http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1151 近江國ハ、アフミノクニト云ヒ、舊クハチカツアフミノクニトモ云ヘリ、東山道ニ在リ、東ハ伊勢、美濃、西ハ山城、丹波、南ハ伊賀、北ハ若狹、越前ニ界シ、東西凡ソ十二里、南北凡ソ十九里、中央ニ琵琶ノ大湖アリテ、山水頗ル明媚ナリ、謂ユル近江八景ハ其湖邊ヲ環レリ、此國ハ古ヘ國府ヲ栗太郡ニ置キ、滋賀(シガ)、栗太(クリモト)、甲賀(カフガ)、野洲(ヤス)、蒲生(ガマフ)、神崎(カンザキ)、愛智(エチ)、犬上(イヌカミ)、坂田(サカタ)、淺井(アサヰ)、伊香(イカコ)、高島(タカシマ)ノ十二、郡ヲ管シ、延喜ノ制、大國ニ列ス、明治維新ノ後、淺井郡ヲ分チテ東淺井、西淺井ノ二郡トナシ、更ニ西淺井郡ヲ伊香郡ニ併セ、新ニ大津市ヲ設ケ、滋賀縣ヲシテ一市十二郡ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1151 近江〈知加津阿不三〉

〔運歩色葉集〕

〈阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1151 近江

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1151 淡海(アフミ/アハミ)〈上古謂近江淡海、故不比等薨後、封近江國侯、諡淡海公、〉

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1151 次大山〈上〉昨神、亦名山末之大主神、此神者坐淡海國之日枝山

〔倭訓栞〕

〈前編一阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1151 あふみ 江をよめり、近江遠江の類也、淡海の義はう反ふ也、和名抄に近江ちかつあふみと見えたるを、今あふみとばかりいふは略せる也、

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1151 淡海は、息長帶比賣命段歌に、阿布美とあり、和名抄に、近江知加津阿不美とあるは、遠江に對へて、後に云る名にして、古も今も常には近江と書ても、たヾ阿布美と云なり、さて此は湖

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1152 ある故の名にして、即阿波宇美の切まりたるなり、〈淡海とは、潮ならぬ淡しき海を云なりさて其は湖の名なれば、其國をば淡海國とは云へけれど、淡海とのみ云ては、國ノ名には非るが如くなれども、本を以てやがて末の名にすることも、他にも常に例おほきことなり。〉

〔諸國名義考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1152 近江 和名抄に、近江〈知加津阿不三、國府在粟本郡、〉名義は淡海(アハウミ)なり、この國に大湖あるゆゑに負せたる名なり、續日本紀、元正天皇養老元年九月丁未、天皇行幸美濃國、戊申、行至近江國、觀望淡海とある淡海は、則大湖をさして云るにて、此國の名義なり、さるを近つ淡海といへるは、遠つ淡海に對へたる名なり、古事記傳に、遠江に對へて、近つ淡海とはいへども、古も今も、常には阿不美とみの言り、故師は、古事記に近字あるは、後人の加へたるかと云れたり、云々とあり、さもあるべし、國造本紀には、遠江をば遠淡海と書れど、近江はたヾ淡海とのみ書り、藤原不比等公薨去の後に、近江國に封て、諡を字音にて淡海公と賜ひしにても、いにしへ淡海の字を用られしことしらる、されば阿波宇美と唱へしことうつなくおもはる、

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1152 夫以は、近江國舊淡海の國と號す、舊事紀に出たり、衆山東西に峙、中に大水を湛、殆海のごとく水淡し、故に名づく、或は佐々浪の國といふ、樂浪、或は佐々名實の文字につくる、倶に假名文字なり、佐々は小少の名にして、ちいさきの義なり、小き蟹をさヽがにといふ、小さき石をさヾれ石といふ、少しく夜のふくるを小夜ふくるといふがごとく、さヽは少しきなり、此湖の浪少しくして、大海の浪のごとくあらざる、そのいひなり、顯昭もさヽ浪、さヽら浪はみなちいさき波の名なりとしるせり、淡海國、佐々奈實の國、みな湖水あるによりての號なり、天智天皇都を大津に遷させたまひ、湖の皇都に近くあるをもつて、改て近江國と號したまふ、湖は、江なり、遠江の國に對して名づけたまふといへり、古事記に、近淡海國、遠淡海國の名を載たり、今按ずるに、元明天皇の後、近淡海の文字を近江國の字にあらためさせたまふなるべし、今訓じてあ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1153 ふみといふ、あふみはあはうみなり、はうの反ふと反る故、今あふみとかけり、俗間今江州といひ、近州といふ、文人詩客詞章をつくり、簡牘を栽する者、みなこれをもちゆ、甚しき誤なり、近江國の號は、詔に出てより、歴朝革ることなき嘉號なり、然るを私に近州江州の號をよぶこと、彼西土の禹貢天下を九州に分てるに擬せんと欲せるこヽろなるべし、釋虎關元亨釋書を著し、もつはら州の字を用、是より流例となる、江州のごときは其意なしとすべからず、近州のごときに至ては、全く意義なし、俗習の久しきとはいへども、改むべきことなり、

〔日本書紀〕

〈十七繼體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1153 二十四年、是歳毛野臣被召到于對馬、逢疾而死、送葬尋河而入近江、其妻歌曰、比攞哿駄喩(ヒラカタユ)、輔曳輔枳能朋樓(フエフキノボル)、【阿符美】能野(アフミノヤ)、愷那能倭倶吾伊(ケナノワクコイ)、輔曳府枳能朋樓(フエフキノボル)、

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1153近江荒都時、柿本朝臣人麿作歌、〈◯中略〉【石走】(イハバシル)、【淡海國】乃(アフミノクニノ)、樂浪乃大津宮爾(サヽナミノオホツノミヤニ)、天下(アメノシタ)、所知食兼(シラシメシケム)、天皇之(スメロギノ)、〈◯下略〉

〔冠辭考〕

〈二伊〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1153 いはゞしの 〈まぢかき かみなび あふみ◯中略〉卷一に、石走淡海(アフミノ)國乃、また磐走(イハハシノ)、淡海乃國之云々、〈◯中略〉いはゞしのあはひ(間)といふを、あはうみのあはにいひかけしなるべし、あふみは本阿波宇美なるを、波宇を約むれば布となる故に、阿布美といふめれば、その本の語にいひかけつらん、〈◯中略〉かく幽かにいひかくるぞ、冠辭のならひなりける、〈或説に、田上の邊は、沸ち落る水の磐の上を走るをもて、石走淡海といふといへるは、ゆくりなく聞てはさも有ことゝおもはるれど、古への冠辭のもとづき様、さる事にあらず、〉

〔淺井三代記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1153 永正亂の興 夫近江國には、鎌倉源氏の御代より、三十六人の國衆、八十二人の郷侍と申て御座候處に、其後尊氏將軍の御時分、佐々木佐渡判官入道道譽の威勢に一國なびき、彼道譽にしたがはずといふ事なし、其以前より江州一國を二つにわかち、江南江北(○○○○)と申て、愛知川より北を江北と申、愛知川よ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1154 り南を江南と申ける、

〔江濃記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1154 淺井出身事 淺井休外齋入道橘高政は、朝倉教景の吹擧により、京極殿の一跡を給りけれども、國人おほく背ければ、伊勢の國司、并長野若狹守、關刑部大輔、美濃土岐殿、并齋藤其外朝倉より加勢を請ひ、北近江(○○○)五郡をやう〳〵治めける、

位置

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1154 大凡此國の野軫にあたれり、北極地をいづること三十五度半、日本の里數にてかんがふれば北極のある所へは千二百八十八里四分一あるなり、四時の氣候中正の國なり、分野のこと、秦漢よりもつはらこれをいへども、故賢の端辨ありて、採もちいがたきことあり、當國軫宿にあたれるといふの義、私説にあらず、保井春海、日本の分野の圖を著し、近江をもつて軫にあてたり、今これにしたがふのみ、

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1154 各國經緯度〈附里程〉 近江彦根〈傳馬町〉極高三十五度一十六分、經度東三十一分、從東都〈中山道〉一百二十里一十五丁五十二間半、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1154 北極出地 近江 大津 三五度◯◯分三〇秒 長濱 三五度二三分◯◯秒 彦根 三五度一六分◯◯秒 大溝 三五度一八分◯◯秒 堅田 三五度◯七分◯◯秒 草津宿 三五度◯一分◯◯秒 石部宿 三五度◯一分◯◯秒 膳所 三度◯◯分◯◯秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 ◯度◯◯分◯◯秒〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 近江 彦根 東◯度三一分一七秒 膳所 東◯度◯七分四八秒

疆域

〔淡海地志〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 中山道近江州者、六十餘州之一邦、〈◯中略〉既究厥邊境、則東接濃勢、西交山丹、北隣若越、南界伊賀、環之以七箇國而略焉、厥土五邑、厥田惟上、挍厥收穫、歳修八十三萬餘斛、而稼稷豐美之無盡藏也、昔者分二十有四、而今區鬲十二郡、計厥行程、横得一十有六里餘、竪得三十有三里若干、〈本國里數有三等、三十六弓爲一町、而有三十六町一里者、但以六町而爲一里者、又以五十町而爲一里者、今從三十六弓一里者矣、〉

〔淡海地志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 一四至傍示 北堺越州 東倚勢州濃州 南跨伊州 西隣山州丹州若州

〔日本地誌提要〕

〈二十三近江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 疆域 東ハ伊勢美濃、西ハ山城丹波、南ハ伊賀、北ハ若狹越前ニ至ル、東西凡壹拾貮里、南北凡壹拾九里、

〔東海道名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 山近兩國堺〈いにしへは逢坂山の峠の少し南也、今に兩國寺といふ淨刹あり、當時は追分を山城近江の堺とす、此邊の名物には、大津繪または算盤、針、饅頭等也、繪は土佐又平こゝに住て書初しとぞ、算盤は一里塚前を善とす、針は此所の名池の側世に名高し、原此針細工人の家、京東六條に大きなる池ありて、其側なれば池の側針といふ、東本願寺建立の時、公命によつて針師殘らず逢坂山の麓に替地を賜ふ、舊名を呼んで今も池の側といふ、〉

〔東海道名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 近勢國堺〈澤村立場の入り口に、近江伊勢二州の封示あり、〉

〔近江名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 江州勢州國界標木〈鈴鹿の岑の堀切川は、いにしへは近江と伊勢の國境也、應永十二年の山崩に、其水落の變りしより以來、貞享年中よりは今のごとしと、鈴鹿郡賦に見へたり、〉

島嶼

〔日本實測録〕

〈十二湖沼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 近江國 琵琶湖〈◯中略〉 〈湖中〉竹生島〈實測〉周廻一十九町一間、 沖島、〈實測〉周廻一里廿七町一十六間、 大浦葭、〈實測〉周廻二里一十四町一十八間、 多景島、遠測、 沖白石島、遠測、

〔日本鹿子〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1155 同國〈◯近江〉名所之部 竹島 比良より奧也、竹生島にちかし、其外島々數多有之、 竹生島 比良より海上六里也、余古の海といふ也、水海の北の奧也、辨才天たち給ふ、草創縁記、神社の所に有之、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1156 目にたてヽ誰か見ざらん竹生島波にうつろふあけの玉がき

〔帝王編年記〕

〈十元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1156 養老七年癸亥、古老傳曰、〈◯中略〉又云、霜速比古命之男多々美比古命、是謂夷服岳神也、女次佐志女命、是夷服神之姉在久惠峯也、次淺井比咩命、是夷服神之姪、在於淺井岳也、是夷服岳與淺井岳、相競長高、淺井岳一夜増高、夷服岳怒拔刀劒、殺淺井比賣之頚、隨江中而成江島、名竹生島、其頭乎、

地勢

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1156 近江〈江州近州〉大、管十三郡、四方三日半、山河田畠保疆潤澤、種得千倍、鄰京、春氣早、日本四番國也、大上々國也、

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1156 此國の地たる、北は若狹越前にまじはり、南は伊賀伊勢山城三國に連り、東は美濃伊勢の界につヾき、西は山城若狹丹波の地に校れり、地形長して廣し、巽にいたつては地勢窮迫す、

〔藤原家傳〕

〈下武智麻呂〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1156 近江國者、宇宙、有名之地也、地廣人衆、國富家給、東交不破、北接鶴鹿、南通山背、至此京邑、水海清而廣、山木繁而長、其壤黒壚、其田上々、雖水旱之灾、曾無穫之恤、故昔聖主賢臣、遷都此地、郷童墅老、共稱無爲、携手巡行、遊歌大路、時人咸曰、太平之代、此公私往來之道、東西二陸之喉也、其治急、則姧僞而、逋竄、其治緩、則嫚悔而侵凌、

氣候

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1156 四時中正の國なりといへども、一國の中寒おなじからず、志賀、栗本、甲賀三郡のごときは、大概京都におなじくして、寒暖偏ならず、蒲生、神崎、坂田、犬上、高島等の諸郡は、寒氣はやくして、暖氣遲し、伊香淺井の二郡は、寒氣大甚久しく、毎年十月より明年三月まで雪きへず、大略越前美濃の地氣に似たり、

道路

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1156 此國より他國にいづる路多し、是を彼越是越といふ、坤山城界相坂越より、艮美濃界長競越に至て二十里、午未山城界宇治田原越より、子丑越前界七里半越にいたつ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1157 て二十三里、巳午伊勢界鈴鹿越より、子丑越前界虎杖(いたどり)越にいたつて二十八里、坤山城界相坂越より、巽伊勢鈴鹿越にいたつて十六里、子亥美濃界藤川越より、巽越前界にいたつて十五里あるなり、

〔近江國輿地志略〕

〈四道路〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1157 官路 東海道、中山道是なり、二道は京師より江戸にをもむくの路なり、其路倶に近江の國を歴るなり、沿革あつて古の如くにはあらずといへども、其名はかはらず、其驛も皆々かはりて、昔し驛なりし處も郊野となり、田畑なりし地もいま驛となるところ多し、源順が和名抄に、驛家南北にありとしるせし篠原も、いまは驛にあらず、東鑑盛衰記等をかんがうれば、鏡の宿、野路の宿などあれば、治承壽永のころは、是も驛なりと見えたり、古へのことは皆かくのごとくかはれるたぐひたり、驛のみに、今驛は東海道にては、大津、草津、石部、水口、土山なり、中仙道にては、守山、武佐、愛智川、高宮、鳥本、番場、醒井、柏原なり、按ずるに日本紀略に、延暦十四年七月辛の卯、遣左兵衞佐橘入居近江若狹兩國之驛路とあり、〈◯中略〉 東海道 十四里三十四町五十五間なり、山城近江兩國の界、追分長町より、近江伊勢兩國の界、鈴鹿越に至ツてのつもりなり、山城の國界、追分長町より六町四十五間東に一里塚あり、是より一里ごとに此塚あり、當國東海道の終の一里塚より、伊勢の國界、鈴鹿(すゞか)越まで二十八町十間あるなり、 中山道 十九里二十八町三十五間なり、山城近江兩國のさかい追分長町より、近江美濃兩國のさかい、寢物語にいたつてのつもりなり、近江の國一里塚ある所より、國堺寢物語まで二十二町五十五間あるなり、 越前路 十二里三町二十四間なり、越前近江兩國のさかい國堺嶺より、近江美濃兩國のさかい夫婦岩までの積なり、近江一里塚あるところより、越前國界に至つては十三町二十四間あり、近

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1158 江美濃兩國の界、夫婦岩の邊一里塚なし、 若狹路 八里拾九町なり、柳瀬村より、近江美濃の國界、夫婦岩に至つて積なり、 山城國路 十八あり、十八の内には、官路、小徑、間道ありといへども、次第をわかたずしるす、十八といへるは、逢坂越、追分越、小關(こせき)越、如意越、山中越、水呑越、青山越、水谷越、八瀬越、仰木越、伊香達越、途中越、久田越、醍醐越、烟越、曾東越、宇治田原越、裏白嶺越、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e229.gif 乃越、以上十八なり、土俗坂路を經て捷徑に行を、何越某の越といふ、〈◯中略〉 伊賀路 四道あり、於土岐越、丸柱越、内保越、油日越なり、〈◯中略〉 伊勢路 九道あり、九道は鈴鹿越、安樂越、小岐須越、大河原越、仁正寺越、千種越、八風越、君畑越、大君畑越なり、〈◯中略〉 美濃路 七道あり、長競越、藤川越、大久保越、加須川嶺越、久加越、中尾嶺越、島津越なり、〈◯中略〉 越前路 六道あり、虎杖越、庄野嶺越、倉坂越、沓掛越、大浦越、七里半越なり、〈◯中略〉 若狹路 四道あり、栗柄越、深清水越、大杉越、針畑越なり、

〔淡海地志〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1158 陸路行程 一大津より 京へ三里 一同 草津へ三里半六町、草津より石部へ貮り半十貮町、 石部より水口へ三里九町、水口より土山へ貮里半七町、 一草津より守山へ壹里半、守山より武佐へ三里半、武佐より愛知川へ貮里半、愛知川より高宮へ貮里、高宮より鳥居本へ貮里半、鳥居本より米原へ壹里半、米原より長濱へ貮里八丁、長濱より木本へ三里十貮里、木本より柳ヶ瀬へ貮里八丁、柳ヶ瀬より中河内ヘ貮里半十町、中河内より板取へ三里也、〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1159 竪横行程 一近江竪道 南は山城宇治田原、北は越前虎杖峠迄三十三里、 一同横道 西は逢坂、東は伊勢鈴鹿迄十六里、 一同横道 北は越前板取峠、東は美濃境藤川迄、 一同東湖之陸伊庭より、伊勢境千草越まで十壹り、 一同西湖之陸今津より、若狹熊川迄四里、 右出軍書 陸路 一疋田より柳ケ瀬へ三里、簗ケ瀬より木之本へ二り八丁、木之本より小谷へ貮里半、小谷よりすいせうへ四里、すいせうより藤川へ壹り、藤川より關ケ原へ壹り半、 一高宮より愛知川へ貮里、愛知川より八日市へ貮里、八日市より石原へ三里、石原より鎌がけへ貮り、かいがけより土山へ貮り、土山より坂之下へ貮り半、坂の下より關へ壹里半、關より久保田へ四里、久保田より津之城へ壹り半、津之城より雲津へ壹里、雲津より松坂へ貮里、松坂よりおまたへ四里、小俣よりやうたへ壹り、やうたより外宮へ五十町、外宮より内宮江貮里、宮川有、 一長濱より米原へ貮里半、米原より鳥居本へ壹り、鳥居本より高宮へ壹里半、高宮より愛知川へ貮り、愛知川より八日市へ貮里、八日市より岡本へ貮里、岡本より石原へ半り、石原より鎌懸へ貮里、かいかけより土山へ貮里、土山より坂之下へ貮里、坂之下より關之地藏迄貮り、 一名古屋より須俣へ貮り十壹町、大垣へ貮里半、垂井へ三里半、關ケ原へ三り半、水晶小谷木之本柳ケ瀬つはひ中河内道度出前、 一海津より山中へ三里半、駄口へ壹り、疋田江壹り、敦賀へ貮里、ゆかわへ貮里、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1160 一はん原へ壹里、敦賀へ半り、はん原よりしんぼへ半里、ふたはやへ壹り、歸り壹り、今庄へ壹里、今庄より板取峠へ貮里、 右出得用集

〔日本實測録〕

〈二街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1160東海道土山日野武佐 近江國甲賀郡土山宿 一里二十三町四十七間 蒲生郡鎌懸(カイカケ)村、三十四度五十九分半、 三十二町五十一間 日野大窪町〈至仁正寺陣屋一十一丁一十五間〉 一里六町二十間半 石原宿 一十五町五十二間 岡本宿、三十五度三分、 二里八町五十九間半 辻村〈歴八日市村濱野村七丁二十一間半、〉 一里一十八町四十一間 武佐宿 〈從土山武佐〉街道、通計七里三十四町三十間半、 從東海道鳥居川沿勢田川伏見 近江國滋賀郡鳥居川村 三十二町八間〈至石山寺前一十六丁二十九間〉 千町村 二里一十六町二十一間〈至獅子飛三十三丁三十間〉 栗本郡曾束村〈至山城國宇治郡池之尾村宿所、一十三丁二十三間、北極高三十四度五十五分、〉 二里二十一町三十七間〈至國界一十三丁二十四間、從國界、至平等院前一里三十丁四十九間、〉 山城久世郡宇治郡橋本町〈◯中略〉 從東海道大津海津及疋田鞠山〈本敦賀〉 近江國滋賀郡大津宿上京町 九町二十九間 同北保町 一里三十町三十五間半 比兄辻(ヒエツジ)村 二十八町一間半〈至琵琶湖傍五丁四間〉 雄琴村 一十五町二十四間 衣川(キヌガハ)村 一里二町八間 濱村 二十一町一十三間 南濱村 一十五町三十八間〈至中濱村琵琶湖傍五丁一十七間〉 北濱村 八町四間 北舟路村 二里六町三十七間 南小松村、三十五度一十四分半、 二十八町四間半 北小松村一里二十八町三十七間〈至大溝長刀町琵琶湖傍一里二十三丁三十七間〉 高島郡大溝木町、三十八度一十八分、 二里二十六町三十六間 木津村〈又呼古津〉 一十五町一十一間〈至木津入江傍二丁一十間〉 今津 二里三十一町五十九間半 西濱村 一十町三十七間半 海津(カイヅ)東町 一里三町五十間〈至劔熊關所二丁一間〉 野口村 一十

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1161 五町七間半〈至國界九丁八間半〉 越前國敦賀郡山中村〈◯下略〉

〔日本實測録〕

〈三街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1161東京中山道至草津〈◯中略〉近江國坂田郡柏原宿 一里一十五町一十五間 醒井宿 三十四町五十五間 番場宿 一里二町二十四間 下矢倉村 八町八間 鳥居本宿 一里二十三町二十間 犬上郡高宮宿、三十五度一十四分、〈至多賀神社三十三町二十七間〉 二里五十七間半 神崎郡愛知川宿 二里一十七町 蒲生(ガマフ)郡武佐宿、三十五度七分半、 一里一十九町二十七間 鏡村、三十五度六分、 一里二十一町一十間半 野洲郡小篠原村〈至三上陣屋二十丁三十七間〉 二十七町一十八間 守山宿 一里一十町一十六間 栗田郡草津宿 〈從東京草津〉中山道、通計一百二十九里二十七町五十二間〈◯中略〉 從中山道下矢倉木本 近江國坂田郡下矢倉村 二十四町四十間 米原(マイハラ)村、三十五度一十八分半、〈至琵琶湖傍三丁二十九間半〉 二里一十二町四十五間半 長濱〈至出町六丁二十七間、北極高三十五度二十三分、〉 三里三十三町二十四間〈至速見村二里二丁三十一間半〉伊香郡木本宿 〈從下矢倉木本〉街道、通計六里三十四町四十九間半、

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1161 諸國驛傳馬 近江國驛馬〈勢多三十疋、岡田、甲賀各二十疋、篠原、清水、鳥籠、横川各十五疋、穴太五疋、和爾、三尾各七疋、鞆結九疋、〉傳馬〈栗太郡十疋、滋賀、甲賀、野洲、神崎、犬上、坂田、高島郡和邇、鞆結驛各五疋、〉

〔太平記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1161 俊基朝臣再關東下向事 駒モ轟ト蹈鳴ス、勢多ノ長橋打渡リ、行向人ニ近江路ヤ、世ノウ子ノ野ニ鳴鶴モ、子ヲ思カト哀也、時雨モイタク森山ノ木下露ニ袖ヌレテ、風ニ露散篠原ヤ、篠分ル道ヲ過行バ、鏡ノ山ハ有トテモ、泪ニ曇テ見ヘ分ズ、物ヲ思ヘバ夜ノ間ニモ、老蘇ノ森ノ下草ニ、駒ヲ止テ顧ル、古郷ヲ雲ヤ隔ツラン、番馬醒井柏原、不破關屋ハ荒果テ、〈◯下略〉

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 【守山】(モリヤマ)〈江洲野洲郡〉

〔源平盛衰記〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 佐々木取馬下向事 高綱ハ、〈◯中略〉京ヲバ未明ニ出タレ共、不習歩道ナレバ、ナヘグ〳〵其日ハ守山ノ宿(○○○○)ニ著、知タル者ニ馬ヲモ乞乘バヤトハ思ヘドモ、都近程也、世中ツヽマシク思ケレバ、サモナクテ曉ハ守山ヲ立、野洲ノ河原ニ出ヌ、

〔古今著聞集〕

〈五和歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 同大將、〈◯源頼朝〉もる山にて狩せられけるに、いちごのさかりになりたるをみて、ともに北條四郞時政が候けるが、連歌をなんしける、 もる山のいちごさかしくなりにけり、大將とりもあへず、 むばらがいかにうれしかるらん

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 【篠原】(シノハラ)〈江州野洲郡〉

〔吾妻鏡〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 元暦二年六月二十一日壬申、卯刻廷尉著近江國篠原宿

〔今昔物語〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 近江國篠原入墓穴男語第四十四 今昔、美濃ノ國ノ市ヘ行ケル下衆男ノ、近江ノ國ノ篠原ト云フ所ヲ通ケル程ニ、空暗ク雨降ケレバ、立宿リスベキ所ヤ有ルト見廻シケルニ、人氣遠キ野中ナレバ、可立寄キ所无カリケルニ、墓穴ノ有リケルヲ見付テ、其レニ這入テ暫ク有リケル程ニ、日モ暮テ暗ク成ニケリ、

〔吾妻鏡〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 建久六年三月四日己丑、將軍出江州鏡驛(○○)、前覊路鞍馬給、

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 【番馬】(バンバ)〈江州犬上郡〉

〔藤河の記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 近江の國に番馬といふ所より路をかへて南へ行、番場を物の名にとりなして、 わくるのヽまだ末遠きくさばには(○○○)日かげの駒よしばしとヾまれ

〔近江國番場宿蓮華寺過去帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1162 敬白

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1163  陸波羅南北過去帳事 元弘三稔〈癸酉〉五月七日、依京都合戰破、當君兩院關東御下向之間、同九日於近江國馬場宿(○○○)米山麓一向堂前合戰討死自害交名、荒々注文事、〈◯下略〉

〔木曾路名所圖會〕

〈一坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1163 柏原(○○)〈近江〉 今須まで一里、此驛は伊吹山の麓にして、名産には伊吹艾の店多し、

〔吾妻鏡〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1163 文治六年〈◯建久元年〉十一月二日壬子、於近江國柏原(○○)、被取前兵衞尉忠康、則以雜色申其由於民部卿〈經房〉之許云云、

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈二東山道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1163 近江 古作近淡海、〈古事記〉或淡海、〈國造記〉大國、管十二郡、千五百十六村、 犬上〈百二十四村〉 愛知(エチ)〈百十七村 延喜式等作愛智、〉 神崎〈八十二村 天智紀作神崎郡〉 蒲生(カマフ)〈二百二十八村〉 甲賀〈百三十七村 鎭坐傳記作甲可〉 野洲〈八十一村 古安國、見國造記、持統紀作益須、〉 栗太(クリモト)〈百十五村 古府治、和名抄作栗本、舒明紀作栗下、〉 滋賀〈八十八村 古事記作志賀、萬葉集作思賀或思加、〉 高島〈百五十六村〉 伊香(イカ/イカコ)〈七十一村〉 淺井〈百四十二村〉 坂田〈百七十五村〉 栗田〈見于日本紀、廢置未詳〉 勢田〈拾芥抄載、延喜式等不載、廢置未詳、〉 善積〈同上〉

〔日本地誌提要〕

〈二十三近江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1163 沿革 古ヘ淡海國ト云、成務天皇滋賀郡高穴穗ニ都シ、〈穴太(アナホ)村〉天智天皇大津ニ都ス、後國府ヲ栗太郡ニ置、〈今ノ勢田橋本村〉鎌府ノ時、佐々木秀義功有ルヲ以テ、子孫世守護トナリ、孫信綱以後多ク州守ヲ兼ヌ、信綱子泰綱氏信、倶ニ將軍頼經ニ事ヘ、泰綱南境六郡〈滋賀栗太甲賀野洲蒲生神崎〉ヲ領シテ六角ト稱シ、觀音寺城ニ居リ、嫡宗ヲ以テ守護ヲ襲グ、氏信北境六郡〈愛知犬上坂田淺井伊香高島〉ヲ領シテ、京極ト稱シ、膽吹上平(カミヒラ)城ニ居リ、愛知川ヲ以テ界トス、泰綱八世孫義賢ニ至リ、臣民離心、將軍義昭ノ來投スル、依違命ヲ奉ゼズ、永祿十一年、織田信長師ヲ興シテ罪ヲ問フ、義賢其子義弻ト出亡シ、地皆信長ニ歸ス、京極氏信十世ノ孫高峯ニ至リ、家臣淺井亮政專恣、永正十五年、遂ニ其地ヲ奪ヒ、小谷城〈淺井郡〉ニ居リ、高峯僅ニ上平一城ヲ保ツ、天正元年、信長淺井氏〈亮政ノ孫長政〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1164 ヲ滅シ、四年、安土(アツチ)〈蒲生郡〉ニ城テ之ニ徙リ、明智光秀ヲ滋賀郡ニ封ジ、坂本ニ居ラシメ、淺井氏ノ故疆ヲ割テ豐臣秀吉ニ賜ヒ、長濱ニ居ラシム、信長弑セラルヽニ及テ、其長臣等胥謀テ、柴田勝豐ヲ長濱ニ置キ、丹羽長秀ヲ佐和山ニ鎭セシメ、〈後秀吉石田三成(カズヒラ)ヲ此ニ封ジ、貮拾三萬五千三百石ヲ食ム、〉州租ヲ以テ織田秀信ニ供ス、天正十三年、秀吉義子秀次ヲ本州ニ封ジ、八幡ニ城カシメ十七年、高峯ノ曾孫高次ヲ大津ニ封ズ、文祿中秀次罪有リテ國除ス、關原役畢リ、徳川氏石田三成ヲ戮シ、井伊直政ヲ佐和山ニ封ジ、後ニ彦根ニ城カシム、又高次ヲ若狹ニ徙シ、戸田一西(カズアキ)ヲ封ジ、徙テ膳所ニ治セシム、〈後ニ本多俊次〉其後州内封ヲ受ル者、水口〈初加藤明友、次鳥居忠英(テル)、復加藤喜矩、〉大溝、〈分部光信〉西大路、〈初仁正寺ト云、市橋長利、〉小室、〈小堀正一、天明中六世政方ノ時收封セラル、〉山上、〈稻垣重定〉宮川、〈堀田正休〉三上、〈遠藤胤親〉凡八藩、又大津代宮ヲ置、王政革新ノ初、遠藤氏吉見〈和泉〉ニ轉ジ、山形〈羽前〉ノ水野氏ヲ徙シテ朝日山藩ヲ建ツ、既ニシテ悉ク之ヲ廢シ、長濱、〈後犬上ニ攺ム〉大津、〈後滋賀〉二縣ヲ置キ、又合シテ滋賀一縣トナス、

〔古事記〕

〈中孝昭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1164 兄天押帶日子命者〈(中略)近淡海國造之祖也〉

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1164 淡海國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉御世、彦坐王三世孫大陀牟夜別定賜國造、 額田國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉御世、和邇臣祖彦訓服命孫大直侶宇命定賜國造、 額當坂、今近江國坂田郡乎、(首書)

〔近江國輿地志略〕

〈三藩封〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1164 夫以れば、近江東山道に屬す、〈今の十五國とことなり〉景行天皇の十五年春二月朔戊子、彦狹島王をもつて、東山道十五國の都督に拜すと、日本紀に見へたり、舊事紀に、志賀高穴穗の朝の御代、彦坐王三世孫大陀牟夜別をもつて、國造に定たまふとあり、古事記には、天押帶日子命は、近淡海國造の祖なりと見へたり、〈◯中略〉大凡近江國司及介掾目郡司庄司などに任ぜし人を、一

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1165 一書しるさば、牛に汗し棟に充るとも盡すべからず、故にこれを省く、中世に及て、宇多天皇の皇子敦實親王の孫參議扶義、近江の守となる、扶義の末葉佐々木秀義、當國の主となつてより、子孫相續して封をうくる、承久の役、佐々木信綱關東の催促にしたがひ戰功あり、故に信綱北條が爲に寵せらる、信綱が長子を泰綱といふ、佐々木六角の祖なり、次子を氏信といふ、佐々木京極の祖なり、六角家は織田信長の爲に亡され、京極は上坂、淺井等が爲に國除かる、太閤秀吉一統の後、秀次をもつて八幡山に居しめ、近江中納言と號す、いくほどなく秀次都にのぼり、秀吉も薨じぬ、神祖一統の後、諸將をもつて其地に封じたまへり、

〔淺井三代記〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1165 信長卿江北仕置之事 信長卿、淺井が侍降人と成、忠節をはげます者共をよび出し、所領を被下ける、磯野丹波守には高島一郡を下されぬ、阿閉淡路守には伊香郡一郡を給はり、堀次郞いまだ幼少たるにより、家臣樋口三郞兵衞に坂田郡半郡を被下、扨木下藤吉郞秀吉には、今度のほねをり分淺からずとて、江北の守護所と被成、小谷の城に、淺井郡に坂田郡半分犬上郡を被下ける、

〔淡海落穗集〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1165 往古當國の國司三拾六人の名前 一建部山城主 建部左京進 一下之郷城主 多賀豐後守 一小脇村城主 三井石見守 一肥田村城主 高野瀬備前守〈高野瀬喜介は此末なり〉 一和田城主 伊庭能登守 一北町村城主 池田宮内大夫 一堅田城 山田豐前守 一城不知 川曲主水正 一同 和爾藤九郞 一平井城 平井加賀入道 一八町城 大和田隼人正 一城不知 三上美濃守 一同 高島越中守 一土田城主 土田縫殿之介 一猿木城主 猿木左近大夫 一梅ケ原城主 福島和泉守 一 朽木修理大夫 一中野城主 蒲生藤三郞(青木一族) 一菩提寺城主 青木參河守 一羽田城主 後藤但馬守 一馬淵城主 馬淵越中守

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1166  一今村城主 今村掃部 一目賀田城主 目賀田甲斐守 一上坂村城 上坂備中 一在士 藤堂修理介〈高麿と云は初磯野丹波守が下人也〉 一 永原大炊介 一 箕浦監物 一種之庄 瓜生飛騨守 一十里村城 野村面膳正 一中戸村城 鯰江權佐〈此邊にて此苗字付しは末流也と云〉 一丁野村城 淺野靱負正 一 山中丹波守 一久徳城 久徳左近大夫 一高宮城 高宮三河守 一本庄城 本庄山城守 一江北横山城 横山和泉守 一小野村大家 科山内膳 一下之郷大家 二階堂出羽守 一小泉村大家 澤 右京 一山本城 安養寺三郞右衞門 一彦根村大家 安養寺三郞兵衞 此城之分は、後之出來とみえて、國司の中にいらず、 以上三拾六人

〔日本鹿子〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1166 近江國 彦根之城〈江戸ヨリ 東海道百六リ七丁 甲州通百十七リ十五丁 上州通百十四リ二十八町〉往古當國澤山者、淺井備前守長政領知也、丹羽五郞左衞門長秀居之、天正十一年以來、堀久太郞秀政爲居城、其後石田治部少輔光成居之、 井伊直政代移當城 慶長五年ヨリ 井伊兵部少輔(十五万石)〈直政〉 同右近大夫直勝 同掃部頭直孝(三十万石關東) 内 〈十万石大坂役以後兩度加増、五万石ハ大猷院殿御代加増、〉 同掃部頭直澄(同高) 當城主 同掃部頭直興(同高) 水口之城(同國) 〈江戸ヨリ百六リ〉 大猷院殿〈◯徳川家光〉御代新城 關ケ原以前有城、長束大藏大輔正家居之、 御番城〈山岡主計頭鐵砲頭交替、山口但馬守寛文十二年、但馬守御免以後爲交替、〉 加藤内藏佐明友(二万石) 御當主 同(同高) 佐渡守明英 膳所之城(同國) 戸田左門一西代廢城、大津移、 當城關ケ原沒落以後築之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1167  京極宰相高次(六万石居城大津) 若州小濱江所替 慶長五年ヨリ 戸田左門一西(三万石) 同(同高) 左門氏鐵 元和三年攝州尼ケ崎江所替 元和三年ヨリ 本多縫殿助(三万石)〈康俊〉 嫡子下總守俊次代ニ三州西尾江所替 元和六年ヨリ 菅沼織部正(三万石)〈芳定〉 寛永十一年丹波龜山江所替 寛永十一年ヨリ 石川主殿頭忠綱(七万石) 嫡子昌勝代ニ勢州龜山ヘ所替 慶安四年以後 本多下總守(七万石)〈俊次〉 同兵部少輔康將(同高) 當城主 同(六万石) 隱岐守 外壹万石舍弟伊豫守領之、兵部子也、隱岐守從弟也、 仁正寺(同國) 〈江戸ヨリ百六リ〉 市橋下總守(壹万八千石) 小室(同國) 江戸ヨリ百リ餘 小堀和泉守(壹万二千石) 大溝(同國) 〈江戸ヨリ東海道百二十七リ 美濃路百十一リ〉 分部隼人正(二万石) 同國御代官 猪飼次郞兵衞(二百石土山) 猪狩十助(六百石永原) 小野半之助(六百石大津) 小野長左衞門(二百石大津) 一且吉兵衞(二百石) 小堀源右衞門(六百石) 金丸又左衞門(二百石) 同大津御藏衆 福島八左衞門 鈴木三左衞門 布施庄右衞門 長坂新右衞門

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1167 近江國〈國府在栗本郡、行程上一日、下半日、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1167 近江國 栗本〈府〉

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1167 國府 今按るに、勢多橋本村の邊ならん歟、順和名抄に曰、國府在栗本郡云々、拾芥抄にもかくのごとくしるされたり、 臣 勢多をもつて國府といふもの私説にあらず、延喜式の齋宮式に、頓宮は近江の國府とあり、花鳥餘情に、瀬田の頓宮は、波齋宮の御額の御櫛を徹して、宮に入たまふ處なりとしるせり、これをもつて見るときは、國府を勢多とするもの明なり、

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1168 近江國大〈管 滋賀 栗太 甲賀 野洲 蒲生 神崎 愛智 犬上 坂田 淺井 伊香 高島◯中略〉 右爲近國

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1168 近江國〈◯註略〉管十二〈◯註略〉滋賀〈志賀〉栗本〈久留毛止、國府〉甲賀 野洲 蒲生〈加萬不〉神埼〈加無佐岐〉愛智〈衣知〉犬上〈以奴加三〉坂田〈佐加太〉淺井〈阪佐井〉伊香〈伊香古〉高島〈太加之萬〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1168 近江〈大近〉十二郡 滋賀 栗太〈府〉 甲賀 野洲 蒲生 神崎 愛智 犬上 坂田 淺井 伊香 高島 勢多 善積(ヨシヅモ)

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1168 近江〈江州近州〉大、管十三郡(○○○)、〈◯中略〉滋賀(シガ)〈滋又作志〉 栗本(クリモト) 野洲(ヤス) 蒲生(カマフ) 神崎(カンザキ) 犬上(イヌガミ) 坂田(サカタ) 愛智(エチ)〈上下〉 淺井(アサヰ) 伊(イ)香(カウ/カコ)〈香又作甲〉 高島(タカシマ) 甲賀(カフカ) 善積(ヨシヅミ)〈上下〉

〔新撰類聚往來〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1168 國名〈◯中略〉 近江〈江州〉十二郡、志賀、栗本、甲賀、蒲生、神崎、犬上、坂田、淺井、伊香、野洲、善積、高島、

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1168 夫以ば、近江國舊淡海の國と號す、〈◯中略〉大管十二郡、志賀、栗太、野洲、甲賀、蒲生、神崎、犬上、坂田、淺井、伊香、高島なり、印行の諸書、〈岡田氏が日本國備圖、日本地理志略、國家万葉記、武用辨略、淡海録、〉に十三郡としるし、二十四郡と載、みなもつて誤の大ひなるものなり、〈◯中略〉唯近世俗間の軍記に、〈江源江鑑、淺井三代記、織田軍記、太閤記類、〉善積郡を多く載す、近江の土俗も亦これをいふものおほし、ともに虚僞孟浪の言なり、三正史、六國史、諸實録、善積郡の名をあぐるものをみず、拾芥抄に十二郡としるし、その十二郡の名の下に、勢多善積としるす、是をもつて郡名とおもへるにや、勢多善積は郷の名にして、順和名抄に、勢多は栗本郡の下にのせ、善積は高島郡の下にしるせり、是を正説とすべし、東鑑のごとき中世の實紀なり、是亦善積の庄をのせて、善積郡をしるさず、是善積郡なきことあきらかなり、ことごとく書を信ぜば書なきにはしかず、正史實録を除て、稗雜の書をとらんや、いはずして明なり、

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1168 近江國〈十二郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1169 滋賀(シカ) 〈膳所 <大津 <追分 ●山中 ●坂本 ●途中 ●衣川 <堅田 〈△比良白髭社石山三井寺〉 湖西城界〉 栗本(クリモト) 〈●目川 ●草津 ●勢田 湖南城界〉 野洲(ヤス) 〈●木部 <御殿 ●守山 △三上山 湖東〉 蒲生(カモフ) 〈●田津畑 ●日野 ●貝カケ ●武佐 <八幡 ●鏡 勢界ヨリ東湖ニ貫〉 神崎(カンサキ) 〈<伊庭 △ヱチ川 勢界ヨリ細長湖貫〉 愛智(エチ) 〈驛町無シ 神崎ニ並共ニ小郡〉 犬上(イヌカミ) 〈彦根 ●高宮 勢界ヨリ東湖ニ貫〉 坂田(サカタ) 〈<長濱 <米原 ●鳥井本 ●番場 ●柏原 ●醒ヶ井 ●藤川 ●春照 ●小谷 △伊吹山 濃界湖ニ貫〉 淺井(アサイ) 〈本郡ニ驛町無シ、湖ヲ隔テ越前ニ添テ、 ●野口 ●梅津 濃界ヨリ湖ニ貫〉 伊香(イカコ) 〈●金井原 ●中河内 ●椿市 ●柳ケセ ●木本 △余吾湖 濃越界〉 高島(タカシマ) 〈<朽木 ●小入谷 <大溝 ●河原市 ●今津 ●森西 ●追分 湖西丹若界〉 甲賀(コウカ) 〈●石部 ●大野 <水口 ●野川 <仁正寺 ●土山 ●山中 △信樂 伊賀伊セノ界〉 ◯按ズルニ本書及ビ次下郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1169 近江 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_1169_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_1170_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_1171_001.gif

〔江濃記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1171 佐々木兩家わかりの事〈◯中略〉 總領氏頼遁世の志有、近江の國務の事、道譽老人計にて、總領方をも萬さし引しける、しかも八十餘年長命して、尊氏卿義詮卿二代の將軍につかへ、武家の政道を輔佐し、子孫四職の其一に撰られ、京極殿と稱し、近江國十三郡(○○○○○○)の中、八郡を六角方知行し、五郡を京極方に支配す、〈◯下略〉

志賀郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1171 近江國〈◯中略〉滋賀〈シカ〉

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1171 近江國 滋賀〈シガ 志賀同〉

〔近江國輿地志略〕

〈六志賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1171 抑當郡は東琵琶湖の半を限とし、巽は栗本郡に交りて、南は山城の國二尾谷、及び宇治醍醐の物に並び、坤は山城の國界牛尾山相坂の關山如意嶽に至り、西は大比叡なり、篠の嶺を限り、乾は山城嶺折立山鍵坂を界とし、北は高島郡界細川鹿瀬山に交り、艮は屈曲して高島郡界打下に接せり、村數七十九あり、蓋し志賀の文字、諸書に載るところ不同なり、日本紀志賀につくり、續日本紀には志我の文字につくれり、諸書にまたを丶く滋賀の字にも書せり、いま日本紀に從、古老傳て云、往古郡中に志賀某と云ものあり、因て郡の名とすといへり、 臣 按ずるに、此説わづらはし、人皇十二代景行天皇の御宇、大和國纒向日代(まきむくひしろ)の宮より、都を當國志賀高穴穗宮に遷し給ひて、成務天皇、仲哀天皇相續てこの地に都したまふこと、日本紀にあ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1172 り、いにしへは國の墺區(もなか)を稱するに、往々同名を以てす、假令之、和泉國に和泉郡あり、河内國に河内の郡あるがごとし、先志賀の都あつて、然して後志賀の郡と名付るなるべし、

〔近江名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1172 近江國滋賀郡〈(中略)滋賀郡は、北は白髭、貫井、細川のほとりを限り、西は長等山、比叡、志賀山の嶺を限る、東南は湖の水中にあり、〉

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1172 五十八年二月辛亥、幸近江國、居志賀三歳、是謂高穴穗宮

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1172近江荒都時、柿本朝臣人麿作歌、〈◯中略〉 反歌 【樂浪之】(サヽナミノ)、【思賀】乃辛崎(シガノカラサキ)、雖幸有(サキクアレド)、大宮人之(オホミヤビトノ)、船麻知兼津(フ子マチカ子ツ)、

〔冠辭考〕

〈四佐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1172 さヾなみの 〈志賀 大津の宮 故きみやこ 國津御神 大山もり 平山〉 萬葉卷一に〈人万呂〉左散難彌乃(サヽナミノ)、志我能太和太(シガノオホワタ)、また樂浪之(サヽナミノ)、思賀乃辛崎(シカノカラサキ)、卷二に〈東人〉神樂波之志賀(サヽナミノシガ)、左射禮浪(サザレナミ)、敷布(シクシク)爾、卷七に、神樂(サヽ)聲浪乃(ナミノ)、四賀津之浦能(シガツノウラノ)云々、又集中に、樂浪乃(サヽナミノ)とて、大津宮(オホツノミヤ)、故京(フルキミヤコ)、國都美神大山守(クニツミカミオホヤマモリ)、平山風(ヒラヤマカゼ)などもつヾけたり、こは近江の志賀郡にある篠なみてふ地にて、そこの大名なる故に、其邊りの所には冠らせたる也、地の名なる事は、神功紀に、及于狹々浪栗林云々、欽明紀に、〈高麗使到于近江〉發難波津、控引船於狹々波山而云々、天武紀に、會於筱〈此云佐々〉浪而探捕左右大臣云々と有にてしれり、さて其筱は小竹也、浪は借字にて靡(ナミ)の意也、故になびく物にはつけていへり、古事記に、〈應神條〉志那陁由布(シナタユフ)、佐々那美遲(サヽナミヂ)とよみしも、此篠靡道にて、しなへたゆふてふ語を冠らしめたるにてもおもへ、故に右の狹々は清て唱ふる也、然るを近江の湖によりて、さヾ波てふ語を冠らしむと思へるは、委しからず、その浪のさヾ波をば、卷二に、左射禮浪(サヾレナミ)、卷十三に、沙邪禮浪(サヾレナミ)など、下のさに濁る字を書てしらせたり、かの神樂波之(サヽナミノ)、志賀佐射禮浪(シガサヾレナミ)とよめるにても、上の神樂浪は、同じ事ならぬを知べき也、

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1172 三月〈◯攝政元年〉庚子、命武内宿禰、和珥臣祖武振熊、卒數萬衆、令忍熊王、〈◯中略〉軍衆走

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173 之、及于狹々浪(○○○)栗林而多斬、於是血流溢栗林、故惡是事、至于今其栗林之菓不御所也、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173 元年七月癸丑、諸將軍等悉會http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650188.gif (○)〈此云佐々〉浪(○)、而探捕左右大臣及諸罪人等

〔日本書紀通證〕

〈三十三天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650188.gif 浪〈神功紀作狹々浪、指滋賀都而言、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650188.gif 國史作筱、字彙篠篆文作http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650188.gif 、又云筱字別作篠非、〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650188.gif 浪〈神功紀作狹々浪、指滋賀都而言、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650188.gif 國史作筱、字彙篠篆文作http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650188.gif 、又云筱字別作篠非、〉

〔延喜式〕

〈四十主水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173 凡運氷駄者、以徭丁之、〈◯中略〉近江國志賀郡部花一所〈三丁輸一駄

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173 養老元年九月癸亥、還至近江國、賜駕五位已上、及近江國司等物各有差、郡領已下雜色四十餘人進位一階、又免志我(○○)依智二郡今年田租、及供行宮百姓之租

〔今昔物語〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173地藏菩薩教播磨國清水寺語第七 今昔、近江ノ國志賀ノ郡ニ崇福寺ト云フ寺有リ、其ノ寺ニ一人ノ僧住ス、名ヲバ藏明ト云フ、此ノ僧慈悲忍辱ニシテ施ノ心廣カリケリ、

栗太郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173 近江國〈◯中略〉栗本〈府〉

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173 近江國 栗太〈クルモト、作栗本、〉

〔近江國輿地志略〕

〈三十九栗太郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1173 夫以、栗太郡は、日本紀、續日本紀及延喜式、倶に栗太に作り、俗に或は云、栗本の字なれども、古より本の字の亅を誤來て、太の字になすといへり、然れども此言は不稽なり、正史實録悉誤とすべけんや、栗本の文(モン)字をもちふべし、三國傳記に曰、近江の栗の樹は、天竺栴檀の種なり、故に栗の文字西と木と合す、 栗の樹枝葉天を覆、農民これを呼て魔木といふ、斧斤截れどもきれず、一夜杣人靈夢をこふむり、木を截やくこと數日、終倒つくるにいたる、その灰を塚につく、今の栗本の灰塚是なり、栗の樹の枝、湖邊に流とヾまるところ、今の木濱なり、その郡をもつて栗本と名づくといへり、世俗のつたふる處も又此のごとく、〈◯中略〉たヾそのいにしへ栗の樹のおほくありしゆへ、郡に名づくなるべし、日本紀に、近江國粟田郡としるせるところあり、もとより栗田郡といふ郡なし、おもふに上古は栗田ととなへしにや、粟は栗の字の轉寫の誤なるべ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1174 し、栗田といひしゆへに、栗太の文字を書し、亦一轉して栗本といふなるべし、太にふとしといふ訓あり、ふとヽもとヽ訓近ければ、また一轉したるなるべし、〈◯中略〉凡此郡西は志賀郡なり、南は山城の國白雲山に至り、坤は山城の國界横岩山をかぎり、北は野洲郡の界三宅金が森にまじはり、乾はみづうみをかぎりとす、艮は野洲郡の界南櫻山、甲賀郡石部山に接し、ひがしは甲賀郡の山嶽にとなり、たつみは野尻山、田代山につらなるなり、當郡のうちに靈仙寺村あり、この村いにしへは栗太村とよびしといへり、栗太村あるによつて、郡に名づけしもしるべからず、

〔近江名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1174 栗太郡〈勢田川より東をいふ〉昔此地に栗の大木あり、困て郡名とす、

〔日本書紀〕

〈十四雄略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1174 十一年五月辛亥朔、近江國栗太郡言、白鸕鶿居于谷上濱、因詔置川瀬舍人

〔日本書紀〕

〈二十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1174 三年十二月、是月淡海國言、〈◯中略〉栗太郡人磐城村主殷之新婦、床席頭端一宿之間稻生而穗、其旦垂穎而熟、明日之夜、更生一穗、新婦出庭、兩箇鑰匙自天落前、婦取而與殷、殷得始富

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1174 合處々庄拾陸處〈◯中略〉 近江國六處〈栗太郡一處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔今昔物語〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1174 近江國栗太郡伐大柞語第三十七 今昔、近江國栗太郡ニ大キナル柞ノ樹生タリケリ、其圍五百尋也、然レバ其木ノ高サ枝ヲ差タル程ヲ思ヒ可遣シ、其ノ影朝ニハ丹波ノ國ニ差シ、夕ニハ伊勢ノ國ニ差ス、霹靂スル時ニモ不動ズ、大風吹ク時ニモ不搖ズ、而ル間、其國ノ志賀栗太甲賀三郡ノ百姓、此ノ木ノ蔭ヲ覆テ日不當ザル故ニ、田畠ヲ作得ル事无シ、此ニ依テ、其ノ郡々ノ百姓等、天皇ニ此由ヲ奏ス、天皇即チ掃守ノ宿禰等ヲ遣テ、百姓ノ申スニ隨テ、此ノ樹ヲ伐リ倒シテケリ、然レバ其ノ樹伐リ倒シテ後、百姓田畠ヲ作ルニ豐饒ナル事ヲ得タリケリ、彼ノ奏シタル百姓ノ子孫、于今其ノ郡々ニ有リ、昔ハ此ル大キナル木ナム有ケル、此レ希有ノ事也トナム語リ傳ヘタルトヤ、

甲賀郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175 近江國〈◯中略〉甲賀〈カフカ〉

〔運歩色葉集〕

〈加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175 甲賀(カウカ)〈近江〉

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175 甲賀(カフカ)江州郡名

〔近江國輿地志略〕

〈四十九甲賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175 夫以甲賀郡の名久し、日本紀の天武紀に、鹿深に作る、續日本紀には甲賀に作れり、日本姫世紀、鎭座傳記、及鎭座本縁皆以甲可に作る、油日神社縁記曰、聖徳太子誅守屋、勝照四年戊申卯月日、當國有行幸、因勝軍之因縁、先郡號甲賀云々、 臣 按ずるに、油日社の縁記は僞説のみにて論ずるにたらず、勝照といへる年號日本になし、何れの年號にや、太子を行幸としるす、笑べし、甲賀の名、何ぞ此時に始べきや、膚僞もつとも甚し、〈◯中略〉凡此郡の地勢、略扇子の形に似れり、南廣して北狹し、南は伊賀國界信樂、燒尾、油日山に接し、坤は山城國裏白巓乃土の山に隣、西は栗太郡の界に連なる、乾は野洲郡の界櫻山に交り、北は蒲生郡の界に並、艮も亦蒲生郡に接す、東と巽とは伊勢に續く、東は伊勢國界於岐須山薦野に至り、巽は同國界鈴鹿山に隣、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175 元年六月、會明至莿荻野、暫停駕、而進食、到積殖山口、高市皇子自鹿深(○○)越、以遇之、

〔日本書紀通證〕

〈三十三天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175鹿深越〈鹿深、即甲賀郡、此今所謂信樂越也、〉

〔續日本紀〕

〈十四聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175 天平十四年二月庚辰、是日始開恭仁京東北道、通近江國甲賀郡

〔續日本紀〕

〈十五聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175 天平十五年九月丁巳、甲賀郡調庸准畿内收之、又免當年田租

〔延喜式〕

〈二十一雅樂〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175 公廨田一十町〈在近江國〉 甲賀郡二町 野洲郡五町 愛智郡三町 右件田地子米充年中用度

〔今昔物語〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1175龜放男依地藏助活語第二十六 今昔、近江ノ國甲賀ノ郡ニ、一人ノ下人有リケリ、〈◯下略〉

野洲郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1176 近江國〈◯中略〉野洲〈ヤス〉

〔近江國輿地志略〕

〈六十六野洲郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1176 夫以、野洲郡の文字、日本紀には益須に作る、釋日本紀には、益須は今の野洲郡なりといふ、古事記曰、美知能宇斯王之弟、水穗眞若王者、近淡海之安直祖、又曰、近淡海之安國造之祖意富多牟和氣云々、安の國は安の郡なり、郡を國といひしためし古に多し、郡の音をぐにともよむ、たとへば錢をぜに、蘭をらにと云が如く、此郡の地勢乾と巽とは長して廣し、艮と坤とは短して狹し、此郡界南と坤とは栗太郡なり、北西と乾とは湖にして、東と艮とは蒲生郡に交る、巽は甲賀郡との界に接れり、

〔古事記〕

〈中開花〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1176 此美知能宇斯王之弟、水穗眞若王者、〈近淡海之安直之祖〉

〔日本書紀〕

〈三十持統〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1176 七年十一月乙未、車駕還宮、 己亥、遣沙門法員、善往、眞義等、試飮近江國益須郡(○○○)醴泉、八年三月己亥、詔曰、粤以七年歳次癸巳、醴泉涌於近江國益須郡都賀山、諸疾病停宿益須寺、而療差者衆、故入水田四町布六十端、原除益須郡今年調役雜徭

〔新撰姓氏録〕

〈山城國皇別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1176 曰佐(ヲサ) 紀朝臣同祖、武内宿禰之後也、欽明天皇御世率同族四人、國民三十五人歸化、天皇務以其遠來、勅稱珍勳臣、爲三十九人之譯、時人號曰譯氏、男諸石臣、次麻奈臣、是近江國野洲郡曰佐、山代國相樂郡曰佐、大和國添上郡山村曰佐等祖也、

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1176修行人猴身縁第二十四 近江國野洲郡部内御上嶺有神社、名曰http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006509ed.gif 我大神、奉封六戸、〈◯下略〉

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1176 合今請墾田地玖伯玖拾肆町〈◯中略〉 近江國貮伯町 野洲郡百町〈自郡北川原并葦原〉 四至 〈東百姓熟田南里〉 〈西川 北山之限◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 合處々庄拾陸處〈◯中略〉 近江國六處〈(中略)野洲郡一處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔夫木和歌抄〕

〈三十一郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 やすのこほり〈野州又近江〉 正三位知家卿 人めもる關をばゆるせあふみなるやすのこほりのやすくかよはん

蒲生郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 近江國〈◯中略〉蒲生〈カマウ〉

〔運歩色葉集〕

〈加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 蒲生(カマフ)

〔近江國輿地志略〕

〈五十四蒲生郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 當郡もと蒲生野とて、廣き郊野なり、日本紀に、蒲生野縱獵の事を載す、萬葉集には、王皇蒲生野遊獵のとき、額田の王の作れる歌を載たり、此蒲生野ある故に、郡にも名づけしなるべし、此郡南は甲賀郡なり、東は伊勢國界、千草山水晶嶽を限、北は神崎郡の界に隣乾は伊崎山長命寺山に至り、西は野洲郡の界、櫻山鏡山に接す、一郡の地勢東西長くして南北短し、乾と巽と廣して、坤と艮との間窮迫なり、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 次天津日子根命者〈(中略)蒲生稻寸、三枝部造等野祖也、〉

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 蒲生稻寸、和名抄に近江國蒲生〈加万不〉郡、これなり、名義は、いと上代に蒲の多く生たりし地なりしにや、〈蓬生、淺茅生、麻生などの類なり、〉

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 大寶二年三月庚寅、美濃國多伎郡民七百十六口、遷于近江國蒲生郡

〔今昔物語〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1177 修行僧至越中國立山小女語第七 今昔、越中ノ國ノ郡ニ、立山ト云フ所有リ、昔ヨリ彼ノ山ニ地獄有ト云ヒ傳ヘタリ、〈◯中略〉其レニ三井寺ニ有ケル僧、佛道ヲ修行スル故ニ、所々ノ靈驗所ニ詣デヽ、難行苦行スルニ、彼ノ越中ノ立山ニ詣デ、地獄ノ原ニ行テ廻リ見ケルニ、山ノ中ニ一人ノ女有リ、〈◯中略〉其ノ時ニ僧立チ留テ聞クニ、女ノ云ク、我レハ此近江ノ國蒲生ノ郡ニ有シ人也、〈◯下略〉

神崎郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1178 近江國〈◯中略〉神崎〈カンサキ〉

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1178 近江國 神崎〈カンザキ 埼同〉

〔近江國輿地志略〕

〈七十神崎郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1178 夫神崎郡の名は、郡中に神崎村あるによつて名とす、たとへば志賀郡中に志賀あつて郡名とするが如し、神崎村と云は、神社あるの湖岸なるゆへに名づく、神崎村今は甲崎(かうざき)村と云、日本紀の天智紀に、神崎の文字に作る、當郡西は湖水、東は愛智郡なり、巽は伊勢の國界釋迦嶽に隣、南と坤には蒲生郡に接し、又地略鯰魚の形に似れり、西の方伊庭山福堂川、南神崎邊南北廣し、分代山上池田の邊漸細して帶のごとし、釋迦嶽の邊に至て亦少しく廣し、江戸街道より西を下出と云、下の郡と號す、江戸街道より東を上出といふ、上の郡と號す、

〔日本書紀〕

〈三十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1178 四年二月、是月、復以百濟百姓男女四百餘人、居于近江國神前郡(○○○)

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1178 合處々庄拾陸處〈◯中略〉 近江國六處〈(中略)神前郡(○○○)一處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

愛智郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1178 近江國〈◯中略〉愛智〈エチ〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1178 アノ行ノ音同行通用セル例 えち 愛智〈近郡〉衣知(エチ) 愛(アイ)ヲエニ用ヒタリ

〔近江國輿地志略〕

〈七十二愛智郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1178 夫以れば、愛智の郡名既に舊し、三正史、六國史、あるひは依智、惠智の文字につくる、いま專ら愛智の字を用ゆ、愛にゑの訓あり、因て然り、尾張にもおなじ郡名あり、是はあいちと訓ず、當郡西南と巽の隅は神崎郡の堺に交り、乾の隅は湖水なり、北と艮隅とは、犬上郡のさかいに接り、東は伊勢の國堺初田山に續けり、此の郡は巽と乾とはながふして、艮と坤とは短し、いぬゐは野良、田中、下林村の邊にしては地形はなはだ狹し、清水西出のあいだにいたつては、漸くひろし、鯰江斧麿のあいだに及んでは、甚だをヽいにひろし、蛭谷木畑(ひるだにきばた)のあいだのごときは

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1179 もつて狹きなり、

〔大安寺伽藍縁起并流記資財帳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1179 合今請墾田地玖佰玖拾肆町〈◯中略〉 近江國貮佰町〈◯中略〉 愛智郡百町〈長蘇原〉 四至 〈東中海谷東上道 西秦武藏家東上道 南氷室度 北胡桃按度◯中略〉 合處々庄拾陸處〈◯中略〉 近江國六處〈(中略)愛智郡一處 坂田郡一處 淺井郡一處◯中略〉 天平十九年二月十一日〈◯署名略〉

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1179 愛智郡司解 申進上東大寺封租米事 合漆斛五㪷〈天平寶字四年料◯中略〉 天平寶字六年四月二十日

犬上郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1179 近江國〈◯中略〉 犬上〈イヌカミ〉

〔近江國輿地志略〕

〈七十四犬上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1179 夫以、犬上郡の名舊し、日本紀景行天皇紀に犬上の君の名を載たまひ、茨田親王も、犬上の朝臣犬上の縣主の義を、姓氏録にしるしたまへり、万葉集には狗上の文字に作れり、此郡南は愛智郡なり、西と乾の隅とは琵琶湖なり、北と艮の隅は坂田郡界、中靈山(なかれうさん)、篠尾山、佐和等に交り、東は美濃の國界五僧山に接し、巽の隅は伊勢の國安三國嶽、冷嶽、御池嶽に至る、凡此郡南北短して東西長し、

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1179 造石山院所勞劇帳 造石山院所〈◯中略〉 勞 造東大寺司番上少初位上http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006509ee.gif 守金弓〈年 近江國犬上郡人◯中略〉 外散位少初位上勝屋主〈年 美濃國〉 畫師造東大寺司番上從八位下上村主http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006506f9.gif 〈年三十八 近江國栗太(滋賀)郡〉 以前人等、造東大寺并石山院所奉仕勞劇如件、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 天平寶字六年八月二十七日主典

坂田郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 近江國〈◯中略〉坂田

〔近江國輿地志略〕

〈七十七坂田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 夫以、坂田の郡舊し、初額田(さかた)、後に今の文字に改、舊事紀曰、額田國造、志賀高穴穗朝御世、和邇臣祖彦訓服命孫、大眞侶宇命定賜國造云々、度會延佳神主頭書曰、額當坂作、今近江國坂田郡乎云々、日本紀の天智紀、倭姫世紀、及延喜式等に、坂田郡の名出たり、此郡南は犬上郡、西は湖にして、乾は淺井郡の界、南濱曾根に交り、北は姉川を限とす、艮は美濃國界伊吹山に接て、東も亦美濃國界藤川山、彌谷(いやたに)、高野(たかの)山、梓河内(あづさかはち)山等に連る、巽は美濃國界淺見が嶽、中靈山(なかれうさん)に至る、此郡南北長して東西は少しく短し、

〔日本書紀〕

〈十三允恭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 七年十二月壬戌、讌于新室、〈◯中略〉爰天皇歡喜、則明日遣使者弟姫、時弟姫、隨母以在於近江坂田(○○)

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 十四年五月戊午、勅鞍作鳥曰、〈◯中略〉造佛像既訖、不堂、諸工人不計、以將堂戸、然汝不戸而得入、此皆汝之功也、即賜大仁位、因以給近江國坂田郡水田二十町焉、

〔日本書紀〕

〈二十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 三年十二月、淡海國言、坂田郡人小竹田史身之猪槽水中忽然稻生、身取而收、日々到富、

〔續日本紀〕

〈二十六稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 天平神護元年三月癸巳、近江國坂田郡人粟田臣之瀬眞瀬斐太人池守等四人、賜姓朝臣

〔續修東大寺正倉院文書〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 國符 坂田郡司 東大寺天平寶字四年料租米百九十九石五斗三升〈◯中略〉 天平寶字六年四月八日

〔東大寺正倉院文書〕

〈東南院伍櫃三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1180 神護三年七月十六日見度

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1181  官奴司解文一卷〈无印〉 所注奴婢二百人〈奴一百口、婢一百口、◯中略〉 寺家買取奴婢帳一卷〈十二條並印踏◯中略〉 一條 近江國坂田郡(○○○)立券文 所注婢二人

〔今昔物語〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1181 近江國坂田郡女以蓮花養佛往生第五十三 今昔、近江國坂田郡ノ郷ニ一人ノ女有ケリ、姓ハ息長ノ氏、心柔軟ニシテ因果ヲ悟リ、佛法ヲ信ジテ、殊ニ道心有ケリ、日夜ニ極樂ヲ願テ念佛ヲ唱ヘケリ、而ルニ其國ノ内ニ筑摩ト云フ所有リ、其ノ處ニ江有リ、其ノ江ニ蓮花生タリケリ、此ノ女其ノ江ニ行テ蓮花ヲ取テ、心ヲ至シテ彌陀佛ニ供養シテ、極樂ニ迎ヘ給ヘト懃ニ願ヒケリ、

淺井郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1181 近江國〈◯中略〉淺井〈アサヰ〉

〔近江國輿地志略〕

〈八十四淺井郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1181 夫以ば、淺井郡は、近江風土記曰、淺井郡、或阿座膽(あさい)、西限知奈浦、東限朝日湊、南限岡本磯、北限小寢杜云々、茨田親王姓氏録曰、治田連、開化天皇皇子彦坐命之後、四世孫彦命、征夷有功効、因割近江國淺井郡地賜云々、當郡南は坂田郡及湖水なり、北は伊香郡及越前の國界沓掛坂なり、西は高島郡の界に連て、乾は越前の國界山中山にならべり、東は伊香郡及美濃の國界なり、此郡を以て上下にわかち、南北をもつてよぶことあり、しかれども元來一郡にして、往古風土記にも二郡にわかたず、一郡なり、伊香郡その間にあつて、陸地をもつて見ときは、地脈切たるに似たれども、湖水の中淺井郡にして地脈切ず、淺井郡は首尾をもつて伊香郡をつヽめるごとし、委しく圖を按ずるに解をまたずしてあきらかなり、近江の風土記、今人間になし、わづかに淺井の一郡脱簡紙上一葉ばかり、水戸の館庫にあり、漸淺井一郡の境界、及竹生島のことすこしくしるせり、其餘の神社佛宇山川行路等のことなし、全書をみざれば、そのこともはかりがたく、歎惜するにたへたり、梨木三位祐之の大八洲の記に、當國のことをすこしくしるせども、淺井郡

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1182 のみ風土記を引用し、他郡に及ばず、世間流布の近江風土記と云書あれども、一事のとるべきなし、

〔新撰姓氏録〕

〈左京皇別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1182 治田連 開花天皇皇子彦坐命之後也、四世孫彦命征北夷功効、因割近江國淺井郡地之、爲墾田地、大海眞持等墾開彼地、以爲居地、大海六世孫之後、熊田宮平等因事、賜治田連姓也、

〔續日本紀〕

〈二十四淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1182 天平寶字六年二月甲戌、賜大師藤原惠美朝臣押勝近江國淺井、高島二郡鐵穴各一處

伊香郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1182 近江國〈◯中略〉伊香〈イカコ〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1182 ウノ韻ヲカノ行ノ音ニ轉ジ用ヒタル例 いかこ 伊香〈近郡〉伊香古(イカゴ)

〔近江國輿地志略〕

〈八十八伊香郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1182 夫以、伊香の名、諸書に載するところ、土俗傳説をなじからず、土俗相傳、天智天皇の御宇、餘湖に天人下りて游泳舞樂す、其歌妓の美兒多して、其數五百なり、かるがゆへに五百の兒と書して、いかごと讀といへり、然ども五百の字にいかの訓なし、若しこの説實ならば、五十の兒と書して、いかごと訓ずるもしるべからず、五十の字にいかの訓あることはめづらしからず、正史實録及源氏物語等にも、多出たるも、畢竟夢中に夢を説にて、假令五百五十の字にいかの訓ありとも、天人游泳歌妓の兒ゆへに郡の名とすること、あとかたもなき僞なれば、論ずべからず、一説に曰、往古この地に靈木ありて、其花ひらくるときは、異香四方に薫ず、かるがゆへに異香郡といふ、後に伊香の字にあらたむといふ、是もまたあやまりなり、當郡は伊香津臣命所領の地なれば、郡の名とす、郡中に伊香具神社あり、因て郡名とす、延喜式の神名帳にも、伊香具の社のことを載られたり、旁天人游泳靈木異香のことによらざること顯然たり、伊香具と書しても

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1183 いかごと訓ず、江家次第には伊賀の字につくれり、是又字にかヽはらざることを見るべし、當郡東は美濃の國界中尾嶺土藏嶽、金裾嶽に交り、北は越前の國界三瀬山、中河内山に連る、西南は淺井郡の界に接れり、をよそこの郡の地勢、南北は長して東西はみじかきなり、

〔三代實録〕

〈十清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1183 貞觀七年三月廿八日己酉、近江國言、伊香郡人石作部廣繼女、生年十五、始以出嫁、三十七失其夫、常守墳墓、哭不聲、專期同穴、無再嫁、量其意操、可節婦、勅宜叙二階戸内租、即表門閭

〔今昔物語〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1183 石山觀音爲人付和歌末語第十八 今昔近江ノ國ニ伊香ノ郡ノ司ナル男有ケリ、其ノ妻若クシテ形チ美麗也、心バセ思量リ有テ、世ニ並ビ无キ物ノ上手也ケリ、〈◯中略〉而ニノト云フ人、國ノ司トシテ國ヲ政ツニ、此女ノ有様ヲ聞テ、前々ノ守ヨリモ強ニ此女ヲ得ムト思フニ、夫ニ妻奉レト可乞キニモ非ズ、文ヲ遣テ假借セムニモ、前々ノ事ヲ聞クニ不叶ズ、何ニセマシト思ヒ廻シテ謀ル様、御館ニ急事有リト云テ、此郡ノ司ヲ召ス、郡ノ司何ニ事ニカ有ラムト周(アハ)テ急ギ參タリ、〈◯中略〉守硯ヲ取寄テ、文ヲ書ク、書畢テ封ジテ上ニ印ヲ差セテ、其レヲ文箱ニ入テ、其文箱ノ上ニモ亦印ヲ差セテ、此レ彼ノ尊ニ給ヘ、此レヲ開テ可見キニ非ズ、此ノ内ニハ和歌ノ本ナン有ル、其ノ末ヲ同心ニ付合セテ奉レ、然レバ此レヲ得テ家ニ持行テ、今日ヨリ後七日ト云ニ可返持參キ也、和歌ノ本末ヲ付合セテ持參タラバ、尊ハ勝ヌ、速ニ國ヲ分テ可知シ、若シ尊付誤タラバ、尊ノ妻ヲ我レニ得サス許也トテ取セタレバ、〈◯中略〉此ノ歌ノ末ヲ書テ、前ノ文箱ニ具シテ、七日ト云フ夕方御館ニ參タレバ、守來タリト聞テ、先ヅ奇異ニ日ヲ不違ズ來タルカナ、然リトモ歌ノ末ハ否付ジト思テ、此方ニ參レト召セバ、箱ト歌ノ末トヲ奉レリ、守歌ノ末ヲ見テ、此レ希有ノ事也ト思テ、箱ヲ開テ見ルニ、違フ事無ケレバ、返々ス感ジ恐レテ、多ノ物ヲ與ヘケリ、亦我レ既ニ負ヌトテ、約ノ如ク國ヲ分テ令知メケリ、此ノ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1184 箱ノ内ノ歌ノ本ハ、アフミナルイカゴ(○○○)ノウミノイカナレバトゾ有ケルニ、此クミルメモナキニ人ノコヒシキト付ケレバ、實ニ目出タシ、觀音ノ付給ハムニハ、當ニ愚ナラムヤ、

高島郡

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1184 近江國〈◯中略〉高島〈タカシマ〉

〔近江國輿地志略〕

〈九十二高島郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1184 夫高島の名は、萬葉集より以來、世々の撰集に出て、正史六國史みな高島の文字につくれり、この郡、南は志賀郡に隣り、郡は若狹國界大杉山波が畑山に至りて、東は湖水をかぎり、艮は越前の國界に交り、巽は湖に連り、坤は山城丹波若狹三國の界に接し、乾は若狹の國界に至る、大凡この郡、南北はながふして、東西は南北よりもみじかし、

〔日本書紀〕

〈十七繼體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1184 男大迹天皇、〈更名彦太尊〉譽田天皇五世孫、彦主人王子也、母曰振媛、振媛活目天皇七世孫也、天皇父聞振媛顏容妹妙、甚有媺色、自近江國高島郡三尾之別業、遣使聘于三國坂中井、〈中此云那〉納以爲妃、遂産天皇

〔續日本紀〕

〈二十六稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1184 天平神護元年正月庚子、勅復官軍所經近江國高島郡調庸二年、滋賀淺井二郡各一年、並以沒官物、量加賑恤

〔淺井三代記〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1184 亮政軍評定并高島退治の事 兎角高島郡を可攻取と宣へば、列坐の面々申上けるは、高島は海上へだつといひ、江南の領分志賀の郡につヾきたる所なれば、弓手も馬手も皆敵なれば、如何可御座やと同音に申、

〔倭名類聚抄〕

〈七國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1184 近江國 滋賀郡 古市〈布留知〉眞野〈末乃〉大友〈於保止毛〉錦部〈爾之古利〉 栗本郡 物部〈毛乃乃倍◯原脱一乃字、據高山寺本〉治田〈發多〉木川〈木乃加波〉勢多 梨原〈奈之波良〉 甲賀郡 老上〈於保加美◯高山寺本保作支〉夏身〈奈豆美〉山直〈也末奈保◯高山寺本無奈保二字〉藏部〈久良布◯高山寺本布作閉〉 野洲郡 三上〈美加無◯高山寺本、美加無下有有上下三字、〉敷智〈國用淵字〉服部〈八土利◯高山寺本八土作波止、〉明見〈安加美、在南北、〉邇保(ニホ)〈在南北〉篠原〈之乃波良〉驛家〈在南北〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1185 蒲生郡 東生 西生 必佐 篠田 篠笥 大島 船木 安吉〈◯高山寺本有阿支訓〉桐原 神崎郡 高屋 神崎〈加無佐木◯高山寺本、崎作埼、又木作支、〉驛家 神主 垣見 小社 小幡 愛智郡 蚊野 八木 大國 長野 平田 養父 犬上郡 神戸〈◯高山寺本省之〉田可 沼波 高宮 尼子 甲良 安食〈◯高山寺本、食作良蓋誤、〉清水 竇田 青根 驛家 坂田郡 大原〈於保波良〉長岡〈奈加呼加〉上坂〈加無佐加〉下坂〈之無佐加〉細江〈保曾江〉朝妻〈安佐都末〉上丹〈加無都爾布〉阿那 驛家 淺井郡 岡本〈乎加毛止〉田根〈多保◯保恐禰誤〉湯次〈由須木〉大井〈於保井〉川道〈加波美知◯高山寺本無美字〉丁野〈與保乃〉錦郡〈爾之古利〉速見〈波也美〉益田〈末須太〉新居〈爾比井〉都宇 朝日〈安佐比〉鹽津〈之保津〉 伊香郡 柏原 安曇 遠佐〈◯遠原作遂、依高山寺本攺、〉楊野 余呉〈◯呉原作領、據高山寺本攺、〉片岡 伊香〈伊加古〉大社 高島郷 神戸 三尾〈美乎〉高島〈太加之末〉角野〈都乃〉木津〈古都〉桑原 善積 川上 大處 鞆結〈土毛由比〉

〔近江國輿地志略〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1185 郷 志賀郡 古市郷〈南郷平津邊より、膳所馬場(ばんば)松本の邊までをいひしなるべし、今昔物語にも見へたり、〉 眞野郷〈今の眞野和邇堅田邊をいひしなるべし〉 大友郷〈坂本近邊をいふと見へたり、大友のみつの浦半をうちさらしよせくる波のゆくゑしらずもの神詠あり、三津の濱は坂本にあり、〉 錦部郷〈志賀の邊より、三井寺の寺門の邊をいふなるべし、〉 栗本郡 物部郷〈部田追分等の邊なるべし〉 治田郷〈南笠の邊なるべし、南笠村に治田の神社あり、〉 木川郷〈今木川村あり、此邊なるべし、〉 勢多郷〈今勢多莊といふ〉 梨原郷〈いづれの地を指にや詳ならず〉 甲賀郡 老上郷〈詳ならず、栗太郡には老上川あり、〉 夏見郷〈今夏身村あり、此邊をいふなるべし、〉 藏部郷〈伊賀の國界の邊をいふとみへたり〉 野洲郡 三上郷〈三上の莊の邊なるべし〉 服部郷〈服部の邊なるべし〉 邇保郷〈邇保莊あり、その邊なるべし、〉 敷智郷〈つまびらかならず〉 明見郷〈詳ならす〉 篠原郷〈大篠原村小篠原村あり、この邊なるべし、〉 蒲生郡 船木郷〈船木、多賀、北莊、津田、奧島等をいふ、〉 篠笥(さゝけ)郷〈今の佐々木莊の邊なるべし、佐々木舊鷦鷯(もとさゝき)の御名によれり、亦佐沙之貴(き)、安(さ)々岐(ぎ)にも作、佐々木は假名書な〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1186 〈れば、佐々木と篠笥(さけゝ)と相通ず、きとけとはかきくけこ入音の相通なれば、佐々木を篠笥といふにや、〉 桐原郷〈今存在して相原郷あり〉 安吉郷〈是も今存在す〉 東生郷 西生郷〈今存在す〉 必佐(ひつさの)郷 大島郷 篠田郷〈以上、今つまびらかならず、〉 神崎郡 垣見郷〈今垣見莊あり、是なり、〉 小幡郷〈其小幡村あり、此邊なるべし、〉 神崎郷〈今の甲崎村の邊なるべし、甲崎村舊神崎村といへば此邊なるべし、〉 高島郷〈今の妙法寺村の邊をいふ〉 神主(かうぬし)郷 小社郷〈倶に今詳ならず〉 愛智(ゑち)郡 大國郷〈土俗今大國莊と號する地是なるべし〉 蚊野郷〈今蚊野莊あり、是なるべし、〉 八木郷〈今八木村あり、この邊か、〉 長野郷〈今長野莊あり、これなるべし、〉 平田郷 養父(やぶしの)郷〈倶に所在詳ならず〉 犬上郡 安食(あんじき)郷〈今安食莊あり、これなるべし、〉 甲良(かわら)郷〈今河原莊といふ處是なり、甲良かはらと訓ず、〉 尼子郷〈尼子村あり、此邊なるべし、〉 高宮郷〈今高宮驛あり、此邊ならん、〉 田可郷〈多賀村あり、此邊なるべし、〉 沼波郷〈沼波通あり、是ならん、〉 清水郷〈今清水鼻村あり、この邊か、〉 神戸郷 竇田(かうだ)郷 青根郷〈倶に所在詳ならず〉 坂田郡 上丹郷〈今上下の木生村あり、此邊なるべし、〉 上坂郷、下坂郷、〈今上坂莊下坂莊あり、此邊なるべし、〉 長岡郷〈長岡莊といふあり、是なるべし、〉 大原郷〈今存在す、これも土俗大原の莊といふ、〉 朝妻郷〈今朝妻村あり、此邊なり、〉 細江郷 阿部(あな)郷〈今所在つまびらかならず〉 淺井郡 錦部郷〈今錦織莊あり、此邊なるべし、〉 川道(かわち)郷〈今川道の名存せり〉 新居郷〈今新井村あり、是なるべし、〉 益田郷〈今増田莊あり、是なり、〉 朝日郷〈今朝日莊あり、是なり、〉 速水郷〈今速見村あり、此邊なるべし、〉 丁野(ようの)郷〈今丁野村あり、是なり、〉 田根郷〈今田根莊あり、是なり、〉 湯次郷〈今湯次莊あり〉 鹽津郷〈今存在す〉 都宇郷 大井郷 岡本郷〈倶に所在詳ならず〉 伊香郡 柏原郷〈今詳ならず〉 安曇郷 遂佐(すさ)郷〈その所在詳ならず〉 楊野(やなぎのゝ)郷〈今柳野村あり、是なり、〉 余領郷〈其所在つまびらかならず〉 片岡郷〈今存在す〉 伊香(いかごの)郷〈その所在つまびらかならず〉 高島郡 高島郷 三尾郷〈三尾里村の邊なるべし〉 角野(つののゝ)郷〈今角川村あり、此邊歟、〉 木津郷〈木津莊あり、是なるべし、〉 桑原郷〈今桑原村あり、これ歟、〉 善積郷〈善積莊あり、是なるべし、〉 大處(おほゐの)郷 鞆結(ともゆひの)郷 川上郷 神戸郷〈倶にその所在詳ならず〉 此のごとくしるしあれども、今その地に唱るところもあり、亦となへ失ひて、一向にしれざる地もあり、仁壽、貞觀の時代までは、顯に郷の名も建てありと見へたり、〈◯中略〉何の郡何の郷何村とい

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1187 ふもあり、栗太郡勢多郷橋本村の類是なり、亦郷の名を莊と心得たるもあり、野洲郡桐原莊大篠原郡の類なり、亦郷も莊も自然と同名にて、然もおなじ處に係屬せるあり、犬上郡甲良郷甲良莊法養寺村の類なり、一向郷の名も唱へうしなひて、此村には郷なしなんどいふ地もあり、何ぞ郷なき村あらんや、上古疆界を建たまひし時、村を統るに郷をもつてし、郷を統るに郡をもつてし、郡を統るに國をもつてせり、地として郷なしといふ處はなきことなり、今郷なしと稱する處は、みな郷をとなへうしなひたるなり、今亦此外私に郷と呼ところ多し、栗本郡田上郷、甲賀郡信樂郷、婢谷郷の類なり、今は一村を指さして郷といへる處もあり、村民の居ある處をさして郷中などいへるは、昔の名殘なり、しかれども古と今とは意もかはれりとみへたり、時世の沿革是のみにかぎるべからず、

〔東寺文書〕

〈禮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1187 近江國甲可郡藏部墾田野地賣買券 甲可郡司解 申賣買墾田并野地立券事 合墾田貮拾壹町 野地參町〈東谷 南溝 西川 北佐遲谷竟〉 在藏部郷(○○○)者 右左京五條三坊戸主從五位上阿倍朝臣島麻呂墾田者〈◯中略〉 賣人從五位上阿部朝臣島麻呂〈◯中略〉 天平勝寶三年七月二十七日 主帳无位川直百島

〔集古文書〕

〈六十釋書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1187 受戒僧綱牒〈近江國比叡山延暦寺〉 僧綱牒近江國師 今年受戒僧事 僧最澄年二十〈近江國志賀郡古市郷(○○○)産、正八位下三津首淨足戸口、同姓廣野、黒子頸、左一、左附折上一、〉 牒上、件僧以今年受戒已畢、國師承知、經於國司附國分寺僧帳、今以状下、牒到奉行、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1188 延暦四年四月六日 從儀師常耀

〔今昔物語〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1188 近江國鯉與鰐戰語第三十六 今昔、近江ノ國志賀ノ郡古市ノ郷ノ東南ニ、必見ノ瀬有リ、郷ノ南ノ邊ニ勢多河有リ、其ノ河ノ瀬也、其ノ瀬ニ大海ノ鰐上テ、江ノ鯉ト戰ケリ、〈◯下略〉

〔夫木和歌抄〕

〈三十一里〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1188 ふるいちの里〈近江〉 正安大嘗會 兼仲卿 ふるいちの名にあらはるヽ里なればひさしくかヽる池の藤波

〔松屋筆記〕

〈百五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1188 近江國愛智郡古文書 蚊野郷戸主從八位下依知秦公成人解申、依正税稻賣買墾田券文立事、 十二條、八長田里、二十七廣田口、切田參段、 右件墾田、用正税稻漆拾貮束價直、切常土、與賣大國郷戸主勳九等依知秦公万歳麻呂既訖、望請依式立券文前、仍注事状以解、 弘仁十一年十二月五日 墾田主依知秦公富吉女

〔古事記〕

〈中開化〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1188 次袁邪本王者〈(開化皇子彦坐王子)葛野之別、近淡海蚊野(○○)之別祖也、〉

〔松屋筆記〕

〈百五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1188 近江國愛智郡古文書 八木郷(○○○)戸主秦眞條戸同大http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a704.gif 女解申常土賣買墾田立券文事 十條九里二一六田壹段 右件墾田、米參斛伍斗矣充價直、切常土、沽大國郷戸主依知秦淨男既畢、仍立券文如件、以解、 承和十四年九月三日 賣人依知秦眞大http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a704.gif

〔松屋筆記〕

〈百五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1188 近江國愛智郡古文書 大國郷(○○○)戸主秦公宗直解申依所負官物常土賣買墾田立券文事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1189 十條六里五野中田貮段〈副本券文〉 右件墾田、充稻伍拾束價直、常土與沽無依行徳既訖、仍爲http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e1dd.gif 立券文如件、以解、 貞觀八年十月十一日 墾田主秦公宗直

〔東大寺小櫃文書〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1189 國愛智郡大目郷(○○○)居住依知秦又子解申請所由所司明驗事〈◯中略〉 延喜二年十一月日 依知秦又子 ◯按ズルニ、此ニ大目郷トアルハ大國郷ノ誤寫ナルベシ、

〔松屋筆記〕

〈百五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1189 愛知郡養父(○○)郷戸主平http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000065018c.gif 夜須長戸依知秦須富http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a704.gif 女解申、依用米賣買墾田立券文事、 合貮段 十二條、七里、二十一林田、壹伯捌拾歩、直米漆㪷伍升、 二十八林田壹段壹伯捌拾歩、直米貮斛貮斗伍升、 右件墾田、用米參斛價直、切常土、與賣雪麻呂既畢、仍立券文如件、以解、 天安元年三月八日 墾田主依知秦公酒留http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001a704.gif 女〈◯下略〉

〔吾妻鏡〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1189 文暦二年七月二十九日庚寅、去二十三日、台嶺衆徒奉三社〈十禪師客人八王子〉神輿於花洛、是近江國高島郡田中郷(○○○)地頭、佐々木次郞左衞門尉高信代官、與日吉社人等鬪亂之故也、

〔佐々木系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_1189_001.gif

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1189 盛季(盛綱二男)〈野村小三郞左衞門尉〉 盛蓮〈山徒、號四郞房、 近江國白藤郷野村郷(○○○○○○)知行、其後日向國四所之庄下向、同國諸縣郡之内、嵐田名、踏切名領庄、〉 慶幸〈佐々木大夫坊 後還武家、近州白藤郷知行、〉

〔東寺百合文書〕

〈み三十二至四十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1190 雜訴決斷所牒 近江國衙 仁和寺雜掌信性申當國圓城寺領事 右如目代宗護代聖惠等注進状者、入交愛智郡内日吉上下、石寺、安彦子郷(○○○○)、八木郷、永野郷(○○○)、小大國已上七ケ所之條、無相違云々、此上不預儀、守先例汰付下地於雜掌云々、以牒、 建武元年十二月七日 中務丞三善〈〇下略〉

村里/名邑

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1190 近江 十二郡千三百十六村 高八十五万三千九十五石三斗五合五勺九才(御料私領) 犬上郡百二十四村 愛知郡百十七村 神崎郡八十二村 蒲生郡二百二十八村 甲賀郡百三十七村 野洲郡八十一村 栗本郡百十五村 滋賀郡八十八村 高島郡百五十六村 伊香郡七十一村 淺井郡百四十二村 坂田郡百七十五村

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1190 一近江國(御料私領) 〈江州 四方三日半〉 拾貮郡 高八拾三萬六千八百貳拾九石七斗貳升七勺八才 千五百拾六ケ村 ●彦根〈東海道百八里 東山道百十九里〉 ●水口〈百九里〉 ●膳所〈百廿里半〉 ●仁正寺〈百八里〉 ○大溝〈東海道百廿七里 美濃路百十一里〉 ○宮川〈百十九里〉 ○山上〈百廿里〉 ○三上〈百十九里〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 大森〈百十里  最上圖書助〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 朽木〈百廿里 朽木縫殿助〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif 〇前田〈加州 一万石 前田土佐守〉 <大津〈百廿三里〉 <信樂〈百十七里〉 〇按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1190 郡邑島嶼奇名 近江 栗太郡、上鈎(マガリ)村、川邊(ツラ)村、矢橋(ハセ)村、下物(ヲロシモ)村、綣(ヘソ)村、坂田郡、米原(マイハラ)村、伊香郡、大音(オホト)村、高島郡、五十川(イソカハ)村、滋賀郡、衣(キヌ)川村、蒲生郡鎌懸(カイカケ)村、三十坪(ミソツ)村、西生來(ニシヤウライ)村、千僧供(センソク)村、野洲郡、櫻生(バサマ)村、安治(アハシ)村、神崎郡、位田(インデ)村、愛知(ヱチ)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1191 川(カハ)宿、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1191 故其伊邪那岐大神者、坐淡海之多賀(○○)也、

〔古事記傳〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1191 多賀、式に、近江國犬上郡多何神社二座と見ゆ、和名抄に田可郷あり、是なるべし、

〔日本書紀〕

〈九神功〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1191 三月〈〇攝政元年〉忍熊王逃無入、則喚五十狹茅宿禰、〈〇中略〉則共沈瀬田濟而死之、于時武内宿禰歌之曰、阿布彌能彌(アフミノミ)、【齊多】能和多利珥(セタノワタリニ)、伽豆區苫利(カヅクトリ)、梅現志彌曳泥麼(メニシミエ子ハ)、異枳迺倍呂之茂(イキトホロシモ)、於是探其屍而不得也、然後數日之、出於莵道阿、武内宿禰亦歌曰、阿布瀰能瀰(アフミノミ)、【齊多】能和多利珥(セタノワタリニ)、介豆區苫利(カヅクトリ)、多那伽瀰須疑氐(タナカミスギテ)、于泥珥等邏倍莵(ウチニトラヘツ)、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1191 元年七月辛亥、男依等到瀬田(○○)

〔類聚名物考〕

〈地理三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1191 大津里(○○○) おほつのさと 近江國〈滋賀郡〉 宮 濱等をよめり

〔和漢三才圖會〕

〈七十一近江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1191 大津〈至京師三里至膳所一里、子丑至越前敦賀二十三里半、北至海津舟十六里、〉

〔近江國輿地志略〕

〈六志賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1191 大津 志賀郡の墺區にあり、日本廣邑三十六のその一にして、近江二湊の第一たり、〈大津、八幡が當國の二湊といふ、〉抑この地を大津と名づくることは、古事記に據る、はじめは相津なり、古事記の崇神記曰、故大毘古命者、隨先命而罷行高志國、爾自東方遣建沼河別、與其父大毘古、共往遇相津、故其地謂相津也、伊勢延佳神主云、相津は近江國志賀郡、いまの大津の事なりと、〈〇中略〉大津相津訓近きを以て改め給ふなるべし、其後天武大友の壬申亂より、大津の都あれはてヽ、古都となりしかば、自古津とはいへり、〈古都をこつと訓ず、古津またこつとよめり、〉續日本紀曰、聖武天皇天平十二年十二月癸亥、到志賀郡木津頓宮云々、〈木津又こつと訓ず、古つと同、〉その後大津と改りしことは、桓武天皇の朝なり、日本紀略曰、延暦十三年十一月丁丑、詔曰、近江國志賀郡古津、先帝舊都、今接輦下、可昔號、改稱大津云々、桓武帝及嵯峨帝この蹟に行幸をなしたまへり、日本後紀曰、延暦二十年三月、幸近江、大津國司司奏歌儛、近行宮諸寺施綿、類聚國史曰、大同二年十月乙亥、行幸近江國大津、修禊、以御大嘗也、こ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1192 れらを以て見るときは、舊都のあとに行宮頓宮を建させたまふなるべし、〈行宮頓宮かり宮にて、俄につくろふ御所なり、〉大友皇子〈天智の皇子〉始て五言の詩をつくり、大津皇子〈天武の皇子〉始て七言の詩を作、本朝文物權輿の地といへるは大津の事なりと、林學士鵞峯の文集に特に賞美しのせたり、誠に勝地といはざるべけんや、京都より江戸に赴く五十三次驛の最初にして、〈驛路の鈴を傳し其始は、孝徳天皇の大化二年に始れども、其時よりの驛にはあらず、昔の驛とはかわれり、五十三次驛の定りしは、慶長以來、神祖一統の後の例定なり、〉東海道、中山道、岐蘇道等を經歴するは、皆此驛によらざるはなし、しかのみならず、北陸道に行者も、亦此驛よりす、平安城の固要樞の地なり、〈京より大津札の辻に至り三里〉北越及陸奧出羽より、京都亦西の國々へ出す諸用の雜物、船にのせて越前敦賀へ出し、敦賀より馬にて荒乳山七里半の山路を越、當國貝津にいだし、又船にのせ湖上二十里を歴て當津に著船、大津の名を宣なり、

〔東海道名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1192 近州大津(○○)〈京師より初の驛なり、これより東を關東とも坂東ともいふ、關東二十八洲、關西三十八州、京よりこゝまで三里、大坂より十四里也、又草津まで三里半餘也、旅籠町の名を八町といふ、此地は、北越及び淡海國中の産物魚物等船にて運び、日毎に市をなして、京都へ交易す、町數九十六町、諸侯の藏屋舖多し、〉

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1192 元年八月甲申、命高市皇子近江群臣犯状、則重罪八人、坐極刑、仍斬右大臣中臣連金於淺井田根(○○)

〔近江國輿地志略〕

〈八十五淺井郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1192 田根沼 同村〈〇木尾村〉にあり、二所にあり、土俗相傳、往古萬物の種、此處へ天よりふり、それより天下にあまねきゆへ、此邊を種の莊と云、今は田根の文字に書すと云、

〔東海道名所圖會〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1192 粟津里(○○○) 〈これも城下にならざるまへ、膳所五ケの庄の村里をいふなるべし、〉

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1192 元年七月辛亥、大友皇子左右大臣等、僅身免以逃之、男依等即軍于栗津(○○)岡下、 壬子、男依等、斬近江將犬養連五十君、及谷直鹽手於粟津市(○○○)

〔日本書紀通證〕

〈三十三天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1192 栗津岡〈栗當粟、催馬樂云、粟津乃原乃三栗栖野、後撰集云、關越氐粟津乃杜乃不逢登毛清水爾見之影奈忘會、 壽永三年、源將軍義仲戰死于此、〉

〔日本書紀〕

〈六垂仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1193 三年三月、新羅王子天日槍來歸焉、〈(中略)於是天日槍自莵道河泝、北入近江國吾名邑(○○○)、暫住、復更自近江若狹國、西到但馬國、則定住處也、是以近江國鏡谷陶人、則天日槍之從人也、〉

〔新撰姓氏録〕

〈右京皇別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1193 眞野臣 天足彦國押人命三世孫彦國葺命之後也、〈〇中略〉佐久命九世孫和珥部臣鳥、務大肆忍勝等、居住近江國志賀郡眞野村(○○○)、庚寅年負眞野臣姓也、

〔續修後集東大寺正倉院文書〕

〈四十三裏書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1193 造石山院所解 散役壹萬參仟貳伯拾貳人〈〇中略〉 土工一百七十人〈司工九十四人 雇工七十六人〇中略〉 六人兹賀郡眞野村白土取遣〈三箇日單〇中略〉 以前起天平寶字五年十二月十四日、盡六年八月五日、請用雜物、并作物及散役等如件、以解、 天平寶字六年閏十二月二十九日案主下 別當主典安都宿禰

〔新撰姓氏録〕

〈左京皇別〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1193 小野朝臣 大春日朝臣同祖、彦姥津命五世孫、米餅搗大使主命之後也、敏達天皇御世、大徳小野臣妹子、家于近江國滋賀郡小野村(○○○)、因以爲氏、日本紀合、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1193 元年七月庚寅、先是近江放精兵、忽衝玉倉部邑(○○○○)、則遣出雲臣狛擊追之、

〔日本書紀通證〕

〈三十三天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1193 玉倉部邑〈古事景行記曰、到玉倉部之清水、以息坐之時、御心稍寤、故號其清水、謂寤居清水也、在坂田郡、〉

〔日本靈異記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1193 彌勒菩薩應於所願奇形縁第八 近江國坂田郡遠(○)〈〇遠、今昔物語十七作表、〉江里(○○)有一富人、姓名未詳也、〈〇下略〉

〔運歩色葉集〕

〈志〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1193 滋賀樂(○○○)〈近江〉

〔倭訓栞〕

〈前編十三志〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1194 志がらき 近江甲賀郡の郷名也、今もはら陶器茶茗に名あり、

〔續日本紀〕

〈十四聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1194 天平十四年八月癸未、詔曰、朕將幸近江國甲賀郡【紫香樂(シカラキ)村】即以造宮卿正四位下智努王輔外從五位下高岡連河内等四人造離宮司

〔類聚三代格〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1194 太政官符 應猿女事 右〈〇中略〉猿女養田、在近江國和邇村(○○○)、山城國小野郷、今小野臣、和邇部臣等、既非其氏、被猿女、熟捜事緒、上件兩氏貪人利田、不恥辱、拙吏相容、無督察也、〈〇中略〉右大臣宣、奉勅、宜正之者、仍兩氏猿女從停廢、定猿女公氏之女一人、進縫殿寮、隨闕即補、以爲恒例、 弘仁四年十月二十七日

〔叡岳要記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1194 左辨官下(圓融院御時) 近江國 應延暦寺代々御願堂塔造作修理間、免除東坂本并三津濱苗鹿村(○○○)住人臨時雜役事、 天元二年八月二十八日下宣旨 國符 滋賀郡 可除天台山東坂本三津苗鹿住人臨時雜役事、 天元六年九月二十五日國符

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1194 【矢橋】(ヤバセ)〈本字八早瀬、江州栗太郡、〉

〔近江國輿地志略〕

〈四十二栗太郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1194 矢橋(やばせ)村 新濱村の北にある村なり、參考保元物語には矢早瀬の字に作る、今昔物語には矢馳に作る、蓋野洲郡とするものは誤歟、然れども國史にさへ郡を違へる所多し、時の沿革もあれば、誤とも謂がたし、

〔今昔物語〕

〈二十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1194 近江國矢馳郡司堂供養田樂語第七 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1195 今昔、比叡ノ山ノ西塔ニ住ケル教圓座主ト云フ學生有ケリ、物可咲ク云テ、人咲ハスル説經教化ヲナムシケル、其レガ未ダ若クシテ、供奉ト云テ西塔ニ有ケル時ニ、近江國ノ郡ニ矢馳(○○)ト云フ所ニ有ケル郡司ノ男、年來極ク此ノ人ニ志有テ、山ノ不合ノ事共ナド常ニ訪ケレバ、〈〇下略〉

〔今昔物語〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1195 地藏菩薩變小僧形箭語第三 今昔、近江ノ國依智ノ郡賀野ノ村(○○○○)ニ、一ノ舊寺有リ、其ノ寺ニ地藏http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b235.gif ノ像在マス、其ノ寺ハ檢非違使左衞門ノ尉平ノ諸道ガ先祖ノ氏寺也、

〔田代文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1195 雜訴決斷所牒 田代普賢丸(後改市若丸顯綱) 近江國三宅(○○)〈〇野洲郡〉内十三町并六町大方等地頭職事 右當知行、不相違者、以牒、 建武元年九月二十六日 左近將監大江朝臣〈〇下略〉

〔田文〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1195 江州高島郡御藏入 一千百八石七斗 くちおろし村〈常眞分〉 一三百九拾四石三斗三升 をとわ村〈同分〉 一四百貳石壹斗七升 伊黒村〈同分〉 一千三百六十七石八斗二升 見よ村〈同分〉 一五百壹石七斗五升 太田村〈同分〉 一千七百五十五石 しんほう中庄〈同分〉 一三百七十五石六升 おうとも村〈同分〉 一四百四十石壹斗五升 いかヽわ村〈同分〉 一七百六十石七斗 ふかしみつ村〈同分〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1196 一五百貳石五斗 新庄東西〈小越分〉 一千三百九拾五石 舟木村 合九千貳百三石貳斗 右令取沙汰運上之候也 文録四年八月八日〈秀吉公印〇印影略〉 朽木河内守どのへ

〔古文書類纂〕

〈上條目〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1196 後陽成天皇文祿五年石田三成條目〈近江國伊香郡古保利村字東柳野、弓削善次郞所藏、〉 伊香郡之内東柳野村(○○○○)掟條々 一千石につめ、夫壹人とあひさだむる也、此外つかふ事あらば、此印判にて、いくたりいだし候へと申つかわすべく候、然者奉行人を申付おくべき間、十二月二十日に、當村之年中の印判の書物あつめあげ可申候、すなはちはん米をつかはすべき事、〈〇印判略、中略、〉 右十三ケ條如件 文祿五年三月朔日 治部少〈花押〉

〔近江國輿地志略〕

〈五十八蒲生郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1196 安土村(○○○) 八幡町より一里北なり 中古織田信長安土山に居城ありし時は、甚繁昌して、この村を本として、此邊二三里が間の總名を安土と呼り、今悉舊名にかへれり、其時の町は八幡に引移せり、

〔淡海温故録〕

〈三坂田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1196 長濱(○○) 長濱ハ初今濱ト云、秀吉公長濱ト改ラル、

〔江北記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1196 文明三年〈庚寅〉當國初亂之事 一六月〈文龜元年〉合戰、元は上治(上坂治部大輔)をそむき、淺井三田村、河毛、渡部、堀其外之衆也、六月十七日之夜、今井館へ治部少輔殿濃州いびより被御出、今濱へ被取掛、被勝利候也、環山寺殿は今濱に御座候

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1197 也、

〔豐鑑〕

〈一長濱眞砂〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1197 明る天正二年の春、小谷山は北にさかひ雪いとふかく、さえまさる空のくるしみあり、三里餘のいぬゐにあたり、今濱とて古き城所あり、海にそひて雪淺く、舟の往來も便ありて、今信長の御座安土山へも程遠からねば、かふり仕るに煩なし、此所にすまむとて、堀をふかくし、石ぐらを打まはし、とのづくりしてうつり給ひぬ、今濱のなをあらためて長濱とならん、 君が代も我よも共に長濱の眞砂の數のつきやらぬまで、たれ人のよみしといふことも忘れにけり、

〔和漢三才圖會〕

〈七十一近江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1197 彦根(○○)〈一名佐和山、東至江戸百六里七町、西至京師十七里餘、北東至越前府中三十里、寅卯至美濃大垣九里半、坤至膳所十三里、〉

〔扶桑略記〕

〈三十白河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1197 承暦三年、攝津國水田郡石良里、有沙門徳滿者、上野延末之子也、生年二十歳、兩眼忽盲、經三个年、參鞍馬寺祈禱、無驗、從寺出參籠長谷寺、祈請至第七日、夢見、自御帳中老僧出來云、我力不及、汝當近江國犬上西郡彦根山西寺觀音靈驗之處誠祈願、三日之内各可驗、〈〇下略〉

〔西遊行囊抄〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1197 彦根、〈白鳥居本于此一里〉城主井伊掃部頭、此所ハ湖邊ノ便地、江州ノ大縣也、町數千軒、富人多シ、靈神靈社有、其外寺社多シ、

莊保

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1197 莊 今當國にて、民間稱する處の莊名、亦舊書の中に出たる其一二を擧る、 志賀郡 錦織莊〈寺門侍記補録曰、源頼義遂館錦織莊云々、〉 志賀莊〈土俗の傳ふところなり〉 粟津莊〈源尊氏新羅社の寄文にみへたり、亦土俗の所傳にも有、〉 和邇莊〈後醍醐天皇、三井寺へ下したまふ處の宣旨に見へたり、〉 柳田莊〈土俗の傳ふところなり〉 甲賀郡 檜物莊〈撰集に多し、檜物のもの蒲櫻をよめり、是なり、東寺村阿星山長壽寺の什物に、源頼朝及尊氏の寄文多あり、皆檜物莊東寺と記されたり、〉 蒲生郡 火切莊〈土俗のつたふる處なり、江家次第に、御齒固の具、有鏡餅近江火切、〉 神崎郡 高屋莊〈源氏物語に、高屋の妙法寺のことみへたり、亦故老の傳る處なり、〉 伊庭莊〈源爲義に伊庭莊を賜由、保元物語に出たり、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1198 犬上郡 高良莊〈園太暦に曰、觀應元年南朝正平五年、石塔中務大輔爲大將、江州高良莊邊處々放火、又東鑑にもあり、〉 坂田郡 小野莊〈古老の傳る處、後鳥羽天皇和歌所をおかせたまひて、當莊を附屬したまふ、和歌所預り藤原俊成、定家、爲家、相續して、領知なりといふ、〉 坂田莊〈民部卿泰憲常喜院を建立し、家領近江國坂田莊を割て寄附すると、寺門傳記に見へたり、〉 柏原莊〈東鑑に出たり〉 淺井郡 大浦莊〈三代實録にみへたり〉 高島郡 木津莊 饗食莊〈倶に比叡山延暦寺の舊記にあり〉 善積莊〈東鑑に出たり〉 吉富莊〈京東山今熊野におさむるところの泰和年中の院宣に見へたり、〉 今西莊 下端莊 富山莊〈倶に東鑑に出たれども、其所在をしらず、〉 吉塚莊〈定家の舊領なりと明月記に見へたり、是も所在詳ならず、〉 横山莊〈元暦元年、源頼朝園城寺に寄附のこと、寺門傳記に見へたり、所在詳ならず、〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1198 司牒 造石山寺所 還却上日帳參紙 一勢多庄(○○○)領二人并物部三狩等上日連署此不別當司署仍却〈〇中略〉 以前三條事、具如前件、今以状故牒、 天平寶字六年二月二日 判官葛井連根道 主典志斐連麻呂

〔東大寺正倉院文書〕

〈史館本七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1198 造石山寺所 奉充錢拾陸貫貳伯拾壹文〈〇中略〉 又海藻肆籠〈重十二斤〉鹽壹斗伍升 天平寶字六年二月九日 勢多莊領 主典安都宿禰雄足

〔西大寺文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1198 注進 西大寺所領諸庄薗現存日記事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1199 合〈〇中略〉 近江國 滋賀郡保良庄、四十町之内、領知十四町、殘國領、〈〇中略〉 已上九箇庄、大體有名无實、或被國領或被人領、或半分、或三分之一也、然而就庄號注進之、 一顚倒庄々〈〇中略〉 近江國 栗太郡世多庄〈在流記〉 甲賀郡椋部郡〈〇郡恐郷誤〉栗村〈在流記〉 滋賀郡古津庄(○○○)〈在流記〉 野洲郡柴井庄(○○○)〈在流記〇中略〉 已上二十七處、依流記公驗明白注進之、 右依宣旨注進如件、 建久二年五月十九日〈〇署名略〉

〔近江國輿地志略〕

〈三十三志賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1199 粟津庄(○○○) 粟津七村と稱し、西莊、木下、膳所、中莊、別保、鳥居川に馬場を加へて七村といふ、或は此中鳥居川を除き、松本を加へて粟津七村とも云、然れども舊記を按ずるに、粟津莊といへるは、西莊、木下、膳所、中莊、四箇村なり、別保は則粟津の別保なり、

〔近江國輿地志略〕

〈十二志賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1199 新羅社〈〇中略〉 尊氏の寄文あり、後記す、 寄進新羅社 近江國粟津別保(○○○○)地頭職事 右當社、昔在去外國變夷之域、遷本朝君子之列以來、明徳光于千古、冥祐被于万邦、就中曩祖豫州大守、專抽歸心、厚蒙靈睠、因温往蹤、彌増渇仰、仍奉當保、欲至誠、伏冀、皇徳與天地倶久、寰海休鯨波之聲、塞垣息虎戎之因、干戈無用、稼穀有年、黎垊考槃、戎狄卒服、寄進之義趣如件、 暦應五年四月二十二日 征夷大將軍正二位行權大納言源朝臣尊氏判

〔近江國輿地志略〕

〈十六志賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1199 大和の莊(○○○○) 是高畑の北、作り道の南、往還よりは西の方三町四方許を大和の莊と云、

〔山家要略記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1200 坂本大和莊施入事 慶命御記云、元慶七年春ノ三七日間、相應和尚於日吉大宮社讀理趣般若經、靈夢云、法宿大菩薩告テ云、爲上人法施、吾將莊一處、不幾日、西三條ノ女御施人當國滋賀郡倭莊(○○)、奉於常住明王云、

〔近江國輿地志略〕

〈二十八志賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1200 雄琴莊(○○○) 千野(ちの)、苗鹿(なふか)、雄琴(をごと)等の諸村をいふ、〈〇中略〉 法光寺 同處〈〇苗鹿村〉にあり、縁起曰、〈〇中略〉元亨二年後五月一日、大夫史殿春宮大進判院宣曰、法光寺領近江國苗鹿雄琴庄(○○○○○)土民以下濫妨事、奏聞之處、事實者太不然、早停止其妨、可全所務者、院宣如此、仍執達如件、

〔近江國輿地志略〕

〈三十一志賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1200 和邇莊(○○○) 北濱村、中濱村、南濱村、高城村、今宿村、中村、小野村、以上七ケ村を和邇莊と云、はじめは和邇村とよべりと見えて、類聚國史、及類聚三代格等に、みな和邇村に作、いま按ずるに、往古は中村を和邇村と稱して、それにのみ民居ありしと見えたり、其餘の五ケ村は、その後出來たる村なり、しかれども和邇莊と呼來こと、近き事にもあらず、建武のころより稱する事と見えて、三井寺の實録、寺門傳記補録に曰、後醍醐院建武三年九月二十四日御寄附状、 園城寺領 近江國和邇莊 崇福寺 これを以見るときは、和邇莊古來崇福寺領なりしを、相續して園城寺に御寄附のことヽ見えたり、

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1200 【金勝】(コンゼ)〈江州栗太郡、此地在金肅菩薩草創之伽藍則號金勝寺

〔近江國輿地志略〕

〈四十五栗太郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1200 金勝(こんせ)莊 觀音寺村、井上村、荒張村、上山依村、東坂村、中村、以上六ケ村を金勝の莊と云、往古は金勝寺の領知なるべし、金勝寺に禁制書あり、 禁制 廣慶院領近江國金勝莊 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1201 一軍勢甲乙人亂入狼藉并守護使不入事 一伐採山林竹木事 右條々堅致止之訖、若有違犯之輩者、可罪科之由、所仰下也、仍下知如件、 應仁二年正月二十三日 和泉守清原眞人〈花押〉 下野守三善朝臣〈花押〉 禁制 三洌伊賀入道知行 江州栗太郡金勝寺莊地頭職 右軍勢甲乙人等不亂入狼藉、若有違犯之事者、可罪科之由被仰下也、仍下知如件、 長享元年九月二十四日〈〇署名略〉

〔近江國輿地志略〕

〈四十九甲賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1201 信樂莊(○○○) 此邊は山深して、信樂の山を、多く歌仙詠ぜり、續日本紀には紫香樂の字に作る、信樂の莊八村と云は、宮町、勅旨、神山、小川、多羅尾、松原、黄瀬、牧村、以上八村なり、朝宮、野尻は、信樂の外村なり、其餘は皆八村の端村なり、

〔武州文書〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1201 花押 補任近江國信樂莊 上郷下司并總追捕使職事 沙彌妙觀 右以人所任彼職也、令相傳領掌、有限御年貢以下御公事等、任先例其沙汰者、莊家宜承知、敢勿違失、 元弘三年七月二十四日

〔好古日録〕

〈末〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1201 延元後五十年間遺器〈文書附〇中略〉 碑 近江國信樂莊寺谷碑刻云、正平二年月、

〔近江國輿地志略〕

〈五十甲賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1201 【檜物下(ひものしも)莊】 石部、柑子袋、平松、針、夏見、吉永、三雲、妙感寺、岩根、朝國、正福寺、菩提寺、東寺、西寺等の諸村を云、 臣 按ずるに、檜物はもと遺邇野の字にて、日本紀に出たり、往古蒲生郡遺連野につヾき、此邊も遺邇野の中なりしゆへに、檜物莊と云、詳に蒲生郡檜物莊の條下に載、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1202 此故に蒲生郡にある檜物莊をさして、檜物上の莊と云、當郡にある檜物莊をさして、檜物下の莊と云なるべし、

〔少菩提寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1202 近江國檜物莊(○○○)圓滿山少菩提寺領諸所之事、任先規之判例、全以寄付畢、彌以天下安全懇祈、可丹誠之状如件、 建武二年九月二十日 尊氏判 圓滿山衆徒中

〔近江國輿地志略〕

〈五十一甲賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1202 杣之莊(○○○) 三大寺六村、矢川七村、新宮九村、池田村、高山村、市原村、野出村、六牧村、馬杉村、高峯村、和田村をいふ、相つたふ、でんげう大師ゑんりやく寺を草創せんとほつし、此地に村をもとめ、杣入し給ふ故に號すといふ、

〔江北記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1202 杣莊、當方御本領、御代官職被仰付相抱候、

〔近江國輿地志略〕

〈五十一甲賀郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1202 大原莊(○○○) 高木村、高野村、鳥居野村、中村、上田村、大久保村、神村、相撲村、市場村、和田村五反田村、油日谷七谷、以上二十八村をいふ、大原九村と云ときは、油日谷七村を除くなり、古昔は法勝寺領なりと、盛衰記に見へたり、

〔新編諸宗教藏總録裏書〕

〈二山城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1202 あふみのくによしみの莊(○○○○○)の領家職下地半分事、ゆづり状かきてまいらせ候、〈〇中略〉仍爲後日契状如件、 建武元年四月二十六日 仁助〈花押〉

〔南部文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1202進吉見御莊(○○○○)撿注目録事 合 建武元年〈甲戌〉十二月日 總田數肆拾壹町貳段半參拾歩内 除

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1203  貳町捌段小十歩〈常荒道溝井成河或堀岡藥師如來敷地等〉

〔賀茂注進雜記〕

〈下神領〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1203 同〈〇壽永〉三年〈〇元暦元年〉四月廿四日壬辰、賀茂社領四十二ケ所、任院廳御下文、可武家狼藉之由、有其沙汰云々、 下諸國 可早任院廳御下文、停止方々狼藉進神事用途、賀茂別雷社御領庄園事、 近江國 舟木庄(○○○)〈〇中略〉 右肆拾貳箇所神領、任院廳御下文、停止方々狼藉武士等濫吹、如元可進神事用途、若不神威、不院宣、慥可重科之状如件、以下、 壽永三年四月廿四日 正四位下源朝臣御判

〔集古文書〕

〈十六判物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1203 勝定院義持公御判物〈京師清和院藏〉 清和院領近江國船木莊内、念佛田拾八町事、任證文等之旨、當院領掌、不相違之状如件、 應永二十七年四月十九日 花押 住持

〔集古文書〕

〈三十下知状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1203 明應元年下知状〈京師清和院藏〉 清和院領近江國船木莊内念佛田、并佛性寺分拾石等事、就今度兵粮之儀、國中寺社領以下雖御料所、於當院領者被免除、訖早可寺務之由所仰下也、仍執達如件、 明應元年九月二十六日 前信濃守〈花押〉 筑前守〈花押〉 當院雜掌

〔舟木氏系圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1203 頼重三代之後胤舟木兵庫大輔頼夏、雖志於朝家、父祖頼重落城後、引籠于本領内江

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1204 州舟木莊(○○○)敵色、〈〇下略〉

〔近江國輿地志略〕

〈五十五蒲生郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1204 奧島莊 丸山、奧島、白部、王濱、北津田、中莊等の村をいふなり、

〔近江國輿地志略〕

〈二建置沿革〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1204 此國の中古昔と今とかはれるもの多し、たとへば奧島のごとき、三代實録には野洲郡とあり、今蒲生郡に屬す、

〔三代實録〕

〈十清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1204 貞觀七年四月二日壬子、元興寺僧傳燈法師位賢和奏言、久住近江國野洲郡奧島、聊構堂舍、島神夢中告曰、雖神靈、未蓋纒、願以佛力威勢、擁護國家、安存郷邑、望請爲神宮寺神明願、詔許之、

〔近江國輿地志略〕

〈九十九土産〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1204 蒲生郡 郁子(いくし) 王の濱の産物、王の濱の土人、毎歳十一月、郁子二を朝廷に獻じ奉る、〈〇中略〉土人藏むる所の下知状、 近江國蒲生郡奧島莊(○○○)内、薁供御人等申、任先例非分之課役、可專調貢之由被聞召畢可下知之旨、天氣所候也、仍言上如件、俊秀誠恐謹言、 文安二年十一月二十一日 左中辨俊秀 進上 尹大納言殿

〔近江國輿地志略〕

〈五十七蒲生郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1204 佐々木の莊(○○○○○) 或は佐々木郷と云、今土俗專莊と號することは、佐々木の社あるを以てなり、宇多源氏の佐々木を稱號とする者も、佐々木の先祖成頼と云者、此地に居ることあるを以て家號とし、相繼て稱し來れり、佐々木莊の名甚久し、佐々木の莊、延暦寺に寄附のこと、盛衰記に見へたり、常樂寺村、小中村、慈恩寺村、中星村、此四村を云、然れども今土俗誤て此近村は、多く佐々木の莊と呼者あり、

〔源平盛衰記〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1204 平家延暦寺願書事

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1205  平家ノ一族ハ、公卿モ殿上人モ、同心ニ願書ヲ捧ゲ、山門ノ衆徒、日吉ノ神恩ヲ憑ムベキ由被申タリ、其状云、〈〇中略〉 又近江國佐々木庄、領家預所得分等、且爲朝家安隱、且爲故入道〈〇平清盛〉菩提、併所向千僧供料候也、件庄早爲沙汰知行候、恐々謹言、 七月〈〇壽永二年〉十九日 平宗盛 謹上 座主僧正御房 トゾ書レタリケル

〔吾妻鏡〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1205 建久二年四月五日壬午、大理〈能保卿〉并廣元朝臣等飛脚參著、各被書状、去月比、佐々木小太郡兵衞尉定重、於近江國彼莊傷日吉社宮仕法師等、仍山徒蜂起、所司捧奏状參洛、可定重身上之由申之、又可進延暦寺所司等於關東之由風聞、朝家大事忽然出來之、其濫觴、近江國佐々木莊者、延暦寺千僧供領也、去年有水損之愁、乃貢太闕乏間、云定綱〈定重父〉云土民、無沙汰送之、仍衆徒等、去月下旬差遣日吉社宮仕等官、捧日吉神鏡、亂入定綱之宅、叩門戸城壁、譴責家中男女、頗及恥辱、于時定重不一旦忿怒、令郞從等刃傷宮仕一兩人、此間誤破損神鏡云云、

〔近江國輿地志略〕

〈六十四蒲生郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1205 日野莊(○○○) 岡本村より一里餘あり、村井村、大窪村、松尾村を日野町と云、村井は高千石餘、大窪は高八百石餘、松尾は高六百石餘、大凡竈數千五百許あり、是を日野町と云ことは、豐臣秀吉公名付たまひ、諸役免許す、東照神君御朱印あり、日野町は、松尾町、石原町、大窪町、愛智川町、新町、本町、麻生町、岡本町、野瀬町、南大窪町、堅地町、銀町、上鍛冶町、長得町、呉服町、横町、今町、下鍛冶町、杉野神町、紺屋町、仕出町、大將軍町、野田町、内池町、塗師町、三段町、川原田町、清會町、御舍利町、玉屋町、北町、西宮町、北今町、大凡三十四町計あり、 臣 按ずるに、此邊より東南甲賀郡の疆界までは、黒檜物の莊なるべし、檜物莊は、本遺邇野とかけり、日本紀に見へたり、文字を後に書改しなるべ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1206 し、日野とひものと訓相近し、疑らくはひもののもの字を略せるなるべし、

〔蒲生文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1206 花押 宛行近江國蒲生郡内日野牧上保内成安名名主職事 合拾町伍段小三十歩者〈坪付在別紙〉 右名田者、儀俄左衞門太郞入道道覺、爲先祖相傳名田之間、所宛行也、有限年貢以下、恒例臨時課役、無未進懈怠者、永代知行不相違者也、仍爲後日、所宛行之状如件、 建武元年三月十八日

〔近江國輿地志略〕

〈七十一神崎郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1206 伊庭莊(○○○) 伊庭村、能登川村、安樂寺村、須田村、以上四村を云、

〔保元物語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1206 新院召爲義附鵜丸事 其比六條判官爲義ト申ハ、六孫王ヨリ五代後胤、伊豫入道頼義孫、〈〇中略〉六人ノ子共相具シテ白河殿ヘゾ參ケル、新院御感ノ餘ニ、近江國伊庭莊、美濃國青柳莊二箇所ヲ給テ、即判官代ニ補シテ、上北面ニ可候由、能登守家長シテ被仰、〈〇下略〉

〔東大寺小櫃文書〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1206 近江國(○○○)愛智莊 合水田壹拾貳町〈〇中略〉 貞觀拾捌年拾壹月貳拾伍日 前豐前講師大法師安寶 依疑捺私印

〔山家要略記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1206 大宮權現天照大神分神事 康和五年十二月十日、以近江國愛智莊進當社、官符、權中納言大江匡房宣、奉勅、

〔近江國輿地志略〕

〈七十二愛智郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1206 押達莊(○○○) 土俗あるひは押達の郷と云、しかれども順和名抄に押達の郷

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1207 名なし、

〔壬生文書〕

〈主殿寮所領文書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1207 近江國押立保(○○○)事、於寮家年貢者、如元可其沙汰之由、被職政〈〇近衞〉候了、可存知之由、被仰下之旨、右大臣殿〈〇洞院公賢〉所候也、仍執達如件、 九月二日(建武二年) 前丹波守元遠 謹上 大夫史殿〈〇壬生匡遠〉

〔古文書類纂〕

〈上觸状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1207 順徳天皇承久三年興福寺觸状〈大和春日神社所藏〉 興福寺領近江國犬上莊(○○○) 〈本書此處裏判アリ〉 件莊、三升米辨之上、守護人佐々木四郡右衞門尉代敷居莊内責取所當等、兼搦取莊民男女七人、令公一庄之間、有限寺節〈〇節恐家誤〉用途悉闕如了、早可被停止武士之亂入也、委細之旨在別解、 承久三年十二月二十一日

〔近江國輿地志略〕

〈七十五犬上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1207 多賀莊(○○○) 順和名抄に田可郷を載す、いまの多賀の莊なり、

〔淡海温故録〕

〈三犬上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1207 多賀 多賀莊十五郷有、此處ヲ當國ノ府中ト云説ハ誤也、當國ノ府中ハ栗田郡守山ナリ、

〔集古文書〕

〈十八判物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1207 織田信長公御判物〈家臣久徳高矩藏〉 就今度忠節之儀、多賀莊、石灰莊、敏滿寺領諸入右以三ケ所都合參千石分令支配候、本知新知共、分一諸役一圓、令免許之状如件、 元龜元六月廿六日 信長 判 久徳左近兵衞殿

〔集古文書〕

〈十九判物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1207 太閤秀吉公御判物〈家臣久徳高矩藏〉 江州犬上郡多賀莊之内以參千石事、目録別紙相副宛行畢、永代全可領知候状如件、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 八月朔日(天正十一) 秀吉〈花押〉 久徳左近兵衞尉殿

〔近江國輿地志略〕

〈七十四犬上郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 河原莊(○○○) 順和名抄に甲良の郷あり、甲良かはらと訓ず、今河原の文字に改るにや、園太暦曰、觀應元年、〈南朝正平五年〉石塔中務少輔、爲大將江州高良莊(○○○)邊所々放火云々、是亦此邊なるべし、高良亦かはらと訓ず、

〔江北記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 一中郡清水莊(○○○)總追捕師同山候、前五ケ莊公方闕所ニ成、當方知行有、御代官職被仰付候、

〔近江國輿地志略〕

〈八十一坂田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 下坂莊(○○○) 下坂中村、濱村、高橋村、戌亥村、以上四村をいふ、

〔江北記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 文明二年〈庚寅〉當國初亂之事 一右申候秀維、中郡へ罷越とき、住地〈〇住他恐注記誤〉事者同道を放多賀兵衞四郞大成を令同道、下坂莊代官職相抱、彼の莊競望不相果候間、淺井藏人今の備前守親事也、

〔近江國輿地志略〕

〈七十七坂田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 小野莊(○○○) 此莊は當郡の西南、犬上郡の界にして、湖水の邊なり、所謂物生(むし)山村、馬場村、西山村、上櫓村、鳥居本村、西方寺村、百々村、小野村、以上八村を云なり、此莊は古昔後鳥羽院和歌所を置せたまひし時、其領知に附させたまふ和歌所の領、藤三位俊成及定家爲家へも相續の領地なり、

〔近江國輿地志略〕

〈八十一坂田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 柏原莊(○○○) 伊吹村、大久保村、藤川村、板並村三野村、大清水村、杉澤村、須川村、大野木村、柏原村、梓河内村、長久寺村をいふ、柏原彌三郞領地たりし故に、柏原莊とはいひしなり、

〔吾妻鏡〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 正治二年十二月廿七日己酉、先日上洛、澀谷次郞高重、土肥先次郞惟光等歸著、申云、高重等上洛以前、官軍發向彼柏原彌三郞、住所近江國柏原莊之刻、三尾谷十郞、襲件居所後面山之間、賊徒逐電畢、今兩使雖其行方、依據、歸參云云、

〔吾妻鏡〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1208 文治六年〈〇建久元年〉十月九日庚寅、於駿河國蒲原驛、院宣到來、是近江國田根莊(○○○)者、按察大納

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1209 言〈朝房〉領所也、依二品御鬱胸、日者籠居之間、地頭佐々木左衞門尉定綱、忽緒領家所務云云、

〔榎戸文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1209 伏見殿御領目録 御領目録〈人給付之〇中略〉 一近江鹽津莊(○○○) 同今西莊(○○○)〈兩莊年貢三十五貫加増分三百疋〉 庭田大納言御恩千疋〈今西分〉 冷泉三位八百疋〈故正永御訪 相續給鹽津分〉 田向三位五百疋〈鹽津分〇中略〉 永享十二年八月二十八日 當知行分記之 御判(後崇光院)

〔近江國輿地志略〕

〈九十一伊香郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1209 餘湖莊(○○○) 中河内、椿坂、大谷、片岡郷十二村、丹生郷九村、以上二十四村をいふ、

〔江北記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1209 文明二年〈庚寅〉當國初亂之事 一長享三年に、南より光祿御出張候、於北郡御方人衆事、上坂治部、淺見、磯野彈正忠彼等三人、本人成候、環山寺殿、祇薗より餘呉莊(○○○)へ御取退候、

〔朽木古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1209 近江國高島本莊(○○○○)安元名内、古天神西南寄貳段者、任手繼讓状旨不御知行相違候、任先例所當御公事以下可御沙江候、仍執達如件、 建武元年四月五日 行忠〈花押〉 龜若殿

〔近江國輿地志略〕

〈九十三高島郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1209 【饗場(あいば)莊】 相傳、いにしへ木津莊(○○○)と號す、後今名にあらたむといふ、頼朝卿の近臣饗場三郞尊氏の愛童饗庭命鶴(みやうつる)丸この地を領すといふ、今市村、辻澤村、米井(よなゐ)村、五十川(いかかは)村、岡村、上野村、日爪村、森村、山形村、霜降村、針江村、小池村、深溝村、田井村、木津村、以上十五村をいふ、ある

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1210 ひはこの十五村に、堀川村、新町、安養寺村、平井村を加へて十九村ともいへり、いまだつまびらかならず、木津莊の傍示下文等あり、此に記す、古昔は比叡山延暦寺領と見へたり、 改所下文案 木津莊進之 可早停止古賀善積自由濫妨、任舊例定傍示事、右當莊者、鳥羽院御時、保延年中之頃、被附山門領、剩爲後代置四至畢、南十三保、西追分北十八條、多年間敢無違亂之處、自南古賀北善積莊後山雖押領、自然送年月之間、彼兩莊之住人等、件四至内不當莊民、奪取鎌斧之上、剩令蹂躪云々、所行之旨、甚以不當也、且以莊民解状、觸廻三塔之處、早任舊跡、可定傍示之由、大衆僉議已畢、凡一天下甲乙輩、恐醫王山王御威、於末寺莊園、敢不忌默之處、近年立坊莊民、觸事現奇怪之條、不其子細歟、早任舊例、且依先規定傍示之状如件、解以下、 建保四年八月三日 小寺主法師應俊 寺主大法師 都維那大法師 修理別當法橋上人位奉之 上座法橋上人位奉之 山門雜掌、與尊勝院雜掌論近江國木津莊者、如古賀境事、請文披見畢、如進代官高久状〈并〉佐々木大膳大夫入道高通代状者、彼論所十三條之通、爲木津莊内山門領之段無子細云々、此上者尊勝院競望、可山門雜掌所務之由、所仰下也、仍執達如件、 應永十三年四月二日 沙彌判 佐々木備中入道殿

〔近江國輿地志略〕

〈九十三高島郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1210 善積莊(○○○) 今津村、新保村、弘川(くかは)村、大伴村、上弘部村、下弘部村、南生見(うみ)村、藺生(ゐう)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1211 村、以上八村をいふといへり、

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1211 文治二年二月二十九日丁丑、所衆中原信房者、依造酒正宗房孫子、殊被優賞、今日賜近江國善積莊、是雖圓勝寺領信房所望之上、爲宗房舊勞此云云、

〔近江國輿地志略〕

〈九十四高島郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1211 貝津莊(○○○) 知内村、森西村、辻村、石場村、牧野村、白谷村、上開田村、下開田村、浦村、西濱村、寺久保村、蛭口村、下村、山中村、在原村、野口村、國堺村、小荒乳(あらち)村、坂下村、落合村、小谷村、上山村、田屋村、茅原村、貝津東町村、貝津中村町村、貝津中小路町村、以上二十七村をいふ、

〔古文書類纂〕

〈上御朱印并御判物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1211 御陽成天皇天正十六年豐臣秀吉領知宛行状〈御判物 山城大覺寺所藏〉 就今度聚樂行幸、江州高島郡海津西莊(○○○○)蛭口村内貳百石之事、令宛行訖、彌被御奉公、其家之道可相嗜状如件、 卯月十五日(天正十六) 秀吉〈花押〉 大覺寺殿

〔吾妻鏡〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1211 正治二年二月廿日丙子、親長自京都歸參、具下野國人播磨國總追捕使芝原太郞長保、是景時與黨也、佐々木左衞門尉廣綱相副郞從進之、親長參御所申云、去二日入洛、同七日、廣綱、基清、相共先追捕景時之五條坊門面宅、縛郞從、其白状、於近江國富山庄(○○○)、生虜長保云云、於長保者、所義盛之宅也、

〔當宮縁事抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1211 左辨官下 石清水八幡宮并宿院極樂寺 應永停止宮寺并極樂寺庄園、領家、預所、下司、公文等、或號先祖讓状、或稱傳文書、致異論掠領、兼又有由緒、雖傳領、子孫斷絶處々付本所事、 宮寺領〈〇中略〉 近江國 細江庄(○○○)〈〇中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1212  保元三年十二月三日 大史小槻宿禰〈在判〇下略〉

〔榎戸文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1212 伏見殿御領目録 御領目録〈人給付之〇中略〉 一近江山前南莊(○○○○) 同七里〈號橋爪、田向御恩、〉 八里村〈奉行院廳 定直五分一得分〉 參百五十餘石〈六條殿兩社神供〈參百疋〉正五九月三百疋宛之〉 同北莊(○○○)役〈四十貫〉庭田大納言御恩〈重賢相續〇中略〉 永享十二年八月二十八日 當知行分記之 御判(後崇光院)

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1212  井伊掃部頭直憲(溜間從四位上中將元治元子四月任) 二拾五万石 居城江州犬上郡彦根 〈江戸ヨリ東海道百八リヨ、東山道百十九リヨ、甲州通同斷、 慶長九、井伊右近大夫直次代草創、以後代々領之、〉 本多主膳正康穰(帝鑑間 四品 元治元子五月) 六万石 居城江州滋賀郡膳所 〈江戸ヨリ東海道百二十リ半、美濃通リ百十九リ半、安中通百二十四リ、甲州通百二十七里、 京極宰相高次居、慶長五、戸田左門一西、同左門氏鎭、元和三、本多縫殿介康俊、同下總守俊次、同六、菅沼織部正定芳、寛永十一、石川主殿頭忠總、同彈正少弼康勝、慶安四年、本多下總守俊次、以後代々領之、〉 分部若狹守光貞(柳間 從五位上元治元子五月叙) 二万石餘 在所近江高島郡大溝 〈江戸ヨリ東海道百二十七里、美濃路百十一里、 當城地者、往古織田七兵衞信證居之、中絶、元和五、分部左京亮光信、以後代々領之、〉 市橋壹岐守長和(柳間 朝散大夫) 一万八千石餘 在所江州蒲生郡仁正寺 江戸ヨリ百八里 元和年中ヨリ市橋氏代々領之〇節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1212 稻垣若狹守太清(菊間 朝散大夫) 一万三千四十三石餘 在所近江神崎郡山上 〈江戸ヨリ百二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 〈十里 元祿年中移之、稻垣氏領之、〇節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 〈堀田豐前守(帝鑑間 朝散大夫) 一万三千石 在所江州坂田郡宮川 江戸ヨリ百十九里餘 元祿年中、堀田豐前守正休、以後代々領之、〉 遠藤但馬守胤城(雁間 朝散大夫) 一万二千石 居城江州野洲郡三上格〈江戸ヨリ百十九里 元祿年中濃州八幡ヨリ移領之、〇節略〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 近江國〈〇註略〉管十二、〈田三万三千四百二町五段百八十四歩〉

〔伊呂波字類抄〕

〈安國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 近江國〈管大〇中略〉 本田三万五千五百二十五町〈上一日下半日〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 近江州 郡二十四、水田三萬三千四百二町五段、

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 近江〈大近〉 十二郡〈(中略)田三萬三千四百五十町〉

〔新撰類聚往來〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 國名〈〇中略〉 近江〈江州〉十二郡〈〇中略〉田數三万一千百三十町

〔前關白秀吉公御檢地帳之目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 七十七万五千三百八十石 近江

〔淡海地志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1213 古賦二十四郡 今者十二郡 一拾芥抄云、田高三萬三千四百五十町、 一江源武鑑云、高八十二万五千三百七十九斛、 一天正記云、高七十七万五千三百九十斛、 一畫圖云、高八十二万二千石餘、 一武用辨略云、高八十三万二千百二十石、 一高辻帖云、高八十三万二千八百十六石四斗八升五合、 郡高 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1214 一高四万八千七百七拾壹石壹斗壹升八合 志賀郡 高七万三千七百九拾九石九斗三升貳合(近州民圖帳ニ曰) 村員百四十八ケ村 一高七万四千六百貳拾八石九斗四升三合 高島郡 増四万七千三百五石七斗六升九合 村員七十七ケ村 一高六万五千六拾壹石九斗八升貳合 栗本郡 増六万七千三百五石七斗九升五合 村員百四ケ村 一高六万貳千拾九石八斗四升七合 野洲郡 増六万千貳百七十貳石四斗 村員七十七ケ村 一高七万五千九拾四石貳斗八升五合 甲賀郡 増七万五千百貳石六斗九升四合 村員百三十ケ村 一高拾三万四千五百貳拾壹石四升七合 蒲生郡 増拾三万四千六百九斛九斗九升五合 村員貳百十ケ村 一高四万七千百四石七斗貳升八合 神崎郡 増四万七千三百十七石五斗八升三合 村員八十一ケ村 一高六万四千貳拾三石八斗七升四合 愛知郡 増六万四千貳百四十三石三斗五升三合 村員百九ケ村 一高六万貳千九拾六石四斗九升四合 犬上郡 増六万八百七十九石八斗三升壹合 村員百十九ケ村 一高七万五千貳百拾六石壹斗貳升壹合 淺井郡 増七万五千三百四十壹石五斗七升六合(近州民圖帳) 村員百四十二ケ村

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215  一高八万九千貳百九拾八石三斗五升貳合 坂田郡 八万九千三百三十四石四斗九升八合(近州民圖帳) 村員百四十七ケ村 一高三万五千七百七拾九石六斗九升四合 伊香郡 増三万五千七百五十石七斗六合 村員六十七ケ村 高合八拾三萬貳千八百拾六石四斗八升五合也 増高合八拾三万千壹石八斗壹升六合 村員合千四百三十七ケ村

〔日本鹿子〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 近江國十三郡、大上々國〈〇中略〉知行高八十三万千百二十石

〔和漢三才圖會〕

〈七十一近江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 十三郡(一宮建部大明神) 高八十三万二千百二十二石餘 〈東山道〉

〔官中秘策〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 近江國 十三郡〈〇中略〉 一石高六拾四万五千百壹石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 天保度御國高調〈〇中略〉 近江國〈御料私領〉 一高八拾五万三千九拾五石三斗五合五勺九才

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 諸國出擧正税公廨雜稻〈〇中略〉 近江國正税公廨各四十万束、大學寮料一万束、國分寺料六万束、崇福寺修理料五千束、同寺傳法會料一万束、梵釋寺料六百七十六束、國興寺修理料一千束、淨福寺料七千束、延暦寺定心院料三万束、西塔院料一万五千束、文殊會料二千束、造院料二万束、修理國府料四万束、勢多橋料一万束、池溝料四万束、救急料五万一千七百束、俘囚料十万五千束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 近江國〈〇註略〉管十二〈(中略)正三十八萬五千束、公四十萬束、本稻本稻百十九二千三百七十六束、〉 〇按ズルニ、本稻ノ二字衍、又百十九ノ下ニ、萬ノ一字ヲ脱セリ、而シテ七十六束ノ下ニ應ニ雜稻四十萬七千三百七十六束ノ十三字アルベシ、

貢獻

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 諸國年料供進〈〇中略〉 曝黒葛百斤〈近江國卅斤、越前國卅斤、越中國廿斤、丹波國廿斤、〇中略 〉 苅安草一千圍〈近江國五百圍、丹波國五百圍並交易所進、〇中略〉 調〈〇絁〉 二百疋〈白一百疋、參河國所進、色一百疋、近江國所進、〇中略〉 黒米二百斛〈近江越前二國各五十石〇下略〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 近江〈〇中略〉 右十二國並上絲〈〇中略〉 近江〈〇中略〉 右廿九國輸絹〈〇中略〉 近江國〈行程上一日下半日、〉 調二色綾卅疋、九點羅二疋、白絹十疋、緑帛廿疋、帛百卅疋、柳筥一合、缶六十口、酒壺八合、燼瓫四口、水椀四百八十合、大筥坏一千三百六十口、小筥坏百六十口、深坏六十口、麻笥盤廿四口、自餘輸絹、 庸韓櫃卅三合、〈塗漆著鏁五合、白木二十八合、〉自餘輸米、 中男作物、黄蘗三百斤、紙、胡麻油、醤、鮒、阿米魚鮨、煮鹽年魚、

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 年料舂米〈〇中略〉 近江國〈内藏五十石、省五百石、大炊一千二百石、糯三十石、〇中略〉 年料租舂米〈〇中略〉 近江國〈二千石〇中略〉 年料別貢雜物〈〇中略〉 近江國〈筆二百管、紙麻一百十斤、零羊角四具、馬革十七張、〇中略〉 諸國貢蘇番次〈〇中略〉 近江國十八壺〈七口、各大一升、十一口、各小一升、〇中略〉 右八箇國爲第三番〈卯酉年〇中略〉 交易雜物〈〇中略〉 近江國〈白絹十二疋、曝黒葛卅斤、刈安草五百圍、曝皮十張、大豆六十石、胡麻子五石、醤大豆廿石、油二石、樽二合、隔三年進醤大豆十石、大豆十四石、〉

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 諸國貢進菓子〈〇中略〉 近江國〈郁子二輿籠〉

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 年料〈〇中略〉 近江國〈煮鹽年魚二石、鮒、鱒、阿米魚、氷魚、〇中略〉 山城國近江國氷魚䱩代各一處、其氷魚始九月、迄十二月三十日之、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 諸國進年料雜藥〈〇中略〉 近江國七十三種 青木香十六斤、黄芩七斤十三兩、芎藭、香http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006509f0.gif 各十五斤、茵陳藁六斤、黄連二斤十四兩、前胡十五斤五兩、王不留行二十斤二兩、虵衙八斤五兩、䓡苺六斤十兩、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019ac0.gif 杞十三斤三兩、黄菊花一斤二兩、桔梗三十五斤、稾梁香五斤十兩、蓽薢五斤一兩、白朮三十六斤、狼牙十四斤、枳實四斤八兩、澤

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 漆十五斤五兩、藍漆一斤八兩、昌http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b5b4.gif 一斤一兩、石葦五斤、漏蘆九斤、黄蘗十三斤、薺苨二斤四兩、龍膽四斤三兩、玄參十三斤、苦參三十九斤、稾本五斤八兩、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650cf2.gif 茄四斤三兩、紫參十一斤、躑躅花一斤十兩、杜仲四斤、澤寫三斤、薏苡芢一斤八兩、細辛二十六斤八兩、僕奈七斤、白芷九斤、白前一斤二兩、商陸、木斛各二斤八兩、芍藥一斤、白薇一斤十三兩、松蘿十兩、松脂十斤七兩、大青二斤十二兩、十瓜六兩、【G{貝・貝}/隹】麥一斤二兩、栝樓九斤、大戟十斤一兩、地楡四斤二兩、葛根二十二斤八兩、桑螵蛸一銖、白殭蠶一兩、虵脱皮一兩、干地黄一斗二升、榧子五斗、署預、桃人各一斗、麥門冬一斗五升五合、天雄、烏頭、牡荊子各六升、決明子二升、虵床子二升二合、莨蓎子一升、葵子四升、車前子八升、呉茱䒶三斗、蜀椒二升、白花木瓜實十斤、山茱莄二斤、

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 四郞君、受領郞等刺史執鞭之圖也、〈〇中略〉宅常擔集諸國土産、貯甚豐也、所謂〈〇中略〉近江鮒、〈又餅〉

〔庭訓往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 近江鮒、淀鯉

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 近江 蛇骨 蝉䖻(センタツ) 苅安 辛灰 石灰 滑(ナメシ) 蜩大豆(ヒグラシダイヅ) 納小豆(ヲサメアヅキ)〈世俗ニ是ヲ納言ト言〉 葭箔(ヨシスダレ)〈窗簾ニ用之〉 細美(サイミノ)衣地 昆元丹 湖水鮭(ミツウミニアメ) 鱒 鯰 鰣(ハス) 鱥(ウグイ) ワタカ 鯉 似鯉(ニコイ) 山田丸鮒 源五郞鯽(ブナ)〈獵師大ナル鮒ヲ取度ニ源五郞ト云聟ノ方ヘ遣ス、故ニ是ヲ源五郞ト名ヅク、〉 同鮨 網 青花紙 コノ濱海老 堅田小糸鮒 䱩(アミ) 煎餅 和邇崎魦(イサヾ) 舟木大溝ノ紅葉鮒 同骨拔鮓 越川モロコ 木戸石〈切石ニ用之〉 朽木ノ塗物〈盆鉢五器等〉 炭 砥石 葛川柳ノ厚板〈爼板物裁ニ用之〉 碓棹柱(カラウスノサホハシラ) 綾卷横槌 海津(カイツ)ノ油木〈當所ニ多作之〉 天隈(テンノクマ)ノ膏藥 飯(ハンノ)浦薫木(フスベキ) 志賀山中大根 袖解(トキ)餅 坂本練(子リ) 柳團子 膳所米(ゼヾコメ) 勢多ノ燒物 錢鑄形土(ゼニイノカタヅチ) 柴敷松葉〈路地ニ用之、當所ノ葉色照ヨシト云、〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006509f2.gif 貝 鱣(ウナギ) 田上ノ氷魚(ヒヲ) 水晶 甲賀鐵炮〈國友張ト云〉 滋賀樂(シガラキ)ノ燒物 齒朶〈正月用之〉 日野餛飩(ウドン) 鞍 鐵炮 五器 草津鞭 守山鞦(シリガイ) 水無口矢根 キセル 籠履(コリ) 葛籠笠 菅宮(スゲノミヤ)ノ菅笠 奧島表 八幡圓座 燈心 多賀杓子 高島硯 辻村ノ鍋釜 武佐升 墨 栗本スクモ〈栗葉ナリ、土ノ〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 〈下ニ埋レテ、木ノ如クカマタレリ、當所ニハ薪ニ用之、又香爐ノ灰ニ宜ト云、〉 伊吹蓬艾 當歸 山葵 獨活 兵主菜(ヒヤウヅナ) 小山鳥ノ子 板並綿 長濱糸 高宮布 野洲瀑 觀音寺納豆〈汁ニ用之〉 追分針

〔淡海地志〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 海陸土産 夫土産、天所生、地所宜也、故天不生、地不養、君子不以爲一レ禮、鬼神弗饗也居山以魚鼈禮、居澤以鹿豕禮、君子謂之不一レ禮、出禮記、 志賀郡 一大津 鱗栗賣買京車牛馬集、雪駄、楊枝、 一膳所 米、茶問屋、眞野筵、 一坂本 柳團子、小刀つか、きせる、 一衣川 やき餅 一三井寺 黒かは茸、はんしやう虫、 一片田 小糸鮒、せんべい、 一石山 松茸、螢、 一志賀 山中大根、袖翁餅、 一叡山 松茸 一飯室 菩提樹數珠 一大谷山 松茸 一和邇崎 魦 一勢田 蜆貝、青瓜、柴敷松葉、錢のいがた土、鯉、うなぎ、 一木戸 庭石、切石、庭松、 一苗鹿 壁のうへ塗の土 一上分 針屋 〈追分ノ書誤リナルベシ〉 算盤、繪、 一國分 燒物 一尾花川 麥 一葛川 柳厚板、からうす、枰木、あやまき、よこづち、 一金勝村 山もヽ 高島郡 一高島 硯石 一朽木 盆、砥石、炭、 一梅津 油實 一舟木大溝 紅葉鮒 栗太郡 一山田 青花紙 丸鮒 一田上 氷魚、水晶、立花下草眞松、 一草津 うばが餅、馬のむち、 一守山 鞦 一富川 椛下草 一辻村 鍋釜、らうそく、 一三上 松だけ 一北櫻 土器 一金勝村 山もヽ 甲賀郡 一甲賀 鐵鉋、忍人、信樂、燒物坪、 一水口 きせる、矢根、籠、履、葛籠、 笠 一石部 梅木の藥 一

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 桐生山 礪石、いけずき名馬、伊香谷する谷より出、 蒲生郡 一日野谷 温飩 岩木 朝日山の茶 きせる 一五器 炭、鮎、蕪、 一土田 すくも〈地中より出、薪にす、〉 一木濱 海老 一觀音 納豆 一八幡 しまとうしん、疊表、圓座、 一武佐 墨、はぜ、升、 一奧島 表、むべ、〈禁中ヘ上ル〉 一沖島 普請石出 一岩倉 石舂、切石、 野洲郡 一野洲 さらし 一兵主 菊、蕪、 一篠原 もち米、納豆、 一長命寺 竹〈山王祭に役行、此山より出ル、〉 神崎郡 一ふヽと 大納豆 犬上郡 一高宮 一多賀 島布、四十九町之つヾら細工、きせる、 一佐和山 杓子、牛房、松だけ、 坂田郡 一長濱 いと綿、つりがき、 一神田、黒大豆 一國友 鐵炮 一伊吹 からみ大根、もぐさ、うど、山葵、藥種、石灰、 淺井郡 一小谷山 松茸 一飯浦 薫木、すいの、杓子、うど、わらび、 一竹生島 竹〈舟棹に用ゆ〉 愛知郡 一愛知川 もろこ 川崎あめ 湖には 一水鮭 鱒 鯰 鮒 鱥 似鯉 雜魚 もろこ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220  山には 一苅安 辛炭 蛇骨 蝉蚢 滑

〔近江名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 産物 大根〈山中 志賀〈ほうづき〉〉 蕪〈兵主、五器、二種ともに、其根大サ凡一抱へにて、引ぬきし穴は井戸にひとし、〉 郁子(べ)〈奧島權兵衞と云もの、毎年十一月朔日禁中に獻す、〉 蒟蒻〈八幡〉 からみ大根 芥子 瓜〈清水平田〉 獨活 山葵 楊梅〈伊崎〉 梅漬〈竹生島〉 茶〈松尾、青山、政所、〉 麥〈尾花川〉 松茸〈勢田山、石山、叡山、大谷山、大津山、三上、佐和山、小谷山、〉 黒皮茸〈三井寺〉 藥種 石灰〈巳上伊吹山〉 竹〈長命寺山より出るは、山王の役竹也、又竹生島は舟の棹に用ゆ、又安土、〉 罌子桐(あぶらみ)〈海津〉 すくも〈地中より掘り出し薪とす、是いにしへの栗の大樹の根ならん、〉 蘆藺〈奧島〉 絹 縮面 糸綿 つり柹〈長濱〉 布〈高宮〉 晒布〈野洲〉 無端儒伴〈佐々木家の具足膚也、其子孫のもの、農夫までこれを著す、〉 扇骨 蚊帳〈八幡〉 硯〈高島〉 はぜ 升 墨〈武佐〉 石〈白部〉 材木〈舟木〉 庭石 切石 庭松〈木戸〉 盆山敷砂〈大洞也、方解石共に出ヅ、〉 岩木〈伊吹〉 椀〈日野〉 陶器〈信樂、國分、〉 綿〈箕浦、かや原、〉 波文〈彦根〉 天狗石〈さゝの尾瓦山〉 餅〈醒井口丹青を合てかき餅とせり〉 すりはり餅 杓子〈多賀〉 蠟燭 鍋〈綣村〉 柳團子 小刀柄 きせる〈坂本〉 縫針〈池の川〉 鍬〈守山〉 忍人〈甲賀〉 鐵炮〈國友〉 八合升〈武佐判にて是柴田勝家の制也、軍中兵粮の助とす、〉 馬〈大津〉 石垣築〈阿野の人を名人として、今も諸侯に取用らる所也、〉 やき餅〈衣川〉 煎餅〈堅田〉 斑猫〈三井寺〉 袖解餅(ソデトキモチ)〈志賀〉 菩提樹數珠〈飯室〉 青瓜 柴敷松葉〈勢田〉 壁上塗土〈苗鹿〉 柳厚板 からうす棹木 綾卷 横槌〈共に葛川〉 油木 砥石〈相生山〉 炭〈朽木〉 青花紙〈山田〉 水晶〈田上、岡本、〉 立花下草眞松〈田上〉 鞭〈草津〉 土器〈北櫻〉 楊梅〈金勝寺〉 きせる 矢根 籠履 葛籠笠〈共に水口又つゝら町、〉 いけづき馬〈伊香郡するみ谷〉 温飩〈日野谷〉 茶 炭 鮎〈五器〉 納豆〈觀音寺〉 縞 疊表 圓座〈八幡〉 石臼 切石〈岩倉〉 餅米 納豆〈篠原〉 薫木 スイノ 杓子 獨活 蕨〈飯浦〉 鈴虫〈尾の河原〉 松虫〈平田山〉

〔續日本紀〕

〈十四聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 天平十四年十二月戊子、令近江國司、禁斷有勢之家專食鐵穴、貧賤之民不上レ採用

人口

〔官中祕策〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 近江國 十三郡〈〇郡名略〉 一人數五拾七万五千貳百拾六人 内〈貳拾九万五百人 男 貳拾八万四千七百拾六人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 諸國人數調〈〇中略〉(文化元甲子年)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221  一人數五拾三万貳千九百六拾八人(御料私領) 近江國(高八拾三万六千八百貳拾九石餘) 内〈貳拾七万千貳百九拾八人 男 貳拾六万千六百七拾人 女〇中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年) 一人數五拾四万千七百三拾貳人(御料私領) 近江國(高八拾五万三千九拾五石餘) 内〈貳拾七万貳千九百三拾四人 男 貳拾六万八千七百九拾八人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 近江國 近江國之風俗ハ、賢佞之間ヲ兼タル風儀ナリ、雖然賢智之人ヲ聞ク事ナシ、佞人多カルベキナリ、身持上手二而、人ニ非ヲ可討事ヲ言葉ニ不顯而、隱非而善ヲ説ク然ル故ニ心ヲ不付而是ヲ見ルトキハ、一段コノ國ノ人ハ、總而キハダチ餘國ニスグレタリト見ユルナリ、是ヲタトヘテ以論ズルニカネニヲナジ、カネニハ金有、銀有、銅有、鐵有、錫有、鉛有、ミナカネニ而ミナ格別也、サレバコノ國風、カネトイヘバ結構ノヤウナレドモ、金ニアラズ、銀ニアラズ、タヾ銅鐵鉛錫ノウチ也、是ヲ以是ヲ見レバ、コノ國ハ半佞國ト可知、佞人ハ必利根利發利口ニ而、言舌ハ賢人ニモ劣ルコトナシ、吾愚ニ而賢佞ヲシルベキヤウナシ、唯善惡言行ヲ案而可知也、 口傳

〔松屋筆記〕

〈九十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 近江ドロバウ伊勢コジキ 俗諺に、近江ドロバウ、伊勢コジキといへり、〈〇中略〉關東にては盜人をドロバウといひ、放蕩者をドウラクモノといへり、京邊にては放蕩者をドロバウといひて、盜人の事にはいはず、近江ドロバウ伊勢コジキは、上方人のいひ出し語歟、坂東人のいひ出たる歟、出所によりて其意別なるべし、

〔近江名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 風土 湖邊の土は、灰汁なくして、水に泥なし、故に桑を養ふには清くして、又茶にもよく合へり、爰を以て、人性尤正直にして、音聲清濁をよく分てり、

名所

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 元暦元年九月十五日辛丑、近江國注進風土記事、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 志賀山 大松原〈志賀〉 筏立郷〈同〉 青柳里〈同〉 信樂杣〈甲賀〉 佐野山里〈神崎〉 千松原〈犬上〉 千鳥浦〈神崎〉 千倉里〈甲賀〉 安吉郷〈蒲生上〉 富羽里〈野洲北〉 櫻村〈同〉 益田橋〈蒲生下〉 龝畠村〈野洲〉 大原山〈甲賀東〉 朝日里〈淺井〉 松江〈同〉 千束橋〈蒲生下〉 勝野濱〈高島〉 青羽山 萬木(ユルキノ)杜 廣瀬郷〈同〉 萬農池 稻倉山〈淺井東〉 長倉山 萬木泉 玉井〈栗太〉 高宮郷〈犬上〉 河上里〈善積〉 千草原 萬世濱 鶴濱井 鏡山〈蒲生〉 會坂關〈志賀〉 石根山〈甲賀〉 三上山 高月川〈淺井〉 打出濱〈志賀〉 日雲里 玉蔭井 勢多橋〈栗太〉 梅原〈坂田〉 佐野船橋〈神崎〉 祝郷 大間山 泉川 五井江〈栗太〉 長溝池 玉川里 石根山〈甲賀〉 板藏山 神山 高御藏山 彌高山〈坂〉 龜岡 吉水郷 安良郷〈栗太〉 小松原〈志賀〉 音高郷 富津濱〈同〉 國見岡 玉野郷 比良山 藏部山 心見里〈志賀〉 岡見牧 篠原堤 大瀧山 大津浦 富野山 日吉社 彦根山〈犬上〉 石山 金柱〈古麻長者持佛也〉 外白川〈同〉 衣川〈志賀〉 内白川〈甲賀〉 安曇川〈同〉 龍川〈栗太〉 枌瀬〈伊賀〉 右注進如件 元暦元年九月 日 此文不懸紙覽筥見了返給

〔日本鹿子〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 同國〈〇近江〉名所之部 當國は、南北へ廣き間、名所東西に有之、南北にはすくなし、海より西、京より東へ先相坂山迄三里なり、 西近江分 關ノ小川 相坂の山中也、關の清水共、岩清水とも、關川とも云、 相坂山 關山 手向山 松本の濱と、關との中間にうちつヾきて有名所なり、 打出の濱 湖の邊なり、關より十町ばかり東なり、今津の關と云所也、打出よりは南、西近江の分、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 石山寺への順道也、後鳥羽院の御製、 駒なべて打出の濱を見渡せば朝日にさはぐしがのうら浪 粟津の森 粟津の汀とも云也、湖の邊也、 關越て粟津の森のあはずとも清水に見えし影をわするな 勢多ノ長橋〈但唐橋共云〉 粟津の南也、橋は西へかけたり、長九十六間あり、橋の上より左に石山寺見ゆる、無雙の景地也、新古今雜の歌に、匡房、 眞木の板も苔生ふばかり成にけりいく代へぬらん勢多の長橋 石山 觀音のれい地也、草創縁記佛櫊の所有之、湖の邊、勢多より南也、此山のまへにてりて、湖も川流也、石山の東を南へ流たり、此流の末櫻谷に流て、宇治へ出也、京より行程五里也、勢多石山の中間十町ばかり也、藤原長能のうたに、 都にも人やまつらん石山の嶺にのこれる秋の夜の月 大津 宿あり、打出の濱より北なり、間十町計也、東は湖、西は山也、 三井寺 大津の奧也、園(ヲン)城寺と云也、草創縁記佛櫊の所にあり、此所三井の水にて、王子のうぶ湯をめさる、依之御井と書といふ節あり、 滋賀 唐崎 花園 大輪田山越といふは、相坂より北に如意越とて道有、志賀の山より西面に如意寺とてあり、山越の東に園城寺有之、志賀と云は古キ都の跡也、 荒にけりしがの古郷冬くれば所もわかぬ雪のはなぞの 唐崎 志賀に續たる所也、此所にひとつ松といふあり、神木也、 眞野 打出より、坂本へは中間三里計也、入江あり、坂本より北也、 唐崎や長柄の山にあらねどもをさヽ波間の眞野の秋かぜ 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 堅田浦 眞野のならび、北沖に出たるなり、 あふことは堅田の浦にひく網の目にもたまらぬわが泪かな 比良山〈但高根共云〉 京より北國への道也、十二里也、京より丑のかたに高く見ゆる山也、麓の海の汀に、白鬚明神御座也、比良の北のかたに、小松と云名所有、道因法師のうたに、 嵐吹ひらの高根のねわたしに哀時雨る神無月かな 馬島 郡の名也、小松より北のかた也、 玉村 志賀の郡といふ説あり、さもこそあらめ玉村といふ名所未詳、 うつろはで庭もせ白き初雪におなじ色なる玉むらの里〈〇竹島、竹生島略、〉 鹽津 海津(カイツ) 鹽津と云より、北に海津と云所あり、近江の北也、越前へ行に、あらち山と云名所の南の湖ぎはなり、鹽津は越前のさかい也、いぶきの麓也、 鹽津山打越くればわがのれる駒のつまづく妹こふらしも あらち山雪げの空に成ぬればかいつの里に霰ふりつヽ 東近江の分 信樂城(シガラキ) 當國の南のはし、伊賀のかた也、金葉冬のうたに、隆源法師、 都だに雪降ぬればしがらきの眞木の杣山跡たえぬらん 田上川(タナカミカハ) 石山の東也、程ちかし 衣手の田の上川や氷るらんみほの山風さえまさる也 山田ノ渡リ矢橋(ヤハセ)の渡リ 二所ともにちかき間にあり、東近江也、粟津の向也、打出より乘船して渡れば、山田の渡りは近し、矢橋の渡は五十町計也、兩所の間十町也、山田矢橋の渡シ舟といふ、勢多の橋を粟津よりまはれば、野路より、山田は北に當ル也、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 野路篠原(ノヂノシノハ) 守山の寅のかた也、鏡山の麓也、玉葉旅のうたに、安嘉門院四條、 打時雨古郷おもふ袖ぬれて行さき遠き野路の篠原 三上山 三上の嶽と云、此山の麓を、北へ流たる川を夜須(ヤス)川といふ也、攝政前太政大臣、 はかりなる三上の山をめにかけて幾瀬渡りぬやす川の波 守山 山はなし、里の名也、京より七里也、野路より北也、東國への道なり、參議雅經のうた、 此比は月こそいたくもる山の下葉のこらぬ木がらしのかぜ 守山の宿を過ては、やす川を渡る也、篠原といふ宿、此次に有、鏡山の麓也、 鏡山 原より北也、守山より東北のかた也、篠原は此山の西のふもと也、 鏡山いざ立よりて見てゆかん年へぬる身は老やしぬると 月出島 鏡山より西也、海士の釣舟などよめり、 老曾森 鏡の宿より丑寅のかたなり、間近し、後拾遺夏のうた、 東路の思出にせん郭公老曾の森の夜半の一聲 蒲生野 宇禰野 かまふのヽ玉のお山に住鶴の千年は君が御代のかずなり 近江路を朝立くれば宇禰のヽにたつぞ鳴成明ぬこの夜は 鳥籠山(トコノ) 犬上の郡也、犬上山と云也、老曾より北也、いさや川、とこの山の麓也、 犬上のとこの山なるいさや川いさとこたへて我名もらすな いさや川は、東より西へ流たり、ちいさき流也、いさヽ川共、名取川共云也、 小野の宿 とこの山より十町ばかり北のかた也、此所をあさぢが小野ともいふ也、 柏原 小野の宿より北也、宿あり、京より十八里也 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 醒井 岩根よりわき出る水也、東より南へ流たり、石地藏、水の中にたち給也、此井をさめが井といふことは、むかし日本武のみこと、東夷征罰し給ひし比、當國伊吹の山に入給ひしに、伊吹大明神大蛇と現じ、道の中にわだかまりしを、尊とびこへ給ふとて、御足すこし大蛇のひれにあたり、それよりいたはり給ひ、大ねつきさしけるを、道のほとりにありける清水に、御足をひたし給へば、そのまヽねつきさめけりとなん、さてこそ此石はありけるといへり、 汲て知人しもあらば醒井の清き心をあはれとやみん 梓川(アヅサガハ) 伊吹山つヾき也、梓山と云の麓を流るヽ川也、此川原を過れば、美濃の不破の關也、 筑摩 坂田郡の内也、明神の社あり、縁記草創、神社の所に有之、此神は女の男をいのるに、四月朔日の祭の日、すてられし男のかず鍋をかぶりてまいり、またの男をいのり侍るとは傳る也、拾遺戀のうたに、 近江なる筑摩の祭とくせなんつれなき人の鍋のかずみん 水莖ノ岡 水くきの岡の淺茅のきり〴〵す霜のふりはや夜寒成らん

〔書言字考節用集〕

〈十數量〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 近江八景(○○○○)〈唐崎夜雨、石山秋月、三井晩鐘、矢橋歸帆、粟津晴嵐、勢多夕照、比良暮雪、堅田落雁、〉

〔與佐久間洞巖書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 八景の始は、宋人か元人か宋復古と申す名畫、山水に妙を得たるが一軸を畫かれ候を、凡一代の出來物に候を、人々その興ある處に名を題し、終に八ツの名出來候と申候、これによりて八つの名そろひかね候所とも、畫様に隨ひ候故のことヽ申候、これより好事の人、詩をも題咏し候き、それを又八ツとし候ことは、沈約が八詠樓に倣ひ候とも申し、李太白金華開八景と申す一句により候共申候が、本邦にてわけてとりはやし候は、東山公方の御物に、玉澗が八景候故と聞え候、されどこなたの景をそれに擬し候事になり候ひしは、慶長元和

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 の頃ほひ、京の圓光寺の長老、故有て近江に蟄居の時分、近江の景を瀟湘の八景の題を用ひて模しなされ候を、時の堂上衆歌も候ひしが、これ近江八景とか申ものに候、夫より此かた、國郡はさておき、當時大名旗本衆之の別業山莊等に、八景のなきは一所もなきやうになり來り、ここかしこより詩など心得候ものにはその詩、歌など心得候人には、その歌望まれ候事むなしからず候、異國にて八景と名づけ候にも、十も二十も候、八ツに限るべからぬ事、或は詠と云ひ、或は勝といひ、境といひ、絶と云のごとき、其名も其數も定まらぬこと勿論に候、しかるに本邦の世俗、景として夜雨秋月ならぬなく、歸帆落雁ならぬなく候は、あまりに不雅なる事にや、中國の人は申に及ばず、朝鮮の者の見及び候ても、いかに日本の景はこれに限り候歟とも申べく候、又日本の景、皆々瀟湘の奴隷に候なども、申ほこり候べく候歟、これによりて、老拙〈〇新井君美〉はわかきより其詩はなく候、〈〇中略〉 十一月十三日

〔近江國輿地志略〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 湖水 琵琶湖八景あり、呼て近江八景といふ、何人の名づけしことをしらず、西土瀟湘の八景に比すといへり、なんぞ八景のみに止らんや、千万の佳景また其中にこもれり、琵琶湖八景といふは、 勢田夕照 石山秋月 粟津晴嵐 比良暮雪 唐崎夜雨 堅田落雁 三井晩鐘 矢橋歸帆 江陽日記曰、明應九年八月十三日、近衞政家公同尚通公父子、佐々木高頼の招請によつて、近江に淹留日を歴にけり、此時政家公八詠あり、 勢多夕照 露時雨もる山遠くすぎ來つヽ夕日のわたる勢多の長はし 石山秋月 石山やにほのうみてる月影は明石も須磨もほかならぬかは 粟津晴嵐 雲はらふ嵐につれて百船も千舟も浪の粟津にぞよる

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228  唐崎夜雨 夜の雨に音をつづりて夕風をよそに名立るからさきのまつ 比良暮雪 雲はるヽ比良の高根の夕暮は花のさかり過るはるかな 堅田落雁 峯あまたこへて越路にまづちかきかたヽになびき落る雁がね 矢橋歸帆 眞帆引て矢橋にかへるふねはいま打出の濱をあとの追かぜ 三井晩鐘 おもふその曉ちぎる始ぞとまづきく三井の入あいのかね

〔近江名所圖會〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 近江八景〈湖水の絶景をあつむ、比良、堅田より三井、石山につらなり、粟津、辛崎勢田、矢橋をあはせ、瀟相の八景になずらふ、〉明應九年八月十三日、近衞政家公尚通公父子、佐々木高頼の招請によりて、江州に掩留ありて、詠歌序など作れり、八景の題號此時より始る、詩歌數多有、略之、〈或は永祿五年ともいへり〉 〇按ズルニ、琵琶湖ノ事ハ、湖篇ニ載ス、

雜載

〔延喜式〕

〈二十五主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 凡左馬寮秣料米、近江國百五十斛、〈〇中略〉以彼寮請文、勘會抄帳

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 諸國器仗〈〇中略〉 近江國〈甲六領、横刀二十口、弓四十張、征箭四十具、胡簶四十具、〉

〔延喜式〕

〈三十四木工〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 鍛冶戸〈〇中略〉 近江國四十四烟


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