更關渉、〉橋道、津濟(○○)、渠池、山川、藪澤、諸國田事、〉 攝津職〈帶津國〉 大夫一人、〈掌祠社、〈◯中略〉道橋、津濟(○○)、過所、上下公使、郵驛、傳馬、闌遺雜物、撿挍舟具、及寺、僧尼名籍事、〉

〔延喜式〕

〈五十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0368 凡山城國泉河樺井渡瀬(○○)者、官長率東大寺工等、毎年九月上旬造假橋、來年三月下旬壞收、其用度以除帳得度田地子稻一百束之、

〔孟子〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0368 歳十一月徒杠成、十二月輿梁成、民未渉也、〈杠音江、杠方橋也、徒杠可徒行者、梁亦橋也、輿梁可車輿者、周十一月、夏九月也、周十二月、夏十月也、夏令曰、十月成梁、蓋農功已畢、可民力、又時將寒冱、水有橋梁、則民不於徒渉、亦王政之一事也、〉

〔吾妻鏡〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0368 建保三年二月十八日丁未、仰諸國關渡地頭、可旅人之煩、但如船賃用途者、五料田可募其替云云、

〔新熊野文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0368 若王子領、攝津國兵庫下莊年貢米二百石、并雜具運送云々、海河上諸關渡(○○○)無其煩、如先先勘過之由、所仰下也、仍下知如件、 永享十年十月廿九日 大和守三善朝臣判 加賀守三善朝臣判

〔朝野舊聞裒稿〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0368 遠州天龍池田渡舟之事

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0369 一河上河下、雖何之知行、地形於然地、船可通用之事、 一棟別參拾五間、寺方共に此屋敷分扶持之出置、並拾二座ニ付役等、竹木不伐取之事、 一於分國中、夏秋兩度、升を入、致勸進之、申上之間、可先規事、 右條々有河原、晝夜令奉公之條、停止諸役永爲不入免許畢、然者彼拾人之者共、爲雜色進上者、聊不非分、於此旨者、急度申出之上、可下知者也、仍如件、 天正元癸酉年 十一月十一日 家康〈御直御判〉船守中

〔舟橋方古書寫〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0369 神通川〈◯越中〉ニ付、古來之書物之寫、左之品々、町吟味所ニ有之候事、 掟 富山渉 一渉賃、諸百姓、諸被官、商人以下、不權門、如先規取事、 一船ニ不大乘事 付夜舟ヲ聊爾ニ不越事 一爲出船テ不返事 右之趣於相背輩者、速可嚴科者也、御掟如件、 天正八年十一月日 佐々内藏之助書判 知行方 山室之内 中市村

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0370 山室之内 江口村 參百拾俵者 貳百貳拾六俵壹斗六升者 合五百參拾六俵壹斗六升 右之分宛行者也 天正拾三〈閏〉八月十三日 佐々内藏之助印 神通川 舟頭中

〔武家嚴制録〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0370 關原御陣中御條目〈◯中略〉 一舟渡之義、他之備ニ不交、一手越たるべし、夫馬以下同前之事、〈◯中略〉 右條々、若違背之輩於之者、忽可罪科者也、仍如件、 慶長五年七月日 御上洛之時御條目之部 條々〈◯中略〉 一舟渡山坂において、不混雜様に先次第相越べし、小荷駄は右之方を通すべし(○○○○○○○○○○○○)、但山坂にては、山之方江つけて可之、其所之番の者任差圖、不混雜通之、猥之輩可曲事事、〈◯中略〉 右條々可守之、萬一違犯之輩有之者、六人の内、番頭并目付之當番、可上之、隨科之輕重、或死罪流罪改易、或可過怠者也、 寛永十一年六月十八日

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0371 御黒印

〔享保集成絲綸録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0371 寛文三卯年五月 武家諸法度 一道路驛馬舟梁等無斷絶、不往還之停滯事、〈◯中略〉 一萬事應江戸之法度、於國々所々行之事、 右條々、准當家〈◯徳川氏〉先制之旨、今度潤色而定之訖、堅可相守者也、 寛文三卯年五月廿三日 御朱印

〔大成令〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0371 元和二辰年八月 定船場之事 白井渡 廐橋 五料 一本木 葛和田 河俣 古川 房川渡 栗橋 七里ケ渡 關宿之内〈大船渡境〉根府川 神崎 小見川 松戸 市川 一定船場之外、わき〳〵にて、みだりに往還之者渡べからざる事、 一女人、手負、其外不審成もの、いづれ之船場にても留置、早々至江戸申上、但酒井備後守手形於之は、無異儀通事、 一隣郷里かよひのものは、前々之船渡をも可渡、其外女人手負之外不苦者は、其所之給人又は代官之手判を以可相渡事、 一酒井備後守手形雖之、本船場之外は、女人手負、又不審成者は、一切不通事、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0372 一總別江戸江相越もの、あらたむべからざる事、 右條々於相背族は、可嚴科者也、 元和二年八月日 對馬守 大炊守 備後守 上野介 雅樂頭

〔徳川禁令考〕

〈三十五渡船場〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0372 寛永八未年四月廿一日 渡船場法度 覺 一手負并女、其外不審なる者を、手形なくして、一切越べからず、若猥ニ相渡るニおゐてハ、縱後日ニ聞候共、其番之者之事ハ不沙汰、〈原註令條ニハ、船頭船宿之事ハ、不沙汰ニ作ル、〉一在所之者迄可曲事、欠落之者を捕差上候ハヾ、其人により御褒美之高下有之而、急度可之、自然禮物を出し可渡と申族有之バ、捕置可申上、金銀米錢何にても、其約束之一倍可下者也、 寛永八未年九月廿一日

〔徳川禁令考〕

〈五十二高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0372 寛文五巳年九月 阿部川大井川之高札 條々 一洪水之節、水之瀬深にしたがひ、其時々問屋方にて、川越錢(○○○)を定可之、みだりに申かけ、多く取べからざる事、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0373 一當町の外、他所より罷出る川越のものも、問屋相定、川越之もの入時ハ、川ばたに番之者を付、可相改之事、 右條々、於違背者、雖後日相聞、穿鑿之上、可嚴科候也、 寛文五年九月日

〔徳川禁令考〕

〈三十五渡船場〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0373 寛文六酉年六月廿二日 船渡場高札 定 一從前々有來渡船、無懈怠之、晝夜不相滯様ニ可勤之事、 一往還之輩、繁多之時は、不殘船を出し、人馬荷物等、入情可之、奉公人之外、船賃を出す輩江猥ニ申懸、御定之外、賃錢多く取べからざる事、 一荷物付ながら、馬を船へのすべからざる事、 右條々於違輩は、後日ニ相聞といふとも、御穿鑿之上、可嚴科者也、 寛文六年六月廿二日 奉行

〔大成令〕

〈四高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0373 馬入川高札 條々 一役船如前々彌無懈怠之、晝夜可相勤事、 一往還人多時はよせ船を出し、人馬荷物等無滯入精可之、奉公人之外、船賃出ス輩より、人壹人十文荷物壹駄貳拾貳文、乘掛荷は十六文可之、此定之外賃錢多不取事、 一荷物附ながら、馬を船にのすべからざる事、 右之條々於違背は、後日相聞といふとも、穿鑿之上、可嚴科者也、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0374 元祿三〈午〉五月 奉行

〔大成令〕

〈四高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0374 富士川高札 條々 一役船如前々彌無懈怠之、晝夜可相勤事、 一往還人多キ時は、よせ船を出し、人馬荷物等無滯入精可之、奉公人之外、船賃出ス輩より、人壹人十六文、荷物壹駄三十文、乘掛荷は拾九文可之、此定之外、賃錢多取べからざる事、 一荷物附ながら、馬を船にのすべからざる事、 右條々於違背者、後日相聞といふとも、穿鑿之上、可嚴科者也、 寶永四亥年七月 奉行

〔大成令〕

〈四高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0374 天龍川高札 條々 一役船如前々彌無懈怠之、晝夜可相勤事、 一往還人多キ時は、よせ船を出し、人馬荷物等無滯入精可之、奉公人之外、船賃出ス輩より、人壹人拾貳文、荷物壹駄三十文、乘掛荷は十九文可之、此定之外、賃錢おほく取べからざる事、 一荷物附ながら、馬を船に乘すべからざる事、 右條々於違背者、後日に相聞といふとも、穿鑿之上、可嚴科者也、 寶永四亥年七月 奉行

〔大成令〕

〈四高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0374 六郷渡場之高札 一役船如相定、無懈怠之、晝夜可相勤事、 一往還人多キ時は、よせ船を出し、人馬荷物等無滯入精可之、奉公人之外、船賃出ス輩より、人壹

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0375 人ニ拾文、本荷物壹駄口附共ニ拾五文、輕尻馬壹疋口附共ニ拾貳文可之、此定之外、賃錢おほく取べからざる事、 一荷物附ながら、馬を船に乘すべからざる事、 右之條々於違背者、後日相聞といふとも、穿鑿之上、可嚴科者也、 寶永六年巳三月 奉行

〔徳川禁令考〕

〈五十二諸法度〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0375 享和三亥年三月 川越之儀ニ付御書付 大炊頭殿御渡 御勘定奉行江 道中川筋出水ニ而、川留有之候節、前後宿々逗留之面々川明候得バ、一統落合、越立方差急候故、及混雜、品ニより候而、不束之儀等も有之間敷とも難申、左候而ハ、各不安心之事ニ有之、混雜ニ及候得バ、却而越立方も延引ニ及び候、畢竟先を爭候故之儀と、如何の事ニ候、旣享保年中相觸候通、參勤交替之面々、一日三人程ヅヽ不落合様、旅行可致事ニ候得ば、川場之儀ハ、別而其心得可之様ニ候條、以來御用道中之外ハ、彌前宿泊到著順を以、川役人取計、順々越立有之候様申渡候間、其旨相心得、銘々家來下々ニ至まで、心得違無之様、堅く可申付候、尤爲改其所之支配々々より、出役之者差出、相改ニ而可之候、猶心得方之儀ハ、道中奉行可相談候、 三月 右之通相觸候間、可其意候、

渡守

〔倭名類聚抄〕

〈二微賤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0375 渉人 文選江賦云、渉人於是檥榜、〈檥、正也、和名佐乎、〉日本紀云、渡子、〈和名和太之毛利〉一云、〈和太利毛利〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一男女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0375佐乎者、依船櫂之義、則和名上恐脱榜字、〈◯中略〉度子見仁徳即位前紀、渡子見孝徳大化二年紀、按、渡子出釋氏稽古略、按、説文、渡濟也、度法制也、二字不同、作渡正字、作度假借

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 廣本作和名和多之毛利、一云和太利毛利、按、和多之毛利、見古今集、伊勢物語、空物語、和多理母理、見萬葉集、則二語雖兩通、然本書居處部、濟訓和多利、則和多利毛利爲古、廣本互誤、今本仁徳紀無傍訓、孝徳紀傍訓和多之毛利、亦非、當此所引私記改正

〔類聚名義抄〕

〈五水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 渡子〈ワタリモリ、ワタシモリ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈和人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 渡子〈ワタシモリ、ワタリモリ、〉 渡〈ワタリモリ、ワタシモリ、已上同、〉

〔運歩色葉集〕

〈和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 渡守(ワタシモリ)

〔書言字考節用集〕

〈四人倫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 津吏(ワタシモリ) 渉人(同) 渡守(同)〈俗字〉

〔倭訓栞〕

〈前編四十二和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 わたしもり 源氏、伊勢物語に見ゆ、渉人をいふ、日本紀、倭名抄に渡子をよめり、萬葉集にわたりもりと見ゆ、

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 渡 ひろせ河わたりのおさ(○○○○○○)

〔源氏物語〕

〈四十五橋姬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0376 あやしき舟どもに柴かりつみ、をの〳〵なにとなき世のいとなみどもに行かふさまどもの、はかなき水のうへにうかびたる、たれも思へばおなじことなるよのつねなさなり、われ〈◯薫〉は、うかばず、たまのうてなに、しづけき身と思ふべき世かはと、思つヾけらる、硯めしてあなたにきこえ給、 はし姫の心をくみてたかせさすさほのしづくに袖ぞぬれぬる、ながめ給らんかしとて、殿ゐ人にもたせたまへり、さむげにいらヽぎたるかほしてもて參る、御返かみのかなど、おぼろげならんははづかしげなるを、ときをこそはかヽるをりはとて、 さしかへる宇治の川おさ(○○○○○○)あさ夕の雫や袖をくだしはつらん、身さへうきてといとおかしげにかき給へり、

〔新撰六帖〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 あじろ 行家 ひをのぼる瀬々のあじろにことよせてわたりすヽむる宇治の川長(○○○○○○○○○○○○)

〔日本書紀〕

〈二十五孝徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 大化二年三月甲申、詔曰、〈◯中略〉罷市司、要路、津濟【渡子】(ワタシモリ)之調賦、給與田地

〔令義解〕

〈十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 凡要路津濟、〈謂不必大路、當人往來、有要便者皆是也、〉不渉渡之處、皆置船運渡、〈◯中略〉國郡官司撿挍、及差人夫、充其度子(○○)、〈謂以雜徭差配〉

〔日本後紀〕

〈八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 延暦十八年十二月癸酉、勅、山城國葛野川、近在都下、毎洪水、不徒渉、大寒之節、人馬共凍、來往之徒、公私同苦、宜楓佐比二渡、各置度子、以省民苦

〔雍州府志〕

〈三神社〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 葛野郡 松尾神社 弘仁六年二月朔、詔、大井川渡口、准先例、渡船二艘、以可松尾神用、同九月五日、神官告官、移居松尾土人等于神野里、爲黄頭郞(○○○)、渡人令舟錢、其衣食料、分與神税之、

〔前漢書〕

〈九十三鄧通傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 鄧通、蜀郡安南人也、以船爲黄頭郞、〈師古曰、濯船、能持櫂行船也、土勝水其色黄、故刺船之郞、皆著黄帽、因號曰黄頭郞也、濯讀曰櫂、音直孝反、〉

〔享祿本類聚三代格〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0377 太政官符 應食徭丁事 四度使雜掌厮丁、〈◯中略〉傳使厨人、并驛子、及傳馬丁、渡子等、〈◯中略〉 右可役之丁、或本自有格、或臨事可處、仍不人數、宜商量行一レ之、 以前得伊賀近江等諸國解偁、案太政官去七月廿九日下五畿内七道諸國偁、案今月廿八日詔旨、免天下百姓徭、事不已可公役者給食者、仍可粮法、人別日米一升、其料宛用正税者、謹依符旨、可役色目、勘定言上者、撿其解文、或不役而濫言、或可役而漏不言、彼此參差、多言人數、事乖公平、理不然、被右大臣宣偁、宜諸國一同依件下知、若有此之外不得止必可役者、宜言上聽一レ裁、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 弘仁十三年閏九月廿日

〔三代實録〕

〈十六清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 貞觀十一年二月廿三日辛亥、詔、加賀國比樂河、置半輸渡子(○○○○)二十五人

〔醍醐寺縁起〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 同〈◯延喜〉六年、〈◯中略〉於金峯山立堂、并造居高六尺金色如意輪觀音、〈◯中略〉金峯山要路吉野川邊船、申置渡子徭丁(○○○○)六人、 ◯按ズルニ、大寶ノ制、度子ハ雜徭ヲ以テ之ニ充テシガ、後改メテ半輸トス、半輸トハ庸ト雜徭トヲ免ズルヲ云フ、而ルニ本書ニ、申置渡子徭丁六人ト云ヘルハ、蓋シ當時ハ令制ニ復セシニヤ、抑モ亦タ此地ニノミ特ニ此法ヲ設ケタリシニヤ、姑ク録シテ疑ヲ存ス、

〔延喜式〕

〈二十五主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 凡勘大帳者、皆據去年帳其出入、〈◯中略〉訖即申省、其依符所免爲符損、〈(中略)初位、位子、學生、典藥生、價長、坊郷牧長帳、驛長、驛子、烽長、渡子(○○)、 兵士、爲(○)半輸(○○)之類(○○)、其遷就畿内復、〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 凡飛騨國金山河渡子二人、免徭役

〔舟橋方古書寫〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0378 神通川ニ付古來之書物之寫、左之品々、町吟味所ニ有之候事、 富山渡守爲御扶持方、當國〈◯越中〉御領分御臺所入、并諸給人之知行方、高千俵ニ付而、米貳斗宛可出之旨被仰出候、若如在仕候在所ハ、催促可遣者也、 極月〈◯天正十六年〉五日 前田對馬守長種書判 婦負郡諸百姓中 中 郡諸百姓中 先年申付如定、船頭といの義、早々可相渡候、御代官所、并誰々之給人地よりといふとも、於如在者、催促まで可之者也、 慶長〈五〉十二月廿五日 つしま長種書判 越中國中在々百姓中

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0379 船頭とひの事、先年對馬守殿如申付沙汰ニ、御代官所、并雖誰々之給人、於於如在者、催促迄可遣者也、 〈午〉六月九日 神尾圖書三直書判 淺井左馬助孝子書判 越中國中在々百姓中 船橋小島町船頭共、居屋敷之事、如前々地子令赦許者也、 慶長拾一年三月五日 御判(右肥前様) 小島民部

〔幕府制度〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0379 宿々被下米并御扶持米の事 天龍川 一二十人扶持 船頭扶持方 右は天龍川渡船役相勤候ものへ、御扶持米被之、 天龍川渡場 一米五十五俵 肝煎 但三斗五升入 右は元祿十四巳年、池田村のもの共被下候、御直御判の御書付を以て相願、吟味の上御救米被之、 富士川 一二十人扶持 船頭扶持方 右は元祿四午年より十人扶持被下候處、其後十人扶持相増、都合二十人扶持被之、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0380 馬入川 一十人扶持 渡船役之者 右は馬入今宿松尾下町屋荻園五个村にて、晝夜十六人宛罷り出相勤候に付、寛文六午年より右御扶持米被之、

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0380右御定法〈◯赤間關、小倉、門司、赤坂渡賃、〉赤間關地下人押書案文 赤間關わたしもりの事、御せいさつより外に、くわんたい仕もの候はヾ、聞たて候て、則可申上候、少も無沙汰申候はヾ、やがて御ざいくわに相可申候、恐惶謹言、 文明十九四月廿日 太左衞門 次郞左衞門 次郞三郞

〔御定書百箇條〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0380 一渡船乘沈(享保元年極)、溺死有之バ、其船之水主、 遠島

〔寛政刑典〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0380 人殺并疵付等御仕置之事 一渡舟ニ乘流、溺死有之候はヾ、其船之水主死罪、

〔享保度法律類寄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0380 不念 一渡舟にて溺死のもの有之節、不念の船頭は流罪、右請負人も品により同罪、馬士車引馬車にて人に疵付候はヾ宰領共流罪、右主人へは療治代分限に應じ可出、疵付候者於相果は、馬士車引宰領共に死罪、右の主人は分限に應じ過料、〈◯中略〉 右者百姓町人の御仕置の筋、大概相認、書面の通御座候、此外洩れ候義も可御座哉、此段は追々書加へ候様に可仕候、地方へ相懸り候御仕置筋は相除き申候、以上、 享保九年辰六月十五日、有馬兵庫頭殿へ、評定所一座御上扣、

〔公事方御定書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0380 馬車を引掛、并渡船乘沈、人を殺候者之儀に付町觸、 一車を引、馬を追ひ、重き物を持ち候もの共、馬車を引かけ、持ち候ものを取落し、又は渡し船に人

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0381 を乘、其船かへりて人を殺候類は、あやまちより出來候事にて、故ありて殺し候とは同じからず候につきて、只今迄は罪科にも行はれず候、然に近來、此等の類度々に及び候事は、下賤の輩、其つヽしみなき故と相見え候、然らばすべて其罪なしともいふべからず、自今以後は、此等の類、たとひあやまちより出來候て、人を殺し候とも、一切に流罪に行はれ、事の體によりて、猶又重科にも行はるべきもの也、 四月〈◯正徳六年〉 右之趣支配之町々へ急度可相觸候、

〔御定書例書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0381 渡船乘沈、溺死の者有之筋、水主御仕置輕き事、 寛保二戌年九月御仕置の例 萬右衞門(野州五ケ村本町 船頭) 茂右衞門(同國借宿村 船頭) 此者共儀、同國渡良瀬川渡船、市日等人込の節は、前々より渡船貳艘にて渡來候得共、壹艘破船いたすに付、壹艘にて渡船いたし候處、其節市日にて人大勢乘り、其上馬をも乘せ候故、川中にて馬騷ぎ船傾き、溺死の者有之、不屆に候得共、兼て賃米出置候近村のものゆへ、無體に乘込、力に難及、賃錢多く可取ため、大勢乘候と申には無之に付、兩人共に輕追放可申付候哉と相伺、其通御仕置被仰渡候事、

〔御定書例書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0381 渡船乘沈、溺死有之節、村役人咎の事、 寛保二戌年九月御仕置の例

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 野州五箇村本町 安左衞門(名主) 與右衞門(組頭) 同國借宿村 又右衞門(名主) 忠右衞門(組頭) 此もの共、渡瀬川渡船、兩村にて入用取集、船仕立置候得共、市日等往來多節は、渡場へ心を附可申處無其儀、其上船損候はヾ、早速可修復處及遲滯、旁不念に付、中追放可申付哉と相伺、 御差圖 船損候はヾ早速修復いたし、二艘揃置可申處不埒に候、此儀第一に申聞、并船場世話不仕、旁不調法の至に付、名主は所拂、組頭は重過料、

〔播磨風土記〕

〈賀古郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 昔大帶日子命、〈◯景行〉誂印南別孃之、〈◯中略〉下行之時、到攝津國高瀬之濟、請欲度此河、度子(○○)紀伊國人小玉申曰、我爲天皇贄人否、爾時勅云朕公雖然猶度

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 大山守皇子、〈◯中略〉會明詣莬道、將河、時太子〈◯莬道稚郞子〉服布袍、取檝櫓、密接度子、以載大山守皇子而濟、至于河中、誂度子船而傾、於是大山守皇子墮河而沒、

〔續日本後紀〕

〈十五仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 承和十二年八月辛巳、淡路國明石濱、始置船并渡子、以備往還

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 七夕 【渡守】(ワタリモリ)、船度世乎跡(フネワタセヲト)、呼音之(ヨブコヱノ)、不至者(イタラネバ)疑(カモ)、梶之聲不爲(カヂノオトセヌ)、

〔萬葉集略解〕

〈十上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0382 和名抄云、渉人云々、日本紀云、渡子〈和太之毛利、一云和太利毛利、〉とあり、卷十八長歌に、和多理母理とあれば、わたりもりのかた古訓也、

〔萬葉集〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 七夕歌一首并短歌 安麻泥良須(アマテラス)、可未能御代欲里(カミノミヨヨリ)、夜洲能河波(ヤスノカハ)、奈加爾敝太氐々(ナカニヘダテヽ)、牟可比太知(ムカヒタチ)、蘇泥布利可波之(ソデフリカハシ)、伊吉能乎爾(イキノヲニ)、奈氣加須古良(ナゲカスコラ)、【和多理母理】(ワタリモリ)、布禰毛麻宇氣受(フネモマウケズ)、波之太爾母(ハシダニモ)、和多之氐安良波(ワタシテアラバ)、曾能倍由母(ソノヘユモ)、伊由伎和多良之(イユキワタラシ)、〈◯中略〉 右七月七日、仰見天漢、大伴宿禰家持作之、

〔古今和歌集〕

〈四秋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 題しらず 讀人しらず 久方のあまのかはらのわたし守君渡りなばかぢかくしてよ

〔古今和歌集〕

〈九羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 むさしの國としもつふさのくにとの中にある、角田川のほとりにいたりて、都のいと戀しうおぼえければ、しばし川のほとりにおりゐて思ひやれば、かぎりなくとをくもきにけるかなと、思わびてながめをるに、わたしもりはや船にのれ、日くれぬといひければ、舟にのりてわたらんとするに、みな人物わびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さるおりにしろき鳥のはしとあしとあかき、川のほとりにあそびけり、京には見えぬ鳥成ければ、みな人みしらず、わたしもりに、これは何鳥ぞととひければ、これなん宮こどりといひけるをきヽてよめる、〈◯歌略〉

〔内裏名所百首〕

〈戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 志香須香渡 うしとても猶しかすがの渡守しるべもなみのよるべしらせよ〈◯よるべしらせよ、夫木和歌抄作ゆくゑをしへよ、〉

〔拾玉集〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 百首句題 水郷朝霞 朝まだきよどのわたりのわたし守霞のそこに船よばふなり

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0383 承久元年、内裏御歌合、渡紅葉、〈みつのわたり攝津〉 前大納言伊平卿 もみぢ葉のうつろふみつの渡もり風はゆきヽにいとふのみかは

〔夫木和歌抄〕

〈三十三船〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 弘長元年百首、釋教、 ちかひのふね 信實朝臣 わたしもりちかひの舟は心せよのりかたぶくる人もこそあれ

〔三十二番職人歌合〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 十番 左 渡守 櫻川花にゆるさぬふなどこををしてはいかヾわたるはる風

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 くゐせ川といふ所を、舟にてわたりて、 渡し守ゆきヽにまもるくゐせ川月の兎もよるや待らん

〔平安紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 岩淵にて をちかへりみなはさかまく岩ぶちのみどりを分て渡す舟人

〔落書露顯〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 つくしに侍しころ、人の京連歌とてかたりし句に、 わたし守舟つなぐまでくれはてヽ、といふ句をて侍し、おもしろくきヽて侍しを、後に聞侍れば、四條時衆あみだ佛句にて侍りける、

〔己未紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 廿四日〈◯寛政十一年二月〉若山をたちて、岩手といふ所より、紀の川をあなたにわたる、〈◯本居大平〉ここはのぼりくだるふねにつみたる物かむがふる司のあるが出來て、事おこなへば、船どもこヽら川岸にさしよせて、らうがはし、 ふねのうちにつむは何ぞとわたし守いはではたヾにすぐさヾりけり

船渡請負人

〔拾要抄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0384 延享四年卯九月十八日 一本所中之郷竹町舟渡請負人(○○○○○)、次郞左衞門申上候、私儀、八拾壹年以來、寛文七未年より、竹町舟渡受負仕候處、船數拾艘、船頭番人共貳拾貳人抱置、中之郷御上り場をも奉預、矢來等自分入用に而仕候處、近年給金相増并船修復入用等年々相掛、損金仕候ニ付、古來之通、舟賃貳錢宛ニ仕度

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0385 段、石河土佐守殿御勤役之節、御願申上候處、先づ五年之内、武士方を除、往來より貳錢取、舟渡仕候様被仰付候、當九月迄、定之年數相立候ニ付、年延の御願申上、只今迄の通、貳錢取に仕、舟渡退轉無御座候得者、往來之諸人の爲めにも罷成候段申上候處、御伺の上、今日肥後守殿御番所御内寄合江被召出、願之通被仰付、御高札年號書替被下、難有奉存候、來る申之九月迄、定之年數相立候者、又々年延之御願可申上候、此段兩御番所言上帳に記置候様に被仰付候、爲後日申上候由、右之次郞左衞門印、五人組庄次郞印、同半兵衞印、同伊右衞門印、同三郞兵衞印、名主庄八郞印申來候、右竹町舟渡請負人、次郞左衞門、貳錢取之年數五ケ年相立候ニ付、又々來ル丑九月迄、五ケ年之年延之御願申上候處、申十月二十九日、肥後守殿御番所江被召出、願之通被仰付、難有奉存候、五ケ年相立候ハヾ、又々年延之御願可申上旨言上、御帳末に記置候様に被仰渡候、爲後日申上候由、右之次郞左衞門印、五人組三郞兵衞印、同半兵衞印、同孫兵衞印、同伊右衞門印、名主庄八印、同意申來候、 寶暦二年申十月廿九日 右次郞左衞門申上候、右舟渡、年々物入等相掛、困窮仕候ニ付、五年之間、武士方を相除、往來より貳錢取に船渡仕度旨、十六年以前戌年、石河土佐守殿御勤役中御願申上、願之通被仰付候、定之年數相立候ニ付、拾壹年以前卯年、六年以前申年兩度、能勢肥後守殿御勤役之節御願申上、願之通被仰付候處當年迄に而、定之年數相立候得共、諸色物入等相掛、難儀仕候ニ付、又候當午年より來ル亥年迄、五ケ年之内、貳錢取仕度旨、當九月十日、豐前守殿江御訴訟申上候得共、段々御吟味之上、今日被召出、願之通被仰付、難有奉存候、爲後日、此段言上、御帳末に記置申度旨、御願申上候得者、是又願之通被仰付候、爲後日申上候由、右之次郞左衞門印、五人組半兵衞印、五郞兵衞印、三郞兵衞印、伊右衞門印、名主庄八煩ニ付代善藏印、同意ニ申來候、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 寶暦十二年午十二月廿九日 右渡船増賃年延願、五年目毎に願出、其時に帳付、前書之通ニ付略之、

〔中ノ郷厩河岸船渡一件〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386恐以書付御訴申上候 一中之郷竹町船渡受負人次郞左衞門申上候、當廿四日、奈良屋御役所江私被召呼、御受負仕罷在候舟渡之儀、御忠節申上、せり御願之者罷出候ニ付、否御尋ニ付、別紙之通返答書〈◯返答書略〉指上申候、依之乍恐此段御訴申上候、以上、 中之郷竹町舟渡 明和九〈◯安永元年〉辰年八月廿七日 受負人 次郞左衞門印

〔本所深川御用留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 本所掛諸請負場所 一中之郷竹町船渡受負(○○○○) 次郞左衞門(中之郷竹町 吉右門衞店) 右船渡仕候助成ヲ以、同所御上リ場入口矢來、自分入用ニ而仕、常ニ御上リ場掃除、見守等相勤申候、 但安永年中((朱書))、大川橋新規出來後ハ追々渡世薄く、永續無覺束候段相歎願出候ニ付、文化年中より龜澤町御用屋敷地代、壹ケ年仕切金九十六兩ヅヽ上納之積ニ而、右地代取立役被仰付候事、

渡船/布施屋

〔伊呂波字類抄〕

〈和雜物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e6ef.gif 〈ワタシブネ、荊州人、呼津舫http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e6ef.gif 、〉 方舟 渡船〈巳上同〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e6ef.gif 〈ワタシブネ、荊州人、呼津舫http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e6ef.gif 、〉 方舟 渡船〈巳上同〉

〔續字彙補〕

〈未集〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 艎〈又荊人、呼津舫艎々升庵韻寶説、〉

〔爾雅註疏〕

〈七釋水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 大夫方舟、註、〈併兩船、〉士特舟、註、〈單船、〉

〔八雲御抄〕

〈三下雜物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0386 船 わたし わたり

〔倭訓栞〕

〈中編二十九和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0387 わたしぶね 野航をよめり、仁明紀に渡舟、とみゆ、三才圖會に、田家小渡舟といへり、人をわたす船なり、武備志に、往來津口者、謂之渡船とも見えたり、

〔令義解〕

〈十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0387 凡要路津濟、〈謂不必大路、當人往來要便者皆是也、〉不渉渡之處、皆置船運渡、依津先後次、國郡官司撿校、及差人夫、充其度子、〈謂以雜徭差配〉二人已上、十人以下、毎二人、船各一艘、

〔日本紀略〕

〈桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0387 延暦廿年五月甲戌、勅、諸國調庸入貢、而或川無橋、或津乏船、民憂不少、令路次諸國、貢調之時、津濟之處、設舟檝浮橋等、長爲恒例

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0387 太政官符 應浮橋布施屋并置渡船事〈◯中略〉 一加増渡船十六艘 尾張美濃兩國堺墨俣河四艘、〈元二艘今加二艘〉尾張國草津渡三艘、〈元一艘今加二艘〉參河國飽海矢作兩河各四艘、〈元各二艘今加各二艘〉遠江駿河兩國堺大井河四艘、〈元二艘今加二艘〉駿河國阿倍河三艘、〈元一艘今加二艘〉下總國太日河四艘、〈元二艘今加二艘〉武藏國石瀬河三艘、〈元一艘今加二艘〉武藏下總兩國堺住田河四艘、〈元二艘今加二艘〉 右河等崖岸廣遠不橋、仍増件船、 一布施屋(○○○)二處 右造立美濃尾張兩國堺墨俣河左右邊 以前被從二位行大納言兼皇太子傅藤原朝臣三守宣偁、奉勅、如聞件等河、東海東山兩道之要路也、或渡船少數、或橋梁不備、因玆貢調擔夫等、來集河邊、累日經旬、不渡達、彼此相爭、常事鬪亂、身命破害、官物流失、宜知諸國、預大安寺僧傳燈住位僧忠一依件令修造、講讀師國司相共撿校、但渡船者以正税買備之、浮橋并布施屋料、以救急稻充之、一作之後、講讀師、國司、以同色稻相續修理、不損失

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 承和二年六月廿九日〈◯又見類聚國史、袖中抄河海抄、〉

〔萬葉集〕

〈三挽歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388勝鹿眞間娘子墓時、山部宿禰赤人作歌一首并短歌、 古昔(イニシヘニ)、有家武人之(アリケムヒトノ)、倭文幡乃(シヅハタノ)、帶解替而(オビトキカヘテ)、【廬屋】立(フセヤタテ)、妻問爲家武(ツマドヒシケム)、勝牡鹿乃(カツシカノ)、眞間之手兒名之(マヽノテコナガ)、奧槨乎(オクツキヲ)、此間登波聞杼(コヽトハキケド)、眞木葉哉(マキノハヤ)、茂有良武(シゲリタルラム)、松之根也(マツガネヤ)、遠久寸(トホクヒサシキ)、言耳毛(コトノミモ)、名耳母(ナノミモ)、吾者(ワレハ)、不所忘(ワスラエナクニ)、

〔萬葉集略解〕

〈三下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 廬屋立は、翁〈◯賀茂眞淵〉は、ふせやたつとよみて枕詞とせり、おもふに是は、古訓のまヽに、ふせやたてとよむべし、ふせやは、集中に田ぶせとも、ふせいほともよめり、たては、妻どひせん料に廬を建るなり、古しへ、つまどひするには、先其廬をたてし事、すさのをの尊の、つまごみにやへがきつくる、とよみ給へるをもおもへ、宣長説もしかり、

〔萬葉集〕

〈五雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 貧窮問答歌一首并短歌 和久良婆爾(ワクラバニ)、比等々波安流乎(ヒトヽハアルヲ)、比等奈美爾(ヒトナミニ)、安禮母作乎(アレモナレルヲ)〈◯中略〉【布勢伊保】能(フセイホノ)、麻宜伊保乃内爾(マゲイホノウチニ)、直土爾(ヒタツチニ)、藁解敷而(ワラトキシキテ)、〈◯下略〉

〔萬葉集略解〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 ふせいほは、卷十六かるうすは田廬のもとに云々の歌の註に、田廬者多夫世(タブセ)とあり、ふせやともいふ也、まげいほは、曲りよろぼひたるを云、

〔萬葉集〕

〈十六有由縁并雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 可流羽須波(カルウスハ)、【田廬】乃毛等爾(タブセノモトニ)、吾兄子者(ワガセコハ)、二布夫爾咲而(ニフヾニエミテ)、立麻爲所見(タチマセリミユ)、〈田廬者、多夫世反、◯反一本作也〉 右歌、〈◯中略〉河村王宴居之時、彈琴而即先誦此歌、以爲常行也、

〔袖中抄〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0388 はヽき木 そのはらやふせ屋(○○○)におふるはヽき木のありとはみれどあはぬ君かな〈◯中略〉 陽成天皇元慶四年云、弘仁十三年國分寺尼法光爲百姓濟度之難、於越後國古志郡渡戸濱、建布施屋、施墾田四十餘町、渡船二隻、令往還之人得其穩便、〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0389 今按に、信濃國その原と云所に、ふせやと云所の別にあるかとおもふに、布施屋とて所々につくれるにこそ、されば信濃國そのはらにも、この布施屋をたてたりけるにや、又俊頼朝臣田家秋興歌、 山田もるきそのふせやに風吹ばあぜづたひしてうつヽをとなふ 是は谷のふせや、しづのふせやなどいふ體歟と存ずるに、信濃の岐岨にも、かの布施やあるにや、又きそ、そのはら相近といへり、又信濃國には、あなをほりて、ふきいたのかた〳〵をば、土にうづみて、かた〳〵に口をあけてぞおりのぼる、冬雪のふかきをりの道といへり、それをもふせやとぞ申なる、〈◯又見河海抄

〔文徳實録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0389 仁壽三年十月戊辰、攝津國奏言、長柄三國兩河、頃年橋梁斷絶、人馬不通、請准堀江川、置二隻船、以通濟渡、許之、 己卯、遠江國奏言、廣瀬河、舊有郵船二艘、而今水闊流急、不利渉、公私行人、擁滯岸上、請更加置二艘、以濟羈旅之難、許之、

〔三代實録〕

〈二十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0389 貞觀十五年五月十五日戊寅、先是大宰府言、筑前國司偁、天長元年六月二十九日格曰、諸國渡船、二十年已上爲期買替、而島門渡船二艘、不始置之時、今旣朽損、利渉失便、況復河岸頽缺、渡口闊遠、公私往還、累日逗留、望請以正税稻、乃早買充、依請許之、

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0389 凡渡船、經廿年以上者、聽買替

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0389 太政官符 應舊充浪人二人上レ泉橋寺并渡船(○○)假橋等事 右得彼寺牒偁、件寺故大僧正行基建立、卌九院之其一也、總尋本意、爲泉河假橋建立也、而河之爲體、流沙交水、橋梁難留、毎洪水、往還擁滯、仍爲人馬、相昌道俗、買置馬船二艘、少船一艘、付屬件寺、國須太政官去天長六年十二月八日、承和六年四月四日兩度符旨、充徭夫二人、而稱永例、不

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0390 充行、无人監護、屢致流失、寺家之煩、无於斯、望請給件浪人、永免雜役、一向令寺并船橋等、謹請官裁者、中納言從三位兼行春宮大夫南淵朝臣年名宣、宜知山城國件令上レ充、 貞觀十八年三月一日〈◯又見三代實録

〔尾張國解文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0390 尾張國郡司百姓等解、申請官裁事、請裁斷、當國守藤原朝臣元命三箇年内責取非法官物、併濫行横法卅一箇條愁状、〈◯中略〉 一請裁定、依馬津渡船、以所部小船并津邊人、令渡煩事、 右從船放以死者、其誤誰有、溺水以泥者、其憂何歸、國内之事危、當任刺吏猶難遁、因之近則泥途、遠亦津邊、可渡船等也、就中馬津渡、是海道第一之難處、官使上下之留連處也、爰大勢之船、被買渡者、爲郡司百姓、何有事煩哉、而乍用於官帳、都無其心、兼不官裁者、若致不意之恐歟、其由何者、編小船以渡官使之間、掇綱梶以漕海路之日、或黒風吹枝、或白浪忽起、任身於鯨鯢之脣、曝骸於䱐http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000010145.gif 之鰓者歟、而當任守元命朝臣、不其浮沈、何以謂國吏哉、望請官裁、且渡舟航、且越江海矣、

〔徳川禁令考〕

〈五十二高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0390 元祿四未年八月 六郷玉川、向後定船渡ニ相成候高札條々、 一役船如相定、無懈怠晝夜可相勤事、 一往還人多時者、よせ船を出し、人馬荷物等、無滯入精可渡之、奉公人之外、船賃出す輩より、人壹人三文、荷物壹駄貳文、乘懸荷も可之、此定之外、賃錢多く取べからざる事、 右條々於違輩者、後日相聞といふ共、穿鑿之上可嚴科者也、 元祿四年八月 奉行

〔肥前風土記〕

〈養父郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0390 曰理(ワタリ)郷〈在郡南〉 昔者筑後國御井川渡瀬甚廣、人畜難渡、於玆纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡狩之時、就生葉山船山

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391高羅山梶山、造備船渡人物、因曰理郷

〔續日本紀〕

〈一文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 四年三月己未、道照和尚物化、天皇甚悼惜之、遣使即弔賻之、和尚河内國丹比郡人也、俗姓船連、父惠釋少錦下、〈◯中略〉於後周遊天下、路傍穿井、諸津濟處、儲船造橋、

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 寛仁元年九月廿二日丁巳、大殿〈◯藤原道長〉北方相共、令石清水給、 廿四日、早旦令京給、渡間遊女數船追從、餘興未盡、〈◯中略〉渡船并御儲事等、播磨守〈◯藤原廣業〉一向奉仕、過差無極、及申剋京〈◯又見小右記

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 泉川を舟にてわたりて 渡し舟棹さす道に泉川けふより旅の衣かせ山

〔信長公記〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 天正十年四月廿一日、濃州岐阜より安土へ御歸陣之處ニ、ろくの渡りにて御座船飾、稻葉伊豫、一獻進上也、

〔芭蕉文集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 十八樓記 美濃の國ながら川に臨みて水樓あり、〈◯中略〉右に渡し船浮ぶ、里人行かひしげく、漁村軒をならべて、網をひき釣を垂る、

〔半日閑話〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 明和六年二月四日、佃島のわたし船くつがへつて、死する者三拾餘人と云、〈本所回向院に、六燈の形したる石塔、その内の一人と云、〉

〔御府内備考〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 御厩河岸渡 御米藏の北より本所石原へ達する大川の船渡なり、〈◯中略〉此渡船の事は、對岸南本所外手町に住ける與左衞門、その餘壹人組合にて、請負ひて進退すと云、

〔御厩河岸渡船増賃錢願取調書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0391 御用船差出候廉々御尋ニ付、左ニ奉申上候、 一嘉永元申年三月十六日、今井渡場江貳艘、逆井渡場江貳艘、都合四艘、川船御役所より御用船差出

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0392申旨被仰付候、 一嘉永元申年十一月廿六日、今井渡場江貳艘、市川渡場江貳艘、都合四艘、川船御役所より御用船差出可申旨被仰付候、 一嘉永二酉年九月廿八日、戸田渡場江壹艘、川船御役所より御用船差出可申旨被仰付候、 一嘉永三戌年三月廿八日、日光道中栗橋宿渡場江貳艘、川船御役所より御用船差出可申旨被仰付候、〈◯中略〉 一文久元酉年九月廿一日、日光御宮様御下向ニ付、川口渡場江貳艘、川船御役所より御用船差出可申旨被仰付候、〈◯中略〉 右之通御座候、以上、 慶應元年丑年十月 願人 由藏印(御厩河岸渡船 淺草寺地中 金剛院地借 清吉店) 藤吉印(南本所外手町 家持) 五人組 治助印 名主 喜一郞印

〔筑前國續風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0392 國中船數〈◯中略〉 國中川々わたし舟十九艘〈十九ケ所也〉

〔本朝無題詩〕

〈七河邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0392 暮秋遊覽大井河 三宮〈◯輔仁親王〉 長河形勝在何處、見取茫々大井流、閑座沙邊初染筆、羣來渡口漫呼舟、

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0392 祐子内親王家草鬪歌合 よみ人不知 わたし舟ゆたのたゆたにしかすがはたび人わたす渡なりけり

〔夫木和歌抄〕

〈三十三船〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0393 石清水歌合河上霧 わたりふね 從二位家隆卿 わたり舟それとも見えず朝ぼらけみつのを〈◯を一本作せ〉かけてかすむ河浪 寛元三年結縁經百首 民部卿爲家 紀伊のうみのゆらのとあるヽわたり舟我身さきよりいてかひもなし 寛元二年百首渡月 信實朝臣 猶しばしよどの河せの月をみんわたしをぶねはこぎなつけそも

渡錢

〔運歩色葉集〕

〈勢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0393 船賃

〔帝王編年記〕

〈二十三順徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0393 建保三年二月十八日、仰諸國關渡地頭、可止旅人之煩、但如船賃用途者、立料田其替之由、關東下知云々、〈◯又見吾妻鏡

〔新編追加〕

〈雜務〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0393 守護行事條三 一河手事〈弘長二七一〉 承久以後、於所々新儀之煩之由有風聞、可止之、 一津料河手事 先年被留畢、而近年所々地頭等押領之間、爲諸人之煩云々、於御下知者、不子細、其外至押取之輩者、可停止、若違犯者、可其科之由、可觸其國中、猶以不承引者、可進交名之状、依仰執達如件、弘安四年四月廿四日 相模守判 某殿〈守護人事也〉 一條々諸國一向被仰下

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0394 一河手事 一津泊市津料事 一沽酒事 一押買事 右四箇條所禁制也、於河手者、帶御下知之輩者、不子細之由、雖仰下、同停止之畢、守此旨觸國中、若令違犯者、可注申之状、依仰執達如件、 弘安七年六月三日 駿河守判 信濃判官入道殿

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0394 佐波郡〈◯周防〉鯖川之渡御定法事 定 周防國鯖川渡舟賃二瀬之事 一往來人者壹文 壹瀬分 一荷一人持者貳文 壹瀬分 一至鎧唐櫃并長唐櫃者、貳人持五文、 壹瀬分 一馬者五文 壹瀬分 一輿者三文 壹瀬分 右船賃之事、洪水之時如此、若出錢ぞうげむについて、御定法をそむくやからあらば、行人と云、わたしもりと云、兩篇の右にしたがひて、可罪科、縱風雨并夜中たりといふとも、舟賃相違なくば、即時に舟をわたすべし、彼賃錢之事、修理をくはへ、或渡もり受用をとぐべきよし所仰出、諸人可存知之状如件、 應仁元年五月廿日 定 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0395 條々 赤間關 小倉 門司 赤坂のわたりちんの事 一せきと小倉との間 三文 一せきともじとの間 壹文 一せきと赤坂との間 貳文 一よろひからびつ 十五文 一長からびつ 十五文 一馬一疋 十五文 一こし一ちやう 十五文 一犬一匹 十文 以上八箇條 右わたりちんの事、前々より定をかるヽといへども、舟かた(○○○)ども御法をやぶり、ふちよくをかまへ、上下往來の人にわづらひをなすと云々、所詮關舟は、こくらにて一人別、二人あつる事あるべからず、先年色々御尋之時、此あげせんの事は申出さぬ事や、只今關の町、太郞右衞門、次郞三郞、阿彌陀寺領、次郞右衞門、初而申上者也、彼是に付、かたく御法を定をかるヽ所也、風波之時いひえるまヽに、舟かたどもちんを取によりて、毎度御法やぶるヽなり、たとひ風波之時も、此御法たるべきなり、若此御定をそむき、わたるの人をなやます事あらば、其舟かたを關小倉之代官の所へ可引渡、代官之所より、山口へ致注進たらんとき、子細をたづねきはめ、切せらるべき也、仍下知如件、 文明十九年四月廿日 大炊助〈判〉弘 近江守〈同〉房行

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0396 沙彌〈同〉宗首 彈正忠〈同〉弘規 大藏少輔〈同〉弘胤

〔舟橋方古書寫〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0396 神通川ニ付、古來之書物之寫、左之品々、町吟味所ニ有之候事〈◯中略〉 富山舟渡之事 一出入之在所者、代官ニといの事申付之事、 一商人ニは、壹錢宛可取之事、 一奉公人ニは、一切不取之事、 右相定所如件 天正十六十二月九日印 五郞兵衞殿

〔徳川禁令考〕

〈三十五渡船船〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0396 慶長十七子年五月廿七日 荷物船賃之定 定 一割印なき船に、商賣の荷物積べからざる事、 一渡船之事、商人荷壹駄ニ四拾貫目付、京錢拾文可之、乘掛ケも馬人共ニ拾文也、 附富士路肴之船賃、可右同前、但參詣之分は五文可之、 一船賃相定上は、往還は無恙様、舟越可渡事、 右條々於相背族は、可曲事者也、 慶長十七年五月廿七日 伊賀守

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 清右衞門 石見守

〔徳川禁令考〕

〈五十二高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 元和二辰年 覺 一商人荷物壹駄四拾貫目、船賃びた錢拾八文之事、 一乘掛荷物も人共ニ同前、壹人ハ六文之事、 如斯船賃相定上者、往還之者、無遲滯様ニ可致事、 右之條々於相背者、可曲事、 元和二年 對馬守 大炊守 備後守 上野守 伊賀守

〔享保集成絲綸録〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0397 貞享二丑年十一月 覺 一從先規御法度之趣、無絶可相守事、〈◯中略〉 一舟渡又は歩行渡之川々におゐて、舟賃并川越人足賃、猥に多取之候由相聞候、水之淺深ニしたがひ、問屋方ニ而吟味之上、賃錢員數相定、如何様之輕旅人たりといふ共、高下なく、其場所ニ役人を出し置、賃錢可之候、且又船渡之場所におゐて、往還之旅人、滯致迷惑之由、令承知候、乘合之者之内、急用有之罷通り候者、數多可之候、小勢たりといふとも待せ不置、差當り旅人先々

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 江無滯可漕渡事、 附川之渡舟、乘合大勢込乘由候故、船危儀共有之段、内々令承知候、如前條乘合之人數、少可乘之事、 右之條々、宿々問屋年寄令承知、此紙面寫留メ、問屋場に張置、堅可相守候、若於違背は、後日ニ相聞といふとも、可曲事者也、 十一月

〔徳川禁令考〕

〈五十一庶民〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 京師 新式目 一川船渡守之事、毎年役目相定者、公儀之使者、飛脚、傳馬之外者、雖(○)爲(○)武士(○○)、渡賃可(○○○)取(○)之(○)、或從公儀急用之時、緩ニ仕候歟、或は以見懸渡賃多取候者、曲事可申付、總而斗藪(○○)、行脚(○○)、乞食體之者には(○○○○○○○)、從(○)往古(○○)不(○)及(○)渡賃(○○)間(○)、其心得肝要也、亦洪水之節、不叶用所有之而、道急用之衆者、對渡守相當之心持尤之事、

〔東海道名所記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 舞坂より荒堰まで舟の上廿三町 舟賃は、一艘の借切百卅文、〈尾州紀州の衆には、一艘のかり切百文、〉乘あひは一人は四錢、のりかけは人ともに十五錢、一駄荷は廿二錢なり、

〔享保集成絲綸録〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0398 元祿三午年六月 覺 一荒井今切渡借切船之義は、只今迄百四拾文取來候、此上江此度四拾貳文増之、百八拾貳文可之、若右之外増錢取もの於之は、雖後日相聞、急度可曲事者也、 元祿三〈庚〉午年六月三日 傳左衞門

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0399 彦次郞 伊賀守 美濃守 伊勢守 遠州荒井今切 船頭中 ◯按ズルニ、本書寶永四年七月條ニモ渡錢ノ法令アリ、其文之ト同ジキヲ以テ略ス、

〔大成令〕

〈四高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0399 寶永五〈子〉年五月 舞坂町此度相建候添高札 覺 荒井町此度就所替、從舞坂荒井迄、船路十八町相延候間荒井迄之渡船賃、荷物壹駄十貳文、馬壹疋口附共拾文、人足賃は壹人ニ付四文、向後増之者也、 〈子〉五月 奉行 荒井町所替ニ付此度相立候添高札 覺 荒井町此度就所替、荒井より舞坂迄之船路、十八町相延候間、荒井より舞坂江渡船賃、荷物壹駄ニ付十貳文、馬壹疋口附共ニ十文、人足賃は壹人ニ付四文、荒井より白須賀へ、道法十四町相延候ニ付、本荷壹駄十八文、荷なしは拾貳文、人足賃は九文、向後増之者也、 〈子〉五月 奉行

〔祓川船賃制札〕

〈神都名勝誌所引〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0399 船賃定

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 一常水 壹人 壹錢 乘掛人 三錢 駄荷壹疋 同 駕壹挺駕舁共 同 一中水 壹人 三錢 乘掛人共 九錢 駄荷一疋 同 駕壹挺駕舁共 同 一大水 壹人 六錢 乘掛人共 十八錢 駄荷壹疋 同 駕壹挺駕舁共 同 常に渡淺不取來者には、自今も取まじきもの、 右之旨、堅相守之、若令違背者、可曲事者也、 元祿十五年正月

〔大成令〕

〈四高札〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0400 馬入川高札 條々

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 一役船如前々、彌無懈怠之、晝夜可相勤事、 一往還人多キ時はよせ船を出し、人馬等無滯入精可之、奉公人之外、船賃出す輩より、人壹人拾文、荷物壹駄貳拾貳文、乘掛荷は十六文可之、此定之外、賃錢多取べからざる事、 一荷物附ながら、馬を船にのすべからざる事、 右條々於違背者、後日相聞といふとも、穿鑿之上、可嚴科者也、 寶永四〈亥〉年七月 奉行

〔船組合定帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 寛延二年巳八月、神田川大水ニ而、所々橋落候節、和泉橋之儀、假橋懸リ候迄、船渡被仰付候ニ付、壹人壹錢之舟渡仕、往來之人難儀ニ不相成候様ニ、組合ニ而相勤申候、

〔船組合定帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 寶暦十年辰二月六日、出火之節、和泉橋燒失致候ニ付、依田和泉守様より被仰付壹人壹錢ヅヽ船渡、組合ニ而相勤申候、

〔兩道中懷寶圖鑑〕

〈東海木曾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0401 宮 桑名へ海上七り 七里渡、入海也、木曾川落合、風の氣遣ならば、鍋田へ乘るべし、是は北へ引あげて、木曾川蘆荻の中を下へ漕ぎ、長島の前より桑名へ出る也、又惡風ならば佐屋へ廻るべし、又上りの時ならば、かもりより佐やへ行かず、津島へ行て川舟にのるべし、陸地にて半里近し、舟路は半里遠けれど、下り舟ゆゑ早し、〈◯中略〉 宮より桑名迄渡海七里 船賃附 乘合壹人前 四十五文 むしろ一枚 貳百七十八文 六人前也 荷ひ物何に而も一荷 四十五文 一人前也 挾箱一荷 四十五文 同 具足一荷 四十五文 同 あぶ付一荷 四十五文 同

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0402 乘下一駄 六十文 本馬駄荷一駄 百九文 駕籠一挺九棒 百三十九文 三人前也 のり物一丁 四人前五人前見合 長持一棒 五人前六人前大小見合 通馬一疋 貳百七十八文 六人前也 増水主 三百五十一文 三人水主一艘 壹貫五百九十文三十四人乘 四人水主一艘 壹貫八百七十二文四十人乘 どうの間 壹貫二百十八文 同半分 六百九文 同三分一 四百六文 同三分二 八百十二文 同四分一 三百四文 ともの間 六百五十四文 同半分 三百廿七文 五人水主一艘 貳貫二百三文 四十七人乘 どうの間 壹貫四百六文 同半分 七百三文 同三分一 四百六十六文 同三分二 九百三十六文 同四分一 四百八十七文 ともの間 壹貫百十文 同半分 五百五十壹文 六人水主一艘 三貫四百七十三文 どうの間 貳貫二百廿六文 同半分 壹貫百十文 同三分一 七百四十二文 同三分二 壹貫四百八十四文 同四分一 五百五十壹文 ともの間 壹貫二百四十二文 同半分 六百二十文

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 風惡敷、渡海とまらば、上り下りともに佐やへまはるべし、

〔播磨風土記〕

〈賀古郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 昔大帶日子命、〈◯景行〉誂印南別孃之時、御佩刀之八握劒之上結爾八尺勾玉、下結爾麻布都鏡繫、時賀毛郡山直等始祖息長命、〈一名伊志治〉爲媒而誂、下行之時、到攝津國高瀬之濟、請此河、度子紀伊國人小玉申曰、我爲天皇贄人否、爾時勅云朕公雖然猶度、度子對曰、遂欲度者、宜(○)賜(○)度賃(○○)、於是即取道行儲之茅縵、投入舟中、則縵光明炳然滿舟、度子得賃乃度之、故云朕君濟

〔古事談〕

〈三僧行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 玄賓僧都者、南都第一之碩徳、天下無雙之智者也、然而遁世之志深シテ、不山科寺之交、〈◯中略〉而閉房、人ニモ不知、只一人暗跡シテ、弟子眷屬雖尋求、不行方、南都ノミナラズ、天下貴賤惜歎之、送年序之後、門弟一人、有事之縁、下向北陸道之間、或渡ニ乘船渡之間、渡守ヲ見レバ、首ヲツカモト云程ニ、オヒタル法師ノ、不可説ノ布衣一著タル、アヤシゲノ者ノサマヤト見間、サスガ又見馴タル心地ス、〈◯中略〉彼モ乍見知氣色、故不顏色、寄テ取モ付バヤト思ケレド、人繁サニ中々上道之比、此邊ニ宿テ、夜陰ナドニヲハセン所ヘモ尋向テ、閑ニ申承ト思テ過了、上洛之時著此渡、先見渡守之處他人也、驚悲テ相尋子細バ、サル法師侍キ、年來此渡守ツトメテ侍シガ、イカナル事カ侍ケン、去比逐電、不行方也、如然之下http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001fd67.gif ト乍申モ、如數舟チン(○○○)ナドモトラズ、唯當時ノ口分許ヲ取テ、晝夜不斷念佛ヲノミ申侍シカバ、此里人モアハレミ侍シニ、失侍ハ毎人ニ惜忍侍也ト云、聞ニ哀ニ悲事無限、失タル月日ヲ聞ニ、我奉見合タリシ此也、アリサマヲミエズトテ、被去隱ニケルナルベシ、 道顯僧都此事ヲ聞テ、渡守コソゲニ無罪世ヲ渡道ナリケレトテ、湖ニ船一艘儲テ被置タリケレドモ、アラマシ許ニテ徒石山ノ川岸ニテ朽ニケリ、サレド慕心ザシハ難有事也、

〔宇治拾遺物語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0403 これもいまはむかし、ゑちぜんの國かぶらきのわたりといふところに、わたりせんとて、ものどもあつまりたるに、やまぶしあり、けいとう房といふ僧なりけり、〈◯中略〉それにこ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0404 のかぶらきのわたりに行てわたらんとするに、渡りせんとするもの雲霞のごとし、おの〳〵物をとりてわたす(○○○○○○○○○○○○)、このけいたう房、わたせといふに、わたし守きヽもいれでこぎいづ、そのときにこの山ぶし、いかにかくは無下にはあるぞといへども、大かたみヽにもいれずしてこぎ出す、そのときにけいたう房、はをくひあはせて、念珠をもみちぎる、このわたし守見かへりて、をこの事と思たるけしきにて、三四町ばかりゆくを、けいたう房見やりて、あしをすなごに、はぎのなからばかりふみ入て、目もあかくにらみなして、ずヾをくだけぬと、もみちぎりて、めし返せ〳〵とさけぶ、なを行すぐるときに、けいたう房けさと念珠とをとりあはせて、汀ちかくあゆみよりて、護法、めし返せ、めしかへさずは、ながく三寶に別たてまつらんとさけびて、このけさをうみになげいれんとす、それを見て此つごひゐたるものども、色をうしなひてたてり、かくいふほどに、風もふかぬに、このゆく舟のこなたへよりく、それを見てけいたう房、よりめるは〳〵、はやういでおはせ〳〵と、すはなちをして、みるものいろをたがへり、かくいふほどに、一町がうちによりきたり、そのときけいたう房、さていまはうち返せ〳〵とさけぶ、その時につどひて見るものども一こゑに、むさうの申やうかな、ゆヽしき罪にも候、さておはしませ〳〵といふとき、けいたう房今すこしけしきかはりて、はやうち返し給へとさけぶときに、このわたし舟に、廿餘人のわたるもの、つぶりとなげ返しぬ、そのときけいたう房、あせをしのごひて、あないたのやつばらや、まだしらぬかといひてたちかへりにけり、世のすゑなれども、三寶おはしましけりとなん、

〔義經記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0404 如意の渡りにて義經を辨慶うち奉る事 夜も明ければ、如意の城を舟にめして、わたりをせんとし給ふに、わたしもりをば、平ごんのかみとぞ申ける、かれが申けるはしばらく申べき事候、是は越中の守護近き所にて候へば、兼て仰かうぶりて候し間、山臥五人三人はいふにおよばず、十人にならば、所へ仔細を申さでわたしたら

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 んは、ひが事ぞと仰付られて候、すでに十七八人御わたり候へば、あやしく思ひ參らせ候、守護へ其やうを申候て、わたし參らせんと申ければ、むさしばう是を聞て、ねたげに思ひて、や殿さりとも、北陸道に、はぐろのさぬき房を、見しらぬ者やあるべき、と申ければ、〈◯中略〉是にめし候へとて、舟をさしよする、梶取のせ奉りて申けるは、さらばはや舟ちん(○○○)なして、こし給へといへば、いつのならひに、はぐろ山臥の舟ちんなしけるぞ(○○○○○○○○○○○○○○)といひければ、日頃取たる事はなけれども、御坊のあまりに、はういつにおはすれば、とりてこそわたさんずれ、とく舟ちんなし給へとて、舟をわたさず、辨慶わどのがやうに、我らにあたらば、出羽の國へ、一年二年の内に來らぬ事はよもあらじ、さかたのみなとは、此少人のちヽ、さかた次郞殿の領なり、たヾ今あたりかへさんずるものとぞおどしけれども、權のかみ、なにともの給へ、舟ちんとらでは、えこそわたすまじけれとてわたさず、辨慶いにしへとられたるれいはなけれ共、此ひが事したるによつて、とらるヽなりとて、さらばそれたび候へとて、北のかた〈◯源義經妻〉のき給へる、かたびらの尋常なるをぬがせ奉りて、わたしもりにとらせけり、權のかみ是を取て申けるは、法にまかせて取ては候へ共、あの御ばうのいとおしければ、參らせんとて、判官殿〈◯義經〉にこそ奉りけれ、むさし房これを見て、かたをかヾ袖をひかへて、をこがましや、たヾあれもそれも、おなじ事ぞとさヽやぎける、かくて六だうじをこえて、なごのはやしをさしてあゆみ給ひける、

〔太平記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0405 長崎新左衞門尉意見事附阿新殿事 阿新ハ、竹原ノ中ニ隱レナガラ、今ハ何クヘカ遁ルベキ、人手ニ懸ランヨリハ、自害ヲセバヤト思ハレケルガ、惡シト思フ親ノ敵ヲバ討ツ、今ハ何モシテ命ヲ全シテ、君ノ御用ニモ立、父ノ素意ヲモ達シタランコソ、忠臣孝子ノ儀ニテモ、アランズレ、若ヤト一マド落テ見バヤト思返シテ、堀ヲ飛越ントシケルガ、口二丈、深サ一丈ニ餘リタル堀ナレバ、越ベキ様モ無リケリ、サラバ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0406 是ヲ橋ニシテ渡ンヨト思テ、堀ノ上ニ末ナビキタル呉竹ノ梢ヘサラ〳〵ト登タレバ、竹ノ末堀ノ向ヘナビキ伏テ、ヤス〳〵ト堀ヲバ越テケリ、夜ハ未深シ、湊ノ方ヘ行テ、舟ニ乘テコソ陸ヘハ著メト思テ、タドル〳〵浦ノ方ヘ行程ニ、〈◯中略〉孝行ノ志ヲ感ジテ、佛神擁護ノ眸ヲヤ回ラサレケン、年老タタ山臥一人行合タリ、此兒ノ有様ヲ見テ、痛シクヤ思ケン、是ハ何クヨリ何クヲサシテ、御渡リ候ゾト問ケレバ、阿新、事ノ様ヲアリノ儘ニゾ語リケル、山臥是ヲ聞テ、我此人ヲ助ケズハ、只今ノ程ニ、カハユキ目ヲ見ルベシト思ケレバ、御心安ク思食レ候ヘ、湊ニ商人船共多ク候ヘバ、乘セ奉テ越後越中ノ方マデ送付マイラスベシト云テ、足タユメバ、此兒ヲ肩ニ乘セ背ニ負テ、程ナク湊ニゾ行著ケル、夜明テ便船ヤアルト尋ケルニ、折節湊ノ内ニ、船一艘モ無リケリ、如何セント求ル處ニ、遙ノ澳ニ乘ウカベタル大船、順風ニ成ヌト悦テ、檣ヲ立テ篷ヲマク、山臥手ヲ上テ、其船是ヘ寄テタビ給ヘ、便船申サント呼リケレドモ、曾テ耳ニモ聞入ズ、船人聲ヲ帆ニ上テ、湊ノ外ニ漕出ス、山臥大ニ腹ヲ立テ、柿ノ衣ノ裾ヲ結テ肩ニカケ、澳行船ニ立向テ、イラタカ誦珠ヲサラ〳〵ト押揉テ、一持秘密呪、生々而加護、奉仕修行者、猶如薄伽梵ト云ヘリ、況多年ノ勤行ニ於テヲヤ、明王ノ本誓アヤマラズハ、權現、金剛童子、天龍夜叉、八大龍王、其船此方ヘ漕返テタバセ給ヘト跳上々々、肝膽ヲ碎テゾ祈リケル、行者ノ祈ニ神ニ通ジテ、明王擁護ヤシタマヒケン、澳ノ方ヨリ俄ニ強風吹來テ、此船忽覆ラントシケル間、船人共アハテヽ、山臥ノ御房、先我等ヲ御助ケ候ヘト、手ヲ合セ膝ヲカヾメ、手々ニ船ヲ漕モドス、汀近ク成ケレバ、船頭船ヨリ飛下テ、兒ヲ肩ニノセ、山臥ノ手ヲ引テ、屋形ノ内ニ入タレバ、風ハ又元ノ如クニ直リテ、船ハ湊ヲ出ニケル、其後追手共、百四五十騎馳來リ、遠淺ニ馬ヲ叩ヘテ、アノ船止レト招共、舟人是ヲ見ヌ由ニテ、順風ニ帆ヲ揚タレバ、船ハ其日ノ暮程ニ、越後ノ府ニゾ著ニケル、阿新山臥ニ助ラレテ、鰐口ノ死ヲ遁シモ、明王加護ノ御誓、掲焉ナリケル驗也、

〔東海道中膝栗毛三編〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0407 爰にかの彌次郞兵衞、喜多八は、大井川の川支(づかへ)にて、岡部の宿に滯留せしが、今朝御状箱わたり、一番ごしもすみたるよし、聞とひとしく、そこ〳〵に支度して、〈◯中略〉大井川の手前なる島田の驛にいたりけるに、川越ども出むかひて、だんなしゆ、川アたのんます、〈彌二〉きさま川ごしか、〈川ごし〉ハイ今朝がけにあいた川だんで、かたぐるまじやあぶんない、蓮臺でやらずに、おふたりで八百下さいまぜ、〈彌二〉とほうもねへ、越後新潟じやアあんめへし、八百よこせもすさまじい、〈◯中略〉問屋へかヽつて、おこしなさるはト、〈いヽすてヽ、あしばやにゆきすぎ、〉〈彌二〉ナント北八、あいつらにからかうがめんだうだから、いつそのこと、とい屋へかヽつて越そふ、手めへの脇指を借しやれ、〈北八〉なぜどふする、〈彌二〉侍になるはト、〈きた八がわきざしをとつてさし、おのれがわきざしのひきはだを、あとのほうへのばし、長くして大小さしたようふに見せかけて、〉〈彌二〉ナント出來合のお侍、よく似合たろふ、此ふろしき包を手めへいつしよに持て供になつてきや、〈北八〉こいつは大わらひだハヽヽヽヽト、〈彌次郞兵衞がにもつをいつしよにして、きた八かたにひつかけ、やがて川問屋にいたり、彌次郞兵衞、おくにことばのこはいろにて、〉〈彌〉コンリヤとん屋ども、身ども大切な主用で罷通る、川ごし人足を頼むぞ、〈といや〉ハイかしこまりました、御同勢はおいくたり、〈◯中略〉上下あはせてたつた貳人じや、臺ごしにいたそう、なんぼじや、〈といや〉ハイおふたりなら、蓮臺で四百八拾文でござります、〈彌二〉それは高直じや、ちとまけやれ、〈といや〉ヱヽ此川の賃錢に、まけるといふはない〈ヤア〉、ばかアいはずとはやく行がよからずに、〈◯下略〉

〔紫の一本〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0407 三文渡し(○○○○) 靈巖島より向島への渡なり

〔淺草志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0407 御厩川岸渡し 本所中の郷へ渡る 古へ此處に御厩有し故の名也、淺草三好町、渡錢壹人二文づヽ(○○○○○○○○)、渡舟は人數十人に限ると云、

〔御厩河岸渡船増賃錢願取調書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0407恐以書付御訴訟奉申上

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0408 一淺草大川通御厩河岸渡船場請負人淺草寺地中金剛院地借清吉店由藏、并相仕南本所外手町家持藤吉兩人奉申上候、私共渡船賃之儀、御武家様方相除(○○○○○○○)、往來之もの壹人ニ付壹錢(○○○○○○○○○○○)宛受取、從來相續仕、難有仕合可存候、其後船數相増、打替修復等、并水主之もの給分多分相懸候ニ付、延享三寅年中、往來之もの壹人ニ付貳錢(○○○○○○)宛受取渡船仕度段、年限書を以、能勢肥後守様江奉願候處、願之通被仰付、難有仕合可存候、然ル處近來別而諸品高直ニ相成、御用船差出候節、水主之者手當等近々入用相嵩、實ニ難澀至極仕候間、當丑年より來ル亥年迄、中拾ケ年之間御武家様方相除、往來之もの壹人ニ付、貳錢相増四錢ヅヽ、右年限中受取之、渡船差支無之様、前々被仰渡之趣、深く相心得、業體永續仕度候間、何卒格別之以御慈悲、願之通被下置候様、偏ニ奉願上候、以上、 〈淺草寺地中 金剛院地借〉〈清吉店 御厩河岸渡船受負人〉慶應元丑年五月廿八日 訴訟人 由藏印 家主 清吉印 〈南本所外手町 相仕家持〉 訴訟人 藤吉印 五人組 治助印 御奉行所様〈◯中略〉 丑十二月廿八日((朱書))、和泉守殿阿久澤丑輔を以御渡、 覺 書面、武家を除、當丑年より中拾ケ年之間、壹人ニ付三文宛(○○○○○○○)受取、尤年限中ニ候共、諸色下直相成候はば、復古いたし候様、可取計候事、

〔紫の一本〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0409 鎧の渡し 八丁堀、牧野因幡守殿の屋鋪の東河岸より、小網町への渡しをいふ、今は一文渡し(○○○○)とも云ふ、

〔江戸砂子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0409 日本橋南 鎧渡 かやば町より小あみ町貳町目へわたす所

〔御厩河岸渡船増賃錢願取調書留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0409 七右衞門(鎧渡守 小網町貳丁目豐七店) 太左衞門(同町兵右衞門店) 右之もの共儀、小網町貳丁目より南茅場町江相渡候鎧渡守いたし來候處、渡錢壹錢(○○○○)ヅヽ受取候而は、諸入用等引足不申候ニ付、猶又三ケ年之間、貳錢取之儀、年延願出候間、相糺候處、實ニ難儀之趣無相違相聞候ニ付、先例ニ見合、願之通申付候様、相伺可申と存候、依之右伺出案并願出糺之上差出候書付相添、此段及御相談候、 亥五月〈◯文久三年〉 井上信濃守 阿部越前守〈◯中略〉 申渡 七右衞門(鎧渡守 小網町貳丁目豐七店) 太左衞門(同町兵右衞門店) 其方共儀、小網町貳丁目より南茅場町江渡ル鎧渡賃錢之儀、壹人ニ付壹錢ヅヽ受取來ル處、近來別而往來之もの無數ニ相成、渡船修復并水主給金、其外諸入用不引足、難儀いたすニ付、三ケ年之間、貳錢取ニいたし度旨相願ふ間、懸吟味處、實ニ難儀之趣、無相違相聞候間、願之通引續三ケ年之間、貳錢(○○)取申付之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 右申渡趣、證文申付ル、 町役人(右) 右之通申渡ス間、其旨可存、 亥九月

〔東海道名所記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 見付より濱松へ三里七町 小天龍 大天龍 舟渡の川あり 武士には船賃なし(○○○○○○○○)、商人百姓には錢六文をとる、ことさら物まうでのともがらには、三疋五疋をかきましてとるなり、

〔五元集〕

〈元〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 二月十五日上京發足 渡し舟武士は唯のる(○○○○○○)彼岸かな

名渡

〔枕草子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 わたりは しかすがの渡り みづはしのわたり こりずまのわたり

〔枕草子春曙抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 こりずまのわたり 未勘、八雲御抄にも國見えず、

〔奧義抄〕

〈上ノ末〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 雜 ありそのわたり こがのわたり

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0410 渡〈只そのわたりといへる物なり〉 うぢのわたり〈山 万〉 よど〈同拾、郭公、◯中略〉 さのヽ〈大 万 みはのさき、家なし、〉 さのヽわたりは家なしと、万葉にも云り、〈◯中略〉 なるとの〈阿 万、たゞなるととも、〉 うるまの〈美の 後撰 わたるとはよまず〉 こがの〈下總万〉 しかすがの〈三河 拾、赤染、〉 つしまの〈對馬 万、あかねよしつしまの、〉 かごの〈伊勢與尾張の中也〉 こりずまの〈清少納言〉 みづはしの〈越中◯中略〉 いはせ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 の〈能〉 ありその しがのおほわだ〈近 是同渡入也◯下略〉

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 渡〈同名所◯中略〉 いはせの渡〈能登、八雲御説、みやま木河月、〉稻葉渡〈奥州、風そよぐ、〉猪名渡〈攝州、小屋、はまや、薄、〉井手渡〈山城、玉も、しがらみ、山吹、いは橋、下帶、〉小田渡〈備中◯中略〉香椎渡〈筑前◯中略〉かごの渡〈下總、八雲御説、又云、伊勢と尾張との中と云々、〉籠渡〈加賀、山ぶし、〉淀渡〈山城◯中略〉袖渡〈奥州◯中略〉對馬渡〈尾張◯中略〉難波渡〈よめる事、潟に同上、〉なるとの渡〈八雲御説〉奈呉渡〈越中、貝あかしの風月、〉中河渡〈上野、さのゝ中河共つゞけたり、〉武庫渡〈攝州◯中略〉宇治渡〈山城◯中略〉宇留馬渡〈美濃◯中略〉莖渡〈攝州あし〉久我渡〈下總◯中略〉國符渡〈同右◯中略〉山邊渡〈大和◯中略〉八橋渡〈三河〉ふたいの渡〈山城〉こやの渡〈攝州、駒夕日、〉狛渡〈同右うりつくり、瓜生の下草〉こりずまの渡〈八雲御説〉朝妻渡〈近江、よめる事同山、〉蟻戸渡〈紀州◯中略〉有礒渡〈越中、或云對馬、◯中略〉明石渡〈八雲御説〉佐野渡〈大和◯中略〉さほの渡〈同上◯中略〉木津渡〈山城◯中略〉ゆらのと渡〈八雲御説〉美豆渡〈山城◯中略〉三島渡〈つの國、霞、〉三渡〈伊勢◯中略〉みづはしの渡〈ゑつ中、八雲御説、〉志賀須香渡〈三河◯中略〉滋賀大輪田〈近江◯中略〉信夫渡〈奥州〉勢多渡〈近江、かづくとり、〉諏方渡〈信の、みわたり共云、月こほり、〉

山城國/淀渡

〔井蛙抄〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 一同名之名所 よど〈◯中略〉 よどのわたり、淀川、よど野、皆山城國同所也、

〔山州名跡志〕

〈十三久世郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 大渡 出古書、或淀ノ渡トモ、今此名亡シ、言ハ渡口廣莫ナル謂也、古橋舟渡トモニアリ、橋出平家物語卷之九、樋口次郞、都ニ軍アリト聞テ、取テ返シテ上ル程ニ、淀ノ大渡ノ橋ニテ、今井ガ下人ニ行合タリト云々、右此所云大渡明シ、太平記云山崎渡

〔都名所圖會〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 淀の大渡〈いにしへは木津川御牧の西より北に流れ、宇治川に合し、舟渡しあり、これをいふ、今のごとく木津川を南へ通ぜしは、秀吉公の御制作なり、〉

〔拾遺都名所圖會〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 淀渡 秀吉公の御時、大橋小橋孫橋を架す、いにしへは一流の大河にして舟渡しなり、大渡ともいふ(○○○○○○)、

〔續日本後紀〕

〈十二仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0411 承和九年七月己酉、是日春宮坊帶刀伴健岑、但馬權守從五位下橘朝臣逸勢等、謀

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 反事發覺、〈◯中略〉仰左右京職、警固街巷、亦令山城國五道、〈◯中略〉大藏少輔從五位下藤原朝臣勢多雄守淀渡

〔三代實録〕

〈二十六清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 貞觀十六年八月廿四日庚辰、大風雨、〈◯中略〉與度渡口四邊三十餘家、山埼橋南四十餘家流、

〔枕草子〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 卯月の晦日に、はせ寺にまうづとて、淀のわたりといふものをせしかば、舟に車をかきすへてゆくに、〈◯下略〉

〔枕草子春曙抄〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 淀のわたり 古は橋なくて、舟渡りせしなり、

〔範國朝臣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 高野山御參詣記 永承三年十月十一日子、〈◯此間文闕〉廟〈◯空海〉令紀伊國金剛峯寺給、〈◯中略〉曉更出御、〈庇差御車◯藤原頼通〉上達部已下著布衣前驅、遲明於淀渡御御船、〈宇治殿◯中略〉卯剋著御山埼南岸

〔十訓抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 俊頼朝臣語云、白川院、淀に御方違の行幸ありけるに、五月ばかりの事にや有けん、女房殿上人の舟あまた有けるに、曉に成ほどに、向かたに郭公一こゑほのかに鳴てすぐ、俊頼一首詠ぜまほしくおぼえしに、女房の舟中に忍びたるこゑにて、淀の渡のまだよぶかきにとながめられたりし、時に望てめでたかりき、人々感歎していまにわすれず、あたらしくよみたらんには、まされりとなんいはれける、

〔拾遺和歌集〕

〈二夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 天暦御時、御屏風に淀のわたりする人かける所に、 壬生忠見 いづかたになきて行らんほとヽぎすよどのわたりのまだ夜ぶかきに

〔源平盛衰記〕

〈三十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0412 落行人々歌附忠度自淀歸謁俊成事 落行平家ノ人々、〈◯中略〉相傳譜代ノ好ミ不淺、年來日比ノ重恩モ爭カ忘ベキナレバ、人ナミ〳〵ニ涙ヲ押テ出タレ共、心ハ都ニ通ツヽ、行モ行レヌ心也、淀ノ大渡(○○○○)ニテハ、南無八幡三所大菩薩、再都

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 ヘ返シ入給ヘト、各伏拜給ヘドモ、神慮誠ニシリ難シ、

〔吾妻鏡〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 承久三年六月七日庚申、相州〈◯北條泰時〉武州〈◯泰時弟時房〉以下東士、東海道軍士、陣于野上垂井兩宿、有合戰僉議、義村計申云、北陸道大將軍上洛以前、可軍兵於東路歟、然者勢多、相州、手上、城介入道、武田五郞等、宇治、武州、芋洗、毛利入道、淀渡(○○)、結城左衞門尉、并義村可向之由云云、武州承諾、各不異議、駿河次郞泰村從父義村淀手、爲具武州彼陣云云、

〔立川寺年代記〕

〈稱光〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 應永廿七年庚子、天下大旱颰、〈◯中略〉近江湖水三町乾枯、淀河無(○○○)船渡(○○)

〔源順集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 五月あめふる日、東宮にさぶらひて、雨の心の歌を奉るとて、もじひとつをさぐりて、あもじを給はれり、 雨ふれば草葉の露もまさりけりよどのわたりを思ひ社やれ

〔雲葉和歌集〕

〈十羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 別のこヽろを 土御門院御製 朝霧に淀のわたりを行舟のしらぬ別も袖ぬらしけり

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 〈よどの渡山城〉 祭主輔親卿 あやめ草たづねてぞ引まこもかるよどのわたりのふるきぬままで 和泉式部 よどわたりあめにはいとヾまこもぐさまことにそれをねになかれにし

〔永久四年百首〕

〈春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 石清水臨時祭 俊頼 たつほどのかさねかはらけなかりせばおぼえて淀の渡せましや

桂渡

〔松葉名所和歌集〕

〈四加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 桂渡 山城

〔京羽二重〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0413 渡 桂(かつら)ノ渡 同郡〈◯葛野〉下桂村ノ東ニ有

〔土佐日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0414 夜るになして京には入らんとおもへば、いそぎしもせぬほどに月いでぬ、〈◯承平五年二月十六日〉かつら河月のあかきにぞわたる、ひと〴〵のいはく、この川あすかヾはにあらねば、ふち瀬さらにかはらざりけりといひて、或人のよめるうた、 久かたのつきにおひたるかつら川そこなるかげもかはらざりけり

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0414 文治五年十一月十五日辛未、早旦姫君參詣大原野社、爲入内事也、密々事也、〈◯中略〉日出之程出京、申刻歸宅、路之間無殊事、桂河頗雖水出、不渡云々、

〔太平記〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0414 將軍御進發大渡山崎等合戰事 江田兵部大輔行義ヲ大將トシテ、三千餘騎ヲ丹波路ヘ差向ラル、此勢正月〈◯建武三年〉八日ノ曉、桂河ヲ打渡テ(○○○○○○)、朝霞ノ紛レニ大江山ヘ推寄セ、〈◯下略〉

〔西北紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0414 元祿二年、我〈◯貝原益軒〉が年すでに下壽に及べり、かねてより丹後若狹近江に遊觀の志あり、閏正月廿五日、餘寒猶はげしけれど、つとめて京都東洞院の旅館を出て、〈◯中略〉桂川、舟にて渡る、此河水いといさぎよし

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0414 〈かつらの渡山城〉 安法法師 もち月のこま引たてヽひやしけるこヽやかつらの渡なるらん

宇治渡

〔古事記〕

〈中應神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0414是大山守命者、違天皇之命、猶欲天下、有其弟皇子〈◯莬道稚郞子〉之情、竊設兵將攻、爾大雀命、聞其兄備一レ兵、即遣使者、令宇遲能和紀郞子、故聞驚以兵伏河邊、〈◯中略〉彼廂此廂、一時共興、矢刺而流、故到訶和羅之前而沈入、〈◯中略〉爾掛出其骨〈◯大山守命〉之時、弟王歌曰、知波夜比登(チハヤビト)、【宇遲能和多理邇】(ウヂノワタリニ)、和多理是邇(ワタリゼニ)、多氐流阿豆佐由美(タテルアヅサユミ)、麻由美(マユミ)、伊岐良牟登(イキラムト)、許々呂波母閉杼(コヽロハモヘド)、伊斗良牟登(イトラムト)、許々呂母母閉杼(コヽロハモヘド)、母登幣波(モトヘハ)、岐美袁淤母比傳(キミヲオモヒデ)、須惠幣波(スヱヘハ)、伊毛袁淤母比傳(イモヲオモヒデ)、伊良那祁久(イラナケク)、曾許爾淤母比傳(ソコニオモヒデ)、加那志祁久(カナシケク)、許許爾淤母比傳(ココニオモヒデ)、伊岐良受曾久流(イキラズゾクル)、阿豆佐由美(アヅサユミ)、麻由美(マユミ)、

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 大山守皇子、毎恨先帝〈◯應神〉廢之非一レ立、而重有是怨、則謀之曰、我殺太子、〈◯莬道稚郞子〉遂登帝位、爰大鷦鷯尊、預聞其謀、密告太子、備兵令守、時太子設兵待之、大山守皇子、不其備一レ兵、獨領數百兵士、夜半發而行之、會明詣莬道、將河時、太子服布袍、取檝櫓、密接度子、以載大山守皇子而濟、至于河中、誂度子、踏船而傾、於是大山守皇子、墮河而沒、更浮流之、歌曰、知破揶臂苫(チハヤビト)、【于施能和多利】弭(ウヂノワタリニ)、佐烏刀利弭(サヲトリニ)、破揶鷄務臂苫辭(ハヤケムヒトシ)、和餓毛胡弭虚務(ワカモコニコム)、然伏兵多起、不岸、遂沈而死焉、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 治承四年三月五日丁巳、巳刻攝政〈◯藤原基通〉被宇縣、〈長者之後初度也◯中略〉宇治川渡之間、依尋常船、舁居車於無屋形之船之、於平等院北面大門下車、 文治五年八月廿二日己酉、此日下向南都、爲南圓堂佛、〈不空羂索觀音像〉兼又爲知造寺也、〈◯中略〉丑刻出京、宇治渡了、

〔勘仲記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 弘安二年二月三日庚辰、仁和寺宮、於東大寺御受戒、今日御下向、〈◯中略〉今日宇治御渡事、自殿下〈◯藤原兼平〉被相儲、予所申沙汰也、御船八幡撿挍行清法印借進、但船寺家儲之、下船御領等儲之、長吏御房一艘、鹿田庄一船、眞木島雜船少々、又雜人料被用意、兼日所催沙汰也、且代々例云々、後聞被橋云々、

〔萬葉集〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415物陳思 千早人(チハヤビト)、【宇治度】(ウヂノワタリノ)、速瀬(ハヤキセニ)、不相有(アハズアリトモ)、後我孋(ノチモワガツマ)、

〔萬葉集〕

〈十三雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 空見津(ソラミツ)、倭國(ヤマトノクニ)、青丹吉(アヲニヨシ)、寧(ナラ)〈◯寧下疑脱樂字〉山越而(ヤマコエテ)、山代之(ヤマシロノ)、管木之原(ツヾキノハラ)、血速舊(チハヤブル)、【于遲乃渡】(ウヂノワタリ)、瀧屋之(タキノヤノ)、阿後尼之原尾(アゴネノハラヲ)、千歳爾闕事無(チトセニカクルコトナク)、萬歳爾(ヨロヅヨニ)、有通將得(アリカヨハムト)、山科之(ヤマシナノ)、石田之森之(イハタノモリノ)、須馬神爾(スメガミニ)、奴左取向而(ヌサトリムケテ)、吾者越往(ワレハコエユク)、相坂山遠(アフサカヤマヲ)、

山崎渡

〔山州名跡志〕

〈十乙訓郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 山崎橋 斷絶ス、〈◯中略〉此所今ハ舟渡(○○)也、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0415 寛仁元年九月廿二日丁巳、今日大殿〈◯藤原道長〉引率北方、尚侍、最弟女等、被石清水、明日可

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 上御在所云々、 廿四日己未、北の方、尚侍、少姫君乘輦車、參上御在所、女房徒歩又云々、山崎河渡船(○○○○○)裝束、播磨守廣業一向奉仕、漏船四艘、造屋、葺檜皮、又造廊、〈◯中略〉今日渡間、遊女數艘參來、大殿、攝政、〈◯藤原頼通〉及卿相、舞人、殿上人、諸大夫悉脱衣給之、多無一衣之者、女人脱衣、從簾中取出、主人執給云云、〈◯又見左經記

〔吾妻鏡〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 壽永三年〈◯元暦元年〉正月廿一日辛亥、今日及晩、九郞主、〈◯源義經〉搦進木曾〈◯源義仲〉專一者、樋口次郞兼光、是爲木曾使、爲石川判官代、日來在河内國、而石河逃亡之間、空以歸京、於八幡大渡(○○)邊、雖主人滅亡事、押以入洛之處、源九郞家人數輩馳向、相戰之後、生虜之云云、

〔拾芥抄〕

〈下本大橋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 大橋 山崎〈今大渡歟〉

〔承久軍物語〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 大わたり(○○○○)にむかはれしむさしのぜんじよしうぢ、ざいけをこぼち、いかだをくみて、大ぜいをとりのせ、わたしつヽ、たヽかひけるゆへに、くはんぐんこと〴〵くはいぼくしたりけり、

〔太平記〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 將軍御進發大渡山崎等合戰事 大渡ニハ、新田左兵衞督義貞ヲ總大將トシテ、里見、鳥山、山名、桃井、額田、田中、籠澤、千葉、宇都宮、菊池、結城、池風間、小國、河内ノ兵共一萬餘騎ニテ堅メタリ、〈◯中略〉明レバ正月〈◯建武三年〉九日ノ辰刻ニ、將軍〈◯足利尊氏〉八十萬騎ノ勢ニテ、大渡ノ西ノ橋爪ニ推寄、橋桁ヲヤ渡ラマシ、川ヲヤ渡サマシト見給ニ、橋ノ上モ川ノ中モ敵ノ構ヘキビシケレバ、如何スベシト思案シテ、時移ルマデゾ引ヘタル、

泉河樺井渡/木津渡

〔延喜式〕

〈五十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 凡山城國泉河樺井渡瀬(○○○○○○)者、官長率東大寺工等、毎年九月上旬造假橋

〔山州名跡志〕

〈十六相樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0416 泉川渡 云樺井渡延喜式、〈◯中略〉 木津、〈所名〉右船渡、〈◯泉川〉南村是也、號木津者、南都東大寺大佛殿建立ノトキ、諸國ヨリ所運送ノ材

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 木、此川ニ著ヲ以テ所號也、上古ニハ泉ノ里、或ハ高瀬里ト云々、

〔源氏物語〕

〈三十二寄生〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 いづみ河の舟わたり(○○○○○○○○○)も、まことにけふは、いとおそろしうこそありつれ、この二月には、水のすくなかりしかば、よかりしなりけり、いでやありきは、あづまぢをおもへば、いづこかおそろしからむなど、ふたりしてくるしとも思ひたらずいひゐたるに、しう〈◯浮舟〉はをともせでひれふしたり、

〔河海抄〕

〈十八宿木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 いづみ川のふなわたり 泉河 木津河をいふなり、日本紀には誂川とあり、と津(ツ)五音通ずるなり、崇神天皇發兵、此川を中にして誂戰ありし故なり、

〔仙源抄〕

〈伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 いづみ川 木津川也、元はいどみ川ト云、

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 十年九月壬子、武埴安彦與妻吾田媛反逆、興師忽至、〈◯中略〉時官軍、〈◯中略〉進到輪韓河、埴安彦挾河屯之、各相挑焉、故時人改號其河挑河(イドミカハ)、今謂泉(イヅミ)河、訛也、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 長承四年〈◯保延元年〉二月廿七日辛未、院〈◯鳥羽〉春日御幸也、〈◯中略〉申時著【泉】ノ【生津】(キツ)、〈今度有假橋

〔名所方角抄〕

〈山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 京邊土名所 辰巳分 木津川渡 此河は駒野と木津の里との間にながれたる河なり、木津といふは河のみなみ也 泉川 木津に近し、鹿瀬山、瓶原、此等一所なり、

〔京羽二重〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 渡 樺井(かばい)ノ渡 同郡〈◯綴喜〉水主村に有、或は泉川ノ渡とも云、

〔三代實録〕

〈二十八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0417 貞觀十八年三月三日辛巳、是日山城國泉橋寺申牒曰、故僧正行基、五畿境内、建立四十九院、泉橋寺是其一也、泉河渡口(○○○○)、正當寺門、河水流急、橋梁易破、毎洪水、行路不通、當在道俗力、買得大船二艘、小船一艘、施入寺家、以備人馬之濟渡、太政官天長六年、承和六年、兩度下符國宰、充

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 配浪人護寺家及船橋、而國吏稱永例、比年無充、望請重被下知、永配浪人、視護寺家及船橋、太政官處分、依請焉、〈◯又見類聚三代格

〔京羽二重〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 渡 木津(キヅ)渡 同郡〈◯相樂〉木津庄ニ有、上古ハ泉橋寺ノ南一町ニ橋有り、此水源は今の橋より二里計巽、飛鳥路有市ノ兩村其源也、是やましろ伊賀の界なり、

〔夫木和歌抄〕

〈二十四河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 題不知 よみ人不知 泉河こまのわたり(○○○○○○)のとまりにもまだみぬ人の戀しきやなぞ

〔催馬樂〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 呂 山城〈三段、拍子各十、合拍子三十、空拍子、〉 山しろの、こまのわたりの、うりつくり、なよやらいしなや、さいしなや、うりつくり、うりつくりはれ〈◯下略〉

〔催馬樂入文〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 山しろのこまのわたりのうりつくり、今按に、和名抄に、山城國大狛、下狛、之毛都古末(シモツコマ)、行囊抄南遊下に、椿井村、林村、上狛村とついでヽ云、狛村は自路左方、行程十餘町ニ在、或ハ狛ノ大里村トモ云、此邊狛郷也、木津ノ渡ニ近シ、名所也、昔熟瓜ノ名物ヲ出シタル所ナリ云々、或紀行云、狛の里は、木津川のわたりのこなたなり、東の山際にあるを見やりて、〈歌略〉とはいひけれど、行道遠し、日もたけぬといへば、木津川をわたる、萬葉に、狛山になくほとヽぎす泉川わたりをちかみこヽにかよはず、〈已上行囊抄〉かヽれば古歌に(○○○)、狛の渡とよめるも(○○○○○○○○)、此木津川の舟渡しの事也(○○○○○○○○○○○)、今此にわたりと云は、あたりの轉語也、混ずべからず、

〔蜻蛉日記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 いづみがはもわたりて、はしでらといふところにとまりぬ、〈◯中略〉あくればかはわたりていくに、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0418 問答歌

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 【泉河】(イヅミガワ)、【渡】瀬深見(ワタリセフカミ)、吾世古我(ワガセコガ)、旅行衣(タビユキゴロモ)、裳沾鴨(スソヌレムカモ)、

〔新撰六帖〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 もり 宗良 いづみ川夕わたりして(○○○○○○○○○○)山城のはヽその森に宿やからまし

〔夫木和歌抄〕

〈二十四河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 題不知 よみ人不知 山しろのやまとにかよふいづみ河これやみくにのわたりなるらん

〔松葉名所和歌集〕

〈十古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 木津渡 光俊 桃の花咲や三月のみかの原こづの渡(○○○○)も今盛なり

大和國/狹野渡

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 狹野渡(サノヽワタリ)〈又云、三輪川、三輪崎、和州城上郡、〉

〔榻鴫曉筆〕

〈二十同名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 和國名所 佐野 〈渡、大和、〉

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 長忌寸奧麻呂歌一首 苦毛(クルシクモ)、雰來雨可(フリクルアメカ)、神之埼(ミワガサキ)、【狹野乃渡】爾(サヌノワタリニ)、家裳不有國(イヘモアラナクニ)、

〔井蛙抄〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 一同名之名所 さの渡〈◯中略〉 大和國也

〔詞林采葉抄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0419 佐野舟橋 此橋在所、先達歌枕處々ニカハレリ、然而當集〈◯萬葉集、中略、〉同〈◯十四〉歌云、 クルシクモフリクル雨カミワガサキサノヽワタリニ家モアラナクニ 此歌ハ近江國ノ佐野ニヤ、又大和歟、此歌ヲトリテ、雨ヲ雪ニトリナシテヨミ玉ヘル、 駒トメテ袖ウチハラフカゲモナシサノヽワタリノ雪ノ夕暮 京極黄門 月ニ行サノヽ渡ノ秋ノ夜ハ宿アリトテモトマリヤハセン 津守國助 アマノ原月ニコギ出シ心チシテシバシヤスラフサノヽ舟バシ 家隆

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 行末ノ河瀬モミエズシゲリアヒテ草葉ニ渡スサノヽ舟橋 冷泉黄門

攝津國/江口神崎渡

〔攝津志〕

〈四西成郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 關梁 神崎川渡 有四、一在(○○)江口村(○○○)、船主家藏織田侯元龜元年渡舟牒、一在薭島村、一在三津屋村、一在佃村

〔攝陽群談〕

〈七濟〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 江口濟(○○○) 同所〈島上郡〉

〔攝津名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 江口渡口 淀川の支流、神崎川のわたし也、

〔攝津名所圖會〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 神崎渡口 神崎村にあり、大坂よりの西國海道にして、西成郡香島より神崎村へのわたし也、晝夜行人絶ず、

〔榮花物語〕

〈三十八松の下枝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 二月はつか、〈◯延久五年〉天王寺に詣させ給、この院をば一院とぞ人々申ける、後三條院とも申めり、〈◯中略〉廿一日〈◯中略〉橋もとのつといふ所に、くだらせ給て御覽ずれば、くに〴〵の船どもヽ、御ふね共も、めもはるかによせわたしたる、みな御ふねどもにたてまつりぬ、〈◯中略〉廿二日のたつのときばかりに、御船いだしてくだらせ給ふ程に、江口のあそび、ふたふねばかりまゐり、祿などをぞたまはせける、

〔西行物語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 天王寺へまうでけるに、道にていと雨ふりければ、江口の君がもとに宿をかれ共、ききいれぬさまにて、さやうの人をば、こヽにはとヾめずと申ければ、西行かくぞ書付て出ける、 世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりをおしむ君かな、遊君ども是を見て、よび返して返事、 世をいとふ人としきけばかりの宿にこヽろとむなとおもふばかりぞ

〔信長公記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0420 元龜元年九月廿三日、野田福島御引拂、和田伊賀守、柴田修理亮兩人、殿に被仰付、路次

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 者中島より江口通御越也、彼江口と申川は、淀宇治川の流にて、大河漲下り、瀧鳴つて、冷じき様體也、總而昔年より舟渡しにて候也、

〔攝津名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 江口渡口(○○○○)〈◯中略〉 江口村の郷保田中氏に、元龜年中の古牒あり、其文曰、 渡舟之儀、晝夜令馳走之條、當村之事、亂妨狼藉、一切非分除之、若猥儀在之ば、可成敗之状如件、 元龜元年九月 信長判 江口村 船頭中

長柄渡/三國渡

〔攝津志〕

〈四西成郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 關梁 名柄川渡(○○○○) 有五、長柄濟、長柄村中濟、一名横關濟、在南方村、本莊濟、本莊村、十三(ソウ)濟、在成小路村、柏濟、在野里村

〔攝津名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 長柄川渡口〈北長柄にあり〉

〔攝津志〕

〈七豐島郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 關梁 三國渡(○○○) 西長島三國邑

〔文徳實録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 仁壽三年十月戊辰、攝津國奏言、長柄三國兩河(○○○○○○)、頃年橋梁斷絶、人馬不通、謂准堀江川、置二隻船、以通濟渡、許之、

柏渡

〔攝津志〕

〈四西成郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0421 關梁 名柄川渡〈◯中略〉 柏濟在野里村、景行天皇二十七年、日本武尊、至難波惡神、即此、〈◯中略〉享祿四年六月、島村彈正、爲

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 細川常桓殿、殺敵數人、而挾二士此而死、水産鬼面蟹、俗呼島村蟹

〔足利季世記〕

〈三高國記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 三好筑前堺エ歸事附天王寺崩高國最後事 享祿四年六月四日、三好方ノ諸勢打出、天王寺木津今宮エ取カケヽル、高國衆モ爰ヲ先途ト防ケルニ、一番勢浦上、小勢故カケマケ、浦上掃部助打死ス、同手ノ島村彈正ハ、無念ナリトテ、敵ト引組テ、野里川(○○○)ニ飛入テ死ケルガ、其淵ヨリ武者ノ顏、甲ニアル蛾〈◯應仁記作蟹〉出來テ今有リ、所ノモノハ島村蛾ト是ヲ云、

〔攝津名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 柏渡 今の野里のわたしに當る

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 二十七年十二月、日本武尊、〈◯中略〉比難波、殺柏濟之惡神、〈濟、此云和多利、〉

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 三十年九月乙丑、皇后〈◯磐之姫〉遊行紀國熊野岬、即取其處之御綱葉〈葉、此云箇始婆、〉而還、於是日天皇伺皇后不一レ在、而娶八田皇女、納於宮中、時皇后到難波濟、聞天皇合八田皇女、而大恨之、則其所採御綱葉、投於海而不著岸、故時人號葉之海、曰葉濟也、

〔勝地吐懷篇〕

〈二加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 柏濟 攝津 仁徳紀によれば、かしはのわたりといふ事は後なるを、景行紀に見えたるは、日本紀を記し給ふ舍人親王、よくことを得て、後をもてはじめにめぐらし給ふなり、日向とは景行天皇の御代よりいふ名なれど、神代紀にも此國の名有がごとし、

〔續古今和歌集〕

〈十羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 旅の心を 中納言家持 ふなでするおきつしはさゐ白妙のかしはの渡り(○○○○○○)波たかくみゆ

〔勝地吐懷篇〕

〈二加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0422 右の歌、流布の本は大小二本ともに、かしはのわたりと有、故に爰に別に立之、類字にはかしゐのわたりとて、香椎の歌とす、夫木抄にも雲葉と注して、おなじくいへり、今案、此

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 歌萬葉にも、家持家集にもなければ、おぼつかなけれど、柏はかれつればしろくなれば、白妙のかしはとつヾくべし、白妙の香椎とは、葉に付ても、實に付ても、つヾくべき理なき故に、しばらく現本にしたがへり、猶正本を考べし、

昆陽渡

〔松葉名所和歌集〕

〈十古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 昆陽渡 攝津〈類字、藻鹽、和名ニ武庫郡、〉

〔後拾遺和歌集〕

〈九羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 津の國へまかる道にて 能因法師 あしのやのこやの渡(○○○○)に日は暮ぬいづち行らん駒にまかせて

〔夫木和歌抄〕

〈三春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 六百番歌合遊絲 正三位季經卿 津の國のこやのわたり(○○○○○○)のながめにはあそぶいとさへひまなかりけり

武庫渡

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 武庫渡 攝津

〔萬葉集〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 天平二年庚午冬十一月、大宰帥大伴卿、被大納言〈兼帥如舊〉上京之時、陪從人等、別取海路 入京、於是悲傷羈旅、各陳所心作歌、 多麻波夜須(マタハヤス)、【武庫能和多里】爾(ムコノワタリニ)、天傳(アマヅタフ)、日能久禮由氣婆(ヒノクレユケバ)、家乎之曾於毛布(イヘヲシゾオモフ)、

〔松葉名所和歌集〕

〈七武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 武庫渡 攝津〈仙覺抄ニ當國〉 武庫の浦や朝みつ鹽の追風にあはしまかけて渡る舟人 知家

伊勢國/宮川渡

〔伊勢參宮名所圖會〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 宮川(ミヤカハ)〈山田の入口なり、是より外宮北御門迄卅町、〉 一名度會川、豐宮川、齋宮川、禁川と云、〈◯中略〉渡し船は晝夜を分たず、滿水の時も、雨宮の神官より人を出し、參詣人を渡さしむ、御遷宮の御時は舟橋をかくる、是上古齋宮、勅使參向の時の例なりとぞ、

〔大神宮參詣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0423 宮川をわたてて、は山しげやまの陰にいたりて見れば、このもかのもの里道をひらきて、まことにひとみやこなり、爰を山田の原と申せば、〈◯下略〉

〔伊勢紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 宮川渡り侍るに、明方の月さやかに、いと神さびけり、 わすれめや殘る廿日の月かげをほのみや川の春の曙

〔氏神まうでの記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 渡會の大川に至れり、渡し守めしてわたる、〈◯中略〉此ほどは、此わたりより、大和人、紀人、大御神にまうづとて、引もきらず行ちがふ、また東のもさの伊勢にまうでヽ、ついでに大和の國のふりにし所々、紀の高野山などかけてめぐりなどするが、おのも〳〵船にのりおくれじとあらそひのヽしる、

〔伊勢路の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 十六日、雨かぞふるばかりふる、宮川をわたるとて、 またも見ん契をぞおもふ神路山かへりみや川うちわたるにも

三渡

〔和爾雅〕

〈一下地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 伊勢國壹志郡 三渡(ミワタリ)

〔伊勢參宮名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 三渡濱〈曾原村の左の濱、今六軒なみだ川の地の、海にて有し時の名也、是はいにしへ磯づたひの道にて、波の引し時を見合て往來せし也、〉三渡川〈今は、なみだ川といふ、〉 涙川は、後世の名也、昔此ほとり海中にてありし時、其磯の波の退く間を見て往來せしなり、

〔いほぬし〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 伊勢國にて、しほのひたる程に、見わたり(○○○○)といふはまをすぎむとて、夜なかにおきてくるに、道も見えねば、松ばらの中にとまりぬ、さて夜のあけにければ、 よをこめていそぎつれども松の根に枕をしてもあかしつる哉

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0424 〈みわたり伊勢〉 鴨長明 みわたりのいそわのうつぢなをふかしあさみつしほのからきけふかな 此歌伊勢記云、みわたりと云所あり、鹽干ぬれば、こなたのさきより、かなたのすさきへ、なかばみちぬる時は、めぐりて松崎と云所をわたる、しほみちてゐればこれらをばえわたらで猶遠くめぐりて、いはぶちといふ所をわたる也、しほひにしたがひて、渡の三所にかはれば、みわた

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 りとは云なりと云々、

〔大神宮參詣記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 康永元年十月十日あまりのころ、大神宮參詣のこヽろざしありて、〈◯中略〉松風いとさむき三渡の(○○○)濱にもつきぬ、はるかなる入海にむかひゐて、旅行の人のやすらふにことヽへば、とをき道をめぐらじとて、汐のひるまをまち侍るなりとこたへしかば、ときうつる程、かしこに休み侍りて、心にうかむことを口にまかせて申すてぬ、 渡口(○○)無船憩樹陰 漁村煙暗日沈々 寒湖歸去途程近 又有松濤客心

〔雲葉和歌集〕

〈六秋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 百首歌たてまつりし時、古渡月、 前内大臣家 いせの海の汐のひかたの見渡(○○)にいそがずやどる秋夜の月

〔松葉名所和歌集〕

〈十三美〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 三渡 伊勢 みわたりの月は秋なる波の上にまだほに出ぬ伊勢の濱荻 寂蓮 いせの海のみわたりかくる浪間より數もかくれぬあのヽ松原 西園寺

桑名渡

〔伊勢參宮名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 七里ノ渡 舊名は間遠(まどを)の渡(わたり)といふ、天武天皇尾州熱田遷幸の時、此渡海長きによりて、間遠也と仰ありて、著岸を待兼給ひしより、 〈古歌〉 有明の月に間遠のわたりして里に急がぬ夜半の舟人 不讀人 〈此渡りは伊勢尾張の境、木曾川の落合此に入る、風あしき時は尾州佐谷に廻るべし、行程三里、渡し有、又佐谷よりの陸地は、神守烏森をへて熱田へ出る也、〉

〔東海道名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 間遠渡(まどをのわたり)口〈桑名七里の渡口をいふ〉

〔東海道名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 〈尾張〉宮 熱田宮の略訓なり、〈◯中略〉濱邊は桑名渡口の船著にして、領主の監船所あり、〈◯中略〉熱田宮の濱鳥居、高櫓の神燈は、海上渡船の極(メアテ)とす、

〔勢陽五鈴遺響〕

〈桑名郡四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0425 桑名渉 同府〈◯桑名〉ノ東北ヨリ尾州愛智郡熱田驛ニイタル、海路七里餘、東街道ノ官道ナリ、俗桑名ノ渉ト云、〈◯中略〉船ノ岸ニ纜ス處ヲ船場ト稱シ、大鳥居一基ヲ建、及

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 船標的ノ爲ニ燈籠ヲ挑ゲ置リ、又看監所アリ、乘船ノ料ヲ看板ニ書シテ掲グ、人馬及行李ニ其直ノ貴賤アリ、定則トス、又諸侯公卿東關往還スルハ、城主ヨリ官船ヲ裝テ饗セラル、勢陽雜記云、天武天皇舟裝シテ尾州熱田ヘ渡御ナリ、是ホドノ渡海モ、今ヲ始メナレバ、著岸ヲ待ワビサセ玉ヒ、間遠ノ渡リ哉ト宣ヒシヨリ、此處ヲ間遠ノ渉リト申スナリ、〈◯中略〉雜記所載、 有明の月に間遠の渡りして里にいそがぬ夜半の舟人、後世方輿ヲ誌スモノヽ常言トス、然レドモ其集及作者ヲ不知、伊勢名所拾遺等ニモ不載處也、今詳ニスルニ、雜記ノ間遠ノ渉ト稱シ、〈◯此間恐有誤脱〉然レドモ日本書紀等ノ國史ニ不載俗名ナリ、又古屋草紙、及拾遺、背書國誌、勢陽俚諺等、各間遠ノ渡ノ名ヲ設クカコノ渉リハ春曙記ニ據ルナルベシ、

〔佐野のわたり〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 予は尾張のくにへ、船のたよりをまち侍るに、明る十七日、夜をこめて出る船あるよし、つげきたれば、すこし夜になりて、大湊といふ所に行つきぬ、〈◯中略〉つとめて船出すべきよしかまへ侍るに、曉がたより風かはりて、村雨のやうにふり出ぬ、〈◯中略〉今ぞ船出もいよ〳〵のび侍れかしと、〈◯中略〉廿三日、〈◯中略〉夜もはやあけなんとする程に、おもふかたの風になりぬと、船子どもこゑ〴〵もよほして乘侍りぬ、こヽろのぬさとりあへぬまではしりゆく、かの伊勢おはりのうみづらなどいひし古ごともいひ出て、過にしかたの人々もこひしながら、心はさきにいそぎ侍るまヽに、おなじ國の桑名といふみなとにつきぬ、

〔伊勢物語〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 むかし男ありけり、京に有わびて、あづまにいきけるに、いせおはりのあひの海づらをゆくに、なみのいとしろくたつをみて、 いとヾしく過ゆくかたのこひしきにうら山しくもかへるなみかな〈◯又見後撰和歌集

〔紹巴富士見道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0426 桑名は近郷喧嘩有て、むかひをまちて、月に道喜の宿に入つるには、舟あまたして尾州へ渡りぬ(○○○○○○○○○○○○)、

〔東國紀行〕

〈宗牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 又桑名に渡海(○○○○○)〈◯此間文闕〉あたり意足軒一運など出むかひたり、寶泉坊あつたまできて、宿坊の事申はべればつきたり、〈◯中略〉伊勢尾張のあはひの海づらとは、おほくは此所成べし、

〔扶桑拾葉集〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 春の曙 藤原光廣 桑名につきぬ、城のあるじ、やかたうちたるあけのそほ舟、よそひたてられて、やがてめしうつりぬ、伊勢尾張のあはひの海づら、ほの〴〵と霞める月のえんなるに、波は所々しろくたちて、かこのよび聲もいかめしく、舟くらべしてうたふ、月もやう〳〵入かたちかくなれば、人をしづめて、 はる〴〵と過にしかたの人やあらぬ浪はむかしの伊勢の海づら、かヽる程に鐘のこゑ、浪の枕にひヾきぬれば、 舟中欹枕一聲近、知是熱田宮裏鐘、舟はつきぬ、

〔東武紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 桑名の城主、其身は幕府に在ながら、家郞に仰て、さきだつて三日迎舟給はる、薄暮に宮の前をいだす、七里の渡なり、 過熱田前初月寒、三更雨進不心安、征帆遲速風消息、渡是嚴陵七里灘、十六日の明がたに桑名につく、此渡をこえて、人皆東路の難をのがれたる心地しぬ、

〔丙辰紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 桑名 熱田より海路七里渡りて、伊勢國桑名にいたる、

〔東海道名所記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0427 宮より桑名まで七里舟渡し 樂阿彌申すやう、このわたしは、木曾川のすそ也、水出ぬれば上りがたく、汐さしぬれば又心易し、されども風はげしければ乘にくし、佐屋へまはりてよし、又そのかみは、何時にても舟を出しけれ共、ちかき比、由井正雪が事よりこのかた、晝の七つ過ぬれば舟を出さず(○○○○○○○○○○○○○)、今日は日も暮ぬ、明朝早く舟にのるべしとて、男ともろともに宿をとりぬ、

尾張國/津島渡

〔和爾雅〕

〈一下地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 尾張國 津島渡(シマノワタリ)

〔東海道名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 津島渡〈尾州門眞(かどま)庄津島渡〉

〔尾張名所圖會〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 津島渡〈いにしへ伊勢より當國に渡る船路なり、(中略)眞野時綱が津島祭記に、萱津の南を經て長太(ナガホ)村に上り、伊勢の鈴鹿郡甲斐河泉野を經し趣也、長太村は、桑名と四日市の間に長生といふ所也、馬津の湊より此長太に至る迄の船路を津島のわたりとはいふなり、京より東へ下るには、長太村より出船し、今の市腋(イチヱ)島にかゝり、萱津に著し趣、是をも津島の渡りといへり、伊勢名所拾遺集に、泉野とは、尾張の津島より京へのぼるもの、舟にのり長太村へあがり、それより甲斐川をこし、弓削泉村をへて、往還の本道へ出ると見えたり、〉

〔伊勢參宮名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 長太(ナカフ) 此浦津島の渡りと云古渡なり、〈昔は尾州津島への渡海ありしが、甚難所なる故に、今はやみけるにや、〉

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 七日、〈◯貞應二年四月〉市腋を立て、津島の渡と云所を舟にて下れば、蘆の若葉あをみわたりて、つながぬ駒も立はなれず、菱の浮葉に浪はかくれども、難面かはづは、さはぐけもなし、とりこすさほの雫、袖にかヽりたれば、 さして物をおもふとなしにみなれざほみなれぬ浪に袖はぬらしつ、渡はつれば、おはりの國にうつりぬ、

〔東國紀行〕

〈宗牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 宗丹伊勢までむかひにきたれば、桑名より川舟にて津島に著たり、

〔松葉名所和歌集〕

〈六津〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 津島渡 伊勢人はひがことしけり津島よりかひ川行ば泉野の原 長明

三河國/志賀須香渡

〔枕草子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 わたりは しかすがの渡り

〔枕草子春曙抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 志賀須香渡、三河なり、

〔名所方角抄〕

〈三河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 然菅(しかすが)渡 行人も立にわづらふ然菅(○○)のわたりや旅の泊なるらん 藤原家經朝臣

〔拾遺和歌集〕

〈六別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0428 大江爲基あづまへまかり下りけるに、扇をつかはすとて、 赤染衞門

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 惜むともなきものゆゑにしかすがの渡りときけば唯ならぬかな

〔いほぬし〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 しかすがのわたりにて、わたしもりのいみじうぬれたるに、 旅人のとしも見えねどしかすがにみなれてみゆるわたし守哉

〔能宣朝臣集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 しかすがのわたり、雪ふり侍り船にのりて侍る、 雪によりかへりやせまししかすがに故郷こひしいざ渡なん

〔更科日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 三河と尾張となるしかすがのわたり、げにおもひわづらひぬべくおかし、

〔後拾遺和歌集〕

〈九羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 しかすがの渡にてよみ侍りける 能因法師 思ふ人ありとなけれど故郷はしかすがにこそ戀しかりけれ

〔新勅撰和歌集〕

〈十九雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 しかすがのわたりにてよみ侍ける 中務 ゆけばありゆかねばくるししかすがのわたりにきてぞ思たゆたふ

〔遊囊賸記〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 志賀須香渡(○○○○○)ハ、當國〈◯三河〉ニ名ヲ得シ所ナレドモ、今ハ跡ナクナリテ語モ傳ヘズ、只國府ノアナタニ、御津渡津ノ名アルヲ其一證トスベキカ、又伊勢ノ國府ヨリ此國府ヘ贈レル歌ニ、志賀須香ノ渡、遙ニ海ヲ隔テトヨメルモ、此邊ヲ指ニ似タリ、吉田ニ宿スル夜、古老ト此事ヲ論ズ、

矢作川渡

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0429 太政官符 應浮橋布施屋并置渡船事 一加増渡船十六艘 參河國飽海矢作兩河、各四艘、〈元各二艘、今加各二艘、◯中略〉 右河等、崖岸廣遠、不橋、仍増件船、〈◯中略〉 承和二年六月廿九日

〔名所方角抄〕

〈三河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 矢矧里 河有り、八橋より五里なり、此川に橋あり、渡れば岡崎と云宿有、非名所

〔梅花無盡藏〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430矢作宿〈十日、(文明十七年九月)矢作在三河、蓋水野所住、刈屋城東二里、〉 出刈屋城三里餘、宿云矢作其初、傳聞長者婿源氏、秋水痩邊閑渡(○○○○○○)驢(○)、

〔宗長手記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 大永七年、〈◯中略〉安城一夜、松平與一、尾州よりこヽもとにて一夜、それよりやはぎのわたりして、妙大寺、むかしの淨瑠璃御前跡、松のみ殘て東海道の名殘、いのちこそながめ侍つれ、今は岡崎といふ、

豐河渡

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 九日、〈◯貞應二年四月〉曉をはやめて豐河の宿にとまりぬ、深夜に立出てみれば、此川はながれひろく水ふかくして、まことにゆたかなる渡也河の石瀬に落る浪の音は、月の光にこえたり、川邊に過る風の響は、夜の色白し、又みぎは、ひなのすみかには、月よりほかにながめなれたるものなし、 しる人もなぎさに浪のよるのみぞなれにし月の影はさしくる

〔名所方角抄〕

〈三河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 豐河 世俗に今橋といふ、宿よりも北なり、星野などヽ云所に近し、三河の北は山つヾきなり、今橋の宿より高師原へ行なり、北に大山あり、其麓に豐河あり、矢はぎの里讀合せり、 狩人の矢はぎに今宵やどりなば明日やわたらん豐河のなみ(○○○○○○○○○)

〔富士紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 十四日、〈◯永享四年九月〉こヽの御とまりを立侍しに、河あり、これや豐川と申わたり(○○○○○○○)ならむとおぼえて、 かり枕いまいく夜有て十よ川やあさたつ浪の末をいそがむ

遠江國/荒井渡

〔遠江國風土記傳〕

〈濱名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0430 新井〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 荒之崎〈◯中略〉 寶永四年關司政愈書曰、應永十二年、大波破此崎、〈或曰、文明七年八月八日、〉明應八年六月十日、甚雨大風、潮海與湖水之間、驛路沒、日箇崎千戸水沒、〈在關東南十町計、白洲濱、住吉、八王子之森間、〉尾崎孫兵衞者之祖、繫柑樹杪命矣、其孫今在橋本

〔東海道名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 今切 後土御門院御宇、明應八年(○○○○)六月十日、大地震して湖と湖とのあいだきれて、海とひとつに成て入海となる、これを今切といふ、

〔後法興院記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 明應七年(○○○○)八月廿五日己丑、辰時大地震、 九月二十五日、傳聞、去月大地震之日、伊勢、參河、駿河、伊豆、大浪打寄、海邊二三十町之民屋悉溺水、數千人沒命、其外牛馬類不其數云々、前代未聞事也、 ◯按ズルニ、實隆公記、親長卿記、御湯殿上の日記、妙法寺記等ノ書ニ據ルニ、遠江ノ海ノ溢レテ荒井崎ヲ壞リ濱名湖ト通ゼシハ、蓋シ明應七年八月廿五日ノ事ナルベシ、然ルニ前條ニ載スル所ノ遠江國風土記傳、及ビ東海道名所圖會ニ、之ヲ以テ明應八年六月十日ノ事ト爲セルハ誤レリ、サルハ玆歳地震アリシコト、右二書ノ外ニ一モ所見ナキノミナラズ、當時此地ニ遊ビシ飛鳥井雅康ノ手記ニ係レル富士歴覽記ヲ檢スルニ、絶テ地震ノ事ヲ言ハザレバナリ、

〔富士歴覽記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 二日、〈◯明應八年六月〉寺〈◯本興寺〉をいでヽ、うふみ〈◯うふみ恐有誤脱〉のわたりをし侍らんとて、舟まつほど、ひだりかたに、いなさほそえをみやりて、 いづくにかいなさほそえのわたし守我身をつくし待としらずや

〔足利季世記〕

〈二舟岡記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0431 義晴御誕生之事 同年〈◯永正七年〉ノ八月七日ノ夜、大地震ヲビタヾシクシテ、國々堂舍佛閣顚倒シ、天王寺ノ石鳥居モ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 タヲレケリ、其地震七十餘日不止シテ、アマツサヘ八月廿七日廿八日兩日ノ間ニ、遠江國エ大浪オビタヾシク來リ、陸地忽ニ海トナル、今ノ今切ノ渡ト申ハ是也、カヤウノ天地ノ變、如何様天下治リアラジト、心有ル人ハナゲキ合ケリ、

〔高代寺日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 永正七年八月廿七日、遠州今切崩ル、

〔遠江國風土記傳〕

〈濱名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 新井〈◯中略〉 荒之崎〈◯中略〉 寶永四年關司政愈書曰、〈◯中略〉永正七年八月廿七日、波濤中斷於驛路、又破(○)橋(○)矣、從是以來、湖水變爲潮海、橋本驛家沒、置新井宿也、

〔宗長手記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 大永六年、〈◯中略〉ひくまの野邊、名所なり、こヽを立て濱名橋、ひとヽせの高汐より、あら海おそろしきわたりすとて、此たびの旅行までと、なにとなく心ぼそく物悲くて、 たび〳〵のはま名の橋も哀也けふこそ渡りはてぬと思へば

〔東武紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 あら井の渡(○○○○○)して、白須香の海にのぞみ しら菅のねざしもしらでよる浪の岩にくだけて引ぞわづらふ

〔信長公記〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 天正十年四月十七日、濱松拂曉に出させられ、今切之渡り(○○○○○)御座船飾、御舟之内に而一獻進上申さるヽ、其外御伴衆舟數餘多寄させ、前後に舟奉行被付置、無由斷こさせらる、御舟御上りなされ、七八町御出候て、右手に、はまなの橋とて、卒度したる所なれ共、名にしおふ名所也、家康卿御家來渡邊彌一郞と申仁、さかしく濱名之橋、今切の由來、舟かた之子細、條々申上に付て、神妙に思食れて、黄金被下、手前之才覺面目也、

〔扶桑拾葉集〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0432 あづまの道の記 藤原光廣 白洲加に至る、是は白菅を俗にしらすかと云なるべし、一里ばかり行て海少入たり、〈◯中略〉是より

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0433 濱名へは四里ばかりとなん、今ぎれの左にあたりて、北にみゆる山のあなたなりといふ、此渡りは百年ばかり以前、地震の時より家など鹽にひかれて、かくかはれりといへり、日よく晴ぬれば、水底に屋形のかたちみゆといへり、此程一里船にて渡る、あら井の南外の海なり、詠めやれば天と海とひとしく見わたされて、波の立あがるは、白雲の風に飛て忽消かへるににたり、まへ坂にあがりて、蛤など蘆火にててうぜさせつヽ、かはらけとるもいそがはし、

〔丙辰紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0433 今切 遠州荒井の渡より、奧の山五里ばかり海となりて、大舟も出入事、むかしは山につヾきたる陸地なりしが、中比山よりほらの貝おびたヾしくぬけ出て海へ入ける、其跡かくのごとく海となりて、今切と名づくるよし、古老いひつたへたり、 一葉扁舟寄旅身、潮波通信遠州濱、海山何借巨靈手、我國元來造化神、

〔垂加草〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0433 遠遊紀行 荒堰(○○) 橋斷濱名跡、舟過荒堰中、世間皆一瞬、鷗睡水邊濃、

〔東海道名所記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0433 舞坂より荒堰まで舟の上、廿三町、〈◯中略〉 樂阿彌申すやう、舞坂より舟にのるに、七つ時分よりまへには渡しあり、七つ時分過れば、舟をいださずといふ、早くのり給へとて、男と共にいそぎふねにとびのる、艫のかたひろくて、ゆるりとのりけり、船頭は舟に棹さし、櫓をたてヽをす、男たづねけるは、いかに船頭殿、このうみを今切と名付たるよしうけたまはりたし、さだめて子細の侍べるやらんといふ、せんどうこたへていはく、むかしは山につヾきたる陸地なりしが、百餘年ばかり以前に、山の中より螺の貝おびたヾしくぬけ出て海へとび入侍べり、その跡ことの外にくづれて、荒井の濱よりおくの山五里ばかり

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0434 ひとつにうみに成たる故に、今切と申すなり、

〔東行別記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0434 荒井舟中 あら井より小船に帆をあげ舞坂へわたる、なみのうへ一里にはたらず、むかしは此所陸地にして、南に茫々たる海濤有、北に漣々たる湖水有、遠江といへるは、此湖によりての名なり、ちかき代いつの頃にか有けん、颶風高く起て、此道をおしきり、南海北湖一片の潮となる、これによりて、今ぎれのわたり(○○○○○○○)といふとなん、人のかたるを聞て、東海桑田の事などおもひあはせ、古今の世變をかんず、感極りて別に天遊の境にいる、 揚帆荒井船、飛過海中天、心裏觀風月、自疑遺世仙、

〔遠江國風土記傳〕

〈濱名郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0434 新井〈◯中略〉 荒之崎〈◯中略〉 寶永四年關司政愈書曰、〈◯中略〉寶永四年十月四日地震、擧波三度、各高壹丈計、崩關、潰家三百四拾八戸、溺死二十一人、亡船四拾八艘、渡海絶五日、吉田城主牧野祭酒之臣、富永政愈爲關戍、當難所誌置也、寶永四年十二月筆記、 今切海關 與前驛中間、海路壹里、政愈曰、渡海二十七町計、

〔東海道名所圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0434 今切 元祿年中、地震津濤ありて、海上あらく、風強くして波高く、渡船の災となれば、寶永年中、官家より有司來り、今切の波頭に數萬の杭を打て逆流をとヾめ、又舞坂の方より左へ、海中半道の間、波戸を築きて、渡船の風波を穩にし、ゆきヽをとヾめず自由ならしむ、

〔遊京漫録〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0434 荒井の海をわたらんとするに、風いたくふきたちて浪あらし、されどためらふべき

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 ならねばわたりぬ、思ひしよりはあやふげもなかりき、 浪風のあらゐの海をうれしくも心やすくぞわたりはてぬる

天龍川渡

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 川 天中川〈遠州、やすのわたり(○○○○○○)、うき木、此河はすはの湖の末也と云々、〉

〔橘窗自語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 西行法師が發心記といふものに、東の方へくだるに、遠江の國天中の渡り云々とあるは、今遠江濱松の驛と見附驛のあはひにある天龍川の事なり、天龍を天中河(アメナカガハ)といふは、龍の梵語なりといふよし、ある人の語れり、されば天龍河とかきて、則あめなか河とよまるヽなり、又海道記に、あまみつそらの中川の水とよめるはあしく、あめなか河といふべし、十六夜日記には、天龍の渡りともあれば、むかしより天龍ともいひしなり、

〔十六夜日記殘月抄〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 天りうのわたり 遠江國圖に、長下郡天龍寺村有、江戸砂子四下に、護本山天龍寺、もと遠州天龍川の邊にあり、江府へうつりて牛込淨るり坂下の邊にあり、かの所を元天龍寺前といふなり、そののちまた四谷へうつるとみえたれば、この天龍寺より河の名に呼しなり、いにしへは麤玉河とも、天の中川ともいへり、

〔羅山文集〕

〈六十一雜著〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 本朝地理志略 東海道十五箇國〈◯中略〉 遠江國 天龍河、其支流曰小天龍、河面廣而無橋、土人棹艇渡旅客、官家往還時架浮梁

〔東遊行囊抄〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0435 天龍川、或ハ天中川共云、船渡ノ大河也(○○○○○○)、或時ハ二瀬トナリテ大天龍、小天龍ト號、或時ハ一瀬共ナリ、又或時ハ三瀬トモナル、水底砂石ヲ流シテ瀬常ニ不定、此川ノ水上ハ、信州諏方ノ湖也、北ヨリ南ニ流テ海ニ入所ハ、懸塚貝塚ナド云港也、此川ノ海ニ入所ノ沖ヲ天龍灘トイフナリ、

〔更科日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0436 ましもと云所も、する〳〵とすぎて、いみじくわづらひ出て遠江にかヽる、さやの中山など越けんほどもおぼえず、いみじくくるしければ、天りうといふ川のつらに、かりやつくりまうけたりければ、そこにて日ごろすぐるほど そ、やう〳〵をこたる、冬深くなりたれば、河風はげしく吹上て、たへがたくおぼえけり、そのわたりしつヽ(○○○○○○○○)、はまなの橋についたり、

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0436 十二日、〈◯貞應二年四月、中略、〉天中川(○○○)をわたれば、大河にて、水面三町ばかりあれば、舟にて渡る、はやく波さかしくて、さほもさしえねば、大なる朳をもちて、よこざまに水をかきてわたる、かの王覇が忠にあらざれば、泘沱河澌むすぶべきにあらず、張博望が牛漢、浪にさかのぼりけん、浮木のふねのかくやとおぼえて、 よしさらば身をうきヾにて渡りなんあまつみそらの中川の水

〔東關紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0436 天龍と名付たるわたりあり、川ふかく流れはげしくみゆ、秋の水みなぎり來て、舟のさること速なれば、往還の旅人、たやすくむかひの岸につきがたし、此河みづまされる時、ふねなども、をのづからくつがへりて、底のみくづとなるたぐひ多かりと聞こそ、彼巫峽の水の流、おもひよせられて、いと危き心ちすれ、しかはあれども、人の心にくらぶれば、しづかなる流ぞかしとおもふにも、たとふべきかたなきは、世にふる道のけはしき習ひ也、 此河のはやき流も世中の人の心のたぐひとは見ず

〔白氏文集〕

〈三諷諭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0436 太行路 太行之路能摧車、若比人心是坦途、巫峽之水能覆舟、若比人心是安流、人心好惡苦不常、好生毛羽惡生瘡、與君結髮未五載、忽從牛女參商、古稱色衰相棄背、當時美人猶怨悔、何況如今鸞鏡中、妾顏未改君必改、爲君薫衣裳、君聞蘭麝馨香、爲君盛容飾、君看金翠顏色、行路難難重陳、人生莫婦人身百年苦樂由他人、行路難難於山於水、不獨人間夫與一レ婦、近代君臣亦如此、君不見左納

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 言右納史、朝承恩暮賜死、行路難不水不山、只在人情反覆間

〔松葉名所和歌集〕

〈十一阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 天中河 〈遠江〉 天津空中なる川の名のみしていつかはやすの渡り成けん 長明 右記云、天中河にいたりぬ、これはしなのヽすはの海の末となんいへる、わたり船をみれば、棹もさしやらぬなるべしとなん、

〔西行物語〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 すでにあづまのかたへ下るに、日數つもれば、遠江國天中のわたりといふ處にて、武士の乘たりける舟に便船をしたりけるほどに、人おほくのりて舟あやうかりけん、あの法師おりよおりよといひけれ共、わたりのならひとおもひて、きヽ入ぬさまにてありけるに、なさけなくむちをもつて西行をうちけり、血なんど頭より出て、よにあえなく見えけれ共、西行すこしもうらみたる色なくして、手をあはせ舟よりおりにけり、これを見て供なりける入道なきかなしみければ、西行つく〴〵とまぶり、都を出し時、みちの間にていかにも心ぐるしき事あるべしといひしは是ぞかし、〈◯中略〉自今以後も、かヽる事はあるべし、たがひに心ぐるしかるべければ、なんぢは都へ歸れとて、東西へぞわかれける、

〔源平盛衰記〕

〈四十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 内大臣關下向附池田宿遊君事 天龍河ヲ渡リ給ニ、水増ヌレバ船ヲ覆ト聞給ニモ、西海ノ波上被思出ケリ、

〔吾妻鏡〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 承久三年五月廿八日辛亥、雨降、武州〈◯北條時房〉到遠江國天龍河、連日洪水之際、可舟煩之處、此河頗無水、皆從(○)歩渉畢(○○○)、

〔吾妻鏡〕

〈三十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 嘉禎四年〈◯暦仁元年〉二月六日壬午、今曉、諸人乘替以下、御出〈◯藤原頼經〉以前進發、插王覇之忠、不狐疑、欲(○)競(○)渡天龍河(○○○○)之間(○○)、浮橋可破損歟、雖制敢不拘之由、奉行人横地太郞兵衞尉長直等馳申、〈◯中略〉此河水俄落、供奉人所從等者、不浮橋、又無乘船沙汰、大半渡河、水僅及馬下腹云云、

〔十六夜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 廿三日、〈◯建治三年十月〉てんりうのわたりといふ、舟にのるに、西行がむかしもおもひ出られて、いと心ぼそし、くみあはせたる舟たヾひとつにて、おほくの人のゆきヽに、さしかへるひまもなし、 水のあわのうき世に渡るほどをみよ早瀬の小舟竿もやすめず

〔太平記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 俊基朝臣再關東下向ノ事 旅館ノ燈幽ニシテ、鷄鳴曉ヲ催セバ、匹馬風ニ嘶テ、天龍川ヲ打渡、小夜ノ中山越行ケバ、白雲路ヲ埋來テ、ソコトモ知ラヌ夕暮ニ、家郷ノ天ヲ望テモ、昔西行法師ガ、命也ケリト詠ツヽ、二度越シ跡マデモ、浦山敷ゾ思ハレケル、

〔梅松論〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 今年建武二年には、御所尊氏直義〈◯中略〉御入洛、〈◯中略〉海道は山河の間に、足がヽりの難所に付、合戰治定有べしと覺えし處に、天龍川の橋をつよくかけて、渡守を以て警固す、〈◯中略〉橋をば誰か沙汰して渡したりけるぞと尋ねられしかば、渡守共云、此間の亂に、我々は山林に隱忍候て、舟どもをば所々に置て候ひしに、新田殿〈◯義貞〉當所に御著有て、河には瀬なし、敗軍なれ共大勢なり、馬にて渡すべきにあらず、又舟を以渡さばをそくして、味方を一人成ともうしなはん事不便なるべし、いそぎ浮橋をかくべし、難澀せしめば、汝等を誅すべしと御成敗候しほどに、三日の間に橋をかけ出して候なり、

〔太平記〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 官軍引退箱根事 十二月〈◯建武二年〉十四日ノ暮程ニ、天龍河ノ東ノ宿ニ著給ニケリ、時節河上ニ雨降テ、河ノ水岸ヲ浸セリ、長途ニ疲レタル人馬ナレバ、渡ス事叶マジトテ、俄ニ在家ヲコボチテ、浮橋ヲゾ渡サレケル、

〔宗長手記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 明る夏五月〈◯永正十三年〉下旬、かの城〈◯遠江國源嶽城〉にうちむかはる、〈◯今川氏親〉折節洪水〈◯天龍川〉大海のごとし、舟橋をかけ舟數三百餘艘、竹の大繩十重廿重、只陸地ににたり、此橋の祝として千句あり、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 發句、 水無月はかち人ならぬ瀬々もなし、今おもへば、みなかち人のわたりかなと申べかりけり、敵川のむかひにうちいで、射矢雨のごとし、數万の軍兵、やす〳〵とうちわたす、敵はすなはち引入ぬ、

〔東國紀行〕

〈宗牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 今日は掛川のわたりまでと急ぎ侍りしを、天龍の舟渡河風ふきて、池田の宿ゆやが跡まで事とふほどに、見つけのこうの傳馬いひつくるあひだに暮たり、

〔東海道名所記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 小天龍 大天龍 舟渡しの川あり、武士には船賃なし、商人百姓には錢六文をとる、ことさら物まうでのともがらには、三疋五疋をかきましてとるなり、

〔諸國道中袖鏡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 天りう川、信州すはの湖水より流來る、東の瀬を大天龍、西を小天りうと云、舟わたし也、船ちん十六文、大水にはこやすの森、宮の前より舟に乘る、

〔梅花無盡藏〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439天龍河懸塚〈十六日(文明十七年九月)午時、踏風波懸塚、借宿先喫小焦餅、〉急流近海棹知潮、先聽一聲婆餅焦、明夜定看小河月、借舟五貫大如橋、

〔東行日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 天龍河 龍河流漲雨餘天、濟度免難瀬與淵、通力莫舟檝利、馮虚何索羽衣仙、

大井川渡

〔名所方角抄〕

〈遠江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 菊川より東へ駒場原などヽ云所を過て、大井河と云大河、北より流たり、末は海へ流入、近し、底は石などながれ、水はにごりて瀬早く、舟渡りもなきなん河なり、かちにてわたるなり、さよの中山のかたに、かなやと云宿在、川の間一里あり、河の西は遠江なり、東向は駿河島田と云宿あり、

〔倭名類聚抄〕

〈六國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 駿河國富士郡大井〈於保井〉

〔羅山文集〕

〈六十一雜著〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 本朝地理志略

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 東海道十五箇國〈◯中略〉 駿河國 大堰川(○○○)、爲遠江駿河之境、時々毎風雨、淵瀬不定、渡則石嚙足、河東畔驛曰島田、屢爲水被漂、而居亦不定、然行旅逢水漲、以錢卑土人以渡、民得其利

〔東遊行囊抄〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 大堰川遠駿ノ堺也、川原ノ間、凡廿餘町、北ヨリ南ヘ流テ大洋ニ入、海ニ近シ、水上ハ甲信ノ山々ヨリ流出ル、水常ニ濁テ水底ニ石ヲ流ス、其逸キコト普通ニ超タリ、日夜瀬替リテ常ニ不定、故ニ昔ヨリ船ナシ、南風ニ水増シ、北風ニ水減ズ、東海道第一ノ難所也、〈◯中略〉常ニハ川越(カハゴシ)ト云者アリテ、交易ノ人ヲ扶助シ、渡シテ價ヲトル、

〔元亨釋書〕

〈二十八寺像〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 遠州鵜田寺藥師像者、寶字二年三月、一沙門、渡大井川、水底有聲曰、取我取我、沙門穿聲所而得像、高六尺五寸、左右耳朽闕、命工補之、其後時々像放光、

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 太政官符 應浮橋布施屋并置渡船事 一加増渡船十六艘〈◯中略〉 遠江駿河兩國堺大井河四艘〈元二艘、今加二艘、◯中略〉 右河等、崖岸廣遠、不橋、仍増件船、〈◯中略〉 承和二年六月廿九日

〔更科日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 田籠(タゴ)の浦は波たかくて、船にて漕めぐる、大井川といふ渡あり、水の世のつねならず、すりこなどを、こくてながしたらんやうに、白き水はやくながれたり、

〔源平盛衰記〕

〈四十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 内大臣關東下向附池田宿遊君事 菊川宿打過テ、大井河ヲ渡リツヽ、宇津ノ山ニモ成リヌ、

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 播豆藏の宿をすぎて大堰河をわたる、此川は川中に渡りおほく、又水さかし、ながれをこ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 え、島をへだてヽ、瀬々かた〴〵にわかれたり、

〔東關紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 菊川をわたりて、いくほどもなく一村の里あり、こはまとぞいふなる、此里のひがしのはてに、すこしうちのぼるやうなる奧より、大井川を見渡したれば、遙々とひろき河原の中に、一すぢならず流わかれたる川瀬ども、とかく入ちがひたる様にて、すながしといふ物をしたるににたり、中々わたりてみんよりも、よそめおもしろくおぼゆれば、かの紅葉みだれてながれけん龍田川ならねども、しばやしやすらはる、 日數ふる旅のあはれは大井河わたらぬ水も深き色かな

〔十六夜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 廿五日、きく河をいでヽ、けふは大井河といふ河をわたる、水いとあせて、聞しにはたがひてわづらひなし、河原いくりとかやいとはるかなり、水のいでたらんおもかげ、おしはからる、 思ひ出る都のことはおほゐ河いくせの石の數も及ばじ

〔吾妻道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 天文二の年神無月後の四日に、あづまのかたへ、ことのようありて下り侍るに、〈◯中略〉大井川をわたるに、都のあたりにおなじ名あれば、それさへゆかしくて、 都にしかよふこヽろの大井川名にたつ浪はかへりもやする

〔東國紀行〕

〈宗牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 こよひすぐさず大井川をわたるべしとて、あなたの麓にて駒かはせたる、いくせしらなみとか見わたされしにかはりて水もあさし、數日雨にもあはぬしるし成べし、

〔信長公記〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 天正十年四月十五日、田中未明に出させられ、〈◯中略〉大井川乘こさせられ、川の面に人餘多立渡り、かち人聊爾無様に渡し申候也、

〔東武紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 旅人には、心をかべの郷ながら、晝のやすらひして、さらず思ふ藤枝の花波かヽる大井川をわたる、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 瀬は淵と思ひかはさば大井川人の心のそこもたのまじ

〔扶桑拾葉集〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 あづまの道の記 藤原光廣 廿五日、かなやをたつ、みな人、日のかさなるまヽにつかれつヽ、朝居してたつことおそし、大井河をかちにて渡りて見んとてわたる、大なる石かぎりなく流て、足の踏どなし、河ごしといふ者つかずしては、一歩も成がたし瀬は三有、是も時によりてかはる也、歌枕などにも入て名所なれば、目もとまりぬ、河原遙に行て思ひよりけり、 君が代の數に取とも大井河河原におほき石はつきめや

〔丙辰紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 大井川 大堰河は、駿河と遠江との境なり、明日香川ならねど、霖雨ふれば淵瀬かはる事たび〳〵なれば、東の山の岸を流れて、島田の驛、河原の中にある事もあり、西のかたに流れて、金谷の山にそふ事もあり、一すぢの大河となりて、大木沙石をながす事もあり、あまたの枝流となりて、一里ばかりが間にわかるヽ事もあり、さればいにしへより、徒杠輿梁もなりがたきゆへに、往來の人馬、川の瀬をしらざれば、金谷に待もあり、島田にとヾまるもあり、わたりかヽりておぼるヽ者もあり、辛ふじてむかひの岸にいたるもあり、島田の民、をのが家はたヾよひ流るれども、旅客の囊をむさぼるゆへに、洪水をよろこぶ、賣炭翁が單衣にして、年の寒きを待がごとし、〈◯中略〉 尋常掲厲必過腰、叱馬呼奴魂欲銷、來往就中何處苦、無舟無筏復無橋、

〔東海道名所記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 島田より金谷へ一里 男申けるは、いざやこヽにとまり侍べらんといふ、樂阿彌申すやう、旅なれぬといふは此事なるべし、此さきに大堰川あり、駿河と遠江の境なり、〈◯中略〉近比は島田と金谷の馬かた、川ごしと一味して、あさき瀬をかくし、ふかき所をとをり、わざとふしまろびなんどして、腰につくほどの水に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 も、廿疋三十疋の錢をとる、まして水のふかき時は、其賃かぎりなし、水のある時分ならば、島田かなやに宿をとり、川ごしのねだんをきはむべし、川ばたにゆきかヽりては、殊の外に賃高し、いはんや出家町人伊勢まいりをば、なをも直段たかくとる也、此川にては功者あるべし、まこと大水ならば、宿に逗留すべし、然るに此ほど打續きて雨ふらず、水はさだめてすくなかるべし、今夜島田にとまりて、大河を前にかヽへん事しかるべからず、もし川上に雨ふり、夜の間に水まさらばくやしからん、道はたヾ一里なり、かなやにこえてとまり給へ、草臥給はヾ馬にめせとて、島田にて馬をかり、男をばうちのせ、樂阿彌はかちにて行、〈◯中略〉川ばたにゆきてみれば、思ひの外に水おほし、されども馬かた心得たるものにて、瀬を尋ねてわたす、樂阿彌も、からしりの馬はあぶなきものぞや、わきひらをみれば目のまふものぞ、目をふさぎ、よく鞍つぼにとりつき給へと、男にちからをそへて、歩意々々といふて渡るうちに、〈◯下略〉

〔東行日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 大井川 激浪飜雲巨石流、毛寒渡口一時秋、水村老弱踏如席、恍訝神明又鬼幽、

〔諸國道中袖鏡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 大井川の下にいろと云所あり、川越の肩へまたがりて越すより、川越大勢かヽりてれん臺にて越もあり、水の多少によるゆゑ、川越のちんせん定らず、人壹人に付九十文以上に至れば留り川となる、御用の御状箱を渡して川あく也、

〔東海道名所圖會〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 大井河〈或は大堰川、又は大猪河とも書す、渡口金谷の驛の北にあり、◯中略〉 此大堰川は、東海道第一の急流の大河にして、薫風(みなみかぜ)にはみかさをまし、穴師(あなし)〈◯西北風〉吹ぬれば水落る、いにしへより、舟なく桴なく橋無うして、ゆきヽの人は、島田金谷の川越所に立寄て、何文川の定めを聞て、其賃をわたし、割符を取て、渡丁に越さしむ、蓮臺、肩車(かたぐるま)などの兩品ありて、交易の賈人、京登り、吾妻下り、伊勢まいり、富士詣など、八人懸の臺に乘られ、又は肩車にて渉すもあり、相撲の關

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 取は、人を雇ハず、自ラ丸裸に成て、土俵入の如くわたるもあり、水勢ちからにや劣りけん、波は左右へ別れける、卿相の雲客、列國の諸侯は、駕を臺に居て、多くの役夫をもつて舁渡す、水堰(みづせき)の傭夫は、前後に圍ひ、急流に足を揃へ、聲を合て渉す、紅葉ちり時雨する頃は、水落て冬川の寂しきに、渡丁は弱り、みかさます夏河を質に入レかしかりの沙汰、羅山子いへる如く、己が草の戸は流るれども、首だけの借錢を納して、五月雨の水に威をまし、下り酒の菰を解て、所々に宴す、島田金谷の渡丁、都て七百人なり、霖雨降止ずして、みかさましぬれば、河止(かはどめ)とて、東西の驛中、所せくまでふたがり、一驛二宿も跡へ戻りて、水の落るを待もあり、又色尾より渉りて、藤枝へ出るもあり、なを此行先に安部川、富士川、酒勾、馬入、六郷などいふ川々あり、みなこれに准べし、〈◯中略〉 乙卯仲夏、從東關歸路、憩島田驛長大久保氏家、主人指麾大井川渡丁、其芳志殆厚矣、 光らして水の上行螢かな 籬島

〔人見雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 世のかはり行くさまをかし、光廣卿の記に、大井川をかちにて渡て見んとてわたる、大なる石限りなく流れて、足の踏どころなし、河越しといふもの、つかずしては、一歩も成がたしと書けり、今の公家衆、かヽる文かく人あるべからず、徒歩する衆はあるまじ、古は氣體ともに柔弱ならず、容體ぶりなき事知るべし、此頃武家には徒渡り多かるべし、當時は徒渡の人、万石以上にて絶てなかるべし、紀州公、今も徒渡りし玉ふを、至て粉らしき事にいふなり、

〔都紀行〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 廿九日、〈◯文久三年十二月〉駿河遠江の堺といふ大井川の河原にいたり、名に聞へたる流れもたへだへにて、わづかに二せ三瀬なるを橋にて渡り、中に少しく廣き流れを、河越さす者にたすけられ渡り得て、八間家、一ケ島、しみづばし渡りて、〈◯下略〉

駿河國/丸子川渡

〔東武紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 十二日の朝、〈◯中略〉阿部川とやらんもすぎ、まりこ川(○○○○)にのぞめば、夕日やにしきの波、水鳥や鴨履けあげて渡るなり、葛袴のすそぬれて、うらやみながらに、うつの山にかヽる、

〔東海道名所記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 鞠子より岡部まで二里 まりこ川を渡るとて、樂阿彌かくぞよみける、 駄賃馬のくつをもたかく蹴あぐるはまりこの川の水のしらなみ

安部川渡

〔東海道名所圖會〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 安部川 此河大井川に雙びて、歩渡りの大河也、滿水の時は、河止ありて旅人の難とす、

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 春日藏首老歌一首 燒津邊(ヤキツベニ)、吾去鹿齒(ワガユキシカバ)、駿河奈流(スルガナル)、阿倍乃市道爾(アベノイチヾニ)、相之兒等羽裳(アヒシコラハモ)、

〔萬葉集略解〕

〈十四下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 駿河内屋(ウツノヤ)ノ坂ノ東ニ阿部川有、卷三阿部の市道とよめるは此河の東なり、

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 太政官符 應浮橋布施屋并置渡船事 一加増渡船十六艘〈◯中略〉 駿河國阿倍河三艘(○○○○○)〈元一艘、今加二艘、◯中略〉 右河等、崖岸廣遠、不橋、仍増件船、〈◯中略〉 承和二年六月廿九日

〔東海道名所記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 府中より鞠子まで一里半 あべ川 河は歩渉り也

富士川渡

〔東海道名所圖會〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 富士川 駿河富士郡にあり、〈◯中略〉道中第一の急流なり、河の幅、水の増減によつて際限極らず、常流には船わたし、滿水には船とまるなり、

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 十四日〈◯貞應二年四月〉蒲原を立て、〈◯中略〉富士川をわたりぬ、此河中にこそ石をながす、巫峽の水

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 のみ、なんぞ舟をくつがへさんや、

〔十六夜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 廿七日、明はなれて後、ふじ河わたる、朝川いとさむし、かぞふれば十五瀬をぞわたりぬる、 さえわびぬ雪よりおろす富士河の川風こほる冬の衣手

〔丙辰紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 富士川 我國に名を得たる大河はあまたあれど、ことに富士川は海道第一の急流なり、舟に乘て渡るに、わたし守ちからをいだして、竿をさし櫓をおしいだすとき、岸より見るものは、あはやとあやうくおもひ、船中の人は、目まひ魂の消るこヽちぞしける、 往來停馬此踟蹰、天下滔々豈獨吾、河畔爲名利路、涪陵慙愧一樵夫、

〔東海道名所記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 富士川は、吉原と神原との眞中なり、大河にして水はなはだはやし、〈◯中略〉されども往來の人は、利分にはせてこりもせず、いくたびもわたりて、かせぐからに、たヾ山中にすみて、木をこりしばをかりたるが、心の樂しびはましぢやと、山家のものはおもひぬらん、おとこ、 富士川のながれわたりやよの中の人の身過のためしなるらん

〔諸國道中袖鏡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 ふじ川、〈◯中略〉舟わたしなり、船ちん十六文、

相模國/馬入川渡

〔東海道名所記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 藤澤より平塚へ三里十六町 ばにうの渡し、御上洛には舟橋かヽる也、

〔東海道名所圖會〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 馬入川(○○○) 馬入村にあり、むかしは相模川(○○○○○○○)といふ、

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 大磯のうら小磯のうらをはる〴〵とくれば、雲のかけはしなみのうへにうかみて、かささぎのわたしもり、あまつ空にあそぶ、あはれさびしきたびの空かな、〈◯中略〉さがみ川をわたりぬ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 れば、懷島に入、

〔金槐和歌集〕

〈雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 相模川といふかはあり、月さし出て後、船にのりてわたるとてよめる、 夕月夜さすや川瀬のみなれ棹なれてもうとき波の音哉

〔太平記〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 足利殿東國下向事附時行滅亡事 路次數箇度ノ合戰ニ打負テ、平家〈◯北條氏〉ヤタケニ思ヘ共不叶、相模河ヲ引越テ、水ヲ阻テ支ヘタリ、時節秋ノ急雨一通リシテ、河水岸ヲ浸シケレバ、源氏〈◯足利氏〉ヨモ渡シテハ懸ラジト、平家少シ由斷シテ、手負ヲ扶ケ馬ヲ休メテ、敗軍ノ士ヲ集ントシケル處ニ、夜ニ入テ高越後守二千餘騎ニテ上ノ瀬(○○○)ヲ渡シ、赤松筑前守貞範ハ中ノ瀬(○○○)ヲ渡シ、佐々木佐渡判官入道道譽ト長井治部少輔ハ、下ノ瀬(○○○)ヲ渡シテ、平家ノ陣ノ後ヘ回リ、東西ニ分レテ同時ニ時ヲドツト作ル、

〔難太平記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 一式部大輔入道殿事、〈號三郞頼國◯中略〉相模川にて、又大水の時分にて、敵さヽへけるを、上下の渡(○○○○)は佐々木判官入道以下渡しけり、中の手殊更こわかりしを渡されしかば、河中にて人馬ともに射ころされて、うたれ給ひき、今川三郞と云しも、河ばたといひし人も、一所にてうたれき、

〔垂加草〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 遠遊紀行 相模川〈俗謂之馬入〉客路迢々莫與儔、渡頭競處此躇躊、水深流急亦橋絶、馬入相模河上舟、

〔東行別記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 相模河 馬入とはいへど馬はわたらず、橋さへぞむかしよりわたしがたき河なりける、けふしも春水いやまさり、ふねもかよひがたかりけれど、いつかぎりならんなれば、河邊にとヾこほるべきにしもあらず、しひて棹さヽせて出にたるに、さかまく波の舟に打いり、袖もひづるばかりにあやうき事おほかり、ふねこぞりて、いたくいとふ氣色なりければ、友人をいさめんとて、天にあふひで

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 うそぶく、 いとはじなこれぞうき世のさがみ河わたりかねつヽ袖はぬるとも、とかうして、むかふのきしにつきぬ、舟よりあがり行あしをとヾめて立かへり、ふねにむかひて謝辭をのぶ、 幾世誤傳馬入名、假橋時見彩虹横、若無一葉浮遊助、率土兆民奈旅行

酒勾川渡

〔東遊行囊抄〕

〈十四上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 酒勾川、一名鞠子川(○○○○○)共云、是ハ古ノ名也、此川上ハ御厨領トテ、駿州堺、足柄ノ邊ヨリ流出テ、此渡ノ右方五六町ニテ海ニ入也、

〔東海道名所圖會〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 酒勾(さかは)川 小田原の北にあり、酒勾は相模川の略訓といふ、又一名鞠子川とも云、 ◯按ズルニ、酒勾ヲ相模川ノ略訓ナリト云ヘルハ、上文引ク所、本書馬入川條ニ、馬入川ヲ相模川ト云ヘルニハ合ハズ、誤ナラン、

〔源平盛衰記〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 大沼遇三浦事 八月〈◯治承四年〉廿三日ニハ、石橋ノ合戰ト兼テ被觸タレバ、三浦ハ可參ヨシ申シタレバ、其日衣笠ガ城ヨリ門出シ、船ニ乘テ三百騎沖懸リニ漕セケルニ、浪風荒クシテ叶ハズ廿四日ニ、陸ヨリ可參ニテ出立ケルガ、丸子川ノ洪水ニ、馬モ人モ難叶ト聞テ、其日モ延引ス、廿五日ニ、和田小太郞義盛三百餘騎ニテ、軍ハ日定アリ、サノミ延引心元ナシ、打ヤ〳〵トテ、鎌倉通ニ腰越、稻村、八松原、大磯、小磯打過テ、二日路ヲ一日ニ酒勾ノ宿ニ著、丸子河ノ洪水イマダヘラザレバ、渡ス事不叶シテ、宿ノ西ノハヅレ、八木下ト云所ニ陣取、洪水ノヘルヲ待、曉渡サントテ引ヘタリ、

〔異本曾我物語〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 建久四年癸亥五月下旬の比、十郞助成、五郞時致、兄弟打つれ、曾我の屋形を出て、〈◯中略〉二人打つれ箱根路へとぞかヽりける、鞠子川を打渡るとて、十郞申けるは、和殿三歳、助成五歳より、曾我の里に住初て、廿有餘まで、此川を渡らぬ日はあれど、渡らぬ月はよもあらじ、如何な

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 れば、今日水さへ濁て、渡る瀬も見えざる事かと云ければ五郞是を聞、いまだしろめさずや、罪人河を渡れば三途の水濁ると承る、我等が爲には鞠子川こそ三途の大河、箱根の御山こそ死出の山よ、鎌倉殿は閻魔王、敵に逢ん所こそ閻魔の廳よ、數千人の武士共こそ、牛頭馬頭阿修羅刹にてあれとて打瀬しける、十郞向の岸に打上りて、 五月雨に淺瀬も見えぬ鞠子川波にあらそふ我なみだ哉、五郞も同じく、 渡るより深くぞ頼む鞠子川親の敵に逢瀬とおもへば

〔十六夜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 まりこ河といふ河をいとくらくてたどりわたる、こよひはさかは(○○○)といふ所にとヾまる、明日は鎌倉へいるべしといふなり、

〔梅花無盡藏〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449關本宿糟屋是日渡毬子河〈相州〉 最乘寺畔出民家、鳥促晨炊、小雨斜、毬子長河輕蹴渡、水煙如柳浪如花、

〔廻國雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 まりこ川にて誹諧、〈◯歌略〉小田原につき侍れば、〈◯中略〉さきのたび渡りける鞠子川を、又とをるとて誹諧、 まりこ川またわたる瀬やかへり足

〔扶桑拾葉集〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 あづまの道の記 藤原光廣 廿八日、小田原を立、まりこ川といふ有、するがにも同名有、さかは川といふをわたる、是を菊川といへり、北より南へながれて海に入、

〔人見雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 小田原の東、まりこ河あり、駿河にも同名あり、さかは河を渡る、是を菊川といふ、

〔東海道名所記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 酒勾川、富士のすそより流る、常には歩渡り(○○○○○○)、冬は土橋をかけらる、此川左のかた一町ばかりにして海に入なり、追はぎおほし、夜ぶかに出べからず、

〔諸國道中袖鏡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 まりこ川、近年洪水にて、酒勾川と一流になりて、今はなし、さかは川、かちわたり、冬

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 は土橋かヽる、近年水高く、往くわんなん義の所なり、

固瀬川渡

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 固瀬川をわたりて、江尻の海汀をすぐれば、江の中に一峯の孤山あり、

〔源平盛衰記〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 義朝首出獄事 左馬頭義朝ニハ贈官アリ、補太政大臣、首ヲバ蒔繪ノ手箱ニ入テ、錦袋ニ裹、文覺上人頸ニ懸タリ、〈◯中略〉文覺下ルト聞エケレバ、御迎ニトテ御使片瀬川(○○○)マデ參タリ、旣鎌倉ニ下著有ケレバ、〈◯下略〉

〔吾妻鏡〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 文治四年正月廿日丙辰、二品〈◯源頼朝〉立鎌倉、令詣伊豆筥根三島社等給、 廿六日壬戌、若公〈◯頼家〉爲御迎、參固瀬河(○○○)邊給、自二所還御也、

〔太平記〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 稻村崎成干潟事 去程ニ極樂寺ノ切通ヘ被向タル大館次郞宗氏、本間ニ被討テ、兵共片瀬腰越マデ引退ヌト聞ヘケレバ、新田義貞、逞兵二萬餘騎ヲ卒シテ、廿一日ノ夜半計ニ片瀬腰越ヲ打廻リ、極樂寺坂ヘ打莅給フ、

〔夫木和歌抄〕

〈二十四河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 海道宿次百首〈かたせ河相模〉 參議爲相卿 うちわたすいまやしほひのかたせ河おもひしよりも淺き水哉

武藏國/石瀬渡

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0450 太政官符 應浮橋布施屋并置渡船事 一加増渡船十六艘〈◯中略〉 武藏國石瀬河三艘(○○○○○)〈元一艘、今加二艘、◯中略〉 右河等、崖岸廣遠、不橋、仍増件船、〈◯中略〉 承和二年六月廿九日

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 石西渡〈いはせの渡武藏〉 よみ人しらず 風さむみ冬はいはせのわたりにてをちの舟まつを〈◯を恐ほ誤〉とぞわりなき

六郷渡

〔遊囊賸記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 六郷渡ハ、多磨川ノ下流、荏原橘樹兩郡ノ境ナリ、川ノ北方ニ六郷村アリ、ヨツテ川ノ名トス、

〔江戸名所圖會〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 六郷渡 八幡塚の南にあり、此川は多摩川の下流にして、八幡塚より河崎の驛への渡しなり、昔は橋を架せしが、享保年間、田中丘隅といへる人の工夫により、洪水の災を除ん爲に、橋を止めて船渡にせしとなり、

〔元祿十五年走湯行記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 六郷の渡に著く、過し貞享四子の春、相模の浴に行しころは橋の有けるが、數度の滿水に流れて、今は渡船になりぬ、

〔元祿三年戸田他石記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 六郷川 漾々水流通海潮、旅人來往奈橋、雨晴昨夜滂沱後、水漲郵船兩岸遙、

〔遊囊賸記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 六郷渡ハ、橋ノ權輿詳ナラズ、永祿ニ其名見ユレバ、北條家ノ盛時ニ掛初ケルニヤ、海道四大橋ノ一ト聞エシモ、貞享ニ流亡シテヨリ、永ク此渡トナリ、今ハ橋柱サヘ朽果ヌ、濱名長柄ト同日ノ譚ナルベシ、

矢口渡

〔東海道名所圖會〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 矢口渡口 六郷の河上にあり、矢口村の農作のわたし也、

〔太平記〕

〈三十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0451 新田左兵佐義興自害事 十月〈◯延文三年〉十日ノ曉ニ、兵衞佐殿ハ、忍テ先鎌倉ヘトゾ被急ケル、江戸竹澤ハ、兼テ支度シタル事ナレバ、矢口ノ渡リノ船ノ底ヲ二所ヱリ貫テ、ノミヲ差シ、渡ノ向ニハ、宵ヨリ江戸遠江守、同下野

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0452 守、混(ヒタ)物ノ具ニテ三百餘騎、木ノ陰、岩ノ下ニ隱テ、餘ル所アラバ討止メント用意シタリ、跡ニハ竹澤右京亮、究竟ノ射手百五十人勝テ、取テ歸サレバ、遠矢ニ射殺サント巧タリ、大勢ニテ御通リ候ハバ、人ノ見尤メ奉ル事モコソ候ヘトテ、兵衞佐ノ郞從共ヲバ、兼テ皆拔々ニ鎌倉ヘ遣シタリ、世良田右馬助、井彈正忠、大島周防守、土肥三郞左衞門、市河五郞、由良兵庫助、同新左衞門尉、南瀬口六郞、僅ニ十三人ヲ打連テ、更ニ他人ヲバ不雜、ノミヲ差タル船ニコミ乘テ、矢口渡ニ押出ス、是ヲ三途ノ大河トハ思寄ヌゾ哀ナル、〈◯中略〉此矢口ノ渡ト申ハ、面四町ニ餘リテ、浪嶮ク底深シ、渡シ守リ已ニ櫓ヲ押テ、河ノ半バヲ渡ル時、取ハヅシタル由ニテ、櫓カイヲ河ニ落シ入レ、二ツノノミヲ同時ニ拔テ、二人ノ水手、同ジ様ニ河ニガハ〳〵ト飛入テ、ウヅニ入テゾ逃去ケル、是ヲ見テ、向ノ岸ヨリ、兵四五百騎懸出テ、時ヲドツト作レバ、跡ヨリ時ヲ合セテ、愚ナル人々哉、忖(タバカ)ルトハ知ヌカ、アレヲ見ヨト欺テ、箙ヲ扣テゾ笑ケル、去程ニ水船ニ涌入テ、腰中計ニ成ケル時、井彈正、兵衞佐殿ヲ抱奉テ中ニ差揚タレバ、佐殿安カラヌ者哉、日本一ノ不道人共ニ忖(タバカ)ラレツル事ヨ、七生マデ汝等ガ爲ニ恨ヲ可報者ヲト、大ニ忿テ、腰ノ刀ヲ拔テ、左ノ脇ヨリ右ノアバラ骨マデ搔回々々、二刀マデ切給フ、井彈正膓ヲ引切テ、河中ヘガハト投入レ、己ガ喉笛二所サシ切テ、自ラカウヅカヲ爴ミ、己ガ首ヲ後ロヘ折リ付ル音、二町計ゾ聞エケル、世良田右馬助ト、大島周防守トハ、二人刀ヲ柄口マデ突違テ、引組テ河ヘ飛入ル、由良兵庫助、同新左衞門ハ、舟ノ艫舳ニ立アガリ、刀ヲ逆手ニ取直シテ、互ニ己ガ首ヲ搔落ス、土肥三郞左衞門、南瀬口六郞、市河五郞三人ハ、各袴ノ腰引チギリテ裸ニ成、太刀ヲ口ニクハヘ、河中ヘ飛入ケルガ、水ノ底ヲ潛テ向ノ岸ヘカケアガリ、敵三百騎ノ中ヘ走入リ、半時計切合ケルガ、敵五人打取リ、十三人ニ手負セテ、同枕ニ討レニケリ、

戸田渡

〔江戸名所圖會〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0452 戸田川渡口 水源は入間川にして、秩父より發生し、下流は荒川ともいひ、隅田川とも號く、常に舟わたしあり、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 此川水増ば、志村まで川ひらきて渡りがたし、依て其頃は、堤傳ひに千住へ廻りて江戸へ入る、昔は堤村にて馬をつぐとなり、今も出水の時は此村にてつげり、

〔遊囊賸記〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 戸田渡ハ、荒川ノ下流ナリ、西岸ノ村ニ据テ名ヲ得タリ、此渡ハ、櫻草ノ爲ニ一過セシコト、指ヲ屈スレバ已ニ廿年ニ及ビヌ、

〔東山日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 戸田渡 入舶刺棹戸田渡、悵別武城唯反顧、驚見川流増漫波、慕明涙與遇時雨

隅田渡

〔和爾雅〕

〈一下地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 下總國 須田渡(スダノワタリ)

〔松葉名所和歌集〕

〈十五寸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 須田渡 下總〈夫木ニ當國〉

〔松屋叢話〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 萬葉三の卷、辨基が歌に、亦打山(マツチヤマ)、暮越行而(ユフコエユキテ)、廬前乃(イホザキノ)、角太河原爾(スミダガハラニ)、獨可毛將宿(ヒトリカモネム)、と見えたる角太を、都奴太(ツヌダ)とよみて、いにしへ角の字をすみとよめりし例なし、すみには必隅の字を書たりといへる本居宣長が説をたすけ、近江の僧海量が、今も紀伊國に廬前庄、角田庄といふがあるよしものがたれるをも、後のあやまり也とて、荒木田久老が萬葉槻の落葉にいひけちぬるはいかにぞや、まづ大殿祭の祝詞に、四方四角(ヨモヨスミ)と見え、遊仙窟にも、四角をよすみとよみたるがうへに、元亨釋書十五の卷、越知山泰澄が傳に、釋泰澄、姓三神氏、越之前州、麻生津人、父安角(ヤスズミ)云々、大寶二年、文武帝勅伴安、以澄爲鎭護國家法師、養老之法効、擢爲供奉、賜號神融禪師、授以禪師位、天平之効、授大和尚位、改號泰證、澄奏曰、願以證作澄、蓋不父諱也、自註に澄角和訓隣(チカシ)ともあれば、これかれおもひめぐらすに、なほすみだとよむべき證ぞさだかなる、花營三代記、康暦二年八月廿三日の條に、紀州凶徒、高野政所、並隅田一族等、沒落之由、翌月九月二日注進到來とあるも、紀伊國の姓氏なれば、角田とも、隅田とも、字をかよはして書りと見ゆ、橘千蔭が萬葉略解に、その議論はなくして、たヾにすみだとよみたるは、古訓によれりしのみにて、宣長がひがこと

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 をしれるにはあらず、

〔紫の一本〕

〈下渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 橋場渡し 隅田川の渡しとも云、江戸禪宗三箇寺總泉寺といふ寺、又淺茅が原、鏡が池も皆此近所なり、昔新田義宗武藏野合戰の時、足利打まけ、石濱(○○)迄引れたりと、太平記に見へたるも、此所なりといふ、

〔昆陽漫録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 石濱 橋場の法源寺に、〈◯註略〉古き石碑どもあり、〈或人の云く、先年地中よりほり出だせり、〉その内の大同元年の碑に、砂尾石濱道場とあり、〈◯中略〉按ずるに、今砂尾山不動院橋場寺と云ふ寺、橋場にあれば、古の砂尾石濱は、橋場なること疑なし、今橋場の土人、橋場を宿と云ふものあれば、古の奧州道にて、こヽより隅田川を渡り、石濱を宿としたるべし、〈◯中略〉さて今を以て見れば、砂利場の近くなるゆゑ古は隅田川石川にて、橋場は石濱とみゆ、橋場の川向の北の牛田〈本は丑田と書くと云ふ〉と云ところの惡水おとしの廣さ十間餘の川を、土人古隅田川と云へば、地變じて川の流、古と異なること明なり、〈◯註略〉凡そ川の廣狹深淺緩急、變地によりてかはり、高岸爲谷、深谷爲陸なれば、古の石川、今は泥川となり、向ふ岸くづれて卑くなりたるべし、古は橋場より渡りて、川甚だ大きなるにや、又橋場は石濱ゆゑ、餘程石濱を往きて渡るにや、今は地變によりて、橋場より直に渡るにや、しるべからず、

〔江戸砂子〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 隅田川の渡 橋場の渡し共云、すだ村木母寺へわたる所、此わたし、むかしの奧州街道と云、伊勢物語の、日もくれぬ、はや舟にのれと云しも此所なりとぞ、

〔御府内備考〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 橋場渡 橋場より葛西領寺島村へ達する船渡なり、是古歌に詠ぜし隅田渡なりと云、正保改定國圖には、舟渡六十八間と注す、

〔江戸名所圖會〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 隅田河渡(すみだがはのわたし)橋場より須田堤(すだづヽみ)のもとへの古き渡なり、今は橋場(はしば)の渡(わたし)と唱ふ、

〔淺草志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 隅田川渡 橋場の渡しともいふ、橋場より隅田村へ渡す、むかしの奧州街道なり、

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 太政官符 應浮橋布施屋并置渡船事 一加増渡船十六艘〈◯中略〉 武藏下總兩國堺住田河四艘(○○○○○)〈元二艘、今加二艘、〉 右河等、崖岸廣遠、不橋、仍増件船、〈◯中略〉 承和二年六月廿九日

〔伊勢物語〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 むかし男有けり、その男、身をえうなき物に思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に、すむべき國もとめにとて行けり、もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり、〈◯中略〉ゆきゆきて、むさしの國と、しもつふさの國とのなかに、いとおほきなる河あり、それをすみだ川といふ、その川のほとりにむれゐて思ひやれば、かぎりなく遠くもきにけるかなとわびあへるに、わたし守、はや舟にのれ、日もくれぬといふに、のりてわたらんとするに、みな人物わびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず、さる折しも、白き鳥の、はしと足のあかき、しぎの大さなる、水の上にあそびつヽ魚をくふ、京には見えぬ鳥なれば、みな人みしらず、わたしもりにとひければ、これなん都鳥といふをきヽて、 名にしおはヾいざこととはんみやこ鳥わがおもふ人は有やなしやと、とよめりければ、舟こぞりてなきにけり、〈◯又見古今和歌集

〔更科日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 野山あしをぎのなかをわくるよりほかの事なくて、武藏と相模との中に有て、あすだ(○○○)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 川(○)といふ、在五中將〈◯在原業平〉のいざこととはんとよみけるわたり也、中將の集には、すみだ川とあり、舟にてわたりぬれば、相模の國になりぬ、

〔鹽尻〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 一更科の日記に、武藏と相模との中に有て、あすだ川と云は、在中將の、いざこととはんとよみ侍りけるわたりなり、中將の集には、すみだ川と有、船にて渡りければ、相模國になりぬと書り、伊勢物語には、武藏國と下總の國との中に、いと大なる川あり、それをすみだ川といふとこそ記せし、など相武のさかひとは云にや、〈賢按に、こは相總音近きゆへそうと間違〉いま又武藏の西、相模の堺にさる川なし、今の海道しなの坂は兩國境なり、其西吉田といふ里の東に小川あり、夫をいふ歟、海道昔の道に非ざれば、若初の道に、すみだ川といふも侍るにや、知がたし、

〔武藏國隅田川考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 更級日記云、むさしとさがみとの中にゐて、あすだ川といふ、 按に、あすだ川は、すなはちすだ川なるべし、す田川、隅田川おなじ、里人のかくなまつて傳へしなるべし、〈◯中略〉此日記は、常陸介菅原孝標が女のしるせしなり、孝標が父は資忠といひて、天延九年五月卒しぬれば、かの女も大やうその比の人なることしるべし、物茂卿云、武藏相模の境なるすみだ川といふ事は、女のかヽれたるものなれば、國の名を書ちがへしなるべしと、山岡明阿云、異本に武藏と下總とのあひだにこの條あり、さらば今の世のいひ傳へによくかなへども、或は後人のことさらに入ちがへたることにや、多本皆武藏相模のさかいとあり、もしはこの作者、まだ幼稚の童女の〈按に、十三歳のときなり、〉書きたるものなれば、きヽたがへしにもあるべし、いづれ定めがたくなんと、此二説のごとき、いまだまさしきを得たりともおもはれず、茂卿の説のごとく、たヾ國の名かきたがへたりといはんには、前後の文を見るに、武藏野を分てこの隅田川に來れり、是より相模の國にいたり、もろこしの原など見しことをかけり、諸越の原は相模の國なり、國の名あやまりたらんには、下總國とかくべきか、それよりもろこしが原にいたらんは、いかに

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 もほど遠かりぬべし、よりて異本に、武藏下總の國とあるも、得たりともおもはれず、いかさまそのころあなひせしものヽ、多磨川をさして、是なん隅田川なりと、みだりにおしへしならん、すべて此記を見るに、道すがらの名だヽる所は、こく〴〵く沙汰あれど、多磨川のことにおよばず、是らにてもおもひ合するに、多磨川と隅田川のあやまりより、武藏と相模の中とは、かきしなるべし、さもあらんには、諸越が原へ出しもむべなり、ことに女のことなれば、おしへしままをしるせしなるべし、猶下の太井川にも辨ぜり、

〔吾妻鏡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 治承四年十月二日辛巳、武衞〈◯源頼朝〉相乘于常胤廣常等之舟檝、濟大井(オホヰ)【隅田】(スミダノ)兩河、精兵及三萬餘騎、赴武藏國

〔義經記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 よりともむほんの事 ぢせう四年九月十一日、むさしとしもつけのさかいなる、まつどのしやう、いち河といふ所に付給ふ、御せい八萬九千とぞ聞えける、こヽにばんどうに名をえたる大河一つ有、此河のみなかみは、上野國とねの庄、藤はらといふ所よりおちて、みなかみとをし、すゑにくだりては、ざいご中將のすみだ河とぞ名付たる、うみよりしほさしあげて、みなかみには雨ふり、こうずいきしをひたしてながれたり、ひとへにうみを見るごとく水にせかれて、五日とうりうし給ひ、すむだのわた(○○○○○○)り、りやうしよにぢん取て、やぐらをかき、やぐらのはしらには、馬をつないで、げんじを待かけたり、〈◯中略〉すけ殿〈◯源頼朝〉仰られけるは、江戸の太郞、八かこくの大ふく長者ときくに、よりともがたせい、此二三日、水にせかれて、わたしかねたるに、みづのわたりに、うきはしをくんで、よりともにかせいを、むさしのくに、わうじ、いたばしにつけよとぞの給ける、〈◯中略〉さてこそ、ふとひ、すんだ、うちこえて、いたばしにつき給ひけり、

〔武藏國隅田川考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 按に、此記〈◯義經記〉によれば、利根川より流れ來るといへど、是は隅田川の本流に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 はあらざるなり、されど古より、この一派もありしことは勿論なり、是世にいふ古隅田川なるべし、今はいさヽかの流なれど、此頃はよほど、廣き川なりしと見えし、義經記にいふ所は、陸奧の方より下總の國を經て、この隅田川に來りしなれば、荒川の方のは、おもひもおよばず、かくかきしならん、北國記行にも、利根入間の二川落あへる所に、かのふるき渡りも有といふ、

〔異本曾我物語〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 さる程に、鎌倉殿〈◯源頼朝〉は、諸國の武士共を召具して、建久四年癸丑四月下旬、鎌倉を出給ひ、〈◯中略〉七ケ日と申に、三原長倉の御狩も過ければ、上野國へ御越あり、大戸、岩永、三倉、室田、長野も狩くらし給ひつヽ、角田川をも打過、大渡に著せ給ひぬ、鎌倉殿遙に眺望まし〳〵て、是やこれ在五中將の都鳥に事問給ひし名所ぞかしと打詠給ふ、折ふし梶原、 角田川わたる瀬ごとにこととはん昔の人もかくや有けん

〔太平記〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 武藏野合戰事 閏二月二十日、〈◯文和元年、中略、〉新田武藏守義宗、旗ヨリ先ニ進デ、天下ノ爲ニハ朝敵也、我爲ニハ親ノ敵也、只今尊氏ガ頸首ヲ取テ軍門ニ不ンバ曝、何ノ時ヲカ可期トテ、自餘ノ敵共ノ、南北ヘ分レテ引ヲバ少モ目ニ懸ズ、只二引兩ノ大旗ノ引クニ付テ、何クマデモト追蒐給フ、引モ策ヲ擧ゲ、追モ逸足(イチアシ)ヲ出セバ、小手差原ヨリ石濱マデ、坂東道已ニ四十六里ヲ、片時ガ間ニゾ追付タル、將軍〈◯足利尊氏〉石濱(○○)〈◯天正本作隅田川〉ヲ打渡リ(○○○○)給ヒケル時ハ、已ニ腹ヲ切ラントテ、鎧ノ上帶切テ投捨テ、高紐ヲ放サントシ給ヒケルヲ、近習ノ侍共二十餘騎、返合テ追蒐ル敵ノ河中マデ渡懸タルト、引組々々討死シケル、其間ニ將軍急ヲ遁レテ、向ノ岸ヘカケ上リ給フ、

〔南山巡狩録〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 このたヽかひの事を、新井源君美うたがひて曰、今地理によるに、小手差原より石濱にいたるの間、左程の川とては見えず、陵谷變遷よのつねなれども、必得られず、尊氏久米川に二日陣せられ、官軍其日の朝、小手さし原に打のぞむとあるうへは、合戰の場は、今の川越

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 の西の方二三里を隔たる事と見ゆ、然らば戰場より淺草の石濱までは、十四五里も有べし、坂東道にして、八十里の内外の事なり、其道を義宗、人馬の息をも休めず是を追ひ、春の夜の短き頃、夜間に又小手指原へ引返され、三十里に及べる道をうたれし事、人力とは思はれず、もし此道筋に淵瀬をはかられぬ程の川ありし事とせば、則今下練馬と白子との間のながれを指けるものか、此邊までは戰場より六七里に及もすべし、しからば坂東道四十六七里といふも近かるべし、しかりといへども、石濱迄は此水よりしては、猶大ひに隔たりたりと見ゆ、公弼按ずるに、いかにも君美の説の如く、武藏野合戰の跡は、今の川越街道成べし、しかれども川越よりは、はるかに江戸にちかく、練馬村、白子村の邊にもや有らん、今も練馬村に、今上しつけみといふ地名あり、其處に小手さし、渡戸などいふ古名存し、古老はこの所こそ、いにしへの小手さし原の合戰の跡なりと云、もし練馬村にある所の小手さしを以て、武藏野合戰の跡なりとせば、石濱まで五六里に及び、太平記にいふ坂東道四十六里といふにも、やヽ符合せり、參考の爲に姑くこヽにしるせり、

〔北國紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 二月の初、〈◯文明十九年〉鳥越のおきな、艤して角田川に泛びぬ、東岸は下總、西岸はむさしのにつヽけり、利根入間の二河おちあへる所に、彼古き渡りあり(○○○○○○○)、東の渚に幽村あり、西渚に孤村あり、水面悠悠として兩岸にひとしく、晩霞曲江に流れ、歸帆野草をはしるかとおぼゆ、筑波蒼穹の東にあたり、富士碧落の西に有て、絶頂はたへにきえ、すそ野に夕日を帶、朧月空にかヽり、扁雲行盡て四域にやまなし、 浪の上のむかしをとへばすみだ川霞やしろき鳥の涙に

〔武藏國隅田川考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 按に鳥越は、いまもその名のこりて、明神のたてる所なり、〈◯中略〉こヽより隅田川に出るといへば、古隅田川にあらざることしるべし、〈◯中略〉此利根川といふは、初にものする

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 ごとく、今もその流のなごりなりとて、古川あれど、わづかなる川にて、むかしのさま見るべくもなし、このみな上に、ふる隅田川といふ所あれど、その間を新綾瀬川さへぎりて、いとおぼつかなき川なり、

〔東國紀行〕

〈宗牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 角田川もみえわたるに〈◯中略〉清閑多田こヽまで數日のをくりも懇切なれば、〈◯中略〉袖ぬれがほなる氣色なきにしもあらねば、涙もろなる心よわさをまぎらはさむとて、 角田川舟こぞりはの長刀にあひしらひてぞふりはなれつる、といひつヽ、みやこのかたのみおもひやられて、岸ちかきなるもおぼえず、わたし守におどろかされておりたり、普藏主とて、常陸國法雲寺より湯本の長老へ使に參られし僧、小田原にても參會のことなれば、このわたりをも、もろともにしつヽかたらひ行ば、馬上より宮内卿にいひかけられし、 溟々武野水雲邊、不意逢君棹小船、無限愁情難話盡、客中送客落花天、と聞もなをもよほされたり、

〔夫木和歌抄〕

〈二十四河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 寶治二年百首、渡月、 正三位知家卿 角田川あなかまふねのかぢかくせよわたる月をとヾむばかりに

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 喜多院入道二品親王家五十首〈すだの渡下總〉 正三位季經卿 はる〴〵とすだのかはらをあさゆけばかすめるほどや渡なるらん 永久四年八月雲居寺歌合霧 源兼經朝臣 夕霧にすだのわたりはみえねどもふな人よばふ聲きこゆなり 此判者基俊云、左歌すがたはあしうも侍らぬに、すだのわたりとよみたるぞなさけなき心ちするにや、これは業平朝臣のいざこととはんとよみて、かれこれかれいひになみだおとす所なり、すみだ川の程におりゐてとぞかけるよし、それに思ひそめて覺るにやあらんと云々、

花方渡

〔江戸砂子〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 花方渡 竹町〈◯本所〉のわたしをいふ

〔紫の一本〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 竹町渡 駒がたの渡しとも、本所の渡しともいふ、

〔御府内備考〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 竹町渡 材木町〈◯淺草〉より本所竹町への船渡なり、此渡は古く始りしにや、正保改定の武藏國圖、當所と覺しき處、舟渡九十二間と注せり、江戸志等の書には、花方の渡とあり、その名付しゆへを詳にせず、又業平渡とも書り、こは對岸中の郷に業平塚あるゆへの呼名ならん、此渡船請負は、山城屋次右衞門と稱し、本所竹町に住居す、

〔大和名所記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 こヽにあさくさ川のきしをかヽげ、だうをたてヽあり、こまかけだうといへり、まつち山、いほさき、こまかけ、皆名所なり、本たいは馬頭觀音なり、むかし此あさくさ川のわたし守、追手の風に帆をかけてはしる、船中より此だうをみれば、だうのかけるやうに見ゆる、さるによつて、うまかけだうと名付と有、あさくさくわんをんへ、さんけいのかへりさ、あしをやすめんために、この所よりふねにのりて、江戸橋そのほか方々へ舟付、

〔燕石雜志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 淺草の事實 駒掛堂、〈◯中略〉按ずるに、竹町の渡を昔は花方の渡シといへり、これは並樹(ナミキ)の櫻あるかたへ渡るといふ義をとりて、花方の渡シと唱しごとく、駒掛堂の方へ渡るといふ義をとりて、駒方の渡シと唱し程に、やがてその堂を駒方堂とも唱へたるにや、〈◯中略〉 或云、子が説のごときは、駒形堂の古名駒掛堂なりしに、其方へ參る渡といふ義をとりて、駒方の渡シと唱しかば、やがて彼堂の名に負ハし、竹町の渡を當初花方の渡と唱たるを、並樹の櫻あるかたへわたるの義とす、みな是推量の説にして、信用しがたし、かヽる例なほありやと

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 いふ、予答て云、吾妻橋は、吾嬬神社のかたへわたる橋なればこの名あり、例せば麻布こふがへ橋は、國府のかたへ渡るといふ義をとりて、國府方と唱たるが如し、かヽる類、穿鑿せばいくばくもあるべし、

鎧渡

〔紫の一本〕

〈下渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 鎧の渡 八丁堀牧野因幡守殿の屋鋪の東河岸より、小網町への渡しをいふ、今は一文渡しともいふ、

〔江戸砂子〕

〈一日本橋南〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 鎧渡(よろひのわたし) かやば町より小あみ町二丁目へわたす所 里諺に云、往古は此所入江にして大わたり也、源頼義公奧州責のとき、俄に風おちて、浪はげしかりければ、鎧をしづめ、龍神に祈り給ふと云つたへたり、又平將門の事につけて、おなじやうなる云つたへあり、

下總國/古河渡

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 許我渡(コガノワタリ)〈下總猨島郡〉

〔榻鴫曉筆〕

〈二十同名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 和國名所 久我 〈渡〉 〈下總〉

〔廻國雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 古河といふ所にて、ふねにのりて、 こがくれにうかべる秋の一葉舟さそふ嵐を川おさにして 川ふねをこがのわたりの夕なみにさしてむかひの里やとはまし

〔萬葉集〕

〈十四東歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 相聞 麻久良我乃(マクラガノ)、【許我能和多利】乃(コガノワタリノ)、可良加治乃(カラカヂノ)、於登太可思母奈(オトタカシモヨ)、宿莫敝兒由惠爾(ネナヘコユヱニ)、 安波受之氐(アハズシテ)、由加婆乎思家牟(ユカバヲシケム)、麻久良我能(マクラガノ)、許賀己具布禰爾(コガコグフネニ)、伎美毛安波奴可毛(キミモアハヌカモ)、

〔萬葉集抄〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 こがのわたり 下總國

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 百首歌 從二位家隆卿

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 むらさめにうすくもかけて行舟のこがのわたりの夕暮のそら 渡霧 からろをすをともほのかにゆくふねのこがのわたりの秋の夕霧 西行上人 霧ふかきこがのわたりのわたしもりきしのふなつき思ひさだめよ 此歌は、むさしの國と下つけのくにとの中にある、こがの渡りすとて、きりふかヽりければよめりと云々、

太井渡/市川渡

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 太政官符 應浮橋布施屋并置渡船事〈◯中略〉 一加増渡船十六艘〈◯中略〉 下總國太日(フトヒ)河四艘〈元二艘、今加二艘、◯中略〉右河等、崖岸廣遠、不橋、仍増件船、〈◯中略〉 承和二年六月廿九日

〔江戸名所圖會〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 新利根川、〈万葉集、刀禰に作り、活字板源平盛衰記利根に作れり、〉舊名を太井河といふ、〈此號更科日記、および東鑑等の書に見えたり、又清輔奥義抄云、下總國かつしかの郡の中に大河あり、ふと井といふ、河の東をば葛東の郡といひ、河の西をば葛西郡といふとあり、證とすべし、◯中略〉 市川渡口(いちかはわたしば)

〔更科日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 つとめてそこをたちて、下つさのくにとむさしのさかひにて有、ひと井がは(○○○○○)といふかかみのせ、まつさとのわたりのつにとまりて、夜ひとよ舟にてかつ〳〵物などわたす、

〔吾妻鏡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 治承四年十月二日辛巳、武衞〈◯源頼朝〉相乘于常胤廣常等之舟檝、濟【大井】(オホヰ)隅田兩河、精兵及三萬餘騎武藏國

〔武藏國隅田川考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 按に此太井を、東鑑に大井とかきて、おほゐと點を下せしは誤ならん、ふとゐとよむべし、更級日記にも、しもつふさの國と、武藏の國の境ひなる、ふとゐ川と見えたり、是も亦川の名をかきたがへたりと見ゆ、ふるくより武藏下總の境なる川は、隅田川なること勿論なり、太井川は全く下總の國と見ゆ、さればこヽにいふ太井川は、隅田川の誤りなるべし、是によりておもふに、かの孝標が女の、みちのくよりこなたに來る路すがら、案内の者のいふにまかせて、隅田川を太井川とおもひ、多磨川を隅田川としるせしなるべし、友人凸凹居〈◯三島政孝〉の説に、更級日記に載る所をおもふに、太井川はもとより、たがふにあらずして、この比その隅田川は、海のごとく川はヾも廣かりしかば、品川の入海なりと思ひうちすぎ、隅田川の沙汰におよばざりしならんと、さもありしにや、義經にも、ふとゐ隅田(すんだ)だうち渡りしよし見えたり、古へ隅田川の東に、太井川といふありて、世に名高き川ときこゆれど、今はその名をしる人もまれなり、葛飾名所記に、利根川の末を葛飾の郡にて、かつしか川といふ、又太井川とも文卷川ともいへり、眞間の岸の邊をからめき川ともいふ、則今の市川なり、俗に坂東太郞といふ是なりと、是によれば、隅田川とは大にへだヽりて、全く下總の國のうちなり、

〔義經記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 よりともむほんの事 ぢせう四年九月十一日、むさしとしもつさのさかいなる、まつどのしやう、いち河(○○○)といふ所に付給ふ、〈◯下略、全文出武藏國隅田川渡條

〔武藏國隅田川考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 按に、市川を武藏下總の境とするは、誤れるなるべし、近き世にこそかく定りぬれど、古くより隅田川を兩國の境とせしことは、論ずべくもなし、 ◯按ズルニ、義經記ニ謂ユルいち河ハ、即チ吾妻鏡ニ見エタル太井河ナルベシ、猶ホ前後引ク所ノ江戸名所圖會、相馬日記等ヲ參看スベシ、

〔東路のつと〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 翌日市川といふわたりの折ふし、雪風ふきてしばし休らふ間に、むかひの里にいひあはする人有て、馬どものりもてきて、やがて舟渡りして、あしの枯葉の雪うちはらひ、善養寺といふに落つきぬ、

〔官中秘策〕

〈二十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 關東關所之制令 松戸 市川(○○)〈◯中略〉 一相定船場之外、脇々にて濫に往還のもの不渡之事、〈◯中略〉 元和二年八月日 奉行

〔相馬日記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 廿八日、〈◯文化十四年八月、中略、〉市川の渡は、吾妻鏡や、仙覺りしが万葉庭訓に、太井川としるせし河なり、俗には江戸川とよぶ、吾黨小竹茂仲のをぢが説に、江戸河といふは、舟人の詞よりあやまれる名なり、そは下總の境、關宿わたりより、此川筋を經て江戸へ通ふがゆゑに、舟人のわたくしにさはよびけるを近頃は正しき名ぞとおもへるものもすくなからずといへり、舟をあがれば武藏國の葛西領なり、市川の關を過るころは雨もやみぬ、

近江國/勢多渡

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 爰伐新羅之明年、〈◯中略〉命武内宿禰、和珥臣祖武振熊、卒數萬衆、令忍熊王、〈◯中略〉忍熊王逃無入、則喚五十狹茅宿禰、而歌之曰、伊裝阿藝(イサアキ)、伊佐智須區禰(イサチスクネ)、多摩枳波屢(タマキハル)、于知能阿曾餓(ウチノアソガ)、勾夫菟智能(カブツチノ)、伊多氐於破孺破(イタテオハズハ)、珥倍廼利能(ニホドリノ)、介豆岐齊奈(カヅキセナ)、則共沈瀬田濟(○○○)而死之、于時武内宿禰、歌之曰、阿布彌能彌(アフミノミ)、【齊多能和多利】珥(セタノワタリニ)、伽豆區苫利(カヅクトリ)、梅珥志彌曳泥麼(メニシミエネバ)、異枳廼倍呂之茂(イキノホロシモ)、於是探其屍而不得也、然後數日之、出於菟道阿、〈◯阿一本作河〉武内宿禰、亦歌曰、阿布瀰能瀰(アフミノミ)、【齊多能和多利】珥(セタノワタリニ)、介豆區苫利(カヅクトリ)、多那伽泓須疑氐(タナカヲスギテ)、于泥珥等邏倍菟(ウヂニトラヘツ)、

〔釋日本紀〕

〈二十四和歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 齊多能和多利珥〈勢多渡也〉

〔平治物語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 頼朝遠流事附盛安夢合事

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 扨モ頼朝ハ伊豆國ヘ流サレケレバ、〈◯中略〉永暦元年三月廿日〈◯中略〉ノ曉、池殿〈◯平清盛繼母池禪尼〉ヲ出テ東路遙ニ被下ケリ、〈◯中略〉盛安〈◯纐纈源五〉モ大津マデト申タリシガ、人々留リヌル上、熱田ニハ橋モナクテ(○○○○○○○○○)、舟ニテ向ノ地ヘ渡給ヘバ、傍心苦テ打送奉ル、

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 閑居百首御歌〈せたの渡、勢多、近江、〉 中務卿御子 たなかみの山の木のはにしぐれしてせたのわたりは秋風ぞふく

〔東國紀行〕

〈宗牧〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 廿九日、〈◯天文十三年九月〉又舟にて、せたの渡り、さかまく水につなでうちはへ、陸地よりひきのぼるほど、笛尺八の聲、敵地のおそれもわすられたり、

山田矢橋渡

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 やばせの渡 近江

〔和爾雅〕

〈一下地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 近江國 矢橋(ヤハセ)〈渡〉

〔増補地名便覽〕

〈近江名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 山田ノ渡

〔國花萬葉記〕

〈十近江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 山田の渡り 矢橋の渡 二所の舟間ちかし、東近江也、粟津の向ひ也、打出より乘船して渡れば、山田の渡りはちかし、矢橋は五十町計也、兩所の間は十町計也、〈山田やばせのわたし舟と云、山田は、のちより北に當ル所也、〉

〔伊勢參宮名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 山田矢橋の船場、〈何れも草津よりは西北の濱なり〉石場より船にて渡れば、五十町の海上也、山田の渡は、過半荷物を渡す、

〔東海道名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 矢橋(やばせ)勢多より北壹里にあり、大津松本へ壹里の渡口なり、初メは年歴久遠にしてしれず、勢多橋、軍陣の時、此渡口に關所ありし事、舊記に見へたり、今芝田氏渡船の支配す、

〔東海道名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 松本渡口 此所矢橋の舟わたしにて、湖上壹里なり、

〔源平盛衰記〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 源氏追討使事 六人ノ大將軍、各一色ニ裝束シテ打出給ヘリ、〈◯中略〉近江ノ湖ヲ隔テ東西ヨリ下ル、粟津原、勢多ノ橋、野路ノ宿、野洲ノ河原、鏡山ニ打向、駒ヲ早ムル人モアリ、山田矢走(ヤマダヤバセ)ノ渡シ、志那今濱(シナコノハマ)ヲ浦傳ヒ、船ニ竿サス者モアリ、

〔梅松論〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 去程に、正月〈◯建武三年〉十三日より三ケ日の間、山田矢橋の渡舟にて、宮〈◯後村上〉并北畠禪門、出羽陸奧兩國の勢ども、雲霞の如く東坂本に參著しければ、頓て大宮の彼岸所を皇居として、三塔の衆徒殘らず隨奉る、

〔太平記〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 八幡合戰事附官軍夜討事 宰相中將殿〈◯足利義詮〉ハ、〈◯中略〉三月〈◯文和元年〉十一日、四十九院ヲ立テ、三萬餘騎、先伊祇寸三大寺ニシテ手ヲ分ツ、或ハ漫々タル湖上ニ、山田矢早瀬(ヤマダヤバセ)ノ渡舟ノ棹サス人モアリ、或ハ渺々タル沙頭ニ、堅田高島ヲ經テ駒ニ鞭ウツ勢モアリ、

〔謠曲〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 竹生島 〈ワキ詞〉いかに是成舟に便船申さうなふ、〈シテ詞〉是は山田矢橋の渡し船にてもなし、御覽候へ海士の釣舟にて候程に、便船は叶ひ候まじ、

〔信長公記〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 天正六年五月廿七日、信長、安土大水之様子可御覽、爲御下松本より矢橋へ御舟にめされ、御小姓衆計にて御渡海、 寅六月十日、信長御上洛、又矢橋より御舟にて松本へ御上り、

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 永久四年百首船〈やばせの渡近江〉 源兼昌 にほてるややばせの渡する舟をいくたびみつヽせたのはしもり

〔夫木和歌抄〕

〈三十三船〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 十題三十首旅 權僧正公朝

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 となかよりはやこぎかへせ山田舟ひらのたかねに雲かヽりたり

〔雅筵酔狂集〕

〈附録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 淡海八景 瀬田夕照 春の空おもひの外に暮がたき日あしや勢多のおほまはりする 日脚といふ熟字あり、矢橋の舟は、時として風波あらく、あやうきゆへ、勢田の方へまはりて行を、俗に大廻りといふ、

滋賀大輪田渡

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 渡 滋賀大輪田〈近江 かち人の汀のこほりふみならしわたれどぬれぬしがの大輪田〉

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌 左散難彌乃(サヾナミノ)、志我能(シガノ)〈一云、比良乃、〉大和太(オホワダ)、與杼六友(ヨドムトモ)、昔人二(ムカシノヒトニ)、亦母相目八毛(マタモアハメヤモ)、〈一云將會跡母戸八(アハントモヘヤ)〉

野洲渡

〔松葉名所和歌集〕

〈九屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 野洲渡 近江〈類字和名ニ野洲郡〉

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 川 野洲川〈近江、(中略)三上のすそなり、又やすの河とも、又やす河とも云り、のゝ字は有ても無ても、〉

〔名所方角抄〕

〈近江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 夜須川 此山〈◯三上〉の麓を北へ流れたり

〔西遊行嚢抄〕

〈九上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 野洲川ハ、歩渡也、川原ノ間廣シ、四五町、

〔源平盛衰記〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 佐々木取馬下向事 四郞高綱ハ都ニアリ、〈◯中略〉佐殿〈◯源頼朝〉謀叛ヲ起給ト聞テ、〈◯中略〉偸ニ田舍ニ下ケリ、〈◯中略〉知タル者ニ馬ヲモ乞、乘バヤトハ思ヘドモ、都近程也、世中ツヽマシク思ケレバ、サモナクテ、曉ハ守山ヲ立、野洲ノ河原ニ出ヌ、如法曉ノ事ナレバ、旅人モ未見ケルニ、草鞍置タル馬追テ、男一人見ヘ來ル、高綱、和殿ハイヅクノ人ゾ、何ヘ渡ルゾト問ヘバ、是ハ栗太ノ者ニテ候ガ、蒲生郡小脇ノ八日市ヘ行ク

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 者也ト答、名ヲバ誰ト云ゾト問ヘバ、男怪氣ニ思テ、左右ナク明サズ、兎角誘ヘ問ケレバ、紀介トゾ名乘タル、高綱ハ、ヤヽ紀介殿、此河度ン程、御邊ノ馬借給ヘカシ、紀介、叶候ハジ、遙ノ市ヨリ重荷ヲ負セテ歸ランズレバ、我モ勞テ不乘馬也、又今朝ノ水ノツメタキ事モナシ、唯渡リ給ヘト云、紀介殿、タヾ借給ヘカシ、悦ハ思當ラント云ケレバ、紀介思様、此人ノ馬ノカリヤウ心得ズ、歩徒跣(カチハダシ)ニテ誰共知ズ、我身ダニモ合期セヌ人ノ、何事ノ悦ヲカシ給ベキ、去共借サズシテ惡キ事モヤト思ケレバ借テケリ、高綱馬ニ打乘、此馬コソ早我物ヨト思ツヽ、空悦シテ野洲川原ヲ渡ツヽ、鞭ヲ打テゾ渉(アユマ)セタル、

〔十六夜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 いまだ月のひかりは、かすかに殘りたるあけぼのに、もり山をいでヽゆく、やす河わたるほど、さきだちてゆくたび人の駒のあしのおとばかりさやかにて、きりいとふかし、 たび人はみなもろともに朝立てこまうちわたすやすの川霧〈◯又見玉葉和歌集

〔海道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 貞應二年卯月の上旬、五更に都を出て、〈◯中略〉四日、〈◯中略〉三上の嶽をのぞみて野洲河をわたる、 いかにしてすむやす川の水ならんよわたるばかりくるしきやある

〔小島のくちすさみ〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 やす川とかやを渡るとて いつまでと袖うちぬらしやす河の安げなきよを渡りかぬらん

〔富士紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 やす川にて 我君の御代にあふみぢけふもはや渡る心ややす河の水

〔新勅撰和歌集〕

〈十九雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 伊勢の勅使にて、甲賀のむまやにつき侍ける日、 後京極攝政前太政大臣 はるかなるみかみの島をめにかけていくせ渡りぬやすの川浪

〔風雅和歌集〕

〈九旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 あづまへまかりけるに、やす川を渡るとて、 前大納言爲兼 やす川といかでか名にはながれけんくるしきせのみ有世と思ふに

〔夫木和歌抄〕

〈二十四河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 名所歌中に八洲河舟 參議爲相卿 雨ふれば船よりぞ行やす川のやすく渡りし瀬をばたどりて

朝妻渡

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 朝妻渡(アサヅマワタシ)〈江州坂田郡〉

〔松葉名所和歌集〕

〈十一阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 淺妻渡 近江

〔山家和歌集〕

〈下雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 題しらず おぼつかな伊吹おろしの風さきに朝妻船はあひやしぬらん くれ舟よあさづま渡り今朝なよせそいぶきのたけに雪しまくなり

〔夫木和歌抄〕

〈三十三船〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 日吉社にたてまつりける五十首初春歌 家長朝臣 にほのうみやあさづま舟も出にけりつなぐこほりを風やとくらん

〔あづまの道の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 朝妻の浦にとまりて、その朝おき侍りて、 みし夢のあさづま舟の立かへる涙ばかりを袖に殘して

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 よるの四時に、はつさかといふ里に舟をよせてしばらく休息す、これより夜舟をいだして、五日のほの〴〵にあさ妻につきぬ、 ほの〴〵とあさづまにこそつきにけれまだ夜をこめて舟出せしみち

美濃國/大井戸渡

〔吾妻鏡〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 承久三年六月三日丙辰、關東大將軍著畢遠江國府之由、飛脚昨日入洛之間、有公卿僉議、爲防戰官軍於方々、仍今曉各進發、〈◯中略〉東山道大井戸渡、大夫判官惟信、 五日戊午、及晩山道討手武田五郞、同小五郞、〈◯中略〉渡大井戸官軍挑戰、

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 諸國驛傳馬

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 美濃國驛馬〈(中略)土岐、大井(○○)、各十疋、〉

〔慶安三年木曾路記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 大井、家百五六十、上ノ宿ナリ、大井川ト云川ニ細キ橋カヽル、大井ノ驛ヲ過テ、右ニ根津甚平ト云シ人ノ石塔アリシ也、

〔承久軍物語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 六月〈◯承久三年〉五日のくれがたには、東山道のせい、うんかのごとく大井のわたりへつきにけり、〈◯中略〉こヽにたけ田の五郞のぶみつは、あまたの子どもの中に、小五郞をまねきて、いくさのならひは、おや子をもかへりみねば、ましてたにんは申にやをよぶ、一人ぬけ出てさきをかけ、かうみやうせんと思ふがほんいなり、汝をがさ原の人どもにしられずしてぬけ出、大井のわたりの先陣を、つとめよかしといはれければ、小五郞、それがしもさこそ存候へとて、一二町ぬけ出て、河のはたにすヽみけり、そのせい廿騎とぞみえし、其中にむとう新五郞といふらうどうあり、童名はあらむしやとぞ申ける、すぐれたるすいれんのたつしやなりけるをよび出して、大井のわたりのせぶみして參れとて、さしつかはす、新五郞やがてさしかへり、せぶみをこそしおほせて候へ、但川のにしのきしたかふして、馬をあつかはん事かたし、むかひのわたりせ七八段がほど、ひしをうへながし、河中にはらんぐいをうち、つなをはへ、さかも木を引て、ながしかけたりしを、四五たんほどひきぬきすてヽながし、つなをきり、さかもぎを切て、馬のあげ所には、しるしを立てかへり參りぬ、それをまもらせ給ひて、わたさせ給へとぞ申ける、小五郞きヽもあへず、川に馬をうち入ける所に、〈◯下略〉

〔遊囊賸記〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 大井川ハ、驛家ノ西ヲ流ル、石ヲ疊ミ橋ヲ架テ、承久ノ舊渡ニ同ジカラズ、

洲俣渡

〔西遊行囊抄〕

〈六下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 洲俣河ハ舟渡也、川ノ廣サ前ノサワタリ川ノ如シ、此水上ハ飛騨山ヨリ流レ出ル、

〔類聚三代格〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 太政官符

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472浮橋布施屋并置渡船事 一加増渡船十六艘 尾張美濃兩國堺墨俣河四艘〈元二艘、今加二艘、◯中略〉 右河等、崖岸廣遠、不橋、仍増件船、〈◯中略〉 承和二年六月廿九日

〔いほぬし〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 すのまたのわたりにて、あめにあひて、そのよ、やがてそこにとまりて侍にこまどもあまたみゆ、 澤にすむこまほしからぬ道にいでヽ日ぐらし袖をぬらしつるかな

〔更科日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 美濃の國なるさかひに、すのまたといふわたりして、野がみといふ所につきぬ、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 治承五年〈◯養和元年〉二月十一日戊子、申刻藏人左少辨行隆來、依疾不客亭、呼簾外〈◯註略〉謁之、〈◯中略〉此間廻伊勢國舟、可須万多渡、其後官軍可攻尾張國之由所聞也云々、小時退出了、

〔承久軍物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 さらば方々へ、くはんぐんをさしつかはし、これをふせがるべしとて、〈◯中略〉すのまた(○○○○)へは、かはちのはんぐはんひでずみ、山田の二郞しげたヾ、一千よき、〈◯下略〉

〔うたヽねの記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 道のほど、めとヾまる所々おほかれど、こヽはいづく〳〵とも、けぢかくとふべき人もなければ、いづくの野も山も、はる〴〵とゆくを、とまりもしらず、人のゆくにまかせて、ゆめぢをたどるやうにて、日數ふるまヽに、さすがならはぬひなのながぢに、おとろへはつる身もわれかのこヽちのみして、みのおはりのさかひにもなりぬ、すのまた(○○○○)とかや、ひろ〴〵とおびたヾしき河あり、ゆきヽのひとあつまりて、舟をやすめずさしかへるほど、いとヾころせうかしがましく、おそろしきまでのヽしりあひたり、

〔なぐさめ草〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 墨股河は、美濃尾張の境とかや、岸に打望たれば、船はむかひにあるほどにて、時うつ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 るまで誘ひゐぬ、とばかりありて、里の子せりかなにか、かたみにつみもちたる三四人、おきなの老かヾまりたるなどぞ乘ぐして來る、童部の船よりおりかね侍るを、こにや、むまごにや、たすけおろしなどして、我もいみじうくるしげなるも、何となく哀にぞ見侍りし、水鳥どもの河洲にむらがりゐたる、いとおもしろし、 船人も猶子を思ふ水鳥のすのまた川は波こヽろせよ

〔覽富士記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 すのまた川は、興おほかる處のさまなりけり、河のおもて、いとひろくて、海づらなどのこヽろし侍り、〈◯中略〉 おもひ出るむかしも遠きわたり哉その面かげのうかぶ小船に

上野國/利根川渡/木野崎渡

〔萬葉集〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 相聞 刀禰河泊乃(トネガハノ)、可波世毛思良受(カハセモシラズ)、多々和多里(タヾワタリ)、奈美爾安布能須(ナミニアフノス)、安敝流伎美可母(アヘルキミカモ)、〈◯中略〉 右二十二首上野國歌

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 川 利根川〈上野〉

〔東路のつと〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 明る朝、利根川の舟渡り(○○○○○○○)をして、上野の國新田の庄に、禮部尚純隱遁ありて、今は靜喜かの閑居に五六日、連歌たび〳〵におよべり、

〔相馬日記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 廿一日〈◯文化十四年八月、中略、〉野田の里を過て、木野崎のわたし(○○○○○○○)をわたる、これぞ名にきこえし利根川にて、坂東にならびなき大河なれば、世には坂東太郞ともよぶなる、

陸奥國/三馬屋渡

〔甲子夜話〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 津輕領三馬屋渡ノ事 鳥越邸〈◯松浦氏〉ノ隣家川口久助ハ、當御代替ノトキ、陸奧國ノ巡見ニ赴シ人ナリ、一日予陸奧ヨリ、蝦夷ニ渡ル海路ノサカシサヲ問ケレバ、答ニ津輕領ノ三馬屋ヨリ船出シ、松前ニ著トキ、船出セシ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 日ハ、風殊ニ強ク吹テ浪高カリシマヽ、日和惡カルベシト言ニ、船子ノ言ニ此渡リニ潮道三處アリ、潮急ニシテ濟ルコト難シ、日和ナレバ船潮ノ爲ニ流漂テ渡ルコトヲ得ズ、因テコノ如キ風力ニテ濟ト言シガ、イカニモ沖ヘ出、カノ急潮ノ所ニ至リテハ、サシモ大ナル船ノサカシマニ湧カヘリ、流行ク巨浪ニ堪カヌベクアリシガ、強風ニ吹ヌカレ、ソノ浪ヲ凌、三處ノ難行ヲ濟リ著タリ、舟中ノ苦ハ云計ナシト、カノ急潮ノ所ハ、タツピ、中ノ汐、白上トイフナリ、又松前ノ白上山ニ登リ、海面ヲ臨見ルニ、三ノ潮道、海面ニ分リ見エテ、ソノ潮行ノトコロ、海ヨリ隆クアガリテ見ユ、イカニモ海底ニ危石嶮巖ノアルユヘ、海潮モコノ如キヤト云リ、西ノ國ノ海路ニハ見聞セザル事ナリ、

越中國/有磯渡

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 ありその渡 越中

〔萬葉集〕

〈十二古今相聞往來歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474物陳思歌 大埼之(オホサキノ)、有礒乃渡(アリソノワタリ)、延久受乃(ハフクズノ)、往方無哉(ユクヘモナクヤ)、戀渡南(コヒワタリナム)、

〔萬葉集〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474傷長逝之弟歌一首并短歌〈◯中略〉 可加良牟等(カヽラムト)、可禰底思理世婆(カネテシリセバ)、古之能宇美乃(コシノウミノ)、【安里蘇】乃奈美母(アリソノナミモ)、見世麻之物能乎(ミセマシモノヲ)、 右天正十八年秋九月二十五日、越中守大伴宿禰家持、遙聞弟喪、感傷作之也、

〔松葉名所和歌集〕

〈十一阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 有礒渡〈越中〉 吹風のありその渡り波越て葛の若葉にむすぶ白露 後九條

水橋渡

〔善光寺紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 明ぬれば、ほどなく水橋といふわたり(○○○○○○○○)にうつりぬ、 徒に人だのめなる水はしや舟より外に行かたもなし

〔遊囊賸記〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 水橋ハ、岩瀬富山ノ兩路、皆此渡ニ合ス、往古ハ橋アリケルニヤ、今ハ名ノミシテ、舟ヨリ外ニ行方ナシ、

神濟

〔令義解〕

〈七公式〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 凡朝集使〈◯中略〉北陸道神濟以北、〈謂越中與越後界河(○○)也◯中略〉皆乘驛馬

〔遊囊賸記〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 境川ハ、即古ノ神濟ナリ、神度トイヒ、神原トイフ、皆此地ト知ベシ、

備中國/藤戸渡

〔備中名勝考〕

〈下渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 藤戸渡〈考は上の藤戸島の所にいへり〉

〔備中名勝考〕

〈上島〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 藤戸島 都宇郡有木村の山つヾきなる地名なりけん、今は島にあらず、此地名、本州には今は絶て、備前國兒島郡にあり、〈◯中略〉有木村の山つヾきなる、備前國の天城よりは、今兒島に、藤戸といふ所には、わづかに橋ひとつかヽりたる、近き所なる故に、本州の地名の、かしこにうつりしことしるべし、

〔大嘗會和歌集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 村上天皇天慶九年主基備中國風俗神歌 ふぢと たひらけくあまつひつぎにのぼる舟ふぢとよりこそ出わたりけれ 後冷泉院永承元年十一月十五日主基方備中國 木工頭兼文章博士讃岐權介藤原朝臣家經 〈乙帖三首〉暮春藤戸有船見之客 はなさけば立しら浪も紫にみゆるふぢとのわたりなりけり

〔源平盛衰記〕

〈四十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 盛綱渡藤戸兒島合戰附海佐介渡海事 同〈◯元暦元年九月〉十八日ニ、平家ハ讃岐屋島ニ乍有、山陽道ヲ打靡シテ、左馬頭行盛ヲ大將軍トシテ、飛騨守景家以下ノ侍ヲ相具シテ、二千餘艘ニテ備前國兒島ニ著、三川守範頼モ、室ノ泊ニ有ケルガ、舟ヨリ上リ、同國西河尻、藤戸ノ渡ニ押寄テ陣取、源平海ヲ隔テ磬ヘタリ、海上四五町ニハ過ザリケリ、同廿五日ニ、平家海ヲ隔テ、扇ヲアゲテ源氏ヲ招ク、源氏是ヲ見テ海ヲ渡セト云ニコソ、船ナ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0476 クシテ叶ベキナラネバ、是ヲ以扇招合フ、源平遙ニ見渡テ、其日モ徒ニ晩ニケリ、爰ニ佐々木三郞盛綱、夜ニ入テ案ジケルハ、渡スベキ便ノアレバコソ、平家モ招ラメ、遠サハ遠シ、淵瀬ハシラズ、如何ハセント思ケルガ、其邊ヲ走廻テ、浦人ヲ一人語ヒ寄テ、白鞘卷ヲ取セテ、ヤ殿、向ノ島ヘ渡ス瀬ハ無カ教給ヘ、悦ハ猶モ申サント云ヘバ、浦人答テ云、瀬ハ二ツ候、月頭ニハ東ガ瀬ニナリ候、是ヲバ大根ノ渡ト申、月尻ニハ西ガ瀬ニ成候、是ヲバ藤戸ノ渡ト申、當時ハ西コソ瀬ニテ候ヘ、東西ノ瀬ノ間ハ二町計、其瀬ノ廣ハ二段ハ侍ラン、其内一所ハ深ク候ト云ケレバ、佐々木重テ、淺サ深サヲバ爭カ知ルベキト問ヘバ、浦人淺キ所ハ浪ノ音高ク侍ルト申ス、サラバ和殿ヲ深ク憑ム也、盛綱ヲ具シテ、瀬踏シテ見セ給ヘト懇ニ語ヒケレバ、彼男裸ニナリ先ニ立テ、佐々木ヲ具シテ渡リケリ、膝ニ立所モアリ、腰ニ立所モアリ、脇ニ立所モアリ、深所ト覺ユルハ、鬂鬚ヲヌラス、誠ニ中二段計ゾ深カリケル、向ノ島ヘハ淺ク候也ト申テ、夫ヨリ返ル、佐々木陸ニ上テ申ケルハ、ヤ殿暗サハ暗シ、海ノ中ニテハアリ、明日先陣ヲ懸バヤト思フニ、如何シテ只今ノトヲリヲバ知ベキ然ベクハ和殿、人ニアヤメラレヌ程ニ、澪注(ミヲシルシ)ヲ立テ得サセヨトテ、又直垂ヲ一具タビタリケレバ、浦人斯ル幸ニアハズト悦テ、小竹ヲ切集テ、水ノ面ヨリチト引入テ立テ歸テ角ト申、佐々木悦テ、明ルヲ遲ト待、平家是ヲバ爭カ可知ナレバ、二十六日ノ辰刻ニ、平家ノ陣ヨリ又扇ヲ擧テゾ招タル、佐佐木三郞盛綱ハ、黄生衣ノ直垂ニ、緋威ノ冑、白星ノ甲、連錢葦毛ノ馬ニ金覆輪ノ鞍置テゾ乘タリケル、家子ニ和比八郞、小林三郞、郞等ニ黒田源太ヲ始トシテ、十五騎轡ヲナラベテ、海ニ颯ト打入テゾ渡ケル、三川守、馬ニテ海ヲ渡ス事ヤハアル、佐々木制セヨト宣ヒケレバ、土肥、梶原、千葉、畠山承リ、繼テ悞シ給ナ、返セ返セト聲々ニ制シケレ共、兼テ瀬踏シテ、澪注ヲ立タレバ、耳ニモ聞入ズ渡シケリ、馬ノ鳥頭、草脇、胷帶盡(ムナガイツク)シニ立所モアリ、深所ヲバ手綱ヲクレ游セテ、淺クナレバ、物具ノ水ハシラカシ、弓取直シ、向ヒノ岸ヘサト上ル、鐙踏張、弓杖ニスガリテ名乘ケルハ、今日海ヲ渡シ、敵

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 ニスヽム大將軍ヲバ誰トカ見ル、宇多天皇ノ王子、一品式部卿敦實親王ヨリ九代ノ孫、近江國住人、佐々木源三秀義ガ三男ニ、三郞盛綱也、平家ノ方ニ我ト思ハン者ハ、大將モ侍モ落合テ、組ヤ組ヤト喚テ蒐入、散々ニ蒐ル、源氏ノ兵是ヲ見テ、海ハ淺カリケリ、佐々木討スナ、渡セ者共トテ、土肥、梶原、千葉、畠山、我先々々ト打入々々、五千餘騎向ノ岸ヘサト上ル、

〔遊囊賸記〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 藤戸渡ハ、潮聲鎭打ノ昔、難波濤トイヘルニ引替テ、ワヅカニ細流ノ橋ヲ渡行ク、桑碧ノ變トハ是等ノコトナルベシ、

備後國/穴濟

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 二十七年十二月、日本武尊、〈◯中略〉到吉備以渡穴海、其處有惡神、則殺之、 二十八年二月乙丑朔、日本武尊奏熊襲之状曰、〈◯中略〉吉備穴濟神、及難波柏濟神、皆有害心、以放毒氣、令路人、並爲禍害之藪、故悉殺其惡神、並開水陸之徑、天皇於是美日本武之功而異愛焉、

〔萬葉集略解〕

〈十一上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 續紀養老五年、分備後國安那郡深津郡、これより先、景行紀、日本武尊到吉備、以渡穴海と有、かヽれば穴海は安那郡にて、此みちのしりは備後也、

紀伊國/岩田川渡

〔名所方角抄〕

〈紀伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 岩田川 熊野海道也 思ひやる袖もぬれけり岩田川渡りなれにし瀬々の白浪

〔熊野略記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 後白河院 熊野ヘ參ラセ玉ヒケル時、岩田河ニテ讀マセ玉ヒケル、 岩田川渡ル心ノフカケレバ神モアハレト思ハザラメヤ

〔後鳥羽院熊野御幸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 建仁元年十月十三日、入晝養宿所、馬自此所停被置、師自是歩、指渡石田河(○○○)、先參一瀬王子候之、

對馬國/對馬渡

〔和爾雅〕

〈一下地理〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 對馬島 對馬渡(ツシマノワタリ)

〔名所方角抄〕

〈對馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 對馬 嶺、わたり、あさぢ山など寄合なり、

〔萬葉集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 三野連〈名闕〉入唐時、春日藏首老作歌 在根良、對馬乃渡(ツシマノワタリ)、渡中爾(ワタナカニ)、幣取向而(ヌサトリムケテ)、早還許年(ハヤカヘリコネ)、

〔萬葉集略解〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 在根良は、布根盡の誤にて、ふねはつるか、又は百船の誤歟、卷十五、毛母布禰乃、波都流對馬云々、または百都舟の誤か、是も津とつヾくべしと、翁〈◯賀茂眞淵〉いはれき宣長は布根竟の誤とせり、何にもせよ、ありねらとては解べきやうなければ、必誤字也、

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 建長八年百首歌合 從二位行家卿 こヽぞこのつしまのわたり浪あらしいかにかぢとり心ゆるすな 題不知 藤原基綱 こぎいづるつしまのわたりほどとをみ跡こそかすめゆきの島松

〔夫木和歌抄〕

〈二十六渡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 古渡 中務卿のみこ ふな人のつしまのわたり波たかみすぎわづらふやこの世なるらん

〔夫木和歌抄〕

〈三十三碇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 六帖題御歌 中務卿みこ 今日の日はいかりそへよと舟人のつしまのわたり風もこそたて

雜載

〔日本書紀〕

〈十七繼體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 二十四年十月、調吉士、至任那、奏言、毛野臣、爲人傲佷、不治體、〈◯中略〉故遣目頰子徴召、〈◯中略〉目頰子、初到任那時、在彼郷家等、贈歌曰、柯羅屢儞嗚(カラクニヲ)、以柯儞輔居等所(イカニフコトゾ)、梅豆羅古枳駄樓(メヅラコキタル)、武架左屢樓(ムカサクル)、以祇能和駄唎嗚(イキノワタリヲ)、梅豆羅古枳駄樓(メヅラコキタル)、

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 七夕 天漢(アマノガハ)、安渡丹(ヤスノワタリニ)、船浮而(フネウケテ)、秋立待等(アキタツマツト)、妹告與具(イモニツゲコソ)、

〔萬葉集略解〕

〈十上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 やすの渡、則天河の一名也、神代紀、八十萬神、會合於天安河邊云々と有、宣長云、秋は我の誤也、わがたちまつとなりといへるぞよき、與具は乞其の誤なるべし、告こそは告よ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0479 かしとねがふ詞也、卷十三、眞福在與具とあるも、在乞其の誤なることしるければ、共に誤れる也、

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0479 七夕 天潢(アマノガハ)、渡瀬深彌(ワタリセフカミ)、泛船而(フネウケテ)、棹來君之(コギクルキミガ)、檝之音所聞(カヂノトキコユ)、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:58 (390d)