http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 遠江國ハ、トホツアフミト云ヒ、後ニトホタフミト云フ、東海道ニ在リ、東ハ駿河、西ハ參河、北ハ信濃ニ界シ、南ハ海ニ至ル、東西凡ソ十八里、南北凡ソ二十里、其地勢ハ、一般ニ山巒多ク、特ニ北部ニハ赤石山脈ニ屬スル高峻連亘シ、西南ニ走ルニ從ヒ、漸次峻嶮ノ度ヲ滅ズ、此國ハ、古ヘ國府ヲ豐田郡ニ置キ、濱名(ハマナ)、敷智(フチ)、引佐(イナサ)、麁玉(アラタマ)、長上(ナガノカミ)、長下(ナガノシモ)、磐田(イハダ)、山香(ヤマカ)、周智(スチ)、山名(ヤマナ)、佐野(サヤ)、城飼(キカフ)、蓁原(ハイハラ)ノ十三郡ヲ管シ、延喜ノ制、上國ニ列ス、初メ長上、長下ノ二郡ハ、長田郡ト稱セシガ、和銅二年ニ之ヲ分置シ、後更ニ長下郡ヲ長上郡ニ併セ、又山香郡ヲ周智郡ニ合シ、城飼郡ヲ城東郡ニ改ム、明治維新ノ後、濱名、敷智、引佐、長上ノ四郡、及ビ麁玉郡ノ一部ヲ廢合シテ引佐、濱名ノ二郡ト爲シ、又豐田、山名ノ二郡、及ビ麁玉郡ノ一部ヲ磐田郡ニ、佐野、城東ノ二郡ヲ小笠郡ニ併セテ六郡ト爲シ、靜岡縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 遠江〈止保太阿不三〉

〔饅頭屋本節用集〕

〈止天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 遠江(トヲタウミ)〈遠州〉

〔武備志〕

〈二百三十一日本考〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 遠江〈拖多彌(トヲトミ)〉

〔萬葉集〕

〈十四東歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 譬喩歌 【等保都安布美】(トホツアフミ)、伊奈佐保曾江乃(イナサホソエノ)、水乎都久思(ミヲツクシ)、安禮乎多能米氐(アレヲタノメテ)、安佐麻之物能乎(アサマシモノヲ)、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 右一首遠江國歌

〔枕草子〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 ある女房、遠江守の子なる人をかたらひてあるが、同じ宮人をかたらふと聞きて恨みければ、親などもかけて誓はせ給ふ、いみじき空言なり、ゆめにだに見ずとなんいふ、いかヾいふべきといふと聞きて、 ちかへきみとほつあふみ(○○○○○○)のかみかけてむげに濱名のはし見ざりきや

〔倭訓栞〕

〈前編十八登〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 とほつあふみ 倭名抄に、遠江をよめり、遠つ淡海の義也、枕草紙の歌にはしか見えたり、たとつは通音、つあ反た、はふ反ふ也、万葉集に、とへたほみとも云へり、今はとほたふみとよめり、皆音のつヾまりたる也、神名式磐田郡に、淡海國玉神社みゆ、もと國に湖ありしが、永正七年に、地震洪水の變ありて、湖海一に通ぜしより、今は名のみなりき、山つなみにて寶螺の出たるにや、今切の渡りといへり、もとは虎關の詩に、左海右湖同一碧、長江合含兩波瀾と作れり、

〔古事記傳〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 遠江國造、師〈◯賀茂眞淵〉説に此記〈◯古事記〉に國名を遠江など二字に約て書るは、後人の爲なり、其は後に定まりしことなれば、此記には必遠淡海(トホツアフミ)などヽ有べきわざなりと云れき、今考るに、此記は凡て國地名、或は一字三字にも書、又二字に書るも、多くは後に定れる字と異なり、此古の書格なり、然るに遠江など後文字の如く書る所に稀にあるは、淡海と書ると准へて思ふに、信に後人の改めしことヽは見えたり、〈◯中略〉されどかの和銅六年よりやヽ前にも、國名などはかづかづ文字を擇び、又二字に約られしこと有しも知がたければ、遠江なども決て後人の爲とも定めがたくもあれば、今は舊の如くておきぬ、されど古の書格は、必師説の如く有しことぞかし、〈◯註略〉和名抄に、遠江〈止保太阿不三〉とあるは、阿字衍なり、登保都阿布美を約むれば登保多布美〈都阿を約めて多なり〉なり、〈今人も然云ぞ〉萬葉十四〈十五丁〉に、等保都安布美、同二十〈十六丁〉に等保多保美などもあり、さて此國には、古湖ありしを以、此名を負り、近江國の京に近きに對へて遠とは云なり、

〔諸國名義考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 遠江 和名抄に、遠江、〈止保太阿不三、國府在豐田郡、〉名義は、或書に引る遠江國風土記の逸文に、近江始書淡海大江、自帝都近、故改近江、又遠江始書遠淡海、此國有大江、自帝都遙遠、改名遠江とあり、もと阿波宇美なりしを、後に京よりの遠近によりて遠つ淡海、近つ淡海とせられたるを、必用二字の例なれば、遠江近江と書る事とはなりぬ、さるを和名抄に止保太阿不三とあるは轉約なるを、後世止保多不三と云り、いよヽ約りたるなり、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 各國經緯度〈附里程〉 遠江濱松、〈旅籠町〉極高三十四度四十二分半、經度東一度五十八分半、從東都〈東海道〉六十八里九町四十九間半、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 北極出地 遠江 相良街 三四度四一分三〇秒 横須賀 三四度四一分〇〇秒 濱松 三四度四二分三〇秒 舞坂 三四度四一分〇〇秒 掛川 三四度四六分〇〇秒 見付 三四度四三分三〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈◯中略〉 遠江 濱松 東一度五八分四〇秒

疆域

〔遠江國風土記傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 國之大體、南陽(ウミ)北陰(ヤマ)、日經限本坂岑與大井川、日緯限灘大海與青崩山、西東一十八里廿七町、海路七十五里、〈謂遠江灘◯中略〉南北一十九里、〈南自欠塚湊、北至信濃國堺青崩山岑行程、〉

〔日本地誌提要〕

〈十三遠江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 彊域 東ハ駿河、西ハ三河、北ハ信濃、南ハ海ニ至ル、東西一十八里、南北二十里、

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 藥師佛木像流水埋沙示靈表縁第卅九 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 駿河國與遠江國之堺有河、名曰大井河、其河上有鵜田里、是遠江國榛原郡部内也、

島嶼

〔日本實測録〕

〈九島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 遠江國榛原郡 遠測 足立岩 御前瀬 敷知郡 實測 辨天島〈從東岬北岬〉二十三町四十三間 遠測 ソ子島 礫岩

地勢

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 遠江〈遠州〉上、管十四郡、東西二日半、山河郷里相交、地七尺、種到千倍、又萬倍、大上々國也、

〔遠江國風土記傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569以號遠江者、上古國之墺區有淡海、去皇都遙遠、故號遠津阿不美、淡海則磐田海也、〈談海國玉神社在于磐田郡〉海之西東原野、南潮海、北大河、大河水落而潮不泝、沙土彌積、洲渚彌乾、變爲島、號長田郡、〈俗曰中郡〉今度之、凡西東三里、南北五里、

道路

〔日本實測録〕

〈二街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569東京東海道至西京〈◯中略〉 遠江國榛原郡金谷宿 一里二十五町二十三間〈至小夜中山三十五丁五間〉 佐野郡日坂宿 二里一町九間 懸川、三十四度四十六分、 二里二十町五十六間 山名郡袋井宿 一里二十二町三十間 磐田郡見付宿、三十四度四十三分半、四里八町二十三間〈至天龍川岸一里二十八丁二十二間半、從川岸濱松連尺町二里一十丁五十三間半、〉 敷知郡濱松旅籠町、三十四度四十二分半、 二十一町五間半 若林村 二里一十五町二十間半 舞坂宿、三十四度四十一分、 〈渡海直徑〉一里三町四十八間 新居宿 一里二十五町二十三間半 濱名郡白須賀宿、三十四度四十一分半、 一里二十二町一十四間〈至國界一十一丁四間〉 三河國渥美郡二川宿〈◯中略〉 從東海道濱松本坂御油 遠江國敷知郡濱松連尺町 一里二十六町二十町 一本杉村〈至上島村三十四丁一十間〉 二里七町八間 引佐郡、氣賀町、三十四度四十八分半、 二里二十一町五十九間 敷知郡三ケ日村、三十四度四十八分、 二里六町三間〈至國界本坂峠一里二十二丁三間〉 三河國八名郡嵩山村

〔日本實測録〕

〈一沿海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570東京沿海至大坂〈◯中略〉 遠江國榛原郡川尻村濱、〈至川尻村宿所七町五十間〉三十四度四十六分半、 二里三十町一十二間 相良町、三十四度四十一分半、 三里五町四十間 地頭方村〈至御前崎三町九間、北極高三十四度三十六分、〉 四里三間 城東郡成行村國安川口〈至成行村宿所一十三町四十七間、北極高三十四度四十分、〉 二里八町二十六間 沖之須村〈至横須賀本町廿一町一間、北極高三十四度四十一分、〉 豐田郡鮫島村濱〈至鮫島村二十町〉 一里三十四町四十五間〈至駒場村一里一町四十六間、從駒場天龍川口一十七町八間半、〉 長上郡松島村濱、〈至松島村宿所廿町〉三十四度四十一分、 一里二十三町 敷知郡堤村〈至若林村二十二町二十一間半〉 二里二十七町四十四間 舞坂宿〈至辨天島二町五十二間〉 一里二十六町二十九間 志都呂村〈至入野村二十九町三十六間、北極高三十四度四十二分、〉 一里一十六間 宇布見村〈至山崎村徑測六町二間〉 五里八町一十九間半〈至山崎村一十四町四十三間〉 上田村 六里一十六町一十間〈至村櫛村洲岬一里二十六町一十八間、從洲岬堀江村一里一十七町、〉 引佐郡油田村〈至氣賀一十七町二十九間〉 二里二十五町一十五間 敷知郡佐久米村〈至洲岬三町四十三間〉 一里六町三十一間 大崎村、三十四度四十五分半、 二里七町五十五間〈至瀬戸口二十一町六間〉 三ケ日村、〈至街道二町二十五間〉 五里二十八町五十七間〈至瀬戸口、一里二十四町廿九間半〉 新所東方村 二里一十三町一十二間半 新居宿 二里一十九町七間〈至洲岬一里二十六町七間〉 橋本村〈至街道八町二十八間〉 一里一十一町四十五間 濱名郡白須賀宿〈至街道四町五十六間〉 二里三十三町一十六間〈至國界一十八町一十二間〉 三河國渥美郡伊古部村濱

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 諸國驛傳馬〈◯中略〉 遠江國驛馬〈猪鼻栗原摩横尾初倉各十疋〉傳馬〈濱名敷智磐田佐野榛原郡各五疋〉

〔遠江國風土記傳〕

〈二敷智郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 濱松宿(○○○) 倭名鈔訓波萬々都、昔郷名也、東鑑〈卷二〉記濱松庄、又〈卷四十二〉書引馬、今爲郷宿驛之總名、阡陌二十五坊連肆、東照神君開基地也、 元濱松、引馬拾遺曰、謂野口八幡玄默等之地也、八幡社家曰、所以號濱松者、昔八幡大神之御船著御之時、有白狐持於二箇松樹、而於古賀禰之原奉御先途也、然植一木於社邊、又植一本於御

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 船著御之海邊、名颯々松音羽松、依松號濱松者即是縁也、

〔十六夜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 こよひはひくまのしゆく(○○○○○○○)といふところにとヾまる、このところのおほかたの名ははま松(○○○)とぞいひし、

〔文徳實録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 嘉祥三年五月壬辰、追贈流人橘朝臣逸勢正五位下、詔下遠江國、歸葬本郷、逸勢者〈◯中略〉承和九年、連染伴健岑謀反事、掠拷不服、減死配流伊豆國、〈◯中略〉逸勢行到遠江國板築驛(○○○)于逆旅

〔吾妻鏡〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 文治六年〈◯建久元年〉十月十二日癸巳、於岡部宿(○○○)、進院宣請文給、按察大納言使、此程奉扈從、賜御請文、進以歸洛云云、 十三日甲午、於遠江國菊川宿(○○○)、佐々木三郞盛綱、相副小刀於鮭楚割〈居折敷〉以子息小童、送進御宿、 十八日己亥、於橋本驛(○○○)、遊女等群參、有繁多贈物云云、

〔田園地方紀原〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 永定メ 遠江田郡磐田郡 一高七百七拾壹石貳斗九升九合 見附宿(○○○)

〔本朝俗諺志〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 一郡(くん)一村(むら) 遠州磐田郡見付宿(しゆく)ハ、高三千石餘の場所也、これ一郡一村の所也、諸國に又ありといふを不聞、

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈二東海道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 遠江 古作遠淡海、上國、管十二郡、〈延喜式十三郡〉千九十四村 榛原〈百四十一村 延喜式等作蓁原、〉 城東〈百八村 本城飼郡、延喜式等作城飼(キカウ)、蓋中世折爲東西二郡、後復廢城西者、〉 佐野( /サヤ)〈九十四村 續紀作佐益〉 山名〈百八村 養老六年二月、割佐益郡八郷置、或云、今山名郡久努郷、即古久努國造之地、〉 周知〈九十四村 古素知國、見國造記、延喜式等作周智、〉 盤田〈一村〉 豐田〈二百五十九村 延喜式不載、和名抄等載爲府治、蓋中世所置、〉 長上〈百二十村 本長田郡、和銅二年紀、長田郡地界広遠、民居遙隔、往還不便、辛苦極多、於是分爲二郡、〉 麤玉〈五村和名抄云、今稱有玉、〉 敷知( /フチ)〈百二十一村 延喜式等作敷智〉 濱名〈七村〉 引佐( /イナサ)〈四十一村〉 山香〈元慶五年十月、割磐田郡置、〉 長下〈巳上二郡、延喜式等載、永正七年八月地震大風雨、二郡共陷沒爲海、新井君美曰、明應八年九月、洪水湖決、水涸成陸、今名今切者、即其決處也、〉

〔遠江國風土記傳〕

〈一序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 私考舊記、遠江國造之祖、建比良鳥命也、橿原宮朝廷、〈神武〉美志印命爲素賀國造、於

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 志賀高穴穗宮御代〈成務〉以物部連祖伊香色雄命兒印岐美命、定賜遠江國造、於筑紫香椎朝廷〈仲哀〉以伊香色男命孫印播足尼、定賜久努國造、有三箇國造、而久努素賀國號早廢總爲遠江國、〈其號具國造記〉國中南海、北山爲鎭、中原獻嘉瑞於奈良都、〈元明〉和銅元年有大嘗會供奉之例、靈龜二年、爲由機國、國司大伴宿禰牛養、大伴宿禰山守、櫻井王、於平安城巨勢朝臣總成、仁壽元年橘數雄等、任遠江守、正暦以後、井伊共資男共保領當國、於鎌倉將軍之時、源義定爲國司、南北朝以後今川井伊二氏爲守護職、書記往々雖任國人、管府早廢、政要不傳、郡家莊園有口碑、郷名敢不用、以村號通用焉、故自然忘舊名

〔日本地誌提要〕

〈十三遠江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 沿革 古ヘ國府ヲ豐田郡ニ置、〈今ノ見附驛〉鎌府ノ初、安田義定守護ヲ以テ州守ニ任ズ、建武中興、足利直義ヲ以テ守護トス、直義國ニ就ニ及バズ、親王成良(シゲナガ)ヲ輔テ鎌倉ニ鎭シ兄尊氏ト共ニ反ス、延元元年、井伊道政、親王宗良ヲ奧山城ニ〈引佐郡〉奉ジテ勤王ス、後遷テ井伊谷城ニ居ル、州人叛テ尊氏ニ應ズル者多シ、是ニ於テ尊氏其將今川範國ヲ以テ守護トス、宗良去テ駿河信濃諸州ノ將士ヲ招徠シ、後吉野ニ赴ク、弘和ノ初、再井伊谷ニ來テ薨ズ、井伊氏終ニ今川氏ニ屬ス、範國死シ子貞世、孫仲秋〈貞世ノ弟ナリ、貞世養テ子トス、〉守護ヲ襲グ、應永中、將軍義持、斯波義重ヲ守護トシ、今川氏猶其東境ヲ領ス、永正ノ末、今川氏親、盡ク全州ヲ併セ、傳ヘテ孫氏眞ニ至ル、永祿ノ末、武田晴信駿河ヲ取リ、氏眞出奔シ、本州遂ニ徳川氏ニ歸シ、徙テ濱松ニ治ス、其關東ニ遷ルニ及テ、豐臣氏、堀尾吉晴ヲ濱松ニ、山内一豐ヲ掛川ニ、有馬豐氏ヲ横須賀ニ封ズ、關原役畢リ、徳川氏、三氏ヲ轉封シ、濱松ヲ松平忠頼ニ、掛川ヲ松平定勝ニ、横須賀ヲ松平忠政ニ賜フ、慶長十四年、三藩ヲ徙シテ、徳川頼宣ヲ封ズ、元和五年之ヲ紀伊ニ移シ、再濱松、〈高力忠房、後井上正春、〉掛川、〈松平定綱〉横須賀、〈松平重勝〉ノ三藩ヲ建ツ、寛永ノ初、掛川横須賀二藩ヲ轉封シ、徳川忠長ニ駿河ヲ賜ヒ、本州〈十二萬九千石餘〉ヲ兼領ス、九年、忠長罪有テ收封セラレ、横須賀ヲ井上正就ニ、〈後西尾忠成〉掛川ヲ青山幸成ニ賜フ、〈後太田資俊〉寶暦中、田沼意次(オキツグ)ヲ相良ニ封ジ、〈其嗣意明、陸奧ニ徙封シ、意正ノ時復封ス、〉凡テ四藩、王政革新、四藩ヲ安房

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 總ニ徙シ、地皆靜岡藩ニ屬ス、別ニ一藩ヲ建テ堀江ト云〈大澤基壽〉既ニシテ改テ縣ト爲シ、又廢シテ濱松縣ヲ更置ス、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 遠淡海國造 志賀高穴穗〈◯成務〉朝、以物部連祖伊香色雄命兒印岐美命賜國造、 久努國造 筑紫香椎〈◯仲哀〉朝代、以物部連祖伊香色男命孫、印播足尼賜國造、 素賀國造 橿原〈◯神武〉朝世、始定天下時、從侍來人名美志印命定賜國造

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 養老三年七月庚子、始置按察使、令〈◯中略〉遠江國守正五位上大伴宿禰山守管駿河伊豆甲斐三國

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 天平十年四月庚申、從五位下百濟王孝忠爲遠江守

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 遠江國〈國府在豐田郡、行程上十五日、下八日、〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 遠江〈上中〉十三郡〈◯中略〉 磐田〈府〉

〔遠江國風土記傳〕

〈六磐田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 國府〈天平年間謂國廳〉 按、舊府當國府八幡之地、新府當城之崎(サキ)、壽永建久年間、安田三郞義定任遠江守、住于玆乎、文治四年於用水之論、書近隣熊山者、自城之崎相近焉、天文十年官府既廢矣、

〔吾妻鏡〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 承久三年六月三日丙辰、關東大將軍著畢遠江國府之由、飛脚昨日入洛之間、有公卿僉議防戰、被官軍於方々、仍今曉各進發、

〔十六夜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 こよひは、とをつあふみみつけのこふ(○○○○○○)といふ所にとヾまる、里あれて物おそろし、かたはらに水の井あり、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 誰かきてみつけの里と聞からにいとヾ旅ねの空恐ろしき

〔大久保文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 遠江國見付府(○○○)之事 右本年貢百貫文ニ相定之處、以五拾貫文之増分、百姓職事訴訟申之間、停止代官一圓領掌畢者、毎年百五拾貫文可納所、若於無沙汰者、則可改易之者也、仍如件、 天文十五月五日 見付府 町人百姓

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 遠江國〈◯註略〉管十三〈◯註略〉濱名〈波萬奈〉敷智〈淵〉豐田〈止與太、國府、〉引佐〈伊奈佐〉麁玉〈阿良多末、今稱有玉、〉長上〈長乃加美〉長下〈准上〉磐田〈伊波太〉山香〈也末加〉周智 山名〈也末奈〉佐野 城飼〈岐加布〉蓁原〈波伊波良〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 遠江國上〈管 濱名 敷智 引佐 麁玉 長上 長下 磐田 山香 周智 山名 佐野 城飼 蓁原◯中略〉 右爲中國

〔遠江國風土記傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 郡壹十貳〈延喜式、倭名鈔、載一十三郡、後世長上長下合、山香廢隸周智、割磐田豐田、〉 村壹千九拾三、驛家一拾貳、城三、關二、剗壹、〈倭名抄郷九十一、驛五、正保圖牒村九百三十八計、郷混爲村、其神社郷村宿驛、或變名移地、或水沒破壞、有傳説、〉

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0574 遠江國〈十四郡〉 濱名(ハマナ) 〈●荒井廿 ●白スカ ●本坂 三ケ日 三界郡〉 敷智(フチ) 〈濱松 ●マイ坂 △蓮池 △味方原 南海向〉 豐田(トヨタ) 〈●川合 ●神澤 ●熊村 ●石打 ●雲名 ●二股 ●西カシマ △光明山 △四十八セ △戌亥川 國中ヨリ三界ニ至〉 引佐(イナサ) 〈<氣和廿 △御鷹山 三界〉 麁玉(アラタマ) 〈驛無シ 國中小郡〉 長上(チヤウノカミ) 〈小郡天龍川下西添處〉 長下 〈●天龍 掛塚 長ノ上ニツヾク〉 磐田(イハタ) 〈<見付 中泉 此二ケ村限リ 國中小郡〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 山香(ヤマカ) 〈森町 國中小郡〉 周智(スチ) 〈●戌亥 △秋葉 ●大瀧 ●市村 ●山住 △同社 ●水サクボ 信界〉 山名(ヤマナ) 〈●袋井 海ニ付小郡〉 佐野(サノ) 〈掛川 ●日坂 △小夜中山 國中〉 城飼(キカフ) 〈横須賀〉 〈△佐倉ケ池 △小笠山 日坂邊ヨリ入江出〉 蓁原(ハンハラ) 〈<相良 ●金谷 ●高クマ ●シトロ ●上長尾 ●大町 駿信界大井川ニ添テ海ニ至〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 遠江 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0575_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0576_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0577_001.gif

〈明治十三年〉

〔東京地學協會報告〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577 國郡沿革考第二回 塚本明毅 遠江〈◯中略〉 陽成天皇元慶五年十一月五日割磐田郡、置山香郡、〈民部式首書〉是ニ於テ十三郡トナル、此十三郡ノ中、山香長下二郡ハ既ニ廢シ、又磐田郡ヲ割テ豐田郡ヲ置キ、且濱名、麁玉、磐田、周知、山名、五郡ノ地、大ニ古昔ト異ナリ、濱名郡六郷、今其地大抵敷知郡ニ入リ、僅ニ白須賀一驛ヲ存ス、麁玉郡四郷、其碧田赤狹二郷ハ、今豐田郡ニ入リ、覇多(ハンタ)郷〈今半田村〉ハ長上郡ニ入リ、僅ニ三宅一郷ノ地ヲ存セリ、豐田郡ハ和名鈔國郡部、敷智ノ次ニ豐田〈止與太國府〉トアリ、然レドモ既ニ管十三トアリ、豐田ヲ加フルトキハ十四郡ナリ、且郡郷部ニ此郡ナシ、蓋シ後人ノ竄入ナラン、今ノ盤田郡見付驛ハ、古ノ國府ナリト云フ時ハ、豐田郡分立ノ日モ、國府ハ必ズ變遷ナカルベシ、長下郡八郷、其地多ク詳ナラズト雖モ、大楊郷〈大柳村アリ〉ハ長上郡ニ存シ、老馬郷〈老間村〉ハ豐田郡ニ入リタレバ、其地此二郡ニ併セタルコト知ルベシ、遠江風土記傳ニ、此郡ノ貫名郷ヲ以テ、今山名郡貫名村ナルベシト云ヘリ、然レドモ其地甚ダ隔絶シテ、且中間ニ古ノ磐田郡ノ郷名アレバ、其説蓋シ誤ナリ、磐田郡十四郷アリ、飯寶郷重出セリ、蓋誤寫ナラン、飯寶ハ飫寶(オホ)ノ誤ニシテ、大之郷村アリ、今山名郡ニ屬ス、其曾能(ソヽノ)〈今二宮村〉小野(ヲノ)〈小野田村アリ〉小谷(ヲヤ)、〈小谷田アリ、今城東郡ニ屬ス、山名郡ト接セリ、〉及飫寶ハ四郷ノ地、今山名郡ニ入リ、其入見(イルミ)、〈向坂中村ニ入見神社アリ〉高苑(タカソノ)、〈高岡村アリ〉壬生、〈今二股ノ地〉野中〈蓋神増野部等ノ地磐田原中ニアリ〉神戸〈中田村ナリ〉五郷ノ地ハ、今豐田郡ニ存セリ、此ニヨリテ之ヲ見レバ、中世磐田郡ノ北方ヲ割テ豐田郡ヲ置キ、而シテ磐田郡南方ノ地、終ニ山名郡ニ入テ、今僅ニ見付一驛ヲ存セリ、山香郡四郷、皆今周智郡ニ入レリ、周智郡五郷、小山、〈村存ス〉山田、〈同上〉依智、〈不詳〉大田、〈村存ス〉ハ、今皆豐田郡ニ入リ、僅ニ田椀(タマル)〈今圓田郷〉及衾(フスマ)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 田〈原本山名郡ニ屬ス、説前ニ見エタリ、〉二郷ノ地ノミ本郡ニ屬シ、又古ノ山名山香二郡ノ地ヲ併セタリ、山名郡五郷、山名、〈山梨村是ナリ〉宇知、信藝(シキ)、荻戸〈三郷未詳〉久努(クノ)〈久野村〉ノ地、今皆周智郡ニ入リ、而シテ古ノ磐田郡ノ南方ヲ以テ本郡トセリ、 古十三郡ノ中、山香長下二郡既ニ廢シ、十一郡トナリ、之ニ豐田郡ヲ加ヘテ、今十二郡トナル、但城飼郡今城東郡ト稱ス、

濱名郡

〔遠江國風土記傳〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 濱名郡〈波萬那、海西總號濱名、割濱名郡敷智郡者、寛永十七年以前也、〉村貳、驛家壹〈南大海、西三河國堺、東北並敷智郡堺也、〉 高一千七拾九石九斗五升六合〈依元祿三年高帳、他郡准之、〉 敷知郡内、河別西、〈古之濱名郡也、東入海南大海、西北並山、三河國堺、限本坂岑、◯中略〉 所以號濱名者不傳〈郡有猪鼻湖與細江水邊呼謂河別西、非潮海而謂濱者、如高師濱、〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 遠江國濱名郡輸租帳 濱名郡 依式造天平十二年輸租帳事 合郡内管田總壹阡捌拾陸町壹段壹伯肆拾伍歩〈舊◯中略〉 天平十二年十一月廿日〈◯署名略〉 ◯按ズルニ、此輸租帳ノ全文ハ、政治部上編田租篇租調條ニ載ス、

敷智郡

〔遠江國風土記傳〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 敷智郡〈倭名鈔淵〉濱松庄〈庄本字莊、孝徳紀曰田莊是也、〉合村百廿八、〈海西村四十二、驛家二、關一、古濱名郡内有別記、〉海東村八十六、驛家二、城一、南大海、西今切海、北引佐郡原、東植松堺、高二萬九千三百二十四石九斗四合、所以號敷智者、淵也、〈細江之水爲淵、故號敷智乎、昔廻澤(マイサハ)與橋本之間陸地驛路也、半途有庄堺石石與村越崎南北相對、是濱名與淵二郡之堺歟、堺内有村、號蛭田赤坂柴江舊荒井、應永十二年、明應八年、永正七年等、有大波驛路、併郷村水沒爲海、故二郡之舊地大變矣、長上與敷智二郡堺、亦古今不同、〉

〔續日本後紀〕

〈三仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 承和元年二月甲午、遠江國敷智郡古荒田卅三町賜阿保親王

引佐郡

〔遠江國風土記傳〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578 引佐郡、〈倭名鈔訓伊奈佐〉渭伊庄、村四拾壹、驛家壹、關剗壹東南限麁玉敷智二郡之山野、西限細江與引佐山、北限三河與遠江國二堺山峯也、應永十二年、明應八年、永正七年、寶永四年等、有

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 急波、細江變爲潮海、依之地形古今不同、 高壹萬貳千漆百陸拾玖石陸斗漆升貳合〈依元祿三年高牒〉 所以號伊奈佐者、基引佐山引佐細江、〈郡内續引馬野、故以引馬坂略言乎、(引馬國造之名)又按、准出雲國伊奈佐之小濱伊奈佐社、大和國伊奈佐山等名、萬葉集(卷十四)遠江國歌詠伊奈佐保曾江、〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 ンノ韻ヲナノ行リノ音ニ通用シタル例 いなさ 引佐〈遠郡〉伊奈佐(イナサ)

〔三代實録〕

〈二十四清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 貞觀十五年九月廿五日丁亥、遠江國引佐、長上郡百姓、給復一年

麁玉郡

〔遠江國風土記傳〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 麁玉郡〈倭名鈔曰、阿良多末、稱有玉、〉村五、 西限引佐郡都田原、北限豐田郡阿多古山、杉之本尾多加、東限宮口與小野柴本之田中、南限新原與平口之田野堺、 赤狹庄〈元和以前書亦狹、寛文以後書赤虵、〉 高千肆百石零玖斗升伍合〈依元祿三年之高牒◯中略〉 所以號麁玉者、珠之所由、如有玉村説、〈依古書、察郡堺者、南自有玉村、併欠下(欠崩爲岸)半田(倭名反多)内野(神鳳宇治乃御厨)平口小松木船等、麁玉郡内也、北阿多古十八村、限三河國堺熊村、西原野、東河横流於郡内、故喚麁玉河、號廣瀬河、按更科日記、是河自長元年間以來隸東岸流、號天龍河、其中島之村號中郡十八村、雖豐田郡、於今喚赤狹庄、(中略)按麁玉郡内割東南北、以隸豐田長上、僅以五村一郡者、年代未詳、〉

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 天平勝寶七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌 和我都麻波(ワガツマハ)、伊多久古比良之(イタクコヒラシ)、乃牟美豆爾(ノムミヅニ)、加其佐部美曳氐(カコサヘミエテ)、余爾和須良禮受(ヨニワスラレズ)、 右一首、主張丁麁玉郡若倭部身麿、

長田郡/長上郡/長下郡

〔遠江國風土記傳〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 長上郡〈續日本紀長田郡、倭名鈔長乃加美、〉村壹百貳拾參、驛家壹、 西限敷智郡堺植松、及有玉川渡場、北限麁玉郡堺平口、東限豐田郡安間、南限大海、 高貳萬五千七百貳拾壹石六斗壹升七合 所以號長上者、續日本紀〈元明天皇〉和銅二年紀曰、遠江國長田郡、地界廣遠遙隔、往還不便、辛苦極多、於是分爲二郡焉〈按、長田郷以北爲長上、以南爲長下乎、後混而復爲一郡、大田、貫名、通熊等、隔越而在山名郡也、郡中古今水破多、故舊傳説亡焉、天平寶字五年、麁玉河洪水損五郡郷村田地、令民造一レ堤、而郷村田地漸定矣、於今天寶堤之名存、〉

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 和銅二年二月丁未、遠江國長田郡(○○○)、地界廣遠、民居遙隔、往還不便、辛苦極多、於是分爲(○○)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 二郡(○○)焉、

〔東大寺正倉院文書〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 山背國愛宕郡雲下里計帳 山背愛宕郡出雲郷雲下里神龜三年史生從八位下間人宿禰男君(繼目裏書) 蝮王首姉賣年貳拾陸歳 丁女 右四人、遠江國長田上郡(○○○○)、

〔三代實録〕

〈八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 貞觀六年三月四日庚寅、詔以内藏寮所領遠江國長上郡(○○○)田地一百六十四町、施人貞觀寺

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 天平勝寶七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌 可之古伎夜(カシコキヤ)、美許等加我布里(ミコトカガフリ)、阿須由利也(アスユリヤ)、加曳我伊牟多禰乎(カエガイムタ子ヲ)、伊牟奈之爾志氐(イムナシニシテ)、 右一首、國造丁長下郡(○○○)物部秋持、〈◯中略〉 和我都麻母(ワガツマモ)、畫爾可伎等良無(ヱニカキトラム)、伊豆麻母加(イツマモガ)、多比由久阿禮波(タビユクアレハ)、美都々志努波牟(ミツヽシノバム)、 右一首、長下郡物部古麿、

〔三代實録〕

〈十一清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 貞觀七年九月十四日壬辰、勅、以遠江國長下郡水田十二町入貞觀寺

磐田郡

〔遠江國風土記傳〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 磐田郡〈倭名鈔伊波太〉町貳、驛家〈連町〉古城壹、國府跡貳、〈壹所屬豐田郡、壹所在磐田郡、〉 西限中泉堺町、東限貝塚原三本松、各驛路也、南限今之浦與二之宮堺堤、北古驛路、〈道上道下之中道也〉 高千肆拾貳斛漆斗壹升漆合〈正保圖牒書九百三十四石永定、今依元祿三年之高牒、◯中略〉 所以號伊波太者、雖其基、依飯寶郷名考之者、則約轉稻穗田之訓、而號伊波太也、以佳言地名者、古命也、〈非磐田之字義

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580 靈龜元年五月乙巳、遠江地震、山崩壅麁玉河、水爲之不流、經數十日、潰沒敷智、長下、石田(○○)三郡民家百七十餘區、并損苗、

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580塔發願時生女子舍利産縁第卅一 丹生直弟上者、遠江國磐田郡之人也、弟上作塔發願、未造其塔而歴淹年、猶睠願果、毎軫于懷、聖武天

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 皇御世、弟上年七十歳、妻年六十二歳、懷妊生女、

〔續日本紀〕

〈三十一光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 寶龜二年三月辛酉、遠江國磐田郡主帳無位若湯坐部龍麻呂、〈◯中略〉以私物窮民廿人已上、賜爵人二級

豐田郡

〔遠江國風土記傳〕

〈七上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 豐田郡〈倭名鈔止與太、國府〉池田庄〈本字莊〉村貳百五十參〈外無高村參〉古宿壹 西限長上郡堺池田庄園、〈在庄塚〉東限磐田郡堺中泉堺町、南限懸塚湊、北限信濃國堺青崩山、 高五萬四百六拾貳石四升貳合六勺參才〈依元祿高帳〉 所以號豐田者、割磐田郡、改豐國郷、以置豐田郡名之年月書記脱漏、

山香郡

〔遠江國風土記傳〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 山香郡〈今北周智、山香郡者、元慶五年十月五日割磐田郡山香郡、延喜式(廿二九卷、民部上記山香神名誤雜周智)鹿苑神社在磐田郡、鹿苑社者、與利郷六音社也、倭名鈔山香郡内在四郷、今也廢山香周智者三拾七村、古今同地異名也、〉 周知郡内〈◯中略〉總村九十二、高貳萬三千一百八石九斗八升四合、〈依元祿三年高帳〉 南周智者、大田郷、龜久保以南五十五村、山名庄也、續日本紀曰、養老六年割佐益郡八郷始置山名郡者是也、〈別記〉 北周智〈昔山香郡〉山香庄、〈山香倭名訓也末加〉 村三拾七 南限胡桃平、北限信濃國堺青崩山、西限天龍河邊平山、東限蓁原郡堺尾股京丸山也、〈方自氣田領家度於氣田領家犬居庄園、於奧山領家奧山庄園也、近世割氣田奧山二郷之地廿餘村、屬豐田郡、郡堺如圖、 古證文曰、應永六年山香庄領家云々、同十六年山衙庄西手村云々、各天野氏之所知也、〉 高四千三百貳石八斗八升三合〈陸田〉 傳曰、〈式民部省頭書〉元慶五年十月五日、割磐田郡山香郡

〔掛川志稿〕

〈八周智郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0581 古山香郡ノ地大略本郡〈◯周智郡〉ニ入ル、北ノ方犬居山中ノ諸村ハ古山香郡ナリ、〈◯中略〉此山香郡ヲ中古山香庄ト號ス、應永六年、畠山左衞門佐ヨリ天野遠江入道ニ與ル文書云、山香庄領家職之事、東手之内藤川事、同十六年、鎌倉滿兼ヨリ天野左京亮ニ與ル文書云、山衙庄西手村

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 ノ内瀬尻大峯之事、明徳四年、今川仲秋ヨリ長瀬駿河守ニ與ル書云、山香庄之内犬間、上長尾之事、藤川、犬間、長尾ハ榛原郡ノ北大井河ノ西ニアリ、今其邊ヲ總ジテ河根ト云、瀬尻、大峯ハ天龍河ノ上流ニアリ、今ハ豐田郡ニ屬ス、然レバ中古山香庄ト呼ビシ所ハ、即古ノ山香郡ナルコト知ルベシ、其境界東ハ大井川ノ上流ニ至リ、西ハ天龍川邊ニ至リシ事、亦古文書ヲ以テ證トスベシ、今大時村六所大明神神像、文安五年ノ背書、周智郡之内大土岐、小股村諏訪明神延徳ノ棟札、周智郡氣田庄小股村ナドアレバ、中古ヨリ既ニ山香郡ハ廢シテ周智郡ニ入リ、猶其地ヲ山香庄ト稱セシ也、

山名郡

〔遠江國風土記傳〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 山名郡〈倭名鈔也末奈〉 村壹百壹、驛家壹、舊堵陸、 西北限磐田郡堺三本松、東北限周智佐野二郡堺久津部北原川、正東限佐野郡堺貫名及法多山、東南、限城飼郡堺馬伏塚及西同笠、正南限福田湊、正西限二之宮、 高參萬漆千五百參拾貳斛陸斗壹升壹合伍勺 所以號山名者、對島名郷名也、式内山名神社坐、〈在飯田村〉其地上古久努國中〈國造本紀曰、久努國造、筑紫香椎朝代(仲哀)以物部連祖伊香色男命孫印播足尼定賜國造是也、〉中古在佐益郡内、〈續日本紀曰、養老六年二月、割佐益郡八郷始置山名郡是也、〉割之以置郡、其郡家庄園既廢、而如指也、今於周智郡山名子郷、又飯田一村表書山名郡、又呼山名庄者、於周智五十五村、於山名凡廿一村、古山名郡堺自知焉、是之餘者、長下磐田二郡内也、雖隔越、而延喜式倭名鈔等之郷名、現然存于玆、沒長下之名其地山名者、時代未考、

〔續日本紀〕

〈九元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 養老六年二月丁亥、割遠江國佐益郡八郷始置山名郡

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 天平勝寶七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌 等伎騰吉乃(トキドキノ)、波奈波佐家登母(ハナハサケドモ)、奈爾須禮曾(ナニスレゾ)、波々登布波奈乃(ハヽトフハナノ)、佐吉低己受祁牟(サキテコズケム)、 右一首、防人山名郡丈部眞麿、

周智郡

〔遠江國風土記傳〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582 南周智郡〈北周智有別記、南周智、昔號久努國、養老六年始置山名郡、攺山名周智者、時代未詳、周智者、上古久努國也、(中略)而倭名鈔載久努郷、所以號

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 〈久努者、蓋國造之姓名歟、(中略)南周智之地者、昔在佐益郡内、續日本紀曰、養老六年二月、割佐益郡八卿、始置山名郡、而后延喜式神名、周智郡之神社(三座)者、在今之北周智、而山名郡之式社者多在南周智也、攺山名周智者時代未考、(今之山名郡之地理者、古之長下郡也、雖郡堺隔越、依續日本紀延喜式倭名鈔等之求之、則舊名遺跡無存者焉)中略〉 村五十五、舊堵四、 山名庄〈古山名郡〉 南限久野、北限龜久保村、西限衾谷、東限吉岡原口、 高壹萬捌千捌百陸斛壹斗壹合〈依元祿三年之高帳

佐野郡

〔遠江國風土記傳〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 佐野郡〈續日本紀佐益、姓氏録佐夜、延喜式倭名鈔等佐野、今人曰佐乃、◯中略〉 佐野郡内、舊是素賀國也、〈◯中略〉雖國號早廢、迄今喚曾我庄也、〈◯中略〉 西限山名郡堺原川、東限蓁原城飼堺菊川、南限城堺青陀坂、北限周智郡堺炭燒村、 高貳萬六千七百七拾石貳斗七升七合餘〈依元祿高帳

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 天平勝寶七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌 知々波々母(チヽハヽモ)、波奈爾母我毛夜(ハナニモガモヤ)、久佐麻久良(クサマクラ)、多妣波由久等母(タビハユクトモ)、佐々己氐由加牟(サヽゴテユカム)、 右一首、佐野郡丈部黒當、

城飼郡

〔遠江國風土記傳〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 城飼郡〈倭名鈔訓岐加布〉所以號城飼者、牧飼之地也、故昔有白羽牧官及駒場之舊名、〈白羽駒場、今屬蓁原、◯中略〉 西限山名郡堺岡崎三輪之林丘、南限横須賀湊、及佐倉濱白羽海、東限蓁原郡堺佐倉村古谷菊川、北限佐野郡堺青陀坂并小笠山、 高六萬千貳拾九石九斗四升三合〈依元祿三年之高帳

〔續日本紀〕

〈三十一光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 寶龜二年三月辛酉、遠江國〈◯中略〉城飼郡主帳無位玉作部廣公、〈◯中略〉以私物窮民廿人已上、賜爵人二級

蓁原郡

〔遠江國風土記傳〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 蓁原郡〈倭名鈔訓波伊波良〉村壹百參拾八 西野限佐野郡堺菊川、城飼郡萩間、南海限白羽岬相良湊、東河限駿河國堺大井河、北山限信濃國堺千頭山、 高四萬六千五百拾七石五斗八升四合五勺〈依元祿高〉 所以號蓁原者、蓋基蓁原郷、昔時置白羽牧官、今時存駒場牧野原萩間等之地名者、如萩倉牧

〔續日本紀〕

〈十一聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0583 天平五年九月丁亥、遠江國蓁原郡人君子部眞鹽女、一産三男、賜大税二百束、乳母一

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584

〔倭名類聚抄〕

〈六國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 遠江國 濱名郡 坂上 坂本 大神 驛家 贄代 英多 宇智 敷智郡 蛭田〈比留多〉赤坂〈阿加佐加〉象島 柴江〈之波江〉小文 竹田〈太介多〉雄踏 尾間〈於萬〉和治 濱松〈波萬萬都〉驛家 引佐郡 京田〈美也古多〉刑部〈於佐加倍〉渭伊〈井以〉 伊福〈以布久〉 麁玉郡 三宅〈美也介〉碧田〈安乎多〉覇多〈反多〉赤狹〈阿加佐〉 長上郡 茅原〈加波良〉碧海〈安乎宇美〉長田〈奈加多〉河邊〈加波乃倍〉蟾沼〈比木奴萬〉壹志〈以知之〉 長下郡 太田 長野〈奈加乃〉貫名〈奴木奈〉伊筑 幡多〈判多〉 大楊〈於保也奈木〉老馬〈於以萬〉通熊〈止保利久萬〉 磐田郡 飯〈◯飯、高山寺本作飫、〉寶 曾能 山香 入見 小野〈乎乃〉 千柄 高花〈◯花、高山寺本作苑、〉壬生〈爾布〉野中〈乃奈加〉 久米 小各〈◯各、高山寺本作谷、〉 飯寶〈◯飯寶重出、恐有一誤、〉神戸 豐國〈止與久爾〉驛家 山香郡 大岑 與利 岐階 氣多 周智郡 小山〈乎也萬〉山田〈也萬多〉依智〈江知〉 大田〈於保多〉田椀 山名郡 山名〈也萬奈〉衾田〈布須萬多〉宇知 信藝 荻戸 久努〈久度〉 佐野郡 山口〈也萬久知〉小松〈古萬都〉邑代〈伊比之呂〉幡羅 日根〈比禰〉 驛家 城飼郡 加美 新井〈爾比井〉荒木〈安良木〉河上〈加波加美〉高橋〈多加波之〉新野〈爾比乃〉鹿城〈加良古〉朝夷〈安佐比奈〉松淵〈萬都布知〉土形〈比知加多〉狹束〈佐都加〉 蓁原郡 質治 驛家 蓁原〈波以八良〉大江〈於保江〉細江〈保曾江〉神戸 船木〈布奈木〉勝田〈加都萬多〉相良

〔遠江國御神領記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0584 伴良志等解申請畠地事 合段者 在繼橋郷(○○○)阿多氣村 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 右件畠地令相傳所領居住也、而定永財船江太郞太夫殿所沽渡進也、〈◯中略〉仍爲後代請文以解 文治三年十月三日 伴良志 女子伴孫犬 夫 橘清次

〔集古文書〕

〈一綸旨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 後醍醐天皇宸翰〈横瀬家藏〉 遠江國澀俣郷(○○○)〈泰家法師跡◯中略〉 右所々地頭職、可管領者、天氣如此、仍執達如件、 元弘三年七月十九日 式部少輔 兵部大輔殿

〔古文書〕

〈淺草文庫本〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 遠江國東方高部郷(○○○)總領職事、任本領尾張孫三郞朝宣知行不相違者、天氣如此、悉之以状、 建武元年三月二十七日 式部丞判

〔南禪寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 當寺領遠江國初倉莊内、大井河以東、鮎河郷江富郷吉永郷藤守郷(○○○○○○○○○○○○)等、所寺家也、致知行寺用者、天氣如此、仍執達如件、 建武元年七月十二日 左中辨在判 南禪寺明極上人御坊 花押 南禪寺領遠江國初倉庄江富郷守延名事、止京上夫日公事菜料等、爲彼代、下行米毎年拾石進濟云々、早任申請旨、有限年貢所當段別以下、長吏修理替物雜掌用途外、免京鎌倉夫万雜公事、於拾石米者、可進濟之状、下知如件、 建武四年正月廿日 監寺得觀〈花押〉 都寺心法〈花押〉

〔南禪寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0585 遠江國新所郷(○○○)所寄附南禪寺也、早令知行給之由、天氣如此、仍執達如件、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 建武元年十二月三日 宮内卿〈◯中御門經季〉 夢窻上人方丈

〔秋元興朝所藏文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 南禪寺雜掌申、遠江國初倉庄内鮎河郷、江富郷、〈付上泉村〉吉永郷藤守郷〈已上領家方〉同國新所郷事、任去五日御寄附状、可汰付寺家雜掌状、依仰執達如件、 建武三年十二月十一日 武藏權守〈花押◯高師直〉 遠江國守護所

〔徳禪寺文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 法皇御代安堵、嵯峨ニ御遁世、 近江國今西庄、伊勢國上野御厨、遠江國内野郷(○○○)、若狹國名田庄内田村下村、知行不相違之由、院宣所候也、仍執達如件、 九月九日(建武三) 隆蔭 謹上花山院前中納言殿

〔秋鹿文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 八幡新宮領遠江國中泉郷(○○○)殺生禁斷事、以前成敗之上、不相違、固可禁制、若有違犯之輩者、可罪科之状如件、 建武四年八月十四日 沙彌心省〈花押◯今川範國〉

〔集古文書〕

〈四十二寄附状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 等持院尊氏公寄進状〈相模國鶴岡八幡宮藏〉 奉寄 鶴岡八幡宮 遠江國宮口郷(○○○)相模國弘河郷〈備前入道跡〉地頭職事 右爲天下泰平國土安穩、奉寄之状如件、 暦應二年四月五日 正二位權大納言源朝臣尊氏

〔集古文書〕

〈四十五寄附状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0586 今川氏親寄進状

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 〈遠江國平田寺藏〉 遠江國金屋郷(○○○)内深谷、山口郷(○○○)内奧野、下西郷(○○○)内聊道寺并五領田事、 右爲新所寄進之上者、如前々執務之状如件、 明應五〈丙辰〉年九月二十六日 五郞 押 長松院

〔天宮神社文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 天宮郷(○○○)之内、其方被拘置候神役田、并各職等之事、右定夫參ケ一、入木入草等代物仁積、此代九貫文、此外綿百文目、布參ツ如前々相渡候、其外者神役田之事ニ候間、我等http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001ad4e.gif之候、〈◯中略〉雖然追却之社人之事者、雖付我等、合點無之人者、一切不許容者也、仍如件、 弘治參〈丁巳〉四月十七日 氏定(武藤刑部少輔)〈花押〉 中村助太郞殿

〔白羽大明神文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 禁制 一御普請以下之役事〈◯中略〉 右條々、不御相違、然則令沈輪百姓等召還、可住彼郷中、但渡海之奉公者、嚴重可勤仕之由被仰出者也、仍如件、 天正五年〈丁丑〉十一月五日 朱印〈◯武田氏丸龍印〉 安倍加賀守〈奉之〉 白羽郷(○○○)

〔大通院文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 遠州濱松庄新橋之郷(○○○○)大通院於寺中門前狼藉、并山林竹木猥伐採放牛馬儀、一切停止之、然者在々所々諸末寺輪番出仕、如前々懈怠事、〈◯中略〉 九月七日(天正十四年) 三位中將藤原家康〈花押〉 大通院

〔本間文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 新野池新田置目之事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 一田地起ス其年者、十分一たるべき事、〈◯中略〉 右峯田新田如置目、諸役令免許候、但苗代所之儀者、新野(○○)、あさいな(○○○○)、門屋(○○)三ケ郷にて、田地之積り次第可申付者也、仍如件、 慶長十年巳正月十一日 忠政〈朱印◯遠江横須賀城主大須賀〉 池新田百姓かたへ

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 一遠江國(御料私領)〈遠州東西二日半〉 拾貳郡 高三拾貳万八千六百五十一石四斗三升六合五勺八才 千九十三ケ村 ●濱松〈六十五里六丁〉 ●掛川〈五十五里〉 ●横須賀〈五十七里〉 ○相良〈五十五里〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 氣賀〈近藤縫殿助〉 <中泉〈六十一里〉 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 遠江 十二郡、千九十四村、 高三十六万九千三百五十二石五斗七升五合一勺八才(御料私領) 榛原郡百四十一村 城東郡百八村 佐野郡九十四村 山名郡百八村 周知郡九十四村 磐田郡一村 豐田郡二百五十九村 長上郡百二十村 麁玉郡五村 敷知郡百二十一村 濱名郡二村 引佐郡四十一村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 郡邑島嶼奇名 遠江 敷知(フチ)郡新橋(ニツバシ)村、志都呂(シトロ)村、増樂(マスラ)村、馬生(バセウ)村、段子川(ダンシカハ)村、一本(イツホ)杉村、榛原(ハイバラ)郡海老名(アシナ)村、

〔山内首藤文書〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 花押〈◯足利尊氏〉 讓渡所領事〈◯中略〉 一遠江國飯田莊内加保村(○○○)地頭職事、〈◯中略〉任此讓状知行状如件、 建武二年六月二十三日 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 藤原通繼花押

莊保

〔東寺百合文書〕

〈一之六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 寶莊嚴院御庄園〈◯中略〉 遠江國初倉庄(○○○) 朝隆卿 六丈細布十三段二丈 四丈白布三百段〈◯中略〉 右注進如件 平治元年潤五月 日

〔士林證文〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 八木新左衞門尉秀清本領事 一遠江國初倉莊永郷内、下司名、并阿曾名、 元弘二年被召放之伯耆守號拜領當知行、 右秀清參御方、致軍忠之上者、任法如元返給之彌爲忠節、恐々言上如件、 建武三年二月八日 左衞門尉秀清

〔吾妻鏡〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 治承五年〈◯養和元年〉閏二月十七日癸亥、安田三郞義定、相牽義盛、忠綱、親光、祐茂、義清、并遠江國住人横地太郞長重、勝田平三成長等、到于當國濱松庄(○○○)橋本邊、是依前武衞仰也、此所爲要害之間、可待平氏襲來之故也、

〔集古文書〕

〈一宸筆〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 後醍醐天皇綸旨〈所藏不詳〉 妙音堂領遠江國濱松庄、可知行者、天氣如此、仍被仰如件、 延元四年四月廿八日 左中辨〈花押〉 謹上左兵衞督殿

〔吾妻鏡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 治承五年〈◯養和元年〉四月卅日乙亥、遠江國淺羽庄(○○○)司宗信、依安田三郞義定之訴、雖公所領、謝申之旨、不等閑之間、安田亦執申之、仍且返給彼庄内、柴村、并田所職畢、是子息郞從有數、尤可

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 御要人之故云云、

〔吾妻鏡〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 建久四年十二月五日戊戌、被公遠江守義定所領、當國淺羽庄地頭職、以景廉其替、今日賜御下文、大藏丞頼平奉行之云云、

〔賀茂注進雜記〕

〈下神領〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 同〈◯壽永〉三年〈◯元暦元年〉四月廿四日壬辰、賀茂社領四十二ケ所、任院廳御下文、可武家狼藉之由、有其沙汰云々、 下諸國 可早任院廳御下文、停止方々狼藉、備進神事用途、賀茂別雷社御領庄園事、〈◯中略〉 遠江國 比木庄(○○○)〈◯中略〉、 右肆拾貳箇所神領、任院廳御下文、停止方々狼藉武士等濫吹、如元可進神事用途、若不神威、不院宣、慥可重科之状如件、以下、 壽永三年四月廿四日 正四位下源朝臣御判

〔吾妻鏡〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 文治六年〈◯建久元年〉八月十九日辛丑、板垣三郞兼信依違勅以下積惡、被配科之上、其領所可地頭職事、備後國在廳等、捧申状、訴土肥彌太郞遠平之不法事、被院宣之間、兩條御請文、載一紙、所言上也、 圓勝寺領、遠江國雙侶庄(○○○)地頭事、不當に不候ば、何事之候哉と存候處、於兼信者、誠不當に候らん、早可改易候也、但不當に候ざらむ者を、其替に令補候はむと思給候、此條も可御定候、一向に可停止候者、不左右候、 備後國在廳申状給候畢、相尋子細、追可言上也、此旨可洩達、頼朝恐々謹言、 八月十九日 頼朝

〔東寺百合文書〕

〈一ノ五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 七條院 在御判 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 修明門院御處分御所庄々等〈◯中略〉 遠江國 氣賀庄(○○○) 安貞二年八月五日 七條院在御判

〔東寺百合文書〕

〈一之六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 當庄依遠亂不一レ領門跡之間、欲中知大僧正、僧正安堵之院宣案、最勝光院領遠江國原田庄(○○○)事、任實賢僧正并實微法印爾次第、附屬可傳知行者、依院宣上啓如件、經恐惶謹言、 正安元年閏十月十三日 治部卿(經郷)〈判〉

〔東寺百合文書〕

〈一ノ五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 最勝光院 注進寺領庄園年貢近年所濟出物等散状事〈◯中略〉 一遠江國 原田庄 本年貢四百五十石 綾被物二重内 〈四月ハ月忌一重 七月ハ八講一重〉 八月兵士十人 近年以代錢七十六貫文内〈三貫百文被物代〉 近年濟之減濟之年記不存知之、近年四十五貫沙汰歟、 右就所見注進如件、凡近年背先例、不成返殘於執事公文間御年貢濟善事委不存知之、 正中二年三月日 公文左衞門少尉大江

〔東寺百合古文書〕

〈百七十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 和與 遠江國原田庄雜掌直踰與當庄内細谷地郷頭原小三郞忠益相論當郷所務條々事 元徳三年十二月十五日 藤原忠益〈花押〉

〔龜山院御凶事記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 嘉元三年九月廿三日丁卯、依進故院御書、早旦著直衣、〈烏帽〉相具御書、御手簡

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 〈存日予預置也〉參御所、〈◯中略〉女院御方自餘御書等、〈兼有御封、以檀紙立文之、押折上下、又有銘等、〉悉盛筥蓋、〈◯中略〉 一通〈銘曰新院御方〉 播磨國多可庄〈◯中略〉 遠江國飯田庄(○○○)〈◯中略〉 右庄々可讓進也、輕微之至、頗雖其憚、爲顯志恐者也、 嘉元三年七月廿六日 御判

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 觀應二年十一月二十六日、朝間大藏卿來、仙洞御領元弘御沙汰之次第談之、今日具忠朝臣爲示聞也、所詮長講堂法金剛院領、并龜山院御讓五箇所院御方御分、室町院御領半分、法皇御分等被綸旨云々、 長講堂領〈◯中略〉 遠江國飯田莊 右所々御管領不相違者、天氣如此、以此旨申沙汰、仍執達如件、 元弘三年六月七日 左中將忠顯 謹上 高三位殿

〔集古文書〕

〈一綸旨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 後醍醐天皇宸翰〈横瀬家藏〉 遠江國大池莊(○○○) 〈高家跡◯中略〉 右所々地頭職可管領者、天氣如此、仍執達如件、 元弘三年七月十九日 式部少輔 兵部大輔殿

〔集古文書〕

〈十五判物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 今川心省判物〈家臣三輪元咸藏〉 遠江國二宮庄(○○○)於倶郷之事、長尾次郞國資依爲子孫三和次郞右衞門尉光繼、爲本領望申間、今給被分宛行所也者、任先例早可其沙汰之状如件、 建武四年八月十八日 花押〈◯今川範國〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 三和次郞右衞門尉殿

〔秋鹿文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593遠江國府八幡宮 當國羽鳥庄(○○○)内貴平郷地頭職事 右爲天下太平家門繁昌、令寄之状如件、 建武四年十二月廿二日 源朝臣〈花押◯足利尊氏〉

〔東寺百合文書〕

〈一ノ三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 遠江國村櫛庄(○○○)役、最勝光院寺用事、眞鍮法印申状〈副具書〉如此にて可其沙汰之由、可下知行之旨、被仰下候也、恐々謹言、 九月六日 隆蔭 徳大寺中納言殿

〔東寺百合文書〕

〈ゐ一之十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 山城 最勝光院領遠江國村櫛庄本家米事、深源僧都申状〈副具書〉如此、子細見状候歟、可武家之由、院御氣色所候也、以此旨申給、仍言上如件、雅仲誠恐頓首謹言、 九月十六日 大藏卿雅仲 進上 前左馬助殿

〔鎌倉大草紙〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 扨京公方は、普光院殿御時なり、いかヾ思召けん、信長に先遠江國蒲の庄(○○○)御厨にて、千貫の地を懸命のためにたまはりける、

〔集古文書〕

〈三十九施行状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 應永三十三年施行状〈京師清和院藏〉 遠江國質呂莊(○○○)領家職半分事、任去年八月十一日奉寄御判之旨、彌可所務之由所仰下也、仍執達如件、 應永三十三年十一月十八日 沙彌〈花押〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 清和院長老

〔梅花無盡藏〕

〈六雜文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 遠江州方廣禪寺山門化縁疏并序 娑婆世界南贍部洲大日本國東海道遠江州伊那佐郡井伊保(○○○)、奧山郷、深奧山、方廣禪寺、山門修造化縁疏并序、住持比丘某敬白、〈◯下略〉

〔平田寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 遠江國相良庄(○○○)平田寺之事 一寺領田畠山林并寺中之塔頭〈靈松庵正心庵廣濟寺一技庵〉四ケ寺領寺外之塔頭〈大聖寺、正福寺、井谷寺、應安寺、理趣寺、西方寺、〉六ケ寺領等之事、任天澤寺殿兩通判形之旨畢、并寺中寺外塔頭末寺領等田畠共、去天文亥年撿地増分寄進之上、向後庄内雖撿地、寺領塔頭末寺領共停止地頭代官http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001ad4e.gif 、撿地免除之旨、爲證文明鏡之條、任其儀畢、縱至于後年、爲私領行于他、聊不相違事、〈◯中略〉 右條々任先判形并印判之旨、永不相違者、守此旨彌可修造勤行等之状如件、 永祿四〈辛酉〉年三月十八日 氏眞〈花押〉 平田寺方丈

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594  井上河内守正直(雁間從四位侍從) 六万石 居城遠州敷知郡濱松〈江戸ヨリ〉六十五里六丁 〈元龜二ヨリ當將軍家御居城、天正十八、堀尾帶刀吉晴、同信濃守忠氏、慶長六、松平左馬介忠頼、同十四、水野對馬守重仲、元和五、高力攝津守忠房、寛永十五、松平和泉守乘壽、正保元、太田備中守資守、同攝津守直延、延寶五、青山因幡守宗俊、同和泉守忠親、同下野守忠重、元祿十五、松平伯耆守資俊、同豐後守資訓、享保十四、松平伊豆守信祝、同伊豆守信復、寛延二、松平豐後守資訓、同富之助資昌、寶暦八、井上大和守正經、同河内守正定、同河内守正甫、文化十四、水野越前守忠邦、弘化二、井上河内守正春、以後領之、〉 太田總次郞(雁間) 五万三十七石餘 居城遠州佐野郡懸川〈江戸ヨリ〉五十五里餘 〈城主天正十二、石川日向守家成、同十八、山内對馬守正之、慶長六、松平隱岐守定勝、同河内守定行、元和三安藤帶刀直次、同五、松平越中守定治、寛永二、朝倉筑後守定重、同十、青山大藏大輔幸成、同十二、松平大膳亮忠重、同十六本多能登守忠義、正保元、松平伊賀守忠晴、慶安元、北條出羽守氏重、承應元、井伊兵部少輔直之、同伯耆守直武、同兵部少輔直朝、寶永三、松平遠江守忠高、同八、小笠原壹岐守長熙、同山城守長庸、同佐渡守長恭、延享三ヨリ太田攝津守資俊、以後領之、〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 西尾隱岐守忠篤(帝鑑間朝散大夫) 三万五千石 居城遠州城東郡横須賀〈江戸ヨリ〉五十八里 〈天正十六、大須賀五郞左衞門、松平五郞左衞門忠政、同十六、渡瀬左衞門佐、文祿二、有馬玄蕃頭豐氏、慶長五、松平出羽守直政、元和五、松平大隅守重勝、同丹後守重忠、同九、井上主計頭正就、同河内守正利、正保二、本多伊勢守忠利、同越前守利長、天和二、西尾隱岐守忠成、以後領之、〉 菊之間從五位下 田沼玄蕃頭意尊 一万石 在所遠州榛原郡相良〈江戸ヨリ〉五十五里 〈從奧州信夫郡下村、文政六未年田沼玄蕃頭意正移之、以後領之、◯節略〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 遠江國〈◯註略〉管十三〈田萬三千六百十一町三段三十五歩〉

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 遠江〈上中〉十三郡〈(中略)田萬二千九百六十七町〉

〔伊呂波字類抄〕

〈止國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 遠江國〈管十三(中略)本田一万二千九百八十七町〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 遠江州 郡十三、水田一萬二千九百六十七町、

〔和漢三才圖會〕

〈六十九遠江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 十四郡 二十八万石

〔官中秘策〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 遠江國 十四郡〈◯中略〉 一石高三拾貳万八千六百五拾壹石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 天保度御國高調〈◯中略〉 遠江國〈御料私領〉 一高三拾六万九千五〈◯五一本作三〉百五拾貳石五斗七升五合壹勺〈◯下略〉

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 遠江國正税公廨各廿八万束、國分寺料三万束、大安寺料四万九千束、文殊會料二千束、修理池溝料三万束、救急料六万束、夷俘料二万六千八百束、白羽官牧馬直四千四百六十束、藥分料一万束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 遠江國〈◯註略〉管十三〈(中略)正公各二十八萬束、本稻五十八萬二千二百六十束、雜稻三萬三千二百六十束、〉 ◯按ズルニ、此書擧グル所ノ雜稻數、之ヲ他國ニ比スルニ、甚ダ少キニ過グ、今延喜式ニ記スル所ヲ計算スルニ正ニ二十一万二千二百六十束ナリ、此書誤アルコト明ナリ、サレバ本稻五十

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0596 八萬二千二百六十束ト云フモノ亦用ヰル可カラズ、

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈十五内藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0596 諸國年料供進〈◯中略〉 交易〈◯絁〉六百五十疋〈遠江(中略)上野七箇國各五十疋◯中略〉 樽〈(中略)遠江(中略)伊豫十五箇國各二合◯中略〉 干薑小一百斤、薑種十石、 右遠江國交易所進、〈◯中略〉 大匏卌口〈遠江國卅口◯中略〉 斑竹千六百隻〈遠江國所進〉 支子〈數有損益◯中略〉遠江國二園五十四斛〈一園四斛、一園五十斛、〉

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0596 年料租舂米〈◯中略〉 遠江國〈一千三百石◯中略〉 年料別貢雜物〈◯中略〉 遠江國〈筆一千管、零羊角四具、◯中略〉 諸國貢蘇番次〈◯中略〉 遠江國十四壺〈四口各大一升、十口各小一升◯中略〉 右八箇國爲第一番〈丑未年◯中略〉 交易雜物〈◯中略〉 遠江國〈絹六十八疋、苧一百卅斤、鹿皮十張、鹿革卅張、木綿四百七十斤、樽二合、凝菜卅斤、海藻根十斤、胡麻子二石、大匏卅口、干薑一百斤、種薑十石、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0596 遠江〈◯中略〉 右廿五國中絲〈◯中略〉 遠江〈◯中略〉 右廿九國輸絹〈◯中略〉 遠江國〈行程、上十五日、下八日、〉 調、一窠綾十三疋、二窠綾八疋、三窠綾廿疋、七窠綾廿五疋、小鸚鵡綾廿七疋、薔薇綾廿四疋、苽核綾白十疋、赤廿疋、呉服綾白廿疋、赤十五疋、御襪料白絹十二疋、緋帛卌疋、縹帛十五疋、橡帛廿五疋、貲布十二端、自餘輸絹、〈但山香郡調庸輸布〉 庸、韓櫃廿合、〈塗漆著鏁十合、白木十合、〉 自餘輸絲 中男作物、木綿、胡麻油、與理等魚腊、

〔延喜式〕

〈三十一宮内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0596 諸國例貢御贄〈◯中略〉 遠江國〈甘葛煎、甘子、穉海藻、〉

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0596 諸國貢進菓子〈◯中略〉 遠江國〈甘葛煎二斗、柑子四擔、〉

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0596 諸國進年料雜藥〈◯中略〉 遠江國十三種 黄芩十斤、芎藭三斤、桔梗廿二斤、黄蘗、伏苓各卅斤、桑螵蛸一斤七兩三分、署預三斗、麥門冬六升九合、桃人二斗四升蜀椒八升、栢子人七升干姜八十六斤、支子大二斗、

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 諸國貢進御贄〈中宮准此〉 年料〈◯中略〉 遠江國〈稚海藻〉

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 遠江 干http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001b416.gif (カンキヤウ) 茜 紫根 濱松蜜柑 ケガ鮒 掛川葛布(クヅヌノ) 同搗和布(カヂメ) 西坂ノ葛餅 濱名納豆 菊川酒 糖(アメ) 矢根(ヤノ子) 荒井鱣(ウナギ)

〔日本鹿子〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 同國〈◯遠江〉名物出所之部類 干姜〈當國國領と云所より大半出る〉 紫根〈同所より出る〉 茜〈同所より出る〉 濱松蜜柑 鮒〈氣賀ト云所の名物なり〉 葛布〈懸川の宿にて商、根本ハ上張村と云所にて作之、〉 搗和布(カヂメ)〈懸川より行程五里計南の海邊相良といふ所より出る〉 白羽柑子〈白羽村と云て、是も懸川より五里計南の濱かたより出る、〉 荒井鱣 納豆〈濱名と云在所より出るなり〉 松葺(タケ)〈小笠山より出る〉 〆治(シメチ)〈横須賀山より出る〉 笋子〈久野村大藪より出る〉 小尾山(ヲヒサン)鷹 菊川糖 同所矢根 日坂蕨餅

人口

〔官中秘策〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 遠江國 十四郡〈◯中略〉 一人數三拾三万三千七百四拾四人 内〈拾六万六千八百五拾七人 男 拾六万六千八百八拾七人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 諸國人數調〈◯中略〉(文化元甲子年) 一人數三拾四万貳千三百九拾八人(御料私領) 遠江國(高三拾貳万八千六百五拾壹石餘) 内〈拾七万三千五百四拾八人 男 拾三万八千八百五拾人 女◯中略〉 諸國人數調〈◯中略〉(弘化三丙午年) 一人數三拾六万三千九百五拾九人(御料私領) 遠江國(高三拾六万九千五百五拾貳石) 内〈拾八万四千七百三人 男 拾七万九千貳百五拾六人 女〉

風俗

〔人國記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 遠江國 遠江國ノ風俗、三河ニ不異而、人之氣何事ニ付テモヒルム氣ナシ、サルニ仍テ可死處ト見ル則ハ、タトヘ節ニアタラズシテモ死ヲスル人多シ、雖然三州ニ替リテ物ヲ頼ニスル氣有、因玆ニ謟フ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0598 氣質アラハレテ見ユル儀、事々ニ付テ如斯、サレドモ昨日味方ニナリ、今日敵ニ成如ク之儀ハ、イカヾ頼ム程ノ儀有トテモ有間敷國也、唯己々智ヲ以、下ヨリ上ヲハカツテ我ヲ不知而、上下トモニ主之善惡ヲ、下トシテ誹謗シテ、而モ夫ヲ諫ル事ナク、黨ヲ立テ他ヲ求ン事ヲ好ム族ノ風俗也、智惠アツテ氣尖成故善ニ近シ、何事ニ付テモ明白トノブル事ノ不成風俗也、嫌フ處モ多シ、一國之内ニテモ、東ヨリテ一入カクノゴトクナリ、

名所

〔日本鹿子〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0598 遠江國名所之部 高師山 二川の宿と白須賀の宿との間なり、北は山、南は海なり、鎌倉右大臣の歌に、 雲のゐる梢はづかに露こめて高師の山に鹿ぞなくなる 鹽見坂 白須賀の宿へ下る坂なり、是より南のかたは遠江灘(ナダ)はるかに見へ渡り、無雙の景地なり、 橋本 白砂の湊より一里なり、橋本の北に水海あり、 高師山松に夕ゐるかささぎの橋もとかけて月渡る見ゆ 濱名橋 入海より北の山ぎわ也、橋もとより三里餘北也、いにしへは濱名を海道にせられけり、 本坂越とて、高師山の北に今もあり、はしもとは今の海道なり、 天龍川 濱松の宿と見付の宿との間に有て、大河なり、鴨の長明此河をこゆるとて、 此川のはやき流もよの中の人の心のたぐひとぞ見る 今の浦 見付の宿近所にあり、水海なり、鴨長明此所一見の時、 浪の音も松の嵐も今の浦にきのふの里の名殘をぞきく 原川 袋井の宿と懸川の宿との間にある川なり、北より南へ流たり、 原川や瀬川の水のそこ清みすむ里人の心をぞしる 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0599 懸川 宿の名なり、佐野郡のうちなり、此所の名物にて葛布と云ものを商なり、 これぞこの里のならひと門ごとに葛てふ布を懸河のしゆく 釘の浦 懸川より行程五里ばかり東南のかたにあたりて、海邊なり、相良(サガラ)と云所、湊あり、釘の浦、大礒(タイギ)の湊と云て、舟入也此邊を專釘の浦と云也、當浦よりかぢ和布(メ)と云薄草、名物にて出る也、所の人の云ならはせる歌に、 釘の浦うちくる浪の音するは沖のかぢ和布のしはざ成らん 佐夜中山 白坂の宿より金谷の宿へ越る中間也、左右ともに大木の松立こみたり、西行法師のうたに、 年たけてまたこゆべきと思ひきや命なりけり佐夜の中山 ふみまよふ峯のかけはしと絶して雲に路とふさよの中山 菊川 佐夜山東の麓なり、新坂の宿より東の海道なり、承久の合戰のとき、院宣を書し咎により、光親公關東へめしとられ下り給ひし時、昔南陽縣の菊水、下流を汲てよはひをのぶる、今東海道の菊川、西岸に宿て命終と、辭世のことばを作りて、誅せられ給ひしと云、此所也、歌に、 わすれめやかやが軒端に雨もりて袖引かぬる菊川の宿 大井川 此川は駿河遠江の堺にして、金谷の宿と島田の宿との中間を、北より南へ流出るなり、川原のうち一里あり、海道一番の大河なり、元暦元年の比、鴨長明鎌倉に下りける時、この川を過るとて、 日數ふる旅のあはれは大井川わたらぬ水もふかき色かな

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0599 諸國健兒〈◯中略〉 遠江國六十人〈◯中略〉 諸國器仗〈◯中略〉 遠江國〈甲四領、横刀七口、弓五十張、征箭五十具、胡簶五十具、〉

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0600 四年九月丙戌、自筑紫唐人三十口、則遣遠江國而安置、

〔續日本紀〕

〈二十三淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0600 天平寶字五年七月辛丑、遠江國荒玉河堤(○○○○)決三百餘丈、役單功三十万三千七百餘人粮修築、

〔皇年代略記〕

〈後柏原〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0600 永正七年八廿七、遠州今切(○○)崩出云々、

〔笈埃隨筆〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0600 遠江濱名 あふみは、都に近き江といひ、遠江は都に遠き江と有を以て、國號とす、然るに貝原篤信の大和本草に見ゆ、後土御門院明應八年六月十日〈或ハ九月〉大地震動夥しく洪水して、其江湖の水涸て陸となり、湖口切れて入海となる、今切の渡り是なり、荒井宿の町はづれに濱名の橋の跡あり、一説には、人皇百三代後柏原院永正七年の洪水ともいふ、三代實録に曰、元慶八年九月朔日、遠江國濱名橋長五十六丈、廣壹丈三尺、高一丈六尺、貞觀四年修造、歴二十四年既以破壞、勅給彼國正税稻一萬二千六百三十束改造焉と、海道は本坂越とて今も有なり、 汐みてる時に行かふ旅人や濱名のはしと名付そめけん ◯按ズルニ、今切渡ノ事ハ、渡篇遠江國荒井渡條ニ詳ナリ、

〔萬葉集〕

〈十四東歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0600 相聞 阿良多麻能(アラタマノ)、【伎倍】乃波也之爾(キヘノハヤシニ)、奈乎多氐天(ナヲタテヽ)、由吉可都麻思自(ユキカツマシヽ)、移乎佐伎太多尼(イヲサキタヾニ)、 【伎倍】比等乃(キヘヒトノ)、萬太良夫須麻爾(マダラブスマニ)、和多佐波太(ワタサハタ)、伊利奈麻之母乃(イリナマシモノ)、伊毛我乎杼許爾(イモガヲトコニ)、 右二首遠江國歌(○○○○)


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:59 (387d)