http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 肥前國ハ、ヒゼンノクニト云ヒ、舊クハ、ヒノミチノクチト云フ、本ト肥後ト合シテ火國ト稱セリ、西海道ニ在リテ、東北僅ニ筑後筑前ニ界シ、他ハ皆海ニ面ス、東西凡ソ二十一里、南北凡ソ二十五里、其地勢ハ、東北山ヲ負ヒ、東南河ヲ帶ビ、西南海ニ突出シ、形錯雜ヲ極ム、而シテ其屬島ノ多キ、海内第一タリ、此國ハ古ヘ國府ヲ小城郡ニ置キ、基肄(キイ)、養父(ヤブ)、三根(ミネ)、神埼(カンサキ)、佐嘉(サガ)、小城(ヲギ)、松浦(マツラ)、杵島(キシマ)、藤津(フヂツ)、彼杵(ソノキ)、高來(タカク)ノ十一郡ヲ管シ、延喜ノ制、上國ニ列ス、明治維新ノ後、高來郡ヲ南北ニ、彼杵郡ヲ東西ニ、松浦郡ヲ東西南北ニ分割シ、凡テ十六郡ヲ置キシガ、後更ニ三根、養父、基肄ノ三郡ヲ合シテ三養基(ミヤキ)郡ト稱シ、新ニ佐賀、長崎ノ二市ヲ設ケ、而シテ佐賀縣ヲシテ、佐賀市及ビ佐賀、神埼、三養基、小城、東松浦、西松浦、杵島、藤津ノ八郡ヲ治セシメ、長崎縣ヲシテ長崎市及ビ東彼杵、西彼杵、南高來、北高來、南松浦、北松浦ノ六郡ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 肥前〈比乃三知乃久知〉

〔饅頭屋本節用集〕

〈比天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 肥前〈肥州〉

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 肥前〈非前(ヒゼン)〉

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 四月〈◯仲哀九年〉甲辰、北到火前國(○○○)松浦縣而進食於玉島里小河之側

肥國

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 伊邪那岐命、〈◯中略〉伊邪那美命、〈◯中略〉御合〈◯中略〉次生筑紫島、此島亦身一而有面四、毎面有名、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1046 故〈◯中略〉肥國謂建日向日豐久士比泥別、〈自久至泥以音〉

〔古事記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1046 さて肥國と云より十三字、今は眞福寺本及一本に依れり、此處舊印本、及延佳本、又一本などには、肥國謂速日別、日向國謂豐久士比泥別と作り、されど如此ては、上に有面四云々とある數に合ざれば、〈◯註略〉日向國の無き方ぞ古本なるべき、然るに右の如く、日向國の加はりたる本は、舊事紀に依て、後入のさかしらに改めたる物とこそ思はるれ、〈舊事紀に右の如くあるなり、其は此記を取て記すとて、日向の無きを疑ひて、かの日向日とある亦名を其として、下の日字を國に改め、その下に謂字を補ひて、豐久士比泥別、を其日向國の亦名とし、又然爲るときは、肥國の亦名、建一字になりて足ざる故に、次の熊曾國の亦名に效ひて、日別二字を加へ、又さては熊曾のと全同じき故に、建を速に改めつる物なり、凡て彼書は、かくさまのさかしらいと多し、されど上の有面四とあるには心つかで、其をば改めずて、僞の顯れたるぞをかしき、◯中略〉抑日向國の此に入らざることは、上代に其地は、なほ肥國と熊曾國との内にありて、未タ別に一國には立ざりしなどの傳なるべし、

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1046 肥前國者、本與肥後國合爲一國、昔者磯城瑞籬宮御宇御間城天皇〈◯崇神〉之世、肥後國益城郡朝來名峯、有土蜘蛛打猴頸猨二人、帥徒衆一百八十餘人、拒捍皇命、不降伏、朝廷勅遣肥君等祖健緒組一レ伐之、於玆健緒組奉勅悉誅滅之、兼巡國裏察消息、到於八代郡白髮山、日晩止峯、其夜虚空有火、自然熛稍々降下就此山燎之、時健緒組見而驚怪、參上朝廷奏言、臣辱被聖命、遠誅西戎、不刀刅、梟賊自滅、自威靈何得之、更擧燎火之状奏聞、天皇勅曰、所奏之事、未曾所一レ聞、火下之國、可火國、即擧健緒組之勳、賜姓名、曰火君健緒純、便遣此國、因火曰火國、後分兩國、而爲前後、又纒向日代宮御宇大足彦天皇、〈◯景行〉誅球磨贈於而巡狩筑紫國之時、從葦北火流浦、發船幸於火國、度海之間日沒、夜冥不所著、忽有火光遙視行前、天皇勅棹人曰、直指火處、應勅而往、果得崖、天皇下詔曰、何謂邑也、國人奏言、此是火國八代郡火也、但不火主、于時天皇詔群臣曰、今此燎火非是人火、所以號火國、知其爾由

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1046 火國造 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1047 瑞籬朝、〈◯崇神〉大分國造同祖志貴多奈彦命兒遲男江命定賜國造

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1047 十八年五月壬辰朔、從葦北船到火國、於是日沒也、夜冥不岸、遙視火光、天皇詔挾抄者曰、直指火處、因指火往之、即得岸、天皇問其火光處曰、何謂邑也、國人對曰、是八代縣豐村、亦尋其火、是誰人之火也、然不主、玆知人火、故名其國火國

〔西遊記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1047 しらぬ火 筑紫の海に出るしらぬ火は、例年七月晦日の夜なり、むかしより世に名高き事にて、今も九州の地にては、諸國より此夜は集り來りて見る事なり、〈◯中略〉夜半にもなりしかど、知らぬ火のさたなし、今年はじめて見る人は、今宵はいかなる事ぞ、知らぬ火は出ざるや、但しはそらごとなりやなど口々にいふ、予〈◯橘南谿〉もあやしみ居たりしが、八ツ近きころに、遙向ふに波を離れて、赤き色の火壹ツ見ゆ、暫して其火左右にわかれて、三ツになるやうに見へしが、それより追々に出る程に、海上竟(わた)り四五里ばかりが間に、百千の數をしらず、明らかなるあり、幽なるあり、滅るあり、燃る有、高き有、低き有、誠に甚見事にして目をおどろかせり、其火の色皆赤くして、灯燈の火を遠くのぞむが如し、たとへば大坂の天神祭りを夥敷集て見るに異ならず、實に諸國より來り見るもいたづらならず、所の人に問ふに、年によりて、多きことも少き事も定らずとぞ、今年はすぐれて多く出たるも、予が幸ひといふべし、廣き海中に出る事なれば、天草に限らず、肥後地よりも何れの浦にても皆よく見ゆるなり、しかれどもいかなるわけにや、高山にのぼる程多く見事に見ゆるとて、此山なども群集せるなり、

〔古事記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1047 肥後、〈◯中略〉肥後風土記には、〈◯中略〉國人の對奏せる語は、此是火國八代郡火邑、但未火由とありて、于時詔群臣曰、燎之火非俗火也、火國之由知以然とあり、〈火邑は、和名抄に肥後國八代郡肥伊、是なるべし、〉是等を合て思ふに、火てふ名は、國にまれ邑にまれ、既く崇神天皇の御世に始りしなりけり、さて此

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1048 も二國に分れたり、和名抄に、肥前、〈比乃美知乃久知〉肥後〈比乃美知乃之利〉とあり、わかれたるは何の時とも知れず、書紀神功卷に、火前國と見ゆ、後に火と云ことを忌て、肥字には改しなるべし、〈和胴六年五月の詔に、諸國郡郷名著好字とあり、此時改まりしか、されど此記に既に肥字を書れば、彼より前に改まるか、但中卷に火君とあれば、本はこヽも火字なりけむを、後人の肥に改しにや、其例外にも見ゆ、上に筑紫島を有面四と云て、肥國を其一に取れり、然るに國圖を考るに、肥前と肥後とは海の隔りて地接かず、正しく二に分れたれば、面一ツには取がたき國形なり、故考るに、右に引る書紀又風土記などの、火國の故事は、地名に依るに、皆肥後國の地なり、然れば肥國といひしは、初はたヾ肥後方のみにて、肥前の地は、本は筑紫國の内なりしが、やゝ後に肥國には屬しにやあらむ、肥前は筑前筑後と地接きて、此三國は面一にも取つべき國形にて、肥後とは清く離れたればなり、されど此らは上代の事、さだかには辨へがたしたゞ試みに驚しおくのみなり、〉さて日向の域も、北方半國ばかりは、もとは此肥國の内なりけんを、〈肥後と日向とは、面一に取つべき地形なり、〉やヽ後に分れて一國にはなれるなり、

〔比古婆衣〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1048 火國名號景行天皇の御船火國に著たる故事 肥前肥後の本名を火國と云る由縁は〈◯中略〉書紀景行天皇十八年の下に、〈◯中略〉此時に國名を定給へる由に記されたるは、謬傳に依られたるなり、〈◯中略〉始て國名を定給へる由にはあらず、〈知以然、また知其爾由と書る文に意を著べし、〉其は前に崇神天皇の火國と號給へる事をば知食つれど、その事の由をばいまだよくも尋ね給はで、そのかみ火國と號給ひしは、如此る神火の事の由によりて號給ひつらむと、をりにあひてふとなほざりに詔ひたりしなるべし、さるを書紀に云々、故名其國火國と記されたるは、そのかみその御なほざり言にすがりて、まがひたる謬説のありけるを正しあへずして、其説によられたるものなるべき事、上に擧て論らひたるごとく、崇神天皇の御世に國名を定給ひたると、景行天皇の火光を覽そなはして云々と詔給へると、兩度の差別、兩國の風土記の傳相併に合ひて、いと明らかなり、〈◯中略〉 因に云、肥前肥後とも一國なりし由、風土記に相共に記して、肥前なるは健緒組の古事をいへる文に連ねて、後分兩國前後といへり、肥後なるも然ありけむを、今本書世に傳はらざれば知ら

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1049 れず、かくてその二國に分たれし事は、他書どもには見へず、さてその前後の國號の古く書に見へたるは、神功紀に火前國松浦縣、推古紀に肥後國葦北津と記されたり、但しこは後の號を古にめぐらしていへる傳へによりて、書されたらむも知られねど、日本紀撰記されたる養老の頃より、はやく前後に分たれりし事は著し、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1049 各國經緯度〈附里程〉 肥前佐嘉、〈呉服町〉極高三十三度一十五分、經度西五度二十二分、從小倉〈長崎街道〉二十八里一十三町、 三百一十一里二十町五十六間〈◯從東都〉 肥前島原、〈堀町〉極高三十二度四十七分半、經度西五度一十九分、從小倉〈長崎街道自錬子沿海〉六十三里二十一町半、 三百四十六里二十九町二十七間半〈◯從東都〉 肥前長崎、〈爐粕町〉極高三十二度四十五分、經度西五度四十八分半、從小倉〈長崎街道〉五十七里零町半、 三百四十里八町二十九間半〈◯從東都〉 肥前野母村、極高三十二度三十五分、經度西五度五十五分半、從小倉〈同上自長崎大波戸沿海〉七十六里二十八町、 三百五十里四間半〈◯從東都〉 肥前呼子浦〈中町〉極高三十三度三十二分半、經度西五度四十九分半、從小倉〈自長崎街道木屋瀬福岡唐津〉三十六里二十二町、 三百一十九里二十九町四十八間〈◯從東都〉 肥前平戸、〈本町〉極高三十三度二十三分半、經度西六度一十分、從小倉〈同上自福岡伊万里日野浦渡海〉五十一里三十四町半、〈内渡海直徑二十四町〉 三百三十五里六町三十五間〈◯從東都〉 肥前五島福江、〈濱町〉極高三十二度四十一分半、經度西六度四十九分、從小倉〈長崎街道自長崎大波戸渡海〉九十里二十七町半〈内渡海直徑二十三里二十七町〉 三百六十三里三十五町二十九間半〈◯從東都〉 肥前五島玉浦、〈深浦〉極高三十二度三十八分、經度西七度二分半、從福江〈街道至大濱沿海歴富江〉一十里二十六町

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 半、〈此地本邦極西〉 三百七十四里二十五町五十二間半

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 北極出地 肥前 佐賀 三三度一五分〇〇秒 島原 三二度二七分三〇秒 長崎 三二度四五分〇〇秒 大村 三二度五四分三〇秒 平戸 三三度二二分三〇秒 唐津 三三度二七分〇〇秒 名古屋 三三度三三分〇〇秒 福江 三二度四三分三〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈◯中略〉 肥前 佐賀 西五度二四分〇〇秒 平戸 西六度〇九分三三秒 長崎 西五度四八分三〇秒 五島 西六度四八分◯◯秒

疆域

〔萬國夢物語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 肥前州ニ至、此國東ハ筑前筑後ニ連リ、其外ハ皆海ニテ、土地五六方ヘ尖出、海ノ入込色々ニアリ、氣候暖國也、夏暑熱強シ、

〔日本地誌提要〕

〈六十九肥前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 疆域 東ハ筑後、北ハ筑前及海、西南及西ハ海ニ至ル、東西貳拾壹里、南北凡貳拾五里

島嶼

〔日本實測録〕

〈十一島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 肥前國佐嘉郡 實測 大中島周廻一里三町一十八間半、 藤津郡 實測 竹崎村、周廻一里一十二間、 高來郡 實測 兎島、周廻四町三十四間、 三ツ島、〈又呼大島〉周廻一十町一十九間半、 湊島、〈島原村〉周廻六町三十九間、 中ノ小島、〈島原村〉周廻二町 馬島、周廻一十五町九間半、 惠比須島〈島原村〉周廻二町一十四間、 平島〈島原村〉周廻三町二十五間、 岡高島、周廻四町一間半、 大中島、周廻二町四十六間、 磯高島、周廻一町四十六間、 沖島、〈島原〉周廻二町五十二間半、 沖高島周廻二町五十間、 長島、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 〈島原村〉周廻四町四十一間半、 出外レ島、周廻二町七間、 茂七島、周廻二町一十三間、 木場島、周廻三町三十間、堂崎島、周廻五町六間、出口石島周廻二町四十九間半、 横島、〈島原村〉周廻三町四十六間半、 水島、周廻一町四十間、 沖杵島、周廻三町三間半、 杵島、周廻六町三間、 中南島、周廻二町五間、 三ツ島上ノ島、周廻一町三十六間、 三ツ島下ノ島、周廻一町二十五間、 中ノ島、〈安徳村〉周廻一町一十一間、 岡ノ島、周廻一町四十二間半、 三ツ島大島、周廻五町三十間、 總兵衞島、周廻一町五十一間半、 三ツ島南島、周廻一町五十三間半、 三ツ島中島、周廻五十七間、 天草島、周廻一町一十四間、 南島、周廻五十九間半、 北島、周廻一町五十間、 横島、〈安徳村〉周廻二町五十一間半、 天草南島周廻一町三十一間半、 湊島、〈安徳村〉周廻四町五十九間、 〈從島原村湊島安徳村湊島、寛政四年壬子四月、山崩入海而所成之島嶼也、〉 手先島、〈又呼琵琶島〉周廻一十三町四十間、 手先島、〈又呼三味線島〉周廻七町二間、 上島、周廻一十二町四十間、 前島、周廻七町二十七間、 牧島、周廻二里一十八町一十七間半、 津島、周廻四町一十二間、 辨天島、周廻四町三十一間半、 樺島、周廻二里四町二間半、 遠測 目島 棚島 三ツ島〈又呼沖島〉 三ツ島〈又呼沖島〉 ソナレ磯 石島〈島原村〉 舟津瀬 中島口ノ瀬 馬島 有馬瀬 小中島 茂七島〈小〉 無名島〈島原村〉 埋瀬 草島 南大島 甲島 小中島 沖石島 中瀬 出口島 界瀬 三ツ島瀬 若葉山瀬 兜島 ヘタ山 中ノ小島 極樂瀬 石瀬〈安徳村〉 〈從石島石瀬、寛政四年壬子四月、山崩入海而所成之島嶼也、〉 小島〈南串山村〉 鹽瀬 甲岩 立瀬 甲瀬〈樺島〉 一ツ瀬 中ノ島 樺瀬 甑瀬 貝瀬 仁兵衞瀬 五太夫瀬 唐船瀬 彼杵郡 實測 松島、周廻三里二十三町四十間、西泊三十二度五十六分、 加喜ノ浦島、周廻六里一十三町二十八間、加喜ノ浦三十三度一分、 〈從大アボ土井之浦徑測七町、從鯨瀬ノ元雨見浦徑測二町九間、從内鍬田浦外鍬田浦徑測二町九間、〉平島、周廻四里一十四町一十八間、平島浦三十二度五十九分半、〈從黒崎磐泊徑測二町二十四間〉 針尾島、周廻一十六里一十八町五十六間、針尾村江下三十三度四分半、〈從針尾村江下クレ石谷、徑測九丁四十八間、 從針尾村大田渡口、徑測六町四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1052 〈十九間、從針尾村大崎浦大崎越、徑測五丁、從針尾村宮之浦江上村里、徑測一十六丁一十八間半、 從江上村飽之浦有福生島、徑測二十二丁四十五間、 從江上村小瀬戸大浦、徑測一十一丁四十五間、 從針尾村古里北濱、至古里、徑測五丁三十六間 從針尾村先針尾小名倉、徑測八丁五十四間、〉 上二子島 周廻四町五十八間半 鷹島 周廻三十三町四十七間半〈從前濱遠見番所、二丁二十四間、宮崎岬廻三丁一十間半、〉 飛鳥〈宮島〉周廻四町五間、 雀島、周廻二町三十六間、 野島、周廻六町五十九間、 ホケ島、周廻三町三十九間、 黒島、〈鷹島〉周廻四町五間半、 横島、〈大籠村〉周廻二町五十五間、 香燒(カウヤキ)島、〈又呼島村〉周廻三里三十町四十間、〈ケンキウ岬廻二丁四十二間〉 沖ノ島、周廻一里六町一十九間、 伊王島、周廻一里一十七町一十六間半、 カンタイ島、周廻四町三間、 ケンキウ島〈從南岬北岬〉五十六間、 辨天島〈又呼女島〉周廻二町、 眉島、周廻一町六間半、 野牛(ヤキ)島周廻六町三十四間半、 佐世婦島、周廻一町五十二間半、 陰ノ尾島、周廻一里五十九間、 四郞ケ島、周廻四町二十四間半、 中ノ島、〈小嘉倉村〉周廻五町三十三間、 松島、〈小嘉倉村〉周廻四町一十四間半、 高鉾島、周廻六町五十間半、 獨空島、周廻一町三十五間、 神ノ島、周廻二十九町三十一間半、 山神島、周廻二町二十五間半、 鼠島〈浦上村〉周廻四町三十八間、 神樂島、周廻一十六町二十四間、 母子島周廻六町四十間、 大蟇島、周廻二十一町一十六間、 小蟇島、周廻三町四十九間、 池島、周廻一里二十八間、 福島〈瀬戸村〉周廻一里二十町一十七間、 櫛島、周廻一十五町三十四間半、 五郞ケ島、周廻三町二十三間半、 燒島、〈瀬戸村〉周廻一十町四十四間、 地小島、〈板ノ浦〉周廻三町一十七間半、 柳ノ小島、周廻四町五十八間半、 無田島、周廻九町八間、 小島、〈加喜ノ浦島〉周廻三町一間半、 崎戸島周廻一里二町一十間、〈從前濱後濱徑測二丁〉 御床島、周廻一十六町三十一間半、 大立島周廻一十八町五十二間、江ノ島、周廻二里一十四町九間、〈從七郞濱番岳、三丁三間〉 惠比須島〈江島〉周廻三町二十五間半、 大島、周廻七里一十間半、〈從前濱後濱、徑測二丁一十二間、〉 大子島〈大島〉周廻一十六町二十二間、 岩島、周廻二町二十七間半、廉島、周廻二町五十二間半、 崩島、〈從北岬南岬〉三十間、 苺(イチゴ)島、周廻四町九間、 寺島、〈大島〉周廻一里二十一町四間半、 片島、〈大島〉周廻九町一十三間、 中ノ島、〈大島〉周廻一十一町三十七間半、 端島周

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1053 廻五町五十六間、 鉢小島、周廻二町一十七間、 淨上島、周廻二町一十五間、 矢筈島、周廻六町一十五間、 長島、〈八木原村〉周廻九町四十七間半、 塔島、周廻三町二十一間、 千鳥島、〈八木原村、從東岬西岬、〉一町二十四間、 燒島〈八村原木〉周廻四町一十七間、 前島、〈大串村〉周廻八町九間、 赤松島、周廻九町四十間、 笋島、周廻二町一十一間半、 竹島、周廻二十四町一十八間半、 神邊島、周廻一十三町四十四間半、三島、周廻一十四町三十七間半、 前島、〈大 大串村〉周廻三町、 前島、〈中〉周廻一町四十四間、 前島、〈小〉周廻一町二十四間半、 橘島、周廻二町二十間半、 沖ノ裸島、周廻四町三十二間半、 地ノ裸島、周廻五町四十一間、 滿切島周廻二町三十間、 池島、〈大串村〉周廻二町三十間、 大田島、周廻一十一町五十二間、 大寢島、周廻四町五十七間、 高島、〈大串村〉周廻一十三町一間、 燒島、〈形上村〉周廻五町五十間、 小島、〈大 形上村〉周廻六町四十六間、 小島、〈小 形上村〉周廻三町一十二間、 イガ島、周廻一町五十三間半、 居島、周廻一十八町三十三間、 鵜瀬島、〈形上村〉周廻一里三十七間半、 大小島、〈長浦村〉周廻五町六間 黒島、〈時津村〉周廻七町二十二間、 寺島、周廻三町五十五間、 辰島、周廻一十八町二間、 燒島〈長浦村〉周廻四町四間、 グキク島、周廻六町、 前島、〈西海村〉周廻三十一町五十七間、 二島、〈水與村〉周廻九町五十八間、 高島、〈時津村〉周廻一十七町一十間、 清水島、周廻六町二十六間、 加島、〈大〉周廻一十三町二間半、 加島〈小〉周廻八町一十間半、 鹽屋島、周廻一町四十八間、 葉島、〈喜々津村〉周廻二町二十五間、 臼島、周廻一十一町一十七間、 辨天島、〈臼島、從南岬北岬〉一町五十六間、 カラウ島、周廻五町二十六間半、 箕島、周廻一里二十二町一十六間、 赤島、〈箕島、從南岬北岬、〉一町五十六間、 鹿島、〈郡村、從東岬西岬、〉一町四十八間、 中洲、〈川棚村〉周廻二町三十間、 片島、〈川棚村〉周廻七町四十二間、 瀬戸島、〈川棚村〉周廻一十五町四十八間、 戸尺岬、周廻一十一町五間、 横島、〈江ノ上村〉周廻八町三十間、 大島、〈江ノ上村〉周廻三十二町四十五間半、 兎島、〈江ノ上村〉周廻五町一十二間、 鼠島、〈日宇村〉周廻二町二十六間、 高島、〈日宇村〉周廻一十一町七間、 釘島周廻一十町五十三間、 大森島、周廻三町五十七間、 日之原岬、周廻四町五十五間、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1054 ヱイノ岬、周廻六町二十三間、 クラ島、〈佐世保村〉周廻五町四十二間、 福石山、周廻四町三十二間、 蛇島、〈佐世保付〉周廻五町三十三間半、 遠測 小立神 大立神 田子島 三瀬〈大〉 三瀬〈中〉 三瀬〈小〉中ノ島〈中濱村〉 端島 離瀬〈鷹島〉 下二子島〈鷹島〉 鹿ノ子島 大瀬〈深堀村〉 小島〈伊王島〉 笠瀬〈深堀村〉大瀬 平瀬〈深堀村〉 松島〈香燒島〉 ビシヤコ島 裸島〈深堀村〉 女神島 明岩島 五郞江島 鬼塚辨天島〈土井頸村〉 裸島〈浦上村淵〉 身投岩 沖獨空島 千鳥瀬 小四郞島 地ヒサコ島 野島〈福田村〉白瀬〈式見村〉 松島〈式見村〉 黒瀬〈三重村〉 小島〈陌刈平村〉 龜甲島 西大瀬〈大〉 西大瀬〈小〉 ヲラヒ瀬 地相撲島 沖相撲島 頭島 角瀬 鬢島 宮ノ小島 沖小島 親島 女島〈瀬戸村〉 姥島 二子島大〈多良井村〉 二子島〈小〉 鯨瀬〈崎戸島〉 兜瀬 妹瀬〈崎戸島〉 蟹瀬〈加喜ノ浦島〉 小立島〈加喜ノ浦島〉 色瀬 丸瀬〈江ノ島〉 相瀬 南瀬 黒島〈沖 江ノ島〉 與吾島 黒島〈地〉〈江島〉 西小島 岳小島〈大〉 岳小島〈小〉 魚瀬 小瀬〈江ノ島〉 金頭瀬 燗鍋島 小島〈平島〉 崎瀬〈大 平島〉 崎瀬〈中〉 崎瀬〈小〉 名乘瀬 カラ島 横島〈寺島〉 蓬萊島 蛸島 野島〈大島〉 三ツ子島〈大 大島〉 三ツ子島〈中〉 三ツ子島〈小〉 赤瀬〈大多和村〉 蜂振瀬 裸島〈大島〉 前島〈大島〉 黒瀬〈大島〉 小島〈大 大島〉 小島〈小 大島〉 蟹瀬〈大島〉浮瀬〈大島〉 玉子島 沖安甫島 地安甫島 有毛島 ハケ島 横島〈大串村〉 藥鑵島 小田島 布瀬〈地〉 布瀬〈中〉 布瀬〈大〉 布瀬〈小〉 赤島〈大 形上村〉 赤島〈小 形上村〉 赤瀬〈形上村〉 小島〈形上村〉前島〈形上村〉 末島 天狗島 鵜島〈形上村〉 亂瀬 鵜瀬〈形上村〉 下鹽垂(シタレ)島〈大〉 下鹽垂(シタレ)島〈小〉 上鹽垂島 赤瀬〈小口浦〉 辨天瀬〈小口浦〉 七百瀬 惠美須瀬〈長浦村〉 小島〈長浦村〉 裸島〈長浦村〉 トウノ瀬 竹島〈壹岐カ村〉 北島〈喜々津村〉 中ノ島〈喜々津村〉 サウケ島 辨天島〈川棚村〉 羽島〈又搔葉島〉 鉢島 小島〈佐世保村〉 小島〈針尾村〉 惠美須島〈針尾村〉 遠測〈彼杵郡松浦郡〉相ノ島 松浦郡 實測 福江島、周廻六十里一十三町四十二間半、福江濱町、三十二度四十一分半、大濱村、三十二度三十九分、富江濱之町、三十二度三十七分、富江村黒瀬、三十二度三十六分、玉之浦大寶村、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1055 三十二度三十五分半、同深浦三十二度三十八分、玉之浦荒川村、三十二度四十分、 〈從深江酒屋町波戸場、至深江村三尾町、一十丁一十九間半、 從深江村三尾野寺山、九丁一十二間、從三尾野街道大濱村、一里一十五丁三間、從寺山街道山内村荒川村、四里一十七丁二十一間、又從寺山街道岐宿村川霧、二里三丁四十四間、 從田尾村街道山内村、一里二十五丁二間、從山内村松山小梅、二十七丁二十八間、從富江富江村黒瀬、二十七丁三十間、從大寶村佐夕目浦、徑測九丁九間、從荒川村中須河原浦、徑測一十丁、從荒川村大地坊濱街道山内村及三本松岐宿村川霧、三里一十三丁四十五間、從貝津村沿川至濱畔村、一里八丁五十五間半、從川原村内織浦街道奈切從、二十四丁五十七間、 從川原村岐宿村三本松、七丁五十七間半、從唐船浦村戸岐首、徑測六丁九間、從奥浦村加志浦大泊浦、徑測四丁一十三間半、〉 黄島、周廻一里九町二十四間半、黄島浦、三十二度三十三分半、 久賀島、周廻一十三里四町二十四間、田之浦、三十二度四十六分半、〈從前濱田之浦、徑測四丁三十六間、〉 樺島、周廻五里二十九町一十一間、北樺島村、三十二度四十六分、 中通島、周廻六十二里二十四町三十間、榎津村、三十二度五十九分、有川村、三十二度五十九分半、同友栖、三十三度三十秒、 〈從似首村奈摩村、徑測五丁四十八間、從魚之目浦青方村、徑測一十二丁廿四間、從有川村蛤濱太之浦、徑測一十八丁九間、從有川村茂串濱蛤濱、徑測三丁一十二間、有川村徑測二丁五十六間、從道上肥村今里村、徑測一十七丁一十四間、從道上肥村濱野浦、徑測一十二丁五十九間、從青方村奈摩村徑測一里一丁一十四間、中串岬廻四丁三十四間半、干切崎廻三丁一十四間、棹岬廻七丁二十三間、〉 小値賀(ヲヂカ)島、周廻七里二十七町二十一間、笛吹浦、三十三度一十二分、〈從笛吹浦濱宿所三丁六間 從小値賀村柳村、徑測廿六丁四十八間、從江川友尻浦、徑測五丁廿四間、〉 宇久島、周廻八里三十四町二十七間、平村、三十三度一十六分半、神浦(カウノウラ)村、三十三度一十六分半、 〈從深江島、至宇久島五島、〉 黒島、〈平戸島〉周廻二里三十二町三十八間、本村、三十三度八分半、〈從黒島濱大鹿山四丁〉 平戸島、周廻四十三里二十間、平戸本町、三十三度二十二分半、川内浦、三十三度二十分半、紐指村、〈又呼下方〉三十三度一十七分半、津吉村、三十三度一十二分半、 〈從平戸本町街道中野村原方、一里一十二丁七間、 從中野村原方安滿嶽、一里七丁四十四間、從中野村原方街道糸屋村、三里三十一丁、從白濱浦平戸七丁、從中野新田街道、六丁三十六間、從紐指村濱宿所五丁九間、 津吉浦徑測二丁三間 從津吉浦糸屋村古田、廿三丁三十一間半、從宮之浦福良浦、徑測七丁五十四間、從浦志自岐村志自岐神社、一十八丁一十四間、 從志自岐浦街道糸屋村古田、至古川口、三十二丁一十二間、 從呂立浦蘆浦、徑測七丁一十二間、 高鉾岬廻四丁五十六間 從薄香浦平戸本町、一十二丁廿一間、從曲田助田助浦、徑測五丁廿六間半、長崎廻六丁五十六間、 從平戸當盤町、至白岳一里一丁四十四間、〉 生屬(イキツキ)島、周廻六里二十六町二十三間、生屬浦一部、三十三度二十四分、〈從前濱後濱徑測三丁四十二間〉 大島、〈又呼的山大島〉周廻八里一十七町七間半、神(ゴフ)ノ浦、三十

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1056 三度二十九分、〈從神浦鰐口浦、徑測一十三丁五十九間、從洲岬曲崎、二丁廿六間、〉 鷹島、周廻一十里二十一町四十六間、阿翁浦、三十三度二十七分半、〈阿翁浦徑測七丁三十八間、〉 榮螺島、周廻一里二十八町一間、 赤島、〈崎山村〉周廻二十八町四十一間、 小板部島、周廻六町五十五間、 大板部島、周廻一十七町四十七間、 黒島、〈富江村〉周廻一里二町四十二間、 元小島、〈富江村〉周廻二町八間、 太郞島、周廻一十九町二十六間、 竹ノ小島、周廻二町三間、 和島、周廻一十三町一十四間、 津多羅島、周廻三十一町三十九間半、 島山島、周廻四里一十六町四間、 辨天島、〈玉浦、從北岬南岬、〉一町九間、 小島、〈荒川村〉周廻九町五十三間、 權現島、周廻二町一十五間、 嵯峨島、周廻二里二町一十七間半、〈從前濱後濱徑測四丁〉 姫島、〈岐宿村、從東岬西岬、〉八町五十一間、 黒小島、〈白石村〉周廻二町五十間、 寺小島、〈白石村〉周廻四町二十二間半、 地焚小島、〈從南岬北岬〉一町四十五間、沖焚小島、周廻四町一十三間半、 前小島、〈岐宿村〉周廻一十七町五十一間、 大小島、〈奥浦村〉周廻四町二十六間、 小島、〈奥浦村〉周廻四町四十五間、 多々羅島、周廻一里五町三間半、 屋根尾島、周廻一里一町二十四間半、 竹ノ子島、〈六方村〉周廻一十六町一十間、 庖丁島、周廻八町五十六間、 辨天島、〈久賀島、小、〉周廻三町三十九間、 辨天島、〈久賀島〉周廻二町二十三間、 前小島、〈又呼蕨小島〉周廻一十一町五十五間、津婦羅島、周廻二里八町三十五間、 押通小島、〈從西岬東岬〉四十二間、 大小島、〈又呼樺島椎木島〉周廻一十一町三間、 中小島、〈樺島〉周廻六町二十八間、 二子島〈樺島、從南岬北岬〉五町六間、 奈留島、周廻一十七里七町九間半、〈篝火崎廻一十六丁四十九間〉 前小島〈奈留島〉周廻三十三町五十二間半、 元末津島、周廻一十一町三間、鵜小島、〈奈留島〉周廻九町四十九間、 葛島、〈奈留島〉周廻一里五十四間、 矢ノ小島、周廻九町五十六間半、 舅島、周廻七町一十一間半、 相之島、〈日之島〉周廻一十三町四十九間半、 有福島、周廻一里二十五町五間半、 日之島、周廻一里二十町九間半、 龍宮島、〈漁生島〉周廻三町五十三間、 漁生島、周廻一里三町四十八間半、 若松島、周廻一十九里一十町一十四間、〈從若松村前濱貝木浦、徑測一十八丁二間半、〉 田之子島、周廻三十四町一十八間、 離小島、〈若松島〉周廻一町三十二間、 ヘボ島〈若松島〉周廻六町四十九間半、 桂

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1057 島、〈宿野浦村〉周廻三十一町五十四間、 裸島〈宿野浦村〉周廻三町三間、 外籠、周廻五町三十四間半、 荷(ニナヒ)島、周廻五町三間、 大鹿島、周廻三町三十七間、 霧ノ小島、周廻一十一町四十三間、 荒島、周廻二十町九間半、 上ケシヨク島、周廻二町五十八間、 下ケシヨク島、周廻三町二十四間、 アサ丸島、周廻二十二町五十六間、 下中島、周廻一里九町七間半、 上中島、周廻二十八町九間半、 經島、〈又呼經尾島〉周廻六町五十四間、 松中島、周廻一十町五間、 ヤツノフ島、周廻九町三十九間、 コンテイ島、周廻二町一十四間、 ヤク丸島、周廻五町五間、 ヒキレ小島、〈荒川村〉周廻四町四十五間、 藏小島、〈荒川村〉周廻一十二町二十八間、 串ノ島、〈荒川村〉周廻二里九町七間半、 柏島、〈荒川村〉周廻一十一町三十間、折島、周廻二十四町二十四間、 祝言島、周廻一里三十一町四十三間半、 下六(シモム)島、周廻一十四町五十二間、 小島、〈小串村〉周廻六町一十三間、竹ノ子島、〈榎津村〉周廻六町四十間、 上神島、周廻四町三十間、 下神島、周廻四町一十六間半、 野案中島、〈又呼沖案中島〉周廻一十一町一十一間、 山案中島、〈又呼邊田案中島〉周廻一十町一間、 轆轤島、周廻一十七町三十八間、 頭島、周廻一里三十三町四十六間半、 神山島、周廻五町二十七間半、 上子島、周廻七町三十六間、 畑島、〈有川村〉周廻一十一町一十間、 野崎島、周廻四里一十町三十間、〈從野首白濱、徑測六丁一十五間、〉 六島、周廻二十七町五十四間、 黒島、〈小値賀島〉周廻二十五町四十四間半、 小黒島、〈小値賀島〉周廻九町二十八間、 ウヽ島、周廻一十七町五十間、 大島、〈小値賀島〉周廻三十四町二十八間、 乙子島、周廻六町五十間、 コロ島、周廻一十二町九間、 藪路木(ヤブロキ)島、周廻三十町二十間、 赤島、〈小値賀島〉周廻一里三町二間半、 班島、周廻一里一十五町八間半、 納島、周廻一里一十二町三十四間、 手羅島、周廻二里一町八間半、〈從前濱後濱徑測五丁九間〉 北小島、〈手羅島〉周廻四町一十九間、 東小島、周廻四町五間、 ノリ瀬、周廻七町一十九間半、 前小島、〈宇久島〉周廻六町二十八間、 松ケ岬、周廻五町三十六間、 〈從榮螺島松ケ岬、稱五島、〉 長碆島、〈相神浦村〉周廻三町四十七間、 滿切島、〈長碆島〉周廻三町三十二間、 枕島、周廻五町三十九間、 苞(ツト)島周廻二町一間、 地小島、〈相神浦村〉周廻六町二十間、 中小

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1058 島、〈相神浦村〉周廻四町四十九間、 沖小島、〈相神浦村〉周廻四町八間、 〈從地小島沖小島、總稱黒小島、〉 斧落(ヨキオトシ)島周廻四町一十二間、 高岩島、周廻五町三十間、 子抱島、周廻五町四十七間、 小島、周廻二町二十六間、 〈從斧落島小島、總稱ウケ島、〉 小島、〈土井ノ浦〉周廻二町三十四間、 宮ノ小島、〈土井ノ浦〉周廻二町三間、 ヤスカ島、周廻三町五十二間、 マノカ島、周廻一町四十四間、 シヤウノ島、〈又呼松浦ケ島〉周廻二里六町三十八間、 滿切島、〈シヤウ島〉周廻三町一十一間、 ラキノ島、周廻四町三十六間、 兎島、〈相神浦村〉周廻一町四十一間、 大深島、周廻二町五十九間、 小島、〈相神浦村〉周廻五町三十九間、 牧島、周廻一里四町二十一間、 カツラ島、〈牧島〉周廻一十五町九間、 元島、〈相神浦村〉周廻二十四町四十二間、〈從東濱干切岬三丁三間〉鳥巣島、周廻八町四十八間、 アトウケ島、周廻三町二間半、 目干婆岬、周廻六町一十五間、 竹ノ子島、〈相神浦村〉周廻二町二十一間、 モトクリ島、周廻五町三十三間、 蛇島、〈賤津浦〉周廻五町二十一間、 カナシゲ島、周廻一十五町一十四間、 ベヾ島〈從北岬南岬〉一町五十一間、 惠比須島、〈相神浦村〉周廻五町三十間、 燒島、〈相神浦村〉周廻一十一町二十二間、 大船島、周廻六町二十九間、 鶴ノ子島、周廻一十町四十二間、 中瀬戸島、周廻一十一町、 棚方惠比須島、周廻四町三十八間、小島、〈相神浦村アサル浦〉周廻三町二間、 下小高島、周廻一十七町五十一間半、 離島、〈下小高島、從南岬北岬〉二町一十八間、 上小高島、周廻三十二町三十六間半、 トウノ小島、周廻七町三十間、 黒島、〈又呼相神浦村船頭島〉周廻六町八間、 上皆島、〈相神浦村〉周廻四町五十五間、 下皆島、〈相神浦村〉周廻四町三十五間、 高島、周廻四里一十二町三十二間、〈從前濱後濱、徑測三丁一十二間、〉 ノンテ島、周廻二町一十一間、 小島、〈高島〉周廻三町四十間半、 カウノ小島、周廻七町三十四間、 イ島、周廻一十七町一十八間、 樫ノ木島〈小〉周廻二町四十九間、 樫ノ木島、〈大〉周廻三町三間、 樫ノ木島、〈中〉周廻一町三十六間、 トコイ島、周廻三十一町二十間、 滿切島、〈大 トコイ島〉周廻四町四十一間、 滿切島〈小 トコイ島〉周廻三町、 メハル島、〈又呼ナカ島〉周廻二町一十一間半、 エイノ島、周廻三十町三十二間半、 牧ノ島、〈相神浦村〉周廻三十三町四十四間、 汐一升島〈又呼小島〉周廻二町一間、 小島、〈牧ノ島〉周廻一

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 町五十九間 カキ島、周廻一十一町四十七間〈從カキ島滿切岬、二丁四十五間、〉 竹島、〈大 相神浦村〉周廻八町四十九間、竹島、〈小〉〈相神浦村〉周廻一町五十二間、 前島、〈佐々村〉周廻一十六町五十二間、 野島、〈相神浦村〉周廻一十五町一十六間半、 大淺島、周廻二十三町三十八間、 小淺島、周廻一十一町九間、 海賊島、周廻一十六町二十八間、 前島、〈相神浦村〉周廻三十二町一十二間、 源五郞島、周廻一町四十九間、 横島、〈又呼九子島〉周廻六町九間半、 ヒトニ島、〈又呼シト子島〉周廻三町四十一間、 麥島周廻五町五十九間、 赤島、〈大島〉周廻一十六町四十一間半、 小赤島、周廻八町五十六間、 大島、周廻八町五十六間半、 小島、〈大島、從南岬北岬〉三十八間、 丸小島、〈鹿町村〉周廻二町二十九間、 ミスコ島、周廻一十二町一十六間、 忠六島、周廻五町三間 忠六小島、周廻五町三十三間、 ノウ黒島、周廻二十町四十四間半、 フナトウカ島、周廻七町二十一間 半藏島、周廻一十七町三十六間、 無名瀬、〈鹿町村、從南岬北岬、〉五十四間、 烏帽子小島、〈從南岬北岬〉一町六間、 小島、〈半藏島、從北岬南岬、〉三十間、 大島、〈鹿町村〉周廻三十一町一十二間、 彌太郞島、周廻五町四十二間、 臼島、〈鹿町村〉周廻六町四間、 杵島、周廻三町五十一間半、 白水小島、周廻二町一間、鯨瀬小島、周廻一町三十五間、 ヱボ島、周廻二町二十九間、 小島、〈鹿町村〉周廻二町一十間、 大鹿島、周廻二十七町一十六間、 大次郞島、周廻九町二十八間、 氷島、〈大〉周廻三町三十六間半、 氷島、〈小 從南岬北岬〉五十四間、 島頭島、〈地〉周廻七町九間半、 島頭島〈沖〉周廻一十九町二十六間、 小野島、〈從北岬南岬〉五十四間、 小島〈島頭島地〉周廻三町二十二間半、 離小島、〈同上、從南岬北岬〉四十二間、 田子島、〈大〉周廻一町五十六間、 田子島、〈小 從北岬南岬〉二十四間、 地クヅ島、周廻六町一十七間、沖クヅ島、周廻一十五町四十八間、 坊主岩島、周廻二町五十二間半、 海士泊(アマトマリ)島、周廻一十一町四十一間、 ツラレ島、〈從北岬南岬〉一町二十五間、 小島、〈海士泊島〉周廻二町三十間、 黒子島、〈平戸村〉周廻六町一十七間半、 平小島、周廻三町三十六間、 鬼子島、周廻二町二十七間、 江ノ小島、周廻七町一十三間半、 黒ケ島、〈又呼上ヤギ島〉周廻一十町八間半、 野島、〈又呼下ヤギ島〉周廻一十二町二十八間、 若宮島、周廻四町一十八間、 上枯木島、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 周廻二町四十四間、 下枯木島、周廻一十二町一十五間、 トヤクノ島、周廻二十一町九間 高島〈又呼御下高島〉周廻二十六町二十五間、 中ノ島、〈又呼中江ノ島〉周廻一十二町一十一間、 三島、〈浦志目岐村〉周廻三町四十八間、 頭ノ島、周廻一十六町四間、 上海馬島周廻一十四町二十六間半、 下海馬島、周廻九町一十二間、 眞立島、周廻七町二十九間半、 竹ノ子島、〈糸尾村〉周廻五町四十八間、 立場島、周廻六町三十八間、 竹ノ子島、〈獅子村、從東岬西岬〉三町二十一間、 中江野島、〈從東岬西岬〉四町二十四間、 田原島、〈又呼觀音島〉周廻三町五十七間半、 唐子島、周廻二町三十七間、 小島〈平戸村〉周廻二町一十間 兀(ハゲ)島、周廻二町三十二間、 度島、周廻三里三町五間、 〈瀬崎廻三丁五十間、從中原浦イブ田、徑測六丁九間、〉 横島、〈度島〉周廻一十四町一十九間、 飯盛島、周廻九町一十九間、大小島、〈大島〉周廻六町二十五間、 二神島、周廻一十八町六間、 横島、〈釜田浦〉周廻二十町二十四間半、 小島、〈御厨村大崎〉周廻一町四十五間、 松島、〈豐鹿村〉周廻六町三十三間、 青島、周廻一里一十八町五十七間、 伊豆島、周廻七町四十九間、 松崎島、周廻五町二十四間、 ヒキレ島、〈志佐村〉周廻一町一十五間、 長崎島、周廻三町二十九間、 惠美須崎〈舊呼ハル島〉周廻三町四間、 ヲコノ島、周廻一十五町一十三間、 黒島、〈鷹島〉周廻一里五町二十五間、 柺島(ヲウユ)〈鷹島〉周廻三町二十一間、 所島、周廻二町四間、 濱ノ小島、周廻三町二十八間、 松島、〈鷹島從北岬南岬〉三十三間 竹ノ子島、〈鷹島〉周廻四町一十二間、 二島、〈大鷹島〉周廻三町四十三間 一島〈小〉周廻三町一十五間、 大飛島、周廻二十九町四十一間半、 小飛島、周廻一十六町二間半、 蛇島、〈今福村〉周廻二町四十九間半、 福島、周廻一十里一十四町五十八間〈大岩岬廻一町五十七間〉 竹ノ子島〈福島〉周廻二町五十一間、小鼻瀬、〈又呼通瀬〉周廻三町一十一間、 ミナセ島、周廻二町四間半、 小ミナ瀬、周廻二町三十一間、 白岳島、周廻一町三十八間、 十郞島、周廻七町五十八間、白岳岬〈福島〉周廻三町一十一間、 ヘゴ島、周廻四町八間、 野島、〈福島〉周廻三町一十三間、 牛島、周廻八町三十一間、 コセ島、周廻三町五十二間、 東ノ坊、周廻三町二間、 中ノ坊、周廻五町二間、 西ノ坊、周廻三町三十五間、 〈從東ノ坊西ノ坊、總稱〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1061 〈坊ケ崎、〉 ミナ島、〈福島〉周廻八町三間半、 タケクラベ島、周廻三町四間、 鵜瀬〈福島〉周廻三町六間半、 カツラ島、〈大 福島〉周廻一十三町一十九間、 男島、周廻二町三十四間、 カツラ島、〈小〉〈福島〉周廻二町一十三間半、 小島、〈久原村〉周廻六町一十九間、 甑島、周廻四町四十二間、 針島、周廻一十一町二十七間、 七ツ島、〈一〉周廻三町三間、 七ツ島、〈二〉周廻八町一十八間、 七ツ島、〈三〉周廻五町一十六間 七ツ島、〈四〉周廻三町四十六間半、 七ツ島、〈五〉周廻四町三十七間、 七ツ島、〈六〉周廻三町四十五間、 七ツ島、〈七〉周廻二町二十一間半、 小島、〈七ツ島〉周廻二町一十五間、 金剛島、〈鹽屋村〉周廻二十町三十六間、 金剛瀬、〈鹽屋村〉周廻三町一十五間、 沖小島、〈福田村〉周廻三町二十五間、 釜蓋瀬〈福田村、從西岬東岬、〉四十八間、 地小島、〈福田村從北岬南岬、〉三十間、 茅島、周廻三町一十四間、 雀島〈福田村、從北岬南岬、〉三十六間、 汐井崎島、〈又呼鹽入島〉周廻三町一十四間、 滿切島〈福田村〉周廻四町二十間、 竹ノ島、〈煤屋村〉周廻三町二十九間 大島、〈煤屋村〉周廻三町五十六間 沖島、〈煤屋村〉周廻三町五十二間半、 大瀬島、〈畑津岬〉周廻二町三十六間、 小島、〈杉之浦〉周廻六町五十三間、 帆立島、〈又呼帆立山〉周廻一十七町五十八間半、 島山、周廻一十町一十四間、 牛島、〈入野村〉周廻四町五十三間、 向(ムク)島、周廻二十町一十八間、 馬渡島、周廻二里一十六町一十六間、 竹之子島〈鶴牧村〉周廻一十一町三間、 丸瀬島、〈寺浦村〉周廻七町三十六間、 ワナレ島、周廻一十一町一十八間、 佛島、周廻八町四十六間、 藤島、周廻三町三十一間、 幸福島、周廻二町、二間、 三島、〈假屋浦〉周廻二町三十九間、 辨天島、〈横竹村〉周廻一町一十九間、 二子島、〈横竹村〉周廻一町一十三間、 鷹島〈加部島、從北岬南岬、〉四町、 加部島、〈又呼田島〉周廻二里二町三十二間、 松島、〈加唐島、從西岬縊至北岬〉二十四町三十六間、〈從西岬縊、徑測五丁一十八間、〉 加唐島、周廻二里一十四町四十九間、〈從江口沿江至大泊浦、三丁三十六間、〉 小川島周廻三十二町四十六間、〈從納屋場竹之岬三丁四十二間〉 神集(カシハ)島、周廻一里一十一町二十七間、〈從西岬宮崎、七丁一十二間、〉 大島、〈唐津村〉周廻一里一町五十六間、 鳥島、〈同上〉周廻五町五十間、 高島、〈鏡村〉周廻二十七町二十一間、 遠測 トノモ瀬 トビ岩〈大〉 トビ岩〈小〉 館瀬 平瀬〈崎山村〉 立瀬〈大〉 立瀬〈中〉 立瀬〈小〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1062  立瀬〈地〉 大毛通瀬 枇榔島 島原瀬 切瀬 大白瀬 小白瀬 鯨瀬〈津多良島〉 山見瀬〈大〉 山見瀬〈中〉 山見瀬〈小〉 布瀬〈琴石村〉 二子瀬〈地 琴石村〉 二子瀬〈沖琴石村〉 苫瀬 美良島 立神瀬〈玉ノ浦〉 立瀬〈島山島〉 里瀬〈島山島〉 倉小島 二合半島 タハミ瀬 宮小島 鴨瀬〈一唐船浦村〉 鴨浦〈二〉 鴨瀬〈三〉 鴨瀬〈四〉 鴨瀬〈五〉 鳶小島 小島、〈土岐首村〉 赤小島〈土岐首村〉 辨天小島〈興津村〉 本能瀬 尻小島〈大方村〉 小島〈六方村〉 觀音小島〈同上〉 鵜瀬〈六方村〉 鳥小島〈榮螺島〉 干切岬〈同上〉 黒瀬〈久留島〉 飛小島〈久留島〉 中ヲコ瀬〈中〉 中ヲコ瀬〈中〉 中ヲコ瀬〈小〉 三ツ瀬〈大〉 三ツ瀬〈中〉 三ツ瀬〈小〉 池ノ小島 平瀬〈樺島〉 草島 辨天島〈奈留島〉 小島〈同上〉 ノウ瀬 ケブタ瀬 沖瀬〈奈留島〉 先末津島 七ツ山小島 鳥小島 セキカ島 釜蓋瀬 ヒツロ瀬 黒瀬〈若松島〉 沖ノ瀬〈同上〉 地裸瀬〈同〉 セシリ瀬 昆布瀬 烏帽子瀬〈有福瀬〉 天神島〈漁生島〉 鵜瀬〈若松島〉 彌五郞蹵上島 本久島 コウブツ小島 地小島〈飯野浦村〉 沖小島〈同上〉 笹ノ瀬〈同上〉 土居小島 ミサコ瀬〈男島〉 カナワ瀬 平瀬〈濱之浦〉 錦島 裸瀬〈濱之村〉 タノム瀬 女瀬〈祝言島〉 百貫瀬〈同上〉 ツボケ島 錠瀬〈立串村〉 ミサコ瀬〈津和崎村〉 小島〈同上〉 裸島〈津和崎村〉 丹瀬 壁瀬 松ケ崎〈一ツ瀬〉 マヽコ瀬 長瀬〈浦村〉 黒瀬〈浦村〉 鏡島 祖父君瀬 源五郞島 中瀬〈有川村〉 小瀬〈同上〉 白瀬〈有川村〉 前小島〈同上〉 中小島〈同上〉 沖小島〈同上〉 百貫瀬〈岩セ浦村〉 女瀬〈同上〉 野首瀬 男瀬〈岩セ浦村〉 ヒル瀬 高瀬〈岩セ浦村〉 鹿瀬 三ツ瀬〈岩セ浦村〉 鵜瀬〈上浦村〉 立瀬〈上浦村〉 平瀬〈岩セ浦村〉 見付島 長瀬〈奈良尾村〉 中瀬〈同上〉 鈎瀬〈同上〉 ケブク島〈野崎島〉 黒碆〈野崎島〉 裸島〈六島〉 三ツ瀬〈小値賀島〉 ホケ島〈同上〉 貝瀬〈小値賀島〉 平島〈同上〉 ヒリヤウ島〈同上〉 藏島〈同上〉 帆上瀬〈小値賀島〉 廣瀬〈同上〉 ウケヤ島 十瀬 相瀬〈宇久島〉 鴨瀬〈同上〉 二ツ瀬〈同上〉 古志岐瀬〈大〉 古志岐瀬〈中〉 古志岐瀬〈小〉 深瀬〈宇久島〉 黒母瀬〈又呼コロモ瀬〉 〈從トノモ瀬黒母瀬島嶼、屬五島、〉 鞍懸島〈相神浦村〉 ヲチカ島〈同上〉 大日島 トシヤク島 小島〈越船島〉 割石島 深代島子タキ島 ツイテ島 小島〈船越島〉 大瀬〈同上〉 平瀬〈同上〉 小島〈鳥巣島〉 帆瀬〈相神浦村〉 蛇島小島 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1063 白瀬〈相神浦村〉 竹ノ子島〈相神浦村〉 鯨島〈同上〉 タコ頭島 母島 ウチ瀬〈高島〉 下上ケ瀬 小柱岩 西柱岩 平瀬〈黒島〉 小島〈烏頭島〉 トコイ瀬 千鳥島〈牧島〉 篠瀬〈竹島〉 コウゴ瀬 千鳥瀬〈小佐佐村〉 琵琶瀬〈同上〉 バツチ瀬〈小佐々村〉 横瀬ケ島 石白瀬 三體島 浮瀬〈前島〉 平瀬〈ヒトニ島〉 六ツ瀬 地中瀬〈鹿町村〉 沖中瀬〈鹿町村〉 小島〈犬島〉 一杯島 烏帽子小島〈田島〉 ビクニ瀬 烏帽子瀬〈臼島〉 障子島 松瀬 メノ瀬 鯨石〈深月浦〉 白瀬〈田平村〉 大田助瀬 小田助瀬 裸瀬〈紐差村〉 御神島 ヲイトリ島 無名島〈浦志自岐村〉黒碆〈頭浦〉 千鳥瀬〈浦志自岐村〉 早フク瀬 小アシカ島 瀬子島 丸子島〈糸島村〉 長江岩 ニルギ瀬 沖瀬〈根獅子村〉 セノ平瀬 カブシ碆 獅子小島 圓(ツブラ)岩 平瀬〈生屬島〉 鯨島〈生屬島〉 鵜瀬〈古江〉 鯨瀬〈同上〉 裸瀬〈同上〉 大瀬〈同上〉 ギヲン瀬 中高瀬 五貫島 加戸島 立瀬〈平戸村〉 杵瀬〈横島〉 タカゾリ島 羽島〈度島〉 貝瀬〈大島〉 小島瀬〈大島〉 小二神島 カラウ瀬 廣瀬〈日野浦〉 兀島 長ス島 杓子島〈志佐村〉 ホケ島〈志佐村〉 干切島〈同上〉 岩島〈同上〉 車瀬 松瀬〈調川村〉 小島〈同上〉 佛島〈鷹島〉 コボ瀬 貝瀬〈鷹島〉 笠瀬〈飛島〉 五郞島 赤岩〈福島〉 松島〈福島〉 立木島 兄弟島 小島〈福島〉 新次郞カ島 トウノ瀬 横島 千裡島 地ノヒサゴ瀬〈福島〉 マキ子瀬 沖ノヒサゴ瀬〈福島〉 小タキ瀬 小瀬〈カツラ島〉 鳥瀬〈同上〉 辨天島〈久原村〉 團子島 小島地〈福田村〉 七ツ小島 赤島〈福田村〉 小島〈同上〉 雀島〈福田村〉 釜蓋瀬〈同上〉 日割瀬 音ケ瀬 ヘタノ赤瀬〈滿越村〉 沖ノ赤瀬〈同上〉 沖小島〈高串村〉 帆立瀬〈田野浦〉 小松島〈田野浦〉 大松島〈同上〉 赤瀬〈納所村〉 木瀬 烏帽子瀬〈向島〉 獺ケ瀬〈同上〉 平瀬〈馬渡島〉 雷瀬 大瀬〈馬渡島〉 小竹島〈寺浦村〉 ウケヤ島 王子島 ケサ島 鳥之巣 裸瀬〈假屋浦〉 離疊 ヒサゴ瀬〈假屋浦〉ワクトウ瀬 中岬〈濱野浦村〉 平瀬〈同上〉 小松島〈松島〉 セ瀬 カキ瀬〈松島〉 ツシマ島 ユヽノヲ瀬 黒瀬〈加唐島〉 臼島〈呼子島〉 女瀬〈小川島〉 尼形瀬 平瀬〈呼子島〉 兜岩〈神集島〉 弖張岩 鎧岩 山姥瀬 惠比須岩〈妙見浦〉 松浦岩

〔肥前風土記〕

〈松浦郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 大家島(○○○)〈在郡西〉 昔者纒向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡幸之時、此村有土蜘蛛、名曰大身、拒皇命降伏、天皇勅命誅滅、自爾以來白水郞等、就於此島宅居之、因曰大家島、島南有窟、有鍾乳及木蘭、廻縁之海、蚫、螺、鯛、雜魚、及海藻海松、多之、 値嘉島(○○○)〈在郡西南之海、有烽家三所、〉 昔者同天皇巡幸之時、在志式島之行宮、御覽西海、海中有島、煙氣多覆、勅遣陪從阿曇連百足之、島有八十餘、就中二島、島別有人、第一島名小近(○○)、土蜘蛛大耳居之、第二島名大近(○○)、土蜘蛛垂耳居、自餘之島、並人不在、於玆百足、獲大耳等奏聞、天皇勅且令誅殺時、大耳等叩頭陳聞曰、大耳等之罪、實當極刑、雖戮殺、不罪、若降恩情、得再生者、奉御贄、恒貢御膳、即取木皮、作長蚫、鞭蚫、短蚫、陰蚫、羽割蚫等之様、獻於御所、於玆天皇垂恩赦放、更勅云、此島雖遠猶見近、可近島、因曰値嘉島、則有檳榔、木蘭、梔子、木蓮子、黒葛、篁篠、木綿、荷莧、海則有蚫、螺、鯛、鯖、雜魚、海藻海松、雜海菜、彼白水郞當於馬牛、或有一百餘近島、或有八十餘近島、西有船之停二處、〈一處名、曰相子之停、應二十餘船、一處名、曰川原浦、應一十餘船、〉遣唐之使、從此停發、到美彌良久之濟、〈即川原浦之濟是也〉從此發船指西度之、此島白水郞、容貌似隼人、恒好騎射、其言語異俗人也、

〔儀式〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 十二月大儺儀〈◯中略〉 事別〈天〉詔〈久〉、穢〈久〉惡〈伎〉疫鬼〈能〉所々村々〈爾〉藏〈里〉隱〈布留乎波〉千里千里之外、四方之堺、東方陸奧、西方遠値嘉(○○○)、南方土左、北方佐渡〈與里〉乎知〈能〉所〈乎〉、奈牟多知疫鬼之住〈加登〉定賜〈比〉行賜〈氏、◯下略〉

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 天平十二年十一月戊子、大將軍東人等言、〈◯中略〉以今月三日、差軍曹海犬養五百依發遣、令逆人廣嗣之從三田兄人等二十餘人、申云、廣嗣之船、從知駕島發、得東風往四箇日、行見島、船上人云、是耽羅島也、于時東風猶扇、船留海中、不進行、漂蕩已經一日一夜、而西風卒起更吹還船、〈◯中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 〈略〉遂著等保知駕島(○○○○○)、色都島(○○○)矣、

〔三代實録〕

〈二十八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 貞觀十八年三月九日丁亥、參議太宰權帥從三位在原朝臣行平起請二事、〈◯中略〉其二事、請令肥前國松浦郡庇羅値嘉兩郷、更建二郡、號上近下近、置値嘉島、曰、撿案内、元有九國二島、至于天長九年、停多褹島大隅國、是只貢百領鹿皮、費三萬六千餘束稻之故也、今件二郷、地勢曠遠、戸口殷阜、又土産所出、物多奇異、而從委郡司、次令聚斂、波上之民、厭私求之苛、切欲輸於公家、總是國司難巡撿、郷長少權勢之所致也、加之地居海中、境隣異俗、大唐新羅人來者、本朝入唐使等、莫不經歴此島、府頭人民申云、去貞觀十一年、新羅人掠奪貢船綿等、其賊同經件島來、以此觀之、此地是當國樞轄之地、宜令長、以愼防禦、又去年或人民等申云、唐人等必先到件島、多採香藥、以加貨物、不此間人民觀其物、又其海濱多奇石、或鍛練得銀、或琢磨似玉、唐人等好取其石、不土人、以此言之、不委以其人之弊、大都皆如此者也、望請、合件二郷、更建二郡、號上近下近、便爲値嘉島、新置島司郡領、任土貢、但其俸料、擧定正税公廨之間、令任肥前國權官、於是公卿奏議曰、臣聞、聖人濟世、以便物爲先、明王馭民、以宜爲貴、今行平所請上件二條、漸欲風浪運漕之費封疆任土之規以祥矣、臣等伏以、〈◯中略〉合兩郷一島事、苟謂公、豈期柱、請隨其所一レ陳、將以改置、謹録事状、聽天裁、奏可、

〔北條九代記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 弘安四年、今年七月、大元賊徒自宋朝高麗、數千艘船寄來、數日漂對馬海上、而後群集肥前國鷹島(○○)之處、同卅日夜、閏七月一日大風、賊舟悉漂、倒死者不幾千萬

地勢/地味

〔易林本節用集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 肥前、〈肥州〉上、管十一郡、南北五日、土厚種生百倍桑柘農衣厚、魚鳥備食、中上國也、

〔西遊雜記〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 肥前は、南方は海濱までも廣々とせし田所にて、上々國の風土也、北は山連りて、筑前の國につヾけり、九州にては肥前の國は上方とも稱し、見分せる所、風土上國と見ゆれども、民家の模様宜しからず、宿々間の町々にても、家宅甚見苦敷、神崎といふ驛は、此邊の市中にて、神崎千軒とむかしよりも稱せる町にて、商人も數多にて、家作も大概よき所なれども、間々貧家の至て

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066 見にくき家居交りなし、是等も國風と思ひ侍りき、地の利如何と心付見しに、五穀は勿論、瓜西瓜をはじめ、菜類となるものは、何にても他國よりも出來立よく、菓物はいふに及ばず、草木のそだち迄もあしからぬ國也、然るに貧家の多きいかならんと所々にてさぐり聞しに、當國には大一といふて、福引に似て博奕よりも甚惡敷事の流行せるよし、此故を以て風俗までも古しへにかはりて、民家の體如此といひき、又云ふ、運上にて領主より御免とも聞し、〈◯中略〉 肥前の國は、爰へも彼所へも入海ちまたの如く、海と海との方を僅計切ぬきなば、舟通しの出來すべき所見ゆ、天へ上りて一眼に見おろしなば、地圖も委敷、入海々々の様も正敷記すべきに、一度位の通行にては、此國の地利はしりがたく、十にして其一を記す也、海は中國筋の入江よりも深し、

〔佐藤元海九州記行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066 抑當國〈◯肥前〉ハ、鎌倉時代ヨリノ舊領ニテ、西ハ海上トハ雖ドモ、小大ノ島數甚ダ多ク、凡ソ三十里程ノ間ニ散在シ、魚鹽ヲ始メ、物産ノ利頗ル大ナリ、東方陸地ハ五十町路ニテ、方七八里、土地亦極テ膏腴ナリ、且又當國ノ山ニハ水氣甚多ク、山頂マデモ水田ヲ開キ、稻ヲ作ルベシ、白垔赤垔モ多キヲ以テ、陶器ヲ燒キ出スモ極テ便ニ、石炭膏風多シ、薪炭ニ究スルノ患ヒ無シ、實ニ富豐ナルベキ國ナル哉、

〔日本地誌提要〕

〈六十九肥前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066 形勢 東北山ヲ負ヒ、東南河ヲ帶ビ、地勢二支ヲ分チ、西南海ニ突出ス、其西北一支、平戸島トナリ、五島群嶼ニ連ル、其南方一支、更ニ兩腋ヲ分チ、左ニ鯛浦ヲ抱キ、右ニ佐賀灣ヲ擁ス、灣ノ北方平衍、土壤肥沃九州ニ冠タリ、物産豐饒民俗巧慧頗ル狡猾ニ流ル、氣候極暑九拾六七度、極寒四拾度、

道路

〔日本實測録〕

〈七街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066豐前國小倉街道長崎〈◯中略〉 肥前國基肄郡宮浦村〈至荒穗神社二十六丁三十間〉 二十八町四十八間 田代宿昌元寺町〈至筑後國御原郡小郡町十三丁二十間、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 〈從小郡大靈石神社、二十二町四十三間半、又從小郡下岩田村、二十四丁一十一間、〉 一十一町三十六間半 田代宿三十三度二十三分、 一町二十七間〈◯此間有墨滅〉 二十七町二十間 養父郡轟木町 一里二十二町二十六間半 三根郡姫方村中原驛、三十三度二十分半、 一里一十四町四十二間 神崎郡吉田村 一十一町一間半 田手村 二十二町五十四間 神崎町、三十三度一十八分半、一里一十九町三十二間 境原町 一里九町四十五間半 佐嘉郡佐嘉呉服町、三十三度一十五分、 五町五十八間 同白山町〈至北村駄市川原一里二十八丁一十五間半〉 二十町四十一間〈至佐嘉城大手前二十丁一十四間〉 佐嘉長瀬町本庄川岸〈沿本庄川中原村、一里一十八丁五十間、〉 一里三十二町一間半 小城郡牛津町〈至横町二丁五十四間、北極高三十三度一十五分半、〉 一十一町五十間 同新町 一里一十二町三十六間 杵島郡山口村郷松 一十四町九間 上小田町、三十三度一十三分、 一里二十四町三十三間 志久村邊田〈至北方町二十五丁三十七間、從北方河良村三十五丁二間半、從河良武雄村西山村、三十二丁三十三間、從西山藤津郡下村、二里二十二丁四十二間、〉 七町一十二間 蘆原村新橋分、三十三度一十二分半 二里三十一町九間 藤津郡鹽田町 三町四十二間 馬場下村 二里八町二十七間半 下村 一十九町三十四間 嬉野村、三十三度六分、 二里三十町三十六間 彼杵郡彼杵村彼杵町、三十三度二分、 一町四十三町 同本町 二十三町四十八間 千綿(チハタ)村千綿浦 一十三町三十九間 同駄地 一十六町一十八間 江串村 三十一町一十八間 郡村松原 六町四十七間 郡村馬場、〈又呼今津驛〉三十二度五十八分半、 二里三十五間 大村本町四町目、三十二度五十四分半、 一町四十一間 同三町目 二町二十五間半 同一町目 一町五十三間半 同田町通 二里二十六町三十一間 高來(タカク)郡榮田村永昌宿 一十町二十六間 小船越村、三十二度五十分半 七町二十一間 同追分〈至船越村梅津二十七丁四十四間〉 四町一十六間 貝津村 三里八町一十九間〈至井樋尾峠一里九丁五十八間〉 彼杵郡矢上町 一十八町四十二間 高來郡日見村、三十二度四十五分、 一里一十八町二十一間〈至日見峠一十八丁九間〉 彼杵郡長崎新大工町〈歴出來鍛冶屋町大浦、二十一丁二十六間、〉 二町一十間 同南馬町〈歴外〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 〈浦町大波戸、一十丁五十六間半、從大波戸、歴五島町大黒町限、一十丁四十四間、〉 二十四間 同南馬町馬場〈至天神社五丁三間〉 二十六間半同爐粕町、三十二度四十五分、〈至諏訪明神社五十七間半〉 〈從小倉長崎〉街道、通計五十七里一町二十間半〈◯中略〉 從筑前國木屋瀬福岡及唐津名古屋〈◯中略〉 肥前國松浦郡淵上村玉島川口〈沿川至南山村神功皇后社、二十四丁四十七間、〉 五町五十七間 濱崎浦、三十三度二十七分 一町二十一間 濱崎村橋本町〈至玉島川岸六丁三十二間〉 五町五十一間 同西町〈歴鏡村山本村、二里六丁五十三間半、〉 四町四十二間 同虹之松原 三十四町一十九間半 滿島 四町四間 同松浦川岸〈沿川至松原三丁一十八間、〉 六町二十九間 同滿渡 七町一十間〈至唐津新堀松浦川渡直徑五丁三十一間〉 唐津大石町 八町三十二間 同中町 一町三十間 同刀町、三十三度二十七分、 二町三十六間 同西寺町〈至西濱五丁二十七間〉 三十六間半 同坊主町 三十四町四十二間 佐志村 三十一町五十七間 馬部村(マノハマリ)〈至呼子浦一里三十一丁三十二間〉 一里三十町三十間 名古屋村野本 五町二十一間半 同野本川岸 一十三町一十二間 名古屋村、三十三度三十二分、 一町六間 同城山遠見番所前〈至名古屋串浦一十六丁三十三間〉八町四十二間 名古屋浦 〈從木屋瀬名古屋〉街道、通計三十里三十四町五十七間〈◯中略〉 從筑前國麁原川上及小城平田〈◯中略〉 肥前國神崎郡三瀬山村、三十三度二十六分半、 三里七町五十七間〈至茶屋峠一里一十九町三十九間〉 佐嘉郡西松瀬山村三反田、三十三度廿一分半、 一里一十九町 川上村都渡木〈歴總座村北村駄市河原、一十八丁一十二間、〉一町二十一間反、同川上社前、三十三度一十九分半、 一十七町一十五間 東山田村立石〈至北村駄市河原一間十一町五十七〉 一里二十三町五十四間 小城郡岡村小城下町 三十四町〈至小城陣屋前三丁六間〉 楠ケ里村〈至牛津新町二十八丁二十八間〉 一里一十三町五十一間 別府村 二里二十二町三十三間 松浦郡嚴木(キウラキ)村 一里三十五町四十八間 馬場村〈舊呼相知村〉 一里三十四町一十五間 山本村 五十一間 養母田村〈至唐津大石町一里一十九町三十七間半〉 一里八町三十八間半 徳末村〈歴府招村今嶽村、三里三十二丁四十七間半、〉 二里

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 一十一町四十五間 大川野村 一里五町三十間 杵島郡桃川村宿山〈歴本部村川古川上村、二里四十七間半、從川上北方町、二十七丁五十二間、又從川上河良村、二十四丁一十三間半、〉 二町二十四間 桃川村、三十三度一十六分半、 一里三十四町三十六間 松浦郡今嶽村 一十二町二十間半 伊万里上土居町〈至下町三十三間、北極高三十三度一十六分半、〉 一十六町三十四間半 大里村有田川口 一町二十一間 同小屋田 三里三十四町六間〈至大里村白幡七丁五十一間半〉 今福浦滑榮(ナメリハエ) 二十四町三十四間半 今福村 九町二十一間 今福浦 三十四町一十二間半 調川(ツキノカハ)村上觸大坪川岸〈沿川至海岸、八丁〉 二十八町二十七間 志佐村志佐川岸 一里一十四町三十九間 御厨村中野〈至御厨浦札塲四丁四十八間半〉 一里〈二ノ〉十九町一十間 田平村米之内〈從麁原田平〉街道、通計三十八里二町一十六間、 從肥前國大里早岐日野 肥前國松浦郡大里村小屋田 二里七町五間 曲川村黒郷〈至早岐村二里二十四丁二十七間半〉 三十町一十二間 外尾村 三里二十六町六間 彼杵郡川棚村川棚川岸 三町三十九間 川棚村、三十二度五十八分半、二里一十七町一十九間半 早岐村小森橋南頭 九町二十九間半 同早岐浦中町、三十三度八分、 一町五十四間 同宮之下 一十七町三十間 日宇村田之浦 一里四町三十三間 日宇村里〈沿杉尾川海岸、三丁四十五間、〉 一里一十町五十八間半 佐世保村、三十三度一十分半、一里三十一町四十二間 松浦郡相神浦村中里〈至相神浦川岸一十八丁一十二間、從川岸賤津浦七丁二十一間、〉 一里二十七町九間 佐々村〈沿佐々川海岸、六丁四十間半、〉 二里五町四十五間 江迎村二股川岸 一里二十二町五十三間半 田平村米之内 二十一町五十六間 日野浦 〈從大里日野〉街道、通計一十七里五町五十三間、〈◯中略〉 從肥前山口六角及鹿島濱町 肥前國杵島郡山口村郷松 三十三町二十間 六角中郷村川岸〈沿六角川郷司給村住江、一里三十四丁二十七間、〉 九

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1070 町一十五間 六角中郷村、三十三度一十一分半、 一里三町六間 邊田村〈至稻佐一十一丁一十五間〉 二十四町四十五間 室島村、三十三度八分、 一十三町四十五間 深浦村百貫 一十八町四十六間 藤津郡中村殿橋〈至馬場下村原町、三十丁四十六間半、〉 八町三間 鹿島、三十三度七分、 一里四町〈至鹿島陣屋前、七丁五十二間、〉 濱町〈從山口濱町〉街道、通計五里七町、

〔日本實測録〕

〈六沿海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1070薩摩國鹿兒島沿海至長崎〈◯中略〉 肥前國佐嘉郡徳富村筑後川口〈至神崎郡蓮池神崎町三十三丁三十二間、從神崎町木町魚町限、四丁四十六間半、又從神崎町、歴東野ケ里村境原町、二十四丁三十二間半、〉 一十七町四十八間 石塚村、三十三度一十三分、 一十八町四十四間半〈至石塚渡六丁一十七間半〉 寺井村江口〈沿江至寺井村一十丁一十三間〉 一十二町四十二間半 早津江村、三十三度一十三分、 三里六町一十六間〈至崎ケ江村二十五丁三十七間〉 下飯盛(シモイサカイ)村〈至住吉宿所六丁三十三間、北極高三十三度一十二分、〉 三十五町九間半 中原村本庄川口 一里一十九間二十六間 垣安村〈至快方村久富宿所六丁一十八間、北極高三十三度一十二分、〉 一里二十五町三十一間半 杵島(キシマ)郡郷司給(ガウシキウ)村住江 四里一十七町一十九間半〈至築切村二里一十三丁二十九間〉 深浦村鹽田川口〈沿川至百貫、九丁二十六間半、〉 二里四町一十七間半 藤津郡濱町 三里九町五十一間 北多良村、三十二度五十八分半、 二里二十町七間 龜浦村濱、〈至龜浦村宿所、六丁三十間、〉三十二度五十八分半、 一里二十五町一十一間 田古里村〈至津ノ浦宿所三丁九間、北極高三十二度五十八分、〉 一里一町三十三間 高來(タカク)郡井崎村 三里一十八町一十二間 湯江村〈又呼湯江町〉 一里二十二町七間 深海村、三十二度五十三分半、 一里二十六町五十六間 小豆崎(アヅキザキ)村本明川口〈至諌早岡町二十五丁二十二間半、從岡町永昌宿、一十五丁三十三間、又從岡町諫早下町、四丁一十五間、北極高三十二度五十一分、又至下町新町田町、六丁二十九間半、〉 一里一十町三十七間 愛津(アイツ)村板谷川口〈歴唐頃村有喜村諫早路追分、一里二丁二十一間、從追分船越村梅津、一里二十八町一間、從梅津諫早、四里九丁二十一間、〉 六町四十五間 同土井口〈從小牟田名宿所二丁三十間、北極高三十二度四十八分、至宿所釜床、徑測一十二丁五十一間、〉 三里二十九町八間半 西郷村船津〈至西郷村宿所三丁六間、北極高三十二度五十二分半、〉 四里一十三町五十九間半 島原宮ノ町濱〈至萬町八丁二間、從萬町堀町、三丁二十七間、北極高三十二度四十七分半、從堀町今村名湊、一十町二十一間、又從堀町、至安徳村〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1071 〈北名、徑測一里一十丁五十六間、〉 六町九間 同江口〈島原江廻三十丁四間半〉 一里一十一町三十間半 島原村今村名湊(イマムラミヤウミナト) 一里二十一町三十四間 安徳村北名 一里四町二十四間 布津村〈至大崎名、四丁一十五間、〉 三里一十二町二十四間 南有馬村北岡名〈至古薗名八丁三十六間〉 二十五町一十二間 同浦田名〈至原城趾二丁一十六間半〉二里一十二町四十八間半 口之津村大屋名眞米〈至白濱徑測九丁三十二間〉 九町三十三間 同口之津町、三十二度三十六分半、 一里三十四町一十七間半 同白濱 二十六町二十四間 加津佐村〈至水月四丁一十八間〉 三町一十二間 同小松川口〈至岩吼庵濱徑測四丁一十間〉 九町 同岩吼庵(ガンクアン)濱 一里三十三町三十三間半 南串山村牟田尻 三里三十一町三十一間半 小濱村里〈至温泉山瀬戸原一里一十七丁四十間、從瀬戸原四面宮、一十七丁一十五間半、又從瀬戸原小地獄、七丁三十四間、〉 一十六町四十七間 小濱村北野名〈至千々石村船津徑測一里一十七丁五十間〉 一里三十五町二十五間 千々石(チヽツ)村船津名〈至島原萬町街道五里四丁二十八間半〉 一里一十一町五十四間 愛津村釜床 一里一十七町三十一間 有喜(ウキ)村、三十二度四十七分、〈至諫早路追分二十丁六間〉 三里一十町九間〈至江浦村船津一里二十三丁四十四間〉 田結(タユヒ)村魚見 一里二十一町四十三間半 彼杵(ソノキ)郡矢上町 六町 同東房濱〈至東房瀬三丁三間〉 九町二十三間半 高來(タカク)郡日見村日井切〈至街道二丁四十間半〉 二里一町一十四間 茂木村飯香浦、三十二度四十三分、 一里一十七町一十二間 茂木村、三十二度四十二分半、〈茂木江廻七丁三十六間又至長崎出來鍛冶屋町、一里一十三丁四十二間、〉 三里二十一町二十六間半 爲石村、三十二度三十八分、 二里二十五町三十間 脇御崎村、〈又呼脇津〉三十二度三十四分半 一里一十一町九間半 彼杵郡野母村後濱 二里二町五十六間半 野母村、三十二度三十五分、 二里三十三町二十八間〈從野母村前濱、四丁二十一間、〉 高濱村投上石 二里六町一十一間 深堀村三十二度四十一分半、 三十二町九間 土井(トヰノ)頸村黒口浦〈至網代浦徑測二丁五十七間〉 二十二町三十五間 同網代浦 八町一間 土井頸村鹿尾川口〈沿江至鹿ノ尾五丁六間〉 二十一町一十七間半 小嘉倉村 一十四町六間 戸町村女神崎 一里一十一町二十五間 同大浦 五町五十九間 長崎本籠町新地〈唐物庫廻四丁三十間〉 四町一十五間 同江戸町〈出島、阿蘭陀屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1072 〈敷廻、五丁四十四間、〉 二町二間半 同大波戸 〈從鹿兒島長崎〉沿海、通計二百四十七里一十六町三十七間半、 從肥前國長崎沿海至小倉 肥前國彼杵郡長崎大波戸 一十七町二十七間 浦上村山里馬込郷 一十町五十七間 同新土居浦上川口〈沿川至二股四丁三十間〉 三十町五十九間 浦上村淵水(フチミツ)浦郷 二十七町二十九間 同西泊郷 二十町三十間 同神崎 二里二町四間〈至觀音崎二十四丁四十四間半〉 福田村船津 三里三十三町四十一間半〈至福田村能瀬、一里三十二丁五十九間半、〉 式見村螺崎 二里二十七町九間 三重(ミヱ)村大嶽下 三里一十六町四十四間 神浦村、三十二度五十三分、 二里二十三町四十間半 瀬戸村瀬戸浦 一十九町三十四間 同板ノ浦 一十一町二十七間 瀬戸村〈小鴨岬廻一十丁〉 二里一十七町七間 多井良村柳浦〈至七ツ釜浦、徑測五丁二十五間半、〉 一里一十四町七間半〈至名串崎一十二丁一十間半〉 同七ツ釜浦 一里二十町三十間半 中浦村 三里四町六間 天窪村黒口崎 一里八町一十二間 面高村中村 二十五町五十六間 同後濱 三十二町一十八間 横瀬浦村寄船 二里二町三十九間半 同錢龜浦 二里六町二十六間半 同水之浦 二里二十町三十一間 川内浦村伊ノ浦 三里九町五十間半〈至魚釣崎一十三丁四十七間〉 大串村ケヤ岬 一里二十六町三十間 同脇上リ岬 二里六町八間 同下竹 二里二十六町六間〈至母衣崎一里二十二丁三十二間〉 大串村宮ノ浦 一里二十三町三十七間半 同龜之浦 一里三十五町四十二間半 形上村元越〈至猪ノ越徑測七丁三間〉 二里三十二町二十六間 同小口浦 二里三十町五十二間半 同猪ノ越 一十八町二十三間 形上村 二里二十六町一十二間 長浦村、戸根原川口〈至大石古屋敷徑測二十一丁五十八間半〉 一里二十八町三間半 同大瀬崎 二里二十四町二十七間 同大石古屋敷 二里四町二十二間 西海村田浦崎 一里三十三町二十六間半 時津村市場〈至長崎大黒町一里一十八丁九間、又至時津村宿所、二丁三十三間、北極高三十一度五十分、從宿所、至長與村、解屋、徑測三十町五十一間、〉 一里一十町四十三間半 同崎野岬 一里一十六町一十九間 長與村解屋 四里八町二間 壹岐力村 二

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1073 里三十五町二十九間 喜々津村 一里七町四十八間 高來郡貝津村川口〈沿川至街道、二十丁二十九間、〉 四十九間半 彼杵郡三浦村溝陸(ミソロク)〈沿川至橋本、二丁五十七間、〉 二里一十一町五十二間 鈴田村白濱 二十九町二十七間 大村久原(クハラ) 三十三町五十三間 同本町 一町目 二里二十八町三十三間半〈至本町二丁目二丁二十五間半〉 郡村松原 三十一町一十八間 江串村 三十一町五十一間 千綿(チワタ)村 二十三町四十八間 彼杵(ソノキ)村彼杵町 一里一十六町四十二間 同小音琴(コオトコト)〈至川棚村一十四丁四十五間〉 一十五町三十九間 川棚村川棚町〈沿川至川棚村、八丁四間、〉 三十三町一十五間 同三ツ越、三十三度三分、 九町 川棚村ウシナシ〈至西濱徑測三丁二十一間〉 二里六町二十七間 同西濱 二里六町二十九間〈至深浦一里二丁六間〉 宮之村釜ノ浦〈至北濱三丁〉 一十七町四十一間半 同北濱 一里一十三町四十二間 早岐(ハイキ)村廣田大手原 三十四町一十二間〈至小森橋南頭三十三丁、〉 同小森橋北頭 九町二間半 早岐浦、三十三度八分、 一町五十四間 同宮ノ下 一十七町二十三間 日宇村田ノ浦 一里三十一町七間 日宇村岡杉尾川口 一里三十町一間半 同日ノ原崎〈日ノ原岬廻四丁五十五間〉 一里一十二町三十六間半 同ヒツクシ浦 一十五町五十一間 同福石 一里二町四十間 佐世保(サセホ)村川口〈至街道六丁三間〉 二里一十一町三十一間半 同川ノ谷〈至小島浦徑測二丁〉 二里一十八町四十七間半 松浦郡相(アヒ)神ノ浦村俵浦〈至安塔寺浦徑測四丁四十二間半〉 二里三十一町九間半〈至甲崎一里一丁四十七間〉 同安塔寺浦 二里二十八町三十九間 同小島浦 一里四町四十二間 小佐々村淺子岬 一十二町三十三間 同立石山〈立石岬廻四丁二十三間〉 一里三十一町四十三間 同臼ノ浦 三里一十三町二十五間半〈至瀬ノ元岬一里二十三丁一十九間半〉 同岩井岬 二里二町六間 同九艘泊(クストマリ) 一里三十五町四十八間 同神崎〈神崎廻二丁四十三間半〉 一里八町一十九間 同杉ノ浦 一里一十三町三十七間半〈至賤津浦矢岳浦舟引場、一十四丁三十六間、〉 同矢岳〈至土井ノ本徑測三丁九間〉 一里五町五十間〈至ヒトニ崎一十五丁三間〉 鹿町村〈舊呼船之村〉土井ノ本 一里二十四町二十間 同長串浦 二里八間〈至サイホンカ浦、二十一丁二十三間、〉 同後カセイ浦〈至カセイ浦、徑測三丁六間〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1074  一十六町四十四間〈至カセイ崎一十二丁四十七間〉 同フセイ浦 一里二十町四十間半〈至大屋浦一里一丁二十七間、〉 同姫ケ浦 二里二十町一間半〈至黒崎一十三丁二十四間〉 江迎村濱 一里一十二間 江迎村、三十三度一十九分、一里二町九間半 深月(ミケツ)浦 二里一十五町四十五間 田平村青佐崎 二十五町二十八間 日野浦、三十三度二十二分、〈至釜田浦徑測一十三丁六間〉 一里三十三町二十六間〈至初崎一里一十六丁一十五間半〉 釜田浦 三里一十五町三十九間〈至成川一里七丁二十三間半〉 御厨(ミクリヤ)村西ノ宮〈至街道、六丁一十五間〉 一里二十二町一十七間 星鹿(ホシカ)村カヲチカ浦〈至星鹿浦徑測三丁三十五間半〉 二十町六間 星鹿浦 一里一間〈至河原邊田浦、一十一町三十間、〉御厨浦、三十三度二十二分半、二里八町二十間〈至札場一丁四十五間〉 志佐村〈沿川至街道四丁四間〉 二十四町五十二間半 調川(ツキノカハ)村大坪川口 一里一十四町四十間 今福浦 九町二十一間 今福村 二里四町四十五間〈至トウセ岬二十九丁三十九間半〉 今福浦滑榮(ナメリバヘ) 二里三町二十九間半 楠久村大崎 一里二十六町三十九間半〈至里村、二十丁一十六間半〉 大里村白幡 九町一十二間半〈至大里村小屋田七丁五十一間半〉 同有田川口 三十二町二十一間 伊万里町〈至下町一丁三十三間〉 一里一十三町三十三間半 喜須村瀬戸〈歴早利新田北濱、〉徑測八丁二十九半 一里一十一町一十二間 同北濱 二十四町二間半 小黒川浦〈至小黒川村宿所三丁五間、北極高三十三度一十九分半、〉 一里三十四町二十五間 煤屋村黒上岬〈黒上山廻三丁四十四間半〉 一里一十六町三十七間半 辻村畑津浦三十三度二十三分 二里五町二十九間半 杉野浦〈至唐津坊主町二里一十三間〉 一里二十一町三十三間半 滿越村〈蓑場山廻二丁二十六間〉 一里三十五町一十六間半 田野村〈至梅崎村徑測二十三丁一十五間〉 五町四十間半 同高串浦、三十三度二十六分 二里七町三十二間半 星賀村濱、〈至星賀村宿所五丁五十二間〉三十三度二十六分半、二里二十七町四十四間 納所村大崎 二十九町四間 同京泊浦 一里九町四十四間 梅崎村 三十一町五十六間半 牟形村大串新田 一里一十六町一十七間 假屋村十倉〈至大薗村徑測三丁四十間〉 三町三十四間 假屋浦、三十三度二十八分半、三十三町四十七間半 大薗村 二里三十町九間〈至値賀崎一里三十二丁二間〉 今村濱、〈至今村宿所三丁五十四間、〉 三十三度三十分、一里二

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 十三町二十八間〈至串崎一里二丁四十三間〉 名古屋村串ノ浦 一里一十三町五十六間 波戸村〈波戸岬廻一十二丁四十六間〉 一里六町五十間〈至藻崎八丁一十二間半〉 名古屋浦 一十八町一十二間 名古屋村野本川 五町二十一間半 同野本 一里三町四十二間 横竹村〈至呼子浦江頭川徑測一十五丁七間〉 二十六町五十五間〈至トウジカ浦一十丁一十五間〉 呼子浦江頭川口 五町四十八間 同浦町 四町一十五間 同中町、三十三度三十二分半、二里三十四町四十六間 湊村 二里九町五十間 佐志村〈至街道六丁五十一間〉 三十五町一十五間半〈至妙見浦一十八丁二十七間〉 唐津西濱 一十三町二十九間半 唐津松浦川口 九町三十九間半 滿島(ミツシマ)虹ケ濱 三十四町一十九間半 濱崎村虹ケ濱 一十四町二十三間半 淵上村玉島川口 二十九町一十二間〈至國界一十八丁六間〉 筑前國怡土郡鹿家村小畠

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 諸國驛傳馬〈◯中略〉 肥前國驛馬〈基肄十疋切山、佐嘉、高來、磐氷、大村、賀周、逢鹿、登望、杵島、鹽田、新分、船越、山田、野鳥各五疋、〉傳馬〈基肄驛五疋〉

〔肥前風土記〕

〈松浦郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 逢鹿驛(○○○)〈在郡西北〉 曩者氣長足姫尊〈◯神功〉欲伐新羅行幸時、於此道路鹿遇之、因名遇鹿驛、〈◯中略〉 登望驛(○○○)〈在郡西〉 昔者氣長足姫尊、致於此處、留爲雄裝、御臂之鞆落此村、因號鞆驛

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈三西海道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 肥前 古火國、分爲前後、未何時、〈火前國之名、巳見神功紀、〉景行十八年、天皇至此國、遙見火光、尋其處得、乃知人火、以名國、上國、管十一郡、千四百村、 基肄〈二十二村 延喜式、拾芥抄作基肆、〉 養父〈二十三村〉 三根〈四十八村 雄略紀嶺縣、即此地〉 神崎〈百九村〉 佐嘉〈百七十二村〉小城〈百四十四村古國府〉 松浦〈四百八十六村 古梅豆羅國、古事記、國造記作末羅、◯中略〉 杵島〈百十四村 萬葉集耆資態、即此地、肥前地志曰、吉志麻、後世曰吉志見、〉 藤津〈七十九村 古葛 津立國、見國造記、〉 高來〈百十二村 景行紀高來縣、即是、〉 値嘉(チカ)島〈古事記作知訶島、日本紀作血鹿島、萬葉集作知可、釋日本紀引風土紀云、勅云、此島雖遠見猶如近、可近島、因曰値嘉、或曰一百餘近島或八十餘近島、貞觀十八年三月、松浦郡庇羅、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 〈値嘉兩郷、更建二郡、號上近下近、置値嘉島後廢、未何時、 本居宣長曰、今五島平戸等之地、庇羅即平戸、〉

〔日本地誌提要〕

〈六十九肥前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 沿革 古ヘ國府ヲ佐賀郡ニ置、〈遣址今久知井(クチヰ)村ニアリ〉嘉祿ノ初、鎌倉將軍頼經、少貳氏ヲシテ州事ヲ管セシム、足利尊氏ノ反スル、少貳貞經等之ニ屬ス、肥後ノ菊池武重、獨リ勤王ノ師ヲ起シ、州ノ豪族有馬〈高來郡〉大村〈彼杵郡〉二氏等之ニ應ズ、又千葉胤貞下總ヨリ來テ小城郡ヲ領シ、皆征西將軍ノ節度ヲ受ク、正平中、菊池武光盡ク全州ヲ徇フ、南朝因テ守護ヲ兼領セシム、建徳ノ初ヨリ、足利義滿、今川貞世大内義弘等ヲ遣テ、九州探題トナシ、菊池氏ヲ擊タシム、州内望族松浦諸黨首トシテ之ニ附シ、千葉大村諸氏皆之ニ降ル、應永三年、澀川滿頼九州探題トナリ、綾部城ニ居リ、〈養父郡〉本州ヲ管ス、正長元年、其從子滿直之ニ代リ、子教直ニ傳フ、文明中、教直卒シ、嫡孫萬壽立、猶幼ナリ、少貳政資之ヲ逐ヒ、綾部城ヲ取ル、明應六年、政資大内義興ニ敗ラレ、奔テ多久城〈小城郡〉ニ據リ、終ニ自殺ス、九年、澀川教直ノ孫尹繁(タヾシケ)探題ニ補シ、勝尾城〈基肄郡〉ニ居ル、少貳資元〈政資ノ子〉大友政親ノ婿トナリ、恢復ヲ圖リ、遂ニ義興ト和シ、州守ニ任ズ、天文ノ初、澀川義長〈尹繁ノ子〉園部城〈基肄郡〉ニ居リ、委靡振ハズ、資元ト相合シ、大内氏ト戰ヒ、義長敗死シ、資元和ヲ講ズ、是ヨリ先、千葉氏稍強大ニシテ、小城佐賀杵島三郡ヲ領ス、後分レテ二流トナリ、互ニ相鬩グ、少貳冬尚〈資元ノ子〉ノ弟胤頼、千葉喜胤ノ嗣トナリ、小城ニ居リ、同族胤連ト兵ヲ構フ、永祿二年、佐賀ノ龍造寺隆信、胤連ヲ援ケ、冬尚、胤頼ヲ擊テ之ヲ殺シ、遂ニ州東七郡ヲ取リ、佐賀城ニ居リ、聲威日ニ振フ、平戸ノ松浦隆信、岸嶽(キシガタケ)ノ波多親(ハタシタシ)等、皆款ヲ送ル、有馬義直四郡ヲ領シ、〈高來、藤津、彼杵、杵島、〉獨リ之ニ抗ス、天正五年、龍造寺隆信ト戰テ大ニ敗レ、義直僅ニ高來一郡ヲ保ツ、隆信遂ニ筑後ヲ略シ、肥後ニ入ル、十二年、隆信、島津氏ト戰テ敗死ス、子政家不肖ナリ、其臣鍋島直茂代テ事ヲ視ル、十五年、豐臣秀吉西征シ、政家ニ舊領七郡ヲ賜ヒ、有馬晴信、〈高來郡日野江〉大村嘉前、〈彼杵郡大村〉松浦鎭(シゲ)信、〈松浦郡平戸〉波多親、〈同郡岸嶽〉五島純玄(ハル)〈同郡福江〉等、封邑ヲ領スル故ノ如シ、政家尋テ封ヲ鍋島直茂ニ讓ル、文祿ノ初、秀吉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 征韓ノ師ヲ興シ、行臺ヲ名護屋〈松浦郡〉ニ築キ、大ニ海内ノ侯伯ヲ會ス、波多親罪ヲ獲テ收封セラレ、寺澤廣高之ニ代リ、徙テ唐津ニ治ス、關原ノ役鍋島直茂款ヲ東軍ニ納レ、故封ヲ保チ、〈佐賀三拾萬石〉世襲、其支封ヲ小城、〈直茂ノ子勝茂第二子元茂〉蓮池、〈勝茂第三子直澄〉鹿島〈直茂第四直朝〉トス、大村嘉前、松浦鎭信、五島玄雅、〈純玄ノ子〉亦皆西軍ニ屬セズ、封疆舊ニ仍ル、元和ノ初、有馬直純〈晴信ノ子〉日向ニ徙シ、板倉重政ヲ島原ニ封ズ、〈後松平忠恕〉正保中、唐津ノ寺澤堅高、狂疾ヲ以テ國除シ、後易封數氏、最後ニ小笠原長昌ヲ封ズ、元祿二年、松浦棟(タカシ)〈鎭信ノ曾孫〉其弟昌(マサシ)ニ新田壹萬石ヲ分ツ、凡十藩、徳川氏長崎奉行ヲ置キ、外國通商ノ事ヲ管ス、王政革新、長崎府ヲ置、既ニシテ皆廢シテ縣トシ、又合併シテ長崎、伊萬里、二縣トシ、後伊萬里ヲ徙シテ、更ニ佐賀縣ヲ置、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 松津國造 難波高津朝〈◯仁徳〉御世、物部連祖伊香色雄命孫金連定賜國造

〔國造本紀考〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 松津は、肥前國の地名なるべけれど、いまだ考得ず、〈度會延佳云、松津は杵肄の誤にて、肥前國基肄郡乎とあれど、姓氏録に松津首と云あり、其を上田百樹が按に、津は浦の誤にて、松浦首なるべし、和名抄肥前國松浦郡萬豆良これなり、国造本紀に、松津とあるも同じく誤也、さて彼本紀に、松浦末羅國造あり、されども如此同國造を二つ擧たる例もあり、内山氏もまた杵肄の誤也と云れたるは、共に誤也といへるを、信友云く、百木主の説諾ひがたし、其は國造本紀にも、又拾芥抄、また姓氏録の諸異本どもにも、松津とあれば、誤とは思はれず、分類年代記に、松津神鏡宮也、肥前國號松浦明神、仲哀天皇弟稚武王也とあり、思ふに松浦の内の一區なるべし、猶松浦明神の在所、また以前社地などあらむには、考知らるべしとあり、後に熟考べき事也、〉

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 末羅國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉御世、穗積臣同祖大水口足尼孫矢田稻吉定賜國造、〈◯中略〉 葛津立國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉御世、紀直同祖大名草彦命兒若彦命定賜國造

〔鼇頭舊事紀〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 葛津立國造 今肥前國藤津郡

〔續日本紀〕

〈十九孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 天平勝寶六年四月庚午、外從五位下黄文連水分爲肥前守

〔松浦系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 興榮〈松浦肥前守〉 爲肥前國務、國之一列之諸士、來勤平戸云々、此時鑿城湟、到今謂肥前堀、國司興榮是也、

〔肥陽軍記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 隆信公繼村中正統事 一天文十七年三月廿二日、龍造寺の正統豐前守胤榮公卒去せらる、〈法名堅譽葬無量寺〉此の人大内氏の吹擧により、肥前國の守護代にほせられ、五千町を加封し、人普く仰ぎ申せし也、其簾中は故家門公の御娘也、姫一人おはして世を繼ぎ給ふべき男子なかりき、是によつて長臣小川筑後守と、龍造寺播磨守など相議し、還俗の君を以、龍造寺の嫡流を繼がせ申べしとて、則迎かへとり申、胤榮公の後婦人にあはせまひらせ、御家督とぞ仰ぎ奉ける、同十八年、大内義隆に加冠をこふて龍造寺山城守隆信公と申、

〔肥陽軍記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 信生公家業御相續御心遣之事 一天正十二年三月廿四日、島原の御陣やぶれ、五州二島之太守龍造寺山城守藤原隆信公、五十七歳にして御戰死有しかば、〈◯中略〉御嫡民部大夫政家公佐賀城にまし〳〵ければ、諸侍の拜趨もありしにかヽはらず、先君の御舍弟龍造寺長信、同信周、江上家種、後藤家信、龍造寺家晴、以下御一家歴々補佐し奉り給ふ、かヽりしか共尫弱の事上下に交り、薩州より近日よせ來るべしなど云沙汰して、周章するやからも多かりけり、〈◯中略〉かくて薩州とは御和平有けるが、天正十五年、關白豐臣家九州入御の時、政家公、信生公、高良山に御在陣有、則先陣を被仰付、薩州に入て舊怨をむくひ給ふ、其後政家公御病氣故、天下の御官仕不叶、小早川殿を以鍋島加州太守直茂公に〈信生公なり〉御家を御相續あるべきよし御訴訟有、殿下聞召入られ、政家公は久保田へ御隱居まし〳〵けり、つらつら往時を思ふに、藤原の季喜西國御下向より、五百餘回をへて國司とならせ給ふ、是より鍋島

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 の御家に相續せられて、松の葉のちりうせず、まさきのかづらながくつたへなば、幾代の春秋をむかへさせ給ひなんと、萬民いはひ奉る、

〔川角太閤記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 一肥前は、鍋島加賀守居城に被遣候、

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 肥前國〈◯中略〉小城〈乎岐、國府、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈比國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 肥前國〈◯中略〉佐嘉〈サカ、國府、〉

〔大日本史〕

〈國郡三十一肥前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 按今佐嘉郡國分村有府中地、而和名鈔云、在小城郡、蓋初置佐嘉郡、後徙小城郡也、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 肥前國、管十一、〈◯註略〉基肄 養父〈夜不〉三根〈岑〉神埼〈加無佐木〉佐嘉 小城〈乎岐、國府、〉松浦〈萬豆良〉杵島〈岐志萬〉藤津〈布知豆〉彼杵〈曾乃杵〉高木〈多加久〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 肥前國、上、〈管 基肄(キイ) 養父(ヤフ) 三根(ミネ) 神埼(カムサキ) 佐嘉(サカ) 小城(ヲキ) 松浦(マツラ) 杵島(キシマ) 藤津(フヂツ) 彼杵(ソノキ) 高來(タカク)◯中略〉 右爲遠國

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 肥前國〈十一郡〉 基肄(キイ) 〈二ケ村 筑界小郡〉 養父(ヤフ) 〈中原外二ケ村 筑界小郡〉 三根(ミ子) 〈三ケ村 國中小郡〉 神崎(カンサキ) 〈<蓮池外二ケ村 筑後川ニ添テ小郡〉 佐嘉(サカ) 〈佐賀 外二ケ村 東海ニ向〉 小城(ヲキ) 〈●牛津外一村 以上六郡一處ニ有、各小郡也、佐賀ニ並〉 杵島(キシマ) 〈●園木 ●塚崎 東ノ入江ヨリ北ノ入江ニ貫〉 松浦(マツラ) 〈唐津 ●大川原 <名古ヤ ●志佐 <田中 平戸 ●丸サウ泊 五島 福江 ●トミヱ〉 〈平戸ハ一島也、五島ハ東島、西島、奈留島、瓢島、福江也、唐津地ハ筑界ヨリ北海ニ出張、田平ノ地ハ唐津ト入江ヲ離テ平戸ニ向、〉 藤津(フチツ) 〈●加島 東海〉 彼杵(ソノキ) 〈●嬉野 大村 ●長井 ●大浦 ●野母 <長崎 西海ニ向テ南張出ス〉 高來(タカキ) 〈島原 <諫早 ●轟 ●水月 早サキ 陸續ニテ一方口如島ノ東ニ張出ス〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1080 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1080 肥前

基肄郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 基肄郡 郷陸所、〈里七十〉驛壹所、〈小路〉 昔者纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡狩之時、御筑紫國御井郡高羅之行宮、遊覽國内、霧覆基肄之山、天皇勅曰、彼國可霧之國、後人改號其基肄國、今以爲郡名

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 韻ノ音ノ字ヲ添ヘタル例 き 基肄〈肥前郡〉 肄音イ也

〔續日本紀〕

〈一文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 二年五月甲申、令太宰府繕治大野、基肄(○○)、鞠智三城

〔日本紀略〕

〈嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 弘仁四年三月辛未、太宰府言、肥前國司今月四日解偁、基肄團校尉貞弓等、去二月廿九日解偁、新羅一百十人、駕五艘船小近島、與土民相戰、即打殺九人、捕獲一百一人者、〈◯下略〉

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 貞觀八年七月十五日丁巳、太宰府馳驛奏言、肥前國基肄郡人川邊豐稻告、同郡擬大領山春永語豐穗云、與新羅人珍賓長、共渡入新羅國、教兵弩器械之術、還來將取對馬島、〈◯下略〉

養父郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 養父郡 郷肆所、〈里一十二〉烽壹所、 昔者纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡狩之時、此郡佰姓、擧部參集、御狗出而吠之、於此有一産婦臨見、御狗即吠止、因曰犬聲止國、於此訛謂養父郡也、

〔續日本後紀〕

〈十八仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 嘉祥元年八月壬辰、肥前國養父郡人太宰少典從八位上筑紫公文公貞直、兄豐後大目大初位下筑紫公文公貞雄等、賜姓忠世宿禰、貫附左京六條三坊

三根郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 三根郡 郷陸所、〈里十七〉驛壹所、〈小路〉 昔者此郡與神崎郡、合爲一郡、然海部直島、請三根郡、即縁神崎郡三根村之名、以爲郡名

〔日本書紀〕

〈十四雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 十年九月戊子、身狹村主青將呉所獻二鵝於筑紫、是鵝爲水間君犬嚙死、〈別本云、是鵝爲筑紫嶺(○)縣主泥麻呂犬嚙死、〉

神埼郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 神埼郡 郷玖所、〈里二十六〉驛壹所、寺壹所、〈僧寺〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1083 昔者此郡有荒神、往來之人多被殺害、纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡狩之時、此神和平、自爾以來無更有一レ悚因曰神埼郡

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1083山口御分國中行程日數事〈◯中略〉 肥前國 神崎郡八日請文廿一日〈◯中略〉 寛正二年六月廿九日 備中守〈奉〉秀明〈◯下略〉

佐嘉郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1083 佐嘉郡 郷陸所、〈里十九〉驛壹所、寺壹所、 昔者樟樹一株、生於此村、幹枝秀高、莖繁茂、朝日之影、蔽杵島郡蒲川山、暮日之影、蔽養父郡草横山也、日本武尊巡幸之時、御覽樟茂榮曰、此國可榮國、因曰榮郡、後改號佐嘉郡、一云、郡西有川、名曰佐嘉川、年魚有之、其源出郡北山、南流入海、山川上有荒神、往來之人、半生半殺、於玆縣主等祖大荒田、占問、于時有土蜘蛛大山田女、狹山田女、二女子云、取下田村之土、作人形馬形、祭祀此神、必在應和、大荒田即隨其辭此神、神歆此祭遂應和之、於玆大荒田云、此婦如是實賢女、故以賢女國名、因曰賢女郡、今謂佐嘉郡訛也、

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1083生肉團之作女子善化人縁第十九 大安寺僧戒明大徳、任彼竺紫國府大國師之時、寶龜七八箇年比頃、肥前國佐賀郡(○○○)大領正七位上佐賀君兒公、設安居會、請戒明法師八十花嚴、〈◯下略〉

小城郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1083 小城郡 郷漆所、〈里二十〉驛壹所、烽壹所、 昔者此村有土蜘蛛、造堡隱之、不皇命、日本武尊巡幸之日、皆悉誅之、因號小城郡

松浦郡/下松浦郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1083 松浦郡 郷壹拾壹所、〈里二十六〉驛伍所、烽捌所、 昔者氣長足姫尊、〈◯神功〉欲伐新羅、行於此郡、而進食於玉島小河之側、於玆皇后勾針爲鈎、飯粒爲http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c84b.gif 、裳絲爲緡、登河中之石上、捧鈎祝曰、朕欲伐新羅彼財寶、其事功成凱旋者、細鱗之魚呑朕鈎緡、既

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 而投鈎、片時果得其魚、皇后曰、甚希見物、〈希見謂梅豆羅志〉因曰希見國、今訛謂松浦郡、所以此國婦女、孟夏四月常以針釣年魚、男夫羅釣不羅之、

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 四月〈◯仲哀九年〉甲辰、北到火前國松浦縣而進食於玉島里小河之側、於是皇后〈◯神功〉勾針爲鈎、取粒爲餌、抽取裳糸緡、登河中石上而投鈎、祈之曰、朕西欲財國、若有成事者、河魚飮鈎、因以擧竿、乃獲細鱗魚、時皇后曰、希見物也、〈希見、此云梅豆邏志、〉故時人號其處梅豆羅國、今謂松浦訛焉、是以其國女人、毎四月上旬、以鈎投河中、捕年魚、於今不絶、唯男夫雖釣、以不魚、

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 肥前州 州有上下松浦、海賊所處、前朝之季、寇我邊者、松浦與一岐對馬之人率多、又有五島、〈或稱五多島〉日本人往中國者、得風之地、

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 天平十二年十一月戊子、大將軍東人等言、以今月一日、於肥前國松浦郡廣嗣綱手已訖、〈◯下略〉

〔續日本紀〕

〈三十四光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 寶龜七年閏八月庚寅、先是遣唐使船、到肥前國松浦郡合蠶田浦、積月餘日、不信風、既入秋節、彌違水候、乃引還於博多大津、〈◯下略〉

〔續日本紀〕

〈三十五光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 寶龜九年十月乙未、遣唐使第三船到泊肥前國松浦郡橘浦、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈五雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084於松浦河序 余〈◯山上憶良〉以暫往松浦之縣(○○○○)逍遙聊臨玉島之潭遊覽、忽値釣魚女子等也、花容無雙、光儀無匹、開柳葉於眉中、發桃花於頰上、意氣凌雲、風流絶世、〈◯中略〉遂申懷抱、因贈詠歌曰、 阿佐里須流(アサリスル)、阿末能古等母等(アマノコトモト)、比得波伊倍騰(ヒトハイヘド)、美流爾之良延奴(ミルニシラエヌ)、有麻必等能古等(アマビトノコト)、

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084官勢非理爲政得惡報縁第卅五 白壁天皇〈◯光仁〉之世、筑紫肥前國松浦郡人火君之氏、忽然死、而至琰广國時、王校之不死期、故更敢返〈◯下略〉

〔松浦系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 綱――――久〈松浦源大夫判官 松浦祖、始住肥前國下松浦郡(○○○○)、<br/>遂爲氏、〉

杵島郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 杵島郡 郷肆所、〈里一十三〉驛壹所、 昔者纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡幸之時、御船泊此郡磐田杵之村、于時從船戕戨之穴洽水自出、〈一云船泊之處〉自成一島、天皇御覽詔群臣等曰、此郡可戕戨島郡、今謂杵島郡訛之也、郡西有湯泉出之巖、岸峻極人跡罕及也、

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 十八年七月甲午、到筑紫後國御木、居於高田行宮、時有僵樹、長九百七十丈焉、〈◯中略〉爰天皇問之曰、是何樹也、有一老夫曰、是樹者歴木也、嘗未僵之先、當朝日暉、則隱杵島山(○○○)夕日暉、覆阿蘇山也、

〔萬葉集抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 肥前國風土記、〈◯中略〉杵島郡縣南二里、有一孤山、從坤指艮、三峯相連、是名曰杵島、坤者曰比古神、中者曰比賣神、艮者曰御子神、〈一名軍神動則兵興矣〉郷閭士女、提酒抱琴、毎歳春秋携手登望、樂飮歌舞、曲盡而歸、歌詞云、阿羅禮符縷(アラレフル)、耆資熊加多塏塢(キシマガタケヲ)、嵯峨紫彌苫(サカシミト)、區縒刀理我泥底(クサトリカネテ)、伊母我提塢刀縷(イモガテヲトル)、〈是杵島曲〉

〔三代實録〕

〈十八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 貞觀十二年六月十三日甲午、先是太宰府言、肥前國杵島郡兵庫震動、鼔鳴二聲、決之耆龜、可隣兵

〔公卿補任〕

〈六條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 仁安二年 〈前太政大臣〉從一位平清盛〈五月十七日上表、辭太政大臣并兵仗、(中略)肥前國杵島郡(中略)等、爲大功田子孫、〉

藤津郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 藤津郡 郷肆所、〈里九〉驛壹所、烽壹所、 昔者日本武尊巡幸之時、到於此津、日沒西山、御船泊之明旦遊覽、繫船覽於大藤、因曰藤津郡

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 貞觀八年七月十五日丁巳、太宰府馳驛奏言、肥前國基肄郡人川邊豐稻告、同郡擬大領山春永語豐穗云、與新羅人珍賓長共渡入新羅國、教兵弩器械之術、還來將取對馬島、藤津郡領葛津貞津〈◯中略〉等、是同謀者也、仍副射手四十五人名簿進之、

彼杵郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 彼杵郡 郷肆所、〈里四〉驛貳所、烽參所、 昔者纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉誅滅球磨噌唹之時、天皇在豐前國宇佐海濱行宮、勅陪從神代直、遣此郡速來村、捕土蜘蛛、於玆有人名曰速來津姫、此婦女申云、妾弟名曰健津三間、往健村之里、此人有美玉、名曰石上神之木蓮子玉、愛而固藏不他、神代直尋覔之、超山逃走落石岑、〈郡以北之山〉即遂及捕獲、推問虚實、健三間云、實有二色之玉、一者曰石上神木蓮子玉、一者曰白珠、雖䃤砆、願以獻之、亦申云、有人名曰箆簗、住川岸之村、此人有美玉、愛之固秘、定無命、於玆神代直迫而捕獲間之、箆簗云、實有之、以貢於御敢愛惜、神代直捧此三色之玉、還獻於御、于時天皇勅曰、此國可具足玉國、今謂彼杵郡、訛之也、

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 貞觀八年七月十五日丁巳、太宰府馳驛奏言、肥前國基肄郡人川邊豐稻告、同郡擬大領山春永、語豐穗云、〈◯中略〉將取對馬島、〈◯中略〉彼杵郡人永岡藤津等、是同謀者也、仍副射手四十五人名簿之、

高來郡

〔肥前風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 高來郡 郷玖所、〈里二十一〉驛肆所、烽伍所、 昔者纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉在肥後國玉名郡長渚濱之行宮、覽此郡山曰、彼山之形、似於別島、屬陸之山歟、別在之島歟、朕欲知之、仍勅神大野宿禰之、往到此郡、爰有人迎來曰、僕者此山神、名高來津座、聞天皇使之來迎而已、因曰高來郡

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 十八年六月癸亥、自高來縣玉杵名邑、時殺其處之土蜘蛛津頰焉、

〔三代實録〕

〈十三清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 貞觀八年七月十五日丁巳、太宰府馳驛奏言、肥前國基肄郡人川邊豐稻告、同郡擬大領山春永語豐穗云、〈◯中略〉將取對馬島、〈◯中略〉高來郡擬大領大刀主〈◯中略〉等、是同謀者也、仍副射手四十五人名簿進之、

〔倭名類聚抄〕

〈九肥前國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 基肄郡 姫社 山田 基肄〈木伊〉川上 長谷 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1087 養父郡 狹山 屋田 養父〈也布〉鳥栖〈止須〉 三根郡 千栗 物部 米多〈女多〉財部 葛木〈加都良木〉 神埼郡 蒲田〈加萬多〉三根〈美禰〉神埼〈加無佐岐〉宮所〈美也止古呂〉 佐嘉郡 城埼〈木佐岐〉巨勢 深溝〈布加無曾◯此郷次、高山寺本有防所郷、〉小津〈乎都〉山田〈也萬多〉 小城郡 川上〈加波加美〉甕調〈美加都岐〉高來〈多久〉伴部〈止毛〉 松浦郡 庇羅 大沼〈於保奴〉値嘉〈知加〉生佐〈伊岐佐〉久利 杵島郡 多駄 杵島〈木之萬〉能伊 島見〈志萬美〉 藤津郡 鹽田〈之保多〉能美 彼杵郡 大村〈於保無良〉彼杵〈曾乃木〉 高來郡 山田〈也萬多〉新居〈爾比井〉神代〈加無之呂〉野鳥〈乃止利〉

〔肥前風土記〕

〈基肄郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1087 姫社郷(○○○) 此郷之中有川、名曰山途川、其源出郡北、山南流而會御井大川、昔者此門之西有荒神、行路之人、多被殺害、半凌半殺、于時卜求祟由、兆云、令筑前國宗像郡人珂是胡吾社、若合願者、不荒心、覓珂是古、令神社、珂是古即捧幡祈禱云、誠有吾祀者、此播順風飛往墮吾之神邊、使即擧幡順風放遣、于時其幡飛往、墮於御原郡姫社之社、更還飛來落此山途川邊之田村、珂是古自知神之在、家其夜夢見、臥機〈謂久那毘枳〉絡http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f27a.gif 〈謂多多利〉僲、遊出來壓驚珂是古、於是亦織女神即立社祭之、自爾巳來行路之人不殺害、因曰姫社、今以爲郷名

〔肥前風土記〕

〈養父郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1087 鳥樔郷(○○○)〈在郡東〉 昔者輕島明宮御宇譽田天皇〈◯應神〉之世、造鳥屋於此郷、取聚雜鳥、養馴貢上朝廷、因曰鳥屋郷、後人改曰鳥樔郷、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1088 曰理郷(○○○)〈在郡南〉 昔者筑後國御井川渡瀬甚廣、人畜難渡、於玆纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡狩之時、就生葉山船山、就高羅山梶山、造備船渡人物、因曰曰理郷、 狹山郷(○○○)〈在郡南〉 同天皇行幸之時、在此山行宮、徘徊曰、望四方分明、因曰分明村、〈分明謂佐夜氣志〉今訛謂狹山郷

〔肥前風土記〕

〈三根郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1088 物部郷(○○○)在郡南 此郷之中有神社、名曰物部經津主之神、曩者小墾田宮御宇豐御食炊屋姫天皇〈◯推古〉令來目皇子將軍、遣伐新羅、于時皇子奉勅到於筑紫、乃遣物部若宮部社於此村、鎭祭其神、因曰物部郷、漢部郷(○○○)〈在郡南〉 昔者來目皇子爲伐新羅、勅忍海漢人、將來居此村、令兵器、因曰漢部郷、 米多郷(○○○)〈在郡南〉 此郷之中有井、名曰米多井、水味鹹、曩者海藻生於此井之底、纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡狩之時、御覽井底海藻、即勅賜名曰海藻生井、今訛米多井、以爲郷名

〔肥前風土記〕

〈神埼郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1088 三根郷(○○○)〈在郡西〉 此郷有川、其源出郡北山、南流入海、有年魚、同天皇〈◯景行〉行幸之時、御船從其川瀬來、御宿此村、天皇勅曰夜素御寢、甚有安穩、此村可天皇御寢安村、因名御寢、今改寢字根、 船帆郷(○○○)〈在郡西〉 同天皇巡狩之時、諸氏人等、擧落葉船擧帆、參集於三根川津、供奉天皇、因曰船帆郷、〈◯中略〉 蒲田郷(○○○)〈在郡西〉 同天皇行幸之時、御宿此郷西、薦御膳之時、蠅甚多鳴、其聲大囂、天皇勅云、蠅聲甚囂、因曰囂郷、今謂

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089 田郷訛也、〈◯中略〉 宮處郷(○○○)〈在郡西南〉 同天皇行幸之時、於此村行宮、因曰宮處郷

〔肥前風土記〕

〈藤津郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089 能美郷(○○○)〈在郡東〉 昔者纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉行幸之時、此里有土蜘蛛三人、〈兄名大白、次名中白、弟名小白、〉此人等造堡隱居、拒皇命降服、爾時遣陪從紀直等祖穉日子、令以誅滅、於玆大白等三人、但叩頭陳己罪過、共乞更入奉主人、因曰能美郷、 託羅郷(○○○)〈在郡東海〉 同天皇行幸之時、到於此郷、御覽、海物豐多、勅曰、地勢雖少、食物豐足、可豐足村、今謂託羅郷、訛之也、

〔肥前風土記〕

〈彼杵郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089 浮穴郷(○○○)〈在郡北〉 同天皇〈◯景行〉在宇佐濱行宮、詔神代直曰、朕歴巡諸國、既至平治、未朕治、有異徒乎、神代直奏云、波煙之起村、未猶被一レ治、即勅直遣此村、有土蜘蛛、名浮穴沫媛、捍皇命甚無禮、即誅之、曰浮穴郷、 周賀郷(○○○)〈在郡西南〉 昔者氣長足姫尊〈◯神功〉欲伐新羅、行幸之時、御船繫此郷東北之海、艫舳之戕戨化而爲磯、高二十餘丈、周十餘丈、相去十餘町、突出嵯峨草木不生、加以倍從之船、遭風漂波、於玆有土蜘蛛、名鬱比袁麻呂、救濟其船、因名曰救郷、今謂周賀郷訛之也、

〔吾妻鏡〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089 寛元四年三月十三日辛丑、肥前國御家人、安徳三郞右馬允政康所領事、任舍兄政尚政家之例、除所職再安堵下文之外、私領可上肥前國三根西郷(○○○○)内刀延名三分一之由、越前兵庫助奉行、

〔薩藩舊記〕

〈前集十四入來院文書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089 澀谷河内入道宗眞申、肥前國三根國郷(○○○○)地頭職事、任御下文、沙汰付候也、依

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 執達如件、 建武四年七月十三日 武藏權守〈◯高師直〉在判 宮内少輔太郞入道〈◯一色範氏〉殿

〔深江系圖〕

〈佐賀諸家系圖所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 貞泰〈安富彌三郞、左近將監、字彦松丸、宗種入道、〉 〈肥前國竹村郷(○○○)之内、肥後國岩崎村、筑後國鷹尾別府等之賜地頭職、〉――泰治〈安富岩崎孫三郞字恩房丸〉 〈同(肥前)竹村郷之内荒野、蒲田郷(○○○)之内中島、倉戸郷(○○○)之内藤木、並肥後國岩崎村等之給地頭職、元弘三年、博多合戰之抽軍忠畢、延文四年八月、於筑後國大原菊地武光討死、〉

〔光淨寺文書〕

〈佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 うりわたしたてまつる肥前國西島郷(○○○)大分名のうち、大分孫三郞入道殿居屋敷きた作壹段壹杖事〈◯中略〉 元弘三年八月二十一日 沙彌唯善〈花押〉

〔深江文書〕

〈佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 雜訴 安富次郞泰重所 有馬彦五郞入道蓮惠與安富次郞泰重相論肥前國高來東郷(○○○○)内深江村事 右當莊事、蓮惠雖子細、爲舊領事之間、不御沙汰、可存知之状、下知如件、 建武元年八月二十九日 左衞門權少尉中原朝臣〈花押〉

〔小代文書〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 今月八日、菊池八郞以下凶徒等、筑後國豐福原打出之間、肥前國野原西郷(○○○○)一方地頭小代八郞次郞兵衞尉經資、屬侍所手、抽合戰忠候訖、以此旨御披露候、恐惶謹言、 建武四年五月十五日 藤原經資 進上 御奉行所

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 一肥前國(御料私領) 〈肥州 南北五日〉 拾壹郡 高五拾七万貳千貳百八拾四石壹斗貳升三合壹勺 千四百拾八ケ村 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1091  ●佐賀 〈二百九十里〉 ●唐津 〈三百十一里〉 ●平戸 〈三百十九里〉 ●大村 〈三百五十里〉 ●島原 〈三百一里半〉 ●五島 〈福江三百九十五里餘〉 ◯館山 〈三百十九里平戸新田也〉 ◯鹿島 〈三百四十七里〉 ◯蓮池 〈三百十三里〉 ◯小城 〈三百十三里〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 富江 〈三百八十八里五島伊賀守〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯諫早 〈サガ〉諌早豐前 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯多久 〈同上一万石〉多久長門 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯深堀 〈同上一万石〉鍋島越後 長崎 〈三百五十二里大坂ヘ二百十九里〉 <同所 <天草 〈出ハリ三百廿里〉 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1091 肥前 十一郡、千四百村、 高七十万六千四百七十石七斗二升三合一勺九才六札(御料私領) 基肄郡二十二村 養父郡二十三村 三根郡四十八村 神崎郡百九村 佐嘉百七十二村 小城郡百四十四村 松浦郡四百八十六村 杵島郡百十四村 藤津郡七十九村 彼杵郡九十一村 高來郡百十二村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1091 郡邑島嶼奇名 肥前 松浦郡、唐房(トウボウ)村、馬部(マノハマリ)村、高野(カウノ)村、唐川(トウノ)村、神田村、養母田(ヤブタ)村、薭田(ヒヱタ)村、府招(フマネキ)村、木留(ツヽミ)村、相知(アウチ)村、箞木(ウツボキ)村、嚴木(キウラギ)村、調川(ツキノカハ)村、星鹿(ホシカ)村、深月(シゲツ)浦、平戸島、田助(タスケ)浦、根獅子(ネシコ)村、五島、小徳賀(ヲジカ)、相河(アイカワ)村、道土肥(ミツトヒ)村、似首(ニタクビ)村、漁生(リヤウセウ)浦、福江(フカヱ)、黄島(ワウ)、久賀(ヒサカ)島、椛(カバ)島、小値賀(ヲジカ)島、宇久(ウク)島、漁生(リヤウセウ)島、〈自黄島漁生島總六島屬五島〉生屬(イホツキ)島、的山大(アツチオホ)島〈又呼大島〉苞(ツト)島、斧落(ヨキオトシ)島、海士泊(アマトマリ)島、上海馬(カミアシカ)島、眞立(マタテ)島、度(タク)島、飯盛(イヽモリ)島、向(ムク)島、馬渡(マタラ)島、加唐(カカラ)島、神集(カンシヽ)島、鯨(ケイ)島、祖父君(ジイキミ)瀬、黒母瀬(クロモセ)、佐嘉郡、八戸(ヤヘ)村、下飯盛(シモイサカヘ)村、上黒外(カミリシケ)村、快万(クハイマン)村、高來郡、遠武(トウタケ)村、深海(フカノミ)村、小豆崎(アヅキザキ)村、諌早(イサハヤ)町、唐須(カラス)村、土黒(ヒチクロ)島、千々石(チヽワ)村、有喜(ウキ)村、久山(クヤマ)村、栗西(クルモ)村、大渡野(ワタノ)村、破籠井(ワリゴ井)村、爲石(タメシ)村、神崎(カンザキ)郡、乙南里(ヲトナリ)村、目達原(メダルハル)村、西石動(ニシイシナヘ)村、上松山(カミユツリハヤマ)村、彼杵(ソノキ)郡、面高(ヲモダカ)村、陌刈平(アゼカリタノラ)村、相神浦(アイノウラ)村、磯津(シツツ)浦、陰尾(カケノラ)島、獨空(ドククウ)島、廉(カト)島、苺(イチコ)島、三根郡、大豆津(マメツ)村、千束(チクリ)村、宋津(サウツ)村、藤津

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 郡、馬渡分(マワタリフ)村、新籠(シンコモリ)村、西葉(サヱク)村、母(ホウカ)浦、音成(オトナシ)浦、養父(ヤブ)郡、幸津(サイツ)村、杵島(キシマ)郡、鳥海(トノミ)村、上瀧(ウハタキ)村、河良(カラ)村、八並(ヤナミ)村、廿路(ハタチ)村、遠江(トウエ)村、大原(ダイバル)村、築切(ツイキリ)村、廻里(メグリ)村、

〔肥前風土記〕

〈松浦郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 賀周里(○○○)〈在郡西北〉 昔者此里有土蜘蛛、名曰海松橿媛、纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡國之時、遣陪從大屋田子、〈日下部君等祖也〉誅滅時、霞四含不物色、因曰霞里、今謂賀周里訛之也、

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 天平十二年十一月丙戌、是日大將軍東人等言、進士无位安倍朝臣黒麿、以今月二十三日丙子、捕獲賊廣嗣於松浦郡値嘉島長野村(○○○)、詔報、今覽十月二十九日奏、知得逆賊廣嗣、其罪顯露、不疑、宜法處決、然後奏聞

〔東寺百合古文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092寄進 東寺 肥前國彼杵庄日宇村(○○○)内千松寺事 右寺者、當村地頭兵庫助平幸純先祖草創之寺院也、然而覃於後代、且爲檀越之子孫、且爲住持之末資、不廢絶之畏、仍永代奉附於東寺畢、早被末寺之眷顧、被寺院之廢絶、永修練東寺之密教、不猥住他門之群徒、〈委細載別紙〉奉寄進状如件、 元弘三年三月廿一日 住持沙門重濟〈花押〉

〈武雄〉

〔後藤文書〕

〈佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 肥前國長島莊中村(○○)一分地頭秦氏女代後藤五郞次郞貞明、爲合戰忠勤、令參御方、候了、以此旨御披露候、恐惶謹言、 建武三年三月六日 進上御奉行所 承了〈花押◯高師泰〉

〔深堀系圖證文記録〕

〈二佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 肥前國高木村(○○○)一分地頭深堀三郞五郞時廣申軍忠事 今年三月下給將軍家御教書、令向玖珠城三月廿七日、就合戰之忠節、時廣〈左股骨〉被疵畢、此等子細御勘文爲分明哉、然早下給御判、備弓箭面目、向後彌抽軍忠、以此旨御披露候、恐惶謹言、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1093 建武三年十一月十日 承了判〈重義判也〉

〔太閤記〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1093高麗陣掟條々〈◯中略〉 同〈◯文祿元年三月〉廿六日、將軍〈◯豐臣秀吉〉都を立て打せ給ふ、〈◯中略〉卯月五日六日比に行滿ぬ肥前國名護屋(○○○)は、昔年松浦さよ姬がもろこし船をしたひし湊也、此所を旅館と被相定、九州勢として拵侍りぬ、

〔西遊雜記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1093 名古屋(○○○)の地は、北は大海にして朝鮮に相對し、南は山連々として要害の地也、秀吉公朝鮮の御征伐の時、諸侯在陣ありし屋敷跡、今は悉く畑と成て其形なし、しかれども爰かしこに壇取のこりて、むかしを思ふ情あり、

〔佐藤元海九州記行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1093 長崎(○○)ハ、彼杵郡長崎甚左衞門照威君ガ領セシ、元龜天正ノ頃マデハ、町數五六十ニ過ザリシトゾ、今ハ八十餘町ニテ、石高三千石餘リ、家數一萬千六十五軒、男女五萬二千七百二人アリ、町年寄八人、一丁毎ニ乙名庄屋各一人、組頭二人ヅヽ、御奉行所二箇所、御代官高木氏、居館ハ勝山町ニ在リ、

〔西遊雜記〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1093 佐賀(○○)に至る、神崎より三里、昔時龍造寺隆信の居城ありし城にて、平城ながら要害あしからず見ゆ、外見せしに主圖合結の圖に同じ、市中十八町、六千軒の地と云、草葺の小家も交りて見苦敷町ながら、長々敷一筋の町も有所也、

〔佐藤元海九州記行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1093 唐津(○○)城ハ、秀吉公ノ築カレタルニテ、石疊ヲ海ニ築出シ、甚ダ堅固確壯ノ城ナリ、町家モ四五千軒モ有ルベシ、頗ル賑ナル所ニ見ユ、城外ニ唐津浦アリ、虹ガ浦トモ稱シテ、勝景ノ地ナリ、東西二里、北ハ朝鮮國ニ對シ、海面ハ玄海灘ニテ、潮水至テ深シ、海濱ハ白沙ノ干潟ナルヲ以テ、日ニ映ジテ極テ奇麗ナリ、並松ノ青々タルト、白沙ト、夕日浪ヲ照ス紅影ト、虹ヲ見ルガ如キヲ以テ名ヲ得タリ、且又巾振山、浮竹山、玉島川、大島山等ノ名所アリ、浮竹山ハ頗ル此邊ノ高山ニテ、北方遙ニ朝鮮ノ山ヲ見ルト云フ、絶景極テ多シ、唐津ヨリ福岡城下ニ行クニハ、十里ノ行程

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 ナリ、此間ニ生野松原ト云フ名所アリ、又末村ニ至ルニハ九里、末村ヨリ太宰府ニ一里半アリ、

〔西遊雜記〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 大村(○○)〈ほうこより半里〉此所は豪家も見え、町も商人多し、船人もあしからず、能所と見ゆ、土人の物語には、鎌倉時代より、舊領の地にして、西の方は海上とは云ながらも、凡三十里、島數多く運上金夥しく、東の方地方は七里計、十二三万石の御食地と云り、其故にや武家〈并〉町もよく、領分惡からず、城は通りよりは見えず、土人に尋しかど、委敷は語らず、察る所、館造のかき上の城なるか、旅人は家中へ入る事ならず、城邊は勿論の事也、此地に義大夫といふ豪家ありて、近江より大村の長者と稱して、海濱島々の漁家仕送せし家也、今は昔と違て衰へし事也、此邊の山には水氣有て、思ひよらざる山の頂迄も、田として稻作あり、谷々も水澤山にて、流れ多し、地の利は案外の者にて、愚眼の目利には及がたし、經濟に志ある人、其地々々の地利を見る事肝要なるべし、

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 文治二年二月廿二日庚午、神崎御庄(○○○○)兵粮米事、可停止之旨、以帥中納言北條殿之間、今日且任府宣、且相尋子細、可沙汰之由、被遣天野藤内遠景、其上被關東云云、 廿八日丙子、被京都條々、有其沙汰治定云云、〈◯中略〉 一肥前國神崎御庄、可止武士濫行事、可天野藤内遠景之許者、

〔背振山修學院古文書〕

〈佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 背振山申、肥前國神崎莊内柳島田畠半分事、所返付也、存其旨下知之由、被仰下候也、仍執達如件、 建武元年十二月二十七日 隼人正〈花押〉 謹上 了明禪師庵

〔東寺百合古文書〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 最勝光院 注進寺領庄園年貢近年所濟出物等散状事〈◯中略〉 一肥前國松浦庄(○○○) 領家菅三品 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1095 本年貢米五十石綾被物一重〈七月講料〉 近年所濟代錢二十貫文、但文永七年以來寄寺於蒙古人所濟、而弘安三年十五貫文濟之、近年一向無之、〈◯中略〉 右就所見、注進如件、凡近年背先例返殘於執事公文間、御年貢濟善事、委不存知之、 正中二年三月日 公文左衞門少尉大江〈花押〉

〔高城寺文書〕

〈佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1095 肥前國河副莊(○○○)内高城寺領米津土居事、被綸旨、入部于莊家之間、可存知之由承了、此上者不子細、且又此子細正地頭殿可申入候、謹言、 十月十二日(元弘三) 相明〈花押〉 高城寺方丈

〔高城寺文書〕

〈佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1095 勅願寺肥前國高城寺領、同國河副南北莊(○○○○○)内、極樂寺免用漆町五段、并江上藥師堂免田壹町、河上仁王講免田五段〈北方分〉米津土居外旱潟荒野壹所〈見四至寄進状等南方分〉事、當知行、不相違之由、内大臣殿〈◯吉田定房〉御氣色所候也、仍執達如件、 建武元年十一月十二日 前伯耆守〈花押〉 高城寺方丈

〔後藤家古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1095 肥前國墓崎莊(○○○)梅山以下總領地頭職、赤保院内同撿斷本司職、同國杵島北郷母村、〈號石次〉并松浦西郷瀬浦等、後藤又次郞光當知行、不相違者、天氣如此悉之、 建武元年五月一日 式部大丞〈花押〉

〔河上山古文書〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1095 花押 肥前國鎭守河上社免田佐賀上莊(○○○○)田地七町内五丁五反、當社座主増惠當知行之由被聞食畢、任先例御祈禱之状如件、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 建武元年六月十八日 左兵衞尉原清

〔後藤文書〕

〈佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 橘薩摩聖空申、長島莊(○○○)〈◯肥前杵島郡〉内下村田畠等、本物返事帶沽券状正文、今月十日以前可參決之由、相觸勇猛寺大進法眼、同寺住僧上座、長田五郞次郞、片峯女房、岩永左衞門入道、并澀江住人五郞四郞等、可執進請文、若不承引者、載起請詞注進也、仍執達如件、 建武元年八月四日 目代〈花押◯源處英〉 塚崎後藤彦三郞殿

〔深堀系圖證文記録〕

〈二佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 大友左近將監〈◯貞載、肥前守護、〉状 肥前國彼杵莊(○○○)南方地頭御代官賢法申、深堀孫太郞入道明意、〈◯時通〉同子息彌五郞〈◯政綱〉已下輩、於當莊日皮鹿皮村、致放火刃傷已下狼藉由訴状、〈副具書〉如此度々被仰了、如状者、遂撿見云々、早相催彼杵大村太郞〈◯中略〉以下近隣輩、早莅彼所、止明意等濫妨沙汰、居御代官於莊家、且云實撿勘文狼藉人等、不日注進之、且企參洛、可明申候由、相觸交名人等執達、散状之状如件、 建武元年十月十七日 左近將監 守護代

〔深堀系圖證文記録〕

〈二佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 和與 肥前國彼杵庄(○○○)南かたのうち、みゑくろさきりやう所、ならびにさんやでんはくざいけとうの事、〈◯中略〉 建武三年十一月十九日 源景家判

〔後藤古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 後藤六郞朝明申、肥前國神邊庄(○○○)、古飯諸次郞入道妻尼了一跡内、松吉名田地貳拾町〈畠地屋敷、可田數分限、〉地頭職事、爲勳功之賞宛行訖、早原田々中三郞相共、可汰付下地於朝明、至餘殘者、載起請之詞、可注申、仍執達如件、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 建武四年九月十一日 沙彌〈花押◯一色範氏〉城戸六郞左衞門尉殿

〔深堀系圖證文記録〕

〈二佐賀文書纂所收〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 肥前國伊佐早庄(○○○○)戸石村内〈矢上空閑民部三郞入道妻女跡〉田地捌町、湯江大野田崎村内〈孫次郞入道同四郞同小次郞跡〉田地玖町、長瀬村田中内〈時津四郞五郞入道跡〉田地四町〈畠地已下各可田數一地頭職等事、爲勳功之賞宛行也、早守先例、可沙汰、仍執達如件、 建武五年二月九日 沙彌〈◯一色範氏〉判 深堀彌五郞殿〈◯政綱〉

〔正閏史料〕

〈二之一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 判 下 開田出羽前司遠長 可早領知肥前國加世庄(○○○)地頭兼預所職、同國高來東郷内三會村地頭預兩所職、筑前國頓野郷地頭職事 右任父出羽權守資長法師〈法名行素〉建武二年二月三日讓状、可領掌之状如件、 康永四年十月廿七日

〔島原記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 天草島原一揆蜂起并吉利支丹濫觴之事 寛永十四年丁丑ノ秋、朝ニハ東方ノ雲赤ク燒ケ、暮ニハ西方ノ雲燒ケ、又所々ニハ不時櫻ノ花咲キ、春色ニ相似タリ、是天地ノ災變也ト風聞ス、其比島原ノ庄(○○○○)ニ隱レ居ル吉利支丹ノ張本人、大矢野松右衞門、千束善左衞門、大江源左衞門、山善右衞門、森宗意ト云五人ノ百姓、元來肥後國天草ノ内、大矢野千束村ノ者也、〈◯下略〉

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 松平肥前守茂實(大廣間 從四位侍從)〈◯中略〉 三拾五万七千石餘 居城肥前佐賀郡佐賀〈江戸ヨリ〉海陸二百九十里 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 〈龍造寺政家領、慶長五ヨリ鍋島氏直茂、以後代々領之、〉 鍋島欽八郞(柳間 朝散大夫) 七万三千二百五十石餘 在所肥前小城郡小城〈江戸ヨリ〉海陸三百十三里 松平主殿頭(帝鑑間 朝散大夫) 七万石 居城肥前高來郡島原〈江戸ヨリ〉海陸三百一里半 〈往吉有馬修理大夫晴信累世領之、元和元、松倉豐後守重政、同長門守、寛永十五、高力攝津高房、同右京大夫、寛文九年、松平大炊頭忠房、同主殿頭忠雄、同主殿頭忠視、同主殿頭忠利、同吉十郞忠祗、寛延二、戸田能登守忠辰、同因幡守忠寛、安永二、再松平主殿頭忠恕、以後領之、〉 松浦肥前守詮(柳間 從五位上) 六万千七百石 居城肥前松浦郡平戸〈江戸ヨリ〉海陸三百十九里 〈當國平戸、並壹岐國、差出之高、松浦氏代々領之、◯節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 小笠原佐渡守長國(帝鑑間 朝散大夫)〈◯中略〉 六万石 居城肥前松浦郡唐津〈江戸ヨリ〉海陸三百十一里 〈當城者朝鮮陣之時、太閤秀吉爲在陣之、寺澤志摩守廣高、同兵庫頭堅高居、慶安二、大久保加賀守忠秀、同出羽守忠朝、延寶六、松平和泉守乘春、同源次郞乘益志州鳥羽替、元祿四、土井周防守利益、同大炊頭利實、同大炊頭利延、同大炊頭利里、寶暦十二、水野和泉守忠任、同左近將監忠鼎同和泉守忠光、同左近將監忠邦、文化十四ヨリ小笠原主殿頭長昌、以後領之、〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 鍋島甲斐守直紀(柳間 朝散大夫) 五万二千六百二十五石餘 在所肥前佐嘉郡蓮池〈江戸ヨリ〉海陸三百十三里 大村丹後守純熙(柳間 朝散大夫) 二万七千九百七十石餘 居城肥前彼杵郡大村〈江戸ヨリ〉海陸三百五十里 〈當城差出之高、大村氏先祖代々領之、◯節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 鍋島備中守直彬(柳間 朝散大夫) 二万石 在所肥前藤津郡鹿島〈江戸ヨリ〉海陸三百四十五里餘五島飛騨守盛徳(柳間 朝散大夫) 一万二千六百石 居城肥前松蒲郡五島福江〈江戸ヨリ三百九十五里ヨ、江戸ヨリ大坂迄陸百卅二リ、大坂ヨリ海上二百六十三リヨ、 當城慶長十九年八月、燒失後中絶、嘉永二七月、依台命左衞門尉盛成再築之、當城差出之高、先祖代々五島氏領之、◯節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 松浦左近將監脩(柳間 從五位上)〈◯中略〉一万石 在所肥前松浦郡平戸新田〈江戸ヨリ〉海陸三百十九

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 里 〈元祿二年ヨリ松浦大膳昌以後領之〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 肥前國 管十一〈田萬三千九百餘町〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 肥前〈上遠〉十一郡〈(中略)田萬三千四百六十二町〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 肥前州 有温井二所、郡十一、水田一萬四千四百三十二町、

〔日本鹿子〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 肥前國十一郡、中上國、南北五日、〈◯中略〉知行高五十六万千四百三十石、

〔和漢三才圖會〕

〈八十肥前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 十一郡 高六十七万千四百三十七石

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 肥前國 十一郡〈◯中略〉 一石高五拾七万貳千貳百八拾四石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 天保度御國高調〈◯中略〉 肥前國〈御料私領〉 一高七拾万六千四百七拾石七斗貳升三合壹勺九才六札

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 肥前國正税公廨各廿万束、國分寺料、三万三千三百九十四束、〈當國壹岐島各一万六千六百九十七束〉文殊會料二千束、府官公廨十五万束、衞卒料一万八千一百五束、修理府官舍料六千束、池溝料三万束、救急料四万束、俘囚料一万三千九十束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 肥前國 管十一〈(中略)正公各二十萬束、本穎六十九萬二千四百九十九束、雜穎九萬二千五百八十九束、〉 ◯按ズルニ、延喜式ニ據レバ、雜稻二十九萬二千五百八十九束ナリ、此書九萬ノ上、二十ノ二字ヲ脱ス、又本穎ノ四百九十九束ハ、應ニ五百八十九束ノ誤ナルベシ、

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 肥前〈◯中略〉 右廿五國中絲〈◯中略〉 肥前國〈行程上一日半、下一日、〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 調綿紬十八疋、貲布廿六端、御取鰒三百六十四斤、短鰒五百卅四斤、長鰒廿四斤、羽割鰒廿四斤、熬海鼠三百一斤十四兩、鹽卌五斛、自餘輸絹、絲、綿、席、薄鰒、 庸輸綿米、薄鰒、 中男作物、斐皮、葉薦、苫、防壁、韓薦、浦薦、折薦、簀、閉彌油、荏油、鮨鰒、腸漬鰒、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 肥前 白太米(シロダイタウ) 土器〈秀吉公薩摩入之時、天下一ニ免ス、〉 佐賀疊表 束刀〈是ヲ奈良ニノボス〉 有馬鐵炮 唐津今利ノ燒物 長崎木綿 畝指踏皮 鬙紙(モトヒカミ) 紙帳 紙被(ブスマ) 唐蒔繪 土圭細工 繪莚 繪簾 竹曲籙 十露盤 丸子〈燈臺也〉 白多葉粉 蜜漬生姜 佛手柑 マルメロ 蜜柑 久我梨(コガナシ) 蒲萄 蓮芋 水瓜 ボプラ 鳳蓮草〈アヘモノニ用之〉 五島鰑 宇爾 鮔(アゴ) 文鰩魚(トビウヲ) 節鰹 鯨油 若和布 松苔 海蘿 揚梅皮 車輪 松牛引物 樵木 二神隼 平戸串鮑 赤鼻魚〈鰤ニ似〉 野茂小鯛 寺井海茸 海月 海鱇〈所ニテ薄紅梅ト云〉 シクチ http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e8fb.gif  ムツノ魚〈鯲ニ似〉 メクハジヤ〈貝也〉 アゲマキ〈同〉

人口

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 肥前國 十一郡〈◯中略〉 一人數六拾三万貳千九百貳拾三人 内〈三拾四万千八百八拾七人 男 貳拾九万千三拾六人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數七拾壹万貳千六百五拾四人(御料私領) 肥前國(高五拾七万貳千貳百八拾四石餘) 内〈三拾七万三千六百八拾壹人 男 三拾三万八千九百七拾三人 女◯中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數七拾壹万三千五百九拾三人(御料私領) 肥前國(高七拾万六千四百七拾石餘) 内〈三拾六万六千九百八拾貳人 男 三拾四万六千六百拾壹人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 肥前國 肥前國ノ風俗、山陰ヲ合タルヨリ、猶勇國ニテ、勇ニ趣ク時ハ、義ヲ知テヒルム色ナシ、誠ニ其國之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 濕土ニ生得ルトハ云ナガラ、百人ニシテ九十九人如斯也、若一人不勇ノ人アルハ、珍敷事ドモ也、武士之風俗猶以如此ト可知也、雖然無風ニ勇ヲ行フガ故ニ、温和之志ヲ不知ナリ、サレドモ上ト而ハ下ヲ哀ミ、下ト而ハ上ミヲ敬ヒ、主君之爲ニ命ヲ捨ン事ヲ常ニ願ヒテ、志ス事士ヨリ國民ニ至マデ皆如斯ナレバ、百姓町人ト云ヘドモ、義理ヲ強フ、而身ニ難遁罪科有テ、死ニ究ルト知ル時ハ、男女ニ不限致死事、露程モヲシマザル也、音聲ハ卑劣ナリ、風儀ハ信州ニ而智之スクナキ國風ナレドモ、人之一和スルコトハ信州ニコヘタリ、

名所

〔日本鹿子〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 同國〈◯肥前〉中名所之部 川上 佐賀郡のうち也、神所也、縁記草創神社の部に有之、此所北は山也、北より南へ流たる川也、此川上にわれはあれどもとよみしも此所也、 松浦山 是をひれふる山とも云といへり、此山より、五りばかり未申のかたに、呼子といふ所有、此浦里の向に島あり、社もあり、夫婦石とて、松浦さよひめ渡唐船したひし大臣の、石となりて御座也、呼子と云所、此島より中間十町計也、定家卿のうたに、 せみのはの衣に秋を松浦かたひれふる山の暮ぞ凉しき 鏡(カゝミ)の宮 松浦山のひつじさるのふもと也、北西海也、宮より十町ばかり西に、南より北へ浦へながれ入たる鹽入の大河二瀬あり、松原川また、鏡の渡り、くりや川とも云也、〈◯中略〉 玉島川 浮島との間、一り計の松原也、此川神功皇后の金魚釣給ふ所也、あがり給ふ石いまにあり、此石より三町計の間は、今も鮎をつる也、此川は草野の大村と云所也、 近(チカ)の浦 上松浦のうちに有之、また下松浦に見るめの浦と云有、 未那板原 有明(アリアケノ)の沖(ヲキ) 名所多有之といへども、在所分明ならざるゆへ除之、

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 諸國器仗〈◯中略〉 肥前國〈甲三領、横刀八口、弓廿張、征箭卅五具、胡簶卅五具、〉

〔類聚三代格〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 太政官符 應史生一人弩師事 右得太宰府解偁、肥前國解偁、凡器仗之威、以弩爲本、防衞之要、莫斯、望請、停史生一員、任弩師者、府加覆審、理誠可然、謹請官裁者、大納言正三位兼行左近衞大將陸奧出羽按察使源朝臣多宣、奉勅、依請、 元慶三年二月五日


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:59 (387d)