http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0947 原ハ、ハラト云フ、廣平ノ義、地形ノ曠遠ナル處ヲ謂フナリ、又常ニ野原ト連呼ス、宜シク野篇ヲ參照スベシ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈一林野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0947 原 毛詩云、高平曰原、音源、〈和名八良〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一田野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0948引小雅、皇皇者華傳文、釋名原元也、如元氣廣大也、水經汾注、引春秋説題辭云、高平曰大原、原端也、平而有度也、按説文、邍高平之野、人所登、又云、厵水泉本也、原篆文、以泉、二字不同、後人借原爲邍野字、故泉原字從水作源、以避之、邍字遂廢、新井氏曰、波良廣大之稱、開訓波留岐、遼遠訓波流加、皆同語、故有天原海原之稱

〔伊呂波字類抄〕

〈波地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0948 原〈ハラ、毛詩云高平曰原、〉 平〈同〉

〔和漢三才圖會〕

〈五十六山〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0948 原〈音源〉 和名八良 説文云、高平曰原、人所登也、故从厂、厂者山石之岩、人可居者、

〔東雅〕

〈二地輿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0948 原ハラ ハラとは開也、古語にハラシといひしは、開く事をいひしかば、日本紀に開の字讀てハラシとは云ひし也、遼遠をハルカといふも、開け遠きの義也、今も筑紫の方言に、原をばハルといふなり、古に又讀てアラともいひけり、アラとはハラの轉語にして、即是開也、又古語に天之原、海原、河原など云ひし類は、ハラとは邊(ホトリ)也、日本紀に、川上の字をカハラと讀しが如きこれなり、また松原、檜原、杉原など云ひし類は、ハラとは林也、日本紀に竹林の字をタカハラと讀み、松林の字を讀てマツハラといひし、並にこれなり、

〔倭訓栞〕

〈前編二十四波〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0948 はら 原は、日本紀に開をはらくとよめる意也、筑紫人ははるといふともいへり、高天原、蒼海原、豐葦原など、皆廣平の義をいへる也、萬葉集に國原とも見ゆ、説文に、原、高平曰原、人所登也と見ゆ、日本紀に林をもよめり、竹はら、松はら、檜はらなどいふ是也といへり、

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0948 原 松 柳 檜 杉 木 竹 桑 野 しの さヽ はヽそ あさぢ 石 河 國 うな 萩 葛〈まくずとも〉 すが あし かや しば ち ふし かし〈万〉 おきのやき原 みちのべの いつしばはら〈万〉 こしのすが原〈万〉

〔藻鹽草〕

〈三地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0949 原 松原 柳原 檜原 すぎ原 木原 竹原 桑原 野原 しの原 さヽ原 柞原 あさぢ原 いし原 河原 國原 うな原 萩原 おぎ原 おぎのやけ原 くず原 まくず原 まくずが原 あし原 しば原 かや原 をかや原 ち原 ふし原 のし原 道のべのいつしは原〈◯註略〉 こしのすが原 をのヽすが原 うつき原 あさぢが原

植樹木

〔桃源遺事〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0949 一下總國葛飾郡小金の原〈常陸への道なり〉渺々として旅人道に迷ふ事あり、況や雪のあした雨の夕はさら也、西山公此事を不便におぼしめし、道の並に松を數千本御植ゑさせ候、又同國法華宗の談林香取郡飯高并中村への道に、印旛郡酒井原及び根木名原とて、香取郡東佐野村までつヾき、行程四五里ほどの廣野あり、一とせ西山公此所を御通り御覽被成、是又旅人の道にまどはんことを思しめし、道の並松多御植させなされ候、又香取郡高萩の原〈行程三里〉へも右の覺しめしにて、松おほく御うゑさせなされ候、

名原

〔枕草子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0949 原は たかはら みかのはら あしたのはら うのはら はぎはら あはづのはら なしはら うなひこがはら あべのはら しのはら

〔奧義抄〕

〈上ノ下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0949萬葉集所名 普通名所不注 原 まきもくのひはら みわのひはら たけたのはら たかのはら はつせのひはら よさみのはら ゆはら

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0949 原 たけたのはら〈山城 万 鶴詠うちわたすたけたのはら〉おほはら〈同 万 このいちしば〉みかの原〈同 万 ふたいのヽべ、大宮所あれたり〉はヽそ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0950 の〈同、万、いはたの、をのヽはヽその、〉まのヽはぎ〈大 万 しらすげの、古の人衣にする、〉ゆの〈同 万鶴〉はつせのひ〈同 万 かくらくの〉みわのひ〈同 万 かさしをか〉まがみが〈同 万 大口の、まがみの雪、無家所也、〉あさヾは〈同 万 神なびのあさヾは、女郞花、〉あしたの〈同 古 かたをかの〉まきもくのひ〈同 万 霞 小松原、尺、大かたによめる〉たかのヽ〈同 万 鹿島のすそなり〉かすがの〈大 後拾道長公〉をのヽしの〈山古〉 あられ松〈攝 万 すミよミぞれふる、〉みつのまつ〈同 万 三つの濱也、おほともの、〉つのヽ松〈同 万 いざりたくひ〉うちのヽ〈近 万 たかヽまのやとなしとよめり〉わかの松〈伊勢 万 鶴なきわたる、しほひのかた、〉それ〈信 後撰さかミか歌〉きり〈同 きりはらのこまといへり〉はり〈上野 万 いかほろのはり〉しのぶか〈陸 万 しめゆふなゆめ〉まのヽかや〈同 万 みちのくにのまのヽかや〉あだちの〈同 拾兼盛、〉 いきのまつ〈筑前 後撰、相模、金之多宇佐に寄、〉 みがきが〈大 みよしのヽ、霜兼盛、〉うきしまが〈駿 ふじのすそ也〉しの〈加俊成〉、いるのヽ〈千 顯國〉はき〈紀〉やまだの〈伊 大神宮也 西行外宮の御在所也〉ゐなのふし〈攝 仲實金〉あふの松〈播 陸奥歟〉みやぎが〈陸 千 匡房ミやぎ野のはら、同事なり、の、〉みやぎのの〈同〉むさしのヽ〈武〉 しめぢが〈下總 さしも草多生云々、〉さのヽ松原〈泉〉あふぢの〈万〉ふたいの〈山万〉 よさみの、〈美万〉 いほ〈駿万〉 がし〈万〉あはづの〈近 有馬〉ひなの松〈泉〉 こやの松〈攝〉こひの松〈若狹〉つヾきの〈山〉

〔藻鹽草〕

〈三地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0950 原〈附名所〉 廬原〈するが◯中略〉いそしの原〈伊勢◯中略〉生松原〈ちくぜん◯中略〉市師原〈わうしう◯中略〉稻村原〈たんば◯中略〉いるさの原〈未勘〉はつせひ原〈大和◯中略〉針原〈上野◯中略〉母蘇原〈山しろ久世郡◯中略〉いき原〈紀州、八雲御説、〉とはの松原〈やまと◯中略〉千々まつ原〈あふみ◯中略〉千本松原〈するが〉おの田原〈あふみ◯中略〉おかべ原〈むさし◯中略〉小野篠原〈山しろ◯中略〉小笠原〈かひ◯中略〉小鹿原〈するが◯中略〉若松原〈伊勢◯中略〉和射花原〈みの、雪、こま、〉春日野〈やまと◯中略〉狩符原〈未勘◯中略〉陸野原〈あふみ高しまの郡◯中略〉神なのヽ原〈八雲御説也〉交野原〈河内◯中略〉萱津原〈おはり◯中略〉依網原〈◯中略〉高野原〈やまと◯中略〉玉野原〈近江◯中略〉竹田原〈山城紀伊郡◯中略〉高天原〈やまと◯中略〉その原〈しなの伊都郡◯中略〉綴喜原〈山しろ◯中略〉角松原〈つの國武庫郡◯中略〉つヽきの原〈むさし◯中略〉山榴原〈わうしう◯中略〉むさしのヽ原〈◯中略〉梅原〈山しろ◯中略〉浮島の原〈するが◯中略〉うき田の原〈山しろ◯中略〉うた原 猪名〈攝津國◯中略〉百濟原〈やまと、上宮、〉大屋原〈むさし◯中略〉大原〈山城乙訓郡◯中略〉山田原〈いせわたらひの郡◯中略〉くり原〈わうしう◯中略〉まがみが原〈◯中略〉眞野萩原〈やまと城上こほり◯中略〉まのヽかや原〈奥州◯中略〉まのヽ茅原〈やまと◯中略〉卷向檜原〈大和◯中略〉原の松原〈なが〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0951 〈と、むさし、〉 ふたひの原〈山しろ◯中略〉布留野原〈大和◯中略〉ふか草原〈山しろ、うづら、〉藤生野形原〈山城、春の日しは、〉いはしの原〈三河國◯中略〉越松原〈さど◯中略〉越すか原〈さど◯中略〉戀松原〈播州◯中略〉毘陽松原〈つの國◯中略〉あられのまつ原〈つの國住吉郡◯中略〉あちふの原〈◯中略〉あなしのひ原〈やまと◯中略〉あさ澤原〈やまと◯中略〉あこにの原〈たきのうへとそへたり〉あしたの原〈やまと◯中略〉あだちが原〈わうしう◯中略〉逢松原〈わうしう飾束郡◯中略〉あを木の原〈ひうが◯中略〉あはづ原〈あふみ◯中略〉味野原〈つの國◯中略〉あをやぎ原〈あふみ、暮春、らん花、〉朝羽原〈むさし◯中略〉さくのまつ原〈八雲〉きり原〈◯中略〉湯の原〈やまと◯中略〉婦負原〈ゑつ中◯中略〉みつのヽ原〈◯中略〉三形原〈◯中略〉瓶原〈山しろ◯中略〉みかきの原〈大和◯中略〉三わのひ原〈大和◯中略〉みやけの原〈大和◯中略〉三かさの原〈大和◯中略〉御津の松原〈つのくに◯中略〉宮ぎが原〈奥州◯中略〉みやの松原〈つの國、八雲御説、〉峯野原〈三河◯中略〉しのぶが原〈奥州◯中略〉篠原〈近江◯中略〉しめぢが原〈下野◯中略〉しきみが原〈あたご〉志津原〈山城◯中略〉ひら野の原〈山城◯中略〉ひなの松〈いづみ、八雲御説、〉もろこしの原〈さがみ◯中略〉もち月の御牧が原〈しなの◯中略〉牡鹿原〈駿河◯中略〉砂上原〈さがみ◯中略〉せき原〈越中◯下略〉

遠江國/三方原

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0951 三方原(ミカタガハラ)〈遠州敷智郡〉

〔梅花無盡藏〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0951 箕形原(○○○)始望富士 天邊万仭似形、高叫奇々笠行、猶秘士峯眞面目、亂雲迷處未分明、〈未刻、歩遠江之箕形原、始望富士峯於彷彿之間、絶叫擲笠、〉

〔甲陽軍艦〕

〈十二品第三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0951 極月廿二日に、濱松味方が原までをし詰被成る、〈◯中略〉元龜三年壬申極月廿二日、遠州味方が原の御一戰是なり、法性院信玄公五十二歳の御時如件、

駿河國/浮島原

〔和漢三才圖會〕

〈六十九駿河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0951 浮島原 在富士麓原與沼津之間、東西二十町餘、

〔國花萬葉記〕

〈八駿河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0951 駿河國中舊跡之部 浮島が原 東西三十里也、但六町を一里とすと云へり、ふじと此原の間は沼也、はらより南は大海なり、ふじ川より東に見付と云所有、是より次を浮島が原と云と也、〈景物〉歌には浮島の原共讀り、柳、螢、薄、有明月、雪、千鳥、松のむら立、富士〈よみ合〉あしがら〈よみ合〉

〔源平盛衰記〕

〈三十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0952 東國兵馬汰并佐々木賜生唼附象王太子事 高綱〈◯中略〉由井ノ濱ニ打出テ聞ケレバ、大勢ハ大底昨日夜部ニ鎌倉ヲ出タリト云、サテハ駿河國浮島原ノ邊ニテハ追付ナント思テ、十七騎ニテ打テ、殿原殿原トテ、稻村、腰越、片瀬川、砥上原、八松原馳過テ、相模河ヲ打渡、大礒、小礒、逆和宿、湯本、足柄越過テ、引懸引懸打程ニ、其日ハ二日路ヲ一日路ニ著、河宿ニ著ニケリ、尋レバ案ニ違ハズ、大勢駿河國浮島原ニ引タリト云、

〔曾我物語〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0952 うきしまがはらの事 さても御れうはうきしまがはらに、御ざのよし承る、そがきやうだいも、いそぎをつヽき奉りぬ、うきしまがはらとをりけるに、かのはらのむかしは海にてありけるに、大國よりあしたか山といふ山、ふじにたけくらべせんとて、きたりけるを、ごんげんけくづし給ひければ、その山海にうきて、今のうきしまがはらになりにけり、〈◯下略〉

〔大平記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0952 俊基朝臣再關東下向事 明ル霞ニ松見ヘテ、浮島ガ原ヲ過行バ、鹽干ヤ淺キ船浮テ、ヲリ立田子ノ自モ、浮世ヲ遶ル車返シ、竹ノ下道行ナヤム、〈◯下略〉

〔東關紀行〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0952 浮島が原は、いづくよりもまさりてみゆ、北はふじの麓にて、西東へはる〴〵とながき沼あり、布をひけるがごとし、山のみどり影を浸して、空も水もひとつ也、蘆かり小舟所々に棹さして、むれたる鳥おほくさはぎたり、南は海のおもて遠く見渡されて、雲の波煙の浪、いとふかきながめなり、すべて孤島の眼に遮るなし、わづかに遠帆の空につらなれるをのぞむこなたかなたの眺望、いづれもとり〴〵に心細し、

〔夫木和歌抄〕

〈十二鹿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0952 名所歌中 爲實卿 ふじのねのすそのをかけてなくしかの聲もあらしにうき島が原

美濃國/關ケ原

〔和漢三才圖會〕

〈七十美濃〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0953美濃國近江木曾路〈◯中略〉 關ケ原〈一里、古有關、名不破關、有野上宿、〉

〔美濃明細記〕

〈十名所和歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0953 關ケ原〈不破郡にあり、秋寢覺に名所に入たり、〉

〔關原始末記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0953 かくて石田治部少輔三成は、其夜中に大垣の城を出て、牧田通をへて不破關原へ出張し、小關の宿の北の山際に陣を取る、石田が家老島左近先手なり、其左の山ぎはに、織田小洞信高、并大阪黄母衣衆段々にひかへたり、島津兵庫頭、同又八郞は石田が後ろに陣をとる、其南は越前海道より關原の本道を限り、宇喜多中納言、小西攝津守、大谷刑部少輔、同大學、平塚因幡守、戸田武藏守等、段々に陣を張る、其西の方本道の南松尾山の下に、筑前中納言、并脇坂中務朽木河内守、小河左馬助陣を取る、南宮山の後ろには、長束大藏少輔、安國寺、吉川、長宗我部等陣をとる、 明れば十五日寅の刻に、御先手福島左衞門大夫方より使者として、祖父江法齋御本陣へ參て、石田大垣出て、關原へ出陣の趣を注進す、依是則家康公御出馬有て、關原本道の南兩宮山の北のはづれに御本陣をすへさせたまふ、御先手藤堂佐渡守、本多中務少輔、福島左衞門大夫等は、本道の南の方に陣をとる、松平下野守殿、井伊兵部少輔、田中兵部少輔、細川越中守、金森法印、加藤左馬助、黒田甲斐守、竹中丹後守等は、本道より北方に陣をとる、池田三左衞門、淺野左京大夫、三河、遠州駿河勢は、御旗本の後陣として、本道より北方に陣をとる、是は南宮山の敵の御手充なるべきか、堀尾信濃守は大垣の押に仰付られ、其道筋に陣をとる、

信濃國/園原

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0953 曾濃原(ソノハラ)〈信州與濃州界、但屬伊那郡、〉

〔和漢三才圖會〕

〈六十八信濃〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0953 園原 在小縣郡 伏屋在小諸之山邊

〔信濃奇勝録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0953 園原 園原は、往古の官道にて、美濃國坂本より五里餘、惠奈嶽神御坂を越て園原に至る、

〔信濃地名考〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0954 曾乃原異説 世に名所集といふもの、俚俗の言を記し傳へたる多し、まことの薗原は、伊奈郡小野川の奧なる曾の原村正説也、宗祇のいはゆる美濃信濃のくに堺にありとは是也、一説曾の原は小縣郡そめやの上にありといふ、是をおい人に問へば、眞田のおくにありて、昔は十(ソ)の原なるを、今はとをのはらとよべりとぞ、されば曾我物語に、淺間三原その原を狩くらすなど書たれば、文花にもせよ、此異説中代より見えたり、其地は根津より山の温泉を過て、田代といふ所に出て、眞田の道に會ふ、其邊をいふよしなれば、世に根津近き所にありと出たるは此處なるべし、又一説曾の原は佐久郡にあり、世に小諸の山の手に有など書たり、按に布施村、〈布施を、伏屋など附會せり、〉右の方小諸澤といふより登れば、長者原といふ有、長者屋敷の跡とて、〈いな郡その原村にも同跡あり〉卯花(ウツギ)の垣、埋れ水今にあり、これを曾の原などいふ、〈幽齋老の木曾越に、ちくま川と望月の間にて、 人やすむかきねをしめて山のおく卯の花さそふ谷の下水とあり、是も土人の長者原の語を聞給ひけんとおぼゆ、又木曾路の歌の次に曾の原のうたも見えたるは、宗祇の説、美濃信濃の國界にありといふによられたる事あきらかなり、〉又佐久郡沓掛驛の山上にも曾の原といふあり、又高井郡にもふせ屋の原などいふあり、皆聞達を求るに出たる異説なるべし、據見えず、

〔新古今和歌集〕

〈十羈旅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0954 しなのヽみさかのかたかきたる繪に、そのはらといふ所に、旅人やどりて立ちあかしたる所を、 藤原輔尹朝臣 立ながら今宵はあけぬそのはらやふせやといふもかひなかりけり

〔新古今和歌集〕

〈十一戀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0954 平定文家歌合に 坂上是則 そのはらやふせやにおふるはヽきヾの有とは見えてあはぬ君哉

桔梗原

〔西遊行囊抄〕

〈四上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0954 桔梗原〈或歸經原書之〉 右ノ方松本ノ城邊ニツヾキ、行程五里ノ野ナリ、左ハ山不遠、前後ハ二里許ノ曠々タル芝野也、六

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0955 十六部ノ經塚トテ、路ヨリ右ニ並テアリ、此塚或ハ頸塚トモ云、又此野ニハ、鶉、雲雀多シ、

〔甲陽軍艦〕

〈十上品第三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0955 天文二十二年癸丑五月六日、信州桔梗原におひて、小笠原長時衆三千餘騎出て合戰あり、信玄公の侍大將衆に、甘利左衞門尉、飯富三郞兵衞、馬場民部、春日彈正、内藤修理、此五頭をもつて御旗本はいまだ鹽尻到下を越給ふ時分、巳の刻に一戰をはじめ、然も勝利を得、敵をうつ取、其數六百七十九、雜兵ともに頸をとる、

陸奥國/三本木臺

〔東遊記後編〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0955 三本木臺(○○○○) 夫南部の地は、廣大無邊にして、何れの國といへども、此地の廣きに比すべき所なし、誠に七の戸邊に三本木臺といふ野原あり、只平々たる芝原にて、四方目にさはるものなし、此原東西凡二日路、南北半日路程ありと云、其間に人家もなく、樹木も一本も見えず、實に無益の野原なり、雪中には此邊の人といへども、四方に目印なければ方角知れず、五七日も往來やむ事ありとかや、此外にも、野邊地といふ所より、七の戸迄來るにも、五十丁道四里半ありて、東西は猶廣し、此所も只一面の芝原也、此原は少し高ければ、四方の山々見ゆる、西ニ八ツ幸田山あり、西南には十三四里を隔てヽ三の戸嶽見ゆ、東南は二十里許を隔だてヽ八ノ戸嶽みゆ、又遙の南五十里隔てヽ、盛岡の岩鷲山見ゆ、かくのごとく四方豁然として、數百里一望に歸し、廣遠なること大海を望が如し、

雜載

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0955 十八年六月丙子、到阿蘇國也、其國郊原(○○)曠遠不人居、天皇曰、是國有人乎、時有二神、曰阿蘇都彦、阿蘇都媛、忽化人以遊、詣之曰、吾二人在、何無人耶、故號其國阿蘇

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0955 十四年是歳、〈◯中略〉堀大溝於感玖、乃引石河水而潤上鈴鹿、下鈴鹿上豐浦、下豐浦四處郊原以墾之、得四萬餘頃之田、故其處百姓寛饒之、無凶年之患

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0955 元暦元年九月十五日辛丑、悠紀史國通、依辨命來日時四通占地美名注文一通、〈◯中略〉 近江國 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0956 注進風土記事〈◯中略〉 大松原〈志賀◯中略〉 千松原〈犬子◯中略〉 千草原〈◯中略〉 梅原〈坂田◯中略〉 小松原〈志賀◯中略〉 右注進如件 元暦元年九月 日


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:56 (387d)