http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 美濃國ハ、ミノヽクニト云フ、東山道ニ在リ、東ハ信濃、飛騨、西ハ近江、伊勢、南ハ尾張、三河、北ハ越前、飛騨ニ界シ、東西凡ソ二十六里、南北凡ソ十九里、其地勢ハ概シテ山嶽多ク、東北部ハ美濃、飛騨山地ノ一部ニシテ峯巒重疊シ、特ニ東部ノ信濃ト界ヲ接スル邊ニハ、木曾山脈横リ、山勢最モ嶮峻ナリ、而シテ漸次國ノ中央ニ向テ低ク、遂ニ西南部ニ至リテ、尾張國ニ連リテ一大平野ヲ開キ、木曾川、揖斐川、長良川等ノ諸川ハ此平野ヲ貫キテ、伊勢海ニ朝宗ス、此國ハ古ヘ國府ヲ不破郡ニ置キ、多藝(タキ)、石津(イシツ)、不破(フハ)、安八(アハチ)、池田(イケダ)、大野(オホノ)、本樔(モトス)、席田(ムシロダ)、方縣(カタガタ)、厚見(アツミ)、各務(カヾミ)、山縣(ヤマガタ)、武義(ムギ)、郡上(ゲンジヤウ)、賀茂(カモ)、可兒(カニ)、土岐(トキ)、惠奈(ヱナ)ノ十八郡ヲ管シ、延喜ノ制、上國ニ列ス、天正年中、豐臣氏、尾張國ヨリ海西、中島、葉栗ノ三郡ヲ割キテ此國ニ附シ、凡テ二十一郡トス、明治維新ノ後、石津郡ヲ上下二郡ニ分チシガ、後更ニ上石津、多藝二郡ヲ併セテ養老郡トシ、下石津海西二郡ヲ併セテ、海津郡トシ、羽栗、中島二郡ヲ併セテ羽島郡トシ、池田郡ト大野郡ノ一部トヲ併セテ揖斐郡トシ、席田郡ト大野郡ノ一郡、及ビ方縣郡ノ西部トヲ併セテ本巣郡トシ、厚見各務二郡及ビ方縣郡ノ東部ヲ併セテ稻葉郡トシ、新ニ岐阜市ヲ設ケテ一市十五郡ト爲シ、岐阜縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 美濃

〔運歩色葉集〕

〈見〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 美濃

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 美濃〈米奴(ミノ)〉

〔南留別志〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 飛騨國、美濃國は、道の左りみぎりといふやうなり、

〔美濃明細記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 美濃國 當國有三野、所謂青野、大野、〈後爲郡名〉各務野也、故往古稱三野國〈國造本記三野國是〉後用好字美濃國、號濃州

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 此時阿遲志貴高日子根神、〈自阿下四字以音〉到而弔天若日子之喪時、自天降到天若日子之父、亦其妻、皆哭云、我子者不死有祁理、〈此二字以音、下效此、〉我君者不死坐祁理云、取懸手足而哭悲也、〈〇中略〉於是阿遲志貴高日子根神大怒曰、我者愛友故弔來耳、何吾比穢死人云而、拔御佩之十掬劒、切伏其喪屋、以足蹶離遣、此者在美濃國(○○○)藍見河之河上喪山之者也、

〔常陸風土記〕

〈久慈郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 郡東七里太田郷、長幡部之社、古老曰、珠賣美萬命自天降時、爲御服、從而降之神名綺日女命、本自筑紫國日向二神之峯、至三野國(○○○)引津根之丘、後及美麻貴天皇〈〇崇神〉之世、長幡部遠祖多氐命、避三野于久慈

〔新撰美濃志〕

〈一美濃全體説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 州號は、異國のさまをまねびて、よからぬならひなれど、むかしより詩文には用ふる人多く、本朝文粹、本朝麗藻、田氏文集、元亨釋書、砂石集、日本紀竟宴和歌の橘朝臣直幹が歌の前書等に美州とかきて、頭文字を用ひしは正しく、同じ田氏文集、本朝無題詩等に濃州とかきしより、いまに至るまで通用となりしは、かへりてたゞしからず、伊賀伊勢頭文字同じければ、伊州勢州と上下の文字を用ひわけしはむべなり、美作に作州と下の文字を用ひたれば、當國にはさしつかへなく頭字を用べき事也、

〔倭訓栞〕

〈前編三十美〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 みの みのゝ國は、古事記に三野と書る本義なるべし、國に大野三所ありといふ、舊事紀に見ゆ、本巣郡に美濃郷あり、

〔古事記傳〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 美濃(ミヌ)國、中卷には三野とも書り、名義眞野(ミヌ)なるべし、

〔諸國名義考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 美濃 和名抄に、美濃、〈國府在不破郡〉名義は各務野(カヾムヌ)、青野(アヲヌ)、賀茂野(カモヌ)などあれば、三野(ミヌ)なるか、または野(ノ)を稱(タヽ)へて眞野(ミヌ)なるか、上にいへる參河の例をも思ふべし、古事記傳に、名義眞野(ミヌ)なるよし論ひ給へり、彦麻呂ひそかに思ふに、身惱(ミナヤム)の約りにてはあらざるか、奈夜牟(ナヤム)の三言を約れば、奴(ヌ)の一言になれり、延喜神名式に、美濃國不破郡仲山金山彦(ビコノ)神社〈名神大〉とあり、この神は古事記の伊邪那美命の火之夜藝速男(ヒノヤギハヤヲノ)神を生給ふ段に、因此子、美蕃登見炙而病臥在、多具理邇生神(ナリマセル)名金山毘古神云々とある、金山は假字にて、令疲惱(スツガレナヤマ)の略かりなるよし、古事記傳にあり、又は身濡の略(ハブ)かりにてもあらむか、同記日代宮の段に、倭建命取伊服岐山之神幸行云々、騰其山之時、白猪逢于山邊、其大如牛云々、其神之使者、雖今不一レ殺、還時將殺而騰坐、於是零大氷雨、打惑倭建命云々とあればなり、伊勢國にての詔に、吾足如三重匂、而甚疲、故號其地三重とある類なるべし、

〔和名抄諸國郡郷考〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 美濃〈美乃國 (中略)古事記、靈異記、并作三野、國造本記三野前國造、又三野後國造、〉

〔新撰美濃志〕

〈一美濃全體説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 國號は、むかしより青野、各務野、加茂野とて三所の廣野〈あるひは青野、大野、各務野の三所とす〉あるゆへ、三野と名づけし物にて、古事記、萬葉集、日本靈異記、舊事紀の國造本紀等にみな三野國とかけり、其のち文字をさま〴〵に書かへて新撰姓氏録には美努とかき、政事要略、公卿補任師實記、小野宮年中行事、諸門跡譜、八雲御抄、藤原公定の分脈系譜、また日本靈異記の伊奈婆大神の事をいへる條、扶桑略記の文徳天皇三年のくだり、日本紀略の天暦元年七月二十一日の記、神宮雜例集の七ケ國ノ封戸の條等には、美乃の二字をしるし、類聚雜要抄には三乃ともかけり、その外六國史をはじめ、正史古記録等には、今の如く美濃の文字を用ひたり、又ある説に、御野(ミノ)とは、大和の宇陀野(ウダノ)、河内の交野(カタノ)なンどのごとく、禁制野〈俗にいふ御留場〉の通稱にて、當國にむかしよりさる獵野

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 のありしゆへ起れる國號也といへるも、據なきにはあらず、奈良の東大寺に所藏の古文書に、大寶三年御野國戸籍と見え、三代實録に、元慶六年十二月二十一日己未勅云云、美濃國不破安八兩郡野、本自禁制、永爲藏人所獵野云々としるし、同七年十二月二十二日甲寅、令山城大和云々、美濃等國聽百姓樵於禁野内云々と見えたり、是當國にふるく御野のありし證なり、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 各國經緯度〈附里程〉 美濃加納〈三丁目〉極高三十五度二十四分、經度東一度二分、從東都〈中山道〉一百六里一十町二十七間、

〔新撰美濃志〕

〈一美濃全體説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 國界は、京都より三十餘里、寅卯ノ方にあたり、東山道に屬ける地にて、〈〇中略〉左りははるかに松前蝦夷の地まで三百餘里、右も又大隅薩摩に至り三百餘里に及びたれば、實に日本の中央にあたれる上國なり、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 北極出地 美濃 關ケ原 三五度二二分〇〇秒 加納 三五度二四分〇〇秒〈〇中略〉 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈〇中略〉 美野 加納 東一度〇二分〇三秒

疆域

〔美濃明細記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 西國境 美濃國不破郡今須之西、美濃近江國境稱寢物語、 東ノ國堺 美濃信濃國境、惠奈郡落合邑ノ東、釜ケ橋有二間餘

〔新撰美濃志〕

〈一美濃全體説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 國界は〈〇中略〉西は近江、西北は越前、北東は飛騨、東は信濃、東南は參河、南は尾張、南西は伊勢の七箇國に隣り、前は尾張一國を隔てゝ南の海近く、後もまた越前一國を隔てて北の海遠からず、

〔日本地誌提要〕

〈二十四美濃〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 疆域 東ハ信濃、飛騨、西ハ近江、伊勢、南ハ尾張、三河、北ハ越前、飛騨ニ至ル東西凡貳拾六里、南北凡壹拾九里、

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 和銅六年七月戊辰、美濃信濃二國之堺、徑道險阻、往還艱難、仍通吉蘇路

〔三代實録〕

〈三十六陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 元慶三年九月四日辛卯、令美濃信濃國、以縣坂山岑國境、縣坂山岑、在美濃國惠奈郡、與信濃國筑摩郡之間、兩國古來相爭境堺、未決、貞觀中、勅遣左馬權少允從六位上藤原朝臣正範、刑部少録從七位上靱負直繼雄等、與兩國司地相定、正範等撿舊記云、吉蘇、小吉蘇兩村、是惠奈郡繪上郷之地也、和銅六年七月、以美濃信濃兩國之堺、徑路險隘、往還甚難、仍通吉蘇路、七年閏二月、賜美濃守從四位下笠朝臣麻呂、封邑七十二戸田六町、少掾正七位下門部連御立、大目從八位上山口忌寸兄人、各進位階、以吉蘇路也、今此地去美濃國府、行程十餘日、於信濃國、最爲逼近、若爲信濃地者、何令美濃司遠入關通彼路哉、由是從正範所一レ定、

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 東のかたなる木曾山は、當國惠奈郡の地なりしを、貞觀元慶のころ、議定ありて信濃國の筑摩郡につけられしより、歌にも、信濃なる木曾路とよみならへり、

〔木曾路之記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 落合〈美濃國惠奈郡、是より以下美濃、〉より中津川へ壹里 落合の民家九十軒許、これより西に猶坂所々にあれども、既に深山の中を出て、嶮難なくして、心やすくなる、 今洲より柏原へ壹里 今洲と柏原の間に、長久寺といふ小里あり、是美濃と近江のさかひ也、車がへしともいふ、兩國より、家をちかく作りならべ、其間に小溝をひとつへだつ、國をへだてゝ、寢物がたりをするといふ、このゆへに、此所をねものがたりとも云、

〔木曾路名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 寢物語里 こゝは近江美濃の國堺なり、長久寺村にあり、むかしはたけくらべといふ、〈此里に義經の愛妾靜、江田源藏に逢しなどいふ里諺あれども取らず、〉

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 たけくらべといふは、あふみとみのとの山を左右に見て行所なり、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234  右ひだりみて過行ばあふみぢの二の山ぞたけくらべする、伊増たうげといふは、みのゝさかひにて、堅城とみえたり、一夫關にあたれば万夫すぎがたき所といふべし、

〔續日本紀〕

〈三十稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 神護景雲三年九月壬申、尾張國言、此國與美濃國界有鵜沼河

〔美濃明細記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 慶長十二年丁未、尾張國三郡、木曾川爲國境、入於美濃國、家康公因台命美濃尾張撿地、大久保石見守奉之、 慶長十二年閏四月二十六日、賜尾張國於徳川義直卿之時、木曾川之西用尾張之郡名、木曾川之東尾張國亦有此三郡、 又天正十壬午歳、尾張國三郡、木曾川下流爲國境美濃國、 依秀吉之命、織田三法師秀信自岐阜安土、信雄信孝爲後見時、信雄尾州領之、時尾州長島入于勢州、信孝領濃州、此時木曾川之西北用尾張之郡名、入濃州、木曾川之東尾張亦有此三郡、 海西〈和名抄海部、阿末、後爲海西海東、〉 中島 葉栗 都而二十一郡也 〇按ズルニ、此國ト尾張國トノ疆域ニ就キテハ、尾張國篇ヲ參看スベシ、

地勢

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 美濃〈濃(デウ)州〉上、管十八郡、南北三日、山原田圃多、綿帛豐而五穀生万倍、大上國也、

道路

〔日本實測録〕

〈二街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234東海道古渡名護屋及大垣垂井〈〇中略〉 美濃國安八郡墨俣宿 二里三町三間半 大垣傳馬町、二里一十三町一間、 不破郡垂井宿 儘父川 〈從古渡垂井〉街道、通計一十四里一十七町一十四間、 從東海道桑名高須及大垣柳瀬〈〇中略〉 安八郡今尾村〈至今尾陣屋三丁一十八間〉 二里五町五十間 南波村 一里二十九町六間 大垣傳馬町 三十三町三十三間 柳瀬村 〈從桑名柳瀬〉街道、通計一十二里五町二間、〈〇中略〉 從東海道龜山薦野及多良關原〈〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1235 美濃國石津郡時郷打上村 一里二十七町一十五間 多良村 一里二十九町三十間 牧田村〈沿川至澤田村九丁七間、〉 一里一十七町七間半 不破郡關ケ原宿 〈從龜山關ヶ原〉街道、通計一十九里一十七町一十七間半、

〔日本實測録〕

〈三街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1235東京中山道至草津〈〇中略〉 美濃國惠那郡落合宿 三十一町二十六間 中津川宿 一里三十一町七間 大井宿、三十五度二十七分半、〈至岩村中町三里二十五丁一十八間半〉 三里九町五十六間 土岐郡大湫宿、三十五度二十六分半、 一里二十五町五十一間 細久手宿、三十五度二十五分半、 二里二十九町一十七間半、〈至諸木峠一里一十四丁三十二間半〉 可兒郡御嵩(ミタケ)宿 一里四町三十五間 伏見宿 一里三十三町五十六間半 加茂郡太田宿、三十五度二十六分、 二里七町 各務郡鵜沼宿、三十五度二十四分、 四里一十一町三十三間〈至加納八幡町四里四丁二十一間〉 厚見郡加納三町目、三十五度二十三分、 三十一町三十三間 東鏡島(カヾシマ)村〈至乙津寺二町二十間〉 二十一町二十四間 方縣郡河渡宿 一里三町四十二間 本巣郡美江寺宿、三十五度二十四分、三十三町四十一間半 安八郡柳瀬村 一里一十一町二十六間半 不破郡赤坂宿、三十五度二十三分半、 一里一十六町一十九間〈至谷汲道追分五十七間、從追分垂井宿儘父川岸一里九町五十五間、〉 垂井宿 一里一十三町 關原宿 三十五度二十二分 一里五十八間 今須宿 二十九町一十間半〈至國界寢物語一十丁四十四間〉 近江國坂田郡柏原宿〈〇中略〉 從中山道中津川高山古川町 美濃國惠那郡中津川宿 三十一町五十二間〈至木曾川岸一十八町四十五間〉 苗木〈至苗木城大手六丁二十四間〉 一里三十一町五十一間 福岡村、三十五度三十四分、 一里三十町二十一間 田瀬村 二里三町四十八間 付知村川西 一里三十五町三間 加子母村中切 一里三十一町五十七間〈至國界一里一十八丁九間〉 飛騨國益田郡御厩野村〈〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236中山道太田關至御園町 美濃國加茂郡太田宿 二里二十六町四十間 武儀郡關村辻町、三十五度二十九分半、 二里一十三町四十六間〈至關村西木戸町七丁三十九間〉 各務郡苅見町、三十五度二十七分半、 一十八町二十五間 岩田村〈至伊波乃西神社六町三十間〉 二里一十町一十七間 厚見郡上加納村御園町 〈從太田御園町〉街道、通計七里三十三町八間、 從美濃國關郡上八幡森村 美濃國武儀郡關村西木戸町 一里二十九町 上有地村二番町 一里三十三町 洲原村 一里三十四丁十八間 郡上郡下田村 一里三十一町四十五間 梅原村 一里六町五十四間 千虎村 一里八町三十三間〈至八幡今町一里五丁三十三間〉 八幡橋本町〈歴八幡城大手前職人町限四丁四十八間〉 二里一十一町一十二間〈至杉峠一里二十八丁一十二間〉 貢間村 三里三十四町二十四間〈至下洞村一里一十五丁一十二間〉 祖師野村 二里二町三十九間 武儀郡金山村金山町 一十二町二十四間〈至國界郡上川岸一丁三間〉 飛騨國益田郡下原村〈〇中略〉 從中山道鵜沼名護屋及矢作平坂 美濃國各務郡鵜沼宿 三十二町五十九間〈至國界木曾川岸一十五丁五十一間〉 尾張國丹羽郡犬山上本町〈〇中略〉 從中山道加納高富及谷汲赤坂 美濃國厚見郡加納八幡町 一十二町四十五間 上加納村御園町 一十町五十七間〈至岐阜下笹土居町八丁一十一間〉 岐阜上笹王居町 一町四十八間 同白木町〈至因幡神社三丁五十一間〉 一里三十二町二十七間 〈至材木町木戸八丁六間從木戸長良川岸四丁、〉 山縣郡高富村天王町〈至高富陣屋六丁一十八間〉 二里二十七町三十間 方縣郡中西郷村、三十五度二十八分半、 三町三十六間 同追分〈至曾我屋村一里一十四丁四十三間、從曾我屋鏡島村二十一丁五十四間、又從曾我屋方縣津神社九丁六間、〉 二里一十町三十間 大野郡上長瀬村、三十五度三十一分半、 三十町二十一

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 間 名禮村〈至谷汲山觀音堂一十丁一十八間〉 一里二十八町三十六間 長良村〈歴揖斐陣屋前上町一十四町五十六間〉 一十六町九間 島村、三十五度二十八分半、 一里八町四十八間 池田郡八幡村〈至八幡社八丁〉 一里五町二十一間 不破郡赤坂宿 〈從加納赤坂〉街道、通計一十三里八町四十八間、 從中山道垂井高田福岡 美濃國不破郡垂井宿 二里四町二十二間〈至南宮前一十一丁二十七間〉 多藝郡押越村牧田川岸〈沿牧田川澤田村三十四丁〉 二里一十二間 島田村高田町、三十五度一十九分、 三町五十七間 押越村〈至栗笠村一里二丁一十三間、從栗笠船付村一十六町九間、又從栗笠鳥江村九丁二十四間、〉 一十一町二十二間 石畑村〈至澤田村六丁三間〉 七町三十一間 柏尾村〈至養老瀧二十丁五十九間〉 二里二十六町二十間半〈至伊尾川岸二里二十二丁五十九間〉 石津郡福岡村 〈從垂井福岡〉街道、通計五里十九町四十四間半、 從中山道關ケ原木本及匹田小濱 美濃國不破郡關ケ原宿 三十二町一十四間半 玉宿 九町五十四間半〈至國界二丁五十七間〉 近江國坂田郡藤川宿

〔美濃國明細記〕

〈一道程〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 一不破郡(近江境ヨリ信濃境迄)今須ヨリ惠奈郡落合迄中仙道三十一里〈今須ヨリ一里關ヶ原、一里半垂井、一里十三丁赤坂、二里美江寺、一里六丁河渡、一里八町加納、四里十一町鵜沼、二里太田、二里伏見、一里御嶽、三里細湫、一里半大湫、三里大井、二里半中津川、一里落合、〉 一今須ヨリ尾州起宿迄九里〈今須ヨリ一里關ヶ原、一里半垂井、二里半大垣、二里墨俣、一里起、〉 一伊勢境〈石津郡越前堺美濃大野郡大河原通 下境下一色ヨリ〉凡二十里餘 一尾州境〈葉栗郡笠田新加納ヨリ〉越前境〈郡上郡前谷迄〉凡二十三里 一大垣ヨリ加納江四里十六町〈大垣二里美江寺、一里八丁河渡、一里八丁加納、〉一加納ヨリ郡上江十四里〈加納三里餘芥見、三里上有知、四里下ノ田、四里郡上、〉 一苗木ヨリ大垣エ二十三里十六町〈苗木二里半大井、二里半大湫、二里細湫、三里御嶽、一里伏見、二里太田、二里鵜沼、四里八丁加納、一里八丁河渡、一里八丁美江寺、二里大垣、〉 一苗木ヨリ加納エ十九里八町〈道程右ニアリ〉 一岩村ヨリ知納エ十八里半八丁〈岩村ヨリ四里半大久手、二里細久手、三里御嶽、一里伏見、二里太田、二里鵜沼、四里八丁加納、〉 一大垣ヨリ高須エ五里〈大垣二里難波野、一里半佛師川、十八町今尾、一里高須、〉 一大垣ヨリ郡上エ十九里八町〈大垣二里美江寺、一里八丁河渡、二里岐阜、四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 〈里關、二里上有知、四里下田、四里八幡、〉 一大垣ヨリ岩村エ二十二里半十二丁〈道程加納ヘカヽル〉 一苗木ヨリ高須エ二十六里八町〈道程加納エカヽル、加納三里竹ヶ鼻、二里勝村、二里高須、〉 一加納ヨリ高須エ七里 一郡上ヨリ高須エ二十一里〈八幡四里下田、四里上有知、二里關、四里加納、三里竹ヶ鼻、二里勝村、二里高須、〉 一岩村ヨリ高須エ二十三里半餘〈道程加納エカヽル〉 一苗木ヨリ郡上エ二十四里〈苗木一里高山、一里蛭川、二里切井、一里半赤川、一里犬地、二里上田、泉、廣野、打尾、田鳥、口金山、奧金山、沓部、戸川、祖師野、保次、安江野新田、下洞、下澤、上澤、宮地、美間、中ノ保、八幡〉 一苗木ヨリ岩村エ五里半〈苗木一里半茄子川、四里岩村、〉 一岩村ヨリ郡上エ二十四里半〈岩村四里半大久手、二里細久手、三里御嶽、一里伏見、二里太田、二里關、二里上有知、四里下田、四里八幡、〉 一大垣ヨリ勢州桑名エ十里 一郡上ヨリ越前大野城エ二十里 一郡上ヨリ飛騨高山エ十三里 一鵜沼ヨリ尾州犬山エ一里

〔諸國旅雀〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 京より江戸迄木曾海道 かし原よりいますへ一リ、三十三文、 禰物語、江州濃州の堺也、又たけくらべともいふ、 いますよりせきが原へ一里、卅三文、 山中九條雜司、ときはの塔有、 峠 ふわ、せきやのあと下れば右、是せきと云、小ぜきと云は北也、大關に淵子川と云有、 せきが原より樽井へ一里半、四十九文 松の尾は西の山也、是より尾州宮迄十五リ有、野上此上の山より江州尾州三國みゆる、けいちう山寺有、今はなし、はんぢよがざいしよ也、 たる井よりあか坂へ一リ半、四十二文、 町端に川有、合川、ぼだい川、大瀧川落合てたるい川と云こヽにおいわけ有、木曾へは左へ行、尾州へは右へ行也、ぼだいへ半道、たるいより北の谷也、たるいの西南の山を南宮山と云、瀧山の前也、おさ十六と云所、たるいより一里、いぶき山もちかし、又あをのがはら、又青野と云村有、青墓といふ、昔長者大炊が屋敷は、道より北也、又ひるい大はかと云村、此間に有、 あか坂よりめいぢへ二里八町、七十二文、 こくう藏山のふもと也 ひらやこくう藏山のを西の方也、孫六といふ鍛冶いたる所也、 町端にくせい川有、あを木、みつや、きたかた中川の内そね

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1239 道よリ北也、 大柹道より南 川尻道より南、ろく川有舟渡り、此川くいぜ川と云、本名はくぜい川也、此河の下をさわたりと云、 めいぢよりがうどへ一里六町、三十九文、 がうどよりかなふへ二里、此間にぎふへ行道左に有、五十五文、 川有舟わたし也、ながら川の下也、がうどの下をすのまたの渡と云、ぎふノ古城有、 かなふよりうぬまへ四里、百卅五文、 信長公取立の古城也、山をいなば山といふ、古今にもいなば山とよめるが此山也、町端にながら川有、瑞龍寺なはて、各務野と云有、右の方に尾州小牧山みゆる、はゞ是よりうぬまへ二リ、人家なし、 うぬまより太田へ二里、七十五文、 世俗にうるまといふ、あやまり也、鵜沼也、犬山の城有、うぬま川のむかい也、半道程有、水野より鵜沼へ四リあり、かち山是より蜂屋へ一リ半也、通道にさるばみとて太田川の岸かけのうへにくはんをん立給ふ、 太田より伏見へ二里、七十五文、 大河有、舟わたし太田のわたりと云、信州木曾川の末なり、水出ればながれはやく、なみたかく、むつかしきわたしなり、此末をうぬま、かさ松、萩原等の渡と云、とた太田のわたりの向也、是より太田の渡せずに大柹へ廻り、舟にて本道へ出る道あり 伏見よりみたけへ一里、三十三文、 是よりかち田といふ所へ二リ、爰に古城有、齋藤山城守濃州の守護たりし時、息男新五此城に居ル也、よなだへ一リ、日比は肥田玄番居城也、又金山へ半里、信長公の御時、森三左衞門、同むさしの守居城也、右皆加茂郡の内也、 みたけよりほそくでへ三里、百廿二文、 此所かんの大寺共いふ寺有、又入口左の山に九影寺とて、濟下の寺あり、くゝりと云所此近邊也、元和の比、千村市右衞門是に住す、惠奈郡うど、つばし、平岩、 ほそくでよりおほくでへ二里、五十七文、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 おほくでより大井へ三里、尾張へ出る道有、百五十六文、 大井より中津迄二里半、七十八文、 みたけより八里、なすび川、せんだばし、八まんのみや有、 中津川よりおち合へ一里、四十四文、 此間下れば左のむかふ苗木といふ城有、中つより一リ、 おち合よりまごめへ一里、四十四文、 むかし木曾殿のさむらい落合五郞かねゆき居城也、此所ひなわの名所なり、あてひなわと云、水中にてもきへずと云、十石橋坂有、是より信州安曇郡木曾の内也、

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 諸國驛傳馬〈〇中略〉 美濃國驛馬〈不破三疋、大野、方縣、各務各六疋、可兒八疋、土岐、大井各十疋、坂本卅疋、武義、加茂各四疋、〉傳馬〈不破、方縣、各務、可兒、武義郡各四疋、大野郡三疋、土岐郡五疋、惠那郡十疋、〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 凡美濃國坂本、土岐、大井、三驛、信濃國阿智驛子、課役并免

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 凡諸國驛馬飼秣者、〈〇中略〉其嶮路使繁、疋別十七束、使稀十束、平路使繁八束、使稀六束、但美濃國坂本(○○)、信濃國阿智兩驛、並疋別卌五束、

〔延喜式〕

〈五十雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 凡美濃國互差掾若目一人挍土岐惠奈兩郡雜事、并驛家遞送事

〔續日本紀〕

〈三十四光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 寶龜七年十月壬辰、美濃國菅田驛與(○○○)飛騨國大野郡伴有驛相去七十四里、巖谷險深、行程殊遠、其中間置一驛、名曰下留

〔類聚三代格〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 太政官符 應諸郡司中恪勤者上レ治惠奈郡事 右得美濃國解偁、惠奈郡坂本驛(○○○)與信濃國阿智驛相去七十四里、雲山疊重、路遠坂高、戴星早發、犯夜遲到、一驛之程、猶倍數驛、驛子負荷、常困遞送、寒節之中、道死者衆、朝廷悲之、殊降恩貸、永免件驛子租調、又去承和十一年、擧郡給三年之復、頻雖限之恩、徒費公家、曾無息、前任良宰、雖治方、猶難興復、況後任愚吏、更施何術、今撿彼郡課丁、總二百九十六人也、就中二百十五人爲驛子、八十一人輸

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 調庸、此之諸郡、衰弊尤甚、望請擇諸郡司之中、富豪恪勤者、募以五位三年内、令件郡、謹請官裁者、右大臣宣、奉勅依請、與奪之事、一準去天長元年八月廿日格、 齊衡二年正月廿八日

〔帝王編年記〕

〈二十一後白河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 平治元年十二月廿九日、義朝二男朝長、於美濃國青墓宿(○○○)自害、〈生年十六〉

〔吾妻鏡〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 建久六年六月二十八日辛巳、令御于美濃國青波賀驛(○○○○)相模守惟義就獻餉、相州美濃國守護也、

〔平治物語〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 頼朝生捕事附常磐被落事 彼尾張守家人、彌平兵衞宗清、〈平季宗子〉尾州ヨリ上洛シケルガ、不破關ノアナタ關ケ原ト云所ニテ、ナマメイタル小冠者、宗清ガ大勢ニ恐テ、藪ノ蔭ヘ立忍ビケレバ、怪ミテ捜ス程ニ、隱レ所無シテ、囚レ給フニ、宗清見レバ、兵衞佐殿ナリシカバ、喜事限ナシ、軈テ具足シ奉テ上程ニ、青墓ノ大炊ガ許ニゾ宿シケル、

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 あふはかといふは、たる井よりこなたなり、名寄に青墓里といへるこの寺にや、 契あれば此里人にあふはかのはかならずば又もきてみむ

〔十六夜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 關よりかきくらしつるあめ、しぐれに過ぎてふりくらせば、道もいとあしくて、こゝろより外にかさぬひのうまや(○○○○○○○○)といふ所にくれはてねどとゞまる、 たび人はみのうち拂ふ夕ぐれの雨に宿かる笠縫のさと

〔吾妻鏡〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 寛喜四年〈〇貞永元年〉十一月十三日、依飢饉貧弊民之由、武州被仰之間、矢田六郞左衞門尉既下行九千餘石米訖、而件輩今年無于辨償之旨、又愁申之、可待明年糺返之趣、重被矢田云云、凡去今年飢饉、武州被撫民術之餘、美濃國高城西郡、大久禮以上、千餘町之乃貢、被進濟之儀、遣平出左衞門尉春近、兵衞尉等、於當國於株河驛(○○○)、被施于往反浪人等、於縁邊上下向輩者、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242行程日數、而施旅粮、至止住之族者、預置于此庄園之間、百姓被扶之云云、

〔皇代略記〕

〈後光嚴〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 文和二年六月十三日、赴美濃國、著御垂井宿(○○○)小島行宮

〔藤川の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 五日〈〇文明四年五月〉のさるの時ばかりにたる井のしゆくにつく、けふは南宮の祭とて、見物のともがら、物さわがしくたちさまよひけり、〈〇下略〉

〔梅花無盡藏〕

〈一七言絶句〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 始入濃棰井雨中望拜南宮 山前卸笠拜南宮、殘雨吹晴默禱中、尚識神靈有加護、至今世々出英雄

〔蒲生氏郷紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 猶ゆき〳〵て、みのゝ國たる井といふ所にかりねして、 かりねする宿の軒端のあれはてゝ露もたる井の明がたの空 とよみて、はや夜も明行程に、たび立つゝゆきければ、近江の國にいたりぬ、

〔美濃國古蹟考〕

〈二官道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 鵜沼驛(○○○) 各務郡太田ヘ二里古城地ナリ、〈〇下略〉

〔後拾遺和歌集〕

〈九羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 東のかたへまかりけるに、うるま(○○○)といふ所にて、 源重之 東ぢにこゝをうるまといふことは行かふ人のあれば成けり

〔美濃明細記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 美濃國二十一郡〈〇中略〉 村數合千六百三拾壹ケ村 右ノ内 拾七ヶ村宿驛 内〈拾五ケ村、仲仙道往還宿驛、二ケ村、美濃路街道宿驛、 尾州〉 元祿十四〈辛巳〉歳

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈二東山道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 美濃 古作三野〈國造記云、三野前國造、三野後國造、蓋往昔分爲二國、後復併爲一國、〉上國、管二十一郡、〈延喜式十八郡〉千六百二村、 不破〈四十五村 古府治〉 多藝(タキ)〈六十一村 文武紀作多伎、續紀作當耆、 古事記云、倭建命到當藝野之時、詔吾足不歩、成當藝斯形、故號其地當藝、〉 石津〈九十一村 齊衡二年、分多藝武義兩郡多藝、石津、武義、郡上之四郡、〉安八(アンハチ/アハチ)〈百五十二村 天武紀作安八磨郡、〉 池田〈六十七村〉 大野〈百十九村〉 本巣〈七十一村 古本巣〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 〈國、見古事記、〉 席田(ムシロタ)〈九村 靈龜元年七月、尾張國人外從八位上席田君邇近、及新羅人七十四家、貫于美濃國、始建席田郡、〉 方縣(カタガタ)〈五十村〉 厚見〈五十八村〉 山縣〈五十五村〉 武儀(ムギ)〈百四十五村 延喜式作武義、和名抄作武藝、古事記牟宜都君、日本紀身毛津君、續紀牟義都公、其稱皆出于此地、〉 郡上(クジヤウ)〈百六十四村 延喜式作群上、齊衡二年置、詳上文、〉 加茂〈百二十一村 延喜式等作賀茂〉 惠那〈八十村 延喜式等作惠奈〉 土岐〈五十六村 天武紀作礪杵郡〉 可兒(カニ/カゴ)〈九十五村〉 各務〈三十七村〉 羽栗(ハクリ)〈六十五村〉 中島〈三十三村〉 海西(カイサイ)〈二十八村 巳上三郡、延喜式等皆不載、蓋中世所置、〉

〔日本地誌提要〕

〈二十四美濃〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 沿革 古ヘ國府ヲ不破郡ニ置、〈今ノ府中村是ナリ〉鎌府ノ時、梶原景時大内惟義ヲシテ交替シテ守護タラシム、正治ノ初、土岐光衡ヲ守護トシ、子孫職ヲ襲ク、七世ノ孫頼康、足利尊氏及義詮ニ歴事シ、尾張伊勢ノ守護ヲ兼ネ、州守ニ任ジ、革手城ニ居ル、〈厚見郡〉孫康政罪ヲ將軍義滿ニ獲テ出亡ス、頼康ノ姪頼益之ニ代ヲ守護トナリ、五世ニシテ頼藝(ヨリノリ)ニ至リ、治ヲ大桑城ニ徙ス、天文十一年、其臣齋藤秀龍頼藝ヲ逐ヒ、本州ヲ奪ヒ自立シテ守護ト稱シ、岐阜稻葉山ニ居ル、孫龍興ニ至リ、西濃ノ著族不破、安藤、氏家、稻葉氏等、皆志ヲ織田信長ニ通ズ、永祿七年、信長遂ニ大擧シテ來リ伐、龍興越前ニ奔リ、本州信長ニ歸ス、九月、信長清洲ヨリ岐阜ニ徙ル、天正四年、近江ノ安土ニ徙リ、子信忠ヲシテ岐阜ニ鎭セシム、十年、信長弑セラレ信忠自盡シ、信忠ノ弟信孝本州ヲ管シ岐阜ニ居ル、兄信雄豐臣秀吉ニ黨シテ信孝ヲ誘殺ス、秀吉池田信輝ヲシテ大垣ニ鎭セシメ、金山城ヲ森長一ニ賜ヒ、州事ヲ監セシム、信輝死後、嗣輝政岐阜ニ徙ル、十八年、秀吉輝政ヲ三河ニ徙シ、信忠ノ子秀信ヲシテ岐阜ニ鎭セシメ、本州ヲ領ス、關原ノ役西軍ニ屬シ、城陷リ出亡、〈後高野山ニ終ル〉徳川氏岐阜ヲ廢シ、慶長六年、石川康通ヲ大垣ニ封ズ、後戸田氏鐵(カ子)之ニ代リ、其曾孫氏定、其弟氏成(シゲ)ニ新田〈壹萬石〉ヲ與ヘテ支封トナス、慶長ノ末、東南境〈拾貮萬餘石〉ヲ以テ徳川義直ニ賜ヒ、其相竹腰正信ヲ今尾ニ封ズ、其他封ヲ受ル者、加納、〈奥平信昌、後ニ永井直陳(ノフ)、〉高須、〈徳永壽昌、後ニ松平義行、〉郡上、〈遠藤慶隆、後ニ青山幸道、〉岩村、〈松平家乘、後ニ松平乘紀(タヾ)、〉苗木、〈遠山友政、〉凡テ七藩、後又高富〈本莊道芳〉ヲ加ヘテ八藩トナス、王政革新、今尾ノ竹腰正舊ヲ直ニ藩列ニ加フ、後皆改テ縣トシ、笠松縣ヲ加ヘ凡テ十縣トス、既ニシテ悉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 ク併セテ岐阜縣トス、

〔古事記〕

〈中開化〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 神大根王者、〈三野國之本巣國造長幡部連之祖、〉

〔古事記傳〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 三野國之本巣國造、此は二氏にて、上は三野國造なるを、造字を之に誤れるなるべし、日代宮段に、三野國造之祖、神大根王と見え、書紀其卷にも、美濃國造名神骨とあればなり、〈若三野の本巣ならば、白檮原宮段末に、道奥石城國造、常道仲國造などある例を思ふに、三野之とありて、國字はあるまじきことなるに、三野國とあるも、本巣とは別なるがごと思はる、〉國造本紀にも、美濃前國造、春日率川朝皇子彦坐王子、八瓜命定賜國造とあり、〈此次に三野後國造と云もあり、抑如此前と云後と云るは、越前越後などの例の前後にや、若然らば美濃の内にて、本巣郡は京師の方に依れゝば、道口とも云つべければ、三野前國とは本巣郡のあたり造云るものとして、此も其國造として、三野之本巣國造と云る證ともすべきが如くなれども、美濃國を前後と二に分むには、其前の方にも本巣をおきてなほ數郡の地あれば、本巣國造の外に、三野前國造あらむも妨なければ、其を三野國造と云むも又妨なし、又本巣郡の内に美濃郷もあれば、上古に三野國造と云しは、其あたりの國造、本巣國造と云しは、又本巣と云地もありけむ、其處の國造なりとせむも、何事かあらむ、又かの前後とあるは、時代の前後を分て云るかとも思へども、若然らば一ツに擧べきに、別に擧たるは然には非じ、八瓜命は、神大根王の亦名にて、上に出たり、天武紀に美濃連と云あれども、異姓なるべし、〉本巣は、和名抄に、美濃國本巣〈毛止須〉郡これなり、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 三野前國造 春日率川朝〈〇開化〉皇子彦坐王子、八瓜命定賜國造、 三野後國造 志賀高穴穗朝〈〇成務〉御世、物部連祖出雲大臣命孫、臣賀夫良命定賜國造

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 四年二月甲子、天皇幸美濃、〈〇中略〉是月天皇、聞美濃國造名神骨之女、兄名兄遠子、弟名弟遠子、並有國色、則遣大碓命、使其婦女之容姿、時大碓命便密通而不復命、由是恨大碓命

〔倭姫命世記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 十年辛丑、〈〇垂仁〉遷幸于美濃伊久良河宮、〈〇中略〉次遷于尾張國中島宮坐天、三箇月奉齋、倭姫命國保伎給、于時美濃國造等、進舍人市主、地口御田、並御船一艘進支、同美濃縣主、角鏑作之而進御船二艘、捧船者天之曾己立、抱船者地之御都張止白而進、

〔續日本紀〕

〈三十三光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 寶龜六年三月乙未、始置〈〇中略〉美濃少目二員

〔土岐累代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 濃州土岐氏守護起本之事 抑當國ハ、東山道ノ要國タルニ依テ、昔ヨリ國司守護其器ヲ撰マルゝ所也、人皇六十二代村上帝ノ御宇ニ、源滿仲、天暦年中ニ、當國ノ守ニ任ジ給ヒテヨリ、其子攝津守頼光、同弟河内守頼信、頼光ノ子右馬頭頼國、其子美濃守國房迄、源氏五代守ト成テ、代々斷絶ナク承嗣アリ、白川御宇、承暦三年己未七月、濃州ニヲヒテ反逆シ給ヒ、終ニ阿波國ヘ配流セラレシヨリ、前美濃守義俊迄相續テ是ニ任ズ、是迄源氏七代也、永保二壬戌年、國房赦免セラレテ本官ニ復セシヨリ、國房土岐郡ニ住シ、是ヨリ其子左衞門尉光國、其子出羽守光信、其子伊賀守光基迄四代、世々濃州ニ住ストイヘドモ、美濃守ニハ不任、後鳥羽院ノ御宇、元暦文治ノ頃、源頼朝兼諸國地頭職ニ至テ、梶原平三景時、相模守惟義、小笠原十郞泰綱等、當國ノ守ニ任ズ、夫ヨリ文治建久ノ頃、光基子左衞門藏人光衡始テ美濃守ニ任ジラルゝニ及テ、土岐美濃守ト號シ、當家ノ祖トス、濃州神戸城ニ住ス、然レドモ守護職ハ光衡一代ニテ終リヌ、其子出羽守光行、神戸城ヨリ土岐郡淺野ノ里ニ館ヲ構テ、移ラルゝト云ヘドモ、當國ノ守ニテハナシ、後鳥羽院ノ判官代ナリ、其後關東ヘ下向シテ、右大將實朝ニ隨仕ス、其子伊豫守光定〈土岐隱岐守〉モ淺野ノ館ニ住ス、其子伊豫守光包ナリ、其子伯耆守頼包入道存孝ニ至テ、絶テ久キ美濃守ニ任ゼラル、後醍醐天皇ノ御宇、其身ハ濃州高田ニ住セラル、後關東ニ下向シテ北條家ニ隨仕セラレ、其子甚多シ、末子伯耆十郞頼貞、美濃國ヨリ在京シテ、當今ノ御隱謀ニ與シテ、六波羅ヲ可亡ト計シガ、從弟土岐ノ船木左近藏人頼員〈父左近藏人頼重ナリ、頼包入道存孝弟ナリ、〉ガ反忠ニ依テ及露顯、元徳元己巳年九月十九日ノ早天、六波羅衆山本九郞時綱ト戰テ生害ス、然レドモ父頼包入道、兄民部大輔頼清、彈正少弼頼遠兄弟ハ、淺野大富ニ在リケレドモ、何ノ申旨モナカリシナリ、父入道後又足利家ニ屬セラレケル、其子共將軍へ屬シテ、所々ニ於テ武威ヲ顯シケル、入道

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 存孝ハ、暦應ニ己卯年二月廿二日、土岐郡高田ニヲヒテ逝去ス、遺骨ハ同郡中島光善寺ニヲサム、定林寺殿前伯州太守雲右存孝大居士是ナリ、頼清ハ淺野ノ館ニ住シ、頼遠始ハ伯耆七郞ト號シ、父ト一所ニ高田城ニ在ケリ、其器量父祖ニ倍セシカバ、暦應ノ頃、總領職ヲ賜リテ、美濃尾張伊勢三ヶ國ノ探題トナリ、父ノ家督ヲ繼テ、則隣郷大富ニ館ヲ構ヘテ住シ給ヒケルガ、所アシキトテ暦應ノ末ニ、厚見郡長森ニ一城ヲ築テ移給フ、其後在京シテ足利家ニ隨ヒ、數度ノ軍功不勝計、青野原ノ戰ニ自ラ大ニ働、左ノ目ノ下頰當ノハヅレヲ切付ラレ、疵療治セントテ、居城長森ニ引退ク、其後武威ニホコリ、暦應五壬午年九月三日、京都東ノ洞院ニテ、持明院上皇御幸ニ參逢、頗及狼藉、其罪ニ依テ同十二月朔日、六條河原ニヲヒテ害セラル、夫ヨリ弟土岐兵庫頭頼明、總領職ヲ賜リ、長森ノ城ニ住ス、是モ貞和五己丑正月五日、四條繩手ノ軍ニ、周濟坊其外一族ドモ討レケル、其甥大膳大夫頼康ニ總領職ヲ賜ル、濃州ノ太守勢尾ノ守護ヲ兼ラル、此頼康ト申ハ、頼清ノ長男ニテ、始ハ左近將監トテ、淺野ノ館ニ居ラレタリシガ、其器量タクマシク、後民部大輔ト號シ、昇殿ヲユルサレ、大膳大夫ニ任ズ、入道シテ善忠ト申ケリ、是ヨリ當家勢ヒ強大ニ成ヌ、府城長森ハ地狹クテ、國政ニ不自由トテ、觀應ノ頃、厚見郡葦手ト云所ニ新城築キ、一國ノ府トセシム、其外同國三輪ニ一城ヲ立、弟揖斐出羽守頼雄ヲ入置給ヒ、長森ノ城ニハ、其弟土岐宮内少輔直氏ヲ入置給フ、此直氏ト申モ、器量勝レタル人ニテ、尾州小川ノ城ニ、小川中務丞ト土岐東池田ト申合、仁木京兆ニ同心シ立籠リタリシヲ、直氏手勢六百餘騎ニテ推寄、廿四日、戰ヒテ難ナク城ヲ責落シ、小川中務ガ首ヲ切テ京都ニノボセ、池田左近藏人ハ從弟ノ事ナリケレバ、尾州米田豆ケ崎ノ城ヘゾ送リケリ、各本家ニ隨ヒケル、頼康ハ池田郡瑞岩寺ニヲヒテ卒、嘉慶元丁卯年十二月廿五日也、建徳寺殿前光祿大夫高巖忠公大居士トゾ申ス、頼康ノ子大膳大夫康行、其子大膳大夫康政、入道シテ善昌ト云、三代葦手ノ城ニ住シテ當國ノ太守ナリ、然ルニ康政、康暦年中、當城ニヲヒテ謀叛ヲ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 起シ、將軍義滿公大ニ怒リ、氏族ノ池田左近將監頼益ニ命ジテ是ヲ討ゼラル、康政勢ツカレテ、息刑部少輔頼時トモニ自害ス、幕府其戰功ヲ感ジ給ヒテ、頼益末族トイヘドモ總領職ヲ賜リ、美濃守ニ任ゼラレ、左京大夫ト號ス、是ヨリ頼益葦手ノ城ニ移リ給フ、此頼益ハ前大膳大夫頼康ノ甥ニテ、池田左近將監頼忠ノ長子ナリ、頼忠ハ、延文ノ比ハ、當國ノ池田郡池田ノ館ニ居給フ、弓馬ノ達人也、鷹ノ繪一流相傅ノ人ナリ、又可兒郡池田ニモ一族アリ、池田修理大夫ト云、是池田三左衞門ノ祖ナリ、頼忠後ニ刑部丞トモ、又美濃入道トモ云、所領恩補有テ、尊氏公ヨリ御下文ニ曰、可早領知美濃國武儀庄ノ内野所安弘見加藤郷等地頭職之事、右爲勳功之賞充行也者、守先例沙汰也、如件、觀應二辛卯九月廿日、尊氏判トアリ、頼忠ハ池田ニテ卒シ給フ、禪藏寺殿眞兼居士是也、寺ハ池田郡願成寺村ニアリ、其子三人、長男左京大夫頼益、二男右馬權頭之康、三男ハ伊勢守光兼ナリ、頼益相續テ池田ニ住ス、後尾張海東郡萱津ノ郷ヲ領ス、暫爰ニ住スル故ニ、世久シク萱津殿ト云リ、萱津ヨリ葦手ニ移ル、應永六己卯ノ冬、一族宮内少輔詮直叛逆ヲ企テ、居城長森ニタテコモル、將軍ノ命ニ依テ、左京大夫頼益、長森ノ城ニ取詰、忽城ヲ攻落シ、詮直ヲ召取首ヲ刎、一圓ニ切隨ヘ、長森ヲ削捨、葦手城ニ入給フ、後葦手ノ城ニ於テ卒ス、常保壽后居士是ナリ、其子左京大夫持益相續テ國政ヲ司ル、勢州北畠家、并國人平氏ノ某、關東ノ左馬助退治ノ時、一方ノ大將トナリ、勢州ニ攻入、府中ノ城ヲ攻破リ、大ニ戰功アリ、后葦手府城ニテ卒、承國寺殿常祐大助居士ト云、其子左京大夫持兼早世、家系及斷絶、時ニ土岐家ノ長臣、稻葉山ノ城主、齋藤帶刀左衞門藤原利長入道ヲ始、伊賀稻葉氏家、其外一族ノ人々相計ヒトシテ、土岐氏ノ末族饗場備中守元明ノ長子ヲ養テ家督ト成ス、國中ノ武士等皆國主ト仰グ、土岐左京大夫兼美濃守源成頼ト申ハ是ナリ、家臣齋藤帶刀左衞門利長、其子利藤等、稻葉山ノ城ニ在テ國政ヲ執行ヒケルニヨリ、國中ヲダヤカ也、成頼ハ明應六丁巳年四月三日、米田ノ館ニテ病死ナリ、遺骨ハ厚見郡金寶山瑞龍寺ニ葬ル、瑞龍

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 寺殿前濃州太守國文宗安大居士ト云也、成頼ノ子頼繼家督ヲツギ、在京シテ將軍義政公ニ隨仕シ、忝クモ御名ノ一字ヲ賜リ、美濃守政房ト申ケル、其子左京大夫頼繼太守ナリシガ、弟土岐治郞頼藝ニ奪ヒトラル、此頼藝迄ニテ守護職ノ家系斷絶ナリ、頼藝ノ子數多有ト云、皆チリ〴〵ニ成給ヒケリ、

〔江濃記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 齋藤ガ事 美濃齋藤、元ハ越前ノ住人、利仁將軍ノ末葉也、代々美濃國革手ノ城主也、土岐ハ屋形、齋藤ハ守護代也、然ドモ、前代ノ時ハ、土岐齋藤トテ、國人モ一雙ノ様ニ思ヒシ也、元弘ノムカシニモ、土岐頼員ハ、齋藤利行ガ聟也、其後高氏ノ御代ト成テモ、齋藤猶美濃ニ繁昌也、〈〇中略〉 土岐殿齋藤不和之事 其比美濃國大桑ニ御座土岐頼藝ノ代ニ成テ、道三ガ威勢ツノリ、一國平呑シテ、土岐屋形ノ威ノヲトロユル事ヲイカリ、道三ヲホロボシテ國ヲ治メント謀リ、忽ニ道三ト不和ニ成リ、合戰數度ニ及ビケリ、然ドモ道三合戰ノ道ニヲイテハ、近國無雙ノ大將ナレバ、誰カ是ニ向テ勝利ヲ取ルベキ、終ニ土岐殿打マケ、尾張國ヘヒラキ給ヒ、齋藤ハ土岐殿ヲ追出シ奉リ、一國不殘治メケリ、

國府

〔倭名類聚抄〕

〈見國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 美濃國〈國府在不破郡、行程上四日、下二日、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈見國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 美濃國〈管十八〇中略〉 不破〈延喜式府〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 美濃〈上近〉十八郡〈〇中略〉 不破〈府〉

〔新撰美濃志〕

〈三不破郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 府中村は垂井の北にあり、和名類聚抄に、美濃國國府在不破郡としるし、源平盛衰記の治承四年、維盛以下の軍勢東國下向の條に、九月三十日、みのゝこうにつく、十月一日、同じき國すのまたにつくと見えしは、こゝにて國司官廰の地を、國府とも府中ともいへるは、異國唐朝の制と同じ例なり、

〔源平盛衰記〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 忠文祝神附追討使門出事 二十七日ニハ、近江ノ國野路ノ宿ニツク、二十八日、同國蒲生野ニ著、二十九日ニ、同國小野宿ニ著、晦日美濃國府ニ著、十月一日、同國墨俣ニツク、

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 美濃國上〈管 多藝 石津 不破 安八 池田 大野 本樔 席田 方縣 厚見 各務 山縣 武義 群上 賀茂 可兒 土岐 惠奈〉 右爲近國

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 美濃國〈〇註略〉管十八〈〇註略〉 多藝〈多岐〉石津〈伊之津〉不破〈不破、國府、〉安八 池田〈伊介太〉大野〈保於乃〉本巣〈毛止須〉席田〈無之呂太〉方縣〈〇方縣原脱、據一本補、〉厚見〈阿都美〉各務〈加々美〉山縣〈夜末加太〉武藝〈牟介〉郡上 賀茂 可兒 土岐 惠奈

〔和名抄諸國郡郷考〕

〈七東山道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 美濃 〈美乃國 〇中略〉管十八〈今官用二十一郡、有海西羽栗中島、〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 美濃〈上近〉十八郡 多藝(タキ) 石津 不破〈府〉 安八 大野 太樔(モトス) 席田 方縣 池田 厚見 各務 山縣 武義 群上 賀茂 可兒 土岐 惠奈

〔新撰類聚往來〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 國名〈〇中略〉 美濃〈濃州〉十八郡 多藝 石津 不破 安八 池田 大野 本蘇 席田 方縣 厚見 各務 山縣 武藝 郡上 賀茂 可兒 土岐 惠奈

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 美濃國(御料私領) 〈濃州 南北三日〉 貳拾壹郡(○○○○)〈〇中略〉 不破 多藝 石津 安八 大野 本巣(モトス) 席田(ムシロタ) 方縣(カタカタ) 武儀(ムギ) 郡上 加茂 土岐 可兒 各務(カヽミ) 羽栗 池田 厚見 惠那 中島 海西 山縣

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 郡はむかしより十八郡なりしを、天正の中ごろ、豐臣秀吉公尾張の地三郡のうちの村々を割取て、當國につけられしより、今の如く二十一郡となる、

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1249 美濃國〈舊十八郡 今二十一郡〉 多藝(タキ) 〈<高田 ●舟付 <養老瀧 勢江ノ方ニ寄テ國中ニ有〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1250 石津(イシツ) 〈高須 ●川戸 勢江ニ付テ多藝ニ並郡〉 不破(アハ) 〈●赤坂 ●垂井 ●關ケ原 ●今須 △ネモノ語 江界〉 穴八(アハチ) 〈大垣 ●左渡 ●墨股 <今尾 國中〉 池田(イケタ) 〈●岡村 ●横山 江界〉 大野(ヲホノ) 〈<楫尾 ●谷汲 ●杉原 越前界〉 本巣(モトス) 〈●越波 ●上太二 ●シヱシ ●河戸 越前界〉 席田(ムシロタ) 〈驛町無シ五六ケ村限 國中小郡〉 厚見(アツミ) 〈加納 ●左波 岐阜 國中小郡〉 各務(カヽミ) 〈驛町無シ 尾界木曾川付小郡〉 山縣(ヤマカタ) 〈驛町無シ 越前界小郡〉 武藝(ムケ) 〈●門原 <關 ●河知 <金山 越前界〉 郡上(クンジヤウ) 〈●鷲見 ●前谷 ●二日町 ●三日市 <八幡 ●法子丸 ●外原 ●鎌邊 飛越前界〉 賀茂(カモ) 〈●勝山 △太田 △白川 國中〉 可兒(カニ) 〈●池田 ●ミタケ ●金山 ●伏見 ●上田 尾界〉 土岐(トキ) 〈●釜戸 ●大クテ ●高山 ●細クデ 尾界〉 惠奈(エナ) 〈岩村 <苗木 ●上野 ●カシモ ●竹折 ●大井 ●中津川 ●落合 ●串原 ●阿妻 飛信三ノ界〉 方縣(カタカタ) 〈驛町無シ 國中小郡〉 海西(ウミニシ) 〈●秋江 尾ノ木曾川ニ添小郡〉 葉栗(ハクリ) 〈<笠松 ●竹鼻 尾ノ木曾川ニ添〉 中島(ナカシマ) 〈●駒塚 ●大浦 右ニ並テ木曾川ヲ越テ尾張ニ入込 〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1251 〈今加海西葉栗中島ノ三郡〉 〇按ズルニ、本書及ビ次下郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1251 美濃 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_1251_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_1252_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_1253_001.gif

多藝郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1253 多藝郡は、不破郡の南にあり、東は舊杭瀬川揖斐川を隔てゝ安八郡に境ひ、南は石津郡、西も笙ヶ嶽を隔てゝ石津郡に至り、北は不破郡に隣れり、東西より南北は少し長く、牧田街道ありて商人なンど往來し、旅宿も不自由ならず、古事記に、倭建命取伊服岐能之神行幸云云、還時到當藝野上之時、詔云云、今吾足不歩、成當藝斯(タギシ)ノ形、故號其地當藝也とあるが、郡名の起れるはじめにて、和名類聚抄に多藝〈多岐〉と見え、續日本紀に、多藝、多伎、當耆、當伎と四通にかき、續日本後紀に多紀、平治物語に多記なんどさま〴〵にしるし、其外は國史諸實録等みな和名抄の文字を用ひ、今にそれにならへり、〈〇中略〉高參萬貳千參百六拾九石五斗三升九合、六拾九ケ村、〈古高帳には貳萬七千九百九十七石餘五十四ケ村とし、新高帳には七十八ケ村とす、〉

〔古事記〕

〈中景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1253 倭建命、以其御刀之草那藝劒、置其美夜受比賣之許而、取伊服岐能山之神幸行、於

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 詔、玆山神者、徒手直取而、騰其山之時、白猪逢于山邊、其大如牛、爾爲言擧而詔、是化白猪者、其神之使者、雖今不一レ殺、還將時將殺而騰坐、於是零大氷雨惑倭建命、故還下坐之到玉倉部之清泉、以息坐之時、御心稍寤、故號其清泉、謂寤居清水也、自其處發、到當藝野上之時、詔者、吾心恒念虚翔行、然今吾足不歩、成當藝斯形、故號其地、謂當藝也、

〔古事記傳〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 當藝斯は、和名抄舟具に、唐韻云䑨、〈字亦作舵〉正船木也、楊氏漢語抄云、柁船尾也、或作柂、和語云多伊之、今按、舟人呼挾杪舵師是とあり、延佳此を引て、疑此物也と云る、信に然り、〈〇中略〉さて多藝斯を多伊斯と云は、中古より音便に頽れたるなり、〈〇中略〉故號其地當藝也とは、此地名の由縁なることを云なり、〈續紀七に、靈龜三年九月、天皇幸美濃國云々、幸當耆郡多度山美泉、十一月詔曰云々、攺靈龜三年養老元年とありて、此美泉は世にいはゆる養老の瀧にて、右に引る萬葉六の歌も、此泉をよめるなり、然るに其歌二首ともに、瀧とよめれば、多藝郡、又多藝野など云名は、此養老瀧に因れる如聞えて、まぎらはしかるめれど、然には非ず、多藝てふ地名は、此に見えたる如く、倭建命の御言より起れるなり、〉

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 大寶二年三月庚寅、美濃國多伎郡(○○○)民、七百十六口、遷于近江國蒲生郡

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 養老元年九月丙辰、幸當耆郡(○○○)多度山美泉

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 天平十二年十一月己酉、到美濃國當伎郡(○○○)

〔萬葉集〕

〈六雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 美濃國多藝行宮(○○○○)、大伴宿禰東人作歌一首、 從古(ムカシヨリ)、人之言來流(ヒトノイヒクル)、老人之(オイビトノ)、變若云水會(ワカユトフミヅゾ)、名爾負瀧之瀬(ナニオフタキノセ)、

〔三代實録〕

〈九清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 貞觀六年八月十七日辛未、美濃國多藝郡(○○○)人、太政官史生正八位下物部吉宗、改本居山城國愛宕郡

〔三代實録〕

〈十二清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 貞觀八年正月廿日丁酉、勅美濃國多藝郡(○○○)、空閑地六十町施入貞觀寺

石津郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1254 石津郡は、多藝郡の南西にあり、戌亥より辰巳へ長く曳きたる郡にて、丑寅の方は、多藝、安八、海西の三郡を堺とし、南は伊勢國桑名郡、南西は同國員辨郡に隣り、西は近

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1255 江國犬上郡、坂田郡に至り、北は不破郡に亘れり、文徳實録に、齊衡二年閏四月丁酉、分美濃國多藝武義兩郡多藝石津武義郡上四郡と見えしが、當郡のはじめにて、和名類聚抄に石津〈伊之津〉としるし、其外の古書にみな其文字を用ひて今に至れり、〈〇中略〉高二万六千九百八十七石九斗三勺、九十一ケ村、〈古高帳には、一万九千七百九十一石餘、百三ケ村とし、郡村記に八十八ケ村とす、〉

〔文徳實録〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1255 齊衡二年閏四月丁酉、分美濃國多藝武義兩郡多藝石津(○○)武義郡上凡四郡

不破郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1255 不破郡は、國のうちの西のはてにありて、東はもと杭瀬川を隔てゝ安八郡に隣り、東南は多藝郡、南西は石津郡に亘り、西は近江の坂田郡に至り、北はすべて池田郡の地堺なり、東西は長く、南北は短くして、東山道の驛路西より東へ郡の眞中(マナカ)をつらぬけり、和名類聚抄に不破〈不破國府〉と見え、六國史、萬葉集、延喜式等をはじめ、くさ〴〵の古記どもにもみな不破とかきて、外の文字を用ひたる例なし、〈〇中略〉高三万七千八百九十三石四斗一升、四十六ケ村、〈古高帳には三萬六千七百九十六石餘、四十二ケ村とす、〉

〔日本書紀〕

〈二十六齊明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1255 六年十月、百濟佐平鬼室福信、遣佐平貴智等、來獻唐俘一百餘人、今美濃國不破片縣二郡唐人等也、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1255 元年六月丙戌、男依乘驛來、奏曰、發美濃師三千人、得不破道、於是天皇美男依之務、既到郡家、先遣高市皇子於不破軍事

〔萬葉集〕

〈二相聞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1255 高市皇子尊城上殯宮之時、柿本朝臣人麻呂作歌一首并短歌、 挂文(カケマクモ)、忌之伎鴨(ユヽシキカモ)、〈一云由遊志計禮杼母、〉言久母(イハマクモ)、綾爾畏伎(アヤニカシコキ)、明日香乃(アスカノ)、眞神之原爾(マガミノハラニ)、久堅能(ヒサカタノ)、天津御門乎(アマツミカドヲ)、懼母(カシコクモ)、定賜而(サダメタマヒテ)、神佐扶跡(カミサブト)、磐隱座(イハガクリマス)、八隅知之(ヤスミシヽ)、吾大王乃(ワガオホキミノ)、所聞見爲(キコシメス)、背友乃國之(ソトモノクニノ)、眞木立(マキタツ)、不破山越而(フハヤマコエテ)、狛劒(コマツルギ)、和射見我原乃(ワザミガハラノ)、行宮爾(カリミヤニ)、安母理座而(アモリイマシテ)、天下(アメノシタ)、治賜(ヲサメタマヒシ)、〈一云拂賜而〉食國乎(ヲスクニヲ)、定賜等(サダメタマフト)、〈〇下略〉

〔扶桑略記〕

〈六元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1255 靈龜三年九月丁未日、天皇幸美濃國不破山中醴泉、自出飮浴之者、白髮反黒、闇目

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 忽明、又洗痛處除痊

〔萬葉集〕

〈六雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 不破行宮(○○○○)大伴宿禰家持作歌一首 關無者(セキナクバ)、還爾谷藻(カヘリニダニモ)、打行而(ウチユキテ)、妹之手枕(イモガタマクラ)、卷手宿益乎(マキテ子マシヲ)、

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 養老元年十一月癸丑、天皇臨軒詔曰、朕以今年九月、到美濃國不破行宮

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 天平十二年十二月癸丑朔、到不破郡(○○○)不破頓宮、 甲寅、幸宮處寺、及曳常泉

〔扶桑略記〕

〈拔萃桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 延暦廿三年五月辛卯日、律師善謝卒、俗姓不破勝、美濃不破郡人也、

〔三代實録〕

〈四十二陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 元慶六年十二月廿一日己未、勅、〈〇中略〉美濃國不破安八兩郡野、本自禁制、永爲藏人所獵野

安八郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 美濃 安八〈アハチ アンハチ〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 字ヲ省ケル例 あはちま 安八(アハチマ)〈濃(ヲ)郡〉 天武紀ニ安八磨(アハチマノ)郡トアル是ナリ、續紀三ニ、安八萬王ト云人名アルモ、此地名ニ由レリト聞ユ、〈天武紀ニハ、アハツマト假字附ヲシタレドモ、アハチマナルベシ、又今國人ハ、アンパチ郡ト云ハ、字ニ依レルイヤシキ唱ナリ、〉

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 安八郡は、東西短く、南北は甚長く、東の方にては、大野、本巣、厚見、羽栗、中島、海西六郡の地に亘り、南西は石津郡を境とし、西は多藝、不破、池田の三郡に隣り、北は本巣郡限りとす、北の方に東山道、又美濃路〈俗に大垣街道といふ〉等ありて、旅行の人絶ず、日本書紀天武天皇の卷に、安八磨郡とかき、和名類聚抄に安八としるし、其外古事録どもにみな安八と見えて、外の文字を用ひたる例なし、〈〇中略〉高は八萬五千五百六十一石五斗七升三合、百六十四ケ村、〈古高帳には七萬、四千二十三石餘、百四十七ケ村とし、新高帳には百七十二ケ村とす、〉

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1256 元年六月壬午、詔村國連男依、和珥部臣君手、身毛君廣曰、今聞近江朝廷之臣等、爲朕謀害、是以汝等三人、急往美濃國、告安八磨郡(○○○○)湯沐令多臣品治示機要、而先發當郡兵、仍經國司

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1257、差發諸軍、急塞不破道

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1257 御野國味蜂間郡(○○○○)春部里戸籍 御野國味蜂間郡春部里太寶貳年戸籍(繼目裏書)

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1257 和銅元年三月庚申、美濃國安八郡人、國造千代妻如是女、一産三男、給稻四百束乳母一人

〔文徳實録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1257 仁壽二年二月壬戌、越前守正五位下藤原朝臣高房卒、高房、〈〇中略〉天長四年春、授從五位下、拜美濃介、威惠兼施、屬託不行、發摘姧伏、境無盜賊、安八郡有陂渠、隄防決壞、不水、高房欲隄防、土人傳曰、陂渠有神、不水、逆之者死、故前代國司廢而不修、高房曰、苟利於民、死而不恨、遂駈民築隄、漑灌流通、民至今稱之、

池田郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1257 池田郡は、當國戌亥の隅にありて、東南より北へ長き地なり、東は揖斐川を隔てゝ、大野郡を境ひ、東南は安八郡、南は不破郡を限り、西は近江國坂田郡、淺井郡、伊香郡に隣り、北は越前國今立郡に至れり、和名類聚抄に池田〈伊介太〉と見え、其外の古記どもにも皆しか書て、外の文字を用ひず、〈〇中略〉高は一万八千五百七十七石六斗二升七合、六十七ケ村、〈古高帳には一万八千二十一石餘、二十五ケ村とし、新高帳には、八十一ケ村とす、〉

〔三代實録〕

〈十五清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1257 貞觀十年七月十二日癸卯、美濃國池田郡人、守部秀刀自、夫死後、孀居虚室、守義不移、造佛寫經、晨昏禮拜、永斷葷血織絍、拜佛之外、哭不聲、勅叙位二階、免戸内租、以表門閭

大野郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1257 大野郡は、池田郡の東に並びて、南より北へ長き地なり、東は藪川を隔てて本巣郡を境とし、南西は安八郡、西は池田郡に隣り、北は越前國今立郡に至れり、和名類聚抄に大野〈於保乃〉と見え、其外すべて古書にしかかきて、外の文字を用ひし物なし、〈〇中略〉高四万九千五百石八斗一升九合、百十九ケ村、〈古高帳には、四萬九千二百八十六石餘、百七ケ村とし、新高帳には百三十六ケ村とす、〉

〔日本靈異記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 狐爲妻令子縁第二 昔欽明天皇〈是磯城島金刺宮食國天皇天國押開廣庭命也、〉御世、三野國大野郡人、應妻覓好孃、乘路而行時、曠野中遇於姝女

本巣郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 本巣郡は、大野郡の東に並びて、南より北へ殊に細長き地なり、東の方は厚見、方縣、席田、山縣、武儀の五郡を堺とし、南は安八郡に隣り、西はすべて大野郡に接り、北は越前國大野郡に亘れり、古事記に三野國之本巣國造云云と見え、和名類聚抄に本巣〈毛止須〉としるししより、古記録どもにもしか書きて、今に至るまでたがはず、其うち拾芥抄には、本樔(モトス)、新撰類聚往來には本蘇郡とかけり、〈〇中略〉高は三萬四千九百七十一石八斗八升三合、七十二ケ村、〈古高帳には、三萬三千七百石餘、六十三ケ村とし、新高帳には、八十九ケ村とす、〉

席田郡

〔類聚名物考〕

〈地理二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 席田郡 むしろだ 美濃國

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 席田郡は、本巣郡の東にありて、東西より南北はすこしながく、飯櫃の形にて、極めて小き郡なり、東は方縣郡に隣り、南西北の三方は本巣郡にて包めり、西の方伊都貫川の流れを郡堺とす、〈〇中略〉和名類聚抄に席田〈無之呂太〉と見え、其外延喜式、國史、諸實録等にみな同じ、文字をかき、吾妻鏡にのみ筵田としるせり、〈〇中略〉高五千五百七十九石二斗一升四合、九ケ村、〈古高帳には二斗一升四合の六字を省きて餘とし、村數を八ケ村とし、新高帳には、十一ケ村とす、〉

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 靈龜元年七月丙午、尾張國人外從八位上席田君邇近、及新羅人七十四家貫于美濃國、始建席田郡焉、

〔續日本後紀〕

〈五仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 承和三年六月壬戌、美濃國席田郡空閑地七十町、賜宗康親王

〔三代實録〕

〈三十一清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 元慶元年四月十九日庚寅、卜定悠紀美濃國席田郡、主基備中國都宇郡、並卜食、

〔三代實録〕

〈五十光孝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1258 仁和三年六月五日丁未、美濃國司上言、國分寺災、梵宇佛殿、一時成煨燼、席田郡定額

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 尼寺、殿堂宏麗令御願、請爲國分寺、許之、

方縣郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 方縣郡は、席田郡の東にあり、南の方東西長く、北の方狹く尖りて、三角の形したり、巳寅の方は山縣郡を堺とし、辰巳の隅にて長良川を隔てゝ各務郡に隣り、南は同じ川を隔てゝ厚見郡に對し、戌亥の方は本巣、席田兩郡に亘り、北の隅は本巣、山縣兩郡のさかひ也、〈〇中略〉高三萬四千三百六石七斗三升六合、五十ケ村、〈古高帳には、三萬四千三百七十石餘とし、新高帳には、六十九ケ村とす、〉

〔日本書紀〕

〈二十六齊明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 六年十月、百濟佐平鬼室福信、遣佐平貴智等來獻唐俘一百餘人、今美濃國不破、片縣(○○)二郡唐人等也、

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 養老元年九月甲寅、至美濃國、 戊午、免方縣務義二郡百姓供行宮者租

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 力女捔力試縁第四 聖武天皇御世、三野國片縣郡少川市有一力女、爲人大也、名爲三野狐、〈是昔三野國狐爲母、生人之匹繼孫也、〉力強當百人力、住少川市内、恃己力弊於往還商人、而取其物業、

〔續日本紀〕

〈三十光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 寶龜元年四月癸巳朔、美濃國方縣郡少領外從六位下國造雄萬獻私稻二万束於國分寺、授外從五位下

厚見郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 厚見郡は、方縣郡の南にありて、東西より南北は短く、西の方にて尖りたる地なり、東は各務郡に隣り、南は羽栗郡に至り、西の隅は墨俣川を隔てゝ安八郡にさかひ、西北の方にて同じ川を隔てゝ本巣郡に亘り、北は方縣郡を堺とす、文明八年、因幡社本縁起に、當所厚見者、欽明天皇御宇改縣號、稱厚見郡と見えし如く、ふるき地名にて、和名類聚抄に厚見〈阿都美〉とありしより、今に至るまでみな其文字を用ひ、日本靈異記にのみ淳見(アツミ)とかけり、〈〇中略〉高は三萬六千二百八十四石五斗一合、五十七ケ村、〈古高帳には、三萬六千二百十四石餘、五十ケ村とし、新高帳には、九十六ケ村とす、〉

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1259 貞觀八年七月九日辛亥、先是尾張國言、奉太政官處分開廣野河口、令舊流、而美

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 濃國各務郡大領各務吉雄、厚見郡(○○○)大領各務吉宗等、率兵衆歩騎七百餘人來河口、〈〇下略〉

各務郡

〔伊呂波字類抄〕

〈見國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 美濃國〈管十八〇中略〉各務〈カヽミ〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 入聲クノ韻ヲ同行ノ音ニ通用シタル例 かゞみ 各務〈濃郡〉加々美(カヽミ)〈〇中略〉 マノ行ノ音同行通用セル例 かゞみ 各務〈濃郡〉加々美(カヾミ) 務ヲミニ用ヒタリ

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 各務郡は、厚見郡の東にあり、東は加茂郡に至り、南は木曾川を隔てゝ尾張國丹羽郡に隣り、西は厚見郡に亘り、北は武儀、山縣、方縣の三郡を堺とす、南の方に東山道の驛路あり、和名類聚抄に各務〈加々美〉と見え、其外の古書にもみなしかかきて、外の文字を用ふる例なし、〈〇中略〉高二萬九石五斗一合、三十五ケ村、〈古高帳に、は、一萬九千二十石餘、二十九ケ村とし新高帳には、四十一村とす、〉

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 貞觀八年七月九日辛亥、先是尾張國言、奉太政官處分開廣野河口、令趣舊流、而美濃國各務郡(○○○)大領各務吉雄、厚見郡大領各務吉宗等、率兵衆歩騎七百餘人、襲來河口、〈〇下略〉

山縣郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 美濃 山縣〈ヤマカタ〉

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 山縣郡は、本巣郡の東にありて、南より北に長き地なり、東より北へ武儀にさかひ、東南は長良川を隔てゝ、各務郡に隣り、南は方縣郡に亘れり、和名類聚抄に山縣〈夜末加太〉と見え、其外の古記録にみな同じさまにかき、清輔朝臣の袋草紙にのみ山形とかけり、〈〇中略〉高二萬五千六百四石五升八合、五十五ケ村、〈古高帳には、二萬四千七百四十五石餘、三十六ケ村とし、新高帳には、五十ケ村とす、〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 御野國山方郡三井田里戸籍 太寶貳年十一月、御野國山方郡(○○○)戸籍、〈〇下略〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈東南院伍櫃十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1260 美濃國司解 申進上交易賤事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 合陸人〈奴三婢三〉 奴小勝〈年卅四 左目下黒子〉 價稻壹仟束 價稻肆仟玖伯束〈〇中略〉 右山縣郡大神戸戸主神直大http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006501a8.gif 之賤〈〇中略〉 天平勝寶二年四月廿二日 正七位下行大目志斐連猪養〈〇下略〉

〔三代實録〕

〈八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 貞觀六年五月九日甲午、勅法隆寺僧承忍〈〇承忍原本作烝忍、據一本攺、〉還俗復本姓名中臣美乃連益長、便任〈〇任原本作住、據一本攺、〉美濃國、山縣郡少領、益長元各務郡人也、 十四日己亥、以美濃國山縣郡延筭寺之定額

武藝郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 武儀郡は、山縣郡の東にあり、南より北へ長く、南の方にて東に折レて、曲尺の形ちしたる地なり、東北は郡上郡に亘り、南は加茂郡、南西の隅にて各務郡に隣り、西は山縣郡、西北の隅にて本巣郡に接はり、北は越前國大野郡を堺とす、和名類聚抄に武藝〈牟介〉と見え、新撰類聚往來もそれにならひ、文徳實録、延喜式、拾芥抄、節用集等に武義とかき、續日本紀には務儀とかけり、又古事記に牟宜都(ムギツ)君、日本書紀に、君毛津(ムケツ)君、新撰姓氏録に牟義公(ムギノキミ)とあるも、此地名を名のれる人也、名古屋大須寶生院の藏書、法花經第七局奧書には、永正九年卯月十五日、濃州無義郡平賀本壽寺常住筆者日禪としるせり、無義とは珍らしき書ざまなり、〈〇中略〉高は三萬二千四百八十五石八斗六升四合、百四十六ケ村〈古高帳には、三萬千九百十八石餘、六十四ケ村とし、新高帳には、百八十六ケ村とす、〉

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 四十年七月、大碓皇子〈〇中略〉封美濃、仍如封地、是身毛津君守君二族之始祖也、

〔古事記〕

〈中景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 大碓命〈〇中略〉亦娶弟比賣子押黒弟日子王、此者牟宜都君等之祖、

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 養老元年九月甲寅、至美濃國、 戊午、免方縣務義(○○)二郡百姓供行宮者租

郡上郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1261 郡上郡は、武儀郡の北にありて、當國丑寅の隅なる地也、東は飛騨國益田郡に至り、南西の二方は武儀郡を堺ひ、北西は越前國大野郡、北東は飛騨國大野郡に隣れり、文

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 徳實録に、齊衡二年閏四月丁酉、分美濃國多藝武義兩郡多藝、石津、武義、郡上、凡四郡とあるが、當郡のはじめにて、延喜民部式拾芥抄等に郡上とかき、和名類聚抄には郡上とかけり、〈〇中略〉高二萬九千九百三十三石一斗五升一勺、百六十九ケ村、〈古高帳には、二萬六千七百六石、百五十二ケ村とし、新高帳には、百七十四ケ村とす、〉

〔文徳實録〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 齊衡二年閏四月丁酉、分美濃國多藝武義兩郡多藝石津武義郡上(○○)凡四郡

〔鎌倉大草紙〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 京都に大亂起り、常縁が美濃國郡上の城を、山名方より打入て、應仁二年九月六日に攻落され、同國住人齋藤持是院法印妙椿と云人悉押領しける、

賀茂郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 加茂郡は、武儀郡の東南にありて、丑寅より未申へ長き地なり、東は惠奈郡にさかひ、南は木曾川を隔てゝ、土岐、可兒の二郡に隣り、西は各務郡に至り、北は武儀郡、北東にて飛騨國益田郡に亘れり、和名類聚抄に賀茂と見え、其外の古書どもにみなしかかきて、外に書きたる文字なし、賀を略して加文字かけるも、たま〳〵にはあれど、まづは例すくなし、〈〇中略〉高四萬三千五百石一斗六勺、百二十八ケ村、〈古高帳には、四萬二千六百一石餘とし、新高帳には、百四十二ケ村とす、〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈東南院伍櫃十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 美濃國司解 申進上交易賤事 合陸人〈奴三婢三〉 價稻肆仟玖伯束〈二人充各一千束 二人各八百束 一人七百束 一人六百束〇中略〉 奴益羽〈年十五 右目下黒子〉 價稻漆伯束 右加茂郡小山郷戸主上連稻實之賤〈〇中略〉 天平勝寶二年四月廿二日〈〇署名略〉

可兒郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 美濃 可兒〈カコ カニ〉

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1262 可兒郡は、木曾川を隔てゝ加茂郡の南にあり、東南は土岐郡に至り、南は尾張國春日井郡に亘り、西は同國丹羽郡に隣り、北は加茂郡を堺とす、北の方にて東山道の驛

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 路つらぬき、旅人往來す、和名類聚抄に可兒と見え、外の古書にもみな同じさまにかけり、〈〇中略〉高三萬二千百二十八石八斗九升二合、九十六ケ村、〈古高帳には、三萬二千百四十石餘、三十五ケ村とし、新高帳には、百八ケ村とす、〉

〔三代實録〕

〈七清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 貞觀五年九月十三日壬寅、美濃國可兒郡人左史生從八位上長谷部貞宗貫附左京職

土岐郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 土岐郡は、加茂郡の南にありて、東は惠奈郡に至り、南は參河國賀茂郡、尾張國春日井郡にさかひ、西北は可兒郡を限り、北は木曾川を隔てゝ加茂郡に隣れり、北の方にて東山道の驛路つらぬき、往來の旅人たゆる事なし、和名類聚抄に土岐と見え、其外にも多くしか書ケり、〈〇中略〉高は一萬九千六百二十五石五斗四升一合、五十六ケ村、〈古高帳には、一萬九千四百一石餘、三十二ケ村とし、新高張には六十四ケ村とす、〉

〔三代實録〕

〈六清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 貞觀四年五年廿三日庚寅、美濃國土岐惠奈兩郡、百姓弊亡特甚給復一年

〔三代實録〕

〈二十清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 貞觀十三年六月八日癸未、復美濃國土岐惠奈、兩郡百姓調庸一年

〔夫木和歌抄〕

〈三十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 見のゝ國ときのこほりにて 重之 たび人のわびしき時はくさ枕雪ふるときのこほりなりけり

惠奈郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃廿一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1263 惠奈郡は、加茂郡の辰巳の方にありて、當國東のはてなる地なり、東は信濃國筑摩郡、伊那郡〈惠奈ケ嶽をへだつ〉に至り、南は參河國設樂郡、賀茂郡に隣り、西は土岐、加茂の二郡に亘り、北は飛騨國益田郡、信濃國筑摩郡〈御嶽山〉を堺とす、東山道の驛路つらぬきて、旅店賑やかなり、むかしは信濃の木曾の地、當郡に屬たりしよし、くはしく前にしるす、合せ見るべし、和名類聚抄に惠奈とかき、其外の古記どもにもみな同じさまにかき、外の文字を用ひず、奈を那にかへてかけるも、たまさかには見えたり、〈〇中略〉高は三萬四千三百七石一斗五升、七十九ケ村、〈古高帳には、三萬四千三百十石餘、七十五ケ村とし、新高帳には、八十五ケ村とす、〉

〔三代實録〕

〈四清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 貞觀二年閏十月廿五日辛未、太政官論奏、美濃國惠奈郡人縣萬歳麻呂殺百姓三人、法官斷罪當斬刑、詔減死一等、處之遠流

中島郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 美濃 中島〈ナカシマ〉

〔張州府志〕

〈十八中島郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 建置沿革 諸書作中島郡、〈〇中略〉此郡天正十二年亦半割隷于濃州

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 中島郡は、羽栗郡の西南の方にありて、北より未申の方へ尖りたる地なり、東南は木曾川を隔てゝ尾張國の中島郡に隣り、西は安八郡に至り、北は羽栗郡を堺とす、是ももと尾張の地なりし事、羽栗郡に同じ、和名類聚抄に尾張國中島〈奈加之萬〉と見え、其外の古書どもにも、みな尾張の國の郡名なるよしいへり、〈〇中略〉高一萬二千六百九十四石五斗三升六合、三十ケ村、〈古高帳には、一萬千八百六十八石餘、二十五ケ村とし、新高帳には、三十五ケ村とす、〉

海西郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 美濃 海西〈カイサイ〉

〔張州府志〕

〈二十六海西郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 建置沿革 古爲海部郡、中古割爲東西二郡、天正中豐臣太閤割河以西于濃州、〈〇下略〉

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 海西郡は、安八郡の南にありて、北より南へ細くながし、東は木曾川を隔てゝ、尾張國の海西郡に隣り、南西は石津郡に亘り、西北は安八郡を堺とす、むかしは尾張の地なりしよしは、羽栗郡にいへるが如し、往古尾張の海部郡といひしを、今より六七百年以前にわかちて二郡とし、東を海東、西を海西と名づけしとぞ、和名類聚抄に尾張國海部〈阿末〉と見えたり、〈〇中略〉高一萬千六百九十四石六斗一升二合、二十八ケ村、〈古高帳には、一萬千百三十一石餘、二十二ケ村とし、新高帳には、二十九ケ村とす、〉

羽栗郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 美濃 羽栗〈ハクリ〉

〔張州府志〕

〈十七葉栗郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1264 建置沿革 延喜式其餘諸書、皆作葉栗郡、又作羽栗郡、古者踰河西北隷于葉栗郡、以墨股河界、天正十二年、秀吉擊尾州河西諸邑、其後與信雄和、遂割河西于濃州、蓋懼神祖西

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1265、以大河防也、至今河西地、猶呼爲羽栗中島海西三郡

〔新撰美濃志〕

〈一美濃二十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1265 羽栗郡は、厚見郡の南にありて、東より西へ細く長し、東は各務郡にさかひ、南は木曾川を隔て、尾張國の葉栗郡に接し、南西は中島郡に至り、西の隅にては岐阜川を隔てて安八郡にさかひ、北は各務厚見の二郡に隣れり、もと尾張の地なりしを、天正十年、織田内大臣信雄公が尾張の國主たりし時、豐臣秀吉公のはからひにて、沿河の三郡〈葉栗、中島、海西、〉のうち、百二十餘村を割取て美濃に屬られしより、今に當國の地となれり、故に古書には尾張の郡名とす、尾張にては葉栗とかき、美濃にては羽栗とかくが通例なり、和名類聚抄に、尾張國葉栗〈波久利〉と見えたり、同抄に葉栗五郷をのせたるうち、葉栗の郷は當郡の本郷村なるべく、延喜神名式に、葉栗郡十座のうち阿遲加神社、川島神社と見え、尾張國神名帳の葉栗郡十二座のうちに、從三位阿遲加天神、從三位川島天神、從三位生島天神としるしゝなンどは、當郡の地なるべし、又仙覺法師が萬葉集の抄に引ける尾張風土記に、葉栗郡河島社、在河沼郷河島村、奈良宮御宇聖武天皇時、凡海部忍人申、此神化爲白鹿、時々出現、有詔奉齋爲大社焉とあるもしかなるべし、〈〇中略〉高二萬千七十四石八斗九升六合、六十五ケ村〈古高帳には、一萬九千五百五十九石餘、五十七ケ村とし、新高帳には、八十三ケ村とす、〉

〔萬葉集抄〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1265 尾張國風土記云、葉栗郡川島社〈河沼郡川島村〇下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈七國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1265 美濃國 多藝郡 富上 物部 乘穗〈〇乘、高山寺本作垂、〉立野 有田 田後 佐伯 建部 石津郡 櫻樹 山崎 大庭 建部 不破郡 山本 栗原 有寶 野上 新居 表佐〈〇表、高山寺本作遠、〉丈部 藍川 荒崎 三桑 高家 眞野 驛家 池田郡 額田 壬生 小島 伊福 春日 池田 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1266 安八郡 那珂 大田 物部 安八 服織 長友 大野郡 楢斐 大神 明見 三桑 上杖 下杖 郡家 志麻 大田 石田 栗田 七崎 驛家 本巣郡 鹿立〈〇鹿、高山寺本作麻、〉遠市 安堵 美濃 穗積 物部 船木 栗田 席田郡 美和 礒部 那珂 名太 方縣郡 村部 大唐 鵜養 方縣 恩淡 驛家 厚見郡 市俣 川邊 三家 厚見 郡家 皆太 各務郡 村國 大榛 各務 那珂 芥見 三井 驛家 山縣郡 出石 大竹 片野 三田 大桑 餘戸 武藝郡 御佩 跡部 生櫛 有知 白金 大山 稻朽 管田 揖可 郡上郡 郡上 安郡 和良 栗垣〈〇垣、高山寺本作原、〉 賀茂郡 埴生 美和 生部 井門 小山 米田 日理〈〇日、高山寺本作曰、〉神田 中家 川邊 志麻 驛家 可兒郡 可兒 郡家 日理 大井〈〇大、高山寺本作本、〉矢集 池田 驛家 土岐郡 日吉 楢原 異味 土岐 餘戸 驛家 惠奈郡 淡氣 安岐 繪上 繪下 坂本 竹折

〔東大寺正倉院文書〕

〈東南院伍櫃十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1266 美濃國司解 申進上交易賤事 合陸人〈奴三婢三〉 價稻肆仟玖伯束〈二人充各一千束 二人各八百束 一人七百束 一人六百束〇中略〉 奴豐麻呂〈年廿二 右頰疵〉 價稻壹仟束 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 右武義郡揖可郷(○○○)戸主武義造宮盧之賤 奴益羽〈年十五左目下黒子〉 價稻漆伯束 右加茂郡小山郷(○○○)戸主上連稻實之賤 婢乎久須利賣〈年廿二 左目後黒子〉 價稻捌伯束 右厚見郡草田郷(○○○)戸主物部足麻呂之賤 婢古都賣〈年廿 右頰黒子〉 價稻捌伯束 右惠奈郡繪下郷(○○○)戸主縣主人足口縣主息守之賤 婢椋賣〈年十五 左頰疵又黒子〉 價稻陸伯束 右可兒郡驛家郷(○○○)戸主守部麻呂之賤〈〇中略〉 天平勝寶二年四月廿二日〈〇署名略〉

〔三代實録〕

〈三十六陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 元慶三年九月四日辛卯、令美濃信濃國以懸坂上岑國堺、〈〇中略〉貞觀中、勅遣左馬權少允從六位上藤原朝臣正範刑部少録從七位上靱負直繼雄等、與兩國司地相定、正範等撿舊記云、吉蘇小吉蘇兩村、是惠奈郡繪上郷(○○○)之地也、〈〇下略〉

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1267 文治二年五月二十九日丙午、美濃藤次安平濫妨美濃國石田郷(○○○)之由、領主刑部卿典侍訴左典廐、〈能保〉典廐又被執申之間、早可停止之趣、今日被御書於典廐云云、 六月二日戊申、刑部卿典侍領事、二品被御下文云云、 下 美濃國大野郡内石太郷(○○○)住人 可早停止美濃藤次安平濫妨、爲刑部卿典侍御沙汰事、 右件所、致安平無道押領之由、有其聞、事實者尤以不當也、自今以後、可停止之状如件、以下、 文治二年六月日

〔吾妻鏡〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1268 文治六年四月十八日辛丑、美濃國犬丸(○○)、菊松(○○)、高田郷(○○○)等地頭、對捍乃貢事、同國時多良山地頭玄蕃助藏人仲經不神事由事、就在廳申状院宣之間、二品所御下文也、 下美濃國犬丸、菊松、高田郷地頭等、 右犬丸、菊松地頭、〈宇美濃道上〉高田郷地頭〈保房〉等、如私領知行、不所當以下勤之由、依在廳訴申、自院被仰下、仍可勤之由度々下知、猶以對捍之間、重所仰下也、然者度々院宣其恐不少、於今者件兩人地頭職可補他人也、早可退出郷内之状如件、〈以下、〉 文治六年四月十八日

〔尊卑分脈〕

〈十二源氏〉

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http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1268 惟義〈逸見太郞〉 義重〈又太郞〉 惟長〈又太郞〉 承久亂之時、渡美乃國大井口、依其賞美乃國大乘郷(○○○)了、

〔吾妻鏡〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1268 寛元三年五月七日庚子、就懸物年紀、被美濃國芥見庄於山田郷(○○○)、可萬年入道御使之由云云、清左衞門尉奉行之云云、

〔東大寺要録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1268 一大井庄樂田地頭間事 東大寺衆徒申、寺領美濃國大井庄内樂田郷(○○○)事、被止重經法師押領之由、鎌倉二位中將殿御消息候也、恐惶謹言、 十二月廿六日(文永九年) 相模守〈在判〉 左京權大夫〈在判〉

〔池田文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1268 美濃國成田郷(○○○)地頭水谷藏人三郞重親、今月二日馳參候、以此旨御披露候、恐惶謹言、 元弘三年六月二日 藤原重親〈状〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1269 進上 御奉行所 承了花押〈〇足利高氏〉

〔鷲見家譜〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1269 當國〈〇美濃〉鷲見郷(○○○)地頭忠保申、屬當御手、燒拂大洞、今月一日於谷汲合戰、抽軍忠候畢、然者早賜御一見状、爲向後龜鏡、恐々之如件、 建武四年三月日 一見了御書判

〔明智系圖〕

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http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1269 頼基〈伯耆守號土岐九郞〉 頼重〈從五位下、民部少輔、假名彦九郞、法名淨榮、 自此號土岐明智、領濃州土岐郡之内明智郷(○○○)、故又分一氏而稱明智、乃臣家權輿于此者也、將軍尊氏卿賜台筆、(中略)右之外又頼重祖父伯耆守頼貞領知美濃國妻木郷(○○○)多藝庄等、有安堵之御下文也、略而不于此、〇中略〉 頼高〈從五位下、下野守、後入道號淨皎、〇中略 延文元歳丙申十二月二十三日、及貞治二歳四月二十一日、同五歳丙午八月三日、將軍義詮公、有賜證文、其中一文曰、 尾張國海東在、〈除天龍寺管領也〉美濃國妻木郷之内笠原半分、曾木村、細野、同國多藝之内春木郷(○○○)、武藏國大井郷、不入讀村地頭職事、任兄民部少輔頼重、文和四歳乙未十一月六日讓状、領掌不相違之状如件、 貞治五歳丙午八月三日 土岐下野入道殿 判形 〈有茲〉〉

〔下野國誌〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1269 宇都宮の祝部中里好篤が所藏の氏家系譜に、中務丞重國、暦應元年戊寅閏七月二日、於越前國足羽郡藤島新田義貞之首、送京都、尊氏將軍、有賞美、於美濃國石津郡、賜闕所之地數箇所、右下文御教書云、 下 氏家中務丞重國 可早領知美濃國石津郡高須澤田一瀬等地頭職之事、 右件之所者、爲勳功之賞宛行也者、守先例、宜沙汰牒如件、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1270 暦應元年戊寅十一月 源尊氏判 於是重國、始而移住美濃國石津郡高須郷(○○○)、子孫代々繁昌而在其國云云と記したり、

〔集古十種〕

〈鐘銘七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1270 美濃國池田郡井頭郷御嵩山藏王權現鐘銘 御嵩藏王權現椎鐘事 右於美濃國池田郡井頭郷(○○○)、御嵩藏王權現靈場、先日奉鑄、〈〇中略〉 明應二癸丑年三月十二日〈〇下略〉

〔明智系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1270 頼助〈從五位下、美濃守、後入道法名不存、 有將軍義滿公之御教書曰 土岐明智十郞頼篤申、美濃國多藝庄内多藝島郷(○○○○)同庄内(此間紙朽而所々文字闕)郷等〈土岐下野入道跡〉事、早止島(此所又文字朽而不見)可汰付頼篤之状如件、 應永六歳十一月廿四日 土岐美濃入道殿〉

〔康正二年造内裏段錢并國役引付〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1270 合〈〇中略〉 五百三十二文 伊勢因幡入道殿〈濃州則武郷(○○○)段錢〇中略〉 三貫文 花頂御門跡領〈濃州小泉(○○)四ケ郷段錢〇節略〉

〔蔭凉軒日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1270 長祿四庚辰九月二十八日、香嚴院領美濃國遠山莊大井郷(○○○)別當職之事、如先規成敗之由、命于飯尾左衞門大夫也、 寛正六年二月廿九日、花頂殿濃州大井戸郷(○○○○)爲守護押妨、即今花御覽之前、召雜掌仰之訴詔被申、今晨以彼訴状露之、御領掌可申付之由被仰出、即於殿中于門跡奉行飯尾兵衞大夫、仍渡彼門跡之訴状、又命于門跡状也、 五月七日、常徳院領濃州椿井郷(○○○)、就海道之事勢至寺違亂、被御奉書、可付于守護方之事、披露之、仍命于飯尾左衞門大夫也、彼院主以遠和尚也、

〔飛州志〕

〈四寺院〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1270 長林教寺 在于同郷〈〇川上郷〉大原村 同宗同寺末、開基始祖釋空善、長享年中建之、本尊裏書云、 方便法自尊形、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1271 大谷本願寺釋蓮如在判、長享三年己酉二月十五日、飛騨國白川善俊門徒、美濃國滿世郷(○○○)大原、願主釋空善、〈按ズルニ、滿世今世ハ飛騨國馬瀬郷トナル、〉

〔飛州志〕

〈四寺院〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1271 慈雲教寺 在于同郷〈〇久々野郷〉山之口村 同宗同寺末開基、始祖釋明心、明應年中建之、本尊裏書云、 方便法身尊形、大谷本願寺釋實如在判、文龜元年辛酉十二月十五日、白川照蓮寺門徒、濃州郡上郡馬瀬郷(○○○)川上、願主釋明心、〈按ズルニ、川上村、今世ハ飛州益田郡馬瀬郷ニ入レリ、〉

〔梅花無盡藏〕

〈六雜文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1271 元三大師堂宇化緑疏并序〈海蓮需之〉 娑婆世界南贍部洲大日本國東海道濃州路、各々務郡鵜沼郷(○○○)居住勤進沙門某等再拜々々敬白、以圓滿而現者、大日覺雄之慈相也、以建立而唱者、極乘流通之慧命也、〈〇下略〉

〔梅花無盡藏〕

〈七雜文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1271 臨川庵記 東山道濃州路、各々務郡鵜沼郷、有三十二應身之靈場、號金剛精舍、山之開也、水之繞也、呑八九之雲夢而不芥也、小蓬萊丹郡山名庄乾耕監院受雲谷大和尚之衣盂、且又掛錫瑞龍、不一片之心、而期呵々大笑之時

〔賤の小手卷〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1271 加茂郡鵜沼村大安寺證文寫 爲大安寺領鵜沼郷中五拾石之處寄附之、右此上當寺山々境可前代、并一切諸役致免許候、委細大貳申含者也、仍如件、 永祿拾丁卯五月日 忠倫(池田勝三郞)〈花押〉 以上

〔梅花無盡藏〕

〈七雜文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1271 美濃州第三宮因幡大菩薩靈社祭禮神事再興式日件々之題辭 伏惟昔日厚見之一郡比屋共勸祭儀、中年以來郡中之平民大半稱良家子神祖豪、唯加納井口之(○○○○○)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1272 兩郡(○○)纔補之而已、

〔梅花無盡藏〕

〈三下七言絶句〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1272 乙卯〈〇明應四年〉孟秋之末、漆桶子寄杖笠於加納府(○○○)之東雲門寺者數蓂朝暮之鉢裏頗華麗、〈〇中略〉 岷紫膨朜風露乾、頭々擒住助禪槃、西軍消息久無聽、希止干戈萬戸安、

〔梅花無盡藏〕

〈六雜文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1272 金字妙典爲其師報恩化縁疏并序〈興温僧需之紺紙金泥〉 娑婆世界南贍部洲大日本國東海道濃州路、各々務郡蘇原郷(○○○)、圓巨禪寺居住勸進沙門某再拜々々敬白、〈〇下略〉

〔梅花無盡藏〕

〈七雜文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1272 濃州路郡上郡下田郷(○○○)吉田村、臨濟山大寶禪寺僧堂前鐘銘并叙、 龔惟開山祖迺悟溪大和尚、伏呂榮檀迺持是院法印權少僧都、今玆甲寅之秋、規此郡郷http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006501a5.gif 虎豹之窟、設龍象之場、輪奐之美、禮樂法器悉備、故便塑工鑄堂前之鐘、聞其殷々、則佛祖點頭、神靈合掌、及蠢動卉木同超等妙之以斍、加之、國泰民安、吁偉哉、欽奉榮壇之嚴命、爲之銘、〈〇中略〉 美江寺本堂上葦化縁疏爲勸進範秀之 南贍部州大日本國東山道美濃州、本巣郡船木郷(○○○)十六條、大日山船積寺〈子號美江〉本堂上葦化縁疏并序、勸進斷十穀沙門範秀再拜々々敬白、

〔船田前記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1272 總官府在革手郷(○○○)〈厚見郡〉乃舟田之東、又數十歩三城角、列分鼎足

〔船田後記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1272 五月〈〇明應六年〉十日丙寅、未明賊軍掠墨渡、北投旁縣郷(○○○)城田山舍衞教寺

〔賤の小手卷〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1272 稻葉内匠頭證文寫 濃州羽栗郡福島之郷(○○○○)取立御堂建立候、就夫右之福島、貴僧江預進之候、并爲寺領知行百石宛行畢、取付別紙在之、全可領知候、謹言、 年號〈不見〉 稻葉内匠頭 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1273 八月十二日 通成〈花押〉 滿福寺

村里/名邑

〔美濃明細記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1273 郷帳〈高辻村附〉 不破〈四拾六村〉 大野〈百拾九村〉 山縣〈五拾五村〉 土岐〈五拾六村〉 多藝〈六拾九村〉 本巣〈七拾二村〉 武儀〈百四拾六村〉 可兒〈九拾六村〉 石津〈九拾壹村〉 席田〈九ケ村〉 郡上〈百六拾九村〉 各務〈三拾五村〉 安八〈百六拾四村〉 方縣〈五拾村〉 加茂〈百二拾八村〉 羽栗〈六拾五村〉 池田〈六拾七村〉 厚見〈五拾七村〉 惠那〈七拾九村〉 中島〈三拾村〉 海西〈二拾八村〉 美濃國 二十一郡 高合六拾四万五千百一石五斗三合 村數千六百三十一ケ邑 元祿十四〈辛巳〉歳改

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1273 一美濃國(御料私領) 〈濃州 南北三日〉 貳拾壹郡 高八拾三萬六千八百貳拾九石七斗貳升七勺八才 千六百三拾壹ケ村 ●大垣 〈九十九里 東山道百十三里〉 ●八幡 〈九十六里 郡上トモ云〉 ●加納 〈東海道九十七里 東山道百四里〉 ●苗木 〈木曾路八十四里 東海道百四里餘〉 ●岩村 〈東海九十三里 甲州道八十八里〉 ○高須 〈九十五里〉 ○高富 〈九十七里〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 岩手 〈竹中吉太郞〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 多良 三家 〈高木修理 高木玄蕃 高木大内藏〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 矢神 〈毛利源内〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ○今尾 〈尾州 三萬石 竹越山城守〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ○駒塚 〈尾州 一万石 石河太八郞〉 <笠松 〈九十六里〉 <下河邊 〈百里餘出ハリ〉 ○按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1273 美濃 二十一郡、千六百二村、 高六十九万九千七百六十四石三斗二升一合六勺六才(御料私領) 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1274 不破郡四十五村 多藝郡六十一村 石津郡九十一村 安八郡百五十二村 池田郡六十七村 大野郡百十九村 本巣郡七十一村 席田郡九村 方縣郡五十村 厚見郡五十八村 山縣郡五十五村 武儀郡百四十五村 郡上郡百六十四村 加茂郡百二十一村 惠那郡八十村 土岐郡五十六村 可兒郡九十五村 各務郡三十七村 羽栗郡六十五村 中島郡三十三村 海西郡二十八村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1274 郡邑島嶼奇名 美濃 惠那郡、千旦林(センタハヤシ)村、土岐郡、大湫(クテ)宿、可兒郡、顏戸(カホド)村、厚見郡、鏡島(カヽシマ)村、方縣郡、河渡(ガウド)宿、尻毛(シツケ)村、蘆敷(アシヽ)村、本巣郡、生津(ナマツ)村、木知原(コチハラ)村、安八郡、樂田(ガクデン)村、豐喰(トヨバミ)新田、海松(ミル)村、武儀(ムケ)郡、吉田(キツタ)村、上有知村、郡上(グゼウ)郡、木尾(コンノ)村、貢間(クマ)村、羽栗郡、田代(デンダイ)村、不破郡、晝飯(ヒルイ)村、藤下(トウケ)村、

〔類聚名物考〕

〈地理三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1274 野上里(○○○) のがみのさと 美濃國〈不破郡〉 野上はいづかたにてもいへば、名所にあらねども、後世は美濃の不破郡の野上の里をのみ歌によみならはせり、たゞ野上は野のうへのかたをさしていふ、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1274 元年六月丁亥、高市皇子、遣使於桑名郡家、以奏言、遠居御所政不便、宜近處、即日天皇留皇后、而入不破、比郡家、尾張國司守小子部連鉏鈎、率二万衆歸之、天皇即美之、分其軍處處道也、到于野上(○○)、高市皇子自和蹔(○○)參迎、以便奏言、〈〇中略〉皇子則還和蹔、天皇於玆行宮興野上而居焉、

〔更科日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1274 美濃の國なるさかひに、すのまたといふわたりして、野がみといふ所につきぬ、そこにあそびともいで來て、夜ひとよ、歌うたふに、あしがら成し思ひ出られて、哀に戀しき事かぎりなし、雪降あれまどふに、ものゝ興もなくて、不破の關、あつみの山などこえて、近江の國、おきながといふ人の家にやどりて、四五日あり、

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1275 御野國加毛郡半布里戸籍 御野國加毛郡半布里(○○○)太寶二年戸籍繼目裏書 下政戸石部三田戸口十七〈正丁二 少丁一 小子三 緑兒三 并九 正女四 少女三 緑女一 并八 〇下略〉

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1275 御野國本簀郡栗栖太里戸籍 御野國本簀郡栗栖太里(○○○○)太寶貳年戸籍繼目裏書 次刀自賣〈年十 少女〇下略〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1275 御野國山方郡三井田里(○○○○)戸籍 太寶貳年十一月御野國山方郡戸籍 三井田里戸數伍拾戸 上政戸拾壹〈中下壹戸 下上壹戸 下中壹戸 下々捌戸〇下略〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1275 御野國肩縣郡肩々里戸籍 御野國肩縣郡肩々里(○○○)太寶貳年戸籍繼目裏書 下々戸主麻呂分〈年卅三 正丁〇下略〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1275 御野國各牟郡中里戸籍 御野國各牟郡中里(○○)太寶貳年戸籍繼目裏書 寄人丈部古麻〈年五十 正丁〇中略〉 太寶二年十一月 目追正八位下五百井造豐國〈〇下略〉

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1275 御野國味蜂間郡春部里戸籍 御野國味蜂間郡春部里(○○○)太寶貳年戸籍繼目裏書 上政戸國造族石足戸口十三〈正丁二 兵士二 少丁三 小子二 緑兒一 并十 正女二 緑女一〉 并三 〇下略

〔續日本紀〕

〈三十六光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1275 天應元年七月癸酉、右京人正六位上栗原〈〇栗原原作柴原、據一本攺、下同、〉勝子公言、子公等之先

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1276 祖伊賀都臣、是中臣遠祖、天御中主命二十世之孫、意美佐夜麻之子也、伊賀都臣神功皇后御世、使於百濟、便娶彼土女、生一男、名日本大臣、大臣遙尋本系、歸於聖朝、時賜美濃國不破郡栗原地(○○○○○○)、以居焉、厥後因居命氏、遂負柴原勝姓、伏乞、蒙賜中臣栗原連、於是、子公等男女十八人、依請改賜之、

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1276 女人産生石之爲神而齋縁第三十一 美乃國方縣郡水野郷楠見村(○○○)有一女人、姓縣氏也、年迄于二十有餘歳、不嫁未通而身懷任、逕之三年、山部天皇〈〇桓武〉世、延暦元年癸亥春二月下旬、産生二石、方丈五寸、一色青白斑、一色專青、毎年増長、有比郡名曰淳見、是郡部内有大神、名曰伊奈婆、託ト者言、其産二石、是我子、因其女家内立忌籬而齋、往古今來未都見聞、是亦我聖朝奇異事矣、

〔康正二年造内裏段錢并國役引付〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1276 合〈〇中略〉 百文〈〇中略〉 東岩藏寺領〈美濃國澤鰭村(○○○)段錢〉

〔船田前記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1276 粤明應甲寅〈〇三年〉冬、今持是院公性僧都、剏大寶精刹於州之吉田村(○○○)、延瑞龍悟溪禪師開山焉、

〔船田後記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1276 利光猶在南郡、〈〇中略〉遂立元頼大將、毘沙童子爲副、戎殆四千人、次于逆手、更渉無首(カナシラナシ)、〈以水無一レ源名之〉濟松樹、〈水名〉投尾之津島、廿九日丁午、〈〇明應五年〉經鎧墓、〈義朝將軍埋鎧之地、古來出師避此地而光過之、〉次于堀津石田之際、又遷次狐穴竹鼻(○○○○)、地隣墨股(○○)

〔美濃國知行方目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1276 一五百七拾三石四斗 本郷(池田郡 市橋代官所) 一三百八拾五石八斗 萩原(同 同) 一百九拾參石七斗一升 田中村(同 同) 一六百九拾壹石二斗 くつ井三ケ村(同 同) 一八拾七石五斗 段村(同 同) 一貳百八拾壹石七斗 宮地村(同 同) 一參百貳拾九石六斗 かうじがいと(同 同) 一八拾壹石三斗 すなはた村(同 同) 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1277 一千百八拾八石二斗 片山村(同 同) 一參百四十七石九斗 上野村(同 同) 一貳百九拾六石四斗 東野村(同 同) 一六百石五斗一升 六井むら(同 同) 一百六拾壹石八斗 青柳(同 同) 一五百五十九石三斗 田畑村(同 同) 一參百四拾七石四斗 ふちしる たんなべう(同 同) 一貳百六拾石八斗 山ほら(同 同) 一參百九拾七石一斗 草深村(同 同) 一千貳百貳拾六石九斗 八幡村(同 同) 合八千拾石五斗二升 右爲加増扶助仡、全可領知者也、 天正十九年後正月十六日 富田左近將監どのへ

〔古文帖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1277 九百石池田善十郞 大神君 美濃國武儀郡上有知村(○○○○)千石宛行候、永可領知者也、仍如件、 慶長十七年十月卅日 御朱印 池田圖書頭どのへ

〔前田文書〕

〈古蹟文徴二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1277 當國〈〇美濃〉下有智御厨三分方内、依河越入道持合闕所、自國方所務也、爰於島名田畠、并布久々見、市庭、田畠等者、被各別相傳知行證状之上者、如元知行、不相違之由所候也、仍執達如件、 建武二年八月十四日 左衞門尉〈花押〉 天野讃岐權守殿

〔古文帖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1277 高木藤兵衞藏台徳公〈〇徳川秀忠〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1278 美濃國石津郡相木村(○○○)百八十石貳斗餘、上原村(○○○)九十五石餘、宮村(○○)四十八石貳斗餘、奈幾今村(○○○○)八十七石四斗餘、加毛肘村(○○○○)八十七石三斗餘、下村(○○)百三十貳石餘、突々上村(○○○○)百四十石七斗餘、上村(○○)七十七石貳斗餘、細野村(○○○)八十四石貳斗餘、折上村(○○○)八十七石一斗餘、時山村(○○○)十四石五斗餘、此外〈一石四斗所々攺出〉合千壹石四斗餘之事、全扶助之事、全可知行者也、 八月八日(寛永六) 御朱印 高木藤兵衞どのへ

〔新撰美濃志〕

〈二十九中島郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1278 【飯柄(イヽカラ)村】は蜂尻の北にありて、西門間庄といふ、〈〇中略〉尾張の妙興寺所藏の貞治六年丁未十二月九日、前美作守泰隆の寄進状に、尾張國中島郡賀野御厨内飯柄郷云々と見えたり、

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1278 【岐阜(ギフ)】〈濃州厚見郡、世云稻葉山、〉

〔行嚢抄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1278 岐阜〈自宇留馬于此五里、加納へ一里、江渡へ二里、關ケ原マデ八里、〇中略〉 逍遙院殿濃路紀行にいはく濃之一州有城名岐阜、 予 秣鞋見之、則現蓬萊於和國之謂也、賦唐律以杼其賀云、 難慰騷人墨客情、征鞍萬里山都城、日東一曲景濂後、添得岐山鳳鳥聲、 又 岐阜高望勢接天、近移周室舊山川、忠肝曾不支日、坐致太平八百年、

〔梅花無盡藏〕

〈一七言絶句〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1278 呈利渉和尚〈時住靈藥山正法禪寺開山塔〉 忽辭江左岐陽(○○)、和氣吹春鶯日長、聞説山中有靈藥、爲分半盞枯腸

〔梅花無盡藏〕

〈三七言絶句〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1278 萬福大和尚寓薔薇洞久之矣、肱不紅螢之案、空無兼衣、宇内瓜潰以來、栖錫於岐陽(○○)之南豐、藥爐經卷索々飄然、詩熟、文熟、禪熟無歸仰者也、一日作詩見余所纂坡谷二

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1279、〈〇中略〉謹依嚴押者、二篇前以賛、揚大和尚之盛徳、充江湖瓢笠之疏、後以及坡谷二抄之一端云、 呑雲夢九青丘、胷尚大川三百流、今日詩家尊宿獨、由來風雅屬岐州、 蘇黄岐路蟻http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006501aa.gif 丘、滿面秋風白汗流、瘴暗三千丈儋髮、橋迷二十五楊州、

〔豐鑑〕

〈一長濱眞砂〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1279 永祿七年、信長主美濃の國をしたがへ、稻葉山のふもとにうつり、井の口となんいひしを、岐阜と改、すみたまふ、

〔土岐累代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1279 濃州稻葉山由來之事 夫當國稻葉山ハ不雙ノ勝跡、所謂和歌ノ名山也、〈〇中略〉所謂岐山ト號ス、麓ノ里ヲ岐阜ト號スル事、往古ヨリノ稱號ニテ、明應ヨリ永正迄ノ舊記ニ多クノスル所ニテ、后世織田家ノ名付ルト云事信ズルニタラズ、但一説ニ往古ハ加納ヲ沓井吉田ト號シ、岐阜ヲ今泉忠節井ノ口宗田ト云シヲ、織田家入城ノ時ニ及ンデ、沓井吉田合テ加納ト云、今泉宗田迄ヲ岐阜ト稱スト云々、

〔行嚢抄〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1279 大垣(○○)〈自垂井于此二里〉城主戸田采女正 町ノ入口竪ニ小河流ル、小船入也、所々ニ橋ヲ渡テ兩町ノ過路トス、町中ニ櫓門アリ、其前ニ大橋アリ是ヲ牛屋川ト云、船入ナリ、此川船ニ乘テ尾州宮、勢州桑名、神戸、白子ヘ行ナリ、道町ヲバ俵町通ト云、前後ニ總門アリ、城ハ俵町通ノ左ノ方ニアリ、總門ノ外ニ少キ堀アリ、

〔常山紀談〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1279 秀吉石川が弟長松に感状を與へられけり、其文曰、 今度三七殿、依違貳、軍美濃大垣之處、柴田修理亮勝家、出張柳瀬一戰之時、兄兵助、先赴合鎗、令擊死拔群之攁(ハタラキ)〈動發也〉於眼前之、爾雖若輩、念兵助之壯志、與秩千石、向後愈可忠節者也、 天正十一年七月五日 秀吉 石川長松殿

〔行嚢抄〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1279 福島(○○)〈自宮腰于此一里廿八町〉名護屋領、〈山村氏居所也〉町ハ川ヲ隔テ兩岸ニアリ、人家多シ、木曾路

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1280 ノ大縣也、御關所ハ東ノ町入口ニアリ、番士ノ居所ハ路ノ左ニアリ、女ノ手形并鐵炮ヲ改、番士ハ山村氏以家士之、山村氏ハ尾州亞相ノ御家人也、

莊保

〔東大寺要録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1280 別功徳分庄〈〇中略〉 美乃國 厚見庄(○○○)田二百十七町三百歩〈已河成荒廢、今號茜部庄(○○○)、〉 右諸國庄家田地目録如件〈〇中略〉 天平勝寶二年三月廿九日

〔東大寺小櫃文書〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1280 左辨官〈美濃國〉 應官使延久三年官符糺定、東大寺領管厚見郡茜部庄西堺事、 右得彼寺今月十日解状偁、謹撿案内、件庄數百歳間、四至牓示、更無改變、而近來光國朝臣、彼西堺牓示内、東西貳町、南北拾餘町、横以押妨、去永久五年奏聞事由之處、被宣旨偁、宜光國且停止四至牓示牢籠、且禁斷鶉郷住人等濫行者、件牢籠子細、并綸言趣等、載宣旨状、而前別當大僧都勝覺辭退寺務之間、無其沙汰、空以去任、因玆其妨逐日彌盛、以件牓示内號光國私領、鶉郷之別符偏所押領也、背古今官符宣旨等之條、寧無違勅之科哉、但光國前日陳状偁、件茜部庄、往古寺領也、四至牓示初以不牢籠事也者、如陳申者、若是光國不案内之處、鶉郷司等暗所押妨歟、早任永久宣旨、被官使止件四至牓示牢籠者、權中納言藤原朝臣實行宣、奉勅、宜官使、任延久三年官符、令上レ定西堺者、國宜承知依宣行一レ之、 天治元年六月廿日 大史小槻宿禰〈花押〉 少辨藤原朝臣〈花押〉

〔東大寺古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1280 撿注 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1281 言上東大寺領、美濃國管厚見郡茜部庄西堺子細事、 西堺内相論田畠桑在家等 田畠拾捌町參佰歩 田伍町捌段佰貳拾歩〈已見作〉 畠拾貳町伍段佰捌拾歩 見作八町八段 荒三町七段百八十歩 桑參佰貳拾本〈大二百本 中百廿本〉 在家拾貳家 右去六月廿日宣旨偁、東大寺領、美濃國管厚見郡茜部庄西堺、宜官使延久三年官符糺定、去延久三年六月卅日官符所注載西境高檏也、而前出羽守源朝臣光國以私領鶉郷田地寄進、故二位家領平田庄(○○○)加納之刻堺四至之日限高檏打牓示先畢、背件牓示押妨茜部庄西堺田畠十八町餘也、仍任宣旨状、國使并寺家使相共實撿、如舊令糺定畢、仍言上如件、 天治元年八月廿日 庄司散位中原成季 國使大判官代藤原盛通 官使左史生安倍重貞

〔東大寺文書〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1281 建武元年十一月廿七日御披露 一當寺興隆事、綸旨并御事書如斯、先度被付分上横江、茜部等事候歟、向後事、又存其沙汰、忩可注進

〔東大寺要録〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1281 一諸國諸庄田地〈長徳四年注文定〇中略〉 美濃國 安八郡大井庄(○○○)田五十町 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1282 私勘ニ、大井庄東西廿四町、南北廿四町、合五百七十六町、

〔東大寺要録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1282 東大寺 注進 寺領役夫工免除證文事 三の國大井庄茜部兩庄免除宣旨四通之内 一通件兩庄役夫工無前跡、宜停止之由、宣旨、 天永三年二月七日

〔東大寺要録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1282 去建暦之比、みのゝ國大井庄下司職相論候時、申子細於關東之處、二品家者進地頭職於東大寺之上、不口入之由被返答候、おヽゐのさうのしもづかさの事、とものりとかやをさヽゐなくて心へしとて、東大寺よりとり申て候とて、べたうそう上の御はうの御ふみまいりて、その御返事には、あまのかたにもみてらの御ぐだしぶみ給はりたりとて、しらんと申候に、とものりも、又みてらのくだしぶみを給、〈〇此間有脱文〉あれはいづれもだうりにまかせて、御せいばいにて候べきよしにて候なり、ひきのはむぐわんがとき、地頭をさりて御てらへまいらせたれば、これにては御さた候まじきよしを、あまごぜんよりおほせくだされて候、あなかしく、 建暦元 ひろもと 東大寺領みの國大井庄下司職事、折紙〈副請文案〉御覽之後、返遣候、於寺家道理裁許之由、被僧正御房御返事、令早可寺家之状、依仰執達如件、 建暦元五月廿四日 散位在判 大井尼上二

〔東大寺要録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1282 左辨官下東大寺 應國司且停止武士狼藉且言上子細、當寺諸國寺領貳拾參箇處事、〈〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1283 美濃國 大井庄 茜部庄〈〇中略〉 右近日都鄙罷騷擾、丁壯苦軍旅、俗之凋弊職而斯由、就中五畿七道諸國神社佛寺已下庄預、或武士寄事左右、煩費州縣、或民庶不租税、亡命山澤、權大納言源朝臣通具宣、奉勅宣、令知彼宰吏等止狼藉、但若有子細者、言上聽裁者、同下知諸國既畢、寺宜承知依宣行一レ之、縡在機急、暫莫延怠、 承久三年七月廿七日 大史小槻宿禰 中辨藤原朝臣

〔今昔物語〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1283 美濃國紀遠助値女靈遂死語第二十一 今昔、長門ノ前司藤原ノ孝範ト云フ者有キ、其レガ下總ノ權ノ守ト云ヒシ時ニ、關白殿ニ候ヒシ者ニテ、美濃ノ國ニ有ル生津ノ御庄(○○○○○)ト云フ所ヲ預カリテ知ケルニ、其御庄ニ紀ノ遠助ト云フ者有キ、〈〇下略〉

〔石清水文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1283 太政官牒石清水八幡宮護國寺 宮寺所所庄園參拾肆箇處事 一應舊領掌庄貳拾壹箇處事〈〇中略〉 美濃國壹處 字泉江庄(○○○) 在池田郡 田地佰拾町肆段貳佰肆拾歩〈〇中略〉 延久四年九月五日〈〇署名略〉

〔保元物語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1283 新院召爲義事附鵜丸事 爲義〈〇中略〉誠ニ其儀有トテ打立ケレバ、四郞左衞門頼賢、五郞掃部助頼仲、賀茂六郞爲宗、七郞爲成、鎭西八郞爲朝、源九郞爲仲、以下六人ノ子共相具シテ、白河殿ヘゾ參リケル、新院、御感ノ餘ニ、近江國伊庭莊、美濃國青柳莊(○○○)、二箇所ヲ給テ、即チ判官代ニ補シテ、上北面ニ可候由、能登守家長シテ被仰、鵜丸ト云御劒ヲゾ被下ケル、

〔當宮縁事抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1283 左辨官下 石清水八幡宮并宿院極樂寺 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1284永停止宮寺并極樂寺庄園領家預所下司公文等、或號先祖讓状、或稱傳文書、致異論掠領、兼又有由緒傳領、子孫斷絶處々付本所事、 宮寺領〈〇中略〉 美濃國 枳束庄(○○○)〈〇中略〉 保元三年十二月三日 大史小槻宿禰〈在判〇下略〉

〔源平盛衰記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1284 成親卿流罪事 此大納言ノ中納言ニテ御座シ時、尾張國守ニテ、去嘉應元年冬ノ比、目代ニテ衞門尉政友ヲ當國ヘ被下ケルガ、美濃國杭瀬河ユテ宿ヲ取、山門領平野庄(○○○)ノ神人、葛ヲ賣テ出來レリ、政友是ヲ買ントテ、直ノ高下ヲ論ジテ、様々ニナブル程ニ、葛ニ墨ヲゾ附タリケル、〈〇下略〉

〔賀茂注進雜記〕

〈下神領〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1284 同〈〇壽永〉三年〈〇元暦元年〉四月廿四日壬辰、賀茂社領四十二ケ所、任院廳御下文、可武家狼藉之由、有其沙汰云々、 下諸國 可早任院廳御下文、停止方々狼藉進神事用途、賀茂別雷社御領庄園事、〈〇中略〉 美濃國 脛長庄(○○○)〈〇中略〉 右肆拾貳箇所神領任院廳御下文、停止方々狼藉武士等濫吹、如元可進神事用途、若不神威、不院宣、慥可重科之状如件、以下、 壽永三年四月廿四日 正四位下源朝臣御判

〔吾妻鏡〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1284 元暦二年五月一日癸未、故伊豫守義仲朝臣妹公、〈字菊〉自京都參上、〈〇中略〉豫州爲朝敵討罰、無指雜怠之女姓、蓋之乎云云、仍所美濃國遠山庄(○○○)内一村也、

〔吾妻鏡〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1284 承久三年七月五日丁亥、一條宰相中將信能、相于遠山左衞門尉景朝、著美濃國、即於

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 當國遠山庄首云云、

〔吾妻鏡〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 文治六年四月十九日壬寅、内宮役夫大工作料未濟成敗所々事、〈〇中略〉 美濃國 蜂屋庄(○○○) 成勝寺執行昌寛陳状相副之、此外所々書抄注文所副下文也、

〔吾妻鏡〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 建久六年十二月十二日癸亥、千葉介常胤捧歎状、是向魚鱗鶴翼陣、抽毎度勳功、励警夜巡晝節、積連年之勤勞、潜論其貞心、恐似等類、老命難後榮、世事只憑上賞、早存日之際、浴恩澤數輩子孫之由載之、殊稱由緒、望申美濃國蜂屋庄云云、〈〇下略〉

〔木曾路之記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 太田より一里北に蜂屋といふ所あり、此邊の村々より柹を持て、はちやへ出るを、けづりてつり柹とす、美濃のつるし柹は此邊より出る、蜂屋柹と云、蜂屋に町なし、

〔賤の小手卷〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 美濃國可兒郡帷子の庄(○○○○)は、昔天子に帷子を奉りける故に、名付しとかや、七郷ありて、中切を親村とせり、

〔吾妻鏡〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 建久三年十二月十四日壬子、一條前黄門書状參著、以亡室遺跡廿箇所、讓補男女子息、爲將來之乖違、去月廿八日、申下宣旨訖、右中辨棟範朝臣傳宣、權中納言〈兼光卿〉宣、奉勅云云、是平家沒官領内、〈〇中略〉美濃國小泉御厨帷庄(○○)、津不良領、〈〇中略〉已上廿箇所、先日被黄門室家、〈將軍家御妹也云云〉

〔西大寺文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 注進 西大寺所領諸庄薗現存日記事 合〈〇中略〉 一顚倒庄々〈〇中略〉 美濃國 城田庄(○○○)一百餘町 四王堂領、件用途長講法花及春秋六箇日間勤修、同法悔過并佛聖燈油僧供料所施入也、 栗田庄(○○○)、田畠二百餘町、〈〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 已上二十七處、依流記公驗、明白注進之、 右依宣旨、注進如件 建久二年五月十九日〈〇署名略〉

〔東寺百合文書〕

〈イ一至二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 七條院 在御判 修明門院御處分御所庄々等〈〇中略〉 美濃國彈正庄(○○○)〈御筆状在之〉 鵜飼庄(○○○) 國分寺〈可本所〉 安貞二年八月五日 七條院 在御判〈すめいもん〉

〔船田後記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 利綱利實亦自墨俣、遂及木田、江州大守佐々木政高進師于彌高山、預俾淺井氏三田村氏兩軍來省于鵜飼

〔美濃明細記〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 方縣郡鵜飼村者、岐阜北也、元來鵜舟十二艘アリ、今七艘トナル、長良川鮎ヲ鵜舟ヲ以テ漁ス、鵜十二羽ヲ一人ニテツカウ也、川ヘ入ラザル鵜ヲ船バタヲタヽキ追入、又魚ヲ呑ミタル鵜ニハ魚ヲ吐カセ、篝火ヲタキ立方セハシキ業ナリ、

〔吾妻鏡〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 寛喜二年六月十六日、美濃國飛脚參申云、去九日辰刻、當國蒔田庄(○○○)白雪降云云、武州太令怖畏給、可徳政之由有沙汰云云、濃州與武州兩國中間既十餘日行程也、彼日同時有此恠異、尤可驚之、

〔古文書類纂〕

〈上處分状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 後深草天皇建久二年關白藤原道家處分状 總處分條々事〈〇中略〉 一家地文書庄園事〈〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 家領〈〇中略〉 伊勢國五眞加利御厨 和田庄 美濃國衣斐庄(○○○) 石田庄(○○○)〈〇中略〉 已上和田庄以下六箇所、宜秋門院御領、讓于余其内也、件所々余萬歳以後可讓與之由、有御遺誡、當時又宛彼家要雜事、仍所讓與也、一期之後可進宣仁門院、依猶子之儀也、更不給他人、其後又可右府子息、次第相承莫違越、〈〇中略〉 以前條々、所注置右、〈〇中略〉 建長二年十一月日 愚老〈在御判

〔集古文書〕

〈十六判物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 鹿苑院義滿公御判物〈攝津國呉田吉田道可藏〉 大興寺〈三會院末寺〉領美濃國揖斐庄(○○○)三輪保内犬丸名、同庄四十保散在尾張國草部保并櫻木敷在事、 右任祐康寄進状、可當寺領、仍下知如件、 嘉慶三年二月七日 從一位源朝臣〈花押〉

〔吾妻鏡〕

〈五十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 弘長三年八月二十五日壬申、今日春日部左衞門三郞泰實、被放美濃國指深庄(○○○)地頭職、是當庄沙汰人地頭有非法之由、就申六波羅、雖召文、泰實不之、仍註進其趣之間及此儀

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 觀應二年〈〇南朝正平六年〉十一月二十六日、朝間大藏卿來、仙洞御領、元弘御沙汰之次第談之、今日具忠朝臣爲示聞也、所詮長講堂法金剛院領、並龜山院御講五箇所、院御方御分室町院御領、半分法皇御分等、被綸旨云々 美濃國麻續庄(○○○)〈〇中略〉 右所々御管領不相違之、天氣如此、以此旨申沙汰、仍執達如件、 元弘三年六月七日 左中將忠顯 謹上 高三位殿

〔集古文書〕

〈七令旨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 永福門院令旨〈京師清和院藏〉 美濃國銀庄(○○)可知行之由、永福門院令旨所候也、仍執達如件、 元弘三年九月六日 花押 道惠上人御房〈〇中略〉 廣義門院令旨〈京師清和院藏〉 美濃國白金庄(○○○)爲今出川院御菩提料、所々致附當寺也、存其旨知行者、仍廣義門院令旨執達如件、 康永元年五月廿五日 花押 深草道重上人御房

〔大友文書〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 雜訴決斷所〈牒〉 美濃國 常國仲村莊(○○○)雜掌定海、與地頭大友千代松丸代道仙等相論所務以下事、 牒、就訴陳状召決訖、本新之所務、各雖確論、如地頭所帶弘安正和文保下知状等者、爲本司跡之由所見也、無指支證者、難新補率法、但爲兩方所務地之條、文保成敗具也、先守彼状沙汰之由、雜掌申之處、自元無違亂之由、地頭代承諾訖、然早任彼下知状、云雜役公事、云撿斷以下、兩方可所務、次山野事、彼時成敗未斷也、然而相互無妨之由、地頭代亦所申也、此上不子細、各可等分沙汰者、以牒、 建武二年四月三日 中務丞三善〈花押〉 花押〈〇足利尊氏〉 下近江龜松丸、可早領知美濃國仲村庄(○○○)上方地頭職事、 右人爲勳功之賞宛行也、早守先例、可沙汰之状如件、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 建武四年六月十九日

〔實相院文書〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 大雲寺、同寺領攝津國萱野莊、山城國大工田、近江國朱雀院田、山城國脇莊、并美濃國志津野莊(○○○○)、攝津國正木莊、同國福富莊、伊勢國野代莊、近江國犬上位田、大和國琴引別府、播磨國鞍位莊、御知行不相違候由、院宣所候也、仍言上如件、 建武三年九月三日 隆蔭上 進上實相院僧正御房

〔明智系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 光賢〈太郞三郞法名元快 頼重子、伯耆守頼貞甥、(中略)暦應二年己卯二月十八日、大將軍源尊氏卿有賜之證文、其文曰、 下土岐太郞三郞光賢法名元快 可早領知美濃國多藝庄(○○○)内友江吉田地頭職事 右任伯父伯耆守頼貞法師〈法名存孝〉讓状、可知行之状、如件、 年號月日 判形有茲〉

〔船田後記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 二十九日丁午〈〇明應六年四月〉經鎧墓〈義朝將軍埋鎧之地、古來出師避此地而光過之、〉次于堀津石田之際、又遷次于孤穴竹鼻、地隣墨俣、稍來襲境、且分一軍多藝莊、焚毀民里

〔集古文書〕

〈二綸旨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 後村上院綸旨〈所藏不詳〉 美濃國大搏庄(○○○)參分壹地頭職二見蓮淨、任先度綸旨、知行不相違者、天氣如此、悉之以状、 興國二年三月廿九日 左少辨〈花押〉

〔明智系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 頼忠〈左近將監未詳 伯耆守頼貞甥、右近頼重子、讓其領於頼基之子彦九郞、故列于此、將軍義詮有賜之證文曰、 下土岐左近將監頼忠、 可早領知美濃國武義庄(○○○)内野所、安弘見、加藤郷等地頭職事、 右爲勳功之賞宛行也者、守先例沙汰之状如件、觀應二年辛卯九月二十日 〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 〈判形有袖〉

〔船木系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 一土岐二郞兵衞尉頼者、頼尚之次男、正尚舍弟也、先年頼尚暫在濃州土岐庄(○○○)此男、故少名號土岐孫二郞

〔堯孝法印日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 文安三丙寅年正月一日、古今集披覽、序春部上、於神前〈〇五條天神社〉讀之、勤行及數刻、終夜不一睡、 美乃國眞桑庄(○○○)爲本領、舊冬令還補、仍一昨日御下知御施行等拜領之時、細川右馬助入道家へ申侍し、 あふぐ哉みのゝを山のまつかひも有ける御代の道のめぐみを 九日、沙彌素欣もとにすぐにまかりて、三十六首うた讀はべりしに、〈〇中略〉 戀地儀 たのみこしいなばの山のかひ有て今かへりくる契をぞしる 今度還補眞桑庄、稻葉山程近し、仍爲逸興此詠之、但彼行平中納言の古歌は、いなばの國のいなば山也、同名たる計におもひよせ侍る、不混亂事也、

〔吾妻鏡〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 寛元三年五月七日庚子、就懸物年紀、被美濃國芥見庄(○○○)於山田郷、〈〇下略〉

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 十六日、竹の内の僧正のあくたみの庄を一見すべきよししめす、よて江口より舟にのりて、二里ばかり川づたひにさかのぼる、因幡山のふもとをすぐる路なり、

〔康正二年造内裏段錢并國役引付〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 合〈〇中略〉 貳貫文 屋代源藏人殿〈濃州芥見庄(○○○)段錢〉 壹貫文 粷井殿〈美濃國二木庄(○○○)段錢〇節略〉

〔集古文書〕

〈五十四注文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 美濃國小島庄(○○○)御年貢算用状事 合文正元年分 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 一七拾七貫四百文 京〈貳百五十八兩代〈一兩別三百文宛〉 此内廿一兩寺社除之〇中略〉 雄春判(野依修理進)

〔木曾路之記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 垂井より關原へ一里半 垂井の近所に小島といふ所あり、兼良公の藤川の記に曰、文和の頃後光嚴院南軍をおそれましまして小島に行幸有し次に、民安寺と云ふ律院にわたらせ給ひけるとなん、

〔兼山記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 齋藤大納言之事 濃州可兒郡中井戸ノ庄(○○○○)雁山ト申スハ、天文ノ初齋藤大納言シツラヒ給ヒ、暫ク居住ス、山高フシテ雲聳エ、前木曾川ノ流幸ニ要害ト成、

〔康正二年造内裏段錢并國役引付〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 合〈〇中略〉 貳貫文〈〇中略〉 深坂次郞殿〈濃州深草保(○○○)段錢〉

〔蔭凉軒日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 長祿二戊寅六月廿三日、玉龍庵領不知行之在所、美濃國玉村保(○○○)之事、伺之、即可還附之由有命也、

藩封

〔濃陽志略〕

〈十附録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 郡邑區別 元和元年八月、以信州木曾、及濃州沿河地三萬石封張藩、元和五年、重以濃州上有智等地五萬石封張藩、其餘數人附屬我敬公、曾以東照神祖所賜食邑、仍舊領焉、奉仕張藩、世謂之給人高、其郡邑隷于左、 大野郡 付寄 下座倉 東横山 小衣斐 澤辻 乙原 南條 岡島 郡家 安八郡 北今淵 大野 大明神 成田 池田郡 岡 片山 西横山 東野 大門 方縣郡 鷺山 折立 志段味 厚見郡 萱場 古津 本巣郡 曾比中島 山縣郡 上野 中屋敷 多藝郡 飯田 石津郡 市瀬 福江 城屋敷 中島郡 大浦 駒塚 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1292 合九千七百七十六石三斗八合 右慶長中、東照神祖以濃州及攝州地一萬石石河市正光忠、其後附屬張藩、子孫至今領焉、 可兒郡 御嶽 上郷 羽崎 比元 久々利 大森 落合 中津川 茄子川 伊岐津志 惠那郡 千旦林 正家 手金野 土岐郡 日吉 大湫 半原 一日市場 合一萬四千六百石八斗三升 右慶長庚子之亂、木曾一黨、勤王有功、以木曾谷其一黨山村道勇者、老且智、請曰、木曾山頗出良材、宜于御料、願別擇地、神祖大褒稱之、以濃州地一萬六千石餘分賜一黨、唯馬場三郞左衞門屬于幕下千六百石、其餘山村千村原三尾四族、分領其邑、皆奉仕張藩、子孫至今依此、 中島郡 八神 大須 石田 合三千石 右慶長中、神祖命賜毛利掃部、附屬我敬公、子孫至今領焉、 本巣郡 十七條 千六石三升五合 右慶長中、神祖命賜稻葉七丞、附屬我敬公、無嗣公收、 池田郡 山洞 安八郡 海松 二ツ木 合五百一石四斗二升 右慶長中、神祖命賜石黒善十郞、附屬我敬公、子孫至今領焉、 安八郡 高田 山縣郡 梅原 合千石零一合 右慶長中、神祖命賜津田吉兵衞、附屬我敬公、子孫至今領焉、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 加茂郡 久田見 細目 野上 和知 牧野 合四千四百三十石九斗 右慶長中、神祖命賜稻葉右近、附屬我敬公、其後子孫斷絶、公收其邑、 安八郡 氷取 石津郡 多良内二村〈一曰小山瀬 一曰樫原〉 合五百一石一斗四合 右慶長中、神祖命賜奧平主馬、附屬我敬公、其子彈兵衞私鬪致死公收其邑、 大野郡 西黒郡 山縣郡 伊自良 二村〈一曰長瀧 一曰富山〉 合五百石 右慶長中、神祖命賜土岐九左衞門、附屬我敬公、其後有故別賜食邑、 加茂郡 上飯田 二百五十石 神祖命賜西尾喜兵衞、西尾豐藏以養鷹屬我敬公、其後喜兵衞無嗣、豐藏子孫至今領焉、 總計拾貳萬七千六百七十八石五斗七升一合

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 戸田采女正氏彬(帝鑑間 從四位侍從元治元子九月任) 拾万石 居城濃州安八郡大垣 〈江戸ヨリ九十九里餘 天正十一、池田三左衞門輝政領、同十八、伊藤長門守、同彦兵衞、慶長五、石川長門守康通、同日向守家成、同主殿頭忠總、元和二、松平甲斐守忠良、寛永元、岡部内膳正長盛、同十、松平越中守定綱、同十一ヨリ戸田左門氏鐵以後領之、〉 青山峯之助(雁間) 四万八千石 居城濃州郡上郡郡上(グンジヤウ) 〈江戸ヨリ九十六里 天正十八、稻葉伊豫守通明、同右京亮貞通、慶長五、臼杵エ替、中絶、元祿七、井上中務少輔正任、同大和守正岑、同十金森出雲守頼旨、同兵部少輔頼錦、寶暦八、青山大和守幸道、以後領之、〉 永井肥前守尚服(雁間 朝散大夫) 三万二千石 居城美濃厚見郡、加納 〈江戸ヨリ中山道百四里餘 東海道九十七里餘 當城岐阜之城引、織田黄門秀信居城、慶長六、奧平美作守信昌、後松平攝津守忠政、同飛騨守忠隆、大久保加賀守忠秀、寛永十六、松平丹波守光重、同丹波守光通、寶永八、安藤對馬守信友、同對馬守信尹、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 〈同勝藏、寶暦六、永井伊賀守直陳、以後領之、〇節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 松平範次郞義(大廣間) 三万石 御在所濃州石津郡高須 〈江戸ヨリ東海道九十五リ餘、東山道百十一リ四町、 往古高木重郞左衞門居之、後徳永法印、同左馬助、以後中絶、元祿元、松平攝津守義行、以後代々領之、〉 松平能登守乘命(雁間 朝散大夫) 三万石 居城濃州惠那郡岩村 〈江戸ヨリ東海道九十三里餘 甲州道八十八里餘 信長時代天正十一森蘭丸、後田丸中務居之、慶長六、松平和泉守家乘、同和泉守乘壽、寛永十五、丹羽式部少輔氏信、同式部少輔氏憲、同式部少輔氏純、同長門守氏房、同和泉守氏音、元祿十五、松平兵庫頭乘紀、以後領之、〇節略〉

〔古文帖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 松平加賀守幕下松平飛州家來所持 濃州惠奈郡一万九千六百八十七石五斗、同土岐郡内一万六千三百六石四斗貳升、同可兒郡内四千六石八升、都合四万石之事、信州川中島爲替地宛行之目録、別紙ニ有之、全可領地、但此内五千石三役、殘三万五千石軍役可相勤之状如件、 慶長五 二月朔日 神君御判 田丸中務大輔殿

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 遠山信濃守友祿(柳間) 一万二十一石 居城濃州惠那郡苗木〈江戸ヨリ木曾路八十四里、東海道百四里半、但衣川通岡崎ヘ出ル、 慶長十年ヨリ遠山氏代々領之〇節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 戸田淡路守氏良(菊之間 朝散大夫) 一万石 在所濃州安八郡大垣新田 〈江戸ヨリ九十九里餘 元祿元年、戸田彈正氏成、當所營居所以後代々住之、〉 本庄宮内少輔道美(菊之間 朝散大夫) 一万石 在所濃州山縣郡高富 〈江戸ヨリ九十七里 寶永六ヨリ本庄宮内少輔道章、以後代々領之、〇節略〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 美濃國〈〇註略〉管十八〈田萬四千八百二十三町一段六十五歩〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 美濃州 郡十八、水田一萬四千八百二十四町五段、

〔伊呂波字類抄〕

〈見國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 美濃國〈管十八(中略)〉本田一万五千三百四丁

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 美濃〈上近〉十八郡〈(中略)田萬五千三百四町〉

〔新撰類聚往來〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 國名〈〇中略〉 美濃〈濃州〉十八郡〈(中略)田數四万四千八百卅三町〉

〔前關白秀吉公御檢地帳之目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 五十四万石 美濃

〔國花萬葉記〕

〈十美濃國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 知行高五拾八万千五百廿三石

〔新撰美濃志〕

〈一美濃全體説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 田圃は、和名類聚抄に、美濃國田萬四千八百二十三町一段六十五歩と見え、拾芥抄に田萬五千三百四町としるし、新撰類聚往來に、美濃田數四萬四千八百三十三町、南北三日、山原田畠多、紙帛豐也、五穀万倍生ズ、大上國也とかけり、後世數度の撿知に田數増し、あるひは原野を墾開して新田とする物夥しく、和名抄等の田數に八十倍にも及べり、類聚國史に、天長九年九月癸卯、美濃國空閑地二十四町一段爲勅旨田、三代實録に、仁和二年十月十四日己未、令美濃國班給百姓口分田、政事要略の諸國國造田四百十一町五段のうちに、美濃國二十四町、膂力婦女田二十七町三段のうちに、美濃國二町賜田八町のうちに、美濃國一町と見えたり、 税稻は、〈〇中略〉中むかし永錢つもりの頃は、何萬貫文の地なりしにや、定かにしるしたる書なければ、今は知りがたし、天正の中頃より、諸國ともに石高となりて、今の免賦といふ事はじまる、是を天正の石直しといふ、當國は古高帳〈元和の頃の物といへど、奧書なければ定かならず、〉に、六十萬九千七百四拾石餘としるし、元祿十四辛巳年十一月の郷高帳には、六十四萬五千百一石五斗三升と見えたり、

〔美濃名細記〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 美濃國二十一郡 三万四千三百十石餘〈七十八ケ村〉 惠那郡 四万九千二百八十六石餘〈百七ケ村〉 大野郡 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1296 一万九千四百一石餘〈三十二ケ村〉 土岐郡 一万八千二十一石餘〈六十五ケ村〉 池田郡 三万二千百四十石餘〈三十五ケ村〉 可兒郡 七万四千二十三石餘〈百四十四ケ村〉 安八郡 四万二千六百一石餘〈百五ケ村〉 賀茂郡 五千五百七十九石餘〈八ケ村〉 席田郡 二万六千七百六石〈百五十二ケ村〉 郡上郡 三万六千七百九十六石餘〈四十二ケ村〉 不破郡 三万千五百十八石餘〈六十四ケ村〉 武義郡 二万七千九百九十七石餘〈五十四ケ村〉 多藝郡 二万四千七百四十五石餘〈三十六ケ村〉 山縣郡 一万九千七百九十一石餘〈三十五ケ村〉 石津郡 一万九千百二十石餘〈二十九ケ村〉 各務郡 一万九千五百五十九石餘〈五十七ケ村〉 羽栗郡 三万六千二百十四石餘〈五十ケ村〉 厚見郡 一万千八百六十八石餘〈二十五ケ村〉 中島郡 三万四千三百七十七石餘〈五十ケ村〉 方縣郡 一万千百二十一石餘〈二十二ケ村〉 海西郡 三万三千七百七石餘〈六十三ケ村〉 本巣郡 高都合六十万九千七百四十石餘 村數合千二百五十三ケ村

〔美濃明細記〕

〈五城地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1296 美濃國高六拾四万五千百壹石五斗三合 内 一江戸御藏入 拾壹万七千六百石餘 一拾貳万八千八百石 〈不破、多藝、石津、安八、池田、大野、本巣、方縣、厚見、山縣、各務、武儀、加茂、惠那、葉栗、中島、可兒、土岐、十八郡之内、〉 尾張領 一壹万五千石餘(高三万石之内壹万五千石信濃國) 石津海西二郡之内 高須領 一拾万石 〈安八、多藝、石津、不破、池田、大野、本巣、七郡之内、〉 大垣領 一六万石(高六万五千石餘ノ内五千石) 〈厚見、方縣、席田、本巣、大野、羽栗、〉 加納領 一貳万三千八百拾石餘(高三万八千七百六拾石餘ノ内一万四千九百石餘越前國) 〈郡上郡〉 郡上領 一貳万四千七百三拾石餘(高三万石餘ノ内五千貳百七十石餘駿河國) 〈惠那、土岐、山縣、大野、安八、多藝、〉 岩村領 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 一壹万五百石 〈惠那 賀茂〉 苗木領

〔美濃明細記〕

〈十二附録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 一高六拾三万七千石〈餘〉 總高辻 外高千九百三拾九石九斗九升 〈御朱印寺社領并除地高〉 拾貳万七千四拾三石 尾張殿領 拾万石 戸田伊勢守領 六万石 安藤對馬守領 壹万八千石 松平攝津守領 貳万石 松平能登守領 貳万三千八百拾九石壹斗八升 金森出雲守領 壹万八千石 遠山伊豫守領 〆三拾五万六千三百六拾貳石壹斗八升 拾貳万八千九百石餘 給所七拾四人 殘 拾五万四千八百六拾五石五斗四升壹合壹勺 御料所

〔美濃國領主郷名田租記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 郡都合貳拾一郡 高合六拾三万八千壹石三斗一升九合三勺

〔官中秘策〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 美濃國 十八郡〈〇中略〉 一石高四拾万四千四百六拾九石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 天保度御國高調 美濃國〈御料私領〉 一高六拾九万九千七百六拾四石三斗貳升壹合六勺六才

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 諸國出擧正税公廨雜稻〈〇中略〉 美濃國正税公廨各卅万束、國分寺料四万束、藥師寺料二万七千束、延暦寺摠持院料四万束同寺四王堂料四万束、文殊會料二千束、藥分料一万束、修理官舍料二万束、池溝料四万束、救急料二万束、俘囚料四万一千束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1297 美濃國〈〇註略〉管十八〈(中略)正公各三十萬束、本稻八十八萬束、雜稻二十萬束、〉 〇按ズルニ、本稻八十八萬束トアレバ、雜稻ハ二十八萬束ナルベシ、二十ノ下恐ラクハ八ノ字

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 ヲ脱スルナラン、延喜式ナル雜稻モ、之ヲ計算スルニ、正ニ二十八萬束ナリ、

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈五齋宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 年料供物〈〇中略〉 坩一口、陶碗卅口、臼二口、盤十口、〈已上美濃國充之〇中略〉 右水部司所請〈〇中略〉 池由加一口、由加四口、匜一口、瓶一口、缶二口、叩瓫四口、〈以上美濃國充之〉 右殿部司所請〈〇中略〉 所須藥種〈〇中略〉 陶坩叩盆各四口、陶手洗一口、陶椀二合、盤二口、〈已上美濃國充之〉 右藥部司所

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 諸國年料供進〈〇中略〉 絁八百五十疋、〈〇中略〉交易六百五十疋、〈遠江美濃(中略)七箇國各五十疋〇中略〉 樽〈(中略)美濃(中略)十五箇國各二合〇中略〉 青木香二百七十斤〈(中略)美濃國卅斤〇中略〉 黒米二百斛〈(中略)美濃丹波備前三國各廿石〇中略〉 支子〈數有損益〇中略〉美濃國園二斛、

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 年料舂米〈〇中略〉 美濃國〈内藏廿石、大炊一千四百石、糯廿石、〇中略〉 年料租舂米〈〇中略〉 美濃國〈二千三百石〇中略〉 年料別貢雜物〈〇中略〉 美濃國〈筆一百五十管、紙麻六百斤、支子二石、青木香卅斤、零羊角六具、馬革廿四張、〇中略〉 諸國貢蘇番次〈〇中略〉 美濃國十七壺〈七口各大一升、十口各小一升、〇中略〉 右八箇國爲第三番〈卯酉年〇中略〉 交易雜物〈〇中略〉 美濃國〈絹二百疋、胡麻子四石、荏子十二石、鹿革卅張、油二石、白絹十二疋、樽二合、隔三年進金漆二斗、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 美濃〈〇中略〉 右十二國並上絲〈〇中略〉 美濃〈〇中略〉 右廿九國輸絹〈〇中略〉 美濃國〈行程上四日、下二日、〉 調白絹十疋、緑帛廿疋、廣絁十疋、帛三百疋、長絹百疋、絲廿三絇、長席三百七十五枚、瓺二口、瓼十六口、由加十二口、缶廿七口、酢瓶八十口、水椀廿五合、深坏卌四口、箸壺十四口、麻笥盤十四口、片盤卌六口、洗盤十二口、手白髮瓶四口、水鉢廿五口、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a49f.gif 瓶四口、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a468.gif 十口、油瓶二口、大瓶七口、有蓋埦卅五合、高盤十七口、雜坏廿口、甘壺十一口、酒壺十口、臼六口、清坏廿口、足下坏五十口、油坏卅六口、斐坏六十口、乳戸四口、爐瓫八口、筥瓶十口、後盤卌四口、酒坏卌八口、比太爲瓶五口、大盤卅五口、池由加一口、小坏十口、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 叩戸廿二口、自餘輸絹 庸、韓櫃卅四口、〈塗漆著鏁五合、白木廿九合、〉自餘輸米、 中男作物、紙金漆、胡麻油、荏油、煮鹽年魚、鮨年魚、鯉、鮒鮨、

〔延喜式〕

〈三十七典樂〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 諸國進年料雜藥〈〇中略〉 美濃國六十二種 黄岑、芎藭各十四斤、䓱胡、大黄、龍膽、栝樓、商陸、楡皮、升麻各十斤、王不留行牛膝、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650cf2.gif 茄、地楡、紫菀、白蘝、石南草各廿斤、藍漆五斤、白頭公四斤、虵蛿九斤、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019ac0.gif 杞、薺苨、杜仲、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650cf3.gif 草、續斷各五斤、桔梗、細辛、松脂、茯苓各卅斤、獨活十斤、木斛十五斤、白朮卅八斤、丹參十四斤、白芷廿斤、芍藥、桑螵蛸、卷柏各二斤、石斛七十斤、厚朴一斤、巴戟天五斤、貝母三斤、蛇脱皮一兩、干地黄一斛、榧子一斛五升、署預二斗、麥門冬二斗七升、桃人六斗三升、半夏二斗八升、秦椒、葵子各一斗五升、附子大八升、五味子三斗三升、菟絲子二斗一升、葶藶子五升、蛇床子九升、栢子人八升、蜀椒九斗三升、青樊石九斗、獺肝三具、熊膽四具、猪蹄十具、鹿茸七具、熊掌二具、

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 年料 美濃國〈鮨鮒隔月三缶、火干年魚一擔八籠、鮨年魚四擔八壺、〉

〔延喜式〕

〈四十八左馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 凡國飼御馬者、〈〇中略〉美濃國十疋、〈右寮〇中略〉飼戸〈〇中略〉美濃國三烟、〈〇中略〉 右隷左馬寮毎年當 國計帳進官〈〇中略〉 美濃國三烟 右隷右馬寮並准上條

〔延喜式〕

〈四十九兵庫〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 凡諸國所進修理甲料、馬革者、〈〇中略〉美濃廿四張、

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 四郞君、受領郞等刺史執鞭之圖也、〈〇中略〉宅常擔集諸國土産、貯甚豐也、所謂、〈〇中略〉美濃八丈、〈又柿〉

〔庭訓往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 丹後精好、美濃上品、尾張八丈、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 美濃 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 糸 綿 絹 厚紙 中折紙〈典具帖ト云〉 温石 藍玉 山梔子(サンシヽ) 赤豆〈世俗ニ當國ノ赤豆ヲモ大納言ト云〉 眞桑瓜〈根本ト云〉 宮代根深 八屋釣柿 木練 横山橡板〈外ヨリ宜ト云〉 瀬戸燒物〈分テ葉茶壺ヲヤク、藤四郞ト云、伊勢天目ト云モ當國より出スト云、〉 關剃刀 小刀 爪切等 赤坂刃土 雄島布 岐阜鯮(アユ) 同鵜 墨俣鯉 北山鷂(ハイタカ)

〔諸國名物往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 美濃 紙、絹、同糸、綿、扇子地紙、眞瓜、温石、藍玉、枝柹、釣柹、瀬戸陶器、〈藤四郞燒と古より云〉關小刀、剃刀、庖丁、岐阜鮎、須俣鯉、北山鷂、八木、〈他國にまされり〉

〔美濃明細記〕

〈十一産物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 一美濃紙 武儀郡洞戸郷十六村、板取郷十三村、牧郷大野、向島、乙狩、上野、長瀬、小坂、アラコ、小倉、山縣郡之内所々出之、本巣郡根尾、池田郡廣瀬、三村、可兒郡久々利、賀茂郡加治田邊、土岐郡大富、アラマキ、郡上郡赤谷、神路、小駄良、須見、勝原等漉出之、 美濃紙隨一ヲ大直紙ト稱ス、長一尺四寸程、幅二尺及也、常ノ美濃紙ヨリ厚シ、 典具帖次之、是常之美濃紙ノコト也、長五六分、幅七分モ大直ヨリ狹シ、色白塵ナキ宜紙ヲ障子紙ト云、紐ヲ細ク作ヲ細紐紙ト云、他國ノ紙ハ折ザル紙モアルユヘ、京ニテハ中折紙トモ云ナリ、 右二品、宜紙洞戸牧郷ヨリ出之、 紋透紙 森下紙〈十文字二漉、合羽ニ用、〉 扇地紙 小菊鼻紙 右ノ品々、武儀筋多ク出之、 ガンヒ紙、鳥子ニ似タル紙也、虫クハザルユエニ大切ノ書ニ用ル也、ガンヒト云紙木ヲ以漉也、美濃半切 杉原紙 尺長紙 小杉鼻紙 半紙 右ノ品々、武儀諸方ヨリ出之、 厚紙 北山ノ内、池田郡三倉村、津汲村、大野郡乙原、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1301 薄口紙 横山村、杉原村、 右ノ品々、本巣郡根尾郷ヨリ所々出之、 奉書 杉原 美濃紙 厚紙 鼻紙 右ノ品々、池田郡廣瀬三郷、羽根村、西村、北村、 并 坂本村出之、 美濃紙 半紙 右ノ品々、可兒郡久々利村出之、 美濃紙 半紙 鼻紙類 右ノ品々、土岐郡、大宮村、土岐口村枝郷、アラマキ、加茂郡加治田村出之、 典具帖 中折 河合紙 廣紙 小菊 和紙 厚紙 右ノ品々、土岐郡肥田村、惠那郡串原村、富田村久次見村漉出之、其外同郡之内少々宛出之、 美濃紙類 廣紙 厚紙〈郡上郡勝原村〉 小菊類〈郡上郡小駄良村〉 右品々、赤谷村、神路村、須見村等漉出之、 一眞桑瓜(本巣郡眞桑村産也ゝ昔稱眞瓜村ゝ) ムギハダ青ク、甜味濃カニシテ、口中ニタマラズ、江戸獻上アリ、 一蜂屋柹釣枝柹(賀茂郡蜂屋村産) ホサヾル時ニ回リ七八寸、〈カウザシト云〉重百錢目計、其味格別ニシテ風味輕シ、江戸獻上、始ニ生熟柹、後爲釣柹再獻上、 一美濃柹〈御所柹トモ、大和柹トモ云、〉 和州之産爲本、濃州次之、爲獻上、 一長良川小瀬川鮎(方縣郡長良村ゝ武儀郡小瀬村、) 長良川者、墨俣河渡川上也、長良則岐阜ノ北也、長良川鮎、江戸獻上アリ、長良ヨリ二里川上ヲ小瀬川ト云、此處鮎尚大キニシテ、頭小背大ニ丸ク、故小瀬丸ト稱ス、大概ヨキ鮎七八寸、重百錢目、至極大キナル希モノハ長一尺一寸、重百八九十目、 池田郡糟川、又本巣郡根尾川、伊津貫川鮎モ、亦大キニシテ宜、 鮎之鮨、於岐阜之、江戸獻上ア

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 リ、鮎ノhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001cad2.gif 、有製法、而其味格別、江戸獻上アリ、 方縣郡鵜飼村者岐阜北也、元來鵜舟十二艘アリ、今七艘トナル、長良川鮎ヲ鵜舟ヲ以漁ス、鵜十二羽ヲ一人ニテツカウ也、川ヘ入ザル鵜ヲ船バタヲタヽキ追入、又魚ヲ呑タル鵜ニハ魚ヲ吐セ、篝火ヲタキ、立方セハシキ業ナリ、和名抄方縣郡鵜飼地名アリ、村上帝圓融帝比ヨリ鵜飼アリト見ヘタリ、武儀郡小瀬村、亦鵜飼舟アリ、 一墨俣川鯉(安八郡) 色赤テル事格別也、又煮而油多ク浮ブ、 一鵜沼川鱒(葉栗郡圓城寺村笠松村邊漁之) 又佐渡川下流、安八郡平村、牧村邊漁之、 一管瀬川鯰(大野郡長瀬村邊) 小キ谷川、古歌アリ、 鮠(ハヘ)鯹カラズ、口明ズト云エリ、 一宮代葱白(子ブカ)不破郡 白ミ多ク、子バラズ、細キ也、一説皆白ト云トモ云エリ、 一根芹(多藝郡) 享保ノ比ゝ養老の流芹を上ければ、 根芹つむこれや千年のたねならん老をやしのふ瀧のながれに 〈林丘寺宮〉 一大榑牛房(安八郡大榑村者高須ノ北)〈牛房ノヨ少ク柔ナリ〉 一岩茸(本巣郡根尾大須松田越波邊ノ山明神山ナドニ出) 一美濃撰絲 岐阜絹トモ云 薄キスヾシ絹也 一曾代糸(武儀郡曾代村) 曾代絹 當國ニテハ、曾代村ヨリ糸引始、故武儀郡郡上郡邊ヨリ出ル能キ糸ヲ曾代糸ト云、此糸ヲ以テ岐阜ニテ織絹ヲ曾代絹ト云、曾代糸ヲ以、京都ニテ羽二重等モ織ル糸トナル也、庭訓四月文章美濃上品ノ説多シ、前後ノ品ヲ考ルニ衣服類也、此類ノ事ニヤ、 一綿 土岐、可兒寡シ、郡上、武儀産多吉、 一鏡島干大根(厚見郡鏡島村) 一深瀬疊表(山縣郡東深瀬村西深瀬村)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303  一藍(葉栗郡池田郡ヨリ出) 一ツホタハコ(武儀郡) 強シテ不宜 一北山鷂(ハイタカ) 本巣郡根尾、大須越波山生之、惠那郡苗木、北巣鷹山數ケ所有、 一煎茶 山縣郡伊自良邊、石津郡時多良邊ノ産、於越前越後交易、時ノ下村、梅ノ下風尤可也、又可兒郡虎溪、大野郡横山、郡上郡莖長等ノ産可也、 一磁器(ヤキモノ) 出於土岐郡久尻、駄和、多治見、下洞、妻木、下石、笠原等、此邑中久尻、〈或郡尻〉燒物ノ釜久シク作之、久尻釜元祖加藤筑後ト稱ス、延喜式貢物出於此地歟、古瀬戸藤四郞燒、出於尾州春日井郡瀬戸、妻木久尻燒等モ都而瀬戸ト云、 一土器(本巣郡曾井村) 一土岐鷹繪 土俗傳曰、土岐頼忠自畫云々、 萬寶全書曰、富景號洞文、鷹繪ノミ長ジタリ、美濃國土岐刑部少輔頼忠、法號禪藏寺正庵、鷹一流相傳也、頼忠之繪師カ、土岐家之内富景之名未考、 一關打物 武儀郡關村鍛冶多シ、故ニ都而美濃打物ヲ關ト云、〈(中略)今モ其子孫關、岐阜ヨリ小刀剃刀等多ク出之、〉關打物都而位ハノボラザレドモ、地金刃金トモ強、指料ニヨキ也、 日本鹿子曰、美濃刃土ヲ吉ト云々、古老傳曰、不破郡荒尾、西晝飯村、邊子バ土ヲ、他國之鍛冶モ取ニ來ルコトアリト云傳フ、

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 大寶二年七月乙亥、美濃國大野郡人神人太、獻八蹄馬、給稻一千束

〔續日本紀〕

〈五元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 和銅五年三月戊子、美濃國獻木連理并白雁

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 和銅六年五月癸酉、獻〈〇中略〉美濃青樊石

人口

〔官中秘策〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 美濃國 十八郡〈〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1304 一人數五拾三万三千九拾六人 内〈貳拾七万貳千六百三拾人 男 貳拾六万四百六拾壹人 女〉 〇按ズルニ、此總數、内譯ト合ハズ、恐ラクハ一誤アラン、

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1304 諸國人數調〈〇中略〉(文化元甲子年) 一人數五拾六万六千三百五拾五人(御料私領) 美濃國(高六拾四万五千百壹石餘) 内〈貳拾九万千四百三人 男 貳拾七万四千九百五拾貳人 女〇中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年) 一人數五拾八万三千百三拾七人(御料私領) 美濃國(高六拾九万九千七百六拾四石餘) 内〈貳拾九万九千貳百六拾貳人 男 貳拾八万三千八百七拾五人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1304 美濃國 美濃國之風俗、其意地キレイニ而、タトヘバ水精ノゴトシ、サレバ水精モ不磨バ光リ出ル事アタハズ、然ドモ根性ヲヨク生付キタル風俗ハ、必垢ヲケヅルコト早シ、而能ク道理ニシタガフ、雖然西美濃ハ人之風儀柔ニ見エテ、徹スル處之物鮮ク、言舌風流ニ見ユルナリ、東美濃ハ生得ノマヽニ而木地ナリ、日本ノ内之風俗四五ケ國ノ内ナリ、サレドモトコロガラ氣シツニナレタル風ナレバイヤシキコトモ多ク有之也、直成ガ能キトテ人ノ手足ノ曲ルハ亦其理之上ノ直也、如斯ノ節ニアタルト云事ヲ知リタル人ハ、百人ニ七八十人ハ無之而、タマ〳〵一人ニテモコノ理ニ達スル人アラバ名高成ベシ、サレ共勢強フ而、國風之手本トモナルベキホドノ人ハ稀ナルベキナリ、

〔新撰美濃志〕

〈一美濃全體説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1304 風俗ハ、質直律儀にして、田舍めきたれど、岐阜大垣のあたり、繁華の地は然らず、京大坂なンどの風儀をまねぶかたも見えたり、すべて農夫も帶刀する事を好み、〈俗に美濃のさしだをれといふ〉舊家の世系をたゞし、賤と良とのわかちをたてゝ、由緒をうしなはずして守らむとす、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1305 此故にやゝともすれば、郷黨の爭論起る事あり、むかしもしか義氣強く武藝などもはげみしにや、當國の兵士健兒等を召しつかひ給ひし事多く、續日本紀、類聚國史ともに、天平寶字六年二月辛酉、簡點伊勢近江美濃越前等四國郡司子弟、及百姓年四十〈類史四十〉已下二十〈類史廿〉已上、練習弓馬以爲健兒云々と見え、延喜の兵部式諸國健兒の條に、美濃國一百人としるせり、又類聚國史に、養老四年十一月甲戌、遠江云々、美濃六國者、免征卒及廝馬從等調庸並房戸租としるし、三代實録に、元慶二年六月二十一日乙酉、勅令東海東山兩道諸國簡擇勇敢輕鋭者、須待出羽國奏請機奔赴云々、美濃三十人と見え、日本紀略に、天慶四年六月二十四日癸巳、於右近馬場近江美濃伊勢等兵士なんどしるせり、

名所

〔美濃明細記〕

〈十名所和歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1305 關藤川〈不破郡、關ケ原の西、不破關跡の西に、近江國坂田郡藤川驛の方より不破關のきはに流る、むかしより橋にて渡る、〇中略〉 不破關〈不破郡、關ケ原の西、松尾村大關に舊跡あり、〇中略〉 野上里〈不破郡關ケ原の東にあり〇中略〉 美濃御山〈不破郡、宮代南宮山也、みのゝ中山のうちなる故、南宮を仲山金山彦太神と稱奉る也、山の上にむかしひとつ松有、一條兼良公植繼せ給ふ松もかれて、峯にあとを殘せり、〇中略〉 南宮神木白玉椿〈みのゝお山よみ合也〇中略〉 美濃中山〈不破郡、南宮山より西、關ケ原迄の山續き、都てみのゝ中山と云、西北の山と續かす、中にある山也、不破山と、萬葉に人麻呂讀るも此山なり、〇中略〉 美濃中道〈中山の西南に道あり、關ケ原牧田澤田のかた烏江より伊勢尾張へ船路の古道也、宗祇名所方角抄に出せり、〇中略〉 垂井水〈不破郡、垂井宿南宮鳥居の邊、名井有、古書足井とも書けり、〇中略〉 青墓里〈不破郡にあり〇中略〉 笠縫里〈安八郡にあり、昔此所往來の道にて、近き所に宿地と云所有、十六夜記曰、關よりかきくらしつる雨、しぐれに過てふりくらせば、道もいとあしくて、心より外にかさゐひのむまやと云所にとゞまる、〈永仁六年二月十八日の事也〉〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1306 結神〈安八郡西結村に鎭座なり〇中略〉 稻葉山〈厚見郡岐阜山なり、因幡山とも書けり、〉 古今集在原行平の歌に、立わかれいな葉の山の峯に生る松としきかば今歸りこん、此歌八雲御抄、範兼抄、名所和歌集に美濃と有、清輔抄因州と有、文徳天皇實録云、齊衡二年正月、從四位下在原朝臣行平爲因幡守云々、頓阿の井蛙抄云、因幡國司任の時にや詠じけん、おぼつかなし、二條家傳云、因州云々、季吟拾穗抄に曰、兩説なれども因州然るべし、此歌を本歌にして、後代美濃國稻葉山を讀る例多し云々、〈〇中略〉 伊津貫川〈席田郡西にあり〇中略〉 席田〈郡名なり、むかし此邊定家卿の知行所のよし、〇中略〉 船木山〈席田郡東境の上なり〇中略〉 宇留間〈各務郡鵜沼ともいふ、賣間市ともあり、〉 岩田小町〈各務郡岩田村なり、今は野なく薄有、芥見村の近所より山城國岩田小野はすみれきゞす讀り、みのは小薄眞葛原讀り、〇中略〉 日高杣〈其地不詳〇中略〉 月吉里〈土岐郡細久手の南也、此里より三日月影の白石出る、〇中略〉 土岐郡〈東美濃にあり〇中略〉 尾總橋〈方縣郡雄總村の南、長良川にむかしは橋有、〇中略〉 母山〈武儀郡大矢田村の山也 神道百首卜部兼邦の歌に、美濃國喪山とあり、後に母山と書けるか、〇中略〉 寢覺里〈池田郡片山村八幡村を寢覺郷又寢覺庄と云、片山鶯は春早く囀る也、寢覺の里の古歌、梅鶯擣衣とよめりと云々、小島のすさみに寢覺里此あたりと云也、〇中略〉 往來松〈厚見郡加納の西に有〉 松平丹後守光永加納の城にありし時、ゆきヽと名づけられ、同丹波守光煕寶永頃山城國淀城に移られし時、陪臣の人の歌に、 あけくれにながめしまつをふるさとの人の往來の便りにぞきく〈〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1307 南宮〈不破郡宮代に鎭座也、美濃國は東山道なれば、〇中略〉 伊吹明神〈不破郡伊吹村に鎭座也、野上より北へ入程近し、〇中略〉 今須〈不破郡にあり〇中略〉 山中〈不破郡山中村〇中略〉 鶯瀧〈不破郡山中村往來道の南かたわらにちいさき瀧なり、黒地川に隣れり、〇中略〉 黒地橋〈不破郡山中村黒地川有、川はゞせまけれど深き川也、〇中略〉 青野ケ原〈不破郡にあり、名所方角抄、秋寢覺に名所に入たり、〇中略〉 赤坂〈不破池田二郡にかゝる、秋寢覺にも名所に入、つゝじ紅葉月玉篠よめるとあり、〇中略〉 杭瀬川〈不破郡安八郡の境なり、赤坂の東に流るゝ川なり、昔はくいせ川、赤坂村邊より赤坂の東の川へ流るゝといへり、〇中略〉 美江寺觀音〈本巣郡美江寺宿也、後に永祿比より岐阜に安置、〇中略〉 江口〈方縣郡江口なり、長良川の流なり、〇中略〉 長良川鵜飼〈方縣郡〇中略〉 富士見柳〈安八郡林中村に、享保始頃まで大木あり、〇中略〉 管瀬川〈大野郡長瀬村邊にあり〇中略〉 花なし山〈惠那郡東村の山也、大井宿の近所なり、〇中略〉 關ケ原〈不破郡にあり、秋寢覺に名所に入たり〇中略〉 三津屋〈安八郡に有、俗にみつや北方と云によりて也、〇中略〉 小野長橋〈安八郡小野村の西に舊跡あり〇中略〉 藍川〈不破郡垂井驛の東に有〇中略〉 中川〈安八郡中川庄十三ケ村あり〇中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1308 結の里〈安八郡にあり〇中略〉 帷子山〈可兒郡〇中略〉 竈山〈土岐郡今戸村にあり〇中略〉 遠山〈惠那郡岩村の邊を遠山の庄と云〇中略〉 白雲水〈郡上郡山田庄宮瀬川の邊に泉あり、俗に宗祇水と云、紅葉ばの流るゝ龍田白雲の花のみよし野おもひ忘るな、といへる東野州の歌によりて白雲水と名付く、〉東野州常縁宗祇に古今傳授して、此所まで送り來り、和歌を詠じてあたへられし跡ゆへ宗祇水といへり、今金森兵部少輔臺近の領地たれば、永く世に傳んことを公卿にねがひて、其ことの葉を多くあつめて世に傳へり、 言の葉の道に結びし契をもつきぬ泉に殘す跡かな 光榮(烏丸從三位)

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1308 みのゝ國の歌枕の名所、その所はいづくともしらねども、こゝろにうかぶ事どもを筆、のつゐでにかきあつめ侍るべし、 まれにきてみのゝお山の松のうれのうれしさみにもあまのは衣 あま衣みのゝ中山こえ行ばふもとにみゆる笠ぬひの里 いのるぞよおさまるみ世をまつことはみのゝお山のひとつこゝろに 時鳥ね覺の里にやどらずばいかでか聞む夜半の一こゑ はゝきゞの梢有ともみえなくにたれをも山となづけ初けん 明くれはしげきうきみのわざみのに猶分まよふ夏草の露 五月雨のもみぢを染るためしあらば舟木の山のいかにこがれん 七夕の逢せは遠きかさゝぎのおぶさのはしをまづや渡らむ 東路のうるまのし水名をかへばしらじな旅にたつの市人 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1309 鳰鳥のすのまた川に月すめばあらはれわたる浪の下道 わかえつゝ見るよしも哉瀧の水老をやしなふ名にながれなば 席田を織物ならばしき浪やいつぬき川のたてとならまし いく千とせかぎらぬ御代は席田のつるの齡もしかじとぞ思ふ 蘆がきのまぢかき跡を尋ても小島の里にみゆきやはせぬ 世の人のあだを結ぶの神なりといのらば心とけざらめやは

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1309 諸國健兒〈〇中略〉 美濃國一百人〈〇中略〉 諸國器仗〈〇中略〉 美濃國〈甲六領、横刀廿口、弓卅張征箭卅具、胡簶卅具、〉

〔日本書紀〕

〈二十五孝徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1309 大化元年七月己卯、遣〈〇中略〉忌部首子麻呂於美濃國、課供神之幣

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1309 四年二月癸未、勅〈〇中略〉美濃、尾張等國曰、選所部百姓之能歌男女、及侏儒伎人而貢上、 十四年七月辛未、詔曰、東山道美濃以東、東海道伊勢以東諸國、有位人等、並免課役、 十月庚辰、遣百濟僧法藏、優婆塞益田金鐘於美濃、令白朮、因以賜絁綿布

〔續日本紀〕

〈三文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1309 慶雲四年五月癸丑、美濃國言、村國連等志賣、一産三女、賜穀四十斛乳母一人

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1309 養老元年八月甲戌、遣從五位下多治比眞人廣足於美濃國、造行宮、 九月甲寅、至美濃國、東海道相模以來、東山道信濃以來、北陸道越中以來、諸國司等、詣行在所、奏風俗之雜伎

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1309 養老元年九月丁未、天皇行幸美濃國、 戊午、賜從駕主典已上、及美濃國司等物差、郡領已下、雜色四十一人、進位一階、又免不破當耆二郡今年田租、及方縣務義二郡百姓、供行宮者租、 十一月癸丑、天皇臨軒、詔曰、朕以今年九月、到美濃國不破行宮、留連數日、因覽當耆郡多度山美泉、自盥手面、皮膚如滑、亦洗痛處、無除愈、在朕之躬、甚有其驗、又就而飮浴之者、或白髮反黒、或頽髮更生、或闇目如明、自餘痼疾、咸皆平癒、昔聞後漢光武時、醴泉出、飮之者、痼疾平癒、符瑞書曰、醴泉者美泉、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310以養一レ老、蓋水之精也、寔惟美泉即合大瑞、朕雖痛虚、何違天貺、可赦天下、改靈龜三年、爲養老元年、〈〇中略〉美濃國司、及當耆郡司等加位一階、又復當耆郡、來年調庸、餘郡庸、 十二月丁亥、令美濃國、立春曉挹醴泉、而貢於京都、爲醴酒也、

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310 養老二年二月壬申、行幸美濃國醴泉

〔續日本紀〕

〈十七聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310 天平勝寶元年十一月乙卯、於南藥園新宮、大嘗以因幡由機國、美濃爲須岐國

〔續日本紀〕

〈二十三淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310 天平寶字五年正月乙未、令美濃武藏二國少年、毎國二十人習新羅語、爲新羅也、

〔續日本紀〕

〈二十六稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310 天平神護元年十一月癸酉、先是廢帝既遷淡路、天皇重臨万機、於是更行大嘗之事、以美濃國由機

〔續日本後紀〕

〈三仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310 承和元年四月丙午、勅賜美濃國荒廢田空閑地五十町於諱、〈田邑〉

〔續日本後紀〕

〈七仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310 承和五年五月丁卯、美濃國言、古様弓弩不用、從加修理、何用之有、今須古様廿脚、更造新様四脚許之、

〔續日本後紀〕

〈十五仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310 承和十二年正月壬申、美濃國言、凡上下諸人、隨其位階、乘用人馬灼立條章、而貢御鷹馬、能膏、昆布、并沙金、藥草等、使或以遷替之國司、便宛綱領、或差浮遊之輩、令公乘、而公物有限、私荷無數、使等偏假威勢、不憲法、驛子無告訴、運送山谷、人馬斃亡、職此之由、望請除非貢御鷹馬、并四度使之外、諸使等、以初位已下子弟、被差宛之者、勅依請、

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1310 貞觀八年七月九日辛亥、先是尾張國言、奉太政官處分、堀開廣野河口、令舊流、而美濃國各務郡大領各務吉雄、厚見郡大領各務吉宗等、率兵衆歩騎七百餘人、襲來河口、毆傷郡司、射殺役夫、河水流血、野草霑膏、成功將畢、有此相妨、至是太政官下符美濃國司偁、〈〇中略〉又敺傷人、流血雖郡司之無状、抑亦國吏之失、靜而言之、理豈合然、宜早令堀開、又擅興兵衆、法禁是重、而數過七百、害及殺傷、須國亂首吉雄等、兩國司相共録死傷人數、依實言上、 廿六日戊辰、先尾是張國言、美濃國各

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1311 務郡大領各務吉雄、厚見郡大領各務吉宗等、作亂、〈〇中略〉太政大臣下知美濃國司、推糺吉雄等之犯過焉、

〔三代實録〕

〈三十六陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1311 元慶三年十二月五日庚寅、美濃國獲連理樹二

〔百練抄〕

〈四三條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1311 長和二年六月、美濃國異魚出來進其圖

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1311 文治二年六月九日乙卯、去四月之比、政道事殊可興行之趣、付議卿、令奏聞給了、勅答之條々、執職事目録、帥中納言被之、今日所到來也、 條々〈〇中略〉 一美濃國事 左廳申状等、行沙汰先了、子細追可仰也、〈〇下略〉

〔吾妻鏡〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1311 文治四年七月十三日丁未、美濃國郷々地頭押領事、能盛入道、爲保、成季等、所進折紙、 并 在廳勘状、同被下之、又美豆牧司申、本庄 并 高運島事、景時代官、不所當由事、可尋沙汰者、尋究可御下文之由云云、

〔吾妻鏡〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1311 文治六年〈〇建久元年〉四月四日丁亥、美濃國内地頭佐渡前司重隆、并堀江禪尼妨公領、爲汰其事、召使則國入部之處、菊松、犬丸等公文凌礫之由、依訴被尋下之間、二品殊令驚申給、其状内内可權中納言許之由云云、 召使則國申 爲美濃國菊松文末支犬丸公文延末、被礫則國身由事、 件兩公文等之所行、何遁罪科候哉、早以御使末支延末、可罪科候也、いかにも可御裁定候、於尼公地頭職者、不日令停廢、以他人改補候畢、〈〇下略〉

〔吾妻鏡〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1311 建久三年六月廿日庚申、美濃國御家人等、可守護相模守惟義下知之由被仰下云云、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1312 是爲洛中群盜等也、

〔吾妻鏡〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1312 建久五年閏八月十日丁卯、相模守惟義、賜美濃國中沒收地等云云、


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