https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 潟ハ、カタト云フ、干潟ノ義ニシテ、海邊鹹鹵ノ地ヲ謂フナリ、而シテ湖ヲ稱シテ潟ト云フモノヽ如キ亦此篇ニ收載セリ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈一涯岸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 潟 文選海賦云、海溟廣潟、思積反、與昔同、師説、〈加太〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一水土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287引文、原書不載、按海賦云、襄陵廣舃、李善注、尚書曰、海濱廣斥、史記以斥作舄、古今字也、是李善引禹貢海濱廣斥、司馬遷夏本紀、載作海濱廣舄、以證海賦廣舄字所一レ出也、源君以爲海賦文誤、那波本、舄作潟、標目同、刻版本改作潟、按古無潟字、借用斥、故禹貢云、海濱廣斥、釋文引説文云、東方謂之斥、西方謂之鹵、鄭玄云、斥謂地鹹鹵、又管子地員篇、乾而不斥、注、斥、潟鹵、漢書刑法志、除山川沈斥、注、斥、鹹鹵之地、或借用舄、見海賦、李善所見夏本紀亦作舄、漢書溝洫志、終古舄鹵兮生稻粱、注、舄即斥鹵也、謂鹹鹵之地、史記河渠書、漑澤鹵之地、索隱、澤一作舄、本或作斥、舄字後人從水作潟、以別舄履、周禮草人、鹹潟用貆、注、潟、鹵也、疏、逆水之處、水以寫去、其地爲鹹鹵、故云潟鹵也、廣韻、潟鹹土、玉篇、潟或滷字、漢書地理志作海濱廣潟、今本史記亦作潟、源君所見文選注、蓋亦从水不今本、潟字俗書、或増宀作瀉、遂與泄瀉字混、猶苑囿之苑、俗増宀作菀、與茈菀字混無上レ別也、可多、見萬葉集、或用潟字、或用滷字、新撰字鏡、灘洲並同訓、契冲曰、潟蓋與堅同語、

〔新撰字鏡〕

〈水〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 洲〈職流反、洲渚、加太、〉

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 濱〈◯中略〉 海濱の地、潮去りし跡の沙鹵を、カタともいひ、ヒカタともいひ、シホヒカタな

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 どもいふは、舊説に方之義也といふなり、〈藻鹽草に〉さらば潮涸し方といふ義にぞあるべき、倭名鈔には、師説を引て、潟の字讀てカタといふなり、

〔倭訓栞〕

〈前編六加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 かた〈◯中略〉 潟をよむは倭名鈔に見ゆ、干潟の類也、潮の引たる跡の形あればいふなるべし、萬葉集に滷もよみ、新撰字鏡に洲もよめり、

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 潟 ひかた しほひ潟 とをひ潟 潟をなみ〈しほのみち、これは海のかたなくなる也、是は一説なり、只かたは方の儀也、此せつを可用、〉

〔萬葉集〕

〈四相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 門部王戀歌一首 飫宇能海之(オウノウミノ)、【鹽干乃滷】之(シホヒノカタノ)、片念爾(カタオモヒニ)、思哉將去(オモヒヤユカム)、道之永手呼(ミチノナガテヲ)、 右門部王任出雲守時、娶部内娘子也、未幾時、旣絶往來、累月之後、更起愛心、仍作此歌、贈致娘子

〔萬葉集〕

〈六雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 神龜元年甲子冬十月五日、幸于紀伊國時、山部宿禰赤人作歌一首并短歌、〈◯中略〉 反歌 若浦爾(ワカノウラニ)、鹽滿來者(シホミチクレバ)、滷乎無美葦邊乎指天(カタヲナミアシベヲサシテ)、多頭鳴渡(タヅナキワタル)、 右年月不記、但偁從駕玉津島也、因今撿注行幸年月以載之焉、

〔太平記〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 天下怪異事 同年〈◯嘉暦二年〉ノ七月三日、大地震有テ、紀伊國千里濱ノ遠干潟(○○○)、俄ニ陸地ニナル事、二十餘町也、

名潟

〔奧義抄〕

〈上ノ末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288萬葉集所名 普通名所不注〈◯中略〉 滷(かた) かしひがた あゆちがた あすかがた たゆひがた

〔藻鹽草〕

〈五水邊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 潟 〈同名所〉 石見潟〈つらけれど人にはいはずことたかひそをそへたり、玉も、あまのもしほ火、しほ風、舟、千鳥、うらみ、〉石井潟〈奥州、しほひ、うけらが花、千鳥、〉幡磨潟〈はりまがたすまの月よ〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 〈め空さしてゑじまが礒に雪ふりにけり〉箱潟〈伊與、但是は磯歟、ふたまで波はみつや、〉とも潟〈しほひればともかたに出てなくたづのこゑとをさかるあさりすらしも〉香椎潟〈ちくぜん、ときつ風、ちどり、神杉、あさなつみ、鹽ひのかたに、玉もかり、かすゐがた共、〉鹿島潟〈常州、しほ、〉桂潟〈同右 秋の夜のしほひの月のかつらがた山までつヾく海の中みち〉夜中潟〈近江 さよ更てよなかのかたに覺してもよびし舟人とまりけんかも〉高潟〈播洲 物おもふとひても見ばや高かたのあまのとまやはくちやしぬらん〉たゆひ潟〈ゑちぜん、あま、旅ねたゆひがた鹽みちわたるいつゆかん悲しきをろかわかりかよはん〉難波潟〈攝津 難波がた入江にめぐるあしかもの玉もの床にうきねすらしも、みをつくし、鹽干、いものすがたを見まく戀しも、しほひのなごり、あくまでに、家なるいも、玉藻かる、舟のりつむあし、うらみ、つのくむあし、あさみつしほ、ちどり、沖の釣舟、おぼろ月夜、みじかきあしのふしのま鹽ひにあさるあしたづ、月、蘆間の氷、雪うりふくあしの八重霞、あしの丸屋、ふるき都、 なにはがたあしの葉しのぎふる雪にこやのしのやも埋れにけり、時雨、あしのしのびね、月のでしほ、行かふ舟のつなでなは、ゆふなぎ、あしのむら立、あまの捨舟、あまのも鹽火、難波がた蘆ふくこやの軒はもけふやあやめを、蘆まの霜、あしまの月、螢、いさり、浦さびしさは、秋きり、夕日影、よしあしと人にかたるな、眞砂地、とをく引しほ、春の明ぼの、 なにはがたかれてもたてるあしのはのおれふすまでとうら風ぞふく、松のみなびく、浦風、あま乙女、鴛、貝ひろふ、 なにはがたあしの若葉に風こえてかすみにしづむなみの上の月〉長井潟〈同右さヽれ石、千鳥〉鳴海潟〈尾州、千島、かたぶく月、よそになるみのかた思、日も夕暮に、鈴虫、みちひる鹽、楸、恨あぢむら、 なるみがた鹽せのなみにいそぐらしうらのはまちにかヽるたび人〉海上潟〈下總、しほみつ、たづ、 夏そ引うなかみがたのおきつすに鳥はすだけと君はをとせず、おきつすに舟はとヾめんさ夜更にけり〉黒牛潟〈紀州、うす玉の、 くろうしがたしほひのうらを紅の玉もすそ引行はたが子ぞ〉松浦潟〈肥前、さよ姫、八重のしほぢ、 まつらがたもろこしかけてみわたせばなみぢも八重の末の白雪 蝉のはの衣に秋をまつらがたひれふる山の暮ぞ凉しき〉藤潟〈伊勢 紫のかひあるうらのふぢかたはなみのかヽるぞ、花と見えける、松、〉吹居潟〈和泉、袖の月、〉二見潟〈同右、月、はま荻、 我戀はあふよもしらずふたみがたあけくれそでに波ぞかヽれる〉明石潟〈播州、月、あまのたく繩、あまのとまや、霞、うらよりをちの岡の松風、千鳥、月のでしほ、霧、あまの釣舟、波の枕、せとの鹽風、たつ、 しら浪の千さとの末晴て月は隈もみえぬ空かな〉あゆち潟〈さくら、思へ、たづなき、さはたる、あゆちがたしほひにけらし、あさこぐ舟、かすみ、〉熱田潟〈尾張、いざり火、〉ありち潟〈筑前 ありちがたありなぐさめてゆめかとも家なるいもやいふかしみせん〉淡路潟〈あはぢがたせとのをひ風吹そひてやがてなるとにかヽる舟人〉淺香潟〈未勘、但奥州歟、千鳥、 あさか潟しほひのゆたにおもへらばうけらが花の色に出めやと〉安須賀潟〈あすかがた鹽ひの道をあすよりはしたうれしけんいづちかへれば〉葦屋潟〈攝州、 あしやかた月すむかたのうら風にあまのたく火のけぶりだになし、〉薩摩潟〈薩摩がたおきの小島に我有とおやにはつげよやへのしほかぜ〉清見潟〈するが、月、袖にせきもる、波の通路、さよちどり、波、關、鳥、きり、戀、磯、山本、入日、舟、みほの浦ふし、三ほの松原、いほ原の松、これらをそへたり、駒とめて過ぞやられぬ、花〉象潟〈出羽、月、もしほ草、 世中はかくても過けりきさかたのあまのとまやを我宿にして〉

攝津國/難波潟

〔萬葉集〕

〈二雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 和銅四年歳次辛亥、河邊宮人姫島松原見孃子屍悲歎作歌二首、〈◯一首略〉 

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 難波方(ナニハガタ)、鹽干勿有曾禰(シホヒナアリソネ)、沈之(シヅミニシ)、妹之光儀乎(イモガスガタヲ)、見卷苦流思母(ミマククルシモ)、

〔萬葉集〕

〈四相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 大伴宿奈麻呂宿禰歌二首〈◯一首略〉難波方鹽干之名凝(ナニハガタシホヒノナゴリ)、飽左右二(アクマデニ)、人之見兒乎(ヒトシミルコヲ)、吾四乏毛(ワレシトモシモ)、

〔萬葉集〕

〈七雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 攝津作 難波方(ナニハガタ)、鹽干丹立而(シホヒニタチテ)、見渡者(ミワタセバ)、淡路島爾(アハヂノシマニ)、多豆渡所見(タヅワタルミユ)、

〔神樂歌〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 大前張 難波潟 〈本〉 なにはがた、しほみちくれば、あまころも、あまごろも、 〈末〉 あま衣たみのヽしまに、たづ鳴わたる、たつ鳴わたる、

〔土佐日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 六日〈◯承平五年二月〉みをつくしのもとよりいでヽ、なにはにつきて、かはじりにいる、〈◯中略〉かのふなゑひの淡路のしまのおほいご、都近くなりぬといふを悦びて、舟底より頭をもたげてかくぞいへる、 いつしかといぶせかりつる難波潟葦こぎそけて御舟きに鳬

尾張國/年魚市潟

〔萬葉集〕

〈七雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 羈旅作 年魚市方(アユチガタ)、鹽干家良思(シホヒニケラシ)、知多乃浦爾(チタノウラニ)、朝搒舟毛(アサコグフネモ)、奧爾依所見(オキニヨルミユ)、

鳴海潟

〔佳境遊覽〕

〈二古蹟名所〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 鳴海里 成見、成海、 自熱田巳方一里半有潟、名鳴海潟、如潮滿則行人通上野、今則改路、平陸而不入、滿潮最安、而無行人煩也、

駿河國/清見潟

〔十六夜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 暮かヽるほど、きよみが關をすぐ、岩こす波のしろききぬをうちきするやうにみゆるいとおかし、 清見がた年ふる岩にことヽはむ波のぬれ衣幾かさねきつ

〔東關紀行〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 清見が關も過うくて、しばしやすらへば、沖の石村々鹽干にあらはれて、波に咽び、磯の

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 鹽屋、ところ〴〵風にさそはれて、煙たなびけり、東路のおもひ出ともなりぬべきわたり也、〈◯中略〉 清見がた關とはしらで行人も心計はとヾめをくらん

〔新古今和歌集〕

〈十羈旅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 百首の歌奉りし時、旅の歌、 藤原家隆朝臣 契らねど一夜はすぎぬ清見がた波にわかるヽあかつきのそら

上總國/海上潟

〔萬葉集〕

〈七雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 羈旅作 夏麻引(ナツソヒク)、海上滷乃(ウナカミガタノ)、奧津洲爾(オキツスニ)、烏者簀竹跡(トリハスダケド)、君者音文不爲(キミハオトモセズ)

〔萬葉集〕

〈十四東歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 奈都素妣久(ナツワヒク)、宇奈加美我多能(ウナカミガタノ)、於伎都渚爾(オキツスニ)、布禰波等杼米牟(フネハトヾメム)、佐欲布氣爾家里(サヨフケニケリ)、 右一首上總國歌

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 象潟(キサガタ)〈夫木、作蚶方、羽州由利郡、〉

出羽國/象潟

〔奧の細道〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 江山水陸の風光數を盡して、今象潟に方寸を責む、酒田の港より東北の方山を越え、磯を傳ひ、砂子を踏みて其の際十里ばかり、日影やヽ傾く頃、汐風眞砂を吹きあげ、雨朦朧として鳥海山かくる闇中に摸索して、雨もまた奇なりとせば、雨後の晴色も亦たのもしと、蜑の苫屋に膝をいれて、雨の晴るヽを待つ、其のあした天よく晴れて、朝日花やかにさし出づるほどに、象潟に舟をうかぶ、先づ能因島に舟をよせて、三年幽居の迹をとぶらひ、向ふの岸に舟をあがれば、花のうへ漕ぐとよまれし櫻の老い木、西行上人のかたみを遺す、江上に陵あり、神功皇后の御墓といふ、寺を干滿珠寺といふ、此の處に行幸ありしこといまだ聞かず、如何なるゆゑにや、この寺の方丈に坐して簾を捲けば、風景一眼の中に盡きて、南に鳥海山天をさヽへ、其の影江にうつりて、西はむや〳〵の關路をかぎり、東に塘を築きて、秋田に通ふ路はるかに、海北にかまへ、波打ち入る處を汐越しといふ、江の縱横一里ばかり、面影松島にかよひて又異なり、松島は笑ふが如く象潟は怨むが如し、さびしげに悲しみを加へて、地勢魂をなやますに似たり、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1292 きさかたや雨に西施が棭の花 汐越しや鶴脛ぬれて海凉し

〔東遊雜記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1292 象潟の勝景は此地なり、市中五百軒、商家漁家交りて大概の町なり、船入自由ならずして、大船は五六艘ならでは入らず、小船は橋の下までも入る事なり、〈◯中略〉扨象潟の事は、世に名高く、八十八潟、九十九島、一眼に見へ渡りて、風景松島につヾきて、無雙の勝景と稱譽せる所ゆへ、予年久しく一見の大望なりしに、幸ひを得て此日爰に來りて、委敷一覽せしに、百聞一見に不及とて、兼て思ひしとは大ひに違ひて、名高き程の勝地にあらざるゆへに、一度は力を落し、一度は世人の愚眼を思ひぬ、古しへはしらず、今は一眼に見渡せる事は、他山に登りて一見せばいかならんや、蚶滿寺の境内よりは八十島は見ゆる所なし、北の方には民家の墓所にて見苦敷、南東の方には蒹くろなど云るをのせならべ、干潟は無名の草茂り、枯木破竹抔打散てきれいなる所は稀なり、汐入僅なる口より差こみ、蚶滿寺をくる〳〵と取廻して、島々の風景も廣く、あしき所にはあらざれども、名に聞しよりは惡し、九州薩摩の坊の津、櫻島抔にくらべ思ふに、櫻島、坊津勝たり、此地はいかヾの事にて名の高き事にや、不審なる事なり、

〔東國旅行談〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1292 象潟 羽州第一の名所にして、絶妙風景の地なり、〈◯中略〉扨きさかたの風景は、日本無雙の名地なり、海をさる事一里二十町あり、潮しづかにさし來る入江なり、水のたまりを潟といふ、因て此名をよぶ、八十八潟、九十九しまあり、中にも松島、入潮島、辨天島、法性島等は、別して風景よきゆへにや、旅人、近村の人多く集り、辨當さヽへを携て酒宴を催し、春の日の永々しきも短しと疑ひ、家に歸る事をわするヽ、實にもことはりなるかな、其絶景中々筆には盡がたし、扨島より島にわたりて遊に、潟の淺きこと大潮小汐によらず、膝をすぎず、潮汐のさしひきにしたがひ、潟の水に淺深あるべ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 き事なるに、潟の淺深、増減せざる事、まことに不思議の靈場なり、

越後國/福島潟/鎌倉潟/白蓮潟/鳥屋野潟

〔北越雪譜〕

〈二編一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 古歌ある舊蹟 越の湖 蒲原郡に潟とよぶ處多し、里言に湖を潟といふ、その大なるを福島潟(○○○)といふ、四方三里計、此潟に遠からずして五月雨山あり、貫之の歌に、潮のぼる越の湖近ければ蛤もまたゆられ來にけり、又俊成卿に、恨てもなにヽかはせんあはでのみ越の湖みるめなければ、又爲兼卿、年をへてつもりし越の湖は五月雨山の森の雫か、

〔東遊記後編〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 蚌珠〈◯中略〉 越後に在ける比、新潟の人の語りしは、此近きあたりに、福島潟といふかたあり、此潟に珠をふくめる貝あり、其大さ三四尺わたりもあらん、月明らかなる夜は、折ふし其貝口を開くに、其珠大さ拳の程もあらんと見えて、曉の明星の出たるごとく、光明赫やくとして、水面にきらめく、人是に近づく時は、忽ち口を閉て、水底に沈み、或は口を開きながら、水上を矢を射るごとくに去る、其貝出る所定らず、何時見るにも、其大さ同じ程なれば、只一つの貝と思はる、折々見るものあれども、昔よりある貝にして、殊に光りあるものなれば、人恐れて取事なし、又あまり程近く見る事なければ、何貝といふ事をしる事なし、唐土抔にていふ所の、蚌珠にやと沙汰するのみなり、 此福島潟といふは越後にて尤大なる潟にて、竟り六七里に餘りて、江州の湖水を見るがごとし、其外にも鎌倉潟(○○○)、白蓮潟(○○○)、鳥屋野潟(○○○○)などいひて、越後には潟と名付るもの甚多し、他國には無きものなり、此越後は唐土の江南の地に似て、廣大なる國にて、しかも疊を敷たるがごとく、甚平坦なる土地なり、其中に大河流る、其土地甚平なる故に、川の流れ急ならず、所々にて河水兩方へくぼみ入りて、溜り水となり、是を彼地にては、何方何方といふ、皆甚大にして、二里三里四方、或は五六里四方なるも有り、他の國は地狹く、たとひ廣き所にても、土地に高下あれば、川水急に流れて、左

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 右へくぼみ入のいとまなし、唐土なども、繪圖を以て考ふるに、洞底湖、青草湖抔、すべて湖といふ者、則越後の潟と同じ趣なり、此所に、皆長江に傍て湖あり、北方の地は、地面に高下ありて、山多く險岨なるゆゑに、黄河に湖ある事なし、日本にては只越後のみ潟あり、其他には無し、但し出羽の八郞潟、常陸の霞浦抔少し似たれども、其實は又異なり、

播磨國/明石潟

〔萬葉集〕

〈六雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 山部宿禰赤人作歌一首并 歌〈◯中略〉 反歌三首〈◯二首略〉 明方(アカシガタ)、潮干乃道乎(シホヒノミチヲ)、從明日者(アスヨリハ)、下咲異六(シタヱマシケン)、家近附者(イヘチカヅケバ)、

筑前國/香椎潟

〔萬葉集〕

〈六雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 冬十一月、〈◯神龜五年〉太宰官人等、奉香椎廟訖、退歸之時、馬駐于香椎浦、各述懷作歌、 帥大伴卿〈◯旅人〉歌一首 去來兒等(イザヤコラ)、香椎乃滷爾(カシヒノカタニ)、白妙之(シロタヘノ)、袖左倍所沾而(ソデサヘヌレテ)、朝菜採手六(アサナツミテム)、 大貳小野老朝臣歌一首 時風(トキツカゼ)、應吹成奴(フクヘクナリヌ)、香椎滷(カシヒガタ)、潮干汭爾(シホヒノウラニ)、玉藻苅而名(タマモカリテナ)、 豐前守宇努首男人歌一首 往還(ユキカヘリ)、常爾我見之(ツネニワガミシ)、香椎滷從明日後爾波(カシヒガタアスユノチニハ)、見縁母奈思(ミムヨシモナシ)、

薩摩國/薩摩潟

〔平家物語〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 卒都婆ながしの事 康頼入道は、あまりにこきやうのこひしきまヽに、せめてのはかりごとにや、千本のそとばをつくり、阿じのぼじ、ねん號月日、けみやう實名、二首の歌をぞ書つけける、 さつまがた沖の小島に我有とおやにはつげよやえのしほ風


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Last-modified: 2022-07-23 (土) 17:18:52